コラム


みちのく便り~心の高校野球~

第3回 花巻東・佐藤涼平の高校野球(上) 2010年02月12日


 1月中旬の岩手県花巻市。新たなステージに心を燃やし、黙々と木製バットを振る佐藤涼平がいた。
花巻から3時間はかかる実家の宮古市には帰らず、大学の入寮の時を花巻で待つという。授業がない入試期間でも、後輩と一緒に汗を流していた。
昨秋、高校野球の取材をしていると、「花巻東の佐藤涼平選手を意識している」という選手が数名いた。楽天イーグルスの前監督・野村克也氏が「花巻東にちっちゃいのがおるやろ。どんなボールでもファウルにして、四球で出塁する」と言い、そのプレーを絶賛したこともある。

全力でプレーする花巻東ナインの中にあって、周りより頭1つ小さい彼の全力は見る者を惹きつけた。ファウルで粘り、出塁する。その技術はもちろん、その一生懸命な姿が感動を呼び、多大な影響を与えた。

そんな彼のことは、各方面でいろいろと伝えられている。病弱だったこと。お父さんが亡くなっていること。身長が155㎝なこと。入学して間もなく、佐々木洋監督から「身長は長所だ」と言われたこと。カット打法を身につけたこと。日体大に進学し、将来は指導者を目指すこと…。彼は、ヒットを打ちたくはなかったのだろうか?どうやってカット打法を身につけて、本当に身長を長所に変えたのだろうか?そこに、どんな意味があったのだろうか?はじめから、全力で一生懸命プレーできたのだろうか?どんな3年間を送り、卒業の時を待っているのだろうか?

私なりに聞いてみたい。その気持ちだけを持って、雪降る花巻に向かったのだった。

1:教室での学び

 得意科目は日本史だ。
 「人物がやったこととか、人間性とか、そういうのが面白いなと思っています。監督さんが教科担当で、教科書に載らないようなことを教えてもらえるんですよ。どういった人間がこういうことをしたからこういう事件が起きて、だけど、その人のお陰でこうなったとか、教えてもらいました。全部、原因があって結果があるという教え方で、人生にいきるような話、プラス授業という感じです。元々、日本史は好きでしたけど、覚えられなかったですね。教科書を暗記するだけだったので、頭の中でイメージできず、かなり苦戦していました。監督さんの授業のお陰で、イメージしながら勉強できるようになり、覚えは早くなりました。野球と一緒です」

 印象深いのは幕末の西郷隆盛と大久保利通の関係性だという。
「西郷隆盛が印象に残っています。同じ薩摩藩で大久保利通という人がいて、名前的にいったら西郷隆盛の方が有名だと思うんですけど、ただ、先頭に立ってやっていたのは大久保利通の方が多いのに、何故、西郷隆盛の方が有名なのかというと、西郷隆盛は人間性がよく、情に熱い人だったと。

大久保利通は頭がよすぎて、いい反面、悪いことにも頭が使えたと言っていたんですよ。西郷隆盛は明治維新で武士がいらなくなるというのをわかっていたんですけど、武士のためにと改革しようと思った時、外国に視察にいっていた大久保利通が帰ってきて、『その改革はダメだ』ってなって西郷隆盛はいなくなったんです。西郷隆盛は自分を中心に考えるんじゃなくて、周りのことに気を使って周りの人のためにという考えが強い人だったらしいので、それがみんなから愛されて記憶に残る人物だったと教わりました」

 センバツから帰ってくると、3年生になり、佐々木監督の授業が始まった。
「1年生が現代社会、2年生が世界史で部長先生、3年生の日本史が監督さんです。最初は緊張しました。毎年、3年生の日本史は監督さんなので、3年生になった瞬間、『はー、監督さんの授業だ』ってソワソワした感じになりましたね(笑)部長先生の授業も面白かったです。世界史というか、地理が苦手だったので、(国の位置関係を)覚えるのが大変だったんですけど、流石先生もいろんな話しをしてくれるのですごく面白かったですね」

 賢者は歴史に学び、愚者は体験に学ぶ―。“歴史から学ぶ”ということの意味を、流石裕之部長と佐々木監督からしっかり教わった。野球に通じる考え方も、授業の中で吸収していった。
本も読むようになった。

「体験談的な、苦難を乗り越えた人の話しを聞くのはやっぱり読んでいて勉強になります。監督さんがミーティングの時にいろんな本を紹介してくれるんですよ。『久しぶりに面白い本があったんだけど』って、こういう本でこういう内容だったんだって言って。次の週のオフに雄星が買いに行って(笑)。いろんな本見せてもらいました。雄星が『これいいよ』って言うと後から自分で買ってみたり。自分、中学校までは図書室に行ったことがないくらい本が嫌いでした。ジッとしているのが嫌だったんですよ。読んでいて眠くなってくるし。授業中も集中して聞いていなかったです、中学校の時は。それが高校に入って、本を読む楽しさを覚えてからは本を読むようになりましたね。雄星のお陰だったと思いますね。遠征中のバスとか、みんな本を読んでいますもん」

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2:夢を抱えて

【取材中、カメラを覗く佐藤君】


 年末年始は忙しかった。高校野球を終えて、地元・宮古で知人に感謝を伝えて回った。
「年末年始は、ずっと、あいさつ回りをしていました。みなさん、喜んでくださって、それくらい応援してくれていたっていうのが伝わってきました。改めて、大学でも頑張らなきゃいけないなって思いました。中学校の先生や野球部の先生、お世話になった校長先生とかの中学校を3件くらい回って、あとはちっちゃい頃から仲良くしてもらってた人とか、お世話になった人に。40件くらい行きましたね。ゆっくり出来る期間がその時しかなかったので。今までの生活だと出来なかったので、一気に行ったんですけど、ちょっと、結構、疲れました」
 だが、その疲れも吹き飛ぶくらい、多くの人が活躍を喜んでくれた。応援されていたことを肌で感じた。

 今は、2月15日から日体大のキャンプが始まるため、練習に明け暮れている。「引退する前よりも練習しているかも」と冗談交じりに笑顔を見せた。高校最後のテストを受け、2月9日か10日には生まれ育った岩手から旅立つそうだ。

 体育教師を目指そうと思ったのは中学生の頃。1年生の時にいた女性の体育の先生に憧れた。1本筋が通った指導をする先生はカッコよかった。加えて、花巻東で学んだ「野球」を子どもたちに伝えたいのだという。目標の立て方、その目標への向かい方、達成の仕方を学んだ今、夢がはっきりと見えている。

 「中学校までは『なりたい』っていうよりも『なれればいいな』くらいの、具体的な目標じゃなかったんですけど、高校入って、監督さんとか、いろんな指導してくださる方々と出会って、『指導者になりたい』って、そこで思えるようになったなって思います」

 目標の設定の仕方を覚えたことでフワフワとした夢の輪郭が見えてきた。だが、今のご時世を18歳なりに考えている。教員免許の一刀流だけではダメだと、トレーナーの勉強もするという。資格取得はもちろんだが、「選手の中で一番、怪我が怖いことなので、それをいかに少なくできるかっていうのを自分が指導しながら、そういうことを教えられたらいいなと思って。やるからにはいろんな勉強をしたいので」と、未来の教え子たちの体を気遣ってのこと。2つも3つも勉強し、さらに、野球も極めるのは大変なことだと思うが―。
「やっぱり頑張る気持ちにさせてくれるのは目標なので。目標の設定の仕方っていうのをここで教わっているので。自分がなりたい目標に対してのエネルギーを注ぐっていうか、そういうのは頑張っていきたいなって思います」

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3:高校受験

(写真:佐藤純一)


 高校進学は、誰もが悩むこと。やりたいことがあれば尚更だ。
小さくてマッチ棒のようだったという中学生に人生の分かれ道がやってきた。中学の仲間と地元の公立校に進学しようか、でも、本心は私立の強いところでやってみたいというものだった。本気で甲子園を目指す集団の中でもまれて上を目指したかった。

「監督さんのほうから『来てほしい』っていうことを言われて、自分はもう、私立で野球が強いところに行きたかったので、できれば行きたいなぁと思っていたんですけど、母からは反対されました。
自分自身も、一人でやっていくっていう自信がなかったので、最初は不安だったんですけど、そう言いながらもどうしても行きたいってことを言っていたんです。
でも、絶対ダメだって、ずーっと言われて、2週間くらいですかね、口、全然利かないような感じで。そのことには触れずにこう、日常が流れていったみたいな感じでした。険悪したムードというか」

母の思いと自分の思いが平行線をたどっていた頃、佐々木監督が中学校を訪れた。
「監督さん、学校に来てくださったんです。そのとき、自分は授業だったので立ち会わなかったんですが。校長先生が『何で、涼平君をほしいんですか?』って聞いたときに、『野球もそうですけど、目です』っていう風に言ってくれたらしいんですよ。基本的にはやっぱり技術で見るのが普通じゃないですか。でも、その時に『技術以外でやっている目が決め手です』って言われたときに、母親が、この人なら絶対に預けて大丈夫だっていう風に思ったらしくて。離す心配もあったんですけど、でも、いずれは離れていくものじゃないですか。親離れもしなきゃいけないんで。それに、例えば私立に、花巻東に入れなかったとして、公立高校に行って自分が高校3年間の間に花巻東高校が甲子園に行ったら多分、自分自身も後悔しますし、親も後悔すると思ったらしくて、それで入れようって決めてくれたみたいです」

 姉は背中を押してくれていた。
「自分の姉、5つ離れているんですけど、母親から相談されたらしくて。姉は『入れた方いいんじゃない?』っていう風なことは言っていたらしいんですよ。『いいんじゃない。行きたいなら行かせたほうが』っていうような感じで」

母からの「行っていいよ」の一言は2週間の確執をゼロにした。その後、すぐさま入試。受験日の前日に母と花巻入りした。雪積もる、花巻の風景に驚いたと同時に、人生初の入試に緊張した。
「前の日、23時に寝て6時半に起きたんですけど、2時間くらいしか寝ていない感覚っていうか。多分、緊張していたと思うんですけど。もう、朝起きたら頭ボォ~っとして(笑)面接で何を聞かれて、何をしゃべったか全然覚えていないです」

入試を終え、緊張から解き放たれた帰り、母は雪道を3時間、運転してくれた。そして、合格発表。
「通知も来たんですけど、学校に合格した人、張らさったりしているんで、それを、小学校の時の友達が花巻にいたので『見に行ってあげるよ』って言われて見てもらいました。『あったよー』って聞いて『あ、そっか』って。で、次の日に合格通知が来て『あ、ちゃんと合格していた』と。だまされていなかったです(笑)」
 さぁ、無事に合格。実家を出るときは寂しくなかったという。ただ、希望に満ちあふれた心で母の気持ちは察していた。「自分はそうでもなかったですけど、多分、親は相当、寂しかったと思います。親はどうなるかと心配だったと。今でも心配って言われます(笑)」

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4:運命の一言

 そして始まった、花巻での高校野球生活。
「最初は『ここ、ちょっとやっていくの厳しいかなぁ』って思いました。
まず、この身長なので自分より小さい人がいるわけもなく、みんなこうやって(上向いて)見ないといけない。こういった中で、野球で生き残っていけるのかなっていう不安ばっかりでしたねぇ。

ただ、自分、1ヶ月くらいして監督さんに呼ばれて、『おまえ、身長のこと、どう思っているんだ?』って聞かれました。
自分、中学校の時からやっぱり、体小さいことが気になっていたので、『自分は、短所って思っています』って言ったら、監督さんは『おまえの長所はその身長だ』って。
そういう風に思ってくれる人がいなかったので、今まで。
スポーツ選手は体が大きいというのは有利につながるので、『体、大きければな』といった意見が多かったんです。監督さんはそういう見方じゃなくて、それが逆にいいっていう風に言ってもらったので『はぁ、そういう風に思ってくれているんだ』って。そして、『その身長を生かすようなプレーをしろ』って言われてからは、自分の身長に自信もてるようなことを練習でやろうって思うようになりましね」

ノミの話しを聞いたことがあるだろうか?この話しはいろいろな表現の仕方があるが、1m飛べるノミが10㎝の瓶に入れられて、蓋を閉められたまま過ごしていると、蓋を開けた時、10㎝しか飛べなくなっているという。ちょっと見方を変えてみると、周りの「小さいね」、「体、大きければな」という言葉で“見えない蓋”をかぶっていたようにも思えてくる。目から鱗の「おまえの長所はその身長だ」。野球観がいっきに変わった。

監督さんからは『打つのは期待してない。打たないでいかに塁に出るか』というようなことを言われました。
例えば、デッドボールでもいいですし、フォアボールでもいいですし、よければヒットでもかまわないんですけど、塁に出て、いかに得点に絡む選手になるかっていう。盗塁したり少しのミスでも次の塁に行ったりとか、そういう走塁とかは、かなり言われましたね。足はそんな速くないです、自分。読みって言うか。自分、下から数えた方が早いです。みんなはきっちり打ってから走るじゃないですか。自分は、当たったときにはもう一歩目を切っている状態。だから速く見えるんですよ。足もこんな(ちょこちょこ)なっているじゃないですか。だから速く見えるんですよ。50メートル、6秒2ですけど、みんなそれよりも速い。遅い人でも6秒3くらいで走るんですよ」

 その分、走塁技術に磨きをかけた。
「(走塁技術を)生かすためには小技や走塁が鍵を握ってくるんだなって思っていました。監督さんは『こうやれ』って言って、そのままやる人は好きじゃない。結局、野球は最後、監督さんがやるんじゃなくて自分たち選手がやらなきゃならないので、選手で考えてっていうのを意識して指導してくださっているので、自分で考えて、自分で考えたのを監督さんやコーチの方に聞いて、『いや、それは違うんじゃないか』とか、『それはそれでいいと思うぞ』っていう風なのは聞いたりしました」

 指導者側からのヒントを受け、自分の考えも主張し、作っていった。最初は身長を生かすことの意味が分からなかった。「野球ってどうしても、打った、投げた、走っただと思うんですけど、それ意外の見えない部分で活躍をしなきゃいけないと思いました。ただ、それに気づいたのは、学年が上がってからでした。言われた時は、『(この身長でも)大丈夫なんだ』っていう風なのだけで、そこまで考えられるほど、余裕もなく、ただ、一生懸命やっていただけだったので、ついていくので精一杯って感じでしたね。学年が上がってから、2年生になって、新チームになってから、かなりそういったことを意識するようになりましたね」

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5:試合に出るということ

【09年甲子園大会】 (写真:宮坂 由香)


 1年生の秋からベンチ入りした。2年生の秋、レギュラーになると、ベンチ入り経験を無駄にはしなかった。
「1年生の秋からベンチに入れさせてもらっていたので、監督さんがどういう野球をしたいか、この状況ではこういうサインが出るというのは、近くで見ること出来ていたので、こういったときにこういう選手が必要だとか、いろんな話しを聞いて、自分がそういった選手になりたいなって思っていましたね」

野球選手だったらヒットを打ちたい、ホームランを打ちたい、といった願望があるだろう。それはなかったのか。

「うーーん、打てばやっぱり嬉しかったですけど、でも、それで褒められたこと、1回もなかったので。逆に、たかがって言い方、ちょっと変ですけど、たった1個のフォアボールでもそれで褒められた。そういう、他の選手と違う褒め方で褒められたので、褒められるためにはヒット打つんじゃなくて、自分の役割をしっかり果たした時っていう感じでした。とにかく自分の役割を果たそうってことはいつも思っていましたね」

それがチームのためになると信じて打席に立った。
「やっぱり、チームのためにってことはいつも考えましたね。自分はずっと2番バッターで打たせてもらっていたんですけど、自分の中で考える2番バッターはゲームを作るバッター。1番バッターが出たら送りバント、ま、送りバントだけじゃないですけど、その次につなげる打席にして。自分が出なきゃいけない場面は出てっていう感じで。ランナーに出たら走ってチャンスを作る。それにやりがいを感じていました。自分ができなければ、チームにいい流れがこないっていうか、例えば、ノーアウトでランナーが出ても2番バッターなのに送れないってなったら絶対にチームの雰囲気も悪くなると思っていたので、2番バッターの重要性っていうのはすごく意識していましたね。練習試合でも勝ったり負けたり、もちろんあると思うんですけど、負けた試合を考えた時、自分、何やったかなぁと思うと、バント失敗だったりとか、ここで三振しちゃいけないって、例えば、1アウト3塁で三振だったりとか。そういうのがあって、自分が仕事できないとダメだなって思いましたね。勝った試合は、きちっとヒット打ったとかじゃなくて、仕事をしたっていう時。そこ(勝ち負け)を両方経験しながら、こういう場面でこうしなきゃいけなかったなぁとか、あの時、あぁゆう失敗したからこういう風にしてこうって、次のことにつながるようなことが出来たんじゃないかなぁって思います」

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【Back Number】

■「花巻東・佐藤涼平の高校野球(中)」は、こちら

■「花巻東・佐藤涼平の高校野球(下)」は、こちら(14日公開予定)

プロフィール

高橋 昌江
  • ■ 生年月日:1987年3月7日
  • ■ 出身地:宮城県栗原市(旧若柳町)
  • ■ 宮城県仙台市在住のフリーライター
    少年野球からプロ野球まで幅広く“野球”を取材し、多方面に寄稿している。
  • ■ 中学校からソフトボールを始め、大学2年までプレーヤー。大学3年からはソフトボール部と新聞部を兼部し、学生記者として取材経験を重ねる。
    ソフトボールではベンチ入りはできなかったものの、1年と4年の2回、全日本大学女子ソフトボール選手権大会で優勝を経験した。
    新聞部では何でも取材したが、特に硬式野球部の取材をメインに行っていた。最後は明治神宮大会準優勝を見届けた。
  • ■ ソフトボール部の活動から得た「人間性、人間力」を軸に「どう生きるか」を考えている。
  • ■ 野球が好きというよりは、野球の監督・コーチ・選手・関係者と話しをして、聴いたこと、感じたことを書いて伝えることが好き。“野球”については、常に勉強中。
  • ■ 【言葉には、力がある】が信念
  • ■ 取材時の持ち物は「気持ち、熱意、真心、笑顔」。
  • ■ 愛読書はデール・カーネギー『人を動かす』など自己啓発系が多い。
高橋昌江
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