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[27333] ぽじてぃぶ☆トムヤン君!(魔法少女まどか☆マギカ オリ主 オリジナル設定在り)
Name: 犬太◆93ceb70e ID:97db629a
Date: 2011/07/07 12:31
これは、魔法少女のおともが暮らす世界からやってきた一匹のおとも見習いと、
どこにでもいるような普通の少女が、まどか☆マギカ世界で繰り広げる、
愛と勇気と熱血の物語である。



皆さん始めまして。

今回、まどマギSSを投稿させていただきます、犬太と申します。

この作品は「一応」まどか☆マギカのSSとなっています。
しかし、切り口が異色なので抵抗感が出る方もあると思いますので、大幅な改定が苦手な方は読まないほうが得策でしょう。
小説のコンセプトは「対QB」と「まどか☆マギカ世界の破壊」。これがどういう意味であるのかは、最終話まで読んでいただけると分るはずです。


ちなみにこの作品、pixivで掲載してあるものをこちらに再掲載したものですので知っておられる方はあしからず。

願わくばこの作品があなたのちょっとした楽しみになりますよう。

###追加注意###

この作品はまどマギ作品をプラットフォームにした作品です。ぶっちゃけて言えば作者が激しく好き勝手しております。

鹿目まどかや暁美ほむらといった主役たちもきちんと登場しますが、改変や独自解釈が満載です。

ので、そう言うものが受け付けられないと言う方はあらかじめ「回れ右」していただけると良いかと思われます。

あらかじめご了承ください。


#追記2

読者の方から「別の作品を腐す内容が問題である」との指摘をいただき、一話と二話の一部を改稿いたしました。
作品の進行上、まどマギの世界を改竄することになってしまいますが、それでも悪意あってのことではないですし、他の作品に対しても同じことです。
ということで、問題ありと感じた部分を削除しました。
一部の読者の方にお詫びするとともに、作品に対するご意見をいただいたことを、
ここでお礼申し上げます。


>5月25日付けて1万view突破。感謝です。
>6月7日付けで2万view突破。読者に感謝を。
>6月21日付けで3万view突破。いつもありがとうございます。
>7月7日付けで4万view突破。なにやら感慨深いものが。感謝です。



[27333] 第一話「納得行かないんだよっ」(全面改稿済み)
Name: 犬太◆93ceb70e ID:97db629a
Date: 2011/05/05 19:27
 そこは、ここではない何処か。人が決してたどり着くことのない世界。

 あるいは、誰もがたどり着けるのに、そこに行ったことすら覚えていない場所。

 そんなどこでもないところで語られた、小さなものがたり。

 本当は来るつもりなんて無かった。

 いくら同期で仲がよかったとはいえ、すでに一線で活躍している二人の顔を見るなんて。

 だが、どうしても好奇心には勝てなかったのだ。自分がずっと憧れてやまなかった生活を、彼らがどんな風に満喫しているのかを。

 目の前にある扉には、大きなノブから小さな取っ手まで、大小さまざまな入り口が付いている。

 トムヤンは一番小さな取っ手に手をかけて店へと入った。

 中からむっとする熱気が押し寄せてくる。薄暗い店内にはたくさんのテーブルが並び、客達が飲み物と肴を前に語り合っているのが見えた。

 ただし、そこにいるのは人間ではない。

 極彩色のしましま模様をしたサルや、ファンタジー小説に出てきそうな虫の羽を持つ妖精、輪郭の定まらないスライムみたいな存在など、

バラエティに富んだ容姿を持つ者ばかりが揃っている。

 トムヤン自身は丁度地球に存在しているトビネズミと似たような姿をしている。

 ただ、体長はモルモットほどもあり、普通のトビネズミの規格からすれば巨大といってもいいサイズだ。

「あ、トムヤン君~。ここだよー」

 扉に程近いテーブルから、自分を呼ぶ声がする。表情の読みにくいカピバラがこちらに向かって手を振って呼びかけてくる。

「君付けはやめろって言ってるだろモード、それからシャルもおっす」

 丸テーブルにはもう一人座っていた。かなりデフォルメが効いた悪魔のような姿、こちらに向かって軽く視線を投げ、それからひょいっと片手を上げた。

 素早く駆け寄るとトムヤンはカピバラの背中を駆け上がって素早くテーブルの上に着地した。

「遅かったな、なんか用事でもあったか?」

「……ここに来る前に学校に寄って来た」

「新しいおともの募集、あった?」

 無言でテーブルに着くこちらの様子に、二人は顔を見合わせて苦笑した。

「ま、まぁ、とりあえず飲めよ、な?」

「そうだよぉ。まだ可能性はあると思うよ」

「下手な慰めはよしてくれ……」

 うめき声を上げつつ、テーブルに突っ伏すトビネズミ。体毛は金に近い茶色で、今は全身を襲うがっかり感のためにすっかりしおれていた。

「並行世界のあちこちで、魔法少女のおとも募集は自粛状態だってよ……」

「やっぱりあの事件のせいなの?」

「知らん、そこまでは聞けなかった」

 だが、十中八九そうだろうと、トムヤンは考えていた。自分達が属するここ、俗に『おともの世界』と呼ばれる世界を揺るがした、あの事件が原因だと。

 おともの世界、それはあらゆる並行世界の源であるとされる【諸元】にもっとも近い場所に存在する世界だ。

 あまたの心ある魂が繋がる、普遍的無意識の程近いところに存在しており、神や悪魔の住まう世界よりも人間の世界に近い。

 そのためか、彼らは容易く人間の世界に干渉することが可能であり、たくさんのおともたちがその身に帯びた使命を果たすべく、人間の世界へと旅立っていた。

 『おとも』の持つ使命、それは自分達の持つ『力』を人に貸し、世界のありようをポジティブなものに変えるというものだった。

 その力とは、魔法。

 彼らは人の持つ夢見る心や希望を信じる心を、魔法に変換する能力が備わっており、それを人間に使ってもらうことで使命を果たしてきていた。

 おともの魔法は少女に用いられるときに最も力を発揮すると言われ、いつしかおともに協力して世界を変えていく彼女達を『魔法少女』と呼ぶようになっていた。

 彼女達の活動は多岐に渡っていた。世界や町の平和維持活動が主たるものだが、時には特定のアイテムの収集、

異世界間の交流を補助するなど、魔法少女とおともの活動は確実に世界の方向性を明るいものに導く役に立っていた。

 だが、その活動に大きな影を落とす事件が起こった。

 魔法少女のおともとしてある送り込まれた一匹が強引で悪質な勧誘を行い、契約した少女の命をエネルギー結晶に変換して吸収、逃亡するというものだった。

 件のおともは『魔法少女になる代わりに願いを一つかなえる』という条件で契約を迫った。

 だが、契約した魔法少女の悩みを願いは中途半端にしか解消されず、その感情が絶望に堕ちることにより『魔女』と呼ばれる最悪な存在へ変化するという仕組みまで仕込んでいたのだ。

 魔法少女はいつかは魔女になり、別の魔法少女に狩られる。そして、その魔法少女も新たな魔女となるのだ。

そんな悪魔的マッチポンプにより、たくさんの少女達が犠牲になったらしい。

 魔女となった魔法少女の魂はグリーフシードと呼ばれるエネルギー結晶になっており、そのおともはそれを回収する目的で動いていたらしい。

 現在のところ、そのおとも――インキュベーターと呼ばれる――は行方をくらましており、上層部でも事件の対策に苦慮しているという。

「納得行かないんだよっ、くそぉ」

 手にしたカップに注がれた液体をぐっとあおって、トムヤンは何度目かの愚痴を漏らしていた。

「確かに、あいつのしたことは絶対に許せないと思うけどさぁ。なんで俺の派遣先までなくなっちまうんだよぉ」

「しょうがないだろ。あんなものを見せられたら、新しいおともを自分の世界に引き込みたいなんて考えないだろうさ」

「どこのバカだー! あんな事件にほいほいリンクした奴はーっ!」

 パクチーの香り芬々のトムヤンクンスープを再び呷り、トビネズミが絶叫する。

 おとも世界の住人には、特定の飲食物で酔っ払う性質を持つものがあり、彼はその名前の由来になったスープが酩酊物質だった。

「あれじゃ、俺たちのイメージが悪くなるだろうがーっ!」

 世界にポジティブな物に変えるというおともたちの活動は、大きく分けて二つの方法が存在している。

 一つは直接問題を抱えた世界に降り立ち、魔法少女となった女の子と一緒に活動すること。

 もう一つは、自分達の活躍を『物語』という形にして、無限に広がる世界へと発信することだった。

 発信された『物語』はリンカーと呼ばれる人間の受け手によって変換され、その世界における主要なメディアに流されることになる。

 そうして人々は魔法少女(とそのおとも)達の活動を知ることで、心の癒やしやポジティブなイメージを受けて生きる力を活性化させるのだ。

 そして、そのもう一つの活動が今回の『インキュベーター事件』を大きな問題に発展させた原因になっていた。

 この事件が発生した当初、おとも世界は事件の解決と共に物語としてのリンクを凍結させる予定だった。

 だが、どういうわけか情報は数多くの世界に向けて発信され、事件を題材に取った作品が作成されることになった。

 たちの悪いことに、各並行世界で作品中の残酷描写や閉塞感のある雰囲気が受けてしまい「魔法少女の契約イコール死」というイメージが定着してしまった。

 この事態を重く見た並行世界は、ある結論を下した。

 それが、『インキュベーター事件』がある程度風化するまで、魔法少女のおとも受け入れを自粛するという措置だった。

 そして、トムヤンもその自粛によって派遣先を失ったおともの一人だった。

「せっかく、せっかく、せっかくおともになれるところだったのに……っ」

「大丈夫だって。チャンスはまた巡ってくるさ」

「そうだよぉ。僕でもちゃんとおともやってられるんだからさ」

 何気ない調子で漏らしたモードの呟きに、トムヤンの耳がぴくりと動いた。

「ほんとか? パートナーの子に迷惑掛けてないか?」

「ほんとだよぉ。ショウコちゃん優しいし、僕とも仲良しだよぉ」

「なんだ、早速パートナー自慢かよ」

 それまで聞き役に回っていたシャルがずいっと身を乗り出してくる。こちらの興味有り気な視線に押されたのか、カピバラは荷物の中からごそごそと写真を取り出してきた。

「この子がショウコちゃんだよー」

「お、メガネっ子か。なんかドン臭そうな顔してんなぁ」

「失礼なこと言うなバカ! ……てか、ほんと優しそうな子だなぁ」

 大きなカピバラを抱いてクッションに座っているのは、小学四年生ぐらいの女の子。

 ポニーテールに結った髪の毛と、縁の太めなメガネが似合っていて、優しげな笑みを浮かべている。

 反対に、抱かれているモードのほうは緊張気味で、首に巻かれているピンクのリボンがかなり浮いている感じだ。

「お前、緊張してガチガチじゃねーか、それにリボンが全然似合ってねー!」

「……これ、女の子から貰ったのか?」

「うん! ショウコちゃんってお裁縫得意なんだってさー。それで、今度僕に服とか作ってくれるって約束してくれたんだよぉ」

 喜色満面に語るカピバラに小悪魔が馬鹿にしたように鼻白んだ。

「おーおー、愛されてるねぇ。でも、俺達はおともなんだぜ? 愛されるより仕えることを優先させないとな」

「そういうシャルはどうなんだ? パートナーの子とは」

「良くぞ聞いてくれました! とりあえずこれを見てくれよ」

 取り出されたのはパートナーの写真。そこには長い金髪を縦ロール横ロール、さらには斜めロールにさせ、派手なドレスを身に付けた少女が映っていた。

「え、なに? これから紅白にでも出るの、この子?」

「うちのお姫様、天王寺ジュリエッタだ。ホントはもうちょっと長ったらしい名前なんだけど、めんどくさいんで以下略」

「わー、怖そうな女の子~」

 写真の少女は年齢にそぐわない不敵な笑顔を浮かべこちらを見つめている。ふと、トムヤンは彼女の、文字通り『足元』に敷かれた妙なマットレスに気が付いた。

「こ、これ、お前踏まれてるじゃねーか!」

「あれ!? あ、馬鹿見るな! その写真は違っ!」

「あははは、うん、なるほどな! バッチリ仕えてるのが良く分るぜ!」

「きびしいおともの現実ってやつだねぇ……」

 大急ぎで写真をひったくると、咳払いを一つするシャル。それでもこちらのニヤニヤが止まらないのを見て声を荒げた。

「勘違いするなよ!? そりゃジュリはおとも使いは荒いし、なにかっていうと俺に八つ当たりするし、わがままだし、かんしゃく持ちだけどさ」

「典型的なわがままお嬢様だな」

「でも、寂しがり屋で、友達思いで、頭もいいし、人の機微もちゃんと読めるし、自分の意見もしっかり言えるいい子なんだぞ?」

「そしてお前は彼女にベタぼれと」

「当たり前だろ! でなきゃあんなわがまま娘に付き合えるかっての!」

 モードとシャルのパートナーは、それぞれ性格もおともに対する扱いや態度も全く対照的だ。

 それでも、しっかりとパートナーシップを築き、自分の使命を全うしている。

 お互いのパートナーのことを肴に盛り上がる二人を眺めながら、トムヤンは聞こえないよう、カップの内側に本音をこぼした。

「うらやましいぞ、お前ら」



[27333] 第二話「『大切なもの』ってなんだと思う?」(全面改稿済み)
Name: 犬太◆93ceb70e ID:97db629a
Date: 2011/05/05 19:40
 おともの世界には、魔法少女となるべき彼らの育成と、人間社会での常識を教える学校が存在する。
 
 この学校の存在によって、世界に派遣されるおとものクオリティが上がり、それがより良い魔法少女を生み出す結果になっていた。

 ただ、そうした信頼も今回の一件で大きく揺らいでしまった。世界からお供の派遣を要求する声は減少し、トムヤンの行くはずだった世界も門戸を閉ざしてしまった。

 それでもわずかな希望を求め、彼は学校にある『派遣部』へと足を運んでいた。

『ないね。新規募集は全然無い』

 のっぺりとした白い仮面と手袋だけの受付係は、これ以上無いそっけなさで事実だけを告げた。

「そうですか……」

『君にとっては残念な結果だが、先輩達の中にもこんな苦渋を味わったものがたくさんいる。気に病まないことだ』

「例の事件は、どうなりました?」

『それは君が知る必要の無いことだよ。我々も全力を尽くして事態の収拾に当たっているから、心配しないように』

 なんて事務的な回答、そんな思いを込めて深々とため息をつく。ぽわぽわとした胸毛が揺れて小さな体が一層縮こまって見えた。

『新しい募集が掛かったら連絡をするから、おとなしく待機していたまえ』

「はい。……ありがとうございます」

 暗い顔のまま、トムヤンは受付を後にした。そういえば、自分は毎日ここへ足を運んでいるが、他の選に漏れたおともたちの姿はほとんど見たことが無い。

 おそらく自分の家でおとなしくしているか、なにか気晴らしでもしているんだろう。

 そして、行くべき場所のあるおともたちはみな、契約した少女のところにいるはずだ。

(俺と契約するはずだった女の子って、どんな子だったんだろうな)

 派遣が決まっても、おともは自分の契約するべき少女の顔を知らされることはほとんど無い。

 予断を持たず相手と付き合えるようにする措置であり、万が一今回のような派遣中止の事態になっても、おともに心理的な傷を与えないための予防策だ。

 だが、トムヤンにしてみればそんな思いやりなど、どうでもでもいいことだった。

「三年待ったのになぁ」

 おともがこの学校を卒業して、最初の年で派遣先を勝ち取るケースは高くない。

 人気のある猫タイプや珍しい形状をしたおともなら運良く卒業後即、魔法少女のおともとして活躍できることもあるが、大抵は一年から二年は待つことになる。

 モードとシャルは三年目の今年にようやく派遣先が決まり、自分もそれから二ヶ月遅れる形でおともとして活躍できる世界を紹介されることになっていたのだ。

「はぁ……」

「ため息をつくと幸せが逃げるわよ? トムヤン君」

「え!? あ……こ、こんにちは」

 声を掛けてきたのは学校でも古参の教師の一人、額に黄色い三日月のマークが印象的な黒猫型の元おともだった。

「今回は気の毒だったわね」

「いえ……。それより、先生こそ大分疲れてるみたいですけど、大丈夫ですか?」

「そうねぇ。私も長いことおともの世界に身を置いているけど、今回のことは正直かなり堪えたわ」

 おとも学校の教師陣は、今回の一件で内外からかなりの突き上げを食らっている。

 将来に不安を訴える生徒や卒業しても行く先のない卒業生のフォローに追われ、彼女もかなり疲れた雰囲気を漂わせていた。

「それでも、なるようにしかならないんだし、私は私なりにがんばっていくだけよ」

「例のおともは捕まったんですか?」

「ごめんなさい。そのことはまだ言えないの。いずれ正式な発表があるから、ね?」

 そんなことより、そう言って彼女は口調を明るいものに改めた。

「トムヤン君、戦闘美少女の枠に来るつもりは無い?」

「先生はもともとそっちの枠でしたね」

「そうよ。といっても、まだそういう区別がはっきりしてなかったころだけど」

 彼女はあるバージョンの地球において、月と地球を治める女王のサポート役として活躍していた。

 救いようのないどじっ娘だった月の女王をサポートした苦労話は、彼女の授業を受講したものなら誰でも聞いているエピソードだ。

 だが、面白おかしく語られる体験談は、新米おともと仕えるべき少女達との信頼関係を築く重要なヒントになっていた。

「お誘いありがとうございます。でも、俺……」

「分ってるわよ。君は例の先輩が目標だものね?」

 ニヤニヤと笑う黒猫に苦笑を返す。表情からして自分のあのエピソードことはすでに知っているのだろう。

 ただ、彼女との会話でいつの間にか縮こまっていた体もしゃんと伸びていた。

 こちらの様子の変化に頷くと、黒猫は前足をそっとこちらの肩に置いた。

「トムヤン君、わたし達が守るべき『大切なもの』ってなんだと思う?」

「使命とか、世界とか、契約してくれた女の子とか、でしょうか」

「……そうね。確かに学校ではそう教えるし、その答えでも正しいと思う」

「もっと別な答えがあるってことですか?」

 意味ありげな笑いを浮かべ、彼女は背中を向けた。向こうからやってくる生徒達に尻尾で軽く挨拶を送ってから、去り際にもう一度トムヤンを見やる。

「今期の卒業生でトップの成績を修めた秀才君に、最後の宿題よ。

 その答えがわかるころには、あなたはきっと立派なおともになってるわ」


 黒猫の教師と別れたトムヤンは、そのまま家には帰らずに学校の中をぶらぶら歩いていた。

 帰ってもどうせやることが無いし、テレビをつければ馬鹿みたいに例の事件を取り上げたニュース番組や特番を流しているからだ。

 とはいえ、唯一民放でアニメを放映している局も今は見る気がない。そっちはそっちで並行世界で活躍している先輩や、同期の活躍をえんえん流しているのだ。

 どちらにしたって落ち込む原因になる。

 ちなみに、例の事件を扱ったアニメは完全放送禁止となり、現在どこの局でも流すことを禁じられていた。

「大切なもの、か」

 与えられた宿題を思いながら校舎を歩く。その足は自然と資料館と呼ばれる建物の方へと向かっていた。

 魔法少女資料館、これまであらゆる世界で活躍してきた歴代の魔法少女について紹介するために造られたもので、

 展示物を順に追っていくことで彼女達とそのおともの活躍を学ぶことができるようになっていた。

 入り口に飾られている石像は、始祖とも呼ばれる魔法少女の姿をかたどっている。

 モチーフとなった栗毛の少女も、ある魔法世界の皇后となって国政に携わっているという。

 その後に続くのは、地球へやってきた魔法の国の住人達。

 奥に行くほど新しい時代のものが展示され、その間を見るとはなしに進んでいく。

 そういえば、初めのころの魔法少女にはおともという存在は全く必要とされなかったらしい。

 途中に魔法のコンパクトを持った少女と猫の姿が描かれている絵があったが、説明文には『この猫はおともではありません』という旨の注釈がつけてあった。

 時代が進むにつれて彼女達の姿は派手になり、やがておともたちの姿がはっきりと主張し始めるようになった。

 白を基調にした毛皮の二匹の猫が、一人の少女を有名なアイドルへ押し上げた功労者として解説されている。

 その近くに素肌に毛皮というものすごい格好の女の子と、ちっちゃなカッパのようなおともが三匹ついている肖像もあった。

 この時代はトムヤンもかなり気に入っていて、宿題として提出するレポートの題材として使わせてもらったことがある。

 なぜか、発表した後にクラス中から大爆笑されたが。

 やがて魔法少女に戦いと言う要素が少しづつ入り始めた時代に変わり、展示物にたくさんのアイテムが混じりこんできた。

 壮観なのは月の女王について展示されたところだ。

 身に付けたセーラー服型コスチュームのパワーアップごとの変遷、敵の浄化に使用したアイテムのレプリカが順を追って並べられており、華美な装飾とあいまって目に痛い。

 もちろん、彼女と共に戦ったメンバーの展示もあり、全ての展示の中で最大のボリュームを誇っている。

 この辺りになってくると魔法少女は何でもありで、バトルスーツどころかウェディングドレスやナース姿のものまであった。

 そんな派手な展示が続いていく中で、トムヤンは周囲とは雰囲気の違う、地味な展示エリアで足を止めた。

 展示されている衣装の量は多いが魔力が掛かっているわけではく、デザインも普通のファッションセンスの延長にあるものに過ぎない。

 ただし、意味とこだわりだけは他の展示品に引けを取ることはなかった。

 なぜなら、それはある少女が趣味と実益を兼ねて、親友の魔法少女のために一針一針縫ったものだからだ。

 星型のヘッドにかわいらしい翼をあしらった杖を持つのは、どこかの小学校の制服を身に付けた女の子。

 その傍らに、背中に小さな翼を生やした、猫ともライオンともつかないデザインのおともが付き従っていた。

「うん」

 その展示物を上から下まで十分に眺め、力強く頷く。

 過去から現在に至るまで、あらゆるおともの中で誰が好きかと問われれば、トムヤンは絶対に彼を選んでいた。

 封印の獣。太陽を象徴し、炎と大地を司る者。普段はとぼけた喋りと関西弁のお茶目さもあいまってかわいさが前面に押し出されるが、

 ひとたび真の姿を現せば白い翼と力強い四肢を持つ幻獣へと変わり、りりしさと頼りがいが光り輝くのだ。

「うっはーぁ、やっぱり先輩かっこよすぎだぁ」

 うれしさが体中を這い回ってトビネズミの体が地べたを転げ回る。

 一度、同じことを衆人環視の中でやってしまい、しばらくモードが口を利いてくれなかったことがあったりするが、そんなことは些細なことだ。

 ここに来るたびに、この展示を見てしまう。テレビに放映された彼を見てからずっと目標にしてきたのだ。

 いつかこんな風になれたらいいと。

 自分には変身の能力はないが、一緒に過ごしてくれる魔法少女のためにできる限りのサポートができるよう、

 魔法や戦闘技術、果ては小学校で習う授業の内容まで、徹底的に覚えこんできたのだ。

 だが、その努力も今はむなしく感じてしまう。

 あいつさえいなければ、今頃は――。

「いかんいかんっ。先輩の前でこんなグダグダしたこと考えてたらダメだ」

 もう一度先輩の雄姿を目に焼きつけ、軽く埃を払って立ち上がる。やっぱり落ち込んだときにはここに来るに限る。

 そんなことを再確認しながら出口に向かって歩き出そうとした時だった。

『助けて』

 その声を聞いた途端、トムヤンの全身の毛がぶわっと逆立った。

 気が付いたときには思わず走り出していた。何も考えないで、その声がした方へ。

 すでに学校の敷地内には生徒の姿はない。先輩の展示の前でずいぶん長いこと悶絶していたためだろうか。

 校舎を抜けて、裏に作られた一際大きな建物へと、息もつかずにひたすら走りぬける。

 ぴたりと閉ざされた厚い扉と、どこかの神殿を思わせる重厚な石壁。

 外部からの侵入を徹底的に拒むその造りは、見るものを物理的に圧迫するような雰囲気を漂わせていた。

 周囲には誰の姿もない。壁も扉も完全な防音を誇っているので、中から音が漏れ出すなんて普通はありえない。

 それでも、絶対に空耳なんかじゃない。そう確証していた。

 一切の干渉を拒み、そそり立つその建物は『越境の館』と呼ばれる施設だ。その名の通り、この建物はあらゆる世界とつながっている。

 卒業したおともはこの館を通り抜け、そして自分のパートナーとなるべき魔法少女の所へと向かうことになっていた。

 もちろん、今のトムヤンにここに入る資格はない。本来なら何の用事も無くここに近づくことさえ禁止されている。

『誰か、助けて』

 今度こそはっきりと聞こえた。この扉の向こうで誰かが助けを待っている。

「待ってろ! 今行くから!」

 不思議な感覚が背中を押してくる。分厚い扉に小さな掌を当てて力を込めた。

 羽のような手応えを残して扉は音も無く退き、向こう側に広がる空間をわずかに垣間見せる。

 丁度一匹分、自分が通れるだけの細いスペースを作ると、トビネズミは闇の中へと身を滑り込ませた。

 やがて、 扉は音も無く閉じた。



[27333] 第三話「あなたは、誰?」
Name: 犬太◆93ceb70e ID:97db629a
Date: 2011/04/25 21:37
「どうして!?」
 走りっぱなしで肺も足も痛いのに、それでも香苗唯(かなえゆい)は叫ばずにはいられなかった。

 いつもと同じ学校からの帰り道。友達とさよならをして自分の家へと向かっているつもりだったのに。

 気が付けば周囲は奇妙な世界に変わってしまっていた。

 真っ白な壁にピンクや黄色の布が使われた巨大なベッド、複雑なデザインを施された豪華なクローゼットや猫足のテーブルがそこらじゅうに置かれている。

 その間を必死で走りぬける彼女の背後から、ありえないくらい馬鹿でかいものが追いすがってきていた。

 それは二つの人型。奥にいるのは、世界の背景と見間違うくらいな巨大な土偶だ。
 昔、社会科の校外授業で歴史資料館に行った時、あれと同じものを見たことがある。
 ただ、その時の土偶はあんな、絵の具のチューブをでたらめにぶちまけてペイントを施したような仮面なんてつけてなかったし、毒々しい原色のドレスも着ていない。

 ましてや耳に痛いほどの叫び声を上げて猛ダッシュ、両手にぶら下がった操り人形を振り回して、壁や部屋の調度をぶち壊しながら襲い掛かってくることはなかった。

 かなり悲惨な扱いを受けている人形は、土偶が身に付けているのと同じぐらい悪趣味で派手なドレスを着ている。

 しかも、顔に当たる部分にはキラキラ光る宝石のような塊がびっしりとついて、不気味に膨れ上がっているように感じられた。

「誰、か」

 息を切らして巨大なドアの下につけられた犬用の出入り口を開ける。その先にあるのは薄暗くなったキッチン。

 中学二年の自分ですらすっぽり入りそうな巨大なオーブンに、轟々と炎が燃え盛っている。

 背後から迫る足音に追い立てられるように目の前音大きなダイニングテーブルの下へ逃げ込む。
 
 ほぼ同時に荒々しくキッチンに入り込んだ土偶が、甲高く耳障りな声でその辺を歩き回った。

 ガチャガチャいう金属音が突然起こる。天井のように見えるテーブルの上で土偶が何かを扱い、ひどい騒音を立てる。

 時々クリーム色の液体が床まで降り注ぎ、飛散した雫が唯の服や顔を汚した。
「こ、これって……バニラ?」

 入れすぎたバニラエッセンスの香りが強烈に頭の中をしびれさせる。

 一瞬ありえない想像が浮かび、こんな状況なのに笑いがこみ上げてきそうになる。

 あんな巨大な土偶がお菓子作りをしているなんて、そんなことを考えた矢先、料理をする音が唐突に止んだ。

「あっ!」

 目の前にぬっと現れた人形。黒い紐で操られたそれは、虚ろな笑いが貼りついた、宝石まみれのあばた顔を唯に突きつけた。

「い、やっ!」

「キキキキキ」

 球体関節で連結された腕が素早く伸び、ありえない力で少女の体をがっちりと抱きしめる。

「や、やめてぇっ」

 必死に抵抗するが締め付ける力にどうする事もできない。

 上を見れば仮面の土偶も人形と同じ笑みを浮かべ、右手の泡だて器から液体を滴らせながら顔を寄せてくる。

「助けて」

 ありえないと思いながら、それでも声を上げる。

 人形と土偶がそれぞれ大きな口を開けて迫るのを凝視しながら、それでも唯は声を限りに叫んだ。

「誰か、助けて!」


 広い並行世界の地球。その片隅で命を限りに一人の少女が叫ぶ数分前、トムヤンは館の中に入り込んでいた。

 石造りの館の中には一切の間仕切りが存在しない。

 その膨大な空間を埋め尽くすように無数の燐光が浮かび上がり、空間を無限の色彩で染め上げていた。

 その輝き一つ一つは全て、無限に存在する全宇宙の姿。そして、おともが派遣されるべき土地へと繋がる門の役割を果たしている。

 青や赤、黄色、緑、あるいは紫。そんな数々の色で光り輝く世界に囲まれ、トムヤンはしばらく何をするでもなく立ち尽くしていた。

 この場所に入ったのは入学した当時のことで、その時も同じように感慨に打たれてなかなか動くことができなかった。

 周囲の情景に圧倒されたためか、飛び込んだときの情熱は消え去り、トムヤンはふと自分のしたことを振り返ってしまった。

「や、やばいよ……これ」

 今更ながら自分の無謀さにあきれ返ってしまう。いくら声が聞こえたからとはいえ、本来ここは自分がいるべき場所ではない。

 関係者に見つかりでもしたら厳罰を受けることは間違いない。

 その厳罰とは、おともとしての資格剥奪。

 魔法少女に付くおともに資格制が無く、誰でも勝手に越境して女の子を魔法少女にできる時代があった。

 だが、その行為は彼女達を危険に晒し、あの白い淫獣が引き起こした悲劇に近い惨状が生まれてしまった。

 おともには契約した魔法少女に力を与える能力がある。その能力を無制限に行使した結果、いくつもの世界がバランスを崩して消滅していったのだ。

 現在、許可無く越境したおともには罪状に合わせて資格剥奪、加えて記憶の消去や単なる動物への転生など、厳しい罰が設けられている。

 今、トムヤンがやろうとしているのは越境と許可のない世界への干渉。

 このことが知られれば即座に最も重い量刑である動物転生を受けるのは間違いない。

 そもそもここに立ち入っているというだけで、謹慎と長期にわたるおとも募集への応募禁止を受けることになるはずだ。

「お、俺は……」

 引き返してしまえ、そう囁く声がする。

 今すぐに外に出て、何も聞かなかったことにすればいい。

 いや、職員室に残っている誰かを呼んで異常に対処してもらえばいいだろう。

 そうすれば助けを求めてきた子も助かるかもしれないし、自分だって助かる。

 どうせ今は例の事件で募集が無くなっているんだ。

 おとなしくしていればすぐに謹慎だって解けるさ。

 先生だって言ってたじゃないか、おともの本分は――

「誰か、助けて!」

 声が聞こえた。

 部屋の奥で一際輝く白銀色の星から。 

「アホか俺はぁっ!」

 その瞬間、思い切り床に頭を叩きつけ、トムヤンは絶叫していた。

 あの声に応えなきゃ。そう思うと体の血が沸騰しそうなくらい熱くなる。心の中に巣食っていた闇はきれいさっぱり消えうせていた。

 あの声に応えられなきゃ、俺は大切なものを失う気がする。その決心が彼の体を激しく揺さぶる。

 そして、目覚めた心は走り出した。

 目の前に広がる新たな世界に向けて。

 それは白い流星のように見えた。

 涙で潤んだ世界の向こう、覆いかぶさる黒い絶望を切り裂いて降る、希望の明星。

 縛っていた人形が吹き飛び、一緒に唯の体がテーブルの上に投げ出される。

「大丈夫か!?」

 どこか幼さを残した声に目を開き、少女は黒い巨体を必死にさえぎろうと立ちはだかる小さな生き物を呆然と見詰めた。

「あなたは、誰?」



[27333] 第四話「そんなの絶対、嫌なんだよ」
Name: 犬太◆93ceb70e ID:97db629a
Date: 2011/04/25 21:41
 背中越しに浴びる女の子の声にくすぐったさを感じつつ、トムヤンは目の前の化物から目を放さずに叫ぶ。

「話は後だ! 早く逃げろ!」

「で、でもっ」

「いいから早く! あんな奇襲何度もできないっ」

 この異常事態でも相手の声は割りとしっかりしている。

 ここで泣き出されたりパニックになられるよりはよっぽどいい。

 さっきから土偶の方は吹き飛んだ人形を探し回ってうろうろしている。

(多分アレが魔女ってやつか)

 サイケデリック土偶ののろまな動作を観察し、少しづつ後ろに下がる。

 この奇妙な空間に入った瞬間から全身の毛が怖気に逆立っている。よりによって、という思いが背筋を這い回る。

 世界から人の命を源にしたエネルギーを吸い取る魔性【孵化器(インキュベーター)】によって手を加えられた哀れな魂の加工品。

 その正体が、悲しみと願いを胸に戦った魔法少女たちであることは、例の事件が起こった後の緊急召集で教えられていた。

 だが、情けや手加減が通じるような相手でもない。

 すでに自我は雲散霧消し、自らの願った幸せの残滓に耽溺するエネルギーの塊に過ぎないのだから。

「どうしたの?」

「どうやらあいつ、人形を探してるみたいだ。とにかくここから逃げよう」

 思いのほか自分の一撃が強かったらしい。吹き飛ばされた人形を見失って土偶は奇声を上げながら部屋をうろつきまわる。

 巨大なキッチンは物が乱雑に置かれ、テーブルの上にもボールや小麦粉の袋、牛乳パックやクッキー方などがごちゃごちゃと散乱している有様。

 整頓できていない空間から目的のものを探すのは一苦労だろう。

 改めて女の子に向き直ると、トムヤンはひょいと片手を上げた。

「俺の名前はトムヤン。君は?」

「わ、私、香苗唯」

「ユイ……うん、いい名前だ。行こう、ユイ!」

 事態の飲み込めていない彼女の先に立って走り出す。舌先に転がした彼女の名前を胸の中で反芻すると、思わず鼓動が高鳴ってくるのを感じた。

 なに考えてんだ、こんな時に。

 不謹慎だと思いながら、それでもトムヤンは言い知れない感動と興奮がこみ上げてくるのを止められなかった。


 キッチンから繋がるドアを抜け、たどり着いた先にあったのは巨大な寝室、いや子供部屋だった。

 積み重ねられたぬいぐるみ、レースのカーテン、天蓋つきのベッド、どこまでも巨大であることを除けば、ちょっといい家のお嬢様の寝室といってもいい内装だ。

「ねぇ、あれは一体なんなの?」

 短く切りそろえられたライトブラウンの髪とすらっとした体つき、背丈は多分同い年の女の子でも少し低いくらいだろうか。

 身に付けているのはどこかの学校の制服、多分中学生だ。

「あれは魔女。自分の結界を作って、時々近くを通りがかった人間を餌食にするんだ」

「ま、魔女って……あれが?」

 確かに彼女の当惑ももっともだと思う。あのデザインに対抗できる魔女と言えばどっかの死神候補生と対抗している連中だろうが、あっちは割と常識的でローブ姿を取ることが多い。

 あんな非常識なものを魔女と呼ぶのに抵抗感があるのは当然だろう。

「あんまり深く考えない方がいいよ。とにかくアレは『魔女』って呼ばれてる存在だってことさ」

「じゃあ、その、私は……」

 その先を続けることをためらい、唯がうつむく。

 今はあの化物から遠ざかっているとはいえ、いつこちらにやってくるかも分らない。そもそもここは魔女の結界、相手の胃袋の中も同然の世界だ。

「大丈夫、そのために俺が来たんだ!」

「そうなの?」

「ただ、その……俺の力だけじゃ、どうする事もできないんだけどな」

 勢い込んで来たのはいいが、自分は単なるおともに過ぎない。この状況を打破するには選択肢は一つしかないのだ。

 本当は、こんな緊急避難的なやり方はしたくなかった。少なくとも相手の女の子にちゃんと同意を取って、やりたくないと言うなら他の子にするなんて事も考えていた。

 もちろんその世界から勧められた女の子となら申し分ない。

 でも、今は――

「ユイ。お願いだ、俺と契約して、魔法少女になってくれ!」

 ぽかんとして唯はこちらを見つめた。それからちょっと間をおいて、その顔が困惑と焦りでくしゃくしゃになる。

「ちょ、ちょっと! なんで急にそんな私が!?」

「仕方が無いんだ! 俺達おともは自分だけで出来ることなんてたかが知れてる。でも魔法少女と契約すれば力を発揮できるんだ!」

「でもでも、それってあの変な魔女と戦うってことなんでしょ!?」

「そ、それは、そうだけど!」

「無理だよそんなの!」

 必死になって唯は首を横に振る。当然の反応だ、今まで普通の女の子でいたものが、急に戦いの場に出ろと言われたら、こうなるに決まっている。

 そんな姿を見ているうちに、トムヤンの心は少しずつ冷静になってきた。この子と契約するという選択肢を消し、代わりにここから逃げ出す方法を模索していく。

 考えをまとめると、唯の膝に触れて出来るだけ声に力を込めた。

「分ったよ。それじゃ、俺が何とかする」

 もしここで強引に契約を結べば、俺はあんな奴と一緒になってしまう。それだけは絶対に許せなかった。

 幸いなことに、魔女の作り出す結界は完全に空間を封印するものではない。出口を抜けてしまえば、それ以上魔女に追われる事も無くなるはずだ。

「な、何とかするって、どうするの?」

「俺がおとりになってあいつらを引きつける。その間に君は逃げろ」

「逃げるって言っても、どこへ?」

「この結界は、多分大きな家みたいになってるんだと思う。キッチンや寝室、居間があっただろ? だから」

「玄関を通ればいいんだね」

 真剣な顔で頷くと彼女はひょいっとトムヤンを摘み上げた。

「え!? ちょっとユイ!?」

「君も一緒に逃げよ!」

「ま、待てよ! 俺はあいつらを」

「おとりなんて絶対ダメ、一緒に行こう!」

 小さなネズミをぎゅっと胸に押し付けるようにして唯が走り出す。巨大なドアの下、犬の出入り口に耳をあて、向こう側の様子を覗う。

「大丈夫。まだ探し回ってるみたい」

「慎重に行こう。物音を立てないように」

「うん」

 ドアを押し開き、隙間を通り抜ける。土偶は背中を向けてオーブンの前で探し物をしているようだ。息を殺し、耳をそばだてて、抜き足差し足、少女が足を進める。

「さっきの部屋が居間だ。ってことは次の部屋に行けば玄関口に近づくはずだ」

「わかった」

 床に置かれたゴミ袋の脇をすり抜け、壁際の食器棚の前を歩いていく。一歩づつ居間へ通じるドアが近づいていく。

 だが、あと十歩というところで唯の歩みが凍りつき、身動き一つしなくなった。

「どうした?」

「ね、ねぇ、と、トムヤン君」

「君付けで呼ぶなよ。気にしてるんだから」

「み、みてっ、右、右っ!」

 泣きそうな顔になった唯の表情を不思議に思いながら、トムヤンは腕の中から首だけ出して、食器棚の下の床に面した隙間を見た。

 そこに転がっていた物を見て、思わずこっちまで泣きそうになる。

 隙間に転がっていた人形が、ばっくりと口をあけた。

「キィィィイイイイイイッ!」

「うわああああっ」

「きゃあああああっ」

 人形の絶叫と二人の絶叫のアンサンブルが、土偶の背中をピンと伸ばさせる。

 両腕が勢い良く振られ、その膂力で吹き飛ばされたテーブルが天高く舞う。粉々になった木材が火山の爆発のような轟音を立てて部屋中にぶちまけられた。 

「な、なんであんなところに転がってるんだよぉっ!」

 砕けた破片が降り注ぐが、唯の体には奇跡的に当たらなかった。思わずへたり込みそうになるのを目に留めトムヤンが叫ぶ。

「立ち止まるな! 走れ!」

 必死に走る少女の背後で土偶が食器棚に派手なぶちかましをかける。ガラスが飛び散りついでに人形も絶叫しつつあらぬ方向へと吹き飛んだ。

「バカかあいつ! いまだ、ユイ!」

「うん!」

 犬用の出入り口まであと少し、唯の足が一気に距離を詰める。彼女の手が思いっきり蝶番式のドアを押し開き、

「しゃがめユイっ!」

 角材が一秒前まで少女の頭のあった部分を貫く。同時に衝撃が少女とネズミを地面にたたきつけた。

「きゃあああああっ」

「うわあああっ」

 ふらつく頭を必死に起こし、トムヤンの視線が土偶とこちらの距離を測る。土偶の背後にあるもう一つの棚の上、そこに人形がぶら下がっているのが見えた。

「い、いたたた、大丈夫、トムヤン君」

「ユイこそ大丈夫か」

 ふらつきながら立ち上がる彼女の背後、小さな出口は完全に角材で貫かれていた。ドアは巨大すぎて人間の力で開くのは難しいだろう。

「逃げ道、塞がれたか……」

「とにかくこれをどかさないと!」

 土偶が必死に棚の上に手を伸ばして人形を取ろうとしている。動きは緩慢だがいずれは取り終わってこちらに向かってくるだろう。

「取れそうか?」

「だめっ、硬くて全然、動かないっ」

 大人の胴ほどもある木材を前に、女の子の細腕などなす術もない。それでもトムヤンは巨大な魔女に体を向けた。

「蹴りでもなんでもいい、とにかくそれをどかして逃げるんだ」

「トムヤン君……」

「今度は抗議も反論もナシだ。それどかす時間を、俺が稼ぐ」

「なんで、そこまで」

 確かに何でそこまでと自分でも思う。だが、相手が魔女と分った時点で、その背後にいるのがあいつというだけで、理由は十分だった。

「君が助けてって言ってたから助けに来た。それだけだ」

「でも、さっきは……」

「やりたくないって言っている相手を魔法少女にするなんて、俺は嫌だ」

 バカみたいなこだわりだ。掟を破ってここまで来て、その上良く知りもしない女の子のために命を張るなんて。

 でも、そんな意地とこだわりが、尻尾を巻いて逃げそうになる自分の体をゆるぎなく立たせていた。

「そんなの絶対、嫌なんだよ」

 土偶の手が人形の糸を掴む。あと少しでこちらに意識を向けるだろう。相手の注意を引くべく、トビネズミは前に進み出ようとした。

「やるよ」

「……え?」

「私、魔法少女、やってみる」

 振り返ると、唯は静かに頷いていた。

「でも、それじゃ」

「抗議も反論もなし、なんでしょ?」

 彼女は笑っていた。ぎこちないし、口元もこわばっている。震えた声で言っているせいでとても軽口には聞こえない。

 それなのに、トムヤンも釣られて笑っていた。この子とならどこまでも行ける、確信を胸に少女と向き合う。

「わかった。それじゃ、いっちょ頼むぜ」

「うん。で、どうすればいいの?」

「俺と契約を結ぶんだ! そして魔法少女にへんし、ん……」

 突然勢いを無くしたトムヤンを唯が不思議そうに見つめる。穴があったら入りたい、やり直せるものならやり直したい。

 できれば指パッチン一つでどっかの堕天使に時間を撒き戻してもらいたい。

 反省と後悔と自嘲と走馬灯でパンパンに張り詰めたトムヤンの体を、細い指が不安そうにつつく。

「ね、ねぇ?」

「ゴメン、ユイ」

「え?」

「忘れてた」

 背後で人形を手にした土偶が喜びの絶叫を上げている。一難去ってまた一難、ぶっちゃけありえない現状に泣き笑いの顔になりながら、内定取り消しのおとも候補生は事実を告げた。

「俺、変身アイテム、持ってないんだった」

 絶体絶命の世界の中心で、少女は魔女に負けないぐらいの絶叫を上げた。

「えええええええええええっ!?」



[27333] 第五話「これが俺のやり方だ!」
Name: 犬太◆93ceb70e ID:97db629a
Date: 2011/04/25 21:45
 最初はただ怖いだけだった。いきなりわけの分らない世界に紛れ込んでしまって、不気味で大きな化物に追いかけられて、危うく食べられそうになった。

 オマケに助けてくれたのは小さなネズミで、自分に魔法少女になってあの化物と戦えなんて言ってきた。

 混乱とわけの分らなさが駆け巡っていた心を冷静にしてくれたのは、あんな小さな体でも必死になって自分を生かそうとしてくれた姿だった。

 尻尾や毛皮を小刻みに震わせて、それでも助けようと精一杯がんばる彼。

 だからこそ自分も一歩踏み出そう、そう思ったのに。

 地響きを立てながらやってくる巨怪の姿を凝視しながら、唯は半泣きになって叫んだ。

「どうしてそんな肝心なもの忘れてくるのよ!」


「ごめん! 君の声を聞いて一目散に来たもんだから!」

 言ってることは間違ってない、思わずついてしまった嘘を心の中でごまかしつつ、それでもトムヤンは必死に考えた。

「と、とにかく契約だけはしとこう!」

「それで何か変わるの?」

「俺がちょっとだけパワーアップする感じ」

「ちょっとってどのぐらい?」

「空を自由に飛べるようになります、俺だけだけど」

「セルフタ○コ○ター!?」

 こっちでもあのアニメ放映してるんだ、なんてことを考えている暇もなくアバンギャルド土偶とシュルレアリズム操り人形がこっちに向かって突進してきた。

 その脇を大きく迂回しながら唯が必死に駆け抜ける。追いかけっこになれたせいか、動きが良くなっている気がした。

「結構運動神経いいね!」

「い、一応、陸上部!」

「そっか! 大会とか出るなら応援しに行くよ!」

「ありがと! でも、万年補欠だから期待しないで!」

 この非常時にくだらないことをいっている気がするが、唯の方も結構乗って来ている。

 戦いの時には余計な緊張は無意味、初めての戦いならなおさらだ。

「ところで、契約って、時間掛かる!?」

「一分ほしい! だからどっかに隠れてやり過ごそう!」

 ストライドを大きく取り、少女の体が一足飛びで子供部屋に近づく。

 半ばとび蹴りに近い形でドアを蹴り開け、一人と一匹は隣の部屋に踊りこんだ。

「ま、まったく! あの魔女、なんで私達を追いかけてくるの!?」

「さあね! あいつらは自分の思い込みだけで動いているそうだから! そんなことよりユイ!」

「うん!」

 豪華なベッドの下に潜り込み、ようやく一息つく。だが、足音はあっという間にこの部屋に到達し、辺りを見回し始める。

 どうせすぐにここを覗き込むだろう、時間はほとんど残っていない。

「トムヤン君」

「だから君付けは……ってそんな場合じゃなかったな。なんだい?」

「変身アイテムなしで魔法使えるようにすることはできないのかな?」

 意外な提案を受け、相手の真意を確かめるように顔を覗き込む。思いつきなんだけど、そう言って唯は苦笑した。

「なんていうか、私の中にある魔法の力だけ取り出す方法とか」

「……そんな都合のいい方法、ないよ」

 本当はある、だがこれはつくべき嘘だ。トムヤンは苦い思いで外を探し回る魔女の存在に思いを馳せた。

 ソウルジェム。人間の魂を加工し、直接魔力を抽出できるような仕組みに加工するあの方法であれば、変身アイテムが無くても簡単に魔法少女を生み出すことができる。

 だが、あんな外法は絶対に使う気はない。確かに効率よく魔力を引き出し、使い手に絶大な力を与えることはできるだろう。

 しかしあれは、本来肉体とエーテル体という、二重の殻に守られた魂を、直接世界の悪意と穢れに晒すという残酷な技だ。

 あの形に加工された魂は例え魔法を使わなくても、結局は世界から流れ込む穢れを溜め込み、魔女へと変わってしまうことになる。

 じゃあどうする? 確かに契約すればおとも自身も飛躍的にパワーを増大させることができる。

 だがそれはせいぜい魔法少女の一時的な盾になるとか、攻撃補助とか、そういう程度の能力でしかない。

 今必要なのは彼女に武器と防具を与えること。戦う力を与えることだ。

 そこまで考えて、トムヤンはふっと笑いを浮かべた。

「ど、どうしたの?」

「ユイ、俺と契約してくれ」

「い、いいけど。何かいい方法があるの?」

「ある。っていうか、今はこれしかない」

 なんて簡単な方法だろうか。だが、少なくともこうしたおともの利用法は魔法少女の中ではあまり用いられてこなかったし、トムヤン自身も試すのは初めてだ。

「俺はこれから君と契約するための儀式を始める。ユイは、これから俺が教えることをしてくれればいいから」

「分った」

 土偶の体がうつむき加減になり床の上を探し回り始める。もう時間はない、後はぶっつけ本番でやるしかない。

「じゃ、行くぞ!」

「うん!」


 探さないといけないのだ、無くしてしまった人形を。

 たくさん集めて、たくさん集めて喜んでもらわなくては。

 大事に大事に、たくさんたくさん。探して探して、居間にキッチン、子供部屋。

 ひたすら繰り替えす命令の、途切れのない言葉に突き動かされ、ようやくそこにあるのを見つける。大きなベッドの垂れたシーツの影に。

 だが、そこに居たのはテディベアでもビスクドールでも、くるみ割り人形やミルク飲み人形でもない。

 両手を重ねて差し伸ばし掌の上に一匹のネスミを載せた、一人の少女がそこにいた。


「遍く世界に満ち渡る、全ての命の源よ。我が招請に応え、契約の成就に力を貸せ!」

 トムヤンの声に従って周囲に淡い光の粒が踊り始める。

 魔女の結界の中でも術式がきちんと働いている、その結果がネズミの体に確信と活力を注ぎ込んだ。

「我が名はトムヤン、今ここに新たなる契りを結ばん。其は乙女、清らなる乙女にして、己が身を、道拓く戦に投ずる戦乙女。その名は香苗唯!」

 光が一層輝き、唯の足元に光の法円を描き出す。同時に集まった『力』がトムヤンの体に無尽蔵に流れ込んでいく。

 激烈な痛みが意識を刈り取ろうと押し寄せるが、詠唱は止めない、止まらない。

 その光景に魔女がうろたえ、じりじりと後ずさっていく。

「我ここに誓う! この日この時より我は乙女の矛、乙女の盾なり! 

 我が身朽ち果て我が意消えようとも、偽らず、背かず、永久の輩(とわのともがら)となりて乙女のそばにつき従わん!」

 そして、トムヤンは望んだ。自分の体と心と命とが、彼女の敵を打ち砕く具足に変わることを。

「万古普遍の理よ、照覧せよ! 主よ、我が意を受けたまえ!」

「汝を……我が供と認める!」

 唯が言霊を告げ、口付けがそっとトムヤンに触れた。

 瞬間、体どころか魂をもねじ切るような痛みが襲う。

 それは契約のために集めた力が急激に彼の存在を改変していくことで発生したもの。

 理屈はソウルジェムと変わらない、自分の魂を魔力変換と抽出にふさわしい形に変えるのだ。

 しかし、この変換を行えば元の姿に戻ることはできない。魂に穢れを溜め込まないために、肉体とエーテル体を含めて生きた変身アイテムになる。

 生き物としての喜びを一切捨てることになるのだ。

 それがどうした。トムヤンの魂が吼える。

 辛い戦いに引き込んだ張本人が、真っ先に痛みを引き受けないでどうする。

 変換されていくごとに唯の心を近くに感じ、その思いが一層高まった。

 怖さ、絶望、理不尽に対する憤りをねじ伏せ、たった三十分にも満たない付き合いで自分に信頼を寄せてくれたのだ。

 そんな彼女に何かして上げられるなら、命だってくれてやる。

 多分、あいつなら言うだろう、こんなやり方は『わけが分らないよ』と。

 いずこにいるとも知れない命を弄ぶ者に、命を懸けるものは再び吼えた。

『これが俺のやり方だ!』

 新たなる力へと結晶した小さな決意が、穢れた異世界に一つの奇跡を生む。

 今ここに、魔法少女という新たな花が咲き誇った。



[27333] 第六話「どういうことなの、トムヤン君!」
Name: 犬太◆93ceb70e ID:97db629a
Date: 2011/04/25 21:48
 光に包まれ、唯は自分の体が暖かな力に満たされていくのが分った。

 それは自分を守ろうとする心、そして一緒に戦ってくれようとする意思が生んだもの。

 力が湧いてくる、今まで感じたことのない高揚があふれ出す。魂を洗う感情の奔流を感じながら、彼女はそっと胸に手を当てた。

「行くよ、トムヤン君」


 気が付いたとき、トムヤンは自分の意識がぴったりと唯に寄り添っているのが分った。胸元に飾られた赤い宝石にそっと触れられる指先。

 その優しい動きを感じて、自分が改めて変わってしまったことを自覚する。

 動揺とわずかな後悔を押し隠し、なるべくおどけた調子で語りかけた。

『どうだい? ユイ、魔法少女になった感想は』

「な、なんか変な感じ、それにちょっとこのスカート短くない?」

『そうか? 結構かわいい感じでデザインしたんだけど』

 フレアが掛かったピンクのミニスカート、動きやすい紺のスパッツと白のソックス、靴は陸上部だという唯のことを考えてブーツではなくスニーカーに。

 上は白地にピンクのアクセントを加えたハーフシャツ、指抜きの手袋も同じカラーリングにしてある。

「ちょっ、これおへそ出てる!」

『確か陸上選手ってこんな感じの上着つけてたよな?』

「バカっ、こんな派手なウェア恥ずかしくて着られないよぉっ」

 焦る唯の上からずいっと黒い影が落ちかかってくる。口論を収めると、彼女は倒すべき敵の姿を視界に入れた。

「で、これからどうすればいいの?」

『俺が導くから、それに合わせて体を動かすんだ!』

「うん!」

 土偶が手にした人形を振り上げ、思い切りこちらに叩きつけようとする。

 その瞬間、唯の動きとトムヤンの心が一つになって弾けた。

 いつの間にか目に映る景色が変わっている。さっきまで自分が居た床板が粉々に砕け散っていくのを土偶の背中側から見つめていた。

「う、うそ!?」

『俺の体で変換した君の魔力を、肉体操作に丸ごと付与しているんだ。これなら複
雑な詠唱も集中力もいらないからな』

 五十メートルはあるだろう距離を瞬きの間に詰める脚力。世界屈指のスプリンターでも追いつけないほどの速さを自分の体が生み出したと言う事実。

 思わず唯は手を叩いて快哉を叫んでいた。

「す、すごいよトムヤン君! 私すっごく速くなってる!」

『君はつけんなよ! それよかユイ、今の君には誰にも負けない速さがある。そして』

 トムヤンの意思が直に体を伝わり、何をしようとしているのか理解する。だが、そんなことは生まれて一度もしたことがない。

 それでも体は思い切り拳を振りかぶり、高々と土偶の脳天めがけて飛び上がった。

『いっくぞおぉっ!』

「ちょ、ちょっとまってぇ!」

 振り下ろした拳の先から炸裂と崩壊の衝撃が開放される。

 土偶の頭が半分砕け散り、破片となって地面に降り注いでいく。同時に敵の胸板を蹴りつけ空中で捻りを加えながら着地させると、トムヤンは誇らしげに声を上げた。

『こうやって戦う事もできるんだ!』

「い、い、いきなり怖いことしないでよ! びっくりしたでしょ!」

 まだ拳の先が少ししびれている。驚異的な破壊力を見せた自分の手をにぎにぎとして確かめると、唯は半泣きになりながら胸の宝石に抗議する。

「もうちょっとこう、杖とかカードとかケータイとか、そういう魔法少女っぽいのは出せないの!?」

『しょうがないだろ! いわば君は即席魔法少女なんだ! ホントは変身アイテムの中にそういう武器がプリセットされてるんだけど、俺はただのおともだし!』

「と、トムヤン君、あれ!」

 崩れかけた顔を物ともせずに土偶が起き上がる。心なしか人形の方も怒りを浮かべているような雰囲気だ。

「もしかして、壊れるまで殴らないとダメなんてこと、ないよね?」

『……ユイ、今何か持ってるか?』

「何かって?」

『武器になりそうなものだよ。シャーペン、鉛筆、はさみに定規、そういう文房具でもいいし、針や糸みたいな裁縫道具でもいい』

 大急ぎで頭の中を相ざらえするが、そのどれも持ち合わせがない。

「ごめん、カバンがあればよかったんだけど、逃げるときに全部放り出してきちゃった」

『そうかっ』

 空気を突き抜ける右ストレートをジャンプで避ける。だが、その真上を押さえるように人形が叫喚とともに叩き落されてきた。

「きゃああああっ!」

 強い衝撃に目の前が真っ暗になる。地面に叩きつけられ、唯の体が宙を待って再び地面に激突した。

『大丈夫か、ユイ!』

「う、くっ」

 思った以上に衝撃も痛みもない。それでも立ち上がるためには体中の力をかき集める必要があった。

「武器になりそうな、ものがあると、どうなの?」

『エンチャントって言って、魔法をかけて武器化するんだ。そうすることであいつと戦える武器が手に入る』

「ケータイは、だめかな」

『悪くないけど機構が複雑すぎて、短時間で武器化は無理だ』

 すまなさそうに謝るトムヤンを見やり、スカートのポケットから取り出そうとした携帯電話をしまおうとする。

 そこに下がったストラップを見て、突然宝石から声が上がった。

『ちょっと待った! それ何!?』

 それはミニチュアの手袋に見えた。ただし、片方は料理に使う鍋掴み、もう一つは指抜きされた奇妙なグラブだった。

「これ、お母さんが作ってくれたおまもり。こっちのミトンがお母さん、こっちは拳サポーターっていうんだけど、お父さんのなの」

『もしかしたらそれ使えるかも! すぐに外して両手に包んで!』

「う、うんっ」

 顔が壊れたせいで不気味に沈黙したままの土偶が操り人形を振り回し始める。

 遠心力を使った強烈な一撃を叩き込んで終わらせるつもりなのが一目で分った。

『これって大事なものなんだろ? 君のお父さんとお母さんの気持ちが伝わってくるよ』

「うん。私の大切なおまもり」

『よし! 【少女を守る思いの力よ、容を取りて姿を顕せ】』

 包み込んだ両手に赤い光が灯る。そしてそれが一瞬に燃え上がり、今まで白だった手袋を真紅の篭手へと変化させた。

「な、なにこれ……」

『ユイっ』

 掛けられた声に空を振り仰ぐが体が動かない、襲い掛かる人形に向けて無意識のうちに左手を差し、思わず目をつぶる。

 強い破壊の波が肌をなぶった。だがいつまでも体は吹き飛ばない。不思議に思った唯はつぶっていた目を開けた。

『愛と慈悲の宿る左手には、守りの法円を』

 左手の先には、二重の円に複雑な紋章が描かれた大きな魔法陣が壁となって浮かび上がり、土偶の拳を完璧にさえぎっている。

 そして、握られた右拳の甲に別の形の魔法陣が浮かび上がった。

『勇気と闘志の宿る右手には、全てを砕く力の法円を!』

 かざした左手をそのままに右拳を腰にひきつける。篭手に炎が宿り、唯とトムヤンは渾身の一撃を解放した。

「『いっけええええええええええっ!!』」

 正拳が防御の障壁にぶち当たり、その向こうに張り付いた土偶と人形が軽々と空に吹き飛ぶ。

 わずかに遅れて人形の胸がに穴が穿たれ、土偶の背中が大きく弾けた。同時に、穴の縁に炎が宿り、全てを焼き尽くす業火となって怪異を滅ぼしていく。

 魔女が焼け落ちていく、彼女が生み出した妄想の世界が消えていく。悲鳴を上げて散っていく彼女を見つめ、唯はポツリと呟いた。

「なんだか……かわいそう」

『そうだな』

 それ以上何も言わず、トムヤンは心の手をそっと唯の肩に置いた。

『さ、帰ろうぜ』

「……うん」

 彼女の心から戦う意思が引いていき、まとっていた服が元の制服に戻っていく。同時にトムヤンがそのまま地面に転げ落ちた。

『あ、悪いけどユイ、俺のこと拾ってくれないか?』

「……どういう、こと?」

『いや、なんていうか。その』

 返答に困り、言いよどんでしまった小さな赤い宝石を拾い上げ、唯は叫んだ。

「どういうことなの、トムヤン君!」



[27333] 第七話「ありがとう」
Name: 犬太◆93ceb70e ID:97db629a
Date: 2011/04/29 19:24
「どうしたの!? 君ってネズミじゃなかったの!?」

『うん……ネズミだったよ。さっきまでは』

 なるべく相手をうろたえさせないよう、言葉を務めて軽くしようとしているが、ただの石になっている身としてはそれも難しかった。

『さっきの契約でね、俺は君を守るものになったんだ。大丈夫、形はちょっと変わっちゃったけど、俺は平気だから』

「全然平気なんかじゃないよ! 元に戻れないの!?」

『うん。多分、無理だと思う』

「魔法でも?」

 その問いかけに、トムヤンは苦笑しようと思った。でも、せいぜい吐息をイメージの形で伝達する程度のことしかできない。

『魔法は……魔法は、君達が思うほど万能じゃない。ただ、ほんの少し人にできないことが出来るようになるだけなんだ。願いと代償を引き換えに』

「そんな、そんなのって……」

『な、なんだよユイ……泣くなよ』

 さらさらと零れ落ちてくる水滴が自分の上に降りかかる。だが、それは石の表面を濡らすだけで、湿りも冷たさも伝えてはこない。

 今更ながら、自分の命がただの器物に変換された事実が押し寄せてきた。

「私が、あんなことを言ったからなの? だからなの?」

『違うよ。俺は正しいって思ってやったんだ。後悔は、してないよ』

 後悔はしていない、していないはずなのに。

『……ゴメン、やっぱり、嘘だ。俺、後悔してる』

「トムヤン、君」

『君を助けた事も、こうして自分を変えた事も後悔してない。でも……』

 誰かに触れること、言葉を交わすこと、自分の足で歩く自由を失うこと、当たり前だと思っていた営みを永久に失う痛みは、正しい行いとは無縁のものだった。

 でも、そんな後悔は今更遅い。振れる首が合ったらそうしていただろう、トムヤンは声を和らげて泣き続ける彼女を慰めようとした。

『ゴメン、ユイ。俺はダメなおともだな。大丈夫、もう平気だから』

「……元に戻って、トムヤン君」

『な、なに言って……』

「魔法で変わったんだから、魔法で元に戻ってよ! 私、元に戻ったでしょ!」

 泣きながらむちゃくちゃなことを言ってくる少女に面食らいつつ、小さな石が焦ったような声を掛ける。

『き、君のは俺が魔力を変化させて作った服を着てたからだよ! 俺のとはわけが違うんだ!』

「ダメだよ! 私こんなの嫌だ! お願いするから、だから元に戻って!」

『ユ、ユイ……』

「お願い……」 

 なんて勝手で頑固な気持ちなんだろうか。それでもトムヤンは彼女の言葉にそっと両手を伸ばしていた。

『俺も、戻りたいよ』

 彼女の細い手に包まれて周囲が闇に包まれる。

 その手に残るわずかな魔力が石の表面でちりちりと爆ぜる。その感覚は急速に膨れ上がり、強い熱量を帯びて体を焦がしていく。

 魔女を吹き飛ばしたときと同じかそれ以上の力が染みとおり、一度変換されたはずの体の構造を再び組み替えなおしていく。

「な、なんだ、この魔力っ!?」

「と……トムヤン、君っ」

 気が付けば開かれた掌の上、トビネズミはきょとんとした顔で唯の顔を見つめていた。

「戻ったんだね」

「あ、ああ」

 信じられない。それでもこれは事実だった、間違いなく自分は元の体に戻ったのだ。

「ありがとう。ユイ」

 なるべく普通に言おうと思ったのに、声はいつの間にか潤んでいた。みっともないと思っているのに、視界が歪んでしょうがない。

「多分、いや、きっと君は、最高の魔法少女になれるよ」

「そう……かな」

「だって俺のこと、元に戻したろ。これ君の力だ」

「うん……。私もありがとう、トムヤン君」

 涙が落ちてくる。額が、体がぬれて冷たい。でも、それはとてもうれしい気持ちにしてくれる雫たちだった。

 お互いにくしゃくしゃの笑顔で、魔法少女とそのおともはもう一度契約を交わした。

「ありがとう。これからもよろしく」

 おおよそ、人が数えられる限度をはるかに越えたあまたの並行世界。

 これはその片隅で出会った、一匹のおともと魔法少女の物語。

 彼女達の物語は、まだ始まったばかりである。









 おかしな匂いは路地からしていた。その匂いは人間には嗅ぐことができず、動物にも知ることができないものだ。

 ただ、彼らだけがそれに気付き、集めることができる。

「あれ?」

 その白い生物は、地面に無造作に転がったお宝を前に首をかしげた。

 それは彼らにとって絶対に集めなければならないものであり、無造作に道路の脇に転がっていていい代物ではなかった。

 グリーフシード。魔女の根幹であり、ソウルジェムを濁らせた魔法少女が生み出す、彼らにとっての大切なエネルギー源。

「おかしいな。この魔女、誰が倒したんだ?」

 そもそも魔女を倒した魔法少女がグリーフシードを置き去りにすることなんて考えられない。勝手に個人で所有するか、自分に渡してくるはずだ。

 しかも、そのグリーフシードはありえないことに、きわめてソウルジェムに近い極性に戻っていた。

 その魂の色には見覚えがある、確かこの少女は自分の親の性格を直してほしいと願ってきたはずだ。

「わけがわからないよ」

 真っ赤な瞳に薄く笑ったような兎口(みつくち)、奇妙な形の耳を持った四足歩行の獣は、とりあえず背中にある収納口にグリーフシードを納めた。

「うわっ、なんだこりゃ。エネルギーとしては中途半端だし、なんだか機能を狂わされそうな波長を出してる」

 とはいえ、彼の体内に納まったグリーフシードと一緒にしておけば勝手に穢れていくだろう。

 そんなことより、彼は思案に暮れた。こんな不思議な芸当を可能にするものが、この星に居ただろうか。

「ま、いいや。この辺りの担当の子に、それとなく探りを入れてもらおう」

 そうして、白い獣は闇の中に消えていく。

 町は彼らインキュベーターという『毒』を飲み込み、それでも不気味に沈黙するばかりだった。



[27333] あくてぃぶ☆トムヤン君! 第一話「あなたに構っている時間はないの」
Name: 犬太◆93ceb70e ID:97db629a
Date: 2011/04/30 13:00
 目覚ましの鳴る音を布団の中で聞きながら、香苗唯は呟いた。

「あと、もうちょっとだけ……寝かせて」

 朝はいつだって眠い。できればお昼になるぐらいまで寝ていたい、そんなことを友達に話したら笑われたことがあったが、自分としては割りと本気で言ったつもりだった。

 ほんの一週間前だったらあと三十分は眠れて居ただろう。その代わり、無理やり起こしに来た母親にたっぷりと嫌味を言われながら。

 だが、そういうわけには行かなくなっていた。

 なぜなら――

「ユーイー!! あっさだぞー!! おっきろー!!」

 耳元で響く大声、体に似合わない声量は目覚ましにも負けないほどだ。

 がばっと布団から起き上がると、唯は枕元でにんまりと笑うトビネズミを摘み上げた。

「おはよう、ユイ!」

「んもぉ、耳元で大声出すのやめてっていってるでしょー」

「ほらほら、早く着替えてご飯食べちゃいなよ。朝練おくれるぞ?」

「ふああああい」

 はしたない大あくびをしながらベッドを降りる。布団の上に降ろされたネズミは、そのまま駆け出し、ベッドの端から勉強机の上に身軽に飛び乗った。 

「今日はいつ帰ってくる?」

「多分、部活終わってからだから六時かな?」

「分った。終わったら寄り道しないで帰ってきてくれ」

 制服を素早く身に付けながら振り返ると、ネズミは机の上でなにやらごそごそとやっている。

 昨日、自分が寝る前に広げていた作業の続きらしい。

「私、何かすることあるの?」

「そ。君に対する重要なことがあるんだよ。魔法少女に関することがね」

 彼にそう呼ばれるたびにくすぐったい気持ちになる。

 とはいえ、小さな喋るネズミが同居しているという事実を受け入れている時点で、一週間前の自分と何かが決定的に変わっているとも思えた。

 つまり、それが魔法少女になるということなんだろう。

「じゃ、行ってくるね。トムヤン君」

「行ってらっしゃい、ユイ。気をつけてな」

 魔法少女のおとも、トムヤンが背中越しに掛けてくれる言葉を受けて、唯は食堂へと向かっていった。


第一話「あなたに構っている時間はないの」


 見滝原中学陸上部は、地区の中でも結構上位に位置づけられる強豪だ。毎年地区大会は確実に突破しているし、部員の数もかなり多い。

 小学校のころは結構足が速い方だと思っていた唯も、この集団の中では補欠に甘んじるしかない。

 とはいえ、毎日走るのは楽しいし、タイムが縮まればそれも楽しい。五十メートル地点の白いラインを一気に走りぬけ思い切り息を吐き出す瞬間、そんな気持ちが空にぱしっと弾けた気がした。

「唯、最近調子いいね」

「そっかな?」

「うん。それに遅刻もしなくなったし!」

 そう言って笑うのは同じ部活の藤見友香(ふじみともか)、差し出してきたタオルを受け取って唯も笑う。

「最近強力な目覚ましがきちゃってさぁ。お布団の中でぬくぬくする時間が減っちゃったんだよー」

「へー、ねぼすけの唯を起こすなんてよっぽど強力なんだね」

「まぁね。それにすごく口うるさくて」

「……口うるさい?」

「あっ……」

 慌てて笑いでごまかすと、急いでスタートラインの方へ歩き出す。

 そういえば、トムヤンが来てから変わったのは朝遅刻しなくなっただけではなかった。

 日常生活のいろんなことに首を突っ込み、おせっかいを焼いてくる。学校の様子や趣味のことを聞きたがったり、宿題を手伝おうとしたり。

 本人曰く『これがおともの仕事だ』そうだが、ちょっと気負いすぎなんじゃないかと思う。

 とはいえ、母親と二人暮しの静かだった生活が大分にぎやかになったのは確かで、毎日がもっと楽しくなっていた。

 もちろん、トムヤンの存在は秘密。魔法少女の掟だからな、そう言って妙に真面目くさい表情をしたネズミの姿を思い出して口元が緩んでしまう。

「なに? なにか面白いことあった?」

「な、なんでもないよ」

 一列に並んだ部員の最後尾に並ぶと、唯はふと校門の方に目を向けた。

「……あれ?」

 少し遠くにかすんでいるが、それは自分達と同じ年ぐらいの女の子。

 ロングスカートにカーディガン姿、朝も少し肌寒い季節だから、服装としては別に変わったところはない。

 たが、こちらを見る視線を見た途端、体の芯まで震えてしまうような冷たい感覚が走った。どろりとした暗い気持ちが、胸を締め付ける。

「唯?」

「えっ!?」

 心配そうな顔で友香がこちらをのぞきこんでくる。自然と体から悪寒が消え、不快な感覚が消えていった。

「何見てたの?」

「あのね、校門のところにいる女の子が……」

 それ以上言葉を続けることはできなかった。わずか数秒、目を放していた隙に彼女は姿を消していた。


 薄暗い階段を登って部屋に入ると、机の上ではまだトムヤンは何かを一生懸命いじくっていた。しかも、鼻歌を歌いつつ。

「こっころのかたち、君は紙にかけるかいー、っとおかえりー」

「ただいま……っていくらお母さんがいないからって鼻歌はやめよ?」

「ごめん。一応、物音には気をつけてるから。光を放つ体がーっと」

 全く意にも介さず歌い続けるネズミは、起用に前足を使って手にしたものに細工を施している。

 広げた新聞紙の上には銀鎖や針金、こっそり裁縫箱の中から持ってきた針などが並べられている。

「ところで、この間から作ってるそれはなんなの?」

「へへー、まだ教えないよーだ」

「……それ作る材料費、誰が出してあげたんだっけ?」

「ごめんなさい。これは君にあげるプレゼントです」

 にこやかに話しかけているにも関わらず、なぜかぺこぺこ謝るトムヤンを軽く指で撫でると、彼の努力の成果を覗き込む。

「わぁ、こんなの作ってたんだ!」

「どうだい? 結構きれいだろ?」

 小さな手で差し上げたそれは、水晶のはめ込まれたペンダントだった。

 銀の細い針金を編み上げて作ったトップ部分は、ネズミの小さな手だからこそ可能な細かい細工が施されていて、宝石店においてあっても不思議じゃないできばえに見えた。

「すごい器用なのね、トムヤン君って」

「変身アイテムを作ってる職人に習いに行ったことがあってさ、その時に覚えたんだ」

「ふーん。……って、変身アイテム?」

「そうだよ。っと、これでよし。ユイ、これ首からかけて」

 言われたとおりにそれを身に付けると、トムヤンは立ち上がって右手をその宝石に突きつけた。

「契約の仲立ちとなり、災いの守りとなれ。汝が主香苗唯の名の下に」

 その一言に反応して水晶が淡い光を放つ。やがて石の色は透明から輝く赤へと変化していった。

「これでそのペンダントは、正式に変身用のアイテムになった」

「じゃあ、これがあればこのまえみたいに変身できるんだ」

「いや、それはあくまで補助っていうか、その……」

 ちょっと言いよどむと、トムヤンは頬をかいて視線をそらす。

「あの時みたいに、毎回君に元に戻してもらうのもなんだからさ」

「あ……」

 初めてトムヤンと会ったあの日、唯は彼と契約して魔法少女になったのだが、その代わり彼はトビネズミの姿を失い、その命を変身のためのアイテムに変えてしまった。

 結局、唯の力によって彼は元の姿に戻ることができたのだが、色々気まずいというか気恥ずかしい感じがして、なんとなく変身のことを話題にするのは避けていた。

「変身するときは、俺がその中に入ってサポートすることになる。でも、それだけじゃないんだぜ」

「どういうこと?」

「石の部分を額に当ててみてくれ」

 何か期待するようにトムヤンが笑みを浮かべている、唯はペンダントをつまみあげてそっと額に当ててみた。

『あー、テステス、ユイ聞こえるか、どーぞ?』

「え、うそっ!?」

『だめだめ、口に出さずに頭で考えて』

『こ、こう?』

『そうそう! ってことでこのペンダントで俺との直接通話が可能でーす』

『ホントすごいんだね、トムヤン君!』

 素直な心の声を受けて誇らしげな彼の姿がちょっと膨らんだような気がした。ペンダントトップを手の中で包み込み、その感触を確かめる。

「一応、五キロぐらいまでなら確実に俺に届くから、何かあったらそれで連絡してくれ。すぐに駆けつける」

「分ったよ。……って、だ、ダメ! これ無理!」

「ん? 何でさ」

「こんなの学校に持っていったら怒られちゃう!」

 現代人の生活に必須になった携帯電話が中学校で黙認されて久しくなっているが、それでも宝飾品なんか身に付けていったら確実に指導や没収の対象になるだろう。

だが、トムヤンは軽く指を振った。

「それ、ステルス付いてるから大丈夫」

「す、すてんれす?」

「すーてーるーす。簡単に言えばそれはユイにしか見えないアイテムなんだ」

「へぇー」

 至れり尽くせりの代物をもう一度しげしげと眺める。

 変身のアイテムに魔法少女のおとも、自分が不思議な世界に足を踏み入れているという実感が改めて湧いてきた。

「ありがとう、トムヤン君」

「お礼なんて良いよ。これも」

「おともの仕事だからな、でしょ?」

「俺のセリフ取るなよー」

 ぼやくトムヤンの抗議を笑顔で受け流すと、唯はあることを思い出し部屋のドアの前に立った。これを見たら彼はどんな顔をするだろうか。

「そういえば、私からもプレゼントがあるんだよ?」

「へ?」

「ふっふっふ、じゃーん」

 廊下に置いてある物を見て首をかしげたネズミは、驚きと喜びを体中で表した。

「も、もしかして、それって俺専用のベッド!?」

 籐籠にクッションとシーツ代わりに布を敷いたものを部屋の中に引き入れると、小さな体が思い切りジャンプして飛び込んできた。

「わっはー、俺の、俺のだー!」

「気に入った?」

「もう最高!」

 クッションをもふもふと抱きしめているトムヤンごと、出窓の空いたスペースに置いてやる。

 カーテン越しに見える町は、すでに夜の闇が支配していた。

「ただいまー」

「あ、おかえりー。じゃ、トムヤン君、また後でね」

「うん。ユイ……ありがとう」

 うれしそうな彼の姿を確認すると、唯は帰ってきた母親を出迎えるため、軽い足取りで部屋を出る。暖かな気持ちがこみ上げてきて、顔がほころぶのが止まらない。

「魔法少女、かぁ」

 その響きを堪能するように、少女は自然と呟いていた。

 その日の夜、全てが寝静まったころ。トムヤンは埋もれていた寝床からむくりと身を起こした。

 自分の位置からはクッションや籠が邪魔で見えないが、安らかな寝息を立てている唯の存在を心を向ける。

 ただそれだけのことなのに、トムヤンは思わず目じりが痛むくらいの昂ぶりが胸にこみ上げるのを感じた。

 クッションのことや、夜食に持ってきてくれたひまわりの種とか(トムヤンとしてはピスタチオの方が好きなので、次はそっちでとお願いしておいた)それに、そっと撫でてくれる指もみんな彼女の優しさが伝わってくることばかりだ。

「これが、おともになるってことなんだなぁ」

 おともとして生まれた者には、その役割を果たしたいという本能のようなものがある。自分は多分、図抜けてその気持ちが強いのだろう。

 ただ、その気持ちが常に正しい結果をもたらすとは限らない。

 なぜならこの世界で魔法少女をやるということは、辛い戦いを彼女に強いることになるからだ。

 この世界に魔女がいる以上、インキュベーターは確実に存在する。

 それは、今この時にも魔女が、何より哀れな魔法少女が生み出し続けられていることに他ならない。

 それを阻止する戦いに身を投じれば、きっと唯の心は激しく傷つくだろう。

 だから、トムヤンはペンダントにある仕掛けを施しておいた。

 探知系の魔術や特殊な感覚を持つものに引っかからないようにするための抗術、つまり彼女自身も魔女や魔法少女からステルスされているのだ。

 もちろん心が痛まないわけではない。本当なら唯に協力してもらってあの淫獣を
探し出し、これ以上の犠牲者が増えるのを防ぎたい。

「……はぁ」

 だが、ダメだ。なぜなら自分は、正式なおともではないから。

 おともはあくまで世界の要請によって動かなければならない。

 だが、今の自分は無許可で魔法少女を生み出している。納得はできないがやっていることはあの淫獣と大差ない。

 唯一救いがあるとすれば、こうして自分が違反を起こしていることがおともの世界の目を引き、本格的に魔法少女とそのおともを派遣してくれるようになるだろうということ。

 唯を戦わせたくないし、無理に戦っても違反者として罰せられる。結局自分はおとなしくしているより他ないのだ。

 思い描いていたのとは違う、消極的な活動。 

 綿の一杯入ったクッションに顔を埋め、小さなネズミは憂鬱な気分で呟いた。

「魔法少女のおとも、かぁ」


 夜は彼女にとって馴染みの時間だ。なりたくてそうなったわけではないが、今では日の光を思うこと自体が罪になるのではないかとすら思えるときがある。

 同時に、闇の時間が訪れるたびに、自分の何かが黒く塗りつぶされるような気がしていた。

 ちらりと左手の甲に目をやり、そこに嵌った宝石の輝きを確認する。透き通った紫色の輝きを放つそれを見て、わずかに安堵。

 ほんの少しの逡巡、ほんの少しの疑念も差し挟まない。そうしなければ、自分が叶えるべき願いが両手からこぼれてしまうから。

 オフィスビルにはさまれた道の前に佇む一人の少女。黒を基調にした衣装と、左腕に丸盾を装備した彼女の目の前で、路地は白と黒のチェック柄に覆われ始めた。

「論理の魔女」

 ぽつりと漏らした言葉に怯えはない。目の前で構成されていく結界の主を確認するために放った言葉だ。そのまま異世界を歩み始める。

「その性質は狭量。多彩な戦略を駆使するが盤面の動きに気をとられ、臨機応変さに欠ける。彼女を破るためには妙手巧手よりも、奇手悪手で攻めて動揺をさそえばいい」

 世界が冷たい四角の幾何学に包まれる、それはチェス盤で作られた正方形の箱だ。

 正面の壁に張り付くのはキングではなくクィーンの駒。良く見ればその駒はウェディングケーキで作られ、ベールと白い手袋の付いた腕でデコレーションされている。

 唐突に、彼女がいる場所を除く全ての升目にチェスの駒が出現する。ポーン、ルーク、ナイト、ビショップ、そしてキング。ただし、クイーンだけは最初から居た一体だけ。

 周囲を一度確認、それから小声で囁いた言葉は、その声音の冷静さとは裏腹に当惑に彩られていた。

「なぜ、こいつがここに?」

 盤面の変化は彼女の居る升目でも起こった。

 その体を守るように、無数の銃器が地面に突き刺る。同時に、こんな違いなど些細なことだと彼女は無言で思い直した。

 無限のバリエーションの中において、この程度のイレギュラーは誤差の範囲だ。

 手近なアサルトライフル手に取り、暁美ほむらは無感動に告げた。

「どきなさい。あなたに構っている時間はないの」



[27333] 第二話「私も一緒に戦うから」
Name: 犬太◆93ceb70e ID:97db629a
Date: 2011/04/30 13:06
 銃身から伝わる熱が肌を炙る。

 弾倉はすでに空になっているというのに、銃把を握り締めたままの手が緩まない。

 何度目かの深呼吸を繰り返し、ほむらはようやくアサルトライフルを地面に投げ捨てた。

 興奮が引いて行くのと同時に内臓の奥から震えと痺れが昇って、両腕でぎゅっと体を抱きしめる。

 小刻みな振動と胸を締め付ける苦痛を、意識を焼いていく乱れた感情を、じっくりと味わうように。

 本当ならこんなことをすることは必要ない。

 キュウべぇに魔法少女と言う存在に改竄された体はいくらでも苦痛をカットすることが可能で、熱さも寒さも、痛みも苦しみも消し去ってしまえるはずだった。

 だが、暁美ほむらという少女は、それを肯んずることはしなかった。

 確かに戦闘における痛みは無視するが、こうして全てが終わった後に押し寄せてくる感情は全て飲みつくしていた。

 自分が倒したものが何であるのか、この世の誰よりも知っているからこそ、痛みを刻んで悼みに変える。

 短い黙祷を終えると、すでに冷え始めた銃を見えざる倉に納める。激しい魔女との戦闘で銃身は焼け付き曲がり、使い物にならないレベルまで歪んでいた。

 まるで、自分のようだ。己の暗い情念を、止められない熱い思いを吐き出し続け、自らの力でひしゃげていく。

 そんな物思いを覚ましたのは、鼻腔に感じる冷たい朝の匂い。思う以上に時間を掛けてしまったと気が付き、唇をかみ締める。

 それでも、後悔を振り払って彼女は歩み始めた。日の差し始めた大通りに背を向けて、まだ闇の残る路地の奥へと。


第二話「私も一緒に戦うから」


 トレイの上にオニオンサラダを乗っけつつ、唯は改めて胸元に下がった赤い宝石を確認した。

 トムヤンの言うとおり、このペンダントは誰にも見えていないらしい。

 見滝原の全校生徒が食事を取るこのカフェテリアの中で、これだけはっきりと分るように下げているというのに、誰もそのことに突っ込んでこないのが何よりの証拠だ。

「なに? 自分の胸の発育具合が気になるって?」

「いきなりなに? 友ちゃん」

 パインサラダを盛り付けつつ、友香がニヤニヤしつつ視線をこちらの胸元に送る。

「諦めた方がいいと思うよ。陸上部には余分な重量物をつけている余裕はないのだー」

「だからどうしてそうなるのよー」

「朝からずーっと、胸元をちらちら気にしてるのを見たら、誰だってそう思うでしょ」

「そ、それは、その」

 折角見えないようにしてもらっても、こんな風に注目を集めては何の意味もない。

 自分の失敗を苦笑でごまかしつつ適当に席に着く。

「胸って言えばほら」

 さりげなく友人が送った視線の先に、たわわに揺れる双丘が出現する。学校指定の制服がはちきれそうなくらいのボリュームを持つバストの持ち主。

 確か、三年の巴マミという先輩だ。

 少したれ目がちの優しげな顔に、お嬢様然とした物腰。そして、しっかりとしたボリュームのある胸。

 クラスの男子が彼女について、何かと騒ぎたてていたのを聞いていたから覚えていたのだろう。

「あれは反則だよねー」

「でも、胸大きいと肩こるっていうじゃない。私はこのままでも良いけどなー」

「唯はもう少し、自分が女の子であると言う自覚を持つべき」

 友香の意見も最もだとは思うが、いまいちピンとこないのも確かだ。

 恋にも興味はあるが、それだってせいぜいドラマや漫画を見て、ちょっと良いかなと思うくらい。

 それに、今は恋よりも気になることが唯の人生を変えつつあるのだ。

(そういえば、魔法少女になったのはいいけど、それっぽいことしてないな)

 昨日もそのことについてトムヤンに質問してみたのだが、なんとなくはぐらかされてしまうばかりだった。

 とはいっても、唯もそれほど魔法少女として活躍しようと思っているわけではない。

 変身して魔女と戦う、あの時は無我夢中だったが冷静になって考えれば、そうそう体験したいことでもなかった。

 トムヤン自身もあまり自分に戦ってほしいとは思っていないようだし、結局は現状維持でいいのだろうと思いなおす。

 大きな安堵と少しだけ残念な気持ちを抱えながら、唯はレタスをさくりと噛み締めた。


 その日、部活が終わった帰り道、唯は友香と連れ立ってスポーツ用品店に出かけた。

 新しいシューズを買い、それからファーストフードに寄り道をして、気が付けば時間は七時近くになっている。

「それじゃ、また明日ね!」

「うん。バイバイ」

 携帯を取り出して一回コール。すぐ留守電に切り替わったのでいつも通り、連絡を残しておくことにした。

『今日は友ちゃんと買い物でした。遅くなってごめんなさい。七時半までには帰ります』

 とはいえ、この時間で留守電ということは帰りはかなり遅くなるだろう。

 母親の美衣は自分が中学に上がるくらいから以前の職場に復帰し、一緒に食事をする機会もあまりなくなっている。

 少し寂しい気もするが、家族会議で話し合って決めたことだし、朝も一緒に食べているからそれほど気に病む事も無かった。

 往来の激しい通りから住宅街へ抜け、次第に人気のない道へと歩いていく。

 街灯から投げられた光が道行を照らしているが、心なしか弱弱しく感じられた。

 なんだろう、いつの間にか心の中で呟いていた。なんだろう、この感じ。すごく重くて苦しいような。

 歩けば歩くほどその感覚は強まっていく。肌を刺すようなこの感じはどこかで体験している気がする。そう思った瞬間だった。

 ぱちりとペンダントが弾け、それを合図にしたように周囲の環境が変動していく。

 その世界の全ては多種多様な色彩と形状を持つ薔薇で彩られていた。むせ返る香水のような匂いと、見るものにめまいを起こさせるほどに強烈な原色で飾られた結界の中、ただ立ち尽くす。

「これって、結界ってやつだよね……」

 すでに二度目になった唯にとって、異界の中の恐怖はある程度やわらいでいる。それに今はあの時とは違うのだ。

 胸に下がったペンダントを握り締め、周囲を見回す。

 心持ち顔を引き締めて石の部分を額に近付けようとしたときだった。腹に響く重い音が、唐突に薔薇の森を振るわせた。

「な、なに!?」

 音が次第に近づいてくる、木々を掻き分け破裂音を撒き散らしながら。そして、それはいきなり唯の目の前、見上げた空の中天に躍り出た。

 最初に思い浮かんだのが『どちらも黒い』という、どうしようもなく間抜けな感想だった。

 片方は黒い衣装を着けた女の子、両手にどう見ても銃としか思えないものを抱えて、追ってくるそれに向けて銃火を浴びせかけている。

 もう片方はその彼女よりもなお黒い。というより全身が真っ黒で、しかも横から見た姿はまるで糸のようだった。全く厚みのない二次元世界の住人のような敵。

「ま、魔女!」

 唯の絶叫に、激しい戦いを繰り広げていた二人は一瞬手を止めた。影には表情は無いが少女の顔には明らかな狼狽が刻み込まれる。

「逃げなさい!」

 叫ぶ声は力強く、どこからか取り出した野球ボールほどの大きさのものを影に投げつける。

 と、鼓膜を貫く爆音と烈風が魔女を吹き飛ばした。そのまま少女は唯の傍らに降り立ちもう一度同じ言葉を繰り返す。

「早く逃げて。ここは危険よ」

「で、でも、あなたは?」

「いいから逃げなさい!」

 魔法のように取り出した黒くて重そうな拳銃を構え、その銃口で出口らしき方向を指す彼女。

 外さない少女の視線の先で、影の魔女がその身を起こした。

「走って、振り返らないで。そして、このことは忘れなさい」

 いつの間にか二挺構えになった拳銃を向け、少女が引き金を引く。耳に痛い破裂音をものともせずに撃ちまくりつつ彼女は叫んだ。

「早く!」

 必死の形相を目の端に留め、唯は示された出口へ走った。再び巻き起こる爆音が背中の皮膚をなぶる。

 強い花の香りが濃い硝煙にまぎれて異臭に変わる。

 騒乱の音が遠くなったのを感じ、唯は意を決して足を止めた。

 振り返ると影の魔女は彼女の倍以上に膨れ上がり、無数の蔓薔薇を吐き出して彼女を痛めつける。

 銃の威力によって相手の攻撃は打ち消されているが、相手にダメージを与えられている様子もない。

 素早く宝石を額に当てると、唯は今ここにいてほしい者に声を飛ばした。

『聞こえる、トムヤン君』

『……ユイ? ちょっとまて、どこだそこっ!?』

『魔女の結界の中だよ。だから今すぐに来て』

『そんなバカな! なんでそんなところに!』

『そんなこといいから! 今すぐ呼ぶね!』

 額から石を外し、唯は手を中空に差し伸べた。

「我が声を聞き呼びかけに応えよ。命を共にせし者よ、来たりて我が傍らに!」

 掌に光が灯り、その輝きが一瞬で小さなトビネズミの姿に成り代わった。

「無事かユイ!?」

「私は大丈夫! でも、あの子を助けないと!」

「あの子?」

 トムヤンは爆音の源に目を向け、一瞬息を呑んだようだった。だが、すぐに気を引き締めてこちらを振り返る。

「行けるな、ユイ」

「うん!」

 応えを受けてトムヤンの体が光の塊になり、胸の宝石に弾けて消える。途端に唯を守るように彼の意識が五体を満たした。 

「お願い、トムヤン君!」

『行くぜ……変身!』

 力強い言葉が光を呼び、唯の全てを包み込む。自分の魂の底に眠る力が呼び覚まされ、小さなおともの導きで顕在していく。

 単なる中学生から魔法少女となった彼女の体が宙を舞う。

 前方宙返りの要領で振りぬかれた蹴りの一撃が茨を引き裂き、身動きのできなくなっていた黒い少女を解放した。

「あ、あなた……!」

「もう大丈夫だよ」

 茨で傷つけられた彼女の肌にいたわりの目を向けると、拳を固めて巨大な魔女を見上げた。

「私も一緒に戦うから」



[27333] 第三話「ご飯を食べて行きませんか?」
Name: 犬太◆93ceb70e ID:97db629a
Date: 2011/04/30 13:24
 いつも冷静であるように、ほむらは魔女の前に立つとき常にそれを心がけていた。

 声を上げず、無駄に引き金を引かず、いたずらに魔力をすり減らさない。

 自分の魔法少女としての特性は直接攻撃に利用できないが、そのことがかえってソウルジェムが穢れにくい状況を作り出していた。

 だからこそ、武器の管理と補充には心を砕いてきたし、それゆえに冷静、冷徹に行動することができる。

 だが、今の彼女はかなり焦っていた。

(アサルトライフルは五挺、RPGはあと一つ、手榴弾が)

 盾の奥に手を伸ばし手榴弾を投擲。爆発が花開き魔女の茨を吹き飛ばすが、その威力を避けて回り込んだ攻撃が自分を束縛しようと伸びてくる。

(これであと三個)

 事実を脳裏に刻み込むと同時にソウルジェムが輝く。

 その力に従って世界が動きを止めた。暁美ほむらの持つ時間停止の能力が、彼女の存在を一瞬だけ事象の支配者へと押し上げる。

 盾の裏側から取り出した拳銃で茨に銃弾を打ち込み、毒々しい薔薇の森のはるか中天に飛び上がった。

 一進一退の攻防に見えるが、ほむらは自分が追い詰められていることを自覚していた。

 今朝方まで戦っていた【論理の魔女】は、盤上に乗った兵士のコマを全て壊さない限り本体にダメージを与えられないという特性があった。

 もちろんほむら自身もそれは承知していて、あの魔女と当たることを予想して入念に準備をしていた。

 だが、それはあと一日は後になるはずだったのだ。

 そして、運の悪いことに目の前に立ちふさがる【影絵の魔女】も、無数の蔓薔薇を使って攻撃してくる厄介な存在で、相対するのに大量の武器を必要とする。

 予備の武器は隠れ家に帰れば補充することは可能。だが、これほどストックを消費してしまえば、今後の予定も狂いかねないだろう。

 閃いた物思いからほむらが醒め、同時に時の束縛から逃れた魔女が空に舞い上がる。だが、二つの視線は一瞬互いの敵から外れた。

「――!」

 学校の制服を身に付けた一人の少女がうろたえた表情でこちらを見上げている。

 魔女の顔に新たな獲物を見つけた喜色を感じた。右手が無意識に残り少ない手榴弾に伸びる。

「逃げなさい!」

 他人の心配をしている暇などない。だが、声はいつのまにか迸っていた。

 炸裂した手榴弾の威力を背に、彼女のすぐ側に飛び降って敵の視線をさえぎる。

「早く逃げて。ここは危険よ」

「で、でも、あなたは?」

「いいから逃げなさい!」

 どこにでもいるような普通の少女だ。事態の変化に戸惑い、不安そうな表情でこちらを見つめ返してくる。

 その制服が見覚えのある見滝原のものであることを認め、沸き起こる感情を押し殺して声をきつくした。

「走って、振り返らないで。そして、このことは忘れなさい」

 口調とは裏腹に、祈るような思いで最後の言葉を紡ぐ。この場にいれば、魔女との戦闘に巻き込まれて死ぬか、もっと最悪なシナリオが生まれる可能性もある。

 あの白い勧誘者によって新たな犠牲者が生まれる可能性が。

 魔女を牽制するべく取り出した二挺の拳銃を構え、片方で出口の方向を指し示す。

「早く!」

 走り去っていく彼女をかばうように進み出、銃口から火炎を飛び散らせる。【影絵の魔女】の勢いがわずかに衰え、その機を逃さずに素早く走り出す。

「影絵の魔女、その性質は孤高。自らの気高さを示す薔薇の園に一人佇むもの、侵入してきたものとは必ず一対一で戦う」

 茨の束が間欠泉のように噴出し、林立する柱になってほむらを襲う。間を縫うようにして肉薄、茨を蹴ってビルのように巨大になった影に向けて飛び上がった。

「その弱点は、己の思いを示す胸の薔薇を散らされること!」

 自分の背丈ほどもある薔薇に二つの銃が解き放った鋼の威力が吠え掛かる。だが、その弾丸は一枚の花弁も散らすことなく茨の壁に阻まれる。

 壁はほむらの周囲を覆い、体を拘束してのけた。

「くっ」

 茨で作られた籠の中でほむらの唇が焦りを紡ぐ。何とか銃を取り落とさないではいられたが、蔓を切るためには角度が悪すぎる。

 脱出する方法は考え付くが、あまりやりたいとは思えない。だが、このままの状態では死が訪れるのを待つしかないのは明らかだ。

 意を決すると、ほむらは時を止めるべくソウルジェムに意識を差し伸べようとした。

 いきなり、蔓薔薇の籠が強い力で引き裂かれていく。同時に拘束が解け、体勢を立て直しながら地面へと着地する。

 そして、すぐ側に立った人物を見てほむらは瞠目した。

「あ、あなた……!」

「もう大丈夫だよ」

 優しく笑うピンクの衣装を身に付けた魔法少女。それは、さっきまでそこにいた女の子に他ならない。

 彼女は表情を引き締めながら魔女を見上げた。

「私も一緒に戦うから」


第三話「ご飯を食べて行きませんか?」


 黒い衣装の少女の驚いた顔を一瞬だけ確認すると、唯は戦うべき相手をしっかりと見据えた。

「……大きいね」

『大丈夫だ、俺が付いてる。俺が君を全力で守る!』

「誰と、話しているの?」

 怪訝そうな顔をする相手に唯は胸に赤く灯るブローチを指で示す。

「トムヤン君だよ。私を魔法少女にしてくれたおともの子」

「……どういう、意味?」

 なぜか険しい顔をして下がっていこうとする彼女。その顔に浮かぶ強い猜疑心に思わず声を掛けそびれ――

『二人とも後ろだ!』

 弾けるようにその場から飛び退った二人のいた場所に突き刺さる茨、抜き放った拳銃をこちらに向け、黒い少女が叫ぶ。

「あなた一体何者!? そのトムヤンというのはキュウべぇのことなの!?」

「キュウべぇ!? この子はトムヤン君だよ!」

『ちょっと待て二人とも! 今はそんなこといってる場合じゃない!』

 間断なく突き立つ茨の柱を必死で避けながら、それでも彼女は視線も銃口も外さない。

 トムヤンのサポートのおかげで二つの敵意を何とか避けているが、体に掛かる負荷に思わず叫びそうになる。

『俺はあんな奴とは違う! 信じてくれ!』

「つまり、あなたはキュウべぇを知っているのね!」

「私は知らないよぉ! どういうことなのトムヤン君!?」

『あーっ! ったくもうっ!』

 いきなり胸元の宝石が盛り上がり、トムヤンの顔だけがにょっきりと突き出す。唯にむりやり彼女との距離を縮めさせると青筋を立てたネズミは大声で叫んだ。

「今はあの魔女を倒すのが先だろ! 君の名前はっ!?」

「ね、ね、ネズミっ!?」

「そんなことより君の名前だ!」

「あ、暁美……ほむら」

「じゃあほむら! これから五分だけ俺……いや、俺達に協力してくれ! そのあとは煮るなり焼くなり好きにしていいからっ!」

 言うだけ言うとトムヤンの頭がすっぽりと元の場所に納まる。あっけに取られていた少女、ほむらは呆けた顔で唯を見つめた。

「なんなの、それ」

「だからトムヤン君だってば!」

『どうでもいいから敵見て敵!』

 再びの攻撃で分断される二人。だが、その顔からは戸惑いも猜疑も拭われている。黒光りする得物を構えたほむらに、唯は頷いて見せた。

「あいつは、図体は大きいけど弱点がある。あの胸の部分に咲いている薔薇の花よ」

『あれを壊せば良いのか』

「でも、あんなところまでどうやって行くの!?」

『ほむら! 援護射撃してくれ、そうすればあそこまで駆け上がってぶっ壊してやる!』

「それやるの私だよっ!?」

 という突っ込みもむなしく、トムヤンのやる気が四肢を伝わる。半泣きになりながら唯はありったけの思いを込めて叫んだ。

「どうなってもしらないからねぇっ!」

 だが、変化は魔女の側にも現れていた。

 あまりに攻撃の当たらない二人に業を煮やしたのか、黒い影が揺らめいてその体を大きく退かせる。

 距離が開いたのを不思議に思った唯たちの前でアサルトライフルを構えたほむらが声を荒げた。

「今すぐあいつに攻撃して! 早く!」

「な、なんで!?」

「そうでないと……来たっ!」

 唐突に魔女の上空に巨大なシャンデリアのようなものが現れる。良く見ればそれは、無数の色で瞬く白亜の城だ。ただし、まったく逆さまな状態の。

 そこから何かが降ってくる。目の前にしている【影絵の魔女】と似ているが、豪奢なド

レスを身に付けて、どこかの国の姫のようにも見える。もう一つの影は魔女に覆いかぶさるようにして地上に降り立ち、その胸に手を当てた。

「なにあれっ!」

『なんだぁっ!?』

「……剣が」

 ドレスの影が魔女の胸から何かを取り出す。それは磨きぬかれた白銀の輝きを持つ長大な剣、造りはサーベルに似て薔薇を象ったガードが付いている。

 仕事を終えたドレスの影は消え、影絵の魔女が剣を手に立ちふさがった。

「あれはあの魔女の専用の武器。こうなる前に勝負を付けたかったのだけれど」

『魔女ってのはホント何でもありだなっ!!』

「っと、トムヤン君っ!」

 抜き身の剣を捧げ、魔女が一閃する。その一撃は鋭い烈風になって薔薇の園と地面に深い亀裂を刻み込んだ。

 間一髪のところで斬撃を避けた唯とトムヤン、そして空に舞い上がったほむらの顔が恐怖でこわばる。

『こりゃ、シャレになんないな』

「ど、どうしよう!?」

「ただ、あの剣を出した魔女は薔薇の攻撃をしてこなくなる。目標を落とすなら今がチャンスだわ」

『そうか……』

 剣を構えた魔女の攻撃は確かに単調だが、一撃の速度はとても目で追えるレベルではない。

 何とか打開策を模索しようとする二人と一匹に、魔女が容赦のない神速の突きを見舞ってくる。

「きゃあっ!」

「くっ!」

『ユイ! ほむら! 一旦距離を取れ! このままじゃ蜂の巣だ!』

 穴だらけになった地面から離れ、彼我の距離を大きく取る。今まで自分達がいた場所にほむらが何かを放り投げた。

 大振りな筒状のそれが炸裂し、距離を詰めようと殺到した魔女の体が大きくのけぞる。

『ほむらっ、聞きたいことがある!』

「なに!?」

『あの剣を何とかしたら、魔女の薔薇を一発で叩き落せるか!?』

 目を伏せた彼女は、確証に満ちた顔ですぐに頷く。

「ええ。必ずできるわ」

『上等! ユイっ、悪いけど俺に命預けてくれ!』

「い、命って、どうする気!?」

『俺達が囮になってあいつの一撃を引きつける。その間にほむらがあいつをしとめる、ものすごく簡単な作戦だろ!』

 唯は何か言おうとした。だが、それは魔女の切っ先が生み出した烈風でかき消されてしまう。

 右手が無意識に胸の宝石に触れると、そこからトムヤンの気持ちが伝わってきた。

(大丈夫だ、絶対に俺が君を守る!)

 呆れるほど真っ直ぐ過すぎる強い感情。あの小さな体の、どこにこんな気持ちが詰まっているんだろうか、そんなことを考えた唯の口元が少し緩んだ。

『ごめん、やっぱり怖いよな』

「うん。そうだね。でも」

 もう後ろに下がる必要はない。唯は向かってくる巨大な暴力に向かってしっかりと足を踏ん張り、心を固めた。

「すっごく怖くて心細いけど、君と一緒だから、平気だよ」

『ありがとう、ユイ!』

 こちらの動きに合わせてほむらの黒い影が視界から消える。魔女が剣を脇に構え必殺の突きを溜めた。

 その全てを認識しながら、唯は静かな気持ちでおともと心を重ねて言葉を紡ぐ。

『少女を守る思いの力よ、容を取りて姿を顕せ』

「炎よ、我らに拓く力を」

 そして、一人と一匹は秘められた力を解放した。

「『纏え、ブレイブフォーム』!」

 炎が全身から噴出し、切っ先が命を刈り取るべく殺到する。

 澄んだ鐘の音のような金属音が結界の大気に鳴り響き、吹き払われた炎のヴェールの下から、巨大な魔方陣で剣の一撃を防ぐ唯の姿が現れた。

『今だ、ほむら!』

 黒い影が空を駆け、無防備になった薔薇の前に躍り出る。RPGを肩に担いだほむらは無言でトリガーを引いた。

 真紅の薔薇は、炸裂する爆炎の華によって燃え散っていった。


 すべてが終わり、二人の少女は郊外の空き地に立ち尽くしていた。

 ついさっきまで過酷な戦いが行われた場所であることすらうかがわせない、不気味な静けさが支配している。

「説明してもらうわ。あなたは一体何者なの」

「トムヤン君……」

『分った。今変身を解くから、その物騒なものをしまってくれ』

 こちらにずっと向け続けていた拳銃をほむらがしまいこみ、唯と一緒にトムヤンがほっと安堵の息をつく。

 そして、まとっていた衣装を解いて一人の中学生と一匹のトビネズミが姿を現した。

 こちらの変化を見た彼女の視線が驚きを含む。その様子に頷くと、掌に載せられたトムヤンは唯を見上げた。

「じゃ、ユイから頼むよ」

「え!? わ、わたし!?」

「俺の方は説明が長くなりそうだし、身元を明らかにしておいた方が彼女も安心すると思うから」

「うん。えっと、私は香苗唯、見滝原中学の二年生です。部活は陸上部をやっていて、今はこのトムヤン君の力で魔法少女にしてもらってます」

 紹介した小動物をそっと彼女に差し出す。未だに変身を解いていない黒い少女は、じっと毛玉を睨みつけた。

「頼むから、そんな目で見ないでくれよ」

「そんなことはどうでも良いわ。話しなさい、あなたは何なの」

「……俺はトムヤン。おともの世界から来た魔法少女のおとも……だ。今は、ユイと契約して彼女のサポートをしてる」

「おともの、世界? それは、あいつらがいる世界ということ?」

 ほむらの眉間にきつい皺が刻まれる。全身から立ち上る雰囲気が肌を刺すように感じられた。その冷たい視線に晒された唯の膝が小刻みに震える。

「ちょっと待った! 勘違いするな! あいつは俺たちの中でも異端なんだ!」

 必死なネズミの弁明にほんの少し怒りの沸点を下げ、元の無表情に近い顔立ちに戻っていく。

 その変化に再び一人と一匹はほっとため息をついた。

「詳しい事情を聞く必要がありそうね」

「そうだな。俺の方もちょっと事態を整理する必要があるし」

「それなら……」

 おずおずと声を掛けようとした唯の体から何かが鳴くような音が響く。

 緊張が解けて元気になった腹の虫に頬を赤らめつつ、少女は改めて言葉を継いだ。

「家に来て、ご飯食べて行きませんか?」



[27333] 第四話「無関係なんかじゃいたくない」
Name: 犬太◆93ceb70e ID:97db629a
Date: 2011/05/08 13:24
 割とこじんまりとした家だった。

 平均的な二階建で、狭い玄関口の近くには二階への階段、奥へ通じる廊下の先にダイニングキッチンといった感じで間取りも一般的だ。

 そのごく普通の家で、暁美ほむらは戸惑いを覚えていた。

「どうした? 早く食べないと冷めるぞ?」

 ほかほかの白いご飯を盛られたお茶碗と味噌汁の入った塗り椀、煮物やおしんこの入った小鉢、

 そしてピスタチオをぽりぽりかじる喋るネズミを見やり、ほむらは微妙な表情を浮かべるしかなかった。


第四話「無関係なんかじゃいたくない」


 時間はほんの少し遡る。

 唯という少女の後について彼女の家にやってきたほむらは、深まる謎を解くべく思考をフル回転させていた。

 ここまで歩いてくる間に手に入った情報は、彼女がキュウべぇの力を借りずに魔法少女になれる存在であり、ソウルジェムの代わりをしているのが、トムヤンと名乗る奇妙なネズミであるということだった。

 ほむらにとってキュウべぇ、いやインキュベーターという存在は確実に敵だ。

 それは打ち滅ぼす相手であり、自分の願いをかなえるために排除すべき対象でしかない。

 人間の希望を絶望へと反転させ、その過程で生み出されるエネルギーを回収するだけの存在。それが全てだし、それ以上知ろうとも思わなかった。

 だが、目の前にいるこれはなんだ。

 見た目も全くキュウべぇとは似ていないし、ただ一人の少女に専属で付いているインキュベーターなど聞いたことが無い。

 例外は自分の先輩であったあの人だが、実際には常にその側にいたわけではなく、自分の管轄する地域にいる魔法少女を巡回する途中で顔を出していたに過ぎなかった。

「適当に座っててね、明美さん」

 リビングの明かりをつけると、唯が隣のダイニングに入っていく。半分開け放たれたドアに向かってネズミが問いかける。

「ユイー、俺も腹減ったんだけどなんかないー?」

「クッキーあったでしょ? 暁美さんにも分けてあげてね」

「はいよー」

 ネズミは素早くキッチンへ走り、体の三倍はありそうなお菓子の袋を背負って戻ってきた。

 そのまま、クッキーの袋の下から、小さな瞳がこちらを見上げてくる。

「悪いんだけど、これ取って上の菓子鉢に入れてもらえないか?」

「……ええ」

 明らかにほっとした表情。そうだ、この異常な表情の豊かさもほむらに警戒心を抱かせる要素だ。

 確かにキュウべぇも感情表現らしき行動をすることもある。

 笑顔のような形に顔を作る事もできるし、嘆息したり驚いたような声音を出す事もできる。

 だが、目の前のネズミのように『相手の顔色を覗ったり』は絶対にしない。ましてや、こちらの態度が軟化したときに安堵してみせるなど。

「これ、ユイのお母さんが買ってきた奴なんだ。俺はうまいと思うけど、ユイは好きじゃないみたいでさ」

「……そう」

「カロリーとか気にしてるなら大丈夫だぜ? これ、全粒粉使ってる奴で食物繊維とか豊富だし、ステビアで味付けしてあるんだってさ!」

 トムヤンは必死に話題を振ってこちらとの会話を繋ごうとしている。はっきり言って話術はキュウべぇの方が上だろう。

 というか、こちらのご機嫌をうかがおうと必死すぎて涙が出るレベルだ。

 いい加減鬱陶しくなってきたので、ほむらは会話を打ち切らせるべく口火を切った。

「無駄話をするのは楽しい?」

「うっ」

「私はあなたと馴れ合うために来たんじゃないの」

「……ごめん。でも、その、ちょっとは友好的な雰囲気をさ」

「だめだよートムヤン君、あんまりうるさくしたらー」

 エプロンをつけた唯がひょいとネズミをつまみあげる。事態を把握していないのか、魔法少女になった割には態度に切迫したものが感じられない。

「ごめんなさい、この子すごくうるさいでしょ?」

「ユイ、なにげにひどいぞそれ」

「気にしてないわ。それより、私はここに重要な話をしに来たつもりなんだけど」

「そうだよね。私も聞きたいよ、いろいろと」

 などと言いつつ彼女はエプロンを外し、適当なカップを取り出して飲み物の準備を始めていた。

「暁美さんは何がいい? コーヒーか緑茶しかないけど」

「……何でもいいわ」

 そんな受け答えをしながら、なんとなく落ち着かない気分になる。

 誰かの家に行ってお茶をご馳走になる、そんな人間らしい行動をしたのはいつ以来だろう。

「そういえばお母さんの晩御飯どうしよう」

「雑炊作ってあげたらいいじゃん。冷凍のご飯とささみがあったろ」

「そっか。ネギもあるし……」

 ありえない。ほむらの心が半眼になってうめき声を上げる。魔法少女にした相手と和やかに晩御飯の相談をするなんて。

 そう思った瞬間、知らずのうちに声を荒げてしまっていた。

「いい加減にして! 私はここに茶番を見に来たわけじゃないわ!」

「暁美さん……」

「……」

 顔を曇らせる唯と、テーブルの上でうつむくトムヤン。どうしようもない気まずさが部屋の中に流れていく。

 そんな状況を動かそうとしたのかネズミはあえてこちらへ近づいてきた。

「その、ごめんな。たださ、別にはぐらかそうとか、そういう気持ちじゃなかった
んだ。俺は君と敵対する気はないし、唯に変な感情を持って欲しくなかったか
ら……」

「馴れ合うつもりはない、と言ったはずよ」

「でも、ギスギスした空気でも、冷静な判断を下せないだろ?」

「私ははっきりさせたいだけ。あなたが敵か、そうでないのか」

 少し目を閉じ、それから意を決した表情でネズミは頷いた。

「分った。それじゃ、説明させてもらうよ」

 それからその小さなネズミが語ったことは、彼女にとって意外な、と言うよりも信じられないことの連続だった。

 彼とインキュベーターが同じ世界からやってきており、彼らの世界においても犯罪者として扱われているということを。

「つまり、そのおともの世界というものが、奴らを野放しにしたというわけね」

「そう言われても仕方が無い。責めるならいくらだって責めてくれていい」

「そんなことをして、済む問題じゃ無いわ」

 冷静に反応しようとしながら、それでも気持ちが収まらない。目の前の小さなネズミを捻り潰してしまいそうなほど、強い怒りがこみ上げてくる。

「結局、あなた達は奴らをどうするつもりなの」

「分らない」

「分らない!? そんなこと暢気に言っている場合じゃないでしょう!? 今すぐにあいつらを何とかしてよ!」

 黙ってうつむいてしまったネズミを片手で掴み取る。そのまま高く差し上げ、ほむらは絶叫した。

「どうして!? どうしてこの世界はこんな風になったの!? どうして早く何とかできなかったの!? 私が! まどかが! みんながあんなに苦しんだのに!」

「や、やめて暁美さん!」

「答えて……っ、答えなさいよぉっ!」

「やめてっ、トムヤンが死んじゃうっ!」

 強い衝撃を喰らって体が地面に投げ出される。倒れ伏したまま、ほむらは自分を突き飛ばした涙目の少女を見上げた。

「この子はっ、この子は私を助けてくれたの! 命がけで……自分が自分でなくなっちゃうのを我慢して!」

「あなた……」

「もう少しで、魔女に食べられて死んじゃうところだったの! それを……この子が」

 彼女の掌の中で、小さなネズミはぐったりとしていた。力を失い、四肢をだらしなく投げ出して。

 かすかに腹部が動いていなかったら死んでいると思っただろう。

「この子は、トムヤン君だよ……キュウべぇじゃない……」

 茶番だ、こいつらはこんなことになったって死なない、死なないはずだ。頭の中で何度も繰り返す、繰り返しているのに。突き刺さる後悔と罪悪感が拭えない。

「泣くなよ……ユイ。俺は、大丈夫だ」

「トムヤン、君……」

「ほんとに、ごめんな。ほむら」

 首を傾けてこちらに視線を合わせると、呟くように彼は言葉を継いだ。

「俺が謝っても、なんにもならないのは分ってるし、謝るしか、出来ないけどさ」

「そんな言葉を聞きたいんじゃ、ないわ」

「分ってる。それでも、ごめん」

 一時の激情が引いていくと、心の中には冷えた感覚だけが残っていた。不器用すぎる謝罪を述べるしかない小さなネズミは、おそらく素でそう言っているのだろう。

 嘘で取り繕うことも弁明をする事も無く、事実だけを述べる。その後、自分がやり場の無い怒りをぶつけられる対象になることも覚悟しながら。

 胸にこみ上げる悲しみと憤りをこらえながら、ほむらは疑問をぶつけた。

「どうして、分らないの?」

「……なにが、だい?」

「あなた達の世界が、あいつらをどうするかと言うことが」

「俺が、ほんとのおともじゃないからさ」

 弱々しく笑いながら、彼は自嘲を呟いた。

「ここに来る前、俺は派遣されるはずだった世界から、来なくてもいいと言われたんだ。あいつの起こした事件で、おともの世界の信用が、落ちたからな」

「じゃあ、どうして私のところに?」

「君の助けを求める声を、聞いたからさ」

 ようやくまともに話が出来るようになったらしい彼は、唯の掌の上に身を起こした。

「俺達おともは、世界の要請を受けて動く。逆に要請の無い世界に出向くのは重篤な犯罪行為なんだ。だから、俺もあいつと同じ犯罪者だ。

 そして、この世界の事も、あいつの事も何も知らされて無い」

「つまり、あなたはおともの世界がどう動くかも知らないし、帰れば犯罪者として捕まる立場に過ぎないということね」

「対策はしていると聞いたけどな……。ユイ、ゴメンな。君を魔法少女にしたのは、俺の勝手な判断だ」

 涙を拭いながら、少女はゆっくりと首を振った。

「でも、あれは私を助けるためだったでしょ? それに、私を魔女と戦わせないようにしてたのも、これ以上巻き込みたくなかったからなんだよね?」

「できれば、そうしたかったんだけどな。この町には魔女が多すぎるらしい、折角掛けた探知妨害もすり抜けて魔女に出会っちまうんじゃな」

 彼は立ち上がってこちらを見つめた。その顔には何かを決めた意志のようなものが刻み込まれているのが感じられた。

「信じてくれなくてもいいし、俺が憎いなら……思う存分、恨みを晴らしてくれていい。でも、もし君が許してくれるなら、俺に協力させてくれないか」

「なにを?」

「あいつを捕まえて、この世界から奴を追い出すことに」

 その提案にまず湧いたのは、不信と猜疑。次いで疑問と混乱。その感情が頭の中で唸りながら回転して行く。

 この小さなネズミの言っていることはどこまで信じられるのか。これは奴らの新しい手管の一つではないのか。

 そもそも、こんな経験は今までのどの時間でも一切起こらなかったことだ。

 今までの時間、その単語に思い当たったとき、ほむらの背筋にちりちりとした感覚が走っていた。

 時の迷路で彷徨いながら必死に光を求め続ける。その、無意味とも思えるトライアル&エラーの積み重ねの中にあって、これは初めての違った要素だ。

 慎重に扱わなければならない。だが、使わない手は無かった。

 そしてほむらは、小さなネズミに最初の仕掛けを行った。

「分ったわ。でも、それには一つだけ問題がある」

「……俺が信用できないってことか?」

「そんな当たり前のことじゃないわ。彼女のことよ」

「わ、わたし!?」

 冷たく、どこまでも冷たく、感情を押し殺して告げる。この質問で、これが何を考えているのかが分るだろう。

「彼女は単に魔女に襲われた無関係な人間よ。私に協力するということは、必然的に彼女を巻き込むということになるわ。

 あなたはそれを理解しているの?」

「そ……それは……」

 ネズミはひどく狼狽している。その動きから発散される感情がほむらの目にくっきりと焼きついた。

 もしこれがインキュベーターのバージョンの一つであるなら、連中の人間に対する理解度は、想像をはるかに越えて上がっているとしか言いようが無い。

「お、俺が君に張り付いて出来る限りサポートするってのはどうかな?」

「アドバイザーは必要ないわ。私はこの世の誰よりも魔女と奴らに対する情報を持っているから。私が欲しいのは、戦力よ」

「そんなこと……は」

「あのさ、二人とも、ちょっといいかな」

 気弱な笑顔を浮かべた香苗唯は、おずおずと自分の言葉を会話に投げ込んできた。

「私、協力してもいいと思ってるよ」

「ユイ!?」

「……あなた、事態が全く飲み込めていないようね」

 視線を目の前の少女に合わせ、その真意を汲み取ろうと全神経を鋭角にする。

 やつらはしてこなかった手口だが、万が一『操られている』という可能性も否定できない。

「あなたは無関係なのよ? 戦う理由なんて……」

「無関係じゃ、ないよ」

 首に掛けられたペンダントを指に絡め、香苗唯は一言一言かみ締めるように言葉を投じていく。

「魔女って、もっとたくさんいるんでしょ? 私や明美さんがやっつけたの以外にも」

「ええ……」

「だとしたら、私がまた襲われたり、もしかしたら全然違う子が……ひどいことになることもあると思うんだ」

 掌に載せたネズミをテーブルの上に下ろすと、彼女もほむらに視線を合わせた。

 その顔には戸惑いとほのかな覚悟が見て取れた。

「だとしたら、私も無関係じゃない。無関係なんかじゃいたくない。だって、もう、知っちゃったから」

「……そう。それなら、あなたはどう思う? ……トムヤン」

 言葉の銃弾が正確にネズミを貫く。びくりと体を震わせたちいさなおともは、苦しみながら口を開いた。

「ユイ……俺は……」

「大丈夫。私、がんばるから。それにね」

 少し言葉を切り、それから彼女は悪戯っぽく笑った。

「ここで暁美さんを助けてその悪い子を捕まえたら、おともの世界だってトムヤン君を許してくれるんじゃないかなって、思ったりするんだよね」

「ゆ、ユイ!?」

「私、君に助けてもらったでしょ? 今度は私が助ける番。それから、暁美さんもね」

「……香苗、さん?」

 意外な一言に言葉が詰まる。当惑した自分に向かって唯はそっと頭を下げた。

「今まで、暁美さんが魔女と戦ってくれたから、私達が普通に生活できてたんだもんね。ありがとう」

「え……」

「……そうだな! おっし!」

 がつん、という音を立ててテーブルで頭を一打ちしたネズミは、さっぱりとした顔で顔を上げていた。

「そこまで考えてるなら、俺も腹を括るぜ。全力で支えるからな! ユイ!」

「うん! がんばろうね!」

 すっかり雰囲気のほぐれた二人を前に、ほむらはぎゅっと胸を押さえていた。

 彼女の言葉が刺さったままの胸を。

『今まで、暁美さんが魔女と戦ってくれたから、私達が普通に生活できてたんだもんね』

 違う、私は、そんな、いいものじゃ。

「……暁美さん? 何処か痛いの?」

「い、いえ。なんでもないわ」

「そっか。それじゃ、そろそろご飯にしない?」

 再び戸惑うこちらに向けて照れ笑いする彼女は、言葉を掛けながら応接間の隣のダイニングへと誘った。

「私、さっきからお腹が鳴っちゃって止まらないの」

「運動部だもんなー、しょうがないって」

「でも、私は……話をしに来ただけで……」

「いいからいいから! さ、そこの席に座って!」
 
 そして、今。

 ほむらはほかほかご飯を、おずおずと口に運んでいた。

「ごめんね。うちって和食中心だから、おばあちゃんちみたいなメニューでしょ?」

「和食いいじゃん、ってか、ほむらは和食好きか?」

 そう言うトムヤンはたくわんをぽりぽりと齧る。本人は『ピスタチオがご飯でたくわんはおかず』らしい。

 炊いたばかりの白米は少し口に熱いぐらいだ。その熱はコンビニ弁当などでは決して味わえないものだった。

 いや、自分が今まで生きてきた中で、炊き立てのご飯を食べる機会がどの程度あっただろうか。

 入院中の食事と、戦い続ける日々の中での栄養補給、そのどちらも味気の無いものでしかなかった。

「食べられないものがあったら言ってね」

「……大丈夫、みんな美味しいわ」

「そっか! よかった」

 実際には美味しいかどうかは分らなかった。味覚の贅沢を思うことなど、これまで無かったから。ただ、目の前のものは、どれも暖かかった。

 黒い塗り箸できんぴらごぼうをつまむと、ほむらは少し野暮ったい感じのするそれを、じっくりとかみ締めた。



[27333] 第五話「あなたと私の仲だもの」
Name: 犬太◆93ceb70e ID:97db629a
Date: 2011/05/11 09:48
「……キュウべぇって、一体じゃなかったのかぁっ!?」

 こちらの絶叫にうるさそうな視線を投げつけ、ほむらは淡々と説明を続けた。

「人間の少女を魔法少女へ、そして魔女へ変換するシステム。その端末がインキュベーターよ。

まさか、あなた達はそんなことも知らなかったの?」

 ほむらと共闘を約束した次の日。場所は再び香苗家の食卓で、状況説明と対策会議という名の食事会が開かれていた。

 そして、トムヤンは初めて敵となる存在の実態を知ることになったのだ。

「そんな……いや、そうか。それならおとも世界の反応が遅かったのも納得がいくな」

 思った以上に深刻な状況を聞かされて、トビネズミは頭を掻いた。

 元々、たった一体のおともが起こした事件に、上層部が苦慮すること自体がおかしな話だったのだ。

 事が起こった時点で単に新たなおともの派遣をするなり、異世界へ渡航可能な魔法少女に依頼をすればいい。

 だが、それが一体ではなく複数体で、いくつもの世界で同時に事件を起こしたら。

 おそらく、自分の派遣先が取り消されたのも、インキュベーターが入り込んでいる可能性のあるエリアだったからだろう。

「そういうことなら、俺たちの責任もますます重大ってことだ! なぁ、ユイ」

「う……うん」

 口にしていたカップを外すとなぜか唯は曖昧に、複雑な表情で頷くと口を開いた。


第五話「あなたと私の仲だもの」


「その、魔女になっちゃった人って、元には戻せないの?」

 重い口調で掛けられた問いかけを、ほむらは首を振って否定した。

「多分無理ね。奴らは知っているかもしれないけど、知っていても教えないでしょうし」

「……暁美さんも、いつか魔女になっちゃうの?」

 顔を曇らせた唯を見上げ、トムヤンはそっとその指に自分の体を沿わせる。

「私のことは気にしないで」

「でも!」

「ユイ、今はほむらに同情する時じゃない。俺達は戦力として期待されたんだ」

 暁美ほむらが見かけどおりの存在で無いことは十分承知している。

 そして、瞳に秘めた決意を見れば、下手な同情は却って失礼だと思った。唯に心の中で詫びつつ、トムヤンはあえて彼女の一言を押しとどめた。

 いつもは厳しく冷たいものしかよこさない黒瞳に、柔らかい感情のようなものが一瞬垣間見えた。

 軽くサムズアップしてやると、なぜかふいっと視線を横にそらされてしまう。

 つれない仕草に肩をすくめながら、トムヤンは二人を見やった。

「それに、そのグリーフシードを俺たちの世界に持ち帰れば、何とかなるかもしれない」

「本当に!?」

「確証はあるの?」

 思い切り食いついてきた少女達にたじろぎながら、あくまで可能性でしかないけど、と前置きをして解説する。

「もちろん、必ず元通りに出来るとは約束できない。ここじゃない別の世界では、人間の魂どころか肉体までを変質させてエネルギー結晶にする技術があるし、

そうなった場合は絶対に元に戻すことはできないんだ」

(そういえば、あれもいくつかの階梯を経て得られるはずの「石」の材料に人間を使ってたんだっけ)

 エネルギーにまつわる話の、業の深さにげんなりしつつ、トムヤンは話を続けた。

「ただ、グリーフシードの方は肉体は残るって話だし、可能性はあると思う」

「そっか……よかった」

 本当に素直に安堵する唯の顔を見て、トムヤンは喜びと共に後ろめたさを感じていた。

 魔女になった女の子達を助けたいというのは自分も同じだし、出来る限りのことをしたいとは思っている。

 ただ、おともとして、人間の根源に近い部分から世界を見たものとして、世界はとてつもなく残酷な回答を用意していることの方が多いことを知っていた。

 ほむらの持っているソウルジェムを見れば、その魂がかなり乱暴な形で改造を施されているのが分る。

 ただのエネルギー抽出機に、人間に必要な要素を与えたものと言っても過言ではない。

 だからこそ、心のどこかで割り切ってしまったのだ。

 こういう話に犠牲は付き物だと。

 でも、自分の主人はそんな現実を嫌だと思っている。そして、なんとかしたいと思っている。

 そんな優しい彼女のためなら、なんだってしてみせる。

「ユイ」

「ん?」

 ありったけの思いを込めて、トムヤンは笑顔で唯に告げた。 

「がんばろうぜ」

「うん!」
 
 暗い夜道を歩きながら、唯は心臓が高鳴るのを感じていた。

 本来なら寝ているべき時間に外を歩いている。

 もちろん、ほむらとトムヤンの先導があって誰にも見つかることはないのだが、背徳感が心をちくちくと刺している。

 そして、それ以上に、湧き上がる興奮が鼓動を早くする大きな原因だった。

 戦うことには抵抗感があったし、ほむらのことは今でも気になっている。

 でも、自分には魔法という新しい力があり、そのことでみんなを救うことが出来るかもしれない。

 希望と、未知の世界が同時に開けていく感覚が、唯を高揚させていた。

「ここよ」

 案内されたのは建築途中で廃棄されたビルの前だった。助走も付けずにほむらの体がひらりと閉鎖された門を乗り越える。

「早く来て、時間が無いんでしょう?」

「う、うん!」

「とりあえず、変身していこうぜ」

 トムヤンの意見を容れて変身すると、彼女と同じ軌道を描いて閉ざされた敷地へ
と降り立つ。
 そこにはすでに変身を完了させたほむらが待っていた。

「それがあなたの変身した姿ね」

「う、うん」

「でも、この前は真っ赤な服で、手の部分にも防具が付いていなかった?」

『そいつは俺が説明するよ!』

 元気のいいトムヤンの返事に顔をしかめる彼女を見て、思わず苦笑いをしてしまう。例のキュウべぇという存在のせいか、ほむらはトムヤンのことを嫌っているようだ。

 もう少し仲良くして欲しいという願いもむなしく、今のところお互いの関係は改善されていない。

『ユイの変身には今のところ二つのフォームが存在する。今のは【プライマルフォーム】

攻撃、防御、素早さを平均的に強化した状態だ。攻撃は肉体を使ったものだけしか使えないけど、【エンチャント】の能力が使用できる』

「魔力で物体を武器化する能力ね」

『そうだよ。それで、もう一つのフォームが……じゃあ、ユイ』

「うん」

 要請に応じて目を閉じ、心を重ねてコマンドを口にする。

『少女を守る思いの力よ、容を取りて姿を顕せ』

「炎よ、我らに拓く力を」

「『纏え、ブレイブフォーム』」

 全身が燃えるように熱く、同時に活力で満たされる。

 胸のブローチから噴出した炎があっと今に全身に広がって、全ての衣装が赤を基調にしたものに変換された。

 そして両腕に凝った紅蓮が篭手の形を取り、頭の部分に鉢巻が巻かれていく。

 変換が完了すると、どことなく誇らしげなトムヤンの声が注釈を加えた。

『これが【ブレイブフォーム】。最初の魔女との戦いで偶然発現したんだけど、この状態が一番攻撃力と防御力が高い。

その代わり素早さに回してた魔力まで使ってるから、動きは並みの人間よりちょっと早いぐらいだ』

「一体、どうやったらこんな状態に?」

「えっと、おとうさんとおかあさんがくれたお守りの力っていうか……その」

 口ごもってしまったこちらの言葉を引きとって、おともが笑いながら説明を続ける。

『プライマルフォームのエンチャントって、その人間と縁の深いものであれば強力な武装としてフォームに加えられるみたいなんだ。

思いを力に変えるのが魔法だからな。ユイの持ってたお守りに力を与えて生まれたのがこれさ』

「理屈は良いわ。能力にはどんなものが?」

『まずは【インビンシブル】、左手の篭手から出せる防御結界だな。この前、影絵の魔女の攻撃を封じたのがこれ』

 軽く左手をかざして法円をイメージする。そこに現れたものを見て、ほむらの目力が少し強まった。

「強度を試してみてもいい?」

『ユイ、どうする?』

「いいよ。でもどうするの?」

 無言で拳銃を手にする彼女に、思わず腰が引けてしまう。その様子を察したのかほむらは少し顔の緊張を緩めてくれた。

「嫌ならやめても良いわ。ただ、正確な評価が出来なければ協力も無理ということで」

「暁美さんって、結構厳しいね」

『ユイ、大丈夫だ』

 いつも通りの励ましの言葉を受けて唯は頷き、結界を支えるように両手を伸ばす。全身全霊を込めて目の前の障壁に意識を集中した。

「じゃ、行くわ」

「うんっ、って、えっ、ちょっとまっ!」

 いきなりこちらに向けられたロケットランチャーに叫ぶ暇もなく――

 恐ろしい爆音と閃光、猛烈な煙が着弾地点で展開される。そして、爆心地に残された無傷の唯と、それを満足げに見つめるほむらが残された。

「あ、あ、暁美さんっ!」

「すばらしい成果ね」

『いや、ちょっと待て! なぜそんな「やったね!」みたいな雰囲気に!?』

「これはあなた達が戦力になるかを計るための行動でしょ? 
とっさの異変で崩れるような障壁で無いことが分ったし、文句は無いわ」

(もしかして、暁美さんって天然?)

 限りなくマイペースなお言葉に思わず冷や汗が溢れてくる。とはいえ、彼女に信用してもらったなら、それはそれでいいことなのだろう。

 そう思うことにした。

「で、右の篭手は?」

『……こっちは【アナイアレイト】。衝撃と炎を伴って何でも破壊する必殺の拳だ。
攻撃範囲は狭いけど、【インビンシブル】を越えて打撃を与えることが出来るぜ』

「じゃあ、次はこれを」

 ほむらが指し示したのは自分の背丈より少し小さいぐらいのドラム缶。あまり気が進まないが、唯は拳を固めた。

『ユイ、最初は発火させずに行くぞ』

「うん!」

 トムヤンのサポートで正確な射角が教示され、そのまま接近しつつ同じ軌道を描いて右フックを放つ。

 腹に響く重い衝撃と共に、ドラム缶が三メートルほど宙を舞った。

『左で打ち上げ! 締めに右ストレート!』

「はい!」

 拳を包むように【インビンシブル】を展開、体を擦るようなアッパーを放ち、空中のドラム缶を突き上げる。

 その動きを目で追いながら、右拳を引きつける。

『行けっ!』

「やああああああっ!」

 放たれた拳に劫火が宿りドラム缶の芯を正確に打ち抜く。

 炎と衝撃が先ほどの二撃でひしゃげていたドラム缶を真っ二つに壊裂、爆燃させた。

「……すごい威力ね」

『これでもまだフルパワーじゃないんだぜ? ユイの集中力や精神状態で、威力はもっと上がるんだ』

「でも、なんだか……複雑だなー」

 こみ上げる切なさと言うか悲しさと言うか、そんな感情をもてあまして、じっと手を見る。

『なにがだい?』

「これじゃ私、魔法少女じゃなくて暴力少女って感じだよぉ」

『いや、その、ほら! いまどきの魔法少女って色々いるから! 関節技主体とか、遠距離砲撃の鬼とか!』

「な、なんか、それはそれで嫌だなぁ」

『そんなこといったら、ほむらなんて拳銃で手榴弾でロケットランチャーだぞ!?

 リリカル・トカレフ・キルゼムオールでヤンマーニだぞ!?』

「ふーん、そう」

 とてもとても、冷たい肯いが唯の首筋をなぶる。こちらを見つめる黒い少女の顔はいつも以上に無表情に見えた。

「あなたたちが私のことをどう思っているのか、良く分ったわ」

「わ、私じゃないよ! 悪いのは全部トムヤン君だから!」

『え!? あ、いやそうじゃないんだ! あくまで俺は魔法少女にもいろいろあるんだってことをだなっ!』

「ちなみに、これはグロック17。トカレフは使って無いわ」

『や、やめてー! ピンポイントで本体狙わないでー!』

 慌てて二人で平謝りすると、ほむらはあっさりブローチに突きつけていた銃を収めた。

 もしかして気を悪くしたのではなく、からかわれたのかもしれない。

(なんか、暁美さんが分らなくなってきた……)

 そんな唯の苦悩をスルーするように、ブローチのトムヤンはほむらに質問をぶつけた。

『ところで、こっちの手の内は晒したんだ。そっちのカードも切ってもらおうか?』

「私の魔法は、マジカルアサルトライフルよ」

『真顔でボケんな! てか、そういうはぐらかし方はずるいぞ!』

「あなたが言ったんでしょ。私は近代兵器を使う魔法少女だって」

 どうやら意外と根に持つタイプらしい。というより、トムヤンという存在がやっぱり気に食わないのか、ほむらの態度は取り付く島も無い調子だ。

『……暁美ほむらさん』

 咳払いを一つして言葉を改めると、トムヤンは勝手に変身を解いて元の姿に戻り、地面に頭をこすり付けた。

「私が悪うございました。どうかご機嫌を直していただいて、あなたの能力を教えていただけないでしょうか」

「……今度はマジカル土下座?」

「やっかましいっ! こっちの誠意を嫌なツッコミで流すな!」

「ぷっ」

 きわめて冷静で嫌味たっぷりの突っ込みとトムヤンの行動が絶妙に絡み合って、思わず噴出してしまう。

「ちょ、も、もうやめて……ふたりとも、けけんかしなぶふーっ」

「仲裁するか笑うかどっちかに絞れユイ!」

「仕方ないわね。香苗さんに免じて、今日この一瞬だけは許してあげる」

 なぜか口元をむずむずさせながら髪を掻き揚げたほむらは、表情を真面目なものに変えて左手の盾をかざした。

「私の能力は、これ」

 その呟きと共にほむらの姿が掻き消える。慌てて振り向くと、そこには同じように表情を消した彼女が立っていた。

「瞬間移動……か?」

「いいえ。私は、時を止められるの。時間停止が私の魔法よ」

「……すごい」

「思いっきりレアスキルじゃねーか! って……ん?」

 素直に感心する唯の目の前で、なぜかトビネズミの体がふるふると震えている。

 そして高くジャンプすると、ほむらの襟のところにがしっとしがみついた。

「その能力! ユイと交換してくれ!」

「は?」

「へ?」

「いや、ほらさ! 『ユイ』に『時間停止』って、もうこれははまり過ぎだろ!」

「意味が分らないわ」

「うわ、くそっ! ユイ! おじいさんか誰かから懐中時計とか預かってないか!? ぜひ開発しよう時間停止!」

 妙なところに食いついたネズミに胡乱な視線を投げるしかない唯に、ほむらはやや同情したような表情を浮かべて呟いた。

「苦労するわね、あなた」

「うん……。そうだねぇ」

 その日は結局単なる情報確認とレクチャーだけで終わり、ほむらは一人夜道を歩いていた。

 騒がしい魔法少女とそのおともは、まるで友達と遊んだ帰りのような朗らかさで帰っていった。

 あの明るさにはついていけそうも無い。自分とは立場も状況も違いすぎるのだ。

 とはいえ、そのおちゃらけた雰囲気とは裏腹に、主従の能力は間違いなく本物だった。

 攻撃力に関しては、多分現状で存在する魔法少女の誰よりも抜きん出ているだろう。
 超近接戦闘を余儀なくされるが、例の防御結界の存在がその心配を帳消しにしている。

 障壁を張りつつ敵の攻撃を遮断、かつその壁を抜いて打撃を与えられるなど、魔法少女の常識を根底から覆していた。

 トムヤンの言うとおり、確かに彼らは『この世界の魔法少女』ではないのだ。

『とりあえず、あなた達の実力は分ったわ。暫くは私の魔女狩りを手伝ってもらうことになると思う』

『ほむらがポイントマンで、ユイがアタッカーって感じだな』

『それはいいんだけど……暁美さんは、学校とかには行ってないの?』

『行くわ。もうじき、あなたの通う見滝原に』 

 驚いた二人の表情を思い出し、ほむらはふと空を見上げた。

 満ちた月が空に昇り、世界が煌々と照らし出されている。

 彼女にとって、それはとてつもなく重要な意味を持っていた。

「ワルプルギス……」

 やがて来る運命の時を思い、呟く。

 入念な準備と、出来る限りの戦力確保をして、それでも満足のいく形に討ち果たすことのできない最大の難関。 

 だが、今まではあくまで正攻法。今度は全ての計算を根底から覆すワイルドカードが手の中にある。

 事態がどう動くかは分らないが、それはきっと想像も付かないゴールへと導いてくれるだろう。

 そこに待つのは夜明けか、永久の闇か。

 闇なら怖くは無い、これ以上事態が悪くなることなどありえないから。

「待っていて、まどか」

 もうじき出会うはずのたった一人の友達を思い浮かべ、ほむらはひとりごちる。

「今度こそ、あなたを救ってみせる」

 その顔には、悲壮感よりも色濃く浮かび上がった決意と、ほのかな希望が見えていた。


 二人の魔法少女と一匹のおともが共闘を結んでいた頃、都会の闇で一人の少女が舞い踊っていた。

 自らの軸を決めて優雅にターン。振りかざした両腕の下に幾本もの棒状のものを突き立て、白い繊手がそれを引き抜く。

 それは、見事な装飾が施されたマスケット銃だ。わずかな指運で発砲、襲い掛かる影をなぎ倒していく。

『取り込み中失礼するよ、マミ』

「あらキュウべぇ、ごきげんよう」

 黄色を基調にした衣装に身を包み、嫣然と微笑む少女。

 カールさせた髪の毛を風に揺らし、砲火を撒き散らしながら、傍らの小さな生き物に向かって声を掛けた。

『この辺りで戦いの波動を感じたものだから様子を見に来たんだけど、その調子なら心配は要らないみたいだね』

「ありがとう。やっぱりあなたは優しいわね」

 全ての使い魔を叩き落され、魔女の本体が現れる。その姿を目視して、巴マミは笑みを心持ち深くした。

「すぐ終わりにするわ。良かったらお茶でもいかが?」

『そうしたいのは山々だけどね。僕もこれで結構忙しいのさ』

「あら残念」

 そう言い切ると彼女は両手を虚空にかざし、魔力を収束させる。その視線の先に現れるのは巨大な砲門。

「ティロ・フィナーレ!」

 マミの一声に咲いた砲火が魔女を打ち貫く。一瞬にして結界は解除され、あとにはグリーフシードだけがぽつんと残された。

『今日君に会いに来たのは、お願いがあったからなんだ』

「珍しいわね。キュウべぇがお願いだなんて」

『今から一週間ぐらい前、僕は道端でグリーフシードを見つけたんだ』

「……どういうこと?」

 それまで微笑を湛えていた彼女の顔が引き締まる。

 気持ちの切り替えをしたこちらに満足して、魔法少女の造り手は言葉を続けた。

『孵化直前のものじゃない、何者かの手によって倒された魔女のものが、そのまま置き去りにされていたんだよ』

「ありえないわ。そんなこと」

『僕もそう思う。そう思って付近を調べてみたんだけど、誰かが相打ちになった様子も無いし、
別の魔女と交戦が発生して置き忘れたという感じでもなかったんだ』

 魔法少女にとってグリーフシードは報酬であり生命線だ。

 枯れていく魔力を補い、戦い続けるためには無くてはならない物。それを忘れるなど、ありえるのだろうか。

「一体、どういうことなのかしら」

『それを調べて欲しいんだよ』

 表情の無い赤い瞳をしばたかせ、キュウべぇは旧知の魔法少女に水を向ける。

『君は毎日魔女狩りで忙しいし、学校のことだってある。本当はこんなこと頼むのは心苦しいんだけど……』

「いいわ。あなたと私の仲だもの。遠慮は無用よ」

『ありがとう、マミ!』

 軽くウィンクをして依頼を受けた少女は、かわいらしい笑顔を浮かべた白い生き物を誘い、そっと抱き上げた。

「その代わり、後で私のお茶会に出席すること、いいわね?」

『もちろん。喜んで行かせてもらうよ!』

 キュウべぇを抱いたままマミは顔を上げた。

 中天に差し掛かろうとしている満月の光を浴びて、彼女はただ静かに瞑目していた。



[27333] 第六話「私と、友達になってくれる?」
Name: 犬太◆93ceb70e ID:97db629a
Date: 2011/05/13 12:13
 ひたすら息を切らして、彼女は駆け抜けていく。

 周囲に広がるのはモノトーンの世界。白と黒が織り成す、無限のチェック柄が、壁や床に施されている。

 時折、場面は切り替わり、あるときは同心円を持つ白黒の花模様の上を通された陸橋であったり、広い吹き抜けのフロアになったりもした。

 やがて道は一つのドアを示す。緑色の警告灯が灯る「EXIT」の文字。

 非常口、出口、旅の終着点。

 右手がためらいながら扉を押し開き、目の前に恐ろしい光景が広がった。

 そこにはただ、都市の屍骸だけが横たわっていた。なぎ倒されたビル、壊された家屋、水没した道路、むなしく明滅する電灯。

 やむことなく吹き荒れる嵐と、煽られ、掻き回されながらも空を覆いつくす密雲。

 その破壊と恐怖の中心に、七色の光輪を背負った、禍々しく黒い影が座していた。

 中天を遮るほどに巨大で、嵐の中心にあって小揺るぎもせずに浮かんでいる。

 それは巨大なギアとシャフトで作られた花束。あるいは逆さづりにされた巨人の姫君にも見えた。

 あれがこの世界を、惨状を生み出したものであることはすぐに分った。

 だが、自分の目はその異様な物ではなく、それに立ち向かっている者に吸い寄せられていた。

 左手に盾を持つ小さな少女が空を舞う。

 ビルの瓦礫を投げつけられ、破壊の力を叩きつけられても、ひるむことなく向かっていく。

 その姿を見て、胸の奥が締め付けられるような痛みを訴えた。

「ひどい……」

 その声に応じて、自分の足元に居た白い生き物が答えを返す。

「仕方ないよ。彼女一人では荷が重すぎた。でも、彼女も覚悟の上だろう」

 そう言っている間にも、少女は鋭い一撃を受けて吹き飛ばされ、瓦礫の中に埋没してしまう。

 喉からこぼれた悲鳴が、絶望に締め付けられて泣き声に変わりそうになる。

「そんな……あんまりだよ、こんなのってないよ!」

 自分の見ている前で何とか体を起こし、黒い少女はこちらに顔を向け、何かを叫ぶ。

 距離が離れすぎていて聞こえないが、それは何かを渇望するものだと感じた。

 助けを求める声。

 そうだ。こんな終わり方があっていいわけが無い。

 だって、彼女は――

「諦めたらそれまでだ」

 決然と言い放つ生き物の声は、福音のように聞こえた。

 この状況を覆すことが出来ると信じるに値するものだと。

「でも、君なら運命を変えられる」

 何かの啓示の様に、電灯のショートした音が周囲の大気を打った。

 思わず耳を塞ごうとしたが、それでも言葉は続く。

「避けようのない滅びも、嘆きも、全て君が覆せばいい。……そのための力が、君には備わっているんだから」

 それは確証でしかありえない言だった。白い生き物の一言は確実に胸に響いてくる。それでも問わずにはいられない。

「本当、なの?」

 よろめきながら生き物の前に進み出る。その視線の先には瓦礫と一緒に地面へ落ちていく少女の姿。

 それを見たときに、自分の心は決まっていた。

「私なんかでも、本当に何かできるの? こんな結末を変えられるの?」

 この場にそぐわないほどの朗らかな声で、生き物は言った。

「もちろんさ。だから僕と契約して、魔法少女になってよ!」

 そして、私は――

 世界が暗転する。誰かが私を見つめている。私がそちらに振り返る。

 その最後の一瞬に、鹿目まどかの瞳は見たことの無い、誰かの姿を見た。

 肩に小さな生き物を乗せた、女の子の後姿を。

 目覚めると、窓の外はすっかり朝の日差しに満ち溢れていた。遠くからすずめのさえずりが響いてくる。

 寝起きの吐息を漏らし、兎のぬいぐるみを抱きながら起き上がると、まどかはぐったりとしたような声で呟いた。

「夢オチぃ……?」


第六話「私と、友達になってくれる?」


 鹿目まどかが不思議な夢を見た前の日の晩、二つの疾風が夜を駆けていた。

 一つはその夜と同じぐらいに黒い少女、暁美ほむら。もう一つは夜目にもくっきりと分る桃色の少女、香苗唯。

 二人は魔法少女の衣装を翻し、ビルの上を跳ねるようにして移動しながら目的地まで向かっていた。

『ほむら! ユイ! 反応はあのビルの下の通りだ!』

『分った! 暁美さん?』

『こちらも了解。私が先制して足止めするから、後はお願い』

『うんっ』

 ほむらの影が一層加速して先行。目的の路地の上に身を躍らせると、そのまま頭からダイブしていく。

 盾から拳銃を二挺取り出し、まっさかさまに落ちかかりながら鋭く銃火を浴びせる。

 上空からの不意打ちに地面の使い魔が逃げ場を失って硬直する。

 中華なべに虫の手足をつけたようなそれの表面で、小口径の拳銃弾がやすやすと弾かれた。

 自分の攻撃力だけでこれをしとめるのは一苦労だった。これまでのループなら無視して本体を探していたはずだ。

 だが、今は強力な後詰が居る。

『今よ! 香苗さん!』

『はいっ!』

 ビルの壁を蹴ってほむらが身を翻す。その脇をすり抜けるようにして真紅の風が使い魔へと殺到した。

「はああっ!」

 全てを砕く紅蓮の拳が使い魔にぶち当たり、一瞬にその体を砕け散らせる。

 その勢いを逃がしながら宙返りを打つと、唯はほむらの降り立ったすぐ側に着地してきた。

「ご苦労様」

「暁美さんこそ」

『にしても、この辺りは使い魔が多いな……こいつの本体はどこだ?』

 ブローチから届くトビネズミの声に眉根をかすかに寄せて、それでも律儀に回答を返してやる。

「さっきのは【末期の魔女】の使い魔のはず。繁華街に自分の結界を張って人をおびき寄せる存在よ」

「じゃあ、魔女も近くにいるってこと?」

『ちょっと待ってくれよ……うん、それらしいの発見。ここから西に百メートル、この路地を抜けてすぐのところだ』 

 ほむらは自分のジェムが感知した魔女の反応を改めて確かめ、その言葉が自分のサーチ能力以上に正確である事を理解した。

「これからは、魔女の捜索もあなた達に任せたほうがよさそうね」

「え、でも、私、まだ初心者だよ?」

『誰でも最初は初心者さ。それに、俺達が早く一人前になれば、ほむらがフリーになる時間も増える。
ワルプルギスの夜に対抗するには、ほむらの準備が必要だしな』

 唯のおともであるトムヤンは、何かとほむらに好意的だった。

 全幅の信頼を置くつもりは無いが、彼はキュウべぇに対抗するものであり、自分が言いにくい事も率先して彼女に伝えてくれている。

 今の準備という言葉も、自分がどのようにして武器を『調達』しているのかを知った上での発言だ。

 そして、今では唯には聞こえないよう、波長を変えてテレパシーを送って来るようになっていた。

【でも、あんまり無茶はするなよ、ほむら。今はユイと俺が付いてるんだ。危ない橋は渡らないようにしてくれ】

【余計なお世話よ。あなたに言われなくても注意はしているわ】

【あいかわらずつれないなぁ。ま、いいさ。とにかく気をつけてくれ】

 はっきり言えば、この馴れ馴れしいネズミは気に入らない。

 彼を始めとしたおともの世界がしっかりしていなかったから、こんな事態になったのだ。

 とはいえ、彼が居るからこそできることがあるのも事実だった。

【大丈夫よ。あなたはともかく、香苗さんに迷惑を掛けるようなまねはしないわ】

【そっか。ありがとう、ほむら】

「ねぇ、聞いてる暁美さん!」

 彼との会話に夢中になっていたほむらの目の前に、いきなり怒った唯の顔がどアップになった。

 思わずたじろぎ、声が裏返ってしまう。

「ご、ごめんなさい。すこし、考え事をしていて」

「もう……。はい、おにぎり」

 ラップに包まれたそれをむりやりこちらの掌に載せ、彼女はひょいっと上を指差した。

「お腹が空いたら戦いにならないってことで、ちょっと休憩しよ?」

『この辺りに使い魔の気配は無いし、結界を上から見張りながらってのが、ちょっと落ち着かないけどさ』

 どうやら、自分との会話を行使しつつ、マルチタスクで唯との会話も成立させていたらしい。

 予想以上の高性能な相手に驚き、そんな気持ちはおくびにも出さずに頷いた。

「……分ったわ」

 ビルの壁を蹴りながら雑居ビルの屋上にたどり着く。

 どこから取り出したのか、唯は小さなビニールシートと小ぶりなタッパーを幾つか、それから保温用の水筒を並べていた。

『とはいえ、こんな暢気なセットってのは、ちょっとなぁ』

「な、なんかね、あれもこれもって用意してたら……つい」

「魔女退治は、遊びじゃないのよ」

「うん……分ってる。ごめんね、でも」

 少し目を伏せて、唯は訥訥と言葉を大気に投じた。

「暁美さんと会うのって、結局魔女をどうするって時だけでしょ? なんかさ、そう言うのが、嫌だなって思って。

 ほんとはね! これも、魔女をやっつけたら一緒にどうかなって誘うつもりで」

 彼女は少し悲しそうな表情を浮かべて、それから笑った。

「少しでも良いから、明美さんと普通のことがしたいって思ったの。

 ご飯食べたり、なんでもないことをお話したり、それから、学校に行ったり」

「私は普通じゃない。目的のために生きているの。普通の生活なんて」

『差し出がましいんだけど、俺からも言わせてくれ』

 冷たい拒絶の言葉を遮って、トムヤンの声が割って入る。

『ほむらが、何か大きなことをやろうとしているのはなんとなく分る。

 そして、そのことにたくさんの犠牲と代償を払っているだろう事も』

「だったら……」

『だからこそ、余計に忘れないで欲しいんだ。日常とか、当たり前とか、そういうの。

 そうしなきゃ、君は余計に世界から遠ざかる』

「私に……手の届かないものを見て、苦しめって言うの」

 手の中のおにぎりが込めた力で歪んでいく。

 そんなことは分っている、世界を巡るたびに、時を戻すたびに自分の何かが磨り減っていく。

 強く研ぎ澄まされていく代わりに、自分が別の何かに変わっていくような気がして。

 日常など楽しむことの出来ない、魔法少女の形をした魔女に。

 押し黙ったこちらの様子に少し嘆息し、ネズミはそれでも声を掛けてきた。

『手を伸ばせ。ほむら』

「……何に?」

『君が欲しかったもの、そして、今まで得られなかったものに』

「私が欲しいのは、一つだけよ」

『これまでは、そうすることしか出来なかったんだろ』

「今は、違うって言うの?」

 今度は盛大にため息をつき、ブローチの中からひょいとトムヤンが顔をのぞかせた。

「俺とユイじゃ、その違いにならないか?」

「分らない。分らないわ」

「じゃあ、もっと俺たちを知って、頼ってくれ。

 それでも世界が変わらないと思ったら、ほむらの好きにすれば良いさ」

 いつの間にかうつむけていた顔を上げると、唯とトムヤンは笑顔で頷いていた。

「私ね、難しいことは良く分らないし、明美さんが何をやろうとしてるのかとか、全然想像も付かなくて。

 でも……ちょっとでもいいから、暁美さんが元気になってくれたらって思ってるんだよ」

「んー、そうだなぁ、とりあえずアレだよ。友達から始めないか?」

 彼の提案に唯はうれしそうに何度も頷いた。それから、改めて右手を差し出してくる。

「暁美さん……私と、友達になってくれる?」

 それから少し困ったような顔で、気弱に付け加えた。

「嫌なら、いいんだけどね?」

 ほむらは目を閉じた。それから、一番大切な人のことを思い浮かべた。

 この世界でたった一人の、私の大切な友達。

 では、この目の前に居る少女は。

 ほんの数日の間に、あっという間に自分との距離を詰めた彼女は、なんと呼んだらいいのだろうか。

 危険を顧みずにこちらの事情に付き合ってくれた、彼女のことは。

 そして、ほむらは答えを出した。

「ごめんなさい」

「暁美さん……」

「少なくとも、今はまだ友達と呼ぶことはできないわ」

 悲しみに降ろされようとした手を、そっと握り返す。

「でも、私が望みを果たしたら、その時は自分から言わせて貰うわ。友達にして欲しいって」

「……うん!」

(まどか、あなたは私の『最初に友達になってくれた人』。そして、彼女は)

 涙を浮かべて喜んでいる唯を見つめ、それからほむらはかすかに微笑を浮かべた。

「私が『最初に友達になる人』よ」





 冷えた空気の広間が、どこまでも広がっていた。

 見た渡す限り畳敷きの世界、ところどころを柱が区切り、かすかな呟きだけが聞こえてくる。

 当てもなく彷徨いながら、ぬしぬしと音を立てる井草の感触の心地よさを感じていた。

 進んでいくと空気の中に何かが漂ってくる。

 その香りは、なじみが無いが意識にしっかりと根ざし、ある種のイメージを喚起させるものだった。

 抹香の甘い香り。

 それに気が付くと、呟きが今度ははっきりとした形で耳に届いてきた。

『観自在菩薩行深般若波羅蜜多時……』

 ああ、お葬式だ。そんな風にぼんやりと思う。

 まだ小学校にも上がっていなかった頃、田舎のおじいちゃんが亡くなった時が、こんな風だったっけ。

 誰が亡くなったんだろう、声に導かれるように歩く。

 煙が強くなり、いつの間にか、たくさんの座り込んだ人達が現れる。

 その、モノトーンの衣服の人々の間をすり抜けて先へ進む。

 やがて、はみ出そうなぐらいに無数の花で飾られた祭壇が現れた。

 白黒の遺影が収められた額縁へ何気なく視線を移し、思わず声が漏れる。

「……うそ」

 祭壇の下に置かれた白木の棺の前で、喪服姿のおかあさんが突っ伏している。

 その肩を支える丸っこい背中はおとうさんのものだ。いつの間に海外から帰ってきたんだろう。

 だが、唯はそんな二人の姿を気に留める事も出来ず、立ち尽くしていた。

 笑顔でこちらを見つめ返す、白黒写真の自分を凝視したまま。


 目覚めると、窓の外はすっかり朝の日差しに満ち溢れていた。

 遠くからすずめのさえずりが響いてくる。

 全身から噴出す汗を意識しつつ、唯はそっと自分の顔を両手で覆う。

 かすかに届くトムヤンの寝息を耳で確かめ、唯はぐったりと呟いた。

「……嫌な、夢」



[27333] ぶれいぶあっぷ☆トムヤン君! 第一話「夢の中で見た、ような」
Name: 犬太◆93ceb70e ID:97db629a
Date: 2011/05/13 23:12
「今日はみなさんに大事なお話があります。心して聞くように!」

 クラス担任の早乙女和子が、教壇でやや興奮気味に声を上ずらせて話し始める。

 その顔を見たクラス全員が『ああ、まただよ』という雰囲気を漂わせた。

「目玉焼きとは、固焼きですか?それとも半熟ですか? はい、中沢君!」

 指名された哀れな男子生徒が、半ば投げやりな雰囲気を漂わせつつ返事をした。

「えっと、ど、どっちでも、いいんじゃないかと……」

「その通り! どっちでもよろしい!」

 手に持った差し棒をへし折り、わが意を得たりとばかりに早乙女先生の声が一オクターブ高くなる。

「たかが卵の焼き加減なんかで、女の魅力が決まると思ったら大間違いです!」

 鼻息も荒い主張に生徒達の気分はテンションダウンの一途。

 決して見た目は悪くないはずの、早乙女和子に対する男子生徒の受けがよろしく無い理由がこれだった。

 新しい彼氏が出来るたびに生徒がドン引きするぐらいに延々と自慢、ところがちょっとした意見の食い違いで破局を繰り返す。

 その顛末を朝のホームルームの時間にぶちかますのだ。

「女子のみなさんは、くれぐれも! 半熟じゃなきゃ食べられないとか抜かす男とは交際しないように!」

 いろんな意味で『どうでもいい』訓示にクラスの空気は朝からよどみ気味だ。

 まどかの隣に座る友人、美樹さやかが苦笑いとともに感想を漏らした。

「ダメだったか……」

「ダメだったんだね」

「そして、男子のみなさんは、絶対に卵の焼き加減にケチをつけるような大人にならないこと!」

 相変わらずの日常。

 ママには先生がまただめになっちゃったよと報告しておこう、そんなことを考えていたまどかの耳に、意外なつけたりが飛び込んできた。

「はい、あとそれから、今日はみなさんに転校生を紹介します」

「そっちが後回しかよ!」

 さやかの突っ込みに同意する声、転校生と言う単語に反応するもの、様々な波紋を広げた先生の一言に導かれ、彼女はやってきた。

「じゃ、暁美さん、いらっしゃい」

 それは、まさに美少女だった。長く伸びた黒髪、どこか物憂げな眼差しと、整った顔。

 歩き方も凛としていて、人目を惹かずにはいられない雰囲気を漂わせている。

「うお、すげぇ美人」

 かなりオヤジ臭い友人の言葉は、結局まどかの耳には残らなかった。

 なぜなら、彼女の顔には見覚えがあったからだ。

「えっ!?」

 夢の中の記憶、鮮明に残る絶望的な戦いのイメージ。

 その渦中へ勇敢に飛び込んでいった黒い少女と、目の前の彼女は全く瓜二つだった。

「嘘……まさか」

「はい! それじゃ自己紹介行ってみよう!」

 元気のいい早乙女先生の言葉に促され、少女はにこりともせずに名乗りを上げた。

「暁美ほむらです。よろしくお願いします」

 彼女の手によって、ホワイトボードに書かれた文字。

 苗字は暁に美しいと書いて暁美、そして炎を示す古語である、ほむらが名前。

 まるで物語の主人公のような名前は、彼女の雰囲気とあいまって、鮮烈な印象を与えてくる。

 そして、深々とお辞儀をした彼女はしばらく直立の姿勢を崩さず、なぜか自分をじっと見つめてきた。

 視線に耐えられず、もじもじと体を動かすが、それでも彼女は見つめてくるのをやめない。

「えぇと……暁美さん?」

 結局、先生が彼女に話しかけることで見つめあいは終わったが、まどかはその印象的な視線と、

 夢の事があいまってなかなか心臓の高鳴りが収まらなかった。 


第一話「夢の中で見た、ような」


「暁美さんて、前はどこの学校だったの?」

「東京の、ミッション系の学校よ」

「前は部活とかやってた? 運動系? 文科系?」

「やってなかったわ」

「すっごいきれいな髪だよね! シャンプーはなに使ってるの?

 休み時間、早速クラスの物見高い連中が彼女を囲んで質問攻めにしている。

 表情は硬いが、それでも丁寧に質問に答えている様子は、かなり手馴れたものを感じた。

「不思議な雰囲気の人ですよね、暁美さん」

 自分とさやかの親友であり、仲良し三人組の一人である志筑仁美が、素直な感想を漏らす。

 お嬢様の雰囲気で言えば仁美も負けていないが、おっとりとした彼女に比べてあちらは気高さとか高貴さとか、そんなオーラすら漂わせている。

 だが、さやかの方はかなり不満げな表情で評価を下した。

「ねえまどか。あの子知り合い? 何かさっき思いっきりガン飛ばされてなかった?」

「いや、えっと……」

 まさか、夢の中で見た女の子とそっくりだ、なんていうわけにも行かず口ごもっていると、暁美ほむらを囲む輪に変化が生じた。

「ごめんなさい。何だか緊張しすぎたみたいで、ちょっと、気分が。保健室に行かせて貰えるかしら」

「え? ああ、じゃあ、私が案内してあげる!」

「あたしも行く行く」

 どうしたんだろう、まどかが覗き込むよりも早く彼女は席を立った。

「いえ、おかまいなく。係の人にお願いしますから」

 係? 気分が悪くなったときに救護する係と言えば保健係だ。

 そして、このクラスの保健係といえば、

「鹿目まどかさん。貴女がこのクラスの保健係よね」

「え? えっと……あの……」

「連れてって貰える? 保健室」

 丁寧な言葉遣いとは裏腹に、すさまじく高圧的な態度。

 まるで、自分が彼女を保健室へ連れて行くのは当然と言わんばかりの表情で凝視してくる。

 結局、その怖い顔に押されて、まどかは彼女と連れ立って教室を出ることになった。

「な、なによあの転校生! あれが気分の悪い人間の取る態度かーっ!」

「さやかさん、それはご本人の目の前で仰った方がよかったのでは?」

 さりげない正論突っ込みを食らい、激昂していたさやかの態度が急にしおらしくなる。

「だって……怖かったんだもん……」

「あ、あははは」

 確かに、彼女の表情には鬼気迫るものがあった。ほむらの言い方を諌めようとした仁美自身も言葉を飲み込んでしまったぐらいだ。

「……あら?」

「どうしたの仁美?」

「いえ……なんでもありませんわ」

 笑顔で返事をすると、さもどうでもいいというようにさやかも机に突っ伏してしまう。

 多分気のせいだ。仁美はそう思うことにした。

 真昼の見滝原の廊下を、小さなネズミが走っていくなど、ありえないことだと。


 暁美ほむらの姿は、ただ廊下を歩いているだけでも人目を惹いた。

 その後を付いていくしかないまどかは、気まずさを打ち消そうと口を開く。

「あ、あのぅ……その、私が保健係って……どうして」

「早乙女先生から聞いたの」

「あ、そうなんだ」

 それっきり会話が止まる。

 普通はそこで朝の早乙女先生の話を繋いでくるとか、そういうものだと思うのだが、彼女の言葉はそこで止まってしまう。

「えっとさ、保健室は……あぁっ」

「こっちよね」

「え? うん」

 こちらが何かを言う前にさっさと角を曲がっていく。

 まるで全てを知り尽くしたかのような、自信たっぷりの歩きに違和感を覚え、思わず疑問が口を付いて出てしまう。

「そうなんだけど……」

「何かしら?」

「いや、だから、その、もしかして……場所知ってるのかなって」

 その質問に対しての受け答えも結局返ってこないまま、そこでぷつっと途切れてしまった。

 もしかしたら、彼女は私のことを嫌ってるんじゃないんだろうか。そんな気分にすらなってくる。

(だ、大丈夫! きっと暁美さんは初めての環境で戸惑ってるんだよ!)

 などと、自分に発破をかけてまどかは再度会話にチャレンジした。

「あ……暁美さん?」

「ほむらでいいわ」

「ほむら……ちゃん」

「何かしら?」

 会話の間にも景色は変わり、併設された別棟への渡り廊下に差し掛かる。

 見滝原の校舎に付けられた渡り廊下は、壁の代わりにガラス窓が張られており、空が見渡せるようになっている。

 理科室や音楽室に行くときにここを通るが、晴れた日にはまるで空を歩いているような気分になった。

 そんな素敵なはすのロケーションの中で、相変わらず会話の雰囲気は最悪だ。

 何か必死に話題を探そうとして、まどかは思いついたことを口にしていた。

「あぁ、えっと……その……変わった名前だよね」

 さすがに失礼かと思ったが、相手からの反応は一切無い。

 顔を少しうつむけ気味にしてどんどん先に歩いていってしまう。

「い、いや……だから……あのね。変な意味じゃなくてね。その……カ、カッコいいなぁなんて」

 まるで無駄話が我慢なら無いというように、彼女はいきなりきびすを返してこちらに振り返った。

「鹿目まどか。貴女は自分の人生が、貴いと思う? 家族や友達を、大切にしてる?」

 あまりに真剣な、まっすぐな問いかけ。しかし、そんなことは普段の生活で、しかも初対面の人間にすることではない。

 面食らいながら、それでもまどかは同じぐらい真剣に応えた。

「え……えっと……わ、私は……。大切……だよ。家族も、友達のみんなも。大好きで、とっても大事な人達だよ」

「本当に?」

「本当だよ。嘘なわけないよ」

「そう……」

 無表情、と言うには沈痛な面持ちで彼女は口を開いた。

「もしそれが本当なら、今とは違う自分になろうだなんて、絶対に思わぶぅっ!?」

「きゃあっ!?」

 いきなりほむらが勢い良く吹き出した。

 それはもう、テレビで良く見る芸人さんのリアクションばりに、盛大に。

「やっ、ちょっ、ほむらちゃん!?」

「ご、ごめんなさいっ!」

 さっきまでのクールな感じは一気に消し飛び、自分のポケットの中から取り出したハンカチを使って飛沫の飛んだ顔を拭おうとしてくれる。

「あ、うん! 大丈夫! 自分で出来るからっ!」

「ほ、本当にごめんなさいっ、私、そのっ!」

 気が付くと、ほむらは顔を真っ赤にして唇をかみ締めていた。

 さっきまでの彼女と真逆な表情に、思わずまどかは笑ってしまっていた。

「ほ、ほむらちゃ、ふ……は、あ、あははっ、そのわたしっ、気にしてないっあははははははっ」

「か、鹿目まどかっ……さん」

 なぜか最後を敬称に切り替えると、ほむらは完璧に粉砕されてしまったさっきまでのクールさを必死にかき集め、居ずまいを正す。

「もう一度言うわ。今とは違う自分になろうだなんて、絶対に思わないこと。いいわね」

「え……それって、どういう」

「さもなければ、全てを失うことになる」

 さすがに、最後の一言にそれまでの弾けてしまった空気が冷え固まる。

 自分のペースを取り戻した彼女は、さっきと同じ無表情で告げた。

「貴女は、鹿目まどかのままでいればいい。今までどおり、これからも」

 そのまま背中を向けて歩き出した彼女を、まどかは呆然と見送るしかない。

 そして、右手に残ったレースのハンカチをじっと見つめた。

「ほむらちゃん、風邪でも引いてるのかな……」


 長い渡り廊下の端近くで、ほむらは振り返った。すでにまどかの姿は見えない。

 その代わり、自分の失態を演出してくれた忌まわしい生き物が、窓際の手すりにちょこんと座り込んでいた。

「おっす! ほむら!」

 それは小さなネズミだった。

 トビネズミのトムヤン、一週間ほど前に出会った、おとも世界からやってきたという魔法少女のおともだ。

 ただ、今は頭の部分に黒髪のかつらをつけ、お手製らしい見滝原指定の女子用制服を身に付けている。

「一体、どういうつもりなの?」

「君の様子を見に来たんだよ。転校初日だし、例のターゲットと接触するって話だったからな。

 あ、ちなみにこれは俺の独断、ユイは関係ない」

 どうやら彼の主人である香苗唯はこの件には関与していないらしい。

 ならば、責任問題は全面的にこのネズミにあるわけだ。

「そしたら、ほむらがすっごい眉間に皺を寄せて、まどかちゃんと話してただろ?

 だから緊張を解してやろうかなーと思って」

 そう言うと、彼は傍らにおいてあった横断幕を両手で持ち上げて広げた。

 そこには『笑顔が一番! むっつり顔は嫌われるぞ! イケイケほむほむ!』

 などというふざけた文章があり、ご丁寧に半眼でしかめつらしい顔をした自分の似顔絵まで描き入れてあった。

「余計な気を回さないで! 私はあの子と大切な話をしていたのよ!?」

「だからって今朝からの態度は無いだろ? あれじゃただの変な人だよ」

 どうやら教室での一部始終も見ていたらしい。

 軽く腕組みしながら、トムヤンが勝手な感想を述べる。

「そもそも、あの子とは初対面なんだろ? それをいきなりあんな目つきで見てたら絶対に怖がられるって」

「私は……っ」

「しかも、いきなり『鹿目まどか。貴女は自分の人生が、貴いと思う?』なんて、

こーんな顔で言われたって、伝わるものも伝わらないぜ?」

 自分の手で目を半眼にし、しかも自分の真似らしい声色まで使ってくる。

 なるほど、彼の格好は自分のコスプレと言うわけだ。

 その時ほむらは、堪忍袋の尾が切れる音というのを始めて聞いた。

「……言い残すことはそれだけ?」

「おい! 校舎の中で銃って! あっ、もしかして時止めですか!? マジで殺る気ですか!?」

「香苗さんには私から謝っておくわ」

 勤めて冷静に怒る自分を見て、半笑いだった彼の表情がすっと冷える。

「……ほむらっ!!」

 いきなりコスプレをかなぐり捨てると、ネズミはわざと銃口に頭を押し付けてきた。

「な、なに?」

「お前、絶対おかしいぞ!? あのまどかって子の事も、俺達にはまるで情報をくれないし、

 何でも『私一人でやる』の一点張りじゃないか!」

「彼女は、この件で最大の焦点なの。その扱いは慎重にしなければならない」

「だからって! あんなやり方じゃ彼女に警戒されるだけだ!」

 分っている。彼のいうことはいちいち最もだ。

 でも、それでは駄目なのだ。彼女に接触し親しい関係を築いてしまえば、あの誘惑者に付け入る隙を作ることになる。

 トムヤンにも唯にも、鹿目まどかがどういう存在なのかは一切打ち明けていない。

 ただ、キュウべぇが彼女のもつ資質に目をつけ、執拗に契約を迫ってくるから、それを阻止したいとだけ伝えていた。

 元々、これはきわめて個人的な思いから発したことだ。

 魔女を狩る事も、ワルプルギスを討ち果たすことも。

 結局は、最後の夜を鹿目まどかが魔法少女にならずに乗り切るという、大切な約束を守るための手段に過ぎない。

 だが、そんなことを説明してどうなる。彼らがそれを受け入れてくれるかどうかも分らないのに。

 いや、きっと彼らは受け入れるだろう。そして、喜んで協力するに違いない。

 下手をすれば死んでしまうかもしれない過酷な戦いに、本来は全く無関係な二人を巻き込む。

 そして、最大の懸念は、彼らの存在がこの先の未来にどんな影響を与えるのか分らないことだ。

 ただでさえ複雑に絡み合った因果を、これ以上混乱させればほむらでも対処しきれない。

「何度も言わせないで。あなた達の仕事は、私が調達をしている間の魔女の探索と、可能な限りの掃討。

 それからこの一件が終わるまでキュウべぇに見つからないように行動するということだけよ」

「ほむら!」

「お願いだから、聞き入れて。イレギュラーは、起こしたくないの」

 こちらの一言に、彼の表情がぐっと深くなる。銃口から顔を外し、それからあてつけるようにため息をついた。

「まるで、これから先に起こることが全部わかってるって感じだな? ほむら」

「……私は預言者じゃないわ」

「でも、ある程度見越してるんだろ」

 何も言わずに銃をしまい、彼の元を歩み去る。

 実際、彼らのおかげで本来の計画はかなり順調なのだ。

 武器の損耗は目に見えて減っているし、手に入れにくい軍用兵器のいくつかも確保することができた。

 これ以上望むのは間違っている。そもそも、自分はこのループに入るときに決めていたはずだ。

 もう誰にも頼らない、と。

「ほむら!」

 だが、彼の声はそんな思いを引き裂いた。

「俺達は、お前を助けたいんだ! それを忘れないでくれ!」

 応える気は無い、ただ唇をかみ締めて歩く。

 私の心をかき乱さないで、そう願いながら。


『ユイ。ごめん、ダメだった。あいつ、相当切羽詰ってる』

 目を閉じ、悔しそうに窓ガラスに後頭部を押し付けながら、トビネズミは教室で心配に顔を曇らせている相棒に思いを投げた。

『あいつが何か言ってくれるのを待とう。今はそれが精一杯だ』


 授業が終わり、まどかはさやかと仁美を伴って校庭を歩いていた。

 帰宅部である自分達には遠い景色である、陸上部の人たちが白いラインの引かれたトラックを走っている。

「おーおー、青春だねぇ」

「そういえば、短距離・長距離ともに県大会出場ですって」

「ふーん。やっぱりすごいんだねぇ、うちの学校」

 陸上部か、ぽつりと聞こえないように呟いてみる。でもダメだ、どん臭くて足も遅い自分にはとてもできそうもない。

 多分、あそこにいるゼッケンをつけていない補欠の子達にも簡単に負けるだろう。

 やっぱり自分は、ごく普通の中学生なんだ。そう嘆息したときだった。

「あ、あれ!?」

 鹿目まどかはその日二度目のデジャ・ビュを感じていた。

 居並ぶ女子生徒の中の、一人の後姿に視線が引きつけられる。

 栗色の髪の少女の肩に、小さな動物のようなものが乗っていた。

 モルモット、ハムスター、あるいはもっと小さな、

「まーどーかー! 早くしないとおいてっちゃうぞー!」

「ご、ごめーん! 今行くよー!」

 誰なのかはわからない。

 着ている体操服からすれば多分同じ二年生だろうが、見た事も無い子のはずだ。

 でもあの後姿は――

「夢の中で見た、ような」

「何かおっしゃいまして?」

 笑顔で問いかける仁美に首を振ると、まどかはじれったそうにしているさやかの後を追うために足を速めた。



[27333] 第二話「デートしよう!」
Name: 犬太◆93ceb70e ID:97db629a
Date: 2011/05/19 16:59
 その空間は、おおよそ人間が住んでいるとは思えないところだった。

 中空には奇妙な文字で書かれた文章や奇怪な存在の肖像などが何枚も浮かべてあり、
 床には色とりどりの半円形クッションが置かれている。

 部屋の調度らしいものはそれだけで、結局それが暁美ほむらの住む部屋の全容だった。

 身支度などは魔法で済ませているし、自分の盾の裏側に作った『裂け目』には

 理論上どんなものでも入れることができる。

 結局この部屋は前線基地であり、生活する場所などではない。

 その無機質な世界で、ほむらは何かを読んでいた。

 ノートに几帳面な文字で書かれたそれは、日付に対して注釈が書き連ねられており、何かの行動を起こす際の指標をまとめたものであることが覗えた。

 やがて文面の中にいくつもの個人名が現れてくる。

 鹿目まどか、美樹さやか、二人の項目もある。志筑仁美についての情報は極わずか、

 そこからさらに読み勧めた彼女の手が止まる。

 巴マミ。その項目を見る彼女の視線は、とても冷ややかだった。

 やがて、彼女はノートを閉じ、掌の上でそれに火を掛けた。

 魔法で点火しただけあって、一瞬ですべてが燃え尽きていく。

 灰も残さずにそれが消えてしまったのを確認すると、彼女は部屋の外へと歩き出した。

 一瞬だけ、彼女は出入り口のある場所で立ち止まり何かを決するように目を閉じる。

「私は、必ず、どんなことをしても、望みを遂げてみせる」

 それは、これから始まる困難へ立ち向かおうとする自分への、叱咤の声だった。



第二話「デートしよう!」



「いやいやいやいや、いくらなんでもそりゃ無いわ。詰め込みすぎでしょ、萌え要素」

 三人で寄ったチェーンの喫茶店で、まどかは転校生との顛末を話して聞かせた。

 その結果さやかから帰ってきた反応がこれだった。

「文武両道で才色兼備かと思いきや実はサイコな電波さん。

 と思ったらいきなり噴き出して、頬染めて恥ずかしがるぅ? 

 設定作りすぎてキャラが死ぬレベルでしょ、それ」

「あ、あははは」

 確かに、彼女の存在は謎がてんこ盛りだ。

 真面目な話をしたかと思えばいきなり噴き出すなんて、別な意味で近寄りがたい存在な気がする。

 困惑しているまどかに、今度は仁美が問いかけてきた。

「まどかさん。本当に暁美さんとは初対面ですの?」

「うん……常識的には、そうなんだけど」

「何それ? 非常識なところで心当たりがあると?」

「あのね……昨夜あの子と夢の中で会った……ような……」

 おずおずと打ち明けたまどかの言葉に二人はぎょっとした表情になり、

 さやかは大あわてになって身を乗り出してきた。

「だ、だめだよまどか! 確かに出会いも衝撃的、その上夢で見た仲とあったら運命感じちゃうかもしれないけど! 

 ああいうのに反応しちゃ駄目っ!」

「へ? あ、あの、さやか、ちゃん?」

「あれはねっ、きっと、そう! 重度のオタクって奴だよ!」

 いきなり力説を始めた友人に呆けた二人に、彼女は思いっきり主張をかました。

「あの子、多分前の学校で友達いなくて、それを心配した両親の勧めで転校してきたんだよ!」

「ど、どういう根拠で、そんな結論に至るんですの?」

「そりゃあんた、まどかに仕掛けたサイコな会話でもろバレだよ! 見た目は美少女、中身は空想と現実の区別がつかない超オタク! 

 んで転校初日にまどかに目をつけた!」

 びしっ、と指を突きつけられ、思わずたじろぐまどかに追い討ちを掛けるべく、

意地悪な笑みを浮かべたさやかが迫る。

「ああ、この子は私と運命の絆で結ばれた少女だー。きっとそうに違いないーってさぁ」

「ちょ、ちょっと、さやかちゃーん」

「でもそれ、かなり無理があると思いますわ」

「なんでよー」

「空想と現実の区別のつかない方が、自分の発言を恥ずかしがって噴き出すなんて、あるんでしょうか?」

 自分の説を真っ当な意見で否定され、露骨に『ちぇー』という顔をしたさやかは、興奮を鎮めると席に腰を落ち着けた。

「とりあえずまどか、ああいうおかしな子には絶対に関わっちゃ駄目だよ?

 あんた変に優しいところあるから。付き合ってバカみたらつまんないし」

「で、でも……」

「とりあえず、少し距離と時間を置くという意見であれば、私も賛成ですわ。まだお会いしたばかりですもの。

暁美さんの人となりを存じ上げてからでも、答えを出すのは遅くありませんし」

 さやかの意見は置くとしても、仁美の助言はかなり的を射たものだろう。

 彼女が何を考えているのかは正直興味があったし、時間を掛ければいい友達になれそうな気もする。

 ただ、オタク趣味に走るつもりはさらさら無いが。

「いたんだよねーうちの親戚に。やばいぐらいのが。親戚の集まりに妙な服装で来ちゃって。

『これが世界の選択か』とかいきなり口走られたときは、さすがに引いたわー」

「へ、へぇー」

「あら……申し訳ありません、まどかさん、さやかさん。わたくし、そろそろ」

 時計を確かめ、鮮やかな一礼をして立ち上がった仁美に、親友はご苦労様といった感じで声を掛ける。

「今日はピアノ? 日本舞踊?」

「お茶のお稽古ですの。もうすぐ受験だっていうのに、いつまで続けさせられるのか」

「あーあ、小市民に生まれて良かったわ」

 軽い揶揄を込めた一言を、まどかは別な気持ちで受け止めていた。

(私が仁美ちゃんの家に生まれてたら、どんなだったろうな)

 もちろん、今の家族は大好きで大切だ。お母さんもお父さんもタツヤのことも。

 でも、もし自分がお嬢様として生まれていたら、この漠然としたコンプレックスを感じることがあっただろうか。

「じゃ、私たちもいこっか」

「あ、まどか、帰りにCD屋に寄ってもいい?」

「いいよ。また上条君の?」

 いつものような会話を繰り広げながらも、まどかの心はどこか上の空だった。

 それはきっと、あの転校生の言葉のせいだ。

『もしそれが本当なら、今とは違う自分になろうだなんて、絶対に思わぶぅっ!?』

「ぷっ……」

 いきなり肩を震わせて思い出し笑いをこらえるまどかの隣で、さやかが不思議そうにこちらを見つめていた。

 薄暗い路地を走りぬけながら、暁美ほむらは自分の鼻がむずむすとするのを止められなかった。

その違和感は無性に彼女を苛立たせ、目の前にいる生き物を捻り殺したい衝動を覚えさせる。

 その生き物は白く、ぱっと見には猫に近いフォルムを持っていた。

 しかし、両耳の穴にあたる部分から房をたらし、その先端に近い部分に輪状の飾りをつけている点で、

 すでに地球上の生物ではないことが分る。

 インキュベーター、通称キュウべぇを彼女は追っていく。

 抜き放った拳銃の一撃をわざと体を掠めるように打ち込み、

 いかにも仕留めそこなったという雰囲気を演出していく。

 だが、決して仕留めはしない。

 なぜならこれは、あの誘惑者をまどかの元まで導くのが目的なのだから。

 暁美ほむら、一人の少女の願いを受け、彼女が魔法少女として契約しないように行動するもの。

 そして、それを完成させるべく歴史を繰り返す時の反逆者。

 友人を死から救うために巻き戻した二度目の世界で、彼女は鹿目まどかから願いを託された。

『自分がキュウべぇと愚かな契約を結ばないようにして欲しい』と。

 その彼女が一番初めに行ったのが、キュウべぇを根絶するという行動だった。

 だが、その行動はあっさりと失敗に終わる。

 なぜならアレは無数にいる端末の一つであり、一つを破壊しても次がすぐに現れるからだ。

 結局、キュウべぇを殺すのに腐心している間に別のキュウべぇがまどかに接触して、

ほむらのあずかり知らないところで契約が結ばれてしまう。

 ならば、彼女は発想を逆転させた。わざと接触させ、行動を絞り込めばいいのだ。

 その試みはかなりうまく行ったと言える。

 キュウべぇをまどかの周囲に存在させることにより、その先に起こる未来が予測しやすくなった。

 そう、すでに青写真はできているのだ。

 その未来を思うと、照星がキュウべぇの体を打ち抜くポイントに向きそうになる。

 それを必死に威嚇に押しとどめて、ひたすらに撃つ。

(私はためらわない。ためらったりなどしない!)

 そんなほむらの胸の内も知らず、傷ついたインキュベーターは思惑通りの行動を取り始めた。

『助けて! まどか!』

 始めはCDに何か変な音声でも入っているのかと思った。だが、自分を呼ぶ声は次第に大きくなる。

『僕を、助けて』

 声に導かれるように、まどかはショッピングモールの中をふらふらと歩き始めた。

 子供のような少女のようなその呼び声はモールの奥まった場所、人気の無いエリアから発されているように思えた。

 声の主を求め、改装途中のブースに入り込むと、辺りの様子を覗いながら進む。

「どこにいるの? あなたは、だれ?」

『助けて……っ』

 その問いかけに応えるように、内装がむき出しになった天井から何かが転がり落ちてきた。

 息も絶え絶えになった白い生き物、全身傷だらけでひどく衰弱しているようだ。

「あなたなの!?」

「助けて……」

 呼びかけに応えて生き物がか細い声を上げる。喋ったという事実を、まどかは気にしなかった。

 というよりも、その次に起こった出来事が、疑問を払拭してしまったからだ。

「そいつから離れて」

 目の前に立つ少女、夢で見たのとそっくりの服装になった暁美ほむらが冷たい声音で語りかけてくる。

 その射る様な視線に必死で抵抗しながら、まどかは胸の生き物を抱きしめた。

「だ、だって、この子、怪我してる」

 荒い息で窮状を訴えてくる小動物を抱えて、何とか相手の気持ちを変えさせるべく言葉を継いだ。

「ダ、ダメだよ、ひどいことしないで」

「貴女には関係無い」

「だってこの子、私を呼んでた。聞こえたんだもん、助けてって」

「そう」

 彼女は、まるで何かを見極めるように自分と、腕の中の生き物を見つめていた。

 その瞳に宿るのは、怒りや憎しみでもなければ、目の前の生き物に対する殺意でも無い。

 その意思を読み取ろうとして、まどかは相手の顔をじっと見つめようとした。

 唐突に横合いから白い煙が噴出し、暁美ほむらの姿を覆いつくす。

「まどか、こっち!」

「さやかちゃん!」

 さやかは白煙の元になった消火器を投げ捨て、先に立って走り出す。

 一体どういうことなの、何が起こってるの。

 そう心の中で何度も問いかけながら、それでも必死に出口のあるほうへと走り出していた。

 周囲に噴霧されていた消化剤を吹き払い、ほむらは彼女達が去っていった方角を見つめていた。

 これで計画はまた一歩進んだ。あとはこの後――

 そう考えていた彼女の周囲で異様な気配が盛り上がる。輪を形成しながら飛ぶ蝶のイメージが、世界を改変し始める。

 全ては予定通り、そう考えた矢先だった。

『ほむら、聞こえるか!?』

 トムヤンの声が頭の中に響き渡る。どうやら、彼もここに発生した結界に気が付いたらしい。

 タイミングの悪い闖入者に臍をかみしめた。

「こんな時に……」

『おい、聞いてるのかほむら!』

「聞こえているわ。大丈夫、魔女の結界なら私がすぐ側で捕捉しているわ」

『さっすが、仕事が速いな。じゃあ、俺たちも援護に』

 必要どころか不必要でしかない提案を、それでもやんわりと丁重に断ろうとする。

「安心して。これは小物よ。あなた達の力を借りるほどでは無いわ」 

『暁美さん!』

 その声に、一瞬心がひるんだ。あの日以来、なるべく耳に入れたくないと思っていた人の声が届く。

『あのね、私……』

「大丈夫よ、香苗さん。心配しないで」

『そうじゃないの! この次の日曜日、私と会って!』

 彼女の真意を掴みそこね、ほむらは問いかけた。

「日曜日、何かあるの?」

『あのね……』

『俺達とデートしよう!』

 わけが分らない発言に、ほむらはぽかんと口を開けた。

 丁度その頃、鹿目まどかは先輩の魔法少女、巴マミと運命の出会いを果たしていたのだが、

 彼女がそこにたどり着くのはほんの少し後のことになる。



[27333] 第三話「秘密って、なんだろうね」
Name: 犬太◆93ceb70e ID:97db629a
Date: 2011/05/19 17:06
「オレンジペコーって、何を表す言葉だか知っている?」

 台所に立ってヤカンを火に掛けながら、マミが語りかけてくる。

 リビング越しに彼女が支度をする姿を見つめながらほむらは首をかしげた。

 動きに合わせて桃割れに結われたお下げが揺れる。

「その……分りません」

「鹿目さんは?」
「え、えっと! ほむらちゃんに分らないこと、私が知ってると思います?」

 フォローなのか買いかぶりなのか、照れ笑いしながら自分を持ち上げてくれる

 まどかを横目で見て、頬が熱くなってくる。

「ペコーというのはね、中国の言葉で白い毛を意味する言葉なの。

 お茶の葉っていうのは枝の先端にある若芽の部分を摘むんだけど、その若芽に

 生えている産毛のことをそう言うのよ」

「じゃあ、オレンジっていうのは?」

「若いお茶の葉っぱって、緑というより黄色味がかった色をしているのよ。

 見方によってはオレンジ色に見えるようなね」

「それで、オレンジペコー、ですか」

 ガスが勢い良く火を上げ始め、その傍らでマミの手がティーポットに茶葉を掬いいれて行く。

 ティーバッグを使わない本格的な紅茶というものを、ほむらはマミの家に来て始めてご馳走になった。

 まどかは茶請けに出されたケーキの方を美味しいといっていたが、ほむらは彼女の淹れてくれるお茶が気に入っていた。

 一人暮らしであり、割と自分の自由になるお金があるせいか、マミはかなりお茶の

贅沢な楽しみ方をしている。

 こうして自分達に出してくれるリーフティも、その大半が聞いた事も無い銘柄や

 海外の有名茶園のものであり、味も香りもその都度に違っていた。

「あ、今日はウサギさんですね!」

「ええ。鹿目さんお気入りのね」

「やったー! ほむらちゃん、うさぎさんだよ!」

 子供のように、というより子供そのものと言ってもいい満面の笑み。

 うさぎさんと言うのは、マミがティーポットにかぶせた特製の茶帽子のこと。

 フェルト生地で作られたうさぎ型のものだ。

 手触りがいい上に、ポットの熱が伝わって行くとうさぎ自体がほかほかと暖かくなり、
本物を触ったような感触になる。初めてそれを使ったとき、まどかのテンションは

うなぎのぼりだった。

 今日もまどかはニコニコしながら、テーブルの上に置かれたうさぎを撫でている。

「ほら、ほむらちゃんも触って触って!」

「う、うん」

 少し恥ずかしい思いをしながら、それでもまどかと一緒にうさぎの茶帽子に触れる。

 それと一緒に自分の指が彼女の指と重なり合った。

「あったかい……」

「うん。あったかいねぇ」

 誤解された言葉は、あえて訂正しなかった。

 そのまま二つの暖かさをじっくりと、目を閉じて味わう。

「ほらほら二人とも、そろそろお茶を淹れるから、手をどかして」

「す、すみませんっ」

「マミさーん、もうちょっとだけー」

 粘るまどかの手を優しく取ってポットからどける。

 その様子を見ていたほむらは、わざと手の動きを遅くした。

「はい、暁美さんも」

「ごめんなさい……」

 自分に触れてくる先輩の優しい手触りを感じながら、ほむらは三つ目の暖かさを

 そっと心の中に刻み付ける。

 それは遠い記憶。暗い未来に落ちる前に見た、幻の温もり。


第三話「秘密って、なんだろうね」


『日曜日、何かあるの?』

 姿こそ見えないが、ほむらから届く声は不機嫌さを滲ませていた。

 少しためらいながら唯はもう一度自分の気持ちを飛ばそうとする。

「あのね……」

『俺達とデートしよう!』

 トムヤンの唐突な提案にほむらが、それを聞いていた唯自身も言葉を失う。

『で、デートって、一体どういうつもり?』

『そのまんまだよ。俺とユイと、ほむらとでさ』

「と、トムヤン君!?」

『……付き合っていられないわ。今、魔女を追うところだから、また後にして』

 今度ははっきりとした決別。

 何度こちらから声を飛ばしても、向こうは取り合ってくれることがなくなってしまった。

「とーむやーんくーん?」

「あ、いや、あははは」

 肩の上で取り繕うように笑うと、トムヤンはそっと肩をすくめた。

「ほむらの気持ちをつなぎとめるには、あのくらいインパクトがあったほうがいいかなって思ってさ」

「だからって、デートは無いでしょ?」

「でも、普通に『一緒に遊ぼう』なって言ったら、いきなり却下されるだけだしな」

「それはそうだけど……」

 今日の昼にトムヤンからほむらの行動を聞かされて以来、唯はどうしても彼女から

 直接話が聞きたいと思っていた。

 自分から鹿目まどかという子と険悪なムードを作り、全く事情を説明しないままにするという態度。

 まるで、自分が嫌われるのを前提にしているようだったという。

 それに、唯自身もまどかという子と接触する事も禁止されてしまい、今回の一件では

 全く蚊帳の外にされてしまっている。

「もしかして私、暁美さんに嫌われちゃったのかな」

「ゆ、ユイ?」

「あの時、私があんなこと言ったから」

 友達になろう、唯は彼女にそう言った。そしてほむらも自分の手を握り返してくれたはずだ。

 しかし、その時以来ほむらは自分と距離を置くようになり、時々魔女との戦った話をするだけになってしまっていた。

「それは全然関係ないと思うよ。あいつは多分、俺達を関わらせたくないんだと思う」

「まどかちゃんとキュウべぇに?」

「むしろ、まどかって子に、俺達が関わられると困るって感じだな」

 その気遣いには覚えがあった。初めてあった頃のトムヤンの態度とそっくりだ。

 そのことを指摘してやると、トムヤンは決まりが悪そうに頭をかいた。

「じゃあ、暁美さんも、私達に打ち明けられない秘密があるってことなんだね」

「だろうなぁ。でなきゃもっと積極的に俺達に協力を要求するはずだ」

「トムヤン君と私で、キュウべぇっていう子を捕まえて終わりだったらいいのにね」

「本当にそうだったらいいのになぁ」

 そう言ってトビネズミは憂鬱そうに顔をしかめた。

 トムヤンはおとも世界の約束事を無視して自分を助けに来た。

 その結果、彼自身もキュウべぇと同じ『犯罪者』になってしまっている。

 正当な権利が無い存在であるために変身用のアイテムは自作だし、

 なによりインキュベーターに対する直接的な対応策を何一つもっていないのだ。

 活動範囲が広く、数も無数にいる敵を捕縛しようとしても、一匹に関わっている

 間に他の全個体が別の世界へ逃げられてしまっては目も当てられない。

 インキュベーターが居なくなったとしても、魔女や魔女の雛形として作られた魔法少女もそのまま残されるし、

 逃げられた先で被害が増えればそれもまた地獄だ。

 そこで、彼はキュウべぇに見つからないようにしながら魔女を狩り、

 自分の活動していることをおとも世界が気が付くのを待つことに決めたらしい。

 他の世界でも奴らに対する対応が始まっているだろう。

 その方法があれば自分が無策で動くよりは良い結果になるに違いない。

 そういう考えで行動するトムヤンに唯も、そしてほむらも納得していたはずだった。

「暁美さんの秘密って、なんだろうね」

「秘密って言うより、願いなんじゃないかなぁ」

「願い?」

「願い、望み、目標、なんでもいいけど、叶えたい何かがあるんだと思う」

「それがまどかちゃんていう子と関係があるの?」

 気が付けば、辺りは暗くなっていた。

 部活が終わった帰りにトムヤンが魔女の気配を感じ、それから今いる公園のベンチで

 座りながら状況を整理していたのだ。

 そろそろ帰ろう、そう促しながらトムヤンは質問の答えを口にした。

「多分、まどかって子を契約させないってのが、それなんだと思う」

「じゃあ、私達と一緒に行動して、キュウべぇから守るようにすればいいのに」

「それが出来ない理由があるんだろうな」

「理由って?」

「それが分らないから困ってるんだろ」

 結局は堂々巡り、疑問は振り出しに戻ってしまう。唯はため息をつくほか無かった。

「なにか、暁美さんにして上げられることってないのかな」

「魔女を狩る以外に?」

「うん」

 腕組みをしながら唸るトムヤンは、考えをまとめ終わるとニヤリと笑った。

「やっぱりデートだろ!」

「だからー! どうしてそうなるの!」

「ほむらをひきつけるのにはインパクトがだなー」

 軽口を叩くトムヤンを指で突っつくと、唯は帰りの道を少し軽くなった気分と足取りでたどっていった。


 焦る気持ちを抑え、ほむらは魔女の結界が展開されていた場所へと向かっていた。

 余計なことに時間を取られた、なぜ彼女はあんなことを。

 いや、おそらくはあのおともの独断だろう。

(お願いだから余計なことを考えさせないで)

 ハプニングで混乱する頭をなんとか平静に保ち、ソウルジェムの反応にしたがって目的地を目指す。

 走っていった先で、ほむらは足下のフロアで固まって立つ少女達の前に出た。

 目の前に立つ黄色の衣装に身を包んだ魔法少女、巴マミがこちらを見上げて笑う。

「魔女は逃げたわ。仕留めたいならすぐに追いかけなさい。……今回はあなたに譲ってあげる」

 優しげな口調とは裏腹に、その言葉には棘があった。

 瞳に浮かぶのはかすかな蔑みと敵意。

「私が用があるのは……」

「飲み込みが悪いのね。見逃してあげるって言ってるの」

 今度はあからさまな挑発、その言葉の裏にあるのはおそらく『友達』を傷つけられたという感情だ。

「お互い、余計なトラブルとは無縁でいたいと思わない?」

 ほむらは、その場の全ての人間の視線が自分に突き刺さってくるのを感じた。

 美樹さやかは不安と警戒心、巴マミが浮かべるのはあからさまな敵意、

 そしてまどかの瞳にある悲しみと戸惑い。

 それ以上何も口にすることが出来ず、ほむらは彼女達に背を向ける。

 こうなることは分っていたはずだ。それでいいと思っていたはずだ。

 それでも、喉からこみ上げそうになる叫びを押しとどめて闇の中に歩み去る。

 この後、まどかたちはキュウべぇに勧誘されるだろう、魔法少女になるようにと。

 今は問題ない。彼女達の傍らには巴マミが居るからだ。

 だが、彼女が居なくなったら?

「……」

 それ以上思考するのをやめて、ほむらは進む。

 まだ時間はある、可能性も。

 広いモールの闇の中を、ほむらは出口を求めて歩いていく。



[27333] 第四話「ゴメンな、マミさん」
Name: 犬太◆93ceb70e ID:97db629a
Date: 2011/05/20 19:41
 人気の無い夜の公園で、ほむらは隣に座るマミに胸の内を明かした。

「私、やっぱり足を引っ張ってるんでしょうか」

 そんな言葉が漏れてしまうのは、さやかとの言い争いのせいだ。
 良かれと思って報告したキュウべぇのたくらみを真っ向から否定された上、

 痛烈な一言を喰らっていた。

『私この子とチーム組むの反対だわ』

 魔法少女としては、攻撃力のほとんど無い自分。

 それを補うためにネットや高校生の化学の教科書、マニアックな文献などを調べて作った高性能爆弾は、

 確かに魔女と戦うのには有効だった。

 だが、

『まどかやマミさんは飛び道具だから平気だろうけど、いきなり目の前で爆発とか、ちょっと勘弁して欲しいんだよね。

 何度巻き込まれそうになった事か』

 さやかと言う前衛が入ったことで連携が崩れ始めている。

 なにより、さやかとほむらの仲は、なぜか向こうの妙な敵意によって悪くなったままだ。

「美樹さん、私のこと、ずっと嫌ってるみたいだし……」

「最初に言っておくけど、私はあなたが足手まといと思ったことなんて無いわ」

 ぼそぼそと小声で話すしかない自分に、マミはそっと肩を抱くようにして言葉を掛けてくれる。

「鹿目さんがいて、あなたが居て、私はずいぶん助けられてるの。

 ほら、覚えてる? あのお菓子の魔女と戦ったときのこと」

 それは、恐ろしい記憶。

 病院で発現した魔女の結界、その中でマミは魔女をしとめそこね危うく命を散らすところだった。

 彼女の目前に迫る魔女のあぎとを、ほむらの時間停止とまどかの弓の連携が寸でのところで阻止したことは、今でも忘れていない。

「私ね、あの時とても怖かったの」

「マミさんが……怖い?」

「ええ。あの事故で死にそうになったとき以来。

 ううん、もしかすると一度死を経験しているからこそ、余計に怖かったかも」

 照れた笑顔でほむらを覗き込む。

 距離が近いせいか、彼女の体からはかすかに紅茶の香りが漂ってくるように思えた。

「でも、私は二人のおかげで助かった。あなた達が居たから私は生きているの。

 その恩人で、大切なお友達を足手まといだなんて思わないわ」

「わ、私は……」

「自信を持って、暁美さん。

 あなたはとってもがんばり屋で、誰かのことを思いやれる優しい子よ。

 だから、美樹さんの言葉も真剣に受け取ってしまうのよね」

 なぜかそこでマミは肩をすくめ、それから立ち上がって空を見上げる。

 浮かぶのは夜空に浮かぶ十三夜の銀月。

「美樹さんの言葉はね、半分だけ聞いておくといいわ」

「は、半分、ですか?」

「そう。確かに、時間停止と爆弾は危険な技だけど、あらかじめ打ち合わせておけば済むことよ」

「でも、美樹さんは……」

「彼女はね、あなたにやきもちを焼いているのよ」

 意外な一言に驚くしかない自分へ、全てを見透かしたような優しい笑顔でマミは頷く。

「ずっと仲良しだった鹿目さんに、自分が知らない秘密がある。

 しかも、それを共有しているのがこのまえ転校してきたばかりの女の子でしょ?

 のけ者にされたって、怒っているのよ」

「そ、そうなんですか?」

「実はね、この前そのことで美樹さんに相談されたの」

 そう言いながら、おかしくてたまらないと言うように、彼女は片手で口を押さえて言葉を継いだ。

「『あたし、こんなことで嫉妬するとか、ホントバカだと思うんだけど。

 でも、どうしてもまどかがあいつと仲良くしてると、つい』ですって」

「そ、そんな……」

「鹿目さんを間に挟んで三角関係勃発ね」

「ま、マミさんー」

 そう言ってからかう彼女は表情を幾分か真面目なものに改めた。

「もちろん、新しい攻撃の方法は探すべきだわ。

 美樹さんは直感で動くタイプだから、いくら打ち合わせをしていても間違いが起こる可能性もある。

 だから、もう半分は本気で受け止めておいてね」

「はい」

 優しさと厳しさを併せ持つ魔法少女の先輩。この人となら、この人とまどかとならどこまでも行ける。

 例え、キュゥべぇがなにをたくらんでいても。

 ほむらはそう確信し、屈託無い笑顔を返した。

「ありがとうございます、マミさん」


第四話「ゴメンな、マミさん」


 青い空を見上げながら、トムヤンは考えていた。

 このところ、どうにも煮え切らない日が続いていると。

 理由は二つある。

 一つは暁美ほむらの態度であり、彼女があまりにも秘密主義に過ぎるところだ。

 折角唯とのコンビネーションが確立されつつあり、魔女との戦いと言う点においては相当の負担軽減になっているはずなのに、

 結局彼女は一番の秘密を明かさず一人で行動している。

 おともの自分が気に食わないと言うのもあるだろう。

 唯が無関係な一般人であった事もあるのかもしれない。

「でもなー、そういうのとは違う気がするんだよなー」

 ぼやきながら、トビネズミは縮こまりがちだった体をすっと伸ばす。

 現在居る場所は見滝原中学校から少し離れたところにある住宅街、その一軒を囲う塀の上だ。

 風に長いひげを揺らし、目を閉じる。そして意識を世界へと溶かし始めた。

 途端に周囲から大量の情報が流れ込んでくる。

 それは大小さまざまな人間や動物の生命が放つもの。

 音や臭い、息づかいや足音、衣擦れなどが作り出す巨大な潮騒だった。

 意識の拡大と、それを利用した検索能力。

 体も小さく戦闘能力もわずかしか持たないトビネズミ型のおともが、真っ先に磨いたのがこれだった。

 今のトムヤンにとっては脇を通り過ぎる人間の心臓の音も、三千メートル上空を飛行する飛行機のエンジン音も同様の精度で聞き分けることが可能だ。

 おとも学校での成績は常にトップで、疲労や効率を考えなければ半径五十キロぐらいをサーチする事もできた。

 現在は自分を中心に十キロぐらいに限定し、その中で反応する魔力のみに注意してサーチを行っている。

(この反応は……ああ、使い魔だな。数は二、いや三か。そこから西に二キロのところに一匹。

 さすがに、魔女はいないか)

 魔女の性質にもよるが、相手は大抵夜に活動するのが常だ。

 人の性質は正午を過ぎる辺りから『陽』から『陰』へと傾くと言われる。

 そうした人の心に反応して、魔女たちも活性化する。

 もちろん使い魔たちもその性質に従い、昼間に活動することはほとんど無い。

 トムヤンはそうした昼間の休眠位置を探査することで、敵の行動半径を割り出していた。

 唯が学校に行っている間、トムヤンが魔女や使い魔の潜伏位置を大まかに探査。

 その後現地周辺を歩きながら調べつつ、重ねて探査を行う。

 こうした広範囲かつ二重の捜索行動により、唯とトムヤンが魔女を発見・撃破する率は一日1.2体という高アベレージを誇っていた。

 その効率のよさにほむらですら、どこまで体を酷使したのかと唯の体を心配したぐらいだ。

「ま、こんなとこかな」

 チェックを終了させ、どこからともなくピスタチオを取り出して齧る。

 唯ががんばったせいか、見滝原での魔女の活動は控えめになっていた。

 ほむらからも、あまりキュウべぇや、他の魔法少女が不審に思うような狩り方はしないよう釘を刺されるほどに。

 そう、そのがんばりの結果と言うのが、トムヤンが煮え切らないと感じていることのもう一つだった。

 おとも世界からの反応がない。普通なら、違法に活動している自分を放っておく事など無いはずだ。

 向こうを出てからすでに一月近く経っている現状で、一切干渉が無いことなどありえないはずだ。

 だが、その理由についてはトムヤンもある程度納得している部分がある。

 自分が正式なおともで無いためだ。

 通常、正式なおともは各世界に赴き、自分の活躍をリンカーへと送信する権利を獲得する。

 このことによりおともは逐次行動の監視を受けると同時に、その活躍を広く知ってもらうことができる。

 逆に、違反者に関してはおとも世界の違反管理者が各世界のサーチを行い、違法な行動に目を光らせている。

 もちろん見逃しもあるかもしれないが、時間が経てば立つほど発見される率は高くなるはずだった。

「ということは、思う以上に今回の事件がやばいってことなのか?」

 インキュベーターの対策に苦慮しているのか、それとも他の魔法少女の活動にまぎれてしまっている可能性もある。

「確かめようにも帰れないしなぁ」

 正式な資格者には双方向の移動手段が与えられるが、違反者である自分は戻る術どころか連絡を取る事もままなら無いのだ。

 何も持たずにやってきた自分の無計画さにあきれ返るが、今更無いものをねだっても仕方が無い。

「やっぱあれか、ワルプルギスって奴でも倒さないと無理か」

 ほむらの話ではあと一月後くらいにやってくると言う魔女の首魁。

 ただ強力であるという以外は何一つ分らない存在だ。

 そんな相手と唯が戦う羽目になるかもしれないと思うと気分が沈んでくる。

「これが、おともの悩みって奴なんだよなぁ」

 アニメや漫画ではあまり描かれることは無いが、おともたちは自分達の存在にストレスを感じることが多い。

 その原因は、自分達が守るべき主人を、結局は危険な場所に追いやってしまうというジレンマだ。

 実際、一つの任務を完了したおともの中には長期の休暇を申請するものも多い。

 そのおとも達が選ぶ休暇先のトップが、一緒に過ごした少女達の下であるというのが

 おともという存在の業の深さを感じさせるのだが。

「……帰るか」

 沈みがちな気分を打ち切って見滝原への道をたどっていく。

 唯はまだ部活中だっけな、そんなことをぼんやりと考えつつ、校門に差し掛かったときだった。

「んで、今日はどの辺りに行くんすか、マミさん」

「そうね……」

 校舎の方から誰かがやってくる。帰宅途中の見滝原の生徒、そこまではいい。

「あれ……鹿目まどか、だよな」

 三人の少女達のうち一人は鹿目まどか本人だ。

 その傍らを歩くのは、その友達のさやかとかいう女の子。

 最後の一人は見たことが無いが雰囲気からして上級生だろう。

 そして、その足元にいるのは――

「キュゥべぇ……っ」

 全身の毛という毛がぶわっと逆立つ。

 今すぐ飛び出していってその首根っこに思い切り噛み付きたい。自分の中にある感情をすべてぶちまけてやりたかった。

 だが、今は駄目だ。

 素早く冷静さを呼び覚まし、手近な木の枝に身を隠す。

 同時に気配と魔力の発散を限界まで抑えて背景の一部になりきる。

「ところで美樹さん、相変わらずそのバットなのね」

「えへへ。段々こう、手に馴染んできたっていうかー、持ってると安心できる感じで」

「美樹さんが魔法少女になったら、武器は金属バットで決まりね」

「ええー!? なんでー!? そんなんかっこ悪いよー」

 トムヤンは一瞬耳を疑った。魔法少女になったら、だって?

「魔法少女が持つ武器というのは、本人のイメージ力や個人的な資質や経験に合ったものが発生するんだ。

 さやかの場合、確かに金属バットが武器になる可能性もありえるね」

「魔法のバットで魔女と戦う魔法少女、斬新でいいじゃない」

「マジカルホームラーン、って感じかな?」

「まどかまでー。あたしそんなの絶対ヤだからね!」

 和やかに談笑する一団にトムヤンの頭は混乱していた。

(魔法のバットって! そいつと契約したら人生やり直すどころか魔女になって人生スリーアウトだよ! 

 っていうかなんで鹿目まどかとあいつが一緒に居るんだよ!)

 傍らに居る先輩はマミといい、すでにキュゥべぇと契約して魔法少女になっているらしい。

 落ち着いた雰囲気や面倒見のよさから、悪い人間ではなさそうだと判断できる。

 だが、ほむらの話にはマミと言う少女の事も、さやかが目を付けられているということも一切聞かされていない。

(しょうがない。ちょっと調べてみるか)

 意を決すると、トムヤンは慎重に気配を消しながら、三人と忌々しい一匹の後を静かに付け始めた。


「ティロ・フィナーレ!」

 その叫びに応じて巨大な大砲が出現、目の前の使い魔を一撃で粉砕する。

 同時に展開していた結界が霧散して、平穏な夜の公園へと戻っていった。

 トムヤンの見立てでは、彼女の能力はかなり高いものだと感じられた。

 ここに来るまでにも使い魔を数体、易々と倒している。

 魔法で作り出したマスケット銃を使って戦う様はまさしく狩人そのものだ。

「いやー、やっぱマミさんってカッコイイねえ!」

「もう、見世物じゃないのよ。危ないことしてるって意識は、忘れないでいてほしいわ」

 物陰から出てきたさやかの軽口を厳しくたしなめる一言。

 細やかな心配りも忘れない姿は淑女そのものだ。

 優しくて強い、理想的な魔法少女。

(こんな子があいつと契約してるなんて……)
 そう思うと、視界に写る白い害獣が一層憎らしい。

 怒りで奴を殺せたら、いっそのこと死神界からノートでも借りてこようか。

 そんな悶々としたおともが見ている前で、まどかが疑問を口にする。

「あ、グリーフシード、落とさなかったね」

「今のは魔女から分裂した使い魔でしか無いからね。グリーフシードは持ってないよ」

「魔女じゃなかったんだ」

「何か、ここんとこずっとハズレだよね」

 何気ない一言に、思わず心臓の鼓動が早まる。

 この公園辺りは三日前ぐらいに唯とトムヤンが掃討を終了させていた。

 というか、今日彼女達が探索したエリア全てが自分達の行動半径と被っていたりする。

 つまり、彼女達のパトロールを空振りさせているのは自分たちなのだ。

「使い魔だって放っておけないのよ。成長すれば分裂元と同じ魔女になるから」

 落胆した二人を宥める彼女に、トムヤンは頭を下げた。

「ゴメンな、マミさん」

 半日彼女達を追っていて分ったことは、マミが人々の安全を守るために戦っている魔法少女であること。

 そして、キュゥべぇに目を付けられた彼女達の相談役になっているということだ。

 そんな彼女が、何気ない調子で二人に問いかける。

「二人とも何か願いごとは見つかった?」

「んー…まどかは?」

「う~ん…」

「まあ、そういうものよね。いざ考えろって言われたら」

 あくまでマミの態度は魔法少女を肯定するものだ。

 キュゥべぇの、インキュベーターの正体を知らない立場としては、
 願い事と魔法少女としての活動という『対価』がつりあっていると考えているのだろう。

 今すぐ飛び出していって洗いざらいぶちまけたい。

 でも、全く無関係な自分が言ったところで信じてもらえるかどうか。

 そもそもネズミが彼女達の目の前に飛び出していったらどうなるか。

(さやかって子の金属バットで、撲殺されかけるのがオチだろうなぁ)

「マミさんはどんな願いごとをしたんですか?」

 何気ないまどかの一言に、突然マミの空気が重くなる。

 雰囲気に飲まれて二人の距離が自然と先輩から離れてしまっていた。

「いや、あの、どうしても聞きたいってわけじゃなくて」

 なんとかごまかそうとした彼女に、マミは淡々と答えを返した。

「私の場合は……考えている余裕さえなかったってだけ」

 彼女の魔法少女になったきっかけ、それは自分の生命の危機。

 大規模な交通事故に巻きこまれて両親は即死、自分も救助隊の到着を待たずに死ぬかもしれない。

 そんな状況にアレが現れたのだ。 

「後悔しているわけじゃないのよ。今の生き方も、あそこで死んじゃうよりはよほどよかったと思ってる」

 重い過去を聞いてうろたえる後輩達に、先輩は笑顔で気にするなと示した。

「でもね。ちゃんと選択の余地のある子には、キチンと考えたうえで決めてほしいの。

 私にできなかったことだからこそ、ね」

 トムヤンは深くため息をついていた。マミという少女の、強さと思いやりのある優しさに。

 そして、その場面に居たキュゥべぇのことを思い、怒りとやるせなさから近くの小枝を二・三本ばりばりと食いちぎった。

 結局あいつは、死地にいる少女に選択の余地など無い選択を迫った詐欺師に過ぎない。

 だが、その詐欺師の行為は一人の少女を一時的にだが救っている。

 ああ畜生。だからこそ許せないんだ、お前が。

 気が付くと自分と彼女達の距離がだいぶ離れてしまっていた。

 大急ぎかつ慎重に近づくと、どうやら別の話題が終わったところらしい。

「……そうだね。私の考えが甘かった。ゴメン」

「やっぱり、難しい事柄よね。焦って決めるべきではないわ」

 多分また軽口でも叩いて叱られたんだろう、しょげ返った彼女をマミが優しくフォローしていた。

 そんないい感じの雰囲気に余計な奴が割り込んでくる。

「僕としては、早ければ早い程いいんだけど」

(うっせ! テメェの都合なんか知ったことじゃねー! 失せろ害獣!)

 そんなトムヤンの言葉が聞こえたわけでもないだろうが、

 マミが悪戯っぽく笑いながら奴の発言を優しく咎めた。

「ダメよ。女の子を急かす男子は嫌われるぞ」

(ナイス突っ込みっすよマミさん! てか、お前は因果地平の果てまで嫌われてろ!)

 すっかり野次馬と化したネズミの前で三人が別れていく。

 おそらく二人は家に帰るのだろう、マミのほうは何かに気が付いて、

 近くの野外劇場の設けられた方へ歩いていく。

 同時にトムヤンも気が付いていた。良く知った一人の魔法少女の気配を。

「ほむら……」

 背後に現れた彼女の視線を、マミが平然と受け止める。

 その対峙を、小さなネズミが見つめていた。



[27333] 第五話「だれか、たすけて」
Name: 犬太◆93ceb70e ID:97db629a
Date: 2011/05/21 06:48
 夜の空気は硬く冷えていたが、それ以上にほむらの言葉は冷たく尖っていた。

「分かってるの? 貴女は無関係な一般人を危険に巻き込んでいる」

 それを受けるマミの声も、さっきまで後輩達に接していたときとは別人のような、

 冷気を漂わせる声を発している。

「彼女たちはキュゥべえに選ばれたのよ。もう無関係じゃないわ」

「貴女は二人を魔法少女に誘導している」

「それが面白くないわけ?」
 心持ちマミの声にからかうような声が混ざる。

 それでもほむらは眉一つ動かさずに応えを返す。

「ええ、迷惑よ。特に、鹿目まどか」

「ふぅん。そう、あなたも気づいてたのね。あの子の素質に」

「彼女だけは、契約させるわけにはいかない」

 やっぱりだ、トムヤンは呟いていた。

 ほむらはまどかのことになると周りが見えなくなる。

 今も彼女の目には、何か言い知れない熱情のようなものが浮かび上がっていた。

 だが、マミの方はその視線に別のものと理解したようだ。

 浮かべた笑みの意味を面白がるようなものから、あざけりとも憐れみとも取れるものにシフトさせていた。

「自分より強い相手は邪魔者ってわけ? いじめられっ子の発想ね」

 その挑発を受け入れ、代わりに彼女は言葉を返した。

「貴女とは戦いたくないのだけれど」

「なら二度と会うことのないよう努力して。話し合いで事が済むのは、きっと今夜で最後だろうから」

 見詰め合う二人の長い髪を、風が弄っている。

 何の返事も返さないほむらに振り返る事も無く、マミは歩み去っていった。

 だが、彼女の姿が見えなくなった途端、ポーカーフェイスは崩れ去っていた。

 何かを思い切るように唇をかみ締め、空を見上げる。

 絡み付く苦痛を振り払おうとするかのように。

「ほむら」

 こちらの声に振り返ったほむらの顔は、驚きと怯えに歪んでいるように見えた。


第五話「だれか、たすけて」


「見ていたの」

 咎める声、それよりも深く呪うような声。

 ほむらの言葉には聞いた事も無いような響きが含まれている。

 見るなというよりは、むしろ。

「見ないで欲しかった、って顔だな」

「あなたは……っ」

 それ以上の言葉を出す事も出来ず、黙ったまま立ち去ろうとする背中にトムヤンは呼びかけた。

「まどかちゃん、ずっとキュゥべぇと一緒だったぞ」

「……知っているわ」

「魔法少女になって欲しいって、言われてたんだぞ」

「そうね。当然、そうなるはずだわ」

「……なに考えてんだ、ほむら!」

 再び振り返った彼女の顔は、もう冷たい仮面に戻っている。

 だが、それこそがトムヤンにとっては雄弁に物を言う無表情だった。

「今日、ずっと彼女たちの行動を見てた。マミさん……っと、

 マミって子がいなかったらあいつに騙されて契約してたかもしれないんだぞ!」

「そうね。巴マミが、彼女達の行動を抑制していなかったら、そうなるわ」

 矛盾するほむらの言葉。巴マミに向かっていった言葉とは裏腹な発言の意味するところはただ一つ。

「お前、マミが居るってのを最初から知ってて、わざと近付けさせたんだな!」

「だったら?」

「何でそんな真似するんだよ!」

 鹿目まどかとキュゥべぇを契約させたくないと言いながらその周囲に近付けさせ、

 巴マミには自分の心情を打ち明けずに敵対している。

 その割には、彼女の行動に全幅の信頼を置いているようなそぶりすら見えた。

「俺、今日ずっと見てたんだ。マミは絶対いい子だ! 優しいし頭もいい、

 しかも魔法少女としてはかなりの腕前だ!」

「そんなこと、あなたなんかに言われなくても、十分理解しているわ」

「だったら! お前だってもっと良く話せば、彼女と協力し合えるはずだ!」

 言葉が、決定的にほむらの何かを打ち砕いた気がした。

 冷徹の仮面がはがれ、唇をかみ締めた彼女が、腹の底からの怨嗟を漏らし始める。

「……なにも知らないくせに、勝手なことを言わないで!」

「ほ、ほむら?」

「勘違いしないでね。別に私は、あなた達の協力が無くてもやっていけるの。

 ただ、行動するのに色々と都合がいいから手伝ってもらっているというだけよ」

 黒い少女の瞳にあるのは、絶え間ない苦痛と怒り。

 そのない交ぜになった感情を燃料に燃え盛る漆黒の炎がトビネズミの五感を焼いていく。

「鹿目まどかをどう扱えばいいのか、私が一番知っているの。余計な手出しはしないで」

「ほむらっ」

 無言で抜き放たれる銃。
 そこに込められた殺気は、普段のじゃれあいの中では決して入り込まないものだ。

 だが、それでもトムヤンは確かめずにはいられない。

「さっきのセリフ、ユイの前でも言えるか?」

 黒い炎が揺らめき、勢いが一瞬萎える。

 それでも表情を持ち直させたのは、どんな感情をくべたからなのか。

「香苗さんは……関係ないわ」

「言えるかって聞いてんだ! 答えろよ、暁美ほむら!」

 表情が引いていく、冷たい仮面が被りなおされる。

 そのわずかな移行の間にトムヤンは裏に隠された、彼女の生の感情を見た気がした。

「言えるわ」

 銃をしまい髪をかき上げると、ほむらは告げた。

「私は目的のためならなんでもする。だから、あなた達も利用するの」

 トビネズミはそっと視線を地面に落とした。

 それを会話の終わりと見たのか、靴音を立ててほむらが去っていく。

「一ついいか」

「……何かしら」

「悪女ぶるならもうちょっとうまくやれ。そんなの全然、似合ってねーよ」

「そう」

 言葉は届かない。例え届いたとしても受け取られることが無い。着信拒否する心に思いは伝わらない。

 人気の無くなった公園で、トムヤンは言葉にならない絶叫を上げた。


 その日、相変わらず街は青空に恵まれていた。

 教室の机に座り、外を見つめていた唯の視線が時々教室の時計に送られる。

「やっぱりお昼が気になる?」

「ん? うん」
 隣の席に座る友香が笑いながら話しかけてくるが、自分としてはそう言う意味で見ていたわけではない。

 もちろん昼休みは毎回楽しみではあるのだが。

 やがてチャイムが鳴り、号令が終わるのを待ちきれないといった感じでクラスの列が乱れていく。

 いつもなら友香と一緒にカフェテリアにいくはずだが、今回だけは少し違う予定を入れていた。

 思い切り緊張する胸を押さえ、走らない程度に全速力で目的地へ向かう。

 ガラス越しに見える黒いロングヘアーを認めると、唯はわざと教室の中に踏み込んで声を上げた。

「すみません、このクラスに暁美ほむらさんて人いますか?」

 クラスの人間が驚いた表情でこちらを向く。

 その中で最も驚いていたのがほむら本人だった。

「あ、暁美さん、あの子、知り合い?」

「そ、その……」

「暁美さん! 一緒にご飯食べに行こう!」

 怯えたような顔をしたほむらに、唯はわざと近づいていく。昨日トムヤンに言われたように。

『ほむらは、多分押されるのに弱いタイプだ。だから、相手がちょっと嫌そうな顔をしても気にせずやれ!』

「あ、あなた」

「折角一緒の学校になったんだもん、ご飯も一緒に食べよ!」

 彼女の白い手を取ると、そのままぐいぐいと引っ張る。

 衆人環視の中では魔法も使えないし振りほどく事もできない、

 そういう彼の読みはバッチリ当たり、ほむらはされるがままになって自分の後を付いてきた。

「一体どういうつもり、クラスには顔を出さないでって言ったはずよ」

「暁美さん、私ね、ちょっと怒ってるんだよ」

 声のトーンが自然と低くなる。

 昨日、トムヤンから聞かされた一部始終を思い出し、怒るというより悲しい気持ちが湧き上がってくる。

「だから、ちょっと付き合って」

 普段なら冷たい言葉が返ってくるところだと思うが、ほむらのほうは何も出来ないままこちらに従うだけだ。

 やがて、渡り廊下に来たところでようやく言葉が開放される。

「分ったわ。分ったから、手を離して。ちゃんとついて行くから」

 手を離すと、彼女は自分の掌を見つめてため息をついた。

「赤くなっているわ」

「ご、ごめんなさい! でも、私」

「あやまらないで。それよりどこに行くの?」

 唯は頷くと、中庭のほうを指差した。

 学校の中庭は広く空間を取ってあるせいか、日照時間が長く植物の育ちやすい環境になっている。

 大きな木の影や芝生が作り出す空間は、昼ごはんを食べるのにもいい場所だった。

「というわけで、今日はおかあさんと協力して作ってきちゃいましたー」

 大振りなバスケットを開けて、中のサンドイッチを取り出す。

 それから、水筒と取り出すと、紙コップに飲み物を注いだ。

「はい、暁美さん」

「あ、ありがとう……」

「それじゃ、いただきまーす」

「いただき……ます」

 サンドイッチを手にしたままのほむらを、唯は見つめた。
 耳の残った六枚切りのパンの間にレタスやツナ、チーズにトマトの挟まったものだ。

 ためらいながらも、こちらの視線が意図するところを読み解き、ほむらがそれを口にする。

「どう、かな?」

「……大丈夫。味に問題は無いわ」

「それって、おいしいってことでいいのかな?」

 少し息をつくと、ほむらはうなずいて言い換えた。

「ええ。おいしいわ」

「そっか。ありがと」

 それっきり会話が止まる。いつものことではあるが、今回ばかりはそんな事も言っていられない。

 ほむらの食事がある程度落ち着くのを見計らうと、唯は口火を切った。

「今日はね、トム君はお留守番。だから、なんでも言ってくれていいんだよ」

「何を言っているのか、分らないわ」

「……暁美さん、私たちのこと利用するって、言ったんだって?」

 ほむらは紙コップを芝生の上に置いた。それから、立ち上がってこちらを冷たい視線で見下ろす。

「そこまで聞いているなら、もう話すことは無いわ」

「座って、暁美さん」

「座る理由は」

「お願いだから、座って」

 もう一度座りなおしたほむらに、水筒のお茶を注いで渡す。

 少しためらいながら、それでも彼女はそれを受け取った。

「私ね、いろいろ考えたの。昨日の話を聞いて。

 でも、ぜんぜん何も思い浮かばなかったから、今日は暁美さんに聞けるだけ聞こうと思ってたんだ」

「一体、なにを?」

「あなたが何をしようとしているのか」

 そう言って、唯は彼女を見た。

 顔は険しくない。悲しそうな瞳ではあるが、それでも自分を受け入れてくれている、そんな気がしていた。

「暁美さんは、そのまどかちゃんて子を助けたいんだよね」

「……そうよ」

「どんなことをしても、助けたい?」

「……ええ」

「私を、利用しても?」

 ああ、まただ。唯はそう思った。彼女は苦しくなると顔を消してしまう。

 それは雄弁な意思表示でしかなかった。苦しみもだえる本当の気持ちが、そうさせているのだから。

「ええ。もちろんよ」

「それなら、どうして私をもっと利用してくれないのかな」

 彼女は目を見開いてこちらに顔を向けた。

 信じられないものを見るような目つき、というのは多分こういうものなんだろう。

「だって私、まどかちゃんのことで全然利用されて無いでしょ? 暁美さん、嘘ついてるよ」

「だって、あなたには魔女を」

「あれは私がしたいからしてるだけ。

 魔女に襲われた人を助けたい、誰かに私と同じ怖い思いをして欲しくないから、やってるの」

 ほむらはゆっくりと頭を振った。それから、手にしたカップを見つめ、ぽつりと呟く。

「だめよ。そんなこと、言わないで」

「暁美さん」

「私は、平気なの。ちゃんと全部分ってる、だからあなたを利用なんてしなくていいの」

「嘘つきだね、暁美さん」

 ちっとも平気じゃないのに、平気なふりをしている。利用なんてする気も無いのに利用しているなんて言う。

 何かをこらえる様にしてカップを握り締める彼女に、唯はそっと語りかけた。

「私に出来ること、何か無いかな」

「……信じていて」

「暁美さんのこと?」

「全部うまく行くから、行かせてみせるから」

 声が泣いていた。一滴も涙をこぼさずに、それでも声が震えている。

 気がつかない振りをして、唯は自分のカップに口を当てる。

「うまく行ったら、私をまどかちゃんに紹介してくれる?」

「……もし、彼女が許してくれるなら」

「大丈夫だよ」

 こんなにがんばっている子が報われないわけが無い。

 そうじゃなきゃおかしい、そんな気持ちを込めて唯は空を見上げた。

「暁美さんの気持ち、きっと伝わるよ」


 クラスも雰囲気も全然違う一組の少女を、木陰から三つの視線が覗いていた。

「キュゥべぇ、あんたテレパシーでなに喋ってるか聞き取れないの?」

「む、無茶言わないでよ。僕のテレパシーは集音マイクでもスピーカーでも無いんだ」

「でも、ほむらちゃんて友達いたんだねー」

 意外だというまどかの言葉にさやかもうなずく。

 キュゥべぇは何を考えているかわからないが、とりあえず事態を見守るつもりのようだ。

「マミさん、聞こえますか、どーぞ?」

『どうしたの? 美樹さん』

「現在、例の転校生が謎の少女と並んでランチタイム中。

 二年生の子だと思いますけど、別のクラスなんで名前とか分りません、以上です」

 何かの特派員でも意識しているのか、妙な喋りになったさやかに呆れながらマミが質問を投げてくる。

『その子も魔法少女、なのかしら?』

『それは無いよ。僕は彼女を知らないし、そもそも彼女からは一切資質を感じない』

「じゃあ、本気で無関係な一般人か! あんな陰険転校生に付き合えるって、どんなやつだ?」

「あ、あのね、さやかちゃん。あの子たぶん、陸上部の子だと思う」

 まどかの言葉に二人が驚きの声を上げる。

 そのリアクションにたじろぎながら、まどかは少し前の記憶をたどった。

「ほむらちゃんが転校してきた日に見た夢ってあったでしょ? あの時の夢に、もう一人いたの。

 顔は良く分らなかったけど、後姿とか、雰囲気とか、そっくりで」

『一体どういうことなのかしら……』

「これは調べてみる価値があるんじゃない? もしかしたらあいつの弱みを握れるかも」

「さやかちゃん!」

 まどかの言葉を誤解したのか、さやかは胸を張って宣言した。

「だーいじょうぶ! この美少女名探偵、美樹さやかちゃんが、この謎を解決してあげよう! 

 マミさんの名に掛けて!」

『勝手に私を掛けないでよ……』

 マミの抗議をよそにもりあがるさやかを苦笑しつつ見守るまどか。

 だが、その目は、ほむらの傍らにいる少女に違和感を感じていた。

(あの子、今日はペンダントしてない)

 だが、その違和感はすぐに忘れ去られることになる。この後に起こる出来事によって。

 
 インフォームド・コンセント、という言葉がある。

 主治医が患者に対して病状や治療法を正確に告知、解説すること。

 そうすることで患者が自分の病気に対する不必要な恐れを取り除き、

 医師と患者の間に発生しがちな不信、不和を無くして治療を行うという行為のことを差す。

 だが、それは時として人の心に深い傷を残す。

 告知した場合の傷と、告知しなかった場合に起こる後々のショックの度合いは、

 結局どちらがいいと言われても評価するのは難しい。

 感情というのは不可解なものであり、理解することなどできはしないのだ。

 だから今日、上条恭介という少年にもたらされた告知がどのような結果をもたらすのかを、

 医師が判断できなかったとしても、罪ということは出来ないだろう。

「先生っ、本当に、治る見込みは無いんですか!」

 父親の叫びは、呆然としている息子の気持ちを代弁するものだった。

 だが、医師の表情は変わらない。

「恭介君の神経に対するダメージは、手の部分だけに限ったことではありません。

頚椎にも損傷が見られます。単なる神経断裂であれば完全回復の見込みはありますが」

「この子は、この子の手はっ、特別なものなんです!」

 一体、この人たちは何を言っているんだろう。

 僕はがんばっているんだ、事故なんかには負けない。

 お見舞いに来てくれたさやカも、がんばればキットナオルッテ。

「私を恨んでいただいて構いません。ですが、無い希望をあるように見せる事も、

それはそれで罪悪であると考えています。残念ながら、彼の手は」

「うそだ」

 恭介は自分の顔がだらしなく引きつっているのを理解していた。

 笑いたいけど、笑い方を忘れた生き物のように。

「うそだよ。そんなの、だって、それじゃ、僕は何のために!」

「恭介!」

「やめてよ! ちゃんと付いてるでしょ! 僕の腕! 治るんだよ! 動くんだ!

 そうじゃなきゃおかしいよ!」

 嫌だ、頭の中がそのことで一杯になる。治らないなんて、治らないなんて嘘だ。

 言葉が溢れかえり慟哭が喉を突く。

「いやだぁああああ! 嘘だ、嘘だそんなこと! 治してよ! ちゃんと治してよぉ!」

 真っ白になっていく頭の中で、誰かの、もう一人の声が響く。

『なおらないの。おびょうき?』

 治らないって、僕はもう治らないって。

『わたし、おちゅうしゃ、いっぱいがまんしたの。いたいの、すごくいたかったの』

 いやだ、もう一度、もう一度弾きたい。

『わたしも、たべたいの。おかし。ちーずも、たべたかったの』

 助けて、こんなのは、嫌だ。

 その時二つの心は重なり合い、一緒に泣き声を上げた。

 決して手に入れられぬと理解してなお、渇望したものに手を伸ばすもの達が。

「『だれか、たすけて!』」

 腕にかすかな痛みが走る。

 その後すぐに世界が暗転していく。

 恭介は眠りに落ちる一瞬、童話に出てくるお菓子の家のような世界に座らされた、

 少女の人形を見たような気がした。

 天才と謳われた一人の少年バイオリニストが死刑宣告を受けたその日、

 眠り続けていた魔女が、ゆっくりと目を覚ました。



[27333] 第六話「助けに来たよ。暁美さん」
Name: 犬太◆93ceb70e ID:97db629a
Date: 2011/05/22 22:30
『ほ、ほむらちゃん、マミさんが、マミさんがあああああっ』

 血まみれで横たわる、食い散らされた死体。

 泣きじゃくるまどかと、こちらを睨みつけてくるさやか。

『なんで、なんであんた、もっと早く来ないんだよ! 

 あと少し早かったらマミさんは、マミさんはっ!』

 そんなバカな、うろたえてあとずさる自分がいる。

 巴マミがこんなにあっさりと、魔女にやられることなんてありえない。

 そう心の中で繰り返す自分に、マミの言葉が蘇る。

『ほら、覚えてる? あのお菓子の魔女と戦ったときのこと』

 それは、昔の記憶、自分が魔法少女になった時のこと。

 そうだ、あの時は私とまどかでマミさんを助けたはずだ。

 では、自分が居ない、まどかも魔法少女になっていないこの世界の彼女は――

「キュゥべぇ」

「なんだい、まどか」

「マミさんを、生き返らせることはできる?」

 ほむらが、さやかが、反射的にまどかを見る。

「まどかっ! そんなことはっ!」

「もちろん可能だよ。君の資質であれば、彼女一人を生き返らせることぐらい簡単なことさ!」

「や、やめ……」

 阻止するべきだ、まどかと契約など絶対にさせな――

 その時、引き抜こうとした銃を押しとどめたのは、赤黒い首の断面を晒して横たわる、

 巴マミであったものの残骸。

 一人の少女が一人の少女を死から救ったその世界は、

 そのわずか数週間後に完全な死と静謐が支配する場所へと変わる事になった。

 それは幾度目かの時。死という因果が、暁美ほむらの魂を深く切りつけたエピソードの一つ。


第六話「助けに来たよ。暁美さん」


 彼方から届いた魔女の波動を感じたほむらは、知らないうちに体が震えてくるのを感じていた。

 絶対に忘れることが出来ない、忘れるわけにはいかない敵の存在を感じて、素早く立ち上がる。

「……上条恭介が、呼び覚ましたのね」

 巡る世界の中でほむらは、魔女達の活動や性質に一定の法則があることを感じていた。

 同時に、それを裏付けるべく丹念に調べ上げて行った。

 犠牲となるものを少しでも減らすために、そしてまどかを救うために。

 その中でどうしても避けられない魔女との戦いや、必ず起こってしまう事件もいくつか存在した。

 その一つが、上条恭介の悲嘆を受けた魔女の復活。

 その魔女は強力ではなかったが厄介な性質を持ち、それを知らないものが撃破するのは容易ではなかった。

 初めてのループの時は、ほむらとまどかの二人でマミを救うことが出来た。

 だが、サポートが居ない状態で彼女が魔女を撃破出来たケースは、今のところ無い。

 しかも、休眠状態であった魔女のグリーフシードの方も、その日になるまでいくら探しても出現することが無かった。

 上条恭介の悲嘆がそれを呼び覚ます時間やタイミングもそれぞれに違う。

 だから、今度は待っていたのだ。

 学校の図書室で本を読むふりをしていた彼女は、素早く立ち上がった。

 巴マミを含めた三年生は現在進路指導を受けている最中だ。

 呼びに来たまどかが彼女と会うまでには時間が掛かるだろう。

 その前に魔女を倒してしまえば、彼女の死の運命を打ち壊すことが出来るのだ。

 屋上に上がり変身を遂げたほむらは、目的に向かって大きく飛翔した。


 クラスで自分が呼び出されるのを待っていたマミは、

 ポケットの中に隠されたソウルジェムが大きく脈打つのを感じていた。

 かなり大きな魔女の気配、すでに慣れっこの感覚だが、体がわずかに緊張するのは未だに解消できなかった。

(私もまだまだね、さて)

「ごめんなさい。なんだか、ちょっと気分が悪くて。保健室に行って来るから、

 先生に伝言お願いできるかしら?」

「うん。一緒についていかなくて大丈夫?」

「一人で歩けるぐらいには、ね。それじゃ、後はよろしく」

 クラスメイトに挨拶を残して教室を出る。

 嘘をいうのは気が引けるが、マミはこの瞬間が結構好きだった。

 学校には秘密の正義の味方。

 そんな立場に自分が居るという事実が、あのときの事故の痛みをはるかに軽くしてくれている。

 もし、自分が事故から助かっただけの幸運な少女であったなら、

 大好きだった両親を失った事実をとても受け止め切れなかっただろう。

『キュゥべぇ? 近くにいるの?』

 軽くテレパシーを飛ばしてみるが、どうやら近くには居ないらしい。

 その代わり、張り巡らされた意識圏に覚えのある波動が通り過ぎるのを感じた。

「あの子……」

 暁美ほむらと言う魔法少女。キュゥべぇを傷つけ、自分の後輩に対して不愉快な干渉を続ける存在。

 飛んでいく方向を見て、その行動は容易に想像が付いた。

 こういう言い方は好きでは無いけど、自分に前置きをしつつ、マミは不敵な笑みを浮かべて呟いた。

「私の目の黒いうちは、あなたに好き勝手はさせないわ」

 素早く変身を行い、黄色い姿が一気に目的地を目指す。

 向こうは空を飛んで最短距離を行くつもりだろうがこちらは地元の人間だ。

 病院に行くには、実は地上を行ったほうが早くたどり着くことをマミは知っていた。

「……鹿目さん!?」

 一時的に変身を解き、大慌てで走って行く彼女に近づく。

 突然現れた自分に驚きつつ、まどかは息を切らせて事情を説明してくれた。

「危険なことをしているのは忘れないでって、言っておいたでしょう?」

「でも、あの病院、さやかちゃんの友達……が入院してるんです!」

「なるほどね」
 守るべきものを見捨てることなく、自分の危険を顧みないで行動する。

 無謀だが、正義の魔法少女を目指すものとしては合格だ。

「掴まって。ここからは一気に行くわ」

「え、あ、はい!」
 まどかを背負い、マミは疾駆する。

 その間も感覚の網は彼女の存在に張ったままだ。

(すごいスピードね。断続的に加速しているのかしら、走っているというより、大きなジャンプを繰り返している感じだわ)

 しかし、タッチの差で先に結界の前にたどり着く。

 黒い気配はあと三分もすればここにたどり着くだろう。

「ここね……『キュゥべえ、状況は?』」

『まだ大丈夫。すぐに孵化する様子はないよ』

 冷静な言葉に内心ほっとする。だが、その安堵をたしなめるように声が続く。

『むしろ、迂闊に大きな魔力を使って卵を刺激する方がマズい。

 急がなくていいから、なるべく静かに来てくれるかい?』

『わかったわ』

 まどかを伴い、結界へと歩みを進める。

 お菓子で出来た内壁を持つ独特な世界の中は、それでいて一切甘ったるい匂いを伝えてこない。

 それどころか、かすかに消毒液の香りが漂っている。

 結界のすぐ外に近づく気配を背中越しに感じながら、マミはあえて話を続ける。

「無茶し過ぎ……って怒りたいところだけど、今回に限っては冴えた手だったわ。

 これなら魔女を取り逃がす心配も……」

 結界内にもう一つの靴音が響く。

 振り返ると、マミは敵意を露にして暁美ほむらをにらみつけた。

「言ったはずよね。二度と会いたくないって」

 その威圧にひるむことなく、ほむらが言葉を返す。

 油断しているのか、それとも自分を侮っているのか、未だに変身していない。

 心の中でマミは彼女の迂闊さを笑った。

「今回の獲物は私が狩る。貴女達は手を引いて」

「そうもいかないわ。美樹さんとキュゥべえを迎えに行かないと」

 相手に気が付かれない様に魔力を練り上げる。相手の実力が分らない以上、最初から全力で行く。

「その二人の安全は保証するわ」

「信用すると思って?」

 こちらの言葉に相手が何か言おうと身を乗り出す。

 その瞬間、マミは練り上げた魔力を一気に展開させた。

 足元から飛び出したリボンに拘束され、ほむらが苦しそうにもがく。

「ば、馬鹿。こんなことやってる場合じゃ」

「もちろん怪我させるつもりはないけど、あんまり暴れたら保障しかねるわ」

 関節の要点と筋肉の伸び具合を考えて拘束を掛けてある。

 筋力を上げて引きちぎろうとしても時間は掛かるだろうし、この状態では変身もままなら無いはずだ。

「今度の魔女は、これまでの奴らとはわけが違う」

 苦し紛れの一言を聞き流し、マミは背中を向けた。

 彼女が何を考えているのか分らないが、キュゥべぇを傷つけまどかという才能ある魔法少女の誕生を邪魔する人間だ。

 これから魔女と対峙するのだから、不確定要素である彼女の動きは封じておいた方がいいだろう。

「おとなしくしていれば帰りにちゃんと解放してあげる。行きましょう、鹿目さん」

「待っ……くっ」

 苦しそうにもがくほむらを少しだけ視界に入れ、そのまま進んでいく。

 少しきつく縛りすぎたかもしれないが、今までの態度を考えれば寛大なぐらいだ。

 暗い空間に彼女を置き去りにして、マミは結界の最深部を目指して歩き始めた。


 全身の力を振り絞り、ほむらは必死にもがいた。

 そのたびに拘束から衝撃が走って前身を貫く。完璧に縛られた上にまともに力を振るう事も出来ない。

 相手を警戒させないためにわざわざ武装を解いていったために、魔法を使って脱出することさえままならなかった。

「どうして……」

 痛む腕にそれでも力を込め、ほむらが声を絞り出す。

「どうして……っ」

 手足の自由を奪われ、それでもあらん限りの力を込めてほむらは拘束を振りほどこうとした。

「どうして、分ってくれないの!」

 暗い世界に自分音声だけがむなしく木霊する。

 迷宮の入り口には使い魔の姿さえ見ることができない。たった一人でもがきながらほむらは自問した。

 まどかを救うため、わざと彼女と親しい関係を作らないよう努力してきた。

 自分を救う願いを掛けさせないように、そしてキュゥべぇの異常さを気が付かせるための要因となるように、

 あえて汚名をかぶるように動いてきた。


 その結果マミとの仲は険悪なものとなり、今こうして彼女の拘束を身に受けている。

 まどかと同じぐらい助けたい、大切な人からの敵意を。

「どうして……」

 そう言いながら、ほむらはどこか醒めた気分で自分を眺めているもう一人の自分に気が付いていた。

 どうしてだって? 彼女の『友達』であるキュゥべぇを傷つけ、本心を明かさずに暗躍している。

 そんな自分を、誰が信用できる?

 そんなこと最初から分っていた。

 だからこそ、誰にも頼らずにまどかも、マミも、みんなを救うと、救えると思って行動していた。

「外れて……っ、外れてよ!」

 無理に動かした腕に、足に、鈍い痛みが走る。それでも堅固な縛めは一切断ち切れることが無い。

 彼女達が去っていった暗い道を見つめ、ほむらは自分を縛るもう一つの縛めを感じていた。

 運命という名の、断ち切ることの無い鎖。

 何度繰り返しても、いや、繰り返すごとにきつく硬く、自分を縛る鋼の縛鎖。

 それが全身に食い込んで動きを鈍らせていく。

「お願いだから……」

 抵抗が小さくなり、動きが止まる。

 助けたいのに助けられない、動きたいのに動けない。絶望感が抵抗する気力を奪い去っていく。

 そして、ほむらは決して言うまいと思っていた一言を、漏らしていた。

「誰か、助けて」

 ゆっくりとほむらは、自分の愚かさに首を横に振った。

 誰にも頼らず、時の迷宮でたった一人でさ迷う者に、誰が手を伸ばしてくれるのか。

「助けてくれる人なんて……いるわけ無いじゃない」

 零れ落ちた諦めと自嘲に、言葉は投じられた。

「いるさっ、ここに一人な!!」

 暗闇を渡るのは少年のような声の軽口。そして、近づいてい来る少女のシルエット。

 ほむらは顔を上げた。

「助けに来たよ。暁美さん」

 太陽のような輝く笑顔で、香苗唯は告げた。



[27333] 第七話「風より早く往く力を!」
Name: 犬太◆93ceb70e ID:97db629a
Date: 2011/05/23 15:22
 暗闇の中、黄色のリボンで拘束されたほむらは、まるで蜘蛛の巣に捕らわれた蝶の様に見えた。

 その瞳は絶望と希望が入り混じり、泣いているような叫びだしたいような、そんな顔をしている。

「助けに来たよ。暁美さん」

 そう声を掛けたときも、相手の表情は固まったままだった。

「かなえ、さん」

「そうだよ」

「俺もいるぜ!」

「トムヤン……」

 こちらを見ていた彼女は、呆けたような表情をくしゃりと崩して、泣きそうな顔を露にした。


第七話「風よりも早く往く力を!」


「お願い……お願いだから、助けて」

「かなり強力な捕縛魔法だな。ま、時間さえ掛ければ」

「違うの! 私のことより巴マミを!」

 肩の上に載ったトビネズミは鼻をふんふんいわせて辺りの空気を嗅ぐと、リボンを指差した。

「それ、彼女にやられたんだな」

「そんなことどうでもいい! もう時間が無いの! 早く彼女を!」

 その声に呼応するように、迷宮全体が魔女目覚めを受けて、どくりと鼓動する。

 切羽詰った顔を見たトムヤンは、頷いてこちらを振り仰いだ。

「行けるよな」

「もちろん」

 心を決めると、迷宮の奥へと顔を向ける。

 肩の上のトビネズミが、差し伸べた自分の右手の上にひょいっと飛び乗った。

「ほむら、いっこだけ聞かせてくれ」

「……なに?」

「お前、未来が分るんだな」

「……ええ」

 その言葉にほんの少し驚いてしまうが、そんなことはどうでもいいと思い直す。

 今はもっと大事なことがある、大切な友達の頼みを聞くために全力を尽くすことだ。

「その中に俺たちのことは入ってるのか?」

「無いわ。だから、お願い……っ」

「よし……行こうぜ、ユイっ!」

 力強く頷くと、自らの内に眠る力に耳を傾けるように目を閉じる。

「締命の契約によりて、我と供とを今ひとつに! 蘇れ、闇を切り裂く光の力!」

 掌の上のトビネズミが輝く光の結晶になり、呼応したペンダントがその赤を深くする。

 そして、香苗唯は眠れる力を呼び覚ます言霊を解き放った。

「ポジティブ・アクティブ・ブレイブアーップ!」

 言葉が結ばれ魔法が花開く。足元に魔法陣が展開するのと同時に、光の矢となったトムヤンがペンダントを貫いた。

 全身から放散された魔力の輝きが一人の少女の姿を変える。

 白とピンクで彩られた衣装を身にまとい、胸元には真紅のブローチとそれを飾るリボン。指貫のグローブとシューズが装着される。

「香苗さん……巴マミを……マミさんを助けて」

「うん。絶対に、助けるから!」

 ほむらに向かって笑顔でサムズアップを一つ送ると、唯は全速力で走り出した。

『ほむら、悪いけどちょっとの間我慢してくれよ!』

『私のことはどうでもいいわ! もうグリーフシードの孵化が始まる! 急いで!』

 多少乱暴だが声にいつもどおりの強さが戻り始めている。

 そのことを妙にうれしく思いながら唯がさらに加速する。

『聞いたか、ユイ』

『何を?』

『あいつ、助けてって、言ってくれたんだぜ』

 まるで飛び切り上等のピスタチオでも頬張ったような、うれしそうな声。

 心の中で一緒に喜びながらさらに足に力を込める。

『やっとだね』

『ああ、やっとだ』

 いつの間にか世界から音が消えていた。

 途中に魔女の使い魔らしい影が見えたが、こちらに顔らしき部分を向けただけで追いかけてもこない。

 胸が熱い、ブローチから伝わる気持ちが自分の思いと重なり合って、全身に今まで感じたことの無いような、強い奔流を感じる。

(もっと早く!)

 世界の光がおかしくなる。進むべき先は青白く輝き、過ぎ去っていく背景が暗い世界に落ち込んでいく。

 呼吸と心臓の音だけが自分を満たし、空気が自分の体に粘り気を持ってまといついてきた。

(そうだ! もっと早く!)

(一秒でも早く!)

 空気が、世界が重く圧し掛かる。まるで待ち受ける運命を、覆すことの出来ない宿命を暗示するかのように。

 だが、

『私は約束したの、絶対に助けるって!』

『だから、今!』

 腕の一振り、足の一蹴りに、二人はありったけの気力と魔力と思いを込めて、叫んだ。

『『風よりも早く往く力を!』』

 その瞬間、何かを打ち破るような巨大な破裂音が、結界を強烈に揺さぶった。


 マスケットをひたすらに生み出し、軽やかに舞い踊る。まるで糸くずでも払いのけたように使い魔があっさりと退場していく。

 巴マミの心の中にあったのはえもいわれぬ恍惚。

 心の中に重く圧し掛かっていたものがきれいさっぱり取り除かれてしまったことによる、

 一種の興奮状態が訪れていた。

 今まで、魔法少女としての自分はどこまでも孤独だった。

 叶えたい願いと引き換えに手に入れた力と戦いの運命。

 それを受け入れた者達は、決して高邁な精神や自己犠牲をいとわない聖女ばかりではなかった。

 むしろ利己のために行動し、自分の魔力を引き伸ばすために魔女を狩る者が圧倒的に多かった。

 そのため、魔女が集まりやすいスポットである見滝原は、魔女を巡って魔法少女が争いあう、血なまぐさい狩場と化していた。

 自分という調停者が現れるまでは。

 その役割を嫌だとは思わない、自分の理想とする魔法少女を自らの手で体現できるのだから。

 だが、それを誰かに分って欲しかった。自分の気持ちに、考えに賛同して、共に戦ってくれる仲間が欲しかった。

 それが今、ずっと求めていたものがすぐ側にいる。

 鹿目まどか、彼女を見る目がわずかに潤いを帯びた。

 それを砲火の煙が目にしみたためだとごまかし、一気に使い魔を吹き飛ばす。

「体が軽い。こんな幸せな気持ちで戦うなんて初めて」

 彼女は酔っていた。重苦しい、孤独な戦いから解き放たれることに。

 だから、誰に言うとでもなく呟く。

「もう何も怖くない。私、一人ぼっちじゃないもの」

 マミにとって、この世界は壊されるべき悪夢の象徴でしかなかった。

 早く鹿目さんとお祝いをしよう。新しい魔法少女の誕生と、自分の孤独が拭われるお祝いを。

「お待たせ」

 魔女の陣取る巨大なホールにたどり着くと、身を潜めていたさやかに向かって声を掛ける。

 二人が合流したのを見て取ると、マミは奥に座った人形のような小さな魔女に向かい合う。

 ふらりと浮かび上がって臨戦態勢を整えようとする魔女に向かって、彼女は渾身の捕縛魔法を放った。

「せっかくのとこ悪いけど、一気に決めさせて……もらうわよ!」

 魔力を収束、巨大な砲身が浮かび上がる。これで何もかも終わる、孤独も寂しさも。

 その万感の思いを込めて、巴マミは撃ち放った。

「ティロ・フィナーレ!!」

 光弾が魔女の胴体を貫き、その顔が膨れ上がる。これであの魔女も終わりだ、そう思った瞬間だった。

 魔女の口から吐き出された、カートゥンにでも出てきそうなデザイン顔がするっと近づいてくる。

 自分の背と同じぐらいの巨大な顔、それがぱくりと口を開けた。

(これは、なに)

 マミは何かしようと思った。そして、その『何か』が思い浮かばない。

 白い歯をむき出しにして開かれた口が、あの事故の時に外に向かって開かれていた、割れた窓枠を思い出させる。

 だが、その向こうには光も、友達も見えない。

 ただの闇だけが――


『マジカルダイナマイトキイイイイイック!』


 いつの間にかマミは空を見上げていた。しかもその世界がゆっくりと回転していた。

 不思議な浮遊感を感じながら、彼女の意識が薄れていく。

 最後に彼女が見たものは、はるか地面の方で巨大なカートゥン蛇に強烈な蹴りを見舞った、一人の影だった。


 まどかは、さやかは、見た。

 目の前で魔女の頭が膨れ上がり、マミを頭から齧ろうとしていたのを。

 その彼女が今、きりもみをしながら上空に吹き飛んでいく。

 同時に黒い魔女の巨体がいつの間にか壁に叩きつけられ、煙を上げながら崩れ落ちていく。

 今まで主役を張っていた二人を舞台から豪快に退場させ、それは颯爽と登場した。

『そこの二人、大丈夫か!?』

 緑の装束と、たなびくマフラーをなびかせたそいつの発言を全く無視して、二人は絶叫した。

「「ま、マミさああああああんっ!!」」



[27333] 第八話「ああ、とりあえずな!」
Name: 犬太◆93ceb70e ID:97db629a
Date: 2011/05/25 14:16
 ほの暗い結界の中で縛られながら、ほむらは祈っていた。

 何に対してではなく、祈ることしか出来なかったから、そうしていただけだ。

 ひたすら行動するしかなかった今までの自分では考えられない、ただ待つだけの時間。

 だが、不思議と怯えや不安は無い、最後に見た彼女の笑顔を思い出すと、気持ちが安らいでくる。

 いきなり自分を縛っていた縛めが消失した。

 金色の粉を吹き散らせながら、巴マミの魔力が雲散霧消していく。

 それから伝わったのは死による強制的なものではなく、術者の忘我によって術が解けていく感覚だった。

「……やったのね。香苗さん、トムヤン」

 地面に膝を突きながら、ほむらは呟いていた。

 そう、確かに唯とトムヤンはやった。

 色々な意味で。


第八話「ああ、とりあえずな!」


 自分の体のしでかした行為が良く分らないまま、蹴りに使った片足をぴっと伸ばしっぱなしにしていた唯は、視線を上げた。

 そして顔から血の気がざあっと引いていく。

『と、トムヤン君!! あ、あれ、あれぇえええっ!』

『落ち着けユイ。これは俺と君とで生み出したフォームだ。

 だから君にも分るはずだ、こいつの持ってる特性と使い方が』

 いつの間にか服装が緑色をメインにしたものに変わっていた。

 まず目に付くのは首と肩を包むようにして付けられた白いマフラー、そして足元をかっちりとしたブーツが固めている。

 ブーツを含め、衣装全てに風を思わせる流線型のデザインが採用されており、中指で止めるタイプになった手袋の両手首には緑の宝石が嵌っていた。

 肘と膝の部分には濃い緑色のガードが付けられていて、スケボーやローラーブレードを使うときの服装を思わせる。

 そして、目と鼻辺りまでを完全に隠す大きなミラーシェードが付けられていた。

 新たなフォームに関する全ての情報が、自分の心の中を覗いた途端に浮かび上がってくる。

 同時にそれが、目の前の状況に冷静に対処する方法を与えてくれた。

(これは……こうやって使うんだ!)

 右手を握り締め、何かを撒くように目の前の空間を払う。

 途端に分厚い大気の層が密集し、落ちてきた巴マミの体を優しく受け止めた。

 そのまま彼女に歩みを進めると、意識を失ってぐったりとした体を抱き止め、事態がまるで飲み込めていない二人の方へと歩み寄る。

「あ、あんた、なんなんだよ!?」

 完全に声が裏返ってしまったさやか、何を考えたらいいのかすら忘れてしまったような鹿目まどか、

 そして赤い無表情な瞳でこちらを凝視するキュゥべぇ。

「……あたしは魔法少女、スパイシーユイ」

「す、すぱいしー」

『ユイいいいいいい!?』

 自分の姿で行われた爆弾発言に絶叫する唯へ、おともは冷静に突っ込んだ。

『頼むからユイ、声は出すなよ?』

『何よその変な名前! 私聞いて無いよ!?』

『キュゥべぇにこっちの存在は出来る限り謎のままにしておきたいんだ。俺のアドリブに合わせてくれ』

 どうやら驚いたのは自分だけではなく、鹿目まどかも美樹さやかもらしい。

 ぱくぱくと金魚のように口を開いたり閉じたりして、ようやっとさやかが本来の問題に立ち返る。

「ま、マミさんを、あんたが……」

「助けてあげたんだよ。やり方はちょっと荒っぽくなったけどさ」

「ちょっとって! マミさん昔の少年漫画みたいにぶっ飛ばされてただろ!」

「命にも別状は無いし、死の危険からは遠ざかった。ノープロブレムだよね」

 かなり男の子っぽい喋り。

 ボーイッシュというレベルを超えているがさつな口ぶりに頭を痛くした唯に、新しい力が敵の復活を伝えてくる。

『トムヤン君、魔女が起きてくる!』

『ああ』

 唯はきびすを返し、背中越しにトムヤンがアテレコをする。

「ここは危険だ、関係ない人間は早く下がれ」

「関係ないって!? あ、あたしらは!」

「巴マミに守ってもらっていい気になってた、ただの一般人だろ!?」

 厳しい一言に二人のうなだれる気配が伝わってくる。

 言い過ぎたと思ったのか、トムヤンは少し声のトーンを落とした。

「大事な先輩が動けなくなってるんだ。安全な場所で休ませてやるのが先だ」

「スパイシーユイ、とか言ったね、君は」

「黙れ」

 その一言には、一つになっている唯を底冷えさせるような怒気が篭っていた。

 振り向く必要は無いという指示をして、トムヤンは言葉を継いだ。

「確かに、あんたに魔法少女にしてもらったけど、あんたのことは絶対に許さないから」

 その時、おそらくその場に居た人間は気がつかなかったろうが、この世界においてとても珍しい現象に彼女達は遭遇することになった。

 インキュベーターが、当惑したのだ。

「……へ?」

「あんたにめちゃくちゃにされた人生を、あたしは取り戻す。言えるのはそれだけだ」

「ちょっと、なんだいそれは? わけがわからないよ」

 そのまま大地を蹴って、唯は起き上がった魔女に接近する。

 同時に、テレパシーでトムヤンにさっきの妙な一幕を問い詰めた。

『な、何さっきの!?』

『あいつをからかってやったんだよ。本人には通じないのは分ってるけど、さっきの発言で、まとかちゃんやさやかって子が、

 あいつに不信感を持ってくれたらって思ってね~』

 それに、ものすごく悪い笑みを浮かべてトムヤンが付け加える。

『俺のおとも生活設計、あいつに狂わされたのはホントだしぃ~』

『でも、トムヤン君のことは気付かれたんじゃないの? おともなんでしょ、あの子も』

『今の俺はユイの変身アイテム。しかも君の生体波長と完全に同期してるからな。

 オマケにソウルジェムとそっくりの波長にデコードしてあるし、まず気が付かれないさ』

 言ってることは分らないが、どうやら相手を騙す準備は完璧にやってきたらしい。

 悪知恵の働く彼の行動にため息をつきつつ、ようやくお菓子の瓦礫から身を起こした魔女と向き合う。

『じゃ、後は任せるぜ。俺たちの新しい力、バッチリお披露目してやろうぜ!』

「うん!」

 その声をスタートの合図に変えて唯の体が一気に肉薄する。

 ぎょろりとした目を持つひょうきんな顔の前までジャンプで一気に迫り、

「はぁっ!」

 強烈な横蹴りを喰らわせた黒い体が地面を舐めながら吹き飛んでいく。

 だが、全身に満ち渡る力の流れが、少女にさらなる動きを示唆した。

 虚空を右足が蹴りつける。同時に体が何かに吹き飛ばされたように空をスライドし、再び魔女の顔面の前に回り込む。

 そのまま軸にした右足のが地面を半円形にえぐりつつ回転、その動きに合わせて体が捻られ、

 左の踵がまっすぐ天へ向かって突き上げられた。

 生み出された強烈な衝撃を受け宙に舞う魔女、その真上に飛翔した唯の両足が、弧を描きながら脳天へと炸裂する。

「やあああっ!」

 浴びせ蹴りを喰らった魔女が、地面にそっくりの形をしたクレーターを造り上げた。

『風を従え、その風を越えるもの。絶望を踏破し、悲しみを追い越す最速の力!』

 怒りに燃えた魔女が勢い良く伸び上がり、大顎を開いて噛み付こうとするが、その体には一切触れることが出来ない。

 素早く空中を蹴ってかわし、両腕から生み出した風の塊で殴りつけ、攻撃をことごとく潰していく。

『ユイ、あいつの周りを駆け巡ってやれ!』

「うん!」

 ゼロ距離から一気にトップスピードへ達した唯の体から、強烈な破裂音が響く。

 ただ脇をすり抜ける、その挙動だけで魔女の体が奇妙にねじれ、引き裂かれた。

 空気を蹴り、翠の影が黒い魔女の周囲を巡りながら空へと駆け上る。

 見えざる大気の巨腕に殴られ体がきりきりと舞い、烈風が織り上げられて天を貫く竜巻の檻になる。

『これが俺たちの新しい力! 希望を呼ぶ翠の風、名づけて「ソニックフォーム」だ!』

 紡錘形をした風の頂点に舞う唯の体が、思い切り右足をひきつける。

「『ジェイド・ストライク!』」

 振り抜いた右足のブーツから、翠に彩られた真空の鋭刃が飛んだ。

 魔女を拘束した竜巻を真空の刃が真っ二つに断ち割り、その体に真一文字の傷痕を刻み込む。

 再び魔女の体が、お菓子の敷き詰められた地面を叩きつけられた。


 目の前で展開される信じられない光景に、さやかは口を開けて見ているしかなかった。

 巴マミは強い魔法少女だった。その動きには無駄がなく、優雅な舞を思わせる。

 いわばエレガントな存在だ。

 暁美ほむらは不気味な黒い影。実力は未知数だが静かな威圧を感じさせる。

 ミステリアスの象徴。

 だが、目の前の魔法少女は、そのどれとも違う。

 荒々しく猛り狂う暴風のような、圧倒的力。

 それはまさしく、バイオレンスな魔法少女だった。

「……なによ、なんなのよあいつは!? ねぇキュゥべぇ! あんたあいつのこと知ってるんでしょ!?」

「い、いや、僕も何がなんだか」

「あんたが魔法少女にしたんでしょ!? そう言ってたじゃない!」

「そんなことより、早くここから逃げよう!」

 焦って混乱するさやかに、キュゥべぇは至極真っ当な意見を述べた。

「あの力を見ただろう!? あんな戦闘に巻き込まれたら君やまどかはもちろん、

 意識を失っているマミも危ない!」

「なんなのよ、あれは! どういう仕組みよ!」

 まどかを促し、マミを担ぎ上げたさやかに冷静な解説が続く。

「おそらく、彼女はものすごい加速をしているんだ。それも、人間が生身で出せる限界をはるかに越えて」

「たったそれだけで魔女があんなになるって言うの!?」

「彼女は音速の壁を越えているんだ。さっきものすごい破裂音がしただろう? あれがその証拠さ。

 その時に発生する衝撃波を叩きつけてるんだ」

 キュゥべぇの言うことは半分も分らないが、あの少女が規格外の存在であるということだけは伝わってくる。

 そんな化物がいるような場所にはいつまでも居られない。

 そんなことを考えていた彼女の目の前で、再び魔女が体の中から黒い自分の分身を吐き出し始めた。

「嘘、あいつっ」

 上空で魔女の様子をうかがっていた魔法少女に向かって、黒い影が伸び上がる。

 再度蹴りが放たれ地面に倒れ伏すが、それでも敵は自分を吐き出して起き上がってきた。

「あ、あの変な奴でもだめなの?」

 さやかの口から絶望に近い言葉が漏れたとき、翠の魔法少女は地面に降り立った。


『あんだけやって、まだ再生するのかよ』

 その生命力と執念深さに辟易しながらトムヤンがぼやく。唯は肩で息をしながら無言で魔女を見上げた。

 その魔女にしても、こちらと少し距離を置いてにらみを利かせるだけ。

 どうやらお互いの相性が最悪であると気が付いたらしい。

 大気に指向性を与えて擬似的に音速を超えるソニックフォームは、素早さは群を抜いているが攻撃力・防御力ともに低い。

 対する魔女は再生力は高いが俊敏性はそれほどでもなく、決定的な一撃をこちらに与えることができない。

 そんな手詰まりな状況に、ほむらの声が割り込んできた。

『香苗さん! トムヤン! 聞こえる!?』

『暁美さん、もう大丈夫なの!?』

『ほむら、この魔女しつこいぞ! どうやったら倒せるんだよ!』

 こちらの態度で状況を察したのか、ほっとしたような空気を漂わせながらも相手の魔女の情報を送ってくる。

『私のときは時間を停止させて体内に爆弾を送り込んだわ。そいつは体全体に同時にダメージを与えないとダメ。

 脱皮した方へグリーフシードを移していくの』

『なるほど。逃げ道をふさいで、一気にやればいいんだな』

『少し待っていて、今すぐ私が行って』

『大丈夫だよ。暁美さん』

 息を整えると、唯は自信に溢れた声でほむらの行動を制した。

『私達に任せて』

『でも、香苗さん!』

『安心しろほむら、俺達には秘策があるんだ。とっておきのがな!』

 軽く飛び退って距離を取ると、唯とトムヤンは胸の奥に呪文を木霊させた。

『少女を守る思いの力よ、容を取りて姿を顕せ』

『炎よ、我らに拓く力を』

 こちらの異常に気が付き、魔女がこちらに向かって突き進む。だが、その行動はわずかに遅かった。

『『纏え、ブレイブフォーム!』』

 突然目の前の上がった火柱に黒い蛇がひるむ。その猛火の中から凛とした声が響き渡った。

『我が敵を縛めよ! インビンシブル・シール!』

 炎を払って振られた左腕から巨大な魔法陣が放たれ、魔女の体にぶち当たる。

 瞬く間にそれは球状の檻となって、黒い体を完全に閉じ込めた。

『浄火っ!』

『招来っ!』

 握り固めた右の拳に炎が燃え盛る。巨大な球の中で顔を押し付けながらもがく魔女に向かい、構えた拳を腰に引きつける。

『其は貫く摧破の鋭矛!』

『其は守る不破の堅盾!』

 助走を付けて一気に加速、振りかぶった右腕で真紅の軌跡を描きながら唯の体が一直線に飛ぶ。

『『万理を越えて鳴り響け! 完全矛盾解の聖歌(パラドックス・カノン)!』』

 全てを貫く力を持った完全破壊の拳が叩きつけられる。

 それの威力が絶対防御の壁を越え、澄んだ鐘の様な音を響かせながら、その内側で弾ける。

 わずかに遅れて魔女の体を、爆炎と鋭い衝撃が反対の壁の方へ叩きつけた。

 だが、動きはそのまま止まらず、再び響いた音とともに魔女の体が何度も反射と反響を繰り返す。

 爆炎と衝撃が繰り返され、幾重にも連なった鐘が聖歌となって結界に充満する。

 黒い姿が完全に炎の中に沈み、全ての怪異は最後の一音と共に消滅した。

 残されたのは呆然と全てを見守る二人の少女と白い勧誘者。

 そしてピンク色の装束になった魔法少女と、彼女が手にした魔女の卵だった。

「ほんとに、あんた、何者なの……」

「見滝原を守る謎の魔法少女、ってところで納得しといて」

「君のもく」

「黙れ害獣」

 ばっさりと質問を打ち切ると、ミラーシェードで覆われた顔を二人の少女に移し、それから気絶したままの巴マミの様子を見やる。

「今回は、この街を必死で守り続けてきた彼女に免じて救いに来たけど、次は無いよ。美樹さやか、鹿目まどか」

「え!?」

「あたしたちの名前っ!?」

「魔法少女は遊びじゃない。それに、そんな詐欺師に引っ付いていても、自分の身を滅ぼすだけってことさ」

 人差し指をキュゥべぇに突きつけ、銃を撃つまねをしてみせる。

 赤い瞳は感情を見せることなくこちらの動きを凝視している。

 その視線を無視する形で、唯は手にしていたグリーフシードを放った。

 なんとかそれをキャッチしたさやかが、いぶかしげな表情で手の中のそれとこちらを交互に見つめてくる。

「それは巴マミに。あんたたち二人を導き、そいつから守った彼女への敬意だよ」

「ど、どういう意味だよ?」

「好きに使うといい。彼女が気に食わないと言うなら使わなくてもいい。

 ただ、そいつには渡さないでくれると嬉しいね。それじゃ!」

 病院の壁を蹴って一気に空に舞い上がると、唯はその場を後にした。

 呆然と取り残された二人の少女たちを置き去りにして。

「あれで、良かったの?」

『ああ。とりあえずあの場で出来ることは全部やった。

 あいつに気付かれるリスクは負ったけど、このまま行けばいずれバレるんだ。

 せいぜい引っ掻き回してやろうと思ってさ』

「まったくもう……」

『終わったのね。香苗さん、トムヤン』

 安堵と落ち着きに満ちたほむらの声に、トムヤンは破顔して返した。

『ああ、とりあえずな!』



[27333] 第九話「なんでおともの毛はふさふさしてるか、知ってるか?」
Name: 犬太◆93ceb70e ID:97db629a
Date: 2011/05/26 21:59
 角部屋の窓に紅の夕日が差し込んでいる。

 電気も付けないまま、マミはさやかの言葉に耳を傾けていた。

「それで、その……スパイシーユイと名乗った子は?」

「それっきり。顔も分らなくて、声も聞いたこと無かったし」

 自分が魔女によって貪り食われそうになったという実感は、正直薄かった。

 死の気配と恐怖を感じたようにも思ったが、その後の浮遊感が全てを打ち消してしまっている。

 むしろ、問題は別のところにあった。

「キュゥべぇ、本当に、その子の言ったことに心当たりは無いのね?」

「彼女の言っていることは、理論的に考えても支離滅裂だ。

 僕が願いを叶えたのだとすれば、彼女も納得ずくで契約を行ったということだ。

 それを恨みに思うなんていうのは考え方からして間違っている」

「つまり逆恨み、ということ?」

 いかにも心外だ、とでも言うように白い尻尾が左右に振られる。

「おそらくはね。手にした力と実際に受け入れた運命のギャップに文句を言う、というのは、魔法少女になった子の中では珍しいことでは無いんだ。

 そういう場合、僕は厄介者として遠ざけられる。彼女もそういう一人なんだと思う」

「なーんだ。結構かっこいいこといって、結局そういうことかよ」

 あきれ果てたと言うようにさやかが天井を仰ぐ。だが、マミはその様子を横目で見ながら少しだけ考え込んだ。

『今回は、この街を必死で守り続けてきた彼女に免じて救いに来たけど』

 確かに、彼女の言うとおり自分は見滝原で懸命に戦ってきた。

 しかし、そのことを知っているのはキュゥべぇを除けば、多少事情を話した後輩の二人しかいないはずだ。

『それは巴マミに。あんたたち二人を導き、そいつから守った彼女への敬意だよ』

 そう言って、その魔法少女はグリーフシードを置いていったという。

 彼女から渡されたグリーフシードは、ほとんど穢れもなく澄んだ状態だった。

 キュゥべぇによれば、これだけで通常のシードでは考えられない量の穢れを吸うことが出来るらしい。

 そんな貴重なものをあっさりと手放し、自分のがんばりを認めていると言った少女。

 だが、反対に彼女はキュゥべぇを詐欺師と呼び、絶対に許さないとも宣言した。

 あまりに考えることが多すぎる、そう思った途端、深いため息が漏れた。

「どうしたんだい? マミ」

「やっぱり、あいつにはね飛ばされたのが来てるとか?」

「……そうね。まだちょっと体調が優れないみたいで。悪いけど、今日はこの辺でお開きにしない?」

「そ、そっすね! じゃ、まどか、帰ろっか」

「……うん」

 そういえば、まどかの様子もどこかおかしい。例の少女の話の辺りから口数か少なくなり、今も何かを考え込んでいるようだった。

「大丈夫? 鹿目さん」

「え!? あ、はい、その大丈夫、です」

 なぜかもじもじと俯いてしまったまどかは、それでも無理に笑顔を作るとすばやく立ち上がる。

「じゃ、いこっか、さやかちゃん! マミさん、お邪魔しました」

「あ、うん。それじゃ、お邪魔様でしたー」

 二人が去っていき、部屋の中が急激に静かになる。それに気が付いた途端、マミは深々とため息をついていた。

「大丈夫かい? マミ」

「キュゥべぇ、お願いがあるの」

「なんだい?」

「少しだけ、一人にしてもらえる?」

 ふさっと尻尾を振り、キュウべぇは驚いたような声を上げた。

「珍しいね。僕はてっきり一晩中、一緒に居て欲しいといわれるかと」

「お願いだから、少し静かにして」

 こちらの感情を察したのか白い生き物が影の中へと消えていく。

 誰も居なくなった部屋の中で膝を抱えながら、マミは唇をかみ締めた。

 後輩の前で無様なマネをしてしまった。しかも、戦闘中に自分は気を抜いていた。

 まどかの言葉に浮かれて、敵に対する用心すら忘れて。

 そして、去り際のまどかのよそよそしい様子が、痛烈に胸へと突き刺さってくる。

 なんて無様な、情け無い自分。

「く……っ、ふ、うう、くうううっ」

 ベテランと呼ばれる魔法少女になって以来、巴マミは久しぶりに悔し涙で自分の膝を濡らすことになった。

 その様子を、部屋の隅の暗い影から、キュゥべぇの赤い瞳が見つめていた。


第九話「なんでおともの毛はふさふさしてるか、知ってるか?」


 いつの間にか、香苗家の居間にさしていた夕日が途絶え、部屋の中を薄闇が支配していた。

 そのことに気が付いた唯が、そっと席を立って部屋の電気をつける。

「……これで、私の話は終わりよ」

 光の下に晒されたほむらの顔は何処かさびしげで、しかしさっぱりとした表情を浮かべていた。

 その言葉を受けて、トムヤンがポツリと結ぶ。

「時間逆行者……か」

 この一件に関して、結局自分がどれだけ部外者なのかと言うことを改めて思い知った気がする。

 鹿目まどかの願いで始まった、彼女の当ても無い探索。

 繰り返される大切な人の死を修正するために、必死に歩き続けた血まみれの道程。

 そのどれもが、単なる中学生でしかない自分には大きすぎて、共感も理解もすることができないものだった。

「お茶、冷めちゃったから、新しいの淹れるね」

 結局、こんなことしかいえない自分が悲しい。それでも席を立ち、三人分のお茶を用意するためにキッチンに立つ。

「一つ言わせてくれ、ほむら。君にとっては辛い話になるけど、いいか?」

「……そんなこと、もう慣れっこよ」

 わずかに言いよどみ、トムヤンは絶望を口にした。

「正直、このまま君がループを続けたとしても、鹿目まどかを助けられるチャンスは、おそらくゼロだ」

「……っ!?」

「シュレーディンガーの猫、って知ってるか?」

 ネズミが口にするには面白いたとえ話を彼は語り始める。

 特定の条件を満たすことで箱の中に入れた猫が死ぬ、という実験箱を作る。

 その条件はいつ満たされるかも分らず、箱の中の猫は開けてみるまで生存を確認できない。

 この時、箱の中に居る猫は、死んでもいるし生きてもいるという奇妙な状態におかれることになる。

「まぁ、これは量子力学上の観測者問題に言及するときに、引き合いに出される思考実験なんだけどな」

「それが、私がまどかを救えないと言うことと、どう関係があるの?」

「このたとえ話で言うと、まどかちゃんは箱の中の猫だ」

 いつか死んでしまい、まだ死んでいない猫、ヤカンの火を止めながら唯はそのイメージをさっき見たまどかという少女の顔に重ねる。

「箱の中を見ていなければ、猫は死んでいるか生きているかは分らない。

 でも、ほむら、君はもう知っているはずだ、箱の中がどうなっているのか」

「……!」

 息を詰めて立ち上がったほむらの気配を感じ、唯が居間に立ち戻る。

 幸い、ほむらは銃も抜いていなかったし、トムヤンにつかみかかる様子も無い。

 だが、顔には深い絶望の色があった。

「で、でも、私は、その箱の実験をやり直すために……」

「時間を繰り返している、もちろんそうさ。

 でもそれは『すでに起きてしまった結果』を変更しようとしている、ってことだ」

 言葉に不吉な物が混じる。少し声のトーンを落として、彼は解説を続ける。

「君の行動の基点は『鹿目まどか』という少女の死、そしてそれを覆すということだ。

 でも、そこに問題がある」

「タイムパラドックスが発生するということ? 彼女を助けることによって?」

「そこは心配しなくていい。おそらく君は特異点存在になっているから、独立した時間軸を持っているはずだ。

 時間と経験が独自に蓄積され、パラドックスは生じない」

 そういうのを時空人と呼ぶんだぜ、と彼が注釈を付け加える。

 時空人という存在は三次元に拘束された人々には出来ない、時間への干渉も行うことが出来るという。

「とはいえ、ほむらの場合はちょっと事情が違う。君は『鹿目まどかが死ぬ運命』を覆すために能力を手に入れている。

 つまり、時間を逆行した瞬間に、この世界には『鹿目まどかの死、

 あるいは魔女化』という『ゴール』がプリセットされた状態でスタートすることになるんだ」

「で、でもそれなら、まどかちゃんを救う方法が分りやすくなっていいんじゃ……」

「ほむら、まどかちゃんがどんな理由でキュゥべぇと契約したか『全部』覚えてるか?」

 ほむらはのろのろと彼女の契約内容を口にした。

 始まりは野良猫を助けるために、それから巴マミや美樹さやかの体を元に戻す、そしてほむらを救うという目的でも使ったという。

 だが、それ以外にも美樹さやかの代わりに上条恭介の腕を治す目的や、それ以外の人々を助けるためにも使っている。

 それ以上は語らなかったが、語った数よりはるかに多い契約が行われたと言うことは、彼女の雰囲気からも明白だった。

「あの子は……優しすぎる。自分に誰かを救う手があると知ったら、それを迷わず使ってしまう!」

「まどかちゃんの気持ちや考えで、契約する可能性は無限に広がる。契約を迫るキュゥべぇは無数に存在し、ほむらはたった一人だ」

「それって……!」

「キュゥべぇを殺しつくすことは出来ない。彼女には死か魔女化の運命が常に付きまとっている。

 何か方法があるとすれば、まどかちゃんの意思を消し去ることぐらいだ」

 ぽすっ、という軽い音が部屋の中に生まれる。

 それは、思う以上に軽いほむらの体が、ソファーに腰を落とした音。

「……あ、あいつは……そこまで、見越してっ」

「たんだろうな。起こってしまった原因を阻止したい人間は、結局その原因が起こる可能性がある世界にしかいけない。

 まして『契約を阻止する』なんて漠然とした方向性じゃ、潰すべき状況が多すぎて対処しきれない」

「『まどかちゃんが死なない時間に行きたい』って願ってたら……?」

「植物人間状態のまどかちゃんを見せられたかもな」

 ほむらの両手がテーブルに叩きつけられる。顔は、ぐしゃぐしゃの泣き顔だった。

「じゃあ、どうすればよかったの!? 私があの悪魔と契約しなければ良かったの!? 私の願いが間違ってたの!?」

「客観的な理屈で言えば、な」

「トムヤン君!」

 冷たい一言に唯は思わずおともを睨みつけていた。だが、彼は二人の少女の視線を真っ向から受け止める。

「熱したお湯はいつかは冷める。こぼした水は盆には帰らない。

 そして、死んでしまった人間は生き返らない。それが世界の」

「それならあいつは!? 奇跡を売り歩くあいつを野放しにしたあなた達は!? 

 私は……っ、まどかと……一緒にいたかった、だけなのにっ」

 顔を両手に埋めるほむらの傍らに寄り添い、唯はその肩を抱いた。思う以上に華奢な体が小刻みに震えている。

 こんな小さな体で、ずっと戦い続けていたのに、それが全くの無駄に過ぎないなんて。

「こんなの、あんまりだよ。ひどすぎるよ」

「ああ……。全くだぜ」

 それは燃え立つような声。怒りと強い闘志を秘めたトムヤンの声に唯は視線を上げた。

「ほむら」

「な……に?」

「もう一回、自分の全てを掛けてみる気はあるか?」

 伏せていた顔を上げて、黒い少女は泣き腫らした顔で挑むような視線を投げる。

 トビネズミの顔は、不敵に笑っていた。

「理屈っぽいこといったけどな、俺だって冗談じゃないんだよ、こんな話は!」

 彼は本気で怒っていた。菓子鉢の中のピスタチオを一つとって、バリバリと噛み砕く。

「だから、俺は徹底的にほむらに協力する。クソッタレな運命をぶっ壊してやる!」

「トムヤン君!」

「でも、さっき……」

「『暁美ほむらのたどる時間軸』ではって言ったろ?」

 ピスタチオの殻をぽいっとテーブルに放り、そこに食べられていない実をぶち当てた。

 殻が勢い良く弾かれ、中身の入っているピスタチオだけが残る。

「俺達はほむらの時間軸にとってイレギュラーだ。それが、今回のマミのことで証明された。

 俺達が協力すれば、ほむらの定めを変えられるんだ。こんな風にな」

「トムヤン……」

「事情を話してくれたのがこのタイミングでよかったよ。

 あらかじめマミのことを聞いてたらそっちの法則に干渉されてる可能性もあったからな。

 でも、最初の分岐が変わった以上、もうこの世界は『暁美ほむらが知っている世界』じゃ無くなった」

「それなら!」

 ネズミは笑い、それから首を振って表情を真剣なものにする。

「でも、こいつは危険な賭けになる。何が起こるか分らないし、一度だけのチャンスだ。

 次のループが始まったとき俺達が出会っても、その時はバリエーションの一つとして記憶されているからな」

「チャンスがあるというだけで十分だわ。イカサマな胴元から、全てを毟り取る可能性があるなら、なおさらよ」

「つまり俺達がジョーカーってわけだ。白いイカサマ野郎から未来を取り戻す、最後の切り札」

 そこまで言うと、トムヤンはとことこと唯の元まで駆けてきた。それから何かを促すように袖口を引っ張る。

 なんとなく意図するところを汲むと、唯は彼を掌の上の載せてほむらと同じ目の高さに上げた。

「ほむら、天使と相乗りする気はあるかい?」

 ひょいと上げた小さな手、そこにほむらの指がそっと差し出される。

「すでに悪魔と契約している身よ。未来を掴むためなら、なんだってするわ」

「よっしゃ! 契約成立だな!」

「それにしても……あなたは天使ってがらじゃないでしょ?」

 彼女は微笑んでいた、染み入るような優しい顔で。

 差し出された彼女の指に、唯も自分の指を重ね合わせる。

「もちろん天使は俺の主の方。でも俺達は一心同体、二人で一人の魔法少女だからな」

「トム君、決め台詞はよそから持ってきちゃ駄目だよ?」

「いいじゃん。気に入ってるんだよ、あれ」

 軽口を叩きながら、唯は彼女の手の指が冷たくなっていることに気が付いた。

 緊張と絶望でこわばっていた手を、優しく握り締める。

「香苗さん……」

「冷たくなってるよ、手」

「そりゃ大変だ。俺もあっためてやるよ」

 柔らかな毛を押し付けて、トムヤンも暖かさを伝えようとする。

 彼女の手に、握り返す力がこもった。

「ありがとう……二人とも」

 ほむらは、泣き笑いの顔をしていた。涙の流れがいくつも頬を洗い、氷の無表情を溶かしていく。

「……なんでおともの毛はふさふさしてるか、知ってるか? ほむら」

「どうして?」

「泣いてる女の子の涙を拭うためさ」

 ひょいっとほむらの肩に乗り、その顔に体を沿わせる。

 唯も泣き笑いの顔になって、小さなおともに質問した。

「毛が無い子はどうするの?」

「その時はハンカチを出すんだよ」

 きざったらしいセリフに二人が笑いあい、トムヤンが憮然とした顔でほむらの涙を自分の体に吸わせていく。

 あとで思い切り嫌味を言ってやろう、泣いている自分を放っておいて彼女の涙を拭っているおともに。

 でも今は、この暖かな気持ちをかみ締めよう。

 そして唯は自分に出来ることをすることにした。

「そろそろご飯にしようか!」

「そういや腹減ったなー。もちろん食ってくよな、ほむら」

 心からの笑顔で、暁美ほむらは応じた。

「ええ。……ありがとう」



[27333] 第十話「泰山鳴動して鼠一匹」
Name: 犬太◆93ceb70e ID:97db629a
Date: 2011/05/28 15:33
 ビルの立地の関係で、午前中に部屋の中へ日は差してこない。

 虚ろな目をしたまま、マミは窓の外を見つめていた。

 多分、顔はむくんでいるだろう。一晩中泣いていたから、目だってきっと真っ赤だ。

 丁度マミの目が届く範囲、ガラスのテーブルの上には宝石が一個転がっている。

 それは邪悪な魔女の体から生み出されたとは思えない、美しい輝きを放っていた。

 極め付けにレアな、穢れをほとんど持たないグリーフシード。

 自分をはね飛ばし、魔女を撃退した少女が残したものだ。

 伝聞でしか聞いていない彼女の存在は不気味であり、謎そのもの。

 結局、泣き明かした夜明けに自分が考えていたのは、スパイシーユイという辛すぎる刺激物のことだった。

 体に全く力が入らない、昨日から何も口にしていないし、学校も結局休んでしまった。

 何気なく、指輪状態を解除してソウルジェムを掌に載せる。

 輝きが微妙に褪せ、黒ずみが入っているように見える。穢れが溜まりつつある証拠だった。

 ちらりと、贈り物に視線が走る。あれを使えば、すぐにでも穢れは消せるだろう。

 だが、そんな気持ちは打ち消して、マミは立ち上がった。

 そうだ、誰がなんと言おうと、自分はこの見滝原を守るものだ。誰に理解されなくてもいい。

 誰が味方しなくても、

『マミさんはもう一人ぼっちなんかじゃないです』

 きゅっと、胸が締め付けられる。そう言ってくれた彼女は、今日は自分の家に来てくれるだろうか。

 そういえば、

「私、あの子の携帯番号、知らなかったっけ……」

 呟いたマミの頬を、また一筋涙が伝わる。

 彼女の掌の中で握られていたソウルジェムの影が、わずかばかり深まった。


最終話「泰山鳴動して鼠一匹」


 昼下がりの光が病院のガラスを通り抜けて廊下へと差し込んでいる。

 だが、その輝きは妙に曇りがちで、灰色にくすんでいるようにさやかは感じた。

「しばらく来ないで欲しいって、どういうことですか」

 自分よりはるかに背の高い、恭介の父親は弱々しい笑顔で首を振った。

「昨日……急に体調を崩してね。その、少し安静にしないといけないんだ。

 リハビリを、熱心にしすぎたせいだと、お医者様は言っていた」

「絶対安静、ってことですか?」

「いや! そこまでは悪くないんだが……とにかく、今は恭介を、落ち着いた環境においてやりたいんだ。

 体調が整ったら、こちらから連絡するよ」

 どう考えても、言葉に溢れているのは嘘の匂い。

 必死で何かを覆い隠そうとしている、だがそれを無理に問いただしても、恭介の父親を苦しめるだけだ。

「分りました! 後であいつが元気になったら、また来ますね!」

「……ありがとう」

 無理やり元気な笑顔を作るとお辞儀を一つして廊下を去る。

 だが、折角取り繕った自分の顔は、あっという間に苦痛と悔しさで一杯になってしまった。

(こんなとき、あたしはあいつに何もしてあげられない……)

 光がくすんでいる。いや、くすんでいるのは世界を見る自分の目だ。

 世界は光と暖かさで満ちているはずなのに、それは恭介にも、自分にも関わりの無いことでしかなかった。

 その胸の内に、声が差し込む。

『僕と契約してくれたら、なんでも一つ願い事を叶えてあげるよ』

 それは囁き。甘い囁き。

 そのはずだった。

『巴マミに守ってもらっていい気になってた、ただの一般人だろ!?』

 天を貫く竜巻を創造し、拳の一撃でマミを食らいかけた化物を粉砕する少女。

 それが記憶の奥から浮かび上がって、鼓動が嫌な感じで早まる。

 優雅さなど微塵も入り込まない荒ぶる姿。

 マミの戦い方とは一線を画する彼女の存在が魔法少女に対する思いにひびを入れていた。

 マミの存在は確かに美しかったが、何処か浮世離れしていた。

 だから自分もあんなふうになりたいと、簡単に憧れることができた。

 だが、彼女は魔女に殺されかけ、それを打ち破ったのは拳を振るって戦う者。

 死が待つ恐ろしい世界ということが、改めて胸に染みて来る。

 甘い幻想が殺され、後に残ったのは苦い現実。

(あんなのが居る世界で、本当にあたし、戦えるのかな)

 魔法少女という言葉が、さやかの体を誰も居ない廊下の真ん中に縛り付けていた。


 自宅の机に座り頬杖を付きながら、まどかはノートを見つめていた。

 そこに描かれているのは自分が魔法少女になったときの衣装の構想や、マミの姿を写し取ったもの。

 漫画っぽい絵には結構自信があった。

 自分にとっての数少ない特技で、弟のタツヤにせがまれてアニメのキャラクターを描いて上げる事もある。

 次のページをめくり、描かれていたものをあらためた。

 そこには同じように魔法少女らしきものが描かれているが、その存在は異質だった。

 防具で腕をよろい、顔を仮面で隠した彼女。

 何処か怖い印象で描いてしまうのは、あのときの戦い方が強烈だったからだ。

「……キュゥべぇ」

「なんだい、まどか」

「あの、スパイシーユイって、子の事なんだけど」

「すまない。僕にとって彼女の存在は意外そのものなんだ、暁美ほむら以上のね」

 キュゥべぇは、彼女のことについて何も知らないとだけ答えていた。

 彼女はおそらく、自分を疎んじた少女の一人であるだろう。

 そういう少女達の意思を尊重し、キュゥべぇは彼女達から和解の連絡が無い限り、近づかないようにしているという。

「もちろん、僕としても彼女とは友好的な関係を築きたい。

 あれだけの強力な力を持った存在だ。魔女と戦う上で十分以上の戦力になるからね」

「この前、私はすごい魔法少女になるって、言ってくれたよね」

「君には素質がある。願い事次第ではすごい魔法少女になれる、そう言ったつもりだよ」

「あの子は、どんな願い事をしたのかな」

 いくつも姿を変え、強力な魔女を向こうに回して一歩も引かない背中。

 そんな魔法少女になるために、彼女はどんな思いをかけたんだろう。

『だからマミさんみたいにカッコよくて素敵な人になれたら、それだけで十分に幸せなんだけど』

 自分の言葉が急に蘇ってくる。きゅっと目をつぶってまどかはこみ上げる恥ずかしさに耐えた。

 マミさんは自分が生き抜きたいと願ってあの力を手に入れた。でも、あの魔女に殺されかけた。

 そして、あのスパイシーユイと名乗る少女は、その魔女を完全に打ち倒した。

 つまりそれは、マミの願い以上の強いものを、あの少女が背負っているということではないのか?

 こんな軽い気持ちじゃ、あんなふうにはとてもなれそうも無い。

「まどか、どうしたんだい?」

「なんでもない」

 ノートを閉じると、まどかは部屋を出る。

 キュゥべぇは、追いかけてこなかった。


 すでに自分の家のように馴染みになった玄関をくぐると、先に立った唯が大急ぎで二階に上がっていく。

「適当に座っててねー。トムヤン君ー、準備できたー?」

「ああ。後はユイの準備だけー」

 どうやらトビネズミは居間にいるらしい。挨拶をしてそのまま上がりこみ、小さな姿に言葉を掛ける。

「こんにちは、トムヤン」

「おっす! 相変わらず覇気が無いなーほむらー」

 軽い揶揄を込めて笑いながら返してくる。

 始めは鬱陶しいと思っていた彼の姿も、今では別の感情をもって眺めることが出来た。

「ところでそれは?」

「ソニックフォームをエンチャントする準備さ。この前は感情の昂ぶりで発動しただけで不安定だからな。

 ユイに速さを司ってくれそうなものを出してもらって、魔法を掛けるんだ」

 白い紙に羽ペンで描かれた複雑な魔方陣。

 手近なところにはネズミサイズの古びた分厚い本や羊皮紙が転がっている。

 彼のお手製らしい製作物を見てほむらは素直に感心した。

「何でも出来るのね、あなたって」

「まーねー。どんな世界に行っても対応できるようにしっかり勉強してきたからなー」

「おともの勉強って、どんなことをするの?」

 何気ない問いかけに、彼は待ってましたとばかりに説明を開始する。

「まず、変身のサポートや主のメンタルケアについて、変身アイテムの作動原理や運用方法も勉強する。

 索敵技術の習得や戦闘訓練なんかを選択する奴もいるな。後は自分の魔法技術を高めたり異世界の知識や習俗の学習。

 他にも魔法薬の調合や錬金術とか、そういや必修の秘儀言語もあって、

 こっちで使うのだとラテンにギリシアにヘブライ、あとはルーンにオガム……」

 詰め込んだら小さな体が風船みたいに膨らみそうな、

 情報や技能の数を列挙するトムヤンに、小さな箱を持ち込んできた唯が声を掛ける。

「とにかくがんばり屋さんってことなんだよ。特にトム君はね」

「卒業してからも特別講習とか受けてたからなー。おかげでこっちに来て役に立つことが一杯あるよ。

 っと、それでいいのか?」

「うん」

 箱から取り出されたのは、小さな陸上用のシューズ。

 使い込まれているためにぼろぼろになってしまっているが、汚れは丁寧に払われていた。

「それは?」

「私が小学生のときに使ってた最初のシューズ。

 もう使えないんだけど、なんだか捨てられなくて」

「いいのか? 普通に履けなくなった靴とかでもいいんだぞ?」

 ためらいがちに顔色を覗うトムヤンに、唯は笑顔で頷いた。

「使い方が違っちゃうのはちょっと複雑だけど、思ったの。

 誰かを救うために走るなら、この子と一緒がいいって」

「分った。ユイ、ペンダント出して」

 シューズにペンダントをかけると、小さなおともは大きく両手を広げた。

「心を許せし友の嘆きに応えし風よ。万象の絶望踏み越えたる我等に疾き力を与えよ!」

 真紅のペンダントが翠に輝き、シューズの輪郭が砕けてその中に吸い込まれていく。

 不思議な儀式はあっさりと終わった。

「それが本当の魔法なのね」

「魔法には本当も嘘も無いさ。ただの技術だからな」

 儀式が終了したテーブルをてきぱきと片付けながら、トムヤンが背中で語る。

「君達の力だって、それだけを取り出してみれば俺のやってることとそう大差は無い。

 ただ……それがどのようにもたらされ、どんな影響を与えるかってとこが、違うだけさ」

「でも、香苗さんがうらやましいわ」

 すでに彼女の姿は無い、キッチンにお茶とお菓子の準備に行っている。

 そのことを知りつつ、ほむらはぽつぽつと思いを零していく。

「どうしてあなたが、私やマミさんや、まどかの所に来なかったのかな」

「……ごめんな、ほむら」

「恨んでいるわけじゃないの。ただ、うらやましいだけ」

 それは本当の気持ち。きっと彼と一緒なら、どんな困難でも乗り越えて行けるだろう。

 それは適うことの無い、無いものねだりの願い。

「俺は今、ここに居る。ユイとほむらの仲間として、全力でサポートするおともとして。

それで納得してくれたら、うれしいんだけどな」

「大丈夫よ。さっきのは、忘れて」

 そこで言葉を切り、ほむらは改めて自分の胸の内を明かした。

 以前とは比べ物にならにほどの明るい愚痴を。

「人間て欲張りね。少し前まで、私はまどかだけでも助けたい、

 それ以外は何も考えなくていいって、思ってた」

 でも今は希望がある。だからこそ、あの時得られなかったものを、ここで取り戻せたらと願う。

 いや、取り戻したいと考えている。

「今は、みんな助けたい。私なんか、どうなってもいいから」

「まーだそんなこと言ってんのか、このバカほむら」

 ひょいっと飛び上がると、トビネズミがほむらの白いおでこをぱしっと叩いた。

「っ!?」

「君も幸せになるんだよ、みんなと一緒に。でなきゃまどかちゃんが泣くだろ。もちろんユイもな」

「……私も、幸せに?」

「もっと欲張れほむら! 言っただろ? 手を伸ばせって」

 もう、本当に勘弁して欲しい。

 こんなに泣いてしまったら、昔のどんくさくて何も出来なかったころの暁美ほむらみたいじゃない。

「あー! トム君っ! 暁美さん泣かしたら駄目だよっ!」

「ちっ、違うって! ほむらが勝手に泣いたんだよ! ったく、泣き虫なんだからさーほむらはー」

「……うん。そうだね。私、泣き虫だ」

 でも、今はただ泣いているだけじゃない。泣いてもまた立ち上がれる強さがあり、一緒に歩いてくれる仲間が居る。

 零れるうれしさを拭うと、急須と茶碗を手に戻った唯を迎えるため、立ち上がった。

「私も手伝うわ、香苗さん」





 さやさやとこずえを鳴らして背の低い木が揺れている。

 快晴ではあるが日差しはそれほどきつく無い。

 初夏の気配を漂わせた庭、板塀の前に並んだ低木樹たちがそよ風を受けて優しく謡っていた。

 縁側から見えるその景色は、日本という国の持つ静かな安らぎの要素が濃縮されているようだ。

「ええ風やなぁ」

 日の当たる縁側には二つの影があった。声を掛けたのは、大きな座布団に座った一匹の獣だ。

 ただし、どのような意味においても、それは動物学者が言うところの『獣』ではなかった。

 オレンジ色の体色に小さな白い翼を持ち、ライオンのような房が先端を飾る尻尾。

 顔は猫科の獣に似ているがデフォルメがきつく、目は点のようにしか見えない。

「そうですね。このところお湿りとお天気が、ちょうどいい具合で来ていましたから」

 奇妙な動物の言葉を受けて微笑むのは、メガネをかけた青年だった。

 全体的に体の線は細い、いや華奢と言い換えてもいいだろう。

 着流しにゆるく帯を締め、傍らには見事な細工が施された漆塗りの煙草盆を置いている。

「ともかく、用事を済ましてしまうか。ほれ」

 獣が差し出してきたのは、唐草模様の風呂敷包み。

 包み方を見ればそれが縦に長い物を入れているということが分る。

「ありがとうございます」

「しかし、そないなもんでよかったんか?」

「ええ。今回は借り出しという形ですからね。対価は、これで十分です」

 女性のものと言ってもいい繊細な手が包みを解く。中から現れたのはエチケットが大分くたびれたスコッチの瓶。

 琥珀と言うにはかなり枯れた色に深まったそれを、彼が日にかざして透かし見る。

「いい色ですね。いい年を重ねてる」

「貰いもんなんやけどな。うちは誰も飲めへんから、ずっとしまいっぱなしにしとった」

「最近、うちの呑んべぇが洋酒にはまってしまったので、これで少しは足しになります」

 笑いながらそういうと、彼は傍らの煙草盆においてあった、小さな飾りを手に取る。

 星を円が囲み、その縁に翼の付いた小さな杖が象られたそれを、手ずから渡した。

「おおきに」

「そちらは、どうですか?」

「わいら全員、例の奴に対抗する、という話になったわ」

 かわいらしい顔に皺を寄せ、腕組みをする獣。

 青年は顔をわずかに曇らせ、傍らの煙草盆に乗った煙管を手に取った。

「事が事だけにな。何より、あいつの犠牲になった子たちが浮かばれんによって。

 話を聞いたおともや現役の子はもちろん、今は一線から身を引いてる女の子達も、

 大層怒っとってな、二つ返事だったそうや」

「それで杖を」

「止めたんやけど、あかんかったわ」

 複雑な表情を浮かべた獣が沈黙し、青年が断りを入れて煙草に火を入れる。

 沈黙が訪れた庭に、風のさやぎだけが渡る。

 重たい空気を破ったのは、障子を隔てた部屋の向こうから青年を呼ぶ子供のような声だった。

 軽く会釈をしてから、彼は部屋の奥へと入っていく。

「分ったから部屋で待たせとけ! ……なにぃ? 鱧だって? それで下ごしらえは……ってぴちぴちじゃねぇよ! 

 骨きりするのにどんだけ手間が掛かると……ああ、もうっ。

 とりあえず全部やってやる! 天麩羅に土瓶蒸しに湯引きだな! 焼酎が無いって、おまえなぁ……

 倉にもらい物の『錫神』があったろ、あれ開けていいから!」

 ため息をつきながら戻ってきた青年に、獣が笑いながら苦労をねぎらった。

「相変わらずやな、あの黒饅頭」

「ほんと参りますよ。誰に似たんだか」

 そう言った彼の視線がふっと遠いものに変わる。

 失ってしまった何かを思い出し、それでもなお、その面影を見ようとするまなざし。

 それを礼儀正しく看過し、獣は立ち上がった。

「じゃ、そろそろお暇させてもらうわ」

「折角ですからどうですか? 鱧」

「ありがたいんやけどなー、結構急ぎやねん。また寄らせてもらうわ」

 そう言って縁側から下りた獣を追うように青年が立ち上がる。

 同時に、土の地面に月と太陽を中心に描いた魔法陣が浮かび上がった。

「そういえば、一つ忘れていました」

「なにがや?」

 獣の乗った魔法陣が少しずつ輝きを増していく。

 全てを透徹するような光を瞳に宿し、彼は言の葉を口にした。

「あなたが来る直前にユメを見たんです」

「……どんなユメやったんや?」

 獣は正しく理解していた。

 次元を渡る魔女の側に在り、その店を継いだ若き当主の見た『ユメ』は、ただの夢ではありえないと。

「ひどくぼんやりとした印象でしたから、覚えていられたのは一つだけでした」

 メガネに光が当たり、一瞬視線が隠れる。そして、彼は告げた。

「泰山鳴動して鼠一匹」

「……この一件が、たいしたことにならんっちゅうことか?」

「いいえ。言葉どおりの意味です、鼠が、山を動かすんですよ」

 不思議な言葉を受けた獣が首をかしげながら魔方陣とともに姿を消す。

 後に残された青年はもう一度座りなおし、火が付いたままの煙管を口に咥える。

 長く吐き出された煙が、風に乗ってかすんで消えていった。



[27333] らじかる☆トムヤン君!第一話「どこ行っちゃったのよ、トムヤン君!」
Name: 犬太◆93ceb70e ID:97db629a
Date: 2011/05/29 19:38
 軽いノックの音がする。

 ドアの向こうから優しく叩いてくるのは、きっとおとうさんだろう。

 でも、今は動けない、動きたくない。

「入っちゃダメかな?」

「……うん」

「先生から聞いたよ。相手の子、鼻血出しちゃったんだって?」

 膝を抱えてうずくまった姿勢が、少し縮んでしまう。

 今でも、手にあのときの感覚が残っている気がする。答えを返さないこちらに、声は深く優しく響いた。

「でも、唯だってちゃんと謝ったんだろう?」

「……うん」

「相手の子だって、許してくれるって言ったんだろう?」

「……うん」

 でも、やっぱり納得できない。自分の手が、誰かを傷つけるためにあるなんてことは。

「おとうさん、わたし、もう行かない。どうじょう」

「怖いから?」

「だって、だれかをなぐったり、けったりして、けがさせたらいやだもん」

「そっか……」

 少しだけ落ち込んだような声、でもすぐにそれは明るいものになった。

「唯は女の子だもんな、強くなくてもいいか」

「ごめんなさい。おとうさん」

「いいんだよ。お前が自分で決めたんだから。……ただ」

 もう一度ノックして、大きな体が部屋の中に入ってくる。

 それから床にしゃがみこんで同じ目の高さに顔をあわせると、言葉を続けた。

「戦うことを、いけないことだとは思わないでいて欲しいんだ」

「なんで? だって、いたくするのは、いけないことでしょ?」

「もちろん。誰かを傷つけるためだけに戦うのは良くないことだ」

 大きな掌が頭の上にそっと載せられ、くしゃくしゃと髪の毛をかき回す。

「でも、本当に拳を握らなきゃいけないときは、それを開いちゃいけいない。

 愚かなのはただ戦うことを選ぶこと、そして戦うこと自体を否定することだ」

 難しいことを言われてきょとんとしている自分に、おとうさんは少し難しかったかな、と苦笑しつつ、もう一言付け加えた。

「『正義なき力は無能なり、されど力なき正義もまた無能なり』……ってね」

「……よくわかんないよ。おとうさん」

「そっか。まぁ、いいさ」

 にっこり笑うと唯の体を高々と抱き上げてくれる。大きくて暖かい体にしっかり
としがみつく。

「さ、下に降りようか。もうご飯の時間だよ」

「うん!」


第一話「どこ行っちゃったのよ、トムヤン君!」


 肩で風を切るように、ほむらは廊下を歩いていた。

 転校してきて結構時間は経っていると思うが、自分の容姿はよほど人目を惹きやすいのだろう。

 はるかな昔、自分はみんなの顔色を覗うおどおどした態度の少女だった。

 今はと言えば、実はそれほど変わっていない。

 相手の視線を『無視』して生活するということは、結局のところ相手の顔色を覗うという態度の反転。

 相手の視線に恐怖を感じてそこから逃げているだけなのだ。

 人間社会で生きていくなら、視線も言葉も交わされなければならない。

 だが、残念ながら暁美ほむらと言う少女は、そうしたコミュニケーションの基本を身に付ける環境を持たなかった。

 ゆえに、

「おはよう。まどか」

 言葉とは裏腹に、彼女の顔には鬼相が宿ってしまっていた。

「お、はよう。ほむらちゃん」

 目の前のまどかは、今にも『ぴぃっ!?』という鳴き声を出しそうな表情。

 その脇に陣取っていた美樹さやかはあからさまな嫌悪をむき出しにしている。

「なんの用だよ。転校生」

「お……」

 ほんの少し口を開きかけ、そのまま閉じてしまう。ほむらは彼女から視線を外し、志筑仁美に会釈をする。

 礼儀正しく彼女が会釈を返すのを認めて、自分の席へと戻った。

 なにやらぶちぶちと文句を垂れ流すさやかの言葉を聞き流し、

 何気ない風を装って椅子に座り込んだほむらに、声ならざる声が届いてきた。

『どうだった? ちゃんと挨拶できた?』

 軽く顔を伏せ、ほむらは心の中を苦鳴で一杯にして唯に返事を送った。

『……ごめんなさい。まどかとは、出来たんだけど』

『美樹さんとは?』

 教科書を机の上に出しながら弁解が続く。

 というか、あんな顔で睨みつけられたら自分だって愛想良く挨拶などできるわけが無い。

『作戦は失敗したわ』

『かっこよく言ってもダメっ! もうー、トム君の心配した通りじゃない!』

『やっぱり私には無理よ、香苗さん。笑顔で挨拶だなんて』

 正面のホワイトボードを向いて先生が来るのを待つ振りをしつつ、弁解と謝罪と言い訳とヘタレな自分への情けなさを、

 頭の中でぐるぐる巡らせるほむらに唯の説教が続く。

『大体、魔女とか怖い相手と戦えるんだもん、挨拶ぐらい難しくないでしょ?』

『魔女には挨拶はいらないし、愛想良くする必要もないもの』

『そんなんじゃダメ! 折角作戦立てたんだから、任務続行だよ!』

 天でも仰ぎたい気分になりながら、ほむらは相変わらず表情だけは崩さずに作戦を反芻した。


「ほむら、君の態度は変えなきゃダメだ」

「……どういうこと?」

 食事の後、トムヤンはこちらを値踏みするような表情で告げた。

「みんなに被害を出させないようにするためには、少しでも早く『魔法少女の真実』の情報を流し、

 キュゥべぇのたくらみに気が付いてもらう必要がある」

「それと私の態度と、どんな関係が?」

「俺達が協力するのであれば、まどかちゃんの性格や行動をある程度把握できる君に、

 彼女の近くに居てもらったほうがいい。

 そのためには『ミステリアスな敵対者』の仮面は邪魔なんだ」

 確かに、自分はまどかと親しくなることを自ら禁じ、

 敵対関係のような空気を作りつつキュゥべぇの影響から守ろうとした。

 だが、唯とトムヤンのコンビによって、世界はほむらが知っている筋道から変わりつつある。

 同時に、彼らのおかげで何かことが起これば対処も容易になっているわけだし、

 その意見にも一理あるとほむらは考えた。

「これから阻止しなきゃいけない事件は三つ。一つ目は巴マミの暴走」

 彼女は幾度目かのループのとき、魔法少女の真実に触れて正気を失った。

 あの時の彼女は正視に耐えなかったし、同じ過ちは繰り返して欲しくない。

 しかも、今回のループは彼女が生存しているので、なるべく早めに解決したい事案だ。

「二つ目は鹿目まどかの契約。とはいっても、彼女の問題は根本的な理由だからな、

 全ての任務において優先される最終目標としておくべきだろうな」

「三つ目は……美樹さやかね」

「そうだ。三つ目、美樹さやかの契約。これが一番厄介な気がするんだよなぁ」

 上條恭介の治療に対する彼女の情熱は、はっきり言って異常ともいえる。

 恋慕から出発しているため、その意思を翻させるのは困難だ。

 そんな事情を知りつつ、トムヤンはこちらに指を突きつけて宣言した。

「だから、出来る手は全部打っておきたい。

 そのために必要なんだ。暁美ほむらが美樹さやかと仲良くするってことがな!」

 無理です。

 声にもテレパシーにも乗せなかったが、暁美ほむらは全身全霊で呻いた。

 そもそも美樹さやかとはどのループでも相性が悪い。というか、仲良くできたためしが無い。

 たしか、まだ魔法少女の定めも知らなかった頃の自分が、優しくしてもらったような気がしないでも無い、

 というような気の迷いめいた記憶が微かにある、と思う。

 本当にそういう感じなのだ。

 何処かのループでマミに『まどかとの関係にやきもちを焼いている』という指摘があったが、それもいくらか原因があるのだろうか。

 こちらとしては、正直さやかに対して含むところなどは全く無い。

 せいぜい魔女化して手間を増やしてくれる問題児、という感覚だ。

 しかし、その彼女がまどかの魔法少女化を促しかねない原因でもある。

 避けて通るわけにも行かないし、関わるととことんまで面倒、まさに頭痛の種といったところか。

『もしもーし、暁美さーん、聞いてますかー』

『え!? き、聞こえているわ』

 大分ゴキゲン斜めの唯に慌てて返信を送る。

 唯は語調を柔らかなものに改め、こちらを励ますように声援を送ってきた。

『がんばれ暁美さん! とにかくスマイル! アンド! フレンドリー! でね!』

 無理ですっ。

 と、力いっぱい言いたいのを我慢して、ほむらは了解を発信する。

 そのタイミングを計ったように早乙女先生が顔を出した。

 その表情は妙に朗らかで足取りも軽い。その様子を見てほむらが心の中で膝を打つ。

 今日は、早乙女先生が性懲りもなく、新しく始まった恋の話をぶちかます日だ。

 ちなみにこの関係はワルプルギスの夜まで持たない。

『玄関に入る時に右足から入るか左足から入るか』という、ほんっとうにどうでもいい理由で別れることになるからだ。

「今日は皆さんに、大変うれしいお知らせがあります! 心して聞いてくださいっ!」

 彼女のニコニコぶりを見つめるうんざりした表情のさやかを見て、ほむらは思った。

 今ならきっと、彼女と心を重ね合わせられるだろう。

 早乙女先生、いい加減にしてください、と。


 白い雲が薄く渡る空を望む屋上で、さやかはまどかと黙ってお昼を食べていた。

 いつもならもう少し喋ることが会っただろうし、早乙女先生の新しい恋がどれだけ短命で終わるか

 賭けでもしていたところだろう。

 そんな停滞した空気を打ち破ったのは、まどかだった。

「あ、あのね、さやかちゃん?」

「ん? なに、まどか」
「その……マミさんとは、会ってる?」

 思わず箸を持つ手が止まる。

 まどかの表情を見れば一目瞭然だが、彼女自身も行っていないのだろうとあたりをつけた。

「あ、あたしは、用事があって、ちょっとね。まどかこそ、どうなのよ」

「……チャイム押しても出てきてくれなかったの。クラスに行って聞いたら、病欠なんだって」

「そ! そうなんだ! じゃあ、後でお見舞いに行こっか!」

 魔法少女が病欠というのも何か奇妙な気がするが、所詮は魔法が使えるだけの人間に過ぎない。

 そんな事もあるのだろうと思いなおす。

「お見舞いって言えば! 上條君の方はどう?」

「恭、介……?」

 寸でのところで、こみ上げた黒いものはぶちまけずに済んだ。

 代わりに苦笑いでその場をごまかしに掛かる。

「それがさぁ、あいつってばリハビリのやりすぎでぶっ倒れちゃったんだって! 笑っちゃうよねー」

「だ、大丈夫なの!?」

「ん? へーきへーき。お父さんもちょっと安静にしてれば治るって言ってたし、

 症状が落ち着いたら連絡くれるってさ!」

 こちらの態度を素直に受け取ってくれるまどかに、心の中で感謝する。

 後一歩踏み込まれていたら、胸の内を明かしてしまっていたかもしれない。

 心配でないわけが無い。今だって少しでも気を抜くと頭がおかしくなりそうだった。

 事故に会ったと聞いたときと同じか、それ以上の不安感。

 恭介をイメージさせるものを見るたび、何かの拍子にバイオリンの音を聞くたび、

 まぶたの裏が痛くなるほどに。

「さやかちゃん?」

「へぇっ!?」

 心配そうに見つめてくる彼女に、さらに嘘を糊塗する。

「あ、あははは、ごめーん。昨日ちょっとテレビだらだら見てたせいか夜更かししちゃってさー、

 眠くて眠くて」

 手早く弁当箱をたたむと、さやかは立ち上がった。

「ごめん、ちょっと食欲無いし、先に戻るわ」

「う、うん。じゃ、あたしも」

「ほほう? それではまどかさんは私と一緒にどこまでも来てくれるのですかな?

 例えばおトイレの中とかー?」

「もう、さやかちゃんてばー!」

 ニヤニヤ笑いと下ネタでまどかを軽く引かせると、手を振って非常階段へと小走りに駆け出す。

 後ろ手でドアを閉めたところで、さやかはようやく本来の顔を取り戻した。

 苦痛と不安の無い混ぜになった、歪んだ顔を。

「きょうすけぇ……っ」

 まどかの前で泣くわけには行かない。

 誰にも悟られたくない、自分が元気をなくしてしまったら、それで何もかも終わってしまう気がする。

 恭介が大変なことになっていると、認めてしまうようで。

 そう何度も心に言い聞かせているのに、漏らした声はしわがれたままだった。

「あいたいよぉっ、恭介ぇっ」

 抑えきれない思いが思わず口から漏れて、さやかはわき目も振らず階段を駆け下りていく。

 しばらくトイレからは出られそうも無い、せめてこの気持ちが落ち着くまでは、そんなことを思いながら。

 だから、彼女は気が付かない。

 非常ドアのすぐ側の影で、嘆きの全てを見ていた白い生き物に。


 いつも通りに部活を追えると、唯は校門を抜けて街の方へ向かっていた。

 ふと、ものすごく苦虫を噛み潰した表情のほむらを思い出しため息をつく。

 戦闘技術が異様に高く、何度ループを繰り返そうとも親友を助けるためなら、

 決して折れようとしない鋼の戦士。

 だが、一皮剥いてみたら中身はコミュニケーション下手の内気な女の子でした、

 という漫画かラノベみたいなオチが付いてきた彼女。

 危なっかしくて見ていられない、そう思った唯は必ずお昼を一緒に食べたり、

 休み時間には彼女のクラスまで顔を出すようにしていた。

 そのたびにさやかという少女が胡散臭そうな顔を向けてきたが、あえてにっこりと挨拶をするようにしている。

 正直、複雑な人間関係に首を突っ込むのは精神衛生上よろしくない。

 自分だって、ほむらをあげつらえるほどコミュニケーションが得意なわけではないのだ。

 それでも、さやかという女の子の契約は阻止しなくてはならない。

 契約してしまえば必ず精神のバランスを崩し、魔女になってしまうという運命が待っていると聞いているからだ。

 自分は自分のできることをしよう、というより魔女と殴りあったりするよりは、

 そっちの方が結局は精神衛生上よろしい。

 次は自分からさやかに話しかけてみよう、そんなことを考えていたときだった。

 学校前の並木道に、誰かが立っている。

 ロングスカートにカーディガン姿の少女が、こちらをじっと見つめていた。

 何処かで見たことがあるような、そんなことを考えているうちに彼女が目の前から消えた。

 ひどく青ざめ、それでいて目に異様な光をたたえた少女。

 何処かで見たことがある気がするのに思い出せない。

「誰、だっけ」

「……自己紹介は、まだしていないつもりなのだけど?」

「ふわあっ!?」
 いきなり背中越しに声を掛けられ、変身もしていない体が結構派手に飛び上がる。

 声の主はこちらのリアクションに軽く後ろに下がったが、咳払いを一つして落ち着きを取り戻したようだ。

 だが、唯自身はそこまで平静ではいられなかった。

「と、巴マミ、さんっ!」

「私の名前を知ってるの?」

 不思議そうというより訝しそうな顔。

 自分がうっかり吹き飛ばしてしまった魔法少女はこちらの動揺も知らないまま、

 追撃のティロ・フィナーレをぶちかましてきた。

「話があるのだけど、ちょっと付き合っていただけないかしら?」

 全身に思わず冷や汗が流れ始める。

 もしかしたら自分が、あのスパイシーユイと名乗った魔法少女と同一人物であることがばれたのだろうか。

 思わず胸元を強く握り締め、ありったけの思いを込めて念を飛ばす。

『トムヤン君! 聞こえるトムヤン君!?』

 だが、応えは返らず、目の前には静かな眼差しでこちらを見つめるマミがいる。

「どうかしたの?」

「い、いえっ! なんでもないですっ」

「なら、ご一緒していただけるかしら?」

 蛇に睨まれたカエル、いや、ここは猫に睨まれたネズミとでも言えばいいのか。

 唯はどこにいるとも知れないおともに向かって、音の無い絶叫を迸らせた。

『どこ行っちゃったのよ、トムヤン君!』



[27333] 第二話「おほしさま、ひとつ」
Name: 犬太◆93ceb70e ID:97db629a
Date: 2011/06/01 09:57
 ふと目を覚ますと、トムヤンは目の前に横たわった黒い塊をぼんやり見つめた。

 その形と、自分が眠りに落ちる直前の記憶を照らし合わせ、大きなあくびを一つ。

「片付けもせずに寝ちゃったかぁ」

 ぷるぷると頭を振って起き上がり、それから自分の上に掛けられていた小さな毛布と、

 少し離れたところに置いてある水皿とピスタチオの山に気が付いた。

「さっすがユイ。ありがとな」

 ここにはいないパートナーに礼を言うと、がぶがぶと水を飲み、立て続けにピスタチオを貪る。

 そして、改めて自分の造り上げた物を確認した。

 デザートイーグル、ゲームや映画でおなじみの大口径自動拳銃。

 トムヤンのサイズからすればそれは大砲であり、撃つ事は元より、移動させることでさえ困難な代物だ。

 当然ながら、この銃自体は彼の製作物ではない。

 この銃に施した仕掛けが、トムヤンがこの数日眠る暇も惜しんで造り上げたものだ。

「あとは、ほむらに使ってもらって、アライメントを取れば完成かな」

 腹ごしらえを済ませると、トビネズミはいつもどおり窓から飛び出した。

 すでに日は西に傾きつつある。

 魔女退治と並行して行っていた製作作業が予想以上に体に負担を強いていたのだろう。

 完成を確信した途端に、体が長い休息を要求したというわけだ。

「ふああ~っ……なんか、まだ寝たり無いって感じだよ」

 ひょこひょこと塀の上を跳ね飛び、凝りのたまった体を解していく。

 風は気持ちいいし天気も上々、絶好の散歩日和だ。

 そよぐ風に髭を揺らしつつ、ふと彼は空を見上げた。

 自分は今ここにいて、一人の少女と出会い、念願の魔法少女のおともになっている。

 もちろん違反だらけであることは自覚しているし、帰ったら、

 もしかすると二度とおともとして活躍する機会は訪れないかもしれない。

 魔法という力を持ち込むということは、世界に大きな揺らぎをもたらす。

 それは慎重に扱われるべきもので、インキュベーターのやっていることはもちろん、自分の行為だって許されないことだ。
 人道的な行為をすることは大切だが、それで守るべき『法』をないがしろにしてもいいということではない。

 違反は罰されねばならないのだ。

 恩赦ぐらいはあるだろうが、それでも香苗唯の下に戻ることは、決して無いだろう。

 だからどうした、自分の心から湧き出した思いを軽く一蹴して歩き出した。

 自分は今ここにいて、助けたいと思った人を助けるために生きることが出来る。

 世界中のどんなおともよりも、きっと自分は幸せだ。

 そんなことを思っていたトムヤンは、いきなり空が翳っていることに気が付いた。

 まるで入道雲のような黒々としたそれを見つめ、同時に首筋にちりちりとした感覚が走るの感じる。

 雲の影にしてはおかしい、くっきりとしすぎているし、一番上ところにちょんと突き出た三角型の双子山が妙に気になる。

 おまけに、何かが喉を鳴らすような音が――

「の、ど?」

 くるぅりと、顔だけを背後に向けてめぐらせて見る。

「にゃあーぅ」

「ね」

 そこには一匹の黒い子猫が、金色の目をきらきらさせてこちらを見つめていた。

「ねこぉおおおおおおおおっ!?」

「にゃあーん!」

 一目散に獲物に向かってかっとんで来る黒い生き物を何とかかわし、トムヤンの小さな体が塀の上を全力で走り出す。

「二十一世紀に入って十年以上経ってるんだぞ!?」

 誰に言うとでもなく、トビネズミは力いっぱい絶叫した。

「ネズミ型おともが猫に追われるってっ、今更前世紀なネタだろおおおおおおおっ!?」

 全身に命の危険を感じつつ、おともが塀の上をひた走っていた丁度その頃。

 彼の主人である香苗唯もまた、振って湧いたピンチにさらされていたことを知るのは、少し先の話になる。


第二話「おほしさま、ひとつ」


 いつもの帰り道を、まどかは一人で歩いていた。

 見滝原に通うようになってから結構経つが、一緒に帰る人間がいないという経験は多分始めてだ。

 習い事や家の用事で忙しい仁美は先に帰ることが多いが、さやかも今日は調子が悪いからと言って姿を消している。

 ずっと自分の周りにいて契約のことを話していたキュゥべぇすら、今朝から姿を見ていない。

 多分、マミさんのことを心配して彼女についているのだろう。

 最近、色々なことが起こりすぎている。少し前は友達三人で他愛も無い話をしながら、

 学校で勉強したり、放課後遊んだりしていたはずなのに。

 いつの間にか、魔法少女とか魔女とか、別世界の物事が入り込んでいる。

 まるで違う国に迷い込んでしまったような、そんな気持ちがする。

 いや、実際には何も変わっていないのだ。

 別にマミやキュゥべぇを始めとする魔法少女の関係者はずっと身近にいた。

 ただ、自分がそれに気が付かなかっただけで。

 気が付かなかった事はもう一つある。それは、さやかの抱えている悩みだ。

 今日のお昼に感じた違和感。いつもどおりの元気そうな表情に影があったこと。

 それでもそのことに触れられなかったのは、その顔が必死に『聞かないで』と言っている様に感じたから。

「上條君、何かあったのかな」

 ずっと幼馴染として一緒に過ごしていて、その相手に恋をしているとわかった。

 そのことをさやかから打ち明られたときのことは、今でも覚えている。

『変な感じ、なんだよ。ホント。あいつのことをさ、ずーっと見てきたはずなのに、もしかしたらって、

 これって恋なんじゃないか! って思ったらさ。ぱーっと、目の前が明るくなったんだ』

 元気で明るくて、何事もはっきりとさせないと気がすまないさやかが、初めてはにかみながら、

 自分の気持ちを確かめるように言っていた。

『それで、んん、その、照れくさいんだけど、あ、あたしは! あいつのことが好き……

 美樹さやかは、上條恭介が……好きなんだ、って、思ったんだ』

 その日は自分がケーキを奢り、さやかの初恋が実るようにとお祝いをした。

 初恋は実らないなんてジンクスがあるけど、そんなものは自分が蹴散らしてやる。

 そんな風に言っていた彼女が眩しかった。

「どうして、なのかな」

 まどかは素直な気持ちを零した。

 別にさやかが何をしたわけでもない、上條恭介が悪かったわけでもない。

 しかし、事故と言う理不尽が、二人の幸せな時間が刻まれるのを阻もうとしている。

 何か二人にして上げられることはないのか。そう思った瞬間、脳裏に白い影がよぎる。

『僕と契約してくれたら、なんでも一つ願い事を叶えてあげるよ』

 願い、そう願いさえすればすぐ手の届く奇跡。

 その代わり、戦いの運命を背負い、苦しみながら生きていくことを選ばなければならない。

 あの魔女との戦いの前、自分が仲間になると言った時、マミは涙を流していた。

 新しい仲間が出来ると、孤独な戦いをこれ以上しないで済むと。

 そして、その彼女ですら、ほんの一瞬で死ぬかもしれない場が、すぐ側に口を明けている世界。

『巴マミに守ってもらっていい気になってた、ただの一般人だろ!?』

 あのときの叱責に、自分は何の反論もできなかった。

 なんてダメな子なんだろう。自分の中にくすんだ灰色の感情がわきあがってくる。

 あんなに調子のいいことを言っておいて、一人ぼっちじゃないなどと、期待させるようなことを言っておいて、

 いざ現実を目の前にすると気持ちが萎んでしまう。

 そして、親友が苦しんでいると言うのに、自分のできることにもためらってしまう。

「私は……」

「うわあああああっ!?」

 奇妙な声がまどかの視線を上げさせた。

 それは自分の顔よりも少し高い位置、手近なブロック塀の上からしてくる。

「え、エイミー?」

 それは時々自分がエサをやっている野良の黒猫だった。

 まさか、エイミーまで喋るようになったのかと思ったが、実際には違っていた。

 小さなネズミが絶叫しつつ走っている、黒猫に追いかけられて。

 いくらなんでもひどすぎる。

 喋る変な生物に、魔法少女に魔女、それだけでもお腹いっぱいだと言うのに今度は喋るネズミだなんて。

「こんなところでぇっ、やられてたまるかぁっ!」

 全身全霊の力を使って塀の上からネズミが大きくジャンプ。

 その後を追ってエイミーがさらに飛翔、二つの影が空中で絡み合う。

「うわああっ!」

 絶叫を上げてネズミは猫と一緒に住宅街の谷間、草だらけの空き地に転がり込んだ。
 慌てて走り寄ると、小さな生き物はしっかりと猫の前足に押さえつけられていた。
 その前足から逃れようとネズミがじたばたもがく。

「やめてやめてやめてー! 俺なんか狙わないで地球の未来にご奉仕しててー!」

 やっぱり喋っている、しかもわけの分らないことまで言っている。

「やめなさいエイミー!」

 たまらず声を上げると黒猫はこちらに気が付き、目を細めて不満そうに喉を鳴らした。

「いい子だから、ね? その子、離してあげて」

「んあーぅ」

「クッキーあげるから、ね?」

 こちらの気持ちが通じたのか、エイミーは獲物から前足をどかした。

 やはりネズミだ、ただ普通のものとは少し形が違うような気はするが。 

「……君、大丈夫?」

「う、ああ、ありがと……っ!?」

 慌てて前足で口元を押さえる仕草はまるで人間のように見えた。

 それは上目遣いでこちらを見て、それからそっと目をそらす。

「君、喋れるんでしょ?」

「……ちゅ、ちゅ~」

 いやいや、ごまかされないし。

 わざとらしい鳴き声を上げるネズミに心の中でそっと突っ込みをいれ、じっと相手を見つめてやる。

「……分ったよ。そうだよ、俺は喋れるよ」

「へぇー」

「あんまり驚かないんだな?」

「そう言うの、なんか最近、慣れてきちゃって」

 本当に変なところで経験ができてしまっている。

 普通ならもっと驚くところだ、などと考えていると、ふと疑問が湧いてきた。

「もしかして、あなたもキュゥべぇなの?」

「はぁっ!?」

 驚いたと言うよりは露骨に怒ったような表情、に見えた。

 ネズミの割には感情表現も仕草も本当に豊富だ。キュゥべぇよりもはるかに人間的に見える。

「そいつが誰だか知らないけど、変な風に呼ぶなよ。俺にはトムヤンっていう立派な名前があるんだ」

「トムヤン、君?」

「君付けは――以外にはさせたくな……っと。そういう君の名前は?」

 変に大人びているような、どことなく子供のような、そんなトムヤンというネズミにまどかは微笑んで告げた。

「私、鹿目まどか。よろしくね、トムヤン君」


 最初は自宅に拉致されるのかと思ったが、結局唯が巴マミに連れられていった先は、

 小さな商店街の隅にある個人経営の喫茶店だった。

 店内は適度に薄暗く、マスターらしき髭の男性もマミと二言三言、

 親しげに言葉を交わしてからカウンターの奥へ引っ込んでいってしまう。

「巴先輩は、このお店に良く来るんですか?」

 なるべく平静を装うべく何気ない質問を振ってみると、割合彼女は愛想良く返事をしてくれた。

「元々、父がこのお店のマスターと懇意でね。日本では手に入りにくい珍しい茶葉を仕入れていただいていたの。

 私も時々、ここでお茶を頂いたり買い物をしたりしているのよ」

「そうなんですか。紅茶、好きなんですか?」

「ええ。あなたも?」

「あ、うちは大抵緑茶です。おとうさんもおかあさんも和の心っていうか、そういうの大事にするんで」

 何気ない会話をしながら、確かにトムヤンの言ったとおりだと唯は感じた。

 柔らかな物腰と品のいい喋り方。どことなく貴族然とした感じを受けるのは、容姿のせいだけでは無い気がする。

「ところで、香苗さん」

「なんでしょうか」

「暁美ほむら、さんとは、友達なの?」

 その一言で、それまでの印象ががらりと変わった。

 目に力がこもり、こちらを射すくめるような雰囲気が漂い始める。

「そ、そうですけど」

「彼女、最近見滝原に越してきたみたいだけど、一体いつごろからのお付きあい?」

「それは、えっと、小学生の頃です」

 こういう話題については、すでにトムヤンと相談がしてあった。

 ほむらと友達というスタンスをマミたちに知られている以上、怪しまれないような経歴を作る必要があると。

 結局、香苗唯と暁美ほむらは小学校時代の友人で、

 一年ぐらい一緒に遊んでいたが彼女の転校でそれっきりになったという『設定』が作られた。

「じゃあ、あなたと暁美さんは会うのは久しぶりだった、ということね」

「はい」

「じゃあ、思い出して欲しいのだけれど、彼女は小学生の頃、どんな子だった?」

「……クラスではあまり目立たなくて、一人で遊んでるような子だった、と思います」

 ほむらからの聞き取りで、この辺りの情報はかなり確かなものになっている。

 本人は過去の恥をさらすようでいい気分はしないと言っていたが、

 結局は背に腹は変えられないと了解してもらっている。

「それなら、今の暁美さんのことはどう思う? 以前に比べて、何か変わったところとかあった?」

「どうかなぁ、結構時間経っているし、そのせいで気が付くのも遅れちゃって」

「どんな小さなことでもいいの。彼女について、変わったことはなにかない?」

 かなり真剣な表情、おそらく『過去』を知っている自分から、何か情報を引き出すつもりなんだろう。

 とはいえこちらも、何もかもぶちまけるわけには行かない。

 彼女はいわば親キュゥべぇ派、いきなり真実を話しても警戒されるか、最悪敵対される可能性がある。

「すみません。私、何も知りませんから」

「……何も知らない?」

「はい。何も」

「どうして、私が『何かを知りたがっている』って思うの?」

 妙な聞き返し方をすると思いつつも、唯はうっかりと答えてしまっていた。

「その、巴先輩が、さっきから質問しているじゃないですか。だから」

「私は変わったことは無いか? と聞いたのよ。

 しばらく会っていない相手のことなんだから、そこは『分りません』と答えるべきじゃないかしら?」

「そ、それは……」

「あなた、本当は何か知っているんじゃないの?」

 普通なら、言い間違えレベルで済む言葉にずばずば切り込んでくる。

 つまりこれは、彼女が最初から自分を疑惑の目で見ていると言うことだ。

 普段ならこういう腹芸事はトムヤンが解決してくれるのだが、その知恵袋は家で寝ているかパトロールの最中だ。

 全身に冷や汗をかきつつ、それでも何とか返事をしようとしたところに、

 さっきのマスターが何かをトレイに載せてやってきた。

「マスター、それは?」

「私のおごりだよ。マミちゃんが初めてうちに、お友達を連れてきたってことでね」

 本格的なお茶のセットにふわふわのシフォンケーキが二人分。

 マミのほうはなにやら持ってきたお茶のことについて軽い抗議をしていたが、

 最後には納得してそれを受け取ることにしたらしかった。

「……いい店長さんですね」

「そうね……」

 なぜか彼女はこちらに視線を向け、慌ててそらしてしまう。

 それからしばらく、マミは黙って砂時計を見つめていた。

 お茶の蒸らし時間を計るものだということは唯も知っている、そして彼女はそれをきっちり守るつもりのようだった。

 やがて、かぶせてあったキルティングの帽子のようなものが外され、

 慣れた手つきでマミがオレンジ色の液体をカップに注いでいく。

「……きれいな色」

「驚いた? 普通、紅茶っていうと赤い色だと思うでしょ? でも、物によってはこんなオレンジや褐色のものもある。

 水色だけじゃなくて香りもそれぞれに違うわ」

「香りですか?」

「ええ。花のような香りや、マスカットの匂いがするお茶もあるの。

 特に匂い付けしているというわけでなくてね」

 目の前のお茶から漂うのは、夏を感じさせるさわやかな若葉の匂い。

 どことなく緑茶の匂いにも似ている気がした。

「巴先輩って、お茶のこと良く知っているんですね」

「父の影響でね。小さな頃から一緒にいろんなものを飲んできたから。さ、冷めないうちに」

 くっきりとした渋みとさわやかな香りが喉を通り過ぎていく。

 安いティーバッグのお茶とは比べ物にならない深い味わいに、唯は思わず呟いていた。

「すごくおいしい……」

「そう? それ、ものすごく高いのよ」

「いくら、なんですか?」

 恐る恐る聞く唯に、妙ににこやかな笑顔でマミは告げた。

「このポット一杯で三千円」

「ふっっ!?」

 なるほど、彼女が抗議するわけだ。

 それが茶葉の値段なのかお茶としての値段なのかは分らないが、そんな高級なものはおいそれと受け取れるわけがない。

 こちらの複雑な表情に気が付いたのか、マミは気にしないで、と笑みを浮かべた。

「今日は私がおごるわ。いきなりつれてきた挙句、尋問まがいの話をしたお詫びよ」

「あ、いえ、その」

「ただ、一つ忠告しておくわ」

 顔に冷たさが戻り、こちらをじっと見つめてくるマミに、唯も姿勢を正す。

「暁美ほむらさんとは、もう付き合わないほうがいいわ」

「……どういう、意味ですか」

「詳しくは言えない。でも彼女は、あなたには言えない秘密を持っている。

 それに関われば命を落とす危険があるわ」

 どう答えるべきか、少し考えてから唯は自分のスタンスを明かした。

「大丈夫です。あの子、良い子だから」

「香苗さん。あなた……」

「巴先輩が彼女のこと、どう思ってるか知らないけど、私は暁美さんのこと信じてますから」

「そんなことじゃないの、彼女は……」

 かぶりを振ってマミはなおも言葉を続けようとし、何かに気が付いたようにポケットを押さえる。

 それと同時に唯もペンダントにかすかな感覚が走るのが分った。

「ごめんなさい。私、用事があるからここで失礼するわね」

「あ、はい!」

 慌てて席を立ったマミの姿が見えなくなったのを確認して、ペンダントを取り出す。

 その色は翠色に変わり、魔女の結界がどこかで発現したことを知らせていた。

 改めてそれを握り締めると、唯はおともを呼び出す言葉を口にした。


 冗談じゃない、その魔法少女は胸の奥で絶望を漏らしていた。

 自分の得物である双剣を必死に握りなおし、目の前に迫る魔女と何とか向き合う。

 油絵の具で書かれた火を切り張りして、人の形にしたような異様な風体。

 熱くも無いし煙たくも無い。

 しかし、それが握りしてめている自分のパートナーを勤めていた魔法少女「だったもの」は、

 間違いなく炎を上げていた。

「このおっ!」

 ありったけの魔力を込めて自分の周囲に剣を召喚、そいつを貫くべく射出する。

 あるものは当たり、あるものは突き抜ける。

 だが、当たったものでさえ一瞬の内に燃え尽きてしまった。

 すでにジェムは魔力を生み出せないほどに曇っている。

 超人的な体力も奇跡を起こす魔法も何も引き出せない。

 あとは、その場にうずくまるしかなかった。

 魔法少女になるということがどんなものかは聞かされていた。

 道半ばで死ぬかもしれないし、ひどい結末になるかもしれないとは予想していた。

 食われて死ぬ、刺し貫かれて死ぬ、潰されて死ぬ。

 でも、

「生きたまま焼かれるなんて、ありかよ」

 最後の言葉さえかき消され、少女は燃えた。

 何の感慨もなく、魔女は両手に抱えたそれを持って、結界の中央に進み出る。

 そこには、巨大なプラネタリウムの投影機があった。

 天蓋の部分には満天の星が輝き、漆黒を背景に美しい夜空を演出している。

 魔女の顔がその下に付けられた巨大な扉に向き、それが開いた。

 途端に轟々たる音とともに燃え盛る煉獄が現れる。

 そこは焼却炉、踊る真紅の中に霞んで、黒い棒で作られた人型がいくつも見えた。

 両手に抱えられた薪が炉に投じられ、扉が閉まる。

 その上に設置されている投影機が煌々と輝きを放った。

 そして、満点の星空に新たな星が二つ、寄り添うようにして輝き始める。

「おほしさま、ひとつ」

 それは誰にも聞こえない、聞かれることも無い魔女の呟き。

 うれしさも悲しさも微塵もなく、魔女はまた呟いた。

「おほしさま、ひとつ。もうひとつ」



[27333] 第三話「ここは私の街よ」
Name: 犬太◆93ceb70e ID:97db629a
Date: 2011/06/02 00:12
 夕暮れの迫る病院の白壁が、夕日に照らされてオレンジ色に染まっている。

 何をするでもなくさやかは、その光景を見つめていた。

 どうしてこんなところまで来ているのか。

 会う事も禁じられている自分は、こうして恭介のいる病室の見えるあたりを眺めるしかないのに。

「彼が心配かい、さやか」

「……キュゥべぇ」

 いつの間にか足元近くにいた白い生き物に視線を振り向け、ため息をつく。

「あたしがここに来たことは、マミさんやまどかにはないしょにしておいて」

「いいとも」

「ありがと」

 学校を出た辺りから、キュゥべぇはずっと自分の側にいた。

 邪魔にならないよう、適切な距離感を取って。話しかければ返事もするし、黙っていれば何も言ってこない。

 どうにもなら無い悩みを抱えながら、それを誰かに打ち明けられない現状。

 そんな時にべたべたと心配されたり、うるさいぐらいに話しかけられるのは願い下げだ。

 その点、この生き物はそういう部分を汲んで接してくれるように感じていた。

「聞きたいんだけどさ……魔法少女になるのって、時間が掛かる? 痛い? 苦しい?」

「願いからソウルジェムを生み出す作業はそれほど時間を要しない。

 痛みや苦しさがあるかと問われれば、多少はあると言えるね。

 ただ、耐えられないほどでは無いはずだよ」

「もし……いや、ごめん」

「今ここで、願いを叶えたいかい?」

 周囲を支配しつつある夕闇の中で、橙色の残照を受けて浮かび上がる白いシルエットは輝いて見えた。

 まるで自分の行く末を示唆する導のように。

「でも、マミさんは……願いを履き違えるなって」

「確かにマミの言うことは正しい。だけど」

 首を少しかしげ、キュゥべぇはさやかに問いかけた。

「それはあくまで、良く考えてみた方がいいという忠告だったはずだ。

 君の意思を束縛するものじゃない」

「忠告?」

「そうさ。それに彼女だって、新しい魔法少女の誕生を待っている。

 一緒に戦ってくれる仲間が欲しいはずさ」

 明るい声でそう語ると、キュウべぇは素早くこちらに近づき、さやかの肩に乗った。

「この前の魔女との戦いも君が魔法少女だったら、もう少し違ったものになっていただろうね」

「……そうかな」

「気にしているのかい? あの魔法少女のこと」

 スパイシーユイ、自分が魔法少女への道を進もうとすることを阻むもう一つの壁。

「確かに彼女は強い魔法少女だ。でも、同時にイレギュラーな存在でもある。

 あの暁美ほむらと同じでね。今後、どのように動いてくるかは分らない」

「それって、あんたやマミさんの敵になるってこと?」

「それも含めて分らないんだよ、さやか。そして、マミはそんな中、一人で戦っている」

 そうだ、彼女は必死にこの街で戦っている、自分はそれをずっと見てきたはずだ。

 正義の魔法少女の相棒として戦う、そのために必要な大義は結局のところ『誰かの役に立つ』と言うことだ。

 その『最初の誰かが』自分の大切な人であっていけないわけが、どこにある?

 そして、結局はその行動が巴マミを救うことにも繋がるのだ。

 自分の願いをはっきりさせた方がいいと、マミは言っていた。

 なら、その答えはもう出ているんじゃないのか?

 だが、盛り上がっていた気持ちは臨界を越える寸前で、かすかなためらいに引き戻された。

「ごめん。もうちょっと考えさせて」

「いいとも。マミも言っていたからね。女の子は急かしてはいけないって」

「なにそれ」

 真面目くさったキュゥべぇの発言に、さやかは久しぶりに笑っていた。

 いつの間にか、辺りは闇に包まれている。

 下限の月が浮かぶ空を見上げると、さやかは一度だけ病院の方を振り返り、キュウべぇと一緒にその場を後にした。


第三話「ここは私の街よ」


 結界の中に入るとマミはすぐに魔法少女の姿を取り、改めて周囲を見回した。

 青黒い闇のような背景、そこに幾つもの白い点が描かれている。

 それは暮れつつある空と、そこに輝く星々の絵だった。

 魔女の結界は、そこを支配するものの性質や行動傾向が色濃く反映される。

 その状況を観察し、マミは軽く思考をめぐらせた。

(星がコンセプトになっているということは、星座や星自体が使い魔として襲ってくる可能性があるわね。

 支配している魔女は……)

 そこまで考えて、彼女はそれ以上の想像をやめた。

 前回の時は、そうした予断が相手に対する油断を呼んだと言える。

 もちろん、原因はそれだけではないが、あえてそこから思考をそらしていく。

 そういえば、このところまどかやさやかを守りながら戦っていたせいか、一人で結界に入るのは久しぶりだ。

 その事に思い至り、胸の奥に黒くわだかまるものを感じる。

 いつまで、この孤独は続くんだろう。

 敵ばかりが増え、味方は一人もいない、自分は孤独で、たった一人で迷宮をさ迷い歩いていく。

「違うわ! 私は……私は一人でも戦えるの」

 嘘ばかり、声に出して言わなければ、そう思うことすら出来ないくせに。

 こみ上げる自傷の言葉をむりやり押さえつけ、心持ち足を速める。こんなところには一分だって長居したくは無い。

 ジェムに感じる災禍の中心はもう目の前だ、早く終わりにしよう。

 そして、結界の中心にたどり着いたマミは、声を失った。

 そこは巨大なドーム。果てしなく広がる満天の星空が投影されたプラネタリウムがあった。

 平らな地面には座席はなく、中央部分に独特の形をした投影機が設置されている。

 落ち着いて周囲を見回した彼女は、投影機に腰掛けて星を見上げていたそれに気が付いた。

 炎の魔女と形容してもいい姿。油絵の具で書かれた、うねるような炎をコラージュして人型にしたような存在。

 それはこちらを認め、案外緩やかな速度で地面に降り立った。

 前回のような油断はしない。そう心に決めて素早くマスケットを数十本召喚、一斉に砲火を浴びせた。

 いくつもの火線が魔女を刺し貫き、敵の体がきりきりと舞い踊る。

 大丈夫、勘も鈍っていないし恐れも無い、私は戦える。

 次のマスケットを召喚し、さらに攻撃を加える。

 魔女が踊り、一定の距離を保って円を描くように動きながらさらに撃つ。

 木偶人形のように踊り続ける魔女の姿を見て、ふと疑念が湧いた。

 この魔女、本当にこちらの攻撃が効いているの?

 気弱になるな、燃え盛るような姿は確かに銃撃を受けてひるんでいる。

 現にこうして自分が撃つたびにゆらゆらと揺らめいて。

(揺らめいて!?)

 その一撃が避けられたのは長い戦いの経験と、精神の苦痛を忘れるために戦闘に没頭していたためだろう。

 何の前触れもなく伸びた右腕がマミのいた場所を舐め、そこに猛火の柱が突き立った。

「ま、まさか」

 熱も光も感じない、絵画に描かれた炎のようだった。だから、思わなかったのだ、その性質が火と同じであると。

 自分の攻撃が効いていたのではない、単に威力に当てられて揺らめいていただけだ。風に火が煽られるように。

「こ、このぉっ!!」

 自分の目の前に壁のようにみっしりとマスケットを召喚、一気に魔女に叩きつける。
炎の体がロウソクのように吹き散らされ、砕け散った火の粉があっという間に自分の前で結集した。

「そんなっ」

 素早くしゃがんだ頭の上を炎の拳が突き抜けていく。

 帽子と羽飾りの一部が焦げ、きな臭い匂いが鼻をつく。

 大きく飛び退って距離を取りながら、マミは焦っていた。

 今までの魔女には無いタイプ、しかも自分の攻撃が一切通用していない。

 おそらく体内にあるグリーフシードを一撃で貫くことができれば決着は付くとは思うが、

 燃え盛る体のどこにそれがあるかも分らない。

 とにかく一気に吹き飛ばそう、両手をかざし大砲をイメージする。

「ティロ・フィナ……」

 魔力を収束させようとジェムに意識を集中するが、力が入らない。

 穢れが予想以上に貯まっている、一撃を作り出す余裕が無い。

 魔女がこちらと距離を詰めるべく突き進んでくる。

 屈辱と脱力感にマミの顔がゆがみ、同時にここから撤退すべく両足に力を込めた。

「下がれ! 巴マミ!」

 届いた声に溜めていたばねが一気に開放され、魔女との距離が大きく開く。

 その目の前を翠色の光に彩られた疾風が駆け抜けた。

 風船が弾けるような音を立てて魔女が吹き散れる。

 しかし、再び姿を結集させる魔女を視界の端に留めつつ、マミはそれを見た。

 翠の装束に身を包んだ魔法少女を。

「大丈夫か?」

「……あなたね。例のスパイシーユイというのは」

 油断なく構えながら、必死に膝が笑いそうになるのをこらえる。

 ジェムの穢れに気が付いたことで疲労感がどっと押し寄せてきていた。

 それでも努めて余裕のあるそぶりを作ろうとする。

「あなた、一体何者なの?」

「今はそんなこと言ってる場合じゃないだろ? とにかく協力してあの魔女を」

「お断りだわ」

「何っ!?」

 気色ばんだ彼女に向けて炎の魔女が拳を突き出す。

 一瞬の内に空高く舞い上がった翠の魔法少女がこちらを向いて怒鳴った。

「なに意地張ってんだ! こいつはあんた一人でやれるような相手じゃ」

「見くびらないでね。これでも私、この街でずっと一人で戦ってきたの」

 ポケットの中を探り、万が一のために持ってきておいたグリーフシードをジェムにかざす。

 これでもう、これは使えない、残っているのは。

「これは返すわ! 私には必要ないもの!」

「ば、っか! 何言ってんだ!?」

 投げ返された透明な魔女の卵をキャッチして、彼女がそのままこちらの間合いに飛び込んでくる。

「このところシード持ちの魔女を倒せて無いんだろ!? だったら」

「敵に塩を送られるなんて、私の趣味じゃないの」

「なに勘違いしてんだ! あたしは……っ!?」

 二人の言い争いを断ち切るように、二本の拳がそれぞれに向かって突き出される。

 燃え立つ地面を後に飛び上がるマミの下を翠の影が魔女の方へ駆け抜けていく。

「ジェイド・ストライク!」

 振り抜いた蹴りから衝撃が飛んで魔女を吹き散らさせる。

 だが、結局それ以上の効果は無く、再び再結合が果たされた。

 だが、魔女の足は止まった。その期を逃さず魔力を収束させ、一気に高める。

「巻き添えになりたくなかったらどきなさい!」

「げ、ちょっ……」

「ティロ・フィナーレっ!」

 最大級の威力を込めて撃ち放った一撃。

 砲火が魔女の全身を包み込み、その姿が煙の向こうへ消えていく。

「やった!」

「バカ、フラグ立てるな!」

 粉塵の向こうから突き出される炎の拳、必死に魔力を高めながらリボンを編み上げ壁として展開する。

 その守りを一瞬の内に炎が嘗め尽くし、一瞬遅れて鐘の音が結界内に響き渡った。

「っ!?」

「間一髪ってね」

 光で描かれた魔法陣が自分の体を守っている。

 自分の攻撃を完全に防がれたことを悟った魔女の体が、霧のように薄くなった。

「しまった!」

 魔女の気配が退き、結界は消失した。後に残されたのはマミと、真紅の衣装に身を包んだ魔法少女。 

 声もなく立ち尽くしていたマミは、ため息をついて闖入者をにらみつけた。

「何のつもりかは知らないけど、ここは私の街よ。余計な手出しはしないで」

「あたしは、あんたを助けるつもりで」

「それが余計なことだと言っているの。
 どこで私のことを知ったのかは知らないけど、キュゥべぇと敵対しているなら、

 私にとってもあなた達は敵だわ」
 
 こちらの宣言を聞き、彼女は顔をうつむけた。その仕草に妙な違和感を感じながら、相手の出方を覗う。

「あんたがキュゥべぇのことを友達だと思ってるのは分る。けど」

「それはあなた達が、きちんと契約というものを理解していなかったからでしょう?

 それを騙されたと言うのは、筋違いだわ」

 その発言に彼女がとったリアクションは、正直意外だった。

 ぽかんと口を開け、こちらを確かめるように見つめてきたのだ。

「何を、言ってるんだ?」

「魔女と戦うのは苦しくて当たり前。願いをかけた分、その定めを背負うのは当たり前。

 今更後悔するなんて、馬鹿げているわ」

「つまり、あたしがあいつを恨んでるのは、戦いの運命に自分を巻き込んだからだって、そう思ってるのか?」

「ええ」

 こちらの肯定に、彼女は文字通り硬直している。

 それほどおかしなことを言っただろうか、それとも自分に対するうまい返事でも考えているのだろうか。

「ちなみに聞くけど、それはあんたの考え?」

「え?」

 唐突に彼女はこちらにマスクに隠された顔を向けた。

 そこに映る自分の顔がかすかにうろたえているのが分る。

「それって、キュゥべぇに言われたから、そう判断してるんじゃないのか?」

「……あなたは、そうじゃないって言いたいの?」

 肩を竦めると、彼女は背中を向けた。

「待ちなさい! 話はまだ……」

「終わってるよ。あんたがキュゥべぇの話を鵜呑みにしている時点で、ね」

「私は鵜呑みになんか……」

「自分の頭で考えなよ、巴マミ」

 もう一度振り返った口元には、あざけりでも皮肉な笑いでもなく、口惜しそうな表情が宿っていた。

「真実ってのは一つじゃない。誰かに与えられた情報を妄信していたら、破滅だよ」

「自分はその真実とやらを知っているとでも言いたいの?」

「あたしはいつでも待ってる。気になるようだったら声を掛けてよ。

 どうせ魔女を狩るって目的は一緒なんだしね」

 軽やかな動きで彼女が去っていく。変身を解くと、マミはその場でうずくまった。

「一体、なんだっていうのよ……」

 言い知れない不安と敗北感を胸に、ふと視線を上げる。

 さっきまで彼女がいた地面に転がっていた、透明なグリーフシードが目に入った。

 バカにされてるのか、それとも、本当に何かあるのか。

 朴訥な暁美ほむらとは違う饒舌さ。しかし、結局は二人は全く同じことを言っているのだ。

 魔法少女と、キュゥべぇには何かがあると。

「本当に、なんなのよ」

 揺らぎそうになる自分を鼓舞して、それでも立ち上がる。

 拾い上げたグリーフシードの表面に映りこんだ彼女の顔は、抑えきれない感情を湛えて歪んでいた。



[27333] 第四話「たまには悪くないわね」
Name: 犬太◆93ceb70e ID:97db629a
Date: 2011/06/03 15:27
 自動車の後部座席に体を預けながら、マミはうきうきとした気分で車窓を眺めていた。

 今日は待ちに待っていた長期休暇、そして始めての海外旅行。

 もちろん、気分が浮き立っているのはそれだけの理由ではない。

 長い間父親と不仲だった実家への、始めての里帰りがこの旅行の本当の目的。

 古い家柄で、その跡取りとして期待されていた父は、実家の反対を押し切って母と結した。

 物語で聞く分にはロマンがあるだろうが、そういった境涯にさらされる側には、

 文章に書かれる事の無い、厳しい現実が待ち受けることになる。

 高度な教育を受けており、普通に考えればどんな要職にでも就けるはずの父が、

 長い間母の内職と、慣れない肉体労働をすることで生活を支えていた裏には、

 陰湿で執拗な生活への妨害があったからだ。

 数年前に本家で新しい当主が決まり、父に対する締め付けも緩和された。

 ある遠戚からの取り成しもあり、ようやく今回の里帰りが実現することになったのだ。

 そのことをふと思い出し、マミは湧き上がった不安を口にした。

「……お父様は、家に帰るのはうれしい?」

「もちろん嬉しいよ。ずっと帰っていなかったからね」 

「でも……実家の人達は」

「あれは仕方が無いんだ。だって私が、自分の果たすべき責務を投げ出してしまったんだからね」

 ハンドルを握ったままの父の声は、変わらず落ち着いていた。

 それでも、少しだけ寂しそうな響きを感じるのは気のせいじゃないと思った。

「高貴な身分に生まれついたものは、その分だけの責務を負わなければならない。

銀のスプーンを咥えて生まれた者は、その重さに見合った対価を払わなければいけないのさ」

「でも! 自分ではそんな物いらないって、思っている人もいるでしょう?」

「それとは逆に、何も持たないどころか、生れ落ちることなく死んでしまう人だっているんだ。

 それを考えれば、私は十分に幸せだと思うよ」

 今なら分る。

 父はきっと、与えられた理不尽に理由をつけるために、自らを納得させるために言っていたのだと。

 それでも、その時の父は輝いて見えた。本当に高貴な宝石のように。

「覚えておきなさい、マミ。持てる者には持たざる者に対する義務がある。

 その力で彼らを助け、共に歩めるようにすることだ」

「助けて、共に歩む……」

「何もかも捨てて母さんとお前との生活を取った私だが、その精神だけは忘れてはいないつもりだよ」

 口にすれば陳腐な、偽善ともいえる言葉。それでもマミは父の言葉を胸に刻んだ。

 そして、彼の残した言葉は、自分の一人娘の未来に光と闇とを与えることになる。


第四話「たまには悪くないわね」


 その日もマミは一人で席を立った。

 クラスではそれなりに注目されているし、数人の女子生徒とは日常会話も普通にしている。

 それでも、昼休みに誰も一緒に食事をしたりする相手がいないのは、自分がやんわりと彼女達の誘いを断り続けているからだ。

 理由は色々あるが、結局は魔女退治の『邪魔』になるというのが大きい。

 親しい人間を作れば彼女達を巻き込むし、それに例え素養がある子を友達にしたところで、その先にある結果はたかが知れていた。

 だからこそ、まどかやさやかのように、無邪気でもいいから自分の言動に共感してくれる子を探していたのだが。

(もうやめよう。期待するだけ無駄だわ)

 魔法少女に勧誘して、しり込みされたことはこれが最初ではない。

 体験コースなんていう危険と隣合わせのイベントを用意したのも、彼女達の性格を見極めるためだ。

 さやかはともかく、まどかは心が優しすぎる。

 考えてみれば、素質があるからといって引き込んでしまって、心を壊すような結果になるのは嫌だった。

 私は私の信念に従って――

「巴先輩! お昼まだですよね!?」

 結構な大声に思わず膝の力が抜ける。目を白黒させて教室のドアに振り返ると、

 笑顔の香苗唯が、複雑な表情のさやか、済まなさそうに笑みを浮かべるまどか、

 そして仏頂面の暁美ほむらを従えて立っていた。

「あなた……一体」

「私達とご飯食べましょう!」

 何事と問うこちらの視線に、さやかは脱力して首を振り、まどかはなんとなくお願いするような表情、

 ほむらはすいっと目をそらしてしまう。

「悪いけど、私、は!?」

「さ、行きましょー!」

 がっしりと腕を掴まれそのまま引きずられてしまう。

 どうやら後ろの三人もこの手でやられたらしい。

「ちょ、っと、香苗さん!?」

「大丈夫です。ちゃんと先輩の分も用意してありますから!」

「そう言うことじゃなくて……ああ、もうっ」

 周囲からはばんばん好奇の視線が突き刺さる。

 ここで声を荒げて振りほどくことは出来るが、この状態で迂闊な事をすればクラスでの印象が悪くなってしまう。

「分ったわ。分ったから離して」

「すみません。無理聞いてもらって」

 そう言って笑う彼女の顔はとても楽しそうだ。

 何をたくらんでいるのかはなんとなく分るが、ここで何を言っても始まらないだろう。 

 何でこんなことに、そう思いながらマミは、彼女に従って屋上まで足を運んだ。

「はい、今日のお昼はこれでーす」

 黒塗りの重箱に詰められた茶色と、白と黒で彩られた二種類の俵型。

 いなり寿司とおにぎりが半面を、笹で出来た仕切りを挟んで残り半面を、煮物やから揚げなどのおかずが並んでいる。

「うわー、運動会のときのお弁当みたい!」

 そう言ってはしゃぐのはまどか。

「これ、全部あんたが作ったの?」

 気合の入った内容に軽く引きつつさやかが問いかける。

「おにぎりと重箱へつめたのは私。おかずは冷凍だったり作り置きだったりするけど、おかあさんの担当だよ」

 重箱とは別に小さなタッパーを取り出して、弁当持ちの二人へ差し出す唯。

「あ、りんごのうさぎ!」

「毎回こんなの作ってんの?」

「いつもは忙しいからって超手抜きだよ。二人はご飯があるから、こっちを食べてね」

 すっかり彼女のペースにはまり、いつの間にかマミは紙皿の上に載せられたおにぎりやらから揚げを手にしていた。

 とはいえ、ここで和やかに食事を取る気にはなれない。マミは相変わらずにこりともせずに座っているほむらを見やった。

「折角のお誘い悪いんだけど、私は失礼させてもらうわ」

「ま、マミさん!?」

 自分の視線を意味するところに気付いて、まどかが声に焦りを滲ませる。

 その意見を受けてさやかも腰を浮かした。

「あたしも、こんな不機嫌そうな奴の近くで暢気にランチなんて、勘弁だわ」

「さやかちゃん!」

「二人とも待って! 暁美さんは」

「あなたにとっては大切な友達かもしれないけれど」

 苦笑いを浮かべてマミは暇乞いを告げようとした。

「少し、待ってちょうだい」

「……なんだよ」

 それまで黙っていたほむらはさやかとこちらを見つめ、それから頭を下げた。

「うえっ!?」

「な、なによ、それは」

「私が気に入らないというなら、ここからいなくなるわ。

 だから、せめて香苗さんの作ってきた物だけは、食べていってあげて」

 思いも寄らない発言と行動に思わず去りかけた足が止まる。

 顔をうつむけた彼女の背後に、唯の姿がすっと近寄り、

「暁美さんのバカ!」

 ごっすり、という音と共に拳の下の部分を使った、いわゆる鉄槌が彼女の脳天に振り下ろされた。

「そういう発言は禁止だって言ったでしょ!」

「っつ、か、香苗さん、痛……」

「今日はみんなで仲良くお昼を食べる日です! 口答えは許しません!」

 もの言いたげな表情を浮かべ、それでも小声でほむらは、はいと肯った。

「ぷ……あ、あはははは、なにそれ! 全然頭上がんないでやんの! あははははは!」

 いつものすかした姿ではないほむらに、さやかが遠慮なく爆笑を浴びせる。

 まどかの方は笑っていいものか、痛そうな頭を心配していいものかと、おろおろしている。

 マミはといえば、そっとため息をついて腰を下ろしていた。

「分ったわ。そこまで言われて場を蹴ったりしたら、私達が悪役ですものね。

 香苗さんに免じて、ここは収めておくわ」

「……ま、あんたは気に入らないけど、友達のほうは」

「さやかちゃん!」

 意外にきついまどかの叱責に、さやかは改めて唯に頭を下げた。

「あー、その、教室来るたびにガン飛ばしてゴメン。あんたとは仲良くなれそうだね」

「ありがとう。出来れば暁美さんとも」

「それはパス。まぁ、いつもその殊勝な顔をしてれば、考えなくもないけどねー」

 複雑な顔をして口をつぐむほむらに、思わずみんなの笑いが重なる。

 取り皿を再び受けるとマミは食事を摂ろうとした。

『楽しそうだね。僕もご一緒してもいいかな?』

 思わず心臓が高鳴る。ちょうど唯のすぐ足元に、白い姿が顔を出していた。

 ほむらの視線が一瞬きつくなり、さやかやまどかですらその顔に微妙な忌避感を浮かべている。

『暁美ほむらが君達と一緒に食事を摂るという事態だ。これは和睦が成立した証と見ていいのかな?』

『……ごめんなさい。今回は席を外してもらえる?』

 悪いと思いながらも、マミはその意思を伝えていた。

 その後について、さやかも苦々しい気分を口にした。

『悪いんだけどさ。今は、ちょっとやめてくんないかな。あの子のためにも』

『彼女に魔法少女の素質はない。僕の存在はいわば空気のように感知されないはずだよ』

『その空気を読めって言ってんのよ。キュゥべぇ』

 彼と出会ってから始めて、マミは彼の存在をほんのわずかばかりだが、疎ましいと思った。

 時々、キュゥべぇはこういう場の雰囲気を無視した会話を展開するところがある。

 今回ばかりは、彼をここにいさせるわけには行かない。

『まぁ、しかたないね。それじゃ』

 こちらの意思を受け取ると、何の感慨もない言葉を残して白い姿が去っていく。

 ほむらがマミに向かってそっと目で礼をした。

『あなたのためじゃないわ。香苗さんのためよ』

『それでも、ありがとう』

『まさか、あなたにお礼を言われる日が来るなんてね』

 そう言いながら、マミは促されるままに空になった皿を手渡し、そこに新しい料理が盛り付けられていくのを見つめていた。

 不思議と心が落ち着いている。

 昨日まではあれほどざわついていたソウルジェムの感覚も、今は凪いだ海のように静かだ。

 かわいらしいおにぎりと、自分用に取り分けてもらったうさぎ型のりんごを眺め、マミはそっと微笑む。

「たまには悪くないわね。こういうのも」

「あ、もう少しいります?」

「そうじゃないわ。大丈夫よ」

 かいがいしく給仕に専念する唯を見つめる彼女の顔は、知らずの内に穏やかなものになっていた。


『ざまーみろだよあの害獣! もう最高!』

 帰り道のトムヤンはゴキゲンで、そのテンションの高さに流石に唯もほむらも苦笑するしかない。

「もういい加減にしよ? あんまりそんなこと言ってると悪い顔になっちゃうよ」

『まぁ、そう言うなよ。無敵のユイバリアーが白い害獣をシャットアウトした日なんだしさ』

「香苗さんを変な呼び方しないように」

『そして、ほむらはユイに怒られてマイナス十点と』

「それはともかく!」

 いじられるのが辛くなったのか、頬を染めつつほむらは、少し口調を重くした。

「あなた達が出会った魔女のことは、私も一切知らないわ」

「それって、もしかして私たちのせい?」

『だろうな。効率よく魔女を退治したせいで、見滝原に一時的な無菌状態が生まれてしまった。

 そして、そこに新しい魔女が入り込んだ』

 良かれと思ってやったことが事態を悪くする、正直唯にとってはあまり良いニュースではない。

 とはいえ、魔女を狩らなければ犠牲になる人は増える一方だ。

『気にするなよ。俺達には俺達にしか出来ないことがある。そしてそれを精一杯やるしかない!』

「無理をしたり気負うことは自らを危険にさらすわ。絶対に無茶はしないで」

『それを君が言うかなー、ほむらちゃん?』

 まぜっかえされて言葉を失うほむら、唯はペンダントを軽く指で弾いた。

「そういえばトムヤン、昨日まどかと接触したって本当?」

『ああ。ちょっとだけな。一応俺は「通りすがりの妖精」って言っといた。

 口止めもしといたけど、害獣の様子だと律儀に守ってくれたみたいだな』

「よ、妖精?」

 眉間に皺を寄せたほむらに唯も苦笑で合わせる。二人の間に流れる空気にトムヤンは声を荒げた。

『なんだよ二人とも! 俺が妖精って名乗っちゃおかしいか!?』

「だ、だって、トム君、妖精って感じじゃないんだもん」

「そうね。名乗られた妖精が怒り出すレベルね」

『くっ……お、俺のどこが妖精っぽくないんだよ!』

 顔を見合わせ、少女は唱和した。

「「全部?」」

『ハモんな! てか、二人とも俺をそう言う目で見てたのか!』

「だって、言葉づかい悪いしー」

「態度もかわいらしくない」

「この前なんていびきかいて寝てたし、おとうさんみたいに」

「品が良くないというか、神秘性のかけらも無いわね」

 きりきりと歯軋りをしたトビネズミは、やがてがっくりとした口調で返した。

『……そーだよ。どーせ俺はおともっぽくないですよー』

「と、トム君?」

『だいたい学校でもさー「あなたはおともとしての品格を身に付けましょう」とかって通知表に書かれるしさー、

 どうせ血の熱いネズミですよーだ。魔法少女のおともよりバトル物のモンスター枠がおにあいですよーだ』

 すっかりいじけてしまったトムヤンを何とか宥めすかし、ほむらと二人で家路をたどっていく。
 
 その日はなぜか、魔女も使い魔も騒ぐことが無かった。



[27333] 第五話「お願いっ、届いて!」
Name: 犬太◆93ceb70e ID:97db629a
Date: 2011/06/06 11:05
 それは何度目の魔女狩りのときだったろうか。

 かなりの数を倒していたのかもしれないし、ほんの二、三体しか狩っていなかったかもしれない。

 一つだけ確実なことは、その日以来、巴マミが一人ぼっちの魔法少女になったと言うことだ。

「もう一緒に戦えないって、どういうこと!?」

 声を荒げるマミに対し、双剣の魔法少女は嫌悪と怒りをいっしょくたにした目つきで、こちらを睨み付けた。

「いい加減、あんたの意見に従って行動するのはゴメンだってことよ」

「……どういう意味?」

 彼女はキュゥべぇに見出され、自分と同じぐらいの時期に魔法少女になっていた。

 近接戦闘がメインの彼女と中距離からの援護を行う自分、バランス的には問題なかった。

「だってあんた、これからまたパトロールにつき合わせるつもりだったんでしょ?」

「当たり前じゃない! 私達がいなかったら魔女や使い魔に殺される人たちが」

「だから、それが嫌だって言ってるの!」

 かぶりをふって、彼女は手にしていたシードを見せ付けるように突き出した。

「あれだけ必死に戦って、魔女から出てくるシードはせいぜい一個。

 オマケに使い魔からシードが出てくることはほとんどない。正直、使い魔倒す意味なんてあるの?」

「な、何言ってるのよ! 魔女も使い魔も、私達しか倒せないのよ!?」

「……言っとくけどね、マミ」

 うんざりだという雰囲気を、全身をゆすぶって伝えてくる彼女。

 その影で、彼女と一緒に魔法少女になった子が、口元に手を当てて俯いている。

「あたしは正義の魔法少女なんて、全然興味ないから」

「……っ!」

「どこの誰とも知らない奴のために命を掛ける? やめてよね。

 そんなことのために、わざわざ危険を冒して報酬もない使い魔と戦えって?」

 貯まった鬱憤を吐き出しつつ、手にしていたシードを首元のチョーカーに近づけ、彼女は穢れを吸い取り始める。

 三人で狩をしたときには使用は等分配、そんな取り決めを無視してみせて、彼女は言葉を続ける。

「あたしは、願いを叶えてもらったついでにやってるだけ。

 タイクツな毎日とおさらばして、人には使えない力使って、ジェムが穢れ始めたら魔女を倒す」

「力を持っている人間が! そんな横暴なまねをっ」

「大体さ、偉そうなこと言ったって、あんたも自分の欲望を叶えるためにキュゥべぇにお願いしたんでしょ?」

 自分の欲望。違う、私は、いや、でもアレは。

「わ、私……はっ」

「あいつだって、正義の魔法少女をやれって言ってたわけじゃないじゃない。

 それをいちいち義務がどうとかって。正直……ウザいんだよね」

 完全な決裂。俯いたままのマミに鼻白むと、彼女は変身を解いて一緒にいた少女にシードを手渡し、背中を向けた。

「もう連絡してこないでね。それじゃ」

「ま、待って!」

「私も……嫌なんだ。結界に入るのも、戦うのも」

 今で黙っていた少女は怯えたような目をこちらに向けて、ぽそぽそと言葉を漏らした。

「こんな風だって思ってなかった……こんな怖いなんて、思ってなかったの……だから、もう、誘わないで。

 グリーフシードは魔法を使うのに必要だけど、使い魔は……」

 素早く自分のジェムにシードをかざし、わずかばかり穢れを吸い取ると、

 厄介者を押し付けるようにそれを自分の手の中に握らせてきた。

 これが手切れだと言わんばかりに。

「怖いのに、何の見返りもなく、倒すためだけに戦うなんて……無理だよ」

 その言葉を最後に、二人は姿を消す。

 路地裏で力なく膝を突き、マミは涙を流していた。

 そして、ポケットから携帯電話を取り出し、アドレスを呼び出す。

 数少ないアドレスの中の『仲間』の項目に刻まれた二人分の連絡先を、震える親指で選択し、消去を選ぶ。

 本当に消去するのか? そう問いかける機械に、無言で承認を送った。

「う……うわあああああああああああああっ」

 頭を振って必死に事実を追い出そうとするが、心は冷静に認識し続ける。

 自分はたった一人ぼっちで、誰も理解してくれるものなどいないと。

 止められない嗚咽を必死にこらえながら、それでもマミは慟哭し続けた。


第五話「お願いっ、届いて!」


 わずかに曇った手元のソウルジェムを見つめつつ、マミはいつもどおり、夜の哨戒を行っていた。

 現在のところ見滝原周辺で活動しているのは、あの時取り逃がした炎の魔女だけのようだ。

 このところ、街の中で魔女どころか使い魔の姿すら見かけなかったのは、
 どうやらあのスパイシーユイと暁美ほむらが精力的に活動していたせいらしい。

 おかげでパトロールは空振りに終わり、妙にやきもきする日々だけが重なることになった。

『最近シード持ちの魔女を倒せてないんだろ?』

 あの発言からすれば、彼女自身はよほど効率よく魔女を狩っているのだろう。

 キュゥべぇの話によれば、例の透明なグリーフシードは彼女の行動と関係して生み出されている可能性があると言っていた。

『どうして、教えてくれなかったの?』

『僕としてもどうしてあんな芸当が出来るのか分らないんだ。

 穢れたシードから生み出された魔女は、倒された時にシードからある程度の穢れが拭われる。

 もしかすると彼女は、効果的に魔女を倒す「コツ」のようなものを会得しているのかもしれないよ』

『あなたは何か知らないの?』

『僕も、魔法少女の全てを知っているわけじゃないからね』

 キュゥべぇの語った言葉を思い出しながら、マミはずっと違和感を感じていた。

『ちなみに聞くけど、それはあんたの考え?』

 スパイシーユイの語った一言に、薄ら寒いものを感じる。キュゥべぇが嘘をついているというのは本当だろうか。

 いや、それはないはずだ、だって彼は自分の友達だ。

 友達、という言葉と一緒にふとマミは思い出していた。喫茶店の一件、香苗唯と話した日のこと。

『マスター、それは?』

『私のおごりだよ。マミちゃんが初めてうちに、お友達を連れてきたってことでね』

 彼女は友達ではない。

 後輩で、しかも暁美ほむらの身辺調査のために話を聞きたいと思っていただけだ。

『巴先輩! お昼まだですよね!?』

 笑顔の彼女が自分を引っ張っていく。そして、みんなでお弁当を食べた。

『あなたのためじゃないわ。香苗さんのためよ』

『それでも、ありがとう』

『まさか、あなたにお礼を言われる日が来るなんてね』

 暁美ほむらの見せた意外な表情。

 あれは、自分と敵対していたものではない、ごく当たり前のはにかむ女の子の姿だった。

『真実ってのは一つじゃない。誰かに与えられた情報を妄信していたら、破滅だよ』

 何を考えているの、私は。

 開いている片手でそっと眉間を揉み解し、掌に載せたジェムの反応に集中しようとする。

 それでも、考えずにはいられなかった。

 もし、彼女達の言うことが本当だったら? 

 そんな迷う心をさえぎるように、ジェムに感じる反応が一際強くなった。

 波長から考えても取り逃がした魔女に間違いない。

 そして、マミはソウルジェムが示した場所に集まろうとする、たくさんの人影を見た。

「まさか、こんなに!?」

 おそらく魔女の口付けを受けたものだろう、老若男女の区別なく彼らは廃ビルの中に進んでいく。

 虚ろな瞳のまま、何かを囁き、呟くように、メロディを口ずさみながら。

 その進んでいく先には魔女の結界の入り口が口を開けている。

「くっ、ごめんなさいっ」

 彼らの動きを拘束するために無数のリボンが部屋中に広がる。

 足を止められ、動きを封じられた彼らは、それでもなお歌を口ずさんで結界に進んでいこうとする。

「……らー、きー……かーる、おー……」

 素早く周囲を確かめ、まだ拘束されていない人々をさらに縛る。

 一瞬、ジェムの濁りが気になったが、それを頭の隅に追いやって作業を完了させた。

「これでもう……っ!?」

 まだ幼稚園にも上がっていないだろう、小さな女の子がふらふらと結界の中へと踏み込んでいく。

 伸ばしたリボンはわずかに間に合わず、その姿が結界に消えた。

「待って!」

 慌ててマミが結界に侵入、景色が一気に歪んで世界が変わる。

 そこは思っていたような入り口の部分ではなく、最深部にあったプラネタリウムの間。

 そして、あのときの魔女の周囲に、さっきのビルの中に居たのと同じぐらいの人々がたむろしていた。

「そんなっ」

 歯噛みをしながらもマミが変身を完了させ、同時に魔女がこちらの存在に気が付いて顔を向けた。

 その背後で、虚ろな人々が精気のない声で歌っていた。

「きーらきーらひーかーる、おーそーらーのーほしーよー」

 聖なる詩句を捧げるように彼らが漏らす声にしたがって、投影機の下の部分が開かれていく。

 そこは煉獄を思わせる炎の洞窟、焼却炉への入り口。

「やめてぇっ!」

 身を躍らせようとした人をマミのリボンが縛りつけ、脇をすり抜けて炎の中に進み出ようとする人をさらに縛る。

 その動きに首をかしげた魔女が、緩やかな動作でこちらとの距離を詰めてきた。

「くっ!」

 魔女の脇を何とかすり抜け、操られた人の集まる場所へ飛び込む。

 もう手段は選んでいられない、マミはなるべく相手を傷つけないよう、

 炎へ飛び込もうとする人々を右へ左へ蹴り飛ばした。

「ごめんなさいっ、ごめ……っ!?」

 蹴りを放とうとしたマミの目に飛び込んできたのはさっきの少女。

 彼女はそっと自分のスカートを掴んでふるふると首を振った。

「やめて、おねえちゃん」

「だ、だめよ! こんなところに居たらあなたはっ」

「わたし、おほしさまになるんだよ? てんごくのパパとママのところにいくの」

 それは弱々しい、それでも何か安堵したような笑顔。

「みえるでしょ? あそこにはいったらね、わたしおほしさまになれるんだよ」

 小さな指が差し示す先には、プラネタリウムに投影された偽りの空が輝いていた。

「違うの! そんなことをしてもパパやママには会えないの!」

「うそだよ。だって、いってたもん。みんなおほしさまになったんだよって」

「違うっ!」

 振り下ろされた魔女の拳を避けるために、少女と共に横っ飛びに体を翻す。

 その背中を追撃の熱と爆発、地面の瓦礫が痛打した。

「きゃああっ!」

 それでもしっかりと少女を抱きとめ、何とか体勢を立て直す。

「ねぇ、おねえちゃん」

「お願いだから、やめて……」

 力無く抵抗しながら、それでも赤い火に手を伸ばす彼女を押さえつけながら、マミは泣いていた。

 空から、ざっという雨のような音を立てて星が降ってくる。

 それは銀色の炎に包まれ、燃え盛った天使のような姿。

 だが、瞳のあるべき場所は真っ黒ながらんどうで、口をもの言いたげな形にしたまま固定している。

 とても一人では撃ち落せない数の使い魔。いや、全力を傾ければ無理な数ではない。

 問題はそんなことをすれば魔力が切れて、目の前の魔女を倒すことができなくなるということ。

 目の前の敵を倒そうとするなら、少なくとも全力のティロ・フィナーレが必要になる。

 しかし、それをすれば誰かが火の中に飛び込むことを許すだろう。

「う、うあああああああっ!」

 片手をかざし、その先に巨大な砲台を生み出す。

 すぐに倒せばまだ間に合う、でもこの魔女のグリーフシードはどこ。

 どうすれば良い、私は、私は、私は。

「みんなを助けなきゃいけないの! 私は、生き残ってしまったから!」

 ありったけの魔力を体の中からひねり出し、一気にシードがどす黒くなるほどの集中を掛ける。

 意識が暗い淵に沈みそうになる中、それでもマミは心の中で叫んでいた。

 私は醜い女だから。

 自分の願いを、パパやママを生かすためではなく、自分が生きるために使ったから。

 せめて、パパの言葉を守らなかったら、何のために私は生き残ったの。

「だからお願いっ、届いて!」

 涙と傷に塗れながら、マミはありったけの祈りを込めて叫んだ。

「ティロ・フィナーレぇっ!」

 強烈な砲撃音が木霊し、魔女の体が引きちぎれて行く。その中に闇色の宝石が一瞬顔を覗かせ、

「う……」

 逆巻く炎の嵐が全てを覆い隠した。

 世界が絶望で暗転する。

 同時に、漆黒に染まったソウルジェムから自分を責めさいなむ苦痛が、津波のように襲い掛かってきた。

「ああああああああっ」

 意識の底から何かが這い上がってくる。それは無数の手、自分が助けられなかった死すべき定めではない人々の。

 そして、その奥に潜む自分と全く同じ顔をした、歪んだ笑みを浮かべる少女の。

 彼らの黒い手が全身を掴み、深みへ引きずり込もうとする。

 深淵から見つめ返す瞳が語っていた。

 お前はもう、オシマイ。

『マミさん!』

 その声と同時に差し込んだ一条の光が、闇を払った。

 深淵の自己が口惜しそうに意識のわだつみへと沈み込んでいく。

 誰の声だろう、聞いたことがあるがすぐには思い出せない。

 だが、苦痛はすでに引いていて意識もはっきりしてくる。

 気が付くと、マミは抱きとめられていた。黒髪の魔法少女の腕の中に。

「暁美、さん」

「今度は、間に合った」

 自分のソウルジェムにグリーフシードが押し付けられている。澄んでいたはずのそれがあっという間に黒ずんでいくのが見える。

 だが、穢れを浄化しているほむらの顔は心からの安堵に満ちていた。

「マミは無事か?」

 自分達を守るように立つ背中が声をかけてくる。

 短く返事をしたほむらに翠色の守護者は親指を立てて合図を送り、右足を大きく振りぬいて銀の天使をまとめて吹き飛ばした。

「じゃ、反撃開始といきますか」



[27333] 第六話「マミに全部任せた!」
Name: 犬太◆93ceb70e ID:97db629a
Date: 2011/06/06 11:53
 地面に優しく自分を横たえると、ほむらは立ち上がった。

 その右手に無骨な銃を構え、空からこちらに向かってくる銀炎の天使を睨みつける。

「ここは通行止めよ。他を当たって」

 彼女の右手が薄く魔力の燐光を帯び、引き金が引き絞られる。

 空気を引き裂くような甲高い音が響き、紫の光芒が無数に分かれ、空を舞う使い魔を正確に射抜いた。

 立て続けに光が虚空を駆け抜け、訓練された猟犬のような動きで、うねりつつ敵に追いすがり、撃破していく。

「調子はどうだ!?」

 上空で翠の威力を振るっていた姿が、地上の魔女に牽制の一撃を叩き込みつつ、地上に降り立つ。

 ほむらの顔には厳しさの和らいだ笑みが浮かんでいた。

 数年来の戦友に語りかけるように、右手の銃を軽く持ち上げて満足を告げる。

「弾丸の消費が無いのが一番ね。魔力の変換効率もいいみたいだわ。ありがとう」

「徹夜して作ったかいがあったなー。ってことで、次は収束行ってみるか。合わせろ、ほむら!」

 片足を上げて左足をひきつけた翠の魔法少女の隣に、黒い魔法少女の銃を構えた姿が寄り添い立つ。

「ジェイド・ストライクっ!」

 その声に翠の疾風が、それを追うように紫の光弾が虚空を駆ける。

 さっきよりも太く、力強い光の帯が翠の力と混ざり合い、螺旋の一矢になって炎の魔女を刺し貫いた。

 まるで次元の違う戦い。

 力のことだけではない、自分が今まで望んでも決して手に入れることの出来なかったものを、目の前の二人は持っている。

 マミは子供のように見上げていた。まるで、物語の世界からやってきたヒーローを見るような眼差しで。


第六話「マミに全部任せた!」


 そっと差し出されるほむらの手を支えに、マミは立ち上がった。

 思わずよろめいた体を二人の腕がしっかりと抱きとめる。

「あなたたち……」

「敵に塩を送られるのは嫌かもしれないけど、今は非常時ってことでさ」

「それに、私はあなたを一度だって敵だなんて思ったことは無いわ」

 ほむらの言葉に顔を上げると、彼女は染み入るような笑顔でこちらを見つめていた。

「なら、どうして」

「その質問には後でゆっくり答えるよ。それより今は」

「ええ」

 こちらをかばうように二人が立ち、その向こうに魔女が大きく伸び上がる。

 いつの間には結界の中からは人の姿が消えていた。生贄を失った魔女が大きく吠える。

「それで、格好つけたのはいいとして、何か秘策は?」

「実はぜーんぜんないんだなー、これが。ほむらは?」

「私も無いわ」

 絶望を口にしあっているはずの二人が、かすかに口元を緩めている。

 マミがあっけに取られている間に、それぞれが構えを取る。

「あの技は?」

「相手の属性が火だから効果は薄いと思う。せめてシードをむき出しに出来れば違うんだけどね」

「それなら、正攻法で」

「行きますか!」

 翠の少女がマフラーをなびかせて魔女に肉薄、立て続けに風の刃を打ち込む。

 散った火の粉が彼女の背後に回りこむのを牽制して、無数の紫弾が炎の体を刺し貫き、再び細かな火に変えた。

 散っては結集し、何度打ち込んでもひるむことの無い魔女。

 その絶望的な状況にあっても二人の動きは一向に衰えない。

 あるときは声を掛け、あるときは視線を交わし、またあるときは絶妙な間を取り合い、怒涛のように攻めまくる。

 彼女達を呆然と見つめているだけだったマミは、いつの間にか拳を握り締めている自分に気が付いていた。

 私も一緒に戦いたい。自分にも何か出来ることがあるかもしれない。

 でも、一体自分に何が出来るのか。あれほど見事な連携に割って入るような能力は持ち合わせていない。

 やっぱり、自分はたった一人で生きるしかない人間なんだ。

 視線が下がり、握った拳を開きかけた彼女に、突然の声が届いた。

「マミ! こいつと戦ってて何か気になったことはあるか!?」

「え、えっ!?」

「何でもいいわ! あなたは今、全体を見通せる位置にいる! 魔力を使えとは言わない、私達に指示を!」

 いきなり無理難題を吹っかけられて頭が真っ白になる。

 そんなこと急に言われたって、そう考えた彼女の視線が、ふと違和感を捉えた。

 これだけ広大なエリアで戦いながら、被害の範囲が妙に狭い。

 一見派手に立ち回り、炎の体で優位に事を進めている魔女だが、決して近づかないところがある。

「……投影機よ!」

「何!?」

「その魔女はプラネタリウムの投影機の周りでは反撃をしてない! 

 風の刃も光弾も、避けるタイミングや方向をずらして、それが射線上に入らないように調整しているわ!」

 一瞬のアイコンタクト、二人の魔法少女が渾身の一撃を同時に撃ち放ち、

「オオオオオオオッ」

 魔女の絶叫が、そそり立つ爆炎の障壁になって投影機への攻撃を完全に遮断した。

「うわぁっ!」

「くっ!」

 強烈な熱の拒絶が本陣への妨げとなる。飛び退った二人の魔法少女が悔しさに口元をきつく結んだ。

「背景の一部とか思ってたからな。ベタ過ぎる弱点だぜ」

「弱点というよりは補給装置かも。焼却炉の炎があいつに力を与えているんだと思う」

 火柱となった中央の投影機からさらに光が放たれ、くすんだ夜空に再び満天の
星々を呼び覚ます。

 新たに生まれた銀色の天使が、雨のように降り始めた。

「キリがないわね」

「いや、やるべきことがあからさまにわかってるんだ。

 後はあそこまでの道を開いてくれれば、後はあそこまでの道が開ければ、風より早く行ってぶっ壊してくるよ!」

「それなら、私に任せて」

 帽子を被りなおし、マミは炎の壁を見つめた。

 赤く分厚い噴流を見据え、全身の感覚を研ぎ澄ましていく。

「なるほど。大砲でぶっ飛ばして道を作るのか!」

「雑魚は私に任せて。二人は魔女に集中を」

「タイミングはどうするの?」

「マミに全部任せた!」

 仮面の魔法少女が放った迷い無い一言に、自分の口元が自然と緩む。

 頷くと片手を上げてカウントをスタートさせた。

「3」

 ほむらが空に向けて銃を構え、ユイがクラウチングスタートの姿勢を取る。

「2」

 迎撃の姿勢を整えた少女達を阻むために、天使が炎を上げて突き進んでくる。

「1っ」

 全身から全てに抗うべく魔力を引き出し、かざした手の先にマミは強大な砲門を浮かび上がらせた。

「ティロ・フィナーレ!」

 巨大な砲火が爆炎の壁を貫き、造り上げられた一瞬の道を阻む銀影の一切が紫弾に叩き落される。

 そして、少女が駆けた。

 それは疾風ですらなかった。目で追うことすら適わない、地上を奔る一条の雷光。

 オゾンの匂いを後に引き、投影機の下までたどり着いた稲妻が、そのまま天を貫く光の槍となって駆け上がる。

「『神雷招来! 撃ち貫け!』」

 投影機が粉々に砕け散り、火の加護を失って小さな姿になった魔女が、空を見上げている。

 その視線の先には青い輝きを足に満ち渡らせた魔法少女。

「『万物散華の雷火(アーク・フラグメンテーション)!』」

 神鳴りが轟き、必殺の蹴撃に貫かれた魔女が閃光の中に散っていく。

 やがて怪異が完全に過ぎ去り、辺りには地面に横たわる魔女の被害者達と、彼らを救った三人の少女が残された。

「また新しい技?」

「土壇場でね。でも、おいそれと使える技でもないな。負担が、結構でかい」

 苦しそうに肩で息をする少女にほむらが近づき、その体を支える。

 こちらに汗ばんだ顔を向けながら、それでも彼女はにっこりと笑った。

「ありがとうマミ。やっぱ、見滝原の守護者は違うね」

「こちらこそ……助けてくれてありがとう」

 素直に礼を言いながら、自分の心の中に一つの決心が宿るのをマミは感じていた。

 多分、彼女達なら大丈夫だ。

 ただし、やられっぱなしなのは正直に癪に障る。だからこそ、彼女は嫣然と微笑んで切り出した。

「あなたが言っていた真実、聞いてみたくなったわ」

「そうか。まぁ、今は立て込んでるし、日を改めてってのはどうかな?」

「ええ。それで構わないわ」

 そこで言葉を切り、彼女の視線がこちらに集中するのを見計らって、爆弾を落とした。

「明日、部活が終わったらあの喫茶店でね。香苗さん」

 自分を救ってくれたヒーローのうろたえた顔を見るのも、そう悪いものじゃない。

 挙動不審になった香苗唯と、それを宥めすかす暁美ほむらの姿を見て、マミは悪戯っぽい笑みを浮かべた。



[27333] 第七話「生きていて、ください」
Name: 犬太◆93ceb70e ID:97db629a
Date: 2011/06/06 17:57
 事実というのはいつも意外な形で顔を出すものだ。 

 行きつけの喫茶店の奥、本来なら大人の集団が借り切るはずの仕切りのあるボックス席で、

 マミはそれを実感していた。

 思わずカウンターの方へ視線を移し、それからもう一度テーブルの上の者を見る。

「声だけなら毎回会ってるよな。始めまして、マミ。俺はトムヤン、よろしくな」

 ネズミが喋る、まるで御伽噺のようなシチュエーション。

 他の二人は別段驚いた風も無く自然に座り、自分と同じようにマスターの様子を目だけで覗っている。

 飲食店にネズミというのはどう考えてもまずい。が、ここはあえて目をつぶるしかないだろう。

 彼もそのあたりはわきまえているのか、いつでも身を隠せるように唯の手の届く範囲に座り、こちらに話しかけてきた。

「ところで、どうやって正体を見破ったんだ?」

「違和感がありすぎたのよ。口調は男の子なのに仕草は女の子、ちぐはぐにならないほうがおかしいわ」

「だから言ったでしょ? 言葉遣いががさつすぎだって」

「分ったってば。……あとは、ユイって名前がまずかったか?」

「それもあるけど、笑った顔がね、そっくりだったから」

 名探偵の種明かしをしてしまうと、あとはマミの中には緊張しか残らなかった。

 他の二人も黙ったまま、沈痛な表情でこちらを見つめている。

「覚悟しておいてくれ、マミ。ここから先は、とても……辛い話になる」

「色々考えたわ。想像のつく限りの、最悪の可能性を」

「もしかすると、それすら越えるかもしれないんだ」

 その一言に、心のどこかで誰かが嗤う。

 それはどこまでも暗い瞳をした、自己を超越した自己の呼び声。

 それでも、マミは決然と頷き、先を促す。

 魔法少女のおともと名乗る彼の口から語られたのは、残酷なフェアリーテイルだった。


第七話「生きていて、ください」


 ぐらりと、世界が揺れる。たまらずに両腕を突き、それでも体の震えが止まらない。

「それじゃ、全て、嘘だったって言うの?」

「嘘ですらないわ。あいつは、本来言うべき情報を伝えず、概要だけを説明しただけに過ぎない。

 そうしなければ、自分達の目的を達成することができないからよ」

「魔法少女は絶望によって魔女と化し、奴らが必要とするエネルギーを生む。

 その魔女を狩るためには、魔法少女の力が必要になる。

 人間の感情を利用した負の連鎖、最低最悪のエネルギー発生システムだ」

「やめて……やめてよ!」

 頭を振りながら、それでも理解してしまう。

 自分のやっていることは、善でも悪でもなかった。

 正義など微塵も無い、なぜなら自分は何処かの宇宙を暖めるためにくべられる、石炭でしかないから。

「……とんだ、道化だわ」

 涙を流しながら、マミは嘲笑った。

「力なんかじゃなかった! 誰かを助けるなんて出来るわけが無い! だって、私は……私は!」

 指輪の形からソウルジェムを発現させる。すでに輝きは失せて色が漆黒へと染まりつつある。

 今なら分る、あのときの『自分』こそが、魔女となったときの己だと。

「あいつらに良いように作り変えられた、歪な怪物だから!」

「やめなさい!」

 立ち上がった自分をほむらが押さえつける。

 その手を逃れようとしながら、手にしたジェムを振り下ろそうと必死にもがく。

「やめて! こんなのもう嫌なの! 全部、終わりにさせてえっ!」

「ほむら! 時を止めろ!」

 その声を最後に、世界が暗くなる。

 ああ、自分は怪物になるのか。そんな諦めの気持ちが押し寄せて、心のどこかで安堵が湧いてくる。

 騙されて、唆されて、良い様に使われたバカな女の子には似合いの最後だ。

 自分を嘲笑いながら、マミはそれでも最後に思った。

 こんな結末は、嫌だと。


 周囲は全く暗くて、その只中に自分だけが浮かんでいる。

 光は一切無く、自分以外は何も存在していない。

 マミは自分の体を見た。しみ一つ無い白い肌、一糸まとわぬ姿で浮かんでいる自分は、以前と変わらない形を保っていた。

 その事に気が付いた途端、暖かさとほの明るい気配が包み始めた。

 私は――

「マミ、さん」

 目を真っ赤にしてこちらを見つめるほむらの顔があった。

 両腕に自分を抱き、右手をしっかり握ってくれている。

「侵蝕は止まった。ぎりぎり呼び戻せてよかったよ」

 ぐったりと疲れきり、それでもほっとしたようなトムヤンの声。

 周囲を見回すと、こちらを心配そうに覗う唯の顔。

 彼女の手には自分のソウルジェムと一緒にネズミが乗り、木製テーブルの上には

 どす黒く染まったグリーフシードが五個ほど転がっている。

「私……」

「大丈夫。まだ魔女じゃない、ちゃんと巴マミのままさ」

「ここは?」

「喫茶店の二階。マスターに事情をごまかして使わせてもらってる」

 状況を説明すると、唯の掌の上でトムヤンは大の字に寝転がった。

「ジェムに直接アクセスして、自我を失わないように干渉したんだけどな、

 あの害獣、万が一のためかクソ難解な防壁迷路施してやがって、えらい時間かかったよ」

「もう大丈夫ですよ。巴先輩」

「どこが……大丈夫なのよ」

 助かったという気持ちと一緒に、苦しみがこみ上げる。

 結局自分はまだ魔法少女のままでしかないのだ。

「今は大丈夫でも、いつかは魔女になるんでしょう!? だったらもう、死ぬしかないじゃない!」

「ずっと大丈夫にしてみせるっ!」

 やけくそに近い絶叫を上げて、トムヤンが自分の胸の上に飛び乗った。小さな顔に怒りと決意を顕にして。

「こんなの絶対に認めてたまるか! 

 自分を顧みないで、一生懸命戦ってきた女の子の頑張りが、無駄だったなんて言わせるもんか!」

「私もおんなじ気持ちです」

 その穏やかな顔に静かな怒りを秘めて、唯も頷いた。

「巴先輩は、すごい人です。ずっとみんなのために戦ってきて……それで助かった人たちだって一杯いるんです。

 多分、私もそうやって守られてきた一人だから。……絶対に、こんなの認めません」

「トムヤン……香苗さん……」

 横たわる自分の顔に、雨粒が降ってくる。

 ほむらの双眸から零れ落ちる涙滴が、とめどなく乾いた心に降り注ぐ。

「私は、あなたに、いろんなものを、貰ったんです。あなたが覚えていなくても、わたしが、おぼえているから。

 だから、マミさん……」

 抱きしめる腕に力を込め、ほむらは魂の底からの願いを告げた。

「生きていて、ください」

 それ以上、何も言うことはできなかった。言葉にしようとすれば涙と嗚咽に変わってしまうから。

 その代わりマミはほむらに腕を伸ばし、しっかりと抱きしめる。

 繰り返し、生きていてくれと願う彼女の言葉を全身で受け止め、自分も同じだけ誓う。

「大丈夫よ。生きる……生きるから」

 テーブルの上のジェムから穢れが拭われていく。心の力が絶望を押し返し、魂を輝かせていく。

 その輝きも、いつかまた曇るだろう。

 それでも、マミはそれを恐ろしいとは思わなかった。

 ずっと欲しかったものがここにある。それがある限り、絶望に屈することはない。

 自分を思ってくれる人達、大切な仲間がいるから。

「……ところで、ふたりとも」

 くぐもったトムヤンの声にマミは我に返った。

 丁度ほむらと自分の胸の間から、苦しそうな声が聞こえてくる。

「いい加減、離れ、て。息が、マジで、やば、い」

 驚いて包容を解くと、酸欠寸前で足をぴくぴく言わせたネズミが転がり出てくる。

「ちょ、トムヤン君ーっ!?」

「む、蒸されて、死ぬかと、思った」

「……ふっ」

「ふふ、あははは」

 小さなおともをを介護する唯と、ふらふらしながら主に無事を告げるトムヤン。

 その様子にほむらと一緒に笑いながら、ふとマミは気が付いた。

 ああ、そういえばアニメで見た魔法少女のおともって、こんな風だったな、と。


 誰もいない部屋にたどり着き、マミは夜に支配された室内を見回した。

 それからベランダのところに行き、窓の外で自分を待っていた白い生き物の影を認める。

「やあ、マミ」

 こちらを見る赤い瞳には何の感情も見えない。

 親しげに語りかける言葉からも、一切伝わってくる気持ちが無い。

 白い尾をふさふさと揺らしながら、それはこちらを見返してくる。

 ただそれだけのこと、それ以外の意味が無い。

 がらんどうの、形だけの存在だ。

 誰が罠に慈悲の心を与えるだろう。

 それは誘い、惑わせ、そのあぎとに獲物をくわえ込むだけなのだから。

 そこに友を、慰めを見出したのは、そうあれかしと願った愚かな自分。

 だから、マミは笑顔で語りかけた。

「待たせてしまったかしら、キュゥべぇ」

「いや、大丈夫だよ。それより、パトロールの成果はあったかい?」

「ええ。それなりにね」

 服のポケットからグリーフシードを取り出し、相手に投げ渡す。

 器用に頭でキャッチして背中の収納口にしまいこむ。

 以前はかわいらしいと思った仕草も、今では厭わしい捕食の行為でしかなかった。

「キュゥべぇ、一つ良いかしら?」

「なんだい?」

「私とあなたは、お友達よね?」

 唐突な問いかけに、白い罠は首の角度をわずかに変更させた。

「どうして今更そんなことを?」

「改めて確認しておきたかったのよ。あなたは、私のことを友達だと思っていて?」

「難しい問題だね」

 内部から発生する音声が、トーンの低いものに切り替えられる。

「心というものは、外部から確認することは出来ない。

 僕が君の事をどう思っているのかを、アウトプットして見せることもね。

 だから、僕がどう思っているかよりも、君が僕をどう思っているかが重要なんじゃないかな。

 そして、僕はそれを受け入れるよ」

「ありがとう、キュゥべぇ」

 最後の証明は終了した。それはとても残酷なQED。

 否定も肯定も無い、回答の拒絶。それがインキュベーターの全てだった。

 笑顔が心持ち質を変えてしまったが、そんなことは相手にとってはどうでもいいことだろう。

 あとは、事務的な手続きがあるだけだ。

「申し訳ないのだけど、これから先、私とこのマンションの周囲に近づかないでおいて欲しいの」

「どういうことだい?」

「暁美ほむらが、私と完全に敵対すると宣言したのよ。

 あなたにとって、ここは安全な場所ではなくなったわ」

「それなら、なおさら僕が一緒に居た方が良いんじゃないかな?」

 ゆっくりと首を振ると、マミは三行半を突きつけた。

「大丈夫よ。あなたが居なくても、私はやっていけるわ」

「そうか。わかった」

 それは単なる承認。イエスかノーしかない、ゲームの選択肢よりも軽い離別の言葉。

「それじゃ、マミ」

「ええ。さようなら、キュゥべぇ」

 白い物体が窓の外へと場所を移していく。

 窓から離れてキッチンへ向かい、視線を床に落としながら、マミは告げた。

『お願い、暁美さん』

 まるで風船が弾けるような音が窓の外で響く。

 いずこからとも知れない異界から降りてきた忌まわしい罠の一つが、ほむらの狙撃で粉々に砕かれた音。

「良くがんばったな、マミ」

 暖かな声がする。

 頬に寄せてくる毛の質感は少し硬い、それでも労わるように小さな体をそっと擦りつけ、自分を慰めてくれる。

「うん……ありがとう」

 これからやってくる本当の友達を迎えるため、ガスレンジにやかんを掛ける。

 何のために、誰のために、そう思いながらもマミは泣いた。

 それは、きっと、死んでしまった愚かな自分に対しての涙だった。



[27333] 第八話「気合入れていくでぇ!」
Name: 犬太◆93ceb70e ID:97db629a
Date: 2011/06/13 08:12
 食材やお菓子で一杯になったビニール袋を手に、唯は一緒にエレベーターを待つマミの顔を確かめた。

 流石にまだ目は脹れている感じだが、表情は明るい。

 スーパーでの買い物もどこと無くうきうきとした雰囲気を感じさせた。

「暁美さんも一緒に来られれば、楽しかったでしょうね」

「ほんの少しの我慢ですよ。ワルプルギスの夜さえ乗り切っちゃえば、まどかちゃんの、暁美さんの運命が変わる。

 そうすれば、毎日だって会えますよ」

「……鹿目さんのこと、ほんとうに、ごめんなさいね」

「ああ。もうっ!」

 片手をビニール袋から外し、マミの口元に人差し指を当てた。

「巴先輩は何も悪くないんです。

 同じ立場だったら、私だっておんなじことをしてたかもしれないんですから」

「でも……」

「後悔役に立たずですよ、巴先輩」

「それを言うなら、先に立たず、でしょ?」

 唯は笑って首を横に振った。

「これ、うちのおとうさんの口癖です。反省はいいけど後悔はするな! 後悔役に立たずだぞ、って」

「……ありがとう」

 これ以上涙を流すつもりは無いらしく、マミは降りてくるエレベーターの電光表示を見るために顔を上げた。

 その様子に微笑んで、開いたドアを抜けてマミのために『開』のボタンを押しっぱなしにする。

「ところで聞きたいのだけど、いいかしら?」

「なんですか?」

「あの、トムヤンというおとものことよ」

 不安そうな口調に、唯は苦笑した。

 何度か会話を交わしているし、結局スパイシーユイとしてのトムヤンを信頼して、

 真実を受け入れたマミだが、まだ彼に対する疑念は拭えていないのだろう。

「大丈夫ですよ。確かにあの子はがさつだし、口は悪いし、変におじさんくさいところもあるけど、

 優しくて、頼りになって、がんばりやさんで、とってもいい子です」

「……そういうことじゃないのよ」

 なぜか視線を泳がせ、マミは歯切れの悪い口調でこちらを盗み見る。

「彼がというより、おともの世界というのが、気になってるの」

「どういうことですか?」

「彼がとてもがんばっているというのは、良く分るわ。

 身一つであなたの危機に駆けつけて、今は私たちのことも救おうとしてくれている。
 でも、彼がやってきたおともの世界は何もしてくれないのかしら?」

 そのことについては唯自身も疑問に思っていた。

 いくら、トムヤン自身が自分を犯罪者だと思っていたとしても、結果的には自分達を救っている。

 もし、アニメや漫画で見るおとも達の性格そのままであるなら、彼のがんばりを誉めて手助けすることはあっても、

 叱ったり罰したりすることは無いだろう。

 そう、あくまで『創作物の通りであったなら』だ。

「まさか、インキュベーター事件そのものが、おとも世界のせいとか、思ってます?」

「ごめんなさいね。でも、キュゥ……インキュベーターという存在を知ってしまうと、どうしてもね」

『安心しろよ。それだけは絶対にない!』

 エレベーターはマミの住むフロアについていた。

 同時に、トムヤンの元気一杯の声がこちらを励ますように届いた。

『俺の憧れてる先輩は、そういうことには絶対に手を貸す人じゃない。もちろん、他のみんなもな!』

『でも、彼の存在はどう説明するの?』

『う……とにかく! 大丈夫なもんは大丈夫なの!』

 まるで子供の言い訳、全然説明になっていないトムヤンの発言に苦笑いしてしまうが、

 マミのほうはなぜか安心したようだった。

『ありがとう。あなたの言葉で、なんだか確信が持てたわ』

『そうか? ま、いいけどな。それより早く来てくれー。腹減って死にそう!』

『あら、ごめんなさいね。行きましょう、香苗さん』

『はい』

 エレベーターを出てマミと一緒に廊下に出る。

 その視界の端に、何か見覚えのある者が見えたような気がした。

「どうかした?」

「いえ……なんでもないです!」

 カーディガンにロングスカートの少女が、階段を降りていく姿。

 いや、もしかしたら気のせいかもしれない。

 いつの間にか遅れていた自分に気が付き、唯はマミに追いつこうと足を速めた。


第八話「気合入れて行くでぇ!」


 おとも世界には、明確な上下関係というものは存在していない。

 彼らはあくまで世界を良い方向へ導くという理念の下に集まった互助の団体であり、

 何かを強制するために存在しているわけではないからだ。

 しかし、有事においては古参のおともや有識者が会し、重要な決断をする事もある。

 そして今、知られざるおとも世界の深奥で、各世界から集ったおとも代表が会議場の円卓を埋めていた。

 出席者のほとんどは体の小さなおともばかりだが、

 それでも数十匹からなる団体を一堂に介させるには少々手狭で、

 一つの椅子を数匹のおともが占領しているところもある。

「それでは、みなさん御揃いのようですので、インキュベーター禍の被害状況および、

 現状の対策についての報告を行いたいと思います」

 重々しく口を開いたのは一匹の黒いおともだった。

 かの有名な『封印の獣』の対となるべく創られた存在で、見た目こそ似ているが、性格は全くの正反対。

 真面目で融通が利かないところもあるが、几帳面なところを買われて、

 このような会議の司会進行に良く駆り出されている。

「では、特別顧問、状況の解説をお願いします」

「はい。では、こちらを」

 要請にこたえて円卓中央部に巨大な星図を投影したのは、フェレット型のおとも。

 正確を期するなら、彼自身はある少数民族出のれっきとした人間だが、

 一時的に魔法少女のおともとして活動していた時期がある。

 現在は、膨大な知識を有する巨大図書館の館長を務めており、

 汎世界的な被害を及ぼしているインキュベーターへの対策に、

 その知識を見込まれる形で特別顧問として招聘されていた。

「……インキュベーターの版図は、想像を絶するものでした」

 展開された星図は、人間やそれに類する種族が存在する世界を光で表したもの。

 通常の惑星や異世界、並行世界を含めた多次元的マップだ。

 そこに、インキュベーターの影響が及んでいると目されているハザードマップが重ねられていく。

 その光景は悪夢そのもの、正常な白い輝きの星達が、一瞬にして『要警戒』を示す黄色や

 『危険・要対策』を示す赤色に変わっていく。

 正常な細胞が、増殖するガン細胞に侵蝕されていくような光景に、

 おともの何匹かは苦しげなうめき声を上げた。

「もちろん、これは広大な宇宙、あるいは無限に広がる並行世界においては、

 わずかなパーセンテージでしかありません。

 しかし、黄色で示された『要警戒』レベルの星ですら、魔女や使い魔といった個体が発見されたという情報も寄せられています」

「しかもそれ、あんたらが言うところの『管理外世界』っちゅうのは、統計に含めとらんのやろ?」

 おおよそ議長に近い存在として目されている封印の獣が、苦々しげに付け足す。

 フェレットも沈痛な面持ちで頷いた。

 管理外世界とは、フェレットの属している世界で使用されている呼称で、魔法文明が一切発展していない、もしくは魔法が容認されていない世界を差す。

 実際には『管理』しているエリアよりも『管理外』エリアのほうが圧倒的に多い。

「はい。『管理局』の方でも、この異常事態に対して、管理外世界への一時的な駐在員の増員を行い、

 さらなる局員の派遣も検討していますが……範囲が広すぎて後手に回っているのが現状だそうです」

「その点に関しては、おとも世界から近隣の魔法少女達に協力を要請し、

 連携を取り合う形にするのがいいのでは?」

 黒い獣の提案に場に居る全員が頷く。

「次に、魔女と使い魔に対する現状の対策について……」

「ちょっと待たんか!」

 次の議題に移る前にハスキーな老婆のような声が掛かる。

 緑色をした寸詰まりの体と、たらこ唇の生き物が声を荒げた。

 彼女自身はおともではないが、『魔女』の世界を代表してこの会議に出席している。

「わしらの名誉に誓って言うが、あれを『魔女』と認める気は無いからの!」

「ばーさん、今はそないなこと言うてる場合ちゃうて」

「バカタレ! はっきりって今回の一件は、わしらだって怒っておるんじゃ! 

 あれが世間に知られるようになって、魔女のイメージは悪くなる一方!」

 人間世界に寄り添うようにして、異能者であるところの魔女の世界が存在している地球は数多い。

 今回のインキュベーターの行動により、魔法少女のおともだけでなく、

 いわゆる『魔女っ子』と呼ばれる少女達も肩身の狭い思いをしていた。 

「ワシだけではないぞ? 数ある魔女界に座しておられる女王様方も大層ご立腹でな。

 今回の一件に全面協力すると申されておる! もちろん、うちの秘蔵っ子達にも協力させるつもりじゃ!」

「わかったちゅうねん! ま、なしくずしやけど、魔女界は全面協力ってことやな。他はどないや?」

「戦力っていう点に関しては、うちからは俺と、女王様が直々にお出ましになられるぜ」

 円卓の奥まった部分に座り、ゆっくりと葉巻をくゆらせたおともが、凄味のある笑みを浮かべて応えを返す。

 おともの身でありながら軍属を経験している『少佐』、タレ耳の犬の額に角をつけたような容姿をしているが、その眼光は鋭い。

 彼の主である絶対王政下の魔法少女――今は女王だが――といえば、

 その悪辣な手腕と魔法抜きでも強いと言わしめた圧倒的な武力で知らぬものは居ない。

 敵にするには恐ろしく、味方にしたところで更なる災禍を撒き散らしかねないが、

 今回の異常事態においては、有効な切り札になってくれるだろう。

「しかし、戦力が集まっても輸送手段はどうするんだい? 

 兵站は戦争の要、おとも世界からのアクセスじゃ、行ける異世界には限りがあるはずだが?」

「そこは心配せんでええ。わいのつてで移動手段も用意できるわ」

「でも、あの方は渡る世界の指定が出来ないのでは?」

 思わせぶりな黒い獣の一言に、一同が首を傾げる。封印の獣の方は慣れた手つきで中央に映像を映し出した。

 そこには、白饅頭としか言いようの無い、卵形の体と長い耳を持つ生き物と、三人組の人間の一行が表示された。

 ある魔術師の思いが生んだ悲劇を回避した代償に、汎世界を彷徨い続けることになったエトランゼ達。

 世界に影響を与えた事件を解決した彼らの存在は、おとも達の間でも好意的に受け入れられている。

「知り合いの店がこいつらと懇意でな。世界の危機やっちゅうことで、ちょいっと法術を使うてもらってん。

 転移の焦点をインキュベーター指定にしてな、ある程度の融通は効くようになっとるんや」

「ついでに、彼らに魔法少女の護衛をしてもらうつもりですね」

「そういうこっちゃ」

「管理局の方からも、いくらか次元航行艦を回してもらえる手はずになっています。

 それと、局のエースも」

 フェレットの一言に、会場はざわめいた。彼のいっているのはおそらく『白』の魔法少女だろう。

 『白き悪魔』とも『白き冥王』とも渾名される、管理局屈指の砲撃魔道師。

 ひとたび戦場に立てば、その一撃に万人がひれ伏すと言われている戦姫だ。

 ちなみに、彼がおともとしてついていた魔法少女でもある。

「以前、彼女が所属していた特別部隊の面子も同道しますから、

 強力な魔女に対抗する手段として期待できると思います」

「くっ、そいつは面白くなってきたな」

「そうなると、残ってるのはこっちの報告だけかメポ?」

 二匹で一つの席を占めていたおともが、話を引き取る。

「こっちでの呼び方で言うなら『戦闘美少女』でいいメポ? のみんなも準備完了しているメポ」

「ただ、現場まで行く方法がないから、迎えに来てくれると嬉しいミポ」

「発言いいでちゅピ? こっちからも戦闘美少女四名と、天使族、悪魔族の戦力をまわせるでちゅピ!」

 二匹のおともの後を追うように、バレーボールのような容姿のおともが発言を告ぐ。

 質もさることながら物量が必要な今回の作戦において、かなり有益な助っ人といえた。

「残念だけど、元祖であるところのうちからは、戦力を期待しないでね」

 それまで沈黙を守っていた黒猫のおともが口を開く。

「その代わり、うちの女王様と智慧袋がソウルジェムとグリーフシードを元に戻す方法を研究中よ」

「……進んどるんか?」

 視線が一気に彼女に集まるが、黒猫はそっと首を横に振った。

「月の国の至宝を全力で使って、魔女になった子をようやく一人戻すことが精一杯。

 魂を直接歪める技術だから、悪意の浄化のような手段で対抗するのは難しいわ」

「しゃあない、魔術が得意な見習いおともを見繕って研究チームを編成、合同で研究する方がええな。

 陣頭指揮は任せたで?」

「あなたはどうするんですか?」

 また厄介ごとを押し付けて、という風に顔をしかめる黒い顔に、封印の獣は笑って肩を竦めてみせた。

「うちの魔法少女も出陣予定なんや。ついていかんわけにはいかんやろ」

「……分りました。後方支援は任せてください」

「あー、ちょっとすまんが、ええかな?」

 遠慮がちに声を掛けたのは、おとも世界では珍しい犬型のおとも。

 むくむくとした毛並みと巻いた尻尾が特徴の、おとも世界では古参の存在だ。

「わしらがついていたような、変身の力しか持たん子達からの提案なんじゃが……」

「わかっとります。危険なところには行かせられへんし、後方待機っちゅうことで」

「いや、そうではなく、例のインキュベーターの捕獲任務に当たる、

 というのはどうじゃろうという話なんじゃ」

 その後を引き取って犬の上にサル型と、黄色い鳥形のおともが交互に発言を添える。

「インキュベーターは契約を迫るだけで、そいつら自体には危険な能力は無いんだろ? 

 だったら、捕まえるぐらいはできそうだしね」

「前代未聞の話だし、出来ることなら力になりたいって、みんな思ってるのよ」

「そうは言うてもなぁ……」

「攻撃能力を持ったユニットを先行させ、敵対戦力を排除。

 現状がクリアになったエリアに後方任務の連中に事後処理をさせる、って手はずで問題ないだろう?」

 魔法少女に用いるには物騒すぎる発言だが、確かに一理ある。

 封印の獣は『少佐』の意見を容れた。

「ほなら、それで問題ないですやろか?」

「ああ。わしらもそれで構わんぞ」

 その後、さまざまなおともの発言や協力確約の報告がなされ、会議は結びとなった。

 もともと、各世界の意思確認と対策状況のチェックが目的だったのだ。

 難しい意見調整などは一切必要が無かった。彼らの、あるいは彼女達の心の中にあったのはたった一つ。

 悲しみと共に潰えていく少女が、これ以上増えないようにすること。

 そのためには、おともの世界に仇を為した者を、断固として許すわけには行かない。

「さぁ、いっちょ気合入れて行くでぇ!」

 力強い音頭に、全てのおともが、応の声を上げた。



 一人暮らしということだったが、マミの家の台所には色々な調理道具がそろっていた。

 自分もやると言って聞かなかった彼女をほむらに任せ、大きめの鍋に野菜や肉を投じていく。

 こうして料理を作りながら耳をそばだてていると、リビングの方から楽しそうな会話が聞こえてきた。

「え、シチューをご飯にかけて食べるの?」

「ええ。香苗さんの家はそうみたいです」

「始めて聞いたわ。私はシチューといえばパンと一緒に食べるものだと」

「結構うまいぜ? ハヤシライスがオッケーなんだからシチューもいけるだろ?」

 またその話か、唯も自然と口元をほころばせた。

 以前、唯がほむらに香苗家特製のシチューをご馳走したとき、同じような反応をされたことを思い出す。

 自分としては、シチューはご飯に掛けて食べるものだと思っていたから、逆にその反応の方が意外だったりするのだが。

「ふぅ」

 とりあえず、材料は全て鍋に入れた。後は火を落として、とろ火で煮ればいい。

 それにしても、火を使っているせいか妙に部屋が暑く感じる。

「トム君、そろそろこっちに来て、あじみ」

 味見をしてもらうと思っていた。何しろ、彼はとても、味に――


 重い袋でも落としたような音が、キッチンから届く。

 トムヤンの五感がいきなり警鐘を鳴らした。

「ユイっ!?」

「香苗さん!」

 全速力でキッチンへ駆け込むと、そこには荒い息をしたまま昏倒する唯の姿があった。

「どうしたんだ、ユイ!」

「とにかく救急車を!」

「香苗さん、しっかりして!」

 必死に顔にすがりつくが、そこから伝わってくるのはかなりの高熱を彼女が出しているということだけ。

 頭の中が真っ白になり、おとものトビネズミは、絶望の悲鳴を上げた。

「目を開けてくれ! ユイっ!」
 


 














 まどかは息を切らせて走っていた。

 後ろから追いすがる、操られた人々の気配を首筋に感じながら。

 その人々の群れの中に仁美の姿も混じっている、恐怖で叫びそうになる口元を必死に押さえ、廃工場の中を逃げていく。

 彼女の首筋に刻まれていた魔女のくちづけの映像が脳裏から離れない。

 一体どうしたらいいんだろうか、そのことばかりがぐるぐると頭を巡る。

『自分にやれることをすればいいんだよ!』

 以前出会ったトビネズミの言葉が頭に浮かび、まどかは工場の事務室に飛び込むと何とか鍵を掛け、携帯電話を取り出した。

「マミさんの番号も、ほむらちゃんのもわかんないし……」

 なんてドジなんだろう、病院の一件以来何も進歩していない。

 一緒にお弁当を食べたときにも聞くチャンスはあったはずなのに。

「とにかく、さやかちゃんにっ」

 荒々しく叩かれるドアの音に耳を押さえ、必死に電話を握り締める。

 コール音だけが何度も響き、祈るような気持ちでさやかのことを思う。

「お願い早くっ」

 ぷつっ、という切り替え音と共に状態が通話へと変わる。

「もしもしさやかちゃん!?」

『あなたのおかけになった電話番号は、現在電源が切られているか、電波が繋がりにくいところにいるため、掛かりません』

「うそっ! なんでっ!」

 まどかの叫びに誘われるように、周囲の環境が変わっていく。

 煙が染み出るように魔女の力の場が湧き出て、ラクガキのような造形をもつ天使型の使い魔がこちらに向かってくる。

 抗う術も持たないまま、まどかは怪異に飲み込まれた。

 気が付くと、自分の体からあらゆる起伏が消えていた。

 出来の悪いキュビスムの絵画のように、あるいは子供向けアニメのキャラクターのように。

 周囲にはメリーゴーランドの絵が回り続け、無数の天使が舞い踊っていた。

(こんな、こんなのって……)

 恐怖を感じるより、理不尽を感じる心がまどかの中にこみ上げた。

 笑い声を上げながらこちらを眺めて飛び回るのは、モニターに羽を生やしたような存在。

「どうして! どうしてあなた達は、こんなことするの!?」

 魔女は答えない。

 代わりにモニターに様々な映像が映し出される。

 マミさんの泣いた顔、苦しさを押し隠して笑うさやかの顔、ほむらの憂いと悲しみを含んだ顔。

 それを見つめていたのは私。

 魔法少女になると言って、結局自分では何もしなかった私。

 一緒に遊んでいても、さやかのことを分って上げられない私。

 その悲しみを理解できず、ほむらを困らせてしまう私。

 みんな私、私が始まり。

『巴マミに守ってもらってただけだろ!』

 モニターの向こうから叫ぶ魔法少女の声に、まどかが口元を押さえる。

「私は……ダメな子だ」

 こみ上げるもどかしさが願いに変わりそうになる。

 みんなを笑顔にするなら、それはきっと魔法の力がいる。

「お願い! 出てきてキュゥべぇ!」

 声を限りに叫ぶが、結界の中には自分以外誰もいない。

 ああ、そうか。あの子も自分に愛想をつかしてしまったんだ。

 その自嘲が溢れ、まどかの四肢を天使が引っ張り始める。

「う、あああっ、あああああああっ」

 全身に走る激痛、バラバラになりそうな体を感じ、まどかは絶叫した。

 だが、痛みはすぐに治まった。

 硬いものを切り裂く音と、風を渡る者の動きによって。

「……さやか、ちゃん?」

 白いマントを背に、青い装束を身に纏った彼女が結界の中を切り裂いていく。

「これで、とどめだああああああっ!」

 モニターを青い姿が刺し貫き、地面へと叩きつける。

 それを合図にして、世界は急激に元の廃工場へと戻っていった。

「いやー、ゴメンゴメン。危機一髪ってとこだったね」

 呆然と立ちつくすまどかは、親友の姿に目を見張った。

「さやかちゃん……その格好」

「ん? あー、んーまあ何、心境の変化って言うのかな?」

 説明になっていない言葉を照れ隠しに告げる彼女の背後に、一人の少女が立つ。

 彼女にしては珍しく、息を切らせた姿で。

「遅かったじゃない、転校生」

 その時、まどかは暁美ほむらの顔にある表情に目を見張った。

 多分、わずかな変化だから、対抗心を燃やしているさやかは気がつかないかもしれない。

 ほむらの顔には、後悔と悲しみが溢れていた。

「美樹さやか……あなたはっ」

「なに、よ」

 いつもとは違う口調にうろたえつつ、ほむらの様子を覗うさやか。

 彼女はただ、黙ってその瞳を見つめ返していた。



[27333] ぽじトムサイドストーリー 魔法少女さやか☆マギカ第一話「明日とかどうですか!?」
Name: 犬太◆93ceb70e ID:97db629a
Date: 2011/06/10 14:16
 油断無く身構えながら、さやかは目の前の黒い魔法少女を見つめた。

 だが、相手は敵意も覗わせないまま、口を開いた。

「まどかを救ってくれたことは感謝するわ。でも、戦うのはもうやめなさい」

「どういう意味よ」

「見滝原は、あなたのような新人がやっていける場所ではないのよ」

「ふざけないでよ! なんであんたにそんなこと指図されなきゃいけないわけ!?」

 長い黒髪を揺らして頭を振ると、その口調が懇願を帯びるようなものに変わる。

「この先、戦い続けていけば、あなたはきっと後悔する。だから」

「だから引っ込んでろっての!? 冗談じゃないわよ!」

 何もかも見透かしたような顔を、思い切り睨みつけてやる。

 これ以上、自分のやることに口出しされたくは無い。

 だって、これは自分が決めて選んだ道だから。

「私は後悔なんて絶対しない! 

 魔法少女になることをを選んだのも、自分の願いをかなえた事も!」

 心に浮かんだ自信と誇りを胸に、さやかは自分の心を言葉に乗せて叩きつけた。

「後悔なんて、してやるもんか!」

 いつからだろう、こんな強い気持ちが自分の中に宿ったのは。

 なってしまえば、魔法少女になったことが、まるで自分の運命のように感じる。

「さやか……ちゃん」

 不安そうに声をかけてくるまどかに振り返ると、さやかは久しぶりのような気がする満面の笑みを向けた。

「大丈夫だよ、あたしがあんたを、みんなを守ってあげるからね」

 そして――大好きな人も。


第一話「明日とかどうですか!?」


 いつもの朝の風景、並木道を三人で一緒に通う。

 ただそれだけのことなのに、さやかはひどく疲れている自分が居るのを感じていた。

「でもってー、ユウカったらさー、それだけ言ってもまだ気付かないのよ。

『え、何? また私変な事言ったー?』とか半べそになっちゃってー。こっちはもう笑い堪えるのに必死でさー!」
 いつもどおり、会話の主導権は自分。
 まどかと仁美はそれぞれ聞き役で、ときどき入り込めるネタがあればまどかと一緒に盛り上がり、仁美はマイペースでボケ役を務める。

 正直、それが辛かった。一体、自分はいつまでこんな役をしなきゃいけないんだろう。

 今はそんな気分じゃないのに。

『さやかちゃん』

『どしたの、まどか?』

 キュゥべぇが足元をうろついているのを幸いに、仁美に気が付かれない様、まどかが話しかけてくる。

『えっと、最近、調子どう?』

『な、なによー、いきなり。さやかちゃんはいつも元気元気ですぞ?』

 勘弁してよ、そう言い返したい気持ちをむりやり閉じ込める。

 だが、まどか自身はあまり引くつもりは無いらしい。

『私、なんにもできないけど、聞くことしか、できないけど。

 さやかちゃん、一人で抱え込んじゃダメだからね?』

『まどか……』

 見詰め合ったまま黙ってしまったこちらの様子に、仁美が不思議そうな顔を向ける。

「お二人とも、どうされました?」

「え? ああ、いや、その……えーとぉ」

「最近、妙に見詰め合うお時間が長いと思っていましたが……

 まさか二人とも、既に目と目でわかり合う間柄ですの?」

 口元に手を当てて大げさにのけぞる仁美、

 オーバーリアクションをかましながら彼女は叫びつつ学校へ向けて走り去っていく。

「でもいけませんわ、お二方。女の子同士で。それは禁断の、恋の形ですのよ~!!」

「ひ、仁美ちゃーん」

「ははは、あいかわらずあの子は」

 とはいえ、仁美の奇行に硬くなっていた気分が少しだけほぐれる。

 少しだけ出来た余裕を込めて親友の肩に右手を置いた。

「大丈夫だよ。まどかが心配することは何も無い」

「さやかちゃん……」

「さ、早くしないと遅刻しちゃうぞ!」

 軽い調子で声を掛けると学校へ向けて走り出す。

 さやかは一瞬だけ、まどかの肩に乗ったキュゥべぇの姿を盗み見た。

 赤い瞳は見透かすようにじっと、こちらを見つめ返している。

(あたし……どうして迷ってるんだろう)

 答えの出ない気持ちを振り切るかのように、さやかの足は自然と速まっていった。


 終業のチャイムが鳴り、クラスの生徒達がそれぞれの方向へ散っていく。

 カバンから弁当を取り出そうとしたとき、まどかがこちらに歩み寄ってきた。

「今日はどこで食べよっか?」

「んー、そうだなぁ」

「こんにちは! 鹿目さん、美樹さん」

 いつの間にか、二人の目の前に二人の少女が立っていた。

 片方は同じクラスの暁美ほむら、もう片方はクラスこそ別だが同じ二年生の香苗唯。

「え、っと、こんにちは」

「……何しに来たのよ」

 さやかは不機嫌な顔を隠さずに二人を睨みつける。

 制服の袖口を引っ張って、まどかが不安そうな声を上げた。

「さやかちゃん、ダメだよ。そんな顔しちゃ」

「まどかは黙ってて」

 転校初日から胡散臭い言動を繰り返してきたほむらも気に入らないが、

 その友人だという唯も、自分にとっては疑わしい存在だ。

 まどかを守るように前に立つ自分の手を、唯はいきなり握ってきた。

「ちょ、あんた!?」

「一緒にご飯食べに行こう!」

「……え?」

「もちろん鹿目さんも一緒に!」

 そういいつつ彼女はまどかの手も握ってくる。

 女の子の割には握力が強いように感じるのは、唯が運動部だからだろうか。

「あたしはそんな……」

「これから巴先輩も誘いに行くんだけど、一緒に行こうよ!」

 振りほどこうとした手が、マミの名前で一瞬止まる。

 意外な人物の名前が出てきたところで、まどかが自然な疑問を口に出していた。

「唯、ちゃんは、マミさんのこと、知ってるの?」

「えっと……昨日お茶に誘われて、いろいろおしゃべりしたよ」

「お茶って、マミさんちで?」

「そうじゃなくて、喫茶店。巴先輩のお父さんが行きつけだったんだって」

 意外な発言にさやかもまどかも驚く。

 マミのうちに遊びに行くことはあったが、そんな店のことは一度も会話に上っていない。 

「それって、どんなお店だったの?」

「じゃ、それを本人に聞きに行こうよ。ほら!」

 半ば強引に教室から引っ張り出され、さやかは唯の後についてマミの教室まで行くことになってしまう。

 活発というか強引というか、自分もそれなりにアクティブな方だが、こっちは一枚上手のようだ。

 不安がっているそぶりを見せないよう、一緒に歩くまどかに話しかける。

「一体、どういうつもりなのかな、あの子」

「わかんないけど……お昼を一緒に食べようってことなんでしょ?」

 単純すぎる答えに天を仰ぎたくなりながら、少し言葉に力を込める。

「まーどーかー。しっかりしてよ、あの子、転校生の友達なんだよ? 

 もしかしたら、あたし達を罠かなんかにはめるつもりじゃ……」

「考えすぎよ」

 いきなり会話に割り込んできたほむらは、無表情な顔で当て推量を否定した。

「あの子は、何も考えていないわ」

「……どういう意味よ」

「あなたやまどか、そして巴マミと私を仲良くさせるために行動しているだけ」

「はぁ!? なに考えて……ってあの子、裏事情は知んない、のかぁ」

 部外者が余計なことを、頭痛がしそうになる頭をそっと押さえた。

 以前、ほむらと彼女が二人きりでお昼を食べていたとき、

 キュゥべぇははっきりと『彼女には魔法少女の才能が無い』と言い切っている。

 つまり、唯にはキュゥべぇは見えないし、魔法少女の活動も理解できるわけが無い。

 こちらの関係が悪くなっているのを、一般的なケンカくらいに思っているのだろう。

「で、あんたはそれを止める気は無いの?」

「ないわ。少なくとも、彼女は自分なりの考えで行動している。思いやりからね」

「余計なお世話、って言いたいところだけど……断ったらかえって拗れそうだね」

 などと話している目の前で、マミに対する強引な勧誘が行われていく。

 そういえば、初めてほむらをお昼に連れ出したときも、彼女はあんな感じだったはずだ。

「ほむらちゃんはさ、唯ちゃんとは知り合って長いの?」

 唯の行動に何か思うところがあったのか、まどかがほむらに話しかける。

 さやかとしてはあまり面白くない光景。キュゥべぇとマミの敵である人物に、少し親しすぎなんじゃないかと思う。

「いいえ。小学生のときに、一年ほど同じクラスにいた程度よ」

「それにしちゃ、ずいぶん積極的じゃない」

「彼女は……おせっかいなのよ。筋金入りのね」

 言葉とは裏腹に、口調は和らいでいる。

 こちらにマミを引っ張ってくる唯を、まぶしいものでも見つめるように、目を細めて眺めていた。

「ほむらちゃんは、唯ちゃんと仲良しなんだね」

「さぁ、どうかしら。でも、彼女は私に良くしてくれているわ」

「その気持ちを利用して、あたしらを油断させようって腹?」

 タップリ悪意を混ぜ込んだ言葉を投げつけてやる。怒りだすか不機嫌になるか、それともだんまりを決め込むか。

 そんなさやかの予想は、彼女の意外な言葉で裏切られた。

「私の思惑なんかどうでもいいの。あの子は、それでもしたいようにするはずよ。

 例え、暁美ほむらが、香苗唯を利用すると宣言したとしてもね」

「……それって、超がつくほどのお人よしってことじゃない」

「そうかもね」

 そっけない一言だが、決して悪感情を抱いているわけではない響き。

 冷血女に超お人よしか、そんなことを考えながら、自分を少し先に歩いてマミと一緒に何事か話している唯を見つめる。

 見た目は全くどこにでもいる普通の女の子。

 可愛いとは思うが、ほむらのような目をひきつけるような美形でもないし、

 マミのような優雅さもない。元気と気さくだけがとりえの子に見えた。

「はい、今日のお昼はこれでーす」

 とはいえ、さすがにこれは普通じゃない、そう思いながら重箱に詰められた弁当に突っ込みを入れる。

「これ、全部あんたが作ったの?」

「おにぎりと重箱へつめたのは私。おかずは冷凍だったり作り置きだったりするけど、おかあさんの担当だよ」

 こともなげに言ってみせるが、これだけのものを用意するのはそれなりに時間が掛かっただろう。

 しかも、この子は陸上部だ、朝練もあるだろうから起きる時間は普段よりも早くなったに違いない。

 自分の隣でりんごで出来たうさぎを見て喜ぶ無邪気にまどかへ、さやかがそっと苦笑を浮かべたときだった。

「折角のお誘い悪いんだけど、私は失礼させてもらうわ」

 腰を浮かしかけたマミを見て、自分も立場を思い出す。

「あたしも、こんな不機嫌そうな奴の近くで暢気にランチなんて、勘弁だわ」

 とは言いながら、後悔する気持ちが溢れてくるのは止められなかった。

 マミは自分のスタンスからそう言っているのだろうが、正直さやか自身はほむらのことがなければ、唯となら食事をしてもいいと思っていた。

 悲しそうな顔をして引き止める唯の顔を見て、胸が少し痛む。

「や、やっぱりあたし……」

 口の中で転がした言葉は、ほむらの意外な言葉でかき消された。

「少し、待ってちょうだい」

「……なんだよ」

 反射的に叩いた憎まれ口を後悔する暇も与えず、ほむらは深々と頭を下げた。

「私が気に入らないというなら、ここからいなくなるわ。

 だから、せめて香苗さんの作ってきた物だけは、食べていってあげて」

 今までの行動からは想像もつかない意外すぎる反応、マミも二の句がつけずに黙りこくってしまう。

 そんな空気を破ったのは、かなり重い音をさせて振り落とされた唯の鉄槌だった。

「そういう発言は禁止だって言ったでしょ!」

「っつ、か、香苗さん、痛……」

「今日はみんなで仲良くお昼を食べる日です! 口答えは許しません!」

 叱られた子供のように涙目になりながら、小声ではいと言うほむらに、さやかはたまらず笑い出していた。

「ぷ……あ、あはははは、なにそれ! 全然頭上がんないでやんの! あははははは!」

 なんだろう、笑い飛ばしているうちにどんどん気分が良くなってくる。

 もちろんそれはすかした雰囲気の暁美ほむらを思い切り笑ってやるチャンスだったからだろう。

 でも、それだけではない。今この一瞬だけ、この場に居る人間がごく当たり前の女の子になった気がしたのだ。

 一緒になって笑っているマミも、どこか恥ずかしそうにしている涙目のほむらも、うろたえながらほむらを気にするまどかも。

 何の責任も無い、普通の女の子に。

 だから、

『楽しそうだね。僕もご一緒してもいいかな?』

 キュゥべぇの声は、まるで嫌ったらしいものに聞こえた。

 折角の楽しい時間を邪魔する教師や親の声のように。

『……ごめんなさい。今回は席を外してもらえる?』

 マミがキュゥべぇに席を辞してくれるように頼むのを見て、さやかも自分の素直な気持ちを付け加えていた。

『悪いんだけどさ。今は、ちょっとやめてくんないかな。あの子のためにも』

『彼女に魔法少女の素質はない。僕の存在はいわば空気のように感知されないはずだよ』

『その空気を読めって言ってんのよ。キュゥべぇ』

 その言葉を突きつけたとき、さやかはさっきとは別の罪悪感を感じていた。

 あれだけキュゥべぇの語る『奇跡』を当てにしようとしていながら、

 今こうして都合が悪くなると相手を疎んじてしまう。

 ただ、今は勘弁して欲しかった。これ以上、心に負担をかけるようなマネはして欲しくない。

『わかったよ。それじゃ』

 去っていく白い姿を見つめながら、テレパシーの圏内が離れないうちにマミに謝罪を飛ばす。

『すみません。マミさん、キュゥべぇにあんなこと』

『いいのよ。確かに、彼の発言はデリカシーに欠けていたと思うわ』

『それと、魔女狩りのこと、すみません』

 そっと首を横に振りこちらに笑顔を向けたマミに、さやかも安堵の笑みを返す。

「美樹さん、りんごもうちょっといる?」

 気が付くと、自分の弁当の蓋に唯がりんごを盛り付けてくれていた。

 屈託ない笑顔の彼女に、思わずさやかは言っていた。

「今日は、ありがとね」

「ん? ああ、このくらいなんでもないよ!」

 多分、この子は一生気がつかないだろう。この一時で自分がどれだけ救われた気分になったかを。

 伝えきれない感謝の代わりに、さやかは自分に出来る範囲で気持ちを表すことにした。

「それと、美樹さんってのやめてくんないかな。さやかでいいよ」

「そっか。それじゃ、さやかちゃんで」

「じゃ、あたしは唯って呼ばせてね」

 そう言いながら、さやかはもう一度心の中で唯に礼を述べていた。


 風呂から上がり、タオルで髪の毛の水気を取っていたさやかは、

 洗面所のところに置きっぱなしにしていた携帯電話にランプが灯っているのを見つけた。

 電話の着信、発信先は恭介の父親。

「うそっ!」

 大急ぎでリダイヤル、しっかりと耳に押し当てる。

 コールが数回続き、さやかは受話器の向こうへ、恐る恐る声を掛ける。

「も、もしもし」

『ああ。さやかちゃんだね』

「あ、あ、あの恭介、の容態は?」

『……大丈夫。今は安定しているよ』

 不思議な落ち着きを感じさせる声に、さやかはほっと胸をなでおろした。

「じゃあ! あの、お見舞いに、行っても、いいですか?」

『……ああ。ぜひ、お願い、するよ』

 発信元が遠いのか、恭介の父親の声がはっきり聞こえない。

 それでも、許可であることには変わりが無かった。

「じゃあ! 明日とかどうですか!?」

『……わかったよ。放課後で、いいんだね?』

「はい!」

『こちらから伝えておくよ。恭介をよろしくね』

「はい!」

 通話を切ると、さやかは自分は震えていることに気が付いた。

 風呂上りのまま、下着姿で話をしていたから、すっかり体が冷えてしまったのだろう。

「よかった……よかったよぉ」

 膝から力が抜けたのも、思わず涙腺が緩んだのも、全部湯冷めのせいに違いない。

 むちゃくちゃなことを思いながら、さやかは泣き笑いのまま携帯電話を握り締めた。

 これから全部良くなる、あいつはきっと大丈夫。

 そう自分に言い聞かせて。




 風呂上りで少し火照った体を冷やそうと思い、志筑仁美は離れへの廊下を歩いていた。

 ガラス張りの廊下からは、純和風の庭園が見える。

 行儀良く揃えられた松や、防風林として植えられた杉や桧、丁寧に手入れを施された芝生、

 それらがかもし出す落ち着いた雰囲気は、夜の闇の中でも安らぎを感じさせてくれる。

 手入れの行き届きぶりを見れば、志筑家が持つ資産とその趣味のよさが覗えるだろう。

 ただ、仁美にとってそれらはあまり意味のないものだ。

 もちろん価値は十分に認めているが、だからといってそれに殊更思い入れをすることは無い。

 そのまま静かに歩み進むと彼女は離れのドアを開け、そこに設えれられた遊戯室へと足を踏み入れる。

 ビリヤード台やカードテーブルなどが置かれたこの場所は、

 家族のものや親戚がやってきたときに歓談をする場所であり、

 彼女の習い事のひとつであるピアノのレッスンをする場所でもあった。

 明かりもつけず、月明かりだけを頼りにグランドピアノのシルエットにたどり着くと、

 鍵盤の蓋だけを開けて、白鍵を人差し指で叩く。

 澄んだ音が、闇の中に響いた。

 その音色をに何か呼び覚まされたのか、仁美は椅子を引いて座り、ゆっくりと曲を弾き始める。

 始めは囁くように、やがて確かな指運に変わり、演奏してゆく表情も真剣なものになっていく。

 そして、彼女の目はいつしか鍵盤ではなく、自分の座るピアノのすぐ隣の、

 誰もいないはずの空間に眼をやるようになった。

 その視線は、そこには居ない誰かを見ている。

 居て欲しい誰かの姿を。



[27333] 第二話「恋を、しておられますな」
Name: 犬太◆93ceb70e ID:97db629a
Date: 2011/06/12 22:11
 仁美が茶の稽古をする場所は、基本的に母屋に設けられた専用の茶室だ。

 時には着物まで着付けて本格的に行われる事もあるが、通常は平服のままで行っている。

 挨拶を済ませると、師匠である老爺はいつもどおり、時候の挨拶や今の季節にあった茶の淹れ方、

 作法についてゆるゆると語る。

 そして彼は、物柔らかい口調で修行の開始を宣言した。

「さて、それでは一服点てていただけますかな」

「はい」

 しんしんと沸く茶釜からお湯を掬い、黒塗りの茶碗に静かに注ぎいれていく。

 そうしながら仁美は、以前師匠から言われていたことを思い出していた。

『お茶の作法というのは、おもてなしの心そのもの。

 茶席にいらしたお客様のことを考えて点てるのが、最も重要な作法です』

 茶筅を茶碗のふちに当て、ゆっくりとお湯と抹茶を解き混ぜていく。

『お客様のことを考えるというのは、相手に対してねぎらいやいたわり、

 感謝や好意をお茶という形で表すということです。家族や親しい友人に声をかけ、語らうように』

 その時、仁美は考えていた。家族や友人ではない、大切にしたいと思った人のことを。

 彼とはほんの少し話した事があるだけだ。友人ではない、せいぜい知り合い程度の付き合いだろう。

 それでも、その人のことを思い、茶を点てていく。

「どうぞ」

 差し出された黒茶碗を手に、師匠はゆっくりと服した。

 しばらく瞑目して後、作法どおりに茶碗を戻すと、おもむろに口を開く。

「……お上手に、なられましたな」

「あ、ありがとうございます」

 かなり意外な一言だった。

 立ち居こそ落ち着いていて優しげな印象をあたえるが、芸事に関する姿勢はとても厳しい師匠。

 自分の点てたお茶に指導の言葉を掛けることはあっても、上手になったなどと手放しに誉めたことはなかった。

「ですが、私、取り立てて何かしたわけでは」

「いいえ。この茶からはお嬢様のおもてなしの心を感じました。

 誰かを思い、そのために点てることが出来た茶は味や香りだけでなく、におい立つ気配そのものが違うものです」

「はぁ……」

 そこで彼は少し言葉を切り、誰もいるはずのない茶席で、心持ち声を細めて言った。

「恋を、しておられますな」

 ぴたりと心を当てられ、動揺したこちらに師匠は柔らかく微笑んだ。

「ご安心なさい。茶の席は俗世から離れた隠り世、

 にじり口の外へ持ち出すような無作法はいたしませんよ」

「……それも、お茶を飲んでお分かりに?」

「ええ」

 そんなに分りやすかっただろうか、思わず頬を染めて仁美ははにかんだ。

 その表情を見つめて、師匠は笑みを深くする。

「その気持ちを忘れないようになさることです。

 心の動き一つでお湯の使い方が変わり、茶筅の動かし方が変わる、

 茶室に入るときの息づかいですら変わってくる。大切なのは心です」

「はい」

 心の中にじんわりとした満足と、一層の想いが募ってくる。

 湧き上がる喜びと恋慕を、仁美は抹茶と一緒に飲み込む。その味は何処か甘く、切ない香りがした。


第二話「恋を、しておられますな」


「悪いね、まどか。あたしもう行くね」

 いつもの帰り道、軽く手を上げる自分にまどかも笑顔で片手を上げた。

「上條君、元気になってよかったね」

「うん」

 我ながら現金だとは思う。

 昨日まで不安でしょうがなかったのに、相手が無事だと思ったらすっかり気分が晴れやかになっていた。

「まったく、恋って奴はなんなんでしょうねー」

「……もしかして、今日告白しちゃうとか?」

 思いも寄らない突っ込みに顔が火照りだす。

 いつもと立場を逆にして、まどかがさらに突っ込みを入れてくる。

「もしかすると、上條君の方もさやかちゃんが言ってくるの、待ってたりして」

「んなっ!? ま、まどかー」

「あはは、それじゃねー」

 去っていく背中を苦笑して見送り、さやかは歩き出した。

 久しぶりに頬に感じる日の光が、元通りの輝きを取り戻しているように感じる。

 通いなれた病院への道も、今日は憂鬱なものを感じなかった。

(CDは持ったし……花は、恭介のお母さんが毎日取り替えてるから、大丈夫かな)

 そんなことを考えながら歩いていくと、道の脇にガラス戸の取り付けられた掲示板が目に入った。

 市立公民館のイベントを告知するために設置されているそれに、いくつかのポスターが貼られている。

 その中の一枚、クラシックコンサートの告知にさやかは足を止めた。

 気軽に親しむクラシック、と銘打たれたイベントを見ているうちに、ふと恭介の言葉を思い出す。

『クラシック、って言っても今のような形で成立したのは、せいぜい二百年前のことなんだ。

 僕の弾いているバイオリンだって、最初は低俗なものと見なされていたんだよ』

『低俗って……。あんなきれいな音出すのに……』

『バイオリンは民俗楽器の一種として、お祭や結婚式のときに場を盛り上げるためのものとして使われていた。

 それが次第に貴族達の間で受け入れられ、ストラディバリやグァルネリなどの名器を生み出す楽器職人によって、

 その地位が高まっていったんだ』

 この話を聞いたのはいつのことだったろうか、

 その時の恭介は持っていたバイオリンで普段は絶対にやらないような、 曲弾きや早弾きを披露してくれた。

『い、いいの!? そんなことやって!』

『流石に本番ではやらないけどね。みんなにはないしょだよ』

 悪戯っぽく笑う恭介の顔は本当に楽しそうで、そんなあいつに自分は惹かれていったんだと思う。

 天才少年と謳われた、上條恭介の本当の姿を知っている自分。

 ポスターの前から立ち去ると、さやかは思い出を反芻しながら病院までの道のりをたどっていった。

 最初の出会いは、両親に連れられていったコンサート。

 あの時はまだ何も知らない子供で、普段はしないようなおしゃれなパーティドレスを着れるのが、ただ嬉しかった。

 その時のコンサートのことは今でも覚えている。

 スポットライトに照らされ、自分とあまり歳も変わらない少年が奏でる音色。

 その時以来、自分にとっての恭介のイメージは、いつもバイオリンの音色と共にあった。

 それから、恭介に引き合わせてもらい、歳が近いということで自然と仲良くなった。

 たくさん話をして、音楽と彼を知った。

 毎日会うわけではないけれど、彼がコンサートに出るたびに足を運び、

 時には彼の誕生日に自ら演奏するのを聞いた。

 その気持ちは最初から恋だったのか、あるいはまどかに語ったように恋と自覚してから始まったのか、それはわからない。

 ただ一番確かなことは、自分が恭介を好きだというその一点。

 やがて、病院の白い壁が視界に入ってくる。

 今までは外から眺めるだけだったが、今日は久しぶりに恭介に会える。

「っと」

 病院のロビーを抜けると、素早くトイレの洗面所に入る。

 制服のままで来たからドレスアップすると言うわけには行かないが、胸元のリボンを直し、髪を少し撫で付けてみる。

「こんなとき、魔法が使えたら便利なんだろうね」

 そんな呟きが零れて、さやかは苦笑した。

 我ながら知識が古い、といってもきれいな大人の女性になる魔法少女のネタを知っているのは、

 昔再放送されていたアニメを見ていたからだ。

 実際の魔法少女は、そんなに甘いものではなかったが。

「いかんいかん、今は明るくスマイル」

 自分の笑顔を鏡で確認、満足して洗面所を出るとそのままエレベーターへ向かう。

「……さやかちゃん」

「あ、こんにちは」

 恭介の父親は、こちらを見つけて会釈をしてくれた。その顔に、白いガーゼが当てられている。

「ど、どうしたんですか? その顔」

「いや、その、ちょっと階段でつまづいてね。大したことは無いんだ、はは」

 笑いは妙に虚ろだった、顔色も土気色でとても平気な様子には見えない。それでも彼は先に立ち、

 自分を恭介の元に誘おうとしてくれる。

 その様子を見たさやかは、恐ろしいことを考えていた。

 その先に行きたくない。

「あの、恭介、体の調子、どうですか?」

「ああ。大丈夫だよ」

「今は、病室ですか?」

「ああ。そうだね」

 エレベーターが登っていく、階の表示が動くのが妙に速い、いつもなら遅いぐらいに感じるのに。

 押しつぶされそうな沈黙の中、箱が目的の階に向かって開かれる。

「すまないが、ここからは君一人で、行ってくれるかな」

「……どうして、ですか?」

 単なる質問だ、父親の彼がここまで来ておいて同伴しないなど、普通はありえない。

 それでも彼の顔には、隠しきれない恐れが浮かび上がっていた。

「久しぶりに、恭介と会うんだ。二人きりの方が、いいんじゃないかと思ってね」

 普通なら舞い上がってしまいそうな一言なのに、まるで死刑台までの道のりを、

 勝手に歩いていけとでも言われたかのような錯覚に陥る。

 こちらの動揺に気が付いたのか、ひび割れた醜い笑顔が浮かび上がった。

「だ、大丈夫だよ。私は外で待っているから」

「は……はい」

 廊下は夕日に照らされていた。嫌に毒々しい赤色と、浮き上がってくるような黒い影のコントラスト。

 靴音が妙に響き、すれ違ったナースの視線が一瞬自分を捕らえ、逃げるように足を速めていってしまう。

 なんで、どうして、自分はただ好きな人に会いに来ただけなのに。

 手が震えている。
 ノブに手を伸ばそうとして、それが全身の震えを受けているだけなのだと気が付き、

 耳鳴りまでがするようになっていた。

 この向こうに何があるのか、確かめるのが怖い。

 それでも、さやかは意を決してノブを押しまわした。



 送迎の車に乗った老茶人は、流れすぎる景色の向こう、夕日に照らされた町の景色を見つめていた。

 今日は、久しぶりによい茶を飲むことができた。

 枯れた自分に生命の息吹を吹き込んでくれるような、初々しい恋慕の感情を込めた一杯。

 茶人として、幾度も岐路に立つ人間の茶を味わってきたが、

 ああして人としての成長を迎えつつある若人の茶を頂くのは、格別の喜びだった。

 だが、彼はふと顔を曇らせた。

 彼女には告げなかったが、あの茶には致命的に欠け落ちているものがある。

 それは、相手の心。

 お湯を入れる仕草、茶筅を動かす手先に、相手に対する恋情を覗うことは出来た。

 しかし彼女自身は、その意中の相手をまるで知らないままなのだ。

 もし知っていたなら、お湯の温度や空気の含ませ方まで、その人に合う物を求める求道の茶になっていただろう。

 初恋は失恋に終わりぬという言葉が生まれたのは、

 結局初めての恋が、自分自身のためにのみ行われることが多いからだ。

 恋に恋をし、舞い上がった自分の心に酔いしれる。

 それは、もてなしと慈しみを持ってする、茶とは全く対極にある境地。

 酔いが醒めぬままに振舞えば、そのことにより己を深く傷つけるだろう。

 しかし、それは身を持って知らなければならない、生きる上での階梯でもある。

「良くない、色じゃな」

 流れすぎる景色に何かを感じ、呟きが漏れる。

 予感などらしくも無い。人は誰しも迷い、躓きながら、それでも生きていくもの。

 一度恋に破れるくらいのことは、ごく自然な営みだ。

 それでも茶人は夕日の血のような毒々しさに不安を覚え、思わずにはいられなかった。

 新しく芽生えた少女の恋心に、幸が訪れんことを。



[27333] 第三話「私からもぜひお願いします」
Name: 犬太◆93ceb70e ID:97db629a
Date: 2011/06/12 19:48
 部屋の中は薄暗いまま全てが取り残されていた。

 開け放たれた窓から外気が入り込み、さやかの脇をすり抜けていく。

 その風の動きと一緒に、なにか重たい気配が自分に押し寄せてくる。

 全ての源は、部屋の主。薄闇の中でかすかな光を受けた双眸を光らせ、

 ベッドの上で体を起こしてこちらを見る、上條恭介が醸し出したもの。

「やぁ、さやかじゃないか」

 思ったより穏やかな声にいくらかほっとした気分を味わい、

 彼の違和感に気付かないふりをしたまま笑顔で挨拶をした。

「元気そうじゃない、リハビリで倒れたって聞いてびっくりしちゃったよ」

「リハビリ……? うん。そうだね」

 こちらを見る笑みは虚ろだった。

 さっきの恭介の父親そっくりの、疲れきったような表情だけがあった。

「その、邪魔じゃ、ないかな、あたし」

「どうしてだい?」

「忙しいんでじゃないかなって、その、これから先の事もあるし。その」

「心配しないでよ、さやか」

 そう言う恭介の目は、完全に死んでいた。

 濁りきって、目の前の自分すら見えていないとしか思えない、動かない瞳でこちらを見返していた。

「僕はもう、これからずっと暇なんだから」 


第三話「私からもぜひお願いします」


 なんで自分はこんな表情しかできないのか、

 そう思いながらもさやかは半笑いの顔で恭介を見ることしかできなかった。

「な、なに言ってんのよ、だってリハビリとか」

「別にそんなこと、もうやる必要は無いんだよ。僕には、必要なくなった」

「だって、リハビリしなかったらバイオリンだって弾けなくなっちゃうかも知れないんでしょ!?」

 バイオリン、という一言に彼はぎょっとしたような表情を浮かべた。

 それから、笑いがじわじわと顔全体を被っていく。

 口をだらしなく半分だけ開けて、端をぴくぴくと歪ませたままで。

「は、は、はははははははははは、バイオリン!? ははははははは、何言っちゃってるんだよさやか! 

 僕はもう弾けないんだ! リハビリなんてする必要が無いんだよ!」

「き、恭介……」

「ほら、見てよ! この腕!」

 ぐいと突き出された左腕には、分厚く包帯が巻かれていた。

 それを開いている右手で気が狂ったように引きむしり始める。

「や、やめてよ! 何してるの恭介!」

「うるさいな! 見てみろって言ってるんだよ! 僕の役立たずの腕を!」

 荒々しく解かれた布の下から、醜く蒼や黄色のあざで斑に染まり、無数の引っかき傷のついた腕が露になる。

 思わず目を背け掛けたさやかに、恭介が派手な哄笑を浴びせた。

「痛そうだろ? あざとか、傷とか、びっしりついてさ」

「う……うん」

「それがさぁ、ぜんぜん、痛くないんだよ。どんなに、痛めつけてもっ!」

 叫んだ恭介が右手を振り下ろす。

 骨と骨がぶつかる音を気にもせず、躍起になって自分を痛めつける。

「や、やめてよ恭介っ!」

 なおも自傷を繰り返そうとする腕にさやかは必死ですがりついた。

 一瞬、自分も突き飛ばされるかもしれないと思ったが、

 恭介はほとんど抵抗らしい行動もせず、右手から力を抜いてうなだれてしまった。

「……さやか……どうしよう、僕の、腕、動かないんだよ」

「恭介……」

「こんなにやっても全然痛くないんだ。指一本だって動かない、ちゃんとついてるのに、ちっとも動かないんだ」

 彼の顔は涙と狂おしいほどの半笑いで歪みきっていた。

 それは、さやかが一度も見たことの無い、おそらく上條恭介を知るものが一度だって夢想したことが無い、

 苦痛と懊悩で醜く歪んだ顔だった。

「だ、大丈夫だよ! 諦めなければ、いつか必ず」

「諦めろって言われたんだ。真実を隠して、ありもしない希望を持たせるのは、残酷だからってさ」

 その言葉で、さやかは理解した。あの日、恭介の父親は嘘をついたのだ。

 リハビリが原因だったのではなく、自分の治療が絶望的であることを知ったことで、

 誰にも会えないほどの錯乱を起こしていたのだと。

「……さやか」

「な、なに?」

「もう帰ってくれないか」

 感情が剥落しきった平板な声、そして虚ろな顔をこちらに向けた恭介は、

 さやかに向かって怨念を吐き捨た。

「いい加減、君の顔を見るのはうんざりなんだよ」

「ど……どうして……」

「バカみたいに明るい顔してさ、こっちの気も知らないで来る君が、鬱陶しいんだよ」

「あたしは、だって、恭介のことが心配で」

「だったらこの腕を治してよ!」

 叫んだ恭介の顔には哀願があった。罵声ではなく、心から願う気持ちから言葉を溢れさせていく。

「慰めも、おためごかしもいらない! 僕のこと心配してるって言うなら、今すぐ僕の腕を治してよ!」

 そう告げたあと、顔をうつむけた恭介が、静かに嗚咽を漏らし始める。

 離れた距離に立ったさやかは、ただそれを見つめていた。

「お願いだから、一人にしてくれ。もう、誰の顔も見たくないんだ」

 まるで自分を脅すように、右手が動かない左手に向けて振り上げられる。

 口元を押さえたまま、さやかは病室の外へと出て行く。

 閉じたドアの向こうから、さっきよりも大きな声で泣く声が響いてきた。

「すまない。さやかちゃん」

 気が付くと、病室のすぐ前の廊下に恭介の父親が立っていた。

 ガーゼの当たった顔に後悔だけを一杯に浮かべて。

「その顔、恭介に……」

「あの子を恨まないでやってくれ。その代わり、私を憎んでくれていい。

 もう、私には、恭介に、何をしてやればいいのか……分らないんだ」

 苦しみを浮かべながら、ただ彼は謝っていた。

 それは多分、本当の言葉だろう。

 自慢の息子が突然未来を断たれ、それについて何一つしてやる事も出来ない。

 その混乱した胸中で彼は、さやかの存在に救いを求めたのだ。

 たかが中学生の少女に、彼の心が癒せると思い込んで。

「恭介の腕、本当に、治らないんですか?」

「……有効な治療法はない、と聞かされた。もし回復できたしても、以前のような演奏は望めないそうだ」

 疲れ果てた顔で、恭介の父親は笑った。

「奇跡でも起こらない限り、バイオリニストとしての恭介は、絶望的だとね」

「……ありますよ」

 さやかは、静かに呟いた。

「奇跡も、魔法も、あるんです」

「……さやか、ちゃん?」

「大丈夫です。きっと、恭介の手は治ります」

 彼はしばらくさやかを見つめ、苦痛に満ちた顔に和らいだ笑みを浮かべた。

「……そうだね。父親の私が先に折れてしまったら何も始まらない。ありがとう、さやかちゃん」

「いえ」

 わずかに元気を取り戻した恭介の父親に一礼すると、さやかは歩き出した。

 そうだ、おためごかしの言葉などは必要はない。

 大切なのは、誰かを思って行動することだけだ。

 医者にも父親にも助ける手が無い。だが、それ以外の人間にその方法があるとしたら。

 さやかは自分の両手を見た。

 まったく問題なく動くが、美しい音楽を作る事も、病や傷を癒す事も無い、役立たずでしかない腕。

 たった今、それに意味が生まれた。

 多分、このために神様は自分をこの世に遣わしたんだ。

 美しいものを生み出すものが、希望を断たれて壊れてしまわないようにと。

 さやかは、エレベーターに乗り込むと、屋上へと向かうボタンを押した。



 食事を終えて家族から席を辞したあと、仁美は自分の部屋に戻って頬杖をついていた。

 上條恭介と出会ったのは、学校で彼と話しているさやかを見つけた時。

 はにかんで遠巻きにその様子を見つめるだけだった自分を、さやかは気さくに輪の中に入れてくれた。

『仁美さんて、ピアノ弾くんだよね』

『弾くといっても、たしなみ程度ですわ。上條さんのような方とは比べるのもおこがましいぐらいで』

 その話題が出た時、さやかは少し席を外していた。

 学校の中でもかなりのファンを抱える、天才バイオリニストの脇を独り占めしていた自分が、信じられなかった。

『それなら、いつか僕の伴奏をやってもらえるかな?』

『ば、伴奏ですか!? でも、私よりももっと上手な方とおやりになったほうが……』

『僕は、その人が上手だとか下手だとかはあまり気にしない。一緒に弾いて楽しいかどうかの方が重要なんだ。

 さやかからも仁美さんの事は色々聞いていたし、どんな風にピアノを弾くのか興味があったからね』

 そう言う姿は自然で、とても純粋なものに見えた。

 多分、自分を伴奏に誘った理由も、本当に言葉どおりのものでしかなかったのだろう。

 でも、彼の一言が、仁美の心の中に強烈に焼きついた。

 彼と一緒に音楽を奏でるという夢想と共に。

『お、二人して盛り上がってますな?』

『うん。っと、そろそろ僕は行かないと。それじゃさやか、仁美さん、またね』

 去っていく彼を見送り、さやかは笑顔でこちらに話しかけた。

『それで、恭介とは何話してたの?』

『え、ええ。音楽のこと、ですわ』

『好きな曲とか?』

『あ、そ、そうですわね。もう少しお話をお聞きしたかったですわ』

 仁美は、生まれて初めて、自ら望んで嘘をついた。

 上條恭介に音楽を奏でようと言われたことも、その返事のことも、一切言わなかった。

 そのことを思うたびに、小さなため息が漏れるのは、友達に嘘をついてしまったことへの後悔なのか、

 それとも彼に対する恋情のためなのか。

 幾度も繰り返された嘆息の中でかき回された感情は、全く判別のつかないまま、

 胸の奥へと降り積もっていく。

 そして、あの時の約束の返事を、志筑仁美は再び思い出していた。

『ええ。私からもぜひお願いします』



[27333] 第四話「世の中って、不公平だったんだね」
Name: 犬太◆93ceb70e ID:97db629a
Date: 2011/06/13 18:59
 ずっと思っていた。運命は理不尽だと。

 恭介が事故にあったと聞いたとき、その体にとても重い障害が残るかもしれないと聞かされたとき。

 そして、今この瞬間にもそう思っていた。

 なぜ自分ではないのか、恭介の腕ではなく、自分の腕ではなかったのか。

 だが、それは違うのだと、たどり着いた屋上で思いなおす。

 今、自分が恭介の側にいるからこそ、彼に奇跡を贈ることが出来るのだと。

 月明かりに照らされた屋外に吹く風は少し冷たい。
 短く切りそろえられた自分の髪を撫でていく大気の動きを感じながら、

 同じように長い耳を揺らして待っていた、白い姿に目をやる。

 恭介と自分に、新しい希望と運命を用意してくれる存在に。

「キュゥべぇ」

 歩み寄りながら、さやかは宣言した。

「私を、魔法少女にして」


最終話「世の中って、不公平だったんだね」


 こちらから掛けられた一言に、白い生き物は驚いた様子もなく首を少し傾けた。

 それから、自分に向かって歩み寄ってくる。

「願いは決まったんだね」

「うん」

 なんと言う遠回りだったんだろうか。
 だが、それも仕方ないことだ、考えてみれば自分は心のどこかで全てを他人事みたいに考えていた。

 魔法少女として戦うマミに対しても、大切なものを失おうとしている幼馴染に対しても。

「キュゥべぇ、あたしって……嫌な子だね」

「なぜそう思うんだい?」

「なんていうかな、ずっとあたしは、自分のことしか考えてなかった。

 魔法少女になることにしても、心のどこかで怖いのは嫌だなとか、痛いのは嫌だなって考えてばっかで」

 言葉にしていくうちにどんどん気持ちが軽くなってくる。

 誰にもいえなかった部分を吐露するには、目の前の小さな生き物は丁度いい聞き役だった。

「オマケにさ、願いをかなえる前から考えちゃってたのよ。

 あたしが恭介の体を治してあげたら、あいつは何を言ってくれるんだろ? なんてね」

 確かに、そんな気持ちで契約したなら、マミの言ったとおりひどく後悔することになったに違いないだろう。

 だが、好きな人の苦しみもがく姿を見た瞬間に、その気持ちは全て拭われていた。

「でも……そういうのは、もういいんだ。

 あたしは魔法少女になる、マミさんを助けてこの街を守る。

 みんなが、大好きな人が笑っていられるように」

「分った。それじゃ、願いを言ってごらん? 

 君はどんな祈りで、ソウルジェムを輝かせるのかい?」

 がらにも無く緊張している、そんな自分が滑稽に思えた。

 何もかも吐き出して、気持ちの整理もついたと思ったのに。

 さやかは目を閉じて思い浮かべた。

 初めての日、スポットライトに照らされて、天上の楽の音を響かせていた、大切な人の姿を。

「恭介の……上條恭介の怪我を完全に治して、元通りの体にして」

 そして、美樹さやかの思いは結実した。

 蒼く輝く魂の結晶を、その契約の証に生み出して。



 意識を閃かせ、一振りの剣を生み出すと、さやかは暁美ほむらに向かって切っ先を突きつけた。

「どういうつもり」

「あたしからも、警告させてもらおうかと思ってね」

 廃工場の薄暗い闇の中で、さやかは相手の魔法少女をじっと見た。

 ただの人間だった頃は気がつかなかったが、こうして同じステージに立ってみると分る。

 暁美ほむらは間違いなく強い魔法少女だ。

 だが、そんなことは関係が無い、あたしは自分の意思で進むだけだ。

「これ以上、まどかやマミさんに関わるのはやめて。

 もしそれが聞けないって言うなら、あたしが相手になる」

「さやかちゃん!?」

「……勝てると思っているの?」

「勝ち負けなんて関係ない。あたしは、自分が守りたいもののために戦う、それだけ」

 キュゥべぇは言っていた、暁美ほむらがマミに対して完全に敵対を決めたと。

 なら、彼女は自分にとっても敵だ。

 そう思いながらも、以前ほどには敵愾心を掻きたてる事が出来ない自分が居ることにも気が付いていた。

 だから、無駄だと知りつつもさやかは問いかけていた。

「あんたはさ、なんで魔法少女になろうと思ったの」

「それを知ってどうするの」

「……そう言うと思ったよ。別に答えを返してくれるとは思ってなかったけど」

「大切なものを守るためよ」

 あっさりとした一言だが、そこに込められている感情には、真実だけが持つ重みが感じられた。

 わずかに切っ先を下げ、ほむらの顔を見つめる。

 雰囲気が変わっている、初めてショッピングモールで会ったときよりも、

 感情が豊かになっているように見えた。

 その原因は、多分、彼女だ。

「あたしだって、魔法少女同士で戦いたいとは思ってないよ。

 出来れば、見滝原を出て行って欲しい。唯のためにも」

「……香苗さんの、ため」

 表情がかすかに揺れている。なんだろう、その顔に妙な既視感がこみ上げてくる。

「……唯に、何かあったの?」

「とにかく、忠告はしたわ。これ以上、魔法少女に関わらないで」

「ちょっと!」

 逃げるように去っていく後姿を見て、さやかは確信していた。

「さやかちゃん?」

「まどか、唯のケー番知ってる?」

「え……うん。教わってるけど」

 妙な胸騒ぎがする。ほむらが浮かべた表情には見覚えがあった。

 自分の知っている誰かに、恐ろしいことが降りかかった時の顔。

 恭介の見舞いをするたびに、みんなが浮かべていた顔にそっくりだった。

「連絡取れるかやってみて」

「え……でも」

「いいから早く!」

 じっと携帯に耳を当てていたまどかは、通話が可能になると同時に声を掛けた。

「もしもし、唯ちゃん? ……って、マミさん!?」

「マミさん!? ちょっとまどか?」

 片手でこちらを制して、真剣な顔で彼女は自体の把握をし続ける。

 やがて、通話を打ち切ると、まどかは頷きつつ事態を解説してくれた。

「唯ちゃん、マミさんのうちで倒れちゃったみたいなの」

「どういうこと!?」

「マミさんが一人暮らしだって聞いたから、ご飯つくりに行ってたんだって。

 その時に台所で倒れちゃったって」

 どうして、自分の周りにはこんなことばかり起こるのか、暗くなりそうな気分を押さえつけて先を促す。

「それで、唯は?」

「ちょっと前に救急車で総合病院に。

 今は治療中で、唯ちゃんのお母さんにはマミさんが事情を話したみたい」

「そっか……」

 もし、彼女もなにか重い病だったら、そんな気持ちが浮かんでくる。

 まだ会ってそれほど時間は経っていないが、恭介への願いのことが重なって、

 たまらない気持ちになる。

「さやかちゃん、とにかく一回家へ帰ろう?」

 暗い表情を隠しきれなかった自分に、まどかは優しく声を掛けてくれた。

「まどか……」

「あとでマミさんも連絡くれるって言ってたし、ね?」

「分った。じゃ、帰ろうか」

 普通の少女へと戻りながら、さやかは考えていた。

 たった一つの願いを恭介のために掛けたことを、間違っていたとは思わない。

 でも、その願いを掛けることすら、許されないものがこの世界にはいる。

 魔法少女になることも出来なければ、誰かの願いで避けられない運命を覆してもらうことも出来ない人間が。

 もし、唯の不調が、恭介のように現代の医学で治らないものだったら。

 誰がその苦しみを取り除くのだろうか。

「……世の中って、不公平だったんだね」

「ん、なに?」

「なんでもない」

 さやかは理解していた。

 今まで不公平だと思っていた世界の片棒を、自分が担いでしまったことに。

 そして、去っていった黒髪の少女に、ほんの少し気持ちを沿わせてみた。

(あんたも、こんな気持ちを味わったの? 魔法少女になって、その「大切な人」を守ったことで)

 キュゥべぇが敵対者として語った暁美ほむらの存在を、さやかは受け入れる気分にはなれそうも無かった。



 片手に紙の束を掴んだまま、彼は病院の廊下を突き進んでいた。

 廊下では走らないものという不文律を何とか理性で思い出しながら。

 すでに面会時間は過ぎているが、ナースセンターの看護士とはすでに顔見知りだ。

 事情を説明すれば少しは目こぼしをしてくれるに違いない。

「恭介君のお父さん!?」

 ひどく驚いたような声。

 駆け足に近い速度で治療器具を載せた台車を押していく看護士が声を掛けてくる。

「もう連絡が行ったんですか!?」

「連絡? なんのことですか?」

「恭介君の様態のことです」

 これ以上の絶望など無いと思っていた。そして、これからは全て上に向くだけだと確信してやってきたのに。

 ぐしゃりと手の中の紙が握りつぶされる。

「恭介はっ、一体どうなって」

 その答えを封殺するように看護士が病室に入り、その後に付き従った彼は、驚くべきものを見た。

 ベッドの中で苦痛のうめき声を上げながら、左腕を押さえている息子と、

 それを必死に治療している医師達の姿。

「消炎鎮痛剤と化膿止め……包帯もガーゼも今はまだいい。

 それからレントゲン室に連絡して撮影の準備を……お父さん!?」

 一瞬の驚きをすぐに引っ込め、医師は手短に看護士に指示を与えるとこちらに近づいてきた。

「先生、恭介は……」

「……驚くべき事態です」

 あろうことか医師は笑っていた。驚きをその表情に混ぜ込んで肩を竦めながら。

「彼は、緊急治療中です。左腕の痛みの」

「……どういう、ことですか?」

「十分ぐらい前ですが、ナースセンターに緊急コールが掛かったんですよ。

 左腕が痛くてたまらない、とね」

 彼のいっていることはむちゃくちゃだった。

 息子の左腕は神経が機能していないはず――

「先生!」

「まだ安心することは出来ません。痛みが戻ったからといって、

 それが治療に直結する要素になるとはかぎらない」

 でも、と前置きをしながら、医師は笑顔で希望を灯した。

「少なくとも、恭介君の腕が元通りになる可能性が、出てきたということです」

 手の中から紙の束がとさりと落ちる。目の前の恭介は苦痛で脂汗を流しながら、

 それでも顔に喜色を浮かべていた。

「と、うさん」

「恭介……」

「……ごめんね」

 それ以上、何も言うことが出来ずに、彼は病室の外へと退散する。

 窓枠に顔を押し付けると声を殺して、嗚咽を漏らし始めた。

『奇跡も、魔法も、あるんです』

 優しい少女の言葉が脳裏に蘇る。

 あの子はこうなることを見通していたいたのか、そんな妄想めいた気持ちすら湧いてくる。

 だが、どんな意味で発された言葉だとしても、あの一言は確かに自分を救ってくれた気がする。

「ありがとう、さやかちゃん」

 ここには居ない少女に向けて、父親は小さくともしっかりとした声で感謝を告げた。



















 見滝原を一望できるビルの屋上で、彼女は夜の明かりに輝く街を見つめていた。

 足元にはスーパーのビニール袋が置いてあり、その中から長い筒型の容器に入ったポテトチップスを取り出した。

「で? マミのペットがこんなところに呼び出して、何の用なのさ」

「勘違いしないで欲しい。僕はあくまで中立な立場を貫いている。

 確かにマミと一緒にいる時間は多いけど、僕は全ての魔法少女に対して」

「はいはい。言い訳はいいから、さっさと本題に入っちゃってよ」

 無造作に蓋を開けて、中のお菓子をざらりと口の中に流し込む。

 乾いたものが砕けるいい音を散らせながら、白い生き物に先を促した。

「今、見滝原にはいくつかの異変が起こっている。

 そのうち一つは、マミが暁美ほむらと名乗る魔法少女と交戦状態になったこと」

「はっ! あのアマちゃん、大方セーギセーギとうるさいこと言って、相手と悶着起こしたんだろ?」

「マミの主義主張が、他の魔法少女とぶつかってしまうのは今までにもあった。

 ただ、暁美ほむらは始めから彼女と敵対していたし、

 今後はかなり過激な行動を取ろうとしているようなんだ」

 過激、というもったいぶった表現を鼻で笑い飛ばしてやる。

「ようするに、お互い相手が気に食わないからぶっ殺してやる、ってことだろ?」

「結果的にそうなるかもしれない……ということだね」

「まさかあんた、あたしにそのケンカの仲裁をやらせようとか、思ってんじゃないだろうね」

 赤毛の少女はその瞳に剣呑な空気を宿らせ、キュゥべぇを射すくめるように睨み付けてやる。

 だが、意に介した様子も無く、白い生き物はふさふさと尻尾を振っただけだった。

「君がどういう事柄で動く人物か、僕は良く知っているつもりだよ。

 そもそも、マミには新しく生まれた魔法少女が付くことになっている」

「アマちゃんのマミにオムツの取れてないルーキー、はっ、どうでもいいけどさ」

「二つ目は、これも魔法少女に関することなんだけど……」

 なぜか言いよどむ白い生き物に、眉根が寄る。

 普通なら、こんな奥歯に物が挟まったような言い方はしないはずだ。

「なんだよ。マミをぶっ飛ばしてやろうとしてる奴がもう一人いるってのかい?」

「違う。彼女はどうやら、僕を狙っているらしいんだ」

「はぁ? まぁ……確かにあたしだって、あんたをぶっ殺してやろうかと思う事もあるけどさ」

「彼女の行動も目的も、僕には全く予測がつかない。ただ、彼女には特筆するべき点があるんだ」

「勿体付けずに言いなよ」

 イライラしたこちらの様子に気を使ったのか、キュゥべぇは『彼女』と呼ぶ魔法少女についての情報を語った。

「彼女は、穢れのほとんど貯まっていない珍しいグリーフシードを、

 魔女から取り出すことが出来るんだ」

「はぁ? ……なんだよ、それ」

「そのグリーフシードは、通常では考えられない量の穢れを吸うことができる。

 君達がいつも使っているものよりもはるかに多くのね」

 キュゥべぇという存在は見かけのかわいらしさとは裏腹に、はるかに皮肉屋な側面を持っている。

 いつも世間を遠めで見通しながら、自分には関係がありませんというスタンスを取り続けているのだ。

 ただ、発信される情報に嘘が無いことも知っていた。

「なるほど。あんたはそいつをどうにかして欲しくて、あたしを呼びつけたわけだ」

「一つのエリアに複数の強力な魔法少女がいて、それがお互いを潰しあうなんていう状況は望んでいない。

 見滝原以外のエリアにも魔女はいるし、必要な人材は適所に存在しているべきだ。僕としては彼女の意向を」

「あんたの思惑なんて、あたしはどうでもいいんだ。

 ただ、そのレアグリーフシードっていうのには、ちょっと興味あるね」

 ポテチを食べ終わり、今度はチョコバーを一本取り出す。それをひと齧りした後、

 彼女は獰猛な笑みを浮かべて尋ねた。

「で、そいつの名前は?」

「スパイシーユイ、と名乗っていたよ」

「っ! す、すぱいしー!?」

 危うく吐き出しそうになったチョコバーを何とか口の中に押し込めると、

 遠慮会釈ない爆笑を彼女は撒き散らす。

「あはははは、なんだよそのダっサい名前! 中二病も大概にしろっての! 

 あやうく、口に入れたもんを吐き出すところだったろ……っく、はははは」

「君がどういうイメージを持ったのかは知らないけど、彼女は強いよ。桁外れにね」

 それから、キュゥべぇはスパイシーユイと名乗る魔法少女について語った。

 身元不明で、顔も声も判別不能。魔法で認識阻害を掛けているのか、

 未だに彼女の正体は見破れて居ないという。

 そして、いくつもの姿に変身し、状況に応じた戦い方を選択できると。

「おいおい、どこのアニメから飛び出してきたんだよそいつは。

 あんた、そいつの願いを二、三個まとめてかなえてやったんじゃないだろうね」

「基本的に君達が変身したときの衣装は一つで固定されているけど、

 魔法を使えばデザインを変えたりすることはできる。

 それに、彼女の攻撃は手や足を使ったものが主体だ。ベースとなったスタイルを、

 その時々に応じて再構成しているんじゃないかな」

「そのことと、レアグリーフシードを取り出せることと、何か関係があるのかい?」

「それを含めて調べて欲しいんだよ、杏子」

 依頼を受けた少女、佐倉杏子は立ち上がり、にやりと笑った。

「いいよ。あんたの策に乗ってあげるよ。ただ、手加減するつもりは全く無いからね」

「方法は君に任せる。ただし」

「安心しなよ。全殺しじゃなくて、半殺しぐらいにしておくからさ」

 とても少女とは思えないような猛獣のごとき笑顔で杏子が肯う。

 キュゥべぇは相変わらずの表情で、尻尾を振っていた。



[27333] あくせる☆トムヤン君! 第一話「あなたの人生の物語」
Name: 犬太◆93ceb70e ID:97db629a
Date: 2011/06/16 15:27
 案内された場所は、迎賓館とは名ばかりのログハウスのような建物だった。

 丁度や内装は質素だが趣味はいい。

 ただし、そのほとんどが人間よりも小さな生き物を想定して作られており、

 自分達が座るために用意されたソファーが妙に巨大に見える。

 今回の作戦における事実上の司令官である副官の彼は、

 目の前で握手を交わした管理局とおとも世界の代表者を見て、

 微妙なものになりがちな表情を必死に引き締めていた。

 片や背中に小さな羽根を生やしたぬいぐるみのような生き物、

 それに応じるのは今回の任務でトップを努める『提督』。

 実際にはもっと上のポストに居るはずの人物だが、今回の異常事態に対応するため自ら『降格』を申し出、

 前線で指揮を取ることを選んでいた。ちなみに、副官である彼の実母でもある。

「いやー、遠いところからご苦労さんです。今回はいろいろお世話になりますよって、よろしゅうたのんますわ」

「いいえ。こちらこそ今回の件、ご協力感謝します」

 おとも世界から、今回の『QB事件』に対する協力要請が届いたとき、

 管理局及び本国のトップは上へ下への大騒ぎになった。

 高度な魔法文明を有しながら特定の国家を築かず、かつ人間の精神性に深く関与し続けたという彼らの存在は、

 すぐさま世界レベルでの機密に指定されることになった。

 一時は古代魔法文明最大のアーティファクト群『聖王の遺物』との関連も囁かれたが、

 無限書庫館長による口ぞえという意外すぎるフォローもあり、事態は収束している。

 彼らも例の侵略体『インキュベーター』に対抗する行動を行っており、魔法少女という協力者を多数、

 今回の事件解決に参加させると申し出ていた。

 出発前、艦のデータベースに送られてきた魔法少女達の情報を閲覧した時、

 彼はしばらく二の句がつけなかった。

 国家、人種、次元すら超えて、あらゆる世界出身の少女達がリストに上がっていた。

 それぞれが持つ能力や固有のスキルに至っては、管理局に所属していたならSランクをつけてもいいような存在がごろごろしている。

 その彼女達のほとんどに『おとも』という、魔法少女に付き従う使い魔のような存在が居ることも特筆するべき点だ。

 リストの中に自分の義妹の友人と、無限書庫の館長(ただし、フェレットの姿)が登録されていたのを見つけたときは、

 思わずコーヒーをモニターにぶちまけてしまった。

 ついでに義妹の方も、長い友人である狼と一緒にリストに収まっていたのだが、

 それはさりげなく見なかったことにした。

 そういった事柄はさておき、おとも世界の協力は非常にありがたかった。

 管理局の方でも人員が発生する事件に対して追いつかず、被害が増える一方だったからだ。

 また、彼らの存在によって明らかになった未知の魔法世界との交流も、

 事件後の世界に大きな影響を与えることになるだろう。

 しかし、汎世界的な事態を巻き起こしたインキュベーターと、

 その管理責任を問われる側にあるおとも世界の存在を、

 すぐに公開する事は無用の混乱を招く恐れがある。

 こうした様々な要因を鑑みて、本国では旗艦一隻と巡洋艦八隻で構成された対インキュベーター船団を密かに編成、

 おとも世界との合同作戦が秘密裏に行われることになった。

 今回の作戦は情報の機密性が重視されるため、旗艦には廃艦処分が決まった

 『ある旧式艦』を据え、他の船も『改修のためドック入り』だとか

 『再編中の部隊へ出向』などの理由により『どの部隊にも所属していない』ものばかりが選出されていた。

 後に最重要機密文書として登録されることになる『QB事件』において、これらの艦隊は

『不可視の九艦隊(インビジブル・ナイン)』と総称されることになるのだが、それは余談である。

「ほな、とりあずわいらで独自にやってる対策についてなんやけどー」

「拝見します……すみませんが、早速質問の方を」

 うん。何も間違っていない。

 見た目はどうあれ、テーブルの向こうについているのはおとも世界の代表者なのだ。

 それが提督と実務者会議をしている光景は、何一つ間違っていない。

 そう何度も言い聞かせているのに、彼は心の中から沸き起こる『もにょっとした感情』を止められずにいた。

『ねぇ兄さん、ちょっと、いいかな』

『今は会議中だぞ? 失礼になるから念話も止めておけ』

 すでに感情を押し隠せなくなっていたらしい、隣に座った金髪の義妹が複雑な面持ちをして語りかけてくる。

 言わんとしていることは分るが、それ以上は言わぬが花――

『あの二人って、なんだか声似てない?』

 同席していた義妹の友人が、言ってはいけない一言をさらっと口にした。

 結局、彼はその日一日、自分の母親とそっくりの声で喋るおとも世界の代表を、

 非常にもにょっとした感情を交えて見つめる羽目になった。


第一話「あなたの人生の物語」


 夕日が照らすリビングの中に、重い沈黙が流れていく。

 マミはテーブルの上に置かれた毛の塊を、複雑な感情でもって見つめていた。

「大丈夫? トムヤン」

「……へっ!? あ、ああ、なんか言ったか?」

 どうしようもない気持ちをため息と共に吐き出すと、隣に座っていたほむらもそっと首を横に振る。

 こちらの仕草に毛玉、ではなくトビネズミのトムヤンは苦笑いを浮かべで頭を下げた。

「ごめん。まだちょっと、いつもどおりってわけには行きそうもないや」

「香苗さんなら大丈夫よ。もう普通の体調に戻ったんでしょう?」

「医者も、単なる過労だと言っていたし……」

 マミの部屋で倒れてしまった唯は、その日のうちに病院へ搬送され緊急入院となっていた。

 診断の結果は『過労』、検査のために入院となったが一日程度で退院は可能らしい。

 見舞いに行った二人と一匹に、退屈で死にそうだと漏らしていたのを思い出す。

「香苗さんのお母様も、心配することはないって言ってたじゃない」

「そうなんだけど、な」

「……ただの過労ではない、ということ?」

 鋭いほむらの切り込みにネズミの体がぴくりと震える。

 その問いに答えた彼の口調は、普段の元気なものではない、陰鬱なトーンを含んでいた。

「オーバーロードだよ」

「オーバー……ロード?」

「ユイの変身は、普通の魔法少女のものとは違ってる」

 トムヤンは、苦々しいものを含めながら解説をした。

 本来、魔法少女には専用の変身アイテムが渡される。

 アイテムには変身のサポートや魔法を使う上でなくてはならないものであり、

 魔法少女につくおともは必ずこれを携帯することになっている。

 だが、トムヤンはそれを持たずに唯と契約し、自らをアイテムと化すというでたらめな方法で魔法少女を生み出してしまった。

 トムヤン自身は元の姿に戻ったものの、おとも世界に戻れない以上変身アイテムを手に入れることは出来ない。

 そのため、彼はさらに前代未聞の行動に出た。

「ユイの持ってる変身アイテムは、俺のお手製だ。

 正規の職人が作ったものじゃないから普通じゃ考えられない動作をすることもある」

「それが、オーバーロードなの?」

「あのペンダントには、本来魔法少女の変身アイテムが持ってる『コア』が存在しない。

 コアってのは車のエンジンみたいなもんで、契約した魔法少女の魔力を引き出して作動するんだ」

 アイテム職人の見習い経験があり、錬金術や魔術などの素養を身に付けているトムヤンでも、

 コアの構築をすることはできなかった。

 そのため、変身したときの衣服や追加された武装、魔法の術式などはペンダントに付呪し、

 魔力を唯から吸収し、それらを起動させるコアの役割を自らが行うようにしたのだ。

「普通、変身アイテムには必要以上の魔力を術者から抽出しないようにするフェイルセーフが掛かってる。

 それぞれの魔法少女の成長度合いに合わせ、出力を可変できるようにしているんだ」

「それが、組み込まれていなかったのね」

「いや、一応組み込んではいたよ。……問題は、俺とユイの相性なんだ」

 初めての変身からブレイブフォームの起動まで、基本的にはトムヤンの目算どおりに事は運んでいた。

 唯自身が魔法の力を使うことに慣れておらず、それを導く形でトムヤンがサポートしていた間は。

「ソニックフォームは俺とユイが生み出した魔法の形だ。

 だから、俺たちのシンクロ度合いがその力を左右する。

 あの時……炎の魔女と戦った最後の一瞬、ユイの力が大きく弾けた」

 トムヤン自身も想定していなかった魔力の流入。

 風よりも早い力を願った先に生み出されたフォームの、真の力。

「ライトニングモード、とでも言えばいいのかな。あれがユイの体に大きな負担を掛けたんだ」

「止められなかったの?」

「ユイの意識に引っ張られて、無理だった。最近、魔法の素養が整いつつあって、

 魔力が上がってきてたのは気付いてたんだ……でも」

 悔しそうに顔をしかめ、トムヤンは小さな体を震わせて苦渋を漏らした。

「俺のせいだ……。俺がちゃんとしてなかったから、あんなことに……」

 それは違うと否定することは出来ただろう。

 それでもマミはただ目の前で体を震わすネズミに何の言葉も掛けられなかった。

 唯が倒れた直後、彼はほとんど半狂乱になっていた。

 何とか宥めすかし、一緒に救急車へ乗った後もマミの手の中で震え続けていた。

 ひたすら自分のせいだと責め続けながら。

「私は、もう行くわ」

 言いにくそうにしながら、それでもほむらは暇乞いを告げた。

「美樹さやかが契約してしまったことで、まどかにも影響が出るはず。

 今回はマミさんが生きているから……その場の雰囲気で契約を交わしてしまう可能性も、否定は出来ない」

「じゃあ、私は打ち合わせどおりに、美樹さんの動きを牽制しておくわ。

 少なくとも、彼女と鹿目さんを引き離しておけば影響を最小限に出来るし、

 動きを監督しておけば魔女化のリスクも避けられると思うから」

 こちらの言葉に頷くと、ほむらは一度だけトムヤンに目をむけ、何も言わずに窓の外へと出て行く。

 暗くなった部屋の中に取り残されて、マミは動きの無くなった彼に視線を注いだ。

「トムヤン」

「……なんだい?」

「あなた、お茶は飲める?」

「うん」

 台所に立ってやかんをかけながら、マミはガス台の片面を占拠している鍋を見た。

 彼女が倒れる前に作っておいたシチューはそのままにしてある。

『そういえば先輩、私のシチューってどうなりました?』

『まだ、そのままにしてあるわ』

『よかったら暁美さんと一緒に食べちゃってくださいね。量が多いから、残ったら具とスープは別々にしてタッパーに。

 多分、二週間ぐらいは普通に食べられますから』

 唯の発言を思い出して思わず口元がほころんでしまう。

 隣に居て話を聞いていた彼女の母親も笑っていた。

「トムヤン?」

「……なんだい、マミ」

「彼女、優しいわね」

「うん……」

 お茶の用意を持っていくと、いくらか落ち着きを取り戻したらしい顔がこちらを見上げていた。

「カモミールか」

「分るの?」

「ああ。……俺の、ために?」

「私も気分を変えたかったのよ。それに、ちゃんとお茶の分る人なら、出した甲斐があるって物だわ」

 流石にネズミ用のティーセットは無かったので、トムヤンには予備のミルクサーバーに入れたものを出す。

 小さな両手で抱えるようにして飲む仕草は、童話の中から出てきた生き物のように見えた。

「どう?」

「うん……うまいよ。ありがとう」

 そのまま、ゆっくりとお茶を飲む時間が過ぎ、その間にマミはトムヤンから唯との話を聞いていった。

 出会ったきっかけや魔女と戦ったときのこと、知り合ったときのほむらの様子など、

 話している間に彼の方も少しずつ表情を明るくさせていった。

「トムヤンにとって、香苗さんてどんな存在なの?」

「そうだなぁ、やっぱりおともと主ってのが一番大きいかな」

「……お友達、では無いわけね」

「あー、それは先生っていうか、指導教官から厳しく言われてたんだ」

 キュゥべぇとの一件を思い出したのか、トムヤンが素早く注釈をはさんだ。

「パートナーの魔法少女に、友情を持ち込みすぎるなってさ。『俺達おともは主の友達ではない。

 敵と戦う、あるいは使命を果たす主の傍らに寄り添い立ち、力となる存在だ。

 だからこそ「友」ではなく「御供」と呼ばれるんだ』ってね」

「ず、ずいぶん厳しいのものなのね」

「いや、教官も言ってたよ。こんな古臭い考え方をする奴は、今はほとんどいないってさ……

 でも、戦いの場に同情や下手な思い入れは命取りになる、だから頭の片隅にでも置いておけってね」

 とはいえ、そう言ってトムヤンはカップの中に自嘲を吐き出した。

「俺はおとも失格だな。あの時、俺はアイテムになりきるべきだった。

 でも、ユイと心を重ねすぎて、力に飲み込まれたんだ」

「……後悔役に立たずよ、トムヤン」

「それを言うなら、先に立たずだろ?」

 空になったミルクサーバーにお茶を継ぎ足しつつ、マミは笑った。

「香苗家の家訓ですって。反省はしてもいいけど後悔はするな、香苗さんに教えてもらったのよ」

「えー? そんなの聞いてないぞ?」

「ふふ。まだまだ修行が足りないわね」

 痛いところを突かれたのか頭を掻く彼を後に残し、マミは立ち上がった。

「そろそろ晩御飯にしましょ。折角シチューも残っているんだし」

「……マミ」

「なに?」

「腹減ったよ、俺」

 屈託無い笑顔でそう言う彼に頷くと、マミは再び台所に立った。



 何処かで見たことのあるような道を、唯は歩いていた。

 空は全くの灰色で、周囲の景色は妙に白と黒のコントラストが際立っている。

 まるで白黒写真の中を歩くような気分、しばらく進むと見覚えのある家の玄関が見えてきた。

 間違いなく自分の家だ、ほっとした気分を味わいながらドアを開ける。

 玄関には、自分の物以外に男物の革靴がいくつも置かれている。その間に見覚えのあるおかあさんの靴があった。

「ただいま」

 声をかけるが誰も返事をしない。奥の方からは切れ切れの話し声、

 不思議に思いながら唯はそちらに歩み寄り、居間のドアを開けた。

『……お願いします。どうかお願いします!』

『とにかく落ち着いてください。もう一度確認を……』

 ダークスーツに身を包んだ男達がおかあさんを囲んでいる。

 その場に居るものは一様に沈痛な表情で、集団の中の一人は手元にある用紙に何かを書き付けている。

『娘さんが居なくなったのに気が付いたのはいつごろですか』

『昨日の晩から、連絡が取れなくなって……』

 何を言っているんだろう、自分はここに居るのに。

 思わず伸ばした手が、おかあさんの肩をすり抜けていく。

「うそっ、なんで!?」

 目の前で起こる全ての出来事が、空気のようにすり抜ける。

 呼んでも叫んでも、誰一人その場に居る唯に気が付きもしない。

「やめてよ! 私ここに居るよ! おかあさん!」

 全てが遠ざかっていく。

 居間も、その場に居る全ての登場人物からも唯という存在が遠ざけられていく。

 最後に残ったのは彼女自身と、見覚えのある一人の少女だった。

 カーディガンにロングスカートの、暗い顔立ちの少女。

 彼女は座って本を読んでいた。

「……あなたは?」

 少女は黙ったまま、膝の上に置いた本を手繰っていく。

 黒い装丁の本をめくり、そこに書かれた文字を指で追う。だが、唐突にページは白紙になった。

 少女の手はとまらぬまま、ただ無地の紙ばかりが積み重なっていく。

 何か恐ろしいものを感じつつも、唯は尋ねた。

「それ、何の本?」

「……これはあなた」
 
 初めて少女はこちらに視線を合わせ、手元の本を閉じる。それから、ゆっくりとそれを差し出した。

「あなたの人生の物語」

「私の、人生?」

 少女は悲しげに瞳を一瞬伏せ、それから唯に本を突きつけた。

「読んで」

「え?」

「読みなさい」

 断ろうと思っていたのに両手はそれを受け取ってしまう、

 震える指先が最初のページを捲ろうとしたとき、世界は明けた。

「……あれ?」

 病室は、朝の光によって闇が拭われ始めたところだった。

 影が駆逐され、すがすがしい気配が辺りに漂い始める。

 しかし、唯はさっきまで見ていた不安な夢の印象を、なかなか拭い去ることが出来なかった。



[27333] 第二話「答えてよ、ほむらちゃん!」
Name: 犬太◆93ceb70e ID:97db629a
Date: 2011/06/18 10:47
 病室に入ったまどかを出迎えたのは、心底退屈しきったという顔の唯だった。

「わー、また一名様ごあんなーい!」

「ゆ、唯ちゃん!?」

 微妙にキャラが違うような気がするのは、病院という空間が彼女の精神になにやら影響を与えたせいなんだろうか。

 とはいえ、枕元の椅子に座る頃には、すっかりいつもどおりのテンションに戻っていた。

「私はもう大丈夫って言ってるんだけど、お医者さんもみんなも、

 もう少し休んでなさいって聞いてくれないんだ」

「でも、過労なんだって? 私そんなの始めて聞いたよ」

「そーだねー。ちょっと、無理しちゃったのかもー、あはははー」

 声に妙な作り物めいた雰囲気が混ざっている気がするが、とりあえず気にしないことにする。

 顔色も普段と変わらないし、入院直後に打っていたという点滴もすでに取り外した後らしい。

「退院はいつぐらい?」

「明日には。おかあさんの仕事の都合があるから朝早くに退院して、それから学校かな」

「よかったー。このところ、お友達とか知ってる人が危ない目にあったりしてたし、

 なんだかすごい心配になっちゃってたんだ」

「危ない目?」

 思わず口を滑らせてしまったまどかに、唯が訝しそうな顔を向ける。

 笑ってごまかしをかけると、まどかはお見舞い品の果物に眼をやった。

「そういえば、この前のりんごのうさぎって、唯ちゃんが作ったんだよね?」

「そうだよ。飾り切りとかもちょっとだけなら出来るよ。お鍋に入れる人参を星型に切ったりとか」

「うそー! 後でどうやるのか教えて!」

 そんなことを喋りながら、唯はごく自然な動きで枕もとのりんごを手に取り、ナイフをあてがって皮をむき始める。

 一応、まどかもお父さんの手伝いで台所に入る事もあるが、包丁捌きに関しては唯のほうが一枚上手に見えた。

「ところで、今日はまどかちゃん一人?」

「う、うん……」

「めずらしいね。さやかちゃんが一緒じゃないなんて」

「そう、だね」

 少し顔を曇らせたこちらに、唯は笑顔でうさぎのりんごを手渡してくれた。

「そんな顔してたら、うさぎさんに笑われるよー、なんてね」

「ありがとう、唯ちゃん」

 それから少しの間、まどかは唯に付き合って時間を過ごした。

 特に重要なこともない、他愛の無い日常の話をしながら。

(本当は、みんなともこうして過ごしたいのに)

 愚痴とも願いともつかない思いを胸に秘め、まどかはここに来る前のことを思い出していた。


第二話「答えてよ、ほむらちゃん!」


 さやかが魔法少女になり、一日が過ぎた今日。まどかはさやかと一緒にマミに呼び出されていた。

 久しぶりに三人で集まった場所は、見滝原総合病院に近い公園。

 その片隅にあるベンチに腰掛けたマミは、話を切り出した。

「願い事はきちんと考えた上で、と言っておいたはずよね」

「覚えてます。でも、あたしは後悔なんてしてません」

 強情とも思えるさやかの発言に思わずはらはらしてしまうが、マミのほうは苦笑いを浮かべて頷いただけだった。

「なってしまったものは仕方ないわ。今後は私の正式な後輩として扱うことにするから、いいわね?」

「はい! よろしくお願いします!」

 どうやらお咎めは無いようだ。まどか自身も内心気が気ではなかったし、

 さやかからもマミさんに怒られたどうしようと半泣きの相談を受けていた。

 安心したまどかのほうに視線を移し、マミは少し顔を曇らせて言葉を継いだ。

「それから、鹿目さん」

「は、はい!」

「悪いんだけど、今後、魔女退治にはあなたを同行させないことに決めたから」

「……どういうことですか!? 何でまどかを!」

 一方的な宣言に声を荒げた友人へ、先輩の魔法少女は鋭い視線をぶつけた。

「これまで、私はあなた達を守る立場で動いていた。

 でも、今度は美樹さんを指導することになったでしょう? 

 新人の魔法少女を指導しながら、何の能力も持っていない一般人を守るなんて芸当は、流石に無理だわ」

「そ、それならあたしがまどかを守れば!」

「いい加減にしなさい!」

 思わぬ強い語調にさやかの体が震える。

 黙って成り行きを見つめるしかないまどかの前で、マミの言葉が続く。

「自信と自惚れは全く別物よ。最初がうまく行ったからといって、いつまでもその幸運が続くとは限らない。

 それに、覚えているでしょう? 私は一度死に掛けているのよ。あなた達の目の前で」

 最後の一言が効いたのか、さやかはうつむいて黙り込んだ。ベテランの魔法少女でさえ一瞬の油断が命取りになる。

 その事を身を持って示した人間の言葉に、新人の魔法少女が語るべき言葉は無かった。

 だが、意外な進言が足元から届いた。

「つまり、今問題になっているのは、まどかが魔法少女ではないから、一緒に行けないということだね?」

 キュゥべぇの言葉に、マミに視線が一瞬険しくなった。怒っている感じではない、むしろあの視線は、

「論点を摩り替えないで、キュゥべぇ。魔法少女の契約はその人の運命を左右するものでしょう?

 一緒について行きたいから契約したいなんて、お話にもならない理由だわ!」

「ま、マミさん……」

「気持ちは分りますけど、ちょっとそれ言いすぎ……」

 毒気を抜かれたさやかの表情に、マミは頬を赤らめて頭を下げた。

「ご、ごめんなさい。ただ……鹿目さんは、素質はあるけど、魔法少女には向いていないと思ったのよ。

 だからつい、ね」

「……んー、まぁ、そうかなぁ」

 さやかの視線がこちらを探るように走り、何度も頷いた。

「あんたって、優しいっていうか、優しすぎるからね。魔女と戦っている間に、

 変な同情とかしちゃったりするかもしんないし」

「それに、私達が戦うのは魔女だけとは限らないわ……同じ魔法少女同士、

 ということもありえない話ではない、分っているわよね」

 念を押した言葉の裏にあるのは、おそらくほむらのことだ。

 そっと口元を押さえて、まどかは胸の奥にある苦い思いを見つめた。

 マミとさやかは、結局ほむらと敵対関係になったとキュゥべぇから聞かされていた。

 昨日のやり取りでさやかはほむらに宣戦布告をしているし、

 マミ自身は『こちらから手を出すことは無いが、場合によっては敵対も辞さない』と言っている。

 なんで、こんなことになっちゃったんだろう。
 
 まどかの心の嘆きも知らないまま、さやかが取り成すような笑顔でこちらの肩に手を置いた。

「そういうことだからさ、悪いね」

「いいよ。私も、戦うのって、ちょっと怖いなって思うし」

「もちろん。魔法少女にならないからといって、お友達ではないということではないわ。

 なし崩しになっちゃったけど、鹿目さんや美樹さんのアドレスも貰えたしね」

 唯に電話をかけた後、マミからは携帯電話のアドレスを聞くことが出来た。

 さやかは元々知っているし、ほむらからも後で聞くつもりでいた。

 魔法少女の知り合いが三人も居れば、魔女や使い間を目撃したとしても、

 誰かに電話一本で現場に来てもらうことが出来るだろう。

 その事実は、同時に鹿目まどかが魔法少女になる理由が無いということも示していた。

「それじゃ、そろそろ行きましょうか」

「んじゃ、まどか。また明日、学校でね」

「気をつけてね」

 少し硬い表情で笑うこちらにマミは何かを思案した後、提案を口にした。

「もしよかったら、香苗さんのお見舞いに行ってあげてくれないかしら? 

 彼女、病院の生活が退屈だって言っていたし」

「そうだね。あたしも心配してたって言っておいて。あと……それからさ」

 小走りでこちらに近づくと、さやかは恥ずかしそうに小声で耳打ちをしてきた。

「恭介の様子も、見てきてくんないかな」

「え? さやかちゃん、まだ上條君のところに行ってなかったの?」

「いや、容態が良くなったのは、恭介のお父さんから聞いてたんだけどさー、なんていうか、照れくさくって」

 相変わらず一途な割には奥手な友人に笑いを漏らすと、まどかは笑顔で頷いた。

「分った。上條君にはさやかちゃんが、ものすごーく心配してたって言っておくね」

「なっ!? ま、まどかぁー」

「あはは、じゃ、あたしも行くね! マミさん、さやかかちゃんのことお願いします」

「ええ。任されたわ」

 去っていく二人を見送ると、まどかは病院へ向かって歩き出した。

 その足元を歩くキュゥべぇがこちらを上目遣いに見つめてくる。

「まどかは、魔法少女になるのは諦めたのかい?」

「諦めたとか、そういうんじゃ、ないんだけど」

「今はマミだけじゃなく、さやかだって居る。単純な数の問題ではないけど、

 ある程度知っている人間同士がチームを組めば、危険性が減るのは確かだ」

 白い生き物の言葉に、ほんの少しだけ気持ちが動く。

 家においてきた魔法少女の情報を書き綴ったノートのことを思いだし、まどかは首を横に振った。

「やっぱり、ダメなんじゃないかな。キュゥべぇは素質があるって言ってくれたけど、

 私ってどんくさいし、運動も苦手だし」

「君のほどの素質があれば、その程度のことはハンデにもならないよ! 

 魔法を使えば身体能力や反射神経の強化も出来るし、

 願いの質によっては想像も出来ないような力を発揮することだって」

「相変わらず、甘言で人を誑し込むのが上手ね」

 氷点下の罵倒がキュゥべぇの言葉をさえぎる。

 込められた憎しみだけで万物を殺せそうな睨視を白い生き物に注ぎながら、

 暁美ほむらがまどかの前に立ちふさがった。

「や、やめてほむらちゃん!」

「安心して。こいつが今すぐ私の目の前から消えるなら、手荒なまねはしないわ」

「君と僕の間に、妥協や和解という単語が入り込む余地は無いのかい?」

 ほむらは普段、表情をほとんど変えない。

 まどかとしてはもう少し笑った顔を見たいと思っていた。

 ただ、今この瞬間に彼女が浮かべた笑顔だけは別にしたいと、心底思った。

「あなたが無駄な損失を嫌うように、私も無駄が嫌いだわ。不毛な会話を展開する手間なら、なおさらよ」

「やれやれ。そこまで僕を嫌う理由を、参考までに教えてもらいたいんだけど?」

「それが最後の言葉?」

 氷の微笑すら凍りつかせたほむらがカバンの中に手を伸ばそうとしたとき、

 キュゥべぇの体がすっと引いた。

「仕方ない、僕は行くよ。それじゃあ、まどか」

「あ、うん……」

 全身の筋肉がこわばりそうな緊張感が退き、まどかは大きなため息をついた。

「ほむらちゃん……その、私」

「あなたはまだ理解していないの? 言ったはずよ、あなたは鹿目まどかのままでいなさいと」

「分ってるよ……分ってるんだけど」

 歯切れの悪いこちらの返答に、心持ちほむらの声に苛立ちが混じる。

「魔法の力はあなたを幸福になんてしない。戦い続ける毎日は、

 あなたにとって重荷にしかならないわ」

「でも、さやかちゃんは……」

「彼女はなるべくして魔法少女になったの! でも、あなたは違う!」

 いきなり自分の両肩を掴むと、まるで祈りでも捧げるように心の奥底からの声をほむらは絞りだした。

「お願いだから聞き入れて! あなたは、魔法少女になんてならなくていいのよ!」

「……どうして?」

 その疑問は、もっともだった。なぜさやかは良くて、自分はダメなんだろうか。

「それは、あなたが魔法少女になる必要が……」

「ほむらちゃんは、私が魔法少女になる必要が無いって言ってるんじゃなくて、

 魔法少女に『なって欲しくない』から言ってるんでしょ?」

 肩から手を離すと、ほむらはこちらに背を向けた。

「そうよ。私はあなたに、魔法少女になって欲しくないの」

「どうして?」

「それを知る必要は無いわ」

「私のことなんだよ!? どうして知る必要が無いなんていうの!?」

「必要が、ないからよ」

 答えになっていない答えを返すと、そのまま歩き去っていってしまう。

「待ってよ! 答えてよ、ほむらちゃん!」

「私の答えは、さっき言った通りよ。それ以上でもそれ以下でもないわ」

 一方的に話を打ち切り、黒髪の少女が去っていく。追いかける事も出来ないまま、

 まどかはその場に立ち尽すしかなかった。



 病院を後にするころには、日が大分傾いていた。

 唯の見舞いの後に訪れた上條恭介の病室はもぬけの殻で、通りがかった看護士の話では、

 今朝からトレーニングルームに入り浸っていると聞かされた。

 彼にお見舞いの伝言をお願いし、結局どこに行く当てもないまま家路をたどる。

 なんだか、ひどく取り残されたような気分だった。

 さやかはマミと共にパトロール中だろうし、ほむらの行方は相変わらず分らないまま、

 仁美は今頃お稽古事に追われているに違いない。

 自分だけが何もやることが無い。

 全ての事態が、私一人だけを置いてどんどん進んでいっている気がする。

「何やってるんだろう、私」

 寄る辺ない自分をもてあましたまどかは、少しだけ寄り道をすることにした。

 家と病院の丁度中間ぐらいのところにある空き地、野良猫のエイミーを良く見かける場所だ。

 売り地と書かれた看板と伸び放題になった草、勝手に生えてきた何本かの木、

 見るべきものはそれほど無い。軽く周囲を見回すと、見覚えのある黒い生き物の背中が見えた。

「エイミー……!?」

 相変わらず子猫は元気に一人遊びをしていた。手元で小さなボールのような物をころころと転がして。

「……だ、大丈夫? トムヤン君」

 涎と泥汚れでべたべたになった姿のまま、トビネズミは弱りきった声を上げた。

「助けて……お願い」



[27333] 第三話「そいつは大層な自信だねぇ」
Name: 犬太◆93ceb70e ID:97db629a
Date: 2011/06/19 10:20
 手の上に載せたソウルジェムを目を眇めて見つめながら、さやかは嘆息を漏らした。

「やっぱだめっす。全然わかんない」

「魔女の気配を感じるときはね、目の前のジェムを見つめるんじゃなくて、耳を澄ませるようにするの。

 ジェムで音を聞き、風を感じるようにね」

 マミは優しく丁寧に、魔法少女としての能力の使い方を教えてくれた。

 その指導は的確で、新人が陥りがちな勘違いを正しつつ、必要な心構えを伝えるという見事な教師振りを発揮していた。

「マミさんはどのぐらいの距離だったら、魔女の気配を感じられるんですか?」

「私なら、自分を中心にして大体三キロぐらいかしら」

「うわ、広っ! やっぱマミさんはすごいなぁ」

 誉めそやす自分に向かって、マミが笑顔でそれをやんわりと否定する。

「私の場合、元々の能力がリボンを使ったものでね。遠隔操作や、自分の感覚を遠くへ飛ばすことに長けていたからよ。

 こういう索敵能力は、魔法少女になったときの願いに左右されるから、人によって得手不得手が出るのは仕方ないわ」

「え!? マミさんの力って、あの銃を出すのじゃなかったんだ!」

「あれはお父様の形見を参考にして、魔法で構成しているだけよ」

 今まで遠目で見ているだけだった魔法少女の世界。確かに敵と戦うのは恐ろしいが、すぐ側に頼りになる先輩が居る。

 優しくて頼りになる巴マミの存在が、自分の歩んでいこうとする先行きを照らす灯台のように感じられた。

「とはいえ、練習次第で捜索できる範囲はもっと伸ばせるわ。さ、ジェムに意識を集中させて、要領はさっき言ったとおりよ」

「はいっ」

 目を閉じてジェムに意識を集中、同時に肌に感じる風や匂い、音を同時に知覚しようとしてみる。

「あっ!?」

「感じた?」

「ここから、西に、ちっちゃいのが一つ、いる、ような……」

 自信なさげなこちらの発言を、マミは笑顔で肯定した。

 さやかのジェムの隣に自分の物をそっと近づけ、反応のする方向へ指を差す。

「この大きさなら使い魔ね。それと、ごく近くに魔女らしいものも感じたわ」

「そ、そうなの!? うーん、あたしもまだまだだなぁ」

「でも、これなら大体一キロ先の存在を知覚しているということだし、索敵はとりあえず合格ね」

「おおおっ、やったぁっ!」

 さやかにとって、誰かに誉められるという経験は久しぶりだった。

 小学生ぐらいならいざ知らず、中学生にもなれば、親からだってこんなはっきりとした形で評価を受けることは無い。

(あたしって魔法少女、向いてるかも)

 絶対に釘を刺されるので言葉にはしなかったが、さやかは内心で自分に喝采を送っていた。


第三話「そいつは大層な自信だねぇ」


 まどかに貸してもらったハンカチでべたべたの体を拭うと、トムヤンは済まなさそうに頭を下げた。

「ごめん。すごい汚しちゃったよ」

「気にしないで。それよりも、ホント大丈夫?」

 体から疲れを吐き出して、手で問題ないと合図を送る。

 とりあえず爪や牙は立てられなかったし、思い切り遊ばれて目が回ったぐらいで外傷は無い。

 そうは言っても、自慢の索敵能力が完全に機能していなかったという事実に、多少プライドを傷つけられたが。

(やっぱ、猫はネズミの天敵ってことなのかぁ?)

 まどかに撫でてもらって心地よさそうに喉を鳴らすエイミーに視線を送ると、向こうはキラキラした目で見つめ返してくる。

 獲物を狙う肉食獣に慄くこちらの気も知らず、まどかは笑顔で問いかけてきた。

「そういえば、トムヤン君はどうしてここに?」

「俺はおみま……いや、まどかちゃんに会いに来たんだ」

「そうなの?」
 事実は唯の病室にお見舞いへ行った後、エイミーに拉致されてここに居るというだけなのだが、

 精一杯見栄を張って格好を付けてみせる。

「まどかちゃんぐらい可愛い子になら、もう一回会いたいと思うのも当然だろ?」

「ぷっ」

「いや、そこ笑うところじゃないし!」

「えー、だってー」

 どうやら受けが取れたようで内心ほっとする。

 空き地に来たばかりのまどかは落ち込んだ表情を隠しきれないままだったし、その原因にも心当たりがあったからだ。

「そういや、何か悩み事でもあるのか?」

「え?」

「なーんか、暗い雰囲気だったからさ」

 そんなことを言っていたトムヤンの耳がぴくりと動いた。張り巡らせていた『音』の探査網に外敵が引っかかったのを感じる。

 ちらりと道路の向こうに視線を走らせてひと跳びに彼女の肩に乗ると、トムヤンはまどかを中心に認識阻害を起動させた。

(お前の出番はナシだ。とっとと失せろ害獣)

 大気や光にほんのわずかずつの干渉を行い、その存在がその場に無いものとして認識されるようにする術。

 道の向こうからやってきたキュゥべぇには、まどかの存在は空き地に立った一本の若木として認識されているはずだ。

 障壁で対象を隠蔽するものと違い、微細なレベルで視認性をいじるタイプの術のため、最初から対抗策を施していなければ見破るのも難しい。

 案の定、白い生き物はわずかに逡巡した後、この場から離れていった。

(索敵術は零点だな。赤点補習だぜ、キュゥべぇ)

「どうしたの? トムヤン君」

「いや、ここに居た方が君の声を聞きやすいなって思ったんだ。迷惑かな?」

「別にいいけど……」

 不思議そうな顔をしながらもまどかは、聞いてくれるかな? と前置きをして、自分の抱え込んでいる状況を語りだした。

「トムヤン君は、魔法少女って知ってる?」

「んー。テレビでやってる奴とか? そういうんでいいなら知ってるけど」

「この街にはね、本当に居るの。私の先輩とか、お友達とか……それと、最近お友達になった? かも知れない子とかが、そうなんだけど」

(おいおいほむら、なんかまどかちゃんが疑問形でお前のこと語ってるぞ)

 努力の割りに報われていない扱いに内心ため息をつく。

 まぁ、キツネ目でおかしな話を語りかけてくるわ、警告途中で顔面に唾を吹きかけたりするわで、いい印象が無いから当然ではあると思うが。

「でね、キュゥべぇっていう子に、私はすごい才能があるから、魔法少女になってって言われてるんだ」

「……まどかちゃんは、なりたいのか? 魔法少女」

「わかんないの。さやかちゃん、っていうのは私の友達なんだけど、その子はお友達の怪我を治して魔法少女になっちゃって、

 今日は……先輩のマミさんって人とパトロール中」

 語っていく間に、その横顔が寂しそうなものになっていくのが分る。

 おそらく、うらやましいという感情を抱え込んでいるのだろう。

 人には無い力を持ち、人知れず世界の平和を守る存在になれるとしたら、この年齢の子なら一度は憧れるシチュエーションだ。

 それを迷わせているのは、確実にほむらの存在だ。トムヤンは慎重に言葉を選びながらまどかに質問をぶつけた。

「なってみたいって、思ってるんだろ?」

「……正直に言うとね。やってみたいの、魔法少女」

「じゃあ、どうして?」

「ほむらちゃん、がね。私は魔法少女にならなくてもいい、ううん、魔法少女にしたくないって。

 私はきっと後悔するから、平凡な鹿目まどかのままで居なさいって」

(やばいな、こりゃ)

 魔法少女や魔女についての、まどかの視点から見た事実を聞きながら、トムヤンは内心焦っていた。

 ほむらの警告は確かにブレーキにはなっている。ただし、ふとした弾みで外れてもおかしくない程度の抑止力しか発揮していないのだ。

 それはそうだろう、子供のしつけでも『どうしてそれをやってはいけないのか』の理由を説明するのが重要になる。

 『いけません』の言葉だけでは反抗されるのがオチ、ましてや、相手は独立した意思を持つ存在だ。

 結局、ほむらは自分がして欲しい要求を伝えるだけで、相手の気持ちを推し量ることをまるで考えていないとしか言いようが無い。

 そういえば、マミを加えての対策会議の時も、結局ほむらはまどかに対して頑なに事実を伝えることを良しとしなかった。

『せめて、鹿目さんだけでも、事情を説明したら?』

『美樹さやかが魔女になるかも知れないという可能性を教えて、ですか? そんなことをすれば、

 まどかはきっと隠し切れなくなって、彼女に打ち明けてしまうと思います』

『そこは何とかこう、オブラートに包んでってことでさ……』

『魔法少女と魔女の関係は、どれを切り離しても不完全な情報にしかならない。

 伝えなければいけないことが、伝わらないままの方がもっと恐ろしいわ。

 知るべきではない人間には一切情報をもらさない方がいい』

『ニーズ・トゥ・ノウって、どこの軍事大国様だよ。

 まぁ、まどかちゃんには隠し事や腹芸は無理そうだから、知らせないってのは確かにありだと思うけど』

 美樹さやかに対しては、彼女がマミとの協力関係を築き、精神的なケアが可能になるまで事実の公開を控えるという形で決着がついている。

 美樹さやかの問題点は、一つのことに集中するあまりに、視野狭窄に陥る精神性の未熟さだ。

 それを補強するために何度か魔女退治を経験させ、魔法少女としての実力と自信を付けさせる。

 同時に、上條恭介との恋愛に関しても、魔法少女の先輩であるマミが相談に乗れ
る体制が作られれば、

 ソウルジェムの穢れる率も低く抑えられるだろうと判断してのことだった。

 だが、トムヤンとしては、まどかに対するほむらの案には反対だった。
 
 一応、彼女の意思は尊重するつもりではいるが、火の恐ろしさは口で言われて分るようなものではない。

(悪いけど、俺も独自に手を打たせてもらうぜ)

 頭の中で状況を整理すると、トムヤンは口を開いた。

「そういや、この前会ったときは、事情をちゃんと説明してもらわなかったから

『自分に出来ることをやれ』なんて無責任なこと言っちゃってたな」

「ううん。私って、行動力ないって言うか、いざとなると腰引けちゃうって感じだから、トムヤン君の言ってくれたこと、そうだなって思ったよ」

「でもさ、だからって、何でもかんでもやればいいってわけでもないと思うんだ」

 こちらから真実を明かすことは出来ない。

 だが、まどか自身が魔法少女というものに疑問を持ち、真実を知ろうとするならば、それは大きな抑止力になるはずだ。

 もちろん、目の前に横たわっている事実は苛烈だが、聞かされるよりは彼女自身の意思で選び取らせることが大事だ。

「そもそも、そのキュゥべぇって奴に言われたからとか、友達がなってるから自分も、っていうのはなんか違うと思う。

 魔法少女って学習塾に行くような気楽さでなっていいもんじゃないんじゃないか?」

「そう……だよね」

「大体、魔法少女になったら、二度とやめられないんだろ? 大人になっても魔法少女って、ちょっと変だよな」

 笑いを含んで語りかけると、まどかは少し困ったような顔をして、それから笑った。

「そういえばそうだよね。大人になったら、魔法少女ってちょっと言いにくいよね」

「それに魔法少女になったって、戦ったり魔法を使わなければソウルジェムってのは濁らないんじゃないか? 

 願いだけかなえて普通に暮らしてる子っているかもしれないぜ」

「……でも、そんなずるいことしてもいいのかな?」

「さーねー。俺はキュゥべぇって奴じゃないし、そいつに聞いてみたらいいんじゃないかな?」

 まどかの性格は純粋でまっすぐだ。おそらく自分からずるいことをしたり、嘘をついてまで利益を追い求めるようなことはしないだろう。

 魔法少女という仕組みに用意された、ヒロイックな側面に酔いしれていてはなおさらだ。

 だからこそ悪辣な女衒(ぜげん)のようなインキュベーターに目を付けられ、食い物にされようとしている。

 それを回避するためには、ロジックで構成された防壁が必要だ。

 その手がかりを与えるべく、トムヤンは言葉を重ねた。

「それからさ、その契約ってどんな内容なんだか、改めて調べてみたほうがいいぜ?」

「どういうこと?」

「普通、契約ってのは利益ばっかりじゃなくて、こういう損失が出てくるかもしれませんけど、いいですよね? 

 って文章が添えられるもんだよ。ケータイの契約書って、ちゃんと読んだことあるかい?」

「ないけど……」

「キュゥべぇは、そういう損失について、全部説明してくれたかい?」

 まどかの表情に何かを思慮するようなものが浮かんでいく。

 まずはここまでだろう、少なくとも今すぐにうかつな契約をする気は持たないはずだ。

 駄目押しにもう一つ、付け加えておく。

「家に帰って、ケータイの契約書を読んでみるといいよ。難しければお父さんやお母さんに解説してもらってもいい。

 少なくとも、正当な契約ってのが、どんなものかが分るはずさ」

「でも、パパやママに変に思われないかな?」

「学校の宿題だって言っておけばいいんじゃないかな。社会科のね」

 小さく頷くと、まどかはエイミーを地面に下ろして立ち上がった。

「相談に乗ってくれてありがとう、トムヤン君」

「礼なんていいって。っと、そうだ。一つ忘れてた」

「なに?」

「その、話に出てたほむらって子と、もう少し話をしてみた方がいいと思うぜ」

 折角元気になりかけた表情がまた暗く沈みかける。すかさずトムヤンは笑顔でフォローを入れた。

「魔法少女の話は一切抜きで、だけどね」

「……え?」

「どんな食べ物が好きかとか、何か趣味はあるのかとかさ、そういうこと。相手を知るって、そういうことから始まるもんだろ?」

「……うん。そうだね」

「弁当でも食べながらってのも、いいかもな」

 最後の提案を受けて、まどかは頷いた。参考になるイベントはすでに唯が見せている、あとはまどかがどう行動するかだけだ。

「それじゃ、またね」

「ああ。またな」

 去っていく後姿を見送って、トムヤンはほっと一息ついた。

 この先どうなるかは分らないが、少なくとも『いけません』という言葉だけで終わっていたまどかへの対策に、新しい選択肢が増えたのは確かだ。

「今日のこと、ほむらが聞いたら怒るだろうな。な? エイミー」

 返事の代わりに子猫の肉球が、小さなトビネズミの体をむぎゅっと押さえつけた。

「だからっどうしてお前は俺にそんなっ……ぐはっ、やめてっ、それ以上体重かけたら、ほねがっ、ほねがあぁ~あっ!」

「うなぅ」

「あっ、やだ、そんなところ、舐めたら、あっ、やっ、らめぇええっ。ま、まどか、まどかちゃぁん、かんばぁあ~っく!」

 非常に気色悪い声を上げて、トビネズミはしばらくもだえ続けることになった。

 ちなみに、この日の晩に起こったことについて、トムヤンは誰にも語ることはなかったという。



 地面から突き出る肌色の使い魔をすり抜けながら、さやかが走る。

 丸だけで書き込まれた目鼻を与えられ、ひょろりとした指の無い腕を伸ばすそれは、見ようによっては非常に愛嬌があった。

 もちろんそんなものには頓着しない。駆け抜けた側からマミの正確無比な射撃がそいつらをなぎ倒し、攻撃を防いでくれる。

「今よ、美樹さん!」

「了解っ!」

 結界の中央に存在するのは、ひし形のモザイクで構成された額縁のような魔女。

 その中心部にある抽象化された瞳のマークへ脇構えにした剣で踊りかかっていく。

 深々と突き刺さる刀身、重く伝わってくる手ごたえと共に、魔女が消滅していく感覚がじかに伝わってきた。

 結界が解かれ、周囲の光景が元に戻っていく。ビルの間の裏路地に立ち、地面に転がったグリーフシードを高々と掲げた。

「やった! これで魔女撃破二体目っ!」

「調子に乗ってはダメよ。あなたはまだまだ半人前、これからもっと経験を積んでいく必要があることを忘れないでね」

「わかってますってー。とはいえ、ベテラン魔法少女のマミさんと、

 新進気鋭のスーパールーキー、美樹さやかちゃんの前には敵はない! って感じでしょー」

「へぇ? そいつは大層な自信だねぇ」

 いきなりさやかの頭上を烈風が吹きぬけた。時をおかず、自分の頬にぱたぱたと暖かい雨のようなものが降りかかってくる。

 理解できないまま見上げると、そこにあったはずの自分の指が裂けていた。そこからおびただしい量の血が流れてくる。

「う、うわああああああああっ」

「そのくらいちゃんと避けてくれよ。こっちは限界まで手加減したんだぜ? スーパールーキーちゃん?」

 痛みをこらえながら振り返ると、真っ赤な衣装に身を包み、槍を構えた魔法少女が荒々しい笑みを浮かべてこちらを見つめていた。

 左手に、さやか自身の血で汚れたグリーフシードを手にして。

「佐倉杏子! なぜあなたが!」

「ごきげんよう、とでも言っておけばいいかい? マミ」

 痛みと怒りで涙を浮かべて睨みつけるさやかに向けて、佐倉杏子はあからさまな侮蔑を浮かべて言い放った。

「今日はお祝いを言いに来たんだよ。偽善者のマミに、でくの坊のルーキーが弟子についたお祝いをね!」



[27333] 第四話「あんた、魔法少女やめなよ」
Name: 犬太◆93ceb70e ID:97db629a
Date: 2011/06/19 16:58
 ダイニングルームのテーブルに座ったまどかは、

 薄い紙にびっしりと書かれた文章とにらめっこをして、その内容を読み解こうとしていた。

「えーっと、この契約において、次の各号が定める用語の定義は……」

 しかめつらしい文章が延々と続くため、ただの中学生である自分には読んで理解する事も難しい。

 あっという間に頭を抱えてテーブルに突っ伏した娘の隣に、父親の鹿目智久が湯気の立つカップを置いた。

「何か分ったかい?」

「ちっとも。もう、何でこんなに難しく書いてるのー? 全然わかんないよぉ」

「仕方が無いよ。契約書というものは、大体そんな風になっているんだ」

 投げ出してしまった書類を取り上げて詳細を確認すると、彼は内容をかいつまんで教えてくれた。

「契約書というものには、大きく言って二つの役割がある。

 一つは、契約を交わすことでどういう利益がお互いに生まれるかということをはっきりと分る形にすることだ。

 この書類は携帯電話を使いたいですという人が、電話会社の人にお願いして、電話を使えるようにしてもらうためのものということだね」

「私達は電話が使えるようになって、会社の人は……お金を貰えるってことだよね?」

「そうだよ。誰かと契約を結ぶ、ということは、お互いに持っている利益の交換をするということなんだ」

「ところがぎっちょん、世の中はそんなに甘い話ばっかじゃないってことなんだよな」

 まぜっかえすような声と共にスーツ姿の母親、鹿目詢子がダイニングに入ってきた。

 いつもはもう少し遅い時間に帰ってくるはずなのにと考えたところで、今日はいわゆる『ノー残業デー』だということを思い出した。

「ママおかえりー」

「はいただいま。ところでなんだい? 契約書とにらめっこなんかして」

「まどかの学校の宿題。社会の授業で使うんだってさ」

「なるほどぉ。最近の学校は、役に立つことも教えてくれるようになったんだねぇ」

 スーツの上着を脱ぐと、まどかの隣の席に座る。一日の仕事で少しよれてはいるが、隙の無い着こなしはそのままだ。

「そういえばママ、さっきのところがぎっちょん、ってどういう意味?」

「あー。ネタが古すぎたか? 悪いねー、脂性のスダレハゲに付き合ってると、感性までオヤジ化しちまって」

「そうじゃなくて、甘い話だけじゃない、ってとこ」

 さりげなく冷えたビールの瓶と、ありあわせのつまみを並べていった夫に投げキッスを送ると、詢子は最初の一杯を手ずから継ぎつつ話を続けた。

「要するに、だましをやる奴がいるんだよ。契約の隙間を縫ってな」

「だ、だって約束したんでしょ? そんなことしたら」

「だから、紙の上に書いていないところからズルをするんだ。契約書類には、こういうことは書いて無いですよね? ってな」

「そういう問題が起こったときには裁判をしたり、場合によっては詐欺をしたということで、警察が捜査をするんだけどね」

 コップから泡立つビールを一気に飲み干すと、詢子が満足げな吐息を漏らす。

 何も言わずにお代わりを注いでくれる智久に、そっと感謝のグラスを上げた。いつもどおりの鹿目家の風景だ。

「詐欺師って奴は厄介でね、それこそ言葉の隙や常識の落とし穴を平気で突いてくる。

 だから、契約書ってのはそういうズルができないように、

 そうでなかったらズルをされてもこっちが被害にあわないようにするって意味もあるんだぜ?」

「なんだか、やだな。そういうの」

「確かにね。でも、世の中にはそういうこともある、ということさ」

 父親の苦笑を見て、まどかも同じような笑いを返すしかなかった。

 誰かを騙して、それで何かを得たいと思う人間がいるというのは、あまり考えたくないことだ。

 そこまで考えて、まどかは背筋がじわりと寒くなるのを感じた。

『キュゥべぇは、そういう損失について、全部説明してくれたかい?』

 彼は言っていた。魔法少女になるときには願いを掛けなくてはいけない、その結果にソウルジェムが生み出され、魔女と戦う宿命を得ると。

 願いは利益であり、魔女戦う宿命を得るのは、携帯電話で言えば使用料を払うということだ。

 だが、契約というものには、必ず損失を説明する項目があると聞いた。

(大丈夫だよ。だって、マミさんが言ってたじゃない。命をいつかおとすかもしれない、普通の女の子としての生活は出来なくなるって)

「……あっ」

「んー? どうした、まどか」

「な、なんでもない!」

 自分が聞き落としていたのかもしれない、あるいは思い違いかもしれない。

 確かに損失については説明されていた。

 ただし、キュゥべぇからではなくマミから、間接的な形でだ。

「なんにしたって、契約を結ぶときには注意が必要だってこと。……っていうかさー、あのクソハゲ! 

 こっちに断り無く酒の席で、相手方と勝手に色々決めてくれちゃってさ。てめぇの器でかく見せるためにあること無いこと……」

 物思いに沈んでいくまどかの耳から、母親の愚痴が遠ざかっていく。

 もしも、マミが居ない状態でキュゥべぇと会っていたら、自分はどうしただろうか。

 彼女が見せてくれた魔法少女の現実を知らないまま契約をして、魔女と戦って居たかもしれない。

「まどかー! ねこ、ねこー!」

 気が付くと、お絵かき帳を片手にご機嫌な様子の達也が、自分の服の裾を引っ張っていた。

「どうしたのー? ねこさん上手に描けた?」

「はーい!」

 無邪気そのものの弟が差し出した白い紙の上に、赤い色で描かれた顔があった。

 真っ赤な瞳と、かもめを逆にしたような、捻った口。

「キュゥ……べぇ」

「んー? なんだよ達也、これ猫じゃなくてうさぎじゃないかぁ? 目も赤いし」

「ねこー! ねこー!」

「そうか。猫なのかぁ。上手に描けたなぁ」

 不安に駆られて瞳を上げる。達也が絵を描いていた位置は庭に面した窓の辺り、外は街路灯の明かりだけが唯一の照明で、影ばかりが際立っていた。

 そこにはいない姿を求めて、まどかは闇を見透かすように目を凝らした。

 信じたい、キュゥべぇが自分達を騙しているなんてことは、ありえない。

 いや、あってはならないことだ。だって、もしそうだとすれば、契約しているマミさんやさやかは、そしてほむらは。

『あなたは鹿目まどかのままで居ればいい』

『魔法はあなたを幸福になんてしない』

『そんな詐欺師に引っ付いていても、自分の身を滅ぼすだけってことさ』

 心の中に黒い疑惑の雲が沸き起こる。いつもどおりのダイニングルームの中に、まどかの周りだけ底冷えのする寒気が覆っていた。

 すっかり冷めたカップからすすったココアは、少しも甘く感じられなかった。


第四話「あんた、魔法少女やめなよ」


 裂けた指を左手で押さえてうずくまる自分をかばうように、マミが進み出る。

 佐倉杏子という魔法少女は、その様子を視界に入れて鼻で笑い飛ばした。

「あーあ、見滝原随一の使い手、巴マミ様ともあろうお方が、見所の無い弟子のおもりとは。落ちぶれすぎて涙が出るレベルだね」

「相変わらず、その品の無い喋りは健在ね。耳の穢れだから消えてくださらない?

 佐倉杏子さん」

「へっ、ガラクタな弟子を取った割には、まだ健在っぽいみたいだね、安心したよ」

「お、お前っ!」

 激情に駆られて飛び出そうとした肩を、マミの細い指が痛いほどの握力で掴む。

『そんなことをする前に、自分の手の治療をしなさい! 戦いは冷静さを失った方が負けると言っておいたでしょう』

『くっ……』

 以前キュウべぇにマミがしていた様子を思い出し、自分の手に魔力を注ぎ込む。

 瞬く間に痛みが消え去り、指も元通りになっていく。

「へぇ? 治癒の力が高いタイプかい。薬箱程度にゃ使えるってか。

 丁度いいや、あたしってその手の魔法苦手だからさぁ、引き取ってやってもいいよ?」

 左手に持っていたグリーフシードをかざし、屈託の無い笑顔で杏子が笑った。

「お代はこいつで払ってやるからさ」

「うわああああああああっ!」

「やめなさい美樹さん!」

 右手に生み出した剣を腰の辺りにひきつけ、地面を這うようにダッシュを掛ける。魔法の力で強化した瞬発力で、彼我の距離が一気に縮まる。

 次の瞬間、さやかの視界が重く鋭い衝撃によって暗転した。

「が、ふ……っ」

「ありゃま、こりゃ死んだかな?」

 みぞおちに突き刺さる鈍痛、視界がむりやり元居た場所の方へ押し返される。

 涙で滲んだ視界の向こうに、地面から突き出した槍の石突が見えた。

「美樹さんっ!」

「スピードも並、フェイントも無し、実力も工夫もなーんにもない」

 軽く一歩を踏み出すような気軽な足取りで、杏子が瞬く間に自分との距離をつめる。

 魔力による瞬発力の増強、やっていることは同じなのに予備動作も無くやってのけた。

 必死に地面に剣を突き、それ以上の後退を防いださやかに、容赦の無い横蹴りが浴びせられた。

 まるで巨大な丸太にでも殴られたような衝撃が、ビルの壁に青い魔法少女の体を叩きつける。

「ぐはっ!」

「なぁ、マミ。こいつマジで大丈夫か?」

「あなたはっ!」
 狭い路地にみっしりと並べられた砲列に驚いた様子も無く、杏子は地面に転がったさやかの首根っこを掴んで持ち上げる。

「たーまを自由に避けたいな~。はい、人バリヤー! ってね」

「その子を離しなさい!」

「さて、どうしよっかなー」

 必死にもがくこちらの努力をあざ笑うように、マミの銃口へ自分の体を押し付けていく杏子。

 苦しさで赤くなっていく視界の向こうで、彼女の凶悪な笑みがアップになる。

「あんたさぁ、動物の群れで真っ先に猛獣に狙われるのって、どんな奴かわかるかい?」

「く、っ、はな、せ、このやろ……っ」

「体の弱ったやつ、年老いた奴、そして生まれたての子供さ」

 締める強さが一気に高まり、思わず剣を取り落としてしまう。こんな状況なのにやけに思考だけがクリアだった。

 それを理解しているのか、彼女は目一杯顔を近づけ、罵声を浴びせた。

「教えてあげるよルーキーちゃん。マミにとって、あんたはそういう足手まといな存在なんだ」

「いい加減にして」

 巨大な砲門がこちらを狙っていた。マミの必殺の一撃が充填されたそれを視界の端に留め、赤い魔法少女は深々とため息をついた。

「オーケー。やめるよ、流石にそいつは人バリヤーでも避けられないしね」

 遊び飽きた人形でもほうり捨てるように、無造作に振られた腕から自分がはね飛ばされていく。

 世界全体がスローモーションになり、遅れて地面に落下した衝撃が全身を揺さぶった。

「ぐはぅっ」

「美樹さんっ!」

「さってと、今日は挨拶ともう一つ、用事があったんだ」

 グリーフシードを服の中にしまいこみ、朗らかな笑顔で佐倉杏子は告げた。

「あんた達さぁ、スパイシーユイとかってふざけた名前の魔法少女のこと、なんか知らない?」

「知っていたとして、教えると思う?」

「そりゃそうか。じゃ、こっちはこっちで勝手にさせてもらうよ。見滝原に居るってのはキュゥべぇから聞いてるしね」

「待ちなさい!」

 制止も聞かずに去っていく赤い影。その背中を睨みつけながらも、どうしようもない虚脱感で起き上がることすら出来なかった。

 そして、一度だけこちらを振り返ると、杏子はむき出しの笑みで言い放った。

「悪いことは言わない。あんた、魔法少女やめなよ」

「なんで、あんたなんかに、そんなことっ!」

「狩った獲物をこれ見よがしに見せ付けてはしゃぐ、そんな素人お呼びじゃないんだよ」

 一瞬、冷厳な表情を見せた少女は、そのまま姿を消した。

 蹲ったままの肩を、そっとマミが抱いてくれる。その手を緩やかに押しのけて、さやかは地面にこぶしを打ちつけた。

「美樹さん……」

「……ちくしょう」

 ほんの少し前まで高揚していた気分は、すっかり消え去っていた。

 その代わりに湧き上がってきたのは、抑えられない悔しさと強い憎しみ。

 全く初対面の相手に、暴力と悪罵で自分の全てを否定されたことが、耐えられない心の苦痛になって刻み込まれていく。

「とにかく、ここを離れましょう。この騒ぎで人が集まってこないとも限らないわ」

「……はい」

 心配そうにこちらを見つめるマミに、何とか笑いかけることは出来た。

 だが、その笑顔の裏で、澱のような負の感情が魂の底に沈みこんでいくのを、さやかは感じていた。



 ベッドの上に仰向けに横たわり、さやかは天井を見上げた。あえて足元に視線を送らないまま、声をかける。

「ねぇ、キュゥべぇ。佐倉杏子って、知ってる?」

「会ったのかい?」

「……折角、あたしとマミさんで倒した魔女の、グリーフシードを奪ってったよ」

「なるほど。示威行為というわけだね」

 耳慣れない言葉を放った白い生き物に反応して、さやかは体を起こした。

 同時にベッドの上に飛び上がったキュゥべぇが、こちらを見つめてきた。

「これまで、マミは単独でこの街を守ってきた。

 彼女はとても強いし、他の勢力と率先してことを荒立てる事も無かったから、そうした状況が許されてきたんだ」

「それと、あの杏子とかいうのと、何か関係があるの?」

「君が巴マミに味方する魔法少女として、活動を始めたからだよ。単独でも十分強い魔法少女にパートナーが付いた。

 そうなれば、マミの影響力はこれまで以上に高まることになるだろうからね」

「あたしの、せい?」

 キュゥべぇの尻尾がふらりと揺れる。目を閉じると、生き物は言葉を続けた。

「マミの活動が活発になれば魔女を狩る範囲が広がり、自分達の狩場が侵されると考える人間がいても不思議じゃない。

 それに、マミが居なくなった後に見滝原を自分の狩場にしたがっていた人物にとっても、彼女を助ける者は邪魔だと思うだろうね」

「それが、あいつなのね」

「いずれ成長し、強力な存在になる前に潰しておくという行動は、それほど珍しい行為でもないしね」

 ため息を漏らすと、キュゥべぇは目を開いて再びこちらを見つめた。

 赤い瞳には何の表情も無いが、続けて語られた言葉には真剣な感情が宿っているように聞こえた。

「マミは今、孤立している。暁美ほむらは僕を彼女に近づけまいとして、見つけ次第攻撃をしてくるような状態だ。

 彼女が僕の身を案じて、自分の家に近づかないよう忠告してくれるほどにね」

「そ、そんなこと、マミさん一言も」

「君に心配を掛けまいと思ったんだろうね。それに、今回の佐倉杏子の事もある。

 マミにとって状況が厳しいことに変わりは無いんだよ」

 さやかは深くため息をついた。

 帰ってくるまでの間、付き合ってくれたマミさんは何かと自分を気にするように声をかけてくれていた。

 それなのに、自分はさっきの敗北ばかりに気を取られて、その優しさの裏側にある苦しみにも気がつかなかった。

 悔しいが、確かに杏子の言っていたことにも一理ある。こんなざまでは素人呼ばわりされても仕方ない。

「っし。いつまでも落ち込んでらんないな!」

 ほっぺたを両手でひっぱたくと、さやかはベッドから床に降りた。

「ありがとね、キュゥべぇ。相棒として、あんたの代わりにマミさんをしっかり守ってみせるよ」

「よろしく頼むよ、さやか」

 とりあえずまずはシャワーを浴びて気分を変えよう、そんなことを思いつつ部屋の外へと出て行く。

 明かりを消した部屋の中から、キュゥべぇの赤い瞳がこちらを見送っていた。



[27333] 第五話「いいんじゃないかな、そういうの」
Name: 犬太◆93ceb70e ID:97db629a
Date: 2011/06/22 08:42
 夕日が照らし出すリハビリ室で、少年が黙々とメニューをこなしていく。

 以前は片手が使えず、単なる歩行訓練にも恐ろしく時間が掛かっていたものだが、今では補助器具に掴まりながら、リハビリを淡々とこなしていた。

 その様子を、タオルを手にした少女が辛抱強く、だが嬉しそうに眺めている。

 やがて少年はそちらに気が付き、片手を挙げて笑った。

「ごめん、訓練に夢中で気がつかなかったよ」

「ううん。あたしも見とれてて、気付いてくれないのに気がつかなかった」

 我ながら臭いセリフだとは思うが、それでも恭介がはにかみながら笑うのを、さやかは誇らしい思いで見つめた。

「ずいぶん熱心なんだってね。看護婦さんに聞いたよ? お昼に休憩入れてから、ほとんどぶっ通しなんだって?」

「まぁね。しばらく足を動かしてなかったから、筋力が落ちてまともに歩けないんだ。

 それを何とかしようと思ったら、このくらいしないとさ」

 あの死んだ魚のような目をした恭介は、すっかり居なくなっていた。

 こんなことならもっと早く様子を見に来ればよかった、そう思いながらもタオルで汗を拭っている姿を間近で見れる幸せに、後悔など吹き飛んでいく。

「無理したら退院が延びちゃうかもよ?」

「分ってるよ。でも……」

 そう言いながら恭介がそっと左腕をさする。すでにあざも擦過傷も全てが消え、元通りの美しい腕に戻っている。

「さやか、ごめんね」

「え!? な、何よ急に!」

「さやかには……ひどいこと言っちゃったよね。いくら気が滅入ってたとはいえ……あんなこと」

 悄然とした顔の恭介に向かって、さやかはゆっくりと首を振った。

「変な事思い出さなくていいの。今の恭介は大喜びして当然なんだから、そんな顔しちゃだめだよ」

「……腕が、動くようになってから、色々考えたんだ。もしかしたら、僕はあまりに傲慢になっていたんじゃないかって」

 さやかが差し出したスポーツドリンクのチューブを、礼を言って受け取ると、恭介は訥訥と思いを吐き出した。

「好きなことをして、才能があるとちやほやされて、僕にとってバイオリンはあって当たり前の存在になっていた気がする。

 でも、失ってみて、たくさんの絶望を経験して、自分やその才能は、周りに人たちに生かされてるからこそあったんだって思った。

 父さんや母さん、治療をしてくれた先生……そしてさやか、君もそうだよ」

「あ、あたし!?」

 笑顔で頷くと、恭介は改めて頭を下げた。

「僕を支えてくれてありがとう、さやか」

 まぶたの裏につんとする痛みが走る、これ以上まともに彼を見つめていたら泣いてしまうかもしれない。

 さやかは思い切り良く立ち上がると、恭介を見ないようにして誘った。

「恭介、ちょっと外の空気吸いに行こう」

「いいけど……どうしたの急に?」

「いいからいいから!」

 彼の車椅子を押して、エレベーターに乗り込む。こうして恭介の世話をするのもあと少しだろう、

 そのことを嬉しく、ちょっとだけ寂しく思いながらさやかは、屋上へとたどり着いた。

「一体屋上で何を……」

 そこには、恭介を治療していた主治医を始めとした医療スタッフと、彼の父親が待っていた。

「お前は捨ててくれと言っていたが、捨てられなかった。なにより、さやかちゃんに言われたことが、大きかったんだがね」

 感謝の言葉がなんだかこそばゆくて仕方が無いが、とりあえず笑顔で受け取っておくことにした。

 それから、父親の手に抱くようにして持っているバイオリンのケースへと、恭介を近づける。

「本当のお祝いは退院してからなんだけど、足より先に手が治っちゃったしね」

 無言でケースを受け取ると、その表面をゆっくりと慈しむように撫で、それから蓋を開ける。

 その中に収められていた宝物をじっくりと眺めると、恭介は父親に支えてもらい、バイオリンを手に立ち上がった。

 まるで怪我のブランクを感じさせない動きで、バイオリンを顎に当て、ゆっくりと曲を奏で始める。

 その時、さやかは自分の周囲に十全の世界が戻って来たことを感じていた。

 流れる音色はブランクのせいか、おぼつかないところを感じさせるが、内側に宿った情熱がそれを覆い隠して余りあるほどの深みを与えている。

(あたし、幸せだ)

 ただ純粋に、さやかはそう思った。ずっと願って止まなかったものが目の前にあり、そして自分の魂を浸していくのを感じる。

 後悔など、微塵も入り込む余地がないほどの圧倒的な幸福感に包まれ、さやかはひたすらに目を閉じて音に聞き入った。

 彼女の背後で赤く染まった夕日が、漆黒の夜に沈んでいくのを気が付くこともなく。


第五話「いいんじゃないかな、そういうの」


「退院おめでとー、唯!」

 良く晴れた校舎の屋上で、元気のいいさやかの声が響き渡った。

「ありがとう、さやかちゃん」

「倒れたときには驚いたけど、本当に元気になってよかったわ」

「すみません巴先輩。ご心配おかけしました」

「パーティのかわりって言ったらなんだけど、とりあえず今日は、私が持ってきたお弁当食べてみて」

「ありがと、まどかちゃん」

 マミとまどかの言葉を受けながら、唯は改めて戻ってくるべき場所に戻ってきたことを感じていた。

 ちらり、と視線を走らせ、端に座る黒い姿に体を寄せる。

「あーけーみーさん?」

「……お、おめでとう」

 返事をする暁美ほむらの表情は硬い、その原因は分っている。

 今もこちらを複雑な表情で見つめている美樹さやかだ。自分が倒れている丁度その時に契約を果たし、魔法少女になってしまった彼女。

 しかも、ほむらに宣戦布告をしているために、二人の空気は以前よりもさらに悪くなっていた。

『こういう状況で知らないふりって、ものすごい難易度高くない?』

『しょうがないって。これも正義の味方の辛いとこさ』

 トムヤンのフォローを受けて内心の苦笑を収めると、唯は早速まどかの持ってきたお弁当に手を伸ばした。

「これはまどかちゃんが作ってきたの?」

「唯ちゃんと違って、私がやったのは下ごしらえとか、お弁当を詰めることぐらいだよ。あとは全部お父さん」

「そっかー。うん……すっごいおいしい!」

「ありがとー。ほら、さやかちゃんも!」

「うむ。しっかりゴチになりましょう」

 とはいえ、さやかの表情はとても明るい。例の上條恭介の腕が無事に治り、何かと影の入りがちだった彼女も、ようやく落ち着いてきたのが感じられた。

『……上條君の手を治したのって、さやかちゃんのお願いなんだよね』

『それをキュゥべぇが叶えてやった、そういいたいのか?』

『ご、ごめん。でも』

『いや、怒ってるんじゃないんだ。ただ、歯がゆくてさ』

 目の前の幸せな光景を見つめるトムヤンの声は、何処か悔しそうだった。

『多分、俺とさやかが契約したとしても、何もしてあげられなかったと思う。

 せいぜい、甲斐の無い励ましをする程度さ。俺に出来ないことを、あいつはやれるんだ』

『トム君……』

『だからって、あいつのことを許す気は一切無い』

 心持ち声を明るくして、おともは声を上げた。

『ということで、さやかを魔女にしないように気をつけて、あいつを願いの叶え損にしてやろうぜ!』

『うん!』

 そんなことを話している間に、まどかが自分の弁当を持ってほむらに近づいていた。

「そういえばほむらちゃんは好きな食べ物とかあるの?」

「……特に、無いわ」

「じゃあ好き嫌いないんだねー。それじゃ、なにかお休みのときにしてることとかは?」

「そ、それは、その……」

 妙に積極的なまどかの様子を見て、トムヤンがまどかと接触したという話を思いだす。

 とはいえ、ほむらの方はそっけない態度ばかりで、あまり話に花が咲いているとは言いがたい雰囲気だ。

「ちょっと転校生、あんたさっきからまどかの質問に、はいとかいいえとかしか答えてないじゃない! 

 もう少し愛想良くしたらどうなのよ」

「私は、あまり個人的な話をする気は無いの」

「あんたねぇっ」

「まーまー、さやかちゃんヒートしない。暁美さんもスマイルスマイル」

 さりげなく間に入ると、唯はさやかにこっそりと耳打ちをした。

「暁美さんて、こういう話題苦手なの。黙ってると自身ありそうに見えるけど、結構シャイなタイプだから、ね?」

「それだけじゃすまない部分もあるんだけど……ま、むっつりってとこは認めるわ」

「折角、いとしの上条君が元気になったんだし、怒った顔はダメですよ?」

「うひっ!? あ、あんたそういえばあの病院にいたんだっけ!?」

 痛いところを付かれて、それ以上の追及をさやかがやめるのを認め、元の位置に座りなおしつつほむらにテレパスを飛ばす。

【とりあえず、そういう顔はダメだよ。せめてまどかちゃんの前ぐらい、笑顔でね】

【私は……そんな風には、考えられないわ】

【作戦続行中だよ? 巴先輩も、まどかちゃんや私が居るところでは敵対関係はなしって宣言してるんだし】

【そうね。難しいことを要求しているのは分るけど、もう少しがんばってみて】

 マミに説得され、不承不承意見を容れたほむらは、まどかに向かって軽く頭を下げる。笑顔でそれを受けた彼女は、意外な発言を口にした。

「それでね、ほむらちゃんにお願いがあるんだ」

「……何かしら」

「今日の午後、私と付き合って」

 さやかの手からポロリと箸が落ち、マミが目を見開いて二人を凝視する。

 打ち明けられたほむら自身も、何も言えないまま口を開けていた。

「い、いきなり、どういうつもり」

「別に、なにをどうしたいってわけじゃないんだけどね……その、ほむらちゃんと普通にお話したり、

 お買い物したりしてみたいなって思って」

 その時、ほむらとさやかの口が同時に動き、否定を口にしようとした。

「「そんなこと……」」

「いいんじゃないかな、そういうの」

 自分に集中する二人の不満な視線をあえて無視して、唯はまどかに頷いた。

「まどかちゃんにとっては、暁美さんのことを知るいいチャンスだし、暁美さんだってまどかちゃんと仲良くしたいでしょ?」

「わ、私は……」

「したいよね?」

 にっこりと無言の圧力を掛けると、結局ほむらは黙って頷いた。さやかは不安そうな視線をマミに向け――それと一緒にテレパスも送りつけているのだろう――

 それから仕方なさそうに了承を示した。

「でも、こいつになんか変なことされたら、すぐに連絡すんのよ? ダッシュで駆けつけるから!」

「もう、さやかちゃんてば……」

「そういえば美樹さん、今日は例の男の子のお見舞いに行く日なんじゃないの?」

「そうだっけ……。その、マミさん、ごめんなさい」

「いいのよ。気にしないで」

 そんなことを話しつつ、昼食の時間は終わりを告げた。去っていくマミに軽く挨拶を送って、それから胸元にそっと触れる。

『今日からパトロール再開だね』

『あんまり無茶しないで行こうな。まだ病み上がりなんだし』

『大丈夫! もうすっかり調子も戻ったし、また一緒にがんばろうね』

『……おう!』

 わずかに返事の遅れた相棒に軽く苦笑すると、唯も屋上から階下へと降りていく。

 ちらりと視線を走らせ、なるべくそちらを意識していないそぶりで視線を外した。

 昼食の間、ずっとみんなの様子を観察していた、無言のキュゥべぇの存在を不気味に感じながら。


 ビルの上を軽やかに飛ぶ唯を意識しながら、トムヤンは内心ほっとしていた。

 彼女が入院している間にペンダントに仕込んだ術式を総チェック、オーバーロードが起こらないように改良を施しておいたのだ。

 そのせいで動作不良を起こさないかとひやひやしていたが、こうして無事に変身することができた以上、システムには異常が無いと見ていいだろう。

『調子はどうだい』

「うん、全然平気! むしろ前より体が軽いみたい!」

『だからって無理するなよ』

 とはいえ、元気な声を聞けたことで気分ははるかに良くなっていた。

 これなら何も問題はないだろう、そう考えていた時だった。

『ユイ!』

 声に反射が呼び覚まされ、唯の体が素早くビル屋上の手すりを蹴る。そのすぐ後を一本の槍が穿った。

「だ、誰だ!」

 唯と声をチェンジ、敵対者に対してトムヤンが叫ぶと、少女の声が給水塔の上から届いた。

「ようやく見つけたよ。結構探し回ったんだぜ? 覆面魔法少女ちゃん。

 ていうか、スパイシーユイって言った方がいいかな?」

 その身にまとった雰囲気にたじろぐ二人に、佐倉杏子は口にしたキャンディバーをがりっとかみ締めた。

「ちょっと、あたしと遊んでもらうよ。変り種の魔法少女さん」



[27333] ぽじトムあぽくりふぁ! その一「努力の方向音痴」
Name: 犬太◆93ceb70e ID:97db629a
Date: 2011/06/21 23:12
 封印の獣といえば、おとも世界においてその名を知らぬものが無い有名人だ。

 彼と彼がサポートを続けた魔法少女の活躍は、汎世界に革命をもたらしたと賞賛され、その活躍は様々な映像媒体を介して広まっていた。

 とはいえ、その名声も本人にとっては少々窮屈な事態を招くことにもなった。

 おとも世界の重鎮として、さまざまな厄介ごとの処理を頼まれるようになったのだ。

 例えば、今目の前にしている現実もその一つだった。

「もーあかーん! つかれたー、かえりたいー、たこやきたべたーい!」

 執務机にうずたかく積まれた書類を吹き飛ばし、お手上げ、万歳、もう勘弁のポーズをとった彼に、

 そばにつき従っていた黒い獣が深い深いため息をつく。

「まだ二時間も経っていないですよ。そんな愚痴を聞く気はありませんので、書類の精査を続行してください」

「後詰は任せた言うたやんかー。わいは前線向きやねん、頭脳労働はそっちの仕事ちゅうことでな?」

「だめです。高位実践魔術の知識を持ち、候補者の魔力を含めて、

 各おともの実力を図ることが出来る人材といえば、僕かあなたぐらいしかいないんですから」

「特別顧問さんはどないしたんや?」

 涙目で小首をかしげる彼に、真面目な部分以外はそっくりの獣は首を振った。

「現在、時空管理局との細かい意見調整と、それぞれの魔法少女の活動ローテーションを作成中。

 あと、インキュベーターに対する事情聴取、もしくは尋問に入ったときの質問パターンを副官さんと共同で組んでいるそうです」

「黒猫先生はー?」

「解呪治療チームの陣頭指揮ですよ。私たちの主は待機組に入っている状態ですから、結果的にあなたがフリーということになります」

「うう……わかったっちゅうねん。しっかりやりますーやらさしてもらいますー」

 もちろん、事態は大変な状態だし、彼自身も一人でも多くの人材が必要なのも理解している。

 ただ、どちらかといえば体を動かしている方がむいている彼にとって、こういう書類仕事はとことんまで相性が悪いらしかった。

「んー、しっかし、あれやな。おともにもいろんな奴がおるわなー」

 一瞥しただけで右から左へ書類を振り分けていく。

 オーラや魔力の感知、本人の持っている運命的な資質などを一目で見抜く能力をもつ彼の目は、正確無比に人材を振り分けていく。

「そうですね。最近は見た目のかわいらしさだけでなく、潜在的な能力の高さも重視されますからね」

 黒い獣の方も全く遜色の無い速度で振り分けを完了させていく。

 結局、さっきの会話もやらなければならない作業の多さに気持ちで負けないように行った、軽いガス抜きのようなものだ。

「人間変身もっとる奴も増えたなぁ。わいもそういうのつけて欲しかったわ」

「それは僕達の役割じゃないでしょ? すでにその席は埋まっているんですし」

「つまらんやっちゃなー。イケメンさんに変わってパートナーをお助けするっちゅうのもオツなもんやと思わんか?」

「それなら、シルクハットにタキシードでもプレゼントしましょうか?」

 笑いを含んだ声でドアを抜けてきたのは、黒い猫のおとも。

 その後ろから手押し車に箱のような物を積んで押してくるのは、彼女の夫である白猫だ。

「おつかれさま。差し入れ持ってきたよ」

「こ、この匂い……た、たこ焼きやー!」

「はいはい。ちゃんと全員分あるからがっつかないの」

 甘辛い香りに喜ぶ封印の獣と、ものすごく嫌そうな顔をした黒い獣。彼の顔色を見た黒猫はにっこりと笑った。

「あなたには明石焼きを用意してあるから安心して」

「出汁に砂糖は入ってませんか?」

「味醂が隠し味程度に入ってるぐらいよ」
 甘いもので酔っ払うという性質を付けられた彼には、たこ焼きのソースすら危険な酩酊物質になる。

 難儀なやっちゃ、と相棒を評すると、封印の獣は座卓から離れて差し入れのたこ焼きにかぶりついた。

「う、うまー! やっぱりたこ焼きはあれやな、外はカリカリ、中はもふもふ、かつジューシーでないとあかん!」

「猫としては、こんな危険物質を美味しく食べられることが信じられないんだけどね」

「ところで、資料整理のほうはうまく行ってます?」

 白猫の質問に、二匹は曖昧な表情を浮かべた。

「ま、ぼちぼちってところやな。正直、治療技能者より、わいらレベルとまでは行かんけど、魔術的な素養をもっとる奴が欲しいねん」

「人間の魂魄を歪めることで、ソウルジェムは作られていますからね。

 それを元に戻す研究をするなら、高位の魔術理論を理解していることが重要です」

「こっちも、魔女になった状態から人間に戻すことは何とかできたんだけど、

 魔女になるきっかけが違うと成功率も違うみたいなのよ。今はその条件を研究中よ」

 現在、月の王国は総出で魔法少女や魔女になった少女を元に戻す研究を行っている。

 月の女王だけでなく、浄化能力を持った魔法少女たちも協力しているが、状況の進展はまだ無いらしい。

「そういうことなら、僕らの仕事もより重要性を増してきますね。休憩はこのぐらいにして精査に戻りましょう」

「そんな殺生なー。あとほんのちょっとだけー」

 そんな会話の流れを楽しんでいた黒猫は、地面に落ちていた一枚の資料に目を留めた。

「ねぇ、この子はどうかしら?」

「あ、それさっきはね飛ばした資料かいな? すまんなー……ん?」

 目をぱちくりさせて資料をチェックした彼は、唸り声を上げて紙切れに夢中になった。

「どうかしたんですか?」

「いや、こりゃ結構いけるな。ほれ、見てみい」

「拝見します……なるほど」

 そこに書かれていたのは、一匹のおともの経歴と技能について。

 つい最近おとも学校を卒業した彼は、身に付けている技能の量が尋常ではなかった。

「習得秘儀言語がすごいですね、ラテン語やギリシア語、ヘブライにルーンにオガム文字にヒエログリフと、サンスクリットに……ホツマにアヒルクサ文字まで……。

 異界の言語もいくつか習得していますね」

「錬金術に関するレポートも出しとるんか……。留学経験がアメストリスにザールブルグっておいおい……。どっちも錬金術のメッカやんか」

「それだけじゃないわよ。魔法少女のアイテム職人に短期に入門、特別顧問の出身地に行ってインテリジェントデバイスの勉強もしてたらしいわ。

 もちろん、基本的な儀式魔術を始めとした実践魔術も経験があるみたいね」

 唸り声を上げて顔を突き合わせていた四匹のおともは、資料から視線を上げた。

 そして、一斉に首をかしげた。

「なぁ、ちょっと聞いてもええかな?」

「なにかしら」

「こいつ……何がしたかったんや?」

 一堂の心情を代表した封印の獣の言葉に、黒猫は笑いながら答えた。

「それじゃ、彼の技能じゃなくて、おとも学校時代の志望動機と総評、趣味嗜好の欄を見てみるといいわ」

「志望動機ぃ? ……って、なんや照れるなぁ、あははは」

 そのおともの入学の志望動機には『封印の獣に憧れたから』とあった。

 備考として、レポート用紙十枚にもなる厚い、というか熱い思いのつづられた追記が入学希望に添えられていた、と書かれている。

「ていうかこれ、軽く引くレベルってうぐおぅっ!」

 言ってはならない一言をかまそうとした夫を引っぱたく妻の夫婦漫才にも気付かず、オレンジ色の獣は頬を染めつつくねくねと体を動かした。

「えらい見所のあるやっちゃなー。うん、わいにほれるっちゅうのは、まぁ、ある意味宿命っちゅうかなんちゅうかー」

「それにしては、何かおかしいですね」

 資料を取り上げ、学校時代の成績表を見ていた黒い獣は、顔をしかめた。

「『可愛さアピール』や『おとも会話術』の成績が破滅的に悪いんですが」

「うわっ、CマイナーにDとか……魔法少女とのコミュニケーションにいたってはDマイナーとかあるし、赤点のオンパレードや」

「『衣装クリエーション』の項目も、『格好いい』の評価は付くけど、『可愛い』が全然無いの」

「おとも実習の成績もすごいねぇ。仮パートナーの女の子の評価もひどいよ? 

『喋りが怖い』とか『性格がおっさん臭い』とか……『ぶっちゃけありえない』ってなにこれ」

 ついで、趣味志向の欄をチェックすると、一堂のため息はさらに深まった。

「好きな言葉は『努力』と『熱血』……これは、例の白い悪魔さんでないとパートナーくめへんのとちゃうか」

「趣味はテレビ鑑賞とゲーム。あ、特撮とか好きだって書いてあるよ」

「……えーとな……あのな?」

「なにかしら」

 涙目になって笑いながら、封印の獣は力いっぱい叫んだ。

「いったいわいのどこに憧れたら! こないなおかしな経歴が身に付くねん!」

「知らないわよ! 私だってどこから突っ込んだらいいのか分らないのよ!」

「喋りががさつなところは踏襲していると思います」

「冷静に突っ込むなや! わいのアピールポイントはそこだけかい!」

 突っ込みどころの多い資料に大騒ぎしたおとも達は、やがて会話の虚しさに気が付き、海の底を打つほどのため息を漏らした。

「まぁ、魔術的才能があるのは認めるわ。身元捜して研究チームに入れたって」

「それが妥当でしょうね。資料では任地撤回となって自宅待機中となっていますし」

「このおともに当たるはずだった女の子って、ある意味不幸だよねぇ」

「ファンシーとは対極の位置にある子だものね。性格はいいんだけど……」

 結局、その経歴書は人事総括の部署にまわされ、ソウルジェム及びグリーフシードの研究解析チームへの参加要請が出されることになったのだが、

 彼からその返事が来ることはついに無かった。

 なぜなら――


「ぶえっくしょーい! っあー、くそー」

 猛烈にむずむずした鼻の具合をくしゃみと共に吹き飛ばすと、トムヤンはリビングルームで画用紙に鉛筆でなにやら書き綴っていた。

「トム君、ただいまー!」

「あ、おかえりー」

 片耳につけていたイヤホンを外し、やってきた唯に挨拶を返す。

 だが、パートナーの魔法少女は、なにやら眉間に皺を寄せて付けっぱなしのテレビと、テーブルの上に散らばった画用紙を交互に指差した。

 テレビでは赤い髪に黄色の塗りわけが入った、派手な衣装を着た少年が、女性っぽいフォルムをしたロボットに乗り込むシーンが映っている。

 外したイヤホンからはかすかに音声が届いていて『颯爽登場』とかなんとかいうセリフが聞こえてくる。

 そして、トムヤンが今、足の下に敷いている紙には『新しい必殺技の考案』というタイトルと、

 変身した後のブローチから、ど派手な衣装を着けたトムヤンらしき姿が射出される図が描かれていた。

「それはいったいなにをやっているんですか」

 妙に棒読みな唯の喋りに首をかしげながら、トムヤンは笑顔で答えた。

「ほら、フォームチェンジが体に負担をかけるのが分ったからさ、それ以外の方法で必殺技が無いかなってことで」

「それで、そのがようしにかいてあるのは?」

「良くぞ聞いてくれました! 名づけて『エキセントリックトムミサイル』! これならユイに負担をかけずに相手を攻撃できるという……」

 目の前の唯は妙にニコニコしていた。それなのに全然目が笑っていない。

 おや、これはどういうことでしょう。トムヤンはわけが分らないよ、といわんばかりの笑顔で問いかけた。

「もしかして、ユイちゃん、怒ってます?」

「とーむーやーんーくーん」

「う、うおおおおおおおおっ!?」

 怒りに燃えた唯の指が容赦なくネズミの眉間をつつきまくった。

「だから! どうして! 君は! もっとこう! 女の子っぽいものが! つくれない! のっ!」

「いたっ! やめっ! あうっ! すみませっ! あっ! ごめ! ゴメンユイっ!」

 その後、容赦の無い折檻は同道していたほむらやマミが止めるまで続き、さらに二時間に渡る説教が続くことになるのだった。



[27333] 第六話「よかった」
Name: 犬太◆93ceb70e ID:97db629a
Date: 2011/06/23 00:41
 羽のような軽さで給水塔から飛び降りると、赤い髪をした魔法少女は唯に向かって笑いかけた。
 
 とはいえ、その笑みからは威圧感しか感じない、肉食獣が牙をむき出した時の表情と言っても過言ではなかった。

「一応名乗っとくよ。あたしは佐倉杏子。で、あんたがその……ぷっ」

「そんなにおかしいか?」

「だって、さ、あっは、い、いまどきそんな……あはははは」

 構えていた槍に掴まって、必死に笑い転げそうになるのをこらえている。全く隙だらけの姿だが、相手の視線はこちらから離れていない。

『トム君、この子って』

『マミが言ってた奴だ。そして、恐ろしく強い』

「あー、もう、久しぶりだよ。こんなおっかしいの」

 なんとか笑いをこらえた彼女は、多少穂先をふるふるいわせながらも、表情を不敵な笑顔に改めた。

「で、あんたにはいくつか聞きたいことがあるんだ。おとなしく話してくれたら、命だけは助けてやるよ」

「ずいぶん物騒な提案だな。一応聞くだけ聞いてやるけど、要求は?」

 マミに指摘されておきながらトムヤンの喋りは相変わらずだ。

 しかし、そんなことを気にする余裕は無い。相手の少女は口も実力も相当なものであることは分るので、

 身構えながら唯も相手の反応を見ることに徹する。

「あんたがゲットしているっていう、レアグリーフシードのことさ。

 あんた、穢れがほとんど貯まってないシードを手に入れる方法を知ってるんだって?」

「それを知って、どうするんだ?」

「おかしなことを聞くねぇ。あんただって魔法少女だろ? 自分が生み出しているのが極上の金の卵だって、分ってるはずだよ」

 気色ばんだ杏子の言葉に唯は内心首をかしげ、ふと思い出す。

 グリーフシードは穢れをソウルジェムから吸い取ることができる。キュゥべぇに作られた魔法少女にとっては無くてはならないものだ。

 こちらにしてみれば単なる救命道具でしかない代物だが、それを命を掛けても手に入れたい宝と考える手合いもいるだろう。

「で、自分もその金の卵を手に入れたい、ってことか」

「そうさ。そいつさえあればわざわざ危ない橋を渡って何匹も魔女を狩らなくて済む。

 おまけに使い魔を養殖して魔女したあとで、レアなシードを手に入れる方法もあるなら最高だね」

 不遜な物言いに、唯の心が一瞬ざわめく。この少女は何を言っているんだろうか、その疑問をトムヤンが口にする。

「あんた、自分の利益のために魔女を狩るってのか」

「なんだよ、あんたもマミみたいな偽善者ちゃんか。悪いけどね、あたしは自分のため以外にこの力を使う気は無いよ。

 魔女を狩るのだって、自分が楽しむために必要だからさ」

 唯は自分の眉間に力が入るのを感じていた。

 利己で動くという魔法少女が居るとは聞いていたが、流石に実物を目にすると心がざわめくのを抑えられない。

「それと、妙なことを言ってたけど、養殖って、どういうことだよ」

「知らないのかい? 人を食った使い魔は成長し、ある程度になると本体の魔女と同じ姿になるのさ。

 そして、そいつらはグリーフシードを生むようになる」

「……まさか、お前っ」

 トムヤンの気持ちと心が重なり、唯も身構える。気色ばんだ二人に向かって、佐倉杏子はふんわりと微笑んだ。

「だとしたら、どうなんだい?」

「……っざけるな!」

 こちらの敵意を真っ向から受けて、槍を構えた少女は鼻白んだ。

「こっちからしたらあんたの方がふざけるな、だよ。

 レアなシードが手に入るからって、ぬるい正義感振り回しやがって。いいさ、どうせお行儀のいい話し合いなんて、初っからやる気は無かったんだ」

 佐倉杏子の全身に殺気が漲る。叩きつけられた気勢によって発生した、

 内臓がえぐられるような痺れをこらえながら、唯も応じる形で拳を固めた。

「ここはお互い魔法少女らしく、ぶっ潰しあいで言い分を通そうじゃないか」

「肉体言語で『お話聞いて』ってか。こっちは心優しい正義の魔法少女なんだけどな」

「アマちゃんが、あたしの前で正義正義と……」

 怒りで柳眉を逆立て、杏子は野獣の咆哮を上げた。

「うすっぺらい御託並べてんじゃねぇええええっ!」

 突き出した槍の切っ先と応じた拳がぶつかり合い、魔力が弾けてビルの屋上に衝撃波を撒き散らした。

 その威力を肌で感じながら、唯は口を一文字に結んで敵となった少女を視線で射る。

 杏子の表情は、怒りと喜色でない交ぜになった嵐そのものだった。

 
第六話「よかった」


 やけにニコニコしているまどかを横目で見ながら、ほむらは少なからず緊張していた。

 普段はあまり歩かない繁華街の道のり、来るとすれば裏道の方へ回りこんで魔女や使い魔を退治することがせいぜいで、

 全く自分にとってなじみがないエリアだ。

 お昼のときにまどかが切り出してきた提案も意外だった。今までのループでは少なくともこんな風に町へ出かけるような事は無かったはずだ。

「それじゃ、いつも私達が回ってるお店とかでいい?」

「ええ。それで構わないわ」

 努めてポーカーフェイスに返事をしようとするが、別れ際に貰った唯達からの言葉が頭から離れない。

『折角なんだから、今日は一日魔法少女のことは忘れて、楽しんでおいでよ』

『楽しむなんて……それに武器の調達が』

『アサルトライフルのエンチャントはもう少しで一挺分が終わるし、最近は武器の備蓄だって減ってないはずだろ? 気にせず行ってきなよ』

『そうよ。戦ってばかりの毎日では擦り切れてしまうわ。特に暁美さんは私たちの知らないところでがんばってきたわけだし』

 あんな風に労わられたことが無かったせいか、妙に胸がむずむずする。それにまどかとの距離もやけに近いせいか、

「ま、まどかっ!?」

「え!? あ、さ、触っちゃだめ、だった?」

 いきなり伸ばされた彼女の手が自分と繋がれて、思わず叫んでしまう。

 ひどく傷ついたような顔をしたまどかを見て、ほむらは慌てて首を横に振った。

「い、いきなりだから……驚いただけよ」

「ごめんね? その、なんていうか、ほむらちゃんて、すぐ居なくなっちゃうでしょ? 

 だから、唯ちゃんがね、しっかり捕まえておきなさいって」

(香苗さんっ……いや、むしろこれはっ)

 余計な入れ知恵の源である、自分のコスプレをしたネズミの笑顔を忌々しく思い返し、内心歯軋りをする。

 だが、不安そうな表情をしたまどかの顔を晴らすためには、仕方が無いと割り切った。

「こ、子供では、ないのよ。だから、あまり長い時間は、やらないで」

「う……うん」

 済まなさそうにしながらも、小さく舌を出してまどかは、ひひっと悪戯っぽく笑う。

「じゃ、いこっか」

「え……ええ」

 赤く染まってしまう頬を気付かれないように、軽く顔を背ける。

 それでも、握った手の感触に、高鳴った心臓は中々落ち着かなかった。

「そういえば、ほむらちゃんは普段はどんな服着てるの?」

 連れられて行った先は駅ビルの中に入ったテナントの一つで、生活雑貨やアクセサリを売っている店だった。

 仕切りのされた木のケースに並ぶ自然石を手に取りながら、まどかが話しかけてくる。

「……特に意識したこと無いわ。制服さえつけていれば身分証の代わりになるし、きちんとした格好として見られるから」

「えー? それじゃ、学校お休みのときもそうなの?」

「いけない?」

 小さな石英の欠片を手に取りながらかわいらしく苦笑する。その表情に、ほむらの心には少なくない疼きがよぎっていた。

「いけなくないけど……もったいないよ。ほむらちゃん、とってもきれいなのに」

「そ、そんなこと、ないわ」

「そんなこと無くないよ。クラスの男の子も噂してるよ? ほむらちゃんのこと」

 なんだろう、こんな当たり前の会話ですらドキドキしてしまう。

 唯とも似たような話をしたことはあるが、その時はここまで意識したことは無かったはずだ。

(なんだか、変な気分だわ)

 考えてみれば、最初の出会いのときと一度目のループくらいまでだろう、まどかと他愛の無い話をしていたのは。

 魔法少女の真実を知り、キュゥべぇのたくらみを阻止しようとするになってから、まどかと過ごす時間は極端に少なくなっていった。

 大切な友達のはずなのに、とても遠い存在になっていった。

 そのまどかが今、再び自分を見て、話しかけてくれている。

「ま、まどか……」

「ん? なに、ほむらちゃん」

「な、なんでもないわ」

「……変なの」

 そう言って、まどかが笑う。その表情を見て、ほむらは思い出していた。

 始めて会った時、彼女を自分を見てこんな顔をしていたことを。

 魔法少女として戦い始め、全てに自信を持ち、自分を導いてくれた彼女。

 そういえば見滝原に来て最初の体育の授業で、自分を励ますために魔法を使ってくれたことがあった。

 運動が苦手なほむらのために使ってくれた肉体強化の魔法が暴走、足が止まらなくなって大変だったことを思い出す。

「どうしたの? 何かいいものでも見つかった?」

「え? 別に、そんなことは、ないけど」

「じゃ、思い出し笑い?」

 はっと、ほむらは口元を押さえた。
 
 いつの間にか口元が緩んでしまっている、もう思い出す事も無かったはずの過去の残照が、自分の表情をわずかに溶かしていたのだ。

「よかった」

 短いが、安堵と喜びが一杯に詰め込まれた言葉を、まどかが笑顔と共に漏らした。

「……いきなり、どうしたの」

「私ね、ずっと、こんな風にほむらちゃんと話してみたかったの。

 でも、もしかしたら、ほむらちゃんは、そうじゃないのかもしれないって思ってた」

 今まで笑顔だったまどかの顔がわずかに曇り、手の中の石に呟くように声を掛ける。

「ほむらちゃんは、ただ、私を……」

「……まどか?」

「あ、ごめん! そろそろ次のお店に行こうか!」

 テナントを出ると、二人は人いきれの中にへと進んでいった。

 大きく幅が取られたショッピングモールの通路は、帰宅途中の人々や買い物帰りの主婦でごった返している。

「いつもはね、さやかちゃんと仁美ちゃんとで、この先のお店によってお茶するんだよ」

「そう、なの」

「あんまり寄り過ぎるとお小遣いがなくなっちゃうから、月末にはあっちのデパートのフードコートにするんだけどね」

「そう……」

 顔にこそ出さなかったが、ほむらは内心ほぞを噛んでいた。

 折角まどかが話しかけてくれているというのに、どうして自分はこんなつまらない受け答えしかできないんだろう。

 今の自分が口にすることといえば敵に対する威嚇や悪罵、それと当たり障りの無い受け答えばかりでしかない。

「大丈夫だよ、ほむらちゃん」

 物思いにふけってしまった自分に、優しい声が掛かった。

「ほむらちゃんは私と一緒にいて、お話を聞いてくれるだけでいいの。何か話したいことがあったら、話してくれたらいいから、ね?」

「まどか……」

 なんだろう、今日のまどかはどこかが違っていた。黙って彼女を見つめていると、照れたような笑顔で彼女は頬をかいた。

「実はこれ、唯ちゃんからの受け売りなんだけどね。ほむらちゃんとお話するにはどうしたらいいかなって聞いたら、教えてくれたんだ」

「そ……」

 喉からテンプレート通りの言葉が飛び出そうとするのを、必死に押しとどめる。

 緊張でぐにゃぐにゃになりそうな口を必死で矯正しながら、ほむらは言葉を返した。

「それなら、後で香苗さんにもお礼を言っておくわ」

「うん! それじゃ、次はねー」

 嬉しそうに先を行くまどかを、目を細めつつほむらが後を追う。そんな幸せな空気の中にふと、異物のようなものが紛れ込んだ。

「まどか、あれ」

「あれって……仁美、ちゃん?」

 少し離れたところにある花屋で、仁美らしい姿が花を買い込んでいた。

 比較的落ち着いた色のものを買い込み、束にしてもらった彼女が人ごみの中に消えていく。

 一応、様子を確認してみるが、以前のように魔女のくちづけを受けている様子も無い。

「彼女もここへ来ていたのね」

「そういえば、お花のお稽古とか言ってたし、それ用のお花でも買ったのかな」

 確かにそんな事もあるのだろう、ほむらの意識は彼女を忘れ、目の前のまどかのことに集中した。

「じゃ、そろそろお茶にしようか」

「分ったわ。その……まどかは、いつも何を飲んでるの?」

「私? んー、そうだなぁ」

 少しどきどきしながら問いかけた、他愛の無い質問を真剣に考えてくれるまどかをいとおしく思いながら、

 ほむらは幸せな気分で彼女の隣に並んで歩き出した。



 唸りを上げて空気を切り裂く穂先を軽いステップで避ける。その動きをきっちりと読んで、杏子の突きが唯の喉に突きこまれた。

「くっ!」

 間一髪で避けた一撃、しかし、薄皮一枚を削られて血の流れが首をかすかに濡らす。

「やるねぇ! この前のルーキーはとんだガラクタだったけど、あんたは結構楽しめそうだ!」

『大丈夫か!? ユイ!』

『……なんとかっ』

 これまで唯は結構な数の魔女と戦ってきた。

 最初は完全にトムヤンが自分の体に干渉して、回避や攻撃を行っていたが、ここ最近は唯自身の動きを優先して戦っている。

 その分、経験は貯まっているし、今こうして襲ってくる槍の攻撃も何とか見切ることが出来ている。

 だが、その経験全てを持ってしても、さらにトムヤンのフォローを入れている現状でさえ、攻撃を交し切るのは簡単ではなかった。

「ラチがあかないねっ!」

 そう叫んだ杏子の周囲に十数本の槍が浮かび上がり、突きつけた人差し指のアクションでそれが一斉に射出される。

 横っ飛びにそれを避け地面を転がる唯の後を、次々と召喚された槍が無数に突き立ち追いすがった。

「ふっ!」

 片膝を突いて体勢を立て直すと、槍を引き抜き間合いを詰める。
 
右手の槍に自分の魔力で一本の棍へと変化させ、そのまま相手に向けて鋭く突き出した。

 金属同士がぶつかり合う激しい音が響き、唯の一撃を槍の柄で止めた杏子が笑う。

「人の槍を勝手に使いやがって、借り賃はきっちり取り立てるからな!」

「出来るもんならやってみろ!」

 大きく振るった棍を避け、杏子が広く間合いを取る。流石に息の上がってきた唯は、トムヤンに声を飛ばした。

『この子やっぱり強い! 風のフォームで行こう!』

『う……うん。わかった』

『どうしたの?』

 パートナーのわずかな逡巡に気を取られた唯の目の前に、赤い髪の少女が秒にも満たない時間で肉薄する。

『ユ……』

「はぁっ!」

 唯の意識が棍を大きく回転させ、相手の突きを払い落とす。

 体勢を崩した杏子に追撃の一振りを浴びせるが、何とか柄で受けた彼女が大きく跳び退る。

『今だよ、トム君!』

『……少女の思いに応えよ風よ!』

 胸のブローチが翠に輝き、唯の意識に力強い風の流れが吹き込んでくる。

「我等は疾き者、三千世界を踏破せし者!」

 コマンドが紡がれ、全身を強烈な風がかき乱していく。

『「駆けろ、ソニックフォーム!」』

 言霊が結し、唯は力強く大地を蹴るべく両足に意識を集中しようとした。

 だが、異変はすでに起こっていた。

『な、なに!?』

「うそっ!」

 全く姿が変わっていない。元の白い姿のままで立ち尽くす唯を見て、杏子は意地の悪い笑みを浮かべた。

「どうしたい? 戦いの最中で居眠りでもしてんのかい?」

『どういうこと!?』

『なんで、こんなときに!』

 動揺を隠せない唯にゆっくりと近づくと、赤い魔法少女は顔に嗜虐心のにじみ出た笑顔を浮かべた。

「なんだか知んないけど、こっから全部、あたしのターンね」

 避けられない槍の一振りが、唯のこめかみを激しく打ち据えた。



[27333] 第七話「腹減ったな、畜生っ」
Name: 犬太◆93ceb70e ID:97db629a
Date: 2011/06/25 18:46
 病室のベッドに腰掛けると、上條恭介は深々と息を吐いた。それでも、体の中に充満した幸福感は一向に目減りすることが無い。

 絶望から反転して、恐ろしいぐらいの多幸感。というよりも、味わってきた絶望が如何に深かったのかが分る、そんな感情が溢れていた。

 屋上での演奏はひどいものだった。事故にあう前の自分だったら、自分の体調が悪くなっているか、

 それとも練習不足か何かが祟ったのだと思い、ひどく落ち込んでしまうほどのレベルだ。

 そんな出来であったにも関わらず、心は満ち足りていた。

 単に弾く技術という点では推し量れない、魂の底からの演奏というものを始めてした気がする。

 そして、この感覚を忘れないまま技巧をさらに高めれば、自分の演奏はもっと、更なる高みに登ることも不可能ではないだろう。

 こみ上げる愛しさと、次の演奏を渇望する心を込めてケースを撫でる。それは愛撫と言い換えても差し支えない、艶かしい手つきだ。

 双眸に宿るのは、優しくそして甘やかな、狂気に近い色。もう絶対に離さない、誰にも渡したくない、思いが昂じて視線が僅かに振れていく。

 物思いが破られたのは、ノックの音によってだった。

 少しの恥じらいと、自分だけの密事を邪魔されたという思いに翻弄されながら、恭介は無意識のうちに声を掛けていた。

「どうしたんだい、さやか。何か忘れ物……」

 ドアの向こうにいたのは幼馴染ではなかった。ウェーブの掛かった髪の毛に、少しおどおどとした感情を秘めた目。

 身に付けている制服は見滝原の女子の物だ、片手に下げているのはお見舞いの花束、そこまで確認して、恭介は彼女の名前を思い出した。

「君は……志筑、さん?」

 その問いかけに、志筑仁美はためらいがちに頷いた。

「お久しぶりです、上條、君」


第七話「腹減ったな、畜生っ」


 槍から伝わる手ごたえに、佐倉杏子が感じたのは快哉を叫ぶ感情と、しまったと嘆く絶望の混在だ。

 獲物を仕留める時の感情は、すでに快感と言い換えてもいい。しかし、相手を殺してしまっては自分の目的は達成できない。

 そんな逡巡は一瞬で消し飛んだ。相手の魔法少女の顔がありえないぐらいに膨れ上がっている。

「なっにぃ!?」

 正確には顔を隠していたバイザーの縁の部分が、自分の槍を押し返すクッション材に変わっていた。

 これはまるで、

『マジカルエアバッグ!』

 さっきまでの声が、マイクでも通したような聞こえ方になっている。

 相手は頭を一振りしてクッションを消滅させ、後ろへと飛び退る。

『いきなり頭狙うなよ! この暴力魔法少女!』 

「バカにしやがって! ギャグ漫画出身か!」

 相手を逃がさないよう、すり足で間合いを潰しながら、杏子は相手の異常さを改めて感じていた。

 必殺の一撃を封じたさっきの技は、どう考えても普通の魔法少女のものではない。

 正確に言えば、キュゥべぇが生み出した魔法少女の常識では、絶対に再現不可能な能力だ。

 こちらの攻撃に対して態勢を全く崩し、防御の反応すら出来なかった少女が、瞬間的にこちらの攻撃を逸らせるだけのクッションを魔法で生み出す。

 一つ一つの反応なら無理ではないが、全てを同時に行うのは不可能。

 そこから導き出される仮定は一つだ。

「あんた、どっかにサポート役を連れてるね」

『さてね。そいつは想像にお任せ……』

「その様子だと『魔法少女っぽいおともが欲しい』とでもお願いしたってところかい?」

『うぐぅっ!?』

 おいおい、と心の中でそっと突っ込む。幾らなんでも分りやす過ぎるだろと言ってやりたいが、ぐっと堪えて笑みをぶつけてやる。

「まぁ、あたしだって、あんな生っ白いのを身近に置いとく気にはなれないけどさ、

 良くもそんなくっだらないことに、貴重な願いを使えたもんだよ」

『余計なお世話だ。大体そういうお前だって、どうせろくなことに願いを使わなかった口だろ!』

 杏子は普段から、自分を冷静に保つように心がけてきた。

 それが生き残るための必須条件だし、相手に怒ってみせるときも、大抵は相手の油断や生の感情を引き出すためのポーズに過ぎない。

 だが、相手の放った一言が、全ての理性を蒸発させた。

「……テメェ」

 自分の頭上に百を越える槍を一瞬にして生み出し、杏子はポツリと呟いた。

「おっ死ね」
 黒く、長い形をした死が、雨のような音を立てて白い魔法少女に降り注ぐ。

 必死に防御を固めて身を守ろうとした姿が、自分の憎悪で塗りつぶされていく。

 その光景を見つめる意識の何処かで、自分が自分を嘲り笑った。

 図星付かれて逆切れかよ、ダセェな。ろくな事にしか願いを使えなかった、ろくでなしの魔法少女ちゃん。

 怒りの矛先が自分自身に向き、感情の槍が魂を傷つける。執拗な嗜虐を繰り返しながら杏子の感情は急速に冷めていった。

 ああ、そうさ。あたしは、ろくでもない、魔女だ。

「悪いねぇ。あんまり生意気な口をきくもんで、手加減を忘れちまった。頭と心臓はちゃんと守ったかい? 

 そこさえ残ってりゃ、魔法少女なんだし死にゃしないよ」

「あら、意外と優しいのね。相手の事を気遣うなんて」

 槍は一本たりとも例の魔法少女を傷つけていなかった。

 一切の害悪を黄色のリボンがからめ取り、完璧な防御で守りきっている。

「とはいえ、女の子の体を傷物にしようなんて、許しておくわけには行かないわ」 
 にっこりと笑った魔法少女、巴マミは背後に隠していた少女に声を掛けた。

「この場は私に任せて下がりなさい」

『でも』

「折角だから、いつかの借りを返させて頂戴」

 僅かな逡巡だけを残し、白い少女が屋上から姿を消す。追うそぶりを見せたこちらに、マミはマスケットを突きつけた。

「どこへ行こうというのかしら? あなたの相手は私よ」

「ちっ……めんどくせぇな。偽善者同士、仲良くつるんでたってわけかい?」

「勘違いしないで。私はいつもどおり、無駄な争いの仲裁に入っただけよ」

 そう言うマミの笑顔が心持ち深くなる。相手は見滝原という魔女の集う場で戦い続けてきた魔法少女であり、強さは折り紙付きだ。

 だが、今目の前にしているのは、以前見た彼女とは何かが違う。

 対する相手に異常を感じた場合、普段の杏子ならすぐに撤退するのが常だった。

 だが、いつもどおりに行動するには、胸の奥にわだかまった黒いものが重すぎた。

「そうだねぇ。いい加減あんたの顔も見飽きたし、ここらでご退場願おうか」

「面白い冗談ね。ここは私の街、さっさと立ち去るのはあなたのほうではなくて?」

 言い切ったマミの息づかいを感じると同時に、瞬間的に間合いを詰める。

 言葉の終わりや息を吐いた瞬間に隙が出来るのは、魔法少女も人間と変わらない。

 攻撃に振り向けようと思った槍は、突然飛来した右からの一撃を受けるために振るうしかなかった。

 遠距離からの狙撃、マミの姿は僅かに五歩を離した場所にある。

(仲間がもう一人!? いやっ、ンな事はどうでもいい!)

 後退も左右への回避も一切捨てて、秒の速度で思考を帰結し相手に飛び掛る。

 逃げるよりも相手の間合いを潰す。銃を主体に戦うマミ相手なら、定石過ぎて考える必要すらない行動。

 突進と同時に槍を突き出した杏子は、自分の目を疑った。

「なにっ!?」

 そこに居たのはマミではなく、黄色いリボンで出来た人型。止まらない刺突がリボンの網に絡め取られる。

「どこを見ているの? 私はここよ」

 がら空きになった右のわき腹側に立ち、両手にマスケットを抱えたマミが立て続けに火線を浴びせてくる。

 むりやり腕を引きつけて痛撃を腕で受けるが、撃ったそばから新たなマスケットを呼び出し、

 一撃を叩き込むマミの間合いから離れることしか出来ない。

「げ、幻影かよ!?」

「いいえ。単なる視覚のトリックよ。あなたの意識をそらしている間にリボンで身代わりを作り」

 片手をひらりと振るって、巨大な砲身を生み出したマミが微笑んだ。

 とにかく間合いを取るしかないと悟った杏子が大きく空中へと跳び退る。

 その真下から、嵐のような追い討ち射撃が迸った。

「うわあああああっ!?」

「こうやって、あなたの意識の届かない場所へと移動しただけ」

 マスケットの林の中からこちらを見上げ、ぞっとするほど美しい笑みを浮かべる見滝原の魔法少女。

 虚を突くロジックで相手を追い詰めていく姿は、まさしく狩人そのものだった。

(くそっ、頭に血が上りすぎてた!)

 流れ出た赤いものを見て、逆に気分が落ち着いてくる。

 生き残るための最善手を高速で総ざらえし、残った魔力をかき集めた。

「これでも食らいやがれ!」

 杏子は自分の頭上を中心にして槍を無数に召喚し、でたらめに地上へ向けて降り注がせる。

 自分の体をいくつもの槍が傷つけるが、あえてそちらのほうへ飛翔してこの場を抜け出した。

 トラップはおそらく空中には仕掛けられていない。その読みは何とか当たり、狙撃の間合いを離すことに成功する。

 一瞬だけ振り返ると、リボンで槍を防御したマミがにっこりと笑い、ひらひらとこちらに向けてハンカチを振っていた。

「くそっ!」

 すっかりペースを狂わされている。そのことに歯噛みをしながら杏子は唸った。

「ああ、腹減ったな、畜生っ」


 自分のマンションに戻ってみると、明かりもつけていない部屋の中で、どんよりと暗くなっている唯とトムヤンが居た。

 いつもの仲のよさは鳴りを潜め、テーブルの端と端に別れ、顔を背けて座っている。

「怪我はない?」

「はい。ちゃんと、トム君が守ってくれたから大丈夫です」

「守れてないっ!」

 思いつめた表情で叫ぶトビネズミを見て、マミはこの場に不釣合いな感想を思い浮かべていた。

 魔法少女のおともというのは、みんな彼のように表情豊かなのだろうか。

「俺が、俺がちゃんとアイテムの調整が出来なかったから、だから!」

「だって仕方ないでしょ!? それだってトム君のお手製なんだもの! ホントの職人の人が創ったんじゃないんだから!」

「だからだよ! 俺がちゃんとしたアイテム持ってこなかったからっ」

「二人とも少し落ち着きなさい!」

 ここに帰ってきてからずっとこんな調子で言い争っていたのだろう。

 二人のギスギスした空気にそっとため息をつくと、マミは部屋の明かりを点けた。

「責任を感じるのはいいけど、自分のご主人様と言い争いをするのが、おともの仕事なの?」

「ご……ごめん……」

「香苗さんも、とにかく落ち着いて。フォローをしようとする人が大声を上げていたら本末転倒でしょう?」

「……はい」

 どうにか気持ちを収めた二人を見て、マミはとりあえずお茶の準備をするべくキッチンへと向かおうとした。

 その時、ポケットの中の携帯電話が騒ぎ出し、素早く着信する。

「もしもし、暁美さん?」

「すみません……私、今日はそちらにお伺いできません」

 いつもよりも沈んだトーンの声に胸騒ぎが沸き起こる。

 電話の向こうのほむらをつなぎとめようとするように、マミは声を強めた。

「暁美さん、鹿目さんと何かあったの!?」

「ごめんなさい」

 それっきり、通話は終わった。すぐにリダイアルを掛けるが、着信はひたすらに拒否のまま。 

 こちらに何かを問うような視線を送る二人に、マミは何も言うことが出来ず、リビングとキッチンの中間に立ち尽くすしかなかった。



[27333] 第八話「ほんと、正義の味方は辛いよね」
Name: 犬太◆93ceb70e ID:97db629a
Date: 2011/06/27 22:05
 笹本組といえば見滝原を中心に、近隣の市や県全体にまで大きな影響を持つ指定暴力団であり、最近では珍しい武闘派で知られる組だ。

 中国・アジア圏の犯罪組織やロシア、東欧からのマフィア勢力に対しても一歩も引かない姿勢で頑健にシマを守り通し、

 裏社会でも中堅どころとして知られている。

 その、笹本組が架空の貿易会社名義で借りている倉庫の中に、一人の少女が入り込んでいた。

 黒い衣装に身を包んだ魔法少女、暁美ほむらはバールを片手に一つの大きな木箱に歩み寄り、隙間に平たく成型された先を突っ込む。

 めりめりと音を立てて釘止めされていた蓋が開き、中身が露出した。

 クッション代わりに敷き詰められたおがくずに置かれているのは、一丁の軍用小銃だ。

 マットに仕上げられてほとんど光を反射しない銃身、木製の銃床とグリップ、反り返った形状のマガジンは取り外され、少し離れたところに置いてある。

 取り出し、機械動作の状況を確認する。トリガーや安全装置、マガジンのフック具合などを順にチェックしていく。

 その手つきは本職さながらで、とても十四歳の少女とは思えない堂の入り方だった。

 ほむらがループをするたびに笹本組に武器を調達しに来るのは、

 こうした『普通の組事務所』では手に入らない銃器を大量に手に入れられるからだ。

 笹本組はあるロシアンマフィアと提携し、日本の中古車や家電品を流す代わりに、

 あちらの軍隊から横流しされた武器を大量に購入、販売するという貿易に手を染めている。

 この倉庫もそうした『取引』を行うための場所で、二・三ヶ月に一度の頻度で納品が行われていた。

 ちなみに、この大量の武器は足が付くのを警戒して決して日本では流さず、海外の需要を満たすためだけに輸出されることになっている。

 必要な物を手に入れて満足したほむらは、『ロアナプラ行き』と書かれた蓋をおざなりに閉め、そのまま倉庫の外へと出た。

 これで、おそらく倉庫を管理していた数人の下っ端の首が飛ぶ(そのうちいくつかは物理的な意味で)だろうが、そんなことはどうでも良かった。

 こうして、ルーチンワークをこなしていなければ、気がおかしくなりそうだ。

 身も心も穢れ果ててしまいそうなくらいに。

 涙目で訴えてくるまどかの顔を思い出すたびに、胸が疼いた。

 違うの、そんな目で見ないで。私はあなたを守るために、

『ほむらちゃんが守りたいのは私じゃない!』

 リフレインし続ける言葉が、脳髄の芯に食い込んでくる。

 違うの、私は『あなた』を守るために何度も、繰り返してきたの。

 たくさんの犠牲を払って『あなた』を助けるために。

 必死に頭の中でそれだけを繰り返す、そのたびにほむらの脳裏に蘇る記憶がある。

 瓦礫になった見滝原の中心に座した巨大な『山』。その中心に何があるのかを知りながら、自分はそれに背を向けた。

 そうだ、あんな未来にしないために、私はまどかを、まどかを、まどかを、まどかを、

 まどかを、どうしたらいい?

 迷走した思考を打ち切り、ほむらはガラスのようにうつろな目でソウルジェムを取り出した。

 濁り始めたそれにグリーフシードを近づけ、それから探知の網を広げていく。

 こんな日は何も考えたくない。魔女でもいい、使い魔でもいい、とにかく自分を熱く冷静な状態に持っていける相手が欲しい。

 意識に伝わるざらついた魔の反応を受けて、ほむらは闇に消えた。


第八話「ほんと、正義の味方は辛いよね」


 このところ、毎日恒例になった屋上の昼食会は、さやかにとっても何気に楽しみにしているイベントだ。

 まどかや唯の持ってくるお弁当も美味しいし、マミのお茶でほっこりすると、思わず午後の授業を居眠りするほどリラックスできる。

 唯一の問題は暁美ほむらという余計なお荷物だが、こちらから手出しさえしなければことを荒立てる気は無いらしいので、とりあえず受け入れる気ではいる。

 ところが、今日はいつもと様子が違っていた。

 朝からまどかの様子が全くもっておかしい。話しかけても上の空で、ものすごく暗い顔をして押し黙ってしまう。

 どうやらほむらの事についてのようだが、何を言っても本当の事を言おうとしない。

 唯の笑顔もどこか曇りがちで、落ち込んでいるそぶりを見せるまどかをフォローしようとしてくれるのだが、

 それも歯切れが悪いまま途中で止まってしまう。

 ちなみに、ほむらは朝から学校に出ておらず、体調不良のため欠席とホームルームで報告がされていた。

『……さやかです、今日はなんだかみんなの雰囲気が最悪です』

『鹿目さんは、何か言ってくれた?』

『なに聞いても、私が悪いの一点張り。多分、あの転校生のせいだと思うんですけどね。マミさんはなんか聞いてます?』

 カップを差し出してくれた先輩は、苦笑して首を振った。

 程よい熱さの紅茶を受け取ると、今度は栗色の髪の少女に視線を投げる。

『付き合いはあんまり長くないっすけど、唯ってあんな風に悩むタイプじゃないと思ってたから、ちょっと意外』

『大切なお友達とね、ケンカしてしまったのよ』

『それって転校生?』

『別な子よ。大切な、そうね……仲間かしら』

 マミの口ぶりから察するに、彼女もその「友達」とやらを知っているらしい。

 仲間とも言い換えていたから、かなり特別な関係なのだろう。

『もしかして、唯の彼氏とか?』

『ふふ。言われてみればそれに近いかも、お互い思いあって、それでもすれ違ってしまうってところは似ている気がするわ』

『おおー』

 なにやら複雑な人間模様を抱え込んでいる唯の顔をじっと見ると、

 向こうはこちらの視線を図りかね、苦笑交じりに無言の問いかけを投げかけてきた。

「なにか考え事? 唯」

「え? いや、その、大したことじゃないんだけどね」

「らしくないなー。人には言えない悩みってやつ?」

「そんなところかな」

 まどかの視線が自然と唯の方を向く。彼女が悩んでいるという事実に、自分と同じく意外そうな表情を浮かべていた。

「話せない所は伏せてもいいからさ、吐き出してすっきりしたら?」

「うん……そうだね」

 気持ちの整理をしたらしい彼女は、ぽつぽつと話し出した。

「その子はね、いろいろ私のことを心配してくれるの。体の事もそうだし、

 あと、なんていったらいいのかな、部活……の延長みたいなことを手伝ってくれて」

「陸上って、個人競技じゃなかったっけ?」

「え!? え、っと、まぁ、いろいろあるんだよ! トレーニングに付き合ってもらうっていうか、そんな感じ」

 表情に暗いものを僅かに滲ませると、唯はため息をついた。

「この前、私が過労で倒れちゃったでしょ? 実は、あれって、その子と一緒にやってたことが原因なんだよね」

「練習のし過ぎ、ってやつか」

「うん……。私はね、別に自分の意思でやったことだし、あの子だって悪気があってやってたわけじゃないって分ってるから、

 全然気にしてないんだよ。むしろ、感謝しても感謝しきれないくらい、いろんなことをしてもらってるんだし」

 そう言う顔や瞳には、しっかりとした決意のようなものが見えた。

 凛々しさというか、マミが魔女と戦う時の姿を思わせる雰囲気があった。

「でもね、あの子は、そうやって私が危ない目に合ったのは、全部自分がしっかりしてないからだって……それで、結局」

「言い合いになってケンカした、ってことか」

「なんで、分ってくれないんだろうね……」

 やるせない吐息を漏らす友達の顔を見て、さやかは恭介のことを思い出していた。

 リハビリが始まった頃や、怪我の具合が明らかになるにつれて、どんどん殻の中に篭っていった幼馴染のことを。

 思いつめてしまった人間というのは、中々人の話を聞いてくれなくなるものだ。

 自分も入院中の恭介と自然に話せるようになるまで、結構時間が掛かった記憶がある。

「やっぱり、私が頼りないから、なのかな」

「いや、そういうことじゃないんだと思う。多分さ、その子は自分のことで精一杯で、唯の気持ちに気がつけないんだよ」

「私の、気持ち?」

「その子だって唯が心配だから、それだけ責任感じてるってことでしょ? だとしたら、ちょっと待ってあげたほうがいいと思う」

 少なくとも、彼女もその「友達」も、魔法少女の奇跡が必要な事柄で悩んでいるわけじゃない。

 だとすれば、時間さえ掛ければ何とかなるだろう、少なくとも唯の性格なら問題ないはずだ。

「結構辛いけど、そういうのって必要なんだよ。なんでもないこと話したりして、

 相手が落ち着いて、こっちの話を聞いてくれるのを待つってのがさ」

「さやかちゃん……」

「お互いが冷静にならなければ見えないこともあるわ。少なくとも、大声で言い争いをするよりはずっと建設的よ」

「巴先輩……」

 何か腑に落ちることがあったのか、唯はゆっくりと頷いた。

「ありがとう。とりあえず、今日その子に会ったら……何も言わないことにするね」

「なにそれ。……まぁ、押すばかりが女の子じゃないってことですよ」

 大分元気を取り戻した唯を見て、自分もまんざらでもないとさやかは思う。

 恭介のことは色々苦しかったが、あの経験がこうして友達の悩みにアドバイス出来るぐらいには、自分を大人にしてくれたということだろう。

『なかなかいいアドバイスだったわよ、美樹さん』

『いやぁ、それほどでも』

 ちょっと照れくさいものを感じつつ、さやかは言葉を続けた。

『友達の心配をするのも、正義の魔法少女の務めってことで』

『いい心がけね。それはそうと、鹿目さん?』

『は、はい』

 さっきの話に思うところがあったのか、複雑な表情をして黙り込んでいたまどかに、マミが言葉を掛ける。

『そっちも、あまり一人で悩まないでね。確かに、彼女との関係は微妙なものになってはいるけど、私達だって話を聞くことぐらいはできるわ』

『ていうかさー、あいつのことなんてほっときゃいいのよ。相変わらずむっつりだんまりなんでしょ?』

『……ごめん、さやかちゃん。それとマミさんも』

 待つのが重要といってしまった手前、それ以上の質問はやめにする。その代わり、さやかは笑ってまどかに切り替えした。

『あんた、前に言ってくれたでしょ? 聞くことしかできないけど、一人で抱え込んじゃダメだって』

『え、うん』

『あたしもおんなじだよ、まどか。その事は、忘れないで』

 ようやく、暗くなっていたまどかの表情も明るさを取り戻していく。

 それとほぼタイミングを同じくして、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り響いた。

「さって、午後の授業は眠いけど、しっかりがんばりましょー」

 おちゃらけた言葉の裏で、さやかはマミに十分に気合の乗った声を掛けた。

『パトロール、今日は早めに合流しますね』

『あんまり入れ込みすぎるのも間違いの元だから、ほどほどにね』

『大丈夫ですって! それに、昨日はお休みを貰っちゃってるし、

 この前のあいつみたいなのに勝てるようになるためにも、気合入れて行きます!』

 僅かに苦笑したマミの顔に片手を振ると、まどかと連れ立って先に階段を降りる。

 教室のある階に降りたところで、さやかは見覚えのある人物が立っているのを見かけた。

「仁美、どうしたの、こんなところで」

「さやかさん、今日の午後、お時間空いておられますか?」

「え? あー、悪い……今日はちょっと、大事な用事があるんだよね」

 こちらの言葉に顔を伏せると、いつもどおりの笑顔で仁美は微笑んだ。

「分りましたわ。では、さやかさんのご都合のよろしいときを、あとでお知らせくださいね」

「ほんとゴメン。後でこの埋め合わせはするからさ!」

 そのまま教室を目指して歩き出すと、さやかは誰にも聞こえないように一人ごちた。

「ほんと、正義の味方は辛いよね」



 学校からの帰り道、いつもの並木道を歩きながら唯は胸元に手をやった。

 最近、ほとんど付けっ放しだったペンダントは、今この場には無い。

 自分の邪魔にならないように、そう言ってトムヤンはマミの家で、変身アイテムの調整を行っている。

 さやかの前ではああ言ったが、それでも不安にならざるを得ない。

 思いつめて無理をして欲しくないと思っていても、その言葉が伝わらない。

 魔女と魔法少女の問題は、唯とトムヤンにとって他人事ではなくなった。自分が動くことで助かる人がいる。

 折角友達になった人たちを魔女にしないためにも、動けない時間を作りたくはなかった。

 でも、その結果トムヤンが何でも背負い込んでしまっては、彼が潰れてしまう。

「なにか出来ること、ないのかな」

 悩むよりも行動というのが唯の信条だ。後悔役に立たず、ならば今出来ることを精一杯やるしかない。

「……とにかく、トム君のほうは、何もしてあげられないし……」

「唯ちゃん」

「さやかちゃんのほうは問題なさそうだから良いとして……」

「ゆーいちゃん」

「やっぱり暁美さんが」

「唯ちゃん!」

「ひょわぁっ!?」

 ようやくこちらを引き止めることに成功したまどかが、苦笑して片手を上げた。

「今日はもう部活終わり?」

「顧問の先生が、今日まで軽く流すだけにしておけって。過労って結構侮れないらしいから、少しずつ調子を見なさいって言われてるの」

「ところで……さっき言ってたのって」

 物問いたげな顔に唯は笑ってごまかしを掛けた。

「ええ!? あ、いや、その、暁美さん、どうしたんだろうねぇ」

「……うん」

「昨日、一緒だったんでしょ? ……なにか、あったの?」

 まどかの顔が昼間の時のように沈み込む。だが、ふっと表情を戻して、彼女はこちらに問いかけた。

「唯ちゃん、お弁当のときに話してたのって、ほむらちゃんのこと?」

「え? ああ、暁美さんとは違う子だよ。まどかちゃんは会ったことが無い、かな」

「見滝原の子なの?」

「えー、まぁ、そんな感じかな」

 こういう隠し事というのは本当に面倒くさい。

 いっそのことトムヤンのことを打ち明けてしまおうかとも考えたが、今は人間関係が微妙な時期だと思いなおす。

「なんかね、その話を聞いていて、ちょっと思ったんだ。その子、ほむらちゃんに似てる気がするって」

「暁美さんと?」

「うん……」

 口ごもってしまったまどかを見て、どうしたら良いのかを考えてみる。

 多分、彼女はその問題を誰かに打ち明けたいと思っているはずだ。

 しかし、さやかはほむらを快く思っていないし、表面上は敵対関係にあるマミにも言いにくいだろう。

「昼間のさやかちゃんじゃないけど、私に話してみてくれないかな」

「……いいの?」

「言えない事は言わなくていいし、秘密にしてほしいって言うなら、誰にも絶対に言わないから」

 最後の一言が効いたのか、まどかは頷いた。

「じゃあ、うちに来る?」

「唯ちゃんの家?」

「今は誰もいないから、他の人に聞かれる心配もないし」

 そう言った瞬間、唯の周囲で何かがざわめいた、気がした。誰かが呼ぶような声が届いたような、そんな感覚。

「どうしたの?」

「ううん。ちょっと、ね」

 奇妙な感覚を感じながら、唯は何気なく周囲を見回してみた。その視界の端に、白い奇妙な生き物が写りこむ。木陰に蹲り、こちらを見つめる視線。

「じゃあ、行こうか」

「うん」

 トムヤンからは厳重に注意されている、もしキュゥべぇが視界に入ったとしても、絶対に視線を合わせてはいけないと。

 白い影はこちらと一定の距離を保ちながら、後をつけてくる。

 このところ、キュゥべぇは自分達をずっと見ていた。昼食のときや、自分がまどかやさやか、マミと話しているところを観察するように。

 感情が無いというより、監視カメラのレンズのような、無感情な偏執性を感じさせる赤い目が、じっとこちらを覗い続けている。

(もしかして、私を見ているの)

 キュゥべぇは自分に魔法少女の才能が無いといっていたという。彼にとって魔法少女にならない存在は路傍の石ころも同然のはずだ。

 だが、同時にキュゥべぇの目に付くような行動をいくつも取っている自分は、彼にとって邪魔な存在として目されているのかもしれない。

(トム君……私どうしたらいいの)

 まどかとの会話を必死につなぎながら、唯は後をつけてくる白い生き物の静かな威圧のようなものを感じずにはいられなかった。



[27333] 第九話「私を、見てほしいからだよ」
Name: 犬太◆93ceb70e ID:97db629a
Date: 2011/06/28 14:10
 病室に入ってみると、恭介はすでに身の回りの物の整理を始めているところだった。

 かなり長期にわたって入院していたせいで、個室には彼の私物がいくつも置かれている。

 その中に置かれていたバイオリンケースを認めつつ、開いたままのドアをノックした。

「こんにちは」

「やぁ、志筑さん」

 退院が早まった、というのは昨日見舞いに来た段階で彼自身から聞いていた。

 驚くべき速さで怪我から回復して行く彼に医者も当惑したそうだが、MRIを始めとする検査の結果も彼が健康体であると示していたという。

「退院のご準備ですか?」

「うん。ていっても、実際に病院から出るのは明後日だよ。明日、最後の検査結果が出る予定で、

 それから病院でお世話になった人達を集めてミニコンサートをするんだ」

「そうなんですか……」

「ところで、さやかはなんて?」

 何気ない問いかけに、仁美の体が一瞬こわばる。そっと口元に手を当てると、それから言葉を返す。

「そ、その、さやかさんとお話しする機会が、ありませんでしたの。

 午後からもお忙しい様子で……あ、明後日の退院のことは、きちんとお伝えしておきますわ」

「ごめんね。伝言役を頼んじゃって。事故で携帯が壊れちゃったから、直接連絡するのが難しくて、それに色々忙しかったし」

 そこで少し言葉を切り、恭介はバイオリンケースに視線を移して、何気ない調子で質問を投げかけてきた。

「そういえば、ずいぶん前に志筑さんにピアノの伴奏をお願いしたことがあったよね」

「……覚えて、いらしゃったんですか?」

「今、急に思い出したんだ。君の顔を見てたらね」

 無邪気に笑いかける彼の姿に、心臓の鼓動が高鳴り始める。

 別に気負いこんだ言葉でもないはずなのに、彼の一言だけで頬が熱くなってくる。

「でも、わたくしの演奏なんて……」

「その時も言ったはずだよ。僕は相手が上手かどうかは気にしないって。

 っていっても、今の僕じゃまともな演奏を聞かせるってわけにもいかないだろうけどね」

「そんなことありませんわ! 上條君は、その、今でも……きちんと弾けると思います」

「ありがとう、志筑さん」

 礼の言葉を告げると、恭介は荷物の中からいくつもの冊子を取り出して仁美に手渡してきた。

「とりあえず、僕が持ってる譜面の中で簡単なものを渡しておくよ。

 かなり急なお願いだし、ピアノ伴奏なんて慣れないことをさせて申し訳ないけど」

「い、いいえ。それに、その……たぶん、この譜面なら、弾けると思います」

 意外そうな顔をした彼に、仁美は笑顔で一冊の楽譜を返す。

 密かに、いつか彼の伴奏をするために練習してきた、バイオリン用の伴奏曲の載った楽譜を。


第九話「私を、見てほしいからだよ」


 携帯にメールを打ち込み終わると、祈るような気持ちで唯は送信を行った。

「誰にメール送ってたの?」

「あ、ほら、このまえケンカしたって友達に」

 家に程近い場所に来ても、相変わらずキュゥべぇの追跡は止まらない。

 自分の家に上げるといった手前、今更まどかを追い返すわけにも行かなかった。

 一応、メールでマミに連絡は入れたものの、彼女がうまい具合にキュゥべぇを牽制できるかどうかも分らない。

 こういうときに限ってほむらに連絡は取れず、トムヤンも近くにいない上に連絡をとる方法すらない。

 いや、弱気になったらダメだ。意を決すると、唯は目の前に迫った家の玄関にまどかを誘った。

「とりあえず二階に上がってよ。私の部屋は階段上がって左側ね」

「唯ちゃんは?」

「お茶の準備してから行くよ」

 まどかを先に行かせて一人きりになると、唯は深呼吸を一つして台所へと向かった。

 キュゥべぇが自分を監視しているのは確実だろう。おそらく彼の目的は香苗唯が何者であるかを探ることに違いない。

 そうでなければ、鹿目まどかがキュゥべぇの正体についての知識を得ることを邪魔するか。

 魔法少女の才能のないものには彼の姿は「見えない」らしい。

 トムヤンは、ターゲットにした少女以外の視線に触れると目的を達しにくくなるので、特定の人物のみに姿を顕すように術を掛けているのだろうと言っていた。

 だとすれば、彼を見ることが「出来ない」自分に直接話しかけてきたりすることはないだろう。

 問題は、彼がまどかに対して何かを言ってきたとしても、それを知る手段が無いことだ。

 まどかは今、ほむらのことで悩んでいる。それは間違いなく魔法少女の真実に一歩踏み出す可能性を持った悩みだ。

 当たり障りの無い言葉で励ます事も出来るだろうが、まどかにとっても、そしてほむらにとってもそれはいい結果にはならないだろう。

 お茶の準備を済ませると、トレイに茶器やお菓子を載せて階段を上がる。それから、軽くノックをして部屋の中に入った。

「お待ちどうさまでしたー」

「ありがとう、唯ちゃん。そのお盆こっちで受けるよ」

 部屋の中に素早く視線を走らせる。どうやら、キュゥべぇは中に入り込んでいないらしい。

 うかつに探りまわられては、トムヤンがいた痕跡を知られてしまうかもしれない。

(あっ……)

 そこまで考えて、唯はじわりと嫌な汗が背中に沸くのを感じた。

 自分の部屋の出窓のところに置かれたトムヤンのベッド籠、窓を隔ててその反対に白い影が座っているのに気が付いてしまった。

 おそらく、彼は何らかの手がかりをこの部屋から得ただろう。下手をすれば、トムヤンという存在を知った可能性もある。

 だが、唯はすぐにその考えを頭から消し去った。どうせ知られてしまったのならそれでもいい。

 失敗したら反省をして、それから対策を考える。陸上で成績が悪かったときにいつもそうしていたように、唯は気持ちを切り替えることにした。

「さてと、まどかちゃん」

「う、うん」

「暁美さんと何があったか、話してもらえるかな?」

 緊張しているせいか切口上な物言いになってしまったが、そのおかげか、まどかも覚悟を決めたらしい。

「あのね、笑わないで聞いて欲しいの。多分、すごく変な話をすると思うから」

「変な話って?」

「ほんとはね、分りにくいこととか、言っても信じてもらえないようなことは、

 言わないで相談しようかなと思ったんだけど……たぶん、無理だから」

 この会話はおそらくキュゥべぇも聞いているだろう。まどかは自分のことで精一杯で周囲の状況が見えていない、
 せめて窓のカーテンだけでも閉めようと思ったが、やめておくことにした。

「唯ちゃん、魔法少女って、聞いたことある?」

「あの、アニメとかでやってるやつでいいんだったら」

「この街にはね……本物がいるの。マミさんとか、ほむらちゃんとか、さやかちゃんも最近なったの」

 どうリアクションを返していいか悩んでいるこちらの表情を誤解して、まどかは困ったように笑顔を浮かべた。

「やっぱり、そう思うよね。私、変なこと言ってるよね」

「いや、その、いきなりでびっくりしちゃって! で、でも、そういうのって、人には言っちゃいけないって決まりとかは無いの?」

「……そういえば、そうだね」

 こちらの指摘に考え込むような表情をするまどか。唯も少し考えて、ふと嫌な想像が頭に浮かんだ。

 キュゥべぇは特定の少女にしか姿を見せない。

 もし、相談した相手が素質のある人間であれば彼は姿を顕し、新たな犠牲者を得ることが出来る。

 逆に見えない相手に相談したところで、妄想の話として鼻も引っ掛けてもらえないだろう。

 結果として、魔法少女とその候補の間だけで情報がやり取りされ、外部からのチェックが入らない歪なコミュニティが形成されることになる。

 つまり、キュゥべぇの『特定の人物だけに見える』という特性が、

 そのまま魔法少女の発生と魔女への変換というシステムを維持するのに、重要な役割を果たしているのだ。

「良く分らないけど、そういう決まりは無いと思うよ。キュゥべぇも、何も言ってなかったし」

「……キュゥべぇって?」

「私やさやかちゃんを、魔法少女にしてくれるって言ってる子。私には、すごい才能があるから、魔法少女になって欲しいんだって」

「魔法少女って……どういうことをするの?」

 その質問に、まどかは順を追って説明してくれた。

 魔法少女と魔女のこと、魔法少女になるときに願い事をなんでも一つ叶えてくれるということ、上條恭介の腕もさやかの祈りによって治ったこと。

「でもね……最近、ある子から、キュゥべぇは何かおかしいんじゃないかって、言われたんだ」

「……おかしいって、何が?」

「キュゥべぇは私達と契約を結びたいって言ってくるの。

 でも、そのおかしいって言った子は、契約は必ず損失を明らかにして、お互い合意の上で結ばなきゃいけないんだって」

 どうやらまどかは律儀にトムヤンの口止めを守っていてくれるらしい。

 彼の名前が出てこなかったことに安堵したが、会話の一つ一つに神経がぴりぴりと逆立つ。

 喉の渇きを覚えて、ぬるくなった緑茶を飲み込むと唯は先を促した。

「お父さんにも、お母さんにも聞いたの。二人とも、契約ってそういうものだって言ってたんだ」

「もしかして、キュゥべぇはそういう損失を、言ってくれなかったの?」

「願いを叶えてソウルジェムを生み出したら、魔女と戦う宿命を得るって。

 でも、これって、損失じゃなくて『やるべき目標』ってだけだよね? 
 それにね、魔女と戦ったら死んじゃうかもしれない、普通の女の子としての生活は送れないって教えてくれたのは、マミさんだったの。

 キュゥべぇじゃなくて」

 そう語るまどかの表情は、何処か疲れたような雰囲気で、やるせない感情を滲ませていた。

「じゃあ、そのキュゥべぇって子に、改めて聞いてみたら?」

「……最近、さやかちゃんと一緒にいることが多くて、私のところに来てないの」

「もしかしてさ、その子って……まどかちゃん達を」

「やめて」

 彼女の声に力は無かった。なんども繰り返し考えた可能性、そしてあって欲しくないと願った現実。

 それをずっと、まどかは心の中で反芻し続けてきたのだろう。

「それでね、ほむらちゃんはね、すっと私にキュゥべぇと契約しちゃいけないって、言ってくれてたの」

「暁美さんが?」

「転校してたときからずっと。転校してきた日にも、キュゥべぇを……その」

 その顛末はすでに彼女自身から聞いている。無数にいる端末を一つ潰そうとしただけ、そう言っていたのを思い出す。

「私、ずっとどうしてなのか、分らなかったから、契約して魔法少女になりたいって思った事もあったんだよ。

 でも……あの子の言うことを聞いて、色々調べ始めたら怖くなってきて……だから昨日、ほむらちゃんに、聞いたの」

「魔法少女のことを?」

「うん」



 人気の無い公園のベンチに肩を寄せ合いながら、まどかはほむらと一緒に座っていた。

『あのね、ほむらちゃん』

『なに、まどか』

 普段の張り詰めたような空気はすっかり影を潜めて、こちらを見る眼差しは普通の少女と変わらないものになっている。

 その様子に確信を得て、ずっと心の中に抱えていた思いを、まどかはそろりと口に出した。

『ほむらちゃんは、スパイシーユイって女の子のこと、知ってる?』

『……それが、どうかしたの』

 表情に警戒心を生み出して応えを返す相手に、それでも何気ない雰囲気を装う。

『初めて、あの子に会ったとき言われたんだ。キュゥべぇなんかに付き合っても、バカを見るだけだよって』

『そう。彼女が誰かは知らないけど、賢明な忠告ね』

『でね、最近、契約って物がどんなものかいろんな人に聞いて、分ったことがあるんだ。

契約を結ぶときは、損失っていうものも一緒に説明しないといけないんだって』

『……確かにそういうものかもしれないわね。でも、あいつにそういう常識は通用しないわ。

 問い詰めたところで、適当な答えを返されて終わるだけよ』

 ほむらの答えでまどかは確信する。彼女はおそらく、全ての答えを知っているだろう、キュゥべぇと同じか、あるいはそれ以上に。

『ほむらちゃんは、全部分ってたんだね。最初から』

『……ええ。だから、あなたは魔法少女になんて』

『違うの。私が聞きたいのは、そんなことじゃない』

 もうキュゥべぇに奇跡を願いたいとは思わない。

 その代わり、もっと大事なことができたのだ、それを何とかするために、その先を口にする。

『教えてほしいの、ほむらちゃんが知ってることを全部。魔法少女のことを』

『それを知ってどうするの』

『私、何が起こってるのか知りたいの! キュゥべぇがなんなのか、魔法少女ってなんなのか!』

 魔法少女になれば死ぬかもしれないとは聞かされていた。

 だが、それならたくさんの魔法少女が協力して魔女を倒せば問題がない話だ。

 グリーフシードだってマミのような調停者がいれば、必要な女の子に行き渡らせる事も可能だろう。

 だが、そうした組織だった動きは起こらず、魔女の数ばかりが減らない。

 何かがそうした動きを阻害しているのだ。今、現実として見えている事柄の裏に隠された何かが。

 まどかの問いかけに、ほむらはかぶりを振って返答を拒絶した。

『あなたがそれを知る必要はないわ』

『……ほむらちゃんは、いつもそればっかりだね』

 なじる気持ちが無かったとはいえない、それでもまどかは彼女から本当のことを聞きたかった。

 マミやさやかの、そしてほむらの運命に関わることだから。

『ほむらちゃんは、どうして私を魔法少女にさせたくないの?』

『……え?』

『ほむらちゃんは、私と、どこかで会ったことある?』

『それは……』

『ほむらちゃんにとって、私は、なんなのかな』

 畳み掛けた言葉にほむらはただうろたえた表情を見せていた。その体がぴくりと動くのに気が付き、素早くその手を掴む。

『逃げないで』

『逃げてなんて……ない』

『嘘だよ。ほむらちゃん、いつだってそうじゃない。私が聞きたいことがあっても、ほむらちゃんから居なくなっちゃうでしょ』

 普段、あれほど強く凛々しい表情を見せていた女の子はどこにもいなかった。

 追い詰められ、怯えきった表情だけを浮かべて俯いている白い顔。

『お願いだから、何も聞かないで。何も知らないことが、あなたのためになるのよ』

『じゃあ、私は何も知らないまま、全部ほむらちゃんにまかせっきりで、マミさんの事もさやかちゃんの事も、見ない振りしていなさいっていうの?』

 自分の知りたいことは、そんなことじゃない。確かに魔法も使えないし、何かすごい力があるわけでもない。

 でも、

『私、そんなの嫌だよ! 何も出来ないけど、何にも出来ないかもしれないけど!

 私の大好きな人が苦しんでるのに、何も出来ないなんて嫌だ』

『あなたが……そんなだから』

 ほむらは泣いていた。こらえきれないものを溢れさせて何度もかぶりを振る姿は、まるで小さな子供が駄々をこねているようにさえ見えた。

『あなたがそんな風だから、私は何も言えないの! あなたが、優しすぎるから……あの時だって、あなたはっ』

『それって、誰のことなの』

 こちらの問いかけに、ほむらの体が震えた。緩やかにこちらの手を引き離そうと体を揺するが、それでも無理に力を込めていない。

 ずっと気になっていたことだ。暁美ほむらと自分は初対面であり、例え夢の中で逢っていたとしても、

 それは現実に会ったことと同義ではない。それでも彼女は自分のことを知っていて、守ろうとし続ける。

『ずっと言ってくれてたよね。魔法少女にはなるな、なっても私のためにならないって。

でも、その「私」って、誰のことなの』

『き、決まってるじゃない! 鹿目まどかよ! 私は鹿目まどかのために』

 涙目で訴えてくるほむらの顔を見つめて、まどかは落胆のようなものを感じていた。

 鹿目まどか、という言葉の響きがとても虚ろに聞こえた。

『きっとさ、ほむらちゃんの言ってるまどかって子は、私じゃないよ』

『何言ってるのよ!? あなたは鹿目まどか……』

『そうだよ。私は鹿目まどかだよ。でも、ほむらちゃんの知ってる鹿目まどかじゃない』

 彼女はずっと私を見ていた。でも、それは何処か遠くて、自分でないものを見ていた気がしていた。

 今ならなんとなく分る、ほむらは自分を通して別の誰かを見ていたのだ。

『……ほむらちゃんが守りたいのは私じゃない! 私とは別の、私の知らない鹿目まどかだよ!』

『なんで……なんでそんなこと、言うのよぉ』

『私を、見てほしいからだよ』

 滲み始めた視界で、それでもほむらをまっすぐ見つめる。

 すっかりおびえ、混乱を顔中に塗りたくった表情のほむらは、首を横に振り続けた。

『見てるよ! 私、ずっとあなただけを見てきたの!』

『見てないよ! ほむらちゃんはちっとも見てくれてない!』

 まどかはただ、暁美ほむらという女の子の話を聞きたかった。もちろん、聞いたところで何が出来るわけでもない。

 でも、ほんの少しだけ痛みを分かち合ったり、辛いことを打ち明けられる人がいることは、とても嬉しいことだと知っている。

 そして、それが出来ないとき、心がとても苦しくなる事も。

 でも、目の前の少女は、結局自分のことをずっと内側に秘めて、ただひたすらに私を通じて、誰かの願いを叶えようとしているだけだった。

『私は、知りたいよ。ほむらちゃんのこと。でも、ほむらちゃんは、私のことなんてどうでもいいと思ってるの?』

『そんなこと、ないよぉ』

『だったら、教えてよ。私のこと、本当に大切に思ってるなら。ほむらちゃんのことを』

 彼女の白い手がするりと抜けた。体を引き離し、おびえた小動物のようにほむらが距離を取る。

『ほむらちゃん!』

『お願いだから、もう言わないで……』 

 指で触れただけでくしゃくしゃに潰れそうな体を引きずって、泣き顔のほむらが夜に消えていく。

 その後を追う事も出来ず、まどかはベンチに座り続けることしか出来なかった。



「ほむらちゃん、ずっと、泣いてた。でも私っ」

 止まらない涙を拭うためにハンカチを差し出す。すでにまどかのものは完全にぐしょぐしょに濡れてしまっていた。

 まどかを、魔法少女の因果から解放するために必死で時を戻し続けたほむら。

 だが、それが意味することは、ループの数だけ無数の『友達』を犠牲にすることに他ならない。

 そんな残酷すぎるトライアル&エラーの果てに、彼女は割り切ってしまったのだ。

 鹿目まどかを救う意外、何も望まないと。

 友達を救うために始まった行動が、結局はその友達を切り捨ててしまうことに繋がっていく。

 手段が目的になってしまった今の彼女では、まどかの願いを理解することは出来ないだろう、

 正確に言えば理解してなお目標を達成することなど不可能なのだ。

 何度も死んでしまう人間と友情を結び、やり直すたびに最初から人間関係を築き上げていく。

 そんなことをすれば、どんな強靭な人間でも心が壊れてしまう。

 がんじがらめになってしまった彼女の因果は、誰にも解きほぐすことが出来ない。

 いや、そんなことは無い。絶対にあっちゃいけないことだ。

「大丈夫だよ、まどかちゃん」

「唯、ちゃん」

「暁美さんはきっと、あなたを見てくれるようになる。いや、ちょっと違うかな、ちゃんと見てもらえるようにするんだよ」

「でも……」

 多分、トムヤンはとても怒るだろうな、そんなことを考えながら唯は、まどかに笑顔をで請け負って見せた。

「私も手伝うよ。暁美さんから本当の気持ちが聞けるように」

「そんなこと、できるの?」

「うん。だって」

 最後の言葉だけは彼女の耳元で、小さく囁くように告げた。

「私も魔法少女だから」

 意外な告白に驚く彼女の口元に、そっと人差し指を当てる。

 困惑から驚愕、そしてもっと大きな驚愕に表情を変えると、まどかはぽかんとした表情でこちらを見つめた。

「ということで、今日はもう遅いし、後はメールで連絡するね」

「う……うん!」

 思いがけず笑顔になったまどかに、小声で全部秘密ね、と付け加える。

 そこでようやく彼女もさっきの告白の間に、どういう事態が進行していたのかに気が付いたようだった。

「いない、みたいだよ」

「でも、話し始めたときはそこの窓から見てた。悪いけど、ずっと気付かなかった振りしててくれるかな」

「分ったよ。それじゃね! 唯ちゃん!」

 最後のあたりだけむりやり大きな声を出すと、まどかが早足で部屋から出て行く。

 彼女を玄関まで送ると、唯は静かに自分の部屋へと戻る。

 そして、窓の外を見た。

 白い生き物が、じっとこちらを見詰めていた。尻尾を揺らして、赤いガラス玉の眼で。

 その視線を完全に無視して、窓に近寄る。

 それから無言で、カーテンを閉めた。

 軽い足音がして、小さな生き物が去っていく音が聞こえる。全身から緊張を解くと、唯は深々と息をついた。

 これで後戻りは出来ない。ほとんどのカードを場にさらしてしまったも同じことだ。

 あとはひたすら走り抜けるだけ。そして、これでも走るのは結構得意なのだ。

『香苗さん、状況はどう?』

 外から届いたマミの声を受けて、唯が告げる。

『多分、キュゥべぇは私の正体に気が付いたと思います。もしかすると、マミさんたちとの関係も』

『……詳しい状況を、聞かせて貰える?』

『分りました。これから巴先輩の家に行きます。それと、暁美さんにメールを送ってください。まどかちゃんについて、重要な話があるって』

 自分のことで一杯になっているほむらには届かないかもしれないが、連絡をすることが重要になる。

 後は、彼女の気持ち一つだ。

 自分もほむらに短いメールを送ると、唯は外出するために身支度を整え始めた。



 入り組んだ街中を歩きながら、さやかはジェムの反応をチェックしていた。

 本当は家に帰っていなければいけないのだが、そうするためにはちょっと気分が高揚しすぎていた。

 外せない用事ができたとかでマミが今夜の解散を告げ、自分も家に帰るように指示されていはいる。

「でも、さすがにねー。二日続けて正義をおろそかにするわけには行かないでしょ」

 マミが苦労しているのは分るし、もしかするとさっきのメールも自分を気遣ってのものかもしれない。

 微力ではあるが、せめて使い魔の一匹ぐらいは仕留めておいても問題はないだろう。

 もちろん、あとでひどく叱られるかもしれないが、今の自分には少しでも経験値を稼いでおく必要がある。

 ジェムに感じるいくつかの気配、どうやら使い魔と魔女が近くにいるらしい。

 その方向に導かれるようにして歩いていくさやかの意識に何かが引っかかった。

(この感じ……まさか)

 使い魔の存在がいくつも弾け、魔女の波動が小さくなっていく。

 素早く変身して反応のあったほうへ近づくと、丁度結界が解かれ、中から赤い髪の魔法少女が現れた。

 その顔に僅かな憂いを秘め、手元のグリーフシードを見つめる。それからポケットにそれを収めると、歌うような調子で背中越しに声を放った。

「よう、元気かい? ポンコツちゃん」

「……き、気付いてたの」

「魔力駄々漏れでオアツイ視線を飛ばされちゃ、バカでも分るよ。っていっても、

 あんたの場合じゃ、気が付きもしないだろうけどね」

 どこから取り出したのか、お菓子の箱を取り出して細長いチョコ菓子を口に入れる。

 そのふてぶてしい態度に眉をひそめて、さやかは威嚇の声を上げた。

「ここはマミさんの場所だ、すぐに出て行ってよ」

「あーん? アタシはここで魔女退治してたんだよ? 感謝されこそすれ、文句を言われる筋合いなんて無いね」

「だったら、そのシードを渡して。あんた、このまえあたしから取って行ったでしょ」

 意地の悪い笑顔を浮かべて、杏子は肩を竦めた。

「あれは授業料だよ。間抜けな新人ちゃんに、世の中の厳しさを教えてやろうっていう先輩の、暖かいご指導へのお礼さ」

「……あんたっ」

「それとも、今日もまたアタシの授業、受けてみるかい?」

 お菓子を食べ終わり、相手がゆっくりと槍を構える。

「安心しなよ、ちゃーんと半殺しにしてあげるからさ」

「バカに……」

 右手に剣を生み出すと、さやかは気合と共に相手に向かって突進した。

「するなぁあっ!」



[27333] ぽじトムあぽくりふぁ! その二「横たわる闇」
Name: 犬太◆93ceb70e ID:97db629a
Date: 2011/07/01 08:04
 次元航行艦のブリッジにおいて、艦長の座る座席は一段高い場所に設置されている。

 こうした構造がとられるのは、艦長という職務が実務ではなく『管理職』であるということを物理的に示すためだ。

 また、索敵手や艦内管制などを司るオペレーターたちからもたらされる情報や、

 目の前のモニターに表示される現状に対して一歩引いた立場で接することで、冷静に問題へ対処るる心構えを生むという効果もある。

「艦長! 第一斑からの報告です。魔女の結界の中に突入、現在交戦中との事です」

「スクリーンに回してくれ。戦闘状況のモニタリング、魔力運用のチェック、

 魔女に関するデータ収集を怠るな。『特殊型』であった場合は即時撤退を勧告しろ!」

「了解!」

 十代の頃から数多くの作戦行動に従事し、若き俊英とも評される彼は、傍らの席に座る女性、

 本来なら自分のいる席に座るべき『提督』をちらりと見た。

「これで、この世界に来て二十戦目、ですね」

「他の艦からの報告も入れれば、魔女との戦闘回数は四桁を越えたわ。

 ローテーションを組みながらとはいえ、彼女達には負担を強いるわね」

「使い魔の掃討はうちの隊員達を当たらせていますが、やはり魔女の結界内で戦うには、彼女達の力が必要です」

 モニターの中では、青い毛並みを持つ一匹の狼にまたがった少女が、使い魔の群れを駆け抜けていく姿が映し出されている。

 両の腿でしっかりと狼の胴体を挟み込みながら、両手に構えた小剣を振るって敵中を突破していく。

「それじゃ、いっくよー!」

 掛け声と共に狼が力強く飛翔、同時にその背中を蹴って少女が飛ぶ。

 赤いヘルメットをかぶった軽戦士風の彼女が、二振りの剣でそびえ立つ大木のような魔女へ、十文字に切りつけた。

 間髪いれず青い狼が渾身の体当たりをぶちかまし、魔女の巨体が大きくかしぐ。さらにその体を蹴りつけて、再び狼の背中に乗った少女が叫んだ。

「後はお願い!」

「まかせて!」

 赤いマントを翻し、金髪に青い装束の女性が彼女達を飛び越えるようにして、魔女に迫る。

 差し上げられた右手に止まったひよこのようなおともが炎の鳥に変わり、さらに一振りの聖剣へと変貌を遂げた。

「はああああっ!」

 一撃を受けた魔女が真っ二つに裂け、光の粒子になって砕け散っていく。

 後に残されたのは透き通った輝きを放つグリーフシードと、怪異の消え去った草原に立つ二人の少女と一匹の狼。

「やったね!」

「うん!」

 赤いヘルメットの少女と、赤いずきんをかぶった少女がハイタッチで健闘を称え合う。

 その様子を見て、副官の青年は深々とため息をついた。

「何度見ても驚きますね。あれは」

「変身して戦闘力が変化する、というならまだしも、一時的に成長までするのだから、驚かないほうがおかしいわよ」

 さっきの金髪の女性の正体が、どうみても子供にしか思えない赤ずきんの彼女だとは、実際の姿を見た今でも未だに信じられない事実だった。

 しかも、ああした変身をする魔法少女は彼女以外にもいたりするのだから世界は広い。

「艦長、第一斑の活動時間がそろそろ六時間を越えます」

「分った。彼女たちには一時帰投を指示。第二班、第三班にも同様に通達を、索敵班の報告はどうなっている?」

「現在、当艦を中心とした半径百キロエリア内の索敵が終了。魔女十三、使い魔百前後、

QBに関しては三十個体をマーク、現在捕獲数百六十一です」

「分った。四班から六班までを当該エリアに派遣、索敵班は戦闘班に情報を伝達後帰投、

 ローテーションに従って休息を取るように指示してくれ」

 指示を終了するとあまり大げさにしないよう、そっとため息をつく。

 それから眉間をもみしだくと、目の前のコンソールに設置されたモニターを見た。

 そこに映し出された現状に、再び吐息が漏れた。 

 魔女の掃討はとりあえず問題なく続けられている。

 ある一定の攻略条件を満たさない限りほとんどの攻撃を受け付けない『特殊型魔女』以外は、大抵の攻撃能力を持った魔法少女達で倒すことが可能で、

 周囲の人間が気をつけていれば今後も大きな被害を出すことは無いだろう。

 だが、インキュベーターの捕獲は、ある意味絶望的な状況が続いていた。

 一切の攻撃能力を持たず、普通の野生生物より劣る程度の運動性能しか持たない彼らを捕まえること自体は簡単だった。

 問題はその数だ。たった百キロの範囲に数百を越える個体が発見されている現状を見れば、一部の隊員から進言されている『処理』も止むなしかと思えてくる。

 現在は各次元の外に専用のコンテナを設置、その中に収容するようにはしているが、いずれはそんな方法では追いつかなくなるに違いない。

 インキュベーターを根絶しなければ、いつかどこかで魔法少女が、そして魔女が産まれてしまうことになる。

 それを分っていながら、現状は対症療法的な行動しか取ることができない。

「焦っても現状は変わらないわ。とりあえず、一息入れなさい」

 僅かに母親の顔に戻り、提督がそっとカップを差し出してくる。

 その後ろにはトレイを持って気遣うように笑みを浮かべる義妹。いつの間にかしかめていた表情を和らげると、

 コーヒーを受け取って気分を切り替えようとした。

「艦長! 帰投途中の索敵A班から緊急連絡! 魔女の結界に侵入した模様です!」

 響き渡るアラートに緊張が走る。カップを置くと、彼は素早く指示を下した。

「大至急応援部隊を派遣! 現場に一番近い部隊は……」

『こちら第三班! 連絡が来たエリアに一番近いのは私達みたい、すぐに急行するね!』

 モニターにアップにされた白い装束の彼女に彼は一瞬瞑目し、それからすぐに頷いた。

「分った! 状況によっては全力攻撃も可とする!」

『了解!』



 石造りの階段の踊り場で、三人の少女が背中合わせて固まっていた。

 それを取り囲むように襲い掛かってくるのは、巨大な『がま口』にかえるの足をつけたような使い魔。

 少女たちはみんなそろって同じ格好、とんがり帽子に上着とスカートが一体になった暗い色の服、

 いわゆる『魔女』のスタイルを身に付けている。

 その中の一人、二つに結い分けた大きなお下げを持つ少女が叫んだ。

「タイイク、ヤキニク、フロハイルっ!」

 手にした杖が一振りされ、周囲に透明な結晶で出来たような防御のドームが形成されていく。

 その壁に使い魔が無数にぶち当たり、障壁がみしみしと音を立てた。

「ど、どうしようー! こんなに一杯いたら、私の力じゃ持たないよぉ!」

「くそっ、だから言ったんだ! 俺たちの任務は偵察だったんだぞ!? それをお前が何の考えもなしに!」

 三人組の中で一番背の高い、ロングヘアーにきつい目をした少女が声を荒げる。

 責められたオレンジ色の髪の少女は、照れ笑いのような笑顔を浮かべた。

「いやー、ごめんごめん。まさかあたしも、中がこんなになってるとは思わなくてさー」

 結界の中は、無数に伸びる階段で造り上げられていた。

 どこまで行っても出口にはたどり着かず、登っているかと思えば下りの階段を歩かされていたり、地面を歩いていると思ったら天井を歩いていたりする。

 だまし絵の世界をそのまま具現化したような、階段と回廊の集合体。

「こんなことなら、迷路脱出の魔法でも覚えてくるんだった!」

「ええー!? そんなのがあるんだったら、なんで覚えてきてないのー?」

「古い魔法の上に実用性が皆無だったからだ! 今の今まではな!」

「そんなことよりこの子達何とかしてー!」

 悲鳴と共に防御がみしみしと音を立てる。言い争いをしていた二人は表情を引き締め、それぞれ杖を構えた。

 その時、彼女達の認識の外で、一つの変化が急激に起こった。

 我先に障壁にぶつかり合っていたがま口の使い魔が急に動きを止める。

 それどころか、結界の中にいる全ての存在が活動を停止していた。

「何とか間に合ったね」

 制止した世界の中でなお、声を上げたのは赤い服に翠の髪の毛を持つ少女。年齢からすれば十四・五歳ぐらいだろうが、その姿は異様だった。

 髪の毛と思えたものは、まるで翠の蝶々のような形状をしており、掃除機にまたがって空を飛んでいる。

 そのホースの先にはアースカラーの毛に包まれた目覚まし時計が一つ載っていた。

「僕が時間を止めているうちに、あの三人を!」

「うん!」

 細いホースの上に器用に立ち上がると、差し上げた人差し指を一振りする。

 彼女の意思の閃きに従って障壁の中の三人が一瞬で掃除機の上に移送され、積み重ねられた。

 それと同時に、目覚まし時計がひっくり返って長い耳を持った小さなおともに変わり、時が動き出す。

「うわっ」

「きゃっ」

「な、なになに、どーなってんの!?」

「話はあとあと! おーい、三人とも無事だよー!」

「ああ、ちょっとみんな暴れないでよぉ、いくらなんでも四人は重量オーバーぁっ!?」

 小さな掃除機の上でじたばたもがく少女達の目の前に、迷宮の主が姿を顕した。

 それは巨大なウサギのようなもの。ただし、顔に当たる部分には巨大な黒板が載っており、そこに何かの順位を示すような表示が浮かんでは消えていく。

「どど、どーしよー!」

「バカ、そんなに動くな! 俺が落ちるだろ!」

「私たちのほうきはー!?」

「ああもうっ! すごく狭いー!」

『みんな、今すぐそこを避けてっ!』

 厳しいその声を聞いた途端、全員が体を硬直させる。それから全速力で魔女の巨体から身を翻した。

 その直後に五条の閃光が、魔女の結界の『外』から撃ち込まれた。

「え……?」

 誰のものかもわからないその声は、その場に居る全員の心の代弁だった。

 時をほぼ同じくして正確に急所を撃ち抜かれたらしい魔女が、光を撒き散らしながら消滅していく。

 掃除機の上の四人と一匹は、その力の源を振り返る。輝く魔方陣を幾重にも展開した白い悪魔、

 いやさ魔法少女は安堵の笑みを浮かべてこちらを見ていた。

「状況の終了を確認。みんな、怪我は無い?」



 現在、インキュベーター対策に当たっている魔法少女とそのおともは、かなりの長い時間の緊張を強いられる任務についている。

 そのため、そのスケジュールは余裕をもって作成され、戦闘任務外は艦内のレクリエーション施設の積極的利用が推奨され、

 精神的疲労が溜まったていると判断された場合は一時帰国などの措置が取られるようになっている。

 そんな彼女達の楽しみの一つが、艦内の食堂で取る食事やおやつだ。

 乗り込んだクルーの好みに合わせ、『地球』の和洋中はもとより、それぞれの故郷の味を再現した異世界料理なども提供されていた。

 そして、その艦内食堂の片隅で三人の、いや三匹のおともが思い思いの食事を取っていた。

「うーん。やっぱり、苺には練乳だよねぇ」

 至福の表情で真っ赤な苺に白い練乳を浸して食べているのは、掃除機に乗っていた『魔女』のパートナーだ。

 熱いシャワーと苺をこよなく愛する彼は、本来はすらりとした容姿を持つ妖精界の王子だったりする。

 しかし、リスと信楽の狸を足しで二で割ったような寸詰まりの姿からは、そんな正体を感じさせるものは微塵も覗えない。

「しかし、ここの飯はうまいんだが、やっぱりどっか違うんだよなぁ。醤油とかみりんが違うのか?」

 その隣で肉じゃがの入った器に顔を突っ込んでいるのは、青い毛並みを持つ狼。

 彼も本来は人間の姿を取ることが出来る人狼の一族出身なのだが、長い間狼の姿でいたせいか人に戻ることはあまり無いらしい。

「確かにこの艦の料理人はみんなかなりの腕前だそうだけど、各家庭の味を再現するのは無理だと思うよ」

 クラッカーと干した果物という質素な食事を摂りながら、無限図書の館長であるフェレットが注釈をつける。

 今回はおとも世界の一員ということで、あえて人の姿を取らずに彼らと行動を共にすることを選んでいた。

 時々、食事を摂りに来た女性クルーがこちらを見て頬を赤らめたり、ふにゃっとした表情を浮かべて通り過ぎていく。

 中身はどうあれ見た目がかわいらしい動物系で、しかも和やかにおしゃべりをしている姿は、周囲にほのぼのした空気を撒くものだ。

 作戦当初、動物然としたおともたちを食堂に入れてもいいものかという話もあったが、
 殺伐とした作戦行動の間の清涼剤として黙認されるようになり、ある種艦内のアイドルと化していた。

「そういやあんた、無限なんとかの館長さんなんだよな。仕事のほうは良いのか?」

「うん。今はおともとしてこの作戦に参加しているから、館長の職は一時休暇ってことになってる」

「そんなこと言っても、僕達の出番を決めたり、キュゥべぇに質問する内容とかも作ってるんでしょ? その上、魔女退治のおともまでしてるわけだし」

 ご苦労様です、と口を揃えて言う二匹に、フェレットが照れながら頭を掻く。

「僕は魔女退治にはあまり同行してないし、前線でがんばっている君達も十分大変じゃないか」

「まぁな。っていうか、うちの相棒は未だに魔法がヘタクソでさ。結局、真っ先に相手に突進しちまうからヒヤヒヤもんだよ」

 ある魔法世界の騎士団出身である赤ヘルメットの少女は、魔法少女でありながら術のバリエーションが極端に少ない。

 その代わり体術に長けているので、敵の牽制や直接打撃が必要な局面で活躍している。

「何とか擦り傷切り傷ぐらいで済んでるから良いものの、心配するこっちの身にもなって欲しいぜ」

「無茶といえば、僕のほうも結構大変だよ? むらっけが多くて指示には従ってくれないし、

 相変わらずわがままだし……ちょっとは次期女王の自覚って物が……」

 信楽リスのパートナーである魔女は、ある魔女界の次期女王だ。

 しかし、物心付いたときからわがまま放題で、彼らの世界を救う活躍をし、精神的に成長したはずの現在においてもその気質は変わっていない。

「おかげで僕がいつも貧乏くじさ。……あーあ、なんであんな子、好きになっちゃったんだろうなぁ」

「……惚れた弱み、って奴だな」

 二匹の視線が絡み合い、お互いに思うところがあったのか、ニヤリと笑いあう。

 遅まきながらフェレットは、この二匹がパートナーの女の子と恋愛関係にあることを思い出していた。

「あー、ずるーい! 自分だけ一人でご飯食べてー!」

 大声を上げた赤ヘルメットの少女が、青い狼の首に抱きついてくる。

「苺、とってもおいしそうだね?」

 赤い衣装の魔女の子が笑顔でパートナーに覆いかぶさるようにして見下ろしてくる。ただ、表情の割に雰囲気に険があるのは気のせいではないだろう。

「しょうがないだろ。腹減ったんだし、そっちはもう少し風呂に時間が掛かると思って」

「いやー、あんまりおいしそうだったんで、つい」

 二人の少女はフェレットに軽く挨拶すると、それぞれのパートナーを所持して離籍していく。

 一人残された彼は、所用なさげに手元のクラッカーをもそもそと頬張った。

「別に、良いけどね」

「なにが別にいいの?」

 掛けられた言葉にフェレットの動きが思わず固まる。管理局の制服に身を包んだパートナーの姿を見上げ、思わず俯いてしまった。

「いや……その」

「隣、開いてる?」

「う、うん!」

 食事を摂り始める彼女の姿を横目で見ながら、微妙に揺れ動く気持ちを抱えつつ、口を開いた。

「報告は、もう済んだのかい?」

「うん。そういえば私はこれから二十四時間の休憩に入るんだ」

「ぼ、僕も、そういうシフトになってる、けど」

 彼にとって、彼女はどう表現していいかわからない存在だ。

 始めて会ったときは魔法少女とそのパートナーとして、それから時間を重ね、本来の姿を彼女に見せてからもずっと付き合いが続いている。

 とはいえ、恋人という関係ではない。

 休日に会って一日行動を共にする事もあるし、いろいろプライベートな付き合いもしてはいるが、周囲が思うほどに親密というわけでもない。

 だからといってこのままでいいのか、といえば、その辺りもまた微妙だ。

 女性として好きというよりは友人として、という気がしないでもない。

 ただ、流石にさっきのおとも達の姿を見ると、うらやましいという気もする。

(……我ながら、優柔不断だなぁ)

「さっきの子達とは、何話してたの?」

「むぐっ!?」

 まるでこちらの気持ちを見透かしたような質問。喉に詰まったクラッカーを水で流し込むと、当たり障りの無い答えを返す。

「あ、ああ。その、お互いのパートナーについて、だよ」

「こういう言い方は失礼になるかもしれないけど、みんな個性的で面白いよね。おともの子達って」

「そうだね。おともの世界といっても、特定の種族で構成されているわけじゃない、生まれも育ちも違う存在が寄り集まって作っているんだ」

 自分も最初におともの世界に招聘されたときはひどく驚いたものだ。

 彼らは文化も生活環境も全く違うものでありながら、世界をポジティブなものにするという目的のために活動していた。

 一説には、彼らの中心となるおともの雛形と言うべき存在がいるとも噂されていたが、彼が調査した範囲ではそうした存在は確認できなかった。

 そんなことを話していると、隣の彼女は少し顔を俯けて、小声で漏らした。

「キュゥべぇって、おとも世界ではどういう存在だったの?」

「……それが、はっきりとしたことは分らないんだ……」

 基本的に、おともとして認められるルートは二つある。

 一つは、魔法少女たちに付き従い、そのサポートを行った存在が、後付の形で『おとも』と呼ばれる場合。これはフェレットやさっきの狼達のような者がそれに当たる。

 もう一つのルートは、おとも学校に入学してある程度の成績を収め、任地を得ておともとして活動を許されるものだ。

「彼の在籍記録は確かにおとも学校に残っていた。彼の任地になった世界もね」

「生まれ故郷については?」

「任地となった世界と同じだった。つまり、彼は生まれた場所を自分の活動場所に選んでいる、ということなんだ」

 フェレットの発言に、サイドポニーの髪の毛を揺らして彼女が首を傾げる。

「そんなことが可能なの?」

「自分の生まれた場所を活動地域に選択するおともは多いんだ。だから、それほど疑われずに済んだのかもしれない」

「学校時代の交友関係については?」

「可もなく不可もなく、だったよ。ただし、彼は親しい友人らしいものは一切作らず、

 学校で見かける以外の時間に何をやっているのか、知っているものは誰もいなかった」

 学校における能力査定は中の下であり、おともとしてはギリギリのラインだ。

 ただし、性格判定や、おとも実習における仮パートナーとの相性試験は上位成績の持ち主だったらしい。

「……つまり彼は、最初から今度みたいな活動をする前提で、おともの世界に来たっていうわけね」

「そうだろうね。ただ、どうしてそんなことをしたのか、目的は一切不明だ」

「例えば、おとも世界をスパイするため、とか?」

「可能性としてはありえるね。でも、それならどうして、彼らは自分達の存在を明らかにするような行動をしたんだろう?」

 言葉を交しながらフェレットの意識は目の前の問題に集中し始めた。

 彼らの行動原理がなんであるのかは、何人かの担当官が行った事前調査で明らかになっている。

 もちろん、今後正式な形で聞き取りを行い、裏づけを行う必要はあるが。

「ところで……キュゥべぇの任務地ってどこなの? もう調査はしたんでしょ?」

「それが……」

 彼は一瞬だけ迷い、目の前にしているのが作戦指揮官の権利を持つ、自分のパートナーであることを思い出して告げた。

「並行世界の地球の一つ、日本国は関東平野北部に位置する地方都市、見滝原というところだ」

「なるほど。で、どんな任務だったの?」

「その世界に発生している異常事態の究明と、謎の怪物の撃破、と資料にはあったよ。

 後で照会してみたけど、その怪物というのは、魔女だったみたいだ」

 こちらの説明に彼女の瞳が剣呑な光を帯びる。多分、彼女もその可能性に気が付いたのだろう。

「もしかして、自作自演……だったのかな」

「分らない。けど、限りなく黒に近いと思う……」

 掘り下げれば掘り下げるほど、嫌な事柄しか思い浮かばないが、こればかりはどうしよもない。

 気まずくなってしまった空気を払拭するべく、フェレットは努めて明るい声を出した。

「これから二十四時間の休息なんだし、仕事の話はこのくらいにしておこうよ」

「そうだね……あー、でも最後に一つだけ」

 空になったトレイをもって立ち上がると、彼女は何気なく質問を投げた。

「その見滝原には、もう誰か調査に行ったの?」

「残念ながら、誰もまだ入っていない」

「……え?」

 まだ言うつもりは無かったんだけど、そう前置きしながら彼は事実を告げた。

「見滝原を含む、惑星地球の周辺時空が大きく乱れていて、事実上侵入不可能地域になっている。
 
 だから、あそこで今何が起こっているのか、誰も知らないんだ」



[27333] 第十話「ごめんなさい、まどか」
Name: 犬太◆93ceb70e ID:97db629a
Date: 2011/07/02 05:08
 それは、トムヤンが教室に忘れた錬金術概論の教科書を取りに行った時のことだった。

「しかしお前が一発で任地行きとはなー」

「運も実力のうち、ってやつかな」

「実技とか戦闘訓練なんかは赤点ギリギリだったくせになー」

 卒業を間近に控え、すでに任地が決まったおともたちも多いこの時期、どこでも似たような話題で盛り上がることになる。

 だから、通りすがりの談話室からこんな会話が聞こえてきても、特に驚くほどのことではなかった。

「でも、お前可愛さ系の成績はトップだったよな。やっぱり秘訣はそこか?」

「だと思うよ。やっぱり、おともは受けてなんぼって感じだよね」

「傾向と対策って奴かー。俺ももうちょっとそっちに力入れておけばよかったよー」

 中にいるおともは、自分の知らない別のクラスのメンバーのようだった。そのまま通り過ぎようとしたネズミの耳に、彼らの会話が届いた。

「まぁ、いくら魔法や戦いが上手だって言ったって、おいらたちはおともだもんな。

 そっちでどんなにトップの成績取ったって、派遣には繋がらないってことさ」

「……ああ、あの子のこと? まぁ、そうだよね」

 おとも実習の成績が悪かったことは、同期の候補生のほとんどに知れ渡っていた。

 他の実習や試験で常にトップにいたということも、情報の伝播に拍車をかけた要因だ。

 同じクラスのおとも達はもとより、こうして別のクラスでも時々自分のことがまな板に上ることは知っていたが、トムヤンはあえて何も言い返すことは無かった。

「アレで小悪魔型とか爬虫類型だったら、まだ救いようがあったのになぁ。

 ネズミ型ってイヌ・ネコに並んで可愛さ上位に食い込むタイプじゃなかったっけ?」

「そもそも、今のおともはそんなに万能である必要は無いよね。女の子のサポートは全部アイテムがやってくれるわけだし」

「素直に針路変更しとけば、恥かかなくて済んだろうに」

 耳に手を突っ込んで、トムヤンは大急ぎでその場から離れた。

 分ってる、自分の性格が魔法少女のおともに向きじゃないことぐらい。

 それでも他の分野で能力を高めて、欠点を補えるようにすればとやってきた。

 全身にジンマシンが出そうになるのを我慢して、可愛さの補習も必死でがんばっている。

 だが、誰かが言った様に、なりたいものとなれるものの間には、越えられない壁が存在するのかもしれない。

「それでも、俺は……」

 誰もいない教室の中に入ると、自分の机から一冊の本を取り出した。

 そういえば、今日は変身アイテムの調整に必要な術式を、この中から探し出す必要があったんだっけ。

 目がちかちかするような細かい文章や、複雑な印章とにらめっこするうちに、頭の中がぐるぐると回りだす。

 それでも探していたはずの項目が、どこにも見つからない。

「あれ、おかしいな、だって……」

 いつしか世界はそそり立つ白い紙の壁に囲まれ、その上を無数の文章と呪印が流れていた。

 その動きは段々早くなり、必死にそれを目で追うトムヤンをあざ笑うように消え去っていく。

「だ、だめだ! 止まれ、止まってくれ! 早くアイテムの調整をしないとユイが!」

 紙の壁がはるか高く無量の彼方まで伸び上がり、その先端がぐらりとかしぐ。そして、雪崩を打って小さなトビネズミに圧し掛かってきた。

「ユイーッ!」

 気が付くと、トムヤンは薄暗い天井を支えるように手を伸ばしていた。

 明かりのついていない照明器具や壁紙の意匠を確認し、ここがマミの住んでいるマンションであることを思い出す。

「……ちくしょう。なんて、ベタな夢だよ」

 まだ重たいまぶたを擦り、むくりと体を起こす。腹の上に載っていた錬金術概要の本がテーブルの上に転がった。

 その本の中にヒントになるようなことは何一つ載っていないことはすでに分っている。

 全ては都合のいい現実を欲しがった自意識が見せた、ただの夢に過ぎない。

 意識がはっきりしてくると、隣の部屋から明かりが漏れて、誰かが会話をしているのが分った。その声のひとつは間違いなく自分の主のものだ。

「それで、鹿目さんに話してしまったのね」

「はい」

 何のことだろう、そばだてたトビネズミの耳に飛び込んできたのは、唯の恐ろしい告白だった。

「あの会話で、キュゥべぇは気付いたと思います。私がスパイシーユイだって事を」


第十話「ごめんなさい、まどか」


「な、なんだよ!? 何でそんなことになってんだよ!」

「トム君!?」

 明るさによろけながら隣の部屋に入ると、唯は驚いた様子でこちらに近づいた。

「大丈夫なの? 昨日も徹夜してたって聞いたけど」

「そんなことどうでもいい! キュゥべぇに知られたってどういうことだよ! 俺がいない間に何が!」

「落ち着きなさい、トムヤン」

 いきなり足元の感覚が無くなり、マミの手によってぶら下げられたままテーブルの上まで移動させられる。

 降りた先にあったのは小さなティーカップやパンの欠片、ドライフルーツやチーズの盛られた小皿だった。

「こ、これ……」

「食事もまだでしょう? 今朝の分も食べていないようだったし」

「先輩から聞いて驚いちゃったよ。とにかく、今はご飯食べて」

 何か質問をしようと思ったが、二人の威圧するような視線にさらされ、トムヤンは仕方なく食事に手をつけることにした。

 とはいえ、長い不本意な絶食をした後では、あっという間に体の欲求が全てを上回り、十分ぐらいはひたすらに食べるばかりになった。

「あー、くそぉっ、くったぞーっ」

「こら、ちゃんとご挨拶」

「……ごめん。ご馳走様でした、マミ」

 居ずまいを正してお辞儀をすると、流石に満腹すぎる体を支えきれなくなり、だらしなくひっくり返ってしまう。

 その様子に笑いながら頷くと、彼女はポットからドールハウス用のカップにお茶を注いでくれた。

「お粗末様。それじゃ、それを飲みながら聞いて頂戴、香苗さん?」

「はい」

 その言葉を受けて唯が語ったのは、鹿目まどかと暁美ほむらの間に起こったすれ違いの物語と、唯が取った行動の詳細。

 ちゃんと脳に栄養が回ってきたおかげか、最初は苛立ちを交えて聞いていたトムヤンも、少しずつ冷静さを取り戻すことができた。

「そっか……俺の言葉が効きすぎちゃったんだな。ユイの判断も、多分それで良かったと思うよ。ごめんな、でかい声出して」

「いいよ。それよりも、今は暁美さんだよ」

「そうね。メールを出してみたけど、結局返信は無かったわ」

 まどかの話ではかなり落ち込んでいたという話だし、今朝も顔を見せていないという。

 まさかとは思うが、万が一の可能性も考慮に入れる必要があった。

「結構しっかりしていると思っていたけど、暁美さんも普通の女の子なのね」

「そうですよ。いつも一杯抱え込んじゃって、このごろ少しはこっちを頼ってくれるようになってたんですけど」

「とにかく、早めに見つけて保護したほうがいいと思う。あいつに万が一のことがあったらヤバイ」

 意見を確認すると二人は立ち上がって出かける準備を始める。それを見て動こうとしたトムヤンに、唯が待ったをかけた。

「トム君は休んでて」

「ちょ、なんだよ! 俺も一緒に」

「あんまり無理しないで、とにかく今は休むのが先だよ」

「こんなの全然無理のうちに入んない……」

 その時、こちらを見つめる唯の視線の中に混じった複雑なものを見て、トムヤンは言葉を詰まらせた。

「……なんか、まどかちゃんの気持ち、ちょっと判る気がする」

「え?」

「とにかく、トム君はここで待機。いざとなったらこれで呼ぶから」

 いつの間にか手にしていたペンダントを掲げると、そのまま身に付けて外に出て行こうとする。

「ちょ、ちょっと待って! それは」

「ちゃんと直ってないの?」

「いや、その、調整とか、テストとか、あれとか、その……」

 言葉を濁したこちらになぜか笑顔を向けると、唯は人差し指でそっとこちらの頭を撫でてくれる。

 その優しい手つきに何も言えなくなり、トビネズミはパートナーの顔を呆然と見上げた。

「それじゃ、行ってきます。遅くなるといけないから、八時くらいになったらそのまま家に戻るね」

「うあ、うん。いって、らっしゃい」

「部屋の電気はそのままで良いわ。ただ休むのが気詰まりだったら、ビデオをでも見ていなさいね」

 取り残されて、トムヤンはころんとテーブルの上に転がった。部屋の中にゆっくりとしじまが広がるにつれ、気分が沈んでくる。

 去り際の唯の顔と優しい指の感触を思い出し、その意味するところを考えようとするが心はから回りするばかりだった。

 置いていかれてしまったという寂しさと、やる気が結果に結びつかない苛立ち。

「俺は……」

 必死に頭を働かせようと思うが、なんだかまぶたが重くなってくる。そういえば、唯が倒れて以来まともに寝た記憶が無い。

 やがて眠気に抗しきれなくなったトムヤンは、その体をぐったりと横たえて寝息を立て始めた。



 ずっとコールを続けていた携帯電話から耳を離すと、マミはこちらを心配そうな顔で見つめた。

「ほんとに大丈夫? 彼がいないと変身も出来ないんでしょう?」

「大丈夫です。とはいえ、暁美さんを探すほうは先輩に負担掛けちゃうかもだけど」

 すでにマミは魔法少女としての姿を取っている。ポケットから透明なグリーフシードを取り出すと、こちらに手渡してきた。

「暁美さんを見つけたらこれを。おそらく……かなり消耗していると思うから」

「分りました。それじゃ、行きます」

「気をつけてね」

 身を翻して空へと舞い上がったマミを見送ると、唯も歩き出す。

 今までいた裏路地を抜けて大通りに出ると、そこで自分が本気でなんの役にも立たないことに気が付いてしまった。

 マミは魔法少女だし、ソウルジェムやグリーフシードの波動を頼りにほむらを捜すことが出来るだろうが、

 こっちは生身で探すべき場所の心当たりも無いときている。

「うわー、はずかしー。あんなこと言っておいて、ダメダメだ私ー」

 苦笑しつつ、とりあえずどこへとも無く歩き始める。その間にも、今の自分に何か出来ることはないかを考えてみた。

 暁美ほむらとの付き合いはそれほど長くないが、彼女がこういうとき普通の気晴らしに走ることはないと分っている。

 ショッピングモールやゲームセンターは絶対にいくことがないだろうし、カラオケボックスや漫画喫茶も彼女には似合わない。

 本来なら図書館で本でも読んで過ごしているのが一番しっくり来るだろう。

 ただ、なぜか唯の想像の中のほむらは『高性能爆弾の作り方』などという本を読んでいたりするのだが。

 あとは公園か、自分の家に篭るかぐらいしか思い浮かばない。唯は明かりの灯るバス停の休憩ボックス前でため息をついた。

「一応、私だって魔法少女なんだけどなぁ」

 胸元に下がったペンダントを指でつまみ、額に当ててみる。それから目を閉じると、心を静めて呟くように思いを口にした。

「暁美さんのいる場所、分るようになれ」

 何も起こるわけが無い。それはそうだ、今は核となってサポートしてくれるトムヤンもこの中に入っていないのだから。

 しかし、それは僅かに時を置いて、過ぎ去る一渡りの風と共に起きた。

『……こばまないで……』

 空耳、ではない。

 視界を取り戻すと唯は周囲を見回した。もちろん待合所の中にも誰もいないし、夜の中に自分が立っているだけ。

 だが、さっきの声は幻でも妄想でもないことは、はっきりと分る。

 もしかしたらという予感はあった。あの時、キュゥべぇの気配を感じたのは、視覚や聴覚ではなかったはずだ。

 赤いはずの宝石が、淡い翠に彩られている。

 そのことに気が付いた途端、唯は己の肌に、耳に、瞳に、今までにはなかった世界が伝わるのを感じた。

「……風よ」

 心の中から浮かび上がるのは自らの意思を溶かし、世界と心を共にするための言葉。

「海を、山を、空を越えて渡る者よ、私の、大切な人の声を、届けて」

 走るものである唯にとって、風はもっとも近しいものだ。その風が今、自分と意思を一つにして世界を渡ろうとしている。

「応えて、暁美さん!」

 一人の魔法少女の声に従い、風が夜を駆けた。



 全てに黒い帳が掛かる世界で、ほむらはひたすらに撃ち続けていた。細長い路の向こうに体を縮めて祈りを捧げ続ける魔女に向かって。

「――――――――っ!!」

 口を引き結び、それでも唸るような声を漏らしながら。湧き上がる使い魔を自動小銃の咳き込むような音を叩きつけて。

 自分が黒く塗りつぶされていく、あらゆる黒から染み出てくる影を避ける事も出来ず、全身からどす黒く染まった血を流しながら。

 頬を濡らして伝い落ちるのが涙なのか、それとも血なのかも分らないままに。

『こばまないで』

 声が結界の中に響いてくる。暁美ほむらという、自ら閉じていく少女の頭蓋という、十四歳の脳を閉じ込めた結界の中へと。

 それは祈り、魔女と成り果てた一人の少女が始めに祈り、自らの終わりの瞬間に祈ったたった一つのこと。

『わたしをこばまないで』

 受け入れられることだけを願ったものだからこそ、全てを自らに取り込み、平等の名の下に扱おうとする。

 その裏側にあるのは、拒まれたくないという恐怖と悲しみ。

「まどか」

 堪え切れなくなった痛みを吐き出すように、ほむらはありったけの手榴弾を取り出し、魔女へと解き放った。

「私を、こばまないで」

 影が爆炎によって吹き払われ、ほむらの体もろとも全てを吹き飛ばす。ぼろぎれのようになった体が人気の無い通りに投げ出された。

 よろめきながら立ち上がり、地面に転がったグリーフシードを手に取ると、ほむらはその場に蹲った。

 夜を駆け、痛みに耐え、恐怖を押し殺して。たどり着いた先にあったもの。

 それは、救おうとしたはずの人間の拒絶と糾弾。

『ほむらちゃんが守りたいのは私じゃない!』

 その瞬間、いくつものまどかの死が、頭蓋の中に溢れかえった。

 初めての死、魔女への変貌、自ら彼女の魂を打ち砕いた瞬間、そして天を突く恐怖の存在となった姿を。

 全ての守れなかったまどかが、ほむらの魂を締め上げる。

「違うの! 私は、私はあなたを」

 守れなかったくせに。

「だから、何度もくりかえして」

 見殺しにした。

「今度こそ、あなたを」

 それは誰のことなの。

「それは……」

 その後を続けることが出来なかった。あれほど簡単に口にしていたはずの言葉なのに、喉に引っかかったまま出てくることが無い。

 自分は一体誰のために、誰を救おうとしていたのか。

 じわりとソウルジェムが黒ずんでいく。さっきのグリーフシードを当てるが、それでも侵蝕が止まらない。

「違うの! わたしは、わたしは!」

 まだ終われない、終わりたくない。あの時私がキュゥべぇに魂を売ったのは、こんなところで終わるためじゃない。

 私は、私の願いを果たすために。

「そうか」

 涙を流しながらほむらは気が付いた。

 私の願いは、まどかのためなんかじゃない。私がやりたかったから、そう願ったんだ。

「ごめんなさい、まどか」

 その言葉と一緒に、意識が黒い淵に飲まれそうになった時、かちりという小さな音が二つ、聞こえた。

「探したわよ、暁美さん」

 手にしたグリーフシードをほむらのジェムに押し当てるマミ。

「次からは携帯の電源は入れっぱなしでお願いね」

 その反対側からもう一つのシードを当てた唯が、頬に付いた血をハンカチで拭ってくれている。

 二人の顔を交互に見ていたほむらは、道の傍らに立っていたカーブミラーを基点に広がっていく異界に目を見開いた。

「二人とも、後ろっ!」

 あっという間に展開された結界に、無数の鏡が突き立っていた。

 凹面鏡と呼ばれるそれには、異様な形に引き伸ばされた三人の姿が映りこんでいる。

 そして、その背景に立ち上がったのは、歪んでひね曲がったくちばしを持つ巨大なオウム。

 右手に剣、左手に天秤を持ったそれが、軋るような声で鳴いた。

「今夜は魔女のバーゲンセールね」

「本日休業って札の下がった結界ってないんですかねー」

 そう言いながら唯が、自分をかばうように抱きしめてくれる。立ち上がってマスケットを取り出すと、マミはにっこりと笑った。

「さて、可愛い後輩に、いいとこ見せましょうか」



[27333] 第十一話「それはきっと傲慢な思い違いなんだよ」
Name: 犬太◆93ceb70e ID:97db629a
Date: 2011/07/04 16:22
 腕を一振りして後輩達をリボンの障壁で守ると、マミは目の前の鏡に目をやった。

 凹面鏡に映る自分のプロポーションは土偶のような形状に歪められている。

「幾らなんでも、これはひどすぎじゃない?」

 銃火を一撃、粉々に崩れ去る銀の破片の向こうにさらに現れる鏡。そこには糸杉のようにやせ細った自分が映し出されていた。

 その形を粉砕した先には、すでに原形を失ってしまった人型が鏡に浮かんでいる。

「勝手に人の容姿を変えて見せて、気持ちを傷つけようとでも言うの?」

 そう言ってずいっと進み出たマミの耳朶に、何かが囁く。

 これはあなたよ、あなたのほんとうのすがた。

「あらそう」

 虚空から二挺のマスケットを生み出し、両側から挟み込もうとした鏡を打ち砕く。

 いつの間にか、マミの周りには無数の凹面鏡が筒状の胸壁を作り上げていた。

 いっしょうけんめいつくってきたのね、こころをいつわって、よくみられたい、いいこでなければいけない。

 だってあなたはおやをみすてていのちをつないだ、わるいこだもの。

 言葉では無い形で伝わってくる嘲弄に、マミは俯き、そっとため息をついた。

「それがどうしたの?」

 周囲に映る無数の「私」を見回して、マミは朗らかな笑みを浮かべた。その像の中に映る、冥い魔女の瞳を見据えながら。

「そんなこと、あなたに言われなくても、もう分っているわ。そして、私はそれを改めるつもりも無い」

 両手を広げくるりと舞う。黄色い衣装の魔法少女を守るべく、百を越える銃列が積み重なって周囲を包む壁となり、外敵へと銃口を向けた。

「だって、私が私であり続けることで、守れる人がいる。その人は私を助け、同時に私を助けてくれる。

 そんな人の前でいい格好をしたいと思うのは、当然のことでしょう?」

 幸せでありながら、心に強い芯をもたらしてくれるその気持ちを抱きしめると、鏡の壁の向こうにいる魔女に告げた。

「どこの誰とも知らない人のためではなく、今そこにいる人のために。私は格好をつけ続けるのよ」

 巴マミのウインクを合図に、鏡の壁が完璧に粉砕された。


第十一話「それはきっと傲慢な思い違いなんだよ」


 降りしきる銀の雨の中に佇むマミの姿を見つめて、ほむらはため息をついた。

 凄烈さと美しさに磨きがかかった彼女の動きが、心の痛みを薄れさせる。

「すごいね、巴先輩」

「うん」

 素の自分で返事をしていることにも気が付かず、唯の言葉に頷く。以前の彼女も強かったが、今はそれ以上に力が高まっている。

 派手な使い方に見えるが、魔力の運用は以前よりも効率が良くなり、動きの切れも別人のようだ。

 今も周囲から襲い掛かる鏡を銃で、あるいは銃座で粉砕していく。美しい舞いと荒々しい暴力の、絶妙な融合があった。

「どうして……マミさんは、あんなに強いのかな」

「やっぱり経験とか、じゃない?」

『そんなことは無いわよ』

 流し目でこちらを見やると、鏡の陰に隠れたオウムの姿の魔女に一撃を打ち込む。

 ひるんだ影がさらに別の鏡に逃げ込み、構えられた銃口がそれを追い続ける。

『少なくとも、経験や実力は、あなたと始めて会ったときとそれほど変わっていないわ。違っているのは、心構えだと思う』

「心……」

 割と大きな姿の魔女は、器用に体を縮めて鏡を盾にして逃げ回る。

 増え続ける障壁に苦笑いしつつ、マミがマスケットを再び林立させた。

『今までは正義とか義務感に追い立てられて魔女を狩ってきたの、その意味も分らないままに。

 でも、そんなぬるい思い込みを、真実が全て壊してしまった』

 言葉の結びと同時に鏡が粉砕されていく。一瞬かいま見えた本体に向けて、巨大な砲身が突きつけられ、轟音と共に強撃が叩き込まれる。

『でも、あなたたちはそんな私を助けて、やってきたことは間違いではないと言ってくれた。

 支えてくれる誰かが側にいること、そして、その人を大切に思えること。以前の私と違うところがあるとすれば、そこだけよ』

 苦鳴と白煙を立ち昇らせた魔女を油断無く睨み据え、それでも優しく語り掛けてくる。

 大切な人を思うことで強くなる、それはほむらも知っている。そうでなければ、自分はここまでくることはできなかった。

 だが、それでもまどかにはたどり着けない。それどころか、距離がますます遠ざかっていく。

「でも、私はもう……まどかに」

「暁美さん」

『二人とも伏せてっ!』

 とっさに押し倒してくれた唯のおかげで、体は切断されずに済んだ。

 こちらに向かって飛来した凹面鏡が三日月形の断面でリボンの結界をすっぱりと切り裂いていた。

 仰向けになったまま、胸元に顔を載せた唯に向かってほむらが抗議の声を上げる。

「わ、私も一緒に……っ」

「ダメだよ、まだ休んでて! 今トム君呼ぶから!」

 暗く沈んだ色になったままのジェムを押さえつけ、唯がおともを呼び出す呪を唱じる。

「来たりて我が傍らに! 出てきてトムヤン君!」

 ぽふ、という間の抜けた音がして、ほむらの視界が真っ暗になる。すべらかな感触の布で出来たものが、顔に覆いかぶさっていた。

「なに、これ?」

「ティーコゼー?」

 摘み上げると、綿と布で出来たものの割りに妙な重さがあった。ポケットのようになっているその中身を開けてみると、

「と、トムヤン?」

「なんでこんなとこに?」

 トビネズミはすやすやと寝息を立てながら、目を閉じて眠りこんでいた。

 外のまぶしさを感じたのか、弱々しく抵抗しながら暗い隅っこの方へと顔を突っ込んでしまう。

 いつもの元気一杯な姿は全く無く、小動物のかわいらしさだけがあった。まだまぶしいのか、小さな手で無意識に光を避けようと目を隠している。

『どうしたの香苗さん!』

「その、トム君が、先輩のお茶セットのやつに包まって寝てます」

「……んゆ?」

 ようやく目を覚ましたトムヤンはぼんやりと暖かな場所からこちらを見上げ、ほやっと笑った。

「ほむら、無事だったのか」

「う……うん」

「トム君……」

 苦笑した唯の背後で派手な爆音が響く。その途端にネズミの顔が可愛い動物からいつものトムヤンに戻る。

「結界の中なのか!?」

「そう、なんだけどね」

 巣穴から飛び出すと、素早く唯の肩に陣取り状況を確認し始めた。

 マミの姿は依然として余裕を崩していないものの、鏡の増殖スピードに銃撃が追いついていない。

 飛来する鏡の陰に隠れての斬り付けが、迎撃のタイミングを絶妙に狂わせていた。

「鏡の壁に隠れる魔女か。右手に剣と左手に天秤って、アストライアにでもなったつもりかよ」

「なにそれ?」

「ギリシア神話の正義の女神さ。裁判所のマークのモチーフになった神だよ……っ、と」

 ふらりと体をよろけさせて、トムヤンがとっさに唯の耳たぶを掴む。気まずそうな表情を浮かべた彼が、笑顔で場を取り繕ろうとする。

「起き抜けのせいかな、まだボケてるよ。でも、変身しちゃえば大丈夫さ」

「……トム君は暁美さんと一緒にいて」

 摘み上げたトムヤンをコゼーの中に放り込むと、唯は中身と一緒にほむらの手に渡してきた。

「私、先輩のサポートに行ってくるね」

「香苗さん!?」

「な、何言ってんだ!?」

 引き止める間もなく唯がマミの方へと走り寄る。コゼーの中から顔を出したトムヤンが焦った声で絶叫した。

「一体どうしたんだよユイ!」

「暁美さんも、トム君も、多分勘違いしてると思う。だから、ちょっとそこで見てて」

 突然の奇妙な援軍にマミが訝しげな顔を向ける。その疑問に答えるために、唯は人差し指を虚空に周流する無数の鏡の一枚に向けた。

「撃ってください」

「え?」

「早く!」

 反射的にマスケットが指した方向へ向き火線が鏡を貫く。同時に、うろたえたような悲鳴を上げてオウムの体がのけぞった。

「なに!?」

「どうして魔女の位置が!?」

「先輩! 次は右側上から三番目!」

 疑問を口にするよりも早くマスケットが標的を打ち抜き、再び魔女が絶叫する。まぐれではない、確実に唯は魔女の位置を把握していた。

 攻撃パターンの変化をオウムが悟り、マミと唯の立っている位置を中心に無数の鏡がドーム型を形成する。

 その対応を見たマミが、素早く自分達を起点にして十字を描くようにマスケットを付き立てた。

「仮の方位を作ったわ! 指示は任せたわよ、香苗さん!」

「はい! まずは北東の上から四段目!」

 マスケットの先端に灯る「N」「E」「S」「W」の光る文字を目印に、唯が素早く指示を出す。

 ほぼノータイムで射撃が魔女を打ち抜き、次の場所へと逃れた体がさらに迫撃を受けてはじける。

 あまりに見事な反撃に、ほむらは掠れた声で質問を搾り出した。

「どういうことなの、トムヤン」

「そんな、いや……そうか」

 呆然とした顔で小さな指が唯の胸元を指し示す。ペンダントに灯る翠の輝きが、力強く明脈を繰り返していた。

「魔法だよ、ユイが、魔法を使ってるんだ」

「魔法って、あそこにあなたがいないのに?」

「アイテムも、俺の存在も、元々ユイから魔法の力を引き出すための道具だ。魔術の素養の無いユイに力の使い方を覚えさせるための」

 体の動きと意思の動きを連動させ、魔力を感覚的に運用できるようにと設計された、ユイだけの変身アイテム。それが生み出した、もう一つの作用。

「ソニックフォームを生み出したときから、ユイは魔法を自分の意思で使い始めていた。その力が、本当の意味で発現したんだ」

『そうだよ。こんなことが出来るようになったのも、みんなトム君のおかげ』

 吹き渡る風に乗って唯の声が届く。それと同時に、銀の盾の陰に隠れた魔女が地面に叩き落された。

『こんな風に魔法を使えるようになったから言うわけじゃないけどね。トム君は、一人でがんばりすぎだよ』

「でも、俺は」

『出来ないなら出来ないなりのやり方があるし、失敗してもそれは私達で一緒に背負えばいいの。

 これは二人の問題なんだから、私にもちゃんと相談してよ』

「ユイ……」

『トム君はちゃんと私のこと、見てくれてますか?』

 それはきっとトムヤンだけでなく、自分に対しても問いかけられた言葉。ほむらは、それでも首を振った。

「だって、あの子は、まどかは!」

「まどかちゃんは、そんなに弱い子じゃないよ」

 照れた笑いを浮かべて、トムヤンはこちらを見上げていた。

「ほむらが色々なものを重ねてきたことは、分ってるつもりだ。

 その事実が持つ意味と重さを、俺やユイにマミ、そして、まどかちゃん自身にさえ、結局は理解することができないってことも」

 すでに鏡を生み出す力を失い、オウムが捨て身でマミに切りかかる。その動きに合わせて引き抜かれたNを冠した銃が再び怪異を吹き飛ばす。

「それでも、まどかちゃんとしっかり話そうぜ。誰かが誰かを守れるなんて、守ってやるなんて、それはきっと傲慢な思い違いなんだよ」

「トムヤン……」

『私たちはみんな弱いわ。だから、欠けた所を補い合うの。あなただけが、たった一人で完璧にやりおおせる必要は無いのよ』

『自分がその人を救いたいと思うように、その人も自分を救いたいと思ってるの。その気持ちを、ちゃんと受け止めてあげて』

「マミさん……香苗さん」

 E、Wと立て続けに抜かれたマスケットが叩き込まれ、魔女が跪く。

 その瞳が、ほむらを射抜いた。

 あなたはこどくだ。これまでも、そして、これからも。

 いままでが、そうであったように、だれにもりかいなどされないまま。

「そうね」

 それは単なる事実の羅列だ。なぜそれが起こったのかを説明する言葉ではない、だからほむらは先を続けてやった。

「私は、その努力をしなかった。理解を拒まれた瞬間に、自分も理解を拒んだの。

 人の心に思いを馳せなかったからこそ、自分の意思で孤独を招いたのよ」

 初めてキュゥべぇの真実を知ったとき、自分は何を思っただろうか。

 騙されたという思いと恐ろしさのままに、相手の気持ちも考えず、事実を打ち明けるばかりに終始しなかったか。

 思い返す事も出来なかったが、その答えは知る必要も無いと思った。

 言葉で押し返され、オウムがあとずさる。隠れた真実を暴き、曲がったくちばしで人の心を捩ろうとした存在が全ての言葉を失う。

「ユイ、一個だけ助言いいかな」

『何?』

「火をイメージして、マミのマスケットに触れるんだ。マミは力を受け入れてくれ」

 引き抜かれたSのマスケットを構えたマミに寄り添い、唯がその銃身に触れる。赤い力が閃光と共に宿り、巨大な砲身が生み出された。

 形状はいつもの必殺の一撃を繰り出すものと同じ。しかし、その銃身はあかがね色に染まり、炎を象ったプレートが銃身に嵌っている。

「さぁ、一発かましてやれ、ユイ、マミ!」

「ええ!」

「うん!」

 大砲に手をあて、二人の少女が声を合わせて叫ぶ。

『ティロ・フィナーレ、ロッソ・フィアンマ!』 

 砲身から撃ち出されたのは紅蓮の劫火球、そのまま魔女を飲み込むと、激しい爆燃が結界の陰影を全て塗りつぶしていく。

 その輝きが失せるころには、周囲はありきたりの街道に戻っていた。路面に転がり、街路灯に照らされた透明なグリーフシードの輝きが妙にまぶしい。

 ほっとため息をつくと、ほむらは立ち上がった。

「みんな、ありがとう」

「珍しく殊勝じゃん、ほむら」

 茶化してくるトムヤンを険の取れた笑顔で見つめ、ほむらは思いを吐き出した。

「話すわ。まどかに、全てを」



[27333] 第十二話「正義なんて、ただの幻想なんだよ」
Name: 犬太◆93ceb70e ID:97db629a
Date: 2011/07/06 23:40
 それは、本当に何気ない質問だった。

「ねぇ、お父さん」
 食事の後だったかもしれないし、あるいは寝る前にベッドで聞いたのかもしれない。

 自分はまだほんの子供で、それが一体どんな意味があるのかを、全く分かっていなかった。

「なんだい?」

「この世界には、神様って一人しかいないんだよね?」

「そうだよ。この世を作って、いつも私達を見守っていてくれているんだ」

「……学校で言われたんだ。そんなの、嘘だって」

 小学校の低学年ならいざ知らず、十歳も越えてくれば子供にもある程度の知識は付いてくる。

 それが例え、親からの聞きかじりや、漫画やアニメあたりの受け売りだったとしても。

「ある子が、言ってたんだ。神様は世界中に一杯いるって、私やお父さんの信じてるのはその一つだって」

「確かに、そう言うものだよ。世の中には、たくさんの教えがあるのは事実だ。

 でも、私達の信じているものが、それで嘘と決まってしまうわけじゃないんだ」

「それだけじゃないの。神様なんて、人殺しの道具だって」

 多分、そんな汚い言葉を突きつけられたことが、自分にとっても衝撃だったんだろう。

 もう少し伝え方を変えていれば、何かが違ったんだろうか。

「……その子が、言ったのかい」

「たくさんの国で、たくさんの人が、神様のせいで戦争したり、殺したり、殺されたりしたんだって。神様の言葉なんて、誰かを殺す道具だって」

 ネットで宗教の話題でも検索すれば、日本ではごく当たり前に上がる話だ。

 宗教に関するタブーの感覚の違い、今ならそう割り切れるし、実際に歴史を見てみればそんな風に言われても仕方の無い一面もある。

 ただ、父にとって、それは割り切ることはできない事実だった。

「『命に至る門は小さく、その道は狭く、それを見出すものはまれです』……覚えているだろう?」

「うん」

「人はどうしても、間違ってしまうものだよ。でも、それを神様は許してくださる。

 自らの行いを悔い改めれば。罪を悔いたものは、その行いゆえに、始めから神に仕えるものよりも尊ばれる」

「自分が悪いことをしたって認めるのは、難しくて勇気のいることだから、でしょう?」

 その時の父は笑っていた、と思う。ただ、それはとても寂しい笑いだった気がする。

「みんな、神様の言葉に従って生きていたはずなんだ。でも、何処かで、何かが、間違ってしまった。

 そして、改める事も出来なかった。だから、争いが……」

「お父さん……」

 彼はいつも悩んでいた、街で起こる犯罪や世界中で起こる争いに触れるたびに。

 その顔を知っているからこそ、自分は思わず口にしてしまった。少しでも、父の悩みが消え去ればいいと。

「みんな一つだったら良いのにね」

「……なにがだい?」

「みんなが信じてる神様が、一つのものだったら良いのにね」

 本当に子供だったと思う。

 そんなことがありえるわけが無い、人種や土地、歴史のそれぞれ違う人間の考え出した宗教という名の思想が、その根幹で一つにまとまることなど。

 神が引き起こしたバベルを、根底から払拭するような奇跡でも起きない限り。

 だが、彼は手を伸ばしてしまった。

「そうか……」

 ぽつりと、呟く声が今でも耳に残っている。熱情に焦げ付いた魂が、悲鳴と共に上げる産声を。

「みんな一つにする、か。……そうだね、杏子」

「おとう、さん?」

「そうなれば、どれほど幸せだろうね」

 いつもの優しい声ではない、どこかに感情を置き忘れてしまったような聲(こえ)。

 父がどんな顔で、その言葉を呟いたのかは覚えていない。

 ただ、一つだけ確実なことがある。その日を最後に、佐倉杏子の幸せな家庭は終焉を迎えたということだった。


第十二話「正義なんて、ただの幻想なんだよ」


「割と頑張ったほうだと思うけど」

 息一つ乱すことなく佇んだ杏子が淡々と述べる言葉を、さやかは仰向けになったままの状態で聞いていた。

「一日やそこらで急成長なんてのは、アニメの中だけの話ってことさ」

「く、そ……っ」

 すでに体はぼろぼろで指一本動かすことが出来ない。

 戦いの最中に何度も回復と再生を行ったせいか、腹に収まったソウルジェムがかなり穢れてきている。

「これで分ったかい? 正義だ人助けだ言ってたって、そんなの何の意味も無い。強い奴が生き残って弱い奴が死ぬ。

 それが世の中の全てなんだよ」

「あ、あたしはっ、そんなの認めないっ、あんたみたいな奴なんか」

「いい加減、ウザイよ」

 脳天に響く激烈な一撃が、さやかの顔の右脇に突き立った。砕けたアスファルトの破片が頬を掠めて幾つもの血の筋を付ける。

「確かに、アタシはあんたが言うように悪さ。で、あんたが善だとしようか。結果はどうだい? 

 この状況、悪が勝って善が負けてるって構図じゃないか」

「くっ……」

「それとも……今からマミに泣きついて助けてもらうかい?」

 ポケットの中から鳴り響く着信音を耳にして、杏子はからからと笑った。

「ほら、さっきから何度も呼び出しが来てるじゃないか。早いとこ正義の味方のマミさんを呼びなよ。ええ? 正義の味方さん」

 悔しさに歯を食いしばりながら、それでも携帯をそのままにして相手を睨みつける。

 やがて、呼び出し音が止まると、杏子は両手を上げて肩を竦めた。

「はぁーあ、どっちらけだよ。あとは好きにやってくれ」

「ま、待てっ」

「あのさぁ、散々待ったのはアタシだよ?

  あんたのうすのろな攻撃がこっちに届くまで待って、回復が終わるまで待って、今度は立ち上がるまで待って欲しいのかい?」

 ソウルジェムに意識を伸ばし何とか力をかき集めると、さやかは立ち上がる。

「あ、あたしは、マミさんの相棒で、一緒に戦う魔法少女だ!」

「それって、あんたが勝手に思い込んでるだけじゃないの?」

 すでに杏子の瞳からは敵意も闘志も消えている。ただ、目の前の自分を哀れむ光しか宿していなかった。

「自分が弱いから、マミっていう実力者の傘に入る口実が欲しいんだろ」

「……黙れ」

「正義の味方ってのは群れるのが基本だしね。あんたみたいなよわっちいのでも、にぎやかしにはなるだろうけどさ」

「黙れ」

「マミもあんたのこと、正直ウザイって思ってるんじゃないの?」

「だまれぇっ!」

 地を這うような疾走を繰り出し、距離を詰める。

 相手の呆れる顔が手に取るように分ったが、そのまま速度を緩めずさらに加速して突き進む。

「だから、何回同じパターンで……っ!?」

 魔力で作り出した『壁』を蹴りつけ、杏子の左側面を掠めるように移動。

 すり抜けざまに生み出した剣で、地面から空へ向けて擦り上げるようにして切りつける。

 とっさに受けに回した杏子の槍が真っ二つになり、切っ先が腰から肩に掛けての斬撃線が敵に刻み込まれた。

「やった!」

「……と、思ったかい?」

 杏子の赤い姿が、旋風を巻き起こしながら翻る。

 次の瞬間、硬いものがはじけて砕ける音が、あばらと肩甲骨の辺りで沸き立った。

 重く鈍い痛撃がそこから脳髄を通して全身に伝わっていく。

「うぐあああっ」

「ちっ、油断したよ。アタシもまだまだだね」

 切れた槍の穂先に付いた血糊を払ってそのまま虚空に消し去ると、衣装の切れた部分に指を沿わせて杏子はぼやいた。

「これで分ったろ。正義だなんだと吹き上がったって、所詮あんたはその程度。

 悪のアタシに一糸報いて無様に負けました、ってことで納得しときな」

 痛みの中で見据えた相手の体には、目立った傷が見えない。単に服とせいぜい皮膚一枚を切り裂いた程度だったことに気が付く。 

「正義なんて、ただの幻想なんだよ。あろうと無かろうと、強さには何の関係も無い。結局、世の中強い奴が正義なのさ」

 憐れみに侮蔑を上乗せした視線を投げると、杏子は背を向けた。 

「次見かけたらぶっ殺すよ」

 潮が引く様に、周囲に静寂が訪れる。勝てるとは思っていなかった、しかしこんなに無様に負けるとも思っていなかった。

 地面に横たわりながら、さやかは零れる涙を片手で抑えながら必死にこらえた。ジェムの力で痛みが引いても、悔しさが涙を干し上げない。

「……大分、手ひどくやられたようだね」

 耳慣れた言葉を聞き、さやかは体を起こした。キュゥべぇの白い姿が夜の公園を背景に浮き立って見える。

「キュゥべぇ、あいつに勝つためには、どうしたら良いの」

「佐倉杏子は見滝原周辺でも指折りの魔法少女だ。実力の面ではマミに匹敵し、彼女との直接対決を避けようとする者も少なくない。

 経験や素質という点では、さやかに勝ち目は無いといって良いね」

「じゃあ! あいつにおびえて逃げ隠れしろって言うの!?」

 キュゥべぇは少し考え込み、それから意見を出した。

「単純に勝ちたいというなら、マミと協力するべきだよ。彼女の助力があれば」

「マミさんに頼ったらダメなんだ! あたしの力だけで!」

「でも、さっきも言ったとおり、君の実力では単独で杏子に勝つのは難しいよ」

 そんなことは分っている。しかし、今ここでマミの力を借りれば、結局あいつの言葉を裏付けてしまうだけだ。

 自分が一人でなにも出来ない弱虫だなんて、これ以上言わせたくない。

「難しい、って言うなら、不可能じゃないって事だよね?」

「物事に百パーセントというものは存在しない、という意味ではね。少なくとも、足りないものを補うものがあればいいんだ」

「足りないものを補う、って?」

「グリーフシードさ。あれさえあればいくらでも魔法を使うことが出来る。

 グリーフシードの量で実力差をある程度埋める事は可能だよ」

 確かに、それはその通りだ。しかし、魔女を狩って手に入るシードはせいぜい一個で、ベテランの相手はおそらく複数個のシードを持っているに違いない。

「何とかして、手っ取り早くグリーフシードを集める方法って無いのかな」

「少なくとも、魔女かグリーフシードを孕んでいる使い魔を倒す以外に方法はないよ。

 ただ」

「ただ?」

「一個で、複数のグリーフシードと同じ働きをする、レアなグリーフシードというものが存在する」

 キュゥべぇはふさふさと尻尾を動かし、こちらが聞く態勢になったのを見計らって、言葉を続けた。

「君も覚えているだろう? あのスパイシーユイという魔法少女がマミに渡したグリーフシードを。あれがそうさ」

「そ、そうなの!?」

「彼女は、そのレアなグリーフシードを手に入れる方法を知っているようなんだ」

「あんたは、知らないの?」

「魔女を生んだグリーフシードは、その魔女が倒された時に穢れもいくらか祓われた状態になる。

 おそらく彼女はそれを効率よく行う方法を知っているんだ。彼女固有の技術、と言い換えても良いだろうね」

 レアなグリーフシードを取り出す技術が手に入れば、確かに杏子との戦いを有利に進めることができる。

 それに、マミを助けるのにも役立つだろう。

「もちろん、その技術を彼女が分かち合おうと考えているかどうかは、別問題だけどね」

「あいつがレアなグリーフシードを、独り占めしようとしているってこと?」

「特殊な技術というものは、他者と相対する上で重要なアドバンテージだ。

 彼女の生み出すグリーフシードは、魔法少女相手には有効な交渉材料だろうしね」 

 キュゥべぇの発言に、さやかは考え込んだ。一瞬、戦って言うことを聞かせるという選択肢も浮かんだが二重の意味で否定する。

 あんな化物じみた相手と戦えば佐倉杏子以上に命の危険があるだろうし、そもそも正義の魔法少女のすることではない。

 交渉して譲ってもらうという事も考えたが、ものすごく強い上にレアなグリーフシードを手に入れられるとあっては、

 こちらに切れるカードが一切無いことになる。

 八方塞りな状況に思わずため息が漏れた。

「やっぱりダメかぁ」

「他に考えられる手があるとすれば、まどかに協力を頼むくらいかな」

「……なんでそこで、まどかが出てくるの?」

「鹿目まどかは貴重な才能を持っている少女なのさ。それこそ、契約しただけで世界を変えるほどの力を秘めた存在なんだよ」

 親友の顔を思い浮かべ、さやかは苦笑でキュゥべぇの発言を否定しようとした。

 初めて魔女退治ツアーに出かけようとしたとき、ノートに魔法少女の衣装を書いたものを持ってきた事を思い出す。

「とてもそんな風には見えないけど、ねぇ」

「どんな願いを叶えるかにもよるけど、確実にさやか、君よりも強い魔法少女になることは間違いない」

「そ……そうなんだ」

「いっそのこと、まどかに契約してもらって、二人で杏子に対抗するのはどうかな」

「ば、バカ言わないで!」

 一度は『戦いにむいていない』と言ったまどかに、ケンカに負けそうだから助っ人になってくれだなんて、

 口が裂けても言うわけには行かない。

「ということなら、マミにもまどかにも助力を貰わずに、一人で杏子と対決することになる。

 それならグリーフシードは絶対に必要になるだろうね」

 となれば、後は地道に自分の力だけで、グリーフシードを集めるしかない。

 変身を解くと、さやかは自分のジェムを見つめてため息をついた。

「そういえば、かなり穢れてきちゃったなぁ、あたしのソウルジェム」

「早めにグリーフシードを手に入れないといけないね。マミに言って融通してもらうほうが良いんじゃないかな?」

「え……そ、それは、その……」

 その時、ポケットの中の携帯が再び着信音を鳴らし始めた。恐る恐る取り出して受話器を耳に当てると、聞こえてきたのはマミの声だった。

『ようやく繋がったわね。どうしたの? そっちはなにか変わったことがあった?』

「そ……」

 言葉が喉まで出掛かり、意識していたものと全く別の言葉が突いて出てくる。

「それがですねー、家に帰ってお風呂に入ったらすごく眠くなっちゃって! 

 今まで着信に気がつかなかったとゆー、あはは、めんぼくない」

『全くもう。あなたに何かあったんじゃないかって心配だったのよ? 

 とにかく、そういうことなら良かったわ。それじゃ、また明日学校でね』

「はい。心配かけてすみませんでした。おやすみなさい」

 通話が終わり、さやかは渋い顔で肩を落とすしかなかった。

「あたしって、ほんとバカ」

 こぼれた愚痴に自分のバカさ加減を再認識しつつ、それでもさやかはソウルジェムをかざした。

「どうする気だい?」

「もうちょっと粘って、魔女を探してみる。

 うまくすればグリーフシードが手に入るかもだし、ダメだったらその時はマミさんに謝るよ」

「なるほどね。最近、見滝原では魔女の活動が活性化しつつあるし、マミの苦労を軽減することにも繋がる。悪くないアイデアだと思うよ」

 キュゥべぇの意見を耳に入れつつ、携帯の電源をオフにする。これ以上マミから着信があっても困るし、

 結界の中に入るつもりならこうしておいたほうがいい。

 そんなことを考えている間に、ソウルジェムに新たな反応が引っかかってきた。

「……あ、なんか、見つけちゃったかも!」

「多分、杏子はもうねぐらに帰っているだろうから、これ以上邪魔をされる事もないはずだよ」

「なんか頼りない発言だけど、一応信じてあげるわ。さて、それじゃもうちょっとがんばりますか」

 キュゥべぇを伴うと、さやかはソウルジェムの導くままに夜へと歩き出した。



『あなたのおかけになった電話番号は、現在電源が切られているか、電波が繋がりにくいところにいるため、掛かりません』

 無感情なコールを受け、仁美は携帯を切った。何度かコールしたが、どうやらさやかは立て込んでいるらしい。

 あさっての退院のことと、すでに今日になってしまったミニコンサートの件だけは、どうあっても伝えておきたかったのに。

「仕方ありませんわ。明日の朝、登校途中にお話しすることにしましょうか」

 自分以外誰もいない遊戯室の中で、言い聞かせるように呟く。

 でも、それが妙に虚ろに聞こえてしまうのは、どうしてなんだろう。

 もし、明日もさやかに会わなかったら、その時自分はどうするだろう。無理にでも連絡を取って、全てを伝えるだろうか。

 もちろん、そんなことは当たり前だ。

 そう言いたかった。

 でも、心の奥底にある思いが、それを押しとどめる。

 二人だけの思い出を、作りたい。

「そんな……こと」

 無いと否定する言葉が出てこないまま、仁美は窓の外に広がる夜を見つめる。空は星の一つも見えない闇に包まれていた。



[27333] 第十三話「まるで、因果の繭や」
Name: 犬太◆93ceb70e ID:97db629a
Date: 2011/07/09 16:28
 ぺたりと床に腰を下ろし、必死に携帯電話に耳を押し当てているほむらを見て、唯は頬を緩ませた。

 お茶の準備をしながら、その様子を見るとはなしに見るマミと、テーブルの上に座ってニヤニヤしながら眺めるトムヤン。

「……あ、っ、ま、まどゅか!? っぶ、ご、ごめんなさい。まどか」

 噛んでしまったことを顔を真っ赤にして謝る姿がものすごくかわいらしい。

 ガラステーブルにぱしぱしと手を打ち付けて、笑いをこらえているトムヤンにチョップを入れて黙らせる。

「そ、その、昨日は、ごめんなさい。それで……あの、うん。いいの、そのことはもう。それでね! あなたに、聞いて欲しいことが、あるの」

 それから、いくらか短いやり取りの後に通話を切り、ほむらは体が萎んでしまうかと思うぐらいの息を吐き出した。

「ご苦労様。まどかちゃんはなんて?」

「お母さんと相談するから、ちょっと待ってて欲しいって」

 携帯電話をテーブルの上に置くと、今度は蒼白な顔でそれを凝視する。くるくると変わる顔色を見て、潰れていたトムヤンが体を起こした。

「まだ本題も喋ってないんだぞ? 今から緊張してどうすんだよ」

「だ、だって……!?」

 鳴り響いた着信音に反応して、ほむらが文字通り電話に飛びつく。

 ワンコールで着信すると、やはり短いやり取りの後、泣き出しそうな顔で安堵した。

「い、今からここに来るって」

「そっか。それじゃ先輩、後はよろしくお願いしますね」

「任されたわ。といっても、私が何かをする必要はないでしょうけどね」

「後は若い者同士で、って奴ですな」

 ちょっといやらしい笑いを漏らしたトムヤンに再び一発ぶちかまし、これからのことを考えて不安そうな顔になったほむらに声をかけた。

「大丈夫だよ。まどかちゃん、暁美さんのこと知りたいって言ってたから。もし、分ってもらえなかったら、何回でも説明すればいいんだよ」

「う、うん」

 マミの家にやってきてから、ほむらはすっかりしおらしい姿になっていた。というよりも、こちらが本来の彼女なのだろう。

 感じやすくて傷つきやすい、本当はガラスの置物のように壊れやすい女の子。

「さて、それじゃ俺達もそろそろ帰ろうぜ。ユイのおかあさんも心配するし」

「そうだね。それじゃ、がんばってね」

「い……」

 立ち上がろうとしたこちらのスカートをほむらの手ががしっと掴んだ。

 唯以上に驚いた顔をした彼女は、真っ赤になって手を離してしまう。

 今までのほむらからは考えられない行動に、トムヤンも苦笑いしつつ頬を掻いた。

「な、なんだかなぁ……ほむらって、その」

「すごくかわいいよね」

「ふふ。ほんとにね」

 手にしていた携帯電話をポケットにしまったマミが、恥ずかしさのあまり顔を俯けてしまったほむらの隣に座って、その肩を抱く。

「安心しなさい。何があったら私がちゃんとフォローするから、ね」

「……はい」

「ということで、世話の焼ける女の子の世話は、お姉さんが引き受けたわ。二人は家に帰ってゆっくり休むこと」

「ありがとうございます。それじゃ、行こうか」

「ほむらー、まどかちゃんと仲良くしろよー」

 トムヤンを肩に乗せ、挨拶をしてマミの部屋を後にする。

 これからどうなるかは分らないが、まどかへの事情説明が終われば、事態は大きく動くだろう。

 とはいえ、唯にとってはまどかとほむらが、きちんと友達として付き合えるようになるほうがより重要に思えた。

「うまく行くと良いね」

「そうだな」

 久しぶりに感じる彼の重さを心地よく感じながら、唯が夜の道を歩き出そうとしたときだった。

 胸元に一瞬震えを感じ、意識がそれに導かれるように拡散していく。増感された知覚に何かが引っかかる。

「どうした、ユイ?」

「うん。なんだか、変な感じがして」

「魔女か?」

「違うみたいだけど、トム君は何か感じる?」

 少し目を閉じたトムヤンは、唯の感じていた異変の源の方へと顔を向けた。

「なんだろう、結構遠いな。魔女のじゃない、魔法少女の力だよ」

「誰かが魔法を使ったの?」

「……消えたみたいだ。もしかしたら、この前の杏子とか言う奴かもしれない」

 あの時の戦いのことはまだ覚えている。おそらく、次にあったときも何らかの形で敵対することになるだろう。

 その事を考えたのか、トムヤンは真剣な面持ちで帰宅を促した。

「早く帰ろう。変身アイテム、調整しなおさないといけないし」

「そんなに何度もやって大丈夫なの?」

「ユイが魔法少女として才能を開花させたから、根本的な改良が必要なんだ。

 それでも、今までよりははるかに楽だよ。何をすればいいのか分ってるからな」

 大分すっきりした顔のおともを見て、唯は笑顔で頷く。今まで暗い顔ばかり見てきたせいか、いつもどおりのトムヤンになったのが嬉しい。

 だが、何かが引っかかっている。さっき感じたものが引き金になって、胸の内に小さな警告を発しているような気がしていた。

「どうした?」

 その問いかけに答えを返すことが出来ず、唯は小さな不安を抱えながら、夜空を見上げた。

 満月を過ぎて緩やかに欠け始めた月が、淡い光で地上を照らしていた。


最終話「まるで、因果の繭や」


 レースのカーテン越しに降り注ぐ日の光を感じながら、ほむらは長い吐息を漏らした。

 結局一睡も出来なかったが、その辺りは改修された肉体のせいか、あまり気にはならない。

 問題は自分の左側に敷かれた布団に眠る、まどかの存在だ。

 顔をこちらに向けるようにして、小さな寝息を立てる顔。

 今までは銀河の端と端に分かれるほどに感じていた彼女の距離が、ほんの数センチにまで縮まっている。

 昨日の晩はとにかく大変だった。説明が続くにつれてまどかは泣き出しそうになり、実際に声を上げて泣き出してしまった。

 自分達魔法少女に待つ、魔女へと変貌する運命の残酷さに。

 同時に、小さくはあるが希望もあること、それが香苗唯であり、そのおともであるトムヤンであることを知らされ、

 再びまどかは泣いた。今度はうれし泣きだ。

 それから、二人で長い話をした。言うまいと思っていた、たくさんの世界のまどかのことさえも。

『あなたは私を憎んでくれていいのよ。だって、私はあなたを救うつもりで世界を、そして、あなた自身さえ犠牲にしてきたのだから』

 たまらなくなって思わず口にした言葉を、まどかは優しく否定した。

『そんなこと言わないで。だって、ほむらちゃんは「私」のお願いを聞いてくれたんでしょ? だから、憎んだりなんてしないよ』

『まどか……』

『きっとね、この世界にいるたくさんの「私」もきっとそう言ってくれると思うんだ。だって、私がそう思うんだもん』

 それ以上、何もいえなかった。今度は自分が泣き出す番だったから。

 夜が更けて、マミの優しい叱責でもう寝なさいと言われるまで、二人は話し続けた。

 それからまどかがおやすみを告げて眠りに就くまで、ずっと見つめ続けていた。

 全ての重荷が解かれたような、そんな気分になる。後はワルプルギスを打倒すれば、全ての運命が変わるのだ。

 まどかと自分をがんじがらめに縛り続けてきた、呪わしい運命の全てが。

 そんな取り止めの無いことを考えていたほむらの物思いを、部屋のドアをノックする音がさえぎった。

「暁美さん、鹿目さん、二人とも起きてる?」

「すみません。まどかは、まだ寝ています」

「……ん……ほむら、ちゃん?」

 寝ぼけ眼を擦りながら起きてくるまどかを見て、ほむらはそっと笑った。もう少し寝ていれば良いのにと思いながら。

「そろそろ、学校の時間ですね」

「ええ。朝ごはんを作ったから一緒に食べましょう。配膳を手伝ってくれる?」

「はい。それじゃ、私先に行くわ」

「んん、私もすぐ行くから」

 寝起きでふにゃふにゃしながら携帯でメールのチェックを始めたまどかを残し、ほむらが部屋を出る。

 出迎えたエプロン姿のマミが、こちらに真新しいエプロンを手渡した。

「これでもう、鹿目さんがキュゥべぇと契約する心配はなくなったわね」

「……そううまく行けば、いいんですが」

 エプロンを身に付けると、不思議そうな顔をしたマミから皿やカップを受け取り、ほむらは食卓に配膳をしながら答えを返した。

「この時間軸に入る前のループで、私はまどかと親密にならないように心がけながら、彼女が魔法少女になる要因を排除してきました。

 でも、結局彼女はキュゥべぇと契約しています」

「あなたを助けるため、ね。……なるほど」

「はい。もし、私達の誰かが、一人でも命を落とすようなことがあれば、まどかは契約をしてしまう可能性があるんです」

 確かに、自分やマミに異常が無く、おおむね順調に行っている現状なら、まどかは絶対に契約をしないだろう。

 だが、自分達のいずれかが命を落とすようなことがあれば、その限りではない。それはさやかや唯に対しても言えることだ。

「見通しが明るくなっても、現状は未だに辛いまま、ということね」

「はい……」

「そんなこと無いよ」

 着替え終わったまどかが、いつの間にか二人の後ろに立っていた。

「私、決めたよ。何があっても、絶対にキュゥべぇと契約なんてしないから」

「まどか……」

「その代わり、ほむらちゃんも、マミさんも、絶対に……死なないで」

 口にするには重過ぎる言葉を、まどかはあえて上せてきた。

 それが彼女なりの決意の表し方だということが分りすぎるほどに感じられる。

 その気持ちに応えるなら、至誠を以ってするしかない。

 だがら、きっぱりと言い放つ。

「分ったわ、まどか。私は絶対に死なない」

「ほむらちゃん」

「後輩にそんなきっぱり断言されたら先輩として弱気は見せられないわね。大丈夫よ、鹿目さん。こう見えて私、かなり生き汚い方だから」

「マミさん」

 明るさに満ちたキッチンの中で三人の視線が絡み合い、お互いの気持ちを確かめ合う。

 朝の空から降り注ぐ光に包まれながら、ほむらは決意を新たにした。

 今度こそ、みんな救ってみせると。



 いつもと同じ通学路を辿りながら、まどかは世界がいつもと違うものに変わっていることに気が付いていた。

 もちろん、魔女の結界が展開しているとか、そういう異常な事態が起こっているというわけではない。

 全てを知って見る世界は、今までのどこかのんびりとしたものではない、緊張感に満ちたものに変わっていた。

「おはよう、まどかちゃん!」

「あ、おはよう、唯ちゃん!」

 結構後ろからやってきた唯の姿が、あっという間に自分達に合流する。

 息一つ切らしていないのはやはり陸上部だということなのだろう。

「今日は部活は?」

「ゆっくり朝寝坊できるのは今日までだよー。明日からは朝錬の毎日、あー、もうちょっと病気してようかなぁ」

「退屈で死んじゃいそうって言ってたのは、誰だったかしら?」

 笑顔で突っ込んでくるマミに唯が少し頬を膨らませると、ほむらがそれを見てやんわりと笑みを浮かべる。

 そして、唯はこちらにちらりと目線を送ると、胸元を軽く指でつついた。

『おはよう、まどかちゃん。っていうか、今まで黙っててゴメンな。君が一番キュゥべぇにマークされてたから、あんな風に接触するしかなかったんだ』

『ううん。私こそ、いろいろありがとうね、トムヤン君』

『ところで、今日はさやかは?』

 何気なく落とされた言葉に、ふと朝のメールのことを思い出す。

「それがね」

「あら、皆さんおはようございます」

 出鼻をくじかれたまどかは、声をかけてきた仁美に振り返った。

「おはよう仁美ちゃん」

「なんだかずいぶん珍しい組み合わせですのね。巴先輩に、暁美さん、それとあなたは香苗さん、でしたっけ?」

「うん。おはようございます、って……名前まだ聞いてなかったっけ」

「志筑仁美です、どうぞよろしくお願いします。ところで、さやかさんはどちらに?」

 再び投げかけられた質問に、自然と全員の質問の眼差しがまどかに集まる。今朝のメールを思い出して、まどかは告げた。

「その、家の用事があって、今日は少し遅れるんだって」

『ごめん、ちょっと仁美ちゃんがいるところだと話せないよ』

 一瞬にして仁美を除いた全員の空気が冷える。何も知らない一人の少女は、そうですかと言ったきり、少しだけ頷いた。

「あ、あのさ、仁美ちゃん。ちょっと私達、先輩に聞きたいことがあるんだ! 

 すぐに追いつくから先に行っててもらえる?」

「え、ええ。構いませんけど……わたくしも少し用事がありますし、お先に失礼いたしますわね」

 あっさり先に行ってくれた仁美に胸をなでおろすと、まどかは今朝のメールの内容を告げた。

「なんか、昨日の夜遅くに魔女を見かけたらしくて、それを追っかけて行っちゃってたみたいです」

「なんですって?」

「それで、さやかちゃん大丈夫だったの?」

「苦労したけど一応魔女は倒したって書いてあったから、大丈夫みたい。でも、さすがに疲れたから今日は学校休むって」

 メールには『マミさんには適当に言ってごまかしておいて』と添え書きがあったが、申し訳ないと思いつつも、それについても報告をしておいた。

 魔法少女は無理をすれば魔女に変わってしまう、さやかに一人で突っ走らせるわけには行かない。

「全く、あの子は……」

「やっぱり、美樹さやかは問題ね」

 困惑を浮かべたマミと、深々とため息をつくほむら。

 二人の心象をあずかり知らないところで悪くしたさやかのために、まどかはフォローを入れた。

「で、でも、さやかちゃん、別に悪気があってやったわけじゃないし! その、ちょっと思い込みの強いところがあるだけなんだよ! だから……」

『普通ならそれで済むんだけどな。これからはさやかの動向を逐一チェックするようにした方がいい。

 まどかちゃん、マミ、二人とも頼むぜ』

「あと、暁美さんは早めにさやかちゃんと仲良くできるようにしてね」

 頷くマミと、ぎこちなく請け負うほむら、それぞれの温度差を見て思わず苦笑を浮かべてしまう。それでも、まどかはほむらの手をそっと握った。

「私、ほむらちゃんがさやかちゃんと仲良くしてくれたら、とっても嬉しいよ。魔法少女とかは関係なくても」

「……分ったわ、まどか」

 期待した返事ではなかったが、とりあえずはこれでいい。そんなことを考えて歩き出そうとしたまどかに、声が掛かった。

「おはよう、まどか」

 道の先にふらりと現れた白い生き物を見て、思わず全身の筋肉がこわばる。

 両脇を固めたほむらとマミが緊張した面持ちでキュゥべぇを見つめ、三人の陰に隠れるようにして唯が立つ。

「どうしたんだい? そんな顔して」

「……キュゥべぇ、私、分ったんだよ。魔法少女がなんなのか、そして、魔女がどうやって生まれるのか」

「そうか。情報提供者は暁美ほむらかい? それとも」

 こちらの怒りを滲ませた告白に全く気負った風も見せないキュゥべぇは、陰に隠れた一人の少女に顔を向けた。

「香苗唯、君からかい?」

「……やっと、私に話しかける気になったんだね。キュゥべぇ」

「魔法少女としての才能が無い君が、僕を認識しているとは考えられなかったからね。

 確証が得られるまでコンタクトを取る気は無かったのさ」

 まどかが脇に退くと、唯が自然にキュゥべぇの前へと進み出る。二つの視線が絡み合って、沈黙が辺りを支配する。

 最初に口火を切ったのは、白い生き物だった。

「さて、こうしてお互いに会話をすることが可能だと分った以上、僕としては交渉をもち掛けたいと思うんだけど、どうかな?」

「内容にもよるよ。少なくとも、魔法少女になる契約を勧めるなら、私は一切聞くつもりは無いけどね。

 あと、まどかちゃんに対してこれ以上干渉しないっていうのが、話を聞く条件」

「手厳しいね。僕の目的は知っているのかい?」

「魔法少女になった女の子の魂を、魔女に変換してエネルギーの塊にするんでしょう?」

 キュゥべぇの顔が笑みの形に変わる。

 だが、それが形状をそのように変化させただけに過ぎないという事実を知った今では、気味の悪さが先に立ってしまう。

「正確さに欠ける情報だね。ただ、そうした情報がどこで流布されているのかは知っている。

 これでどうやら確証が持てたよ。香苗唯、君はおとも世界からの協力者に守られているんだね」

「そういう言葉が出るってことはキュゥべぇ、あなたもおとも世界のことを知っているって言うことだよね」

「……やれやれ。君に付いているおともというのは、かなりのやり手らしい。

 僕としてはこういう状況で言葉遊びをやり取りするような無駄は避けたいんだけどね」

 キュゥべぇの一言に苛立ちを顕にしたほむらが進み出ようとするが、唯の手がそれを阻む。

「香苗唯、悪いが僕が交渉したい相手は君じゃない。

 君に戦う力を与え、僕の存在についての情報を利用して、巴マミや鹿目まどかに行動の指針を与えた、そのおともとだよ」

「そんな条件を飲むメリットが、こっちにあるとは思わないけど」

「君は単なるスピーカーに過ぎない。今もおともの助言を受けて喋っているんだろう? 

時間と労力の手間を省き、相互理解を円滑に進めるために必要なんだ。これは交渉ではなくて、単なる提案だよ」

 キュウべぇの発言はどこまで行っても慇懃無礼だった。

 今も唯と言葉を交しているが、視線はずっと胸元に集中したまま、始めから眼中に無いという体だ。

『お前、礼儀作法の成績は?』

「やっと出てきてくれたね。ちなみ僕の成績はAマイナー、言葉の硬さと婉曲な表現が嫌味に聞こえるので注意するように言われたよ」

『正しい評価だな』

 その一言と共に、胸元から光が零れ落ちる。キュゥべぇの目の前に現れたトムヤンは、敵意と怒りを隠しもしない態度を見せた。

「俺のユイに失礼な口をきいて、ただで済むと思うなよ」

「僕は事実を言っただけさ。通訳はあくまで通訳に過ぎない、交渉は実務者同士がやるべきだものだよ」

「ユイは俺の魔法少女だ!」

 声を荒げるトビネズミから一歩身を引き、キュゥべぇがため息をついた。

「礼儀として名乗らせてもらうよ、僕の名前はキュゥべぇ。それで、君の名前はなんというんだい?」

 相手から投げられた言葉に、なぜかトムヤンはニヒリスティックな笑いを浮かべると、軽々と唯の肩に飛び乗って、キュゥべぇを見下ろす形を取る。

 そして、口を開いた。

「……妄言によって惑わし、可憐な少女達を闇に落とす者よ。奸智を用いて己を守り、狡猾に回りて野望を遂げようとも、天は決してそれを許さぬ! 

 人それを『懲悪』と言う」

 それからきっかり三十秒、場の空気が固まった。

 なにやらこう、無性に反応を欲しがっているようなトムヤンの顔がぴくぴくしているのが分る。

 いたたまれなくなったまどかは、愛想笑いを浮かべつつ思わずフォローを入れた。

「も、もしかして、キュゥべぇに何か言って欲しいんじゃないの、かな?」

「そ、そーだよ! そこでちゃんとお約束に乗って来いよ! ったく、お前空気読め!」

 トムヤンを中心に醸成された微妙な雰囲気を意に介する事も無く、キュゥべぇは首をかしげて発言を返した。

「そんなこと言われても……名前を聞いたはずなのに、全く関係の無い発言を聞かされてしまった僕に、

 空気を読めとか……ほんとうに、わけが分らないよ」

「あー、だめだだめだ、こんなノリの悪い奴と交渉なんかやってられるか。行こうぜ、みんな」

 憤慨したトビネズミに促されて唯が、それに従ってほむらとマミが立ち去っていく。

 首をかしげたままぽつんと取り残されたキュゥべぇを、なんとなくかわいそうだと思いつつ、まどかもその後を追った。

『い、いいの? キュゥべぇの話聞かなくて』

『まどかちゃん、こういう交渉ごとってのは、相手に応じる態度を見せちゃダメだ。

 特にあいつは、最初っから自分に有利な状況を作って、自分の利益を完遂するためだけに動いてる。そういう手合いを相手にする場合は』

 悪戯っぽい笑顔を浮かべて、トムヤンはまどかに振り返った。

『いきなり交渉の椅子を蹴っ飛ばすところから始めるんだ!』

『あいつはトムヤンを名指しで交渉相手に指名してきた。ということは』

『この一件から手を引けって、俺に言ってくるつもりだったんだろうな。

 あいつが提示してくる交渉材料がどうあれ、はなっから受け入れられる話じゃない』

『でも、ちょっと性急過ぎたかもしれないわね』

 たしなめるような視線を投げたマミに、トムヤンはそっと肩を竦めた。

『それは認めるよ。あんな態度を取っちゃったのは、ユイに対する口のきき方が気に食わなかったってのが大きいし。

 ただ、あいつはいずれ交渉を持ちかけてくるだろうから、その時に聞いてやれば良いのさ』

『あいつが持ちかけてくるであろう、交渉材料を潰しつつ、というわけね?』

『そーいうこと!』

 胸を張って言い放つ姿は、とても小さなネズミとは思えないほどの存在感があった。

 この子に任せておけば大丈夫、そんな期待感がほんのりと湧いてくるのをまどかは感じた。

「それにしても、あんな風に会話を打ち切られるなんて、あいつにしてみれば初めての経験でしょうね」

「もしかしてトムヤン君って、いつもあんな感じなの?」

「破天荒と言うか、見た目に合わないというか、個性的ではあると思うわ」

「私としては、もう少しおともっぽい可愛さが欲しいんだけどねー」

『えー、なんで俺フルボッコなのー? ここは普通、キュゥべぇに一発かましたって事で賞賛の嵐が来るところでしょー』

 そんな勝手なことを言い合いつつ、まどかたちは学校への道を辿っていく。

 キュゥべぇの白い姿は、ふっつりと姿を消していた。





















 決して、人には視認されない存在として、それは佇んでいた。

 四足歩行獣のフォルムを持つ白い生き物が、ほうきのような房を持つ尻尾をゆったりと動かしていた。

 それは、空を見上げていた。赤い瞳が光を跳ね返して、きらりと光っている。

 地球、日本、見滝原、その片隅でキュゥべぇが空を見上げる。

 時を同じくして、その反対にある南米大陸の一都市、あるいはそこから北にいった場所にある北米の大都市、

 あるいは西欧、東欧、中近東、アジア諸国、アフリカ、インドなどありとあらゆる人の息づく場所で。

 そこに潜んだ、一千億を越えようという無数のキュゥべぇたちが、空を見上げていた。

 それを見ることが出来たものがいたなら、おそらく怖気を感じていたことだろう。

 全てのキュゥべぇたちが寸分の狂いも無く、完璧に同期した動きで尻尾を振り、

 あるいは瞬きをし、少しばかり身じろぎをするという行動をしていた。

 何かを待つように、あるいは何かの兆しを知ろうとするように、空を見つめ続ける。

 やがて、彼らは一斉に動き始めた。

 あるものは雑踏に入り込み、またあるものは自分が加工した魔法少女の元へと出向き、

 それ以外の、彼らしか知りえない雑務のために世界に忍びこんで行く。

 その動きにあわせたかのように、もう一つの異変が起っていた。

 見滝原を含んだ惑星地球の周囲に広がる異次元の海に、九隻の戦艦が集う。

 その旗艦にあたる船の中で、一匹のおともがモニターに映し出された光景に驚嘆を漏らしていた。

「まるで、因果の繭や」

 小さな粒のような瞳には驚きと、かすかな恐怖が浮かんでいた。その傍らに立っていた副官の青年もまた、ため息を漏らす。

「ひどい時空乱流です。どんな最新鋭艦でも、突破するのは不可能と言う調査結果が出ています」

「全ての災禍の中心、やな。おそらく、あそこに何かが隠されとると思うんやけどな」

「ええ。……そういえば、管理局の方から送られた各世界の事件報告書ですが、ご覧になられましたか?」

「……コメントは控えさせてもらうわ。後はあいつらに直接聞くしかない」

 インキュベーターに関する事件と、それに合わせて聴取を行った資料は、すでに関係者各位に渡っていた。

 その中に書かれた被害の状況と、インキュベーターたちに行った尋問の一部始終は、見たものに頭痛を引き起こさせるに足るものだった。

 だからこそ、封印の獣は『自分の目と耳で確かめたい』と考えたのだろう。彼らの行動がいかなる思考の下に行われたのかを。

『艦長、関係者の方々が会議室に集合されました』

「わかった、すぐ私もそちらに向かう。では、行きましょう」

「せやな」

 呼び出しの放送に従い、艦長用の執務室から二人の姿が消えて、モニターも自動的にスイッチがオフになる。

 時空嵐のベールに包まれたその星は、まるで心臓の鼓動でも模するかのように、モニターの光が消えるまで静かに脈動を繰り返していた。



[27333] えくすとりーむ☆トムヤン君! 第一話「こんなの絶対おかしいよ」
Name: 犬太◆93ceb70e ID:97db629a
Date: 2011/07/13 21:55
 時空管理局より貸し出されたその旧式艦が旗艦として選ばれたのは、

 何もその艦を動かす提督や副官に思い入れがあるからという理由ではない。

 不測の事態が発生した場合においても、本国の戦力に打撃を与えないという配慮の結果であり、

 現役の最新鋭艦にも劣らない居住空間が整えられているという点が、旗艦として選ばれた要因である。

 だが、副官と封印の獣が大会議室にやってきたとき、室内はおともや関係者各位がぎっしりと並んで、すし詰めに近い状態になっていた。

「こらあかんなー、別室にいくらか移動してもろて、そっちと放送でつなぐっちゅうんはできるやろか?」

「早速手配します」

 そうして、どうにか着席することが出来た二人は、出席している面々の顔を見て、同じような表情を浮かべた。

 彼らの手元に置かれているのは厚さ二センチにも及ぶ資料。そのほとんどに幾度もめくられた痕跡があり、あるいは付箋がつけられたものもある。

 あるいは、ぼろぼろに引き裂かれた残骸だけが置かれている卓もあった。

 インキュベーターにおける各世界の被害状況を報告した事件報告書。

 もちろん、全ての事件が記されているわけではなく、十数件のケースをまとめたものに過ぎないが、その所業を知るには十分すぎる資料になっていた。

「みんな、資料は読んでくれたようやな」

 座の騒ぎがいくらか収まるのを見計らって、獣が言葉を掛ける。

「まずは、みんなお疲れさんや。まだ事件が解決したわけや無いけど、今回は現状の把握と、今後の方針について報告をさせてもらおうかと思うてる」

「それは、現在インキュベーターの最前線で戦っている我々を、一堂に介させる必要があること、いうことですか?」

 端正な顔を崩さないまま金髪の男性が、物憂げな表情で問いかける。

 見た目は美形の青年に見える彼は、愛の女神に仕える天使であり、その武勇とリーダーシップを買われて前線指揮を任されている。

「いくら我々の活躍で魔女の数が激減しているとはいえ、予断を許さない状況です」

「気持ちは分るけどな、戦ってばかりでもこの問題は解決せえへん。せやから、みんなの力よりも、知恵を借りたいんや」

「知恵、ですか?」

「インキュベーターと、和解できへんか、ってことでな」

 封印の獣の一言で、会場は紛糾した。

 その原因は確実に配られた資料にあるだろう、その一番最後にある、インキュベーターに対して行われた事情聴取の項目に。

「関西人は常にネタをかますチャンスを覗ってる、とは聞くがね。そいつはとても笑えるジョークじゃないな、ええ?」

 会場奥から、苦味交じりの失笑が零れる。

 一般人の衆目にさらされていないため、素で話を始めた『少佐』が、パルタガスの煙と一緒に苦言を吐いた。

「こいつらの目的、その行動原理と手口、どれをとってもあからさまな『侵略』だ。

 悪いが俺も、そして俺の仕える主も、そんな奴ら相手におててつないで仲良くしましょうなんて言う気はさらさらないぜ」

「すまんな。さっきのが冗談に聞こえたんやったら改めさせてもらうわ。

 和解やのうて、理解と言い換えたほうがええかもしれん。

 少なくとも、このまま戦っていてもラチがあかんちゅうのが、わいや対策チームの見解や」

 最後の言葉に、部屋の空気が僅かに淀む。少佐がくゆらせている葉巻のせいばかりではない、獣の発言に納得するしかない現状がそうさせていた。

 確かに魔女も、魔法少女に契約する少女の数も少なくなっていはいるが、それは目に見える部分だけのこと。

 捕獲されたキュゥべぇの数はすでに一千万を越え、収容施設に収まりきらないのが現状だ。

 さらに悪いことに、時空犯罪者の手によって本来生息が確認されていない世界にもキュゥべぇが持ち込まれていることが分り、被害の拡大は止めようが無かった。

 まるで病原菌のようにキュゥべぇの禍が広がっている。いないと認定されたはずの世界で彼らが活動していた、というケースも少なくない。

「根本的な解決が必要なんや。もし……敵と認定するにしても、なにをどうすれば終わるかを見極めなかったら……わいら全員、くたびれ果ててまう」

「戦争は終わらせなければならない、十五年続こうが百年続こうがな。そのために、妥協点を見出したい、ってことか」

 こくりと頷く獣の姿は、何処か悄然として見えた。

 彼自身も、インキュベーターのやり口に納得しているわけではない、むしろ積極的に断じて行きたいのだろう。

 しかし、異常としか言いようの無いその数とその目的が、そうした蛮行を押しとどめている。

 彼らは言った。自分達の活動は、宇宙全体のためになることであると。

 その究極の目的は、魔法少女と魔女のサイクルを使い『宇宙のエントロピー増大を抑止する』こと。

 彼らの言葉を聞いた大半の者は、意味と内容を理解できなかった。そして、それを理解できたものは失笑し、あるいは戦慄した。

 彼らは人間の命と感情を使って、宇宙の寿命を伸ばそうとしていると言っていたのだ。

「しかし、こいつらの言っていることは無茶苦茶だ。大言壮語を盾にして、単に人間の魂を集めたがっているだけじゃないのか?」

「そうかもしれんし、そうでないかもしれん。それを確かめるために、わいらはインキュベーター達に、

 いやさ『インキュベーターに』真意を改めて問いただす」

「でも、それならわざわざこの場所でそんなことを宣言する必要はないんじゃない?」

 会議には月の国から黒猫も召喚されていた。彼女の質問に頷くと、それまで沈黙を守っていた副官が口を開く。

「追跡調査で分ったのですが、インキュベーター……この場合はキュゥべぇと呼称するべきですが、彼の、おともとしての任地がここなのです」

 モニターに映し出される惑星、それはどす黒く見える渦のようなものに取り囲まれて、輪郭すら確認することが出来ない。

「並行世界の地球型惑星の一つ、その日本北部にある見滝原という土地が、彼の任地でした。

 そして今、この星は何者かの手によって、封印されている状態です」

「この時空乱流は、明らかに自然現象以外のものや。おそらく、全ての事態はこの星で起きることと、なにか関連があるのは間違いない」

「中に誰かを送り込めないのか? そこの白饅頭とか」

 少佐の振りに長い耳を持つ白いおともは、悲しげに目を伏せて首を振った。

「あのね、どんなにがんばってもダメなの。なにか、すごい力っていうか、流れみたいなものに弾かれちゃうの」

「わいも手を尽くしてみたけど、あかんみたいなんや。時が来れば開く、とは言われてるけどな」

「その時が来た瞬間に、俺たちが終わってるかもしれないがな」

 痛烈な皮肉に顔をしかめると、獣は気を取り直して周囲を見回した。

「これから、わいらはインキュベーターに対して色々質問をすることになる。

 あいつらの目的とそれを翻させることは出来るのか、そして、あの中で何が行われているのかをや」

「質問する相手はどうするの?」

「そんなん、この船の船倉に幾らでもおるやないか。その中の一匹をここに呼んでやな」

『会議中失礼します! 申し訳ありませんが緊急でお伝えしたいことが』

 ブリッジクルーからの緊張した声が会議室に響き渡る。会議の推移を見守っていた提督がすぐに反応し、二言三言指示を飛ばした。

 やがて、その顔が緊張したものに変わる。

「みんな、落ち着いてちょうだいね。まずは、艦外の映像をモニターに回すわ」

「艦外の映像!? それはどういう……っ」

 今まで時空乱流に囲まれた星を映し出していた映像が、甲板の一部を拡大したものに変わる。

 そこにぽつんと乗っているのは――

「キュウべぇ、やと!?」

『やあ、良く来たね、時空管理局ならびにおとも世界の諸君』

 別に色が違うわけでも、姿形に何の違いがあるわけでもない、だた、その白い生き物には何か違和感が感じられた。

『そろそろ逢えると思っていたよ。こうして君たちがやってきたということは、あの星に関することを調査しに来た、そうだろう?』

『確かにその通りやが……大体お前、何でそんなところにおるんや!』

『それについては後で分る。まずは君たちの疑問と質問に答えるよ。それが終わったら、お願いを一つ聞いてほしいんだ』

『……どんなことや?』

 モニターの中から、インキュベーターはこちらを見つめて笑顔を浮かべた。

『とても簡単なお願いを一つ、ね』


第一話「こんなの絶対おかしいよ」


 だるさをこらえながら目を開けると、カーテンから差し込む光はすでに午後の日差しに変わっていた。

 枕もとの携帯は電源を切ってあるので、眠い目をむりやり開けて部屋の時計をチェックする。

 午後三時半、うとうとしながら惰眠を貪っていたら、もうこんな時間になっていた。

「あー、全くもう、なさけないなー」

 寝床から体を起こすとさやかはそのまま部屋を出た。自分の嘘を糊塗するために必死で魔女を探し、

 結局見つかった魔女を倒すのにものすごく時間が掛かった。

 グリーフシードでジェムは浄化できたものの、時間はすでに朝。結局まどかに連絡を入れた後、部屋に潜り込んで眠ってしまっていた。

 一応両親には体調不良ということで学校を休むといってあるし、まどかにもマミに事情をごまかすようにお願いしている。

 とはいえ、さすがに体のほうはなんとも無いわけだし、ずっとこのままというわけにも行かないだろう。

 そんなことを悩んでいると、小さな生き物が目の前に現れた。

「おはよう、さやか。といっても、もうお昼も大分過ぎてるけどね」

「おはようキュゥべぇ。昨日はつき合わせて悪かったね」

「別に問題ないよ。それよりも、これからどうするんだい?」

 これから、という言葉にさやかは少しだけ悩んだ。また魔女狩りに出ても良いが、これ以上マミを無視して行動するのも問題だろう。

 一日中寝ていても良いとは思うが、ズル休みしているという点で、正義の味方としては落第だ。

「とりあえず、マミさんのところに行くよ。あと、まどかにもお礼言っとかなくちゃ」

「そうか。みんな普通に登校していたから、もう下校しているだろうね」

 携帯の電源を入れると、それまで基地局に貯まっていた着信履歴やメールが押し寄せてくる。

 送信相手をチェックしていたさやかは、マミやまどかに混じって、仁美の着信が混じっていることに気が付いた。

「あれ?」

 気になってリダイアルをかけてみるが、電源を切っているらしく一向に繋がらない。

 不思議に思いながら、それでもさやかは適当に昼ご飯らしき物を口にして外に出た。

「あ、まどか? 今朝はゴメンね。それとマミさんにうまく言っておいてくれてありがとう。それで、マミさん今どこにいるか知ってる?」

『多分、今はパトロールに出てるんだと思う。あ、それとね、いいことが二つあったんだよ』

 受話器の向こうで、まどかの声はどこか嬉しそうだった。

「ん? なにかあったの?」

『いっこめはね、上條君が明日退院するんだって』

「……なに、それ?」

『仁美ちゃんが教えてくれたんだ! ホントはおととい教えてくれるつもりだったらしいんだけど、

 さやかちゃんてばマミさんと魔女退治に行くからって話聞かなかったでしょ』

 少し混乱したものの、彼女に対する自分の発言や行動を思い出してため息をつく。

 そういえば仁美の着信も数回に及んでいた、多分必死に教えようとしてくれたのだろう。

 取り残された気分を払拭すると、さやかは相手に見えもしないのに笑顔を作った。

「そういやそうだったね。相変わらずダメダメだ、あたしってば。んで、もう一つは? 早乙女先生が新しい彼氏と結婚でもするの?」

『それは今朝だめになっちゃったって言ってた。そうじゃなくて、マミさんとほむらちゃんがね、仲直りしてくれたの』

「……え?」

 唐突過ぎて理解が追いつかない。確か、昨日の時点ではそんなそぶりは全く見せていなかったはずだ。

 それとも、昨日用事があるといって帰ったのは、そのせいなのか。

「な、何かの間違いじゃない? だって、あたし、マミさんからそんなの一言も聞いてないよ」

『え!? う、うん。それがね、ほむらちゃんのほうから、今までのことは全部自分が悪かったからって言ってきてくれたの。

 それで、マミさんのほうもそれでいいよってことになって』

 そんなバカな、そんな思いが沸き起こる。だって、あの転校生はキュゥべぇを襲ったりマミに対抗するような姿勢を取っていたはず。

 まどかじゃあるまいし、マミがそんな簡単にあいつを受け入れるはずが。

『どうしたの? さやかちゃん』

「あ、うん。大丈夫。詳しい話はマミさんから聞くよ。ありがとね!」

『さ、さやかちゃん!?』

 何か言いたそうなまどかの会話をむりやり打ち切ると、今度はマミの携帯へと連絡をつなぐ。

「もしもしマミさん!?」

『あら、美樹さん。体は大丈夫?』

「う、え!? あ、はいっ! その、心配掛けちゃって、ってそうじゃなくて!」

 仮病のことがばれるかもしれないと思ったが、そんなことは無視した。それよりも確かめたいことがある。

「あいつと仲直りしたって、ホントですか!?」

『鹿目さんから聞いたのね? ええ、本当よ。暁美ほむらさんとは仲直りというか、協力関係になったわ』

「……な、なんで、どうしてですか!? なんであいつなんかと!」

『誤解が解けたからよ。彼女と私の間に何のわだかまりもなくなったから、対抗する姿勢も必要がなくなったの』

 開いた口がふさがらないさやかに向けて、マミは突然妙なことを言い出した。

『ところで、そこにキュゥべぇはいる?』

「え? あ、はい」

『悪いのだけれど、彼に今すぐ私のところへ来てくれるように伝えてもらえないかしら。

そのことで彼に話しておきたい事もあるの』

 さやかがそのように告げると、彼は尻尾を一振りした。

「なるほどね。わかった、すぐに行くと伝えてよ」

 キュゥべぇがそちらに行ったと言うと、マミはなぜか深く安堵のため息をついた。

『ところで、さっきの協力関係のことなのだけれど』

「……キュゥべぇのことは、いいんですか? マミさんの友達なんですよね、キュゥべぇって」

『ええ。その事は、もういいの。それよりも、これからのことを考えないといけないのよ。

 これから二週間の間に、この街にワルプルギスの夜という強力な魔女が現れることになるわ』

 すでにそのことは片付いたとでも言うように、マミは今後の予定を話し始める。

 強力な魔女であるワルプルギスの夜についての情報と、暁美ほむらとの協力について。

「ちょ、ちょっと待って! まさか、そのワルなんとかってのに、あの転校生を入れて戦うっていうの!?」

『もともと、彼女はこの街にワルプルギスの夜が来ることを予見して行動を起こしていたのよ。

 キュゥべぇを狙った事も、鹿目さんの契約を阻止しようとしたのも、全てワルプルギスに対抗するための措置だったと聞いたわ』

「だ、だったら、何でまどかを契約させないの!? 

 あの子は、あたしなんかに比べてものすごい才能持ってるってキュゥべぇが!」

『理由は後で説明するわ。でも、鹿目さんはキュゥべぇと契約させてはいけないのよ』

 何かおかしなものを感じながら、それでも抗議を飲み込む。電話口で話をしたところで埒は開きそうも無い。

「分りました。それじゃ、後でちゃんと説明してくださいね」

『ごめんなさいね。でも、あなたのことをのけ者にしたわけじゃないの。私も事態が急に変わってきたものだから……』

「いいです。それじゃ、今日六時ぐらいにまた連絡します。ちょっと、恭介の病院に行ってきたいんで」

『分ったわ。それと、最後に一つだけ』

 何か慎重に言葉を選ぶような沈黙の後、マミは言葉を継いだ。

『あとで、キュウべぇと話したことを、私に報告してもらえないかしら』

「報告って、どんなことですか?」

『何でもいいわ。ほら、最近キュゥべぇってあなたのところばかりにいたでしょう? だから、あの子が何をしてたのか気になって』

 はにかんだような言葉に思わず口元が緩む。

 考えてみれば出会った頃のマミはキュゥべぇにべったりで、ペットでも扱うようにしていたはずだ。

「分りました。今日のパトロールのときでもいいですか?」

『ええ。それじゃ、あまり無理をしないでね』

 通話を打ち切ると、さやかは頭を振った。それから、頬をつねってみる。

 寝ぼけてはいるかもしれないが、今の会話は全て現実のものでしかなかった。

「なにが、どうなってるのよ」

 たった半日寝坊しただけで、何もかもが変わってしまった。

 まるで、一時間に一本しかない電車に乗り遅れてしまって、立ち往生してしまったときのような不安な感覚。

 とにかく、恭介のところへ行こう。そう思いながらさやかは制服に着替えた。

 思えば、それが間違いの元だったのかもしれない。



 息を切らせて、さやかは扉を開けようとした。

 受付で聞かされた意外な一言、そのことで頭が一杯になってここまで駆けてきた。

 病院に併設された多目的ホールまで。

 だが、仕切りの向こうから届く音に、動きが止まってしまう。耳慣れた恭介のバイオリンに寄り添うように、異音が付き従っていた。

 志筑仁美が奏でるピアノ伴奏の旋律。

 コンサートに遅れてやってきた者がするように、さやかもまた音も立てずに扉を押し開け、中に入り込んだ。

 そして、見た。

 タキシードに身を包み、ライトに照らされて弓を弾く少年の傍らに、ほのかな笑みを浮かべて鍵盤を叩く、イブニングドレスをまとった少女の姿がいる。

 完成された芸術の美しさが、そこにはあった。

 誰もさやかに気が付かない。

 会場にいるゲストも、恭介の父親も、顔見知りの看護士達も、美を作り出す者達に心を奪われたままで。

 壇上の二人は、時折目配せをして互いを確かめ合っている。

 その姿にさやかの膝の力が抜け、落ちるようにしゃがみ込んだ。

「うそだよ」

 たった一人取り残されて、さやかは呟いた。

「こんなの絶対おかしいよ」


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