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[26553] 【カオスフレアSC】夜明けの戦機【TRPG二次創作・習作】
Name: 新◆9c42e1d8 ID:ebf219b0
Date: 2011/03/18 21:49
 この作品は、クロスオーバーTRPG・異界戦記カオスフレアSCの二次創作作品です。

 リプレイとノベルを足して二で割った感じで進めていく予定ですが、実プレイに基づいているわけではないので、実際のセッションと比べると不自然な場合等あるかと思われます。

 また、このカオスフレアという作品の性質上、既存の作品のオマージュ、パロディ等がかなり見られることになります。その辺りに不快感を覚えられる方は読まれないほうがよろしいかと思います。

 ただ、そういうごった煮のまさしくカオスな世界観がこのTRPGの魅力の一つだと思いますので、興味を持っていただければ幸いです。

 では、まずはお約束から入りたいと思います。



[26553] 第一話『曙光の異邦人』セッショントレーラー兼ハンドアウト
Name: 新◆9c42e1d8 ID:ebf219b0
Date: 2011/03/17 01:41
 ある日、立ち寄った本屋で見かけたあかがね色の本。

 何故か気を惹かれたその本を手にした時、雪村あさひは地球から始原世界オリジンへと召喚された。

 気付いた場所で出会ったのは、自らを人型機動兵器モナドトルーパーの制御ユニット、アニマ・ムンディと名乗る少女。

 彼女はあさひを『フォーリナー』と呼び、自らの半身たるモナドトルーパーに搭乗するよう促す。

 だが、格納庫まで辿り着いた二人に鉄の獣が襲いかかる。

 すんでのところであさひたちを救ったのは、VF団のA級エージェントを名乗る一人の少年、ローレンだった。

 オリジンを含む多元世界『三千世界』の統一のための組織であるVF団の助けとするため、フォーリナーであるあさひを救いに来たのだと彼は言う。

 同じくその場に現れた、VF団とは敵対関係にあるという組織、神炎同盟からフォーリナーを保護するために来たという、アムルタートの龍、フェルゲニシュと更にそれとは別口からフォーリナーの手助けをするよう頼まれたのだと語る謎の女、サペリア。

 事情も思惑も食い違うが、その中心にいるあさひを軸としてぎこちないながらも行動を共にする一行。

 やがて辿り着いた集落で、あさひはオリジンの現実を目の当たりにする。

 それぞれの組織が語るそれぞれの大義。

 そして、それらすべてを超越し、破壊せんとする夕闇の使徒ダスクフレアがあさひ達に迫る。

 異能の力が、龍の咆哮が、光の指先が、そして、明日を掴む鋼の腕が、希望へ続く道を切り開かんとダスクフレアと激突する!


――異界戦記カオスフレア Second Chapter――

『曙光の異邦人』

 人よ、未来を侵略せよ!



[26553] 第一話『曙光の異邦人』その1
Name: 新◆9c42e1d8 ID:ebf219b0
Date: 2011/06/29 20:55
Scene1 開かれた扉


 その日の下校途中、雪村あさひは上機嫌で商店街を歩いていた。口元にはうっすらと笑みが浮かび、足取りは軽く、ポニーテールにまとめた髪までも楽しげに踊っているように見える。

 目指すは常連となっている個人商店の本屋である。今日は楽しみにしていた小説の新刊が発売する日なのだ。

 やがて目当ての本屋に到着したあさひは、さりげなく周囲を見回して知り合いが視界内にいないことを確認。バスケ部から熱心に勧誘を受けた運動神経をフル活用し、素早く、滑りこむようにドアをくぐって店内に入る。


「……なんでそんな忍者みたいな入り方してるのこの子は」


 入り口脇のレジから、四十歳ほどの女性、ここの店長が呆れの混じった視線を投げかけてくる。


「いやあ、なんていうかちょっと気恥ずかしくて」


 照れ隠しに頭をぽりぽりと掻きながらあさひは苦笑いを浮かべてみせた。あさひが本日のお目当てとしているのは、正統派、直球ド真ん中の恋愛小説なのだ。あさひは、自身のパブリックイメージとして『活発・気が強い』という項目が上位にあることを自覚している。それについてはその通りだと彼女自身認めているし、反論するつもりもない。

 だが、そういった一面とは別に、彼女は甘いラブロマンスの物語を好む傾向があった。それについても別段悪いことではないと分かってはいる。分かってはいるが、普段の自分とのギャップが大きいこともまた事実。ゆえに、できれば秘密裏にそうした本の購入は行ってしまいたいのだった。


「まあ、別にいいけどねえ……。今のあさひちゃん、同年代の男の子がエロ本買いに来るときとそっくりだったよ」


「エ、エロ……っ!? 花も恥じらう高二女子になんて事言うのーっ!?」


 うがー、と両手を振りあげて怒るあさひに、店長は気にした風も見せずにからからと笑う。


「ほれ、小説の新刊はいつものとこにあるからさっさと持っておいで」


 はーい、と少々むくれながら返事をして、小説のコーナーへと向かう。レジからやや離れたその場所で、平積みにされている新刊を手にとって思わずにんまりと微笑む。この場でページをめくり始めたいところだがそこはグっと我慢して、家に帰ってからの楽しみとしてとっておくことにする。

 さあレジへ、と思ったその時、あさひはなんとはなしに背後を振り返った。そこは参考書のコーナーになっていて、普段のあさひならあまり興味を抱かないような一角である。しかし、今はなぜか違った。引き寄せられるように視線を滑らせたその先には、背表紙に何のタイトルも示されていない一冊の本が収まっている。


「……なんだろ、これ」


 手を伸ばし、その本を本棚から抜き取る。あかがね色のビロードで装丁されたその本は、背表紙だけでなく表紙にも何の文字も記されていない。裏返してみるが、バーコードや値段も印字されていない。誰かが悪戯でここに紛れ込ませたのだろうか。そんな事を思いつつ、あさひはその本を開いた。

 そこには何も記されていない。

 いや、違った。装丁と同じあかがね色の、見たこともない文字が次々に記されていくのだ。やがて文字はあさひの見ているページを埋め尽くし、そしてひとりでにページがめくられてそこにも文字が浮かび上がる。

 あさひが魅入られたようにそれを見ている間にも文字が浮かび上がる速度はいや増していき、ぱらぱらと連続でページがめくられていく。


「な、なに、なに!?」


 はっとあさひが我に帰ったのは、その本が淡く光を放ち始めた時だった。光は次第に強くなり、それと共に本の中から文字が空中に溢れ出してあさひを取り囲む。


「うええ!? ちょっとやだ! ストップ!!」


 そう言っては見たものの、この怪現象はとどまる様子を知らない。焦るあさひを文字と光が包みこんでいく。

 やがて、光が収まった時、そこにあさひの姿はなかった。彼女がいた場所に開かれたまま落ちているあかがね色の本がただその名残だったが、ひとりでにぱたんと閉じられると同時に、その本も跡形もなく消え去ってしまった。









Scene2 世界の中の影


 三千世界とは、遥かな昔、造物主デミウルゴスによって創造された、数多の世界の総称である。

 初めは世界の創造に喜びと愛を持っていた造物主デミウルゴスだったが、やがて己の生み出した世界――孤界スフィアの内に生きる者たちがその世界を作り替えていくことを、その多様性と可能性を疎むようになった。

 そしてついには造物主は、己の意図しない変化を内包した孤界の全てを破壊し、再び創世を行おうとしたのである。

 これに対し、それぞれの孤界に宿る神々アイオーンが異を唱えて抗戦し、やがては三千世界に住む者全てを巻き込んだ大戦へと発展していった。

 大戦は、様々な要因によって造物主の敗北に終わった。造物主は最初に創造された世界、オリジンにて討ち果たされ、三千世界は滅亡を免れたかに見えた。

 だが、造物主の執念は、様々な呪いとなって三千世界に散らばっていた。それは今、大戦より幾星霜の時を越えてなお、三千世界を滅ぼして新たな創世を行うために蠢いているのだ。



 世界間移動組織VF団。それは大首領ヴァイスフレアの意志のもとに三千世界の全てを平定すべく幾つもの孤界を股にかけて活動する秘密結社である。当然、その活動の手は始原世界オリジンにも伸びている。

 十三歳という若さでそのVF団のA級エージェントとしての地位を得ているローレンはエリートと言って差し支えないだろう。組織の性質上、あまり大っぴらに出来ないことであるのも確かだが。

 そのローレンが、今は片膝を付き頭を垂れている。敬意を示すその所作の先に浮かぶのは、ぎょう帝国風の衣装に身を包んだ白髪、白鬚の老人の立体映像だ。もしもあさひのような日本人が彼を目にしていたなら、やや迷いながらも仙人と形容したかもしれない。迷いの原因となるであろう部分は、レンズのような右目を始め、右半身を中心にして体の二割ほどを覆っている機械だ。後天的に埋め込んだというより、生身が機械に変じたという印象を感じさせるような造形。見るものが見れば、機械生命体グレズによる生命の機械化――『調和』を受けた影響だと知れるだろう。より深くグレズを知るものなら、調和の影響をここまで強く受けていながら、人としての意思と命を保っているこの老人に驚くかもしれない。彼の名は“入雲龍”公孫勝。ローレンの直属の上司にしてVF団の幹部、八部衆の一角を占める人物だった。


「エルフェンバインに向かえ」


 ややしゃがれてはいるものの、高齢を感じさせない芯の通った声。立体映像越しとは思えない威圧感すら伴って、公孫勝の声はローレンに届いた。答えるように顔を上げた彼に向けて公孫勝が続ける。


「かの地へとフォーリナーが落ちる。これを確保して迎え入れ、我らの力とするのだ」


「はい。ではすぐにでも出立いたします」


 答え、立ち上がろうとするローレンを公孫勝が手を上げて見せることでとどめる。


「もう一つ。ワシの卜占によればフォーリナーが我らの役に立つ品をかの地より持ち出してくる可能性がある。可能なかぎり、そちらも回収するのだ」


「了解いたしました。……その品とはいかなるものでしょう。フォーリナーが持つという絶対武器マーキュリーとはまた別のものでしょうか?」


「アニマ・ムンディ。知っておるな? 騎士級モナドトルーパーの核たる機械人形よ。エルフェンバインの中央工廠地下に取り残されたそれが、我らVF団の目的の為に役立つのだ。常ならば、かの地を牛耳る機械生命グレズのメタロード、ディギトゥスの存在により入手は困難を極めるであろうが、フォーリナーという因子が状況を動かすであろう。そこを利用するのだ。ただ、必要以上にディギトゥスを刺激すれば、今はエルフェンバインのみにとどまっているグレズどもの活性化を招く恐れもある。存分に注意してことに当たれ」


 命は下された。ローレンは立ち上がり、立体映像の公孫勝と視線を合わせる。


「ヴァイスフレアのために!」


「ヴァイスフレアのために!」


 どちらともなく唱和して、ローレンはすぐさまきびすを返す。任務の達成が一分、一秒遅れたならば、それはVF団の理想が実現するときが遅れることと等しいのだ。だから彼は見なかった。公孫勝の右目のレンズの内側に、ちろりと黒い炎が揺らめいた事を。






Scene3 龍の宮


 オリジンでも最大の規模を誇る都市、宝永。その概観は一言で言えば樹木だ。ただし、非常識なまでに巨大な。もとは数十万の民を乗せて宇宙をゆく船であったそれは、今では宇宙船としての機能を失ってオリジンにその根を下ろしている。

 もともとの住人であった富嶽の民に加えて、先のバシレイア動乱においてイスタム神王国の都である“木蓮の都”エルフェンバイン、アムルタートの本拠地たる移動要塞エマヌ・エリシュが失陥したことを受けて、それぞれの指導者たる神王エニア三世、冥龍皇イルルヤンカシュによって亡命政権が立てられたことによる移民もあり、現在では実に雑多な雰囲気をもつ都市となっている。

 そんな宝永の一角を、一人のアムルタートの戦士が歩いている。彼らアムルタートの龍は、基本的に三種の姿を持つ。ごく普通の人間の姿に、角や僅かな鱗を持つ人間形態。直立歩行する人型の龍(リザードマン、などと形容すると字通り彼らの逆鱗に触れる)である龍人形態。そして彼らの真の姿、世界の調停者たる完全生物、龍の本性たる真龍形態である。今、彼の戦士はこのうちの二つ目、龍人形態を取っていた。向かう先は、先に名前の上がった冥龍皇イルルヤンカシュが居を構えるジグラッドである。

 彼がジグラッドの門をくぐり、謁見の間に足を踏み入れたとき、そこには一人の少女が玉座に腰掛けて待っていた。外見だけ見れば、耳の後ろに角を持つ、十代前半の人間の少女でしかない。だが彼女こそは1万年を超える時を生きてきたアムルタートの指導者、冥龍皇イルルヤンカシュなのだ。


「フェルゲニシュ、お召しに従い参上いたしました」


 フェルゲニシュと名乗った彼が、恭しく膝を突いて頭を垂れ、尾を体の前に回して自分の片手で押さえつける。こうしてすぐに飛び掛れない姿勢を取る事で相手に対する恭順を示すアムルタートの流儀である。そんな彼に対してイルルヤンカシュは大儀である、と鷹揚に頷くと早速本題に入った。


「わらわの姉上、月龍皇ナンナルより夢の啓示を受けたのじゃ。姉上曰く『木蓮の都に界を渡りて星が落ちる。それに伴い鋼が動き、夕闇を招き寄せる』だそうじゃ」


 フェルゲニシュは主の言葉に顔を上げ、数瞬の思案の後に口を開いた。


「木蓮の都……エルフェンバインですか。と、なればナンナル様のお言葉にある鋼とは、やはりグレズでありましょうか」


 バシレイア動乱やそれ以前の戦乱において中央大陸狭しと暴れまわったかの機械生命体の猛威を思い出し、フェルゲニシュは僅かに牙を剥いて顔を歪めるが、龍皇の御前であることを思い出し、即座に居住まいを正した。


「おそらくそうじゃろう。そしてその後にある夕闇。これはわざわざ言うまでもあるまいの?」


 夕闇の使徒。造物主の走狗。世界の卵。すなわち――ダスクフレア。

 エゴを極限まで増大させ、己の望みのままに世界を作り直そうと――再創世を行おうとする造物主の写し身にして意思の受け皿となった者達。

 世界を循環する生命の力、フレアを吸い込むブラックホールと成り果て、あるいは欲望のために、あるいは理想のために、あるいは愛のための行動と謳いながらも、今ある世界を滅ぼさずにはいられないなにか。

 それが動き出す危険があるというのなら、一刻も早く手を打つ必要がある。


「委細承りました、イルルヤンカシュ様。エルフェンバインに赴き、まずはかの地へ降りた界渡りと接触いたします」


「うむ。宜しく頼む」


 主の言葉を受けたフェルゲニシュは立ち上がってその場を辞すべく一礼する。と、そこにぽつりとイルルヤンカシュの声が投げかけられた。


「――必ず生きて帰れ。よいな」


 礼を深くしてフェルゲニシュは無言のうちに己が主の気遣いに答えて見せ、そのままジグラットを後にした。調停者たる龍として、何より三千世界に生きる者として、ダスクフレアの跳梁を止めるために。







Scene4 配役は為された


「ちょっと待ちな、姉ちゃん」


 その日、オリジン西部のとある街道で響き渡ったのは、こんな一言だった。乱暴さに劣情と嘲笑をたっぷりとまぶした、悪意が滴り落ちそうな、そんな言葉だ。

 言葉を発したのは、鍛えられた肉体にハードレザーのプロテクター(何故かあちこちにトゲが付いている)を身に付けた、モヒカンヘアーの男である。そして彼の背後には、似たような格好の男達が十数人控えていた。どの顔も好色さを滲ませた下卑た笑いを隠そうともしていない。

 そんな彼らと向き合っている、声をかけられた相手は一人の女だった。くっきりとした美しい目鼻立ちと、陽光にきらめく銀の髪。ゆったりとした白い衣服を身に付けていながらも、はっきりと分かる豊満な体つき。トドメに赤と青のストライプ柄のマントを羽織っているという、色々な意味で目立つ女である。


「あたしに何か用かい? 坊や達」


 彼女は、目の前にいる男達の意図がわからないでもないだろうに、うっすらと口許に笑みすら浮かべてそう言った。


「なあに。簡単なことさ。俺達ゃここんとこ仕事が忙しくて欲求不満でよ。手伝ってくれねえかと思ってよ」


 にやにやと笑いながら先頭の男がそう言って女の体に視線を這わせる。無遠慮であからさまなそんな視線にさらされても、何故か女の口許から笑みは消えない。


「なるほどねえ。まあ、あたしもそういうことは嫌いじゃないけど……こっちにも趣味というか、選ぶ権利ってものがあると思わないかい?」


 やや遠まわし気味な女の拒否の言葉にも、男達は余裕の態度を崩さない。当然と言えば当然か。なんとなれば、力ずくで押さえつけ、蹂躙してしまえばいいだけのことだ。そして、男達の中にそんな事に罪悪感を抱くようなものは一人としていなかった。むしろ、そのほうが楽しみが増すと思うほどだ。


「おいおい姉ちゃん。口に利き方に気を付けた方がいいぜえ? 何せ俺達は……」


「知っているとも。っていうか見りゃ分かるよ」


 自分達が何者か知らしめることで目の前の女の余裕ぶった態度を崩してやろうとして口にした男の言葉が遮られる。


「今、オリジンに侵攻してきている大星団テオス。その中でもひとかどの地位を占める、阿修羅神拳の使い手、拳帝ジーア。そしてジーアの配下である、阿修羅神拳と対になる帝釈正拳の使い手やその流れを汲む者たちで構成された戦闘集団ダーカ。それがあんた達だ。そうだろ?」


 立て板に水、さらさらと彼女の口から語られた言葉は、彼らの素性を正確に言い当てていた。だがそれだけだ。なるほど、確かに彼らはダーカ。だが知られているからといってどうだと言うのか。冷酷なる侵略者、テオスの内にあってなお、弱者への無慈悲をもってなるダーカ達である。そのような言葉だけで、彼らの欲望を掣肘することなとできはしないのだ。

 この一団をまとめる立場にある先頭の男はそんな風に考えた。弱肉強食を至上の掟とするダーカにあってはごく自然な考えと言えたし、このような考えに基づいて行動し、略奪を行うことに何の問題もなかった。

 今までは。


「あんた達みたいなのも実に人間らしいとあたしは思うよ。だからその行動自体にどうこう言うつもりは、実はあんまりないんだ。……ただ、ね」


 今までと同じく、飄々とした余裕の口ぶりで女が並べ立てる。いや、ほんの少し、彼女の口元の笑みが深くなったように見えた。


「分を弁えない輩、っていうのにはお仕置きが必要だよねえ」


 言うが早いか、女がマントの下から両腕を突き出して男達に向ける。対するダーカ達のほとんどは、ただ薄笑いを浮かべたままそれを眺めていたが、リーダー格の男だけは違った。彼は知っていたのだ。ここオリジンには、かつての故郷、弧界エルダの常識に照らし合わせればありえない力が存在することを。――その名を魔法ということを。


「クソ! 数は圧倒的なんだ! 押さえつけちまえ!」


「遅いよ」


 危機感に煽られて男が叫ぶが、女の言う通り、既に遅きに失していた。

 女の右手首にはめられた紅い腕輪。左の手首にはめられた青い腕輪。それらが光を放ち、女は胸の前で両手を交差させる事でその輝きを融け合せ、再び両手を正面、男達に向けて突き出す。

 女の仕草に従い、彼女の両手に宿る光が男達に向かって迸る。それだけでもう全ては終わっていた。後に立つのは彼女一人。ダーカ達は死体も、断末魔すら残さず彼女の魔法によって消し飛ばされたのだ。


「まったく、最近は物騒で困るねえ」


 ダーカ達など比較にならない水準で物騒な真似をしでかした女が全く困っていない口調でそう零す。


「相変わらずですね、サペリア」


 最早彼女――サペリアと呼ばれた女以外には誰もいない筈の街道の片隅で、突如としてかけられた声にも、サペリアは全く動じた様子を見せることなく振り返った。その声は、彼女がよく知る相手のものだったからだ。


「久しぶりだね、エロール・カイオス」


 そこに立っていたのは、喪服に身を包んだ金髪の女だ。儚げな美しさと、それに相反するような大きな存在感を感じさせる、そんな女性だった。


「で? あんたが直接現れた、ってことは結構な厄介ごとなんだろ。あたしに何をさせたいんだい?」


 エロール・カイオスは一つ頷き、サペリアを正面から見据える。


「新たなフォーリナーがこのオリジンへとやってきます」


「ふむ。あたしにその面倒を見ろって? 言っちゃなんだけど、そういうのはあんたのところ――宿命管理局にもっと向いた奴がいるんじゃないのかい?」


 いかにも面倒臭そうな様子のサペリアに対して、エロール・カイオスは軽く目を伏せる。


「オリジンに顕れるフォーリナーは、必ず何がしかの運命の導きを持っています。その導きの先に、サペリア。今回は貴女がいるのです」


「運命、ねえ。まあ、あんたが言うならそうなのかな。……と、いうか運命ってんならあんたが作るもんじゃないのかい? かつての造物主配下、最大の使徒アルコーンである『運命フォルトゥナ』がさ」


「いいえ。私は運命の傍観者に過ぎません。それも、見えているのは運命という布を織るための糸のはし程度のもの。布がどんな模様になるのか決めることは出来ません。せいぜいが時折こうして口を挟むくらい。本当に運命を造るのは、三千世界に住むすべての生命なのです。無論、貴女もその中に入るのですよ、サペリア」


 どこか悲しげに語るエロール・カイオスを見て、サペリアは深く溜息をつく。


「分かったよ。なら、あたしの運命の人に会いに行こうじゃないか。デートの待ち合わせはどこになるんだい?」


 冗談めかしたその言葉に、エロール・カイオスが僅かに表情を和らげて、その地の名を告げた。


「“木蓮の都”エルフェンバイン。そこが運命の交わる地です」


「うげえ。よりによってあそこかい。人間の一人もいない土地なんて面白くも何ともないんだけど……。まあいいか。出会いの量でなくて質に期待する事にするよ」


 冗談めかしてサペリアがそう言うと、エロール・カイオスは満足げに微笑んだ。頼みましたよ、と囁くように呟く。次にサペリアが瞬きをした瞬間、最早そこに彼女はいない。この場にいるのは、再びサペリア一人となった。

 やれやれ、と一人ごちて、サペリアはエルフェンバインのある方角の空を見上げ、ふと眉根を寄せた。空にかすかな違和感を感じた次の瞬間、昼間の青空を流れ星が横切ったのだ。


「……おやおや。のんびり歩いて行ったんじゃあデートに遅刻かねえ。エロール・カイオスももうちょっと時間に余裕を持って知らせに来てくれりゃあいいのに。……文句言っても仕方ないか」


 不満げにそう呟いたが早いか、街道に眩いばかりの光が満ちる。まるで太陽が地上に現れたようなその強烈な光は、現れたときと同じように唐突に消えた。否、凄まじい速度で光の塊がその場から飛び去ったのだ。無論、向かう先は流れ星の落ち行く先、エルフェンバイン。エロール・カイオスの言葉を借りるなら、運命の交わる地である。







Scene5 来訪者


 あさひが我に返ると、そこは見たこともないような場所だった。いや、似たような場所を見たことはある。ただし、映画やドラマ、アニメの世界の話だ。一言で表現するなら、


「え、SFモノ……?」


 そこは、一面が機械で構成された部屋だった。照明は点いていなかったが、部屋のあちこちに設置されたモニターやコンソールの発する光がぼんやりと当たりを照らし出している。


「な、なんで……? なんなのよコレ……?」


 全く訳がわからなかった。確かに自分は本屋にいたはずだ。大掛かりなドッキリであるならまだいいが、どう考えてもそれはない。本屋で見た、あのあかがね色の本といい、一瞬のうちに周りの風景が全く違うものになっていることといい、どう考えても個人で、いや、あさひの知っている常識の範囲内で可能な技術を超えている。

 なんとなく脳内に浮かぶ答えはあるが、それを認めたくはなかった。認めてしまえばもう後戻りは出来ないような気がしたのだ。

 そんな風にあさひが懊悩していたときだった。

 部屋の隅。周囲に光を発する装置がなかったために闇がわだかまっていたその一角で、突如として機械の作動音が起こったのだ。


「う、うえ!? なになになに!?」


 思い切りビビって慌てふためくあさひをよそに、事態は進行していく。ようよう部屋の暗さになれてきたあさひの目に、そこで動いているものがぼんやりと見えてくる。床面に斜めになるような角度で安置されている円筒形のカプセルだ。大きさは、丁度中に人間が一人入れるくらいだろう。

 内心で逃げ出したい気持ちを抱えながらもその場から動けないあさひの見ている前で、カプセルから圧搾空気の抜ける音が響き、前面部分がゆっくりと開いていく。ごくり、とあさひがつばを呑み込むのと同時に、開ききったカプセルからゆらりと人影が立ち上がった。

 あさひは不思議なほどに落ち着いている自分を感じていた。いや、緊張はしている。が、この状況ならもっと恐怖にかられてパニックに陥っているのではないかと自分で思うのだ。そんな分析が出来ていること自体、精神に余裕のある証拠だとも思えた。こんなわけの分からない出来事に連続で直面して冷静さを保てるほど自分が肝の据わった人間だとはあさひには思えなかったが、少なくとも現状では好都合でもある。何が起こっても――到底あさひの手に負えない事態が起こる可能性もあるが――対処できるように身構えたまま、起き上がった人影を見つめる。

 人影はゆっくりとあさひに向けて近づいてくる。それにつれて、人影の姿があさひの目に映るようになってきた。

 身長はおそらくあさひと同程度。体の線がくっきりと浮き出るボディスーツのようなものを身につけており、体型から判断するに間違いなく女性。スタイルは完敗だ、と頭のどこかでささやき声が聞こえたが、非常事態につき封殺。腰まで届く長い金髪を揺らして彼女がこちらへ歩いてくる。

 あさひから歩幅二歩分のところで、彼女はその足を止めた。この距離まで来て、ようやく彼女の顔立ちをあさひははっきりと見ることが出来た。簡潔に言い表すなら、超の付く美少女である。すっと通った鼻梁。肌は白磁のように白くすべらかで、ほほは薄紅の花びらを一枚浮かべたかのよう。小さな花がほころんだような唇は愛らしく、やや垂れ気味の金色の目は全体的な造作に絶妙なバランスを与えるアクセントとして機能し、彼女の魅力を引き立てている。

 思わず見とれてしまったあさひに向けて、彼女は薄っすらと微笑んで見せた。不覚にもどきりとしてしまい、動揺するあさひをよそに少女は口を開いた。その容姿に似つかわしい、鈴を転がしたような可憐な声。


「オリジンへようこそ、フォーリナー。私はエルフェンバイン中央工廠開発、フォーリナー専用モナドトルーパーである『シアル・ビクトリア』専属アニマ・ムンディです。……状況の説明を行いますか?」



[26553] 第一話『曙光の異邦人』その2
Name: 新◆9c42e1d8 ID:ebf219b0
Date: 2011/06/29 21:06
Scene6 コンタクト・オリジン



「まとめると、ここは地球じゃなくて異世界オリジン。で、あたしみたいな地球から来た人間は今のところ例外なくスゴイ力を持っていてフォーリナーと呼ばれる」


 床にぺたりと座り込んで先程まで聞いていた説明を要約するあさひに、アニマ・ムンディと名乗った少女がこくこくと頷いてみせる。


「今、このオリジンでは色んな悪い奴が暴れてるけど、特に最悪なのが悪い神様の化身ダスクフレアで、フォーリナーはそのダスクフレアに対する切り札に成り得る。だから、この国のえらい人がフォーリナー用の巨大ロボット……MTモナドトルーパー、だっけ? それを作って支援しようとした。あなたはそれを動かすために必要なアンドロイド、と」


「ご理解を頂けたようでなによりです。フォーリナー。ですが、私はアンドロイドではなく、『シアル・ビクトリア』専属アニマ・ムンディです」


 少女がにっこりと笑いながらあさひの台詞の最後の部分を訂正する。ここは譲れないこだわりなのだろうかと思いながら、あさひも言葉を返す。


「じゃああたしもフォーリナーじゃなくて雪村あさひ、よ。ちゃんと名前で呼んでくれるかしら? シアル」


「了解しました、あさひ。それと、シアル、とは私が管制するMT『シアル・ビクトリア』の固有名詞の一部であり、私の固体名ではありません。現在、私自身を表す固有名詞は存在しておりません。製造時に与えられた識別番号ならありますが、あまり言い易いとは思えませんので固有名詞として使用するのはお薦めしかねます」


 淡々とした口調でそう述べる少女にあさひは驚き、


「あれ、そうなの? なんか長い名前だなー、って思って最初の部分だけ呼んだんだけど……。じゃあどうしよう。あなたのことは何て呼べばいい?」


 アニマ・ムンディの少女はあさひの問いにほんの一瞬、どう答えるべきかを考え、


「シアル、で構いません。あなたがそう思ったのであるなら、それが今より私の名です」


 きっぱりと言い切った。迷いも躊躇もないその断言っぷりに、逆にあさひの方が戸惑いを覚えるほどである。


「い、いいの? あたしのちょっとした勘違いなんかから名前を決めちゃっても」


「はい。あさひには『シアル・ビクトリア』に搭乗していただく必要がありますので。必然、私はあさひのモノになります。名前をいただけるのはむしろ光栄です」


 にっこりと笑って言い切るシアル。聞き流せないのはあさひの方だ。


「ちょ、ちょっと待って! あたしのモノってなに!? あと『シアル・ビクトリア』っていうのはMTで、要するに巨大ロボットでしょ!? ムリムリムリ、絶対ムリ! やったことないしできっこないってば! っていうかそもそもなんで乗る必要があるの!?」


「はい、とりあえず後者については差し迫った問題ですので説明いたします。現状、私達……いえ、この地が置かれている現状について」


 あさひの発した当然の疑問に、シアルが頷いて言葉を返す。


「ここ、エルフェンバイン中央工廠は、その名の通り、オリジンの盟主たるイスタム神王国の首都、エルフェンバインにあります。が、エルフェンバインは現在、イスタムの統治下にないのです」


 平坦な中にもどこか哀切を感じさせる声音でシアルがとうとうと語る。あさひはその様子と語られつつある内容に、激烈に嫌な予感を憶えつつ、聞かないわけにもいかなそうなので先を促す。


「オリジンへの侵略者の一つ、機械生命グレズ。それらの首座たる調和端末メタゴッドヴォーティフによってエルフェンバインは陥落し、機械の街と化しました。ヴォーティフ自体はとあるフォーリナーとその仲間によって倒されましたが、この街は依然としてグレズ勢力下にあり、おそらく街の中に生きた人間は一人として存在しないでしょう。――あさひ、あなたという例外を除いては」


 現状がどうやら壊滅的にマズいということを感じ取り始めたあさひが沈黙するのをよそに、シアルが更に現状についての言及を続ける。


「グレズの行動原理は、全ての生命を機械化することです。今まではここには生身の生命は存在せず、グレズ達もこの場所にこだわるような事はありませんでしたが、あさひ、あなたの存在を感知すればおそらくグレズの尖兵たるメタボーグやメタビーストがやってくるものと思われます」


「念のために聞くんだけど……その、メタなんとかに捕まったりするとどうなるの……?」


 おずおずと挙手してのあさひの質問に対し、シアルが無情なまでに明確に答えを返す。


「先程も申し上げた通り、グレズの目的は全ての生命の機械化――彼らの言を借りるなら『調和』です。グレズの手に落ちた人間はほぼ例外なく機械へと変化させられます」


 機械になる、というのがどういうことか、まだピンと来たわけではないが、決して楽しい事ではなさそうだということはあさひにも想像がつく。どうにかしてそんな未来図は避けられないものかと、目の前のシアルへ縋るような目を向けた。

「な、なんとかならないの……?」


「なります。そして、その為に『シアル・ビクトリア』が必要なのです」


 あさひの視線を受けたシアルが力強く頷いてみせる。心細げなあさひを安心させるように彼女の手を取り、言葉を続ける。


「これも先ほど少し申し上げた事ですが、そもそもフォーリナーには大きな力が備わっています。その名も“絶対武器マーキュリー”」


「……絶対武器?」


 オウム返しに繰り返すあさひに頷きを寄越し、


「はい。時に全てを切り裂く武器であり、時にあらゆる害悪を跳ね返す防具であり、時に人知を超えた事象を引き起こす器物であり、時に悪を討ち果たす魂の具現。それぞれに形は違いますが、今までオリジンに現れたフォーリナーは必ず絶対武器を持っているのが確認されています」


「……でも、あたしそれっぽいものなんて何も持ってないよ?」


 ぱたぱたと服のあちこちを叩いてみたり、ポケットを探ったりしてみるが、何も出てこない。いつの間にかそれらしいものが持ち物に混ざりこんでいる、というお約束もあさひは少し期待したのだが、起こってはいないようだった。あからさまにがっかりした様子のあさひに対して、シアルは未だ平然としている。


「わたしがあさひをフォーリナーだと判断したのは、服装の特徴や組成などが過去のフォーリナーのデータと一致した事もありますが、なによりあさひの膨大な内在フレアによります。フレアとは、世界を構成する要素であり力。命と命、または命と世界の間を循環するもの。絶対武器を持つフォーリナーは、他者を冠絶するフレアを持ちます。故に、今は手元にない、あるいは使えていない、というだけであなたは絶対武器を持っているはずなのです」


「でも、今使えなかったらピンチを脱する役には立たないんじゃ……?」


「はい、そのとおりです。ですので、絶対武器以外を使った現状の打開策として提案するのが『シアル・ビクトリア』の使用です」


 あさひの手を握る指に力を込め、真正面から目と目を合わせてシアルが今までよりやや力の入った口調でそう切り出した。


「『シアル・ビクトリア』はフォーリナー級のフレアの持ち主以外では搭乗したところで動かす事すら叶いませんが、逆に水準を満たすフレアの持ち主をライダーとし、私がバックアップを行うならばメタビーストやメタボーグ程度ならば物の数ではありません。そしてあさひ。あなたは『シアル・ビクトリア』を動かすに足るだけのフレアの持ち主です。例え今、絶対武器の使い方が分からないとしても、MTに乗り、それを私がサポートすれば現状を脱する事は十分に可能です」


 言うべきことは言い切った、とばかり、そこでシアルは言葉を切り、あとはただじっとあさひの目を見つめる。

 正直なところ、あさひはまだ半信半疑だった。シアルの語る内容が、ではなく、自身を取り巻く現状全てに対して、である。少なくともあさひが持っている常識に鑑みれば、夢を見ているか、あまり考えたくは無いが精神が錯乱して妄想の只中にいると言われたほうがまだ説得力がある。

 そうだと言い切れないのは、あさひを取り巻く情景の持つ否応無いほどの現実感だ。部屋を構成する機械の質感や、自分の手を握るシアルの体温は夢や幻と断じてしまうにはリアルに過ぎた。


「……ぶっちゃけちゃうとね、まだ状況を理解したとは言い難いんだけど。でも、シアルを信じてみようと思う。だから乗るよ、MTに。『シアル・ビクトリア』に」


 しっかりとシアルと目線を合わせ、あさひは宣言した。その瞬間、真正面から見詰め合うシアルの金の瞳の奥に星の瞬きをあさひは見た。見間違いかと思って目を擦ろうとしたが、その前にシアルに両方の手をがっちり握られて身動きできなくなる。


「フォーリナー専用MT『シアル・ビクトリア』ライダー名『雪村あさひ』で登録完了いたしました。例え三千世界の果てと果てに分かれようとも、私は御身の元へ馳せ参じて見せましょう。なんなりとご命令を、マイロード」


 満面の笑みを浮かべ、愛しげにかき抱いたあさひの両手を胸元へ抱き寄せるシアル。もともとの造作が洒落にならないくらいに整っているので、凄まじいまでの破壊力だった。


「かっ……可愛いじゃないの……! じゃなくて! なにそのマイロードって!?」


「アニマ・ムンディを得て稼動するMTは一般的に騎士級と呼ばれます。同様にそのライダーも騎士と呼ばれることが多くありますので、このようにお呼びさせて頂きましたが……お気に召しませんでしたか、マイロード?」


 不思議そうにこくん、と首を傾げてみせるシアルに、あさひは慌てて首を振る。


「カンベンしてよ……。呼び方はあさひでいいから。普通が一番だから、ね?」


「了解しました、あさひ」


 もっとごねるかと思われたシアルだが、以外にあっさりとあさひの提案を受け入れて、そのまますっと立ち上がる。


「ではあさひ。まずは格納庫へ。我が半身『シアル・ビクトリア』のもとへ参りましょう」


 あさひがその言葉に頷くと同時、部屋の一角で機械音が響き、その部分の闇が四角く切り取られる。一瞬まぶしさに目を細めたあさひは、それが照明の灯りであり、この部屋の扉が開いた事を理解した。


「うし、じゃあ、行きましょっか!」


 自身に気合を入れるようにぐっと拳を握ったあさひ言葉と共に、二人の少女が手に手を取って開いた扉から部屋を出てゆく。

 雪村あさひのオリジンでのフォーリナーとしての歩みが、今この瞬間から始まったのだ。





Scene7 格納庫の宴



 “木蓮の都”エルフェンバイン。かつてはその名に相応しい壮麗で優雅な都市だったそこは、今では最早見る影もない。グレズによる調和で街の構造物は全て機械の塊へと変貌し、オリジンのあちこちから様々な種族が集い、賑わっていた街路を闊歩するのは人型機械、メタボーグや獣型機械、メタビーストばかりである。

 生身のまま踏み込むことは死に直結するこの機械の都を、奇妙な物体が低空で飛行しながら移動していた。長辺が一メートル半ほど、厚さは数センチほどの直方体である。黒曜石のような漆黒の外観は磨き上げられ、鏡のように周囲の風景を映し出している。結構な数のグレズ達と『鏡』はすれ違っているが、グレズ達は何故か『鏡』を迎撃することも、反応する事さえない。

 市街の中央部に向けて真っ直ぐに飛行していたその『鏡』は、ある地点まで来るとぴたりと停止し、しばらくその場に留まる。周囲を観察するようにくるくると回転したかと思うと、一つの建物を見定めて、その中へとするりと入り込んでいく。

 『鏡』の目的地はどうやら地下であるようだった。階段を下り、隙間を見つけてエレベーターシャフトへ潜り込み、ひたすら下を目指す。フロアにして五つ分は降下しただろうか、というところで『鏡』は進行方向を垂直から水平へと切り替えた。曲がりくねった廊下を、同じ方向を目指すように駈けていくメタビースト達を追い抜きながら飛翔する。


 やがて『鏡』は、施設の奥まった部分に存在する、大きな空間へと辿り付いた。三つか四つのフロアを縦にブチ抜いて造られたであろうその空間にいる存在は『鏡』を除けば大雑把に言って三種類に分けられる。

 まずは、この建物内を巡回していたらしいメタビースト達。既にこの空間内に踏み込んでいる数体に加え、『鏡』が追い抜いてきたもの達や、他の入り口からやってくるものも含めてまだまだ増えそうな勢いである。

 次に、奥まった部分に立ち尽くしている、身の丈十数メートルに及ぶ巨人。人型機動兵器MTである。

 最後に、今まさにこの空間――MT格納庫に駆け込んできた存在。


「もー死ぬ! あたしもーだめー!」


「もう少しですあさひ! こちらが格納庫になります!」


 手に手を取って、背後から追いかけてくるメタビーストから逃げている、二人の少女だった。

 二人は格納庫に入るや否や、絶句してしまう。口振りからしてここへ辿り付きさえすればどうにかなる、と踏んでいたのだろうが、すでに結構な数のメタビーストが格納庫内に入り込んでいる。奥にあるMTと二人の間には何をかいわんやである。

 二人が動きを止めたのはほんの一瞬の事だったが、機械であるメタビーストにとっては十分すぎる時間だった。本物の肉食獣もかくや、という動きで床を蹴り、二人の少女をその牙にかけんとして踊りかかる。


「あさひっ!」


 金髪の少女がもう一人を抱きすくめ、メタビーストの爪から身を呈して庇おうとする。そんな二人を、機械の獣はもろともに押しつぶそうとし、それは次の瞬間には現実のものとなるはずだった。


「ちょ、ちょっとシアル、あれ!」


 金髪の少女、シアルに抱きしめられる形になっていたもう一人の少女、あさひは、意外な力強さで自分を放さないシアルの腕の中でもがきながらそれを見た。

 目の前にいる、もう一組のあさひとシアル。否、それは目の前に――彼女らとメタビーストの間に割って入った、真っ黒な鏡に映る像だった。事態についていけないあさひの前で、メタビーストの爪を受け止めた『鏡』はひび割れ、閃光を放って砕け散る。だが、それで終わりではない。『鏡』が割れると同時に生じた閃光が一箇所に集まり、ひときわ強く輝いた。まぶしさに目をつぶったあさひが次に見たのは、その場に立つ一人の少年だ。

 年はおそらくあさひより三つか四つは下だろう。彼女の感覚でいえば中学生くらいに見える。収まりの悪い栗色の髪と、それと同じ色の瞳に勝気そうな気配を漂わせて、少年はあさひとシアルに一瞬ずつ視線を配る。


「……フォーリナーと、アニマ・ムンディ。間違いないか?」


 切り捨てるような少年の口調に、シアルが何事か口に出そうとしたが、あさひは反射的に頷いてしまう。それを見た少年は平坦な表情のまま頷き返し、目の前にいるメタビースト――何故か少年がかざした手の先で動きを止めている――に向かい合う。あさひ達に背中を向けたままでもう片方の手を目の前の空間を薙ぐように動かし、次いで天井に向けて突き上げる。


「俺は、VF団のエージェント、ローレン。あんたらを助けに来た」


 それが起こったのは、少年、ローレンの言葉と同時だった。

 格納庫の隅に積み上げられていた数々の資材。それらがふわりと空中に浮き上がる。そして、ローレンが上げていた腕を振り下ろすのに合わせて、メタビースト達に降り注ぐ。メタビースト達もかわそうとするものの、いかんせん降って来る資材の数は多く、またサイズも大きい。最初にあさひ達に飛び掛ったものを始め、その周囲を取り巻いていた何体もの機械の獣が、轟音と共にまとめて資材の下敷きとなった。

 驚きにあんぐりと口を開けているあさひを背に庇うようにシアルが前に出て、少年との間に入る。その目にはありありと警戒の色が宿っている。


「助けて頂いた事には感謝いたしますが、VF団が私達に一体何の用ですか」


「ちょ、ちょっとシアル!? 助けてもらったんだからもうちょっと態度をやわらかくしないと」


 我に返ったあさひが、シアルの硬質な対応をたしなめる。シアルは困ったような視線をあさひに投げかけ、もう一方の当事者であるローレンはまるで気にした様子も見せなかった。


「細かい話は後だ。まずはクズ鉄どもの歓迎をしてやんねーとな」


 ローレンの鋭い視線が射抜く先、資材の山の向こうから新たなメタビースト達が顔を出し、次の瞬間にはローレンが懐から取り出した銃が一閃――文字通りに閃光を吐き出してあさひを驚かせた――し、打ち抜かれて崩れ落ちる。


「……確かに、まずはこの場を切り抜けることが最重要ですね」


 シアルがささやかな溜息と共にローレンに対する眼差しを緩め、あさひに向き直る。


「あさひ。事前の話の通り『シアル・ビクトリア』を起動させて突破します」


 ごく自然にそう言うシアルだが、格納庫の奥のMTへと目を向けたあさひは顔を引き攣らせる。そこへたどり着くまでの間に、三十体を越えるメタビーストが三つほどのグループに分かれて布陣しているのだ。とても突破できるとは思えなかった。試しに先ほど複数のメタビーストを一気に仕留めて見せたローレンに視線を振ってみるが、


「いくらなんでも数が多い。突破は無理だろ」


 そう言って肩をすくめて見せられてしまった。が、シアルは余裕ある態度でローレンを一瞥し、あさひに語りかける。


「問題ありません、あさひ。既に貴女のライダー登録は終わっており、『シアル・ビクトリア』の端末たる私がこれだけMTの近くにいるのです。この位置からならMTのジェネレーターであるモナドドライブを起動させる事も、遠隔操作で私達のそばまで来させる事も十分可能です」


「なるほど。モナドリンケージ機能か」


 シアルの説明に、端で聞いていたローレンが手を打って納得する。


「やれるんならとっととやってくれよ。いい加減鉄クズどもも様子見を止めて襲い掛かってくるぜ」


「言われるまでもありません。あさひ、手を」


「う、うん」


 シアルに促され、あさひがシアルと手を重ねる。シアルがまぶたを閉じ、再び開く。正面から向き合っているあさひには、彼女の黄金の瞳がぼんやりと光っているのがよく分かった。


「モナドドライブ起動シーケンス実行します。フレアライン確立成功。ライダー情報定着成功。……あさひ、私の目を見てモナドドライブの起動を命じてください。声紋及び網膜認証にて起動シーケンスを最終認証します」


「よ、よく分かんないけど分かった。……こほん。動け、モナドドライブ!」


 シアルの求めに応じてあさひが言葉を発し、それに応じるようにぴくりとシアルの体がぴくりと震えるのが繋いだ手を通じて伝わる。


「コマンド受領、初期設定完了しました」


 ごうん、という音が格納庫に満ちたのは、そのシアルの言葉が終わるよりも早かった。音の源は言うまでも無い、メタビーストの群れの向こう側に存在するMTである。先ほどまではただその場に立ち尽くすのみだったそれは、自身の鼓動たるモナドドライブの駆動音を響かせて、その力を解放できるときを今か今かと待ち望んでいるかのようだった。


「さああさひ。呼んでください、『シアル・ビクトリア』を! あなたを守る鎧にして剣、あなたを守るためにある私の半身を!」


 熱の篭ったシアルの台詞にあさひは一つ頷いて見せ、『シアル・ビクトリア』を見上げる。頭部に備え付けられた、人で言えば両目に当たるメインカメラに光が灯り、機械の巨人と視線を交わしたような気分を覚える。

 片手をシアルと繋いだまま、もう片方の手を、これから頼るであろうもう一人の相棒、『シアル・ビクトリア』に向け、腹の底から声を出す。


「来なさい、『シアル・ビクトリア』!!」


 あさひの叫びが格納庫内に木霊し、一瞬の静寂が場に満ちる。

 そして、次に動いたのは痺れを切らしたメタビースト達だった。


「おい、どうなってんだポンコツ! デカブツが動かねえじゃねえか!?」


 襲い掛かってくるメタビースト達に再び周辺の資材を叩きつけて迎撃しながらローレンが毒づく。彼の言葉どおり、『シアル・ビクトリア』はぴくりとも動く様子を見せない。


「そんな、そんなはずはありません! ライダー権限代行、アニマ・ムンディが命じます! モナドリンケージ、実行!」


 今度はシアルが声を張り上げるが、やはりMTは動く気配を見せない。


「そんな……!?」


 悄然とするシアルの隣で、『シアル・ビクトリア』を見上げていたあさひが急にぶるりと身を振るわせる。そのまま寒さから、あるいはもっと他の何かから身を守ろうとするように両手で自分をかき抱く。


「……なんか、変だよ、シアル。ローレン君。あのMTの周りに、黒い、何かが……!」


 顔を蒼褪めさせてあさひが零す。それを受けた残る二人の反応は、それぞれに違うものだ。

 シアルは要領を得ないといった風に首を傾げていたが、ローレンには何か感じるところがあるようだった。


「そうか、こいつは……」


 ローレンが言葉を続けようとしたとき、いくつかの事が連続して起こった。

 一体のメタビーストがローレンの迎撃を掻い潜って、その後ろにいたシアルに襲い掛かった。これに反応したあさひがシアルの腕を引っ張り、彼女らはいっときメタビーストの爪牙から逃れたものの、もつれ合って倒れこむ。そこを狙ってさらに二体のメタビーストが襲い掛かり、しかし一体はローレンが鼻先に手をかざした途端動きを停止し、もういったいは進路上に突然現れた『鏡』にぶつかって弾かれる。

 そして、更に新手のメタビーストがまだ倒れたままのあさひとシアルに肉迫する。

 かくなる上は自分自身を盾にするしかないか、とローレンが腹を括るのとほぼ同時だった。

 ローレンたちの背後にある壁に、突如として大穴が開いたのだ。爆発で吹き飛んだのでも、何か大きな力で崩されたのでもない。まさに消失だった。続いて、その穴から大柄な影が格納庫内に飛び込んでくる。二メートル半を優に越える巨躯からは想像しがたい俊敏さであさひとシアル、ローレンの前に走り出たその影は、メタビーストの突撃を片手で悠々と受け止めると、


「ゴァアアアアアアアアアアアアア!!」


 格納庫全体の空気を激震させて咆哮を放った。あさひ達は肌がびりびりと震わされるのを感じていたが、真正面からその咆哮を受けたメタビーストはその程度ではすまなかった。四肢を引きちぎられながら吹き飛び、他のメタビーストに激突して四散したのである。


「詰めが甘いな小僧。だが弱き者の盾とならんとするその心意気やよし! 勇者の資質ありと認めてやろう!」


 野太い声を放つその口には牙が並び、ローレンに向けて差し伸べられた厳つい手には鱗が生え揃っている。機嫌よさげに床を叩く尻尾はシアルの胴体ほどもあり、爛々と輝く瞳は、気の弱いものが見ればそれだけで萎縮するだろう。


「……アムルタートの、龍……」


 思わず零れたローレンの呟きに対して器用に口の端を歪めて笑って見せたのは、アムルタートの龍戦士、フェルゲニシュだった。


「おーいフェルの旦那あ。あたしにゃ壁抜きやらせといて自分だけカッコつけちゃうってそりゃあないんじゃないかい?」


 そんな風に声をあげて、赤青ストライプのマントを羽織った女、サペリアがへらへらと笑いながらあさひたちの方へと歩いて来る。


「お待たせ少年少女たち。おっかないおぢさんとキレイなお姉さんの援軍だよー」


 そう言ってぐっと親指を立ててみせたかと思うと、そのまま両手を掲げて手首の腕輪を打ち合わせ、そこから発した光で今にも飛びかかろうとしていたメタビーストをまとめて薙ぎ払う。


「さーて、躾の悪いケダモノ共にはご退場願って、とっととトンズラ決め込もうじゃないのさ」


「そうだな。察するに、あのMTを使うつもりだったのだろう? メタビーストどもの攻撃なぞ俺が全て弾き返してくれよう。少年、お前はそこのハデな女と連中を蹴散らして道を開け」


 サペリアはにやにやと笑いながら、フェルゲニシュはふん、と鼻から息を抜いてローレンを見下ろしながら言う。ローレンは倒れていたあさひとシアルに手を貸して助け起こしながら、自分たちを助けた奇妙なコンビを睨めつける。


「助けてもらったのは礼を言う。この二人を助けにきて別の誰かに助けられるってのもマヌケな話だけどよ」


 そこまで言って一旦言葉を切り、ローレンは真面目な表情を作る。


「ここから逃げるのには賛成だが、あのMTは置いていくべきだな」


 この一言に最も早く反応したのは当然のごとくシアルである。


「何故です!? 確かにモナドリンケージは動作しませんでしたが『シアル・ビクトリア』があったほうが脱出は容易になるはずです!」


「そのモナドリンケージが作動しなかった理由が問題だ。ポンコツは気付かなかったみてえだけどな、アレは……」


 胡乱気な表情でシアルに視線を向けながら、ローレンはその理由について言い募ろうとしたが、それは意外なところから上げられた声で遮られた。


「ちょっと……ヤバいよこれ。なんだろう、なんだか分からないのに、とんでもなくマズイのは分かるの……!」


 声を上げたのは不安げにあたりを見回すあさひだ。


「いい勘してるね、お嬢ちゃん。これは本格的に急いで逃げないとダメかもねえ」


 飄々とした態度はそのままだが、あさひに向けられるサペリアの声はやや硬い。そしてその理由はすぐに知れた。

 彼女の見つめる先、あさひ達と『シアル・ビクトリア」の中間地点。そこを基点にして、風景がぐにゃりと歪み始める。否、歪んでいるのはその場の空間そのものだ。

 捻れ、曲がり、歪んだ空間が、ある一点で限界を超えたように元に戻る。

 そしてそこには、ひとつの異形があった。

 一言で言い表すなら、手、だ。

 機械で出来た、巨大な手がその場に浮いていた。掌に当たる部分に象嵌された、三つの瞳が無感情にあさひたちを睥睨している。


「メタロード、ディギトゥス……!」


 搾り出すようなシアルの声が、不吉な響きを伴ってあさひの耳に届いた。



[26553] 第一話『曙光の異邦人』その3
Name: 新◆9c42e1d8 ID:ebf219b0
Date: 2011/06/29 21:32
Scene8 凶兆・来たる


 機械生命体グレズ。

 その大元は、機械文明が栄華を極めたハダリアという名の弧界にて環境の維持のために創造された、完全調和システムG.R.E.Z.だという。人を含め、弧界に生きる全ての生命を守るために作り出されたはずのそれは、生命の安寧のためには全ての生命の機械化――機械調和が必要だという結論を出し、機龍グレズへと姿を変えて、統合意識と呼ばれる一種のネットワークで全ての機械生命を掌握して有機生命体に対して突如として牙を剥いた。

 ハダリアは瞬く間に機械の世界と化し、グレズ達は他の弧界をも機械調和すべく、三千世界に散っていったのだ。

 オリジンにグレズが現れた当初、その指揮固体として他のグレズを統率していたのは、調和端末ヴォーティフであった。襲来するや、オリジンの三分の一を瞬く間に制圧したグレズ達であったが、首座であるヴォーティフが討たれた事により、その活動範囲はエルフェンバインに限定され、また、多くのグレズ達が統合意識から解放され、本来の使命である人と世界の守護者としての立場を取り戻したのだ。

 無論、そうしたグレズが全てではなく、統合意識からの解放は為されたものの、理性も自我も無い獣同然に暴れまわるものも多く、また、未だに統一意識の指揮下にあるものもまた多い。

 現在、オリジンにおいてそうした機械調和を狙うグレズ達を束ねるもの。それこそがメタロード、ディギトゥス。配下に何体ものメタロードを抱え、しかしながら一つの都市に半ば引きこもる状態のディギトゥスは、オリジンの諸勢力にとっても、大星団テオスを始めとする侵略者にとっても、うかつに刺激したくない危険な爆弾である。




 眼前に浮かぶ機械の手。

 前述したようなディギトゥスに関する知識は当然ながらあさひにはないが、それでもその異形からあさひは目を離せなかった。押えようとしても体を震わせる恐怖の故に。
 一瞬の沈黙が格納庫に満ちる。メタビースト達は己の主に畏怖を示すように静まりかえり、シアルも、ローレンも、フェルゲニシュも、サペリアも、突如として現れたディギトゥスに対して迂闊に動けない。
 その沈黙を破ったのは、格納庫に飛び込んできた一台の機械だった。一見したところの印象は小型の自動車に似ている。が。決定的に違う点として、車輪が存在しない。自動車であれば前輪と後輪が備え付けられている場所には、地面と平行に楕円の円盤が備わり、地面から数十センチの高さを滑るように進んできたのだ。

「逃げるぞ! 来い! フォーリナー、ポンコツ!」

 最初に反応したのは、ローレンである。飛び込んできた機械――エアロダインを一瞥するや、その進路上へ絶妙なタイミングで身を投げ出し、これまた見事なタイミングで跳ね上がったキャノピーの内側でシートに収まってコントロールを掌握し、あさひとシアルを拾うべく、二人の方へとエアロダインを向ける。

 残る者達も、ローレンに一瞬遅れはしたものの、めいめいに動き出した。

 メタビースト達は思い出したかのように機械調和すべき有機生命体に向かっていく。
 それを迎え撃つのはフェルゲニシュとサペリアである。メタビーストの突進のことごとくを龍戦士が受け止め、あるいは咆哮で吹き飛ばし、怯んだところを魔法がまとめて消し飛ばす。

 ローレンはそんな二人の奮戦をちらりと横目に見るも、構うことなくシアルとあさひの元へ向かう。フォーリナーとアニマ・ムンディの確保こそがローレンに与えられた任務なのだ。あの二人に先ほど助けられたのは事実だが、その借りと任務を秤にかけるようなことはありえない。VF団のエージェントたるもの、その血の一滴までもヴァイスフレアの理想に捧げなければならないのだ。
 やや乱暴にブレーキをかけ、ローレンのエアロダインがあさひとシアルのすぐ傍に停止する。

「乗れ! さっさと逃げるぞ!」

「え、ちょ!? きゃあ!」

 ローレンがシートから身を乗り出してあさひの手を強く引く。身長で言えば彼はあさひより二十センチほどは低いのだが、それでも鍛えてあるのか、あっさりと彼女をシートの後部へと引っ張り込む。
「ポンコツ! お前もだ」
「先ほどから言おうと思っていましたが、その失礼な呼び名は撤回してください。私の名はシアルです」

 半眼でローレンを睨みつけて文句を言いつつも、シアルが後部シートに飛び込み、あさひの横に座る。前後のシートはそれぞれ一人乗りの設計で多少手狭ではあるものの我慢出来ないほどではない。

「よっしゃ、トンズラするぞ!」

 アクセルに足をかけ、エアロダインを加速させようとしたローレンに、あさひが制止の声をかける。

「ちょ、ちょっと待って! あの龍の人とマントの人は!?」

「連中なら大丈夫だ!」

 即座に叫び返すローレンだが、勿論根拠など無い。だが、いくらこのエアロダインでもこれ以上は乗せるとスピードが鈍る。特にあのアムルタートは明らかに積載オーバーだ。また、VF団のエージェントとして任務のことを考えねばならない、という理由もある。だから、あの二人は放置して逃げるのだ。明らかにあの二人を見捨てるという選択肢を取れなさそうなフォーリナーにそのことを気付かれてごねられる前に、できるだけこの場から離れなければならない。
 脳裏をよぎったそんな思考が、ローレンがアクセルを吹かすタイミングをほんの一瞬、遅らせた。
 エアロダインが凄まじい衝撃に襲われたのは、その時だった。


 ほんの少し、時間を遡る。

 
 龍の強靭な鱗がメタビーストの爪と牙のことごとくを弾き返し、赤と青の輝きが、群がる敵を片端から消し飛ばす。サペリアとフェルゲニシュのコンビの前に、メタビーストたちは屠られゆくのみであった。
 だがしかし、二人の表情は冴えない。むしろ、色濃く焦りが浮き出ている。
 その理由は、未だ沈黙を守る異形の手、メタロード・ディギトゥスである。わざわざこの場に現れたからには何らかの目的があると考えて然るべきだが、その実、この機械生命の首魁は、ただその三眼でその場を睥睨するのみで、何の行動も起こそうとはしない。その不動が、却って恐ろしい。二人はメタビーストをなぎ倒しながらも、ディギトゥスからの重圧をはっきりと感じ取っていた。

「どう思う?」
「さあてね。機械の考えることなんて分かりゃしないよ。まあ、動かないでいてくれたほうが助かるってのは確かだけどね」

 二人が視線を交わし、言葉を投げかけあう。その間にもメタビーストは堰き止められ、消し飛ばされてゆく。が、一向に数が減ったようには見えない。

「やれやれ。ケダモノ共は潰した端から増えるし、たまったもんじゃないね。……あの三人は上手いこと逃げられそうだけどさ」
「お前は便乗しなくていいのか? 俺はともかく、そちらならまだなんとかなろう」

 エアロダインに飛び乗るローレンを横目に見ながら、そちらに続こうという動きをまるで見せずに二人は暴風のように猛威を撒き散らす。

「んー。まあねえ。なんとかなるっしょ」
「そうか。まあなんとかなるだろう」

 にやり、と。
 龍と人、見た目はまるで違うというのにそっくりな笑みを交わす。自棄っぱちのようでもあり、絶対の自信があるようにも見えるような、ひたすらに獰猛な笑み。
 ちらりとフェルゲニシュがエアロダインの方を伺うと、金髪の少女がシートに飛び込むところだった。
 それが、隙だった。

「旦那っ!」

 サペリアの声に意識を眼前に集中させた時には既に遅かった。視界いっぱいに広がる鈍色の壁。否、掌。

 ――ディギトゥスかっ!?

 胸中で歯噛みする間もあらばこそ。メタビーストの突撃に小揺るぎもしなかった龍人の体躯が、人形のように軽々と吹き飛ばされる。凄まじい速度での空中遊泳を体験させられ、数瞬の後に何かに激突してようやくフェルゲニシュが止まる。
「がっ……!?」
 強靭無比な龍の鱗といえど耐え切れずにいくらか砕け、骨格がきしむ。いや、龍だからこそ耐えられたというべきか。それほどの威力だった。
「お、おのれ……っ」
 それでも意識を手放すことなく、立ち上がろうとするフェルゲニシュ。だが、さすがにダメージは大きく、思うように体が動いてはくれない。
 此処に至って、フェルゲニシュは自身が叩きつけられたのがあさひたちの乗るエアロダインだったことに気づく。相当頑丈に出来ていたらしく、破損は見られるものの、機体はまだ浮遊機能を失っていない。が、キャノピーが砕け、乗っていた三人のうち、二人が――あさひとシアルが車外に投げ出されていた。
 そして、事態がさらに悪い方向へと転がっているのを彼は見る。動かない体に牙が砕けかねないほどに歯ぎしりし、せめて、と気力を振り絞り、声を上げる。
「逃げろ、急げっ!!」


 フェルゲニシュの声はあさひに聞こえていた。が、動けない。エアロダインから投げ出された際に体のあちこちを打ち付けたが、シアルがとっさに自身を抱きすくめて庇ってくれたお陰もあって、大したダメージはない。
 動けない理由は、あさひ自身ではなく、彼女の目の前にあった。
 立ちはだかる鈍色の掌。
 ただこちらを見るだけの三つの瞳。
 メタロード・ディギトゥス。

 なんらの敵意も、感情すら感じさせない無機物故の威圧感。
 それに気圧されて、へたりこんだままあとずさったあさひの手に、なにか温かいものが触れた。反射的に後ろを振り向くと、そこにはシアルが倒れている。美しい金髪を床面に散らし、どうやら意識を失っているらしくぐったりとしていた。
 
 その光景が目に入り、その意味が意識に浸透すると、あさひの心の中にごんごんと熱量が湧き出してきた。その熱量の全てをやせ我慢と強がりに変えて、ディギトゥスを前にしてすくんだ体に叩き込む。
 もう体は動く。だから、あさひは自分のやるべきことをやるために立ち上がった。倒れたままのシアルに駆け寄り、彼女の首の後ろと膝裏へ手を回す。
「ど、根性おーっ!」
 そのまま、いわゆるお姫様抱っこの形でシアルを抱いて立ち上がる。思っていたよりも彼女の体は軽いが、それでもいつまでも支えてはいられない。すばやく周囲を見回し、ローレンが乗ったままのエアロダインの位置を確認。そちらへ向けて全速力で走り出す。

「へい、タクシーっ!」
 半ばヤケクソ気味にローレンに向けてそう叫ぶ。彼の方も衝撃を受けたエアロダインのチェックを終え、あさひたちをピックアップするために機体を動かそうとしていた。

 もう少し。あさひがそう思ったところで、意識を取り戻したらしいシアルが腕の中か語気鋭く警告を発する。
「あさひ、後ろです!!」
「分かった!」
 後ろも見ずにあさひは答えた。追って来ているのが機械で出来た獣であれ手であれ、振り返ったところであさひに出来ることは何も無いのだ。だから、足を動かす。ひたすらに前へ。エアロダインまで後十歩。

「私を落としてください!!」
「却下あ!」
 あさひの腕の中から後ろをうかがい、悲鳴混じりに上がるシアルの言葉を間髪要れずに棄却する。正直、人一人を抱えて走ることと、状況から来るプレッシャーがあさひの足から力を奪い始めていた時だったが、シアルの言葉がそんなあさひのエンジンに新たなガソリンを入れた。
 ナメるな、と。そう思ったのだ。だからまだ足に力は入る。まだ走れる。エアロダインまで後七歩。

 シアルは最早言っても無駄だと悟ったのか、せめてあさひが走る邪魔にならないよう、彼女の首にぎゅっとしがみつく。
 あさひの口許には引き攣ったような笑みが浮かんでいる。走ること、前進することにほとんどのリソースを傾けた意識の内側、その片隅にある冷静な部分が、脳内麻薬が過剰に分泌されてハイになっていることを自覚する。エアロダインまで後五歩。

「右に飛んでください!!」
 ほとんどノータイムで、あさひはそう叫んだシアルの言葉どおりに行動した。それとほぼ同時に、左前方、あさひが真っ直ぐ走っていればちょうどその辺りにいた、という場所に、一抱え以上もある四本の杭が打ち込まれる。いや、それは杭ではなく、指だ。浮き上がってあさひの頭上を越えたディギトゥスが、その指を地面に突き立てていたのである。
横に飛んだことで、目標からは少し遠ざかった。エアロダインまで後六歩。

「く、ぬぅあーっ!」
 あさひはシアルを抱えたまま、横っ飛びで崩れた体勢を強引に立て直す。
 ディギトゥスが床から指を引き抜いてあさひたちに向き合う。
 エアロダインまでの最短距離を進むには、ディギトゥスの脇を抜けていく必要がある。
 あさひは一瞬たりとも迷わなかった。体に残った体力と意地と根性と気合をかき集めて床を蹴る。
 あさひが見せた、人生で一番の加速だった。バスケ部の試合に助っ人で入った時だってこれほどの動きは出来なかった。
 エアロダインまで後四歩。

 そこまでだった。

 ディギトゥスが取った手段はなんと言うことはない。落下である。距離にしても三メートルも落ちていない。だが、それでもなお、格納庫を揺るがすほどの衝撃が生まれた。
 あさひにはひとたまりも無かった。
 まともにバランスを崩し、その場に転倒する。それでも、シアルを手放すことはしなかった。
 抱き合ったまま倒れているあさひとシアルに、のしかかるようにディギトゥスが迫る。あさひは腕の中のシアルを守るようにぎゅっと抱きしめ、シアルはディギトゥスを押し留めようとするかのように必死に腕を伸ばした。
 どちらもが儚い抵抗であり、意味を為すことは無い。本人達ですら、意識のどこかでそう思っていた。

「……あれ?」
 最初に状況に対して疑問符を打ったのはあさひである。いつまでたっても何も起こらない。流石におかしいと、首を回して後ろを顧みる。一瞬で後悔した。すぐ目の前に、ディギトゥスの三つの瞳のうち一つがあるのである。本気で腰を抜かしかけ、しかしやはりおかしいと思い直す。
 ディギトゥスは、そこで止まっているのだ。
 更に視線を巡らす。逆三角を描くように配置された三つの瞳の中心点。そこに、白い指先が触れている。あさひに抱きすくめられた状態で伸ばされた、シアルの手だ。
 それをたどるように、あさひはシアルへと視線を向けた。丁度シアルもこちらを向いたところで、真正面から見詰め合う。それであさひは理解した。シアルにも、この現状がどういった原因によるものなのか分かっていない。少なくとも、今の彼女の瞳に浮かんでいるのは混乱の色である。

 ともあれ、今は重大な事実が一つある。
 ディギトゥスが、止まっているのだ。
「ちゃーんすっ!!」
 今度こそ、最後の力。震える足を無理やりに動かして、あさひは立ち上がった。意固地になったかのようにシアルは抱えたままである。

「ポンコツを放り込め!」
 そして、そんなあさひのすぐ脇に、やっと再起動を終えたエアロダインが滑り込む。否やなどあさひにあるわけも無く。シアルを後部シートへ放り込み、すぐさま自分もそこへ転がり込んだ。

「よし、そんじゃあ……」
「とっととずらかるよ皆の衆!」
 とん、と軽い感じの音を立ててエアロダインの後部ボンネットにサペリアが降り立っていた。いかなる手品か、かざした手の先には傷だらけのフェルゲニシュが浮かんでいる。
「アホか! 積載オーバーだっつの!! 降りやがれ!」
 思わず叫んだローレンに向かってサペリアはからからと笑う。
「だいじょーぶだいじょーぶ! 何とかなるって! ほれ、お嬢ちゃんも何とか言ってやんな」
「ど根性ーっ!!」
 未だ脳内麻薬が出っぱなしらしいあさひが腕をぐるぐる回しながら叫ぶ。
「何で二人してキマってんだばか女どもがーっ!」
 思わず叫び返すローレンだが、サペリアはまるで頓着した様子がない。
「いいからほら急げ少年! 急げ急げ急げーっ」
 笑いながら足を伸ばして運転席のシートをげしげしと蹴りたくる。
「急げーっ!」
 触発されたようにあさひが後部シートでどかどかと足を踏み鳴らす。

 よく耐えたほうだっだろう。ローレンはこの時点までは肩を震わせながらも女二人の暴虐に耐え忍んでいた。
 が、限界が訪れた。
「もう知らん! 振り落とされても他の要因で死んでも文句は受け付けねえからなテメエら!!」
 一声高く宣言して、いきなりアクセルをベタ踏みした。蹴りとばされるような勢いで加速するエアロダイン。
 ディギトゥスも、メタビーストたちも何故かそれを黙って見送るばかりで追おうとはしない。
 が、現在のところ、本来ならば追われる立場の者たちの中にそのことについて気を配っているようなヤツは一人としていなかった。

「はあーっはっはっはーっ! 飛ばせーっ!」
 どういう理屈によってか後部ボンネットに仁王立ちして哄笑する赤青マントの女と、
「あーっはっはっはーっ!」
 色々振りきれてテンションがおかしな具合にキマってしまい、やはり大笑いしている後部座席の少女と、
「うるせえ黙ってろ放り出すぞクソアマどもがっ!」
 そんな二人に向かってがなり立てながらも自在にエアロダインを駆って施設の廊下を爆走させる少年と、
「…………」
 そんな三人の様子にいささか引いて沈黙している金髪の少女と、
「…………」
 傷に響くからもう少し静かにして欲しいと思いながらサペリアの術によって魔法的にエアロダインと連結されて空中を引っ張られていくアムルタートがいるだけだ。

 やがてエアロダインは中央工廠の地上部分まで到達する。
「出口だっ!」
 そう叫んだのは誰だったのだろうか。
 ともかく、エアロダインはようやく見えた出口の光に向けて疾走する。

「ぃよっしゃああー!」
 そんな咆哮とともに、エアロダインはエルフェンバインの中央通りに飛び出した。
 奇声と笑声と怒声の尾を引きながら、危地を脱した喜びを乗せて、市外に向けて爆走していく。



[26553] 第一話『曙光の異邦人』その4
Name: 新◆9c42e1d8 ID:ebf219b0
Date: 2011/04/01 21:30
 Scene9 もろもろの事情

 
 現在、オリジンを治めている王は、神王エニア三世という。
 彼女はイスタム神王国の君主であるが、大星団テオス等の侵略が行われている現在はもとより、それ以前においても、イスタムがオリジン全土を直接治めていた訳ではない。
 実際に統治を行うのは、各地に存在する王国や諸侯国の役割で、むしろ神王がそうした各国の統治活動に積極的に口を出すことは少ない。現実問題として、神王から何がしかの意見や要請があった場合、オリジンのどの国家であろうともそれを軽んじることは出来ないほどの権威が神王にはあり、諸侯達からも深い忠誠を捧げられてはいるが、基本的には象徴として君臨するのみである。


 ともあれ、そうしたオリジン諸国家のうちには、いくつか騎士団という武装勢力が一定の領土を治めている騎士団領が存在している。エルフェンバインから見て西側に勢力を持つティカル騎士団もそうした勢力の一つだ。
 公選で選ばれる騎士団長をトップに置き、国民皆兵の強烈な軍国主義を採る精強な一団である。古くからゴスゴール山脈を主な根城として殺戮をその性とする魔物、レッドキャップや、西にある嵐の海から来る魔王達と激戦を繰り広げてきたこともあり、現在でもその武名は高い。


「つまり、物騒な連中の根城が近くにあるからこの辺はある程度は安全ってことだ」
 エルフェンバインから西へいくらか離れた街道、ティカル騎士団の勢力下まで徒歩で半日ほどの距離に、一台のエアロダインが止められている。その運転席のコンソールで車体の各部をチェックしながら、ローレンは現在地についての軽い解説を締めくくった。
 すっかり落ち着いた様子のあさひはエアロダインの後部シートに腰を下ろし、ふむふむとそれに頷いている。


 エルフェンバインを脱出してからエアロダインを走らせること二時間ほど。ここまで来れば落ち着いて休めるだろう、との判断で街道脇にエアロダインを止めたのがつい先程。
 ローレンはエアロダインの再チェックを行うとのことでコンソールにかじりつき、サペリアは一度辺りを見回ってくると言い残してふらりとどこかへ行ってしまった。シアルは先程からローレンに険しい目付きを向けながら、あさひにぴったりと寄り添っている。
 フェルゲニシュは近くの木立に背を預けて腰を下ろし、休んでいる。傷は大丈夫かとあさひが尋ねたところ、メシを食って休んでればじきに治る、との返答で、その言葉通りに懐から取り出したチーズの塊を口の中に放り込み、彼はニヤリと笑ってみせた。
 あさひも一口分けてもらった茶色いそれは、オリジン北部を本拠とするヴィーキングと呼ばれる人々の作るもので、ねっとりとした口当たりとキャラメルのような風味を持っていた。あさひの知るチーズとはいささか趣の異なるものだったが、素直に美味しいと思い、それを口に出して礼を伝えたところ、フェルゲニシュは何も言わずに顔を歪めてみせた。龍の表情は人間のそれとはだいぶ違うが、それでも照れているのだと知ることが出来た。くすりと笑ってもう一度礼を言い、あさひはその場を後にした。


 ここまでの移動中に、各自の簡単な自己紹介などは終えてある。自身がVF団であることを伏せたままにしようとしていたローレンが、シアルによってあっさりと暴露されるというハプニングもあったが、VF団というものについてイマイチ理解の及んでいないあさひの反応は薄く、サペリアも「ふーん」の一言で済ませてしまっていた。フェルゲニシュからはやや剣呑な雰囲気が感じられたものの、その場でなにか言うつもりは彼にはないようだった。


「お待たせー。周辺の安全確認終了っ。グレズも追ってきてないみたいだし、野生のモンスターとかモヒカンとかもいなかったよ」
「モヒカン……?」
 見回りから戻ってきたサペリアの言葉にあさひは首をかしげるが、おそらく自分の知らない危険な動物かなにかをオリジンではモヒカンと呼んでいるのだろうと結論付ける。時間があるときにシアル辺りにでも聞いてみることにして、些細な疑問は一旦棚上げにした。
「おーい少年。いつまでも機械いじってないでちょっとこっち来なよ」
 少し考え込んだあさひを余所に、サペリアが運転席のローレンを呼ぶ。呼ばれたローレンはといえば、面倒くさそうな顔つきでサペリアを一瞥したものの、すぐに立ち上がって運転席から降り、フェルゲニシュの傍で待っているサペリアの方へと歩き出す。一拍遅れて、あさひとシアルのコンビもそちらへ足を向けた。


 フェルゲニシュが近辺から持ってきた適当な石を椅子替わりにして五人が車座になる。口火を切ったのはそのフェルゲニシュだった。
「さて、改めて各自の立ち位置の確認から始めようか」
 一旦言葉を切り、ぐるりと全員の顔を見渡す。


「神炎同盟、アムルタートの冥龍皇イルルヤンカシュ様の命により、エルフェンバインに降りるフォーリナーとの接触と保護、並びに出現の予見されるダスクフレアに対抗するためにやって来た。フェルゲニシュだ」
「ダスクフレアが確認されてんのか?」
 聞き流すことの出来ない単語に対してローレンから疑問が飛び、フェルゲニシュは重々しく頷いてみせた。
「イルルヤンカシュ様の姉上、ナンナル様よりの啓示だそうだ。『木蓮の都に界を渡りて星が落ちる。それに伴い鋼が動き、夕闇を招き寄せる』とな。実際にダスクフレアの出現が観測されたわけではないが、ナンナル様の啓示は滅多にあるものではなく、それ故に重大かつ確度の高い情報だと俺は踏んでいる。」
「そうか。……ああ、悪い。続けてくれ」
 ローレンがそう言って促すが、フェルゲニシュとしてはとりあえず最初に言うべきことは言ってしまっているので、サペリアに目で合図を送る。


「サペリアさ。古い知り合いに、エルフェンバインに現れるフォーリナーを助けてやってくれって頼まれてね」
 彼女はあさひの顔を見てにやっと笑い、
「なんでもそいつの言う事にゃ、そのフォーリナーはあたしと運命の糸で結ばれてるんだってさ」
「うええっ!?」
 当然、慌てふためいたのはあさひである。
「う、運命の糸っ!? い、いやあたし、女同士はちょっと! サペリアさんは綺麗だしスタイルいいし、楽しい人だとは思いますけど、その、あくまでお友達としてですね……!?」
「あっはっは! 運命ってのはそういう意味じゃないよ。まああたしはどっちでもイケる口ではあるけども、少なくともさっきのは別段愛の告白じゃないから安心しなよ」
「は、はあ……。そうですか……」
 分かりやすくパニくるあさひに、笑いながら誤解を解くサペリア。微妙に問題発言が混じっていた気がしたが、恥ずかしさやらなにやらで混乱しているあさひはその辺りに気付かずに流してしまう。
「ま、あたしからはそんなとこかね。じゃあ次いってみようか?」


「VF団のエージェント。ローレンだ。上からの命令で任務のためにエルフェンバインに来た」
 やや仏頂面で、簡潔に言い放つローレン。これ以上は言うことはない、とばかりに口をつぐんだ彼に向けて、とげを含んだ視線とともに言葉をかけたのは、あさひの隣に座るシアルである。
「任務の内容をお伺いしたいのですが?」
「いちいちバラすと思ってんのか?」
 シアルの顔すら見ずにローレンが即答する。が、シアルに諦める様子はない。
「私にはあさひを守る義務があります。VF団があさひを利用しようというのなら、それを看過する訳にはいきません」
「利用しようとしてんのはお互い様じゃねえのか? アニマ・ムンディはMTのライダーがいなきゃただの人形だろ。だからそいつをライダーに仕立て上げようとしたんじゃないのか? まあ、それすらもできなかったみたいだけどよ」


 平坦に言い放たれたローレンの言葉は、絶大な威力を持っていた。言い返すことすらままならず、全身を硬直させるシアル。その気配を感じたあさひが、ローレンをきっと睨みつけた。
「ちょっとロー君。今のは言い過ぎだよ。シアルはあたしが助かるためにMTに乗るよう言ってくれたんだから」
「……おめでたい台詞だな。つーかロー君ってな何だよ」
「ローレン君、ってちょっと言いにくいし……」
 にへら、と笑うあさひをしばし見返すローレンだが、やがてふい、と視線をそらした。勝手にしろ、と小さく呟いてそのまま黙ってしまう。
「シアルもあんま気にしなくていいからね。ロー君は生意気盛りの男の子なんだから、あんまりつっかかっても大人気ないよ?」
「おい待てコラ。何を自然な流れで人をガキ扱いしてんだ」
 美しい金髪を梳かすようにシアルの頭を撫でながらのあさひの台詞に、言葉をかけられた当人より先にローレンが反応した。
「えー。だってねえ。ロー君今幾つ?」
「……十三だよ」
 苦虫を噛み潰した顔のサンプルにしたいくらいの表情で答えたローレンに向かい、あさひはぱん、と手を打ち鳴らして我が意を得たりとばかりに満面の笑みになる。
「あたしのほうが四つも上じゃない。素直にお姉さん達に甘えてもいいのよ?」
 冗談めかして言ったあさひの言葉に、ローレンは深々と溜息をついてそっぽを向いた。
「もういいから話進めろ。アタマ痛くなってくる」
 予想外につっけんどんな態度にちょっと弄りすぎたかな、と軽く反省するあさひ。ともあれ、確かにいつまでも話を停滞させているわけにもいかない。改めての自己紹介を済ませていないのはあとは自分とシアルだけなのだ。


「ええっと、地球から来ました、雪村あさひです。フォーリナー? というやつらしいです。……とりあえずそれくらい、かな?」
 こくん、と首を傾げて少し思案した後、シアルの肘でつついて彼女の言葉を促す。
「シアルです。フォーリナー専用MT『シアル・ビクトリア』の専用アニマ・ムンディとして製造されました。現在はあさひの所有物です」
「ちょっとシアル。所有物とか言わないでよ」
 現代日本で生まれ育ったあさひからすればあまりに価値観の埒外にある台詞に、思わず口を挟む。突っ込まれたシアルはといえば、あからさまに肩を落として落ち込んだ様子を見せた。
「……そうですね。結局わたしはMTの制御に失敗したどころか、ライダーであるあさひに逆に守られてしまうような欠陥品ですから。捨てられてしまっても文句の出ようなどありません」
「いやだから、そういう事じゃなくてね?」
 どう言えば分かってもらえるのだろうか、と内心で頭を抱えたあさひに、そのとき意外なところから救いの手が差し伸べられた。

「モナドリンケージの失敗については、そこのポンコツのせいとは言い切れないぜ」

 あさひはきょとん、とした表情で今の台詞の出所を見つめる。あさひの視界の外では、シアルも同じような表情でそちらを見ていた。目をぱちくりさせている二人に代わって、言葉の真意を問いただしたのはフェルゲニシュである。
「どういう意味だ、ローレン?」
 どうもこうもねえよ、とローレンは肩をすくめ、フェルゲニシュにぴたりと目線を据える。
「この件にダスクフレアが絡んでる可能性が高いっつったのはアンタだろ、オッサン」


 ぴくり、とフェルゲニシュの口許が動き、その内側の牙が一瞬だけのぞく。真意を探るようにローレンをじっと見つめる彼に代わって、今度はサペリアが口を開く。
「つまり、シアルちゃんがMTを呼ぼうとしたときに、ダスクフレアが横槍を入れた?」
「多分な。あさひが反応しなきゃ、俺も気付かなかったかもしれねけどよ」
 話の流れについていけずぼけっとしていたあさひが、唐突に出てきた自分の名前に、あたし!? と驚いて自分の顔を指してみせる。
「モナドリンケージに失敗した後、言ってたろうが。なんか変だ、MTの周りに黒い何かが見える、ってな」
 ローレンの台詞に、そう言えば、とあさひはぽんと手を叩き、フェルゲニシュが喉の奥から唸るような声を出す。
「プロミネンスか……!」

「……ところで、そのプロミネンス、って何?」
 深刻そうな表情のフェルゲニシュやローレンとは対照的に、ごくあっけらかんとした様子であさひが疑問を口にする。
「ダスクフレアという存在については少しお話しましたね? そのダスクフレアが身に纏い、世界を侵食する力。これをプロミネンスと呼びます」
「つまり、あたしがあの時見たのはそのプロミネンスで、ダスクフレアがあのときMTを呼ぶ邪魔をしたってこと?」
 おそらくは、と神妙な表情で頷いてみせるシアル。あさひは腕を組んで少し考え、
「それは、あたしがフォーリナーだからなのかな?」
「……断言は出来ませんが、可能性はかなり高いと思われます」


 そっかー、と再びあさひは考え込む。数瞬の静寂が場に満ち、そしてそれを渇いた音が打ち破る。ぱん、と手を打って全員の注目を自身の方へ向けさせたのはフェルゲニシュだ。
「ともあれ、ダスクフレアの蠢動はほぼ確定的と見てよかろう。であれば、今後ダスクフレアの干渉を受けるであろうあさひを守り、ダスクフレアの正体を探ってこれを討つ。少なくとも俺はそう動く。そちらはどうする。VF団のエージェント殿?」
「何でまず俺に聞くんだよ。……まあいい。ダスクフレアは我らがヴァイスフレアの理想を阻むものだ。言われなくてもブチのめしてやるよ、神炎同盟の戦士殿」
 試すような色を含んだフェルゲニシュの言葉に、ローレンが挑発するように笑って返す。

「やれやれ。男の子はしがらみが多くて大変だね、まったく。まあ、あさひちゃんはあたしの運命の人だからねえ。キッチリ守ってあげるよ」
 ぽん、とあさひの頭に手を置いて、サペリアがからからと笑う。
「その運命の人ってのはやめてよー、サペリアさん。……でもちょっと安心したかな」
 うん? と小首を傾げたサペリアのほうを見て、あさひは少し笑う。
「実はシアルにVF団に気を許すな、ってこっそり言われてたから。でも、ロー君は悪い子に見えなかったし。だからほら。あの子が悪い奴をやっつけるのに乗り気でよかったなあ、って」
「あさひ、それは……」
 何事か言いかけたシアルの頭に、あさひに載せているのとは逆の手をサペリアがぽんと乗せる。
「まあ、VF団が物騒な連中だってのは確かだけどさ。シアルちゃんはあさひちゃんが大事だから色々気を使ってるんだよ。その辺は分かってやりな」
「それはもちろん!」
 にっこり笑ってあさひが頷くと、サペリアも満足そうに笑った。シアルはまだ少し複雑そうな顔をしていたが、あさひに笑いかけられて、仕方ないなあ、という風情で微笑んでみせた。



Scene10 溝

「あー、ごめん。ちょっと花摘みに行ってくる」
 あさひがそう言って立ち上がったのは、フェルゲニシュとローレンの精神衛生上良くなさそうなにらみ合いがしばらく続いてからのことだった。
「はあ? あのなあ。この辺が比較的安全っつってもヤバいのがいない訳じゃねえし、何よりダスクフレアに狙われてるかもしんねーんだぞ? そんなに花が欲しけりゃ脳内のお花畑ででも――」
 あからさまに馬鹿にした様子でまくし立てていたローレンが唐突に黙る。なぜかといえば一目瞭然で、フェルゲニシュがその大きな掌でローレンの顔面を鷲掴みにしているからである。
「気にするな、行って来い。ただしあまり遠くまで行かないように。あと……」
「あたしがついてくよ」
 ひょい、とサペリアが立ち上がってあさひの横に並ぶと、フェルゲニシュは何も言わずにローレンの顔を握ったままの方とは逆の手を振って見せた。
「ありがと、サペリアさん。じゃあフェルさん、ちょっと行って来ます」


 あさひはフェルゲニシュに手を振ると、サペリアと並んで街道脇の雑木林の中に入っていく。フェルゲニシュはそれを見送った後、照れ臭そうに顎の下を爪で掻いた。
「ふふ。フェルさん、か」
 そう呟いたフェルゲニシュの頭部に、先ほどまであさひが座っていた石が突如として浮かび上がり激突した。大した速度は出ておらず、頑強な龍の鱗は傷一つつかなかったが、それでも衝撃でフェルゲニシュは片手に掴んだままだったものを離してしまう。すなわち、ローレンの頭部を、だ。
「なーにが『フェルさん、か』だコラ! いつまでも人の頭鷲掴みにしてんじゃねえぞ!」
 先ほどの石はどうやらローレンが手を触れずに持ち上げてぶつけたらしい。怒り心頭といった様子のVF団エージェントを、アムルタートの龍戦士はふっと鼻で笑った。
「わめくな未熟者」
「ンだと?」
 ローレンがぎろり、と睨みつけるのも何処吹く風。やれやれ、といった雰囲気を隠そうともせずにフェルゲニシュが肩をすくめて見せる。
「婦女子がああいう物言いをしたらはばかりだと相場は決まっている。それぐらい察してやらんか」
「……はばかり?」
 毒気を抜かれた様子で首を傾げるローレン。
「ご不浄、厠、用足し。いわゆる生理現象としての排泄のことです」
 あさひにはついて行かず、その場で黙ったままことの展開を見守っていたシアルが淡々とした口調で解説を入れる。
「あ、あー……」
 今のローレンの表情に題名をつけるのなら『納得と気まずさの二重奏』だろうか。


 それこそサビの来た機械のような動きでぎしぎしと首を回したローレンの視線が雑木林の奥に向きそうになる。
「えい」
 感情の篭らない掛け声とともに、シアルがローレンの顔面めがけて下方から手を突き出した。明らかに目潰しを目的とした、容赦無用の三本抜き手である。すんでのところでローレンが仰け反ってそれをかわし、シアルがごく小さく、ちっと舌打ちする。
「何しやがんだこのポンコツが!」
「あなたこそ何を見ようとしたのですかこの変態が」
「ばっ、ち、ちげえよ! ってか何も見えるわけねえだろ!?」
「先ほど見ようとした方向に見えるとマズいものがあったというのですか? 今のは覗き未遂の自白ととってもよろしいのでしょうか」
「だから違えっての!」
「さて、どうなのでしょうね。あなたは透視ぐらいはやってのけそうな気がするのですが。パンデモニウムの超能力者スペリオル?」
 先ほどから変わらない無表情のまま、シアルの声に含まれた敵意だけがその濃度を増す。釣られるように、ローレンの纏う空気も剣呑なものへと変わっていく。先ほどまで覗きの容疑をかけられて動揺していた少年の口許には、今は三日月のような笑みがある。


 二人の間にある緊迫感が弾け飛ぶ一瞬前に、二人の眼前を褐色の丸太のようなものが空気を抉り抜いて通り過ぎた。
「まあその辺にしておけ」
 野太い尻尾を思い切り振り抜いたフェルゲニシュが口元を歪ませて牙をのぞかせる。別段威嚇しているわけではなく、彼なりの笑顔である。


 しばらくそんな龍人を見つめたかと思うと、ふ、と鼻から息を抜いてローレンはどっかと椅子替わりにしていた石に腰を下ろした。がりがりと頭をかいてから空を見上げ、そのまま独り言のように告げる。
「フォーリナーってな、みんなあんな感じなのか?」
「あんな感じとは?」
 さきほど振り回した尻尾を右へ左へ揺らしながら、フェルゲニシュが問い返す。
「危機感なさすぎだ。……そこのポンコツからVF団についてあれこれ吹きこまれてるだろうに、オッサンやポンコツみてえに俺を警戒する素振りも見せやがらねえし」
 ふむ。と顎をさするフェルゲニシュに代わって、鈴を転がすような声が彼の疑問に答える。
「全員が、というわけではありませんが、記録によれば、今まで現れたフォーリナーには似たような傾向が見られたようです。警戒心が薄く、戦慣れしておらず、戦乱にさらされたオリジンの人々に比べ、甘く、優しい。地球という孤界は、ここよりもずっと平和なのでしょう」
「なるほどな。文字通りに平和ボケってことか」
 視線を地面に落として吐き捨てるローレン。
「まあそれを補うためにシアルはこうしてローレンを警戒しているのだろう? だから、ローレンに対して釘を刺しておきたかった。同じくVF団に対して警戒心を持っている俺と同じくな」


 鋭い視線をシアルとローレンの双方に送りながら、フェルゲニシュが続ける。
「フォーリナーたるあさひは……まあ、このオリジンの情勢が今ひとつ分かっていないせいもあろうが、VF団と神炎同盟の関係にも今のところ無頓着だ。サペリアは……やつはひょっとしたらあさひ以上にそうした諍いには興味がないかもしれん」
「……どういうことだ? オッサンはあの女とは長いのか」
 やや歯切れの悪い口調のフェルゲニシュに、ローレンが首を傾げる。
「いや。エルフェンバインで偶然出くわしたのが初対面だ。そのまま目的地が同じようなので同行したのだが……。まあ、サペリアの件については俺の憶測だ。今は置いておこう。ともかく、だ。正面からVF団に対抗する意思と実行力を持つのが俺だけだから言っておくが、あさひを妙な陰謀に巻き込もうというのなら子供相手とて容赦はせんぞ」
 その時フェルゲニシュが全身から放った威圧感は、並みの人間であったなら意識を保つことすら困難であろうものだった。だが、それを受けてなお、ローレンは笑ってみせる。
「そっちだってフォーリナーを体よく利用するつもりんじゃねえのか? ……ま、別にいいけどな。どっちにしろまずはダスクフレアだ。そっちを何とかしないことには、オッサンとやりあう余裕はねえだろ」
 ローレンの言葉に、フェルゲニシュは重々しく頷き、視線をシアルへと移す。
「そういうことだ。思うところはあろうが、しばらくは我々は共闘することになる。無論、その間にも警戒を怠るつもりはないが、あまり正面きって衝突するのは自重してくれ」


「……はい」
 しばしの躊躇いのあと、シアルはこっくりと頷いた。ローレンがそんなアニマ・ムンディをまじまじと見て、ついで彼女にそうさせたアムルタートの方を見やる。
「意外に話が分かるんだな、オッサン。アムルタートってのは基本的に『コブシでナシつけてやる』って連中だと思ってたんだけどよ」
 しみじみと語るローレンに対し、フェルゲニシュが苦笑を漏らす。
「まあ否定はせんよ。俺はどちらかというと変わり種だからな。……それとは別に、お前さんに謝っておかねばならんこともあるしな」
「謝ること?」
 うむ。と深く頷いて、龍人はそのいかつい手で街道脇に止められたままのエアロダインを指さす。フェルゲニシュが叩きつけられた時に砕けたキャノピーは修理できず、オープンカーのような風情だ。
「あのエアロダインだが、お前さんのものなのだろう?」
「ん、ああ。行きは一人で潜入するアテがあったんだけどな。帰りは足が必要になりそうだったから、時間差で追いかけてくるように設定しといたんだよ」
 予想してたよりも到着が遅かったんで焦ったけどな、というローレンの言葉に、フェルゲニシュがぴくりと体を震わせた。


「……前面に凹みがあるな?」
 フェルゲニシュがエアロダインに向けた指を微かに動かし、そこを指し示す。
 確かに、車体の前面部にも大きな凹みがある。脱出の際、ローレンは神業的なハンドリングを見せて狭い通路を一度の接触もなく駆け抜けたのだが、何故かそこが凹んでいたのだ。まあ、ハイテンションになっていたので気づかなかったか、格納庫までの道のりでメタビーストか何かにぶつかったか、とローレンは思っていた。
「俺がエルフェンバインに入ってからすぐ後のことだ。にわかにメタビーストどもが騒がしくなり始め、その動きの流れを追って俺は市外の中央へと向かっていた」
 唐突にフェルゲニシュが語り始めたのは、さっきの一言とは特に関係ないように思える話だ。そんなふうに思うローレンの眼差しに気づいていないわけでもないだろうに、彼はそのまま話を続ける。
「とある曲がり角を曲がった時だ。突如としてこちらに走りこんでくる鉄の塊があった。知っているか? グレズの中にはネフィリムの連中が使うような四輪の車の形をしたものもいてな。てっきりそのたぐいかと思って……」
「おい」
 ローレンが話の途中で低く抑えた声を放つ。が、フェルゲニシュは気づかなかったようにそのまま話を続行。


「つい思い切り拳を叩き込んでしまってな。そのグレズと思しき機械は鼻っ面を凹ませて吹き飛び、俺はそのままそちらを見もせずに先を急いだわけだが……」
「おいコラ」
 再びのローレンからのツッコミに、やはりフェルゲニシュは反応しない。いや、よく見ると微妙に彼から目を逸らしているのが分かる。
「翻って、あのエアロダインをよく見るとだな。どうもあの時殴り飛ばした機械に似ているというかそっくりというかそのものズバリというか。いやはや、不幸な事故とはいえ、これは俺も一つ頭をさげるべきかもしれん、とな」
「エアロダインの到着が遅れたのはアンタのせいかよ!? もっと早くアレが着いてりゃもっと脱出も楽だったかもしれねえじゃねえかよ!」
 怒り心頭、といった具合でローレンが立ち上がり、拳を振りあげてフェルゲニシュに詰め寄る。


「いやだからすまんかったと思っている。これからは共闘関係になるわけだし、とりあえず過去の因縁はまとめて水に流すべきではないか?」
「一見して正論ぽいけどよくよく考えるとただの開き直りじゃねえかよ!」
「いちいち器の小さいことですね。謝罪を受けているのだから素直にそれを容れれば良いではないですか」
「お前もとりあえず俺に因縁つけたいだけじゃねえのか!?」


 うがー! とばかりに立ち上がって腕を振り回す若きエージェントの咆哮が街道沿いに響き渡った。




Scene11 両天秤


「……ん? 今なにか聞こえた? サペリアさん」
「ふうむ。その辺で野生動物がじゃれあってるんじゃないかな?」

 街道わきの雑木林の中、少し歩いて奥に入った場所から目的を済ませて他の三人のところへ戻る途中、あさひとサペリアはそんな会話を交わしていた。

「うーん、そういう感じじゃなかったような……? まあいっか。それよりありがとうね、サペリアさん。わざわざ付いてきてくれて」
 隣を歩くサペリアを軽く見上げながらあさひは歩く。身長差は丁度頭一つ分、といったところだろうか。あさひの身長が157センチ。大雑把に考えてもサペリアの身長は180センチ近い。女性としてはかなりの大柄である。まあ、あさひが基準として考えているのは日本人なので、オリジンではこんなものなのかも、とも思ってたりするのだが。


「気にしなくてもいいよ。それに、地球じゃこういう時は連れ立って行くのが習慣なんだろ?」
「いや、別に習慣ってわけじゃ……。確かに皆で行く場合って多い気がするけど。っていうかそんなこと誰から聞いたの?」
 オリジンの住人であるサペリアの口から地球の話題が出たこともびっくりだが、その内容もびっくりである。当然沸き上がってくるであろう疑問をあさひはサペリアにぶつける。


「前に、ちょいと別のフォーリナーと話をする機会があってね。そのときにさ」
「別のフォーリナー……。そっか。以前にも何人も来てるんだよね」
 いつの間にかあさひは足を止め、腕を組んで考え込んでいる。サペリアはそんな彼女を急かすでもなく、傍らに立って見つめていた。
「サペリアさん。そのフォーリナーは今どうしてるの?」
 サペリアはこの問いに対し、腕を組んで少しあさっての方向へ目線をやってから答えた。
「さてねえ。宝永のソバ屋で相席になって話を聞いただけだから、さ。今頃どうしてるんだかねえ。まだオリジンにいるかも知れないし、地球に帰ったかも知れない」


「……帰れるの?」
 恐る恐る、という風情のあさひの様子に、サペリアはからりと笑って言う。
「そりゃあね。ただまあ、どうやれば帰れるのかはよく分かっちゃいないんだ。偶然道が開いて帰れる場合もあるらしいし、フォーリナーが自力で帰った、なんて事もあるらしい」
 詳しくはあたしも知らないんだけどね、と肩をすくめてサペリアは話を結ぶ。あさひはややうつむき加減のまま、それを黙って聞いていた。


「……帰りたいかい?」
「それは! ……それは……」
 囁くようなサペリアの問いに、あさひがばっと顔を上げる。勢いのままに口を開き、しかし言葉を発する前にそれはつぐまれてしまう。


「あたしは……どうしたらいいんだろう……?」
 やがて、ぽつりと零れたのはそんな言葉だった。ぽん、とあさひの頭にサペリアの手が乗せられ、そのままくしゃくしゃと髪をかき回された。
「きゃ!? ちょっと、サペリアさん!?」
「あんたは真面目なコだねえ。ンなことでいちいち悩むなんてさ」
 あさひはサペリアの手から逃れようと身をくねらせるが、いかんせんリーチが違う上に妙にパワーのある彼女からなかなか逃げられない。
「だって、ダスクフレアっていうのは世界を作り変えちゃうんでしょ? そうなったらオリジンだけじゃなくて全部の世界がそれに巻き込まれるって聞いたわ。フォーリナーはダスクフレアに対抗出来る有力な候補の一つだってことも」
 抵抗を諦めてサペリアの為すがままになりながらあさひが言葉を紡ぐ。
「まあ、そりゃあそうなんだけどさあ」
 サペリアがあさひの頭を撫で回すのとは反対の頭で自分の頭をポリポリと掻く。そのまましばし言葉を探すように視線をあちこちに彷徨わせた。やがて、言うべきことが決まったようで、彼女はあさひの正面に回ってやや腰を落とす。丁度、二人の目線が同じ高さになった。


「あのさあ、あさひちゃん。あんたがオリジンに来たのは運命で、あたしと会ったのも運命なんだってさ」
 サペリアは常と変わらない飄々とした口調のままだったが、あさひは何故か口をはさむ気になれず、黙って彼女の話を聞いている。
「ただね、そう言ったやつがこうも言ったのさ。その先どうなるかまでは分かんない、ってね。だから別段、あんたが帰っちゃってもなんとかなるかも知んないよ? 実際、今までもダスクフレアは何度も現れて、その度に倒されてる。磁石で引きあうように現れる、カオスフレア達にね」


「カオスフレア?」
 シアルの話の中には無かった単語だった。思わず首をかしげたあさひに、サペリアが説明する。
「ダスクフレアには、星を落とす魔法使いも、山を割る剣士も、星の海を往く船も、精強な軍勢も、それだけでは敵わない。そこに、カオスフレアの力が必要なんだ。カオスフレアは万物との繋がりによってフレアの力を高め、そうして高められたフレアの輝き、コロナの力でダスクフレアのプロミネンスを打ち砕く。白銀の樹の如く立ち上がるコロナ“星詠み”。青空の如き翼を広げるコロナ“光翼騎士”。紅い宝石の如く輝くコロナ“執行者”。そして、金色の炎の如く燃えるコロナ“聖戦士”」


 四本の指を立てた手を軽く振って、サペリアはそれをあさひの目の前に突き出して見せる。
「カオスフレアの力はこの四つのうちのどれかに分類されるんだ。……あたしの場合は、銀の星詠み。フェルの旦那は、多分、青の光翼騎士かな。まだ確証はないけど。ロー君も分かんないね」
「みんな、そのカオスフレアなの!?」
 あさひの驚きを、やはりサペリアは軽く流す
「ああ。カオスフレアってのは、お互いに引き寄せられるそうだよ。そして、お互いに相手が『そう』だってのが何となくわかるもんでね。ついでに言うとね、あさひちゃんも多分そうだよ」
「あたしも……」
「あくまで多分、たけどね。あんたにそういう力の兆候はまだ見えないしさ。ただ、少なくとも今まで聞いた話で、フォーリナーがカオスフレアじゃなかったことはないらしいよ」
「だったらなおさら……!」


 勢い込んだあさひは、ただサペリアの視線にその言葉を止められた。ほんの一瞬だけ、彼女の顔から笑みが消える。
「あさひちゃんは確かにカオスフレアかも知れない。あんたが此処に来たのは、ダスクフレアが創世を行うことを止めたい、世界そのものや絶対武器の意思が絡んでるのかも知れない。そういうのをひっくるめて運命って言うのかも知れないさ。けどねあさひちゃん。あたしは、そういうものにただ従うより、自分自身の意思を貫くやつのほうが好きだね。そういう連中を見てるのがあたしの生き甲斐なんだ。だからあんたも好きにすりゃいいのさ。唆した以上は、出来る範囲であたしもケツ持ってあげるよ」
 にやりと笑ってウインクを一つ。そうしてから姿勢をもとに戻し、腰をトントンと叩いてみせた。

「サペリアさん……」
 こちらに背中を見せて、街道の方へと向かって行くサペリアを目で追い、そしてあさひは小走りに駈けて彼女の隣に並び、雑木林の外へと歩いてゆく。そこで彼女らを待っているだろう、運命が引きあわせた残る三人のところへ。



[26553] 第一話『曙光の異邦人』その5
Name: 新◆9c42e1d8 ID:ebf219b0
Date: 2011/04/30 02:11
Scene12 都で何が起こったか


 ティカル騎士団、第八近衛歩兵軍団。通称を『煌天騎士団』。
 騎士団がいくつか抱えている常設軍の一つであり、精強をもってなるティカル騎士団の中にあっても特に意気高く勇猛な一団として知られている集団である。
 また、他に知られた特色として、彼らは領内から集められた孤児で形成された師団であることが挙げられる。
 ティカル騎士団は長らくレッドキャップや魔王たちと戦いにおいての最前線であったこともあり、当然、戦による死者も多かった。戦災孤児に対する補償は、そんなティカル騎士団領において特に重視されている政策の一つである。
 国家よりの補助を受け育った子供達は、長じてその恩を返すため、または自分達と同じ境遇の子供達を少しでも減らすため、戦いに身を投じていくのだ。兵役を受けないものに参政権を与えないティカル騎士団領とは言え、そうした孤児出身者の軍務に対する熱意は比類ないほどに高く、すなわち、それは彼らの集団である煌天騎士団の戦力の高さを裏打ちしていた。


「と、まあ、我々に関してはこんなところでしょうか」
 たくましい軍馬にまたがり、ゆるゆると進むエアロダインと並ぶようにその馬を歩かせている青年が愛想のいい笑顔とともに説明を締めくくった。
 煌天騎士団、第三中隊長サルバトーレ・メッツォ。
 とりあえず、近隣の人里まで行こう、ということでエアロダインで西へと向かっていたあさひたち一行の前に現れた、完全武装の一団。それを率いていた青年の名乗った肩書きである。
 彼らは領内やその周辺において、北から来るレッドキャップや、東のエルフェンバインにいるグレズ達に対する備えとしての巡回任務から戻るところだったのだという。
 その途中で行き会った、あちこちへこんだり壊れたりしているエアロダインにあからさまに過積載の状態で乗っている五人を見かけ、近くの町までの護衛を申し出てくれたのだ。


「しかし災難でしたね、メタビーストの群れに襲われるとは。確かに最近、連中がこちらへやってくる頻度が上がっていて、我々の方でも警戒はしていたのですが……。申し訳ありません」
 実に真摯な態度でサルバトーレが馬上で頭を下げてみせる。
「気にしなさんなって。あんたはちゃんとお仕事してるんだからさ。しかもあたしらからすりゃあ、わざわざ護衛までしてくれるってんだから文句なんざ出やしないよ」
 からからと後部ボンネットにあぐらをかいたままサペリアが笑う。サルバトーレが「ご婦人をそんなところに座らせたままにするわけには!」と彼らの隊で保有している馬車に乗るよう勧めたのだが、本人は全く意に介さずその場に座ったままだった。
「全くだ、サルバトーレ殿。ご迷惑をかけているのはこちらなのだから、貴殿が頭を下げる必要など皆無だろう」
 エアロダインの後ろをのしのしと歩きながらフェルゲニシュが続く。彼も馬車に移るようサルバトーレに勧められたのだが、いい運動になるから、と徒歩での移動を選んでいた。


 そもそも、グレズの巣窟たるエルフェンバインに突入してきた帰りであり、彼らがグレズと戦った経緯にはサルバトーレの責任など砂粒一つ分も存在しないのだが、その辺の事情はおくびにも出さずに二人は人の良い中隊長と会話のやり取りをしていた。そういうところは、運転席に座るローレンや、定位置であるあさひの隣にいるシアル辺りも同じことで、全く表情に出さない。が、あさひだけは少々別だった。
 サルバトーレが申し訳なさそうにしたり、謝ったりするたびに罪悪感がちくちくとあさひの胸を刺激するのだ。とは言え、あさひがエルフェンバインにいたことに彼女自身の意思は関わっていないのだから、彼女にも責任はないのであるが、なんとなくバツの悪い気分になってしまうのはどうしようもなかった。


「ああ、見えてきましたよ、皆さん。あれがウェルマイスの街です」
 悶々としていたあさひの耳に、前方を指さすサルバトーレの声が飛び込んでくる。顔を上げた視線の先、確かにそこに街が見えた。遠目から見ても分かる、レンガ造りの街並み。
 近づくにつれ、そこが確かに人の暮らす街なのだということが分かってくる。丁度夕餉どきなのか、家々からあがる炊事の煙。窓際に干された洗濯物や、石畳の街路を走りまわる子供たち。外観はヨーロッパの古い町並みが一番近いだろうか。本や映画の中でしか見たことがないような風景でありながら、そこに漂う、どこかノスタルジックな雰囲気と確かな生活感をあさひは受け止めていた。

「おおー……」
 エアロダインの座席から身を乗り出してきょろきょろとあたりを見回すあさひに、サルバトーレが微笑ましげな視線を送る。
「どうやら気に入って頂けたようですね?」
 そう声をかけられたことで我に帰ったあさひは、おのぼりさん全開な自分の行動に気がついて思わず赤面し、そそくさと座席に座り直す。
「いやあ、あたしの故郷とは随分雰囲気が違うもんだからつい……」
 照れくさそうにぽりぽりと頭をかいて、誤魔化し笑いをする。そして、改めて周囲の風景をぐるりと眺め、
「でも、なんかいいなあって思います。上手く言えないけど、すごく、人が生きてるって感じがするって言うか……」
 そんな風に異世界の街並みに対する感想を述べた。
「そうですか。ありがとうございます」
「……? 何故、あなたがお礼を言うのですか?」
 ニコニコと笑みを浮かべる馬上のサルバトーレに、こくんと首をかしげてシアルが問いかけた。
「そりゃあまあ、ここは私の故郷ですから。ふるさとを褒められて嬉しくない人はそういないでしょう?」






 街に入ってから少しして、あさひ達一行はサルバトーレ率いる第三中隊と別れ、彼らの紹介してくれた宿屋に入っていた。受付で対応してくれた中年の女性はサルバトーレと個人的に知り合いだったらしく、彼からの紹介で来たというあさひ達に対して実に好意的に接してくれていた。
 中年女性がお喋り好きなのは地球でもオリジンでも変わりはないようで、宿の一階部分にある食堂で手料理を振る舞いながら、彼女はサルバトーレがこの街の出世頭の一人だということを我が事のように誇らしげな様子であさひ達に語って聞かせていた。


「せんだってもねえ、機械で出来た動物……なんてったっけ? ああそうそれ、グレズだね。そのグレズが町の近くまで群れで来たことがあったんだよ。その時もねえ。トト坊が部隊を率いて駆け付けて、ん? トト坊って誰かって? いやだよまったく。アンタたちをここへ連れてきたサルバトーレ坊やのことさ! え、ああ。トト坊が部隊を率いてやってきたとこまでだっけ? そうそう。それで部隊は獅子奮迅の大活躍さ! 見事に連中を追っ払ってくれたんだよ。いやあ、ホントに立派になったもんだよ。ついこないだまでその辺を走りまわってる悪タレ坊主だと思ってたのにねえ」

 
 立て板に水、というより速射砲のごとく繰り出される女主人のお喋りに半ば以上圧倒されていたあさひ達一行だったが、それまでサイズの合わない人間用の食器を実に器用に使いつつ、黙って食事をしていたフェルゲニシュが女主人の勢いを遮るように声を上げた。
「失礼、女将。そのグレズがこの街周辺に来たというのはいつ頃の話だろうか?」
 地元の英雄自慢を滔々と語っていたところにこれは予想外の質問だったのだろう。僅かの間、きょとんとした表情を見せた女主人は、それでもすぐに表情を取り繕う。このあたりはいかに下町気質の親しみやすいおばさん、といった風情であっても、最近まで異世界人の排斥派が主流だったティカルにおいて、龍人形態のアムルタートに対して物怖じしない態度を見せることと併せて、彼女がたくましい商売人であることを伺わせた。
「そうだねえ。ざっと半月前かね。トト坊の部隊がこのへんに来るのもだいたいそれくらいのサイクルだからねえ」
「ここ最近、グレズの動きが活発化しているとサルバトーレ殿は言っていたが、やはりそうなのだろうか?」
「街の近くまで来たのは半月前が初めてかねえ。街から離れたところでどうなってるのかは、あたしらにゃ分からないけどねえ」


 やや首をかしげて答える女主人にフェルゲニシュは短く礼を述べ、食事に戻る。
 その後も女主人はいい調子で郷土自慢を続けていたが、真正面からそれに対応していたのはあさひとサペリアくらいで、残る三人は適当に相槌を返しつつ、時折考えこむような素振りを見せたあと、互いに目配せを交し合っていた。




「どう思う?」
 宿屋の二階。男女に分かれて宛てがわれた二部屋のうち、男部屋に五人が集まるやフェルゲニシュが口にした言葉である。
「……今まで無かったことが起こった。そこだけ考えると繋がりはありそうだな」
「ですが、半月のタイムラグがあるのはやはり気になる部分です」
 打てば響くように、ローレンとシアルが答えを返す。


「……え? え? 何の話?」
 話についていけない風情で、きょときょとと三人の顔を順繰りに見回すあさひの頭に、ぽんと誰かの手が乗せられる。
「さっき、女将さんが話してたグレズの話さ。連中がダスクになった例だってあるからね」
 見上げたあさひの視線の先にあるのは、唇の端を歪めてみせるサペリアだ。ああ、と得心がいって手を打ち合わせるあさひを横目に話し合いが続けられる。


「基本的にグレズを群れで束るにはグレズの統合意識を以てするのが一番手っ取り早い。メタロード級のグレズが動き出していると考えるのが妥当だろう。それをダスクフレアと結び付けられるかどうかはまた別の話になるだろうがな」
「あたしとしちゃあ、あさひちゃんとシアルちゃんを前にしてディギトゥスが止まったのが気になるね。龍皇の予言もあることだしさ、グレズが今回の件に関わるダスクか、そうでなくても問題の中枢に近いところに関係してくるのは間違いないんじゃないかい」
「あの時ディギトゥスが停止した理由は私にも分かりません。原因がこちらにあるのか向こうにあるのかも不明です。ダスクフレアの正体が何であれ、グレズと多少なりと関わりがある可能性が高いことは否定しませんが、ディギトゥスの件に関しては一時棚上げもやむ無しかと判断します」
「ともかく、この街周辺で見られたグレズの活動については俺の方のツテで探りを入れてみる。ダスク絡みなのか、全くの無関係に偶然群れが来たのか推測する材料ぐらいは見つかるかも知れねえ」


 二つ置かれたベッドの中間でローレンとフェルゲニシュが椅子に腰掛け、サペリアとシアルがベッドに腰をおろす形でそれに向かい合い、議論が続いている。
 しばらく続いた話し合いのさなか、ふと、その途中でシアルが振り返った。
「どう思われますか、あさ……」
 ひ、と続くはずの言葉が空中に溶けて消える。そちらを向いたまま固まっているシアルに釣られるように、他の三人の視線が動く。
 シアルとサペリアが腰掛けていたのとは違うベッドの上、その隅っこで、膝を抱えて背中を丸めたフォーリナーが座り込んでいる。


「あ、あの、あさひ?」
 いいのきにしないであたしおとなしくしてるからみんなでさくせんかいぎしてて。
 恐る恐る声をかけたシアルに対して、あさひはそんな風に棒読みで答えた。
 だいじょうぶあたしこういうときはやくにたたないからちゃんとしずかにまってる。
 さらに棒読みで言葉を重ねるあさひを真正面から見つめ、ここに至ってシアルはあることに気がついた。身を起こして部屋の中をぐるりと見回す。さして広くもない部屋の中のことである。すぐにそれは見つかった。


「……酒瓶……」
 部屋の真ん中に鎮座したテーブルの上に置かれている瓶。栓は既に抜かれていて、傍らに置いてあるコップに使用された形跡がある。再びあさひに視線を戻す。
 わたしってばなにもしらないやくたーたずー。るーるーるーるるーるるるーるーるー。
 色々な意味で危険だった。
 更に視線を巡らせる。
 面倒くさい、関わり合いになりたくない、という表情を隠そうともしていないローレン。
 いつの間にかあさひの背後に回りこみ、ボリューム満点のバスト――本人の申告するところによると、ネフィリムの単位で言えば1メートル越え、とのことだ――をあさひの頭に載せて、元気だせよー、と笑うサペリア。
 そして、巧みにシアルと視線を合わせまいとするフェルゲニシュ。
 この時点でシアルは犯人に当たりをつけた。つかつかと龍人のもとへ歩み寄る。


「いやあ、寝る前にでも一杯やろうと思って女将に頼んでおいたのだが、まさかあさひに飲まれてしまうとはなあ、はっはっは」
 シアルが温度の感じられない目付きでフェルゲニシュを見る。次いで、行きがけの駄賃に引っ掴んできた酒瓶を見る。
 漂ってくる香りからしておそらく果実酒。それもどちらかというと甘口の、酒であることをあまり感じさせない口当たりの良いものだ。瓶には銘柄を示すラベルもはられているが、異世界人たるあさひに銘柄からこれが酒であると察しろ、というのも酷な話だろう。フェルゲニシュに対してこれはお前のせいだ、というのはそれと同じレベルの話である、ともシアルは思った。


 深々と溜息を付き、酒瓶をフェルゲニシュに押し付けてくるりと踵を返す。そして見える状況はまるで好転していない。むしろ酷くなっている。
「あさひちゃん面白い酔っ払い方するなあ! でももっとテンション上げてみようじゃないのさ!」
「もう今日はいいからお前ら自分の部屋に帰れよ……」
 あさひと違って素面のくせに酔っぱらいにしか見えないサペリアがゲラゲラと笑い、その横でローレンが心底うんざりした表情を浮かべている。
「まあ酷い、聞いたかいあさひちゃん。ロー君はあたしらが邪魔らしいよ!?」
「あなた達、事態をややこしくしないで下さい!」
 るーるるるるーるーるーるるるー。




Scene13 正しい選択


 雪村あさひは考えていた。
 既にすっかり酔いは醒め、思考は普段の様相を取り戻している。お酒だと知っていたら飲まなかった。飲まなきゃよかったと思うが、もっと飲んでおけばよかったかも、とも思う。度を越した飲酒は、時として飲んだ人間の記憶を消し飛ばすという。どうせならそれくらい酒に飲まれてしまいたかった。酔っていた自分の言動の全てを克明に記憶しているのがいたたまれない。


「うう……。不覚……」
 口の中でそう呟いて、寝返りを打つ。既にあさひはベッドの中にいる。部屋の明かりは落とされ、隣のベッドにはシアルが寝ているはずだ。同じ部屋のサペリアは、しばらく前に夜の散歩とうそぶいてふらりと部屋を出て行った。
 すぐに戻る、と言っていたし、何よりあさひは彼女の力をエルフェンバインで見ている。少なくともその辺のチンピラにどうこうできるような相手ではなく、あまり心配もしていなかった。


「ねえシアル。起きてる?」
「はい。どうかしましたか、あさひ?」
 
 なんとなく寝付けずに発した問いに、すぐさま答えが返ってきた。しかし、特段何か話があったわけでもない。少しあさひは考えこみ、
「ええっと、さっきはごめんね、なんか見苦しい事になっちゃって」
 既に何度か繰り返した話題を口にする。そのたびごとに、シアルは気にするな、とか色々あって疲れているのだから仕方ない、というような事を言ってあさひを慰めていた。
「いいえ。私の方こそ、あさひに謝罪しなければいけません」
 だが、今回はそうではなかった。
 窓から差し込む月明かりにぼんやりと照らされて、寝台の上で上半身を起こしたシアルがあさひの方を見つめている。あさひも同じように体を起こし、彼女と視線を合わせる。
 柔らかな月光に浮かび上がるシアルは、同性のあさひから見ても息を飲むほどに美しい。数瞬、あさひは呼吸も忘れてシアルに見入っていた。


「私はアニマ・ムンディです。アニマ・ムンディとは、戦うための人形なのです」
 それは、昼間にローレンが口にした言葉だった。それを繰り返すシアルの表情には、深い苦悩が刻み込まれている。
「あのVF団員が言ったとおりです。モナドライダーがいなければ戦人形としてのアニマ・ムンディに価値はなく、そして、きっと私はそれ故にあさひのものになろうとしたのです」
「でも……」
「あまつさえ」
 シアルの言葉に反論しようとしたあさひの言葉が、静かな、しかし有無を言わさぬシアルの声に遮られる。
「私は戦うことにすら失敗しました。あれから何度も『シアル・ビクトリア』との接続を試していますが、一向に繋がりません」
 シアルの表情は仮面が張り付いたように不動であり、その声は凪の湖面の如く揺らぎがない。
「あさひ、あなたはご自身を役立たずだとおっしゃいましたが、何のことはありません。一番の役立たずは他ならぬ私です」
「……シアル……」
 あさひの声に滲む気遣わしげな色に気付いたのだろう。シアルが表情を和らげ、微かに微笑んでみせる。
「心配して頂く必要はありません、あさひ。……いいえ」
 声に僅かな逡巡を滲ませて、シアルが言葉を区切る。
「心配していただく必要を、なくしましょう」


「……どういうこと?」
 こちらへ向けたシアルの無表情に、何故かあさひの胸の内がざわめく。
「あの地下工廠で、私があさひにMTに乗るようお勧めした理由に、あなたが自身の絶対武器を使えていない様子だったこと、その時の状況が、戦力を必要とするものだったことがあります」
 私の思惑についてはこの際置いておきます、と自嘲気味に付け加え、更にシアルは言葉を重ねる。
「現状を鑑みるに、あさひが絶対武器をまだ使えない事には違いありませんが、あなた自身がMTを必要とするほど切羽詰まってはいません。あの三人にはそれぞれの事情があるようですが、それだけにあなたを守ってくれるでしょう。いずれはあなたもフォーリナーとしての力を振るえるようになるかも知れません」
「それはまあ、そうかもしれないけど。それとさっきの話と、何の関係があるの?」
 あさひの問に、シアルが沈黙する。眼を閉じて、やや深めの呼吸を二回。それだけの時間を開けて、彼女は再び口を開いた。
「……つまり、あなたに私は必要ないということです」
 突き放すような語調と内容をもって、シアルは言い切った。


「今は緊急避難的にMTをあてにする状況ではなく、そもそもモナドリンケージをプロミネンスで封じられている時点で、MTを戦力として計算することは出来ません。ですが、ここへ別の見地を持ち込むことも出来ます」
「……別の見地?」
 自身の言葉尻を繰り返すあさひに頷きをひとつ返し、
「ダスクフレアは、『シアル・ビクトリア」を封じるために相応のリソースを費やしていると見ることも可能です。そして現状、その『シアル・ビクトリア』と直接の繋がりを持つのはライダーとアニマ・ムンディのみです。そこからアニマ・ムンディを切り離し、その保全の必要をなくしたならば、例えば囮として……」
「シアル!」
 思わず、鋭い声があさひの喉から発せられる。思いの外大きく響いた自分の声に、今が夜であることを思い出して軽く咳払いしてからシアルに向き合う。話を途中で遮られたにも関わらず、彼女は泰然とした様子であさひを見つめていた。
 言いたいことはある。が、あさひの中でそれは上手く形にならない。
「あさひ。あなたから一言、私に『次の主を探せ』と仰って頂ければそれで済みます。以降、私とあなたの間には何の契約も責任も存在しません。きっとあなたはMTなど無くても大丈夫です。なにせ、絶対武器を持つフォーリナーなのですから」


「それで……。それでシアルはどうするの?」
 しばしの沈黙の後、搾り出したようなあさひの問いにシアルは軽く首を傾げる。
「当面は次の主を探すことになります。まあ、そうなった場合、既に私はあなたの許を離れたことになります。気にしていただく必要は皆無です」


 胸の中がもやもやする。
 流石にシアルの言葉を丸ごと鵜呑みにするほどあさひは馬鹿でも脳天気でもない。彼女は現状で戦力となりえない自身をあさひから切り離すことで、あさひの安全度を上げようとしている。
 あの格納庫でディギトゥスに追われた時もそうだった。あさひの安全のために自分を見捨てることを彼女は提案した。
 あさひの心中に浮かび上がってくる結論は、あの時と同じく考えるまでもなく否だ。
 だが、それだけではきっと駄目だ。
 格納庫の時は、良くも悪くも考える時間など無かった。勢いで押し通してしまうことが出来た。だが、今は違う。それはやりたくない。


 そう、やりたくない、だ。きっと、二度とそんな事を言うな、と命令すればシアルはその通りにする。少なくとも彼女は自身を人形と定義しているのだから。
 彼女を翻意させること自体はできる。至極簡単だ。だが、それは嫌なのだ。
 だから、あさひは考える。何故自分が彼女を切り捨てたくないのか。曖昧な衝動ではなく、言葉としてそれを表現するために。シアルだけでなく、自分自身に対してもそれを明らかにするために。
 考えて考えて、ふと、あさひの思考が一瞬止まる。
 その要因は、現状に対して覚えた既視感だ。
 懐かしさともどかしさを足しあわせたようなその感覚を辿り、何故それを得たのかをあさひは探る。


 寝台の上で腕組みをしたままあさひが沈黙して、数分が経過しただろうか。ようやっとあさひは考えをまとめたらしく、腕組みを解いてシアルに向き合った。


「あのねシアル。あたし、サペリアさんに気遣ってもらったの。ダスクフレアなんて放っといて地球に帰ったって構わないんだって言われたわ」
「……彼女が、そんなことを?」
 シアルの疑問に頷きをひとつ返し、
「その時はね、ああ、気遣ってもらえてるんだなあ、ってそれだけを思ったの。でもね、さっきは違った。何故か、シアルに反発を覚えたの。気遣いをもらったのは同じことなのに、ね」
「それは、何故ですか?」
 あさひはひとつ息を吸い、あさひはゆっくりと自身の思いを言葉にしていく。
「あのね、サペリアさんは、私を取り巻く状況の全てに対して背を向けても構わない、ってことを言ったのよ。でも何ていうのかな。対象が大雑把過ぎて、あたしにはその気遣いの通りにしたときに何がどうなるかが想像できてなかったんだ」
 でもね、と一旦言葉を区切り、少し視線を彷徨わせる。
「シアルの気遣いは、もっと焦点を絞ったものだったんだと思う。あたしが今の状況にどう向き合うかはともかくとして、まずはあたしの安全度を少しでも上げようとしてる。それこそ、シアル自身を捨て駒にしてでも、ね」
「双方の違いはわかりました。しかし、あさひが私の提案に反発を覚える理由はどういったものなのですか?」
 あさひの言葉を黙って聞いていたシアルが疑問を提示する。
「サペリアさんに言われた時には、ここで帰っちゃえばシアルを見捨てることになるっていうとこまで頭が回らなかったの。でも、シアルは明確に自分自身を見捨てるように提示してきた。だから、あたしはあなたの言葉に頷けないの」


「ですがあさひ。私はアニマ・ムンディです。モナドライダーと共にあり、戦うために存在する人形です。MTを使えない今、私にできる戦いは、貴女を守ることです。どんな手段を用いても」
 シアルが真正面からあさひを見据える。
 決然とした語調には、彼女がそうであると主張する人形には不似合いの強い意志が感じられてしまう、とあさひはそんなことを思った。
「うん。シアルの見解はそうなんだと思う。それは、シアルの立場と考え方からすればきっと正しい選択なんだと思うよ。でもねシアル。あたしはシアルじゃないもの。その通りには考えられない」
 だから、きっぱりと自身の意思が、彼女の意思と真っ向からぶつかるのだと伝える。
「MTに乗るって決めたのはあたし。あなたを信じると決めたのはあたし。それから……」
 一瞬だけ上目遣いにシアルを見て躊躇し、それからこう続けた。
「友達を見捨てたくないと思っているのもあたし」


「……あさひ。何度も申し上げますが、私はアニマ・ムンディです。貴女の所有物であり、更に言うならMTの部品です。友人などという立場に置かれるべきものではありません」
 完璧に表情の見えない顔で、シアルはあさひの言葉を斬り捨てる。
 あさひは、その言葉に対して――笑ってみせた。


「うん。シアルはそれでいいよ。あたしが勝手にあなたを友達だと思うだけ。あなたにあたしを友達だと思え、なんて言えないよ」
 無論、そう思ってくれれば嬉しい。が、それはあさひが友達だと思うシアルの意思とは食い違う。そのことを無理に変えようとは思わない。何故かと問われれば、あさひはこう答えるつもりだった。
「少なくとも、あたしは友達っていうのはそういうものじゃないかなって思うから」


「……困った方です。貴女は」
 シアルはふっとため息をついてゆるゆると首を振ってみせた。
「大体ですね。私の意志を尊重するようなことを言っておいて、結局は私の提案には頷いて下さらないのでしょう?」
 半目になってじっとりとした視線をあさひに向けるシアル。その湿度と圧力に耐えかねたあさひは明後日の方を向いて乾いた笑いを漏らす。
「や、そこはそれ、譲れない一線があるといいますか……」
「もういいです。主がそう望むなら、その望みに沿うように全力を尽くすのもまた、アニマ・ムンディのあり方ですから」
 気まずげなあさひを澄ました表情で見やりながら、しれっと言ってのける。その様子に、あさひは一瞬きょとんとした表情を見せ、それからくすくすと笑い始めた。
「何がおかしいのですか?」
「なんだろうね。なんか色々あったし、ワケわかんないや」
 なおも顔を伏せ、肩を振るわせるあさひ。シアルは黙ってその様子を見つめている。
 たっぷり二分ほどもそのままだっただろうか。ようやっと平常運転に戻ったあさひが顔を上げる。その視線はまっすぐにシアルへと向けられている。


「ねえシアル。これからどうなるのか、あたしがどうするのかはまださっぱりだけど、あたしはあたしの思うようにやってみるよ。後で振り返って、後悔しないようにしてみる」
「はい。もうその方針については何も申し上げません。力の限り、お手伝いいたします。私は、あなたのアニマ・ムンディですから」
 シアルが力強く頷いて請合うが、あさひの表情を見てやや首を傾げる。
「……何か、ご不満の点でもありましたか?」
「不満って言えば不満かな。でもまあ、これはじっくりやるしかない問題だしね」
 ますます分からない、という風に首の傾斜を深くするシアル。そんな彼女にくすりと笑みを向けて、あさひが言う。
「今はまだ片思いだけど、いずれは両思いに、ってね。覚悟しててね、あたしの友達マイフレンド
「なるほど。ですが、それについてはあまり期待せずにお待ち下さい、我が主マイロード



[26553] 第一話『曙光の異邦人』その6
Name: 新◆9c42e1d8 ID:ebf219b0
Date: 2011/06/29 22:25
Scene14 さざめく者たち

『泣く子と地頭には勝てぬ』という言葉がある。
 厳密な意味としては、道理をわきまえない子供や横暴な権力者のような、理屈の通じない相手には勝ち目がないので従うほかない、といったところか。
 が、今回はそこまで細かい意味に言及したいわけでなく、ただ眼前の光景を見て、ある印象と共にその言葉があさひの脳裏に浮かんできただけなのだ。
「よーするに子供最強よね……」
 ぽつりとつぶやいたその言葉は、まさにその泣いている子供の声にかき消され、周囲の仲間の誰の耳にも入らずにふわりと空気に溶けた。


 少しだけ時間を遡る。


 ウェルマイスの街、滞在二日目である。
 ローレンやフェルゲニシュがそれぞれの手段や伝手を用いて情報を集めてはいるものの、それらがすぐさまに結実するかといえば当然そのような事はなく。情報がもたらされるまでの間、あさひ達一行はしばしこの街に滞在することに決定した。
 
 
 最初に街へ出ようと提案したのはあさひで、すぐにそれに乗ったのがサペリアだった。シアルはあさひが乗り気であることに積極的に異を唱えるような事はせず、フェルゲニシュは中立で、一人難色を示していたローレンも終いには折れた。あさひとサペリアに駄々をこねられるのが鬱陶しかったからであって、決してあさひの『一日中部屋でじっとしてるなんてロー君引きこもりみたい』という言葉に乗せられたわけではない。断じて違う。少なくとも彼はそう思っていた。


 ともあれ、街の散策である。やはり一番満喫しているのは、異世界の街初体験のフォーリナー、あさひである。少し歩いてはあちこちのものに興味を惹かれ、きょろきょろと目移りするさまはまさにお上りさん丸出しであった。
 しかし、そんなあさひも一行の中では実はそう目立ってはいない。何故かというと単純な話で、もっと衆目を引く存在が一行の中にはいたからである。


 身の丈二メートル半。褐色の鱗に覆われた体躯は、まるで大岩が歩いているかのような頑強さを印象付ける。口を開けばぞろりと覗く牙は刃物のような鋭さで、その迫力は龍そのものである顔の造りと相まって、気の弱いものなら正面に立つだけでも一苦労といった風情。
 言わずと知れたアムルタートの龍戦士、フェルゲニシュである。


 オリジンは古来より他の孤界からの界渡りがやってくることが多く、ごく一般的な人間の姿からやや外れた民もそれなりに存在はしているが、それでもやはりアムルタートは目立つ。その容貌もそうだが、バシレイア動乱以前には侵略者としてグレズに勝るとも劣らぬ勢いでオリジン諸国家に攻めかかっていたことも、道行く人々がフェルゲニシュにおっかなびっくりしながら視線を向けていることの原因の一つだろう。
「じゃあ、フェルさんたちも元は侵略者だったんだ?」
「うむ。あくまで元は、と付け加えておくがな。とはいえオリジンの人々には償いきれぬほどの迷惑を……」
 突然に、フェルゲニシュが言葉と歩みを止める。釣られてあさひたちも立ち止まり、次いで、フェルゲニシュの視線が足元へ向けられていることに気付き、そちらを見る。
「……………………」
 3、4歳くらいだろうか。一人の小さな女の子がフェルゲニシュを見上げていた。涙目で。


 マズイ、とあさひが思ったときにはもう遅かった。女の子の瞳に溜め込まれた涙はみるみるうちにその量を増し、ぽろぽろとそのほほを零れ落ちる。くしゃりと表情がゆがみ、ひゅっと音を立てて大きく息が吸い込まれる。
「びええええええええ!」
 そんな風に聞こえる絶叫を上げて、女の子が盛大に泣き出す。無理もあるまい。
 女の子はすぐそばの路地から出てきたところをフェルゲニシュの足にぶつかり、その後上を見上げたら彼と真正面から見つめ合ってしまったのだ。
 この世界に来て三人目にあったのがフェルゲニシュであったこと、そのときに助けてもらったこともあって、割と彼に慣れているあさひでも、何の前準備もなしに彼の顔がぬっと目の前に出てきたら間違いなくビビる。免疫のない、しかも幼い子供ともなればひとたまりもなかった。


「あ、ええっとね、このおじちゃんは怖くないよー?」
 しゃがみこんで女の子と視線を合わせ、あさひがとりなしてみるが、いやいやをするように首を振り、一向に泣き止む気配はない。どうしたものかと思い、さっと周囲に視線を巡らせるが、サペリアもローレンもさっと目を逸らす。
 薄情者め、と思いつつさらに視線を動かした先、シアルはどうにかしようとする意思はあるようだが、あさひ以上にどうしていいか分からないらしく、その場でおろおろとした様子を見せていた。
 そうこうしているうちに、フェルゲニシュがすっとその場でしゃがみこむ。とは言っても、もともとの体躯が大きいので、女の子からすればそれでも見上げるような相手だ。むしろ顔が近づいたことで、女の子は更に激しく泣き出してしまう。
 そろそろ周囲の視線が痛い、とあさひが思い始めたところで、フェルゲニシュが女の子の顔にそっと被せるように掌を置いた。
「怖がらなくていいぞ。すぐに済むからな」


 何をするつもりなのか、と問う暇も有らばこそ。
 フェルゲニシュの体がふわりと光に包まれる。一瞬だけ光が強くなり、思わずあさひは目をつぶる。次に目を開けたとき、褐色の龍人はそこにいなかった。
「あ、あれ……?」
 代わりにそこにいたのは、先ほどのフェルゲニシュと同じ姿勢で女の子と顔を掌で覆っている一人の男性だ。
 褐色の髪をオールバックにまとめ、口髭を蓄えている。また、耳の後ろに、どこかで見たような角が生えている。年のころは三十台から四十台といったところだろうか。がっしりとした体躯はその身を包む軍服風の衣服の上からでも鍛えこまれていることが容易に伺え、どこか野趣を感じさせる顔つきは、男臭さを含みながらも卑しさは見受けられない。
 彼はその掌をそっと外すと、女の子に微笑みかける。
「もう大丈夫だ。怖いやつはおじさんが追い払ったからな」
 状況の変化に思わず泣き止んでしまったらしい女の子は、きょろきょろと辺りを見回してから、目の前の男にこくんとうなずいて見せた。


「やれやれ。子供に泣かれると心臓に悪いな」
 男はそう言いながら立ち上がり、同意を求めるようにあさひに視線を向けた。そのあさひはと言えばまさしく呆然といった趣でその場に立ち尽くしていた。
「えーっと……フェルさんなの?」
 おそるおそる、あさひがそう尋ねる。
「目の前で姿を変えたというのにそれを聞くか?」
 髭を蓄えた口元を歪ませて、フェルゲニシュが苦笑を形作る。姿はまったく違うが、その声や雰囲気は間違いなくアムルタートの龍戦士のものだ。
「いやあ、何ていうかびっくりしちゃって。でも、フェルさんってそんな姿にもなれるんだねえ」
 人間形態をとったフェルゲニシュを頭からつま先までまじまじと観察するあさひ。
「ふむ。おかしいかな?」
 好奇心に満ちたあさひの視線を余裕のある態度で受け止めながら、そう言ってにやりと笑ってみせる。
「すっごい格好いい! ダンディだよフェルさん!」
 実際、あさひの見るところ、今しがたの野性味溢れる笑みを一発キメてやればその辺こういう渋めの男が好みの女性はコロっといってしまうのではないかと思う。
「ははは。お褒めに預かり光栄だな」
 にこやかに笑いながら、フェルゲニシュはふとあさひから視線を外してぐるりと周囲を見回し、すぐに視点を固定する。あさひもそれを追ったので、彼が何を見ようとしたかはすぐに分かった。そこでは、いつの間にそうしていたのか、サペリアが先ほど大泣きしていた女の子を抱き上げて何事か話している。サペリアのほうもあさひたちの視線に気付き、女の子を抱いたまま歩み寄ってくる。
「あのさ、この子迷子みたいなんだよね」
「……帰り道が分かんねえのか?」
 すっと顔を寄せたローレンの問いに、女の子はこっくりと頷いてみせた。
「ったく。しゃーねえな。その辺で聞いてみようぜ。誰かこいつの顔見知りでもいりゃあ話が早い」
 がりがりと頭を掻きながら、いかにも不機嫌そうな様子でローレンがあさひたちをぐるりと見回し、ぴたりと動きを止めた。
「……んだよそのツラは」
 あさひも、フェルゲニシュも、サペリアも、意外だ、という感情も同時に表れているがシアルまでもがよく言えば微笑ましげな、悪く言えばニヤニヤとした薄笑いを浮かべてローレンを見ていた。
「なーんでもないよっ。じゃあ、その辺で聞き込みしてみよっか」
 ニコニコと上機嫌なあさひにぽんと背中を叩かれ、なんとなく反論する気を削がれたローレンは深々とため息をついてみせた。


 自身を指して、ミリ、と名乗った女の子の住まいは数人に聞き込みをしたところ、すぐに知れた。あさひたちとミリが出会った場所から少し歩いた場所にある孤児院の子供だという。そのことを教えてくれた、犬の散歩中だったらしい初老の男性に丁寧に礼を述べて、あさひたちはミリを孤児院まで送っていくことにした。


 先頭に立って歩くサペリアがミリを肩車している。長身の彼女に担がれたミリは普段からは考えられない視点の高さにややおびえ気味ながらも楽しそうに笑っている。
 そこから少し遅れて、フェルゲニシュとあさひが並び、そのすぐ後ろにシアルとローレンが続く。
「しっかし勿体無いなあ。なんでフェルさんは普段からその姿じゃないの? すっごい渋いのに」
「オヤジ趣味なのか、お前」
 人型になってもサペリアと並ぶ長身のフェルゲニシュを見上げるような形で勿体無いと繰り返すあさひにローレンの突っ込みが入る。
「ちっがうよもー。分かってないなあ。カッコいいおじさんっていうのは貴重なのよ。ロー君だってねえ、今は美少年のカテゴリだけど、気をつけないと年をとったらウチのお父さんみたいに太鼓腹になっちゃうんだから」
「勝手に将来の俺を太らせるんじゃねえよ。っていうかやっぱりオヤジ趣味なんじゃねえのかそれ」
 くるりと振り返り、人差し指を立てて言い含めるあさひをローレンが一蹴する。
「だから違うってば。目の保養みたいなもんだよ。ロー君がサペリアさんのおっぱい見ちゃうのと同じことだよ、うん」
「……仕方ありませんね。どうしても我慢できなくなったら私の胸部を触る許可を出します。あさひを襲われるよりはマシですので」
「見てねえよ! あとナチュラルに人を性犯罪者扱いしてんじゃねえよこのポンコツが!」
 猛烈に抗議を行うローレンであるが、モナドライダーとアニマ・ムンディのコンビはどこ吹く風である。
「照れなくてもいいのに。大丈夫、気持ちは分かる! あれは女のあたしでも思わず見ちゃうド迫力サイズだから! 羨ましい! 」
「だーかーら違うっての。大体よ……」
 声を上げるのに疲れたように肩を落とし、ローレンがサペリアとあさひの間で視線を往復させる。
「女の癖に視線が行くほど羨ましいのか? お前だってそこそこあるだろうによ」
 ため息と共に言うローレンの視線を、あさひが追う。明らかに自身のバストにそれが向けられているという判断が彼女の中でなされるのに遅れることコンマ数秒。
「な、バっ……!」
 みるみるうちにあさひの顔面が朱に染まる。ぶん、とその右手が振りかぶられ、
「ロー君のスケベっ!」
 ばしん、という小気味よい音とともにローレンは思い切り頭をはたかれた。思わずつんのめるローレンを他所に、あさひは、たた、と駆け出してサペリアとミリの方へ行ってしまった。


「いっつー……。ってーかよ、話し振ってきたのあいつだろ。何で俺が殴られるんだよ」
「今のはお前さんが悪いな」
「明らかにあなたが悪いですね」
 納得いかねえー! とわめくローレンを完全に無視して、シアルはフェルゲニシュに視線を投げる。
「それで結局のところ、普段は龍人形態であることに何か拘りでもあるのですか?」
「何だ。お前さんも気になるのか?」
 シアルはふるふると首を横に動かす。
「いいえ。しかしあさひは気にしていたようですので。そこの変態のおかげで途切れてしまった疑問を代わりに聞いておいて、後で教えておこうと思いまして」
 変態言うな! という声は聞き流して、フェルゲニシュはふむ、と頷く。
「まあ、真の姿に近い形を取っていたほうが力を出しやすい、というのはある。何といってもアムルタートは強きを尊ぶからな」
「それ以外にも理由があるような口ぶりですが?」
 表情を変えないままシアルが投げかけた追加の疑問に、フェルゲニシュの口元が少し緩む。力の抜けた、優しげな笑みだ。
「大したことではないのだがな。人の姿を取るのは、女房とイチャつく時と子供をあやす時だけにしようと決めているのだ」
「妻子がいらっしゃるのですか」
 かすかな驚きと共に吐き出されたシアルの言葉に、フェルゲニシュは頷きで答える。
「娘はもうじき二歳になる。だからかな。あのような幼子に泣かれると堪えるのだ」


「……おいちょっと待てよ」
 今は離れている家族を思ったのか、どこか遠い目で語るフェルゲニシュに向けてローレンが声をかける。
「なんだ。先ほどの一幕についての抗議は受け付け不可だぞ」
「そこから離れろ! ……そうじゃなくてだな。アムルタートは子供が生まれなくなった状況を打破するためにオリジンに侵攻してきたんじゃないのか? なんでそのアムルタートのあんたにガキが生まれてんだよ」
 そういうことか、とフェルゲニシュは得心の言った様子で口髭を撫でる。
「お前さんの理解は間違いではないが完全ではないな。新たに生まれなくなったというのは真龍だ。アムルタートは龍皇が真龍を産み、それを頂点として基本的に社会を構成している。故に、それが生まれなくなったことが問題となったのだ」
「じゃあ、その真龍意外ならオッケーってことなのか」
 そのローレンの言葉に、しかしフェルゲニシュは首を振る。
「繁殖力の低下はアムルタートの全体に及んでいる。純血の龍が新しく生まれることはまずないと言っていい」
「……なるほど。つまり、異種族間なら子孫を残せるということですか。あなたのお子さんもそうなのですね?」
 それまで黙って話を聞いていたシアルの解答に、正解だというようにフェルゲニシュが笑みを浮かべる。
「そういうことだ。うちの女房はオリジンの人間だ」
 へえ、と感心したようにローレンが吐息を漏らす。余計な力や険の抜けたその表情は、年相応の少年のようだとフェルゲニシュは思った。
「しかし、強さがすべてのアムルタートがよくオリジン人と結婚したよな。……やっぱオッサンが変わり者だからか?」
「いや、そこは単純な話でな。あいつは俺より強い」
 その一言を聞いたローレンの顔がまともに引きつった。
 フェルゲニシュの力はあの格納庫でしっかりと見たのだ。無論、あれで底を見せたわけもなく、真の実力は間違いなくあの時見た以上のはずだ。何より『強いやつがエラい』を標榜しているアムルタートがごく自然に自分より強いと認めるのである。フェルゲニシュの女房はどんな化物かと戦慄する。
「一つ断っておくが、うちの女房は化物や怪物の類ではないからな。人間の基準でいっても割と美人だと思うぞ?」
 ローレンの表情から彼の思考を読み取ったのか、やや憮然とした様子で言うフェルゲニシュ。
 外見どうこうの問題じゃねえよ、とローレンが口にしようとした時だった。
「おーい! フェルさーん! ローくーん! あれがミリちゃんちだってさ!」
 行く道の先、ミリを肩車したままのサペリアと並んだあさひが、向こうに見える建物を指差してこちらに手招きをしていた。


 そこにあったのは煉瓦造りの二階建ての建物だった。どこか学校を思わせるような、清潔感のあるその建物の周囲からは、そこで遊んでいるのだろう、子供たちの嬌声が聞こえてくる。
「おや、皆さん。ここに何か御用ですか?」
 門に近寄って中を覗き込んでいたあさひに声がかけられる。
「え? あ、えーっと、ここのミリちゃんが迷子になってたんで……ってサルバトーレさん?」
 門のすぐ内側に立っていたのは、昨日、あさひたち一行を案内してきたティカル騎士団の中隊長だった。





「私もここの出でしてね。今日は非番なので実家の様子を見に来たというわけなんです」
 迷子になっていたミリを連れて来たことを説明すると、サルバトーレは大げさなくらいにに感謝してあさひたちを孤児院の中へ迎え入れ、応接間に通してお茶を振る舞い、自身がここにいる理由をそんな風に説明した。
 ちなみにミリは彼女がいなくなったことに最初に気付いたという十歳くらいの女の子に連れられて行ってしまった。
 ユージーンは責任感の強い子ですから、きっとミリはこれからお説教ですね、とサルバトーレは笑った。
「ミリはおっとりしている割に好奇心旺盛で、今日もいつの間にかふらふらと町へ出てしまったようなんです。こちらでも皆さんがいらっしゃる少し前にいなくなっていることに気付きまして、探しに出ようと思っていたところだったんですよ」
 本当にありがとうございました、とサルバトーレが深々と頭を下げたとき、応接間のドアがノックされる。
 どうぞ、とサルバトーレが入室を許可するのを待って、ドアが開く。


「失礼します」
「しつれーします」
 はきはきとした声と舌っ足らずな声が相次いで挨拶の言葉を述べる。そこにいたのは、元・迷子少女のミリと、眼鏡をかけて、亜麻色の髪をストレートに伸ばしている、先ほどミリを連れて行ったユージーンという女の子だ。
「どうしたんだい、ユージーン?」
 サルバトーレの問いかけに、ユージーンは軽いため息をついたあとであさひたちに向き合う。
「わざわざミリを連れてきて下さって、ありがとうございました。この子ったらちゃんとお礼も言ってなかったそうですので、取り急ぎご挨拶をと思ったんです」
 あさひたちに会釈してから、ユージーンがすらすらと口上を述べ、ほら、とミリを促した。
「えーっと、ありがとーございました!」
 ミリがそういってぺこりと頭を下げ、それから期待に満ちた表情で隣に立つユージーンを見上げる。
 ユージーンはというとその視線を受けて、しょうがないなあという感じに笑ってから、よくできました、とミリの頭を撫でた。とたんにミリがにぱっと笑顔を浮かべる。


「ユージーンちゃんはしっかりしてるねー。あたしがユージーンちゃんくらいの頃なんて、もっと頭悪かったんじゃないかなあ」
「ええ、年に似合わず利発な子で、ここの先生方もみんな褒めていらっしゃるんですよ」
 感心したようなあさひの言葉にサルバトーレが続く。話題の対象となった当のユージーンはといえば、顔を真っ赤にして照れていた。ミリはユージーンが褒められたことが嬉しいのか、彼女の隣でニコニコと上機嫌の様子である。
「現状で比較しても精神年齢で負けてんじゃねえのか?」
「あー。ロー君ひっどーい! ムッツリスケベの癖にい」
「冤罪だ!!」


「トト兄ちゃん、まだ終わんねーのかー?」
 あさひとローレンがぎゃんぎゃんと言い合いをしていると、いつの間にかドアから数人の子供たちが顔を出している。そのうちの一人が言葉を投げかけたのだ。見たところ、ユージーンと同じくらいか、少し年下。よく日に焼けたやんちゃそうな少年である。
「今日は騎士団の話をしてくれる約束だろー。早くしてくれよトト兄ちゃん」
「ヒューイ! お客様が来てるのよ!」
 不満顔でトト兄ちゃん――サルバトーレを急かすヒューイをユージーンがやや強い語調でたしなめる。
「ああ、済まんな少年。邪魔してしまったようだ。……サルバトーレ殿」
 更に言い募ろうとしたユージーンの頭をフェルゲニシュが軽く撫でながら制止してヒューイに対して軽く頭を下げ、サルバトーレに目配せした。サルバトーレはその意図を正確に汲み取り、腰掛けていたソファから立ち上がってあさひたちに軽く頭を下げる。
「済みません、皆さん。ちょっとこの子達の相手をしてきます。先生方にも皆さんの事は伝えてありますので、もしよろしければゆっくりしていって下さい。……少々騒がしいところで申し訳ありませんが」


 サルバトーレの後について、子供たちがぞろぞろとその場をあとにするなか、部屋から動かない子供が一人だけいた。サペリアの赤青マントの端をきゅっと握って彼女を見上げているミリである。
「ん? どしたい、ミリちゃん?」
 長身を折りたたむようにして、サペリアがしゃがみこむ。
「おねーちゃんのおはなしききたい」
 ミリは好奇心に目をきらきらさせている。ここまで肩車をして連れてくる間に、随分とサペリアに懐いたようだった。。
「こら、ミリ!」
 たた、と駆け寄ってきたユージーンがミリの手を引いて連れて行こうとする。が、そのユージーンの手をサペリアが取った。
「まあまあユージーンちゃん。あたしゃ構わないよ。少なくとももうしばらくはやる事もないはずだからね。……そうだろ?」
 サペリアが振り返ってローレンとフェルゲニシュを順繰りに見る。二人ともが現在自分たちを取り巻く状況について情報収集を行っているが、それぞれの所属する組織の情報網を利用する性質上、すぐに情報が手に入るわけでもない。それらが手元に届くまでは待ちの姿勢になるのだ。
 つまり、サペリアの視線に込められた意思を翻訳すると『お前らのトコから情報が引き出されるまではヒマなんだからこの子達に付き合っても構わないよな?』ということになる。
 その事を理解していた二人はサペリアに対して頷いて見せた。残るあさひについては全く否やはないようであり、自動的にシアルも反対はしない。
 だから、サペリアはミリとユージーンそれぞれの頭にぽんと手を置き、にかっと笑ってみせたのだった。




「さて、お話っつってもね。あたしゃ子供向けの話ってのは苦手だから、ちょっとした魔法を見せたげるよ」
 おおー。と子供たちの間からどよめきが起こる。
 サペリアの周りに集まっているのは、どちらかというと女の子を中心とした子供たち。男の子はそこから少し離れたところでサルバトーレの話す騎士団の体験談に夢中になっている。
「おねーちゃんはまほーつかいなの?」
 最前列で黒目がちな瞳をいっぱいに開いてきらきらさせているミリが尋ねる。即座に肯定するかと思いきや、うーむとうなりながらサペリアは腕組みをした。
「正確にはちょっと違うんだけどね。まあ、魔法を使えるのは間違いないのさ。すんごい疲れるからあんまり本気出さないけどね」
「サペリアさんって魔法使いじゃないの?」
 集まった子供たちの最後列にいたあさひが、自分の両隣にいるローレンとフェルゲニシュに問いかける。
「俺に聞くなよ」
「格納庫で使っていたのはエネルギー操作系列の高位魔術だと思うのだがな。それ以上のこととなると俺には分からん」
 ローレンはばっさりと斬って捨て、フェルゲニシュは少し説明はしたものの、詳しい事となるとお手上げのようだった。そっか、とあさひはつぶやいて、再びサペリアに注目する。
「まあ、今からやる魔法は簡単なやつだから本気出さなくても問題はないさ。どれくらい簡単かっていうと、今からあんたたちに教えてやればすぐに使えるようになるくらいだよ」
 子供たちから二度目のどよめき。しかしさっきよりもそこに込められた驚きは大きく、深い。
 オリジンにおいて魔法とは親しみ深いものであるが、だからこそ、その行使には知識と鍛錬が必要になることもまた広く知られている。一足飛びに魔法を使えるようになるような事例は、一部の天才が為したもの以外には殆ど知られていないのだ。
「あー。フカシこいてんじゃないの? って気持ちは分かるけども。お姉さんを信じなさい」
 魔法に関するあれこれを聞き知っている年長の子どもたちを中心にしたざわめきを、サペリアが自信満々の口調で鎮めてしまう。


 ともかく、まずは魔法を使って見せようということになり、サペリアは彼女にしては珍しく至極真剣な面持ちで子供たちに向き合う。自然、引き込まれるように子供たちもサペリアをじっと見つめていた。
 サペリアはまず右手を開いて子供たちに向ける。お姉さんの指先に注目、と言い置いて、にっと笑った。
「……光、あれ」
 ぽつり、とサペリアの唇から零れた言葉に呼応して、彼女の右の五指に赤い光が灯る。親指に真紅の光。そこからグラデーションを描いて、小指にはピンクの光が瞬いていた。
 わあっと子供たちから歓声が上がる。気を良くした様子のサペリアは、今度は左手を子どもたちの前に同じように掲げてみせた。
「光、あれ」
 今度は青い光が、同じようにグラデーションを描いて五つ、そこに灯った。
 サペリアは赤い光が灯ったままの右手でミリを手招きする。とことこと寄ってきたミリに、人差し指を出すように言い、
「光、あれ」
 三度繰り返されたその言葉と共に、ピンクの光がともった右の小指をミリの人差し指にちょんと触れさせる。二人の指が離れたとき、ミリの小さな人差し指には、サペリアの小指にあるものと同じ、ピンクの光が灯っていた。
「大事なのはイメージさ。強い光、弱い光、赤い光、青い光。きっちりそれが心のなかに描けたなら、今あたしがやったみたいに他の人や物に光を移せるよ。色を変えたりだって慣れれば出来るようになるさ」
 

 目を一杯に見開いて、驚きと喜びで顔中を埋め尽くしていたミリが、サペリアの言葉を聞くやいなやユージーンに駆け寄った。言葉も出ないくらいに興奮して、ユージーンの目の前でピンクの光が灯った指先をぶんぶん振っている。ユージーンがそんなミリの様子にくすりと笑みをこぼしてそっと人差し指を差し出す。先程までの興奮が嘘のように、ミリはそうっとそこへ自分の人差し指を触れさせた。
「ひかり、あれ!」
 大きな声で呪文を唱え、しかし人差し指をくっつけたままミリもユージーンも微動だにしない。周囲の子供たちも息を飲んで二人を、その指先を食い入るように見つめている。


 やがて、どちらからともなくそっと二人の指が離れる。
 果たしてピンク色の光はミリとユージーン、双方の指先に宿っていた。


 おおお、と今日一番のどよめきが子供たちから漏れ聞こえる。そして次の瞬間には、サペリアのもとへ子供たちがどっと押し寄せていた。我も我もとサペリアに指を突き出す子供たちをあさひたちが順番に並ばせ、サペリアから光を受け取らせる。
 最初に見せた赤と青、黄色に緑に紫。様々な色が子供たちの指先に灯り、そしてそれらが大喜びの彼ら彼女らによって他の子どもたちの顔や体、その辺りの壁や床にもくっつけられていく。


「いやあ、これは凄いことになりましたねえ」
 サペリアのもとへ殺到する子供たち――いつの間にか、サルバトーレの方で話を聞いていた子供たちもこちらへ雪崩れ込んできていた――の列整理に忙殺されていたあさひがようやく一息を入れられるようになった頃、背後からそんな声がかけられた。
「あ、サルバトーレさ……ぷっ」
 思わず吹き出すあさひ。振り返って目に入ったサルバトーレが、顔のあちこちをぴかぴかと光らせていた為である。
「こらこらあさひ。人の顔を見ていきなり笑うというのは感心せんな」
「いやだってフェルさぶっ!?」
 続けて声を掛けてきたフェルゲニシュの顔を見て、今度は盛大に吹く。
 彼は口ひげの部分だけを信号機カラーにぴかぴかと光らせていた。
「ちょ、それ……っ!」
 もう言葉にもならないらしく、あさひはその場で身を折ってひーひー言うばかりである。そしてそんなあさひを見てぐっと親指を立てあう男二人。
 ちなみにシアルとローレンは子供たちに囲まれてあっちこっちをぴかぴか光るようにされている。ローレンは子供たちを威嚇しながらも邪険に出来ず、シアルはどう扱っていいか分からずおろおろしているうちに完全に包囲されてしまったのだ。


「しかしなんだな。どちらかというとこれは、魔法を教わる、と言うより、魔法を使わせてもらっている、と言った方が近いのではないかな」
「確かにその方が表現としては正しい気もしますね」
 未だ撃沈したままのあさひを尻目に、何事もなかったかのような表情(但しぴかぴかしている)で言葉を交わすフェルゲニシュとサルバトーレ。
「ところがそうでもないんだねコレが」
 男二人の背後にぬっと現れ、彼らの肩にぽんと手をおいたのはサペリアである。
「確かに最初はあたしから光を渡してあげなきゃいけないし、何度か他に移したらそれで光は消えちまう。さっきまではその度にあたしが光を渡し直してたからね。フェルの旦那が言ったようにも見えるだろうさ」
 彼女はフェルゲニシュとサルバトーレを肩が触れるくらいに並び立たせ、その後ろに隠れて子どもたちの目に自身が入らないようにした上で続ける。
「でもね、あの光を誰か、もしくは何処かに移すには、その時の持ち主が魔法を使わなきゃいけない。ごくささやかで簡単な魔法だし、何より自分の指先には今まさに魔法の灯りがあるんだ。絶対にできるっていう思い込みが後押しをしてくれる。……そうこうしてるとね。ほら、あそこをご覧よ」


 サペリアがフェルゲニシュの背に隠れながら指さした先、そこにはユージーンと、ミリを始めとした年少の子供たちが数人固まっていた。どの子供の指にも今は光はなく、小さな子供たちは縋るような上目遣いでユージーンをじっと見つめ、見つめられた方はと言えば、落ち着かなく辺りを見回している。
「……お前さんを探してるんじゃないのか、サペリア」
「しーっ! 見つかっちまうじゃないか。いいから黙って壁におなりよ旦那」
 フェルゲニシュは密やかにため息をついて、サペリアの言うとおり彼女が子供たちから見えないように微妙に位置を調整する。
 そうしているうちに、どうしてもサペリアが見つからなず困っていた様子のユージーンが、今にも泣きそうになっている年下の子供たちを見て、覚悟を決めたように一つ頷いた。何事かを言い聞かせ、子供たちにくるりと背を向け、両手を胸の前で合わせるような姿勢を取る。
 しばらくそのまま動かずにいたかと思うと、ユージーンはまたくるりと振り向いた。
 その顔には輝くような笑みがあり、そしてその指先には、淡い青の光があった。


 ほう、とフェルゲニシュとサルバトーレから驚きを含んだ息が漏れる。
「ユージーンちゃんが魔法を使ったの?」
 ようやく復活してきたあさひが、その場を代表しての疑問を口にする。
「見ての通りだよ。あたしから受け取った魔法を他へ移すことでやり方自体は体が直接覚えてくれてるんだよ。あとは、世界を侵略するだけの意思があれば、フレアはそれに応えて魔法になるのさ」
 まだフェルゲニシュとサルバトーレの後ろに隠れたままのサペリアがにっと笑う。
 子供たちの方を見れば、ユージーン以外にも自分自身で灯りを作り出し、それを別の場所にくっつけたり他の子どもに分け与えたりする子が出始めていた。
「ふーん。なるほど……」
 あさひが腕を組んでしばし考え込んだかと思うと、すぐにパッと顔を上げてサペリアに尋ねる。
「ねえ、そういうやり方で、あたしのフォーリナーの力っていうのも引き出せないのかな?」
 だが、サペリアは即座に首を横に振って見せる。
「フォーリナーの力っていうのは魔法とはまた別物だからね。同じやり方をしても引き出せはしないよ。っていうかあたしにもどうやったら引き出せるのかなんてさっぱりさ」
 そう、とだけ零してやや俯くあさひだが、
「でもね、根っこの心構えは覚えておいてもいいかも知れないよ」
 そう言って付け加えられたサペリアの言葉に再び顔を上げる。
「さっきも言ったろ。世界を侵略するほどの意志の強さ。世界を構成するフレアに干渉するにはそういうものが必要なのさ」
「侵略って……なんか言葉が悪い気がするんだけど」
 言わんとすることは分かるけど、と微妙な顔をするあさひ。
「強い言葉ってのは、それだけ強い意味が乗っているってことさ。普通にしてたら起こらないようなことを起こしてみせようと思ったら、ただ『強い意志』って言葉だけで括ったんじゃあ足りないくらいのそれが必要なんだ。だから、侵略なのさ。己の意思を以て世界を侵し、書き替えるんだよ」
 恒常的に浮かべている薄笑いを引っ込めて、サペリアが言う。
「分かった。覚えとく。多分、大事なことだよね」
 しばし腕を組んで考えたあと、あさひはそう言って笑った。それを受けたサペリアも、唇の端を上げることで答えとする。


 ふとあさひが視線を動かした先、ユージーンが幼い子供たちに指先から光を受け渡している。彼女は、子供たちが泣くことを止めたいがために、ささやかながらも世界を侵略してみせたのだ。
 部屋を埋め尽くさんばかりの色とりどりの光の洪水とともに、そのことを覚えていようとあさひは思った。





Scene15 このましからざる再会



「グレズのことで、ちょっと面白い話が出てきたぜ」
 ローレンがそう切り出したのは、孤児院を辞して宿に戻ってからすぐのことだった。
「そう言えばここへ戻る途中でフラっと消えた時があったな。その時か?」
 フェルゲニシュの問いに対してローレンはひょいと肩をすくめるだけで答えず、代わりにその面白い話というのを提示した。


 曰く、半月前にウェルマイス周辺に現れたグレズの群れについて、煌天騎士団第三中隊は交戦時にその内何体かを鹵獲している。
 曰く、野生化したグレズを手懐ける技術を持つパッドフット族の協力の下、ネフィリムから提供された技術なども利用して鹵獲したグレズから幾らかのデータ抽出に成功している。
 曰く、グレズの思考を翻訳することは困難だが、鹵獲したグレズが共通して抱えていたロジックは次の通りである。


「……『統括個体の帰還に伴い、その命に従って行動する』、か」
 龍人形態に戻ったフェルゲニシュが顎を撫でながら呟く。
 

 現在、オリジンにおいてグレズの指導者と言えばディギトゥスである。その下に配されているメタロード達という可能性もあるが、統括個体という響きは、そこに当てはめるには少し違和感が残る。
「しかし、この統括個体を仮にディギトゥスを指すものだとすると、今度は帰還という言葉がおかしいのではないでしょうか?」
 細いおとがいに手を当てて、シアルが首を傾げる。
 確かに、ディギトゥスが事実上のグレズ首座となったバシレイア動乱以降、オリジンから離れたという話は聞かない。だが、帰還というからには、この『統括個体』とは一度オリジンから居なくなったか失われたかしたはずの存在である。
「……ねえ。あたし、最悪の想像が浮かんじゃったんだけどさ。みんな聞きたいかい?」
 唇を皮肉げに歪めたサペリアの言葉の続きは、オリジンの事情に疎いあさひでも察することが出来た。


「……調和端末ヴォーティフ、か」
 それは誰の呟きだったのか。ぷかりと部屋に流れたその単語の不気味さに、数瞬の沈黙が訪れる」
「でも、そのヴォーティフっていうのはバシなんとか動乱でやっつけられたんじゃないの? あたしと同じフォーリナーに」
 そうだな、とフェルゲニシュが頷く。
「……バシレイア動乱以降、人の味方となったグレズを束ねているのはモナドドライブの開発者でもあるマリア・カスタフィオーレ博士だが、顧問として彼女に助言を与えているグレズが存在する」
 フェルゲニシュは腕組みして天上を見上げたまま言う。
「そのグレズは、軌道エレベータが本体であるヴォーティフの、軌道上での制御を行う端末、言わばもう一つのヴォーティフだったそうだ。制御用として用いられていたことと、動乱時のダメージの影響で戦闘力はないそうだが、彼もまたヴォーティフであったことには変りない」
「旦那。それはつまり、そのグレズが調和端末として動き出したってことかい?」
「それもどうだろうな。アムルタートである俺が言うのも何だが、元は侵略者であるグレズに未だ疑いの眼を向けるものは多い。加えて、そうした疑いの目以外にも、彼を解析することでグレズ統合意識の秘密を知ることが出来るのではないかと考えてその身柄を狙うものもまた多い」
 フェルゲニシュはそこでちらりとローレンを見る。見られた方はややオーバーアクション気味に肩を竦めてみせた。VF団もそうした『彼』を狙う一派であるということなのだろう。
「ともあれ、彼は対グレズのブレインという重要人物でもあり、グレズに気を許していない人々からすれば、いつ裏切るとも知れない危険人物でもある。何か行動を起こしたなら、それこそ神炎同盟やテオス、VF団などが放ってはおかないだろう」


 フェルゲニシュの言葉を最後に、全員が黙りこむ。
 無論、半月前のグレズ襲来はあさひ達一行には何の関係もない可能性も相当にある。
 が、月龍皇の予言の内容、フォーリナーがエルフェンバインに現れたこと、そのフォーリナーを目の前にしてグレズの首座たるディギトゥスが動きを止めたこと。あまりに今回の件とグレズとの関わりが大きい。単なる偶然と切って捨てることは出来なかった。


「……もう一つ。これは裏が取れてない未確認の情報だ」
 ローレンは難しい表情で沈黙を破る言葉を放った。全員が彼に注目する。
「鹵獲されたグレズは当然ティカルの本拠地に運ばれたが、協力を依頼したパッドフットがこの街に拠点を構えている関係もあって、一機だけこの街に残されたらしいんだが、昨日の段階で、そのグレズに異常が見られたそうだ。パッドフットの制御から抜けだして独自に動こうとしたが、制御を奪い返すことには成功したらしい」
 そこで一拍を置き、ここからが未確認だ、と前置きして続ける。
「当然、原因を探ろうとあれこれと調べることになった。で、得られた情報は鹵獲時とほぼ同じだったらしい」
「統括個体が云々、というものか?」
 確認としてのフェルゲニシュの疑問に、ローレンが頷きを返す。
「もっとも、昨日の今日の話だ。先方もバタバタしてたらしいし、情報の確度としてはちょっと頼りないのも事実だな」
「なんかヤな符号だね、それは。あたしらがこの街に入った日に、そういう事が起こってるってのは」
 ぽりぽりと頭を掻きながらぼやくように言うサペリア。
 確かに、タイミングとしては出来すぎの感があった。なんとも言えないぶよぶよとした気味の悪さが五人の間に漂う。


「よろしいでしょうか」
 そっと手を挙げて全員を見回したのはシアルである。
「この街にその鹵獲されたグレズがあるのであれば、それを調べさせて頂くことは不可能でしょうか? 現状分かっている以上の情報が出てくる保証はありませんが、先程の未確認情報の内容を確定できるだけでも意味はあるかと思いますが」
 ふむ、と頷いて、しばしの思案のあとフェルゲニシュが口を開く。
「確かにな。事がダスクフレア絡みであることを話せばどうにかなるかも知れないが……」
 そこでちらりとローレンに視線を送る。
「……鹵獲したグレズについての情報ソースを突っ込まれるだろうけどな。テキトーにかわせねえかなあ……。」
 思案気なローレンの声を受けて、シアルがポンと手を打つ。
「いざという時は実行犯のVF団を突き出して解決しましょう」
「ぜってえ巻き添えにしてやるからなポンコツ」


 深く静かに睨み合うシアルとローレンの間であさひが仲介をしようと四苦八苦していると、フェルゲニシュが何かに気付いたように顔を上げ、窓のほうを見た。次いでサペリアが立ち上がり、窓の外から見えないような位置取りでそっと外を覗き込む。
「あっちゃー。囲まれてるよ」
 ぺしん、と額を叩き、おどけた様子でサペリアが言う。
 ローレンとフェルゲ二シュも、そっと窓の外を伺った。確かに宿の周りを武装した兵士が取り囲んでいる。しかも、兵士たちの出で立ちには見覚えがあった。
「サルバトーレ殿の部隊の連中だな」
「じゃ、じゃあ、単に私たちに何か用があるんじゃあ……?」
 不安げな口調でそういったあさひに向けて、ハ、とローレンが鼻で笑ってみせる。
「どう考えてもその用ってのは物騒な用事だぜ、こりゃあ」
 軽いノックがあさひたちの集まっている部屋のドアを叩いたのは、ローレンのその台詞とほぼ同時だった。


 部屋の中の全員が一瞬目配せを交わしあい、フェルゲニシュが代表してどうぞ、と声をかける。ゆっくりと、ごく穏やかに開かれたドアをくぐって現れたのは、孤児院でも顔を合わせた煌天騎士団・第三中隊長、サルバトーレ・メッツォである。孤児院の時と違うことは、彼が完全武装でこの場に臨んでいることだった。


「突然の訪問、申し訳ありません。ですが、事情合ってのことですので、ご了承ください」
 まず、部屋の中を見渡して五人が揃っていることを確認してのち、サルバトーレはそう言って軽く会釈してみせた。
「いや、構わないさ。で、御用向きは何なんだい? デートのお誘いなら日程を調整させてもらいたいんだけどね」
 軽い調子で言うにやけたサペリアに微笑を返し、
「日程の調整をしていただく必要はありません。この場であなた方五人を拘束します。ティカル騎士団に対するスパイ行為と……」
 そこで一旦言葉を切り、こう言った。


「調和端末ヴォーティフの復活を企図したことについて容疑が掛けられています。抵抗はなさいませんよう、お願いします」







[26553] 第一話『曙光の異邦人』その7
Name: 新◆292e060e ID:ebf219b0
Date: 2011/06/02 00:35

Scene16 黒い炎


 グレズ、とは如何なるものか。
 全ての生命の機械化を使命とする調和機械軍の総称であり、そのマスタープログラムたる機龍の名でもある。


 では、グレズのオリジン侵略においてその指揮をとっていた調和端末メタゴッド、メタロードとは、如何なるものか。
 メタゴッドとは、グレズ技術の根本にして究極、グレズコアを生み出すことの出来る存在を指して言う。
 グレズコアとは、グレズを形成する機械細胞を統御する演算機構であり、半永久的に莫大なエネルギーを生成するジェネレーターでもある。このグレズコアによって稼働するグレズのうち、周囲の環境を機械化する能力を持った指揮官クラスの個体をメタロードと呼ぶ。


 グレズコアを構成する機械細胞が増殖、進化することによって生まれるグレズクリスタルという物体も存在する。
 基本的な機能はグレズコアと変わらないが、その能力は桁違いであり、無から有を生み出すとさえ言われている。
 このグレズクリスタルはメタゴッドや高位のメタロードが搭載している場合があり、それらのグレズが他と一線を画する性能を発揮する要因となっている。


 また、対グレズ、対アムルタートの兵器としてのデザインコンセプトを持つMT、その動力源であるモナドドライブも、このグレズコアを原型として、オリジンの魔法技術を加えてマリア・カスタフィオーレ博士が完成させた代物であるし、アンチグレズと呼ばれるデバイスを使用して、グレズコアの力を調和の危険なしに引き出して戦う者も存在する。


 このように、現在のオリジンにおいてグレズとは強大な敵であると同時に、戦う力の源のひとつとして扱われる側面も持っている。
 故に、グレズに関する様々な研究が行われ、成果を上げている。
 そのうちの一つに、グレズの個体識別技術がある。
 もとはMTの開発過程において、モナドドライブと接続されたMTが機体ごとに個別の電磁波パターンを放つことが確認されたことが始まりで、グレズコアを搭載したグレズにも同じ識別が可能なことが発見されたのである。
 この技術によって、著名なメタロードについては機材とデータさえその場にあれば出現を確認することが可能となっている。現在のグレズの首魁、ディギトゥス、地下世界アルビオンで活動するアウリ・キュラリス、そして既に討ち取られているが、ヴィンラント共和国を襲撃したメディウスなどはその筆頭であろう。



「鹵獲したグレズが統括固体として認識していた電磁波パターンは、バシレイア動乱時に確認されたヴォーティフのものと一致しました。故に我々は、不完全ながらもヴォーティフの復活が為されつつあるものと判断したのです」
 ウェルマイスの街の外れにある、ティカル騎士団の詰め所。その取調室であさひと一対一になったサルバトーレはそう切り出した。


 スパイ行為云々はともかくとして、ヴォーティフ復活を企んだというのは明確な濡れ衣である。下手に抵抗するよりも誤解を解いた方が後々のために良かろうと判断して一行は大人しく拘束される選択をした。
 騎士団が持っていた情報についてはローレンが内部に潜入しているVF団構成員を通じて引き出し、その構成員の存在を感付かれたことによって情報の提供先であるローレン達まで捜査の手が伸びたわけであるが、当の構成員は危ういところで追及の手を振り切っていた。
 これによって、サルバトーレは情報漏洩者がいた事までは掴んでいても、それがVF団であることまではたどり着いていないという状況が生み出されている。
 連行される前にサルバトーレと会話を交わし、自分達のなかにVF団が混じっている事に相手が気付いていないことに気付いたフェルゲニシュとローレンは、自分達の目的のためにやむを得ず騎士団内の不心得物から情報を引き出した、というストーリーをでっち上げた。
 それはそれで真実ではあるし、ティカル騎士団から不法に情報を引き出したという点は変わらないのだが、VF団が一行の中に存在していると認識されて態度を硬化されてしまうことを避けたいという思惑と、ダスクフレアが今回の件に関わっている可能性があるという情報をタイミングを見計らって開示する事で拘束されている状態を脱することができるのではないかという計算の結果、そうしたカバーストーリーが構築されたのである。
 結果としてあさひたち五人は武装を解除――あさひやシアルはもとより丸腰だったが――され、バラバラに独房へと放り込まれたのである。


「ええと、ぶっちゃけちゃうとですね。あたしはオリジン滞在暦二日のフォーリナーなんで、あんまり大それたことはできないんですけど」
 やたら頑丈そうな椅子と机の用意された詰め所の一室で、あさひはサルバトーレと差し向かいになっていた。
 部屋の中には二人だけだが、当然扉の外にはあさひの逃亡を防ぐために騎士団員が張り付いている。そんなことしなくてもどうしようもないのになあ、というのがあさひの正直な感想だが、そういう仕事なのだな、と納得する事にした。
「しかし、フォーリナーは絶大な力を持つものです。仮にあなたに世間を騒がせるような意思がなかったとしても、何かに利用されていないと断言する事はできますか?」
 丁寧な口調ながらも、サルバトーレがあさひの主張を真正面からバッサリと切り捨てる。
「いやまあ、その辺は確かにそうかもしれないですけど……。でもあたし、絶対武器も使えないんですよね」
 先ほどからやたらと口の軽いあさひだが、このあたりは引き離される前に仲間たちから入れ知恵された結果である。
 あさひの受けたアドバイスを総合すると、『腹芸は期待してないからとりあえず正直者でいろ』ということだった。ただ、ローレンの素性についてはぶっちゃけてしまうと色々とややこしくなるので、そこだけは伏せておくように、と念を押されている。
 なので、仲間たちの素性についてはよく分からない、というのがあさひの口から出た最多の単語となっている。実際問題、互いに軽く自己紹介した以上のことは分かっていないので、そう不自然な受け答えにもならなかった。


「確かにあなたが絶対武器を扱えたなら、我々を薙ぎ倒してこの場を突破する事も可能でしょう。その後にはティカル騎士団そのものを敵に回すという事になりかねない、ということを考えなければ、ですが」
 つまり、実は絶対武器を使えるが、後々のリスクを避けるためにそれを欺瞞しているのではないか、ということをサルバトーレは疑っているのだ。
 状況と、サルバトーレたちの職責を考えれば致し方ないこととはいえ、流石にげんなりとした気分であさひは思わず机に突っ伏す。やや目の粗い木製の机がちくちくと頬を刺したが、顔を上げる気にはならない。
「そんなに警戒されても何にも出てこないんですってばあ」
 やや大げさに悲しげな声を出し、突っ伏したままの上目遣いでちらりとサルバトーレの様子を伺うが、全くのノーダメージのようで、彼は先ほどから変わらない生真面目な視線をあさひに注ぐのみである。
「ですが、あさひさん。あなたが一番真相に近い場所にいることはおそらく間違いないことです」
 あさひは突っ伏した姿勢を変えないまま、サルバトーレの言葉に怪訝の色を浮かべ、 サルバトーレはそんなあさひにしばらくの間、探るような視線を投げかける。


 状況が違ったなら恋が芽生えてもおかしくない、というくらいの時間と密度の見つめあいから、先に目を逸らしたのはサルバトーレの方だった。彼は視線を一旦下に向けて、ため息を地面に落とす。
「あくまで個人的な見解ですが、おそらくあなた自身はシロでしょう。少なくともヴォーティフに関連する事柄については、ですが。我らティカル騎士団からの不正な情報の取得については少し言動に怪しい部分が見られますからね」
「う、いや、それはそのう」
 一旦安心させてからのサルバトーレの切り込みに、あさひはしどろもどろになってしまう。が、取り調べ役はそこを追求するでもなく、僅かに頬を緩めてみせた。
「まあ、そこは然程に重要視しているわけでもないんです。いや、問題は問題なのですがね。ティカル騎士団は権謀術数を是とする風潮がありますから、内部に存在する情報の漏洩者を見逃していたこちらの迂闊だったと、そういう思いのほうが強くあります。あとは、そこへつなぎを取る事に成功したあなた方への賞賛でしょうか」
「そうなの? じゃあそこについては実はお咎めなしとか?」
 ぱっと顔を上げて話題に食いつくあさひに苦笑しつつ、サルバトーレは首を横に振る。
「流石にそういうわけにもいきません。問題は問題だ、と言ったでしょう?」
「うぐっ。やっぱりそんなに甘くないかあ」
 再び机とあさひの顔面が仲良しになる。
「でも、策略の類がいいことだ、ってちょっと変わってますね。あたしの故郷の騎士のイメージとはだいぶ違うかも」


 ふと思い浮かんだ疑問があさひの口をついて出る。ふむ、とひとつ頷いてサルバトーレがじっとあさひを見る。
「無論、私利私欲や権勢のためだけにそうした策略を巡らせる事をよしとするわけではありません。あくまで我々が弱き人々の剣であり盾であり続けるために、単純な武力を用いる以外の戦にもティカルの騎士は精通していなければならないのですよ」
 淡々としながらも、己の属する騎士団に対する誇りが垣間見えるサルバトーレの言葉を聞いたあさひは、それを次のように意訳して口にした。
「つまり、脳みそ筋肉じゃ世界の平和は守れない、ってこと?」
「極論すればそういうことになりますね」
 身もふたもないあさひの言葉にくすりと笑いを漏らし、サルバトーレが頷く。
「ただでさえこのオリジンは戦の絶えない世界です。神王エニア三世陛下のお力とご威光で侵略者たちの力を削ぐことが可能といっても、完全な撃退には至らず、オリジン古来の災厄も未だ多くあります」
 そう言ってサルバトーレは視線をやや遠いものにし、
「あなた方が今日訪ねたあの孤児院の子供たちはその八割が戦災孤児です。この事実だけでもオリジンの現状がどういうものか、ある程度はご理解いただけるでしょう?」
 あさひはむっくりと身を起こし、沈黙したまま目線で頷く事で答えとする。
「我々は強くあらねばなりません。すべての敵を打ち破れるほどに。我々は聡くあらねばなりません。すべての災いの芽を摘み取れるほどに」
 あさひと目を合わせたサルバトーレが詠うように信念を語る。
「ヴォーティフが復活して再び人々の脅威となる事など、看過するわけにはいかないのです。あの子たちのためにも」
 再びあさひとサルバトーレは視線をぶつけ合わせる。今度はその視線を逸らさぬまま、サルバトーレは言葉を続けた。
「全ての中心にあるのは、あなたと主と仰ぐアニマ・ムンディ……シアル嬢です。彼女からは……」
 サルバトーレがその先に続く事実をあさひに伝えようとした時だった。
 突如として轟音が立て続けに起こり、詰め所を揺るがしたのだ。






 ローレンは放り込まれた独房の片隅でまんじりともせず座り込んでいた。
 ティカル騎士団から情報を窃取したことが発覚したのは痛かったが、まだ致命的な事態ではない。VF団が絡んでいるという事が知られれば対応も多少変わってくるだろうが、現状ではそれを辿るための糸はほとんど切れている。
 あさひが口を滑らせたり、シアルが何もかもぶちまけたり、という可能性もちらりと脳裏を掠めるが、そこは心配しても仕方がない。その時はその時で過たず対処すればいいだけのことだった。
 それよりも、捕まってから気がかりになっている事に思考を振り向ける。


 内通者を通じてティカル騎士団が保有していた情報を不正に得たことがバレて捕まった。
 これは別にいい。いや、良くはないが、筋は通っている。
 だが、自分たちをヴォーティフ復活と結びつけたものは何か。
 サルバトーレたちが保有している、鹵獲したグレズを由来とする情報によって、そこに何らかの関連性を見出したのかもしれない。そう考えれば一応納得できない事はない。
 だが、事態はそこから一歩踏み込んで展開している。
 自分たちは『ヴォーティフ復活を企む一派』として認識されていた。これはおかしい。
 自分たちが知りえない情報によって、一行とヴォーティフの間に何らかのつながりをサルバトーレたちは見たのだとしても、それ以上の、ローレンたち一行がそんな意思を持っているということを見出す事はできないはずだ。せいぜいが重要参考人扱いがいいところだろう。少なくとも、この街に入ってからの一連の行動に、そんな疑いを招くようなものはなかった。それでもなお、サルバトーレの言うような疑いがかかるというのは、これはどうしようもなく人為的な匂いを感じずにはいられなかった。


「ハメられた、か?」
 ポツリとつぶやく。疑問系になるのは、今の状況が誰かの差配によるものだと仮定すると、タイミングがあまりにピンポイント過ぎることと、そこから導き出される可能性の一つとして、ローレンにとってあまり愉快ではないものが上位にランクインするからだ。


 騎士団が情報の漏洩に気付き、その流出先であるローレン達の確保に動くまでが早過ぎた。
 実際に情報を抜き出したりそれを外部へ持ち出したりという動きがあれば、その分だけ発見される可能性が高まる。内通者が尻尾を掴まれたのもそれが大きな要因となっているのだろう。だが、結局のところ内通者は逃げ切っているのだ。自然、その後ろについていた組織がどこであったのか、情報がどこへ漏れていたのか、という事についての明確な証拠も確信もティカル騎士団側にはなかったはずなのだ。
 

 だが、驚異的ともいえる速度でサルバトーレはローレン達にたどり着いてみせた。
 情報の漏洩に気付き、事実を確認し、検証して実際に動くまでのタイムラグを考えれば、彼らがそれに気付いたのは内通者がローレンに情報を送る手はずを整えたのとほぼ同時と言っても過言ではないだろう。


 なぜ、今までは問題なくティカル騎士団内に潜り込んでいたVF団のエージェントが発見され、あれほどのスピードでサルバトーレたちは動けたのか。
 仮説その一。単なる偶然。
 そうであればあれこれ悩む必要はないのは事実だが、あまりに楽観的思考に過ぎる。
 仮説その二。内通者は以前から発見されていて泳がされている状態であり、外部への連絡を行った時点で騎士団は確保に動いた。
 有り得ない話ではない。サルバトーレたち第三中隊の迅速な動きについても、内通者がもとより監視下にあったのだとすれば説明はつく。が、情報の提供先であるローレンたちがヴォーティフの復活を企む一味である、という結論に至った理由が見えてこない。
 仮説その三。
 何者かがティカル騎士団に対して内部にいるVF団のエージェントがいること、そこから情報がどこに漏れたのかを教えた。
 外部からのタレコミがあったなら、ローレンたちにヴォーティフ云々の嫌疑かかかることにも説明はつく。その何者かが情報の漏洩先がそういった者達だと吹き込んでしまえばいい。実際に身内に内通者がおり、情報を盗み出している事まで真実であるなら、その言葉の説得力は十分なものとなるだろう。


「問題は、だ」
 そう、問題は。
 ティカル騎士団側に内通者の存在を気付かせ、情報の漏洩先を教え、なおかつそれらのリークを内通者がティカル騎士団から逃げ切れるようなタイミングで行えるような存在。
 どう考えてもそれらの条件をすべて満たす筆頭候補は、内通者と同じ側に立つ存在、すなわちVF団である。
「このタイミングで内ゲバかよ……」
 がりがりと頭を掻くローレン。
 VF団構成員の特徴は、ヴァイスフレアに対する鉄の忠誠である。その凄絶さたるや、末端の構成員に至るまで目的のために自爆して果てる事を厭わないほどだ。
 だが、いや、それ故に、なのかも知れない。VF団内部においても派閥争いというものは存在する。最高幹部たる三将軍、その下の八部衆においても相性の良し悪しや思想の食い違いからくる競争は割りと日常的だ。
 それでも、作戦行動中の相手に対して露骨な妨害行動に出る、というのはかなり珍しい。まして、今回ローレンがついている任務は、八部衆の一員である公孫勝がヴァイスフレアの名前を出して下した命令によるものである。これに横槍を入れるというのは、すなわちヴァイスフレアに対する叛逆と取られても文句は言えない。


 そんな輩がVF団構成員にいると信じたくないというのが半分、しかしそれが現実的に一番可能性が高いと言うのが半分、というところが現在のローレンの心中である。
 そんな風にもやもやとした気持ちを抱えつつ、今後どう動くべきかをシミュレートしていたローレンの耳に、低くしわがれた、しかし力の篭った声が届いた。
「難儀しておるようだな?」
 ぴくりと体を震わせ、ローレンは独房の中に視線を走らせる。声の主はすぐに見つかった。自分がもたれかかっている壁に半ば埋もれるようにして、半透明の姿の老人がいつの間にか佇んでいる。VF団八部衆の一人“入雲竜”公孫勝であった。
 半透明なのも壁を透過しているのも、今ここにある彼が実体ではないからだ。暁帝国に伝わる仙術を用いて、精神体のみをこの場に顕現させているのである。
「申し訳ありません、公孫勝様。不手際をさらしてしまった事をお許し下さい」
 ローレンは公孫勝に顔を向ける事すらせず、先ほどからの姿勢を維持したままで詫びの言葉だけを述べる。本来であればこのような八部衆への礼を欠いた行為は決して取りはしないが、仮にひざまづいて頭を垂れている場面を見回りにでも見られると面倒である。それ故の、敢えての無礼だった。公孫勝もそれは承知しているのか、ローレンの態度には何も言わず、そのままローレンからの報告を受ける。


「……ふむ。同胞からの妨害、か」
「その可能性もある、というレベルですが」
 ローレンから現状とそれに関する考察を聞いた公孫勝は顎髭をしごきながらしばし沈黙し、ふむ、と頷いてから口を開く。
「そちらはヌシがこれ以上気にする必要はない。現場にいながら後方の監視をするのも厳しかろう」
 そうそう、と思い出したように機械化した右の人差し指をピンと立ててこうも付け加えた。
「ヌシらがエルフェンバインより持ち出したアニマ・ムンディだがの、アレは現時点をもってワシが引き取らせてもらう」


「お言葉ですが公孫勝様。あれを今フォーリナーから引き離すのは得策ではないかと存じ上げます」
 公孫勝の言葉に、ローレンは反射的にそう反論していた。
 目を合わさずとも、公孫勝から射抜くような視線を向けられていることを感じ、背筋に冷や汗が伝うのを感じる。
「理由を聞こうかの」
「は。フォーリナーの性格上の問題です。アニマと離れることを受け入れるような性質ではありませんし、あれの存在が精神の安定に一役買っている部分もあると見受けます。フォーリナーを味方に付けるのであれば、無理に引き剥がして信頼を失うよりは、そばに置いておき、諸共に取り込むのが上策かと」
 公孫勝は黙したまま答えない。そんな八部衆の様子に気圧されるようにしてローレンが言葉を重ねる。
「また、アニマ・ムンディは人形とはいえ意思を持ちます。現在はフォーリナーを主人として認識している以上、フォーリナーを抱き込んだ上で活用するほうがやり易いかと愚考いたします」
 言うべきことは言い切った、と、ローレンは軽くうつむいて瞑目し、公孫勝の沙汰を待つ。
「確かにの」
 短く、それだけがローレンの耳に届く。
「ワシはフォーリナーを味方につけよと命じた。可能ならばアニマ・ムンディを確保せよとも命じた。任務に忠実なヌシのことじゃ。そのような言が出るのも当然と言えような」
 はっと顔を上げると、真正面に半透明の公孫勝が立っていた。右目のレンズが無表情にローレンを見下ろしている。
「しかしの。少々事情が変わってきた。彼のアニマ・ムンディは、ワシにとってフォーリナーなどよりよほど価値を持つものよ」
 それに、と口調にやや笑みを混ぜて公孫勝は続ける。
「フォーリナーがアニマ・ムンディを拠り所にしておるというなら、それを奪った上で付け込むというのも有効な手段だとは思わぬか?」
 話は以上だ、とばかりに公孫勝はその場で指刀を切る。仙術の効果を終了させて、この場にいる精神体を本来の体に戻すつもりなのだ。


 何かがおかしい、とローレンは感じていた。
 公孫勝の言動について、ではない。
 彼の物言いは確かに非情な側面があるが、任務を達成する上での効率を考えれば的外れなものではないし、アニマ・ムンディを急に重要視し始めた事についても、実際に現物を見て何らかの発見があったからかもしれない。そもそも、何故あのアニマ・ムンディが必要なのかをローレンは聞いていないのだから、そこについては考えるだけ無駄だとも思う。
 だから、ローレンが全身全霊を研ぎ澄まして公孫勝を、その裏にある何かを見抜こうとしたのは、純粋に、彼の第六感に拠るものだ。
 魔術的なアプローチでも、ローレンの最大の武器たるESPによる知覚でもなく、機械的な分析でもなく。
 内在フレアを最大限に活性化させ、ローレンが見通そうとしたのは、一言で言えば世界の理である。そこにある世界を構成する何か。世界の構成要素たるフレアを通じて、そうしたものを感じ取る根源的な知覚を極限まで増幅したのだ。


「……何が視える。ローレン?」
 術の行使を途中で止めた公孫勝が真正面から尋ねる。
 もとよりこの手の探知はローレンの得手ではない。おそらく、同じ分野の感覚が一番鋭敏なのはフォーリナーたるあさひである。エルフェンバインの格納庫で見せた直観力は、ローレンの遥か上を行っていた。
 そこを補うためにローレンは自身のフレアを最大に活用していたが、それが目の前の公孫勝に気取られないはずもない。
 それでも、視なければならない、という半ば強迫観念じみた思いに駆り立てられて、ローレンは感覚を研ぎ澄ます。


 そして、ローレンはそれを視た。


「……いつからですか」
 からからに渇いたのどから、ようやくそれだけを絞り出す。
「さての」
 公孫勝は飄々とそれだけを答える。
「まあ、ヌシとの付き合いほど長いわけではない。九年前、弧界エルダで超能力者狩りに追われていたヌシを拾ったときは、そうではなかったからの」
 からからと笑って付け加えるその言葉に、ローレンは当時の事を思い出す。


 二大国間の冷戦に火が点き、重陽子ミサイルの撃ち合いで滅んだ弧界エルダ。ローレンはその世界にかつて存在した超能力者の集落、ロプノールの血を引いている。
 ロプノールは重陽子ミサイルによる最終戦争より前に超能力者狩りによって滅ぼされた里だった。超能力者自体がエルダでは迫害されていたという経緯もあるが、ロプノール出身の能力者は珍しい能力を使う事も、彼らが目を付けられた理由だった。
 『ロプノールの鏡』とよばれるそれは、超能力者が自身の能力を結晶化させて作る物質で、熟達者の手になる『鏡』は、その内側に使用者を格納して星間航行することすら可能な代物だという。
 その力――超能力者狩りの者達の言葉を借りるなら『レア物』――のおかげで里が滅ぼされた事を思えば、そんなものを一族に与えた運命やら神様やらに一言物申したいというのがローレンの正直な感想だが。
 

「……里から落ち延びた両親の産んだ、実際のロプノールを知らない俺みたいなガキまでエルダでは狩り出されました。そのとき俺はあなたに助けられ、そして、ヴァイスフレアの元に全ての世界を統べるというVF団に忠誠を捧げました」
 目を瞑り、ローレンは今の自身を形作る原点を思う。
 数多の世界の人員で構成されるVF団。その目指す未来に己の全てを懸けてみようと決めたのだ。
「俺にきっかけを下さったのは公孫勝様、あなたです。組織内の超能力者に師事できるよう取り計らって下さったのも、部下として取り立てて下さったのも、全て」
 斬り付けるようなローレンの言葉を、公孫勝は身じろぎすらせずに聞いている。
「で、あればなんとする。過去のよすがで今ヌシが視たものをなかった事にするとでも言う気か?」
「いいえ。世界はヴァイスフレアによって統べられるべきもの。何人たりともそれを侵させるわけにはいきません」
 ですが、という言葉の後に一呼吸を入れて、ローレンは続ける。
「それを俺に教えたのすらあなたです。だから、あなたに問いたい。何故なのですか」
 ローレンの声は、どこか苦しげでさえあった。内面の葛藤がありありと伺えるその声音に対し、公孫勝は飄然とした態度を崩さない。
「ヴァイスフレアへの忠義には今でも一片の曇りとてないつもりよ。……要はやり方の問題よな」
 その声は自身と力に満ち満ちていて、彼が己の道に絶対の肯定をもって望んでいる事がはっきりと感じられた。
「三千世界は広く、争いの種は限りない。いかにヴァイスフレアの威光をもってしても、その統一へ至る道は遥かに遠い」
 そう語る公孫勝だが、それは分かりきった事だ。少なくともローレンはそう思った。だからこそ、その道のりを踏破するための時間をほんの少しでも短縮するため、VF団は活動し、研鑽を積んでいるのではないのか。
 そこまで考えて、ローレンは先の公孫勝に対する自身の問いの答えを得た。


「だから、ですか」
「ふむ?」
 す、と立ち上がり、公孫勝に向き合うローレン。顔の左半分に興味深げな色を乗せて、八部衆は部下の挙動を見守っている。
「だからあなたはこう思った。手っ取り早く、今ある世界を『ヴァイスフレアによって統べられる世界』に作り直してしまえばいい、と」
 くい、と公孫勝の唇の端が上がる。それを目にした瞬間、ローレンの中にあった最後の希望が砕け去った。
「最初の質問に答えようかの。……二年よ。それだけの間、ヌシはワシのことに気付かなんだ。今になって気付いたのは、やはりフォーリナーの影響かの」
 間違いであってほしかった。上司であり、親にも等しい目の前の人物がVF団にとって、否、三千世界にとって不倶戴天の敵と成り果てたことなど、認めたくはなかった。
 それでも、現実から目を逸らすような愚かな真似はできない。だから、彼は自分自身にそう教えた人物に向けて、言葉を作る。
 真正面からかち合った視線の向こう、公孫勝の右目のレンズの内側で、黒い炎がちろりと踊る。


「あなたはダスクフレアに堕ちたのですね」


 訣別の言葉だった。





[26553] 第一話『曙光の異邦人』その8
Name: 新◆292e060e ID:ebf219b0
Date: 2011/06/12 19:08
Scene17 虜の選択

 シアルは実に落ち着いているように見えた。
 殺風景な独房に備え付けられた寝台の上、ぴんと背筋を伸ばして座り、取り乱した様子など欠片も見せない。
 しかし、それはあくまで見かけ上の話だった。
 

 現在のシアルの内心を風景として表現するとすれば、大嵐であった。現状に対する不安が、彼女の意識を大きくかき乱している。そのうねりを言葉にするなら、
 ――あさひは大丈夫でしょうか。
 ということになる。
 自身の情動に素直に従っていたなら、今頃シアルは独房の中を落ち着きなくうろうろと歩き回ったりしているに違いない。現状、そうなっていないのはシアルがアニマ・ムンディ――多くの界渡りを迎え入れてきたオリジンの科学と魔術の結晶たる存在ゆえだ。


 アニマ・ムンディは極限まで人間に似せる事をコンセプトに製造される。その度合いは、人間にできる事でアニマにできない事はない、と言わしめるほどである。これは、モナドドライブが『接続する機体が人型に近いほど出力が安定する』という特性を持つが故の仕様である。MTに直結されたアニマ・ムンディは、モナドドライブに己が駆動させているのは人間そのものと言っていいほどの機体であると誤認させ、その出力と安定性をハネ上げるのだ。
 反面、情緒面については抑制して製造されるのが主流だ。モナドドライブが求めるのは人型であることであって、内面が人間らしいことではない。ならば、MTの部品と言って過言ではないアニマ・ムンディに必要以上の情緒を持たせる事は、どちらかというとデメリットの方を多く含む。


 翻って、シアルが感情を表に出すよう設定されているのは、彼女がフォーリナー専用MTのアニマであることに起因する。
 フォーリナーとはその名が示すとおりに異邦人である。多くの場合、オリジンに知己すらなく、しかし戦いに巻き込まれる事がほとんどだ。
 そうしたフォーリナーの精神安定の一助として、シアルは感情をスポイルされずに製造されている。
 単純な話、無表情、無感情な相方よりは、人と同じに笑う相方の方がやりやすいだろうとの判断である。
 シアル自身はその判断について評価を下す立場にないと考えているが、少なくともあさひに対してはそれがプラスになっていると見ていた。それが故に彼女がシアルを必要以上に大事にしている事に関しては思うところもあるのだが。


 ともあれ、今シアルは、そうした経緯で搭載された己の感情表現プロセスにインタラプトして、表に出てこようとする、『そわそわと歩き回る』『落ち着きなくあたりを見回す』『大声を出してあさひの安否を誰かに問いただす』といったタスクを片っ端からキルしている。結果として、彼女は外面的には極めて落ち着き払っているように見えているのだ。
 人間であれば強靭な精神力を持って行うであろう不安への対抗を比較的簡便に行えることの幸運を噛み締めつつ、ただじっと時を待つ。


 別々の独房へ引き離されるとき、主の身を案じて盛大にゴネたシアルに対して、あさひは「大丈夫だから」と彼女を諭した。身に覚えのない事なのだから、すぐに解放されると言って笑ったのだ。
 そこまで思い出して、シアルは少し気分を下降させる。本来なら、自分があさひを安心させる役割を担うべきなのに、この体たらくである。


「とは言え、現状では何が出来るわけでもありませんしね」
 ぽつりと出たその言葉も、どちらかというと感情の内圧を下げるために外へ吐き出されたようなものだ。
 とんとんとん、と石を叩くような音を聞きつけて、自身が貧乏揺すりをしていることに気付く。すぐさま無意識系の身体制御プロセスにインタラプト。脚部へ出されていたコマンドを捻り殺す。
 思った以上にストレスが溜まっているらしいことを自覚し、シアルはそっとため息をつく。こうした行為で少しずつでも抑圧を減らしていかないと、そのうちおかしな事をやらかしてしまうような気がしてきた。


 ――シアル・ビクトリアとのリンクさえ確立されていればこんな独房ごときすぐさま粉砕してあさひの下へ駆けつけられるのですが……。
 既に危険な色に染まりつつある思考を脳内で展開していたときだった。
 とん、と床を叩く音がした。反射的にシアルは身体制御プロセスをチェック。コンマ1秒でログを辿ってさっきのような貧乏揺すりをしていないことを確認し、部屋の中を見渡す。


 そこにいたのは人形だった。背の高さは龍人形態のフェルゲニシュとほぼ同等だ。
 シアルたちアニマ・ムンディのような精巧さを持っている人形ではない。むしろその逆、人体をずんぐりむっくりした形にデフォルメした、ユーモラスな造形の人形である。
 人形がシアルに向けて一歩を踏み出す。ややバランスの取れていない危なっかしさを含んだ、微笑ましさすら感じさせる所作だったが、シアルはその表情に警戒心を一杯にたたえて後ずさる。


 ――いくつか、分かった事があります。
 シアルは内心で一人ごちる。
 目の前の人形の動作原理が掴めないということ。どちらかと言えば魔術的な機構で動いているように感じられるが、それも確信には至らない。
 そこかしこに施された意匠が暁帝国風であること。ティカル騎士団領からは遥か北にある異郷の細工がここで見られるというのはどうにも不自然である。
 独房の扉からではなく、部屋の中に忽然と現れたこと。この場合、シアルが問題とみなしたのは手段よりも動機である。正規の手段以外で部屋のなかに入ってきたと言う時点で、何かロクでもない企みを腹の中に抱えていると考えるのが妥当だった。


 人形がシアルに向けて更に二歩を進み、同じだけシアルが下がったところで壁に背中がついた。
 この場で大声を上げて人をこの場に集める事も頭によぎったが、それでこの人形を変に刺激してしまうのも避けたいとシアルは考え、一旦様子を見ることにする。
 人形とシアルがにらみ合う事数秒。先に動いたのは人形の方だった。
 いや、動いた、という表現は適切とは言い難い。
 人形の胴体部が割れたのだ。大きな卵形のボディの中央に輝線が走り、それに沿う形でばくんと音を立てて左右に開く。


 人形の内部には座席が設えられていた。それに座っているのは、一人の老人だ。
 真っ白い見事な髭を蓄え、右半身を機械に覆われた、暁帝国風の衣装の老翁である。
 老人はレンズの右目と生身の左目でシアルをひたと見据える。
 その瞬間、シアルは全身に走る電流を感じた。
 否、実際に電撃がシアルを襲ったわけではない。が、それに等しい心理的な衝撃がシアルの裡を駆け巡っていた。
 その衝撃が、シアルの意識の奥まった部分に向けて、静かに、しかし抗いがたい強さで囁く。
 目の前の老人は同胞である、と。


 ふらり、とよろめいて壁に手を着き、シアルは老人を睨み付ける。
 何か、相手を操るような術を掛けられたとシアルは判断した。目の前の老人に見覚えなどないのだ。にも関わらず、先ほどのような感覚を得るということは、原因は内ではなく外にあるはずだった。
 そうした意思を込めたシアルの視線を柳に風と受け流し、老人はにたりと哂う。
「感じたか、人形よ。我が同胞よ」
「どなたかとお間違えではありませんか、ご老体。あなたとお会いした事は無いように思いますが」
 言いながら、シアルは老人と目を合わせないよう気を配る。その瞬間、彼の術中にはまるおそれがあった。
「いかにも、我らは初対面。まあ、ワシは配下たるローレンの報告を受けてより遠見の術を持ってヌシらを見ていたのだがの」
「覗き見とは流石はVF団。やる事に節操がありませんね」
 辛辣な一言に、老人――VF団八部衆が一角、公孫勝はくく、と喉を鳴らして笑う。
「そう言うてくれるな。ヌシに会えるのをそれこそ一日千秋の思いで待っておったというのに」
「ストーカーというやつですね。変態の上司はやはり変態ということですか」
「本当にキツいのう。……まあ良い。一先ずワシと共に来てもらおう。あまりぐずぐずしていると邪魔が入ってしまうでな」


 そう言うと公孫勝は人形の胴体からふわりと浮きあがって抜け出す。と、同時に人形がその腕をシアルを捕らえんと伸ばしてくる。
 一度、二度、人形の手をどうにかかいくぐる事に成功するシアルだが、三度目で胴体を鷲掴みにされてしまった。人形は戒めを振り解こうともがくシアルを、先ほどまで公孫勝が納まっていた空間にシアルを押し込もうとする。
 自由になる手足を突っ張って、それを阻止しようとしたシアルの抵抗も虚しく、今まさに全身が押し込まれてしまう時だった。
 凄まじい轟音が詰め所に響き渡る。岩と岩を思い切りぶつけ合わせたような、硬く、腹の底に響く音が立て続けにいくつも連続する。シアルと人形とが何事かと一瞬だけ動きを止め、そして再び動き出すより早く原因が知れた。
 再びの轟音とともに、シアルの独房の扉がその周囲の壁ごと吹き飛んだのだ。


「無事かポンコツ!」
 瓦礫の山を乗り越えて独房に駆け込んできたのはローレンだった。そしてシアルの返事を待つまでもなく、部屋の中の様子を見て取ったローレンが念動力で瓦礫を持ち上げ、シアルたちに向けて――正確にはシアルのすぐ背後にいる人形向けて撃ち放つ。
 人形は苦もなくその瓦礫を空いている手で叩き落したが、ローレンはそれを読んでいた。その時には既にもう一発の瓦礫を打ち出している。狙いはシアルを捕まえたままの、もう片方の腕。
 先の一発を叩き落していた人形はそれに対する反応を遅らせてしまう。結果、
「助かりましたが、どういう了見です?」
 シアルは人形の手から逃れる事に成功していた。人形から距離をとり、ローレンに対しても警戒心を見せつつ問いかける。
「あの人形は宝貝・黄巾力士。で、あっちはその使い手、VF団八部衆の一人“入雲竜”――」
 いや、と首を振り、
「ダスクフレア、公孫勝だ」


 はっと顔を上げたシアルの見つめる先、公孫勝は飄々とした態度で髭をしごいている。
「やれやれ、こうなっては厄介ごとが雪だるま式じゃな」
 そういってちらりと視線を向けたのは、先ほどローレンが空けた穴、その向こう。そこには物音を聞きつけた数人の騎士たちが武装してやってきていた。
「このポンコツを狙うってことはあんたの創世にこいつが必要ってことか、ダスクフレア!?」
 殊更に大きな声で発せられたローレンの言葉に、独房の中で睨み合う連中に対して一瞬態度を決めかねていた騎士たちに緊張が走る。が、彼らはすぐさま我に返って行動した。
 駆けつけていた騎士たち四人のうち三人は独房内に入って公孫勝と対峙し、残る一人は何処かへと走り去る。応援の要請に走ったに間違いなかった。


「さてヌシら。面倒が増える前にそこの人形娘をワシに渡す気はないかの? さすればこの場は大人しく退散しようほどにな」
 危機感の欠片も感じられない表情で公孫勝が言う。
「貴様がダスクフレアであるかどうかはともかく、拘留中の人間の独房へ無断で入るような者をそのまま帰すわけにはいかん。大人しくしてもらおう」
 独房内に踏み込んだ三人の騎士のうち一人が公孫勝に剣を突きつける。残る二人はその後ろで、おそらくはネフィリム製の拳銃を抜いて公孫勝にポイントしていた。
 じりじりとした緊張感が場に満ちる。呼吸三つ分の沈黙の後、動きがあった。公孫勝が騎士たちを順番に見回し、自身に剣を突きつけている騎士に向けて唇の端を上げて笑って見せたのだ。


 剣の騎士はその次の瞬間には動いていた。
 思い切り、殺しても構わない気構えでいく。
 目の前の老人がダスクフレアであるならこの程度で仕留める事は適わないだろう。仮にこの一撃で深手を与えてしまったとしても、即死でさえなければなんとかなる。その程度の治癒魔法の使い手は部隊に帯同していた。
 だから、彼は手にしていた剣をまっすぐに突き込んだ。公孫勝に突きつけていた剣をそのまま前へ出す形だ。
 通常、突き技の際には勢いを付けるために一度腕を引くものだ。が、彼はそれをしなかった。一瞬でも早く目の前の老人に剣を叩き込むためだ。老人がダスクフレアである確証はないが、それでもその力の大きさは感じられる。
 だからこその拙速。それでも、足先から膝、腰、肩を経て腕へ、そして剣へと力と速度を伝達させされた突きをこの至近距離でかわすのは、至難の業と思われた。


 完璧なタイミングの殺し技。
 傍で視ていたローレンでさえそう思った。剣を繰り出した騎士はなおさらだったろう。
「な……っ!?」
 疾風の如き速度で公孫勝の胸元に迫った切っ先が、標的に届く寸前でぴたりと動きを止めてしまうのを見るまでは。
 立て続けに、銃の騎士二人が頭と胸をそれぞれ狙って二度ずつ引き金を引く。が、結果は同じだった。計四発の弾丸は、公孫勝に届くことなく空中で静止していた。
 ゆらり、と公孫勝の周囲の空気が黒い色を含んで揺らめいた。剣と弾丸を絡め取った黒い陽炎。それを見て取った騎士の口から歯軋りと共に呻く。
「プロミネンス……!」
「いかにも」
 公孫勝が頷く。
「ワシの作り上げる新世界、その雛形がワシを守っておる。ヌシら程度では毛筋ほどの傷をつけることすら叶うまい」
 言うが早いか、陽炎が黒い炎へと変ずる。そして一瞬だけ収縮し、当然の反動として爆発的に広がった。


 独房内を荒れ狂った黒い炎が収まる。ふむ、と一人ごちてぐるりと見回す公孫勝の視界の中、未だにその場にたっている人影が二つ。ローレンと、その後ろに庇われているシアルである。
 騎士たちは三人ともが吹き飛ばされ、独房の壁に叩きつけられていた。が、微かなうめき声が公孫勝の耳にも届く。結果として先ほどの攻撃で一人に人死にも出ていない事に公孫勝は微かな驚きを覚える。
「なかなかやるものよな」
 そういって視線を向けた先には、肩で息をするローレンがいる。


 公孫勝がプロミネンスを爆発させた瞬間、ローレンの体を、紅玉のような赤い輝きが包んだ。執行者のコロナの輝きだ。そのままローレンが腕を振るうと、コロナの輝きを引き連れた念動力が、プロミネンスの奔流を逸らし、いなし、結果として致命的な結果を起こさせなかった。彼が力を振るわなければ、ローレンやシアルも倒れ伏していたであろうし、至近距離でプロミネンスを浴びる形となった騎士たちの命はなかったかもしれない。


「しかし、それ以上は厳しかろう」
 淡々とした口調で指摘する公孫勝に、ローレンは密かに臍をかむ
 プロミネンスへの干渉とダメージの軽減に力を使った事で、体力とフレアをごっそりと削られてしまっている。造物主の写し身として圧倒的な力を振るうダスクフレアを相手に、現状でこれ以上戦うのは自殺行為とすら言えた。
 ――なんとかもう少し持ちこたえれば……。
 これだけの騒ぎである。自分は公孫勝の精神体との接触があったため、それが自分の独房から消えると同時に行動を起こしたが、あの連中もローレンが独房の壁を破壊する音や、さっきの戦闘音で何らかの非常事態であると気付いて動くはずだ。それまで時間を稼ぐ事ができれば、突破口は開ける。そう考えたときだった。


 かちゃり、と金属の鳴る音がローレンの背後から聞こえる。気配からしてシアルが後ろで何かをしていることは読み取れるのだが、公孫勝から目を離す訳にもいかず、振り返る事はできない。
「この場は退いてもらいましょうか、ダスクフレア」
 もう一度、かちゃり、という音。
 今度は分かった。拳銃のセーフティを外す音だ。騎士達の持っていた拳銃を拾っていたのだろう。
 はっきりと無謀であるとローレンは思った。例え拳銃が大砲であったとしても、それがを扱うのがカオスフレアでなければダスクフレアにとって何らの脅威にも成り得ないのだ。
 そのことを口に出そうとするより早く、背後にいるシアルが声を放つ。
「私が必要なのでしょう?」


 ぴくり、と公孫勝が眉を動かす。繰り返すが、ただ拳銃を突きつけられた程度でダスクフレアがどうこうなるわけもない。加えて今の一言である。既に大方の事態はローレンにも予想はついていた。だから、敢えて公孫勝から目を離さないようにしつつも体を斜めにしてシアルを視界に入れる。
 そこには予想通りの光景があった。
「お引き取り頂けないなら今すぐ引き金を引きますが、よろしいですか?」
 シアルが自らのこめかみに銃を突きつけていたのである。


「それが――」
「できるのか、と言うのは愚問です、ダスクフレア。これでもアニマ・ムンディ。戦うための人形です。その程度の事ができないと思われる方が不愉快ですよ」
 髭をしごきながらの公孫勝のせりふを遮って、鋭い声が飛ぶ。固さも震えもない、自然体の声音。それは、聞く者に彼女は本気なのだと悟らせるには十分なものだった。
 だから、公孫勝はこう答えた。
「やっても構わんぞ」
 今度はシアルがぴくりと眉を動かす。公孫勝の表情を見極めようと目を凝らすが、皺深く、髭に覆われている彼の表情はひどく読みにくい。
 ブラフだろうか、とも思うが、こちらが混じり気なしに本気なのは伝わっているはずだ。ならば、その上でチキンレースを仕掛けてきているのか、あるいは、
 ――私が機能喪失するような損傷を受けたとしても彼の目的に支障はない、ということですか。
 この見立て自体は間違ってはいないだろう、とシアルは判断するが、同時にそれが全てではあるまい、とも思う。
 何故なら、本当にシアルが脳天を鉛弾でブチ抜いても構わないと言うなら、こんな問答がそもそも行われてはいないはずだ。拳銃の存在など気にも留めずにシアルを奪取するために行動すればいい。その際にシアルが損傷したとて構わないのだから。だが、公孫勝はそれをしない。そこに、シアルは公孫勝の言動の矛盾を見る。それに、この独房に最初に現れたときも彼がシアルに対して行ったのは捕獲行動だ。
 ――私が破損しても構わないが、可能なら無傷で手に入れておきたい、といったところでしょうね。
 だからこそ、現状では強引に動かずに様子を見ているのではないか。


「さて、いつまでも睨み合っているだけというのもいささか芸がないの」
 ゆるり、と公孫勝が一歩を踏み出し、黄巾力士がそれに追従する。シアルはきっと公孫勝を睨み付け、引き金にかけた指に力を込めてみせる、が、一向に意に介した様子もない。本当に引き金を引いてしまおうかとも思うが、そうしたところで公孫勝が別段痛手に思わなさそうな辺り、素直に実行するのも癪に障る。
「そもそも、何故私を欲するのですか」
「さてな。ワシと共に来ればそれも分かろうよ」
 ひょっとしたら時間稼ぎになるか、と問いかけてみるが、流石に足を止めてぺらぺらと喋りだす、という事はない。ローレンが何か仕掛けても即応できる体勢を整えたまま、ゆっくりと、しかし着実に公孫勝はシアルに向けて歩み寄る。
「まあ、そろそろその理由の一端にたどり着く者はおりそうだがの」







 最初に詰所内に轟音が響いたとき、サルバトーレはすぐさま取調室を飛び出して原因を探りにいく――というようなことはしなかった。
 詰所内には当然のことながら多くの騎士たちがおり、サルバトーレがあさひの取調べのためにこの部屋にいることも知っている。下手に動き回るより、部下が持ってくる報告を受け取って現状についての判断を下し、行動の命令を下す。それこそが部隊長である彼の役割だった。
 まず彼の元へ届けられた報告は、アニマ・ムンディの独房に超能力者の少年がいつの間にか侵入しており、その二人が暁帝国風の、半身をグレズに侵された老人と対峙していたという事、そして、その老人がダスクフレアらしいというものである。
 これだけでも極めつけの凶報と言って過言ではないが、この後に届けられた報告は、サルバトーレにとって輪を掛けて予想外のものであった。取調室に飛び込んできた、おそらくは事務肩であろう隊員はよほど慌てていたのだろう、部屋に入るや否や、こう口走ったのだ。
「大変です隊長! つい先ほど、ヴォーティフの反応がこの詰所内から、それも二つ検出されました!」
 息せき切って駆け込んできた隊員は、報告に対して返ってきたのが隊長からの刺すような視線である事に気付いてびくりと身を震わせ、それから部屋の中にいるあさひに気付いてしまった、という表情を浮かべた。
「ヴォーティフって、あたしたちが復活させようとしてるって濡れ衣着せられてるアレ?」
 あさひから疑問の声が上がるが、サルバトーレはこれをスルーして報告役の隊員に声を掛ける。
「詳細な場所は?」
「は、二つとも五番独房内です!」
 報告を聞いたサルバトーレが大きくため息をつき、あさひにちらりと視線を送ってから数瞬の間、黙考する。

 
 やがて彼は顔をあげると、あさひに真正面から向かい合う。
「あさひさん」
「はい?」
「確認させて頂きます。あなたにお話し頂いた内容、特に、シアル嬢に関する事柄に間違いも虚偽もありませんね?」
 まっすぐにこちらの目を見つめて問いかけてくるサルバトーレに、あさひは困惑してしまう。自分がオリジンに着てからの出来事はあらかた彼には話している。ローレンの素性以外や、プライベートにあたると思った事以外の隠し事はなしだ。
 だが、妙に切迫した態度のサルバトーレを見ていると、そうした話していない事柄、話す事をとめられている事柄も話さなければならないのだろうかという考えがふっと頭をよぎる。
「ええっと、そのう。あたしとシアルに関する事では少なくとも嘘も隠し事もないです」
 それ以外ではある、とはっきり言ってしまったあさひに苦笑をもらし、サルバトーレは頷く。
「ええ、それで十分です。では、ついて来て下さい」
 言うなり、早足に取調室を出る。報告にやってきていた隊員がすれ違いざまに指示を受け、それを伝達するために走り去っていく。


「あたしとシアルに何があるんですか?」
  やってきた数人の部下と合流し、彼らから受け取った武装を身につけながらずんずんと廊下を進むサルバトーレに追いすがったあさひが問いを投げかける。腰のホルダーに剣を固定しながらサルバトーレは一瞬沈黙し、しかしややあってから口を開いた。
「我々は、あのアニマ・ムンディ、シアル嬢を使ってあなた方がヴォーティフ復活を目論んでいると踏みました」
「シアルを使って?」
 鸚鵡返しの台詞に、サルバトーレは進行方向を向いたまま頷きだけを返し、
「昨日から我々は幾度かヴォーティフのものと同質のグレズ反応を捉えていました。その場所と時刻を照合すると、あなた方の居場所と完全に一致します。そして、あなた方の中で機械と近しいのはシアル嬢です」
 ですから、と前置きし、合流してきた部下たちにちらりと目配せを送る。彼らが一様に緊張を身にまとったのがあさひにも感じられた。目的地の部屋が近いのだろう。
「他にもいくつかの理由をもって、我々はあなたがたを怪しいと判断しました。ですが、どうも我々が思うより事態が複雑だったように思えてきましてね」
 そういって立ち止まった彼の視線の先に、ドアを吹き飛ばされた独房の入り口がある。
 そして、更にその内側。そこにある光景を見て、あさひは声を上げた。
「シアル! ロー君!」
 自分の頭に拳銃を向けたシアルと、彼女を庇うようにたつローレンに向けて、黄巾力士が今にも手を届かせようとしているところだった。


「シアル!!」
 もう一度、さっきより強く彼女の名を呼んで、あさひが独房の中に駆け込もうとする。
 が、その前に腕を掴まれ、行動を制止させられた。
 あさひが自分を止めた人物――サルバトーレの方へきっと視線を振り向けて文句を言うより早く、語気鋭くたしなめられる。
「やめなさい。あそこにはダスクフレアがいる」
 そう言うサルバトーレの視線をあさひは追う。そこには、黒い陽炎を体にまとわせた一人の老人がいた。
 

 ぞくり、と肌が粟立つのをあさひは感じる。同じ感覚を得た事がある。記憶を探るまでもなく思い出せる。
「エルフェンバインの地下で感じたのと同じ……。これがプロミネンス……!?」
 自分の体をかき抱くようにして、あさひはその老人、ダスクフレア・公孫勝を睨み付けた。対する公孫勝があさひに向けてにやりと哂う。
「いかにもワシはダスクフレア。姓を公孫、名を勝という。そこのアニマ・ムンディを貰い受けに参上した。抵抗は無意味ゆえ、大人しくしておるが良かろう」
「ふ、ふざけないでよね!? そう言われてハイそうですか、なんて言う訳ないじゃない!!」
 黄巾力士にローレンとシアルを牽制させたまま、公孫勝は騎士たちと部屋の入り口とを挟んであさひに向かい合う。
「勇ましい事よな。絶対武器もなしにダスクフレアに啖呵を切るとは。無謀、と言い換えることもできるがの」
 く、と息を詰めるあさひに、サルバトーレが公孫勝に対して身構えたままで声を掛ける。
「この場に来てから使えるような感覚がある、というようなことはありませんか」
 そう言われるが、あさひとしては首を横に振る以外にない。ダスクフレアを目にしたときに、言いようのない悪寒を感じはしたものの、それだけだ。サルバトーレが僅かに落胆したような様子を見せ、公孫勝が笑みを深くする。
「フォーリナーは大抵の場合、ダスクフレアと戦うさだめを持ってオリジンへ現れる。ダスクフレアに引き合わせればそれがきっかけで戦力化できるのではないか、といったところかの。アテが外れたのう、騎士よ」


 嘲りを含んだその言葉に対する最も早い返答は、サルバトーレからでもあさひからでもなく、公孫勝のすぐそばの独房の壁から来た。壁が部屋の内側に向けて吹き飛び、瓦礫の群れが公孫勝を襲ったのだ。
 瞬間的に意識をそちらに振り向け、しかし公孫勝はすぐにそれを無視する。己の纏うプロミネンスを貫いてくるような性質の攻撃ではないと見切ったからだ。
 そして、そのタイミングを見計らったように光が奔る。
 吹き飛んだ瓦礫に追いつき、それらを消滅させながらダスクフレアに迫る。瞬きほどの間すら置かず、光は公孫勝にぶち当たり、そして弾ける。
 撃ち込まれた光が空間に散り、溶け消えたあと、そこには公孫勝が健在なまま佇んでいる。が、先ほどまでとは一つ、違う事があった。
 彼は今の光を防御したのだ。先ほどまではプロミネンスにただ任せきりであったものを、防御しなければならない、つまりは自信にダメージを与えうると判断し、行動したのである。
「やーれやれ。折角出待ちしてたってのに防がれちまうとはね。これで決まりゃあ楽だったのに」
「奇襲の機会を伺っていたと言え。ただの目立ちたがりのようではないか」


 ブチ抜かれた壁の向こう、拳を振りぬいた姿勢のフェルゲニシュと、光の魔術を放ったサペリアが軽口を叩き合う。
「やれやれ。これでカオスフレアが三人。……戦力にならぬ者も含めれば四人かの。面倒な事態とも言えるし、まとめて叩き潰してヌシらのフレアをワシの役に立てる好機とも言えるのう」
 飄々と言い放つダスクフレア。流石にアムルタートの矜持を傷付けられたのか、フェルゲニシュの尻尾がぴくりと動く。
「言ってくれるな造物主の走狗風情が。貴様こそこの場で討ち取って世界の憂いを消してくれようか」
 言葉の攻撃性とは裏腹に、フェルゲニシュはじり、と慎重に間合いを計る。
「そういきり立つでない、龍の戦士よ。機を伺っていたなら聞いていたかもしれんが、そこのアニマを引き渡せばこの場は引き下がろうと言うたところよ」
 全く表情を変えず、自身のこめかみを銃口でポイントしたままのシアルと、火を噴きそうな視線を向けてくるあさひを順番にちらりと見て、公孫勝が口許を歪める。
「ヌシらとてこの場で突発的に――しかもフォーリナーが戦えないままで――ダスクフレアと戦端を開くのは避けたかろう? ヌシらは時間を得、アニマを失う。ワシはアニマを得、創世に必要なフレアをヌシらカオスフレアから奪う機会を失う。……取引としては悪くないのではないかな?」
「……あなたが約束を守る保証はあるのですか?」
 その場の全員が答えあぐねる中、最初に口を開いたのはシアルだ。
「ふむ。VF団八部衆が一、公孫勝の名に懸けて誓おうではないか」
「ダスクフレアがその名前で約束した事に意味があるとは思えねえな」
「それは見解の相違よな。ワシは今でもVF団――ひいてはヴァイスフレアの御為に行動しておる」
「そのヴァイスフレアに否定されているダスクフレアの言う事か!」
「よせローレン」
 公孫勝と舌戦を始めたローレンをフェルゲニシュがたしなめる。神妙な雰囲気を漂わせるフェルゲニシュを見て、彼の思考を最初に悟ったのはあさひだった。
「フェルさん!? そんなの駄目だからね!?」
 フェルゲニシュはあさひの声を無視してシアルへ視線を向ける。
 シアルはフェルゲニシュの意図を正確に読み取って、こくりと頷いてみせた。銃を下ろし、自身の前に立っていたローレンを押しのけて公孫勝の前にその身を晒す。
「シアル!」
 三度、あさひがその名を呼ぶ。シアルは肩越しに振り向いて、彼女の主に向かって笑みを見せた。
「今この場でダスクフレアと戦闘が始まれば、私にはあなたを守れません。ですが、この方法なら、少なくとも時間は稼げると判断しました」
 ですから、とシアルが続ける。
「私は行きます。他の誰のためでもなく、あなたのために。これは私にとっての喜びです。あなたを守るために、私にもできる戦いがあるのです」
「そんなこといつ頼んだのよ!?」
 サルバトーレに押さえられながら、あさひが叫ぶ。シアルはそんな彼女を見て、一瞬だけ目を伏せた。
「ええ、本来なら、『その身に代えても私を守れ』との命を頂きたいところでした。ですがあさひ、あなたはそれを言える方ではありませんから」
 顔を上げ、にっこりと微笑んで、シアルは言う。
「ですから、ただあなたが覚えていてくだされば満足です。このあと私がどうなろうと、あなたのアニマ・ムンディは自分勝手に、しかし役目を果たしたのだと。ただそれだけを覚えていて下さったなら、私はそれで良いのです」
 言うべき事はこれで全て、とばかりにシアルがあさひに背を向ける。公孫勝が彼女に歩み寄り、その手を取る。
 シアルの体がふわりと浮き上がり、黄巾力士の内側へすっぽりと納まったかと思うと、黒い炎が彼らの姿を覆い隠す。
 それが晴れたとき、そこにはもう公孫勝も、シアルを載せた黄巾力士も存在しなかった。



[26553] 第一話『曙光の異邦人』その9
Name: 新◆292e060e ID:ebf219b0
Date: 2011/06/13 21:25
Scene18 あらゆる敗北という名の――


 椅子に座ったままで俯いて、膝の上で拳を握る。
 あさひはその場で交わされる会話をそんな風にして聞いていた。
 サルバトーレたちの詰所内にある会議室。そこに集まっているのはサルバトーレと、彼に付き従っている副官が二人、そして一人人数を減らして四人となったあさひたち一行である。


 話し合いは、まず現状の確認から始まった。ローレンがVF団に所属している事もこの段階でサルバトーレたちに開示されたが、ダスクフレアが出現しており、ローレンがカオスフレアである以上、いがみ合っている場合ではない、というのがその場の共通見解だった。


「宝永に連絡を取って調べてもらった事について、報告があった。フォーリナー専用MT『シアル・ビクトリア』専属アニマ・ムンディ。彼女は存在していないアニマだ」
 彼女が本来用いるべきMTはエルフェンバインでプロミネンスを受けて動かせない。しかし、専用機でなくともアニマ・ムンディを載せたMTは単純に出力だけ考えても通常のMTの三倍までハネ上がる。
 ならば、代用品のMTを入手する事であさひに自身を守る力を与えられるのではないかと考えたフェルゲニシュがジグラッドのイルルヤンカシュを通じて神王宮にシアルの特徴を伝え、彼女に合ったMTを手配してもらおうとしたのだ。
「結論として、彼女は開発を途中で放棄されたアニマなのだ。より正確に言えば、エルフェンバインの中央工廠で開発が終盤に入ったところで、それを放棄せざるを得ない事態が起きた」
「バシレイア動乱、か」
 ポツリとつぶやいたローレンの台詞に頷いて、フェルゲニシュは先を続ける。
「フォーリナーを支えるための感情を持たせた内面は既に完成していたそうだが、肝心のボディの完成度が7割程のところでエルフェンバインが陥落。彼女はそのまま彼の地に置き去られた」
「だから何!? シアルは現に存在してるじゃない!?」


 問いかけるあさひの声に棘が混じる。シアルが連れ去られようとしたとき、真っ先に状況を容認したのは彼だった。そのことが、この龍戦士に対するあさひの態度を硬化させていた。
 噛みつかれる格好となったフェルゲニシュは、しかし一向に気にした様子も見せず、
「ふむ。そのあたりの推測を語る前に、まずは確固としたデータを持っている者に話してもらった方がいいのではないかな」
 水を向けられたサルバトーレは一瞬考え込む様子を見せたが、ため息と共に情報を吐き出した。
「シアル嬢からは、本来ヴォーティフのものであるはずのグレズ反応が検出されました。また、先ほどのダスクフレア、公孫勝からも同じ反応が検出されています」
「……つまり、どういうことだい?」
 首を傾げるサペリアに向けて、サルバトーレは、まずはデータから分かる事実のみを述べます、と前置きした上で続ける。
「公孫勝とシアル嬢の両名の体内には、おそらくはヴォーティフのグレズクリスタルが内包……いえ、搭載と言うべきなのでしょうか。ともかくそれを持っています」
「ヴォーティフはグレズクリスタルを複数持ってたって事かよ?」
「いえ、おそらくバシレイア動乱においてヴォーティフが討たれた際にクリスタルが砕け、その欠片を持っているのではないかと思われます。公孫勝の方が強い反応を示していたことも併せて考えると、彼の所持している欠片の方が大きいのではないでしょうか」
 サルバトーレからちらりと目配せを受け、フェルゲニシュがその後を引き継ぐ。
「ここからは推測だが、砕けたグレズクリスタルが何らかの要因で開発放棄されたアニマ・ムンディのボディに入り込み、未完成部分を創造したのではなかろうか。本来ならそのままグレズクリスタルに制御を乗っ取られるのだろうが、クリスタルが砕けていたために本来の人格が起動したというところか」


「乗っ取られて悪い事考えてるわけじゃないんでしょ? だったらシアルの誕生にどういう経緯があったっていいじゃない!?」
 再びあがるあさひの声は、やはり荒い。だが、それは先ほどとは少し質が違う。先ほどの声に込められていたものが憤りなら、今の声に込められているのは焦りだ。
 ――あたし、イヤな子だなあ。
 意識の片隅であさひはそんな風に思考する。シアルがさらわれたのは、自分自身のせいだ。自罰思考でもなんでもなく、彼女自身もそう言った。あなたのために、と。
 だというのにフェルゲニシュに突っかかるような態度を取り、そして今、
 ――あたしは、あたしの言葉を信じていない。
 オリジンにやってきてからまだ短い時間しか経ていないが、それでも色々な話を聞いた。グレズや、ヴォーティフという名前がこの地の人々にとってどんな意味を持つのか。薄々とでも感じられないほど、あさひは鈍いわけではなかった。
「ダスクフレアの狙いは、シアルの持つクリスタルを手に入れることだろうな」
 だから、フェルゲニシュのその一言に、あさひはどうしようもないくらいに動揺した。
「じゃ、じゃあ、シアルを早く救出しなきゃ! そのグレズクリスタルがダスクフレアに取られたらまずいんでしょ!?」
 その場の全員が、視線を交錯させる。呼吸二つ分の沈黙。それは迷いであり、躊躇いだ。


「助け出すよりも、ブチ壊した方が手っ取り早い。ダスクフレアである公孫勝が持ってる方はともかく、あいつは構造的にはただのアニマ・ムンディだ。ボディごとクリスタルを跡形もないくらいに消し飛ばすのはそう難しい事じゃねえ」
 口火を切ったのはローレンだった。あさひを真正面から視線を合わせ、はっきりとシアルの破壊を口にする。
 言葉を失ったままあさひはしばらくローレンと見つめ合い、彼の瞳に宿る意思が揺るがない事を感じ取ると、その隣に座るフェルゲニシュに目をやる。
「初手からシアルの破壊を目的にするとは言わん。だが、必要となったなら必ずやる。恨んでくれて構わんぞ」
 あさひの視線に含まれた懇願の色に気付かなかったわけでもないだろうに、彼はきっぱりと断言した。
「……あんたはどうしたいんだい、あさひちゃん?」
 次に視線を受けたサペリアは、いつもの笑みを消してあさひに問いかけた。


「あ、あたしは……」
 シアルを助けたい。
 それは間違いない。だが、それを口にするだけの資格が自分にあるのか、分からなかった。
 シアルが公孫勝に連れ去られたのは、自分に力がなかったからだ。だからシアルはあの場で戦いが始まらないよう、無力な自分がその巻き添えにならないよう、自ら囚われの身となることを選んだ。
 今、あさひがシアルと助けたいと言ったところで、彼女には何もできない。周囲にいる、力を持った者達に縋り付くだけだ。
 それが、あさひを迷わせる。
「それじゃあ、駄目だね」
 俯いて黙り込んでしまったあさひに、冷たい声が投げかけられる。顔を上げたあさひの視界に、平坦な目つきでこちらを見ているサペリアが映る。
「駄目ってどういう……」
「それは自分で考えな」
 思わず零れ出たあさひの呟きをサペリアはばっさりと切り落とし、それ以上は何も言おうとしない。


「失礼します!」
 丁度そのタイミングで、酷く慌てた様子の一人の騎士が会議室に飛び込んできた。彼はサルバトーレに向けて略式の敬礼を取り、次のように報告を行った。
「市街北東部に、グレズが出現しました! 巨神級のメタボーグです!!」




Master Scene

 それを一言で表すなら、空にそびえる鋼の城だ。
 その巨大さは、間近にあってはその全容を認識できないほどで、いくつか離れた通りから見ることでやっと全容を認識できる。
 このグレズについて報告した兵士は、これをメタボーグ、つまり人型のグレズだと形容したが、これは半分がたの正解で、実際は上半身のみが人型をしている。
 下半身の構造は、何本もの尖塔が逆さに生えているような形状をしていて、当然それで歩けるはずもないので空中を浮遊して移動していた。
 その巨体の内側、人間で言えば心臓に当たる部分に公孫勝はいた。半ば機械に埋もれるような格好で、巨大メタボーグのコアとなっているのだ。
 そして、この巨神に力を与えているのは彼だけではない。
 胸部装甲の中央部に、金色に輝く球体が嵌め込まれている。その内側に目を凝らせば、そこには一つの人影が見える。
 十字架に張り付けられたような姿勢で浮かび上がるその姿は、公孫勝が先ほど手に入れてきたアニマ・ムンディ、否、ヴォーティフのグレズクリスタルの器である。
 公孫勝が持つグレズクリスタルが、もはや彼の一部と言っていいほどに同化しているように、アニマの内側にあるグレズクリスタルも、簡単に摘出できない状態にあった。下手に取り出そうとすれば、クリスタル自体を損傷してしまう危険がある。
 故に公孫勝が取った手段がこれだった。己のクリスタルの力で顕現させたグレズに、器ごとクリスタルを取り込んだのだ。幸いな事に、器たるアニマ・ムンディとはMTの部品として創造される存在である。こうして取り込み、同調させてしまうにはうってつけの素材だった。
 

 公孫勝とシアルの持つクリスタルを併せても往時のヴォーティフのそれにはまだ足りない。それでも上位メタロードと同等以上の出力が得られている。それにダスクフレアたる公孫勝の力も加わるのだ。創世に必要なフレアを狩り集めるには十分な力だと公孫勝は判断した。
 そして、莫大なフレアの塊が、この街には複数存在している。
 カオスフレア。ダスクフレアに導かれるよう現れる彼ら彼女らは、ダスクフレアにとって不倶戴天の敵であると同時に、きわめて魅力的な餌でもあるのだ。
 故に、公孫勝はここを勝負どころと定めた。己が裡にあるグレズクリスタルの力を解放し、練り上げた仙人としての術を持って制御する、仙術攻殻。これをもってフォーリナーを含めたカオスフレアを打ち倒し、そのフレアを手に入れたならば、そのをグレズクリスタルに注ぎ込んだならば。
「創世が、調和の世界が実現する……!」
 機械に囲まれた心臓部に反響する公孫勝の声は、彼の望みを目前とした状況とは裏腹に、どこか無機的な冷徹さを帯びていた。



Scene19 乱戦


 街の住人の避難は順調に行われていた。
 そもそもが兵役経験者率が極めて高いティカル騎士団領である。こうした非常時においてもそれは有効に働いていた。
 やがて、大してパニックを起こす事もなく、現れた巨大メタボーグの周囲やその予測進路上から民間人と非戦闘員の退去がほぼ終了した事が報告された。


「まーた唐突にハデな事態になったじゃないのさ」
 騎士団詰め所の屋根の上から街を見渡して、サペリアが言う。
 街の北東部に浮かぶ巨神級メタボーグ、そして、それに率いられるように存在する、多数のメタボーグとメタビースト達。
「こちらもハデに行くことを考えなければならんかもな」
 ばしん、と掌と拳を打ち合わせるフェルゲニシュ。グレズの群れは、明らかにこちらに向かってきている。
「狙うはダスクフレア、公孫勝。ともかく奴を仕留める事だけ考えて突破する」
 エアロダインの操縦席で計器の最終確認をしながら、ローレンが大まかな方針を口にする。
「有象無象は我々で引き受けます。ご武運を」
 そう言って踵を返し、整列して彼を待つ部下の下へサルバトーレが向かう。彼らが主にメタボーグ、メタビーストを受け持ち、カオスフレアたちはその指揮系統から外れ、ただ大将首であるダスクフレアを狙って行動する手はずだった。


「あさひちゃんが心配かい?」
 一瞬だけ、ダスクフレアとは反対方向へ視線をやったローレンに、サペリアが問いを投げる。
 あさひは民間人と同じく、後方へ避難させられていた。戦う力を未だ発揮できない以上、たとえフォーリナーであろうと足手まといだと面と向かってはっきり言ったローレンに対して、彼女は反論の言葉を持たなかった。だから、何か言いたげな沈黙を抱えたまま、あさひはその方針に従ったのだった。
「……別にそんなんじゃねえよ」
「じゃあ、罪悪感とか」
「妙に絡むじゃねえか。てめえだって反対しなかっただろ」
 ぎろ、とローレンがサペリアに睨みをきかせる。そうしながらも、半ばその通りである事をローレンは内心で認めていた。
 あのアニマ・ムンディは破壊する。最早そう決めていたからだ。手っ取り早くダスクフレアの力を削ぎ、その目論見を打ち破るには、そうするべきだと彼は判断していた。
 だが、その事を結局、ローレンはあさひに言わなかった。言えなかった、のかもしれない。
 言えば、あのフォーリナーはきっと邪魔をしようとするだろう。それを防ぐために黙っていた、という理屈もある。
 しかし、
「……見なくて済むなら、その方がいいだろ」
 ぽつりとそれだけを言い、口を閉ざす。
「確かにね」
 サペリアも言葉少なに同意し、眼下を見やる。ティカルの騎士たちが隊伍を組んで進んでいくのが見える。
「よし、我々も行くぞ」
 牙を剥いたフェルゲニシュの言葉に、カオスフレアたちは頷いた。



◆◆◆



 最初に戦端が開かれたのは、煌天騎士団とメタビースト部隊の間でだった。
「第四重装小隊、抜剣! 吶喊!!」
 叫んでメタビーストに斬りかかって行く騎士たちの主な武装は、オリジンの伝統的な剣や槍、槌などの武器だ。
 ただ、これらの武器は実はグレズとの相性が悪い。何せ相手は鋼の体を持つ機械生命である。熟練の業で振るわれる刃も、なかなか致命の一撃とはなりにくい。ネフィリムから提供されている銃火器や、魔法での攻撃なら効果は見込めるのだが、いかんせんそれらの兵科は主力にできるほどの数を揃えられていないのが実情だった。
 実際、前衛として向かっていった騎士たちは、その重装備ゆえに相手に突破を許してはいないが、有効打を与えられているようにも見えない


 無論、これらをメインアームとした上でグレズとも戦闘を行う以上、それなりの対策というものをティカル騎士団も持っている。例えば魔術的な加護を与えられた刀剣類や、もっと単純に破壊力を追求した武器で装甲を撃ち貫くというものもある。
「後は任せろ前衛! ブチ込め穴掘り野郎どもディガーズ!!」
 応、と声を上げて前衛が作った鎧と盾の壁の隙間を縫ってメタビーストに肉薄した騎士たちは、あまり武器には見えない機械を脇に抱えている。その機械の先端部、鋭く太い刺が出ている部分をメタビーストに押し付けると、騎士たちは一斉に機械に備え付けられている引き金を引いた。機械内部で魔術と火薬を触媒とした爆発が起こり、それによって機械先端の刺、否、杭が射出される。土木用のものを武器に転用した杭打ち機パイルバンカーだ。
 杭打ち貫通パイルバンクされたメタビーストが一機残らず爆散し、再び前衛が前に出て次の敵に備える。


「さあ笑え! そして戦え野郎ども!!」
 重装小隊の隊長が剣を振り上げて味方を鼓舞する。
 応、と答える者がある。
「我ら、少年従者の勇気を継ぎし者!」
 手にした得物を振り上げる者がある。
「我ら、善き心を守りし者!」
 力強く地面を踏み鳴らす者がある。
「我ら、誇りのために笑いながら死する者!」
 その場の全員が唇をまげて笑みを作る。
「我ら、ティカルの騎士なり!!」


 その咆哮を合図としたように、メタビーストの二陣と騎士たちが激突した。



◆◆◆



 ローレン、フェルゲニシュ、サペリアの三人は、ハデにぶつかり合うティカル騎士とグレズたちを避けるように、街の外周に沿うような大回りのルートを取ってダスクフレアの元へ向かっていた。
 いちいち手下のグレズに構っていては、いざ決戦という段になって息切れしてしまう恐れがあったからだ。このルートでも散発的な攻撃はあったが、フェルゲニシュが攻撃を防ぎ、ローレンが相手の動きを封じ、サペリアが魔法を叩き込むというコンビネーションによって悉く粉砕されていた。


「上手く騎士団が向こうの目を引きつけてくれているようだな」
 街の中央部の方角に眼を向けたフェルゲニシュが感想を漏らす。
「そうみたいだねえ。まあ、あたしらが気張らなきゃいけないのはもうちょっと後だからね。それまでは頑張って貰おうじゃないの」
 視線を上げて見上げた向こう、巨大なグレズの方へ向かう足を止めないままでサペリアが同意の声を放つ。
「……どうも何から何まで上手くいく、というわけにはいかねえみたいだけどな」
 続けて口を開いたローレンの視線の先に、幾つもの影がある。メタボーグとメタビーストの混成部隊。総数は十と少しというところか。今までがせいぜい単独で行動していたものに遭遇していただけだったのに比べ、明確に部隊規模でこちらに向かってきている。
「流石にそろそろこちらの手の内も向こうにバレる頃か」
 今まで三人が遭遇してきたグレズは可能な限り短時間で殲滅し、自分達の存在を他へ伝えられないよう留意してきたが、街の各部に展開しているどの騎士団の部隊にもカオスフレアがいないということに流石に勘付かれたようだった。騎士団の部隊を無視してこちらに向かってくるグレズたちが出始めている。


「ここで時間をかけるわけにもいかん。蹴散らすぞ!」
 フェルゲニシュの号令を合図としてカオスフレア達がグレズと接敵する。先頭を切るのはアムルタートの龍人である。
 グレズたちは雪崩を打ってフェルゲニシュに殺到し、牙で、爪で、あるいは内蔵した武器で彼を打ち倒そうと襲い掛かる。
「メタロードであればまだしも――」
 フェルゲニシュはその攻撃の一切をかわそうともしない。軽く腕を挙げ、ガードの姿勢をとる。そして次の瞬間、グレズの攻撃が彼に叩き込まれた。
 壮絶な打撃音と、その後に訪れる一瞬の静寂。
「ガラクタ如きに龍を傷付けられると思ってか!!」
 静寂を切り裂いたのは、龍の咆哮だった。物理的な衝撃すら伴ったその叫び声は、いともたやすくグレズたちを吹き飛ばす。
 尋常の者であれば肉片にされていたであろう攻撃を受けきった彼の鱗には傷一つ見られない。フレアに敏感な者であれば気付いたかもしれない。燐光のように彼を取り巻く青い輝き。光翼騎士のコロナの輝きに、だ。


 吹き飛ばされたグレズたちは、それでも体勢を立て直し、カオスフレアたちに再び襲いかかろうと飛び掛る。フェルゲニシュを手ごわいと見て取ったか、先陣を切った一体がサペリアに踊りかかった。
「ざーんねんでした、また来週、ってね」
 だが、サペリアが軽くステップを踏むように数歩を移動しただけでたやすくグレズは狙いを外し、その牙が空を切る。
 何が起こったのか理解できない、というように攻撃を外したメタビーストがサペリアの方を振り返る。そして、その際の動きが自身のスペックより劣る速度で行われた事を認識する。が、それ以上の考察を行う機能がメタビーストの裡にはなく、そしてその時間も与えられなかった。
「さっさと吹っ飛ばせ!」
 ESPでメタビーストの動きを鈍らせ、サペリアに対する攻撃を妨害していたローレンが大声で合図を出す。サペリアはにっと笑ってそれに応え、彼女の両手に赤と青の光が灯る。
 サペリアが両手を打ち合わせて二色の光を合成する。そこから迸る銀の輝きが、複数のグレズたちをまとめて消し飛ばした。
「絶好調、ってね。この調子で――」


 機嫌よく次の獲物に狙いをつけようとしたサペリアの前で、グレズたちが一斉にその向きを変える。こちらに向き合って戦闘態勢をとっていたものが、町の中央の方向へと頭をめぐらせたのだ。
「どういう――」
 ことだ、フェルゲニシュは言い切ることができなかった。
 グレズたちが一斉に加速して走り始めたのだ。おおまかには街の中央部に向かって、しかし一塊になることなくバラバラに。
「くっ!?」
 ローレンが呻き、倒したメタビーストや、戦闘でできた瓦礫を持ち上げて、近くを通リ抜けようとしたメタボーグに向けて叩き付ける。残る二人もそれぞれにグレズに向けて攻撃を繰り出すが、全てを倒す事はできず、いくらかはこの場から逃がしてしまっていた。
 意図の読めないグレズの行動にやや苛立たしげな様子でローレンが呟く。
「……どうなってんだ?」



◆◆◆



「いかん、連中を止めろ!」
 重装小隊の隊長が部下に向かって怒鳴り声を上げる。
「ですが隊長! 連中、散り散りになって逃げて行きます! 隊列で壁を組むにしても、これでは……!」
 小隊員が腰のハードポイントから機関銃を引き抜いて逃げ行くグレズに乱射しながら怒鳴り返す。
 相手も隊列を組んでこちらへ来るなら、その進路上にこちらも隊列というなの壁を置いてやればその侵攻をとめることは可能だ。だが、一体ずつバラバラになられると、そうもいかない。壁と壁の間を抜けられてしまうのだ。
 小隊長は一瞬考え込んで、状況を整理する。それまでは火がついたようにこちらに攻めかかってきたグレズたちの突然の行動の転換。部隊単位での行動を放棄してまでの逃散。否、これは逃げたのではなく、
「浸透戦術だ! 総員、体を張ってでもグレズ共を止めろ!」
 手近なところを突破しようとしたメタビーストに斬りかかりながら隊長が叫ぶ。
「後方の民間人に被害が出るぞ!!」




Scene20 ――敗北という名の結末のあとで


「心配することはないぞ、お嬢ちゃん。すぐにカタが付くさ」
 巨大グレズへと向かっていった仲間たちを見送ったあと、あさひは二人の騎士に護衛されながら避難場所へと向かっていた。彼女がかの巨大グレズ、すなわちダスクフレアとシアルの許へ向かう事は許されなかった。
 あさひが何を言うよりも早く、足手まといだ、とローレンが断じたのだ。その場にいた誰からも――あさひ自身からすら――それを否定する言葉は発せられず、彼女は避難場所へと行く事となっていた。
「そうそう。煌天騎士団は精鋭だからな」
 名残惜しげに、戦いに向かった者たちの方をちらちらと振り返るあさひを気遣って、同伴している騎士たちがかわるがわる声をかける。
 彼らはこのウェルマイスの街に常駐している騎士たちで、住民の避難を請け負ったのも彼らの同僚である。住民たちに親しみ、地理に明るい彼らでなければこうも迅速に避難を終える事はできなかっただろう。
 あさひとともにいる二人は避難作業についての報告を、実戦部隊の長であるサルバトーレに報告に来た者たちで、その場であさひを避難場所に連れて行くよう命じられ、こうしてともにいるのだった。
 ともに二十代の後半ほどの騎士たちは、明らかによそ者であるところのあさひにも何くれと気を遣ってくれていた。そのことについてあさひが礼を述べると、彼らはやや照れくさそうな笑みを交わしてから、しかし誇らしげに胸を張って、
「戦う力を持たないものを守る事こそティカル騎士の本懐。むしろこちらが感謝したくらいだ」
 と言ってのける。ややおどけた調子を混ぜていたのは、あさひの気を紛らわせようという気遣いだろう。


 だが、その言葉を受けて、あさひはきゅっと痛みをこらえるような表情をみせたかと思うとそのまま俯く。騎士たちはお前がハズしたんだ、とあさひから見えない角度でお互いを指差してあげつらいつつ、どうしたものかと慌て始める。
「でも、あたし、フォーリナーなんです」
 そして、顔を上げたあさひの言葉に、ぴたりと動きを止めた。
「フォーリナーというと、絶対武器を持つという?」
 騎士の問いに、あさひはこくりと頷き、
「でも、あたしはそれを使えないんです。本当なら、オリジンに来てから聞いたフォーリナーの力が本当にあたしにあるなら、シアルを、友達を守れたはずなのに、こうやって逃げ出して、守られるだけで……!」


「それの何が悪いのかね」
 搾り出すようなあさひの声に、騎士はそう応えた。
「例えば、我らティカルの騎士であるならば、ただ守られるだけの存在である事は許されないだろう。戦いがあり、敗北と言う結果の先に弱き人々の涙があるのなら、力及ばずとも笑って捨て石になり、勝利を、もしくは仲間たちがそれを掴むまでの時間を稼ぐのがあるべき姿だ」
 一人の騎士がそう言い、もう一人がその後を続ける。
「だが、君は騎士ではない。軍人ではないのだ。ティカルは尚武の地だが、戦う力なき者を否定はしない。弱きが故に守られることは悪ではない」
「でも……」
 反論しかけて、あさひは口をつぐむ。実際、今のあさひに何もできることはなく、彼らの言うとおりに守られるほかにあさひの道は存在しない。だからこそ、こうして仲間と離れてここにいるのだ。


 あさひが落ち込む気分に従うように肩を落として俯いたときだった。
「お姉さん!」
 すぐそばにわき道から、そんな声がかけられる。子供の声だ。
 あさひと騎士たちがそちらに目を向けると、年ごろの違う子供が二人、しゃがみこんでいる。
「ユージーンちゃんとミリちゃん!?」
 面識のある二人の名前を、あさひは驚きとともに口にした。


 よほど怖かったのだろう、ミリの顔は涙と鼻水でぐちょぐちょだったし、今は落ち着いているユージーンの頬にも涙の跡がはっきりと見られる。
 孤児院からの避難の途中、ユージーンがミリの手を引いていたのだが、後ろから何処かの大人にぶつかられてその手を離してしまったのだという。慌ててユージーンはミリを見つけようとしたのだが、折悪しく人ごみにまぎれて見失ってしまい、ようやっと見つけたときにはすっかり避難の列からはぐれてしまっていたのだという。
「そっかあ。大変だったね、ユージーンちゃん。でも偉かったね。ミリちゃんをちゃんと見つけたもんね」
 泣き疲れていたのと、大人に会えて安心したのだろう。眠ってしまったミリを抱きかかえながらあさひはユージーンを褒める。
「そんな。元はと言えば私が手を離しちゃったのがいけなかったんです」
 照れたようにそう言うユージーンに、彼女以外の目元が緩む。
「いいや、実に勇敢なお嬢ちゃんだ。我々も見習わなくてはな!」
「まったくだな。今度部隊の連中に心得を説いてもらいたいくらいだ!」
 騎士たちに手放しで褒められてユージーンが顔を真っ赤にして俯く。


 ぞくり、とあさひの肌が粟立った。


 反射的に周囲を見渡すあさひ。何事かと尋ねる前に、念のために同じく周囲を警戒した片方の騎士が、それを発見した。
「……グレズ!」
 見上げた先、おそらくは何かの商店であろう建物の上に、狼型のメタビーストが一機、あさひたちを見下ろしていた。
「下がれ!」
 騎士の一人が叫ぶのと、メタビーストが屋根を蹴ったのはほぼ同時だった。一瞬の間を置いて、金属質の激突音が周囲に響き渡る。
 あさひたちを庇う形で前に出た騎士に向けて振り下ろされたメタビーストの前脚が、盾によって受け止められている。
 動きの止まったメタビーストに向けて、騎士が手にした剣を振り下ろす。両手持ちの大剣だ。先ほどメタビーストの爪を受け止めた盾は、騎士の眼前でふよふよと浮いている。
 フローティングシールド。その名の通り使用者の周囲を浮遊し、自動的に防御行動を行う魔法の盾だ。
 攻撃を受け止めた事による衝撃も、この盾を用いている限りは使用者の動きを阻害し得ない。それによって実現するのは高速のカウンターである。
 騎士の剣はそれを実現してみせた。騎士の反撃をよけそこなったメタビーストは、攻撃に用いた右足を斬り飛ばされている。
 二人の騎士は、グレズに手傷を与えた後も油断を見せず、しかし迅速に敵を仕留めるべく連携して動き出す。それは、客観的に見て優勢と表現すべき状況だった。


「……だめ……!」
 その状況を目にして、あさひの口から吐息のような言葉が漏れる。
 背を伝う悪寒が止まらない。危機感がぴりぴりと肌を刺す。覚えのあるこの感覚は――
「だめえっ! 逃げてえっ!!」


 遅かった。
 結果論のみを語るなら、この狼型メタビーストに見つかった時点で手遅れだったのだ。
 右前脚を失って、しかし地面を踏みしめて立つ機械の狼の周囲を、黒い陽炎がたゆたう。
「プロミネンス、だと……!?」
 騎士たちが絶句する。
 彼らの自失の一瞬を、メタビーストは見逃さなかった。
 黒い陽炎が、一箇所に収束を始める。丁度、狼の口許へ、だ。
 そして、狼が口を大きく開く。


 一番反応が早かったのは、あさひだった。ミリを抱いている腕の中に、強引にユージーンを引っ張り込み、二人を庇うように狼に背を向ける。
 騎士の一人がメタビーストに斬りかかり、もう一人があさひたちの盾となる位置へと動いた。
 

 騎士の振り下ろした剣が命中するより早く、狼の遠吠えが響き渡る。遠吠えはプロミネンスを奔流として伴い、二人の騎士はそれをまともに浴びた。
 攻撃に出た騎士が振り下ろした剣が宙を斬り、その勢いのままに倒れ付す。
 防御に出た騎士があさひたちに背中を向けたまま膝を突き、崩れ落ちる。


 二人の子供をきつく抱きしめたまま、首をめぐらせたあさひはそれを見た。
 二人の騎士の姿に、何処か違和感を感じる。先ほどまで見ていた二人と、何かが違う。
 かちり、と何かの音が聞こえた。空耳かと思ったそれが、もう一度、かちり。
 何の音かと耳を済ませたあさひの聴覚に、それは連続で届いてくる。
 そして、あさひは気付いた。


 まずは武器と防具。もとから金属であったが故に、一番先に影響を受けた。
 次に指先と足先。それは末端から騎士たちの体を侵してゆく。
 歯車、コード、ギア、さまざまな部品。
 人が、機械に変じてゆく。


「あ……」
 意味を成さない呻き。
 あさひの喉から漏れたそれに混じるのは、恐怖だ。
 グレズは人を機械に変えるものだと聞いてはいた。
 聞いていただけだ。
 目の前でそれが起こりつつあり、そして次は自分の番であろうという状況が、あさひの心を折ろうとしていた。


 きゅ、と服の袖が掴まれた。
「お姉さん……?」
 ユージーンだ。彼女には、騎士たちに何が起こったか見えていない。あさひの体が彼女の視界を覆い隠している。だから、今のユージーンにとっては、聴覚から入る情報が全てだ。
 かちりかちりと連続する金属音。グレズが一歩を踏み出す硬い足音。そして、自分を抱きしめる年上の女性の、怯えた声。
 

 は、と吐息が漏れる。
 あさひの視界の隅、自分のすぐ脇に、先ほど騎士が使っていたフローティングシールドが落ちているのが見える。
 もう一度、腕の中のユージーンとミリをぎゅっと抱きしめる。
 覚悟を決めるのに、三秒かかった。


「大丈夫だよ」
 少女の不安を取り除く事ができるよう、精一杯に優しい声で囁く。軽く頭を撫でてやり、グレズに背を向ける格好でユージーンを立たせ、この期に及んでまだ寝ているミリを預ける。
「大物だよね、ミリちゃん」
 くすりと笑って、ユージーンの背中をぽんと叩く。
「行きなさい。街の南にある病院が一時避難所になってるはずだから、そこまで逃げるの。……大丈夫。ユージーンちゃんなら一人で行けるよ」
「お、お姉さん……!?」
 本当に賢い子だなあ、とあさひは内心で感心する。あさひが何をするつもりなのか、もうすっかり見抜かれてしまっていた。
「大丈夫だよ。お姉さんは、実は天下無敵のフォーリナーなの。知ってる? フォーリナー」
 こくりとユージーンが頷くのを見て、あさひは殊更ににっこりと笑顔を浮かべてみせる。
「だから大丈夫。さあ、行って!」
 

 あさひの声に背中を押されるように、ユージーンがミリを抱えて走り出す。ミリよりも大分年上と言っても、ユージーンもせいぜい十歳程度の子供だ。その速度は決して速くはないが、グレズはそれを追おうとはしない。あさひに目標を定めたように、こちらに向けてゆっくりと歩を進める。


「やっぱりあたしが目的か」
 半ば予想はしていた。だからこそ、ユージーンたちを自分から引き離したのだ。
 落ちているフローティングシールドを拾い上げる。ずっしりと重い金属製の盾は、さっきは浮かんでいたのに今はうんともすんとも言わない。仕方がないので両手で自分の眼前に掲げるように持ち上げた。


 メタビーストに真正面から向かい合う。
 怖い。
 だが、逃げるわけにも行かない。
 グレズは全ての有機生命を機械化するのが目的だと聞かされた。今、このメタビーストがあさひに目標を絞っている様子なのは、おそらく公孫勝の指示だ。
 だが、それが達成されればどうなるか。命令のタガが外れたメタビーストは、手近な獲物を襲うかもしれない。
 例えば、まだそう遠くへは行っていないであろう、二人の子供とか。


「しょうがないよね、思い出したんだから」
 そんなに古い記憶というわけではない。というか、つい昨日の事だ。
「思うようにやる、後から振り返って後悔しないようにする、かあ。自分で言った事ながら、結構キビシーよね?」
 あの時、一方通行の友人であるシアルに、確かに自分はそう言った。よくもまあ、偉そうな事を、と自嘲する。
 おまけに、さっきまでの自分が良くない。サペリアの、それじゃ駄目だ、という台詞も納得のヘタレ振りである。状況に流されるな、自分の意志で決めろ、と彼女は言ってくれていたのだ。自分がどうしたいかもはっきり言えないようでは、それは呆れられもするだろう。
 場違いに口元に浮かぶ笑みを自覚しつつ、メタビーストに向かい合う。


 先ほどこのグレズはプロミネンスを使ったが、おそらくダスクフレアではない。本物のダスクフレアと対峙した経験が、あさひにそう言っている。おそらくは、あの公孫勝がなんらかの手段でこのメタビーストに、限定的にプロミネンスを仮託したか、使える能力を与えたかしたのだろう。
 だからといって、今のあさひにメタビーストに対抗する手段はない。ただ、ダスクフレアを相手にするよりは気が楽、というだけの話だ。
「まあ、遅いか早いか、なんだけどね」
 ぽつり、と自分に言い聞かせる。
 まずはこの場をどうにかして切り抜ける。それが終わったら、シアルを助けないといけない。
 資格がどうとか、力がどうとかはこの際どうでもいいのだ。
 友達に向けて大見得切ったからにはやり遂げないといけない。それだけだ。
 思い出させてくれたのは、あの子供たちだ。自分がしっかりしなきゃ、と思ったら、今の自分を客観視することが出来た。
 全部終わったらお礼を言いに行こう、と考えて、また少し口元が緩む。
 ――結構余裕あるじゃない、あたし。
 自棄っぱちになっているだけかもしれないが、それでも心の熱量は体を動かすに余りあるものを得られている。
 

 盾を持つ腕と、地面を踏みしめる足に力を込める。
 メタビーストの纏うプロミネンスが再び収束するのを目にして、あさひは盾を構えてメタビーストに向けて加速した。





 彼は、自分が夢を見ているのだと思った。
 メタビーストに向けて剣を振るい、それが届かず地に倒れ、体の半ば以上を機械と化されながら見ている末期の夢だ。
 ティカル騎士団領で育った子供なら、誰もが知っている逸話。それの一幕を見ているのだと。少なくとも彼はそう思ったのだ。


 かつて、大魔王の軍勢に対して組織された多種族連合軍。
 人間種族が魔王軍に対して恐れをなし、遁走したことで大敗したその緒戦において、ただ一人、殿に立った者があった。
 人間の、さしたる力も持たない従者の少年。
 その手に聖なる剣はなく、万軍を砕く魔法はなく、帰る家さえ持たなかったその少年は、粗末な槍と盾のみを持って、とある渓谷でただ一人、レッドキャップと魔王たちの軍勢に立ちはだかった。
 数百の魔族たちを道連れにして果てた少年従者の志を継ぐべく、彼の名を冠した騎士団が創り上げられた。
 その名はティカル。
 ティカル騎士団領のみならず、イスタム全土において知られる、勇気と誇り持つ者の名である。


 身の丈に合わない盾を構え、黒の陽炎を纏う機械の獣に向けて駆ける少女の背に、薄れ行く意識の中で、騎士はティカルの姿を見た。
 そして、これが夢ではなく、現実の続きなのだと彼は認識した。
「……お……!」
 言葉にならない呻きが漏れる。
 両手両足は既に機械に変わり、彼の意思に従わない。それでも、動く部分を使って、前に進もうとする。目の前にある勇気に応えるために、だ。
 だが、全くと言っていいほどに、彼の体は言う事を聞いてはくれない。遅々として進まない自信の前進に彼が歯噛みした時、それは起こった。


 機械の狼が、大きく口を開く。その周囲に、黒い陽炎が集う。
 メタビーストに接触するまであと数歩、というところだった。僅かに、横に飛んでメタビーストの正面から逃れるような挙動を見せた少女は、一瞬だけ後ろを振り向いた。
 黒い瞳が、倒れ伏したままの騎士を見る。
 そして、彼女は回避を捨てた。
 身を縮め、盾の影にできるだけ自身の体を入れ、そのまま地面を蹴る。
 騎士は、気も狂わんばかりの焦燥が自身を焼くのを感じた。
 彼女は、自分を守るためにその場に留まったのだ。だが、彼には最早どうすることもできない。
 そして、メタビーストの咆哮とともに、プロミネンスが少女に叩きつけられた。


 腰を落とし、盾を使ってプロミネンスを受け止める。だが、叩きつけられる黒い奔流に対し、少女の姿はあまりにも頼りなく見えた。
「う、あああああああああッ!」
 少女の口から叫びが上がる。
「……逃げろおっ!!」
 やっとのことで、騎士はその言葉を搾り出した。
 少女にもそれは届いたはずだ。彼女の肩がぴくりと震えるのを、騎士は確かに見た。
 それだというのに、少女はその場から逃げようとしない。それどころか、騎士から見ればあまりに華奢な足に力を込め、プロミネンスに抗って前に進もうとしている。
「負ぁぁぁぁぁけぇぇぇぇるぅぅぅぅかぁぁぁああっ!!」


 叫びと共に一歩を踏み出したその瞬間、騎士は彼女を見失った。
 その場から居なくなったわけではない。
 その理由は、
 ――黄金の、炎……!!
 彼女の腕から、踏みしめた足から、吹き上がる金色の輝き。
 揺らめきながら輝くそれが、彼女の体を覆い、騎士の視界を塗りつぶす。
「だありゃああああああああっ!」
 全身に黒い陽炎を吹き散らしながら、黄金の軌跡を引いて駆ける少女の雄叫びが響き渡った。



 ガツン、と盾を伝って腕に感じた衝撃に、あさひはその場に尻餅を付いた。
 正直な話、盾でプロミネンスを受け止めた辺りから何があったのかよく覚えていない。がむしゃらに突進して、そして――
「うわっ!?」
 目の前に、件のメタビーストの顔がある。へたりこんだまま後ずさるあさひを追うように、メタビーストの牙があさひに迫り、
「……あれ?」
 金属がぶつかり合う盛大な音と共に、その場に崩れ落ちた。つま先で二、三度つついてみるが、全く反応を見せない。まとっていたプロミネンスも、綺麗サッパリ消えていた。
「……あたしの体当たりって、もしかして物凄い?」
「いや、それは違うのではないかと」
 なんとなく口をついて出た言葉に、背後からツッコミが入った。慌てて振り向いた視線の先には、二人の男性が立っている。さっきまで、体を機械化されて倒れていたはずの騎士たちだ。
 一瞬、きょとんとした表情で彼らの顔を順繰りに見たあと、
「ぶ、無事だったんですか!?」
 飛び上がって喜び、彼らの足やら腕やら鎧やらをぺたぺたと触るあさひ。確かに機械化していたのに、そんな名残はもう何処にもなかった。
 歓迎すべきことなのは確かだが、これは一体どうしたことかと首を傾げるあさひに、騎士たちがかわるがわるに先程見たことを説明する。


「……黄金の炎……ですか?」
「ああ。君の体から吹き上がったそれが、プロミネンスを押し返し、我々の体の機械化も綺麗サッパリ消してしまったんだ」
 騎士たちから告げられた言葉に、いまいち記憶の曖昧なあさひは腕を組んで首を傾げる。
 確かに何かぴかーっと光っていたような気はするのだが、まさか自分自身が発光していたとは思いもよらなかった。と、そこまで考えたところで記憶の中から浮かび上がってきたことがあった。
「そうだ。聖戦士のコロナだ」
 あさひの呟きを耳にした騎士たちもぽんと手を打つ。
 サペリアが教えてくれた、カオスフレアの力の顕現。その四種類のうちの一つが、黄金の炎のコロナを持つ者、すなわち聖戦士だ。
 自分でもどうやってそれを発現させたかはよく覚えていないし、それで何ができるかも実はさっぱりだが、それでも自身にカオスフレアの力があることはこれではっきりしたのだ。
 シアルを助けるための、これは大きな一歩だと内心で喜びを噛み締める。


 よし、ひとり頷いて、あさひは街の中央へと視線を向ける。巨大なグレズが宙に浮いているのがはっきりと見えた。
「あたし、行きます。ダスクフレアのところへ、友達を助けに」
 騎士たちへと振り向いて、きっぱりと告げる。
 彼らは反対こそしなかったが、自分たちも同道すると主張した。
 いかにカオスフレア、聖戦士と言えど、年端もいかぬ少女を一人戦場に送り込んだとあっては騎士失格である。助けられた恩も返さなくてはならない。是非とも供に連れていって欲しいと熱心に頼み込まれたのである。
 彼らの気遣いは嬉しかったし、心強いものだったが、あさひはこれを謝絶した。
「ユージーンちゃんたちも心配だし、他にも逃げ遅れた人がいるかも知れません。だから、街の人を守る仕事をしてください。お二人の代わりに、あたし、あそこで頑張ってきますから」
 そう言って、ちらりと巨大グレズへと目線をやる。
 騎士たちは数瞬黙考し、あさひの言を受け入れた。避難場所へ向かっているはずのユージーンに追いついて合流し、周辺の住民に気を配っておく、と、やや大げさに宣誓する。
 また、せめてこれを、との言葉とともに、あさひはフローティングシールドを譲られた。先ほどこの盾の浮遊魔法が発動しなかったのは手順を踏まなかったことが原因で、それを教えてもらった今は、盾があさひの周囲をふよふよと浮かんでいる。


「では、ご武運を!」
 そう言って拳を差し出す騎士たちに、それぞれごつんと拳を打ち合わせてからくるりと踵を返す。
「行ってきます!!」


 目指すは、街の中央付近。
 そこには、仲間と敵と、
 友達がいる。



[26553] 第一話『曙光の異邦人』その10
Name: 新◆292e060e ID:ebf219b0
Date: 2011/06/24 09:19
Scene21 解放


 ウェルマイスの街の名物が何かと住民に聞いたなら、十中八九、中央広場だと答えるだろう。
 高名なパットフットの建築家が手がけたという噴水を真ん中に置き、植え込みや石畳でバランスよく装飾されたその場所は、住民の憩いの場でもある。
 しかし、今現在の中央広場は、この街でもっとも危険な場所へと変わり果てていた。
 広場の上に浮かぶ、巨大グレズ、ダスクフレア・公孫勝と、三人のカオスフレアが今まさにその場所で睨み合っているからである。


「……来たか、カオスフレア達よ。我が新世界の糧となるために」
「来たとも、ダスクフレア! お前の創世を止めるために!」
 遠雷のごとく響き渡る公孫勝の声に、三人の先頭に立つフェルゲニシュが叫びをもって答える。
「抵抗は無意味だ。大人しく我が創世に手を貸すがいい」
 いやに平坦な口調で、公孫勝の声が巨大グレズから降ってくる。
「三千世界から争いの種は消えぬ。世界を作り変えねば、永遠に平和は訪れない。我が創世を、機界調和を阻むなカオスフレア達よ。真の平穏と調和を望むなら、そのフレアを差し出すのだ」


 鋭い目つきで巨大グレズを見上げていたローレンが、ぎしり、と歯噛みした。搾り出すようにして、公孫勝に問いを放つ。
「……グレズに取り込まれやがったな!?」
「否。真理にたどり着いたのだ」
 公孫勝が答える。その声に、一切の感情は感じられない。
「情けねえ! 造物主に付け込まれてVF団の理想から外れただけじゃ飽き足らず、機械の使いっ走りに成り下がるたあよ!」
「ならば問う。異端ゆえに全てを失った超能力者よ」
 多分に侮蔑と激昂を含んだローレンの言葉を受けても、公孫勝の声は鉄のように揺ぎ無い。
「VF団の理想。全ての弧界の統一。それが只人に成し遂げられると思うのか」
 自身もVF団八部衆として、その理想のために邁進してきたはずの公孫勝が、己の部下であった少年に対して問いかける。
「仮に成し遂げられたとして、それは一時のものに過ぎないのではないか。その理想を永遠のものとするには、ヒトは煩雑に過ぎる」
「思い通りにならないから世界を作り直すのか!? 人に期待できないから全てを機械に変えるのか!?」
 まっすぐにダスクフレアを見上げ、ローレンは公孫勝の言葉を否定するように、腕を大きく横に振りぬく。
「教えてやるよダスクフレア! そいつぁな、ガキの我侭だ! いいトシこいたジジイのくせに、年甲斐もなく駄々こねてんじゃねえよ!!」


「ではお前達はどうだ。龍の戦士よ。星より来し者よ」
 ローレンが己の意に沿わぬと判断した公孫勝が、フェルゲニシュとサペリアにも問いを向ける。
「願い下げだな、ダスクフレア」
「こっちも同じく、だね」
 迷うそぶりも見せず、二人は即答する。


「そも、龍を釣る餌に平穏を用いるなど、不勉強にもほどがあろう。我らは強きを尊び、戦いに生きる者。全てが機械に成り果てたが故の平穏など、怖気が走る」
 そう言って牙を剥いて公孫勝を威嚇するフェルゲニシュが、やや相好を緩める。
「付け加えるなら、ここで膝を屈したとあっては家内からは三行半、娘からは嫌われそうだからな。全力で抗わせてもらおうか」


「あたしゃ、ヒトが好きなのさ。悩んで迷って、それに押しつぶされてしまう脆さ。そして、時折、それを越えていく強さがたまらなく愛しい」
 だから、とサペリアは笑う。
「創世も機界調和も必要ないね。むしろ邪魔さ。……あたしの楽しみを奪うような輩には、キッツイおしおきが必要だね」


「……理解した。どの道やる事は変わらない。お前達はここで果てるがいい。――仙術攻殻、全力起動。グレズクリスタル、共鳴開始」
 キン、と高い金属音をカオスフレアたちは聞いた。
 仙術攻殻の胸部装甲、そこにある金色のパーツが光り輝く。
「二つのグレズクリスタルを共鳴させてパワーを倍加……いや、相乗させているのかっ!?」
 いや増す圧力に、フェルゲニシュが身構える。仙術攻殻が、その巨大さに似合わない俊敏な動作で両の手指を組み合わせて印を形作る。
「計都来迎、急ぎ急ぎて律令の如く成せ」


 公孫勝が口訣を結ぶと同時に、仙術攻殻の両手の間に黒い火種が出現する。それは見る間に大きく燃え盛り、黒い小さな太陽となる。
「まずは地均しからだ。取るに足らぬ者たちでもまとめて焼き尽くせばフレアの足しになろう」
 黒い小太陽が、地面に向かって落ちてゆく。そして中央広場の噴水に触れた瞬間、凄まじいまでの爆発が引き起こされた。
「いかん、食い止めろ!! 街が消えてなくなるぞっ!!」


 フェルゲニシュの叫びとともに、カオスフレアたちは三方から広場を囲んで、己がフレアを活性化させた。
 青と赤、銀の三色のフレアが壁となって爆発の拡散を阻もうとする。 
 一番大きく展開され、広範囲をカバーするのが守護を身上とする光翼騎士の青いコロナ。
 青より多少狭い範囲を、ほぼ同じ規模の星詠みの銀と執行者の赤がカバーする。
「こいつぁ、ちょっと大変だね……!」
 サペリアが食いしばった歯の間から声を漏らす。
 黒の爆発をカオスフレアたちはどうにか押さえ込んで入るが、その包囲の輪はじりじりと押されている。既に中央広場は全壊し、その周囲の建物が徐々に崩されていっている状態だ。
「なかなか持ち堪えているが、そこまでのようだな」
 公孫勝がそう呟いた時だった。
 赤と銀の境目が、目に見えて黒に押され始める。このままではすぐにもそこが破られてしまう事は明白だった。
「くそ、マズい……!」
 包囲が破れれば、あの黒い炎が街中を荒れ狂い、焼き尽くすだろう。今もあちこちでグレズを戦闘を行っている騎士達も、避難している人々も、死してなおダスクフレアの糧とされる運命を辿る事になる。
 ローレンが歯軋りしながら自身のフレアを更に活性化させる。が、どうしても黒い炎の勢いを押し留められない。その威力とカバーすべき範囲に対して、そもそも防御側の力の総量が足りていないのだ。

 
 せめて、あとひとり。


 思わず脳裏に浮かんだそんな言葉を、その言葉とともに浮かんだ誰かの面影を、弱気の産物だと振り払おうとしたときだった。
「う、わああああああああーっ!!」
 聞き覚えのある、ヤケクソ気味の叫び声がローレンの耳に届いた。


 黄金が、赤と青の間に立ちのぼる。その狭間を抜けようとしていた黒を押し留め、押し返す。
 ローレンは、信じられない思いでそれを見た。黄金の炎のコロナ、それが形作る壁の、その根本になっている四つ年上の少女を。


「ちょっとロー君これプロミネンスでしょさっきから首の後ろがチリチリしてうわ何これ勢いで割り込んだけどめっちゃ怖いーっ!?」
 自分から飛び込んできたくせにぎゃーすか喚くそのフォーリナーに、ローレンは一瞬緩みそうになった頬を引き締め、目一杯嫌みったらしい表情と声音を作ってこう怒鳴りつけた。
「遅えよ! やりゃあできんじゃねーか! このグータラ女が!!」
「せ、折角助けに来てあげたのに何て言い草っ!? ロー君可愛くなーいっ!!」
「ちょっと二人とも! 前見な前っ!!」
 ローレンの反対側でプロミネンスを押さえ込んでいたサペリアが語気鋭く叫ぶ。先ほどまでフレアの壁を押しまくっていたプロミネンスがすっと広場の中央へ向けて引いていく。
「と、止まった?」
 あさひの吐いた安堵の息が地面に落ちるより早く、サペリアがそれを否定する。
「気い抜くんじゃないよ! 最後っ屁が来る!!」
 サペリアの言葉どおりの事態が起こったのは、彼女の言葉が終わるのとほぼ同時だった。


「あ、あいたたた……」
 時代劇の笠のようにフローティングシールドを頭に載せたあさひが立ち上がる。目の前にあるのは、だだっ広い空間だ。
 中央広場は、その真ん中に今も浮いているダスクフレアのプロミネンスによってすっかり均され、その直径を二倍ほどに広げていた。
 サペリアが叫んだあの瞬間、収縮したプロミネンスはその反動とでも言うように急速に拡大、爆発した。カオスフレアたちのシールドは、どうにか包囲を崩さずに堪え切ったものの、外側へと押し出され、結果として広場が拡張される羽目になっている。


「よう、無事か」
 背後から声をかけられ、びくっと肩を震わせてから、あさひは声のした方を振り向く。仏頂面の超能力者がそこにいた。
「なんとかね。サペリアさんとフェルさんは?」
 ぱんぱん、とほこりを払い、仙術攻殻を睨み付けながらあさひが言う。
「連中がいた辺りは……」
 そう言うローレンの視線をあさひが追う。そこは、大きな瓦礫の山となっていた。フェルゲニシュとサペリアは十中八九、あの下敷きになっているだろう。
 あの二人ならその程度でどうにかなるはずがないとあさひは考えたが、それでも自力で脱出できるかどうかは分からない。
 しかし、ローレンのESPなら二人を掘り出すくらいは簡単なのではないか。そう思い至り、ローレンに二人の救出を提案しようとした矢先だった。


 ローレンが突然あさひに駆け寄り、あさひの襟首をがっしと掴む。次の瞬間にはあさひの全身を浮遊感が包み、瞬き一つ分の間を置いてから、あさひは自分がESPで浮かされている事を理解した。
 空中浮遊もつかの間、乱暴に放り出された先は、ローレンのエアロダインの後部座席だ。自動で動かす事も可能だと言っていたから、ローレンが呼び寄せたのだろう。
「いきなり何すんの!?」
 文句を言いながら顔を上げたあさひは、ローレンの行動の理由を理解する。
 広場中央の仙術攻殻から、光の矢が次々とこちらに浴びせかけられているのだ。仙術によるものか、機械による者かは定かではないが、ある程度の連射性と誘導性を兼ね備えた光の矢は、執拗にエアロダインを追い回している。
「くっそ! これじゃああの連中を掘り出すのもできやしねえ」
 巧みにエアロダインを駆って攻撃をかわすローレンが舌打ちする。
「ねえロー君」
「今忙しいから後にしやがれ!」
 後部座席からかけられた声に、そちらを振り向きもせずにローレンが答える。が、それにもめげずに、強い意思を載せて、あさひは再び口を開く。
「ちょっとお願いがあるんだけど」
「言うだけ言ってみろ」
 相変わらず振り向かないままにローレンが先を促す。
「あたし、シアルを助けたいの。力を貸して」
 正面から思い切り直球を投げたあさひに対して、ローレンはしばし答えに詰まる。
「できるのか」
「やりたいの。だからやる」
 端的な疑問に対する答えもまた、端的だった。


 ローレンは大きくため息をつく。思い切り頭をかきむしりたい衝動に駆られたが、エアロダインを操縦する手元にそんな余裕はない。結構な労力を使ってその衝動を抑え込み、
「俺に何をさせるつもりだ?」
 言ってからバックミラーで背後を確認するとき視界にかすったあさひの顔は、満面の笑顔だった。


 ひたすらに光の矢を避け続けるエアロダインの動きの質が、若干変わる。全力で回避運動を行い続けているのは同じだが、徐々に徐々に、広場の中央、すなわちダスクフレアに向けて近づいてゆく。
 距離を詰めた分だけ攻撃は激しさを増すが、それでも神業といっても差し支えないような機動でエアロダインはそれをかわし続ける。
「無駄な足掻きを。そも、フォーリナーが来たとてもはや我に対抗はできまい。そして分かるぞフォーリナー。お前は未だ絶対武器を扱えまい」
「た、確かにそうだけど、コロナは出せたもん!」
「もん、じゃねえよばか女あーっ! 嘘でもいいから絶対武器使えるつっとけ!!」
 真っ正直に答えたあさひにローレンが忙しない手つきでエアロダインを操縦しながら突っ込みを入れる。


「つーかホントに使えねえのかよ!? あんだけハデにフレアを放出してたくせに!?」
「あ、あれはなんかこう、ぶわーっとなってぐわーっとなったら出たの!」
「ワケわかんねえー!!」


 言い争う二人の声を置き去りにしながら、エアロダインは空を翔る。ダスクフレアの仙術攻殻は、もうかなり近くに見えていた。
「シアル!!」
 座席から身を乗り出して、あさひが叫ぶ。その視線の先、金色の宝玉の中に囚われている友人の名を呼ぶ。
「この器は最早我の制御下にある。既にこれは我に力を与える部品に過ぎぬ」
 嘲笑うでもなく、罵るでもなく、ただただ無機質に公孫勝の声が浴びせられる。
「このまま我の一部としてお前達を殺し、我が創世の糧とする。そのためと道具となるのがこれに定められた未来だ」


「違う!!」
 回避機動のGで放り出されないように座席にしがみつきながらあさひが公孫勝の言葉を間髪いれずに否定する。
「そんなのは違う! 認めない!! ……ロー君!」
「なんだ!?」
「あたしをシアルのところまで連れて行って!」
 ローレンは一瞬考え、こちらの機動性と相手の光の矢による弾幕の濃さを秤にかける。
「やれるだけはやってやる。でもすぐそばまでは無理だ。攻撃がキツすぎる!」
「大丈夫。ロー君の協力があれば何とかなるよ。我に秘策あり、ってね」


 追いすがる光の矢をかわしながら、エアロダインが空を走る。近づき、遠ざかり、また近づき、という作業を秒単位で繰り返しながら、仙術攻殻の胸元へと突撃する。
 そして、その時が来た。


「これが限界だ! ポンコツの前方を通り過ぎるから後はやってみせろ!!」
 エアロダインの描く軌道は、シアルの捉えられている部分の前方5メートルほどを通過するラインだ。
「行くぞ! 5、4、3……!」
 ローレンのカウントダウンとともに、目標地点が近づく。
 立ち上がったあさひに配慮するように、さっきまで世界最恐のジェットコースターでもここまでは、というような複雑な動きをしていたエアロダインが打って変わった直線機動に入る。
「2、1……!」
 ゼロ。
 あさひがエアロダインから飛び出す。彼女の視界の端で、短時間とはいえ回避機動を放棄していたエアロダインがついに光の矢に捉えられ、連続で被弾して落ちていくのが見える。
 そこまでして近づいたこの位置。しかし、それでもあさひの脚力ではシアルの位置まで届かない。その手前で彼女の手は空を切り、そのまま地面にむけて落ちてゆくのは必定だ。
「シアルを! 返せええええっ!!」


 落ち行くのみのはずだったあさひの足が、がつん、と重い感触を得る。
 あさひの足元にあるのは、フローティングシールド。そしてその周りに散る光の残滓。
 ――ロー君、グッジョブ!
 あさひが内心で快哉を上げる。
 使用者の周囲を浮遊し、加えられた攻撃に対して自動反応して防御を行うフローティングシールド。その使用者が空中にいる際、下方から攻撃を加えられるとどうなるか。その答えがこれだった。
 

 今まさに墜落しようとしているエアロダインから身を乗り出して、ローレンはそれを見上げる。自身が撃ったレーザーガンに対する防御を行ったフローティングシールドを足場にして、ダスクフレアに、否、それに囚われたシアルに向けて最後の跳躍を行ったあさひを。振りかぶったその拳に宿った、黄金の炎を。
「やっちまえ、あさひ!!」


 ローレンの叫びは、確かにあさひの耳に届いた。握った拳に力を込めて、その答えとする。
 金色の軌跡を引いて、あさひの拳がシアルを戒める檻へと走り、


「抵抗は、無意味だ」


 瞬間的に吹き上がった暗黒の炎に弾き返された。
 あさひの体が反動で空中へと放り出される。


「言ったはずだ。未来は既に定められている」


 高揚も優越もなく、公孫勝が淡々と語る。
 それが、彼にとっての事実であるが故に。
 それが、造物主の裁定であるが故に。
 だが。


「認めない!」


 あさひの叫びが響き渡る。
「あなたに未来を決める力と権利があるとしても、あたしはそれを認めない!」
 空を翔ること叶わぬ身で、それでもシアルの許へ近づこうとあさひはあがく。
 そして、


「よく言った!! もう一押し、言ってやりな!」


 聞きなれた、女の声。
 それが響くのとほぼ同時に、振り回していたあさひの足が、確かに足場を感じる。一瞬遅れて、視界の隅ではじける赤い光。
 あさひの背後、広場の中心からずっと離れた瓦礫の山の、その上。
 銀の髪を振り乱し、額から流れる血で彩られた壮絶な笑顔を見せる女がいる。
 その女、サペリアは、赤い腕輪を嵌めた右腕を真っ直ぐに、広場の中央に、あさひに向けていた。
 先ほどローレンがやったのと同じ。あさひに攻撃を向けることで、フローティングシールドを足場と為さしめたのだ。


 盾を踏みしめたあさひの足に、
 再び振りかぶったその拳に、
 真っ直ぐに友を見るその瞳に、
 黄金の炎のコロナが、聖戦士の証が燃え上がる。


「あたしは、未来を――」
 変える。
 いいや違う。そうじゃない。
 雪村あさひの意思は、その程度では表せない!


 あさひを取り巻く黄金の炎が逆巻き、燃え盛る。
 あさひの全身を包み込み、それでも足りず、その倍、更に倍と巨大化していく。


 分かる。自身を包む、フレアというものの本質が。
 世界を循環し、世界を構成するもの。
 フレアの循環を通じて、全ては繋がっている。
 ローレンと、フェルゲニシュと、サペリアと、サルバトーレと、宿屋の女将と、この街と、空と、世界と!
 当然、シアルとも。そして、もう一人の相棒とも。
 この繋がりこそが、カオスフレアの力!


 拳を振りかぶったあさひの背後、そこに逆巻くコロナが、一つの形を取る。
 あさひがそうしているのと同じ、握り拳。
 そして、更なる変化が顕れる。
 コロナの拳の中心に、小さな鉄の塊が出現する。それは、一つだけではなく、次から次へと。
 顕れては他の鉄と繋がり、組み合わされる。
 骨組みが完成し、様々な機構を持つのであろう部品がそれを覆い、最後に装甲板が被せられる。
 そこにあったのは、あさひの体よりも大きな、鋼の拳だ。


「あたしは、未来を侵略する!!」


 あさひが拳を振り下ろす。その動きを完璧になぞり、鋼の拳も振り下ろされる。あさひの纏う聖戦士のコロナが、シアルを捕えているプロミネンスとぶつかり合い、せめぎ合う。
 そして、
「シアルーーーーっ!!」
 その名を呼ぶ。
 呼応するように、あさひのコロナが一際激しく輝き、そして、目の前の風景が弾け飛んだ。
「きゃあっ!?」
 悲鳴を上げて吹き飛ばされたあさひを、柔らかく受け止めるものがあった。一瞬、エアロダインの座席のように感じたが、そうではない。やたら衝撃の吸収性に優れた座席シート。そこにすっぽりとあさひは収まっていた。
「……え?」


 きょろきょろと辺りを見回す。
 周囲の景色を映し出しているらしいモニター類。ボタンとレバーで構成されたコンソール。座席の肘掛の先端部分に備え付けられた半球形の装置は、おそらくそこに手を置いて何らかの操作を行うのだろう。五指の形に凹みが作られている。
 びしり、と何かがひび割れる音を聞いて、あさひは我に返った。音の聞こえた方、正面方向を見る。
 そこはハッチになっていて、今は開け放たれている。そして、その向こう側。
「シアル!」
 鋼の拳が打ち込まれた金色の球体。その中に見える、意識を失っているシアル。
 びしり、と再びあの音。
 音の原因は、探るまでもなかった。シアルを閉じ込める球体に、もはや止めようもなく縦横無尽にひびが走る。


 何百枚ものガラスが一斉に砕け散るような音とともに、球体が崩壊する。
 意識を失ったまま、戒めから解き放たれて落下する金髪のアニマを、打ち込まれた拳とは逆の手が、鋼の掌が受け止めた。
 そのままゆっくりと、彼女を載せたまま、鋼の掌はあさひの前に開かれたハッチまでシアルを運んでくる。
「……シアル!」
 シートから立ち上がり、ハッチを乗り越えてシアルのもとへあさひは駆け寄る。
 大きな鋼の掌の上で倒れ伏すシアルを抱き起こした。後頭部に手を添えて顔を覗き込むと、金の絨毯のように広がる髪と同じ色の瞳がうっすらと開かれた。


「……あさひ?」
 意識を取り戻したシアルの目に映ったのは、視界いっぱいのあさひの顔だ。笑顔と泣き顔がミックスされた、曰く一言で表現し難い、しかしそこに込められた歓喜だけははっきりと感じ取れる。そんな顔だった。
 そして、見上げる視線の先。あさひの背後に見える、機械の巨人。開いた胸部ハッチの前で、左手に二人の少女を乗せているそれは、
「……『シアル・ビクトリア』?」
 見間違うはずもない。彼女の半身たるMTがそこに屹立している。


「何故だ?」
 疑問の声は、シアルからではなく、公孫勝から発せられた。仙術攻殻が右腕を振り上げる。
「シアル、こっち!」
 あさひがシアルを打き抱えて、胸部ハッチの内側、MTのコックピットに飛び込む。
 そのままシートに飛びついて、コンソールに指を走らせる。ハッチが閉まるのを待つことすらせずに、『シアル・ビクトリア』は一瞬屈みこんだかと思うと思い切り横っ飛びに跳躍する。鼻先を掠めるようにして、仙術攻殻の拳が通りすぎていき、そして遠くなる。
 機械で出来た巨体は、その事実からは想像しがたい身軽さで中央広場跡地を跳ぶ。今度は体躯に似つかわしい音と地響きを立てて着地した場所は、サペリアが立っているのとは別の瓦礫の山のすぐ前、崩し広げられた広場の端だった。


「モナドリンケージはプロミネンスにて封じてあった。そのMTがここに来る道理はない」
 相変わらずの感情の乗らない声が、あさひのもとに届く。だが、ほんの少し、そこに揺らぎがあるようにも感じられた。
「あ、あたしにだって分かんないわよっ。……シアル、なんで?」
「目覚めたばかりの私に何を説明しろというのですか、あさひ」
 コックピット内で揃って首を傾げる二人。
「ははは! 皆して勘違いしてたってことさね」
 笑い声を上げたのは、いつの間にか『シアル・ビクトリア』の肩の上に立っているサペリアだ。袖口でぐいっと顔の血を拭い、赤青のマントを風に靡かせている。
「こいつが単なるMTなら、リンケージを封じさえすりゃあそれで済んでたんだろうよ。実際、あさひちゃんとシアルちゃんがリンケージを試しても、実行はできなかった」
 かん、とMTの肩を踵で叩く。
「でも、こいつは此処に来た。リンケージは使えなくても、あの子とのパスを、フレアの繋がりを辿って。まあ当然っちゃあ当然なのかもね。初めっからそうだったのか、さっきそうなったのかは分からないけど、こいつはあさひちゃんの一部でもあるんだから」
 サペリアの物言いに、まさか、と声を漏らしてあさひはシアルと見詰め合う


「それはかつて滅びた世界の欠片。造物主が最後に作った世界である地球に置き捨てられた、かの神の善き心に惹かれてフォーリナーを、そして今ある世界を守る、希望の具現」
 朗々と、謳い上げるように、サペリアが言葉を紡ぐ。
「――それこそが、絶対武器マーキュリー


「そのMTが絶対武器だと言うのか」
 遠雷のような公孫勝の声が問いを投げる。あさひとシアルは事態の展開にまだ付いていけていないらしく、モニターに映し出されたサペリアと公孫勝の間で視線を行き来させている。
「フォーリナーが心底から必要として呼んだなら、絶対武器は何処からだろうと、何処へだろうと現れる。そして、使い手に己を扱う能を与えるんだ」
 『シアル・ビクトリア』の頭部をこん、と叩いてサペリアがにやりと笑う。
「まさにその通りじゃないかい? 封印されてたモナドリンケージ機能を使って呼ぼうとしてたから来られなくて、その辺が勘違いの原因になったんだろうけどねえ」


「なるほどな。それならモナドライダー初心者のあさひがぶっつけ本番で動かせたのも納得がいくか」
 会話に割り込んできたその声に、サペリアは肩の上から下を見る。『シアル・ビクトリア』の左手に握りこまれるようにして、その親指の上に頬杖を付いているローレンがそこにいた。
 先ほどの跳躍の直前、仙術攻殻の足元(足はないが)に墜落したエアロダインの残骸のそばから掻っ攫われて、そのままになっていたのだ。


「認めよう。お前達が我の想定を越えたことを」
 ごうん、と全身から駆動音を響かせて、仙術攻殻が前進する。
「故にこそ、お前達は排除する。平穏と調和の新世界に至る為、障害を全力を持って取り除く」
 プロミネンスが燃え上がり、ダスクフレアを包み込む。それは、今の世界に対する拒絶。ダスクフレアの望む新たな世界が今の世界からの干渉を絶つ、まさしく結界。
 しかし、その拒絶は絶対ではない。夕闇のプロミネンスを貫いて、混沌たる三千世界に夜明けをもたらす者がある。
 それこそがカオスフレア。
 

 
「あさひ、やっと、私の力を役立てる時が来ました」
 そう言ってコックピットの中でシアルが立ち上がり、シートのすぐ後ろ、そこに備え付けられている円柱のような物に手を触れると、円柱の正面が音もなく開く。中は、人が一人入れる程度の空間となっていた。
 シアルがあさひに一瞥を送ってから、その中へと足を踏み入れる。
 数瞬の間を置いて、コックピット内のモニターに様々な表示が現れた。
 今のあさひには、それらがアニマの接続完了を知らせる物であり、それに伴ってモナドドライブの出力限界が通常の400%まで引き上げられた事が理解できた。
 それらの事に驚くまもなく、シアルが乗り込んだ円柱の正面、その上半分ほどが組木細工のように展開する。ガラスのような透明な障壁の向こうにシアルの上半身が見え、あさひは衝動のままに浮かんだ言葉を口にのぼらせた。


「何でマッパなの?」
 やや頬を紅潮させて、胸を両手で隠しているシアルが即座に答える。
「こ、この方が安定性が上がるんですっ」
 円筒の中は柔らかな光に満たされ、その中で無重力にあるように黄金の髪を浮かび上がらせたシアルの裸身は、女神のように美しい。ノーマルのあさひでさえ、ちょっとクラっと来てしまったくらいである。
「まあ、今はその辺の事は置いとこうか」
 あさひがシートに座ると、自動的にシートベルトが巻かれ、あさひの体を固定する。肘掛けの上の操作機に手を置き、モニター上のダスクフレアを睨み付けた。
「あたしの友達にちょっかいかけたこと、後悔させてあげるわ」
 ええ、とシアルが同意し、頷く。
「私の主に害を為そうとしたこと、後悔させて差し上げましょう」


 滑るように広場を進み出ながら、仙術攻殻がその腕を上げる。
「まずはフォーリナー、そして我が部下よ。お前達からフレアに還してくれよう」
 左右の肘の少し下に備え付けられていた腕輪のような部品がするりと抜けて、空中に浮かぶ。
「往け、乾坤圏」
 公孫勝の言葉とともに、円形の部品、乾坤圏が高速回転し、光を纏う。そのまま不規則な機動を描いて、あさひたちの方へと向かって殺到した。
「回避するよ! ロー君、しっかり掴まってて!」
「むしろお前にしっかり掴まれてスプラッタになるんじゃないかと気が気じゃないんだが!?」
 MTの手に掴まれたままのローレンが割と切実な響きを乗せて返答する。
 ――アレだけ言えるんなら問題ないよね。
 あさひはそう判断して、乾坤圏を回避すべく、『シアル・ビクトリア』を身構えさせる。


「その必要はないぞ」
 腹の底に響くような重低音を響かせて、そんな声があさひの耳に聞こえてくる。
 そして次の瞬間、あさひたちの背後にあった瓦礫の山が内側から消し飛んだ。
 内側からそれを行ったのは、MTの倍近い体躯を持つ褐色の何かだ。少なくともその時、あさひにはそこまでしか認識できなかった。
 何故か。
 その褐色の『何か』が、サイズに比して常軌を逸した瞬発力を発揮したからである。
 凄まじい勢いで『シアル・ビクトリア』の背後から右手側へ飛び出したその『何か』は、MTの真横で地面に激突。一瞬前までの進行方向へ向けて盛大に土砂を飛ばし、その場に小さなクレーターを作るのと引き換えにして鋭角に方向転換。『シアル・ビクトリア』の前に出て、さっきと同じように地面に激突した。
 いや、正確にはそうではない。その巨大さに似つかわしい太く頑強な四足で思い切り地面を踏みしめたのだ。何故それが分かったのかと言うと、その『何か』は今度はターンではなく、静止を行ったからである。


 その『何か』は、全身を褐色の鱗で覆っていた。先ほど述べたように重厚な四本の足で体を支え、背には蝙蝠のそれに似た皮膜を張った翼がある。太く逞しい胴体からはやや長い首が伸び、その先には角を持った頭部があり、蛇に似た瞳が敵を見据え、開いた口からは鋭利な牙がぞろりと覗いている。


 だが長々と語るより、ただ一語を持って表現する方が分かりやすいだろう。そして、彼らに対する礼儀としても正しいだろう。
 すなわち、龍、と。


 MTの前へとその身を躍らせた龍は、迫る乾坤圏を睨み付け、そして大きくあぎとを開く。
 轟、という音をあさひは聞いた。
 後にシアルが語ったところによると、その瞬間、発せられる音量を予測していたシアルは機体外の音を拾うマイクの機能を遮断したのだという。しかし、その音、龍の咆哮は、MTの装甲板を越えてあさひの聴覚を、いや、全身を空気の振動で揺さぶったのだ。
 しかし、もっともその影響を強く受けたのは、龍の真正面に位置していた乾坤圏である。物理的な威力さえ伴った吠声が、濁流に飲まれる木の葉のごとく、乾坤圏を翻弄し、押し流す。
 やがて乾坤圏が仙術攻殻の手元に戻り、再びその腕の一部となるのを見届けて、龍は機嫌よさ気に喉を鳴らした。


「もしかして、フェルさんなの?」
「もしかしなくても俺だとも、あさひ」
 神話の中から抜けだしてきたような龍が聞き慣れた声で返事をするのを耳にして、ようやくあさひにもこの龍がフェルゲニシュなのだという実感が湧いてくる。
「おかしいかな?」
 MTの方を振り返った龍が、僅かに口を開いて牙を覗かせた。それが笑顔であると、あさひにはなぜか直感できる。だから、こう返した。
「すっごい格好いいよ、フェルさん!」
 瞳を細めて、ぐるぐると龍が喉を鳴らす。あさひもくすくすとシートの上で笑っていた。


「ふむ。あたしもそろそろ本気出すかね」
 まだMTの肩に乗ったままのサペリアが、そう言っていつも羽織っていた赤青ストライプのマントを外す。
 何をするつもりなのかとあさひが訪ねるより早く、サペリアは、とん、と軽い音を立ててMTの肩の上から身を躍らせた。
 直立の姿勢のまま落下しながら、外したマントを手の中でくるりと丸める。次の瞬間、そこにあったのは小さな宝玉。赤と青の炎を内側に躍らせる、銀の珠だった。
 

「顕・真!」
 右手に持った宝玉を頭上に掲げ、サペリアが叫ぶ。それと同時に、凄まじい閃光が辺りを覆った。光が収まってから、思わずつぶっていた目をあさひが開いたとき、彼女の目にまず入ったのはたなびく銀の髪だった。


 水銀のような光沢を持った滑らかな皮膚が全身を覆い、それによって構成されたボディラインは豊満な女性のそれ。
 風に流れる長く美しい銀の髪。
 顔立ちも若い女性を連想させるが、口や鼻腔は見当たらず、白目のない紫水晶のような両目が輝いている。
 そして何より特筆すべきなのは、『彼女』があさひの乗るMTよりも頭一つ分――無論、MTの頭部だ――身長の高い、巨人であったことである。


 ついさっきのサペリアがそうしていたように、右手を頭上に突き上げていた『彼女』がゆっくりとそれを下ろし、MTの方へと顔を向ける。
「あたしはカッコいいかい?」
 そして聞こえたその声は間違いなく、
「もちろん、サペリアさん!」
 
 
「ところで、何処から声が出てるの?」
 唐突にぶつけられた疑問に、銀の巨人、サペリアがかくん、と肩を落とし
「細かい事気にするんじゃないよっ。っていうかえらい余裕だねえあさひちゃん」
 びし、とMTに突っ込みを入れてから、正面へと向き直る。
 そこには、黒い炎を纏った、世界の敵がいる。


「なんかね、分かったから」
「何が分かったってんだよ?」
 さっきまでサペリアが立っていた『シアル・ビクトリア』の肩の上に立つのは、いつの間にかMTの拳の中から逃れていたローレンだ。
「あたし達は、繋がってる。こんなにカッコ良くて強そうな皆と、この世界と、フレアを通して繋がってるんだよ。負けるワケないよ!」


「愚かな台詞だな」
 割り込んできたその台詞に、あさひがはっと顔を上げる。
 先程よりもやや高度を上げて、仙術攻殻がカオスフレアたちを見下ろしていた。
「その世界を壊す者こそ我。古き世界を糧として新たな平穏と秩序を打ち立てる者こそ我」
 造物主の化身が、神の傲岸をもってそれに抗う者たちを睥睨する。
「フォーリナーよ。お前の言う繋がりも、我に破壊されるものに過ぎぬ。新世界には必要ないものだ。故に、滅びよカオスフレア!」


 仙術攻殻が両腕を掲げる。
 プロミネンスの黒い輝きがそこに集う。
 カオスフレアたちに緊張が走る。


「ねえシアル」
 モニター越しにダスクフレアを睨みつけながら、ふとあさひは背後にいるアニマの名を呼んだ。
「なんですか、あさひ」
 すぐさま帰ってきた返事に、あさひの口元がほころぶ。それを消さぬままに、ただ一言を口にした。
「勝つよ」
「もちろんです」

 
 背中から聞こえる声にあさひが笑みを深くするのと同時に、戦闘は開始された。



[26553] 第一話『曙光の異邦人』その11
Name: 新◆292e060e ID:ebf219b0
Date: 2011/07/10 00:23



Scene22 激突!!


 先手を取ったのはダスクフレアだった。
 いや、あさひたちに言わせるなら、いつの間にか先手を取られていた、という表現が正しかった。
 仙術攻殻を包み込むプロミネンスがその強さを増した、と感じたその瞬間には、グレズクリスタルを介して機械的に増幅された公孫勝の仙術があさひたちをその渦中に捕えていたのである。


「え? ちょっとこれ、どういうこと!?」
 混乱したあさひがきょろきょろと辺りを見回すが、現実は変わりはしない。
「……プロミネンスだね」
 紫水晶の両眼で油断なく周囲を観察しながらサペリアがポツリと答える。
「多分、時間か空間、もしくはその両方をプロミネンスを介して限定的に操作したんだよ」
「そんな無茶苦茶な!?」
 思わず悲鳴を上げるあさひだが、ローレンとフェルゲニシュのリアクションの方向性は彼女とは全く違っていた。
「成る程な。ダスクフレアならそれくらいはやるか」
「え、ロー君何その『想定の範囲内』みたいな答え」
「あさひ。プロミネンスとは、それを操るタスクフレアと戦うというのは、こういうことだ」
「フェルさんまで……」
 どうやら自分の方がマイノリティらしい、と悟ったあさひはげっそりとした声を出す。
「逃げたくなったか?」
 フェルゲニシュの問いがあさひの耳朶を打つ。
 ちょっとムカっときてあさひは顔を上げてそちらを見た。
 何が腹立つと言えば、100%その質問にイエスと答えるわけがないと信じきっている、半笑いの声に腹が立つ。こちとらか弱い女子高生である。もう少し労わられたり見くびられてもバチはあたらないと思うのだ。
 そんな憤懣を抱えたあさひの返事はこうだった。
「ジョーダン! きっちり落とし前は付けさせてもらうんだから!」


 天と地を、八角形の法陣が互い違いに回転する。その狭間にあるのはカオスフレアたちだ。
「天崩地壊・千邪万聖・全倒尽砕」
 公孫勝が口訣を結び、仙術攻殻が拳を打ち合わせて印とする。
「急ぎ急ぎて律令の如く成せ。天帝陣八極炉」
 天地の法陣に、馬鹿らしいほどの力が満ちる。
「閉塞力場内に補足されています! このままでは全員まともに高エネルギーの餌食に……!」


「そうはいくかよ!」
 切羽詰ったシアルの報告に対し、リアクションを起こしたのはローレンだ。
 目を固く閉じ、やや両足を開き気味にして立つ彼の周囲に、きらきらと光の粒子が舞い飛ぶ。
 やがてそれらが寄り集まり、形を成す。一つ、二つ、三つ、四つ、更に数は増える。
 ロプノールの鏡。
 周囲に十を数えるそれを現出させ、ローレンがダスクフレアを見上げる。
「確かにこの能力は俺から色んなもんを奪っていったさ。けどな――」
 さっとローレンが両手を振り上げると、全ての鏡が別々の方へと頭を向ける。
「何もかも無くした覚えはねえし、それで世界をぶっ壊してやろうなんて思うかよ!!」
 振り上げられた両手が、空気を抉る音とともに横へと広げられる。それに伴い、鏡たちが凄まじい速度で天地へ散っていく。
 天の法陣、地の法陣、それぞれに五箇所。
 術の要諦となる部分に打ち込まれた、彼の超能力を結晶化させた鏡が、八極炉を崩壊させる。


「お前の力で破れるような術ではなかったはずだが」
 術を破られた公孫勝の声に動揺した様子はない。ただ、術の仕様とローレンのスペックを考慮した際、これは起こるはずのないことなのだ。それが起こった事に対する確認として、その問いはあった。
「……何年、あんたの傍にいたと思ってんだ。規模自体はもっと小さかったけど、この術は見たんだ。あの時俺は、心底あんたをすげえと思ったんだ……!」
 血を吐くようにローレンは小さく言葉を零した。それは届いたのかもしれない。届かなかったのかもしれない。ダスクフレアから、答えはなかった。


「閉塞力場、崩壊しました! あさひ!」
「がってん!!」
 シアルの報告を受けて、あさひが『シアル・ビクトリア』を操る。
 右手を背中に回し、そこにあるホルダーから抜き払ったのは、両手持ちの実体剣だ。
「ぶった斬る!」
 大剣があさひのフレアを受けて金色に輝く。モナドドライブが回転数を上げ、今にも飛びかかろうとした矢先だった。


「九天応元雷声普化天」
 ごく短く、公孫勝が口訣を結ぶ。
 仙術攻殻がその腕を天へと掲げ、天へと光の牙が突き立てられた。
 天に立つ牙とは、すなわち稲妻である。
 幾条もの雷光が公孫勝の頭上へと放たれ、ある一転で方向を転換する。
 先ほどの術のあと、まだ残っていた天地の法陣が一つに合わさりその形を変え、その中心へ向けて稲妻が走る。


「全員、俺の周囲から離れるな!!」
 フェルゲニシュがそう号令し、MTと銀の巨人が龍のそばに寄り添い、超能力者はその陰に入る。
 法陣によって強化、収束された稲妻が、それでもあさひたちを一網打尽にすべく広範囲に向けて降り注いだのはその直後だった。


 耳を聾するほどの雷鳴の中にあってなお、あさひの耳朶を打つものがある。
 ばさり、という翼の広がる音。
「悪栄えれば善を為し――」 
 高く遠く響く、龍の鳴き声。
「善蔓延れば悪を為す――」
 青き翼の、光翼騎士のコロナを立ち上らせて、フェルゲニシュが吠える。
「龍の理、是に有り!」


 フェルゲニシュが唱えた誓句とともに、彼から放出されたフレアがあさひたち三人を包み込む。やがてそれは煌く壁となり、驟雨の如く降り注ぐ稲妻を受け止める盾となった。
「ぐう……!?」
 凄まじい負荷に、フェルゲニシュが呻きを上げる。フレアの障壁で支えきれない幾筋もの稲妻が褐色の龍を打ちのめし、その鱗を砕く。
「フェルさん!?」
「旦那、気張っておくれよ!」
 サペリアが両手を前に突き出すと、輝く障壁が形成される。光翼騎士のコロナが形作るそれとは比べるべくもないが、それでも幾らかの雷撃を受け止める。
「ったく、世話の焼ける!」
 ローレンが赤いコロナを纏わせた鏡を生成し、フェルゲニシュの前面に投射する。鏡は龍の頭部に直撃するはずだったいくつかの稲妻の軌道を逸らし、しかる後に別の稲妻の直撃を受けて砕け散った。
 そうして数を減じながらも、相当数の雷光がフェルゲニシュを打撃する。が、彼はそれに耐え切った。


「今度はこっちの……!」
「いいや、まだだ」
 いざ反撃、と勢い込んだあさひを押し留めるように公孫勝が言葉を放つ。無論、その言葉だけでカオスフレアを、フォーリナーを留める事などできはしない。それでもあさひは『シアル・ビクトリア』を急停止させた。何故なら、
「また法陣が!?」


 モニター一杯に映し出されたのは、先ほど見たものに良く似た、八角形の法陣である。だが、先ほどと違う点もある。
 巨大な法陣が天と地の二つ展開されていたのに比べ、今は先ほどよりも小さなサイズ――それでも一つ一つがMTが上に乗れるほど――だが、数が多い。ぐるりとカオスフレアたちを取り囲むように展開されたその数、十。
「何度やろうと……む!?」
 総身に傷を負いながらも、再び攻撃を受ける盾となろうとしたフェルゲニシュが青いコロナを展開させる。が、何かがおかしい。
常にない妙な感覚が、角の根元を疼かせる。
 その感覚に対して、答えをもたらしたのはローレンの一声だった。
「魂魄打撃だ! 全員、気を強くもって抵抗しろ! 廃人にされちまうぞ!!」


 ローレンの警告を受けて、仲間達の間に緊張が走る。次の瞬間、十の法陣が一斉に強烈な光を放つ。
 それは、受けた者の精神を砕く光。他者を守る光翼騎士のコロナすらすり抜けて、カオスフレアたちの心を殺す十絶陣。
 だが。


「お舐めじゃないよ!」
 高らかに声を上げたのは、銀の巨人、サペリアである。
「仮にも大戦を潜り抜けた使徒アルコーンの精神を、この程度で砕けると思わないでもらいたいね!」


 運命フォルトゥナカルマの姉弟を筆頭とする、かつての大戦で造物主の手足となって戦うべく作り上げられた者たち。それこそが使徒だ。
 これら使徒たちは造物主の強力な手駒となって大戦時に猛威を振るったが、造物主の敗因の一つのなったのもまた使徒たちだ。
 運命の裏切り、業の傍観。神々の対存在として作られた龍たちの造反。その他、世界の全てを自身の思い通りに壊し、作り直し、また壊す造物主に対して反感を抱いた様々な使徒たち。
 銀色の巨人は、そうした造物主に反旗を翻した使徒の一柱だ。
 ヒトの心に触れ、それに魅せられ、もっと見ていたいと思ってしまった。
 ヒトも神もそれ以外も、多くの命が失われたあの大戦を生き残り、己の望んだとおりにヒトの営みを、心の移り変わりを見つめてきた。
 そんな彼女だから、この術を看過することはできない。
 心を踏み砕き、無価値なものへと貶める事など、許せるはずはなかった。


「造物主の操り人形に、あたしの楽しみを邪魔されてたまるもんかいっ!」
 銀の巨人――サペリアの両腕に、赤と青の紋様が浮かび上がる。蛮族の戦化粧を思わせる、炎を象ったそれが彼女の肘から先を覆った。
 ばしん、とサペリアが両の掌を打ち鳴らす。それを開いたとき、左右の掌の間には、光の帯が生じている。
「遍く事象は八つに裂かれるべし!」
 ぐるん、とサペリアが円を描くように手を回し、光の帯を光の輪へと変貌させる。
 サペリアの眼前に浮かぶ光の輪は、激しく回転しながら自らを分裂させて数を増やす。
 一つが二つ、二つが四つ、四つが八つ。
「斬っ!」
 サペリアの号令一下、八つの光輪が宙を舞う。
 狙うは公孫勝の作り出した十の法陣。浴びたものの魂魄を砕く光を生み出す、仙術の極致である。
 果たして光輪は法陣へ至り、激突し、お互いを食い合うようにして消えてゆく。
「相殺した!?」
 ローレンが驚きの声を上げる。
 先ほど彼自身が天帝陣八極炉を破ってみせたのは、あの法陣を以前に見知っていたからだ。だからこそ、それを崩すための要に鏡を打ち込むことで対処できた。
 しかし、サペリアが今の術を知っていたとは思えない。ローレンとて、術の効果については見当が付いたものの、それ以上は手の出しようがなく、耐え切るよう周囲に指示を出したのだ。
 その事を思えば、今サペリアがやってのけた事態の異常さがありありと見えてくる。
 まるきり初見の、しかもダスクフレアと化した公孫勝の仙術を、ほぼ真正面から力押しで相殺したのだ。とんでもない、としか表現のしようがなかった。


「あと二つっ!」
 自らが作り出した光輪の戦果を確認するより先に、サペリアは数の差で残るはずの二つの法陣へと突っ込んでいた。それが光を放つ前に、光を纏った左右の抜き手をぶち込む。
 ぱん、と風船が割れるようなあっけない音とともに、その二つの法陣も消え去る。
「次、頼むよ旦那っ!!」
 ダスクフレアの攻撃を防ぎ切ったサペリアが、後ろも振り返らずにフェルゲニシュの名を呼ぶ。
「応とも!」
 フェルゲニシュが一声上げて、ぐん、と四肢に力を込める。そしてたわめたその力を解放する寸前、
「あさひ、乗れ!」
 あさひは返答すらせずに、MTを操った。『シアル・ビクトリア』がふわりと機体を翻し、褐色の龍にまたがる。
「では、往くぞ!」
 即席の龍騎兵が、ダスクフレアに向けて突撃する。迎撃として光の矢が放たれるが、龍の巨体が信じがたい俊敏性を発揮してそれらをかわし、あるいはその背のMTが振り回した大剣で迎撃し、更に距離を詰める。
「あたしたちは、負けない!」
 コックピットで吼えるあさひに呼応するように、『シアル・ビクトリア』のまとうコロナの輝きが強さを増し、戦場を照らす。


「小賢しい。群れ集まって新世界を否定するその惰弱、叩き潰してくれよう」
 光の矢で龍騎兵を牽制し、プロミネンスを込めた腕でその攻撃をいなしながら、仙術攻殻がその出力を上げる。
 左腕が変形し、巨大な砲として再構成される。真っ直ぐにその砲口が向けられた先は、
「いかん!!」
「こ、この状況で前衛あたしたちじゃなくて後衛ロー君たちを狙うの!?」
 フェルゲニシュとあさひが突出した事で、後方に残っていたサペリアとローレン。その二人を照準していた。


「させるかあああっ!」
 『シアル・ビクトリア』が大剣を振るい、砲撃を阻止しようとする。
 MTの振るった剣が、仙術攻殻の左腕をカチ上げる。ほぼ同時に、赤黒いエネルギーが幾つもの弾丸となって上空へと撃ち出された。
「やった!」
「遅い」
 あさひが胸中でガッツポーズを取ったのも束の間、頭上へ向けて発射された無数のエネルギー弾が、突如として軌道を変える。
「誘導弾!?」
 その言葉が示すとおり、エネルギー弾の群れは吸い寄せられるようにサペリアとその足下のローレンに向けて殺到する。
「ロー君! サペリアさん!!」
 今から取って返しても、到底間に合わない。事実、そう思った次の瞬間には、銀の巨人と超能力者の姿はエネルギー弾の炸裂が引き起こす閃光の向こうに消えていた。


「そこな龍ならともかく、あやつらでは先の攻撃に耐え切れまい。お前達も疾く真理を悟り、新たな世界に頭を垂れるがいい」
 そう言葉を投げかけながら、公孫勝はフェルゲニシュとサペリアの様子を観察する。
 龍の表情は同族でなければ読みづらく、フォーリナーはMTの内側にいるためにどのような顔で仲間の死を受け止めているかは伺えないが、戦力が文字通り半分になった以上、最早勝敗は決したと言っていいだろう。
 だというのに、龍もMTも、その内側のフレアをいささかも衰えさせない。それは、彼らの心が折れていない何よりの証拠だった。


「まだやるのか」
 その声に、うんざりだ、というニュアンスが混じって聞こえたのはあさひの気のせいだろうか。
「当たり前でしょ。ぜっっっったいに、負けないんだから!」
「愚かな。既に戦力差は……」
「――先ほどから変わっていないとも」
 決定的だ、と続くはずだった台詞がフェルゲニシュの一言で遮られる。
 その瞬間、手で触れられそうなほどに濃密なフレアが、MTのセンサーとあさひの感覚とを直撃する。その源は、
「ロー君!!」


「勝手に人を殺して戦力外扱いしてんじゃねえよ」
 超能力者の少年が、宙に浮いていた。
 両手を広げたその姿に、執行者の赤いコロナが重なる。
「ロー君、凄い……」
 ただ、そのコロナの規模と力強さは異常だった。
 紅玉のような赤い輝きは、今までと比較にならないほど鮮やかで、ローレンの背後に立つ、銀色の巨人、サペリアの姿と比べても遜色のないほどの拡大を見せていたのだ。
「……あれは、カオスフレアの真の力だ。覚醒イグザクトと呼ばれる」
「覚醒……?」
 鸚鵡返しに呟きながら、魅入られたように赤いコロナを見つめるあさひに、フェルゲニシュが頷く。
「肉体という殻の限界を超えて、世界そのもののフレアの様相と自らのそれを合致させているのだ」
「よく分かんないけど、とにかく凄い力なんだよね?」
「まあ、その理解でも問題はない。ないが……」
 フェルゲニシュが一瞬だけ言いよどむ。
「あれは諸刃の剣だ。常人であれば死に直結するダメージの先にある現象だ」
 コックピット内あさひが息を呑むのが、龍の鋭敏な感覚には伝わってくる。だが、フェルゲニシュは言うべきことを言う。
「ローレンは今、黄泉路の半歩前に立っている」




「……役目は果たしたぜ。あとはきっちりシメてくれるんだろうなあ?」
 やや荒い息の下で、ローレンが言葉を紡ぐ。ちらりと視線を向けた先は、背後にいるサペリアだ。彼女は右手を天に、左手を地に向けた姿でその場に立ち尽くしている。
「ああ、もちろんさ。ロー君が身を挺して作ってくれたチャンス、無駄にゃしないよ!」
 サペリアの両手がゆっくりと円を描く。彼女の胸の中央に、炎を象った小さな紋章が生まれ、それを中心にして彼女の体を赤と青の炎紋が飾ってゆく。
 ゆるゆると動かされた両手のあいだに、銀の輝きが収束していく。それと同期するように、炎の紋章も強い光を放つ。
 サペリアの両手が、胸の前で十字に組み合わされる。炎紋の輝きが一瞬強くなり、その全てがサペリアが交差させた手首に集い、
「受けよ、命の光芒!」
 目も眩むような光の奔流が、十字に組まれたままのサペリアの手から、ダスクフレアに向けて迸る。


「ぬ……!?」
 公孫勝が漏らした呟きには、僅かながらに焦りが見て取れた。それだけの威力を持つとはっきりと分かる、それだけの光だ。
 まともに受けるわけにはいかないと判断し、回避軌道を取ろうとする。しかし、
「逃がさないんだから!」
 MTと龍が逃げ道をふさぐ。強引に押しのけようとするも、自身の動きが妙に鈍い。この感覚には覚えがあった。部下として鍛えた相手の事だ。間違えようはない。
「念動力による拘束か……!」
 フレアを拡大させているかつての部下の手際である事を認識した直後、仙術攻殻の胸元にサペリアの放った光線が叩き込まれた。


 仙術攻殻に命中した光線は、激しい爆発を引き起こした。至近距離にいたフェルゲニシュとあさひは少し距離をとり、離れた場所にいるローレンとサペリアはじっと爆光の向こうを見据えている。
 と、サペリアががくりと膝を落とす。
「あー。やっぱコレはきついねえ」
 その体を飾っていた炎紋はほとんどが消え、胸元の小さなものだけが残っている。それは、サペリアの消耗を示すように、ちかちかと明滅を繰り返していた。
 ただ、彼女を取り巻く、星詠みの銀のコロナだけはいささかも衰えをみせない。いや、むしろ冴え冴えとしたその輝きは、先ほどよりその強さを増している。
 覚醒だ。
 先の光線は、それを放つ事でサペリアの肉体にそれほどの負荷をかけたのである。


「……やりましたか?」
 サペリアの攻撃に込められたあまりのフレアにセンサーがかく乱されているために、機体のセンシングに頼れないシアルがポツリとこぼす。
「そういう台詞を言っちゃうと、大抵の場合……」
 モニターに目を凝らしながら返すあさひの視線の先で、煙が晴れる。
 幾分か装甲に欠損が見られるものの、未だ健在の仙術攻殻がそこにいた。
「……申し訳ありません、あさひ」
「いや、実際関係ないと思うけどね」
 大真面目に謝るシアルに軽い口調でそう返す。
 が、心中は穏やかではない。
 カオスフレアとして戦う力に開眼したあさひには、先ほどの攻撃がどれほどの威力を秘めていたか、はっきりと感じ取れた。あれで決着が着いていたとしても全くおかしくない。それほどの一撃だった。


「流石は使徒の一柱と言ったところか。だが、もう一度は撃てまい」
 光線を受ける直前に僅かに見られた焦りは鳴りを潜め、公孫勝は再び平坦な語り口を取り戻している。
 覚醒したカオスフレアは、肉体の限界を超越した存在である。常であれば自身に反動のあるようなフレアの活用法も、さしたる支障もなしにこなして見せることが可能だ。
 ただ、ある程度は、という但し書きが着く。
 サペリアが使った光線による肉体への反動は、そのある程度、の範疇を軽々と超えていた。
 そして、フェルゲニシュが語ったように、覚醒したカオスフレアは力を得る代わりに、死にごく近い位置に立つ事になる。
 あの光線ほどの反動をもう一度受けたなら、間違いなくその先にあるのは終焉だ。


「あたしが命がけであんたを潰しにかかる、とは考えないのかねえ」
 ゆらり、と立ち上がり、笑みを含んだ声をサペリアが投げかける。
「やれるものならやってみるがいい」
 淡々と返された言葉に、サペリアは胸中で舌打ちする。反動云々は無論のことだが、そもそもあの技自体、短期間に連発が可能なものではない。少なくとも、このダスクフレアとの戦闘中に再度の使用は不可能だった。


「フェルさん、ロー君」
 唐突にあさひが声を放つ。フェルゲニシュにMTを跨らせたまま、仙術攻殻と近接の牽制を交換し合いながら仲間達に向けて問う。
「瞬間的な攻撃力でさっきのサペリアさんの上をいける?」
 返答は、沈黙で為された。それが含む意味は、否である。
「ねえシアル」
「はい」
「押し切れるかな?」
「現状のままでは不可能です」
 シアルの返答は、あさひの予想と合致していた。
 『シアル・ビクトリア』の大剣や、フェルゲニシュの龍咆ドラゴンブレス、サペリアの魔術に、ローレンのESPによる攻撃。
 ダスクフレアにダメージを与える術はある。それを積み重ねれば、如何にダスクフレアとて耐え切れなくなるときは来るだろう。
 だが、それよりもこちらの全滅の方がおそらく早い。プロミネンスを応用したダスクフレアの攻撃の苛烈さは、こちらの耐久力の限界を遥かに超えている。
 故に、持久戦は悪手でしかない。
 サペリアが試みたように、一瞬にこちらの全力を投入して短期決戦を挑むほかに、おそらく勝ち目はない。
 だが、サペリアの切り札に二枚目はなく、ローレンとフェルゲニシュには、それに並ぶ攻撃の切り札がそもそもない。
 だから、


「モナドドライブのあたしとの同調率を限界まで上げて。ありったけのフレアをブチ込んでブン回すよ」
「……一撃です。二度目は許可できません。よろしいですか」
 一瞬の躊躇のあと、シアルはあさひの言うとおりに機体の設定を変更した。
 これで、この機体は搭乗者のフレアを無制限に取り込んでその出力を天井知らずに上げる事ができる。
 無論、リスクは存在する。
 簡単な話だ。人間の体が限界を超えた筋力を発揮した場合、破壊されるのと同じ。
 力を必要以上に高め、それを振るえば、相応の反作用があるのは自明である。
 そして、生命の力であるフレアを過剰に使用した際の反動は、当然、生命に返ってくる。
 世界との繋がりによってフレアを高め、循環させて力とするカオスフレアとなったあさひに、それが分からない道理はない。


 それでも。
「それでも、やらなくちゃ」
 正直、三千世界全ての危機とか、あさひにはピンと来ていない。
 だが、目の前のダスクフレアが内包する危険性は十二分に感じ取れる。これを放置すれば、凄まじい惨禍を招く事は疑いない。
 ここで屈すれば、仲間達はもちろん、この街で知り合った人たちも、全てが明日を奪われるのだ。
 少なくとも、あさひがこの数日で出会った人たちは、そんな風に理不尽に未来を奪われていい存在だとは思えなかった。


「うわああああああああああーっ!!」
 思い切り声を出す。気合を入れる以上の意味はないが、フレアというものの性質を考えれば、それなりに効果はあるのかも、ともあさひは思う。
 シアルの存在によって出力と安定性を高められているモナドドライブが、あさひのフレアを貪欲に飲み込んでさらに出力を増す。
「フェルさん! 勝負をかけるよ!!」
 フェルゲニシュが咆哮を上げる事で答えとし、仙術攻殻へ向けて、突撃をかける。
 『シアル・ビクトリア』が大剣を高々と掲げた。黄金のコロナが剣を覆い、太さは一回り、長さに至っては倍以上の輝く剣が作り上げられる。


「愚かなフォーリナーよ。世界と運命に踊らされる人形よ。くだらぬ旧世界のために生命を懸けるか」
 仙術攻殻をプロミネンスで包みながら、公孫勝が言う。
 あさひこそが世界の傀儡であり、取るに足りないもののために力を振るう愚者だと断ずる。
「違う!」
 あさひは全霊でダスクフレアに反発する。
「今ある世界は下らなくなんかない! 確かにあたしは余所者で、このオリジンに着てからほんの短い時間しか経ってない! それでも!」
 フェルゲニシュが四肢に力を込める。青いコロナが輝きを増し、その背のMTに向けられた攻撃を遮断する。
「助けてくれた人がいた、優しくしてくれた人がいた! 守ってあげたいと思う子達がいて、友達になりたい人もいる!」
 サペリアが指先に光を灯し、中空に図形を描く。あさひの剣を覆う黄金の炎に、銀の輝きが加わり、その力を増す。
「あなたが、神様が満足できないからって――」
 ローレンのESPが赤いコロナの輝きを伴って仙術攻殻の動きを封じる。
「何もかも無かった事にされてたまるかあああっ!!」
 黄金に輝く剣が振りかぶられる。あまりに長大な、龍の背に乗る機体の姿とあいまって突撃槍のようにも見えるそれが、横薙ぎに振るわれる。


 銀を纏った黄金が青に守られて奔り、赤に縛られた黒に突き刺さる。
 龍騎兵が仙術攻殻と交錯し、剣を振り抜いてその背後へ駆け抜ける。
 振り抜かれた剣に、黄金の輝きは既に無く、
「どうだっ!!」
 しかし、振り返ったあさひの視線の先、仙術攻殻が纏うプロミネンスを貫き、その胸部を半分まで切り裂いた黄金の刃がそのままダスクフレアの機体に残されていた。


 一瞬、仙術攻殻に突き立ったままの刃が一際強く輝き、弾ける。
 そして、それに押されるようにして、浮遊していた仙術攻殻が広場の地面に落下する。
 どう、という地響きとともに、倒れ伏すダスクフレア。


「……う、ああっ!?」
 自身の一撃の結果を見届けたあさひの体を、強烈な衝撃が襲う。
「あさひっ!? 大丈夫ですか!?」
 シアルの焦った声が聞こえる。
 端的に言って大丈夫ではない。なにせ、先ほど攻撃に乗せたフレアは、本来使いうる限界と比べてもざっと十倍以上、さらにそれを聖戦士のコロナの力で倍化させていたのだ。あさひの受けた反動たるや、想像を絶する。
「だ、だいじょぶ……。これで、なんとかなった、よね」
 それでもあさひは目一杯に強がる。
 体がバラバラになりそうなくらいに痛むし、『シアル・ビクトリア』にもかなりのダメージがいっているのが分かるが、何故か気力は不思議なくらいに充実している。
 これが肉体の限界を超えた先にある、覚醒というやつか、とあさひが独りごちたときだった。


 ぞくり、と肌が粟立つ。
 脊椎をそのまま氷柱と入れ替えられたのではないかというような悪寒が走る。
 その理由が、シアルの口から言葉として発せられる。
「プ、プロミネンス反応、増大! ……そんな。観測初期値を超えて、三倍、四倍……!? まだ上がります!!」


 そして、カオスフレアたちは見た。
 地に伏したはずの仙術攻殻が、ダスクフレアがゆるりと起き上がるさまを。その様相が一変していることを。
 そこにあったのは、闇だった。
 仙術攻殻の形に切り取られた、世界に開いた穴。その向こう側に覗く、輝く闇。
 世界を形作るフレアを無尽蔵に食らうブラックホール。
 ダスクフレアの本質が、そこに顕現していた。


「ひれ伏せ。頭を垂れよ、被造物よ。デミウルゴスの威光に従い、新世界の糧となれ」
 公孫勝のものであり、そうでない声が響く。
 ダスクフレアの持つ、造物主の意思の受け皿という一面が強く前面に出ている。
 あさひたちが向き合っているのは、ダスクフレア・公孫勝であると同時に、造物主デミウルゴスでもあるのだ。


 輝く闇そのものとなったダスクフレアが、プロミネンスを放出する。
 先ほどまでとは比べ物にならない強度のそれが、カオスフレアたちを威圧する。


「ゴァアアアアアアアっ!」
 前置きなしにフェルゲニシュが咆哮をぶつけ、 
「いい気になってんじゃないよ!」 
 サペリアが両手を打ち合わせ、ヒトの姿であったときと同じように光の魔術を行使する。
 しかし、
「ぬ……!?」
「……こりゃあ、まいったねえ……」
 龍咆も、破壊の光も、ただ闇に飲み込まれるのみだった。さしたるダメージが有ったようにも見えない。


 正確には、全く効いていない訳ではなかった。
 だが、実質的なダメージはほぼゼロに等しいレベルにまで抑えられている。
 何故なら、ダスクフレアは今ここにいて、ここにいないのだ。
 

 ダスクフレアという存在は、例外なくプロミネンスを身に纏う。
 そして、プロミネンスの根本とは、ダスクフレアが新しく作り出そうとする新たな世界、その雛形である。
 世界一つを引き連れ、盾とする。ダスクフレアを通常の手段で傷付ける事ができないのも、道理と言えよう。
 そして今、公孫勝は、それを更に強化させた状態にある。
 彼の纏う新世界は1024に分裂し、彼はその全てに存在している。彼はその何処にも存在していない。
 ここではない場所にいる存在を傷付ける事は適わない。
 どこにもいない存在を傷付ける事も適わない。
 山を斬る剣も、海を干す魔法も、街を焼く兵器も、心を砕く異能も、プロミネンスたる新世界と己のフレアを同調させ、それを傷付けることなくダスクフレアに攻撃を届かせるカオスフレアでさえ、例外ではない。


 そして、持久戦を行った場合、敗北するのはあさひたちであり、それによってカオスフレアの持つ膨大なフレアを食らったダスクフレアによって創世が行われれば、今ある三千世界は消えてなくなるのだ。


「滅びよ、不完全な世界! 造物主以外の手によって変貌せし世界! 新たなる、今度こそ完璧な世界のために!」
 ダスクフレアが両腕を天に掲げる。その間に、プロミネンスが満ちてゆく。


 モニターに映し出される世界を喰らう夕闇を、あさひはじっと見ていた。
 やおら、背後にシアルに向けて声をかける。
「……シアル」
「駄目です」
「もう一回、やるよ」
「駄目です!!」
 二度目の拒絶は、絶叫だった。
 あさひは困ったように笑い、シアルを諭す言葉を紡ぐ。
「この機体が、絶対武器が、『シアル・ビクトリア』が教えてくれる。今この場で、あいつを何とかできるのはあたし……ううん、あたし達だけだって。シアルにも伝わってるはずでしょ? あたしとシアルは、この子を通じて繋がってるんだから」
「ですが……!」
 いやいやをする駄々っ子のように、シアルが首を振る。
「この場から逃げる選択肢もあるはずです! 絶対武器を擁するフォーリナーのフレア量なしには、ダスクフレアの狩り集めたフレアが創世に至らない可能性はかなりあります!」
「それは、駄目だよ、シアル」
 必死の様相で訴えるシアルに、むしろ穏やかな表情であさひが答える。
「あなたは何故、私の言葉を聞いて下さらないのですか……!? 私は、あなたを死なせたくないんです! アニマ・ムンディとしての本能なのか、あなたが私に向けてくださる感情と同じものかはわかりません。けれど、あなたがいなくなるのは嫌なんです! それだけは確かなんです……! 後生ですから、どうか、どうか……!」
 言葉に詰まって俯くシアルに、彼女にとって唯一無二の主の声が語りかける。
「ねえ、シアル。あたし、言ったよね。後悔しないようにする、って」
「……後悔さえできなくなるよりは、悔いを抱えて後ろを振り返りながら歩いていくほうがマシではないですか……!」
「うーん。まあ確かに、地球にも後悔先に立たず、なんてて言葉はあるけど……」
 でもね、とあさひは続ける。優しげな、子供を諭すような声色で。
「不思議と落ち着いてるんだよね、あたし。多分、心配してないんだよ。信じてるんだ」
「何を、ですか……?」
「色んなものを。ロー君に、フェルさんに、サペリアさん。フレアを通じて、皆と繋がってる。当然、シアルとも、この機体とも」
「繋がっている……」
「繋がりって言えばさ、あさしたちは三位一体なんだよ? あたしと、シアルと、『シアル・ビクトリア』。きっと、なんとかなるよ。ううん、あたしは何とかする。きっとこのMTも何とかしてくれる。でもね、多分それじゃまだ足りないよ。だからシアル。あたしを助けて?」
 あさひが言葉を切る。シアルはまだ俯いたままだ。
 じりじりとした時間が過ぎる。あさひにとって、それは実に長く感じる時間だった。実際には、そう待ったはずはない。時間をかけ過ぎていたなら、それこそあさひたちはプロミネンスに飲み込まれていただろう。


「そうですね。あなたはそういう人なんでした」
 深々としたため息とともに、シアルが言葉を吐き出す。
「何かというと無茶ばかりで、こちらが心配しても知らない振り。むしろ進んで危ない方へ歩いていく始末です」
 その声の温度は低く、湿度は高い。あさひはこの時、コックピットの構造がシアルと真正面から向き合う形でない事を心底から感謝した。おそらく彼女がうかべているであろう表情に耐えられる自信がない。
「本当に……本当に支え甲斐のある方です。あなたは」
 くすり、と声に笑みを混ぜて、シアルは続ける。
「アニマ・ムンディの存在意義にかけて、あなたの意思を叶え、支えてご覧にいれましょう。我が主。何なりとご命令下さい」
 我が主、に強いイントネーションを乗せたシアルの言葉に、あさひは小さく苦笑を漏らす。
「う。……仕返しのつもり?」
「さて? 何のことか、私には分かりかねます。我が主」
 唇を尖らせてあさひがぼやけば、つんと澄ました声が後ろから返ってくる。
「まあ、助かったよ、シアル。あたし実は、ここへ来る前にユージーンちゃんに会ってね?」
「はあ」
 突然脈絡のない事を言い出すあさひに、とりあえずの相槌を打つシアル。
「で、ユージーンちゃんに『天下無敵のフォーリナーだ』とか大見得切っちゃったのよ。いやあ、この場から逃げ出したりしたら気マズイのなんのって」
「……そういう、考えなしに大きなことを口にするクセについても後ほど話し合いを持ちましょう、あさひ」
「そうだね、とりあえず後でね!」
「ええ、後で」
 意味もなく笑い出したい衝動を抑えて、あさひは顔を上げ、前を向く。
「じゃあ、やろうか」


 次の攻防で最後だと、フェルゲニシュは半ば本能的に悟っていた。ダスクフレアがプロミネンスを練り上げている。今にもそれはカオスフレアたちに襲いかかってくるだろう。
 対してこちら側の攻撃を担うのは、言うまでもなくフォーリナーにして聖戦士、あさひである。
 あさひの放つフレアの質が変わったのを、フェルゲニシュは感じ取っていた。おそらくは、さきほどダスクフレアを切り裂いた一撃。あれをもう一度やるつもりだ。
 その先に何が起こるのか、フェルゲニシュにも予測はつく。が、彼はそれについて意見を述べることはない。
 彼女は自分の意志でこの場に現れ、その意思を貫き通してシアルを奪還してみせた。
 その彼女が決めたことである。戦士として、その決意に口出しすることはフェルゲニシュにはできない。
 例え、異世界の少女に命を懸けさせる己の不甲斐なさに、はらわたが煮えくり返っていようとも、だ。
 だが、そんな己にもできる事がある、と彼は自身を奮い立たせる。
 互いに必殺を期した一撃は、練り上げるのにまだほんの少し、時間がかかる。が、おそらくはダスクフレアのそれが解き放たれる方が早い。
 ならば、その時こそ光翼騎士の出番だ。
 守護を司る青いコロナに賭けて、仲間達を守り抜き、その次に繋げる。
 それこそが、フェルゲニシュがこの場で己に課した唯一絶対の使命である。


「新たな、理想の世界を……! 秩序と、平穏を……!」
 ダスクフレアの声が響く。言葉の一区切りごとにその声色はふらふらと変わり、時に老人の――公孫勝本来の声であったり、若い男の声であったり、妖艶な女の声であったりもした。
 両腕を掲げ、収束したプロミネンスが、先ほど仙術砲へと再構成された左腕の先で黒い小さな太陽のようにして浮かぶ。それを前後から支えるようにして、八角形の法陣が、互い違いに回転していた。
 狙うは、龍の背にあるMTただ一機のみである。
 今この場で、自身の纏う1024重絶対防御結界を唯一貫き得る存在。それがフォーリナーと、その絶対武器たるMTだと、ダスクフレアも感得しているのだ。


 ダスクフレアの左腕が、龍騎兵に向けられる。龍の四肢に明らかに力が漲り、その周囲の青いコロナが輝きをいや増してゆく。対照的に、その背のMTが纏う黄金の炎は、凪の湖面のように穏やかだ。
「必ず、お前に攻撃の機会を作ってやる。それが俺の……俺達の仕事だ。だからあさひ。お前はお前の仕事をしていればいい」
 低い声で、詠うように龍がその背を許した鋼の機兵に話しかけた。返事はない。彼の言葉どおり、己がやるべきことに全ての集中力を傾けているのだ。それでいい、とフェルゲニシュは僅かに牙を覗かせて笑う。
 ほぼこれが初陣であるというのに、大した肝の据わりようだった。


 絶対武器は、フォーリナーに力を与えるだけでなく、その心をも守る。
 いくさを知らない平和な場所から、年端も行かない少年少女がやってきて、それでも数多の弧界の英雄達と比べていささかも見劣りしない戦士として活躍できるのは、その作用が大きいのだという。
 あるいはその事実を指して、フォーリナーとは絶対武器に頼り切った軟弱者だと嘲る者もいるという。
 器の小さな事だ、とアムルタートの龍戦士は思う。
 なるほど、確かに絶対武器なくば、フォーリナーは、このあさひはここまで戦えなかっただろう。
 だが、それはただの仮定だ。
 彼女は、実際にここにいる。己の力の無さを嘆き、力持つ者に相対する恐怖を踏み越え、己が命と誇りを懸けて、三千世界を滅ぼそうとする造物主の走狗を討とうとしているのだ。
 確かにそこにある闘志と勇気。これを仮定でもって貶めることに、なんの義があろうか。
 アムルタートは強きものを尊ぶ。勇気あるものを敬う。
 今、鋼の騎兵を操り、戦おうとしている少女は、龍が背を許すに足る、紛うことなき勇者であった。


「来ます、あさひ!」
 シアルの警告の声にも、あさひは大したリアクションを起こさなかった。せいぜい、褐色の龍の背がどんな動きをしても振り落とされないよう、備えをしたくらいだ。
 彼女がやるべきことは、他にあった。
 ダスクフレアに、渾身の一太刀を打ち込むこと。
 だが、
「……フレア、足んないかも……」
 そもそも先の一撃にしてから、二の矢を放つつもりなど全くない、正真正銘、全霊を振り絞った一撃だった。
 如何にカオスフレアが、世界を構成するフレアの循環を利用して自らの内在フレアを高めるといっても、一度その全てを吐き出してしまえば、再度の蓄積にはそれ相応の時間がかかる。
 覚醒の作用で、先ほどよりもフレアの質を上げる事はできているが、絶対量がそもそも足りていない。
「くうっ……!!」
 歯を食いしばってフレアを搾り出し『シアル・ビクトリア』に、絶対武器に注ぎ込む。
 ほんの少しでも、ひとしずくでも多くのフレアを次の一撃に込めるために。


「滅びよ、カオスフレア!」
 老若男女、いずれともつかぬ声が響き渡る。プロミネンスを純化し過ぎて、造物主と重なりつつあるダスクフレアが、左腕の砲を、褐色の龍に、その背に乗る鋼の巨人に向けて解き放つ。
 二つの法陣に挟まれる形であった黒い小太陽が撃ち出され、前の法陣に触れて消え、その瞬間に後ろの法陣から姿を現す。
 同じ工程が繰り返される。文字通り瞬時に行われたその回数、ダスクフレアが纏う世界の数と同じく1024。
 擬似的な加速器を駆け抜けた黒い小太陽が、光速さえ越えて龍騎兵へと発射される。
 新世界の欠片が、己の進路上にある旧世界を歪ませ、喰らい、有り得ない、許されざる速度を実現させる。


 それは、一瞬を千に切り裂いてすらまだ長すぎるような時間の経過をもって、フォーリナーが駆るMTの胸部を破壊するはずだった。
 そう、はずだったのだ。
 必中にして必滅の魔弾を防ぐ盾となったのは、褐色の龍。
 そも、龍とはそれぞれの弧界を統べる神々――世界霊の対存在として創造された生物である。
 一つの世界そのものと言える世界霊と相対し、弧界のバランスを保つ調停者として、高位の真龍たちは星の海を光の速さで駆けたのだという。
 フェルゲニシュは今、己がフレアを最大限に高め、そうした真龍の階梯へと、手を掛けてみせたのだ。


 未来予知じみた直感で、フェルゲニシュがダスクフレアの攻撃の射線上に身を踊らせる。凝縮されたプロミネンスが、青いコロナとぶつかり、互いを喰らい合う。
「ぐう……!」
 どう見ても、分があるのはプロミネンスの一撃だ。じりじりとコロナの障壁を侵食し、その向こうのカオスフレアを打ち抜かんとする。
「旦那!」
 いつの間にかフェルゲニシュの近くまで来ていたサペリアが助力しようと両腕に光を灯らせた。
「手出し無用!」
 だが、フェルゲニシュの一喝にその動きを止める。その瞬間、ついに光翼騎士のコロナが突破された。
 そして、当の龍戦士は驚くべき行動に出た。
「ゴァアアアアアアッ!」
 一声高く咆哮を上げると、己に向かう黒の招待用に向けて、叫んだまま大きく開かれたあぎとを向け、そのままかぶりついたのだ。
 

 無謀としか言いようのない策だった。
 龍の防御力を保障するのは、その全身を覆う鱗である。が、当然、それは口の中には存在しない。そこに並ぶ龍の牙は、伝説に謳われる名剣の数々と比しても引けを取らない頑健さと鋭利さを備えた武器ではあるが、プロミネンスの一撃を受け止めることはできないだろう。
 一瞬の後には、首から上を吹き飛ばされた龍の死骸が出来上がるかと思われた、その刹那、再び龍が吼える。
 凄まじい轟音と衝撃が周囲に伝播する。
 零距離での龍咆ドラゴンブレス。歯向かう全てを灰燼と帰す龍の吐息がダスクフレアの一撃とぶつかり合う。


「ぐぬ、う……」
 結論から言えば、フェルゲニシュは生き残った。
 相殺しきれなかったプロミネンスに体内を焼かれ、己が咆哮の反動を受けながらもその巨体は倒れ伏すことは無かった。
 無論、ダメージは甚大である。彼が死んでいないのは、死線を越えることでフレアが限界以上に活性化し、覚醒の状態へと移行したからに過ぎない。他の三人がそうであるように、彼もまた彼岸の縁に立っているのだ。

 
 だが、彼は死んでいない。その背に乗せた仲間も守りきった。
 故に、
「さあ、反撃といこうか!!」


 本来の翼に、光翼騎士の名にふさわしい青いコロナの翼を重ね、龍が翔ける。その背には、黄金の剣を掲げた鋼の戦機がある。


「おお……! 度し難し、カオスフレア! 被造物でありながら、造物主に歯向かう増上慢! 滅びて我が糧となることで償え!!」
 輝く闇と化したダスクフレアから、その闇そのものが幾つもの矢となって放たれる。
 だが、龍の突撃は止まらない。鱗を砕かれ、翼を裂かれてもひたすらに前へ。
「ぐる、おお……!」
 唸り声とともにフェルゲニシュが棹立ちになってダスクフレアに襲い掛かり、鎌首をもたげ、至近距離からの龍咆を叩き付ける。
「無駄だと何故に理解しない……!」
 ダスクフレアは小揺るぎもしない。逆に、咆哮を放ったことで発生した隙に、攻撃をねじ込む。フェルゲニシュの喉下に、ダスクフレアの右拳が叩き込まれた。
 総身を結界で覆った、プロミネンスそのものと言っていい拳である。どうにかガードはしたものの、フェルゲニシュの巨体がたまらず宙に吹き飛ばされ、地響きとともに大地に叩きつけられる。
「……む!?」
 地面に叩きつけられたのは、フェルゲニシュだけだった。その背に跨っていたはずの、MTの姿がいつの間にか消えている。


 ――これで決める!
 あさひは胸中で声を上げ『シアル・ビクトリア』に剣を振りかぶらせる。
 フェルゲニシュが咆哮を放つのとタイミングを合わせ、その背から飛び上がったMTは、龍の攻撃を目くらましとしてダスクフレアの背後上空にあった。
 振りかざした剣には黄金の炎が宿り、銀の輝きがそれを補強している。あとは、ただ渾身の力と意思を込めて、ダスクフレアに最後の一撃を叩き込むのみだった。


 ――それでは足りぬ。
 ダスクフレアは己の勝利を確信した。
 確かに、絶対武器であれば、ダスクフレアの防御結界を貫く事は可能だ。何故なら、結界がダスクフレアが作る新たな世界の雛形であるのと同様に、絶対武器はかつて滅びた世界の欠片であるからだ。
 かつて存在した世界、そこに生きた命、それらが抱いた想念。
 そういったものの結晶が絶対武器である。
 世界に対して世界をぶつける。
 それ故に、絶対武器は輝く闇を切り裂きうる。
 だが、そこまでだ。
 防御結界を抜けた先、ダスクフレアを滅ぼすほどの力を、あのフォーリナーは残していない。次の一太刀をダスクフレアがかわす事は難しいが、それで滅びる事は無い。
 そして、次の一撃を凌ぎ切ったなら、ダスクフレアを倒しうる攻撃を繰り出す力は、最早カオスフレアたちには残っていまい。
 つまりこの瞬間、ダスクフレアの勝利が、それによる創世が確定したのだ。
 だからこそ、厳かにこう宣言した。
「我の勝ちだ」


「ところがドッコイ、ってな」
 いつの間にか。
 ダスクフレアの直下に彼はいた。
 VF団八部衆“入雲竜”公孫勝直属、超能力者スペリオル、ローレン。
 ローレンが片手を天へ――頭上のダスクフレアへと掲げる。その掌に、彼の纏う執行者のコロナの全てが収束し、次の瞬間、念動力が赤い竜巻となってダスクフレアを束縛する。
「貴様、これは……!?」
 響くその声に、驚きが浮かぶ。ローレンが何をしたかを、ダスクフレアが理解したが故だ。
 端的に言うなら、ローレンは自身の生命力を燃料にしてダスクフレアを拘束している。
 もともとフレアとは世界を構成する要素であり、自然、全ての生命は大本を辿ればフレアによって成り立っている。
 ローレンは、そうした生命の根幹となる部分のフレアまでもを自身の能力の強化につぎ込んでいるのだ。
 それだけでも自身を削りながらの行為だが、それだけではない。
「俺じゃあ、あんたに傷をつけることはできない。が、あさひの尻馬に乗るんなら、話は別だ」
 絶対武器による、防御結界の突破。それが成された時、ダスクフレアを取り巻くローレンのコロナは、その突破口へと殺到し、フォーリナーの一撃の威力を倍化させる。
 

 だが、この方法には一つのリスクが存在する。
 フォーリナー、あさひは、自身のコロナを剣にかえていることからも分かるように、それを直接の攻撃に用いている。
 だが、ローレンの使い方はそれとは異なる。
 いわば、触媒として使用するのだ。ローレンのコロナは、ダスクフレアを攻撃するのではなく、むしろあさひの黄金の剣による一撃でダスクフレアとともに砕かれ、その際に反応を起こすことであさひの一撃の威力を跳ね上げる。
 先に述べたリスクとは、コロナを砕かれる事によって、ローレン自身にダメージが返ってくるということだ、そして、彼は自身の生命そのものをコロナとして練り上げている。つまり、
 

「我と相打つか!?」
 ダスクフレアがローレンの束縛を逃れようと全身をよじらせる。が、赤い竜巻は僅かに揺るぎはするものの、ダスクフレアを逃がさない。
 逃がすものか、とローレンは独白する。
 いろいろな意味で、チャンスはこれきりだ。
 あさひが攻撃に残した力という意味でも、そのあさひに意図を悟られないようにこの技を使うという意味でも。
 彼女に、今、自分が何をやっているのかを知られたならば、あのフォーリナーはその剣を振り下ろせないだろう。
 自分だって命がけのクセに、きっとぎゃんぎゃんと喚き散らしてこちらに文句を言うに決まっていた。
 だから、タイミングを計った。
 誰もがもう後戻りできない、そんなタイミングだ。


「カオスフレアああーっ!!」
 戦闘を開始してより初めて、明確に感情の乗った声がダスクフレアから発せられる。
 怨嗟、焦燥、憎悪、恐怖。もろもろの負の感情がブレンドされた叫び声。
 ローレンはそれを聞いて、そっとため息をつく。
 ささやかに抱いていた期待が、最期くらいは名を呼んでくれるのではないか、という思いが叶わなかったことに対して。
 

「あなたを連れて行きます。公孫勝様」


 ローレンが別れの言葉を口にすると同時に、MTの振り下ろした剣が、ダスクフレアを脳天から真っ二つに切り裂いた。


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