東京電力福島第一原子力発電所の事故収束が見えないなか、福島県では、放射能が将来への視界を曇らせ、「復興」への足取りを鈍らせている。
現在、県外に約3万6千人が避難。農林水産業や工業、観光業などは大きな打撃を受けている。企業の倒産や流出も相次ぎ、震災後の3カ月余りで4万6千人が失業した。消費を控える傾向もうかがえる。
東日本大震災から11日で4カ月。経済も生活も縮むなか、県民は苦難と向き合いながら暮らしている。
よく晴れた日中。福島市内の老人施設で、5歳の「もーくん」がお年寄りにおずおずと声をかけた。「一緒にカルタしませんか」。お年寄りとカルタや折り紙で遊んだもーくんはやがて、ここへ連れてきた辺見妙子さん(50)にくっついて離れなくなった。「外でぶらんこ乗りたい。悲しい」。そう言って、窓の外を眺めた。
辺見さんは近くの自宅で託児所を開いている。原発事故の前は、雨でもカッパを着せて公園や山林に出かけていた。預かっていた子どもは5人。4月には8人に増える予定だった。
事故後、子どもたちの家族は全国に避難した。預かる子どもはゼロに。5月の連休明け、北海道に避難していたもーくんが戻り、託児所を再開した。ただ、放射線が心配で室内保育に切り替えた。外に出るのは週2回にした。