2008年4月に脱税と背任罪で在宅起訴された李健熙(イ・ゴンヒ)会長〔AFPBB News〕
李健熙会長には、そうせざるを得ない事情があった。2007年、サムスングループの法務担当常務の告発で表面化したサムスングループとオーナー一族の機密資金問題で、李健熙会長は2008年春に会長職辞任に追い込まれた。2009年には背任と脱税などで有罪にもなった。
窮地に追い込まれた李健熙会長を救ったのが、李明博大統領だった。2009年末に、「国家的な観点から」特別赦免・復権に踏み切ったのだ。国家的観点とは「国民の願いである五輪招致に全力を尽くせ」という意味だった。
李健熙会長はIOC委員であり、サムスン電子は1998年の長野冬季五輪以降、無線通信分野での五輪公式スポンサーだ。「人脈と金力をフルに活用して五輪招致を成功させろ」という意味だった。
特赦に対しては韓国内でも「李明博政権の財閥総帥に対するえこひいきは度が過ぎる」との批判もあった。
特赦を受けた以上、李健熙会長には五輪招致に全力投球する以外に選択肢はなかった。
バンクーバー冬季五輪での韓国の大躍進を後押し
まず足を運んだのが、2010年2月のバンクーバー冬季五輪だった。この大会で韓国人選手は金メダル6個、銀メダル6個、銅メダル2個を獲得した。メダル獲得競争で米国やカナダなどに次ぐ5位に入り、スポーツ強国ぶりをアピールした。
この大会で大量のメダルを獲得したスピードスケートの選手を育成したのは、大韓氷上競技連盟という団体だった。
招致活動の広報大使を務めた金妍児(キム・ヨナ)選手もバンクーバー冬季五輪の女子フィギュアスケートの金メダリスト〔AFPBB News〕
実はIOC委員になったばかりの李健熙会長は1990年代後半に、「いずれ冬季五輪を招致するが、選手の強化も欠かせない」としてこの団体の会長に側近を送り込み、「10年計画でメダリストを養成せよ」と命じ、強化費の支援を続けた。
バンクーバーでメダルを獲得したスピードスケートの選手は、この強化選手たちだった。
「やはり李健熙会長はすごい」――こうした評価が出るや、バンクーバー冬季五輪直後に李健熙氏はサムスン電子会長に復帰を果たした。
その後も「社業よりも五輪招致」の姿勢は変わらなかった。2010年初めから1年半で李健熙会長は11回、合わせて170日間外遊したが、そのほとんどが「五輪招致」のためだった。
- 2018年冬季五輪、3度目の正直で韓国・平昌に (2011.07.08)
- 親戚激突のM&A、サムスンが一敗地 韓国の物流最大手を巡る壮絶な買収合戦 (2011.07.01)
- 飢えは単なるポーズなのか、物乞いしない子供たち (2011.06.28)
- 韓国ハイニックス、買い手はどこに? (2011.06.24)
- 平壌から板門店まで、対向車はわずか10台 堀田佳男・北朝鮮をゆく~その3 (2011.06.23)
- ■Financial Times中国経済の減速懸念、人民元相場の重しに (07月08日)
- ■Financial Times社説:輸出制限の愚 (07月08日)
- ■アジア2018年冬季五輪、3度目の正直で韓国・平昌に (2011.07.08)
- ■世界の中の日本現代日本になお生きる御成敗式目 (07月08日)
- ■中国胡錦濤・重要講話を精読する 会社創立90周年~中国株式会社の研究(118) (07月08日)