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最終更新:2011年7月9日(土) 3時5分

スペースシャトル、30年間見守った記者

スペースシャトル、30年間見守った記者

 これまで世界の宇宙開発に多大な貢献をしてきたスペースシャトル。その歴史に立ち会ってきたベテラン記者と共に、シャトルの軌跡を振り返ります。

 NASA(アメリカ航空宇宙局)が開発したスペースシャトル。1981年に初めて宇宙へ飛び立ってから30年。その勇姿は世界中の人たちを魅了してきました。

 130回以上に及ぶミッションには日本人の宇宙飛行士も深く関わってきました。1992年に日本人として初めて宇宙に行った毛利衛さんから去年4月の山崎直子さんまで、実に7人の宇宙飛行士が延べ12回、スペースシャトルで宇宙へと旅立ちました。

 さらに、日本初の宇宙の実験棟「きぼう」を運んだのもスペースシャトルです。

 「日本にとって新しい、よりすばらしい宇宙時代の幕開けです」(日本人で初めて船外活動 土井隆雄さん ’08年3月)

 数々の功績を残してきたスペースシャトル。これまでに3回の搭乗経験がある宇宙飛行士・若田光一さんはこう語ります。

 「宇宙への道を開いた最も有効な輸送手段だったのがスペースシャトル。アメリカの宇宙船だが、アメリカだけでなく、世界のいろいろな国の有人宇宙活動をけん引する大きな力だった」(シャトルに3回搭乗 若田光一さん)

 そんなスペースシャトルの打ち上げのほぼ全てを見守ってきた人物がいます。アメリカ3大ネットワークの一つ・CBSテレビのビル・ハーワード記者です。宇宙開発の専門記者として、これまで128回もの打ち上げを現場で取材してきました。まさにスペースシャトルの生き字引とも言える人物です。

 「スペースシャトルはすばらしいマシンだよ。高度で複雑な技術という点では世界一だ」(CBSテレビ ビル・ハーワード記者)

 シャトルの成し遂げてきた輝かしい業績を次々挙げるハーワード記者。特に忘れられない2つの出来事がありました。

 「ワシントンにいる編集者に電話でこう言った。『シャトルが爆発したみたいだ』」(CBSテレビ ビル・ハーワード記者)

 1986年に起きたチャレンジャー号の爆発事故。7人の宇宙飛行士全員の命を奪い、NASAは宇宙開発を一時中止しました。

 さらに、2003年には帰還中の「コロンビア」が空中分解。打ち上げの際、シャトルの耐熱パネルが損傷していて、大気圏突入時の高温から機体を守ることができず、空中分解しました。この事故でも7人の宇宙t9T;NA40w$,;`K4$7$^$7$?!#

 「(シャトル計画への)長期的な影響という意味ではコロンビアは最悪の事故だった。今回こうしてシャトルが退役するのもコロンビアの事故が影響しているからだ」(CBSテレビ ビル・ハーワード記者)

 スペースシャトルは当初、他のロケットと違い、機体を繰り返し使うことができ、打ち上げ費用を削減できることを目的としていました。しかし、2回の大事故から安全対策を強化するための費用がかさみ、現在では1回あたりの打ち上げにかかる費用はおよそ10億ドル(日本円でおよそ800億円)と言われています。これがシャトル退役の大きな理由となっています。

 「宇宙は金がかかる。安全のために多くの人と金を使う。確かにシャトルは古いし、今の技術をもってすれば、より安くより安全な宇宙船が造れるだろう。つらいね。多くの人がシャトルに人生をささげてきた」(CBSテレビ ビル・ハーワード記者)

 30年の輝かしい歴史に幕を閉じることになったスペースシャトル。一つの時代の終わりは、夢と現実を追い求める宇宙開発の難しさを物語っています。(08日22:37)

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