福島市を中心とした地域で6月、2週間にわたって応援記者として取材をした。東京電力福島第1原発事故は収束せず、住民は見えない放射能に翻弄(ほんろう)され、「このまま住み続けて良いのか」と苦悩していた。フクシマの現場を伝えたい。
県庁所在地の福島市は、原発から北西に約65キロ。東日本大震災による建物の損壊は軽微で、避難所に行かない限りは街を歩いても地震の被害をあまり感じない。しかし、場所によっては高い放射線量が観測される。
公園で毎時4・15マイクロシーベルト(年間換算20ミリシーベルト超)の線量が記録されるなど、市内でも線量が高い渡利(わたり)地区。先月6日、主婦の酒井隆子さん(38)宅に、小学1年の子を持つ母親6人が集まっていた。
「安全なのかどうか分からないなら、過剰でも安全策を取ってほしい。健康問題は取り返しがつかない」。母親の一人が訴えた。
自主避難すべきか--。葛藤(かっとう)の原因は、政府の発表内容への不信だ。子どもをマスクと長袖着用で登校させ、外気を入れぬよう家の窓を閉めて、外で遊ばせない生活が3カ月以上続く。ストレスのせいか食が進み、子どもの体重は増える一方だ。しかし、他県に行った子どもがいじめられたという話を聞けば、避難に踏み切れない。
「出口のない不安に疲れてきた。いっそ、政府がみんなの背中を押してほしい」。皆がうなずいた。
JR福島駅付近で整体院を営む松井国彦さん(44)一家。5人兄妹の長男(14)=中学3年=は「自主避難は絶対に嫌」と言う。小4からサッカーを始め、体格に恵まれなかったが練習に励み正選手になった。7月の最後の大会は外せない。小学校の先生になろうと進学校を目標に定め、その直後に震災が発生。勉強もままならない。親の気持ちは分かるが、「今はそれどころじゃない」。自主避難を考える管理栄養士の母、知美さん(42)は悩む。5月、学校は親の承諾書を前提に部活動を再開した。「仲間がするのに、自分だけやらないわけにはいかないですよね……」
「引っ越したら遊べるのに」。保育所年長の次女(6)は無邪気に言う。知美さんは「このままの状態で暮らすのは大変。けれど、一度逃げればこの地に戻ることは、世間体もあって大変だろう」。
「福島人」として生きるか、親として生きるか。子どもたちの将来を考えて、親たちの苦悩は深い。原発事故が迫る「選択」は、不条理としかいえないものだった。【矢追健介】
毎日新聞 2011年7月6日 地方版