古来よりその地域の住人は被害妄想の強い人種だった。
常に大国の隣にいた故か、常に二番煎じの文化を持ってきたというコンプレックスからか、今となっては知る者は居ないし、知ろうとする者も居ない。
ただ確かなことは、彼らの妄想は際限なく膨らみ続け、その結果、極東に位置する寸土は世界でも屈指の科学力と戦力を有する地域となり、今まさに世界が彼らの妄想していた相手によって侵略されているという事実だ。
-この星に奴等が来たことは我々にとってこの上ない不幸だ。
だが、奴等も不幸だ、この星には彼らが居るのだから。-
米極東軍総指揮官 ロバート・ベンソン大将
奴等と人類の邂逅は、先に起きた大戦の傷が癒え、新たな戦争の準備が始まった頃だった。
人類の最終戦争を告げる滅亡時計なんてジョークと皮肉の産物が世界中のワイドショーを賑わして居た所、奴等は無遠慮に、無造作にやって来た。
世界中の政府高官は思った、これで楽が出来る。
誰から見ても遠慮なく攻撃できる相手、人類にとっての絶対悪。
そんな明確な敵が居ると言うことは、国家運営において非常に都合がいいことだ。
生活が向上しないのは奴等が居るせい、税金が高いのも奴等が居るせい。
全ての憎悪を受け止めてくれる都合のいい存在、それが奴等…BETAだった。
無論、その姿勢に危機感を覚える者も多く居たが、そうした意見は滅亡時計と同じくスリルを題材にした娯楽程度にしか受け取られなかった。
この時、為政者達は気づいていなかった、兵器とBETAではたとえ結果が同じであっても、その性質が全く異なると言う点を。
程なく彼らの意見は証明される事となる。
制御出来ない、予測のつかない破壊がユーラシアのほぼ全てを飲み込み、人類の多くが明確な滅亡の足音を漸く理解したその頃、ついにBETAは彼らと出会う。
ユーラシアの最東端、弓状火山列島、その国は大日本国と名乗っていた。
それはBETAが現れてから幾度と無く、大陸のあらゆる場所で繰り広げられていた光景だった。
黒煙と閃光を共に飛び散る醜悪な肉塊、地表に落ちた欠片が紫色のグロテスクな体液を撒き散らし、色を塗り替えた傍からまた爆風に吹き飛ばされる。
圧倒的な物量を背景とした際限の無い消耗戦。
数え切れぬ戦場を飲み込み、人種、性別、年齢一切の区別なく命を奪い取ってきたBETAの戦法。
しかし、この戦場に至っては決定的な差異が存在した。
「いっけぇぇ!チェェスト!バァァァーンッ!!」
暑苦しい絶叫に呼応して戦場に陣取っていた巨人…否、人を模したロボットの胸が赤熱、素早く前方に照射され一瞬で数百のBETAが文字通り蒸発する。
しかし蒸発した連中は幸運な部類だ。射線上から運悪く外れてしまったBETAは瞬間的に過熱され衝撃波となった空気によってズタズタ引き裂かれ、のた打ち回っている。
そんな連中を戦闘能力を失ったモノに興味が無いとばかりに無視をして、ロボットは次の獲物に向けて突っ込んでいく。
「甘いぞ!ゲットォッ!ハルッバァァト!!」
その横では物理学者が見たら卒倒しそうな馬鹿でかい自称ハルバートを振り回している別のロボットが、その見た目の豪快さ通りの威力を発揮し、周囲のBETAを一切の区別無く肉塊に変えていく。
その四肢は屠った夥しい数のBETAによって染め上げられ、元の色が判別できないほどだ。
圧倒的な物量に対峙する、圧倒的な力の蹂躙。
それこそがこの戦場を他の戦場と異ならせている根源だった。
『こちら築城基地所属5121戦術装甲歩兵小隊です、これより貴隊の支援を開始します』
事務的な声と同時に、2体の暴力によって広げられた傷口に人影が飛び込んで行く。
先の2体から見れば大人と子供以上のサイズ差があるその人影は、その大きさに相応しく圧倒的な暴力は持ち合わせていない。
だが、それを補うほどに素早く、そして何より数が居る。
一瞬で蒸発させるような力は無い、一撃で粉砕する力も無い、しかし明確な殺傷能力を秘めた火線を巧みに組み合わせ、見る間に傷口を広げていく。
たとえるならば爆発と暴風、それは形こそ違えど、等しく蹂躙と呼ぶべき現象で、幾千、幾万の人類が望んだ人類がBETAを打ち倒す光景だった。
地球防衛軍宣言、後にそう呼ばれる宣言がなされたのは今からほんの10年前、先代の帝によるものだった。
度重なる被害妄想が雪だるま式に膨れあがった結果、他国の学者から“1000年の時代差を感じる”とまで呆れられた科学技術を獲得していた大日本であったが、それが人類に向けられる事は無かった。
既に彼らの被害妄想は人類を飛び越えて相手が宇宙人になっていたからである。
“敵対する気が無いのなら、余計に刺激することは無い”
経済に興味を示さず、また、進んで勢力を広げようとしないその姿勢は他国首脳にとって奇怪ではあったが、都合のいい存在であった。
だが事態は1973年のオリジナルハイヴ飛来により大きく動く。
BETAの侵攻により大幅に戦力を減じた人類は、形骸化した国連以外の新たな力を欲したのである。
だが、その要求は既得権を持つ人間にとっては恐怖でしかなかった。
そして人々は自らを守るために有形無形の妨害を開始する、たとえそれが多くの人命を犠牲にすると理解していても。
そして1989年、4度目の国連主導によるハイヴ攻略が失敗に終わった翌日、全ての障害を押しのけてついに宣言は発せられ、日本軍はその名を地球防衛軍へと変えると、好き勝手に、なんの断りも無く、一方的にBETA侵攻地域への支援を開始したのである。
長い夢を見ていたように思う、幾千、幾万、数え切れないほどの俺が、数え切れないほどの人生を歩む。
足掻いて、もがいて、必死で拾おうとして、抱きしめて、取りこぼして。
そんな膨大な情報の奔流の先、漸くたどり着いた場所の記憶。
…そう、こいつは夢なんかじゃない、荒唐無稽でファンタジーでSFで、けれど紛れも無い現実として俺が体験した記憶。
「ありがとうな、俺、やっと救えたよ」
色々考えたけど、素直にそれだけ口にした、だから無駄ではなかったと、何一つ無駄ではなかったのだと精一杯の気持ちをこめる。
ちくり、と胸が痛み、思わず苦笑した。
「俺って、こんなに強欲だったか?」
彼女は救われた、それが俺の望まない形でも。
そして俺は因果から解放された、その答えに納得していなくても。
そんな気持ちが膨れ上がって、俺の中の何かが叫んでいる。
良いのかと、こんな終わりを受け入れるのかと。
…そうだ、そうだよな。
俺が呆れるほど繰り返してきた世界の答えが、あんなものでいいはずが無い。
励まされ、導かれ、肩を並べ、そして確かに愛を誓った彼女達の結末が、あんな形なんて認めない。
「そうだ、認めない、…認めねぇぞこんな終わりは!聞こえてるか純夏ぁ!俺はっ!断じてっ!!こんな終わりを認めないって言ってんだぁ!!」
居るかなんて知らない、聞こえているかなんて考えない。
ただ、ただ思いをぶつける事だけを考える。
頭の中がそれだけに塗りつぶされて、世界と俺との境界が曖昧になる。
最後に感じたのは眩しい白とその中で苦笑する誰か、見えなくても分かる、永遠を超えてまで辿り着いた彼女が分からないはずが無い。
もう聞こえなくなったはずの耳に届いた言葉は、うれしそうで、そしてすこし呆れが混じっていた。
――もう、本当にワガママだね、タケルちゃんは――
目を覚ましたら見知らぬ天井…なんてことはなく、いつも通りの俺の部屋の天井が視界に入った。
「…帰って…来た?」
帰ってきた、そう理解した瞬間、急速に意識が覚醒する。
無意識に出た言葉、けれどその意味は重大だ、帰ってきたと認識する俺は、記憶を失っていないということなのだから。
「と、とにかく確認…」
人は、自らの望みが叶った時、喜びよりも戸惑いを覚えることがある。
そしてそんな場合において注意力が散漫になることは、けして少なくないはずだ。
だからこの後起こった事はあくまで事故であり、俺の意思とは無関係であることを強く主張したい。
“むにゅり”
「うんっ…」
起き上がるためにベッドについた左手に、明らかに違う、しかし確かに覚えのある感触が帰ってくる、ついでに悩ましげな吐息まで。
「んん?…ふふ、タケル。こんなに早くから求められるのは驚いたが、夫婦なればそれも良しか、そなたの愛、受け止めようぞ?」
涙が出るほど聞きたかった筈の声なのに、多分に含まれた艶っぽさが色々と台無しにしている。
「な、なな、ななな、め、めめ、めいめい」
戸惑いから混乱にシフトした脳みそは、言語野の働きを阻害し、行動にも影響を及ぼす。
だからこれは不幸な事故が事故を呼んだと、酌量の余地を求めたい。
“ふにゅり”
「ぁあん」
思わず仰け反り、後ろについた右手に、またしても覚えのある感触が帰ってくる。声についても記憶がある、その記憶が混乱に拍車を掛けるのだが。
「タケルさま…このような時間から求められるのは恥ずかしゅうございますが、夫の思いに答えることも、良き妻の条件ですわ」
聞き覚えのある、しかし全く想像していなかった類の色を含んだ声に体が完全に固まる。
成る程、声も出ないとはこういう事か。
「タケル?」
「タケル様?」
動きを止めた俺を不思議に思ってか、二人は身を起こして近づいてきた、着崩れた襦袢の胸元から青少年には致死量の肌色が視界に飛び込む。
その光景に息を詰まらせていたほんの数秒後には、前後から姉妹に抱きしめられた。
やめて!タケルのHPはとっくに0よ!!
「あ、あの…め、冥夜?」
「なんだ…タケル?」
しっかりと伝わってくる温もりと、幸せそうに零される言葉に全てを投げ出したくなるが、必死にこらえて疑問を口にする。
「いや、なんで俺のベッドに?…しかも殿下まで――」
居るんだ。と続けようとしたが、最後まで言い切る前に背中からの衝撃に(あの押し付けっぷりは衝撃と表現しても問題ないだろう)体が固まる。
「…タケル様、殿下だなんて、なんて他人行儀な…悠陽は、悠陽は悲しゅうございます」
「い、いや、あの――」
「確かにお休みになられている殿方の臥所に入り込むなど、はしたないと思われましても仕方がありません…顔も見たくないと仰いますならもう二度と参りません…けれど、けれどせめてもう一度だけ、悠陽とお呼び頂けませんか?」
そう言って全身で悲しみと好意を伝えて下さる悠陽殿下、もうHPどころかSAN値まで減り始めて暴走寸前ですよ?
「あ、あの、でん…」
ああ、効果音で喋るのを許してほしい、今殿下って言おうとしたらぎゅって力が込められた、そう、ぎゅって、なに、この可愛い生物。
「……ゆ、悠陽」
笑顔に変わる事を花が咲いたようにって表現する場合もある、今、顔から数センチの所で体験しました。
もう駄目です。
自分の体とは思えないほど緩慢な動きで手が挙がる…おいまて、何してる、冷静になるんだ。
脳の奴が何か言っているけれど、頚椎から下は絶賛反乱中のため当然無視。
あとほんの数センチで再度あの感触にたどり着く、そう思った瞬間、確かに俺は聞いた…気がする。
――サービスタイム、しゅ~りょ~――
次に起こったことを簡潔に述べさせて頂きます。
勢い良くドアが開き、見慣れた女性(被疑者S嬢)が室内に侵入。
室内の様子を目視確認、被害者T君を見つけました。
この時T君の右手は、同衾していた女性Y嬢の胸より数センチのところに位置していました。
S嬢、一瞬硬直するも、状況を理解(T君の供述では誤解となっている)し、神速でベッド脇まで移動。
防御・発声の隙すら与えずに神速を超えた神速の右を発動、T君の顎を的確に捉え、仕留めました。
ええ、あれで良くザクロにならなかったものです、人間とは存外頑丈に出来ているものですね。
~一部始終を視認していた某付き人M女史の証言~