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シャトル最終便:日本人宇宙飛行士7人 格別の思い

スペースシャトルのチェックリストを手に思いを語る野口聡一宇宙飛行士=東京都千代田区のJAXA東京事務所で2011年7月5日、森田剛史撮影
スペースシャトルのチェックリストを手に思いを語る野口聡一宇宙飛行士=東京都千代田区のJAXA東京事務所で2011年7月5日、森田剛史撮影
過去に3度搭乗したスペースシャトルの思い出などを語る宇宙飛行士の若田光一さん=ケネディ宇宙センターで2011年7月7日午前11時7分、野田武撮影
過去に3度搭乗したスペースシャトルの思い出などを語る宇宙飛行士の若田光一さん=ケネディ宇宙センターで2011年7月7日午前11時7分、野田武撮影

 最終飛行となる米スペースシャトル「アトランティス」が米東部時間8日午前11時29分(日本時間9日午前0時29分)、ケネディ宇宙センターから打ち上げられた。シャトルは毛利衛さん(63)ら日本人飛行士7人を宇宙へ運んだ。引退に寄せる思いは格別だ。

 「私が宇宙を目指すきっかけとなった宇宙船。夢であり青春であり、宇宙への扉だった」

 05年に初飛行した野口聡一さん(46)は、高校時代にシャトルの初飛行をテレビ中継で見て、宇宙飛行士を志したという。

 96年、宇宙飛行士に選ばれ、初飛行を翌月に控えた03年2月、7人が犠牲になるコロンビアの空中分解事故が起きた。2年あまりの空白を経て搭乗したディスカバリーは「飛行再開第1便」という重大な使命を帯びていた。

 「米国の威信をかけた再開で、ものすごい緊張感があった。クルー(搭乗員)の間では、やるべきことを一つ一つ淡々とこなしていこうと話していた」

 野口さんは船外活動のリーダーを務め、機体の安全確保のために導入された耐熱タイルの補修試験を任された。「飛行士冥利に尽きた。毛利さん以来の先輩の功績が評価され、お客さんではなく対等のパートナーと認めてもらえた」と振り返る。

 日本人最多の3回搭乗した若田光一さん(47)は今回、ケネディ宇宙センターでアトランティスを見送る。「自分が搭乗する時は仕事優先。仲間が乗る時は祈るような気持ち」という。

 初飛行で操縦席の天窓から見た、オアシスのような地球が忘れられない。「外国へ行って日本の良さや改善点が分かるように、地球の外に出て初めて、古里の価値を実感できた」。シャトルでの活躍を買われ、13年末からの国際宇宙ステーション(ISS)長期滞在では日本人初の船長も務める予定だ。

 シャトルの搭乗資格を得ながら、日本人飛行士で唯一、搭乗しなかった古川聡さん(47)。今年1月、毎日新聞のインタビューに「素晴らしい宇宙船で、一度は乗ってみたかった」と話していたが、今回、長期滞在中のISSでアトランティスを出迎える。「最後のスペースシャトルがやって来るのを楽しみに待っています」

 残る5飛行士にも引退への思いを聞いた。(一部は宇宙航空研究開発機構=JAXA=を通じたコメント、かっこ内は搭乗年)

「信じられないこと可能に」毛利衛さん(92、00年)

 私にとっては信じられないことを可能にしてくれた乗り物。シャトルのおかげで日本は有人宇宙活動に参加でき、経済大国にふさわしい貢献をすることができた。世界中の人々にあの雄姿と美しい打ち上げを見てほしい。

「宇宙に仕事場でき感謝」向井千秋さん(94、98年)

 シャトル計画が終わるのはとても寂しい。国際協力、人材育成などを通じ「人類のための宇宙開発」を真に推進した計画だった。「仕事場は宇宙!」を可能にしてくれてありがとう!

「新世界へまだこれから」土井隆雄さん(97、08年)

 シャトルは私たちの宇宙への夢を膨らませ続けてきた。私たちは新たな有人宇宙船の開発に向かわなければならない。宇宙という新しい世界への進出を、人類はまだ始めたばかりだ。

「往復システム経験生かす」星出彰彦さん(08年)

 人や物を積んで宇宙を往復するシステムを確立した点では、ガガーリンの宇宙初飛行やアポロの月面着陸以上の貢献。得られた経験を日本の宇宙開発にも生かしていきたい。

関係者らに「お疲れさま」山崎直子さん(10年)

 スペースシャトルと関係者に「お疲れさま」と感謝したい。シャトルから得られた知見を生かし、有人宇宙開発がより身近に、地球上の生活にも還元されていくよう祈っている。

【西川拓、ケネディ宇宙センター(米フロリダ州)野田武、モスクワ大前仁】

毎日新聞 2011年7月8日 22時13分(最終更新 7月9日 1時03分)

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