高校生の時は、授業が終わってから、美幸と難波や心斎橋に行き、
環状線の1周などもしましたね。
美幸は、目が悪かったので、純一は美幸の手を握り、
前から来る人とぶつからないよう左側に誘導したり、
また右側にというようにしていましたね。
その時は、美幸の手を決して離してはいけないと思い、
美幸の手を強く握りしめていました。
そして、たわいもない話をずっとしていたことを思い出します。
美幸と話していると、気も使わず、
純一にとっては、凄くフィットする感じがしていたことを覚えています。
特別に何か話す内容を考えたこともなく、凄く自然な会話で、
途切れることがありませんでした。
同級生のみんなには、内緒で、放課後、遊びに行くために、
みんなと顔をささないように、高校の下駄箱で待ち合わせし、
みんなより、1本早い電車に急いで乗りましたね。
無理やり、美幸の手を引き、ダッシュで八戸ノ里の駅の階段を駆け上がり、
二人きりのデートを楽しみましたね。
その時点で、純一は、美幸のことが好きでした。
しかし、純一は16歳の子供心に、
美幸とは、生活レベルが違うことを薄々感じ始めていました。
純一の家には、故父が車の免許鉦を持っていなかったため、
車に乗る経験も少なく、美幸との会話のなかで、時々でてきた、
美幸がドライブに行った話や車に乗りながら映画を見に行った話しを聞いて、
高校生の純一には、美幸は高根の花でした。
純一と付き合うには、身分が違い過ぎると感じていました。
結局、美幸の告白することなく、純一の方から、距離を置くようになりました。
でも、これだけ、しっくりいく、何も気を使わずに話しのできる女性は、
今だ、美幸一人です。
そして、美幸を忘れるように努力するようになり、
男友達と仲良くしている姿を見て、これでよかったと無理やり納得させていました。
でも、美幸が好きな気持ちは薄れることなく、
卒業アルバムの写真では、できるだけ美幸の近くに行き、
写真撮影をしていました。
高校を卒業して、一昨年の全体の同窓会でも、
美幸の近くには、近寄りがたい純一がいました。
未だに美幸のことが気になって、未だに好きなんだなぁと感じたため、
話ができませんでした。
話しをすれば、楽しいに違いないのに、近寄れませんでした。
唯一、美幸に車だから送って行こうかと聞くのが、精一杯の一言でした。
そして、1周間後の、お互いの住んでいるところも知らず、
偶然、奈良県で運転免許鉦の書き換えのとき、美幸から声をかけくれたことは、
美幸との運命を感じ、大変嬉しかったことを覚えています。
照れくさく『またなぁ』が最後の言葉になってしまいました。
久しぶりに話しがしたいと思い、お茶でも誘いたかったのですが、
講習の休憩時間に運転免許所内を美幸を探しました。
もう二度と美幸には会えないのかなぁという不安と
美幸が好きだった気持ちがこみ上げてきました。
でも、結局会えず、もうこれで終わったんだと言い聞かせ家路につきました。
そのときは、高校時代に何故、美幸に『好き』と言えなかったことを後悔してまた。
ところが、昨年の8月8日の同窓会の時に美幸の姿をみて、
美幸がやっぱり一番好きな女性であったことに気づいたのですが、
美幸は結婚しているので、
今更、昔には戻れないなぁと諦めるように努力しました。
同窓会で現国一番のブログを開設するようになって、
美幸とメールの交換を頻繁にするようになって、
美幸から写メをどのようにしたら載せれるのと聞かれ、
色々と話している中で、
美幸から時間が会えば、食事でも行こうと言われた時には、
嬉しくて仕方なかった。
すぐに8月25日に飲みに行こうと約束して、美幸と二人で飲みに行き、
2次会で新地に行ったときの感覚がまるで、高校生の時のしっくり行く感じで、
気を使わず、楽しく、美幸って、楽な女性でぴったりとフィットするなぁ、と思い、
2度と手放してはいけないと思いました。
新地のクラブの女性も仲がいいですね。
高校生の時は好きだったんでしょと聞かれた時は、
照れくさく、『好きだったと思う』とごまかしました。
本当は『大好き』と言いたかったのですが。
その後、2週連続で、美幸とトモリンと一緒に飲みに行き、
お互い関係が深まり、楽しい思い出になったと思います。
その後、美幸の誕生日に二人で旅行にも行きました。