2011年6月

平成23年6月28日(火)
第415号「『玄海原子力発電所 緊急安全対策 県民説明番組』が終わって

先週末の日曜日の午前10時から、「放送フォーラムin佐賀県 しっかり聞きたい、玄海原発」というタイトルの番組が放映された。
その名の通り、玄海原子力発電所について政府(原子力安全・保安院)が求めた緊急安全対策の内容を一般の県民の方に説明するという、国(経済産業省)の主催番組で、コーディネーターの司会の下、国側から数名の説明者、オブザーバーとして放射線医学の医師、そして一般県民代表の7人の方との間に90分にわたってやりとりが交わされ、それをケーブルテレビとユーストリームで放映しながら寄せられた意見も紹介しつつ進めて行こうというもの。
国の説明に対し、7人の一般県民の方が疑問や問題点などを指摘して、それに対してさらに国が答えるというかたちで番組は進められた。7人とは、農業者(男性)、農産品直売所経営者(男性)、パートタイマー(女性)、大学生(女性)、経済界(男性)、映画評論家(男性)、主婦だったが、職種も意見の内容もバラエティに富んだものだった。   
国が7人の一般県民の方を選ぶというので国側の説明に理解を示す方ばかりを集めるのではないか、ということを不安視する声もあったが、いずれも自分の考えをしっかりと述べておられ、ほっとするのと同時に感心した。
本当は、この7人のほか、いわゆる原子力に反対する団体の方にも入ってもらう予定だったらしいが、断られてしまったようだ。国が何人かにアプローチをしたものの、どなたからも参加いただけなかったらしくそこが残念といえば残念だったが、実際に出演していただいた方々がかなり原子力発電や緊急安全対策について厳しい視点で質問していただいたので、内容的にも深まりのあるものになったと思う。

ケー ブルテレビでごらんになっておられた世帯数は把握できないが、ユーストリームでごらんになっていただいた方の数は約4,600(瞬間最高で約1,500)と、ずいぶん多かった。先日5月17日、佐賀県が原子力安全・保安院から説明を受けたときの数は約2,300(瞬間最高で約80)だったからそれに比べればずいぶん多い。また、 emailやFAXも約590通寄せられたという。
主催が国なので、寄せられたemailやFAXを見せていただくことはできなかったが、どういう内容のものが来たのか、後日にでも教えてもらえれば、と思う。

90分の番組が終わって、出演者の方がスタジオを出ようとしたところ、いわゆる「再稼働に反対」の方たちが出演者が乗った車を取り囲み、中には出演者たちの車 に乗り込もうとした人もいたらしい。車の進む方向をさえぎり、車を進めさせないといったこともあったようで、これはいただけないと思う。

国 は、前例のない、今回の説明会実施に当たって、「混乱なく説明できること」を求めたきた。それはよくわかる。国としては、今回の緊急安全対策について、 しっかり県民に説明をさせてほしいと思って今回の企画を立てている。ただ、過去には国が行った原子力関係の公聴会や説明会で、混乱が起きてしまったことも いろいろあるらしかった。だから、今回は、そうならないようにするために、スタジオで「日曜討論」「朝まで生テレビ」的なやり方にし、その代わり、質問を どんどん受けつけ、ケーブルテレビ導入世帯13万世帯(総世帯数の約44%)やネット接続世帯(同約48%)からも参加が可能な状況にするということにしたと聞 いている。

そういうやり方に反対をされるのは自由だと思うが、それに参加した一般県民の方に対して、妨害行為を行うというのは民主主義社会のルールを逸脱している。

我々は自由に意見を表明する権利を持っているし、その実現のために合法的に行動する自由も持っている。しかも、それはとても大切なこと。でもその権利を実行するために、他人を邪魔したり、他人の合法的な行為を阻害することは許されないと僕は強く思う。

この放送終了後、マスコミによる出演者の合同記者会見が行われた。
7人の一般県民の方うち、6人がこの会見に出席していただいたが、マスコミの中には「会見に応じないと家まで取材に行く」という強い発言をしたところもあったようで、それならと応じることになった人もいたという。

これもやや行き過ぎではないかと思う。国の説明者は会見に応じる義務があると思うが、一般県民にまでそれを強いるのはどうか、という気もする。

今日(27日)の議会で表明したように、佐賀県では今回の県民説明番組では時間が足りなかった、もっと突っ込んだやりとりをしたかった、という出演者や県民・議会の声に応えて、今回の県民説明会の続編を実施することにした。
前回はネットでやったが、どうしてもその会場に参加したいという声も強いため、今回はどこかのホールを借りて実施する予定にしている。そして主催は前回は国だったが今回は佐賀県だ。

くれぐれも混乱のないような、しっかりとしたやりとりのできる説明会にしなければ、と思う。そして、参加していただいた方が会場に来る前と来た後では考え方や感じ方が違ってくるようなものになれば、と願う。


ふるかわ 拝

平成23年6月21日(火)
第414号「全国なし研究大会を終えて」

この仕事をしているといろんな団体の大会に出向く。農業も大会の多い分野だ。先日は「全国なし研究大会」に出席した。聞けば果物はけっこうこの手の大会があるらしい。りんごは「全国りんご研究大会」、みかんは「全国カンキツ研究大会」。いちごは?と尋ねたら「イチゴは果樹ではなく、野菜ですけどね」という答え。おお、そうだった。ウメは果樹で、イチゴ、スイカ、メロンは野菜。だった。ちょっと前まで農水省の中で、なしやみかんは「果樹花き課」、いちごやすいかは「野菜課」と別の課が担当していた。いまはさすがに同じ課が担当しているらしいが。

さて、話は全国なし研究大会のことだ。

佐賀県のなし生産額は、全国で15位とそんなに高くない。ただ、ハウスなどの施設を使ってほかの産地よりも早く出荷する「施設なし」では全国一を誇っている。なしと言えば秋の果物のイメージが強いが、7月中旬の東京などのお盆に合わせて出荷することで、一定の価格とポジションを確保しているということだ。

去年、僕は東京の伊勢丹新宿店にトップセールス「旬果旬菜」に出かけ、地下でなしを売った。僕が出かけていくということが決まると、多くの場合、佐賀県産のものをいい場所に置いてくれる。場合によってはエスカレーターに近い、いい場所を確保してくれることもある。
あのときもお店の方にいろいろ配慮していただいて、けっこう多くの方に来ていただけた。こうしたことをやっていると試食の威力を感じる。食べてみられた方がそのままお買いになる割合はとても高い。そのときも3個840円で佐賀県産のハウスの幸水を売っていたのだが、そこそこ売れていた。
そういう中で気付いたことがあった。それはああいう「デパ地下」は、意外にシニア層のお客様が多いということだった。そして、シニアのお客様に試食していただいてやりとりするとき、けっこう言われたのが「あら、おいしいわね、でも3個はいらないわ。うちは二人だから。それに重いものは困るのよね」ということだった。

実は、なしは重いほうがおいしいと言われている。みかけは平べったく、そしてみかけよりもずっしりと重いほうがみずみずしくておいしいと言われているのだ。
なのに、重いのは困る、と言われているというのはこれは聞き捨てならぬことではないか。
その後、冬にみかんをセールスしたときも同じことを言われた。スーパーの店頭で赤いネットに入れたみかんを売っていたのだが、10数個入ったみかんのネットをごらんになって、「重いからいい」と断られる方が何人もおられたのだ。
これは真剣に何か考えるべきときが来ているのではないか。

そこで考えたのがカットフルーツだ。いまやスーパーでもカットされたフルーツをずいぶん見かけるようになってきているが、あれをもっと真剣に考えてもいいのではないか。
たとえばお茶にしてももともとはお茶の葉を急須に入れて飲むリーフティーがふつうだった。それがいまやお茶といえばペットボトルに入っているお茶、いわゆるドリンクティーの比重が高くなってきている。
また、ホテルや旅館に行ったとき、部屋に置いてある緑茶や紅茶はほとんどがティーバッグに変わってきている。
美味しくお茶を飲むためには、緑茶であれ紅茶であれ、葉っぱを急須や紅茶ポットに入れて飲むほうがいいのはまちがいないだろう。
でも、実際にはティーバッグやドリンクティーが売れているのだ。このことを考えると、便利さを求める流れも無視できないのではないか。

そう考えれば、フルーツにしても本当は食べる直前に切ったほうがおいしいに決まっているけど、芯や皮や種も含めて買ってもらうことになると重くなってしまう。だとすればカットフルーツを普及させることで、「食べたいけど重いし、かさばるし」という声にこたえることができるのではないだろうか。

カットフルーツというのは僕のひとつの提案に過ぎないが、いま日本は高齢化し、単身世帯が増える一方、人口そのものは減っている。その中でどうやって自分たちが生産したものを食べていただるのか、それを去年に比べて増やすのか、というのは相当の努力と工夫が求められることになる。
しかし、佐賀県農業はこれまでも新しいことにチャレンジしてきた輝かしい歴史を持っている。これからの動きに大いに期待したい。


ふるかわ 拝

平成23年6月14日(火)
第413号「先週は忙しかったです」

先週は忙しかった。そもそも月曜日の朝のスタートは京都からだった。その前日の関西佐賀県人会への出席の後、翌朝は企業誘致の関係で早起きし、それを終えてから、山口・下関での九州地方知事会に参加、その翌日は知事会と経済人との会議の場である九州地域戦略会議、水曜日は6月補正予算の記者会見、木曜日は原子力安全・保安院、エネ庁、九電からの説明聴取、金曜日は定例記者会見と毎日大忙し。
金曜日は諫干のアセス準備書素案公表もあってさらに忙しかった。旅先で目を覚ますことも多いせいか、そして朝早いスタートも多いせいか、そして何よりいろいろ考えるせいか、なんか眠りが浅くなってしまっているなあと感じた一週間だった。

原子力発電に関しては、毎日山ほどメールやファクスが来ている。これまでは住所氏名やアドレスがちゃんと書かれたもの、とくにメールについては、返信を返していたが、とてもそれができるような状況ではなくなってしまった。一日に数百通。対応も限界がある。
僕が個人としてやっているツイッターも、大半のものがこのことに関するものとなり、もともと僕がはじめたイメージとは違ってきてしまった。ただ、こうなることも含めてそれがSNSのひとつの特性なのだと思っている。以前は、ツイッターで気軽にいま見てるテレビの話などを発信していたが、とてもそういう雰囲気ではなくなってきている。最近ではツイートを控えるようになった。
僕の会見における発言などは、ツイッターかFacebookの「佐賀県危機管理・広報課」を見てもらえればと思う。

金曜日には、原子力発電所の再開に反対されている方々が僕に面会を求め県庁に来られ、秘書課の前に2時間半近く座り込みをされていたらしい。お気持ちはわかるが、ちゃんと県の担当部署の責任者がお会いしているし、こうした方法をとられるのはいかがなものか、と感じる。僕のところには、再開に反対される声もたくさん届くし、再開しないと困る、という声も届く。そしてその双方から「会ってほしい」といわれているが、僕は客観的に判断したいと思って、そのどちらの方ともお目にかかっていない。
とにかく今は、自分たちなりに、これまでの保安院の説明を分析して、安全性が本当に確保されているかどうかを見極めていきたいと思っている。

昨日から定例6月県議会がスタートした。この4月に3期目がスタートしたが、4月は震災対応に追われ、5月上旬には臨時議会。下旬にもう一度臨時議会。その後6月上旬には会期外の県議会特別委員会。ずっと議会をやっているような感じ。ふつうなら議会が始まったらそれへの対応に全力を投入するのだが、今回はそういうわけにはいかず、玄海原子力発電所の問題については、議会対応と並行して引き続き議論や検討を進めていくことになる。
原子力発電所の再開問題はほんとうに悩ましく、誰からも称賛されるような答えはないことはわかっている。ただ、それでも求められれば答えを出さなければならないのが、政治家の仕事だと思う。
僕らはいま、今回の保安院が指示した緊急安全対策の実行で本当に安全が確保されたと言えるのか、議論と検証を重ねている。
一方で、議論としてはまだ早いが、一般論としてエネルギー需給の観点から本当に再起動が必要なのか、という議論もありうる。
定期点検で止まっている原子力発電所がこのまま一つも再起動しなければ、来年の春にはすべての原子力発電が停止し、期せずして脱原発が達成できることになる。
現在の政府はそれをめざしているのかもしれないとも思う。エネ庁の幹部は原発が動かないと大変なことになるという認識を示されたが、この国はいま政治主導。少なくともこれまでの総理のご発言としては、「浜岡は私が止めた」ということと、「ソーラー発電など再生可能エネルギーの飛躍的な普及を図っていく」ということしか印象に残っていない。
総理は「このまま再起動できない状態が続いてもいい」とお考えなのかもしれないと思う。そうであれば、来年の春までに代替電源が確保できる見通しが立っているのか、または工場や家庭に節電を求めていくのか、そういう見通しも含めて公表していくべきなのではないか。なんらかの時点で明確にしていただいたほうがいいと思う。

それと本当に安全性は確保されていると言えるのか、という点について僕が気になっていることがある。20日からウィーンで開かれることになっているIAEAの閣僚級会議のことだ。その中で日本政府の対応がどう評価されているのかについても注目してみたいと思う。もちろん、そういうことにIAEAが言及する保証はまったくないけれど。
今週も眠れない日々が続きそうだ。


ふるかわ 拝

平成23年6月7日(火)
第412号「菅直人は竹下登を超えるか」

菅直人総理に対する不信任決議案が否決された。

それに先立つ民主党代議士会における菅直人代表のあいさつを、僕はリアルタイムでテレビで観ていたが、「区切りがついたら辞める」ということを言いたかったのか「区切りがつくまで辞めない」ということだったのか、わからなかった。

菅代表のあいさつのすぐ後に、鳩山前総理が「今回の決断を支持する。一丸となって乗り切ろう」という趣旨の発言をされ、続いて原口一博前総務相も同様の発言をされた。不信任決議案に賛成する意向を表明しておられたお二方が揃って菅代表の決定を評価されたということは、これはお辞めになるということの意思表示であったのだ、とその時点でやっとわかってきたが、そういう「補い」がないと理解できないくらい、あの真意を測るのは難しかった。

そもそも政治家の出処進退は、いかにわかりやすく国民に伝えるか、が肝心だと僕は思う。しかしながら、今回の菅代表のご発言はいかに真意を伝えないか、ということに腐心されていたようにさえ思えた。

総理の辞意表明は、この国では珍しいことではない。近くには、鳩山総理(当時)は、昨年の6月2日に辞意を表明され、その2日後の6月4日に退陣された。

これは極端にしても、「もう辞めます」と公表してから、実際に退陣するまての期間は、だいたいひと月以内という例が多い。

ただ、それが40日もかかったことがあった。竹下内閣のときのことだ。

退陣表明は平成元年4月25日、実際の総辞職は6月3日。 退陣表明から40日目のことだった。

退陣表明のきっかけは、消費税法が前年12月に成立し、4月から3パーセントで導入したものの、それが国民から不評だったことに加え、前年秋にリクルート事件が発覚、竹下首相、安倍幹事長、宮澤副総理、渡辺政調会長ら実力者が幅広く未公開株を受領。中曽根前首相の対応が特に批判されたことだった。

退陣表明を受けて後継選びになったものの、 有力者はみんなリクルート社との関係が取りざたされていたため、混迷を極め、時間がかかってしまった。

結果的に宇野総理という自民党初の派閥領袖ではない首相が誕生することになった。

ちなみに竹下総理は、総理の座は降りることにしたものの、領袖としての地位に揺るぎはなく、退陣表明しても竹下氏の力が衰えず「死に体」にならなかった。

退陣までの日が長かった総理第二位は、福田康夫内閣で24日間、その次は、岸内閣で23日間。

7月12日までに退陣しなければ菅さんは竹下さんを超え、憲政史上最長、ということになる。

僕は、いつまでやるか、より、とにかく最後の一日まで全力を尽くしていただきたいと思う。

国政に一刻の猶予も許されないのは、当然のこと。最後まで走りきる姿が、僕は、最後まで力を発揮できることにつながる、と期待する。


ふるかわ 拝