世の中の変わる速度

July
09
2011

 最近しみじみと感じることは、日本社会の変わりゆく速度、変わりゆく様は半端じゃなく速いなぁと。特にバブル崩壊以降20年以上を経て、日本経済が実質的に成長しなくなって以来、日本社会の価値観や考え方も大きく変化してきたと思うし、その変化のスピードも相当に速いと思う。こういう変化が速ければ速いほどに既成観念とのギャップが大きくなるのだろうし、混乱も増す。人生80年という時代にあって、この間にそう何度も価値観の変更をせまられたらたまらない。敗戦があって復興、高度成長があって、以降のプロセスでは、石油ショックや円高があったけれど、明確に一つの頂点を描いたのは1989年のバブル経済とその崩壊で、以降日本社会は確実に方向性が変わってきたし、資本を集中させ既得権を強化した大企業の成長は継続したものの、経済のファウンデーションは特に国内においては根こそぎ崩れた。かつて、これほど社会における大企業のウエイトが高かった時代があったのかなって感じるほどに経済主体としての有利不利が歴然としている。

 

 逆を言えば、今の日本社会では「個」のウエイトが凄く薄れているように感じますね。本来なら成熟社会にあっては「個」のバリエーションが重んじられ、生き方も多様化していくのだろうけれど、これだけ社会全体が委縮してしまうと、そして大企業や公務員の地位が強くなればなるほどに、「個」は羽をもがれる。もちろん現代でも突出した「個」は存在するけれど、「個のバリエーション」とは「個」が突出することではないと思うし、社会全体のポテンシャルの中に「個のバリエーション」を許容する余力があるかどうかにかかっている。けれど、大変残念なことだが、今の日本社会のキャパシティはお世辞にも大きいとは言えないし、不況や震災でますます厳しくなってきているのだろうと。

 

 どうも、社会の方向性として、少なからず全体主義的方向に粛々と向かっているようで、鬱陶しいのだ。まず、TVを中心としたメディアの動きが、2000年代に入って極めて怪しくなってきた。特に小泉首相誕生のあたりからTVメディア全体として極めて露骨な情報操作を行っているな、と感じるようになった。と、同時に新聞の役割が希薄になって、本来活字にされるべき新聞記者の言論がTVを通じて多く露出するようになって、その機能は極めて減衰したと思う。なら、インターネットはどうか、と言えば正直これほど厳しい選別が進むとは思っていなかったし、ネット=ビジネス(通販)という位置付けが鮮明で、情報に対する期待感は薄れつつあるのかなと。

 政治に関しては常に書いているので、それ以上の感想はないのだが、社会の変化以上に政治システムの瓦解のほうが早かったし、いまはカオスの真っ只中だから、何とも表現出来ない状況です。これをして末期的と思う人もいるだろうけれど、そもそもすべてが壊れてしまっていまは、一からどういうものを作ったらいいのか模索しながら・・・という時期のように感じます。もうすでに政治家からHIROは出ないだろうし、特別な人ではないことが見えてしまえば、多くを期待することもないだろう。けれども、政治家や役人の横暴をこれ以上許していいのか、という意味で今後は実力行使に出る国民も出るだろうし、そうやって時間をかけてカオスから抜け出す以外に道はないように見える。

 

 しかし、メディアや政治よりも、国民の、特に若者の上昇志向が消えることのほうが重大なのだと思います。経済が右肩上がりの時には、きっと経済的な事を基盤にして人生を設計していた。将来の夢を語る時、目標を定める時、事業を起こす時、すべて右肩上がりを前提にして考えていたし、右肩上がりの状況はそれが比較的イージーだったと思う。しかし、今はどうか?企業行動とは裏腹に今の若者は生涯雇用を望んでいるし、現実的には極めて保守的な選択を欲している。公務員や官僚批判が強まる一方、安定的地位を目指して公務員になろうとするし、将来に過度な期待はせずに安定を望んでいる。正直、若者から活力を削ぎ取るような社会にしたのは、我々から上の世代であって、今の社会を完結させなければならない義務があると思うが、どうだろう。

 

 3.11で日本社会は底辺にまで追い込まれたと思う。経済的にも極めて厳しい状況であるとは思うが、従来の価値観の変更を余儀なくされるという社会的な大きな変化が起きたのだろうと。これは確かに、そして静かに日本社会を変えるに違いないし、また既得権を守ろうとする大企業、政治機構、公務員機構がこの変化に対し、おおいに抗うだろう。その意味では、東京電力の処理に関しては一つの試金石になるのだろうと思うし、未曽有の原子力災害を引き起こし、多くの国民を被曝させ、なお情報を開示しないというとんでもない企業を、このまま破綻させないスキームで救っていいはずがないし、それは現代における既得権保護の象徴になりかねない。

 

 そうやって既得権者が潤い、一般の国民が苦しむ社会と言うのは、もはや先進国ではないし、そういうことがあからさまになりつつある日本やアメリカは、この先非常に苦しむのだろうと思う。しかし、そういう状況でも、いやそういう状況であるからこそ、「個」を大切にしてゆきたいというのが、私の信条であり、弊社の存在意義でもあると思う。そのことを胸に、これからも頑張ってゆくしかない。

Posted by hoshino | この記事のURL | コメント (0) |

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