2011年5月14日 11時19分 更新:5月14日 11時22分
東日本大震災の津波に集落の大半が押し流された岩手県釜石市両石町で、山を切り崩して盛り土にし、集落全体をかさ上げする計画を住民たちが練っている。何度も濁流が流れ込んだ谷間の地形を津波に強い集落に変えるのが狙いで、避難所での話し合いから生まれた。国や県は、高台に住民を集団移住させる復興案を検討しているが、具体化していない。住民たちは「みんなで一日も早く地元に戻る」という復興への道筋を自らの手で描こうとしている。
「自分たちで議論したもんだから、役に立たねえかもしれないけど……」。4月末、約140人が避難生活を送る中妻体育館。両石町の漁師、松本忠美さん(64)が差し出した1枚の紙に、日本災害情報学会の松尾一郎・事務局次長は驚いた。
集落の地図に幾筋も書かれたマーカーの線。集落を囲む山のどこを削り、どこをかさ上げするか。住民が顔を突きあわせて作った復興案だった。地震発生時の行動の聞き取り調査で来ていた松尾次長は「国や自治体を待たず、復興を主導する住民の思いを後押ししたい」と、岩手大の南正昭教授(都市計画)にその場で電話。住民案を基に15日、現地調査に入ることを決めた。山の地権者も同行する。
市街地の北約4キロ、両石湾に面した谷間が両石町だ。約220世帯約650人が主に漁業で暮らしていた。今回の大津波は、高さ12メートルに増強した防波堤をものともせず、ほぼ全域をのみ込んだ。10軒ほどしか原形をとどめず、43人が犠牲になった。
4月初旬、復興促進委員会の設立話が持ち上がる。避難所を出た住民にも声をかけ、町内会長らを中心に14人が委員に選ばれた。その一人でもある松本さんは「95%の人は両石に戻りたいと思ってる。でも、また必ず大きい津波来るのは分かってっから」と言う。
過去の被害でも浮かんでは消えたかさ上げ案。被害の大きさに今回ばかりは住民の気持ちがまとまった。専門家ではない住民の案の実現可能性は未知数で、地権者が同意するかどうかも未知数だが、山を削る手法は菅直人首相も言及していた。みんなの張り合いになれば、と松本さんは念じている。安心して住める両石を実現することが、生き残った者の使命と思う。
「何百年か後に、あの時にこんな場所になったと語り継がれるような、崩れない土地を作りたい。そのためならどんなこともやる」と言葉に力を込めた。【喜浦遊】