東日本大震災:「浪分神社」に脚光 江戸時代も津波免れる

2011年5月20日 12時0分 更新:5月20日 14時27分

江戸時代に津波が南北に分かれたという「浪分神社」=仙台市若林区で、伊藤一郎撮影
江戸時代に津波が南北に分かれたという「浪分神社」=仙台市若林区で、伊藤一郎撮影

 江戸時代に津波被害を免れたことにちなんで命名されたといわれる、仙台市若林区霞目(かすみのめ)2の「浪分(なみわけ)神社」が脚光を浴びている。宮司がいない小さな神社だが、震災以降はインターネットなどで関心が高まり、参拝者が訪れている。【伊藤一郎】

 地元の言い伝えによると、神社は江戸時代の元禄16(1703)年、海から約5キロの地点にほこらが建てられ、「稲荷(いなり)神社」として信仰を集めた。天保6(1835)年に発生した津波は目前まで迫ったが不思議と南北に分かれ、のみ込まれなかった。そこから「浪分神社」と呼ばれるようになった。

 この津波と冷害による飢饉(ききん)を鎮めるため、約500メートル内陸の現在地に移されたとされる。今回の震災では、波が分かれたと伝わる元の場所にも、現在地にも津波は到達しなかった。

 参拝に訪れた仙台市宮城野区の団体職員、磯田淳さん(50)は「今まで存在に気づかなかった。先人が名称に託した意味を大事にしていく必要がある」と語った。現在、神社を管理している霞目町内会の荒神暁会長(67)は「興味を持たれた方からの問い合わせもあるので、説明看板を立てることを検討している」と話している。

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