プロローグ 『バラードの夢』
ぽっかりと口をあけた虚空がそこに佇んでいる。まるで腹を空かせた化け物のように。退廃的な美とはよく言ったもので、東洋人は終わりの瞬間に〝粋〟を見出していたらしい。
しかし、同じ血を受け継いでいようとも、俺は見慣れたこの光景から〝粋〟を見出すことは出来ないだろう。
未来永劫、死ぬまでずっと。
転がった四十五口径の弾丸を拾い上げ、俺はブラウン色のジャケットの懐にそれを突っ込んだ。
まるで無限に広がるかと思える廃墟の山々は地平線の果てまで連なっている。
その中で重なり合った瓦礫が互いを支えにして自立し、崩れたビルは歪な丘になり俺の目の前へ塞がるように佇んでいた。
高く昇った太陽がくすんだ大地を照らして崩壊した廃墟の切れ端から光が束になって降り注いでいる。
いくつもの色彩が廃墟にこびり付くように存在していたが、太陽光の下でぐちゃぐちゃに混ぜ合わされて、鈍い灰色と成り果てていた。
高度に進化した都市が旧文明の死体として骸を露わにして横たわっている。
それは地平線の果てまで広がっていて終わりのない地獄のようにも思えた。
俺はこの地獄の中を這い回っている。
多分、これから死ぬまでずっと俺は危険と闘いながら生きていくしかないのだろう。
まるで道化のようだ。死と生の間をおどけて踊る。いつしか境界線もあいまいになって俺は沈んでいく。
ここでよく転がっている亡骸と同じように、誰からも忘れ去られて自身も廃墟の一部と化して地獄の一部と成り果てる。
俺は思わず身震いをして、足元のコンクリート片を足で小突いた。
「ソーン・霧島。どう、これ。まだ食べられる?」
フルネームで呼ばれた俺は違和感に襲われながらもそちらに振り返る。
俺から二メートルと離れていない場所で瓦礫の山から顔を出したルミ・エリスンが、小さな缶詰を投げてよこした。
カーキ色のカーゴパンツに砂埃がしがみついている。
今やレアものになったレッドウィングのブーツに、黒の襟付きジャケットが嫌に似合っていた。
浅黒い肌に、すっと通った鼻筋、ブラウンの瞳が俺の視界で光った。
彼女の眼はくすんでいて、まるでどこか遠くを常に傍観しているようにも感じられる。じめじめとした風が、彼女の肩まで伸びた真っ黒な髪を撫でた。それはまるで枝垂れ桜のざわめきに似ていた。
「おいおい、探しているのはこんな残飯じゃない。反重力装置だ。だいたい、こんな缶詰、フィニシティで五ドル払えば手に入る」
俺は呆れる様に言った。
こんな缶詰腹の足しになろうとも、ほぼ無価値なのだ。わざわざ封鎖区域へと出向いているのだから、少しでも金目のものを探さなければ意味がない。
瓦礫の山から抜け出したルミが微笑んだまま、倒れている看板に腰掛ける。
「回収人もらくじゃないのね。相方にまで雑に扱われちゃ」
俺は思わず笑ってしまった。
ルミの言葉には、生々しいほどの苦渋が滲んでいたからだった。
回収人はまるで奴隷のようにこき使われる。依頼主の連中は自分で封鎖区域にダイブする度胸がないから、俺たちみたいな命知らずに依頼するのだ。
「雑に扱ってはないぞ。早く見つけて帰ろうじゃないか、戻って報酬を受け取りたいだろう」
俺は缶詰をルミの膝上に投げた。しかしルミはそれを手で払いのけると小さく首を横に振った。
「金よりも、自由が欲しいの。いつまでたっても本が読めないし」
悲しげな表情でルミが言った。
「お前は文字が読めないじゃないか」
腹の底から苛立った。それは脳みそを一度殴りつける。俺の意識でじわじわと怒りが増殖し、それを発散するかのように転がった缶詰を思い切り蹴とばした。
悲観主義者で自由主義者、最も性質の悪い組み合わせだ、と俺は思った。
「酷いことを言うのね。勉強のための時間も欲しいのに」
ルミはゆっくり首をもたげる。
「だったら〝ガイスト教徒〟にでもなれば良い。布教ついでに学を教えてくれるだろうよ」
俺は増加するいら立ちをたしなめながら言った。
どんなリアクションが返ってくるのだろうか、と俺は思った。
ルミはガイスト教を毛嫌いしている。俺はしばし反応を待ったが、予想を反してルミの言葉は返って来なかった。
俺は眉を潜め、〝ようこそ、新世界へ!〟と謳い文句が書かれたデズリー社の看板から、ルミへ視線を向けた。
「昼飯の時間よ」
ルミの呟きが耳に入った。ルミは掌に収まる大きさの固形食を、懐から丁度取り出しているところだった。意図せずに俺の口からため息が零れ落ちた。
なんてマイペースな少女なのだろうか。
これだから〝クスラフカ汚染体〟は嫌だ! 俺は心で叫ぶ。
高エネルギー体〝クスラフカ〟に汚染されたクスラフカ汚染体は知能、精神に何らかの欠損を抱えている。
ただでさえ差別されるような存在なのに、その上知能レベルが低いとなれば手に負えない。
ガイスト教がこいつらを擁護していなかったら、シティからの間引き対象になっていただろうに。
「クスラフカが来る前に見つけ出さないと、今日中に帰れなくなるぞ」
しかし、まるでロボットのように機械的な動きで固形食を頬張るルミは反応を示さない。
俺は遂に観念した。
クスラフカがここら一帯に発生するか、俺がこいつを殺すか、どちらが先になるのか目に見えている。
最初から彼女を回収作業の頭数に入れていなかったことを思い出し、俺はため息を吐き出した。
いつも通り、俺一人で探し出すしかない。
反重力装置がありそうな場所の目星はとうについていた。
デズリー社サンフランシスコ支部の廃墟群にならば必ずある、と俺は確信していた。
俺はルミに背を向け、瓦礫の山にぽっかりと開いた隙間へと身をねじ込んだ。一歩、また一歩進む度に、光から遠ざかっていくのが嫌でもわかった。
まるで宇宙空間に放り出された宇宙飛行士プールのようだ。冷たい空気が後ろへ流れていく中で、背筋にしびれを感じながら俺は思った。
人が一人どうにか抜けられる隙間の先には、今にも崩れそうな小さな空間があった。半壊のロッカー、瓦礫に呑まれた棚に、黒く焦げた投影端末、死んだ電子家具が散らばっている。
空間航空法の指南書を蹴り、瓦礫から突き出したアンドロイドの腕を触り、AIシステムの暴走の爪痕を視線でなぞった。
壊れたサイバーワールドの情景が俺の脳裏で踊りだす。
旧文明の墓場がここに広がっていた。全ては過ぎ去った古めかしい科学技術で、既視感の呼び水に過ぎないのである。
この狭い空間に旧文明の科学の魂が溢れている、と考えると脳裏に寒気が走る。無限にも重なった英知の結晶。輝きを失うことがないと思われたそれは、期待を裏切って無残な躯を晒しているのだ。
俺は手当たり次第にそこら辺を引っ掻き回し始めた。
何百年の間に蓄積された砂埃が狭い空間に充満する。
薄暗い閉鎖空間の中でそれは渦を描き、流動的な模様を描きながら俺の体にこびり付いた。
まるで生き物。虫のように自律した動きで俺に襲い掛かっているようにも思えた。
「まるでゴミ箱を漁るドブネズミだ」
俺は呟いた。この行動に人間としての尊厳が無いように思え、ひどくじめついた気分が心を締め上げる。
だが、旧文明の遺産はかなり高額で取引されていて、その額と言えば、人間の尊厳を捨てても十分割に合うほどだった。
今ここでドブネズミのように生きていたとしても、フィニシティへ戻れば文化的な生活がベッドの上で横になり、股を広げて待っているのだ。
それが俺を突き動かす唯一の要素だった。
経験と勘に従って横に倒れていたデスクをひっくり返すと、一段と大きく粉塵が踊った。
引き出しを無造作に開け、中身を足元にぶちまけた。
懐から光子ライトを取り出して、地に這いつくばりそこを照らした。光の中を砂埃が蠢いている。粒上の靄の向こう側には、ぶちまけられたものが広がっている。
それに手を伸ばそうとした刹那、俺の脳裏に映像が走った。
この姿こそ、本当にドブネズミじゃないか。俺は、はっとした。急に恥ずかしさが込み上げてきた。
周りにはだれの目もない、体裁など気にする必要がない事を理解してはいたが――俺はそこに座る格好に体勢を変えていた。
そして、不気味な笑い声が得も知れぬうちに、喉の奥から込み上げていた。
お前は何を混乱している、ソーン。これじゃあまるで、クスラフカ侵食体そのものだ。
支離滅裂な妄想、それを客観視する自分、その曖昧な狭間をさまよっている侵食体と、なんら変わりないじゃないか。
俺は、ぶちまけられた中身を意識して見据えた。その中にお目当てのものを見つけることが出来て手を伸ばした。
「やっぱり、デスクの中か」
俺は誇らしい気持ちでいっぱいになった。
脇に挟める大きさである反重力装置の部品をつかんだ俺は、慌てて立ち上がると逃げ出すように、その空間から抜け出した。
「ソーン、真っ白。まるで〝使徒〟みたい」
ルミの笑顔が俺を出迎えた。小さな口の端が、かわいげに歪んでいた。
くすくすと笑う彼女の声を傍らに、俺は埃まみれで白くなった上着を手ではたいた。
「ああ、面白い冗談だ。昼食は済んだのか?」
「これからメインに入るところ。でも、食べられそうにない……」
「食えばいい」
俺は癇癪を堪えながら、缶詰を片手に佇むルミを睨んだ。だが、彼女を見た瞬間、俺は驚きで自分の身が強張るのが嫌でもわかった。
「クスラフカが来ているの」
ルミは廃墟群に覆い隠された地平線を指差していた。
口元には歪んだ微笑みがまだこびり付いていて、まるで友達を見つけたかのように無邪気に見えた。
俺は思わず小さな悲鳴のような息を漏らし、傍らに置いていたバックパックに反重力装置を押し込むや否やルミが指し示す方向を見据えた。
逃避衝動が俺の中で慟哭のように叫んだ。廃墟と空の境界線を何かが蠢いていた。
それは津波のように押し寄せ、意志を持つかのように不規則に揺れている。
生物化した蜃気楼があらゆる廃墟を乗り越えて流れ来て、透明な動物が視界いっぱいを埋め尽くし、駆けているようにも見えた。
耳鳴りのような高周波があたりに散らばる。それは境界線の生物的な揺らぎに呼応し、意志を持っているかのようにうねりを吐き出していた。
「ルー!」
ルミがびくりと体を震わせ驚いたように目をぱちくりさせた。
「なあに?」
答えるよりも早く俺は彼女の腕をつかみ駆けだしていた。
地を蹴り、瓦礫を蹴った感触が幾度も俺の神経に波打つ。
砂埃が俺の顔に鬱陶しくまとわりついた。俺の背を押していた風が一転、すさまじい勢いを伴って逆流を始める。俺の体を引きずり込まんとするかのように、風が裏切ったのだ。
後ろを振り返る暇はなかった。
背後に迫っているだろうクスラフカの存在だけは狂おしいほどに理解できた。もしもあれに汚染されたらどうなるのか、考えるだけで背筋が悲鳴を上げる。
「乗れ、早く」
すぐ裏に止めていた古い飛行自動車の助手席に半ば無理やりルミを押し込み、俺は運転席に滑り込んだ。
キーを回すと同時に、踏みぬく勢いでアクセルを全開に開く。
ちらと後ろを確認する。なんてこった、すぐ後ろに来ている! 空間の歪の波が、フライトコフィン後方の瓦礫を飲み込んでいた。
「壊れちゃう」
エンジンの空回りの音がむなしく響き続ける。それは無限に続くかのように音の螺旋を作っていた。俺は握り拳を幾度となくモニターに打ち付けた。背中から冷や汗が噴き出ている。
「心配するな、こうやって使うのが普通だ」
「殴りつけることが普通なの?」
「俺にとっては、な」
ぱきんと、軽い音が響いた。ルミは「ほらね」と言わんばかりの冷笑の視線で俺を見つめた。
殴りつけたモニターの表面に薄い亀裂が入っていた。しかし、反対に俺は心の中で勝ち誇っていた。
イオンエンジンで生成された莫大なエネルギーがプラズマメーターの表示を狂ったように動かしている。
尻の下で、エネルギーが躍動していた。
そしてすべての流れは車体の四隅に取り付けられた球体状の反重力装置に結集するのだ。
重力遮断をランプが示し、同時にモニターの表示が全て正常を指示した。
「後ろ、すぐ後ろに来ている」
「言うな」ルミの声を俺は制した。彼女は口を噤むと座席に身を預けた。「わかってる」と、俺は誰にも向けずに小さくつぶやいた。
俺はいったい何をイラついているのだ。あてもない嫌悪感のすえ、俺は唇を噛む。
ようやく、フライトコフィンが地表から浮いた。ここぞとばかりにアクセルをふかし、対地平衡装置のつまみをフルに捻った。
車体が鈍い叫びをあげる。重力法則が、反重力装置によってバラバラに解体される。
鈍い唸りと車体の推力が交差した瞬間に、後方へと体が引っ張られた。
フロントに広がる廃墟の群像に飛び込むかのような感覚が俺を支配した。
急発進した瞬間に感嘆の悲鳴が助手席から漂って、目の前に倒壊した看板が迫る。
「クスラフカ、左からも」
ルミがポツリとつぶやいた。俺は反射的に右へとハンドルを切った。
遠心力が中和された車内では特に何も変化はなかったが、外の風景はひきちぎれんばかりに悲鳴を上げている。
(もしも平衡装置がなかったら、遠心力でルミはドアへ頭をしこたま打ち付けていただろう)
曲がり切った瞬間に、先の看板が空間の歪みに飲み込まれた。
歪みがフライトコフィンをかすめる。
クスラフカは相変わらず後ろから迫ってきてはいたが、俺は封鎖区域から無事に抜け出せる事を確信していた。
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