蓮池薫さん、帰国8年の苦悩
2010年10月22日号配信
北朝鮮の金正日総書記の「後継者」に三男の金正恩(ジョンウン)氏が固まった、とのニュースが世界を駆けめぐったが、それで拉致問題解決が進展するような気配はない。10月15日は、拉致被害者5人が8年前に電撃帰国した日だ。蓮池、地村両夫妻や曽我ひとみさんたちは、この日をどんな気持ちで迎えるのか。
蓮池薫さん(53)と妻の祐木子さん(54)は、帰国当初は新潟県柏崎市役所に臨時職員として勤務した。
薫さんは04年末に韓国の出版物の翻訳業に転身。これまで20冊以上の本を手がけてきた。
また、自著『半島へ、ふたたび』で昨年、新潮ドキュメント賞を受賞した。
一見、順風満帆のようだが、兄の透さん(55)は、
「韓国本など大して売れないし、収入はギリギリ生活できる程度でしょう」
と苦笑する。
にもかかわらず、薫さんは今年4月、月30万円の政府の支援金を辞退することを決めた。その裏には深刻な悩みがあった、と透さんは振り返る。
「給付金に対して薫は、ずっと負い目がありました」
帰国後数年は、柏崎市の実家に「税金で暮らすのか」と批判する心ない手紙がしばしば届いた。
小さな田舎町だけに、「一家の衣食住はすべて税金」「2人の子供は大学入試も学費も免除」といった根も葉もない噂話が、嫌でも本人や家族の耳に飛び込んできた。
家族がうつむいて歩くと、「子供が帰ってきてうれしくないのか」と言われ、ニコニコすれば、「まだ帰らない被害者がいるのに」と後ろ指をさされる。母のハツイさんは一時、精神的にまいってしまった。
「薫たちが家族で出かけるときも、近くの山に登って、母が作った弁当を広げて食べる程度です」(透さん)
父の秀量さんと薫さんは巨人ファンだ。透さんは今年、東京ドームでの観戦に両親と薫さん夫妻を招待しようと声をかけた。だが薫さんは「目立ちたくない」と断ってきた。
「市役所勤務だって居心地はよくなかったでしょう。50歳近い男が温情で入れてもらっても、お荷物でしかない」(透さん)
薫さんは兄にこう吐露したこともあったという。
「税金で暮らしているとは言わせない。おれはおれでやる」
市役所を辞める前から、薫さんは新潟産業大学と新潟工科大学で「コリア語」の非常勤講師を務めていた。だが、中央大学3年生だった78年に拉致されたため、最終学歴は高卒。
「学歴が必要なんだ」
そう透さんに語った薫さんは、市役所を辞めた年の秋に中央大学へ復学した。
卒業した08年の春に、新潟産業大学の専任教員に昇格した。学生に教えるかたわら、薫さん自身も地元の大学院で勉強を続けている。長女は大学院を卒業して東京で就職し、長男も東京の大学に在学中だ。
福井県小浜市に住む地村保志さん(55)、富貴恵さん(55)夫妻は、今でも地方公務員として勤務を続けている。
保志さんの父の保さん(83)は最近、夫妻の自宅を訪ねたときに、こんな光景に遭遇した。
「早口の朝鮮語の会話が聞こえるんだよ。いまも、ときたまポロッと出るみたいだね。当初は日本語に不自由した3人の孫は、今ではすっかりなじんだ。長女は地元の信用金庫、長男は大手メーカーの小浜工場で働いている。次男は関西の大学に通っている。今年の正月こそ、家族水入らずの集合写真を撮りたいね。実はまだ持ってないんだよ」
新潟県佐渡市に住む曽我ひとみさん(51)は、市の養護老人ホームの准看護師として多忙な日々を過ごす。長女も市職員、次女は市内の酒造会社に勤務中だ。
夫のジェンキンスさん(70)は5年前から佐渡歴史伝説館の売店コーナーで働き、いまや「名物おじいちゃん」である。
「観光客に頼まれれば、笑顔で写真に納まってくれます。佐渡観光の目玉のひとつですよ」(同館職員)
だが、政府が認定した拉致被害者17人のうち、曽我ひとみさんの母のミヨシさんを含む12人はいまだ安否がわからない。家族の高齢化も否応なしに進んでいる。
9月末、北朝鮮研究者の集まりに横田めぐみさんの父の滋さん(77)が姿を見せた。足取りは弱々しく、階段や道路の段差にいくどもよろめいた。
「後継者問題が注目されていますが、拉致問題にどのような影響が出るのか。まったくわからず困っています」(滋さん)
すべての拉致被害者とその家族が笑顔で再会できる日はいつ来るのだろうか。 (本誌・永井貴子)