ライフ【大震災を生きる】第2部 原発と子供たち(1)公開なかったSPEEDI+(1/3ページ)(2011.7.10 13:09

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【大震災を生きる】
第2部 原発と子供たち(1)公開なかったSPEEDI

2011.7.10 13:09 (1/3ページ)

避難先は線量高い北西方向

 「SPEEDI(スピーディ)が公開されていれば、北西方向に避難することもなかったのに…」

 東京電力福島第1原子力発電所から北へ約32キロ、福島県南相馬市鹿島区に住む主婦、只野知子さん(35)は、悔やんでも悔やみきれない気持ちでいっぱいだ。

 東日本大震災翌日の3月12日午後3時半ごろ、自宅にいた只野さんは「ドーン」という音と、地震と異なる地響きに飛び上がった。夕方のテレビで福島第1原発1号機が水素爆発を起こしたことを知った。しかし、政府の避難指示範囲は原発から半径20キロ以内。危機感はなかった。それより大津波の後、連絡が取れなくなった福島県新地町に住む父、舛谷君夫さん=当時(59)、4月18日死亡確認=が気がかりだった。食料品や飲料水を買い、冷蔵庫には入る限りの生鮮食料品を詰め込み、震災後の生活に備えた。

 ◆「逃げなさい」

 避難を決断したのは3月14日。親戚からの電話を受けたためだ。

 「子供を連れて原発から100キロ以上逃げなさい」

 その日午前11時頃には3号機が水素爆発を起こした。只野さんは当時生後6カ月だった長女、美月(みづき)ちゃん、長男の悠馬(ゆうま)君(5)、夫の将哉(まさや)さん(32)、双子の妹(35)一家らとともに11人で車3台に分乗。とりあえず福島市内まで行こうと、南相馬市の西方向、原発からは北西方向に向かった。夜になったため、原発から約55キロ離れた伊達(だて)市霊山町の公民館に入った。そこで、18日に秋田県の親戚宅に行くまで避難生活を送った。

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福島第1原発の事故直後、原発から北西方向に避難した只野さんと4人の子供たち。「1日も早く健康調査を」と訴える=7月2日、福島県南相馬市鹿島区

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