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[7933] Fate/Imitation Saber
Name: 下屋柚◆26967502 ID:c7d39e23
Date: 2011/06/08 17:12
・本作品について
本作は、自HP『あるみ・ぼでぃ』にて公開していた『Archer who covered the skin of Saber.』を改題、改訂したものになります。
場面によって話の前後が入れ替わっていたり、エピソードの加筆、修正等されておりますが、大筋自体は変わっておりません。


プロローグより主人公として扱われている衛宮士郎はFateルート後半のものです。
物語もその時点から始まりますのでFateルートを念頭に読んでいただけると幸いです。
加えまして、本作品には『TS・憑依』『逆行』等の要素が含まれております。苦手な方はご注意ください。
また――(ダッシュ)、……(三点リーダ)が多用されていますが、作者厨二病最盛期の作品になりますので、そのあたりご了承願います。

・お願い
追加投稿の際に既存話の誤字等の修正をさせていただくことがございます。
皆様にご迷惑をかけてしまう行為かとは思いますが、どうかご了承願います。



2010.10.4
 Archer who covered the skin of Saber.より
 Fate/Imitation Saberへと題名変更



[7933] a prologue
Name: 下屋柚◆26967502 ID:c7d39e23
Date: 2010/08/27 14:29
 セイバーが宙に舞う。
 光の奔流に巻き込まれ、そして地面に叩きつけられた。
 血の塊を吐き出すセイバー。
 地面との衝撃によって鎧が砕け、左肩が露出している。

 俺は、そんな彼女を呆然と見つめ続けることしか出来なかった。

「セイ、バー?」

「――――ふん。
 我の一撃を相殺することも出来んとはな。拍子抜けだぞ、セイバー」

 その声に顔がそちらに向かう。
 俺の視線の先には金色の甲冑に身を包んだ英雄王――ギルガメッシュがいる。





       Fate/stay night  
              -Imitation Saber-





 ……なんで。
 なんで俺はセイバーを止めなかったんだ。

「セイバー! セイバー! セイバァーッ!!」

 必死にセイバーに呼びかけるが、口がからからに渇いて声が出てこない。

「……シロ、ウ……? そこに、いるのですか…?」

「――――セイバー!?」

 セイバーは目を開けている。だというのにその瞳は俺を捉えていない。
 もしかして、目が……?

 俺の声に反応して視線がこちらに向くが、俺に焦点が合っていないのが一目でわかってしまった。
 セイバーの視線は宙を彷徨ったまま、不安げに俺を探そうとしている。

 俺が……俺が本気でセイバーを止めていれば……。
 令呪でもなんでも使ってセイバーを止めていればっ!

 ギルガメッシュに会った時、その時から嫌な予感を俺は感じていた。
 いくらセイバーでもアイツだけには敵わないのではないかという漠然とした予感。
 それに、セイバーは先のバーサーカー戦で魔力を消費してしまっていて、万全ではなかった。

 ……全部俺の所為だ。
 魔力の供給ができないのも、セイバーがこんなに傷だらけになっているのも!
 全部、俺の所為で!

「ふん。雑種、貴様ごときに獅子を任せることは出来んな」

「――っ!!」

 悠然とセイバーに歩み寄っていくギルガメッシュ。



「ぬっ?」

 突然ギルガメッシュが足を止める。
 その視線を辿っていくともちろんそこにはセイバーの姿。

 そこで俺もようやく気づいた。
 セイバーの存在が不安定に揺らいでいる。
 色が薄れ、俺の感覚が目に見えているセイバーを無いものとして感じ始めてしまっている。

「加減を違えたか。
 …………だがこの程度も耐えられんとはな。少しばかり買いかぶり過ぎたようだ。
 充分すぎるほど手加減をしたつもりだったのだがな」

「…………」

 先ほどまで俺のいる方に向かって開かれていた瞳もいつの間にか閉じられている。
 俺やギルガメッシュの言葉に対しての答えも既にない。
 このままでは、セイバーが消えてしまう。

「そんなこと、させてたまるかっ……!」

 セイバーを助ける!
 俺の命に代えてでも、目の前のセイバーを助けてやる!!

 身体に残った魔力を回し、無理矢理立ち上がった。
 同時に頭にガツンッ、と撃鉄を下ろす。
 傷ついた身体を無理やりに奮い立たせ、持てる最高の速度でセイバーとギルガメッシュの間に立ち塞がった。

 残った魔力を全て魔術回路に回す。
 どうにも……これが最後の投影になりそうだ。
 脳が焼けていく感覚。
 遠坂が言っていた体の保障がきかないというのはきっとこれのことだろう。
 ――だがそんなことを言っている場合じゃない!
 この俺の身体がどうなろうと……セイバーをっ!!

「――――投影、開始」

 早く! より早く!!

 ――不意に、気に食わないアイツの顔が浮かぶ。
 次々と宝具と呼ばれる武具を作り出し、ランサーと闘っていた赤い男を。
 バーサーカーを足止めする前のアイツの言葉が脳裏で蘇る。

 ――――お前は闘う者ではなく、生み出す者にすぎん

 今ならアイツの言葉の意味が、分かる気がする。
 アイツに出来て、俺に出来ない筈はない。
 きっとあいつは■■の俺なんだから――――!

 アーチャーのように。
 そう、アイツのように作り出せ!


 俺の左手に握られるセイバーの、有り得ないはずの剣、「勝利すべき黄金の剣(カリバーン) 」 。
 剣に込められた様々な経験。それごと投影し、顕現させる。
 カリバーンを両手で構え、ギルガメッシュを迎え撃った。

「……退け、雑種。我は機嫌が悪い」
「セイバーを守る。俺はセイバーを迎えに来たんだっ!」

 ギルガメッシュの言葉に答えを返さず、鼓舞するように自分に言い聞かす。

 カスカスになった魔力を体に回し、左足で大きく踏み込んだ。
 その勢いのまま、俺を見下ろしているアイツの腹部に向かって大きく横に払う。

 金属同士がぶつかる甲高い音が空に響いた。

 ギルガメッシュはいつの間にか宝具であろう剣――装飾こそ簡素であるが膨大な魔力を秘めている――を右手に持ち、俺が振るったカリバーンを容易く弾き返したのだ。
 宝具戦ならばともかく接近戦に持ち込めばと思っていたが、あいつも常人と比べられないほどの剣術を持っているようだ。
 だが、それでもセイバーほどじゃない!

 俺だって剣の名を冠す英霊に鍛えられたんだ!
 簡単にやられるわけにはいかない!

 攻める攻める攻める――――!
 全力で目の前の相手に向かって剣を振るう。
 それは全てギルガメッシュの鎧へ届く前に防がれてしまっている。けれど、この気持ちだけは負けちゃいない!

 大きく弾かれた所でギルガメッシュが後ろへと退いた。
 それはたった一足。だというのに、ヤツは優に五メートル程の距離を跳躍した。

 ようやく生まれた空白に、荒く息を吐き出す。
 軽く痺れている右手でしっかりとカリバーンの柄を握りなおし、ギルガメッシュを睨みつける。

 セイバーに鍛えられた剣術と、剣に投影した経験からか拮抗状態まで持っていけた。
 ギルガメッシュも表情こそ変わらないが明らかに身体から怒りを滲ませている。
 思い通りにいかない事が何よりも気に喰わないのだろう。

「―――殺すか」

 ギルガメッシュが一言呟くと右手を真横に伸ばす。
 背後の空間が歪み、一本の剣が現れてその右手に収まった。

「なっ!?」

 それは……見覚えのある剣。
 細部こそ違うが俺が左手で握っている剣と根底を同じくしている。
 だが目に映るその剣は余分な装飾などなく、その作りに作り手の意思や、担い手の経験が感じられない。

「まさか……!?」

「ふん、いかな雑種といえどわかるだろう。
 魔剣、グラム。其の原型である原罪(メロダック)」

 言うや否や俺に向かって振り下ろされる魔剣。
 持ち主の危機を察知し、守るように返す剣――カリバーン――。

  砕かれる。

 ガラスの割れるような音が公園に響き、その一撃でこの手の幻想は粉砕かれてしまった。


 手に握っていたカリバーンは折れた。自然とその存在は靄となって消えていく。
 襲い来る衝撃を全く殺せず、身体が浮遊感で包まれた。
 ゆっくり、ゆっくりと視界が回る。

 体が地面に当たり、ギシギシと嫌な音を立てて軋むのがわかる。
 異様に軽くなった身体は地面に削られながらスピードを落としていった。


 ようやく、体が止まった。
 もう、あちこちが痛くて、体の何処が無事なのかもわからない。
 痛みを堪えて目を開けると、直ぐ横にはセイバーがいた。

 セイバーは動かない。
 直ぐ横なら俺が地面を滑っていた音も聞こえるだろうに、何も反応がない。その顔からは生気というものが感じられない。
 横たわり、意識もないのだろう。 体は透き通って今にも消えてしまいそうに見える。


 守りたい。
 望むことはひとつだけ。
 だけど、俺の体はもう駄目だ。

 立ち上がれない――――なにせ、下半身がない。
 遠くに落ちている俺の半身が見える。
 立ち上がってヤツの前に立ちふさがることも、もう出来なくなってしまった。


 セイバーに手を伸ばす。


 ―――彼女を守りたい。

 俺の剣となり、奔走してくれた彼女を。
 俺の盾となり、多くの危険から守ってくれた彼女を。
 俺を鍛え、共に闘ってくれた彼女を。

 ―――俺の全てを懸けても、守りたい。

 ただ、ただそれだけを願う。

 願うだけでは、駄目だ。
 なんとかなれ、ではなく、なんとかしなければならない。
 この体が動いてくれないのなら、何か――――

 だが、既に体に魔力は残ってない。


 ――――魔力がないのなら……!

 ギチギチと体が音を立てる。
 投影で作り出したまともなものは剣しかなかった。
 だけど、俺の中にあるものならば、きっと。

 体の、心の、衛宮士郎の中にあるものに手をかける。

 この世は全て等価交換。
 魔術にも代替するものが必要だ。
 簡易魔術なら魔力。
 大きな魔術には工程、時間、触媒、知識とどんどん増えていく。
 魔力も残っていない俺に残されたものは――――。


「なんだ? 雑種が。今更何を足掻こうと……」

 衛宮士郎の体が光を発し、作り換わっていく。
 形成すものは――――鞘。『全て遠き理想郷(アヴァロン)』。
 鞘は光り輝き、セイバーの中に埋もれていく。
 途端にセイバーは実体を取り戻し、傷は消え、体を包む鎧が修復されていく。


 そして……彼女は静かに目を開く。






「これは……何が起こった?」

 ギルガメッシュにも事態がどうなっているのかわからない。

 わかったことは衛宮士郎が消え、倒れていたセイバーの中に取り込まれたこと。
 そしてその死に体だった筈のセイバーがゆっくりと起き上がったこと。……結果、セイバーを包む衣服が”紅く”なったこと。


「ふん。まぁ、いい。このままではセイバーが消滅してしまうところだったからな。
 雑種もこうして王に報いることが出来たとあれば本望だろう」


 自然と口が笑いを象る。

 嬉しい誤算、といったところか。
 セイバーの「約束された勝利の剣(エクスカリバー)」の出力が想定していたよりも1ランク弱かった。
 それ故に危うく葬ってしまうところだったが、我としてもセイバーが消滅するのは本意ではない。

 見たところ目の前のセイバーにはマスターとの”ライン”が繋がっていない。
 さっさとセイバーを捕らえ、クーフーリンとかいう輩を聖杯に吸収させなくては。

 それには……

 セイバーに一直線に向かう。

 ……やはり弱らせなくてはなっ!!

 手に持つは竜殺しの魔剣。
 竜の因子を持つセイバーにとっては天敵といってもいい剣。
 体を斜に構え、右手で握ったその剣を大きく巻き込み、射程距離に入ると同時に斜めに大きく薙ぎ払う。

「ぬっ?! 打ち返す体力が戻っていたか」

 甲高い音が耳に障る。グラムは、振り切る前に何かによって止められた。
 見るとそれは「エクスカリバー」。
 グラムと逆の軌道を描き、打ち返してきたのだ。
 そして刃を合わせたままそのまま力比べになる。
 がりがりと嫌な音が耳に残るが、それも長くは続かなかった。

「なんだとっ!!」

 拮抗していたかに思われた鍔迫り合いはセイバーが押し始めた。
 先ほどまでとは違い、数十倍もの大きな魔力がエクスカリバーから放たれている。
 セイバー自身の魔力量も充分あるのだろう。でなければ傷や鎧を一瞬で修復するなど出来るはずもない。

「チィッ!」

 後ろに下がり間を取る。
 自然と眉間に皺が寄るのがわかる。

 まさか、日に二度これを使う羽目なるとはな。

 グラムを「王の財宝(ゲートオブバビロン)」に放り込み、乖離剣・エアを取り出す。
 魔力を流すと剣の上下が回転し、持ち主であるギルガメッシュの怒りを表すように辺りに魔力の渦が迸る。
 そして、エアに呼応するように輝き始める、セイバーの握るエクスカリバー。


天地乖離す(エヌマ) ――――
    「約束された(エクス) ――――

――――開闢の星(エリシュ) !!
    「――――勝利の剣(カリバー) !!


 強大な光が押しては引き、引いては押す。
 すっかり暗くなっていた周囲を真っ白な光が照らす。
 周囲には衝撃波が起こり、周りの木々が軒並倒されていった。

 時間にしては数秒。
 せめぎあっていたエネルギーは相殺され、霧散していった。

「――なん、だと?」

 我のエヌマ・エリシュを相殺させたとでもいうのか?
 信じられぬ。
 相手が彼の英雄、アーサー王だとしても、たとえ万全の状態だったとしても。
 我のエヌマ・エリシュを打ち消せる道理などはない。


――――■■、■■


 ズ……と静かに体を何かが通り過ぎて行った。左肩から右わき腹に熱を感じる。

 切られた、のか。

「それは……砕いた、はず――――」

 セイバーの手に握られている剣はカリバーン。
 もう既に、彼女の所有物ではないその剣――――永遠に失われた筈の剣。
 そしてそれは、衛宮士郎がいなくては存在し得ない幻。

 光がギルガメッシュの体を塗りつぶし、消滅させた。






「っ、はぁっ!」

 脱力し、思わずに片膝をつく。 魔力不足による脱力感、にしては度を越えている。
 どちらにせよ、体に残る魔力が一切合財なくなっていた。

「それにしても―――この体は……?」

 身体能力が先ほどまでとは段違いだ。

 手を見ると手甲。
 服こそ紅いが紛れも無くこの体はきっと――――

「セイバー、なのか」

 なんで衛宮士郎がセイバーになっているのかはわからない。
 だけど

「考えている暇も無い、ってか」

 魔力を使い切った所為だろう。
 体が段々と透き通っている。



 助けたくて、出来ることをしたのに。
 結局、身近にいるセイバーを助けることさえ、俺には出来なかった。
 共に参加した聖杯戦争、決断を誤った衛宮士郎はここまでだろう。
 …………いや、聖杯戦争だけでなく。この命も。

 意識が朦朧としてきた。
 まぶたが勝手に下がってくる。
 俺の体となっているセイバーの手は、向こう側が透けて見えていた。



 ただ、助けたかった……。
 一緒に闘ってくれた彼女を。
 守りたかった……。
 自分の持てる全てで。

 出来なかった。
 ただ、そのことが悔やまれる。



 目を閉じると目の前に広がるのは丘。
 空は一面夕焼けのように赤く、雲は千切れてながらも目に見える速度で流れていく。

 そして、どこまでも果てしなく、起伏の無い地面が広がっている。
 何も無いわけではない。
 無数の武器が地面に突き刺さっていて、抜かれるのを今か今かと待っている。
 誰かの声が赤い空に微かに響き、消えていった。


 その真ん中で俺は安心する。
 何故だかこの味気ない世界が俺にとって、とても居心地がよかった。



「セイ、バー…………」

 そして世界は暗転する。




[7933] 一日目
Name: 下屋柚◆26967502 ID:c7d39e23
Date: 2009/04/08 03:00

 泥が身体にまとわりつくような感覚。
 足掻こうとしても、体は重くて一向に動く気配がない。

 光の一切を許さない暗闇。
 目を開けているのかどうかも定かではない。


 そこには、どれほどいたのだっただろうか。
 一時間か、一日か、一ヶ月か……もしかしたら何年もの間、ただそこに『いた』のかもしれない。
 曖昧な意識でいた俺は、不意に、どこかに向かって体を引っ張られる。それもかなり強引にだ。
 体が動かず、なすがままに引き摺られていく。その先には光が見えた気がした。






 ふ、と意識が覚醒する。
 視界に入ってくるのは破壊されている天井。壊された時に落ちたのか壁材が散らかっている室内。
 天井は高く室内は広い。調度品も高級な物ばかりで、かなり裕福な家だと思われる。

 ……どうにも現状が掴めない。とりあえず落ち着こう。

 起き上がり、地面に正座し目をつぶる。
 弓道をやっていた頃の癖か、こうすると自然と落ち着いてくる。


 頭には自然と情報が浮かび上がってくる。

 召喚の目的は、聖杯戦争。
 俺が英雄として、サーヴァントとして呼び出されたこと。
 今回のクラスはアーチャーであるということ。
 そしてうっすらと思い出される他の英雄の情報、熾烈な戦闘の数々。
 衛宮士郎の生きていた頃にはなかった記憶。


 そうか、俺は英雄に……?
 この知識はおそらく英雄の座から渡されたもの、なのだろう。




 数秒もするとドアの外から走り来る足音が聞こえてきた。
 「ああもう、邪魔だ、このお!」という言葉と共に、扉が乱暴に開かれる音がする。
 声から察するに女性。……なにやら聞き覚えがある気がする。

「あなたが俺のマスターですよね?」

 魔力がその人物から流れてくるのが感じ取れる。
 それは不思議な感覚だけど、送られてくる量がかなりのものだということが俺でもわかった。
 その人物が魔術師として優秀なのだと俺に認識させる。

 その人物の容貌を見るべく閉じていた目蓋を開き、その姿を確かめるため視線を入り口に向かわせる。
 入ってきた人は肩で息をして……って?

 ……遠坂!?


 俺が呆然と目を見開いていると、辺りを見渡して何事か呟いている遠坂。
 余裕がない所為か、よく聞き取れない。

「えーと。貴女、見たところセイバー?」

 ――――確かに遠坂、遠坂凛だ。
 つり目で意志の強そうな瞳が俺のことを見つめている。
 横でふたつにわけられた艶のある黒い髪の毛。並みの女性が着たら似合わないだろう赤い服を当然のように着こなしている。

 その彼女は、なにやらいらいらしながら問いかけてくる。

「い、いや、俺はアーチャーだ、けど」

 意外な人物の登場に吃驚しながらも、なんとか返事を返す。
 頭の中は真っ白。返答も反射的に出ていた。

「ウソでしょ!? どう見てもあんたの格好、剣士のものじゃない!!」

「え? いや、でもアーチャーだって確かに……」

 おもむろに立ち上がり、自分の姿を見回す。
 視線を下にやると、まず目に入るのが鎧。ところどころに赤い刻印が入っている。
 腕を覆っている生地は赤く、少し目に痛いぐらいだ。
 手を見ると手甲(ガントレット)。指まで保護できるようになっている。
 それに、視界が低い。…………縮んだ?

 何故? 視界から入ってきた情報の意味も理由もわからない。

 生前の記憶を必死に思い出す。
 己の死に際まで振り返ってようやくその原因に思い当たった。途端に頭から血の気が引いていく。


 ――――もしかして、俺……セイバーになったまま?


 俺が呆然と自分の姿を見回している間に、どうやら遠坂が落ち着きを取り戻したみたいだ。

「なんだってアーチャーなのよ」

 ……って開口一番がそれか。

「む。俺がアーチャーだと不満だって言うのか?」

「そうよ! セイバーを呼び出そうとしたってのに……はぁ」

 あれだけの宝石を使ったっていうのに、と呟いて顔を渋くしている。

 呼び出した本人の前で、「あんただと不満」ときっぱり言い切るとは。
 その上にため息までつかれたし、まぁ遠坂らしいといったらそうなんだけれど。

「ちょっと待ってくれ。いきなり呼び出されて勝手に落胆されたら、いくら俺でも流石に傷つくぞ」

「――――ああ、ごめんね。ま、呼び出したのは私なわけだし、貴女に当たるのはお門違いよね。
 それでアーチャー、貴女は私のサーヴァントなわけでしょ? 早速だけど貴女の真名は何?」

 …………真名か。
 衛宮士郎、でいいのか?
 いや、でもこの格好だし、アーサーって答えた方がいいのかもしれない……けど。

 返答に窮する。どれも間違っていないようで、どれも間違っている気がする。
 どうしたものかと思案に暮れていると……。

「――――マスターなんだから訊く権利ぐらいあると思うのだけれど?」

 なんて、何を勘違いしたのか、笑いながらこめかみを引きつらせている遠坂が目に入る。
 遠坂、結構頭にきちゃってるみたいだな。いつもより沸点が低いというか、余裕がない。

 さて、それよりも真名をどうするかだ。
 もちろん遠坂を信頼していないなんて事はない。
 それどころか遠坂のことは、こと魔術関連なんか信頼してるんだけど……。

「真名……正直俺にもわからないんだ」

「はぁ? ちょっと、馬鹿にしてるわけ!?」

「いや、馬鹿になんかしてないって。なんていうか……ふたつあるというか。
 でもどっちも正しいかといわれれば……うーん、どうなんだろう」

 いきり立つ遠坂を必死で押さえて、ぼかしながら説明する。
 それを聞いて遠坂はうさんくさそうに俺を見る。

「ふたつぅ~? ……まぁ、とりあえず教えてみなさい」

 ごめん、セイバー。君の名前を騙らせてもらう。
 ――だって『衛宮士郎』なんて言ったらどうなることやら。
 というより『衛宮士郎』は英雄になるようなことはしていないし、それ以前にその技量も能力もない。

「アルトリア=ペンドラゴン。アーサー王って言ったほうがわかりやすいかな」

「アルトリア=ペンドラゴンねぇ…………ペンドラゴン?
 ってアーサー!? すごい!!! かなり有名な英霊じゃない!!
 アーチャーって言われたときは、もう、どうしようかと思ったけど!」

 言った途端遠坂は目を輝かせて俺の手を両手で掴む。

 落胆されるのも屈辱だったけど、ここまで喜ばれるのも何だか申し訳ない。
 どうしたものか、対応に困る。

「ん? ――――でも、それならなおさら『セイバー』じゃないの?」

「――それはそうなんだけど」

 確かに。
 セイバーの身体で呼び出されたのならクラスも『セイバー』であるべきだよなぁ。
 なのに『アーチャー』。
 俺って『アーチャー』足り得る技能なんて持ってたか?

「ん、まぁいいわ。貴女、本気でわかっていないようだし。
 それにその言葉使いの理由もわかったわ。男として振舞ってたんでしょ? アーチャーは」

「そう、なるのかな?」

 いい具合に誤解してくれたみたいだな。いい理由付けも出来そうにないので頷いておく。
 っていうか……やっぱりこれって生前俺が参加した聖杯戦争だよな……。

 セイバーか……。
 この世界の俺はセイバーを呼び出せるのだろうか?
 だって偽者とはいえセイバーの体を持った俺が呼び出されてここにいるのだから、どう転がるのかわからない。

「それにしてももうちょっと外見に合った話し方にしなさいよ。
 折角可愛い外見をしているんだから」

 思考の海に沈みかけた俺は、その突拍子もない遠坂の言葉に強制的に覚醒させられる。

「いや、それだけは断固として断る。大体、話し言葉くらい好きでいいじゃないか」

「アーチャー、いい? わかっていないみたいだから言うけど、アーサー王は男として広まってるのよ?
 どこからどう見ても『女の子』のほうが正体がばれる可能性も減るでしょう」

 これは……衛宮士郎の時によく見た邪悪な笑みだ。
 遠坂凛、ここでも健在ってことか。厄介な。
 しかも言ってくることが一々正論だから反論が難しい。

「う。それは確かにそうかもしれないけど……」

 それは流石にちょっとな。
 見かけはセイバーでも中身は衛宮士郎なわけだし。
 女言葉で話す俺を想像して寒くなる。何故か脳裏に浮かんだのは真っ当な男だった頃の俺。

 ……自分のことを俺とか言ってるセイバーもどうかと思うけどさ。

「うん。無理だ。断る」

「……」

「…………?」

 …………。
 ……あれ? 遠坂からの返答がない。
 俯いているから表情も見えない。
 何故だろうか。背中に悪寒が走ってる。

「……ふふっ」

 笑い声が聞こえてくる。
 発生源はわかっているのに、何故か素早く辺りを見回してしまう。

「アーチャー、まだ貴女は自分の立場がわかっていないみたいね」

 静かに遠坂がにじり寄ってくる。
 近づくにつれてその表情が露わになる。

 ……目が据わってる。隈もあるし。
 妙にテンパってるし寝不足なんじゃないか?
 ていうかなんだか俺、結構余裕あるな……。

Vertrag……. Ein neuer Nagel Ein neuer Gesetz neuer Verbrechen――――……

「って、何をする気だ? ……まさかっ!?」

「そのまさか。私の言うことを聞きなさいっ!

 魔力による擬似的な風が巻き起こる。
 赤い光を放ち、凛の手の令呪の一部が砕け散った。

「……まさかこんなことに令呪を使うなんて」

「では早速。アーチャー、口調を改めなさい」

 何を考えているんだ、と続こうとした口を無理やりに閉じる。

 なにやら口の周りに違和感を感じる。
 魔力による強制的な束縛だろう。このまま話したなら女言葉になっているのかもしれない。

 でも話さないからな。極力しゃべらないようにすればいいだけだ。

「返事は?」

「わかりました」

 いいっ!?
 勝手にしゃべり始めたぁ!?

「うん。良好良好。まだ硬いけど仕方が無いか。
 んじゃ、早速だけど部屋の片付けしておいてくれる?」

「とお――、いえマスター。サーヴァントをこういった雑事に使うのはどうかと思いますが」

 遠坂、と呼ぼうとして何か引っかかり、マスターと言い直す。
 何か違和感があると思ったら、セイバーの声で「遠坂」と発音することだ。
 考えてみれば、まだ遠坂のやつ俺に名前を教えてくれていないし。
 危うく初めにしてボロを出す所だった。

 それにしても、令呪での命令だといえ、どうやら頑張れば反論することは出来るみたいだ。
 口調にいたってはあまりに小さいことだから完全に効いてしまってるみたいだけど。
 話そうとすると意味が変わらない程度に自動で訳されてる印象を受ける。何故か話し方が本家セイバーみたいになってしまう。

「いいでしょ。貴女を呼び出すのに寝てないんだから」

「……仕方が無いですね。
 後は任せておいてくれれば結構です」

「そう?」

「ですがその前に、一つだけマスターに訊いておきたいことがあるのですが」

 踵を返し、居間から出て行こうとする遠坂を引き止める。
 掃除の言いつけなんかよりも、やっておかなきゃいけないことがあるだろうに。

「ん? 差し当たって問題でもあるの?」

 向かいかけた足を止め、首を傾げる遠坂。
 俺はそれが殊更重要であるように、真正面に向き直って真顔で告げる。

「ええ。とても重要な問題です。
 これの交換をしなくては貴女と私の信頼関係を築くことは容易ではなくなる」

「え!? ちょっと待って……交換?」

 本当に何だかわかっていない様子。
 信頼関係を築くことが難しいと聞いて焦ったのか、顎に手を当てて考え込んでしまった。
 ……仕方ないか、俺から切り出そう。

「――――ええ。
 私は教えたのですから、是非私にも、貴女の名を教えて欲しい」

 そう言って、右手を差し出す。
 これからよろしくという意味を込めて。

 その言葉を聞いた途端、何が不意打ちだったのかわからないけれど、見てわかるほどに遠坂は硬直、顔を赤くして狼狽した。

「あ、そうね。ええ。私、遠坂凛。凛と呼んでちょうだい」

「わかりました。では、凛と」

「う、うん。これからよろしくね」

 俺の右手をおずおずと握り、ぼーっとした様子で握った右手を開いたり閉じたりしている。

「……え、と。それじゃ、私、寝るから」

 そう言い残して部屋から出て行った。
 きっと疲れていたのだろう。その言葉もなんだか上の空だった。
 よく見ると、部屋に戻るその足元はふらついていた。




 凛が部屋から出て行って、甲冑姿で立ち尽くしたまま俺は現状について考える。
 少しばかり整理しないと何がなんだかわからなくなりそうだ。

 まず呼び出されたのは、生前の俺――衛宮士郎が参加した聖杯戦争。
 次に、呼び出された今の俺の体はセイバー。だっていうのにクラスはアーチャーだ。わけがわからない。

 とりあえず、『アーチャー』の位置に俺がいるってことはこの世界にアーチャーは召還されないのだろう。
 皮肉にもこの格好は赤が基調で、あいつと同じ色。

 ――そういえば、俺、あいつについてほとんど知らないんだよな。
 わかっているのはあのランサーと打ち合える強さと、あのバーサーカーを数回殺すことのできる能力。
 今となってはあいつがどれほどの実力者だったのかなんてわからないけど、その役目は俺が果たさなきゃならないのだろう。

 少しでも情報を得ようと、召喚されてすぐ頭に浮かんできた記憶を思い返してみるが、どうやらそれは衛宮士郎の記憶ではなくセイバーの『記録』だって分かっただけだった。
 ……思い返そうとしても、ぼんやりとしていてあんまり役には立ちそうにない。

 ――――そういえば、明日、明後日と凛とアーチャーは何をしていたのだろう?
 過去の俺はアーチャーの召還にはもちろん立ち会ってなかったし、その後も一緒に行動していたわけじゃない。
 凛と士郎――便宜上、この世界の衛宮士郎を士郎と呼ぶことにする――が合流してからならなんとかなるんだろうけど。

 とりあえず2日ほどは凛の指示に従うしかないみたいだ。
 できるだけ前回と同じように、それで出てきた犠牲を減らせればと思うんだけど何してたのか知らないんじゃどうしようもない。
 やりなおして死んでしまった人を助けるなんて考えもしなかったけど、助けられる人を助けないのは違うと、俺は思う。
 そのためにも凛を手助けして、出来るだけ被害が少なく済むようにすべきだろう。
 それに今の俺は凛のサーヴァントとして呼び出されたわけだから、実際は素人だろうと何だろうと、凛を守らなくちゃいけない。


 結局決まったことは流れのままに動くこと。現時点では情報が少なすぎる。
 後は臨機応変だろうか。それに、俺には似合わないだろうしあんまりやりたくはないけど、多少の小細工もしなくちゃならないかもしれない。



 そこまで考えた所で改めて部屋を見渡す。
 部屋、片つけなきゃいけないんだったよな。
 天井なんかは何をしたらこんなになるのかというほど崩れ落ちてしまっている。
 その破片なんかが床に散らばっていて、掃かないと足の踏み場もない。椅子なんかはひっくり返っている。
 なんでこんなになったのかはわからないけど、これは結構大変そうだ。

 それにしてもサーヴァント初めての仕事が部屋の片付けか。

「……はぁ、先が思いやられるな」

 思わずため息が漏れる。
 これからどうなるのやら。





[7933] 二日目【1】
Name: 下屋柚◆26967502 ID:c7d39e23
Date: 2009/04/08 04:08
 朝方になってようやく片付けが終わる。
 凛のような魔術が使えればもっと早く終わったのかもしれないけど、生憎俺には使えない為にこんな時間になってしまった。
 天井なんてもうどうしようもないので、適当な板を打ち付けて体裁だけは整えてある。
 ……いや、でも俺は頑張ったと思う。

 片付けが終わるとやることもなくなってしまったので、朝食を作り始める。
 とりあえず冷蔵庫を漁るが、どうにも食材があんまり、というか全然無かったのでトーストにスクランブルエッグ。
 それだけではあまりに寂しいので彩りのためにレタスとトマトで飾る。
 野菜室の底の方にあったやつというのがなんとなく不安を煽るけど、たぶん大丈夫だろう。うん。

 と、そこで僅かな物音を聴覚が捉える。きっと凛が起きたのだろう。
 注意して聞いて、それでも気づくかどうかといった音なのに、何故かしっかりと聞こえてきた。
 セイバーの聴覚はかなり鋭いらしい。衛宮士郎であったなら間違いなく聞き逃していたと思う。

「おはよう~、ア~チャ~」

「おはようございます。凛、すごいことになってますよ」

 一分ほどしてからドアが開いた音と共に凛の挨拶が聞こえてくる。
 リビングの入り口を見ると凛が髪の毛はぼさぼさ、半目で呆けてこちらに歩いてきていた。
 その瞳は俺の顔に向けられているが、微妙に焦点が合っていない。
 いつもはふたつに結わっている髪の毛も下ろしている。どうやら起きてそのままここに歩いてきたらしい。

 その姿は過去――というより未来?――の寝起き姿と全く変わらない。
 普段とのあまりのギャップに『百年の恋も醒める』という言葉が浮かぶ。
 …………。
 あ、いや、別に恋してるわけじゃないぞ。憧れてはいたけれど。

「う~……、牛乳~」

「はい。どうぞ」

 冷蔵庫から出したよく冷えた牛乳をコップに注ぐ。
 先ほどから動かない凛の前に差し出すと、う~、と謎の呻きを漏らしながら受け取りその場で一気にあおった。

「……それじゃ、顔、洗ってくるわ」

 それだけ言うと洗面所にのそのそと歩いていく。

 その姿が見えなくなるまで見送ると配膳を開始する。
 焼きあがったトーストを皿に乗せ、スクランブルエッグののった皿をテーブルに置いていく。
 冷蔵庫からバターやジャムを出した所で丁度凛が洗面所から帰ってきた。
 髪の毛も結わかれていて、その姿は俺が知っている遠坂凛だ。
 ……ただ、まだ本調子ではないのか、少し動きが緩慢ではあるが。

 凛が椅子に座ったので、俺はジャムの瓶とバターを机に置いてその対面の椅子に座る。

「へぇ~。思ってたより綺麗になってるわね。
 ん? これ、貴女が作ったの?」

 きょろきょろと周りを一通り見渡して、ようやくテーブルの上に置かれた料理に気づいたようだ。

「そうですが。何か問題がありましたか?」

「だって貴女、王様だったんでしょ? よく料理なんてできるわね」

 思わぬ突込みに焦る。
 何の疑問も持たずに料理してたけど、セイバーは王様だったんだ。
 ――――正直そこまで考えていなかった。

「あ、いや。あーー…………、そう!
 戦争の際は少人数でキャンプをする日もありましたから」

 例え少人数でキャンプをしても王に料理なんてさせないだろう、と自分のどこかが投げかけてくるが無視。
 だって他に良い言い訳が浮かばない。

 やっぱり苦しいか?

「ふ~ん」

 まだしっかり目覚めていないのか、それともそれほど興味はないのかわからないが凛が気の入っていない返事をする。

 た、助かった……。
 気をつけて振舞わないとボロが出てしまいそうだ。

「あ、私朝は食べないから。今日は食べるけど用意はしなくていいわよ」

 …………。

――――凛

「ん? 何?」

それは、戴けない言葉ですね。食事における認識を欠いていると見受けられます。いいですか? 食事は一日のエネルギーの源です。朝を抜くなんてもってのほかです。
 朝食で得られるエネルギーというのは人間の活動帯において不可欠といって差し支えのないものです。これを食べないのではいざという時力出せなくなるでしょう。
 それに先ほどの様子から推察しましたが、恐らく凛は低血圧ですね? 血糖値が下がっているから朝に響くのです。そもそも、食べない食べないと言っていたら何時まで経っても……


「わ、わかったわよ。出来るだけ食べるようにするから。ね?
 わかったから少し落ち着いて」

 む……。
 何故だか自分でもわからないけど、思わず凛に詰め寄ってしまった。
 別にここまで食に対してのこだわりはなかったんだけどなぁ。 作るのは別として。
 体がセイバーだから影響出てるのだろうか?

「――コホン。それで今日はどうするのですか?」

 しっかりと椅子に座りなおし、トーストにマーマレードジャムを塗っている凛に問いかける。
 質問を投げかけながらも、横目で壁に掛かっているカレンダーを確認する。
 確か……凛はこの日、学校を欠席していたはずだけど。

「そうね……。今日はマスターの探知、それに地理の把握の為に街を回ってみようと思ってるんだけど――――アーチャー?」

 トーストにブルーベリージャムを塗っている手を止め、凛を見ると目が合った。
 視線に反応せず、凛は不思議そうに俺を見つめ続けている。
 そう、まるで珍しいものを見るように。

 ……なんでさ?

「どうしました? 凛?
 なにか珍しいものでも見たような表情ですが」

 思ったことをそのまま訊いてみる。

「えっと、あなたも食べるの?」

「えっ? 食べてはいけなかったでしょうか?」

 惜しみながら、ブルーベリージャムをたっぷり塗ったトーストを皿に置く。
 返事こそ凛に返してはいるものの、視線はトーストから離れない。いや離せない。

 なんだろうか、この感じは?
 活力は漲っている。確かに食事は摂らなくても問題はないんだろう。けど、なんか……こう。

 食べたい。
 美味しいものを味わいたい。

 この欲求が頭から離れない。
 セイバーもこんな感じだったのか?

「別にいいんだけど……。サーヴァントもご飯食べるのね」

「いえ、食べなくても大丈夫なのですが……その、私の場合、欲求の解消になりますから」

「要は食べたいってことでしょうが」

 間髪入れずに俺の言葉の粗を突き、呆れたようにこちらを見る凛。
 だけどその目は笑っているのが見て取れた。

 うう、顔が赤く染まっていくのがわかる。

「あ、う。……そ、その。そう! 凛、こ、コーヒー飲みます? それとも紅茶でもどうですか?」

「ふふっ。それじゃ紅茶をお願い。」

 は、恥ずかしい。
 頼むから、席を立つ俺を「可愛い子だなぁ」っていう目で見ないで欲しい……。






 からかわれながらの朝食も終わり、凛は町へ出るために部屋に戻って支度を始める。
 その間に俺は朝食で使った食器を洗う。
 洗い物が終わり、凛を呼びにキッチンを出ると、凛も俺を呼びに来る所だったらしく鉢合わせた。

 それにしても自然と皿洗いをしている自分が複雑だ。

「凛、準備はよろしいのですか」

「大丈夫よ。それじゃあアーチャー、霊体になってついてきてね」

 霊体……。
 あ、そうか。

「……あの、凛」

「何? 何か問題でもあるの?」

「私、どうやら霊体になれないらしいのですが」

「えっ!?」

「どうにもこのままで変われないのです」

 霊体のなりかたは英雄の座での記録に載っているからわかっているんだが、上手くいかない。
 セイバーもなれなかったし、そのセイバーの体なんだから出来ないのは当然なのかもしれない。
 っていうか、セイバーはまだ死んでいないのだから、霊体になれるわけがないんだった。

「――――もしかして召還の時に何か不都合なことがあったのかしら。
 まぁ、召還そのものが失敗しなかっただけ良かったと取るべきか……。
 ……………………。
 いいわ、服を貸してあげる。それ着てついてきて。」

 なにやらぶつぶつと一通りしゃべった後、割り切ったようで、すっきりとしたような顔で話し始める。

「えーと、アーチャーの体型なら私の中学の頃のサイズで大丈夫そうね」

 ごそごそとクローゼットの上を漁る凛。
 どうでもいいけど、さっきからあまり良くないタイプの予感がしているんだけど。

「はい、これね」

 凛に促されて洋服を受け取らされる。
 ああ、やっぱり。……スカート……女物なわけだ。

「あの、凛。ズボンとかは……」

「あー、悪いけどないのよね。残念だけど」

 ……隠している、というわけでもなさそうだ。
 そもそも貸してもらっておいて我侭は言えない。
 鎧姿じゃ、駄目だよなぁ。

 そうすると…………脱ぐのか。
 それでもって女物の服を着るのか、俺が。

 当たり前だけど、セイバーの身体なんだよな。

 凛が着替えようとしない俺を不思議そうに見つめている。
 ――――どうやら選択肢は他にないみたいだ。
 覚悟を決めろ、衛宮士郎!
 そしてスマン! セイバー!




「あの、凛……」

「何? 下着のつけ方がわからない?」

「は、はい……あの、教えていただけないでしょうか?」



「駄目駄目! 上を先に着るの! スカートは後」

「ぅ、すいません……」



 ……なんとか着替え終わるころには優に一時間が過ぎていた。


 ――――地獄だった。
 恥ずかしいやら、情けないやらで自己嫌悪。

 男としての砦がまた一つ篭絡された気がする。
 ……いや、きっと間違いなくされた。あといくつ残っているのだろう。




「それじゃこんな感じでいい?」

「はい、構いません」

 鏡に映る姿はいつかのセイバー。
 服装は以前遠坂から借りていた服と同じものだ。
 ただ唯一違うとすれば瞳の色。衛宮士郎と同じ色の瞳。
 ただ瞳の色が違うだけなのに、どこかおとなしそうな、地味な感じを受ける。
 そもそも、外見はセイバーでも中身は俺なんだけどな。

 鏡の中のセイバーはなんとも言えない様な顔で俺を見ている。
 目の前に手を伸ばす。俺の手と鏡の中のセイバーの手が合わさった。
 わかってはいたけれど鏡で確認なんてしなかったから実感できなかった。
 向き合ってしまうと、俺は今になってようやくセイバーになってしまったのだと実感してしまう。
 俺がセイバーになってしまったのなら、それじゃあ、本当のセイバーはどこにいってしまったんだ?
 アーチャーとして俺がここに存在してしまっているってことは…………?

「何してるの。それじゃ、そろそろ行くわよ。」

 そう言うなり凛はすたすたと出て行ってしまう。

 ……はぁ、どうやら考え事をしている暇はないらしい。
 とりあえず、俺自身のことは一段落ついてからゆっくり考えよう。

 マイペースなマスターに苦笑いしつつ、俺も用意されたローファーを履いてその後ろについていく。

 どうでもいいけどスカートって落ち着かないんだな。
 すーすーしてなんだか不便だ。




 なつかしい。何故かそう思った。
 町並みを見て、思わず涙腺が緩んでしまう。
 記憶の中の町と同じ。変わっていないのは当たり前なのだろうけど、それを見ることができるのがとても嬉しかった。
 きょろきょろと周りを見渡しながら、歩き慣れた筈の道を歩いていく。

「そんな珍しいものでもある?」

 凛は微笑んでいた。
 忙しなく見回してたものだから、凛には観光しにきた外国人みたいに見えるのかもしれない。
 凛に向き直ると、視界の端に金色の糸が揺れる。
 そう、なにしろ今の俺は金髪なのだし。

「いえ、そういう訳ではないのですが……」

「古代西欧から見れば区画整理はされているし、町並み自体が珍しいのかもしれないけどね。
 サーヴァントは呼び出される時代を知っているって聞いたけど、あくまで知識に過ぎないってことかしら」

 そうして自己完結。
 凛、頼むから勝手に早とちりするのはやめてくれ。
 突っ込まれても困るけど。




 深山町周辺を回り、凛がチェックしていく。
 ある程度歩き回った所で昼になった。
 大通りに出て昼食を摂るために有名なファーストフード店に入る。
 正直、俺としてはここで食べるのは不満があるが、
 「食費が……」という凛の呟きを聞いて、異議を唱えるほど命知らずではなかった。

 トレイを店内の座席に置いて、椅子に座る。
 注目を集めないようにと端の席を選んだのに、なんだか周りの視線を集めている気がする。

「あの、凛。なんだか私たち、注目を集めていませんか?」

「……なに、アーチャー。貴女、気付いていなかったの?」

 何だろう?

 ――――ああ。そうか。
 確かに冬木の町に外国人というのは珍しいからなぁ。
 しかも金髪というのは尚更目立つのだろう。納得がいった。

「……たしかにこの金髪は目立ってしまう。なんとかならないものでしょうか?」

「ま、まぁ、確かにそれもあるんだろうけどね」

「? 他に何があるのですか」

「いい? アーチャー、わかってないみたいだからはっきり言ってあげる」

「はぁ……」


「貴女、可愛いのよ」


「へ?」

 自分の周りだけ時間の流れが止まる。
 何を言われたのか理解しようとしたが、瞬間的に脳が拒否反応を起こした。

「端正な顔立ちの上に外国人、加えて私。そんな年頃の二人が連れ添いなしでいるのだから、男子連中の注目の的でしょうね」

「あ、うん。そうだった」

 素に戻る。
 口調にかかる魔力束縛すら無視。

 そうだった。 今の俺はセイバーだったんだ。
 いや、セイバーであることを忘れていたわけじゃなくて、その容貌を失念していただけだ。
 確かに、その、セイバーは可愛いし、な。
 自分がセイバーになってから顔を見る機会なんてあんまりなかったから、どうにも自分だという実感がつかない。
 衛宮士郎だった頃に、衆目を意識するような機会なんてなかったものだから。

「ま、それはそれでいいわ。どうにもならないし。見られるのは戴けないけどね。
 さて、この後は新都のほうでも回ってみましょうか」

 そういって凛はストローを咥えて音を立ててジュースを飲み、俺は考える。

 ……正直な所これからのことを考えるとかなり心苦しい。
 だって今の俺は多くのマスターの居場所を既に把握しているのだから。


 セイバーのマスターは俺。いや、この世界の衛宮士郎。
 召喚する順序として衛宮士郎が七人目で最後だったのだから、最後に残るクラスセイバーは衛宮士郎に呼び出される筈だ。

 アーチャーのマスターは遠坂凛。そしてそのアーチャーは俺自身。
 果たしてあの赤い男の役割を俺が果たせるかどうか。それはわからない。けれど、絶対に遠坂を護ってみせる。

 ランサー。あいつのマスターは結局はっきりしなかった。
 居場所も結局分からずじまい。まぁ、それがわかればマスターも見当つくんだけどさ。

 バーサーカー、マスターはイリヤ。
 町外れの森の中の城に住んでいる。たぶん向こうからやってくるとは思うけど。

 ライダーのマスターは間桐慎二。
 もちろんあいつは自分の家があるから、間桐邸にいるだろう。

 キャスター……あいつは自分のマスターを殺したと言っていた。誰だったのかは結局わからない。
 柳洞寺にいたのはおそらくキャスターだ。慎二の言葉を信じるなら魔女が巣くっている、らしい。
 キャスターは確かに女性だったし、クラスもその実力も魔女と呼ばれて然るものだ。
 マスターも柳洞寺にいたのかもしれない。

 アサシン。マスターは不明。
 でもマスターは柳洞寺内にいる筈だ。
 アサシンは柳洞寺門にくくられていた。マスターを護らねばならないサーヴァントが拠点の防衛に務めているのはおかしい。
 そうなるとキャスターと同盟でも結んでいたのだろう。もしくは、マスターが何らかの方法で二体のサーヴァントを従えているか。


 しかしここで話したりすると士郎がどうなるのか、俺にはわからない。だから迂闊に手が出せない。
 凛と知り合わないために、何も分からないまま殺されてしまう、かも知れない。
 このころの俺はサーヴァントの存在すら知らず、その癖、左手に令呪が浮かんでいたんだから始末に負えない。

 やっぱり当初の目的どおり、凛についていくしかないんだろうなぁ。


 凛は飲み終わったのか、紙のコップをべこべこと鳴らしていた。
 ……行儀が悪いぞ、マスター。





[7933] 二日目【2】
Name: 下屋柚◆26967502 ID:5480aeb6
Date: 2009/04/08 13:36
 その後も色々と歩き回ったのだが、辺りに目ぼしいものは何も無かった。
 唯一、十年前から焼け野原になっている新都の公園で軽い悪寒を覚える。どうやら、この辺りは良くないモノが溜まっている。
 どうやらこのセイバーの身体はそういうモノに敏感らしく、そして衛宮士郎(おれ)としてもあまり長居したい土地ではない。
 その際、凛がマスターの視線らしきものを感じ取ったが、その後色々と歩き回っているうちに視線も消えたようだ。

 そして今、通りを抜けて、ビルが立ち並ぶ開発地区に向かっている。
 ある区画に入るや否や凛も俺も、すぐにその異常に気づく。

「アーチャー、わかる?」

「はい。妙な魔力が流れていますね……」

 進むにつれて魔力の匂いが強くなってくるのを感じ取る。
 セイバーの身体になったからだろうか、魔力の流れを細かく理解できるようになってきた。
 衛宮士郎だった頃は微弱なものは察知することすら出来なかったし、察知できても流れている方向の特定などできなかった。
 前回の時に衛宮士郎だった俺もここの近くにいたけれど、こんな感覚は微塵も感じなかった。

「――――魔力の流れの基点はここね。ついてきて、アーチャー」

 ある高層ビルの前で急に立ち止まって、勝手に入っていく凛。
 確かに魔力はこの建物から流れてきているけど……。
 勝手に入っていいのだろうか、とか、どうでもいいことを考えながらついて行く。

 そういえば凛を屋上で見たのは確かこのビルだったような。
 あの時は情報収集している時だったのかもしれない。もう、確かめる術はないけれど。


 数階上ったところの部屋の前でおもむろにドアを開け放つ。

 魔力の残滓がすごい。ドアを開けた途端に外に流れていく。
 中には清掃員らしき人たちが数人、衰弱し倒れていた。体は痙攣し、全員の意識は刈り取られている。
 見るからに危ない状態だって見て取れた。

「これは……生気がほとんど残って無いわ。吸い取られたのね」

「――――くっ」

 こんなことができるのはキャスターだろう。
 俺は二度も、この人たちの危機を見過ごしてしまったのか……。

「アーチャー、他のサーヴァントの気配はある?」

「いえ、この付近では感じません」

「そう」


「……凛、この人たちはどうするのですか?」

 じっ、と凛を見つめる。
 まさか凛が放って置くなんてこと、することはないだろうけど。

「しょうがないから応急処置ぐらいはしてあげるわよ」

 そう言いながら、凛は腕まくりをする。
 危険だと思われる人から、魔術による救急の処置を行っていった。






 一通り処置を終えた後、救急車を呼んでおいた。もういくらもしないうちに到着するだろう。
 処置に結構時間が掛かってしまい、外はすっかり暮れていた。

「――――ふう。それじゃ屋上に行きましょう」

「屋上? 何かあるのですか?」

「高い所から見れば魔力の流れが読みやすいでしょう」

「なるほど」

 数階上って、屋上に入るドアの前で凛は立ち止まった。
 ノブにかかっている錠を指差して、開錠の魔術を唱えることなく完全に立ち尽くす。

「アーチャー、これ、お願い」

 言わんとするところにはすぐ気がついた。
 あまり気は進まないけど、ここで出来ることの確認しといた方がいいかもしれない。

 頭に呼び起こすのは宝具でもない、概念武装も施していない凡庸な短剣。

「――――ふっ!」

 右手をノブに向かって振り下ろし、インパクトの瞬間に短剣を投影し、すぐに消す。

 がこん、と重たい音が階段に響いた。
 錠の部分に線が入り、断ち切られる。
 これで開く筈だ。ただ、もう施錠できないから扉ごと買い換えなきゃいけないだろうけど。

 うん。それにしてもなかなか、というかかなり投影の調子がいいみたいだ。
 魔術回路も以前とは比べ物にならないほど上手く回る。
 よほどのものじゃなければ軽く組み上げられる自信が出てくるほどに。



 屋上に出る。

 地面から離れている所為か風が強い。
 結んであるとはいえ、長い髪がはためいていて少し邪魔だ。

 前回はこの下で俺が凛のことを見かけたのだったか。
 一応、士郎から俺の姿は見えないようにしたほうがいいだろうな。

 そう判断し、凛から三歩ほど下がったところで待機する。
 傍から見れば主人と従者の立ち位置になっているだろう。

「駄目ね。さっきの部屋には魔力の残滓が強く残ってたのに」

「そのようですね。完全にこの建物で途切れているようです」

 上空だからか、下を歩いていた時よりも強く風が吹いている。
 凛と俺は黙って街を見渡すが、何の変化もない。

「ところでアーチャー。何故そんな離れたところにいるの? こっちに来ればいいじゃない」

「下の人が見たらこんなところに立ってるのは不審に思うのでは」

「地面から何メートルあると思ってるの? 下からなんて見えるわけないじゃない」

 そういって屋上の縁まで歩んでいく凛。
 結構な高さだというのに身を乗り出して下を覗き込む。

「えっ? 衛宮、士郎――――?」

「どうしたのですか?」

 やはり俺がこのビルを見上げ、遠坂を見かけたのは今日だったのだろう。

「いや、知ってるやつがいたんだけど……。まさかあっちからは見えてないでしょうし」

 いうや否や黙ってしまう。
 眉間に皺を寄せ、覗き込んでいたほうを睨み付ける凛。

 ……何か考え事をしているようだけど、いつまでもここに居てもよろしくないだろう。
 この高さにもなると風が強い。体感温度が何度下がっていることか。夏ならともかく二月では寒いだけだ。

「凛、体は大丈夫ですか? 寒さの所為か、顔が赤くなってますよ」

「え、そう?」

 別にあんまり寒くはないんだけど、と言いながら凛は自分の頬を両手でこする。

「しかしここは風が強い。これ以上の用がないなら帰ることをお薦めします」

「――そうね。それじゃあ今日は戻るわよ」

 言うが、歩き出すこともせずに顎の下に手を当てて黙ってしまった。
 その様子を見て、俺も進みかけた足を寸前で止める。

「凛?」

「……下は救急車とか警察でいっぱいよね。どうしようか…………」

 ――――凛って変なところでポカするんだよな。
 しかも要所要所で起こってるようだし。

 ふむ。
 体には魔力が有り得ない程に溢れている上に、凛からの魔力供給もある。
 前にセイバーがライダーと戦ったときにビルを駆け上っていたから降りる分も問題ない、と思う。
 階段で上ってこれたから、上った三階の窓から飛び降りても大丈夫だろう、と言ってるようなものかもしれないけどさ。

 ……それでもセイバーの身体能力に更に魔力を使えば、凛をカバーしながら飛び降りても大丈夫だろう、というのは変わらない。
 召喚の時過ぎったセイバーの経験からきているものなのかはわからないけど、出来てしまうような気がするのだ。

「凛、ここから飛びましょう。私がサポートします」

「それじゃ、お願いね」

 凛が躊躇もせずに勢いつけて飛び出す。俺もそれに習って凛を支えながら落下していった。
 抱え込みながら、着地前に魔力を噴出、スピードを殺して無事に地上に降り立つ。

 ……出来てしまった。いや、出来なければ今頃どうなっていたかわからないのだけれど。






「凛、夕食はどうするのですか?」

 帰り道一番心配だったことを尋ねてみる。
 どうしても食事時になると、思考の半分くらいがそちらに回される。

「そうね。アーチャー、あなた料理は作れるの?」

 作れる。けど、生憎和食が中心なんだよな。西欧の王様が和食作れたら絶対に不審だろうし。
 洋食は桜に習ったレシピも合わせればいくらかはあるけど、どうにも心許ない。

「簡単なものなら大抵作れますが、手の込んだものは書物を見ないと……」

「それじゃあ今日は私が作るわ。料理するの交代制っていうのはどう?
 貴女も食べるんだから構わないでしょ?」

「わかりました。任せてください」

「そうね。今朝のスクランブルエッグを見る限りじゃなんとも言えないけど、全く出来ないってわけでもなさそうだし、ね」

 言うなり挑発的な視線を投げかける凛。

 何にも出来ない王様だと思って舐めてるな。そこまで言うなら度肝を抜いてやる。
 凛の腕前はわかってるし、上手いのも認める。けど、こと料理に関してはそう簡単に負けてやらないんだからな。

 冷蔵庫に何もなかったのを思い出し、商店街に向かう。
 時間が時間なので、タイムセールが狙える筈。食材が安く買えるだろう。




「……っ! 美味しい……」

「そ。喜んでもらえて作った側としても嬉しいわ」

 思わず口をついて出た言葉に、凛がニヤニヤ笑いながらこっちをみる。

 今日の夕飯はチンジャオロースと、卵とネギの中華スープにレタスを使った炒飯だ。
 凛は中華で攻めてきた。
 この献立ははっきりいってそれほど難しいものではない。むしろ和食中心の自分でもレシピを見ずに作れるくらいだ。
 だが食べてみるととても新鮮で斬新な味に思える。
 以前、遠坂――呼び名が混ざって混乱するので前の世界の遠坂凛を遠坂と呼ぶことにする――が作ったことがあったのに、だ。
 セイバーが食いしん坊になるのも分かる気がする。セイバーの舌にとって革命だったのだろう。現代の食生活は。
 どうりで今朝食べた、ただのトーストが非常に美味しくいただけたわけだ。




 食べ終え、洗い物をしてる凛の終わりを見計らって紅茶を入れる。
 ソファーに座る凛に紅茶をソーサーごと手渡す。

「ありがとう」

 自分の分の紅茶を持って凛の対面のソファーに腰を下ろす。
 お互いの前に置かれた紅茶が湯気を上げている。

「ところでアーチャー、訊いておきたいことがあるのだけれど。
 貴女、アーチャーのクラスを冠しているってことは、飛び道具があるの?」

「飛び道具ですか……試したことはありませんが、出来るのかもしれませんし、出来ないかもしれません」

「出来る? あるとかないとかじゃなくて?」

「はい。私が持っている力の使い方を変えれば、ってことです」

 それはもちろん投影魔術のことだ。
 セイバーになって、さっき短剣を投影してから思いついた方法である。
 まぁ、ただ単に剣を自分の手の中に発現させるのではなく、相手に向かって射出するというものだったが。
 衛宮士郎のころはひとつのものを投影するのに時間が掛かりすぎるから出来なかった手段だ。

 ……あとは『風王結界(インビジブルエア)』なら遠距離攻撃もできるみたいだけど。
 開放時の一回しか使えない上に飛び道具というほど射程があるわけでもないので、やっぱり『飛び道具』としては使えない気がする。

「ま、出来るかどうかわからないことは算段に入れちゃ駄目よね……。そうなるとやっぱり接近戦主体になるわけ?」

「はい」

「あとは……あなたの武器見せてもらってもいいかしら?」

 武器……。
 さて、投影魔術はこの後に士郎と接触する時、色々と拙いことになりそうだからぺらぺらと話すことは出来そうにない。
 もちろんだが、さっきの手段も使えるか使えないかは別にして、ばれる覚悟でなきゃ使えないってことになる。
 あとはセイバーの『風王結界(インビジブルエア)』と『約束された勝利の剣(エクスカリバー)』なんだけど。

 使えるのだろうか? っていうかそれ以前に出せるのだろうか?
 『約束された勝利の剣(エクスカリバー)』だけならば、最悪のところ投影魔術で代用が利くかもしれない。けど、『風王結界(インビジブルエア)』はわからない。
 なにせ、投影しようにも剣じゃないようで、どちらかというと魔術のようだし。

 セイバーの体だから顕現できないはずはない、と思うんだけど。

「それではちょっと出してみます」

 念のために戦闘武装しておく。
 臨戦態勢であるこちらの姿の方が、剣のイメージを喚起しやすい。

 精神を集中させて剣を思い描いてみる。
 投影魔術と工程が同じだけど、現界させるにはこれで間違っていないらしい。

「……出せた」

「へ? 何もないけど何か出たの?
 何かある、っていうのは感覚的にはわかるんだけど」

 確かに視えてはいないけど確実に此処に在る。
 両手で握っている剣は確かな質感と重量を持っていた。

「視えないとは思いますが確かにこの手に存在します。何か切っても大丈夫なものはありませんか?」

「ちょっと待ってて」

 そういうと凛は部屋から出て行き、右手に分厚い電話帳を持って戻ってきた。

「これでいい?」

「構いません。それではこちらに放ってください。」

 山なりに投げられる電話帳。それを真っ二つに叩き切る。
 落ちる前に三、四と返す刀で切り返す。ばらばらになった電話帳は、ばさばさばさ、と音を立てて床に落ちた。

「……へぇ。すごいものね。切れ味もそうだけど、存在感がね。
 そこらにある刃物と比べるのがおこがましいくらい。ちなみにどれくらいまで刃があるの?」

「そうですね、ええと……」

 ――――同調、開始。

 ――――解析終了。


 なるほど、おおよそ90センチってところか。
 手と手を大まかに開いてみる。だいたいこのくらいだろうか?

「ふーん。視えないっていうのはどういう原理なのかしら?」

 それはたぶん俺に問いかけたものではなく、自問するように呟いたものだったと思う。
 そうしてしばらく神妙な顔をしたまま考え込んでいる。

 俺は紅茶に口をつけ、凛が口を開くのをただ待つ。

「見る限りじゃ接近戦だと敵なしってところかしら。
 ま、私も護身術程度の心得はあるけど、あなたの実力を量れるほどじゃないからなんともいえない。
 でもその見えない剣があるなら、接近戦においてすごいアドバンテージがあるわね。
 アーサー王という真名と、あなたから感じる魔力の量からいって最強って言ってもいいんじゃない?」

「――――凛、過信は禁物です」

 たしかに剣の経験に共感し読み取れば、擬似的にだけどセイバーと同じ動きができる。
 だけど、いかんせん俺自体はセイバー流剣術はまだまだ見習いレベル。身体能力が高いからイコールで強い、とはいかないだろう。

 ―――それに、バーサーカーとギルガメッシュ。
 あいつらと一対一で戦うなんてセイバーの体でも無謀としか思えない。
 単純に力という点ではヘラクレスに比ぶべくも無い。
 ギルガメッシュも前回は全魔力を動員してなんとか相殺まで持っていけたけれど、次も同じことが出来るとは限らない。

「アーチャー、謙遜?」

「いえ、敵のサーヴァントがわからない以上、慢心は戒めるべきだと」

「そうね。まだ始まったばかりだし。
 とりあえずあなたの戦闘手段もわかったことだし、戦闘に関しては一考してみるわ」

「お願いします」

「それじゃ、明日も情報収集をするつもりだから早めに寝ましょう」

「わかりました」

 一応、話は終わったようだ。
 背もたれに身体を預け、残った紅茶を飲み切る。

 なんだか疲れた。
 サーヴァントなのだから寝なくても大丈夫だとは思うけど、肉体よりも精神が疲弊してしまっている。
 脳が整理のために休息を欲しがっているのか、とても眠い。




「そういえばお風呂どうする?」

「え?」

「今日はシャワーでいい?」

「……ぁ」

 忘れていた……。
 ついでに眠気は吹き飛び、完膚なきまでに目は覚めた。

 どうする!? どうする!? どうしよう!?
 着替えの時はなんとか自制できたけど……風呂はまずい。

 ……色々触るし。その……色々。
 だって、洗うもんな。体。それはしょうがない。しょうがない、よなぁ。

 確かにしょうがないんだけど、でも。

「凛、お風呂はいいです。今日はやめておきます」

 問題の先送りだと思うけど、とりあえず今は心の平穏を優先して保たねば。

「駄~目っ! あんたも私も外を歩き回ったでしょう」

 凛は腰に手を当て、どうにもお冠の様子。
 何故そんなに風呂に入れたがるのか。

「その点は全く問題ありません。ええ、これでもかというほどに」

「それは答えになってないわ、アーチャー。入らないならうちの敷地はまたがせないわよ?」

「そ、そんなっ、凛! 私に死ねというのかっ!?」

 自分が何を口走っているのかわからなくなってきた。
 混乱、ここに極まれり。自分がここに召喚された時よりも、絶対に今この瞬間の方が混乱の度合いが高いだろう。
 わかってしまう自分が悲しい。

「それとも一緒に入りましょうか? 裸の付き合いをして親睦を深めるって言うのも良いかも知れないしね」

 じりじり近寄ってくる凛。
 距離が詰まらないように同じ速度で後ずさりする俺。 

 言っている事は一応の道理が通っているのだけれど、ただそれにしては目がエロ親父と大差ないのが……。
 ていうか、ウネウネ動くその手の動きは何だ!?  いったい俺に何をしようって言うんだっ!?

 どうやら凛はあちらの世界の住人らしい。
 凛との現実の距離は変わらないが、心の距離が果てしなく開いた気がしてならない。

「ひ、ひとりで入りますっ!!」

 隙をみてセイバーの身体能力をフルに使ってバスルームに高速移動。
 閉めた扉の奥から「チッ!」という舌打ちが聞こえたのは気のせいであって欲しい。



 どういうわけなのか、風呂に入っている間、意識が曖昧だった。
 事実として、俺の男としての砦は完全に劣勢だってことだけは間違えようがないようだった。





[7933] 三日目【1】
Name: 下屋柚◆26967502 ID:5480aeb6
Date: 2009/04/08 13:56
 身の危険をひしひしと感じた夜が過ぎ去った。サーヴァントとして警戒していたとか、そういった真面目な理由とは残念ながら違う。

 こんなに疲弊した原因のひとつは、マスターである凛だ。
 昨夜、俺が入浴中に何かと理由をつけて風呂場の扉を開けようとしてきた。
 曰く、置いてあるものの使い方はわかるか。その髪は何か手入れをしているのか。スリーサイズはいくつなのか。何か不便はないか。……

 凛は、現代の風呂周りがわからないだろうと気を使ってくれていたのだろう。投げかけられた言葉に、風呂と無関係なものが混ざっていたとしてもそういうことにしておきたい。
 純粋な親切心だとしても、女の人に、女の子の体を洗っているところを見られるのは流石に御免被りたい。その女の子の体が、どういう因果か今は自分の体になってしまっているけどさ。
 そういうわけで入浴していた間は意識を張り、直感を最大限に働かせてなんとか事前に察知。そして何を問いかけられてもひたすらに「大丈夫です」「問題ありません」を連呼していた。
 お陰で何とか風呂場の扉は閉め切ったまま、事無きを得ることが出来た。

 夜中もそう、霊体になれないから寝るしかないんだけど、深くは眠れなかった。物音がするたびに飛び起きてしまう。
 何度か繰り返していると、今度は完全に眠れなくなっていた。そのまま眠気もないのに布団に潜っていると、有体もないことばかりが浮かんでくる。

 例えば、昨夜のうねうねと動いていた手。凛の手。
 時間潰しがてら、本当に凛はノーマルなのだろうか、と考えていた。親切心だけじゃあの時のエロ親父のような目つきは説明がつかない気がする。
 もし凛にそちらの気があったらどうするべきなのか。この体はセイバーのものなのだから易々と凛の手を許すわけにはいかない。
 ……そういえば、先ほどから聞こえてくる物音は俺以外のもの。この屋敷には凛と俺しかいないのだから、自然と凛が立てた音だと思う。となるとトイレにでも行っているのだろうか。
 今思えば俺、召喚されてからまだトイレには行っていない。飲み食いしていた割には、アーチャーになってからそっちの生理現象を覚えたことはない。
 おそらく食事を摂らなくていいのと同じように、トイレに行く必要もないのだろう。戦闘を目的としたサーヴァントなのだからそういった機能は省かれてしまっているのかもしれない。
 セイバーも同じだったと考えるとなんだか酷く寂しいけれど、今の俺は正直助かっている。そんな場面を想像しただけで赤面してしまう。
 実際にセイバーの体でトイレなんて行こうものなら、どうなるかわかったものじゃない。

 …………そんなことを延々と考えていたものだから、朝を迎える頃には精神がとてつもなく磨耗していた。



 それはそれとして、朝食を作り始めなくては。
 作ることは構わないんだけど、問題は何を作るかだ。なにせ得意の和食が作れない。
 セイバーの見た目から、作れるものは洋食以外にはない。けれど、朝なのであまり油っ気が強いものは胃が受け付けないだろうし。
 豊富とはいえない洋食のレパートリーを思い出し、吟味する。

 ……よし。今朝はフレンチトーストとカフェオレでいこう。
 セイバーがいる時代にはもちろんなかっただろうけど、和食を作るよりはマシだろう。
 かなり簡単だけど、あんまり重いものを作っても凛が食べられないかもしれない。
 もっと凝った料理が作りたいんだけど、とりあえずはこれで満足しておこう。


 食事の配膳をしていると、凛が起きた気配がする。
 その数分後、昨日と同じように髪の毛ぼさぼさで現れた。女同士と安心しているのか、今回はパジャマ姿での登場だ。
 色っぽいと言っていいのか、なんというのか。

「アーチャー、牛乳とって」

「どうぞ」

 昨日もしたように牛乳をコップに注ぎ、渡す。
 凛はそれをグイッ、と一気に飲み干すと、半目のまま歩いて洗面所に向かっていった。



 食事が終わり、洗い物も終える。
 テーブルには二組のティーセット。カップの中から紅茶がゆらゆらと湯気と香りを上げている。
 紅茶は慣れないながら、俺が淹れたものだ。凛が言うには「まぁ及第点ね」だそうである。
 しっかりと手順は踏んであるけれど、温度が違うようだ。ついつい緑茶のように扱ってしまうな。

 さて、今日も情報収集に出ると言っていたので、出かけるまでソファーに座って『世界の儀礼宝剣』なる本を読む。
 名前の通り、中身は儀礼的なものが多く、名前の割には英霊が使えそうな宝具(宝剣)のようなものはどこにもない。
 だからといってつまらないかというとそうではなくて、元々剣を見るのが好きな俺としては色々と思うところがある。
 まぁ、でも写真を見ただけでは何だか盛り上がらないっていうのが本音なのだけれど。

「アーチャー、そろそろ行くわよ」

 一息つこうとカップに口をつけたところで凛から声がかかる。
 見れば凛は既に紅茶の入っていたカップを片つけて、かけてあるコートを手に取ろうとしているところだった。

「わかりました」

 俺は片手でパタンと本を閉じ、返事をしてから口をつけていた紅茶を飲み干す。
 本を本棚の元の場所に戻すため、俺もソファーから立ち上がった。



 街中を練り歩く。
 昨日は寄らなかった町外れのほうまで出てみるがマスターの影も形もなく、結局徒労に終わることになる。

 俺はその間、今後のことについて考えていた。

 果たして、セイバーは呼び出されるのだろうか。
 ――――もし呼び出されるのだとしたら、今度こそ守りたい。

 今度こそは彼女を死なせたくない。これは、願いじゃない。誓いだ。
 一度は果たせなかった。今でもそのことを想うと胸が痛む。体中が後悔で一杯になり、心がずたずたになる。

 もしかしたら今回は助けられるかもしれない。
 いや、助けられるかも、じゃない。助けるんだ。

 そこで、さし当たっての問題はサーヴァント戦になる。
 凛の話によると、近戦闘では手助け自体が邪魔になってしまう場合もあるらしい。
 ということはやはり一対一になるのだろう。

 目下としては、俺が校庭で見かけたランサーだ。
 単純な能力ならひけはとっていない、と思う。ならば、残るは俺の技量次第。

 しっかりと対処を考えなければいけないのは、土蔵の前で見たランサーの宝具、『刺し穿つ死棘の槍(ゲイ・ボルク)』。
 あれはセイバーの身体能力を持ってしてもかわすことができないものだ。因果律を操作し、当たるという事実が先に作られ、結果に沿う様過程が修正されている。
 つまり、かわすには素早く動けること、ましてや対槍の技術が重要なんじゃない。必要とされるのは【因果を覆すほどの要因】か、すさまじい【幸運】だ。
 この体は確かにセイバーのものだから、対魔力や神がかり的な直感などは備わっているだろう。
 だけど今の俺の【幸運】の部分に関してはわからない。衛宮士郎は、決して運がいいということはなかった。
 じゃなきゃ一日に二度も殺されそうになったりなんてしないだろう。

 本物のセイバーでさえ、直感と運を駆使してあの怪我に抑えたのだ。そう考えると俺がかわせるとは思えない。
 いや、セイバーと同じ程度の怪我に抑える、それすらも見上げるほどにハードルが高い。

 『ゲイボルク』を使われたらどうしようもない。
 使われる前に戦闘を終わらせるか、因果を覆せそうな要因――俺の持っている手札では唯一だろう『エクスカリバー』で、一か八か迎撃を試みるしか俺に選べる選択肢はない。
 凛と俺、二人分の命を掛け金にするには、どう考えても分が悪い。






 帰り際に学校の近くに寄る。
 特に重点的に見て回るつもりはなかった。そもそも、帰り道に付近を通ったからついでに見に来ただけだ。
 しかし、何気なく寄ったこの学校で、今日唯一といっていい手がかりと遭遇することになる。

「どうもここに結界を作ろうとしてるやつがいるみたいね」

 無言で凛の言葉に頷いた。確かに学校全体に魔力の”淀み”のようなものを感じとれる。
 完成はしていないのか、淀みはあるが周りから吸い上げているということではないようだ。


 魔力を同調させて分析しようとするが、サーヴァントの気配が感じられたのですぐに淀みを無視して向き直る。
 そちらに目を向けると、どんどん気配が濃くなっているのがわかる。
 相当なスピードで近づいているのだろう。これは相手側も俺に気づいたとみて間違いない。

 凛は俺から相槌がないのに気がついて、何事かと俺の顔を見て読み取ろうとしている。

「サーヴァントがすごい勢いでこちらに向かってきています。あと数十秒で接触というところでしょう。
 結界のことは後程。とりあえずはサーヴァントを!」

「そこの学校に入って! もう下校時間は過ぎてるから少なくとも生徒はいない筈!」

「わかりました! 失礼します」

 凛を抱えて、一足で敷地を隔てる塀を乗り越えた。



 広い場所の方が戦いやすいだろうとそのまま校庭まで移動すると、十数秒ほど遅れて蒼い男が跳んでくる。
 目の前数メートルに立つそいつは、いつの間にか赤い槍を右手に持っていた。

「ランサー……」

 口の中で呟く。
 同時に、『風王結界(インビジブルエア)』を手に顕現させた。
 出来るだけ自然に、徒手空拳であるように見せかける。

 凛を背に庇う様に立ち塞がり、ランサーと対峙する。 

「はん、こりゃ可愛い嬢ちゃんたちだ」

 ランサーは威圧感をそのままに、軽い口調で話しかけてくる。その間も、じり、と距離を測りながら隙を探すが糸口も掴めない。
 自然体でいながら、隙はない。――これが、英雄と呼ばれる者。セイバーの身を借りて、ようやく彼の持つ強さを知ることができる。

「何用だ? ランサー」

「こっちのクラスはバレバレか。ま、槍持ってちゃ仕方がねえな。
 ……マスターからの命令でな。全てのサーヴァントと闘ってこいってさ。いわば偵察だ」

 肩をすくめ、演技くさい仕草でやれやれ、と首を振るランサー。
 赤い槍を肩に担ぎ、気だるそうに俺を見た。

「……それではここで決着をつける気はないんだな?」

「いーや、それとこれとは話が別だ。俺は強いヤツと闘いたくてサーヴァントになったようなもんだからな。
 そっちも戦闘目的で歩き回ってたわけじゃなさそうだが、あきらめろ。何が何でも相手をしてもらうぜ」

 偵察に来たのなら総合的に及ばなくても、なんとか戦力的に拮抗すれば撤退してくれるのだが。
 相手が本気で来るというなら、実力で撃退するまでランサーは撤退してくれないだろう。

「――――そうか、仕方がない。やる気ならば、そちらから掛かってきてくれないか?」

 俺はそう、ランサーに向かってぶっきらぼうに言い捨てた。
 それを受け、ランサーは表情をがらりと変えて俺を睨み付ける。その形相に一瞬、体が硬直してしまった。

「……サーヴァントと殺り合おうってのに無手のままとは。てめえ、舐めているのか?
 得物を出す間ぐらいは待ってやる。さっさと構えろ」

 暴力的な殺気を叩きつけられる。思わず、喉が上下する。
 背後にいる凛も、心なしか震えているようだ。

 落ち着け、冷静になれ。衛宮士郎。
 本質的な技量で負けている分、相手をなんとか乱さなければ俺の実力では勝ち目は薄い。
 効果があるかどうかはわからない。それでも、出来ることはしておかないと。

「かかって来いと言っているだろう。貴様こそ殺り合おうという場になって、試合でもするつもりなのか?」

 俺の言葉遣いがアーチャー――俺ではなく、前の世界のアイツのようだ。危機を目の前にして、精神的に魔術束縛を上回っているんだろう。
 それにしても挑発しようとすると口調がアイツそっくりになってしまう。あまり気分はよくないが、今はそんなことを考えている場合じゃない。

「――――ああ、そうかい。久しぶりに頭に来たぜ。いいだろう、殺してやる」

 指向性のなかった殺気が俺に向けて集中する。
 心を強く持って殺気に対抗する。

 殺気を感じ、その重圧に耐えるのは、体ではなく感覚――精神だ。
 肉体はともかく、精神的には常人に毛が生えた程度。俺はちょっと前まで英霊でもなんでもない魔術使い、しかもそれすら半人前だったんだ。
 もちろん、いくつかの修羅場は潜り抜けてきたけどサーヴァントと完全な一対一という状況はなかった。

 ……これがサーヴァントなのか。
 知らずに手に汗を掻く。


 予備動作なしで槍が迫り来る。それはまるで一筋の赤い光。

 速、い……っ!
 芸術的なまでの速さの所為で、槍の軌道が見切れない。
 いや、辛うじて視えてはいるが『衛宮士郎』としての感覚がセイバーの身体能力に追いついてきていない。

 なんとか剣で槍を逸らし、直撃を避けた。
 金属と金属がぶつかり合う甲高い音が校庭に響く。

「チッ! 既に武器は持ってたってことか。舐めてたのは俺のほうだったみたいだな」

「――――っ!」

 そういってランサーは槍を握りなおし、体を前傾させる。
 口元に笑みを浮かべ、実力や得物を読み取らんと視線を俺全体に集中させる。

 考えが甘かった。ランサーは全然熱くなんてなっていない。
 確かに精神的に昂揚しているようだが、戦う者としての意識か、いたって冷静だ。
 俺がやった心理戦なんてまったく意味を持っていなかった。


 槍が迫る。
 何とか槍の横を叩いて、軌道を――――逸らす。

 赤い残像を残して次々と放たれる。
 ひたすら剣で受けに回るが、反撃を返す隙が作れない。

 完全に防戦一方。
 一撃目から空白無しに繰り出される槍。その軌道を逸らすのに精一杯で、相手に言葉を返す余裕もない。
 やっぱり俺の技量では、セイバーの身体能力を引き出しきれていない。

 しかし、相手に俺の底を見せてはいけない。
 顔に苦戦していることを出さないように、なんとか表情を装わないと。

 腹部に迫る一撃に体を入れ替えて回避に回るが、槍が鎧の脇を削る。
 落ち着く間もなく、槍が迫る。必死に逸らすが肩の横を槍が走り、生地が切り裂かれた。

「……っ!」

 くそっ!
 セイバーがランサーと戦っていた時、こんな無様な立ち回りはしなかった!

 彼女は、逸らすんじゃなく槍を弾いていた。
 体を前傾に、槍の軌道を見切って魔力を乗せた一撃で打ち返す。攻め込み、圧倒的な威力で相手から戦いの主導権を奪い取る。
 セイバーの性能を活かした戦い方。だがしかし、それを見様見真似で、しかも一朝一夕で出来る芸当だとは到底思えない。

 …………今の俺じゃ、剣の経験に習って、体に直接覚えさせるしかない。
 エクスカリバーの経験を前面に、剣の動きを束縛しないように心がける。

「はっ!」

 セイバーにこそ劣るが、それとほぼ同じ動きでランサーの槍を弾き返す。
 大きく弾かれ、後方に流れかけた槍を契機にランサーは一足下がり、ひゅう、と口笛を吹いた。

「ほお、その得物はおそらく剣だな?
 長さなんぞの正確な判断がつかねえけどな。……貴様、セイバーか?」

 ……得物が読まれてしまったが、仕方ない。形振りを構っていれば乗り切れなかった。
 槍を逸らした時にこちらの武器の幅は読まれ、最後にランサーを弾いた一撃も経験通りに槍を剣の中ほどで打ったものだから、他の武器の可能性が消えたのだろう。
 『武器が視えない』というアドヴァンテージが早々に消えようとしている。驚くべきはあの速度で槍を振るいながら、こちらの戦力を測っていたことか。
 ということは、ランサーの本当の実力はこんなものじゃないのだろう。まだまだ底がある筈だ。じりじりと精神が緊迫していく。

「さて、どうだろうな。
 セイバーかもしれないし、そうじゃないかもしれない」

 ランサーの実力に戦慄しながらも、それでも軽口を叩く。
 衛宮士郎としては実力以上、驚嘆するほどの結果を出せているが限界と感づかせては駄目だ。
 知られればランサーは偵察の必要もないと、ここで俺と凛は倒れることになるかもしれない。

「いまさら隠したところでしょうがねえだろうが。
 得物が剣で、その体捌き。その戦闘技術を持っていてセイバーじゃなかったらなんだってんだ?」

「……ふっ。アーチャー、だったりしてな」

「――はっ。そりゃあ、笑えねえ冗談だっ!!」

 言うなりランサーは残像を残しながら、飛び込んでくる。
 槍も更に速度が上がり、最早その軌道は線というより点。
 しかし、セイバーもどきの動きでも偵察目的で槍を振るうランサーなら抑えることはできる。

 衛宮士郎の体ならばともかく、
 ――――この体は元々セイバーのものなのだから。

 瀑布の如き攻撃を逸らし、いなし、弾く。
 狙いの甘いもの――おそらく目くらましの弾幕――は半身ずらして回避する。

 剣の反応に体が応え、自然に動く。
 この体捌きを覚えているかのように、全身が活性化していくのがわかる。

 先ほどの劣勢が嘘のように盛り返していく。攻める側は全て攻撃を封じられ、受け側が圧倒していく。
 ランサーも手数で勝負するが、こちらはそれを先回りし、それらを叩き落す。
 体が面白いほどに動く。さっきは逸らすだけで精一杯だったものが、今は槍を避け、打ち落としながらも前進できる。


 だが、こちらとしても手詰まりだった。
 経験に頼れるのは防御の時のみ、自分が攻撃に転じたらそれは意味をなくしてしまう。
 剣は持ち手である俺に迫ってくるものに反応して打ち返してくれるだけ。
 簡潔に言うと、受けるのはセイバーを模倣した技術であり、攻めるのは衛宮士郎の付け焼刃の技術ということだ。
 今俺に出来ることは、セイバーの動きをできるだけ自分の物にすること。

 ――ひたすら受け手に回り、ランサーの攻撃を無効化することに専念する。



 しばらくの膠着の後、このままでは埒が明かないと判断したのか。
 ランサーは数十メートルほど後退し、この付近一帯から魔力を枯渇させるが如く急速に吸い取っていく。

「セイバー、貴様。手を抜いていたな? 口惜しいが、今の攻防を見る限り貴様の方が一枚、上。
 手の内を隠すつもりだったのかも知れんが
 ―――この俺相手にその慢心、命につながることを身を持って知らせてやろう」

 『刺し穿つ死棘の槍(ゲイ・ボルク)』か!

 直ぐ様、俺も『約束された勝利の剣(エクスカリバー)』を発動するため魔力の充填を始める。
 だが、ランサーは宝具発動に足る魔力充填が終わったようで体を低く構えている。ランサーの周りにすさまじい魔力が纏われ、赤い炎のように揺らぎはじめる。

 駄目だ! 発動に間に合わない!
 必死で体に魔力を充填させていくが、先手を打つどころか迎撃にすら届かない。

 空気が張り詰めていく。準備を終えたランサーは今にも俺に向かって駆けようとして


 ――――――不意に、どこかで微かな呼吸音が聞こえた。


「誰だ―――!」

 ランサーが反射的に向き直る。

 かなり遠くに、走っている人影が見える。
 魔力で強化された視力で人物の特定はできた。

 ――――必死になって走っているのは、士郎。
 過去の、この世界の、衛宮士郎だった。

「ちっ、目撃者を出しちまったか!」

 言うなり、ランサーが弾丸のように士郎に迫る。

「アーチャー、追って!」

「わかりました!」

 凛の声が耳に届く前に、俺はランサーの後を追うべく走り出していた。



 セイバーの身体能力を持ってしても、サーヴァント中最速と呼ばれたランサーに追いつくことは敵わなかった。
 校庭に凛の姿を確認した後、昇降口から校舎に入っていく。

 校舎に入って感じたのは血の匂い。そして、ここから離れていくサーヴァントの気配。
 既に士郎は心臓を貫かれてしまったのだろうか。急いで彼の元に向かう。


 やはり、予想は当たっていた。
 士郎の胸は穿たれていて、傷の割には出血が少ない。

 『刺し穿つ死棘の槍(ゲイ・ボルク)』が持つ呪い。腕を取ると脈こそあるが、血の流れが強制的に止められようとしている。
 このままではもう数分もしないうちに生命活動を停止するだろう……いくら自分だからといって人が殺されたのなら気分が悪い。


 俺は、周りが幸せならそれでよかった。
 だけど第三者として見て初めて、『士郎』が死ぬということに苛立ちを覚える。

 ……俺はこの世界では、衛宮士郎でも、セイバーでもないのだろう。
 アーチャーとして、この世界に呼び出されたサーヴァントとして。
 士郎を含めたみんなが幸せであれば、と思う。――そう思う。



「―――っ!」

 少し遅れた凛が追いついて来て、倒れている男の顔を確認して息をのんだ。
 極力それに気づかない様子を装い、凛へと向き直る。

「……凛、どうしますか?」

「あなたはランサーを追って。その先にマスターがいるはずだから!」

「わかりました」

 壁に寄りかかって俯いている男の腕を放す。
 何かこの体と士郎との間につながりでもあるのだろうか。
 お互いの体の中の”なにか”が活性化し、触れた箇所を通して活力が士郎に流れ込んでいく感覚を覚えていた。

 けれど、それを振り切るようにして駆け出した。

 今俺がすべきことは、別にある。
 ランサーの気配が消えていった方向に向かって、未だ見ぬそのマスターを睨み付けていた。





[7933] 三日目【2】
Name: 下屋柚◆26967502 ID:5480aeb6
Date: 2009/04/10 23:05

◆◆◆


 体中が異常を訴え、意識が強制的に覚醒する。
 起きなければならない。そんな意思に従って力を込めるが、全身が泥に埋まっているような倦怠感が枷になり、上体すら中々起こすことが出来なかった。
 随分な体力を使って体を起こし、ゆっくりと目を開けるとそこは薄暗くなった廊下だった。どうやら昼とは全く表情を異なっている、夜の校舎で横たわっていたようだ。

「……何で、こんなところに?」

 力の入らない両足を訝しげに思いつつ、壁に手をついて何とか立ち上がった。
 体中の生命力が消え失せてしまったかのように、倦怠感は五感すらもぼやかして包んでいる。

「――ぅ、ぐ!?」

 そして突然、ぼやけていたものが裏返ったように牙をむき、その中身を串刺しにした。

 体中の血が逆流しているような不快感。内臓ごと搾り出そうとするように、胸に敷き詰まって剥がれない吐き気。
 不意を撃たれて思わず口元に手を当て腰を折ると、自然と地面に広がっているものが目に映る。

「これって……」

 辺りの、一面の床が赤黒く染められていた。
 おびただしい血痕。いや、血痕といっていいのかどうか――そう、正しく血溜まり。
 雨が降った後の道路の水溜まりのように、まるで人が殺されたとでも云うように、廊下には血が溜まっていた。

「――――」

 認識もが反転する。……ああ、そうだ。俺の視界に、この惨状は初めから入っていた。
 誰よりも俺が認めたくなかったのだろう。視界にあっても脳がそうと認識させなかった。
 それを認めてしまえば、今の俺こそが異常になってしまう。だからこそ、都合の悪いその異常を無いものなのだと錯覚させていた。

 けれど、正面から向き合ってしまっては認めないわけにはいかない。
 青い男と赤い小柄な人物。その戦いが急に記憶に残っていた。いや、思い出した。
 赤い方は、よくはわからない。遠目だったのもあるし、その後の強烈な出来事に上から塗り潰されてしまったようだ。
 けれどそれでもあの蒼い奴は、顔も得物もその声も、しっかりと覚えてる。そいつだけは記憶に深く刻まれていた。

 そう。だって俺は、間違いなくあいつに殺されたのだから。


 いつからか、俺は右手を胸に当てていた。
 制服に穴が開いて血だらけになっているが、肉体には傷も、その痕すらも見当たらない。

「俺、本当に……殺された、のか?」

 意識が朦朧としていた。
 酸素が足りない。呼吸が、侭ならない。

 考えがまとまらないまま、雑巾とバケツを教室のロッカーから引っ張り出して、血を拭き取り始める。
 これを何とかしないと、月曜の朝には厄介なことになるかもしれない。そんな場合でもないのに、思考は積極的に逸れたがる。

「は、あ……なんだって……こんな」

 血が落ちない。落ちてくれない。
 現状すらも掴めずにいる苛立ちをぶつけるように、雑巾で床をこする。



 一通り綺麗になったところで雑巾とバケツを片付け、バッグを持って校舎を後にする。

 貫かれたはずの心臓……改めて胸に手を当てる。何事もなかったように、呼吸に合わせて上下している。疼くものの、痛みはほとんどない。
 きちんと機能しているのか、確かめるように深く息を吸い込んでいた。

「があっ! ぐっぅ! げほっ!」

 そして当然のように、大きく咳き込んだ。ずきん、ずきんと大きな痛みが胸を中心に走る。
 胸にこみ上げるものを感じ、抑える間もなく排水溝に吐き出した。

「血だ……」

 ついに足から力が抜け、ふらふらと道端に座り込んでしまう。

 確かに俺は殺された。
 殺されかけたのではなく、『殺された』のだ。
 どうして助かったのか――俺がこうして生きていられるのかはわからない。
 けれど、本来なら俺は死んでいた筈。こうしていられることが異常なのだと、理解していた。

 意識が完全に落ちる前、霞のような不確かな意識だったが、俺の腕をとった手、それと俺の胸に当てられた手だけは覚えている。
 ふたつの異なる暖かさ――おそらくその手の持ち主が、死ぬ運命にあった俺を助けてくれたのだ。

 壁に手をついて立ち上がり、また歩き始める。
 無理をしない程度であれば問題なく動けるが、何かの拍子で嘔吐感がぶり返すとも限らない。
 とりあえずは、家に帰って早々に休むべきだろう。



 一時間強をかけて、やっと家に辿り着いた。 進む速度はいつもの半分ほどだというのに、家に着いた時俺は息を切らせていた。
 件の嘔吐感は時間経過とともにいくらか収まってくれている。体を引き摺るようにして玄関で靴を脱ぎ、のろのろと居間に上がる。

 室内灯もついていない部屋を見ていると、自分がどこに立っているのかわからなくなった。
 いつもは感じないのだが、今日に限って誰もいないこの家が寂しく感じられる。
 心細い。時計の音だけが居間に響いている。時刻は十一時を既に回っていた。
 とりあえず電灯をつけて部屋を明るくすると、気が紛れてくれたことにほっとする。

 改めて自分の体を見渡す。制服は血まみれで、まるで銃で撃ち抜かれたようなひどい状態だ。
 人に見られていたら間違いなく通報されていただろう。

 制服に空いた穴から胸を触る。ドクンドクン、と心臓が拍動しているのが感じられる。
 俺は確かに殺されたはず。蒼い男が放った槍は皮膚を突き破り、心臓をも貫いていた。その痛みは確かに胸に残っている。
 もしあの痛みを伴ったものが夢だとしたら、悪夢なんてものを通り越しているだろう。

「ぐうっ!」

 その状況を思い返すと、また嘔吐感が激しくなっていく。
 精神を集中させて吐き気をゆっくりと抑えていく。

「はあっ! は、あ……はぁ…………ふぅ」

 呼吸を整えながら、なんとか気持ちを落ち着ける。

 ……あいつらはいったいなんだったんだろうか。
 とりあえず人じゃない、と思う。確実にその動きは人の規格から外れている。
 果たして人間が鍛錬を積んでいけば、あんな動きが出来るようになるのだろうか。


 突如、がらんがらん、と鳴り子のような音が家中に響く。
 あまり聞き覚えのない音だが、その意味は知っていた。

「この音っ!」

 親父が家に張った対侵入者の結界の、警報音。
 設置されてはいたものの実際に鳴った試しがなかったそれが、今鳴り響いている。

 悪寒が、背中に張り付いていて離れない。死が、危険が迫っているのだと体が訴えている。
 この人とも知れない気配は、学校で感じたものと全く同じではなかっただろうか。ということは、あの青い男が……?

 どうする。このままでは抵抗も出来ずにやられるだけだ。
 俺に出来るは少ない。その中でも有効な手段として挙げられそうなものは―――強化魔術。
 そうだ。強化した武器でなんとか応戦するしかない。
 しかし、ここは居間。道場ならともかく、都合よく木刀やらなにやら置いてあるような場所ではない。
 包丁などの刃物はいくつかあるのだが、いかんせんリーチが短すぎる。あの槍とやりあうには、せめてそこそこの長さがなければ話にすらならない。

「これしか、ないのか?」

 手にあるのは藤ねえがおいていった自衛隊募集のポスター。
 あまりに頼りない。けど、代替出来そうなものがない今、贅沢は言ってられない。

――――同調、開始

 それは、自身を魔術使いへと切り替える自己暗示。
 ただの紙のポスターに魔力を通す。

「――――構成材質、解明」

 魔力を隅々まで行き渡らせる。
 ポスターを織り成している物質を解析し、全体を把握する。

「――――構成材質、補強」

 構成されている材質の弱点部分を見つけ、魔力を重点的に通す。
 既に彩色されている粘土に絵の具で塗り足すように。

――――全工程、完了



「で……きた」

 それは、親父が死んでから一度も成功しなかった魔術。
 久方ぶりの会心の手応えに、思わず身震いしていた。

 いや、感動しているような場合じゃない。あの男が相手では、強化魔術を施した程度のポスターでは何の脅威にも成りはしないだろう。
 気を抜いて、気がついたら殺されていたなんて洒落にもならない。

「……っ」

 気を引き締め直した直後、居間の空気がいつの間にか変わっていることに気がついた。
 殺気が外から場所を移している。おそらく、今こうして感じているものは、頭上からの――

 考えるより先に咄嗟に身を翻す。


「……チッ! 気づかないうちに殺してやろうと思ったのによ」

 床板を貫く音と共に、俺が今正に退いた場所に赤い槍が突き立った。
 体裁を金繰り捨てて床を転がり、ポスターを構えて一気に立ち上がる。

 するとそこには、いつの間にか青い男が槍を手にして机の上に立っていた。

「まったく。何の因果で同じ人間を二度も殺さなきゃならねえのやら」

 そう、命を奪うという宣言をどうでもいいように呟いて、男は何の気なしに槍を放つ。
 そんな片手間に放たれた一撃は、俺の目に辛うじて視認できる速度で迫りくる。

「つあっ!」

 向かってくる槍の軌道を、ポスターで逸らす。
 室内に高い金属音が鳴り響き、ポスターを握る俺の手に重たい衝撃を与えてくる。
 腕に入れる力の配分を間違えれば、肩から持っていかれるかという威力。

「ほぉ、なんの手品だそりゃ。おもしれえ」

 そんな一撃をこちらにくれた男は、紙の筒なんぞに防がれたことが余程驚きだったらしい。
 打ち合わせた音が消える間も与えずに、次の音が生まれる。

 青い男は槍を『突く』ではなく、『振り回している』。
 狭い室内では長柄の得物は不利だという常識を無視して、家屋に遮られる事なく槍は縦横無尽に振り切られる。
 ぎりぎりのところで振るわれる槍を、鉄と化したポスターは受け止めてくれているが次第にその加圧に耐えられずに折れ曲がっていく。

「……微かだが魔力が感じられるな。コイツに心臓を貫かれても生きていられるってのは、魔術師だったからか」

 獣じみた殺気をぶつけられる。
 気を抜いたら足が笑って使い物にならなくなりそうだ。

 応戦するだなんて、思い違いも甚だしい。
 少しでも腕を振るう速度を上げれば、あの槍は俺を貫いているだろう。そうなっていないのは単に、俺で遊んでやがるからだ。
 アイツは今こうして目にも留まらない速度、達人の如き技を振るっても、本気なんてこれっぽっちも出しちゃいない。

「そら、受けてみろ!」

「くっ!」

 右手に握られたポスターを見て、焦りが増す。鉄と化した筈のものは、たった数合で折れ曲がっていた。
 せめてこのポスターに代わる、武器がなければ。必死で辺りを見回してみても、代わりになりそうなものすらもない。
 土蔵ならば、少なくともポスターよりはいいものがあったはず。




 男が隙を見せたところで意を決し、庭につながるガラス戸を破り、外に飛び出した。
 攻撃を止めていた男は反撃でも受けてやるつもりだったのか、遅れて後ろについてくる。

「いい判断だ。敵わないとわかれば現状を変えにいく。鍛えりゃいい線いったかもしれねぇな」

 赤い槍が、下から迫りくる。ひゅん、と風を切る音は最後まで聞こえない。
 いきなりの縦攻撃に反応し切れず、咄嗟にくの字に曲がったポスターを両手で固定し、受ける。
 振り上げられた槍の勢いは自分の体重を上回り、体はあっけなく宙に投げ出された。



 長い長い滞空時間を経て、背中から土蔵の壁に突っ込んだ。

「があ―――はっ!」

 衝撃に、肺から空気が搾り取られた。呼吸が出来ない。
 思わず咽返り、蹲りそうになる。

 ……けれど、そんなことしている時間もない。
 この体は運良く土蔵に向かって吹き飛んでくれた。扉は目と鼻の先だ。


 苦労して土蔵に滑り込ませる頃には、ランサーはすぐそこに迫っていた。
 繰り出される突きを、最後の抵抗とポスターを広げて、受け止める。

「チェックメイト。魔術師にしてはよくやったと思うぜ? この俺相手によ」

 だが、そこまで。
 貫かれたポスターはただの紙に戻り、槍から抜かれて床へとひらひら舞い落ちる。

「――――っ!」

 武器を探そうにも、男から目を逸らすことが出来ない。
 逸らさずとも男の一撃に俺は反応しきれないだろう。だが逸らしたら最後、その瞬間に俺は絶命する。

「案外、七人目ってのはお前だったのかも知れねえな。…………今となっちゃ、どうでもいいが。
 まぁ、人生二度も死ねるなんて、本当に運がなかったな。坊主」

 ゆっくりとした動作で、男は槍を構える。そんな動作の間も、俺は動くことが出来なかった。


 俺は……また、こんなに簡単に死ぬのか。
 助けられたからには、生きる義務を果たさなければならないっていうのに。


 槍は迫る。狙いはこの心臓。
 既に一度見た光景。そしてその結末も身を持って知っている。

 ゆっくりと、視界がスローモーションになる。


 日に、二度も殺される。殺されて。助けてもらって、また殺される。

 そんな莫迦なことがあっていいものか。
 どんな事情があったとしても、人を殺していいなんてことはないだろう!


 だから俺は絶対に、お前なんかに殺されてやるものか―――!




 ……槍がこの胸を貫こうとしたその時、地面からあふれ出た光が土蔵を照らす。
 その光の中、金属がぶつかり合う音がした。胸に迫る槍は確かに弾かれていた。





[7933] 三日目【3】
Name: 下屋柚◆26967502 ID:5480aeb6
Date: 2009/04/11 10:10



「えっ?」

 知らず、声が漏れていた。
 あの窮地を傷ひとつなく脱することが出来ている今この時を、何より俺が信じることが出来ずにいた。


「―――まさか本当に、七人目だったのか!?」

 光の中から目の前に躍り出た人影。それは現れると同時に俺に迫る槍を撃ち落とし、返すように青い男に向かって何かを振り下ろした。
 切羽詰ったように声を上げながらも、男はなんとか両手に握る槍でそれを受ける。だが、その尋常ではない衝撃を殺しきることが出来ずに、土蔵の外に弾き飛ばされていく。


 そんな様子は視界の中にこそあれ、俺の意識には入っていなかった。突然目の前に現れた人物を、俺は魅入られたかのように見つめ続けていた。
 華奢といっていいほどに小柄な後姿。髪は結い上げられていて、糸のように艶やかな金髪。清廉な程に青い服、その上には白銀色に輝く鎧に身に纏っている。

 呆、と動けずに座ったまま見上げていると、その人物はこちらに振り向いた。

 それはとても美しい、少女だった。年は俺よりも下だろうか。しかし、凛としたその佇まいには王者の貫禄。
 鎧を着込み、視えない何かを構えている姿は戦意に溢れ、騎士という言葉がぴったり当て嵌まる。


「――――」

 突然の状況に頭が真っ白になったか、目の前の少女に見惚れてしまったのか。
 それはわからないが、喋る方法を忘れてしまったように言葉が出てこない。

「―――問おう。貴方が、私のマスターか」

「―――マス、ター?」

 儀式のように告げる彼女に対して、間抜けにも聞き返してしまう。
 疑問を問いかける余裕もなく、思考を停止させたまま目の前の彼女の姿を見つめていた。

「サーヴァントセイバー、召喚に従い参上した。マスター、指示を」

 その言葉を聞いた途端に左手が激痛を訴える。焼き鏝を当てられているような熱が手の甲に走る。
 口から声を上げそうになるのを堪えて、右手で左手の甲を押さえつけた。

「――これより我が剣は貴方と共にあり、貴方の運命は私と共にある。
 ――――ここに、契約を完了した」

「契約……ってなんの―――?」

 彼女は俺の声に反応すらせず、外に目を向け、身を翻して土蔵の外に駆けていってしまった。

 ……まさかっ! あの男と殺り合うつもりなのか!?

 一拍、展開についていけずに座り込んだままでいた俺はそこに思い至るなり、躓きながらも立ち上がり少女の後を追う。
 あんなに小さい女の子があの男に敵うとは思えない。その脅威を、手合わせした俺は理解していたつもりだった。




「や、め……?」

 いいかけた言葉は、最後まで紡がれる事なく口の中で消えた。
 それもそうだ。俺が考えていた事態と、まるで真逆だったから。目の前では、なんとあの少女が蒼い男を圧倒していたのだ。

 剣戟の音が、暗く染まった空に響いていた。
 闇に浮かぶ無数の赤い突きを、少女はただひたすらに弾き落としていた。
 朱槍と『何か』は火花を散らし、夜中の庭を明るく照らす。

 突然の襲撃に男は思わず引き下がり、少女が剣を構えながら詰める。

「何故ここにいる!?
 キサマ、あの嬢ちゃんのサーヴァントじゃあなかったのか!?」

「……何を訳のわからないことをっ!」

 少女の張り上げた声と共に繰り出された一撃を、男は目測誤ったのか受け損ねる。
 槍が大きく跳ね上げられ、けれどその反動を利用し槍の石突を少女に向けて牽制、男は隙を潰して事無きを得る。

「チィッ! 先も思ってはいたが、視えない武器など卑怯だとは思わねえのか!!」

「――――」

 少女は話すことをやめたようだ。
 話している内容は理解出来ないが、話が噛み合ってないことだけは見ていてよくわかる。


 少女の一撃が地面をえぐり、一際大きな音が庭に響いた。
 男は間一髪で空中に逃れて庭の逆の位置につく。そこから動かず、槍を下に構えたまま攻め入る様子がない。

「――――どうした? ランサー。
 止まっていては槍兵の名が泣こう。来ないなら私から行くが」

「おいおい、今回は随分と積極的だな。
 そういえばどうしたんだそれは? さっきの赤い方も良かったと思うがな」

 男は話しながら、相好を崩す。
 その言葉は冗談だったのだろうが、その双眸の力は緩められることはない。

「――――貴様は先ほどから何を言っている」

「何って、俺とお前はもう既に戦っただろうが。
 お前の実力はわかったから、さっさとあいつのサーヴァントと闘わせてくれ」

 男が指差したその先には……俺?
 一時的に視線が俺に集まるが、相変わらず状況を理解できていない俺は困惑することしか出来ない。

 何でさ? っていうかサーヴァントって何だよ?
 必死に考えてはみるものの、最低限の情報さえもなくてはどうしようもない。

「何を言っている。あの方は私のマスターだ」

「おいおい、それならさっきの嬢ちゃんは誰のマスターだと言う心算だ?
 腕に令呪があったのは確認させてもらった。少なくともマスターであることは間違いない」

「貴様が何を言っているのかわからない、先ほどからそう言っているだろうが」

 男の口振りでは少女と認識があるようなのだが、彼女の言葉もどうやら嘘はなさそうだ。
 目の前の相手もまた本気で言っているのがわかっているからか、セイバーと名乗っていた彼女も戸惑いを隠せずにいる。

 男は構えを崩さず動きを止める。何かが引っかかっているのか、思案した様子。
 そのまま幾許もすると割り切ったのか、妥協点を見つけたようだ。

「…………?
 まぁ、いい。貴様の得物が剣である以上、セイバーだということばかりは相違ないのだろう」

「――この不可視なる剣を、どうして見破った」

「先の戦闘で見極めたんだよ。言ったろうが」

「――――っ! やるな、槍兵」

 驚愕を隠せずにいる少女と、その反応にまた軽く首を傾げる男。
 変わらず、会話が食い違っていく目の前の二人。何かの行き違いがあるのはわかるが、俺にも事情がわからないから修正させることも出来ない。

 二人とも至極真面目に話しているんだろうけど、何処か空気は弛緩している気がした。



「んで、ここらで引く気はねえか?」

 若干槍の穂先を下げるランサーと呼ばれた男。途端に空気がぴりっと張り詰めた。

 ――あの構えは!
 放たれるものはきっと、校庭で見た戦いを決着付ける筈だった必殺。

「――――断る。貴方はここで倒れろ、ランサー」

「残念だ。こっちはマスターがいねえし、お前のとこのマスターは何するでもない。
 出来るならば、万全の状態で闘いたかったんだがな」

 ランサーの周りに魔力が渦巻いた。周辺の魔力をも汲み上げ己へと補填していく。
 少女もその構えに警戒を顕にしていたが、魔力を収束させていく男に形相を一変させる。

「宝具――――!」



……その心臓、貰い受ける――――!

 ランサーは下段の構えから、さらに足元に向かって突撃する。
 槍から溢れる魔力が赤く伸びて、まるで尾を引いているようだ。

 もちろん、セイバーと呼ばれた少女も迎撃に打って出る。下段に対しては最上段よりの攻撃。
 ランサーを飛び越えて切りかかろうとする、が――


  「『刺し穿つ(ゲイ)―――

 言葉が放たれた途端に急速に槍は魔力を帯び、


                   「―――死棘の槍(ボルク)』

                             ありえない軌道で少女の胸に迫る。



 ――――それは確かに、必殺を冠するに相応しかった。

 セイバーと呼ばれる少女はその異常の直前に、何かを察知したかのように体を空中で入れ替えていた。迫る槍は、体を無理矢理にでもずらしたことで本来ならば回避できていた筈だった。。
 だがしかしそれすらも想定内とでもいうように、槍は少女の回避運動に合わせて軌道を曲げる。不可解な動きで槍は彼女の胸部を追尾し、貫いた。
 その衝撃に少女は体の制御を失い、空中に投げ出される。…………だがなんとか持ち直し、着地したようだった。

「因果の逆転―――!!」

 一瞬の出来事。しかし行われたそれはこの世の理を捻じ曲げていた。
 当たるべくして当てる。起こった神秘をその身に受けて、少女は苦しそうに声を上げる。


「――――かわしたな、セイバー。我が必殺のゲイ・ボルクを」

「っ……! ゲイ・ボルク……御身はアイルランドの光の御子か―――!」

「……有名っていうのも考え物だな。出すからには一撃でしとめなくちゃならねえってのに」

 最後に舌打をし、ランサーは槍を収める。そしてそのまま後方――庭の隅に向かって跳躍する。
 手傷を負わせたというのに彼女に目もくれず、塀の上に立ったランサーは背を向けた。

「マスターが帰って来いっていうもんでな。悪いが今回はここまでだ」

「逃げるのか、ランサー!」

「何。追ってくるのは構わん。だが――――」

 そこで、ランサーは背中越しに振り向いて、少女を見る。
 視線を追っていくと、セイバーと呼ばれた彼女が苦しそうに胸を押さえる様子が視界に入った。

「決死の覚悟ぐらいはしてから来い」

 ニヤリと笑って柳洞寺の方へと向き直ると、塀を飛び越えてランサーは闇に消えていった。
 俺はその先を見つめることしかできなかった。




「ぐっ!」

 ランサーの姿が完全に見えなくなってから、少女が膝をつく。
 あわてて駆け寄るが……改めて見ると、彼女はとても綺麗な子だった。
 って、違う。そうじゃない。

 傷を負った彼女に対して俺がしてやれることはあるだろうか?
 どうすればいい。槍によって貫かれた胸部は、いったいどういう処置をすればいいのか。
 とてもじゃないが救急箱で治療できるような軽傷ではないだろう。そうなると俺では手に負えそうにない。

 思考ばかりが空回りして、結果呆然として黙って見ていると少女が立ち上がって顔を上げる。

「――あれ?」

 傷が治っている……?
 いや、そうだ。俺を守ってくれたものだから安心していたけど、未だにこの子は得体がしれないのだった。

「え、と。君はセイバーでいい、のか?」

 警戒しながらも問いかける。何を訊ねるにしても、まずは名前を確認しておかないと。
 話しかける間、彼女の全身を確認してみたが怪我をしているところはなさそうだ。

「はい。マスター。私はセイバーのサーヴァントです」

「あ、俺は衛宮、士郎。この家の人間だ。
 って、違う、こんなことを訊きたいんじゃなくって……」



「――――あなたは正規のマスターではないのですね」

 後の話は何がなにやらさっぱりだ。
 結局わかったことは、セイバーが俺のことをマスターって呼んでいることぐらい。

「待ってくれ、俺はマスターなんて名前じゃないぞ」

「ええ、それではシロウ、と。私としてもこの発音のほうが好ましい」

「う……」

 セイバーの物言いに、顔に血が上る。

 その後話している最中に、いきなり左手の痣が赤くなって変な模様に見えるようになったりしたが混乱は増すばかり。
 そもそも、セイバーのいう令呪ってなんなんだ。そして俺をマスターと呼んでいた理由も不明のままだ。



「シロウ、傷の治療を」

「へ?」

 突然そんなことを言い出すセイバー。
 もちろん強化しか使えない半人前の魔術師が治療などできるわけはない。

「申し訳ないのですが、外の敵は二人。その重圧は凄まじい。
 気配からして私が本調子で臨んで互角、というところでしょう」

「ち、ちょっと待て、俺は傷の治療なんてできないぞ!
 それに傷なんて何処にも見当たらないし、治ってるんじゃないのか?」

 俺の問い掛けを聞くなり、セイバーは苦虫を噛み潰したような顔で数秒の間逡巡する。
 そしてそれが終わるや、ランサーと呼ばれた男と戦っていたときに振るっていた視えない剣が、恐らくその手に現れた。

「――シロウ、あなたは隠れていてください。そして隙をみて逃げるように」

 セイバーはそれだけ言うとその敵を壁越しに睨み付け、門から駆け抜けていってしまった。

 いや、待て。外の、敵だって?
 もしかして「隙をみて逃げるように」って自分が犠牲になる気なのか――――!

 俺はすぐにセイバーの後を追って、全速力で門を走り抜けていった。





◇◇◇





 俺はランサーに逃げ切られたところで凛に念話で話しかけられ、合流した後に逃げられたことを伝えた。
 そしてどうせなら最後まで面倒を見る、と凛からの一声があり衛宮家に向かっているところである。

「いい? 会ったとしても決して衛宮くんを助けたことを言わないようにね。
 私と違って彼は普通の人、まして私たちが巻き込んだようなものなんだから」

 実は、士郎も半人前とはいえ魔術使いなんだけどな。

 魔術師としてならば、一般人であると認識されている衛宮士郎は切り捨てられてもおかしくはなかった。いやむしろ切り捨てるのが正解だったのかもしれない。
 それでも助けてくれた凛はきっと、お人よし。人としての優しさは魔術師には必要ない。けれどそんな凛が、俺は好きだった。

 前回は有耶無耶になってしまったけど、あの時死の淵にいた俺を助けてくれたのは、やっぱり遠坂だったんだ。
 スカートのポケットに手を入れてそこにあるもの――赤い宝石のペンダント――を握り締める。
 昨日、着替える時に鎧の中に紛れているのに気がついた。文字通り、これは命の恩人のものだったから肌身離さず持っていたんだけど、一緒についてきているとは思わなかった。
 宝石を魔術に使う凛に見せたら一騒動あると思って黙っていたんだけど――――。

 これを返す相手は、この世界にはいないんだよな。


「っ!?」

 心臓が一際大きく拍動する。
 考えるよりも早く、反射的に戦闘武装を完了させた。

「どうしたの? アーチャー」

 サーヴァントの気配を感じ取る。
 一つはものすごい速度で柳洞寺の方向に向かって離れていく―――この速度、間違いなくランサーだろう。
 そして、もう一つ――大きく、強い気配が衛宮家の庭から発されている。

「凛、サーヴァントが二体付近にいます!
 おそらく一つはランサー、すごい速度で離れていくようですが、もう一体が――――来ます!」

「えっ!?」

 手にはエクスカリバー。それを構えて凛の前に躍り出る。
 果たしてこの相手、セイバーなのかはわからないが凛は守らなくては。


 人影が衛宮家の門より飛び出してくる。近づいてくる特有の気配。間違いなくサーヴァントだ。
 明かりが少なく、けれどどうにも相手が何か持ってるのようには見えない。

 ――――やっぱりセイバー、か!?
 風の鞘に包まれたエクスカリバーを、握り直す。

 それは直感なのだろうか、経験なのだろうか。それはわからない。
 だが、相手が振るってくる軌道が読めた。それに従い、こちらも相手も中間を基点にして同じ構え、同じ軌道で剣を振るう。

 互いに等距離の中空から、大きく鈍い音が響き渡る。
 こちらの得物も相手の得物も視えない為に、何もない空間に突如火花が発生したように見えた。

 かち合い、剣は反動で離れる。けれど互いが構わず前に進むために、また刃が重なり剣を介しての力比べが始まった。
 本調子ではないのか、相手の力は自分よりも少し弱いので俺が比較的優位に立ち回ることになった。



 そこで、強い風が吹く。
 衣服が風によって流され、髪がはためいた。

 雲に隙間が空き、月の光が俺たちを中心に差し込む。


「ちょっと……これっていったい、どういうことなのよ……!」

「――――!」

 月明かりに照らされるのは俺と――――セイバーの二人。
 その姿は色こそ違えど、まるで鏡に映った己を見ているように。


 ――――ああ、やっぱりセイバーだった。
 きゅう、と胸が締め付けられる。泣きたいような笑いたいような、そんな感情があふれ出てくる。
 目の前の彼女を思いっきり抱きしめたい。すまなかったと、ありがとうと、沢山の言葉を伝えたい。

 ……しかし、それをやる相手は彼女じゃない。そんな人違いを起こすわけにはいかない。
 彼女は、俺のサーヴァントであったセイバーではないのだから。俺の知っているセイバーとは、別人なのだから。



 時間にして数秒だろうか、時間が止まったように場が硬直していた。
 聞こえてくる足音に我に返ったセイバーは、大きく後退して視えない剣を構え直す。

「セイバー、やめろ!」

 遅れて飛び出してくる足音の主――士郎。
 躊躇もせずセイバーの前に躍り出ると、彼女を庇うように立ち塞がった。

 背後からは何事かと、凛が小さく息を飲む音が聞こえてくる。

「駄目だ。女の子が戦いなんてするもんじゃない! 見れば相手も女の子……っ?
 って、セイバーが二人!?」

 そこで俺を睨み付けた士郎は、姿を確認するや驚愕に目を見開き後ろのセイバーとを見比べ始める。
 見比べられているセイバーも、士郎ほどではないが困惑の表情を浮かべている。

 混乱した場で誰よりも早く立ち直ったのは、凛だった。
 歩き出し、俺の横に並ぶときょろきょろと見回している士郎を見やる。横目で見るに、無表情だ。

「どうも、こんばんは。衛宮くん」

「と、遠坂!? 何で遠坂がここに?」

「何でもいいでしょう。そんなことよりも、そう。まさか衛宮くんが魔術師だったとはね」

「な、何でそれを?」

 こちら側からは確りとした様子は見えないが、凛も内心動揺してないはずないのに普段どおり振舞おうとするのが分かった。
 その上で、相手の様子を見て有利になるように話を進めている。……なんていうか、魔術師してる。

 目の前のセイバーは目を見開いてこちらを凝視している。だが、咄嗟のことに反応できるように剣を構えたままだ。
 なので俺もエクスカリバーを構えたまま、セイバーから意識を離すことをしない。

「……凛、どうするのです?」

 声のみで問いかける。視線はセイバーから外さない。
 聞こえてきた己と同じ声色に、セイバーはびくり、と震えた。

「そうね……。どうやら衛宮くん、なんにも知らないみたいね」

 思わずといったように、はぁ、とため息をつく凛。
 横で結われた髪をかき上げると、改めて士郎にと向き直る。

「衛宮くん、家にお邪魔させてもらっても構わないかしら?」

「え? あ、ああ。でも、俺には何がなんだか」

「それを説明してあげるわよ。ま、私にもわからないことはあるけどね」

 言って、俺とセイバーを比べ見る。そして目線を切ると、剣を構えたままのセイバーの横を抜けて門へと歩いていく。
 擦れ違う瞬間セイバーの体がまた反応したが、結局歩いていく凛に剣を振るうことはなかった。
 何故か士郎は、凛に先導される形で続いていく。


「さて、マスター同士で話がついたようです。
 それで、貴女はどうするのですか? セイバー」

「――――!」

 構えを解いて、こちらから剣を収める。
 同時に身を包んでいた鎧も魔力へと分解され、ブラウスとスカートの姿へと戻った。
 そしてそのまま歩き出す。睨み付けるように視線を外さないセイバーの横を抜けて、先を歩く士郎の後に続く。

 セイバーから収めるとは思えないから、俺から構えを解かないと延々とこの膠着は続くことになっていただろう。
 後ろを振り返ると、セイバーは剣を還して、訝しげに俺を見ながらも無言で俺について来ていた。
 つい笑みが浮かびそうになるのを抑えて、衛宮家の門を潜った。





[7933] 四日目【1】
Name: 下屋柚◆26967502 ID:5480aeb6
Date: 2009/04/11 10:05
 午前の1時過ぎを時計が刻む頃。所は藤村の屋敷と並んで大きな日本家屋。
 日付も変わったそんな深夜帯、年頃の青年である衛宮士郎が寝起きしている住居の居間には、見た目には三人の女性が机を囲んで黙って座っているという異様な光景が広がっていた。
 ちなみにその中の一人は本当に見た目だけで、どういうわけか中身は俺である。改めて言うまでもないが、他二人は正真正銘の女性だ。

 しかもそんな不思議な光景のそこには、台所から食欲を刺激する芳しい匂いが漂ってくるものだから余計に訳がわからない。
 なんだってこんな状況になってるんだろう。酷く居心地が悪い。それもこれも……アイツが変なことを言い出さなければよかったのだ。

 思わず敵意を篭めて、台所に立つ赤毛の青年を見てしまう。
 原因は、アイツだ。

「すまない。手が足りないから誰か皿の盛り付け手伝ってくれー」

 士郎はこちらの重たい雰囲気などお構い無しに声を上げた。


 その声を受けても、少なくとも他の二人に動き出そうという様子は見られない。

 セイバーは動かない。
 酷く真剣な顔でこちらを警戒していたが、時折意識が俺から外れることから士郎の作る料理の匂いにつられていた様子。
 出来上がりが近い今、俺への注意は払われていないといっても相違ない。

 そして凛は聞いているのか、いないのか。
 漂ってくる匂いから何かを分析しているのか、険しい表情で思考に没頭している。
 黙りこくっているが、その目つきはまるで戦場にいるかのようだ。正直、声を掛け辛いどころか目も合わせたくない。

 そして俺はというと、凛のサーヴァントという立ち位置なのであんまり動かないほうが良いと考えている。
 考えているのだけど―――仕方がない。消去法でいうと、俺しかいないじゃないか。


 仕方なく立ち上がり、台所へと向かう。
 そこでようやく俺が動いたことに気づいたセイバーが視線を向けるが、今ばかりは無視して歩みを進める。

「ああ、えっと、悪い。魚の煮付けを皿に盛り付けて欲しいんだけど。
 俺、これ洗い終わったら行くから、先に持って行って欲しい」

 士郎は使い終わったボールや包丁、まな板を洗っているところだった。

 準備はなるほど、もうほとんど終わっていた。
 持ち運べるようにお盆の上には四人分の茶碗と、味噌汁が盛られたお椀が鎮座ましましている。
 炊飯ジャーを見ると、米も炊き上がっているようだ。箸は気を使ってか、割り箸が三膳用意されている。

 コンロに歩み寄る。
 そこに乗ったフライパンの中の煮付けを一目見て、勝手に食器棚から長方形の長皿を四枚出す。

「お皿はこれで大丈夫ですか?」

「ああ、構わない。俺も、魚はその皿が良いと思う」

 洗い物を止めず、ぶっきらぼうに士郎が答える。

 まぁ、元々俺の家と寸分違わないし、皿がある場所も把握している。長皿だって俺ならこれを使うな、と思ったのを取っただけだ。
 うちにある皿だったら、確かに魚はこの皿が映えるからな。


 それにしても士郎のマイペースには我が事ながら呆れてしまう。
 セイバーが俺と凛を睨みつけて、凛は凛で物思いに耽ったままだったし、俺はセイバーに対してどういった態度を取ればいいのかわからない。
 そんな、ピリピリしてた空間で士郎は何にも考えた様子もなく、突然のたまった。

「飯でも食わないか? 時間も時間だし腹も減っただろ? 俺も夕飯食べてないしな」

 ……いや、正直助かった部分もあるにはあるんだけどさ。
 誰も喋らず、じりじりと精神力が削られていくようなあの空気が、一時的にとはいえ霧散してくれたのだから。
 それからは違った意味で居心地は悪いのだけれど、俺も凛も昼にファーストフードに寄って以来、何も食べていなかったしな。


 テーブルに皿が並べられる。
 献立は、銀ダラの煮付けに、ほうれん草のお浸し、油揚げとネギの味噌汁、そして白米だ。
 和食はアーチャーになって初めてになる。
 それにしてもいい匂い。……うわ、つやっつやのご飯を見てたら口の中に唾液が出てきた。

「いただきます」

「「いただきます」」

「……いただきます」

 士郎が手を合わせて声を上げた後、凛と俺も続き、セイバーがそんな三人の様子を見て、倣って最後に呟いた。
 各々が食事にかかる。

 おずおずと箸を伸ばす。まず味噌汁。震える手で器を持つ。
 具には手をつけずに汁だけに口をつける。味噌の味と香り、煮干の出汁。セイバーの身体になった影響か、懐かしくも新鮮な香り。
 味噌汁で箸を湿らせて、次は白米にかかる。
 おかずは何もいらない。白米だけを口に入れる。噛み締めると炊きたてだから余計にか、ふっくらとして甘い。

 胸にこみ上げてくる感動、食事を楽しめることへの感謝が胸の奥から溢れてくる。
 うわ、本当にやばい。あまりの幸福感に胸が一杯になって、目が潤んできた。

 もう箸は止まらない。ぐいと袖で目元を擦って、食事を再開する。
 なんだかんだでみんなもお腹が空いていたのだろう。一言も喋らずにひたすら食べている。
 特に、こくこくと頷いて感動を露にする、巧みに箸を使うセイバーと、幸せに満ち溢れてちょっと涙ぐんでしまっている俺は一心不乱だった。


 ああ、美味い。あれも、これも、それも。口に運ぶもの全てが愛おしい。
 食事って、味を調えたり材料に拘ってばかりいたけれど、そうじゃない。食事は、感動だ。
 だって物を食べてこんな感動を味わったことなんて、衛宮士郎の記憶の限りではそうそう無い。
 臥せっていて何も食べられずに二日、病み上がりに食べたおかゆなんかが一番近いかもしれない。


 ……ここまで感動しておいて言うのもどうかと思うけど、この食事はもっと美味しくなる。
 士郎が作ったものも確かに美味い。けど、この身体を得て今までにはない改善の発想が生まれようとしている。
 今ならば、同じメニューでも士郎より上手く作れる自信がある。

「よしっ」「勝った……!」

 次に活かして頑張ろうと小さくガッツポーズした俺の声と重なるように、誰かの声が聞こえた。
 顔を上げてその発生源を見やると、一通り箸をつけられた食事の前で同じポーズをした凛がこちらを見ていた。




 食事が終わって、士郎が各々の前に湯のみを置いていく。
 これまた懐かしく感じる香り。緑茶か、最近は紅茶ばかりだったから久しぶりだ。

「それじゃあ、遠坂。説明頼んでいいか?」

「わかったわ。まずは……そうね、あなたが巻き込まれているこの争いのことからね」

「ああ、頼む」

 説明をする凛と、受ける士郎。それを少し離れた位置から聞いている俺とセイバー。
 その説明は、おおまかには俺が聞いたものと同じだった。

 聖杯戦争の仕組み、聖杯を得るメリット。
 呼び出されるサーヴァントと、英霊について。彼らもが、呼ばれることで願いを叶えようとしていること。
 そして、魔術師たちがこの戦争参加する目的について。懸けられている執念と、それ故の参加者の背負う危険。

 その内で唯一、サーヴァントの在り方についてだけ凛は言葉を詰まらせた。
 おそらく見るからにはほぼ同一である、俺とセイバーのことだろう。


 一通り説明が終わると、士郎は手元の湯飲みを見つめながら黙ったままだった。
 考え込んでいる士郎を置いて、凛は湯飲みのお茶を飲み干し、離れた場所にいる俺とセイバーの元へと寄ってくる。

「ねえ、セイバー」

「――何用ですか?」

「やっぱり、あなたはセイバーよね」

「ええ。私は間違いなく、セイバーのサーヴァントですが」

 セイバーに問いかけた言葉とその確認に、凛の言わんとするところが見えた。
 昨日の午前中からずっと頭の中で組み立て、推敲し続けていた理屈を思い返す。――準備はOK。後はそれを話すタイミングを見計らうだけ。

「うちのサーヴァントはクラスがアーチャーなんだけど、貴女はアーチャーにも特性があるの?」

「――――ありえません。私という存在は、剣に特化した身」

 言葉にして、アーチャーだという俺を不審げに見るのはセイバー。
 問い掛けた凛はというと、それも予想通りだったのか驚きも無く続きを話し始める。

「でしょうね。私も恐らくそうじゃないかと思っていたわ。……やっぱりうちのアーチャーがイレギュラーってことになるわね。
 それで、順序が逆になったけど、真名について貴女たちに確かめておきたいことがあるの」

「何でしょうか」

 佇まいを整えてから俺が答え、セイバーは黙ったまま、横に座っている俺を静かに睥睨する。

「セイバー。私がアーチャーの真名を貴女に伝えるわ。貴女と彼女が同じ真名ならば、首を縦に動かして頂戴。
 貴女のマスターにも一緒に伝えないのは、衛宮くんって変に正直者みたいで隠し事はできそうにないから。
 彼から貴女の真名が他のマスターに伝わってしまうと、うちのアーチャーの真名も同じく看破されることになる。
 ばれるのがアーチャーの真名だとしても、然り。それはよろしくないでしょ?
 もちろん、もしアーチャーと真名が違うからといって訊き出したりはしないわ。首を横に振ってくれるだけでいい。
 アーチャーもセイバーになら言っても構わないでしょう? 現状を把握しないことには何も言えない訳だし」

「「構いません」」

 セイバーと俺の声が重なる。凛はステレオに聞こえただろう声に、目をぱちくりした。

 気を取り直した凛はセイバーに俺が語った真名を耳打ちする。
 ここまでくればセイバーも予想はついていたのか、驚きもなく首を縦に振る。

「……うん。服や、瞳の色が違う理由はさっぱりわからないけど、やっぱりセイバーとアーチャーは同一人物なのね。
 それにしてもアーチャーのクラス分けは置いといて、同じ聖杯戦争に同一人物が呼び出されるなんてあるのかしら」

「――凛。よろしいですか?」

「何? アーチャー、何か知っているの?」

「ええ。しかし合っているのか、確証となるものはありません。何せ、私もこのようなことを聞いたことはありませんから。
 それを踏まえて聞いてください。
 まず、ここにいる私たち英霊は、オリジナルではありません。言うなれば、複写のようなものです。
 英霊の座というところに本体があり、様々な時間軸に私たちは呼び出されます。それは絶命前の過去であろうと、遥か先の未来であろうと関係なく。
 複写である以上、確率は恐ろしく低くなるとは思いますが同時間軸に同時に呼び出される可能性もあるのかもしれません」

 ……どうだろうか?
 一応考えてきたことを言ってみたけど、サーヴァントシステムについて知っていることなんて無いに等しいし、そんな可能性があるのかもわからない。
 実際にサーヴァントであるセイバーが今の話を聞いて致命的な齟齬を覚えなければ、上手くいってくれると踏んでいるのだけれど……。

「……そうね。それ以外に可能性が見当たらないわ。
 なにより情報が少なすぎる……」

 ……なんとか成功したのだろうか。
 凛は同一人物と判断してくれたようだけれど、何故かセイバーの瞳には困惑の色が見える。

「ところで……セイバー、貴女、召喚された時からずっとその口調?」

「え、ええ、そうですが。何か問題がありますか?」

「あ゛~~~~、もう! 令呪一個分どうしてくれんのよっ! アーチャー!!」

 があー、っと吠える凛。吠え立てられる俺。それを見て目を白黒させるセイバー。
 確かに俺の口調の所為なのだけど、決してそれだけじゃないと思う。




「それで、衛宮くん。
 そろそろ教会に行きたいんだけど」

「え? 教会?」

 いつの間にか考え事を終えて、こちらを見ていた士郎に凛が声をかける。
 士郎は突然の申し出に、訳も分からず眉根を寄せる。

「そう。教会に聖杯戦争を管理しているやつがいるの。
 きっと聖杯戦争について色々と教えてくれるでしょう。衛宮くんも、詳しく知っておいたほうが後々困らないんじゃない?」

「それはいいんだけど……どこなんだ? それ」

「隣町の冬木教会。言峰綺礼なんて似合わない名前の神父が管理している教会よ」

 よいしょ、と婆臭く声を上げて凛が立ち上がる。
 士郎と俺もそれに続き、セイバーも士郎に続いて立ち上がった。




「セイバー。その鎧、目立つのだから武装解除しておきなさい。
 こんな時間だから人がそう出歩いているとは思わないけど、もし見られたなら不審者以外の何者でもないわ」

 玄関まで出ると、先頭を歩いていた凛が振り返ってセイバーに声を掛ける。
 セイバーは士郎のサーヴァントなんだけど、何故か凛が指示を出している。

「しかし、アーチャーのマスター」

「凛でいいわよ」

「では、リン。着替えがなければ解除のしようがないのですが。
 それにこの場合、普通でしたら幽体になるべきではないですか?」

「――――ああ、そうだったわね。私の失言だったわ。
 でも、セイバー。あなた幽体になれるの?」

「いえ。マスターからの供給状態が悪い所為かわかりませんが、幽体になることは敵いません。
 もしや、アーチャーも?」

「まあねー。ちょっと私が召喚の時にポカしちゃったみたいでね。ラインはしっかり繋がってるんだけど。
 いけないいけない。つい、アーチャーとセイバー、同じように認識してごっちゃにしちゃってるわ。
 あ、そうなると着替えか……私のを貸してあげてもいいんだけど、流石に持ってきてるわけないし。今回はレインコートで我慢してね」

 言いながら、勝手に玄関にある黄色い雨合羽をセイバーに渡し出す。
 他人の家の物を勝手に貸し出す始末。判断的には正しいとはいえ、その振る舞いはどうなのだろうか。



 ふと横を見ると、家主であり、セイバーのマスターである筈の士郎が所在無さ気に立ち尽くしていた。
 背中が小さく見える。そういえば、さっきからセイバーとの会話にも加わっていなかった。
 なんていうか、自然と蚊帳の外に追い出されているというか。
 同じくマスターに放って置かれている俺は、つい士郎にシンパシーを感じて声を掛けていた。

「セイバーのマスター、うちのマスターが迷惑をかけます」

 ぼんやりと二人を眺めていた士郎は、小さく頭を下げる俺を見ると「いや」と手を振ってはにかんだ。

「ありがとう、アーチャー、だったよな。
 あ、俺の名前は衛宮士郎っていうんだ。できれば君もそっちで呼んでくれないかな」

 ……その言葉を聞いて、ふと悪戯心が湧いて出てきた。
 元々士郎と呼ぶつもりだったのだから、これ以上に良いタイミングもないだろう。

「――ええ。それでは、士郎、と。私としてもこの呼び方のほうが好ましい」

 しっかりと士郎に向き直り、口の端を持ち上げて笑いかけた。

 つい、自分の記憶の中にあるセイバーの言葉と微笑を真似ていた。
 似ているかどうかはわからない。いや、そもそもがちょっとした出来心なんだけど。

「あ、う……。やっぱりアーチャーも名前で呼ぶんだね……」

 言うなり士郎は頬を赤く染め、照れくさそうにそっぽを向いて頬を掻く。
 ……む。たぶん成功したんだろうけど、なんだか嬉しくない。




 車も走っていない夜道を、横一列に並んで歩く。真ん中にマスターが二人、その横にそれぞれのサーヴァント。
 話しているのは専ら士郎と凛だけだ。俺とセイバーは何を話すわけではなく、黙々と歩いている。
 話を振られたら返すが、セイバーと会ってから迂闊に話せなくなっていた。


 俺は、この三人に自分の正体を明かそうとは思ってはいない。出来ることならば、セイバーがイレギュラーな形として召喚された、と認識されたままなのが一番いい。
 今現在セイバーに警戒されている俺が「俺は実は衛宮士郎だ」と伝えたところで、信じてもらえずに無用な不信感を煽るどころか、怒りを買うだけだろう。
 凛と士郎との関係もどうなるのか想像もつかなくなる。どうすれば先がよくなるかなんて思いつかないけど、少なくとも今正体を告白して良い関係を築けていけるとは思えない。

 そうなると俺なりにセイバーとして振舞うしかないのだが、それにしたっていずれ限界はくるだろう。
 戦闘能力としてか、普段の振る舞いか、それとも何か別の要因かもしれない。所詮、中身は衛宮士郎。剣の英霊を振舞い続けていられるとは思えない。

 でも、今露見するのは駄目だ。協力関係すら出来ていないこの状況で俺が波風立ててしまえば、二人に溝を作る原因にも成りかねない。
 絶対に、ばれるような真似が出来ない。記憶の中のセイバーをトレースし続けなければならない。
 だから、俺は彼女の前で話せない。
 迂闊にセイバーらしからぬ話し方をしたりすれば、誰よりセイバーが違和感を感じるだろうから。



 坂道を上り、外人墓地の横を抜けて、高台の上にある教会前に着く。
 敷地の入り口で、俺達は自然と、誰からというでもなく進めていた足を止めていた。

「――ここは? どういうことなんだ。この教会、妙な威圧感を感じる」

 教会を見て士郎が一人ごちる。
 確かにこの建物には気圧される何かがある。

「……シロウ、私はここに残ります」

「え? 何だってそんな――――ここまで来たら一緒に来たらいいじゃないか」

「私はシロウを守るために一緒に来たのです。私個人が教会に用があるわけじゃありません。
 私はここで待つことにします」

 セイバーはここで待つつもりらしい。
 思い返せば、前回でもセイバーはここで待機していたな。

「――――そうですね。では私も残ることにしましょう」

「わかったわ。それじゃ少しの間待っていて」

 倣って、俺も残ることにした。
 セイバーと二人きりになることに不安がないでもなかったが、極力セイバーと同じ行動、選択を取るべきだろう。

「行きましょう、衛宮くん」

「わかった。それじゃあ行ってくる」

「「気をつけてください」」

 声を上げると、セイバーのものと声が重なった。
 口調が同じなので、言いたいニュアンスと話し出すタイミングが揃えば、声も揃ってしまうようだ。
 自分の意思で話しているはずなのに、図ったように声が重なるのは不思議な感覚だ。

 異口同音に言葉を告げる俺とセイバーに見送られ、二人は静かに教会に入っていった。
 教会入り口のドアが閉まりきるまで、俺とセイバーは身動ぎもせずに己のマスターの後姿をずっと見つめ続けていた。




[7933] 四日目【2】
Name: 下屋柚◆26967502 ID:5480aeb6
Date: 2009/04/12 14:05
 もう午前二時を回っただろう。そんな、生活の音がほとんど感じられない時間だった。
 人も、鳥も、動物も。それどころか動くものたちは全て排斥されたような教会の敷地にて、立ち尽くす。

 俺もセイバーも動かない。教会の入り口を挟み、壁を背に立っていた。
 互いに不必要に干渉することなく、けれど厭うこともなく、ただ二人で立っていただけだ。
 変化はない。変化を必要とはしていない。さながら、絵画や写真の中に迷い込んでしまったようだった。


 俺はこの空白の時間を使って、始まった聖杯戦争について考えを巡らせていた。

 凛の指示に従い物事を進め、臨機応変に対処する。初日に決めたこの方針、聞こえはいいが俺の言うそれは思考の放棄だ。
 ランサーと戦い、その殺し合いの場に立ってそれを痛感した。今回は何とか乗り切ったが、経験で劣る俺が何の策もなしに進めばいずれ大きな失敗をするのは目に見える。
 そしてこのまま惰性で進めば、士郎が、凛が、俺が、そしてセイバーは倒れることになるだろう。
 それではいけない。何があっても、それだけは防がなくてはならない。だから俺は出来る限り多くを考えなければならない。
 ……もう二度と、セイバーを失うようなことはしたくはない。


「――――アーチャー、貴女は」

 下方に視線をやったまま瞳を閉じ、思考に沈んでいた俺の耳に、声が聞こえてきた。
 目を開ける。ゆっくりとその方向に顔を向けると、セイバーがこちらに顔を向けていた。

 ――ああ、セイバーが話しかけてきたのか。
 考え込んでいたから、セイバーが話しかけたのだと気づくのに少し時間がかかった。

 セイバーはこちらを見ることなく、言いにくいのか口を開いてはまた閉じる。
 実直で、物事をはっきりさせる彼女にしてはあまりに珍しい。そんな態度を取ってまで、セイバーはいったい何を俺に話そうとしているのか?
 現時点で思い至るものは――――いくつもない。

 俺もいつからか寄りかかっていた壁から体を離して、セイバーに向き合う。
 壁に背を預けたまま聞いていい話じゃない、そう感じた。

 俺が正対したことで、セイバーも意を決して俺と向き合った。おそらくだけれど、セイバーに敵意はない。
 だが何故か俺を射抜くように見たまま。睨み合う様な形で、俺はセイバーの言葉を待つ。


「――――貴女は、誰、ですか?」

「っ!」

 ――――その一言。がつん、と頭をハンマーで殴られたような衝撃。
 目の前が、思考が、真っ白になる。

 いや、今、セイバーは、なんて……?
 誰、ってそんな――俺がセイバーじゃないと、こんなにも早く、気づいた?

 ……外見。瞳の色や、服の色は違う。大きな違いだけど、判断材料がない以上これは無視していい筈。
 細かい動作は完全とはいえない。だけど、それを見せるような機会自体がそうなかった。
 そして俺にも、セイバーとしておかしな行動を取ったつもりはない。本来なら一番怪しい口調も、令呪で縛られていてセイバーのものだ。

 何を、失敗したのだろうか?
 わからない。どこだ、俺は何を見落とした?

 頭の中を疑問が駆け巡る。考えても考えても、わからない。
 まだ会って数時間、その間だって極力話はせずに押し黙ったままだったというのに。

「貴女は、アーサー王と呼ばれた私なのですか……?」

「セイバー。あなたは、何を――――?」

 俺の言葉にも、セイバーは止まらない。

「貴女は、私と同じだ。けれど、違う。些細な――そう、それでいて根本的な違いが、私とあなたの間にはある。
 そう、今の私とは違う。貴女は、今もアーサー王として生き続けている私とは、違う」

「――――!」

 言葉も発せない。
 セイバーの言葉を受けて、ただ竦んでいることしか出来ない。

「アーチャー。いえ、アルトリア。貴女は――――。
 ……いや、すまない。これだけは、私が問いかけて良いものではなかった。どうか、忘れてほしい」

 セイバー酷く真剣に、だが結局最後まで問い掛けることはなかった。
 自分の発言の非を詫びてまた先のように視線を、体の向きを戻した。続く言葉はない。

「…………」

 気づかれてしまったのか。いや、それならば追求を途中で止める理由にはならない。
 けれど間違いなくセイバーは俺の違いに気づいている。俺が己とは違う存在だということを理解していた。
 セイバーにはそう遠くないうちに、気づかれるかもしれないとは予測していた。
 ――そう、いずれはボロが出てくるだろうとは思っていたけど、それがこんなにも早いものだとは思っていなかった。


 再び静寂が辺りを包んでいく。俺は、顔を真正面に向けて目を瞑る。
 セイバーは、これ以上言葉を紡ぐ様子はない。

 ――――俺は結局黙ったまま、何も答えることができなかった。

 さっきまで考えていたこれからの展望についてなんて、頭の中から完全に消え去っていた。
 セイバーとの邂逅から三時間も経たないというのに、俺は自分の今までの行動やこれからの不安に塗りつぶされていた。




 セイバーと俺は壁を背に、黙ったままマスターが帰ってくるのを待っていた。
 軋んだ音を立てながら凛と士郎が協会の扉から出てくると、先の話から微動だにしなかったセイバーが士郎に歩み寄っていく。

「シロウ、話は終わったのですか?」

「ああ、聞いてきた。全部まとめて、イヤっていうほどに」

 顔を強張らせていた士郎だったが、セイバーが近寄ってくるのを見てほっとしたように笑みを浮かべた。

「それでは――――」

「ああ。聖杯戦争に、参加する。
 セイバーの力を借りることになる。これからよろしく頼む」

「任せてください。
 ――私は貴方の剣。貴方に勝利をもたらしましょう」

 それを聞いた士郎が、おもむろに右手をセイバーに差し出した。
 セイバーは無表情にその手を見つめている。

「これからよろしく、てことで握手したいんだけど、駄目だったか?」

「――――あ、はい。よろしくお願いします。シロウ」

 驚いた様子でそれに応じるセイバー。
 手を握り合う二人。


「アーチャー? どうしたのよ、貴女」

「いえ」

 俺は二人を眺めたまま、立ち尽くしていた。
 凛は、入り口の近くで動かない俺を不審に思ったか側へと歩いてくる。

 いけない。いつまでも引き摺っていたら、また疑いを持たれてしまうかもしれない。

「それにしてもあの二人、何ていうか、見ていられないわね」

「と、いうと?」

 気を取り直して、凛に訊き返す。
 仲も良さそうで、これといって見苦しいようなものでもないと思うのだけど。

「別に。深い意味はないわ。そう感じただけよ」




 教会の門から行きと同じように並んで出て行く。
 坂を下っている辺りで、凛が士郎に向かって口を開いた。

「そうそう。衛宮くん、今日は見逃してあげるけど、明日から覚悟してなさい」

「ん? 覚悟って、俺がなんの覚悟をしなきゃならないっていうんだ?」

「なんのって……貴方、ちゃんと話聞いてたの?
 私や他のマスターと戦う覚悟よ。つまりは、明日から私と貴方は敵同士になる覚悟」

 士郎ははじめ「へ?」と口を阿呆みたいに開いた後、思い当たったのか眉根を寄せたなんともいえない表情を作る。

「あ、そうか。そうだよな。――――でも、俺は遠坂と闘う気はさらさらないぞ」

「どちらにせよ最後の一人になるまで闘わなきゃいけないんだから、そんな悠長なこと言ってられないわよ。
 ま、教会に連れて行ったところで貴方と私は条件的には対等。これで私も気後れなく闘えるわ」

「……」

 士郎が足を止めて黙り込んでしまったので、俺たちも士郎に倣って立ち止まることになる。
 何か考えてるのか、視線をはるか上に向けて唸っている。

「何? どうかした?」

「いや、遠坂って優しいんだなってさ。俺、お前みたいなやつ好きだ」

「っ!」

 凛が顔を真っ赤にして黙り込んでしまった。セイバーは士郎を無表情で見つめている。
 俺はというと顔を染め、俯いて口元を手で覆っていた。
 いつか自分も発言した科白とはいえ、傍から聞くと何やら無性に恥ずかしい……。



「ねぇ、お話は終わった?」

 俺は考えるよりも早く、凛と声の主の間に立ちはだかっていた。
 横を見るとセイバーも同じく士郎の前に立ち、咄嗟に対応できるよう構えている。

 声は坂の上から聞こえてきた。それは高く、幼さの残る声。

「何者だっ!」

 セイバーが声を張り上げる。

 坂を見上げるとそこにはやはり、褐色の巨人バーサーカー。
 肩の上の少女の銀髪が月明かりに照らされて輝いている。

 威圧される。バーサーカーは立っているだけだというのに。
 その巨体の所為で4人で横並びに通った道がひどく狭く見えた。

「こんばんは、お兄ちゃん」

 バーサーカーの肩から降りたイリヤは、裾を摘んで会釈をした。
 この場に不釣合いな言葉。バーサーカーの息苦しいまでの重圧にそぐわない、邪気のない声。

「その黄色いのがお兄ちゃんのサーヴァントね」

 イリヤはセイバーを見やり、士郎に問いかける。
 そして目線を動かし、凛をその赤い瞳で射抜いた。

「はじめまして。
 私の名前はイリヤ。イリヤスフィール・フォン・アインツベルン」

「アインツベルン――――」

「ええ、そうよ。トオサカの当代さん」

 凛の体が微かに揺れる。

 遠坂からこんな話を聞いた覚えがある。
 アインツベルン、マキリ、遠坂――――。それぞれの家の遠祖がこの聖杯戦争を作り出したのだと。
 ならば、遠坂がアインツベルンに思い当たるのも、イリヤが遠坂の名を知っていたのも当然なのだろう。 


「それじゃ、挨拶も終わり。殺しちゃえ! バーサーカー!」

■■■■■■■■ーーーーーー!!

 バーサーカーのその声とも言えない雄叫びが、大気を振るわせる。その声量も相まって威圧は凄まじい。
 だがアレと相対するのは初めてではない。どうやら、体が萎縮することはなかった。

「セイバー、協力しなければアレに勝つのは難しい」

「ええ。アーチャー、一時協力体制を敷きましょう」

 咆哮するバーサーカーに威圧されてばかりもいられない。視界から姿を外さないまま隣のセイバーに呼びかける。
 その存在感からサーヴァントの中でも桁違いの力を感じ取ったのか、セイバーも二対一の提案を受け入れた。

 セイバーが雨合羽を脱ぎ捨てる。それと同時に、俺は戦闘武装を終わらせた。
 ――月の光を反射する青銀の鎧。その手には不可視の剣。
 鎧に印された蒼い紋様、紅い紋様。エメラルドの瞳とダークブラウンの瞳。身に纏う衣服の青と赤。
 それら色の違いを除けば、鏡に映したような二騎が揃う。

 セイバーとアーチャーである俺は、同じ構えでバーサーカーに対峙する。

「二人とも、同じ英霊がサーヴァントなの!?」

 イリヤの驚きの声が闇夜に響く。
 マスターである凛も士郎も、俺たちの息が合ったというには余りに揃った動きに言葉を発せずにいた。

■■■■■ーーーー!!

 驚愕し動きを止めたマスターらに構わず、バーサーカーがその手の巨大な斧剣を俺たちに向かって振り下ろす。
 うなりを上げて迫る岩の斧剣。速度と大きさが相俟って、まるで巨大な鉄塊が降ってきているようだ。

 その一撃を、セイバーと俺は左右に散開して避けにかかる。
 直後腹に響くような破壊音が轟き、コンクリートの地面に大きな振動が走る。着弾した地点を見れば罅割れ、大きく陥没している。
 その威力、一撃でも貰ってしまえば致命傷。運良くそうはならなくても決定打になるのは明白だ。

 だがそんな豪腕を相手にして、セイバーには怖気の欠片も見られない。斧剣を振り下ろした状態のバーサーカーに、セイバーが弾丸のような速度で一直線に切り込んだ。
 俺ではまだ、セイバーと同じ様には立ち回れない。バーサーカーの攻撃にどれだけ対応出来るかも未知数だ。様子見を兼ねて撹乱に回る。大きく円を描くようにセイバーの横を走り抜けていく。


 ……前回は遮蔽物無しでバーサーカーにとって有利な場所だった。そのためにセイバーは苦戦を強いられることになったのだ。
 ならば今回は自分たちに有利な場所で、バーサーカーを叩く。いくら二人掛かりといってもバーサーカー相手であれば遠慮の一切は必要ないだろう。
 セイバーも同じ考えに辿りついたのか、打ち合わせることもなく二人揃った動きを見せてバーサーカーを翻弄しにかかる。

 俺は攻撃を大きくかわしながら、セイバーはバーサーカーの一撃に押されるように見せて場所を移動していく。
 バーサーカーは俺たち二人の動きに誘導され、その後を猛追して来る。


 戦場に選んだ其処までは、いくらというほどの距離もない。
 背後を振り返るとバーサーカーの遥か後方に、凛と士郎が坂を駆け上っているのが見えた。




[7933] 四日目【3】
Name: 下屋柚◆26967502 ID:5480aeb6
Date: 2009/04/24 00:44
 アスファルトを駆け、電柱を蹴り、塀を越えてその敷地内へと飛び込んだ。
 空中で体を反転、バーサーカーの姿を視界に収めたまま墓石を足場に着地する。

 直後に、今まさに飛び越えた塀が吹き飛ぶ。まるで爆破されたように砕け散るコンクリート。

 ――くそっ、息つく間もない。
 こちらまで飛んでくる瓦礫のうち、拳大以上のものを空けた左手のガントレットで打ち払う。
 驚くべきは、視界に入る破片から危険そうなものを選別出来ていたこと、咄嗟にそれらに反応して叩き落せたことだ。

 黒い影が、空いた塀から侵入してくる。二五〇を越す長身と壁のように幅広の体躯はバーサーカーを措いて他にはいない。
 背の低くなったコンクリートの塀、鉄柵、墓石……バーサーカーの行進を阻むものは例外なく砕かれていく。


 上手くバーサーカーを目的地に誘い込むことが出来たようだ。坂の上にあった外人墓地にて進入してくるバーサーカーを睨み付ける。
 こんな土地で争うことになるのは気は引けるものの、それを理由に凛や士郎を危険に晒す訳にもいかない。天秤にかけて比べられるような重さのものじゃない。

 僅かに意識が外れた俺にバーサーカーは猛進してくる。秒と経たずに接近され、勢いはそのままに一撃は放たれる。
 死が迫っている、と体も頭も必死に訴えてくる。どちらも、一発でもまともに貰えば終わると告げている。
 思考する間もなく脚部に魔力を集中し、高く宙を舞って難を逃れた。大振りの得物によって切り殺されていく風の悲鳴を聞いて、体中には一斉に鳥肌が立っていた。

 その豪腕で振るわれる一撃は脅威だ。威力も然ることながら、問題はその速度。
 筋肉に覆われて鈍重に見えるバーサーカーだが、そんなことは決してない。流石にランサーと比べては劣るものの、猛獣のように動き回るその巨体は圧巻の一言に尽きる。
 だが、この土地――石の墓標が立ち並ぶ外人墓地では、その巨躯は制限される。その恩恵によって俺はこうして回避できている。
 正直なところ、ランサーとの一戦が先にあったのが助かった。なければ、体の反応速度に俺自身ついていくことが出来なかっただろう。
 ……それもこれも、この優れた身体能力と、剣の経験を用いてセイバーの動きをトレースしているという前提があってこその話になるけれど。


 えぐられていく地面。吹き飛ぶ、砕けた石材。
 それらを回避し、バーサーカーと距離を保ちながらセイバーを窺う。

 流れる水のように立ち回る彼女。唸り上げるバーサーカーの斧剣を、地を滑るようにくぐり剣を繰り出している。
 舞う石材をも足場に、どんな姿勢だろうと攻撃に対応する。魔力不足で思った機動が出来ない所為か表情は冴えないが、充分に過ぎるほどバーサーカーを相手に渡り合っている。

 俺もバーサーカーの攻撃をかわすだけならば可能だ。だけど一旦バーサーカーの標的がこちらに向かえば、かわすことに精一杯でそれ以上の余裕は捻出できそうにない。
 一対一では隙を見つけて一撃を与えるなんてことは、到底無理だ。剣の経験に補佐され、回避する自分の姿は傍目から見たとしても無駄などないだろうに、同じ動きをしている筈のセイバーは違う。


 回避に手一杯の俺と、避けながらも反撃に移ることの出来るセイバー。
 その差はとてつもなく大きいものだ。セイバーが外人墓地という場所で戦ったならきっと一人でも相手に出来るだろう。
 悔しいけれど、俺にその自信はない。

 体捌き、剣捌き、どちらもまだセイバーには及ばない。さらにその上に俺に足りない経験がセイバーにはある。
 俺がセイバーと同程度に闘えるようになるかは、まだわからない。だけど、強くならなければ俺は誰も守れない―――強くなれなければ俺の理想は嘘になる。 
 それは、身に染みて知った筈。


 セイバーに向かって斧剣を振った後の硬直、その一瞬にバーサーカーに切りかかる。

「――――っ! 何故っ!?」

 だが、刃は通らない。鈍い音を立てて、剣ごと弾き返された。

 魔力が充分に供給されている俺ならば、バーサーカーを倒すまでとはいかなくともダメージを与えることぐらいならば可能な筈だ。
 今となっては見ることは出来ないが、ステータスでのセイバーの筋力はランクでB。魔力が充分な俺ならばそれ以上の――恐らくAランクには該当しているだろう。
 ならばBランク以下の攻撃を無効化する十二の試練を越えて然るべき。

 だが、結果として俺の攻撃を受けたバーサーカーには傷ひとつついていない。そもそも、攻撃がダメージとしてバーサーカーに届いていない。
 ……通らないとならば、膨大な魔力に慣れていない為に攻撃に回す魔力の運用が上手く出来ていないと考えるのが妥当か。つまりは俺の意識の所為でこの優れた身体能力は発揮し切れていない、ということなのか。

「サーヴァント二騎で掛かって尚、決定打を与えられないとは――――!!」

 同じようにバーサーカーの鎧の前に弾かれるセイバーの剣。セイバーの場合は明らかに魔力不足によるランクダウンが枷になっている。
 魔力の補填が行われない限りは、例外を除いてセイバーの剣はバーサーカーに届くことはない。十二の試練とは、そういう概念を持っている。


 戦いは、俺たちが依然押す形になっている。だが、決して有利であるとはいえない状況でもある。
 バーサーカーの攻撃は俺にもセイバーにも当たっていない。一撃たりとも貰ってはいない。隙を狙って反撃を返す余裕もある。
 だが、相手にダメージを与える術がなければ有利とはいえない。逆に致命傷となりうる一撃を持つバーサーカー相手では、今は良くても長い目で見れば不利であるといっていい。
 事実、バーサーカーの一撃で周囲は薙ぎ倒され、バーサーカーの行動の阻害をしている墓石も数を減らしている。
 このままでは、魔力切れのセイバーか戦闘に慣れていない俺、どちらが先かわからないが倒れることになる。

 ……膠着は既に数分に渡り、その拮抗は破られようとしていた。


「――――つぁっ!」

 セイバーの動きから、精彩が欠け始める。回避し切れなくなり、バーサーカーと剣を打ち合わせるようになっていた。
 数回と繰り返すうちに、思わずといった様子で彼女は苦悶の表情を浮かべる。見ると、その胸部には丸く黒い染み。血の滲み。

 ゲイボルクの傷痕……! 不治の呪いか!

「セイバー!」

 思い至った瞬間、俺は追撃を加えようとしていたバーサーカーに切りかかっていた。
 隙を狙った訳ではない。特攻のような俺の攻撃は、バーサーカーにとって充分に対処の出来るものだった。
 アレは、受けに回ることなんて考えもしない。その剣は、確実に俺の頭を狙っていた。

 ――本能のままに放たれたバーサーカーの斧剣と、衝動に任せて放つエクスカリバーは衝突する。

「ぐ、うっ!」

 その反動に大きく跳ね飛ばされ、着地した後もたたらを踏む。衝撃の多くは相殺されたようだから俺が後退する程度で済んだが、手には恐ろしい振動が伝わってきている。

 揺るがず、怯まず、ただひたすらにバーサーカーが振るうのは圧倒的な破壊。どうやってもびくともしないような錯覚を覚えさせるこの手応え。
 無意識が後退を指示する。この暴力の具現と戦おうとする俺に、真正面からぶつかりあえると思っているのか、と疑問を投げかけてくる。

 バーサーカーは止まらない。
 こちらに向かって突き進みながら、また手に握る岩塊のようなそれを荒々しく振り下ろす。

 ――――ああ。
 これを避けるのは簡単だ。打ち合って易々と勝てるものでもない。なら、かわしてかわして、避けて回ればいい。
 精神をすり減らすような綱渡りではあるが、それならやってやれないことではない。
 しかし、それでは自然とセイバーにバーサーカーの攻撃が集中することになる。そうなってしまえば避けてばかりもいられず、またもセイバーとバーサーカーは打ち合うことになる。
 まだ、彼女はランサーとの戦いの傷が癒えてはいない。このまま打ち合っていれば傷の塞がり切っていない彼女は悪化し、いずれ倒れることになる。

 なら退けない。せめてセイバーが立て直す間だけでも、ここから俺は下がらない。

「負け、るか――!」

 体全部を使って繰り出さなければ、バーサーカーの一撃には対抗できない。
 いや、それだけじゃ駄目だ。加えて魔力をも駆使し、文字通りの全力でなければコイツ相手に打ち勝つことは不可能だ。

 踏み込む。体の軸はずらさない。セイバーの振るう一撃を脳裏に、意識はひたすら『必殺』を描いて。
 魔力のブーストで体を加速させながら、脚部、腕部に魔力を回す。出し惜しみはしない。片っ端から使い潰すつもりで、この一撃を。

 負けない。負けてなるものか。絶対に、勝つ。
 歯を食いしばれ。意識を逸らすな。覚悟を決めろ衛宮士郎――――!

「おおおおおおおっっっ!!!」

 火花が散る。あまりの衝撃に揺れる視界。

 俺とバーサーカーの距離は、開いていた。
 打ち勝ったわけではない。打ち負けたわけでもない。ぶつかり合ったところを基点に互いが等距離退けられていた。

 バーサーカーは既に二撃目を放つ体勢を整えている。
 次だ。魔力を引き出せ。怯むな。体を前に前に前に――――!

「ぜあああああっ!!」

 気勢を上げる。見栄でも何でも、相手を威圧しなければいられなかった。
 少しでも退こうと思ったなら、そこで負けてしまう。ひたすら敵を打倒することだけを――!




「狂戦士! 私を忘れてもらっては困る!」

 セイバーの声に、思考が戻ってくる。目の前のバーサーカーの標的が、セイバーに移っていた。
 俺との打ち合いの隙を狙って、攻撃を仕掛けたようだ。もちろんバーサーカーは無傷ではあったが、横槍に意識はセイバーへと移ったらしい。
 そのセイバーも始めと変わらない動きが戻っている。どうやら持ち直したようだ。

「――っ、はあっ!」

 いつからか止まっていた呼吸を再開させる。両手がびりびりと震えている。背中は冷や汗でびしょびしょに濡れていた。
 七撃、その全てを全力で放った。結局一度も勝つことなく、一度も打ち負けることはなかったが、死の際と生とを打ち合うたびに往復させられた気分だった。
 たった七つの全力が、俺には永遠のように感じられた。だがそれでも休んでいられる暇はない。
 俺が動かなければセイバーに負担が集中してしまう。

 剣を、握り直した。


 何とかセイバーは体勢を立て直し、俺も彼女も回避主体の戦い方に戻ったが、このままでは埒が明かないどころかジリ貧だ。
 周囲の墓石もだいぶ削られてしまっている。伴い、バーサーカーの動きも良くなってきている。
 ――何とか、好転させないと。

 そうなると、手札を切らなくてはならないだろう。選べるもので真っ先に思い当たるものは、宝具。
 問題は、使用に当たり該当する宝具のランクだ。ランクが高くなければ、バーサーカーの十二の試練を突破することはできない。
 …………マスターではない俺は、宝具のランクを確認出来なくなっている。
 衛宮士郎であった頃に目を通して、威力、射程、英霊の能力については把握しているが、宝具は特性や効果、威力ばかりに注視しがちで、ランクというところまでは覚えていない。
 ――なんて間抜け。だけれど、躊躇している余裕もない。駄目元でも、当たってみるしかないだろう。

 セイバーがバーサーカーの一撃を避け、大きく後退する。その横を駆け抜けるように、擦れ違った際にセイバーに話しかける。
 ただ、先の教会でのこともある。戦闘時には戻っているだろう言葉使いには気をつけないと。

「セイバー、私が宝具を使います。あのバーサーカーには生半可な攻撃は通用しないようです」

「……そのようですね。ならば私も使いましょう。二人でならあの巨体とて、ひとたまりもない筈」

 それだけ言葉を交わすと、俺が左へ、セイバーが右へと弧を描きながら疾走する。
 叶うならば俺一人で試し撃ちをすべきだったが、セイバーの提案を止められる理由もなかった。

 得物を追い込む猟犬のように、距離を詰めながら挟み込むように立ち回る。
 バーサーカーは一つの場所にいた標的を叩き潰そうとこちらへ走り出そうとしていたが、一斉に左右に分かれたために攻めあぐね、脚を止めた。
 その隙を逃す手はない。

 大きく息を吸い込むと、魔力が体に満ち溢れていく。高速で移動しながらそれを繰り返し、魔力を補填していく。
 駆けながら、精神集中に努める。意識を延長させて、腕に、その先の両手に、そして握られているエクスカリバーに――――見えた。
 『風王結界(インビジブルエア)』という鞘に意識を当て、本来の刀身を縛っている魔力を紐解いていく。

 途端に、手元から風と魔力が溢れ出し始めた。髪の毛が後ろに流され、衣服がはためき始める。
 俺、バーサーカー、セイバーが直線に並んだところで風のうねりは最大になる。剣が、風と魔力を開放したために暴れている。それを魔力を通した腕で無理矢理押さえつける。

 風の隙間から、黄金の輝きが見える。あとは、これを目の前の巨人に放つだけ――――!

■■■■■ーーーーー!!!

 中心にいるバーサーカーは暴風にさらされているというのに微動だにせず、咆哮を上げた。
 駆けていく。空気の流れで、セイバーもまた同時に駆け出したことを知った。

「「――あああぁぁぁぁぁぁっ」」

 風を剣に巻きつけ、セイバーと同時にバーサーカーの左右から切りかかる。
 剣の周囲は真空状態になり、重なり合った風の塊とエネルギーは全てバーサーカーを倒す為に注がれていく。



「な――?」

 そのエネルギーはバーサーカーに直撃する直前に弾け失せた。
 呆けた俺の声が空しく響く。

 風も魔力も剥がされ、裸になったエクスカリバーは当然のようにバーサーカーの肉体の前に弾かれた。勢い余った俺とセイバーは反動で飛ばされ、大きく後退していく。

「――無効化!?」

 同じくバーサーカーの向こう、遠くまで後退を余儀なくされたセイバーが叫ぶ。声からは戦慄が読み取れた。

 宝具に使われる予定だった魔力は、バーサーカーの周囲で霧散していく。
 そして、バーサーカーに叩きつけられようとしていた風の塊は『無くなった』。不可思議な程に唐突に消え去った。
 ――十二の試練。危惧していた規定ランク以下の無効化。風王結界のランクは、届いていなかった。



「――――?」

 ――だが、様子がおかしい。
 周囲の空気が、そして吹き飛んでいた魔力がものすごい勢いでバーサーカーに向かって流れていく。
 意味もわからないまま、姿勢を低くして墓地内に起こりつつある異常に備える。

「これは――!」

 バーサーカーを中心に、空気が急速に巻き取られていく。
 左右からベクトルの違うエネルギーが合わさり、空気の塊が消された空間――二つの『真空』に大気が流れ込み巨大な渦を作り出していく。
 しかも、ただの風によるものではない。風王結界の魔力に加えて大気中のマナをも巻き込んだ魔力の渦。
 次第に形を成していくそれは、人々に神の怒りと恐れられきた――――竜巻。

 雲へと届くまで成長した竜巻は、周りの墓石や地面を吹き飛ばし、風の隙間に巻き込んで磨り潰し砕いていく。
 こうなってしまえば、手を出すことは出来ない。高速回転する空気の渦は、最早災害だ。人が手を出せるものではない。


 大きく後方に飛び退きながら、風の鞘から解き放たれて姿を現したエクスカリバーを還す。
 バーサーカーは巨大な竜巻にのまれ、その姿は砂塵の中に隠れていった。



 竜巻が消えていく。

 視界が戻ってまず最初にしたことは、みんなの無事を確認することだ。
 士郎と凛は離れたところで体を屈めていた。内、凛は勝利を確信しているのか笑みを浮かべている。

 ……俺は警戒を緩めず、即座に対応できるようにバーサーカーがいた辺りを睨み付け、構えたままだ。
 セイバーも感じ取ったのか、構えを解かない。

 そう、バーサーカーの気配は消えていない。膝をついて、だが確実にそこにいた。
 しかし当然無事とはいえず、右腕が千切れ、左脇腹はえぐれ、体中に裂傷が走っている。本来ならば、退場を余儀なくされるほどの致命傷。

「驚いた。バーサーカーを一回殺すなんて」

 イリヤは目に映るものが信じられないらしい。ぱちぱちと瞬きをしてバーサーカーの姿を確かめていた。
 だがまだ余裕があるらしく、微笑を浮かべているところは変わらない。

「え?」

「――――な、何だ、あれ」

 凛と士郎の声が聞こえてくる。

 目の前で瀕死――いや、殺された筈のバーサーカーがゆっくり立ち上がっていた。
 体に走っていた裂傷は塞がり始め、えぐれていた脇腹が目に見える速度で修復されていく。
 バーサーカーは足元に転がった右腕を無造作に拾い上げると、腕の切断面に押し付け――数秒もしないうちに、その腕は繋がっていた。

「どういうこと? あの中にいて、まだ生きていられるっていうの!?」

 流石の凛も平静ではいられないらしく、取り乱す。
 士郎は目の前で起こったことに言葉をなくし、立ち尽くしている。

「いいえ、確かに死んだわ。でも、一回」

「一回?」

 ふふ、と笑みをこぼすイリヤに、眉を寄せる凛。

 俺とセイバーはバーサーカーから視線を外さない。
 バーサーカーの体は右腕とわき腹の、本来治癒不能といってよかった傷を残して完治している。
 もう行動自体には何の支障もないらしく、地面に突き刺さる斧剣を無事な左手で引き抜いている。

「リン、いいこと教えてあげる。バーサーカーの真名はヘラクレス。
 十二の試練を成し遂げた英雄。十二の命を持つサーヴァント。つまり――十二回殺さなければ倒せないわよ?」

「そんな化け物をバーサーカーに!?
 バーサーカーって本来、力の弱い英霊がなるクラスでしょう!」

「しかも同じ手段でバーサーカーは殺すことはできない。
 さて、二騎で宝具を使ったとしても、一回殺すことが出来たのは褒めてあげる。で、貴方たちはこのバーサーカー相手にこれからどう抵抗するのかしら?」

「――――!」

 凛と士郎が黙りこくってしまう。
 目の前の化け物に敵う手段が見つからないのだろう。
 セイバーも魔力の供給がないので無理はさせられない。

 なら俺が、アレを止める。
 ――そうしなければ、ならない。

 脳裏に、剣を支えに立ち上がるセイバーの姿が回顧される。
 あんなのはもう見たくない。
 それに、他ならぬ士郎のことだ。セイバーが危なくなれば、盾になって殺されてしまうだろう。
 凛だって、いくら魔術師といってもあの化け物相手では一撃も持たない。

 俺はみんなを守るって決めた。
 それなら力を惜しむ理由はない。

(凛、聞こえるか?)

 凛に念話を繋げる。既に何回か念話で会話していたため、手間取ることなく呼びかけられた。

(――どうしたの、アーチャー)

(魔力の使用量に構わければ、まだ闘うことは出来る。宝具の使用許可が欲しい)

(――あなた、まだ余力があるの!?)

(ああ。だけど、真名がばれてしまう可能性が高い。それに、相当の魔力を消費すると思う)

(――……背に腹は変えられない、か。思いっきりやっちゃっていいわ。アーチャー)

(わかった。危ないから、ちょっと離れていてくれ)

 そうして、繋がりを絶つ。
 許可は下りた。気合を入れるように、両手を握る。


「……黙っちゃって。ふふ、絶望しちゃったのかしら。
 いいわ。バーサーカー、殺しなさい」


「――――させない」

 こちらへ襲い掛かろうとするバーサーカーの前に、躍り出る。

 手には再び、風の鞘から開放されたエクスカリバー。
 じわ、と体に熱が篭っていく。生成される魔力を一切漏らさず体中に留め、宝具使用の為の充填を開始する。

「……!」

 イリヤはこの異常な魔力の猛りをその身に受けて、後ずさりする。

 セイバーと違って体に残る魔力は充分。凛からの供給もあるから倒れるなんてこともないだろう。
 体で高圧縮されていく魔力。目に見える程の魔力の輝きが、周りに瞬き始めた。

「――――殺させて、たまるか」

 力がみなぎっている。不可能なことなど無いと錯覚するほどに。
 高揚感で、心がはちきれてしまいそうだ。これがセイバーの力。これがセイバーの、宝具。

 だが、この膨大な魔力を消費する『約束された勝利の剣(エクスカリバー)』を以ってしても、バーサーカーを十一回も殺し切ることは出来ないだろう。
 しかし、回復しきっていないバーサーカーが相手であるなら、数回の死であればそれも可能。

■■■■■■ーーー!!

 危険を感じたのであろうか、あのバーサーカーが向き直り、俺を明確な敵と認識した。地面を蹴り、土を巻き上げながら突進を開始する。

 だが、遅い。こちらの魔力充填はほぼ終わっている。バーサーカーが俺に切りかかる前に準備は終わる。
 手にあるエクスカリバーが、瞬いている。まるで昼になったように墓地を明るく染め上げる。

「――駄目っ! バーサーカー、退きなさい!」

 イリヤが体をかたかたと震わせながら叫ぶ。
 見るとその顔から笑みは消えていた。俺を見る目には敵意と、ほんの僅かな怯え。
 駆け出していたバーサーカーはイリヤの言葉を聞くと、躊躇もせずに引き下がった。そして震えるイリヤの傍に寄り、その体を腕に抱く。

 抱えられて気を緩めたのか、イリヤに先ほどまでの体の震えはもう見えない。

「……今回は分が悪かったわ。今日は退いてあげる」

 イリヤを抱えたまま大きく跳ぶバーサーカー。
 数十メートル離れた辺りで、イリヤだけが振り返った。

「また改めて遊びに行くね、お兄ちゃん!」

 イリヤが無邪気な笑みを浮かべてそれだけを言うと、バーサーカーはその巨体に合わないスピードで跳び去っていった。



 その気配が感知できる範囲から消えたのを確認し、魔力を開放する。
 戦意を解くと、両手からエクスカリバーの質量が消えた。

(凛、追った方がいいか?)

(――……追わなくていいわ。今は、凌げただけでも良しとしとく)

(そう、だな。
 ……いや、でも助かった。宝具使ってたら相当魔力消費するから、後の戦いに支障が出ただろうしな。たぶん)

(――は? ……あんたねぇ、そういうことは先に言っておきなさいよ!)


「た、助かったのか……?」

 士郎が呆然と言った様子で呟く。
 凛は念話で交わしていた会話を打ち切り、視線を士郎へと向けた。

「そのようね……。アーチャーがいなければ危なかったわね」

「……っ!」

 凛の言葉に、セイバーが悔しそうに表情を歪める。
 マスターを守ると言っておいて、結果的に他のマスターのサーヴァントに助けてもらってしまったからだろう。
 例え原因がセイバーではなく、魔力供給も侭ならない士郎にあったとしても彼女は自分を責めてしまう。

「とりあえずここから出ましょう。こんな気味の悪いところに居続けたくないわ」

「ああ、そうだな」

 魔力を消費し、幾分重くなった体を引きずって外人墓地から出て行く。

 振り返って墓地を改めて見渡すと、墓石のその半分近くが叩き割られて吹き飛んでしまっていた。
 半分はバーサーカーに、もう半分は予想もしてなかった竜巻の威力によるもの。
 だが、それで削ることが出来たバーサーカーの命はたったのひとつ。そしてもちろん、同じ手段はもう通用しない。

 喉が鳴る。
 その光景から、狂戦士の恐ろしさを改めて感じ取っていた。



[7933] 四日目【4】
Name: 下屋柚◆26967502 ID:5480aeb6
Date: 2009/04/24 02:13
 深山町に向かって歩く四人。
 しかしその間、誰一人言葉を発することなく無言だった。

 セイバーは黄色い雨合羽を上から羽織りなおし、一歩引いた位置からただ黙々とついてくる。
 士郎は大方、先ほどの戦闘をみて聖杯戦争の過酷さを改めて感じているのだろう。眉根を寄せて、酷く真剣な表情で集中している。
 凛は凛で何事か考え事をしていて、他の三人を気にした様子もない。
 その中で俺がしゃべる気になるわけも無く、セイバーの横で黙りこくったままただ足を進めていた。


 橋を渡り、交差点に差し掛かる。
 ここが凛と士郎の家の分かれ道。

「遠坂。明日から敵って話なんだけど――――」

「そのことについて話があるの。衛宮くん」

 そこに来て立ち止まり声を上げた士郎を、被せる形で凛が遮った。
 俺とセイバーも己のマスターに倣う形で立ち止まる。

「な、なんだ?」

「よければバーサーカーを倒すまで同盟を結ばない?」

「それは俺としても願ったりだけど――――どうして」

 士郎の疑問も尤もだろう。
 つい一、二時間前までは「明日からは敵同士。覚悟しなさいよ」なんて言っていたんだから。

「バーサーカーを見たでしょう? あれは正直、想像以上の化け物だったわ。
 私もアーチャーがいればこの聖杯戦争は負けはしないと思っていたけど、あんなダークホースがいるとは思わなかったのよ。
 やり様によっては一対一でも何とかなるかもしれない。でも、私にもアーチャーにも負担が掛かりすぎる」

「ああ、なるほど。そこでセイバーが出てくる訳か」

 バーサーカーの化け物振りを思い返したのか、話している凛は渋面を浮かべている。
 対して、すっかり講義を受けているように頷きで返しているのは士郎だ。

「そう。魔力こそ足りないけど、セイバーは白兵戦ではバーサーカーを圧倒していたわ。
 セイバーが足止めして、アーチャーが攻撃する。役割は逆でも構わないけど、他に取れる手段も出てくる。戦略は大幅に広がるわ」

「そうだな。俺も今日の戦いを見ていて感じた。アレと真っ向から一対一で戦うなんて、無謀だ」

「ま、もちろんバーサーカーを倒した後は元の敵同士に戻るけどね。
 それでも、貴方たちにかかる負担だって軽くなる。どう? 悪い話じゃないと思うのだけれど」

 その言葉を聞いて士郎は若干顔を顰めながらも、笑みを作った。

「その敵同士ってところは同意しかねるけど――――バーサーカーについては構わない。
 あ、セイバーもそれでいいか?」

「…………構いません。私はマスターに従います」

 問いかけから返答に若干の間があったようだけれど、セイバーも同盟を承諾した。
 戦闘が終わった後の凛の言葉と、今の話の流れ――己だけでは護り切れないと士郎に判断されたことで、心中は複雑だったのではないだろうか。

「そ。それじゃ、成立ってことでいいのね」

 言うなり手を差し出す凛。
 その差し出された手と、そっぽを向いて視線を合わせない凛の顔を交互に眺めた後、士郎はぼんやりと口を開く。

「えーと、どうしたんだ? 遠坂」

「ど、どうしたって、協力する人には、これからよろしくって握手するんじゃなかったの?」

 凛は顔を真っ赤にして、恥ずかしそうに顔を背けたままだ。
 だけど、差し出した手を引っ込める様子はない。

「あ、ああ。そうだな。よろしくな、遠坂」

 戸惑いながらも握手に応じる士郎。
 握手が終わるや、凛は『ふんっ』とそっぽを向いてしまう。
 恥ずかしかったならやらなきゃいいのに、と思う。


「あ」

 辺りを見回して、何かに気づいたように士郎がこっちに駆け寄ってくる。
 なんだろう? 訝しげに士郎を見るのは俺だけじゃない。

 俺の前に立つと、士郎はにっこり微笑んだ。

「アーチャーも、これからよろしくな」

 そう言って、右手が差し出される。

「へ? ――あ、うん。よろしく」

 慌てて、差し出された右手をこちらの手で握る。
 それに、士郎の行動があんまり予想外だったものだから口調が素に戻ってた。
 握った手を離した後、士郎は元の位置――凛の真正面へと戻っていく。

 俺は、握手した右手を胸の前で確かめるように握りながら、戻っていく士郎を見送っていた。
 ――士郎の手って、こんなに大きかったのか、なんてことを考えながら。
 いや、俺の手が小さくなったとは理解しているけど、俺よりも手が大きい俺(士郎)がいる、というのも何か変な感じだ。

 そんな時視線を感じて振り向くと、呆然と士郎を眺めていた俺を、セイバーが怪訝な顔で見ていた。たぶん、急に口調が変わったからだろう。
 でも、今回は仕方ないじゃないか。完全な不意打ちだ。

 ―――ええと、凛はなんで、俺と士郎をじとっとした目で睨んでいるんだ?


「……ところで衛宮くん、あなたの家に部屋って空いてる?」

「え? ああ、無駄に広い家だからな。部屋なら余ってるけど、何かあるのか?」

「何って、私たちが士郎の家に泊まり込むのよ。
 どうやら部屋はあるみたいだし、ちょっと間借りさせてもらうわね」

「な? なななな、何言ってるのかわかってるのか遠坂っ!!」

 士郎が真っ赤になって後ずさっていく。
 我が事ながら、大声を上げて後ろに下がっていく様はあまりに間が抜けている。

「ええ、充分にわかってるつもりだけれど。
 一箇所にまとまってないとバーサーカーに襲われたときに対応できないでしょう。
 とりあえず、これから一度家に帰るわ。今からだと……昼ぐらいにあなたの家に行くからそのつもりでお願いね」

「いや、まずいって! 俺の家、よく、藤ねえ――藤村先生と桜が来るんだから!」

「それじゃそっち用に何か適当な理由を考えとくわ。言いくるめれば問題はないわよね?」

「まぁ、それなら確かに問題は……って女の子が男の家に泊まること自体が問題だろ!?」

 うむ。まぁ正論だ。
 だが、相手は遠坂さん。一筋縄ではいかないぞ、士郎。
 なんて、妙に達観した気持ちで経験者は語ってみる。

「あら? それじゃ士郎は私に何かする気なのかしら?」

 凛がニヤニヤと笑っている。
 ああ、あの日の悪夢再び。俺が言われた時と全く同じ笑みだ。

 ――――これが、あくまである。
 仮にも健全な男子になんてタチの悪い。絶対に敵に回したくない。

「そ、そんなことするわけないだろ!」

「そうね。士郎はそんなことしないってわかってるわよ。
 ということで、お昼に行くからよろしくね」

「ぐっ!
 ――――そういえば遠坂、今俺のこと、士郎って呼んでなかったか?」

「協力するんだから名前で呼びたいんだけど、駄目だった?」

「い、いや。それは全然構わないんだけど……」

「よし。それじゃ、お昼にまた」

「あ、ああ」

 なし崩し的に論破され、呆然としたままの士郎を置いて凛は歩き出す。
 凛は鼻歌などを歌いながら足取りも軽く、何か上機嫌に見える。

 何故上機嫌なのか、俺にはさっぱりだったけど。






 昼、凛と共に、赤いボストンバックを両肩に掛けて衛宮家を訪れる。
 凛は車輪つきのトランクをごろごろと転がしてきた。トランク、ボストンバック二個。これ全部が凛の私物である。
 ああ、いや。着替えと、遠坂家にあった料理のレシピだけは俺が持ってきている物だ。まだ全部に目を通していなかったから借りてきた。
 ちなみに、トランクの中にはセイバー用に今俺が着ている物と同じものが数着分詰め込まれている。
 何故数着も予備があるのだろうか。この服、凛は着ていないって言ってたのに。

 凛が玄関先に設えられているインターホンを押す。
 きんこーん、と耳慣れた音が屋敷の中から聞こえてくる。

「あ、遠坂」

 てっきり玄関から出てくるかと思いきや、庭の方から士郎とセイバーがやって来た。
 どうやら、庭にある道場の方にいたようだ。

「あんたね、お昼に来るって言ってあったんだからちゃんと家にいなさいよね」

「悪い悪い。起きたらセイバーがいなかったもんでさ。
 道場にいたからそのまま道場で話し込んじまった」

 士郎は恐らく無意識に、人差し指で頬を掻く。
 ――へぇ、自分じゃ気がつかなかったけどこんな癖があったのか。

「まぁ、いいわ。で、私が使っていい部屋は何処?」

「あ、こっちの離れを使ってくれないか?
 そこそこ広いし、アーチャーも同じ部屋でいいよな?」

「ええ、構わないわ。ありがとう」

 …………。おな、じ部屋?
 それはもしかして凛と同室という意味でよろしいのでしょうか?

 いや、待ってくれ。
 それはまずい。精神が男の俺がっていうのもあるし、なにより妙に凛が怖い。

「し、士郎。出来れば凛の部屋とは別に、近くに私の部屋を貸して頂けると助かるのですが」

「……何を言い出すの? アーチャー。士郎に迷惑が掛かるでしょう」

 突拍子もないだろう俺の発言に、もちろん凛も訝しげに俺を見る。

「――――」

 言葉に詰まってしまう。
 確かに、部屋をもう一つ用意するんじゃ手間も掛かってしまうだろうけど。でも、同室はなんとかして避けたい。

「あれ? えーと、サーヴァントはマスターを危険から守るために近くで待機しているべきってセイバーに聞いたんだけど。
 現に、セイバーも俺と同じ部屋で寝ようとしたし」

 士郎がここにいる全員に確かめるように言う。
 それに「当然です」と言わんばかりに首肯するのはセイバー。

「それで、衛宮君。貴方セイバーと一緒に寝たの?」

「ね、寝るわけないだろ! 隣の部屋で寝てもらったんだよ」

「ま、あなたならそうでしょうね」

 ああ、そうだろうな。何てったって俺なんだろうし。
 現に今、未来の衛宮士郎も凛と同室になるのを必死で回避しようとしているところだ。

「というわけで同じ部屋でいいかと思ったんだけど。俺とセイバーとは違って同性なんだから」

「そうですアーチャー。それはサーヴァントとしてあるまじき提案です」

 確かに士郎の言うことも尤もだ。
 俺だって同じ状況なら、同室でいいんじゃないか、とか思っていただろう。
 セイバーの言うことだって間違っちゃいない。
 サーヴァントとして、マスターをすぐに守れる位置で控えるというのは当然のことなんだろう。力量に劣る俺なら尚更だ。

 でも、それでも――!
 あの夜の一言が、あの手の動きが頭から離れてくれないんだ。

「しかし……凛と同室で寝るとなると問題が……」

 俯いて喋る。これから俺がする発言に、どれだけの危機感が込められているのを読み取ってくれるだろうか。
 それによって、上手くいってくれるかどうかが決まる。士郎とセイバーが味方についてくれれば、あるいは。

「「同室で寝るのに、問題?」」

 士郎と凛が揃って不思議そうに声を上げる。
 意を決して、俺は顔を上げた。


「凛は、何故か私の体に過度の興味を抱いているようなのです」


「――――過度の興味って、遠坂。まさか、お前」

 誰も動かず、言葉も発せない中。
 数秒程経って、気づいたように士郎が凛から飛び退く。顔はヒクヒクと引きつり、その後もじりじりと後退している。

「ち、違うわよ! ア、アーチャー! 変なこと言わないで!!」

「セイバー、遠坂には極力近寄っちゃ駄目だぞ。何をされるかわかったものじゃない」

 士郎はセイバーを腕で後ろに下がらせる。
 だが、それに素直に従うようなセイバーではなかった。

「ええ、わかりましたシロウ。
 ――リン、先に言っておきますが、私はそちらの趣味は持ち合わせていません。少なくとも自ら進んで行おうとは思っておりません。
 どうか他を当たるよう、お願いします」

 セイバーは進み出て、手を『STOP!』というように凛の前にかざす。
 なるほど。サーヴァントはマスターを護るモノであって、マスターに護られるモノではないということなのだろうか。

「セ、セイバーまで……」

 流石にセイバーの一言は効いたのか、凛は力尽きたように膝をついてうな垂れた。

「アーチャー、今まで大変だったんだろう。近くに部屋を用意する。そこで寝泊りしてくれ」

「助かります、士郎。あなたの寛大な措置に感謝を――――」

 俺の肩に手を置いて何故か涙目の士郎に、俺は最上級の礼を贈っていた。

 ちなみにセイバーは俺を守るように立ち塞がってくれている。
 流石に、自分と同じ存在に貞操の危機(?)が迫っているのを良しとしなかったのだろうか。


――――いいから、私の話を、聞けぇぇーーーー!!



 時間は流れ、午後7時過ぎ。

 凛は士郎とセイバー、そして誤った認識を植えつけられていた俺の誤解を解いた。
 なんでも、女性として他の女の人のプロポーションは気になるものらしい。中身男の俺と、男として扱われたセイバーにはよくわからない心理だったが。
 一時間に及ぶ説得の末、自分の汚名を返上した凛は己が寝泊りする離れの客間を『改造』しに行った。
 俺はその後やることがなかったので縁側に座って、凛がばたばた走り回る様を呆っと眺めたり、凛の家から持ち出したレシピを読んだりしていた。
 ちなみにセイバーは道場でずっと正座していたらしい。

 あ、先ほど食事当番は順番でやることが決まった。
 士郎、俺、凛がローテーションで。俺が夜作ったら、次の日は昼作る、といった具合だ。

 イレギュラーである俺が料理が出来て、セイバーは料理が出来ないことを凛は不思議に思っていたようだが「色が違うくらいだから同一人物でも得手不得手の差異があるのかも」と都合よく解釈してくれたようだ。
 加えて、俺とセイバーは同一人物ってことになっているが、料理の件を切欠に色の違いや性格の微妙な違い、出来ること出来ないことがあることから、伝わる伝承の違いが人物の分化を起こしたのではないか、と推論している。
 結果として士郎も凛も、俺とセイバーは大本は同じ人物ではあるが多少の誤差があっても気にしない、という方向で扱ってくれている。
 凛のお陰で俺の正体がどんどん一人歩きしてしまっているが、自分らしく振舞えるようになったので万々歳だ。

 ま、そんなわけで料理当番のローテーションで、今回は俺の番ってことになった。

「それで、これからどうするか決まっているのですか? リン」

 セイバーの声が居間から聞こえてくる。
 俺はキッチンで居間で話している三人の話を聞きながら、玉葱を剥いていた。

「それなんだけど……まずはマスターを探すのが先ね」

「そうだな。今のところ分かってるのは俺と遠坂だけ。まずはそこからだ」

「何言ってるの、イリヤスフィールもでしょうが!」

 どうでもいいけど、なんだかここで一人だけ料理していると除け者にされたみたいで寂しいな。


 牛肉を玉ねぎの微塵切りとりんごの薄切りに赤ワインを加えたもので煮詰めるまで煮込む。
 ワインのアルコールが飛んだところで塩コショウを振り、軽くソテー。
 ソースは大根卸しに醤油を加えた和風なもの。好みでかけられる様に器を別にしておく。

 ――というメニューから分かる様に、今回からは準洋食だ。
 何か言われたら昼に料理の書物を読んでいたって言えばいいので、問題はないだろう。

 凛の家にあったレシピを漁っただけだが、俺の調理技能は確かにレベルアップしていた。
 以前は肉系の料理がどうにも苦手だった俺が、こうして色々と調理法が浮かぶようになったのだから大幅なレベルアップだろう。
 洋食の手法や、調理法を取り入れたから大体の食材にも対応できるようになったと思う。

 付け合せにコンソメベースのトマトとオニオンのスープを作る。
 レタスをちぎって深皿に盛る。トマトを切って飾りつけ。醤油にゴマ、それに油を加えて撹拌させた簡易ドレッシングも添えておく。
 白米は茶碗ではなく、皿に盛る。本来はパンなんだろうけど、そこまではいいだろう。洋食なのはあくまで雰囲気だ。

「アーチャー、手伝おうか? 一人じゃ大変だろ」

「あ、助かります」

 話が一段落付いたのか、士郎が声を掛けてきた。

 俺ってこんなに気が効くやつだっただろうか? 自分じゃわからないものだ。
 ま、前回は俺が手伝ったから、おあいこってことで手伝いに来てくれたのだろう。



「くっ!」

「これは――――」

「「美味しい―――!」」

 ちなみに前者が凛、後者がセイバーだが、その後の二人の台詞は意味合いが違う。
 凛は「あんた、こんなの作れたのっ!?」っていう意味で、セイバーはただ単に美味しいものに感心しているだけだろう。

「アーチャー、料理上手いんだなぁ。
 ――ん、メインの牛肉も柔らかいし、風味もいい。味付けも日本人好みになってる。
 俺も、桜のやつもこれはうかうかしていられないな」

「そうですか。ありがとうございます。頑張ってみた甲斐がありました」

 士郎が感心したように言ってくれる。
 自分だとわかっていても誉められれば嬉しいものは嬉しい。言いながらも、つい口元が吊り上ってしまう。

「これなら生前も良い奥さんとかになれたんじゃないかな……って何を言ってるんだろうな、俺は」

 そんな俺を見て、士郎は頬を掻き、顔を赤くしながらそんなことをのたまってくれた。
 生前、私はあなただったのですよ、士郎。

「…………」

 盛り上がっていたテンションは急降下した。そしてべちゃり、と底にひっついた。
 料理を誉めてもらえて嬉しかったってのに、余計な一言で今や完全にマイナスである。



 食事が終わる。
 正直、手順をしっかり踏んだ洋食技法は初挑戦だったからいくらか不安だったんだけど、案外受けがよくてみんな残さず食べてくれた。
 ただ自分で作った所為か、不思議と食べてみても士郎や凛の料理ほどの感動はなかった。少なくとも、目が潤んでくることはなかった。


 その後は士郎の魔術について、今後の指針、学校はどうするかを話し合う。
 しかし、大抵は士郎と凛で話を決めてしまうので俺やセイバーが口を出す機会はなかった。

 まず、士郎の魔術についてだが、戦力増強のために凛が基礎から教えることになった。
 戦力はあって困るものじゃない。少しでも時間があるうちに出来る事はやっておこうということだ。

 次は今後の指針。これはしばらく、他のマスターを探して回ることが決まった。
 けれど、こちらから動き回ると相手側の網にかかってしまうだろう、と受け手に回ることにしたようだ。
 ここまでは前回とだいたい同じ。大きな違いは無かった。

 第一の問題として、学校が挙がる。
 ランサーに襲撃される前、学校の敷地には魔術式――マナを集め、何かの結界を作る準備がされていたことを思い出す。
 近いうちに結界は完成してしまうだろう。

 そして、その学校にはマスターがいる。――――間桐慎二、ライダーのマスター。
 あいつは前回、ビルでの戦闘でセイバーに撃退され、その後逃げ出したところをイリヤに殺されたと聞く。

 俺は、慎二を信じたい。
 確かに回りに迷惑をかけて問題を起こすやつだったけど、昔は全然そんなやつじゃなかったんだ。
 今は無理かもしれないけど、いつかあいつもわかってくれると思ってる。
 そのいつかを得るには、あいつをイリヤに殺させちゃいけない。きっと、助けてみせる。

 それにはまず、結界を作るのを阻止しなければならない。
 幸い、完成するには時間がかかる。慎二もその間は特に動きを見せることは無かった筈だ。
 凛に知恵を借りて手を打っておけば対処できるかもしれない。

 ただ、学校に行くとしたら必然的にマスターの守りが手薄になってしまうことが問題か。
 というのも、俺もセイバーも霊体化が出来ないために人目がつくところでは護衛することが出来ないからだ。
 俺たちサーヴァントを家において各々が令呪で呼び出せば、という意見もあったが二人分の令呪を使うのはもったいない、と凛に却下されてしまった。

 代案として、危なくなったら俺かセイバー、一人を呼び出す。呼び出された一人が足止めしている間に、マスターの元に送られなかったもう一人が合流する方法を採ることになった。
 それには基本的に士郎と凛が出来るだけ一緒にいなければならない。色々と不都合が出てくると思うが、命と天秤にかけられるものじゃない。


 一通り話し合いが終わる。気がつけばもう日付が変わろうとしていた。
 士郎が大きなあくびをする。凛も眠気で少しぼんやりしているようだ。
 ただでさえ昨日は朝方まで起きていて、その後昼前には起きていたんだから眠くなるのは当たり前だろう。

 ある程度の方針は決まったので今日のところは解散となった。
 「おやすみ」と言葉を交わして、それぞれ部屋で眠りに就いた。



[7933] 五日目【1】
Name: 下屋柚◆26967502 ID:5480aeb6
Date: 2009/04/30 23:58


 これは夢。
 きっと、夢。


 ――――いや、それはあり得ない。
 俺はアーチャーに――サーヴァントになったのだから、そんなことはあり得ない筈だ。
 過去、遠坂からサーヴァントは夢を見ることはないと、確かに聞いた覚えがあった。

 なのに、寝ている筈の俺の視界は何かを映している。


 誰かの視点を借りているだろう、見える画面はモノクロで。
 目の前に映っているのは、白黒の世界で尚映える黒い髪の少女。
 おとなしそうな女の子。
 俺の妹分である■を小さくしたような、そんな女の子。


 わからない。
 女の子が何を言っているのか。

 わからない。
 自分が、この視点の持ち主が何を言っているのか。


 なんで、この少女が泣いているのか。
 俺には何も、わからない――――――




「っ!?」

 飛び起きる。呼吸が荒れていた。
 ……原因はきっと、この窒息するぐらいに胸を圧迫している切なさ。
 これも悪夢なのだろうか。

 ふと、目の辺りの異常に気づいて手を当てる。

「あ……れ? 泣いて、る? 泣いているのか、俺」

 知らない間に雫が頬を伝っていた。
 ぽろぽろと零れ落ちて、涙は布団に染みを作っていく。






◆◆◆






 さて、俺は今、衛宮家の家計を預かる者として頭を抱えている。
 まぁ家計を預かるといっても、本来ここで暮らしているのは俺一人だった筈なんだけどな。
 そんな我が家はここ数日で、いきなり大所帯になりつつあった。

 人が増えるのはいい。嫌いじゃない。それらは置いておいて……問題は食費である。
 なにしろ食客が一気に三人増えた。
 作るのももちろん大変なんだけど、それはいい。楽しみがあるからそれほど苦にはならない。
 問題は材料費。遠坂はともかく、残る二人は結構な健啖家のようだ。これまたそこそこ食べる桜と藤ねえ、育ち盛りの俺を数に入れると、食費は二倍の計算になる。

「……はぁ」

 計算してみると、貯めておいておいた貯金を下ろさないと今月を乗り越えられそうにない。
 暫くは追加のバイトに行く暇もなさそうだから、補填しようにも充てがないのがまた痛い。
 とはいえ来月からバイトを増やせば、計算上では何とか帳尻は合ってくれる。……セイバーとアーチャーが昨日の食事の量で満足していたら、という前提あってだけど。


 布団を畳み、自分の部屋から廊下に向かう。
 昨日は鍛錬の後ついうとうとして土蔵で寝てしまっていたのだが、朝方に寒くて目を覚まし部屋に戻ってきていた。
 その所為かいくらか反応が鈍い体で、隣の部屋で寝ているだろうセイバーを起こさないように静かに部屋を出ていく。

 台所へ向かう途中洗面所に寄って顔を洗い、冷水で強制的に意識を覚醒させる。
 ぼんやりしていた頭がすっきりしたところで、改めて廊下を進んでいく。


「あれ?」

 まだ外だって薄暗い早朝のこの時間、居間の机の前に誰かがいるのを見つけて足を止めた。

 ――――セイバーかアーチャーが、目をつぶって正座している。
 昨日、遠坂が服を持ってきてくれたから、今セイバーとアーチャーは全く同じ服だ。
 髪留めの紐が唯一色違いなんだけど、ここからじゃ見えない。もちろん目をつぶっているんだから瞳の色など見えるはずも無い。
 その所為でセイバーだか、アーチャーだかの区別がつけられない。

「……セイバー、か?」 

 つかないし、自信も無いんだけど―――
 なんとなく俺には、彼女はセイバーであるような気がしていた。

「シロウ。おはようございます」

 ――当たった。

 セイバーは目蓋をゆっくりと開き、こちらに視線を送る。自然と真っ向から視線が噛み合った。
 ……セイバーのそのゆっくりとした動作、日本人にはない綺麗な色の瞳と向かい合ってるこの状況に、なんだかどぎまぎしてしまう。

「ああ、うん、おはよう。ちょっと待ってな。朝食作っちゃうからさ」

「はい。楽しみにしています。
 アーチャーの料理も美味でしたが、シロウの作ったこの国の料理は丁寧且つ繊細な味付けで、素晴らしいものでした」

「そ、そっか。それじゃ、セイバーの期待に応えないとな」

 笑顔を浮かべてそんなことを言われたら、否が応でも頑張らなきゃという気持ちになってしまう。
 自分の作った料理を美味しそうに食べてくれるだけでも嬉しかった。その上楽しみにしてくれているなら尚更落胆はさせられない。
 よし、と心の中で、静かに気合を入れる。


 ――今のやりとりだけで、こんなにも似ているセイバーとアーチャーが別人であると判別できていた。
 いくつか話すと尚更に判り易い。セイバーもアーチャーも実直な話し方だけど、セイバーの方がいくらか硬い印象だ。
 呼び方のイントネーションとかアーチャーの方がより日本人の発音に近いっていうのもある。
 でも、やっぱり外見ではわからなかったりするので、アーチャーが起きてきたら、せめて胸元のリボンの色も髪留めと同じ赤いものに変えてもらうよう言ってみよう。

 そんなことを考えながら頬を掻いて、今度こそ台所へ向かった。



 その後、三十分程してからアーチャーが居間に入ってくる。
 セイバーとは違い、目が充血しているようだけど何かあったのだろうか。

「ああ、いいえ。大事はありません。
 ただ、その、恥ずかしながら夢を見て少しだけ泣いてしまったようで……」

 調理しながらそのことについて訊ねてみたら、言葉を濁しながらも答えてくれた。
 頬を染めながら俯き、忙しなく視線を廻らせたりと、本当に恥ずかしいようだった。

 むう。別に恥ずかしがるようなことだとは思わないけど、女の子もそういうものなのだろうか。
 男なら『簡単に泣いてたまるか』なんて矜持があるけれど、彼女は少女といっていいぐらいなんだからそれぐらい構わない気がする。
 むしろ、そういったところが可愛いと思ってしまう俺が間違っているのか? 正直なところ、わからない。


 続いて起きてきたのは遠坂だ。
 なんというか、すごい。
 まず、目つきが悪い。入ってくる足取りの方は定まっておらず、まるで恐竜が闊歩しているようだ。
 その目つきと歩き方で、道で会ったら思わず進路を譲ってしまうだろう。
 とりあえず、普段の非の打ち所の無い優雅さは欠片も見当たらない。

 俺が抱いていたイメージがガラガラと音を立てて瓦解していく。
 やっぱり、学校では猫を被っていたんだろうなぁ……。
 身近に感じて嬉しいっていうのが大きいけれど、それでもどこかで寂しく思ってしまう。

 はあ……俺はさっきから何を考えているのだか。

 俺は挨拶の言葉も出せずに固まっていたのだけど、遠坂はその間に冷蔵庫から勝手に牛乳を取り出し、コップに注いで飲み干していた。
 洗面台のある場所を訊いてくるのに何とか答えると、またのそのそと廊下へと歩いていく。


 気を取り直して再び調理に取り掛かろうとしたところで、今度は客の来訪を知らせるチャイムの音が響く。
 つい、と壁がけの時計を見ると、どうやら起きてから結構な時間が経っていた。

 ん――、時間的に見ると、来客は桜だな。
 鍵を渡してあるんだから開けて入っちゃっていいっていつも言っているんだが、それでも一度は押すようにしているらしい。
 最近はようやく遠慮がなくなってきてくれたけど、こういうところは昔から変わらず律儀だ。

「シロウ、来客のようですが」

 敵意がないのを感じ取ったのか、セイバーが穏やかに話しかけてくる。
 同じ姿をしたアーチャーは彼女から離れたところに同じく正座で座って、声を上げたセイバーを無言で見ている。

「ああ。ええと、知ってるやつなんだけど、鍵を開けてやらないといけなくてさ」

「鍵ならば私が行き、開けてきましょう。シロウは料理を完成させてください」

「……そうか? それじゃ悪いけどそっちは頼むな」

 立ち上がり、俺を手で押しとどめて玄関へ歩き出すセイバー。
 申し出を拒否する理由もない……と思うので、セイバーに任せて今度こそ料理に取り掛かる。

 いや、しかし――――何かを忘れているような。
 引っかかっているのは今の一連の応答なんだけろうけれど。

 ええと、別に鍵を開けるだけだから、セイバーでも問題ないだろう。そんな難しい構造の鍵じゃないし、見れば分かる筈。
 桜に関しても、家に上げてなんら問題はない。いや、毎朝うちまで来てくれてありがたいぐらいだ。

 ……って、しまった! 桜とセイバーの間に面識がない!
 というか、桜にはまだ何も事情を説明していないんだ!

「士郎?」

 思い至るや否や、台所から駆け出して急いで玄関に向かう。
 背後からアーチャーの問い掛けが聞こえてくるけれど、応答している時間はない。



「待て、セイバー!」

 セイバーは鍵に手をかけようとしたまま、呼び止められてこちらを見ている。
 こちらは玄関まであと数歩、といったところ。

 何とか間に合ったか、と安心したのが悪かったのか。そこで俺は何かに足を取られていた。
 必死に駆けていた所為かその反動も大きく、体が空中に投げ出される。

 急転回する視界の中、滑った原因が足の下から転がり出る。
 これは、緑の小粒の宝石。確かペリドットとかいう種類だっただろうか。

「なんで宝石……遠坂かぁっ!!」

 昨日、魔術の説明を受けた時に「遠坂の魔術は宝石を使うの。お金が掛かって大変なんだから!」と、遠坂に八つ当たりされたのは記憶に新しい。
 宝石魔術がどういったものなのか例として使われたのがこのペリドットだった。何か二つを合成する際に、『つなぎ』として使えるらしい。説明を受けた今もよくわかっていないが。
 とりあえずは自身の金運の無さを嘆くより前に、宝石を落としたりするポカをまず直して欲しい。

「う、わぁぁ!」

 勢いがつきすぎて受身すら取れそうにない。為す術なく玄関のタイル――土間の辺りへと頭から突っ込んでいく。

「シロウ、危ない!」

 その声が聞こえたときには、セイバーに抱きとめられてた。
 あのままなら間違いなく地面に頭から落ちることになっていた。
 というものの、俺にはどうなって抱きとめられたのかわからない。いきなり目の前にセイバーが現れたように見えた。

 しかし……その、なんだか顔に柔らかいものが当たっているんだけど。

「先輩!? どうかしたんですか!?」

 扉ごしにくぐもった、だが焦ったような声。続いてがちゃがちゃと鍵を開ける音が聞こえてくる。
 起き上がる間もなく桜が合鍵を使って鍵を開け入ってきた。
 ばたばたと騒がしかったので心配になったんだろう。桜には珍しく、眉が釣りあがっている。
 しかし、俺を視界に捉えた途端に動きを停止させた。

「さ、桜? どうしたんだ?」

 抱きとめられたまま桜に向き直ろうと顔を動かすと、ふかっとした感触が頬に当たる。
 ――ええと、これは?

「シロウ、大丈夫ですか? その、頭を打ったりなどは……?」

 ふわっ、と優しく頭を撫でられる。
 そこで自分がどういう状況に居るか思い当たった。

「うわ、すまない! 大丈夫だ! セイバーのお陰でどこも打ってないぞ」

 セイバーから大急ぎで飛び退く。
 彼女は「それならばよいのですが」と返し、首を傾げて挙動不審であろう俺をじっと見つめている。
 その顔を見、視線を彼女の胸部に落とし、さっきの感触を思い出してしまって顔がかあっと熱くなってくる。

「――――先輩。説明をお願いしても宜しいでしょうか」

「え!? ああ、うん。それは構わないけど……」

 桜に声をかけられて、訳も無くうろたえてしまう。

 後、説明についてだけれど、言い訳担当の遠坂がこの場にいないことには下手なことも言えない。
 ――そういえば顔は笑っているのに、ぴりぴりとした威圧感が桜から俺に向けて発されているのは何故なんだろうか?
 視線を浴びて胃にキリキリとダメージを受けながらも、桜を居間に連れて行った。



 俺の料理の後はアーチャーが引き継いでくれていて後は並べるだけだった。
 引継ぎといっても既に八割がたは終わってたんだけど、動揺して火をつけっぱなしだった。
 アーチャーが機転を利かせてくれなかったら、危うく料理そのものが駄目になっていただろう。アーチャーには感謝だな。

 居間を見回すと、遠坂も既に普段の『遠坂凛』に戻っていて、すまし顔で席についている。

「遠坂……先輩?」

「おはよう。間桐さん」

 俺の後ろに続いていた桜は居間に入ったところで立ち尽くし、目を見開いて遠坂を見やる。
 対しては遠坂は余裕ありありといった様子で、呆然としている桜に向けて笑みを浮かべていた。

「な、なんで遠坂先輩が先輩の家に居るんですか!」

「ちょっと、落ち着いてくれ。な、桜」

 桜が、目に見えるほどに狼狽している。ここまで取り乱す彼女を未だ見たことはない。
 珍しいものを現在進行形で見ている気がする。

 ――いや、そんなことを考えている場合じゃないよな。

「私からちゃんと説明させてもらうから、間桐さん落ち着いて」

 言いながらも遠坂がアーチャーから湯飲みを受け取る。
 その様子、なんだか家主のような風格さえ漂っているような。

 ちなみに桜の視界にはセイバーやアーチャーはおろか、俺すら入っていないのだろう。というよりも、遠坂しか目に入ってないようだ。
 なにせ横にセイバーがいる状態で台所から同じ姿のアーチャーが出てきても、リアクションが全くなかった。

「今、私の家って全面改装中なのよ。
 どうしようかと思って、でも当てもないものだからホテルに泊まろうとしていたのだけれど、丁度そこに、し……衛宮くんがいてね。
 困っている私に、家に余ってる部屋があるから使えばいいって言ってくれたのよ」

「そんな……本当なんですか!? 先輩!?」

「う、ああ。本当だ」

 遠坂、よくもまあそんな嘘をべらべらと。
 桜に嘘をつくのは心苦しいけど、仕方がない。

「宿泊費も馬鹿にならないし、衛宮くんも遠慮しなくていいってことだから、お邪魔させてもらうことにしたわ。
 そういう訳で、これからしばらくはこちらでお世話になることになったからね」

「――――――っ!」


「今日~のご飯~はなーにかなっ♪ 士郎ー、おはよー」

 桜が眉根を寄せて、息を呑んだのも束の間、玄関の扉が乱暴に開かれる音がした。続くように妙な歌が聞こえてくる。
 あの陽気な声と珍妙な歌詞は藤ねえだ。これに至っては間違えようもない。

 見ると、流石のセイバーと遠坂も唖然としている。ここに通っている桜は慣れっこで、だが勢いは削がれていつもの表情に戻っていた。
 アーチャーの姿は先ほどから見えない。料理を机に出し終わった後、台所に行っているようだ。

 良くも悪くも、この重苦しい雰囲気を粉々に、それは木っ端微塵に砕いてくれた。

「ん~。今日もいい匂い。もしかして士郎、また腕を上げた? お姉ちゃんは嬉しいぞぅ」

 どたどたと足音をさせた後、豪快に開け放たれた扉の先にはやはり藤ねえ。

「「おはようございます、藤村先生」」

 姿を現した藤ねえに桜と遠坂が挨拶する。タイミングはぴったり、俺の耳には左右から同時に声が聞こえてきた。
 いきなり険悪だったけど、この二人ってなんだかんだで気が合うんじゃないか?

 藤ねえは挨拶もろくに返さず、席に着いて出された料理を勝手に食べ始める。
 頭の中は朝食で一杯らしい。年長者だというのに、行儀が悪いことこの上ない。

「うむ! やっぱり美味しくなってる! こうして士郎は料理人への道を駆け上るのであった!!
 このままお店とか持つのを目標に、調理師目指すって道もいいんじゃないかしら。そしたら私が毎日、いくらでも味見してあげるわよー。
 …………で、えーと、士郎。なんで遠坂さんがここにいるのかな? っていうか、この外人さんは誰?」

 一通り料理に箸をつけてようやく気づいたのか。
 意図せず喉から疲労の混じる空気が漏れる。これは、流石に付き合いの長い俺も桜も呆れざるを得ない。



 説明を要求する藤ねえに、遠坂がさっきの話をそのまま聞かせていった。
 その説明に対して、何故か藤ねえも必死で食い下がるが相手が悪い。遠坂のほうが完全に上手のようだ。
 俺の人柄について言及し、果ては学校の校風の話まで持ち出して次々と藤ねえが上げた反論を論破していった。

 それにしても、半端じゃないほど藤ねえは騒々しかった。
 理屈で勝てないとわかるや「下宿なんて許せるかー!!!」などと吠えるわ、最終的には料理の乗っているテーブルをひっくり返そうとまでしていた。
 そこまですれば今度はセイバーが黙ってはいない。暴挙を行おうとした藤ねえは、セイバーに実力行使されて捕り押さえられる。
 ……せっかく作ったものが無駄にならなくてよかった。お礼に、セイバーには藤ねえのおかずを一品プレゼントしてあげよう。


 それはさておき。
 この家だって結構大きい家なのだが、藤ねえの咆哮はきっと隣の家まで届いていたことだろう。
 ご近所の皆様には、毎度の事ながら申し訳なくなる。藤ねえがらみで迷惑掛け通しなので、今度菓子折りでも持っていかないと。



[7933] 五日目【2】
Name: 下屋柚◆26967502 ID:5480aeb6
Date: 2009/05/14 13:23

「遠坂さんのことは百歩譲って納得したとして……。あ、ほんとーはしてないのよ? でも年頃の娘さんが宿無しになっちゃうのは可哀相だから、私が折れて納得したってことにしてあげるんだから。
 でもね。こちらの金髪の女の子はいったい何処のどちら様なの? こっちの子についてもお姉ちゃん聞いてないわよ?」

 セイバーに押し倒された状態からようやく開放された藤ねえは、彼女を指差しながら俺に向かって声を上げる。
 遠坂に論破されたからか、それともセイバーに武力制圧されたからなのか。先ほどより勢いは衰え声量は抑えられていた。
 この台詞も言い負かされて暴れる前に聞けたなら理解のある姉貴分だと尊敬もしてやれるのだけど、今更聞いたところで負け惜しみにしか聞こえない。あと、いい大人が人を指差すのはどうかと思うぞ。

 藤ねえの質問を受けて遠坂を見ると、あちらから目配せされた。――どうにも、ここからは俺の担当区分らしい。
 説明といっても俺の口は遠坂みたいにぽんぽん回るわけじゃない。少し考えてもみたけど、何の目的で出国していたのかわからなかった人物と関連づけてやることぐらいしか思いつかなかった。

「……あー。えっと、彼女は外国の方の、親父の知り合いの娘さんなんだって。
 親父を頼って日本に来たらしいんだけど、宿も取ってなかったみたいでさ。放り出すわけにもいかないだろ」

「切嗣さんの? 確かに外国にお知り合いが一杯いるみたいだったけど」

 出来る限り自然に説明しているつもりだけど、果たして聞いてる側はどうなのか。つい、と遠坂を見ると焦った様子で俺を睨んでいた。
 …………幸い、藤ねえの反応は普段通りだったから今回は大丈夫だったのだろうけど、どうやら俺に見破られずに嘘をつく才能はないようだ。

「……あれ?」

 言い終えた藤ねえがぽかんとした様子で台所の方を見つめていた。倣ってそちらに顔を向けてみると、アーチャーがエプロンで手を拭きながら戻ってきたところだった。
 使っているエプロンが俺のだってことはさて置いて、きっと今まで調理器具を洗っていてくれたのだろう。後で礼を言っておかないと。

「えーと、もしかして双子さん?」

「あ、ああ。言い忘れていたけど」

「ふぅーん、綺麗な子たちねー。
 それで彼女たちがここにいるってわけなのね。なるほどなるほど」

 その間、アーチャーはセイバーの傍に腰を下ろし、なにやら小声で話しかけている。こうしてみると仲の良い双子を見ているようだ。
 性格は違うけれど雰囲気やら言葉遣いは似ているし、そう考えてみると二人が完全に同一じゃないだけ双子という見方がしっくりくるような気がしてきた。



「それで、貴女たちのお名前はなんていうの?」

 頷きながら一通りの説明を受けていた藤ねえは納得したのか、本人であるセイバーとアーチャーに問いかける。
 なにやら話していた二人の内、すっ、と静かに藤ねえの前に出たのはセイバーだ。

「リア、と申します。親しいものは私をセイバーと呼びます」

「……は?」

 思っても見ない言葉がセイバーの口から放たれた。それに、思わず目を見開いて彼女を凝視してしまう。
 呆けてセイバーを見ていると、彼女の横にアーチャーが並び出る。

「私はアルト。同じく、親しいものは私をアーチャーと呼びます」

 そして同じ口調で、同じように続いた。

 ……えーと、『リア』に『アルト』だって? 
 二人からはそんな名前を聞いた事はないのだけど、それが二人の真名なのか?
 てっきり、セイバーとアーチャーって紹介すると思っていたけど……いや、考えてみれば名前としては向いてないな。
 セイバーだけならまだしも、アーチャーも揃ってしまえば大抵の人は何かの符号か偽名かと首を傾げるだろう。
 一応藤ねえは英語教師だし助かった、のだろうか。そんな配慮が藤ねえ相手に必要なのかどうかは別として。

 遠坂の発案かと思い、そちらを見ると片手に持ったお茶が空中で固定されている。口に運ぼうとしたままぴたりと固まっていた。
 その驚きようから察するに、どうやら遠坂にも知らされてなかったらしい。

「リアちゃんにアルトちゃんね。ほんとよく似てるのねぇ~二人とも。
 セイバーちゃんとアーチャーちゃんじゃ可愛くないから、呼び方はリアちゃん、アルトちゃんでいいでしょ?」

「「構いません」」

「私は藤村大河。なんと士郎のお姉ちゃん的存在なのだー!」

「「そうなのですか、よろしくお願いします」」

 話についていけず、綺麗に揃った返答する二人を、黙って眺めていることしかできない。

 いや、それにしてもすごいな。ここまで同じ言葉を重ねて話していると、なんだか芸を見てるようだ。
 ……あと、彼女たちより藤ねえの話し方の方が精神年齢が低く聞こえるのが弟分として恥ずかしい。

「うんうん、それでリアちゃんたちは何のために日本に来たのかなー?」

 人差し指を立てて、首を傾げて微笑みながら問いかける藤ねえ。
 どうやらお姉ちゃん風を吹かせているみたいだが、俺はというと必死に打開策を考えていた。
 セイバーにそんなこと訊いても上手く答えられるとは思えない。こっちで何かフォローを入れないと……。

 結局何も浮かばず、遠坂に視線を送る。目のみで意思伝達。
 どうやら通じたらしく、頷いてくれた。

「藤村先生、彼女たちは――」

「シロウをあらゆる敵から守るために。そのように切嗣から言われました」

 フォローにかかった遠坂の言葉を遮るように、セイバーが答えていた。
 セイバーの言葉に、藤ねえと桜の動きが止まる。完全に成り行きを見守るしかない俺。

 どうやらセイバーにとって、こういった場面で機転を利かせることぐらいなんてことなかったようだ。
 そして少なくとも、俺より話し振りが上手い。俺は事情を知っているっていうのに、セイバーと親父の間にまるで面識があるよう聞こえるのだから。

「――――え~っと、観光とかじゃなかったの?」

「もちろんです」

 浮かべていた年上ぶった微笑を消し、こめかみに人差し指を当てて、むむむ、と唸り出す藤ねえ。

「……守るって言うくらいだから多少は腕に自信があるんでしょうね?
 リアちゃん、剣道できる?」

「伊達にセイバーの名で呼ばれているわけではありません」

 藤ねえの口調がついさっきまで友好的だったものから、うってかわって挑戦的なものになっている。……なんでさ。
 対してセイバーも、ことが剣の腕ということになれば退く気はないようで、あからさまな挑発に易々と乗っかって戦意を含ませた笑みを浮かべている。
 なんだか拙い事態になりそうだ。いや、もうなってしまったのかもしれない。

「藤ねえ、やめておけって。朝だし、時間もないんだから。
 ほら、そろそろ学校に行かなきゃまずい時間だろ」

 セイバーと藤ねえの間に体を入れ、向かい合って止めようとするものの藤ねえは俺など眼中にない様子で視線をセイバーから逸らす。
 その視線の向かう先には、アーチャー。

「アルトちゃんの呼び名は『アーチャー』だったわよね」

「……? ええ」

「それじゃ、弓道が上手って解釈でいいかしら?」

「弓道というには邪道ですが、それなりには」

 まずいっ! 今度はアーチャーに絡みだした!
 俺が止める間もなく藤ねえとアーチャーの応答は続く。

「それじゃあ、ちょっとこれから一緒に学校にいってもらってもいいかな?」

「士郎と凛が学校に行ってる間はやることもないので、私は構いません」

 もしかして、藤ねえは弓道場でアーチャーに弓を引かせる気なのか?
 まてまて! セイバーもアーチャーも剣術がとてつもなく上手いのは分かっているけど、弓術も同じだとは限らない。
 仮にも同じ英雄のセイバーは、適正は『セイバー』にしか無いって聞いた。それでもまったく嗜みがないって訳じゃないとは思うけど、そもそも西洋の弓術と日本の弓道は異なるものだ。
 アーチャー(弓兵)だから、と安心するにはあまりに楽観的に過ぎるだろう。

 っていうか藤ねえ、部外者を学校の敷地内に入れるのは職権乱用で、おまけに公私混同だ。
 教師がそれでいいのか? 大丈夫だろうか穂群原。

「それじゃ、士郎。さっさと朝ご飯食べましょう」

 ここまできたら藤ねえの気は変わらないだろう。
 もしアーチャーが射れなかったとしても、セイバーが剣道で打ち負かせてくれるだろうからなんとかなるとは思う。
 けど、そうなったらそうなったでまた話がややこしくなりそうだ。

 とりあえず、俺にはもう手の打ちようがない。話が簡単に済むよう、アーチャーが見事な弓の腕を持っていることを祈るだけだ。
 どうにでもなってくれ、と茶碗に盛られたご飯を掻っ込んだ。




 朝食後、桜が衛宮家を出る時間に合わせてみんなで出てきた。
 藤ねえは教師としてやらなければいけないことがあるらしく、一足先に学校へ向かっていった。

 登校中、朝も早く生徒も少ない時間帯だというのにかなり注目されていた。
 桜、遠坂、セイバー、アーチャーの美少女四人に囲まれて登校すれば、嫌でも人目も引く。状況から見れば、俺は両手に花どころか、花畑に埋もれている状態だろう。
 周りからは羨ましく見えるかもしれないけど、これだけ囲まれると逆に肩身がせまい。

 セイバーと遠坂の二人でグループを組んでひそひそと話をしている。何かの魔術が働いているのか、声はほとんど聞き取れない。真剣な表情から聖杯戦争絡みのことだろう。
 残る女性陣の桜とアーチャーが並んで、どうやら料理の話で盛り上がっているようだ。洋食のレシピや技法について話している。
 必然的にあぶれた俺が二つのグループに挟まれる形で、一人歩いている。



「間桐さん」

「…………なんですか、遠坂先輩」

 通学路を半ばまで行ったところだろうか。不意に、遠坂が桜に切り出した。
 遠坂の呼びかけに、アーチャーとの料理談義で微笑みを浮かべていた桜の顔が強張る。

「貴女、これからは衛宮くんの家に来なくても大丈夫だから」

「――――え?」

 何を言われたのかわからない、といった風に聞き返す桜。

 何故、と考えるまでもなくその理由に思い至る。
 確かにうちに入り浸っていれば、サーヴァントの戦闘にも巻き込まれてしまうかもしれない。俺は戦争の参加者なんだ。
 なら、しばらくうちに来ないほうが桜にとってはよっぽど安全だろう。もし桜をこんな血生臭いことに巻き込んだりしたなら、俺はそれを絶対に後悔する事になる。

「私たちがいるからあなたがここにいる必要も、衛宮くんを世話する必要もないってことよ」

 間違っていない。考えてみれば確かにそれが正解なんだが、しかし遠坂。
 いくらなんでも、その言い方は身も蓋もないのではないだろうか。

「……先輩も、私がいると邪魔ですか?」

 しばらく黙りこくった後、桜は意を決したように、喉の奥から搾り出すようにして俺に問いかける。
 あまりに真剣なその表情と眼差しに、俺も佇まいを正す。

「桜を邪魔だなんて、そんなことは今まで思ったこともない。けど、しばらくはうちに来ないほうがいいと思う」

「――――――先輩が……そうおっしゃるなら」

 それ以降、桜が俯いて黙ってしまった。
 傷つけてしまったのだろうか? 俺には判断がつかない。

 ……それからは誰も話すことなく、そのままの様子で学校に到着した。





『ぉぉぉぉ…………』

 静謐としていた道場に響く、的中を知らせる音。
 その音の後に、不特定多数のため息とも取れる声が道場を満たしていく。

「……ふう。これぐらいで満足していただけたでしょうか?」

 残心から、アーチャーはうっすらと笑みを浮かべて藤ねえに問いかける。
 その立ち振る舞いは完全無欠。非の打ち所がなかった。

 アーチャーの格好は弓道衣。美綴に予備を貸りたものだ。
 金髪なのに、何故だか弓道衣がもの凄く似合っている。神事に関わる女性が持つような貞淑さ、神聖さがその姿から放たれているような気がする。


 学校に着いた後、道場に向かったら藤ねえが待ち構えていた。そして早々アーチャーに向かってのたまった「あそこの的に射ってみて」。
 なんというか、せめて簡単な説明くらいあって然るべきだと思うんだけど、まぁ今になってみればそれも必要なかったな、なんて思う。

 驚くべきはその結果。八本射って、皆中。
 全ての矢が的の中央へ吸い込まれていった。

「うううぅ。まだなんだからー! 所詮弓道は接近戦に向かないんだもん!
 今夜、剣道で勝負だからねっ!!」

 藤ねえは指をびし、とセイバーに向けてそう言い放ち、道場から飛び出していってしまった。
 こころなしか涙目だった気がするんだが、何が藤ねえをそこまで駆り立てているのだろうか。
 セイバーの横で正座していた俺と遠坂は、去って行く藤ねえの後姿を見送った。

 弓道に関して、アーチャーに言うべきことが無くなってしまったのだろう。
 大方、俺よりも下手だったら必要無いとでも言うつもりだったんだろうけど、先にも挙げたけど文句のつけようがなかった訳だ。

 今日の夜で徹底的に凹むことになるんだろうな。
 しかも今度は自分の得意分野で。藤ねえ、気の毒に。 


 藤ねえが去った後、自然とみんなの視線がアーチャーに集まる。
 アーチャーは和弓を胸の高さに持って、何事かときょろきょろと見回し辺りの異様な雰囲気に戸惑っている。

「衛宮、この子誰? この学校に編入とかしてくるわけ?」

 その中でアーチャーに向かわなかった美綴が俺の肩を掴み、凄い勢いで訊ねてくる。
 ライバルとして認めたのか、部員として入部させたいのかの判断は付かないが、有無を言わせない勢いだ。
 この状況じゃ答えないわけにはいかないんだろうな……。こんな厄介なことになったのもあのバカ虎のせいだ。

「この子はアー……アルトっていうんだ。別にこの学校に編入する予定はないぞ。
 こっちの女の子、リアと双子らしい」

 とりあえず訊かれた事について回答する。同じく話題に上ったリアにも弓道部員たちは興味が集まった。
 あっという間に、二人は弓道部員たちに囲まれていく。

「それで、衛宮とはどういう知り合いなわけ?」

「ああ、なんでも親父の知り合いの娘さんだって。それで親父を頼って俺のとこに訪ねてきたんだよ」

「――へえ。それにしても上手いねぇ。弓構えから射形に乱れが混ざらない感じなんか、衛宮を見ているようだった。
 射でいうならアンタと同等かってところじゃない?」

「ああ、そう、かもな」

 アーチャーの射は、足踏みから残心までの射法八節が一つの完成品のようだった。
 傍から自分の射を見たことはないが、自分で射る前に感じている(中たる)という確信を他人が射る前に感じられたのは初めてのことだ。
 まさか、アーチャーがこれほど見事に射をするとは――――的に当てるという結果じゃなく、弓道にとって重要なのはその立ち振る舞い、更にはその内面だ。一連の動作で培う精神鍛錬こそが目的であると、アーチャーは知っているようだった。
 外国の英雄であるだろうアーチャーが和弓を引けることに違和感はあるけれど、実際に引けてしまうのだからそういうものなんだろう。
 ちなみに、そういった意味で弓道としてみれば俺は邪道だ。……見ていてアーチャーの射は外れる気がしない。そういえば、彼女も邪道だと言っていなかっただろうか。
 美綴が言っていたように俺とアーチャーは同等、いや正しく同じ邪道なのかもしれない。

 件のアーチャーと、同じ姿のセイバーは、弓道部の女子部員たちに囲まれてえらい様子だ。
 年齢が自分たちより低く見える所為か、訊ねられ、手やら髪やら触られたり、抱きつかれたりとまるでペットのようだ。



「それで君たちはどこに住んでいるんだい? 僕がこの町を案内してあげようか?
 衛宮じゃ気の利いたところなんて知らないだろう?」

 珍しく朝錬に参加していた慎二が女子部員を掻き分けて、二人に笑いかけた。
 自然と弓道場全員の視線が、問いかけられた二人に集まることになる。

「いえ、結構です。私はシロウの傍にいなければいけません。町の構造も把握していますし、シロウの家に下宿させてもらっていますのでその必要はありません」

 あれだけ騒がしかった道場が静まる。
 話を振った慎二も笑い顔のまま、固まってしまっている。

 ……なんだか、盛大な誤解を招いている気がする。

「リアちゃんが衛宮の家にいるってことは、もしかしてアルトちゃんも?
 っていうか、衛宮、あんたって一人暮らしじゃなかった?」

 美綴が恐る恐るアーチャーに問いかけ、俺をギラリ、と睨む。
 俺に出来ることは下手なことを言わないでくれ、とアーチャーに意思を飛ばすことのみ。
 先に言っておくが、あいにく俺はテレパシーなどの能力は持ち合わせていない。

「ええ。士郎には色々とお世話になってます。
 離れの部屋で寝泊りさせてもらっていますが、鍵もついていますし、何も不自由なことはありません」

 アーチャーはにこり、と俺に微笑んでくる。俺の言いたいことを分かってくれていた。
 とりあえずこれ以上事態は悪化しないようなので、ほっと安堵の息を吐く。
 ――それにしても、アーチャーのその格好に笑顔は反則だと思う。

「ま、そうだよね。衛宮にそんな度胸があるとは思えない」

「えーとそれじゃ藤ねえも行っちゃったし、俺たちも行こう!」

 今俺に出来ることはボロが出ないうちに退場することのみ。
 かんらかんらと男前な笑い声を上げる美綴に礼をして、アーチャーとセイバーを引き連れ出口へと歩き出す。

「慎二、騒がしてすまなかった」

「あっ、衛宮!」


 固まったままの慎二に声をかけ、美綴の声を振り切って外に出た。
 二人の手を引いたまま外に出て、息を落ち着ける。

「まったく、藤ねえにも困ったもんだ」

「士郎」

「ん? どうしかしたか、アーチャー」

「弓道着のままなのですが」

「……わ、悪い」



 ……結局、後から出てきた遠坂がアーチャーの洋服を持ってきてくれたので、それに着替えてもらって借りていた弓道衣は後で俺から美綴に返すことにした。
 あの後また弓道場に入っていって、弓道衣を美綴に返す勇気は俺にはなかった。あの空気では何を問い質されるかわかったものじゃない。
 ただでさえ弓道部をやめた衛宮士郎が定期的に顔を出していて迷惑をかけているのに、あんな騒ぎを起こしたら周りも快く思わないだろう。

「はぁ。…………さて」

 遠坂の話では学校には結界が張られようとしているらしい。それを見つけない限り、対処もできない。
 セイバーとアーチャーが家に戻っていったのを見送って、校舎へ歩き出した。




[7933] 五日目【3】
Name: 下屋柚◆26967502 ID:5480aeb6
Date: 2009/07/30 22:18

 朝のHR、うちのクラスの教壇には荒れたトラがいた。
 暗い顔でぼそぼそと出席を取り、かと思えばいきなり叫び出したりといつもより奇行が目立つ。普段からして理解が及ばないけど、今日は輪をかけてひどい。
 ただ、クラスのみんなも慣れっこなのかそれほど気に止めていないようだった。
 日ごろの行動がこういう時に反映されていることを知る。俺も気をつけようと思う。




 一、二時限目の授業をそつなくこなし、何とか三時限目の授業も終えることができた。

 午前最後の授業までの休み時間、俺は自然と机でうつ伏せになって体を休めていた。
 今日は朝から色々あってなんだか疲れた。
 仕掛けられようとしているという結界の件もあることだし、少し休憩しておかないと午後満足に動けなくなりそうだ。

「なぁ、彼女もしかして……!」

「本当だ!」

 そんな俺の耳に、クラスの男子たちの嬉しそうな声が聞こえてくる。
 うつぶせになっているので見えないが、その声の様子からなにやら色めきだち、興奮しているようだ。

「おいおい、あれ、遠坂さんじゃないのか?」

「なんだってこのクラスの前をうろうろしてるんだ?」

「拙者が数えたところ、既に三回このクラスを行ったり来たりしてるでござる」

 比較的近くの声を拾ってみたのだけど――なるほど。遠坂が廊下にいるのか。
 相変わらずの人気者だな。かくいう俺も、一週間前だったらきっと意識してしまっていただろうけどさ。

「なんだか、遠坂さん、こっちを睨んでないか?」

「そうでござるな。
 あれは『そっちがそういうつもりならこっちにだって考えがあるんだから』って顔でござる」

「あ~あ、遠坂さん、行っちゃったよ」

 それにしても何をしているのだか。何かこのクラスに用でもあるのだろうか?
 遠坂も不思議な奴だな。……なんにしても俺には関係のないことだろう。
 これでうちのクラスの男子連中もおとなしくなったし、残り五分を休息に充てられそうだ。

「お、やった! 遠坂さんが戻ってきたぞ」

「幻覚かな? 遠坂さんの周りが赤くぼやけて見えるんだけど」

「はて。なにやら衛宮の席を凝視しているのは拙者の見間違いでござろうか」


「……ん?」

 何やら周囲から視線を感じ、渋々と顔を上げる。
 遠坂を覗いていたと思しき連中が俺を見ている。と、視界に影。


 ――その男子連中の間をすり抜ける、親指の爪ほどの大きさの白い塊。
 反応する間もなしに俺の額に命中するや、どむん、とその質量からはありえない衝撃が脳を貫いた。

「でぇぇぇぇぇ!?」

 そして俺は見事な一回転。椅子に座っているというのに体が宙に投げ出され、落ちた。
 しかもそれだけで衝撃を殺しきれなかったのか、体は床に当たって跳ね、机や椅子を巻き込みながら壁に激突する。

「ぁっ――――くぅ!?」

 視界一杯が白く消え、また戻る。チカチカと明暗する。
 半端じゃなく、痛い。コレ、急所にもらったら、これで、死ねる。

「おおっ! 衛宮! それはなんという忍術でござるか!? もしや伝説の『忍法・地獄車』!?」

 後藤くんがもんどりうって倒れた俺に手を貸してくれた。
 ……貸してくれたのはいいのだけど、いったいどこからそんな感想が出てくるのか。
 そもそもそんな忍法が本当にあるのか? ――あったとしても間違いなく自爆技だ。間違いない。

 見ると床には消しゴムの切れ端が落ちていた。こんな小さな欠片でこの威力……衝撃はまるで弾丸どころか砲弾。
 このまま改良していけばそのうち消しゴムで人の頭を撃ち抜けるようになるかもしれない。そんなので殺される方がやりきれないだろうが。

 下手人を見ると、流石の遠坂もやりすぎたと思ったのか、あんぐりと口が開きっぱなしだ。

「っつあー!
 ……おい遠坂! 言いたい事があるなら口で言えばいいだろ!」

 起き上がり、額をさすりながら遠坂に呼びかけ、いや、怒鳴りつけた。
 何かしら俺に伝えたいことがあったのだろうけれど、だからといってそれで致死の攻撃を受けてはたまったものじゃない。

「何を言ってるでござ「し、士郎が気づかないのが悪いんじゃない!!」

 『頭がどうかしてしまったのか』とばかりに可哀相な目で俺を見てくる後藤くんの言葉は、遠坂の怒声によって遮られた。
 顔を真っ赤にした遠坂が教室に入ってきて、まだふらついている俺の前に肩を怒らせながら立ち塞がる。

「そんなこといっても気づくわけがないだろ!
 大体、何の用なんだよ?」

「貴方、私に『出来る限り一緒にいよう』って言ってたでしょう! 今まで教室で待ってたのに全然来ないし!」

 どよ、とクラス中が揺れた、気がした。

「……え……? ……あ、そう、だった」

 確かに昨日の夜、遠坂との間にそういった取り決めをしていた。件の様に言った覚えも、ある。
 朝のことに気を取られてすっかり失念していた。

「しっかりしてよね。ここまできたら士郎と私は一連托生、運命共同体なんだからね」

「いや、すまん。すっかり忘れてた」

「もう終わっちゃうからこの時間はいいけど、昼休みからは士郎が迎えに来てよね」

「わかったよ。俺が悪かった。
 ただ、今度からは普通に声をかけてくれると助かる」

 返事も返さず、ふんっ、と鼻を鳴らして遠坂は立ち去っていく。いくらかの勢いを失ったままに教室から出ていった。



「……たんこぶには……なってないか」

 当たった辺りを撫で擦る。あれだけの衝撃を受けておいて無傷とは、我が体ながら無駄に丈夫だ。
 視界はまだ定まってはいないし、身体は痛むものの大事はない。

 ぶれる視界で見回すと、なんだか知らないけどクラス中の人間が固まっている。

 ――む。さては遠坂の脱げかけたネコの中身を見てしまったか。
 確かに遠坂の違った一面を見たら不思議に思って当然。まず見間違えかと、己の両目が正常に動作しているかを疑うだろう。
 俺だって、最初はかなり驚いたからな。クラス連中にだって衝撃だったに違いない。

 いや、それとも椅子に座っていた俺が何の前触れも無く宙を舞い、床を跳ねながら壁に激突したことかもしれない。
 凄まじい速度で飛行した消しゴムは周りの人間には視えなかったろう。俺が勝手に吹き飛んだようにクラスのみんなの目には映った筈だ。
 だとするなら、あっけに取られるのも無理は無い、か?


 教室の大多数は固まったまま動かない。
 仕方が無いので、地獄車の巻き添えをくった机たちを元の位置に直そうと足を伸ばしたところで、一人の男子生徒が俺の前へとやってきた。
 ――能面のような表情だ。クラスでもお調子者として扱われている彼のこんな表情は、いまだかつて見たことがない。
 ただならぬ様子を不審に思い、俺が丁度身構えた時、彼は口を開いた。


「なぁ衛宮。お前、もしかして遠坂さんと付き合ってるのか?」


 決して大きくない声量であるのに、その声は何故かクラスに響き渡っていた。

「…………はぁ!?」

 若干の間の後、俺は思わず聞き返していた。
 なにせ、意味がわからない。いったいなんだってこの状況でそんな質問が出てくるのか。

「だってお前、『出来る限り一緒にいよう』って言ったんだろ? 遠坂さんに」

「あ、いや。それは確かに言ったけど、でも――」

 いつの間にか動き出していたのか、クラス中からヒューヒューとお決まりで囃(はや)し立てられる。

「な! ち、ちがっ!」

「それに遠坂さんも満更でもなさそうだったし。
 むしろ衛宮を名前呼びしてる彼女の方が積極的というか」

「いや、それは……」

 ……聖杯戦争を勝ち抜く為の作戦なんだ、なんてことは間違っても言えない。
 それっぽく理由をつけて誤解を解かなければいけないのだけど、なんて言ったらいいのやら。
 こんな事態は全然全くこれっぽっちも想定してなかったから、脳みそは空回りするばかりでまともに稼動してくれない。

「なんで衛宮ごときが遠坂さんとーー!!」

 俺が否定も出来ずにうろたえていると、教室の隅から怨嗟の声が届く。
 そちらを視ると、頭を抱えてぶんぶんと振り乱す男子生徒が多数。

「ま、応援はしてやれないけど、頑張れ、よっ!!」

「っげほ!? いや、だから……」

 死角から背中をばしばし叩かれる。
 ……これは激励じゃない。溢れんばかりに怒りが込められている。
 むせ返りながらも弁解しようとするも、叩いただろう彼は俺から離れて周囲を取り囲む女生徒の影に隠れてしまっていた。

「ねぇねぇ、衛宮くん、なんて告白したの? もしかして遠坂さんから?」

「う……ぁ、いや……」

 次いで、興味津々といった風に寄ってくる女子生徒の面々。
 キャーキャー、とこの上なく姦しい。こちらが言葉を紡ぐ間すら与えてくれない。

 …………まいった。どうしたらこの窮地を脱出できるのか?
 とてもじゃないが独力では切り抜けられそうもない。

   キーンコーンカーンコーン

「あ、あー! ほら、みんなチャイムだぞ。早く席に着かないと」

 丁度よく響く、休み時間終了を知らせる鐘の音。
 この機を逃せば活路は最早存在しない。なんとか煙に巻くんだ! 士郎!

「しょうがないなぁ。衛宮くん、後でちゃんと聞かせてよ?」

「納得がいかねぇぇぇーーー!!! 俺も遠坂さんに名前を呼び捨てにされてぇぇぇーー!!!」

「衛宮、月の出てない夜は気をつけろ」

 様々な言葉を投げかけ、席に戻っていく。
 ……全然誤魔化せてないし。こうなったら授業が終わったら即刻逃げ出すしかない。



 授業中、ふと背中に視線を感じる。
 いや、今やクラス中から注目されている身ではあるんだけどその中でも特に悪意を含むものがあった。

 これは、慎二、か? ……なんだって慎二が俺を睨むのか。
 ああ、そういえば慎二は遠坂に交際を申し込んだって言ってたな。
 そこにきて、『衛宮士郎が遠坂凛と付き合っている』って話だから慎二が俺に殺意やらを抱いても仕方ないのかも、って。
 いや、大前提に俺、遠坂と付き合っているわけじゃない。これ以上事態が悪化する前に、早めに誤解を解いておいたほうがいいのかもしれない。




 四時限目の授業が終わるや否や、一応弁当を持って教室を飛び出していく。
 なんとか教室からは抜け出したけど、クラスのやつらが俺を追ってきているみたいだ。
 後ろから数人の足音が聞こえてくる。それに振り返ることなく、遠坂のクラスに辿り着く。

「遠坂っ!」

 その勢いのままバンッと扉を開け放ち、大声で呼びかける。
 これは俺一人で対処出来るような規模ではない。だとするならば、一刻も早く遠坂の指示を仰がなければならねばならない。

「衛宮くん!」

 教室中の視線が遠坂に、廊下を歩いていた生徒の視線が俺に集まった。
 そんな中、遠坂が口を閉ざしたまま小走りで俺に走り寄り――結果的に俺達二人が周囲の視線を独占してしまっていた。

「確かに来いっていったけど、なんだってそんな大声で呼びかけるのよッ!」

 耳元で、小声で怒鳴られた。
 器用なことが出来るんだな、遠坂。

「あんまりおおっぴらにすると色々と面倒になるでしょう! なんだか知らないけどこのクラスに、私と士郎が付き合ってるって噂まで流れてるのよ!」

「いや、きっとこのクラスだけじゃない。俺の後ろを見てみてくれよ」

 背後から見えないように指で指し示す。怪訝そうな顔で俺の影からそちらを覗き見る遠坂。

「何なの? 廊下の角から覗いてるのが……十人はいる。こっちから見えないと思ってるのかしら」

 教室を出る時は確かに数人程度だったのに、ここに来て明らかに増えているのだが。

「あいつらも同じみたいだ」

 こうしている間にも、遠坂のクラスと廊下から視線を感じる。
 こそこそと話している俺達を見て、小さくない動揺が広がっていく。

「とりあえず屋上に行かないか? ここじゃ話もろくに出来そうにない」

「わかったわ。一応私もお弁当持ってくるから待ってて」

 遠坂が俺の右手にある包みを見て言う。
 その持ってくるって弁当の中身は、俺が作ったやつなんだけどな。

 弁当を携えた遠坂を伴い、足早に屋上に向かう。
 廊下を連れ立って歩いている間も、やっぱり注目が解かれることはなかった。




「それで、話って?」

 屋上に入り、フェンス近くまで進んで辺りを見回す。
 どうやらまだ他の生徒はここにはきていないようだ。寒いため、夏に比べてここで昼食をとる生徒も少ないが、午前授業終了の鐘から脇目も振らずに走ったからまだ来ていないのもあるのだろう。
 さて、どうやら屋上の見える範囲には俺たち二人だけしかいないのだけれど、完全に無人というわけでもなさそうだ。出入り口の扉は少し開いていて、何人かがこちらを窺っているのがわかる。
 見えてないだけで、もっと人数はいるに違いない。けれど、まぁこの距離ならこっちの会話が聞かれることはないだろう。

「あー、えーと、そのことなんだけど三時限の休み時間覚えてるか?」

「士郎が全然気づかなかったから、私がわざわざ出向いてあげた時のこと?」

 腰に手を当て憤る遠坂の言葉を受けて、そういえば失念していたことに対してしっかり謝っていなかったことを思い出した。

「ああ、あれはすまなかった。
 ――ってそうじゃなくて、色々言ったじゃないか。『出来る限り一緒にいよう』の話の件とか、俺を呼び捨てにしたりとか」

 自分で言ってても顔が赤くなってくる。
 今思えば、勘違いされて当然だ。そんな状況を見れば、俺だって絶対勘違いする。

「……もしかして、それが原因?」

「そうみたいだ。大方、携帯で広まったんだろう。『衛宮士郎と遠坂凛は付き合っているようだ』なんて感じで」

「あっちゃあ、やっちゃった。道理で授業中に注目されていたわけだ。
 私もおかしいとは思ったんだけど」

 ちなみに俺も遠坂も携帯は持っていない。
 持っていたら授業中もメールがきて大変だったことだろう。

「でも、士郎が気づいていればこんなことにはならなかったんだから」

「それを言われたら言い返せないけど……」

「――――いいわ、私も迂闊だった。
 っていうか、消しゴムの投擲がまずかったみたい。
 力加減間違っちゃったみたいで、消しゴムであそこまで威力が出るとは私も思ってなかったのよ」

 ……加減を間違えたで済ますのか、なんて疑問は残るが今話しておくべきことはそれじゃない。

「まぁ、それはそれとして。どうするんだ? このままじゃ誤解されたままだぞ」

 そうなのだ。
 否定しようにも大体こういう手合いを相手にむきになって否定すると逆に火がつく。
 だいたい、こういう場合は放っておくか、適当に流すに限るのだけど。

「――――」

 遠坂が顎に手を当て、何かを考える。
 俺はというとこういったことには頭が働いてくれない。遠坂に任せたほうが穏便に収まってくれるだろうから、遠坂の決定を待つほかない。


「――うーん。思ったんだけど、このままでいいんじゃない?」

「……このままって、遠坂!?」

「だってそうでしょう? これから先も士郎と私は一緒に行動しなければ危ない。
 だけど、一緒にいるには何かしらの理由が必要でしょう?」

「確かにそうだけど……」

「それに私も色々とつきまとわれて大変なのよ」

 ああ、遠坂ってもてるもんな。
 色々ってのは慎二とかのことだろう。

「で、どう?」

「――わかった。遠坂が助かるっていうなら俺が手を貸さない理由はないよ」

「そ、そう。助かるわ」

 言うなり遠坂の顔がじんわりと赤くなった。しかも何故だか知らないけど俺から顔を逸らす。

 笑ってる、のだろうか。顔が見えないからどんな表情をしているのか俺にはわからない。
 何かおかしなことでも言ったっけか? どうも俺には覚えがないのだけれど。

「ゴホン。……それより士郎、気づいた?」

「へ? 遠坂の顔が赤くなったことか?」

「ちちち、違う! 屋上に呪術による魔方陣が張られていることよっ!」

「いや、気づかなかった。ってそうなのか!?」

 確かに昨日、遠坂が学校に結界が張られようとしているって言ってたが、まさかこんな身近なところに仕掛けられているのか。

「見る限りじゃこれは結界の基点になる魔方陣ね。しかも基点はここだけじゃなさそうだし。
 それにしてもこんなあからさまなものに気づかないなんて、あなた本当に魔術師なの?」

「……ぐ」

 そう言われると、「そうだ」とは返せない。
 とてもじゃないが、遠坂と同じ『魔術師』だなんて言えるような実力は俺にはない。

「――ふぅ、ま、とりあえずここだけでも消しておいたほうがいいでしょ」

 遠坂が何らかの呪文を唱えると、体にかかっていた気づかないほどの重さが消えた。

「お、体がなんか軽くなった気がする」

「結界の戒めを一つ解いたんだから。それにすら気づかないようじゃ魔術師失格っていうか、一般人以下。
 それより、どうせだからここでお弁当食べちゃいましょう?」

「あ、ああ。そうだな」

 そうして、ベンチに並んで座って弁当を広げる。
 一緒に作ったものだから遠坂のも中身は同じ。人が居る所で食べたらえらいことになっていただろう。

 屋上出入り口から「本当に付き合ってるのかよー!」「マジでー!?」なんて聞こえてきた気がする。
 顔に血が上ってくる。うろたえて隣を見ると、どうやら遠坂の顔も同様だ。
 やっぱり、俺だけが聞こえた空耳じゃないようだ。




「ところで士郎、あなた、強化以外に使える魔術はないの? 師事させる側として聞いておきたいんだけど」

 弁当を粗方食べ終えたところで遠坂がふとそんなことを言ってきた。
 箸を止め、視線を隣の遠坂に向ける。

「うーん。たまに強化の練習で投影魔術を行っているけど、他には何も」

「『投影』ね……。また微妙なカテゴリを。
 て、ちょっと待って、なんて言った? 『強化の練習に投影魔術』?」

 おお? 遠坂の変な顔。
 珍しいものを見た。

「ああ。なんでも、投影って効率が悪いから強化にしとけって親父がさ。
 ほんとは先に覚えたのも投影が先なんだ。」

「――――まぁ、間違っちゃいないけど……」

 遠坂は何か言いたそうにしているが、俺は続ける。

「それにしても魔術って大変じゃないか?
 毎回使うたびに死と隣りあわせでさ、人のこと言えないけど遠坂もよくやるなぁ」

「――――使うたびに?」

「だって毎回魔術回路を作るわけだろ?」

「はぁ!? あなた、そんなことしているの?
 ……いい、衛宮君。貴方は致命的な勘違いをしてるわ」

 なにやら驚いているが、何に驚いているのか生憎俺にはわからない。
 何かおかしなことを言ってしまったのだろうか?

「勘違い?」

「いい? 魔術回路っていうのは毎回作るものじゃなくて、切り替えるものなの。それさえ出来れば、それこそスイッチを入れるみたいに魔術行使が可能になる。
 使うたびに死に掛けるなんてリスクを背負って行っていたんじゃ、命がいくつあっても足りないわ。
 まず、前提からして間違っているのよ、貴方は」

「いやでも、切り替えるって……俺にはそんなのできないぞ」

 俺は親父からそんなことは習っていない。
 っていうか、切り替えるって概念すら知らなかった。

「あなたの魔術の師匠、それくらい教えてくれるでしょう? 一体その人は何を教えていたのよ?
 はっきり言って衛宮くん、あなた魔術師と名乗るのもおこがましいほどのド素人だわ」

「ああ、俺の魔術の師匠って親父なんだけど、五年前に死んじまったからさ。
 とっかかりだけで、教えられたことだけを繰り返してたというか」

「――。ま、そこも含めて私が全部教えてあげればいいわけね?」

「俺としては何が間違ってるのか全然わからないんだけど、よろしく頼む」

 俺が頭を下げると、遠坂はふん、と鼻を鳴らして「任せておきなさい」と胸を叩く。

「さて、それじゃ、ちょっと帰りに家に寄るから遠回りよろしくね」

 遠坂はそれだけ言って弁当の残りを食べ始める。
 俺は弁当の最後の一口を咀嚼しながら、ベンチの背もたれに体を預けて青い空を見上げた。



[7933] 五日目【4】
Name: 下屋柚◆26967502 ID:5480aeb6
Date: 2009/09/03 21:08

 全ての授業が終わってから遠坂と俺は二手に分かれ、学校敷地内に施されているという『結界の基点』を探すことになった。
 遠坂は校舎内を、俺はそれ以外を。もし攻撃されても、この敷地内ぐらいの距離ならば助勢に駆けつけることが出来るだろう。
 「解析出来なくても魔力さえ通すことさえ出来れば、いくら衛宮くんでも探査に対する魔力反発で基点の場所ぐらいわかるでしょ」とは遠坂の言だが……。
 解析魔術に関してなら、たぶん人並み程度には出来るんじゃないかとは思うんだけど……そもそも人並みの基準がわからないのでここは黙って頷くことにした。

 実際に校庭を見て回って解析を試みるも成果はなし。範囲が範囲なので少しばかり疲れが溜まるけれど、だからといって休んでもいられない。
 しかし、校舎を除いてあと残すところというと部室棟や体育館、弓道場や武道場か。

 とりあえず手近にある弓道場から当たろうと入り口に足を向けると、弓道場の向こうから慎二が近づいてくるのが見えた。
 場所が場所なので目的は部活かとも思ったが、どうやら違うようだ。顔にはにやついた笑みが張り付いている。
 ……どうやら慎二の用事とは、俺にあるのだろう。その足は迷いなく俺に向かっていた。

「まったく、どこにいるのか探しちゃったじゃないかよ、衛宮」

「ん。何か用事か?
 悪いけど、今日はちょっと頼まれ事する余裕はないぞ」

 声を掛けてきた慎二に対して、俺も足を止めて顔だけで向き直る。
 経験則から、わざわざ俺を探してまでの用事というと大抵は雑用やらの頼み事なので、先に断っておくことにした。
 今はとにかく時間が足りていない。流石に、人死にが出るかもしれないという学校内の結界と、慎二の頼み事を同じ天秤に乗せることはできない。

「はん。それじゃまるで、僕がいつも衛宮に頼み事をしているみたいじゃないか。
 今日はちょっとばかり話があったからお前を探してたんだよ。そういう衛宮も探し物の途中みたいだけどさ。
 ……ああ、そうだ。親切心から言っておいてやるけど、そんなところをうろうろしても弓道場にはお前が望むようなものはないぞ」

「俺が望むものって……慎二、何か知っているのか!?」

「ああ。サーヴァントのマスターとして最低限のことぐらいはね。当然だろ。
 衛宮、お前も今回のに魔術師として参加しているんだろう?」

 今、一般人である筈の慎二の口から放たれてはいけない言葉が聞こえた。
 『魔術師』、『マスター』、『サーヴァント』。今この時冬木においてこれらは、殊更に特別な意味を持っている。

「……慎二、お前マスターになったのか!?」

「ま、そんなことはどうでもいいんだ」

「…………」

 ため息をつき、姿勢を崩す慎二に対して俺は咄嗟に言葉が出ない。
 いや、だってそんな簡単に片付けるようなことじゃない筈だ。筈、だよな?

「ところで、だ。
 ちょっと小耳に挟んだんだけど、衛宮は遠坂と付き合っているって噂が流れているのはどうなんだ?」

 慎二の顔が不意に真剣な表情をかたちどる。
 不自然な話題の転換に、混乱している俺はもちろんついていけないでいる。

「へ? あ、ああ、どうやらそういうことになってるらしい」

「ちっ――――衛宮と遠坂が釣り合わないのは、衛宮自身わかってるだろ?
 だいたい遠坂の奴も馬鹿だよな。組むに相応しい相手っていうのがいるだろうに。まったく、自分で自分を貶めるようなことしてさ」

 一瞬顔を歪めたが、気を取り直してにやにやと笑いかけてくる。
 対する俺だけど、慎二のその言葉に……ちょっとだけ、かちんときてしまっていた。

「釣り合わないのは重々承知してる。
 だからといって、俺の前でそんな事を出汁に遠坂を貶すのはやめてくれ」

 俺のことは言われてもしょうがないけど、遠坂まで貶すのは違うだろう。
 『同盟を組んでいる建前上そうしている』ということを伝えるのを忘れて、なんだかわからない衝動に押されて俺はそう答えてしまっていた。

「……はっ、お前はどうせ僕の当て馬にされてるだけさ。遠くない未来に捨てられることになるんだから、今のうちに手を引いたほうがいいんじゃないか。
 それに、遠坂はマスターだ。寝首を掻かれる前に手を切っておくべきだと思うけどな」

 若干の間の後、意地の悪そうな笑みを浮かべた慎二に「それが衛宮のためだ」と続けて忠告される。
 どうやら頭に血が上ってしまっているらしい俺は、冷静に考える前に返答していた。

「そうはいかない。俺は、遠坂を信頼しているからな」


「……」

 俺と慎二との間に沈黙が下りた。
 慎二は忌々しげに俺を睨みつけ、しばらくしてから前髪を手で掻き揚げた。

「――――わかったよ、衛宮。僕より遠坂のやつを信頼するっていうんだな。
 なら、お前は僕の敵だ。今は見逃してやるけど、これから先、僕に殺されても文句言うなよ」

 それだけ言うなり、背を向けて校門に向けて歩き出そうとする慎二。

「その前にちょっと待ってくれ。
 ここに結界を張ろうとしているのは、慎二、お前なのか?」

 俺は、背中を見せて歩き始めた慎二を呼び止めた。
 慎二はうっとおしそうに俺に振り返り、しかし何かを思いついたのか薄く笑う。

「だとしたら、衛宮はどうするっていうんだ? 僕を殺すつもりなのか?」

「そんなことはしない。ただ、もしそうなら、俺は全力でお前を止める」

「ははっ! やっぱり衛宮は甘ちゃんだ」

「――慎二」

「…………ふん。僕じゃないさ」

 静かに声を掛けると、慎二は今まで浮かべていた軽薄な笑みを消した。

「それに、魔術師っていっても僕は知識だけで一般人とほとんど変わらないんだからな。結界なんてものが張れる筈もない。
 だいたいだ、そんなことを僕がするわけないじゃないか」

 知識だけで一般人とほとんど変わらない――それは、圧倒的に不利な要因な筈なのに、慎二の余裕は崩れる様子がない。
 そのままの様子で「そうだろう?」と俺に笑いかけた。

「そうか、そうだよな」

 返した俺の笑みは、ぎこちないものだっただろうと思う。――でも、内心では確かに安堵していた。
 止めると息巻いてはいたけれど、もし結界を張ったのが慎二だったとしたなら、俺には手の出し方が分からなかった。
 もちろんさっきの言葉だって嘘じゃない。全力で止めに入るつもりでいたし、俺に出来る限りのことをするつもりだったけれど、慎二が口で言った程度で素直に止めてくれるとも思わない。
 どうしたって実力行使に踏み切る他ないだろう。そうした結果、お互いが無事でいられるという保証はどこにもない。

「ま、疑い深くなるのも分かるけど、度を過ぎると人に嫌われるから気をつけたほうがいいよ」

 今度こそ俺に背を向けて歩き出していく慎二。
 俺はそれを眺めて、その背中に声をかけた。

「ああ、覚えておく」

 言って目線を切り、俺も弓道場へと歩き出した。
 ――――慎二が言っていたように、俺が探していた『結界の基点』らしきものは弓道場で見つけることは出来なかった。



 校門で遠坂と合流した俺は、二人で道を歩いていく。
 どうやら遠坂も『結界の基点』を見つけることは出来なかったようだ。
 全部を回ることは出来なかったので、残りは後日調べることになるだろう。

 道すがら、俺は慎二と話したことを遠坂に伝えていた。
 内容が内容だけに話すべきなのか迷ったけれど、結局は遣り取りの一部始終を話すことにした。
 遠坂が俺を信頼してくれて同盟を結んだっていうのに裏切りたくはない、というのが心情的に第一に立つ。
 加えて、どうやら慎二は俺と遠坂がマスターであると知っていた。情報という点で慎二に遅れを取っていたということだ。
 多くのマスターの正体が判明していない今の状態では、情報一つが勝敗をわけることになる。相手が何者であるかを把握できていれば、戦いを有利に運ぶ事だって出来るかもしれない。
 俺の頭じゃ高が知れているけど、遠坂ならそうはならない筈だ。まぁ一応、慎二を殺すようなことはないよう頼んでおいたけど、どうなるのか。

 話を聞いていた遠坂だが、この話を聞いて素直に驚いていたようだった。
 慎二の言葉の通り、慎二は魔術師ではないらしい。いや、確かに魔術師の家系に生まれてはいるものの、慎二には魔術回路が存在していないようだ。
 ならば何らかの方法を使ってサーヴァントの権利を誰かから借り受けたのではないか、とのことだが、その詳細はわからない。
 「間桐の出方もそうだし、学校の結界もあるし、ここは様子見するべきかしら」……遠坂は小さくそう呟いた。


 遠坂の家に着き、外で数分も待っていると小さいバックを手に提げて出て来た。
 何でも、「魔術の錬度をみるランプと、回路の切り替えを作るためのもの」が入っているらしい。
 遠坂からそのバックを受け取って、代わりに持っていく。女の子に荷物を持たせているのも男として情けない。それが俺のためのものだっていうんだから俺が持たない理由はないしな。
 そのバックを手に、他愛無い世間話をしながら帰途に着いた。



 家に着く頃には、外はもう薄暗くなっていた。

「あ、夜は私の番だったわよね」

 言って遠坂は玄関をくぐると一足先に靴を脱ぎ、台所に向かって小走りで駆けていく。

「今帰られたのですか、シロウ」

「士郎、おかえりなさい」

 遠坂の家から持ち出した荷物を抱えたまま居間に入る俺に、中から声が掛かった。
 同じ声色のそれは、セイバーとアーチャーのものだ。二人は居間で座って、仲良くお茶を啜っていた様子。
 相変わらず寸分違わないような容姿の二人だけれど、アーチャーの胸元のリボンが青いものから赤いものに変わっているので大分見分けがつきやすくなっている。

「ああ、ただいま」

 ……と、二人に聞いておきたいことがあったんだ。
 朝は時間がなかったし藤ねえも桜もいたから聞く事が出来なかったけど、今なら大丈夫だろう。

「そういえば二人とも、今朝藤ねえに名前聞かれた時にリアとアルトって名乗ってたけど、あれはどうしたんだ?」

 朝の自己紹介にて聞いたことのない、遠坂にさえも知らされていなかった名前を名乗った二人。
 今日一日ずっとそのことが引っかかっていて、もやもやしていたのだ。

 俺の問い掛けにセイバーが口元に運びかけた湯のみを下ろして、俺を見上げる。

「――その件ですか。
 あれは一般人に名前を聞かれたときクラス名では何かと不都合だろうとアーチャーが懸念し、その場で考えた仮名のようなものですが」

「そっか……アーチャーが」

 語り終えると、セイバーは飲み掛けていたお茶を一啜りする。
 入れ替わるように俺に視線を合わせたのはアーチャーだ。

「すいません、士郎。出過ぎたことだったでしょうか」

「ああいや、助かったよ。
 流石にセイバーとアーチャーじゃ、あまりに符号しすぎていて意味深すぎるだろうから」

 いくら藤ねえでも不審に思いかねない。……まぁ、十中八九大丈夫だったとは思うけど。
 朝はいきなりで驚いたのだけど、ここは素直にアーチャーの機転に感謝しておこう。

「やはり。セイバー、私の言った通りではないですか」

「ア、アーチャー! だから私も反対はしなかったではありませんか!」

 二人が言い争う様子を見ながら、自分が突っ立っていることに気がついた。
 バッグをとりあえず端に置いておいて、俺も胡坐(あぐら)で座り込む。

 それはそれとして、なんだか結構仲良くなってませんか、お二人さん。

「ま、そこはいいんだけどさ。えーと、これから二人を呼ぶ時はどっちで呼んだほうがいいんだ?
 俺としては人の名前を呼んでるって感じがするから、どちらかといえばリアとアルトの方がいいんだけど」

 個人的な感情で言えば、女の子に『セイバー』、『アーチャー』ではあんまりだと思う。
 サーヴァントとはいえ彼女たちも人間なのに、まるで戦うための道具の名前のようで俺は気に食わない。
 二人とも、そうは思っていないのだろうけど、ちゃんと呼ぶべき名があるならそちらの方がいい筈だ。

「私はどちらでも構いません。シロウの呼び易いよう呼んでください」

「セイバーがそういうのでしたら、私のこともお好きなように呼んでくれて結構です」

 セイバーは呼び名などはどうでもよさそうに。
 アーチャーは、セイバーが言うので渋々といった風に答えてくれる。

「そっか。それじゃこれからリア、アルトって呼ばせてもらうよ。
 ごっちゃになるから呼び名は統一したほうがいいよな。えっと、遠坂はどうするんだろう」

「ならば凛にも伝えてきましょう」

 そう言ってアー……アルトが立ち上がり、台所に向かう。
 と思いきや、向こうから遠坂の声がかかった。

「いいんじゃない? ちょっとネーミングが安直だけど。
 クラス名も隠せるから他のマスターやサーヴァントを撹乱できるかもしれないし、悪いことじゃないと思うわよ」

「だ、そうですね」

 アルトはセイバー……じゃなくてリアの向いの位置に座り直した。

 自分から呼び名を統一しようだなんて言っといてなんだけども、どうにも慣れない。
 ……あと遠坂、けっこう離れているのによくこっちの話が聞こえてたな。



「「「「いただきます」」」」

 揃っての食前の挨拶。
 最初の食事の時は戸惑っていたリアも、しっかり合わせて声を上げていた。

 さて肝心の夕食だけど、遠坂は中華系統でまとめたようだ。
 目の前の料理は今まで衛宮の家ではそう食べる機会のなかったものばかり。
 水餃子、回鍋肉(ホイコーロー)、胡麻と若布の中華スープ。
 和食は最初に俺が作ったし、洋食は前回アルトが作ったからか、残る中華料理に絞ったと見る。

 そして、予想はしていたけれどやっぱり

「美味い!」

 見た目から美味しそうだったが、それを全然裏切っていない。

 箸を進める最中、ふと周りを見る。
 遠坂はふふん、と胸を張っている。俺やアルトを見て「そうでしょう?」と言わんばかりだ。
 リアはただこくこくと首を縦に振って次から次へ料理を口に運ぶ。幸せそうなオーラがリアの体からにじみ出ている。
 アルトもさっきから箸が止まることはない。こころなしか涙ぐんでいるような……料理するみたいだし過去存在しなかった現代の味付けに感動でもしているのだろうか?
 声に出さずとも、二人のその様子は最高の賛辞だ。遠坂も満足そうに頷いた。

 斯く言う俺も、遠坂の料理に少なからず感銘を受けていた。
 以前に、中華料理は味付けに変わりがない一辺倒のものと見くびっていたけど、あれは誤解だったのだと痛感させられた。
 しっかりとした下ごしらえを感じさせる深みのある味わい、しゃきしゃきとした歯ごたえの残っているキャベツ……。
 昨日のアルトの料理もしっかりと洋食技法を踏まえたものだったけれど、遠坂の料理もまた油通し等の中華料理特有の調理法がされている。
 たぶん二人の料理の腕は方向は違えど、同じくらいだろう。
 これは俺にも更なる精進の必要がでてきた。遠坂にあんな目で見られるのは何か癪だし、二人に負けていられない。

 ちなみに、リアとアルトはともにご飯のおかわり三杯目。
 かくいう俺も二杯目をいただいている所。中華ってご飯がいくらでも進んでしまうのが欠点かもしれない。


 俺が「美味い」と呟いてからは、みんな黙々と料理に舌鼓を打っている。
 ただ、カチャカチャという食器の音が居間に響く。
 衛宮家の夕食は本来これぐらい物静かなものだったんだけど、何故か毎回騒がしくなるんだよな。

「ご飯っご飯~♪ 美味しいご飯~♪」

 ガラガラ、という引き戸の開け放つ音と一緒に、また変な歌が聞こえてきた。
 言うまでもなく、毎回この家を騒がしくしている原因だろう。

 俺は食事の手を止め、台所に行って分けられていた藤ねえの分の料理をとってくる。
 アルトは何を言うでもなく藤ねえの茶碗にご飯を盛ってくれている。
 遠坂はといえば口の周りを拭って身だしなみを整えてたりする。
 リアだけは休めることなく、卓上の料理を消費し続けていた。

 なんていうか、これだけ見ても性格が如実に表れている気がする。



 藤ねえは特別リアとアルトを気にした様子もなく食事を終えた。
 調理担当が遠坂だと知ると「遠坂さんってば、完璧超人……」と一言だけ呟き、言われた彼女も謙遜しているものの確かに勝ち誇っていて、その掛け合いは印象的だった。

 みんなで食後のお茶を飲み、一息入れてまったりとした空気が流れ出す。
 朝の台詞を忘れているのか、と俺が静かに安堵の息を吐いた所で、藤ねえがゆらり、と立ち上がった。

「……それじゃあリアちゃん、道場に行きましょうか」

 ……駄目だったか。
 このまま忘れてくれたらよかったのに。





[7933] 五日目【5】
Name: 下屋柚◆26967502 ID:5480aeb6
Date: 2009/10/01 10:29

 いきり立つ藤ねえに連れられて、結局全員が道場に集まることになった。
 どうやら年長者としての自分を誇示したいようで、無関係の遠坂までを見学に誘っていた。
 その相手であるリアの強さを知っている俺と遠坂からしてみれば、いきり立っている藤ねえが気の毒と言う他ない。


 藤ねえは道着を着込み、道場中央で気合を入れて竹刀を振るっている。顔付きもいつもの緩んだものではなく真剣そのものだ。
 握られている竹刀も随分と使い込まれていて、まるで長年の友のように藤ねえに馴染んでいる。
 いや、待て。そもそもあんな年季入った竹刀、うちの道場にあったっけ――って。

「藤村組に封印されている『虎竹刀』じゃないか!」

 見間違えようもない。握りのところには小さな虎のストラップがついている。
 竹刀だというのに『血塗れた虎の牙』なんて二つ名を冠した物騒な代物で、名前にしても見た目にしても紛れもなく藤ねえの愛刀である。
 藤ねえはあの竹刀を使ってどんな偉業を果たしたというのだろうか。不思議には思うのだけど由来に対して全く興味が湧いてこないというのは何故だろう。
 それはともかく、虎竹刀を持ち出したってことは遠慮も手加減もするつもりはないらしい。

 さて対するリアはといえば、感心しながら振るわれる虎竹刀を眺めていた。
 「なるほど、模擬刀としては申し分ない」なんて声が聞こえてきそうな様子で頷いている。
 見る限りリラックスしていて、とてもじゃないが俺には今から立会うという雰囲気は感じ取れない。

「タイガ、本当に剣を交えるつもりなのですか?」

「当ったり前だー!
 アルトちゃんは得意なのが弓だっていうからいまいち実力がわからなかったけど、リアちゃんはそうはいかないんだからね!!」

 ……あの見事なアルトの投射を「わからなかった」で済ます気なのか。
 仮にも弓道部顧問だというのに、そう言ってのけるとは流石は藤ねえだ。傍若無人というか、大胆不敵というか。

「というわけで、ていっ!」

 ダンッ、という地を蹴る音が道場に響く。藤ねえがリアに向かって飛び込んだ。
 正眼の構えからの面当て。攻め込み方としては珍しいものではないが、藤ねえの踏み込みは目を見張るほどに早い。
 少なくとも、日頃鍛えている俺であっても対応するには難しいだろう。

 剣の英霊であるリアはどう対処するのか……って、対処も何もリアはまだ竹刀すら持っていないじゃないか!
 藤ねえ、一剣士として丸腰の相手に斬りかかるというのは許されるものなのか?


 俺が物言いをつけようと声を上げかけるも、藤ねえの一撃の方が早い。
 いざ、リアに竹刀が直撃か、というところで俺は不思議な光景を目撃した。

 二人が交差すると、何故か藤ねえが握っていた虎竹刀はリアの右手に収まっていた。
 藤ねえは剣を振りぬいた体勢のまま、だがその手には何も握られていない。
 ……全然、何がどうなったのかわからなかった。

「へ? あれれ?」

 藤ねえも、リアの持っている竹刀を見て、それから自分の手元を見て首を傾げる。

「え~っと……ほんと?」

 何に対する「ほんと?」か知らないけど、とりあえず傍目にも勝敗は明らかだった。

 リアは手に持った竹刀を構えようとはしない。ただ静かに藤ねえへと振り向いた。
 正面から向き合うことになった藤ねえは小動物のようにびくっと後ずさった。

「構えますか? ですが、あなた程の腕前であれば実力差がわかったことでしょう」

「う、うう――――。はう~」

 気圧され、よろよろと涙目で後退していく藤ねえ。
 壁際まで後退した所でペタン、と座り込んでしまった。

「士郎が、リアちゃんとアルトちゃんに取られちゃったぁーーーー!!」

「はあぁっ!?」

 そして大声で叫び上げた内容に、慄く俺。

 何を考えているのかはわからないけれど、とりあえず誤解を招くような発言は控えて欲しい。
 隣の遠坂がにやにやしながら、生温い視線を俺に向けてくるのだから。



 藤ねえを遠坂と二人がかりで慰め、落ち着かせる傍ら、遠坂の横にいたアルトが立ち上がって歩いていく。
 途端に引き締まった空気に、喚いていた藤ねえが口を噤(つぐ)んだ。俺達三人の視線は、自然とその空気を作り出したアルトへと集まる。
 壁に立てかけられていた竹刀を手に取ったアルトは、『虎竹刀』を持ったままのリアの前まで歩いていく。

「リア、お願いできますか?」

 鋭い視線でリアを射るアルト。
 対するリアもアルトをきつく見据えている。

「……構いませんが」

 俺達は声を上げることなく二人のやり取りを見守っていた。

 リアは自分が持っている得物に何か不吉なものでも感じたのか『虎竹刀』を壁に立て掛け、代わりに普通の竹刀を手に持った。
 確かめるように両手で握り、ひとつ頷く。

「それでは――」

「ええ。始めましょう」

 二人がそれぞれどの言葉を発したのかはわからない。
 ただ、開始の言葉を発したというのに二人は動かなかった。
 同じ構えで対峙する二人を中心に空気が急速に張りつめ、道場中を満たしていく。


 どれほど経ったであろうか、俺は無意識に喉を鳴らしていた。口内はいつからか、カラカラに乾いていた。

 そんな僅かな音が契機となったのか、アルトが上段から斬りこんでいく。
 踏み込みの音はほとんど聞こえない。なだらかに、だが凄まじい速度での斬りこみだった。
 先ほどの藤ねえの踏み込みも速かったが、速さだけを見てみればどうしたって目の前のそれには及ばない。

 流れるように体を入れ替え、その一撃を難なく避けたリアは、開いたアルトの胴に向かって鋭く斬り返す。
 竹刀が振り切られる前に繰り出された反撃は本来回避など不可能。しかしアルトは常識では考えられない反射神経でそれを察知し、紙一重で地を蹴って射程外へと逃れ出る。
 しかしリアはその動きすらも読んでいたのか。間髪入れず距離を詰め、後退するアルトへ向かって追い討ちをかけた。

 盛大な破裂音が道場内に響き渡る。俺は、それが打ち鳴らされた竹刀の音だとすぐには気づけなかった。

 なんとか体勢を立て直したアルトは、追撃に打ち返したようだった。
 二人は共に弾かれるように後ろに下がって、距離を取り始める。


 たった数秒間の攻防、とてもじゃないが目で追うのがやっとで細かな動きなんて見えていない。
 わかるのは、目の前で打ち合っている二人と俺の世界が違うものだということだけだ。


 その後も人間離れした打ち合いは続いていく。
 竹刀が風を切る音、打ち合う竹刀の音、地を蹴る音、地に着く音――。
 競い合うように生まれる音が鳴り止むことはなかった。
 それらが組み合って音楽となり、二人の揃った動きも合わさってまるで剣舞のようで。

(……きれいだ)

 俺の目には、二人仲良く舞を踊っているように見えていた。

 遠坂も藤ねえも二人に見とれている。
 発する言葉が見つからず、身じろぎもせずにただ見つめ続けていた。



 鳴り続けていた音が途切れて、俺はようやくリアの竹刀がアルトの頭の上で寸止めされていることに気がついた。
 それはいつまでも続くかと思われた打ち合いが、リアの勝利で終わったことを告げていた。

 二人は剣を納め、互いに向き直るとアルトが大きく息を吐く。

「……やはり、剣では勝てませんか」

「え? どういうこと? アルト」

 その言葉に疑問を持った遠坂が問いかける。
 アルトはリアに目線を向けたまま、若干気落ちした風に口を開いた。

「難しいことを言っているわけではありません。単純に、私の技量がリアに劣っているというだけのこと」

「……そうですね。アルトは守りは中々堅いわりに、攻めのほうはどうにもいただけない。
 剣筋はそう私と変わらないのかと思えば、素人かと思うほどに精彩を欠いたりして一概に劣るとも言い切れず判断に困ります」

 そう、だったのか?
 確かに今回はリアが勝つという結果に終わったけど、アルトも相当なものだと思う。
 しっかりとは見えていなかったけれど、俺の視点からだと充分互角に戦えていたように見えたのだけど。


 いや、それよりも考えなくちゃいけないのは自分のことだ。
 サーヴァントという点を差し置いてみても二人は強い、のだと思う。
 二人の立ち合いを見て、自分の力不足を実感した。動きすら追えないようじゃ相手を止める事だって出来やしない。

 セイバーであるリアに守られていれば、それだけでこの戦争を勝ち抜けるかもしれない。
 けれど、俺が聖杯戦争に参加した目的は勝ち残ることなんかじゃない。
 多くの人を助けるために、この戦争で悲しむ人を減らす為に。
 その為に戦うことを決めたんだ。
 守ってもらって勝ち残って、それじゃ俺がマスターとして参加する必要なんてない。

 俺に今守れるだけの力がないのなら、守れるようになればいい。
 いや、ならなければならない。未熟な半人前のマスターだからこそ、強くならないと。

「リア、頼みがある」

「シロウ? どうしましたか?」

「俺に剣の稽古をつけてくれないか?」

 その言葉に、ぽかんとした様子でリアが固まった。
 次いで、眉を顰め怪訝そうな表情を浮かべる。

「何を言っているのですか。
 私がいるのだから、あなたが闘う必要などない」

「それだって俺のところに危険が及ばないとも限らないだろ?」

「――そうですね。私が不甲斐無いばかりに」

 バーサーカーとの一戦を思い出したのだろう。
 唇を噛み締め、不甲斐なさを悔いているのを感じ取り、慌てて言葉を繋げる。

「いや、違う。リアがどうこうっていうんじゃないんだ。
 ただ、いざという時に自分の身ぐらいは守れるようにはなっておきたいじゃないか」

「確かに日頃から心がけておけば、判断の助けぐらいにはなるかもしれませんが……。
 ――わかりました。明日からで構いませんか?」

「ああ。面倒かけると思うけど、頼む」



「ねーねー、士郎。何の話をしているの?」

 ほ、と一息ついたところで、窺うように声がかけられた。
 振り向いて、思考が一瞬止まった。

 ――しまった。すっかり忘れていた。
 ここには藤ねえもいたんだった。
 魔術関係の話なんかはしゃべってないから大丈夫だとは思うけど、物騒な話題に、何か隠しているのではと疑念の目で見られていた。

「なんでもないよ、藤ねえ。
 最近事件が多いだろ? 何かあったときのためにリアに稽古をつけてもらうだけだよ」

 咄嗟にそう言って誤魔化しにかかる。
 一家惨殺事件やら、集団昏睡事件やらが実際に起こってニュースにもなっているから不自然でもないだろう。

「ふーん。
 稽古はいいけど、士郎から事件に首を突っ込んだりしないようにね」

 腰に手をやり、「私が保護者なんだから」というように言ってくる。
 自分が稽古をつけると言い出さない辺り、リアとアルトについてはあきらめたようだ。
 得意分野であんな超人的なものを見せられたら、口を挟むことなんて出来ないよなぁ。


「それじゃ、汗もかいたし一緒にお風呂にでも入ろっかー!」

 明るく鼻歌を歌いながら、藤ねえはリアとアルトを引きずって道場を出て行った。

 リアは為すがままといった様子だったが、アルトが顔を引き攣らせながらものすごく抵抗していた。
 彼女らしくもない慌て様だった。……まぁ結局、連れて行かれてしまったのだけれど。

 なんだかんだいって、藤ねえも二人のことを気に入ってくれたんだろう。
 ――そういえば、藤ねえって汗かくようなことしたっけ?

「衛宮くん、明日は学校を休んで魔術講座するからね」

「へ? 遠坂、なんでそんないきなり」

 唐突に遠坂が話しかけてきたものだから、驚いて変な声が出てしまった。
 何とか藤ねえを誤魔化して気を抜いたところだったものだから、何の気構えもしてなかった。

「あんたは一刻も早くスイッチを作らなきゃいけないの! それが最優先なんだから!」

「わ、わかったよ」

 怒鳴りつけてくる遠坂。
 大方、全く理解できていない俺に腹が立ったんだろう。

 これ以上反論したらただでは済まないだろうし、素直に頷くことにした。
 教えてもらえるのに、文句なんてないしな。


 これは余談なんだけど、どうやらあの後、風呂場でアルトが鼻血を吹たらしい。
 ……のぼせたのだろうか?






[7933] 六日目【1】
Name: 下屋柚◆26967502 ID:5480aeb6
Date: 2009/10/09 00:43

◇◇◇


 あまりに寝苦しくて自然と目が覚める。知らぬうちに荒く息を吐いていた。
 背中が気持ち悪い。湿った感触から、どうやら寝汗を掻いていたようだ。

 息を整えながら目を開けると、視界に入ってくるのは見慣れない天井。
 布団から静かに上体を起こし、辺りを見回す。ここは……衛宮家の離れの部屋だ。
 ん? 土蔵や自分の部屋ならともかく、なんで俺は離れなんかで寝ているんだろうか?


 ――――ああ、そうだ。
 今の俺はもうヒトではなく、サーヴァントとして存在しているんだった。
 一週間が経とうとしている今も、未だにしっかりとした実感が湧いていない。


 覚醒しきっていないぼんやりした頭で昨日のことを思い出す。
 ……色々とあって大変だった、というのがまず浮かんでくる。

 まず挙がるのが、竹刀とはいえリアと打ち合ったこと。
 これは自分がどれだけ動けるのか試しておかなければと思って自分から申し込んだものだったけれど、当たり前だがセイバー……リアは強かった。
 立ち合いからじりじりと精神力を削られ、意を決して攻め入ればあっけなくかわされる。そして、僅かな隙に容赦なく斬り返される。
 事実だけ並べれば衛宮士郎であった頃のそれと変わりないが、格段に上がった身体能力でも同じようにやられるということは、俺はリアの技術に及びもついていないということだ。
 振るわれる鋭さも、体捌きの速度も衛宮士郎だった頃受けた稽古と違う。あの頃さんざん手を抜いてもらっていたことを身を以って実感した。
 衛宮士郎の身体能力と技術でサーヴァントに挑む無謀を、サーヴァントと同等の身体能力を得て初めて正しく理解できた。

 しかし、我ながらよく直ぐにやられなかったものだと思う。
 今の破格ともいえる身体能力を持ってしても、互角とは決して言えなかった。渡り合うだけですら神経をすり減らしながらで、まともに戦いになっていたのかも疑問だ。
 踏まえて、今俺に足りないのは技術と経験。
 能力だけでいえば他クラスのサーヴァントを上回っているのだろうけど、このままそれに頼り切っていたなら先は見えている。
 今は、兎にも角にもこの身体能力を十二分に使えるだけの鍛錬と、ヒトとは桁違いに大量な魔力の運用練習を欠かさないようにするしかない。


 そしてこれはあまり思い出したくもないのだけど、大変だったといえば昨日の風呂だ。
 もちろん断った。俺なりに必死に抵抗を試みたんだけど、同じ姿のリアが断らない以上藤ねえの手が緩まることはなく、敢え無く連れ込まれてしまった。
 せめて極力目線を向けないように頑張ったけど、それだって限界がある。
 顔を上げれば藤ねえとリアの裸が目に映るし、俯くとリアと寸分違わない俺の体が視界に入る。
 結局数分も経たずにまるで漫画のようなことが起こり、これ幸いにのぼせたと言い訳して逃げ出したのだけれど、そうでなければどうなっていたか。

 思い返して湧き上がってくるのは羞恥心よりも罪悪感。藤ねえもリアも女同士だと思って全然気にしなかったのだから尚更だ。
 確かに今の俺は男とは罷(まか)り間違っても言える様な姿じゃないけど、中身が伴っているわけじゃないんだ。
 そう言った意味じゃ女性二人がこちらを気にしないのは当たり前なのだけれど、こちらはそうもいかない。


 ……それにしてもリアって呼び方、なんだか言いにくくてしょうがない。
 知り合ったばかりの凛や士郎はともかく、俺はさんざんセイバーって呼んでたからなぁ。
 俺が言い出したことなんだけど、実際に呼ばれ続けるとなるとは思ってもいなかった。
 てっきり第三者専用の偽名になると踏んでいたんだけど、まぁ、『アルト』が『リア』よりはまだいくらか男っぽい名前で良かったとしておくべきか。



 ようやく覚醒した頭を振り、洗面台に向かって歩き出す。
 借りている寝巻きが汗で体にまとわりついて、やっぱり気持ちが悪い。
 そういや昨日も結局満足に風呂に入れなかったしな。
 早めに気がついたから朝食までは時間もあるし、今のうちに入っておこうか。


 先に風呂に追い炊きをかけてから着替え用の下着、ブラウスとスカートを取りに部屋へと戻る。
 脱衣所へと戻って寝巻きを脱ぎ、視線を極力下げないようにして風呂場に入っていく。
 手を浴槽の湯に入れてみるがやっぱりというか、まだぬるい。

 先に体を洗い始めることにして、スポンジにボディソープをつけて泡立てて体をこする。ちなみにだけれど、目は瞑っている。
 こうして洗うのも初めてじゃない。落ち着け、落ち着け、と自分に言い聞かせながら体を洗い終える。
 所要時間はおおよそ十五分超。以前なら五分程度で洗い終わっていたのを考えると優に三倍か。

 衛宮士郎だった頃はもちろん躊躇なんてせずに体が洗えてたんだけど、そういかなくなった。
 自分の意思通りに動いてくれるからには間違いなく自分の体と言えるのだけど、同時に借り物でしかないのも確か。
 何よりもセイバーの体を無碍に扱ったりなんて、俺に出来る筈もない。
 それでもまだ最初よりは慣れてきたのか、いくらかは抵抗がなくなってきた。
 もちろん裸を見ることなんてできないけど、俺からすれば大きな進歩だ。

 次いで髪の編み込みを解いてお湯で湿らせ、シャンプーであわ立てる。
 こちらもまた一苦労。当たり前だけれど髪の量が段違いに多い。
 初めの頃はガシガシと以前と変わらないやり方で洗っていたけど、どうにもそれじゃ髪が痛むとのことらしい。
 その割には髪質は全く変わりがなかったように思えるのだけれど、元より女性である凛がそう言うなら女性として常識的なことなんだろう。

「……ふぅ」

 女であるって、何かと大変だ。

 ようやく髪の毛を洗い終わり、タオルで包んで湯船につかる。
 こうすると髪の毛に潤いを保てるとか言っていたが、それとは関係なく長くて少し邪魔になるからまとめるのに丁度良い。

 目を瞑ると体の力と、精神的な疲労が抜けていく錯覚を覚えた。
 自然と意識が思考に沈んでいく。




 なんだか前回と今回の流れが変わってきてしまっている。
 そのこと自体には大分前から気づいていた。


 まず一つに、遠坂凛のサーヴァント――アーチャーである俺が戦闘に出来る状態であること。
 衛宮士郎であった時のアーチャーは何を思ったのか、セイバーの太刀をまともに受けていた。
 来ることがわかっていたから俺は何とか反応できたけど、前回のアーチャーはセイバーにやられて満足に動ける状態じゃなかった。

 そしてその後の食事と、話し合い。
 些細な問題なのかもしれないけど、それがイリヤと出会う時間の違いに影響したのだろう。以前バーサーカーが襲ってきたのは隣町の坂ではなく、冬木の町の道路だった。
 ただ、ここで俺がもしリアにやられていて動けなかったならば、バーサーカーを撃退できなかったかもしれない。
 単独でも膠着状態に持っていくことはできただろうけど、リアは単純な白兵戦でバーサーカーにダメージを与えることはできない。
 魔力供給が充分なら宝具を用いての撃退も可能だろうけど、マスターが士郎である限りリアは魔力不足のままだろうからどちらにしても窮地に陥ることに変わりない。
 予想外だったけど、俺がいて、リアがいてようやくなんとかなった。


 全体的に見ればいい方向に流れが進んでいるのだと思う。
 戦力的にも以前より充実しているし、士郎がやられることもなくバーサーカーを撃退できた。
 桜も衛宮の家にはしばらく来ないようにと言っていたし、あいつが巻き込まれるのは何としても避けたい俺としては助かる。

 ただ、少し気になることがある。
 慎二が完全に士郎の敵に回ったようだ。
 前回は表面上だけだったかもしれないが同盟を持ち掛けてきたというのに、今回はそれがなかった。
 士郎が慎二の家に呼ばれることはなく、そして柳洞寺の情報もこちらには伝わってきていない。
 学校の結界については慎二は否定し、俺はそれを嘘だと知っているが、セイバーの同一体と思われている俺には凛や士郎に伝えることは出来ない。

 なんとか慎二を止める方法はないだろうか?
 発動する前日に結界の基点になってる魔方陣を潰して回れば足止めは出来ると思ってるんだけど、阻止とまではいかない。
 邪魔し続けていれば諦めるかもしれないが、果たしてそう上手くいくのか。


 なんにせよ、俺が聖杯戦争に召喚されたことが全てに影響を与えているのだろう。
 このままうまく立ち回っていけば被害を最小限に留めることができる筈だ。
 なら、頑張らなきゃな。



 ――う、なんだかぐらぐらしてきた。
 のぼせたかな? そろそろ出ないとまずいか。

「おや、アルト。あなたもお風呂ですか?」

「うえ!? リア!?」

 リアが風呂場のドアを開けて俺を見ている。
 服は既に脱いでいて、風呂場に入ってこようとしていた。
 浴槽から出ようと立ち上がったところだったんだけど、反射的にお湯に身を沈めた。

「お風呂というものはいいものですね。この時代に召喚されてからすっかり気に入ってしまいました」

「あ、うん。気持ちいいよな」

 顔の半分まで浸かって、視線を前方から逸らせない。
 相槌も、のぼせてぼんやりした頭では気の入っていないものしか返せなかった。

「昨日はどうしたのですか? いきなり鼻血を出したりして」

 先の『漫画のようなこと』を実際に口に出され、恥ずかしさで更に頭に血が上るのを自覚する。
 随分長いことお湯に浸かっているから、顔はどっちにしろ真っ赤だったろうけど。

「あ、ああ。どうやらお湯に当たったみたいだ」

「ふふ、シロウのような話し方ですね。なかなか似ていますよ」

 顔は逸らしているからリアの表情を見ることは出来ないけど、雰囲気から微笑しているのが分かる。

 ようやくリアも俺と打ち解けてきた、のだろうか。リアの警戒がいくらか緩められているのは確かだと思うのだけど。
 それも、『伝承の相違による人物の分化』という凛の推論を聞いて自分と別の人格だとわかったからだろう。
 以前に衛宮士郎の口調でしゃべったときは相当剣呑な目で見られたのが、今は戯言だと思われるに済んでいる。
 どうやら感情が昂ると口調が戻ってしまうようので、俺としては今の状況はかなり助かっている。

「ところであの後は何をしていたのですか? 姿が見えなかったようですが」

「この周辺の見回りを。何かあってからでは遅い、ですから」

「そうでしたか」

 戻った口調に気づいて、咄嗟にセイバーを真似したがやはり言い慣れず途中で詰まってしまった。
 幸いリアは口調についてのそれ以上の追求はせず、俺は話した内容に会得がいった様子で頷いていた。


 見回りの件は、建前だ。確かに簡単に見回りもしたけれど時間をかけたわけじゃない。
 わざわざ嘘を言ってまで何をしていたのかというと、屋根上で投影魔術の確認をしていたのだ。こればかりは人に見られるわけにはいかなかった。

 対象は宝具。ランサーの『刺し穿つ死棘の槍(ゲイ・ボルク)』。
 今まで投影したもので、これほどのものは『勝利すべき黄金の剣(カリバーン)』を除いて他にはない。
 俺が出来て、少しでも戦力に反映し得ることは考える限り投影しかなかった。

 神秘の具現といわれる宝具を投影するなんて我ながら無茶だとは思っていたのだけど、どうやら行使自体には問題はなさそうだった。
 ただ、やはりというべきなのか『勝利すべき黄金の剣(カリバーン)』を投影するときよりも消費する魔力は格段に増え、精度は格段に下がった。
 『約束された勝利の剣(エクスカリバー)』を普通に使うよりも消費が少なく済むようなのだけど、しかしこれでは戦闘に耐えられるかどうかも怪しい。
 真名開放したら自身の魔力を消費するのかどうかだってわからない。なにせ試しようがない。
 試したら試したで魔力が集中するのを凛やリアが気づいただろうし、使う相手がいる筈もない。

 確認しているのはどうにもならない、それこそ形振り構っていられない状況での選択肢を増やすためのものだ。
 そんな状況にならないに越したことはないのだけど、俺程度の戦闘技術ではどうしたって難しい。楽観視は出来ない。
 確かに、このまま何事もなく俺がただの『アーチャー』であるまま聖杯戦争が終結してくれるのならば、それが一番良い。

 実際に必要があって知られるとなれば構わない。確かに心境的には複雑にはなるだろうけれど、俺のことなんてどうでもいい。
 ただ衛宮士郎の成れの果てがこんな結末だと、知られたくないだけなんだ。
 俺の時のようはさせない。そんな未来に辿らせないために、俺はここにいるのだから。


 ……あ、そうだ。
 そろそろ朝ご飯、作らなきゃ。もう、たぶん、時間がない。
 って、あれ? 体に力が、入ら――

「アルト? どうしたのです?」

 セイバーが……いや、リアが近づいてくる。

「な、んでも な――――」

「アルト!?」

 大丈夫だと手を振ろうとして、動かず。
 視界は黒く染まっていった。




[7933] 六日目【2】
Name: 下屋柚◆26967502 ID:5480aeb6
Date: 2009/11/05 09:47


「あっきれた! ただの湯当たりだったなんて!」


 気がついたら俺はまたもや離れの布団の上にいた。
 前回と違ったのは、額には濡れたタオルが置かれ、布団横には洗面器に張られた水が用意されていたことか。
 壁に掛かった丸時計はしっかりと時を刻み、起きた時には既に午前の十時を回っていた。

 そうして覚醒して自身の状態を把握する間もなく、傍で書き物をしていた凛にそれからの約一時間、お小言を頂戴しているのだけど……。

「お風呂が好きなのはわかったけど、少し加減を知りなさいよね。
 バーサーカーに襲われても湯当たりして動けません、じゃ目も当てられないわよ」

「すいません」

 これについては本当に申し訳ないという他なかった。口からは謝罪の言葉しか出てこない。
 訊けば朝食は代わりに士郎が作ってくれたらしいし、ここまで俺を運んでくれたのはリアだという。みんなに迷惑をかけてしまった。

 説教を受けているうちに自分がどうなったのかを思い出すことが出来た。
 どうやらリアが入ってきて風呂から出るに出られなくなった俺はのぼせて、リアの目の前で湯の中に沈んでいったらしい。

 それにしても、サーヴァントものぼせるものなんだな。
 暑さ寒さを感じ取れるのだからおかしな話ではないけれど……いや、それともセイバーが特殊な立ち位置にいるからだろうか?

「遠坂、もうそのへんでいいんじゃないか?」

「士郎には関係ないでしょう!
 さっさと稽古の続きなりしてきなさいよ」

 リアと稽古していたのだろう、タオルで首元の汗を拭いている士郎がいつの間にやら部屋の入り口からこちらを覗き込んでいた。
 肌に貼られた湿布が痛々しいが、士郎は気にした様子もなく笑っている。

「アルト、こんなこと言ってるけど遠坂の奴、かなり心配してたんだぞ。
 つきっきりで看病していたのも遠坂だしな」

「士郎!」

 遠坂が顔を赤らめて士郎に怒鳴り上げる。
 悪い悪い、と全然悪びれた様子なく士郎は頭を掻いた。

 事実、凛はずっと俺を看ていてくれたんだろう。覚醒した時、額に当てられていたタオルにはまだ冷たさが残っていた。
 わざわざ俺が宛がわれた部屋で書き物をしていたし、そうでもなければ自分の部屋があるのだからわざわざここでする必要もなかったろう。
 士郎にしても、道場から母屋に移動するならば、離れのこの部屋を通りがかるわけもない。どうやら、わざわざここまで様子を見に来てくれたようだった。

 俺はほぼ一人暮らしだったから、調子が悪い時に傍に誰かいない寂しさを知っている。
 こうして気遣ってもらえることが、どれだけありがたいかよくわかる。
 ……まぁ、今回倒れたのは間違えようなく自業自得なので、嬉しさよりも申し訳なさが先に立つのだけれど。


「あ、そうだ。アルト、良かったら夕食の買い物つきあってくれないか?
 午後は忙しくなりそうだから早めに行っておきたいんだ」

 ふと思い出したように、士郎が俺に声をかけてきた。
 軽く自己嫌悪に沈んで俯けていた顔を上げると、目前には凛。怪訝な表情を隠そうともしていない。

「士郎、なんだってアルトに頼むのよ? リアがいるでしょう」

 なんていう凛の疑問ももっともなものだった。確かに同盟を組んでいるとはいえ、あくまで俺は凛のサーヴァント。
 どこかに出かけるなら自身のサーヴァントであるリアを連れて行くべきではある。

「稽古に付き合ってもらって、その上買い物にもっていうんじゃリアが可哀想だ」

「あんたね、何のためのサーヴァントだと思ってるわけ?」

「それとこれとは別問題だろ? ずっと気を詰めっぱなしじゃ疲れるじゃないか」

「……はぁ」

 凛はこれ以上言っても無駄だと感じたのか、目を細めた後ため息を一つだけついて追求をやめた。

「私は構いませんよ。ちょっと外の風にも当たりたかったところです」

 これ幸いと追随するように俺も声を上げた。凛にはリアがいれば襲撃があったとしても問題はないだろう。
 それに心配してくれた凛に対してこういう言い方も失礼だけれど、この様子じゃいつまでお小言に付き合わされるかわかったものじゃない。

「――まぁ、アルトがいいっていうなら、リアもいることだし私は構わないけど」

「そっか、ありがとう。それじゃ稽古も終わったし、これから出れるか?」

「ええ。わかりました」

 そうと決まったならすぐに着替えないと。
 あんまり待たせるのも悪いし、俺も早く体を動かしたい。

 布団から立ち上がって、横に畳まれているいつもの私服を手に取る。
 誰に着替えさせられたのか分からないが、勿論自分で着た覚えのないパジャマのボタンに手を掛けた。

「うわわわわわわっ!!! ちょ、ちょっと、アルト!」

「士郎!? どうかしたのですか!?」

 士郎が慌てて大声を上げたのは、俺が全てのボタンを外し終わり、上を脱ぎ去ろうとした瞬間だった。
 咄嗟に周囲に気を張り巡らせ、警戒の構えを取る。

 ……しかし俺が見る限りでは異常が起こった様子はない。
 それにどうやら慌てているのは士郎だけで、凛には動じた様子がないし。

「士郎、一体何に」

「アルト! 頼むからこっちに寄って来ないでくれ!!」

「は?」

 士郎に駆け寄ろうとするが、声で止められた。そして程なくして気づく。

 士郎が必死に目線を逸らしているのだが、それは俺を視界に入れないようにするためだ。何事かと思ったら、そうだった。
 セイバーの姿を借りている俺は勿論、女性にしか見えないのだ。そりゃ異性が目の前で服を脱ぎ始めたりしたら慌てて声も上げるか。

 復調したつもりだったけど、前言を撤回させてもらいたい。
 体は問題ないけれど、頭はしっかりと覚醒してなかったようだった。

「お、俺、居間で待ってるから!!」

 だだだっ、と足音を残して、顔を真っ赤にした士郎が廊下へと消えた。



「アルト、あんたは少し人の目を気にしたほうがいいわね」

「……そうですね。気をつけます」

 凛が呆れたように、士郎が走り去った先を眺めて忠告してくる。それに素直に頷いた。

 しかし、俺は士郎にも気をつけなきゃいけないのか。
 俺から見れば士郎は過去の自分でしかないけど、士郎からすれば俺は人よりかなり強いだけの『女の子』として見えているのだろうし。
 はぁ……どうにも自分がどう見られているのか考えると、憂鬱だ。




 結局居間に向かったのはそれから三十分が経ってからになってだった。
 士郎が居間で待っているだろうに、凛の奴が「どうせ出かけるんだからお洒落でも」といつもとは違う服を持ってきた。

 俺の名誉のために言っておくけど、その服を着るのは嫌だった。
 今までだって、本当はTシャツジーンズで済ませたいところだが、セイバーと同じということでブラウスにスカートを着ている。それが、俺の最大限の譲歩だったんだ。
 だけど、「マスターの私に迷惑掛けて、その上、拒否なんかしないわよね」と、迷惑をかけたことを持ち出されて言われてしまえば、俺がそれを断ることなんて出来る筈がない。
 着替えさせられる間の凛の嬉々とした言葉の端々から推測するに以前から俺に色んな服を着せてみたかったようだけど、思うだけにとどめておいて欲しかった。

 さて前置きはもういいだろう。
 今俺が着ているのは長袖の胸に白で十字が入った赤い服、黒のミニスカート、これまた黒のニーソックス。
 一言で言えば遠坂が着ている服のサイズを小さくしたものだ。加えて、髪の毛も黒いリボンで二つに結ばれている。
 ただ、遠坂のように髪にウェーブがかかってないので同じ髪形のようには見えない。

 あまり似合っているとは思えないんだけど、遠坂はそこそこお気に入りの様子である。
 まぁ満足してくれたのならいいのだけど……俺はいつから凛の着せ替え人形になったのだろう?




 凛が用意しておいた昼食を済ませて、士郎と共に商店街に向かって、二人並んで歩いていく。

 ちなみにここまで来るにももう一悶着あった。
 昼食時に顔を合わせたリアが、わざわざ俺を買い物に誘った士郎に食って掛かっていた。「何故私ではなく、アルトを連れて行くのですか!」、と声を荒らげて。
 ま、確かに他のマスターのサーヴァントを連れて行くってことを考えると非常識なのは士郎。間違いなくリアが正しいのだけれど、それを言った士郎には通用しなかったようだ。

 別にリアが行ってくれると言うなら、素直に一緒に行ったらいいと思うんだけどな。
 何か俺と話したいことでもあるのだろうか? 士郎が何を考えているのか俺にもわからなくなってきた。

 と、慌てて右手でスカートを押さえる。考え事をしていたからそちらの注意が疎かになっていた。
 歩くたびに翻りそうになるスカートの裾を気にしていると、どうしても内股になってしまう。というか、このスカート明らかに短すぎるだろ。
 凛はどのような特異な魔術を使って、こんな短いスカートを翻させずに動き回っているんだ。

 有体もないことを考えていることに気がついて、思わずため息をついた。曇りがかった空を見上げ、また息を吐く。
 考えてみれば、今俺はとてつもなく情けない姿をしているのかもしれない。親父が俺のこの姿を見たらどう思うだろう。

 ……じいさん、あんたから夢を引き継いだ息子は、何故かこんなことになってます。




「あ、ところでアルト、リアとはどうだ?」

 ぼんやりと商店街に向かって歩いていると、何やら意を決した風にして士郎が話しかけてきた。
 しかしどうにも要領を得ない質問だったので、少し考えてしまう。

「どう、と言われましても。
 共に暮らしている上で、これといった問題は生まれてはいないと思いますが」

 むしろ仮に同盟しているサーヴァント同士であるというのに、打ち解けすぎなところまである。
 俺としては全然構わないんだけど、リアが他サーヴァントに対してここまで踏み込ませているというのも不思議な話だ。

「そっか。何でかは分からないけど性格も違うみたいだし、出来れば俺は仲良くしてほしいんだ」

「それこそ問題はありません。リアが私をどう思ってるかはわかりませんが、私の方は同盟に関係なくリアを大切に思ってます」

「うん。それならいいんだ」

 士郎は安心した風にそう呟く。
 そんな返答しながらも、俺は自身の時のアーチャーを思い出していた。

 アレを相手に仲良くしよう、なんて考えは当時も今も微塵もない。
 相性がどうとかではなく、アレとは決して相容れないものだと思っていたし、向こうだってそれは同じだったろう。
 俺とアイツが、今の俺と士郎のように話すなんてあり得ない話だ。想像すらできないし、出来たとしてもしたくない。

 ……ふと思ったんだけど、士郎は今回アーチャーとして召喚された俺にどんな印象を持っているんだろうか?
 俺としてはそこそこには仲良く出来ていると思うのでそんなに心配はしていないが、いい機会だから聞いておこうか。

「ところで、士郎。私からもひとつ訊いておきたいのですが」

「ん? 何?」

「士郎は、私の立ち振る舞いが気に入らないとか、私とは絶対的に反りが合いそうにないとか思っていたりはしませんか?
 端的に言うならば、アーチャーである私に対して何か不満はあったりはしないでしょうか」

 これらは俺がアイツに対して感じていたもの。同じ立場に立たされている俺に対し、士郎が同様に感じたりしないとは言い切れない。
 だが問われた士郎はと言えば俺が何を言っているのか理解できなかったのか、綺麗に一拍ほど固まった。

「い、いや、そんなことあるわけないじゃないか!
 それ以前に、俺は人の作法に文句をつけられるほど立派じゃないよ」

「そうですか。それはよかった」

「でも、いきなりどうして?」

「いえ、単にアーチャーのサーヴァントである私のことを不愉快に思っているのではないかと心配になりまして」

 どうやらただの杞憂だったみたいだけどさ。
 まぁそれでも安心したのも確かだった。相手が俺だとはいえ、出来る限りで仲良くやっていきたいと思っている。

「何だって俺がアルトのことを不愉快に思っているなんて考えたのかはわからないけど、間違いなく嫌ったりなんかしていないぞ。
 いや――――それにしても、やっぱりアルトは面白いな」

「えっ?」

「あ、人を指して『面白い』なんて失礼だよな。ごめん。
 なんていうかさ、俺が言いたいのはアルトって何だかサーヴァントらしくないっていうのかな。
 遠坂から聞いた話だと聖杯を手に入れるために呼び出されるって話だったけど、他のマスターに『自分を嫌っているか』なんて質問してくるとは思わなくて」

「……あ、あはは」

 思わず乾いた笑いが漏れてしまう。
 単純にサーヴァント歴が短いからか、それとも呼び出されてからも以前の生活とあまり変わらないものだからか、確かに自身がサーヴァントだと忘れてしまうことがある。寝起きなんかそれが顕著だ。
 極力注意しているつもりだけれど、気がついてないうちについつい友人のような対応をしてしまっているのかもしれない。

「他のマスター、か。慎二や遠坂には早いか遅いかの違いだけでどちらにも覚悟をしろって言われてるし。
 それに、他の四人のマスターとも積極的に争いたいとは思わないけど、傍観していると無関係な人に犠牲が出かねない。
 アルトは何か、穏便にこの聖杯戦争を終わらせる方法を知らないか?」

 つまりは犠牲を出さずに戦わないで済む方法、だろうか。
 訊かれたものの、俺はそんな方法を知らない。
 俺は結局、聖杯が実際にどんなものなのかを知る前に敗退させられた。あの後聖杯戦争がどう終結を迎えたかを知る術ももはや存在していない。
 その過程はともかく、最後を見届けることは出来なかった俺が聖杯戦争について持っている情報は、士郎が知っているものとそう大差ない。

「この聖杯戦争を終わらせるためには、例外なく他のサーヴァントを倒さなければいけません」

「それじゃあ、やっぱり戦う羽目になるのか……」

「……しかし、あくまで可能性という域を出ませんが、終結の際にサーヴァントを二騎以上残す方法があるかもしれない」

 ただ――イレギュラーがいることは知っている。
 鍵は、ギルガメッシュだ。

「可能性って……他の六人のサーヴァントを倒さなければいけないんだろ?
 どっちにしても最後の一人になるまで戦うんじゃないか?」

「要は六人の英霊を倒せばいいのです。イレギュラーに召喚されたサーヴァントを倒せば、或いは」

「そんなやつがいるのか?」

「わかりません。あくまで可能性の話なので」

 ただ、ギルガメッシュがいるのはわかるけど、それで聖杯戦争が終結するのかはわからない。
 聖杯戦争というシステムを俺は一片も理解できていないのだから、本来はこうして口に出すほど根拠のある考えでもない。

 それを聞いた士郎は「む」とくぐもった声を上げて俯き、考え込んだようだが、そう時間が経たないうちに顔を上げる。

「駄目だな。考えても情報が少ない俺じゃあ、良い案が浮かんできそうにない。
 今は情報集めを兼ねて、他のマスターとサーヴァントを探して回るしかないか」

 疑問は残ったようだが、いくらか晴れやかになった士郎は改めて俺に顔を向けてきた。

「ああ、そういえば。『聖杯』で思い出したんだけどさ。
 サーヴァントは聖杯に願いを叶えて貰う為に召喚に応じるって聞いたんだけど、アルトは聖杯に何を願うんだ?」

「私が願う……ことですか?」

「ああ。それとなくリアにも聞いてみたんだけど、うまくはぐらかされちゃってさ」

「私の、願い……」

 セイバーの無事、だろうか。確かに死ぬ間際、それを願っていたけど。
 今の俺がしなければならないことは――みんなが誰一人欠けることないまま、この聖杯戦争を終結に持っていくことだ。

 しかしこれは、聖杯に願うことじゃない。
 聖杯を手に入れたら聖杯戦争は終わるっていうのに、勝ち残った後に願うことが聖杯戦争をみんなで生き延びる、じゃあ本末転倒だ。

「もしかして、願うことなんてない、とか?」

「いえ、もちろん願いはあります。ただ、私の願いは聖杯に叶えてもらうようなものではありません。
 私が望むものは願い叶えてもらうものようなものではなく、この手で掴み取るものですから」

「む、そうなのか。
 リアはリアで何か難しいことを言ってたけど」

「姿は同じとはいえ、彼女の願いは私とは違うものでしょう。恐らくは、ですが」

「――――そっか。でも、願うことがあるのはいいことだと思う」

 何故か嬉しそうに笑みを浮かべた士郎は、俺から目線を切って空を見上げた。




「着いたようですね。士郎、今日の食事は何にしましょうか?」

 歩きながら話しているうちに、いつの間にか俺たちは商店街に到着していた。
 道行く人がちらちらとこちらを見ているが、大方金髪が珍しいのだろう。

 士郎が朝食代わってくれたことを思い出して、歩いて話している時に夕食担当を譲ってもらうことに成功していた。
 「迷惑なんかしていない」と渋ったものだったが、俺が「士郎の好きなものを作る」と言ってようやく、士郎は折れてくれた。

「えーと、アルトって和食も作れたりするのか?」

「任せてください。書物を読んで勉強していますので、大抵は問題ありません」

「そっか、んじゃ和食をリクエストしてもいいかな?
 俺や桜以外の人が作った和食って食べてみたかったんだ」

 ふむ。そうなると衛宮士郎が知っていそうなメニューでは何にも面白みがなさそうだ。
 となると、凛の家にあったレシピを組み合わせれば……悪くない。

「わかりました。それでは、食材を選ぶところからですね」

 気合を入れ直して、まず主菜に考えている魚を探しに足を進める。





「少々買いすぎてしまいましたか?」

「ああ、ちょっとばかし、な」

 二人の両手は中が沢山詰まった袋で塞がっていた。
 流石に『四人+虎』の食事分を買い溜めするともなると量が半端じゃない。
 いや、ちょっと気合を入れすぎて、それを考慮しても買いすぎたけど。


「さてそれでは…………この匂いは?」

 荷物を持ち直して帰路に着こうと伸ばした足は、漂ってきた香りに止められることになった。

 甘くて、香ばしいこの香りは……間違いない。『江戸前屋』だ。
 たい焼き、たこ焼き、どら焼きの焼き三種のラインナップで成り立っている凄い屋台である。
 中でもたい焼きが八十円という低価格の割に餡子ぎっしりで近隣の学生に大人気だ。

「士郎、このとても香ばしい香りは江戸前屋ですよ」

「ああ、あそこに見えるは確かに江戸前屋だ。
 相変わらず食欲をそそる匂いだな。深山まで出てくるなんて珍しい」

「あの、たい焼き、売ってますよ」

「うん。何処から見てもたい焼きを売ってるな。
 あそこのたい焼きは餡子がしつこくなくて、けっこう上品なんだよな。飽きないっていうか」

「あ、ああ! そうではなくて、ほら。見てください、焼き立てが美味しそうです。
 それにどうやら今ちょうどお客もいないようですし、直ぐ買えそうです」

「確かに美味そうだけど、昼食食べたばっかだからなー。
 お。俺たちには全然関係ないけど、四個以上で値引きされるみたいだぞ」

 …………。

「士郎、絶対わかってますよね。
 私をいじめて、楽しいですか」

「ぶっ! あははははははは……くっくっ……」

「――――――」

 無言で士郎を睨む。
 なにかが、怒りと共に体から湧き出てくる。ごう、と周囲の風が巻き上がった。

 ああいや、決して俺の意志でやってるわけじゃないぞ。
 体が勝手に臨戦態勢になって、殺気混じりで睨んでしまうんだ。俺の所為じゃ、きっとない。

「わ、悪かった。ちょっとばかりふざけすぎたな。
 そうだな……それじゃあ、どうせだからみんなの分も買っていこうか?」

「……そうですね。リアもこれで機嫌を直してくれるといいんですけど」

 とは言いながらも、俺の目はたい焼きに移って離れない。

 何だか食事に――特に加えて言うならば、甘いモノに目がなくなってきた気がする。
 知らずに精神が肉体に引きずられているような気もするけど……まぁ、体が欲しているものを素直に食べるべきだよな。うん。

 自己弁護を密かに終えた俺は、黙って士郎に手を突き出した。
 苦笑いしている士郎から五百円玉を受け取り、代わりに荷物を渡してから江戸前屋に向かって駆け出したのだった。






[7933] 六日目【3】
Name: 下屋柚◆26967502 ID:5480aeb6
Date: 2010/01/30 06:35

 たい焼きが四つ入った紙袋を右手で抱えて、左手には買い物袋を提げて商店街を出口に向かって歩いていく。
 歩いていくのだが……俺の視線は引き摺られていくように下に向かい、それを視界に収めた途端に勝手に喉が鳴っていた。
 
「うーん。どこか落ち着けるような所ってあったっけ?」

「早くしなければたい焼きが冷めてしまいますよ」

 胸元に抱えた紙袋からはとてもいい香りが漂っていた。
 この匂いを嗅いでから食欲は際限なく増していくばかりで、とどまるところを知らない。
 しかもこの匂いの元は冷めれば味が落ちるという時間制限つきで、まるでおあずけを言われた犬になってしまったようだ。

 そんな俺の様子を見てか、士郎が「美味しいうちに先に食べちゃうか」と持ちかけてくれたのはいいのだが、中々落ち着けそうなところがない。

「アルト。それが美味そうなのは俺にだってわかる。熱々の焼きたてを食べたいってのもよくわかる。
 だからといって歩きながらは駄目だからな」

「ならば士郎は一刻も早く落ち着ける場所を見つけるべきです」

「そう言われても、この辺りに良さそうなところなんてあったか?
 えーっと……」

「お兄ちゃん、そこに公園があるよ」

「ああ、そうだったな。それじゃそこに――――っ!?」


「挨拶が先だったね。お兄ちゃん、こんにちは」

 いつの間にか士郎の横には紫の服を纏った小さな女の子が立っていた。身構えた士郎に向かって裾を軽く持ち上げ、小さくお辞儀する。
 顔を上げて可愛らしく士郎に笑いかけるイリヤがそこにいた。

 そんな他のマスターの接近に、サーヴァントである筈の俺はと言えばまったく気がついていなかった。

 どうやら注意が散漫になっていたようである。他のマスターを不用意に士郎に近づけたなどとリアに知れたら俺はどうなるのやら。
 いや、気づかなかったのはイリヤに害意が全くなかったということもあるわけで、そう、決してたい焼きに気を取られてたわけではない。

「なんでお前が!
 もしかして、こんな昼からやるつもりなのか!」

「お兄ちゃん、何言ってるの? お昼の間は戦っちゃ駄目なんだから」

「え? はぁ……」

 そんな邪気の欠片もない言葉に、士郎は呆然と相手を見詰めている。

 士郎の気持ちも俺にはわかる。俺だって似たような反応をしていたのだから。
 確かに今のイリヤと相対しても、あのバーサーカーのマスターと同一人物だとは思えない。
 冷酷に俺達を殺せとバーサーカーに命令していた相手からこんな真っ当な言葉が返ってくれば、呆然とするのも無理はない。

「っ! アルト!! この子に手は出さないでくれ」

 一方、一応敵のマスターということになっているイリヤを前に、サーヴァントの俺はというと特に警戒もせずにただ突っ立っていた。
 そんな俺に対して、士郎は気づいたように身体を割り込ませて手で後ろに下がらせてくる。

「士郎。私は戦闘の意思のない者に振るう剣は持ち合わせていません。
 その心配は無用です」

「……あ、そっか。悪い。
 リアは敵のマスターっていうとすぐに手を出そうとするものだから、ついアルトもかと」

「ああ。よくわかります」

 リアと出会ったときも俺の気配に反応して負傷しながらも打って出たようだし、やっぱりリアは俺の知るセイバーと変わらないんだよな。
 士郎の言葉に共感し、ついつい同意の声を上げてしまう。

「そうなんだよ。リアももう少し話し合いっていうのかな、そういうのが先にあってもいいと思うんだけど」

「しかし士郎、多くのマスターは話し合いをする気などはありません。
 気をつけてもらわねば、士郎自身が命を落とすことになりかねない」

 争いを収めたいという気持ちはわかるものの、流石にそれだけは避けてもらいたい。
 本人に自覚がなくてはこっちが必死に守ろうにも限界がある。自ら危険に飛び込まれてしまってはどうしようもない。

 ――あれ?
 これって以前俺がセイバーに言われたことじゃなかっただろうか?

「でも、戦わずに済むのならそれに越したことはないじゃないか」

「マスターがみな、士郎のような考えをしているわけではないのです。
 それに、先ほど話したでしょう? サーヴァントにだって願いはあるのですから、何としても己のマスターに勝ってもらわなければならない。
 手段を選んではきませんよ」

「ああ、確かにそうなんだろう。でも、俺は――――」


「ねぇ、お兄ちゃん。私のことはほったらかしなの?」

「え、あ。いや。ごめんな。
 そんなつもりはなかったんだけど」

 横からイリヤの声が聞こえる。
 話しているうちについつい熱くなってしまっていたようで、イリヤのことを放っておいてしまった。

 それにしても、どうにも考え方がリア寄りになってきているようだ。
 別に敵は無条件で倒すとか考えてるわけじゃない。俺だって争わないならそれが一番だと思ってる。
 ただ、あまりに士郎は自身が危険なことを言っているって気づいていない。たぶんこんなことに気がついたのは、俺の立ち位置が変わったからだろう。

 ともかく、話すならこんな道端じゃなくて落ち着いたところの方がいいよな。

「士郎、公園に行きましょう。話ならばそこですればいいでしょう」

「……サーヴァントの割には融通が利くのね、貴女」

 イリヤの俺に向ける視線が冷たい。まるでモノを見るような視線だ。
 そんな扱いをされる理由がわからないんだけど……何でさ?

 疑問を覚えながらも、イリヤを連れ添って公園に向かう。
 士郎はため息をつきながらも遅れてついてきた。




 寒いからか、それとも時間が悪いのかはわからないが、公園には遊んでいる子供も居らず、灰色の空もあって寂しい光景だった。
 到着した三人は、隅に設えられている一つのベンチに腰を掛ける。士郎を俺とイリヤで挟むような形だ。

 本来ならサーヴァントである俺は士郎を護るためにも間に入らないといけないのだけど、イリヤが相手なら大丈夫だろう。
 何故だかは知らないけどイリヤは俺をよく思っていないらしいし、俺が入ったら会話の妨げになるかもしれない。

「そういえばお兄ちゃん、名前はなんていうの?」

「あ、俺は衛宮士郎っていうんだ。えっと、君は……」

「もう、名乗ったのに覚えてなかったの? 失礼ね。
 イリヤスフィール・フォン・アインツベルンよ。イリヤでいいわ」

「そっか。それじゃイリヤって呼ばせてもらうな。俺も士郎で構わない」

「そう。シロウ。ん。中々いい響きね」

 言って、にんまりと笑うイリヤ。
 士郎の方もそんな様子のイリヤを前に思わずと言った様子で笑みを浮かべる。

 俺の時よりも話がすんなりいってないだろうか?
 とりあえず士郎の方は忠告した手前、もう少し警戒心を持ってくれないと困るのだけど。

「あ、それでこっちがアルトっていうんだ」

「よろしく。イリヤスフィール」

「――――」

 どうやら嫌われているらしいので出来るだけ友好的に、笑みを浮かべてイリヤに挨拶してみた。
 ……してみたんだけど、イリヤは俺を見て河童が川を流れていくのを見つけてしまったような顔をしている。

 あれ、何か変なこと言ったっけ?

「あなた、サーヴァントなんでしょ?」

「はぁ、そうですね」

「敵のマスターに好意的に挨拶するサーヴァントなんて聞いたことないわ」

「そうですか? ……まぁ、そうかもしれませんね。
 でも、イリヤスフィールもバーサーカーを連れていないのでしょう?
 護衛もつけずに他のマスターに接触するマスターも、私は聞いたことがありませんけど」

 護衛をつけずにぶらぶらしてたのは他ならぬ俺だったしな。
 あの時は、後でこっぴどくセイバーに怒られたっけ。

「それに、挨拶も碌に出来ないようでは淑女(レディー)を名乗れませんものね」

 ふふっ、と知らずに笑みがこぼれる。
 いつだったかイリヤが遠坂をからかって淑女がどうのと言っていたのを思い出しての言葉だったのだが、まさかイリヤ本人に言うことになるとは思わなかった。

 いや……いやいやいや。ちょっと待て。
 いったいどこの誰が淑女(レディー)なんて名乗っちゃってるんだ?
 なんか、冗談とはいえ凄まじく危険なことを言っちゃった気がする。

「…………。そう。アルト、私、あなたに興味が湧いたみたい。シロウとあなたは殺すの、最後にしてあげる。
 あ、シロウは私の言うこと聞くなら特別に助けてあげてもいいのよ?」

 ぽかん、とあっけに取られた後、無邪気に笑うイリヤ。俺に向けられていた視線が柔らかくなったようである。
 顔を片手で覆って失言を悔いている俺は、その言葉を聞いてイリヤへと向き直り、しかし意図を読み取れずに首を傾げた。

 イリヤの興味を惹くようなことを言っただろうか。
 勢いでおかしなことを口走った気はするけどそれは間違いなく違うだろうし、それ以外におかしなところはなかったと思う。

「殺す云々はとりあえず置いとくけどさ。最後って言われても、別に俺はアルトのマスターでもなんでもないから無理だと思うぞ」

 考え込む俺を置いて、勘違いしているらしいイリヤを相手に士郎は苦笑いしながら訂正している。
 笑っている少女から殺すなんて言われても現実感は湧かないが、イリヤはそれを為し得るだけの力を持っているのだ。
 ただ、目の前のイリヤと殺すという言葉がどうにも結びつかないのだろう。

「……ああ、よく見たらあなたたちってラインが繋がっていないのね。
 それじゃ、アルトのマスターってトオサカの方なの?」

「そうですよ。この格好に見覚えありませんか?」

 白十字の入った赤い上着の裾をイリヤに見せるように持ち上げる。
 もちろんこの格好は凛の服をそのままサイズを小さくしたものだから、イリヤも見覚えがあるだろうと思ったのだが、イリヤは目をぱちくりさせている。

「そんなの着てたような気がするけど、覚えてないわ」

 心底どうでもいいのだろう。そう言ってイリヤは目線を切った。




「そ、そういえばアルト、その服似合ってるよな。
 なんていうか赤色って、遠坂もそうだけどアルトのカラーって感じだしさ」

 服の話題になったからだろう、士郎が若干口籠りながらも俺の格好を褒めてくれる。
 その割には目線はこちらに向けずに正面に向けているのがよくわからないのだが、たぶんお世辞ではないだろう。
 そう思ったのも、そもそも衛宮士郎という人間は世辞を言うような性格じゃないからだ。

「そうですか? あまり私にはわかりませんが」

 言いながら、スカートやオーバーニーを見下ろしてみる。
 しかし出る前に感じた違和感はやはり拭えていない。どうにもちぐはぐな印象を受けてしまう。

 外から見ると別にこの格好は変じゃないのだろうか。
 セイバーには青や白が似合うと思ってたから俺にはどうにもこの姿は不自然に映るんだけど、似合って見えるのなら内から衛宮士郎のオーラでもにじみ出ているのかもしれない。

「さっきは聞けずじまいだったけど、なんでその服着てるんだ?
 ……いや、なんとなくは予想はついているんだけどさ」

「これは凛に言われてのものです。その、迷惑も掛けてしまった代わりと言われたので……」

「やっぱり遠坂のやつか……。
 あいつ、本当に変な趣味はないんだろうな?」

「私からはなんとも……」

 ないとは思うが、そんなこと聞かれても俺にわかる筈もない。
 むしろ、あった場合が困る。立場柄、一番被害を受けることになるのは間違いなく俺である。

「イリヤ、お前も遠坂には気をつけたほうがいいぞ」

「何の話かわからないけど、敵のマスターなんだから気をつけるに決まってるじゃない」

「士郎、何もイリヤにまで言わなくてもいいでしょうに」

 それよりも、こんなことが回りまわって凛の耳に入ったらえらいことになるぞ。
 本当に、色んな意味で怖いもの知らずな。




 どうやら話が一段落ついたようなので、たい焼きの入った袋を開く。
 士郎に一つ。イリヤにも一つ渡してやる。
 イリヤに渡した分はリアと凛にと買った物だけど、後で買い足せば問題はないだろう。

「これ、なに?」

 不思議そうに渡されたたい焼きを見るイリヤ。
 そういえば前回も、どら焼きを不思議そうに見つめていたっけ。

「ああ、これはたい焼きっていうんだ。ほら、鯛の形に焼いてあるだろう?」

「ふーん。コレ、美味しいの?」

「もちろんです。イリヤスフィールもきっと気に入ることでしょう」

「そ、一応お礼は言っておくね。ありがとう、アルト。
 あと、私のことはイリヤでいいわ」

「どういたしまして。イリヤ」

「それ、俺の金で買ったんだけど。
 ……まぁ、いいか」

 ぼやく士郎を余所に、手に持ったたい焼きをまじまじと見つめたイリヤは意を決したように一口かぶりつく。
 怪訝な表情を隠そうともせずもぐもぐと咀嚼していたイリヤだったが、次第にその顔が笑顔で彩られていく。

「甘い! それにこれ、美味しいよ、シロウ!」

 魚の形の先入観だろうか。どうやら甘いものだとは思ってなかったらしい。
 一口齧って目をまん丸に開いたイリヤの姿は見た目の歳相応で、とても可愛らしかった。

「そっか、それはよかった」

 士郎も、いいとこのお嬢様然しているイリヤの口に合うかどうか心配だったみたいで、ほっと胸を撫で下ろしている。
 前回どら焼きも美味しい美味しいといって食べてくれていたから俺はそれほど心配してたわけじゃないけど、気に入ってもらえたみたいでなによりである。

「それにしても、何で魚の中に餡子を入れてあるの?」

 たい焼きの中身を見つめていたイリヤがおもむろにそんなことを言い出した。
 かぶりつこうと口を開いた士郎がそれを止め、イリヤへと向き直る。

「そういやなんでだろう?
 こういうものだと思っていたから考えたこともなかったな」

 顎に手をあて空を見上げて考え始める士郎と、それに追随するように視線を上げるイリヤ。
 イリヤの持つたい焼きの餡子から湯気がのぼっていく。
 そののぼる湯気を見て、俺は焦ったように袋の中からたい焼きを取り出した。

「美味しければそれでいいではありませんか。
 確かにすっきりとはしませんが、味に変化が出るわけではないのです」

 そう。そんな悠長なこと考えている時間はない。
 たい焼きの由来を調べるのは後でも出来るけど、焼きたてのたい焼きを食べることは今しか出来ない。

「いただきます」

 まるで儀式のように厳かに呟いた後、意を決して両手に持ったたい焼きにかぶりつく。

 途端にぴりっ、と頭に電流が走ったような錯覚を覚えた。

 口の中に広がるのは香ばしい香りと、餡子独特の甘み。
 咀嚼するたびに、意図せず口に笑みがこぼれてしまう。

「あぁ……美味しい。甘くて、なんて優しい」

 外はカリカリ、中はホクホク。目を瞑って細部まで味わうも、つけいる隙の一切が見当たらない。
 餡子は甘すぎず甘いのが苦手でも食べられる、しかし甘味好きでも満足感を得られる絶妙な味である。

 そして確信する。やっぱり味覚が変わってしまったみたいだ。
 前はあんまり甘いものに興味なかった。以前にもここのたい焼きを食べたことがあるのに、こんなにも美味しいとは感じなかった。

「……これは、幸せの味ですね」

 ここまでとは言わなくとも、何とか家で作れるようにはならないものか。
 帰ったらお菓子作りの本を読もうと考えながらも、次の一口をかじりついた。




「ねぇ、シロウ。アルトが変。
 何でタイヤキを食べながら泣いてるの?」

「ん? ああ、なんでも美味しいものを食べると、感動して涙が勝手に出るんだってさ。
 イリヤ、邪魔しちゃ駄目だぞ」

「う、うん。わかった。なんかちょっと怖いし……」

「そっか? 一生懸命に食べてるとことか微笑ましいと思うんだけどな」

「……んー、そう言われて見れば、ちっちゃい子供みたいで可愛いかも」

「おーい、アルトー。
 イリヤに子供みたいって言われちゃってるぞー」


 士郎とイリヤが何か言っているようだけど、もちろんたい焼きに夢中の俺の耳には入ってこない。
 全神経を味覚に総動員させて味を楽しみ、同時にレシピの解析を試みていたからだった。





[7933] 六日目【4】
Name: 下屋柚◆26967502 ID:ab66ab93
Date: 2010/08/17 03:17


「ところで、なんでイリヤはこんなところにいるんだ?」

 先ほど買ったたい焼きを一足先に食べ終えた士郎が、喜色をにじませてベンチでぷらぷらと足を揺らしながらたい焼きを頬張るイリヤに尋ねる。
 ちなみに俺は士郎からの許可が出たので、二個目を頬張っているところだった。
 二個目でも一向に飽きがこない。流石は江戸前屋だった。

「なんでって、ただのお散歩だけれど?」

 イリヤは口の中にあるたい焼きをしっかりと飲み込んでから士郎の問いに答える。
 一回で口に入れられる量が少ないのか、手にはまだ四分の一くらいたい焼きが残っている。

「へぇ、散歩か。この辺りは新都ほどじゃないにしても商店街もあって活気があるからな。
 あ、そういえばイリヤって日本に住んでいたわけじゃないんだろ? ホテルとかに泊まっているのか?」

「ううん、引っ越してきたわ。
 町外れに森があるでしょ? そこにお城があるの」

「私有地になっている森は確かにあるけど、えっと、お城・・・・・・?」

「そう。わざわざこっちにお城まるごと引っ越してきたんだから」

 得意げに話すイリヤに対して、士郎はむむ、と眉を寄せて宙を見上げた。
 一言に城と言われても想像が働かないのだろう。

「よくわからないけど、ともかく相当大きな家なんだな?」

「うん。すっごく大きいんだから!」

 言いながらもイリヤは両手を思いっきり広げて、城の大きさをなんとか体いっぱいに表現しようとしている。
 その様子は少女らしく可愛らしいものだったのだが、士郎は話の内容が気になったらしくイリヤを気遣うように表情を曇らせていた。

「まさか一人で住んでる、なんてことはないよな?」

「何で? バーサーカーがいるし、リーズリットとセラもいるから一人じゃないわ」

「そっか。それならいいんだ」

 ほっ、と目に見えた様子で胸を撫で下ろす士郎。
 それに対してイリヤは不思議そうに士郎を見て、首を傾げている。

「ねぇ、アルト。シロウの言っていること、よくわからないんだけど」

 ちょうどたい焼きを嚥下したのを見計らってか、イリヤが俺に問い掛けてくる。
 俺がイリヤと会って、同じ話を聞いた時はどうだったか……ああ、そうだ。

「士郎はあなたを心配しているのですよ。
 もしかして大きな家に一人で引っ越して、寂しい思いをしているのではないかと」

「ア、アルトっ!」

 焦る士郎の声を聞いて、俺は思わず目を何度か瞬かせる。これは余計なことだっただろうか?
 でもまぁ、聞かれたことに答えただけだし、別に隠さないといけないようなことでもないだろう。

「……ふぅーん」

 イリヤが慌てふためいている士郎をまじまじと見つめている。
 しばらくは不思議そうに士郎のことを見ていたが、俺の発言と士郎の態度で会得がいったのか笑みを浮かべた。

「シロウって何だかあったかいね」

「わっ!」

 そんな晴々とした笑顔のままイリヤは士郎に向かって寄りかかり、腕に抱きついた。
 倒れないように空いていた右手でイリヤの肩を支えた士郎はその子供らしい様子に口元を緩めたらしいが、ふと俺を見て焦った表情を見せる。

 確かにリアなら「イリヤスフィール、離れなさい!!」と声を上げていたところだろう。
 夜に会うならともかく、こういったイリヤに危険がないことを知ってるから別に止めたりしないけどな。
 安心しろ、という意味を込めて士郎に向かって微笑んでやる。
 それを見て、何故か汗をかいて戸惑う士郎。イリヤは士郎の腕に抱きついたままじーっと擬音がつきそうなほど俺の顔を見つめている。

「なんだか、アルトってシロウと似てるね」

「「――えっ!?」」

 イリヤがふと、そんなことを言い出した。

「いやいや、待てイリヤ。俺なんかと一緒にしたらアルトに失礼じゃないか。
 ほら、似てるっていうならリアのことだろ?」

「ううん。そうじゃないよ。
 顔とか姿じゃなくて、笑い方とか、何気ない仕草とか」

 ちら、とこちらを見やる士郎と視線がぶつかる。
 恐る恐るといったその様子は俺の反応を伺っているのだと気づいて、突然の言葉に一瞬止まっていた思考が慌てて動き始める。

「そ、そんなことは絶対にあり得ません!!
 士郎が私に似ているなんて、そんな馬鹿なことがある筈も――――」

 まずい。この前はリアかと思ったら今度はイリヤか!?
 笑い方とか仕草だって俺なりにセイバーっぽく振舞っているつもりだっていうのに、会って十数分のイリヤに気づかれてしまうほど拙い模倣だったのだろうか。
 必死に言い繕う俺を前に、イリヤはくすくすと笑っている。

「あ~あ、ほら。そんなにきっぱり否定したからシロウが傷ついちゃったみたいよ」

 ああっ!? 士郎ががっくりとうなだれている!

「し、士郎! 違うのです!
 言葉の綾というか、その――――」

 確かに俺だってセイバーにきっぱり断られたら傷つく。
 でも、だからって俺にどうしろっていうんだ!

「あ、バーサーカーが起きちゃう」

 そんな慌てふためく俺と、気落ちした士郎を眺めて笑っていたイリヤだったが、ふと立ち上がり、虚空を見つめ独り言のように呟いた。
 突然のことに俺も士郎もまったく対応できずに様子が変わったイリヤを見つめることしかできない。

「お兄ちゃん、それじゃまた今度、お話しようね。
 タイヤキありがとね」

 呆然としているうちに、イリヤはそのまま駆け出して、公園の外に出て行っていってしまった。
 何をするでもなくイリヤを見送って、俺と士郎がベンチに取り残される。

「何だったんだ?」

「……わかりません」

 気が抜かれてしまった俺たちは、しばらくベンチに座ったままぼんやり呆けていた。




 たい焼きを食べ終えて、包まれていた紙袋を公園に備え付けられたごみ箱に捨て、帰路に着く。
 行きの時よりも幾分、俺の足取りは軽い。

 ――あ、そうだ。

「士郎」

「どうしたんだ?」

「少々気になることがあるので寄って欲しいところがあるのですが」

「ああ。あんまり遠回りじゃなければ別に構わないけど」

「それでは」

 俺が外になんて滅多にないからな。
 この機会に用事を済ませておかないと。


 今歩いている道から逸れて横道に入っていく。
 そのまま数分歩いていくと柳洞寺に続く階段の前についた。

 結構な勾配の階段、そしてその先にある寺には既に落ちた霊脈と言われていた面影はなく、すべてが色褪せ朽ちている。
 霊力や生命力という観点で見ると、モノクロの写真のようだ。
 近づくにつれて柳洞寺から俺を拒絶するような、びりびりとした威圧感を覚える。
 ……これが柳洞寺に張られているという結界なのだろう。
 セイバーが、サーヴァントにとって鬼門とまで言わしめたその理由が今わかった。これは相当に強力なものだ。
 下手に触れようものならサーヴァントといえど弾き飛ばされてしまうに違いない。しかも、霊脈が朽ちているというのに結界自体には綻びの一つも見当たらない。

 慎二からの情報提供がなかったから、凛も士郎もキャスターの居所を知らずにいる。
 俺がいることでキャスターの根城が替わっているかも、とも思ったけどサーヴァントの気配は柳洞寺から発されている。
 どうやら今回もキャスターは柳洞寺にを構えているらしいな。

「どうしたんだ、アルト? えーと、ここ柳洞寺って寺なんだけど……なにかあるのか?」

「はい。サーヴァントの気配がこの上の建築物から感じ取れます」

「それは本当なのか!?」

「ええ。この山には町中から命脈が集まっている。
 この距離から感知できる膨大な魔力の量に、命脈を操作できる魔術知識――これは推測ですが、キャスターでしょう。
 仮にマスターが流れを変えても、ここまで魔力を枯渇させることができるとは思えません。
 それに加えて、門の前からも微かに。気配の弱さから、もしかしたらアサシンもいるのかもしれません」

「枯渇……」

「おそらく過度の汲み取りをしたのでしょう。
 これほどの土地には溢れる程の生命力が満ちている筈なのです。しかし、今はそのほとんどが感じられない」

 ちなみに本当のことを言うとアサシンの気配を感じ取っているわけではない。
 サーヴァントとしての特性か、それともイレギュラー故の希薄な存在感か。
 アサシンの気配は精神を集中させても気配を感じることはなかった。
 だが、キャスターが呼び出されたならアサシンも同じく呼び出されている筈だ。
 もしかしたら、と言ってあるから、もしいなかったとしても問題はないだろう。

「もしかして、寺の人間がマスターなのか?
 だとしたら一成が危ないかもしれない」

「士郎、とりあえず家に戻りましょう。
 このことは私たちだけで話していても対処のしようがない。ともかく凛と相談した方が良さそうです」

「ああ、そうだな。急いで帰ろう」

 踵を返し、急いで衛宮家に向かう。
 少しでも早く帰る為に二人で帰り道を走っていたのだが、俺は士郎についていくことで精一杯で、速度が上げられないでいた。
 両手の荷物が邪魔ということもあるが、それよりも短いスカートに気が回ってしまって上手く走れなかった。
 風で裾が翻りそうになって、大股で歩くことが精一杯。それでも充分な速度だったけど、やっぱりスカートって不便だ。




「そう。それじゃ、柳洞寺にマスターがいるってわけね」

「ええ、まず間違いないでしょう」

 急いで家に帰ると、凛とリアは緑茶をすすっていた。
 この二人と緑茶って取り合わせはどうにもしっくりこないんだけど……。
 ま、それはそれとして急ぎ帰った俺と士郎は、早速柳洞寺の件を凛とリアに報告をし終えた。

「アルトの言うように――――あの地は命脈の集まる土地。落ちた霊脈です。
 拠点として、これほどに適した場所はないでしょう」

 横で聞いていたリアが思い出すようにして言葉を紡ぎ、俺たちの説明に補足する。
 それを聞いて目を見開いたのは凛だった。

「え? 落ちた霊脈って遠坂の家のことよ?」

「仔細はわかりませんが、あの地も立派に機能していた筈です」

「……なんでリアがそんなこと知っているわけ?」

「言いませんでしたか? 私は以前、この土地に召喚されたことがありますから」

「この土地に召喚? って、それいったいどんな確率なのよ!
 ――なら、アルトもこの地に召喚されたのは初めてじゃないってこと?」

「ええ」

 召喚っていうより、生きていた時代なわけだが、そんなことを言える訳がないので静かに頷いておく。
 いや、こうしてここにいることだし、そもそもあんまり死んだって実感がないのだけど。

「はぁ。ほんと、あんたたちって、この土地に何か因果でもあるのかしら」

 凛がどっと疲れたようでテーブルにだれる。

 確かに聖杯戦争に複数回参加するなんて、詳しくはわからないけどすごい確率なのだろう。
 けどまぁ、呼び出された本人である俺がよくわかってないんだけどさ。 

 ともかく、凛も落ち着いたようなので続きを話しておくべきだ。
 敵地の情報はしっかり凛や士郎に伝えておかないと、今後二人が下す判断が不確かなものに変わってしまう。

「話を戻しましょう。
 その柳洞寺ですが、命脈が集う土地だというのに霊力が枯渇していました。
 今のあの場には死地、という言葉がもっとも相応しいでしょう」

 俺の言葉を受けてリアの表情が一瞬、怪訝なものへ変わる。そしてすぐに引き締まった。

 セイバーはあの地が霊験あらたかな地だと知っていた。
 ならばもちろんリアも知っている筈。だというのにこの反応をしたのは、単純に信じられないのだろう。
 この俺でさえ、霊力が集まる地だと認識できた。以前はそれは豊かな土地だったのだろう。

「それにしても、なんでこんなにマスターが密集しているのよ。
 私に士郎、慎二、それに柳洞くんの家に一人。学校の関係者が多すぎじゃない!」

 ああ、もうっ、と凛が何かにむかって憤慨する。

 しばらく凛は興奮していた様子だったけど、それもしばらくすると落ち着いたようだ。
 佇まいを整えて改めてこの場の面子を見回し、最後に士郎と向き直った。

「さて、それじゃ今の情報を踏まえて、これからどうしましょうか?
 衛宮くん、あなたはどう考えている?」

 真剣な瞳を向けられ、士郎はしばらく考え込んだ後に口を開いた。

「そうだな。その柳洞寺にいるマスターのことなら、俺はまだ手を出すべきじゃないと思う。
 相手の正体がわからないうちは様子を見るべきだ」

「シロウ、戦わないつもりなのですか!」

「いや、そうじゃない。不確かな相手に攻め入るより、情報を収集するべきだと思ったんだ。
 確かにリアとアルトがいればなんとかなるかもしれないけど、相手だって馬鹿じゃない。
 きっと罠を仕掛けている筈だ」

「霊脈を枯渇させる所業、そのマスターが従えているのはキャスターで間違いないでしょう。
 ならばこそ、我ら二人には対魔力がついているのだから、キャスターは決して強敵ではない!
 それにいくら罠が仕掛けてあろうが、遅れを取る私たちではありません! 今日の夜にでも打って出るべきです!」

 リアが士郎に食って掛かる姿に既視感を覚える。
 ――ああそうだ。思い返してみれば前回もこんな感じで言い合いをしたんだった。
 あの時はサーヴァントがいるという情報だけでキャスターとわかっていた訳ではなかったけど、今と同じように俺とセイバーは意見がぶつかりあった。
 そうして結局、セイバーは夜中に単身で挑んでいったのだ。

「だからって、無傷で勝てるって決まったわけじゃないだろう?」

「シロウ、貴方は無傷で聖杯を手に入れるつもりなのですかっ!?」

 リアがテーブルを両手で叩きつける。乗っていた湯飲みが振動で傾き、元に戻る。
 敵がいるとわかり、リアは相当に熱くなってしまっているみたいだった。

「それは違う。そんな都合のいいことを考えている訳じゃない。
 ただ、戦うのはリアとアルトじゃないか」

「それに何の問題があるというのですか!
 言いたいことがあるなら、はっきりと言ってください!」

「聖杯戦争に参加して、結果俺が傷つくならいい。それは参加する意思を持つ限りならしょうがないことだと思う。
 けど、それだって俺は、リアやアルトみたいな女の子が戦って傷つくなんてことが嫌なんだ!」

 ぽかん、と呆気にとられるリア。言われたことを理解できなかったのか、そのままリアの動きが数秒止まった。
 隣で話を聞いていた凛は顔を手で覆い、背けている。けど、肩が震えていて笑っているのがばればれだった。

「そ、その言葉は私たちに対する侮辱です!
 私たちは騎士です! 今の言葉を撤回してください!!」

「騎士だってことは聞いてたし、知ってるさ!
 けど、女の子であることだって変わりはないだろ!」

 顔を赤くして激昂するリア。だが、対して士郎も引かない。
 意見が噛み合わない議論は、方向を変えながら無駄に熱くなっていた。

 俺はというと、目を逸らし、小さくなって座っていることしか出来ない。
 いや、その、いつの間にかリアが俺を騎士にしているのだけど、もちろんそんな過去は俺にはない。
 リアと一緒にまとめられるような高潔な騎士などではないんだけど、表立ってそれを表すわけにもいかないしでどうにも居心地悪い。

「二人とも少しは落ち着きなさい!」

 笑いが収まったらしい凛が見かねて二人を止める。
 二人は言い合いを止め黙ったが、リアは士郎を冷ややかな目で見ているし、士郎は士郎で決して目を逸らさない。

「はぁ。まったくもう。
 ……で、アルト。あなたはどう思うの?
 一応、全員の意見を聞いておきたいんだけど」

 にらみ合ってた二人の視線が俺に集中する。
 どちらも俺の意見に期待しているのか、「当然私と同意見ですよね」だとか「アルトはリアと違うよな」なんて変な思念が感じ取れる。

 さて、どうしたものか。
 前回でのことを思い出しながら、まず柳洞寺に攻め入ったとしてどうなるかを考えてみる。
 まず、実際にキャスターと戦う前に一つ障害がある。それに対してどう対処すべきかを考えなければならない。
 門前にいるだろうアサシンのことだ。今回はその存在を確認してはいないが、いると想定しておくべきだろう。

 そのアサシンの戦闘能力だが、あいつはなんと、剣技のみでセイバーを押していたらしい。
 宝具らしきものを持たず、だがそれでもセイバーと互角以上に渡り合う。
 セイバーでさえそれならば、セイバーの偽者である俺では戦いという形に持っていくことすらも困難かもしれない。

 しかし、こちらはサーヴァントが二人いるのだ。
 一人がアサシンと戦っている間に他の三人は正門を抜けられるだろう。それがもし俺だって、セイバーの身体能力を持つ今ならば足止めぐらいは出来るはずだ。
 中に居る筈のキャスターとはリアが言っていたように俺、リア共に相性の関係から有利だろうし、それに加えて凛の援護があればそう不利になるとは思えない。
 だけど――。

「私は、今はまだ待つべきだと思います」

 言った途端にリアが信じられない、というように俺を見る。
 今にも大声で異議を唱えそうだ。

「――理由は?」

 凛がリアを手で押し留め、俺に問いかける。
 彼女がいなかったら絶対に話がまとまらなかっただろうな。

「一つは門付近の妙な気配ですね。二体目のサーヴァント――おそらくアサシンであろうサーヴァントがいる可能性があること。
 もう一つは地の利。罠が仕掛けてあるかもしれませんし、それが私たちを対象にしているとは限らない。
 以上の二つは、私たちではなくマスターである凛や士郎が害される可能性です。
 加えて。これが一番の理由ですが、学校の結界を優先すべきではないかと考えています。
 未だ結界を張ったサーヴァントの正体は掴めませんが、明確な敵としてはそのサーヴァントでしょう。
 もしキャスターとの戦闘で私たちが実力を出し切れない状態に陥った時に、学校の結界が発動したなら後手に回らざるを得ない。
 また、その隙にバーサーカーに襲われてはマスターを守りきれないかもしれません。
 ならば、今は確実に迫っている敵から排除すべきでしょう。
 キャスターはその後でもいいのではありませんか?」

 バーサーカーもすぐに攻めてくるとは思えないけど、わざわざそれを言う必要は無いだろう。
 イリヤと会ったことは秘密にしておくという士郎との暗黙の了解も成り立っているし。

 それに、もう俺の知っている聖杯戦争からは外れている。
 不測の事態に対応できるように戦力は温存しておいたほうがいい筈だ。
 確かに一成たちは心配だが、深刻の度合は明らかに学校の方が上だ。
 危険が迫っているとわかっているのに手が出せないのはすごい歯がゆいけれど、こうしなければ学校の生徒たちを助けられなくなるかもしれない。

「……なるほど。アルトが一番冷静みたいね。
 同盟もバーサーカーを倒すまでって話だけど、ここで無理してやられちゃ元も子もないしね。
 キャスターを倒す時に協力するかは別にして、とりあえず私はアルトの意見に賛成。
 ――それに、リアは今日の夜に向かうって言っていたけど、今日はきっと無理よ」

「凛、それはいったい何故なのですか?」

 一応は納得してくれたのだろうか、リアが冷静に凛に尋ねる。

「ちょっとね。あなたのマスターに魔術を教えなきゃいけないからよ」

 幾分元気が無い凛。
 確か、こんな顔をした凛をいつか見た気がする。
 えっと……前回のバーサーカー戦の後、遠坂がこんな顔していたような。

 思い当たる。そっか。スイッチを作るのか。
 確かにあれをやるなら、士郎は今日一日動けなくなるだろうし、凛は宝石を使用するから経済的に小さくない損失だろう。
 必要な時に使わなきゃ持っている意味がない、とは遠坂の弁だったがどうやら完全に割り切れているわけでもなさそうだ。

「――――わかりました。少々納得しかねますが、アルトの意見は確かに的を射ていました。
 私も少し短慮すぎたようです。
 ……ところで聞きそびれていましたが、二人はこんな時間になるまで何をしていたのですか?」

 確か家に着いた時、既に二時を過ぎていた。イリヤと公園で話していたからなぁ。
 そうして言われて壁時計を見てみれば今は三時半。丁度おやつ時だった。

「ちょっとたい焼きを買っていてさ」

「タイヤキというと、餡が詰まった鯛の形のお菓子でしたか?」

「ああ。そうだ。二人にもたい焼きを買ってきたんだった。
 食べるか?」

「ええ。存在は知っていましたが、それは一度も食べたことがなかったので。
 興味深い」

「そうね。私も今はちょっと甘いものが食べたいかな」

 リアが食いついた。なんだか興味があるなんて言ってるけど、建前だろう。体が心なし前のめりになっている。
 凛も食べる気らしい。体重を気にして滅多に間食をしない性質なのに、ずいぶんと珍しい。

 ええと、たい焼きの入った紙袋は、と。
 ――――あ、あれ? いや、そうだ。もしかして、っていうか絶対。

「それじゃあ、アルト。たい焼きを――――」

「……買い忘れました」

「「え?」」

「あ、そっか。そういえば帰りに買い足さなきゃって思って、そのまま――」

 士郎もようやく思い当たったようだ。

「シロウ? タイヤキがない、なんてそんな馬鹿なことなどありませんよね?」

「いや、すまん。すっかり忘れて――――」

「そんな馬鹿なことなどありませんよね?」

 リアが微笑んだまま士郎に迫っていく。
 何故士郎が返事をしたのに繰り返したのだろうか。間違いなく聞こえていただろうに、逆に恐ろしい。

「衛宮くん。あなた、アルトには買ってあげて私たちには買ってこないってわけね」

 目をリアに向けていた間に、今度は凛が士郎を問い詰めていた。
 なんだかすこし論点がずれている気がしなくもない。

「な、なんで俺ばっかり攻められてるんだ!?
 そもそも、遠坂やリアの分まで余分に食べちゃったのはアルトだぞ!?」

「し、士郎!?」

 お前、俺を売ったな!
 ここでそういうことを言うのか! くそう! 裏切り者!

「へぇ~、アルトが私たちの分を食べたわけね……」

「アルト、この償いをどう取ってくれるのか。
 ふふ、楽しみです」

 目の前に迫る赤いあくまと飢えた獅子。
 後は壁。退路はない。っていうか壁なんか無くても、この二人から逃れる術を俺は知らない。




 数分後、俺はたい焼きが数個入った袋を持って全力で家に向かっていた。
 先ほどのようにスカートの裾を気にする余裕など、この時の俺にはまったく無かったのだった。





[7933] 六日目【5】
Name: 下屋柚◆26967502 ID:ab66ab93
Date: 2010/08/18 10:23


◆◆◆


 アルトがたい焼きを買い求めて街へと飛び出しおおよそ十分。恐るべき速度で、だがその代償に髪の毛をぼさぼさにしながらもアルトが帰ってきた。
 とてもじゃないけどちょっと走った程度では十分で行って帰ってこれる距離ではない。
 間違いなく街中でサーヴァントの超人的な身体能力を使ったのだろうが、しかしあの時の妙な迫力のリアと遠坂を考えるとアルトを注意する気にはなれなかった。

 ともかく、そうしてたい焼きの袋を手にした遠坂に連れられ、俺は離れへと向かっていた。
 なにやらこれから行うことは魔術を修める上で重要なことらしいが、俺としては何をするのかさっぱりなものだから不安でしょうがない。

「さて、本当は魔術の精度を見たいところだけど、まずスイッチを作らなきゃね」

「えーっと、スイッチって結局何なんだ?」

 先を歩く遠坂が呟いた言葉を受けて、率直に質問をぶつけてみる。
 一応『スイッチ』とやらが必要なものだということはわかるのだが、具体的な説明はまだ聞いていない。
 投げかけられた質問に、遠坂は肩越しに一度俺を見る。

「あっと、そこからだっけ。まぁ、とりあえず入って」

 いつの間にか遠坂の自室にと割り振った洋室にたどり着いていたらしい。
 部屋の主はといえば既に部屋に入り、何も気にした様子なくベットに腰掛けている。
 移動中、後ろに続いていた俺は、つい入り口で足を止めてしまう。

 女の子が寝泊りする部屋に入るのはどうも気後れする。
 一応藤ねぇの私室に入ったことはあるが――まぁ、ともかく女の子の部屋ならこれが初めてのことだ。
 しかも、相手は少なからず憧れていた女の子。一男子として緊張しないほうがおかしい。

 今は何の因果か表面上だけとはいえ付き合ってることになってるけどさ。
 っていうか、今思い当たったんだけど、付き合っているって話が広まった次の日に二人して学校休むって拙くないだろうか。
 先日の大騒ぎを思い返すと、次に学校に行った時のことが今から恐ろしい。生まれて初めて学校に行きたくないなんて思ったかもしれない。

「どうしたの? 入らなきゃ話もできないでしょう」

 考え事をしながら部屋の中を見つめてしまっていた俺は慌てて我に返る。
 遠坂に目線をやるも、彼女はこちらを見ずにボストンバックを漁っていた。

「いや、女の子の部屋に入るのってさ。その……」

「……ふーん。衛宮くんってそういうの慣れてるって思っていたんだけど」

 俺の言葉を受け、しばらく手を止めていた遠坂が振り返る。
 その顔には意地が悪そうな笑みを浮かんでいた。こういう顔しているときの遠坂っていろんな意味で怖い。

「そういうのってどういうんだよ?」

「いいから入って入って」

 なんだかはぐらかされた気がするけど、突っついて蛇を出すのも怖い。
 促されるまま入室し、隅に置いてあった椅子をベッドの向かいに持ってきて座る。

 そのまま呆っと部屋を眺める。
 あまり人の部屋を見るのはよくないってわかってるんだけど、部屋に二人で遠坂ばかりを見ているのはそれはそれで辛いものがある。
 その遠坂はというと、お目当ての物が見つかったのか、缶をバッグから取り出していた。
 その缶からはカラカラという硬い物が転がる音がしていて、なにかが入っているのがわかる。
 形は昔よく見かけたドロップスの缶そのまんまだ。ということは中身は飴、だろうか?

「ん~っ!」

 缶の蓋が中々空かないようで顔を真っ赤にさせながら頑張っている。

「良かったら開けようか?」

「そ、そう? それじゃあお願い」

「よっ、と」

 渡された缶の蓋に手をかけて軽く力をこめると、カパンッと小気味のいい音がして蓋が外れる。
 遠坂があんなに必死になっていた割にはそんなに力を入れたわけでもないんだけど、しかしまた何で飴なんだろうか。疑問に思いながら外した状態のままの缶を返す。

「ありがと。はい、手を出して」

「サンキュ」

 遠坂が受け取った缶を俺に向けて傾ける。
 礼を言って手を出すと、中から一粒転がって出てきた。
 そのままドロップの缶は蓋をされまた鞄にしまわれてしまった。

 手のひらには赤いドロップ。赤は確かいちご味だっただろうか。
 口に放り込むけど、どういうわけか味がしない。なんだか無機物を口に入れてるみたいだ。

「遠坂、これ味がしないんだけど」

「当たり前でしょ。それは飲むの」

 言われて、そういうものだったのかと疑問を覚えずにドロップを飲み込んだ。
 それにしても。へえ、最近じゃ飲みこむ飴なんかあるんだな。初めて聞いた。
 ……しかし、なんだ。俺の気のせいだったらいいんだけど、なんだか咽喉が異様にヒリつくんだが。

「あのさ、遠坂。これ本当に飴か?」

「へ? 誰が飴なんて言ったの?
 それ、宝石よ」

「あぁ。宝石だったのか」

 道理で味がしないわけだ。
 無機物を口の中に入れてるみたいって、文字通り入れてたわけだ。
 確かに遠坂は飴だなんて一言も言ってなかった。

「……って遠坂」

「なに?」

「何だって宝石なんか飲ますんだよ」

「何でって、それが一番手っ取り早いからだけど。
 薬とかもあるんだけど、スイッチを作らずに数年魔術行使をしていたんでしょ? それじゃ薬程度じゃ効果もあんまり期待できそうに無いしね。
 そんなことよりもしっかり気を入れとかないと気絶するわよ」

「気絶って、何言って……」

  ドクン

「――――っ!?」

 大きく鼓動を一つ。
 熱い。体の中から熱が広がり、一気に沸騰する。
 神経がかき乱され、末端から体の感覚がなくなっていった。
 それが全身に行き渡り、意識が遠のき始めると、今度は痛みが背骨を走る。

「始まったみたいね」

「ハ――――」

 今度は痛みのあまり、思考にもやがかかる。
 酸素を求めて肺を動かそうにも、体が逆らって言うことを聞いてくれない。
 せめて遠坂の奴に文句の一つでも言ってやろうかと考えるも、それを為すだけの余裕がどこにもない。

「スイッチは普通の人間と魔術師を隔てているもの。
 魔術回路自体は一般人にも自然発生することがあるけれど、スイッチは魔術行使をする人間でなければ現れない。
 スイッチを作る知識があっても回路がなければ魔術行使はできない。回路があっても、本来はスイッチがなければ魔力を生成することも出来ないものよ。
 言ってしまえば回路の有無が魔術師であるかを決めるわけじゃない。その一歩先、スイッチを持つのが魔術師ってことね」

「ぐ――ウ――」

「士郎はわざわざ最初の手順――回路を作ることを繰り返していたんでしょう。そうして作った回路は眠らせ、また作るを繰り返していた。
 回路を作るという行為は、士郎の言うとおり死と隣り合わせよ。普通、魔術師だってそんな無謀なことを繰り返したりはしないわ。
 そもそもリスクとリターンが釣り合わない。それにしても士郎、今までよく生きてこれたわね」

「――くっ、ふぐ、はぁ。
 せ、せめて、それを先に説明、しといてくれ、遠坂」

 何とか声を絞り出す。
 この体の不調はは溢れ返る魔力が行き場を求めて反乱している所為であるのだと、ようやく理解できた。
 そこまでわかれば簡単だ。魔術行使をする時のように、体の中に流れを作って循環させてやればいい。
 麻痺や体に残る痛みは全然消えてはいないが、気を落ち着かせていけば何とかなりそうだ。

「へ!? あ、もう喋れるんだ。
 自身のコントロールに関しては中々上手いみたいね」

 そんなことを遠坂が話している間に呼吸を落ち着け、体の感覚を取り戻していく。

「それで続きね、スイッチが感覚的にわかるようになれば魔術を使う際に大分楽になる筈。
 なんていったって切り替えるだけでいいんだもの。毎回毎回死ぬ思いをする必要がなくなるし、速度も上がる。
 士郎が飲んだ宝石は魔力を注ぎ込んでスイッチを強制的にオンにするもの。もし、自分で回路をオフに切り替えなければそのまま。
 オフっていきなり言われてもやりようがないと思うけど、気持ちを落ち着かせてそのままで維持していれば体が勝手にオフにしてくれるから」

 少しずつ落ち着いてきたけど、体の熱が抜けていかない。
 まだ回路の切り替えが終わっていないのだろう。

「それでスイッチだけど、その状態から抜けると自然と頭に浮かぶから。
 人それぞれで、私の場合は心臓にナイフを突き刺すイメージ。
 こればっかりは人それぞれで、士郎の意識内のことだからどんなイメージかはわからないんだけどね
 で、どう? 喋れたんだから少しは落ち着いてきたんじゃない?」

 遠坂が俺の顔を覗き込む。
 体の不調――っていうのかわからないけど――は始めに比べればだいぶ落ち着いてきた。
 不快感や熱は未だに残っているけど、我慢できないほどじゃない。

「――あ、ああ。まだ気持ちは悪いけど、なんとか大丈夫だ」

「ま、魔力で全力疾走をしているようなものだしね。
 その代わり、しっかりスイッチが出来れば色々と助けになる筈だから」

「うん。助かる。
 自分ひとりでやっていたんじゃこんなことわからなかったし、遠坂には感謝してる」

「礼はいいわ。私は戦力的に考えて、必要だと思ったから行動しただけだし」

 遠坂がふいっと顔を逸らす。
 熱の所為か、はっきりしない頭に整理をつけながらぼんやりと遠坂を眺めている。

「な、なによ? 不躾に人のこと見つめて」

 なんだろう?
 その遠坂の様子になんだか嬉しさっていうのかよくわからないけど、自然と俺の顔は笑ってた。

「あー、いや、前も言ったけど、遠坂ってほんといいやつだなってさ」

 遠坂がぴしり、と固まる。
 変なこと言ったか、俺。いや、熱のあまり思考がうまく働いてないのかもしれない。
 それに、俺ってあんまり女の子と話すことなんてなかったから、気が利かないからな。

「そ、そう? う、あ、そうだ、上脱いで士郎。どうせだし回路の調子をみてあげる」

「いや、いいよ。流石にそこまで迷惑はかけられない」

「いいからおとなしく言うとおりにしておきなさい。
 宝石でスイッチを作るなんて私だって初めてなんだから何か起こってたら拙いでしょ」

 顔を赤くさせながら俺をベットに引っ張っていく。引っ張られていく俺は宝石の所為で体に力が入らず、為すがまま。
 ベットの縁に座らされて、遠坂が椅子に。さっきまでと座っているところが逆になる。

「い、いいって!」

「いいから、人の親切は受けときなさい。
 ほら、上脱いで」

「だから、大丈夫だって!」

 流石に男といえど女の子に上半身だけとはいえ裸を見せるのは気恥ずかしい。呆として確り働かない頭でもそれくらいはわかる。
 しかも相手はあの遠坂凛で、その場所はといえば仮とはいえ彼女の自室。憧れていた女の子が相手っていうのは、勘弁してほしい。

「あーーー!
 もう! 観念しなさい!!」

 ベットに押し倒される。軽く押されただけなのに、体に力が入らずバランスを崩して倒れてしまった、
 遠坂はすかさず俺の腹の上に座ってマウントポジション。
 それでも俺は力が入らない手で抵抗するが、片手で押さえられてしまう。
 もう片方の手は俺の服を捲り上げていく。

 悪気どころか、親切心からだっていうのはわかるけど、この体勢は拙い。
 腹に当たる感触は凶悪。遠坂の重みと今まで感じたことの無い感触にたじたじです。
 なんでこんなことになってんだ?

「待て待て待て! まずいって、遠坂。頼むから勘弁してくれ!
 ちょ……リア! アルト! 助けてくれぇ! むぐっ」

「ば、バカ!! そんな大声で叫んだら、本当にリアとアルトにも……」

 遠坂が俺の口を捲っていた手で押さえて俺に怒鳴る。
 だが、それは致命的なまでに遅かった。すでに部屋の外からは複数の走る音が聞こえていた。

「どうしたのです! シロウ!!」

 けたたましくドアを開け放つ音が響き、そしてそのまま時間が止まる。
 乱入者のリアは俺たちの姿を見るなり動きを止めてしまった。
 その後ではアルトが煎餅をくわえ、片手に煎餅の入った容器を抱えて同じように固まっている。

 そこまで確認した後、俺の意識はぷつんと途切れてしまった。





[7933] 六日目【6】
Name: 下屋柚◆26967502 ID:ab66ab93
Date: 2010/08/21 20:39


◇◇◇


 居間にて、リアがたい焼きを頬張りこくこくと頷いているのを眺めながら、俺は茶請けの煎餅をかじっていた。
 深山町の商店街までを行って帰ってきたばかりだが、それによる肉体的な疲労はほぼない。流石はサーヴァントというところだろうか。
 むしろどちらかといえば二人の妙なプレッシャーを受けて精神的に疲弊していた俺だけど、リアが食べ物を美味しそうに食べているのを見ているとそれも癒されてしまうのだから安いものだ。

 お茶を啜り、口の中を洗い流して一息つくと、リアに尋ねておきたいことがあったのを思い出した。
 見ればリアもいつの間にか四つもあったたい焼きを食べ終えて、お茶を啜っている。話を切り出すには丁度いいタイミングだ。

「リア。ひとつ尋ねておきたかったのですが。
 バーサーカーに宝具を使いましたが、魔力の残量は大丈夫なのですか?」

 俺が気にかかっていたのは、リアの魔力に関してである。
 前回はバーサーカーにやられた傷の修復、今回は宝具の発動と程度の差こそあれ序盤で魔力の消費をしてしまっている。
 そもそも俺の最期だって、そうなった原因はセイバーに充分な魔力を送ることが出来ない力不足だ。早いうちから確認しておくことも必要だろう。

 そんな俺の問いに、リアは佇まいを正して俺へと向き直る。

「今後の戦闘に支障はありません。
 風王結界の発動程度ならば知れていますし、これといった手傷を負わされたわけでもない」

「それならばいいのですが」

 あくまでちょっとした状況確認、そのつもりで声をかけたのだが、どうやらリアにはそう聞こえなかったらしい。
 すっかり会話を終えたつもりでいた俺は、目の前にいるリアが俺を真剣に見据えていることに気がつく。

「なにか?」

「……共同戦線を張っていたとはいえ、私では力及ばずに結果的にシロウを守ってもらいました。
 借りはいつか必ず返します。それに同盟を組む者として、今後はあのような無様をしないことを約束しましょう」

「いえ、私は……」

 そんな意図での発言ではなかった。
 そう告げようとするも、外から聞こえてきた声に中断されてしまう。

「リア! アルト! 助けてくれぇ!」

「シロウ!!」「ッ!」

 士郎の声。助けを求める声。
 認識するや、俺とリアは考えるよりも早く動き出す。居間から庭へと飛び、そして離れへと最短距離を一足飛びで向かう。
 リアの進んでいく速度に合わせて順路を追っていくが、風景がものすごい速度で後に流れていく。

「どうしたのです! シロウ!!」

 声から秒で五も数えていないだろう。一足早くリアが凛の部屋に辿り着き、迷う間もなくドアを開け放った。
 遅れて着いた俺は、リアの直ぐ後にいて中が見えなかったので横から覗き込む。

 そこにいたのは、ベッドの上で半裸の男にまたがる女。もつれあう二人の男女だった。



「――――――はっ?」

 ぱきん、と乾いた何かが割れる音がする。
 発生源であろう下を見れば、そこには砕けた煎餅が散らばっている。

 ああ、口に咥えてるの忘れて、馬鹿みたいに口を開けたから落ちちゃったのか。
 うわ、結構細かく砕けちゃってるな。破片がフローリングの間に入って掃除しにくいんだよなぁ。
 ちりとりはどこに入れておいたっけ?

 ……。

 ちがうっ! あまりのことに現実逃避してた。
 いや、まて。なんだってこんな状況に!?
 落ち着け衛宮士郎。焦っては事を仕損じるぞ。まずは冷静に状況判断だ。

 まず、ベットの上で士郎を押し倒されていて、あまつさえその士郎の上には凛が馬乗りになっている。
 凛の片手が士郎の口を塞いでる。もう片手は士郎の両手を押さえつけて身動きを取れないようにしている。
 士郎の上着が捲られて半裸。凛の顔は上気していて、まるで「まずいものを見られてしまった」といった表情だ。

 以上の情報から推察すると……。
 凛が士郎を押し倒して、無理やり?

「えええぇぇぇーーー!?」

 俺の上げた大声に、他の固まっていた二人がビクッと体を振るわせる。

「何で? どういうこと?
 俺そんなの知らないぞっ!」

 なんだって凛と士郎が?
 俺の時だってこんな状況無かった。こればかりは断言できる。

「――――マスター同士での、その、交流を邪魔してしまったようですね。
 失礼しました」

 一つ頭を下げ、そういって俺の腕を引っ張って部屋から出て行こうとするリア。
 どうやら俺の声で再起動を果たしたらしい。俺はおたおたと取り乱すばかりだ。

「ちょ、ちょっと! 違うのよ!!」

 ようやく自分の体勢を思い出したのか、凛が士郎から飛びのきリアに食い下がる。その凛の顔はさきほどよりも真っ赤になっていた。
 声をかけられたリアは足を止めて、凛に振り返る。

「その、私たちも勘違いして飛び込んだのも悪いとは思いますが、ただシロウに凛も昼間からというのは感心できません」

「だから、話を……」

「そ、それに! シロウが悲鳴を上げるような……その…………行為は自重していただきたい」

 見ればリアの頬も幾分桜色に染まっている。
 それだけ言うと、俺を引っ張って部屋を出ていこうとするのだが、一向に話を聞こうとしないリアに凛が爆発した。

「あ゛-! 人の話を聞きなさいっての!!
 私は士郎の魔術回路の調子を診ようとしてただけ!」

「そうなのですか? しかし……」

「そ・う・な・の!!」

 そうだったのか。
 いや、そうだよな。士郎が凛となんて冗談でしかないか。

 ん? やけに静かだと思ったら、一人なんか様子がおかしい。

「あのー、凛。士郎はどうしたのですか?」

 ベッドで仰向けに倒れたままの士郎。
 まるで高熱が出た時のように呼吸を荒くし、顔を真っ赤にして意識もないように見えるのだけど。

「ああ、少し興奮させすぎちゃったのかも。
 できるだけ安静にさせておかなきゃいけなかったのに」

「そ、それで、シロウは大丈夫なんですか!?」

 今思い出したかのように気楽に言う凛に、慌てた様子でリアが詰め寄る。

「ま、大丈夫でしょ。明日の朝には落ち着いてるわよ。たぶん」

 ……たぶんって。いや、まぁ大丈夫なんだろうけどさ。
 とりあえず無事ならあとは安静にしておいたほうがいいだろう。

「そうですか。それでは士郎を彼の部屋に運びましょうか。ベッドを占領したままでは凛も寝られないでしょうし」

「別にこのままでもいいわよ。遅くても明日には目を覚ますでしょうし、一日ぐらいなら私がアルトの部屋で寝れば済むことだわ。
 わざわざ運ぶのも大変でしょ?」

「いえ、別にそれくらいなら苦でも何でもありませんが」

「いーの、いーの。ほらほら、士郎は寝てるんだから居間に行きましょ」

「は、はぁ」

 パンパンと手を叩いて凛が俺たちと一緒に部屋から出て行く。

 うーん、寝てるっていうか気を失ってるんだと思うけど。
 熱があるみたいだし、後で様子見がてら濡らしたタオルでも持っていってやるか。




 時の流れは早いもので時計の短針は5の字を指していた。
 まぁ、これといってやることもないので料理の下ごしらえを始める。
 今日は士郎の希望もあって和食だ。時間も充分にあることだし、そこそこ手の込んだものが作れるだろう。
 献立はイサキのから揚げ、サトイモの煮物、シイタケとしし唐の大根おろし和えってところか。

 まずは米を洗い、炊飯ジャーに入れて寝かせておく。
 メインディシュになるイサキを三枚におろし、腹骨、小骨を取って両面に軽く塩を振る。
 次にサトイモの皮をむいて、下茹でし、塩、砂糖、醤油を加えて弱火にかける。
 シイタケは軸を切り、しし唐のヘタをとって種を取っておき、網で焦げ目がつくように火を通す。
 大根をおろし器で摩り下ろし、醤油と酢で味付け。
 んー、しし唐が少し余ったから、イサキをあげる前に素揚げにしちゃうか。
 本当は食べる前に揚げるのがいいのだけれど、油ににおいがついちゃうからな。

 ジャーの開始ボタンを押して、とりあえずは一段落だ。後は食べる直前で大丈夫だろう。
 さて、まだ夕食には早いし、士郎の様子でも見てくるか。
 あいつ、和食を希望するのはいいけど、夕食までに起きてこれるのか?


 一応部屋に入る前にノックをしてみるけど、返事はない。
 ドアを開けて入ると、士郎はベットの上で汗を掻いて呼吸を荒くしていた。快復に向かっている様子は見えない。
 近くの机に洗面器を置き、タオルを絞って士郎の額に乗せる。そしてそのまま、ただただ呆っと士郎を眺めてみる。

 今回こうして士郎が寝込んだのは、魔術のスイッチを作る為。その理由は、僅かであっても戦力を充実させる為である。
 ただ、俺としては士郎が戦うのは、出来るだけ避けて欲しい。
 なんていったって、強化と投影だけの魔術使い。今いる四人で敵にやられやすいのは、間違いなく士郎である。
 強化なんかサーヴァント相手じゃ数合ともたない。投影は下手なもの投影しても役に立たないし、宝具の投影は危険だと遠坂にも忠告されていた。
 危険を顧みずに宝具の投影をしたところで、それを十二分に発揮するだけの能力も技術も持っていない。
 そんな戦闘能力しか持たない士郎が戦闘に参加するなど、自殺しにいくようなものだ。

 だが、他ならぬ士郎のことだ。凛やリアに危険が迫ったら形振り構わずに敵サーヴァントの前に飛び出すだろう。
 これが思ったよりも厄介だ。
 防ぐには士郎に戦う機会を与えず、且つリアや凛を危険に晒さないようにしなければならない。
 いや、逆に考えればそれさえ防げれば無茶をすることもないのか。つまり、戦闘で苦戦することなく、常に勝ち続ければいい。

 だが、そんなことが出来るなら最初からやっている。
 アーチャーとして戦ったバーサーカーやランサーを、苦戦もなしに倒せるかと聞かれれば否と答える他はない。そもそも、倒せるかどうかからして怪しいっていうのに。
 ただ、理論としては間違っていない。俺やリアの苦戦が少なくなれば士郎が出張る機会は減る。
 つまりは、事前に対策を練り、リアや凛と協力して頑張るしかないのか。

 士郎が寝汗を掻いているので、タオルで首周りや額を拭ってやる。
 冷たいタオルが心地いいのか、苦しそうな表情が少し和らいだ。拭いているうちに士郎の熱も治まっている気がする。
 ――そういえば、こうして意識のない士郎と二人でいることで思い出したけど、士郎が学校でランサーに貫かれていた時に感じたあの共有感はなんだったんだろう。
 たしか……そう、あの時士郎の腕に触れた途端にその感覚があったんだ。

 思い当たり、思考のままに投げ出された士郎の腕を掴んでみる。
 しかしこれといった変化はなく、部屋には士郎の荒い呼吸が響くだけだ。

 ……駄目だな。
 まぁ、あんなものを感じたのはあの時ぐらいのものだったし、触れた云々ではなく、同じ存在が死に瀕している方に関係があったのかもしれない。
 ん、そういえば心臓を貫かれたのはもう大丈夫なのか?
 俺のときは結構違和感が残って、ちょっと激しく動くと気持ちが悪くなったりしていたものだけど。

 腕を掴んでいた手を離し、そのまま士郎の胸に手を伸ばす。
 シャツが汗で濡れているが、士郎の体が熱を発していて冷たいとは感じない。

 お……?
 共有感……そう、あの時感じた、士郎と俺とが共鳴しあっているような不思議な心のざわめき。
 でも、不快なものではない。体がじわりと暖かくなっていくというのか、そんな熱の広がりが心地よくて不思議と心が落ち着いてくる。
 しかしそれも、この前に感じたほどじゃない。やっぱり直じゃないと駄目なのだろうか?

 そう思い、今度は士郎の上着を捲って胸に手を当てる。
 士郎に触れた手の平が熱を持つ。魔力を集中させたものによく似ていて、けどそれとは確実に違った熱。
 その熱を確かめるように、手の平で士郎の胸板をさする。触れれば触れるほどこの不思議な感覚が強くなっていく。

 おー、やっぱりこのほうがいいみたいだ……

「な、なにやってるのよ! アルト!!」

 いきなりの大声に振り向く。その先には顔を真っ赤にした凛がいた。
 すぐ後にはリアもいる。

「へ?」

「どこに行くのかと思ってついてきてみれば」

 ってつけてきたんですか、あなたたちは。

「いえ、別に何をしていたという訳ではないのですが」

「あんたねぇ。士郎の服を捲っておいて、胸弄って何もしていないって――」

 凛がずかずかと俺のそばに歩み寄り、詰めかかってくる。
 そう言われてもこの現象自体、自分の中でもまだ理解できていない。
 いや、凛が言ってるのはそういうことじゃないんだろうけど。

「おや? ――リン」

「ん、どうしたの? リア」

 いつの間にか士郎の横にいるリア。
 その声に凛だけでなく、俺もそちらに視線を向ける。

「士郎の様子が……」

「――元に、戻っている?」

 凛とリアの言葉の通り、士郎のつい先ほどまで赤かった顔色は普段のそれになっていた。
 それどころか汗は引き、規則正しい寝息をたてている。寝汗などの名残はあるが、今となっては静かに眠っているようにしか見えない。

「そんな、でも……宝石の魔力自体が消されているわけでもないし、魔力の過負荷による副作用だけが緩和されている?
 アルト、あなたいったい何をしたの?」

 一通りその様子を診察した凛は俺に振り返り、鋭く見つめてくる。
 リアは士郎から俺へ視線を移したまま。一瞬にして部屋の空気が重くなる。

「いえ、先ほども言ったように特には何も。
 ただ、士郎に触れると何かが『繋がった』ような感じがしたので」

「『繋がる』って、もしかしてライン――――とも思ったけどそういうわけでもないみたい」

 凛は士郎の胸に手を当てるが、俺の時のようなことはないらしい。何事か考えている。
 リアも士郎の胸を触りながら、首をかしげている。

 何だ? この状況?
 女二人、いや俺もだから女三人……いや、そこはどうでもいい。っていうか考えたくない。
 ともかく、女の子が寄ってたかって男の胸を触っているのはどうなのだろうか?

「……ん?
 っと、リア!? 遠坂!? 何やってるんだ?!」

 あ、士郎が起きたか。
 途端にリアと凛が自身の胸を触っているのに気づき、うろたえ始める。
 そんな中、リアは慌てず騒がず何事もなかったように俺の横まで歩いている。

「ってそうだ!!
 リア! アルト! 誤解だ!」

「「何がですか?」」

「いや、だから俺と遠坂は別にそういうんじゃなくて、魔術回路を診てくれるって」

「あー、あー。衛宮くんいいの」

「なんでさ?」

「それさっき説明したから」

「さっき? ……っていうか、もう六時!?」

 あー、士郎のボケで張り詰めていた部屋の空気が軽くなった。
 そもそも気を失ったことに気づいてなかったのか。

「とりあえず居間に行きませんか?
 そろそろ夕食の時刻でしょう?」

「あ、ああ」

「そうね。話は後でもいいか」

 リアが居間に向かって歩いていく。
 なんていうか、マイペースというかなんと言うのか。

「アルト、あなたがいなくては夕食が完成しません」

「わ、わかりました」

 俺はリアの威圧感に押されて足早に台所に戻っていった。




 夕食は大好評だった。
 衛宮士郎だった頃に遠坂に触発され、自分の料理を見つめ直して試行錯誤していたのは無駄じゃなかったようだ。
 士郎に至っては「今度教えてくれないか?」なんて言ってくれる。これだけで頑張った甲斐があるってものだ。
 いつの間にかそこに居た藤ねえなんか、「アルトちゃん、うちにお嫁に来ない?」なんて半分本気の目で訊きやがってくれました。

 それぞれが風呂に入って、藤ねえが蜜柑を散々食い散らかして帰っていったのを見計らってから、みんなで居間に集まった。
 各自の前に緑茶を置いていく。なんだかこの頃こういう役回りに慣れてきたというか、完全に小間使いになりつつあるというか。

「それで早速だけれど、さっきの話ね。
 士郎、体は大丈夫なの?」

「ああ、全然問題ないぞ」

「全然?」

「ああ。気持ち悪さも、体に残ってた痛みもきれいさっぱり消えてる」

「ふぅん、そう……」

 士郎の返答を聞き、凛は考え込む様子を見せる。
 そうして顔を上げ、また士郎と向き合う。

「スイッチの感覚は掴めた?」

「ああ、なんとなくだけど」

「それじゃ、これ強化してもらえる?」

 そういってすぐ横からランプを取り出す。
 ……いつ持ってきてたんだ?

「わかった」

 士郎は渡されたランプを両手で挟むように持ち、目を瞑る。
 途端に部屋の中が静まり返る。

「――――同調開始」

 居間に士郎だけの、衛宮士郎だけが持つ呪文が響く。
 途端にその体に魔力が生成されていくのがわかった。

「――――構成材質、解明」

 吹き出た魔力がランプの中を探査していく。これが魔力行使を察知するということなのか。
 とはいっても目に見えているわけではなく、セイバーの感覚が周囲の空気中の魔素を把握している。

「――――構成材質、補……」

 呪文の途中で、ぱきゃ、とランプのガラス部分が高い音を残して砕け散った。
 解析しなければわからないが、おそらくは魔力の流し込みすぎだろう。俺もガラスなんかはあっさり強化に失敗していたしな。

「ごめん、失敗だ」

 机の上には粉々に砕けたガラスの破片。
 とりあえず用意しておいたちりとりでまとめ、スーパーの袋に入れておく。

「うーん、やっぱり宝石で無理矢理開いたのがまずかった?
 でも、異常はないんでしょ? 回路の問題かしら」

 凛が顎に手を当て考え込み、それを受けて士郎は罰が悪そうに頭をかく。

「ああ、いや。
 実は強化なんてここのところ一回しか成功してないから、これが順当な結果というか」

「……ってことは何? 衛宮くんの強化魔術は『まず成功しない』?」

「む。まぁ、そう言われると辛いんだけどさ」

「それで、スイッチは確認できたわけ?」

「あ、うん。慣れは必要だと思うけど、とりあえずは問題なさそうだ。
 ……って遠坂? 何か怒ってないか?」

「――――」

「遠坂?」

「当ったり前でしょう! 強化しか使えないって聞いていたけど強化も満足に使えないんじゃ役立たずもいいとこじゃない!!」

 咄嗟に耳を押さえるが、少し遅かったようだ。
 凛の大声が、耳にキーンときた。

「う、すまん」

「……はぁ、いいわ。元々そんなに期待してたわけじゃないから。
 それで、んーっと、ちょっとアルト」

「はい?」

「士郎のことさっきみたいに触ってみて」

「わかりました」

「ちょっ、何をする気なんだ?」

「いいからあんたはおとなしくしてなさい!!」

「……」

 「いいわ」なんて言っておいて結構頭にきてるみたいだ。
 士郎なんか完全にその怒気に気圧されてる。
 ともかく、あんまり時間をかけるのも何だからさっさと済ませてしまおう。

「それでは失礼します」

 士郎のシャツを無造作に捲って、その中に手を突っ込む。
 俺の手が冷たかったのか、触れた途端に士郎の体がびくりと震えた。

「ななな、なー!?」

「衛宮くん、どう?」

「え? ど、どうって、ああ。
 ――――そうだな、なんだか、あたたかく包まれるっていうか。表現しにくいんだけど、いやな感じはしない」

「ふむ……」

 またも顎に手を当てて考え込む凛。

「何か分かったのですか?」

「…………さっぱりね。何が反応してるのかもわかんないし。士郎とアルトの間に何かあるぐらいしか。
 はい、んじゃ、次リア」

「では」

 リアも俺に倣って士郎の胸に手を当てる。

「どう?」

「うん……アルトの時ほどじゃないけど、やっぱり同じような感覚が」

「んー、ほんと、どういうことかしら?
 サーヴァントのリアよりもアルトの時のほうがその傾向が強いってのがわからない」

「へ? 何のことだ?」

「解剖でもしてみれば色々わかるかもしれないけど、流石にそれをするわけにもいかないし。
 とりあえずは害もないようだから、保留ってところかしらね」

「「そうですね」」

「よし。それじゃ、そろそろいい時間だし寝ましょうか」

「はい」



「へ? なぁ、遠坂? ちょっと待てって。
 リア? アルト!? 俺、何のことなのかさっぱりわかんないんだけど――――」

 ああ、今日は満月だったのか。
 そんなことを考えながら自分の寝泊りしている部屋に向かう俺たちを他所に、士郎は居間でめくれ上がったシャツをそのままに呆然としていた。





[7933] 七日目【1】
Name: 下屋柚◆26967502 ID:ab66ab93
Date: 2010/08/23 20:53


 振るわれる褐色の豪腕。
 おぞましいほどの速度で己に迫る斧剣。
 それに魔力を起爆剤にして、真っ向から打ち合う。

 体からはこれでもかというほど魔力を引き出し迎撃しているというのに、打ち勝つことはおろか、剣を握る手が麻痺してきてしまう。
 歴代の英雄たちと戦うようになった今も単純な白兵戦で競り負けるということはそうなかった。
 その自分が、相手の圧倒的な力に押されている。
 かといってその動きが鈍重かといえば、そうではない。
 巨体にそぐわぬその威力と、巨体に似合わぬ身のこなし。
 目の前の狂戦士は。例え自分が万全の状態で戦ったとしても、苦戦するであろう。

 できることならば一人の騎士として万全な状態で戦いたい。
 だが、ここで退くわけにはいかない。
 自分はマスターの剣。
 サーヴァントとして、我がマスターをなんとしても聖杯へと導かなければならない。

 またも振るわれる斧剣。
 技巧もなく、練武されたわけでもない。だが、それは紛れも無い必殺。
 まともに受けてしまえば、人はもちろん、サーヴァントさえも一撃で砕け散るだろうその威力。
 魔力を腕に通し圧縮、剣を打ち返す。
 軌道は逸らせたが打ち負ける。体が後方に流れる。両の手が痺れる。
 視界に入る斧剣を打ち負かすべく剣を返す。
 敵の剣の勢いは衰えない。
 もちろん体勢を崩した状態で放つこちらの剣が、相手の上をいくわけもない。

 打ち合いの衝撃が胸の傷を開かせる。
 サーヴァントの再生能力をも遅延させる呪い。
 それがこの苦戦に拍車をかけていた。
 剣戟を繰り返す度、悪くなっていく戦況。
 圧倒的な一撃を受け続け、足が地に沈んでいく。

「駄目だ……逃げろ! セイバー!!」

 マスターの声が聞こえる。 
 直後、横に一閃。
 衝撃を殺せずに地に伏す。
 腹部からは灼熱。

 暗転。
 私の手から意識が離れていく。




   (くっ!!)

    セイバーは無意識のうちに立ち上がる。
    腹部と胸部が立ち上がった振動の余波で痛み、思わず俺は心の中でうめく。

    俺はセイバーの感覚を共有していた。
    視点の持ち主であるセイバーを守るようにあがこうとするが、体はぴくりとも動かない。
    動画を見せられるように場面が流れていき、体は勝手に動いていく。

    セイバーの思考が俺に流れ込み、しまいには俺の考えなのか、セイバーの考えなのかわからなくなってくる。
    加えて、体に流れる魔力、かかる負担、力み、痛覚。
    自分で動かすことができないものの、すべてが身に起こったことのようで、これは現実的なんて言葉じゃ生ぬるい。
    ……そう、今まさに俺は、夢の中でセイバーの過去を体感していた。

    この体感夢の始まりは昨日。
    夢はランサー戦から始まった。
    魔力を上乗せした剣撃で迫る槍を打ち落とし、攻撃を見事な体捌きで避ける。

    そして、「刺し穿つ死棘の槍(ゲイ・ボルク)」。
    胸に迫る悪寒。咄嗟に空中で体を入れ替えるセイバー。的中しなかったセイバーに驚嘆し、立ち去るランサー。
    俺の思惑とは裏腹に記憶どおりに進んでいく。
    セイバーが『俺』との話を一方的に打ち切り、門を出て行ったところで双剣を構えたアーチャーを斬り伏せて目が覚めた。
    ……俺の時とは違って『あっち』のアーチャーはやっぱり無防備だったのだけど。

    これを思い出したのは今日の夢を見始めた直後。

    明らかに俺の記憶じゃない。
    アーチャーを斬り伏せた状況なんて、その場にいなかった俺が知るわけがない。
    セイバーの考えなんて俺が知る由もないし、その考えが夢に出てくるなんてありえない。


「いいわよ、バーサーカー。そいつ、再生するから首をはねてから犯しなさい」

 迫るバーサーカー。

 私としたことが、寸閑、気を失っていたようだ。
 剣を何とか握りなおす。
 だが、魔力は体の補修にかかっていて引出せる状態ではない。

 横に払おうとする、剣というには無骨すぎる剣。
 狙いは私の首。

「こ――――のぉおお…………!!」

 “誰か”が狂戦士と私の間に立ちふさがった。
 小気味の悪い音とともに、私の顔に降りかかる赤の飛沫。
 ゆっくりと倒れていく“誰か”。

 ……何故、あなたがここにいて、腹部を“無”くしているのか。

「が――はっ! ――あ、れ」

 シロウが、何故マスターがサーヴァントである私をかばっているのか。
 ――――わからない。

「そうか。なんて、間抜け」

 そういってシロウは血を吐いた。
 白い少女が何事か喋って、巨体とともに帰っていく。

 頭を振って考えを改める。

 シロウは、マスターは大丈夫なのか!?

 ふらつきながら、シロウの横に向かう。リンもこちらに駆けつけていた。
 辿り着いたところで、横たわったシロウの目蓋がゆっくりと閉じていく。閉じられるまでに見た彼の瞳は、じわりと濁り始めていた。
 地面はシロウを中心に、花が開いたように赤黒さがぶちまけられている。

 これは、あまりに酷すぎる……。
 腹部がごっそりと持っていかれていて、中身が周囲に散らばっている。
 これほど臓器を破壊されていては、それこそ名の知れたメイガスでも修復は不可能ではないのか。


   (本当に、こんな傷から治るのか……?)

    目の前の『俺』は腹部をかなり失っており、もう少しで下半身と上半身が分断されそうだ。
    俺がこうしている以上、この場で命が絶たれるということはない筈だ。だけど、この状況を見ればわかる。
    いくら魔術があろうとも、『助かるほうがおかしい』。


「リン! シロウを治すことはできますか!?」

「――――無理、ね。
 ここまでだと流石に……。一応治療の魔術はかけてみるけど、期待は……」

「お願いします」

 リンが詠唱をはじめ、左腕が淡く輝いていく。
 魔力が指向性を与えられ、シロウへと注がれていく。

「――――Anfang. Wiederherstellung des ……」

 ぼんやりとした魔力の光が傷口へと集まっていく。


   (なんだ? 傷口から見えるものは、鉄、なのか?)

    傷口に隠れるようにして鈍く煌めくもの。
    それは確かに金属の光沢を放っている。


 傷がなんともいえない動きをして治っていく。
 これならば、シロウは助かるかもしれない!


   (セイバーには見えていないのか……?)

    視界を共有している筈のだが、彼女の思考には金属に関しての一切が混ざらない。


 しばらくするとリンの呪文が止んだ。
 不思議に思い、彼女に問いかける。

「リン、どうしたのですか? 早く治癒しなければ……」

「これ、どういうこと」

「なに、を……」

 リンの視線の先――シロウの傷口を見る。
 呪文の詠唱は既に止まっている。だというのに傷口が勝手に動き、他の部分とを繋げていく。
 もしや自分に蘇生魔術でも掛けていたのか。しかし、傷の治療などは出来ないと彼は言っていた。
 いったい、シロウはどうなっているのだろうか……。


   (っ!)

    感覚がセイバーから切り離されていく。
    夢が終わるのだろう。


「リンが……治、の魔術……のでは……か?」

「い、ら私……できな……」






 ――目が、覚める。
 おもむろに時計に目をやると午前四時をちょっと過ぎたところ。

 あれ?
 何か夢を見ていたと思っていたんだけど……。

 思い出そうと頭に残っている記憶の断片を必死で掘り起こすが、もう少しというところでぼやけてしまう。
 両手ですくった砂を何とかその手に留めようとするけど、指の間から零れ落ちるように。
 時間が経つにつれて薄れていって、次第に見失う。

 ……駄目だ。
 何かが引っかかるけど、それがわからない。

 俺は未だはっきりしない頭を振りながら、顔を洗うために洗面所に向かった。




 洗面所の扉を開けると、そこには既に先客がいた。

「凛?」

「……あー、アルト?」

 凛も顔を洗っていたらしい。
 洗顔時に水が撥ねたのか、髪の数房が濡れて顔にくっついている。
 もちろん髪は結わっていない。

「どうしたのですか? 凛がこんな時間に起きているなんて珍しいですね」

 俺たち四人の中でも凛が一番起きるの遅いんだよな。
 まぁ、それでも学校に向かうには充分な時間なんだけどさ。

「ん~、どうも夢を見ていたらしいんだけど思い出せないのよね。
 寝なおそうと思ってたんだけど、なんだかすっきりしなくて」

「そうなのですか? 実は私も夢を見たようなのですが、思い出せなくて……」

 半目のまま考えに耽る凛。

「――――へえ、サーヴァントは夢を見ないっていうけど。
 あー、サーヴァントとマスターのラインが繋がって夢を見ることもあるらしいから、もしかしたら同じ夢を見ていたのかもしれないわね」

 そっか。凛の夢を共有して見ていたのかな?
 ……う~ん、でもなんか違う気がするんだけど。
 元々俺は夢を見るほうじゃないから自信はないけどさ。

「そうですね。そうかもしれませんね」

「まー、思い出せないんじゃ確認のしようもないか
 あ、アルトも顔洗うの?」

「はい、そのつもりで来ました」

「それじゃ、私は顔洗ったら頭もすっきりしたし、寝なおすわ」

「わかりました。凛、お休みなさい」

「はい、おやすみ。あ、今日は結界消すために学校に行くから。
 いつでも動けるようにお願いねー」

「はい。それでは」

 それだけ言って凛は離れへと足を向けた。
 すっきりしたという割には幽鬼のようにゆらゆらと、気配を残さず立ち去って行った。

 今からまた寝なおすっていうのもあれだし、朝食の当番は俺じゃないから調理で時間も潰せそうにない。
 本当はやってしまいたいんだけど、一応順番決まってるから無視は出来ない。
 リアに倣って道場で精神統一でもしていようか。

 そんなことを考えながら、冷水で顔を洗う。
 春というにはまだ早い二月の朝の冷たい水で、頭はこれ以上ないくらいにすっきりした。
 洗い終わる頃には、引っかかっていた夢のことなどは完全に忘却していた。







[7933] 七日目【2】
Name: 下屋柚◆26967502 ID:ab66ab93
Date: 2010/08/27 01:37


◆◆◆


 俺が思うに朝食とは、一日の活力を得ると共に、ゆったりと摂って心身ともに豊かにするべきものである。
 反して、この頃の我が家の食卓は争乱の一途を辿っている気がしてならない。
 いや、改めて言うまでもなく辿っている。

 普段はそれは静かなものだ。
 作り手に対する感嘆や、料理の感想などはところどころで漏れるとしても、それはきっと大抵の家庭で行われていることだろう。

 問題は、食事時になるとばたばたという音とともに現れる藤ねえだ。
 ――そこから食卓が加速する。
 手間をかけてこしらえた料理がものすごい速度で消費されていく。
 ほら。今出したばっかりの煮物が、あっという間に目の前で“消”えていった。

 その速度を生み出しているのはもちろん藤ねえ、それにリアにアルト。
 藤ねえが他の人のことを考えないで次々におかずを口に入れていくものだから、リアとアルトが触発されて箸を伸ばす。
 それを見た藤ねえの目が光り、何故か対抗心を燃やしてさらに速度を上げていく。
 全て取られるわけにはいかないとリアとアルトがまた箸を伸ばす。
 そしたらまた藤ねえが……というように互いに触発されて大規模な争いに発展していく。
 その様はまるで『取らねば何も食えない大家族』のようなもので、見てるこちらとしては微笑ましいのか、どうなのか。

 ただ、うちの財政が思った以上に芳しくないのは間違いない。
 このままじゃ今月越せないかもしれないなぁ……。


 俺は、大皿料理という戦場から遠坂と共に離脱し、ゆっくりと食事を摂る。
 流石にあの中に割って入っていく気にはなれなかった。
 ……お、今日の味噌汁は良く出来てるな。


 ちなみに昨日の夜、リアたちが俺の胸に手を当てていた理由は、後でリアから聞いた。
 聞いて何が起こっていたのかっていうのは理解したんだけど、結局何故それが起こったのか、なんてのはわからない。
 ただ、遠坂は「そんな不確かなものを頼っていたんじゃ命がいくつあっても足りないわ」だそうで、当面は放っておくという形になった。
 害があるというわけでもないようだし、それどころか役に立ってくれる……かもしれないしな。
 それにしても、昨夜感じた暖かさって見に覚えがあるんだけど、いつ感じたんだったっけか?

「ねえ、士郎……」

 俺が思考に沈んでいると遠坂が話しかけてきた。
 だけど、呼びかけてきた割にはこちらに顔を向けてはいない。
 眉根を寄せ、その顔は不機嫌そうに歪んでいる。

 何事かと遠坂の視線を追っていくと、その先にはテレビの画面。
 ニュース番組が流れていて、テロップには『冬木町で女性ばかりの行方不明、その数9人』と書かれていた。
 画面ではリポーターが見覚えのある風景をバックに、うちの学校の制服を着た女生徒に話しかけている。

 聖杯戦争が行われている冬木の町で、あまりに不自然な女性の失踪。
 連鎖するように思い起こされるのは先日の一家惨殺事件に、集団昏睡事件。
 知らず咽喉が鳴る。
 このごろの冬木の町はおかしい。いくらなんでも事件が多すぎる。

「遠坂、これってもしかして」

「どうやらそのようね」

 やっぱりそうか。頼りにするわけじゃないけど、遠坂が言うなら間違いないだろう。
 ニュースを見る限り行方不明になったのは三日前から集中しているようだ。間違いなくサーヴァントの仕業だ。
 一家惨殺事件から人死は起きていないけど、いまだに9人の内、誰も見つかっていない所をみると……。

「……なんとかしないとな」

 俺がそう呟くと同時に速報が入ったらしく、ニュースキャスターに原稿が渡されるのが見えた。

『只今入った情報によりますと、この事件での新たな行方不明者が出た模様です。
 新たな行方不明者は5人。調査中のため、同一事件なのかは今のところわかりませんが、行方不明者は14人にのぼります』

 ニュースキャスターは記事を機械的に繰り返し読み上げる。

 ぎり、と歯が鳴る音。ふと見れば、手のひらは爪が食い込んで白くなっていた。
 知らずに力を入れていたようだ。

「とりあえずは学校からだからね」

 遠坂がそんな俺の様子を見て念を押してくる。

「――――ああ、わかってるさ」

 今日の予定は学校の結界潰し。
 遠坂の見立てだとあと数日で完成してしまうらしいので、率先的に学校の結界を排除することになっている。
 ニュースのやつにしろ、学校に結界を張ったやつにしろ、他人をなんとも思っていないのだろうか。
 自分の願いを叶えるためとはいえ、人をないがしろにしていいという道理はない。

「ふぃー、ごっちゃんです」

 どこぞの相撲取りよろしく、妙にくぐもったそんな声に思考が中断された。
 ふい、とそちらをみると机の上を汁やら野菜屑やらでめちゃくちゃにして藤ねえが満足そうに腹を叩いていた。

「「ごちそうさまでした」」

 横ではこちらも満足したのか、すっかり落ち着いたリアとアルトが背筋を伸ばしていた。
 ただリアは左頬、アルトは口元に米粒がついていてすまし顔が台無しだ。

「――っく」

「「?」」

 ついつい忍び笑いが漏れる。まだ自分の顔についた米粒に気づいてないリアとアルト。
 二人して首を傾げて俺を不思議そうに見るので、俺が自分の左頬と口元を指差してやると、先にアルトが気づいて手を当て真っ赤になり、リアにも教えてあげていた。

「それじゃ、お姉ちゃんは先に行ってるね~。
 遅刻したら怒っちゃうんだからぁ~」

 食後のお茶を一杯飲んだ後、藤ねえはそれだけ言い残し、というかドップラー効果を残したまま走り去っていった。
 大人として決して褒められた行為ではないけど、そんないつもと変わらぬ藤ねえに、凝り固まっていた頭がこの短い間でほぐれていくのが感じ取れた。




 リアとアルトの見送りを受けて家を出る。
 二人には家で留守番してもらって、何かあったときにすぐ来れるように待機してもらっている。
 余談だが、アルトはようやく遠坂の許しが出たらしいので、今日はいつもの白のブラウスに藍のタイトスカートを穿いていた。
 リアとの見分けもつきやすいし、似合ってるからあの格好でもよかったと思うんだけどな。

 それはそれとして、時計を見るといつも登校する時間より十五分くらい早い。
 その所為か空気が澄んでいて、こころなし寒く感じる。
 ふと、すずめの鳴き声が聞こえてきた。見上げると電線の上にすずめが留まっている。
 まだ生徒が多い時間でもないので、生徒たちもまばらにしかおらず、空気がゆっくり流れているように感じる。
 このところ平和とは程遠いところにいたものだから、こういう時間は本当に貴重だと思うようになった。

 遠坂と横に並んで学校に向かう。隣には、澄ました顔の遠坂。
 ――こんな状況、一年前の俺は考えもしなかった。
 完全無欠のお嬢様だと思っていた遠坂が思っていたより付き合いやすい奴だとか、嘘とはいえその遠坂と付き合っているなんてことが予想できる筈もない。
 実際、先日だって遠坂があんな提案をしてくるなんて微塵にも思ってなかったしな。

 いやいや、何考えてるんだ、俺は。
 同盟を組み、協力するって上でこういう状況になっているんだから、こんなこと考えること自体が遠坂に対して失礼だ。
 遠坂だってそんなつもりは毛頭ないだろうし。

「何? 何か顔についてる?」

 そう言って手鏡を取り出してチェックする遠坂。
 知らず、遠坂の顔を見つめていたみたいだ。それに遅れて気づき、何とか取り繕おうと口を開く。

「い、いや、何もついてないぞ」

「それじゃ何で私の顔なんか……ははーん」

 うわ、なんだその『ははーん』ってのは。
 何か企んでいるんじゃないだろな?

「な、なんだよ?」

「そうだよねー、私たち恋人同士だしねー」

「な、何言ってんだ!? それは一緒にいるのに理由が必要だからってことで……」

「……あんたねぇ、人に訊かれてそんな風に答えないでよ?」

「う、わ、わかってる。学校ではちゃんとやるからそんなに心配しなくても大丈夫だ」

「はぁ。ま、そもそも衛宮くんに演技させようってのが無茶なわけだしね」

「む。そりゃ、確かに演技とか苦手だけどそのぐらいならなんとかなる」

 なんとかなるなんて言っておいてあれだけど本当はあまり自信はない。だが無茶なんて言われちゃこちらとしては退くことは出来ない。
 だって、これが本当のため息ですっていうため息つかれて、『できません』なんて言えるわけないじゃないか。
 期限付きとはいえパートナーなんだから、対等に手助けくらいはしてやりたい。

 遠坂が立ち止まって俺の目を見つめてくるから、俺も立ち止まって目を逸らさない。
 十秒も経って、周りに集まってきた生徒の目に気づいて顔が赤くなったころ、遠坂は俺の様子に決心してくれたのか「ふぅ」と息を吐き、

「そ、それじゃお願いね」

 なんて一言だけ残して先に歩いていってしまった。


 そんな遠坂の背中を眺めて、対策を取っておかなければならなかったことに気がつく。
 すっかり失念していたけど、付き合うという噂が流れた次の日に二人して休んでいたことについてを一切考えてなかった。

「どうしようか……」

 駄目だ、いい言い訳が思いつかない。このままではそうこうしているうちに学校についてしまう。
 ……こうなったら、みんなが忘れてくれてることを祈っていよう。







[7933] 七日目【3】
Name: 下屋柚◆26967502 ID:ab66ab93
Date: 2010/08/27 14:14


 通学路を学校に向かって進んでいく。
 毎朝同じ道を歩いているっていうのに、今朝は違和感ばかりが付きまとう。

 原因はわかってるんだ。
 俺と遠坂の周りに生徒が極端に少ない。
 この時間にもなると朝錬の生徒が登校しているから学校付近では生徒たちの列が続く。
 だというのに、俺たちを中心にクレーターができたように人がいないのだ。

 外側からかなりの数の視線を受けて、緊張で体が硬くなってしまっているのがわかる。
 やっぱり隣に遠坂がいるからなのだろう。その遠坂もやはりいつもと勝手が違うのか、どこか居心地悪そうにしながら横を歩いている。

 それにしてもこの時間、友達同士で誰かしら談笑しているものなんだけど、いつものような生徒たちの喧騒がない。
 何があったのか。そんな疑問についてを考えていると、いつの間にか校門は目の前に迫っていた。

「衛宮くん、結構マズイことになってるのかもしれない」

「マズイこと?」

 遠坂が学校の塀を見ながらそんなことを言ってくる。
 なにがマズイことになっているんだかわからない。訊き返しながら校門をくぐった。

「うっ!?」

 視界が赤く染まり、歪む。泥沼を歩いているような感覚。
 体自体が重いわけじゃない。精神的に疲れきってしまって、体が思うように動かない時のような重さ。

「なんだ、これ……」

「この前、拠点を一つ潰したから後二日くらい余裕があった筈なんだけど……。
 どうも外部から無理矢理魔力を流して結界を作ってるみたいね」

 遠坂が辺りを見回しながら俺にしか聞こえないように小さく呟く。

 遠坂に倣って周りを見ると生徒たちにも活気がない。
 誰も彼もが俯き、視線は地面に向かったままとぼとぼと校舎に向かっている。

「もう結界として成り立ってしまってるのか?」

「それはまだ大丈夫。
 ただ、後ちょっとで起動するだけっていうところまできちゃってるみたい」

「それじゃリアとアルトを呼んだほうが……」

「そうね。学校内には無理だけど、近くで待機していてもらったほうがいいかもしれない。
 とりあえず裏の森に来るようにアルトに言っておくわ」

 そうか、念話だったっけ?
 俺とリアとじゃ出来ないからいまいちどんなものなのかわからないけど、マスターとサーヴァント間では普通に使えるものらしい。
 遠坂とアルトもいくつか不備があったからリアと同じく霊体化できないみたいだけど、それでもしっかり手順を踏んだ召喚だったようだからな。

「私ならこんな昼から仕掛けるなんて馬鹿なことやらないけど、相手が何考えてるかわからないからね」

 それでこの話は終わり、と遠坂は歩き出す。


 少し歩いた所で見知った顔がグラウンドの脇の水道で水を飲んでいた。
 挨拶しようかと近寄ると、相手も俺たちに気づいたみたいだ。そいつは弓道着のままの姿で校庭を歩いてくる。

「や、遠坂に衛宮じゃないか」

「美綴さん、おはよう」

「おはよう」

 瞬時に猫を被った遠坂が挨拶を返す。
 素の遠坂に慣れてしまった俺としては今の遠坂を見るとなんだか背筋が無性に寒くなってしまう。

「ああ、おはよう。
 ところで朝から仲がいいな。やっぱり二人は付き合っているのか?」

「え? あ、いや……、いっ!」

「ええ、彼とは先日からお付き合いさせていただいてます」

 俺の言葉を遮って微笑みながら答える遠坂。
 そうか、なんて言ってからから笑いながら美綴は俺の肩を叩く。

 遠坂、ちょっと言いよどんだだけで足を思いっきり踏むのはどうかと思うんだが。

「それで、どっちから告白したんだ?」

「「え?」」

 俺と遠坂は反射的に顔を見合わせた。
 美綴は俺と遠坂のその様子を興味津々に見ている。

 そうだ、ちょっと考えれば訊かれるってわかっている事だった。
 なんということか、そこまで打ち合わせていなかった。
 サーヴァントと結界のことへの対処を考えるので一杯一杯だったってのもある。
 目の前の遠坂を見ると、迂闊、なんて言葉がぴったりの表情で考えている。

 そういえば俺、こんな近くで遠坂のこと見つめてるよ。
 うわ、絶対顔が赤くなってるぞ、俺。

 ――――違う、問題は美綴への返答をどうするのかってことだ。

「あー……」

 とりあえず声は出してみたけど、解決にはならない。
 俺からってことにしておいたほうがいいのかもしれない。
 恥っていうつもりはないけど、好きでもない男に告白するなんて汚点、遠坂だってつけたくない筈だ。

「俺が遠坂に」「私が衛宮くんに」

 俺の声に被って声が聞こえた。
 推察するにその発信源は隣。その隣の遠坂は驚いた顔をして俺を見ている。
 きっと俺も遠坂と同じに吃驚した顔で見返しているんだろう。

 なんにせよ、このままだと話が食い違う。
 遠坂の尻馬に乗って話を進めないと。

「いや、遠坂が俺に」「いえ、衛宮くんが私に」

「「~~~っ!」」

 遠坂が顔をぐいっと耳に寄せてくる。
 美綴は俺たちの言動が何かツボに入ったらしく、文字通り腹を抱えて笑っていてこっちを見る余裕もないみたいだ。

「ちょっと士郎。私があんたに合わせようとしているのになんで意見をそうほいほいと変えるわけ?」

 顔を赤くしながらもばつが悪そうに俺にささやきかける。
 こんな事態だっていうのに、その仕草にどきどきしてしまう。

「そんなこと言ったって、俺だって遠坂に合わせようと……」

「あー、もう! そんじゃ私からってことにしておくから。
 士郎もそれで通して、わかった?」

「あ、でも遠坂はそれでいいのか?」

「いいもなにも……」


「おーい、あたしを放って置いて何を話しているんだ?」

 遠坂がそこまで言ったところで美綴に遮られる。
 いつの間にか美綴が復活していたようである。

「あ~あ、遠坂に先を越されちゃったか……
 それで遠坂、約束はどうするんだ?」

「約束?」

「え? いや、それより、さっきの質問は?」

 話の前後が見えない。
 質問に対処しようと遠坂と折り合いをつけたってのにいきなりその質問自体がなくなってしまった。
 そりゃ俺じゃなくたって疑問に思うだろう。

「言いづらいのなら別に言わなくても構わないさ。どうやら衛宮は素の遠坂を知っているみたいだしね。
 本気かどうかってのを知りたかったから訊いたけど、これはいよいよ本物か――ってわかっちゃったからさ」

 なんて、美綴が自己完結してくれた理由を教えてくれた。

 遠坂のやつの顔がボッと赤く染まる。
 あいつがそんな反応すると俺まで赤面しちまうじゃないか、チクショウ。

「ああ、約束ってあれ?」

「そ、あれ」

「……いい、無効にしましょう」

「は? いいの?
 後から言ったってもう聞かないぞ?」

 遠坂に問いかける美綴。その顔はどこか残念そうに見える。
 対する遠坂も心残りがありそうだ。

「ええ。
 ……それに、衛宮くんに失礼でしょ? そういうの」

 約束がなんなのか、あれっていうのが何を指しているのかわからないけど遠坂と美綴は二人で納得したようで笑いあった。
 っていうか俺が関係してるのか? 美綴と遠坂関連で思いつくことなんて何もないんだけど。

「遠坂、あんた変わったね。
 やっぱ、男が出来たからかい?」

「ええ、まぁ。ちょっとばかり事情があってね」

 そう言って遠坂は顔を美綴からふいっと逸らす。
 俺からは後頭しか見えないからどんな顔をしているのかわからないが真っ赤になっていることだろう。
 そういう俺も男っていうのが俺を指しているものだから平静にはいられないんだけどさ。

「それにしても何か用があるんじゃないの?」

「ああ、衛宮に訊きたい事があったんだ。
 間桐の兄妹知らないか?」

「間桐の兄妹って、桜もか!?」

 慎二のやつはわかる。
 あいつだって今回の聖杯戦争のマスターなんだから何か考えがあって家を離れているかもしれないし、俺や遠坂と会うのを避けているのかもしれない。

「ああ、昨日も学校に来てないし、今日の朝練にも出てきてない。
 せめて連絡くらい寄越せばいいのに。こっちから電話かけようにも家は出ないし、あいつら、携帯なんて持っていないしさ」

 慎二のやつも朝練はさぼってたりしてたらしいけど、意味もなく学校を休むやつじゃない。
 連絡もしないってのが気になるけど、マスターだっていうから許容範囲内だ。
 ただ、桜に至っては多少の無理を押しても学校に行こうとするくらい強情者だっていうのにどうしたんだろう?
 そこまで考えてある可能性に思い至る。


 ――――もしかして、連絡しないんじゃなくて、出来ないんじゃないだろうか、と。

 サーヴァント――会った事のあるランサーが、いまだ見ぬ慎二のサーヴァントをあの赤い槍で穿ち殺す。
 予想もしていなかった事態に間桐邸に逃げ込む慎二。そして、それを追うランサー。
 手の届くものを青い男に投げつけるが、もちろんそんなものがサーヴァントに通じるわけもない。
 生き汚い慎二にランサーは嘆息し、槍を放つ。

 胸に迫る赤い槍はそのまま慎二を貫き、その体を壁に縫い付ける。
 その口から漏れる赤い液体。魔槍によって血液の流れが止められ、間もなく慎二の心臓は動きを止める。
 家に居た桜が、槍に貫かれた慎二を見て叫び、駆け寄ってその肩を揺する。
 ランサーは目撃者を残すまいと槍を慎二から引き抜き、その切っ先を桜へ――――


 勝手に頭に流れていく映像を何とか消そうと頭を振る。
 何を考えてるんだ、俺は!
 そんな自分に怒りを俺自身に覚え、奥歯を噛んだ。

 遠坂も似た考えに至ったらしく、そんな考えをした自分に怒るような、それでいて焦ったような複雑な表情を浮かべている。

「衛宮?
 それに遠坂も、どうしたんだ?」

「あ、いや。なんでもない。
 悪いけど、桜のやつこの頃は家に来てないからわからないんだ」

「そっか、悪いね衛宮。
 この頃の事件のこともあるし、明日も休むようならあいつの家に様子を見に行っておいたほうがいいか」

 それはまずい。
 もしかしたら美綴を巻き込んでしまうかもしれない。

「いや、俺が行くよ。
 丁度あいつに用もあるしさ。美綴も部活の主将で大変だろ?」

「それじゃ頼んでいいか?
 なんだかここ数日は調子が悪くてさ、今もなんだか体が重たいんだ」

 美綴はふう、と息を吐き、遠くを見ながら肩を回す。

「綾子、あなたその格好のままでいいの?
 そろそろホームルームが始まるわよ?」

「ああ、そうだった。
 引き止めて悪かったな」

 そういいながらどこか気だるそうに片手を上げ、美綴は弓道場に向かって行った。



「遠坂」

「……ええ。言いたいことはわかってるわ。
 でも、とりあえずはこの結界を何とかしてから」

 そう言って遠坂は唇を噛んだ。
 俺はいつの間に握っていた拳をひらき、力の入れすぎで指の関節が痛みを訴えていることに、今更ながらに気がついた。





[7933] 七日目【4】
Name: 下屋柚◆60cf6a3d ID:aed74653
Date: 2010/10/04 17:26


 登校するまでは果たして遠坂とのことについてどれほど問いただされるのかと一人恐々としていたけれど、予想していたようなことは起こらなかった。
 それどころか意を決して教室に踏み入って挨拶をしてみても気づくのは近くにいた二、三人で、他の生徒は自分の机に縛り付けられたように動かず、ただそこにいるだけだった。
 誰もが他人に感心を寄せるほどの余裕がないらしく、いつもなら騒がしい筈の俺の教室は沈んでいた。

 どうやらこの結界内にいて、あれだけの影響で済んでいた美綴は他の人間に比べて特殊だったらしい。
 あの藤ねえでさえいつものような元気はなく、至極一般の教師みたいな振る舞いしかしなかったほどなのだから、思っていたより事態は深刻なようだ。



 色が褪せてしまったような教室内。
 時計の短針は『12』を回り、もう寸刻もすれば昼のチャイムが鳴るだろう。
 学校の敷地内の空気は重く、たぶん、いや間違いなく朝よりも状況は悪化している。

 ただただ教科書を読み上げる教師の声が響き、生徒たちは誰一人喋ることもなく上の空でいる。
 中途で気分が悪くなったと保健室に向かう生徒も一人ではなく、午前中だけで四人が席を外していた。
 この教室内で異質なのは教卓前で教鞭を執る葛木先生。
 彼は無感なのかと錯覚するくらいに普段と変わりない。美綴と同じであんまり影響を受けないタイプなのだろうか?

 教室を見回してみるが、ところどころに空席が目立つ。保健室に向かった生徒の席と、慎二の席だ。
 慎二はまだ学校に来ていないらしく、あいつの席は朝からずっと空いたままだった。
 連鎖するように、慎二の妹である桜の顔が脳裏に浮かんで、俺は朝のことを思い出していた。


 HRが終わった直後の休み時間を使って、遠坂と二人で桜が在籍している下級生のクラスに確認しに行ったのだが、桜の席は空いていた。
 入り口近くの女子生徒をつかまえて聞いてみるも、美綴の言うとおりに欠席の連絡もなくまだ登校してきていないらしい。

 そこで意外だったのが遠坂の反応だった。
 女子生徒から桜がいないと聞いた時、遠坂は親指の爪を噛み、眉間に皺を寄せて考えに耽っていた。
 いつでも悠然と物事をこなしている遠坂が、あんなにもわかりやすく動揺していた。

 魔術使いの俺と比べるのが失礼なほど魔術師である遠坂。
 桜のことを気の毒に感じるかもしれないとは考えていたが、こうまで心を乱されてしまうだなんて予想していなかった。
 けど、動揺していたのは俺も同じ。
 危険がないように、巻き込まないようにと桜を俺の家から遠ざけたっていうのに、これじゃあ何の為だったのかわからなくなる。

 いや、まだ巻き込まれたと決まったわけじゃない。
 もしかしたら間桐家で流行っている風邪で二人とも欠席しているかもしれないじゃないか。連絡だって忘れているだけなのかもしれない。
 ああ、そうだ。学校の結界を解除したらまず慎二の家に行けばいい。
 病気にかかっているかもしれないから、見舞いがてらに様子を見てこよう。

 だからこそ、この結界騒ぎに早く決着をつけないといけない。この問題が片付かないことには、慎二と桜の様子を見に行くこともできやしない。
 それどころか、放って置けば聖杯戦争とは無関係な学校のみんなが巻き込まれてしまう。それだけは絶対に防がなくちゃならない。


 午前中は生徒がいない弓道場やグラウンドなどの別棟を中心に、放課後は生徒が帰宅、部活で出て行くので教室がある本棟を見て回ると事前に遠坂と決めてある。
 正午を回ろうとしている今、別棟は全て見て回ったのだが、魔方陣は見つかっていない。
 見つからないから焦りが増す。焦りに任せて、数をこなそうと敷地内を走り回る。
 だというのに、成果は一向に上がらない。だから、余計に焦る。見事なまでに悪循環だった。

 こうも気を急かされていたら大事なものを見落としてしまう。
 どうせ授業中は動けない。せいぜい働かせることが出来るのは頭ぐらいのものだ。
 後手に回ってしまっているからこそ、落ち着かなければならない。
 少し冷静になって、結界を仕掛けた相手のマスターの情報を整理してみよう。

 まずはその意図。
 わざわざ人がたくさん集まるところに結界を仕掛けたってことは、そいつの狙いが『たくさんの人』なのだということは簡単に想像がつく。
 遠坂やイリヤは夜だけ――少なくとも戦闘するのは人気がない時間帯や場所と決めて行動しているようだけど、そのマスターはその範疇ではないのだろう。
 夜に発動させても生徒は家に帰っているのだから、目的から考えれば発動のタイミングは昼の筈だ。

 ただ、どうしてもわからないことがある。
 ――魔術は秘匿されるもの。
 それは魔術師の間では暗黙の了解となっている。魔術師相手に良識を求めてはいけないかもしれないのだけど、そんな世界にもルールはある。
 なのに相手は人目につく公共の場で行おうとしている。
 いくら聖杯戦争だからといって、普通の魔術師ならそんな危険を犯さないと思う、のだけれど、俺自身も魔術師とは胸を張って言える訳じゃないから確証はない。

 それに、不可解なことはもう一つ。
 具体的なことはわからないけど、遠坂の話では魔方陣を一つ組むにも、間取りや距離、高さに地脈の流れなどと色々な要素が絡むらしいから、それなりに内部に詳しくないといけない。
 普段から出入り出来る学校関係者でもないと魔術を組み上げるのは無理ではないだろうか、ということだ。
 そうなると学校の関係者でサーヴァントを従えているのは、俺と遠坂、慎二。
 後は、可能性の域を出ないが、キャスターの根城であるという柳洞寺に住んでいる一成ぐらいだろうか。もしくは、まだ見ぬマスターがいるのかもしれない。


「今日はここまでだ」

 その声に思考を中断して顔を上げると、計ったようにスピーカーから鐘の音が流れてきた。
 教卓には教材を纏める葛木先生の姿。こんな時まで時間に正確らしい。
 外的な刺激に生徒たちが反応して不思議そうに周りを見回している。ところどころから「あれ? もう昼か」なんて声が聞こえてくる。

 昼休みは屋上をチェックするついでに、遠坂と一緒に昼食を摂ることを決めてある。
 葛木先生が教室前のドアを開けるのを視界の端に、俺も弁当箱を片手に屋上に向かおうと席を立とうとして――


 一瞬、体中の感覚が消えうせた。


 足から力が抜け、重力に勝てず膝をつく。体が鉛のように重い。
 胃が勝手に蠢き、嘔吐感が体中を満たす。その所為で呼吸が侭ならない。
 背中は冷や汗で濡れ、額には脂汗が噴きだしている。

 そして、赤い。
 目に見えるもの全てが赤で染まっている。


 傾いていく視界の中、席に着いていた生徒がみな床に倒れていくのが見えた。
 教室前のドアでは、先ほどまでは何事もないように振舞っていたあの葛木先生もが膝をついている。

 ――――結界が発動して、しまった?

 ゆっくりと床が迫る。いや、倒れ掛かっているのは俺?
 体の中から活力が抜け落ちていくようだ。いや、これこそがこの結界の効力なのだろう。
 駄目だ。ここで倒れるわけにはいかない。ここで動かず、いつ動くというんだ。

「同調、開始――」

 魔術回路を起動させ、魔力を生成。体の中で循環させ、外からの略奪を僅かながら阻害させる。
 スイッチという概念がなければ、この環境に俺は集中しきれず、回路の起動に失敗して激痛にのた打ち回っていたことだろう。

 緩和されているとはいえ、結界の影響を受けていないわけではない。
 気力を奮って立ち上がり、ドアを開け放って廊下へ転がり出た。


 すると途端に、礼呪が刻まれている左手が疼きだす。
 お前にとっての脅威が、すぐ近くに潜んでいると痛みで危険を知らせている。
 位置までは掴めない。だが、ともかくここにいてはマズい。
 その直感の赴くままに、形振り構わずに全力で左へ跳んだ。

 ヅガッ、と硬質な音が背後から耳に届く。
 廊下を転がって反動で体を起こして向き直ると、今しがたまでいたところに銀色の馬鹿でかい釘が刺さっていた。

「はん、なんで今のが衛宮ごときに避けられるかな」

 聞き覚えのある声が廊下に響く。
 それは慣れ親しんだ声だった。聞き間違えようもない。

「――慎二!」

「不意をついたのに丸腰のマスターの一人も捕らえられないのかよ。
 サーヴァントっていっても所詮ライダーってことか」

 慎二は俺の言葉が聞こえてなかったように無視し、ひとりごちる。

「もしかして、この結界を作ったのは――」

「はっ、いくら馬鹿なお前でも流石にわかっただろ?
 間違いなく僕、この間桐慎二さ!」

 慎二は高らかにそう告げる。
 精神が高揚しているようでさっきから絶えずにやけている。

「一刻も早く作りたかったんだけど、ライダーのやつが魔力が足りない、なんて言うものだから他からわざわざ持ってきたんだ。
 まったく、僕まで要らぬ苦労をさせられたよ」

 釘が直結している鎖に引かれ、じゃらじゃらと音を立てて持ち主の手に戻る。
 あまりにでかすぎるソレは最早短剣と呼んでいい代物。
 手にするは女性。紫のロングヘア、俺よりも高いその長身。
 そしてその身に纏う死の気配。

 危険、危険、危険危険危険――――

 頭の中で警鐘がうるさく鳴り響いている。本能が必死に訴えてくる。
 アレは相手すべきモノではない、と。
 アレとの間に戦闘は成り立たず、一方的に殺されるだけだと。

「……ちょっとまて。
 他から『持ってきた』、だって?」

「ああ、衛宮はニュース見てないのか?
 確か『冬木の町で女性ばかりの行方不明者、その数16人』だったっけな? ……あ、まだ2人届けられてないらしいから『14人』か。
 笑っちゃうよな、14人も同じ町から、それもこんな短期間に行方不明者が出るはずないじゃないか」

 そう言って笑う慎二。手でライダーを下がらせて、一歩前に進み出てきた。
 あいつ自身は隙だらけだけど、その後にいるライダーが警戒を緩めない。

 慎二は違うと言っていたから除外していたが、慎二は先ほどの条件に見事に合致していた。
 学校関係者で、マスター。やはり、という思いがまったくなかったといわれればウソになる。
 それでも、疑いたくなんてなかったのに。

 ただ、今俺にわかっていることは人を殺した慎二を俺は許すわけにはいかないってことだけ。
 だけどその前に慎二に確認しておかなければならないことがある。

「桜は、無事なのか?」

「は! 自分の命が危ないっていうのにあんなやつの心配か。とことん甘ちゃんだな、衛宮は」

「質問に答えろ、慎二」

「お前が僕に命令するのか? ふざけるなよな。
 衛宮。お前さ、自分の立場わかってるのかよ?」

 俺の言葉に慎二は露骨に顔を歪め、不機嫌を全身で表した。舌打ちをして、唇を噛み、俺を見下している。

「ああ――桜のことだったっけ」

 だが、何か思いついたらしく、うって変わって歪んだ笑みを浮かべた。
 それを視界に入れた途端に、ぞくり、と俺の背筋に悪寒が走る。


「安心しろよ、今頃は家で疲れて寝てるんじゃないか?
 は、ははははは! 嫌になるほど犯してやったからな。
 泣いてばっかでうざったいんだよ、あの役立たず!!」


「――ぁ?」

 感情の猛りの余り、まず目の前が真っ白に染まった。
 ――――俺の耳は、おかしくなってしまったのか。

「衛宮、お前がもう来なくていいって言ったらしいじゃないか。
 あいつの態度に僕もいらいらしてたんだ! なにかある度に先輩、先輩ってめそめそとさぁ!」

「…………」

 言葉の意味を、脳が認識してしまう。
 反射的にガチリ、と再び頭に響く撃鉄の音。
 熱い、体中の血が沸騰しているようだ。


「そういえば組み敷いてやっている最中もお前のこと必死に呼んでたな。
 うるさいから殴って黙らせてやったけどさ!」

「…………」

 もう限界だった。視界が赤く染まる。
 もちろんそれは結界の作用なんかではなく――

「どうせ衛宮も遠坂とよろしくやってんだろ。
 遠坂がこの僕を振るくらいだから相当なテク持ってるんだろうさ。はん、衛宮もやることやってんじゃないか」

「もう、いい。お前は黙れ」

 ――溢れるほどの怒りで。


 瞬間、駆ける。爆発したように体が弾ける。
 両足のところどころからブチッブチッと何かが切れたような振動が伝わる。
 慎二までは十メートルほど。知らずのうちの魔力強化で、その距離を一足で半分に縮めてみせたその反動か。

「なっ! ライダー、衛宮を止めろ!」

 慎二が何か言っているようだけど聞こえない。
 俺の耳には届かない。

 ライダーだという女が俺を狙って釘剣を投げるが、体を前傾に倒して下に避ける。その勢いで踏み込み、更に加速する。
 慎二は動けない。あいつには逃げる間も与えてやらない。

 まさかそこから加速するとは思っていなかったのか、サーヴァントの動きが一瞬止まる。
 すぐさま立ち直って鎖を操り、凄い速度で俺に迫っていた。思い切り振りかぶった右腕に鎖が絡みつく。

「がっ!」

 鈍い音と短い悲鳴、俺の拳に衝撃を残して、慎二が吹き飛んだ。
 俺の拳を避けることも、防ぐこともできずに顔に受け、廊下を派手にもんどりうって、うつ伏せに倒れた。

 それより一瞬遅く鎖が巻き取られ、殴った方の腕が固定される。
 鉄の光沢を放つ釘が生き物のように動く。咄嗟にライダーと距離を開けようとして後退を試みるが、できなかった。

「なん――!?」

 既に左の二の腕に釘が突き刺さっていて、俺の体は無理矢理引っ張られていた。
 腕を貫通して、釘の先端が逆側から覗いている。鎖に巻き取られ、宙を舞い、そのままものすごい力で床に叩きつけられる。
 思い出したように痛みが左腕に走っていく。

「っぁ!」

 肺から空気が漏れる。背中を打って呼吸ができない。
 貫かれた腕が痛い、熱い。

「ライダー! 衛宮を宙吊りにしろ!!」

 慎二がいつの間にか立ち上がり、口元を制服の袖で拭っていた。
 鼻血で口の周りが真っ赤になり、その表情は憎悪に染められている。

「ぐ――ぎ、あ!?」

 鎖がジャラジャラと鳴り、俺の体が持ち上がっていく。体重が左腕一点にかかり、あまりの痛みに俺は悲鳴を上げていた。
 右手で釘を抜こうとするが鎖で絞められていて上手くいかず、せめて痛みを和らげようと鎖を持って体重を支える。

 いつの間にか逆側の釘は天井を貫き、俺の体を宙にぶら下げている。
 ライダーらしいサーヴァントは、歩み寄ってくる慎二の後方で控えているだけだ。

「知り合いのよしみで楽に殺してやろうかと思ったけど、やめだ」

 振りかぶった慎二の拳が、無防備な俺の腹に打ち込まれる。

「つぁっ……!」

 痛い。半端じゃなく、痛い。
 腕が、千切れる……!!

 衝撃で右手が緩み、左腕に体重がかかる。
 痛みにこらえながら、必死で右腕に力を入れて自重を殺す。

「僕はお前のことが前から気に喰わなかったんだ!」

「ぎっ……!?」

 しかし持ち直す前に鈍い音が響き、慎二の拳がわき腹に突き刺さる。
 体が揺れ、振動で左腕が軋みを上げる。

「遠坂のやつもなんでお前なんだ!
 僕がこいつなんかに劣っている所なんて一つもない!」

「……っ!」

 慎二の蹴りが鳩尾に入る。
 呼吸ができない。胃液が逆流する。


「――そんな考えをしてる時点で、あんたはどうしようもなく士郎に劣ってるわ」

「……と、おさかっ!」

 廊下の先には、遠坂。慎二の後ろから駆けて来たので接近に気づかなかった。
 階段から降りてきたっていうことはどうやら屋上で俺を待っていたようだった。

 俺を一目見やって慎二と対峙する。

「ようやくお出ましか。
 待っていたよ、遠坂」

 遠坂と慎二の距離は目測で十五メートル足らず。
 ライダーは慎二の横で控えている。

「あら、間桐くん、ちょっと見ない間に随分と男前な顔になったじゃない」

「――――っ!
 ……はっ、僕は寛容だからね、多少の暴言には目を瞑ろう」

 そう言って慎二は鼻血を拭う。

「で、遠坂。僕は君に同盟を申し込みたい。
 この状況をみてわかるように衛宮みたいな弱い奴と組むより僕と組んだほうが有益だと思うだろう?」

「――――」

 遠坂は答えない。慎二を睨みつけたままその口は閉ざされている。

「ああ、そうか。僕を蔑ろにしたと思って気が引けてるのかい?
 君も事情があったんだろう? 衛宮のやつに付きまとわれてたとかさ」

「――――」

「僕がここまで下手に出るなんて初めてかもしれない。
 遠坂、君は本当に運がいいよ!」

 はぁ、と一つ息を吐き、遠坂は慎二を見下した。

「――――悪いけど、間桐くん、私あなたと組む気は毛頭ないわ。
 そして私はこれからもあなたと組む気になることはありえない」

 決定的な拒絶。
 あまりのはっきりした遠坂の物言いに慎二は言葉を返すことも出来ない。

「だって勝率を上げてくれるならともかく……わざわざ下げる相手と組むわけないでしょう?」

「――は、ははは」

 慎二の乾いた笑い声だけが俺たち以外誰もいない廊下に響く。

「……わかった。
 ライダー、衛宮を殺せ。窓から放り投げれば充分だろう」

「わかりました、マスター」

「士郎っ!」

 どうなったのか、次の瞬間には窓ガラスを突き破って俺は空中に投げ出されていた。
 いつの間にか左腕から釘が抜かれていて、血を撒き散らしている。
 校舎側を見ると、遠坂が凄い形相で俺の名前を叫んでいる姿が目に入った。





[7933] 七日目【5】
Name: 下屋柚◆26967502 ID:aed74653
Date: 2010/12/23 10:12


◇◇◇

 士郎と凛が学校へ行ってすぐにリアと俺は念話で呼び出され、朝から共に学校付近の林に待機していた。
 木の幹に背を預け自分が座るその隣では、リアが顔をしかめて同じように座っている。先ほどまではぽつぽつと会話をしていたが、今は会話もない。二人黙って校舎を眺めるだけだ。
 そんな俺たちの元に、校舎からは昼休みを知らせる鐘の音が響いてくる。

 そもそも、何でリアはそんな渋い顔をしているのか。今、鐘の音を聞いてようやく理解する。
 ああ、腹が減っていたんだなと。
 それに思い当たると、急に俺もお腹が減ってきた気がした。

 一応、こんなこともあろうかと弁当を作ってある。弁当とは名ばかりで、呼び出されてから時間もなかったからおにぎりを三つずつだけど。
 士郎に借りた手提げからおにぎりを包んでいるアルミホイルを取り出して、リアへ向かって差し出した。

「リア。そろそろ昼食の時間です。
 急いでいたのでこれだけですが、どうぞ」

「ああ! 助かります。ありがとう……アルト」

 リアは俺の手の上にあるそれを両手でしっかりと受け取り、赤ん坊を抱くように胸に抱いた。
 どうやら昼食は半ば諦めていたらしく、喜びようもすごい。そこまで喜んでくれるなら俺も作った甲斐もあるってものだ。

 拳大のおにぎりを頬張るリアに頬が緩むのを自覚しつつ、俺も自分の分を取り出して膝の上に開く。
 アルミホイルから一つ取り出し、それを咀嚼しながら何となく学校を眺めている。


 遠坂、一成、藤ねえ、美綴、桜、……慎二。
 学校で特に関わりがあった奴らが浮かんでくる。俺の知っているみんなは今、どうしてるんだろうか。
 そんなことをぼんやりと考えているうちに、ふと、もう学校に通えないことに思い当たった。
 あまりに代わり映えしない町並みに、俺はつい衛宮士郎の頃を延長させていた。

 サーヴァント……聖杯戦争のために呼び出され、終われば情報だけを元の座へ還し、消滅する。
 そもそもからして、英霊は聖杯戦争なんて例外を除けば世界の救済に呼び出されるだけの存在だ。
 俺に至ってはセイバーが死んでいないからどういう扱いになるのかもわからないけど、少なくともここにはいられないだろう。
 本来ならばギルガメッシュの一撃で絶命していたのだから、こうしていられることを喜ぶべきなのかもしれないが、それでも寂しいっていうのが本音。
 っと、いや。今はそんな感傷に浸っている場合じゃないな。


 こうして眺めている学校には、違和感ばかりが募っていた。
 俺の記憶が正しければ、学校の結界が発動したのは明後日だった筈だ。そのときですら慎二は不完全といっていた。
 しかし今こうして見ている校舎付近は前回以上に気配が変わっていて、意識せずとも肌にぴりぴりと強い魔力を感じている。

 あまりに結界に魔力が補填されるのが早すぎる。加えて、この結界の保有している魔力量は明らかに前回よりも多い。
 本来、これほどの異常を感じるのなら一も二もなくマスターの側で控えているべきなんだろう。

 小さく嘆息し、二個目のおにぎりに手を伸ばしてかぶりつく。
 どうやら二個目の中身は昆布の佃煮だったようだ。もぐもぐと口を動かしながら空を仰いだ。

(全く、うちのマスターときたら……)

(――何? 言いたいことがあるなら言ったら?)

「っ!?」

 内心でぼやく俺に、微妙に不機嫌な声で茶々が入る。
 頭の中に響き渡る頃にはその発生源の特定は出来た。どうやら、いきなり凛がラインを繋げてきていたらしい。
 未だに慣れない感覚に、思わず飛び上がりそうになってしまった。悪態をついていた手前、冷静を取り繕って言葉を選ぶ。

(それじゃ、言わせて貰うけどな。
 凛なら気づいてると思うけど、たぶんこの結界、今この瞬間にも発動できるぞ)

(――まぁ、そうじゃないかって予想はついてる。それで?)

(いや、それで……って、だから危険だって言ってるんだって!
 凛も士郎も敵の罠の中にいるんだぞ)

(――大丈夫。何かあったならすぐアルトのこと呼ぶから)

(そう言ったって……)

(――すぐ駆けつけてくれるなら、なんとかその間くらい持たせてみせる。
 心配してくれてるんでしょ? ありがとね)

(む……)

 そんな信頼を向けられたら、これ以上俺が言えることなんてないじゃないか。

(少しでも何か異常があったら言ってくれよ)

(――わかってるわ。アルトのこと、頼りに……)

(凛? どうしたんだ?)

 いきなり凛の声が途切れて聞こえなくなった。それはまるで、トンネルに入ってラジオに電波が入らなくなるように、ぷっつりと。

「アルト!」

 隣でリアが立ち上がり、俺もようやくその異常を察知する。
 膝の上にあるおにぎりが落ちることも気にせず、学校に向かってリアと共に駆け出した。

 学校を見ると、いつの間にか魔力のドームが敷地を覆っていた。
 衛宮士郎だったころに中からは見たことがある。それは視界を赤く塗りつぶすものだった。
 こうして外から見ると視覚的には何の変化もない。だが、感覚的には多くの魔力が一箇所にとどまったままその濃度をあげていくのがわかる。
 一般人は気づかないだろうが、何らかで魔力を察知できる人間にはその異常性は顕著だろう。

 相手の先手を封じるつもりが、完全に後手に回ってしまっている。
 念話は通じない。中の様子がどうなっているのかもわからない。
 中にいる凛と連絡を取ることができないのがどうしようもなく痛い。



 走ってきた勢いのまま、ドームに飛び込む。途端に、世界が切り替わった。
 赤、赤、赤。ただ、目に見えるもの全てが赤い。
 血の色に良く似た鮮やかさは、命が朽ち果てる様を連想させる。

 だが、サーヴァントに効果が及ぶほどの結界(もの)ではないらしく、感覚的に良くない場所だと感じるものの体に異常は感じない。

「っ、シロウ……!」

「リアっ!?」

 突然、走っているリアが光を放ち、それが収まるとその姿は目の前から掻き消えていた。
 今の光は見たことがあった。令呪発動に、共に発生する特有のものだ。

 士郎に、リアを緊急で呼び出さなければならない何かがあったのか!
 そうなると、士郎と一緒にいる筈の凛にも危険が迫っているかもしれない!

 さらにスピードを上げ、勢いを殺さずに校舎に進入する。
 廊下には生徒たちがところどころで倒れている。おそらく、昼食を摂るために思い思いの場所に向かおうとしたのだろう。
 中には体が溶け始めている者もいる。異様によい動体視力を持っていると、そんな光景が嫌でも目に入ってくる。

 やはり前回よりも状態が悪化している。このままだと確実に死人が出ることになる。
 ちょうど昼休みに入った辺りだったのは幸いか。士郎にしても凛にしても教室からはさほど離れていない筈だ。
 焦りを増して階段へと差し掛かるその時、見覚えのある人物が倒れているのが視界の端に映った。

 藤ねえと、美綴か?

 救急車を呼ぼうとしたのかもしれない。公衆電話の前で折り重なるように倒れていて、電話は受話器が外れて、宙吊りになっている。
 側に寄ってみるも反応はない。完全に意識を失っているようだ。
 思わず、倒れた藤ねえを抱き起こして――

 ――そこで俺は逡巡する。

 彼らを逃して助けることは出来ない。他の生徒全員を助ける余裕も、時間も無い。
 そんなことをしている暇があるのなら慎二に結界を止めさせたほうがよほど堅実だ。

 彼らを癒してやることは出来ない。
 いまだ吸収されつづける彼らを一時的に回復させても元凶が止まらない事には手が打てない。
 それに、俺は人を癒す魔術を知らない。

 結界を破壊することは出来ない。
 この体――セイバーの能力は立ちふさがる敵を打倒するためのもの。
 魔術の解呪はできない。

 サーヴァントになっても、目の前で苦しむ人を助けられないのか、俺は!

 現状を打破するには、慎二を止めるしかない。
 ……なら一刻も早く凛たちと合流するべきだ。
 納得できないにしてもそう理解し、行動しようにも頭のどこかが後ろ髪を引いている。

「――ぐ、ぅ!?」

 それを振り切って、凛の元へ駆け出そうとして、唐突に頭痛。
 ずきずきと痛む前頭部を手で押さえる。

 浮かぶ。あの、赤い外套の騎士の声が、後姿が。

 なんで、こんなときにアイツが。
 お前なんかを思い出している時間なんてない、のに。

 ――――お前は戦うものではなく、生み出すものにすぎん――――

 それは、前にも聞いた。
 ああ、認めるよ。お前の言葉がなければ俺はギルガメッシュとも満足にも戦えなかった。
 それよりも、俺は早く、凛たちの元に向かわないと――――

 ――――おまえに出来ることはそれひとつだけだろう――――

 そんなことは、ない!
 少しは剣だって扱えるようになってきたし、魔力の使い方も覚え始めてる。
 それが借り物だったとしても、あの頃の俺とは――

 ――――ならば、その一つを極めてみせろ――――



 唐突に痛みが頭から治まっていった。
 あの騎士も、俺の頭からいつの間にか消えていた。

 途端、頭に浮かぶ一振りの短剣。稲妻のような刀身、禍々しい色彩。
 裏切りの魔女と呼ばれたサーヴァント。其の所有物である、対魔術に特化した宝具。

 そうだ。
 俺にもまだ出来ること――いや、まだ俺には、俺にしか出来ないことがある。

「――――投影、開始《トレース オン》」




◆◆◆


 頭から地面に向かっていく。
 勢いがついていて体を逸らすことも出来ない。

「来てくれ! リアァァーーッ!」

 右手の令呪が光り、弾ける。
 熱と痛みが手の甲を走るのと、空間に揺らぎが生じ、その中からリアが飛び出したのは同時だった。

「シロウ!」

 リアは咄嗟に空中に投げ出されている俺を抱え、カッとグリーブを鳴らして着地する。

「大丈夫ですか? その左腕は!?」

「あ、ああ。大丈夫だ。俺は大したことない。
 それよりも三階にライダーと遠坂がいる。遠坂を助けてやってくれ」

「シロウ、あなたは?」

 リアはその言葉に戸惑ったようだけど、目を見て俺の意思を感じ取ってくれたみたいだ。

「俺もすぐに行く」

「……わかりました」

 それだけを言うと、リアは俺を地面へと下ろして、校舎の壁を一息に駆け上がっていく。ほどなくして、割れた窓から校舎に入っていった。
 俺も左腕を押さえながら、立ち上がる。サーヴァントを相手に何が出来るかはわからないが、俺も早く遠坂たちと合流しなくちゃならない。

 緊急事態ということで、手近な窓から校舎に侵入する。移動しながら、体の異常を確かめていく。
 どうやら風穴が空いている左腕以外は目立った外傷はない。ただ、どこかに打ったのか、左足の膝に痛みが走る。
 あとは内臓が軽くやられてるけど、我慢すれば無視できる程度だ。

 階段を駆け上がる。
 戦闘が始まったんだろう。直上から金属のぶつかり合う音が絶えず聞こえてくる。
 痛む左腕を押さえて、慎二のいる三階に上った。




「……どういう、ことだ?」

 その言葉は確かに俺の口から漏れたものだった。
 目の前ではリアとライダーが互角に戦っている。ライダーからは俺が対峙したときとは比べ物にならないほどの存在感を放たれていた。

 信じられないことだった。
 遠坂ならば、リアがライダーを押さえている間に慎二を倒してしまっているかもしれないとも思っていたのに。
 奥に慎二、その手前にライダー、リアが戦っていて、俺の目の前には遠坂が立ち尽くしている。
 慎二が視界に入った途端に怒りで目の前が真っ赤になるが、それを必死に押さえて遠坂に近寄っていった。

「……遠坂、どうなってるんだ? これは」

「衛宮君。――――どうもライダーは結界で吸い取った生気を常時魔力に還元してるみたい。
 足りない戦力を他所から無理矢理補って、戦闘力を向上させているようね。ま、それでようやくリアと互角らしいけど」

 遠坂が俺の顔を一瞥して驚き、この戦闘のからくりを教えてくれた。一通りの説明を終えると、遠坂はつまらないものを見るように慎二に目を移す。
 慎二の奴も俺が無事だったことに気づいたようで、目に見えて焦りだした。

「くそっ! ライダー、なんでちゃんと衛宮の奴を殺しておかないんだ!
 おい、何をてこずっているんだよ! さっさとソイツと衛宮を殺せ!」

 そうライダーに怒声を飛ばし、だがその言葉とは裏腹に、慄いたように数歩退いた。
 リアの相手だけで手一杯のライダーが俺に攻撃を仕掛けることなんて、もちろん出来るはずもない。

 確かに三階の高さから受身も取れないように速度をつけ、それも頭から落とされたならば、普通は為す術もなく死んでしまうだろう。
 だけど、異能の力を使う魔術師を相手にしてはあまりに確実性に欠ける。しかも慎二は遠坂と会話をしていて、その後の俺の動向に注意を払っていなかったらしい。

「それにしても……」

「ええ、手の出しようがない。この戦闘に私たちが介入する余地はないわ。
 まったく、アルトがここにきてくれたら戦況も変わるってのに」

 なにをしてるのよ、と遠坂が続けて苦い顔をしながら腕を組む。
 こうして会話をしている間にも剣戟の音は響いている。目に追えないほどの速度で攻撃を繰り出す二騎を前に、俺たちは見守ることぐらいしかできない。




「……くっ!」

 聞き逃すほどに小さく、しかし確実に漏れた苦悶の声を俺は聞いた。
 耳に慣れない声色。それは、今までほとんど喋らなかったあのライダーから発されていた。
 気がつけば互角だった戦闘が一方に傾き始めている。リアの一撃に、ライダーが耐え切れなくなっている。
 だけど、リアに特別何かがあったわけではない。どうやら、ライダーの方の動きが鈍くなっているようだ。

「何やってるんだよ! ライダー!
 遊んでいる場合じゃないだろう!?」

 慎二がヒステリックに喚く様子を眺めながら、遠坂が囁くようにして俺に声をかけてくる。

「なんだか知らないけど、地脈に接続されていた結界が切り離されて独立したみたいね。
 これなら生気を吸い取るっていってもたかが知れてるし、ライダーも実力以上に戦うなんてできなくなった筈」

 確かに体が軽くなっているし、不快感も少し落ち着いてきていた。
 赤く染まっていた視界も色が薄れている気がする。

「ってことは」

 ライダーにも慎二にも、決定的な隙が生まれるかもしれない。

「ええ。……」

 目でそう問いかけると、遠坂は一つ頷いてから何事かを呟き始めた。
 俺は腰を落とし、いつでも飛び出せるように身構える。

 遠坂の予想通り、ライダーが発していた圧倒的な気配は衰えて、比例するように動きは精彩を欠いていった。
 リアと一合あわせるごとにライダーは追い込まれている。

「はぁぁぁぁっ!」

 リアの声。そして響く、鉄の弾ける音。
 釘剣がリアの不可視の剣に大きく跳ね除けられ、ライダーは勢いを殺しきれず、体ごと壁へ吹き飛ばされていった。

 それを横目に、俺は全力で慎二に向かって駆け出していた。
 だが、慎二は一瞬早く走り出そうとしていた俺に気づき、背を向けて逃げ出している。

 手を伸ばすが慎二に届かない。
 貫かれた腕が思ったように振れず、体のバランスが上手く取れない。打ち付けた左足が引きつっているのか、踏み込みが甘い。
 速度が出ない。背を追いかけて駆けるが、その距離は縮まらない。

「あぐっ!?」

 慎二がいざ階段に逃げ込もう、というところで俺のすぐ横を抜けて、赤い何かが慎二の足に直撃した。
 途端に足から力が抜けたように慎二が倒れ、床に伏す。顔面を強打したらしく、低く悲鳴を漏らしている。


 背後を振り返ると、遠坂が左手の人差し指をこちらに向けたまま息を吐いている。俺にはよく感じ取れないけれど、たぶん、その指先には魔力の残滓が残っている。
 何をしたのか、赤い光弾のようなものが何の魔術なのかは俺にはわからない。
 ただ、結果として逃げられかけていた慎二に、俺は追いつくことが出来た。俺には出来ないことを、遠坂があっさりとやってのけたことは間違いないようだった。





[7933] 七日目【6】
Name: 下屋柚◆26967502 ID:aed74653
Date: 2011/04/23 16:38


 慎二にはもう、俺たちから逃げる術は残されていない。
 あいつのサーヴァントであるライダーもリアに吹き飛ばされ、崩れた壁の中で剣を突きつけられている。

 何故かはわからないが結界の効果は弱まっている。だが、肝心の結界そのものは健在のようだ。
 体に纏わりつく不快感は消えていない。未だに生徒たちから生気が吸い取られて続けていることには変わりが無い。

「くそっ……くそっ!」

 見下ろすと悪態をつく慎二の背中が目に入る。
 必死に立ち上がろうとしているがどうやっても足に力が入らないらしく、体を起こすたびに足から崩れ落ちている。
 そんな慎二の側に近づいて、学生服の襟を両手で掴んで力ずくで持ち上げた。

「慎二、さっさと結界を止めろ」

 俺から出たとは思えないほどに低い声だった。
 力を籠めると、慎二の体が宙に浮いた。

「はぁ?
 な、なんで僕がお前なんかに、命令されなきゃ」

「慎二」

 さっき見た限りではかなり危険な状態の生徒もいた。こんな問答を続けている余裕は一切ない。
 それに……何より俺が我慢できそうにない。

「結界を、止めろ」

 ドン、と鈍い音が響く。
 慎二を力任せに廊下の壁に叩きつけ、そのまま押し付けた。

「っ――――がっ、っげほ……。
 そ……そこまでして止めたいなら僕を殺せばいいだろう!」

 背を壁に打ちつけて尚、弱弱しいながらも抵抗の意を示す慎二。
 遠坂が放った赤い弾丸を受けた所為かどうかはわからないが、その顔は上気している。
 慎二はさも俺には人殺しなんてできないだろうと、口を意地悪く歪めながら濁った瞳で俺を見下している。

 それで、俺の決意は固まった。

「……そっか」

 襟から手を外し、首を掴む。左腕は穴が穿たれている所為で力が入らないが、右腕なら問題ない。
 慎二の体がそのまま崩れ落ちようとするが、俺の右手がそれを許さずそのまま壁に縫いとめる。
 必死に己の首にかかる縛めを解こうと俺の手に爪を立てているが、か弱い。抵抗になっていない。

 細い。
 これなら、折れる。

 何の罪もない一般人、それも知り合いのいる学校を巻き込んだ慎二。
 それに、こいつは桜に決してやってはならないことをやってしまった。
 こうして渋っている間にも被害は増え続けている――――もうこれ以上、躊躇ってはいられない。

 ひゅ、と慎二の咽喉から空気が漏れた。
 構わず力を籠めていく。

「ゎ、わ、かった、結界……を止、っ! 
 すぐ、止めさせ、だ、か……ら――――」

 …………。

「…………え、み……」

「ちょ、ちょっと! 何やってんのよ、士郎!
 慎二の奴、結界を止めるって言ってるじゃない! あんたらしくないわよ!?」

 遠坂が駆け寄り、俺の顔を覗き込んできた。
 そして驚きをその顔に貼り付けた。

 何をそんなに慌てているのか。
 何をそんなに驚いているのか。

 疑問に思い、そこでようやく頭から血が降りてきた。
 同時に力を抜ける。慎二が重力に従い壁をずり落ち、 咽返(むせかえ)っている。

「ラ、ライダー、早く結界を止めろ」

「いいのですか?」

「早くしろよ! お前がぐずぐずしている所為で僕が死んだりしたらどうするんだよ!?」

「……わかりました、マスター」

 廊下のめり込んだ壁の中で前屈の状態のままのライダーが軽く首肯し、何事か呟いた瞬間、視界が元に戻った。
 視界の端で慎二は声を立てず、存在感を極力殺しながら床を這いずり、階段に向かって逃げようとしていた。

「どこに行くんだ? 慎二」

 まだ、終わった訳じゃない。
 慎二の着ている学生服の襟首の部分を掴み、こちらに引き寄せ床に投げ捨てる。

「な、なんだよ……結界を止めてやったじゃないか。
 この結界はもうここには張れない、それでいいじゃないかよ」

「それでもお前はまだマスターだろ。
 さっさと令呪を全部使うなり、腕を斬り落とすなりしてサーヴァントを放棄しろ。
 教会にかけこめば後は保護してくれる」

「腕を斬り落とす?」

「いいから、さっさと契約を破棄しろ」

「何をそんなに怒っているんだよ?
 学校のやつらはまだ誰も死んでない、ちょっとずつ生気をいただいただけだろ」

 その言葉にまた頭に血が上る。
 俺が怒っているのはそれだけじゃない。

 妹である桜への仕打ち。
 慎二に何があってそんなことをしたのかは知らないが、許されることではないし、許せない。
 それ以上ふざけたことを言うようだったら、本当に慎二を殺してしまう。

「そ、それともさっきの桜の話のことか!
 あれは嘘だ! ちょっとしたジョークだよ!」

「――――」

 何を言った、慎二は。

「あ、アイツには何もしてない! ただ、お前を焚き付けたかっただけだったんだ。
 遠坂のやつがすぐにくるだろうとは思っていたから、衛宮から仕掛けてくるように挑発しなきゃこっちが不利になる。
 だから……二対一にならないようにするには止むを得なかったんだよ、わかるだろ!?」

 俺は、慎二の頬に右拳を思い切り突き立てていた。殴った右拳の先端が痛み、血が流れ出てくる。
 床に這いつくばっていた慎二は、今度は廊下の壁に体を打ち付ける。
 ライダーがマスターである慎二を助けようと動こうとするも、リアがいるためにそれも出来ずにいる。

 世の中にはついていい嘘と悪い嘘がある。
 慎二は、そんなことまでわからなくなってしまったのだろうか?

 倒れた慎二の胸倉を再び掴んで無理矢理上体を起こしてやる。

「本当に、本当に何もしていないんだな?」

「ぐっ、何もしていない。僕は、今回、あいつに何もしていない。
 ――桜のやつも家で御爺様と二人でいる筈だ」

 鼻の詰まったような声。
 どうやら止まっていた鼻血がまた出てきたらしい。

「…………」

 慎二の瞳の奥の真意を読み取ろうと覗き込む。
 ……嘘は言っていないようだ。

 そっか。何にせよよかった。とりあえず、桜は無事でいるらしい。
 下らない嘘をついた慎二のバカヤロウには特大のお灸が必要だろうが、とりあえずはほっとした。

「……どういうことよ、衛宮くん。桜がどうしたのよ?
 聞いている限りじゃ、慎二のバカがあの子に何かしたとしか聞こえないんだけど」

 慎二の奥に控えていた遠坂が慎二を睨みつけながら冷たく問い詰めてくる。
 その様子を見るに綺麗にすっぱりキレていらっしゃる。俺のことを衛宮くんなんて呼んでいるのがいい証拠だ。

「慎二が桜に酷い暴力を振るったって挑発してきたんだよ。
 まぁ、どうやら俺のことを挑発するための嘘だったみたいだけどさ」

 強姦の件はわざわざ遠坂に話すこともないだろう。
 嘘だったようだし、この怒りようでそのことまで言うと慎二が遠坂のやつに殺されかねない。
 なんで遠坂が桜に何かあるとキレるのかはわからないが、相当に怒っているみたいだ。
 遠坂のあまりの怒りに慎二は蛇に睨まれた蛙のように動けず、身じろぎ一つしない。いや、出来ないでいる。

「覚えておきなさい。
 口は災いのもと。今度ふざけた事言うようだったら……問答無用であんたのこと殺すからね」

「ひ……づぅ!?」

 先ほどまでの俺と同じように慎二の胸倉を掴み、だが、言い放つと慎二を突き放して後頭部を床に打ち付けさせた。

「さて、慎二。話を戻すけど、令呪を今すぐに破棄しろ。
 しないのならお前の腕を令呪ごと斬り落とす」

「さ、さっきからいってるけど、何で腕を斬り落とすんだよ? ……ですか?」

 頭を抱えながら、遠坂と俺に睨まれて敬語に言い直す慎二。
 相当に遠坂が恐ろしいのだろう。恐れられているのはたぶん、俺じゃないはずだ。

 それにしても慎二のやつはいったい何を言っているんだ?
 令呪を渡すために誤魔化そうとしているのかと考えたけど、慎二は本当にわからないって顔をしている。

「慎二、あんたの令呪を出しなさい」

「ふ、ふざけるなよ! そんなことしたら僕がサーヴァントを従えなくなるだろ!」

「間桐くん、自分の立場ってものを理解してる?
 負けた時点であんたに選択の権利なんて存在しないの。なんだったら直接息の根を止めてやってもいいのよ」

「――――くっ!」

 遠坂の言葉に反論するも、自分の命と引き換えにされ、仕方無しにズボンの後から一冊の本を取り出した。
 それを受け取り、遠坂が顎に手を当ててボソボソと何事か呟いている。
 俺はどうしていいかわからず、遠坂の決断を待つことしか出来ない。

「これは、サーヴァントへの命令の譲渡書みたいなものね。
 専門外だから詳しくは分からないけど、どうやら彼の令呪はこれが代用している、と」

「ってことは……えーと、どうすればいいんだ?」

「こういう契約書物関係は大抵なら燃やしてしまえば大丈夫な筈だけど」

 呪い関係だと注意が必要だけどね、そう言って呪文を呟くと、令呪の代用をしているという本が一気に燃え上がった。
 ぱちぱちという音を立てて本は形を崩していく。

「あ、あああぁ」

 慎二はそれが燃え上がる様をひたすら悔しそうに眺め続けている。

 そうして本が半分も炭化したころだろうか。
 突如、腹に響く重たい音と、校舎に振動が走った。

「ライダー!?」

 逸早くその行動に気づいた慎二がその名を呼ぶが、既に彼女は校舎外へと跳躍していた。
 ライダーは慎二を護る理由を失った為か、躊躇せずに後方の壁を突き破って教室に飛び込み、その勢いのまま外に飛び出していった。

「くそっ! くそくそくそくそくそぉっ!!!」

 置いていかれる形になった慎二は頭を掻き毟り、ライダーに対する苛立ちをそのまま罵言に変えて叫ぶ。
 そんな慎二を放って俺は遠坂に問いかけた。

「遠坂、ライダーはどうする?」

「……逃げたのなら、しょうがないわ。
 アルトがいれば追わせることもできたんだけどね!!」

 いや、頼む遠坂。俺に怒ってくれるな。

「なぁ、慎二。さっきも言ったけど、教会に保護してもらえ。
 そうすれば最悪、生き延びることは出来る筈だから」

 茫然自失の体になった慎二に呼びかける。
 もうマスターではないので大丈夫だとは思うが、この聖杯戦争中は身柄を預けておいたほうが安全だろう。

「……っ!」

 慎二は壁に手をかけて立ち上がり、俺たちを睨みつけるとそのままのろのろと階段に向かって歩き始めた。
 顔に屈辱を貼り付け、ぶつぶつと何かを呟きながら。

 そんな時、突然リアが俺の前に飛び出て、窓の外のある一点を睨みつける。

「どうしたんだ? リア」

「そこにいるのはわかっています。
 出てきなさい」

「何を――?」

 そこでようやく、俺は異常に気づいた。いつの間にか黒いローブが窓の外から十メートルほどのところで浮いて留まっている。
 ここは三階、風が吹き上げローブがここまで上ってきたとしても、同じ位置に留まって浮いていることはありえない。

 リアが護りやすいように、隣にいる遠坂が俺の側に駆け寄ってくる。
 魔術師である遠坂にはそのローブに何か感じることがあるのだろう。険しい顔をして、リアと共に窓の外のローブを睨みつけている。
 リアがここまで反応するアレは、きっとサーヴァントに違いない。

 リアが視えない剣を構える。
 それと同時に、外に浮いている黒いローブからこちらに向かって手が伸びた。
 白く、細い指。おそらくは女性の手。

 現実感がない。
 黒いローブが浮いていること。中身がないように見えるローブから手が伸びていること。
 そして何よりも、俺にもわかるほどの凄まじい魔力がその手を中心に渦巻いていることに。

 瞬間、轟音が響く。
 それはまるで爆撃のように周囲に轟き渡り、聴覚を麻痺させる。
 魔力の塊が飛瀑のように止まることなくこちらに吐き出されていた。その一つ一つにもの凄い量の魔力が圧縮されている。
 コンクリートが砕け、鉄骨を吹き飛ばす。壁の断片が吹き飛び、ガラスの破片が宙を舞っている。


 嵐のような攻撃が止み、体を向きかえると校舎と外とを隔てる壁が見渡す限り取り払われるのが目に映る。
 そして背中に痛みが走った。刺されたような鋭いものから、鈍器で強打されたようなものまで隙間なく埋まっている。
 顔を腕で覆い、咄嗟に遠坂の壁になるように抱え込んだので、被害が俺の背中に集中していた。

 でも、その甲斐あって遠坂は無事だ。見る限り怪我もない。
 見れば慎二も生きている。頭を抱え込んでうずくまり、震えている。
 俺たちの辺りはリアが護ってくれたので無事だったが、廊下のところどころにきれいな円形に刳り抜かれていて、、慎二のいるすぐ傍にもぽっかりと穴が空いている。

「……っ!」

 リアは攻めかかろうと一歩踏み出したが、後の俺たちを見て躊躇する。
 ほとんどの魔術は、リアやアルトに効果を及ぼさないと本人達から聞いている。
 ならば圧倒的に優位なのはリアということになるのだけど、その術者は空中。リアなら一足で飛び掛ることができるだろうが、もしもかわされた際に無防備になるのは俺と遠坂だ。
 遠坂ならばいくらか打ち消すことが出来るかもしれないが、それでもあの量を捌き切ることは不可能だろう。
 この場ではマスターである俺たちが足かせになってしまっているのは明白だった。

「残念だけど、あなたたちに構っている暇はないの」

 黒いローブが、喋った?
 俺の視線の先でローブから伸びている手の向きが変えられ、ある方向で固定される。
 その先にいるのは怯え、震えている慎二。

「我がマスターに危害を加えたものは、排除します」

「ひ、やめ、やめろ……」

「慎二っ!!」

 慎二は腰を抜かしたのか、動けない。
 顔を真っ青にしながら首を振って後ずさるが後は壁。

 くそっ!

 走る。慎二を射線上からどかすために全力を振り絞る。
 あんな魔力の塊を生身で浴びたらひとたまりもない。間違いなく死んでしまう。
 けれど、魔術が発動する前に慎二を逃がすことが出来れば、或るいは。

「――Αερο」

 なんて言ったのか、俺にはその言語を聞き取ることは出来なかった。
 聞き取れない、その一言。その、たった一言で先ほどと同等の魔術式が完成される。

 駆けながら、俺の全身には鳥肌が立っていた。
 あまりに詠唱が早すぎる。一工程(シングルアクション) で成り立つ、ここまでの威力を誇る魔術なんて聞いたことが無い。
 その上、その猛る魔力は俺が総身で持っている魔力量の二倍、三倍なんてレベルではない。

 言葉と共に、魔力の塊が慎二に向けて放たれた。

 慎二を掴み、立たせ、走り抜けるには、到底、間に合わない。
 立たせるまでは可能だが、共に走り抜けるには時間が足らない。
 慎二の前に立ち、相殺するほどの術も、魔力もない。

 力が、足りない。
 こんなことでは、俺が目指すものには届かない。


 遠坂が顔を歪め、何かを叫んでいる。

 もしも、遠坂のように魔力を形に変えて打ち消せれば。
 ――――毎晩魔術鍛錬をしていても、俺は強化しか持ち得ない。

 リアが俺の予想外の行動に驚いたようにこちらを見、駆け寄ろうとするがいくらリアでもこの距離は遠すぎた。

 もしも、リアのように慎二を連れて逃げるだけの身体能力があれば。
 ――――欠かさず体の鍛錬をしていても、俺はサーヴァントには到底敵わない。

 無いもの強請りだって、わかってる。
 それでも、自分の力不足を呪ってしまう。

 慎二の腕を引いて立たせ、その勢いのまま引き寄せて体を入れ替える。
 とりあえず、これで慎二は大丈夫な筈だ。その慎二は俺を信じられないようなものを見る目で呆然としている。


 あぁ、本当の正義の味方だったなら、こんな格好悪い助け方はしないんだろうな。


 薄紫の魔力の光が迫りながらも、そんなことが頭に浮かぶ。
 体は反射的に、迫る危険に備えて腕を顔の前で交差させていた。しかし、腕があろうとなかろうと、結果は変わらないだろう。
 目の前に迫る死に、目を瞑る。

 ――――――

 だが、何時までそれは経ってもやってこない。そして、周囲からは息を呑む様子が伝わってくる。
 おそるおそる目を開けると、俺の目の前には、砕け、霧散していく魔力の霧の中でローブと対峙する赤い騎士の後ろ姿があった。

「遅れてすいません。――――ですが。
 注意しろと言ったというのに無茶をするのですから。士郎は」

 凛とした声が耳に届く。リアに良く似た姿の少女。
 けど、リアじゃない。リアはあの位置じゃ間に合わないし、士郎のアクセントが彼女とは異なる。
 言葉にまっすぐな、固い意志を感じさせる声音。



 ――――俺が目指している、正義の味方。
 もしかしたら目の前に、その理想がいるのかもしれない。






[7933] 七日目【7】
Name: 下屋柚◆26967502 ID:aed74653
Date: 2011/04/23 16:39


 ぶわっと、冷たい汗が背中や手のひらから吹き出している。
 背中に張り付く服に不快感を覚えながらも、ばくばくと過剰に拍動する心臓を押さえつけて前方を睨みつける。
 その先にはふわふわと浮かんでいる黒いローブ――――キャスター。

 姿は見えず、唯一俺が視認できるのはそこから伸びている片腕だけだ。何に戸惑っているのかわからないが、キャスターに動きは無い。
 だが、体の前面がぴりぴりと違和感を訴えている。きっとキャスターの意識は絶えずこちらに向いているのだろう。

 右足を一歩引き、手に風王結界(インビジブル・エア) に包まれた エクスカリバーを顕現させて斜に構える。
 セイバーの構えならば、相手のどんな動きにも咄嗟に反応できるだろう。


 ――――

 あの時に脳裏に浮かんだ短剣――キャスターの宝具である、破戒すべき全ての符(ルールブレイカー)はとんでもないものだった。

 脳内で短剣の構造を把握、解析したところ、あらゆる魔術を解除できる規格外の代物だと理解。慎重に八節の手順を踏むことで投影に成功した。
 霊脈を解析し、結界と霊脈のつながりを確認した俺はすぐさま、結界を破棄させるために霊脈にルールブレイカーを突き立てた。
 しかし、ルールブレイカーをもってしても、ライダーの結界を消し去ることは出来なかった。
 結界には干渉すら出来ず、地脈と結界付近に施されていた魔術式を無効化しただけで、役目を終えて靄となって消えていってしまったのだ。

 投影が失敗したのかと手順を見直したり、霊脈に干渉する位置が悪かったのかと解析をし直したりした。
 解析して得た情報に偽りが無いのだとしたら解除できない筈はない。けれども、自分で言うのもなんだが、それは会心の出来だったし、あれ以上のものは少なくとも俺には作れそうに無かった。
 今思えば、この結界も魔術ではなかったのだろう。そんなことに思い至ることもできない程、余裕がなかったのだ。
 消去できないことにあたふたと右往左往していた所為で結界の効果が薄れていることを察知できず、霊脈を解析し直してようやく気づいたくらいに。

 ルールブレイカーで消去できた魔術式は、結界に影響を及ぼすもののようだった。
 魔術式は結界と霊脈とを繋ぎ、魔力や生命力を汲み上げる役割を担っていたらしく、結界の消去までは出来ずとも結果的に効果を緩和できた。
 これは思わぬ誤算と、嬉しい誤算だった。

 しかしその直後に真上から爆音が響き、校舎を揺らす。予想外のことに急いで音の発生源である三階に駆けつけたら、そこには何故かキャスターの姿。
 加えて、士郎がキャスターの放った魔力弾の前に、何の対策もせずに飛び出しているところに出くわした。
 まったく、当たれば間違いなく死んでしまうだろうに、あいつも無茶をする。そういう俺も、考えるよりも早く士郎の前に立ちふさがっていたんだけどさ。


 今更ながらだけど、血の気が引く体験だった。
 無意識に飛び出していたから気にする暇も無かったけど、常人には致死性だろう魔力の塊の前に飛び出すなんて正気の沙汰じゃない。

 魔力が霧散してから初めて血の気が引き、遅れて体が心臓が暴走したように脈動し始めた。
 いくら魔術を無効化するといっても、慣れていない俺にはかなり恐ろしい。対魔力が無いに等しい体を持っていた俺にとって、魔力の塊に飛び込むにはそれこそ自殺するくらいの覚悟が必要だ。
 無事だとは頭ではわかっているのに、生存本能が危険だと判断する感じといえばいいのか。少なくとも何度も好んでしたい体験じゃない。
 それでも、そうすることで人を守れるのならそれも構わないし、そんなことを躊躇う時間があるなら一秒でも早く手を伸ばしたほうがいい。


「アルト、すまない。助かった」

 ようやく士郎が立ち上がったようだ。気配から察するに慎二に肩を貸しているのだろう。
 士郎と慎二をかばいながらじりじりと移動し、セイバーや凛と合流する。もちろんその間も視線はキャスターから外さない。未だ浮いているだけで外見に変化はない。

「一つ、訊かせてもらえるかしら?
 そこの男……ここに結界を張った男よ。あなたたちはその男を庇う気でいるのかしら」

 目の前のローブから冷たい声が放たれる。その問いに対して反射的に俺は口を開きかけたが、すぐに閉じ直す。俺は、その問いに答えることができない。
 あくまで慎二は士郎と凛の知り合いであり、俺やリアの立場からいえば弓道場で一度会ったことがあるっていうだけで慎二は敵マスターでしかない。
 加えて言えば、これは士郎と凛――マスターが決断する問題であって、サーヴァントである俺が口を挟むべきものではなかった。

「ああ、慎二を見捨てるなんてできない。
 こいつに危害を加えるって言うなら全力で阻止させてもらう」

 少しの間の後、士郎が答えた。その声に迷いはない。
 背後からは小さな嘆息が微かに聞こえてくる。たぶん凛のものだろう。

「そう……」

 キャスターがそう呟いた後、手をかざし呪文らしき言葉を唱えると、士郎の教室――以前は俺も在籍していた教室から光が放たれ、何事も無く元に戻る。
 俺とリアが反射的に重心を低く構え、警戒を強める。

「……何をした?」

「私のマスターを転移させただけよ。
 ――ここにいる人間に危害を加えた訳ではないから、安心しなさい」

 微笑しているような雰囲気が浮いているローブから感じ取れる。

 その言葉に凛が息を飲み、スカートのポケットに手を入れた。宝石をいつでも投擲できるよう、構えている。

 空間転移は大魔術に分類されると聞いたことがある。それを即席で行うキャスターはやはり、俺はもちろん凛でさえも及ばないレベルなのだろう。
 だけど俺はそれよりも、気になることがあった。
 マスターを転移させた? てっきり柳洞寺にいるとばかり思っていたんだけど、違うのか?

「それで、どうするつもりだキャスター。
 我がマスターはお前の要求には受け入れない。ならば、ここで我らと決着をつけるととっていいのか?」

 リアが一歩進み出て剣を握り締めながら問いかける。
 少なくともリア自身はキャスターを打倒する気でいる。思考に沈んでいた俺も我に返り、気を引き締める。

「残念だけど、一対一でも勝てそうにない相手に何の準備もなく正面から挑む気はさらさらないわ。
 ここは退いてあげる」

 言うなり、光が空中に軌跡を描き、魔方陣が作られる。その上にはキャスター。
 魔方陣から放たれる光がキャスターのローブを包んでいく。

「覚えておきなさい。
 私は、我がマスターに危害を加えたそこの男を許す気はないわ」

「な、待て!」

 リアの声が響く中、先ほど教室から漏れたものと同じ光が放たれ、視界を塗りつぶす。
 光が収まった時、キャスターの姿は消えていた。




 ひとつ息を吐く。辺りにサーヴァントの気配が消えたことを確認してから武装を解除した。
 とりあえずこれでこの結界に関しては終局したと見ていいだろう。
 欲を言えばキャスターはここで倒しておいたほうが後々のためにはいいのかもしれない。けれども生徒たちを放っておくわけにもいかなかったから、あちらから退いてくれて正直なところ助かった。

 士郎と慎二の無事を確かめるようにして見ていた時、凛がこちらに歩いてきていた。その顔は厳しい。

「さて、アルト。
 どうして遅れたのか聞かせてもらいましょうか?」

 …………。

「余りに危険な状態の者がいたので、応急処置をしていました。
 申し訳ありません」

「アルト、あなた本気で言っているわけ?」

 その言葉にリアも俺を見て眉根を寄せ、信じられないものを見る目で見ている。

 俺には他に言いようもない。まさか、結界の効果を緩和させていたなんて言えるわけがない。
 言ったなら間違いなくその方法にまで話がいくし、そうなると投影について、如いては俺の正体についてここにいる全員に話さなければならなくなる。

「……ええ」

「この状況でどう行動すればいいのかっていうことぐらい、自ずとわかるでしょう!」

「っと、遠坂。
 それでみんな助けられたのなら、別にいいじゃないか」

「悪いけど、衛宮くんは黙っていて」

 士郎のフォローは凛の一言で切り捨てられた。

「別に、人を助けることを止めたりはしない。無駄な犠牲なんて、ないに越したことはないと思っている。
 でも今回、本当に助けたいと思うのであれば、私たちは一刻も早く元凶を潰すべきだったわ。
 一人二人の為に遅れれば遅れるほど、結果的に大勢の人間が死ぬことになるのよ。それぐらいは理解しているのでしょう?」

「……はい」

「そこまで分っているのなら、どうして……!
 少数を切り捨てる覚悟くらい、王であったあなたなら持っているでしょう!?」

「…………っ!」

 もし俺がわき目も振らずに凛と合流してリアと共闘できていたなら、もっと早くライダーの結界を除去出来ていたかもしれない。
 今回遅れたことは、俺の独断が原因。俺に非があった。それは、違えようもないことだ。だからこそ凛が怒るのももっともだし、責められれば反論することもない。

 けれど、今の問いに対してだけは――――

 俺は、声を出すことも、頷くこともなく押し黙った。そんな俺の姿を見てか、誰も喋らない。
 キャスターに崩された壁から破片がガラリ、と音を立てて落下する。

「……アルト、あんたもしかして」

 凛の言葉に顔を上げ、それを遮るように口を開いた。

「お……いや、私は、少数を見捨てたりはしない。
 助けられるのなら、全てを救いたい。どこかに助けを求めて手を伸ばしている人がいるのなら、手を、取ってあげたい……」

 ――――俺は絶対に、譲れない。

 人を助ける為に、人を見殺すだなんて、それは違う。理想のために、ここだけは絶対に嘘はつけない。
 これが衛宮士郎の在り方。この身体が変わろうとも、変わらない魂の在り方。

「正義の、味方……」

 士郎の微かな呟きが耳に残る。

「どうしても私にそれを強要させるというなら、令呪を使ってください。
 私の在り方を捻じ曲げるその言葉はどうしても聞けません」

「…………はぁ」

 凛がゲンナリといった様子でため息をつく。

「まったく、なんでこんな甘い英雄がいるのよ。
 そんなのあくまで理想だっていうのに……もし衛宮くんがそのまま英雄になったらこうなるのかしらね。
 それより、アルトがこんな性格をしているってことに気がつかなかった私に呆れるわ」

 士郎の方をちらりと見やり、どうにもならないと諦めたのか肩を落としてうなだれる。

「凛。私だってすべき行動はわかっているつもりです。今回の行動も私に非があったことを認めていますし、申し訳ないとも思っています。
 もちろん今後も私のマスターである凛の指示、行動に従います。
 ですが、こうあればよいという理想として、私は私の考えを変えるつもりはありませんし、変えられません」

「あーもう、わかった! わかったわよ!
 従ってくれるのなら別にそれでも構わない。考えを変えるためなんかに令呪を使うなんてこと、私だってしたくはないもの。
 それに、これ以上話していても思想の問題。いくところまでいっても結局は平行線だもの」

 そういって顔を上げたところで凛の動きが止まる。
 その視線の先には俺を胡乱な目でこちらを見ているリアの姿があった

「どうしたの? リア」

「ああ、いえ。少し、驚いていたのです。
 国の為にあれとしていた私には、そのような理想を掲げ続けるなんて到底できなかった」

 なんて、口だけ動かして答えるリア。
 特に興味を示した様子もない士郎と凛は、生徒や教師を保護するために話し合いを始めた。

「――万人を救いたいなどという理想を掲げることなんて、一国すら護りきることが出来なかった『アルトリア』にはできうる筈がない。
 それが出来る『アーサー王』とすれば、それはもう私ではなく、別人だ」

 微かな呟きが聞こえた。凛や士郎の耳には届かなかったのだろう。
 呟いたリアは厳しく俺を睨みつけていて、そして次の瞬間には無表情になっていた。
 その様子に思わず驚いて、俺は呆然とリアを見返してしまった。

「アルト、後で話があります」

 リアはそれだけ俺の横で囁き、士郎の後ろについていった。
 俺は一人、その場に立ち尽くす。

 ――――限界か。

 間違いなくリアは、アルトがアーサーであることに違和感を覚えた。
 凛との問答でアルトのアーサーとしての異常が浮き彫りになってしまった。

 アーサー王は国を守るために多くの選択をした筈だ。どちらを選んでとしても、犠牲を生む選択もあっただろう。より少数を切り捨て、より大数を生かし、いくつもの戦争に勝利し、その結果として国を繁栄させたのだ。
 微細な部分は変われど、伝承として残っている英雄アーサーとしての生き方に変化が及ぶ筈はない。事実、どの書物にのっているアーサーもそのように生き、国を執り、覇業を成してきた。
 そうしてアーサーは多くの騎士を束ねた王として、後世になっても尚、一般に浸透するほどの英雄となっている。

 俺の理想は、王としてのあり方に逆らっているといってよかった。国を存続させる為には、害はあっても益はない。
 ……セイバーは己が王の器ではないと思い悩みながらも、けれど王としての在り方に誇りを持っていた。『アーサー王』が王としての覚悟すらも持っていないことに、どうしてリアが納得できようか。

 凛はうっかり『伝承の違い』で納得しているのかもしれないし、リアと俺との性格の違いがあることに慣れて気づいてないのかもしれない。
 だが凛にしてもいつ俺の不自然さに気づくかわからない。それは、遠い未来ではないのかもしれない。
 本当にばらしたくないのなら、自分を殺してでもセイバーとしての行動を取るべきだった。

 それでも、自分を曲げてまで嘘をつきたくなかった。
 自分の理想を偽りたくなかった。

 ここまできたならば、もうリアには俺の正体を明かす他ないだろう。あまりに俺の行動は、元来のアーサー王であるリアと違いすぎた。
 信じてくれるかはわからないし、最悪、士郎や凛にも話さなければならないのかもしれない。それでも自分が行った選択、その責任は取るべきだ。



 その後、凛が学校の始末を言峰に任せて、衛宮家に帰る。
 士郎と凛が話し合った結果、慎二も衛宮家に連れて行くことになった。
 凛とリアはマスターだったことで反対していたが、家主である士郎が強硬に主張したためにこのような運びになった。
 まぁでも、いくら教会に保護さようともサーヴァントの襲撃に耐えられるとは思えない。キャスターもどうやら慎二を殺す気でいるようだし、慎二を守るという点では最善の選択だろう。

 士郎と凛は今後の活動方針について話し合いながら先頭で並んで歩いている。その横には慎二。たまに士郎と凛を見てはそっぽを向いて無言で足を進めていた。
 リアは相も変わらず、ただ黙々と士郎の後ろに控えている。俺は今後のリアとの関係に憂慮しながらも、考えることがあった。

 キャスターのマスターについて。
 間違いなくそのマスターは士郎のクラスにいたのだろう。俺がいたクラスに柳洞寺から通う生徒は一成唯一人、だけどその一成は確かに教室で倒れたままだった。

 生徒にはいない。そうなると残るは教師なのだが、一人だけ該当していた。
 葛木宗一郎先生。
 うちに居候しているのだ、と一成本人から聞いたことがある。昼休み一つ前の授業を思い出すと、その担当教諭は確かに葛木先生だった。
 それに、教室を確認した時、俺のクラスメイトだった連中は全員揃っていた。間違いないとみていいだろう。

「どうかしたのか、アルト?」

「……士郎?」

 いつの間にか俺の横には士郎が歩いていた。心配そうに俺の顔を覗き込んでいる。

「元気がないみたいだけど、どうしたんだ?
 もしかしてさっきの遠坂のアレか?」

「いえ、……その」

 それほど深刻な顔をしていたのだろうか、俺は。反射的に返事を言いよどんでしまう。
 確かにあれから会話には加わっていなかったけど、別にそれで落ち込んでいる訳じゃない。まぁ、さきほどの問答が原因ではあるのだけれど。

「リアも遠坂もああ言っていたけど、とりあえず俺はアルトの味方、っていうか同じ考えだからさ。
 あんまり人に話すようなことでもないけれど、俺はさ、誰かを助けられるような人間になりたいって思っているんだ」

「そう、なんですか?」

「ああ」

 士郎は頭の後ろで手を組んで空を見上げる。

「子供の頃からずっと。助けを求めている人を救うんだ、ってさ。そのために体を鍛えたりとか色々やっているんだけどどうも上手くいかなくて。
 今回のことだって、アルトが来なけりゃ俺も今頃死んでいただろうし」

 確かに後一歩遅れていたら士郎は間違いなく消し炭になっていただろう。
 その行動に思うところはあるけれど、間に合ってよかったとは思う。

「まぁ、ちょっと人に言うのは恥ずかしいんだけどさ」

 そういって、顔を赤く染めながら照れくさそうに頬を掻く士郎。
 何故そんな話を、俺にするのだろうか。

「ふふっ」

 でも、何処か一生懸命な士郎のその様子が可笑しくて、知らずに口から笑いが漏れていた。

「うん。やっぱりアルトは笑っていたほうがいい。
 それと、言い忘れていたけど助けてくれてありがとな!」

 そう言って顔を真っ赤にして笑うと、士郎は凛の横に並んで先を歩いていった。
 ああ、そうか。ようやく合点がいった。
 士郎は士郎なりに落ち込んでいるように見える俺を慰めようとしていたのか。
 自分に慰められるって何だか変な感じだし、それは客観的に見れば自己弁護になってしまうのだろう。

 ま、でも

「……俺のほうこそ、ありがとう」

 ――そのお陰で気分は軽くなったかな。

 耳まで赤くしている士郎のその背中に向かって、小さく、本人には聞こえないだろう感謝を述べた。
 帰り道を歩く俺の足取りも、きっと軽くなっていただろう。




[7933] 八日目【1】
Name: 下屋柚◆26967502 ID:aed74653
Date: 2011/04/23 16:45




 日付が変わってからもう一時間が経っていた。俺は道場で一人、電気もつけずに正座している。
 ちなみに格好は私服。風呂から出て髪を結んだ訳でもないから下ろしたままだ。

 帰ってからリアは必要以上に俺に話しかけなかったし、俺も声をかけなかった。
 そんな俺たちをみて凛が首を傾げていたけど、何事も無く夜を迎えてみんなが部屋に向かっていった。
 リアから「午前二時道場で」とすれ違いざまに言われて、日付が変わると同時に道場に着き、それからずっと正座している。
 深夜のこの時間を指定するのだからおそらくリアが一人で来るのだろう。だから室内灯もつけていない。


 俺の心は不思議と静まり返っている。取り乱すでもなし、焦っているわけでもない。
 ばらしたくないと思っていたし今も思っているのに、不安はあるが何故かどこかで安らいでいる。
 リアに言われた時は流石に気が気でなかったけれど、道場で精神集中しているうちに雑念は消えた。
 なるようになるだろう、と開き直っているだけかもしれないけどさ。

 それより問題なのはリアが俺の話を信じてくれるのか。
 自分の状態をうまく人に説明できるかっていうと、そんな自信は毛頭無い。
 それに、もし俺がリアの立場だったら、とてもじゃないけどこんな話信じられそうもないし。
 だから俺が体験したことをそのまんま話そうかと思ってるわけなんだけど。

「……はぁ」

 そういえば当面の状況を処理することに精一杯で、何故こうなったのかと考えたことがない。
 なんていうか、我ながら呆れる。自分の呆け具合にため息が出るなんて、気が滅入るというか力が抜けるというか。


 目を瞑って己に埋没し、記憶を掘り起こす。

 ギルガメッシュとの戦い、必死だったためかしっかりとは覚えていない。
 セイバーが倒れ、彼女を守るために立ちふさがり俺もまた倒れた。体が分断され、魔力が切れた俺は……

 俺は?

 ……そう、『鞘』を投影しようとした。
 衛宮士郎を別の物に作り変えてセイバーに『返した』んだ。
 そして『鞘』になった俺はセイバーの体に包み込まれ、俺の記憶は一旦そこで途切れた。

 『鞘』? 『返した』?

 ちょっとまて。『鞘』ってなんだ? それになんで『返す』なんて表現がでてくるんだ?
 あれは既に俺の中に在ったモノ。投影したものとはいえ、セイバーに渡すことがなんで『返す』ことになるんだ?
 そもそも、なんでそんなものが俺の中に在ったんだ?

 無意識に『鞘』の構造、骨組み、理念に至るまでが頭に呼び起こされる。
 頭の中で組み立てたところで体の中からその『鞘』の存在を感じた。

 あ、れ? それに、俺はまだそれを持って、いる?

 ……でもセイバーに渡したのだから、俺が持っているのは当然なの、か?
 俺は『鞘』? で、その『鞘』はセイバーである俺が持っている?

 駄目だ、わからない。

 突きつけられた疑問に思わず頭を抱え、ぶんぶんと音が鳴るぐらい頭を振る。
 頭の動きに合わせて髪の毛が揺れ、頬に当たった。

 いつもならセイバーの髪の毛だからと思いもしなかったのに、今だけはうっとおしい。
 結んでおいたほうが良かったかな、とどうでもいいことに思考回路が流れ始めたので、一旦頭を空っぽにする。
 いつの間にかセイバーの髪の結い方を習得している俺に軽い危機感を覚えながら。


 ――――とりあえず『鞘』と俺については後で考えよう。
 とりあえずは俺がセイバーに包み込まれた後どうなったのか。


 そう。次に気づいた時、既に体はギルガメッシュに肉薄していた。
 あいつの宝具を約束された勝利の剣で相殺した後、カリバーンを投影して呆然として隙だらけだったギルガメッシュを切り捨てた。その後、たぶん魔力切れでその場から消滅したのだろう。
 なにせ俺の記憶はここまでしかない。ここから後は凛に呼び出された場面に跳んでしまう。
 まぁ、本当は呼び出される前に脳裏にうっすらと赤い丘が浮かんだのだけど、きっと死に際に幻でも見たのだろう。

 ――――まず、セイバーはどうなったのか?

 本当なら何よりも先に気がつかなければならなかったこと。
 何よりも大事に思わなければならなかったこと。

 この体の本来の持ち主であるセイバーの意識はどこへいってしまったのか。
 眠ったような状態なのか。それとも、もうこの体には残っていないのか。
 そもそも、俺がどうやってセイバーの体を乗っ取ったのかわからないと解決方法も出てこない。
 ……なにもできない。悔しい。結局俺はセイバーを犠牲にしてここにいる。

 でも、それでもセイバーは死んでいない筈だ。死ぬ直前のアーサーが聖杯戦争に呼び出されているのだから。

 聖杯戦争を何らかの理由で退場しなければならなくなった場合、その体は過去に戻って死ぬ直前のアーサーに返される。
 そしてまた聖杯を手に入れるために呼び出され、手に入れられなければ戻り、そしてまた次の聖杯戦争へ召喚されていく。
 そう、繰り返している。聖杯を手に入れるまで、ただ延々と――――。

 この体がセイバーなら世界との契約がおかしくなってしまう。
 瞳の色、服の色。それに『衛宮士郎』に備わっている魔術回路がこの体にもあることと、俺の意識。
 姿形こそセイバーだけど、中身はまるきり違う。同一人物ではない俺が、死ぬ直前のアーサーに『戻る』ことはできないだろう。
 もし他のサーヴァントなら俺の場合と同じように乗り移ってしまってもその場で消滅するのだから問題は無い。

 ただ、アーサーだけは違う。アーサーは『生きているうちに聖杯を手に入れる』という世界との契約が果たされない限り生き続ける。
 呼び出された先で消滅するわけにはいかないのに、戻ることができない。
 仮に、『アルト』の体がセイバーならば、アーサーは死ぬ直前で『アルト』になって死ねないままなのだろうか?
 『アルト』が俺である限りアーサーが願いを叶えることも、世界との契約から解き放たれることもないんじゃないか?


 とりあえずわかったのは衛宮士郎だった俺は完全に死に、少なくともセイバーの体は生きているだろうこと。
 セイバーの意識については、体と一緒に無事であることを祈るしかない。

 なんとかしてこの体をセイバーに返してあげたい。いや、返さなければならない。
 少なくともこのままでいいなんてことはない筈だ。


 ふと思ったんだけど、このままいくとリアと士郎はいずれ『アルト』になるのか?
 アーサーは一人だし、そう考えると自然と『アルト』がリアの未来の姿だってことになる。

 でも、俺の時の聖杯戦争に『アルト』はいなかった。

 てっきり俺は過去に召喚されたものと思っていたんだけど、もしかして考え違いをしていたのかもしれない。
 俺が経験していないことが起こっている以上、過去ではなく、よく一般に言う『平行世界』ってやつではないだろうか。
 たぶん、そういうことなのだろう。それがわかったからといって何か変わるわけではないのだろうけど。


 っと、思考が逸れたな。

 次に、何故セイバーの体に俺が乗り移ってしまったのか。
 どうやら投影した『鞘』が今の俺に密接に関係している気がする。
 確証はない。事実はその『鞘』についてはっきりしないとなんともいえない。

 ……では、今の『アルト』をリアに説明するには何と言えばいいのだろうか。
 衛宮士郎じゃあない、セイバーでもない。こんなことは前にも考えた。
 あの時の俺はアーチャーというだけでよかった。リアがいなかったから、真名、というか俺の正体に固執されないで済んでいた。
 今はそれでは済まない。本物のアーサーは呼び出されてしまい、本物に俺が偽者じゃないかと勘付かれているのだから。
 自分を衛宮士郎だと思っている限り、意識は衛宮士郎なのだけれど、他人に身分を明かすには全く理解されない。

 ――――ああ、やっぱり俺が体験したことを一から話すしかないんだな。
 結局はそこに帰結するらしい。後は、俺が何者なのかはリアに判断してもらうしかないみたいだ。



 一通り考え終わったところでからり、と戸が開く音がした。
 大した音ではなかったけど、無音状態の道場にずっといた俺には一際大きく聞こえ、体に電気が走ったような衝撃を与えた。

 ゆっくりとそちらを見やるとリアが立ったまま俺を見下ろしている。俺と同じく普段着、ただ、髪はしっかりと結い上げてある。
 その目は猜疑の色が見え隠れしているものの、憎悪や殺意のようなものはない。……どうやら話は聞いてくれるようだ。

 一瞬の間の後、リアが俺の対面に同じく正座した。

「さて、聞かせてもらえますか?」

 一呼吸おいてリアが口を開く。

 くそ、心臓が跳ねるように鼓動する。体全体が脈を打っているようだ。
 さっきまで静まっていたのは何だったのだろうか。

「何を話せばいい?」

「全てを」

 全て、か。俺自身わからないことがたくさんあるっていうのにな。

「――ああ、わかった」

 気を静める。どうやらリアは話し出すまで待ってくれるらしいから、心の起伏をゆっくりと平らにしていく。
 ……よし。顔を上げてリアの瞳を見つめる。

「始めに……俺はアルトリアじゃない。
 生前は、聖杯戦争に参加していた魔術師だ」

「っ! それは、どういう……!」

 途端にリアが目を見開く。その瞳は揺れている。
 立ち上がって俺に詰め寄ろうとするのを、手で静止させる。

「ごめん。言いたいことはわかるけど、とりあえず最後まで聞いてくれ。
 最後まで聞いて、それを信じるかどうかはリアに全部任せるから」

「……わかりました」

 リアが小さく頷くのを確認してから、続きを口から紡ぎ出す。

「魔術師といっても、一般の魔術師と比べるのがおこがましいほどで聖杯戦争すら知らなかった。
 サーヴァントを呼び出したのも一番最後で、呼び出したサーヴァントはセイバーだった」

 リアは信じられないといった様子だが、とりあえず話を聞いてくれている。
 まさか、いきなりこんな話を聞かされるとは思ってもなかっただろう。

「セイバーは他に呼び出されたサーヴァントの中では、たぶん最強だった。
 ただ、マスターである俺の所為で魔力供給が出来ないなんて不利な点がなければだけれど」

「サーヴァントがセイバーで、魔力供給が出来ない?
 それではまるで……」

 リアの呟きを無視して先を進める。

「聖杯戦争について知らなかった俺に色々と教えてくれたのはアーチャーのマスター。
 その後すぐにいきなりバーサーカーに襲われ、余りに強いバーサーカーに俺たちは敵わず、倒すまでアーチャーのマスターと共同戦線を張ることになった」

「あなたは、巫戯けているのですか」

 流石に話の流れからそのマスターが誰だかわかったのだろう、リアが怒りを浮かべながら俺を睨みつける。
 いきなり『俺の正体は衛宮士郎』はまずいかと思って遠回りしたけど、こうなるらしい。
 からかわれていると思われてもしょうがない話だとは、俺も思う。でも、俺に出来るのは話すことだけ。

「頼むから、最後まで聞いてくれ」

 出来る限り瞳に意思を込めてリアを見つめる。

「――わかりました。何が目的かわかりませんが続きをどうぞ」

 そういって、三文芝居を見るかのように見、俺に先を促させる。
 リアの様子を気にせず、俺は口を開く。

「最初に倒したのは、ライダーだった。
 結界を学校に張られたけどその時はなんとか撃退して、その後ビルの屋上でセイバーが宝具を使い撃破。
 その後、俺はバーサーカーのマスターに拉致され、セイバー、それにアーチャーたちが俺を助けてくれた。
 けれど、バーサーカーに襲われ、俺たちを逃がす為にアーチャーが犠牲に。それでも足止めの役割を持たされたアーチャーはバーサーカーを何度か“殺した”」

 そう、考えてみればあいつがいなきゃ、俺たちはあそこでリタイアしていたんだよな。

 目の前でリアが息を飲み、俺を見ている。顔を軽く顰め、何を言っているのか、と今にも言いたげな表情だ。

「俺とセイバーとアーチャーのマスター……遠坂が力を合わせたことで、なんとかバーサーカーを倒すことが出来た。
 次に来たのはキャスター、その時の話だとどうやらアサシンは既に現界していなかったらしい」

「……」

「キャスターの宝具は厄介なもので、その上俺がセイバーの代わりに受けて傷を負ったものだから圧倒的に不利。
 セイバーも俺を守るためにキャスターの要求を呑んでくれようとしていた。そして――――」

 一息つく。
 かなり掻い摘んで話しているが、これでどこまで伝わってくれているのだろうか。

「そこに現れたのは……ギルガメッシュ」

「――ギルガメッシュ?
 確か、古代ウルクの王の名だったかと思いますが、どのクラスのサーヴァントなのですか?」

 あれ? あ、そうか。
 この時点ではまだあいつの正体はわかっていなかったのか。

「セイバーが言うには、前回の聖杯戦争に召喚されたサーヴァント。
 クラスはアーチャーだったらしい」

「なっ! そんな莫迦な!!
 何故彼が、前回の聖杯戦争のサーヴァントが未だ現界しているのですか!?」

 まるで俺が悪いかのようにリアに詰め寄られる。
 全然全く、一寸たりとも俺はその問題に関係していないのにこうまで責められているのか。
 ……やっぱりここだけは説明をしておかなければならないのか。そもそも話を聞いてくれそうな状態にない。

「ああ、あいつが言うには、聖杯の中身をサーヴァントが浴びればマスターを必要としなくても世界に存在することができるらしい」

「そんな……」

「続きだけど……そう、キャスターはいきなり現れたギルガメッシュに串刺しにされて消滅した。
 そこはあいつが退いたんだけど、その数日後にギルガメッシュがセイバーを奪おうと俺たちの前に現れたんだ。
 セイバーがギルガメッシュに倒されて、俺が立ち塞がったんだけど、手も足も出なくて……俺も結局やられちゃったんだ」

「では……何故貴方はここに?」

 リアはいつの間にか真剣に聞き入っていてくれたらしい。
 真剣な顔で俺に問いかける。

「ああ、ここからは自分でもよくわかってないんだけどさ。
 俺の体の中に『鞘』があるんだ」

「……『鞘』、ですか?」

「あ、うん。確かにあれは『鞘』だったように思う
 漠然とだけど『これをセイバーに渡せば、セイバーは助かるかもしれない』って思って。
 でも魔力がなかったから、体を対価にしてなんとか作り上げたんだ。
 それをセイバーに渡して――――それで、次に気がついたときには俺がセイバーになってた。
 ギルガメッシュの虚をついて何とか倒したんだけど、魔力切れで俺も消滅したんだ」

「それで、気がついたらサーヴァントとして呼び出されていたと?」

「ああ」

 リアはそれきり黙り込んでしまった。
 時折「いや、まさか」など呟く声が聞こえるが、俺はリアが考えを整理するまで待つことにした。
 いきなりこんなことを話されて、混乱しないほうがおかしいだろう。


 数分後、リアが顔を上げたので、俺も返答できるように身構えた。

「話はわかりました。
 作り話だとしたら大したものでしょう」

「いや、作り話なんかじゃないんだけど」

「しかし、貴方の話には矛盾が多すぎる。
 私がライダーを倒す際に宝具を使ったとします。言いたくはありませんが、供給が絶たれている今、宝具を使えば魔力は確実に底をつくでしょう。
 それにその後バーサーカー相手に勝利している。アルトがいない上に魔力供給の絶たれた私では、例え凛とシロウの援護があれど勝つことは難しい」

 アルトがいない……?
 ああ、そっか。アーチャーについても話しておかなければならないか。

「勘違いがあるようだから言っておくけど、俺が衛宮士郎だったころのアーチャーはアルトじゃなかったんだ」

「貴方ではなかった?」

「ああ。赤い外套を纏った白髪の男だった。
 ……もしかしたら、俺は並行世界から召喚されたんじゃないかって思っているんだけど」

「平行世界……名を馳せていた魔術師(メイガス)にそのような事物の捉え方があると聞いたことがある。
 だとしたら、今聞いた話も未来ではなく、あくまで可能性の一つということですか……」

 ふむ、と首肯しているところを見るに、一応は納得してくれているみたいだ。
 ただ、話の粗を指摘しているだけという感じで、話を信じた上でどうだったのかと訊いている様子ではない。

 まぁ、俺がいなければここの聖杯戦争もその通り進んでいたのかもしれないけど、もう俺が大分流れを変えちゃったみたいだし。
 もう流れを変化させた俺本人にもどうなるかさっぱりわかっていない。

「それで、魔力不足の件なんだけど……、あー……」

 くそ、言い難いったらありゃしない。

「なんですか? はっきり言ったらどうですか」

 はっきり……。

「……体液の交換で、パスを繋げた」

 出来れば言いたくなかった。
 あー、絶対俺、顔赤くなってるな。

 沈黙が二人の間に流れる。

「ま、まぁ、魔力が足らなければその必要もあるかもしれません。
 ですが、あのバーサーカーを倒すにはそれでも戦力が足らないのではないですか?」

 何とか持ち直したリアはごほん、と咳払いを一つして俺に疑問を投げかける。
 よくみるとその頬はほんのり桜色に染まっている。

「っていってもこの三人でなんとか勝てたぞ。
 アーチャーが事前に何度か殺してくれていたっていうのがでかいけどさ」

「……三人、ですよね?
 凛やシロウもバーサーカー相手に戦ったというのですか?」

 言いたいことはわかる。
 確かに並みの魔術師ではバーサーカーに傷一つ負わせる前に叩き潰されてしまうだろう。

「遠坂は手持ちの宝石を全部使って不意打ちでバーサーカーにぶつけた。
 流石のバーサーカーにもその攻撃は届いたみたいだ」

「……確かに凛ほどのメイガスならば、それも可能な域かもしれません。
 ですがシロウにはバーサーカーを打倒しうる要因を持ち合わせているようには思えないのですが」

「衛宮士郎が使える魔術は強化だけじゃない。
 俺も知らなかったけれど、もう一つ、強化よりも俺に向いている魔術があったんだ」

 成功率でみると、雲泥の差。向いているっていっても決して過言ではないだろう。

「もう一つ、ですか?」

「ああ。投影魔術っていうんだけど今からやってみるからちょっと待っててくれ」

 そういって立ち上がり、ある剣を頭に呼び起こす。
 こればっかりはリアに信じてもらうために絶対必要なことだ。
 もしかしたなら魔力の消費で凛に後で問い詰められるかもしれないが、上手い言い訳でも考えるしかないだろう。
 たぶんラインから供給されている魔力で事足りるだろうから問題はないとは思うけど……正直、連日の説教は勘弁してもらいたい。

「――――投影、開始(トレース、オン) 」

 己を変革させる自己暗示。意味こそ違えど、音は強化と同じ。
 目の前のリアもランプ強化の時に士郎の呪文を聞いていた。

 彼女の前に急ごしらえの下手なものを出す気はない。
 慎重に手順を踏み、丁寧に細部までを仮構し、作り手の意思に習い、模倣する。
 ただひたすらに本物を夢想し、自分の中に写しだした。 ……確かな手ごたえを感じ、一気に魔力を通す。

「――――投影、完了(トレース、オフ)」

 右手にずしりとした重さを感じ、目を開ける。
 その手にはいつか見た美しい剣が握られていた。

「これのお陰で何とか倒せた。
 逆に言えばこれがなければ、俺たちはみんなそこでバーサーカーにやられていたと思う」

 そういってリアに向けて差し出す。リアは立ち上がり、おずおずと手を伸ばして両手でそれを受け取った。
 窓から差し込む月明かりで照らされ、その剣が明らかになる。

「そんな! これは、失われた筈――――」

「……『勝利すべき黄金の剣(カリバーン) 』。
 俺が見せられる証拠っていうとこれだけなんだけど」

 立ち上がったままカリバーンを両手で握り、その質を確かめるように剣を振るうリア。
 どうやらリアの記憶の中にある通りのものを投影できたらしく、まるで一つであるかのように手に馴染んでいる。

「……では、シロウもこれを作り出すことが出来ると?」

「士郎がこれを見たことがあるなら、おそらくできる。
 俺がこれを投影できたのは、夢でセイバーの過去を見たからだ」

 思い当たることがあるのか、カリバーンを見つめて微動だにしないリア。

「でも、宝具の投影は流石に規格外だからか、なんていうか……そう、頭の回路が焼き切れるような感覚があるんだ。酷いときには麻痺が残ったりもしたし。
 士郎だって出来るとは思うけど、投影は避けさせたほうがいいと思う」

 「俺はこの体になってからは大丈夫みたいだけどさ」、そう続けて話を終えた。
 リアは俺が話している間もじっとカリバーンを見つめていた。

「わかりました」

「えっ?」

 リアはそう言って俺にカリバーンを大切そうに返してくれた。
 戸惑いながらも、なんとかそれを両手で受け取る。

「にわかには信じ難いことですが、一応納得しておきます」

「でも、いいのか?」

「正直なところ、話だけでは信じられるようなものではありません。
 ですが、この剣を目の前で作り出されては一笑に付すわけにもいかないでしょう」

 まさかこんな穏便に済むとは思ってもいなかった。
 最悪、切りかかられるかもしれないと思っていた。

「それに……これでも一国の王。人を見る目くらい持ち合わせているつもりです。
 貴方が悪い人間ではないということくらい前からわかっています」

 そう言って、リアは俺に微笑みかけてくれた。何だかリアがぼやけて見える。

 話は半信半疑だが、俺という人物は信じてくれるらしい。
 どうしてこう、リアは嬉しくなるようなことを言ってくれるのか。

 微笑んでいるリアの顔が、心配そうなそれに変わる。

「アルト? どうしたのですか?」

「え?」

「涙が……」

 あれ? 勝手に涙が……。

「なん、で……」

 拭えど拭えど、涙は後から溢れてくる。
 悲しくもないのに、なんで。

 なんだか恥ずかしくなって俯いた。手のひらじゃ抑えられなくて、袖で拭ったけど、それでも涙は止まらない。

「ごめん。勝手に涙が」

「……一人で抱え込んで、辛かったのではないですか?」

「そんな、辛いなんてそんなこと……」

 確かに最近は特に気負っていた。ここに召喚されてからばれないようにと気を張っていたのも確か。
 一通り話し終わった後、肩の荷が軽くなったように感じたのも気のせいなんかじゃないだろう。
 でも、そこまで不安を感じていたつもりはなかった、なのに。

 この体になってから情緒不安定になっているのかもしれない。
 以前なら、自分の中にずっとしまっておけた筈だった。

「……大丈夫ですか?」

 リアが心配そうに俺の顔を覗き込む。

 情けないな。いつまでも泣いているわけにはいかないだろう。
 やらなければならないことは、まだまだ残ってる。

「ごめん、もう大丈夫。
 それと……ありがとう」

 全て終わるまで、頑張らなきゃな。
 最後に袖で顔を拭い、しっかりとリアに微笑んだ。





[7933] 八日目【2】
Name: 下屋柚◆26967502 ID:aed74653
Date: 2011/04/23 16:52


 俺の正体の件は一応の決着がついたが、リアと話さなければならないことはまだいくつもある。
 そういう訳で二人とも道場の真ん中で正座で向き合っているんだけど、二月の、それも深夜ともなれば冬真っ只中とまではいわないにしてもかなり寒い。
 出来れば居間や俺の部屋――士郎の部屋じゃなく、アルトとしての俺の部屋――で話したいんだけど、そうもいかないからなぁ。
 ま、それでも先ほどのようにお互いの腹の内を探り合うようなことがなくなったから俺としては大分気が軽くなっているのだけど。

「さて、それでは数点聞いておきたいことがあるのですが、まずはアルトのことです。
 シロウは兎も角、凛すら真実の貴方を知らないのでしょう?」

「ええ」

 確かにマスターである凛にすら俺のことを知らせていない。

 ――それにしても何故、士郎は兎も角なのか。
 少し引っかかるけど、まぁそこは問題にしていないので頭の片隅に追いやっておく。

「貴方は、凛やシロウたちにはどうするつもりでいるのですか?」

「私は……
 黙っていようと思っています」

「そうですか……」

 そうだけ言うとリアは俺を見つめた後、目を瞑る。
 そのまま数秒間、俺も、リアも口を開かない。

 こういう沈黙は結構堪える。
 凛や士郎には話しておかなければならないと言われたらどうするのか、なんていうことが頭の中で堂々巡りして止まらない。

「わかりました」

「え?」

 リアはそれだけ言うと俺をしっかりと見つめて更に口を開く。

「私もそのように振舞いましょう。
 貴方が望まないことを無理強いする気は私にはありませんから」

「……ありがとう、リア。助かります」

 リアのその言葉に、俺は思わず頭を下げた。

 どんな理由があるにせよ、騙していたのには変わりがないっていうのに。
 本当、リアには頭が上がらない。

「そういえばその口調はどうしたのですか? 先ほどのはまさにシロウそのものでしたが、今は私に近い。
 演技とは思えなかった。そう、全く違和感はありませんでした。……もしや、私の体の影響ですか?」

 その言葉に勢いよく顔を上げるが、目の前のリアの顔を見た俺は胸が締めつけられているような感覚に襲われ、言葉がすぐに出てこない。

 セイバーを縛り付けているのは、俺だっていうのに。
 本当ならば詫びなければならないのは俺のほうなのに。
 頼むからリアに……セイバーにそんな顔、俺はしてほしくない。

 そう、リアは俯き、その顔は申し訳なさそうに曇っていた。

「……いえ。これは凛の令呪によるものです。格好に合った口調ならば真名を感付かれることもないだろう、と。
 それまでは先ほどの――士郎の時のままの口調でしたから」

 自分を指す言葉を士郎、と表現して、だったら今は衛宮士郎ではないのかと無性に不安に駆られる。
 俺が俺であることに自信が持てないなんて……
 いや、そんなことよりも。

「強く思ったり、気が高ぶるとどうやら元の口調に戻ってしまうようですね」

 必死になってリアに弁解する。
 少なくともリアが気に病む必要などどこにもないのだと。

 そうですか、と軽く息を吐いた後、リアは顔を上げてくれた。
 表情を見るにどうやら納得してくれたようで、俺もようやく安心できる。
 リアのことだ。他の世界とはいえセイバーたる自分がマスターを守れなかったことを悔やんでいるのかもしれないから。

「ああ、なるほど。
 ですから凛は貴方に令呪をどうしてくれるのかと問い詰めていたのですね」

 会得がいった、と大仰に頷くリア。
 俺はそれに笑って返したつもりだったが、苦笑いにしかなっていなかっただろう。

 うん。確かにそんなこともあった。
 ただ、問い詰めていたっていうより俺は八つ当たりされたとしか認識できないが。


 ……ふと思ったんだけど。
 何で俺は「口調を改めなさい」という命令に対して、セイバーの口調という形で受けたんだろうか?
 女の子の口調っていうと「~ですわ」なんて話し方――実際に話している女の子なんてそういないだろうが――が思い浮かぶんだけど。

 ――――考えてみると、優等生の猫を被った凛の口調に当てはまるような……。
 普通に「ごきげんよう、衛宮くん」なんて言っていた気がするし……。

 頭を振って無理矢理に思考を払う。
 実際の凛とのギャップがありすぎてどうにもぞっとしない。
 でも、逆鱗に触れてしまった時なんかにもこんな口調が出てくることもあるから、あながち間違ってないのかもしれない。


 話を戻すと、俺の口調がこうなった理由、なんとなくだけど予想はついた。
 根拠なんて無いけど、きっと、女の子っていうと第一にセイバーが思い浮かぶからだろう。
 元々異性との付き合いが希薄だった俺が、真っ当に女性として触れ合ったのはセイバーだけだったし。
 ……って、こんな時に何考えているんだか、俺は。

 ふと顔を上げると、リアが俺を不思議そうに見ているのに気がついた。

「な、何ですか?」

「いえ、特には何も。
 ただ、強いて言うならばアルトの観察を」

「か、観察……ですか?」

「ええ。なにやら難しい顔をしたかと思えばため息をつき、頭を振ったら今度は赤い顔をしているようでしたので。
 それは非常に興味深い行動でした」

 うわ、全部顔どころか行動にまで出ていたらしい。
 隠し事が出来ないって遠坂に言われていたのはこういうことからだったのかもしれない。
 自分じゃ全然気がつかなかった。
 なんだか色々と生活に支障をきたしそうなので対策を考えておかないと。うん。

「そ、それはそれとして……
 他に聞くべきことはありませんか?」

「はい。では、他のサーヴァントとマスターの情報を。
 答案の盗み見のようで気は引けますが、そうも言ってられませんから」

「はい。それでは――――」

 知っている限りのマスターとサーヴァントの情報を伝えていく。
 そう、俺はこういう真剣な雰囲気を望んでいたんだ。

 ――俺が勝手に脱線している気がしないでもないけど。



「――――と、私が知っているのは以上です。
 キャスターのマスターは前回ではわかりませんでしたが、昨日の学校の件で判明しました。
 アサシン、ランサーのマスターは依然として判っていません」

 マスターの居所から、サーヴァントの真名、そしてその宝具の特徴まで全部話した。
 全部っていっても知らないこともあるけどさ。
 本当なら宝具の投影もできればいいのだけど、カリバーンの投影で凛に気づかれたかもしれないのに、これ以上の魔力消費はちょっと難しい。
 それに、ルールブレイカーやゲイ・ボルクはなんとか投影できるけど、その他のサーヴァントの宝具って投影できるようなものじゃないし。

「……なるほど」

「どうでしょうか?
 聞きたいことがあれば判る範囲で答えますが」

 ふむ、と視線を横に逸らし、一考するリア。

「……。
 いえ、りあえず戦う上でこれだけわかっていれば充分でしょう。
 後は己の眼で確かめることにしましょう」

「そう、ですね。
 そろそろ士郎が起きてきてしまうかもしれませんし、お開きにしましょうか」

 道場の壁にかかった丸い時計を目を凝らしてみると四時半を少し過ぎていた。
 早いときなら俺は五時半ごろには起きたりしていたから、流石に危うい時間かもしれない。

「では、詳しい話はまた今度聞かせてください」

「ええ。私もリアには是非聞いておいて欲しい」

 そう言って立ち上がり、道場の入り口に向かって歩き出す。

「しかし……その話し方だと本当に私を見ているみたいです。とてもシロウだと思えない。
 まぁ、先の救う救わないの頑なさは、私の口調であっても士郎そのものでしたが」

「ふふ、そうですね。
 何故だか食欲も増していますし。まさか私もここまで似るとは思っていませんでした」

「し、失礼な!
 食事を摂ることは重要なことなのですよ!?」

「わかっていますよ。
 この体になってから文字通り体感していますから」

「それこそ私の体が大食らいのようではないですかっ!」

「そんなつもりでは……」

 そんなことを話しながら、二人でそれぞれの部屋に向かっていった。
 久々に心から笑えた気がした。






 隣の部屋から物音がして目が覚める。物音といってもそんな物々しいようなものではなく、目覚まし時計のベルや引き出しを開ける音だったりする。
 凛が起きたのだろう、時計を見ると六時を指している。

 軽く目をこすり、立ち上がって伸びをする。一時間しか寝ていないのに睡眠不足特有の倦怠感は体にはない。
 どうやら本当にサーヴァントは睡眠をとらなくても問題が無いみたいだ。それも充分な魔力が凛から供給されているお陰なのだろうけど。

 極力体を見ないように着替えて、髪を結い、洗面所に向かう。
 部屋を出る前に時間を確認すると、四十分が経っていた。
 いくら慣れたといっても、セイバーの髪型を短時間で編み上げるにはまだまだらしい。

「おはようアルト」

「おはようございます、凛」

 途中、居間には既に凛が澄まして座っていた。
 机の端のほうに胡坐(あぐら)で居辛そうに座っているのは慎二。

「慎二も、おはようございます」

「……ああ」

 慎二は俺を一瞥すると、手を支えに顎を乗せて顔を逸らす。
 まぁ、挨拶は期待してなかったから、返事が返ってきただけでも良かったとしよう。

 それにしても慎二は災難だった。
 いきなりサーヴァントがいなくなって、しかもマスターから降ろされたのに命を狙われるとは思わなかっただろう。
 でも、死ぬ筈だった慎二が生きている。
 それだけで俺がここにいる意味があると思うから。
 せめて最後――この聖杯戦争が終わるまで、俺はその責任を果たそうと思う。
 慎二には今回の責任を果たさせなければならないから。

 それにしても凛は慎二と本当に反りが合わないようで、慎二をいないものとしている。
 慎二も気にしないようにしているんだろうけど、凛の発する雰囲気からか、やっぱり居辛そうだ。
 まぁ、昨日まで敵だった相手の本拠地に居候させられたらそうもなるか。


 軽く挨拶を交わして居間を横切ると、台所の奥に士郎がいるのが見える。
 味噌汁の香りがするってことは朝食は大方できあがっているらしい。

 俺も支度を終えるべく、立ち止まらずに足を進めると洗面所ではリアが顔をタオルで拭いていた。
 自然とリアの髪の毛が目に留まる。

 うーん。何だろうか。やっぱり俺が結ったのとはなんだか違う。
 こう、言い表しにくいけどスマートっていうか、すっきりしている。
 リアはいったいどうやっているのだろう。今度髪の結い方を教わってみようか。

「おはようございます、アルト」

「リア、おはようございます」

 俺に気づいたリアが挨拶をしながら静かに微笑む。
 その挨拶に俺も微笑んで返した。

 何気無い朝の挨拶のようだけど、全然違う。
 仲が悪いどころか、どちらかと言えばサーヴァント同士にしては仲が良すぎるくらいだったが、リアの俺を見る目はどこかいぶかしんでいた様に思う。
 対して俺もばれないようにとしていたので、お互いに一線引いた状態だったんだろう。
 少なくともこんな風に自然に笑いあうことはなかった。


 確かに今考えればリア視点の俺は不審な点ばかりだった。
 死んでいない筈のアーサーは伝承の違いで左右される存在ではなかったのに、俺という存在(変わり種)がいたのだから。
 もしかしたら望みを果たしたアーサーが英霊になったということも考えられなくもないけど、それにしても変わりすぎだと俺でも思う。
 むしろよく今までリアが俺にアクションを起こさなかったな、と不思議なくらいだ。

 まぁ、前向きに考えれば、俺が一人で頑張るよりもリアと二人で頑張ったほうが良い結果が生まれるだろうし。
 そう考えたら俺の失敗もそう悪いものじゃなかったのかもしれない――

 ――そう。何よりも、リアの信頼を得られたのだから。

「そろそろ朝食の用意も終わるようですよ」

「では先に向かいます」

「わかりました。私もすぐに向かいましょう」

 そう言って、リアは傍目から分かるほど急いで居間へと歩き出す。
 俺は笑って送り出し、プラスチックの蛇口を捻って冷たい水で顔を洗うと、掛かっていたタオルで顔を拭いてみんなの揃う居間へ向かった。

「おはよう、アルト。
 今日は珍しく最後だな」

 俺が食卓に着くのと同時に、お盆に味噌汁をのせて、エプロンをした士郎が台所から出てくる。

「おはようございます、士郎。
 そうですね、少し寝過ごしましたか」

「ん、いや。そんなことはないんじゃないかな。
 いつものアルトが早かったからちょっと新鮮なだけだと思う」

 言って士郎も席に着く。

 そういえば、学校はどうやら言峰が上手く手回しをしてくれたみたいで、大事にはなっていないようだ。
 あれだけの被害が出ていて、それで済ませることができるっていうのはいったいどのような手段を使ったのか。
 大半の生徒が学校からそのまま病院に搬送され、入院している。
 美綴のように衰弱が軽い生徒は一時的な麻痺、逆に重い生徒は後一歩で体の器官が一生駄目になってしまうところだったようだ。
 決して楽観視はできないけれど、とりあえず命に別状はないらしい。
 結局前回と変わらない結果になってしまった。

 壁の穴は言峰がなんとか直したって言ってたけど、生徒数がいない以上学校が機能しなくなってしまったので今日からしばらく臨時休校ってことになっている。
 藤ねえも自宅で休養しているからしばらく朝食を食べに来ることもないようだ。

 そういうわけで、この居間にいるのは士郎、凛、慎二、リアと俺。

「それじゃ、みんな揃ったことだし温かいうちに食べようか」

 士郎の言葉に続いて各々がいただきます、と口に出し、食事が開始される。
 かちゃかちゃという食器音が響く。

 ん、やっぱり自分で作るより士郎が作った料理のほうが舌に合う。
 なんでだろうか、士郎と凛は俺の料理のほうが美味いというけど自分で作ったのには感動のようなものがない。

 煮物に箸をつけていたら、いつの間にかなくなっていた。
 どうやら一人で食べてしまったようだ。

「アルト! 煮物ばかり……卑劣なっ!」

「すいません、つい……
 ですが、そういうリアこそ先ほどから大皿料理にばかり箸を伸ばしているのを私が知らないとでも?」

 意識を思考に沈めていても、いつの間にか食卓を的確に洞察していたらしい。
 くそ、俺は食事に対する洞察力なんて欲しくはなかったのだが。




◆◆◆

「なぁ、遠坂」

「何よ?」

 遠坂のやつ、何だか昨日慎二を連れて帰ってからあまり話さなくなったけど、とりあえず返事はしてくれるらしい。
 やっぱり原因は慎二なんだろう。

「何だかあの二人、以前より更に仲良くなってないか?」

 もちろん、あの二人とはリアとアルトのことだ。
 以前から仲は良かったように思うが、それ以上に仲良くなっている気がする。

「……確かに言われてみれば二人とも遠慮しなくなったわね。
 何かあったのかしら」

 それだけを言うと遠坂は味噌汁をすすった。しかし二人のことを見続けたままだ。

「あ、慎二も遠慮せずに食べてくれよ」

 慎二が呆然と周囲の様子を見ていたので、声をかける。
 よく見ると慎二の前の食事にはあまり箸をつけられていない。

「なぁ、衛宮たちっていつもこうなのか?」

「うーん、今日は人が少ないからいくらか静かな方だけど、大抵こんな物だと思う」

 人が少ないから静かだと曖昧にはしておいたが、原因は明らか。騒動の元である藤ねえがいないからだ。
 慎二が何を聞きたいのかはわからないけど、姉貴分の恥を晒すのは避けておきたい。

「……ふぅん」

 慎二は相槌を一つ打って、食事を再開した。
 俺もそれに続いて味噌汁に口をつけると、思い出したように遠坂がこちらへと顔を向ける。

「あ。そんなことより士郎。そろそろ着替えてきたら?
 趣味ってんなら余計なお世話だけど、エプロンつけたままよ」

 遠坂……気づいてたのならもっと早く言ってくれ。






[7933] 八日目【3】
Name: 下屋柚◆26967502 ID:aed74653
Date: 2011/04/23 16:58


 距離にして2間、5メートル足らずであろうか。
 ヒトが走り寄るには数歩必要とするその距離だが、相手はその限りではない。
 そのうえ、士郎の目の前で構えている相手は紛れもない剣技の達人。
 一分の隙もなく、悠然と構えたその姿は小さな体躯を山がそびえるが如く大きく見せる。
 もちろん士郎には隙などを見つけられる筈もなく――――見つけられる筈もない故、活路を見出せずに焦り、我武者らに飛び込んだ。
 思い切り床を蹴ったその勢いと、そして体重を乗せて振り下ろされた一撃は目を見張るものがある。
 だが、その渾身の一刀を流れるようにかわした相手は、虚しく空を切って風を凪いだ音を尻目に士郎の頭に閃光を落とした。

   ぱーん

 道場に乾いた音が響いた。
 なんだかししおどしのようで趣き深い。

   ぱーん

 うん、風流。

「~~~シロウッ!
 サーヴァント相手に攻めようというその考えが何よりの間違いなのです!
 あなたは私やアルトが来るまでの間持ちこたえることを最優先に考えなさい!」

「くそっ!」

「集中してください!
 そんなことでは初太刀で絶命させられるだけです!
 相手の動きを見て動いては遅い、動きを感じて動くのです」

「……っ!」

   ぱーん

 とまぁ、前回と同じくセイバーであるリアが道場で士郎を鍛えているわけだ。
 これぞ日本というべきこの道場で士郎とリアの特訓を茶請けに、紅茶の入ったカップを傾ける。
 日本茶ではなく敢えて紅茶というところが不思議と合う。なんなんだか。

 カップを横のテーブルの上に置く。
 その横には足を伸ばして紅茶を啜る慎二。やることがなくて暇なのだそうだ。
 ちなみに俺は緑茶を淹れようと思っていたのだが、慎二の希望で紅茶になった。テーブルが道場にあるのもその流れ。

「ええと、お前はアーチャーのほうだっけ?」

 俺が見ていることに気がついたのか、慎二が声をかけてきた。

「はい、そうです。
 士郎も凛も私のことをアルトと呼んでいますから、そのように」

「まぁ、どうでもいいけど。
 なんでアイツ、こんなことしてんの?」

 慎二の指した先には汗だくになってリアに切りかかる士郎。
 それじゃ右ががらあきだって…………あ~あ、やっぱり。

  すぱーん

 何十回目かの乾いた音が道場に響いた。

「それで、こんなこととは?」

「だからこのチャンバラだよ。何の理由があってこんなことをしてるんだ?」

「ああ。士郎はあまり私やリア……セイバーに頼りたくはないのだそうです。
 ですからせめて自分の身を守れるように、と」

「はん! わかってつもりだったけど、あいつやっぱり馬鹿じゃないのか。
 戦いなんかサーヴァントがいるんだからマスターは魔術師らしく使役してればいいのにさ」

 はははは、と高笑いする慎二。
 その声は竹刀の打ち合う音に掻き消され、微かに耳に残ったその笑い声は何故か寂しく聞こえた。

「魔術師らしくもなにも、士郎は魔術らしい魔術なんかは一切使えませんよ」

「……はぁ?」

 傾けようとしていたカップが慎二の口元でぴたりと固定された。

「ですから、魔術らしい魔術なんて何も使えないのですよ、士郎は」

 こんなことを話したら不利になるのかもしれないけど、いずれわかることだろうし。
 なんとなく、本当になんとなくなんだけど、慎二には話しておいたほうがいいと思ってしまったから。

 慎二が俺を見つめているのが分かったが、俺は士郎とリアの打ち合いを眺め続けた。

「――――衛宮は、魔術を使えないのに、死ぬかもしれないのに僕を助けたのか」

 ぽつりと呟いた声は、かちゃん、とカップとソーサーがぶつかる音でかき消された。
 あまりに小さくて、口元が動いているのはわかったけど内容までは聞き取れなかった。
 カップをテーブルに置いた慎二はすっと立ち上がる。そして一度士郎を見ると、そのまま道場から出て行った。


 慎二にいつものような元気がなかったように思う。
 やっぱりキャスター――サーヴァントに命を狙われていると気が気ではないのだろうか。

 凛と士郎の話し合いの結果、攻められる前に攻めるという案が可決された。
 イリヤではないにしても柳洞寺に真昼間から攻め込むわけにもいかないので、とりあえず日が落ちるまでは日課をこなすことにした。
 なんとか慎二の安全を早く確保してやりたいんだけど。



 今までリアの動きを盗もうとリアの動きばかりを見ていたが、ふと、ぼこすかやられている士郎を見て思うことがある。

 剣の経験に頼れなかったなら、自分はリアの剣をどう捌くだろうか。
 じっと観戦していることに飽きた俺は好奇心に駆られた。目の前で苦戦している士郎になり代わり、俺が立ち会うのを想定してリアと脳内で模擬試合をしてみる。

 ………………

 捌き方は士郎と同じ。
 相手の挙動を感じ取って避け、それが不可能なら弾く。
 リアが今士郎に教えていることを忠実にこなし、相手の隙を誘うよう素早く立ち回る。

 ――――俺ならリアと打ち合える。
 どうあっても劣勢にしかならないし、長期戦になれば俺が倒される結果に終わるだろうけど、少なくとも時間稼ぎは出来る。

 ならば何故、士郎はリアに手も足も出ないのか。
 答えは明白だ。士郎と俺はソフトは変わらないのだから、やっぱり身体能力の差や並外れた勘がでかいのだろう。

 セイバーの体は軽い分だけ素早い。だが漲る魔力を上乗せすることで爆発的な威力をも持たせることができる。
 魔力の上乗せはまだまだだけど、機動力は俺も実感している。
 それのお陰で俺はランサー相手に善戦し、バーサーカー相手に一歩も引かずに戦えたのだから。

 ……まぁ、それも当たり前か。
 士郎は人間。俺はサーヴァント、それも最強のセイバーの体なの、……だから?


 ちょっと待て。だとしたらリアの稽古は根本が間違っている。

「リア」

「何か用ですか、アルト?」

 丁寧に体ごとこちらに向き直り、俺を見て首を傾げる。
 士郎は袖で汗を拭い、竹刀を杖にして荒く息を吐いている。相当参っている様だ。

「あなたの教え方では、士郎は他のサーヴァントに対峙しては殺されてしまう」

「なっ!」

 リアの表情ががらりと変わる。
 俺を睨みつける。そのこめかみには確かに青筋が立っている。
 士郎も士郎でいきなりの発言に、目を見開いて俺を見ている。

「……どういうことですか」

 これ以上ないくらいに言い方を間違えた。言葉が悪すぎた。
 リアの体から淀んだオーラが立ち上って見えるのは俺の錯覚ですか?
 下手なことを言えば、俺が酷い目に会う。絶対。

「えー、あのですね、士郎はリアや私ではないのです。
 確かに足運びや体捌きは良くなっていくでしょうし、反射神経は鍛えられるでしょう。
 ですが、肝心の剣術が士郎にはどうあっても適応しない」

「適応しない、ですか?」

 厳しい顔はそのまま、しかし気に掛かる所があったのか変なオーラは霧散してくれた。
 とりあえず言葉を選んだ甲斐はあったようだ。

 セイバーの剣術は、セイバーの身体能力を最大限に発揮できるように最適化されたものだ。
 その機動力と危険予知を活かした回避能力、魔力を乗せた一撃は相手の攻撃を弾き飛ばし、その上一撃で相手を絶命させることができる威力を持つ。
 俺がリアと打ち合えるようになるのも、やはり同じ土台があっての話。
 今の俺が士郎の体でセイバーから教えてもらった剣術を使っても、こちらは弾き飛ばされ、回り込まれて勝負はついてしまう。
 クラス差があるとはいえ、ライダーやランサーと比べても条件はそう変わらない。
 そもそも、衛宮士郎はセイバーほどの剣の才能など持ち合わせていないのだ。
 その点でいえばアルトである俺も、いくら師の剣術を極めようとも師に打ち勝つことはおろか、互角に持ち込むことも不可能ということになる。

「そうです。
 リアのような速度も、威力も持ち得ない士郎にはどうあってもリアの剣術は馴染まない」

「なるほど、ではどうすればよろしいのです?
 もちろん私の剣術に代わるものがあって言っているのですよね」

「…………」

「アルト? どうしたんだ?」

 しまった。問題点だけ挙げておいて解決策を考えてなかった。
 それにしてもリアの言葉に棘がある。消えたと思わせておいて怒りはそのまま残っていたらしい。
 まぁ、鍛えている所に横から茶々を入れたのだから不機嫌なのはしょうがないのかも。

 問題は、それが不機嫌なんてレベルじゃないってことだ。

「いえ、それはですね……」

 必死で脳を回転させる。
 ピンチ。これまでにないピンチである。
 これで何も考えはありません、なんて言ったら……。

 脳裏に爽やかな笑顔のまま完全武装したリアの姿が浮かび上がる。
 フルアーマーダブルセイバー、ここに見参。そこで俺も完全武装すれば違った意味でフルアーマーでダブるセイバー。

 ってこんなことに思考を分割させている場合じゃないだろ!
 このままではリアに殺される。間違いなく殺される。

 あー、やら、えー、だの言葉を濁し濁し時間を稼ぐ側ら、俺の頭はオーバーヒートするぐらいに空回っていた。

 冷静になれ、士郎。いや、士郎じゃなくて俺はアルトか? アルトだな。……でも自分のことをアルトと認識するのもなんだか寂しいものがあるなぁ。
 て、また逸れてる。進路修正。OK。

 どうすればいいのか。士郎の体。一撃必殺を持ち得ない。回避するほどの機動力もなく、咄嗟に避けられるほどの鋭い勘もない。手数で勝負だろうか? 手数といっても速度はない、だいたい、結構な重さの長剣を右へ左へ振り回す腕力がない。ならば短剣はどうだろう。これなら幾分軽いし、小さい分逸らすだけに専念すればそこそこやれる筈だ。片手に一本ずつ持てば守備範囲が増えておまけにバランスもよくなるかもしれない。ああ、きっとそうに違いない。カンペキ。

 以上五秒。冷静になった俺、すごいかも。

「というわけで短剣の二刀持ちなどどうでしょう」

「何がというわけなのですか!」

 とかいってやっぱりまだテンパっているらしい。
 思考は冷静でも相も変わらず空回りしているようだ。

「ですからですね、長剣を両手で持つよりも短剣を二本持ったほうが攻撃を捌くのが楽なのではないかな~と思うデス?」

 口調がおかしい。それに何故疑問形。
 どうしよう。俺がわからない。

「……まぁ、理屈はわかります。
 しかし、扱う物が違う以上慣れるまで期間が必要ですし、使い手がいないともなると完全に独力で……」

「いや、やってみるよ」

「シロウ?」「士郎?」

「アルトだって何も考え無しに言っているわけじゃないだろうし、駄目だったらまたリアの剣術を教えてもらえばいいじゃないか」

 …………士郎。御免なさい。
 構想五秒の言い訳です。我が身可愛さでした。完全に考え無しです。

「そ、それでは私も稽古相手として全力で付き合います!」

「あ、うん。そりゃ助かるけど……いいのか?」

「もちろんです! 私が言い出したのですから、私が責任をとるのは当たり前です!」

 文字通りリアに責任を取らされる。
 何とか形にしないと、慣れない得物が原因で士郎が死んでしまうかもしれない。
 人を助けようと思っている俺が原因で、人が死ぬなんて冗談じゃない。

「でも、アルトは短剣とか使ったことあるのか?」

「う、ないです、けど……
 それでも! 稽古相手ぐらいにはきっと――――!」

「私も手伝いますから。
 はぁ。どうにもアルトだけでは不安です」

 う、リアにため息つかれた。
 でも俺が一人で相手をするよりもきっといい筈だ。

「ありがとうございますっ! 助かりますっ!」

「ってなんでアルトがリアに礼を言うのさ?」

 士郎、突っ込むな。



「ん、それじゃ行ってくる」

「はい、頑張ってきてください」

 そう言って士郎を見送った。
 士郎は体に痣を残したまま片手を上げて道場の出入り口から出ていった。
 午後からは凛による魔術講座。
 リアの稽古と違い、見物するようなものでもないからついて行くわけにもいかず途端手持ち無沙汰になる。
 暇といってもこれだけの広さの家があると、探そうと思えばいくらでもやることはあるわけだけど。
 それに、士郎がいるとなんだかんだで自分でやってしまおうとするから、逆に言えば今しか出来ないこともある。
 凛も食事やらで動いてくれているし、さっき食べた昼食の後片付けも凛がやってくれていた。
 とりあえずは居間の掃除と洗濯からかな。

「アルト、どこに行くのです?」

「どこって……掃除でもしてこようかと思っていたの、ですけど」

 踏み出そうとした足が止まり、恐る恐る元の位置に戻る。
 その声を聞いた瞬間、言葉がするりと出てこなくなった。
 ぎぎぎ、と油が切れた機械のように首だけゆっくり振り向いていく。

「先ほどの話に戻りますが、教える側が短剣の特性や扱いは知っていて然るべきではないですか?」

「確かにそうですええその通りだと思います」

 有無を言わせぬその口調。
 ようやくその御姿を視界に収めると、涼やかに御笑になっているものの、やはりリアお姉様は怒っていらっしゃる。
 全速で向き直り、背中に棒を入れたように直立不動。
 こういう時は平身低頭。絶対に逆らっちゃいけない。

「ではアルトには予習が必要でしょう」

「そうですねそれは絶対に欠かせない…………ってもしかして」

「さぁ、どうぞ。残念ながら短いシナイはないので」

 竹刀を二本渡される。
 ああ。やっぱり、そういうことらしい。

「私では不足かもしれませんが、お相手致しましょう。
 久しぶりに全力でお相手できそうです」

 …………。
 ゴッド。俺なんか悪い事しましたか?





[7933] 八日目【4】
Name: 下屋柚◆26967502 ID:aed74653
Date: 2011/04/23 17:01


 道場の真ん中で大の字になって呼吸を整える。
 仰向けに勢いよく倒れると、かしゃりと金属が擦れる音が室内に響いた。
 稽古に熱中しているうちに二人とも戦闘武装をしていたようだ。

 荒く息を吐き出すと、室内だというのに息が薄く白くなった。
 今日は結構寒いのかもしれない。
 弓道場にも通っていたが、道場というのは温度の変化が極端だ。
 夏はこれでもかというほど暑いのに、冬になると外にいるのとかわらないほどに寒い。
 だけど今の俺の体は火照ってしまっていて、いまいち寒気を掴めない。

 ああ、床が冷たくて心地がよい。体から地面に向かって熱が逃げていく。
 気温はわからないのに、床の冷たさは何故感じ取れるのだろう――――。

「全然、駄目ですね」

 ――――現実逃避失敗。

 立っているリアがこちらを見ているのが視界の上部に見える。
 立ち位置の関係でスカートの中も目に映る。
 俺も同じ格好をしているわけだから服の構造は理解している。
 スカートの下にはズボンを穿いているのでそんな騒ぐことでもないことも、まぁわかっている。
 だから恥ずかしがることは何もない――――と頭では理解しているものの、どうも気恥ずかしくなる。
 きっと、その覗くという行為自体が何か背徳的な意味を持っているのだろう。
 理屈を並べた所で結果は変わらないわけで。ええ。なにやら恥ずかしくなって目を逸らしました。

 リアは俺を見ていたが、ふう、と一つため息をついて正座する。
 本当にリアは遠慮してくれなかった。それはもう、完膚無きまでにやられた。
 手甲と鎧のお陰で手や胸、腹はなんともない。
 だけど生地だけで覆われている腕や肩、それに頭は守りようが無く、クッション無しの衝撃を受ける。
 思い出すと、上半身を中心にひりひりと痛んできた。
 傍から見てセイバーが剣術でぼっこぼこにやられているところなんて滑稽だろうな。見てみたい気もするけど。

 こちらをじっと覗き込んでいるリアに気がついた。
 視線がぶつかる。俺を見据えて、微笑んだ。

「アルトでこの様子では、シロウではこれ以下ということになりますね」

「む」

「これでは習得するまえに聖杯戦争が終わってしまいます」

「むむむ」

「何が『むむむ』ですか!」

 ぴしゃりと言い放たれた。それも全部本当の事ばかり。

 リアの言うとおり、全然全く駄目の駄目駄目だった。
 左で打撃を受けると竹刀ごと弾かれて、右で反撃を返すとあっけなく避けられる。
 上半身と下半身の連携が上手くいかずにたたらを踏んでは、その隙に剣を受ける。
 打撃を受けること数十回。持っている竹刀を叩き落されて手放すことも一回や二回どころか、片手では数えられない。

 まぁ、それでも鍛えていけばそれなりの形になる予感はある。
 肉体的にどうのではなく、なんとなくだけどしっくりくる。
 だけど、これを戦えるレベルまで鍛えるには時間が圧倒的に足りない。
 これならリアに教わっていたほうが単純な戦闘技術としての伸びはいいと思う。

 やはり師の存在はでかかった。
 身近に模範がいるのといないのとでは完全に体に動きを覚えさせていくしかないわけで。
 元々、本格的な剣の経験の無い俺では覚えさせることも侭ならない。
 まぁ、短剣二刀流の使い手でもいれば結果は変わるかもしれないのだけれど、無いものねだりしてもどうしようもないわけだし。
 この様子では士郎に教えるというのも少し考え直さなければいけないかもしれない。

「まったく。ほら、アルト。いつまでも倒れていないで。
 そろそろシロウと凛も終わる頃でしょう。次は実戦ですよ」

 リアはきっと、柳洞寺に乗り込むことを言っているのだろう。
 そうして上方を見ると、いつの間にかリアが鎧姿から普段着になっていた。

「そうですね」

 のそり、と緩慢な動作で上半身だけ起き上がる。
 乱れた前髪を手で軽く払って直し、立ち上がった。

 武装解除。
 瞬く間に鎧が粒子となって消え、その下に稽古前に着ていた普段着が表れた。

 格好が普段着に変わっただけで気が落ち着いてくる。
 きっと、武装するっていうことはそれだけで自分を戦闘の状態に切り替えるという意味もあるのだと思う。

「それでは、居間に向かいましょうか」

「ええ」

 持っている竹刀を壁に立て掛けて、道場を後にする。
 扉を閉めて、外で待ってくれていたリアと共に、士郎や凛が既に待っているであろう居間に向かった。




「いい?
 それじゃこれからのこと、確認するわよ」

「ああ。頼む」

 そう士郎が返事をして、俺とリアは頷きを持って返す。
 慎二もとりあえず話は聞いているようだ。

 食事が終わり、居間でこれからの予定の最終確認をしている。
 今日は藤ねえが来ない分、静かに食事を終えて茶を啜り、そしてそのまま話し合いとなった。

「十二時……今から二時間後。日付が変わってからすぐに柳洞寺に向かうわ。
 ちょっと時間的に早いかもしれないけど、この頃は事件だ何だで遅くまで出歩いてる馬鹿なんてそういないでしょう。
 向かうのはここにいる全員。普通に考えれば間桐くんは残っていたほうが良いんだろうけど、相手がキャスターだと安全だとも言い切れないしね」

 うん、確かにそうだろうな。
 あんな魔力弾を詠唱ひとつで放てるくらいだ。遠距離からでも慎二を殺す手段を持っているかもしれない。
 ましてや慎二は魔術師でもなんでもないのだから抵抗することすらできない。
 それだったらついてきてもらったほうがまだ守りやすいだろう。

 そうして凛は俺たちを見回し、異論がないとみると続けて口を開く。

「それで門に居るっていうアサシン……。
 リアとアルト、どちらかが引きつけてくれたらと思っているんだけど」

「それでは私がアサシンを受け持ちましょう」

 そういって手を挙げたのはリア。昨夜の俺の話を聞いて、アサシンと手合わせしてみたいのだろう。
 佐々木小次郎を名乗る相手では、俺よりも剣技の優れるリアのほうが相性はいい筈。
 それはわかる。だけど……

「いえ、……アサシンは私が引き受けます」

「アルト? 何か考えでもあるのですか?」

「ええ、まぁ」

 ……以前セイバーがアサシンの事を、技を磨き続け、『多重次元屈折現象』を為し得た偉大な騎士――厳密に言えば剣士なのだけど――だと言っていた。
 いまいちその『多重次元屈折現象』が何なのかよくわからないけど、あのセイバーが手放しに褒め称えるくらいだからものすごい事なのだろう。
 そのように考えていくと、俺がアサシンに勝てる確率はリアと比べて格段に落ちる。

 ただ、剣技で負けていたかどうかはわからないが、セイバーもインビジブルエアを使おうとしていたようだから結局は宝具を使うことになるのだろう。
 だとしたら、魔力を満足に供給されている俺が担当したほうがいい筈だ。
 キャスターの件にしても、昨日はなんとか魔力弾を防ぐことはできたけど、今回も俺がうまく立ち回れるとは限らないわけだし。

「……わかったわ、それじゃあアルトに任せる。
 さっさと倒してこっちに合流しなさいよ」

 そういって凛は俺ににやりと笑みを向ける。
 きっと俺を発奮させようとしてくれているのだろう。

「ええ、わかりました」

 だったら俺はそれに応えられるように邁進するだけだ。



「――それじゃあその後だけど、リアを先頭にして敷地内に突入。
 もちろんリアはキャスターを担当ね。
 葛木先生は…………悪いけどガンドで眠ってもらいましょう」

 そうして右手の人差し指を見つめ、フッと笑う凛。
 ――――うん。怖い。

「えっと、俺は何をすればいい?」

 そう、不安げに声を上げたのは士郎。
 確かに当事者の一人だというのに役割が何も無かった。

「何をすればって……」

 そういうなり考え込む凛。
 『何も無い』とは言わない。きっと、そんなことを言えば士郎からの反論があるとわかっているのだろう。
 短い付き合いとはいえ、既に士郎の性質をおおまか理解しているみたいだ。
 外から見ているとわかってしまう。自分のことなので複雑な心境だけど。

「そう、そうね。間桐くんの護衛をお願い。
 狙いは間桐くんなんだから仕掛けてくるかもしれないし」

「わかった、任せてくれ。慎二は俺が守る」

 今回の目的なんだからね、と凛に念を押されて、士郎は力強く頷く。

 なんていうか、上手く乗せられているなぁ、士郎。
 今の凛の台詞なんか、『今思いつきました』って言っているようにしか聞こえない。
 ま、下手に動いてもらうよりかはそのほうが俺としても安心だ。
 士郎が飛び出しても、前回のように上手く助けられるとは限らないんだから。

「ええと、――あと一時間ね。
 それじゃ何にもなければこのままいくけど、いい?」

「ああ、構わない」

「「私も構いません」」


 そうして各人が服を着替えに部屋に向かっていく。
 寒いから何か羽織っていったほうがいいということで、ベージュのカーディガンを凛から借りた。
 何故かリアは大丈夫なようだけど、体は冷やさないほうがいいと凛に言われて、同じ型の白いカーディガンを羽織った。
 前にも思ったけどなんで凛は似た服を何着も持っているんだろう。
 日ごろから着ているっていうわけでもないようだし、あまり白やベージュとかの落ち着いた色の服を着ている凛が想像できない。
 あくまで先入観だから、実は似合うのかもしれないけどさ。

 居間に戻ると既に慎二と士郎が着替えて待っていた。
 士郎のほうは紺色のGパンに袖が青い長袖のTシャツ、その上に皮のジャンパーを着ている。
 並んで慎二は茶のコーデュロイパンツと学校指定の白いYシャツの上にセーター、そして黒いジャケットを着ていた。
 ちなみに慎二が着ている服はほとんど士郎のものだ。
 慎二が来た時は学校帰りだったから学生服しかなかった。流石に狙われている身でわざわざ自分の住処に服を取りに帰るわけにもいかないだろう。
 俺はあまり格好に頓着しないほうなので、持っていた服もあんまりセンスがいいとは言えない。
 それでも慎二が着ると、それなりに似合って見えるから不思議だ。

 とかなんとか考えているうちにもう11時45分。
 そろそろ外に出なければならない時間になっていた。

 誰も話さず、そのまま玄関へ向かっていく。
 靴を履き替え、全員揃った所で門をくぐって、柳洞寺に向かって歩き始めた。




 夜更けの来訪者たちに鳥がざわめき、飛び立っていく。
 五人の足音が響くが、寺を囲む木々に吸い込まれていった。

「……」

 凛が全員を見渡す。
 士郎が頷きをもって返し、慎二はその横でポケットに手を入れて階段の上を見上げている。
 リアと俺も戦闘武装を済ませて、それぞれのマスターを見た。


 長い、長い階段を上る。
 罠に注意し、数分に渡って続けられていたそれはようやく終わりが見えてきた。
 視界の大半を占めていた木々たちが開け、夜空が目の前に広がる。
 サーヴァントの気配は未だに感じ取れない。
 もしや、なんらかの理由で召喚されなかったか、それとも他のサーヴァントに倒されてしまったのだろうか。
 そこまで考えてしまう程、周囲に気配や殺気がなかったのだ。


 頂上まであと十数段。
 罠が仕掛けてなかったことに不気味さを覚えながら、足を伸ばした所でその男は現れた。
 するり、と風が流れるような自然さで月を背にして立つ長身の侍――――。
 いつ現れたのか、見えていた筈なのにいきなり現れたかのように錯覚してしまうほど、そこにいるのがさも当然のように佇んでいた。

「ほう、よくぞいらっしゃった。
 ――と言いたい所ではあるがただの参拝客ではあるまい?」

 五尺を尚越える長刀を肩に担ぎ、男はにやりと唇を吊り上げた。

 ――戦慄する。あまりにその在り方が異様。
 サーヴァントの気配の大小というのは大方そのまま強さに比例する。
 勝てるかどうかというと話は変わるが、総合的な強さを測る為には信頼の置ける目安となってくれている。
 それは今までのサーヴァントから、俺自らが学び取った数少ない経験の一つでもあったのだ。
 それが覆されようとしている。気配は薄く、その得物の長さも注意するものではあるが、宝具というわけでもない。
 ならば即座に切り捨てていける相手の筈。確かに直感はそう告げていた。
 なのに――――この相手を侮ってはいけないと、本能が警鐘を鳴らして止まらない。

 それでも――――

「退け、と言って退く相手ではないな。貴方は――」

 一歩踏み出す。
 アサシンが長刀を下ろし、目を細めて俺を見た。

 凛にはすぐ合流すると豪語してしまったのだ。
 こんなところで怖気ついている暇はない。

「無論。私の役割は門番なのでな。生きては通さんし、生きては帰さん」

 長刀をすっと俺に向ける。
 俺の額に向けられたその刀は長く、鋭く、そして美しい。

「されど――――」

 そこで言葉を止め、俺に向けた刀を下ろし、月を見ながら愉しげに笑う。

 凛やリアが息をのむのがわかる。
 この男は敵に囲まれているというのに、自然体のままで居続けている。

「如何に私といえど一度にサーヴァントを二体も相手には出来ぬのでな」

 そう言ってアサシンは俺に向き直る。
 ――――アサシンは俺の担当だ。
 そう意気込んでいる俺の気配を察知したのか、アサシンも俺を相手と定めたようだ。

 後ろにいる凛に向かって頷き、手に風王結界を発現させた。

「――では、私がお相手を致しましょうか」

「ふ、願ってもない」

 睨み合う俺とアサシンの横を、士郎たちが駆け上っていく。
 わき目も振らず上っていく凛と対象に、リアは心配を含んだ視線を俺に送るが、そのまま門の奥に消えていった。

 士郎たちを見届けて、改めて俺とアサシンは対峙する。






[7933] 八日目【5】
Name: 下屋柚◆26967502 ID:aed74653
Date: 2011/05/01 10:50
◆◆◆

 腹に響く重い音と共に、柳洞寺に続く門が開かれた。
 アサシンだろうサーヴァントと対峙しているアルトを残して、俺たち四人は柳洞寺に踏み込んでいく。
 門をくぐった途端、生気の乏しかった門外と比べて異常なまでに濃密なマナの為に息が詰まり、無意識の内に顔を顰めてしまう。
 魔術回路のない慎二でさえその空気に気圧され顔を青くしているようで、俺たちを包む空気は確かに固くなり始めていた。

 護身用にと家から持ってきている木刀を右手で力一杯に握り締めて、止まりかけた足を前に進ませる。
 弱気になりかけた自分を奮い起こすように、ただひたすら先に向かう。俺の進む先には怯む様子もないリアの背中。
 リアは最後までアルトを心配そうに見ていたがそれも柳洞寺に入るまでのこと。門を開けてからは先陣を切り、鎧をかち鳴らしながら突き進んでいる。
 俺も負けじと速度を上げて、リアを追走する。

 身体を動かしながらも、俺はリアの行動について考えていた。一体リアは何をそんなにも心配しているのだろうかと。
 あの侍然としたサーヴァントは不気味だった。俺でもその異常さは感じ取れる。
 だが剣技という点で劣るとはいえ、アルトとてセイバーであるリアと一対一で打ち合えるのだからそう簡単に負けるとは思えない。
 ……しかし、そのアルトよりも強いリアが彼(か)のサーヴァントを気にかけていること、そのことが俺を無性に不安にさせている。
 俺にはわからないが、強者だけに通じる何かがあるのかもしれない。だとするとアルトは……。

 そんな考えを打ち払うように頭を振る。
 アルトを信じないでどうする。俺たちは、俺たちにできることをやらなきゃならない。
 そう自分に言い聞かせて、無理矢理に思考を切り替える。


 近付くにつれて本堂の細部が見えてくる。
 一番前を走るリアが、そして続くように遠坂が立ち止まった。俺もリアの斜め後ろで立ち止まり、背後に慎二が居るのを確認して前に向き直る。

 向き直ったとき、風が吹きすさぶ中に一人、キャスターがいつの間にか立っていた。

「あのアサシンでも足止めくらいは出来るもの、と思ったのだけれど……。
 所詮は土地に居ついただけの亡霊に過ぎなかったのかしら」

 朗々と響く声。目の前のキャスターから発されたものだ。俺たちはその一言一言に身構える。

 相手は魔術師(キャスター)に成り得る程の英霊。いつ魔力の塊が飛んでこないとも限らない。
 とは言っても、相殺すら不可能である魔術使いの俺には、全力で軌道上から離れるぐらいしかできないのだけれど、それでも、と手にした木刀に魔力を通し、より堅固なものへ作り変える。

 魔術回路に火を入れる。いちいち回路を作り上げることをしない所為かどうかはわからないが、スムーズに強化し終わった。
 魔術師であるキャスター相手にこの木刀が役に立つかどうかは疑問だが、ないよりはいい筈だ。

「まぁ、でも一体押さえられただけでも御の字といったところね。
 高い対魔力を持つサーヴァント二体が相手では、キャスターである私は手も出せないもの」

 ふふ、と微かに笑みを漏らすキャスター。
 キャスターの言葉と、その様子を見るに、アルトがいないことに気がついたのだろう。

 ……でもその言葉には疑問点が残る。キャスターとアサシンはやはり共同戦線を張っている。
 いくら俺でもその発言から読み取れる。だが……対等な条件で付き合っている感じではないような気がする。

「貴女のマスターと、あの門にいたサーヴァントのマスターは同盟でも結んでいるのかしら?」

 俺がそこまで考えると同時に、遠坂がキャスターに問いを投げかけた。先ほどのキャスターの発言に遠坂も疑問を感じているのがわかる。
 その発言は、予想はついているものの決して確たるものを持って発したものではなく、単純に疑問をぶつけただけのもののようだ。

 ――――アサシンのマスターと、キャスターのマスターは協力しあっている。
 遠坂も、俺も、アサシンの存在を感じていたアルトでさえも同じ結論を持っていた。
 何せ自分たちがそうなのだから。逆に言えば二体のサーヴァントが拠を同じくしていることに説明がつかない。
 ……だが、先の発言でわからなくなった。単純に相性が良くないだけだとも思えるが、それを差し引いてもキャスターは完全にアサシンを見下している。
 そしてその言い振りは、アサシンの実力を信用していないようにさえとれる。仮にも同盟を組む者が、その相手を見下し、信用していないという状況に耐えられるのだろうか。
 そういう認識をしている相手と組むキャスターのメリット、俺には考えがつかない。マスター同士の話し合いという可能性も残ってはいるけど、それでも一方を見下す同盟なんて考えにくい。

 問うた遠坂本人も真っ当に答えが返ってくると考えてはいないのだろう。戦闘に入るまでの軽い牽制というところだろうか。
 だが反して、その問いに対してキャスターから反応があった。

「ふふ、同盟? あの男に対して、そんな回りくどいことは必要ないわ。
 あの男にはマスターなんていないのだから」

 口元に当てられるほっそりとした左手。青白いとさえ見えるそれは、黒い塊にしか見えなかったローブの中で一際目立つ。その左手の下に隠された口は微笑んでいるように見える。
 マスターがいない。俺がその発言を確りと理解する前に、キャスターは口を開く。

「――――あれは、私が呼び出したのよ」

 そうして堪えきれないように笑みを漏らした。

 キャスターが呼び出した? それにマスターがいない、だって? それはキャスターがマスターの役割を果たしているという意味なのだろうか?
 しかし、キャスターは確かに「アサシンにはマスターがいない」と言った。額面通りの意味だとすれば、呼び出しただけでマスターもなしに現界しているということになる。
 聖杯戦争の『魔術師がサーヴァントを呼び出してマスターとなる』というルールを覆してしまっているんじゃないだろうか?

「貴女、聖杯戦争の理を破ったのね!」

 キャスターに対して叩きつけるように吠える遠坂。

 ……キャスターのアサシン召喚は反則、間違いない。眉根を寄せた遠坂の顔とその言葉が何よりもそれを物語っている。
 それがどれだけ重大なことなのかどうか、俺にはいまいち理解できない。
 けれど、遠坂をここまで憤慨させるということは、キャスターは相応の禁忌を犯しているのだろう。

「ふふ、私が何を破ったと言うの?
 魔術師がサーヴァントを呼び出す、何も問題はないことでしょう?」

 ぎり、と歯が鳴る。遠坂だろう。対してキャスターは悪びれた様子もなく笑みを浮かべたまま。
 しかし遠坂は数秒後には何か思い直したように薄っすらと笑みを浮かべて、キャスターを見据えた。

「キャスター、貴女のマスターはそれを知っているのかしらね?」

「……」

「私が言うのもなんだけれど、魔術師って云う生き物は自分よりも優れた存在を排斥するのがほとんど。
 ましてや使い魔が自分よりはるかに優れた魔術師だった場合、鬱憤は相当なものの筈よ。
 大抵のヤツは魔術師としてのプライドが貴女の独断を許さないのではないかしら?」

「…………ふふふ、あははははははは!!」

 大きく高笑いするキャスター。いったい何がおかしいのだろうか? キャスターにとってそれは都合の悪いことなのではないのか?
 何事かと遠坂が息を飲み、身構えると、キャスターは笑いを止めてこちらを睨みつける。

「――――ええ、そうね。確かに私は宗一郎様に黙って行動していたわ。
 町から生気を吸い取り続けたのも、アサシンを召喚したこともね」

「じゃ、じゃあ……」

「そうよ。宗一郎様はもう知っていらっしゃるわ。貴方たちが攻めてくるだろうことをお伝えする時、私がおこなっていたことを全て話さなければならなくなった。
 気が気じゃなかったわ。場合によってはこの聖杯戦争をあきらめなければならなかったのですから。
 でもね……宗一郎様は私がこの戦争に勝利するためならばそれも構わない、とおっしゃってくれたわ」

 今となったら貴方たちに感謝をしたいくらいよ、と微笑むキャスター。

 ……構わない、だって? 葛木先生は他人を無差別に襲うことを容認したっていうのか!?
 しかしそのキャスターのマスターである葛木先生はどこにも見えない。

「葛木……いや、あんたのマスターはどこだ!」

「そう簡単に教えるわけがないでしょう?
 それに、それを知ってどうしようっていうの? ボウヤ」

「決まってる! そんな馬鹿なことやめさせてやる!」

「……ふん、言ってくれるわね。
 そちらはどうなの? 私としては用があるのはそこの男だけ。元々ボウヤたちと無闇に争う気はないわ。
 でも、そこの男を明け渡しに来た、そういうわけではないのでしょう?」

 後ろで慎二が息を呑み、たじろいている。
 大丈夫。そう慎二に伝わるように、庇うように一歩踏み出した。

「ああ。何度でも言わせて貰う。慎二に危害を加えるなら、俺が全力で阻止してやる」

 キャスターに向かってはっきりと言い放つ。迷いはない。
 この問答はつい先日もしたことだ。一度救うと決めた。掴んだその手を振りほどく気は毛頭無い。

「そう――――残念ね」

 キャスターは本当に名残惜しそうに呟くと、手を空に掲げる。
 それに反応して身構えるリアと遠坂。俺は慎二を守るという役割があるから、慎二の前――遠坂の真後ろでいつでも反応できるように気を張る。


「私も宗一郎様の為――いえ、私の為に譲るわけにはいかないのよ!」

 腕を振るうキャスター。
 それを契機に、全方位から響いてくる音。俺たちを囲むように地面から湧き出てくる骨、骨、骨――――。
 頭が無く、顎から下だけの骸(むくろ)。その骨の兵士たちの手には西洋の剣。その剣自体も切れ味があまり良いとはいえそうにない。

 使い魔の類だろう、その一体一体の持つ存在感はそう大したものではない。これなら俺でも倒せる。脅威と呼ぶ程の敵ではない。
 だが異常なのはその数。目に見えるもの全てが湧き出る骨で埋まっていく。

「このような小細工ッ!」

 怒声と共に、リアが剣を振るう。疾風のような一撃に、その先にいた十数もの骸骨の騎士どもが砕け散って元の土へと還っていく。
 しかし次の呼吸をするころには、その一撃によって空いた空間を周りの骸骨が即座に塞ぐ。いまだ生産され続けているのか、その数は一向に減っているようには見えない。

「ふうっ!」

 ぐらぐらと不気味に歩み寄ってくる骸骨どもを強化した木刀を振るう。
 流石にリアのようにはいかないが、それでも手前にいる二、三体を相手にできるようだ。
 すでに戦闘態勢に入っていたため、なんとか対処できている。

「く、くそっ! こいつら、何だってんだ!」

 俺の後ろでは慎二が、骸骨の振る剣を必死にかわしている。慎二も伊達に運動部の副部長を務めてはいない。その身のこなしはしっかりとしたものだ。
 慣れ親しんでいるだろう弓と矢でもあればいいのだが、生憎ここにそんな気の利いた物はない。俺は振り向き、慎二に斬りかろうとしていた骸骨を力任せに叩き折った。

「慎二、無事か!?」

「なんだよ、くそっ! もっと早く助けろよな!」

 ……これだけ憎まれ口を叩ければ大丈夫だな。

 えっと――――遠坂は大丈夫だろうか?
 そこに思い当たると、近くで勇ましい声が聞こえてくることに気がついた。

「はっ! ふっ、せえっ!」

 遠坂は中国拳法か何かの武術でも習っているのだろうか。近づいた敵は掌底を当てて弾き飛ばし、離れた敵にはガンドという簡易呪術で牽制もこなしている。
 そちらを見やると、遠坂の周りは大きく空間が出来ていた。……接近戦だけとっても俺より強いのではないだろうか?

 周りが囲まれてしまっているので、自然と俺たちは一箇所に集まって互いに背中を預けながら戦うようになる。
 慎二を囲み、リア、遠坂、俺で円形に陣を組み、回るように迎え撃ち始めた。



 もう何体、何十体を倒したのだろう。
 身体を動かし続けている所為か、時間の間隔が掴めない。冷えていた体はいつの間にか温まり、汗が吹き出てくる。
 それでも休む事も出来ずに、ただひたすらに目の前の敵を打倒する。

 やはり感じていたとおり、こいつら自体は大したことはない。隙だらけで、おまけに確りと統制も取れていないようなので打ってくれと云っているようなもの。
 強度もそれほどではないらしく、強化した木刀でも明らかに優位に立てるほど。ある程度数で押されても、立ち位置を変えてリアが外に弾き出し、円を崩さないように保てている。

 だが、これでは多勢に無勢。相当数を倒したというのに、敵の数は一向に減らない。
 明らかにキャスターはこちらの消耗を狙っている。そして遠坂と俺は見事その術中に嵌ってしまっているようだ。
 俺はまだ大丈夫ではあるが、それでも疲労がないわけではない。遠坂に至っては肩で息をしている。流石にこれだけの格闘はきついのだろう。

「リア、キャスターを頼む。
 ここは何とか持たしてみるから」

「シロウ……」

 そう話す間にも迫ってきた一体を薙ぎ払う。
 遠坂の負担を減らす為にも俺がここで頑張らないと。

「わかりました。
 それではシンジやリンは頼みます」

 リアもこのままでは埒が明かないと感じたのか。それだけ言うと、リアはキャスターのいる方向へと飛び込んでいく。
 道を塞ぐ骨どもはリアにとって物の数にもならないのだろう。苦も無く一刀の下に切り開き、その後ろには道が出来ていく。
 そして割れた海が元の姿を取り戻すように、その道も骸骨の兵士によって塞がっていく。

「くそっ! とはいえ限が無いな!」

 力任せに木刀を振るう。
 リアと戦力が分散された所為だろうか、辺りの骸骨の兵士が減ってきている気がする。
 気がつけば、その個々も牽制するように囲むだけで、攻め入ってくる様子がなくなった。

 これは……まさか俺たちとリアを切り離す事が目的か!?

 すぐにリアの向かった方向に目をやると、そちらが光を発しているのに気づいた。
 意識した途端、キャスターがマナを集めているのか、周りの空気がそちらに流れていくように錯覚する。


 そして轟音。


 射線上のあらゆるものを吹き飛ばし、土を巻き上げ、地面を陥没させていく。
 ショットガンのようにばら撒かれた魔力の塊は、味方である筈の骸骨をも吹き飛ばしていく。

「……私の魔術を防ぐほどの対魔力!? …………そんな!!」

 キャスターの声が、未だ視界の晴れない中から聞こえてくる。
 どうやら先日、慎二に放ち、アルトに防がれた魔術はそれでも手加減をしていたらしい。
 だが、本気になったキャスターの魔術ですら、リアには届かなかったようだ。


 土煙が薄れ、目の前が開けた。周りを見渡す。遠坂も慎二も無事。俺にも怪我はない。
 狙いはあくまでリアだったらしく、こちらには被害はなかったようだ。

 いつの間にか俺たちを囲んでいた骸骨は、リアからキャスターへの道を塞ぐように集結している。
 そしてその骸骨も、リアの一振りで一瞬のうちに吹き飛ばされていく。先ほど、俺たちを守るように戦っていたときとは比べようがない。
 爆発的な突進から繰り出される一撃。十単位で骸骨が、形を留めることなく崩れ落ちていく。

 思えばランサーの時も、ライダーの時もひたすら前に出ていた。
 並大抵の敵では、攻めに回ったリアを止めることも出来ずに敗れ去るだろう。

 一直線に突き進む。リアは蛇行するでも、横に逸れてやり過ごすでもなく、愚直なまでに進んでいく。
 そしてその進攻は止まることない。十を数える間もなくリアはキャスターに迫ろうとしている。

 そしてそのキャスターは、笑っていた。

「――――Ατλασ」

 骸骨を弾き飛ばしながら突進するリアに、投げかけられるキャスターの声。聞き取れない言葉。しかしその意味は直接脳に伝わってくる。
 『圧迫』(アトラス)、と。
 次の瞬間には、リアの周囲だけが上から何か押し付けられたかのように陥没していく。

 そして続くように空間ごと、上からの圧力をかけられたまま切り離される。
 地面に縫い付けられていたリアは、その動きを完全に止めて空間ごと固定された。

「なによあれ!?」

 遠坂が驚いている。だが、それも当然のこと。
 一工程魔術(シングルアクション) の重ねがけ。しかも、その効果で言えば一つ一つが大魔術の其れだ。
 魔術を深く研究する者ほど、そのかけ離れた業に目を疑うだろう。

「――まさか!?」

 キャスター自身にとっても会心の出来だったのだろう。
 そしてその異常を的確に感じ取れるのもキャスターに他ならない。

 キャスターの言葉に困惑する俺。
 遠坂はその言葉の意味を掴んでいるのか、先ほどの驚愕を一片も残さぬ笑みを浮かべている。
 魔術に掛けられたと認識してからほんの数秒。その大魔術を掛けられたリアは一歩たりとも動かず、しかし。

「……こんなものですか」

 それも彼女がこともなげに呟けば、幾重に重ねられた魔術は一息で無効化された。

 無防備なキャスターに、目にも留まらぬ速度で間を詰めるリア。
 残る骸骨に対して剣を振るうこともせず、その勢いのまま肩から当たり弾き飛ばしても、リアの速度は衰えない。

「このままここで散れ、キャスター!」

 とった! 俺の隣にいる遠坂が勝利の声を上げる。俺も同じく、そう思っていた。
 キャスターは動けない。動けたとしてもセイバーであるリアの剣を防ぐ術は魔術師であるキャスターにはないだろう、と。

 だけど、見てしまった。偶然にも視界にそれが入ってしまったのだ。キャスターの影から――リアの死角からゆらり、と長身痩躯の男が現れたのを。
 他の人間が現れたのなら、リアの勝ちだという確信は揺るがなかっただろう。だが、この男にはそれを思わせない何かがあった。

「キャスター、下がれ」

 キャスターにそれだけ告げたこの男――葛木は、生身でリアの前に躍り出たのだった。





[7933] 八日目【6】
Name: 下屋柚◆26967502 ID:aed74653
Date: 2011/05/01 10:55
◇◇◇

 風が俺とアサシンの間を通り抜け、木の葉を舞い上げる。
 見上げる階段の先――門の上では雲がゆっくりと、目に見える速度で流れていく。

 アサシンは俺を見つめたまま微動だにしない。
 リアの気配が山門から中に抜けて行ったのを確認して改めて目の前の敵を睨む。

「さて、一戦交える前に。
 其方について少しばかり思量させていただいた」

「……?」

 何を言い出すのだろうか。アサシンはまたも刀を肩に担ぎ、そう言い放つ。
 すぐに仕掛けてくるという気配はない。

 リアに話したアサシンもセイバーからの聞いたものなので、実際に対峙しその姿をしっかりと収めたのは初めてである。
 そういうこともあり、俺はいまだに目の前のサーヴァントがどのような気質であるかは掴みかねていた。

 アサシンは何も答えない俺を見、何かを確信したように微かに笑う。

「さてはセイバーではあるまい?
 先程私の横を通り過ぎたサーヴァント……あちらがそうであろう」

「――――!」

 僅かにたじろいだ俺を察知したアサシンは、ふむ、と小さく言葉を漏らして少し思案する。

「姿形で見当をつけるということは如何なものかと思ったがその姿は思うに西洋の剣士のもの。
 それ故、どちらと士合ってもよいと思ったのだが……どうやら少しばかり浅慮であったようだ。
 其方からは剣に生きた者が持つ剣気があまりに稀薄」

 ――見破られている。

 まさか剣を合わす前に看破されるなんて。
 気づかれてしまった以上しらばっくれても仕方がない、か。

「その通りだ。俺はセイバーじゃあない。
 それにしても、気配を感じるならともかく、読み取るだなんて思ってもいなかった」

「……なに、特別な技能ではない。ただただ体に染み付いているといったところか。
 気配を機敏に感じ取れぬようではあの戦乱を生き抜くことなど敵わん」

 ――――その技能はおそらく全ての剣士が持っていたものではない。
 名が売れれば奇襲、闇討ちもあっただろう。膂力が、剣の技量が優れていても骸となり、人知れず消えていった者もいた筈だ。
 幾度もの死線をくぐり抜け、乗り越えてきた者だけが感じ取れる生存するための必須能力。それを目の前の相手は持っている。

 目の前の男に対する警戒を更に強める。
 この男はやはり、相当に強い。

「ふむ――――いささか駄弁が過ぎたようだ。
 よもや相手がこのような見目麗しいご婦人だとは慮外のことでな。気を悪くしたのなら詫び言を述べよう」

 そうして微かに唇を吊り上げてアサシンは一歩こちらに踏み出す。
 一歩、また一歩。ゆっくりと歩み寄る彼とは裏腹に、空気は急速に塗りつぶされていく。
 糸を限界まで張りつめたような、息苦しさを覚えるような殺気。

 隙はない。
 歯を食いしばり、相手の動きを見逃さないように目を見開く。

「我が名はアサシン、佐々木小次郎。
 そちらは…………。いずれにせよ切り伏せてしまえばなんであろうと構うまい――――」


 一閃。


 なんの構えもなく放たれる。
 セイバーの動体視力をもってしてようやく捉えたその初太刀は、暗闇を分け隔てるように鋭く、そして美しい弧の軌跡。

 俺の首と胴体を両断せんとする太刀筋。間合いの外から放たれた一刀を己が最速の一撃で迎え撃つ――――!

 鉄と鉄とが火花を散らす。
 金属がかち合い響く音はやはり周りの木々に飲み込まれていった。
 しかし、それだけでは終わらない。

 感じ(わか) る。
 さらに追撃があることが。気を抜いたらその瞬間にでも首が落とされることが。
 迫ってくる銀色の軌道の変化、そしてその速度が。
 セイバーの直感ではない、アサシンの挙動から読み取ったわけでもない。
 だが、この目は一度見てきたかのようにアサシンの長刀の流れを先読みする。

 アサシンの弧を描いた柔の太刀筋を、セイバーの力強い剛の剣で受ける。
 さらに数合。目が、体が勝手に先読みしているお陰で、なんとか致命傷は負わずに済んでいる

 ――が、圧倒的に不利な状況は続いている。
 あちらからの一撃は届くが、こちらはあと二歩ほど近寄らなければ掠り傷を負わすことも敵わない。

 剣技の差、射程距離(リーチ) の差。おまけに立ち位置すらも不利になる要因である。
 下に位置するというだけでもこんなにも戦い難いものなのか。
 高低差のある場での戦いは初めて。なんとか渡り合えているのは奇蹟かもしれない。

 こちらの射程の外から振るわれ続ける無数の剣閃。
 既に剣の経験――セイバーの剣技に同調(トレース) している。
 リアとの稽古で以前よりも本物に近い動きが出来ている筈だ。

 それでも俺は、距離を縮める事すら出来ずにいた。

 剣と刀が交差する。
 視えない剣と、余りに長い刀。
 迎撃した一撃はいなされ、間髪入れずに反撃が返ってくる。
 それでも、進もうとする俺を押し返すアサシンは圧倒的に優位に立っているのに不用意にこちらに攻め入ることがない。

 アサシンは俺が山門を突破しないことを第一に戦っている。

 「無論。私の役割は門番なのでな。生きては通さんし、生きては帰さん」

 どうやらこの言葉に偽りはないようだ。
 だが、このままではいつまでも埒が明かない。
 凛や士郎に追いつくどころか、リアがキャスターが倒しても、俺はまだアサシンを打倒できずにいるだろう。

 絶え間なく襲ってくる銀の閃き。
 最小限の動きで受ける。頬に、腕に小さな切り傷がつけられていく。
 都合、優に数十合。もしかしたならもう百に届いたかもしれない。
 どちらにせよこのままではジリ貧。こちらの傷ばかり増えていく。
 だけど、まだ。今不用意に攻めても昼に見た士郎の二の舞になる。
 集中。緊張している余裕はない。


 肩から心臓にかけて袈裟に狙う線。
 ――――駄目だ。下から振り上げて弾き返す。

 息つく間もなく下段から顔面を目掛けて切り上げてくる銀光。
 ――――これも違う。素早く上段から打ち返す。

 腕を切り落とさんとする縦の線。
 ――――…………不可。剣を横にして受ける。

 外から大きく巻き込んでくる、空間をも断つような一刀。狙いはこの首。
 ――――これ、だ!

 その軌道を見極めるが早いか、素早く息を吸い込み、魔力を引き出す。

「ふぅっ!」

 掛け声と共に外に弾き出し、脚部に圧縮した魔力を爆発させるように体をその内側に潜り込ませて――――


 前頭部にちりちりとした、軽い痛みが走った。


「え?」

 目を見開く。眼前にいる男の唇は吊り上っていた。
 そして間もなくその異常に気づく。


 外に大きく弾かれていたその長刀は、

 流れるように迂回して、

 いつの間にかに目の前に迫っていた。

「っ!」

 いまだ先程の剣戟の音が残る中、考えるよりも早く体を無理矢理に横に捻り、後ろに退く。
 頭部がその軌道から外れる。

「づっ!!!」

 瞬間、左肩から縦に大きく広がる焼き鏝(ごて) を当てられたような熱と、そしてそれに遅れてやってくる激痛。
 盛大に吹き出す赤い液体。どこか現実から離れた光景。

 それもすぐに引き戻される。
 距離を詰めながらの突き。狙いは、咽喉。

 右で握り直したエクスカリバーで叩き落すが、勢いは衰えずに左太腿に突き刺さる。

「くっ……あ……!」

 そして、間髪入れずに視界の右端には銀色の光。月を反射しながら返す刀の切っ先。
 またちりちりと痛む。今度は首の右。

 咄嗟に右腕で剣を立てて受けようと試みるが失敗。その刀は右肩を切り裂いた。

「ぁ……」

 赤い衣を黒が染めていく。流れ出る液体とともに体の熱が、魔力が流れ出ていく。
 吐き気を伴う倦怠感が、活力が失われていくのを知らせている。

 左は鎖骨、そしてその下の肋骨を三本切断されている。筋肉が絶たれたか左腕は動かない。
 呼吸に支障をきたしている。肺まで傷が達している所為だろう。
 右肩の傷は無意識に魔力を通したお陰か、骨の中ほどで止まっているものの筋肉がやられた。無論、右腕は上がらない。
 左足、骨に異常はなく、動けるだろうが機動力が格段に落ちてしまう。

 機械にチェックさせているかのように、身体の異常が脳に届く。
 ここは退かなければならない。なのに、体がまるで糸の切れたマリオネットのようで言う事を聞いてくれない。

 がくんと膝が落ち、地面が近づいてくる。
 重力に逆らえない。必死に抗うも体から力が抜けていく。

「ふむ。些か距離が足らなかったようだ。退かねば今頃一刀の下に切り伏せていただろう」

「……ごふっ…………ぅ……ぁ……」

 アサシンの声が聞こえるが、石段しか見えない。
 その石段も肺から逆流した赤い液体で濡れた。

 ざっ、と細かい砂利の擦れる音。
 アサシンが近づいてきている。

「私の攻めを悉(ことごと) く防いだ様は見事ではあったが、呼吸を読まれるようではまだまだ。
 それでは攻めに転じることを相手に知らせているようなもの」

 そう、か。呼吸を読まれていたのか。
 道理で俺の突然の動きにも冷静に対応できたわけだ。

「さて、その刀疵では抵抗も出来ぬとは思うが、慢心して命を刀下に落としては割に合わぬ。
 止めを刺させていただこうか」

 じゃり、じゃり、と足音が近づいてくる。
 アサシンの刀が俺の首に届く距離まで、あと数歩。

「――――荒くはあったが、いい剣であった。
 機会があるならば、もう一度士合いたいものよ」

 そうアサシンは俺に手向けの言葉を紡ぐ。


 こんなところで終わるのか。

 まだ、俺は何もしていない。
 何も守れていない、誰も救えていない。
 凛との約束も、慎二も、セイバーも。
 終わるわけにはいかない。俺はまだ、死んでいない。

 ――――動け!

 体をずらし、倒れたまま階段を転がり落ちる。

 がつん、ごつんと衝撃に体が軋む。傷が疼くが、背に腹は代えられない。



 これで、いくらかはアサシンとの距離も開いたことだろう。
 む、とアサシンが呟いているようだが生憎そちらは見えない。

 下半身に力を入れて、よろつきながらも立ち上がる。

「その傷、いくらサーヴァントと言えど命に至ろう。
 挫折せぬことは素晴らしいが、生き汚いのは、さて美点であるのかどうか……?」

 勝手に言っててくれ。
 何と言われても、俺はまだ終われない。

 右手を握る。エクスカリバーがある。
 幸い、手放してはいなかったようだ。左手も合わせて握る。

「がっ、げほっ……ぐ」

 口内に残る血を吐き捨てて、立ち止まっているアサシンに向き直る。

 歩み寄って来ていたアサシンは、立ち上がった俺を見て立ち止まった。
 図らずも先程剣を打ち合わせていた距離と同程度だ。そして、何故かその顔には驚きが見える。

「――――面妖な。それほどの傷を刹那の間に修復するとは……」

「なん、だって?」

 ぎゅ、と音がするほどに剣の柄を握りこむ。
 そうして、俺はようやくアサシンの言わんとすることに気がついた。

 動く。骨ごと断ち切られて動かない筈の左腕が、その末端である左手が。
 筋肉が断たれた筈の右腕が上がる。貫かれた左足も、いつの間にか傷が塞がっている。
 左手を胸の前で開いて確かめてみるが、どうやら力も大分戻っているようだ。

 血とともに流れ出てしまった魔力の消失はある。流石に痛みまでは消えてくれなかったのか、動かすたびにぶり返す。
 だが血に染まり、切り傷のついた衣を除くと、傷を負う前――戦闘前の姿に戻っていた。

「どうやら一筋縄ではいかぬ相手のようだな」

 なんだかわからないが、とりあえず傷が治ったというならそれでいい。
 他の奴ならともかく、こんなことは俺が衛宮士郎だった時から慣れっこだ。

 構えを取る。
 それを見てアサシンは、ゆらりと進み出でて距離を縮めてくる。

「そのような再生能力があっても、首を撥ねられれば黄泉返りもすまいな」

 高低差がなくなる。アサシンは真横に降り立った。
 距離もない。セイバーの体なら一足で踏み込める距離。

 アサシンが初めて型をとった。
 目線まで上げ横に構えた刀が月を映す。俺に背を向け、巻き込むように刀を引く。
 すっ、と細められた瞳は俺を射抜いたまま鋭さを衰えさせない。

 そして放たれる澄んだ殺気。胃がきりきりと痛むような緊張感。

 アサシンは、勝負をつけにきた。俺の息の根を、確実に止めにきている。
 そして俺は殺気をぶつけられながらも、その構えに既視感を覚えている。

「さて、其の方は果たして燕よりも早いのか――――」

 ――――ッ!
 駄目だ、嫌な予感が拭えない。このままでは負けると、脳のどこかが必死に訴えている。
 エクスカリバーとセイバーの剣術を以ってしてもこれは防げない。
 直感に促されるまま、俺は手の中のエクスカリバーを手放した。


秘剣――――


 軌道、太刀筋を幻視する。
 迫る刀。それはセイバーのものよりも尚早い。
 だがそれだけでは脅威となり得ない。

 逃げ道を塞ぐ、囲むような二の太刀。
 いや、それは二の太刀、ではない。それではセイバーが防げなかった理由にはならない。


「――――投影(トレース) 」


 そんなことを考えながらも、別の思考が始まっている。
 この局面を乗り切れる『何か』を探している。


       「――――燕返し


 音もなく振るわれる刀。
 描かれる美しい曲線。


 ――――見えた。
 迫る一刀とは別に、別方向からももう一刀。


 同時。そう、同時に発生する剣閃。一振りが多重に存在する斬撃、ありえない筈の現象。
 それが、佐々木小次郎の持つ究極の剣技。


 迫るは二閃。逃げ道などは既になく、そして、俺がこの剣閃を防ぐには二刀を用いる他はない。
 だが、サーヴァントの渾身の一撃であれば、凡庸な刀剣では受ける事すらも不可能。それこそ、宝具でもなければ俺は得物と一緒に真っ二つになるだろう。

 検索が終了する。ならば、該当する刀剣は俺の中に一対しかない――――

「――――完了(オフ)」

 右手の黒の剣、陽剣が襲う太刀を迎撃し。

        左手の白の剣、陰剣が囲む太刀を押し返す。

「な、に……?」


「――――是、干将・莫耶」

 そう、この両手に佇む夫婦剣のみ。






[7933] 八日目【7】
Name: 下屋柚◆26967502 ID:aed74653
Date: 2011/05/01 11:03


 痺れる両手。
 その手に握られたままの二刀の、刀身に刻まれた文字を眺める。

「…………」

 文字が掠れ、かすむ。
 アサシンの秘剣を受けて、端から崩れ落ちていくのをただ見つめている。
 ここに形を成した幻想は、たった一合でその存在を保持できずに消えていく。

 ――――まだ、甘い。
 宝具と呼ばれるものが、一合で砕ける筈がないだろう。

 果たしてそれは本当に俺の思考だったのだろうか。
 この剣、如いてはその持ち主だったあいつに言われたような気さえする。


 この剣――干将・莫耶を投影するときに読み取った理論。
 創り手の意思に共感し、構造を網羅したところでもう一つの意思に気がついた。
 剣をこの世に生み出した創り手とは別の、この剣を読み取り模倣したあの男の剣製理論。
 これに至るまでに繰り返した数千、数万を越える試行錯誤。
 その末に得た模倣の技術。
 魔術師がこの剣を解析しただけは決して分からない……衛宮士郎にしか読み取れない『投影魔術の経験』。

 頭がショートする。あまりの情報量に処理が追いつかない。
 いったいこの双剣は幾たびの戦場を乗り越えてきたのか。
 万華鏡を覗き込んだ時のように、持ち主の様々な戦闘が浮かんでは消えていく。


 いずれも退かなかった。
       ――――否。退く事など考えなかった。ただ伸ばされた手を握り返そうとしただけ。
 ただの一度も、敗北する事は無い。
       ――――そしてただ一度の勝利も無い。ただの、一度も。
 その場その場での最善を尽くし、小を切り捨て大を救う。
       ――――違う。全てを救いたくとも切り捨てる他、なかった。
 血潮は鉄で、心は硝子――――体は剣で……
       ――――自分をガチガチに固めないと、俺は……

 世界に害を為す大本を潰す為に、目の前で助けを求める者を素通りしなければならない。
 表舞台に出てきたときには、助けを求めていた者たちが既に物言わなくなった後だったこともあった。
 助かりたいと手を伸ばした人に、届かないこの手。
 助けようと伸ばした手に、動かない骸――――――――
 石のように固まっていく俺の心。
 次第に助かる者、助けられない者を機械的に分け、無感動に救うだけの存在に成り下がる。
 俺は■■の味■になれなかった。
 俺は、間違っていた――――?


「くっ!!」

 流れ込む思考を振り払う。

 こんなのは、俺には必要ない!
 俺は俺の持つ全てで、救える全てを救ってやる!
 そんな弱音、聞きたくなんて無いし、俺には関係ない!
 泣き言にまで、同調して堪るものか!


 だが、認めざるを得ない情報も流れてくる。
 ――――投影精度の桁が俺とは違う。

  創造理念
  基本骨子
  構成材質
  製作技術
  憑依経験
  蓄積年月

 どれをとってもあいつに並ぶ再現は、俺には出来ていない。


 俺の進む先、そのまた遥か先に続く道筋。
 あいつの通った道が、まるで手本のように開いている。
 この道を進めば、あいつに追いつけるかもしれない。
 そう、俺に見向きもせずに前を向いているあいつに辿り着く、近道になるだろう。


「――――投影、開始(トレースオン) 」

 再びこの両手に現れる双剣。確かな質感。先のものよりも存在は確か。
 しかし、鑑定が、想定が、複製が、模倣が、共感が、再現が――――あいつには及んでいない。


 両腕を下ろし剣を握る。魔力を両眼に通し強化、相手の小さな機微をも見逃さない。
 元々優れた視力を持つセイバーが使わない、魔術師の俺としての戦闘準備。

 思考をひたすらに回す。
 剣技で劣る自分が、優れるアサシンを打倒するにはどうすればいいのか。
 少ない可能性の中から結果を見出し、実行する為の過程を脳内に展開していく。

 目の前には刀を握りなおすアサシン。
 柳洞寺からは光とともに爆発音が聞こえてくる。
 キャスターの魔術だろうが、気にする余裕は俺にはない。

「暗器使いか? いや……
 しかし微かに読み取れる気配は確かに剣士のもの」

 アサシンは防がれたことを気にした様子はない。
 むしろ突然現れた剣に多少の驚きがあったようだ。

 アサシンに魔術の知識があれば、魔力の感知から魔術によるものだとすぐに考え至っただろう。
 だが、アサシンは生粋の剣士。魔術に疎くても仕方が無い事だろう。
 いや、オーソドックスな魔術ならば知っているのかもしれない。だが、剣を作り出すなんて特異な魔術など知る筈もない。

「まぁ、いい。いまだ貴殿と士合える、其れで充分。
 さて、次はどのような手を見せてくれるのか」

 勝てないのなら勝てる状況を己が用意しろ。勝ちを得る。そのためには策を弄せ。
 剣で敵わないのなら、自分の持つあらゆる手段を使って目の前の敵を打倒しろ――――!

 アサシンの言葉を聞きながら、俺の中では思考の変革が行われていく。

 エクスカリバーを振るい、セイバーの体捌きを駆使してアサシンと戦っていた時。
 正々堂々、剣士として恥ずことの無い戦いをしようと、そんな志がついて回っていた。
 ――――俺自身が剣士だというわけでもないのにだ。

 アサシンに斬られ、死に掛けたのがきっかけになったのか、それともこの双剣を手にしてからか。
 それを境に塗り替えられていく。

 ……元々、衛宮士郎(おれ)は形振り構っていられるような立場ではない。
 そして、今となってもそれが変わらないことを、忘れていた。

 セイバーやアサシンに剣で劣り、動きで劣る。
 ライダーやバーサーカーには力で劣り、ランサーには速度で劣る。
 防ぐ事ができるといっても、キャスターの魔術と俺の魔術では比べ物にもならないだろう。

 セイバーの身体を借り受けている事で、知らないうちにアドヴァンテージを得ていた気になっていた。
 これだけの身体能力を持っていれば、なんとかなるかもしれないと自惚れていた。

 身体の性能を引き出してきているといっても、それでも俺がセイバーになったわけじゃない。
 俺は、俺。身体はセイバーでも、それでも中身は魔術使いである、衛宮士郎でしかないのだ。
 それを、目の前のアサシンは教えてくれた。


 一跳びで十数段上るアサシン。それを追撃するように駆け上がる。

 鋭さを増して迫る銀の線。
 そして回して受け流すようにかえしていく、干将・莫耶。
 交差する白と黒と銀。
 甲高い音を生み出しながら、火花を散らす鉄と鉄。

 ――――この状況では永遠に勝ちは見えてこない。
 ――――だが、それに焦り、アサシンと同じ高さで戦ってはいけない。

 頭のどこかが冷静に判断を下す。
 そしてそれに従い、剣を振るう。

 初めて振るう筈の剣。だが、それはこの手にあつらえた様に馴染み、体の一部かのような動きを見せてくれる。
 一定の間隔を空けたまま、攻め入ることもせず、アサシンの一刀一刀を丁寧に捌いていく。
 身体能力、魔力放出をフルに使うセイバーの剣術とは違う。
 力強さなどはない。けれども、最低限の力で受け、かわし、流せる。受けるという点に特化した戦い方を心がければ、これほど適した得物はそうないだろう。
 バーサーカーやセイバーのような強大な威力を誇る相手には、受けるという選択肢を作り出すことがまず不可能なのだが。


 いくら体の一部のように扱えようと、受けに適した戦い方だとしても、あくまで初めて。
 細かい動作に齟齬が出てくる。

 打ち落とされる干将。弾き飛ばされる莫耶。拾う隙を作れば、その瞬間に勝敗は決してしまう。
 即座に投影。当たり前のように両手に現れる干将・莫耶。

 鋭い一撃を受け、綻ぶ二刀――――崩壊する。
 まだ甘い。一節――鑑定からしっかりと踏みなおせ。


 投影、投影、投影、投影投影投影――――――。
 繰り返す度に上がる水準。比例するようにキレを増す体捌き。

 完成度が上がれば上がるほど、動き、技術は洗練されていく。それは、経験の再現レベルが上昇しているお陰だろう。
 投影した経験を読み取り、一つ一つ自分のものに変えていく。


 相変わらずの冴えを見せるアサシンの刀。
 弾き飛ばしたはずの二刀が何度も両手に現れたのを見、アサシンは僅かに戸惑う。けれどもその動きには淀みは生まれない。
 俺をそういった能力を持つ相手と認識したらしい。
 燕返しを何とか受けきってから、その攻撃は針の穴を通すような正確さで振るわれ、だというのに剣速も上がっている。

 それを、俺はなんとか受けきっていた。それどころか、エクスカリバーを使っているときよりも余裕が生まれている。
 この二刀は威力や重さを重視したものというよりは、回転する体捌きからの手数を武器に戦うもののようで、西洋剣一本で渡り合うよりも相性が良い。
 弾いた刀が軌道を変えて迫っても、なんとかもう一方で対応できる。

 それでも、防戦一方な状況に変わりは無い。
 技量で負けているだけに受けるだけならこなせるものの、攻めに転じる隙すら見つけられない。


 剣で勝てるとも、勝とうとも思ってはいないが。


 そしてさらに数合。
 確かめるように剣を振るいながら、勝利に向かう為の一言を紡ぎ出す。

「――――投影、開始(トレースオン) 」

 がちん、と撃鉄を押し込む。途端に体が違うものに作り変わる。

 干将・莫耶を頭に浮かべ、一から読み直す。
 わかってはいたが、これは斬りかかる他に戦い方がある。
 既に脳裏には設計図が出来上がっている。後は魔力を通せばそれが引き金になり、この両手に現れてくれるだろう。

 そして、続くように頭の中に次の剣を書き起こしていく。
 見たのは前回の聖杯戦争。長身のサーヴァントが持っていた武器。
 宝具ではないので、骨組み、材質の理解、把握は難しくない。
 分類すれば剣なのだろうが、その容貌は日本でいう鎖鎌。……完了。

 次。これは一度複製したものだ。己のうちに埋没し、一から読み取り理解しなおさずとも呼び起こすだけで済む。
 それでも、普段投影する『剣』ではないためにどうしても時間が掛かる。
 以前投影した感覚に、今回得た投影技術を適用させ、模倣をより真に近づけていく。
 ………………………………完了。

「――――投影、装填(トリガーオフ) 」

 待機させたのは三枚の設計図。ギシギシギシ、と脳が拒否反応を起こす。
 以前なかったのは、精度が甘かったお陰だったのだろう。オリジナルに近づければ近づけるほど、その情報量が過負荷となる。
 おまけに今回は一気に三つ。こんな連続で投影を試みるのは初めてだ。

 ……だが、その負荷も衛宮士郎の頃に比べれば軽い。
 この身が世界と契約した身だからかはわからないが、こんな無茶をしても掛かる負担は大きくない。


 攻めるチャンスは一度。それを逃せば、巻き返す機会さえなくそのまま敗北となるだろう。
 外したなら確実に隙が出来る。目の前の男はその隙を見逃すような甘い剣士ではない。

 無理にこちらから距離を詰めようとしない。そして、アサシンも攻めてこない。
 それはこちらにとって好都合。後ろに退き、アサシンの射程から逃れた俺は、手に持つ干将・莫耶を構える。


 俺の雰囲気を感じ取ったのか、僅かに刀を上げるアサシン。
 それに構わず、俺は干将・莫耶をアサシンに向かって一直線に投擲する。

「よもや得物を投げるとは――――!」

 縦に回転しながら風を切る重い音を聞いて、アサシンは刀で受けずに身のこなしだけでかわす。
 距離が無い為、横の回転をかけて投げることができなかったが、足止めにはなっただろう。

 投擲を終えた後、俺はすでに投影に取り掛かっていた。
 魔力を流し、形に変えていくが――――やはり、剣に比べてどうしても時間が掛かる。
 だが、それも僅かな差。アサシンの隙を使いきるほどではない。
 既に設計図は時間をかけて組み立ててある。それが幸いした。


「――――ああぁぁぁぁっ!!」

 掛け声と共に赤い軌跡がアサシンへと走る。並大抵の動体視力では目視できない速度の乱打、乱打、乱打。
 俺の手には、槍が握られている。青い男――ランサーの所有する、血のように赤い魔槍。

 持ち主の培ってきた経験に従い、弾幕のような突きの連打を繰り出す。
 初発にして、最速。セイバーの体でも追いきれないランサーの速度。
 魔力をブースターに、数秒間だけ無理矢理近づける。

「これは……ランサーの槍、か!?」

 迫る槍を受け流しながら、驚愕するアサシン。
 どうやら、ランサーはここの偵察を終えていたようだ。アサシン自身も彼と戦ったことがあったのだろう。
 所詮はランサーに及びもつかない槍術だろうが、いきなり変わった俺の戦法には流石のアサシンもすぐには順応できない。

 そして同時に、手に持ち、振るってみて気づく。この完成度では真名の開放など出来る筈もないことに。
 万が一出来ても、因果に関与できるのは微々たるもの。心臓を捉えられるのは、相当に運の悪いやつくらいのものだろう。

 けれども、ゲイ・ボルクの真名を使って倒そうと考えているわけではないのだからこれで充分。
 欲しかったのは、あの長刀に匹敵するリーチと、アサシンの斬撃で斬りおとされない程度の強度。
 これ以上の長さを誇りながら、アサシンの攻撃を耐えられる武器は、俺の中には他に存在しなかった。

 そして、あくまでこれは相手との距離を広げる為の布石でしかない。

 いきなりのリーチの変化に、アサシンが下がる。止まる事の無い槍の弾幕を受けても、その体に傷は無い。
 しかし、これで俺の思惑通り。アサシンとは距離を開けることが出来た。
 無茶な戦い方をしたから普段よりも多くの魔力を消費してしまったが、凛とのラインのお陰で常時供給されている。
 よし……問題は無い。


 槍を手放した俺は、既に次の投影を終えている。
 手には干将・莫耶。視える軌道に乗せて、交差するようにアサシンに向かって投擲。
 それを見届けることなく、次の投影を開始する。

 横に回転しながら迫る干将・莫耶を、何とか避けるアサシン。
 突然の槍の弾幕を受け切り、間髪入れずに二刀を投げたというのに、それすら凌ぐ。

 刀でも受けられるだろうが、アサシンの得物は宝具でもなんでもない。
 わざわざ避けたのは、一般的な刀と比べて余りに長いその刀身が、その特性から大きな加圧には耐えられないからだろう。
 流石のアサシンも、ふたつの一斉の攻撃を、衝撃を殺しながら弾く事は容易ではない筈。
 そして、アサシンがかわすことも俺の予想の範囲内。

「――――投影、完了(トレースオフ) 」

「これは!?」

 避けた一瞬の隙をつき、逃げる先に待ち構えるように動いていた鎖が、アサシンに絡みつく。
 その鎖の先には、ライダーの持っていた釘剣を握る俺の手。
 まるで蛇が絡みついていくような軌道で鎖を操ってアサシンを拘束した俺は、両側の釘剣を石段に突き立てる。


 これで全ての投影を終えた。
 残るは、全力で攻めるのみ!!

「はああああぁぁぁぁぁっ!」

 手にはエクスカリバー。これが、セイバーの体を借り受けている俺が持ちうる、最大最強の攻撃。
 脚に流した魔力を爆発させながら、瞬く間にアサシンに肉薄する――――!


「しかし、まだ『詰め』が甘い――――!!」

 鎖に下半身の自由を奪われながらも、上半身のみで刀を返すアサシン。

 鉄が悲鳴を上げた。一際大きい火花が、剣と刀から生み出された。
 最大の魔力を込めたエクスカリバーの一撃を、刀身を歪めながらもアサシンは受けきった。
 こんな不自由な体制から刀を繰り出し、全力のエクスカリバーを受けきるアサシンの剣技はどれほどの高みにあるというのか。こうして目の前にしていても信じられない。
 ――――だけど。

「いいや、これで『詰み』だ!」

 アサシンの刀をたわませ、全力でアサシンと刀身を押し合わせながら、俺は口を開いた。

「なにを――っ!?」

 そして、背後の気配を感じ取ったアサシンは、その顔を強張らせる。

 微かに聞こえているだろう、風を切る音。
 アサシンの背後から弧を描くように戻ってくる白と黒のふたつの刃。

 鎖で下半身を縛られて身動きが取れないアサシンは、背後に迫る双剣を弾こうと思ったなら、鍔迫り合いをしている俺に背中を見せることになる。
 かといってこのままに俺と押し合っていれば、凶悪な風きり音を立てて背後から迫るそれを、無防備なまま受けてしまう。

 ――――アサシンに逃げ道はなかった。

 鈍い音の後、アサシンが血を吐く。
 結局、俺と向き合ったまま鍔迫り合いしていたアサシン。肩と脇に入った二刀は肉をえぐり、骨を断ち、体を分断させる手前でようやく止まった。




「負け、か……」

 血を吐きながら、ぽつりと呟くアサシン。致命傷をふたつも受けているというのに、倒れずに天を仰ぐ。
 負けたと呟きながらも、その顔は何故か晴れ晴れとしたものだった。

「……アサシン。俺は、セイバーのような騎士じゃない。
 こんなだまし討ちのような手段でしか、勝てなかった。――すまない」

「何を、謝る事がある?」

 あくまで剣士として戦ったアサシンに、真正面から応えられなかった俺は、しっかりと顔を向けられない。
 そんな俺を、アサシンは心底不思議そうな顔で見る

「其方は、其方の戦いをしただけであろう」

 言葉に詰まる。確かに、これは俺にしか出来ない戦い方だったろう。でも、それだって全て借り物だった。
 セイバーの剣、アーチャーの双剣、ランサーの槍、ライダーの釘剣。
 どれ一つ、俺のものじゃない。

 他の人の武器を借り、戦い方を借り、得た勝利。
 贋作者――――全てがメッキ。偽物だ。



 ごふっ、と血を吐き出した音で思考から浮上し、アサシンに顔を向ける。

「最期だ、名を訊かせてもらえないか?」

「……サーヴァントクラス、アーチャー」

 クラスは、聖杯より与えられている。
 けれど、名を名乗れと言われても、俺は誰なのだろうか。何と答えれば、俺を表してくれるのだろうか。

「名は…………真名は、アルト」

 名前もアーチャーだと答えようとして、直前で踏みとどまった。迷って、結局俺はこう答えていた。
 アルトという名前は、結局はセイバーの名前の一部でしかなく、聖杯戦争に参加してからの対外的に作った仮初のもの。
 だけど、衛宮士郎ではなくセイバーでもない俺が何者かと問われたなら、やっぱり俺はアルトとしか答えられない。

「…………そうか」

 数秒の沈黙の後、アサシンは呟いて俺の顔を真正面から見つめる。

「アーチャー、もう行くがいい。
 キャスター……あれは、一筋縄ではいかぬ相手よ」

「ああ、わかった」

 ひとつ頷き、駆け出す。一人立ち尽くすアサシンを残して柳洞寺に走り出した。

「アーチャーよ。いい、士合であった」

 すれ違いざま、アサシンは小さく呟く。
 その声色から、彼が微笑んでいるのがわかった。

 俺は、立ち止まることなく先を進む。



「何のことない野花かと思えば、まさか棘つきであったとは。
 ふ――――摘み取ることは侭ならぬか」

 アサシンの最後の言葉は門の閉まる音によって掻き消えて、俺の元には届かなかった。




[7933] 八日目【8】
Name: 下屋柚◆26967502 ID:aed74653
Date: 2011/05/25 13:58

◆◆◆

「宗一郎さまッ!!」

 葛木が躍り出ると同時に、キャスターが叫ぶ。

 突然の乱入者にもリアの勢いは衰えることがない。葛木の登場などを意に介した様子も無く、左足で大きく踏み込んでいる。
 リアの視えない剣は、キャスターを両断せんと綺麗に軌跡を描いているだろう。

 そうして――――予想だにもしていなかった、がつん、という無機質な音が聞こえてきた。

「なっ!?」

 その音と、続く驚愕を隠せないリアの声。
 そして、目の前に広がっている不思議な光景。

 リアが、横殴りに吹き飛ばされて地面を滑る。
 葛木は剣を振るうリアに向かって、横から裸拳で突きを繰り出したのだ。その本人は、今も表情すら変えずに倒れたリアを睨みつけている。


 確かに葛木は、何かを仕掛ける雰囲気を持っていた。
 だが、人間が素手でサーヴァントを吹き飛ばすなどと一体誰が予想することができるのか。
 あの華奢に見えるリアは、地に根を張ったように安定していて生半可な衝撃じゃ重心をずらすことすら難しいというのに。

 驚愕に目を見開く俺の前で、葛木は静かに動く。
 流れるように、それでいてすばやく葛木の腕が、立ち上がったリアを襲う。
 拳打は曲がり、直(すす) み、そしてまた曲がる。その動きに淀みは一切ない。修練、反復を一日も欠かすことなく続けた型の動き。
 だが、肩幅に足を開き、体を斜に構えた体勢から放たれたその拳は、俺の知っている武術の常識を逸したものだった。
 外側からえぐるように放てば、リアの胸部に潜り込み打撃を与える。肩を真っ直ぐ打ち抜く筈の一撃も、途中で角度を変えて弧を描き、リアの首に狙いをつけている。
 防ごうとするリアの腕を、まるで蛇のようにくぐり抜けていく。

 この動きは傍から見ていても、とても対応できるものではない。あのリアをして防戦一方、それにしても攻撃を捌き切れているわけではない。
 予測できない攻撃に対処できず、確実に削られている。軌道を認識してかわすではなく、持ち前の直感で葛木の狙いを感知して回避しているために構えも何もあったものではない。
 だが、リアとて人知を超越している英雄だった。初見であろう奇怪な武術を相手に、致命傷を避けている。


 葛木のその両腕には魔力が停滞していて、強化されている。それ自体には、一撃目から気づいていた。
 魔力の流れに疎い俺だけど、葛木の動きに気づき、意識を張っていたから気づいたのだと思う。

 しかしそれにしても、身体能力を無理矢理引き出しているというわけではなく、あくまで剣と打ち合えるまでに硬度に引き上げるだけのものでしかない。
 故に、この体術は葛木宗一郎自身が持つ技能。手甲などを用いて強度を持てば、魔術が介入せずともセイバーと打ち合えるということに他ならない。


 リアは見慣れない動きに苦戦し、次第に避けきれなくなってきている。
 腕、肩、脇腹とダメージ部位が体の末端から中心へと移っていく。あのリアが、一方的にやられている。
 様々な角度から打ち抜いていく葛木には傷一つもない。


 俺と遠坂、慎二はそれをただただ眺める事しか出来ずにいる。
 あの高度な攻防に、俺たちの介入する余地はない。

 せめて葛木の気を逸らせれば……!

 だがこちらに矛先を向けられた途端に、俺などでは一撃で命を刈り取られてしまうだろう。
 ぎり、と歯が鳴る。


 突然遠坂が、はっと気づいたように視線を上方にやる。
 視線を追っていくと、その先にはいつの間にか離脱していたのか、キャスターが宙に浮いて杖を天に翳していた。
 ――フードに隠れているキャスターの視線と、俺の視線が交差した気がした。

「……、…………!」

 キャスターが杖を振るう。その杖の先には、俺達がいる。何か呪文を唱えていたようだけど、その声はここまで届かない。
 魔方陣が宙に七。現れたと同時に光を放つ。光は今にも飛び出てきそうなまでに膨らんで、視認できるほど魔力が濃密に圧縮されている。

 ――――マズイ!

 大量の魔力弾が俺たちの下へと降り注ぐ。
 それは、数秒後には確実に起こる出来事。

 必死に辺りを見回すが――――俺たちがいる場所では逃げる事すらできない。
 身を隠そうにも遮蔽物がない。走って逃げようにも、門までは距離がありすぎる。

 それでもと、反射的に回避運動を取ろうと目の前の遠坂に向かって腕を伸ばす。
 だけど俺は、その場から動かない遠坂を見て、伸ばしかけていた手を止めてしまった。


 キャスターの放つ魔力弾が、閃光と轟音ともに辺り一帯を吹き飛ばす。

「――――Sieben(七番) ……!」

 吹き飛ばされていく土。えぐれる地面。立っていられないような地響き。キャスターを中心に放たれている光が辺りを照らしている。
 真っ白く染まった視界の中、遠坂だけが地面にしっかりと足をつけて、キャスターに対峙していた。

「――――Acht(八番)……!」

 叫ぶような遠坂の詠唱。そこに膨大な魔力を込めたキャスターの砲撃が迫る。
 人を容易に覆えてしまえそうな巨大な砲弾に、遠坂が投げつけるようにして放った石の礫ほどの魔弾がぶつかった。もちろんあっさりと砕けて、霧散していく。
 だが俺たちの下に一向に砲撃は落ちては来ない。遠坂は無理に相殺させず、最低限の力を以ってキャスターの攻撃を軌道を四方に逸らしていた。

 それでも、止まらない。
 上手く魔力を逸らす遠坂を気にした様子も無く、切れ間なく魔力を叩きつける。無尽蔵かと錯覚するほどに、魔力弾を魔方陣から吐き出させていく。
 これでは逃げた所で、やられていただろう。
 後ろにいる慎二に振り返る。その顔は青ざめていて、唇を噛み、脂汗を流している。
 ――慎二だけでも逃がせればいいのだが、遠坂が散らした流れ弾が俺達を囲むように着弾している。
 下手に動いたなら直撃しなくとも流れ弾にやられてしまう。


 俺達の周りに着弾した魔力弾が地面をえぐったために、土煙が上がる。それが俺達の姿を隠していく。
 次第にこちらからキャスターの姿が見えないほどに濃くなった。あちらも同じだったのだろう、キャスターからの砲撃も止んだ。
 鳴り響いていた音が止み、辺りに静寂が戻ってようやく土煙が晴れていく。



 晴れた先には、キャスターが先と変わらず宙に浮いたまま、俺たちを見下ろしていた。

「あら……?
 お嬢ちゃん一人くらいは生き残っているかもとは思ったけど」

「……はぁ、はぁっ」

「頑張るわね……でも、そろそろ魔力切れが起こっているんじゃなくて?」

「はっ! この程度で余裕を気取るだなんて。
 キャスター、もしかして貴女、私に勝てる気でいるわけ?」

 遠坂のその言葉も完全に虚勢。後ろから見ていても分かる。
 このまま攻撃を受け続ければキャスターよりも遠坂が先に潰れるのは明白だ。
 そして俺は、一人立ち向かっている遠坂の背中を見るだけで何もできないでいる。

 俺は何のためにここにいるのか?
 慎二を守るんじゃなかったのか?
 遠坂の負担を減らすと誓ったのはどこの誰だ!?
 減らすどころか、完全に足手まといになっているじゃないか!
 それでも……それでも俺は、俺じゃ何も出来ない……!

「口が減らないわね……!
 いいわ、まとめて死になさい!!」

 魔力がキャスターに向かって収束し、七つの魔方陣が束ねられて大きな一つへと変わる。
 柳洞寺に充満している生命力が片っ端から魔力へと換算されていく。
 キャスターの言葉に偽りなく、その大きさは俺たちをまとめて殺して、余りある物だった。

「――――Funf(五番) ……!」

 すかさず叫ぶ遠坂。
 右手に乗せられた宝石が光を放つが、明らかにキャスターの魔力に負けている。

「つっ! Drei(三番、) ,Vier(四番) ……!
 Der Riese und brennt das ein Ende(終局、炎の剣、相乗)――――!」

 額に汗を浮かばせながら、宝石を足し、魔術を重ねる遠坂。
 舌打ちをして、握っていた左手を開くと同時に、光が漏れた。


 放たれるキャスターの魔術。投げつけられた3つの宝石。

 ぶつかる魔力と魔力。

 遠坂の繰り出した宝石は、それでもキャスターのそれには及ばずに力負けしていく。
 キャスターの魔力弾を逸らし、あっけなく弾け飛んでしまった。

「きゃああ!」

「遠坂っ!」

 それは遠坂の足元に着弾し、遠坂が俺のところに吹き飛ばされてきた。
 急いで、遠坂を抱え起こす。

「遠坂、大丈夫か!」

「――――つぅ」

「遠坂っ!」

「そんなに叫ばなくても聞こえてる。……大丈夫。
 でも……」

 目を逸らす遠坂。激しく息を切らし、その度に肩が上下する。

「キャスターの言うとおりよ。このままじゃ、こっちの宝石が先に尽きちゃう。
 今ので後一回、最初のやつでも後二回が限度……」

「――――くっ!」

 後一回は耐えられるなんていってるけど、目の前の彼女を見てはそう思えない。
 これ以上遠坂に無理をさせるなんて、俺には出来ない。

「ふふふっ、やるわね……あの質量を弾くなんて……。
 でも、流石に限界でしょう?」

 上から声が降ってくる。見上げると、キャスターが哂いながらこちらを見下ろしている。
 歯を噛み締めて、キャスターを睨む。

 せめて、遠坂と慎二だけでも逃がさなければ――――


 不意に、ぼくんっ、という気味の悪い音が聞こえてくる。

 何だ?
 そう思って辺りを見回そうとする俺の行動は声によって遮られる。

「――――キャスター。とりあえず首の骨を砕いておいたが、どうする?」

 葛木の低い声。声の方を見やると、スーツの乱れも、傷の一つもなく佇んでいる葛木。
 そして、仰向けに倒れたまま動かないリアがいた。

「リアッ!?」

「宗一郎さま………………。
 それでは、こちらの二人をお願いしてもよろしいですか?」

「構わん」

 キャスターはしばらく逡巡した後、懐から短剣を取り出して地面に降り立ち、リアへと向かっていく。
 禍々しい色彩。その存在感。何らかの能力が付加されているのは見ただけでも分かった。
 ――――そして、あの短剣は、決してリアに使わせてはならないと俺のドコカが告げている。

「慎二っ! 遠坂を頼むっ!!」

「私はだい、じょうぶよ!」

 気丈にそう言いながら、遠坂はゆっくり立ち上がる。
 俺はそれを確認して、傍に置いてあった木刀を握ってリアへと駆け出す。


 リアに近付いていくキャスターに、全速力で走り寄る。
 我武者羅に走る俺の目の前に、影が割り込んだ。
 ソイツが誰だか知らない。けど、邪魔をするっていうなら……!

「あああぁあぁぁああっ!!!!」

 全力で木刀を振るう。
 その障害物を弾き飛ばすため、力いっぱいに振りかぶって振り落とす。


 音もなく、目に映ることもなく振るわれる拳。
 それは偶然にも、振り落とした木刀と衝突した。

「ぐっぁ!」

 凄い勢いで視界が後ろへと下がっていく。
 その視界には、鉄の棒と化した筈の木刀がフタツ舞っていた。


 息が出来ない。痛い。
 胸が。木槌を打ち込まれたような衝撃。何だ?
 どうして空しか見えない?

 そこでようやく俺は自分が倒れていることに気がついた。

「っ!」

 満足に呼吸できない身体を起こし、再び前を見る。
 その障害物は――葛木は、俺に目もくれずに遠坂へと歩みだす。

「く、そっ、させる、かっ!」

 遠坂の前に立って、せめて盾になろうと走り出す。
 得物も持たずにアイツの進路を塞いで、俺に何が出来るか、それはわからない。
 でも、でも――――!!



「む……」

 俺が必死に走るその間にも葛木は遠坂に向かうが、その歩みは白い飛来物によって遮られた。
 葛木が肩越しにそれを視認し、危なげなく後ろへと跳んでソレをかわす。

「きゃ!」

 同じくして、キャスターの声。
 そちらを見ると、同じような飛来物がキャスターの進路を遮るように、いや弧を描いて飛んできたソレをキャスターは後ろに引いて避けたのだろう。
 ただ、その飛来物は、葛木に向かったソレとは違って黒い。

 そうして、乾いた音を立てて落下したその白と黒は、円の回転面を見せながら俺の足元に滑ってきた。


 遠く、砂利が擦れる音。疾風のようにその人物が現れたのを、大気が揺れ動いて知らせてくれる。
 そんな乱入者を、キャスターが憎しみを込めて、葛木は何の感慨もなく、遠坂は微笑を浮かべ、慎二は呆然と、俺は驚き――
 浮かんだ感情は違えど、そこにいる皆が、一人の少女を凝視する。

「遅いわよ。まったく……」

「ええ、遅くなりました」

 俺たち見つめる先には、血に塗れた衣服、切り裂かれた鎧を身に纏うボロボロな騎士の姿。
 けれども、その足取りは揺るいでいない。苦戦を伺わせつつも、門番を下してきたことを示していた。

「登場のタイミング、見計らってたんじゃないでしょうね」

 憎まれ口を叩く遠坂の表情も明るい。

 劣勢を覆す、俺たちにとっての唯一の逆転の目――――アルトが、いた。
 遠坂と同じく軽く微笑みながら、こちらへと駆け寄る。

「……士郎、リアは?」

「――――あそこだ」

 視線を送ってその場所を知らせる。
 相変わらず倒れたままのリアと、アルトが現れたことによる焦りか、あの短剣をリアの胸に突き立てようと急いで近寄るキャスターの姿がある。
 その様子を見るなり、アルトの顔色ががらりと変わる。

「士郎!
 凛たちは頼みます!」

「っ、分かった!」

 そうして弾丸のように駆け出すアルトは、迷わずキャスターへと向かっていった。
 俺は何とか返事を返したものの、目前の葛木に対抗しうる得物がなく、辺りを見回す。
 その視線は、俺の足元で止まった。


「悪い、アルト。借りるぞ……!」

 地面に落ちた双剣を急いで拾い、葛木に向かって構える。
 両の手に握ったその剣は、まるで俺にあつらえた様に納まった。

 その手を伝わって、その骨組みが、構造が、創造理念が俺に入ってくる。

 これが英霊が使う剣――――!
 すごい力を持っている。けれど……未完成だ。
 いや、未完成なんかじゃない? でも違う――――?

 その骨組みや構造の強固さ、その創造理念を表すための基盤は――この剣を作るに至る理念は、既に完成されている。
 作りが甘い? だけど、その辺りにあるような剣ではコレに太刀打ちすらもできないだろう。
 この基盤に見合う限界強度まで、引き出す作り方をされていない、のか?

 ……わからない。剣として完成されているのに、未完成品。まるで、レプリカ。
 それも、創造の理念を忠実に理解し、基本となる骨子を同一に組み、構成された材質と同じものを使いながら、違う鍛冶師が打ったような――――。
 だけどこれには確かに長年使われていた”経験”が存在している。それこそ、宝剣と呼ばれるようなモノが持つ存在感を確かに持っている。

 解析を終える。
 干将・莫耶。この双剣の名前。手に馴染む。この剣なら……。

 迫る葛木の腕。視界に影が蠢いていく。
 頭で理解する前に腕が――いや、剣が動く。


 ひたすらに相手の拳を双剣で受ける。
 リアに言われたように、自分から攻めず、防御と回避に徹する。

 顔の直ぐ横を突風がすり抜ける。頬が切れた。
 後ろから後頭部を狙って戻ってくる拳を、干将で受ける。
 間髪入れずに、懐に潜りこむ葛木の左拳を、莫耶が受ける。
 止まることない葛木の連打、連打、連打――――。
 干将が受ける、莫耶が受ける、干将が、莫耶が、干将が、莫耶が――

 その全てが綱渡りのような攻防。
 一瞬でも手を抜いたなら、次の瞬間には葛木の蛇は俺の身体を喰らい尽くしているだろう。

 受けろ、受けろ、受けろ、受けろ、受けろ――――!
 受け、切れーーー!!

 五合、十合、二十合、三十合――――。
 五十を回った辺りで、干将が綻び始めてしまった。
 そうなると早かった。どうにかする前に、強度を保てなくなった干将は真っ二つに折れてしまった。
 運命を共にするように、莫耶も消えていく。


 どうするか、そう思う前に俺は、己の内に埋没していた。
 それがまるで、当然であるかのように。そうすることがまるで、俺であることの証明なように。

 撃鉄が落ちた。

「――――投影、開始(トレースオン) 」

 手には干将・莫耶。その見た目は変わらない。でも――
 甘い。さっきの未完成みたいなものとでも、比べるのがおこがましいほどに。
 これと、さっきのが同じ剣だとは思えない。

 頭が真っ白になる。こんな無理をした所為だろうか。
 それも構わず、葛木の拳を弾く。

 ――崩壊。

 両方で二回。
 つまり、一度の衝撃でさっきのと同じように消えていく。

「――――投影、開始(トレースオン) 」

 次を。
 今度は想定をさら深く。骨組みをより強固に。
 脳が軋みを上げる。

 五合。粉砕。

「――――投影、開始(トレースオン) 」

 さらに強く、さらに奥に。
 実際にはそんなことはないのに、視界に靄がかかるような感覚。

 六合。決壊。

「――――投影(トレース) ……」

「そこまでです、キャスターのマスター」


 アルトの声に反応し、葛木がキャスターを見る。
 注意がこちらからキャスターに向いた事を確認して、遠坂と慎二の前まで下がる。
 そこでようやく視線をそちらに向かわすと、リアとアルトがキャスターに前後から視えない剣を突きつけていた。

「……キャスター」

「宗一郎様……ごめんなさい……」

 遠坂が俺に近寄る。
 なにやら遠坂からもの凄い視線を感じるが、とりあえずはこっちが先だ。
 軽くふらつく足に無理矢理力を入れて、しっかりと立った。






「さて、どうしますか?」

 アルトが遠坂と俺に問いかける。

「わざわざ問うまでもないでしょ」

「ええ、何をわかりきったことを言っているのですか。アルトは」

 対するリアと遠坂の言葉。それは、ここで倒してしまえ、ということなのだろう。
 確かに第三者に危害を加えたキャスターは、ここで倒してしまったほうがいいのだけれど……。

「…………あの」

 キャスターの声。
 その声は震えている。

「何よ? 命乞い?」

「私はどうなっても構いません。
 だから、宗一郎様だけはっ!」

「……え?」

 遠坂の信じられないものを見るような顔。

「生命力を吸い取っていたのも、全て独断で私が行っていたこと。
 宗一郎様は関係ありません」

「そりゃ……そうでしょうけど、あんたのマスターはそれを容認したんでしょ?」

 遠坂の歯切れの悪い言葉。
 彼女もキャスターの意図が読めないらしい。

「それは私が行っていたから、宗一郎様は仕方ないと仰られただけ。
 私がいなければ、自らそんなことをするお方ではありませんわ!」

「待て、キャスター。聖杯を得る、その手助けをすると私は言った。
 お前が消えては意味がない」

「そ、宗一郎様……?」

 つまり……なんだ?
 キャスターがいないのなら、葛木は自分が死んでも構わないっていうことなのか?

「……」

 葛木は黙ったままキャスターを見据える。
 キャスターは、そんな葛木に見つめられて狼狽している。

「でもね、あんたらを倒さない事には……!」

「……もう、いいんじゃないか? 遠坂」

「シロウ?」「士郎!?」

 何を言い出すんだ、と言わんばかりに俺を睨みつけるリアと遠坂。

「ええと、キャスター?」

「……っ?」

「あんたは、聖杯を手に入れて何をするつもりなんだ?」

 キャスターは口を開きかけ、数秒の間の後、また閉ざしてしまう。
 何か口に出せない理由でもあるのかと、キャスターを見る。

(――聖杯を使って……実際のところ、そんな望みは私にはないわ)

 頭に響く声。
 うっ、と額を手で押さえると、リアが俺を訝しげに見る。
 遠坂にも同じことが起こっているらしい。目を見開いてキャスターを凝視している。

(それじゃあ、一体、どういうことなんだ?)

(――私はただ……宗一郎様と一緒にいたい、それだけなのよ)

(――…………なによ、それ)

 頭に湧いた疑問に、キャスターの返答。思ったことがそのままキャスターに伝わっているようだ。
 それよりも……

(それじゃあ、聖杯は必要ないんじゃないか?)

(でも、そうでもしないと私と宗一郎様が一緒にいられる理由がないわ)

(……はぁ)

 どうでもいいけど、さっきから最後にやる気が削がれた声を出しているのは遠坂だろう。
 まぁ、でもわかった。
 これ、案外簡単な事なんじゃないか?

「……わかった」

「シロウ? 何がわかったのです?」

 リアの不思議そうな声。ただ、成り行きを見守るようにしているアルト。
 そして、ちら、と慎二を見る。あいつもいつの間にか持ち直したみたいだ。

「ええと、後で説明するよ。
 あのさ、キャスター」

「なにかしら?」

「慎二の命を狙わない、これ以上聖杯戦争に関与しない、それと町の人から生命力を吸い取らないっていうなら……。
 とりあえず俺たちはあんたたちに手を出さないよ。…………遠坂もそれでいいよな?」

「……え?」

「ちょっと、士郎。何を勝手に……」

 呆気に取られるキャスター。
 俺は、があー、と遠坂に捲くし立てられる前に葛木へと向き直る。

「後さ、葛木先生にもお願いがあるんだ」

「……なんだ?」

「キャスターを守ってあげてくれないか?
 他のサーヴァントが攻めて来た時、キャスターだけじゃ危ないだろ?」

「…………キャスター、お前はそれでいいのか?」

「ええっ! お願いしますっ!」

 喜色満面のキャスターと、表情すら変えない葛木。
 キャスターにはもう俺たちのことなんて見えていない。二人の世界に入ってしまったみたいだ。





「……とことん甘いのね、ボウヤは」

「全くよ」

 数分経ってキャスターが落ち着いたのを見計らって声をかけたら、いきなりこの言葉。

 そんなにまずい提案だっただろうか?
 俺にしては結構いい案だと思ったんだけどな。

 いつの間にやら軽く意気投合し始めている遠坂とキャスターを見て、一人不安になったりする。

「あ、繰り返すけど、町の人たちから生命力を吸い取ったりしたら黙ってないからな」

「ええ、わかってる。この土地のマナだけでも現界には問題ないから、搾取はしないわ。
 ……そうね。メディアの名に誓って守りましょう」

「そっか。メディアさんっていうのか。
 遠坂、リア、アルト、慎二。一応の決着はついたことだし、帰ろう」

 真名だろうその名に誓ったのであれば、念を押したりしなくても大丈夫だろう。

 キャスターの真名を聞き、驚く遠坂と、納得をし切れないリアを連れて、柳洞寺の門へと歩き出す。
 アルトはどこか満足いった顔で俺の横を歩いている。
 慎二も強がってはいたもののやっぱり不安だったに違いない。命が危険にさらされる事もなくなって、その顔には安心が見える。




 これで、ようやく一件落着だな。
 そう胸を撫で下ろし、階段を下り始める。そんな安心しきった俺の背中に、寒々しい声が突き刺さった。

「衛宮くん。帰り際、お話がありますから」

 ……どうやら今日という一日は、まだ終わってくれないらしい。




[7933] 九日目【1】
Name: 下屋柚◆26967502 ID:aed74653
Date: 2011/06/08 17:06


□□□

 あの赤毛の少年を、何と表現すれば良いのか――。
 とにかく甘く、非合理的。魔術師としては確実に落第だろう若輩者。
 ではあるというのに、どうにもそれを見下す気にはなれそうにない、不思議な少年だった。

 彼等が見えなくなるまで見送り、宗一郎様のお部屋に戻る最中、私は先の出来事を思い返す。

 魔法の域へとは届かずとも、技能でいえばそれを使う者の上をいっている自信が私にはある。
 だからか、私の魔術師としての在り方は徹底していた。そして、サーヴァントとして聖杯戦争に参加している以上、私は有利を保てるように常に合理的に――魔術師的に立ち回ってきた。

 少年は、魔術師であり、マスターであった筈だ。
 敵サーヴァントである私を消滅させる理由はあれ、彼が敵である私に手を貸す必要はまったくなかった。
 合理性を求める魔術師としては、真逆な考えである。今までの私の在り方とは、相容れないものの筈だった。

「ふふっ」

 知らず、笑みが漏れてしまった。
 しかし、そういう甘い魔術師のお陰で、マスターと短いながらも一時を共に過ごす事ができる。
 聖杯を得る、そんな理由を引き合いに出さなくても、マスターが共にいてくれる。

 平穏――。
 求めていたもの。

 愛する人――。
 手に入らなかったもの。

 仮初とはいえ、それが共にある。
 聖杯戦争のサーヴァントである以上、他のマスターやサーヴァントの襲撃が考えられるが、やり過ごすだけなら難しくはない。
 いくら最弱といわれているキャスターといえど、逃げるだけならば何とでもなる。いや、逆にキャスターであるが故に、逃げることにかけてはそう引けをとらないだろう。
 この戦争が終局を迎える時にどうなるのか――あの少年と戦わなくてはならないのか――それは未だわからないが、今は彼に素直に感謝していたい。

「……」

 宗一郎様が歩みを止めて私を見る。軽く笑いを漏らした私に反応して、顔にこそ表さないものの疑問を覚えているようだ。
 言葉にすれば「どうかしたのか?」といったところだろう。「いえ」と軽く首を振ると、興味を失ったようにまた歩き始める。

 ああ、マスターが、宗一郎様が愛おしい。
 無関心なようで、実の所私のことを気にかけてくれているのだろう。今日までの、聖杯を求めねばそこで終わる幻想と思っていた私には余裕など一片たりともなく、以前なら間違いなく気づかなかった。
 今は、違う。私が現界中の最大の障害物は取り除かれたのだ。こんな些細なことにさえ、幸せを覚えられる。


 そうだ。こんな夜更けになってしまったし、宗一郎様にお夜食を用意しようかしら。
 サーヴァントである私は空腹を覚えはしないけれど、お腹は減っていらっしゃるでしょう。
 ああ、でも私はあまり料理が得意ではない。魔術薬の調合ならば造作もないというのに、どうにもそれとは別物。勝手が違ってる。
 不出来な物を用意するよりはとは思うものの、こんな時間に居候の分際でお弟子さんたちに頼むというのもどうかと思うし。
 そもそも、起きだして来ないように魔術を掛けて眠ってもらっているのだった。そういえば人払いと防音の結界も解いてなかったわ。
 まぁ、それは後で解くとしても、私が作るしかなさそうね……。
 宗一郎様のお口に合うかしら? 迷惑だとは思われないかしら?

 でも、もしかしたら喜んでいただけるかもしれない。
 もう少し宗一郎様にお近づきになれるかもしれない。
 今でも幸せだけど、もっと幸せになれるかもしれない。

 そうね。丁度いい機会だから、お料理の勉強をするのも悪くないのかもしれない。




 そうして先に歩き出そうとしたところで、ぞくり、と寒気を覚えた。
 背筋に冷や汗が流れる。擬似的な心臓が、激しく拍動する。

 サーヴァントの気配に近い。だが、近いようで確実に違う。
 その気配の持つ魔力は膨大で、しかしそれを脅威と思えないほどに私たちとは存在が違う。
 蛇に対した蛙。猫に対した鼠。あちらが上で、こちらが下。間には越えることのできない隔たりがある。
 それは、もう柳洞寺の階段を上りきったから発されている。

 何故、ここまでの接近に気づかなかったのか。

 不自然に足を止めた私に、宗一郎様も立ち止まる。
 振り向くと、黒くぼやけるモノがこちらに近付いてくるのが見える。ゆらり、ゆらりと同じ速度で近付いてくる。

 コレには……私では勝てない……。

「宗一郎様、どうかこちらに」

 宗一郎様はこくりと一度頷くと、私の側に控えてくださった。

 魔術を編み上げる。
 柳洞寺に溢れている魔力が、本来私から引き出される代になり、集中する。

 ――――魔力の光弾。

 下手に式を組み立てるよりも連射性の高い其れ。
 だが、セイバーと、三騎士であるとはいえセイバーに劣る筈のアーチャー。あの規格外の二体を除けば、これでもサーヴァント相手に充分脅威となるものだ。
 しかしこれでさえ、あの影を倒せるとは到底思えない。

 それどころか、私たち――サーヴァントには、アレに勝つ手段などないだろう。
 あの凄まじいまでの対魔力を持つセイバーやアーチャーでさえだ。アレはそういうものだ。私の存在が、アレをそう認識している。
 この魔力弾も、足止めになれば御の字というところか。



 放つ、放つ、放つ。都合、三回。
 アーチャーのマスターに放ったように、撒き散らすことはしない。
 あの時は、相手の消耗を狙ってと、残りのマスターを逃がさないようにとしたものだ。
 通じないと分かっているものをぶつけ、こちらの視界を塞ぐなど愚の骨頂。

 そして続くように魔術の高速詠唱。使い魔を呼び、影の進路を塞ぐ。
 周囲に物理・魔術攻撃を遮断する防壁を張る。
 そして、自分と宗一郎様を中心に、魔方陣が足場を埋めていく。




 はっきりいって、ここまでする必要があるのか。
 わからない。わからないが、やるからには全力を注ぐ。
 慢心はしない。私のミスが、そのまま宗一郎様の危機に繋がるのだから。

 ――――逃げる。
 これが私の結論。私の全力を使って、成し遂げると決めたこと。

 ここを離れるのは、得策ではない。
 他に住み処を移しても地脈からの補助はクラスの特性上可能だが、摂取できるのはせいぜい逃げ回る程度の魔力。
 離れるのは惜しい。だが、ここでやられては本末転倒というものだ。


 だが、果たしてどこに逃げようというのか。
 一番に思いついたのは、あの不思議な少年。確りとした同盟を結んだわけではないが、彼等の本拠に転移してもその場で倒されるということはないだろう。
 本来ならその考えから命取りなのだが、何故かそう思えたのだ。むしろあの少年なら、私たちの為に戦ってくれるような気さえする。
 何を馬鹿な、と思う反面、きっとあの少年なら、と思う私もいる。
 それは置いておくとしても、私たちが一番安全にやり過ごせる場所は彼等の側だろう。

 ここまで考えての行動。
 キャスターの策略家という渾名は、伊達ではない。
 冷静に戦力を分析し、目的を履き違えない。
 必要なことに、全力を尽くす――――。

 力で劣る分、策略で、思考で、知恵でカバーする。




 だが、私は自分の目を疑う事になる。
 魔力弾が飛んでいく先から、影に飲み込まれていった。
 依然、影の速度が変わらない。魔力弾に怯む様子どころか、気に留めることすらしない。
 地面から生まれる使い魔が、影に飲まれてその場で相手の手駒として生まれ変わる。
 影から触手が伸びる。残った使い魔が一振りでなぎ倒された。
 魔力弾を放ってから、おおよそ二秒。
 全力で、万全に作り上げた筈の防御策の大半が、無力化されるまで時間。

 まさか、ここまでの力差があるなんて……。
 相手の使い魔を取り込み、主の鞍替えを行うなんて、相当な魔術の使い手か、よほど存在が捻じ曲がったモノか。
 いずれにせよ、私の勘は正しかったようだ。アレを相手にしては、いけない。


 敵方に回った使い魔は、私の張った防壁に阻まれ、魔方陣内には入ってこれない。
 これならば何とか空間転移が間に合う……!

 そう思った矢先の事だった。
 影から私たちに向かって、触手が伸びてきたのは。


 残った少数の使い魔は、同じく元を同じくした敵の使い魔にやられていて、壁にもならず。
 だが節こそ省略したとはいえ、全力で作り上げた防壁が触手を遮断する、筈だった。

「キャスター!」

 宗一郎様の声。焦った声を聞くのは初めてかもしれない。

 ――――触手は防壁に弾かれるどころか、防壁を破るでも、取り込むでもなく
 するり、と何事もなかったかのように『すり抜けて』きたのだ。
 そして、それは既に私の目の前まで来ている……。

   転移まであと一呼吸。

 空間転移の魔術を完成させる為に、私は回避運動すら取れなかった。

   転移まで、たったのあと一呼吸。

 例え動けたとしても、私には他に出来る事など、既に何もなかったのだ。


 そう――――ただ、足りなかったのだ。これは慢心でも、ミスでもない。
 一秒にも満たない、僅かな僅かな猶予。
 たったそれだけの時間が、私には足りなかっただけなのだ。

「そう、いちろうさま――――――」





[7933] 九日目【2】
Name: 下屋柚◆26967502 ID:aed74653
Date: 2011/06/08 17:07


◇◇◇

 俺は先の出来事を思いながら歩いていた。

 話は半刻程遡る。
 あれはキャスターと別れ、リアと俺が武装解除した後すぐのことだった――――




 柳洞寺の門をくぐり、階段を半分も下りただろうか。凛が突如足を止め、腕を組んで士郎を数段上から見下ろした。
 俺はその様子に、凛の数段下で立ち止まって凛を見る。慎二が気にせず凛の直ぐ横を通り過ぎるのが視界の端に映った。

「……衛宮くん。そろそろ教えてもらいましょうか?」

 その言葉に、先頭をきって階段を下りていた士郎が足を止め、振り返る。
 どこか虚ろに凛を見やる士郎は、疲れているのだろうか、恐らく無意識に「ふう」と一つ息を吐いた。

 さて凛の様子だけど、表面上は笑みを作っているもののきっと今にも怒鳴り散らしたいのだろう。
 よく見ると顔は上気しているし、気の所為かその瞳には炎が見える。
 対して士郎は、何やらぼーっとしていて何について問われているのかわかってはいないようで、

「教えるって、何をさ?」

 なんて凛の様子にも気づかず、抜けぬけと答えたのだ。

 ……凛の問いだけど、俺には見当がついている。間違いなく葛木相手に使っていた投影魔術のことだろう。
 士郎の鈍感振りに呆れる俺だけど、前回で遠坂本人から指摘されなければ自分の魔術の特異さには気づかなかったから、人のことは言えない。
 いや、今もそれほどには異様だという認識はないんだけど、聞くところによれば真っ当な魔術師なら解剖しようとしてもおかしくないという話だし。

 俺がそんなことを考えていると、見当違いの答えを聞いた凛は顔を真っ赤にしてふるふると震えだしていた。

「アルトが使ってたあの白と黒の剣をどっからか持ってきて何度も何度も顕現させていたこと!
 あれはいったいどういうことなのよっ!」

 凛、大爆発。

 あまりの大声にびりびりと空気が震える。
 リアと俺は思わず耳を押さえた。なまじ聴力が良くなってるだけに、鼓膜がキーンと痺れてくる。

「っく……いきなり大声出さないでくれよ遠坂。いくら辺りに民家がないからって迷惑だろ……。
 あ、うん。あの剣のことだったよな。わかった。わかったから、遠坂、あんまり睨まないでくれ」

 大声に、更にふらふらしていた士郎だったが、ぎろりと凛に睨みつけられて背筋に棒を入れられた様に直立不動になる。

 ううむ。それにしても憤慨している凛に向かってあそこまでマイペースだとは……大物だな、士郎。
 そしてそのやりとりの横で、マイペースな士郎に感心する(マイペースな)俺。

「えーっと、でも、遠坂には言った事があるだろ?
 俺、強化の魔術を覚える前に投影魔術を覚えたんだ、って」

「……ってことは何?
 あれは何の変哲も無い、只の投影魔術っていいたいわけ?」

「あ、ああ……?」

 キッと士郎を睨みつける凛。あまりのことに怒りのメーターが振り切れたのか、一瞬呆然としていたが、直ぐに顔を険しくしていく。
 赤くなる顔色に比例して、殺気が天井知らずに増加している。

「あ、あれが投影ですって? ……ふ、ふふふ」

 凛が笑っている。殺気を撒き散らしながら声を上げている。
 うん。これはやばいな。凛の笑い声を聞いていると背筋が寒くなるばかりだ。

 来るだろう怒声に備えて耳を押さえ、目を瞑り体を縮ませる。

 すまん士郎、成仏してくれ。俺には助けられない。
 ――まぁ、凛が本気で士郎を殺したりはしないって確信しているから傍観に徹していられるんだけどな。

 凛の声だけが場を満たす。
 俺はただひたすら、嵐が過ぎ去るのを待つことしかできない。

「ぅあ……」

 士郎の突然の小さな悲鳴とともに、士郎の気配が揺らぐ。
 思わず目を開けると、鈍い音をたてながら士郎が階段を転がり落ちる様が目に映った。

「へ? ……士郎?」

「シ、シロウッ!!」

 凛の戸惑う声が、リアの焦った声に掻き消された。
 リアは階段を飛び下りて、踊り場でようやく止まった士郎の体を抱き起こす。
 その士郎は「はっ、はっ」と荒く息を吐き出している上に意識は無く、転がり落ちる時に頭でも打ったのか額からは血が流れて出していた。
 俺も慌てて側まで駆け寄って、スカートのポケットに入れてあったハンカチを士郎の額に当てる。

 よかった。どうやらそんなに深い傷ではないようだ。

「え? ちょ、ちょっと士郎?」

「り、凛。いくら士郎の行ったことが気に食わないとしても魔眼を使うのはどうかと思うのですが」

 恐る恐る凛に、怒りが俺に向かってこないように言葉を選んで投げかける。

 さすがあかいあくま。やる時はやるということか。恐ろしい。
 凛はなにやらオロオロとしているようだけど、やりすぎたとでも思っていると見た。

「そ、そんなの使ってないわよ!」

「ということはガンドですか。どちらにしても怒りに任せて魔術行使というのはどうかと……」

 魔力は感知できなかったけど、凛ならそれぐらいの芸当やってのけるのかもしれない。
 理論的根拠は一切ないが……むう。ありえないと言えないのがまた恐ろしい。

「使ってないって言ってるでしょアルト!!」

 ぎらっと睨みつけられ、無理矢理閉口させられる。
 凛がその顔のまま視線を動かすものだから、後ろにいた慎二が「ひっ」と小さな悲鳴を上げた。
 あの顔で睨まれると本能が感じるのだ。「殺られる」、と。




 ――――回想、終了。
 そんなわけで士郎が倒れた事によってその話題は流れ、俺たちは明らかに不機嫌な凛を先頭に柳洞寺からの帰り道を歩いている。
 ただ、問題を先延ばしにしているだけなので、士郎が起きたら凛の追求は再開されるだろう。顔を後ろに向けて、背負われている士郎に「ご愁傷様」と同情の念を送っておいた。俺も一度通った道だしな。

 そして俺は今日のことを振り返る。

 ……今回は反省すべき事が山ほどあった。
 アサシンとの戦い方もそうだけど、その後のキャスターと葛木の対応も拙かった。葛木を士郎と凛に任せて、サーヴァントである俺とリアがキャスターにかかりっきりになってしまったのは痛恨だ。
 普通に考えて、リアを圧倒する葛木を相手に士郎が持ち堪えられる筈がなかった。
 今回は士郎が上手く投影を使って持ち堪えてくれたからいいものの、下手したら凛と士郎を捕らえられて立場が逆転していたかもしれないのだ。
 ……だけど、あそこでリアのほうに向かわなければルールブレイカーを使われてリアを失う事になっただろう。
 どっちを選んでも拙かったけど、結果を見ればこの行動を取る方が全員が無事な可能性が多少なりともあったようだ。

 そんなことを考えていると、いつの間にか凛が俺をじっと見つめていることに気がついた。
 ……嫌な予感がする。いや、していた。

「アルト、あのキャスターと葛木先生に向かって投げた武器は何?」

「……何といわれましても、短刀ですけれども」

 ――ああ、やっぱり。
 セイバーの体になってから、変な予感というか、悪寒を以前より敏感に感じるようになった。
 以前から違和感は感じていたんだけど、瞬間的なものだったので勘違いかと思っていた。
 それが、これからのことを示唆していると気づいたのは最近になってから。ともかく、嫌な感じがすると間違いなくよろしくない事態になる。

 聞くだけだと便利そうな能力だけど、既に回避不能な状況になっていちゃどうしようもない。

「そんなことを訊いているじゃないわ。
 なんで、あんな中国刀をあんたが持っているのかって訊いてるのよ」

「え、ええと……」

 えーっと、あの剣について問い詰められるのはともかく、何で怒られているんだろう?
 と、そんなことよりも、何か、何か理由を……!

 …………な、何も思いつかない!
 なにか良い言い訳が無いかときょろきょろと視線を彷徨わせると、俺のすぐ横にいるリアがこちらを見ていることに気がついた。
 助けを求めて、必死に視線をリアに向ける。「たすけてくださいおねがいします」という意思を、これでもかと込めた視線を。

 リアは「はぁ」と小さく嘆息すると、仕方がないという風に凛に視線を向ける。
 どうやらしっかり通じてくれたらしい。……助かった。

「リン」

「何、リア。私は今、アルトと話しているんだけど」

「いえ、その中国剣についてです」

 へ? と不思議そうな顔をリアに向ける凛。

「リンもご存知の通り、私たちは生前は王でした。もちろん、私の国も他国との交流がありました」

「ええ、知っているわ。でも、それがどうかしたの?」

 いきなり語り始めたリアに、俺と凛は何事かと視線を向ける。

「簡単に言えば、その中には中国などの諸国も含まれていたということです。
 これで何となく察してもらえると思いますが」

「……なるほどね。生前、貢物やらで手にしたことがあるって言いたいわけね。
 でも、サーヴァントが使うのは、慣れ親しんだ武器なんでしょ?」

「ええ。その通りです。
 アルトが投げたような中国剣は、私には使うことができません」

 え? ちょっと待ってくれ、リア。
 それじゃ結局、俺が干将・莫耶を使えるのはおかしいって説明しているだけじゃないか。

 一人焦る俺を置いて、リアと凛の話は進められている。

「それじゃやっぱりアルトが持っているのは不自然じゃない」

「ええ。しかし、推測できることがあります。
 アルトに限れば、生前手に入れた武器を今回の聖杯戦争で使用できるのではないでしょうか?
 私にはセイバーの適正しかなく、クラスもセイバーですが、アルトは違います」

「つまり、アーチャーとしての特性か、それともイレギュラー故に、ってこと?」

「ええ、あくまで推測の域は出ませんが……」

 な、なるほど。そういう手があったか!
 時代的に見ても干将・莫耶はアーサー王の存命していた時代には既に存在してたから、有り得ない話じゃない。
 凛にはあの二振りの中国剣が『干将・莫耶』だとは気づかないだろうけど、辻褄のほうも合わなくは無い。

「アルト、そうなの?」

「え、ええ。そのようです」

 凛がじっと俺を見つめてくる。
 俺は、リアの用意してくれた言い訳をありがたく頂戴して、凛の言葉に頷いた。

「まぁ、それはいいわ。それじゃ改めて訊くけど、何で今までそのことを私に教えなかったワケ?」

「……私も今回初めてこの能力を認識したものですから。
 リアがキャスターに襲われているのを見て、咄嗟に」

 僅かに考えて、答えを返す。
 『アルト』になってから嘘が上手くなったなぁ、と思い知る。全然嬉しくないけど。

「――そう」

 納得し切れていない訝しげな瞳を俺とリアに向けた凛だったが、「ふう」と小さく息を吐くと気を取り直したように俺に向き直る。
 自然と俺も体に力が入ってしまう。

「まぁいいわ。それより……あれって宝具かそれに準じたものよね? 私見では、結構なもんだと感じたんだけど。
 それこそ現存していたらどこぞの博物館か、どっかの名家の家宝とかになってるくらいの」

「そ、そうですね。あれほどの業物はそう見られるものではないかと」

「……王に贈られるくらいの物でしょうしね。
 まぁいいのよ、それは。それどころかこっちの手持ちカードが増えてラッキーってなもんよ。
 剣技で負けているアルトに、リアよりも有利な点が判明したんだもの。問題はね……」

 一息にそこまで言うと、今度は音が聞こえるくらい息を目一杯に吸いこんだ。

「問題はっ!
 なんでそんな宝具とも呼べる剣を、この、このバカが投影で作り出せるかっつーことよっ!!」

 うわ……口調がどんどんすごいことになってるぞ。
 そんな感想は出てくるくらい「があー」と吠える凛。今日一日で確実に血圧が上がったことだろう。

 ……しかし。士郎のフォローをしてやりたいのは山々だけど、俺には流石にそこまでは誤魔化せない。
 っていうか、言い訳がまったく思いつかない。

「……私にはわかりかねます。
 私ではなく、どうぞ士郎本人を問い詰めてください」

「アルト……」

 士郎をあっさり見捨てた俺に、リアから冷たい視線が突き刺さる。

「わかってます。わかってますから……」

 でも、仕方がないじゃないか。どうやって、衛宮士郎とアーサー王を繋げろっていうのさ。




「お、おい! お前等少しは後ろを気にしろよな!
 こいつを背負ってここまで歩いてきてんだからさ!」

 気がつけば、はるか後方を歩いていた慎二が喚き散らしている。
 問題は、何故慎二がそんなに遅れを取っているのか。
 ……というのもどういう気の吹き回しか、「仕方ないから、衛宮くらい背負ってやる」とあの慎二が申し出たのだ。

「慎二。だから、私が背負いましょう、と言っているではないですか」

「……っ! うるさいな! 赤いほう!
 僕が背負ってやるって言ってるんだから、お前等が合わせて歩けばいいだろ!」

 むう。流石、慎二。我侭っぷりも並じゃない。

「間桐くん、口の利き方、気をつけなさいね……。
 私は士郎みたいに、あんたのこと許したつもりもないんだから」

「はんっ!」

「…………」

 無言で左手を慎二に向ける凛。その左腕には魔術刻印が輝いている。今度こそやる気か。
 流石にそれはどうかと思ったのか、リアが凛の腕を押さえて慎二との間に入った。

「リン、押さえてください!」

「リア、放しなさい!
 一度このバカに自分の立場ってもんをわからせてやるんだからっ!」

 どうやら凛は冷静さを欠いているらしい。
 対して慎二の方も、先ほどの眼光を思い出したのか口とは逆に態度は正直だった。何気に俺の後ろに回って凛の視線から逃れている。アルトシールド展開。

「は、青いのも赤いのを見習えよな。
 お前、衛宮のサーヴァントなんだろうが。赤いのの方がよっぽど衛宮のサーヴァントらしいぞ」

 だが、それでも口は減らないらしい。俺の影から今度はリアに向かって言い放つ。
 それにしても「赤いの」「青いの」という呼称はどうにかならないものか。

「……」

 無言で戦闘武装を終えるリア。何故か俺ごと射竦められる。
 殺気に反応したのか、慎二の背中で士郎が「う、ううう……」とうなされ始めた。

「はぁ……リアも落ち着いてください」

 止める者がいなくなっては仕方が無いので、今度は俺がリアをなだめに回る。

「まったく。
 慎二はもうマスターという訳でもないのですから、リアも凛も少しは打ち解けてもいいんじゃないですか?」

 二人に言葉を向けると、いっせいに視線が俺へと集中した。

「このバカとは打ち解けるとかいう問題じゃないわ!
 一回その腐った根性を叩き直してやる!」

「そもそもです、何故アルトはシンジを擁護しているのですかっ!」

「そうよアルト!
 あんた、いったいどっちの味方なのよ!」

 あれ? えっと……なんで俺が責められてるの?





[7933] 九日目【3】
Name: 下屋柚◆26967502 ID:aed74653
Date: 2011/06/14 21:57

◇◇◇

 剣を合わせ、その反動で弾かれ宙を舞う。飛ばされた先のコンクリートの壁を蹴り、また昇る。
 景色が、上から下へと凄まじい速度で流れていく。空気の層が体に当たり分散され、だがしかし上昇する己の速度は衰えない。

 地は見下ろすほどに遥か下。数少ない人の影は、もう蟻のようなサイズでしか確認できない。
 だが、それでもまだ上へ。壁を駆け上がるように上へと。
 私はもう一つの影と時折ぶつかり、弾けながら頂上を目指す。そこには敵のマスターがいる筈だ。


 そも、人とは地を駆けるモノであり、己の体で空を飛べるように出来ていない。
 翼を失い地に墜落したイカロスのように、大空へと挑んだ者は例外無く地面へ落ちていく。
 だが目の前の相手はそんな訓話をものともせず、擬似的にだが自在に空を駆けていた。


 足場のない状態では、幾多の兵を破ってきたこの剣技も鈍る。
 かつて圧倒していた相手。だが今は打ち合うのが精一杯だ。一つでもミスをすれば、重力に逆らえず地へと落とされることになるだろう。
 意を決して相手に飛び込むも、相手は受け流すだけでまた空へと飛び上がっていく。壁を蹴り先を行く相手に追随し、いつしか、ビルの端に到着していた。

 先に到着していたはずの敵――ライダーの姿は屋上には見えない。
 だが……気配は確かに近い。辺りを見回す間もなく、体を全速力で上空へと投げ出した。

 瞬間、今まで自分がいた場所を白い何かがなぎ払う。
 体に衝撃の余波が襲い掛かる。強烈な熱量で、コンクリートの地面が焼かれていく。
 通り過ぎたそれは、数十mのこの高さを超え、上空で翼を羽ばたかせていた。

 ライダーの姿を目で確認し、驚愕する。
 彼女の跨っているそれは――

「天馬……!」

 呟きは闇に消えていく。
 ライダーの名を冠している以上、何かしらの幻想種を伴うだろうとは思っていたが。
 目の前の天馬は、自分が知っている同種の物とは魔力の桁が別物だった。

 天馬に跨っているライダーは何を言うわけでもない。
 高く舞い上がり、その身を矢に変えながら敵を粉砕せんと空気を穿ちながら飛来してくる。




「ハァ……ハァ……、ァ――」

 休みなく迫る光の矢。
 その全てを回避し、その回数だけ吹き飛ばされて地面を転がる。

 巨大な質量に、回避しても尚体が吹き飛ばされる。
 堅固なはずの対魔力も上回るそれに貫かれてしまう。
 風王結界で防壁を重ねても、少々の緩和にすらならない。
 体を起こし、剣を構える。弾かれ続けた体が悲鳴を上げる。

 だが、それでも勝機がないわけではなかった。
 相手の宝具を受けきれば、無防備なライダーを切り伏せることができる。


 何度目だろうか、ひたすら耐え機を待っていたが、ライダーが不意に停止した。
 怪訝に思うが、そんな疑問も屋上に踏み入る人物を見つけて霧散する。

「セイバー!」

「シロウ!? どうしてここに――――!」

 入り口で佇んでいるシロウ。

 この場にくれば、否応無しに巻き込まれてしまうというのに!
 怒りと、そして同量ほどのなんともいえない感情が湧き上がる。
 それはきっと。その瞳が、これ以上ないほどの心配の色で染められていたから。

 騎士である自分を、そのように扱わなかった彼――――

「どうやら余興はここまでのようね、セイバー」

 言うや、ライダーは大きく天馬の翼を羽ばたかせる。そしてその手に形成されていく黄金の縄。
 天馬は高く迂回しながら飛行する。小さくなっていくライダー。だが、その魔力による輝きは増し、ライダー、天馬と一体となった光点は大きくなっていく。

 次にくるのは、ライダーの持ちうる最大の攻撃だ。その気迫から紛れもない必殺の意思を感じ取る。
 目的は私だろうが、その威力はビルの屋上ごと吹き飛ばして余りある。

 振り返り、シロウを視界に収める。ここで私がライダーの攻撃を防がねば、シロウも巻き込まれて絶命することになるだろう。
 シロウはライダーの放つ魔力の猛りに戦慄しながらも、マスターとしての役割を果たさんと歯を食いしばり耐えている。

 ――――そんな彼を手助けしたいと、思ってしまったから。

 覚悟は決まった。
 真名の秘匿、魔力の残量、時間……様々な問題を振り切って、両手に収まる剣を握りなおす。
 大きく息を吸い込み魔力を生成。静かに吐きながらそれを圧縮。魔力を送り、剣に纏われている風の戒めを解く。

 手には視覚化された黄金の剣。
 私は主の剣となり、私の剣はその刃になる。剣は、主の道を立ち塞がるその全てを断ち切る。
 目の前に迫る、神秘の具現。光の彗星となったライダーも例外にはなりえない。

 眩い星の光の中、私は剣を振り下ろし
 空間を、世界を、ライダーを光で両断して
 ……私の視界は闇に包まれた。




 ――――場面が切り替わる。
 気がつけば、私は光の下にいた。

 己の意識を確認した途端、体重が二倍にも三倍にもなったような、そんな重圧と。
 まるで自分が消えていってしまうような無力感が体を襲っていた。


 だが、体にかかる負担がこれ以上ないくらいに大きくても。
 手は膝をしっかりと掴んでいるし、風は確かに頬を撫でている。
 頭に泥のような重みもあるし、覚束なくではあるものの両足は地面を踏みしめている。

 それでも。
 理解って、いる。

 目の前で絢爛な絨毯が重戦士の着地でえぐられていく。
 階上にはこの城の持ち主である少女。無邪気な笑顔とは裏腹に、彼女が放つは命を摘む言葉。

「ああ。時間を稼ぐのはいいが――――別にアレを倒してしまってもかまわんのだろう?」

 絶望的な状況。凛やシロウではバーサーカーを傷つけることも出来ず、戦力であるべき私は魔力不足。
 そんな中、アーチャーが凛の言葉を受け足止めを引き受けた挙句、そんなことを口にした。
 「命をかけて盾になれ」と凛は命じているというのに、アーチャーは口元を吊り上げ相変わらずの口調。追い詰められた様子は一片もない。

 バーサーカーを相手にしてはアーチャーは勝てない。
 いや、アレを一対一で相手にして勝てるサーヴァントがいるのだろうか。
 ……少なくともアーチャーはそれではない。

 凛にもそれがわかっている。だから、彼女の拳は今も固く握られたまま。
 凛が、私が城を後にするために走り出す。――彼女も私も、無力な自分に打ちひしがれながら。


 突然、目の前の凛が後ろを振り返った。習うように立ち止まり後ろについてきている筈のシロウを見る。
 アーチャーがシロウに何かを語りかけている。

 体の魔力が足らない所為で五感に靄がかかっているようだ。
 その影響か、アーチャーの言葉が聞き取れない。
 だけど、その内容を知っている。私には聞こえない。でも、知っている。


 シロウを伴い、城の外へと走り出す。
 魔力の迸りと激しい破壊音を背に、私たちは森を駆けていく。
 視界はぼやけ、轟音が遠くに聞こえる。酷い風邪にかかったような気だるさは体を苛み、高熱が出たときのように意識もはっきりとしない。
 そんな体を引きずりながら、目の前の凛とシロウの背を追いかける。

 ――いけない。
 そう思ったときには私の膝は崩れ落ちていた。
 倒れる体を何とか持ちこたえようとするものの、足が前に出ない。
 暗闇が降りてくる。意識が落ちていく。倒れこんだはずなのに、その衝撃は体まで届いてこなかった。




 アサシン――――。
 正確な振り。押せば引く柳のような戦闘技術。得物の特性。
 そしてその全てに覚えた既視感(デジャ・ヴ)。

 覚えるのは当たり前だったのだ。
 それを目の前で見ていたのだから。一度、彼と戦ったのだから。
 その鋭い一撃も、彼の持つ秘技もこの目で見、直感での回避も既に体験していたのだ。

 思えば彼と剣士として戦いたいと思ったのは当然のことだったんだと思う。
 夢で受けた感覚、彼女が思ったこと全てを、私は同調(トレース) していた。
 彼女は、アサシンを剣を使う者として認めていた。私は、あの戦いを心の奥で楽しんでいた。

 それに引きずられ剣のみで彼を打倒しようとした。
 彼女がそうであったように、自分のどこかもアサシンと剣のみで戦いたいと思っていた。

 経験だけじゃなく、彼女の意識や考え方に塗りつぶされてきている。
 こうして狂戦士から逃げている今だって、意識していないと私が『衛宮士郎』であることを忘れそうになっている。


 凛とシロウが、私の……いやセイバーの名を叫んだ。
 離れかけていた意識がなんとか持ち直していくのを感じる。
 けれど相変わらず足に力が入らないままで、走ることはおろか歩くことも一人で満足にこなせない。

 守るべき主に抱かれ、迎え撃つべき敵に背を向ける。
 そのなんと情けないことか。なんと申し訳ないことか。

 己の力不足を感じ、恥じ、憤慨する。
 せめて負担にならないようにと体に鞭を入れても、活力は依然戻らない。




 アインツベルンの城、いやバーサーカーから結構な距離をとる事ができた。
 それもこれも彼、アーチャーの奮戦あって…………、いや、彼はまだ戦っている。
 己のマスターを守るために、あの暴力の塊に挑んでいるのだ。
 勝敗を決めつけるなど、彼に対する侮辱であろう。

 そうだな。謎の多い彼のことだ。もしかしたらヘラクレス殺しを成してしまうかもしれない。
 私に出来ることは、少しでも魔力を回復することだけだ。


 いつしか、目の前に寂れた小屋が見えてきた。
 木々に覆われ、侵食され、一階は森の一部になろうとしている。

 シロウに抱かれたままの私は、現界こそ出来ているものの張り詰めた糸のような状態であった。
 己の足で歩けないほど魔力が枯渇していた。意識が朦朧としている。
 いつの間にか二階に上がっていた凛とシロウは、ゆっくりとベットの上に私を下ろした。

   …………待て。
   そういえば、この後は……?

 凛の言葉にセイバーがこくり、と頷く。

   ここにきて、俺とセイバーの意識は完全に分かたれた。
   思考も、感情も九割がた同一化していたものが、真っ二つに割れた。

   凛、勘弁してください。お願い……です、だから。
   誰か、助けてくださ……助けてくれ!

   だが、反してセイバーの体は動かず、俺の意思で動くところは一つとしてない。

 凛が近づいてくる。瞳が妖しく輝いている。上気した肌。
 これから起こることに僅かならず期待しているのか、この体も火照ってきている。

 視界の端にはシロウ(士郎)。胸の辺りがキュウ、と切なく締め付けられる。
 おどおどした様子と真っ赤にしたその顔は、私の胸の奥を刺激する。


   やめろ。やめてくれ凛。
   そんな、俺は……! いやだ……!


 伸びてくる、凛のほっそりとした手。ゆっくりと頬に触れられた。
 途端、ぴりっと静電気が走ったような衝撃が体に走る。
 撫でるようにその手はブラウスに。むず痒い、疼きのような感覚が手と共に移動していく。
 視界がチカチカする。緑に囲まれているというのに酸素が薄い。
 体の奥が熱い。満足に体が動かないというのに、いてもたってもいられない。


   うああああぁぁぁぁぁあ!
   俺は、自分に抱かれる趣味なんて――――


「持ち合わせちゃいねぇーーーーーー!!」

 上半身を無理やり起こす。
 重くのしかかるモノを弾き飛ばし、飛び退く。
 蹴り飛ばされたそれは、ぼふっ、と鈍い音を立てて壁に当たり、ずりずりと落ちていく。

 …………布団?

 辺りを見渡す。
 かちっ、こちっ、と壁掛け時計が規則正しく音を立てている。
 その他には、息を荒くした自分の呼吸だけ。
 まだ暗い。時計を見ると、短針は四時と五時の間を指している。

「……はっ、はっ、……はぁ、……はぁ…………え?」

 ……夢から、醒めた?
 醒めてくれたのか……。

「よ、よかったぁぁー」

 飛び退き、中腰に構えていた両足が崩れ落ちる。
 思わず、ぼすっと音を立てて顔から枕に倒れこんだ。うつぶせのまま、停止する。

 良かった…………本当に、よかったぁ。
 もう想像しただけで……くそっ、涙が出る。
 自分にこんな屈辱を覚えるなんてっ! 衛宮士郎の馬鹿野郎!

「どうしたの、アルト?」

「え?」

 顔を上げると、ドアの先には凛の顔が。
 ――妖しく輝く瞳。伸ばされた手。瞬間、さっきの夢がフラッシュバックして――――

「うわぁぁぁ!」

 反射的に、枕を投げつけていた。

「あ」

 俺は、ただ呆然と投げつけた枕の先を見つめることしか出来なかった。

 それを顔面に受けた凛は、微動だにしない。きっかり一秒後、どさっ、と音を立てて床に落ちる枕。
 一秒前まで枕の張り付いていたそこには、恐ろしい笑顔を浮かべた夜叉がいた。







[7933] 九日目【4】
Name: 下屋柚◆26967502 ID:aed74653
Date: 2011/06/14 21:58




 まだ外は暗いまま。太陽はまだ地平の向こうで、光がこの屋敷に届くのに二時間は優に掛かるだろう。
 静謐とした世界の中、室内灯をつけた私の部屋はやはり静かであった。
 そう、目の前で凛が私をじっと見ているのだ。じとーとした目で。……怖い。

「あ、あの」

 胸の前で手を合わせたり、部屋の中に視線を巡らせたりしていたけれど、沈黙に耐え切れず声を掛けた。
 自然と引け腰になってしまい、声もあんまり出てくれない。

「……その」

 声を掛けてみたけど、凛に反応がない。状況の打破には至らなかった様だ。
 どうしよう? どうすればいい? 結局また、おろおろすることになった。

 掛けた声の余韻が完全に消え去った頃、ようやく凛が一つ息を吐いた。
 何事か考えごとをしていたのか、その息には、何か重いものが混ざっていた気がする。

「枕を投げつけるってのは一体どういう了見なのかしら?」

「す、すいません、すいません! 決してわざとじゃ……」

 びくーん、と直立不動。その後、米搗きバッタのようにペコペコと頭を下げる。

「そうね……わざとやってたんなら、間違いなく拳が飛んでたわ」

「ひっ」

 「……座れ」と言われて即座にその場で正座した。目線を合わせるように、凛が目の前でしゃがみ座りしている。
 それに、凛の声が恐ろしいほど平坦である。もう一度言おう。……怖い。

「まぁいいわ。それで、どういうことよ? いきなり枕を投げつけるなんて」

 ふぅ、と軽く息を吐いて両足を抱え込む凛。声が一瞬で普段の調子に戻る。
 こちらもほっと息を吐き、姿勢を正した。

「申し訳ありません。あの、少し気が動転してまして」

「だから、何で気が動転してたの? って訊いてるわけ。
 何かあったんでしょ? 枕ぶつけられたんだから、訊く権利くらいあるわよね?」

 なんて唇の端を吊り上げながら言って、私の額を掌でぺしぺし叩く。

「えーっと……その」

 口篭ってしまう。『夢の中で貴女に襲われました』とでも言えばいいのか。
 何時ぞやの出来事が脳裏に甦る。


 ……

「凛は、何故か私の体に過度の興味を抱いているようなのです」


「――――過度の興味って、遠坂。まさか、お前」

 誰も動かず、言葉も発せない中。
 数秒程経って、気づいたように士郎が凛から飛び退く。顔はヒクヒクと引きつり、その後もじりじりと後退している。

「ち、違うわよ! ア、アーチャー! 変なこと言わないで!!」

「セイバー、遠坂には極力近寄っちゃ駄目だぞ。何をされるかわかったものじゃない」

 士郎はセイバーを腕で後ろに下がらせる。
 だが、それに素直に従うようなセイバーではなかった。

「ええ、わかりましたシロウ。
 ――リン、先に言っておきますが、私はそちらの趣味は持ち合わせていません。少なくとも自ら進んで行おうとは思っておりません。
 どうか他を当たるよう、お願いします」

 セイバーは進み出て、手を『STOP!』というように凛の前にかざす。
 なるほど。サーヴァントはマスターを護るモノであって、マスターに護られるモノではないということなのだろうか。

「セ、セイバーまで……」

 流石にセイバーの一言は効いたのか、凛は力尽きたように膝をついてうな垂れた。

 ……


 なんてことがあったからな。俺が原因で。
 夢の内容を見る限りじゃ、まったくのデマってわけでもなさそうではあるけれど。
 まぁ、それでも口に出すのは憚られる。


 って……あれ? 夢の内容、覚えてるぞ。

 今までは起きるころには断片しか残っていなくて、意識が覚醒するころには忘れていたけど今日ははっきりと覚えている。
 それどころか体験夢に限っていえば、初日から昨日の夜の分まで全部、記憶がある。いや、思い出したといったほうがいいのかもしれない。
 でも……なんでさ?

「ねえ」

「はいっ! あ、なんでしょうか?」

 どうやら考え事に耽ってしまっていたらしい。凛の声で我に返る。
 凛はいつの間にかに顔を伏せていた。声が、震えている。

「やっぱり駄目? 私には話せない?」

「駄目って、一体何を……?」

 心臓が、一拍飛ばして跳ねた。
 俯いたままの凛の表情は、こちらからは見えない。けれど、その声からは容易に苦悶の色が聞き取れた。

「あなたは、何を隠しているの?」

「か、隠してるだなんて、そんな……」

「馬鹿じゃないんだから、リアと何かあったことぐらい気づいてる。その問題が、あなたとリアの存在に大きく関わっているってことも。
 ――――伝承の相違による人物の分化だなんて、嘘なんでしょう?」

「…………」

 凛に、睨みつけられている。顔を赤くして俺を見るその目尻は、少し潤んでいた。
 疑問を投げかけられ、それでも俺が一向に何も言わないものだから凛は頭(かぶり)を振ってまた視線を落としてしまう。

「ずっと、引っかかってた。同じ英霊が同じ地に召還されて、性格がここまで違うなんてありえないって。
 そもそも、貴女とリアって本当に同じ英霊なの? セイバーにしか特性がない筈なのに、アーチャーとして召還されるアーサー王。当時に存在している筈もない和弓を扱えるし、昨夜の中国剣にしてもそう。
 なんで、咄嗟に出るのが中国の短刀な訳? 同じ短刀としても、アーサー王が所持していたカルンウェナンの方が絶対に使い慣れてる筈よね?
 ……あなた、わからないことが多すぎる」

 俺は、何も言葉を返せない。思考が上手く回ってくれない。
 目は見開いたまま瞬きは出来ず、わなわなと唇が震えるだけで口を開けもしない。
 そんな俺の様子をどう見て取ったのか、凛は自嘲するような笑みを浮かべた。

「……そうよね。私のことを信頼してくれてるようで、貴女は何も話してくれていない。
 いつかは本当のことを話してくれると思ってたけど、いつも言葉を濁してそれっぽいことを言うだけだもの。
 ねえ。私じゃあなたのマスター足り得ない? あなたのマスターとして力不足なの?」

「ち、違います、そんなことはありません! 凛は、凛は立派に……!」

 関を切ったかのようにまくし立てられ、咄嗟の俺の否定も空しく響く。
 感情の昂ぶりによるものか、信頼されていないという悔しさからなのかはわからないが、凛の頬を雫が伝っていた。
 あの遠坂凛が、俺に言葉を叩きつけながら涙を流していた。

「じゃあ、何よ! 何が違うっていうの?」

「それ、は……」

 言葉が続かない。今まで隠していたことのやましさからか、凛の視線を避け、下方に向けてしまう。


 俺は、どうすればいい? 凛に全てを話すべきなのか?
 遠坂凛に、俺が衛宮士郎の成れの果てだと知られたくなくてここまで隠してきたけれど、それは果たして凛を不安にさせてまで貫き通さなければならないことなのか?

 考えるまでもない。俺の我が侭なんかで、凛を悲しませていい筈なんかない。
 ――――けれど。俺がここで全てを打ち明けることで、良からぬ問題が発生しないだろうか?
 これまでの経緯も、衛宮士郎としての一生をも語らなければ、今の俺について説明できない。
 そうすると、どうしても俺の知るもう一つの聖杯戦争の顛末についても話さなければならなくなる。隠したまま上手く話せるほど、俺は器用じゃない。

 これからの大まかな情報を凛が知ってしまうことで、何か重大な過ちへと繋がってしまわないだろうか?

 リアに知らせる分には、問題はなかった。あくまで彼女はサーヴァントであり、物事の最終的な判断はマスターが行うからだ。
 情報に左右されるのは士郎や凛であり、その判断如何によっては全員の生死に関わってくる。
 そも、衛宮士郎として聖杯戦争で得た知識は曖昧なもので、全てを知っているわけじゃない。
 他のサーヴァントの情報にしてもそうだ。宝具について、戦い方や能力の幾つか知っているからといって、そのサーヴァントの全てを知ったわけじゃない。
 ……知っているもの以外に、宝具を複数持っている可能性だってある。

 そう考えると、迂闊には話せない。
 何より話すことで、結果的に凛や士郎に危険が及んでしまうかもしれないから。

「――――サーヴァント・アーチャー。真名をアルトリア=ペンドラゴン。
 有名な名は、アーサー王」

「ええ、貴女のことよね」

「あなたに召還された後、私はそう名乗りました。
 ――ですが、厳密にいうならば私はアルトリア=ペンドラゴンではあっても、アーサー王ではありません」

「え? アーサー王の名を持っていながら、アーサー王じゃない?」

 それでも――話そう。
 話せるところまででも、凛に打ち明けよう。

 ここで何も話せないなら築いてきた信頼は崩れ落ち、代わりに凛と俺の間には確実に大きな亀裂が生まれるだろう。
 そうなったら、もう取り戻せない。一度生まれてしまった不信感は、簡単に拭えない。
 凛は俺のことを戦力として信用はしても、今後一切、信頼することはなくなるだろう。
 パートナーではなく、完全に使役する者とされる者の関係――主(マスター)と従者(サーヴァント)に成り下がる。

 でも、そんなことは結果でしかない。そんなことは、考えるまでも無い。
 だって俺は、凛との信頼を失いたくない。それだけなんだから。

「…………そしてその時、真名が二つあると言ったのを覚えていますか?
 確証はありませんが、私がアーチャーのクラスで喚ばれたのはそのもう一つの真名が関わっているのだと思います」

「え? あ、真名がふたつあるって…………嘘!?
 それって、てっきり二つ名がアーサー王なんだと……」

 勘違いしていたわけか。
 それについてまったく問い詰めてこないから、おかしいとは思っていたのだけど。

「凛。アーサー王は真名には成り得ません。
 アルトリア――いえ、アルトリウスを王の名としてアーサー王と呼称しているだけです」

「……考えてみればそうよね。なんであの時に思い至らなかったんだろ。
 それじゃあ、もう一つの真名っていうのは?」

「申し訳ありませんが、それについては、まだ話せません。
 今話してしまえば、色々な不都合が生じてしまう」

 顎に手を当てて、考え込む凛。若干赤くなった目が、俺を射抜いている。

「……不都合?
 ねえ、真名が知られることで不都合が生じるって、何か重大な弱点でもあるわけ?」

「いえ、そういうわけでは……確かにその名の私は弱点だらけかもしれません。
 ですが、戦闘面で能力が下がるといったような類のものでもありません」

「――――そう。直接的に不利な事態に陥るって訳じゃないのね。
 中国剣や、和弓を使えたのは?」

「それは……もう一つの名の方に関わってきます」

「話せない、のね。そう……わかった」

「すいません」

 大きく頭を下げる。話せたことなどないに等しいけれど、もうこれ以上は衛宮士郎に繋がってしまう。

「謝らなくていいわ。
 それより、今話したことに嘘はついてないのね?」

「ええ、ついていません。私の――アルトの名に誓って」

 じっ、と俺の瞳を見つめる凛。
 対して俺も、目を逸らさず見つめ返す。ただ、ひたすらまっすぐに。

「……それならもういいわよ。ここで納得しとく」

 そうして暫くして、凛は袖で目を一度こするとすっと立ち上がった。

「……悪かったわ。こんないい年して駄々をこねたみたいで。
 でも、貴女も悪いんだからね。これからは少し貴女のマスターのことを気に掛けてあげなさい?」

 照れ隠しになのか、凛は顔を赤くしたままぶっきらぼうに言い放つ。
 申し訳ない気持ちになると同時に、どうしようもない愛おしさがこみ上げてきた。
 ここに俺がいる理由は、いまだわからない。けれど、訳のわからないこの状況だけど、それでも俺のマスターが凛であってよかった。そう思えた。

「……はい。ありがとう、凛」

 俺が小さく頷いてみせると、凛はフン、と小さく鼻を鳴らしてそっぽを向いて見せる。



「ああ、最後に聞いておきたいんだけど」

「はい?」

 部屋から出て行こうとしていた凛が足を止めて、振り返ってきた。
 丁度こちらも立ち上がっていたので、目線が同じ高さになる。

 振り向いた彼女は、そっと微笑んで一言。

「貴女の真名――貴女のもう一つの名前、いつか私に教えてくれる?」

「そう、ですね」

 それがいつになるかはわからないけれど。

「きっと。いつか必ず」

「そ。それじゃ、その時を期待しているわ」

 微笑むとそれだけを言って、凛は歩みを再開させた。いくらも経たないうちに彼女の背中が廊下に消える。
 俺はその姿が見えなくなっても、凛が出て行ったドアをしばらく見つめ続けていた。






[7933] 九日目【5】
Name: 下屋柚◆26967502 ID:aed74653
Date: 2011/06/15 23:47



 しばらく扉を眺め、布団の上に寝そべりながら頭の中を整理する。
 付けっ放しの室内灯から影をつくるように、顔を右腕で覆った。

 ……軽い耳鳴りを覚えながら先程のことを思い出していた。
 頭の中は話さずに済んだという安心感と、凛に対しての罪悪感で一杯だった。


 判断を誤る可能性があるから話せないとあの時は決断したけど、それだけだったのか。
 凛や士郎の身を危惧したから、あの結論に至ったのか。
 本音を明かしてくれた凛に対して、誠意のある回答ができたのだろうか。

 ――――そんなことは、ない。

 衛宮士郎が感情で動いてしまうのを止めてくれているのは、いつも彼女だ。
 俺が一人で考えるよりも、手持ちの知識を活用して今よりも優れた対策を立ててくれるだろう。
 何かを間違えているようなら俺やリア、士郎が意見するなりしてサポートすればいいだけのこと。
 あの時俺は、正体を『話さずに済む理由』を必死に探していた。

 イレギュラーなセイバーのままでいたかったのは否定しない。
 自分が衛宮士郎であるとばれてしまうことに対する不安は、いつでも心に根付いている。


 それが、凛に対する都合のいい過小評価を生み出した。
 それを、自分が逃げる為の言い訳にしていた。

 俺は冷静に、自分が今後どうするべきかを考えなきゃいけない。

 手をついて上半身を起こす。
 小さく息を吐いて、寝巻きにプリントされているデフォルメした子犬を何となく見つめてみる。

 ――――俺は、俺自身はどうしたいんだろう。
 図らずもセイバーの体を借り受けてしまった俺は、いったい何になりたいんだろう。
 今の俺という存在はきっと酷く曖昧で、不安定だ。
 あまりに弱い。自分の居場所にばかり固執して、為すべき事が出来ちゃいない。

 今一度、俺は原点に帰る必要がある。

 ――――『正義の味方』
 赤い世界。起こしてはいけない悲劇。
 そこに浮かぶ衛宮切嗣の顔。救われた、そしてその行為に憧れた。

 切嗣の目指したモノ。そして、衛宮士郎が目指しているモノ。
 多くの人を助け、救う。そんな夢のカタチ。
 届かない、遥か遠い到達点。そこへの道、その在り方。
 俺が衛宮である理由。いや、衛宮士郎を名乗る俺は、衛宮士郎である限り其れを求め続けていく。

 それだけは変わらない事実。
 あの赤だけの世界から生還し、朽ちていった者を置き去りにした俺に出来ること。
 すべきことはより多くの人を、助けること――――それだけだ。

 悩む必要はない。
 悩む余地など挟まない。
 ――――俺が、衛宮士郎であるならば。

 頭がクリアになっていく。

 そうだ。いくら考えても結果は一つしかない。
 サーヴァントは聖杯戦争が終わった後はこの世界から消滅し、またどこかへと召還される。
 その枠組みに俺が含まれているのかはわからない。でも、出来ることなんて限られている。出来る限り被害を出さずに聖杯戦争を終わらせるだけ。
 持てる力で凛やリア、士郎を守り、そしてその上で聖杯戦争中の被害を最小限に留めることだけだ。

 聖杯に求めるモノなんて、俺にはない。
 人々を救える、人々に平穏を取り戻す。それだけで俺は俺でいられる。
 例え、その過程で朽ち果てようとも。


 思考は終着まで行き着いた。
 ……行き着いたはずだ。それ以外の選択肢は存在しない。

 でも、この心に残る異物はなんだろう。
 衛宮士郎の精神に残る、このわだかまりは――――。




 異物感を払うように頭を軽く振り、時計を見る。

 起きるには早すぎるけど、今から寝るにはちょっと遅すぎる。
 朝食を作るなら、丁度いいかな。

 立ち上がってクローゼットを開ける。
 そこに掛かっているハンガーを手に取って、ブラウスを取り出す。

 思考を切り替えて、改めて自分の部屋を見回してみる。
 衛宮士郎だった頃と変わらず、いや、その頃よりも物が少ない。
 基本的には凛の部屋と間取りは変わらない洋室。その隅には小さな机。その上には遠坂邸から持ってきた『世界の宝剣』が置いてある。
 ベットの代わりに布団を敷いてあり、それが凛の部屋より広いような錯覚を覚えさせている。


 クローゼットに掛かっている赤の長袖を端にずらして、同じく掛かっているスカートを二つにたたんで腕に掛ける。
 ここに掛かっているものも、そんなに数がない。
 いつも私服にしているブラウス数着と、スカートも同じ数だけ。それに今ずらした凛の私服のサイズ違いに、昨日借りたベージュのカーディガン。
 サーヴァントだから、私物が少ないのは当然なんだけどさ。出来ればジーパンとかズボン類の方が精神的に楽になる。
 ……でも、用意してくれないんだろうな、凛は。俺の反応を見て、楽しんでいる節があるし。

 軽くため息をつきつつ、視界を下げないままパジャマを脱いで手に取ったそれらを身に着けていく。
 最後に髪の毛を結ぶ。結び終わって鏡で確認。そして時計を見る。
 ――よし。上出来。

 結ぶ速度が上がっていることに密かに達成感を覚えている俺がいる。
 リアに教えてもらおうかと思ってたけど、ちょっとしたコツを掴んだから後は追いつけ追い越せだ。
 ……俺、追い越してどうする気なんだろう。




 廊下を静かに歩きながら、居間に向かう。
 士郎を部屋に寝かせた後、リアに任せて部屋に戻ったけど、士郎は大丈夫だろうか。

「アルト、おはよう」

「あ、おはようございます」

 居間に着くと声が掛かり、思わぬ人物がいたことに驚く。
 小さく笑みを浮かべて挨拶をしたのは、先ほどまで一緒にいた凛だった。私服に着替えた彼女は、静かに紅茶を飲んでいたようだ。
 朝が弱い彼女のことだからもう一度寝るのかと思っていたけど、起きていることにしたようだ。
 時計を見ると六時ちょっと前。俺が着替えたりする時間を差し引くと凛が出て行ったのは五時過ぎくらいか。

「あ、アルト、ちょっと来て」

「何でしょうか?」

 朝食の下ごしらえを始めようかと台所に向かっていた俺は振り向くと、凛は立ち上がって歩き始めた。
 廊下に続く戸の側まで行くと、そこで俺が付いてくるのを待っている。
 なんだろう、と思いつつ素直についていくことにする。


 どこに行くのかと思ったら、凛は士郎の部屋の前で立ち止まった。
 そのまま襖をノックする。……少し待ってみても中から返事はない。

「入るわよ」

 凛は一言だけ声を投げかけた後、襖を開けて中へ入っていく。
 というよりも、元より返事は期待していない振る舞いだ。

 男の部屋に堂々と乗り込む凛に軽く嘆息しながら、後に続く。

「失礼します」

 ……そういえば、アルトになってから士郎の部屋に入るのは初めてだな。
 といっても珍しい物は何もない。記憶の中にある俺の部屋と寸分違わない。
 部屋の真ん中で、士郎が布団の上に横たわっている。
 その横にはリア。壁を背もたれにして眠っていた彼女は凛の声に反応して起きたらしく、佇まいを正している。

 俺と凛が無言で歩いていたとはいえ、彼女が声を掛けられるまで気づかないというのは異常だ。
 魔力の供給が少ない彼女には、昨夜の葛木との戦闘で負った負傷の修復も馬鹿にならないのだろう。
 俺が駆けつけたときにはもう倒されていてその怪我の程度を見ることはできなかったけど、首の骨を折られていたらしい。
 キャスターのあの小剣を使われなかっただけ、首の骨だけで済んで良かったと見るべきなのか。

 いつの間にかサーヴァントの常識に染まってきている自分に、ちょっとびっくりする。
 普通、人間だったら首の骨折られたら即死だ。俺にしてもアサシンに斬られた傷で死んでいる。
 ……知らないうちに、そうとは思えなくなってきているのが怖い。

「あの、こんな早くにどうしたのですか?」

 リアが不安げに凛を見ている。
 こんな早朝に乱入したことから緊急事態だと思ったか、それとも寝入っていたのを見られたことを気にしているのか。

「ちょっと早起きしちゃっただけ。別に他意はないわよ」

「そう、でしたか」

 二人が会話している間に、俺は士郎の様子を見てみる。
 以前、宝石を呑まされた時の様に息は荒く、頬が赤い。うなされているのか、口元は言葉を紡ぐことなく、ぱくぱくと動いている。

 どんなことを言っているのか気になって、士郎の口元に顔を寄せてみる。
 ほとんど聞き取れない。唯一理解できたのは「男……赤い……世界」

 ……赤い世界とは俺が助けられたことか、そしてそこで語られる男とは切嗣のことだろうか。
 その単語には心当たりがありすぎる。組み合わせてみても『赤い男』、『赤い世界』……。『男の世界』だけは心当たりはないが。
 なんにしても、基本的に夢を見ない衛宮士郎という人間が何かを見ているということ自体が珍しい。
 ま、もともと興味本位だから、そんなに内容が気に掛かるわけじゃないけど。


 ふと気が付くと、リアと凛の話し声が聞こえてこなくなっていた。
 不思議に思って二人の方に顔を向けると、リアは複雑そうな顔で、凛はにやりと笑ってこっちを見ている。

「どうしたのですか? リア、凛?」

「ああ、いえ。
 この位置から見るとアルトがシロウに、まるで抱きついているように見えたものですから」

「へ?」

 俺が、士郎に、抱きついている?

 リアの言っている意味を理解する前に、凛がすっと立ち上がる。
 そのまま静かに歩き出すと、俺と士郎の延長線上に立つ。

「丁度いいわ、ていっ!」

 そう言って、俺に向かって蹴りを繰り出す凛。打撃を与えるというよりも押しのけるように足を押し出した。
 士郎の顔に寄せるように体勢を崩していた俺は、もちろん避ける余地もなくその蹴りを受けることになる。
 
「な、なにを……やめてください、凛」

 背中に凛の足が当たる。痛くはない。でも、なんとか持ちこたえようとする俺に向かって体重をかけてくる。
 あ、もう駄目だ。倒れる。

「あ、ちょっ……ぅあ」

 どさっ、と倒れる俺。当然俺の下で寝ている士郎は潰される。
 何故か、倒れた俺を足でぐりぐりと踏みつける凛。なにやら顔を赤くしてそんな俺と士郎を見比べるリア。

 なんだ、この状況。

「……ん~、駄目ねぇ」

 俺を踏みつけたまま、そう漏らす凛。なんにせよ説明があって然るべきではなかろうか。

「やっぱり、直じゃないと駄目かしら」

 そう言いつつも足は未だに俺の背中に乗っていて、俺と士郎は密着状態にある。
 伝わってくるのはごつごつとした、男の体。

 む、もしや……。
 体で押し潰してから、下に潰された士郎を見て思い当たる。
 士郎の胸と俺の胸に挟まれていた手を引き抜き、そのまま伸ばす。

「……ぅ」

 小さく漏れる士郎の声。それに構わず、俺は手を伸ばし続ける。

 顔の位置を合わす様に、士郎の肩と自分の肩を合わせる。当然だけど、俺よりぜんぜん広い。一回りも二回りも違う。
 腕。そこまで太いわけじゃないが引き締まっている。触っただけで欠かさず鍛えていることがわかる。
 腹。手を沿わすと筋肉の隆起が感じ取れる。硬い。自動車のタイヤみたいな弾力がある。
 胸。見た目ではわからないけど筋肉質だ。重過ぎない程度ついている。
 触るたびに士郎から漏れる、喘ぐ様な声。それに気づかず、俺は士郎の体に魅入っていた。

 太ももをさすって、ぺたぺたと触ってみる。
 だらしなく放り出された左手で握ってみる。無意識にか握り返してきた。
 首を撫でる。……ちょっと物足りないけど、いい感じ。
 最後に背。両腕を使って抱きついてみる。安心できる、思っていたよりも逞しい体。

 ――――やっぱり。思ったとおり。

「な、あ、ちょっと! アルトどうしたのですか! 何をいきなり!」

 先ほどより顔を赤くしたリアが俺に向かって叫んでいる。
 顔から湯気が出そうな勢いだ。

「そうよ、何をしているのよアルト! なな、なんか手付きがいやらしいわよ!」

 同じく、いつの間にか背中にあった足を離して距離を取った凛が顔を真っ赤にしている。
 おまけに、若干ぷるぷる震えている。

「何って……。士郎って、実は結構筋肉質なんですね。気づきませんでした」

 ――――何をしているって、見てわかるように士郎の体の鍛え具合を見ていたのだ。
 自分だった頃じゃわからなかったが、傍から見ると中々どうして。
 体に厚みはあるし、全体的に贅肉は少なく柔軟な筋肉が作られている。筋トレのみで作られた見せる筋肉じゃなく、動くための筋肉。

 ああ、毎日の日課が間違っていなかったんだと今だからこそわかる。
 こうした日々の鍛錬があったからこそ、聖杯戦争中に遭った咄嗟の襲撃にも体が対応出来ていたんだろうし。
 自分が目指している位置に、ほんの少しだけど近づけていたんだと思うと、思わず微笑んでしまう。

 俺の微笑みを見たらしいリアと凛は何故か、ぴしり、と固まった。

「だ、駄目ですアルト! そっちの道は間違っています!!
 戻ってきてくださいアルト!」

「い、イヤーー! 私のサーヴァントが好色なんて、すっごいイヤーー!!
 マッチョ好きとか、ほんとやめてー!!」

 何で二人はそんなに取り乱しているんだろう。
 士郎に抱きついたまま、訳もわからず俺は首を捻った。







[7933] 九日目【6】
Name: 下屋柚◆26967502 ID:aed74653
Date: 2011/06/16 23:37


 目の前でふるふると震える凛と、口をパクパク開閉させているリア。
 士郎の上に跨ったまま上体を起こして、それでも様子の戻らない二人を眺めてみる。


 ……さて、ところで困ったことがある。
 というのも、二人が取り乱している理由がさっぱりわからない。

 そういえばさっき俺が士郎に抱きついているってリアが言ってたけど、それの何がまずいのだろうか?
 リアは俺の正体を知っているんだから、俺が自分に抱きついているって知ってるのに。俺が凛やリア相手に抱きつくのだったら大問題だろうけど、相手は自分じゃないか。
 何にも問題はないよな。

「二人ともどうしたのですか?」

「……え? どうしたって、その、わかるでしょう?」

 その言葉に反応した凛は視線をあっちこっちにやりながら、まだ顔を赤くして俺に問いかける。もごもごと喋っているので、声が聞き取りづらい。
 ちなみにリアも俺の言葉に対して何だか変な顔をしている。

「ええと、何をでしょうか?」

「あ、あのねぇ……。いい? 貴女は女、士郎は男。
 そのあなたが士郎の体を、その。ま、まさぐってたら何があったかと思うのも当然でしょうがっ!?」

 顔を真っ赤にしながら、叫ぶ凛。
 その後、自分が言ったことに軽く自己嫌悪したのか、頭を抱えて座り込んでしまった。


 まさぐったって……なんでさ。
 凛にも筋肉のつき具合をみてたってしっかり伝えたのに、何でそんな卑猥な表現が出てくるんだ?

 今回抱きついたのは俺で、抱きつかれたのは士郎。まぁ、そこまではわかる。見様によってはそう見えると思う。
 でも寝ている士郎に抱きついただけだから士郎の居心地が悪くなったりしないし、俺の肌を晒した訳じゃないから慌てる必要もない。
 そも、セイバーが言うにはサーヴァントには性別はあってないものということらしいし。俺にはそうは思えないけど、セイバーが言ってたことだしそれが正しいんだと思う。

 つまり、俺が抱きついたら士郎の精神的に穏やかじゃいられないと思う。でも士郎は寝ているから大丈夫。
 士郎の体に付いた筋肉を見ているって言ってあるし、その前にサーヴァントだから男女がどうとかも関係ない。

 ……うん。考えてみたけど二人が慌てふためくような問題はなさそうだよな。

「何もありませんし、大丈夫ですよ。
 それに男女がどうのとのことですが、事、私と士郎でしたら何も問題はありません」

「はぁ!? 何でよ!?」

「アルト、それは違う! あなたと私、リンならばともかく、あなたとシロウだけは危険です!」

 目を見開いて声をあげる凛。そして俺の言葉に反応したリアが俺に詰め寄ってくる。

 な、なんでこんなことに二人とも必死になっているんだ?
 特に、リアの発言の理由がわからないだけにその気迫に気圧されてしまう。
 大丈夫って伝えてるのに、何故すごい勢いでリアに否定されているんだろう。

「ち、ちょっと待って! 何でアルトの相手が私とリアだと問題ないの!?
 …………って、一般的には問題ないのかも。え、でもそれじゃ何でアルトと士郎だけ危険なのよ?」

「あ、いえ、深い意味は……。ですが、アルトとシロウだけは良くないのです……!」

 ……話が都合の悪い方向に向かっているような。
 凛には解らないだろうけど、リアも暗に俺と士郎が同一人物ってことを指摘している気がする。
 なんでそこで俺の正体をばらすようなことを言うのかはさっぱりわからないままだけど。

「そ、それより。凛は何故私を蹴倒したのですか?」

「……もしかしてアルトと士郎って、その……そういう仲だったわけ?
 問題ないってことはそれぐらいしか。でも、そんな素振りなかったわよね……」

「凛?」

 話を逸らそうと……というより大筋に戻すべく問いかけるも、ぶつぶつ何か呟いている凛にはしっかり届いてなかったらしい。
 仕方ないのでもう一度問いかけてみると、ようやく気づいた凛はかしこまって俺を見る。

「……へ? あ、うん。
 以前、士郎に宝石呑ませた時、アルトが触れていたら症状が快復していったでしょ?
 今回も同じことが起こらないかなー、とか思ったんだけど」

 そういえばそんなこともあったかな。
 ――いや、そうだとしても蹴倒すのは間違ってないだろうか?
 はいそこ、「なるほど、流石はリン。抜かりはない」なんて簡単に感心しないよーに。

 気を取り直して腰の下で横たわっている士郎を見下ろす。
 けれど、昨日の帰りの時より若干落ち着いた感じはするものの熱病にかかったような顔色や呼吸は戻っていない。
 顔は赤いままだし、呼吸も弾んだままだ。この様子だと少なくとも午前中は起きてこれないと思う。

「駄目、みたいね」

「そのようですね」

「あの、せめて蹴る前に一言欲しかったんですが」

「むー、やっぱり直じゃないと効果が出ないのかしら……」

 直? というと、また前回みたいに士郎の服を捲り上げて胸を触ったりするのだろうか?
 俺の発言が綺麗に無視されたことはひとまず置いておいて、立ち上がって二人の側まで寄っていく。
 俺がいつまでもまたがったままだと士郎もいい加減重いだろうし、病人の上で話しているのも気が引ける。

「凛。でしたら直という方法で試してみるべきではありませんか?」

「そう? いいの?」

「それで士郎が快復するかもしれないのでしたら、試さない手はないかと」

 触るくらいで治るのなら、やるべきだろう。わざわざ俺に聞き返すほどのことではないと思うけど。

「本人の許可を得たわ! リア、アルトを押さえなさい」

「はい!」

 言われるや、後ろからリアに羽交い絞めされる。

「な、何ですか!?」

「ふふふ、蹴り倒した時は思っていたような反応じゃなくて取り乱しちゃったけど、今度こそは!」

 って、そんな理由で俺を蹴倒したのか!
 いつの間にリアは俺の後ろに回ったのか。何故押さえられる必要があるのか。
 それに他のマスターの命令を素直に聞くのはサーヴァントとしてどうなんでしょうか、リアさん。

 後ろに下がろうにもリアに抱きかかえられて、地面を蹴れず。女の子を殴る訳にもいかないから本気で抵抗する訳にもいかない。
 疑問が幾つも浮かんでは消えていく中、半ば呆れながら凛を見ると、含み笑いしながら士郎のTシャツを脱がしている。

 ……もしや。

 上半身を裸にされた士郎が布団の上に横たえられる。
 それを見ている俺は、浮かんでしまった考えで顔が青ざめてくる。

「はーい、次はアルトの番ですよー」

「ひっ」

 怪しく光る凛の瞳。伸ばされるほっそりとした指。その先には俺の着ているブラウスが。
 その先――迫ってくる凛のその奥には、裸で横たわる士郎がいる。

 あまりに昨夜の夢に、状況が近すぎる。

「うわぁ! リア、放してくれっ! 嫌だ! お願いだから放して!」

「その、リン。どうすれば……アルトがあまりにも……」

 癇癪を起こしたような必死な様子で暴れる俺を、抑えようとしているリアは凛に向かって困り顔を見せている。
 取り乱している俺を尋常ではないと察してくれたようだ。リアと凛相手に抵抗できるとは思っていなかったけれど、これは何とかなるかも――――

「放しちゃ駄ー目。
 うまくすれば、あなたのマスターの容態がよくなるかもしれないんだから」

「わかりました」

 ……まぁ、こうなるとはわかってたけどね! 確信に近い感じで。

 諦めに似た感情で体が満たされていく。
 もう抵抗する気も起きない。……いや、これって紛れもなく諦めか。

「さてさて、ご開帳~♪」

 リボンが取られ、ブラウスの前が開けられる。
 虚空を見つめながら、(凛ってこういう時、親父臭い)などとぼんやり考える。

「って、あんたブラは!?」

「……してませんけど」

 びっくりした様子の凛の問いに、無感動に答える。
 もはや一切の抵抗もしていない。

「してませんけどって……一応渡しておいたでしょーが。女の子としてそれで良い訳?」

「あ、私もしていません」

 直ぐ後ろからリアの声が聞こえてくる。
 む、言われてみれば背中に柔らかい感触が……。

「……そういえばあんた達って、そういう環境で育ったんだものね。
 言った私が馬鹿だったわ」

 動きづらいのは確かだけど、しなきゃならないほど邪魔には……。なんて雑念が混じってきたので振り払う。
 言ったら最後、リアにのされそうなので間違っても声には出しません。出せません。

「ま、そうね――――倫理的に危ない気がするけど、士郎も寝てることだし構わないか」

 是非とも、そこで踏みとどまってくれると嬉しかったんですが。

「リン、流石にそれはどうかと……」

「女性として踏み込んじゃいけない一線だと私は思います!」

 おずおずと上がるリアの声に、俺もすかさず同意の声を上げる。

「う……でも士郎が動けないことには今後の予定も立てられないじゃない」

 流石の凛も一瞬怯む。でもやっぱり止めるまでには至らず。
 俺としてもそれを出されたら断ることなんてできない。

「ほらほら、私だって好き好んでやってるわけじゃないんだから」

 あ、それは嘘だ。
 だって口元がちょっと吊りあがってぴくぴくしてるしさ。

「さぁ。さっきみたいに抱きつきなさい。今回に限り、場合によってはそれ以上も許すから」

「それ以上ってなにをさ」

「いいからいいから」

 小さく謝るリアによって士郎の前まで輸送される。
 いいんだ、リアは悪くない。悪いのは赤いアクマだからリアが謝る必要は……なくもないと思う。

 地面に下ろされ、軽くたたらを踏んでいると凛に後ろから、とん、と軽く押される。
 どうやったのか、羽織る形になっていたブラウスも一緒に剥ぎ取られる。

「へぶっ」

 倒れた衝撃で肺から空気が漏れる。
 ひゅ、と軽い空気の音と一緒に士郎の呼吸も一瞬止まった。

 さっきと同じ体勢。違うのはお互い上半身が裸なこと。肌の感触が生々しい。
 素肌の所為か、以前自分の体だったものをまるで別人のように感じてしまう。その上、触れている士郎の体が熱いから余計に拍車をかけている。
 ……士郎に覆いかぶさっているから見ることはできないけど、俺も裸だし。セイバーの体だし。
 士郎と俺の間に、具体的には胸部にワンクッションがあるというか。それが士郎の体に押し潰されている感触をリアルタイムで感じているのだから、わざわざ言うまでもないけど。

 いや、駄目だ。考えちゃ駄目だ。
 無心、思い出せ弓道の心。我を殺せ。己に克つのだ。

 ………………。
 無理でした。

「……」

「……」

 あんまりにも二人の反応がないので首を仰け反らせて上を見ると、真っ赤になった凛とリアが映る。
 その顔を見て、今どういう状況に置かれているかを認識してしまって俺の頭にも血が上ってくる。まるで顔面が心臓にでもなったみたいだ。

「こ、これは目の毒ね」

「そうですね! 肌が見えないようにすれば……」

 そういってリアが布団を被せてくる。
 士郎の顔と、俺の肩から上だけが出る形で収まった。

「ちょっとリア、これじゃ逆に……」

「……ええ。迂闊でした」

 なんだ!?
 これじゃ逆になんなんだ!? 何が迂闊なんだ!?

「し、しゅーりょー!」

 そう言うや、布団を剥ぎ取って俺を立たせて、ブラウスをせっせと着せてくれる。
 その間にリアが士郎にTシャツを着せていくのを、俺は凛の成すがままになりながらただ呆然と見ていた。

「予想以上に破壊力がでかかったわ……。男女間の性ってものをちょっとばかり侮っていたみたい」

「私も同じ姿の者が男性に抱きついていることが、こんなにも恥ずかしいものだとは思っていませんでした……」

 顔を赤くしたままなんだかよくわからない反省の言葉を交し合うリアと凛を見、昨日今日の己の所業を思い出す。
 なんでこんなことになったんだろう。でも、負い目はあっても悪いことはしてないと思います。……くそう。

「凛、何故私はこんなことを」

「ほ、ほらっ! 士郎も…………えーと
 幾分? よくなってるしね!」

 む、確かにちょっと好転しているかも。ほんの気持ち程度だけど。

「あー、あれかしらね? 今回と前回の違いから鑑みるに外的なものと内的なものによって回復の違いが生まれるかもね」

「ほう。というと? どういうことなのですかリン?」

 リアと凛は必死に話を逸らそうとしている。二人とも早口で議論を始めた。
 その割にはちらちら横目でこっちを見ているし。何だかそれが、何時怒られるのかびくびくしている子供みたいだ。

 ……ま、済んでしまったことだしな。多少なりとも士郎も良くなっていることだしさ。
 今回は納得しておこう

「続きをお願いします」

「ええ。つまりね、前回は宝石を呑ませるっていう外側からの力が働いていた訳。その時は直ぐに治ったでしょ。
 対して今回は、世界に真っ向から反発するような非効率な魔術を何度も使っていた訳。
 士郎の魔術回路がオーバーヒートしているのか、それとも別の要因で倒れたのかは判断がつかないけど、どっちにしても内面的なものが起因しているの。
 ちなみにその使った魔術っていうのは『グラデーション・エア』っていって、魔力を基に儀礼触媒を擬似的に作る魔術なんだけどね。もちろん擬似的だから存在は脆い。
 その上に、魔力で編まれた物だから直ぐ消える、使い勝手の悪い魔術よ。これを主に使う現存する魔術師なんて聞いたことないわ」

「しかし、リン。シロウは」

 俺の言葉に、目に見えてほっとした二人は話に没頭していく。

「ええ、確かに士郎の投影魔術は中身を伴っていたわ。リアでさえ吹き飛ばされた葛木先生の一撃を受けて持ちこたえていた。
 強化の成功率見てたから、この馬鹿どれだけミソなのかと思ってたけど、投影だけなら一級品よ。
 まさか士郎がグラデーション・エアの、しかも専門魔術師レベルの使い手とはね。……効率は悪いけど」

 やっぱり自分の魔術が宝石魔術なだけに気になるのか、さっきから効率って言葉を付け足している。
 ……今の段階でも「アイツの頭の中、どうなってるのか一辺調べてみたいわね」なんて顔をしているのに、それが半永久残るって知ったらどうなるやら。

 リアとアイコンタクトを交わす。リアも俺の魔術がどういうものか知っているからな。
 今後、どうあっても士郎が責められることがわかったのだろう。

「とりあえず、以前のように治らないってのはわかったし、居間に行きましょう。
 ここにいても士郎が良くなるわけじゃないしね」

「そうですね」

「わかりました」

 リアが若干呼吸の落ち着いた士郎に布団を掛け直して、すっと立ち上がる。
 それを確認した凛が部屋を出、最後に部屋を出た俺が襖をそっと閉めた。





[7933] 九日目【7】
Name: 下屋柚◆26967502 ID:aed74653
Date: 2011/06/18 03:28


◆◆◆

「いっ! つぅ……、あれ?」

 ずき、という痛みを前頭部に感じて、顔をしかめながらもなんとか上半身を起こす。
 かぶりを振って辺りを見渡すとそこは俺の部屋で、事態を把握しようと試みても昨日の帰りで記憶が止まってることに気づいた。

「……そっか。また倒れたのか、俺」

 意識が段々とはっきりしていく。そして、意識が覚醒するにしたがって自分の失態を思い出して、軽く落ち込んだ。
 どうにもこの頃、倒れて迷惑を掛ける事が多くなってしまっている気がする。前回倒れたのも、遠坂に宝石を呑まされた時――そう、ほんの三日前のことだ。

 布団から立ち上がろうとしたが、体が自然と横に傾いてよろけてしまった。
 結構睡眠をとった感じではあるのだけど、本調子ってわけじゃないみたいだ。

 しっかりと床に手をつけて動作一つ一つを確かめるように立ち上がる。気を取り直して時計を見ると、もうすぐ昼というところ。
 枕元には水を張った洗面器が置いてあり、寝返りした時にでも落ちてしまったのか枕の横には濡れたタオルが落ちている。

 誰が看病していてくれていたのだろう。……アルト、だろうか。
 リアは俺のことをずっと見守っていてくれそうだけど、濡れタオルを用意してくれるイメージはないし。
 遠坂は……どうだろ? 正直言ってやってくれそうでもあるし、やってくれなさそうでもある。
 慎二に至っては、悪いけど考えるまでもない。

 そんなどうでもいいようなことを考えながら着っぱなしだった服から着替えを終える。
 タオルを入れた洗面器を片手に、若干おぼつかない足取りで居間へと歩き出した。意識してしっかり踏みしめるように歩きながら、今後の予定を浮かべようと頭を働かす。

 ……いや、そういえば今後の予定どころか指針すら立ててなかった。
 当面の脅威であった学校に張られた結界の解除に、立て続けに対応しなければならなかったキャスターにと予定を立てるどころじゃなかったし。
 だからといってこれからは自由に予定を立てられるのかというと、他のマスターがどこにいるのかもわからないから選べる選択肢は少なそうである。
 なんにせよ皆と合流してから考えればいいことか。




「えーと、おはよう? ところで、これ何だ?」

 昼食を終えたばかりなのか、居間には遠坂にリア、アルトが揃っていた。まぁ、いつも通りの光景だ。
 ただ、不自然というか、一般家庭にあってはならないものが床やら机の上やらに転がっている。

「おはようって、もう昼よ」

 まじまじとそのうちのひとつを手にとって検分している遠坂が顔も上げずに返してくる。

「いや、でも起き上げでこんにちはっていうのもおかしいだろ?」

「確かにそうですね。その場合は何て言えばいいのでしょう?」

「おはようでいいと思いますが」

 同じく手にあるそれを眺めていたリアが真面目に考える横で、若干憔悴している風なアルトが力なく答える。

「で、話を元に戻すけど、これ、どうしたんだ?」

 そう。この空間に不調和を起こしている原因。
 一般家庭に転がってちゃいけない『刀剣類』に目をやりながら、リアとアルトに問いかける。

「リンが、アルトの能力を確認しておきたいと言いまして……」

「え? アルトの能力ってこの剣とかがか?」

 手に持ったままだった洗面器をとりあえず机の上に置き、リアと遠坂に倣って、床に打ち捨てられている一振りを拾い上げる。
 形状は……グラディウスの流れを汲んでいる相当古い型。時代的には中世初期ヨーロッパあたりだろう。
 両刃で材質は鉄。なので強度の問題から刀身は幅広である。傭兵や兵士が使っていたような一般的な物だ。大量生産を旨としているため装飾類は0に等しい。

 手にとって改めて思う。
 これは一度、この目で実物を見たことがある。

「ん……?」

 その後期型グラディウスの構造を、半ば無意識に読み取っていた。
 だから気づいたけど……これは『俺が以前博物館で見たものに劣っている』。

 手に持つ其れは、もちろん博物館でみたような時間の経過による錆や劣化はない。
 そういった、現段階での武器としての性能や強度でいうなら間違いなくこの手にある物の方が優れている。
 表面的なものではなく、作りそのものというのか。そう、言うならばほんの少し、見逃すくらいの微量な空白がこの剣に巣食っている。

 ただ、使う分にはまったく問題はないし、物によっては同型の物より耐久力や切れ味は優れている。決してこれ自体が劣っているわけじゃない。
 俺が感じているのは、武器としての脆さじゃなく、存在としての脆さ。
 ただ、なんとか言葉にしようとしてもどうにも上手くいかない。そもそもぴったり当てはまる単語が見つからない。
 でも、この感じは確か昨日葛木先生と戦った時にも……。

「なるほどね……。生前縁があった剣を出現させることが出来るってこういうこと。その上、個数の制限も無し、と。
 ただ神秘性はほとんど感じられないし、魔術的に付加もされてないからサーヴァント相手じゃ決定打になりそうにないわね」

 聞こえてきた声に反応し、剣から意識を離して遠坂を見ると、寸分違わないショートソードが両手に一振りずつ握られている。
 ……いや、ショートソードじゃないな。本来なら両刃のそれが片刃だ。
 サクス、だろうか? これの起原もまたヨーロッパだった筈。このサクスの由来はサクソンから来てるって何かで読んだことある。

 そして、このサクスにも俺は見覚えがあった。
 子供の頃から刀剣類に興味を覚え、調べていたからたぶんどこかで見たことがあったのだろう。

「んー、聖杯戦争中でもなければ反則って言ってもいいくらいの能力なんだけど……。
 アルト、他にはないの? ええと、そうね……衛宮君が投影したっていう剣なんかも出せる?」

「あ、はい」

 遠坂の視線が俺を捉えている。何故かアルトは俺の顔を見て少し躊躇った後、リアをちらと見て目を瞑る。
 口が何かを紡いでいるように見えるが、彼女が声を出しているのかも分からない。

「シロウ」

「え? ……ああ、リアか」

 同じ声色で話しかけられたものだから、一瞬アルトに話しかけられたのかと思った。

「疑問に思っていたようなので、私から説明しましょう。
 シロウは倒れてしまったので知らないと思いますが、アルトには私にはない特殊能力があったようです」

「えーと、話の流れからすると、この剣とかのこと?」

「そうですね。どうやらアルトは生前所有していた武器を手元に持ってくることが出来るようです。
 アルト自身、昨日初めてこの能力を認識したようなので、リンが使えそうなものはないかと剣を出現させているところです」

「……なるほど。居間に剣があるのはそういうことか」

 改めて居間を見回す。

 ここにある剣のそのほとんどが、ヨーロッパで使われていたものだ。アルトが生前所有していたということは、彼女はヨーロッパ地方の英雄なのだろうか。
 いや、金髪だし肌も白いから予想はついていたけど、ただその正体の心当たりっていうのがな……。
 俺が知ってる英雄とも呼べそうな女性ってジャンヌ=ダルクぐらいしか知らないから、どうにもならない。
 あ、そういえば遠坂がアルトのこと『王』って言ってたっけ。女王ならいくらか該当する人物も浮かぶけど……駄目だ。まったく思い当たらない。余計わからなくなったぞ。

 そこまで考えて、改めてアルトを見る。手には、既に昨夜の二刀――干将と莫耶が握られていた。
 手元に出現させる瞬間を見てみたかったんだけど、見逃してしまったようだ。
 なんか気になるんだよな、ここにある剣。まぁ、現存している物じゃないんだろうし、違和感があって当たり前なんだろうけど。

「……へぇ、やっぱりこれは別格ね」

 干将・莫耶を受け取り、感嘆の声を漏らす遠坂。
 その言葉の通り、確かに干将・莫耶だけはこの中でも異彩を放っている。

「ええと、ちょっと待ってて」

 そう言って遠坂は干将・莫耶をアルトに返し、居間を出て行ってしまう。


 取り残された俺やリア、アルトは自然と顔を見合わせた。

「士郎はもう大丈夫なのですか?」「シロウはもう大丈夫なのですか?」

 す、ステレオで声が。それがまた同じ声色なものだから自分の耳がおかしくなったような感じだ。
 個別に聞けばリアとアルトを聞き分けられるんだけど、重なっちゃうと流石にどっちがどっちなのかわからない。

「ああ、俺はもう大丈夫。迷惑かけちゃったな、ごめん。
 そういや慎二の奴はどうしたんだ?」

 いつもなら机の隅を陣取っている慎二の姿が見えない。
 そろそろ昼だからまだ寝ているってこともないだろうし。

「シンジですか? 午前中に一度起きてきましたが、その後ふらりと居間を出て行きました。
 それからは見ていません」

「そっか。まぁ、キャスターも慎二の事を狙うのは止めてくれるって言ってたからそんなに心配はないけど……。
 どこに行くとか言ってなかったか?」

「私が知る限りでは慎二からは何も聞いてませんが」

 首を振るリアに、思い出すように顎に手を当てて答えるアルト。

 あいつ、今防衛手段がないから襲われたりしたらひとたまりもないのだろうけど、でも考えてみれば慎二には令呪ないんだよな。
 そう考えればうちにいるほうがよっぽど危険なのかもしれない。


「アルト、お待たせ」

 そんなことを考えているところで、遠坂が一冊の本を片手に帰ってきた。
 結構厚めのハードカバーで、表紙に金で書かれている文字は『Holy Grail』。えーと、……『聖杯』、か? 表紙にも銀色の杯が描かれている。
 横から覗いてみるが中身はどうやら英語で書かれたもののようで、教科書に載ってる程度の単語ならともかく、俺にはほとんどわからない。

 その本をぱらぱらと捲っていき、お目当てのページを見つけたのか、遠坂はそのページをアルトの方に向けて

「これとか、これなんかも出せたりしない?
 あ、盾とかアクセサリとかはどうなの?」

 カタログを広げるが如く、注文を始めたのだ。
 対するアルトは何だか困った顔をしているし、横からページを覗き込んだリアはアルトの耳元で何やら話しかけている。

 むう、今更だけど俺だけリアとアルトの正体を知らないってのは酷く蚊帳の外というか、物悲しいのだけど。
 というか、こういう話をされると入っていけないし、聞いていいのかも分からないから迂闊に近寄れない。

「どうやらアクセサリなどは手元に持ってくるのも不可能のようです。
 そもそもです、その剣は私のものではなく騎士達の物ではありませんか」

「ちょっと言ってみただけよ。
 アクセサリとかだったら私にも使えそうだけど……そう簡単にはいかないか」

「……リン、アルトも言っていましたが武器の出現にも魔力を使うのですから。
 昨日の戦闘でも消費したでしょう?」

「へ? 大丈夫よ。宝具は使ってないみたいだから、私もちょっとだるい程度で済んでいるし。
 ううん、そうね……確かに。余ってるわけじゃないし、敵マスターもまだまだいるみたいだからこの辺りにした方がいいのかも。
 ――――あ、アルト、この盾って貴女のでしょ? これは?」

「あ、ええと。それは……」

「リン、この辺りでは止めにするのではなかったのですか?」

 俺を置いて、本格的に話し込み始める三人。
 ……洗面器、片つけてくるか。






[7933] 九日目【8】
Name: 下屋柚◆26967502 ID:aed74653
Date: 2011/06/21 17:55

 俺が洗面器を片つけて、ついでに顔を洗い終わって戻る頃にはほぼいつもの居間の様子に戻っていた。
 あれだけあった剣はどこに消えたのだろうか? そんな疑問も横に置いて、とりあえずはいつもの位置に腰を下ろした。

「悪いわね、衛宮くん。
 アルトの能力の確認も貴方が起きるまでに終わらせるつもりだったんだけど」

「いや、元はといえば倒れた俺が悪いんだから、その辺りはあんまり気にしないでくれ。
 えーと。それで遠坂、いったいどうしたんだ?」

 唇の端だけ吊り上げて笑う遠坂だけど、もちろん唇だけだから目は笑ってない。
 葛木先生と打ち合っていた辺りから記憶がかなり曖昧で、あんまりあの後のこと覚えてないから何で遠坂がピリピリしているのかわからない。

「……昨日のこと、覚えてないの?」

「昨日のことって、柳洞寺のキャスターにもう慎二を襲わないことと、地域の人から生気を搾取しないようにって言ってきたことか?」

 真名はメディアだったよな。……よし、しっかりと覚えてる。
 でも、なんでそんなこと言いだしたんだ? 遠坂とキャスターに呆れられはしたものの、お互いの目的も果たせたことだし結果的には悪くない案だと思ったんだが。

「まぁ、それ自体は間違ってないけど、何だかその言い方じゃ私たち自警団みたいじゃない」

 「冬木のセカンドオーナーの行動としては間違ってはいないんだけど」そう続けた遠坂に、俺は口をつぐんだ。
 自警団……聖杯戦争による被害者をなくすことを目的にしている俺としてはまさしくそのつもりだ。けど、これは言わないほうがいいな。睨まれそうだ。

「はぁ、――もういいわ。
 私が聞きたいのは昨日、貴方が使ってた投影魔術のことなんだけど」

 そう言って遠坂は、先の出来事の唯一の残滓である、机の上の干将・莫耶を手に取る。
 と言っても、女性の腕では片手に一本ずつは重たすぎたのか、干将を置いて、莫耶を両手で握り直した。

 険が取れてくれた、というよりも気が抜けたという表現が適切だろうか。
 問い詰めようとしていた意気は失せて、いつものような調子で話し始める遠坂。ただ単に呆れられてるだけかもしれないけど。

「どうせだし貴方の投影、見せてもらっていいかしら?
 ここにオリジナルがある訳だし、貴方の投影がどれくらいまでの精度を出せているのか見せてもらいたいのだけど。
 もちろん体調が良くないようだったら、無理にとは言わない」

「いや。俺は別に構わない。体のほうも問題なさそうだしな。
 ……どうせなら遠坂。ちょっとそれ、貸して貰ってもいいか?」

「これ? アルト、貸しちゃっていい?」

 莫耶を手に、問いかける遠坂。アルトは若干の間の後、頷いてくれた。
 それを確認した遠坂は、柄をこちらに向けて机の上に置く。


 昨日幾度となく解析したから投影するだけなら別に手に取る必要はないんだけど、やっぱり見本が手元にあるんだったら時間をかけて確りと解析しておきたい。
 昨日はいきなりの戦闘で、この剣をゆっくりと解析している暇なんてなかったしな。投影は確固としたイメージが必要だし、前回よりは質の良い物が出来るだろう。

「――――同調、開始(トレース・オン)」

 確かめるように握り締めた、干将・莫耶に潜り込む。

 情報が頭の中を駆け巡る。昨日読み取った情報と同系の物もあったが、どういった訳なのかその幾つかが補強されてより上位な物へと作りかえられている。
 理論的な部分――強度を引き出す基盤は完成されている、確かに昨日はそう思ったけど、あれはまだ通過点に過ぎなかったのか。
 否、理解に及ばなかった。製作者の、剣への執念(おもい)を読み間違えていた。
 昨日見た時点でも既存の剣と比類するまでもない名刀だったが……おそらく、これでさえまだ完全じゃない筈だ。
 まだ、上がある。基盤も、より強固になる筈。強度もまだまだ上がる筈だ。
 その全ては刀身にある空白が起因していると思う。

 ――――しかし俺には、この二刀の刀身に埋めるもの。つまりこれ以上の完成形が見えてこない。
 恐らく俺がこれを投影しても、この不完全な状態の、更に劣化品しかできないだろう。
 でも、無駄じゃなかった。理由はわからない。けど、見本はさらに洗練され、さらなる高みへと昇っている。
 なら、俺も――――!

「――――同調、完了(トレース・オフ)」

 軽く息を吐き、干将・莫耶を机に置く。
 頭の中の感覚が消えないように、ゆっくりと息を吸いながら己に埋没していく。

「投影、開始(トレース・オン)――――」

 ――昨日の投影は、一旦忘れる。また一から、今手に入れた知識と情報を使って組み直す。
 今、俺が目指すべきはさっきの二刀だ。昨日のデータはもう役に立たない。

 ……………………

「――――投影、完了(トレース・オフ)」

 両手には既に現れている、無骨な二振り。
 重みが急に腕にのしかかる。

「――ぐ、っ」

 視界がかすみ、軽く白ずむ。思わず額に手を当てて、俯いてしまう。
 脳髄が過熱する。手足の感覚が、ふっと消えていった。

「シロウ、大丈夫ですか!?」

「あ、あ。ちょっと……」

 目を瞑り、頭を振る。

 昨日の投影で俺の中のナニカが造り変わったのか。前回よりも高精度の投影を行ったというのに、負担は同程度に落ち着いている。
 いや、一度投影しただけで体がこの負荷に慣れるわけが無い。この負担の軽さには説明が付かない。
 俺の寝ている間に何かあったのか。魔術回路を開いてから、燻るような熱さが体の奥に眠っているのを知覚する。

 ……目を開ける頃には視界は元に戻っていた。
 誤差があるのか、足はともかく手のほうの感覚が中々戻らない。

「もう大丈夫。っと、遠坂、これでいいのか?」

 ま、感覚がないだけで動かそうと思えば動くし問題ない。
 たぶん時間が経てば元に戻るだろう。事実足のほうはもう問題ないようだし。

 手にある干将・莫耶を、アルトが出したものと混ざらないように机の上に並べて置く。
 並べると、やっぱり俺が投影したものは粗が目立つ。
 それでも葛木先生と打ち合った、昨日投影した中でも一番出来の良かった最後のやつに比べれば全然いい。
 これならば受けきれる。昨日のようにただ受けるためだけの張りぼてじゃない。人を倒すために磨き上げられた、一つの妄執の結晶だ。
 オリジナルを一から十まで読み取ったが、その全ての複製は出来なかった。それでもおおよそ八割程度の完成度は出せている筈。

「……すごい完成度じゃない。中身も確り再現されている。
 これなら葛木先生の一撃を受けたっていうのもあり得ない話じゃないわね」

「――――なるほど」

 遠坂に続くように呟いたのはリア。その言葉の後ろに続くのは、なんだろう。
 「これならば受けることが出来たのも納得が行く」? ……何故か、其れとは違う言葉のような気がする。

「衛宮くん、これって常時魔力を送り続けて維持しているの?
 これだけの物を展開し続けてそんなに余裕があるなら、魔力量は人並み以上……いえ、並の魔術師の二倍はありそうだけど」

「へ?」

「え?」

 一瞬、遠坂の言う意味がわからず聞き返してしまう。
 それに遠坂から返ってきたのは、同じような疑問の声。

「一般的な投影って、常時魔力を送り続けるものなのか?」

「ううん、そんなことない。
 大抵は形成するときに魔力を使って、その魔力も時間と共に分散して投影したものも消えちゃうものなんだけど」

「そういうものなのか」

「私は投影魔術は使えないから、詳しくはわからないけど……。
 ――って、何? ちょっと待って。おかしいとは思ったけど、これしっかり物質化してない?」

 物質化って……当たり前なことだと思うけど。
 それが出来てなければ、こうして手に持つなんて出来ないだろう。

「何、これ? 普通の投影でも物質化はすると思うけど……。
 エーテルじゃないわよね、もしかして実在してるの? というより、衛宮くんからラインが……」

「何言ってるんだよ、遠坂。実在も、物質化もしなきゃあの拳と打ち合えるわけないだろ?
 強化した木刀が叩き折られるくらいなんだから、あやふやなものじゃ一合だって耐えられない」

「知ってるわよ! あんたの強化した木刀が葛木先生に折られたのも、その拳と中国刀で打ち合ってたのも見てたんだから!
 私が言ってるのは……ああ、もう!」

 そういって頭を掻き毟る遠坂。
 しかし、どうにも遠坂が言ってることがわからない。というのも、投影の説明からして俺の知っているものとはどうやら違うようだ。

「なぁ、遠坂」

「衛宮くん!」

「……なにさ?」

 仕切り直しなのか、姿勢を正してこちらを挑むように睨む遠坂。
 遮られる形になったが、とりあえず俺も倣うように背筋を伸ばした。

「この投影した中国刀、いったいいつまで現界させられるの?」

「いったいいつまでって……たぶん折れたり、砕けたりしない限りこのままだと思う。
 あ、たぶん俺の意思で消すことも出来るとは思うけど」

 昨日投影した時に、少しだけ投影の仕方のコツを掴めた。
 投影っていうのは自分の中に対象を映し出して、それから外にカタチを作る。
 葛木先生の拳を受けて投影した干将・莫耶が壊れた時、そのイメージも弱いところから崩壊していくのがわかった。
 大切なのは俺が思い描いたイメージ。
 しっかりとイメージを固め、組み上げ、その通りに作り上げれば、それだけ本物に近くなる。
 逆に、頭の中のイメージを俺が否定すれば連動して、投影した剣もその存在を消滅させるだろう。

「つまり衛宮くんが自分から消そうとせず、壊れるほどの衝撃を受けなければこのまま存在しているってこと?」

「ああ、たぶんだけどな。土蔵にあるやつなんかは何年か前に投影したやつだけど、まだ残ってるし」

 机にコトリ、と湯飲みが置かれる。それに気づいて視線をやると、リアと視線が合った。
 リアがお茶を淹れるというあまり見ない事態に、いつもならその役目を買って出る人を目で探すと直ぐに見つかった。
 どうやらやはり、アルトがお茶を淹れていてくれたようだ。
 急須を手に、すっかり愛用となっているリアとアルトの湯飲みにお茶を淹れている。リアはお茶を運ぶ役目をアルトより仰せつかった模様である。

 ちょっとリアとアルトの関係に思うところがあるけど、思うだけに留めておこう。
 とりあえずリアに目で礼を伝え、お茶を一口啜る。目の前には、相変わらずまじまじと俺の投影した干将・莫耶を検分している遠坂。

「……衛宮くん、間違っても他の魔術師にこの投影魔術を見せないようにね」

「まぁ、わざわざ見せようって気は無いけど……」

「それならいいけど、あんた自分の魔術がどれだけ特異な物だって理解してる?
 正味な話、この精度まで引き上げられたら解析を専門に修めている魔術師でもわかるかどうか。
 私だってこうして目の前で魔術を行うところを見てなければこんな出鱈目なこと信じられないわよ」

 それは、すごいことなんだろうか?

「へえ、遠坂でもわかんないのか」

「――――む」

 俺が何となしに呟いた言葉に、何故か不満げに反応する遠坂。
 ……俺としては率直な感想を口にしただけなんだけど、どうやら遠坂にはそう聞こえなかったらしい。

「あのね、あんたの魔術、下手すると封印指定を受けるかもしんないのよ。
 そうなったら人としても魔術師としても、もう二度と日の目を見ることは無いと思いなさい」

 封印指定ってあれか。生きた状態で『保存』されるっていう……。

「わ、わかった。理解した。
 ところで遠坂。俺の魔術はいいとして、今後どうするかの話をしないと指針も立てられないぞ」

「そうね、それじゃ話し合いましょうか」




 改めて、四人で今ある情報を整理する。
 アサシンはアルトが倒したらしい。キャスターも、もう危険は無いと見ていいだろう。
 とすると、残っているサーヴァントは『ライダー』『バーサーカー』『ランサー』の三騎ということになる。

「このうち、マスターがわかってるのはバーサーカーだけね」

「ライダーのマスターは慎二じゃないのか?」

「一昨日言ったでしょ? 慎二は命令権を本来のマスターから借り受けていただけよ」

「ってことはライダーもそのマスターもまだ健在なのか」

 俺はてっきり令呪を消したからライダーもその内に消滅するものかと思ってたんだけど、そんなには甘くないってことか。

「そのマスターがわかっているっていうバーサーカーも何処を根城にしているかわかっていないし。
 さて、どうしたものかしらね……」

 キャスターのように居場所がわからないと攻めることも出来ない。
 ……ん、バーサーカーの根城……? 城……。

「遠坂、バーサーカーだけど、正確な場所はわからないけど、大まかな位置ならわかる」

「あ、士郎、それは……!」

「バーサーカーのマスターのイリヤに聞いたんだけど、街外れの森に城があるらしい。
 そこにイリヤは滞在しているって聞いた」

 一通りを喋ってから、遅れて声を上げたアルトに気づく。目を見開いて、首を何度か横に振っている。
 ……あれ? 何かまずったか、俺。

「街外れの森……かなり重要な情報ね。
 さて、それはそうと衛宮くん。イリヤスフィールに聞いたって言うけども、いったいいつイリヤスフィールと会っていたのかしら?」

「……」

 二の句が告げない。ようやく俺は失敗を自覚した。
 そんな俺を見て、アルトは片手で顔を覆っている。横では、アルトも関与していると勘付いたリアが射るような視線を彼女に向けていた。
 俺の目の前には、真正面から睨みつけてくる遠坂がいる。

「あー、アルトが風呂でのぼせて倒れた時、買い物に行ったろ?
 あの時に偶然出会ってさ、イリヤもバーサーカーを連れてないみたいだったから少し世間話をしただけだよ」

 ここまで言ってしまったらもう隠せないだろう。
 追求が及ぶ前に率先して自白を選択。しらばっくれるよりは、情状酌量で減刑の目が生まれるかもしれない。

「……それを黙ってたのは、どういう訳?」

「いや、遠坂が知ったら問答無用で攻め入る気がしたから……ってもしかして俺、また地雷踏んでる?」

 遠坂に答える途中で気づき、アルトに問いかけてみると「恐らく」と返された。その隣でリアは気の毒そうな顔を俺に向けている。
 恐る恐る正面に向き直ると、遠坂はそれはもう綺麗な笑みを浮かべていた。

 は、はは。俺ってこの前から遠坂のこと怒らせてばっかりだな。





[7933] 九日目【9】
Name: 下屋柚◆26967502 ID:aed74653
Date: 2011/06/22 16:21


 俺が遠坂からのお叱りを数十分と受けている間にアルトが昼食を作ってくれていたようだった。
 そして俺への説教をようやく終えてくれた遠坂は、今度は調理を終えたばかりのアルトの襟首を引っつかんで離れの洋室へと歩き出す。

 どうやら、次に遠坂の説教を受けるのはアルトのようだ。
 昼ぐらいには起きてくるだろう、と俺のことを昼も食べずに待ってくれていたみたいで、皆というか特にリアとアルトはお腹が減っていたんだと思う。
 作るだけ作って、黙って引きずられていくアルトの悲しそうな瞳が脳裏から離れない。リアに聞けば、満足に寝ていないのに起きたばかりでは辛いからと、朝も少々のパンを摘んだだけらしいし。

 ごめん。本当にすまない、アルト。不用意な発言がアルトにまで飛び火してしまったんだから、完全に俺の落ち度だ。
 ……せめてものお詫びに、こっそり戸棚に隠しておいた羊羹を後で進呈しよう。心の中でアルトに向かって合掌する。




 遠坂とアルトが戻ってくるのを待ってから、既に出来上がっている昼食を配膳する。
 香りで気づいていたけど、今日の昼食は和食だ。
 脂ののっているアジの干物が食欲をそそる。朝から煮ておいたのか、サトイモの煮物も味がしっかり滲みていて、だが形が崩れていない。

 ――アルトは洋食だけじゃなく、どういうわけか和食を作るのも上手い。
 居間で遠坂の言葉を受けとめながらも、台所から香ってくる匂いに意識の何割かが持っていかれていたのを素直に認めようと思う。

 この頃は桜に洋食で水をあけられているし、中華で遠坂に敵う気がしない。今となっては唯一の得意分野の和食だけど、ほんの一歩分だがアルトに届いていない。
 普段、アルトが俺の料理を食べている時の様子から見るに口に合わないということはないんだろうけど、俺自身が彼女に届いてないと感じている。
 悔しく思う気持ちは確かにある。食事に優劣をつけるのはどうかとは思うけど、いつか彼女に心底「美味しい」と言わせる料理を作ってみたい。
 得意分野で負けておいてあまり落ち込まないでいられる俺は、どうやら悔しさより明確な目標が出来たことを嬉しく思っているのかも知れない。

 里芋を口に頬張りながらそんなことを思う。
 その調理者であるアルトを見ると、おでこを赤くしてリアの茶碗に二杯目をよそっているところだった。
 ……遠坂の奴にでこぴんでもされたのだろうか?


 食事を終えて、迷惑をかけたせめてものお詫びにと食器を洗おうとするがどうにも手の反応が鈍い。
 右腕は少し違和感がある程度だけど、左腕は二の腕から下の感覚がほとんど残っていない。
 それでも無理を言って食器洗いを請け負ったんだからと洗い物を始めるが、皿を一枚割ってしまったところで遠坂が代わると言い出した。
 大丈夫だから、と遠慮してみるが、

「調子が悪いなら、悪いって素直に言いなさい」

 そう言ってエプロンをつける遠坂に、俺は見惚れて声を出せなくなってしまう。

 やることがなくなり、居間に戻ってから気づく。遠坂の態度、口調に多少の申し訳なさが含まれていたことに。
 俺の不調の原因が投影魔術だと勘付いてしまったのだろう。……気づかせないように振舞っていたつもりだったんだけどな。


 洗い物が終わってから改めて今後のことを話し合うことになったが、遠坂により俺の両手の不調がリアとアルトにも伝えられてしまう。
 動かないわけじゃないから大丈夫だと思うんだけど、「せめて今日一日は休みなさい」と念を押されてしまった。
 俺の腕のこと、遠坂も昨日の戦闘で魔力を大分消費してしまったこともあって、今日はおとなしく安静にしていることになった。

 明日以降どうするかだけど、イリヤの住処の大まかな位置を掴んでいるので街外れの森を偵察しに行くことになるだろう。
 相手の位置を正確に捉えておくだけでも色々とやりようがある、とは遠坂の弁。

 残るは慎二の処遇だが、本人がいないことには希望を聞くことも出来ないので、その話題は慎二が帰ってきてからということになった。
 ――あいつ、いったいどこに行ったんだろうか?




「士郎。少し付き合ってもらえますか?」

 アルトが声を掛けてきたのは、話し合いが終わってすぐのこと。
 掛けられた声に顔を上げるとアルトと共にリアもまるで戦場にいるかのように気を張り詰めて立っていた。

「ど、どうしたんだ? もしかして敵のサーヴァントか!?」

「まさかっ!」

 その様子に俺も思わず立ち上がり、周囲を見渡す。
 一拍遅れるように、遠坂も立ち上がって居間から見える門の付近に気を巡らせ始める。

「いえ! そ、そうではありません」

 両手を所在無さ気にうろうろと胸の前で遊ばせ、俺と遠坂を静めようと声を上げるアルト。困ったような雰囲気が声から溢れている。
 リアも自分たちの様子が勘違いを引き起こしたと気づいたらしく、軽く相好を崩した。その様子をみて、俺と遠坂もようやく警戒を解くことが出来る。

「ええと、これです」

 そう言って、居間の片隅に置かれたままの干将・莫耶を手に取った。
 遠坂が「傍目にはわからない」と言っていた俺の投影したものではなく、アルトが現界させている方を迷わずに。

 意図を図りかねる。アルトの所持していた物を投影したことに対して、言いたいことでもあるのだろうか。
 先程の殺気立った様子からして、自分の所有物であったものの贋作を作り出されたことに何か不快に思うことがあったのかもしれない。
 しかし、当のアルトにはそんな様子もなく、微笑を浮かべて立っている。

「以前、言ったでしょう? 『リアの剣術よりも双剣のほうが士郎には合っているのではないか?』と。
 私もまだまだですが、模擬戦闘でも見てもらえればと思いまして」

「あ、でもアルトって双剣は使ったことないって言ってなかったか?」

「ええ。しかし、付け焼刃ながら動きの参考程度にはなると思います。
 士郎の両手もまだ満足には動かないようですので、せめて動きのイメージだけでも感じられたらと」

 なるほど。だから『干将・莫耶』なのか。
 会得がいった俺は「頼む」と一言だけ返し、立ち上がる。なにか思いついたのか笑みを浮かべた遠坂も、アルトと何事か話し合いながら道場へと歩いていく。

 遠坂とアルトが歩いていく中、俺は居間でただ、両手を確かめるように握っている。
 ――――俺としては、実際に立ち会いたい。
 昨日投影して得た技術がリアやアルトにどこまで通じるのか試してみたい、という思いがある。
 サーヴァント相手に、防戦一方だとしても以前よりも耐えられるかもしれない。
 もしかしたら俺に、少しでも戦えるだけの力がついているのかもしれない。
 そうすれば彼女たちの負担を減らすことが出来るかも知れない、そんな気持ちが逸ってしまう。

 何とか動くようにならないかと左手を握り開いてみるが、動くものの感覚は鈍い。
 これではあの重量の剣を持ち上げることも出来ないだろう。もし構えることが出来たとしても、左腕の反応の鈍さで普段よりもお粗末な結果に終わることは目に見えている。

 ――くそ。
 心の中で、自分に向かって悪態をついた。

「シロウ、凛やアルトは先に向かってしまいましたが」

「ああ、悪い。直ぐ行くよ」

 リアの声に意識が思考から浮上してくる。
 先に歩いているリアに追いつくべく、道場へと向かって歩き出した。。




 道場の端に座る。ここなら二人の動きが良く見えるだろう。
 横では遠坂が既に正座して、視線を道場の中央に向けている。

 その視線を追っていくと、リア、アルトの姿。
 向かい合って、お互い目を逸らすことも口を開くこともしない。
 リアの手にはまだ竹刀は握られていない。対してアルトの手には、居間から持ち出した干将・莫耶が……
 ――――って、二人とも鎧を着込んでる!?

「ちょっと待ってくれ!
 何で二人とも鎧を着てるんだ? この前手合わせしていた時は私服だったじゃないか」

 以前模擬戦をした時は二人とも私服で、道場に置いてある竹刀を使っていた。
 今回は、一から十まで違う。戦う前からリアもアルトも殺気立っていたし、今実際に目の当たりにしているように鎧を着込んでいる。
 その上アルトが握る双剣はもちろん、刃を潰してある模擬刀というわけではない。

「シロウ。今回私とアルトは互いが両手剣というわけではない。
 ……訓練なら兎も角、模範の動きを見せるのなら双剣の特性もわかる実戦のほうがいいでしょう」

 いつもより硬い口調でそう言い放った瞬間、リアの両手辺りから風が巻き起こり始めた。
 ――リアも、本気だ。バーサーカーやライダー、キャスター相手に使っていた不可視の剣を構えている。

「遠坂、これは洒落にならないんじゃないか!?」

「リアー! アルトー!
 出来るだけ建物を傷つけないようにねー!」

 って、いいのかそれで!? 二人を止めないのか?
 出来るだけってことは、少なからず建物が傷つくぐらいには派手にやれってことか!?
 というよりここ、俺の家の道場だよな? 間違ってないよな?

 色々と突っ込みどころがあったが、リアとアルトの周りが張り詰めていくのがわかって飲み込むしかなかった。




 リアの体からは魔力が間欠泉のように溢れ出ている。魔力の流れや察知に鈍い俺でもわかる、その膨大な量。
 これで魔力不足というのだから、やはりサーヴァントは魔術師とは桁が違う。

 対して、アルトの体には静かに魔力が留まっていく。
 以前見た、そして今アルトに相対しているリアのような暴風を巻き起こすような放出ではない。
 リアを荒れ狂う嵐と例えるならば、アルトはまるで力を溜め込む渦のようだ。


 研ぎ澄まされていく。
 今まで見たアルトの戦い方とは、明らかに違う。

 時間が停滞したかのように、二人に動きがない。
 だがしかし、いつもとは違うアルトの戦闘スタイルに、リアが攻めあぐねているのがわかる。
 前回のように、アルトから攻め込む様子が見受けられない。
 両腕を下げ、その双眸は瞬きする間も逃さんばかりにリアを射詰めている。


 意識を集中してアルトを観察すると、その魔力を部分部分に固めているのが見えてきた。
 いまいち自信はないが、脚部、腕部を優先的に。次点で目、そして耳などの感覚器官へと。

 ある意味、リアとは逆のアプローチ。
 魔力を放出することによって動きに瞬間的な恩恵を与えるのではなく、留めることによって放出する程の効果は出ずとも効率良く力を得る。



 不意に、空気が流れる。リアが、アルトへと切りかかったのだろう。
 その瞬間、視界に変化はあったが俺の目では追いきれない。青色がアルトへと伸びていったようにしか見えなかった。

 そんな俺とは違い、相対しているアルトは動き出している。
 ぎりぎり視認できる程の速度で、腰溜めに構えて手に持つ双剣を頭上で重ね合わせるように振り上げる。

 アルトが干将・莫耶を振り上げた瞬間、響く高い金属音。
 二刀が重なっていたというのに干将は砕かれ、その鉄片が空気に溶け込んでいく。殺し切れなかったその重みは、アルトの重心を若干引き下げる。
 傍から見ていて分かるほどの衝撃。俺が同じものを受けていたなら例え防御が間に合ったとしても受け切れずに体を分断されている。

 ――――それが、英雄と呼ばれる存在の力量なのか。
 アルトは受けて尚吹き飛ばされてもおかしくない衝撃を地面へと流し、左手に残る莫耶をリアへと袈裟に振り下ろす。
 その動きに硬直はない。見惚れてしまうほど防御から攻撃へと綺麗に移り変わっていた。

 しかし、アルトだけではなくリアの動きもまた次の攻撃へと移っていた。
 リアには元より受ける気などない。剣での立会いならば、ただ自らが攻め、打倒するのみ。
 踏み込みの勢いに体を任せたまま、振り下ろした剣を今度は斬り上げる。
 それは敵の首に絶つ一撃――図らずも、アルトが袈裟に振り下ろした軌跡と真っ向から対立する形で放たれる。


 莫耶も、干将と同じく砕かれた。
 二刀で受けてその内の一刀を破壊する一撃はもちろん、莫耶一刀では受け切れる訳がない。
 勢いこそ落としたものの、剣の軌跡は未だアルトの首へと狙いを定めている。

 これで終わり。
 リアは確信しただろう。もちろん傍で見ていた俺も、そう思った。
 いや、思う思わないに関わらず、もう勝敗は決定している。
 相手の得物を破壊した時点で、勝ちは確定している筈なのだから。

 しかしこの耳に聞こえるのは、道場を満たす鉄と鉄とを打ち合わせた残響。
 砕かれた筈の干将は、またもアルトの右手に握られてリアの不可視の剣と刃を合わせている。

 ――受けられる筈のない一撃を受けられたことによる、リアに生まれる一瞬の空白。
 かち合ったことによる反動でアルトの干将とリアの不可視の剣は、逆方向へと弾け合う。

 リアの踏み込み――その、前へと進んでいたベクトルは両手に握る剣を後ろに流されたことで0になった。
 同じく剣を弾かれたアルトはその右手を大きく後方へと投げ出した代わりに、逆の左手を内から外へと振り切った。またも、相手の力を次の動作のエネルギーへと変えていた。
 得物を砕かれて無手である筈のその手には、既に握られている白の剣――莫耶。

 リアは堪らず、後ろへと飛び退いた。それは前へ進み出ていくリアの戦法からして、間違いようのない隙。
 それを見逃さず、退いた空間に身を投げ出してすかさず追い詰めていくアルト。

「ふ――――うぅっ……!」

 アルトの連撃は止まらない。圧倒的な手数でありながら、僅かな隙を見つけては巧みに距離を図って攻め立てている。
 一撃を与えては更に床を踏み切り、まるで舞を踊るかのように両手の剣を代わる代わるリアへと繰り出していく。

 ――道場内には絶えず金属音が響き渡る。
 両手に握られている双剣は、時に耳に障る甲高い音と共に砕けて消える。
 だが次に腕が振られれば、何事もなかったかのように剣が握られていた。
 腕ごと弾かれようと、その衝撃をも変換して体捌きに組み込み、次の一撃への流れを作っている。


 攻勢に出るアルトに対してリアは自然と受けに徹することになる。以前のとはがらりと違うアルトの剣術に、剣の英霊をしても防戦一方にならざるをえない。
 しかし、それでもアルトの息つく間もないその無数の斬撃を、一太刀とも逃すことなく打ち返している。一秒に三回は繰り出されているだろうその手数を、全て受け切っている。
 ただ、それは同時にリアの得意とする『全身を使い、膨大な魔力をも乗せた必殺の一撃』を、初めの突進から先、放てないことを示していた。

 前に、進めていない。
 時折、剣を受ける刹那の間を縫って反撃するが受けられてしまい、前に出れずに放つ一撃は良くて一刀を砕くに終わる。




「――――っ!!」

 じり、と。ほんの少し、錯覚かと思うくらいだが確かにリアが退いた。
 次の瞬間、空いたその空間をアルトの莫耶が振り抜かれていく。

 アルトの速度が初めに比べて上がっている。
 新たな剣をその手に掴むたびに、その動きは速さを、鋭さを増していく。

 体が勝手に息を呑む。あまりの緊張感に、頭が狂いそうだ。
 遠坂も目の前の戦闘に目を見張っている。


 リア、アルト。
 二人は互いに、相手を倒すつもりで剣を打ち込んでいる。

 以前見た立ち合いは、二人とも己と相手の力量を測るように剣を振るっていた。
 相手を尊重したような戦い――いや、あれは文字通りの手合わせだった。
 以前のような心構えで戦っているのなら、アルトの双剣が折られた時点でお互いが剣を収めただろう。

 今回は違う。どちらの剣が上なのか。どちらが強いのか。ただひたすらにそれを求めているように俺には見える。
 アルトは自分の能力であるという武器を出現させる能力を惜しみなく使っているし、リアの剣も狙い違わず致命傷となる一撃を放っている。

 紛れもない実戦の空気だった。
 研ぎ澄まされた二人の意識がぶつかり合っている。


 そんな感覚を肌で感じながらも、俺は目の前の戦いを凝視している。
 以前のとはまるで違った、けれどもやっぱり美しく見える二人の戦闘から目を離せないでいる。




 アルトの猛攻は、休む間もなく続けられている。
 戦いの中でその動きは更に洗練されていっているように見える。

 リアはそれを全て受ける。否、――受けていた。
 耐え切れず、思わず退がったかのように見えた先のあの後退は、アルトの剣閃を見切った上での回避だったのだろう。
 双剣が繰り出される速度は未だ上がり続けている。しかし、その体捌きで放たれた攻撃も五に一、次第に四に一を回避するようになっていた。

 紙一重で回避しているリアのその姿を見て、ようやく気付く。
 圧倒的に押しているように見えたアルトの攻撃はしかし、一撃もリアに有効な打撃、斬撃を与えていない。
 服を掠らせることはあれど、その一撃は必ずリアの視えない剣に阻まれ、もしくは空を切っている。




 そうしてどれほどが経っただろうか。連撃の僅かな隙間を縫って、リアが動きを見せた。
 距離にして五メートル程。アルトの干将を首の皮一枚という差でかわし、大きく後ろに飛び退いた。

 一方、一気に間合いの外に逃げられてしまったアルトはすかさずに踏み込み、追撃せんと床を蹴る。
 その踏み込みの速度は先のリアほどではない。だがしかし、人間が出しうる速度を超えた加速でリアへと接近していく。

 そうして加速し始めたアルトに、目に追えぬ速さで青い影が突き刺さる。
 辛うじてその青い像が網膜に残る、リアの残像。
 攻めかかってくるアルトを待つまでもなく、リアは飛び退き地面に着地した瞬間にも斬りかかるためのエネルギーを蓄積していたのだろう。
 木材が折れる音が響いたのは、リアの残像を確認したその時だった。



 瞬間の交差。リアとアルトがどう動き、剣を合わせたのか俺にはわからない。

 ただ結果から言うなら、吹き飛ばされたアルトが壁に空いた穴の中で仰向けに倒れているという光景が広がっているだけ。
 遅れて、真っ二つになった干将・莫耶の刀身が床の間に突き刺さり、一秒と立たずにその存在を大気に還していった。


 決着がついたのだろう。
 リアは大きく息を吐き、弾んでいる息を整え終えると、その手に持っているだろう不可視の剣と白銀の鎧を還した。
 アルトは動かず、「う……」と小さな呻きが聞こえてくる。

「アルトっ、大丈夫?」

 いつの間にか立ち上がっていた遠坂が慌てたように倒れたアルトに駆け寄っていく。
 とりあえずはアルトの無事を確かめるのが先決だろう。
 アルトが倒れている姿をじっと見下ろしているリアを一目見、俺も遠坂に続くように駆けていく。

 一足先に駆け寄った遠坂の側に辿り着く前に、がら、と壁材が崩れる音がした。
 アルトが起き上がり、頭を振って立ち上がった。立ち上がった拍子に体に積もっていた壁材の欠片がぱらぱらと落ちる。

「っつーー! っちくしょう、これでも駄目か。
 今回は結構いい線いってたと思ったんだけどな」

 憮然とした表情でそう言い放つアルト。口調がおかしいのが気になるけど、見た感じでは体には傷一つないようだ。
 干将・莫耶を折られつつも、咄嗟に両腕の篭手で受けたのだろう。
 ――アルトの左腕の篭手に大きな裂傷が、右腕の篭手には大きく陥没痕がついていた。

 俺にはリアの振るった太刀筋がどんな軌跡を描いていたのかは見えなかったが、その篭手に刻まれた傷跡から二人の攻防を推察できた。
 あの手数には追いつかないリアは一度下がって仕切りなおした後、アルトに向かって防御不能の一撃を繰り出したんだろう。
 干将・莫耶を折り、篭手を破損させたとはいえ受けられてしまったが、僅かな間と言えど行動不能にさせたのだから追い討ちをかければ倒せた筈だ。

「あれを受けますか……。
 倒せないまでも、しばらく動けなくなるように放ったつもりなのですが」

 表情を変えないまま呟くリア。

 その言葉を聞いて、ちょっと背筋が寒くなる。
 首を折られても修復できるサーヴァントが、動けない程の一撃って……。

「っ。どうやら、気付かれていたようですね」

 両手を見、顔を上げてアルトがリアに問いかける。
 あの一撃で少し痺れているらしく、両手を小さく振っている。

「ええ。――決定打がないのでしょう。あの速度、手数共に厄介ではありましたが、受けきれるのならそれほど脅威にはならない。
 それに、やはりアルトは攻めるのに不慣れな印象を受けます」

「む」

 口を横一文字にしてどこか拗ねるようにリアを見たアルトは、「はぁ」と息を吐き出してから武装を解除する。

 というか、あれでも双剣に慣れてないとか言うのか。
 いや、さっきも『付け焼刃』とか言ってたことだし、それは紛れもない事実なんだろう。

「他の手を混ぜたならこの勝負もわかりませんでした。ですが、その双剣だけでしたらなんら問題なく対応できます」

「……手厳しいですね。戦えていたと思ったのですが」

「まだ改良の余地があるのはアルト自身、気付いているのでしょう?
 ――確かに、予想していた技量を遥かに上回ってはいましたが」

 苦笑しながらそう呟くアルトに、口元を綻ばせ答えるリア。
 その言葉にアルトは「ふふ……」と小さく笑う。

「どうやら、まだまだリアには敵わないようですね」

「おや、アルトはそんな簡単に私から勝利を奪えると思っていたのですか」

 それは冗談なのだろう。返答を聞いたアルトは耐え切れない、というように大きく笑った。

「ふふっ! そうですね、ちょっと自信過剰でした」

 その笑い声を聞いて、ようやく俺も体から力が抜けてきた。
 遠坂も「この二人は……」なんて呟きながら安心したように見ている。

「なぁ。思ってたんだけど、なんでアルトはあの視えない剣を使わなかったんだ?
 リアの言葉じゃないけど、使っていればもっと戦えていたんじゃないか?」

 かねてから思っていたことをアルトに聞いてみる。
 それを聞いたアルトは、呆れたような顔をして俺を見た。

 な、なんでさ?

「士郎、この立ち合いの前に話したことを覚えていますか?
 貴方に双剣の戦い方を見せるというのが今回の手合わせの目的だったでしょう」

「あ、そうか。そうだった」

 余りに白熱した戦いだったから、すっぽりそのことが抜け落ちていた。

「――それで、どうでしたか?
 私の動きは参考になりましたか?」

「ああ。たぶんあそこまでの速さは再現できないと思うけど、立ち回り方とかはかなり役に立つと思う」

「それに士郎が投影を使いこなせるようになれば、武器が破壊されてもアルトみたいに立ち回れそうね。
 あ、でも無理はしないこと。鍛錬とかされて動けなくなるんじゃ本末転倒なんだから」

 今まで口をつむんでいた遠坂が横から合いの手を入れた。
 その目は俺の左手を見ている。わかっているから、と頷いて返した。

「確かに、そうだよな。投影がしっかり使えればああいう使い方も出来そうだ」

 そう言うと、アルトはそこまで考えていたのかこくりと頷いた。


 ――――立ち回り方が役に立つとは言ったが、再現しろと言われても無理だ。
 サーヴァント相手に戦えるかも、と自惚れていたけれど、とんだ思い違いだった。あのアルトでもまだまだと言われるんじゃ、俺なんかじゃ最初の一合で終わっていた。

 けれども、俺が目指すべき道は見えた。
 明日からでもアルトに立ち合ってもらおう。まずはアルトの動きを倣う事から始めていこう。
 どうやら、アルトには教えてもらうことが沢山ありそうだ。






[7933] 十日目【1】
Name: 下屋柚◆26967502 ID:aed74653
Date: 2011/06/23 21:54


◇◇◇


 ――何でこんな朝早くから道場で、しかも二人っきりで訓練しているんだ?

 補修の後が見え隠れする道場で、俺と士郎はそれぞれ、両手の竹刀で打ち合っていた。始めて三十分程が経っている。
 士郎は息を荒く吐き出しているが、俺は多少呼吸は早くなるものの余裕はまだまだある。

 冷静に士郎の隙を観察しながら、攻撃を受け流す。
 腕にばかり注意が向いていて、どうも足元が安定していないみたいなので体ごとぶつかってみた。

 遥かに背の低く小柄な俺の体当たりを受けて、士郎は対応も出来ずに吹っ飛んでいく。
 体勢が悪かったのか、背中から地面に落ちた。

「ごほっ――――!?」

 士郎の呼吸が一拍止まる。けひゅ、なんて情けない音が士郎の口から漏れるのが耳に届く。
 それでも右手の竹刀を手放さない士郎に少し関心する。とはいっても、左手の竹刀は本人よりも飛距離を伸ばして飛んでいったが。

 ここいらが限界だろう。集中力が落ちてきてるようで、竹刀を取り落とす回数が増えている。

「士郎、一旦休憩をはさみましょう。
 あんまり根を詰めすぎても逆効果です」

「ふう――! はっ、……はっ、あ、ああ。はあっ、わかった。
 ――きっ、休憩だな」

 士郎は大の字になったまま、息を切らして答える。
 背中を強打してもう喋れるのか。我ながら丈夫な奴だな。


 その場に正座し、横に竹刀を置く。
 スズメが囀(さえず)っているのが外から聞こえてくる。朝早いので、それ以外の音はお互いの呼吸ぐらいだ。
 外を覗くと、まだ白く朝靄がかかっていた。出勤する車もまだそんなに多くない時間だからか、肌に痛いくらい空気が澄んでいる。




 昨日はリアとの戦闘後、何故か俺一人が道場の修繕を任され、結局それは士郎が夕食の時間だと呼びに来るまで終わらなかった。
 干将・莫耶が突き刺さって空いた穴、リアが最後の一撃を放つ際に踏み抜いた床板、俺が突き破った壁――――と。
 思わず頭を抱えるくらい悲惨な状況だった。

 思えば召還された初日もそうだったけど、俺は凛のように壊れた物を元の状態に戻したりといった使い勝手の良い魔術なんて修めてない。
 土蔵から引っ張り出してきた大工道具で地道に直したのだ。


 凛の奴、「こっちは魔力に余裕があるんだから、好きに魔力使っていい」とか言ってたのに。
 あまつさえ「私のサーヴァントなんだから、あのへっぽこに召喚されたリアに勝ってみなさい!」とまで言ってたのに。
 そこまで言ったんだから、後始末ぐらい手伝ってくれても罰は当たらないと思うんだが。

 ……あれか、俺が負けたから悪いのか。
 以前よりも、大分善戦したと思うんだけどな。戦闘時間の短さはともかく、双剣で戦っているほうが追い詰めている感はあったし。
 後半、避けられ始めてからはボロボロだったけどさ。――くそう。


 道場の補修を終えた後、夜に多少の雑談はしたけど今日は行動する予定だったので早めの就寝となった。
 もともとこの体が睡眠を余り必要としないっていうのもある為、目が覚めるのも早い。
 何か飲み物でも飲んでから魔術の訓練でもしておこうか、と思って向かった居間には既に士郎が朝食の仕込みに取り掛かっていた。
 士郎がこちらを向いたのを見、「おはようございます」と声を掛けようとして遮られた。

「アルト、頼む! 俺に剣術を教えてくれ」

 床に額を擦り付けんばかりに頭を大きく下げて、朝の挨拶の前に士郎が放った言葉がそれだった。

 士郎の腕の調子も大分良くなったようなので、俺としては別に異存はないのだけれど。
 ……なんでこんな朝早くからなんだろう?


 正直な話、まだまだ未熟な俺が剣術を教えるなんてどんな冗談なのかと自分でも思うけど、双剣を使えるのは俺しかいないのだから仕方がない。
 士郎の練習相手になると言ったのも事実だけど、あの時は俺が双剣を使って教えるという意味はなかったんだけどな。
 俺は別にこれから干将・莫耶で戦うつもりはないけど、一緒に訓練すると考えればいいか、と納得しておこう。


 室内を見回すと、壁に掛けられた丸時計は六時を指していた。
 そろそろ凛も起きてくる頃だ。次でラストってとこかな。

「……士郎、体は大丈夫ですか?」

「ああ、背中はもう問題ないかな。呼吸も大分落ち着いたし」

 その言葉を聞いて、置いてあった竹刀を握り直し立ち上がる。
 目の前には上体を起こし、右手に竹刀を握っている座った状態の士郎。

「それでは再開としましょうか。行きますよ!」

「うわっ、ちょっと待て……まだ竹刀が!」

 必死に飛び退いて、吹き飛んでいた竹刀を左手で拾い上げる。
 そんな慌てた様子の士郎に、接近しつつ斬りかかった。




 さて、もちろん手に持っているのは干将・莫耶ではなく竹刀なので、長さ、元よりその特性も違い、剣に培われている経験も存在しない。
 そんなわけで俺は昨日の攻防を思い出すように体を動かしているのだけど、元々地力が違う所為か士郎の動きは遅い。
 昨日に比べると俺の動きは相当劣っているが、その上で手加減しても士郎を相手にするには充分過ぎる。
 リアとの試合で俺の欠点や悪癖は多少見当がついた訳だが、目の前の相手ももちろん俺。
 士郎と打ち合ってみると、改善しなきゃいけないな、と思っていたところと同じところがそのまま、士郎の欠点なのである。


 ――干将・莫耶で昨日の士郎の投影を思い出した。
 士郎の投影したものを見て気付いたことがある。あれは、『俺の干将・莫耶をオリジナルとして投影している』。

 ……いや、俺の投影したものを見ないと士郎は干将・莫耶を投影をできないのだが、問題は別にある。
 俺はアーチャーの使っていた干将・莫耶を元に投影しているが、先日アサシン相手に投影した状態で七割ほど。学びえた投影理論を実践するよう心がけている今でも、九割には届かない。
 となると、贋作を基にした贋作を見本にしている士郎の干将・莫耶は、かなり『精度の上限』が狭められてしまう。士郎の干将・莫耶は俺のと比べれば大した遜色ないが、アーチャーのと比べると出来に差が出すぎている。

 俺はきっとアイツと並ぶものは作れないし、士郎は俺と並ぶものを作れない。
 投影っていうのはそういうものだ。超えることは許されず、自分の中の本物にただ近づけるだけで決して同じものは生み出せない。
 実物の影を作り出すこの魔術は、どんなに精巧であろうとも実際に見た剣と比べるとどこかが劣化してしまう。
 その差異は、誰にも気付かれることないほど小さなものであったとしても確実に発生するものだ。

 つまり、士郎は俺の投影した不完全な干将・莫耶を元にするので、アーチャーのを基準に比べて絶対に九割以上の精度を出すことはない。
 投影の経験を俺以上に積んだなら、他の剣ならば士郎に遅れを取ることもあるだろう。
 しかしそれほどの『投影技術』を持つことが出来たとしても、干将・莫耶に限って言えば俺以上のものを作ることは出来ない。
 現時点での士郎の干将・莫耶の完成度ではサーヴァントの一撃を受けきれるかどうかすら不安が残ってしまう。
 戦える力を得た、なんて自惚れていないといいのだけど。


 考え事をしていたからか、気が付いたら目の前に士郎の振る竹刀が迫っていた。
 反射的に左足を軸にして体を半身にする。目の前を通り過ぎた竹刀を上から叩き落とし、ついでとばかりに左に持った竹刀で士郎の頭を打つ。
 すぱん、と響く乾いた音が耳に心地よく残る。

「いっ――――!」

「士郎、自分の体勢をそこまで崩して攻撃をしかけるのは感心できません」

 左手で頭頂部を押さえ、竹刀を拾い上げる士郎。
 それを見届ける前に俺は駆け出した。

「硬直が長い……早く構えないと追撃が来ますよ」

「くそっ!」

 言ってから、隙だらけの士郎の頭に竹刀を落とす。
 なんとか其れを左手の竹刀で受けた士郎は、昨日の俺の動きをなぞる様に右手の竹刀で斬り上げてくる。
 受けずに後ろに下がって避けて見せると、士郎が好機とばかりに飛び込んできた。

 ――昨日そのやり方で俺が倒れただろうに。

 下がった瞬間に床を蹴り前進。もちろん昨日の俺やリアの動きと比べると随分のんびりした加速だ。
 しかし士郎にはそれで充分だったらしく、士郎が対応する前にその両手の竹刀を弾き飛ばす。

「士郎、攻めようなどと考えないことです。
 まずは相手の攻撃を防ぐこと。それを第一に」

 ふう、と一息ついて竹刀を振り下ろす。
 また道場に、聞き慣れ始めた乾いた音が響いた。

 ――――自分が言われていたことを自分に指摘するなんて貴重な経験をしたのは、世界広しといえど俺ぐらいだろうさ。



 手に持った竹刀を元の所に片つけていく。落とした竹刀を回収する士郎を見、心の中で肩を落とす。
 それというのも士郎は終始俺の動きを踏襲することに徹していたらしく、足運びや体捌きと共に悪癖もそのまま受け継いでしまったようなのだ。

 正直、頭が痛くなる。俺自身気付いていた悪い部分は指摘したし、それで生まれた隙には容赦なく攻め込んだ。
 なのに何度打ち込んでも士郎は俺の動きを模倣することに努めている。

 以前も思ったけど、士郎が何を思っているのかわからない。いったいどんな考えがあって俺の動きをそのまま模倣するのか。
 人間相手なら士郎の身体能力で昨日の俺の動きをしてもそこそこやれるかもしれないが、力も速度も違うサーヴァント相手では隙だらけだ。
 だから俺も立合い前に「動きの参考に」「イメージを掴んでほしい」と話しておいたのに、どうやらわかっていない。
 ……防御に徹すれば、もしかしたら数分くらいは受けきれるかもしれないっていうのに。


 当の士郎は、打たれた体が痛むのか少々顔を顰めているもののどこか満足そうである。
 肩を回しながら歩く、一晩で元気になった士郎の背中を眺めてから、聞こえないようにため息をついた。






「それじゃこれから街外れの森に偵察に行ってくるけど、今のうちに何かある?」

「……ん? 行ってくるって、行かない奴とかいるのか?」

 凛が上にコートを羽織ながら士郎に尋ねたことに対して、同じくジャンパーを羽織ながら士郎が疑問の声を上げる。
 居間から玄関へと向けた足がその一言で停止し、凛は無表情で士郎に向き直った。

「何……ついてくるの?」

「当たり前だろ。体の方も治ったんだしさ。
 遠坂こそ、アルトと二人だけで行くつもりだったのか?」

「それこそ当たり前でしょう。
 あんたねぇ、いくらあの剣を投影出来るって言っても接近戦じゃサーヴァントには対抗できないでしょうが。
 士郎の腕が治るまで待ったのも、この家が襲われたときのことを想定して逃げる条件を少しでも良くすることを考えてなんだから」

「だったら、やっぱり分散するよりもまとまったほうがいいんじゃないのか?
 そっちこそもしバーサーカーと戦闘になった時を考えると、リアもいたほうが少なくとも拮抗できるだろ」

「――――ああ、そうか。衛宮君の家って、警戒の結界ぐらいしか備えがないんだったわね。
 それじゃここに居ても、地の利が得られるって訳でもないのか」

 上を仰ぎ見ながら、ため息を吐き出す凛。
 それも、「このへっぽこめ」っていう呆れた顔でため息をつくのである。

「……はぁ。
 私としては残ってもらいたかったんだけどね。貴方、性格的に偵察とか向きそうにないし」

「それじゃ?」

「ええ。ついて来たいのなら、どうぞ。
 確かにバーサーカーと対峙したらリアの力も借りないとちょっとばかり面倒だしね」

 やれやれ、なんて顔をして士郎を見る凛。
 その瞳の奥は、どこか不安げな色が隠れているように見える。

 俺も借りたカーディガンを着込み、凛と同じように士郎へと向き直る。

「士郎」

「ん? どうしたんだ、アルト」

 ついてくるというなら、士郎には言っておかなければならないことがある。
 バーサーカー相手では、そういう事態に陥る事になることも充分に考えられるのだから。

「――――自分の身を、大切にしてください。
 衝動で行動をしないように。バーサーカーに向かっていくなんてことは絶対に控えてください」

「……ああ、わかった。
 でも、あんな暴力の塊みたいな奴の前に飛び出すなんてこと、俺には出来ないよ」

 苦笑いを浮かべながらそう答える士郎。
 それならいいのですが、と簡潔に返し、反応を見る前に踵を返して凛に続く。


 例えばリアがやられそうになる、そんな場面になった時に士郎はこの言葉を覚えているだろうか?

 身を挺してまで他を救う――その行動自体は、間違いじゃない。
 きっとそれはニュースや噂で聞いたなら、皆から「素晴らしい人だ」と思われること。
 俺もそんな話を聞いたら、その人をすごい人だと感心するし、尊敬すると思う。でもそれは、助けた人も無事だった場合だけだ。

 士郎が助けに入った上で、もしも代わりに死んでしまうようなことがあったら、俺は士郎を助けられなかったことになる。
 傍から見ている俺は、『士郎が犠牲になり、リアが助かった』という結果しか残らない。
 人の命に価値はつけられない。俺が俺を『アルト』だと認識しているからには、士郎は俺であるが自己ではない。
 根底や思考パターンは同じであろうとも、俺と士郎の考えていることはいつだって同一ではないのだから。

 ならば例えそれが『衛宮士郎』と言えど、俺が救うべき人間。


 いつか、俺が願ったように。

 俺は、……俺はこの世界では、衛宮士郎でも、セイバーでもない。
 アーチャーとして、アルトとして、この世界に呼び出されたサーヴァントとして。
 士郎を含めたみんなが幸せであれば、と――――。

 ――ただ、ただそれだけを。




 アインツベルンの城がある森へは、タクシーで向かうことになった。
 幸い、衛宮の武家屋敷はその外観とお隣さんの藤村組の存在で有名である。住所と、目印になるであろう藤村組の隣と告げるだけで理解してもらえたらしい。
 十分ほどで到着するとのことだ。


 タクシーが来るまで、門の前で待つことにする。
 それぞれの格好は、一昨日の夜に柳洞寺に向かったものと同じである。
 唯一違うとすればまだ午前中であることと、慎二がいないことぐらいか。

 これから偵察目的とはいえ敵の陣地に向かうことで自然と口数は少なくなった。
 士郎とリアは、門の横の壁に寄りかかるように並んで立っている。同じように俺と凛も並ぶように立ち、タクシーを待つことにする。

(――ねえアルト、貴女も気付いていたの?)

 凛の言葉が突然頭に響く。
 顔を横に向けると、真剣な顔をした凛が前方を見つめていた。俺が振り向くと横目でこちらを見る。
 念話で話しかけてきたことから察するに、重要な話なんだろう。そう推察した俺は、肩に力が入ってしまう。

 士郎がいきなり振り向いた俺を怪訝に思ったのかこちらを見ているので、何でもないと手を振る。
 凛に倣うように視線を前方に戻した。

(何のことですか?)

(――士郎の、まるで自己のことを考えていないような行動のこと。
 慎二がキャスターにやられそうになった時、私に葛木先生が迫ってきた時――。
 他人がやられそうな時は必ずといっていいほど、後先のことを考えずに士郎が飛び出していることに)

(ええ。きっと、ああは言っていましたが、リアがやられそうになったりしたならバーサーカーの前にでも飛び出すでしょう。
 ……ただ、おそらく衝動的なものでしょうからさっきの俺の言葉もどれだけ効果があるか……)

(――そうね。キャスターの魔力弾も、葛木先生のあの武術も、あのまま貴女の助けが入らなかったなら今士郎はここに居ないわ。
 それだけの死に直面しておいて、飛び出すんだから。一回くらいなら危機感が麻痺したとかで説明がつきそうなものだけど、あいつは異常よ)

 異常……か。
 そうか、他人が見ると異常なんだな。『衛宮士郎』という人間は。

 ――――俺にはその異常さがわからない。
 救った奴も生き残らないと本当の意味で救えたことにはならないと、傍で観る分には理解出来る。
 だけど、救う為に動くことが、何故異常なのか理解が出来ない。
 自分に置き換えて、人が助けられるなら助けるべきじゃないか、と思う。生き死にはあくまでその結果だ。

(――……ま、いいわ。
 言うことはアルトが言ってくれたし、後は衛宮くんが馬鹿なことをしないように見張るだけね。
 下手に飛び出されると、助けるのにも一苦労するんだから)

 助けるのにも、一苦労……。
 俺は、助けるために……そうだ。守り易いように。
 士郎が飛び出すとあいつはきっと死んでしまうから。それは、死なせないために。
 ――――何故死なせない? 皆が幸せであるように、それが理由なのか?

 自分の存在が揺らぐような、そんな不快感。
 何かが胸に痞(つか)えて出てこない。

 この不快感は果たして、出てこない為に生まれたのか。
 それとも出てきたが為に――――。


 歯の根がかみ合わない。体がかたかたと小さく震えだす。
 何か暗いものに覆われていくような感覚が、体から嫌な汗を噴き出させる。

 頭を振って、考えを振り払おうとする。
 きっと俺の行動は不審なものだろう。隣の凛がこちらを見るのが視界の端に映る。

「お、あれだな」

「あ……意外と早かったわね」

 士郎と凛の声が聞こえてきて、顔を上げた。タクシーが門前に停まった。
 外界からの刺激に、ようやく気分が落ち着いてくる。体の震えも、いつの間にか治まっていた。







[7933] 十日目【2】
Name: 下屋柚◆26967502 ID:aed74653
Date: 2011/06/25 03:19


□□□

 ――何が、起こっているの?


 少女は目の前で繰り広げられる光景に、恐慌し、狼狽し、ただ呆然としていた。

 こんなのは、ありえない。認められない。

 そんな言葉だけで頭の中が敷き詰められる。
 目前の光景は、今までの自分の価値観を全否定している。
 最も強いと思っていた者が、一方的に蹂躙されていく。
 最強のサーヴァントである筈のバーサーカーが、目の前で為す術なく串刺しにされていく。


 どく、とラインを通じて伝わる喪失感。
 ひとつ、またひとつとその命が消されていくのがわかる。
 その感覚も既に四回目――――四つの命がバーサーカーから剥がれていた。


 侵入者を森全体に張った結界が感知し、使い魔の鳥と視覚を繋げるとそこには派手な格好をした金髪の青年が歩いていた。
 しかし、次の瞬間には『目』にしていた使い魔の存在が消され、視界が強制的に自分に戻される。
 フィードバックで瞳から涙が零れ落ちるが気にする余裕も無い。
 今の映像、そこから得られた少ない情報を元に金髪の青年について考えをまとめていく。

 あれは、魔術師なんかではない。魔術師ならば結界に気付き何らかの対策を講じるだろう。
 それだけでは断定は出来ないが、あの人物はそうではないと魔術師の自分が告げていた。
 この体がその魂を引き込もうと反応しないのだから、この聖杯戦争のサーヴァントでもない。
 見るからに実体化していたし、マスターも連れ歩いていないどころか、彼ただ一人だということもわかった。
 使い魔と繋げた視覚でわかったのは、このことだけだ。


 使い魔は潰されたが、結界は生きている。
 異物の動きを辿ると、迷い無くナニカはこの城に向かっている。

 得体の知れない不安。
 其れを振り切るように、バーサーカーを伴なって迎撃に向かった。
 知らず、口元には笑みが浮かんでいる。

 ――――其れが何であろうとも、このバーサーカーの敵ではないのだから。



 だが、違った。
 出会った時、そのナニカは先ほど見た格好ではなく金色の甲冑を着込み、不敵に笑みを浮かべていた。
 存在感が、人間とは違う。目の前のナニカの背後には、いつの間にか数十の武器がこちらに刃を向けて射出されるのを待っていた。

 そして今、敵と遭遇してまだ二十分程しか経っていないというのにあのバーサーカーが四度も殺されている。
 それでもバーサーカーは一度も地に伏すことなく、膝を折ることなく、主の前に立つ。
 前進はその豪雨のような掃射で止められるが、腕を振るい、群がる武器を吹き飛ばす。
 降り注ぐ武器により、またはバーサーカーが振るう剣により地面はえぐれ、木々が倒されていく。

「誰!? 何なの、貴方っ!
 あっ!? だ、だめ、バーサーカー! 退いて!」

 しかし、死から修復する前にその傷ついた体には、新たな剣が、槍が、斧が生える。
 増える傷とともに命は削られ易く、剥がされ易くなっていく。
 イリヤが叫ぶ間にも、また一つ消えていった。

 バーサーカーはイリヤの声に答える様に、大地を震わさんばかりに咆哮し渾身の力を以ってその手の斧剣を振り下ろす。
 指向性を持って飛来する武器が、その方向を見失い、四方へと彷徨い落ちていく。一撃の余波が、向かってくる武器の大群に一時的に空白を作る。
 深く踏み込むと、己が主の命令を護るべく後方へと飛び退いた。

 己が主を抱えると、木々を薙ぎ倒しながら城へと向かっていく。
 向かってくる剣、斧、槍、矛――様々な武器を、空いている右手の斧剣で迎撃しながらも。
 左腕に抱えた、震える小さなマスターを護りながらも。
 ……背に、新たな剣を生やしながらも。







◇◇◇


 初めに感じたのは、異様な雰囲気だった。
 森の入り口から結界の魔術式が敷かれているが、今は起動していないようだ。
 術者が何らかの理由で継続するだけの余裕がないのか。
 それを象徴するように、ぴりぴりと肌が粟立つような緊張感が森全体に蔓延している。

 遠くで鳥が飛び立った。
 大きな物音こそしないものの、地面が微かに揺れていると感覚が訴えている。

 ――誰かがバーサーカーと戦闘して、いる?

「――シロウ、リン。
 どうにも殺気がこの森に溢れている。これは恐らく……」

「……バーサーカーが戦闘しているのね」

 俺がそれを告げる前に、リアが声に出して告げていた。
 凛も何か異常を感じ取っていたのか、眉間に険が寄っている。

「でも、いったい誰?
 ランサー……? ライダーだったら、そのマスターは……私――」

 そして、隣で何かを呟いているこれは凛の癖なのだろう。情報を整理するように、小さく口の中で声に出して思考する。
 その声はこの優れた聴覚でも端々にしか聞き取れなかった。

「どうしますか?
 他のサーヴァントとの戦闘中だとするならば、バーサーカーのマスターも過敏になっているでしょう。
 気付かれる可能性も……」

「当初の予定通りいきましょう。
 ――いえ、もしかしたら。
 戦っているのがランサーか、それともライダーかはわからないけど、上手くやればここでバーサーカーを倒せるかもしれない」

「―――」

 リアには珍しく、何か紡ごうとした言葉を噛み殺す。
 しかし、凛の様子もどこかおかしい。……何かに焦っているように俺には見える。
 四人の間で言葉が途切れる。どこか、噛み合わない。

「……行こう」

 この雰囲気に耐えられなくなったのか、そう言うなり士郎が歩き出す。
 続くようにリアが士郎を追う。

「――凛」

「ええ、わかってる」

 声を掛けたと同時に凛も歩き出した。
 後ろで歩く凛を気にしながら、俺も前に歩くリアの後に続く。





「これ、は――――」

 目に映るものは、まるで別世界だった。
 背の高い枯れた木々、生い茂った跡の植物。
 人の手がまるで加えられていない荒れた森を歩き続けた先にあったのは、一言で表すなら『荒野』だった。

 地面は陥没し、ところによっては盛り上がり、地面を覆っているはずの枯葉は掘り起こされた土の下に埋没してしまっている。
 木々は辺り一帯薙ぎ倒され、その無残な屍を晒している。
 風が強い。風を多少なりとも防いでいた木が、軒並み倒されているからだろう。

 何かその跡から戦っている相手を読み取れないかと、圧し折られた木に近づき眺めてみる。
 折ったのはバーサーカーだろう。まるで巨大な鉄球をぶつけられたみたいに、あからさまな圧力が加えられたのが判る。
 ――その木に、ところどころについた切り傷や何かが刺さったような穴。
 思い当たり、辺りをよく観察すると同じような跡が倒れた木々や地面にもついていた。


 既に聞かされていたからか、リアがこちらにも目配せしてくる。
 それに頷きで答える。

 これは――――間違いない。
 いつかの出来事を思い出し、ぎゅ、と拳を握る。

「なぁ、この倒された跡ってあっちに続いて――――って、あれは城か?」

 士郎の声に顔を向けると、確かに木々はある一方に倒されていっている。
 作られた空白。その方向にだけ視界が開けていた。
 視界を遮るものが無い道。その道の先には巨大な城が見える。

「とりあえず、この方向に進んでいきましょう。
 何かがあるのは間違いないわ」

 凛の言葉に士郎が頷き、俺とリアは極力気配を絶って先頭を進んでいく。
 俺の予想が正しければあの城には――――ギルガメッシュがいる。


 城に近づくにつれて、いつしか破壊音が聞こえていたことに気が付く。
 大きくなっていくその音は、まるで城が悲鳴を上げているように聞こえてきた。


 城の外壁に崩された部分を見つけ、その傍に壁を背にするようにして身を隠す。
 バーサーカーの咆哮、腹に響くような爆音が壁越しにびりびりと聞こえてくる。

 隙間から中を覗くと、かたかたと震えるイリヤと、前進するバーサーカーが確認できた。
 しかし、立っているとはいえバーサーカーは死に体だった。
 ――――いや、事実、何度も『殺された』のだろう。

 無事な部分など見当たらず、貫いている剣や槍は両手ではとても足りない。
 その貫いている武器も一つ一つが必殺の其れ。
 再生能力を抑えるもの、呪いを注入するもの、麻痺を与えるもの――――
 世界中の伝説に残る武器の原型はここに、一体の半神を滅ぼさんと集っている。

 あれだけの数を受けて尚、命を使い切っていないのはその強靭な肉体故か、宝具の恩恵か、それともその豪腕から繰り出される一撃があるからか。
 いや、その全てを以ってしてもこの結果なのか。

 バーサーカーはそれでもまだ、主を護ろうと足を進ませる。
 ここより後はない。前に進むしか、道はないのだ。


「半神とはいえこの程度か。
 つまらん――――所詮は戦うだけの畜生」

 聞こえてくる声。高らかな声色は城内に反響している。
 台詞とは裏腹に、言葉には喜悦が浮かんでいるのが聞き取れた。

 不意に、ぱちん、と指を鳴らす乾いた音。

 先陣を切るかのように長柄の矛がバーサーカーの腿を貫き、地面へと突き刺さる。
 そこに、形も、材質も、国も違う数多の刀剣が殺到した。

 対してバーサーカーは手に持つ斧剣を振るう、振るう、振るう――――。
 だが、その行為は川の流れを一人で堰き止めようとするようなものだ。
 バーサーカーでもその多くを受けきれず、降り注ぐ武器の的になっていた。
 細剣はこめかみを貫き、長剣は五体を切りつけ、槍は心臓を抜ける。

 ……あまりの凄惨さに、一拍身動きが取れなくなった。
 遅れるように、その一方的な暴虐を行ったであろうギルガメッシュに腹の底から怒りがこみ上げてくる。
 その姿は建物の影になって確認できない。だがあいつは間違いなく、傷一つも無く立っていることだろう。

 主を護ろうとするバーサーカーをあざ笑うような態度が、癇に障る。
 そのバーサーカーの立ち向かう姿は、いつかのセイバーと同じだったから。


(……凛)

 湧き上がり続ける怒りを噛み殺し、凛に問いかける。
 目を見張って覗き込んでいた凛は、視線をこちらに向けた。

 名を呼んだだけだが、その意図は掴んでくれたようだ。

(――そうね……。
 私たちが取れる選択じゃ、撤退……これが最善な選択でしょうけど。
 今は良くても今後あの高笑いしている奴が攻めてきたら、それで終わりね。
 アルト、貴女とリアで連携してアイツに勝てそうな算段はある?)

(どうだろうな。結果はわからないが、分の悪い賭けには違いない)

(――二人掛りで挑んだあのバーサーカーが為す術もないものね……)

 そういって、視線をまたバーサーカーに向ける凛。

 今まで姿を確認できなかったギルガメッシュが、悠然と歩いていた。あの金色の甲冑を着込んでいる。
 ギルガメッシュが歩みを進めるその先にはイリヤがへたり込んでいた。
 しかし、体を振るい、突き刺さった武器を弾き飛ばしたバーサーカーがその歩を止める。

「――ち」

 軽く舌打ちをしたギルガメッシュが飛び退き、またもバーサーカーと相対する形になる。
 再び、城内からはバーサーカーの大型の猛獣のような雄叫びが響いてくる。

 凛が何かに気付いたように、またこちらに視線を戻す。

(どうした、凛?)

(――やっぱり。
 貴女、話し方が今までにないくらいおかしいわよ。話し方といっても、思念だけど。
 どうかしたの?)

(ああ、アイツとは因縁めいたものがあるからな。
 意識して自分を落ち着かせないと、どうにかなりかねない)

(――あの金ぴかのこと知ってるの?)

(…………アイツは、前回の聖杯戦争のアーチャーだ)

 失言に、しまった、と思わないでもなかったが、リアも知っていることなら話してもかまわないだろう。

(――は? ってことは何?
 あんた、前回の聖杯戦争にも召還されていた訳?)

(いや、正確には前回の聖杯戦争には『アーサー王』が召還された)

(――う……、その返しだと混乱するわね)

(それは後で。とりあえず、だ。
 この後はどうするんだ? バーサーカーに助太刀するのか?)

 ここで凛が、『退く』と判断すれば俺はどうすればいいのか。
 凛に頼んで、せめてイリヤだけでも助けられないかと進言してみるつもりではある。
 だがそれも却下された場合、俺は……?


 考えながらも、目の前の戦闘は動き、流れていく。

 バーサーカーは、ギルガメッシュに後数歩というところまで辿り着いていた。
 払った代償は大きい、なんて言葉では言い表せないほどに、自分を削って得た結果。
 残りの命も、そう残っていないだろう。
 それでも前への勢いを殺さず、宝具の暴雨の中を前進する。

「調子に乗るな――――!
 我を煩わせるなよ、木偶が!」

 その止まらない進みが気に障ったのか、ギルガメッシュは吐き棄てた。
 右手を振り上げ、バーサーカーへと向ける。

「――――天の鎖よ――!」

 虚空から現れたのは、鎖。
 鎖はバーサーカーを絡め取り、縛り、締め上げる。
 あの巨体が、鎖で縛られ身動きを強制的に阻害されている。
 バーサーカーと直接打ち合った俺には、尚更その光景は信じられることではない。

「だ、駄目! バーサーカー戻って! 戻りなさい!」

「無駄だ」

 そこに降り注ぐ、宝具の雨。
 絡め取られたまま、その雨を一身に受けることになったバーサーカーは遂に沈黙した。
 多くの剣が突き刺さったその姿に、イリヤは甲高い声で彼の名を叫ぶ。

「そこで何も出来ずに、貴様のマスターが殺される様を見ているがいい」

 動かなくなった其れを一瞥し声を投げかけると、ギルガメッシュはイリヤへと足を向ける。

 イリヤは近づいて来るギルガメッシュから逃れるように後ずさる。
 しかし悲しいかな、その小さな体では男と歩幅に差がありすぎた。彼女が必死に後ろに下がっても、互いの距離はどんどん狭まっていくばかり。
 目の前の男から離れようと必死に逃げ道を探すも、すぐ目の前には金色の鎧を纏った男が迫って来ている。
 迫った死に怯え、イリヤの口はうわごとのように何度も何度も「たすけて……たすけて……」と形作っていた。

 不意に、がしゃん、と何か金属が落下し音を立てる。

 その音にギルガメッシュの歩みが止まる。
 顔を向けた先には、バーサーカーから抜け落ちた剣が落ちていた。
 偶然かどうかはわからない。だが生まれたその隙にイリヤは走り出す。
 ギルガメッシュの脇を抜け、何よりも信頼できる自分のサーヴァントの下へ。

 ふん、とギルガメッシュが鼻を鳴らすとその横から、エストックのような細剣が一本、同じく細剣だがレイピアに近い長めの細剣が一本射出された。
 その二本がイリヤの背後から迫り、間もなくその細い肩に突き刺さる。

 その衝撃に、走り出していたイリヤはもんどりうって倒れた。
 距離は取れた。――だが、倒れた拍子に打ったのか、頭からは血が流れ出ている。
 肩が貫かれた為に、地面に手を付いても直ぐに倒れてしまう。
 倒れたままのイリヤから聞こえてきた声はやはり、「誰か、たすけて」と、救いを求めてのものだった。



(凛っ――!!)

(――アルト駄目! ……駄目よ。
 このまま戦っても勝ち目がない。ただの犬死にしかならない。
 きっとあの武器の雨から私たちが逃げるのも一か八か。助けて逃げるのも……無理よ)

(くっ――!!)

 俺が提案しようと思っていたことも既にシミュレートしていたのか、沈んだ顔で答える凛。
 自分の余りの不甲斐なさに、ぎり、と歯が鳴る。

 俺は何のためにここにいるのか。
 言うまでもない、助けるためだ。助けを求める人を救うために、ここにいる。
 今現実に、目の前に助けを求めている人がいる。
 ならば簡単だ。救うべきだ。

 ――――だが。
 救うために飛び出せばどうなるか。
 最悪、イリヤが助けられないだけでなくリアや士郎、凛も殺されるかもしれない。
 それを考えてしまうと、迂闊には飛び出せない。

 人を救うと決めた。――でも、みんなを護りたいとも確かに思ったし、願ったんだ。

 だが、俺の躊躇とは別に、体はいつでも飛び出せるように構えたまま。
 そんなことは関係ない――、と『俺』が告げている。
 根底を間違えるな、お前は何だ。何のために生きているのか、と。

「シロウっ!? 駄目だ!!」

「っ!! あの、馬鹿!!」

 突如響く、リアの制止の声。続く凛の叱咤。
 リアは目の前の人物を追うため走り出していた。瞬間、それが引き金になって俺も駆け出す。
 既に、俺たちの目の前には城の中に侵入した奴がいる。


「イリヤから離れろ、てめえ――――!」





[7933] 十日目【3】
Name: 下屋柚◆26967502 ID:aed74653
Date: 2011/06/28 20:22
◆◆◆

 半壊し、崩れかかる城の中――。
 エントランスの中央には、多くの武器に刺し貫かれ沈黙しているバーサーカー。
 そのマスターであるイリヤは、己のサーヴァントに寄り添おうと駆け出していた。

 金の鎧を身に着けた男が鼻を鳴らすと、その横から細剣が二本射出される。
 イリヤの背後から迫ると、間もなくその細い肩に突き刺さった。

 その衝撃に、走り出していたイリヤはもんどりうって倒れた。
 距離は取れた。――だが、倒れた拍子に打ったのか、頭からは血が流れ出ている。
 肩が貫かれた為に、地面に手を付いても直ぐに倒れてしまう。
 倒れたままのイリヤから聞こえてきた声はやはり、「誰か、たすけて」と、救いを求めてのものだった。

 男はイリヤに歩み寄る。
 少女の声を意にも返さず、笑みを浮かべたままで。



 頭が、がんがんと痛みを訴える。
 体を満たしているのは焦燥感。そして大きな怒りと嫌悪。
 それは全て、目の前の光景が原因だった。


 ――倒れているのは弱者、迫るのは暴虐。
 弱者は助けを求め、其れを蹂躙しようと歩み寄るは命の終局。

 全身が灼熱し脈を打つ。
 その構図は、十年前に俺が免れることができたもの。

 思考は塗り潰される。視界は少女と男のみを捉え、体は勝手に動き出す。
 音が、色が剥離していく。世界に微かに残った残滓は、後ろから何かを呼びかけている雑音。


 助けろ弱きを。救え命を。護れ他人を。庇え少女を。生かせこの手で。
 ――――この状況、動かずしてお前は何を名乗るのか。


 『衛宮士郎』として生きた年月が、俺を突き動かしている。
 『衛宮士郎』の名を受けた決意が、俺を走らせる。

 死ぬかもしれない。いや、死ぬだろう。
 あの男の前に立てば、俺は殺される。俺が立ったとしても、少女は殺される。
 ああ、そうだろう。きっと、殺される。

 ――知ったことか。そんな結果は、今は関係ない。
 助けなければならない。誰かが助けを求めて手を伸ばすなら俺はそれを握ってやる。


 あの赤い世界。
 消し飛ばされた多くの命、磨り潰された多くの幸せ。
 呻き。叫び。喚き。
 観念。諦念。絶望。

 その中でただ一人、拾い上げられた俺。
 死の足跡を聞き、死の中で手を伸ばし、それがたまたま拾い上げられた。

 ああ――ならば。
 今度は俺が、拾い上げよう。


「イリヤから離れろ、てめえ――――!」

 体から溢れ出しそうな怒りを、音にして放つ。
 大した距離を駆けた訳ではないが、呼吸は乱れていた。

 幸い、イリヤとあの男とは僅かながら距離が開いている。

「イリヤ、大丈夫か?」

 そのまま駆け寄り、イリヤを抱き起こす。
 貫かれた両肩は血に染まり、紫色だった服の生地を黒く変色させていた。
 傷口からは血が流れ続けている。

 傷が傷だけに出血量は多いが、どうやら致命傷というわけではないようだ。
 イリヤの傷を観察しながらも、視界の端にあの男を収めたまま決して警戒は緩めない。

「え――お、兄ちゃん?」

 何故シロウがここにいるのかと、都合の良い幻ではないかと、満足に動かないその右腕で俺に触れようとする。
 イリヤの右腕は震えるだけで持ち上がることは無く、俺はそれを制して頬を親指で拭ってやる。
 恐怖か、それとも安堵によるものか瞳からは涙が零れだしていた。

「もう大丈夫だ。イリヤは、俺が護る」

 口を吊り上げ、笑みを形どる。
 正直、上手く笑えたかは分からない。でもそれを見たイリヤも笑みを浮かべてくれた。

 ――よかった。
 彼女を見捨てないで。
 手を握り返すことが出来て、本当に良かった。


 金色の鎧を身に着けた男は、俺もイリヤも眼中にないとばかりに俺の後方を凝視している。
 憮然とした表情が、次第に隠し切れないと云った様に笑みへと変わっていく。

「ほう! 騎士王か! このような場で相見えるとはな。
 まぁそれはいい。そんなことよりも、我の決定を受諾する心算は――――む?」

 騎士王とは、リアとアルトのことだろうか。
 その中途で途切れた言葉に、思わず背後へと振り向いた。

 そこには、同一の武装の二人が立っていた。
 姿形は同じでも、違うのはその色と強張った表情。
 リアはその顔に警戒と敵意を。アルトは怒りと殺意を。

 ――あのようなアルトの表情に見覚えがない。
 当たり前だ。アルトは戦意は見せても、敵を殺さんばかりに睨みつけることなど一度たりとも無かった。


「――――何だ、貴様は?」

 男の視線はアルトを捉えたまま離さない。
 一方アルトも、身動ぎもせず男の視線を受け止めている。

 若干の間の後、男の左眉がぴくりと持ち上がった。
 次第に目を見開いていき、両腕をわなわなと震わせている。

「貴様、誰に断って王の姿を真似ているッ!!」

 何故か侮蔑されたかのように怒り狂う、金色の男。

 怒号に、腕の中のイリヤが震えている。
 その撒き散らされる殺気は竦みあがりそうになるものだが、それをぶつけられたアルトには気に留めた様子も無い。

「俺が何であろうとお前には関係のない。
 そんなことより――――貴様こそ、誰に断ってイリヤを狙ってやがる」

 激昂する男に対し、凍てつくような殺気をアルトは返す。
 刺々しい、なんてものではない。仇に相対したかのように、体中からは殺意が沸きあがっている。

 背筋に寒気が走った。
 アルトの声に込められた怒りが、俺がこの男に対して感じていた怒りを一瞬忘れさせた。

「下郎っ!
 王に向かって何たる言い草か、セイバーの紛い物如きが!」

「アーチャー!!
 それ以上彼女を侮辱するのならば、我が全力を以って貴様を打倒させてもらう!!」

 横からこれに答えたのはリア。
 不可視の剣を両手に、金属製のグリーブが音を鳴らす。
 今にも飛び掛らんとしたその姿は、ぎりぎりまでしなった竹を思わせる。

「憤るな、セイバー。そうか――――其れはお前の影武者か何かか。
 クッ……ハハハハハハッ! だとするなら見た目は兎も角、随分と誤った人選をしたものだな!
 王が持つものを、何一つとして持っていないではないか! 滑稽! 道化でしかないぞ、紛い物!」

「ッ!」

 突如、つむじ風が巻き起こったかのような風が吹き抜けた。
 空気を突き抜けてリアが疾駆していく。昨日道場で見た驚異的な速度を更に超え、風を切り裂きながらアーチャーと呼ばれた男に迫る。

 アルトも、リアに続いて駆けていた。その両手にはリアと同じ剣が握られているのだろう。
 深く前傾に構えながら地に沿う様に進んでいく姿は小柄ながらも力強く、破城槌(はじょうつい)を連想させる。


 鉄が弾ける音が城のエントランスに響く。
 いつの間にか、先の再現のようにアーチャーと呼ばれた男の背後には幾多の武器が待ち構えていた。


 リアはいきなり目の前に現れた其れらを両手の剣で弾き飛ばすが、体勢を崩したそこに更に剣が迫り、受け切れずに倒れる。
 それでも、降り注ぐ剣は止まらない。床に倒れたまま転がり、後続のそれらを紙一重でかわしていく。

「リア、後ろへ!」

「ッ、アルト!」

 替わるようにアルトがリアの前面に立った。
 リアに迫る一つ一つが必殺の武器を、目に見えるほどに魔力を凝縮した一撃で薙ぎ払う。
 爆発したかのような魔力の猛り。その破壊力はリアの放つ其れを超えている。

「くぅ……!」

 だが、数が多すぎるのか、アルトもまた後方へとじりじりと下がっていく。
 あの男には、目の前の武器の雨を突破しなければ届かない。


 ――あのバーサーカーを圧倒するような相手に、果たしてリアやアルトは勝てるのだろうか?
 俺には、あの男に勝つ構図が想像できない。あれだけの質量を相手に対抗する術など考えもつかない。
 けれどあのリアやアルトが負ける筈がないと固く信じている俺もいる。

 その矛盾した考えが、俺の不安を更に煽る。
 せめて二人の邪魔にならないようにと、イリヤを抱えて立ち上がり後方へと避難を済ませた。
 遠坂の位置まで下がる余裕はない。下手に動けば巻き添えになることは目に見えている。


「アルトッ! 左は任せます!」

「わかった……!」

 立ち上がったリアが合流すると、アルトの構えが右半身を前にするものへとシフトする。
 背中を合わせるように、飛来する剣を打ち落とし、弾き返す。

 背を面として、反射しているように互いを補完している。
 時折ぐるり、と立ち位置を入れ替えて、片側の死角を埋めていく。
 互いが互いの隙を埋めていく。

 ――あれは、同じ剣術を使っている者同士でしか出来ない芸当だろう。
 同じ体捌きだからこそ次の動きを察知することができるのだろうし、同じ剣術だからこそ生まれる隙を理解できる。
 以前アルトがやっていたように魔力を瞳に集めて視覚を強化し観察すると、いくらかの遅れがアルトに見られるが充分に揃った動きをしている。

 今までリアとアルトが共に戦った相手はバーサーカーだけだったが、あの時にはない連携が今出来ている。
 二人にどのような変化があったのか。アルトは以前よりも動きがリアに近いように見えるし、リアもアルトの動きを完全に理解しているようだ。


 しかし二人のその見事な連携を以ってしても、宝具の弾幕の前に足止めされる。
 それどころかアーチャーと呼ばれた男にはまだ余裕があるように思える。現に先程から放たれる武器は数を増し、男の笑みは崩れることが無い。

 その凄まじい攻防を、俺はただ見ていることしか出来ずにいた。
 腕の中のイリヤは目の前の恐怖にがたがたと震え、何らかの魔術が働いたのか肩は止血されているようだが顔色は悪い。
 俺は、彼女が少しでも安心出来るように、背中に回した手に力を込めた。


 突然に、剣戟の其れに紛れて、ドン、と拳銃を撃ったような音が三度、響いたのが耳に聞こえてくる。
 俺の背後から高速で飛来していく光弾。迫る武器の合間を縫うように紅い弾丸が三つ抜けていく。

 後ろを見る余裕はない。だが、間違いなく遠坂の援護射撃だろう。
 以前慎二に喰らわせたあのガンドとは比べられないほどの魔力の塊。
 キャスター相手に放ったほどの輝きはないものの、アレを喰らったらその部分は吹き飛ぶか貫かれるか。
 当たれば、常人ならそれだけで死に至るような鮮やかな赤の銃弾。

 リアとアルトに集中していたのか、遠坂の放った魔力弾は間もなく男の肩、腕、顔にと全発着弾した。
 着弾する度に軽い衝撃が男を襲う。だが、それほどのダメージはないのか間髪入れずに紅い瞳が射手を射抜く。

「小賢しいぞ! 雑種如きが我の邪魔を、するな!」

 リアとアルトに武器を放ち続けながらも、男は遠坂へも剣を三本射出する。

 視認。三本といえど、どの剣も神話、伝説に登場するような力を持っていることを理解する。
 人の身どころか、サーヴァントであっても致命傷になりかねない力が篭っている。
 その概念の前では、魔術師が張れる防壁では勢いを弱めることも難しいだろう。物理的に弾き飛ばしでもしないと、助かる術はない。


 思わず走り出そうとするも、腕にはイリヤがいる。
 遠坂は回避運動に入っているようだが、内の一振りからはどうしても逃れられそうに無い。

「遠坂っ!!
 ――――投影……

 一か八か、干将・莫耶を投影して投擲しようと思い当たったところで、俺の視界に赤い影が混ざる。

「リア! 少しの間持ち堪えててくれ!」

 横から割り込むように、アルトが射線上に割り込んだ。しかしあの位置からでは全てを無効化する時間がない。
 遠坂に向かっていた一本は弾き返すが残りの内、一本がアルトの左腕に突き刺さる。

「ぎっ――――!」

 すぐさま刺さった剣を引き抜くと、鮮血が左腕から流れ落ちていく。

「つぅっ、あ――――!
 はあっ、はあっ……凛っ、大丈夫か!?」

「ご、ごめん、アルト」

 尻餅をついた遠坂の顔は、青くなっていた。
 怪我が無いことを確認すると、流れ出る血もそのままにアルトは踵を返す。

「なっ!? これ……は、ぁ……!?」

「アルトッ!?」

 リアの元へと取って返そうとしたアルトが膝から崩れた。アルトの両手がふるふると震えている。
 その傍らに落ちている、血がついた剣が視界に入る。

「あれは――――!」

 肩の傷からの血が止まったイリヤを抱えて、二人の元へと走る。
 痛みを堪えたくぐもった声が腕の中から聞こえてくるも、俺は止まれない。

「悪い! イリヤ、少し辛抱しててくれ」

 アルトが退いた今、このままここに居たら流れ弾がこちらにも飛んでくる。
 せめて対応できるぐらいの距離――――遠坂の辺りまで戻らないと。
 それに、魔術ではあの剣を防ぐことは難しい。遠坂の魔力弾ならば逸らすくらいは出来るかもしれないがあの数には歯も立たない。
 ……やってみないとわからないが、干将・莫耶を使えば二、三本なら受けられるかもしれない。
 そうでなくとも、いざという時の為にまとまっていたほうがいいだろう。

 アルトと遠坂の元に走り寄り、イリヤを遠坂に預ける。
 いきなり膝を突いたアルトに困惑していた遠坂だったが、イリヤの傷を見て頷くとすぐさま詠唱を始める。

 その様子を見て一つ息を吐くと、アルトに向かって駆けた。
 彼女の傍らには引き抜かれ、血に濡れた剣がその姿を消滅させようとしていた。

 アルトの様子がおかしいのはこれが原因だろう――
 ――――解析。

 蛇が刻まれた波打つ刀身を持つ剣、麻痺を付加する呪いが掛けられている。
 傷口から血を媒介に、蛇の神経毒のような効果を広めるもののようだ。
 その毒性は強く、人間ならば数分で死に至る。

「アルト、この剣は――――!」

「ぐぅっ、わかってる! 下がってろっ!!」

 アルトは言葉と共に、右手になんとか握り直した不可視の剣を、左腕に深く突き立て引き抜いた。
 どばっ、と血が噴出し、アルトからは苦悶の声が漏れる。真っ赤な血が、彼女の足元に血溜りを作っていく。

 間もなくして、傷口からの血の流れが細くなっていく。
 これでは毒は抜け切らない筈なのだが――――サーヴァントだからなのか、それともアルト自身に毒への耐性があるのか。
 アルトは若干ふらつきながらも立ち上がる。その時には、既に腕の血は止まっていた。




「調子に乗るなよ、セイバー!」

 その声に、全員の視線がリアの方へと向かった。
 気づけば剣と鉄がぶつかる音はいつしか止んでいる。

 いくつか剣を掠めたらしいリアは、荒く息を吐きながら剣を構えている。
 離れたところに佇んでいる男は機嫌を損ねたような顔で右手を虚空へ。
 そこには男の手に収まるように、武器の柄が伸び始めていた。

 ず、と引き抜かれたそれは、三つの円筒が連なったような構造をしている。
 其れから放たれる威圧感。全てを捻じ伏せるような印象を受けるあれは剣、なのか?

 ――――読み取れない。
 理解が及ばない。あの剣は、人の頭で知覚できるものじゃない。

「乖離剣、エア」

 低く、声が響く。その声で火が点ったように、三つの分たれた刀身が乱回転していく。
 エアと呼ばれた剣が、その主に呼ばれたことを喜ぶようにその回転数を上げていく。

 ありえない。
 その隙間から漏れる程度の魔力、だが膨大すぎるその量に現実を直視できない。白昼夢を見ているような錯覚に陥る。

「リア!」

 俺の隣でアルトが、男に相対しているリアに呼びかける。
 歯が砕けるばかりに噛み締めた顔は、焦りに満ちている。
 アルトは走り寄ろうと足を踏み出すが、エアと呼ばれた剣から発される暴風の前に膝から砕け落ちている。
 毒が抜け切っていないのだろう。それでも尚、彼女の元へと足を進めていく。

「……シロウ、宝具を使います!」

 その言葉と共に、リアに握られた剣から風が巻き起こり始めた。
 バーサーカー相手に放った時とは違い、風は剣に巻きつかずに周囲へ散っていく。


 風の鞘に納まり、今まで視ることの叶わなかった剣はついにその姿を現した。


 全てを断ち切る星の輝き。人間が作り得ない伝説の一振り。
 清廉な、美しいその聖剣に膨大な魔力が満ちていく。


「見せてみろ、騎士王! 貴様の全力を!
 世界の王たる我が受け止め、そのことごとくを踏み潰してやろう!」

「吼えるな、英雄王! 貴様の傲慢を!
 そのような思い上がりが民を苦しませ、己が国を滅びに追いやったのだろうに!」



「天地乖離す(エヌマ)――――」

「約束された(エクス)――――」


      「――――開闢の星(エリシュ)!」

      「――――勝利の剣(カリバー)!」



 瞬間。世界からは音が消えていた。




[7933] 十日目【4】
Name: 下屋柚◆26967502 ID:aed74653
Date: 2011/06/28 20:27

◇◇◇

 あまりの光量に、物質は影だけを残して視界から消えていった。
 その空間を埋めるように白が世界を染め上げていく。眩い白光の中、リアとギルガメッシュだけがその姿を残している。

 爆音と爆風。そして一瞬というには長すぎる空白を置いて、世界に色が戻る。
 ――だが二つの宝具はその発動を終えたわけではない。
 今もリアは目の前で、ギルガメッシュのエアの一撃を後ろに逸らさず受け止めている。
 振り下ろした状態で、体中の魔力を以ってエクスカリバーを維持し続けている。

 狂乱したかのように大気は荒れ、放たれた熱は周囲へと撒き散らされている。
 エクスカリバーの光を、エアが空間ごと歪曲させていく。ギルガメッシュには届かない。
 エアによる空間の捻れを、エクスカリバーが膨大な熱量で力ずくで押し戻す。
 リアの宝具が発動していなかったなら、後ろにいる俺たちはエアから放たれる渦の狭間で捻じ切られていただろう。



 リアでは……。
 セイバーだけでは、ギルガメッシュには勝つことが出来ない。


 ――知っている。
 大きな不安を抱えながら観た、その対決を。
 セイバーがエクスカリバーを担い、ギルガメッシュのエアに対抗したことを。
 そしてその結末を。

「リアッ!」

 ――知っている。
 打ち負け、吹き飛び、倒れたセイバーを。消えゆくその姿を。
 無様な自分を。どうしようもない自分の力不足を。

「――――あああああああああっ!」

 地を震わすようなリアの咆哮。
 呼応するエクスカリバー。放たれる光が、更に輝きを増す。

 ……同じ存在であるリアがエクスカリバーを使って、エアに勝てる道理はどこにもない。
 そうさせない為にはギルガメッシュにエアを使わせる余裕を与えないか、リアと共にエクスカリバーを使えばいい。
 流石のエアとも云えど、相乗で宝具を使われたら打ち勝てないだろう。
 自分ひとりでは勝てなくても、リアひとりでは勝てなくてもふたりなら――――。

 ――――知っていた、つもりだったんだ。

「リア! 駄目だ、それ以上は――――!!」

 力が、入らない。進めようとした足が、思ったように持ち上がらない。
 苦心して踏み出したその足も、地面についた矢先に膝から崩れそうになる。
 両手のエクスカリバーは俺の意思に反して、かたかたと震えている。

 俺の体を、先程の剣の呪いが蝕んでいた。
 肩に突き刺さったあの剣の情報を解析し、媒介になっている血を傷口から抜いたが遅かった。

 剣に貫かれた左肩を右手で押さえて体を揺らす。
 傷はもう見当たらないが、痛みは残っている。でもそんな痛みなんかより、今、体に力が入らないことが悔しくて堪らない。
 左手に引っ掛けるようにした不可視の剣が床の石と擦れて音を立てる。
 歯を食いしばる。体ごと引きずるように、リアの許へと一歩を踏み出した。

 魔術に強いセイバーの体だからこそ呪いに耐性があり、この規格外の体力のお陰で大量の出血に耐え、今辛うじてでも動くことが出来ているということは理解できている。
 以前の俺ならその場で倒れ、生き死にの狭間を彷徨っているだろう。
 逆を言えば今この瞬間も、大分希釈されたとはいえ死に至る呪いを身に受けているということになる。

 だからといって、今俺が立ち止まるわけにはいかない。このままでは、リアは現界できなくなってしまう。
 エクスカリバーに今も魔力を注ぎ込み、ただでさえ少ないリアの魔力は枯渇する寸前の筈だ。
 不足する魔力に拠るものか、エクスカリバーの輝きは次第に弱くなっていく。反して相対しているエアは未だ猛威を奮ったままだというのに。
 破れたならば、エアの巻き起こす力の奔流はその矛先をリアへと向けるだろう。そして魔力を目一杯まで使ったリアではそれに耐えられない。それは既にわかっていること。
 事実、セイバーがそうだったのだから。

「はははははははは! セイバー、か弱いな!
 そんなものが貴様の全力か!」

 ――ギルガメッシュの高笑いが耳に障る。


 二人の宝具が発動してからどれほど経ったのか、俺からは時間の感覚が無くなっていた。
 その間進められた歩はたったの三。リアまではまだまだ距離が離れている。


 声を張り上げ、ギルガメッシュに立ち向かうリア。
 彼女の足が、震えているのが目に留まる。その額に、大粒の汗が浮かんでいるのが見て取れる。
 リアの震えたその足が崩れ落ちかけた瞬間、俺は振り向きざまに叫んでいた。

「――――士郎! 令呪だ!!」

 頭の中にはエアに勝つだとか、そんな考えは既に微塵もない。
 どうすればリアが助かるのか、もうそれだけしか考えられなくなっていた。

「そ、そうか!」

「いいから、早くっ!! このままじゃ、リアが!!」

 士郎もようやく事態を把握する。その瞳を己の左手に向けそのまま瞼を閉じた。

 体が動かない今、彼女を助けられるのは士郎の持つ令呪しかない。
 俺も、祈るように目を閉じる。

「リアァァァーーー! あの野郎を、たたっきれぇぇぇぇぇええええええ!!」

 士郎が叫び、その左手の令呪が赤い光を残して砕け散った。

 瞬間、リアの体から溢れ出す光。
 枯渇寸前だったリアの魔力は満たされ、巻き起こるエーテルは唸る様な喜びの声を上げる。
 巻き上がる魔力の渦。力強く地を踏みしめる両足。

「――――――!」

 渾身の力を以って両手のエクスカリバーが振り抜かれる。

 地響き。その強大すぎる力は地を揺るがして、光は世界を分断していく。
 光の刃は地面に大きな裂け目を残す。その軌跡に沿って、大きな傷跡が城を分断するように出来上がっていた。


 以前にはなかった令呪による魔力のブースト。
 もしかしたら、これならばエアごとギルガメッシュを――――。

「――――そん、なっ」

 リアの呆然とした声。そのまま足から崩れ落ちる。

 ――――しかし、令呪を以ってしてもギルガメッシュのエアを貫くことは叶わなかった。

 士郎が叫んだ瞬間、ギルガメッシュの顔色が変わり、エアの刀身の回転数が更に上がった。
 分たれた刀身からは魔力が溢れ出し、魔力の光でその渦の流れが目視できるほどに魔力の密度は充実していた。
 大きく空間を捻り切り始めた力の奔流は、エクスカリバーの光の刃でも相殺するに留まらずにその力を衰えさせながらも突き抜けた。


 リアは間もなく赤い光の渦に飲み込まれていった。
 暴風に翻弄され、体を攫われて捻られる。木の葉のように宙を舞う。
 砕ける鎧。流れ出た鮮血が渦の中に撒き散っていく。

「リアッ!
 ――――――ぐぅっ!!」

 魔力を両足に固めて一気に暴発させ、一直線に飛ぶ。
 ぎし、と嫌な音が体中に響き、筋肉が裂かれていくような痛みが腿に走った。じわりと血が両足から滲む。

 吹き飛ぶリアを、体勢を崩しながらも体ごと受け止める。
 少しでもリアのダメージを減らすべくそのまま強く抱きしめる。
 出来うる限り全身で包み込み、リアの魔力の消費を防がなくてはいけない。

「――あ、がぁっ!?」

 リアの勢いに体ごと巻き込まれて、そのまま壁にぶち当たった。
 エアの一撃で脆くなった壁が崩れて頭上から降りかかり、それも間もなく前方からの暴風によって吹き飛んだ。


 エアの力は消えてはいない。
 追って衣服が、刃物で裂かれたように風で切られていく。
 目の前に迫った力の奔流から守るように、リアを覆いかぶさるようにして抱きしめる。
 眼をしっかと瞑り、ひたすら暴虐の嵐の中、伏せ耐える。

 凛の高く短い悲鳴。士郎のくぐもった低い震え声。イリヤの、息を吸い込む音――。暴風に曝されている中、この両耳はそんな音を拾う。
 あちらにも余波は及ぶかもしれない。けど、あの位置なら直撃ということはない筈だ。




 ようやく、静寂がアインツベルンの城に戻ってくる。
 恐る恐る顔を上げ、辺りを確かめる。

 前方、かなり離れたところにギルガメッシュ。エクスカリバーの余波か、先程見たときよりも後方に下がっている。
 必要ないと判断したのか、その手にはもうエアはない。

 右後方、イリヤを抱える凛に、それに被さるように士郎。
 士郎の背を中心にかまいたちによる切り傷が見えるが、生き死にに関わるほどの大事ではなさそうだ。

 そして、抱え込んでいるリアを正面から見据える。

 ――意識が、ない。
 以前と比べ、傷はかなり少ない。だけど、その魔力は肉体の維持に一杯で傷の再生にまで充分に回っていない。

「…………リア?」

 返事はない。
 荒い呼吸だけが聞こえてくる。


「ふん。セイバーよ。
 大口を叩いておいてこのざまか。せめて相殺ぐらいして見せろというのだ」

 ギルガメッシュが何か言っているようだが、そんなものに気を裂く余裕はない。


 フラッシュバックする。記憶。衝撃。感情。
 砕けた鎧。溜まる血。虚ろな瞳。生気のない表情。物言わぬ唇。

 いつかの光景が、目の前のリアと重なっていく。

「うああああぁぁっーーーー!!!」

 ここ戻ってきて、表面だけ埋まっていた穴。地割れしたような傷跡がまた顔を覗かせる。
 俺はまた同じ過ちを繰り返した。力は、この為にあったのに。
 大事な人を、また護れなかった。
 その愚かさ。その情けなさ。悔しさ。――――怒り。

「ごめん。リア、ごめん。
 俺が、動かなかったから。また、君をこんな目に合わせた。
 セイバーを護ると、決めていたのに。ごめん――――」


 大きく肺に空気を送り込む。
 ――両手で抱えていたリアの体を、ゆっくりと床に下ろす。

 大きく肺に空気を送り込む。
 ――体を起こし、立ち上がる。


「もう約束は違えない。
 セイバー、君を。――――俺が、俺の全てで護る」


 まだ、間に合う。

 リアの消耗は前ほどじゃない。
 ギルガメッシュさえ何とかすれば、凛が上手くしてくれる筈だ。


 大きく、肺に空気を送り込む。
 ――ギルガメッシュに向き直った。


 エクスカリバーは両手にない。リアを抱えるのに邪魔だったから手放した。
 風の戒めで不可視だが、壁に突き刺さっているのが解る。

 それを引き抜いて、改めて両手に構えた。

「ハハハハハハッ!
 貴様如きがセイバーを護る、だと? 笑わせてくれる!
 本物が負ける相手に、紛い物がどのような道理で勝てるというのだ?」

「…………」

 笑うギルガメッシュ。だが、目は明らかな殺意を見せている。
 どうにも俺という存在自体が気に食わないらしい。

「ふん。ならばセイバーの贋作である貴様が、どれほどの力を持っているのか見せてもらおうか。
 セイバーのように口だけであってくれるなよ?」

「……凛。士郎、イリヤ。無事か?」

 ギルガメッシュから視線を外し、後方に向ける。
 ――――もう、撃鉄は落ちている。

「え、ええ。なんとかね」

「そっか。とりあえず良かった。
 士郎、リアを安全なところに頼む。流石に後ろを気にしながらじゃこいつは手に余る」

「あ、……ああ!」

 士郎が走り寄ってくる。

 ――――二、四、八……
 バチリ、と新たな路が三本開ける。

 ――――十一、十四、十九
 視界が一時的にホワイトアウトする。だが、更に路が四本。

 ――――二十二、二十六――――二十七。
 最後に一本拓かれた。都合九つの路が今か今かと時を待つ。

 リアをゆっくりと抱き上げ、その様子に息を飲みながらも黙って退く士郎を見送る。
 凛の元に戻ったのを確認してからゆっくりと、ギルガメッシュへと振り返った。

「貴様! この我を――――」


――――停止解凍(フリーズアウト)


 その一言で俺の全身から魔力が迸る。魔力炉が魔力を生成し、そのまま回路に溢れんばかりに注ぎ込まれる。

 回路が回る。回る。回る。
 背後に現れる二十七の宝具。九つの回路で九本の同時投影を、三回。
 その全てはギルガメッシュの物。中には衛宮士郎の時に見た、このギルガメッシュが顕現していないものも含まれている。

「さあ。こいよ英雄王」

「き、貴様ァァァーー!!」

 怒りに目を見開き、顔を赤く染めた金色の王。
 あの半神を下し、聖剣の輝きをも捻じ伏せる、この世のあらゆる財を手にした王。
 これから俺が相手にするのは、古今東西の王の中でさえ傑出する覇業を成した規格外。

 けれど――――

「お前が万の武器を持っていようとも。
 もう、一つもセイバーには届かない」

 ――――俺が紛い物だったとしても、贋作だったとしても。
 お前に、二度と負けてやるものか――――!







[7933] 十日目【5】
Name: 下屋柚◆60cf6a3d ID:bf9aa7e5
Date: 2011/06/30 01:10




 浮かぶ、担い手の存在しない二十七の宝剣。
 そのいずれもが伝説に成り得る――後世において逸話を伴なう筈の神秘の結晶。
 ふたつとして同じ存在を許さない『原典』。其れらが綻びを持つ影として写し出され、所有者である王に相対する。


 頭の中が白熱する。
 それを気に留めずエクスカリバーを両手に構え、いまだ動かないギルガメッシュに向かって駆け出した。

「――全投影連続層写(ソードバレル フルオープン)」

 その一言で背後の剣が目前へと狙いを定め投射される。
 放たれ始める剣を背に、身を躍らせて先陣を切り戦場を駆け抜ける。


 押し寄せる剣の矢。
 逃げ場など無い、圧倒的な物量による一斉投射。
 個を蹂躙するその進みは最古の王だけが持ち得る奇蹟であり、力である。
 ――――それが、あろうことか本来の持ち主の目の前で展開されている。

 あり得る筈のない、あってはならない光景に息を呑むのは周囲のみ。
 そも大量の武具を呼び出すということからして別格だというのに、その片鱗を見せていたとはいえ同等のものを展開させていることに凛は目を見開いている。
 だが、相対するギルガメッシュには動揺はなく、ただ凄まじいまでの怒気を周囲に溢れさせていた。
 目の前に浮かぶ其れがどんなものなのか、本来区別をつけるほどの差異を残さない其れらを『違う』と理解したのは『原典』(オリジナル)を蒐集し保有しているからこそ。
 ――彼の嫌う『紛い物』によって精巧に写された、『贋作』だということを。


「な、めるな、貴様ァ――!」

 ギルガメッシュが瞳に怒りを滲ませながら右手を振り払うと、背後から多数の剣が現れ、今俺がしたように放たれる。
 体を前傾にしながら、向かってくる其れらを視界に収める。
 年月、それに伝説という名の、大小こそあれ神秘を築いてきたルールブレイカーやゲイ・ボルクに比べたらこんなもの――経験が存在しない、それだけで再現が容易。

「――――投影、再装弾(トレース リロード)」

 火花が散る。剣が弾け飛ぶ。
 金属の――剣戟音が響く。無数に重なりあい、城を満たした音の嵐は、古の軍と軍による戦争を再現させる。
 ギルガメッシュの『原典』と、俺の『贋作』は互いの主を滅ぼさんと掃射されその全てが阻まれた。
 並々ならぬ力を持つ宝剣たちは拮抗し、真正面から衝突して双方とも重力に負けていく。

 だが、アイツも俺も『兵』に、――取り出す剣の数に限りはない。
 俺の背後に、俺を殺さんと放たれたばかりの宝剣たちが影となって現れる。
 そしてアイツの背後にも、新たな剣が際限なく生み出されている。

 背後の二陣が放たれる前に、俺はギルガメッシュを射程に捉えていた。

 ギルガメッシュまであと五メートル程。
 深く踏み込み、体を捻る。脚に、腕に、この体に熱が篭る。
 通る魔力、猛る力。全身の挙動が手に取るように理解る。力の充填。
 この体ならば、この距離など一足で――――。

 肩越しに見えるアイツの顔。余裕はない。だが、焦りもない。
 鋭く光る瞳は研ぎ澄まされ、怒りに任せた激情は今は見えず。ただ冷徹な色だけが残っている。


 ――弾けた。

 拳銃を発砲するように、溜め込んだエネルギーが爆発する。
 周りの景色が吹き飛んでいく。視界は切り取られた正面、ギルガメッシュのみ。

 エクスカリバーを右後方へと振り上げ、体ごと捻る。この並外れた身体能力をフルに使った、初撃にして必殺。
 推進力をも威力に換えた一撃を携え、肉薄する。そうして振り下ろし、そのまま振り抜いた。



 ただ広い空間に響く、鉄の悲鳴。
 手から、腕に伝わる衝撃。体の芯を震わすような心地よい手ごたえ。――吹き飛び、城の壁へとぶち当たるギルガメッシュ。

 アイツの手にはいつの間にか魔剣グラムが握られ、だがしかし打ち合うには至らずに受けるにとどまった。
 ――――いや、そうじゃない。しっかりと魔力供給を受けている俺の……セイバーの全力の一撃を、吹き飛んだとはいえ受け切っている。
 かなりの手ごたえを感じたにも関わらず倒しきれなかった。カリバーンの原典でもあり、龍殺しの名を持つグラムはやはりこの体の天敵のようだ。



「――――っ!?」

 追撃をかけようと出した脚に急制動をかけ、その場に立ち止まり思わず胸を押さえて蹲る。
 がらん、と両手のエクスカリバーが地面に落ちて音を立てる。

 体の中が激しく脈を打っている。心臓が暴走している。体がおか、しい。
 セイバーの持つ魔力――いや、全身魔力炉であるこの体が、活性化し始めて――?

 鼓動のリズムに合わせて、魔力が際限なく生成されていく。
 過剰な魔力を回路に送り全身に張り巡らせ、だがしかし莫大な魔力を持って初めて気付いた『俺の魔術回路』の脆弱さでは、その全てを収めることなど到底不可能だと理解する。
 そんな無茶、灯油のポリタンクに柳洞池の水を全て収めろというようなことだ。

 体中に痛みが走る。神経が熱を帯びる。無意識のうちにセーブしていてくれたリミッターが取り払われてしまったのか。
 収まり切れずに全身から魔力が漏れる。それを無理に圧縮、全身に留める。けれども、それをしても魔力は余りある。魔力の生成は止まらない。

「が――――!?」

 ゴキン、と何かが破綻した音。
 全身の神経をいじり回されたような激痛――――小さな穴に大きなモノを通そうとするその行為。
 唇を噛み締め耐える。が、目の焦点が合わない。意識が、飛びかける。

「ぎ――――が、あ゛ァ――――――――!」

 開く眠っていた路。拡張される既存の回路。
 五体が引き千切られていく錯覚。口の中に広がる鉄の味。白濁していく思考。



「……! …………!!」

 ――――、――――――――
 ――――――――。

 鉄が弾ける音。目の前に剣が突き刺さる。
 切れかけていた意識の糸が、その音、瞳に映る動体によって結び直される。
 その間も弾けて吹き飛ぶ、剣と剣。思考は止まり、意識は激痛によって手を離しかけたというのに体が勝手に動いていた。
 『放つ』という意識によって引き絞られていた俺の背後の剣は、飛んできた飛来物に向かって正確に射られていく。
 思考に送られなかった映像に、防衛本能は反射的に引き金を引いていた。


 次第に回復し始めた意識が現状を把握し始める。
 いつの間にか、俺は片膝をついていた。すぐ目の前には突き刺さった剣。ギルガメッシュのものだ。

 どれほどの時間が経っていたのか、ギルガメッシュはいつの間にか立ち上がっていてグラムを片手にこちらに突き進んでいる。
 表情は消えている。しかしその見開いた瞳は、俺を視線だけで殺すばかりに射ている。
 一歩一歩、決して急ぐ様子のないその歩みの間も、弾丸のように放たれ続けているギルガメッシュの『財宝』。
 なりふり構わなくなったのか、長剣を中心に編成されていたものが、短剣、斧、槍など種類を問わず殺傷力があるものを延々と生み出している。
 その数も先程の比ではない。先まではせいぜい背後に控えていたのは三十がいいところだったのが、今では百を超えるか否か、というところだ。


 立ち上がろうとして、体に力が入らないことに気づく。
 以前、遠坂に宝石を呑まされた時の高熱が出たような虚脱感。
 今回はそれに加え、全身には痛みが走り続けている。いや、意識が飛びそうになっている今その痛みに助けられているのも確か。

「――――投影、開始。連続投写

 焦点がぶれて止まない両眼に力を篭め、ギルガメッシュの背後の剣を端から読み取る。
 その間にも飛来する十三の『財宝』。――――その場で投影した同一のもので打ち落とす。

 無駄なことを考える暇はない。ギルガメッシュの歩は止まらず、その『財宝』も止まらない。
 ならば俺に出来ることは、『財宝』を打ち落とすことだけ。云う事の聞かない体と違い、何故なのか魔術回路の廻りは異常なほどにいい。
 設計図に流す魔力の補填がスムーズにいく。例えるなら、今まで蛇口からコップに一々注いでいたのを、水桶にコップを突っ込んで汲み上げているような無駄のなさ。
 溢れていた魔力を投影という形で放出することで、微量ながら全身の回路の流れの淀みも抑えることが出来てきた。

「……それが貴様の全力か?」

 しかし、廻りがよくなった魔術回路による投影を以ってしても、アイツの足を止めることは出来ていない。
 既に目の鼻の先、その気になれば斬りかかれる距離にギルガメッシュは詰めている。
 震える両手。でも、緩くだけど、なんとか握れる、か――

 タイムラグが減ったとはいえ、同時に投影しても最大二十超、『財宝』を見た瞬間に投影しても相手の手数には追いつけない。
 ましてや、剣のみならば兎も角、槍や斧、鈍器が混ざっては処理が遅れてしまう。お互いに、魔力が続く限りほぼ無限に生み出すことが出来るとはいえ、一度に現界させる量に差がありすぎた。

「づぁぁーー!」

 ギルガメッシュがこちらに一歩を踏み出した瞬間、最も投影に慣れた双剣――干将・莫耶を撃ち出す。
 『財宝』への対抗に思考が敷き詰められている今、過分に投影できるのはこれしかない。

「悪足掻きが。
 見苦しいぞ、疾く散れ!」

 ギルガメッシュはちら、と飛来したものを見るや右手のグラムを袈裟に振り下ろす。その一振りで干将・莫耶は二刀とも彼方へ弾け飛んだ。
 ――くそ、たった一振りか。

 思考しながらも確かめるように両手を開き、握る。
 反応は鈍い、が動かないわけじゃない。

 ――――間に合うかどうか、じゃない! 間に合わせろ!
 床に落ちたエクスカリバーを両手を使って拾い上げる。其れを支えに立ち上がった。

 立ち上がり剣を構えた時には、既にグラムは振りかぶられていた。
 ギルガメッシュがグラムを振るった場面ならば、以前に見たことがある。
 思考を展開する。その動きを記憶の中と合わせて、次の剣筋を推察する。

 ――干将・莫耶を払った状態からの、胴を狙った外への払い。
 これならば受けられる。しかし問題は衝撃。全身に力が入らない今、どこまで耐えられるか。
 ならば、いっそ――。

「ハァッ!」

 ギルガメッシュは短く吐き出したその声と共に、踏み込んでくる。
 咄嗟に右手を逆手に持ち替えてエクスカリバーを地面に突き立てる。姿勢を落としながら、左手の手甲を刀身に当てて衝撃に備えた。

「ぐ――!?」

 グラムは俺の動きに構わず振り抜かれた。狙いは読んだ通り。
 だが、来る場所が分かっていたにも関わらず、衝撃を殺し切れない。踏み止める足が機能していない。

 衝撃に、体が宙を舞う。このままなら壁へと飛ばされるが、体勢が崩れ切っていないから大事にはならない。
 が、そこで終わらなかった。身動きができない俺に、空からギルガメッシュの剣が殺到する。

「なっ!?
 ――――投、影……」

 目の前に迫る七の長剣。すぐさま七本の剣への同調を開始。
 読み取った。然程複雑な機構も無く、投影も可能。
 だが――同じ数の剣を用意したとしても、この近距離じゃ打ち落とし切れない。

 地面に突き刺さる岩塊を背後に、グラムを振り抜いた状態でギルガメッシュが口元を歪ませた。
 始めからこれが狙いだったのか――!

 ギルガメッシュの、物量で押し切るという一辺倒の戦法しか見たことがない俺は二段構えという可能性を完全に失念していた。
 予想外の戦法に、完全に反応が遅れてしまっている。

 けれど、まだだ!
 同程度の神秘が間に合わないなら――質量で!


 手元のエクスカリバーを還し、イメージを固めるために両手を目前へと突き出した。

完了!」

 目の前に現われたのは三つの岩塊。
 三角形を作るように、超重量の其れが重なり盾になる。

「なんだとォっ!」

 ――バーサーカーの斧剣。
 『財宝』は宝剣といえど、切れ味は担い手が振るわない限りは通常の剣と然程変わらない。
 ましてや、魔力不足とはいえセイバーの剣と打ち合うこの斧剣ならば、受け切れる筈だ。


 咄嗟の投影だった所為か、宝剣は斧剣の刀身に易々と突き刺さる。
 突き抜けた宝剣の刀身部分が目の前に迫るが、後数センチというところで止まった。穿たれた斧剣は重力に引かれ始め、その役目を終えて存在を希薄にしていく。
 三振りを陰にしてギルガメッシュを窺うと、右手にグラムは既になく、新たにあの『エア』と呼ばれた剣の柄が見え始めている。

 アレを使われたら、勝てない――――!
 使わせてはならない!

「――――投影、開始!」

 斧剣が陰になってこちらから僅かな間しか見えなかったように、ギルガメッシュからもこちらの姿のほとんどは見えていない筈だ。
 設計図を脳裏に組み立てる。瞬時に想定の甘いところを修正。通りが良くなった回路を回転させて一気に投影を終える。
 いつもよりも魔力の消費が激しいのだろうが、半ば暴走状態にある今、魔力の喪失による虚脱感は感じない。


 ソレを両手で構えると同時に魔力の補填、大気中のマナを汲み上げ始める。

 斧剣が目の前から落ちていく。視界が開け、ギルガメッシュと睨み合う。
 軽い笑みを浮かべていたギルガメッシュだったが、俺の姿を視界に収めると今度こそ驚愕を露にした。
 すでに勝負を決める気でいたのだろう、エアの柄を今正に掴む瞬間に生まれた空白。

 体は相変わらず壁へと勢いを止めずに流れている。
 この体勢では、普通にやっては何を投擲しても当たらない。けれど、コイツならば――!


「……その心臓、貰い受ける――――!」

 右手に掲げたソレを、弓で狙うように引き絞る。視線はギルガメッシュの金色のプレートメイルに覆われた心臓に。
 投影で、精度がかなり落ちている。せめて、その狙いを違わないように、その軌跡を浮かべて狙いを定める。


「『突き穿つ(ゲイ)――――」


「何故、貴様が宝具の真名を――――!?」

 手にあるこの紅い槍には、伝説と共に培われてきた『経験』がある。
 そして、俺はその『経験』に『共感』し、一時的に持ち主の動きを模倣することが出来る。
 もちろん、投影で生み出した宝具では本人の技には、及ばない。


              「――――死棘の槍(ボルク)』ッ!!」


 この違いは、蒐集し、保有するだけのギルガメッシュにはなく、影を作り出す俺にのみあるもの。
 製作の意図を理解し、扱われてきた道筋を辿り、持ち主を己に写し出す。
 決して本来の持ち主と同一とはいかない。真名を開放出来たとしても、俺なんかじゃ呪い程度の効果しか出ないかもしれない。
 けれど、槍は、剣はそれに少なからず応えてくれる筈――――。


 渾身の力を篭めて、魔力を帯びた槍を放つ。
 纏った魔力は、ランサーの放ったものに比べたらなんとも頼りない。
 それでも、放たれた槍は一直線にギルガメッシュへと突き進む。

「ちぃっ――!」

 手に取りかけていたエアを戻し、大きく後方へ跳躍して浮かんでいる剣――カラドボルグの『原典』を手に取り直した。
 同時に周囲の『財宝』たちが、赤い光の軌跡を描いて進む『ゲイ・ボルク』に向かって疾駆する。

 数十もの宝剣が俺の放った『ゲイ・ボルク』に対抗し、そして弾かれていく。
 真名を開放した宝具の前には、宝剣といえども神秘、効果、威力ともに劣る。

 しかし、本来の担い手ではない俺が放つ『ゲイ・ボルク』は『心臓を穿つ』という特性が発揮されなかった。
 正しく発動していたなら『因果の逆転』により飛来する『財宝』を潜り抜け、勢いを弱めるなどということなく心臓を貫いていただろう。

 ――そう、『ゲイ・ボルク』の魔力は、度重なる宝剣との衝突でその魔力を削ぎ落とされていた。『因果の逆転』は起こらず、敵の心臓を捕捉し続ける追跡弾に成り下がっている。
 最後に、ゲイ・ボルクの『原典』を弾き飛ばしてギルガメッシュへと届いた時には、籠められていた魔力の一切は霧散し切っていた。

「ふ……はははははははッ!
 所詮は贋作か! これでは伝承となった彼の所有主も浮かばれぬだろうよ!」

 高笑いするギルガメッシュは、目の前に迫る『ゲイ・ボルク』をその右手に握るカラドボルグで苦も無く叩き落す。
 その衝撃で刃が欠け、罅割れたゲイ・ボルクは、跡形も無く消えていった。

「がっ!?
 ――けはっ、ごふ!」

 それを見届けた瞬間に、体全体に伝わる衝撃。視界が揺れる。
 背中から壁に衝突し、地面にずり落ちた。ゲイ・ボルクを投擲したことで、受身を取る余裕を使ってしまっていた。
 呼吸が一拍止まる。咳き込みながら幾分マシになった体を動かし、片膝を立てて前方を見上げた。

 正面。ギルガメッシュからは今までの笑みが消え、だが怒りによる激情の色もない。代わりに、ひたすらに冷徹な瞳で俺を射抜いている。
 それを受けながらも立ち上がる。ふらつく脚に鞭を打ち、睨みつけてくるギルガメッシュに対峙する。

「さぁ、次は何を見せてくれるのだ? 道化」

「く、そっ…………」


「これで見世物が終わりなら、早々に退場するがいい。
 ――――目障りだ」





[7933] 十日目【6】
Name: 下屋柚◆60cf6a3d ID:bf9aa7e5
Date: 2011/07/01 03:00


 あの聖剣、エクスカリバーであっても、単発ではエアには敵わない。
 剣の投射もアイツの財宝に数で負け、一か八かの『ゲイ・ボルク』もいくつかの『財宝』によって潰された。

 あの投影は無我夢中ではあったけれど、俺にしては悪くない出来だった。
 ――――結果、セイバーは倒れ、俺の投影は一矢を報いることもなく完全に防がれてしまっている。
 サーヴァントの中でも出鱈目な宝具を持つあの男には、投影した宝具の開放こそが奥の手だった。それですらあの様。

 俺の中の冷静なところが囁いている。
 ――手詰まりだ。今の俺では、こいつに勝てない。
 対峙する前からその算段は元よりなく、僅かな可能性も今潰えてしまった。


 ――だから、どうした。
 挫ける訳にはいけない。勝てないのなら、負けない。
 アイツにだけは絶対に負けられない。あんな情けない、不甲斐無い結果にはさせてやらない。

 力がなかったあの頃の俺とは違う。護られるばかりだった無力な俺じゃない。
 セイバーは一人でも立ち向かった。一人でも、みんなを護ったんだ。
 今度は俺の番。一人で、アイツを食い止める!


「負けない。これ以上、お前に負けてやれない。
 絶対に負けてなんて、やるものか――――!!」

 この両手に現れる双剣。俺の背後に現れる『財宝』の影。

 体を苛んでいた呪いは時間の経過と共に消えている。
 代わりに、俺の激情に呼応するように体に力が溢れ出している。

「また贋作か。
 余興はもういいと言ったろう。――不愉快だ」

 ギルガメッシュは表情を欠いたまま、俺に向かってそう告げる。
 指を鳴らす音に、疾駆する財宝。鳴らした対の右手にはカラドボルグの原典が握られたまま。

 双眸は常に敵を中心に捉え、視界の中の刀剣を分析。
 投影開始――。それまで控えていた背後の剣が動き出す。
 視界全ての刀剣の投影を終えたとき、剣戟音が鳴り響き始める。


 埋め尽くされる頭の中。設計図は積み重なっていく。
 空白を作る余裕はない。常に情報を取り込み吟味する。
 白熱し、加速する思考。
 回路に充填され、氾濫しそうになる魔力を片っ端から使ってやって、流れに強制的な指向性を与えてやる。


 だが魔術回路をフルに廻しても、十あれば一、投影した剣では落としきれないモノが出てくる。
 今や一度にかち合う宝剣は十じゃきかず、打ち合う頻度も増え続けている。
 金属音は一向に途切れず、逸早く投影を終え、逸早く次の投影をしなければならず、何を以って始めの一とするのかも既にわからない。
 そこまでやっても、二つ三つは打ち漏らしが俺へと届く。

 其れらを、思考の余地無く両手の干将・莫耶で弾き返す。
 両腕を振るって受け流し、衝撃を殺す。力の流れを断ち切って、叩き落す。

 エクスカリバーではこうはいかない。
 比類なき一撃とその余波を以って大多数を吹き飛ばせるが、その方法では今以上に打ち漏らしが出てきてしまう。
 単身乗り込むのならそれでもいい。だが今は、みんなを助けるために俺はここにいる。
 『負けない』為の干将・莫耶を取った今、『勝つ』為のエクスカリバーは必要ない。

 ――――――――しかし

「……凛、士郎! セイバーとイリヤを連れて逃げろ!」


 ――ギルガメッシュの立ち振る舞いに、先のような余裕が見られない。油断が消えている。

 常時財宝を射出し続けているその数たるや、津波が迫ってきているかのよう。
 一度に顕現できる数で負けているとはいえ、それは数えるほどの差。
 しかし互いに打ち続けている今、その差が埋めきれないものになりつつある。

 俺を目指して一直線に飛来してくる様々な武器。
 大多数に同じ、または同程度の投影物を宛がい続ける。その思考が打ち漏らしを生み出し続ける。


 禍々しく歪んだ木製の矢。――鋭く、速い。干将を盾にして受け止める。
 煌びやかな銀の長剣。――まだ遠い。莫耶を投げ、打ち落とす。

 ギルガメッシュに向けて残った干将を投げ放つ。そうして間髪入れず上から二つの槍が降り注ぎ、干将は地面に打ち落とされた。
 続いて俺に向かってくる財宝。だが、両手にはもう次の双剣が握られている。

「ふっ、はぁ――! はっ、はぁっ!」

 途切れがちになる呼吸。体に熱が篭る。
 休み無く迫る攻撃に息が荒くなっていく。

 細く、装飾もない短槍。――右の干将を袈裟に下ろす。手応えも薄く吹き飛んでいった。
 見事な設えの方天戟。――左の莫耶で内から外に弾き上げる。手に鈍い感触を残しながらも回転しながら地面に落ちた。
 幅広の両手剣。――腕を振った勢いを殺さずに回避。背後に流れ弾を飛ばさぬよう、両手でもって打ち落とす。
 血のように赤い短剣。――く、駄目だ。体勢を立て直せない。間を置かずに左肩に衝撃。

「ぎ――!?」

 捌き切れなかった短剣が肩口に深々と突き刺さる。
 それでも視線はギルガメッシュから逸らせない。

 一拍遅れて、熱と、痛みが走り始めた。ギョル、と耳に障る音が俺の肩から――いや、短剣から聞こえて始めている。
 何かが抜けていく感覚。おかしい。傷ついたなら起こるべきこと、それが起こっていない。

「ふっ、う!」

 咄嗟に右手でその柄を掴み引き抜き、投げ捨てる。
 奪われたのは血と、魔力。……解析。傷口から相手の活力を奪い取る呪いの吸血剣。

「はぁっ……はっ、ぐ」

 僅かな時間だというのに、ごっそりと持っていかれた。大量の魔力を消費した時に感じる倦怠感が、全身を満たしている。
 次いで痛みに僅かに顔をしかめたが、直ぐに上から驚愕で塗りつぶされた。

「ッ?」

 鎧が、手甲が消えた?
 急激に減った魔力に体が反応し、本能的に温存をさせるためだと気づいたのは目を見開いたその瞬間。

「――――がっ!?」

 だが、そのタイムラグが次への対応を遅らせた。
 ひとつ息を吐く間もなく、三叉槍――トライデントが無防備になった脇腹の横を抜けていく。
 三つに分かれた刃の内一つが、肉を抉っていった。

 血が傷口からどぼっ、と溢れ出てくる。
 反射的に、傷口を手で押さえそうになる。けど、それをやったら今度こそ終わってしまう。

 動かす度に疼き出す痛みを強制的に排除し、両手に双剣を握り直す。
 まだ癒えない左肩の傷。その先、左の手に握る莫耶で、目前に迫っていた戦斧を薙ぎ払った。
 痺れが残る左腕。衝撃もそうだが、失血し過ぎている。

 改めて向き直る。
 好機と思ったのか、ギルガメッシュは射出の間隔を更に狭めてきている。
 俺は、即座に視界内の財宝を投影する。鎧や手甲は置いておくとして、とりあえず投影するだけの魔力は戻ってきているようだ。

 既に、射出して撃ち落とせる距離ではない。
 迫るは十。同時ではないのが救いか。その十以降は、今投影したものが間に合うだろう。

 右足で地面を蹴って左方へ跳び、一気に向かってくる其れらを引き離す。
 地面に突き刺さったのは八。備わっていた特性によるものか、方向を修正して迫ってくる残り二つは、着地の前に両手の双剣で受け流して落とす。

「早くっ! その間、コイツの相手は俺がする!」

 体勢を崩し、地面を転がりながらもギルガメッシュから目を離さない。
 追撃の『財宝』を両手の干将・莫耶で弾き飛ばしながら声を荒げて叫ぶ。


 こうしてギルガメッシュが俺の宝具開放を警戒してくれているうちはまだいい。不利な状況とはいえ俺一人の力でも拮抗できている。
 けど、この状況が続けば続くほどに俺は追い込まれていく。そうしているうちに財宝だけで押さえ込めると確信したなら、アイツは間違いなくエアを使ってくる。
 そうなっては背後に被害が及ばないよう、こちらだってエクスカリバーを用いる他ない。しかし、先ほどの宝具戦を見る限りでは令呪でブーストをかけたとしても良くて相殺がいいところ。
 もしかしたなら二度のエアの使用によってギルガメッシュの魔力を枯渇させることが出来るかもしれない。しかしそれはあまりに博打的な要素が強すぎる。

 むしろ、それよりも今恐れていることは後ろの凛たちにその矛を向けてしまうことだ。
 手の足りないところで、財宝の狙いが背後にも向かい始めてしまえば完全に後手に回る。それならまだ俺一人のほうがやりやすい。
 それに、凛が応急処置してくれているだろうけど、セイバーの限界は近い筈だ。
 もう、俺に出来ることはこれくらいしか残っていない。

「な……! 何、言ってるんだよ!
 逃げるならアルトも一緒に――――!」

 戸惑ったような声が聞こえた後、返ってきたのは士郎の声。

「……士郎、逃げなさい。
 アルトが抑えているうちに、早く!」

「おい、遠坂。お前、逃げなさいって……。
 アルトも、遠坂も逃げるなら一緒に!」

「衛宮君。これから言うことをよく聞いて。
 アルトがあの能力で打ち合ってなくちゃ、私たちなんか今頃穴だらけになってるのよ。わかるでしょ」

「それは――」

 口ごもる士郎の声。
 声はなんとか聞き取れるものの、口を挟む余裕は俺にはない。

「おまけにね……ラインの繋がっていない貴方には供給がどんなもんかわからないでしょうけど、私も結構キてるわけ。
 それだけの魔力消費してて、アルトから距離を取ったら供給量が下がるでしょう? そうなると、貴方も私も逃げ切れそうにはないの」

 そうか。それも当然か。もう数にして三百は優に投影している。
 衛宮士郎でも成し得た投影魔術といえど、これだけの投影を行えたのはセイバーの魔力あってのこと。
 この体の魔力炉も、衛宮士郎の魔術回路も魔力を生成しているがそれも使い潰し始めている様だ。
 『ゲイ・ボルク』の投影。左肩に突き刺さった魔剣の影響。
 それを凛が上手く埋めてくれていたんだろう。鎧はまだだが、手甲を編めるほどの魔力は戻っている。

 ――俺も意識から意図的に外していたが、時折激しく頭が痛むことがある。きっと、投影の使いすぎによる負担がたまっている。
 対するアイツの放った財宝もいつの間にか回収され、再度の装填を始めているものもある。
 互いに想定外の事態だろう。ギルガメッシュも俺を計りかねているが、痺れを切らすのは遠くない。

「イリヤもとりあえず走れるくらいには回復しただろうし。
 リアは衛宮君が背負っていけば、なんとかなるでしょ」

「ちょっと、まってくれ!
 何か――何か方法があるかもしれないじゃないか!」

 突き放すのは凛。食い下がるのは士郎。
 もちろん、凛に折れる様子はない。

「残念だけど、そんな時間はないわ。
 全員ここにいたら全滅。アルトを一人残しても全滅。私も残れば、三人助かる。
 こんな簡単な計算、子供でもわかるわよね?」

 ――――。
 剣を弾き飛ばし、その勢いと再び現れた手甲を使って影に隠れていた短剣を逸らす。

「――ま、私はあの娘のマスターだし、本当の名前もまだ聞かせて貰ってないしね。
 あ~あ、一日じゃ魔力が完全に戻りきらなかったのが痛いわ」

 ああ、約束したんだ。凛には、話しておかなくちゃ。
 そうだな――士郎やイリヤが退いた後なら、話してもいいかな。

 だからといって、凛を死なせたりは絶対にしない。
 エクスカリバーでも、カリバーンでもいい。せめて相打ちにもっていってやる。
 絶対に、マスターは護らなきゃいけない。

 いけ好かない奴だったけど、あのアーチャーだってサーヴァントの役目はしっかり果たしていったんだ。
 アイツがやって、俺がやらない道理はないさ。

「ま、そういうわけ。
 あんたたちとは、ここでお別れ、ね。せめて生き残りなさいよ、絶対」

「……手な」

「え……何よ?」

「二人して勝手なことばっか言うなっていってるんだ!!
 俺が首を突っ込んだんだ。俺も、残るさ!」

 ――――?
 一拍、頭の中が真っ白になる。何を言っているのか、耳が正しく機能していないのだろうか。

「な、何言ってんのよ! あんたこそ!
 あんたが残って、何が出来るっていうのよ!」

「やってやるさ! アルトが抑えきれない部分は、俺が止めてやる!
 ――投影、開始!

 迫る財宝を迎撃しようと干将・莫耶を構え、無駄に終わる。
 財宝は後ろから飛来したものにぶち当たり、甲高い金属音を残して弾けた。

 背後に感じる魔力行使。断続的に、一つ、二つ――。後ろから財宝……いや、投影された宝剣が飛んでくる。
 続くように後ろから駆けてくる音。空気の動き。そいつが、俺の横に並んだ。目線もくれずに怒鳴り上げる。

「馬鹿! なんで退かない!」

「リアもアルトも、遠坂だって体を張ってるのに、俺が逃げるわけにはいかないだろ!」

 くそ、自分勝手な!
 このままじゃ全滅だっていうのに! お前が退けば、セイバーとイリヤは助かるっていうのに!

「ちっ! 貴様も贋作使いか。
 ――雑種如きが逃げずに向かってくるとはな」

 舌打ちの後、ギルガメッシュが言葉を紡ぐ。今まで見えなかった表情が、垣間見えた。

「ふん。何やら逃げる算段をしていたようだが、その通りにしておけばよかったものを。
 まぁ、この我がみすみすと逃がすわけが無いがな」

 唇の端を吊り上げ、くい、と上げた左腕。それを合図に、唯一人が通れそうな玄関が突如封鎖される。

「な――、そんな!」

 それは、あのバーサーカーを縛り上げていた鎖。神性の強いモノに対して本来の効力を発揮するようだが、魔術師が破れるようなものでもない。
 視界の端には、膝をついて物言わぬバーサーカーがいる。当然、鎖は既に解かれていた。

「貴様らの命運は疾うに、偉大なる王の手の中にあったということだ。
 この我に逆らい、生きて帰れると思うな」

 再び消える表情。その眼光に射竦められる。
 ――――逃げ場は、もうない。





[7933] 十日目【7】
Name: 下屋柚◆60cf6a3d ID:bf9aa7e5
Date: 2011/07/01 21:39



◆◆◆

「アルトっ!」

 荒く息を吐きながら立ち尽くす彼女に呼びかけ、一も二もなく駆け寄っていく。
 彼女の両手に握られている干将・莫耶。戦闘時に纏われている筈の鎧はいまだ修復されておらず、衣服は切り裂かれてそこから赤黒く滲んでいる。
 固い意思の篭った瞳は時折定まらずに苦痛によって歪み、額に浮かぶ汗が弱音を吐かぬ彼女の疲れを如実に物語っている。

「士郎、出来る限りでいい。サポート頼む」

「……どうするつもりなんだ?」

「アイツに接近する。至近距離から、宝具(ぜんりょく)を叩き込む」

 俺に向かって言葉少なに要請を投げかけると、アルトは眉根を寄せた。
 歯噛みし、憎憎しく睨みつけられたその先にはギルガメッシュと呼ばれる男がいる。

 あの男と彼女にどんな因縁があるのか、俺にはわからない。
 しかし最古の王の名を持つ英霊が、俺たちの敵であるという事実は変わらない。
 強大な力が弱者を蹂躙する――まるで道端の石を蹴飛ばすように、人の命を消せるヤツだと理解している。
 だから――

「わかった」

 衛宮士郎は、アイツを許せそうにない。
 いや、許してはいけない。見逃せるわけがない。そんなこと、出来る筈がない。

 小さく答えた俺を、アルトは流し目に見る。一つだけ頷き返し、その視線を真正面から受けとめる。
 一拍の後、両手に握られていた二振りの中華刀を地面に突き立て、弾けるようにアルトが飛び出した。そして、俺も倣うように走りだす。
 今しがた突き刺さった干将・莫耶を引き抜き、風と共に駆けるアルトに追随していく。



 ばら撒かれた剣弾が打ち落とされていく。同じようにギルガメッシュが放った武器もまた弾けて飛んだ。
 不可視の剣を携え突き進むアルトは、剣の現出能力を『打ち落とす』より『ばら撒く』といった質よりも量を優先させるものに変化させている。
 宛がう剣も初めに背後に現出してみせた27、それを重複に関係なく撃ち放ち続けている。ギルガメッシュにはない『同じものを幾つでも現出できる』という利点を活かした攻撃法。
 手順を省き、現れたと同時にばら撒かれる無数の剣弾は視認すら難しい。線の軌道を描いて駆けるそのいずれもが、切っ先を金色の男へと向けていた。

 中空だというのに空間を占める宝具の密度は大きく、放たれた剣は中途で財宝と衝突し勢いを殺されるが、その中には間を縫うようにギルガメッシュへと疾駆するものも現れる。
 迎撃を無視するが故、こちらに突き抜けてくる財宝は先に比べ増えている。だが、突き抜けていく剣弾もまた僅かながら存在し始めた。

 その光景を目の当たりにし、俺は自らの未熟さを痛感する。
 俺の投影とは、桁が違う。同じ方向の能力を持ちながら、今の俺には到底為し得ない奇蹟。
 アルトは多くを持っている。
 莫大な魔力を体内に保有し、一度に顕現できる数は多く、その全てを操作しながら自ら立ち向かえるだけの力を。
 俺はその多くを満たせていない。
 己で作り出す魔力は足らず、処理し切る程の回路は無く、無茶に耐えうるだけの身体能力も技術も持ち合わせていない。

 俺は進みを止めそうになる脚を叱咤する。
 急がなければならない。なぜなら、それほどの現象を起こしているアルトでさえ戦えているだけであり、決してギルガメッシュに対して優位に立てているわけではないのだから。


 ――ギルガメッシュに接近するには、豪雨のように飛来する財宝を抜けていかなければならない。
 しかし、それは不可能だ。今も真名も確立していない宝具が牙を剥いて地面に突き立ち続けて、その事実を俺に顕示している。

 ギルガメッシュを倒すという結果のみを求めるなら、邂逅直後より死を覚悟して臨み、リアやランサーの宝具等を用いればその可能性を残せるかもしれない。
 しかし、都合よく事が運んだと仮定しても、恐らく代償として聖杯戦争を脱落せざるを得ない損害を負わされるだろう。

 真正面からの宝具戦であのエアを破る事は難しい。リアの宝具があの、世に名高いエクスカリバーだとするならば、エアを超越出来るような宝具が存在するかも疑わしい。
 遠距離での戦闘において『財宝』を凌駕する物は俺の知る限り存在しない。用いられる弾は宝具であり、人に対しては言うまでも無く、英霊にとっても直撃すれば一振りで致命傷である。
 残るは近接戦闘になるが、挙げた様にあの宝具の雨では近づくことも叶わない。事実先の戦闘ではリアやアルト二人掛りでもギルガメッシュに近づくことすら成し得なかった。

 考える限りでは付け入る隙のないギルガメッシュの戦法は、『多量の武器を顕現する』同タイプの能力を持つ例外を相手にして拮抗する事になる。
 厳密に云うならば、撃ち合いではアルトが押されているだろう。
 財宝の射出の全てを抑え切ろうとするならば、アルトの能力を以ってしても賄い切れない。数の差は覆せない。
 その差は向かってくる財宝を打ち払うことで、埋めること自体は可能だ。けれど、それでは後退せずに戦うことは出来ても接近するまでは叶わない。
 更に、アルトの能力はギルガメッシュの『王の財宝』に比べて魔力を必要とするようだ。少なくとも、遠坂の魔力をして使い切る程の消費になる。
 このままでは、この拮抗状態もずるずると押し切られていく事になる。


 状況を変えることは難しくない。
 一対一だから勝てないのだ。アルトに手が足りないなら、貸せばいい。
 幸い似たような能力(ちから)を持つ人間は、もう一人いる。

 本来、この戦いに対して真っ向から介入できる実力は、俺にはない。
 その証拠にギルガメッシュの視界に俺は敵とすら映っていない。精々的がいいところか。
 どちらにせよ、俺に対して微塵も脅威を感じていない。――――だからこそ好機。俺を邪魔するものは無く、確実に動く事が出来る。

 気を落ち着かせてしっかりと双眸を開く。――視界は良好。
 体中が脈動するような奇妙な焦燥感。両の手の平に吹き出す汗。
 薄れた緊張と深い集中に、体の芯に通った回路が熱を上げ思考の熱が下りていく。


 リアとギルガメッシュの宝具は、絨毯を剥ぎ、床を削り、内装を壁とともに崩し、中央にそびえていた階段を中ほどから消し飛ばした。
 城内は建材が落ちて雑然としながらも、どこか空虚な雰囲気を感じさせる。
 そこに現れ続ける異物。無数の凶器が視界を埋めていく。
 俺はアルトを視界の中心に置き、前方から扇状に迫りくる剣をひたすら把握する。


 不可視の剣を以って放たれる一撃に、群をなしていた脅威は薙ぎ倒されていく。
 飽和していた空間に生まれる空白は、そこへと殺到していく財宝によって埋められる。
 空白の先にはアルトがいる。だが、彼女は迫る剣など眼中に無いかのように身を踊らせ飛び込んでいく。
 それは俺が打ち落とすという信頼によるものか、それとも形振り構うだけの余裕がないだけなのか。


 飛来する財宝の軌跡は、既に全て頭に叩き込まれている。
 意識を絞り込む。ただ一点に焦点を絞る。――――中る。放つと同時に理解。目線を切り、次の目標へ。
 即座に単発式のシリンダーは回る。次弾の装填が終わる。――――会心の手応え。結果は確認するまでもない。

 最中にも意識に霞がかかるが、歯を食いしばり持ちこたえる。まだ何もしていない俺が倒れることなど出来るはずもない。
 進行方向を潰していた二つを撃ち落すと、アルトはその僅かな隙間へと潜り込んでいった。
 ふっ、と一つ息を吐いて気を引き締める。まだ、これからだ。
 アルトやギルガメッシュと呼ばれた男がしているように、投影を繰り返して直様にでも迎撃できるように備えさせる。


 突然の横槍にもギルガメッシュの意識は俺へ逸れる事がない。
 この程度は誤差の範囲内ということなのか、若しくはアルトをそれほど危険視しているということなのだろうか。
 だがそのお陰で財宝の軌道は読み易く、俺が防ぐべきその数もアルトの放つ剣弾にぶち当たり、加えて彼女が放つ不可視の一撃でまた少なくなっている。

 ある程度までアルトが近づけたなら、俺の援護は逆に邪魔になりかねない。
 視界に残っている凶弾は――七。アルトの進行速度を考慮して四、か。――新たな装填は必要ない。背後に控えさせていた四つを、描いた道筋に乗せるように射出する。
 駄目押しに、残っている二つを、先に放った四の影になるように打ち込んだ。

 疼くように痛む頭を無理やり働かせ、次取るべき手を模索する。
 既に男とアルトとの距離は縮まっており、アルトの行動次第では投影射は味方撃ちになってしまう。
 ならば、と両手の二つを握り締める。
 異様なまでに手に馴染む、アルトの干将・莫耶。それを左右に投擲、円となった二振りは大地と平行に弧を描いていく。


 突如巻き上がる石材。そして地を伝わる振動。
 潜り込ませるように放った過剰分の二つの剣は、見通していると言うかのように放たれた巨大な戦斧に弾き飛ばされていた。
 そしてそれは俺のすぐ目の前に着弾し、進みを止める以外の選択肢を潰してくれる。
 舞う瓦礫に対し反射的に顔を腕で覆った時、アルトの背中はもう遠く――俺の手には届かないところで声を張り上げていた。


 ギルガメッシュの双眸は、常にアルトを射続けている。
 消えている表情の中、ほんの僅かながら引き攣るように口の端が持ち上がっているよう見えるのは俺の目の錯覚なのか。
 一度アルトと剣を打ち合わせて吹き飛ばされた筈のギルガメッシュは、先と同じく驚異的な速度で迫るアルトに向かって駆け出していた。
 この展開では先ほどの焼き直しだというのに、ギルガメッシュは意にも介さずアルトを迎え撃つ。
 逃げ道を塞ぐよう左右から襲いかからせた干将・莫耶は、一切の役目も果たさないままギルガメッシュの背後の空間へと消えていく。
 予測と違えた事に、内心で己に悪態をつきながらも、静かに次の呪文を呟いた。



 衝突し、弾けた剣弾が次々に床に突き立った。
 其れらは役目を終え墓標となり、彼女と男を大きく囲む歪な舞台を造りだす。


 突如、濃密な魔力を含んだ暴風がアルトを中心に巻き上がり始めた。
 リアの持つ宝具と同じ、神の造りし兵器(つるぎ)。それが姿を現し、風を纏ったまま魔力を吸い上げている。
 アルト自身も魔力の補填とともに加速する。先の言葉の通り、宝具を叩き込むつもりなのだろう。

 しかし、ギルガメッシュは易々と接近を許さない。

「そ、んな……馬鹿な」

 その異様な様子に狼狽し、知らずに俺は声を上げてしまった。
 篭め続けていた力を抜きそうになる。

 宝具の掃射を前にして立ち止まる事の無かったアルトが、立ち止まっていた。
 周囲の空間が一斉に歪み、瞬きの間に全方位を囲まれていた。

 ――正面、迫るは銀で設えられた、桁を外す神性を持つ大振りな槍。
 ――左方からは雷を纏う光に包まれた槍。右からは同じく輝きを放ち続ける両手剣。
 ――後方には大英雄ジークフリートの所有する龍殺しの魔剣グラムと、同じく龍殺しの伝説を持つ聖ジョージの剣、アスカロン。
 ――頭上よりは、蓮より生まれし太子翁の投擲仙術武具、乾坤圏。更にはインド神話の雷神インドラの象徴である射出神具、ヴァジュラが控えている。

 現れたのは、神々や大英雄の象徴に似通った宝具。
 特に正面左右を塞ぐ三つは、それこそ神族の王や主神が持つとされるものに酷似している。
 もちろん、彼らが持っていたものではないだろう。武器の系統樹を根に辿り神の所有している物に非常に近しいところまで行き着いたのか。

 ギルガメッシュがこれまで撃ち出してきたものとは、次元からして分かたれている。
 これほどの業物が一同に会し、その姿を並べている様を見ることはこれからの人生では起こり得ない。
 そんな貴重な瞬間が、今の俺には絶望としか感じられなかった。

 だが、アルトは違った。
 彼女は呆けている俺とは違い、その光景を前にして既に攻撃の準備を終えていた。

 腕を引き、肩を前に向け、胴を捻り、腰を落とし、そして大きく開かれた脚が力を溜めていた。
 肩越しに覗く眼光。溢れ出る魔力。輝きながら舞い上がるエーテル。

「だああああああああっっ!!」

 全てが、咆哮と共に爆発した。
 可視状態になり風を纏ったエクスカリバーが、そしてその持ち主であるアルトが吼える。
 圧迫された力が、その行き先を前方に定めて暴れ出す。
 まるでいつか見たバーサーカーの豪腕を彷彿とさせるような、純粋に力だけを求めた一振り。




 風の塊を纏った一撃は全てを吹き飛ばした。
 龍殺しの加護を持つ魔剣も、貫く特性を備えた槍も何もかもを力任せに叩き潰した。
 剣を覆っていた風は霧消していき、はためいていた赤い布地は落ち着きを――――取り戻す事はなかった。

 先と同じく再び風が城内を支配し始める。
 異なるのはその発生源。アルトに対面する金色のサーヴァントから放たれていた。

「日に二度。それも貴様のような者に使うという屈辱を、この我に与えるか。
 座に戻り、精々誇りに思うがいい。我が直接手を下したことを。我の乖離剣をその身に受けた事を」

 朗々と語るギルガメッシュの手には聖剣の輝きをも捻り切る力を持つ、乖離剣エア。
 視界に収めた途端に脳が理解を拒否する。その理念も、構造も読み取れない。
 それが唸りを上げて力を溜めている。回転する刀身が魔力を吐き出し始めている。

 アルトも『風王結界』を纏った一撃の後、間髪を入れずにエクスカリバーへと魔力を送り始めていた。
 だが、遅れているのは財宝を弾き飛ばす為の力を貯めていた僅かな間。その時間は必要不可欠であり、どうしようもなく命取りだった。
 だからアルトは動けない。最善をこなし、その上でどうしようもないことを理解しているから、悔しげに眉根を寄せて歯噛みしている。




 『どうしようもない』?
      ――――いや。そんなことはないさ。

 何故なら既に、俺は構えを終えている。
 必要な魔力の補填も、今しがた終えた。

「――――同調、開始(トレース オン)

 昨日までの俺では、例え中(あ)てたとしても何の役にも立つことができなかった。
 撃ち出せる矢の中で、それだけの脅威を誇るものは俺の中には存在していなかった。
 今、番(つが)える矢は、選択する余地が生まれる程大幅に増えている。

 選択も、その構造の把握も疾うに終えている。件の矢は、当たり前だが矢として放つようには出来ていない。
 右手に構えたモノの形状を正確に頭の中に叩き込み、空気抵抗による速度の減少、命中するまでの軌道の変化を算出する。
 視界に浮かぶ軌跡。――――絶対に、中てる。

「――――『赤原猟犬(フルンディング)』

 近しいものの名を、静かに告げる。
 原典は原典であり、写しだせる担い手がいない――正確な真名の存在しないこの剣に対し、名を告げること自体に大きな意味はない。
 ただ、本来辿る道筋で得る『裏切ることない剣』という名に願を込めて、仮初の担い手としてその名を呼んだ。

 名を告げると体中が虚脱感を訴える。俺のありったけの魔力を奪っていったのか。
 ――上等だ。どっちにしても、もう投影も打ち止め。残っていた魔力にしたって精々残り滓、使えるなら持っていけ。
 次弾を撃つ魔力は逆立ちしたって出てこない。空気を貫いていく赤い光を眺めながら、止めていた呼吸を再開させて大きく息を吐いた。
 左手から黒塗りの弓がぼやけるようにして消えていった。


 赤い光が暴風の中を疾駆する。
 弓につがえこの手で狙いを定めた剣ならば、この悪条件でも標的を射抜くだろう。
 その予想は正しく、魔力の尾を引きながら突き進む猟犬はその速度を衰えさせる事はない。

「――ッ! 雑種、貴様ァッ!!」

 魔力を感知したのか、逸早く俺の行動に気づき、ギルガメッシュの両眼が放たれたモノを捉えた。
 それが己の財宝の贋作であること、通常の射出による速度を遥かに超えることに気づき、初めて俺に意識を向けた。

 フルンディングの速度は、財宝の射出では追いきれない。結果、ギルガメッシュは思考する間もなく半ば反射的にその手のエアによって切り払う。
 猟犬は呆気なく弾かれる。双方が纏う赤い光は火花と共に宙に消え、エアに溜められていた魔力を僅かながら削り落とす。
 俺は、フルンディングが課せられた役目を終えるのをこの目で確認すると片膝をついた。

 無茶が、過ぎた。しかし、無茶しただけの結果は出せた。
 財宝六本の投影、フルンディング、長時間の視力強化、魔力注入、威力上昇を図った腕部強化と、俺のキャパシティを超えている。
 そして投影時特有の疼くような頭痛。慣れた、と言いたい所だけど今回は膨大な情報による過負荷が上乗せされている。
 加えて、魔力が空だと体の反応も鈍る。事実、立ち上がることも億劫だ。

 エアから僅かに弾かれた魔力、中断せざるをえなかった魔力補填は、ギルガメッシュの時間的優勢を相殺した。
 つまり、俺の放った矢はアルトのエクスカリバーを間に合わせるという役目を無事に終えたのだ。


約束された(エクス)――――」

「おのれッ! 天地乖離す(エヌマ)――――」


「――――勝利の剣(カリバー)!

「――――開闢の星(エリシュ)!








「どう、なった……?」

 真っ白な世界が色を取り戻し始める。
 光が収まる頃には、宝具による魔力の残滓は残っていなかった。

 エクスカリバーによって生まれた熱は、エアが作り出した歪みに巻き込まれ、勢いを失ったエアの魔力の奔流は行き場をなくして空へと消えていく。
 大気中のマナも弾け飛び、皆無といっていいだろう。音もなく生気の薄れた雰囲気は深夜の柳洞寺に似通っている。
 リアとアルトのエクスカリバーによって天井には十字の裂け目が出来、時折大きな壁材が落下する。
 ギルガメッシュのエアによって、二階程の高さの壁に螺旋の跡を残した穴が穿たれていた。


 宝具の反動か、離れたところに、軽くよろめいているギルガメッシュが見える。
 流石の最古の王も、二度の宝具戦は堪えたようだ。
 焦りや疲れなどの様子をあからさまには見せなかったあの男が、額に汗を浮かばせ、目を見開いている。
 急激な魔力の喪失が、不動の王であったギルガメッシュを追い詰めている。
 よく見ると右肩の肩当からは白い煙が上がっている。エクスカリバーの余波を掠めていたのか。

 だが、アルトの現出能力の連射、遠坂というマスター、俺の投影による援護射撃。そして二発目のエクスカリバー。
 ここまでの条件を以ってして、ギルガメッシュは討ち果たせない。押し切れない。


 ――そもそも、ギルガメッシュの魔力はどこから供給されているのか。
 近くにマスターの姿は見えない。だというのに長時間の戦闘に宝具を二発放つほどの魔力を保有している。
 保有できる魔力量は多いようだが、アルトのように桁が外れているような膨大な魔力を自ら生成するモノを持っている、というわけでもなさそうだ。
 優秀な魔術師である遠坂でさえ弱音を漏らす程の消費量を、どこから賄っているのか。

「う……ぐ、ハ……ァ」

 空耳か、馬の嘶(いなな)きが聞こえる。
 無意識に行っていた現実逃避のような思考は、その幻聴とアルトの苦悶の声によって中断させられる。
 ガシャ、と金属を擦り合わせる乾いた音が響き、その音に顔を向けると先程より大きく後退したところでアルトの体が揺れていた。
 傾いていく体が、倒れる直前で持ち堪えられる。
 溢れるほどであった魔力は最早見る影もなく、何時リアと同じように意識が落ちてもおかしくはない。

「クッ! これは…………幾人かを使い潰したか。
 ――まぁ、いい。まだ、『王の財宝』を展開する余裕はある」

 ギルガメッシュは何事かを呟き、その指が乾いた音を鳴らす。
 それを契機に再び現れ始める財宝。格が高いものは回収できなかったのか、財宝から放たれる威圧は著しく弱まっている。
 しかし、今それは何の慰めにもならない。対するアルトは足取りも危なく、可視状態となったエクスカリバーを握る事で精一杯なのだから。

 咄嗟に、躓きそうになりながらもアルトとギルガメッシュとの間に割り込む。途中拾い上げた片手剣を右手に。
 得物を求めて無意識に拾い上げたものなので、アルトのものなのかギルガメッシュのものなのかもわからない。
 魔力の枯渇した体では、片手剣といえど扱うには厳しく、両手で握りなおす。そうして、俺は凍りついた。

「う、あ……」

 改めてギルガメッシュへと構えて、目の前の光景は、常人には絶望が広がっている様子でしかないということを思い知る。
 前方だけでなく左右、いや頭上にも。いったいどこから飛んでくる。この数を両手の剣で弾くとして何時まで保つ。何時まで続ければ終わりがくる。こちらは一撃で終わる。後ろにはアルト。避けられない。
 恐怖に染まった思考が、一斉に結果を導き出す。

 ――魔力もない俺では、アルトを守れない。

 ……けれど。
 恐怖を抑えるように歯を食いしばって、俺は立ち向かう。
 勝利は既に存在しない。敗北は決まったようなもの。後は、どれだけ足掻けるか。

 浮かんだ財宝は、ゆっくりと動き始めた。




「ライダー! 衛宮を助けろッ!」

「了解です、マスター」

 不意に、裂けた天井からの光が遮られる。響く、第三者の声。
 羽を生やした白馬が急降下してくる。まさかあれは天馬(ペガサス)か!?
 その背には慎二とライダーの姿が見える。……慎二?
 ライダーは慎二の言葉を受けペガサスから跳躍し、壁を駆けつつその手に握られた釘剣でギルガメッシュへと牽制を仕掛ける。

「おい、逃げるぞ! 衛宮!
 遠坂! おまえ、何呆けてやがるんだ! さっさと青いのを連れて来い!」

「あ、ああ……!」

 ペガサスから飛び降りた慎二は必死の形相で喚き散らす。その勢いのまま走り出すと、ふらつくアルトを引き摺りながらペガサスの元へと戻っていく。
 俺は、何故慎二がここにいるのか、逃走したはずのライダーが何故慎二に従っているのかわからず困惑しながらも、リアを運ぶため遠坂の元へと駆け出していた。

 リアを抱え上げる。魔力が切れたのか鎧はいつの間にか消え去っていて、その姿は青いドレスのようになっていた。
 そして、軽い。見た目からして小柄だが、あれほどの膂力を持つリアがこれほどまでに軽いという事実に驚く。
 そんな彼女をこのような目に合わせた自分は何をしていたのか。
 情けなさで胸を痛めながら、慎二の元へと移動を始める。遠坂もイリヤの肩を抱きながら先を走るが、魔力量が心許ないのか動きに力がない。

 ペガサスの背で、意識の無いリアが落ちないように後ろから抱きしめる。
 後ろには虚ろな瞳をしたアルト。さらに後ろに、俺と同じような体勢のイリヤと遠坂。
 通常の馬よりもその体躯は一回以上大きく、小柄な少女ばかりが乗っているとはいえ、この人数では多すぎる。

「ライダー、もういい! 退くぞ!
 おい、何をやって……!?」

 一番前に座る慎二の呼び掛けた声が、途絶えた。

「……ッ!」

 金属がかち合う音が一際大きく響き、ライダーの声にならない息を吐く音が届く。
 いつの間にかライダーは財宝の中に埋もれていた。周囲を囲まれ、逃げ道を絶たれ、翻弄されている。
 リアやアルトとは違い、一撃を与えては退くという素早い身のこなしで戦うライダーにとっては、雨のように降る財宝は特に不得手となっていた。
 圧倒的物量に避ける余地を削られてしまい、為す術がない。ライダー単騎での脱出は最早絶望的だった。

「マスター! サクラを、頼みます!
 ……ペガサス! 行きなさい!」

 ライダーの声が響き渡る。そしてその声を受け、一つ嘶(いなな)くと空へと駆け出すペガサス。
 視界が、地が離れていく。間もなく、ライダーを上から眺める高さまで上昇する。もう、ライダーはペガサスには届かない。

「逃がすものか!
 天馬よ、翼を失い地へと堕ちろ!」

 ギルガメッシュの放つ財宝が、ペガサスへと迫り来る。

 多くの荷物を抱えるペガサスに回避運動を行うだけの余裕は存在しない。
 背に乗る者たちに、其れらを迎撃する力を持つ者はもういない。



 迫り来る回避不可能の筈の財宝が、突如甲高い音を立てて横殴りに吹き飛ばされた。

 超重量の、黒い塊が視界に映る。風を唸らせながら地へと落下していく。
 巻き添えを喰うと直感的に判断し、ライダーはその場より飛び退いた。

 ライダーのすぐ側にそれが『着弾』。
 衝撃に大地が揺れる。ギルガメッシュは仁王立ちのまま、落ちてきた其れを苛立たしげに眺めている。
 その先には、こちらに背中を向け、右手には岩を削り出したような斧剣を下げた狂戦士。
 周囲にバラバラと力を失った財宝が降って来る。

「バーサーカー!」

■■■■■■■――――!!

 イリヤの呼びかけに対し、返答は言葉にもならない大気を震わす咆哮。
 傷は塞がっている。あれだけ突き刺さっていた剣や槍は全て引き抜かれている。

「木偶が! 醜く生き恥を晒すな!」

 迫る財宝を相手に、甦ったバーサーカーは豪腕を惜しげなく振るう。
 上空から確認できるクレーターのように開けた空白は、バーサーカーを中心に更にその範囲を広めていく。

「バーサーカー! もう『十二の試練』は……」

 イリヤの呟きが耳に届く。

 ……これが最後の命なのだろう。
 しかし、最初の、墓地での戦いの時のように、バーサーカーの体からは力が溢れんばかりに猛っていた。

「お、のれぇぇぇぇぇぇーーーー!
 貴様ら、悉(ことごと)く王の道を塞ぐかっ!!」

 怨嗟の声を上げるギルガメッシュ。
 金属音を残しながら遥か眼下に争う三騎を後ろに、ペガサスは主の命を受けて空を駆け始めた。






 既に城は遠く。森を抜け、住宅が見えたところでペガサスは地へと降り立った。

 突然、イリヤの体が震え、瞳からはとめどなく涙が零れ始める。
 次いで、慎二の持つ偽臣の書が燃え上がった。――ペガサスは、光が砕けるように姿を消していく。
 それらが、ライダー、バーサーカーの二騎が逝ったことを知らせていた。


 魔力の枯渇で顔を真っ青にさせている遠坂。
 偽臣の書の灰を、複雑な表情で眺める慎二。
 緊張の糸が切れたのか、ついに崩れ落ちるアルト。
 俺に抱きついて涙を流すイリヤ。
 そして、未だ目覚めないリア。


 俺たちは、負けた。
 ギルガメッシュとの戦いで喪ったものは、あまりにも多かった。







[7933] 十日目【8】
Name: 下屋柚◆60cf6a3d ID:bf9aa7e5
Date: 2011/07/03 15:31



 意識のないリアとアルト、応急手当はしてあるとはいえ両肩を剣で貫かれたイリヤ。
 魔力の枯渇で足元も覚束ない遠坂と俺では彼女達を抱えての移動は困難な為、慎二に頼んでタクシーを呼んでもらう。
 逃走すらも侭ならない今、ギルガメッシュに追撃をかけられたら間違えようなく終わりだった。
 背後を警戒しながら、郊外の森から離れていく。

 ――結果から言うと、ギルガメッシュの姿は確認できなかった。
 見慣れた町並みの中に自分の家を見つけて、思わず安堵の息が漏れる。
 しかし、俺を含めて皆が満身創痍であり、リアとアルトに至っては家に着いた今も目を覚まさないでいる。
 唯一無事である慎二もライダーを喪ったことからか張り詰めた表情を崩さない。
 気は抜けない。危機は脱したとはいえ事態が好転したわけではないのだから。



 体は鉛になったかのように重く、その疲労の度合いの割に俺の家に辿り着いたのはまだ午後の三時過ぎといったところだった。
 空は明るく、日が落ちるにも猶予がある。道を歩く人もまだまだ多い。
 あの怒号と死の匂いに溢れた空間での戦闘は終わりが見えないほどに長く感じたけど、城についてから実質一時間も戦っていないだろう。
 まるで、時間が凝縮されていたみたいだ。そうじゃなかったら、それこそ一日の持つ時間数が増えたかのようだ。
 取り止めもないことを考えながら、玄関へと続く門をくぐる。


 重度の疲労からくる眠気に苛まれながらも魔力切れで重たくなった体を引き摺り、並べた布団にリアとアルトを寝かせる。
 何かあった時に対応できるよう居間の隣にある和室に布団を敷いたが、リアは変わらず息を荒くしたままだ。
 対してアルトだが、倒れた直後こそリアと同じような様子であったものの遠坂の顔色が戻る頃には呼吸も大分落ち着いていた。

 ――――やはり、魔力の供給がないのが原因なのか。
 遠坂の魔力量が微量ながら戻っているから、アルトも快方に向かっているのだろう。
 リアには、不完全な召喚が原因で本来のラインが繋がっていない。……言い知れない不安が、体の中で暴れている。


 救急箱を戸棚から引っ張り出し、居間へと足を運ぶ。
 とりあえず、リアやアルトよりも視覚的に酷いことになっているイリヤの手当てを優先させる。
 ただ、相手が女の子では俺よりも遠坂に任せた方がいいだろう。その間に俺は台所で薬缶(やかん)を火にかけお湯の用意をしておく。

 タクシーに乗るのに傷を曝したままでは都合が悪いのでジャンパーを掛けたその時の様子を思い返す。
 イリヤの肩の大きな傷は、小柄な体との対比でとても痛ましく見えた。上等な生地の服が赤黒く染まっていて、側から見てその出血の様子だけでも犯罪やその類の厄介事だと思われただろう。
 事実帰りに使ったタクシーの運転手も、意識のない少女三人を抱えている俺たちに懐疑の視線を浴びせていたのだから充分に考え得る。

 お湯と予備の新品のガーゼをこちらを覗いてきた遠坂に渡す。乾いた血は冷たい水では落ちにくい。
 本来こんな大怪我であれば病院に行くべきなんだが、俺たちの状況がそれを許してくれない。
 聖杯戦争の参加者というのも一つの理由だけど、それ以上にギルガメッシュと呼ばれた男はどうやらイリヤを狙っている様子だった。
 サーヴァントを失ったイリヤを放り出せば結果は火を見るより明らか。教会に保護してもらったとしてもあの馬鹿げた力が相手ではイリヤを護りきれるとは思えない。
 なら、まだ俺たちが匿っていた方が奴から護ってやれる、筈だ。

 イリヤが自身にかけただろう止血の魔術と、遠坂による治癒の魔術のお陰か血は完全に止まり傷口にはかさぶたが出来始めているらしい。
 とりあえずの危機を脱した安心感によるものか、イリヤは遠坂と数分話し込んだ後、途中で寝息を立て始めていた。
 遠坂に治療を終えたことを確認し、俺の布団にイリヤを寝かせる。直ぐに用意できて居間から離れていないのは俺の部屋ぐらいだった。
 瞼にかかった前髪を梳いてやると、今は亡き従者を呼ぶ小さな呟き。雫が声を発した少女の頬を伝う。そんな彼女に対して何が出来るのかわからないまま、俺はただイリヤの髪を撫で付けていた。



 イリヤに布団を掛け居間に戻ると、慎二が何か考えている様子で一人座っていた。
 部屋の中を見渡しても遠坂の姿は見えない。

「衛宮、ちょっといいか?
 お前たちに話があるんだ」

 リアとアルトの様子を見に行こうと廊下に足を向けたところで声がかかる。
 振り向けば、真剣な顔でこちらを見つめる慎二がいた。

「ん? それって直ぐの方がいいのか?」

「……いや、遠坂の奴が戻ってきてからでいい。
 とりあえず話があるってことを覚えておいてくれ」

 眉根を寄せ、話を切る慎二。
 重要な話のようだ。帰り道からの慎二のおかしな様子はその話が関係しているのだろう。

「わかった。
 遠坂にも伝えておくよ」

 慎二が頷いたのを見て、俺は止めた足を改めて進ませた。






「――つ、ぅ!?」

 衝撃と勢いに、後ろへと倒れ尻餅をつく。
 自分に何が起こったのかわからない。

 見上げた先には、荒く息を吐くアルトがいる。
 両手の拳を白くなるまで握り締めて、右手を俺に向かって振り下ろしたまま睨みつけている
 揺れる視界、痛む左頬。口の中に広がる鉄の味。座り込んでいる自分。
 ここまで状況が揃っているのに『目の前の彼女に殴られた』という事実にしばらく気づく事が出来なかった。

「なん、で……っ」

「『なんで』だと!?」

 切れた口の端を手の甲で拭い半ば無意識にそう呟くと、10cm以上も背の低い彼女に胸倉を掴まれ立たされる。
 何故俺が殴られているのか。未だにその答えを見つけられない俺は、口を開く事も出来ずに呆然と立ち尽くす。

「『リアは大丈夫なのか?』だって? 凛に対して『調子、戻ったのか?』だって?
 自分の行動が何を引き起こしたのか理解しているのか!? リアや凛がこうなった原因を作ったのは士郎、お前だろう!」

「――――え、あ」

 ――――頭の中が、真っ白に塗り潰された。
 その言葉の意味、俺がした事実を認識し、体が硬直する。呼吸も忘れて、アルトを見つめる事しか出来ない。

「『衝動で行動するな』。出掛ける前に、忠告したのを覚えているか? 
 それは無鉄砲に飛び出すのが危ないからってだけで言った訳じゃない。結果的に負担はお前と一緒にいる凛やリアが負わされることになるからだ!」

「アルト、少し落ち着きなさい。話を……」

「判断を誤れば、衝動で動けば、後悔しか残らない。下手に動いたところで『衛宮士郎』は生み出すだけで、満足に戦えるようなものじゃない。
 干将・莫耶を持ったところで英霊には敵わない。異端な魔術を使えても万人を救う奇蹟は叶わない。理想を掲げても、力がなければその重さに潰される。
 理想を追うなとは言わない。俺には口が裂けたって言えることじゃない。……けど! 少なくとも今、『衛宮士郎』が無力であると自覚しろ!」

 口を開き、次の言葉を紡ごうとしていた遠坂は、そのアルトの様子に、言葉に息を呑んだ。
 何を感じ取ったのか俺にはわからない。隠れた何かを読み取った遠坂は、目に見える程の衝撃を受けて押し黙る。
 ――――目の前で顔をつき合わしているアルトも、言葉を発する度に辛苦に表情を歪めていく。
 俺を糾弾する一声一声が、彼女自身を責め立てているように見えてしまう。

 そして投げかけられた俺には、陰に隠れたアルトの怒りの感情が棘となって容赦なく突き刺さっている。


 ――――全てが事実。みんなが疲弊してしまっているのは俺が飛び出したことが原因であり、発端だ。
 駆け出したあの時、思考の外に投げ捨てていた。偵察目的で来ていること。注意されていた英霊への対処、身の振り方。自身の命。
 そして絶対に忘れてはいけなかった仲間――――遠坂のこと、リアのこと、アルトのこと。
 ギルガメッシュがイリヤを嬲っているのを見た瞬間、それらは全て吹き飛んでいた。考えるより早く飛び出していた。

 アルトや遠坂に逃げろと言われた時、俺は剣を手にギルガメッシュと戦おうとした。
 同じような能力を持ち、英霊との戦闘に耐えられる彼女の双刀を贋作とはいえ得ることができた俺は自惚れていなかっただろうか。
 持ち主に運用を習い、持ち主の技を倣った。俺の其れはサーヴァント相手には通じないと昨夜理解したのではなかっただろうか。

 身の程を弁えない行動がもたらした結果は、いうまでもない。
 俺の全身全霊の一撃は、英霊相手にとっては凡庸な一撃に過ぎなかった。
 投影は焼け石に水、フルンディングは簡単に薙ぎ払われ、両手の双刀を振るう機会もないまま俺の手の出せないところへと戦場を移していた。

 単独で戦えば一分保つか。三分耐えられれば出来過ぎだ。
 俺の援護じゃ、多少の力じゃ戦力に若干程度の余白しか生み出せない。精々一呼吸分の空白。

 ――ああ。俺は無力だ。埋められない力の差があるのは、確認するまでもないこと。

 でも、『力がないから』。
 それで諦めて、走ることをやめてしまったなら。

「俺には、サーヴァントと闘り合う力はない。確かに忘れて駆け出してた。
 でも……それじゃあイリヤは。俺が手を伸ばさなきゃ、助けを求めていたイリヤはどうなるんだ」

「――――っ」

 吊り上げんばかりに掴み上げ、血の気が失せ震えていたアルトの両手がぴたりと止まった。
 俺を睨み付け、捉えて動かなかった瞳が僅かに揺れる。そして溢れだす感情。驚愕、落胆、寂寥、苛立ち――。
 それらが混ざり合わさって、今にも泣き出すかのような表情を作っていく。

「確かに俺の行動は褒められたものじゃなかった。俺の勝手が、みんなを危険に晒す事になった。
 そのことについては本当に悪かった。ごめん」

 しっかりと、アルト、そして遠坂の顔を見て頭を下げる。
 みんなに負担を強いたのは俺だ。それが今重大な問題になりつつある。

「――でも、それでも。
 救われた者がいる。笑顔を浮かべてくれた人がいる。
 そんな人がいる限り俺は、届く手は伸ばす。体を張ってでも助けてやる。全力で駆けつけてやる。
 何も相談もせずに飛び出したのは、悪いと思ってる。でも後悔だけはしたくない。こればかりは、アルトに言われてもやめられない」

 この俺の独白に、アルトが目を逸らす。
 完全に伏せられてその表情は窺うことはできない。俺はアルトに構わずに言葉を続ける。

「アルトだって、手詰まりだったバーサーカー相手に、俺たちを守るために立ち塞がってくれたじゃないか!
 キャスターに殺されそうだった俺を救ってくれた! 何度もその身を挺して助けてくれた!
 俺はさ、そんなアルトを尊敬してる。アルトは迷惑だと思うかもしれないけど、その在り方を倣いたいとも思ってる」

「俺は……ちがう。私、私は……」

「違うって、アルトはみんなを救おうとして俺たちを助けてくれたんじゃないのか?
 言っていたじゃないか。『少数を見捨てたりはしたくない』、『救える者ならば救ってあげたい』って。
 何が違うんだ?」

 掴まれていた胸元が、吊り上げられたTシャツが放される。
 ゆっくりと抜けていく力。そのままアルトの両腕はだらりと下ろされた。その瞳は先からずっと見開かれたまま。口元は何かを呟き続けている。




 しばらくの間をおいて不意に彼女の瞳に色が帰ってくる。
 力の戻った双眸が、真正面の俺を見据え直した。

「私は、護りたい。リア、凛を、士郎を。イリヤを、慎二を、大河を、桜を。そして、この町に住む人たちを。
 救うためではなく、この聖杯を巡る争いの被害を出さないよう護りたい。そのために私はここにいます。
 生を終えた私に、誰かを救うことなんて、きっとできません。救うのは士郎、今この世に生きる貴方であるべきだ」

 激昂していた名残は既にアルトにはない。
 ただ冷静に、俺を見つめて宣言する。力強く、しかし何処か憂いを帯びる瞳。

「――――私はイリヤを助けに行きたいと思っていても、動けなかった。
 そんな私が、行動に起こした貴方を責められる立場にいる筈がない。先ほどへの謝罪と、イリヤを助けてくれたことへ感謝をしたい。
 すみませんでした、士郎。そして、ありがとう」

「あ、いや。そんな俺は。
 確かに俺、短絡過ぎたと思うし――」

 今度はアルトに頭を下げられることになった。
 しかし感謝されたくてやったことでもないし、謝られた事も自分に非があるのでどうにも居心地が悪い。

「ですが」

「え?」

「事は、貴方の謝罪だけでは収まりません。
 ――――士郎、あなたはリアが大丈夫なのかと聞きましたね?」

「リアがどうなるか知っているのか、アルト!?」

 アルトの両肩を掴んで問いかける。そうしてリアを横目で見るが、かなり騒がしくしてしまったというのに全く反応を示さない。意識は相変わらず、回復の兆しも見えないままだ。
 俺の視線を追って、アルトもまた横たわったままのリアを一瞥すると、深く息を吸い込んだ。

「ええ。このままでは遠からず、宝具の使用による魔力切れによってリアは消滅するでしょう」

「――そんな!
 何とか、ならないのか?」

 俺の行動が、リアを――?
 イリヤを助けることが出来たからって、それじゃあ、俺は……!

 怒りが、溢れてくる。その対象は勿論、自分自身だ。この激情のままに自分を殴りつけてやりたくなる。
 歯を食いしばった。アルトが俺を殴ったのは、今俺が感じている思いとたぶん同じところからきたものだ。
 ……自分を責めるのは、後でも出来る。アルトは次を話そうとしている。今は対処を考えなきゃいけない。

「方法はあります。
 簡単です。足りないなら別のところから新しく魔力を補填すればいい」

「え?
 でも、魔力を送ろうにもリアと俺にはラインが繋がっていないんじゃ」

「ええ、不完全な契約により士郎から既存のラインを通じて魔力は送ることは、不可能です。
 そして、魔力不足により彼女は意識を保つことも出来ないほどに衰弱しています。
 凛とも相談しましたが、リアの意識がないと緊急措置すら取れません」

 緊急措置?
 リアの意識があれば、なんとかなったかもしれないのか……。

「そこで、士郎の手に残っている令呪を使います」

「そうか!
 瞬間的にでも魔力を補充すれば、その緊急措置ってやつが……」

 言いながらも自分の左手の甲を見る。
 そこには大半が黒く染まった赤い紋様。学校での強制召喚で一度、今日の宝具使用時に一度。
 残った一画こそが、本当の意味での最後の切り札。マスターとしての俺が唯一出来る、強力な援護。
 こいつを使えば、リアは助かる――?

「いえ。ここからは士郎に判断してもらいたい」

「判断?」

 自分の左手から目線を切り、正面に向き直る。
 そこには俺を見据える、アルトが――そして遠坂がいる。

「凛、そして私は、今回の士郎の行動を快く思えない。加えて衝動的なものであれば、注意したところでこの聖杯戦争中に貴方の悪癖が改善されることはないでしょう。
 しかし、それでは同盟を組んでいる私と凛にとって害としかなりえない」

「ええと、悪い。ちょっと言っていることの要点が掴めない。
 わかりやすく言ってもらえないか? 俺に出来ることならなんだってするつもりだ」

「なんでも?」

「ああ」

 アルトの目が細く、鋭くなる。
 伴って、空気が張り詰めた。


「ならばはっきりと言いましょう。
 士郎、貴方は信用できない。リアとの契約を、令呪を以って破棄しなさい」





[7933] 十日目【9】
Name: 下屋柚◆60cf6a3d ID:bf9aa7e5
Date: 2011/07/04 21:50




「破棄って、リアとの契約をか……?」

「ええ、そうよ。あなたが選べるのは、契約を破棄するのか、しないのか。
 仮に契約継続を選択したとしても魔力補充の措置がどういうものかは教えてあげる。だから、士郎自身の意思で決めなさい」

 遠坂が俺を真っ直ぐ見つめている。
 隣に控えているアルトも同じようにこちらを注視している。



「…………」

 ……正直にいうと、俺には破棄をするメリットが見えてこない。
 マスターがいなければサーヴァントは長時間現界していられない。それは魔力の残量に関わらずマスターという楔が存在しなくなるからだ。
 そんなことは遠坂もアルトも百も承知な筈。だから何か考えはあるとは思うんだが、俺はそれを知らない。
 魔力の補充は、どちらを選んでも解決はすると考えてもいいだろう。アルトはリアをわざわざ窮地に立たせることはしない。それだけは断言できる。

 ――なら現状のままのほうがいいのでは、と俺個人は思う。詳しく聞かされていないのに破棄しろと言われても、という考えが先に立つ。
 けれど、それらとは別に理由がある筈だ。説明も、意味もなくこんなことを言い出すような二人じゃない。
 何を言われたのか、俺は思い出さなければならない。

 アルトも遠坂も、今回のことに対して「衛宮士郎を信用できない」と言っている。
 それに「同盟を組む上で、俺の衝動的な行動は害である」とも、「改善される見込みもない」とも言われている。
 本来、俺が直せたらそれで済む話なんだけれど、同じような場面に出くわした時、我慢できるかと聞かれれば自信はない。
 反省はしているし、気をつけるつもりではいるけれど俺は変われないと思う。開き直るつもりはないが、これが衛宮士郎としての正しい在り方だと思うから。
 遠坂が、俺が原因となる不利益を被りたくないなら同盟を解消するだけでいい。遠坂とアルトだけなら余計な心配をせずに保有戦力で最善を尽くすことができるだろう。
 しかしそれをしないで俺に選択を迫っているということは、リアと俺が抜けることによる戦力の低下が致命的になりかねないこと、そしてもう一つ――――。

「もし破棄したとして、リアの魔力は大丈夫なのか?」

 それでも、確認のために最低限聞いておかなければならないことはある。
 問いかけると、遠坂はアルトを目で促した。

「ええ。当面は凛の宝石で代用すると」

「……遠坂が契約するって話じゃないよな?」

「流石の凛でもサーヴァント二体を使役するのは不可能です。
 存在を維持するだけなら可能かもしれませんが、今後の戦闘を考えると無茶と言っていいでしょう」

 今の質問は、俺が聞かなければならない最低限。
 そして、することが許される問いの筈だ。

 アルトは遠坂の後ろまで静かに下がり、目を閉じる。その様子に、後はマスター同士がすべき話だ、と言われているようだ。
 確りと遠坂と向き合い、決意を固め直す。

「……なら、リアとの契約を破棄することも、仕方ないと思う。
 今回のことは俺が原因だ。ラインがつながらないのも俺に問題がある。
 どっちにしても、このままじゃリアは良くならない。それに、遠坂たちがそう言うなら何か考えがあるのだと思うから。
 リアには勝手に契約破棄して怒られるかもしれないけど、それも俺が原因だから謝って許してもらうよ」

 俺の言葉に、遠坂は心底驚いた様子で息を呑む。アルトは一度だけ、小さく身動ぎした。

「こっちから振っておいてこう言うのもどうかと思うけど……衛宮くんはそれでいいの?」

「……よくはないさ。
 けど、遠坂なら絶対に悪いようにはしないだろ?」

 怪訝そうに俺を見ていた遠坂は、目を見開き固まった。
 かと、思うと視線を余所に飛ばして髪の毛を弄りだした。

「まぁ、それはそうだけど……もっと質問攻めにされると思ってたから」

 一から全て聞いておきたかった、とはやっぱり思う。
 でも、推察する材料はあった。考えることを放棄して人に質問してなんて、頼ってばかりじゃいられない。
 考えなしっていうのは、今回のことで痛感してる。だから、せめて状況ぐらい把握できるようにならなきゃ本当にお荷物だ。

「でも、衛宮くんの返答はわかったわ。――これからは『二組』としてじゃなくて『チーム』として考える。
 残るマスターとサーヴァントに、そしてあのギルガメッシュとかいう男を相手にして、最後まで『私たち』が勝ち残れるように。
 幸い衛宮くんも、私もアルトも聖杯に願うことはないみたいだから、揉める事もなさそうだしね」

 ――――きっと俺に選択を迫ったもう一つの理由は、俺の覚悟を問うていたのだろう。
 一度忠告をされておきながら逆の行動をしてしまった俺は、遠坂たちを信用しているのかを。そして俺が、遠坂にリアを任せることが出来るほどの信頼があるかを。
 協力して事に当たっていく上で、相手の意思を汲むことが出来、信じるに足るのかどうかを暗に尋ねていたのではないだろうか。

 契約を破棄出来ないなら、遠坂の方から同盟は解消を言い渡されていたのかもしれない。失敗ばかりしていたから、言われても仕方はないけれど。
 でも、破棄した場合でもその魔力を送る『措置』って方法だけは教えてくれるって言ってたから、やっぱり遠坂は、律儀というか、本当にいい奴だと思う。

「ええと、リン。ここでよかったかしら?」

 背後からの声に気づいて振り返ると、少し開いた襖からイリヤがこちらを伺っていた。

「あれ、イリヤ?
 寝てなくて大丈夫なのか?」

「そうよ。傷も軽くないのだから寝てなさい。
 細かい話は夜になってからでもいいんだし」

 怪我もそうだが、精神的な疲労も大きい筈だ。
 支えになってただろうサーヴァントを失い、ギルガメッシュという馬鹿げた力を持つ男に命を狙われているんだ。
 気丈に振舞ってはいるけど、現にイリヤの目元は少し赤くなっている。それを見て、布団に寝かせた時のことを思い出して居た堪れなくなった。

「だって、寝てなさいって言われても。
 あんな大声がしたら、おちおち寝てもいられないじゃない」

 アルトが襖を開けて、座布団を置いてやるとイリヤはちょこんとそこに座った。
 腕が揺れるたびに顔を顰めているところを見ると、やはり肩の傷の完治は大分先になるだろう。

「それで? 話はどこまでいったの?
 それに――シロウはどっちを選んだの?」

「話はほとんど終わってるわ。
 これから、ここにいるメンバーで聖杯戦争を戦っていくことになったから」

 そう言って、遠坂は部屋の中を見渡した。
 俺、アルト、眠っているリアへと視線を移し、そしてイリヤへと戻す。

「……? ここにいるって、イリヤもか?」

「ええ、そうよ。
 あんな化け物相手にするんじゃ、使える物は何でも使わなきゃ」

 それを聞いてイリヤは頬を膨らませた。

「物って。
 リン、私そういう言われ方好きじゃないわ」

「ちょっとした言葉の綾よ。悪かったわ。本気にとらないで」

「……ならいいけど」

 苦笑しながらも素直に謝る遠坂。口をとんがらせて遠坂を睨むイリヤ。
 見るからに仲がよさそうなのはいいことだが。

「そんな……イリヤはそれでいいのか?
 また危ない目に遭うかもしれないんだぞ?」

 また、こんな目に遭うとも限らない。
 イリヤを匿って護るつもりではいたけど、一緒に戦うとなると話は別だ。

「シロウは私のことを心配してくれるの?」

「そんなの、当たり前じゃないか」

「んっふふー。ありがとね。
 でも大丈夫だよ。助けてもらっちゃったから、今度は私がシロウを助けてあげる」

「いや、俺はそんなつもりで……」

 単純に体調ってこともあるけど、こんな小さな子を戦場に立たせたくないというほうが大きい。
 見た目とは違って、俺なんかと比べたら怒られるくらい優れた魔術師であるっていうのはわかるんだけど。

「はいはい、そこらへんにしときなさい。
 衛宮くんも、本人が助けてくれるって言ってるんだから素直に甘えとけばいいのよ」

 ……まだ言いたいことはあったが、ふと思い当たったことでその言葉を飲み込まざるをえなくなった。

「『助けてくれる』って……遠坂、まさか」

「ようやく気づいた? そ。たぶん貴方が考えたとおり。
 リアのマスター権を、貴方からイリヤに移すのよ」

「……」

「あ、あの子だけど裏切りとかは心配しなくても大丈夫みたいよ?
 イリヤもあの金ぴかにやられて今回の聖杯戦争は敗退したって自覚してるみたいだし、それよりも衛宮くんの手助けをしたいんですって。
 モテモテねー、羨ましいわー。ふふふ」

 遠坂が耳元に顔を寄せて何か言ってるみたいだけど、生憎脳には入ってこない。
 そんな手があったのか……。確かに戦力を考えるなら無駄もなくていいんだろうけど、やっぱり複雑だな。
 ということはイリヤが寝付く前に二人で話し込んでいたのは、イリヤのと今後の展望について既に話していたのか。
 やっぱり、俺ももう少し先のことを考えて動かないといけないな。




「っ!」

 突如、俺に耳打ちをしていた遠坂が固まった。次いで勢いよく振り向き、壁を睨みつけている。いや、意識は壁よりもっと遠くへ向かっている。
 襲撃かと思ったが、屋敷に張ってある対侵入者用の結界は鳴らない。あれは敵意に反応するものだから、ここに対する敵襲ではないだろう。

「遠坂、どうしたんだ?」

 数秒もすると緊張は解けたものの、遠坂は右手で顔を覆って動かない。俺の問いかけへの返答もない。
 アルトもイリヤもどうしていいものか、遠坂を眺めることしか出来ない。もちろん俺も同じように棒立ちのままだ。
 原因がはっきりするまでは下手に動けない。


 暫くして、ようやく遠坂が顔を俺たちに向ける。
 余程の事態なのか、切迫している様子で口を開く。

「何て言っていいのかわからないけど、悪い知らせよ。
 キャスターと葛木先生が襲われていたらしいわ。それも、私たちと別れた後十分も経たないうちに」

「本当なのか!?」

 俺は朦朧としていたからよく覚えてないけど、リアもアルトもあの時は健在だった。
 何か異変があれば、気づけた筈……。

 俺が考えを巡らせている間に、遠坂はアルトに向かって声を張り上げる。

「アルト! あの時他にサーヴァントの気配はあった?」

「……あ、いえ、リアとキャスターの他、サーヴァントの気配は全く感じられませんでした……」

 アルトも返答に力がなく、二の句が継げない状態だ。
 信じられない、とまるで有り得ない事が起こったかのような様子で遠坂を眺めている。

 そういえば、気配がないってことは……。

「なぁ、遠坂。あのギルガメッシュって奴じゃないのか?」

「た、確かに、ギルガメッシュにはサーヴァントの気配はありませんでしたが……」

 俺とアルトの言葉に、イリヤが震える。未だに恐怖が抜けきらないのだろう。
 配慮が足らなかったか、とも思ったけど、可能性として挙げておかないと対策が立てられない。

「違うわ。要領を得ないのだけれど、人の形は少なくともしていないそうよ。
 傘のような形をした黒い影としか……」

 となると、やはりサーヴァントじゃないのか?
 攻撃方法とかわかればどんな存在なのかわかりそうなものだけど……。

「葛木先生とキャスターは無事なのか?」

「あ、そうね。……ちょっと話が突飛過ぎて、私も動転してるみたい」

 目を瞑り、何度か大きく呼吸をする遠坂。
 頭の中に巡っている情報を整理し直しているのだろう。

「とりあえず、キャスターも葛木先生も致命傷までは負ってないみたい。
 けど逃げる際に、葛木先生がキャスターを庇って、それが元で右腕を肩下から切断したそうよ。一瞬で黒く、壊死させられたってキャスターは言ってたわ。
 その後撤退は成功して、最低限の応急処置は終わってるみたいね。今は魔力不足で、霊脈から魔力を借りるために私の家の辺りに避難しているところらしいわ」

 柳洞寺に居を構えた、あのキャスターが撤退した?
 魔術知識も、魔力も豊富に蓄えていた彼女、加えて柳洞寺の周囲には強力な結界が張られていた。
 アサシンが倒されていないとはいえ、ちょっとやそっとの戦力では攻められる場所じゃない。

「そ、そっか。葛木先生の右腕が……。でも、生きていただけでもよかった。
 あ、それなら俺たちと一緒に行動したほうが……」

「そう思って、私も一応声は掛けたんだけど……どうにも相手は相当奇妙な奴みたいよ。キャスターの魔術をないもののようにすり抜けてきたって。
 しかも葛木先生よりもキャスターを狙ってきてるみたいで、一箇所にサーヴァントが集まると逆に狙われかねないって断られたわ。
 キャスターからの言付で、『セイバー、アーチャーが揃っていたとしても、出会ってしまったなら全力でその場から逃げなさい』って……」

「…………」

 正直、想像もつかない。
 リアとアルトには通用しなかったものの、キャスターのあの魔術は身を以って経験している。
 あの魔力弾一つで、人なら十人単位で吹き飛ばせるものだ。それをほぼ無呼吸で放てるもの。
 そんな出鱈目を無効化でもなく、すり抜ける存在……だって?

 考えろ、衛宮士郎。力のない俺に今できることは、考えることだ。
 持っている情報から敵の像を少しでも見えるようにしておかないと、いざという時リアとアルトが戦えない。

 ――その黒い影の攻撃方法だけど、リアとアルトの能力を知っているキャスターが即座に逃げろというのだから魔術ではないだろう。
 後は単純な物理戦闘、若しくはもっと異質な攻撃方法ってことになる。
 物理戦闘でリアとアルトを越えるとなると正直勝ち目はない。葛木先生の腕が壊死したということは、後者の可能性が高い、か……?
 情報が少ないというのもあるし、キャスターの言葉通りだとするなら対抗手段が現時点では立てられない。
 魔術が効かないからといって、逆に剣が、そして宝具が通じるとも限らない。……忠告に従って逃げたほうがいいのかもしれない。

「なんか、きな臭いことになってきたわね……。
 あの金ぴかの対応だけでも頭が痛いっていうのに」

「受肉した八人目のサーヴァントに、得体の知れない黒い影か……。
 聖杯戦争に関係してはいそうだけど、どちらも明確な目的がわからないからな。
 ギルガメッシュは仮にも拮抗できたからまだいいけど、俺はアイツよりその黒い影ってほうのが不気味だ」

 部屋を見回すと、何故かアルトとイリヤは二人が二人とも焦燥感に煽られて表情が強張っていた。
 アルトは俯きひたすら何かを考えているようだし、イリヤは立ち上がり何をするわけでもなく落ち着かない様子で胸に手を当てている。

 その後しばらくの間誰も喋ることなく、部屋にはリアの荒い寝息だけが響いていた。






[7933] 十日目【10】
Name: 下屋柚◆60cf6a3d ID:bf9aa7e5
Date: 2011/07/05 21:40


 ――イリヤが予定よりも早く目覚めた為、夜行う予定だった契約の移譲をそのまま行うことになった。
 桁外れの力を持つギルガメッシュに、キャスターを襲ったという俺の知らない黒い影。そして姿を一向に現さなくなったランサー。
 唯一俺だけが持っていたアドヴァンテージ――生前の聖杯戦争で得た知識は意味をなさなくなった。
 サーヴァントに、既知であったイレギュラー、そしてそれら全てと交戦して尚現れる未知のイレギュラー。
 これから先も何があるかはわからない。だからこそ一刻も早くこちらも万全の態勢を整えておかなければならない。





「俺、衛宮士郎は、令呪を以ってセイバーとの契約を……破棄する……!」

 張り詰めた空気の中、身動ぎもしないリアに向かって静かに、だが力強く告げられる。その宣誓と共に彼の左手甲の紅い令呪が眩い光を残して砕け散った。
 光は収まるが、士郎は表情を欠いたままその手の令呪痕を呆然と見つめたままだ。左手を開き、そして握り締めて欠け落ちていく繋がりをただただ確かめている。
 雪が溶けるように時とともにその色を失い、黒がかった痕も消えていった。

 ついに令呪の影すらも見当たらなくなり、ようやく士郎は顔を上げる。
 その顔に後悔の色は見つけ出せない。士郎が何を思ったのか、俺にはわからなかった。


 ――セイバーとの契約を破棄することなく聖杯戦争から退場した俺は、士郎に去来する感情をこれから先永遠に理解出来ないと思う。
 元こそ同一の人間ではあるけれど、こうして差異は俺と士郎の間で開いていく。

「…………士郎、貴方は……」

「ん? アルト、どうした?」

「…………いえ。……何でもありません」

 衝動的に口を開きかけたが士郎に問われ、意味を成す前に無理矢理に噛み殺す。
 自分が何と話しかけようとしていたのかわからない。
 士郎に対して何を言いたかったのか、それすらもあやふやなままだった。

 こうなるよう仕向けたことへの謝罪をしたかったのか、いや、リアとの繋がりを失うことへの慰めの言葉だっただろうか。
 それとも、今何を思うのかそのまま問いかけるつもりだったのか?

 でもそれらは、俺が語る必要も、問いかける必要もないもの。
 士郎は、自分の考えた判断で行動をしている。自分の行動の結果と、責任を士郎なりに受け止めていると思う。
 だからこそ契約を破棄することを選んだんだと思っている。

 士郎は自分の足で立てている。しっかりと歩みを進めている。
 進む道は士郎のものだ。あいつが決める道であって、絶対に俺が選ばせるような道じゃない。


 ――――ああ、そうか。俺は。
 俺は、俺が歩いたことがない道を歩んでいる士郎が羨ましかったのかもしれない。
 未来(さき)がわからない今。例え困難だとしても、途絶えてしまった俺の道よりは未来へ続いている。
 俺の選んだ選択に後悔はなかったと信じてる。けど『未来が不確定である今を進める』、そんな事実に俺は嫉妬していたのかもしれない。
 だからこそ、今を生きる人間に求めもしないことを死者が語るべきではないだろう。


 俺は、凛や士郎、桜や藤ねえたちとは共には歩いてはいけない。この暖かさに溢れた屋敷で過ごして錯覚していたけど、そう遠くなく消え去る身。
 『アルト』が人を救えていた。士郎にそれを伝えられて、足元が消失したかのような心地を受けたのも『先がある』と思い違っていたのが原因だ。
 こうして『アルト』として存在している今はいいかもしれない。けど、未来に俺は進めない。俺の姿は未来にない。
 そう。俺の道は、ここに喚ばれる前に既に途絶えていた。

       『衛宮士郎』の目指すもの――『正義の味方』。その目指していた目標に、きっと俺は届かない。

 『アルト』のすべきこと、そして出来ることを探したけれど、選べるものは思っていたより少なかった。
 遠坂凛(マスター)と繋がっている俺の手は、士郎のように遠くまで届かない。
 頼られるだけの力がある。――主を護り、敵に打ち勝つ存在として喚び出されたから。だからこその能力がある。
 マスターを護らなければならないのは、『アルト』にとっては枷じゃない。それはサーヴァントとしての存在意義だ。
 そしてアルトはサーヴァント。サーヴァントとして召喚ばれたから、俺はここに存在できる。
 つまり――こうして喚び出された時点で、俺の中で『衛宮士郎』は終わっていなくちゃいけなかった。

       全てを振り切って形振り構わず突っ走るのは、『衛宮士郎』であって『アルト』の役目じゃない。

 …………きっと、この考えは間違っていない。
 『救う』のは、士郎に任せるべきだ。それはきっと、生きている者が為さなければならない事だから。
 この世界で俺が出る幕はない。俺は、みんなに危険が迫れば盾となり、みんなに力が足りなければ剣となればいい。
 『アルト』は手の届く範囲が守れる存在であればいい。俺が為せなかった『正義』を行う、士郎の助けとなろう。


 俺は、アルトになることでかつて聖杯戦争で欲していた『他を救えるだけの力』を手に入れられた。
 でも、かつての『衛宮士郎』はアルトの在り様を見てどう思うだろうか。渇望していた力を手に入れられた俺は、どう見えるだろうか――?







 士郎は言葉を濁す俺を不思議そうに見、凛と一言二言交わしていたが程なくしてイリヤに向き直った。
 それを契機に巡り巡っていた思考を打ち切り、一歩離れた位置で様子を静観することにする。

「イリヤ、リアを頼む」

「……うん」

 居間の隣の和室、リアが眠るその前で深く頭を下げる士郎。
 そんな士郎を真剣な表情で見ていたイリヤだったが、短く首肯すると凛が差し出す短剣を受け取り前に進み出る。
 イリヤが受け取った短剣を反射的に解析する――――アゾット剣。魔術師の礼装としては特別珍しい物じゃない。その理念から、契約補助をこなすには申し分ないだろう。
 渡されたアゾット剣を光に照らし、右手に持ったそれを躊躇なく左手の親指の腹に走らせた。肩の傷もあってかその顔はしかめられている。
 間も置かずに走らせた跡から鮮やかな赤が溢れ出始めた。

「イリヤ、血が……!」

「いいの。落ち着いてシロウ――これは、仮契約の準備だから」

「え、仮、契約?」

「そう。シロウというこの世界との繋がりを失ったセイバーは、時を置かず消えてしまうから。
 本契約を結ぶ上での、最低限の時間の確保。そして、こちらの情報をサーヴァントに認識させておく必要があるの」

 慌てふためく士郎に説明するイリヤ。その躰が輝き始める。いや、その体に刻まれた魔術刻印がだ。
 服の上からでも光を放つ魔術刻印が見て取れ、その小さな体躯とはまるで釣合わない膨大な魔力が湧き出ている。噴水のように溢れ出す魔力がイリヤの銀の髪をはためかせた。
 神秘的な光景に思わず見惚れてしまう。その異常な光景に、イリヤと同じく魔術師である凛でさえ息を呑んでいた。

「そしてこれが、血液と一緒にセイバーに送り込む魔力。
 出来る限り圧縮するけど、こんな少量の血液に対してこの量じゃ飽和しちゃうから、高が知れてる。
 だから――」

「これを一緒に飲ませるわけ」

 気を取り直し、イリヤの言葉を引き継いで凛が取り出したのは小さなルビー。
 光が反射し紅く輝くそれの保有魔力量は、解析して確認するまでもない。
 イリヤは刃を走らせ血が浮かぶ左手でルビーを受け取った。

「手持ちのほとんどをキャスター相手に使っちゃったから大きなのは残ってないけど、それでも私の魔力にして三日分は溜めてあるわ。
 衛宮くんのスイッチを作るときに使った方法と原理は同じよ。もっとも、あの時よりも術式は大規模だけどね」

「一時的に私が繋がりを作り、リンの宝石を核にして魔力を送り込めばセイバーの魔力不足もとりあえずは解消する筈。
 その間に正式に契約を交わせば、とりあえず一段落ね。……セイバーが私との契約を拒否しなければ、だけど」

 言い終わるが早いか、リアの薄く開いた唇を傷つけた親指でなぞる。流れ出た血は唇を伝ってリアの咥内に落ち、手に握られていたルビーもその中に消えていった。



 リアがルビーと全ての血液を嚥下していくと、その効果が現れるのは早かった。
 横たわったままの体が大きく一度脈動し、閉ざされたままだったその両の瞼が薄っすらと開かれていく。

「…………こ、こは? ……シロウはっ!?」

「リアッ!」

 弾かれた様に上半身を起こし、辺りを見回すリア。嬉しそうに声をかける士郎。
 見た様子では意識もはっきりとしているようで、俺もようやく気を抜ける。

「シロウ、無事でしたか!? ……ここは、シロウの家、ですか?
 私は何故ここに……?」

「ああ、えーっと何から話せばいいのか――」

「――記憶が正しければ、恐らく私はアーチャーの宝具にやられた筈。あの状況では私は到底……
 しかし、それではアーチャーを倒せる要因が……一体」

「リア。説明するから、とりあえず落ち着きなさい」



 混乱から抜け出せないリアに、凛がリアが倒れてからギルガメッシュから逃げ切るまでにあったこと、リアの状態を併せて順序立てて伝えていく。
 宝具の雨を俺が相殺したこと。士郎の援護によって放つことができた二度目のエクスカリバー。慎二、ライダーの助勢。バーサーカーとライダーの脱落。そして、帰還してから伝えられたキャスターを襲ったまだ見ぬ敵。
 家に着いた時のリアの様子まで話を進めると、説明している凛の顔がいくらか強張っているのにリアは気がついた。恐らく無意識に佇まいを正す。

「それで今の状況なんだけど。リア、貴女は今マスターが不在の状態。
 衛宮くんから魔力が送られていないから、強制的にその契約を破棄させてもらったわ」

 凛のその言葉に目を見開き、ようやく契約が切れていることに気がついたのだろう。幾許かの間呆然と凛を見つめていた。
 次いで事の次第を確かめるために士郎へと顔を向ける。しかし上目遣いに見上げたまま口は一向に開かない。堪えるように紡がれたままだ。
 ただ確かにその瞳は語っていた。『敵に打倒された私では、貴方の剣足り得ないのですね』、と。

「……まずはごめん、リア。
 俺と共に戦ってくれるって言ってたのに勝手なことしてリアには申し訳ないと思ってる。
 リアが倒れたのも俺が暴走して戦闘を始めたことが切欠だし、アルトと遠坂のようにラインが繋げないのも俺の所為だ。
 俺はリアのマスターとして相応しいとは思えない」

「いえ! そのことにシロウが責を感じる必要はありません。
 私が貴方を護り切れなかったのは紛れもなく事実。私は果たすべき責任を果たしていないのだから」

「いいや、リアは無茶する俺をしっかり護ってくれていた。本当に感謝してる。出来ることならいつまでも俺のサーヴァントでいて欲しいと思ってる。
 でも、破棄させてもらった理由はそれだけじゃないんだ。
 きっと、正式にラインを繋げたとしても俺の魔力量じゃたかが知れてる。リアはどっちにしても制限されてしまうと思う。俺がリアの足枷になる。それじゃ駄目なんだ」

 そういうことだよな、と士郎は凛に問いかける。凛は戸惑いながらも頷いた。
 その言葉、様子に俺も凛に倣って士郎の顔を見つめてしまう。

 凛が戸惑う理由は俺にだってわかる。士郎がそこまで考えを巡らせている事だ。
 自分でいうのもなんだけど、『衛宮士郎』は言葉の裏を読めない人間だ。与えられた情報を鵜呑みにして、疑うことをしなかった。ある程度考えると、勝手に自己解釈して帰結させてしまっているのかもしれない。
 それに関しては聖杯戦争中ではセイバーや遠坂、日常では桜や一成によくよく呆れられていたのだから間違いない。俺も今更ながら自覚してる。

 でも俺には悔いがあった。大切な人を俺の所為で喪った。力のない考えなしな自分自身を呪った。そして彼女を奪っている上で俺は存在している。
 はっきりした解決法は見つかっていないけど、何とかして奪ったものを返さなきゃいけないと思っている。一応、原因に心当たりもある。その『何とか』をするには聖杯戦争を何とか乗り越えなければならない。絶対に負ける訳にはいかないんだ。
 それを成し遂げるには、思考を止めるわけにはいかない。英霊としての精神を持たない俺には考え続けなきゃいけない必要があった。
 生れ落ちて十数年、その終止符を打つ挫折に、生まれた疑問を突き詰める重要性をようやく理解できてきた。

 ――それを士郎がもう実践していることに驚いていた。
 士郎に感心というだけじゃない。俺より早く間違いに気づき正せていることに、自分の情けなさと士郎への羨望にと色々な感情が渦巻いていて、嬉しいのか切ないのか自分でもよくわからない。
 何ともいえない気持ちを持て余しているのを自覚しながら、士郎とリアの会話の続きに耳を傾ける。

「リア。俺のマスターとして最後の頼みを聞いてくれないか?」

「……なんでしょうか」

 含む言葉で返答したリアは続く士郎の言葉を待つ。

「俺たち、協力して戦うことに決めたんだ。マスターとかサーヴァントとか、かつて敵だったとか味方だとかを取っ払って、今この家にいるみんなで勝ち残れるように。
 だから誓いを立ててくれたリアには悪いとは思うけど、これからは俺じゃなくてみんなの剣になってくれないか」

 幾許かの時間の空白。話し終えたまま顔も逸らさずリアを見つめ続ける士郎。
 緊張しているのは士郎だけじゃない。発案した凛に、新たなマスターとして士郎を助けようとしているイリヤ。勿論、俺だってどうなるものかとリアを注視してしまう。

「……わかりました。シロウのその頼み、確かに聞き届けました。
 方針がそのように決まったのなら私としても助力することは吝(やぶさ)かではない。ですが――――」

 そこで言葉を切り、仕方ないとばかり目を瞑り嘆息する。
 ほっと息をつきかけた士郎に向けて、一拍の後に瞼が上がる。そこから覗けるのは何事にも揺るがない固い意志の光。

「ですが、シロウ。私にはあの誓いを撤回するつもりは欠片もない。
 例え主が替わろうと私は貴方の剣であり、契約がなくなろうと運命を共にする者だと。それを、忘れないでください」

「……ああ、本当にありがとう。
 これからも、よろしく頼むな」

「ええ、お任せください。今度こそ、私たちの手に勝利を」

 ふらつく体で立ち上がり、士郎に手を伸ばす。自然と士郎もその手を握る。
 いつかは士郎から伸ばされた手を不思議そうに見つめていたリアは今、信頼を寄せる相手として自らから手を差し出した。
 何があってもこの二人の信頼は揺るいでいない。繋がれた手は依然固く結ばれている。

「……」

 その二人が、とても眩しい。







 周囲に紫電のように視覚化した魔力が暴れている。薄まっていたリアの存在感が、確固として主張をし始めた。

「ふう……、契約はこれで終わりね」

 契約に伴い、強張っていた体を解すイリヤ。満足に動かない腕で、器用に伸びをしている。
 その言葉がなくても、リアを見ていればその契約が確りと為されたのが理解できる。こんなにも生命力に溢れたセイバーは俺の時を通しても見たことはなかった。

「まさか、イリヤスフィールのサーヴァントになるとは……」

「なーに? セイバーそれはちょっと失礼じゃない?
 貴女もシロウのこと護ってあげたいって思ってるんだから、私たちはおんなじでしょ?」

 違う? とぷんすか怒っているのはイリヤ。結構な魔力をリアに送った筈なのにまだまだ余裕はありそうだ。
 対して身体には見るからに活力が戻っているようだけど、心境的に複雑なのかどこか消沈して呟いているのはリア。

 微妙に落ち込んでいるようなので彼女の肩をぽんぽんと優しく叩いて慰めてみるが、こちらをちらっと見た後「はぁ」というため息と共に肩を落とされた。
 ……どういうことだろう?

「とりあえず、戦力面でこれ以上の増強は難しそうね。
 後は今後の対策なんだけど……」

 そう言ってこれからを考え始めた凛だが、「あ」と間の抜けた声に視線を士郎へと向けた。

「どしたの? 衛宮くん」

「ああ、思い出した。遠坂ちょっと待ってくれ。
 その前に慎二から話があるらしい。たぶん、居間にいると思うんだけど」

「……そ。とりあえず行ってみましょうか。
 間桐くんが何で私たちを助けてくれたのか知らないけど、お礼も碌に伝えてなかったしね」

 士郎の言葉に、凛がむむ、と唸る。
 凛の表情を読み取るのは簡単だった。『また厄介事か』と言わんばかりに渋い顔をしているからだ。




 慎二は士郎の言葉通り、居間にいた。
 といっても、隣の部屋でわいわいがやがやと五月蝿くやっていては会話も筒抜けだったろう。
 いつの間に買ってきたのか、ペットボトルの紅茶を片手にしかめっ面で足を伸ばして座っていた。

「間桐くん。先に言わせて貰うわね。
 ありがとう。貴方とライダーのお陰で私たちは逃げ切ることができたわ」

「……ふん。別に遠坂を助けようとしてやったことじゃない。
 遠坂は衛宮のついでだったからな。感謝するなら衛宮にしとけよ」

 鼻を鳴らして不敵に、だけど居心地悪そうに答える慎二。
 礼を言われ慣れてないのか、相手が凛だったからなのかはわからないけど悪い気はしてなさそうだ。

「……『衛宮くんのついで』?」

「そうさ。等価交換だろ。癪だけど、僕が死に掛けた時に助けたのは衛宮だ。僕はそれを今回返しただけ。
 だから遠坂、お前が礼をしたいってんなら、僕に借りを作らせた衛宮にしろよ」

「あー、なるほどね」

「学校の時のことか?
 いや、俺は別にそんなつもりでやったんじゃないからそんなに気にしなくても……」

 思い至ったのか、凛と士郎が声を上げる。
 俺もまさか、あの時のことを慎二が覚えているとは思っていなかった。いや、俺たちが思っていた以上に慎二は士郎の助けに恩に着ていたのだろう。
 凛は、慎二が魔術師だっていう意識もなかったようで等価交換という言葉で納得がいったようだ。

「いいから、黙って受け取っておけよ!
 それとも今回のことじゃ足りないなんて言うつもりか?」

「い、いや! そんなつもりはないぞ!
 助かったよ、慎二。本当にありがとう」

「だから等価交換だから礼はいらないって――――! ちっ」

 素直じゃないなぁ、と思ったのは俺だけじゃない筈。凛もやれやれなんて様子でため息をついていた。
 隣のイリヤはぽかんと口を開けて二人のじゃれ合いを眺めている。





「で、話があるって聞いたのだけれど?」

 鋭い視線で射抜かれた慎二は、言い難そうに口を開く。

「あ、ああ。実は、衛宮と遠坂に頼みがある。
 ――桜のやつを、助けてやってほしい」

「…………どういうこと?」

「本当は、こんなこと余所の魔術師に話すことじゃないってのは僕でもわかってる。
 でも、僕の力じゃどうしようもない。頭を下げて済むなら、下げてやる。だから――」

「そんな前置きはいいからさっさと話しなさい!」


 ここから先の話は、俺も知らないことばかりだった。

 まず始めに、ライダーは慎二のサーヴァントではない。ただ、桜が召喚したのを借り受けていただけとのこと。
 ……つまり、桜も魔術師だったということだ。そんな素振り、俺は一つも感じたことがなかった。
 桜には、魔術なんて血生臭い世界とは無縁の、日向の暖かな光の中にいるようなイメージしかなかった。それが覆される。
 陳腐な一言だけど、俺にとっても間違いなく衝撃的な事実だった。士郎も同じように慎二を見つめることしか出来ない。

 しかし、問題はここからだった。
 柳洞寺でのキャスターとの戦闘があった翌日、目に見える危険がなくなった慎二は再びライダーを桜から借り受ける為に間桐の屋敷に向かったらしい。
 言葉の端々から察するに、ライダーを借りる目的の一つは士郎に借りを返す為のようだった。

「桜のやつ、家のどこにもいやしなかった。探していたら、昼なのに屋敷の中にお爺様がいないのも直ぐに気がついた。
 お爺様は陽の光は駄目らしいし、そうなると桜のやつもお爺様と一緒に居るんじゃないかと思った。
 もう、探してないところは一つしかない。工房だ」

 項垂れたまま、ぽつぽつと語る慎二はそこで一息入れた。
 声には張りがない。慎二語ることに、一切の嘘はないとわかった。

「全てが腐ってるような陰気なそこに、桜がいた。――いや、桜しかいなかった。
 お爺様の姿が見えないのは気にかかった。けど、お爺様の姿がないのは僕にとって都合が良かった。今思えば、そこが異常(おか)しかったっていうのに。
 桜の前に回って声を掛けると……桜は僕を認識して、暗い瞳で『何故、先輩に告げたのですか』と一言だけ呟いて。
 …………。それから先、僕が知っている桜は、いなくなっていた」

「『いなくなっていた』?」

 凛が相槌を打つ。眉根を寄せて一片たりとも言葉を聞き逃さずに慎二に聞き返す。

「…………突然、お爺様の声が聞こえてきた。
 『ライダーを借り受けに来たのか? よかろう。もう儂には特別必要なものでもない。
 慎二、よくやった。お前が何をしたかは知らんが、要塞のような強固な精神は、勝手に中から崩れ落ちていった。
 褒美として、ライダーはくれてやる』」

「まさか……!」


 「目の前の桜が暗く嗤って、あの皺枯れた声を発してた」


「桜をどうしたのか聞いた。けど、『いなくなったものを気にしても仕方あるまい』だと!
 僕は偽臣の書を渡されて逃げて出た。あそこはお爺様の――臓硯の工房だった。僕だけじゃどうにもならなかった!
 ――――! ああ、認める! 兄である僕を差し置いて魔術師だった桜を疎ましく思ってた。
 それでも、あいつは愚図でも、僕の妹だ! 僕の妹(モノ) に手を出しておいてそんな、そんな――!」

 ――――あの慎二が、拳を震わせて。目尻に雫を溜めて、怒り狂っている。

「お前らに頼むなんて筋違いだってわかってる。
 けど、頼む! あいつを助けてやれそうなやつを、僕は他に知らない!」

 ――――あの慎二が、頭を下げて。

「……そんなの、言うまでもないだろ。
 桜は俺にとっても大事な後輩なんだ」

「そうね。あんたならそういうと思ったわ。
 でも、待ちなさい」

「遠坂! こんなことが許せるっていうのか!?」

 止めに入った凛に、珍しく士郎が噛み付いた。
 表面上無口を装ってる俺も、内心では煮えくり返っている。
 でも、俺は皆の決定に従うだけ。静かに凛の言葉を待つ。

「落ち着けって言ってんのよ!
 ……今回に限っては私も乗り気よ。でもね、聖杯戦争が絡んでいない可能性もある今回の件に、イリヤは無関係なのよ。
 さっきの私の言葉を忘れたの? 私たちは聖杯戦争を勝ち残るためにチームを組んでる。安請け合いする前にまず、イリヤに了解を取るのが先でしょう!」

「……リン。そう言った貴女がそんな目で私を睨んでたら、断れる訳がないじゃない。
 それに、私はシロウを助けてあげるって決めてるもの。シロウがしたいって思うことは叶えてあげるつもり」

 嘆息して、直ぐ様返答するイリヤ。そのイリヤを見て凛は口の端を吊り上げた。

「悪いわね、イリヤ。
 それじゃ、対策を練りましょう。――間桐くん。この際、間桐の魔術特性から屋敷の構造まで、知ってること片っ端から説明してもらうわよ」

 不敵な笑みを浮かべた凛は、けれど笑っているようにはちっとも見えなかった。
 何故ならば、きっとその瞳に怒りという炎が燃え盛っていたからだろう。





[7933] 十一日目【1】
Name: 下屋柚◆60cf6a3d ID:bf9aa7e5
Date: 2011/07/06 23:03


 居間を出る俺の隣には、凛の姿があった。

「凛」

「ええ。……そうね。どこか、邪魔の入らない場所はある?」

 こくり、と一つ頷いて、凛を両腕で抱え上げてから地面を強く蹴る。
 いくらか湿ったままの結い上げていない髪が風に靡く。澄んだ空気が頬を撫でる。気持ちいい。

「舌、噛まないように気をつけてください」

「え、ちょっと! まっ……きゃあ!」

 凛の顔が赤く染まって慌てだす。たぶん、俺の顔も赤いと思う。
 でも、残念ながら他に方法はないので、極力感情を排した忠告だけをして一気に上りきる。

 所謂、お姫様だっこというやつだった。








 あの後、凛は有利となり得る情報を慎二から聞き出し、慎二もまた凛に協力的な姿勢を見せた。
 多くの質問と説明に長い時間を要してしまったが、かけた時間分の成果はあった。

 ある程度の質問を終える頃時刻は午後十時を過ぎていて、時間を認識した途端思い出したように空腹を訴え始めた。
 急いで夕食の用意をする羽目になり、献立も時間も時間なので軽く摘めるもの――米だけは炊いてあったから、二十数個のおにぎりと味噌汁だけ。
 おにぎりを詰め込んで味噌汁で流し込んだ後は、長時間話し込んだ疲れから自然と対策を話し合うのを明日に回して、今日のところは休みを取る運びとなった。

 慎二の話は誰もに少なからず精神的な衝撃を与えたし、士郎や凛の疲労もちょっとやそっとの休息じゃ取れないだろう。
 特に、怪我人のイリヤには魔術行使に魔力供給とで相当の負担を強いてしまっている。せめて今だけでも休ませてあげないと。

 洗い物を終え、体の汚れを落とし終えた時にはもう日付は変わっていた。
 イリヤは体だけリアに拭いてもらった後、日付が変わる前にあっという間に寝入っていた。
 逆に、イリヤから充分な魔力供給を受けるリアは長時間眠る必要がなくなり、しょうがないと言いながらもイリヤの世話を焼いてあげている。
 慎二も流石に喋り疲れたのか早々に部屋に引っ込み、士郎も居間で舟をこいでいる。
 寒そうに身動ぎしていた士郎に毛布だけかけてやり、居間を出てきた。帰り際にでも起こしてやればいいだろう。

 その後は冒頭に戻る。







「せめて、一声ぐらい掛けてよね」

 安定しない足場に、ようやく落ち着けるところを見つけたらしい凛が非難の声を上げた。
 すいません、と小さく笑って返し、周りを見渡す。空気が澄んでいるお陰で、夜空の中の星がよく見えた。
 凛の口から息が白くあがる。ここは、ちょっとばかり寒かったかもしれない。
 見下ろすと居間の明かりが屋敷から漏れ、士郎を起こそうとするリアの声が聞こえてくる。


 ――今、俺と凛は衛宮の屋敷の屋根の上にいた。
 見回りをしている時に、セイバーの視力を魔力強化すれば屋根上から周辺を把握できることに気づいて、それから偶に足を運んでいる。
 どうやら今日も、異変らしいことはないようだ。住宅街の中にそびえている間桐の屋敷、坂の上の遠坂の屋敷、山の上に柳洞寺が遠くに確認できる。

「それで、教えてくれる気になったんでしょ? 貴女の正体」

「……ええ。また昨日のように都合良く助けが入るとは限りませんからね。
 でも、凛も薄々気がついているのではないですか?」

 いつかもう一つの真名を教えるという約束。それが果たされる前に敗退させられそうになった。
 状況から言って、もう余裕はないだろう。この戦も終結に向かって動き始めている。

「……まぁ、ね。自信は未だにないけど。まともな精神構造してたらこんな発想、出来ないわよ。
 魔術世界に置き換えたなら有り得ない事例でも無いけど、対象が英霊でしょ。精神の強度じゃ普通の人間と比べるまでもなし。
 失敗する要因の方が圧倒的に多いわ」

「……ですよね」

 色々と考えてみたものの、確かに凛の言う通りだ。
 いつも、そこが不可解だった。

「……貴女は、間違いなく魔術に関わる人間。魔術師……それも聖杯戦争のマスターなんでしょ?
 有力なのは前回。違うとしたならもっと過去。もしかしたら、これから先に行われる聖杯戦争の参加者かもしれないけど。
 時期はともかく、そこは違ってないと思うんだけど」

 違う? と問いかけられる。
 間違ってるわけじゃないんだけど、流石に今回の聖杯戦争のマスターという発想は出てこないらしい。
 つくづく、俺は確率の低いほう低いほうに当たってるみたいだ。

「ええ、その通りです。確かに私は、聖杯戦争にマスターとして参加していました。
 付け加えるなら参加した聖杯戦争は第五次。凛が言った中で違うところは、魔術師ではなくて魔術使いだったというところですか」

「……は?」

 ぽかん、と口を開けて固まる凛。まじまじと俺を見つめて、動かなくなってしまった。

「えーと、聞き逃したのかも。もう一回いい?」

「ええ。
 私は第五次の聖杯戦争のマスター側で参加しましたが、魔術師ではありませんでした」

「……つまりは、今回の聖杯戦争に参加した、魔術使い?」

 こくん、と凛を見て頷く。
 目をぱちぱちと開いたかと思ったら、ぱっと立ち上がり屋根のふちまで駆け下りていく凛。
 居間を覗き込んで、きっと見えただろう士郎と俺を見比べる。


「…………冗談?」

「それを言って、どうするのですか」

 思わず苦笑いがこぼれる。

「つまり……というかはっきり言っちゃうけど。
 貴女、中身は衛宮士郎ってこと?」

「ええ。……そうだよ、遠坂。
 俺は、間違いなく衛宮士郎だ。どういう訳か、セイバーの姿を借りてるけどな」

「……」

「今まで黙ってて悪かった……って、凛!」

 腰から崩れるようにへたりこむ凛。ふらり、と屋根の端から落ちそうになったので駆け寄って体を支える。
 凛は口元を吊り上げた。かと思えば、顔を真っ赤にして、その内に頭を抱えて振り乱す。

「だ、大丈夫ですか?」

「……ふ、ふふふ」

「ふ?」

ふっざけんじゃないわよーーー!!

「いっ~~~~っ!?」

 があー、と耳元で怒鳴られる。頭の中で凛の声ががんがん響いてる。きーん、ときた。
 ご丁寧に顔をわざわざ寄せてからの音波兵器だ。思わず耳を押さえたけどどうしようもなく遅かった。

「アーチャーだけど、アーサー王だって聞いて当たりだと喜んだのは何!?
 可愛い子だなぁ、なんて微笑ましく思ってた相手が実は男!? しかもよりにもよって、衛宮くん!?
 うあー! 詐欺よ詐欺! 私の感動を返しなさい、この馬鹿ー!」

「り、凛。落ち着いて!」

 襟元を掴まれて、前後にがっくんがっくん振られる。
 忘れてるんだろうけど、今俺と凛の位置は屋根の端だ。その行為はとても危ない。

 ところで、よりにもよって俺、というのはどういう意味なんだろうか。解釈によっては酷く傷つくんだけど。

「……はぁ、……はぁ」

「凛? 落ち着きましたか?」

「はぁ……で、ええと、それで何?
 衛宮くんは、聖杯戦争を終えると貴女になってしまう。そういうこと?」

「え、あ。いや。
 今回、それはないと思う、けど」

 爆発は終わったらしい。すっかり冷静になった凛にじっと見つめられる。
 あまりの落差に、逆に俺が動揺してしまった。

「ということは、貴女の世界とここは平行世界ってことよね……。
 アルト自体が第二魔法を体現して……いえ、聖杯戦争のサーヴァントシステム自体に第二魔法が応用されてるってことよね?
 ――何で気づかなかったの! 未来の英雄を呼び出す、そこが平行世界への入り口に繋がってるじゃない。
 英霊の座に干渉する方法を解析して、平行世界の座標割り出しを確立出来るなら……? その為には聖杯戦争のシステム、基盤の場所さえわかれば。
 いえ、そうよ! アルト、貴女はいったいどうやって英霊の座に……」

「……はは、ごめん。
 そっちの方面は、いまいち私にはわからないんだ。
 気がついた時には呼び出されていたからさ」

「あ……」

 そこで凛の顔が沈痛なそれに変わる。ゆっくりと襟元に伸びていた手が戻された。
 伸びていた襟を払って戻し、苦笑いを浮かべる。

「ここにリアの姿の貴女がいるってことは、貴女の時は、聖杯戦争中に……?」

「……そうだな。
 うん。そういうことだ」

 凛が小さく、「そう」と呟いたきり、沈黙が降りた。
 自然と、俺の聖杯戦争での出来事が浮かんでくる。

 ――――。
 そうして、やっぱり強く思い出されるのは、セイバー。
 傷つきながらも立ち上がる彼女の姿。俺が護り切れなかった少女。
 俺の選択に悔いはなかった。ただ、力の無い自分だけが不甲斐なかった。

「……ねぇ、訊いていい? 貴女の時の、聖杯戦争のこと」

「ああ、構わない。……でも、何から話せばいいのかな。
 最初はそうだな、ここの士郎とまったく同じで、巻き込まれて参加したんだ」

 一番初め、学校で遭遇した紅い騎士と蒼い騎士の戦闘から、ギルガメッシュと結果的に相打ちとなるまでを一気に語り終える。
 長い話。でも、リアの時に続いて二回目だからか、以前よりも要点を整理して説明できたと思う。
 付け加えるのは聖杯戦争中に得た知る限りの情報。そのほとんどは既に意味を成さないものになってしまったが、確実に相違点からの誤差はあった。
 もちろん、その中で一番大きかった違いは俺の存在だ。相槌を打ちながらも凛が興味を示したのも、ここだった。

「……へえ。それじゃ、その貴女の時のアーチャーと、今のアルト。どっちが強いの?」

「そう、だな。難しいな。身体能力だけでいったら間違いなく私の方が上だろうけど。
 でも正直に言って、実際に戦って勝てるかどうか、自信はないな」

「勝てないの?」

 「あ、いや。勿論アイツに負けるつもりは欠片もないぞ」と慌てて手を振り弁解する。

「でも、なんていうんだろ。衛宮士郎の先をいってるっていうのかな。
 私が考え付くことはみんな見通されそうな……アイツが私を衛宮士郎と認識しなければ、どうなんだろう」

「アルト?」

「あ、いや、何でもない。
 どっちにしても、底を見せないようなヤツだったからさ」

 ここまで共感できて、なのに反発してしまうアイツの正体。
 きっと、俺はどこかで気づいてる。それを見ない振りしているだけなんだろうとは思う。
 考えたくないのかもしれない。そんな可能性を、俺は認めたくないのかもしれない。



「ねぇ……貴女がその姿になった理由、見当はついているの?」

「……幾らかは推測しているんだけどさ、どうにも説得力に欠けるんだよな」

 融合してしまった、ていうのが俺の中での最有力なんだけど……。
 でもさっき凛が言ってたように、存在として弱いだろう俺の意識が残る筈が無い。
 その前提の上で考えると、俺は『融合』ではなく霊格が上であるセイバーに『喰われる』筈なんだ。

「魔術世界での精神憑依、若しくは入れ替わりと照らし合わせて気がついたことあるんだけど。
 衛宮くんがそのまま当て嵌まっているかわからない。それでもいいなら、聞くだけでも聞いてみる?」

「――! ああ。是非頼む」

 その申し出は願っても無い。一人で考えてみたものの行き詰っていたところだった。
 そもそも、魔術が絡んでいる以上俺では荷が重いのはわかっていたこと。

「先に言っておくけど、専門じゃないから突っ込まれても詳しくは教えられないからね」

「構わない。こっちは圧倒的に知識と情報が足りないから、本当に助かる」

 思わず身を乗り出してしまう。
 そうだ。凛に相談しておけば力になってくれたんだ。変な自尊心なんか捨てて、もっと早く頼っておけばよかった。

「まず、精神だけで相手の身体を支配するのは相当な力差を持ってないと難しいの。
 それに、仮に乗っ取ったとしても時間と共に意識は薄れていってしまうみたい。
 乗っ取っても精神力を消費して行動するから、本来の体の持ち主の精神力を下回った時点で、乗っ取っていた側は喰われて消滅してしまう」

 ふむ。つまりは意思だけで人を乗っ取るのは現実的ではないらしい。

「だから、体を他に移す場合は極力、意思の無い人形を選ぶか、相手の精神を消滅させて空っぽにしておくわけ」

「ちょっと待ってくれ。そうするとセイバーは……」

 精神が出ていった空っぽの肉体に、俺が納まった……今の俺がこうしていられる、辻褄が合ってしまう。
 血の気が引く。そこに思い当たっても、きっと違うと信じずに、何らかの原因があるんだと思ってきたこと。

「待って、まだ途中だから。乗り移った精神が力が失っていってしまうのは、核がないからなの。
 意志を留め置くモノ。一番有効なのは人間の脳ね。心霊医療でそのまま移し替えてしまえば、拒絶反応さえ起こさなければ体の寿命までは半永久的に有効。
 次は、体を小動物や無機質に移して、乗り移る対象の体内に含ませること。その場合も、宿主の精神が弱まっていること、若しくは協力的であることが好ましいのだけれど」

「体を無機質に……」

「何か心当たりがあったりはしない?」

 …………ある。
 ただ、移した訳じゃない。俺の体が、無機質に変化したのだ。
 身体を代償に、造り替えたものは、鞘。あの地獄から死するその時まで俺の身体に溶け込んでいた、あの鞘。

「ある……。
 それじゃ、それをこの体から取り除けば……!」

「待ちなさい」

「……え?」

「確かに、その原因を取り除けば奥にあるセイバーの意識が出てくるでしょう。
 でも、それは少し……いえ大問題だわ」

 それの何が悪いんだ?
 この身体の持ち主であるセイバーに、本来のところに返して何が問題だというのだろう。

「リアとアルト、二人の違いが出ているのは士郎、貴方が彼女を乗っ取っているからじゃないの?」

「あ、ああ。セイバーの身体に埋めたもの(オレ)が、違いを作ってるんじゃないかと思ってる」

「なら、尚更よ。いい、アルト。世界っていうのは思っていたより狭量だわ。
 己に害を為すものを許さない。矛盾のあるものを許さない。――そして、同一の存在を許さない」

「……どういうことだ?」

「貴女がその身体から、変化させているものと一緒に抜けて出たならどうなると思う?
 違うマスターと繋がっているとはいえ、精神も肉体も同じ存在が同時期、極近い場所に新たに発生することになるわ。
 ……リアかセイバー。どちらかが確りと肉体を持っているか、それとも思考が違う方向に変化していない限りはね」

「……そうなると、新しくこの世界に生まれることになる、セイバーはどうなるんだ?」

「実際目の当たりにはしたこと無いから何とも言えないけど……この世界から飛ばされて排斥されるか、物理的に排除されるか」

「そん、な……!」

 俺だけが飛ばされるなら、消滅させられるならいい。でも、セイバーが被害を被ってしまうのは、俺が許せない。
 けれど、それじゃこの世界にいる限りセイバーに身体を返すことはできないことになる。

「リアが消滅するか、リアかアルトが受肉するか、リアの思考が変化するかしない限りは……」

「くそっ!」

「落ち着きなさい。
 そうだと決まったわけじゃないわ。それに、他に方法があるかもしれないし」

 リアが消滅するなんて、許容できるわけが無い。
 リアの思考の変化なんて、俺がどうこうできることじゃない。
 そうなると……?

「そう、だよな。他に方法があるかもしれない。
 いや、逆に考えれば、聖杯に受肉を求めれば……!」

「そうね。確証は無いけど、そうすればきっと上手くいくと思うわ。
 ――でも、いいの? その身体から取り出されて無機質に戻ることになる貴女は、そのまままた誰かの身体に入るまで眠り続けることになるのよ?
 もしかしたら、寿命がないだけに永遠に目覚めることがないまま意識だけで取り残されることも……」

「……ええと?
 そうなるだろうけど、それがどうかしたのか?」

 そう答えるなり、凛に睨まれる。
 何故か知らないけど、不愉快そうな色が見て取れる。

「……はぁ。アルトはやっぱり、衛宮くんなのね」

「……?
 凛、何当たり前なことを言ってるんだ?」

「いいの。どうせ言ったところで変わらないんだろうし。
 再確認しただけなんだから」

 こっちの疑問は捨て置かれて、勝手に納得されてしまった。
 とりあえず、問題が解決する兆しは見えた。後は全力でこの聖杯戦争を勝ち抜くだけでいい。
 流石に昼から考えてばかりだった所為で、頭が重たく疲労を訴えている。
 でも、問題点が勝ち抜くことで解決すると知って、気分的にも大分楽になれた。






「ん~~!」

 大きく、伸びをする。憂いていたことが大分軽くなくなって、安心したら大分眠気が降りてきた。

「あ、そういえば、貴女の呼び方はアルトでよかった?
 それとも、衛宮くんって呼んだ方がいい?」

「いや、アルトで構わないよ。
 この世界にはもう一人、衛宮士郎はいるからさ。二人はいらない」

「……そう。
 リアと同じ姿でも口調がそれだと、やっぱり衛宮くんって感じね。って、そういえば口調戻ったのね」

「ああ、うん。大分前から強制力が弱まってたみたい、だ。
 士郎や慎二、イリヤの手前じゃ口調、戻せないけどさ」

 あの時の令呪の内容は『私の言うことを聞きなさい』というものだった。
 令呪の影響範囲内のことなので束縛は生まれたが、令呪そのものでの命令ではなかったからそんなに効果は持続しなかったのだろう。

「そうは言ってるけど、ちょっと前から貴女の口調おかしくなってるわよ?
 念話で丁寧語で話しかけたり、私って言ったり俺って言ってみたり。口調を戻ってたさっきだって何度も『私』って言ってたしね」

「本当ですか? ……気づきませんでしたが。
 まぁ、このところはそうでもありませんが、私もセイバーとして疑われないような行動、言動を心がけていたつもりです。
 抜け切らず、どちらで話したらいいのか混乱しているのかもしれません」

 ふふ、と軽やかに笑ってみせると、う、と呻いて凛の顔が紅く染まる。

「卑怯よ、それ。中身が衛宮くんだってわかってても騙されるわ。
 中身はへっぽこの癖に余裕ぶって、まるで本当の騎士みたいだもの」

「自分では良くわかりませんが。 
 私としてはですが、セイバーの口調で統一した方が気が楽なんです。対外的なことも含めて。
 無理矢理そっちに合わせてたもので、半ば自己暗示になってるのかもしれません。大分緩くはなりましたが、強制力も完全になくなったわけではありませんからね」

「ま、しばらくはセイバーの口調で通しなさいね。
 士郎や慎二には知らせるつもりはないんでしょ?」

「……ええ。私のようにしない為に、私はここにいますから」

「とか言って、そんな姿になったって知られるのが恥ずかしいんでしょ?」

 む。確かにそれが大部分を占めてはいるんだが。
 凛め、解って言っているのだから意地が悪い。



「ま、とりあえず、戻りましょ。
 ここは寒いわ。風邪、引いちゃうもの」

「ええ、そうですね」

「アルト、ほら早く早く!
 女の子は、身体冷やしちゃいけないのよ? 貴女も暖かくして寝ないとね」

 にしし、と猫みたいな笑いでこちらを覗き込んでくる。

「…………ぐぅ」

 凛はすごい頼りになる。打ち明けることで精神的に支えになってくれている。
 けど、やっぱりちょっと、早まったのかもしれない。


 ちなみにその後直ぐ、図らずも仕返しすることが出来た。
 屋根から下りるために俺に抱えられた凛の表情は真っ赤に染まった上にとても罰の悪いもので、俺はうってかわっての彼女の姿に、思わず笑い声を漏らしてしまうのだった。






[7933] 小劇場『記憶喪失①』
Name: 下屋柚◆26967502 ID:5480aeb6
Date: 2009/10/09 01:17
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
※注意※

ここより↓はHPのweb拍手にて載せていた小話になります。
本編キャラクターの性格が壊れていたり、メタ発言したりと作者が好き勝手やっている空間です。
本編ストーリーのイメージを破壊する恐れが多々ありますので、ご注意ください。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇






小劇場
「AS:記憶喪失」




/アルト


 気が付いたら、俺は仰向けに倒れていた。
 後頭部が酷く鈍く痛む。
 上体を起こして見ると、すぐ後ろには壁があった。
 見渡せば床は板張り、とても広い空間。

「アルト? 大丈夫ですか、アルト?」

 ……そして、目の前には、ブラウスにスカートの女の子が立っていた。
 竹刀を片手に、心配そうにこちらを覗き込んでいる。

「ん、大丈……夫…………?」

 ……あれ、アルトって俺のこと?

 ふらつくが、足に喝を入れて立ち上がる。
 自分の姿を改めて見直してみる。ブラウスに、スカート……。
 奇しくも、目の前の彼女と同じような格好だ。

 って、スカート……それに、胸がある。
 え、俺って女、だったの?

「アルト?」

「『アルト』っていうのは、自分のことですか?」

 ぴしり、と固まる目の前の少女。

 ま、声色とか色々考えても、間違いなく女なんだと思う。
 俺……んー、女なんだから『わたし』って言った方が良いか。
 いままで何でわたしは自分のこと、『俺』なんていってたんだろう。
 ともかく、わたしの記憶は綺麗さっぱりなくなっていた。

「……アルト、ちょっと待っててくださいね」

「はぁ」

 会話から、自分の名前が『アルト』であることを把握。
 わたしはアルトというらしい。一つ頷く。

 硬直から解けた少女は、竹刀を放り出して外へと駆け出していった。
 放り出された竹刀と、たぶんわたしが持っていただろう竹刀も拾い上げ、壁に立て掛けておく。
 どうやら、ここは道場らしい。なら、だらしなく座るよりも正座でもして待っていたほうがいいと思う。

 二、三分もすると、どたどたといった音を立てて人が飛び込んできた。
 一人は先程の少女。連れられて来たのは赤い服が目に映える、黒髪の女性。
 そして、オレンジの髪の青年。なんだか、見慣れた顔。

「ちょっとリア、アルトが大変って何がどう大変なのよ?
 いつもどおりじゃない」

 じろじろと見られて、どうしていいものか困ってしまう。

「アルト、この二人に見覚えはありませんか?」

「そちらの男性は、見たことあるかもしれません。
 でも、名前まではちょっと……」

「駄目ですか……。
 この二人に説明するので、アルトはもうちょっとだけ待っててください」

 ……待ってて、と言われても何をしていいのか。
 とりあえず立ち上がって色々と観察してみることにする。

 高めに設えてある窓から、背伸びをして外を覗いてみる。
 見るからに大きい日本家屋。広い庭。
 ……取り立てて面白そうなものもなさそうだ。
 道場の中を見渡していると、出入り口とは別に戸があるのを発見。
 その謎の戸に小走りに駆け寄る途中、掛け軸に目を奪われた。そこには達筆に「虎」と一文字。
 ……不吉な文字だ。
 近寄りたくなかったので、同じような格好をした少女の元に戻ることにした。

「ええと、アルトの今の行動を見てもらえたなら、理解も早いと思いますが」

「そうね。食事時ぐらいにしかころころ変わらない表情が、目まぐるしく変わってるわね。
 ――ありえないわ」

「あのー、それでみなさんはわたしとどういった関係なんでしょうか?」

「アルト、本当に記憶なくなっちゃってるんだな……」

 オレンジの男性が、わたしをみて寂しそうに呟いた。
 でも未だに、ここにいる人たち三人の名前もわからない状態だ。
 そこから教えてもらわないと。

「そうね、まずこれを見て」

 黒髪の赤い人に手鏡を渡される。
 そこに映っていたのは

「同じ顔?」

「そういうことね。貴方と彼女――リアっていうんだけど双子の姉妹なのよ」

「凛! それは対外用の……」

「アルト、貴女は彼女――リアの妹よ。
 そしたら、リアのことを何て呼ぶか、わかるわよね?」

 何て呼ぶかって……。
 姉妹で、リアって少女がわたしの姉なら呼び方は限られている。

「お姉ちゃん?」

「……うっ!」

 呼びかけてみて、合ってるか確かめてみる。
 お姉ちゃんは顔を真っ赤にした状態で口元を手で押さえて、なんでかわからないけど顔を背けている。

「それとも、リアお姉ちゃん?」

 反応がないので、上に名前を入れてみる。
 すると、リアお姉ちゃんは顔を背けたまま大きくこくこくと首肯するのがわかった。

 どうやら、わたしは以前から「リアお姉ちゃん」と彼女のことを呼んでいたらしい。

「こ、これが妹ですか……いいものですね」

 リアお姉ちゃんがよくわからないことを言い出した。
 どうしよう。





[7933] 小劇場『記憶喪失②』
Name: 下屋柚◆26967502 ID:5480aeb6
Date: 2009/10/09 01:14


/アルト


「なぁ、遠坂。いい加減にしとけって。
 記憶が飛んじゃってるなんて、洒落にならないだろ。
 早く何か解決法を探しておかないと。アルトは病院に連れて行ったりも出来ないんだからさ」

 オレンジの男性が黒髪の女性に一生懸命話しかけている。
 どうやらわたしの記憶がないのを心配して気にかけてくれているらしい。
 その必死な様子に、近しい人だとわかる。
 ――いい人なんだなぁ。わたしとどういった関係の人なんだろう。

 ちなみにリアお姉ちゃんは横で、わたしの頭をかいぐりかいぐりしてくれている。
 ぐう……なんか恥ずかしい。

「わかってるわよ。
 ……とりあえずは自己紹介からね。もしかしたら何か思い出してくれるかもしれないし」

「ああ。そうだな」

「えーと、アルト?」

「え? あ、は、はい!」

 一瞬、自分が呼ばれているのか認識できなかった。
 リアお姉ちゃんに撫でられて小さく揺れている視界を、黒髪の遠坂って人に向ける。


「私は、遠坂凛。貴女の主人よ。
 貴女は私の従者。言い方を変えるなら召使ってところね」


 そ、そうだったのか!
 確かに、目の前の遠坂さんからは高貴な雰囲気が漂っている気がする。
 いいところのお嬢さん、と言われてもなんら不思議ではない。

 何故か女性の横にいるオレンジの男性がぶっと噴出していた。

「私のことは『ご主人様』。若しくは以前通りに『お嬢様』とお呼びなさい」

「はい! わかりました凛お嬢様」

 召使だというなら、粗雑な言葉使いは出来ない。
 礼節を保った振る舞いをしなくては、使用人の無作法は主人の恥となってしまうだろう。

 ……そういう知識がパッと浮かんでくるあたり、使用人だったというのは確かなのかもしれない。

「凛お嬢様、申し訳ございません。
 記憶を失っていたとはいえ、アルトは無作法をしてしまいました」

「いいえ、いいのよ」

 深々と頭を下げるわたしに、ほほほと軽やかに答えてくださる凛お嬢様。
 このような無作法を働いたわたしに対してなんて寛大な……。



「と、ととと遠坂!
 お前! よくもまぁそんな出鱈目を……」

「アルト、それで彼――名は衛宮士郎というのだけれど……。
 この屋敷の維持から食事、財政管理、警護までこなす有能な執事よ。このような格好だけれどね
 貴女は彼とどういった関係だと思う? ヒントは幾つも出してあるわよ?」

 え? 士郎さんと、わたしがどういった関係か……?

 リアお姉ちゃんは撫でる手を止め、わたしをじっと見つめている。
 士郎さんも「え……」とわたしと凛お嬢様のお顔を見比べている。
 凛お嬢様はわたしを見つめて、微笑んでいらっしゃる。

 ヒントは幾つも出してある、とのこと。
 これくらいは推察してみせなさい、という凛お嬢様からの課題なのだろう。

 先ほど思ったように、その心配してくれる様子からとても親しい人なんだというのはわかる。
 そしてわざわざ凛お嬢様が問われることだ。決して『仕事上の上下関係』なんてつまらない答えではないのだろう。
 ……そういえば、リアお姉ちゃんが一番先に士郎さんと凛お嬢様の見覚えを尋ねてきた。
 つまりは、わたしにとってご主人様である凛お嬢様と、同程度の重要性がある筈……。

 思考に光明が見えてきた。
 それと同時に、顔に血が上ってくる。

 たぶんきっと、そうなんだ。
 だってそうでもないと、凛お嬢様以上に士郎さんに見覚えがあるなんて、考えられないもの。

「あの、士郎さんって、その……わたしの恋人、ですか?」

 その一言に、士郎さんの顔が真っ赤に染まった。「あ、う」と声にならない言葉を漏らして、ダウン寸前といった様子。
 リアお姉ちゃんも士郎さんと同じく顔を真っ赤にして、でも頭をぶるぶると振っている。
 何故か凛お嬢様は左手でお腹を抱え、右手で口元を覆っている。目は涙が溜まっていた。

「え? あれ?」

 間違っていたのだろうか、みんなの反応をどう解釈していいのかわからない。
 胸の中一杯に不安が広がる。間違ってたら……ああ、なんて恥ずかしいことを言ってしまったんだろう。
 でも、他に考え付かないし。え、もしかして本当に見当違いなこと言っちゃった?
 うわ、顔が心臓になったみたいにばくばくしてる。絶対リンゴみたいになっちゃってる。

 うろうろと視線を凛お嬢様に、でも答えてはくれない。けほこほ、と咳き込んでいらした。
 視線を士郎さんに。相変わらず、顔を真っ赤にして口をぱくぱくしてわたしを見つめている。

 どうしようもなくなって、隣にいるリアお姉ちゃんの袖を摘んで、引っ張る。

「ね、ねえ、リアお姉ちゃん。わたし、なんか間違ったこと言っちゃった?
 え。ど、どうしよう。う、恥ずかしい……」

 穴があったら入りたいっていうのはこういう心境なんだと思う。
 凛お嬢様と士郎さんの視線から逃げたくなってしまって、リアお姉ちゃんの背中に隠れた。
 頬を赤らめながら戸惑ったように見るお姉ちゃんを、見上げる形になる。

 途端に、ばたん、とリアお姉ちゃんが受身も取らずに前のめりに倒れた。
 うつ伏せになった顔の辺りから血溜りが広がっていく。

「お、お姉ちゃん!?
 お嬢様、お姉ちゃんが……お姉ちゃんが!
 ああっ、お嬢様!?」

 姉がいきなり倒れた動揺から涙が浮かんできた。拭う間もなく凛お嬢様に縋りつくと、凛お嬢様の口元を押さえた右手からは赤い液体がぽたぽたと溢れてくる。
 と、吐血!? 口からじゃないとすると鼻だけどそんな筈はないし。
 え? いったい何が起こっているの?

「士郎さん、お二人が!
 早く救急車を呼ばないと……」

 あたふたと両手を振りながら士郎さんを見ると、何故か胸元を押さえながら転げ回っている。
 顔を真っ赤にしながら、「うわぁ、落ち着け俺! でもくそ! 抱きしめたい」とか何だかよくわからないことを叫んでいた。

 え? どうしよう?





[7933] 小劇場『記憶喪失③』
Name: 下屋柚◆26967502 ID:5480aeb6
Date: 2009/10/09 01:16


/アルト


 正気に戻った凛お嬢様が、士郎さんを外に追い出して答えを教えてくれた。
 確かに私と士郎さんは恋人同士ではあるのだけれど、士郎さんが極度の恥ずかしがりやである為に人前では絶対に認めてくれないとのことなのだ。

 そ、そっか。わたし、付き合っているんだ……。

 頬に血が上って赤く染まり、何故か背筋には寒気が走った。
 男の人と付き合ってるなんてそんな覚えは全然ないのだけれど、自分のことすらあやふやなわたしの記憶ほど宛てにならないものもない。

 ついでといってはなんだけれど、先ほどお嬢様やリアお姉ちゃんを襲った謎の奇病らしきものや、士郎さんの不思議な行動についても問うてみた。
 しかし何ともいえない表情と共に、言葉を濁されてしまった。持病か何かなのだろうか? 心配はないようなのだけれど。


 その後外で待っていた士郎さんと合流し、記憶を戻す手がかりになるかもとこのお屋敷を案内してくださる話の運びになった。

 使用人の分際でご足労願っては申し訳が立たないと答えさせて頂いたのだけれど、なんと凛お嬢様もご一緒してくださった。
 「その方が面白……記憶を戻せる手がかりになるかもしれないでしょう」と仰られるお嬢様の、なんと使用人思いなこと。
 わたしはとても良いご主人様にお仕えさせていただいているみたいだ。ならばこそ、一刻も早く記憶を取り戻しお世話させていただなくては。


 中庭に出、屋敷を外から眺めても見覚えがあるという程度で記憶が戻るということはなかった。一生懸命に記憶を探るもこればかりはどうしようもない。
 見覚えの有無など、いくらかの応答の後は本邸の方へと移る。

「あれ? 先輩に、姉さんも。道場の方へいらしていたんですか?」

「あ、桜か。そういえば今日の部活は半ドンだって言ってたもんな。
 いや、それがさ……って、どこから説明したものかな」

 玄関の戸を開けようとして、そこで振り返って出迎えたのは恐らくわたしよりも年上の女性。柔和な雰囲気で皆を出迎える。
 そして頭を掻きながら、わたしのことをたどたどしく説明し始める士郎さん。


 士郎さんと親しげに会話をする彼女を見ていると、凛お嬢様がこちらへと身を寄せて耳打ちをしてくる。

「アルト、あの子は私の妹の桜というのだけれど」

「凛お嬢様のご姉妹ですか。ならば私にとっても大事な方ということですね」

 だが、そう話す凛お嬢様の顔は浮かない。ふう、と見て取れるぐらいに悲壮を漂わせたため息をつく。

 何かあるのだろうか?
 挨拶しようと桜お嬢様に話しかけようとした私は、凛お嬢様が続きを話されるのを待つことにする。

「……だけれどね。
 実はあの子ってば、士郎のことを愛してしまっているのよ。その上、貴女から士郎を奪おうとしている」

「そ、そんな!?」

「リ、リン!? 何を!?」

 使用人であるわたしなんかが、お嬢様の妹様と恋敵だったなんて!
 何故か横ではお姉ちゃんが驚いている。お姉ちゃんも知らなかったことなのだろうか。

 こっそりと、改めて士郎さんと桜お嬢様を窺う。そう言われればなるほど、確かに桜お嬢様の士郎さんを見る瞳は恋する乙女のものだ。

「で、では、わたしは身を引いたほうが? え、でも、わたしと士郎さんは付き合っていると……」

「待ちなさい。貴女と士郎は確かに恋仲だわ。
 けれどもね、あの子少し粘着質なところがあってね。士郎の性格も手伝って押され気味なのよ」

「は、はい。では、わたしはどうすれば」

「アピールしなさい」

「え?」

 あぴーる?

「そう、貴女と士郎は付き合っているんだと、桜が入る余地なんてない程にラブラブなんだとあの子にわからせてやるのよ。
 あの子もあのままだといつまでも引きずっていることになるわ」

「そ、そうですね! わたしは使用人ですが、それとこれとは関係ないですよね!
 あ、でもアピールと言われても何をしたらいいのか」

「それは、貴女が考えることよ。
 まぁ、そうね。判断材料として言っておいてあげるけど。腕を組むぐらいなら桜と士郎は普段からしているからね」

「リン、悪ふざけも大概にしないと取り返しが……」

 言われて、わたしは考え込む。
 腕を組むのが普段からしている、となると、せめてそれ以上のことをしなくちゃいけないの、かな……?

 何かお姉ちゃんが言っていた気もするけど、わたしの耳には入ってこない。

「なあ、遠坂。代わりに桜に説明してやってくれないか。
 俺の説明じゃ上手く伝わってくれないらしい」

「えーと、アルトさんが頭を打って記憶を失っているんですよね?
 それがどうなって、姉さんがお嬢様になっているんですか?」

 疑問符を浮かべて、首を捻る桜お嬢様。

「ほら、アルト。今よ!」

「は、はい!」

 考えがまとまる前に声を掛けられて、わたしは思わず今考えていたことを実行し始める。
 脚が、士郎さんへと向かって駆け出していた。

「あ、アルトさん? ど、どうかしたんですか?」

「うぇ!? あ、あると!?」

 わたしへと振り向いた士郎さんの胸に抱きついた。思ったよりも厚い背中に腕を回す。
 恥ずかしがりやと言われていた士郎さんだけれど、本当なのだろう。その顔は真っ赤だ。たぶん、わたしもだろうけど。

 後ろからは凛お嬢様の声で「いったぁーーー!! キタコレ!」とか何やら興奮した声が聞こえてくる。
 しかし、本命である桜お嬢様は目を白黒とさせるだけでわたしを気遣ってくる。抱きつくぐらいならば許容範囲内みたいだ。
 これぐらいでは動じるに足りないのだろうか? な、なら……。

「し、しし、士郎さんっ!」

「な、何? 何だ? どうしたんだアルト?」

 意を決して、声を掛ける。
 すると、顔を赤くさせながら士郎さんの顔が背の低いわたしに合わせるようにこちらへと向いた。


 喉が小さく嚥下する。からからだ。

 士郎さんを見つめて、そして目を瞑る。とてもじゃないけど、目を開けながらなんてできっこない。

 つい、とつま先で地面を蹴り上げる。身体が少しだけ持ち上がる。


 そして、唇に感触。赤くになっていたからか、伝わってくる熱は熱い位に暖かい。

 ひゅ、と士郎さんの呼吸が止まったのがわかった。わたしの胸が早鐘のように打っている。

 直ぐに踵を地面へと下ろして、接触している唇が、士郎さんから離れていった。


「……あ、え、な、なな、アルト?
 な、なんでさ? え? 俺? これ、き、鱚?」

 目を開けると、士郎さんが顔の下半分を手のひらで覆っていた。
 今度は、耳までもが真っ赤だ。でもきっとそれはわたしも同じ。もう一度、唾を飲み込む。やっぱり、からから。
 それでも、ちゃんと言っておかないと。凛お嬢様も応援してくださっていることだし!

「し、士郎さんはわたしと付き合っています! 恋人なんです!
 桜お嬢様、申し訳ありません!」

 士郎さんに抱きついたまま、真っ白くなっている桜お嬢様に宣言する。
 桜お嬢様は動かなくなっていた。

「ど、どうでしたか? 凛お嬢様」

 顔を後ろへと向けると、凛お嬢様がしゃがみこんでいた。両腕で自分の肩を強く抱きしめて俯き、ぶるぶると震えている。
 その横のリアお姉ちゃんは、目を見開いて、口をぽかーんと開けていた。リアお姉ちゃんのヘン顔は珍しいような気がする。

「あ、あ、アルト! どこに、士郎の顔のどこにキスをしたのですか!?」

「ええ!? 言うの? す、すごい恥ずかしいんだけど、言わなきゃダメなのリアお姉ちゃん?」

 ぶんぶん、と首を上下に動かすお姉ちゃん。首が飛んでいきそうな勢いだ。
 凛お嬢様とリアお姉ちゃんはわたしの後ろに、桜お嬢様は士郎さんの後ろにいたから、キスしたことはわかっても、どこにしたかは私と士郎さんしか見えなかったみたいだ。
 そんなに首を振られたら答えなければならないだろう、ならないのだけれども。

「む、無理です!」

 あまりに恥ずかしくなって、「う、うああ、砂糖吐く。あ゛ま゛い゛~」と呟いてしゃがむ凛お嬢様の横を抜けて道場の方へと駆けていく。
 逃げた。とてもじゃないけど、口になんて出せない!

「あ、待ちなさいアルト! 返答如何によっては、いえ、どちらにしても既に恐ろしいことに!」


 残された士郎は、唇のすぐ横を押さえて呆然としていた。



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