鏡の向こうにいるヤブにらみな男を見つめ返した。
やや長めの黒い髪、三白眼に近い目に黒い瞳。ついでに、いつも不機嫌そうなツラ――東京武偵高校二年生「遠山キンジ」が映っている。
洗面台で顔を洗って再び鏡を覗き込むと、水の滴った先ほどの顔が出迎えてくれた。
もう16年以上も付き合ってきた己の顔だ。
悪くはない……と思う。良くも無いだろうが。まあ、女にモテるなんてまっぴらごめんなので、そんな評価はどうでもいい。
洗面台に備え付けてあったタオルで顔を拭き、水で簡単に寝癖を直す。男の身支度なんてこんなものだ。俺みたいに女子に気をつかわない男なら、なおさら。
時刻は4月1日の朝7時、今日から新学期が始まる。高校デビューというわけではないが、心機一転、髪形でも変えてみるかと洗面所にこもって数分、やっぱり面倒くさくなり、結局いつもと同じ容姿になった。
「さて、と」
カーテンを開けて洗面所から出る。なんだか、目が覚めてからこの方、今日は良い事がある気がしていた。容姿にたいして気を使わない俺が、髪型を変えてみようか、なんて思ったのもそのせいだ。
廊下を渡り、リビングへと続くドアを開ける。そこには――
「ふっふっふっ、身の程知らずめが!」
「お、お手柔らかにお願いします」
――などと座卓を挟んで美味しん○ごっこをしているルームメイトと幼馴染がいた。
第一弾 Introduction
星伽白雪。
俺の幼馴染であり、代々続く星伽神社の巫女さんだ。性格、容姿ともに大和撫子を地で行っている。
名前のごとく白い肌におっとり優しげな目つき。つやつやの黒髪ロングに白いリボン。シミ一つ無いセーラー服をばっちり着こなすこいつは、なんと我が東京武偵高の生徒会長。ついでに園芸部、手芸部、女子バレー部の部長も兼任し、偏差値75オーバーといった超優等生である。
たまに朝食を持ってきてくれたりするが、それが今は、緊張の面持ちで座卓の向こうに座る男を見つめている。一挙手一投足も見逃すまいと、息を殺して、正座して。
男が動いた。卓上の漆塗りの重箱からフタを外す。中にはびっしりと、笹皮で包まれた三角錐の物体が敷き詰められている。
(……ちまき?)
果たして、男がそのうちの一つを手に取り、丁寧に笹皮を剥ぐと、中からは茶色い米が見えた。やはり、ちまきだ。でも何でちまき?
男はおもむろに一口、それをかじる。すると突然、前髪の隙間から目をビカッと光らせて、バンッと座卓を叩く。なんだ、美味かったのか? 不味かったのか? まさか「女将を呼べ!」なのか!?
白雪なんてびっくりして垂直に飛び上がっちまったじゃねーか……正座のまま。 すごいな、今どうやって飛んだんだ?
座卓を叩いた姿勢のまま男はもぐもぐと咀嚼し、ごくり。固唾を呑んで見守る俺と白雪の喉も鳴った。さあ、どう出るんだ海原○山!!
そして――――
「これは美味い。なんというものを食べさせてくれる……精進したな」
「はっ、はひっ! 精進させていただきました。お粗末さまでした!」
まさかの仏の京極○太郎。ちょっとだけ、こんなんはクズや、とか、ちゃぶ台返しとか期待していたのだが……
「む、遠山か。星伽が朝食を作ってきてくれたぞ」
「き、キンちゃん!? おっ、おはようございました!? 冷めないうちに私を召し上がれ!?」
「ああ、おはよう……とりあえず、白雪。おまえは落ち着け」
朝っぱらから意味不明なことを言い出した白雪をいつものように軽くスルー。
そのまま、座卓の横にどっかと腰を下ろした。俺もちまきを一つ手にとって口に運ぶ。
……確かに美味い。竹の子と肉の旨み、もっちりとした食感のもち米が絶妙なハーモニーを奏でているような、いないような。
残念ながら俺はお笑いタレントでも俳優でもリポーターでもないので○麻呂のようなコメントはできなかったが。
「……美味いな。前に和食っていうか懐石料理作って来てくれたけど、豪華食材より素朴なこっちの方が俺はいいな」
「ほんとっ! えへへ、キンちゃんに褒めてもらえるなんて。頑張ったかいがありました」
「遠山の好物が中華料理と、星伽が知ってな、最近故郷の料理を教えていた。今日は試験としてこれを作ってもらったが、いやはや、弟子の成長には目を見張るものがある」
「そんな……ウォン君の教え方が上手だからだよ。キンちゃん好みの味付けとか、キンちゃんの好きな食べ物とか」
目の前で白雪とルームメイトが話しているが、ちまきを食べるのに夢中になってあまり頭に入ってこない。白雪がチラッチラッとこちらを見ているが気のせいだろう。
黄飛影――ウォン=フェイイン。
それがルームメイトであるこいつの名前だ。今年の一月から、ちょっとした縁で男子寮の俺の部屋に住み込んでいる。家主と居候といった関係か。
名前からわかるとおり中国出身のこいつは、さすが本場仕込というべきか、中華料理がめちゃくちゃ上手い。わずか3ヶ月で俺もすっかり中華料理が好物になってしまった。
ちなみに、日本語で下の名前を読むと第三の眼が開いたり、邪王で炎殺な黒龍波を食べてしまいそうなので、いろいろな事情からみんなウォンとかフェイと呼んでいる。
いろいろって? いろいろだ。
黒いシャツを着て白雪と談笑しているそいつの容姿は、腰の近くまで伸ばした黒髪、目元がすっかり隠れるほど長い前髪と、顔が露出している部分が驚くほど少ない。黒い衣装を好んで着るため、はたからみると全身黒ずくめな怪しい男となってしまうのだが、日本語の発音は上手いから中国人に見られることはまずなく、本当は日本人じゃないかと、疑われるくらいだ。
性格は……一言では言いにくいが、物腰は人見知りする白雪が打ち解けるほどにはやわらか。いつも何を考えているのかわからない無表情なこと、トレーニングマニアなこと、多少変な知識を鵜呑みにして話すことを除けば、ルームメイトとして、これといった不満はない。
あるとすれば――――
「あっ、キンちゃん。デザートにみかんもあるんだよ」
「ああ。なんか――ありがとうな、いつもいつも」
「えっ、あ…き、キンちゃんもありがとう。ありがとうございます」
「なんでお前がありがとうなんだよ。ああ、もう三つ指つくな、土下座しているみたいじゃねーか」
と、つい視線が「ありがとう返し」と三つ指をつく白雪の胸元に行ってしまう。スタイルも抜群な優等生様のセーラー服、その胸元。そこには深い谷間と黒いレースの下着が――
(く、黒はないだろ、生徒会長!)
慌てて目をそらすが、その先にはばっちりウォンの顔が待ち構えていて――
「星伽、胸元を閉めたほうがいい。遠山が目のやり場に困っている」
――なんて、こちらに無用な気遣いまでできてしまう男なのである。
「えっ? あっ――」
横からは、ババッと胸元を整える白雪の気配。くっそう、言わなければそれで済んだのに、余計なことを言いやがって。
だが、おかげで身体の芯に血が集まっていくような、あの感覚が引っ込んだ。ちょっとやばいかなと思っただけに、これには感謝、だな。
「あ~、その、なんだ……悪いな、白雪」
「う、ううん……キンちゃんなら、大丈夫……」
何が大丈夫なのかはぜんぜんわからないが、少し気まずくなっちまったな。真面目な白雪のことだ、口には出さないが、肌を見られて嫌な気分だっただろう。
ペシっ――――ぴとっ
ペシっ――――ぴとっ
「……何をしてやがる居候」
こっちの空気を読まずに相変わらずの無表情で、俺の顔にちまきをちぎって投げつけてくるルームメイトを睨んでやる。
「知らないのか? もち米には厄払い、毒よけなどの効果がある」
「それは知っている。映画でキョンシーを追い払うのにも、もち米使っていたからな……それで?」
「煩悩、退散」
「…(怒)……確か、加熱しちまうと、効果無いんじゃなかったか」
「……そうだったかもしれない」
ヒョイ――――ぱくっ
「ッ!?」
こ、こいつ…よりにもよって、俺の顔についた米粒を取って食べやがった。
「おっ、お前、いくらなんでも汚いだろ、もうちょっと考えて行動しろよな! ……それと、言っておくが俺はヤマシイ事はなんにも「きっ、キンちゃん!」…は、はい!?」
突然大声で名前を呼んできた白雪に向き直る。ちょっと赤くなった顔。なんだか、鼻息も少し荒い。
「あ、あのね…き、キンちゃん」
「ど、どうした白雪? 」
「そ、そこは『やめろよ。人が見ているだろ……』ってうつむいて手を口に当てて視線をさまよわせて、ちょっと恥ずかしげにそれでいてまんざらでもない感じで言って欲しいんですけど」
「あ、ああ。えっと、うつむいて手を口に当てて視線をさまよわせて、ちょっと恥ずかしげにそれでいてまんざらでもない感じで『やめろよ。人が見ているだろ……』って何を言わせんだ、テメェ!?」
思わずけんか腰に詰め寄ってしまうと、白雪は「ひぃやあぁぁ!?」と急速バック……正座で。
「なんだよ今の!? 何でウォンに顔についた米粒食べられて、まんざらでもない感じで『やめろよ』なんて言わなきゃいけねーんだよ!?」
「ご、ごめんね、ごめんねキンちゃん! か、神様のお告げがいきなり……」
「何だそりゃ!? どんな電波受信すれば神様がそんなお告げしてくるんだよ!?」
可哀そうなくらいかしこまる白雪から詳しく話を聞くと、超能力捜査研究科――通称SSR(略してS研)という超絶に怪しい専門科目の優等生でもあるこいつは、霊感が強いこともあって神の声(という名の電波)がときどき聞こえてくるのだという。
「先月の終わり頃『YAOIのアッ――の向こうには、幸い住むと人の言ふ』って声が突然聞こえてきて……それから何度か、とってもためになるお言葉を告げてくれるんだけど……」
「……いいか白雪、それは、神様は神様でも腐った神様だ。星座の戦士たちや、テニスな王子様や、戦国でBASARAな人たちを血走った眼で見ているようなヤツラなんだ。ヤツラにとっては、全て『愛』の物語に脳内変換されているからな。極めつけはギリシャ神話の主神ですら、ヤツラの食い物にされちまう……まさにゴッドイーター!!」
「えっ…と、よくわからないけど、わかったよキンちゃん。あんまり、神様の声に惑わされないようにしろってことだね」
わかってくれたか白雪。そんな腐れ神とは縁を切れ。
あとそこの居候。一人で黙々とみかんを食べているんじゃない。三杯目はそっと出せ。
何だか疲れる食事を終え、白雪が持ってきたみかんを食べ終えて、朝の身支度に取り掛かる。
「あ、だめだよ、キンちゃんにウォン君。校則なんだから、ちゃんと銃と刀剣を持って行かないと」
「……始業式くらい、銃はいらないだろ」
「でも、最近物騒だし……キンちゃんの身に何かあったらと思うと、私……わ、私――」
「ああ、もう涙目になるなよ。ちょっと待ってろ」
校則――『武偵高の生徒は、学内での拳銃と刀剣の携帯を義務付ける』、か。さすが生徒会長様。武偵高のとんでもなく普通じゃない『校則』にも目を光らせていらっしゃる。
仕方なく、リビングの棚に向かうと――
「銃は苦手なんだが……さすがに生徒会長の前で校則違反はやりにくい」
なんて肩をすくめて、ぼやいているルームメイトがいた。そのまま「面倒だな」とつぶやいて両刃の短刀――匕首と、小型拳銃を棚から取り出し始めた。
――ワルサーPPS――
ドイツ、ワルサー社が2007年に発表したサブコンパクト自動拳銃である。ナチスドイツの制式拳銃だったPPKの後継で、9mmパラベラム弾を放つスリムで短めの銃身。その携帯性の良さから、ドイツの軍や警察にも卸されている逸品だ。
ウォンは続いてソファーの手すりに放り投げてあった防弾制服を手に取り着始めた。
その学ランは、ゆったりとした袖口を長めにとり、上着の裾はひざ下まである妙ちくりんなものだ。往年の映画「酔拳2」でジャッキーが着ていた、中国清朝末期の民族衣装、長袍(チャンパオ)をモチーフに魔改造を施してあるという。そういえば、あの酔っ払い主人公もウォンって名前だったような。
その袖の長い袂にワルサーを無造作に突っ込み、匕首も鞘なしで……っておいおい。
「ウォン、いくらなんでもむき出しの刃物を袖なんかに入れておくな。怪我したらどうするんだ」
そう注意してやっても、何処吹く風でウォンは「まぁ、大丈夫だろう」なんてのたまってやがる。そのまま新たにむき出しの匕首を10本くらい袖に放り込んだ。
……多くないか? というか、袂がぜんぜん膨らんでいない。腕を下ろしても零れ落ちてきたりしないし、総鉄製の匕首同士がこすれる音すらしない。
「……前から思っていたが、その袖の中身はどうなっているんだ? 前にお札やら中華包丁やらをそこから出したこともあったな」
聞かないほうがよい気がしたが、いい機会だ。こちらも学ランに袖を通し、ベルトにホルスターをつけて帯銃しながら尋ねてみる。
「……じつは二十二世紀からきたという青い猫型「わ~キンちゃんかっこいい。さすが先祖代々、正義の味方だね」四次げ「そうか? ガキじゃねーんだから正義の味方ってのもやめてほしいんだが」っているんだ」
うっとり、ぽわわんと話しかけてくる白雪に身体ごと向き直ってやる。心の中でグッジョブ白雪と喝采しながら、褒め言葉を軽く受け流した。なんだか不穏当なセリフが聞こえた気がしたが、気のせいだろう。問い詰めると、エラい人たちに怒られそうな気がするし。
「……あ、痛っ」
「? どうしたのキンちゃん?」
「ホコリが目に……こすれば落ちるだろ」
と、右手で目をこすろうとする俺の手が、いきなりウォンに掴まれた。
「やめたほうがいい。下手に目をこすると眼病、最悪失明の可能性もあるからな。ちょっと見せてみろ」
そう言って、有無を言わさず近づいてきて右手で俺の後頭部を固定し、こちらの顔を覗き込んでくるウォン。
――トクンッ――
「……顔、近くないか?」
「目をそらすなよ遠山。目を閉じないで、俺だけを見るんだ」
長い前髪の隙間から見えるウォンの黒い瞳が、俺の視線とかち合った。
……こいつ、まつ毛長いな。それに、結構美形だ。なんだか、良い匂いもするし。
――ドクンッドクンッ――
「……ああ、糸くずのようなものがあるな。とってやる」
「い、いいから……さ、さっさとヤレよ」
「なにを焦る。いいから、全部、俺に身を任せるんだ」
そう言って、俺をなだめすかせるように後頭部に置いたのとは逆の手で肩を撫でてくる。くすぐったさに俺の緊張が解けて行くのがわかる。
なんだかもう、心も身体もゆだねてしまいたくなる――
――ドキッドキッドキッドキッ――カシューッカシューッ―――
「……白雪、さっきから『お前の心音』がやたらうるさく聞こえるんだが。それとデジカメのシャッター音も」
「き、キンちゃん様はお気になさらず! 良い画――じゃない、窓から良い風景がとれそうな気がするの!!」
どう考えても俺とウォンがフラッシュの光に包まれている気がするが、まぁいいや。目、痛いし。深く気にしたら負けだ。
「いくぞ遠山。力を抜け」
「んっ! アッ――」
――ドッドッドッドッドッドッ――――ブバァッ!!――
「ほら、取れたぞ。痛くなかったか?」
「ああ、大丈夫。ありがとな、ウォン……って白雪ッ!?」
目をしぱつかせながら振り返ると、そこには血の海に沈んだ白雪が! 一体何がどうしてこうなった!?
トレードマークともいえるその自慢のつやつや黒髪は千々に乱れ、隙間から見える顔の下半分は真っ赤……って鼻血じゃねーか!!
なんだかとてつもなく幸せそうに微笑んで、白雪は右手のデジカメを握り締めている。ときおり「えへっえへへっ」と半分意識が飛んだ状態で身体を震わせているが――うわ、なにこれ怖い。
「おっ、おい! 白雪っ!! おま、大丈夫か! しっかりしろ、傷は浅いぞ!!」
「鼻血だけどな」
うるさい。いいからタオルでも持って来い居候。白雪の両肩を掴んでがくがく前後に揺さぶりながら、ウォンをにらんでやると、すごすごと洗面所の方へ歩いていった。
その時、呼びかけに反応したのか白雪が「ううっ」と小さくうめく。そして弱々しく右手のデジカメを持ち上げ、とびっきりのイイ笑顔で――
「わ、我が生涯に一片の悔いなし……」
お前は何処の世紀末覇者拳王だ。一人称は「私」だったろ、さっきまで。
「おい、白雪! 気を確かに持て!! 昇魂式にはまだ早すぎるぞ!」
「嗚呼っ……神様……私…い、一生ついていきます……ガクッ」
「いま、口でガクッて言った!?」
……まぁ、この調子なら大丈夫か。鼻血、止まってないけど。
武偵――言ってみれば、武装を許可された『何でも屋』である。武装探偵がその語源となっているのだとか。
その資格を取得することができれば、武装許可に加えてなんと逮捕権まで有することができる。近年、凶悪化する犯罪に対抗するため、警察に準ずる活動ができるようにと国際資格として新設されたのだ。
――で、俺とウォン、そして白雪はその武偵を育成する教育機関、東京武偵高校の二年生だ。生徒たちは一般科目に加え、武偵に必要な専門知識をここで学ぶ。
先ほど出たが、白雪の所属するS研とか、ウォンの所属する諜報科(レザド)など。専門科目として、それぞれがプロフェッショナルになるため日々勉強と訓練を行っている。
そして俺は強襲科(アサルト)―― 拳銃、刀剣、その他の武器を用いた近接戦による強襲逮捕を得意とする分野だ。その危険度は武偵高随一で――
厄介ごとに巻き込まれるなんて、日常茶飯事で――
「待てよウォン。俺も行く」
「……珍しいな。遠山はいつもバス登校じゃなかったか?」
あの後、何とか正気を取り戻した白雪を先に送り出し――始業式の準備があるのだとか――ウォンと二人でリビングに飛び散った血痕を掃除した。
そうこうしている内に、いつもの7時58分のバスに乗り遅れてしまった。しかたなくチャリを引っ張り出してきて、男子寮の前で準備体操をしていたウォンに声をかける。
こいつはいつもバスを使わず、なんと走って登校している。今はもう暖かいが、冬の寒い時期でさえ、だ。ご苦労なことだ。
「今日はもう間に合わねー。なんなら、後ろ乗っていくか?」
「やめておこう。何故だか知らないが、俺とお前が密着していると女子が騒ぎ立てる。いわく、どっちが猫、どっちが太刀だとか」
「なんだそりゃ。まあ、目立つのは好きじゃないからな、俺も、お前も」
そのまま、俺はチャリをこぎだし、近所のコンビニとビデオ屋のわきを通って、台場に続くモノレールの駅をくぐった。ウォンは足が速く、なんなく横についてくる。
二人でとりとめもない話をしながら、通学路の光景を眺めながら走った。話題は、最近騒がれている『武偵殺し』だとか、白雪が俺に「女難の相が出ている」と言っていたこととか。
「気になってたんだが、お前がトレーニングマニアなのは諜報課にいるからか?」
「いや、昔からだな。どうにも、身体を鍛えていないと落ち着かない」
諜報課は犯罪組織に対する諜報、工作、潜入に加えて破壊活動まで教えている。こいつの『ランク』はDだが、たまにびっくりするような専門知識を出してくることがある。
で、その諜報課だが、もちろん敵対する犯罪組織に潜入となると単独行動がメインとなるわけで。ボディービルダーな元カリフォルニア州知事ほどとは言わないが、こいつもめちゃくちゃ引き締まった筋肉質な身体をしている。俗に言う細マッチョってやつか。
やっぱり潜入工作とかするんだったら、狐とか蛇とかのコードネーム持っている人たち並みの体力が必要なのだろう。それこそ巨大ロボットに轢かれても無事なくらい。
「そういえば――」とウォンが話しかけてきた。
「この前、両手足に数十キロはありそうな重りをつけて走っているやつを見かけてな。遠くから見ていたが、へとへとになりながらも頑張って数時間は走っていた」
「なんだそりゃ。現代スポーツ学に喧嘩を売っているとしか思えねーな」
勘違いしている人間が多いが、パワーウェイトをつけて運動をしても筋力はつかない。心肺機能は強化されるかもしれないが。
人間の手足は肘、ひざといったものの延長上にあるため、身体の中心から離れるほどトルクとして関節に負荷が掛かる。そのため、短時間のウェイトトレーニングならいざ知らず、ランニングなど長時間の運動では、数十キロの重りに耐えられるだけの筋肉がつく前に関節が壊れてしまうのだ。
せいぜい1キロ以下の重りを両手足につけるのがトレーニングの範疇だろう。それでも、ウェイトを外したときに身体が軽く感じるだけで、筋力をつけるだけならプロテイン(タンパク質)を摂取してウェイトトレーニングしたほうがよほど効率的である。
「なんだか、お前も真似しそうだな。いい訓練方法を見つけたって感じで」
「…………」
返事を返さない。
よく見ればウォンのやつ、武偵高指定の鞄の他に、リュックサックを背負ってやがる。登山なんかで使うようなごついやつだ。それにこいつ、こんなに太っていたか? とくに胴回りなんかが部屋を出るときよりも、ふっくらとしているような――
「……おい、その背中のザック、中身は?」
「10キロの重りだ」
「お前、なんか重ね着しているように見えるんだが?」
「10キロのウェイトベストだ」
「……ちょっと袖まくってみろ」
ウォンがそのたっぷりとした右袖をまくると、そこには5kと描かれたリストウェイトが――
「…………」
「現代スポーツ学に喧嘩を売ってみた」
「他所でやれ! そういうのは!!」
そうこうしている内に海に浮かぶような東京のビル群が見えた。ここ、武偵高はレインボーブリッジの南に浮かぶ人口浮島の上にある。
「なんでそんなに重りつけて平然としていられんだよ……」
ウォンのやつ、都合40キロものウェイトつけてここまで走ってきて汗ひとつかいてないぞ。途中会話をしても息も切らせやしない。何処の陸上部部長さんだと言いたい。
「まず身体の周りに薄い妖気の膜を張ってだな――」
「ああ、もういい。この体力馬鹿」
俺のルームメイトがこんなに賢いわけがない。オリンピックも余裕で金メダル狙えそうだ……スポーツのルールを知っていれば。
そんなこんなで、始業式にはなんとか間に合いそうな感じになってきた。さすがに一学期の初めから遅刻はまずい。俺もこいつも、あまり成績がよろしくない生徒としては、こんなところででも内申点を稼がなければ。
二人して体育館へ進路を取り――
『その チャリ には 爆弾 が 仕掛けて ありやがります』
――なんて今、銃口を向けられて脅迫を受けていた。
いつの間にか気がついたら、俺たちの後ろには二つの車輪がついたカカシみたいなものがくっついてきていた。
それは昔流行ったセグウェイという乗り物にスピーカーとUZI――短機関銃を搭載した銃座がついた、へんてこなシロモノだった。無人で、これまた昔流行ったボーカロイドとかいうので作ったような人口音声が話しかけてくる。
いわく、チャリを降りたり、減速すると爆発する。助けを求めても駄目、ケータイの使用も駄目。
「……最近のおもちゃは喋ることができるんだな」などと妙な関心している隣の馬鹿は放っておくとして。
いやな予感がした俺は、チャリのあちこちをまさぐる。サドルの裏、指先に変な物体の感触ってマジか!? C4――プラスチック爆弾じゃねーか!!
世にも珍しいチャリジャック! 俺の自転車がのっとられた!?
「おおおお、おちっ、落ち着ついてき聞けけよ!? けけけ、ケツの下にににばばば爆っ爆弾がが!?」
「……まず、遠山が落ち着いて話すことをお勧めする」
それもそうだ。ふーっ俺としたことが、こんなんで取り乱している場合かよ。俺は強襲課の2年生だぞ、こんなのはもう日常茶飯事さ。
よく考えたら、こっちには爆弾のスペシャリストな諜報課が隣にいるんだ。誰かのイタズラって線も大いにありうるな。ははは、新学期そうそう、軽いジョークか。
そ ん な わ け あ る か!?
こんな手の込んだイタズラするやつがいるわけないだろ!! しっかりしろ、現実逃避している場合じゃないぞ、俺!!
だが、馬鹿なこと考えていたせいか、ちょっとは冷静になれた。改めて、ウォンに状況を説明する。
「……チャリジャック? セグウェイ? 俺はてっきりBAND●Iあたりが開発した子供向けおもちゃかと」
「どこの世界にUZI向けて脅してくるおもちゃがあるんだよ!? 子供が見たら引くわ! 泣くわ!!」
「甘いぞ、遠山。人間の英知は日々進歩している。現にたこ焼きロボットや農作業ロボットもあるらしい。ガン○ムやオーラ○トラーも夢ではない」
「ケータイも使えないやつのセリフとは思えんが……それと、お前がこないだ読んでたマンガに出てくるのは農作業ロボットじゃない。サイボーグだ」
『ええかげんに しなはれ』
ガガガガガガッッッ!!
――と、いきなりセグウェイが威嚇射撃してきやがった。
幸い、当たりはしなかったが、こいつ、おもちゃ(笑)の分際で!
「むぅ、ツッコミまでできるとは」
「あほか!? どつかれたら死んじまうぞ!」
緊張感のきの字も見られないウォン。よくみれば、セグウェイが狙っているのは俺だけ。何でこいつには銃口を向けないんだ?
「おい、ウォン! お前、諜報課だろ! 爆弾なんてお手のもんじゃないか。さっさとなんとかしてくれよ!」
「一言でいえば、それはできない。俺は機械とかそういったものが苦手だ」
そうだった。こいつは諜報課の劣等生。今どきケータイも使えない機械おんちだった。よくそんなんで諜報課やっていけるな!?
そして早くも打つ手が無くなった。いくらなんでも打たれ弱すぎるだろ、俺。
「時に遠山、始業式は何時からだ」
「あ? 9時に体育館で――ってお前まさか!?」
「すまんが、これ以上内申点を下げられると退学もありえるのでな」
「お、おま……チャリジャックにあったルームメイトを見捨てていくのかよ!?」
「おまえなら できると おれは しんじている(キリッ」
「口でキリッとか言ってんじゃねー! っていうか棒読みじゃねーか!?」
「サラバダー」
なんて言いながら、セグウェイの横をすり抜けるようにして逃げ出した居候。みるみるその背中が小さくなっていく。
おい、そこのセグウェイも無言で見送るな! そのUZIは飾りじゃないだろ、一発くらいお見舞いしてやれ!!
し、信じられない。第一話からオリキャラが敵前逃亡……だと!?
って変な電波受信している場合じゃない。今だ俺のケツの下には自動車でも木っ端微塵にできるくらいのC4があるんだ。なんとかしなくては。
生きて帰れたらアイツ絶対にシメる! そんな決意を胸に建物の角を曲がると――
――ちゅどーん――
そんな古典的な爆発音が後ろから聞こえてきた。
速度を緩めないよう、気をつけて後ろを振り返ると、カーブを曲がり損ねたのか、セグウェイが建物の角に衝突、大破していた。
これはラッキー。後はこのチャリに仕掛けられた爆弾をどうにかすれば――
――これはアンラッキー。
体育館からは遠ざかる方向へひたすらにチャリをこいでいた俺が、何度目かのカーブを曲がると今度は三台のセグウェイが待ち構えていた。
しかも俺の左右後ろと周囲を取り囲むようにして逃げ場をなくしてやがる。くそったれ!
誰だ、今日は朝から良い事がありそうな よ か ん♪ なんて言ってたの! 俺じゃねーか!?
『『『次に へんな 真似を しやがりましたら―――』』』
うお、三台同時に警告してきやがった。さっきのはそっちの操縦ミスだろうに。続けて――
『殺すぞ ゴルァ!!(#゚Д゚)』
『殺すぞ ゴルァ!!(#゚Д゚)』
『ぬっ殺すぞ ぬるぽ( ´∀`)/』
「って三台目! 明らかに変なこと言っただろ!! いやいや、それ以前にどうやって顔文字をしゃべってんだよ!!」
ガガガガガガッッッ(発砲音)!!
『『『そこは ガッと 返すべき』』』
「そんなんで警告なしに撃ってくるんじゃねーっ!?」
朝のこの時間、始業式があるためか、予想どおり第二グラウンドには誰もいなかった。万が一のことを考え周囲に人気のないところを目指していた俺は、その入り口に向かって突っ走った。
不思議と身体に疲れはない。減速させれば爆発する、ということは、減速させないかぎり爆発はしない。この手の犯人は変なこだわりというか、プライドを持っているやつが多い。しびれを切らして遠隔操作でズドンッてのはないだろう、だぶん。
自由履修で受けた探偵課の知識を引っ張りだし、無人の第二グラウンドを横目にチャリでひた走る。気力、体力ともに良好。ウォンのやつが誰か――教務課にでも知らせてくれる(はずだ)のならこのままチャリをこぎ続けて、犯人と根競べしてやる。
『『『みなさーん 元気ですかー! それでは早速、いってみよー♪』』』
ただ一つ問題があるとすれば――
『『『おたんこナース♪ 安ボーナース♪ 生麦生米、マーボーナース♪』』』
まだまだいくよぉ~~~と、巫女でナースな愛のテーマ(電波ソング)を永延とサラウンドで聞かせてくるセグウェイたちに腹が立つ!! 秒単位でこちらの精神力がガリガリと削られていく。
い、いかん。もうsan値は0よ、と訴えたところで邪神の声がやむことはあるまい。ここはガン無視、大人な対応をしなくては。
『『『アニサキス♪ サナダムシ♪ セクシャルバイオレット、ハリガネムシ♪』』』
「寄生虫じゃねーか!? なんだよ、セクシャルバイオレット、ハリガネムシって!? 語尾も一文字もあってねー!?」
クッ、自分のツッコミ属性に腹が立つ! わ~い♪ とこちらの周囲をくるくる回っているセグウェイどもにはさらに腹が立つ!!
操縦者の頭の中身を見てみたい。きっと脳みその替わりに都条例違反なものが詰まっているに違いない。石原節が炸裂するぞ。
ふと――地面に映る自分の影が大きくなっていることに気づいた。
なんだ? 極限状態に追い込まれて、影を操る能力にでも目覚めたのか、俺。
そんな馬鹿な考えを切って捨て、考えられる要因――空を見上げた俺は、今日何度目かの驚愕に顔を引きつらせた。
だって普通はありえないだろう。
――――空から女の子が降ってきた! なんて――――
あとがき
前半は作者の趣味全開でお送りいたしました。ギャグとシリアスのバランスをとろうとして、結局ネタだらけな第一話になってしまいましたが……
こんな劣化版「緋弾のアリア」ですが、よろしくお願い致します。
オリキャラの名前表記は黄にすべきか、ウォンにすべきか。
しまった、原作開始の時点(2009年)ではシュワちゃん現役で州知事やってるじゃん。