えっ、これだけ? 東日本大震災の発生から4カ月が過ぎてなお、被災地の学校給食は復旧にほど遠い状況だ。育ち盛りの、しかもストレスを抱えた子どもたち。「せめてあと一品」。現場の先生や保護者たちの願いは切実だ。【浦松丈二】
「ジャーン、ケーン、ポンッ!」。宮城県石巻市立雄勝(おがつ)中学校(生徒52人、教職員13人)。昼休みの教室から元気のいい声が聞こえてきた。2年1組で生徒15人の給食のうち、休みと早退した生徒分の2食が余り、残りの生徒たちが“争奪戦”を繰り広げていた。
この日の献立は、肉団子3個▽ご飯110グラム▽味付けのり▽牛乳200ミリリットル。ジャンケンを勝ち抜き、肉団子1個と牛乳1パックを手に入れた千葉慎平君(13)は身長171・6センチ、体重70キロ以上と大人並みの体格。配られる量では全然足りない。「サラダなんかもあるといいけど」。照れくさそうに話す。
担任の扇谷正輝教諭(33)は「この給食で生徒たちは部活も頑張っています。野菜スープなど汁ものがあれば空腹が満たされるのですが……」と、簡素な献立に目を落とした。
おかず1品に何らかの添え物、ご飯、牛乳という組み合わせは常態化している。例えば6月20日は豚肉1枚にふりかけ、28日はサバのみそ煮に岩のり。おかずはいずれも湯で温めるレトルト製品だ。
「正直、部活の後半は本当におなかがすいて」。佐々木花菜さん(13)は恥ずかしそうに言う。「あと一品、増えるとしたら?」と聞くと「果物がほしいな」と即答した。ソフトテニス部に所属し、ダブルスで6月の中総体地区予選を突破し、県大会出場を決めた。試合を控え、栄養バランスを気にしているようだ。
地震発生は卒業式の2時間後だった。津波は3階建て校舎の屋上まで押し寄せたが、生徒は既に下校しており、それぞれ避難して無事だった。とはいえ、6000人近い死者・行方不明者を出した石巻市でも、家を流されたりして生徒全員が被災したのは雄勝中だけだ。現在、高台の石巻北高校飯野川校4階に間借りして授業をしている。
2年1組の生徒は仮設住宅に7人、避難所に1人、残り7人も親類宅に身を寄せたり臨時のアパート暮らし。弁当持参は難しい。
給食担当の養護教諭、勝見真菜さん(22)は「今のままでは明らかに野菜不足。津波で家族を亡くしたり、避難生活が続いたりしてストレス過剰になっている生徒も多く、健康への影響が心配です」。元気そうにみえても情緒が安定せず、突然、泣き出してしまう生徒もいるという。
石巻港の岸壁から約500メートル内陸に並ぶ二つの学校給食センター。車を降りた途端、すさまじい悪臭が鼻を突いた。建物こそ残っているが、内部の調理設備は泥まみれになり壊滅状態。丸々と太ったハエが飛び交っている。
市教育委員会によると、震災前は毎日、市内6カ所の給食センターから小中学校64校と幼稚園2園へ約1万5000食を配送していた。津波で3カ所が被災し、残る3カ所をフル稼働させているが、能力をはるかに超える量を供給するため、レトルト食品に頼らざるを得ない。今も市内の小中学校のすべてが雄勝中と同じ「簡易給食」のままだという。ただ、レトルトは割高なため、1食の単価は285円で震災前と同じだ。
佐藤勝治・学校管理課給食グループ主幹は「弁当配布も検討しましたが、地元業者の供給能力は最大1000食程度。仙台から運ぶには3時間以上かかるし、食中毒の心配もある。自校調理に切り替えようにも予算や施設の壁があり難しいし……」と、ため息をつく。毎日新聞の調べでは岩手、宮城、福島3県で、震災前の「完全給食」を1学期中に再開できない小中学校のある自治体は、石巻市を含めて11市町村に達する。
学校に隣接する敷地には仮設住宅が建てられている。そこで話を聞いた。
中1を含む3児の母、須藤久美子さん(32)は「給食の量はともかく、バランスが気になりますね。中1の子は小さいころ、病弱だったから、栄養面で影響が出ないか心配ですね」と話す。
「肉団子ですか。うちの子が好きなメニューです」。そう笑った中1と小5の母親(35)に、献立の写真を見せると「あれ、野菜は?」と絶句した。「うちの子どもたちは野菜嫌いで、これまでは給食でバランスを取っていたのですが……」
市教委は給食施設の復旧作業を急いでいる。「8月には給食センターが1カ所、稼働可能になるので、2学期から調理をしたおかずを提供できそうです。品数は1品のままですが、レトルトをやめて食材を購入すればコストも下がり、人気のカレーなども出せるようになる」。佐藤主幹は見通しをそう語る一方、「それでも供給能力は60%以下。2~3年をメドに新しい給食センターを建設し、完全給食に戻したい」とも。
2~3年も--。
「壊れた給食センターをご覧になったでしょう? 用地探しを始めたばかりなものですから……」
雄勝中の佐藤淳一校長(50)が訴える。「震災後、大勢の方たちから炊き出しなどの給食支援を頂きましたが、いつまでも頼るわけにはいかない。この現代の日本で、子どもたちが腹いっぱい食べられない状況があっていいのか」
津波に娘をさらわれ、仮設住宅で中学生の孫らと暮らす祖母(66)が語っていた。「ボランティアの方たちに提供していただいたバーベキューを、孫は本当に喜んでいました。皆さん、子どもらのことを考えてくれてねえ、ありがたいことです……」
東京のスーパーでは新鮮な食材があふれんばかりに並んでいる。被災地の子どもたちの切ない「ジャンケン」が終わる日は、いつ来るのか。
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毎日新聞 2011年7月14日 東京朝刊