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【大相撲】

魁皇1045勝、史上最多並んだ

2011年7月14日 紙面から

豊ノ島を突き落としで破り、通算1045勝で千代の富士の持つ史上最多記録に並んだ魁皇

写真

◇名古屋場所(4日目)

 (13日・愛知県体育館)

 大関魁皇(38)=友綱=が豊ノ島戦で今場所初白星を挙げ、千代の富士(元横綱、現九重親方)の持つ史上最多記録の通算1045勝に並んだ。優勝31回で横綱在位59場所の千代の富士が序ノ口から通算124場所(全休、途中休場を含む)で積み上げた白星に、優勝5回、大関在位65場所の魁皇は足かけ24年、139場所で肩を並べた。幕内で在位107場所、出場1438回、同877勝はいずれも史上1位を更新している。

 生みの苦しみが大きければ、達成の喜びは余計に増幅される。魁皇は「あと1勝」で全国のファンをヤキモキさせたが、ついに不滅と思われていた千代の富士(現九重親方)の通算勝利1045勝に並んだ。

 豊ノ島を左から突き落とした瞬間、館内の応援席から自然発生的に「カイオウ!」「カイオウ!」とあちこちから大歓声が起こった。この4日間、この姿を待ちわびていたから一気に喜びが爆発したのだ。

 しかし支度部屋に戻ってきた魁皇に、喜びの表情はない。「普段通り、いつも通り。決して(突き落としは)狙っていったわけではない。内容が悪い。大関としてはダメ」

 23年間コツコツと勝利を積み重ねてきた魁皇が、ここへ来て周囲の期待の重圧につぶれそうになった。「周りから騒がれたのは恥ずかしいぐらい。必死こいてやっと勝った一番。いつも言っているように、千代の富士さんの記録とは比べられない。自分は申し訳ないと思っている」。謙虚な人柄がにじみ出た発言。地位は大関だが、スタートの初土俵、新十両、新入幕がいずれも負け越しだった。「自分は何やっても簡単にはいかないし、それが自分らしいと言えば自分らしい」と言った。

 2008年以降、2桁白星を挙げたのは、12勝の昨年九州場所だけ。昨年夏場所の千秋楽で琴欧洲を破り1000勝を達成したときも、千代の富士の記録は視界になかった。「体がもたない。やめているだろうなと思っていた」。それは正直な気持ちの発露だったろう。

 負けた2、3日目の夜には車で往復4時間かけ、奈良県内の治療院で手当てを受けた。この日も花道奥で出陣を待つ時、3番前の取組が取り直しになると、両足が激しくしびれた。「だめだと思った」。だが、何とか気力で白星を手にした。

 1988年春場所で曙、貴乃花、若乃花と一緒にデビューした。同期の3人は横綱になったが、現役を早く引退。曙、若乃花はとっくに角界を去り、貴乃花は理事として審判部長の要職に就いている。魁皇は丈夫で長持ちではない。腰、両膝など、故障のないところを探すのが難しい。そんな満身創痍(そうい)の男が今も角界を支え続ける。

 24日の千秋楽で39歳になる。大関の勝ち越し記録としては、昭和以降の初の記録になる。まず千代の富士超えを目指すが、「明日以降? 気持ちは変わらないよ」。一つの目標をクリアして魁皇は勝ち越しを目指す。 (近藤昭和)

 

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