諸法実相抄
2011年 06月 24日
諸法実相抄(しょほうじっそうしょう)。
大聖人52歳の御時、弟子である最蓮房日浄に与えられた御書である。
諸法実相抄の冒頭、大聖人は次のように述べられている。
---------------------------------
法華経の第一方便品(※1)に云く・「諸法実相乃至本末究竟等」云云・此の経文の意如何・答えて云く・下地獄より上仏界までの十界の依正の当体悉(ことごと)く一法ものこさず妙法蓮華経のすがたなりと云ふ経文なり (御書1358頁)
---------------------------------
この世の森羅万象のことごとくが妙法蓮華経であるとのご指南である。
諸法実相抄では、「依正不二」(えしょうふに)が述べられている。
依正不二とは、境涯と環境が不ニ(同一)であるとの教えである。
本編には、「地獄は地獄のすがた」、「仏は仏のすがた」、「凡夫は凡夫のすがた」とある。
たとえ、圧倒的な富に囲まれて生活していたとしても、境涯が六道輪廻していれば不幸の堂々巡りである。一方で、貧しく、病魔に侵されていたとしても、境涯が菩薩、仏であれば、大幸福を得ることができる。
大聖人は、「地涌の菩薩(※2)のさきがけ日蓮一人なり」(御書1359頁)と述べられ、「流人なれども喜悦はかりなし」(御書1360頁)との大歓喜を語られている。
大聖人は、全人類を救済できる比類なき大仏法を顕された。
真実の幸福とは、自分自身が人々を幸福にする役目を持ったかけがえのない存在であるとを自覚し、その役目を懸命に果たす行為の中で得られるものだ。
一点の悔いもない大幸福、大満足とは、まさに、日蓮大聖人のご生涯そのものである。
日蓮大聖人のご生涯の記事は、→ここをクリック!
大聖人は諸法実相抄の末尾に「一閻浮提第一の御本尊を信じさせ給へ」と述べられ、最後、次のように締めくくられている。
「行学の二道をはげみ候べし・行学たへなば仏法はあるべからず・我もいたし人をも教化候へ・行学は信心よりをこるべく候・力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし」(1361頁)
あまりにも有名な御文である。
行学とは、すなわち唱題行と折伏行、さらに教学の仏道修行である。
さあ、世界最大一の御本尊に感謝しつつ行学を実践しよう。
地涌の菩薩の大使命を自覚するなら、この世は寂光土だ。
この偉大な仏法に生き、広宣流布に生きる私たちは、比類なき大幸福者だ。
ランキング参加中★ご協力ください⇒
人気ブログランキングへ
※1 第一方便品とは
法華経は第八巻まであり、方便品はその中の第一巻にあるので、第一方便品という。
※2 地涌の菩薩とは
法華経従地涌出品第十五に説かれる無数の菩薩。地涌の菩薩は、神力品第二十一で末法に法華経を弘通する使命を託された。
諸法実相抄の池田先生のご指導を以下に添付します。
◆池田大作全集第87巻------------------------
大聖人は、「日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか」(御書1360頁)と仰せである。
ただ「拝んでいる」だけでは、「日蓮と同意」とはならない。
折伏をやろう! 広宣流布をやろう!
この心の炎が燃えている人が「日蓮と同意」なのである。
◆2006年 創立記念日最高会議------------
私たちの唱える題目は、ただわが身の平安のみを願う題目ではない。
広宣流布のための題目である。悪と戦うための題目である。
# by sokanomori | 2011-06-24 06:26 | 御書と法華経 | Trackback | Comments(12)