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源重遠


源 重遠(みなもと の しげとお、生没年未詳)は、平安時代末期の武士清和源氏満政流。佐渡悪源太源重実の子。兄弟に重成重貞らがいた。室は源義家女。子に重直・重房・重弘らがいた。 浦野四郎と号した。浦野氏の祖である。
文治元年(1185年)4月彼は近江国に住む前は出羽守であった。源重遠はこの時には既に80歳を越していたが、鎌倉源頼朝のもとに参上した。頼朝は累代の家臣である重遠の志に感嘆して重遠の舎弟十郎、並びに僧の蓮仁らに扶持を加えた。この時重遠は平治の乱の後も源氏譜代の家臣として平家の威勢に従わず、ようやく頼朝が平家打倒の兵を挙げたのを喜んだが、京都に住んでいる東国の武士による乱暴は平家が支配していた時代よりも酷く、そのために生活が苦しい旨を頼朝に訴えた。頼朝は彼の訴えを認め、その権利、財産を安堵した(『吾妻鏡』文治元年4月28日条より)。
その後、子孫は三河尾張方面にかけて勢力を持ち、山田氏高田氏水野氏足助氏などとなった。
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