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想像絶する光景 目の当たりに [体験談]


 宣行寺支部 山田多美子
 (埼玉地方部総会より)


 このたびの東日本大震災により、実家のある宮城県にて私が目の当たりにした現状を報告させていただきます。
 昨年は御住職・村上節道御尊師御指導のもと、宣行寺支部折伏目標二百八十人を上回って、三百十二人を達成させていただくことができました。その流れを引き継いで今年に入り、一月は三十七人、二月は三十三人、三月には三十三人と折伏が進んでいます。
 私のチームでは、チーム長はじめ他の班員さんと共に折伏・育成に励む中、一月には鳥海さん、二月には私自身が以前から御祈念していた加藤さんを折伏でき、御授戒が叶いました。
 しかし、動きの大半はチーム長と鳥海さんと私のほぼ三人によるものでした。御住職様より「動きが小さすぎる。もっと大きく全体を巻き込むためには、どんどん育成が必要です」と、常に御指導をいただいていました。
 今年に入り「チームの底上げしかない!」とチーム長自ら唱題を二倍に増やし、チーム全体の育成にどんどん携わっていきました。その結果、山中さんのご主人を、福田さんがお孫さんを折伏されました。

  震源地は宮城県沖!両親は!?

 あの三月十一日、大震災の日も私はチーム長と育成に動いていて、千住新橋を通過中に橋の両側に並ぶ街灯が大きく揺れるのを見て、「強風にしてはずいぶん揺れているね」と呟(つぶや)いた瞬間、さらに強烈な揺れが襲ってきました。車が飛び跳ね、私の頭は車の天井に数回ぶつかりました。
 阪神大震災の真ッ二つに割れた橋の映像が頭をよぎり、ハンドルを取られ体中を打ち付けながらも、橋のたもとにたどり着きました。急いでつけた車中のテレビ画面に「震源地宮城県沖マグニチュード八.八」を見た時、気絶しそうになりました。

 私は海岸から六キロ離れた宮城県名取市出身で、実家には両親が住んでいます。帰郷の際には必ず、いつ発生してもおかしくない宮城県沖地震に備えて備蓄品と避難所を再確認していました。大震災前日も強い地震が立て続けに起きていたため、くれぐれも注意するよう電話で話したばかりでした。実家の辺りの震度は六強でした。

 前代未聞の大きさに震えが止まりませんでした。通信は完全に絶たれ、極度の不安の中、実家に帰る交通手段のことばかり頭を巡らせていました。
 しばらくすると、今度は津波警報が出ていました。自宅に戻りテレビをつけると、全局で名取市上空からの映像を映し出していました。胸騒ぎをしながらしばらく見ていると、津波が名取川と合流してものすごい勢いで内陸に向かっています。見慣れた田園風景が濁流に飲み込まれていくシーンを見ながら、「流れの延長線上には実家があるのに」と愕然(がくぜん)したのを今でも覚えています。
 自宅付近まで入り込んだ津波は両親の生活圏内でもあったので、最悪のケースをよぎりました。

 その時、以前ある先輩から「多美ちゃんの心の中には仏様がいないね。肝心な時に仏様がいない。万事仏様にお任せすればいいのよ」と、私自身の宿業で行き詰まった時にいただいた励ましを思い出され、この時も当てはまるような気がしました。
 両親の所属する広安寺支部は、昨年に続き本年も既に折伏目標を達成し御法主上人猊下への御目通りを果した直後でした。唱題をする中で、いくら自分の両親だからといって仏様のお使いをさせていただいている者に最悪のケースを当てはめるとは言語道断と、御本尊様よりお叱りを受けたような気がしました。しかも御報恩御講を明日に控えているのに動員・育成を完全に忘れ、私事にとらわれたことを反省しました。そして、例え両親の安否が判らなくても御講に集中すると決めました。
 嬉しいことにその日の夜、両親の無事を確認できました。父より「御本尊様も傷一つない。お寺の書類等も無事だった」との連絡に、逆に私の方が励まされた形となりました。
 三月の御報恩御講には大勢の参詣動員もでき、その夜、講中の方々のご協力と支えにより、実家に向かいました。道中は不思議と渋滞もなく、地割れで陥没(かんぼつ)した道路も修復されていて八時間で実家に着け、仏様の功徳を感じずにはいれませんでした。

  被災地の過酷さ

 被災地はテレビで見る映像より過酷なものでした。賑(にぎ)わっていた町並みもすべてシャッターが降り、自衛隊の車やヘリコプターが飛び交(か)い、人々は食料と水を求めてリュックを背負いながら歩いていました。開いている店は一軒もなく、ガソリンスタンドもすべて閉鎖されていました。ときどき降る雪が寒さと現実の厳しさをより増していました。

 幸いにも実家の建物は無事で、被災地とは思えないほど不思議と衣食住に守られていました。しかし、一歩町に出ると、日を追って増えていく遺体の数。私の知人、同級生を含め、数名の方が津波の犠牲となりました。実家の近くが遺体安置所だったため、見るも無残な光景を目の当たりにすることになりました。
 次々に入ってくる自衛隊のトラックから、まるで流れ作業のように運び出される棺(ひつぎ)は、遺体安置所となったボーリング場の施設に運ばれていきました。その数は名取市だけで五百体を超えると言われていました。

 安置所の外はまさに地獄絵でした。地面にしゃがみ込んで叫び続ける母親、隣には小さな棺を抱えたご主人らしき人が寄り添っていました。泣き腫(は)らした顔で気丈に棺を運ぶ若者。三陸から行方不明者を探しに南下してきた家族。さらに南の安置所に向かっていく光景。軽トラックに棺を運んだり、普通乗用車のシートを倒して何とか棺を入れようとしている家族。その光景を容赦なく撮影している海外の報道機関。

  「牛馬巷(ちまた)に斃(たお)れ、骸骨(がいこつ)路(みち)に充(み)てり。死を招くの輩(ともがら)既に大半に超え、之を悲しまざるの族(やから)敢へて一人も無し」

 思わず『立正安国論』の一節を呟いていました。この惨劇の主人公たちと御題目を唱えたい衝動に駆られました。
 
  「世皆(みな)正に背き人悉(ことごと)く悪に帰す。故に善神国を捨てゝ相(あい)去り、聖人所を辞して還らず。是(ここ)を以て魔来たり鬼(き)来たり、災(さい)起こり難(なん)起こる」

 この震災で私の知人であった多くの創価学会員、念仏宗の方が犠牲になりました。ある方は地震後、津波警報を聞き両親を車に乗せ、逃げる途中で家族全員濁流に巻き込まれ、数日後に全員の遺体が見つかったそうです。またある方は、地震後すぐに車で逃げたのですが渋滞に遭い、そのまま波にさらわれて、二週間後に百キロ先で遺体が見つかったそうです。彼女は日蓮正宗のお寺に来寺したものの、御授戒を受けることができず入信できませんでした。また、ある方は自動車教習所の教官をしており、地震直後に五台のバスで生徒全員を乗せて逃げましたが、結局全員が亡くなったそうです。

 謗法(※誹謗正法のこと)がなぜだめなのか、今までは知識の中でただ漠然と捉えているだけでした。しかし、自宅に御本尊様を御安置できているか否かで家の被害の明暗が分かれ、また、御授戒を受けるか否かで生死の明暗がはっきりした事実を、私は目の当たりにしました。流されてもおかしくない場所の家が残っていて、安全と思われる家が飲み込まれていたからです。
 ある信徒さん曰(いわ)く、「遠くから黄色いもやが見えた。それが津波と判り、間に合わないと思ったその瞬間、津波の速度が遅くなった」そうです。その結果、無事に逃げ切れたという話を聞きました。

  使命感じ帰路へ

 さらに災害の追い打ちをかけるように深刻な物資不足、特にガソリンには悩まされました。震災から一週間以上経過してもガソリン入荷の見通しが一切立たず、町の大きなスタンドでようやく二十リットル制限の、一日三百枚の整理券を求めて前日から徹夜して並ぶのです。
 実家の状態も一段落つきましたが、肝心のガソリンがなければ帰ることもできないと途方に暮れながら国道を走っていた時、ちょうどタンクローリーが出てきたスタンドを見つけ、まっしぐらに入っていきました。既に数台の車も待機している状態で、整理券をもらってホッとしたものの、この二十リットルを実家の車に補充するか悩みました。
 すると父から電話があり、ガソリンを満タンにできたと言うのです。私と同じ状況が父にも起きていました。「これは間違いなく仏様のお計らいだ、信行の上にやるべきことが待っているから帰りなさいと言われている」という気がしたので、その日の夜に帰路に着きました。

 後日、さっそく鳥海さんが有縁の方を連れて来られ、婦人部長さんを中心にチーム長と伊藤さんと皆で折伏に関わることができ、喜びの御授戒となりました。また、その後も二人折伏することができ、先月の折伏成果は七名となりました。
 チームみんなで異体同心の折伏・育成に取り組めた三月、この勢いをもって、これからも信行に励むことを決意して、私の発表とさせていただきます。



以上、東日本大震災の体験発表でしたが、思うに「法華経」とは「実践」であるとつくづく思う。
世の学者は「法華経」を「内容がまったく無い御経だ」と決めつけているが、
しかし、末法とは「(正法・像法の)戒律が失われた世の中」である。
いくら御経で修行の方法(写経や座禅など)が書かれ実践しても、
今の時代ではまったく意味をなさないのである。

「法華経」を拝すると、半ばに入っていよいよ究極の「真理」が説き明かされ、
さらに「法華経」を弘通・教化する者は大いなる功徳を得るとある。
つまり「法華経」を信じ修行する者は、必ず世の人々に仏の教えを説かなければ、
「修行」とは言えないのである。
「法華経」を拝するとそのほとんどが、「修行」という実践の内容とその功徳の絶大さ、
その由来を示している。

決して内容が無いわけではない、いや、それどころか、
あまりにも膨大すぎて一括りでつかむことが、末法に生きる我々には不可能なのだ。
なぜならば、「法華経」は「諸経の中に於(おい)て最も為(こ)れ甚深(じんじん)なり」
「諸経の中の王なり」「最も難信難解(なんしんなんげ)」
「而(しか)も此の経の中に於て法華最も第一なり」だからである。
いくら頭で理解しようとしても、それは不可能に近い。

「毒矢のたとえ」のように、頭でっかちに考えず、まずは「信」を取らなければ
毒に侵され苦しみ続けることになってしまう。
「今があればそれで良い」という安易な思考は大震災をもって崩された。
今こそ、私たちは「常識」を考え直し、惰性に流されないで安全な未来を築くべきではないか。
時間は待ってくれない。

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