金賢姫元死刑囚、元赤旗特派員と39年ぶり再会(上)

一枚の報道写真に隠された数奇な縁

 1972年11月2日午前、北朝鮮・平壌郊外の力浦区域の空き地に、南北調節委員会に出席するため韓国側の代表団を乗せたヘリコプターが着陸した。

 南北調節委員会の韓国側報道官として同行した李東馥(イ・ドンボク)北韓民主化フォーラム代表(74)、1987年11月の大韓航空機爆破事件の犯人、金賢姫(キム・ヒョンヒ)元死刑囚(48)、日本共産党の機関紙『赤旗』の元平壌特派員、萩原遼氏(74)が39年前の現場にいた。金元死刑囚は当時中学1年で、韓国側関係者に花束を手渡すため、民族衣装を身にまとい、整列していた。萩原氏は花束を持つ少女らをカメラに収めた。3人は当時、互いの存在を知らなかった。

 そんな奇遇な縁で結ばれた3人が12日、ソウル市内のホテルで39年ぶりに再会した。当時、金元死刑囚から花束を受け取った李代表はこう振り返った。

 「花束を渡してくれた子どもに『きれいな花だが、名前は何か』と尋ねたところ、子どもの表情がこわばった。そして、その場で『朝鮮人なのに朝鮮の花も知らないのですか』と言われた」

 金元死刑囚は当時、花束を渡した相手が李代表だったことは知らなかったが、その時の会話ははっきりと覚えていた。金元死刑囚は「生花の花束をそのとき初めて見たのに、突然花の名前を聞かれ慌てた。祖国の名誉を傷つけてはならないと教育されていたので、臨機応変にそう答えた」と状況を説明した。

南北調節委員会の韓国側代表団に花束を手渡すため、民族衣装を着て整列している北朝鮮の少女。当時、現場を取材した読売新聞の記者が撮影した写真には、右から3番目に金賢姫元死刑囚の姿が写っている。/写真=国家情報院提供

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

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