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スポーツ報知>コラム>城田憲子の「フィギュアの世界」

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日本のメダリストのコーチたち~都築章一郎編(5)

 佐野稔を世界選手権メダリストに育て上げた後も、都築氏の様々な試みは続く。選手育成はもちろん、コーチの社会的立場向上にも力を入れ、インストラクター協会設立などに尽力。さらに彼の育てた選手たちは全国でコーチとして活躍をはじめ、がむしゃらに作った日本のフィギュアスケートの流れの一つは、脈々と息づいていく。

 ◆都築氏・城田対談

 城田「インストラクターたちのリーダーのひとりとして『プロ協会』の発足にも関わってらっしゃるんですよね。日本プロスケート協会―今の日本フィギュアスケーティングインストラクター協会ですね」

 都築「話し始めると、いろいろ出てきますね(笑)。なんだかもう、この50年間、色々な事がありすぎて」

 城田「私たちの先生の世代に当たる、片山先生(片山敏一氏、1936年ガルミッシュパルテンキルヘン五輪出場)、稲田先生(稲田悦子氏)といっしょに。彼らとともにプロ協会の最初の理事の一人となったのが、都築先生。先生はご自身が苦労してきた分、スケートのコーチも組織として何かしっかりした基盤を作り上げていこう、と考えられた」

 都築「初めに当時のコーチたちの間で、親睦の集まりみたいなものがあったんですよ。そこで世の中からスケートのコーチがきちんと評価を受けられるようなシステム作りをしたい、という考えを話し合うようになりました。そのためにまず、資格制度を取り入れることになったんです。僕らが作った『フィギュアスケートインストラクター』という資格、これをきちんと取得していれば、まずはスケートのコーチとして信頼される、習う人にも信頼感を持ってもらえる、そんなところを目指しました。そして資格を得た人は、我々のインストラクター協会に所属します。将来的にはきちんと世の中から評価を受ける組織になって、このなかで日本のコーチも育っていく、レベルも向上していく、という形にしたいと」

 城田「今は日本のほとんどのスケートの先生が、インストラクター協会の会員ですね」

 都築「現在は全国で200人近くが資格を取っています。当初目指したような発展もしてきましたし、いい取り組みができてきたな、と思ってますよ。もし今、インストラクター協会がなかったら…」

 城田「大変ですよ! スケートのコーチという職業、いつまでも身分が保障されないままになっていましたから。保険にしても年金にしても、何の保証もない。一人で選手を教えるだけで、年をとったら終わり、ってことになってしまっていた。しかし、インストラクター協会に所属していれば、そうした部分も組織的に面倒を見てもらえる」

 都築「その点も、大きいと思います。やっぱりみんなスケートの好きな人たちの集まりですから、そんな取り組みも協力し合えた。おかげさまで今、日本でも若いスケーターでコーチになろうという人もずいぶん多くなりましたし、これからはもっともっと増えていくと思います」

 城田「都築先生にしろ、大橋さんにしろ、土ケ端さんにしろ、当時の先輩たちが自分だけのためでなく、スケート界全体のために様々に考えながら活動してらっしゃったこと。当時の私はまだまだ若くて、みんながお酒を飲みながらそんな話をしているのをただ聞いていただけの時代ですが、少しずつ私の中で肥やしになっていったかな。強化の仕事を始めた頃はまっさらで何も知らなかった私も、先輩たちや都築先生達に鍛えられて、いろいろな経験をしました。土ケ端さんに言わせれば、『叩き台があったから、叩いたんだよ。叩き台がなかったら、どうぞお嬢さん、そこで座ってて下さい、で終わってたよ』なんて言われましたが(笑)」

 城田「それから都築先生といえば、ペアやアイスダンスの選手をたくさん育てた点でも、日本のコーチとしては珍しい存在です。お嬢さんの奈加子さんもダンスで日本を代表する選手になり、ペアも岡部由紀子&無良隆志組、井上怜奈&小山組朋昭組、川口悠子&アレクサンドル・マルクンツォフ組と育てていますけれど、このきっかけは?」

 都築「ペアはですね、実はシングルの選手をより強くするために練習させたんですよ。初めの長久保(長沢琴枝&長久保裕組・札幌五輪出場)たちも、井上(ペアでアルベールビル五輪出場後、シングルでリレハンメル五輪出場)たちもそうです。これも最初は、『何が正しいかわからないから、とにかく何でもやらせてみよう』から始まったんですが(笑)。ペアを滑ることによって、シングルの選手としての軸もしっかり作れる。男子なんて、自分がしっかりしていなければ、女子を投げたり持ち上げたりできませんから」

 城田「シングルのための、ペアだった?」

 都築「実はそうです。たとえば無良などは、ペアとシングル両方で世界選手権に出て(1980年)、シングルで11番、ペアで12番だったんですよ。両方練習しながらも、初めての年でこの成績です。ペアなんてまだ2年もやってない状態で、世界選手権にも出られちゃった」

 城田「無良君が、とてもしっかりしていましたよね。もっともっと評価されていい選手だった」

 都築「井上も日本でペアをやっていたのは、たった3年ほどです。非常に短期間で五輪に出られて、シングルの選手としてもいい影響があった。でも残念ながら日本では、ペアの選手への評価があまりにも低かったですね」

 城田「それは私も、かわいそうだったな、と思ってるんですよ。特に無良君なんて、もっと連盟としても力を入れてあげるべきだった」

 都築「今もそうですが、当時はもっと認めてもらえなかったですから。本来でしたらシングルと同じように評価されて、力を入れてもらっていいのに、と私は思っていたんですが、なかなかそこまでは出来なかった」

 城田「日本は昔から、カップル競技には冷たいから」

 都築「今は新しいルールで、ジャンプだけでなく総合的なものを評価する時代になったので、ペアなどはますます近寄りがたい種目になってしまいました。あの頃から育成を続けていれば、もっと日本のペアの基礎は出来ていたはずなんですが…。また、アイスダンスもしかりです。うちの娘にやらせていたんですが、あれはもう、辛かった(笑)。日本では相手がいないということで、崩壊前のソ連に娘を連れていって、(ナタリア)リニチュクにいいパートナーを紹介してもらって、それでも何度かパートナーを変えたりもして。ペアやダンスでもロシアに助けられていますね」

 都築「私も奈加子ちゃんが世界選手権などに出るとき、何度かチームとして同行しましたよ。正直にいえば、シングルを追いかけるだけで大変だったんです。派遣される連盟のスタッフの人数も今より少なかったので、『奈加子ちゃん、どう? 頑張ってる?』なんて声をかけるだけでせいいっぱい。『今回は公式練習、この時間しかダンスは見てあげられないの』」なんて、ダンスやペアの選手たちには本当に時間をかけられなかった。今も新松戸で育った高橋成美ちゃんなどが頑張ってはいますけれど、大変ですよね」

 城田「一方でシングルの方は、長久保君、無良君、重松君(重松直樹コーチ)と、先生の育てた選手たちがコーチとして全国で活躍しています。彼らみんな、新松戸のダイエーから育っていった選手たち! 考えてみたらすごいことです。特に、仙台でコーチをしていた長久保君」

 都築「はい、新松戸の後に仙台にもダイエーのリンクができるというので、まず長久保を派遣したんですよ。そこで彼は本田武史に出会って、荒川静香に出会って、彼らが仙台から育っていった。あの当時も、ロシアのコーチに仙台に行ってもらったりして、いい形で交流も続いていきました」

 城田「ダイエーのリンク、新松戸に続いて仙台でもいい選手を輩出し続けていきますね」

 都築「やはりダイエーの中内功さんのバックアップは大きかった。ありがたいことです」

 城田「2つのリンクの選手たちがあまりに優秀なので、フィギュアスケート界はしばらく、ダイエー天下が続いたくらい(笑)」

 都築「仙台では、ロシアからさらに世界に目を向けて米国の振付師、ロバート・ダウを呼んで指導を受けたりもしていました。若い頃の本田のプログラムがロバートの振振り付けですね。長久保はじめ仙台のコーチたちも非常に頑張って、どんどん世界の空気を日本に入れていこう、と。そんなふうに次の世代につながっていったことは、私の一つの宝だな、と思っています。世界のたくさんのコーチに出会って、教えてもらって、その流れを自分の選手たちも受け継いでくれて、みんながコーチとして活躍して…。さらに新しい世代の子どもたちも、いい流れの中で頑張ることができています」

 城田「みんな先生の、反骨精神からスタートしたこと。おっとりしたお坊ちゃん、お嬢さんが多いフィギュアスケート界では、なかなか先生のようにがむしゃらにやる方はいなかったな、と今は思うんですよ。そしてその流れの中で育ってきて今、先生が臨時コーチ的に教えているのが、羽生結弦選手」

 都築「そう。彼がノービスのころまでは僕も仙台にいましたので、少し練習を見ていたんです。それが今回、未曾有の出来事(東日本大震災で仙台のリンクが被災し、現在閉鎖中)があって、今、僕が教えている東神奈川のリンク(神奈川スケート)に来ることになりまして」

 城田「彼は本当に、リンクがなくなったからといって、絶対にあのまま終わらせてしまってはいけない選手。私も今まで選手たちを見てきて、いいな! と思ったのに伸び切らなかったもったいないスケーターがたくさんいましたが。でも彼は、そんなことになったら絶対にいけない。もう動きからして半端ではない、極上の選手ですよ」

 都築「はい、私もたくさん選手を見てきましたが、羽生くらいすべてが整っている選手はいない、と思っています。それほどの選手です」

 城田「ですから、きちんと環境を整えてあげて、スポンサーも探してあげなくては。氷の上できちんと戦っていけるように、指導者にしても振り付けにしても、どんどんいいものに接するチャンスを与えてあげなくちゃいけないと思うのです」

 都築「本当に、またかつてと同じように、日本の皆さんみんなの力をお借りして、なんとかみんなで羽生を育ててもらいたいな、と思っています。今、かつて佐野に言ったことと同じことを、羽生に言ってるんですよ。『おまえは世界に羽ばたくんだよ!』と(笑)。今になってまたそんな言葉がかけられる選手が出てきてくれて、私は幸せなコーチだな、なんて思いながら、彼の練習を見ているところです」

 城田「今回はロングインタビューありがとうございました。都築先生のますますのご活躍を期待しております」(この項終わり。次回は長久保裕氏)

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(2011年7月12日23時23分  スポーツ報知)

著者略歴 城田 憲子(しろた・のりこ)

 1946年7月4日、東京都生まれ。立大卒。選手時代はシングルとアイスダンスで活躍し、全日本選手権ダンス部門2連覇。現役引退後は日本スケート連盟で選手強化を手掛け、長野五輪からトリノ五輪までフィギュア強化部長を歴任。また、国際審判員とレフェリー資格を持ち、五輪をはじめ多くの国際試合でレフェリー&ジャッジも務める。

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