小学校5年の少年が父親と家電量販店でテレビを物色している。
父親がある小型のテレビの前でしばらく腕を組んで考えていたとおもったら、その少年に、
「これにしよう。ちょっと小さいけれど」
と父親は言った。
するとその少年。
「こっちがいいんじゃない? エコポイント22000点って書いてあるよ。大きいし・・・」
二人は店員を呼んで、大きめのテレビを買っていった。
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私がその父親だったら、こういうだろう。
「なに言っているんだ。エコポイントって名前がついているけれど、お隣さんのお金(税金)だぞ!
武田家は乞食じゃない! お父さんが病気したら仕方がないが、こうして元気で働いているんだ。テレビぐらいお父さんが買う。
おい、貧乏は恥ずかしくないぞ。恥ずかしいのは人様からお金をもらうことだ!」
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かつて2年前ほどだろうか、テレビを見ていたらあるお母さんが幼稚園に通っているほどの子供と一緒に茶封筒に入ったお金を受け取っていた。
小さく会釈したそのお母さんは茶封筒からどうやら2万円ほどのお金を出していた(子育て資金)。
私はこの光景にイヤな感じがした。
およそご婦人がなにもしないのに封筒に入った現金を受け取ることはない。それは特殊な女性に限られる。まして子供の前でなにも働いていないのに現金をもらうのは乞食、娼婦のたぐいである。
私はそのお母さんが次のように言ってほしかった。
「私には1歳と3歳の子供がいます。生活も苦しいので、このお金はとても助かるのですが、私にもプライドがあります。なにもしないのに現金、それも他人様のお金をもらうわけにはいきません。せめて3日ほど、市役所で臨時にやとっていただき、道路掃除でも何でもします。お願いします。」
子育ては生物にとってもっとも大切なことだし、子供を産む限りは必死になって夫婦で育ててこそ、親子の絆ができる。
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あの小学校5年生の少年もやがて65歳になり、すでにテレビを一緒に買いに行った父親は他界している。
そして、年老いた母親も長く患って、今、自分の前に冷たくなって横たわっている。
彼は考えた・・・
「恩を受けた母だが、葬式を出すとお金がかかる。このままそっと押し入れに入ってもらえば年金が入る・・・」
「そうか! 小学校の時に親父が教えてくれたのはこのことだったのか! どんなときでも人のお金がもらえるときは貰えと教わったのだ。テレビを買うときにでも乞食になってもよいというのだから、お母さんにはしばらく我慢して貰おう」
かくして息子は母親の遺体を押し入れに入れた。
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私は体が弱く、小さい頃、何回かくじけそうになったことがあった。でも、「貧乏は恥ずかしくない。額に汗しただけで生きることだ」と父親に教えられ、それが支えになった。
今の子供はかわいそうだ。
父親から「乞食になれ」と教わり、母親から「なにもしなくても現金を貰っても恥ずかしくないのよ」と教わり、そして厳しい社会に出て行く。
迷うだろう。
楽しむためのテレビでもお金を貰わないと損をしたような気がする。仕事をするにしても補助金が欲しい。なんでも人のお金を頼るしか生きるすべを知らない子供を私たちが育っていく。
そして原発事故でもあると、放射線業務に従事する大人の男性の被爆限度20ミリを外部被爆だけで与え、文部科学大臣は「なにが悪い。子供は我慢しろ!」と叫ぶ。
かつての日本、あのあっさりした、お金にこだわらない、素朴な日本人はどこに行ったのだろう。
(平成23年7月14日 午前8時 執筆)
武田邦彦
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