北の富士さんが本紙展望欄にも書かれているように、十両新人には、思いもかけない昇進に恵まれた力士も多い。北の富士さんの展望は、そう書かれた後で、この幸運を生かすも殺すも本人次第で、双葉山関は好機を逃さず一気に大横綱へ駆け上がったと聞いて居られると続く。
ことほど今場所の十両力士にはなじみのない顔がまじっていて、実に新顔十三人ということになった。その新十両の力士たちが、どんな役割を果たしてくれるか、場所のフタがあいてみないことには、全く見当もつかないところがある。
今度のような大規模な力士の地位変更は、めったに見られないが、それだけに話題になるのだろう。私の少年時代にも、こういった話は男の子達には話題としての価値を持っていたものだ。
たとえば、角界革新を要求して、大井町の料理店春秋園に立てこもった天龍一派の乱の後、双葉山がにわかに力をつけて来た時にも、大成して行く力士の激変は、天龍の乱の思いがけない側面だと真剣に論ずる人たちがいた。
実際、私が大相撲を見始めたころには、隣席の相撲通のおじさんから、それらしき内容の話を聞かされたりもしたものだ。
こういった大相撲への愛情の深さで、昔の人には相撲への愛着を持っていたものだが、戦後の世の中の変化の影響を受けて、最も人間的な行為だったはずの相撲が、いつの間にか経済行為そのものになり、その行きつくところが、大騒動に象徴される八百長騒ぎになって行ったのではあるまいか。
その、問題の八百長騒ぎは、いまだ、どう決着がついたのかは、一般相撲ファンには、片付いたのかどうかも、なかなかわからない。仮に一部で片づいたとする人たちがあっても、それが多くの人々に共通理解となるものかどうか、それはもっとわからない。
私も長いこと相撲を愛して見て来たが、こんな難問を相撲からつきつけられようとは思わなかった。
かくて、難問は残ってしまった。だが、たったひとつ、良い話はある。名古屋場所の相撲ファンが、五人か六人か、例年のごとく、観客として駆けつけてくれたことである。どこのどんな方たちか私は知らない。しかし、名古屋場所には必ず顔をそろえている。
八百長問題は本当に片づいたのかどうか、こんな方たちに説明してほしいものだと思う。
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