北沢杏子のWeb連載

57回 私と性教育――なぜ?に答える 2008年11月

 

スウェーデンの性教育報告 そのT   具体的な対応はユース・クリニックで


 先月(2008年10月)、1987年を最後に10年ぶりにスウェーデン取材に出かけた私は、1970年代のあの熱烈な性教育推進期は、いまや停滞してしまったかのように感じました。その理由を取材先の先生方に訊くと、「わが国ではもう、性教育は定着してしまったから」とか、「エイズや薬物乱用、移民労働者問題で手一杯。それどころじゃない」とか、「性教育は予防教育として行ない、いまは現実的対応に重点を移している」などの意見が返ってきました。
たしかにこの3つ目の回答には説得性があり、今回の取材もそこに焦点を絞ることとし、その報告をします。

 1970年代のあの熱い時期、スウェーデンでもデンマークでも使っていた『性と共同生活』というタイトルの就学前教育(6歳)用の性教育教科書、小学校低学年用、中学年用、高学年用(日本の中学校に相当)の性教育教科書を執筆した、性教育の元祖ともいわれるマイ・ブリット・ワランさん(83歳)にもインタビューしましたが、彼女は現在も元気で、各地で「老人の性」の講演を行なっているとか。
 彼女に、同じ質問をすると、「あれはあれで効果があったのよ。ごらんなさい、1975年には中絶が自由になったし、男女雇用の平等、社会福祉の充実、法律婚や婚外子差別の撤廃、同姓婚の許可……と、スウェーデンの女たちは“自分の人生は自分で決める”自己決定権を手にしました。それもこれも、あの1970年代の熱烈な性教育の成果だと私は自認している!」と自信たっぷりでした。
 そして別れ際にこう言って再度私を驚かせたのでした。「私は結婚したのよ。22年間は男性と、その後の34年間は女性と。いまは、とてもハッピー」と。昨年の11月、彼女は後半生を一緒に暮らしている78歳のデンマーク人女性の心理学者との結婚を公表。大きく報道された新聞を見せてくれました。まさに性教育とは“自分の人生は自分で決める”ための基礎学習なのだ!――と私は感嘆してしまったのでした。
 
 話をもとに戻して……教科書をめくって見ても、現在学校で行なっている性教育は、望まない妊娠をしないための避妊教育、性感染症・HIV/AIDS予防の知識、タバコ、アルコール、ドラッグの害についての学習が中心でした。しかし、どんなに学習しても若者たちの望まない妊娠は起こるし、性感染症のクラミジアは蔓延、スウェーデンのHIV感染者は、現在4,500人(日本は15,000人)、アルコールおよび麻薬依存症者も増える一方だそうです。
 そこで行政は、現実的対策として、各地区にユース・クリニックを設置し、学校における性教育の中にユース・クリニック見学を義務づけました。

 私が取材したユース・クリニックは、地下鉄Mrby駅ビルの中にあって、相談員の女性ヘレン・ティーマンさんが出迎えてくれました。ここには、2人の助産師と1人の産婦人科医が勤務していて、生徒たちの相談に応じています。
 妊娠や性感染症の検査をする婦人科用の診察台も設けられていましたが、珍しいと思ったのはトイレ。ガラス張りでむこうからはわからないが、こちら側からは中が見える構造になっています。これは、麻薬を使っている生徒の尿検査をするとき、容器に正しく尿を入れるかどうか(ごまかさないか)を監察するためだとか。
 いづれにしても、学校の性教育の時間に、その地区のユース・クリニックの見学を義務づけるというのは、現実的対応として成功したようです。なぜなら、彼らは自分の体調がちょっと変だ、おかしいなと感じたら、すぐさま見学時に顔見知りになったヘレンさんの許に気軽に駆けつけることができるからです。

 ヘレンさんは各自の相談によって、常勤の助産師や医師に報告。その場で検査を行なったのち、中絶するなら産婦人科へ、性感染症なら泌尿器科へ、ドラッグ依存症だったらドラッグサポート相談所へ、HIV陽性だったらHIVサポート相談所へ、精神疾患だったら精神科へと紹介状を持たせ、事前に連絡します。
 これがすべて国保や福祉基金による無料。日本のように学校を中退させられるようなこともありません。生徒たちはこうして、自分のからだは自分で守る――保健行動の選択のできる若者へと自覚を深めていくのです。
 私が今回取材を通して実感したのは、誰しも失敗はあるとして、それをとがめず、罰せず、ケアする受け皿を彼らの身近に設置するという、個人尊重の施策でした。



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