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新経産相に長妻昭を - 原発問題は経産省問題に転化する
海江田万里に代わって新経産相に抜擢すべき人間とは誰か。私の提案は長妻昭である。海江田万里を更迭する人事は、すなわち経産官僚との死闘であり、仙谷由人との権力闘争に他ならない。霞ヶ関との政治戦を制するためには、長妻昭というエースのカードを切るしかない。耐性テストと再稼働をめぐる夏のバトルは、まさしく原発政策を戦場にした国民と官僚との全面戦争だ。この総力戦に勝とうとすれば、関羽や張飛並みの一騎当千の戦士を前線に立たせなくてはならない。原子力村の魔窟を木っ端微塵に粉砕するためには、長妻昭のダイナマイトなパワーを用兵するのが最も適策である。官僚たちは、今、死にもの狂いで菅直人の首を獲りに襲いかかっていて、NHK、日経、産経(フジ)、読売(日テレ)と、マスコミを総動員して波状攻撃をかけている。菅直人に夏を越させれば、菅直人のヘゲモニーで来年度予算が編成される。4500億円の原子力村予算に大鉈が振るわれ、保安院が経産省から剥ぎ取られ、官僚の天下り先がリストラされる。既得権益が潰される。菅直人の方は、原発政策を戦線化して官僚と対峙することで、緊張のエネルギーを浮力にし推進力にして延命遊泳を一日一日と稼ぎ出すことができる。死に体を甦らせる世論のフォローウィンドを生成できる。官僚とバトルする「脱原発」の演出こそ、菅降ろしを封じるキーの政治技術だ。


先週、松本龍の騒動と辞任の後、すぐに耐性テストと再稼働をめぐる政治へと一転し、週末のテレビ報道もこの話題一色となった。この政治報道では、マスコミはきわめて狡猾な欺瞞的手口で情報工作を行っていて、一方で九電のヤラセメール問題を徹底的に叩きながら、耐性テスト問題については菅直人を攻撃し、古川康と岸本英雄を憐れな被害者のように見せ、海江田万里をハシゴを外された気の毒な部下に描いて持ち上げている。特にNHKの大越健介の歪曲報道が甚だしく、古川康と岸本英雄を「国の政治に翻弄されている」などと言い、噴飯な脚色と構図で正当化している。岸本英雄のファミリー企業の「岸本組」が、町長就任後の4年間に総額17億円に上る受注を、電源立地交付金を使った玄海町の工事と九電の原発関連工事で得ていた件は、地元紙の西日本新聞で書かれ、ネットの中では公知の事実である。岸本英雄が再稼働を急ぐのには、こうした汚い動機と背景があるのだが、マスコミはこの重大な事実を一切報道しない。同様に、古川康の父親は九電の元社員で、何と玄海原発のPR館の元館長という特別な関係があり、この事実もネットで知らぬ者はないが、テレビ報道では全く触れられない。こうした事実が明らかになれば、古川康と岸本英雄の行動の意味は全く違ってくる。古川康も岸本英雄も、ヤラセメールの九電と同じ狢であり、正当化の余地はどこにもない。

古川康の主張とその報道で根本的に間違っているのは、再稼働の判断を国がするものだとしている点である。政府の方針が左右するから、地元として責任ある立場を決められないなどと古川康は言い、被害者のごとく振る舞い、大越健介がそれを正論として報じて国民を洗脳している。妄言が正論にスリ替えられている。バカなことを言ってはいけない。決めるのは自治体ではないか。電力会社に再稼働を了承したり拒否したりするのは、自治体の責任と判断である。全国のどこの原発でも同じだ。国ではない。知事は県民の生命と財産に責任を持つ立場だからこそ、他県の知事は原発再稼働に慎重なのであり、簡単にそれを容認できないのである。知事である古川康には、本来的には、再稼働を推進する論理的立場はないはずで、だからこそ、経産相が佐賀入りして要請するという面倒な芝居を一段セットしたのである。県知事には、国全体の電力需給をどうするという政策の任務も責任もない。明らかに、古川康の挙動は不審で、節電すら要請されてない九州で、電力不足解消のために原発再稼働に動くという行為は異常だ。新潟県の泉田裕彦がこれを言うのならまだ理解できるが、何で電力の逼迫していない九州でこうした行動に出るのか。九電のヤラセメールは九電だけで完結したものではなく、巨大なヤラセ政治の一端にすぎず、その芝居を演じた役者の中に、海江田万里と古川康と岸本英雄と大越健介が入っている。

古川康は国に翻弄などされていない。国に決めてくれという論理そのものがおかしいのだ。決めるのは自治体だ。マスコミは的外れな菅叩きをやり、一時は菅降ろしは被災地無視の政局だと言っておきながら、またぞろ、嬉しそうに菅降ろしの火を再燃させて気勢を上げている。だが、そうした中で、テレ朝の報道は少し違っていて、昨日(7/10)の小宮悦子の番組は、長谷川幸洋と古賀茂明が出演し、菅叩きに与せず、エネルギー庁幹部のインサイダー取引の問題と合わせて、逆に経産官僚を批判する姿勢を明確にしていた。耐性テストと再稼働の問題は、次第に経産省そのものの問題になりつつある。原発政策をめぐる政治バトルに、もう一枚、古賀茂明の退職強要の事件が被さり、戦局を経産省の不利にする材料となっている。7/15が古賀茂明に突きつけられたデッドラインだが、世論は完全に経産省を非難する側に回っている。もし、ここで内部告発があれば、今回の玄海原発をめぐるヤラセが、単に九電の末端だけで止まるものではなく、経産省・エネ庁が仕組んだ政治謀略であり、そこに古川康と大越健介が加担した真実まで暴露される事態に至るだろう。古賀問題が加わることで、菅叩きと官僚叩きが拮抗しつつある。権力闘争で正面衝突している両勢力が、力関係でどちらが劣っているとは言えず、この力勝負は、もし菅直人の方へと均衡が傾けば、経産官僚の側は一気に総崩れになる。国民の経産官僚への不信と憤激は絶頂まで達している。

この騒動と状況を見て思い出すのは、大蔵省が財務省に変えられた契機となった、13年前のノーパンしゃぶしゃぶ事件の醜聞だ。接待を受けた当時財務官の榊原英資も、処分を受けた幹部の一人として名前を挙げられる恥を掻いた。金融危機が進行する最中の不祥事で、大蔵省は国民の敵となり、徹底糾弾され、結局、金融局は大蔵省から引き剥がされ、金融庁として独立して現在に至っている。今から思えば、金融ビッグバンをアクセラレートし、保険会社を外資に売り飛ばし、日本の金融市場と株式市場を米国が支配するハゲタカ戦略の一環で、その政治工作の陰謀だった疑いが濃厚に漂うけれど、ここで大蔵省の「護送船団方式」が叩き潰された。無論、私は今回の原発をめぐる政治戦が米国による謀略だと言っているわけではない。それは違う。だが、この政治戦の結末が経産官僚の敗北に終わる推移になったとき、原子力村の解体に止まらず、経産省の組織改編の手術に向かう可能性は否定できず、国民の世論はそこまで激昂し沸騰することだろう。そうした状況が、大蔵省のときとよく似ていると思われるのである。事務次官の松永和夫は更迭されるだろう。もし、菅直人が古賀茂明を後任の事務次官に据える窮極のポピュリズムを断行すれば、内閣支持率は一気にハネ上がってV字回復する情勢となる。そのとき、大臣の椅子に座るのは、霞ヶ関の仇敵である長妻昭という絵になるのではないか。また、その図が現実のものになれば、菅直人の余命は確実に半年先まで延びるだろう。

長妻昭は一貫して菅派の政治家である。派閥のバックが何もなく、生粋の民間の人間で、めずらしく論理と生理に官僚や政治家特有の腐臭がない。長妻昭が失脚させられたのは、官僚の親玉である仙谷由人の仕業であり、菅直人が民主党の党是とマニフェストを裏切り、仙谷由人と組んで官僚の側に与したため、脱官僚のシンボルである長妻昭の首が刎ねられた。官僚の勝利を象徴する出来事で、民主党の掲げる「政治主導」が潰えた瞬間だったが、長妻昭は菅派の一匹狼だったため、身を防衛する術がなかったのだ。マスコミは長妻昭に対して、「官僚を使いこなせない」だの、「すぐ部下を怒鳴る暴君」だのと誹謗中傷し、長妻昭の評判を落とす情報工作に躍起だった。今回の菅直人に対するパターンと同じである。官僚は、官僚の政策に抵抗する大臣に対して、こうやってマスコミを使って攻撃を仕掛け、状況を固めて失脚させる。官僚のフリーハンドを認めない政治家は、マスコミの記者を使って抹殺処分する。「官僚を使いこなせない」の字面は、「官僚の言うことを聞かない」の意味である。支配者は官僚で、大臣は人形なのだ。今回、7/11午前の枝野幸男の発表で、耐性テストと再稼働は曖昧決着となり、政治戦は持ち越しとなったが、すぐに「休戦協定」は破られ、菅降ろしと再稼働の政局になる。原発再稼働の問題は、表では古賀茂明の問題となり、裏では4500億円の予算編成の問題として正念場を迎える。長妻昭が脱原発のスタンスに立つかどうかという問題はあるが、少なくとも河野太郎と同じ位置取りはするだろう。

ピュアな長妻昭から見て、原子力村と核燃料サイクルほど無駄な国の事業はないはずだ。官僚たちが最も恐れる悪夢は、長妻昭が復権して霞ヶ関にカムバックすることである。官僚たちの2年がかりの反革命が潰される。



by thessalonike5 | 2011-07-11 23:30 | 東日本大震災 | Trackback | Comments(0)
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