平成23年7月10日 日曜日
「親として思うこと…」
先月の15日に神奈川県警から連絡があり、
それを横浜地方検察庁に確認して、
長女の命を奪った容疑者が起訴されたことを知りました。
これに対する量刑は、
『死刑または無期懲役』です。
起訴されたことに正直ほっとしました。
しかし容疑者は否認を続けているようです。
事実は長女と容疑者しか知りません。
長女は亡くなったので
事実を語ることができません。
しかし、検察は起訴をしました。
過失致死や傷害致死ではなく、殺人としてです。
しかも、強盗という
罪も犯していたとして…
『強盗殺人』の罪名となりました。
一方、長女の命が奪われたことを自業自得と言う人達もいます。
しかし、
命を奪われたことは、その生業の報いとしての自業自得という結果ではなく…
容疑者には同じような刑事事件を起こした前科があり
そんな容疑者に出会ってしまった運命が、
長女の寿命という
ロウソクの長さだったと思うのです。
長女はその灯火を燃え尽きさせたかもしれませんが、
それは無念の想いを
持ちながら燃え尽きたと思います。
公判では、長女の身に起きた真実を明らかにすることを争点にして闘われるでしょう。
争点は、
容疑者が殺人自体を否認していること、
なぜ否認するのか?
殺人自体を否認するのか…
殺人ではなく致死だというのか
なぜ、どのように娘と
容疑者が出会ったのか
容疑者と娘が出会った経緯はなにがあったのか…それとも、なかったのか?
出会ったとして、そこに何があったのか?
それらの争点を明らかにするために、
そこでは、すべての真実が晒されます。
私は、それをしっかりと受けとめていきます。
長女の生い立ちも、
その生業も白日のもとに明らかにされるでしょう。
しかし、長女の命を奪った事実はその生業の報いではないことを、
裁判員の方々に、
はっきりと伝えていただきたいと思います。
何であろうと、
娘の命を奪った真実が
明らかになれば…
それに相応した量刑を
もって罪を償うことになることを信じています。
命を奪われた無惨な
娘の表情は、私にその無念を晴らして欲しいと訴えています。
私は娘の想いに応えるため、
私の出来る全力で闘います。
娘の最後の暮らしについて親の私が知らずにいたのは、
親としての務めを果たしていなかったのです。
その務めを果たしていれば、
娘が逝くことをとめることができたのです。
それが悔やみでなりません。
しかし何があろうと、
愛する娘であることに変わりはありません。
ですから、
その娘の想いに親として応えることは当然だと思っています。
それは真実を明らかにして、娘の無念を晴らすことだと思っています。
「親として思うこと…」
先月の15日に神奈川県警から連絡があり、
それを横浜地方検察庁に確認して、
長女の命を奪った容疑者が起訴されたことを知りました。
これに対する量刑は、
『死刑または無期懲役』です。
起訴されたことに正直ほっとしました。
しかし容疑者は否認を続けているようです。
事実は長女と容疑者しか知りません。
長女は亡くなったので
事実を語ることができません。
しかし、検察は起訴をしました。
過失致死や傷害致死ではなく、殺人としてです。
しかも、強盗という
罪も犯していたとして…
『強盗殺人』の罪名となりました。
一方、長女の命が奪われたことを自業自得と言う人達もいます。
しかし、
命を奪われたことは、その生業の報いとしての自業自得という結果ではなく…
容疑者には同じような刑事事件を起こした前科があり
そんな容疑者に出会ってしまった運命が、
長女の寿命という
ロウソクの長さだったと思うのです。
長女はその灯火を燃え尽きさせたかもしれませんが、
それは無念の想いを
持ちながら燃え尽きたと思います。
公判では、長女の身に起きた真実を明らかにすることを争点にして闘われるでしょう。
争点は、
容疑者が殺人自体を否認していること、
なぜ否認するのか?
殺人自体を否認するのか…
殺人ではなく致死だというのか
なぜ、どのように娘と
容疑者が出会ったのか
容疑者と娘が出会った経緯はなにがあったのか…それとも、なかったのか?
出会ったとして、そこに何があったのか?
それらの争点を明らかにするために、
そこでは、すべての真実が晒されます。
私は、それをしっかりと受けとめていきます。
長女の生い立ちも、
その生業も白日のもとに明らかにされるでしょう。
しかし、長女の命を奪った事実はその生業の報いではないことを、
裁判員の方々に、
はっきりと伝えていただきたいと思います。
何であろうと、
娘の命を奪った真実が
明らかになれば…
それに相応した量刑を
もって罪を償うことになることを信じています。
命を奪われた無惨な
娘の表情は、私にその無念を晴らして欲しいと訴えています。
私は娘の想いに応えるため、
私の出来る全力で闘います。
娘の最後の暮らしについて親の私が知らずにいたのは、
親としての務めを果たしていなかったのです。
その務めを果たしていれば、
娘が逝くことをとめることができたのです。
それが悔やみでなりません。
しかし何があろうと、
愛する娘であることに変わりはありません。
ですから、
その娘の想いに親として応えることは当然だと思っています。
それは真実を明らかにして、娘の無念を晴らすことだと思っています。