<この国はどこへ行こうとしているのか>
野田正彰さんは欧州のパリ滞在中、東日本大震災の発生を知り、「かなりの無理をして」急きょ帰国した。
「1995年の阪神大震災では、仮設住宅に入った人たちの孤独死や自殺が相次ぎました。なぜなのか。その怒りがずっと心にあったので、今度の震災では何とか防げないかと、発生から1週間後に被災地入りしたのです」
これまでに数回、岩手、宮城、福島の避難所を訪ね、孤立しがちな被災者の話に耳を傾けたり、遺族と一緒に思い出の場所を歩いたりして精神的サポートを続けてきた。
だが、そうしながらも、ある違和感が野田さんにまとわりついて離れなかった。
「例えばメディア。海外の報道を紹介し『冷静な日本人は素晴らしい』と称賛する。『日本は一つ』という掛け声もそうですが、一種のナショナリズム的姿勢であり、社会全体に頑張れムードが強く漂っていました。阪神のときには、これほどではなかった。それだけ災害の規模や衝撃が大きかったとも言えますが、私はそこに、日本の不幸に対する“構え”が明確に出ていると感じるのです」
その「構え」とは「悲しみを抑圧し、不幸を忘れて先へ進もうとする態度」だ。
「日本全体が『悲しみは忘れた方がいい』という発想に疑いを持たない。被災地では親や我が子を亡くした人たちが、今もがれきの中で暮らしている。彼らを前に『悲しみを忘れましょう、頑張りましょう』と言えるのか。人間の精神について、あまりに鈍感ではないでしょうか」
阪神大震災で野田さんは、牛乳瓶や空き缶に花を差し、がれきの中でうずくまっている人を大勢見た。だが今回の震災では、そんな姿が少ないと感じている。
「被災地の人たちは胸が張り裂けそうな悲しみを抑え、押し黙っているのではないでしょうか。しかし、人間の感情は、喜びだけを膨らませるという、そんなばかなことはできないのです。悲しむということは、失った家族と対話することです。その悲哀を通して、人は自分の人生を意味あらしめている。本当に深く悲しめる人は他者と深く喜び合える人でもある。ただそれだけのことが文化として共有できない社会は、野蛮な暴力社会だと思います」
なぜこの国は、悲しみを抑えようとするのか。
「明治維新以降の近代150年間、この国では、それまでの一握りの武士の生き方を理想化し、泣かないことや悲哀に耐えることこそが美しいと強調してきた。そこから生じた『構え』は、1923年の関東大震災や数度の戦争を経ても変わらず、受け継がれてきたのです」
そんな、悲しみを抑えようとする「空気」は何をもたらすか。野田さんは「連帯が失われる」ことを懸念する。被災者が悲哀を受け止め、周囲がそれに共感し、寄り添うところにしか連帯は生まれないからだ。
連帯を失い、孤立した被災者はどうなるのか。野田さんの懸念は、すでに数字に表れつつある。震災後の全国の自殺者数は、5月は前年比で19・7%、6月も7・8%増えた。「データをすぐにグラフ化して昨年と比較し、ぞっとしました。でも注意しなければならないのは、自殺が『絶望』の表現のある一面だということです。その裏には、風邪をひいても暖かい服を着ない、ご飯を食べないなど自分へのいたわりをなくしてしまった果ての『消極的自殺』も多数存在するのです」
経済を含めた社会状況も被災者には過酷だ。
「バブル崩壊以降の不況は97年ごろから顕在化し、98年から自殺者が3万人を超え続けています。リストラが進行し、消費者金融で多重債務に陥った人たちが死を選び始めたからです。その後も日本は新自由主義に突き進み、さらに格差が拡大して『切り捨て』という病理が吹き荒れている。東日本大震災は、そういう状況の中で起きたことを忘れてはなりません」
「連帯」を「絆」と言い換えれば、東北の被災地は都市部に比べ絆が強いという言説も流布しているが、野田さんは、そうではないと言う。
「被災地では、仙台や東京など都市部に出ていて、被災した父母がどんな生活をしていたのか知らないという人に何人も会いました。そこに、高齢化し家族がばらばらになっている実態が如実に表れているのではないか。行方不明者の数が震災2カ月後ぐらいから急激に減りましたよね。この現象は、震災直後の混乱だけでは説明できない。自分の家族がどこにいるのかを知らず、とにかく行方不明の届け出をした方が大勢いたということではないか」
「無縁社会」は被災者を直撃しかねないのだ。
被災地の人たちを置き去りにした、ナショナリズム的頑張ろうムード。それは政治にもにじんでいるとみる。
「今、菅直人首相がリーダーシップがないと攻撃されている。ならば、阪神大震災のときの村山富市元首相はどうだったか。しかも、出来のよくない首相が何代も続いたことを思えば、そこそこで満足してはどうか。『ペテン師』などの汚い言葉で批判するのは異常です。政策面で言いたいことはありますが、それは別の話です。政治について、これほど攻撃的な言葉が飛び交うのは、社会に英雄待望論があるからでしょう」
社会不安に乗じた「強い権力」を求める空気。それはかつてこの国がたどった道でもある。「関東大震災後の社会不安をうまく利用して治安維持法が強化され、日本は軍国主義へと進んでいった。その歴史を繰り返そうとしていないでしょうか」と語る。
「災害は社会の病理を変える契機になりうる」
阪神での経験も踏まえ、一貫してそう訴え続けてきた。災害は、社会にちりばめられた矛盾を浮かび上がらせる。それはときに残酷で、暴力的ですらある。が、悲しみの中から連帯を生み出せれば、より良き社会へとつながる。そう信じている。
「悲しみの抑圧というボタンの掛け違いを放置すれば取り返しがつかなくなるが、本気で社会が変わろうとするなら、まだ間に合う。災害救援とは被災者の気力をいかに維持し、温め、高めるか。どんなに建物の復興が進んでも、人と人との関係が貧しい社会では意味が無いのですから」
被災者に寄り添い続ける精神科医は、こう繰り返す。
「悲しみを、ちゃんと悲しめる社会--それこそが本当の復興へ向かう私たちの精神の礎であるべきです」【山寺香】
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■人物略歴
1944年、高知県生まれ。北海道大医学部卒。神戸市外国語大教授などを経て現在、関西学院大教授。「喪の途上にて」「災害救援」など著書多数。
毎日新聞 2011年7月8日 東京夕刊