私も文書の書き方が、
『〜』など使うことで稚拙なものになり、軽薄さを印象付けてしまいました。
それ故に稚拙な視点しか持てない輩に叩かれていること
無視することが大人の姿勢なのでしょうが…
叩く前にしっかりと読んで、誤った理解で、
批判することは恥をさらけ出していることを知るべきことを言っておきます。
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以下の文書のどこに、
「携帯の電源を入れた…」と書いてあるでしょうか?
また、航空機は着陸状況ではなく…
上空で待機していて、
着陸できずダイバートしたこと…
『平成23年6月11日
「震災から三ヶ月…」
平成23年3月11日、
14時46分…
東日本大震災が発生し被災してから三ヶ月の時が経ちます。
大地震、大津波、原発大規模事故
日本が受けた未曾有の大災害
あの日あの時、
それぞれの日本人が
それぞれの日常の暮らしをしていました。
私は沖縄方面からの
出張を終え羽田上空の民航機の中で、
『東京が震度5の地震…』の機内放送で、
大地震が東京を襲ったと思いました。
当然考えたのは家族の安否です。
しかし、東京上空にいながら携帯は繋がりません。
民航機はダイバートし関西空港を経て沖縄に戻りました。
そこで泊まったビジネスホテルのテレビで被災の大きさを知り愕然としました。
あの日あの時から三ヶ月…
被災した直後は、
助かった人達は家族の安否を思いながら、
自ら生きるために、
やるべきことが次から次と考える間もなくやってきて、
安否や悲しみに打ちひしがれていることもままならかったと思います。
被災から時が経ち、
生きている人達は不便な環境の中で生活のリズムを作り
互いに助け合い生活されていますが
その心の状態は、深い悲しみや怒りや不安に満たされていると思います。
家族を失った方々は、
突然に愛する人が消えてしまった事実を受け入れることなど出来ません。
時が経つほど失った愛する者への想いは心に深く刻まれ…
ふとした時にその想いが現れ慟哭するのです。
時はその悲しみを癒してはくれません。
その悲しみを胸にして
その悲しみを抱えながら生きていくのです。
悲しみを乗り越えることなど出来ません。
時は癒しにはなりません。
それは突然に愛する人を失った方々が共有する想いだと思います。
この三ヶ月の間に長女を失いました。
突然に命を奪われました。
長女の日常が突然にぷつんと途切れました。
無惨に変わり果てた
長女を目の当たりにした時の信じがたい思いと
体全体が打ち震えた
悲痛の想いは忘れることなど出来ません。
なぜそうなったのか?
何があったのか? と思う前に長女のその姿を前にした時は、
打ち震えた慟哭と悲痛な叫びしかありませんでした。
それでも時間は容赦なく過ぎていくのです。
通夜があり、葬儀があり…
その忙しさに追われ、
その中で長女を失った悲しみが波のように押し寄せては引いていくのです。
被災され愛する人を失った方々は今どのような想いでおられるのでしょうか?
私達は長女を亡くして三週間の時を経ようとしています。
長女の命を奪った犯人は捕まりました。
長女が受けた命を絶たれた苦しみを味わうことで、
犯人はどれほどの罪を犯したのか知るでしょうか?
多分わからないでしょう。
そんな者に長女の命が奪われたことに深い矛盾と怒りを感ぜずにはいられません。
今はただ、ふとした時に深い虚無感が襲って来ます。
どうしようもない虚無感です。
それを抱えて生きていくしかありません。』
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また、以下の文書は被災した方々への想いです。
「お元気ですか〜」と書き、確かに「〜」の記号は配慮に欠けていました。
しかし、以下の文書が被災した方々への想いです。
尖閣の件はツィッターでは消しました。
しかし、ブログは…
2010年11月10日と11日の文書は消していません、その主旨はツィッターと同じです。
確かに、私もブログを読めなくしたり、削除したり恥ずべき行動をとったことは認めますが、
人の文書を正しく読み込まず、人の批判をする稚拙なあげ足取りは匿名と言えども恥ずべき行いでしょう。
如何に?
『平成23年3月13日 日曜日
「今…日本の人達〜」
私は昨日、
無事に千葉の自宅に着きました。
皆さん
本当にありがとうございました。
自宅のテレビで
初めて被災地の様子を…
ニュース報道で見ました。
被災者の方々の姿は涙なくして見られません。
我が子を抱きしめて再会する母と幼子
家族が生き埋めになり…
ひとりぼっちになってしまう
と泣きくれているお年寄りの方…
必死に救助活動にあたり
身を挺して命を救うことに献身している人達…
日本の人達の思いと行動が
被災地に集まっています。
手をさしのべる想い…
世界の国々からの救援を積極的に受け入れて
多くの人達が元気になるように…
被災者の想いを我が身のものとして
自分が、
電気や灯りや温かな食事が出来ることに
申しわけないとの思いを心に刻みながら
被災者の皆さんが、
この困難を乗り越