香山さんは、『特に、これまで一般社会にうまく適応できなかった、引きこもりやニートといった人たちがその中心層の多くを占めているように見えます』と分析しています。
彼らは、善悪の評価は別として、社会でやっていくためには「時に自分の気持ちを押し殺しても、周りとうまくやっていく」ということができずに、また「そのような社会」自体に対して嫌気がさしているようです。「そのような、バカみたいな社会」でアクセク働く普通の人を遠くから眺める優越感と、一方で、それでも結局社会に参加できていないという劣等感が混ざった、複雑な心境のようです。
そんな彼らがどうして原発問題にのめり込むのか?
特に、彼らの間で崇拝されている京都大学の小出裕章氏に注目しています。小出氏は、反原発を主張し、それゆえに原子力の学会から冷遇されていたわけですが、今回の事故で、彼の主張が正しかったと評価されました。
『妥協や打算でなく自分の信念を曲げずに正しいと思うことを信じていれば、いつか自分が正しかったことが証明される』という事実に、自分たちの希望が投影されているから、彼らは小出氏を崇拝していると分析します。
自分たちも社会から外れて引きこもっているけれど、それは社会がおかしいからであり、いつかは自分たちが正しいことが証明されるはずだ、そういう希望の投影だとします。
香山さんは、原発事故にのめり込んでいる『引きこもりやニート』の方は、学習意欲も高く、知的好奇心も高い人が多いと言います。原発は様々な学問の総体です。この奥深さに知的好奇心が駆り立てられ、かつ今まさに「現実の問題」ゆえに、堂々とのめり込んでいくことができるということで、原発が彼らのホットテーマになっているのだろうと分析します。 彼らのネット上での発言などは、ある意味大きな盛り上がりを見せています。
しかし、現実の接点は薄いと、香山さんはいいます。彼らがこれを契機に現実に踏み出してくるのか、あるいは社会が彼らのパワーを活用する仕組みを作るのか。香山さんも、悩ましいまま、文章を終わらせています。
全くわからない世界ですが、精神科医から見ると、そのように見える世界があるということなのでしょう。私には見えない世界ですが、感じるものがありました。
いずれにせよ、生きづらい世の中があり、社会に精神的に適応できない方が多いということだと思います。 社会全体は、このような方々とどう向き合うべきなのか。これからも、引き続き勉強していきます。