今場所「私は見た」欄を書くについて、何度も考え込んでいたことがある。
名古屋場所の対戦相手15人の中、誰が負けた時の相手になって、その敗戦の弁はどんなものになるか。魁皇の人柄から考えて、勝者の弁も、決しておごり高ぶったものになることはあり得ないし、仮に新記録を打ち立てても、そんな話はどこの誰がやり遂げたことなのかいと、味気ない言葉でとぼけられてしまうことも十分にあり得る。
それで結局、私は見当もつかなかったのだ。魁皇のコメントに関しては、こうなるのではないかという予想も立てることができなかった。
だが、現実の進行は、とても私などの予測が追いつけないもののようだった。私もここ数年、聴覚鈍くなって、偶然耳の具合の悪い日にぶつかると、人様の話がひどく聞きにくくなっている。その難聴まがいの耳を、できるだけ澄まして魁皇が口にしたことを追っかけてみたところ、なんと勝者の弁は、“情けない”というものだったようだ。
これには虚を突かれた。「長いことお待たせしました」でもなければ「この先も一勝二勝と勝ち星を重ねていこうと思う」でもない。笑みさえ浮かんでいない顔で“情けない”。これぞ、魁皇の弁だと、口からもれた言葉の重みをかみしめてみると、その意味の味わいの深さが、じんわりと胸に沈み込んでくる。
大相撲は、人間の体力の可能性の極限を極める一面を持つところがある。その意味からして、今場所に魁皇が打ち立てた最多勝は、比べようがないが、双葉山の69連勝と等価値を持つものと言えるのではなかろうか。
それを樹立した人間の、樹立直後に口からもれた言葉が、なんと“情けない”だったのだ。素敵な話ではないか。
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