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ヒマラヤスギ雑記
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雨天時の柴犬と夏の支度
梅雨が明けたというニュースを目にした。しばらくは雨も降らなさそう。雨のときの大変ややこしいケンのことを少し記録しておこうと思った。

雨が降るとケンはとても退屈そうである。小雨の中の朝の散歩を短時間で済ませた後、家でしばらく寝ていたが、正午前から起きてきて、何度も何度も私におでこを擦り付けてきたり、ロディちゃんを叩いたりして私の気をひこうとする。要するにケンは庭に出て隣の実家に行って朝おやつをもらいたいのだ。が、実家の両親は先日から長野の山小屋に篭りに行っている。それに、外はケンの嫌いな雨なのに。あまりにしつこいので、ケンの誘導に従い、1階の玄関まで階段を下りる。すると、ケンが「ちょっと待ってね」と言う感じで、いたずらっぽい笑みを浮かべて、1階の奥の寝室に走っていく。
(プーを咥えて歩くケン:2月ごろ)

ケンは隣の実家におやつをねだるときにいつも大切にしているプーを咥えていくので(*1)、そのプーを1階の寝室に取りに行ったのだ。ちゃんと自分でどこにプーを置いているのか、覚えているところがほほえましい。「これ、これ」って感じで笑顔でプーを咥えて玄関にケンがいそいそとやってくる。玄関ドアを開けて「ほら、ケンちゃん雨降っているけど、お庭出る?」と話しかけると、上目遣いでこちらを見て視線を落として外の雨を見て、を繰り返し、事情がわかったようで、庭には行こうとしなかった。ケンにはどうやって、隣のおやつをくれる人達が今留守なのかを伝えたらいいのだろう(*2)。
(のびをするケン。)


2階のベランダには、特設「ゴーヤ緑のカーテンエリア」がある。夫が担当である。最初のころは、つるがネットに巻きつく瞬間が見たいと、長時間ゴーヤのつるを見つめ続けたり、間引きのタイミングに悩んだりと、忙しそうであった。まるで、夏休みのゴーヤ観察である。夫によると、お盆までには緑のカーテンになる予定だとか。東京の友人によると、東京の園芸店ではつる性植物はみな売り切れか、売れ残っているのは、素人目でも枯れている苗だとか。つる性植物はみなお取り寄せらしい。彼女宅では、ゴーヤは実が階下の住人に怪我させたらやっかいなことになるから、朝顔でカーテンを作っているとのこと。

(先週真ん中あたりで撮影したゴーヤ。現在はこの2倍くらいに。花が咲いていたので撮影。印象では1日5センチくらは伸びている。)

先日、元町の「菜っ葉」でランチにあった一鉢がとても季節感があって美味しかったので、家でもまねしてみた。湯剝きしたトマトを一口大に切って、水気を切った大根おろしと和え、土佐酢で味付けして紫蘇の千切りをたっぷり載せるというモノ。冷やしておくのがいい。リピート中である。簡単だし。これにオクラを軽く茹でたものを輪切りにして加えてもきっと美味しいと思う。
(紫蘇を切らしていたとき。やっぱり紫蘇はあったほうが美味しい。)

*1:ケンはテンションが高いとお気に入りのおもちゃを咥えて行進する。いつもおやつをくれる実家の両親に1番大切なプーを見せてあげようと考えているのだったら、ちょっと嬉しい。
*2:三日目くらいに薄々感じたようで、1度実家に行くも、すぐに人の気配がないことを察知して、つまらなそうな顔で戻ってくるようになった。

# by himarayasugi2 | 2011-07-10 08:54 | | Trackback | Comments(0)
お詫び
昨日、テキスト庵閉鎖について書きましたが、事情を知らない立場でいきすぎたコメントをしたことをお詫びいたします。推測に基づき乱暴な言葉遣いで気分が悪くなられたことと思います。

大変恥ずかしいことですが、昨日のエントリーは閲覧できないようにさせていただきました。
ご指摘もいただきました。

ご気分を害された方、申し訳ありませんでした。
今後、こういったことのないように気をつけたいと思います。
# by himarayasugi2 | 2011-07-09 00:25
馴れ馴れしいのは苦手
肩の調子はかなりよくなった。右はほぼ完治、左は可動域65%までは確実に回復している。可動域内で動かす分には痛みは伴わず、夜はぐっすり眠れる。現在は関節の膠着を緩めたりする専門的なストレッチのために週に2度、余裕のあるときは3度リハビリに通うようにしている。発表の準備で1週間まるまるリハビリをお休みしている間に、リハビリスタッフに新しい人が加わっていた。

リハビリスタッフは、主にストレッチをするのだが、そのとき患者さんとコミュニケーションが不可欠である。実は新しく来たリハビリスタッフの一種の馴れ馴れしさがどうも私は苦手で、それは本当に相性だと思うのだけど、気がついたら「ストレッチがあの人に当たりませんように」と考えてしまったりする。

そのスタッフは少し患者さんと顔見知りになると基本「タメ口」である。タメ口が好きでない患者(私ね)もいるので、一応、相手をみて対応は変えているみたいだけど、別の患者との「タメ口会話」が聞こえてきてもちょっと不快だったりする。

例えば、年配の女性にストレッチをしているとき。「Xさーん(患者)、どないなん?調子どうなん?」と、ここまではいい。私が「え?」と思ったのは、「Xさん、ええ指輪してるやん、それなに?エメラルドかなんかなん?」「うん、エメラルド」「うそ!そんなんいくらするん?どこでそんなん買うん?いくらなん?」・・・私はどうもこういう会話が苦手で。聞こえてくるのも苦手。このリハビリスタッフは、ちょっと仲良くなるとこんな感じで、甘えた声でだらだらやっている。一応ストレッチは10分のはずだが、話が弾むとどうやら長めにやるらしい。私は2度、このスタッフにストレッチをしてもらったが、「お喋りする気はあまりありません」という私の態度もあって、全然話も弾まず、そのせいか雰囲気も特によろしくなく、無言でぐいぐいやられて、さっさと終了。喋りに行っているわけではないのだが。

話が弾む弾まないに影響を受けずに、淡々とストレッチをしてくれるスタッフが好きである。話のしたい患者には、適当に話を合わせ、でも踏み込みすぎないで一定の距離をあけているような人。他のスタッフは私が自分の肩のことしか興味がないことをわかっているので、いつも1人でできる肩関節の体操とか、壁を使ったストレッチの方法とかを丁寧に教えてくれる。たまーに、マスクをして待合室にいるのを見つけたら「風邪?流行っているみたいですよ」とさりげなく声をかけてくれたり、そういうので十分嬉しいのだ。

整形外科で1番多いのは、高齢者である。こういうリハビリの技術を身につける過程で、高齢者とのコミュニケーションは子供相手か、友達相手みたいに「親しみを」込めてやるようにとでも教えられるのだろうか。私は自分が高齢者という年齢になっても、普通に「-です」「-ます」で話してもらいたい方である。気難しい患者である。仕方ない。

では、関西の人は馴れ馴れしいのか?
夫がラジオで聴いたのによると、東京の人が、関西でタクシーに乗ると馴れ馴れしく「ねーちゃん、どこいくの?」って運転手に訊ねられてびっくりし、東京ではありえないと言っていたらしい。私の印象は違う。私の周囲の関西の人は、(私も含めて)どういう人かわからないうちは、言葉は愛想よく柔らかでも距離は置く。人間関係は保守的な人が多いと思う。婉曲的にものを言うし、華麗に建前を使う、特に私の母親くらいの年齢の女性などはそう。こういうことを考えると書くことが沢山あるので、またいつか。
# by himarayasugi2 | 2011-07-07 08:00 | 雑感 | Trackback | Comments(2)
殺し方/松本さん
父方の祖母は、アガサ・クリスティーも大好きだし、刑事コロンボも大好きだった。小学校低学年のときに、妹と週末泊まりに行くと夜は「おばあちゃんと刑事コロンボ」が定番だった。で、父も推理小説が大好きで、以前にも書いたと思うけど、高校かなにかの文集に「尊敬する人:シャーロック・ホームズ」と書いたらしい。それを言うなら、コナン・ドイルじゃないかとつっこみたくなるけど、シャーロック・ホームズは確かにかっこいいと思う。他、星新一、筒井康隆、それにアガサ・クリスティー、エラリー・クイーンなどなども好きなようで、実家の2階の納戸には文庫本が沢山あった(最近まとめて古本屋で処分したとか)。

その娘である私も、やっぱり推理小説、ミステリーが好きである。警察小説も好きで、警察についてのムックも買ったりするほど、ああいう組織になぜか憧れがあるのだ。警察、刑事、スパイ、暗殺者などなどが主役の映画も大好きである。確か『レオン』だったと思うのだけど、違うかもしれないけれど、セリフの中で一流の殺し屋はナイフで相手の喉を掻き切ることが出来る、というのがあった。それは、ターゲットに最も近づいて、そして一瞬で殺さなくてはいけないから、それだけ殺し屋の負うリスクが高いし、求められているものも多いというのが理由。それが出来るということは、一流の証ということでもある。私はそのセリフに感心したことを覚えている。殺し屋になる予定はないけれど。

出典は忘れたが、一流の殺し屋と対応するように、弱者の殺人というのがある。それは毒殺。弱い者、腕力のない者、ターゲットと対峙できない者、小説の場合は往々にして女性が犯人であることが多いのが毒殺らしい。今読んでいるジェフリー・ディーバーの『ソウル・コレクター』は、ネットで情報を入手してそれによって、殺人、濡れ衣、個人の社会的破滅の遂行などを行う犯人が描かれている。ディーヴァーの最新刊は未読だが、それも帯によるとネットでいじめられた子供がどうのこうのというのが発端となるらしい。ネット絡みの犯罪(しかも殺人!)が主題になるなんて、推理小説にも時代を感じる。ネットは、毒殺する勇気すらない者に憂さ晴らしの場を提供したのかもしれない。

私が実際にやってみたいのは、鑑識である(殺人ではない)。リンカーン・ライムに憧れているというのもあるけれども、もっとも自分に向かなさそうなので、1度鑑識の世界を体験してみたいと思っている。物的証拠だけで犯人をあぶりだすっていうのに惹かれる。ちなみに、向いているのは駐車違反の取締りだと、以前夫に言われたことがある。警察ドラマで好きなものは、『相棒』である。海外のものなら、やっぱり『刑事コロンボ』。杉下右京も古畑任三郎も結局ルーツは『刑事コロンボ』だろう。それからNHKで昔よくやっていた『シャーロック・ホームズ』も古典の映像化では多分1番いいと思う。

松本さん
松本さんの辞任会見をテレビで見る。やっぱりこの人、変っている。この人が変っているのはこの人だけの問題で、出身地や血液型に理由を求めてはいけない、当然のことだけど。しつこいけれども、こういう人(強烈トップダウン暴君型)は会社という組織に必ずいた。少なくとも3人は知っている。当時、「松本さん」の下の人は胃を壊したり大変だったという話もきいている。最近はこういうタイプは会社で珍しいとか。

「松本さん」な人は、政治家にならない方がいいと思う。発言や行為は映像に残され、挙句の果てに半べそかきながら辞任会見をする確率が高いから。会社だったら、あの程度の暴君ぶりなら定年まで居座れるし、退職金ももらえる。不謹慎かもしれないけれども、今回の「松本さん」騒動を見て、リアルで知っている「松本さん」たちを思い出した。リアル松本さんたちは、「あの復興相ってワシに似ている」なーんて、全く思っていないだろうな。自覚がないから「松本さん」のままなのだ。
# by himarayasugi2 | 2011-07-06 07:49 | 雑感 | Trackback | Comments(2)
情報は諸刃の剣:個人情報としての本棚
完全に夏休みに入るまで、あと小論文1本を残すのみとなった。今学期の発表は全て終わったし、夏休みになればそろそろシュウロンに取り掛からないといけないので、娯楽目的の本を読むなら今しかない。というわけで、ジェフリー・ディーバーのちょっと前の本『ソウル・コレクター』を読み始める。

まだ200/522ページくらいなので今後の展開は予想もつかないのだが、ここまで読んで、今回の犯罪の手口の概要がわかる。犯人は、情報を提供するナレッジ・サービス・プロバイダーのデータからターゲットを決めて殺し、その罪を同じくナレッジ・サービスのデータを利用して濡れ衣をきせる人物を選定し遂行する、ということを少なくとも4件行っている。

怖いなと思ったのは、殺人ターゲット(女性)に最初近づくために、その女性の嗜好、趣味、過去の恋愛、交友関係、仕事、住所、病歴、買い物歴などなどをデータベースで調べ上げ、「僕もそのワインが好きだよ、偶然だね」とか「僕もあのパーティーにいたんだよ、偶然だね」といった感じで相手を安心させて近づくところ。そして濡れ衣をきせる人物についても徹底的に調べ上げ、証拠を捏造するのだ。この犯人は過去に練習のため、データを利用して裕福な開業医になりすまし借金をかさね、不倫の証拠をでっちあげ、その開業医をほぼ社会的に葬ってしまった前科もある。今、私は情報の恐ろしさを200ページまで読んで思い知ったところである。

ここまで読んで印象的だった場面は、主人公の刑事がそのナレッジ・サービス・プロバイダーの本社に行き、トップの部屋で話をするところ。情報を商品として「売っている」会社のトップは、情報の恐ろしさを知り尽くしているためか、机の上の全ての書類は裏向けにおいてあり(これはよくあるとは思うが)、部屋の本棚の本はみな背表紙が本棚の棚板を向けて立てかけてあり、ふつうに本棚をみても本のタイトルが読めないようにしているのだ。どんな本を読んでいるのか見るためには一冊、一冊、本棚から出さないと見れない。なんとなく気持ちはわかるのだ。

本棚は、その人となりの一端を示している場所だと思う。いわばその人にまつわる情報である。私は、1階の寝室の本棚にはかなり個人的な書籍や雑誌のスクラップブックを置いている。2階のパソコン周りとすぐ近くの本棚には現在進行中の案件に関する書籍や資料、2階のリビングの飾り棚付近にはお客様が手にとっても楽しめるような、画集、写真本などを置いている。

以前、家を建築される予定のご夫婦が、人を介して我が家を見学にこられたことがある。とても感じのよい30代前半のご夫婦で、特に奥様は家の内装と我が家のインテリアも気に入っていたようで、さかんに写真を撮っていた。その奥さんは細部までじっくりと見るのだが、パソコン周辺の本棚に近づいて、本棚の書籍を端からじっくりと見始めたとき、私はとても居心地が悪くなって、ちょっと悪いかな、私って心狭いかな、とは思ったのだが、「すみません」と正直にお願いをして、離れてもらった。本棚も撮影しそうだったから。もちろん奥さんは悪気などないから、本棚から飛びのいたのだけど、奥さんに申し訳ないと思った。本来なら非公開ゾーンの寝室の本棚に置いておくべき書籍なのだが、パソコンで作業するので便宜上パソコン周囲に置いていたのだ。

でもどうして本棚を覗かれると居心地が悪いのだろう。趣味・嗜好・仕事(研究)内容が知られるのがそんなに私は嫌なのだろうか(*1)。たぶんそうなんだろう。大昔に女性の部屋に遊びに行ったとき、本棚に俗っぽい恋愛小説と恋愛ハウツー本しか並んでいなかったのを見て、なにか見てはいけないものを見たような気がしたことがある。それ以後他人の家におじゃましたら、本棚を見たいときは、一声かけるようにしている。黙ってみるのは、覗き見しているように私が感じるから。

ネット上の情報の取り扱いについては、以前から色々とおもうところがあって、また、まとまったところで記録したい。

*1:そのくせブログで研究内容以外についてはよく書いていると思う。矛盾した人間だなと思う。でもブログに書いていることは、ある程度取捨選択はしている。本棚に並んだ書籍や資料は、加工前の私にまつわるローデータの一部である。


松本復興相の発言と陳謝の映像をまとめて見た。
# by himarayasugi2 | 2011-07-05 07:54 | 雑感 | Trackback | Comments(2)
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