「南京で最低30万人殺害」 日本の機密公電収録(上)

中国『南京大虐殺史料集』を刊行

 「特別情報:信頼できる目撃者による直接の推算と信頼できる人物の手紙によると、日本軍が犯した行為と暴力はアッティラ王と匈奴(きょうど)を連想させる。(編注:5世紀に東欧一帯を征服したアッティラ王は匈奴の子孫とされるフン族の王)少なくとも30万人の民間人が殺りくされ、多くは極度に残酷で血なまぐさい方式で殺害された。戦闘が終わって数週間がたった地域でも、略奪や児童強姦(ごうかん)など民間に対する残酷な行為が続いている」

 1937年に日本軍による南京大虐殺が起きた直後の38年1月、日本の広田弘毅外相が在米日本大使館に宛てて送った機密公電の一節だ。

 また、虐殺の事実を隠すため、日本軍が南京駐在の西側外交官を呼び、飲食や公演などの接待を行ったとの記録も含まれている。この公電は、今月6月に最終巻が発行された中国の『南京大虐殺史料集』に収録されている。

日本軍部の組織的指示

 7日付中国青年報など中国メディアによると、史料集は江蘇省社会科学院歴史研究所が過去10年間、全世界から集めた南京大虐殺に関する莫大(ばくだい)な一次資料の集大成で、全78巻(本体72巻、付録6巻)、合計4000万字から成る。

 今回の史料集は、史記(50万字)の80倍、資治通鑑(300万字)の13倍に当たり、中国の歴史書としては異例の規模だ。資料集には南京大虐殺が日本軍部の組織的な指示によって行われたことを示すさまざまな史料が含まれているという。

水たまりに遺体の山

 当時の日本軍による残酷行為を報じたイタリア、旧ソ連のメディアの報道も初めて発掘され、軍上部による虐殺例があったという当時の日本軍将校、兵士の日記や証言も大量に収録された。ある兵士は「杭州から南京に至る道の周囲の水たまりには遺体が山のように積み上げられていた」という記録を残した。同研究所は、1946年から48年にかけ行われた戦犯裁判当時の検察の公訴記録、弁護人の反論を記した弁論記録なども収録し、事件に対する客観的な判断を可能にしたと説明した。

1937年に中国・南京で日本軍が中国人の遺体を眺めている。江蘇省社会科学院歴史研究所が10年にわたる資料収集の末、今月6日に発刊した『南京大虐殺史料集』には、「杭州から南京に至る道の周囲の水たまりには遺体が山のように積み上げられていた」という日本軍兵士の証言が収録されている。/写真=中国ポータルサイト・百度(バイドゥ)より

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

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