明日から夏休み。級友のほとんどは海外だが俺はバイト三昧だ。浮かれていた俺は家に帰ってから、学校にお気に入りのMDを全部忘れてきた事に気付いた。
どうしようなぁ。別にいいんだけど。
何となく岬杜がいたらどうしようと思いつつも、俺はやっぱり学校へ戻った。教室の中をそーっと覗いて誰もいないのを確認する。ふぅっと息を吐いて教室内に入り自分の机の中を探る。7枚のMDを全部取り出すと何気に窓へ目を向けた。
「うわぉ!めっちゃ綺麗な鳥発見!!」
手摺りの部分に止まっていた小さいながらも胸が美しい真紅に染められた鳥は、俺を見ても首をかしげるばかり。何だかやたら可愛くて俺は目を細めた。近くに寄って良く見ると、深緑の体で胸が真紅の鳥だ。毛繕いしている。
おハローと心で言いながら覗き込んでみる。
鳥は逃げない。
可愛い。
教室の窓際へ向かい窓を開けようとした瞬間、教室のドアが開いた音に思わず振り向いた。
「――…岬杜」
俺達が何秒見詰め合っていたのかは分からない。
ただ俺にはやたら長かった気がした。
あの日以来俺は岬杜の視線を感じなかった。実際岬杜は俺を見ないよう気を使ったのだろう。そしてその分、今強烈な視線が俺を縛った。それは今までの中でも最高に強烈で、真っ直ぐで、深くて、恐ろしいものだった。
絡み合う視線の中で俺の身体が緊張で震えるのが分かった。
岬杜が一歩前へ出る。
それを見て、俺の身体は自分の意思とは関係なく踏んでいた靴の踵を直した。
岬杜がゆっくり近付いてくる。
「岬杜、ごめん。来ないで欲しい」
俺は冷静に言ったつもりだったが、声はやはり上擦っていた。岬杜の瞳が揺れる。
俺は岬杜から視線を逸らさずに自分の周りを意識した。ここは3階。窓は開いてない。ドアは岬杜の後ろと、対角線上にもう1つ。
岬杜はきっと結構強い。雰囲気的にはできる奴だ。なかなかその気配を出さないし、読ませもしなかった。それに比べて俺はこいつの前で馬鹿達の相手をした事がある。手の内を少し見せているんだ。そしてなんと言っても目の前で暁生の相手もした。暁生は結構強いから、本気ではないにしろ俺の攻撃のスピードや基本的なスタイル……ハイキッカーに近い事も知られている事になる。
周りに役に立ちそうなのは…。傘はかなり離れた場所に2本。あとは…
岬杜がまた近付いた。
「岬杜、ホント、ゴメン。それ以上来ないで欲しいんだ」
「何で……」
岬杜の瞳がまた揺れた。岬杜の気を逸らしたいと思った瞬間、また奴が近付いた。そしてその距離は俺の身体を警戒モードから戦闘モードへと変えさせた。岬杜の瞳が揺れる。でも、こうなる事を承知で奴が近付いたのも俺は分かっていた。
「来るなっつってんだろうが馬鹿かオメーはッ!!」
「だから何でだよッ!!」
岬杜が怒鳴りながら手を伸ばした瞬間、俺は体勢をずらし素早く蹴りを入れた。岬杜の身体が大きく後ろに下がったが倒れない。岬杜が態勢を持ち直す前に素早く懐に入り込み、鳩尾に一発入れようとした瞬間、俺は咄嗟に大きく後ろに飛び退いた。
「――ッ」
…やばかった。目の前で奴の手が空を切る。俺はもう一度後ろに下がる。余裕を持って攻撃に出たのだが、後ろはもう窓だった。
「岬杜、何で俺の頼み聞いてくれねぇーんだよ」
俺は言いながら岬杜を睨む。岬杜は黙って攻撃の型を作った。
「クソッ!」
俺はその型…岬杜が攻撃の意思を見せて、初めて奴の本当の能力を知った。独学で喧嘩を覚えた俺の身体がニゲロニゲロと騒ぎ出すほどだった。奴は確実に何らかの武術をやっている。
――しかも、よりによってサウスポー!
今まで岬杜と一緒にいて、コイツが左利きだなんて知らなかった。気付かなかったのか?いや、もしかしたら普段は矯正して右利きで生活しているのかもしれない。
どっちにしろ俺はサウスポーが苦手だった。
しかし、俺は今、逃げ場がない。
俺は大きく息を吐き出した。後ろはない。迂闊に前にも出れない。自然にいつもの癖がでて足が上下に開いていたのをなるべく開き、左右に動きやすくスタンスを広げると、自分の体勢を一番低く構えた。
俺を見て大きく目を見張った岬杜は、くすっと笑うと同時に俺に攻撃してきた。
「深海、お前は最高だよ。野生の獣だ」
「馬鹿がッ!!」
いや分かってる。岬杜のは「攻撃」じゃねぇ。捕まえようとしている。それでも俺は、素早く飛んでくる手を交わしながら背筋か凍る気がした。
実戦慣れしてやがる。
攻撃の手を休めない岬杜に、俺はかなりの苦戦を強いられた。ほんの少しの隙を見ては蹴りを入れる。バランスを崩しながらもその足を掴んできた岬杜に俺は自ら飛び込み、右肘をこめかみに入れようとする。
「オラアァッ!!」
右肘はガードされたが今度こそ体勢を崩した岬杜をもう一発左拳で肝臓に入れ、着地と同時に俺は高く飛び隣の机に飛び乗ると、岬杜は映画のような見事な動きで倒れた勢いからそのまま後転し元の型に戻っていた。
…まるで何もなかったように。
しかも位置的にはやっぱり岬杜の後ろにドアがあった。
――こいつ、マジで強い。
俺は真剣に奴の身体能力に驚いた。俺は痩せてはいるがそれなりに筋肉は付いているし、苅田には負けるとしてもキック力もパンチ力も相当ある方だ。その俺の攻撃が効かない。蹴りを入れてもすんなりとは倒れない。スピードは俺が上回っているが、それでもこの俺のスピードについてくる。
俺はもう一度話し掛けた。
「なぁ岬杜、話聞いてくれ」
机の上に低い態勢で構えたまま俺は岬杜を見た。
「聞きたくねぇな。深海も俺の話なんぞ聞きたくねぇだろ?」
岬杜の瞳がゆらゆらと揺れ続けている。俺は交渉を諦めた。
左足を上げ、一瞬フェイントをかけ、そのまま右上段蹴りを入れる。素早くジャンプして隣の机に飛び移る。体勢を戻しそのまま繰り出される岬杜の攻撃が俺を追い込む。間合いを空けても直ぐに連続した攻撃が始まり、俺は必死でそれ交わす。
避けるので精一杯の俺はじりじりと追い詰められた。
――腕が痺れてきたな。
岬杜の攻撃は避けるだけではそのまま捕まえられる可能性があったので、俺は奴の手を思いっきり払わなくてはならなかった。奴が思いっきり攻撃してきたのならその分隙もできるはずなのだが、しかし岬杜はやたらと慎重だった。
逃げる者と追う者。距離が取れない程ごちゃごちゃした教室内。捕まえようとする打たれ強い岬杜相手に、元々苦手な接近戦では到底勝ち目はない。空間を利用し様にも、その空間を取る為のスペースがないのだ。馬鹿らしくなる程の悪条件。
しかしコッチの方がスピードは勝っている。岬杜のガードは一発がある急所に重点を置かれ、俺はそれに目を付けた。ボディーだ。持久戦狙ってチアノーゼ引き起こすまで粘ってやる。
俺はフェイントを混ぜつつ、同じ場所に蹴りを入れた。肝臓、腎臓、特にもう既に何発かクリーンヒットしている肝臓中心に攻撃を続ける。
しかし岬杜はやはり強く、上手く避けられるようになった。上段蹴りを出す素振りを見せ、空中で下段蹴りに変えたりするテクニックを出されると、俺にはもう手が出せなくなる。
岬杜の素早い蹴りに身体が止まると、すかさず周りの机が吹っ飛ぶほどの水面蹴りが来た。
「――セイッツ!!」
両足で高く飛んで交わし、そのまま回し蹴りに移るとクリーンヒットの手応えを感じ着地と同時に懐に入り立て続けに鳩尾と肝臓に思いっきり拳を入れる。
岬杜の身体が大きく後ろに傾くと、奴はそのまま横の机に手をついて足技を出してきた。
――何だこいつ!!
重い蹴りを両手で十字を組んで受け何とか持ち堪えると、
また右に少しずれ何とか距離を保つ。
完全にイった目しやがって。こっちの攻撃が効いてるのかどうかもイマイチわかんねぇ!
上がりかけている相手の呼吸を意識していると、岬杜の型が変わった。重心が後ろに傾く。
猫足?空手か…いや、少し違うな…。
不意に連続した攻撃が始まり続けて上段蹴りが来た。その型から足技が出ると予想していた俺が低くしゃがみ込みそのまま足を払う。岬杜の態勢が後ろに崩れた途端に間合いを詰めて
「――ハッ!!」
低い位置からの掌低。のはずが、岬杜が自ら後ろに飛んで不発に終わった。
くそっ、もう息が上がってきやがった。
自分の呼吸が普通じゃない。持久戦には自信がある俺がこんなに短い間に息が上がるとは。これほど本能と勘、そして神経を使う戦いは初めてだった。
岬杜相手に持久戦狙った俺が馬鹿だったか。
今の掌低がキマっていれば奴の動きは止まった筈だった。
流れがヤバイ方向に向かっている証拠。
俺は岬杜の揺れる瞳を見詰めたまま呼吸を整え、最後の手段に出た。
「ッツ!」
さっきの掌低は不発だったが少し距離が出た。その距離を自ら詰めて不意に右手の壁に向かってジャンプした。
「な!?」
岬杜が驚きの声を上げつつ手を伸ばすと同時に左足で高くジャンプし右足で壁に着く。
滑るな!!
体重をかけるとしっかり履いた靴は壁にぎゅっと馴染み、俺はそのまま重力に反抗し、より高く左前方へ飛び出した。
ここで逃げ切りたい!
「深海ッ!!」
振り返る岬杜が叫び、俺の左足を捕らえる。
くそっ。
「ウラアァァッー!!」
捕らえられた事で自然に振り返る体から右の蹴りが入り、岬杜は衝撃を足で踏ん張り俺の蹴りを左脇で止めた。
最後のチャンス!
両手を塞がれた岬杜に俺は腹筋に力を込め
身体をひねり右拳で奴のこめかみを――
「――ッ!!」
止められていた。
「なん…」
壁を蹴った俺を奴は右手で捕まえ次の蹴りを左脇で…左脇?…そうか、俺が落ちないように、しかも俺の攻撃も止められるように。
1秒あるかないかの瞬間に読まれ…た…?
実際岬杜は左脇に俺の左太股を挟み、その腕で俺の背中を支えていた。そこで俺の右足を自由にして最後の攻撃を右手で受けたのだ。
「…あ」
すとんと床に立たされ、俺は最悪の事態になったと遠くで感じていた。
「…何で分かった?」
最後の攻撃は完璧だった。間違いなく決まったと思った。
「分かったわけじゃない。俺も滅茶苦茶必死だった。」
岬杜の瞳に見詰められ、足から力が抜けると俺は優しく抱き締められた。
「――深海、捕まえた」
その言葉と共に首に衝動が走り、俺は意識を手放した。
意識を取り戻した時、俺は自分の状態を見て、できるものならもう一度気絶したかった。
思った通り、……全裸だった。ご丁寧に両手を後ろで縛られ足首には縄が巻きついている。
変態だ。俺は変態に捕まったんだ。
最悪だった。頭が真っ白になっていると岬杜が目の前に顔を出した。シャワーを浴びていたようでバスローブを羽織り、髪からはまだ雫が滴り落ちていた。
「気付いた?」
「寄るな変態。腕解け馬鹿野郎」
俺は思いっきり軽蔑の目で岬杜を見た。岬杜は黙っている。
「お前何やってんのか自覚ある?」
「ある」
「じゃぁ解け。今すぐ」
「嫌だ」
岬杜は少し震えていた。ベッドの下にしゃがみ俺と目線を合わせ、ゆっくりと俺の肌に触れようとする。
「触んじゃねぇよ!このクソ変態野郎がっ!!」
騒ぐ俺を無視して岬杜が俺の髪に触れた。
「俺が深海の事好きだって知ってただろ?」
「知ってたぜ」
「やっぱり?」
「どーでもいいから解けよ」
「嫌だ。腕解いたら深海暴れるだろう?」
岬杜の手が俺の髪を撫で、そして顔を撫でた。
「お前本当に頭イカレてるんじゃねぇか?」
「そうかも」
岬杜の手がゆっくり首筋を伝う。
「何でこんな事するんだ?お前これ犯罪だって分かってる?」
岬杜は無言で俺の首筋を撫でていた手を肩に移す。
「何がしたい?」
「抱きてぇ」
「じゃぁ一回ヤらせてやるから、腕と足解け」
手がゆっくり腰をつたう。
「お前ホモだったら俺がそうかそうじゃないのかくらい分かるだろう?」
「俺はゲイじゃねぇ」
「だったらさっさと解けやコラァ!!」
手が胸を触る。
「岬杜、ヤルにしてもとにかく腕だけでも解けよ。痛てぇ」
俺は静かにそう言った。岬杜は少し考えた後、俺の腕の縄を外した。
手が痺れている。身体を起こすと俺はようやく周りを見渡した。白くて広い部屋。何もない。窓もない。大きなドアが1つ。大きなベッドで俺が寝ていた。本当に照明とベッドだけ。
「もしかしてここお決まりの地下室とか?」
「違う」
手をぶらぶら振って痺れが取れた所で、俺は思いっきり岬杜を殴った。
「足も外せよ」
「ぜってー外さねぇ」
「何で俺がお前にケツ貸さなきゃなんねぇーんだよ」
「俺が深海を好きだから」
「俺はお前の事大ッ嫌い」
「知ってる」
岬杜の瞳が大きく揺れたのが分かった。
「お前正気じゃないだろ」
「多分」
「どうせヤるんなら俺が気ぃ失ってる間にヤって欲しかったよ」
「そうだろうね」
俺は岬杜の瞳に、実際狂気の色を見た。そして岬杜は自分の正気を必死で保とうとしているのも分かった。ここで俺が暴れると、岬杜の狂気が爆発するかもしれない。しかし自分自身と葛藤している岬杜から逃げ出す事も、今ならできるかもしれない。
「深海、頼むから暴れないでくれ」
俺の考えを読んでか岬杜が呟いた。そして俺の腕を捕まえて引き寄せる。
「俺お前の事大嫌い」
「知ってるって言ってんだろ!!」
思いきり抱き締めてくる岬杜の左手が俺の下半身に伸びて来た。
やべぇ逆効果。
「じゃ、いつから嫌いになったか知ってるか?」
「屋上で深海が怒った時」
「違うぞ」
俺の身体を弄る手をなるべく刺激しないように拒む。
「お前が俺の事好きなのは分かってたよ。俺の身体がお前にやたらと警戒を示すのは、お前が俺を襲おうとしてるってのが分かってたからだと思う。でもお前は自分自身を必死に抑えてくれた。だから俺はお前を受け入れ、友達になろうとしたんだ。お前を好きになろうとは思わなかったが、お前を認めようと思った。大体お前の事嫌いじゃなかったんだ。あの時俺が怒ったのは多分見透かされたのが悔しかったのと、俺はあのままの状態でいたかったから身体の警戒を隠してたのに、わざとあんな事言って俺達の関係にひびを入れたお前に腹が立ったからだと思う。それから急激にお前の視線を重く感じるようになった」
真剣に話す俺を見詰めながら、岬杜が苦しそうな顔をする。
「俺は…身体を緊張させ、しかもそれを隠しながら悠然と俺に話し掛ける深海が嫌だった。俺の気持ちに気付いてる様にも見えたし、俺の事なんて全然気にしてもいないようにも見えた。ただ俺は深海が分からなかった。いつも、誰にも本音を見せないお前が分からなかった。あんなに怒るとは思わなかった」
俺だってお前のあんな一言で自分の感情が乱れるとは思わなかったさ。
「それに言われてからは深海を見ないようにした。会うと見たくなるからなるべく学校も休んだ。それなのに深海は俺を嫌い続けた。意識的にも俺を消そうとしていた」
「俺はお前を嫌ってたわけじゃない。実際お前の視線はかなり強かったし、お前の気持ちを感じていた俺にはきつかった。俺がお前を無視し続けたのは、俺を諦めてほしかったからだ。俺はゲイを差別するわけじゃねぇが、お前の気持ちを受け入れる事は出来ないと思った。友達でいる以上、お前は俺を諦めないとも思った。少し距離を置いて、お前が落ち着いたらまた友達になろうと思ってた」
岬杜の瞳はまだ少し揺れていた。身体をピクリとも動かさず俺だけをじっと見ている。
「いいか岬杜。俺はお前を嫌ってたわけじゃねぇ。その顔も深い瞳も落ち着いた声も、そーゆう意味じゃなかったらかなり好きだぜ。岬杜、俺がお前の事を嫌いになったのは、今、ここで目が覚めてからだ。分かるか?この状態で目が覚めてからなんだ」
俺はここで一呼吸置く。岬杜の微妙に揺れる瞳に気を付けながら、声を落ち着かせ、抑揚にも気をつけながらまた話し出す。
「岬杜、お前ホント何がしたい?抱きたいだけだったら抱かせてやるよ。手荒い変態行為をされるよりもずっとマシだしな。でもそんな事しても俺はお前を好きにはならんぞ。絶対にだ。気にもしねぇ。俺は特別気持ちの切り替えが早いしな。岬杜の気持ちを知っててちゃんとした態度を取らなかった俺も悪かったよ。でも気持ちの押し付けは勘弁してくれ。何だかんだ言っても強姦と殺人は俺の中では同罪だし、俺は岬杜をそんな目では見たくはねぇぞ」
こんな時には何を言えばいいのか分からなかった。世の中には交渉人と呼ばれる犯罪者を説得するのが職業の人間がいるが、俺には関係なかったし俺は心理学なんてのも勉強してない。ただ、真っ直ぐ岬杜を見詰めて、率直に本心を言った。
「岬杜、落ち着けるか?」
岬杜は何も言わない。俺を掴む手も力を緩めない。ただ俺を見詰める瞳は燃えるように熱くて抑えきれないように強かった。呼吸も何かを抑えるように止めている。
「深海、好きだ」
「知ってるよ」
「好きだよ深海。黒い瞳も黒い髪も褐色の肌も笑顔も勘の鋭さも独特の口調も子供っぽい仕草もそのモノの考え方も、全部好きだよ」
岬杜の手が、また動き始める。
「岬杜、落ち着いてくれ」
「拒まないでくれ。優しくするから」
「岬杜!」
抵抗しようとする俺を掴み、力ずくで俺はベッドに抑え込められた。
「拒まないでくれ。深海の事酷くしたくねぇ」
俺はその言葉を聞いて、身体の力を抜いた。岬杜は限界だ。ただ俺に乱暴したくないと言うこの一心だけが最後の理性を繋ぎ止めている。ここで俺が抵抗すれば、それで終わり。俺は肛門科の世話にはなりたくなかったし、どうせヤられるのならなるべく痛くないほうが良かった。
俺ってばこんな時に変に冷静なんだなぁ。
力を抜いた俺を見て岬杜は小さく震えた。
男にヤられるなんて何だか笑ってしまう。ここで最後に大暴れしても良いのだが、何だか馬鹿らしくてしょうがない。どうせ無駄なのだと俺の勘が言っている。観念しようぜ、と。
「――…春樹」
聴こえるか聴こえないか程度の、小さな囁きを聴いた。岬杜の瞳がゆっくり近付く。俺は岬杜の瞳がやたらと悲しそうなのが嫌だった。
柔らかくて、熱くて、優しいキス。
不思議に嫌悪感は無かった。気分はもうどうにでもしてくれ状態だ。岬杜のついばむようなキスが続く。上唇は舐めるように、下唇は吸い付くように。そしてそのうち確かめるようにゆっくりと舌が入ってきた。やはり嫌悪感はなかった。
他の男にこんなふうにキスされても、俺は気持ち悪くないのかなぁ。
遠くでぼんやりそんな事を考えながら岬杜のキスを受けていた。
長いキスだった。
嫌悪感はないものの、俺はキスに応えようとは思わなかった。ただ、されるがままに流れるままにしていた。俺の舌を絡み取り、吸い付き、しゃぶる岬杜をぼんやり感じながら。岬杜の手が俺の身体を探る。
手を足を背中を胸を、俺の全てを確認しているように見えた。その手が俺の性器に触れる。
「――んんっ」
岬杜の熱い手を感じながら、俺は少し身を引いた。岬杜が引き戻す。長いキスがようやく終わると、瞼に額に頬に鼻に、軽いキスが落ちてくる。俺が普段女にしてやる事を、俺自身がされているのは不思議な気分だった。キスが首へ落ちる。
「――っ」
首って結構感じるんだ。女にされている時は気付かなかった。
俺の性器を撫でる手と共にもう一方の手が俺を探る。一度その手を意識すると、もう触れられる全ての場所に感じ始めた。背中も足も胸も。身体が熱くなるのに時間はかからなかった。岬杜の唇と舌が身体を這う。
「ちょ、ちょっと待て」
快感に全てが飲まれる前に、俺が呟いた。息が上がっている。
俺は快感に弱いのだろうか?こんな状態で男に触られて感じるなんて異常だ。それとも俺の頭がおかしくなったのか?……あぁもう、わけ分かんねぇ。
そんな事をふらふら考えながらもどんどん身体が熱くなっていくのが分かる。やばい。
「岬杜ちょっと待てってばっ」
俺が身体をよじるとやっとその手が止まった。胸の突起を舐めていた岬杜の顔が俺の方を向いて言う。
「名前呼んで」
「アホか!お前何調子…――アッ!」
岬杜の愛撫が再開されると、俺の身体は自由が利かない。
「ちょっと待ってってば…マジ…っ」
「名前」
「――え、永司、ちょっと待てよ」
名前を呼んでやっと開放された。上がった呼吸を整えながら俺は目を閉じる。
「マジで頼むんだけど、灯り消してくんない?俺明るいの駄目なんだよホント」
「イヤ」
「何でだよっ、クッソ我儘な奴だな!!テメェー俺がどんだけ譲歩してやってると思ってんだ、いい加減暴れるぞっ!!」
本気で睨む俺を見て、岬杜が少し黙る。
「春樹が見えねぇのは嫌だ」
「…あのさ、もう本っ当に、明るいの駄目なの」
「真っ暗じゃないと駄目なのか?」
「うん。なるべく真っ暗が良い」
岬杜はじっと俺の身体を目に焼き付けるように見た後、ようやく枕元のランプを消した。この部屋は窓が無く、ドアも閉ざされているので完全に真っ暗になった。真っ暗がいいとは言ったものの、ここまで暗い部屋でセックスするのは初めてだった俺は少し驚いた。身体が硬くなったのに気付いた岬杜が手探りでキスしてくる。
そして愛撫の再開。
暗くなって、俺は余計に岬杜を感じた。岬杜の指にも、唇にも、舌にも、とにかく女のように敏感に感じた。自分の声が普段より1オクターブ高いのが自分で不思議だった。
真っ暗な中でするセックスは、今の自分の立場を忘れるほど自然なモノだった。相手が見えないのをいいことに、俺は自分の意識の中で今の状態の全てをうやむやにしようと思っていたのだが、相手の顔は見えなくともその声、この吐息、その身体は岬杜の存在をアピールし、俺は岬杜に抱かれているのを否が応でも意識してしまう。
それでも、それでも俺の身体は何の違和感もない、自然なセックスに没頭し始めている。足元の縄が擦れる音さえも快感を煽る材料。
岬杜の愛撫は焦れる程緩やかで、俺の中の中から、全てを探るようだった。
性器に生暖かく湿気った感触が触れた時は、すでにイク寸前だった。
「あぁっ」
背中が自然に反るのが分かる。そこに突然冷たい感触が走った。
「え?」
「冷たい?ちょっと我慢してくれ。傷付けたくねぇし」
冷たい感触が増すと同時に後ろに嫌な違和感。
…ローション?
どこからそんなの出して来たんだと思いつつ、岬杜の舌に思わず反応する。絡みつく舌に翻弄されながら、俺は熱い身体を捩る。やべぇなマジでクセになりそうだと頭のどこかで考えながらも、同時に思考力が低下するのも分かる。
「――う、くっ…」
一瞬力が抜けると、途端に後ろに圧迫感。何だか頭がくらくらし始め、足りない酸素を必死で吸い込んでいると、さんざん煽られ、時間をかけられ、じっくりと2本目が入るのが分かった。
「痛ッツ!!」
身体が違和感に戸惑っている。
「――う…んん…」
やけに熱くなる身体。荒い呼吸。岬杜の長い前戯に目が眩み、中に入っている指がそのポイントに触れた途端に身体が仰け反った。
「やぁ…ちょっと待って…あ」
岬杜の容赦ない口と指に恐ろしい程の快感を覚え、俺は限界を迎えた。
「あ――…っ!!」
衝撃的な程感じた射精が続き、連続した身体の痙攣が終わるとハッと気付いて思わずだるい身体を起こした。
「の、飲んだ?」
「ああ」
「バッ…バカかお前は!」
うろたえる俺を無視して岬杜が覆い被さってきた。足を持ち上げられ、熱い塊を押し当てられる。思わず身を引こうとしたが岬杜が許さなかった。
「あああぁ――っ!!」
身が裂かれるような圧倒的な激痛に身体が反り返る。内臓が潰れそうな苦しさ。
俺は不意に、男に抱かれている事実を、自分を、はっきりと自覚した。
気絶してぇ。
だが痛みに強い俺の身体は気絶する気配も見せない。頭まで痺れるような痛みが全身を走り、全ての筋肉が悲鳴を上げているように感じた。
「春樹、力抜いてくれ」
岬杜が言っているのが遠くで聞こえる。俺は身体の痛さでもうどうにかなりそうだった。
「…気絶させて」
搾り出すように出した声は擦れていて、自分でも聞こえないほど小さかった。
「…頼むよ……気絶させてくれよ…永司…」
辛かった。岬杜が一発入れてくれれば楽になるなら、そうして欲しかった。その後に何をされようがかまわない。とにかく、この痛みから開放されたい。頭がチカチカする。
しかし、岬杜は何もしてくれなかった。黙って身体を止めると、それ以上は進まずに俺の呼吸が整うのを待っていてくれる。
「痛い」
「――ごめん。もう少し力抜けれるか?」
深呼吸しようと思っても、大きく息が吸えない。
「…無理。もう嫌だぁ」
俺は相当情けない声を出した。本当にもう嫌なくらい痛い。
岬杜は黙って痛さに震える俺の身体を優しく撫で続けてくれる。
こいつだってもう限界のはずなのに。
呼吸を整えながら思う。
頭の隅でさっきまでの正気を失いかけていた岬杜の顔が浮かんだ。
ホントは滅茶苦茶したいんだろうに、変なトコで忍耐強い奴。
そう思い少し身体が楽になると、岬杜がまた奥に入る。ゆっくり一杯まで入れると、またそこで止まった。俺はその圧迫感にクラクラしながら、ここで岬杜の忍耐力に滅茶苦茶本気で感謝した。こんなもの一気に入れられてたら、マジで死ぬ。
「好きだよ」
永司が囁く。痛さと圧迫感に身体の自由が全く利かない。浅く呼吸するのも大変だった。辛いなと思っていると岬杜の手が俺の手を握った。
ごめんと囁きながらキスをしてくる。悪いと思うのなら止めろよこの馬鹿が…と心の中で苦笑しつつ、少し気分的にも楽になった。正気を失うほど想っていた相手を前にここまで来て、しかもこの状態でまだ理性を保とうとしている岬杜は本当に凄い。俺だってコイツと同じく現役高校生だ。これがどれほど辛いのか分かる。
「岬杜、動いていいぞ」
ちょっと落ち着いてきたので、俺は小さく声をかけた。
「名前」
「永司ぃ〜、速攻で終わらせてねぇ〜」
「断る」
「いてぇーんだよ、このバカ」
「ごめん」
「じゃ、早く終わらせろよ」
「却下」
「馬鹿者」
「好きだよ」
腹に力が入らない為声に迫力がでないのだが、本当の恋人同士のような睦言が何故か心地良かった。暗くて見えないが、きっと岬杜も笑っているだろう。
なんだか拉致された事が嘘みたいだった。
手を上げて岬杜の顔を撫でる。不思議な気持ちだった。どうして自分が嫌がってないのか分からない。
とても、当たり前な事をしている気がする。
ゆっくりと岬杜が動き始めた。抱き締められ、深く口付けられる。手を取られ、指を絡ませられる。岬杜の舌が俺の舌を舐め、吸い付く。
「――ぅんんっ」
下半身の痛みと異物感と共に口も犯され、俺は全身を岬杜に犯されているような気になった。長いキスと衝動にいつの間にかそれが興奮に変わっていくのが分かる。
「――んんっ…うっ…」
本当に、全身を犯されているだ。息も出来ないほど何度も口付けられ、角度を変えてはまた口付けられ、手も足も拘束され、犯される身体に意思を奪われ、俺は…。
誰のモノでもない俺が、岬杜のモノになろうとしているのか。
今まで感じた事がなかったその興奮に包まれ、自分で自分が分からなくなってきた。激しく全身を犯されながらも、その行為の一つ一つが俺の身体を狂わせていく。
「あ、ああっ」
岬杜に侵食されているような感覚。
そのリズムは最高で、俺の身体とそれよりも奥を、岬杜は官能的に揺さ振る。
俺の中の中まで探るようなセックス。
「春樹…春樹……」
何も見えない漆黒の中で繰り返し囁かれぐしゃぐしゃになっていく俺の意識。
岬杜の唾液が快感の源の様に感じられ、必死で貪る。岬杜も俺が応えてきた事に興奮しているのが分かる。手も足も口も何もかも、身体全体で快感を追う。絡められた指を解いて自ら岬杜の背を抱いた。何度も何度も口付けられ酸素不足で苦しくなる。岬杜の腕の中で俺は激しく乱れ、喘ぎ、自ら岬杜の舌を絡め捕る。
理性はどこかに消え去り、後に残った快感と本能だけが俺達を支配した。
激しくなる行為。
止まらない。
止められない。
グラインドされ抱いていた岬杜の背中に思わず爪を立てた。
たまらない。
角度を変えて抉られる。
「や――…っ」
自分の背がくっと持ち上がる。岬杜の手が俺の性器に触れた。
「――永司…永司、永司ッ!!」
全身を激しく犯さる快感の中、俺は一瞬だけ意識が飛んだ。
俺達は暗闇の…どこか水の中にいた
苦しい
永司も苦しそうだったが、絶対に俺を離さなかった
水の中に沈んでいるのか浮いているのか、それとも漂っているのか分からない
静寂と騒音
快感と苦痛
俺達の身体が水に溶け始める
互いの身体が震えた
それでも永司は俺をしっかり抱き締めたままだった
溶けていく
怖い
『春樹、愛してる』
永司の声が聴こえた
「――うわああああぁっ!!」
永司が弾けると同時に、激しい痙攣の中で自分がたて続けに射精したのを感じた。
長い射精だった。
自分の意志とは関係なしに、ずっと身体が痙攣していた。
「――…っはぁ、…っは、っはぁ」
射精?快感?こんなの知らない!こんなの知らない!こんなの味わった事ない!!
恐怖にも似た快感が去ると、身体が火が付いたように熱くなっていたのが分かった。酸素が、絶対的に足りてない。永司も激しく呼吸を繰り返しながらピクリとも動かない。互いに身体を落ち着かせるのに精一杯だった。
随分と経って、やっと永司の手が少しだけ動いた。俺の顔を撫でる。ゆっくりキスされる。俺はもうそのキスに応えてやる気力もなかった。
「明るくするぞ」
俺がかすかに頷くと、ごそごそ物音がしてスタンドライトが点いた。
「眩しい」
永司が瞼にキスを落とした。俺の息はまだ弾んでいる。
「…拉致監禁強姦罪」
「ごめん」
「最初に言ったよな、俺。強姦は俺の中で殺人と同じだって」
「悪かった。訴えてもいい」
永司の瞳があまりにも辛そうだったので、俺は頭を引き寄せ綺麗な髪を撫でてやった。
「馬鹿だなお前は。俺は痛かったんだ」
俺は永司を訴える気はさらさら無かった。他の人間なら訴える前に闇討ちしてそいつのマラ切ってやる。それから大金ぶん取ってやる。
でも、永司は別に良い。俺もこいつの気持ち知っていたのに随分と煽るような態度取ったし。
俺はずっと永司の髪を撫でてやった。呼吸は少し楽にはなった。
「ごめん。もう二度としない」
永司が俺の腕の中で呟く。
「馬鹿者の永司君」
「メチャクチャ良かった。最高だった。ヤってる俺が失神しそうだった」
俺は笑った。正直、俺だって最高だったさ。
「もう思い残す事なんてない」
「変な事言うな。今回は不起訴にしてやるから」
笑って言うと頭がクラクラしてきたので目を閉じた。まだ朦朧としている。
永司はそんな俺を見ると、すんなり俺の足の縄を外した。
俺は動けないからもう関係ないのだが。
暫くして永司が俺を抱いてシャワーを浴びさせてくれた。ぐったりとした俺の身体を綺麗にし、後始末をしてくれる。俺はもうされるがままだった。永司は自分もさっと身体を洗うと、また俺の身体を抱いてさっきいた部屋とは別の部屋に連れて行った。リビングのようだったが、頭が回らない俺はそんな事どうでも良かった。ソファーに横にさせられると、永司が黙ってどこかに消えた。
身体だるいな、ケツいてぇし内臓が変な感じする。俺ホントにヤられちゃったんだぁ。
ぼーっとそんな事を考えていた。
俺は永司が嫌いじゃない。でもノーマルな俺が、男に抱かれても良いと思うほど、つまり恋愛云々の感情は持っていなかった…と思う。確かに気になる奴ではあったのだが、それはあの強い視線がそもそも気になって。
なのに別に気持ち悪くなかった。嫌でもなかった。
素直に受け入れられた。
そんな事を考えていると永司が戻って来て、また俺を抱き上げて元の部屋につれて行った。どうやら汗と精子で汚れたシーツを代えてくれたらしい。
「岬杜、明日バイトだから早く起こして。6時な」
「名前」
「永司くぅん、俺はお前のモノになったわけじゃねぇからなぁ」
「春樹は俺のモノだ」
「ふざけんなよ。俺は誰のモノでもねぇし、そーゆー事言う奴が一番嫌いだ」
「春樹、イク寸前何を見た?」
「あ?」
「俺はお前の中に入りながら、お前と一緒に『何か』に溶けるような錯覚をおこした。苦しかったが、俺はそれでも良いと思った。だがお前は怖がった。どれだけきつく抱き締めても怖がった」
俺は言葉を返せなかった。
確かに俺達はどこか…水の中にいた気がする。でも、それは俺が見た、感じた幻覚のようなモノじゃなかったのか?
俺は確かに怖かった。怖くて、嫌だった。
「俺はイク寸前お前の中に入りかけた。でもお前は怖がって必死で俺を拒絶した」
訊くのが少し怖かった。
「ラリってんじゃねぇよ、バカ」
そう呟くと、永司の腕が俺を抱いた。身体を撫でる手が心地良い。
俺は最初、確かに嫌がった。だけど永司のギリギリの顔を見て、すぐに諦めた。
本当は最初からこうなる事を知っていた…ような気がする。
身体があれほど警戒していたのだ。それなのに俺は最初、永司の気持ちを知らない振りをして、自分自身にですら気付いてない振りをして、永司が俺の側に寄る事を許した。永司が辛くなるのも分かっていたのに。
俺はあの時…永司が俺の身体の警戒をわざわざ口に出した時、本当は怖かった。何に対して怖かったのかは分からない。でも、怖くなった。
多分、自分に。
永司の事を考える自分が怖くなった。だから、実際俺の中から消そうと思った。
でもここで意識が戻った時、本当はもう覚悟を決めていたんだ。きっと。
でも、…でも、もし永司じゃなかったら?
俺はそれでもこんなにおとなしく抱かれたのだろうか?あんなに冷静でいられたのだろうか?あんなセックスをしただろうか?
今思えば、確かに永司が俺に酷い暴力を振うのは考えられない。俺が暴れても永司がブチ切れても、こいつは絶対、まぁ多少無茶はしたろうが、俺をなるべく傷付けないように抱いただろう。それは自信がある。
でも、…でも同じように俺を傷付けず誰かが俺を抱こうとしたら、俺は?
――俺はそれでも抱かせてやった?
考えが纏まらないうちに、俺は眠りについた。
桜の木の下に俺がせっせと箱を埋めている。いつも通りに深く埋めている。誰にも見られたらいけないのに、後ろを振り向くと永司が俺を見詰めている。
そんな夢を見た。