2011年5月11日 10時14分 更新:5月11日 23時41分
海上自衛隊イージス艦「あたご」と漁船「清徳丸」の衝突事故で、漁船の2人を死亡させたとして業務上過失致死罪などに問われた自衛官2人(起訴休職中)に対し、横浜地裁は11日、いずれも無罪(求刑・禁錮2年)を言い渡した。検察側が作成した航跡図について、秋山敬(ひろし)裁判長は「看過しがたい問題点がある。前提とする証拠の評価が誤っており、検察側の主張を認めることはできない」と批判。弁護側の主張と同様、漁船の右転が事故を招いたもので、漁船に回避義務があったと判断した。
起訴されたのは、衝突時の当直士官だった三佐、長岩友久被告(37)と、直前の当直士官だった同、後潟(うしろがた)桂太郎被告(38)。両被告はいずれも一貫して無罪を主張、清徳丸のGPS(全地球測位システム)機器が水没してデータを復元できなかったことから、同船の航跡が最大の争点となった。
検察側は、清徳丸後方を航行していた僚船船長らの証言などを基に、衝突に至るまでの航跡図を作成。海上衝突予防法に基づき、清徳丸を右方向に見る位置にあった、あたご側に衝突回避の義務があったと主張した。
弁護側は「検察側の航跡図は真実と全く異なる」と批判し、海難事故の専門家に依頼して独自の航跡図を証拠として提出。「あたご後方を通り過ぎるはずだった清徳丸が、衝突直前に大きく右転・増速したことが事故原因」と反論した。
判決は、検察側航跡の根拠とされた僚船船長らによる「清徳丸は(僚船の船首から)左約7度、距離約3マイルに位置していた」との供述について「僚船船長は(検察官に)図面を指して『前方やや左にいた』とは言ったが自分から『7度』とは言っていない」と指摘。「恣意(しい)的に船長の供述を用いている」と述べ、調書化した供述の信用性を否定した。
さらに長岩被告らの供述を基に、独自に航跡を特定。被告側の監視も不十分だったことなどを認めつつ、清徳丸が右転しなければ危険は生じず、直前になっても回避行動を取らなかったと指摘した。
事故の再発防止のため原因究明をする海難審判の裁決は、長岩被告について「見張りが不十分」などと指摘する一方、後潟被告の行為に関しては「相当な因果関係があるとは認められない」と判断し、確定している。
検察側は、後潟被告については、清徳丸などの漁船群を「停止操業中」と誤った引き継ぎをしたことから「長岩被告の回避措置を困難にし、衝突の危険性を生じさせた」として起訴していた。
海自艦艇の海難事故を巡る刑事裁判は、30人が死亡した潜水艦「なだしお」事故(88年)以来2例目。この事故では元艦長と死者を出した遊漁船の元船長双方が業務上過失致死傷罪などに問われ、いずれも執行猶予が付いた有罪判決が確定した。【松倉佑輔、中島和哉】
検察側が作成した航跡図の信用性を否定した横浜地裁判決は、漁船のGPS機器水没で航跡を再現するための物的証拠がない中、関係者の証言に頼らざるを得ない検察側の立証方法に疑問を呈した。
検察側は、清徳丸が後方の僚船から見て「左約7度、距離約3マイル」を航行していたとの僚船船長らの供述から航跡図を作成。しかし、弁護側は図面を検証し、「航跡が『7度、3マイル』の位置にない」と追及した。
航跡図作成の実務を担当した海上保安官や捜査を指揮した検事は、証人尋問で「誤差」などと釈明したが、論告の段階で検察側は「僚船船長らの供述は、あくまで平均値で一定の幅がある」と主張、軌道修正を図った。
しかし、判決はこの供述を基にした航跡図の作成方法を問題視し、検察側の航跡図の信用性を否定。「両被告に過失があったとする検察側の立証は不十分」として、長岩友久被告の監視が不十分だったことを事故原因とした横浜地方海難審判所裁決(09年1月)と異なる結論を導いた。国が個人に刑罰を科すことを踏まえ、より厳密な立証が求められる刑事裁判の原則を重視し、捜査のあり方にも警鐘を鳴らしたとも言えるだろう。
ただし、人命にかかわるような過失については、近年、かつてよりも積極的に刑事罰を科すという司法の流れがあり、検察側が控訴するのは確実視される。両被告の刑事責任は、東京高裁で改めて問われることになりそうだ。【松倉佑輔】
千葉・野島崎沖で08年2月19日午前4時6分ごろ、海自イージス艦「あたご」と漁船「清徳丸」が衝突、清徳丸船長の吉清(きちせい)治夫さん(当時58歳)と長男哲大(てつひろ)さん(同23歳)が死亡した。横浜地方海難審判所は09年1月の裁決で、あたご側に事故の主因を認め、所属部隊「第3護衛隊」(京都府舞鶴市)に安全航行の指導徹底を求める勧告を出した。横浜地検は同4月、業務上過失往来危険と業務上過失致死の2罪で自衛官2人を起訴した。