投資情報サイトの『投資比較サイト』提供アイコン

トップ | ログイン

諸法実相抄  

2011年 06月 24日

               ◇使命に目覚めれば、この世は寂光土なり。

諸法実相抄(しょほうじっそうしょう)。
大聖人52歳の御時、弟子である最蓮房日浄に与えられた御書である。
諸法実相抄の冒頭、大聖人は次のように述べられている。
---------------------------------
法華経の第一方便品(※1)に云く・「諸法実相乃至本末究竟等」云云・此の経文の意如何・答えて云く・下地獄より上仏界までの十界の依正の当体悉(ことごと)く一法ものこさず妙法蓮華経のすがたなりと云ふ経文なり (御書1358頁)
---------------------------------
この世の森羅万象のことごとくが妙法蓮華経であるとのご指南である。
諸法実相抄では、「依正不二」(えしょうふに)が述べられている。
依正不二とは、境涯と環境が不ニ(同一)であるとの教えである。
本編には、「地獄は地獄のすがた」、「仏は仏のすがた」、「凡夫は凡夫のすがた」とある。
たとえ、圧倒的な富に囲まれて生活していたとしても、境涯が六道輪廻していれば不幸の堂々巡りである。一方で、貧しく、病魔に侵されていたとしても、境涯が菩薩、仏であれば、大幸福を得ることができる。
大聖人は、「地涌の菩薩(※2)のさきがけ日蓮一人なり」(御書1359頁)と述べられ、「流人なれども喜悦はかりなし」(御書1360頁)との大歓喜を語られている。
大聖人は、全人類を救済できる比類なき大仏法を顕された。
真実の幸福とは、自分自身が人々を幸福にする役目を持ったかけがえのない存在であるとを自覚し、その役目を懸命に果たす行為の中で得られるものだ。
一点の悔いもない大幸福、大満足とは、まさに、日蓮大聖人のご生涯そのものである。
日蓮大聖人のご生涯の記事は、→ここをクリック!
大聖人は諸法実相抄の末尾に「一閻浮提第一の御本尊を信じさせ給へ」と述べられ、最後、次のように締めくくられている。
「行学の二道をはげみ候べし・行学たへなば仏法はあるべからず・我もいたし人をも教化候へ・行学は信心よりをこるべく候・力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし」(1361頁)
あまりにも有名な御文である。
行学とは、すなわち唱題行と折伏行、さらに教学の仏道修行である。
さあ、世界最大一の御本尊に感謝しつつ行学を実践しよう。
地涌の菩薩の大使命を自覚するなら、この世は寂光土だ。
この偉大な仏法に生き、広宣流布に生きる私たちは、比類なき大幸福者だ。

ランキング参加中★ご協力ください
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へ
人気ブログランキングへ

※1 第一方便品とは
法華経は第八巻まであり、方便品はその中の第一巻にあるので、第一方便品という。
※2 地涌の菩薩とは
法華経従地涌出品第十五に説かれる無数の菩薩。地涌の菩薩は、神力品第二十一で末法に法華経を弘通する使命を託された。

諸法実相抄の池田先生のご指導を以下に添付します。
◆池田大作全集第87巻------------------------
大聖人は、「日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか」(御書1360頁)と仰せである。
ただ「拝んでいる」だけでは、「日蓮と同意」とはならない。
折伏をやろう! 広宣流布をやろう!
この心の炎が燃えている人が「日蓮と同意」なのである。
◆2006年 創立記念日最高会議------------
私たちの唱える題目は、ただわが身の平安のみを願う題目ではない。
広宣流布のための題目である。悪と戦うための題目である。

# by sokanomori | 2011-06-24 06:26 | 御書と法華経 | Trackback | Comments(12)

法華経題目抄  

2011年 05月 27日

              ◇かくをもひて常に南無妙法蓮華経と唱うべし。

法華経題目抄。(御書940~949頁)
念仏信仰をしていた女性に与えられた御書である。
この法華経題目抄の冒頭には、一遍の題目の力が示されている。
-----------------------------------
「問うて云く・法華経の意をもしらず只南無妙法蓮華経と計り五字七字に限りて一日に一遍一月乃至一年十年一期生の間に只一遍なんど唱えても軽重の悪に引かれずして四悪趣におもむかずついに不退の位にいたるべしや・答えて云くしかるべきなり」(940頁)
-----------------------------------
法華経の意味も知らない者が、ただ南無妙法蓮華経と1日1遍、あるいは一生の内に一遍唱えただけで、絶えざる求道心で仏道修行をする信心の境涯(不退位)を得られるのであろうか‥。この問いに対し、日蓮大聖人は、「そうである」と明言されている。
さらに日蓮大聖人は、「問うて云く・妙法蓮華経の五字にはいくばくの功徳をかおさめたるや・答えて云く・大海は衆流を納めたり・大地は有情非情を持てり・如意宝珠は万財を雨(ふら)し」(942頁)と述べられている。
法華経にはどの程度の功徳があるのかという問いに対し、「大海が全ての河川の流れを納めているように、大地が全ての動植物の生命を持っているように、如意宝珠(にょいほうじゅ)が万財を雨の如く降らすように、一切の功徳が法華経の題目に含まれている」とのこと。
すなわち、私たちの幸福の全てが、南無妙法蓮華経に含有されているというのである。
その確信が持てるか、迷うか…。
法華経題目抄の驚愕すべき功徳を強く深く認識し、「かくをもひて常に南無妙法蓮華経と唱うべし」(941頁)と、日々、大確信の勤行唱題をしたいものである。
如意宝珠とは、「意のままに無量の宝を取り出すことのできるす宝珠」のことである。
仏界の生命の決意と行動で得られる功徳は無量無辺である。
さあ、今日も、朗々と唱題しよう!そして、行動しよう!
はつらつと愉快な人生を楽しむために!
そして、人間革命を果たすために!!^^
私の雨の如き功徳の記事は、→ここをクリック!

ランキング参加中★ご協力ください
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へ
人気ブログランキングへ

# by sokanomori | 2011-05-27 23:08 | 御書と法華経 | Trackback | Comments(6)

煩悩即菩提御書  

2011年 05月 05日

                ◇大難に遭うことはむしろ喜びである。
四条金吾殿御返事。(文永9年5月2日)
日蓮大聖人51歳の御作である。
佐渡の地で、開目抄ならびに観心本尊抄を顕された後、末法の御本仏として、四条金吾を温かく激励された御手紙である。
別名を「煩悩即菩提御書」(ぼんのうそくぼだいごしょ)という。
本抄の「法華宗の四条金吾・四条金吾と鎌倉中の上下万人・乃至・日本国の一切衆生の口にうたわれ給え」(1118頁)の御文はあまりにも有名である。
日蓮大聖人は、この御書の冒頭に、次のように記されている。
-------------------------------------
かかる大難にあひ候は・くやしくおもひ候はず・いかほど生をうけ死にあひ候とも・是ほどの果報の生死は候はじ・又三悪・四趣にこそ候いつらめ・今は生死切断し仏果をうべき身となれば・よろこばしく候(1116頁)
今日蓮が弘通する法門は・せばきやうなれども・はなはだふかし・其の故は彼の天台・伝教等の所弘の法よりは一重立入りたる故なり(同頁)
-------------------------------------
「大難に遭ったことは悔しいことではない。仏果を得られる身であるから喜ばしい」
「日蓮の法門は、はなはだ深い。天台や伝教より一重優れている」
釈迦仏法が力を失った末法の世で、天台、伝教の最高峰の法門より「一重立入りたる」とは、すなわち、世界最大一の仏法であることを意味している。
偉大なる大聖人の仏法を、弛まず、休まず、強盛の大信力で実践していくならば、必ず勝利者になれる、なりなさいと、御手紙を締めくくられている。
四条金吾は、在家信者の中でも、最も優れた信仰を貫き大勝利者となった。
苦難が四条金吾を鍛え、磨いた。
四条金吾の勝利は、私たち自身の勝利である。
私たちも苦難を乗り越えて、輝かしい人生を作りゆこう。
地域で、職場で、己が人生を勝ち飾るのだ!^^

ランキング参加中★ご協力ください
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へ
人気ブログランキングへ

追記1:大聖人が佐渡から帰られて身延に入られた後の文永11年、四条金吾は主君の江間氏を折伏したが受け入れなかった。
その後、極楽寺良観の庇護を受けていた天台宗の竜象房(りゅうぞうぼう)と日行(日蓮門下)との法論対決の場に同席していた四条金吾は、「武装して法座を乱した」との虚偽の証言により、やがて所領を没収された。
加えて、武装集団に命を狙われ、襲撃を受けた。
強く純粋な信仰で、これらの大難を乗り越えた四条金吾。その人生は、日蓮門下の永遠の憧れである。今、その名は日本国のみならず、世界192ヶ国地域に轟き渡っている。
まさに、「一切衆生の口にうたわれ給え」との大勝利者ですね。^^

追記2:追記:小説「新・人間革命」第22巻「命法」の抄より
------------------------------
(煩悩即菩提御書は)武士や医師として、その責務を全うするだけではなく、日蓮門下の四条金吾として、日本中の人々から賞賛される人物になりなさいと言われているのだ。
自分という存在の、最も根源的な意味は、末法の一切衆生を救済するするために出現した地涌の菩薩であるということだ。それが法華経の思想である。
武士や医師として、名声を得ることも大事であろう。
しかし、地涌の菩薩としての広宣流布の使命を忘れ去ってしまえば、所詮は、砂上の楼閣を築いているにすぎない。
大事なことは、広宣流布に生き抜き、そして、武士や医師としてとしても、人格、技量ともに立派であるといわれる人になっていくことである。
ゆえに、大聖人は、「法華宗の四条金吾‥」と言われたのである。
------------------------------
煩悩即菩提御書。先生の洞察は深いですね。広宣流布に繋がらなかったら、いかなる名声も虚しい。大事なご指南ですネ。

過去の四条金吾殿御返事の記事は、→ここをクリック!

# by sokanomori | 2011-05-05 21:18 | 御書と法華経 | Trackback | Comments(4)

続・異体同心事  

2011年 03月 09日

◇70万の大軍に勝利した周の武王。

異体同心事(いたいどうしんじ)には、周の武王が少数で大軍を打ち破ったことが述べられている。
-----------------------------
「殷の紂王は七十万騎なれども同体異心なればいくさにまけぬ・周の武王は八百人なれども異体同心なればかちぬ・一人の心なれども二つの心あれば其の心たがいて成ずる事なし」(御書1463頁)
-----------------------------
殷(いん)王朝は、紀元前1600年頃建国され、数百年に渡って栄えたが、末期になると国は乱れ、紂王(ちゅうおう)の時代に滅びている。
殷の紂王は、酒池肉林の贅沢に耽る。
重い負担を強いられた民衆が叛乱すると、殷の紂王は重い刑罰を課した。罪人は、熱せられた銅の上を歩かされ、耐えきれず真っ赤に燃えた炭の上に落下した。その様子を、妃である妲己(だっき)とともに楽しんだと伝えられる。
この殷王朝に対し、周の文王が討伐を目指すが、志半ばで病に倒れる。
やがて、文王の子の武王(ぶおう)が志を受け継いで蜂起する。その最初の勢力は800人であった。対する殷の紂王は、70万の兵力を保有していたと「史記」に記されている。
本来なら、数の上で勝機はない。しかし、周の武王の進軍に対し、殷軍は戦うことなく道を開く。加えて殷軍の中から周軍と合流する者が出て、ついに殷軍は総崩れとなる。
最後、殷の紂王は、炎の中に身を投げて絶命する。
周の武王には、悪の根源である紂王を討伐し、新しい国家を建設しようとする「燃えるような心ざし」があった。その決意の行動に、多くの人々が味方となったのである。
今、創価学会は、人種や国家の違いを越え、日蓮大聖人の仏法を世界に広めている。この運動は、全人類に、大幸福、大福運を与えゆく、完全無血の世界革命である。
私たちは、この周の武王のごとき熱意と勇気を、御本尊への祈りから涌現しつつ、未来万年に前進していくことだろう。^^
過去の異体同心事の記事は、→ここをクリック!

ランキング参加中★ご協力ください
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へ
人気ブログランキングへ
Tags:# 

# by sokanomori | 2011-03-09 22:09 | 御書と法華経 | Trackback | Comments(4)

異体同心事  

2011年 03月 09日

◇広宣流布の大願こそ、日蓮大聖人の御心ざし。

異体同心事(いたいどうしんじ)。
御述作の時期、宛先ともに不明である。
「あつわら(熱原)の者どもの御心ざし」(御書1463頁)との御文から、建治元年(1275年)、日蓮大聖人54歳の御作と考えられている。
さて、「御心ざし」とは何であろうか。
これは、私たちが、朝に夕に念じている「広宣流布の大願」に他ならない。
日蓮大聖人の仏法とは、広宣流布という未来永遠の幸福追求運動である。
では、異体同心とは何か。
当時、日興上人を中心とした日蓮門下は、富士地方を大いに折伏弘教していた。
大聖人は、異体同心事に、「日蓮が一類は異体同心なれば人人すくなく候へども大事を成じて・一定法華経ひろまりなんと覚へ候」(御書1463頁)と述べられている。
それぞれの個性や能力、立場などが異なる「異体」の人々であっても、広宣流布を「心ざし」とする「同心」によって、あらゆる障害を乗り越え、大勝利できるとのご指南である。
本編御書からしばらくして、熱原の法難が勃発する。無実の罪をきせられ、神四郎、弥五郎、弥六郎の3人が斬首、17人が追放となった。
この斬首された3人は、不惜身命(ふしゃくしんみょう)の信仰の鑑(かがみ)として、熱原の三烈士とたたえられた。この弾圧は、かえって信徒の団結を固め、富士地方に大聖人の仏法の根を深く下ろす結果となった。
この御書に照らすならば、まさに現代における不惜身命の当事者は、創価三代の会長である。創価学会は、創立以来、三代の会長と異体同心であらゆる障魔を打ち破ってきた。
人種、文化、言語の違いを超越して発展を続ける創価学会は、まさに「大事を成じて・一定法華経ひろまりなん」との実証を示し続けている。
さらに大聖人は、「譬えば灸治(やいと)をしてやまい(病)をいやし・針治(はりたて)にして人をなおすがごとし・当時はなげくとも後は悦びなり」(1464頁)と述べられている。
今、苦難に翻弄されている人もいるであろう。
けれど、私たちには、どんな苦難にも絶対に勝利できる最強の信仰がある。信心根本に生き抜けば、「後は悦びなり」となるのである。
さあ、祈り、行動し、広宣流布を果たそう!
異体同心のスクラムを組んで、世界中の不幸を追放するのだ。^^
異体同心事の次の記事は、→ここをクリック!

ランキング参加中★ご協力ください
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へ
人気ブログランキングへ
Tags:# 

# by sokanomori | 2011-03-09 06:51 | 御書と法華経 | Trackback | Comments(2)

佐渡御書  

2011年 02月 04日

 ◇宿命転換の法理が明示された御書。

佐渡御書は、大聖人御年51歳のご執筆です。
(左写真:新潟県佐渡島)
51歳になった私としては、佐渡御書に特別な感情が涌きます。
佐渡御書を学ぶためには、極楽寺良観(真言律宗)を知る必要があります。
良観は、非人(ひにん)救済事業として各地の土木工事を幕府から請負い、その見返りに、商人や商船から通行税を徴収する権利を与えられていました。世間から、大きな信用と尊敬を受けていた僧侶でした。
文永8年6月、良観は幕府の要請で、「雨乞いの祈祷」を実施することになりました。これに対し、大聖人は対決を申し出され、世間の注目を集める祈雨対決が実現しました。
良観の祈祷は失敗に終わります。当初予定されていた7日間と、延長した後の7日間の合計14日間、多数の僧侶を結集して大規模に祈祷しましたが、一滴の雨も降らせることができなかったのです。
結果、日蓮大聖人の名声は高まりました。
信用を失墜した良観一派は、放火や殺人が大聖人門下の仕業であるとの悪評を流しました。そして、幕府に讒言(ざんげん)し、大聖人を無き者にしようと画策したのです。
この陰謀により、日蓮大聖人は、同年9月に竜ノ口の法難、11月に極寒の佐渡に流罪となり、その弾圧は、門下のあらゆる弟子、檀家にもおよび、信者のほとんどが退転するという事態となりました。
日蓮大聖人は、絶海の孤島で、門下一同に佐渡御書をしたためられました。
「強敵を伏して始て力士をしる・悪王の正法を破るに・邪法の僧等が方人をなして智者を失はん時は師子王の如くなる心をもてる者必ず仏になるべし・例せば日蓮が如し」(御書957頁)
大難を越えるか、退くか。
牧口常三郎先生は、獄中からの手紙に次のように書かれています。
「お互いに信仰が第一です。災難といっても、大聖人様の九牛の一毛とあきらめて、ますます信仰を強める事です。経文や御書にある通り、必ず、毒変じて薬となることは、今までの経験からも判ります」
牧口先生は、大聖人の真の弟子として不退転の信心を貫かれました。戸田先生は、「牧口先生のご精神こそ、学会魂である」と語られています。
「師子王の如くなる心」は、まさに、牧口先生、戸田先生に受け継がれました。
この佐渡御書では、「宿命転換論」としての法理が明かされています。
大聖人は、「宿業はかりがたし」(御書958頁)と述べられ、、「偏(ひとえ)に先業の重罪を今生に消して後生の三悪を脱れんずるなるべし」(同頁)とご教授くださっています。
信仰に徹することで、悪しき宿業を消すことができるとのご指南です。
「鉄(くろがね)は、炎(きたい)打てば剣(つるぎ)となる」(同頁)とも述べられています。
難をチャンスと捉えるのか、恐れ退くのか‥。これが、宿命転換、人間革命の分岐点です。
つたない信心の私も、宿業が出た時は、逃げずに努力、精進しました。
その私の体験は、→ここをクリック!
これからも苦難はあるでしょう。けれど、さらなる宿命転換を果たすために、生涯不退転で、創価学会員の誇りを胸に、努力、精進していく覚悟です。

ランキング参加中★ご協力ください
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へ
人気ブログランキングへ
Tags:# 

# by sokanomori | 2011-02-04 21:20 | 御書と法華経 | Trackback | Comments(8)

日女御前御返事  

2011年 01月 15日

             ◇未曾有の大御本尊を信受する私たちの功徳。
日女御前御返事(にちにょごぜんごへんじ)。
日女御前は、御本尊を賜ったことへの感謝から、ご供養を身延にお届けした。
これに対し、日蓮大聖人は、「御本尊とは何か」、「唱題の功徳とは何か」を、御手紙で詳細に日女御前に述べられている。
日女御前御返事の前半では、
1.仏法二千年の歴史の中で、本門の本尊(御本尊)は存在しなかったこと、
2.本門の本尊は、末法の始めの五百年に出現すべきものであること、
3.その未曾有の大御本尊は、法華経見宝塔品第十一を用いて御図顕されたことが述べられている。
御本尊は、中央に南無妙法蓮華経、四方に四天王、周囲に釈迦、多宝、四菩薩、二乗、六道の衆生、諸天善神が一同に会し、全ての生命が妙法五字の光明に照らされているように描かれている。
大聖人は、「此の御本尊全く余所に求る事なかれ・只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり・是を九識心王真如の都とは申すなり」(御書1244頁)と述べられ、生命の内奥にも御本尊があることを示された。
「九識心王真如の都」の記事は、→ここをクリック!
その上で、「南無妙法蓮華経とばかり唱へて仏になるべき事尤(もっと)も大切なり・信心の厚薄によるべきなり・仏法の根本は信を以て源とす」(同1244頁)とご指南くださっている。
すなわち、日蓮大聖人の仏法の根幹は、「御本尊への揺ぎない大信力」で「唱題に励む」ことに尽きるのであり、この修行によって、大福運、大幸福の人生を歩めることをお約束くださっているのである。
尚、余談であるが、御本尊をご安置する仏壇の厨子を「須弥壇(しゅみだん)」と呼ぶ。
「須弥(しゅみ)」とは、須弥山(しゅみせん)のことである。
法華経見宝塔品には、「仏前に七宝の塔あり・高さ五百由旬(ゆじゅん)、縦広二百五十由旬なり・地より涌出して空中に住在す」とある。まさに御本尊は、須弥山上空に浮かんだ宝塔そのものであるといえよう。

ランキング参加中★ご協力ください
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へ
人気ブログランキングへ
Tags:# 

# by sokanomori | 2011-01-15 23:15 | 御書と法華経 | Trackback | Comments(4)

烏竜遺竜事(おりょういりょうのこと)  

2010年 12月 16日

              ◇上野尼御前御返事に示された父子の人生。
上野尼御前御返事。(1580~1582頁)
大聖人御年60歳の時のお手紙である。上野尼御前は南条時光の母である。
御書の冒頭、「この仏法を信受すれば、千人のうち千人、一人も欠けることなく仏になれる」とのご指南があり、その裏付けとして、烏竜(おりょう)遺竜(いりょう)父子の古事が語られている。この父子は、古代中国の有名な書道家であった。
父の烏竜(おりょう)は、道教(どうきょう)を信仰していた。
道教とは、長生術、呪い、易などを行う中国民族の土着宗教である。この世は、天界と人界、冥界に分れ、多くの神々が存在し、宇宙の運行や自然現象を司っているとされる。
父の烏竜(おりょう)は、仏教を嫌い、仏典の書写をしなかった。
烏竜は死に際し、息子の遺竜(いりょう)に、「仏典を書写してはならない」と遺言した。
父は、このことが原因して、死して無間地獄に堕ちたが、息子の遺竜はそのことを知らない。息子は、父の遺言を守り、仏典の書写をしなかったが、最終的に、領主である司馬氏の要請に屈し、やむなく遺言に違犯して法華経八巻の題号64文字を書いた。遺竜はこのことを悔い、血の涙を流し、父の墓前で陳謝する。
その遺竜の夢に、父の烏竜が出現して語りかける。
「汝が手は我が手なり・汝が身は我が身なり・汝が書きし字は我が書きし字なり・汝心に信ぜざれども手に書く故に既に・たすかりぬ」(御書1582頁)
息子の手で書かれた法華経の64文字の題号が、父を救ったという古事である。
日蓮大聖人は、この御書を通じ、親孝行とは何か、さらに南無妙法蓮華経の功徳とは何かをご教授くださった。たとえ信じていなくても、これほどの功徳がある。もし、大信力で祈り、行動したときの功徳は如何ばかりであろう。
池田先生は、「あなたが勝てば、ご両親も勝利される」と再三、ご指導くださっている。
まさに、この仏法の実践において、自身が勝利することは、父母のみならず、地域の創価学会全同志の勝利となり、大功徳となるであろう。
ご両親を失われたり、お子様を失っていらっしゃる方々にとって、この御書は勇気と希望を得られる内容を秘めている。長編の御書ではないので、一通り拝されてはいかがであろう。
さて、御書には、仏法の功徳の無量無辺を示す内容のものが多く存在している。
この功徳を、体験するということは大事中の大事である。
理屈で知っていることと、体験で理解しているというのは天地ほどの違いがある。私は、いくつかの大功徳を頂いた。私の今があるのは、この功徳のお陰である。今、逆境の中で苦しまれている人もいらっしゃるであろう。多くの方々が、御書に学び、祈り、行動して、大きな実証を得ていただきたいと願っております。
尚、私の父は、すでに亡くなっています。
私の父の過去の記事は、→ここをクリック!

ランキング参加中★ご協力ください
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へ
人気ブログランキングへ

# by sokanomori | 2010-12-16 22:12 | 御書と法華経 | Trackback | Comments(8)

兄弟抄  

2010年 10月 07日

               ◇障魔との戦いの要諦が明かされた御書。
今月の御書は、兄弟抄ですね。
兄、池上右衛門大夫宗仲(うえもんのたいふむねなか)
弟、池上兵衛志宗長(ひょうえのさかんむねなが)
この兄弟に宛てられた、大変有名な御書です。
兄弟抄の中で、大聖人は、魔との闘争の要諦をご教授くださっています。
池上兄弟の父、康光(やすみつ)は、極楽寺良観の熱心な信者でした。
日蓮大聖人に帰依し、信仰をする兄弟を憂い、康光は退転を迫り、結果、兄の宗仲を勘当します。弟を残し、兄を勘当することで、兄弟の分断を図ったのでしょう。
この大難の中、兄弟は大聖人の激励に応え、力を合わせて精進し、やがて父を折伏、大聖人の仏法に帰依させました。
兄は二度の勘当に遭いましたが、このお手紙は最初のものです。
本編御書には、有名な御文が沢山登場します。
--------------------------------------------------
「世界は第六天の魔王の所領なり・一切衆生は無始已来彼の魔王の眷属なり 」(1081頁)
「貪瞋癡(とんじんち)の酒をのませて・仏性の本心をたぼらかす 」(1081頁)
「死は一定なり・いろばしあしくて・人にわらはれさせ給うなよ」(1084頁)
「此の法門を申すには必ず魔出来すべし・魔競はずは正法と知るべからず 」(1087頁)
「行解既に勤めぬれば三障四魔紛然として競い起る・乃至随う可らず畏る可らず 」(1087頁)
「心の師とはなるとも・心を師とせざれ」(1088頁)
--------------------------------------------------
当時、勘当とは、一切の生活基盤を失う厳しい処遇でした。
法華経の行者は、魔王が父母、主君、妻子に入り、攻められると大聖人は述べられています。私も、大小、いくつかの魔が出現したことがあります。
具体的には申し上げませんが、一番大きな難が訪れた時、私は御本尊様の前に座ることもできなくなりました。周囲がどんなに慰めてくれても、ぬぐい切れない厳しい現実に、信心の歓喜も、祈ろうとする気力も吹き飛ばされたのです。
第六天の魔王に、一度でも遭遇した経験のある人であれば、その凄まじさを知っていらっしゃることでしょう。息もできないほどの苦しみが続くものでした。
私は、数年かけてこの苦難を克服したのですが、運命の打撃の衝撃の強さは半端ではありませんでした。けれど、この経験から、私は人の痛みが分るようになりましたし、乗り越えた時、その苦難の大きさだけ、大きな幸福を得ることができました。
現在、様々な障害や苦難に、泣き暮らしている人はいらっしゃるでしょう。
もし、重大な悩みをお持ちならば、この兄弟抄を全頁、読まれることをお勧めします。
そして、この池上兄弟の如く、断じて引かず、大勝利を掴んでいただきたいです。
四条金吾は、主君に迫害されましたよね。皆、いろいろあります。^^
過去の四条金吾の記事は、→ここをクリック!

ランキング参加中★ご協力ください
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へ
人気ブログランキングへ
Tags:# 

# by sokanomori | 2010-10-07 22:57 | 御書と法華経 | Trackback | Comments(14)

四大不順(しだいふじゅん)  

2010年 08月 21日

               ◇病に六種あり。その中に四大不順あり。
健康は、何よりも大切である。
広宣流布のために、家族のために、私たちは人一倍、健康に留意し、ハツラツとした毎日を過ごしたいものである。読者の中に、身体的病、あるいは、精神的病に苦しんでいる人もいらっしゃるかも知れない。私も、何度か、大きな怪我や病気をしてきた。
本日は、太田入道殿御返事から、病気と対策について学びたいと思う。
本編は、太田入道が病気で悩んでいることを知った大聖人が、病気の原因とその対処方法について述べられた御書である。
この中に、四大不順(しだいふじゅん)が説かれている。
これは、天台大師が摩訶止観八上で述べたもので、病の起こる6種の原因の中で、地、水、火、風の四大要素の不順が原因で病気になることが述べられている。地とは骨や筋肉、水とは血液、火は体温、風は呼吸である。この4種の不調和により、人は病気になる。
戸田先生は、病の起こる6種類の原因について次のように分類され、指導されている。
(戸田城聖先生・質問会集:297頁~)
---------------------------------------------------------
①四大順ならざる故に病む。(風邪、日射病など)
②飲食(おんじき)節ならざる故に病む。(食べすぎ、飲みすぎ)
③坐禅(ざぜん)調わざる故に病む。(運動や睡眠の不足)
④鬼便りを得る。(バイ菌などによる重病)
⑤魔の所為。(原因不明の病気)
⑥業の起こるが故に。(過去世の業病)
①~③は、医者や生活習慣の改善で治せる病気である。信心でなくても治せる。
④~⑥は、信心でなければ治せない。業病には、金欠病も含まれる。
信心すれば必ず治ります。治らないなら死にますけれど、今度は健康に生まれてくる。
---------------------------------------------------------
この戸田先生の指導の中で、「食べすぎ、飲みすぎ、不摂生からの病気は、御本尊様にお願いするのは勿体ないから、各人で注意しなさい」と述べられていることに注目したい。すなわち、病気は大きく2つに分けられる。1つは医者や運動で治す。2つに信心で治す。
運動、睡眠、栄養、正しい生活習慣は、信心以前の事柄である。
運動もしないで、暴飲、暴食を続けるような人では、健康になれる訳がない。
四大不順で病気にならないようにしたい。早期発見、早期治療も大事である。
私も、今後のために、親知らずの抜歯と奥歯の治療を決意しました。(笑)
祈りつつ、医者の力を借りる。努力する。これが、創価学会員の健康作りです。
皆さんも、広宣流布のためにピカピカの体を作りましょう!^^

ランキング参加中★ご協力ください
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へ
人気ブログランキングへ
Tags:# 

# by sokanomori | 2010-08-21 23:58 | 御書と法華経 | Trackback | Comments(8)

ダイヤモンドの宗教  

2010年 08月 20日

              ◇日蓮大聖人の仏法は宗教界の王者です。

日蓮大聖人の仏法は、ダイヤモンドの如き最高の宗教である。
例えるなら、釈尊の仏教はダイヤモンドの原石。磨けば美しく輝くということを指摘したのが、天台であり伝教であった。しかし、原石を磨くには、経文通りの大難を受けなければならない。
その実践者こそ、末法の御本仏、日蓮大聖人であられた。
日蓮大聖人は、旃陀羅(せんだら)の子としてご生誕された。仏教の一切を修学され、幾多の大難を乗り越え、やがて、竜の口を経て佐渡流罪となる。この時、ついに、ダイヤモンドの世界宗教が誕生したのである。

そもそも、歴史的に見れば、仏教は釈尊によって生まれたものである。ならば、どうして、私たちは日蓮大聖人に帰依し、日蓮大聖人の仏法のみを親授するのであろう。
仏教はインドに生まれた。その仏教は、シルクロードを渡り、中国に伝わった。
梵語を鳩摩羅什(くまらじゅう)が漢訳し、その経典から天台大師が法華経の真髄を悟り、法華経をさらに成熟させたのである。この中国天台宗の経典が、伝教大師(最澄)に相伝されるのである。伝教は、時が来ていないことを知っていた。故に、将来の「末法の法華経の行者」に未来を託したのである。

日蓮大聖人は、釈尊、鳩摩羅什、天台、伝教の仏法を、勝利の実証をもって完成させた。末法においては、釈尊の法華経は文証・理証の宗教である。大聖人の仏法は文証・理証・現証の一切を具足した究極の宗教である。
大聖人は、顕仏未来記(けんぶつみらいき)に次のように仰せである。
「安州の日蓮は・恐くは三師に相承し・法華宗を助けて末法に流通す・三に一を加えて三国四師と号(なず)く」(御書509頁)と。
三国とは、インド、中国、日本のことである。四師とは、釈尊、天台、伝教、日蓮大聖人のことである。すなわち、大聖人の仏法は、三国と四師によって築かれた世界宗教である。
御本尊の中央には、南無妙法蓮華経日蓮と書かれている。
南無とは梵語の音訳、妙法蓮華経は漢語、日蓮は日本語である。その左右には、釈尊、天台、伝教、さらに十界の衆生が描かれている。向かって右にある梵語は、「不動明王」(仏道修行を妨げる魔を打ち破る働き)であり、左の梵語は、「愛染明王」(愛で人々の煩悩を浄化する働き)である。梵、漢、日の三国(全世界)を含有した稀有の御本尊である。
日蓮大聖人の仏法は、一国、一民族の教えではない。
全東洋、全世界の人々のための大宗教である。

このように、私たちは、世界最高の功徳ある御本尊を保ち、正当正義の創価の一員として祈り、行動することができる。何という幸せであろうか。
大感謝と大歓喜を持って、今日も祈り、今日も行動したい。
日蓮大聖人の過去の記事は、→ここをクリック!
釈尊の過去の記事は、→ここをクリック!
鳩摩羅什の過去の記事は、→ここをクリック!

ランキング参加中★ご協力ください
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へ
人気ブログランキングへ
Tags:# 

# by sokanomori | 2010-08-20 22:38 | 御書と法華経 | Trackback | Comments(6)

御書全頁拝読への挑戦  

2010年 05月 20日

              ◇私は、このようにして全頁拝読しました。^^

先日、東の空さんからコメントがあった。
「質問があります。私は通解付きの御書しか読めません。昔の大百蓮華に『意味はわからなくてもいい。読めば功徳がある』と書いてありましたが、いかがなものでしょうか?」とのこと。
そのコメントの記事は、→ここをクリック!
ご質問は、とっても大事なこと。
本日は、実際に、御書の全頁拝読にどのように挑戦したかをお話しいたします。
かくいう私は、学生部時代、御書を開くとチンプンカンプンでした。
まるで、外国語のような感じ。その私が、御書を3回読んだのです。
御書全頁拝読の過去の記事は、→ここをクリック!
最初から意味は分かりませんでした。特に、最初の「唱法華題目抄」が分からない。意味が分からないから感動しない。多くの人が、この御書で挫けてしまう。(笑)
挑戦した人の多くは、同じだと思うのですが、まず、「読みたい」という願望があること。そして、「何が何でも、絶対に、最後まで読み通すぞ!」という強い決意が前提条件です。
とにかく読み始めることです。分からないままでも読む。読んでいくうちに、何故か意味が分かるようになります。でも、1度目、3分の1は良く分からなかった。
そこで、2度目に挑戦した。今度は、「絶対に、意味をきちんと把握するぞ!」と決意した。
仏教哲学大辞典(写真上)で意味を調べながら読んだ。ある程度、これで理解できた。
ただし、池田先生の読み方からすると浅いし、我見が混じる。読んで分かるんですよ。三代会長の深さと凄さ。^^
挑戦においては、「仏教哲学大辞典」、「漢和辞典」が必需品。漢和辞典は、文字数が多いものを購入すること。加えて、下写真のような厚紙を切ったシオリも便利。よく出てきて読めない漢字を書いておくと、いつか覚えられるのです。(笑)
御書にコメントを書く時には、御書の大きさに切った柔らか目の下敷き、HBのシャーペン、消しゴムを使用します。シャーペンの芯が固いと、御書が破けたりする。ですから、HB以上の濃さの芯をお使い下さい。
さて、日本人として生まれた私たち。私たちは、御書を原文で読めるという特権があるのです。一度は挑戦したい。得るもの猛烈にありますよ。
読めば読むほど、日蓮大聖人を身近に感じられるようになります。700年の時空を越えて、日蓮大聖人の直接のお声が聞こえてきますよ。(笑)
私のふるさとの学会員の先輩で、7回も御書を読まれた人がいるのです。
いつか、私も、再度挑戦したいと思っています。

ランキング参加中★ご協力ください
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へ
人気ブログランキングへ
Tags:# 

# by sokanomori | 2010-05-20 23:44 | 御書と法華経 | Trackback | Comments(13)

続・心の財  

2010年 04月 11日

 ◇広宣流布の心が人生勝利への道。

なぜ、祈りが叶うのか。
逆に、なぜ、祈りが叶わないのか。
この重要なテーマを、池田先生の新・人間革命21巻に見てみよう。
注目すべき内容が、21巻の「共鳴音」にある。
この抄に、長谷部彰太郎(はせべ・しょうたろう)という画家が登場する。
長谷部は、過去、パリで池田先生にお会いしたときに、先生に「フランスに家をかうべきどうか」を相談する。池田先生は、「家が買えるような画家になったのか」と驚くが、現実の彼は、まだ家が買えるような画家ではなかった。彼は、言った。「将来のこととして、お伺いしたのです」
この質問に対し、池田先生は次のように指導されている。
「私は、あなたが家を買うことに賛成です。それには、断じてフランスに家を購入するぞと決めて、真剣に祈ることです。しかし、ただ家が欲しいというだけでは、祈りはなかなか叶わないかもしれません」
このとき、長谷部は「何か、祈り方があるのでしょうか?」と聞く。
池田先生は、祈り方の一つの方法を、この画家に伝授する。
「あります。フランスの人々の幸福と繁栄のために、広宣流布を誓願し、祈り抜いていくことです。例えば、『私はフランス広布に生き抜きます。社会の信用を勝ち取るためにも、皆が集える会場にするためにも、家が必要です。どうか、大きなすばらしい家を授けてください』と祈るんです。これに対し、ただ大きくて立派な家を下さいというだけの祈りでは、自分の境涯はなかなか開けない。だから、願いが成就するにも時間がかかります」
さらに、池田先生は、「祈りの根本は、広宣流布」であり、「広宣流布の一念の唱題に、無量無辺の功徳がある」と指導された。
長谷部は、その指導通りに祈り、1年後、3000㎡ほどもある敷地の豪邸の購入を果たす。
これは、見逃してはならない重要なご指南である。「境涯」が開けて、「願い」が叶う。
すなわち、「広宣流布の決意」という「心の財」を取り出し、祈り、行動することに他ならないのである。
私も過去、等身大の広宣流布を誓願し、祈り抜いた。そして、その祈りの全てを叶えたことがある。私のごとき、平凡な立場でも叶うのだ。
私の300百万遍の祈りと功徳についての過去の記事は、ここをクリック!

ランキング参加中★ご協力ください
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へ
人気ブログランキングへ
Tags:# 

# by sokanomori | 2010-04-11 20:00 | 御書と法華経 | Trackback | Comments(32)

心の財  

2010年 04月 10日

                   ◇「心の財」とは何でしょうか?

崇峻天皇御書(すしゅんてんのうごしょ)は、四条金吾が人生最大の苦難の中で日蓮大聖人から頂いたお手紙です。
やがて金吾は、絶体絶命の苦難を克服し、三倍の領地を得て大勝利者となります。
この御書には、かの有名な御文があります。
「蔵の財よりも身の財すぐれたり・身の財より心の財第一なり・此の御文を御覧あらんよりは心の財つませ給うべし」(御書1173頁)

私たちは、日々祈っています。でも、叶う祈りと叶わない祈りがあります。何故でしょう。
祈りとして、「心の財より身の財」、「身の財より蔵の財」となっていないか。
金吾は、領地を三倍にして欲しいと祈ったのでしょうか?
蔵の財は仕事やお金だと分かるし、身の財は健康と一目で分かる。
それでは、心の財とは何でしょう。「心が財(たから)」と読むのでしょうか?
違うのです。心には悪しき心もあるし、善き心もある。一念は三千念とも、八億四千念とも比喩されているように、その境涯に応じて無数に次元が異なっている。すなわち、ガラクタもあれば財宝もある。
であるとするなら、心の中の財宝の中の財宝、真実の宝とは何か。
結論を申し上げるなら「大善の心」です。すなわち、「広宣流布の心」が最高の宝です。

先日、鯖板で、説教オヤジさんが、感動的な御書の解釈を述べられていた。
その鯖板の説教オヤジさんのスレは、→ここをクリック!
スレ冒頭の>>12を注目していただきたい。
「1600ページに及ぶ御書には『ご本尊を信じ、題目を唱え、広宣流布をせよ』と書いてある。初代二代を始め、先生が残された膨大な指導の数々も、結局は全く同じ事を言われている。我々は、その通りにやっていけば良い。そもそも、元初からそうして来たのだ」
私は、このさりげない一言に息を呑んだ。その通りだ。
御書は確かに、そのことを述べている。究極の心の財を取り出し、決意し、祈るからこそ、結果として様々な功徳を得られる。次回は、「どのように祈ればよいのか」というテーマを、さらに掘り下げます。次の記事は、→ここをクリック!

ランキング参加中★ご協力ください
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へ
人気ブログランキングへ
Tags:# 

# by sokanomori | 2010-04-10 23:06 | 御書と法華経 | Trackback | Comments(4)

同生同名(どうしょうどうみょう)  

2010年 03月 14日

                   ◇信心は「やった分」の功徳です。^^
子供のころ、母からヘンな話を聞いた。
「左右の肩に二人の神様がおるんよ。その神様が、お前の行いを全部、御本尊様に教えとる。二人いるのは、一人が御本尊様に報告に行っても、もう一人がじっと見とる。じゃから、ごまかせんようになっとる。良いことも悪いことも、全部、ご本尊様はお見通しなんよ」
インパクトのある話で、子供ながらに、「嫌だな~」と思った。(笑)
さて、この肩にいる神様というのは、同生同名(どうしょうどうみょう)と呼ばれる二神で、正式には同生天、同名天という。
常に人の両肩にあって、行動の善悪を記録して、閻魔王に報告する二神である。十王経に、「左の神は悪を記す・右の神は善を記す・総じて双童と名づく。尽く持して閻魔法王に奏与す」とある。勿論、そのような神が両肩に宿っているのではない。例え話である。
四条金吾が、佐渡を訪ねた際に、大聖人が 金吾の妻に与えられたお手紙が「同生同名御書」である。「人の身には同生同名と申す二のつかひを天生るる時よりつけさせ給いて・影の身にしたがふがごとく・須臾もはなれず・大罪・小罪・大功徳・小功徳すこしも・おとさず・かはるかはる天にのぼりて申し候」(御書1115頁)と述べられている。
人生における行為の一切が宿業となって蓄積され、その結果として功徳や罰を受けるというご指南である。大聖人は、金吾夫妻の強信を讃えられ、「諸天が必ずご承知であろう」と激励されている。
この二神の話は、ユーモラスな話であるが、現実には実に厳しい。真剣に取り組んでいる人と、信心半分、遊び半分という人では、功徳も大きく違う。
御本尊を保つといえども、祈りもなく活動もないならば、何の益もない。
大事なことは、仏道修行の実践である。

ランキング参加中★ご協力ください
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へ
人気ブログランキングへ
Tags:# 

# by sokanomori | 2010-03-14 22:19 | 御書と法華経 | Trackback | Comments(6)

竜女  

2010年 03月 13日

                  ◇法華経は、女人成仏の経典です。^^

法華経提婆達多品第十二。
ここに、竜女(りゅうにょ)が登場する。
法華経以前の経典では、女性は成仏できなかった。竜女は蛇身の畜生であり、まだ八歳の娘であった。その竜女は、法華経を聞き、歓喜して立ち上がり叫ぶ。
「我は大乗の教えをひらいて苦の衆生を度脱せん・汝が神力を以って我が成仏を観(み)よ」
竜女は、即身成仏の証として、男子に変じ、妙法を演説した。烈々たる大確信を語る竜女に、周囲は騒然として揺れ動いた。竜女の姿と言動に無数の衆生が歓喜し、手を合わせ、ひれ伏し、六返に震動した。このとき、仏教史上初めて、女人成仏が果たされたのである。
仏法とは、最高境涯である「仏」になるための修行である。しかし、華厳、阿含、方等、般若などの爾前経(にぜんきょう)では、女人は「五障三従」といって、煩悩などの5つの障りや、父母、夫、子に従う立場から、「正法を聞いても修行ができない」とされていた。
華厳経には「女人は地獄の使い・夜叉の如し」とあり、天台大師は、「(他経には)男に記して女に記せず」と述べている。すなわち、女性は仏になることはできない存在であった。
法華経に至り、釈尊は、真実の教えである証として、ついに悪人も女人も成仏ができることを説いた。このことについて、日蓮大聖人は、「竜女が成仏此れ一人にはあらず・一切の女人の成仏をあらはす」(御書223頁)と述べられている。
今、創価学会を支えているのは婦人部である。婦人部の強さと輝きは、女人成仏の証左である。人類の半分を占める女性は、創価の南無妙法蓮華経によって仏になる。
私は、ブロック長になりたての頃、700名の壮年部員の前で体験発表をした。窓際族から生還し、大功徳を頂いたことを語った。鳴かず飛ばずの無名の壮年部員が、竜女の如く突然変異を起こした。聴衆は、私の闘争と勝利の話を聞いて、何度も揺れ動いた。
難行苦行して、ごく一部の人しか仏になれないという教えではない。南無妙法蓮華経の大確信と深い祈りで、万人が即身成仏できるが故に妙法というのである。竜女の成仏こそ、創価の力の源泉である。これが、真実の秘密神之力である。

ランキング参加中★ご協力ください
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へ
人気ブログランキングへ
Tags:# 

# by sokanomori | 2010-03-13 23:53 | 御書と法華経 | Trackback | Comments(9)

四恩 (しおん)  

2010年 03月 10日

               ◇私を育み、私を強くしてくださった方々へ。
仏教には四恩という思想がある。
父母、衆生、国主、三宝(仏・法・僧)に対し、報恩感謝をすることである。
衆生とは、友であり、親戚であり、同僚である。国主とは、国家であり、会社である。具体的には、社長、上司も国主との解釈ができよう。三宝とは、正しい宗教。具体的には、日蓮大聖人、南無妙法蓮華経、師弟不二の日興上人である。別して、創価三代会長、さらに創価学会は、三宝の当体である。
日蓮大聖人の御書には、「知恩をもて最とし・報恩をもて前とす・世に四恩あり・之を知るを人倫となづけ・知らざるを畜生とす」(491頁)
「仏法を習う身には必ず四恩を報ずべきに候」(937頁)と述べられている。
すなわち、仏道修行を志す者は、報恩感謝の人生を歩むことを最良とするのである。
大聖人の有名な御書に、「教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候」(1174頁)がある。
観念の遊戯の宗教ではない。報恩の振る舞いこそ、私達が最も敬愛する人生である。
私は、半世紀を生きた。否、生かされた。
命がけで私を産んでくれた母。私を育んでくれた父母、祖母や親戚の人々。愚鈍な私を一人前にしてくれた、友人、知人、会社関係者。幼少のころより今日まで、どれほどの人たちに教えられ、支えられしてきたことか。
感謝の数を挙げれば、もう数え切れないのである。人間は人間によって支えられている。
もっと広く捉えれば、大地と風と山河、この地球に支えられてもいる。
これからの人生の旅路は、報恩の旅なのかも知れない。
どうか、この世が、仲良く支えあう世界の継続でありますように。
南無妙法蓮華経

ランキング参加中★ご協力ください
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へ
人気ブログランキングへ
Tags:# 

# by sokanomori | 2010-03-10 23:08 | 御書と法華経 | Trackback | Comments(17)

日寛上人  

2010年 03月 01日

 ◇我ら、末法万年の御本尊を得たり。

日寛上人。(1665~1726)
私たち創価学会員の御本尊は、日寛上人の御本尊である。
日寛上人は、六巻抄で有名な中興の祖であり、日蓮正宗第26世のご法主であられる。
日寛上人は、15歳で江戸の旗本屋敷に勤め、その後大石寺に出家された。
日夜の努力によって、行学ともに進み、やがて学頭職につき、御書講義、五大部文段の著述、六巻抄の執筆を行った。53歳で法主となられた。
この日寛上人が、中興の祖と呼ばれる所以は、日蓮大聖人滅後、400年間に発生した邪義をことごとく破折し、内外に大聖人の正義を宣揚したことにある。
有名な六巻抄には、「此の書・六巻の獅子王あるときは・国中の諸宗諸門の孤兎(こと)一党して来襲すといえども・驚怖するに足らず」とあり、広宣流布のため、後代の弟子に心血を注いで筆を執り、一切の邪義を破折し尽くされたのである。
過去、日蓮正宗においては、歴代法主の御本尊が下付されてきた。故に、今も、日達上人の御本尊を所有している学会員は数多くいる。しかし、創価学会は、魔僧日顕の出現により、日寛上人の獅子王の御本尊を永遠の御本尊に決めた。
日蓮大聖人の仏法が、世界に広がった未曾有の時代。その時、悪鬼が一人の僧の体内に入り、やがて法主の座を盗み取った。まさに、大聖人ご指南の、「行解既に勤めぬれば三障・四魔・紛然として競い起る」(御書916頁)である。悪鬼日顕の心に、池田会長への嫉妬心がメラメラと燃えた。彼は、信徒の人気をどのように獲得するかを考えた。
「大御本尊を人質にし、御本尊の下付を断てば、創価学会は空中分解するのではないか」
狂気の法主は、このアイデアを実行に移す。いわゆる、C作戦である。
結末は過去、記事にしている。その凋落の記事は、→ここをクリック!
やがて、日顕は、血脈を受けていないニセ法主であったことが判明。法主がニセモノなのだから、所詮、ニセ本尊である。加えて、正宗がいうところの血脈は途絶えたのであるから、もはや正当な法主は宗門にはいないことになる。学会員は皆、気持ちの悪いニセ本尊を大石寺に送り返した。数百万の日顕のニセ本尊が、大石寺に山となった。
血脈は、跡目だからあるのではない。その答えを、生死一大事血脈抄に見よ。

ランキング参加中★ご協力ください
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へ
人気ブログランキングへ

追伸:コメント欄に、「何故、日寛上人の御本尊になったのか」というご意見がありました。
創価学会は、1993年10月から、日寛上人のご本尊を、お形木御本尊として授与しています。
これは、C作戦で、御本尊下付を停止するという暴挙を憂えた、栃木・浄円寺の成田宣道住職が、所蔵する日寛上人のご本尊を創価学会に寄進したものです。
創価学会は、広宣流布を断絶させないためにお受けしました。

# by sokanomori | 2010-03-01 23:19 | 御書と法華経 | Trackback | Comments(10)

雪山童子  

2010年 02月 18日


                ◇関東に珍しく、道を覆う雪が降りました。^^
本日は、雪が積もった。(^^)
近代の私たちは、雪が降っても、日頃と変わらない生活をすることができる。
日蓮大聖人の時代、雪とはいかなる存在だったのか。
御書には以下のように述べられている。
「四壁はあばらに雪ふりつもりて消ゆる事なし・かかる所にしきがは打ちしき蓑うちきて夜をあかし日をくらす」(御書916頁)
「身延山は知食如く・冬は嵐はげしくふり積む・雪は消えず極寒の処にて候」(御書972頁)
「国の習なれば冬は殊に風はげしく雪ふかし・衣薄く食ともし」(御書1052頁)
普通なら、1日として耐えられない極寒の地で、大聖人は闘われていたのである。
大聖人は、私たちの生活の数百、数千倍の苦難の中で生き抜かれた。
さて、涅槃経に、雪山童子(せっせんどうじ)が登場する。
雪山(せっせん)とはヒマラヤである。その山中で修行をしていた童子(僧)がいた。
鬼神が訪れ来て、仏の悟りの半偈を唱えた。「諸行無常 是生滅法‥」
(諸行は無常である。この世の全ては生まれては滅し、滅しては生まれる)
その半偈を聞いた雪山童子は、鬼神の前に進み出て教えを請う。
鬼神は、雪山童子を見下ろし、恐ろしい形相で吼えた。
「教えてもよい。ただし、その見返りとして汝自身を食す」
雪山童子は答えた。「お教え下さい。私の命でよければ、差し上げましょう!」
鬼神は残りの半偈を説いた。
「生滅滅已 寂滅為楽」(生滅の迷いを滅し、悩みのない境地を楽とする)
生滅は一体不二であり、生命は永遠であることを仏は悟る。雪山童子は歓喜した。
童子は、山中の岩や木に、この十六文字を刻み付け、後世の人々が、悟りを得る手がかりを残した。そして、鬼神との約束通り、自らの命を捧げるのである。
「わが人生に悔いなし!」 童子は巨木の上から身を投げた。
けれど、雪山童子は死ななかった。鬼神が、童子の求道と利他の行動に敬服し、帝釈天となって守護したのである。雪山童子は、この修行の後に仏となり、多くの民衆を幸福にした。
雪山童子は、釈尊の前世の姿である。別して私たち自身である。
求道の人生を歩む私たちは、現代の雪山童子である。

ランキング参加中★ご協力ください
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へ
人気ブログランキングへ

# by sokanomori | 2010-02-18 23:58 | 御書と法華経 | Trackback | Comments(9)

日蓮大聖人のご生涯  

2010年 02月 16日

                 ◇日蓮大聖人生誕788年を祝して。
日蓮大聖人。(1222~1282)
貞応元年2月16日が、ご生誕の日であられる。
2月とは方便品第二、16日とは寿量品第十六である。不思議な数字の一致である。
日蓮大聖人は、次のように仰せである。「日蓮は中国・都の者にもあらず・辺国の将軍等の子息にもあらず・遠国の者・民が子にて候」(御書1332頁)
大聖人は、特権階級の出身ではない。大聖人は庶民の子である。
鎌倉時代の宗教の多くは、護国仏教として存在していた。荘園と呼ばれる広大な領地を与えられ、巨大な寺院を所有した各宗派は、国主を守るために祈り、行動した。
民衆のためではない。国家権力に迎合した宗教である。
日蓮大聖人は、この権力と一体化した宗教と戦われた。国のための宗教か、1人1人の人間のための宗教か。権力中心か、利他か。正反対の立ち位置からの大闘争であった。
日蓮大聖人は、32歳の時に立宗宣言をされた。以降、二十余年。
大難が波浪の如く、間断なく押し寄せた。襲撃、讒言、流罪、死罪、弟子らの迫害‥。
闘争に次ぐ闘争の連続であられた。その全てを、悠然と乗り越えられた大聖人。
ついに、末法万年の全人類救済のために、大御本尊を顕された。
最終的に幕府は、日蓮大聖人の力を認め、国家安泰の祈祷を願い出る。
「国のために仕えよ。そうすれば、地位も寺院も思うがままに与えよう」
しかし、大聖人は、他宗と同列の勧誘を断った。そして、三度目の国家諫暁を果たされ、身延へ入山された。大聖人は弟子の育成をされ、未来に広宣流布のバトンを手渡された。
大聖人は、生涯、国からの保護、供養を受けられなかった。民衆の真心のご供養によってのみ、真心で受けられた。
人類史上、これほどの大弾圧を受け、完全勝利した人がいるであろうか。民を支え、民に支えられた大聖人の人生。我、ただ、感嘆をもってひれ伏すのみ。
大聖人ご生誕800周年は、12年後に来る。

ランキング参加中★ご協力ください
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へ
人気ブログランキングへ

# by sokanomori | 2010-02-16 00:04 | 御書と法華経 | Trackback | Comments(12)

< 前のページ 次のページ >