第二次大戦の敗戦国の中で日本だけが戦後経済的発展を遂げたと言うとすぐこういう反論が来ます。
「西ドイツも発展したではないか」と。しかし、日本と西ドイツでは根本的に異なります。西ドイツは戦前の日本とは違い、もともと、技術先進国であると同時に欧州では英国、フランスと並ぶ経済大国でした、それに比べて日本は欧米諸国に比べて経済規模は小さく、軍事力のみが拮抗してる状態で、しかも軍事技術と言えばその殆どが欧米からのコピー品でした。実は零戦のエンジンは米国から戦前にライセンスを導入して国産化したもの、20mm機関砲は欧州(確かスイスエリコン社)から導入したものです。
戦後の西ドイツ経済の勃興は英仏蘭との比較の中で、相対的に西ドイツが伸びたと言うことではないでしょうか。いや、伸びたと言うよりも、植民地経済に頼っていた戦勝国が植民地を失うと同時に没落して、西ドイツ経済が相対的に浮上したと言うことでしょう。ドイツは元々植民地を殆ど持っておらず、それがヒトラーがのさばる原因にも成りましたが、皮肉なことに植民地経済に頼らなかったと言う戦前の経済体質が、戦後の”相対的な興隆”に繋がったと考えられますし,アジアアフリカ各国の独立により、日本と同様に自由貿易を獲得し、本来の勤勉な国民性と高度な生産技術が相まって発展したとも考えられます。
戦前、オランダはその国家経済の六割を蘭領ジャワからの収入に頼ってました。石油メジャー”ロイヤルダッチシェル”という会社はオランダハーグに本拠を置きますが、この会社こそオランダによるインドネシア収奪の実行部隊でした。彼等はジャワ人を奴隷以下に扱い、収奪していました。それ廃除したのが日本軍でした。結果、オランダはチューリップと風車の国に没落しました。英国はその経済規模の三割をインドに頼っていました。インドを失った英国は昔日の面影今はなし、60年代ボルネオ、ニューギニア、セレベスの領有を巡ってインドネシア軍と戦いましたが、戦いに破れ、全アジアから撤退と成りました。収入源であったスエズ運河もエジプトに取られました。今じゃ、自慢できるものと言えば王室とロック歌手のみの国と成り果ててまったのです。可哀想に!
日本軍によるアジア解放は欧州ではドイツの相対的興隆と、加盟国の増加による国連の活性化を実現しました。今日BRICSが経済発展しているのは、独立の起爆剤と成った、帝国陸海軍と、戦後日本政府が行った膨大な経済援助のおかげです。