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ザ・特集:鳥取・岡山県境のウラン鉱床跡 人形峠から福島見れば

 ◇はぐらかし、先送り、後手後手の対応…「原子力村」変わらず

 鳥取・岡山県境の人形峠。そこで1950年代、原子力発電の燃料となるウラン鉱床が国内で初めて発見された。坑道が閉鎖された後も放射性物質を含む残土が放置され、住民らは撤去を求めて法廷闘争を続けた。今、彼らの目に福島第1原発事故はどう映るのか。【宍戸護】

 茶筒型の鉛製ケースのふたを外すと、直径7~8センチの岩石が現れた。くぼみに、黄緑色の粉末のようなものが散っている。ウラン鉱石だ。

 「紫外線を当てると黄金色に光ります。放射能は体を突き破りまっせ。記者さん、今ちょっと被ばくしました」

榎本さんが所有しているウラン鉱石
榎本さんが所有しているウラン鉱石

 鳥取県湯梨浜町方面(かたも)のナシ農家、榎本益美さん(75)がさらりと言う。放射線の線量計(ガイガーカウンター)を当てると、針が振り切れるそうだ。

 鳥取・岡山県境の人形峠で大規模なウラン鉱床が発見されたのは1955年。原発燃料の国産化を目指し、発足したばかりの原子燃料公社(現・独立行政法人日本原子力研究開発機構)が採掘を開始。峠から北へ16キロの方面地区では58年に作業が始まった。

 多くが二十世紀ナシの栽培で生計を立てていた25戸の小集落は「これで未来が開ける」と沸いた。周辺の土産物店では、ウランの粉末をうわぐすりに使った焼き物「ウラン焼き」や「ウランまんじゅう」も売り出された。

 「宝の山」発掘に集落総出で協力し、榎本さんも59年から3年間、坑内で働いた。ダイナマイトの爆煙が漂う中、泥だらけになってウラン鉱石を運び出した。人体への影響については「天然の放射能だから大丈夫」という公社の責任者の言葉を信じた。防じんマスクも配られなかった。

 榎本さんと一緒に、ウラン鉱山跡に向かった。山中には竹林が広がるが、折れたり枯れたりしているものが多く、荒れている印象だ。「春、良いタケノコが採れたもんだけど、放射能が出てからは誰も探す者はおらんから……」

 森林を登り続けると、コンクリートに覆われた大きな壁に出くわした。かつての坑道入り口は完全に閉鎖されていた。榎本さんは、壁の前にある貯水マスのふたを無造作に開けた。底に、水が少したまっていた。「地中のウラン鉱帯から染み出たもん。放射能をたくさん含んでおる」

 坑道で働いていた榎本さんは、鼻血が出やすくなったことに気付いた。髪を指ですくと大量に抜ける。数年後、重症の胃潰瘍にかかり、坑内で働くことを断念した。

 「振り返れば、公社の連中は立派な防じんマスクをつけておった。健康被害の恐れを知っておったと思います」

 ウラン含有率が低く、採算が合わないと判明した「宝の山」は63年に閉山した。

コンクリートで封鎖されたかつてのウラン坑の出入り口に立つ榎本益美さん=鳥取県湯梨浜町で2011年6月27日
コンクリートで封鎖されたかつてのウラン坑の出入り口に立つ榎本益美さん=鳥取県湯梨浜町で2011年6月27日

 榎本さんら住民の闘いが始まったのは88年。山陽新聞が「ウラン採掘に伴い排出された放射性物質を含む土砂(残土)が、人形峠周辺の民家近くに放置されている」と報じたのがきっかけだった。

 ウラン残土は全体で45万立方メートルにも達した。うち1万6000立方メートルを占めた方面集落では、閉山後にがんを発症したり、体調を崩す人が続出していた。住民らは「原子力開発という国策に貢献したのに、後始末もしないのか」と憤り、公社を引き継いだ動力炉・核燃料開発事業団(動燃)に全面撤去を求めた。

 京都大学原子炉実験所の小出裕章助教や市民団体が支援に乗り出し、その調査で、土壌やわき水、栽培した稲などから放射性物質のラドン(気体)が次々に検出された。ウラン残土が積まれた土地のそばでは、国内平均値(1立方メートル当たり5ベクレル)の数千倍の濃度を記録した。

 ただ、一方では特産のナシへの風評被害を懸念する声もあった。90年には、放射線量が比較的高い3000立方メートルを動燃の人形峠事業所(現・岡山県鏡野町)に移す案が持ち上がったが、岡山県は受け入れを拒み、搬出は中止に。10年間の停滞の末、00年、方面自治会は残土撤去を求める訴えを起こす。

 1、2審ともに住民側が勝訴し、04年、最高裁で判決が確定した。

 動燃はこの間、核燃料サイクル開発機構(核燃機構)、日本原子力研究開発機構へと名前を変える。05年、特に放射線量が高い残土290立方メートルを米国ユタ州の先住民居留地に搬出。残りは08年からレンガへの加工を進め、6月末、最後の1個が搬出された。

 「自分が別に起こした訴訟では、ウランと住民のがんとの直接の因果関係は認められんかったが、私らが放射性物質を吸ったことは間違いない。今、盛んに議論されている『内部被ばく』じゃないかと思っとります。原発労働者の被ばくには労災認定もあるが、ウラン鉱山での被ばくは完全に無視された。そりゃあ悔しいですよ」

 榎本さんは今、そう語る。採掘現場で雑役をしていた妻も94年に肺がんで失った。現在に至るまで、全身の内部被ばく量を測る「ホールボディーカウンター」の検査を勧められたことは一度もない。

 榎本さんは今、福島第1原発事故後の東京電力や国、研究者ら「原子力村」の対応をこう感じている。

 「核燃もそうだが、何をしようが、しまいにゃ政治が面倒をみてくれるちゅう甘えを感じる。こちらが指摘せん限り、自ら対処しようとせん。先を読めん、いや、読めても言わんだけかもしれんな。結局、やっていることはわしらのときと変わらん。同じ穴のムジナだな……」

 住民らを支えた鳥取短期大学名誉教授(食品学)の石田正義さん(72)は「地元の人たちは被ばくや農産物への風評被害を恐れ、一刻も早い残土撤去を願っていた。だが、動燃、核燃の対応は撤去先として同じ町内の別の場所を提示するなど、はぐらかしや先送りばかりで誠実さが感じられなかった」と述懐する。

 住民らは、国の原子力開発に「使い捨て」にされたと言えないか。「福島」で繰り返されないことを願う。

 榎本さんの著書「人形峠ウラン公害ドキュメント」に、地元の言い伝えを紹介した一節がある。

 <方面の奥の山にも昔からの言い伝えがありました。ここの所にはあまり手を出してはならない(略)“月の輪”と呼んでいるところで、入っちゃならん、掘っちゃならん、いろったり(いじくったり)したらタタリがある……>

 採掘から半世紀。戒めを破って掘り出したウラン鉱石が放つ放射能は、今もなお完全には取り除けていない。

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 「ザ・特集」は毎週木曜掲載です。ご意見、ご感想は

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毎日新聞 2011年7月7日 東京朝刊

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