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[6694] ARIAのSS小説シリーズ(単発でいくつか投稿させて頂きます)
Name: 一陣の風◆5241283a ID:8350b1a5
Date: 2011/06/17 15:14
初めまして、『一陣の風』と申します。

さて、今回投稿させて頂きますのは 『ARIA』 の二次創作作品です。
結構長いかもしれません(汗)

今回のお話は
トラゲットの3人組の一人、姫屋のあゆみの、お話しです。

それでは、しばらくの間、お付き合いください。



    第一話 『 sentineti  singoio 』
 

 

アイちゃん、お元気ですか?
プリマになって一ヵ月。いまだに、ばたばたとした日々を過ごしてしますが、そこは、それ。
なんだか、こんな日々が楽しくて、しょうがありません。

そうそう。ばたばたといえば、藍華ちゃんの支店開業が、いよいよ明日に迫りました。
当日は、ホテルをひとつ借り切って、盛大なパーティーを催すそうです。
もちろん、私も呼んでもらってます。
今から楽しみ。
そして、もうひとつの楽しみといえば……


毎朝恒例のアイちゃんへのメールを打ち終えると。
 
-はふう
 
大きく伸びをひとつ。
今日もここ、ネオ・ヴェネツィアは良いお天気です。
きっとこんな日はまた、とっても素敵な出会いの予感が……

「ぷいにゅ」
そんな私に、アリア社長が帽子を持ってきてくれました。
アリア社長は猫です。
 
-猫が社長?

って変に思われるかもしれませんが、ここネオ・ヴェネツィアの水先案内業界では
蒼い目の猫さんの事を「アクアマリンの瞳」と呼んで、航海の安全を祈る象徴としているんです。
もちろん、ほんとうの「社長さん」は存在してて、お店の運営は、その人があたっています。
 
でも、アリア社長のような火星猫さんは、人間並みの知能ももってて、しゃべれないけど、ちゃんと人間の言葉も理解できるんですよ。

「ぷいにゅ、ぷいぷい!」
「はい、社長。それじゃあ、サンマルコ広場まで、お客様を探しに行きましょうか」
「ぷいぃ」
さあ。新しい出会いへと出発です。


今日の最初のお客様は、月のルナ・ワンから来られた、ご夫婦でした。
なんでも、ご結婚30年目のお祝いでネオ・ヴェネツィアに来られたとか。
私もはりきって、ご案内させてもらいました。

「ありがとう。楽しかったよ」
「とっても素敵なゴンドラでした。また、次もお願いしますね」
「こちらこそ、素敵な出会いをありがとうございました」

私がそう言うと、お二人はにっこりと笑ってくださいました。
こんな時、私はウンディーネになって、ホントによかったと思います。

あっ。
ヴンディーネってゆうのは、ここネオ・ヴェネツィアでゴンドラを使って観光案内をするガイドの事です。
女性しかなれず、街を象徴するアイドル業。

-なんて言われてます。
 ふふ。 なんだかこそばゆいですね。
 

「ぷいにゅううう」
お二人をお見送りした後、急にアリア社長が何か、すがるような目で私を見ました。

「どうしたんですか、社長。 あっ、お腹が空いたんですね」
「ぷいにゅっ」
気がつけば時刻はもう、お昼。
私のお腹も、そろそろ鳴り出しそうです。

「それじゃあ、お昼にしましょうか。 社長は何が食べたいですか」
「ぷいぷいにゅふふふ」
「そうですね。迷っちゃいますねえ。えへへ」

-ドンッ!

私とアリア社長が話していると、不意にゴンドラが揺れました。

ほへ?
 っと驚いていると、そのままゴンドラは動きはじめます。
 
ほへへ?
 あわてて振り返ると、そこには帽子を真深くかぶった男の人が一人。
 その人は、なにも言わずにゴンドラを操ると、どんどんと沖の方へ。
 
はへえ?
 な、なにが起こっているの?
 知らない男の人が、勝手にゴンドラを動かして……
 
-まさか。
 これって。
 これってもしかして……
 
 ハイジャック!?

「ええ~!」
 どーしよ~!!


―後から聞いた話です。

私とアリア社長がハイジャックにあってた頃。
私たちが後にした、サンマルコ広場では、二人の人影がさかんに走り回っていたそうです。

「どこに行った」
ひとりがいまいましげに言います。

「こっちに来た事は確かです」
もう一人の方が、あたりをキョロキョロと見回しながら答えます。

「逃げられたか」
「でも、どこに。 そんなに早く隠れられるような場所なんて……」
「ん。 あれは……」
最初にしゃべった方の人が、めざとく私達のゴンドラを見つけました。

「あそこ。 あれはARIA・カンパニーのゴンドラだな」
「ええ、確かに。あれ? でも、動かしてるのは灯里じゃない。もしかして……」
「追うぞ!」
「はい」

二人はあわただしく、ゴンドラ乗り場の方に走っていきます。

「ふふ。私達から逃げられると思うなよ」
不敵な笑い声が響きました。


私は固まっていました。
ゴンドラをハイジャックされるなんて、前代未聞です。

「アリア社長。どうしましょう」
私は、アリア社長のもちもちぽんぽん(お腹の事です)を抱きしめながら震えていました。

その時、突然。

「危ないっ」
横手の水路から、ゴンドラが飛び出してきました。
操っているのは、まだ小さな男の子です。

「はひい。ぶつかるっ」
私が身を固くした時、ハイジャックの人は、いとも軽やかにオールを操ると、するりと相手のゴンドラをかわしました。
 
上手……
思わず、つぶやいてしまうほど、自然で、あざやかな操舵です。

-まるでプリマのよう……

「お姉ちゃん。ごめんなさーい」
男の子は遠ざかりながら、謝ります。
「おーっ。 気をつけろ。 水路に出る時は、声かけ絶対だぞっ」
「はーい。 ありがとー」
 
はひ?
この声ってば、どっかで。それにお姉ちゃん?

「あの」
「ん」
「あの。ゴンドラの操舵。とっても、お上手なんですね」
私は前を向いたまま、恐る恐る声をかけました。
沈黙。
次に聞こえてきたのは、大きな笑い声でした。


「っかー! ごめん、ごめん。おどかすつもりはなかったんだけどな」
懐かしい。この、どこか暖かで元気な、お声は……
 
ほへ。
 
と、振り向くと、ハイジャックの人は目深にかぶった帽子を、ぐいっっと親指で押しあげました。
その、お顔は。

「あゆみさん!?」

「よっ。久しぶり。灯里ちゃん。
 いや、今は『アクアマリン・遥かなる蒼』さんか」
そう言うと、あゆみさんは、また大きく笑いました。


あゆみさん。 
あゆみ・K・ジャスミンさん。
私がシングルの時、アリシアさんに勧められてお手伝いさせてもらった「トラゲット」で、一緒に仕事をさせてもらった姫屋のウンディーネさんです。

あっ。
「トラゲット」ってゆうのは、大運河(カナル・グランデ)に何箇所か有る渡し舟の事です。
前と後ろに漕ぎ手が立ち操舵するのが特徴で、それぞれ別の会社に所属するシングル同士で組むこともあって、ネオ・ヴェネツィアのちょっとした、名物になっています。
 
あゆみさんと私は、他の二人のウンディーネさんと一緒に、そのトラゲットをした仲なんです。

「あの、あゆみさん。いったいどうしたんですか?」
「灯里ちゃん。お昼食べた? お腹空いてない?」
「はひ? えと。お昼はまだですけど……」
「よし、決まり。お昼おごるよ。いい店があるんだ」
「はひぃ?」

私とアリア社長は、わけのわからないまま、あゆみさんの操るゴンドラに揺られて行きました。

「ここだ」
そう言って。あゆみさんがゴンドラを泊めたのは、一軒の海鮮鉄板焼きのお店でした。



「おいひー☆」
「ぷいぷいぷいにゅうううう☆」
私とアリア社長は、鉄板の上で焼ける魚介類や野菜を、次々にほおばりました。

「だろ。特にここのモエッキ(蟹)は、最高なんだぜ」
「はひ。ほんとうに美味しいですう」
「このお店は、ウチのお気に入りでね。トラゲットとかで知り合った仲間や、お客様とも、よく来るんだ」
「ほへえ」
「どんどん食べてくれよ。脅かしちまったおわびだよ」

「ああ。いえ、それはいいんですが、何かあったんですか?」
「え? う~ん。 いや別になんにもないよ。さあ、食べて食べて」
なぜか答えをさける、あゆみさん。 何かあったんでしょうか。

「それよか灯里ちゃん」
「はひ」
そんな私の疑問を知ってか知らずか、あゆみさんは畳み掛けるように言いました。

「プリマ昇格おめでとう。ウチが言った通りだったろ。君はプリマ昇格間違いなしだって」
「あ、はひ。ありがとうございます。 でも、私なんかまだまだで」
「そんな事ないよ。 それにARIA・カンパニーの経営権も移譲してもらったんだろ。 すごいな」
「いえ。そんな。毎日バタバタしてるだけで、全然です」

「でもホント、君は偉いよ。ただでさえ、プリマになるのは大変なのに、その上、お店の経営かあ。
 店をひとつ切り盛りするって、大変だよなぁ」
あゆみさんは、少し考える風につぶやきました。
なんでしょう。

「そ、そういえば、あゆみさんはトラゲット続けてるんですか」
何か、気恥ずかしい。 
私はあわてて、話題を変えました。

「えっ? ああ。もちろん。ウチはトラゲット専門。
 つか、トラゲットしたくてウンディーネになったんだ。 
 地域密着型。楽しいよ」
 
そうなんです。
トラゲットはシングルのお仕事。
つまり、プリマではできないお仕事なんです。

そしてトラゲットは、プリマをめざすウンディーネの、かっこうの練習の場でもあるんです。

でも、あゆみさんは、プリマに昇進する事なく、いつまでもトラゲットをしていたいって……

「あの、あゆみさん。ひとつ聞いていいですか?」
「ん、なんだい改まっちゃって」
「あの…あゆみさんは、本当にプリマにはならないんですか?」
「え?」
「だって、さっきも子供のゴンドラとぶつかりそうになった時だって、あんなにあざやかにゴンドラを操ったじゃないですか」

「いや、灯里ちゃん。プリマになるには、操舵だけじゃ……」
「確かに、操舵だけじゃプリマにはなれません。接客やカンツーオネ(舟謳)だって。 でも、あゆみさんなら……」
「っかぁー。灯里ちゃんまで、そう言うか……」
 
 -はへ?

 私まで?
 なんの事でしょう。

「あの、あゆみさん……」


「ほらな。あゆみ。みんなそう言うんだ。あきらめろ!」
 
  ぶふっ!
 
不意の声に、あゆみさんは、激しく咳き込みます。

「はひっ。大丈夫ですか。あゆみさん」
「ま、まさか………」
あゆみさんの視線は、私を通りこし、私の背後にそそがれています。

-ほへ?
 と、振り向くと、そこには……

「晃さん。藍華ちゃん?」
 
そう。
そこには姫屋のエース・ウンディーネ。 
クリムゾン・ローズ(真紅の薔薇)」こと晃・E・フェラーリさんと
私のお友達で、プリマ昇進と共に、めでたくカンナーレジョ支店、支店長に就任した
「ローゼン・クイーン(薔薇の女王)」こと藍華・S・グランチェスタちゃんが、悠然と立っていました。

「うひい!」
おもわず立ち上がる、あゆみさんを、晃さんが恐い顔で睨みつけます。

「あゆみぃぃぃ。こんな所にいたのか……」
「いや、その晃さん。これは、その……」
「すわっ! 問答無用。今すぐ一緒にきてもらうぞっ」
「あ、あ。その……」

「あゆみさん。なんで逃げるんですか!?」
「ち、ちがうんだよ、藍華お嬢。 それは、その」
「そのその禁止です!」
「ひえ。その、ああ、つまりその…ごめん。
 灯里ちゃん。また今度おおぉぉぉ」
 
そう言うと、あゆみさんは、ものすごい勢いでお店を飛び出して行きました。

「逃がすかあああ!」
猛然と追いかけていく晃さん。
残された私とアリア社長は呆然と、その後ろ姿を見送りました。



「プリマ昇格試験拒否なのよ」
藍華ちゃんが、吐き出すように言いました。

「ほへ? プリマ昇格試験拒否?」
私は、藍華ちゃんのそのセリフをバカみたいに聞き返してしまいました。
「そ。今日はほんとうは、あゆみさんのプリマ昇格試験の日だったの。 ありゃ、ホントにこのモエッキ美味しい」
 
藍華ちゃんは、残った海鮮焼きを口に運びながら言います。

「それって、プリマにならないって事?」
「ぷいにゅううう?」
アリア社長もびっくりしてます。

「で、で、でも。あゆみさんってば、そんな事、一言もいってなかったよ」
「当たり前よ。あゆみさんってば、朝から逃げ回ってるんだもの」
「ほへへえ。じゃあ、さっきサンマルコ広場で、あゆみさんがハイジャックしたのは……」
「ハイジャック? 何それ」
「いや、なんでもなくって………」


それで、あゆみさんは何もいわずに私のゴンドラに飛び乗ってきたのか。
晃さんと藍華ちゃんから逃げるために。

-へっ?

「ええ? でもなんで逃げるの」
「晃さんが、今日は絶対あゆみさんの、昇格試験をやるぞー!って言ってたからよ」
「ほへ……」
「あゆみさんはね。前からトラゲットにこだわってるでしょ」
「うん」
「トラゲットはシングルしかできない」
「うん」
「だから逃げた」
「ほへえ?」

「あゆみさんはねぇ」
藍華ちゃんは、またモエッキを一口、口に入れてから話し始めました。

「十分、プリマになれる実力があるのよ。
 性格も、あの通り、気さくだし、優しいし、
 ゴンドラの操舵もしっかりしてるし……
 観光案内だって本人がやらないだけで、ホントは、すごく上手なの」
「ほへえ」

「だから私は、頼んで支店に来てもらったの。 
 ……私はね」
藍華ちゃんは、私の顔をまっすぐに見つめながら言いました。

「私は、あゆみさんに副支店長になって欲しいの」

「副支店長……」
「うん。あゆみさん。いつも笑顔だし。ああゆうサッパリとした性格だから同じシングルや、ペアの子達からも人気があって、
 みんなの相談にも、よく乗ってあげてるの。人望あるのよね」
 
-ああ。納得です。

「うん。確かに。 あゆみさんなら誰からも頼られて、一緒に答えを探してくれそうだね」

「そうっ」
いきなり藍華ちゃんは、バンッ!っと、テーブルを強く叩きました。

「ぷいにゅ!」
アリア社長がおびえ、まわりのお客さん達も私達に視線を集めます。
あわわ……恥ずかしい。
 
でも藍華ちゃんは構わず叫びます。
「そうゆう人だから、私は頼んでこっちに来てもらったのに!。
 副支店長がシングルじゃ、カッコつかないでしょうがあ!!」

-がああああっ。
 と、口から火を吹きそうな勢いの藍華ちゃん。
 それはまるで、古の幻獣・がちゃぺん……


「いや、お嬢。そりゃ、買いかぶり過ぎだって……」
弱弱しい声の方に視線を移すと、そこには晃さんに首根っこつかまれてぶら下がってる、あゆみさんが……

「捕まえたぞ」
轟然と言い放つ晃さん。

 -ウチは猫か……こぼす、あゆみさん。

そして
やっぱり私達は、みんなの視線を集めて………はうう。恥ずかしいです。



「いやあ。晃さん速いわ 私も足には自信はあったけど、こんなにあっさりと
 しかも制服のハイヒールをはいた足に捕まるとは……ははは」
「誉めても何もでんぞ」
やっぱり、モエッキを口に運びながら、あゆみさんを睨む晃さん。
 
 -こ、恐ひ。

「おい。あゆみ。なぜ、プリマへの昇格試験を受けないんだ」
「いや、だからウチはほんとにシングルでよくて……」
「すわっ!」

-ひいっっ

「実力のあるものは、その実力にあった地位と責任を負わなきゃならないんだ」
「いや、だからそれは買いかぶりですって……」
「あゆみぃ! お前がプリマの実力を持っている事は、他のみんなも知ってるんだ。逃げるんじゃない」

「あゆみさん。私は、あゆみさんに私の右腕になってもらいたいんです」
 今度は藍華ちゃんが、あゆみさんに詰め寄ります。

「今度のカンナーレジョ地区への支店開業は、ある意味、姫屋の未来を決めるものなんです。
 だからこそ私は、その未来を、あゆみさんに助けてもらいたいんです」

「そんなおおげさな……」
「あゆみさん!」
「ひえっ。いや。だから、ウチもお嬢の助けならなんでもしますよ。
しますけど、それとプリマ昇格試験とはまた別で……」
「下手な言い訳禁止です」
「ええ~え」

「あ、あのぉ……」
なにやら険悪な状況。
私は、たまらず口をはさんでしまいました。

「あによぉ。灯里」
「いや、あの……あゆみさん。
 どうして、あゆみさんは、そんなにトラゲット……シングルにこだわるのかなって……」
「う~ん。こだわる……か」
私の問いかけに、あゆみさんは、少し考える顔になりました。


「あのさ、灯里ちゃん」
「はひ」
「この前、ウチや杏やアトラと一緒にトラゲットしたよね」
「はひ」
「その時、どんな感じがした?」
「あ。えと………」
 
杏さん、アトラさんは、私がトラゲットをあゆみさんとした時に、一緒になったウンディーネさんです。
二人ともオレンジ・ぷらねっとのシングルで、仕事が終わった後、四人での語り合ったいろいろなお話しは、私に力をいっぱいくれた暖かで大切な思い出のひとつです。

「私は……」
あの時の想いを何ひとつおろそかにしないよう、私はゆっくりと話し始めました。


「ネオ・ヴェネツィアの人達、ひとりひとりと触れ合えて、とっても楽しかったです。 
 観光案内のお仕事も、もちろん楽しいですけど、
 ああやって、この街の人達と笑顔と接しながら、楽しくお仕事ができるのも、とっても素敵な事でした。
 みんなでやったトラゲットは、私にとって、とっても素適で大切な経験です

「……ありがと。えと、灯里ちゃんは確か、マンホームの出身だったよね」
「はひ」
「そっか。じゃあ、トラゲットは、あの時が初めてだったんだね」

何の話でしょうか?
よく分からないまま、私は、うなずきました。


「ウチはこのネオ・ヴェネツィア出身で、ずっと幼い頃からトラゲットのゴンドラに乗ってたのさ。
 学校に行く時も、買い物に行く時も、家族で遊びに行く時も、いっつもトラゲットのゴンドラに乗ってね。
 そんで、そのゴンドラには、いつも笑顔のウンディーネ達がいてさ。よく声をかけてくれたんだ」

あゆみさんは、昔を思い出すかのように、少し遠くに視線をやりながら話続けます。  

「何処にいくの。学校終わったの。買い物? 家族で旅行? 
 わあっ。とっても楽しそうね。って。
 もちろん、元気のない時だって声をかけてくれてね。 
 ウチが落ち込んでる時なんかは、なんとか元気づけようと
 みんなで本気で励ましてくれたりしてさ。
 ウチは、そんなウンディーネに憧れて、この業界に入ったんだ。

 でも、その時、初めて知ったんだ。
 あのトラゲットってゆうのは、ウンディーネのプリマへの一行程に過ぎなくて
 そしてプリマになれなかった、シングル達の溜まり場だって事に」

…………
…………

ああ。そうか。
私は、突然。あゆみさんの気持ちが分かりました。
 
そう。すべてのウンディーネがプリマになれるわけじゃない。
そこには、厳然たる現実の冷たさがある。
そして、プリマになれなかった人は、引退するまでずっと、シングルとしてのウンディーネを生きていかなければならないんです。
 
きっと晃さんも藍華ちゃんも、あゆみさんの気持ちが分かったんでしょう。
二人ともなにも言わず、ただモエッキをつついています。


「でもね」
あゆみさんは再び口を開きました。

「ウチを励ましてくれたウンディーネ達の笑顔は本物だった。
 いつも心の底から、ウチらの事を見守ってくれてた。
 そこには、シングルだとか、プリマだとかは関係なく、この街を……ただこの街に住んでる人達が大好きだって。
 そんな心があったんだ。

 だからウチはトラゲット……いや、シングルに誇りをもちたい。
 シングルだって、こんなに立派に仕事ができる。
 シングルだって、こんなに素晴らしいんだぞ! ってね。
 みんなに教えたいんだ。おかしいかな?」

 -えへへ。
そう言うと、あゆみさんは照れたような笑顔をみせてくれました。


「あゆみさんって、トラゲットみたいな人なんですね」
「え?」

「いつも笑顔で、みんなを迎えてくれて。
 一生懸命、街の人達を心ごと、やさしく運んでくれる。
 嬉しいときも。
 悲しいときも。
 そのやわらかな心で、みんなの想いと一緒になって。 
 あゆみさんは、そんなトラゲットのような、素敵で暖かな人なんですね」 
 

私は、自分の感じたままを、あゆみさんに伝えました。
あゆみさんは、少し驚いたような顔で私をみた後、言ってくれました。
「灯里ちゃん…ありがとう。 でも……」



  「「『 恥ずかしいセリフ禁止ぃぃ!! 』」」

 
あゆみさん、晃さん、藍華ちゃん。
三人の声が、見事にハモりました。
 
-ええ~!?


「わかった」
 晃さんが、憮然と言いました。
「嫌がってるのを、無理矢理プリマにしたってしょうがない。お前は一生、シングルでいろ」
「晃さん? そんな……今更、何言い出すんです?」
藍華ちゃんが、あわてます。

「でもな……」
晃さんは、ちょっぴり小悪魔的な微笑みを浮かべながら言いました。
 
 ……恐っ。

「副支店長として、藍華の下にはついてもらうぞっ」
「ええっ!?」
今度は、あゆみさんがあわてだします。

「いや、ウチはシングルだし。プリマな先輩もたくさんいるし」
「すわっ!」
「ひえっ」
「お前は今はっきりと、シングルに誇りを持つって言ったじゃないか!」
「あの、でもそれは……」
「だったら、なにも臆する事はない」
相変わらず、小悪魔的スマイルを浮かべながら、晃さんは続けます。

「それにプリマでなければ、副支店長になってはならない-なんて規則もないしな」

「あ~でも、そんな事をすれば、会社の評判にも影響が……」
あゆみさん、必死の反撃。

「おい藍華。なにか問題あるか?」
晃さんは笑顔のまま、藍華ちゃんに訊ねます。
藍華ちゃんもまた、満面の笑顔で答えました。

「いえ、ぜんぜんありません。ドンと来いです!」
「お嬢ぉ……」
 反撃失敗。

「もし、そんな事言われても、私が……私達がちゃんと実績を上げて、批判なんかさせません!」
藍華ちゃんは、胸を張りながら宣言しました。

「うむ。よく言った!」
「はい。晃さん。ありがとうございます」
「晃さん、お嬢ぉぉ……」
あゆみさん、玉砕です。


「私も、あゆみさんと藍華ちゃんの姫屋って見てみたいです」
私も嬉しさのあまり、つい言ってしまいました。

「きっと、あゆみさんと藍華ちゃん。二人の優しさと暖かさと笑顔が、姫屋のウンディーネさんや、お客様ひとり一人に染み込んでいく、そんな素敵な、お店になりますよ」

「っかー! 灯里ちゃんまでっ。
 ああ、まったく。三人のプリマから言われちゃ逃げられないなぁ……」
あゆみさんは、がっくりと、うなだれました
「あゆみさん?」
でも、あゆみさんは、再び顔を上げながら、こう力強く言ってくれました。

「分かりました。この、あゆみ・K・ジャスミン。及ばずながら、姫屋の藍華お嬢のために一生懸命つくさせていただきます。
 お嬢。副店長就任。ありがたく、お受けします」

「うりゅ……あゆみさん。ありがとう」
素敵な泣き虫さんの藍華ちゃんが、うるうるしてます。
でも、私も少し、うるうるです。

「私からも頼む。藍華を助けてやってくれ」
「はい。でも、お嬢、晃さん」
「はい?」
「なんだ?」

「私はこの先もずっと、プリマになるつもりは……トラゲットから離れるつもりはありませんから。
 ARIA・カンパニーのプリマ・ウンディーネ。遥かなる蒼(アクアマリン)こと、水無灯里さんが証人ですよ」
「はいはいはい」

「はひ。私もしっかり聞きました。あゆみさん、副支店長、就任おめでとうございます」
「いや、あの。そうゆう意味じゃ……」

「よし!」
パンっと晃さんが両手を合わせます。
「そうと決まれば、前祝いだ。 ここは私がおごるぞ。モエッキ追加だ」
「やったあ!」
「わは~い!」
「ぷいにゅううう!」


喜ぶ一同をしりめに、あゆみさんは
「っかぁぁぁ……」
と、深い深いタメ息をつきました。

無条件降伏です。


こうして、朝から始まったハイジャック事件。
姫屋カンナーレジョ支店、副支店長事件は、めでたく解決しました。

「いや、灯里。解決ってなに? つか、事件でもないし……」
藍華ちゃんの突っ込みは無視して( 無視かよ!by藍華 )
私の今日のお話は、お終いです。


アイちゃん。
アイちゃんにすすめられたように、ちょっと物語風に書いてみたけど、どうかなあ?
読み返すと、ちょっと恥ずかしいよ。
でも、いつものメールじゃなくって、ちょっと楽しかった。

そうそう。
その後の事、書きますね。

あゆみさんは、めでたく藍華ちゃんのお店で、正式に副支店長に就任しました。
やっぱり最初は、シングルが副支店長って事をよく言わない人がいたみたいだけど
晃さんの賛同の言葉や、それ以上に歓迎する声が大きくて、今では、あゆみさんは姫屋カンナレージョ支店にとって
なくてはならない存在になってます。

おかげで藍華ちゃんも、面倒な事にとらわれず、どんどん新しい事にチャレンジしてるみたい。
あゆみさんも、支店の運行や予約の確認。ウンディーネの健康管理とか人生相談(?)とか、
いろんな事に、いそがしく飛び回ってるみたいです。

でも、あゆみさんは-

「これがウチの、一番の息抜きなのさ」

-って、忙しい中、今でもトラゲットを続けてます。
あの、いつもと変わらぬ笑顔と優しさで。

きっと藍華ちゃんのお店は、あゆみさんがいる限り、これからもどんどん発展していくだろうな。
素敵だね。



灯里さん。
ホントに物語風にしてくれたんだ。
うふふ。ありがとう。とってもおもしろかったよ。

うん。
きっとあゆみさんも、灯里さんや晃さんのように、藍華さんにとって、なくてはならない人なんだね。
うらやましいな。私もいつか誰かにとって、そんな存在になりたいなぁ。

そしたら、きっと………


……
……
……ところで灯里さん。
舟とかの時は、ハイジャックじゃなくて、シージャックなんじゃ……


……
……
はひい!?



            -Sentineti singoio(シングルへの こだわり)- La fine



[6694] addetro alea
Name: 一陣の風◆5241283a ID:8350b1a5
Date: 2011/07/06 21:44
二本目のお話を、お届けします。
ほんとは、アトラと杏の話だったのに
どうして、こうなってしまったのか……

みなさまの生暖かい眼差しを期待します(汗)

それでは、しばらくの間、お付き合いださい。



   第二話 『addetro alea』


やさしい風が、ほほをなでる。
そんな春のある日。
オレンジ・ぷらねっとの食堂で、一人のプリマと白い猫が感嘆の声を上げていた。

「わ~ひ。ここの食堂は、いっつも美味しそうなもの、いっぱいだね」
「ぷいにゅ~」
「灯里先輩。アリア社長。いくらでも食べてくださいね。 でっかいおかわり自由です」
「ぷいにゃあ~い」
「ありがとう。アリスちゃん」
 灯里は、アリスに笑顔で答えると、食堂に並べられた料理を見回した。
 
 今日、灯里は、アリア社長と一緒に、ここオレンジ・ぷらねっとのプリマ・ウンディーネ、アリス・キャロルのお誘いを受けて、お泊りに来ていたのだ。

まずは食事でも-と、いう事で、食堂に誘われた灯里とアリア社長。
いつもながらの、その豪華な料理に目を輝かせていた。

「ぷいにゅにゅんぷにゅう」
「アリア社長。あんまり走り回ると危ないですよ。あっ」
「きゃっ」
 小さな悲鳴があがる。
 あまりに美味しそうな料理を前に、興奮して走り回っていたアリア社長が
 二人のウンディーネとぶつかりそうになったのだ。

「あ、ご、ごめんなさい」
「ううん。大丈夫。気にしないで…って。あれ、あなた」
「あれ。灯里ちゃん?」
「ほへ?」
 名前を呼ばれて、灯里が、あわてて相手の顔を見れば………

「アトラさん。杏さん」
 そこには、きょとん顔でこちらを見ている、アトラと杏がいた。


アトラ・モンテヴェルディと、夢野・杏は、灯里がまだプリマに昇格する前
アリシアに薦められた、トラゲットと呼ばれる、大運河(カナル・グランデ)の渡し舟で一緒になった、シングルのウンディーネだ。
 もう一人、姫屋のウンディーネと四人一組で経験した初めてのトラゲットは、まだシングルだった灯里に
 
シングルとしての今。
プリマへの未来。
そして、ゴンドラに乗るという事の意味を、改めて深く考える機会を得た、とても貴重な体験だった。


「おひさしぶりです。アトラさん。杏さん」
「うん。おひさしぶり」
「そういえば灯里ちゃん。聞いたわよ」
「はひ?」
「プリマ昇格おめでとう」
「は、はひ。あ、ありがとうございます」
「通り名は『アクアマリン( 遥かなる蒼 )』 ですって? 
 うん。灯里ちゃんにぴったりね」
「はひ。ありがとうございます」
 灯里が照れて顔を真っ赤にしていると、突然-

「ううううう……」
 不気味な声と共に、あたりの空気が重くなる。
 こころなしか照明も暗くなった気が……

「ぷ、ぷいにゅぅぅ」
アリア社長が、おもわず灯里にしがみついた。
杏が顔にシャギーを入れながら、うめいたのだ。

「ううう…よかったですねぇ。灯里ちゃん。プリマおめでとうございますぅ……」
うめきながら、灯里の右手をとる。

「ううう…いいなぁ…プリマ。いいなぁ……うふ…うふふふ」
「杏さん。杏さん。はわわ……」
「ほ、ほらほら杏。落ち着いて、落ち着いて」
 あわてて、アトラが間に入る。

「うふふふ…プリマ。プリマぁ……」
「はひいいい」
 しかし杏は、何度も、何度も、手袋のない灯里の右手を、自分の手袋をはめた右手でなで回していた。



「添乗指導、ありがとうございました」
 ペアのウンディーネが頭を下げた。
「ああ……」 
 指導教官のウンディーネは、何の感情も含まぬ声で答えた。

「今日言われた事を、今度また私と乗る前に、ちゃんと修正しておけ。何度も同じ間違いを繰り返すな。
 それから安全確認を怠るな。特に後ろには」
「はい。分かりました」

-本当かな……
 指導教官は思った。
 本当に分かっていれば、こんなに何度も間違いは繰り返さないハズだ。
 
 そう。
 同じ間違えは二度と……

「ゴンドラの後片付けは、ちゃんとやっておけよ」
 それだけ言うと、彼女は、その場をゆっくりと離れ始める。
 
 だが、後で確認しに来るつもりでいた。 
 間違いは正さなければならない。
 それが、例え本人にとって辛い事であっても。
 甘さや妥協は許されない。

「お疲れ様」
 違うペアが、自分が指導していた子に話かけるのが聞こえてきた。
「ねえ。どうだった?」
「いつも通りよ」
「いつも通り?」
「そ。アッディエートゥロ・アーレア」
「アッディエートゥロ・アーレアかあ…やれやれって感じね」
「ええ。もうやんなっちゃう。疲れた疲れた。早く片付けて、晩御飯食べに行こ」

「あ、そういえば…今、食堂に水無灯里が来てるわよ」
「え? あのARIA・カンパニーの水無灯里?」
 指導教官の足が少し遅くなった。

「そうそう。それそれ」
「わあ。私、ファンなんだ。早く行こ。行こ!」
「OK!」
 二人は足早に、その場を去って行った。

「水無灯里……プリマかぁ」
 指導教官が、小さく独り言ちる。
 生ぬるい夜風が彼女の髪を揺らしてゆく。



「先輩方。でっかい迷惑なので、座って話しをしませんか」
 アリスがオムライスのトレイを持ったまま言う。
 言葉使いはやさしいが、その顔は……間違いなく怒っていた。
 灯里達が、ちょうど道をふさぐ格好になっていたのだ。

「は、はひ。ごめんね。アリスちゃん。
 あの…アトラさん。杏さん。よかったらご一緒しませんか?」
 灯里は、アテナが待つテーブルの方に視線を向けた。
「あ、でも悪いし」
 アトラが、そのアテナの姿を見て遠慮がちに言う。

「先輩方。でっかい問題なしです。どうぞご一緒に」
「アリスちゃん……」
「そうしてください。私もアトラさんや、杏さんと、お話したいですし」
「そう…じゃあ連慮なく。ありがとう」
「うふ、うふ、うふ……いいなあ。手袋なし」
 杏はまだ、うめいていた。

「アテナさん、お疲れ様です」
「ううう。お疲れ様ですぅ」
 アテナにむかって、アトラと杏が挨拶する。

「あ~アトラちゃん、杏ちゃん。お疲れ様。一緒にご飯どう?」
「アテナ先輩、それは今、私達がお誘いしました」
「ええ、そうなの。じゃあ、ご一緒しましょ」
 
アテナがてきぱきと椅子を用意しはじめる。
さすがは気配りのアテナさん。
-っと灯里が思う間もなく、アテナは、その自分で用意した椅子にけつまづいて、顔面からすっ転んだ。

「ぷいにゅう!」
「大丈夫ですか。アテナさんっ」
灯里とアリア社長が、あわてて駆け寄る。

「大丈夫~いつもの事ですぅ」
アテナが普通に起き上がりながら答えた。

「はい。でっかい、いつもの事です」
「……いつもの事ですね」
「うう……いつもの事です」
「みんな……ちょっとは心配しようよ」


アテナに対するオレンジ・ぷらねっと独特の雰囲気(?)には、さすがの灯里もついていけない。
アテナはこれでも、灯里の先輩ウンディーネの、アリシア・フローレンスや、水先案内業界の老舗、姫屋の、晃・E・フェラリ-と
共に「水の三大妖精」と言われる、トップ・プリマの一員だったのだ。
 
 アリシアが寿退社し「三大妖精」は自然解消されたが、彼女のトップ・プリマとしての地位は、なんら変わる事なく
保持されていた。
 特に彼女の舟歌(ゴンドリエーレ)は、その通り名「セイレーン」に恥じることなき、絶大で圧倒的な歌唱力を誇っていた。

 が、彼女は同時に「ドジッ子」としての名声も博していた。

話によると、アテナはほぼ毎日、この食堂において、お皿を割るか、スプーンやフォークの入った箱をひっくり返すか
 シロップを、ボトル一本、紅茶の中にいれてしまうか。なにかしらの騒ぎを起こしているらしい。
 
先日も過去最高の、お皿47枚を割りを達成。人事部長のアレサ・カニンガムに呼び出され、全額弁償と、その月の休日、全没収を言い渡された事もあったとか。
 つまりオレンジ・ぷらねっとの社員は皆、アテナのドジっ子ぷりには、慣れているのだ。



「あの、ちょっといいですか」
灯里や、アリア社長も大満足の食事後。
お茶を飲みながら灯里達が話をしていると、同じ食堂にいたシングルや、ペアが声をかけてきた。

「あの。もしかしてARIA・カンパニーの水無灯里さんですか」
「はひ。私、ARIA・カンパニーの水無灯里ですが……」
「わあっ。やっぱり。 スゴイ!
 あの…私達、灯里さんのファンなんです。握手してください」
「はひ? え、あの。はひ」
「うわあ。握手してもらっちゃった。嬉しい!」

「あっ、私も!」
「私も!」
「私も、お願いします!」
「私だって!」
「はひいい?」
たちまち、灯里の前に人だかりができる。

「灯里先輩、でっかい大人気です」
アリスが、それを横目で見ながら、なぜか自慢げに、ぼそりとつぶやいた。

「流石は、あのグランマが創設したARIA・カンパニーの、プリマさんです」
「そうそう。それにあの伝説の三大妖精の一人。アリシア・フローレンスさんの一番弟子さんだし」
「ううう……
 それにプリマ昇進と共に、お店の経営まで一緒にこなしてしまう、バイタリティーだし」
「ええ。灯里ちゃんが大人気なのは、当然かもね」
 
最後にアテナが、ゆっくりとお茶を飲みながら言った。 と、思ったら、口に手をあてて悶絶し始める。
またガムシロップをビン丸ごと一本。カップの中に入れてしまったのだ。



「何を騒いでいるっ」
鋭い声が、食堂に響き渡った。
全員の動きが止まる。
皆の視線が、一人の人物にそそがれた。

「騒ぐのなら他でやりなさい。 
 ただし、のどを痛めてもよいのであればね」
「蒼羽(あおば)ちゃん……」
 アテナがつぶやくように言った。
 そこには、背の高い、見るからに先鋭的なプリマが立っていた。

「す、すいません。騒ぐつもりはなかったんです。ごめんなさい」
 灯里が立ち上がって、頭をさげる。
「うん? その制服は……アンタ、ウチの社員じゃないね」
「はい。ARIA・カンパニーの水無灯里といいます」
 蒼羽の形の良い右の眉毛が、急角度で跳ね上がった。

「へえ。あなたが噂の…でもなんでここに?
 外部の人間が許可なく社内に入るのは、明確な規則違反よ」
「あ。そ、それは……」
「私が、灯里先輩に泊まってくれるように、でっかい頼んだんです」
アリスが、あわてて言った。

「し、仕事の事で相談があるので、社外の人の意見も聞きたいと思って……」
「アリス・キャロル。いや、オレンジ・プリンセスか……プリマなら他社の人間に聞く前に、自分の所の人間にまず
 聞いてみるべきじゃないのか?」
「う…それは……確かに」

「あ、あ。蒼羽ちゃん。灯里ちゃんに聞いてみればって言ったのは、私なの」
「アテナ先輩?」

-ありがとうございます。

アリスは心の中で、アテナに頭を下げた。
アテナはわざと、そう言う事で、アリスをかばってくれたのだ。

「ふーん」
蒼羽は、アリスとアテナの顔を見比べてから、おもむろに言った。

「ちゃんと許可は取ったの?」
「あ、うん。ちゃんと寮長と部長には、私から話をして許可はもらってるから……」

『嘘がへたね』
アリスは、蒼羽の唇がそう動くのを、はっきりと見た。
でっかいバレてる!?
 
だが蒼羽は、先ほどと変わらぬ口調で話を続ける。

「そう。ならかまわないけどね。
 ほらほら、ペアも、シングルも、浮かれてないで、さっさと自室にもどって、自習でもしなさい。
 いずれあなた達が、この子のようなプリマにならなければ、いけないのよ」
 そして蒼羽は、そこにアトラと杏の姿を認めると-
「二人とも、明日は早朝から練習だ。早く休めよ」
 そう言うだけ言うと、蒼羽は後をも見ずに、その場を離れていった。

若いペアの何人かが、その背中に舌を出す。
「アッディエ-トゥロ・アーレア」
「アッディエ-トゥロ・アーレア」
笑いながら、ささやきあっている。
 

『アッディエ-トゥロ・アーレア?』 後方危険?




「はひい。びっくりしました」

カポーンッ

湯煙が上がる。
ここは大浴場。

オレンジ・ぷらねっとは完全寮制で、二人にひとつの部屋が与えられている。
それぞれの部屋にも、シャワー程度の簡単な入浴設備はあるのだが、大部分の社員は、一日の疲れを癒すため。この大浴場を使っていた。
 
もっとも。
今、この大浴場を使っているのは、灯里。アリス。アテナ。杏。アトラ。そして、アリア社長の六人だけだったが。

「まるで、姫屋の晃さんみたいだったですねぇ」
「ぷいにゅう……ふ」
 灯里とアリア社長が『どっかに行ってしまいそうな』勢いで言う。
 
あの後、妙にしらけた雰囲気になって、シングルやペア達は、自室にひきあげていった。
 
それじゃあ-と帰りかけるアトラと杏に、アテナがお風呂に誘ったのだ。

「オレンジ・ぷらねっとにも、ああゆう人がいたんだぁ……」
「ぷいぷいにゅうぅぅぅぅ」
ぷかぷかと、アリア社長が流されていく。

「あの人は、違う」
そんなアリア社長を見送りながら、アトラが小さくつぶやいた。
「ほへ?」
「あの人は、姫屋の晃さんのように、思いやりはないわ。ただ叱るだけで……」
「ええ? でも、そんな風には見えなかったですよ」

「確かに言ってる事は正しいの。完璧なくらい。
 でもね。あの人は、私達の今まで学んできた事、すべてを全否定するような言い方をするのよ」
「全否定……あっ。」
 灯里は思い出した。
 トラゲットの時、弱気になったアトラが、ついこぼした言葉。


 -私達の教官は、いつでも全否定してくる。


「アトラさん。それってもしかして……」
「そう」
 アトラは、うつむいている杏を横目で見ながら言った。

「あの人が、私と杏の指導教官よ」

 
 オレンジ・ぷらねっとでは、何人かのシングルやペアに、ひとりの指導教官がつく。
 現役のプリマの時もあれば、ウンディーネを引退して、会社の職員として参加する事もある。
 そうやって、マンツーマンで、後輩を育てていくのだ。
 それは、より、きめ細やかな指導を受ける事ができるというメリットの反面、
 その教官と後輩の「ソリ」が合わなければ、時には修復不可能な程の、深い溝をつくるという、デメリットも抱えていた。


「実際。教官と合わずに辞めていく子も多いのよ」
アトラがつぶやくように、言葉を繋げる。

「はひ……」
「その逆に、教官が変わったとたん、伸び始める子もいるわね」
「そうなんですか……」

超少数精鋭主義のARIA・カンパニーでは想像できない事だ。
でも……と、灯里は思う。
もし、アリシアさんが、晃さんやアテナさんだったら……
もちろん、二人ともアリシアと並んで「水の三大妖精」と言われる人達だ。
その技術にせよ、人格にせよ、アリシアに劣るところは、何一つない。

でも……
晃さんにしごかれる私。
アテナさんのドジっ子に振り回される私。

……………
……………
……………

はひ!
やっぱり、私はアリシアさんと出会えて、すごく幸運だったのだ-と、思う。
アリシアさんの優しさがあったからこそ、今の自分がいる。
それは、私とアリシアさんが、あんなにも深くつながりあう事ができた奇跡なのだから……


「あっ。そういえば『アッディエートゥロ・アーレア』ってなんですか?」
「え?」
「あ、あの。ペアの子達が言ってたんです。蒼羽さんの事。『アッディエートゥロ・アーレア』って」
「ああ。それはね。蒼羽さんのあだ名」
「あだ名? 通り名じゃなくって?」

「そう。蒼羽さんの通り名は別にあるの。
 で、あの通り、蒼羽さんの指導は、いろいろ厳しくて、特に舟の運行…安全確認にはうるさくて……」
「うん。常に安全を。特に後方には、充分注意しろ-って、いつも言うの」
「そう。で、ついたあだ名が『アッディエートゥロ・アーレア。後方危険』ってね」

「ほへえ」
「二言目には、後方確認をってね。 一日に何度も言われるのよ」
「アッディエートゥロ・アーレアか……ほんとうに厳しいんですね」

「ほんとうに………」
アトラが小さな、本当に小さな声でささやく。
「ほんとうに。あの人が指導教官でなかったら、私や杏は、もうとうにプリマになっていたかもしれないのに……」

「アトラちゃん……それは」
「あっ。ごめん。杏。前にみんなに叱ってもらったのに。ごめんね」
あわてて言いつのる。
アテナやアリスがいる前で、言うべき言葉ではなかった。
だが、そんな時こそ、人の本音は出てしまうのだ。

「アトラちゃん、杏ちゃん。お風呂上がったら、少し部屋に来ない?」
「アテナさん?」
「二人に聞いてほしい話があるの」



-同時刻。

当の『アッディエートゥロ・アーレア』こと、蒼羽・R・モチヅキは、
オレンジ・ぷらねっと人事部長のアレサ・カニンガムの執務室に呼ばれていた。
「食堂で何かあったの?」

アレサ・カニンガムは、ある意味、オレンジ・ぷらねっと最大の功労者だ。
オレンジ・ぷらねっと創設時に吸収合併された、それまで中堅だった水先案内店から移籍とゆう形で、最初からプリマとして入社した彼女は、初期のオレンジ・ぷらねっとを支える、重要な人材だった。
 
やがて若い頃の無理がたたって、プリマを引退した後、請われて人事部長になったアレサは、かずかずの社内改革を実行。
彼女の本当の真価は、この時から発揮されたといってもいい。
 
有望たる新人の早期確保。完全寮生活の確立。新しい観光案内の開発、等々。
その結果、オレンジ・ぷらねっとは、それまで常に一位として君臨していた、老舗の姫屋を押しのけて、わずか十年で、堂々、営業成績第一位の水先案内店へと、発展していったのだ。
 
彼女が行った革新的な運営は、業界、第三の波として、いまだに語り継がれていた。


「いえ。なにもありません」
蒼羽はけれど、アテナやアリスの規則違反の事など、おくびにも出さずに言った。

「そう、ならよいのでけど。最近、規則をやぶる子が多くて困ってるの」
「そうですか。でも時には、外の風を入れてみるのも、気持ちいいものです」
蒼羽はことさらに言った。

「そうね。時には必要かもね」
アレサも微笑みながら答える。
それはすべてを、お見通しな微笑みだった。


「ところで、今日あなたを呼んだのは、そんな事じゃないの」
「はい」
「単刀直入に聞くわ。あなたが指導しているウンディーネで、昇格する見込みのある子はいる?」
「います」
 蒼羽は迷いもなく即答した。

「何人かのペアは、もう少しでシングルになれます。シングルも、もう少しでプリマになれるヤツはいます。
 特にアトラ・モンテヴェルディと夢野・杏の二人は、最有力候補です」
「そう……」
アレサは書類をめくりながら言う。

「でもアトラはもう一年近く、昇格試験を受けていない。それに杏は、この前の昇格試験に、また落ちた」
「もう少し。もう少しなんです。
 もう少しで二人とも、プリマになれます」

「余計なペアやシングルをかかえている余裕はないの」
「………」
「私から直接、昇格試験に対して、あれこれ言う事はできない。でも、覚えていて」
アレサは、それまでとは、まったく違う冷たい声で言った。
「必要以上に手間のかかる育成は、不必要です。そして、それを是とする指導教官も」

「部長しかし」
「今言った言葉。よく覚えておいて。 話は以上です。退席してよろしい」
 
なおも言いつのろうとする蒼羽を無視して、アレサは手元の書類に視線を移した。
 それはもう、話す事は何もないという、アレサの無言の意思表示だった。
「……失礼します」
 ゆっくりと扉の方へ歩いて行く蒼羽の背中に、不意にアレサの声がつきささった。

「あの子のこと、まだ気にしてるの?」
 扉のノブを持つ、蒼羽の手が一瞬止まる。
「あの子のことは、あなたの責任じゃない。それは、みんなも分かっているわ。そう、あの子自身もね。
 でも、あなたは、いつまでそれを背負っているつもりなの?」

「…………」

蒼羽は無言で、そっと扉を閉めた。
それ以上、中からアレサの声が聞こえる事はなかった。




「私の同期で、指導教官として誰よりも早く、プリマを育て上げた子がいるの」
アテナは、ゆっくりと話始めた。

「その子は、もちろんプリマとしても優秀で、指導教官としての技量も、とても確かなものだった。
 だけど、その子が、一番早くプリマを育て上げられたのには、理由があるの」
「理由……ですか」
「うん。その指導教官と、そのプリマになった子とは、とても相性がよかったの」
「相性……」

「二人とも、そばで見ている私達が恥ずかしくなるくらい仲良しで、信頼し合っていた」

ふとアリスは、昔、アリシアが自分と灯里との絆を言葉にした時の事を思い出した。
曰く。私と灯里ちゃんとは、一心同体なのだと。

「そして彼女は、その指導教官のもとで、誰よりも早くプリマに昇格した」
「でっかい優秀だったんですね」
「うん。確かに彼女は、とても優秀なプリマだったわ。でも……」
「でも?」
「でもある日。その子が事故をおこしてしまったの」

「え。ゴンドラクルーズの最中にですか?」
「ええ。風が強い日だったわ。そして事故そのものは不可避な事だった。舵が故障したヴァポレット(水上バス)が
 後ろから彼女のゴンドラに突っ込んだの」
「ヴァポレットが……」
あんな大きな船が突っ込んできたなら、ゴンドラなんかひとたまりもない。

「幸い、お客様には怪我もなく、すぐ助けられたんだけど、その子自身は、腕を痛めてしまったの」
「腕を…ひどかったんですか?」
「ええ。普通に生活するには問題ない程度だったんだけど、私達のように、正確なオールさばきをしなければならない
 ウンディーネにとっては、致命的な怪我だった」
「………」

「そして、その事故には、もうひとつ問題があったの」
「もうひとつ?」
「ええ。彼女は、その時の運行予定表を提出していなかったの。飛び込みの仕事だったから。
 だから、その事故の事を、会社や協会が知ったのが、ずっと後になってしまったの」
「それって……」
アリスが何かに気がついたように、灯里の顔を見た。
 
灯里も気がついた。
それは昔、まだ二人がプリマになる前、姫屋の藍華と勉強会を開いた時、テキストとして読んだ事のある事故だった。

「結局、その子はウンディーネを引退せざるを得なかった。腕を痛めたのも原因のひとつだけど、
 なによりも書類を出していなかった事が、一番の問題だった」
「…………」
「会社や協会にとって、規則違反はなによりも問題視されていたから」
「…………」

「その子の指導教官だった、私の同期の子は、苦しんだわ」
「で、でも。 それはその人のせいじゃ……」
「私達もそう言ったわ。でも、彼女は納得しなかった。いえ、しようとしなかった。


もし自分が、もっと厳しく彼女を指導していたら、事故を避けられたかもしれない。
もし自分が、もっと厳しく彼女に操舵を教えていれば、腕を痛める事はなかったかもしれない。
もし自分が、もっと厳しく彼女に規則を教え込んでおけば、後で問題になる事はなかったかもしれない。
もし自分が、もっと厳しく彼女をプリマに昇格させなければ、引退させる事はなかったもしれない。
もし自分が、もっと厳しく彼女を思っていたなら、彼女の夢を壊してしまう事はなかったかもしれない。
もし自分が、もっと厳しく、もっと厳しく……って。
 
 そうやって自分を責めていたの。

指導教官だった子は、その子がオレンジ・ぷらねっとを去った日から、三日三晩、泣き通したわ。
ようやく、四日目に部屋を出てきた彼女は、それまでと違って、ほとんど笑顔を見せる事はなくなっていた。

そして、ゴンドラクルーズさえ止めてしまった」

「それって…プリマを辞めたって事ですか」
「基本的にはね。彼女は専任の指導教官になった」
「専任……の」
「そして彼女は、プリマの昇進試験には、ことさら厳しい指導教官になったの」
「アテナさん。その指導教官の人って、まさか……」
 アトラが、かすれた声で聞く。

「そう」
 アテナはつらそうに小さく言った。
「蒼羽ちゃんよ……」



 

 蒼羽は夢を見ていた。
 悪夢だった。

 風が吹いていた。
 二人の髪を小さく揺らしながら。
 彼女が行ってしまう。
 誰よりも信頼し、誰よりも信頼してくれた彼女が行ってしまう。
  
 プリマになるのが、夢なんです。
 
 そう言った彼女が。
 そう言っていた彼女が。
 そう言って瞳を輝かせていた彼女が。
 
 まばゆい光の中。痛いくらいの日差しの中で、彼女は大きな荷物を胸に抱き、泣いていた。
 
 ごめんなさい-と、泣いていた。
 蒼羽も泣いていた。
 ごめんね-と泣いていた。
 
 私は、あなたの力になれなかった。
 私が、あなたの夢をつぶしてしまった。
 私がもっと強ければ。 
 私がもっとしっかりしていれば。
 あなたが、夢を捨てることはなかった。
 あなたの夢を、捨てさせることはなかった。
 
  さようなら
 
 彼女が言う。
 
  さようなら。
 
 行かないで。
 声は出ない。
 
 お願い。
 行かないで。
 声は出ない。 
 心が張り裂けそうに叫んでいるのに、声は出ない。
 
 ごめんなさい。

 彼女は行ってしまった。
  
 ごめんなさい。
 
 あざやかな光の中で、悲しげに、そっと微笑みながら、彼女は行ってしまった。
 
  ごめんなさい。
 
 その背中に手をのばす。
 でも届かない。届かない。届かない。
 彼女が振り返る。
 何事かを伝えるように、その唇が動く。
 
 でも。
 聞こえない。
 彼女の声は聞こえない。
 吹き抜ける風が、彼女の声をさらっていく。
 
  ごめんなさい。
 
 でも、それは。
 後悔か怒りか、それとも呪詛の言葉か。
  
  ごめんなさい。
 
 そして彼女は、真っ白な光の中に消えていってしまった。
 風が駈けぬけてゆく。
 
  ごめんなさい。
  ごめんなさい。
  ごめんなさい。

 蒼羽は、眠っていた。
 謝りながら眠っていた。
 それは、とびきりの悪夢だった。





「ほんとは、彼女は誰よりも優しいの」
 アテナがつぶやく。

「ほんとは、誰よりも優しいのに、ああいう言い方をするの。
 それはなによりも、二度とあの子のようなウンディーネを出さないために……
 そういう生き方を選んでしまったの」
「………」
 
部屋の中に沈黙がおりる。
誰もがなにひとつ言わない。
響くのはただ、アリア社長と、まぁ社長の寝息だけ。

「アトラちゃん、杏ちゃん。だから私、あなたたちに蒼羽ちゃんの事を……」
アテナが言い続けようとした時。
 
 トントン-と。

誰かがドアをノックした。

「はい。どなたですか?」
アリスがあわてて駆け寄って訊ねる。

「夜分にごめんなさい。灯りがもれていたものだから」
そう言って、顔をのぞかせたのは、アレサ・カニンガムだった。


「アレサ部長!?」
「こんばんは。あなた達、夜更かしが楽しいのは分かるけど、ほどほどにね」
「はい」
「すいません、部長。もうお暇するとこでした」
「アトラに杏ね。 早く休まないと、明日は朝から練習があるのではなくって?」
「え。は、はい。その通りです」
「そんな事まで、ご存知なんですか」
「もちろん。私は全社員の顔と名前。明日の予定なんかも、ちゃんと知ってるわ。悪い事はできないわよ」

 うふふ-とアレサは笑った。

「はへえ…オレンジ・ぷらねっとの全てのウンディーネさんの顔と名前。全部ですか。すごいです」
「まあ人事部長ですから……」
 アレサは苦笑を浮かべた。
 そこで気がついた。

「あれ、あなたはウチの社員じゃないわね。確かARIA・カンパニーの」
「はひ。失礼しました。ARIA・カンパニーの水無灯里です。こちらは、アリア社長です」
 灯里は、いまだに大いびきで寝ている社長を紹介した。
「こんばんは。灯里ちゃん。そう、あなたが風なのね」
「はひ? 風?」

「ううん。なんでもないの。 それより、こんな夜中までいったい何を?」
「えと、ちょっと昇進試験の事を……」
「そう…アトラ、杏。 指導教官の蒼羽は厳しい?」
「は、はい」
「とても、厳しいです。…でも」
「でも?」
 
アトラと杏は、まっすぐにアレサの顔を見た。

「私達、めげません。絶対プリマになります」
「はい。何度でも、自分をやわっこくして挑戦します」
「そう……」
 
アレサはアテナに視線を移す。

 『 しゃべったわね 』
 
その目は、そう語っている。
アレサには、隠しごとはできない。
なにしろ、アテナの指導教官だったのが、アレサなのだ。
アテナはあわてて視線をそらそうとして、目を回してひっくり返ってしまった。

「わあっ。アテナさん大丈夫ですか?」
「アテナさん。しっかり」
「ホントに、でっかいドジっ子さんです」
 
オレンジ・ぷらねっとの社員達が、あきれながらもアテナの世話をやいている横で、灯里に近づいたアレサが、その耳元で、そっとつぶやいた。

「灯里ちゃん。あなたにちょっと頼みがあるの」
「は、はひ? なんでしょうか」

アレサは、いたずらっ子のように微笑んだ。


「あなたに、風になってほしいの」




朝の目覚めは最低だった。
同室のペアのウンディーネは「先に行きます」と言って、出て行ってしまった。
自分が疎ましがられている自覚はあった。
だけど……
 
あの子も、もう少しでシングルになれる。希望の丘に行ける。
そうすれば、いずれきっとプリマに………やめよう。
 
蒼羽はかぶりをふった。
未来はどうなるか分からない。
それに-
 
プリマになって、幸せなのかどうか。
それすらももう、今の蒼羽には分からなくなっていた……



「おはようございます」
「お前、なんで……」
蒼羽がゴンドラ乗り場に来ると、アトラや杏のほかに、灯里までが待っていた。

「私も、ご一緒させていただいて、いいですか?」
「はあ?」
「あの、私もいずれ後輩を指導しなくちゃいけないんで……蒼羽さんの指導方法を、教えてほしいんです」

「断る」
蒼羽は即座に一蹴した。

「ここはオレンジ・ぷらねっとだ。ウチにはウチのやり方がある。それをわざわざ、なぜ他社のお前に教えねばならん」
「ええ~ぇ」
「まあまあ、蒼羽。そう言わずに」
「アレサ部長?」
いつの間にか、アレサが蒼羽の背後に立っていた。

「私がね。灯里さんにお願いしたの」
「お願い……なぜです」
「そうね……実はこれはアリスからの相談……とゆうか企画なのだけど、私は将来的に合同クルーズっていうのを考えてるの」
「合同…クルーズ?」

「ええ。例えば灯里さんのゴンドラ・クルーズを受けたいって、お客様が多いとき、ウチから何隻か舟と人をだすの。
 そうすれば、お客様は灯里さんの観光案内を受けられるし、灯里さんは、より大勢のお客様と触れ合える。
 ウチは、それだけで、お客様を増やす事ができて、なおかつ、シングルやペアの練習にもなる。一石三鳥ね」

「なんか、ウチにばかり有利な気がしますね」
「あら。ちゃんとしたギブ・アンド・テイクよ」
アレサは営業スマイルを浮かべた。

「今日は、それの試金石」
「おい。アンタはそれでいいのか?」

アレサの攻略は無理-とみた蒼羽は、矛先を灯里に向けた。
「つまりは、ウチにいい条件で、アンタはこき使われるって可能性もあるんだぜ」

「は、はひ。私はぜんぜん構いません。より多くのお客様に触れ合うことができれば、それだけで幸せです」

「ったく。とんでもない甘ちゃんだな」
ちっ-と蒼羽は舌を鳴らす。

「はいはい。ぶつぶつ言わない」
「ぶつぶつぶつ……」
「それに、どちらにせよ今日、明日って話じゃない。あくまで将来に対する投資のひとつよ」
「あなたが、ただ投資をして、回収もしない-なんて思えませんけどね」
「蒼羽。なんなら、部長命令って形にしてもいいのよ」
 一転。アレサが恐い声を出す。

「どうなの。行くの? 行かないの?」
「分かりました。分かりました。行きますよ。一緒に連れて行けばいいんでしょ」
「物分りがよくて、たいへん、よろしい」
「やれやれ……おい。アンタっ」
「は、はひ」
「一緒に同行するのは許すけど、私の指導に対しては、いっさい口出しはさせないからな」
「は、はひ」

「それから、邪魔になるようなら、即刻、帰ってもらうぞ」
「は、はひ。分かりました」
「じゃあ。出発だ。アトラ、杏。行くぞ」
「『 はい 』」
二人の声がかぶった。
「行ってらっしゃい」
アレサは小さく手を振り、見送った。


「アトラ。返しが遅い。大きい」
「はい」
「杏。観光案内は、もっと簡素に、はっきりと」
「はい」
「二人とも、常に後方を確認しろ。安全に、もう充分-はない」

 「『 はい 』」

蒼羽は、次々にアトラと杏に指示を出しながら、妙な違和感を感じていた。
 
 -二人とも、いつもと違う。
 
いつもなら、微妙な倦怠感や疲労感。嫌悪感ともいうべきものが、この二人から感じられるのだが、今日はまるで違っていた。
そう。まるで人が変わったような……
 
 なにか、あったのか?

 
不意に風が吹き、花びらを巻き上げる。

「うわあ。 気持ちのいい風ですねぇ」
蒼羽の背後から、なんとも間の抜けた声が聞こえてくる。

「まるで、花びらの妖精さんがダンスしているみたい」
「おい。アンタっ」
 こめかみに血管を浮かび上がらせながら、蒼羽は叫んだ。

「なにのんきな事、言ってるんだ。今、私達は練習中なんだぞ」
「え~でも、蒼羽さん。見てください。こんなに素敵ですよぉ」
そう言って灯里が指差す方を見れば、そこにはたくさんの花びらが、まるで降るような激しさで舞い踊っていた。
蒼羽もつい、その光景に見とれてしまった。
 
「素敵ですねえ。えへへ」
灯里が、ほんとうに楽しそうに笑う。
 
その横顔を見て、蒼羽は、ハッとした。
その横顔が、あの子と一瞬、重なって見えたのだ。
 
呆然と灯里を見つめる蒼羽。
にっこりと微笑む灯里。

「蒼羽教官?」
杏の声が、蒼羽を引き戻す。
 
 
ばかばかしい-蒼羽は、吐き捨てるように呟いた。
このプリマとあの子は、ぜんぜん違う。
顔も髪型も声も容姿も、ぜんぜん違う。
 
だが-その瞬間。灯里と彼女は重なった。
 
なぜ。

「……アンタ、プリマになって幸せか?」
蒼羽は灯里の顔を見もせずに、苛立だったようにたずねた。
「はひ?」
「だから……」
蒼羽は、そんな自分に驚きながら、声を荒げた。

「アンタは、プリマになってホントに幸せなのかと聞いてるんだ!」
 
アトラや杏が、驚いたようにこちらを見ていた。
 
 -かまうものかっ。
 
だが、なぜ私は、こんなにも苛立っているんだ?

なぜ。
なぜ。
何故。


「はひ。私はプリマになれて、とっても幸せです」
 そんな蒼羽の苛立ちなど、簡単につき崩してしまうような、素直で穏やかな声。

「アクアには、こんなにも素敵が満ちていて。その素敵を、お客様と一緒に分かち合いながら、舟を漕いでいける。
私はプリマに…いえ、ウンディーネになれて、とっても幸せです」
灯里が舞い上がる花に囲まれながら、にっこりと微笑んだ。
 

  私、ウンディーネになれて、よかった

 
ああ……
あの子も、確か、そう………


ヴォオオオオオオオオ!
  

警笛が響き渡った。

-突然
背後から蒼羽達のゴンドラめがけて、ヴァポレットが突っ込んできた。

「危ない!」
「後ろ!!」 

アトラと杏が叫ぶ。 
とっさに左右に分かれる蒼羽と灯里達。
ヴァポレットはそのまま、水路の壁に衝突して止まった。

衝撃で、ゴンドラが激しくゆれる。
蒼羽は必死にゴンドラにしがみ付いた。
 
悲鳴が聞こえる。

 
 これは。
 これはあの時と同じ。
 あの子と。
 同じ。


「アトラっ。杏っ。 大丈夫か!?」
ヴァボレットの影に隠れて二人の姿が見えない。
あのARIA・カンパニーのプリマの姿も見えない。

蒼羽の顔から血の気が失せる。
 

叫んでいた。
「アトラ。杏。返事をしろっ」

 汗がしたたり落ちる。
 おびえている?
 私はおびえている?

「アトラ。杏っ」

叫ぶ。
声を痛める?
…………
…………
…………
関係あるかあ!
叫ぶ。絶叫する。

「アトラ。杏。返事をしろ!」

 いやだ。いやだ。いやだ。
 また失うのは、いやだ。
 アトラも杏も、あのウンディーネも。
 もう。
 いやだっ。

「アトラっ」
「杏っ」
そして-

「灯里っ!」


「は、はひい…だ、大丈夫ですぅ」
間の抜けた返事が聞こえる。

「私達も大丈夫です」
アトラと杏が、ヴァボレットの影から顔を出す。

「ああ。びっくりしました」
最後に灯里が、のんびりと顔を出した。

 
この、この、この……
刹那。蒼羽の胸に、殺意に似た感情が芽生える。
が、そのまま蒼羽は、ゴンドラにへたり込んでしまった。

「はわわ。蒼羽さん大丈夫ですか?」
「蒼羽先輩」
「教官っ」
 あたりは、救助の人や野次馬が集まって来て、一度に騒がしくなった。




「大変だったわね」
オレンジ・ぷらねっとに帰りつくと、そう言ってアレサ部長が迎えてくれた。

「あのヴァボレットは舵の故障だったみたい。一度ならず二度までも。ウチの会社はヴァボレットにうらまれてるのかしらね」
アレサは笑顔で言った。

「笑い事じゃないですよ……」
それに対する蒼羽の答えは、ひどく気だるげだった。

「今回は、ウチのウンディーネも含めて怪我人ゼロ。事故処理も早く終わって、何事もなし。
 でも、こんな幸運は一度きりです」
「そうね。会社からもゴンドラ協会からも、ヴァボレットの運行会社には抗議しておくわ。不幸な事故は一度で十分よ」
「…………」

「それにしても……」
アレサは灯里達を見回しながら言った。

「ほんとに、誰にも怪我がなくてよかったわ。灯里ちゃんはともかく、アトラと杏は、よく気がついたわね」
「はい」
「私達。蒼羽教官に鍛えられてますから」
「あ?」

「『 常に後方確認 』」
 
二人の声がハモる。

「『 アッディエートゥロ 』」
「『 アーレア!! 』」
 
 くそっ。
 ああ…この二人。
 知ってるんだな。

蒼羽は苦笑する。

アレサ部長の差し金か…なら、あのウンディーネも……

「あの、蒼羽さん」
「あ? なんだい?」
 そのウンディーネが立っていた。

「あの……私の事、心配してくれて。
 私の名前も呼んでくれて……嬉しかったです」
「いや、別に、それは……」

「ありがとう」

 え?

「ありがとう」

 灯里が、こぼれるような笑みを浮かべる。

 不意に蒼羽は、思い出す。

「ありがとう」

 それは彼女の最後の言葉。
 彼女と重なる灯里の姿。
 
そうだ。
彼女は最後にこう言ったのだ

「ありがとう」と-


 『 少しの間だったけど、プリマになれて、夢をかなえる事ができて、ありがとう 』

彼女は去り行くあの時、確かにそう言ったのだ。

 あなたと出会えて。
 プリマに、いえ、ウンディーネになれて……

 『 幸せでした 』

 
ああ。
思い出す。
思い出す。

彼女の言葉。
彼女の最後の言葉

 『 ありがとう。 私、幸せでした 』

灯里の微笑み。
彼女の微笑み。
重なる、二人の微笑み。


ゆっくりと、硬い氷が溶けていくように。
静かな波間に、風が、ゆるやかな波紋を広げていくように。
蒼羽の心がほどけてゆく。
 
最後の時。
彼女の口が紡いだのは、後悔でも、怒りでも、もちろん呪詛の言葉でもなかった。


 ただ、ありがとう-と。
 ただ、幸せでした-と。

 
彼女は、そう言っていたのだ。
なぜ、私はそれを忘れていたのだろう。

突然-
蒼羽は自分が泣いている事に気がついた。
頬を、幾筋もの涙が零れ落ちてゆく。
 
 -なぜ?
  なぜ私は泣いている?

だが、その答えが出る前に、蒼羽は崩れ落ちた。 
 

「蒼羽教官?」
「ど、どうしたんですか?」
ひざをついて、顔を覆いながら、嗚咽する蒼羽。
あわてて駆け寄るアトラと杏。

その様子を驚いて見ている灯里に、アレサが近づいて小さく言った。
「ありがとう」
「はひ?」
「あの子のこころに、新しい風を吹き込んでくれて……」
「はひい?」

「あなたはホントたいした子だわ。ウチに引き抜きたいほどよ」
きょとんとする灯里。
その髪を、風が揺らしながら通りすぎてゆく。

「いい風ね」

アレサもまた、風にそよぐ自分の髪を押さえながら、そう言った。





 
それからしばらくたった、ある日の午後。
 
蒼羽は、サンマルコ広場でカフェ・フローリアンのカフェラテを、ひとり優雅に飲んでいた……ハズだった。
それなのに。

「なんで、アンタがここにいるんだ……」
「ほへ?」

せっかくのオフの日だとゆうのに、蒼羽はアレサの『部長命令』の一言によって、
ここで彼女を待っていたのだ。

だが、そこには先客として、灯里やアリス。杏やアトラ、それとなぜか、カフェ・フローリアンの店長までもが同席し、楽しそうに談笑していた。

「私はここで、ひとりでお茶していたいんだ。それがなんでこんな……」
「そうそう。 蒼羽さん。お噂、聞きましたよ」
「人の話聞けよ。 …って、噂ってなんだ」
「はひ。今や、オレンジ・ぷらねっとの蒼羽さんは、水先案内人業界NO-1の指導教官だって」

 ぐうえ。と、蒼羽は変な声を出して、むせ返った。

「は、はあ? 誰だ、そんなこと言ってるヤツは?」
「えっ? でも、この話、もうみんな知ってますよ? 
 姫屋の晃さんか、オレンジ・ぷらねっとの蒼羽さんかって」
「おいおい。姫屋の晃さんと比べられてもなぁ。
 まあ、光栄な話だけど。 
 私はゴンドラ・クルーズはやらないしなぁ……」

「蒼羽教官。ホントにもう、ゴンドラ・クルーズは、なさらないんですか?」
 横で話を聞いていたアリスが訊ねる。

「教官なら、トップ・プリマになる事だって、でっかい夢じゃないのに……」
「ありがとう、オレンジ・プリンセス」
 蒼羽は心からの笑顔を見せた。


トップ・プリマ?
「私はそんなものに興味はない。どれだけのプリマを育てられるか。
 どれだけ素敵なウンディーネ達に出会えるか?
 今の私には、その興味しかない」



「いい台詞(セリフ)ね」
アレサがひとりの女性を伴って歩いてきた。

「部長。遅いっス」
その顔を、ろくに見もせずに、蒼羽は文句を言った。
「ごめんなさい。ちょっと打ち合わせが押しちゃって」
「へえへえ。 で、私なんかを呼び出して、何の御用ですか?」

「こないだ話をしていた合同クルーズの件。こちらの観光会社の方がのってくれてね。
 そこで今度、ウチからプリマ一人と、シングル二人を出して、ARIA・カンパニーとの合同ツアーを企画したの」
「え。それじゃあ、蒼羽さんやアトラさん、杏さんと、一緒に漕げるんですか?」
灯里の顔が輝く。

ホントに甘ちゃんだなぁ……
蒼羽はタメ息をついた。

「部長。私はゴンドラ・クルーズはしませんよ。アリスに言ってください。それに……」
蒼羽は、アトラと杏の方を見た。
「あの二人はダメです」

「そ、そんな。蒼羽さん。アトラさんも杏さんも、もう立派なウンディーネです」
「そうです。先輩お二人の技量は、この前の事故の時でも、でっかい証明できたじゃないですか!?」
 灯里とアリスが、口をそろえて言う。

「あ、あ。ありがとう。灯里ちゃん、アリスちゃん。でも、大丈夫よ」
「う、うん。私達なら大丈夫。もっと何度でもチャレンジしてみせるから」
 アトラと杏も、負けじと言う。

 -ふふふ。
  つい、笑みがこぼれる。
  おかしい。おかしい。
  こいつは傑作だ。

 あははは。

とうとう、こらえきれなくなって、蒼羽は声をあげて笑い出した。
みんなが、きょとんとした顔で、こちらを見ている。


 ーああ。なんて甘いんだ!?


「みんな何を言ってる?」
蒼羽は笑いすぎて流れてきた涙を指でぬぐいながら言った。

「私が、この二人がダメだと言ったのは、アトラも杏も、もう『シングル』じゃ、なくなるからだ」

「ほへ……」
「蒼羽先輩…それって、でっかい、もしかして……」
「ああ。その通り。おい。アトラ。杏」

「『 は、はい 』」

「今度のオフの日。一日空けておけ。いいな。で、アトラっ」
「は、はい!」
「前の昇級試験から日にちは経っているが、それは言い訳にはさせんからな……杏っ」
「はい」
「次こそは受かってもらうぞ。私にこれ以上、手間をとらせるな。
 んで……アリスっ。灯里ちゃん」
「は、はひ!」
「ひ……」

「すまないが二人は、こいつらに協力してやってくれ。私が目の届かないところを、よろしく頼む。
 こいつらも、いろいろ聞きたいこともあるだろうしな」
「は、はひっっ」
「で、でっかい了解です」

「もちろん。何事も安全第一」
 蒼羽は、ウィンクと共に言った。


「アッディエートゥロ・アーレアだ」

 
 わあ!-と

灯里とアリスが、アトラと杏に抱きつかんばかりに迫ってゆく。
四人とも、とびきり輝いている。
アトラと杏が、まるでもう、プリマになったような騒ぎ方だ。

そんな、はしゃぐウンディーネ達を見ながら、蒼羽はふと思った。

もし、この場に彼女がいたら、どう思うだろう。
この子達の事を、どう思ってくれるだろう。
 
蒼羽にはしかし、確信があった。
きっと……
彼女なら、祝ってくれる。
笑顔を見せてくれる。

 きっと……

「きっと。一緒に喜んでくれるんだろうな……」


「はい。もちろんです」


  ざああああああああっ。


サンマルコ広場に、風が舞い踊る。
つられたように、広場の白い鳩達がいっせいに飛び立った。

「そんな、まさか……」

蒼羽の目が、アレサが連れてきた女性にそそがれる。

「お前……」
「はい。お久しぶりです。蒼羽さん」

彼女は泣きながら、にっこりと微笑み、蒼羽を見返した。

 

その日。
サンマルコ広場にいた人々は、異様な光景を見ることになる。
ひとりのウンディーネが。
それも、オレンジ・ぷらねっとのプリマが、ひとりの女性と抱き合いながら、大声で泣いているのだ。


「彼女、ウンディーネを辞めたあと、マン・ホームの旅行会社に就職してね。ゴンドラ・クルーズのツアーコンダクターになったの。 
 少しでも、ゴンドラにかかわる仕事をしたいってね。
 そしてこれが、彼女の初めての企画。
 これから彼女は、こういう形で、ウチと関わっていくわ……お帰りなさい」


アレサが誰に言うともなく、ひとりごちた。


再び。
サンマルコ広場にいた人々は、異様な光景を見ることになる。
ひとりの女性を中心に、何人ものウンディーネが固まって歓声を上げているのだ。
真ん中の二人は大泣きし、まわりのウンディーネ達は笑顔で歓声を上げている。

なかでも、青い制服のウンディーネは、泣きながら笑うという器用な表情を浮かべながら「素敵」だの「奇跡」だのと叫んでいる。
そして、その足元では、白くて太い火星猫が、斑な子猫に腹を噛まれて悶絶している。

 異様な光景。
 喧騒と奇声。
 
だがそれは、道行く人々に、なぜか暖かいものを感じさせる。
そんな不思議な光景だった。

大鐘楼の鐘が、何かを祝福するかのように、やさしげな音をたてて鳴り響いた。

穏やかな日差しがふりそそぎ、暖かな風が人々の心を揺らしていく、そんな春の日の出来事だった。






                                     -addietro alea(後方危険)- La fine






 ****************************

【 CM 】
この私のつたない文章に、同じARIA・SS作家の
 流離人さま 「ARIA The AFTER ~another story~ 」 と
 omega12さま 「片腕のウンディーネと水の星の守人達」 の
おふたりが、絵を描いてくれました。

誠に光栄なお話しで、ここに謹んで紹介させていただきます。
ただこのサイトが(恐らくは業者対策のため) 直アド禁止されてるようなので、以下のように変換させていただきます。

流離人さま
蒼羽教官立ち絵
ああ2974いmiteminいnetあi22221あ
蒼羽教官プロフィール
ああ2974いmiteminいnetあi22223あ
おまけのようななにか
ああ2974いmiteminいnetあi22224あ

頭に http: を入れ、「あ=/」で「い=.」と置き換えてください


omega12さま(こちらはラスト。蒼羽と彼女の再会シーンです)
いpixivいnetあmember_illustいphp?mode=medium&illust_id=18835340

こちらは頭に http: // www を入れて
「あ=/」で「い=.」と置き換えてください。

どれもこれもが、とても素適な絵なので、是非ともご覧ください。
この駄文では補えない、素晴らしき情景が目の前に広がります。

改めて、ご両人には感謝の意を捧げます。
ありがとうございました(寿)





[6694] Gran mostro
Name: 一陣の風◆5241283a ID:8350b1a5
Date: 2010/05/05 16:52
三本目のお話を、お届けします。

ごめんなさい。
ごめんなさい。

杏ファンの方、すいません。

ああっっ
投げるモノは、お一人につき、2個まででお願いします(泣)


それでは、しばらくの間、お付き合いください。



  第三話 『Gran mostro』



その日。
ネオ・ヴェネツィアの街は炎に包まれていました。

私も、その炎の中を逃げ回っていました。
街はすでに、瓦礫の山と化し、多くの人々が悲鳴をあげて逃げ回っています。
「杏、こっちよ!」
誰かが私の右手を強くひっぱりました。
右手を見ます。
手袋のない、私の右手。

-あれ?
なぜ、手袋をしていないの?

「早く!」
けれど、そんな疑問も、その切迫した声にさえぎられました。

私の名前は夢野 杏(ゆめの あんず)
この水の惑星アクアの都市、ネオ・ヴェネツィアでゴンドラを使った観光案内をする水先案内人・ウンディーネです。

誰かが、右手をつかんでいます。
その手から視線を上げていきます。
肘が見え、肩が見え。それにつながる顔が現れました。

「アトラちゃん!」
そこには、アトラちゃんの、こわばった顔がありました。

アトラちゃん。
アトラ・モンテウェルディちゃん-は、私と同じウンディーネ。
階級はシングル。

「トラゲット」と呼ばれる、街の中央を流れる大運河、カナル・グランデを横切る渡し舟の仕事を、よく一緒にやっています。
寮で同室の、私の親友。

ちなみに-
「シングル」というのは、このネオ・ヴェネチアの街で観光案内を務める、水先案内人・ウンディーネの階級のひとつで、いわゆる「半人前」

「見習い」のペアよりは上だけど、一人前の「プリマ」に比べてまだ、一人では、お客様を乗せての観光はできない。
そんな中途半端な立ち位置。

だけど-
トラゲットは、そんなシングルにしかできないお仕事。
実は私は、それに、少なからず誇りを持っていました。


走る走る走る。
私は、アトラちゃんに引っ張られるようにして、夜の街を、炎に包まれる、ネオ・ヴェネツィアの街を駆け抜けます。

「待って待って。アトラちゃん」
悲鳴を上げる私に、アトラちゃんは、ようやく止まってくれました。

-はあ、はあ、はあ。

心臓が飛び出しそうです。

「早く、杏。 早くしないと間に合わない」
「ちょ、ちょっと待ってよ、アトラちゃん」
私は、一生懸命、息を整えながら言いました。

「いったい……いったい何が起こっているの? いったいどうして、街がこんな事に?」
「杏……あなた何も知らないの?」
「え?」
アトラちゃんは何も言わず、ただそっとその右手を……手袋をはめた右手を上げて、一点を指し示しました。

「う、うそ……」

私はおもわず息を飲み、両手で口を覆いながら、絶句してしまいました。

そこには-

巨大な赤い怪獣が、街を破壊していました!

号っ。
-と、それは目から怪光線を発射します。
その光を浴びた建物が、爆発的に炎上しました。
あれは、ARIA・カンパニーだ。

轟っ。
-と、それは巨大な足で、建物をなぎ倒します。
ああ。あれは姫屋です。

豪っ。
-と、強烈な突風が、堅牢な建物を、まるでおもちゃのように吹き飛ばしました。
うわあ。オレンジ・ぷらねっとだ。


大鐘楼が音を立てて、倒壊します。
サンマルコ広場が瓦礫に埋まります。
マルコポーロの生家が、踏み潰されます。
ため息橋が強風で、ばらばらに粉砕されます。

今や、ネオ・ヴェネツィアの街は、見るも無残に破壊つくされていました。

「なんなの……」
私は震える声で、アトラちゃんに訊ねました。

「ねえ、アトラちゃん。あれは、いったいなんなの?」
「まだ分からないの?」

アトラちゃんの声は醒めきっていました。

「あれは……あの怪獣の正体は-」

その時、アトラちゃんのその声に反応したかのように、その怪獣が私達に振り向きました。

あああ!
それは!
その怪獣の正体は!!

「大怪獣、アリムッくスよ!」

………………
………………

そこには巨大な、ムッくんのぬいぐるみを着た、でっかいアリスちゃんがいました。
頭の扇風機がまわってるし……

「え……?」
「いや、だから、大怪獣アリムッくス」
「アリムッくス……」
「うん」
「いや、でも……」
「うん?」

「あれ、アリスちゃんだよね」
「ううん。大怪獣アリムッくス」
「アリムッくス……」
「そっ」

「でも。顔アリスちゃんだし…… 体、ムッくんのぬいぐるみだし……」
「杏。今は、そんな事言ってる場合じゃないわ!」
「いや、でも、それなら、いつ言えば……」
「いい?、杏っ」

-びしいっ!

と、アトラちゃんは、人差し指でアリスちゃ…アリムッくスを指差しながら言い放ちました

「今、この街を。ネオ・ヴェネツィアを、あのアリムッくスの脅威から救えるのは、私達だけなの!」
「ええ? どういう……」
「さあ早く。オールを持って」
「いや、だからぁ」
「急いで!」

結局、アトラちゃんは、私の話はひとつも聞いてくれませんでした。
しくしく……
 
いつの間にか私達は、トラゲットの船着場にいました。
そして目の前には、トラゲット用のゴンドラが。

「お待たせしました。今すぐ出ます」
アトラちゃんが声をかけます。
「よろしくお願いします」
ゴンドラに乗っていた人影が返事をします。
街をあぶる炎に照らされた、その人影は……

「灯里ちゃん?」
そこには、ARIA・カンパニーの水無灯里ちゃんがいました。

水無灯里ちゃんは、私と同じウンディーネ。
最近プリマに昇格して、ARIA・カンパニーというお店を、ひとりで切り盛りしています。
灯里ちゃんとは、彼女がまだシングルの時、一緒にトラゲットをした仲です。

「お久しぶりです。杏さん」
「あ、お久しぶり。灯里ちゃん。お元気?」
「はひ。私は元気だけには自信がありますから……」
「うん。私と一緒だね」
「はひ。うれしいです」
「もう、灯里ちゃんってばぁ」
「えへへへ」
「うふふふ」

「ゴルゥらああああ!」

うわ。アトラちゃんがキレたあ!

「のんびり挨拶なんかしてる場合かあ。ほら、杏、早くゴンドラを出して」
「え?」
「そうですよ。杏ちゃん。早く、ゴンドラを出してくださいまし」
のんびりと、微笑みが入った声が聞こえてきました。
「わあっ ア、アテナ先輩!?」

いつの間にか、私の後ろにアテナ先輩が座っていました。

ニンジャですか、アナタは……

アテナ先輩は、やっぱりウンディーネで、同じオレンジ・ぷらねっとの先輩です。
通り名は「セイレーン・天上の謳声」
その通り名の通り、その謳声は圧倒的で、先輩の謳うところ、すべての人達、いえ、街中の動物達さえも、じっと動かず、その歌に耳を傾けると言われています。

ちなみに、通り名とは、手袋なしのプリマ・ウンディーネにのみ与えられる、もうひとつの名前。
一人前の証。
特にアテナ先輩は、姫屋の晃さん。ARIA・カンパニーのアリシアさんと並んで「水の三大妖精」と
呼ばれるほどの、実力を持っていました。

「あ……う。アテナ先輩。なぜここに?」
「何を言ってるの杏。アリムッくスを撃退できるのは、アテナ先輩だけなのよ」
「え、そ、そうなの?」
「そうですよ。杏さん。早く『希望の丘』に行きましょう」
「希望の丘に?」
「そう。そこが決戦の場よ」
「決戦って……」
「さあ杏。 早く、ゴンドラを漕いで」
「う、うん」

その時私は、重要な事に気がつきました。
「アトラちゃん、ダメっ」
「えっ、なにがダメなの」
「私、シングルだから、人を乗せてゴンドラは漕げない。灯里ちゃんか、アテナ先輩に……」
「杏さん、何言ってるんですか? 杏さんは立派なプリマさんじゃないですか。ほら、その右手」
「ええ?」

灯里ちゃんに言葉に、私は自分の右手を見ました。
手袋がない。
シングルの象徴。右手の手袋が。
そういえば、さっきも……
うぞっ!?

「ででで、でも」
私、いつの間に。

「わ、私より灯里ちゃんの方が」
「え、杏さん。私、漕げませんよ。ほら」
そう言って、差し出された灯里ちゃんの右手には、シングルを示す手袋が。

「なんですとぉぉぉぉ?」

「私もアトラさんも、お客様を乗せてのゴンドラは、まだ漕げません。杏さんだけなんです」
「あ、アテナ先輩は……」
「アテナさんは、この後。アリムッくスとの対決のために、体力を温存しないと……杏さん。お願いします」

あ、頭がくらくらする。
いったい、なにがどうなってるの?
私がプリマ?
いつの間に?

…………
…………えへっ。

うれしい。

「杏。さあ早く」
「杏さん。お願いします」
「杏ちゃん。よろしくね」

よし!
私は大きく息を吸い込み、叫びました。

「分かりました。夢野杏。行きま-す!」
ぐっ-と、オールを握る手に力が込もります。



『でっかあぁぁぁい。でっかあぁぁぁい』

大怪獣アリムッくスが、雄叫びを上げながら私達を追ってきます。

「なぜ、追ってくるのぉ?」
私は必死でゴンドラを漕ぎながら、悲鳴のように泣き叫んでいました。

「だって、このゴンドラ。トラゲット専用のゴンドラだから」
灯里ちゃんが、さも分かった事のように言います。
「えええ?」
「アリムッくスは、トラゲットをするのが夢なんです!」

嘘ん……
つか、そんな力強く言われても……そんなハズないじゃない。

『トラゲットぉぉお。私にもぉぉ トラゲットやらせろぉぉぉ』

……………

はい。ごめんなさい。
私はオールを握る手に、いっそう力を込めました。
「希望の丘」は、もうすぐです。


「着きました」
私が息も絶え絶えに、そう告げると、みんなはゴンドラから飛び降りました。

「さあ、行くわよ」
アトラちゃんの掛け声と共に、丘の上へと、いっせいに走り出します。

「だから待って、待って、待ってってば」
私もあわてて、その後を追って行きます。

丘の上では、巨大な風車がいくつも回っていました。

「アリムッくスは?」
「あそこです」
灯里ちゃんの指差す方を見れば、今まさにアリムッくスが、水上エレベーターを踏み潰すところでした。

「最後です、いよいよ最後です。みなさん、さようなら。さようならぁ~あ」
水上エレベーターの管理人さんが、そう言いながら吹き飛ばされます。

……………

大丈夫。水に落ちた。
あの分なら、怪我はありません。  たぶん。

「アテナさん。お願いします」
灯里ちゃんにうながされて、アテナ先輩が一歩前に踏み出します。

「アリムッくスちゃん。いくわよ」
そう言うと、アテナ先輩は、ゆっくりと謳い始めました。
曲は「パルカローネ」です。

『でっかいぃぃ・・・。でっかいぃぃぃ?』

アリムッくスが戸惑ったように首をかしげます。
「いいぞ。アリムッくスが、アテナ先輩の歌に気がついた」
アトラちゃんの声が弾みます。

アテナ先輩の歌声は、夜の闇の中、轟々と燃えさかるネオ・ヴェネツィアの街の炎に乗り
低く、高く、しかし力強く、木霊していきます。

『でっかいぃぃぃ…』

アリムッくスが瞳を閉じ、動きを止めました。
まるでアテナ先輩の謳声を聞き入っているかのように。

そしてアテナ先輩の歌は「ルーミス・エテルネ」に……

すると、どうでしょう。
アリムッくスも、アテナ先輩のメロディに合わせて、謳いだしたではありませんか!

アリムッくスと「セイレーン・天上の謳声」の見事な競演。
それはまるで、無垢な幸せの歌のよう……

やがて二人……いえ、一人と一匹の歌声は、夜のしじまに、やさしく消えていきます。


-ドスンッ。


と、地響きをたてながら、ゆっくりとアリムッくスが、こちらにやってきます。

「危ない。みんなさがって!」
「大丈夫よ」
私の警告の声に、でもアテナ先輩は、ゆっくりと答えました。
「もう、アリムッくスちゃんは、暴れたりしないわ」
「いや、でも」

「大丈夫。アリムッくスちゃん。とってもいい子だから」
「いや、確かにアリスちゃんは、いい子ですけど……」
「なら大丈夫よ」
う~ん、その根拠は、どこにあるのですか?

アリムッくスがゆっくりと近寄って来ます。
大きい。
希望の丘を回る、どの風車よりも、大きいです。


-ドスンッ。


やがて、アリムッくスが、私達の目の前に来て歩みを止めました。

『でっかいぃぃぃ……』
「アリムッくスちゃん。ごきげんよう」
『でっかいぃぃ』
「アリムッくスちゃん。素敵な歌声だったわ。もう大丈夫ね」
アテナ先輩が、やさしく語りかけます。
『でっかいぃぃぃ……」
「さあ、もう何も心配いらないわ。お家に帰りましょう」

そして、アテナ先輩は再び謳い出しました。
この曲は-
「コッコロ」

アリムッくスは、しばらくアテナ先輩の歌に、目を閉じ聞き入っていました。

『でっかいぃ……』

やがてアリムッくスは、ゆっくりと目を開くと、きびすを返します。
そしてそのまま、沖の方へ。

「見て。朝日が……」
灯里ちゃんが、嬉しそうに言いました。

遥かな水平線の彼方。
夜の闇がうっすらと明けていきます。
アテナ先輩の謳声を背に、アリムッくスはゆっくりと、その朝日めざして去って行きました。

「あのアリムッくスが、最後の一匹だとは思えない。私達がおろかな行為をやめない限り、アリムッくスは何度でも現れる……」
アトラちゃんが、小さくつぶやきます。

私は、朝日に照らされた、ネオ・ヴェネツィアの街を見下ろしました。
破壊され、炎に焼かれた、ネオ・ヴェネツィアの街を。
そこは、まるで廃墟のようでした。

だけど-
「大丈夫」
「はひ」
「ええ」

私は…
私達は心に誓いました。

この街を、きっと元通りにしてみせると。
再び、人々の笑顔があふれる街にしてみせると。
再び、おろかな行為で、アリムッくスが現れないようにするのだと。

私達の決意を祝福するように、アテナ先輩の歌声が、やさしく、強く、希望の丘を響き渡っていきました。






「……って夢を見たの」
「なんじゃそりゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
とたんに、みんなからの総ツッコミが入りました。


-えええぇ?


「なんで、杏だけがプリマなの!」
アトラちゃんが、両手で私のほっぺを引っ張りながら叫びます。

-い、痛ひゃい。

「どうして私が怪獣なんですか? なんでなんですか? それもアリムッくスだなんて。でっかい納得できません!」
アリスちゃんが詰め寄ってきます。

「ウチの出番がないじゃないかあ!」
姫屋のウンディーネで、お友達の、あゆみちゃんも机を叩きながら抗議します。

「でも、アリムッくスが最後は朝日の中に、アテナさんの謳声で消えていくなんて素敵ですねぇ」
灯里ちゃんが、楽しそうに言ってくれました。 ありがと。

「うん。確かにアリスちゃんと一緒に謳うのは、気持ちよさそうね」
アテナ先輩が、お茶を片手に言ってくれました。

私は、サンマルコ広場にある、カフェ・フロリアンで、お茶を飲みながら、昨日見た夢の事を話していたのです。

「おい、杏。いくらお前の苗字が夢野だからってなぁ、そんなバカな夢ばっか見てると……」
「アンタって子は。アンタって子は。アンタって子わあ! …つねつねつね」
「痛ひぃ。痛ひよぉ。アトラちゃん」

「わ、私だって、ホントはトラゲット、でっかいしてみたかったんです。 でも、でも、私、シングルは……」
「そうねぇ。アリスちゃんは、飛び級昇格だから、シングルの経験はないのよねぇ……あっ!」
「わあっ。アテナさんが、お茶をこぼしたあ!」
「ああ。あふぁりちゃん。おひつひて……」
「杏は、そんな事言うてる場合かあっ」
「ふへへへへぇ」

「まああああっ」
「ぷいにゅううううううぅ」
「まぁ社長。アリア社長の、もちもちぽんぽんは、おやつじゃないですよ」
「はひぃ。アリア社長。大丈夫ですかあ」

「アンタって子は。アンタって子は。アンタって子わああっ」
「いひゃい、いひゃいよ。アヒョラひゃん」
「あはははははっ」
「あううう。またシロップ入れすぎちゃったぁぁ」

いつまで続く楽しげな喧騒。
季節はもう、夏。

さてさて。
今夜は、どんな夢と出会えるのかな?
きっと素敵な、やわっこい夢でありますように……

                       
 
                                  -終-




………………
………………

ねえ、杏。
なに? アトラちゃん。
あの……きれいに終わらせようとしてるのは、分かるんだけどサ。
うん。
これって『続く』とかあるの?
え~と、たとえば、こんな感じ?


『特報!』 

-現れたな。

揺らめく黒い影

再び、訪れる恐怖。

-あらあら。アクア・アルタなら防げるけど、アリムッくスわねぇ。

どっかあああああん!

-私は、確かに見ましたっ。

でっかいぃぃ。でっかいぃぃい。

帰ってきた大怪獣、アリムッくス。

-私の歌は、もう聞こえないみたい。
 はひい!?

もはや、止める手立てはないのか!


-なんだって?

そして新たなる恐怖が!

ぎゃああああス。ぎゃあああス!
新怪獣現る!

-この古代語の解釈によると、一方が赤い怪獣・アリムッくス。そしてもう一方が……
 もう、一方が?
 緑の怪獣、古の幻獣・がちゃぺん。
 がちゃ……ぺん………。

ぎゃあああス。恥ずかしいセリフぅ、禁止、禁止ぃぃ!

暴虐の限りをつくし、暴れまわる二大怪獣。
壮絶なる死闘っ。
怪獣vs怪獣っっ。

にゃあ~ん。
ぷいにゅううううう。
まああああああ。

炎に包まれる、帝都ネオ・ヴェネツィア。

アクアは、このまま滅びてしまうのか!?

-「スーパー浮き島エックス」は、どうした!?

-ただ今、発進しました。

全アクアの希望をこめて、今、出撃する超ド級・帝都防衛機動要塞・スーパー浮き島エックス!

-ふははは。こいつが、お前らと同じ性能だと思ったら、大間違いだぞぉ!

スーパー・ハイテク兵器対二大怪獣。
壮絶なる攻防戦!


-はひっ? もう一匹ですか?

だが、さらなる恐怖が、ネオ・ヴェネツィアに迫る!

-ええ。古文書によれば、もう一匹……

突如、飛来した隕石から現れる、巨大怪獣。

-古代金星文明を滅ぼしたと言われている、宇宙怪獣です。
 そいつは、なんなのだ?

-三つの首を持ち、金色に輝く、最悪、最強の宇宙怪獣。その名も・・・

すわっ! すわっ! すわああああっ!

宇宙大怪獣・キングあきらドラ!!

でっかいいぃ! でっかいいい!
ぎゃあああス! 禁止!禁止ぃ!
すわ! すわ! すわああああ!
ステキング弾発射! うふふミラー展開! ぷいにゅーキャノン・セットオン!!

今、繰り広げられる、四つ巴の大決戦。

夢野・杏が贈る、この夏、最大の話題作。
「三大怪獣。アクア最大の決戦! ネオ・ヴェネツィアSOS!!」
乞う、ご期待!!

今なら、三大怪獣のマスコット・キーホルダーがもらえるよ!
「あらあら、うふふ」(アリシアさんのアップ)




こんな感じ?

杏……お前、もう夢見んな………
ええ~!?


                                     -Gran mostro(大怪獣)- La fine



[6694] Occhiali ragazza
Name: 一陣の風◆5241283a ID:8350b1a5
Date: 2010/05/05 16:57
四本目のお話を、お届けします。

トラゲット三人娘、最後の一人。
アトラの話です。 たぶん……(汗)

所詮、私の書くラブな話って、この程度なんです(涙)

それでは、しばらくの間、お付き合いください。


    

     第四話『Occhiali ragazza』



その日。
オレンジ・ぷらねっとのウンディーネ、アトラ・モンテウェルディは
二週間ぶりの完全休養日だった。

ウンディーネとは
ここ水の惑星アクアの都市、ネオ・ヴェネツィアで、ゴンドラを使った観光の水先案内人の事だ。
そして、オレンジ・ぷらねっとは、その中でも最大級の規模と売り上げを誇る、水先案内店だ。

-とはいえ
アトラは、カップを手に、小さくため息をついた。

今の自分には、そんな事はなんの関係もない。
なにしろ、二週間ぶりのお休みなのだから。
でも……
そのせっかくの休日も、若干、持て余し気味なのもまた、確かな事だった。

午前中は掃除と洗濯で終わり、お昼くらいは寮以外の食事でも。
-と、出てきたものの、その昼食も終われば(もちろん友達に紹介された、その海鮮鉄板焼きのお店は素晴らしいものだったが)
一人ぼんやりとお茶をする以外、なにもする事がなくなっていた。

-意外と、つまんない過ごし方しかしてないのよねぇ。
再び、アトラは、小さくため息をついた。

-そういえば、ため息ってば「サイ」って言うのよねぇ。
-サイ……
-お前は突進するしか能のない、サイだ! って、それはイノシシだああ!

……………
……………

-はああああああ。

今度は盛大に、ため息をつく。

ホント。こうなったら大人しく寮に帰って、読みかけの本でも読もうかな。
だけど……
ホント。
アトラはふりそそぐ日差しを仰ぎ見た。

-こんないいお天気なのに、もったいない……

太陽に手をかざしながら、アトラはやっぱり、ため息をついた。
右手に手袋。
陽の光が、アトラのかける眼鏡を白く反射する。

片手袋のシングル(半人前)と、手袋なしのプリマ(一人前)を隔てる、ほんの小さな布のかたまり。
でも、それがあるのとないのとでは、大きく違う。
気持ちも、気分も、あるいはモノの考え方さえも……

-まぶしい……
眼鏡越しに見る手袋は、太陽の光をあびて、とてもまぶしく熱かった。


「あれ? アトラさん?」

人懐っこそうな声がした。

-ん?

その声の方を見やれば……

「灯里ちゃん?」

そこには、満面の笑みを浮かべた水無灯里が、白いまん丸な猫と一緒に立っていた。

水無灯里は他の水先案内店 ARIA・カンパニーのウンディーネだ。
つい最近、一人前のプリマに昇進し、「アクアマリン・遥かなる蒼」の通り名をもらった、ウンディーネ。
アトラとは、まだ彼女がシングルの時に、大運河(カナル・グランデ)でトラゲットと呼ばれる
渡し舟の仕事を、一緒にしたことがあった。

「ぷいにゅっ」
白い丸い猫が挨拶する。
「こんにちは、灯里ちゃん。お久しぶり。えと……こちらは………」
「はひ、お久しぶりです、アトラさん。こちらは、ARIA・カンパニーのアリア社長です」
「ああ。噂の……アリア社長はじめまして。ウチの、まぁ社長が、いつもお世話になってます」
「ぷ・ぷ・ぷぷいにゅっ」
アトラの丁寧な挨拶に、アリア社長はなぜか、脅えた声で返事をした。

「アトラさん。今日はトラゲットお休みなんですか?」
「うん。-と、ゆうより、今日は完全オフ日なの」
「完全オフ日?」
「うん。二週間ぶりのね」
「ほへえ。やっぱり、オレンジ・ぷらねっとともなれば、お休みの日も限られてるんですねぇ」
「え?」
「だって、我がARIA・カンパニーは、いっつも時間がいっぱいありますから」
「もう、灯里ちゃんってば」

えへへ-と、笑う灯里につられて、アトラも苦笑した。
確かに、先代のプリマ「水の三大妖精」と誉れも高い、アリシア・フローレンスが引退してしまった事は
ARIA・カンパニーにおいて、大変な事だったろう。
いくら水無灯里が優れたウンディーネでも、そのアリシアと並べられるのは酷というものだ。
そして、客は、アリシアの名前に惹かれてやってくる。
そしてそれは、ARIA・カンパニーの業績低下を意味する。

-辛くないはずはない。
と、アトラは思う。

けどー
けれど、この子は、水無灯里ちゃんは、そんな不安や焦りなど、おくびにも出さない。
いつも笑顔で、毎日を楽しんでいる。

かなわないな……
そう思う。
自分より年下の彼女なのに、憧れに似た感情が、アトラにはあった。

「実は、私もそうなのよね」
「はひ? どういうことですか?」
「せっかくのお休みなんだけど、逆に時間を持て余しちゃって、少し困ってるところ」
「ほへえ」
「きっと器用貧乏なのね。ふふ」
「あの……アトラさん」
「うん?」
急に灯里が、思いつめたような表情になった。

「あの、もしよろしければ、この後、ちょっと付き合ってもらえませんか?」
「ん? 別にかまわないけど……どうかしたの」
「あの……実は、眼鏡を買いたいんです」
「眼鏡を?」
「はひ」
「灯里ちゃん目が悪いの? だったら今なら、簡単の治療で、早く治るわよ」
「あ、そうじゃなくて……」
灯里は、なぜか恥ずかしそうに話だした。

「あの、実は、アリシアさんのなんです」
「アリシアさんの?」
「はひ。実は私、アリシアさんのゴンドラ協会就任の、お祝いを、まだしてなくて……
 それで、眼鏡をプレゼントしたいなって思って……」
「眼鏡を?」
「はひ。どうせなら使ってもらえる物がいいかなって。それに使ってもらえなくても
 眼鏡なら置いておくだけでも、いいかなって……」

アトラは自分のコレクションを思い出した。
初めて自分で……ウンディーネとしてのお給料を、コツコツ貯めて買った、エンジ色のフレームの眼鏡。
あの時の嬉しさ。よろこび。
誇らしさ。
それ以来、眼鏡のコレクションは、すでに数10本に達している。

なるほど……あ、でも

「でも、眼鏡は『度』とかあるわよ。大丈夫なの」
アトラはあえて聞いてみた。
「はひ。それは、お店にお願いして、後からちゃんと調整してもらえるそうです」
「うん。そうなの。それなら……」

と、アトラが答えようとしたとき。

「ビッグもみあげ落としいいいいぃ!」
「はひい!」
「ぷいにゅうう!」

突然、一人の男が、灯里の髪の毛を後ろから、ひっぱった。
アリア社長が驚いて、ひっくり返る。
「なにをするの!」
アトラはとっさに灯里をかばうと、その男を突き飛ばした。

「いててて。な、なにしやがる!」
男は尻餅をついたまま叫んだ。

「それはこっちのセリフよ。あなたこそ、この子に何するのっ」
「あん? もみ子だからいいんだ」
「なにそれ。答えになってないわ」
「あわわ……アトラさん。いいんです。いいんです」
「いい? なにが?」

アリア社長が、男の背中をよじ登っていく。
「誰、この人?」
「こちらはサラマンダーの暁さんです」
「サラマンダー?」
「そうだ。俺様は、このアクアの守り神。燃えるサラマンダーの暁様だ!」

サラマンダー・火炎之番人とは、このアクアの空に設置された、浮き島という所で
気象制御の仕事を専門にする人達の事だ。

-確かに大切な、お仕事だけど、守り神とまでは……
アトラは、暁を見ながら思う。
当の暁は、再び灯里の髪をひっぱりながら、やたらとなれなれしく話しかけていた。
ちなみに「もみ子」とは、その特徴的な髪型から、暁が勝手につけた、灯里のあだ名らしい。

ん? もしかして……

「あの。もしかして、灯里ちゃんの恋人さん?」
「はひっ!?」
「ば、ば、ばかな事いうでないっ」
アトラのセリフに、二人は瞬時に反応した。

「お、俺様は、アリシアさん一筋で……」
「え?」
「そ、そうですよ。アトラさん。暁さんは、アリシアさんラブの方なんです」
「ええ? でも、アリシアさんは、ご結婚されたハズでは……」
「うわああああん。アリシアさああん。俺は、俺は認めんぞぉぉぉ!」
「あわわ。暁さん、落ち着いて」

-なんだ

アトラは、冷たく言い放った。

「なんだ。ただの、あきらめの悪い男なんだ」
「なんだとお、このメガネっ子! がふっぅ」
暁がまた、ひっくり返る。
瞬時にくりだされた、アトラの右ストレートが見事にきまっていた。

「あん? 誰がメガネっ子だって?」
アトラが、暁を睨みつける。
「ぐおおおおっ」
「あわわわ、暁さん。落ち着いて、落ち着いて」
「い、いや、もみ子よ。 い、今、落ち着くのは彼女のほうだぞ……」
暁は、悶絶しながら抗議した。





「で、もみ子は、こんなところで何してるんだ」

ようやく立ち直った暁が、アリア社長を頭に乗せながら、灯里に訊ねる。
「私は、アトラさんに相談をしていたところなんです。暁さんこそ、どうしたんですか」
「俺様はだなぁ。ARIA・カンパニーをのぞいたならなぁ。誰もいなくてだなぁ。しょうがないから、うろうろとだなぁ……」
「灯里ちゃんを探してた?」
「ば、ば、ばか言うな。断じて違う。断じて違うぞぉ!」
アトラの問いかけに、暁が顔を真っ赤にして叫ぶ。

ははあん。 ……そういう事か。
なんだ。
わかりやすい奴。
きっと分からないのは、灯里ちゃんくらいか……

「じゃあ、もう会えたから、いいでしょ? じゃあ、灯里ちゃん行きましょう」
「はひ? アトラさん?」
「い、行くってどこへだ」

灯里の手を引っ張って、その場を離れようとするアトラに、暁があわてて問いただす。

「私達はこれから、アリシアさんへの、プレゼント用眼鏡を見に行くのよ」
「なにぃ! アリシアさんへのプレゼントだとぉ。 ……俺様も行く」
「はひ?」

ーかかったっ
にやりっ。
アトラは、二人に見えないように微笑んだ。

「アリシアさんのプレゼントなら、俺様もいく!」
「はひい?」
「たとえ、ご結婚されたとしても、俺様のアリシアさんへの愛は、永久なのだ!」
「ああ。ホント。暁さんは、アリシアさんの事が、大好きなんですねぇ」
「いや、灯里ちゃん。それってストーカーって言って……」
「はへ?」

「違ううっ。断じて違うぞおおお!」
「はへえ?」
叫ぶ暁を放置して、アトラは、再び、灯里の手を引っ張った。
「さあ、さあ。ほっといて行きしょう。灯里ちゃん」

-やっぱり灯里ちゃんってば、天然なのねぇ……
 ホント、見えてないんだから。

アトラはまた、小さくため息をついた。

「うおおおっ。待て。俺を置いていくなあ!」

あわててついてくる暁。
「ぷいにゅ?」
アリア社長が、暁の頭の上で、怪訝そうな声をあげた。





「こんなのどう。灯里ちゃん」
「あああ。どれもこれも素敵ですぅ」

ここは、ネオ・ヴェネツィアいちの品揃えをほこる眼鏡店。
灯里はアトラと一緒に、いろいろな眼鏡を見て回っていた。

「アトラさん。これ見てください」
「あら、いいわね」
「おい、これなんかどうだ?」
暁がたずねてくる。

「そんなのが、アリシアさんに似合うと、ホントに思ってるんですか?」
「な、なにぃ! よし、違うのを見てくる」
「あ、アトラさん。これなんかどうですか?」
「あ、かわいい。かわいい」
「おい、メガネっ子……いや、メガネさん。これなんかどうだ……どうですか?」
「あなた、センスないわね」
「うがああああ! もう一回見てくる」

「いろんな眼鏡があるんですねぇ」
「私のように、いくつも持つ人もいるからね」
「ほえぇ。そうなんですか……
「おい。これならどうだ」
「ふうん(冷笑)」
「なんだ。その態度はあ! くっそぉ! もう一回!」

「ねえ。灯里ちゃん。あなたも眼鏡してみない?」

-ところで、っと、アトラは灯里に言った。

「ほえ、私もですか? でも私、目はいいんですよ?」
「うん。ちゃんとした眼鏡じゃなくて、ファッションとしてどう?」
「ファッションとして?」
「うん。そうすれば、見えなかったモノが見えてくるかもよ」
「は、はひ?」
「おい、これならどうだ」
「却下」
「ぐわあああ。もう一度だああ」


「あの、アトラさんの眼鏡って『度』が入ってるんですか」
「ええ……ちょっとかけてみる?」
「は、はひ。 -はう!」

よろける灯里を、タイミングよくやってきた暁が抱きとめた。
「うお。危ないぞ、もみ子よ」
「あ、ありがとうございます」
「そのまま、動かない」
「はひい?」
アトラは、わざとゆっくりと二人に近づくと、灯里から眼鏡をはずした。

「大丈夫? ごめんなさいね」
「あ、いえ。大丈夫です」
「やっぱり『度』入りは無理ね。ちょっと、うらやましいかな」
「はへえ?」
「私は子供の頃から眼鏡をかけてるから……もう顔の一部みたいなモノなの」
「はひ」

「でも、ときどき眼鏡がなければって思う時もあるのよ」
「はひ……でも」
「ん?」
「さっきアトラさんも言われたみたいに、眼鏡をかける事で見えるモノもあるんだなって……」
「え?」
「さっき一瞬だけど、すっごく世界がはっきりと見えたんです。
 まるで、世界が変わっちゃったみたいに。
 これってスゴい事ですよね。なんか魔法にかかっちゃったみたいです」

えへへ。
屈託のない微笑みを浮かべる灯里。

ああ、やっぱりこの子は……
つられて笑みを浮かべながら、アトラは思った。

素直に。
何事にも心を開いて、何事にも優しく、そのまま受け入れる。
純白な心で。
その見るもの、聞くもの、触れるもの。
その全てに感動し、そして、すべてを素敵へと変えていく。

何もかも
初めて出会ったもののように。
何もかも
初めて触れるもののように。

だからこそ、この子は。
水無灯里は。


「そう……そうね。眼鏡の魔法かぁ。 私も変わらなきゃ」
「はひ? アトラさん?」
「灯里ちゃん!」
「は、はひ」
「あなたも、やっぱり眼鏡かけてみれば?」
「はへ?」
「お、おい。もみ子よ……」
暁が困ったような声を出す。

「も、もう、放してもいいか・・・」
ずっと灯里は、暁に抱きしめられていたのだ。
もちろんそれは、アトラが企んだ事ではあったのだが……

「は、はひっ。す、すいません」
あわてて暁の手の中から離れる灯里。
二人とも真っ赤になって、あらぬ方向を見ている。

んん……いい感じね。

アトラは、暁を隅の方に引っ張っていくと、灯里に聞かれないように小さく囁いた。

「ほら。サラマンダーさん。灯里ちゃんに眼鏡、プレゼントしてあげなさい」
「え、な、なぜにそんな事を言うのだ。お、俺様がなぜに、もみ子にげふう!」
わき腹に一発。

「ぐだぐだ言ってない。あなたホントは、プレゼントしてあげたいんでしょ?」
「いや、そんなことはでぶぅぅ!」
今度は足を踏みつける。

「素直になりなさいな。ほら」
「わ、分かった。分かったから殴るのは、止めろ。止めてください」
「分かればいいのよ」
「しくしく……」

「あの、大丈夫ですか?」
何事ですか?-という顔で、灯里が聞いてくる。

「大丈夫。大丈夫。それよか灯里ちゃん」
アトラは、暁を灯里の方に突き出しながら言った。

「サラマンダーさんが、灯里ちゃんに眼鏡をプレゼントしてくれるって」
「え。そ、そうなんですか?」
「いや、ちがっあががっ。 そ、そうなんです……」
背中をおもいっきり、つねりあげる。

「あ、でも悪いし……」
「いいの、いいの。灯里ちゃん。人の好意は素直に受けるものなのよ。ね。サラマンダーさん?」
「は、はい。その通りです……」
すでに戦意喪失の暁が「お前は兄貴か……」と涙目でつぶやく。

「ぷいぷいにゅっ」
そんな暁の頭を、アリア社長が優しく、さすさすしていた。





「うわあっ。アトラさん。暁さん。見てください。街が燃えてますよお!」

店の外へ出ると、ネオ・ヴェネツィアが燃えていた。
燃えるような、オレンジ色の夕焼けが、アクアを支配していた。

「アトラさん。眼鏡ってほんとに不思議です」
「え?」
「だって、見えないものが見えてくるって、ホントなんですから」
「………」
灯里は、暁にプレゼントされた、伊達眼鏡をかけていた。

「普段は、ぜんぜん気がつかなかった、こんな素敵なものに気づけるんですから……
 燃える自然って、なんて素晴らしいんだろう……きれい」

灯里の顔が、オレンジに染まる。
灯里の眼鏡に、夕陽が映え、きらきらと輝やく。
灯里の笑顔が、全てを素敵に変えていく。

「ああ、きれいだな……」

その笑顔を見ながら、暁が小さくつぶやいた。
そして、あわててかぶりを振りながら叫ぶ。

「も、もみ子よ。は、恥ずかしいセリフ禁止だ!」
「ええ~え」

そんな、じゃれあう二人の横で、アトラも、じっと夕陽を見ていた。

アトラはそっと夕陽に自分の右腕を重ねてみる。
オレンジの夕陽。
オレンジの手袋。
すべてを包み込む、オレンジのひかり。
眼鏡越しに見える、その暖かなひかり。

私は何を考えていたんだろう。
私は何を見ていたのだろう。

ほんの少しだけ……

眼鏡をかける。
眼鏡を変える。

ただ、それだけのことで、景色は変わる。
ただ、それだけのことで、世界は変わる。
ただ、それだけのことで、自分は変わる。

ただ、それだけのことで-

違う自分に変われる。
真っ白な、自分になれる。
初めての頃の自分にもどれる。

灯里ちゃんが気づかせてくれた
この思い。
この気持ち。

初めて、眼鏡を買ったときの喜び。嬉しさ。
そして、誇らしさ。

手袋なんて些細な事。
大切なのは、その手袋に込められた思い。
それに向き合う、自分の気持ち。
その素直な心。

始めに……最初にもどってみよう。
そうすれば。
そうすれば私も……


「ありがとう、灯里ちゃん」
「ほへ?」
「あなたは……あなた自身がきっと、素敵な魔法なのね」
「ほへえ?」
「メガネっ子。恥ずかしいセリフ禁ぐばあっ!」
再び、アトラの『幻の右』が、暁を黙らせた。


 
「さあさあ、灯里ちゃん。晩ご飯食べにいきましょう。燃えるサラマンダーさんが、おごってくれるって」
「う、ぐ……な、なに言うか。メガネっ子」
「大丈夫。私は途中で抜けて、ちゃんとふたりっきりにしてあげるから」
アトラが、噛んで含むように、暁の耳元でささやく。


「な、なんじゃそりゃあ!」
「あなたもいい加減、学びなさい」
「な、ないい?」

「あなたの事は、アリア社長だって、認めてるんだから」
「へ?」
「にゅ?」
暁の頭にしがみついていた、アリア社長も返事をする。

「あなた気づいてた? 灯里ちゃん以外で、アリア社長が甘えるのってば、あなただけなのよ」
「……」
思わずアリア社長と顔を見合わせる暁。
アリア社長は、「ぷいにゅううん」と笑いながら、片手をあげた。

「分かった? あなたはもう、アリア社長に……ARIA・カンパニーに認められてるのよ。しっかりしなさいっ」
「あ、あう……」

「あそこにいる灯里ちゃんは、あなたの知ってる灯里ちゃんじゃない」
「へ?」
アトラの言葉に、突然、何を言い出すんだ?
-と、暁が首をかしげる。

「いい。あそこにいるのは、新しい灯里ちゃん。あなたにもらった眼鏡をかけた灯里ちゃん。 あなたのまだ知らない、灯里ちゃん」
「……」

「今、あなたの目の前にいるのは、もみ子でもない、『遥るかなる蒼・アクアマリン』でもない、ただの、十六歳の女の子」
 
 だから、あなたは、初めて出会った女の子として接すればいい」
 最初から。また、いちから始めればいい」

「う、うむ……」

「とりあえず、ちゃんと名前で呼んであげなさい」
「ええ!?」
「照れてないで。ちゃんと『灯里』って呼んであげるの。分かった!?」
「いや、しかし、もみ子は……」
「あん?」
「は、はい……」
「声が小さいっ」
「はいい!」

アトラは暁から離れると、きょとん顔でこちらを見ている灯里に、にっこりと微笑みながら言った。
「さあ、行きましょう、灯里ちゃん」
「あ。あの、いいんですか? 暁さん」
「ううう……」
灯里が心配そうに、呻く暁の顔をのぞき込む。
けっこう近い。

「だ、大丈夫だ。あ……」
「あ?」
「あ、あか……」
「あか?」
「いや。その……あか…あか……」

-いけ! そこだっ。がんばれ! 突進だっ。サイ!
アトラは心の中で叫ぶ。

「あか……ぃぃ」
「ああ!」
灯里は満面の笑顔で答えた。

「ホント。まっかですねぇ」
「へ?」
「こんなにも夕焼けって、暖くて、真っ紅なんですねえ。 素敵んぐです」
「あ、ああ。あか、あ……紅いなあ……確かに真っ紅だあ。 あっはっはっはっ………」

-ああ。眼鏡かけさせるのは、こいつの方が先だったのか……
アトラは、今日、最後のため息をついた。



「はい。暁さん」
なぜか涙目で頭をかかえる暁に、灯里が手を差し出す。

「うん?」
「立てますか?」
にっこりと、屈託のない笑顔。
灯里の微笑み。
差し出された、やわらかそうで、暖かな白い手。

「はい。暁さん」
「……」

暁の顔が紅いのは、夕陽のせいだけなのか。
暁は、ゆっくりと手を伸ばすと………

「ビッグダブルもみあげ落としいいいいい!」
「はひいいい」

-ごすっっ!

もう、たまらず。
アトラのかかと落しが、暁の後頭部に炸裂した。

「こんのぉ、ヘタレえぇぇ!!」
「ぐおおおおおおおおおおおおっ」
「あわわわ。暁さん。大丈夫ですか」
「ぷいぷいにゅう」

のたうち回る暁を、アリア社長がやっぱり、優しく、さすさすしていた。

紅い夕焼けが、まるで包み込むかのように、ネオ・ヴェネツィアを、どこまでもオレンジに染め上げる
そんな黄昏どきのことだった。







「おはよう」

あくる日の朝。
いつものようにアトラは、トラゲット乗り場にやってきた。

「おはよう。アトラ。あれ、眼鏡変えた?」
違う水先案内店の同僚が、声をかけてくる。

「うん、ちょっと気分転換にね」
「気分転換?」
「ええ。見えるものが、見えるようにね」
「なんだいそりゃ……でも、よく似合ってるぜ」
彼女は、苦笑しながら、そう言ってくれた。

「さあ、お仕事、お仕事」
アトラは、走り始める。

そう。
これが始まり。
これからが始まり。

走り始める。
明日の自分のために。
未来の自分のために。

最初からまた、スタートをきるために。

アトラは走りはじめる。
エンジ色のフレームが、太陽の光をあびて、きらりと輝いた。



                           


                   -Occhiali ragazza(めがねっ子)- La fine



[6694] Buona notte
Name: 一陣の風◆5241283a ID:8350b1a5
Date: 2010/05/24 20:07
最初に言っておく!
この話は、かぁなぁりぃぃぃ……ごめんなさい。


このお話は番外です。

このお話は、河井英里さんの『おやすみ』(アルバム「風の道へ」収録 作詞:藤沢晶子/作曲:河井英里)
と、いう曲の歌詞に、私の駄文を追加して作った、お話です。

ですから、純粋な「ARIA」ファンの方、ごめんなさい。
この話は、「ARIA」の誰の話でもありません。
はっきり言って、明確な主人公はいません。

それどころか「ARIA」でもないのかもしれません。

ただ-
いちファンとして、どうしても、このお話を書きたかったのです。
みな様が、この駄文を寛大な、お気持ちでもって許していただき
ほんの少しでも、河井英里さんの歌声を感じていただければ、これにまさる幸せはありません。


それではしばらくの間、お付き合いください。
    

       

        番外 『 Buona notte 』




窓の外は雪あかり

白い妖精たちが この街を優しくだきしめている

木の枝から
氷の雫ひとつ 落ちてくるね

小さな雫がみなもに落ちて 小さな波紋を広げる

小さな波紋が、どこまでも広がって
静かに
静かに

静かな波紋が、幾重にも重なって
遥か遠くに
遥か彼方まで、駈けて行く

こんな静かな夜

ゆっくりと窓を開ける
深深と
音のない音が、体をしめつける
心を震わせる

外は一面の星空
まるで すべての人の輝きが
空に登ってしまったかのような

白い吐息が、とまどうように空に浮かび消えていく

ともしびを
胸の中に灯して 探したいの
遠い日の思い出



暖炉の中で炎が踊る
妖精は白いばかりではないと
主張するかのように

あの子は、小さく寝息をたてて眠っている
その穏やかな寝顔
その安らかな寝顔

どんな夢を見ているの?
どんな夢を お迎えしているの?

あの人のことを夢みているの?
あの人とのことを夢みているの?
それとも……

静かな夜
降るような星空
その輝きが、私の体を通り過ぎていく



春になったら 幼い頃のように
花を集めて あなたに送る

あの丘に咲く花を
決して華やかじゃないけれど
決して煌びやかじゃないけれど
そっと無邪気に咲いている、あの花を

またいつの日か
あなたと あの丘まで

二人で行きたい
二人で風を感じながら
二人で微笑を交わしながら

舟を花でいっぱいにして……


静かな夜
ともしびを 胸の中に灯して
伝えたいの


あなたがいたから
あなたがいてくれたから

あなたの笑顔に支えられて
あなたのやさしさに支えられて

今 私はここにいます
今 私はここに立っています

見えますか?

これからも ずっと
見ていてください

ありがとう

ともしびを
胸の中に灯して

ありがとう

伝えたいの

この広い世界で たったふたつの心が
出会えた奇跡に
出会えた喜びに

あなたに伝えたい

ありがとう

だから今は……


おやすみ


まためぐり逢える、その日まで
また笑顔で話せる、その時まで


おやすみ


探したいの
遠い日の思い出を

伝えたいの

おやすみなさい


ありがとう


静かな夜
窓の外は、雪あかり
ともしびを
胸の中に灯して






                                   -Buona notte( おやすみ )-
                       
                    河井英里さん。ほんとうに。本当に。ありがとうございました。おやすみなさい。



[6694] l' anima di lingua
Name: 一陣の風◆5241283a ID:8350b1a5
Date: 2010/01/14 18:15
五本目のお話を、お届けします。

このお話では、『あの人』に私の信条的な事を、語らせてしまいました。

ですから、ちゃんと口に出して言います。

「勘弁してください」(涙)

いろいろ、お怒りな点はあろうと思いますが、ほんの少しでも
みな様が共感していただけるなら、これにまさる幸せはありません。

それでは、しばらくの間、お付き合いください。



        
          
       第五話 『l'anima di lingua』




AQUAは不思議な星です。

それは、年末の時の、過去のAQUAと女の子だったり。
それは、カーニバルの夜の、カサノバさんの行列だったり。
それは、冬の雪虫との再会だったり。
それは、レデントーレの時の、みんなとの出会いだったり。
それは、たくさんの鳥居の下で感じた、雨の匂いと、おきつね様だったり。

そのどれもが不思議で、素敵な思い出です。

そして今日お話するのも、そんなAQUAの不思議な思い出のひとつ。


その時、私は悩んでいました。
将来についてです。

なんとなく、ウンディーネになりたい
ーとは、思いながら、

まだ、他にもなりたいモノがあるんじゃないか?
ーという躊躇。

自分は、ウンディーネに向いているのか?
ーという疑問。

自分は、あの人に認めてもらえるのだろうか?
ーという不安。

私は目の前にいる人が、あまりにも身近過ぎて、かえって軽々しく、その事を口に出せないような気がしていました。


「用意はいい?」

その人は、笑顔で言ってくれました。
ARIA・カンパニーの、たった一人のウンディーネ。
「アクアマリン・遥かなる蒼」と呼ばれる、たった一人のウンディーネ。

だけど、一番、親友なウンディーネ。
だけど、一番、大切なウンディーネ。
だけど、一番、身近なウンディーネ。

そして、一番、尊敬するウンディーネ……

「はい。灯里さん」
「行きましょう。アイちゃん!」
「ぷいにゅう」

そう言うと、灯里さんとアリア社長は、元気よく歩き始めました。
ネオ・ヴェネツィアの素敵を探す、お散歩の始まりです。


「いいお天気だねぇ」
「……はい」
「まるでアクアが、アイちゃんのこと、歓迎してるようだねぇ」
「……はい」
「そういえば、アイちゃんは今年から、ミドルスクールの7年生になるんだね」
「……はい」
「早いなぁ。あっ、アイちゃん。ここ、昔のアクアに会ったときの路地だよ」
「……はい」

「こっちは、カーニバルのときのカサノバさんの行列に出会った所だ。懐かしいね」
「……はい」
「こっちは、あの桜の木の丘」
「……はい」
「どうしたの?」
「……え?」

灯里さんは、私の顔を心配そうに、のぞき込みながら言いました。
「アイちゃん、なんだか元気ないぞう?」

ーどきっ!
「あ、あのっ。灯里さん!」

その時、私は何か、自分の心の中を見透かされたような気がして、おもわず叫んでしまいました。

「は、はひ?」
「ぷいにゅ!」
その声の大きさに、灯里さんとアリア社長は、びっくしたような顔で、私を見ました。

「あの…あの……。灯里さんはどうして、ウンディーネになりたかったんですか?」
「私がウンディーネになりたかった理由?」
「はい」
「んと……」
灯里さんは考え込むように、頬に人差し指を当てると、少し上を向きました。


「私は、昔からファンタジーや、その土地を紹介する紀行文なんかを読むのが好きだったの」
「はい」
「そんな時、たまたまネオ・ヴェネツィアとウンディーネのことを書いた本があってね」
「はい」
「その本がとっても感動的で。それからずっと、アクア……ウンディーネに憧れてたんだよ」
「……そうなんですか」
「うん。だから初めてアクアに来た時は、大感動だったよぉ」
灯里さんは、少し恥ずかしそうに笑いました。

「でも、急にどうしたの?」
「いえ、別に……」
「なにか悩んでるの?」
「わ、分かるんですか?」
私は、驚いて訊ねました。

「もちろん」

灯里さんは、にっこりと微笑みながら言ってくれました。
「アイちゃんのことだもの。私でよかったら、話してみて。相談にのれるかもしれないから」
いえ、実は、まさにそれが問題なんですケド……

「あの…灯里さん。私……」

「おや。灯里ちゃんじゃないか」
不意に一人の、ウンディーネさんが横合のカッレ(小道)から現れて、声をかけてきました。

「いやあ。お久しぶり。元気してた?」
「あっ。お久しぶりです。元気ですよう。今日は、お休みですか?」
「ああ。今日のウチは、お嬢の代理で、ちょっとゴンドラ協会までね」
「そうなんですかぁ」

そのウンディーネさんは、親しげに灯里さんと、お話をし始めました。
おかげで私は、肝心の質問を聞くタイミングを、完全になくしてしまいました。
あ~あ……

「ところで、こちらのお嬢さんは?」
ウンディーネさんが訊ねます。
「この子は、アイちゃんです。マン・ホームから来て、今、ARIA・カンパニーにホームステイ中なんですよ」
「初めまして。アイです」
私は、あわてて頭をさげました。

「初めまして、アイちゃん。ウチは、あゆみ。見ての通り、姫屋のウンディーネさ」
「あゆみさん…… あっ。私、灯里さんから聞いたことがあります」

姫屋のあゆみさん。
確か灯里さんがまだシングルだった頃に、トラゲットと呼ばれる大運河(カナル・グランデ)の渡し舟の
お仕事をした時、一緒にゴンドラを漕いだ、ウンディーネの人です。

「あゆみさんは、今でもトラゲットを……シングルさんなんですか?」
「アイちゃん?」
「ああ。もちろん」
あゆみさんは、もしかしたら、ものすごく失礼な私の質問に、笑顔で答えてくれました。
「ウチはずっとトラゲット専門。ずっとシングルさ」

「ご、ごめんなさい……」
「うん? 謝ることなんかないぞ?」
「え?」

「ウチはシングルに誇りを持ってるからね。いずれ君がウンディーネになって、シングルになったら
 その時は一緒にトラゲットしようぜ」
あゆみさんは、私の頭をかいぐり、かいぐりしながら言ってくれました。

「あゆみさん。アイちゃんはまだ、ウンディーネになるって決まった訳じゃないんですよ」
灯里さんが、少し困ったように言いました。
「え、そうなの? ウチはてっきり……」
あゆみさんは、私の顔を正面から見ています。

「あ、あの……あゆみさん?」
「うん……まぁ、いいか。でも言葉って大切だよ」
「え?」
「ところで、灯里ちゃん達は、こんな所でなにしてるんだい?」
なんでしょう。今の感じ。あゆみさんは全て分かってるみたいで……

「今、私達は、ネオ・ヴェネツィアの不思議探検ツアーの真っ最中なんです」
「へえぇ。そりゃいいね」
「そうだ。あゆみさんも一緒にどうですか?」
「う~ん。そうだなあ。お嬢の用事も終わったし、予定もないし……」
「それなら、一緒に行きましょう」
「そうだなぁ。たぶん一緒にいたほうがいいから……うん。行こうか!」
「はひ!」



後から考えると、やっぱりこの時すでに、あゆみさんは、全てを分かっていたのかもしれません。



私達は、街から少し離れた山の小道を歩いていました。

「ぷ、ぷいにゅううん」
アリア社長が私を見ます。
「アリア社長。お腹空いたんですね」
「ぷいにゅ」
アリア社長が、嬉しそうに飛び跳ねます。

「アイちゃんってば、アリア社長の言葉がわかるんだねぇ」
灯里さんも、嬉しそうに言いました。
もちろんです。
そうでなければ、ARIA・カンパニーには……

「じゃあ、あそこの公園で、お昼にしましょう」
「おっ、いいねえ。ちょうどウチも、お昼買ってきてたんだ」
そう言って広げた、あゆみさんのお弁当は、美味しそうなおにぎりが。

「ここのおにぎりは絶品なんだぜ。米はもちろん、こしひかり。中身は、おかか、鮭、昆布にイクラ」
「わあ、ホントに美味しそうですね」
「ああ。ほら、アイちゃんもたくさん食べてくれよ」
「は、はい。ありがとうございます」
それからしばらくの間、私達は、お弁当を広げながら、他愛のないお話を、いっぱいしながら楽しく過ごしました。

「ぷいにゅ?」
最初に異変に気づいたのは、アリア社長でした。
「アリア社長。どうしたんですか?」
「ぷいにゅ、ぷいぷい」
「え? 雨?」

突然、大粒の雨が空から落ちてきました。
「はひい? あんなにいいお天気だったのにい」
私達は、あわてて広げたピクニックセットを片付けると、雨宿りができる場所を探して走りだしました。
けれど、山の中では、なかなか良い場所が見つかりません。

あせる私達の目の前に、突然、それは現われました。

「あ。灯里さん。あそこに何かあるよ」

それはツタが建物を覆うかのように絡みついた、古い、大きな洋館でした。
私は、その建物の扉が少し開いていることに気がつきました。
「扉開いてる」
「とりあえず、あそこで雨宿りさせてもらお」
「はい」


「ごめんください……」
でも、誰の返事もありません。
私達が飛び込んだ扉の中は、まるで人の気配がありませんでした。

「何年か前に廃業したホテルみたいだな」
あゆみさんがポツリと言いました。
そこは、ホテルの玄関ロビーのような、高く広い空間でした。
正面には、二階に登る大きな階段が……ひっ?

「灯里さん!!」
私は悲鳴を上げると、灯里さんにしがみついてしまいました。

「ど、どうしたの。アイちゃん」
「あ、あの階段の上に、ひ、人がっ」
「はひいい?」
「大丈夫だよ」
あゆみさんが 『その人』 に近づきながら言いました。
「ほら、アイちゃん。よく見てごらん。ただの肖像画だよ」

言われて良く見てみれば、それは確かに初老の女性を描いた、等身大の絵でした。
ちょうど階段の踊り場の所に、飾ってあったんです。

「ほへえ……びっくりしました。 それにしても、キレイな絵ですね」
「うん。まるで生きてるような絵だね」

白い小猫を抱いた、その絵のおばあさんは、まるで本当に生きているかのように、私達を、じっと見下ろしています。

「確かに。これは残っちゃうかもなぁ」
あゆみさんがつぶやきます。
何のことでしょうか?

「はうう……なんだか眠くなってきちゃった……お弁当食べたからかな」
「灯里さん?」
「うにゅうふう……」
「灯里さん。急にどうしたんですか?」
灯里さんは、そのままソファに横になると、小さく寝息を立て始めました。
早っ!

「お~い。灯里ちゃん。寝てると置いていっちゃうぞぉ」
あゆみさんが、恐いこと言います。
外は、ますます雨脚が強くなっています。
おかげで、ロビーの中は、かなり薄暗くなってきました。

……なんだか恐い。

私は無意識のうちに、アリア社長にしがみついていました。



ーどおおおおんっ!

突然、大きな音と共に、目の前が真っ白になりました。

「きゃああああっ」
「ぷいにゅうううううっ」

私は大きな悲鳴を上げ、アリア社長を強く抱きしめました。

「カミナリだ……いよいよ本格的だなぁ」
あゆみさんがつぶやきます。

「カミナリ……」
学校の授業で習ったことがあります。
確か、空と地上の間で起こる放電現象のことで……

ーどおおおおおんっ!

再び、大きな音と共に、視界が白くはじけます。

「きゃあああああっ」
「ぷいにゅうふふう」

再び、私は悲鳴を上げ、アリア社長にしがみつきます。

「アイちゃん。大丈夫かい?」
「はうう……」
あゆみさんの問いに、私はちゃんと答えることもできません。

「アイちゃん。もしかして雷は初めて?」
「が、学校のライブラリィで見たことはあります。け、けど本物は初めてです」
「そっかあ。マン・ホームは気候は完全自動制御だもんな」
「ア、アクアは確か、半自動なんですよね」
「つか、手動って言った方が正確だね。火炎之番人(サラマンダー)さん達が、頑張ってくれてはいるんだけどね

ーどおおおおおんっ!

三度。轟音と閃光が、部屋の空気を震わせます。

「きゃあああああっ。 暁さんのバカぁ! 意気地なし! へたれぇ!!」
「ぷ…ぷ……ぷううう」
「アイちゃん。アイちゃん。アリア社長、潰れてるよ」
「えええ?」

燃える火炎之番人さんに八つ当たりして、泣き叫ぶ私を、あゆみさんがあわてて止めます。
見れば、私の腕の中でアリア社長が悶絶しています。

「あ、あ。ごめんなさい。アリア社長」
「ぷいぷいにゅううう……」
「ふにゅ……暁さん…私はもみ子じゃありませんよう…ちゃんと灯里って呼んで……」

そんな騒動に気づきもせず、灯里さんは眠り続けてます。
う~ん……これは『大物』さんなんでしょうか?
それともやっぱり、単なる『天然』さんなんでしょうか?


「来るっ」
そう言って、あゆみさんが私の耳を両手で押さえました。

四度。部屋の中が、白と黒のストライプに切り取られます。

音は、あゆみさんが耳を押さえてくれたおかげで、そんなに大きく響きません。
それでもー

「きゃあああああああっ!」
「ぷぎにゅううううヴヴヴ」

私はまたも悲鳴を上げて、アリア社長を力いっぱい、抱きしめてしまいました。
私を驚かせたモノ。
私に悲鳴をあげさせたモノ。
それは雷の音でも、光りでもありません。

私は見てしまったのです。
閃光に切り取られた部屋の中で。
大階段。
その踊り場。
あの肖像画の絵が。
あの絵の女の人が、絵から抜け出してきたのを!



「ああああああああっ?」

「アイちゃん。落ち着いて。落ち着いて」
叫ぶ私を、あゆみさんが必死になだめます。
でも、口から悲鳴のようにこぼれる声を、どうしても止めることができません。

「あゆみさん。あゆみさん!あゆみさん!!」
「大丈夫。アイちゃん。大丈夫だって」
「で、で、でも」

「どなたですか」
絵の女性が言いました。
え?
「人の家に勝手に入り込んで。 あなた達はどなたですか?」

え、えと……
話してる?

「勝手に入ってしまって、すいません。私は姫屋のウンディーネで、あゆみ・K・ジャスミンと言います」
「姫屋のウンディーネさん……」
「はい。そしてこちらはARIA・カンパニーのアイちゃんとアリア社長です」

……うっ
正確には、私はまだARIA・カンパニーじゃないんですけど……

「急に雨に降られてしまって、ここで雨宿りさせてもらってます。入るときに声はかけたのですが
 返事がなかったもので……失礼しました。無作法は、お許しください」

あゆみさんは、ゆっくりと頭を下げます。
さすがは、シングルなのに、実力はトップ・プリマ。
と、言われる、ウンディーネさんです。
実に優雅で、礼節を持った振る舞いです。

「ああ。そうでしたか」
女性は、ゆっくりと階段を下りてきました。
あれ?
最初、絵の、おばあさんに似てると思ったのは、何かの見間違いだったのでしょうか。
改めて見れば、その女性は灯里さんと同い年くらいの、まだ若く、どことなく透明感のある女の人でした。

「私は、アポロジカ。このホテルの管理人です」
「アポロジカ…さん」
お化けじゃないんだ……
私はそっと、胸をなでおろしました。

「まだ、雨はひどいようですね。そういう事情なら、雨が止むまで、ここで過ごしていただいて結構です」
「ご好意に感謝します」
「では、お茶でも、お入れしましょうか」
「あ、いえ。お構いなく」
「遠慮はなさらなくて結構です。それに……」
「それに?」
「ここにお客様をお招きするのも、久しぶりですから」
アポロジカさんは、コロコロと透き通るような声で笑いました。


アポロジカさんが入れてくれたお茶は、美味しいけど、とてもぬるいお茶でした。


「ここは二年前に閉めたんです」
アポロジカさんが、お茶を手に話し始めます。
「私の祖母にあたる人が経営していたんですが、亡くなってしまって……
 それ以来、ホテルとしての営業は止めたんです」
「そうなんですか」

「祖母の人柄がよかったんでしょうか。昔はそれなりに、お客様もたくさんいらしたんですよ。
 このホールも、それはもう人のざわめきで、いっぱいで」
アポロジカさんは、昔を懐かしむように、目を細めました。


-瞬間

私は、すぐ横を通る人の温もりを、感じました。
人々のざわめき。
女性達があげる、どこか甲高い、楽しげな笑い声。
足早に動き回る、ボーイさん達が巻き起こす風。
楽しそうに談笑する、男の人達。
タバコの香り。
幾人もの人が出入りするたびに、軋み声をあげる扉。
室内に流れる、静かな、それでいて心落ち着かせてくれる音楽。
微笑みとともに、あの大階段を登っていく、幸せそうなカップル・・・


「祖母……あの肖像画の人ですか」

あゆみさんの声に、私は、ハッとしました。
今のは、いったい……白昼夢?

「ええ」
アポロジカさんは、少し見上げるように首をめぐらすと、言いました。
「そうです。まぁ、かなり美化して描かれていますが……うふふ」
「い、いえ。とてもキレイな絵ですね。まるで生きてるかのようです」

「ありがとう。お嬢さん。そう…あの絵は、生きているんです」
「え?」

「どういうことですか?」
あゆみさんが、静かに訊ねます。

「あの絵の中の祖母は、今でも私を見ています。今でもここにいて、私を捉えているんです」
「捉えて……いる」
「そうです。だから私はここから離れられない。出ていけない」

ぞくっ。
なんでしょうか、この感触。
背中を冷たいものが、はいずりあがって行く、そんな不快な感じ。
アポロジカさんは、ただニコニコと微笑んでいます。
また、雨脚が強くなったみたいです。
雷こそ鳴りませんが、ざあざあと雨の落ちる音が、激しくなってきました。

「あなたは、いったい誰なんですか?」
私はたまらず、叫んでしまいました。
「はい?」
けれど、アポロジカさんは、ただニコニコと微笑むだけで・・・
「私の名前は、アポロジカ。それ以上でも、それ以下でもないわ?」
「そんなっ」
やっぱり。 やっぱり、この人は……

「アイちゃん。大丈夫だよ。大丈夫だから」
「あゆみさん?」

けれど、あゆみさんは、まったく変わらぬ口調で言いました。

「大丈夫だから……アポロジカさん。それで?」
あゆみさんは、何事もなかったように、アポロジカさんに話の続きをうながしました。

「私は祖母を助けられなかった。祖母が逝くのを止められなかった。だから……」
「だから?」

「祖母は私を恨んでいるんです」

-うっ。
不意にすべての音がなくなりました。
雨が地面に落ちる音も、風が窓を叩く音も、ティーカップが触れ合う音さえも。
なにも聞こえません。
なにも聞こえてきません。

-な、なに?
驚く私をしりめに、再び、大広間が白く弾けます。

-また雷?

と、私は思いました。
でも……

でも音はしません。

あの雷が放つ大音響は聞こえません。
ただ、世界が白く染まります。
ただ、私達が白く染まります。

それは、とても長い長い、一瞬の刹那……

ーああっ

突然、私は窓という窓の、その全てに『影』が映っているのに気づきました。
真っ白な視界の中で、その『影』はどこまでも黒く、まるで鴉の漆黒の翼のように、ただ黒く、ただ暗く。


「私は死んだ祖母に何もしてあげられなかった。孤独な捨て子だった私を救ってくれた、やさしい祖母に……
 祖母は怒っているに違いない……」

白い光の中で、輪郭を失ったアポロジカさんが、語りかけます。
『影』が真っ紅な眼を開きました。
ゆらゆらと揺れながら、紅い瞳で私達を、私を睨んでいます。
これは、いったい……

「あ、あああ……」
「大丈夫。ウチがついてる」
泣き出しそうな私の肩を、あゆみさんが抱きかかえるように、しっかりとつかんでくれました。

「あ、あゆみさん」
「この子は、そんな子じゃない。ただ迷ってるだけなんだ」

あゆみさんは、いったい何を言っているのでしょう。
私はもう、恐怖のあまり、思考停止状態でした。


「私は謝りたい。ただ一言、伝えたい。祖母に、あの優しかった祖母に……」

白い影が話します。
とても後悔するように。
とても寂しがるように。


「ちゃんと伝えた?」

あゆみさんが静かに問いかけました。

「え?」
「君は、その気持ちを、想いを、ちゃんと口に出して伝えた?」
「………………」
「君は、自分のその気持ちを、ちゃんと、おばあさんに伝えたの?」

「でも、でも、おばあさんはもう……」
「うん。だけど、君は、そうは思っていない」
「………………」
「だから君は言った。
 
 私は捉われているんだ-と。

 『言霊(ことだま)』って知ってる? マン・ホームのニホンという地域で信じられている思想で、口からでた言葉には
 それ自体、強い力を持っているって考えなんだけど……」

「『言霊』……」
「うん。君に今、必要なのは、その『言霊』なんじゃないかな?」

…………………
…………………
音がもどってきました。

雨が地面に落ちる音も、風が窓ガラスを叩く音も聞こえます
少し小降りになったのでしょうか。雨音が小さくなっています。
部屋の中も、色彩を取り戻しました。 
ほんのりと明るさが増したようです。
アポロジカさんも、白い影ではなくなります。

「人の想いは、消えることはない。それは今も君のそばに居て、君を見ている」
あゆみさんは、語り続けます。

「けれど想いは、言葉は口に出さなければ、誰にも伝わらない」
「誰にも……」
「そう。君は、君のその想いを口に出して、ちゃんと伝えてあげなきゃ。大丈夫。きっと聞こえるサ」

「ほんとうに?」
「ああ。だから……」

あゆみさんは、諭すように、でも、きっぱりと言いました。

「ちゃんと、はっきりと口に出すんだ」

「おばあさんっ」

アポロジカさんは、不意に立ち上がると、涙をこぼしながら叫び始めました。

「ごめんなさい。私、あなたに何もしてあげられなかった。ごめんなさい。ごめんなさい。
 あの時、ただ、あなたを見ているだけで。私、何も……
 あなたは私を救ってくれた。
 捨てられて、ただ震えていた私を……

 ただ、雨にうたれて泣いているだけの私を。
 でも、私は何もしてあげられなかった。
 苦しむ、あなたに何も…… 
 なにも……なにもできなかった」

アポロジカさんは叫び続けます。
まるで、なにかからの呪縛が解けたように。
ただ、叫び続けます。
私はただ唖然と、そんな彼女を見ていました。

「でも。でも……
 おばあさん。
 私、私、あなたが大好きだったの。
 いつまでもずっと、あなたのそばで暮らしていたかったの。
 
 ずっと、ずっと、いつまでも…あなたと一緒に……
 
 ほんとうに。ほんとうに、あなたのことが、大好きで。
 大好きで。大好きで……」

絶叫し、泣き崩れ、激しく慟哭するアポロジカさん。
その髪を、いつの間にかアリア社長が、優しくなでていました。
これは、いったい……


「雨、やんだな」

あゆみさんが、ぽつりと言いました。

確かに、もう雨音は聞こえません。
それどころか、窓からうっすらと、光が差し込んできます。
ああ。もしかして……

「アポロジカさんの声が、届いたんだね」
「ああ。聞こえたんだよ。きっと」
私のひとり言に、あゆみさんは、ちゃんと答えてくれました。

「おばあさんは、アポロジカさんを許してくれたのかな?」
「もちろん」
あゆみさんは、少し強い声で言いました。

「でなければ、彼女は泣くこともできなかったはずさ。もっとも……」
「もっとも?」
「もっとも、おばあさんは、最初から彼女のことを恨んでなんかいなかったんだよ」
「あゆみさん……」


「でもね。いつまでも気にしてちゃいけない」
あゆみさんは、泣き続けているアポロジカさんの肩に手をかけ、やさしく言いました。

「いつまでも想いを残すと、その人もそれが気になって、いつまでたっても行けやしない」
「………………」
「君もそうだろう?」
「………………」
「君もいつまでたっても、行けないんだろ」

「ウンディーネさん……」
「迷わずにいけるかい?」
「…あの、実は私。すごい方向音痴で……」
「大丈夫だよ。きっと迎えにきてくれる」
「………………」
「君が口にだせば、ちゃんと呼べば、きっと来てくれる」
「……はい」
アポロジカさんは立ち上がると、ふらふらと大階段の方へ歩いて行きます。

「あわてる必要はない。ゆっくりといくんだよ」
「はい」

アポロジカさんは、振り返ると、私達に頭をさげました。

「ありがとう、ウンディーネさん。お嬢さん。ほんとうにありがとう」

大階段が、また白く輝き始めました。
でも-
それは、あの雷の時のような、冷たくて恐い、鋭利な光ではありません。
それは、とても暖かで、優しくて、すべてを包み込んでくれるような、そんな輝きでした。

「ああ。それから」
あゆみさんは、そんな光り輝く大階段を、ゆっくりと上がっていく、アポロジカさんに言いました。

「その『アポロジカ』って名前は、もういらないよ。もうホントの名前で大丈夫」

アポロジカさんは、一瞬、びっくりしたような顔をして……それからまた、にっこりと微笑みました。

「あゆみさん?」
「『アポロジカ』……『アポロジィ』は、『謝罪』って意味なのさ。もう彼女には必要ないだろ?」

-『謝罪』

うん。もういらない。
彼女には、そんな名前。そんな言葉。
もういらない。
彼女はもう、許されたんだから。
いえ、最初から、問われてもいなかったんだから……


「ぷいにゅ……」
アリア社長が声をあげます。

「あ……」

光の中で、アポロジカさん……『謝罪する人』だったモノが、小さな、ほんとうに小さな子猫に変わりました。

「ぷいぷいにゅ」
アリア社長がまるで「それでいいんだよ」とでも言いたげな声をあげました。

子猫は、小さく鳴きました。
何かを呼ぶように。
何かを探すように。
何かを求めるように。

光が増します。
「あれは……」
その光の中から、ひとりの、おばあさんが現れました。

あれは、肖像画の。

-ああ……
 ちゃんと迎えにきてくれたんだ。

おばあさんは、子猫に近づくと、両手を差し伸べ、何言かを呟きました。
子猫は、そのおばあさんの声に答えるように、いちもくさんに、その手の中に飛び込んでいきます。
おばあさんが、つぶやいた言葉。
それはきっと、あの子の……あの子猫の、本当の名前だったのでしょう。

おばあさんは、そんな子猫を優しく抱きしめました。
とても、大切なものを取り戻したかのように。
とても、いとおしいものに、出会えたかのように。

やがて二人は、ゆっくりとまた階段を登っていきます。
二人とも、とても幸せそうな顔で。

最後に消えゆくそのとき、二人は私達の方を見てくれました。
おばあさんは、その優しい微笑で、頭を下げ、何事かを言ってくれました。
子猫も、とても嬉しそうな顔で、私たちに大きく口を開けました。

言葉は聞こえなかったけど
声は聞こえなかったけど

私には-

私達には分かりました。
あの二人は……

-ありがとう

そう言ってくれたのです。
それは、とても優しい『言霊』でした。

やがて光は消え、あたりはもとの大広間にもどりました。
窓からは太陽が差し込み、小鳥のさえずりが聞こえてきます。
そこはただ、いつも通りのアクアでした。


「あの子もずっと、いけなかったんですね・・・」
「ああ……」
あゆみさんは、小さく答えてくれました。
「あの子は、それすらも気づかないほど、おばあさんのことを思っていたんだ」
 
私はしばらくの間、大階段を、あの二人が消えていった場所を見つめていました。


「あゆみさん。アリア社長」
「なんだい?」
「ぷいにゅ?」

「二人とも、最初から分かっていたんですか?」
「さあ、どうでしょう」
「ぷいにゅんにゅん」

私の問いかけに、あゆみさんとアリア社長は、微笑みながら答えました。
「ただの、アクアの不思議ってヤツじゃない?」
「アクアの不思議……」
「ぷいぷ~い」
「ああ。でもね」
「え?」


「誰にだって、魂だけになったとしても、もう一度会いたいって人はいるからサ」


「え?」
「いや。なんでもないよ。なんでも……アイちゃんには、まだ早いかな」
そう言うと、あゆみさんは今度は、照れたように大きな笑みを浮かべました。


「んんん・・・…」
灯里さんが眼を醒ましました。

「あっ。今度は本物の灯里ちゃんだ。おかえり」
あゆみさんが優しく笑いかけます。

「何かあったんですかぁ?」
灯里さんは、起き上がると、大階段の上に腰掛ました。

「なにか懐かしくて、暖かいものに触れてた気がするんだけど……あれ?」
灯里さんは、自分の頬に流れているものに気づき、驚きました。

「あれ……あれれ? 私なんで泣いてるの?」
「灯里さん……」
「変だよ。アイちゃん。私、何も悲しくないのに、なんで涙があふれてくるの……?」

「ぷいぷにゅぅぅ」

アリア社長が『ご苦労様』とでもいうように、灯里さんの頭を、なでなでします。

「アイちゃん」
「はい?」
あゆみさんは、そんな灯里さんを横目で見ながら、私にささやきました。

「今日のことは内緒でね」
「え?」
「灯里ちゃんは、すぐ感情移入しちゃうから……ね?」
「は、はい」
「それと……」

あゆみさんはまるで、いたずらが見つかった子供のような顔をしました。

「君も伝えたいことは、ちゃんと口に出して伝えないとダメだぜ」
「あ……」
あゆみさんは、ポンっと背中を押しながら言ってくれました。

「がんばって」

素敵に微笑んでくれます。



「灯里さん」
私は、あゆみさんに背中を押してもらって、決心しました。

「あ。アイちゃん。ごめんね。なんか変だよね。私……」
灯里さんは、涙をぬぐいながら言います。

「ううん。灯里さんは、とっても素敵です」
「ええ?」

私は『なんでもないです』と、小さくかぶりを振ると、勇気をだして、その『想い』を……『言霊』を口にしました。

「あの、あの灯里さん。 私、お願いがあるんです」
「えっ? な、なにかなあ?」


「私、将来ウンディーネになりたいんです。だから、だからそのときは、私をARIA・カンパニ-に入れてくれますか?」


いっきに言いました。

私の言葉に、灯里さんは、一瞬、驚いたような顔をします。

それから-

「もちろんだよ!」

いつもの、あの素敵な笑顔で答えてくれました。

「ほんとうは私も、アイちゃんがそうなってくれたらいいなあ-って思ってたんだ。 ありがとう。嬉しいよ」

灯里さんが、不意に私を抱きしめます。

「灯里さん?」
「なんでだろう。私、今、すっごくアイちゃんを抱きしめたいよ。すっごく、すっごく」
「灯里さん……」
私も、しっかりと灯里さんを抱きしめました。

そう。
まるであの子猫と、おばあさんのように-

強く。強く。強く。
いつまでも、いつまでも、こうして……ずっと。


あゆみさんが、そんな私達を微笑みながら見ています。
灯里さんに抱きしめられながら、私は、あゆみさんの唇から、こんな言葉がもれるのを聞いた気がしました。


-見てますか。また素敵が一つ加わりましたよ……


その時私は、微笑む、あゆみさんのすぐ横に、優しい眼をした、大きな黒い猫が立っているのを見たような気がしました。

あれは………
あれは………

でもそれは、ほんの、まばたきをする間、もう見えなくなっていました。

「灯里さん……」
「なにアイちゃん」
「私。AQUAに歓迎されてるのかな……」

灯里さんは、私をしっかりと抱きしめながら、言ってくれました。

「うん。きっとそうだよ」


それはとても素敵で、力強い『言霊』でした。


私は灯里さんを抱きしめながら、いつまでも、この時間が永遠に続くことを祈りました。

風もないのに、窓にかかったカーテンが優しげに揺れました。
どこか遠くで、とても楽しそうな笑い声が聞こえたような気がしました。

それは木漏れ陽が踊る、夏の日の出来事でした。





-三年後。

「えへへ-っ 灯里さん。 ついに来ちゃった」


私はネオ・ヴェネツィアに立っていました。
もう、ホームスティでは、ありません。
時間がくれば、マン・ホームに帰る旅行者でもありません。

今日から私は、ここ、アクアの住人になるんです。

「アリア社長っ」
迎えに来てくれた、アリア社長の元へと走りながら、私は考えていました。

-灯里さんに、最初になんて言おう。
-灯里さんに、なんて言葉で、最初に挨拶しよう。

そして-
灯里さんは、なんて『言霊』で迎えてくれるんだろう。

今日もAQUAは-
ネオ・ヴェネツィアは、まるで私を歓迎してくれるかのように
どこまでも優しい青空が広がっていました。

                                  

-ようこそ! ARIA・カンパニーへ 
                     



                

                         -l'anima di lingua(言霊)- la fine-






[6694] sette si chiedono  前編
Name: 一陣の風◆5241283a ID:8350b1a5
Date: 2010/02/18 15:08
六本目のお話を、お届けします。

今回は前後編です。
いえ、ただ単に書いているうちに、どんどん話が膨らんでいって、流石にコレは、1本で投稿するのは無理だろうと……(汗)

ですから前後編という事に、あまり意味はありません。 ……たぶん(汗汗)

今回、ちょっと「遊び」をしてしましました。
お気づきになられた方は、そのまま優しい目付きで、スルーしていただければ幸いです(汗汗汗)

ちなみに私は、納豆食べれます(爆)


それでは、しばらくの間、お付き合いください。





    第六話『sette si chiedono』 前編




< ETA-4620M >

「先輩方。オレンジ・ぷらねっとの七不思議ってご存知ですか?」

突然、アリス・キャロルが玉子焼きを、かじりながら聞いてきた。

「七不思議?」

杏が、よせばいいのに鮭の身をほぐしながら聞き返す。

「はい。実はちょっと前に、ネオ・ヴェネツィアの七不思議っていう事件がありまして……
それならオレンジ・ぷらねっとにも、同じ様なことが、あるんじゃないかと……」
「そういえば、そんな話聞いた事あるわ」
「杏?」

「どうですか先輩方。私と一緒に、七不思議を探してみませんか?」
「うん。それは楽しそうね」
「杏ってば」
「ミステリィですよね、でっかい謎ですよね」

アリスちゃんが、目をきらきらと輝かせながら言う。

私はトーストをかじりながら、ため息をついた。

私の名前は、アトラ・モンテェウェルディ。
この水の惑星アクアの都市、ネオ・ヴェネツィアで、ウンディーネと呼ばれる水先案内人をしている。
階級はシングル(片手袋)
まだ一人では、お客様を乗せる事はできず、プリマ(手袋なし)と呼ばれる一人前のウンディーネが同乗している時だけ
お客様を乗せて観光案内ができる、半人前。


私の前で、和風朝食セットを食べている、アリス・キャロルは、そのプリマにペア(両手袋)の見習いから飛び級昇進した
我がオレンジ・ぷらねっとの期待の新星。
でも、その実、まだまだ夢見がちな、15歳の女の子。

「えっと、まず。三階にある『開かずの間』でしょ。次に、夜中、どこからともなく聞こえてくる不気味な唄声。それから……」

私の横に座って、アリスちゃんと同じ、和風朝食セットをつついている杏が、妙に嬉しそうに言う。
違うのは納豆がついてるか、ついていないかくらい。
ちなみに私は、この納豆という食べ物が苦手だ。 だって発酵してるのよ。 糸引くのよぉ!


杏(あんず)
夢野・杏は、私と同じシングルのウンディーネ。寮では同室の親友。
私と一緒に、トラゲットと呼ばれる、大運河(カナル・グランデ)を渡る、渡し舟をしている。
で、名前の通り、夢見がちな女の子。 彼女側の部屋は、ぬいぐるみで一杯だったりするのだ。

だから、アリスちゃんと杏の会話ともなれば、朝っぱらから、こんな話になる!

「ちょっと、杏。いい加減にしなさい」
「それから、中庭を走り回る創業者の銅像。夜中ひとりでに鳴るピアノ……」
聞いちゃいない……

「あと……」

アリスちゃんが、ちょっと声を低める。
「この食堂」
「食堂?」
「はい。夜中に何かが食堂を這い回るそうです。 ずる、ずる、ずる…って警備の人もコックさんも、でっかい知らんぷりですが……」
「はうあああ。やめてよ、アリスちゃん……」
私の向かい。 アリスちゃんの横に座ったアテナさんのスプーンを持つ手が止まる。

アテナさん。
アテナ・グローリィさん。「セイレーン(天上の謳声)」の通り名を持つ、オレンジ・ぷらねっとのエース・プリマウンディーネ。
でも、ドジっ子。

「そうゆう恐い話はしないでね…はぐふぅ!」
突然、アテナさんが悶絶し始める。

「アテナ先輩…ですから、ちゃんと冷ましてから食べてくださいって、いっつも言ってるでしょ?」
アリスちゃんが、冷たく言う。
アテナさんは、熱々の中華粥を、そのまま口に入れてしまったのだ。

ぐおおおおおーと、妙な踊りをおどっているアテナさんに、私は、お水を渡してあげた。
「はふう…ああ、ありがとう。アトラちゃん。助かったわ」
「いえ、どういたしまして。いつもの事ですから」
「はい。でっかい、いつもの事ですね」
「いつもの事ですよねぇ」
「ええ~」

アテナさんは、いつもこんな調子。
だからドジっ子。
信じられないほどの、ドジっ子。
だけど、それすらも含めて、みんなから愛されている、偉大なるドジっ子プリマ。

「アトラ先輩は、いつも、でっかい冷静です」
「え。そ、そんな事ないわよ」
「アトラ先輩!」

-びしっ

と、音が鳴るくらいの勢いで、アリスちゃんが言い放った。
「私と一緒に、オレンジ・ぷらねっと七不思議を解き明かしてみませんか?」
「えええ?」

「あっ。それはいいかも。 だってアトラちゃん、ミステリィ大好きだものね」
「杏ぅ?」
「それなら、なおの事、私と一緒に不思議を、でっかく解き明かしましょう!」
「いえ、アリスちゃん?」
「それはいいわね。 名探偵アトラちゃん登場ね」
「アテナさんまで……」

私は苦薬を飲まされたような顔になっていたに違いない。

確かにミステリィは、子供の頃から大好きだ。
ミドルスクールの時は、夢中になって夜中まで本を読みすぎ、今のように眼鏡のお世話に……
その時は、人と関わり合うより、本を読んでいる方が好きだったのだ。
そしてそれは、オレンジ・ぷらねっとに入った時も続いて……

でも、ただ読むのと謎を解くのは、また別の話なのになぁ。
それに時期が悪い……
私は小さく、ため息をついた。



< ETA-4560M >

「でもさ。アリスちゃん」
朝食の後、杏とアリスちゃんは、ゴンドラ乗り場に足を運びながら、まだ七不思議の話を続けていた。

「さっきの話だと、五つしか不思議はないわよ?」
「そうなのです。杏先輩。 実は、七つ目の不思議に遭遇すると、でっかい大変な事が起こると言われてます」
「その話も、聞いた事ある」
「はい。ですから、この不思議は六つしかないハズ…七つ目が解明されてしまうと、でっかい大変が起こってしまうからです」
「なるほど……」
いや、杏。
そこは納得するとこなのか?

「でも。そうなると、やっぱり後ひとつ、不思議が残っているわね」
「はい。きっと実は、その不思議は私達の目の前に残っているのではないかと……」

私達が、わいわい言いながらゴンドラ乗り場につくと、まずオール置き場にむかった。
そこには、何十本ものオールが壁にかかっている。
オールには、それぞれ番号がふってあり、ウンディーネは、その決められた自分のオールを手に取り、ゴンドラに向かうのだ。

「あれ?」
「どうしたのアリスちゃん」
「いえ、私のオールがなくって……」
「え?」
「私はいつもアテナ先輩の横に掛けるようにしてるんです。 昨日ちゃんとここに掛けたハズなのに」
「な、なにかのカン違いじゃない。ともかく探してみましょう」

私はすばやく杏を引っ張ると、オールを探すふりをして、アリスちゃんから少し距離をおいた。
「杏、ちゃんとやったの?」
「うん。でもあれぇ。もしかしたら間違えちゃったかも……てへっ」
「あんたねぇ!」
「ふげげげげっ」

私は怒りのあまり、思わず杏のほっぺたを、両手でつねってしまっていた。

「あったわよお」

少し離れたところで、アテナさんが声をあげる。

「ああ。アテナ先輩、ありがとうございます」

あわてて駆け寄るアリスちゃん。
そこには確かにアリスちゃんのオール、<NO-18>が掛けてあった。

「どうして、こんなところにあるんでしょう……」
「あだだ……さ、さあ。だから、アリスちゃんのカン違いじゃない?」
「そうそう。人は誰でも自分のことは、よく分からないものだから」
「そんなハズは……」
「そ、そうだ。アリスちゃん。これこそ六つ目の不思議よ」
「ちょ、待っ……杏?」

「勝手に動く、オール。 これが不思議でなくて、なんなのでしょう!」
「いや、杏。いくらなんでも」
「そうですねっ」
「納得したあ!?」

「アトラ先輩っ。ついに最後の不思議が私達の前に姿を現しました。 さあ、でっかい不思議に挑戦です!」

アリスちゃんが、小さくガッツポーズを決める。
うわぁ。すごいやる気。どうするの、コレ?
杏が、私にだけ見えるように、こっそりと手を合わせ、頭を下げた。



< ETA-3540M >

深夜・零時。
私と杏。
そして、アリスちゃんは、夜の人気のない廊下をゆっくりと歩いていた。
目的地は「開かずの間」
そこは、オレンジ・ぷらねっとの宿舎西側三階の、一番端にあった。

「誰もいませんね……」
アリスちゃんが、ささやくように言う。
「もともと、この階は、会議室や資料室、倉庫なんかになってるから、この時間には誰も通らないわ」
「なるほど。アトラ先輩、でっかい理論的で明快な推理です」
「いや、そこまでは……」
「さあ、着きました」

私達は「第13款待(かんたい)倉庫」、通称『ウェン・リーの間』の前にたどり着いた。
「ここが『開かずの間』…」
そこには、何の変哲もない扉があった。

「まず、この扉は異常です」
「アリスちゃん、どうゆうこと?」
「杏先輩。この鍵を見てください」
「これは……」
そこには暗証番号を打ち込むタイプの、頑丈な錠がかかっていた。

「こんなに厳重な警備をしなければならないなんて…匂いますね」
「い、いや、アリスちゃん。それは単に、この倉庫には、何か大切なモノが保管してあるって事じゃ……」
「でもアトラ先輩。それにしても、この電子錠は、あまりにも厳重過ぎます」
そう言って、アリスちゃんは電子錠に触ろうとして-

「だめっ。アリスちゃん!」
私の叫び声に、アリスちゃんの動きが止まる。
「ど、どうしたんですか?」
「触らないで。もしかしたら警報装置と連動してるかも」
「あ…そうですね。でっかい、そうかもしれません」
あわてて手を引っ込めるアリスちゃん。


「そこにいるのは誰です?」
突然、私達は暗闇から声をかけられた。
この声は……
「寮長さん?」
そこには、やさしい顔をした、小柄な、おばあさんが立っていた。

寮長さんは、ここオレンジ・ぷらねっとの宿舎寮の管理人さんだ。
いつも柔らかな物腰で、でも時には厳しく、私達に接してくれる。
私達ウンディーネの健康管理から、呼び出し、清掃、洗濯、消耗品の調達等の雑事も引き受けてくれる、
文字通りの管理人さん。

でも、中でももっとも私達にとって大切なことは、彼女が私達のよき『相談相手』だということだ。
なかなか進級できないシングルや、入ったばかりで、ホームシックにかかったペアなんかの相談を、
いつも親身になって聞いてくれる、やさしい人。

彼女のおかげで、立ち直ったウンディーネは、数知れない。
だから私達は、こっそりと彼女をことを『お母さん』と呼んで、頼りにしていた。

実を言えば私も、昔はよくお世話になったものだ。


「アリス・キャロル? こんな所でなにしてるの?」
「いえ、その……」
「明日もお仕事なのだから、夜更かしせず、早く部屋に帰ってお休みなさい」
「はい……」
「さあ、アリスちゃん。行きましょう」
「あの、お母…寮長さん」
促す私達を無視して、アリスちゃんは『お母さん』に疑問をぶつける。

「どうして、この部屋は鍵が…こんな頑丈な鍵がかかっているんですか? それも『開かずの間』って言われるほどの……」
「ここは、倉庫ですからね」
寮長さんは、さも当然のように答えた。
「ここには、オレンジ・ぷらねっとの貴重な物品や、社外秘資料などが保管されているの。だから厳重に保管してるのよ」
「そう…なんですか?」
「ええ。だからこの鍵の番号は、私やアレサ部長を含めて数人しか知らないの」

「…あと、どうしてこの部屋は『ウェン・リ-の間』って呼ばれてるんですか?」
「え? さ、さあ。それは私も知らないわ」
「知らない?」
「ええ。いつの間にか気が付いたら、そう呼ばれるようになっていたわね」
「そうなんですか……」
「さあ、アリスちゃん。行きましょう」
私は、アリスちゃんの手をとると、足早にその場を離れた。
去り際に振り向くと、寮長さんが小さく手を振っていた。



< ETA-2820M >

「……ピアノ」
「え?」
急にアリスちゃんが立ち止まった。

翌日の深夜、零時。
再び、私、杏、アリスちゃんの三人は「不思議」探索をしていた。

「どうしたの。アリスちゃん」
「先輩方。ピアノの音が聞こえませんか?」
「え? うんと…杏、聞こえる?」
「えと……」
私はすばやく、杏の足を踏みつけた。

「あうっ。き、聞こえない。何も聞こえないよ。アリスちゃん」
「? どうしたんですか?  あっ、今。小さくですが確かに、でっかい聞こえました」
「で、でも。私も杏も何も聞こえなかったわ」
私の再びの『特別な合図』で、杏も慌てて、うなずく。

「アリスちゃんの気のせいじゃ……」
「いえ。確かにピアノの音が…これは七不思議のひとつ。 ひとりでに鳴るピアノでは……行きましょう」
「アリスちゃん?」
アリスちゃんが、脱兎のごとく走りだす。
私と杏は、あわててその後を追いかけた。

「アリスちゃん。走ると危ないわよ」
「アリスちゃん。待って。待ってってば」
「先輩方。そんなに大声をあげないでください。でっかいうるさいです!」

ドラバタと足音も高らかに、私達は音楽室の前に到着した。
ちなみに音楽室も、第13款待倉庫と同じ西館にある。
もっともこちらは、二階だが。

「ここも鍵がかかってる……」
アリスちゃんが、扉を調べながら言う。

今度は間に合わなかったのだ。

「やっぱり、何かのカン違いじゃ……」
「アトラ先輩。でも私は、はっきりとピアノの音を聞いたんです」
「でも、アリスちゃん。こうして鍵はかかっている。 と、ゆうことは、中には誰もいない……」
「ホントでしょうか?」
「え?」

「ホントに中に誰もいないんでしょうか?」
「も、もちろんよ。 鍵がかかってるんだし」
「それに、中に誰かいたんじゃ、ひとりでに鳴るピアノじゃなくなっちゃうよ」
「う…杏先輩。するどいです」

-お。杏。ナイス・ツッコみ
 これなら今夜は……

「じゃあ。中に入って調べてみましょう」
「なんですってぇぇぇぇえ!?」
「ど、どうしたんですか? アトラ先輩。 そんな大きな声で」
「う、ううん。なんでもないわ」
「もう、でっかい、びっくりするじゃないですか」
「アリスちゃん。 でも鍵かかってるわよ」
杏が、ドアノブを、がちゃがちゃと触りながら言う。

-気づいてくれたか

「大丈夫です」
そう言うと、アリスちゃんは、おもむろに髪からヘヤピンを抜き取った。
「こんなこともあろうかと、用意しておきました」
そして器用な手つきで、ヘヤピンをドアノブに突っ込むと、鍵を開けるアリスちゃん。

「ちょっ…アリスちゃん。どこで、そんな技を!?」
「前にも灯里先輩達と、ゴンドラ練習の時に、同じことをやったことがあります。 でっかい一般常識です」

「「違う違う違う!」」

私と杏は、同時にツッコんだ。



< ETA-2810M >

「失礼しま~す」
そっとドアを開ける。
防音処理されたドアは、結構重い。
中は、当然のことながら真っ暗だ。

「灯りのスイッチは……」
「だめよ、アリスちゃん。灯りをつけちゃ」
「アトラ先輩?」
「昨日の倉庫の鍵のこと忘れたの? こんな夜中に電気なんか点けたら、それこそ警備の人が飛んでくるわよ」
「あ…確かに」

「幸い今夜は月灯りがあるから、窓のカーテンを開ければ、見えないほどではないわ」
「はい」
「じゃあ、杏とアリスちゃんは、部屋の中を調べて、私は隣の準備室を見てくる」
「らじゃ!」
「でっかい了解です」

私は、カーテンを開けながら、部屋の中を探索する二人から離れて、準備室と書かれたドアに近づいた。
ドアノブに手をかけ、ゆっくりと回す。
ドアを開け、中をのぞき込む。
小さな部屋だ。灯りをつけなくても、音楽室に差し込む月灯りで、中の様子は、手に取るように分かった。


「アトラ先輩。そちらはどうですか?」
アリスちゃんが近づいてくる。
私はゆっくりとドアを閉めると、少し大きな声で言った。

「なにも、誰もいないわ。そっちはどうだった?」
「こちらも誰もいません。でもこんなものが・・・」
それは、携帯式のミュージック・プレイヤーだった。

「これは?」
「これが電源が入ったまま、床に置いてありました」
「ちょっと貸してみて」
私は、ミュージック・プレイヤーを受け取ると、再生のスイッチを入れてみた。すると-

「これは……」
音楽が流れてきた。それは『祝福の歌』だ。

おいおい……

「これがさっきアリスちゃんが聞いた、ピアノの正体ね」
「え?」
「なにかの加減で、このプレイヤーのスイッチが入って、その音がアリスちゃんの耳に入ったのよ。
 さすがは耳がいいね」
「あああ、ありがとうございます」
「アトラちゃん。もうすぐ警備員さんの、巡回の時間よ」
杏が時計を見ながら言う。

-よし。ナイス・フォロー

「分かったわ。杏。 アリスちゃん。とりあえず、ここを出ましょう」
「らじゃ」
「でっかい了解です」


「これで、ひとつ目の不思議を解き明かしたね」
「杏先輩。まだまだです。まだ、ひとつしか解き明かせていないんです」

う~ん。なぜにアリスちゃんは、こんなにも不思議にこだわるのか。
誰か教えてください。

「とりあえず今夜はこれで解散ね。寮長さんじゃないけど、あまり夜更かしは……」
「ひっ」
突然、杏が私にしがみついてきた。

「な、な、何? 杏。ど、どうしたの。 わ、私にそっちの趣味はないわよっ」
「な、何か…」
「へ?」
「なにか今……」
「え?」
「なにか今、私たちの後ろを通ったあ!」
「えええ?」
「私も見ましたっ」
「アリスちゃん?」
「な、なにか灰色のものが、私達の後ろを横切って、階段を上がっていきました」
「ええ?」
「追いかけましょう!」
再び、脱兎のごとく駆け出す、アリスちゃん。

-いけない! あのタイミングでは間に合わない。

「アリスちゃん。危ないわよ。アリスちゃん!」
「うわあん。待って待って待ってってばっ。ひとりにしないでぇ」
そして再び、私達は、アリスちゃんを大声で叫びながら、追いかけるはめになった。



< ETA-2790M >                                       

三階に向かう階段の踊り場で、私はようやく、アリスちゃんに追い着いた。
「待って、アリスちゃん」
私は、アリスちゃんの腕をつかむと、強引に引き止めた。

「アトラ先輩。なぜ止めるんですか」
「アリスちゃんっ。いえ、オレンジ・プリンセス」
「は、はい?」
急に自分の通り名を呼ばれて、アリスちゃんは戸惑ったように足を止めた。


「通り名」
それは、プリマ・ウンディーネだけが持つことを許された、もうひとつの名前。
一人前の証。
そしてアリスちゃんのそれは『オレンジ・プリンセス(黄昏の姫君)』


私は頭をフル回転させて、答えを見つけ出そうとしていた。

「あなたは、オレンジ・ぷらねっとのプリマ・ウンディーネなんです」
「は、はい」
「そんな、あなたがもし、走ってる最中に転んで、怪我でもしたらどうするんですかっ」
「え…?」
「それに万が一、あの人影が本当に不審者だったらどうするんです」
「不審者?」
「ええ。あなたはプリマ・ウンディーネ。 会社にとって、唯一無比なもの。 特にあなたは、オレンジ・ぷらねっとの、
 至宝ともいうべき存在」
「いえ、あの、私は……」
「いいですか、オレンジ・プリンセス」
「は、はい」

「無茶はしないでください」
「え?」
「もう一度、言います。あなたは、プリマなんです。少しでも危険なことは避けた方がいい」
「で、でもアトラ先輩」
「アトラでいいです」
「え?」

「あなたは、プリマなんですから、シングルの私を呼び捨てにしてもいいんです」
「いえ、あの……それはできません」
「アリスちゃん?」
「すいません。私、いくら自分がプリマだからと言って、アトラ先輩や杏先輩
 それに他の先輩方も、呼び捨てにはできません。でっかい…でっかい、ごめんなさい」

そう言うと、アリスちゃんは少し顔を紅らめ、下を向いてしまった。

-いい子なんだ

と、嬉しく思う反面。 チクチクと突き刺す罪悪感に、私の胸は痛んだ。


「はあはあはあ……みんな待ってよぅ」
杏がようやく追い着いてきた。
「杏。アリスちゃんをお願い。私が先に行くわ」
「アトラ先輩っ」
「大丈夫です。危なかったら逃げますから。二人は少し距離をおいて、付いてきてください」
私はそう言うと、ゆっくりと、階段を上がり始めた。


三階の通路には、誰もいなかった。
なんとか間に合ったらしい。
本当に、ゆっくりと歩みを進めながら、私は冷や汗が出るのを止められなかった。



< ETA-2760M >

「やっぱりここですか……」
アリスちゃんが、つぶやくように言う。

私達はまた、第13款待倉庫『ウェン・リーの間』の前に立っていた。
「鍵はちゃんと確認したわ。 ちゃんと掛かってる」
「どういうことでしょうか……」

私は少し肩をすくめながら、アリスちゃんに答えた。

「1.『何か』は、最初からいなかった
 2.『何か』は、いたけれど。それはこっちには向かわなかった。
 3.『何か』は、ここの解除コードを知っていて、鍵を開けて入った。
 4.『何か』は、ここを、なんらかの能力で、通り抜けていった……」

「1と2は違いますね。私は、はっきりと見ましたし、杏先輩も見てます」
「うん、うん。確かに」
おいおい、杏。空気読め。

「3は、それこそ無理でしょう。だって鍵の解除コードを知っているのは、数人しかいないって
 昨日、お母さんが、おっしゃってましたから」
「…………」
「と、なると……」
「残るは4の、通り抜けていった……」
「…………」
「なに、なに。人間じゃないの?」
杏ぅ? 部屋に帰ったら説教よ!
 

「これはどうゆうことでしょう」
アリスちゃんの顔が、若干、青ざめて見えた。 ごめんね。

「やはりここには、何かあるんでしょうか」
「確かにね。 だから今はあまり近づかないようにしましょう」
「え?」
「ここの謎を解くには、もっと情報が必要です。 お互い、情報を集めてから、改めて検討してみましょう」
私の言葉に、アリスちゃんは『分かりました』と、うなずいてくれた。

-やれやれ。なんとかなった

私が安堵したのも束の間。
再び、杏が抱きついてきた。

「杏? だから私には、そっちの趣味は……」
「アトラちゃん。あれ、あれえ!」
杏は、震える手で、窓の外を指差した。
「あれは……」
アリスちゃんも、身を乗り出して絶句している。

中庭の森の中を、何かが駆け抜けて行く!

それは、妙に頭の大きな、まるで銅像のような色をした灰色の何かだ。
それは、不規則な動きを繰り返し、やがて茂みの淵で、忽然と姿を消した。
それは、不気味な声とともに………プッイヌフゥゥゥ…

おひおひ。

「アトラ先輩っ」
「な、なに、アリスちゃん」
アリスちゃんが、頬を上気させながら叫んだ。

「あれは、あれこそが、不思議のひとつ。 夜中に走り回る、創業者の銅像です!」
「ええ!?」
「あの最後の不気味な声が、でっかい証拠です」
「いや、あの……」
「そうなんだ。 あれが走る銅像……」
「杏ぅ?」

「私、再び、でっかい燃えてきました! アトラ先輩っ」
「は、はいい?」
「お互い頑張りましょう。 絶対、絶対、七不思議を解き明しましょう」
「うん。がんばろうね」
「もしもぉ~し……」

ひとり盛り上がるアリスちゃん。
まったく能天気な杏。

そして、こっそりタメ息をつく私。

う…うん。
私も頑張ろう……たぶん。



< ETA-2400M >

    Un discorso di interludio- 間奏話 Ⅰ


「おはよん、アトラちゃん。朝だよ」
「ううん……もう朝?」
「珍しいわね。アトラちゃんが、朝、すぐに起きれないなんて…ふふ」
「しょうがないでしょ。 例のことで、寝不足気味なの。 …あれ?」
「どうしたの、アトラちゃん」
「いえ、眼鏡がなくて……」

「へっ? そこにあるのは?」
「うん。今日は、いつもとは違う色の眼鏡の気分だったんだけど……ないのよ」
「あちゃっ」
「え?」
「ううん。なんでもないよ。 それでないと困るの?」
「困るわけじゃないけど・・・…最近ずっとかけてなかったから、今日はなぜか、その気分だったのに……」
「どっか、違う場所に置いたんじゃ……」
「う~ん。そんなハズはないんだけど……」

「と、とりあえず今日は、違う眼鏡で行けば? 時間もないし……」
「う~ん。そうねえ」
「また帰ってきてから探しましょう。私も手伝うから」
「そうね。しかたないか……ありがとう、杏」
「どういたしまして。 じゃ、行きますか」
「うん」



< ETA-2100M >

「先輩方。聞き込みの結果がでました」
「聞き込み?」
「はい。例の七不思議の件ですが……」
「七不思議? なんか面白そうな話だな」
「あゆみ?」

トラゲット。
その、お昼の休憩中。
私、杏、あゆみが昼食をとっていると、午前の営業を終えたアリスちゃんが合流。
そこにARIA・カンパニーの灯里ちゃんや、アリア社長まで加わって、軽いパーティのような昼食会になっていた。


あゆみ。
あゆみ・K・ジャスミンは姫屋のウンディーネで、私達とはよく一緒にトラゲットをする友人。
彼女は(私を含め)他のウンディーネと違い、プリマにはなろうとせず、シングルのまま、
地域密着型であるトラゲットに、愛情をささげる、少し変わったウンディーネ。
でも性格は裏表の無い、はっきりとした性格で、姫屋の中でも人望が厚く、同僚や上司からも
頼りにされていた。 もちろん、私の大切なお友達。

灯里ちゃん。
水無・灯里ちゃんは、ARIA・カンパニーのウンディーネで「アクアマリン(遥かなる蒼)」の、
通り名を持つ、プリマ・ウンディーネ。
私達とは、彼女がまだシングルだった時に、一度、トラゲットをした仲。
彼女との出会いは、くじけそうだった私に、もう一度、元気と勇気をくれた、とても大切な出来事。
彼女はもともと、アリスちゃんの知り合いでもあったのだ。

そして、アリア社長。
アリア・ポコテン社長は、ARIA・カンパニーの青い目をした火星猫さん。
ここ、ネオ・ヴェネツィアの水先案内店では、航海の安全を守るシンボルとして、青い瞳の猫さんを、
会社の社長とするのが、習わしだった。
ちなみに火星猫さんは、喋れはしないけど人の言葉は理解できるのだ。


「アリスちゃんは、あゆみとは初対面だったよね」
「え? いえ、いや、はい。あ、あの、でっかい初めまして、あゆみさん。私はアリスです」
「お? うお、おう? あ、ああ。ま、まったく初めまして、アリスちゃん。ウチは、あゆみ」

-ん? なんだ、今のは…まるで……

「お、おいアトラっ。で、で、七不思議ってなんだい?」
「え、ええ。ああ、つまりそれは……」
あゆみの叫ぶような言い方に、私の思考が中断される。


私は、これまでの話をかいつまんで、あゆみと灯里ちゃんに話して聞かせた。

「あの第13款待倉庫。通称「ウェン・リーの間」は、なぜ、あんなにも厳重に守られているのか……」
アリスちゃんは、ゆっくりと話始めた。

「こんなに厳重に守らなければならない理由……それは、ずばりっ」
「ずばり?」
「あそこは『死の部屋』なのです!」
「死の部屋ぁ!?」
「はい。私が昼間、関係者の方々に聞き込みをした結果、そうゆう結論に達しました」
「聞き込みって……どうゆうこと?」
「実は、ペアの間で伝わっている伝説なのですが、この部屋で昔、いつまでたっても昇進できなかったペアの
 ウンディーネが、将来を悲観して飛び降り自殺を図った-という、事件があったそうなのです」

ああ、確かにそんな噂あったなぁ……
私は、遠くのカンパニーレ(大鐘楼)を仰ぎ見た。

「幸い命は取り止めましたが、彼女は二度と、ゴンドラに乗ることはできなかったそうです」
「………」
「それ以降、夜な夜な、あの部屋ではいろんな怪奇現象が多発したため、このような頑丈な電子錠をかけて、
 封印したのだそうです」
「なるほど……」

「そしてそのウンディーネの名前が、ウェン・リー・アンって言うのです」
「アン……ウェン・リー…」

「はい。それでそれ以来、あの倉庫は『ウェン・リーの間』と呼ばれ、開かずの間になったのだとか……」
「怖いですねぇ」
灯里ちゃんが言う。

ほんと。 怖い怖い。


「そして次の不思議。夜中に聞こえてくるピアノの音」
「はへえ? アリスちゃん。それは解決したハズじゃ……」
「え? 灯里先輩。どうしてそれを、でっかい知ってるんですか?」
「はひっ。えっと、それはつまり……」
「あ。それはさっき私が灯里ちゃんに話したの。そうよね。灯里ちゃん?」
「は、はひっ。そうです。そうなんです。だよ、アリスちゃん」
「ぷ、ぷいぷいにゅううう」
アリア社長もあわてた感じで叫んだ。

アリスちゃんが、不審げに小首を傾げる。

「そういえば灯里先輩。その傷、どうしたんですか?」
「はへ?」
「ほっぺに腕にヒザに……でっかい絆創膏さんです」

-うわっ。鋭い!!

「灯里ちゃんは、なにか歩いてる最中に、転んじゃったみたいなの」
「ほへえ…アトラさん? 私……」
「うほんっ」
思わず、咳払いと、視線をばちばちっ。
幸い、灯里ちゃんは、気付いてくれた。

「あっ、う、うん。そうなの。 私ってばドジっ子さんなのかなあ…あ、アテナさんみたいだね。 あは…あはは……」
「アテナ先輩ほどのドジッ子さんはいないと思いますが……大丈夫なんですか?」
「うん。ぜんぜん大丈夫。元気!元気!! あはっ…あははは」
「…ならいいんですけど」

-ふう。やれやれ。
 どうしてアリスちゃんはこう、妙なところでカンが良いのか……

「それよりアリスちゃん。 ピアノがどうかしたの?」
私は、あわてて続きをうながした。

「え、はい。 実は、あの音楽室でも昔、同じような話があったそうです」
「えっ。そうなのアリスちゃん」
「はい。灯里先輩。声がでなくなったプリマが、やはりあそこで自殺を図ったとか……」
「ひ………」
「ぶぎっぷぷぷぷ……」

灯里ちゃんとアリア社長が、真っ青になって絶句する。

「どうしたんですか、灯里先輩。アリア社長まで、急に、でっかい涙なんか浮かべて……」

『あうあうあう…』と口をぱくぱくさせる灯里ちゃん。
『ぷうううう』絶句しているアリア社長。
まあ、気持ちは分からなくもないが……

「それ以来、音楽室と第13款待倉庫では、不思議なことが起こるようになったとか……」
「う~ん」
「そして夕べ見た、中庭を走る銅像……」
「はうあ? そ、そんな…中庭でぇ?」
「そうなんです、灯里先輩。……って、なにかご存知なんです?」
「え、いえ、そんな。私がそんなコト、知るわけナイジャナイデスカ……」

灯里ちゃん。めちゃくちゃ不自然!!


「もともと、あの銅像は、オレンジ・ぷらねっとの創業者ユリアン・アマデウスの像なんです。
 そして、でっかい問題なのは、なぜそれが走り出すか-と、いうことなんですが……」

-アリスちゃん。 もう走ることが前提なのね。

「私が調べた結果、ユリアンは、このオレンジ・ぷらねっとがネオ・ヴェネツィアの水先案内店として、
 定着する前に、他界されたということで、きっとその心残りが霊となって、銅像に乗り移り、
 夜な夜な、オレンジ・ぷらねっとを徘徊するのではないかと……」

「すごい……」
私は、わざとらしく、感嘆の声をあげた。
「アリスちゃん。よくひとりで、ここまで調べたわねぇ」
「ありがとうございます。アトラ先輩。私、でっかい頑張りました。 で、あと残る不思議は……」

アリスちゃんは続ける。

「どこからともなく聞こえてくる不気味な唄声。 夜中に食堂を這い回るモノ。 そして私のオール。
 この三つです」
「え? オールの件は、アリスちゃんのカン違いじゃ……」
「そんなこと、でっかいありませんっ。 私がアテナ先輩の横に掛け忘れるなんて、でっかい、ないです!」

真剣な顔で、力説するアリスちゃん。
「アリスちゃんは、アテナ先輩のことがホントに大好きなのね」
「え…いや、そうゆうわけでは……」

やっぱり顔を紅らめて、うつむいてしまうアリスちゃん。
その様子を、みんなは微笑ましく見ていた。



< ETA-2130M >

私はそっと、灯里ちゃんに目配せした。
灯里ちゃんは、小さくうなずいた後、打ち合わせ通り言ってくれた。
「あのね、アリスちゃん。もういいんじゃないかなぁ」

「灯里先輩?」
「さっきアトラさんから聞いたんだけど、アリスちゃん。夕べ大変だったんでしょ……」
「そうだ、アリスちゃん。あんまり危ないことはしない方がいいぜ」
「あゆみ先輩?」
「うん。私もそう思う」
「杏先輩……」
「ぷいぷーい」
「アリア社長まで……」

「アリスちゃん」
予定通り、最後は私が言う。

「昨日も言いましたが、アリスちゃんはプリマ・ウンディーネなんです。 だから今回の件でも、あまり、
 深入りは止めた方がいいと思います。 だから、もう止めましょう。不思議は不思議のままでいいんです」
「ダメです」

うわっ。即行否定!?

「私はどうしても、オレンジ・ぷらねっとの七不思議を解明するんです」

「どうして? どうしてアリスちゃんは、そんなに七不思議にこだわるの?」
でっかい頑ななアリスちゃんに、思わず-っといった感じで灯里ちゃんが訊ねる。

「ネオ・ヴェネツィアの七不思議を経験した人が、それを言うんですか?」
「え…?」
「私だって……私だって、ネオ・ヴェネツィアの七不思議を体験したいんです。でも、でも私は……
 私には、その資格がなくて…うらやましくて……」
「アリスちゃん……」
「だから私はせめて、オレンジ・ぷらねっとの七不思議を体験して、それを解明したいんです」
うつむき加減で、少し涙声で、叫ぶように言うアリスちゃん。

「アトラさん……」
灯里ちゃんが、何か、すがるような目で私を見てくる。
見回すと、あゆみや杏、アリア社長までもが、同じような目で、私を見てくる。


-そんな目で私を見るなああ! 
 私だって、私だって………ああ。まったくもう。

私は小さいサイ(ため息)をつくと、仕方なく言った。

「分かりました、アリスちゃん。 最後まで付き合いますよ」
「あ、アトラ先輩。ホントですか!?」
「ええ。しょうがありません」
「あ、ありがとうございます」
「でも……」
私は、釘をさすことを忘れなかった。

「危ないことは、なしですよ」
「は、はい」
「私も、私も手伝うっ」
「杏?」
「ウチも手伝うぞぉおっ」
「あゆみ?」
「はひっ。私もおよばずながら、力になります」
「ぷいぷいにゅっ」
灯里ちゃんとアリア社長が、目をうるませながら言う。

「みなさん。でっかい、ありがとうございます」
アリスちゃんは、立ち上がると、深々と頭を下げた。

………
………まったく

まったく、なんて、お人好しで、おバカさんな人達なんだろう。
状況を理解しているのか?
本質を見誤ってないか?
なんのための打ち合わせだった?

………
………でも

でも、私は、そんな彼女達が、大好きだっ。


「それじゃ今夜もまた、24時に私と杏の部屋に来てください」
「はい。アトラ先輩」
「でも無理はしませんよ」
「はい」
「あゆみと灯里ちゃんは、サポートをよろしく」
「おう。まかせとけっ」
「はひ。了解です」

「ぱ、ぱぱぱあ~い」
アリア社長が、私の服を引っ張りながら言う。
「はいはい。アリア社長も、しっかりお願いしますね」
「ぱあーい、ぱっ!」

こうして成り行きとして、今夜もまた、夜更かしが決定した。
はあああ。


-アトラちゃん
-なに、杏
-ため息ばっか付いてると、幸せ逃げるって言うよ

………………はああ…



< ETA-1440M >

誰かがドアをノックした。
「誰ですか?」
「あ、あのアリスです」
早っ。
私は小さくドアを開いた。

「どうしたのアリスちゃん。まだ時間早いわよ?」
「すいません。アトラ先輩。実はちょっと問題が……」
「問題?」
「はい。あの、ここじゃ話せなくって……」
「あ、ごめん。ちょっと待って。シャワーあびてたものだから」
「あれ? 先輩、さきほど大浴場にいませんでしたか?」
「え? ああ。その後、ちょと汗かいちゃったものだから」
「はあ……」
「ちょっと待ってね」
私はいったんドアを閉めると、部屋を横切り、シャワー室の扉も閉めた。

それから改めてドアを開くと、アリスちゃんを部屋の中へと招き入れた。

「すいません。急にお訪ねして。 あの…杏先輩は?」
「杏は打ち…いえ、用事で他の部屋に行ってるの。 それで、どうしたの?」
「はい……実はアテナ先輩がいなくて…」
「いない?」
「はい。いつもこの時間には部屋で本を読んでいるのに……」
「いないの?」
「はい。 実はアテナ先輩、この一週間、毎晩、夜中にこっそりと部屋を抜け出しては、どこかに行ってしまうんです」
「どこかに……」
「そして深夜。 私が眠りについたのを、まるで見計らったかのように、アテナ先輩は戻ってくるんです。
 でっかい不思議です」
「偶然じゃない?」
「そんな偶然が、一週間も続くでしょうか?」


「……今、アテナさんは?」
「まだ、大浴場だと思います」
「そう……ならアリスちゃん。今、いったん部屋に戻って、アテナさんがまた部屋を抜け出したら、私達の部屋に来て。
 それから、アテナさんが、どこで何をしているのか、確かめましょう」
「分かりました。でっかい了解です」
「うん、じゃ、また後で」

アリスちゃんは、礼儀正しく頭を下げると部屋を出て行った。
私はドアを閉め、それからシャワー室の扉を開けながら、つぶやいた。
「プラン変更ですねぇ」



< ETA-1380M >

「こっちに行ってみましょう」
私はそう言うと、アリスちゃんと杏を食堂の方へと誘った。

「アリスちゃん。アテナさんは、本当にこっちに行ったの?」
「はい。杏先輩。途中まででしたが、でっかい確実です」
「この先にあるのは、食堂、玄関ホール、事務所、それと談話室……くらいかな?」
「横手に行けば、ゴンドラ乗り場もありますね」

「うん。もしかしたら、残ってた不思議が解明できるかも……」
「アトラ先輩、予感がするんですか?」
「ええ、女のカンってヤツかな?」
「でっかい、スゴいです」

-ごめん、アリスちゃん
やっぱり私の胸は、罪悪感で痛んだ。

「唄が聞こえる……」
杏が言った。
私達が耳をすますと、確かに、かすかだけど、どこからか唄のようなモノが聞こえてくる。

「これはっ」
アリスちゃんが叫ぶ。
「ピアノの時と同じです。 これは七不思議のひとつ。どこからともなく聞こえてくる、不気味な歌声……」
「でも、どこから?」

私達が今居るのは、なんの変哲もない、普通の通路だ。
しいていえば、配管の太いパイプが天井近くを這い回ってるだけで……


-がたぁん!

突然、廊下の先で、何かが倒れるような鈍い音が響いた。

「ひっ」
アリスちゃんが、しがみついてくる。
「い、今のは何でしょう……」
「食堂の方から聞こえてきたみたいだね……」

すると今度は………

-ずる…ずる…ぺた…ぺた……

と、何かが這いずるような音が。

「こ、これは」
私の腕をつかむ、アリスちゃんの手に力がこもる。
「深夜、食堂を這い回る、謎の物体?」
「行ってみましょう」
私達は食堂へと、ゆっくりと歩を進めた。


「ここで待っていてください」

食堂は、月明かりを受けて、ぼんやりとその姿を浮かびあがらせていた。

「私も一緒に行きます。 そんな、アトラ先輩にだけ、でっかい危険な目に……」
アリスちゃんが、間髪いれずに言う。

-ああ この子ってば……

「ありがとう。アリスちゃん。 分かりました。 では、一緒に行きましょう。 でも約束は忘れないで。
 あなたはプリマ・ウンディーネなんですから」
「アトラ先輩……」
「じゃあ、私の後から、ゆっくりと。 杏。 アリスちゃんをお願いね」
「らじゃっ!」

私達は、ゆっくりと食堂の中に入っていった。

そこには-

心揺さぶる、甘いにおい。
鼻孔をくすぐる、バターのにおい。
お腹の虫を刺激する、蜂蜜のにおい。


「アレサ部長?」
アリスちゃんが、びっくりしたように声を上げた。

そこには、山盛りのパンケーキのお皿を片手に持った、アレサ部長が立っていた。

アレサ部長。
アレサ・カニンガム部長は、オレンジ・ぷらねっとの人事部長だ。
でもその実権は、人事部長のそれを遥かにしのいでいた。
他店ですでに、プリマ・ウンディーネとして名声を得ていた彼女は、オレンジ・ぷらねっと移籍後、
中核メンバーとして、その実力をいかんなく発揮。
初期のオレンジ・ぷらねっとを支える、強力な人材だった。
やがて、プリマ引退後、請われて人事部長に就任した彼女は、そのウンディーネ以上に優れた手腕を
発揮して、数々の施策を実行。
その結果、オレンジ・ぷらねっとは、わずか十年で老舗の大手水先案内店「姫屋」をしのぐ
営業実績を上げることになった。

すごく切れる人。でも、その実、私達ウンディーネのことを、常に深く思ってくれている人。
そして今回の……

「うん? あなた達、どうしたの?」
「え、いえ、あの、どうして部長が……アトラ先輩?」
アリスちゃんが困ったように、私を見る。

「どうしても、なにも……アレサ部長がパンケーキ焼いてた」
「っへ?」
「なに? 私が夜食作ってちゃいけないの?」
「え、いえ。その……夜食?」
「そ。最近忙しくてね。深夜までお仕事。 夜食にパンケーキでも食べてないと、やってられないわ」
「はあ…あの、アトラ先輩……」

「ええ。どうやら、そうゆうことね」
「はい。相手がアレサ部長であれば、コックさんも、警備さんも、でっかい何も言えないわけです……」
「うん」
「深夜、食堂をうろつくモノ…アレサ部長だったんですね……」


「で、あなた達は、こんな時間、こんな所で何をやっているの?」
「あ、あの七不思議……」
「え?」
「い、いえ。なんでもありません……」
「アリス・キャロル。いえ、オレンジ・プリンセスっ」
「びくっ」
「もう、就寝時間はとっくに過ぎてるわよ。 部屋に帰って、早く休みなさい」
「は、はい」
「若さを過信しちゃダメよ。 もうホント。 時間がたつのは早いんだから・・・私も昔は……」
「で、でっかい失礼しました!」

『過去の回想』(ぼやき-ともいう)に入り始めたアレサ部長に、アリスちゃんは、あわてて、その場を去っていく。
私と杏は、アレサ部長と顔を見合わせると、声を立てずに笑い合った。

去り際。アレサ部長は、こっそりと親指を立てて、エールを送ってくれた。




 
                               

                            -sette si chiedono-    Essere continuato (つづく)-







[6694] sette si chiedono  後編
Name: 一陣の風◆5241283a ID:8350b1a5
Date: 2010/02/18 15:42
そんなこんなで後編です(笑)

後編では、キャラが足りなくなって、懐かしい(?)あの方に再登場していただきました。
できれば、そのままスルーしてやってください(願)

広げた風呂敷は、ちゃんと畳めているのか?
伏線は、ちゃんと回収できているのか?
そもそも、伏線なんてあったのか?
お遊びの部分は、みな様に、許していただけるのか?

心はすでに「シュバルツシルト(事象の地平線)」の彼方です(涙)

最後まで読んでいただいた後に
みな様が少しでも「くすりっ」-と笑っていただけたなら
これに勝る幸せは、ありません。

それでは、しばらくの間、お付き合いください。






       第六話『sette si chiedono』 後編

(起承前)



< ETA-1350M >

「ああ。びっくりしました」
アリスちゃんが、ため息まじりに言った。

私達は、アレサ部長と別れた後、玄関ホールの方へと歩いていた。

「まさか不思議のひとつが、アレサ部長だったなんて」
「ええ。とんだ盲点だったわね」
「はい。ほんと、でっかいびっくりです」
「あれ…?」

杏が不意に立ち止まった。
「どうしたの、杏」
「あれ、見て」

杏の指差す方向。そこはオール置き場。
そこでは、なにかの影が、ゆっくりと移動していた!

「あれは?」
「行ってみましょう」
「はい!」

通常、夜のオール置き場は、誰もいない。
その必要がないからだ。
常夜灯が、ほのかな灯りをともしているだけで……

けれど今。
誰かがランプを片手に、その場所を妖しげに徘徊していた。

「あれは……いったい誰でしょう」
「と、ゆうか、いったい何をしているのかしら……」

やがて人影は、私達が隠れている通路のすぐそばまでやって来た。

「先輩方。どうしましょう」
「私にまかせて!」
「杏先輩?」

杏は言うが早いか、すばやく立ち上がると、その人影に向かって駆け出して行った。

「ちょっ。杏先輩!?」

つられたように、アリスちゃんも飛び出して行く。

「こらあっ。そこで何をしてるのぉ!」
叫ぶ杏に、その人影は、ゆっくりと振り返った。 その人は-

「蒼羽(あおば)教官?」

振り返ったその人は-
指導教官の蒼羽さんだった。

蒼羽さん。
蒼羽・R・モチヅキさんは、アテナさんの同期で、私達ウンディーネを指導するプリマ・ウンディーネ。
ゴンドラ・ツアーはしない代わりに、私達、シングルやペアに、マン・ツー・マンで操舵や観光案内を教えてくれる、
いわば、ウンディーネの先生-といった人だ。

特に蒼羽教官は、私と杏の指導教官で、その厳格さでは、名が通っていた。
けれど、つい最近起こった、とある出来事で、私達は蒼羽教官の厳格さに秘めた、その本当の思いを知ることができた。
私達がもっとも信頼する指導教官。 いえ、先輩。

「ん? 杏じゃないか。どうした」
「蒼羽…教官?」
「なんだい。二回も人の名前を呼んで……そっちにいるのは、アリスとアトラか?」
「あ、はい。蒼羽教官。こんばんは」
「こんばんは-には、ずいぶん遅い時間だがな。 ……どうかしたのか?」
「えっ。いえ、あの…蒼羽教官こそ、こんな時間に、こんな所で、何をなさってるんですか?」
「オールの点検」
「え?」

「お前達のオールの点検さ」
「ええ?」
「オールの汚れは、心の汚れだ。どんなにウンディーネとして優秀でも、自分の使う道具を大切にしない奴はダメだ。
 だから私は毎晩、こうして全部のオールを点検している」

蒼羽教官は、ずらりと並んだオールを、いとおしげに見回した。

「そういえば、アリス。いや、オレンジ・プリンセス」
「は、はい」
「お前のオール。キレイに使ってるのは関心だが、二、三日前に見たとき、小さな亀裂が入っていたぞ。
 気が付いてたか?」
「え…いえ、あの、すいません」
「いや、かなりじっくり見ないと分からない程度の傷だからな。しょうがない。
 だが、早めに修理しておいた方がいい。 でないと、いずれ一気に壊れてしまうぞ」
「は、はい」
「明日の朝にでも言うつもりだったんだが、ちょうどよかったかな」

「あ、あの蒼羽教官」
「ん、なんだ」
「私のオールを見てくださったのは、二、三日前とおっしゃいましたよね」
「正確には三日前だな。それがどうかしたか?」
「い、いえ。なんでもありません。お休みなさい」
「ああ、早く休めよ」

オール置き場から立ち去る時、今度は私の方から、そっと手を合わせ、頭をさげた。
蒼羽教官は、子供のような笑顔を見せてくれた。



< ETA-1320M >

「………」
「アリスちゃん?」
「結局……」
「え?」
「結局、移動するオールの不思議は、蒼羽教官だったんですね」
「うん……それぞれのオールを点検する内に、掛ける場所を間違えたってことね。 
 特にアリスちゃんのは、手元に下ろして、じっくりチェックしてたみたいだか……」
「蒼羽教官。ああやって、みんなの分、見てくれてるんですね……」
「ええ。…私達、頑張らないとね」
「はい」


「さっ。これでとうとう、残った不思議は、ひとつだけになったわね」
「はい。さっき聞こえた、謎の唄声ですね」
「そうっ。 こうなれば、絶対今夜、その不思議も解明しましょう!」
「はい、アトラ先輩、杏先輩。でっかい頑張りましょう!」

そして、再び-
「唄だ……」
あの唄が聞こえてきた。

たださっきと違って、今度の唄はだいぶ、はっきりと聞こえていた。
「談話室の方からです…でも、この歌声は……」

-さすがはアリスちゃん。 もう分かったんだ。

私達は談話室に急いだ。

「アテナ先輩っ?」

そこでは、おりからの月明かりに照らされて、アテナさんが、まるで一枚の絵のように、優雅に唄を口ずさんでいた。
「この曲は……」
「ええ、祝福の唄。あの音楽室で見つけたのと同じ曲ね」

アテナさんの歌声は、静かに、しかし力強く、夜のオレンジ・ぷらねっとに響いていく。

「でも、確かにアテナ先輩の声は、よく響きますが、どうして食堂近くの通路まで届いたのでしょう。
 でっかい距離あり過ぎです」
「秘密は、たぶんアレね……」
私は、談話室の高い天井の上を走る、太いパイプを指差した。

「パイプですか?」
「実はあれ、空調用ではなくて、飲料水用のパイプなの」
「飲料水用パイプ……」
「ええ。液体は気体より、音の伝導率が高いわ。 だから、アテナさんの謳声が、あのパイプの中の水を伝わって、
 あんな遠く離れた通路まで届いたのよ。 もっとも誰の歌声でもそうってワケじゃなくて、やっぱり我らが『セイレーン・天上の謳声』の通り名を持つ、アテナさんの謳声だからってことね」
「……なるほど」


「あれ。アリスちゃん? それにアトラちゃん、杏ちゃんまで……どうしたの?」

私達に気が付いたアテナさんが、声をかけてきた。
「どうした…は、こちらのセリフです」
「ええ?」
「アテナ先輩こそ、こんな夜中に何やってるんですか? 私、でっかい心配してたんですよ」
「ああ、ごめんね、アリスちゃん。ちょっと唄のお勉強したくて……でも夜中に部屋の中で歌ってたら、アリスちゃんに迷惑かなって……」
「でっかい、迷惑ですっ」
「…アリスちゃん?」

「私がアテナ先輩の唄を嫌うわけないじゃないですか! そんな風に思われることの方が、でっかい迷惑です!」
「アリスちゃん……」
「さあ、部屋に戻りますよ。まだ歌い足りないんでしたら、ご自分の部屋でやってください」
「はあ~い」

アテナ先輩が、ものすごく嬉しそうな笑顔を見せる。
 
「アトラ先輩。杏先輩。 すいませんが、今夜はこの辺で」
「分かりました。アリスちゃん。また明日。 アテナさんも、お休みなさい」
「はあ~い。アトラちゃん。杏ちゃん。また明日ねぇ」
「それでは先輩方。失礼します。お休みなさい」

そうしてアリスちゃんは、私達に向かって、とても嬉しそうに手を振るアテナ先輩を引きずるようにして
自分達の部屋に帰っていった。


「どうやら、事件は解決かな?」
杏がちょっと、上目使いに私を見た。
「ええ。そうあってほしいわ。 正直、もうくたくたよ……」
「うん。じゃ、私達も帰ろっか」
「ええ。どちらにせよ、明日までね」
「うん。明日がね」


後に。
疲れていたが故に、その時の杏のセリフの意味を、ちゃんと考えられなかった自分を、深く後悔することになる……
そう。全ては明日…いえ、今夜に……



< ETA-0960M >


    Un discorso di interludio-間奏話 Ⅱ

「あれ?」
「どうしたの、アトラちゃん」
「眼鏡がでてきた……」
「え? 昨日見つからなかった眼鏡?」
「ええ。変ね。昨日、ここは確かに探したハズなのに……」
「よかったじゃない」
「うん。でも……変ねぇ」
「な、何かのカン違いじゃないの? ほら。よく言うでしょ? 自分のことは、よく分からないものだって」

「う~ん…消えて現れる眼鏡」
「え?」
「これって、もしかして、七番目の不思議じゃないわよねぇ……」
「何、ぶつぶつ言ってるの? それより、早く、朝ご飯食べに行こ」
「もしそうなら、大変なことが……」
「もう。アトラちゃん。先に行くわよ」
「あっ、ちょっと待ちなさいよ。杏。 杏ってば……」


< ETA-0900M >

「杏先輩、アトラ先輩。聞いてください!」
「な、なに。アリスちゃん、どうしたの」

オール置き場。
出遅れたせいで、食堂で一緒できなかった私達に、アリスちゃんが顔を見るなり詰め寄ってきた。

「ペアなお友達も、シングルな先輩方も、プリマのみなさん方も、なぜか、でっかい、でっかい、よそよそしいんです」

-ああ。それは、たぶん……

「え、そうなの? でもそれはどうゆう……」
「きっと私達が、オレンジ・ぷらねっとの不思議を、解明していることが原因だと思われます」
「そんなこと……」
「いえ、絶対そうに違いありません。それに……」

「オレンジ・プリンセス。オレンジ・プリンセスはどこにいる?」
不意に、アリスちゃんを呼ぶ声が、響き渡った。

「は、はい。アリス・キャロルはここにいます」
あわてて右手を上げて、返事をするアリスちゃん。

「オレンジ・プリンセス。あなたはもうプリマなのよ。 自分の通り名を、ちゃんと使いなさい」
そう言いながら現れたのは、アレサ部長だった。

「アレサ部長?」
「オレンジ・プリンセス。今日の仕事が終わったら、すぐに私のところに来なさい。寄り道は許しません。
 これは、部長命令です。…それから夕べの食堂での件は他言無用です。いいですね」

言うだけ言うと、アレサ部長は、足早に去って行ってしまった。


「先輩方。見ましたか」
「え?」
「アレサ部長の肩、小刻みに震えてました。あれは怒りをこらえていたのです」
「ええ? でも何に怒っているの?」
「ですからぁ」
アリスちゃんは、少し『ぷぃ』っとふくれると、言い放った。

「あれは、絶対私達に、不思議を解いてほしくないのです」

-かわいい
正直、ふくれっ面のアリスちゃんは、かわいい。
私にはそっちの趣味はないけれど、思わず抱きしめたくなるような、かわいさだ。

「えええ? そんなことって」
「いえ、それしか考えられません」
「でも、アリスちゃん。もう残ってる不思議なんてないわよ?」
「いえ、ひとつだけあります。それは……」
「それは?」
「第13款待倉庫、開かずの間の『ウェン・リー』の正体です」

-おっと 確かにそれは盲点だった

「そうね。確かにそれは気になるわね」
「アトラちゃん?」
「分かったわ、アリスちゃん。私も少し調べてみるね」
「はい。ありがとうございます。 ところで……」
「はい?」
「アトラ先輩。眼鏡変えたんですか?」
「ああ、これ?」

私は、かけていた眼鏡をはずした。
それは、今朝見つけた紅い眼鏡だ。
これは、私がシングルに昇進した時に買った眼鏡。
今日のこの日。
全てがうまくいきますように-
と、半分、縁かつぎでかけた、私のラッキー・アイテム。

「あ、ああ。そ、そうなんですか。それはそんなに、でっかい大切な眼鏡だったんですか」

なぜか急に視線をそらし、あわてだすアリスちゃん。

「どうかしたの?」
「い、いえ。なんでもありませんですじょ?」
「じょ?」
「さ、さあ。アトラちゃん。時間よ。 早く、トラゲット乗り場に行きましょう」
「え? ええ……」
杏が腕を引っ張りながら言う。

-なに? 今の……

「それじゃあね、アリスちゃん。また夕方」
「は、はい。杏先輩。アトラ先輩。お気をつけて」
「うん。ありがと。アリスちゃんもね」

こうして私と杏は、トラゲットのために右に。
アリスちゃんは、ゴンドラ・クルーズのために左に。
それぞれ、分かれた。

こうして『その時』に向かって、事象は収束してゆく。



<ETA-0300M >


    Un discorso di interludio-間奏話 Ⅲ

「お疲れ。アトラ、杏」
「お疲れ様、あゆみ。また明日ね」
「ああ。明日…な」
「………」
「どうしたの、アトラちゃん」
「今日のあゆみ。なんか変じゃなかった?」
「え、そ、そうかな」
「うん。なんか妙にうきうきしてて……」
「はひぃ。分かるんですか?」
「うん、まあ、付き合い長いから……」

「それよりアトラちゃん。用意はいいの」
「ええ、なんとか間に合ったみたい。 後は……」
「頑張ってね」
「はいはい。でもちょっと、心が痛むなぁ」
「ほへ? どうゆうことですか?」
「ん~なんか、騙してるみたいでね」
「でも、それは、しょうがないよぉ」
「うん。確かにそうなんだけど…ちょっとね」
「優しいんだねぇ」
「な、なにバカなこと言ってんのよ。 さ、さあ、行くわよ」
「らじゃっ!」
「…それ、なんなのよ……」



< ETA-0210M >

「お帰りなさい」
「アトラ先輩?」

午後六時半。
今日、すべての業務を終えて、最後のゴンドラが帰ってきた。

「お疲れ様です。って、他のゴンドラは?」
「みんな、もう帰ってきてるわよ。アリスちゃんが最後」
「そう…なんですか。 あっ、すいません」

私はアリスちゃんに手を貸すと、ゴンドラを収容した。

「どうしたんですか?」
オールをいつも通り、アテナさんのオールの横に掛けると、アリスちゃんが訊ねてきた。

「実はね。最後の不思議が解けたの」
「え? 『ウェン・リー』の正体が分かったんですか?」
「ええ。行きましょう」
「行くって、どこへですか?」
「もちろん、第13款待倉庫。開かずの間。『ウェン・リー』の所よ」
「あ、でも私、アレサ部長の呼び出し受けてて……」
「大丈夫。ほんの少しだけだから。なんなら、後で私も一緒に行ってあげるわ」
「は…はい」
「じゃ、行きましょ」
私は、アリスちゃんをうながすと、ゴンドラ置き場を後にした。


この季節、ネオ・ヴェネツィアの夜は早い。
窓の外はもう三日月が輝き、おだやかな星空が広がっていた。

月明かりに照らされた通路を、私達は第13款待倉庫へと急いだ。

「あっ。アリスちゃん。こっち、こっち」
『開かずの間』の前で、杏が手招きする。
「杏先輩?」
「時間通りね」
「ええ。用意は?」
「OKだよ」
「うん。っじゃ、始めましょうか」
「らじゃっ」

私は、ドアノブに手をかけると、ゆっくりと扉を開いた。
『開かずの間』が開かれてゆく。



< ETA-0180M >

私はアリスちゃんの手を引いて、部屋の中へと入った。
杏が背後で扉を閉める。

「やっ…真っ暗。 あ、アトラ先輩?」

真っ暗な部屋に、突然、やさしげな小さな光が灯る。
その光に照らされて、浮かび上がる人影は-

「アテナ先輩?」

そのアリスちゃんの声が合図だったかのように、アテナさんは、ゆっくと歌い出した。
「これは……祝福の唄?」

アテナさんが歌う『祝福の唄』が『ウェン・リーの間』に響き渡る。
手に持った、小さなロウソクの、ほのかな炎に照らしだされた、アテナさんの姿は、まるで、
この世のすべてを喜び、愛す、女神のようだ。

その歌声は、魂をゆさぶり、至極の彼方へと、私達を運んでいく。
私達は身じろぎもせず、ただじっと、アテナさんの歌声に聞きいっていた。

やがて、セイレーンの天上の謳声は、静かに、ほんとうに静かに、夜のしじまに消えていった。

歌い終わったアテナさんは、アリスちゃんに向かって、とても優しげで穏やかな微笑を浮かべた。

「あ……」

けれど、アリスちゃんが、何かの声をあげる前に、今度はピアノ調べが響き始めた。

不意に、部屋の中を光りが満たす。
「!?」

驚くアリスちゃんを、暖かな光りが取り囲む。
「これは……」

オレンジ・ぷらねっと、すべてのウンディーネが、そこにいた。
アリスちゃんを中心に、ピアノに合わせて、みんなが「祝福の唄」を歌いだす。
そこには、アレサ部長、寮長さん、蒼羽教官の姿もあった。

皆、それぞれにロウソクを手に、ゆっくりと、けれど力強く「祝福の唄」を歌い続ける。
みんなの声がひとつとなり、大きなうねりとなって、部屋の中を漂っていく。
高く…
低く…
遠く…
近く…
すべての心がひとつになって、ひとつの唄を歌い続ける。
それは私達、オレンジ・ぷらねっと……いえ、アクアに生きとし生ける物、その全てを祝福するかのように………


やがて、その唄も、終わりを迎え、光りがひとつ、またひとつと消えてゆく。
最後に残ったアテナさんの光りも消え、部屋はまた、闇に満たされた。

「あ、あの……」

刹那。
今度は爆発的な光りが、部屋の中を照らしだす。
と、同時に、クラッカーの激しく弾ける音が、室内に木魂した。

「おめでとう、アリスちゃん!!」
「おめでとう、オレンジ・プリンセス!」
「おめでとうございます。アリス先輩!」

みんなの「祝福の声」が響き渡る。

「え? え? え? これはいったい。 なんなんですか? なんなんですか?」
「ごめんね。アリスちゃん」
歓喜と祝福の声が響く中、私はまだ、とまどっているアリスちゃんに向かって頭を下げた。

「アトラ先輩。これはいったい……」

私は答える代わりに、一点を指差し微笑んだ。
そこには-

 
 「おめでとう☆オレンジ・プリンセス  VIVA! 飛び級昇格!!」


-と、書かれた横断幕が掲げられていた。




< ETA-0100M >

「結局、私は騙されてたってことですか?」
アリスちゃんがまた、かわいくスネた。

「ごめんなさいね。アリスちゃん。成り行きだったのよ」
「成り行き?」
「ええ。ホントはもっと小さなサプライズ・パーティのつもりだったの。そしたら、それを聞きつけたアレサ部長が……」
「聞きつけた-とは、ずいぶんな言われようね」
「アレサ部長?」
「まあ、いいですけどね。でも実際、渡りに舟だったわ」
「どうゆうことでしょう」

「うん。実は、このところ、とても忙しかったでしょ。 みんな休みなしで働いてて……
 だから、ちょっとした息抜きを考えていたの。 そしたら、たまたま偶然にね」
「私達のサプライズ・パーティのことを知った」
「ええ。どうせなら、みんなを巻き込んで、イベントにしてしまおう-ってね」
「そうなんですか……」
「みんな否もなく、即決で賛成してくれたわ。 アリスは人気者ね」
「あ、ありがとうございます」
アリスちゃんが、照れたように下を向いた。

「でも、そうなると、隠すのが大変っ」
「え?」
「だって、これだけのイベントですもの。 会場の準備や進行の段取り。唄の練習。パーティ用の料理の打ち合わせと準備。
 そして何よりも、アリスちゃんに知られないようにするための防諜手段の確保……
 夜中まで働いて、仕事以上に疲れたわ」
「あ、だから夜食を……」
「ええ。もっともあれは、ここでずっと用意してくれてた、みんなへの差し入れでもあったのだけど」

私は周りを見回した。
大勢のウンディーネが、ペアやシングル、プリマ関係なく、楽しげに談笑している。
そう。みんなの協力があったからこそ、このイベントは成功したのだ。

「灯里先輩までいるのは、でっかいびっくりでした」
「えへへ。ごめんね、アリスちゃん」
灯里ちゃんが、ウィンクしながら、両手を合わせる。

「灯里先輩も、最初から関わっていたんですか?」
「アリスちゃんのことなら、灯里ちゃんも呼ばないとね」
「アテナ先輩……」
「でもいきなり、ピアノを任されるとは、思わなかったよぉ」

そう。あの『祝福の唄』のピアノ伴奏は、灯里ちゃんだったのだ。

「ピアノなんか、しばらく弾いてなかったし、ARIA・カンパニーにピアノはないし……」
「それで、ウチで練習してたんですか?」
「うん。でもあの時、アリスちゃんが音楽室に来たときは、あせったよ」

「まさか、あんな小さな音までアリスちゃんが気が付くなんて。 だから私達はワザと大きな声で、
 アリスちゃんを追いかけて、中の灯里ちゃんが気付くようにしたの」
「じゃ、じゃあ。あの時、灯里先輩は、音楽室の中にいたんですか?」
「ええ。準備室にね」
「準備室……」

「私が準備室のドアを開けたとき、灯里ちゃんってば、アリア社長と一緒に、頭だけダンボールの中に突っ込んで
 隠れたつもりになってたのよ。 もう、どうしようかと……」
「そっか。私、準備室の中は見なかったから……」
「ええ。だから私はあわててドアを閉めて、大声で『中には誰もいない』なんて言ったの。もし、アリスちゃんが
 それでも中を見ようとしたら、一巻の終わりだったわね」


「中を見たら-といえば、昨日も危なかったな」
「蒼羽教官?」
「夕べ、夜中、アリスはアトラの部屋を訪ねたろ?」
「はい」
「実はあのとき、私達もアトラの部屋の中にいたんだ」
「ええ? 私達って……」
「私と、アテナ。アレサ部長。灯里ちゃん。それに寮長さん」
「アテナ先輩もあそこにいたんですか? それに部長に寮長さんや、灯里先輩まで」
「最終の打ち合わせをしてたんだ。 それと、お前をどう誤魔化すかってな」
「………」

「そしたら急に、お前が訪ねてきたんで、あせったよ」
「あ、でもみなさん。どこにいたんですか?」
「シャワー室」
「へ?」
「シャワー室だよ……。あんな狭い所に、大のオトナが五人も。もう大混雑」
「アリスちゃんを見送った後、私がシャワー室の扉を開けると、五人が妙に絡まってて……可笑しかったわ」
「アトラ……見てる分には楽しいだろうけどなあ。 こっちは、大変だったんだぜ」
「すいません。蒼羽教官」
「顔が笑ってるぞ……」
けれど、そういう蒼羽教官の顔もまた、楽しげに笑っていた。

「え、じゃあ、あのオールの件は……」
「ああ。毎晩、私がみんなのオールを点検してるのホントだ。けどそれを、オールの不思議にミスリードしたのは、杏だ」
「ミスリード……」
「ごめんね、アリスちゃん。 オールを掛け間違えのは、実は私なの」
「杏先輩?」
「ちょっと借りていって、返すときに、どうやら間違えたみたいなの。 アテナさんの横に必ず掛ける-なんて知らなかったし」

「っじゃあ、オール置き場のあの時。 杏先輩が一番に飛び出していったのも……」
「あれも打ち合わせしてたの。 蒼羽教官に『こらっ!』なんて…気持ちよかったわぁ……」
「杏…お前、明日、腕立て200回な」
「うきゃあっ!」
蒼羽教官の冷たい一言に、杏が悲鳴を上げる。
またひとしきり、笑い声が響く。


「あ、でも、どうしてオールを?」
アリスちゃんの問い掛けに、私はそっと灯里ちゃんに目配せをした。

「アリア社長っ」
「ぱぱぱあ~い」

灯里ちゃんの声に答えて、アリア社長がリボンを巻いた箱を持ってくる。

「はい。アリスちゃん」
「これは……」
「私達からの、お祝いのプレゼント」
「お祝いの……」
「アリスちゃんのプリマ昇進を祝って」
「あ、開けてもいいですか?」
「うん。もちろんだよ」

「これは……」
プレゼントの箱の中から現れたもの。
それは、ガラスで作られた、<NO-18>のオールを持った、ウンディーネの小さな像だった。

「きれい…」
「ヴェネチアン・ガラスの職人さんに作ってもらったんだけど、オールは、どうしても本物が見たいって言われて……」
「それで、杏先輩が?」
「うん。だけど返すときに間違えちゃった。ごめんね」
「い、いえ、そんな…でっかい嬉しいです」
アリスちゃんは、ガラス像を見ながら微笑んでくれた。


「それじゃあ、残りの不思議ってゆうのも……」
「そう。まず、どこからともなく聞こえてくる歌声だけど……」
「えっ、あれってアテナ先輩の唄の練習じゃなかったんですか?」
「アテナさんが、いつもあそこで練習をしていたのは事実。 それに、その声が飲料水のパイプを伝わって聞こえてきたのもね」
「………」

「でもあれは本来、アテナさんだけじゃなくて、みんなで練習してたの」
「みんな…で」
「ええ。だからみんなの『祝福の唄』は完璧だったでしょ?」
「あ……」

「でもそれが何故か、どこからともなく聞こえてくる、不思議な歌声ってことになって……」
「たぶん、事情を知らない警備員や事務の人が噂を広げたんだろ」
「そう…なんですか」
「ええ。ですからあのシャワー室の日。アテナにああやって一芝居、うってもらったんです」

「じゃ、じゃあ。ここ一週間、アテナ先輩が毎晩、こっそり抜け出してたのは……」
「ああ。みんなへの歌唱指導だったんだよ」
「ごめんね。アリスちゃん。なんか心配かけちゃって」

「……いいんです」
「アリスちゃん?」

「私はいっつも、アテナ先輩のことを、でっかい心配してるから、今更いいんです」
「アリスちゃん……」
「でも、おかげで、すっごくいい唄を聞かせてもらいました。 でっかい…でっかい、ありがとうございました」
「アリスちゃん」
アテナさんが、泣きそうな顔で微笑んだ。


「じゃあ、あの走る銅像ってゆうのも……灯里先輩?」
「ご名答」
私は笑いながら答えた。

「準備室の件でパニックになった灯里ちゃんは、あわてて逃げ出そうとして、たまたま私達の後ろを横切った。
 それを見た杏が大騒ぎを始めて、誤魔化しようがなくなったの」
「ごめんなさい。アトラちゃん」
「もちろん。あの後、杏には、コンコンと説教しました。はい」
「てへっ」
小さく舌を出す、杏。
これだから、この子は憎めない……

「あせった灯里ちゃんは、準備中の第13款待倉庫の中に逃げ込んで、そこから中庭に逃げた」
「中庭に?」
「そう。見れば分かるんだけど、あの窓の向こうに大きな木があって、そこの枝をうまく伝えば下に降りれるのよ」
「………」
「それで、さらにあせった灯里ちゃんは、中庭を突っ切るようにして、森の中に逃げ込もうとした。
 頭にアリア社長を乗せたままね」
「あっ。だから異様に頭の大きな銅像に見えたんですね」
「ええ。でも灯里ちゃんも大変だったみたいね」
「はひ」

今度は灯里ちゃんが、照れたように言った。
「木の根に足は取られるし、枝であちこち、擦り切れるし……」
「あ、だから絆創膏さんに……」
「うん。で、最後にはアリア社長を頭に乗せたまま、転んじゃった」

-えへへ
と笑う灯里ちゃん。アリア社長も『ぷいにゅう』と頭をかいた。

「転んだ……それが私には、突然、消えたように見えたんですね」
「ええ…そして今朝のこと」
「今朝のこと?」

「今日一日、アリスちゃんに対する、みんな様子がおかしかったのは…もう分かるでしょ?」
「みんな、今夜のことを知っていたから……」
「そう、実はみんな、早くパーティをしたくて、うずうずしてたの」
「それで、それが私には、でっかい、よそよそしく映ったんですね」
「ええ。それとアレサ部長」

「あの出頭命令ですか?」
「そう。あれはアリスちゃんが、変な寄り道なんかして時間がズレないようにするための布石。
 そして、サプライズの一環」
「………」
「だからあの時、アレサ部長の肩が震えていたのは、怒ってたんじゃない。
 笑いをこらえるのに必死だったのよ」


「オレンジ・プリンセス」
「え、は、はい」
不意な私の呼びかけに、アリスちゃんはとまどったように、返事をした。

「灯里ちゃんを追いかけたあの時、あの踊り場で、私が言ったことは、私の本心です。
 でも、それをあの時、ウソを誤魔化すように使ったことについて、私は罪悪感を感じてます」
「そんな……アトラ先輩」
「それに今回の件、すべてにおいて、私は、あなたを騙してました。ごめんなさい」
「アトラ先輩……いえ。ありがとうございました」
「ありがとう?」
 
アリスちゃんは、まっすぐに私を見て、言ってくれた。
「私、こんな素敵で、ヤサシイウソをつかれたことに感謝してます」
「………」
「願わくば、アトラ先輩も、同じことが起きたとき、笑って許してくれることを、でっかい希望します」
「…アリスちゃん。なんのこと……」

「さあ、そして最後の不思議ですね」
アリスちゃんが、大きな声を出した。

「なぜココが『開かずの間』なのか。『ウェン・リー』とは何者なのか? さっ、アトラ先輩。教えてください」
「え、ええ……」
なんだ。今のは……

「もうここが『開かずの間』じゃないってことは、気付いてますよね」
うなずく、アリスちゃん。

「そう。ここは決して『開かずの間』ではありません。もちろん、飛び降り自殺を図ったウンディーネなんかもいません。
 ただここは昔から、ウンディーネ達の無断外出に使われていたんです」
「無断外出?」
「ええ。無断外出。無断外泊。逆に無断進入」
「無断進入?」
「こっそり、部外者を中に入れて、お泊りさせるの。昔は今より、ずっと規則が厳しかったから」
「はあ・・」

「今でこそ、お母さん…寮長に前もって許可をもらえば、夜中の外泊も、友達のお泊りも許してもらえるけど
 昔はね。そんな事、まったく許されなかったんだ」
「蒼羽教官?」
「寮長が今の立場になってから、ずいぶん優しくなったよ。前は外出もままならず、社外の友達にも会えず、
 この寮の中で、ずっと籠の鳥状態。 正直、息が詰まってた」
「そうなんですか……」

「でも、ある時。ひとりのウンディーネが、ここから出ようとして、足をすべらせ、大怪我をしてしまったの。
 それ以来、ここは危険ってことで、鍵がかかるようになったの」
「えっ。ちょっと待ってください」
「なに? アリスちゃん」
「さっき灯里先輩が、音楽室から逃げるとき、第13款待倉庫から外に出たって言いましたよね」
「ええ」
「じゃあ、そのとき鍵はかかってなかったんですか?」
「ごめんなさい」
「………」

「その時だけじゃなく、この一週間。この部屋の鍵は、かかっていなかったんです。
 一番最初の日に、アリスちゃんが鍵に触ろうとした時、私があわてて止めたの、覚えてます?」
「は、はい。警報装置があるかもしれないって……」
「実は、そんなもの、ココにはありません」
「ええ!?」
「実はすでに、あの中では、飾り付けが始まっていたんです」
「ええ~!?」
「だから私は、鍵のかかったふりをし、アリスちゃんが触ろうとするのを、警報装置が-なんて嘘ついて
 止めたんです。 触れば、簡単に開いてしまいますから」

「そうだったんだ…あの、じゃあ、問題の『ウェン・リー』さんは……」
「ここの窓から降りようとして、大怪我を負ったのが『ウェン・リー・アン』って事は、もう分かってますね」
「はい、なんとなく」
「正解です。彼女はその後、ウンディーネを引退しました。もちろん、怪我が原因ではありません」
「もしかして、辞めさせられたんですか?」
アリスちゃん怒ったように叫んだ。

「いえ、そうじゃありません。 逆に彼女の行為が、会社に反省を促しました。そこまで、ウチのウンディーネは、
 追い詰められてるのかと」
「………」
「そして、アレサ部長の就任と同時に、アンはウンディーネを引退。ああ・・これは純然たる体力の問題だったそうです」

「その時『ウェン・リー・アン』は40歳過ぎ。もう少しでグランマの記録に手が届くほどだったのよ」
「ほへえ…グランマに……」
「それでいて、ここの窓から木の枝伝いに、下に降りようとするなんて、なかなか豪快でしょ?」
「アレサ部長・・部長は『ウェン・リー・アン』さんを、ご存知なんですか?」
「もちろん。彼女は昔、私の、指導教官でもあったんですから」

「部長の教官さん…で、今、その『ウェン・リー・アン』さんはどちらに?」
「知りたいの、アリスちゃん」
「当然です、アレサ部長。 その方は、いわば、私達の大恩人です」
「そう…そうね。じゃ、アトラ、お願い」

私は、アレサ部長、蒼羽教官に視線を合わせた。
二人とも、実に楽しそうに、いたずらな視線を返してくる。

「それでは、ご紹介します」
私は、ゆっくりと立ち上がると、一人の女性の後ろに回りこみ、その肩に両手を置いた。

「私達の先輩。『ウェン・リーの間』の名前の元になった女性。そして私達の大恩人。 ウェン・リー・アン女史です」

我らが『お母さん』
こと-アン寮長は、いつもと変わらぬ、穏やかで優しげな表情で、照れたように微笑を浮かべてくれた。




< ETA-OO10M >

「私、この三日間。アトラ先輩や杏先輩と一緒に、オレンジ・ぷらねっとの七不思議っていうのを探してました」

素敵なパーティだった。
美味しい料理。 豊富な飲み物(もちろん、アルコール類は禁止だ) とろける様な各種デザート。 
ピアノの伴奏に合わせての生オケ大会。 そして、お馴染みビンゴ大会。

みんなの弾けるような笑顔のうちに、無事「アリスちゃん。プリマ昇格記念パーティ」は幕を降ろした。


今、私は、自分の部屋に引き上げるべく、アリスちゃんや灯里ちゃん達と共に、ゆっくりと廊下を歩いていた。

「いろんな謎や不思議があって、でっかい恐いことや、楽しいことがあって
 でも、その中で私は、ホントは、いろんな人に助けてもらってるんだなってことに気が付きました。
 みなさん。でっかい、ありがとうございました」
「アリスちゃん……」
「特にアトラ先輩っ」
「ん?」

「今回のことでは、お世話になりました」
「ううん。結果的には、アリスちゃんを騙すようなことになって、ほんと、ごめんね」
「はい。確かにちょっと悔しいですけど、まだ挽回のチャンスは、あります」
「それって、どういう……」
「前にアトラ先輩、言ってたじゃないですか? 人は誰でも、自分のことは、よく分からないものだって……」
「………?」

部屋の前に到着した。
ノブに手をかけ、ドアを開けようとした私に、不意にアリスちゃんが言った。

「アトラ先輩。その紅い眼鏡、でっかいお似合いです」
「え? ええ…ありがとう」
「でも、その眼鏡ってば一回消えて、また現れたんですよね」
「アリスちゃん。どうしてそれを?」
「これは不思議のひとつです」
「ええ!?」
「今まで私達が見つけ出した、六つの不思議。 それに、この眼鏡の不思議を含めて、アトラ先輩は今日、 
 七つの不思議を体験したことになります」
「ちょ、ちょっと、アリスちゃん?」

「アトラ先輩…七つ目の不思議を見つけた人は、大変なことになるって噂。ほんとうなんですよ」
「え?」
「ネオ・ヴェネツィアの七不思議。その全てを見つけた灯里先輩は、でっかい、大変なことを経験しました」

-な、な、なに? 
私が振り向くと、灯里ちゃんは、薄笑いを浮かべながら私を見ていた!
あわてて視線をやれば、杏やアリア社長までもが、妖しげな微笑を浮かべ私を見ていた。
  
「みんな…いったい……」
「さあ、今度はアトラ先輩の番です。でっかい大変です!」

アリスちゃんがドアを開ける。
部屋の中は、暗黒の闇が広がっていた!

思わず後ずさる私の背中を、誰かが強く押した。
私は、つんのめるようにして、部屋の中に転がり込んだ。

そして-

ぱっああああああん!

「きゃあああああ!」

乾いた音が、私の心を引き裂いた。



< ETA-0000M On Time! >

「アトラ、おめでとう!」

悲鳴を上げて、しゃがみ込む私の頭の上から、聞きなれた声が聞こえてくる。

-え? この声は……

部屋の灯りがともる。

「おめでとう。アトラ」
「おめでとうございます。アトラさん」
「おめでとうございます。アトラ先輩っ」

四方から『祝福の声』が、あびせかけられる。
これは…これは、デジャ・ビュ?
つい数時間前、目の前で体験した記憶が走馬灯のように蘇える。


「やっぱり、でっかい大変なことが起こりましたね……」
顔を上げると、アリスちゃんが満面の笑みを浮かべながら、手を差し伸べていた。
「これは…これは、いったい……」

「はあ~い! 今度こそ本物のサプライズ・パーティ! アトラちゃん、裏・誕生日、おめでとう!!」
杏が踊るように言った。
見れば、部屋の真ん中の机の上には、19本のロウソクが立った、巨大なホールケーキが……

「なあにいいいいいい!?」
「やっちまったかい? アトラ。 はいはい。そんな顔しない」
「あゆみぃ?」

「アトラ。裏・誕生日おめでとう」
「今日はご苦労様」
「おめでとう、アトラちゃん」
「裏・誕生日おめでとう。アトラ」
「アレサ部長、蒼羽教官、アテナさん。 それに、お母さん?」
いつの間にか部屋に先回りしていた、アレサ部長達が笑顔で言う。

「アトラさん。裏・誕生日おめでとうございます。 えへへ…とっても素敵ですね」
「ぷいぷいにゅっ」
「灯里ちゃん…アリア社長……」

アリスちゃんの手を借りて、ようやく立ち上がる私に、みんなが声をかけてくる。

-これは、いったい……

「アトラ先輩。裏・誕生日、おめでとうございます。
 ほんと。 人は誰でも、自分のことは、よく分からないものなんですね……でっかい、お返しです」
 アリスちゃんが、茶目っ気たっぷりに微笑む。

「私の、裏・誕生日……」

-ああ。そういえば……
 確かに今日は私の、裏・誕生日だ……

『裏・誕生日』
それは、一年が二十四ヵ月ある、このアクアで、
本当の誕生日の他に、十二ヵ月後の同じ日に、もう一度、お誕生日を祝うとゆう、風習のこと。

アリスちゃんのことで、すっかり忘れてた……


「サプライズのサプライズ。えへへ。びっくりした?」 
「杏………あんたって子わあ!」
「ふげげげげげ」

私は、いきなり杏のほっぺたを、つねり上げた。

「いひゃい…いひゃいよ。あひょらひゃん……」
「ええ~い。うるさい! うるさい! いったい、いつからアンタはっっ」
「一ヶ月前からだよ~お」
「あゆみ?」
「杏から相談があってね。アトラの裏・誕生日をしたいって。それで灯里ちゃんや、アリスちゃんを巻き込んで
 サプライズ・パーティを企画したのさ」
「アリスちゃんまで?」
「ああ。アリスちゃんも何のためらいもなく、賛成してくれたぜ」
「………」
「あひょらひゃん…ぎぶ。ぎぶ。ぎぶ……」

私が、つまんでいた手を放すと、杏はほっぺを両手で押さえ、涙声で言った。

「はうう…ほんとは、アリスちゃんの昇進祝いと一緒にするつもりだったの…でも、アリスちゃんの方の話が、
 どんどん大きくなっちゃって…それにアトラちゃん、アリスちゃんの方にかかりっきりだったから……」
「杏……」
「だから、アトラちゃんの方は、こうやって、さらにサプライズってコトにさせてもらったの」

「あ…じゃあ、あゆみとアリスちゃんは、前から顔見知りだったの?」
「ああ。だからあの時、アトラに改めて聞かれたときは、正直あせったぜ」
「はい。でっかい、あせりました」
あゆみとアリスちゃんが、顔を見合わせて笑う。

-ああ、だからあの時、ふたりの挨拶が、不自然だったのか……
 それに昨日の、杏のセリフ……「明日が」…か

「それじゃあ、今日一日、あゆみの態度が妙に浮ついてたのは……」
「あれ? 分かっちゃてたか?」
「まぁ、なんとなく……」
「ふふっ。 あゆみちゃんってば、今日のこと。ものすっごく楽しみにしてたのよぉ…ふががっ?」

私は再び、杏のほほを引っ張り始めた。
「ほんとに、アンタって子は。アンタって子は、私までダマして……」
「ふがががが……」

杏が、うめき声を上げながら何かを指し出した。
それはリボンのかかった小箱で……

「はひゅい、あひょらひゃん。ふれれんと」
「プレゼント?」

箱を開けると、そこには、真新しい眼鏡が……

「みんなで選んだの。気に入ってくれると、いいんだけど……」

私は、新しい眼鏡を箱から取り出すと、今の眼鏡とかけ替えた。

「うわあ。すっごく素敵です。アトラさん」
「ああ。よく似合ってるぜ」
「でっかい、ぴったりです」
「あ、ありがとう。みんな……あっ」

私は、ようやく気が付いた。

「じゃあ、この紅い眼鏡が行方不明になったのは……」
「ごめんねぇ。その眼鏡を選ぶために、どうしても必要だったの、まさかあの日。アトラちゃんが、ぴったり、その眼鏡を選ぶなんて思わなかったから」
杏がまた『てへっ』っと舌を出した。

「杏……」
「なに、アトラちゃん」
「あ、ありがとう……」
「ううん。選んだのは、みんな。 私はその取りまとめをしただけ…ふげげっ?」

私は三たび、杏のほほを引っ張りながら叫んだ。

「もう、覚えてなさいよ! あんたの時は、もっとスゴいことしてあげるんだから!!」
「あ、あひょらひゃん。にゃいてるん?」
「うるさい!!」
「ふげげげげげえげっ」


「よかったわね。アトラ……」

いつもの優しい笑顔で、アン寮長が話かけてきた。
「ここに来た時のあなたは、友達もできず、本ばかり読んでいた。 私は、ずいぶん心配したものよ」
「お母さん……」
「それが今では、こうして、あなたの誕生日を祝ってくれる、こんなにたくさんの、お友達ができた……とっても嬉しいわ」
「………」

「あゆみさん。灯里さん。それにアリア社長さん」

アン寮長が、三人に声をかけた。
「は、はい?」
「はひっ?」
「にゅ?」

「みなさんの宿泊を許可します。今夜は、ゆっくり楽しんでいってね」

「あ、ありがとうございます!」
「はひっ。楽しみます!」
「ぱいぱあーいにゅっ!」

三人が、まるで夜店で、おこづかいをもらった子供のように、顔を見合わせて笑った。


「よし。そうと決まれば、酒だ。おい、アトラ、酒持ってこい」
「蒼羽教官? いえ、まだ私達、飲酒適用年齢では……」
「だぁれぇがあ。お前等に飲ますか! おい、アテナ、部長。飲みましょう!」
「そう言うと思って、アクア・ワイナリーの赤を用意しておいたわ。初物よ」
「うおおっ!? さすがわ、アレサ部長! なかなか手に入らないといわれている、あの幻のワインを!!」
「どうやって手に入れたかは、不・思・議ってことで」
「ラジャ!」
蒼羽教官が、そう言って敬礼した。 ……あっ

「私、お酒はあんまり飲めないんだけど……」
「ああ。アテナは飲むな。 私が全部、いただくっ」
「ええ~ぇ」
「アン寮長もいかがですか?」
「ええ。それじゃあ、一口、いただきましょうかね」
「そうこなくっちゃ!!」


「アトラ先輩……」
アリスちゃんが、私の耳元でささやいた。
「なに、アリスちゃん」
「今回の私達、結局、でっかい、ダシに使われたって感じですね」

私は改めて、室内を見回した。
目の前には-

早くも酔いが回ったのか、大騒ぎしている、蒼羽教官、アレサ部長、アテナさん。そして、アン寮長。
その横で、こっそりワインを飲もうと狙ってる、あゆみ。
それを必死で止めようとしている、灯里ちゃん。
やっぱり、もちもちぽんぽんを、まあ社長に噛まれて悶絶してる、アリア社長。

右手に杏。
左手にアリスちゃん。

そして背中には、オレンジ・ぷらねっと、全てのウンディーネ……

私は二人の肩に手をやると、やさしく抱き寄せた。
今、私の周りには、こんなにも素敵な仲間達がいる。

こんなにも素晴らしい仲間達に出会えた、それこそが『不思議』


「いいんじゃない。こんなにも楽しいんだから!」

 -VIVA! SETTE SI CHIEDONO!!-


私は心の底から、この不思議に感謝した。





< ETA+ ……… M >

「先輩方。オレンジ・ぷらねっと、三っつの秘宝って、ご存知ですか?」
アリスちゃんが、大盛の漬物を前に聞いてきた。

「三っつの秘宝?」
よせばいいのに、杏が、納豆を、かき混ぜながら聞き返す。

-だから糸、引いてるっちゅうにぃぃぃぃい!


「さらに、幻の古代遺跡。 未確認生命体。 空飛ぶゴンドラ。 とある禁忌の操舵術の書……」
「そういえば、そんな話、聞いたことがあるわ!」
「杏ぅ!?」

-びしっ!

と、音が鳴るくらいの勢いで、アリスちゃんが言い放った。

「さあ、先輩方。私と一緒に、でっかい謎に挑戦です!!」
「アリスちゃん!?」


「それって、すごく楽しそうな、お話ね…はぐふうっ!」
「アテナ先輩…ですから、ちゃんと冷ましてから食べてくださいって、いっつも言ってるでしょ?」

熱々の、きつねうどんを、そのまま口に入れてしまったアテナさんが、妙な踊りをおどり始める。

私は
私は…



………
………
うわああんっ。
不思議も、謎も、ドジッ子さんも、もう、こりごりよぉぉぉぉぉお!!


我が愛すべきオレンジ・ぷらねっとは今日も、笑い声(と、一部悲鳴)が絶えない、いつもの素敵な朝を迎えていた。






                              -sette si chiedono(七不思議)- la fine -






ETA= en Estimated Time of Arrival  航空機 船舶 車両 あるいはコンピューター・ファイルが ある場所に着くと予想される
    時間、時刻の事・「到着予定時刻」(wikipedia より意訳)                               





[6694] cometa di mattina
Name: 一陣の風◆5241283a ID:8350b1a5
Date: 2010/03/06 17:12
ぐうわあああああああああああああああああああっ
うがええええええええええええええええええええっ
のおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ

はぁ、はぁ、はぁ・・・・・・すいません、すいません。
ホント、すいません。

な、七本目の作品を、お届けします。

できん風呂敷広げてしもて、柄にも無い、お話を書いてしまいました(涙)
藍華&アルくんファンの方々、お許しください(さらに涙)

できれば-
最後まで読んでいただいた後に、
みな様の体が少しでも痒くなり、「うがががあ!」-と叫び声を上げていただけたなら、
これに勝る幸せは、ありません(失礼!)

それでは、しばらくの間、お付き合いください。





       第七話『cometa di mattina』





「明けの明星が輝く頃、一つの光りが宇宙に向かって飛んでいく。
 それが僕なんだよ。 ……さよならアンヌ!」
「待ってっ。 … 行かないで!」
「アマギ隊員がピンチなんだよ!」

シューマンのピアノ協奏曲イ短調の調べが、甘く、切なく、しかし力強く、流れていく。


「……ううう。えぐ、えぐ、うぐぐ」
「泣くな、泣いちゃダメだぁ」
「ぐあああっ。ウッディ。 お前には、あのセリフに込められた思いが分からないのかっ?」
「分かる。分かるとも、あかつきん! でも…でも泣いちゃダメなのだ。 ぐすん……」

水の惑星AQUA。
かつて火星と呼ばれていたこの惑星は、大規模なテラ・フォーミングの結果、
今では、水を満面とたたえる、青い海の星へと生まれ変わっていた。

その「アクア」の都市のひとつ、ここ、ネオ・ヴェネツィアにおいて『バーカリィ』といえば、
『チケーティ』といわれる、ワンコインのおつまみをつまみながら、気楽にコーヒーや、
ワイン、ビールなどを楽しめる、スタンド式の軽食堂のことだ。
レストランやカフェのように気取らず、カウンターでの立ち飲みしながら、親しい仲間達と騒げる、いわば『下町の社交場』

そんな店の一つで、リバイバル放送中の古いTV番組を見ながら、二人の男がビール片手に泣いていた。


「マン・ホームの平和を守るため、仲間を助けるため、愛する恋人と別れを告げる……奴こそ、オトコだっっ」
「しかも宇宙人と告白されても、その愛を守ろうとするなんて……彼女も素晴らしいのだっ」
「うおおおおっ。 ウッディ!」
「ぐああああっ。 あかつきんんん!」

-ガシっ!

と、ハグを交わす男、二人。
本人達は、感極まっての事なんであろうが、傍から見れば気持ち悪い事、この上も無い……

「いいお話ですねぇ」

やたらと盛り上がる二人を尻目に、その横に立つ、黒いマントを羽織った、小柄な少年が静かに言った。

「おおおおっ。 アルよ、お前もそう思ぶかあ!? って、噛んだぞぉぉっ」
「うぐぐぐっ。 アルもオトコなのだあ!」
「はい。セブンだけに、面白さも、ウルトラ級(Q)以上です」

-と、ほとんどマニアにしか分からない冗談を言いながら、アルと呼ばれた少年は、微笑んだ。

彼の名前は、アルバート・ピット。
通称、アル。
その黒いマントと、黒い丸眼鏡が特徴的だ。
彼は、ネオ・ヴェネツィアの地下深くにある中央ターミナルで、アクアの重力を1Gに保つ、
地重管理人「ノーム」と呼ばれる仕事をしていた。

ちなみに、先程から異様な盛り上がりをみせている、二人の男。
どちらも、アルの幼馴染である。

背中に大きく赤く「炎」の文字をあしらった白い半纏を着ている男。
あかつきん-と呼ばれている彼。
名を出雲・暁という。
地重管理人のアルとは正反対に、空に浮かぶ「浮き島」(正式名称・AFI-0078)で、アクアの気象管理、
火炎之番人「サラマンダー」と呼ばれる仕事をしている。

そしてもう一人。
その特徴的な顔立ちと、いかにも着崩したような奇抜な服装をした男は、風追配達人「シルフ」のウッディ。
本名を、綾小路・宇土・51世。
風追配達人「シルフ」とは、自動車の乗り入れが禁止されている、ネオ・ヴェネツィアで、エアバイクを使い、
宅配の仕事をしている人達のことをいう。

地重管理人「ノーム」
火炎之番人「サラマンダー」
風追配達人「シルフ」

そして
「ウンディーネ」と呼ばれる、ゴンドラを使った観光案内を行う、水先案内人が、ここネオ・ヴェネツィアにおいて
地水火風の四大妖精と呼ばれる、代表的な職業だった。


「ううう。 よく分からないが、アルも大絶賛なのだ」
「よし。 アル。ウッディ。 素晴らしいこの話に乾杯だっ」
「おうっ。 なのだ! って、おや? ……アルは、ビールじゃないのか?」
「はい。 実はこの後、人と会う約束があるので、アルコールはちょっと……」
「んが? 誰となのだ?」
「それはぁ……」
「ははあ~ん」
言いよどむアルに、暁は、いたずらな笑みを浮かべた。

「がちゃぺんか?」

暁の質問に、アルは困ったように答える。
「がちゃぺんって……彼女にはちゃんと、藍華さんってお名前が……」
「うっせいっ。 あんなのはなぁ、がちゃぺんで充分だ!」
「暁くん……」


「だあれがぁ。がちゃぺんよ。 このポニ男!」
凛-とした声が、響き渡る。
「藍華さん?」

夕暮れせまるネオ・ヴェネツィア。
その紅い夕陽を背に受けて、腰に手を当て仁王立ちしている、勇ましげな姿がバーカリィの入り口に浮かび上がる。
なぜか肩には、ぴんっと背筋を伸ばした、青い目の黒猫が乗っかっていた。

元気いっぱいな、ショートな髪。
意思の強さを輝かせる、大きな瞳。
気が緩めば、炎を噴出しそうな唇。

彼女こそ、姫屋のプリマ・ウンディーネ「ローゼン・クイーン(薔薇の女王)」こと、藍華・S・グランチェスタだ。
このネオ・ヴェネツィアの水先案内店の老舗、姫屋の跡取りにして、若干、18歳でカンナーレジョ支店の支店長を
任されている傑者。
ちなみに、彼女の肩に乗っている黒猫は、姫屋の社長猫で、ヒメ社長と言う。

「だいたい、アンタこそ、相変わらず何よ、そのポニーな髪は!」
「うっせぇ! 誰がポニーだ!」
「あんたよ。ポニ男」
「んだとぉ、がちゃぺん」
「あによぉ!」
「まあまあ、お二人とも……」

ぎりぎりぎり-と、火花を散らす二人に、アルが割って入る。
「お二人が仲良しなのは、分かりましたから」

 「『 ちっがあーーーーーう!! 』」

暁と藍華のツッコみが、やっぱり仲良く同時に炸裂した。


「藍華さん。どうしたんですか。約束の時間には、まだ少し早いですよ」
ようやく、にらめっこを止めた藍華に、アルが訊ねた。

「え? あ、うん。予定してた会議が明日に変わっちゃったから…べ、別にアルくんに会いたいからって
 強引に抜け出してきたわけじゃないんだからね……」
「藍華さん?」
「えへへ。 ホントは藍華ちゃんってば、会議を副支店長の人にお願いして、無理矢理抜け出してきたんですよぉ」
「灯里ぃぃい!?」
「藍華先輩、でっかい我が儘さんです。 副支店長の、あゆみさん。泣いてました」
「後輩ちゃんっ!?」
「ぷいぷぅぅぅ~い」
「いっ…アリア社長まで……」
藍華の後ろに、制服が違う二人のウンディーネと、一匹の猫が笑いながら立っていた。

「どうしたんですか、藍華さん。顔、赤いですよ」

「ぎゃあああああああっス! なんでもない! なんでもないのよ。 アルくん。
 灯里っ。後輩ちゃん。 バラすの禁止!」

藍華が真っ赤になって叫ぶ。

そんな藍華の後ろに立つ、二人のウンディーネと一匹の猫。

一人は、ARIA・カンパニーの水無・灯里。
「アクアマリン(遥かなる蒼)」の通り名を持つ、プリマ・ウンディーネ。
つい最近、水先案内人の中で、トップクラスの技量と人気を誇り「水の三大妖精」と呼ばれていた中の一人、
アリシア・フローレンスから、店の経営権をも譲渡された、新進気鋭のウンディーネ。

もう一人は、オレンジ・ぷらねっとのアリス・キャロル。
灯里や藍華と同じ、プリマ・ウンディーネ。
通り名は「オレンジ・プリンセス(黄昏の姫君)」
彼女は最近、ウンディーネ史上、初のペアからの「飛び級昇格」を果たし、わずか15歳でプリマ・ウンディーネとなった、
今、話題の女の子だった。

ちなみに「通り名」とは、見習いの「ペア」、半人前の「シングル」とは違い、一人前の「プリマ」のみが名乗れる
特別な「第二の名前」のことだ。

「ぷいぷ~い」
そしてアリア社長。 ARIA・カンパニーの社長であり、灯里の唯一の上司。
ここネオ・ヴェネツィアの水先案内店では、昔から航海の安全を守ると言われている、青い瞳の猫を社長とする習慣があった。
特にアリア社長のような火星猫は、小学生並の知能があり、喋れずとも人の言葉は十分に理解できた。
地球猫である、姫屋のヒメ社長を、こよなく愛している。
まあ、結果は、残念ながらまるで出ていないが……


「ありゃ。灯里ちゃんにアリスちゃん。それにアリア社長まで……お久しぶりなのだ」
「はい、ウッディさん。 今朝以来ですね。玉子ありがとうございました」
「いえいえ。どういたしまして。 なのだ」
「玉子?」
アリスが不審気に訊ねる。

「うん。ウッディさんってば、実家で鶏を飼い始めたんだって。それで毎朝、生みたての玉子を、ARIAカンパニーに届けてくれるの」
「…むすっ」
「ん? どうしたのアリスちゃん」
「なんでもありません。 それより、ムッくん。 お酒なんか飲んで、でっかい大丈夫なんですか?」
「大丈夫なのだ、アリスちゃん。 今日は、もう帰るだけなのだ」

「ちゃんとロープ・ウェイで帰ってくださいね。 お酒飲んでエア・バイクに乗るなんて、でっかい禁止です!」
「…アリスちゃん。何をそんなに怒っているのだ?」
「わ、私は何も怒ってなんていません」
「ふふ~ん。 なるほどぉ……」
「な、なんなんですか、藍華先輩。 なんでそんな薄笑いなんですかっ」
「つまりぃ……」
藍華は、ニタニタと笑いながら言った。

「後輩ちゃんは、自分も毎朝、玉子が欲しいっと……」
「………っ」
「お子ちゃまねぇ。ふふ」
「で、でっかい、うるさいです!!」
「ほへえ…? アリスちゃんのトコは、社員食堂があるから、玉子はいっぱいあるでしょ?」
灯里の発言に、藍華はおろか、アリスまでもが、深い深い、ため息をついた。

「灯里先輩…でっかい天然です」
「灯里…天然禁止!」
「ええ~?」


「んで…お前ら、こんなトコでなにしてんだ?」
「何してんだとは、ずいぶんね、ポニ男」
「ポニ男って言うな!」
「ふんっ 私は、アルくんに、お呼ばれしたの」
「わ、私達は藍華ちゃんの付き添いです」
再び、険悪になりかける暁と藍華の間に、灯里があわてて割って入る。

「付き添い?」
「はい。お仕事が終わって、たまたま一緒になった、私とアリスちゃんの所に、偶然、藍華ちゃんが通りかかって……」
「これから、チケーティの美味しいお店に行くからって…でっかい、付いてきました」
「お前ら二人とも、馬に蹴られるぞ?」
暁があきれたように言う。

「はひ? 馬に蹴られる…ですか?」
「ポニ男さん。でっかい意味分かりません」
「後輩ちゃんまで、ポニ男って言うなっ。 意味くらい自分で調べろ」
「むむむむ……」

「昔にマン・ホームの唄に、そう言うのがあるんですよ」
「唄?」
「正確には『都都逸(どどいつ)』って言うんですけど。
 『人の恋路を邪魔する者は、馬に蹴られて死んじまえ』って。
 これはマン・ホームの中世期前半。1860年代、日本州の江戸という街で流行った、七・七・七・五文字の言葉を使った、
 いわゆる、言葉遊びの一種で、意味は……」
突然、言いよどむアル。

「どうしたのアルくん」
「いえ…なんでもありません。 ……暁くんっ」
「ぶしゃしゃしゃしゃ」
紅くなって睨むアルに、暁は、変な笑いで答えた。

「ええっと…なんでもなくってですねぇ。……そうそう。馬に蹴られたといえば、ノストラダムス2世って人がいまして…」
「はい?」
「あの高名な預言者でもあり、医学者でもあったノストラダムスの弟子と称していた人なんですが…」
「いや、アルくんってば?」

「この人は自分の予言を成就させるために、自分で街に火をつけて燃やそうとしまして…」
「………」
「それが見つかって、逃げようとして、その時、馬に蹴られて亡くなったってお話がありまして…」

「アルくん!」

-ばんっ

と、藍華がカウンターを激しく叩いた。

「ぷいにゅっ!」
「にゃふうっ!」
アリア社長と、ヒメ社長が脅える。

けれど藍華は、そんなことにはお構いなしに、アルを指差しながら叫んだ。

「おやぢの雑学禁止!!」
「ええ~っ」




「で、今日はなんの用なの?」
すっかり『スネて』しまった藍華が、冷たく言う。

「あわわわわ…藍華ちゃん。藍華ちゃん。落ち着いて……」
「あによぉ。 灯里は、ポニ男と話してればいいでしょ」
「そんなぁ……」
「そ、そうだぞ、がちゃぺん。 なぜ俺様が、もみ子と話さなければならないんだ」
「へっ。 ホントは話したいくせに」

「な、なななななななな、なにを言うかあっ。お、お、俺様はだなあ」
「アンタねえ。 こないだもARIA・カンパニーに行って、日暮れまで灯里と話込んでたでしょう?」
「な、ななななななっ」

「あ、藍華ちゃん。 あれは、暁さんが心配して、様子を見に来てくれて……」
「そ、そうだぞ。 がちゃぺん。 オレ、俺様は、最愛のアリシアさんが去った後の、ARIA・カンパニーの様子が気になって……」
「ふんっ。 つまりそれって、灯里が気になったってことでしょ。 ホント、へたれなんだから……」
「なななななな…」

「藍華先輩、でっかい恐いです」
アリスがポツリと言う。

「そうゆう後輩ちゃんだって、こないだウッディさんと、デートしてたじゃない」
「で、デートぉ?」
「いったい、なんの話なのだ?」
アリスが叫び、ウッディが怪訝そうに訊ねる。

「後輩ちゃん、こないだウッディさんのエア・バイクの後ろに乗って、空飛んでたでしょ」
「あ、あ、あれは、お天気が良かったので、たまたま乗せてもらって……」
「そうそう。 お隣の島まで、お弁当持って、お空を、ひと泳ぎしてきたのだ」
「む、ムッくん……」
「それをデートって言うのよ」
「………」
アリスは下を向いてしまった。耳が真っ赤だった。

「帰る……」

不意に藍華が言った。

「にゃん……?」
ヒメ社長が、何事? とでも言いたげに、小さく声をあげた。

「私、帰る」
「藍華ちゃん?」
「藍華先輩?」
「ごめん。灯里、後輩ちゃん。 また今度」
「あ、藍華さん。待ってください」
あわてて、アルが引き止める。

「あによぉ。 ぜんぜん、つまんない。私、帰る」
「藍華さん……」
アルのセリフに、ますます藍華の顔がくもる。

「それに藍華さん、藍華さんって…私は『さん』って呼ばれるのは…・・・アルくんのバカ………」
「えっ?」
「なんでもな~い! 帰るったら、帰るぅぅっ」
「待ってください」
帰りかける藍華の手を、アルがつかんだ。

「あ、アルくん?」
「実は、ぜひとも見ていただきたい…いえ、ご招待したい所があって……」
手をにぎられて、立ち止まってしまった藍華に、アルが必死で言う。
「ご招待…したい所?」
「はい」
「ど、どこ?」
「僕の家です」

-え、ええええええええええええええええっ!?

 あ、アルくんの家?
 ってことは、ご両親にお会いするの?
 紹介されるの?
 ご挨拶するの?
 公認?
 いや~ん、そんな、まだ心の準備が!
 はうおっ 
 お、お土産のひとつも買ってないし…
 あああ。私、制服のままだし…
 やっぱり、ちゃんとした格好で、お会いしなければ……っ

「実は僕、この近所にアパートを借りまして……」
「……へっ?」

ぐるぐるし始める藍華に、アルがなんでもないことのように言った。

「今日が引越で…暁くんと、ウィディくんは、手伝ってくれてたんです」
「引越し……」
「はい。地重管理人の寮もよかったんですが、やっぱり地下だと星が見れませんから……」
「そ、そうなの……」
「はい。それで誰よりも先に、藍華さんを、ご招待したくて……」
「………」

「じゃあ、行きましょうか。 みなさん、ここの代金は、後で僕が払いますので、ゆっくりして行ってください」
「はあ~い。 ご馳走様なのだ」
「おーう。 まあ、ご馳走様。 ごゆっくり。 うっしっし……」
ビールを片手に掲げながら、返事をするウッディ。
意味ありげな笑みを浮かべながら、答える暁。
灯里とアリスは、まだ状況が飲み込めていないらしく、ただ手を振って二人を見送る。
アリア社長が、藍華と一緒に走り去っていくヒメ社長を、涙目で見送っていた。


アルに手を引かれながら、夜のネオ・ヴェネツィアを行く藍華。
なぜか心臓が高鳴る。
通り過ぎる人達に、自分の鼓動が聞こえないのが不思議だ。
後ろから付いてくるヒメ社長の足音が、うるさいくらいに響く。

-えと、えと、えと………
 
 って、男の人の部屋にいくのよね? 
 って、アルくん一人よね?
 って、アルくんと私だけ?
 って、アルくんと二人きり?
 って、アルくんと……
 きゃあああうううう…っス

「ここです」
再び、ぐるぐるし始める藍華に、アルが示したのは小さな縦長のアパートだった。

「ちょっと階段が狭くて長いから、気をつけてくださいね」
アルは、そう言うと、相変わらず藍華の手を取って、ゆっくりと階段を上がり始める。
狭い階段だった。
人がすれ違うにも苦労しそうだ。
自然、アルと藍華の距離は、さらに縮まって、まるで藍華がアルに抱きつくような格好になってしまった。

「大丈夫ですか?」
「……う、うん」
結局、アルの腕を抱きかかえるように階段を登って行く、藍華。

長い階段だった。
途中で登り辛そうなヒメ社長を肩に乗せる。
やがて目の前に、なんの変哲も無い扉が現われた。
アルがポケットから鍵を取り出す。

-ああ…合鍵作んなきゃ……

「藍華さん?」
「うきゃっ、な、なに? なに? なにっ?」

埒もない考えに走っていたせいで、アルの声が聞こえてなかった。

-やだ。私ってばなにを……

藍華は、あわてて戻ってきた。

「さあ、どうぞ。まだちょっと散らかってますが・・・」
「あ、はいはい。 お、お邪魔します……」

小さく、質素な部屋だった。
ヒメ社長が肩から飛び降り、走りこんで行く。
大き目のワンルームに、小さなキッチンと、お風呂やトイレが付いている。
家具もそれほど多くなく、部屋の真ん中に、小さなテーブル。
壁際には、それだけは異常に多い本棚と書籍の数々。

窓際に置かれたベットには、ヒメ社長がすでに、ここは私のモノだ!
-と宣言するかのように、寝っ転がっている。

引っ越してきたばかりとゆうのに、そこはすでに、アルの穏やかで暖かな性格が滲みでているかのような、
ゆったりとして落ち着いた、不思議な空間だった。

-住めなくもない

 お寝坊なアルくんを、フライパンを叩きながら起こす私
 小さなテーブルを挟んで、朝食を取るアルくんと私
 ヒメ社長と一緒に、アルくんをお見送りする私
 掃除や洗濯をしながら、アルくんの帰りを待つ私
 仕事から帰ってきたアルくんの服を受け取りながら訊ねる私
 
 食事にする?
 お風呂にする?
 それとも…………
 
「ぎゃあああああっス! 恥ずかしい想像・禁止!禁止ぃ! 自分!!」

「藍華さん?」
三たび、ぐるぐるし始める藍華に、アルが不思議そうに声をかける。

「なんでもない、なんでもない。なんでもないのよ。アルくん」
「はあ…あ、それで、ぜひとも見ていただきたいものが……」
「はいはい。もうなんでも見る。見ますですよ。なんですか。なんでしょうか。アルくん!」
「ええと……」

藍華の勢いに押されるように、アルは部屋の片隅を指差した。
「あちらです」



「そういえばアルの奴。移籍の話、断ったんだって?」

暁がウッディに訊ねた。

「そうなのだ。アル、きっぱり断ったそうなのだ」
「移籍? なんのことですか?」
灯里が、レモネードをすすりながら聞く。

「ああ、実は地重管理部から、天文研究部への移籍の話があったらしいんだが、アルの奴、断っちまいやがって…」
「ええ、どうしてですか? 天文研究部って、でっかいエリートさんだって聞いたことありますけど」
「あいつは、出世には興味はないってことだな」
暁が、まるで自分のことのように、得意げに言う。

「でもアルさんは、大学で天文学の講義も受けてるんでしょ?」
「確かに講義は受けてるらしいんだが、それと研究部門への移籍とは違うんだと」
「どうゆう事でしょう」

「アルは、星や月には興味はあるけど、それとこれとは違うとゆうことなのだ」
「……ムッくん。でっかい意味不明です…」
「つまり、アルは、宇宙の声よりも、地重管理人として、まだまだ、このアクアの声を聞いていたいそうなのだ」
ウッディも、なぜか誇らしげに言う。

「…アルさんらしいです」
「はひ。ホントですねぇ」
「よし。アルに乾杯っ」
「おうっ。なのだ」
「むすっ …結局、飲みたいだけなんですね」
「アリスちゃん……」
灯里が困ったような笑みを浮かべた。



藍華は困ったような笑みを浮かべていた。
「これは……」
「はい。僕の天文台にようこそ」
アルが、アルターナに立ちながら、満面の笑顔で言った。

「アルターナ」とは本来、物干し場を意味する。
土地の狭いネオ・ヴェネツィアでは、こういった屋根の上にベランダのような小さなスペースを作って、
建物の有効利用が図られていた。

アルが指し示した方。
そこにはこの「アルターナ」へと続く、小さな階段があった。
やっぱり、アルに手を引かれて、外に出た藍華の前に「アルバートの天文台」とかかれた看板がぶら下がっていた。

「アルくん…の天文台……」
確かにそこには、少し大きめな望遠鏡が置いてあった。

-でも…
 はっきり言って、みすぼらしい……

「これ見えるの?」
藍華が自信なさ気に、望遠鏡を指差した。

「ええ。見た目は小さいですけど、倍率は結構高いんですよ…ほら、のぞいて見てください」
アルに勧められるまま、藍華は望遠鏡をのぞきこんだ。
「うわあ…」
そこには予想以上に鮮明な星空が、映し出されていた。

「あれ?」
藍華が不審気な声をあげる。
「どうしました?」
「アルくん…あれってもしかして……」

煌く夜空の中、ひとつだけ小さな尾を引きながら、揺らめいている星があった。

「はい。 あれが藍華さんに見せたかったモノ。 NAAT-ms06s・アイカ彗星です」



「はひ? アルくんってば、彗星を見つけたんですか?」
「ああ。 そんでその彗星に『アイカ』って名前をつけたんだそうだぜ」
「アイカ彗星……自分で見つけた彗星に、藍華ちゃんの名前を付けるなんて…アルさん、とっても素敵ングですぅ」
「でも…なのだ」
「でも?」
感動に浸っている灯里を横目に、ウッディが深刻そうに言い放った。

「ひとつ間違えれば…三割増しなのだ」

「……はひ?」
「……やっぱり、でっかい意味不明です…」
「っしゃあああぁ……」
アリア社長が足元で、なぜか頭を抱え、呻いていた。



「あ、アルくん…あ、ありがとう」
藍華が下を向きながら、小声で言う。
照れくさくて、アルの顔をまともに見れなかった。

「せっかく見つけた彗星に、私なんかの名前使ってくれて……」

「僕はずっと藍華さんが彗星のようだと思っていました……」
「え?」
「やさしくて、強気で、けれどちょっと泣き虫さんで、でも笑顔がとてもかわいらしくて……」
「アルくん……」

「そしていつも元気一杯に、ものすごい勢いで前に突き進んでいく……そう、まるであの彗星のように」
「………」
「僕は不安だったんです」
「え?」

アルは小さく鼻を掻きながら、続けた。

「藍華さんは、あの姫屋のグランチェスタ家の一人娘。いずれ姫屋の跡を継ぐ人。
 そして僕は、いち地重管理人にしか過ぎません。 言ってしまえば、身分が違います。
 だからいずれ、あの彗星のように、藍華さんも、離れて行ってしまうのではないかと……」

-そんなっ

 そんなことない!!
 藍華は、ぶんぶんーとかぶりを振った。
 声も出せない程、強く、激しく。

「ありがとう。でも僕は弱虫ですから……」



「アルは弱虫なんかじゃない…あいつは、アルはホントに強いよ」
「強い……アルくんがですか?」
「ああ」
暁がビールのお代わりを頼みながら言った。

「アルは、本当に強い。
 アルは、本当は俺様達より年上なのに、昔からいつも俺様達と同じ目線でモノを見てくれる。
 アル-って呼び捨てにしても、いつも微笑んで答えてくれる。俺様にゃあ、マネできねえ」
「暁さん……」

「昔、こんなことがあった」
 暁が思い出すように、少し上を向いて話始める。

「ガキの頃、アクアの平和を守ることが使命だと思っていた俺様は、ある日。
 勢いあまって、すんげえ恐い、おやぢン家の植木鉢を割っちまってな…」
「うわあ……」
灯里とアリスの顔が引きつる。

「けど、謝ったのはアルだった」
「ほへ?」
「アルくんが? ど、どうして……」
「理由はいまでも分からねえ。 あいつが何も言わなかったからな……」
「………」

「後から聞いた話じゃ、アルの奴。 そのおやぢの家の周りを、一週間も毎日掃除させられてたらしい。
 不覚にも、俺様もウッディも、そのことに全然、気付かなかった。 でもある日、偶然、そのおやぢの家から、
 出てくるアルを見つけて、問いただすと、アルの奴はただ一言、笑いながら 『もう、終わりました』 って……」
「………」
「その日から俺様とウッディは、アルの生涯の友達になった」
「けど、アルはアルなのだ。それでも何も変わらないのだ」

本当はその日。
暁もウッディも、アルを抱きしめながら、二人で号泣し、謝ったものだが……
アルは、そんな二人の涙と鼻水で、ぐちゃぐちゃになりながらも、嫌がるそぶりも見せず、ただ静かに微笑みながら、二人の肩を、やさしく抱いてくれたのだ。

「アルくん、スゴいですね……」
「スゴいといえばな…もうひとつ」
「ほへ?」

「考えてもみろ。あいつは浮き島っていう、いわば自分の巣から、一人で地重管理人って闇の中へ降りていったんだ。 
 浮き島で暮らす俺や、ウッディには、とてもそんな真似は、できねえ」
「まったくそうなのだ」
「ムッくん?」

ウッディが海老のマリネのチケーティを食べながら言う。

「アルは、浮き島にいる火炎之番人の、あかつきんより、空を泳ぐ風追配達人の私より、さらに高い所を見ているのだ。
 それはとうてい私達には、考えられることではないのだ」

「あいつは弱虫でも、へたれでもねぇ」
「うむ。アルは私達の中で、一番強いのだ」
「暁さん、ウッディさん……」

「お二人とも、でっかい、いい人です……」
アリスが、灯里の気持ちをも代弁してくれた。

「ぷいにゅ」
アリア社長が、深く頷いた。



「僕は弱虫なんです」
アルが繰り返す。

「だからあの彗星に藍華さんの名前をつけたんです」
「……どうゆうこと?」
「それは・・・あの彗星は、もう少しでアクアを飛び去って行きます。 また見られるのは何年も後のことです。
 ですから、たとえ、何年…何十年たっても、あの彗星に名前をつけることで、あの彗星を見ることで、僕が藍華さんのことを思い出せるようにって……」
アルは口を閉ざす。

その沈黙に耐えかねたのように、藍華の心が叫び声をあげる。

-違う違う違う
 
 私が、アルくんから離れる?
 そんなこと そんなこと……
 私は絶対っ

「アルくん、私っ」
「でも間違いでした」
「えっ?」
けれどアルは、藍華が何かを言う前に、再び言葉を紡いだ。

「あの彗星を見てて気が付いたんです。 あの彗星は何年、何十年たっても、必ずもう一度、ここに帰ってきます。
 必ず帰ってくる。 それなら僕が信じて待っていればいいんだって。 
 僕ができることは、藍華さんをずっと信じて、ずっと見守っていてあげることなんだって……」
「アルくん……」
藍華の双眸から、じわりと光るものが湧き上がってくる。



「そういえば、もみ子もマンホームからアクアに一人で来たんだよな。 偉いな」
「暁さん…いえ、そんなことないです。私は、ただウンディーネになりたい一心で……」
「それでも…だ。 逆に思う。 火炎之番人になるために、俺様はマン・ホームに一人で行けるだろうかってな……」
「暁さん…ありがとうございます」

-灯里先輩とポニ男さん、でっかい、いいムードです。
 
アリスは少しドキドキしながら、二人の会話を盗み聞きしていた。

灯里が満面の笑顔で言う。

「それならこれから私のこと、ちゃんと灯里って呼んでください」
「な、な、いや、お前っは、もみ子で充分だ! もみ子だ。もみ子!」
「ええ~え」

-でっかい、へたれです。

アリスはため息をついた。

「あははは。あかつきんらしいのだ」
ウッディも、ビールで顔を真っ赤にしながら、陽気な笑い声を上げる。

-ムッくんも、せっかく私がいるのに、さっきから飲んでばかり……

「おや、アリスちゃん。ぜんぜん、食が進んでいないのだ。 ほら、このマグロのカカオ風味は、ここの名物なのだ。
 さあ、食べ給え」

-こっちはこっちで、
 …でっかい鈍感野郎ですっ
 
アリスは、いまいましげに手の中のオレンジ・ジュースを、ストローで一気に吸い上げた。



「私もね…ちょっと不安だった……」
藍華がそっとアルの肩に頭をのせる。

「藍華さん?」
「どうしてアルくんは、私にこんなにしてくれるのか。 どうして、こんなに優しいのかって……」
「………」

「アルくんは誰にでも優しいし…でも私は特別なのかなって……ねぇアルくん」
「はい」
「どんな理由があるの? 私聞きたい。アルくんが…その……わ、私に引かれる理由………
 やっぱり、引かれ合う力…なの?」

「引かれ合う力の正体なんて、分かっていないんです」
アルが星空を見上げながら言う。

「引かれ合う力…引力というものは、ある物体の質量があれば発生するものなんですが、
 ではなぜ、質量があれば引力が発生するかは、実は誰にも分かっていないんです」
「ええ? じゃ、じゃあ、分からないままアルくんは……」

-引かれ合う力だって
 燃え尽きずに届くこともあるんだって
 影響を受けるのは 月だけじゃないんだって

 そう言ってくれたのに……
 そう教えてくれたのに……

 今までのことは、いったい………

藍華の頭が、再び、ぐるぐる回りだしそうになる。

けれどその前に
アルが、藍華の頭の上に、そっと手を置いた。

「ア、アル…くん?」
「だから、理由なんかいらないんです」

アルは藍華の髪を、やさしくなでながら言った。


「人が人に惹かれる理由…そんなものは分からなくてもいいんです。
 ただ心が 『この人なんだ』 って感じれば、それが一番の理由なんです。 ……ね、藍華」


瞬間。
藍華は顔が火照るのを自覚する。
まるで体中の血液が、顔に集まってしまったようだ。

-アルくんが…
 アルくんが、私を呼び捨てにした!
 藍華って呼んでくれた!
 藍華さん…じゃなくて、藍華って! 藍華って!!
 私は…私は……

藍華は両手で頬を押さえると、両目を固く閉じた。
けれど、そんなことでは怒涛のごとく流れてくる涙を止めることはできない。
けれど、そんな涙を、優しい笑みを浮かべたアルが、そっと指先でぬぐってくれた。



「あの二人…今頃仲良くやってるかな」
暁が、いぢわるそうに、けれど必要以上に弟の世話をやく、心配性な兄のような表情で言った。

「はひっ。絶対大丈夫ですよ」
そんな暁とは対照的に、灯里が、どんな心配でも吹き飛ばしてしまうような満面の笑顔で言った。

「ううん? その自信はどこからくるんだ、もみ子よ」
「もみ子じゃありませんよう。
 …だって、藍華ちゃんもアルさんも、お互いが、お互いを思いあって、見つめあって。
 まるで、あの夜空に輝くお星様達のように、瞬きあって、照らしあって、一番に輝きあっているんですから!」

「もみ子よぉ… さん、はい!」


  「「「「『 恥ずかしいセリフ禁止ぃぃ!! 』」」」」


暁やウッディ、アリスのみならず、店の中にいた他の客や店員までもが、いっせいに叫び声をあげた。

「ええ~!?」

情けない声を上げる灯里。
再び、笑い声が上がる。

「灯里先輩、でっかい恥ずかしいです…」

つぶやくアリスに、ウッディが言った。
「あはは。 あれが灯里ちゃんの素敵なところなのだ」
「ムッくん? …むすっ」
「そして、そんな風にスネるアリスちゃんは、もっと素敵なのだ……アリスちゃん」
「は、はい?」
「また今度、私と一緒に、空を泳いで欲しいのだ」
「え。 えと…ムッくん……あの…それって………」
「もちろん、お弁当もって、二人っきりで。 なのだ」
「ムッくん…」
アリスは頬を染めながら、しかし元気いっぱいに答えた。

「はいっ。 でっかい、はい! です!!」

明るく楽しげな声が、バーリィを吹き抜けていく。



「ねえ、アルくん」
「なんです藍華」
「あの彗星…アイカ彗星って、次はいつ帰ってくるの?」
「え、ええと……60年後…かな」
「ってそれじゃ私、78歳よぉ!?」
「僕は、82歳ですねぇ」

「あのねぇ……まっ いっか…お楽しみは、とっといた方が楽しいわ……」
「はい。 その時もまた、ここで、こうして二人で、お迎えしたいものですね」
「…うん」
「その時が、お天気なら、オテンキでしたかぁ? なんてね」
「……………」

「いえ…その。 こ、これは 『お天気』 と 『お元気』 をかけた、マン・ホームに伝わる高等古典で……」
「アルくん……」
「は。はい?」
「おやぢギャグ・禁止!!」
「ええ~!?」


無限に輝く大宇宙。
その中で、アイカ彗星がひときわ大きく、尾を引き、光り輝いていた。
その光りに照らされた二人の影は、まるで最初から一つだったかのように、いつまでも離れることなく、
その輝きを見上げていた。

ヒメ社長が祝福するかのように、その影に向かって、小さな鳴き声をあげた。




                                     



                           - cometa di mattina(明け乃彗星) - la fine-



冒頭のセリフは
ウルトラセブン 第49話「史上最大の侵略・後編」(監督/満田かずほ 脚本/金城哲夫 特技監督/高野宏一 音楽/冬木透)
より引用しました



[6694] Indaco Io appaio ble
Name: 一陣の風◆5241283a ID:8350b1a5
Date: 2011/05/23 13:46
「縁」-「えにし」(もしくは「えん」)とゆう言葉が好きです。
「絆」-band of と、ゆうほど強いモノはありませんが
「袖すり合うも…」くらいの軽やかさが好きです。


八本目の作品を、お届けします。

この作品に出てくるクラスメートの子は、ARIAの小説版、第二作目、
「四季の風の贈り物」の第四話「スノーホワイトの贈り物」(作・吉田玲子)
に出てくるキャラクターです。
もし彼女の性格、容姿、思考等が、このお話と違っていても、それはひとえに
私の責任です(汗)

それと今回の主題は、文月晃先生の漫画(またはアニメ)とは、まるで関係ありません(汗)
もし、ほんの少しでも、かぶっている所があれば、それもひとえに、私の文才の無さのせいです(涙)

お許しください(伏)

最後まで読んでいただけた後に
みな様が少しでも「縁」を感じていただき、「アオイイロ」が少しでも、みな様の心に広がれば、これに勝る幸せはありません
(うわっ 何様発言! 叱ってください-泣)

(-と、ゆうより、こんな注釈だらけの前説を書く事自体、失礼ですね-号泣)

それでは、しばらくの間、お付き合いください。




       
         第八話『Indaco Io appaio ble』







AQUAの空は、海の藍をも取り込んで、どこまでも青く輝いていた。

惑星AQUA。
大規模なテラフォーミングの結果、水の惑星と化した、かつて火星と呼ばれていた、この惑星に、
人類の移植が始まって、はや150年。
今では、マン・ホームと呼ばれている地球。
同じく、ルナ・1と呼ばれている月と共に、AQUAは人類、第三の故郷として、多くの人々が暮らしていた。

そのアクアの都市のひとつ。
ここネオ・ヴェネツィアにおいて、一人の少女が校舎の窓越しに、ぼんやりと空を見上げていた。

「藍より青し……かぁ」
どこまでも広がる青い空を見ながら、少女はひとりごちた。

どこまでも青く、藍く………


「おいっ。 ちゃんと聞いてるか!?」

-ばんっ
 と、机が叩かれて、少女は我に返った。

「あら?」
「なぁにぃがっ、あら?-だ! 昼間っからボケるの禁止!」
「あらあら」
「あらあらじゃねええ! お前、ちゃんと私の話を聞いてたか?」
「うふふ」
「てめえ。みんながみんな、お前のその小悪魔スマイルに騙されると思うなよぉ!
 幼馴染の私には、そんなのは、きっかああああああああん!!」
「あらあらあら」

少女は、ぎりぎりぎり…と、腕を胸の前で組みながら、こちらを恐ろしい気な瞳で睨んでいる目の前の人影を、改めて見上げた。

美人-といって良いのだろう。
ショートな、けれど、艶やかな黒髪。
きりり-と引き締まった眉。
その下の双眸は、らんらんと輝き、意思の強さを表している。
小さく、けれどツンと上を向いた鼻。
口は絶対の自信にあふれ、そこから吐き出される言葉には、何者にも臆さぬ自負があふれている。
背は高からず低からず。
そのプロポーションの良さと相まって、絶対の存在感をかもしだしていた。

彼女の幼馴染であり、親友のひとり。
晃・E・フェラーリだ。


「どうしたの、晃ちゃん」
「お前、ホントに人の話、聞いてなかったな…ほらっ、見ろ!」
晃は、少女の前に一枚の紙を突き出した。
「ん?」
ーと、小首をかしげる少女。
なぜかその仕草に、周囲から、ため息がもれる。

「ちゃんと見てみろ! 姫屋からの採用通知だ!」
「あらあら。晃ちゃん、受かったの?」
「そうとも……」
晃は背を伸ばし、再び胸の前で腕を組むと、優越感にひたった表情で言った。

「このネオ・ヴェネツィアで、百年の歴史を持つ、あの姫屋だ。すごいだろ?」
「うふふ…晃ちゃん、ウンディーネになるんだ」
「ったり前だ! 姫屋に就職して、サラマンダーになるかぁ!」
「あらあら……」


解説しよう。

「ウンディーネ」
 とは、街中に張り巡らされた水路を使い、この都市、ネオ・ヴェネツィアをゴンドラと呼ばれる舟を使い、
 観光案内をする水先案内人のことだ。
 女性しかなれず、この街のアイドル業とまで言われている。
 大小さまざまな店があるが、その中でも姫屋は、創業百年の歴史を持つ、ネオ・ヴェネツィア最大の水先案内店だった。

ちなみに本編には、まったく関係ないが
「サラマンダー」とは、このアクアの気候調整を、空に浮かぶ「浮き島」とよばれる場所で行う、火炎乃番人のことだ。


「晃ちゃんなら、ノームさんや、シルフさんも、できそうだけど?」
「う、うむ…ノームも、シルフも楽しそう……って、ちっがあうううううう!」


再び解説しよう。

やっぱり本編とは、まったく関係ないのだが
「ノーム」は、アクアの重力を常に1Gに保つ仕事をしている、地重管理人のこと。
「シルフ」は、車の使用が禁止されている、ネオ・ヴェネツィアで、郵便以外の宅配物をエア・バイクを使って配達する
 運送業者のことだ。

 
「女として、このネオ・ヴェネツィアに生まれたならば、誰もが夢見るウンディーネ。 そのトップ・プリマに
 私はなる!!」


またまた解説しよう。

さっぱり本編とは、まったく関係ないのだが
「トップ・プリマ」とは
 ウンディーネは、見習いの「ペア」 半人前の「シングル」 実際にお客様を乗せて観光案内をできる一人前の「プリマ」
 の三階級に分けられていて、その一人前の「プリマ」の中でも、さらに抜群の技量と実力を持った、ほんの、一握りの「プリマ」が、
 「トップ・プリマ」と呼ばれ、称賛されるのだ。


「あらあら。晃ちゃんって、海賊さんみたいね」
「…お前、私のことをバカにしてんのか……?」
「うふふ」
「すわっ! うふふ禁止!」
「あらあら」
「あらあら禁止!」
「うふふ」
「うふふは禁止! って言ったろ!」
「あらぁ」
「ちょっと言い方変えてもダメだあああ!  って、いいかげんにしろおおお!!」

ぜいぜい-と肩を揺らしながら、晃が叫ぶ。
一方、少女の方は「柳に風」とばかりに、そんな晃の言葉を受け流していた。

「とにかく。私は姫屋のウンディーネになって、必ずトップ・プリマになってみせる。 お前もよく考えておけっ」
そう言うと晃は、踵を返すと、足音も高らかに教室を出て行ってしまった。
「うふふ……」
そんな背中に、少女は微笑みながら小さく手を振り、見送った。


「ねえ、今の子って…4組の晃?」
クラスメートの一人が、少女に走り寄って来た-と思った瞬間、机に足を取られて盛大に引っくり返る。
「あらあら、アン、大丈夫?」
「いでででで…だ、大丈夫よ……」

少女の同級生であり、親友のひとりでもある、アン・シオラは、頭をかきながら立ち上がる。
「ほんとに大丈夫?」
「大丈夫。大丈夫。 いつものことよ……ところで、今の子ってば…」
「ええ。晃ちゃんよ」
「やっぱり」
「やっぱり?」
「あんた、ホントに自覚ないんだから……」

アンは、改めてクラスメートの少女を、まじまじと見やった。
輝くような金髪を二つ括りにした、特徴的な髪型。
白く、細やかな肌。
どこまでも透き通る、アクアマリンの瞳。
いつも、たおやかな微笑を絶やさぬ、その口元。

晃・E・フェラーリとは、間逆な位置にある美少女。
我らが『ビアンカネーヴェ Biancaneve』-白雪姫-

 アリシア・フローレンス。


「あなた達二人は、この学年……いえ、学校では有名人なのよ」
「あらあら」
「前の学園祭のとき、アリシアと晃、二人で『白雪姫』ってお芝居やったでしょ」
「ええ。私が白雪姫で、晃ちゃんが悪いおばあさん役だったわ」

-うふふ
 と笑うアリシアに、アンはあきれたように言った。

「あのときのアリシアの白雪姫も、ため息ものだったけど、魔女役の晃も、みんな、ため息ものだったのよぉ」
「あらあら」
「ったく、ちょっとは自覚もちなさいよ」

まさに、あの日。
たかが学園祭のクラス劇で行われた「白雪姫」は、このミドルスクールの歴史上、特記すべき出し物となった。

アリシアが演じる優雅で美しさに満ち、気品あふれる(本人はまるで意識していなかったが)白雪姫は
在校生は言うに及ばず、男性教師や父兄達からも、ため息と羨望の眼差しを持って、迎え入れられた。

そして、晃。
前半、白雪姫をいぢめる魔女として。 後半は、彼女を助ける王子として、二役に挑戦した彼女は、
(本人が『私に両方やらせろっ』-と、それを強要したのではあるが) 
その鬼気迫る魔女の演技で、観客を恐怖のどん底に落とし入れ、
続く、王子様の演技で、その場にいた全ての女生徒と女性教師、母親達から、熱い吐息と憧れの眼差しで持って、迎えられたのだ。

鳴り止まぬ拍手に答え、アンコールに立った二人の姿は、王子と姫とゆう、人類、永遠の憧れを具現化したものとして
人々の記憶の中に、いつまでも残り続けることとなった。

(それはまた、一部の特殊妄想世界の住人達には、身をよじるような創作意欲をかき立てられた瞬間
 -と、いうことなのだが……)


「あらあら。そうなの?」
「中には、あんた達二人が、本気で付き合ってると思ってる子もいるのよ……ねえっ」

アンは振り向きもせず、誰にともなく言った。
……のだが、まわりのクラスメートの首が縦に「うんうん」-と、振られたのは確認するまでもなかった。


「確かに私と晃ちゃんは、幼馴染だけど……」
「ああ、幼馴染だったんだ。どうりで……」
「ええ。ずっと一緒。 昔っから晃ちゃんは変わらないわ」
「へえ……」
昔からあんな調子……何か空恐ろしいモノを想像して、アンは小さく身震いする。


「昔こんなこともあったのよ」
そんなアンの気持ちを知ってか知らずか、アリシアは晃の武勇伝を語りだす。


「私達がまだロースクールの1年生だったとき、初めて浮き島の社会見学にいったの。
 そしたら晃ちゃんってば、自分も良く知らないのに勝手にクラスを抜けだして、私を連れて浮き島探検し始めちゃうんだもの。
 ワルよねぇ」
「へ、へえ……」
「結局、最後は、浮き島の男の子達とお友達になって帰ってきたのよ。 うふふ」
「うう…すごい。 漢らしい……って、女か」
「でも晃ちゃんってば、女の子らしいところもあるの」
「え?」
「だって、さっきのことだって、まだ将来を決めていない私のことを思いやってくれたんだもの」
「今のが…そうなの?」
「うん。素直じゃないけど、とってもいい子なの」
「へええ……」

-そうなのか?
 と、アンも小首をかしげるが、もちろん、周りから、ため息が聞こえてくることはなかった。


「それより、あの白い雲を見て思ったのだけど……」
「ん?」

アリシアは、窓の外に広がる高積雲を指差しながら言った。

「アンの入れた、生クリームのせココア。 飲みたいな……」
「…はいはい、姫様。さすれば我が東屋までお越しください」
「うふふ。ありがとう」
「ホント。あんたって子はよく分からん」
「あらあら、うふふ」


 -30分後

「ああ、美味しい。やっぱりアンのいれてくれた、生クリームのせココアは最高ね」
アリシアはカップを両手で包み込むようにして持つと、嬉しそうに言った。

ここはアンの部屋。
学校の終わった二人は、アリシアの操るゴンドラに揺られ、大運河(カナル・グランデ)の近くにある
アンの家へとやってきていた。

「喜んでいただけて光栄です。姫様」
「うふふ。 でもこうしていると、アンに初めて生クリームのせココアを飲ませてもらったときのことを思い出すわ」
 
それは、アリシアが風邪を引いて学校を休んだ、とある冬の寒い日のこと。
お見舞いに来てくれたアンが、元気がでるように-と、特別に作ってくれたものだった。
ほんの少しだけ塩を入れ、甘さを引き立たせたココアは、今までアリシアが飲んだ、どのココアより美味しかった。
絶賛するアリシアにアンは、そのとき初めて、将来はカフェを開きたい-とゆう夢を語ったのだ。

「アンはやっぱり、将来、カフェを開きたいの?」
「ええ」
アリシアの質問に、アンはきっぱりと答えた。

「それが私の夢だもの!」

その迷いのないアンの台詞に、アリシアはふと、不安になる。


-私は本当は何をしたいのだろうか?
 本当は、これといって何をしたいのかも分からない。
 ただ漫然と過ごす日々の中で、私は何をしたいのだろう。
 確かにゴンドラは好きだ。
 ウンディーネにも興味はある。
 けれど、それは本当に私の将来、なりたいものなんだろうか?
 晃ちゃんのように、私は……


コップを手に、不意に黙り込んでしまうアリシア。
そんなアリシアにアンが、一瞬の間をおいて、明るい口調で言った。

「アリシア。お代わりは?」
「え、ええ。 ありがとう。いただくわ」

アンはアリシアのコップを受け取ると、立ち上がりキッチンへと向かう。
が、その途中で振り向くと、まだ考え込んでいるアリシアに向かって言った。

「ねえ、アリシア。今度、一緒にゴンドラに乗ってくれない?」
「え?」
「実は私さ。この街に長年、住んでおきながら一度もゴンドラ・クルーズってしたことがないんだ」

アンは、頭をかきながら『えへへ』と笑った。

「だからさ、一緒に付き合ってくれない?」

アリシアは気が付いた。
これは彼女なりの気遣いなのだ-と。
悩む私を見て、そう言ってくれたのだ-と。
一度、本当のゴンドラ・クルーズを体験してみよう-と。


「うん」
だからアリシアは、笑顔でうなずいた。
「うん。喜んで」
そんなアンの心遣いが、とても嬉しかった。

「よし。んじゃ、次の日曜日に。 予約とかは私に任せて!」
「……アン」
「ん? なにアリシア」
「……ありがとう」
「ば、バカ。きゅ、急に何言ってるのよ……照れるわ」

そう言って、あわててキッチンに飛び込んでいくアン。
そして-
何かをひっくり返す金属音と、アンの悲鳴が、お約束のように聞こえてきた……

 


「へ? 予約入ってない?」

日曜日。
アリシアを連れ、意気揚々と姫屋の門をくぐったアンであったが……

「はい、まことに申し訳ありませんが、本日、アン・シオラ様名義のご予約は入っておりません」
受付のウンディーネが、すまなそうに言う。
「はいい? なんで? そんな………はう!?」

突然、何かに気が付いたかのように、アンはアリシアに問いただした。
「ねえ、アリシア。今日は何日?」
「ええっと……11日よ」
「はうああ! 明日だあっ  一日間違えた……」
「あらあらあら」

愕然とへたり込むアンに、アリシアはいつもの笑顔で答え、その背中をそっと叩いてあげた。


「ごめん、アリシア…どうせならと思って、せっかくトップ・プリマの明日香さんの予約とったのに……」

当然のように、ミドル・スクールの学生である二人には、翌日、学校を休んでまでのゴンドラ・クルーズは許されない。
見かねた受付のウンディーネ(名札には、アンジェリア・アマティーとあった)が、キャンセル料も取らずに、
料金を全額返金してくれたため、経済的な損失は、ほとんどなかったのだが……


「うふふ。いいのよ。ありがとう。その気持ちだけで、私は嬉しいわ」
「ううう…ありがとうアリシア。  仕方ない。 飛び込みで探してみようよ」
「いいのよ、アン。あまり気にしないで」
「いいや、汚名挽回よ。 今度こそ、私にまかせてっ」
「あらあら。アン。 汚名は返上するもの。 挽回はするのは名誉よ」
「おお。さすが我らがピアンカネーヴェ。 博識ですなあ」
「あらあら……うふふ」

そうこうしているうちに、二人はサンマルコ広場へとやって来た。
そこでは、各水先案内店のウンディーネが、飛び込みのお客を得るために、軒をならべていた。

「う~ん。 あそこにいるのは、オレンジ・ぷらねっと。 今、新進気鋭の急成長株の水先案内店なのよ。
 こっちにいるのは、エンプレスに奇想館。あちらはMAGA社。 どれも中堅だけど、歴史はあるわ」
「あらあら。 アンってば詳しいのね」
「アリシアが知らなさすぎなの。 つか、やっぱりこれくらいは事前に調べとかないとね」
アンは今日の日のために、いろいろと調べておいてくれたのだ。

「うふふ…アン、ありがとう」

「ば、バカ。だから、照れるっちゅーの! ……ねえ、アリシア」
「ん?」
「あなたはどこのゴンドラに乗りたい? やっぱり晃と同じ姫屋?」
「んん…私は……」
考え込むアリシアの視線に、突然「アオイイロ」が飛び込んで来た。

そう。
それはまるで、あの青い空のように
それはまるで、あの藍い海のように

つられたように、ふらふらと、そちらに近づいていくアリシア。

「ちょっ…アリシアどうしたの?」
あわててアンが追いかけてくる。
その視線の先には、青い制服のウンディーネと、藍いゴンドラが浮かんでいた。

「あの……」
「はい。なんですか?」

おずおずと声をかけるアリシアに、青い制服のウンディーネが答える。

「あの…ゴンドラ・クルーズを……」
「アリシアっ」
あわてた感じで、アンがアリシアの腕を引っ張った。

「え、どうしたのアン?」
「あそこはダメだって……」
「ええ?」

アンは、そのウンディーネに聞こえないように、小声でしゃべった。

「あのゴンドラは、ARIA・カンパニーのゴンドラよ」
「ARIA・カンパニー…」
「そう。極端な少人数主義で、社員はいつも一人か二人。 人気は高いんだけど、入りたくても入れないトコなのよ」
「そう……なの?」
「そう。だから、乗るだけ無駄よ」
「…………」

「アリシア?」
「ごめんなさい、アン。 私、あのゴンドラに乗りたい」
「ええ?」
「なんだか分からないけど、乗ってみたいの。 ……ダメ?」

ちょっと上目使いに、懇願するアリシア。
………無敵である。

「うぐぐぐ…身もだえぇぇぇぇ! はあはあはあ……わ、分かったわよ」
「アン?」
「あなたにそんな風にお願いされて、誰が断れるの?」
もし、周りにアンのクラスメート……いや、同じ学校の全生徒がいても、約一名を除いて、誰もがうなずいたことであろう。

「ぷいにゅん☆」
突然、白いまん丸なモノが、アリシアに足に絡み付いてきた。

「うわっ。 なんじゃこりゃ?」
アンが驚きの声をあげる。
「あらあら?」
「にゅうにゅうん……」
その白くて丸いものは、ぷいぷいとアリシアによじ登って行く。
「猫…さん?」
そしてついには、アリシアの肩まで登ると、まるでそれが当然かのように、腕の中に収まった。

「あらあら、見て、アン。この猫さんの瞳、すごくキレイ」
「ほんとだ、きれいな蒼色だね」
「ああ、アリア社長。 なにやってるんですかっ」
「社長?」

先程のプリマが、あわてて飛んで来る。
「ごめんなさいね。 お嬢さん。 ほら、アリア社長、降りましょう」
「ぷいにゃ、ぷいぷい!」
けれど、アリア社長と呼ばれた猫は、アリシアの腕の中から、なかなか降りようとしない。
「アリア社長、どうしたんです?」
「あの……」
「え?」
「今、この猫さんのこと、社長って……」
「それはね、アリシア」

アンが、その蒼い瞳の猫を見ながら言った。

「このネオ・ヴェネツィアの水先案内店では、この猫さんみたいな蒼い瞳の猫さんを、航海の安全と無事を祈るお守りとして、
 社長にするって伝統があるの。 もちろん、ほんとの社長は、別に人間がいて、お店の経営とかは、その人がやるのよ」
「あらあら、そうなの?」
「そうなのって…アリシアって本当に何も知らないのね」
「うふふ……」

アリシアは改めて、自分の腕の中で気持ちよさそうに「ぷいぷい」と甘えている、アリア社長を見下ろした。
「ほんと…キレイな瞳」
「アクアマリンの瞳って言うのよ」

いつの間にか、小柄な女性が、アリシア達のすぐ横に立っていた。
「グランマ……」
青いウンディーネが言う。

「あなた、アリア社長に気に入られたのね。 うふふ…素晴らしいわ」
「あなたが、グランマさんなんですか?」
アンが驚いたように叫ぶ。
「アン?」
「アリシア…あなただって、さすがに聞いたことはあるでしょ? 姫屋でトップ・プリマとして10年以上の実績を誇り、
 その後、ひとりでARIA・カンパニーを立ち上げ、30年もの長きに渡って、未だにトップ・プリマとして君臨し続け、
 その功績から、すべてのウンディーネの母と呼ばれる、伝説の大妖精。 本名、天地秋乃さん。 通称・グランマ……」
「伝説のグランマ…この人が……」
「まあまあ、そんなに大げさなことじゃないのよ」

ほっ・ほっ・ほっ-っと、天地秋乃-グランマは、素敵に微笑んだ。



「そう。アリシアさんは、ウンディーネになりたいの……」

結局、アリア社長はアリシアから離れず、なし崩し的に二人は、ARIA・カンパニーのゴンドラに乗ることになった。
「はい、そうなんです。グランマさん」
「アン?」
「この子、ミドルスクールでもゴンドラを漕いでて、すっごく上手なんです。 学校で1,2を争うほどに」
「あら、それは、すごいわね」
「それに性格もよくて、友達からは『白雪姫』って言われるくらい、いい子で……」
「あ、アンってば……」
「グランマさん…お願いがありますっ」
照れるアリシアを尻目に、突然、アンが叫んだ。


「あら、何かしら」
「一度、アリシアの漕ぎを見てやってください。 それで、もし。
 もしも気に入っていただけたなら、
 この子を…アリシアをARIA・カンパニーに入れてください!」
「あ、アン。 何を言い出すの?」
珍しく、アリシアがあわてる。
けれどアンは、そんなアリシアに構わず、グランマに懇願する。

「お願いします、グランマ。 少しだけでいいんです!」
「アン……」

「いいお友達ね……」
グランマは、やさしく微笑んだ。

「…どう、アリシアさん。ちょっと漕いでみる?」
「えっ、いいんですか?」
アンが驚いたように声を上げる。

「あら、アンさん。 あなたが言い出したのよ」
「あ…いや、それはそうなんですけど……」

困ったように頭をかくアンに、やっぱり優しく微笑みながら、グランマは言った。
「ほんとは、いけないんだけどね……誰も見てないし、少しくらいなら、かまわないでしょ」

再び、グランマは、ほっ・ほっ・ほっ-と笑うと、ゴンドラを漕いでいるウンディーネに言った。

「アンナ、お願い。少しの間、アリシアさんと代わってあげて」
「はい。グランマ」

アンナと呼ばれたウンディーネは、アリシアにオールを渡すと、ゆっくりと場所をゆずってくれた。
「すいません」
「ううん。がんばって」

アリシアは、アンナからオールを受け取ると、ファルコラと呼ばれるオール漕ぎの支点に、そのオールを
ゆっくりと差し込んだ。

-これが、ウンディーネのオール
 思ったより重い……

家で使っているオールや、学校で使っているオールより、少し重い。
けれど、その分しっかりとしていて、腕に馴染み、持ちやすい。

グランマとアンナが微笑みながら。
アンとアリア社長が、期待に胸を躍らせながら、こちらを見ている。

オールをしっかりと持ち直す。


-アリシア・フローレンス、行きますっ
 そう、胸の中でつぶやくと、アリシアはゆっくりとオールを漕ぎ始めた。


-すごい………
 アリシアは感嘆した。
 
 風を感じる
 風がそよぐ
 風が流れていく

 波を感じる
 波がはしる
 波がさざめく
 
-これが、ウンディーネのゴンドラ
 これが、白いゴンドラ
 これが、プリマのゴンドラ

-なんて気持ちいいのだろう
 なんて心地よいのだろう
 
 まるで、あの青い空と
 まるで、あの藍い海と
 自分が一体になってしまったかのようだ

-このままずっと
 いつまでもゴンドラを漕いでいたい
 いつまでもこうして、ゴンドラを漕いでいきたい

 
 このままずっと、空と海と一緒になっていたい


アリシアは今、はっきりと分かった。
はっきりと感じることができた。
私は……
私は……


-私は、ウンディーネになりたい!



「ありがとうございました」
アリシアは、アンナにオールを返しながら言った。

「ううん。 君、すごく、いい漕ぎだったよ」
「え?」
「アリシアすごいっ。すごい、すごい、すごい!」
「ええ?」
アンが、興奮したように、何度も何度も、同じ言葉を繰り返す。


「ほんとう。いい漕ぎだったわ……」
そしてグランマは、さらりと言葉を紡いだ。

「どう、アリシアさん。 ウチにこない?」
「えええ?」

「ウチは少人数主義で、人が少ないけど、それでよければ…どう? アリシアさん」
「あらあら、そんな……」
「アンナはどう思う。 あなたもそろそろ、弟子を持っても、いい頃ね」

グランマはアンナに…ゴンドラを漕いでいる、ただ一人の社員に訊ねた。

「はい、グランマ。 そろそろ私も-と、思ってました。 彼女の腕前は確かですし、それに彼女とはフィーリングが合いそうです。
 ……なんとなくですが」

アンナは、悪戯っ子っぽく、ウィンクをアリシアに送った。

「そう、それは大事よね。 ねえ、アリシアさん。 あなたさえよければ、ウチは大歓迎なんだけど」
「あらあら…えと……」
「ぷいにゅ~~ん☆」
アリシアが口ごもっていると、突然、アリア社長がアリシアのひざに飛び乗ってきた。

「アリア社長さん?」
「おほほ。アリア社長も、アリシアさんを歓迎しているようよ……」

アリシアは、アリア社長の瞳をのぞき込んだ。
そのどこまでも広がる、藍い、蒼い、そのアクアマリンの瞳を………


「はい。ありがとうございます。 よろしくお願いします」


アリシアは、自分でも驚くほど自然に、その言葉を口にしていた。


「ぷいぷいいいいいー☆」
アリア社長が、喜びのあまり踊り始める。

グランマが、ほっ、ほっ、ほっ-と笑う。
振り返ると、アンナが親指をたてて、祝福してくれた。

「やったね! アリシア。 おめでとう!」
アンが抱きついてくる。

 -?

アリシアは戸惑った。
アンの行動は、確かにアンらしい。 でもアンらしくない。
うまく言えないけれど、あまりにアンらし過ぎて……
しばらくして、アリシアは気付いた。

アンの肩が小刻みに震えていることを。
アンはアリシアの胸に顔を埋めながら、泣いていたのだ。

「あらあら、ど、どうしたのアン?  私、あなたのおかげで、ウンディーネになれるのよ」
困惑気味に訊ねるアリシアに、アンはささやくように言った。

「……ごめん、アリシア。 ごめん」
「え?」
「私…私……あなたのウンディーネ姿、見ることできない……」
「ええ?」
「私、引っ越すの……」
「引っ越す? ど、どこに?」
「…お父さんの仕事の都合で、マン・ホームに……」
「マン・ホーム……いつ?」
「今度の日曜」

「そんなっ 一週間後じゃない」
「ごめん。アリシア。ごめん。 どうしても言い出せなくて……」
「アン……ああ、だから、あなたは今日……」
「うん。私どうしてもアリシアにウンディーネになってほしかったの。 だから私……ごめんね」
「ううん。アン…ありがとう」
優しく抱きしめる。
腕の中に、アンの温もりが、アンの優しさが、アンの想いが伝わってくる。


アリシアは、視線を上にあげる。
涙がこぼれないように……
ネオ・ヴェネツィアの空と海は、どこまでも青く、どこまでも藍く、輝いている。
そう。 まるで、アンの心遣いに似て……

「藍より青し…」
アリシアは、目に涙をためつつ、ぽつりとつぶやいた。


「青は藍より出でて、藍より青し…昔の哲学者の言葉ね」
グランマ-天野秋乃は、静かに言った。

「グランマ?」
「意味は、藍出ル青……やがて『青-弟子』は、『藍ー師匠』より旅立ち、師を越える」
「師を越える……」
「ええ、でも私は、それだけじゃないと思う」
「え?」
「私はこれは人と人との『縁』のことだと思うの」
「えにし…」
グランマは、相変わらず、もの静かな微笑を浮かべたまま続けた。


「人は人と出会い。いろんな影響を与え合って、生きていく。
 それは元の『藍』じゃなくて、それぞれにそれぞれの『青』に変わってね

 今日、出会った私の『藍』と、それを受け取ってくれた、あなた達の『青』は、同じようなモノだけど、
 けれど、ぜんぜん違うものなの。 ね、素敵だと思わない。 ふふふ」


「それぞれの『青』」
「それぞれの『藍』」

グランマは、そうつぶやき合う二人に、優しく言った。

「ええ。まるであなた達のようにね」

「アン…」
「アリシア…」

「私に素敵な『青』を、ありがとう、アン」
「ううん。私こそ、素敵な『藍』をありがとう、アリシア」
「そしてこれが……」

二人はお互いを抱きしめながら、言い合った。


  「「 私達の『縁』! 」」


そんな二人を、グランマとアンナが、いとおしげに見守っている。
アリア社長が、その蒼い瞳一杯の涙を浮かべながら「ぷいぷい」と泣いていた。


ネオ・ヴァネツィアの『アオイイロ』は、そんな二人に、いつまでもふりそそぎ、
そんな二人を、いつまでも優しく揺らしていた。




 一週間後
マルコポーロ国際宇宙港。

アンが、マン・ホームに引っ越す日がやってきた。
大勢の仲間達と共に、アリシアもまた、彼女の見送りに来ていた。
みんなの涙の中、けれどアリシアはもう泣いていなかった。

涙はあの日。
自分がARIA・カンパニーの一員となると決めた日。
その日の夜に、二人で一晩中かかって使い果たしていた。

今はもう、笑顔しか残っていない。

「アリシア。 見送りありがとう」
「ううん。 アンも元気で」
「うん。 まかしといて。 元気だけが私の取柄よ」
「うふふ。 それとドジっ子さんなところもね」
「あちゃっ。 アリシア言うねぇっ」

はじけるような笑顔。
そう、それこそがアンにふさわしい。

「ねえ、アリシア」
「なに、アン」
「あのさ、私、必ず帰ってくる」
「うん」
「それがいつになるか分からない。 分からないけど、私は必ず、ネオ・ヴェネツィアに帰ってきて、カフェを開く」
「うん……」
「だからアリシア」

アンはきっぱりと言い放った。

「だからそのときは、アリシアのゴンドラに乗せて。 そうっ プリマになったアリシアの!」
「ええ、もちろん。その時は必ず」

アリシアもまた、そんなアンの言葉に力強く答えた。

「うん。楽しみにしてる。 私の『ビアンカネーヴェ・白雪姫』さま」
「うふふ。 私こそ、アンのカフェで、アンの入れてくれる、生クリームのせココア、楽しみに待ってるわ」
「うん。 絶対に…絶対に……ね」

互いの両手を重ね、無言で見詰め合う二人。

そんな二人に、またもや周囲のクラスメートから、ため息がもれる。
何人かが、身をよじり、うめき始めた。


最終の搭乗案内が、広いロビーに響き渡る。
二人は、万感の想いをのせて、言葉を交し合った。


「じゃ、私の『藍』。 またね」
「うん。私の『青』。 またね」


大きく手を振り、笑顔で搭乗口へと消えていくアン。
途中、お約束のように、つまずき、すっ転んだのは言うまでもない。

みんなの口から、暖かな笑い声がこぼれる。
それは、自分達の大切な友達が、最後に残していった、最高の「縁」だ。

 -そう。

これが
これこそが、彼女が私達に送ってくれた「藍」なのだ

 ーアリシア・フローレンスは思う。

そして、その「青」は、私達の中に広がって……


「舟」が飛び立つ。

その巨体にもかかわらず、軽やかに、穏やかに、ネオ・ヴァベツィアの空に浮かんで行く。
アリシアは、その姿が見えなくなるまで、いつまでも手を振り続けていた。

AQUAの空は、海の藍をも取り込んで、今日もどこまでも、青く光り輝いていた。

アン・シオラは、こうしてマン・ホームへと旅立って行った。





「なんだ、なんだ、なんだあ!  相変わらず、ひとりでシケた練習してやがるなぁ!!」

赤い制服のウンディーネが怒鳴った。

「ARIA・カンパニーを偵察してこい! って言われたから、今日も、いやいやながら来てやったぜっ」


 -半年後

シングルになって、ひとりで練習するアリシアの元に、赤い服のウンディーネ……
晃・E・フェラーリは、毎日のように、なんだかんだと理由をつけ、様子を見に来てくれていた。

「……えへ」

これも「縁」
そんな幼馴染の心遣いが、アリシアは嬉しかった。


「アリシア、大ピンチよっ。 私達の同世代で、すごい奴がオレンジ・ぷらねっとにいるらしいわ」
突然、晃が叫びだす。

「あらあらあら」
「なに、のんきなこと言ってるの、アリシア。 ちょっと本に紹介されたからって、いい気になってない?」

それは「月間ウンディーネ」の特別号で組まれた、「期待の新星」っという記事のことだ。
晃はもちろん、アリシアも、あのARIA・カンパニーの新人-とゆうことで、特集を組まれていたのだ。

「うふふ」
「すわあ! いい、アリシア。 誰であれ、次世代・NO-1の地位は、渡すわけにはいかないのよ!」

なおも、何事かを叫び続ける晃に「あらあら」-と返事を返しながら、アリシアは、目の前に広がる、
そのどこまでも「アオイ」空と海とを見回した。

いつか私達も、この空と海のように、どこまでも「藍」く輝きたい。
いつまでも「青」く輝き続けたい。

けれど、アリシアは知らなかった。
すでにその「縁」が広まりつつあることを。

ひとりの少女がマン・ホームで、そんな彼女を紹介した本を喰い入るように読んでいることを。
後日、その少女をも巻き込んで再会したアン・シオラと、大騒ぎをするはめになることを。

そして-
わずか数秒後。 アンを凌駕する「ドジッ子」ウンディーネと、運命的な出会いを果たすとゆうことを。


こうして、アリシアの「藍」は広がってゆく。

けれどそれは、また別の物語。


ネオ・ヴェネツィアの空と海は、何も知らぬ気に、どこまでも「青」く「藍」く、ただ、おだやかに輝いていた。






                              -Indaco Io appaio ble(藍出ル青)- la fine-











[6694] Due persone divertenti
Name: 一陣の風◆5241283a ID:8350b1a5
Date: 2010/03/26 17:28
九本目の作品を、お届けします。

今回の作品は、不親切です(汗)
そして気分は、ドラマCD!(笑)

実は、いつも私の作品を初見してもらう、お二人(ARIAは基本的な事は知ってるけど、深い所までは、ぜんぜん知らない)に、感想をお聞きしたところ
「登場人物が分からない」-と、異口同音に指摘されました(涙)

ですが今回はワザと説明文は、はずさせていただきました。
地の文が、なんとなく鼻についたからです。

ですから、こんなお話になってしまいました(泣)

説明不足で、わけの分からなかった方。 申し訳ありません。
なにとぞ、寛大なお気持ちで、お許しください(謝)

もし、最後まで読んでいただいて、この、たぶんに『実験劇場』的な作品に対して、何かしらの、ご感想を寄せていただけたなら、これに勝る幸せは、ありません。

それでは、しばらくの間、おつき合いください。





  第九話
『Conversazione sulla gondola di un giorno nell'inizio di autunno -Due persone divertenti』




「いいお天気ね」
「ええ。風が心地よいわ」
「ぷいにゅ~ん」
「あらあら。 社長もごきげんね」
「ああ。実にいい気持ちですなあ」

「こうして、あなたと一緒にゴンドラに乗るのは、何年ぶりかしら」
「そうねえ…かれこれ、二十年ぶりかしら」
「二十年…もうそんなになるかしら……」
「お互い変わらないわねえ」
「ええ。 ほんと」

「お二人は、昔からこんな感じだったんですか?」
「とんでもないっ」
「ええ?」
「この二人は、昔っから仲悪かったのよ」
「ほへえ? それはどうゆうことですか?」

「どうもこうも、言葉通りよ。 昔からこの二人は、ライバルとして張り合ってたんだから」
「ライバル…」
「確かに、あのときのお二人のご活躍は、目を見張るものがありましたなぁ」
「あらいやだ。 からかわないでくださいな」
「ほんとですよ。 そんな活躍だなんて」

「いやいや。私はあのとき、あの時代。あの変革のときに、その場にいれた幸せを、いまでも感謝しています」
「まあ、そんなこと言っても、何も出てきませんよ」
「ほんとに、ほんとに…」
「何にもでないの?」
「ほんとに、ほんとに…ふふふ」
「笑顔が恐いだろ?」
「あらあら……」

「考えてみれば、あれから二十年。 ふたむかしね」
「そうねえ。どうりでお互い……」
「歳をとった?」
「うふふふふ」


「あの頃の私は、ひたすらあなたに『追いつけ・追い越せ』だったわ」
「…………」
「『姫屋・不動のエース』とか言われてたあなたは、本当に素晴らしかった。 憎らしいほどね」
「ええ。 私も憧れていました」
「私は、そんな自覚はなかったけれど、みんながそうゆう目で私を見てくれるのは、嬉しい反面、とても恐ろしかったわ」
「恐ろしかった?」
「あらあら…どうゆうことですか?」

「私は、そんな気持ちは、ひとつもなかった。 エースだなんてね。…悩んでもいたわ」
「悩んでいた?」
「ええ。 悩む-とゆうより困惑かしら。 いつまでも私なんかがエースと呼ばれていて、いいんだろうかって……」
「…………」

「あの時、私はもう三十。 そんな私がいつまでも『不動のエース』って言われ続ける事は、正直不本意だった」
「不本意…」
「ええ。 実際、私より力のある子は、たくさんいたもの。 この人みたいにね」
「…………」

「それに私は、エースだなんて事に興味はなかった。 ゆっくりと、日々、楽しくお仕事ができれば、それだけで…
 でもあの時は、ただ毎日が、忙しく過ぎていくだけで……」
「だから私達は、あなたに追いつこうと必死だった」
「…………」

「なんとか、あなたをエース・プリマの位置から引きずり降ろそうと、みんな一生懸命だったわ。 
 もちろん、私が先頭っ」
「ええ。 あの時のあなたは、とても恐かった。 鬼気迫るものがあったわ」
「必死だったから…必死で、あなたに追いつき、追い越そうと思っていたから…… みんなも…誰もが……」


「助けてあげたかったんですね」


「え?」


「必死で追いつこうとして… 一緒になろうとして。 そうやって、少しでも代わりになって、助けたかったんですね」

「まあ。驚いた」
「おやおや」
「うふふ… 分かるの?」
「はひ。 だって、お二人は仲悪いんでしょう?」
「あらあら」
「あははは。 こりゃ一本取られたな? やるなぁ、君」
「ふむふむ」
「ぷいぷぅ~い」


「そして、私は退社することを決めた……」
「この人は、夜。 急に私の部屋に入ってくるなり言ったのよ。 相談があるって。 私、今月で退社するの-って。
 あれは相談じゃなくて、報告ってゆうのよ!」
「あらあら」
「私は私の時間を大切にしたいから姫屋を辞めるんだって。 新しい店を作るのって。  新しい店で自分の時間で仕事をするのって。
 どこで知り合ったか知らない火星猫を連れて」
「ぷいにゅ!?」

「でもあなたは、アリア社長を見て、一番に言ってくれたわ。 瞳の素敵な猫さんねって……」
「…………」
「ねえ。アリア社長。 私以外で社長が仲良くなったのは、彼女が最初ですものね」
「ぷいぷ~い」

「恥ずかしい話を…… じゃ。あの時、あなたが泣いた話、バラすわよ」
「ああ…えと…それは……」
「おや。珍しい。慌てています?」
「まっ。いやだわ」
「んん。 それはどうゆうことですかな?」
「いえいえ。そんな大げさなことではなくて…」
「何、いまさら照れてるの? 充分、おおげさな話よ」
「…………」

「部屋に入ってくるなり、私に退社宣言をしたあなたは、そのあと、急に泣き出して…」
「あらあら……」
「私の我がままで、みんなに迷惑をかけるからって。 まるで姫屋に恩を仇で返すようだって。
 ごめんなさい、ごめんなさいって…それが、思い上がりなのよ!」
「…………」

「だから私は言ってやったの。 あなたひとり、いなくなったくらいで、この姫屋の屋台骨は揺るがない。
 いえ、揺るがせない。 あなたのいなくなった穴は、私達で充分、埋められる。
 だから、さっさと出て行きなさい!-ってね」


「そうやって後押ししてあげたんですね。 安心して退社できるように……」


「…思うんですが。 このウンディーネさんは、飄々としている割には、鋭いですなあ」
「うむ。 さすがは、ARIA・カンパニーの跡継ぎってことだね」
「あ…いえ、そんな……」
「いいのよ。 これでも、このお二人は、あなたの事、誉めてるんですから…うふふ」
「これでもって……」
「ええ。その通り。 あなた、素晴らしいですな」
「はひ…恥ずかしいです……」
「あらあら」
「ぷいぷい~い☆」


「そして私は、アリア社長とARIA・カンパニ-を始めた。みんなに背中を押されてね。 ありがとう」
「何をいまさら…」
「でも、今更ながら大変だったんですよぉ」
「ん?」

「だって、一番の稼ぎ頭がいなくなったんだ。 もう見る間に業績は悪化…全員、顔色なし」
「…………」
「でもね。 だからこそ面白かった」
「面白かった…ですか?」

「ああ。また、いちからやり直せる楽しさがある-ってヤツだな。 みんな一丸となって、そりゃあ、がんばったサ」

「ええ。
 がむしゃらだったけれど、
 忙しかったけれど、
 疲れてはいたけれど、
 充実してたわ…
 
 毎日毎日。来る日も来る日も、お客様を、お乗せしてゴンドラ・クルーズをした。
 誰も彼も、みんな一生懸命。 楽しかったわあ。 
 …それもこれも、みんなあなたのせいね。 ふふふ」

「…………」
「ウンディーネさんっ」
「は、はひ?」

「今の、分かる?」
「おやおや…いぢわるですねえ、ホントあなたは……」
「そうかあ?」
「ま。 だからこそゴンドラ協会の理事長をされてるんでしょうが…ね」
「ぬかせっ。 で、どう思います?」


「は、はひ。 
 えと…つまりそれは、やっぱり後押しと同じで、退社したのが理由で、経営が悪化したって言われないために……
 そのせいで、ARIA・カンパニーが、逆に悪い言われ方をされないようにって……
 姫屋のみなさんが、頑張ってくれたんですよね」


「あらやだ。 ホントに鋭いわね」
「うむ。やはり素晴らしい」
「まさに、まさに」
「あわわ…ありがとうございます」
「うふふ」
「ぷいにゅ~ぷいぷい☆」


「ねえ、明日香」
「ん?」
「ミュージアムの館長のお仕事が終わったら、城ヶ崎に来ない?」
「え?」
「なんにもない田舎だけど、他の何処にもない自然と時間があるわ…それに、あなたとなら楽しく過ごせそう」
「…ばっ。 急に何言い出すの……わ、私はまだ今の仕事が楽しいの」
「まっ。 ほっ、ほっ、ほっ…」

「わ、私はどうですか? 私も田舎で暮らしたいなあ」
「あら…あなたはまだ、ゴンドラ協会の指導員として、仕事が残ってるのでしょう?」
「ええ~え」
「おや…それはゴンドラ協会の指導員としての現状に、不満があると言うことかな?」
「い、いや、別にそうゆう意味では……」
「だから、いぢわる言うのは止めなさいって」
「いや、昔から言うだろ? 
『 かわいい子には、タビをはかせて、達者でな 』って」


  「「「『 言わない。言わない。言わない 』」」」



「ねえ、ウンディーネ…いえ、水無灯里さんでしたっけ…… ちょっと、お願いがあるのだけど……」
「は、はひ。 なんでしょうか?」
「あなた逆漕ぎでゴンドラを操舵するのが得意なんでしょ? 一度、漕いでみてくれないかしら?」
「ええ~え!?  い、いえ、でも、それは…」
「ダメ?」
「いえ、その…ダメって言うか…協会の方が……」

「おい。なんか俺達、見つめられてるぜ。惚れられた?」
「また、バカなことを…分かってるんでしょう?」
「はいはいはい。 まったく君は冗談が、ホント通じない」
「あなたが、冗談、通じ過ぎなんですよ。 で、どうなさるんですか」

「お前さんも大概、いぢわるだな…私だって彼女の逆漕ぎってのは体験してみたかったんだ…分かってんだろ?」
「ふぉ、ふぉ、ふぉ…実は、私もです。 では、私達二人は……」
「ああ、お休みなさい。 寝てる間、何やってるか、俺達は知らんけんねっ。 ZZZZZ……」
「ほっほっほっほっほっ…では。 ZZZZ……」

「アリシアさん?」
「うふふ。いいんじゃないの。 外洋だし。 みんな期待してるわよ」
「うん」
「ええ」
「ぷいにゅっ」
「お願い。灯里さん」

「は、はひ…そ、それでは失礼して、みな様の視界をさえぎる漕ぎ方をさせていただきます」
「わくわく…わくわく……」
「アウグスト・V・ビスマルク、ゴンドラ協会理事長。 口から漏れてますよ」
「アイザック・セルダン、ゴンドラ協会首席理事。 君は寝てるんじゃないのかね」
「狐と狸だな…」
「アンジェリア・アマティー技術指導員…なんでしたら……」
「城ヶ崎暮らしを即刻命じようかしらん?」
「ひえっ」
「あらあら。うふふ」


「では、水無灯里。行きますっ んしょ!」
「おおっ」
「これはっ」

「あははは。 早いぞ。早いぞ」
「あらあら。また一段とスピードが増したわね」
「ぷいぷいにゅううう~ん!」

「ああ…いい風ね」
「ええ…ホント、気持ちいい」

「おおお。あんなにも早く景色が通り過ぎて行く。 カイ・カ・ン……」
「いやっほー! それいけ~! もっと行けぇ! どんどん行けぇ~! ハイヨー・シルバー!!」
「理事長…それから、首席理事。…お二人とも寝てるんじゃなかったんですか?」
「『 あ” 』」
「うふふふふ」


「秋乃」
「なあに?」
「さっきの話…」
「うん?」
「城ヶ崎の話。考えてあげてもいいわよ……」
「あらまあ。どうしたの?」
「か、カン違いしないでね。 私は別に あなたと暮らしたいわけじゃないんだから。
 ただ、静かに時を、静かな自然の中で、静かに過ごすのもいいかなって、ちょっと思っただけよ」
「ええ 私もあなたと暮らすなんて、ごめんだわ。 でも……ありがとう」
「な、仲悪いだろ」

「素敵ンぐです」
「ん?」

「だって、口ではそう言っておきながら、大切で大事なその時には、互いが互いを思いあって、
 信用しあって。
 信頼しあって。
 でも最後には、やっぱり憎まれ口を、笑いながら言い合う。 とっても素敵な仲悪さんです」

「灯里さん」
「は、はひ。明日香さん」

「恥ずかしいセリフ禁止!!」

「ええ~元祖ですかあ?」
「あははははは」
「ほっほっほっ」
「あらあら、うふふ」
「ぷいぷいにゅ~☆」


「ああ…本当に、いいお天気だわ」
「ほんと。素敵な青空ね」



「ゴンドラ協会に到着しました」

「ありがとう、灯里ちゃん」
「ご苦労様。水無くん」
「お世話さまでしたな」
「楽しかった。 また頼むよ」
「灯里さん。 今度、ミュージアムにも遊びにおいでなさいな。 待ってるわ」
「はひ。 みなさん。 ありがとうございました」
「ぷいぷ~うぃ」


「ねえ、アリシアさん」
「なに? 灯里ちゃん」
「私も、あの人達のようになれるでしょうか?」
「ん?」


「私もいつか、あの人達のように、素直で穏やかで、けれど悪口も言い合えるような人になれるでしょうか」

「うふふ…大丈夫なんじゃない」
「ほへ?」
「だって……ほらっ」

「あっ。 灯里ぃぃ。そんなトコでなにやって…げっ。アリシアさああああん!」
「藍華先輩。 どうどうどう…」
「藍華ちゃん! アリスちゃん!」

「こりゃ灯里。 アリシアさん独り占めにするの禁止。 久しぶりなんだから」
「藍華ちゃん…」
「藍華先輩。でっかい失礼です。 灯里先輩。いちど厳しく叱ったほうが…」
「アリスちゃん…」
「いいの。いいの後輩ちゃん。 灯里には、この程度で」
「…藍華ちゃん。 …アリスちゃん」

「あらあらあら。 みんな久しぶりね。 どう、このあと、一緒にお茶でもしない?」
「うきゃあああス。 はい。もちろん喜んで!」
「ですから藍華先輩。 どうどうどう」
「わんっ。 って、ちっがああああう!」

「大丈夫…」
「ん? なに灯里」

「大丈夫だよ…」
「え? 灯里先輩?」

「ちょ…きゅ、急になによぉ。 灯里ぃ ぐぇ……」
「灯里先輩。急に抱きつかれても…苦しいです」

「大丈夫…うん。 きっと、きっと大丈夫だよ……」

「なに? いったいなんなのよぉ」
「でっかい。わけ分かんないです」
「あらあら。 うふふ」
「ぷいぷいちゃ~い」

二人を抱きしめながら、静かに涙する灯里。
困惑しながらも、そんな灯里をやさしく抱きとめる、藍華とアリス。
アリシアとアリア社長は、そんな三人を、優しく、いつまでも見つめていた。

夏の暑さも過ぎ、ようやく風が涼しくなり始めた、そんな初秋のある日のことだった。



                      
           Conversazione sulla gondola di un giorno nell' inizio di autunno-Due persone divertenti          
           初秋における、ある日のゴンドラ上の、ちょっとした会話 -おかしな二人 -la fine-











[6694] Traghetti part-1  [sogona della Gondola]
Name: 一陣の風◆fc1b2615 ID:8350b1a5
Date: 2009/11/07 11:48
「シングル諸君、集合!」

凛-とした声がトラゲット乗り場に響く。

「…は?」
「…えと?」

間の抜けた声がトラゲット乗り場に響く。

「んん?」

不審気な声がトラゲット乗り場に響く。

「シングル諸君。しゅ・う・ご・ううううう! こらあ! そこのオレンジ・ぷらねっとの二人っ 早くせんかあ!」
「わあぁ!」
「は、はあいいい!」
「わっ、なんだよ、急にお前ら…」




   
      第10話『Traghetti』  PART-1  [ Songona della Gondola]






「よおしっ。 振り分けを発表するぞぉ! 
 北の乗り場の担当は、アラベラ・キャンベル、アーリー・ハーベェイ、アーリー・ウォルツ …」

ベテラン・ウンディーネが、次々と振り分けを読み上げてゆく。
振り分けを告げられたシングル達は、三々五々、グループを組んで、それぞれの持ち場へと散って行った。
さあ。 今日もトラゲットの始まりだ。

『トラゲット』-とは、
ここ水の街、ネオ・ヴェネツィアにおいて、その真ん中を逆「S」字に流れる大運河(カナル・グランデ)に何箇所かある
『渡し舟』のことだ。

ウンディーネと呼ばれる水先案内人。 その中で、未だ客を乗せての観光案内をする資格を持たない『シングル』達
-いわゆる『半人前』の彼女達が、客を乗せて操舵できる、唯一の仕事。
二人で一組になり、トラゲット専用のゴンドラの前と後に立って、操舵するのだ。

また、そのシングル達は、ネオ・ヴェネツィア中の水先案内店、各社から派遣されてくるため、いろいろな会社のウンディーネが見られる
-とゆう、観光名物のひとつともなっていた。



「で…なんでこんな所にいらっしゃるんですか?」
その場に残った、四人のウンディーネの内のひとりが、名前を読み上げていた、ベテラン・ウンディーネに訊ねる。

「いちゃ悪いか…」

その問いかけに、ベテラン・ウンディーネが憮然と答えた。

「い、いえ、そうゆうワケでは…」
「んじゃ、どうゆうワケかな? アトラ・モンテウェルディくん…」
「ひいい…」

「えっと、つまりそれは…なんたって、蒼羽教官ですからぁ」

藪をつついて鵺を出す、もうひとりのウンディーネ。

「だから…それはどうゆう意味かなぁ? 夢野 杏(ゆめの あんず)くん…」

ベテラン・ウンディーネ…蒼羽は低い声で答えた。

「うひっ…」

杏もやっぱり、おびえた声をあげる。
実際、恐いのだ。 この人は。

アトラ・モンテウェルディと、夢野 杏は、ともに『オレンジ・ぷらねっと』のシングル・ウンディーネ。
オレンジ・ぷらねっと、とは最近、急成長を遂げた、新進気鋭の水先案内店だ。

百人からなるウンディーネを抱え、
新人の学生時代からの発掘、育成。 
完全寮生活での人材の管理、維持。
そして専属の指導員を配置した、マン・ツー・マンでの教育指導。 

と、徹底したその経営方針で、わずか十年で、老舗で最大級の規模と知名度を誇る、同じ水先案内店の『姫屋』を抑えて、
ネオ・ヴェネツィア第一位の営業実績を上げていた。

蒼羽-
蒼羽(あおば)・R・モチヅキは、アトラと杏の、その指導教官だ。
彼女の指導の熱心さと厳格さ。 そして恐ろしさ(?)は、ネオ・ヴェネツィア中に鳴り響いていた。


「フルヴィさんの代理だ」
「フルヴィさんの?」

アビゲイル・T・フルヴィは『クレプシドラ-麗しき時針』の通り名で呼ばれる、同じオレンジ・ぷらねっとのプリマ・ウンディーネ。
どんな季節や天候の変化にも関わらず、リクエスト通りのスケジュールをこなすことで有名だった。

ちなみに『通り名』とゆうのは、プリマ…一人前のウンディーネになった者だけが名乗れる、第二の名前のことだ。

「フルヴィさんが引退して、ルナ1に、ご家族の都合で引っ越されるのは知っているな」
「はい」
「それで、その準備のために、どうしても今日は、都合が悪いってことで、私が代理を指名されたんだ」
「アレサ部長にですか」
「ああ」

そして、よせばいいのに、杏が訊ねる。
「…蒼羽教官。 いったい、なに、やらかしたんですか?    ふげげげげえ!?」
「そんな余計なこと言う口わ、この口かっ この口かああああ!」

蒼羽は、杏のほっぺたを両手でつねりあげながら叫んだ。

「そりゃ確かに、アレサ部長の秘蔵のワインを勝手に飲んだのは私だ。 ああ、私だよ。
 でもな。 そんなに大切なモンならば、無防備に机の上に置いてる方が悪いっ。悪いだろ。悪いよな?
 そうだろう? そうだな?
 アトラ、杏。 お前らもそう思うだろ? 思うよな!?」

「は、はい」
「はぎゅぎゅぎゅぎゅぎゅ…」

「そうだっ。 私は悪くない。悪いのはアレサ部長だ。 部長の方なんだあ!」
「ふ~ん。 そうなの…」
「おべえっ!?」

杏のほっぺをつねり挙げた状態で、蒼羽が硬直する。
恐る恐る振り返った、視線のその先には…
「アレサ部長…」
アトラが乾いた声でつぶやいた。

そこにはアレサが、髪を風になびかせながら、微笑を浮かべて立っていた。


アレサ・カニンガムは、オレンジ・ぷらねっとの人事部長。
だが彼女は人事部長の職にかかわらず、それ以上の数々の社内改革を実行。
先に示した、オレンジ・ぷらねっとの (ある意味) 常識外れの改革の、そのほとんど全てを、ひとりで断行し
成功に導いた、才女。
彼女の業績は、業界『第三の波』とまで呼ばれ、畏怖とともに賞賛されていた。


「人が気にして様子を見に来てみれば…ふ~ん、そういう事、言ってるんだ…」
「いや、あの部長。これはその…」
「蒼羽」
「は、はい」
「向こう一週間。 トラゲットの管理責任者としての勤務を命じます。 協会には私から連絡しておくわ」
「でええええええええ!?」
「なに、異議があるの?」

-うふふ
と、アレサが、いっそう深く微笑んだ。

「ありません。 ありません。 ありません」
相変わらず、杏のほっぺたをつねったままの状態で、蒼羽が、ぶんかぶんかと、かぶりを振った。

「そう。それはよかった」
微笑んだまま、アレサが言う。
それは怒るよりも、何倍もの恐怖を周囲に撒き散らしていた。

「しくしくしく…」
蒼羽は -やっぱり杏のほっぺをつまみながら- 涙した。
さすがの鬼教官も、鬼部長には頭が上がらないのだ。



「おい。君、大丈夫か?」
オレンジ・ぷらねっと組のミニ・コントを尻目に、もくもくとトラゲットの準備をしていた、あゆみが
もうひとりのウンディーネに声をかけた。

あゆみ・K・ジャスミンは、姫屋のシングル・ウンディーネ。
トラゲットをプリマ昇格のための修行場ととらえる大多数のウンディーネの中で、最初からトラゲット専門の、
(つまり、ずっとシングルのままの)ウンディーネを希望する、ちょっと異色なウンディーネ。
けれど、その実力は充分、プリマとして通用する腕前を持ち、また、その人望の高さとも相まって、新設された姫屋の
カンナレージョ支店の、副店長に抜擢されていた。


「どうした、具合が悪いのか?」

トラゲットは通常、四人で行われる。
今日のココのトラゲットの担当は、アトラと杏。あゆみ。 そして、もうひとりのウンディーネの四人だった。
だが、そのもうひとりのウンディーネの様子がおかしい。
うずくまり、荒い息をついていた。

「だ、大丈夫です…」
だが、振り返ったその顔は、はたから見ても真っ青だった。

「おいおい。 ぜんぜん、大丈夫そうには見えないぜ。 無理すんな」
「いえ、ホントに大丈夫ですから…」
「どうした?」

ようやく杏のほっぺたから手を離した蒼羽が、近づいてくる。

「なんか、この子、調子悪そうで…」
あゆみの答えに蒼羽は、そっと、そのウンディーネのひたいに手を当てた。

「おい。熱があるじゃないか」
「い、いえ。 ホントに大丈夫です。大丈夫ですから…」
「危ないっ」

立ち上がろうとした彼女が、ふらつきながら倒れ掛かる。
それを間一髪、蒼羽が抱きとめた。

「す、すいません」
「いや、いい。 それより今すぐ病院に行こう」
「いえ、ホント大丈夫です。 みなさんに、ご迷惑をかけるワケには…」
「君は『MAGA』社の茜くん…だな。 カン違いするな」
「え?」

蒼羽はゆっくりと、しかしはっきりと言い切った。

「私達ウンディーネは、会社が違えど、同じ家族だ。 家族が家族に遠慮する必要はない。 迷惑だなんて考えるな」

「蒼羽教官、でっかい、かっこいいです」
その言葉に、その場にいた全員がうなずいた。

「おい。アトラ。杏。 それと姫屋のあゆみくん。 すまないが、ここのトラゲット。しばらく三人でまわしてくれ。
 私はこの子を病院まで送ってくる」
「「『はいっ』」」
三人が、元気よく返事をする。

「代替要員は、すぐ手配する。 それまでは…」
「はい。 でっかい、はい!」
かわいらしい手が挙がった。

「私。 私がやります!」
「アリスちゃん?」

アリスが、元気良く右手を挙げながら、飛び跳ねていた。

アリス・キャロルは『オレンジ・プリンセス(黄昏の姫君)』の通り名を持つ、オレンジ・ぷらねっとのプリマ・ウンディーネ。
つい最近、若干、十五歳でプリマに昇格…それも見習いの『ペア』から、半人前の『シングル』を飛び越して
一人前の『プリマ』へと、飛び級昇格した、オレンジ・ぷらねっと期待の新星。

「アリスちゃん。 どうしてここに?」
「はい。朝のお散歩中でした」
「お散歩…」
「はい。 そうしたら、たまたま、みなさんの会話が聞こえてきて…。 私、私、代わりになります」
「いや、しかし…」

「お仕事なら、今日の私は、お昼からですから、午前中は、お手伝いできます」
「いや、そうゆうんじゃなくて…」
「それに、アトラ先輩や、杏先輩はもちろん、姫屋のあゆみさんとも、お知り合いです。 でっかい問題ありません」
「いや、だからね。 アリスちゃん…」

「トラゲットは、シングルしかできないのよ」

アレサ部長が、冷たい声で言った。
「知ってるでしょ?」
「で、でも…」

アリスはアレサに向かって、必死に言いつのった。
「でも、今は非常事態です。 でっかい、たいへんなんです。 だからだから…」
「トラゲットしてみたい?」
「…うっ」

図星を指されて、アリスは絶句する。
「いい、アリス…いえ、オレンジ・プリンセス。 あなたはもうプリマなのよ。 プリマはプリマとしての責任をはたしなさい」
「でも…でも」
「ん?」
「私、シングルの経験がなくて…」
「…」

「私、ペアからの飛び級昇格で…シングルの経験がなくて… だからトラゲットしたくても、できなくて…
 でも、灯里先輩も、藍華先輩も、トラゲットは楽しいって… だから私は…私も…」

下を向いて、小さくつぶやくアリス。

「いいんじゃないですか、部長」
茜を支えながら、蒼羽が言った。

「別に技術的に問題があるわけじゃないし、お客様からも文句はでないだろうし…いや、逆に大喜びかな?」
「蒼羽。簡単に言ってくれるわね」
「簡単でいいじゃないですか? 実際、人手は足りないんだし。 いわゆる緊急避難的処置ってヤツで…」
「…やれやれ。 分かったわ」
「えっ。 それじゃあ…」

「みんな甘いわね」
アレサは小さくタメ息ついた。

「でも、ここで変に断って、テンション下がったまま、午後のお仕事をされても困ります。 …今だけよ」

ーと、実は誰よりも甘く、優しいアレサは言った。

「は、はい。 でっかい、ありがとうございますっ」
アリスの顔が、向日葵のように輝いた。

「じゃあ、そうと決まれば、あとは任した。 私はこの子を病院まで連れて行ってくる」
「すいません」
茜が再び、謝った。

「だから謝るな。 そうだな、いずれ精神的に、お返ししてくれりゃいい」
「…はい。ありがとうございます」

「よし。アトラ、杏、あゆみくん。 悪いけど、アリスのこと、よろしく頼む」
「はい」
「らじゃっ」
「分かりました」

成り行きを、心配そうに見守っていた三人も、大きな笑みを浮かべてうなずいた。

「じゃあ、みんな。お願い。 私は協会に行ってくるわ」
こうしてアレサ部長は、協会本部へ。
蒼羽は、茜を連れて病院へと、この場を離れた。 後の混乱も知らぬげに…






                                        
                               Essere Continuato(つづく)


       『Traghtti』 PART-1   [ Sogona della Gondola -ゴンドラの夢 ] -La fine








十本目のお話を、お届けします。
えと…その、つまり…

記念すべき十本目! ってコトで、空回り的に力が入りまして…
実は未だに終わりが見えていません(汗)
終わりなき「学園祭前夜」 あるいは果てしなき「夏休み最後の2週間」のような状況が続いています(涙)
(際限なしに「地の文」を書くと、こうなるぅぅ!)

この『いつ明けるかもわからぬ夜』のような駄文に、お付き合いいただき、暖かい目で最後まで読んでいただけるなら、これに勝る幸せは、ありません。

それでは、しばらくの間く(part-2.3.4…も(泣)、お付き合いください。



[6694] Traghetti part-2  [ Un Profilo ]
Name: 一陣の風◆fc1b2615 ID:8350b1a5
Date: 2010/04/26 11:55
                                
「ゴンドラ出まぁ~す!」
「あらあら、かわいいウンディーネさんね」

元気いっぱいにトラゲット用のゴンドラを操舵するアリス。
そんな彼女に、街のおばちゃん達が話しかけてくる。




           
           『Traghtti』 PART-2  [ Un Profilo  ]   





「あら、あなた、手袋なし…プリマなの?」
「いやだ、あなた知らないの? この子、アリス・キャロルよ」
「えっ? あの飛び級昇格の? オレンジ・ぷらねっとの? まあ、かわいらしい」
「あ、ありがとうございます」

「まあまあ。 孫があなたの大ファンなの。 あとで教えなきゃ」
「そんなこと言ったら、ウチの娘にも教えなきゃ。 アリスちゃんがトラゲットしてるって」
「ほんと、かわいいわぁ…」
「あっ。 これ今そこで買ったリンゴなの。 ひとつあげるわ。食べて食べて」
「そうだ。夕方、パニーニを焼いてきてあげる。 よかったら、受け取って」
「は、はい。ありがとうございます。 よろしくお願いします」

おばちゃん達だけでなく、おっちゃんやおじさん。 小さな子供達まで、アリスに気楽に話しかけてくる。
そこには、ゴンドラクルーズでは決して味わうことのできない、街の人々との暖かな、ふれあいがあった。


「あゆみさん…」
「なに? アリスちゃん」

交代して、アトラと杏が操舵するゴンドラを見送りながら、アリスは、かたわらに腰を下ろしている、あゆみにポツリと言った。

「私…前に、あゆみさんが一生シングルでいたい。 …ずっと、トラゲットをしてたいって言ってたの、分かります」
「ん?」

「灯里先輩が言ってました。 トラゲットは街の人達だけじゃなくて、
 その想いまで運んでくれるんだって。
 その心までも運んでくれるんだって。
 
 私、今ならその気持ち、でっかい分かります。 
 私、今日、トラゲットができて、ホントに良かった…」

「アリスちゃん…」

あゆみは横にいるアリスの横顔を盗み見た。
アトラと杏の操るトラゲットのゴンドラを見ている、アリスの横顔を。

その、とても嬉しそうな横顔を
その、とても満足そうな横顔を
その、とても輝いている横顔を

「そっか。 うん。 ありがとう」
あゆみは満面の笑顔で答えた。



「あれぇ? 後輩ちゃん。 こんな所で何やってんの?」
「藍華先輩? それに晃さんまで…」

不意の声に振り向くと、そこには二人の姫屋のウンディーネが、一匹の黒猫を肩に乗せ立っていた。

ひとりは「クリムゾン・ローズ(真紅の薔薇)」の通り名をもつ、プリマ・ウンディーネ。 晃・E・フェラーリだ。
彼女は、あまたいる、このネオ・ヴェネツィアのウンディーネの中でも、抜群の人気と技量を誇る、トップ・プリマ・ウンディーネ
として、その名を轟かせていた。

もうひとりは「ローゼン・クイーン(薔薇の女王)」の通り名をもつ、プリマ・ウンディーネ。 藍華・S・グランチェスタ。
彼女は、創業百年を誇る姫屋の創業者、グランチェスタ家のひとり娘。 
若干、十八歳でありながら、今年開業したカンナーレジョ支店を束ね、着実に、その成果をあげていた。

そして、その肩の上に背筋をピンと伸ばし、いかにも気位が高そうに座っているのが、姫屋のヒメ社長だ。
このネオ・ヴェネツィアにおいて青い瞳の猫は、航海の安全を守る、守り神として、各、水先案内店で『社長』として
迎え入れられているのだ。



「はい。 私は今、トラゲット要員として、お仕事をしています!」
アリスが胸をそらしながら言う。

「へ? トラゲット要員? なんで? トラゲットは、シングルのお仕事よ? あゆみさん、どうゆうこと?」
「それが実は…」

あゆみは、これまでのいきさつを二人に説明した。

「ええ~。 それっていいの?」
「緊急避難処置ってヤツでね」
「蒼羽教官?」
背後からの声に振り向けば、病院から戻ってきた蒼羽が苦笑を浮かべ立っていた。


「教官。 あの子どうなりました?」
トラゲットを終え、対岸から戻ってきたアトラと杏が、そんな蒼羽に訊ねた。

「ああ…どうやら過労気味なのを無理してたみたいだ。 二、三日は安静だな。 まあでも、それ以外は別状なし-だ」
「そうですか…よかったです」

「そうゆうワケで、お二人とも、どうか目をつぶってくださいよ」
蒼羽はウィンクしながら、藍華と晃に言った。

「えと…あなたは」
「ああ。失礼。 私はオレンジ・ぷらねっとの蒼羽・R・モチヅキと言います。 姫屋の藍華さんと晃さんですね。
 お二人のご高名は、かねてから、お聞き及びしていました」

「ああ。あなたがオレンジ・ぷらねっとの蒼羽さんでしたか。 こちらこそ、お噂はかねがね。 業界イチの指導教官だと」
「いえいえ。 私なんか、晃さんの足元にも及びません」

「また、そんなご謙遜を。 私の方こそ、一度、お会いして、指導方法などを伝授していただきたかった」
「いや、私の指導方法など、名にしおう『クリムゾン・ローズ』の晃さんに比べれば…」
「いやいや。 そんな指導教官NO-1の名声を得ていらっしゃる、蒼羽さんの方こそ…」

「あの藍華先輩」
「ん。何よ、後輩ちゃん」

なぜか、だんだんとヒートアップしてくる晃と蒼羽の会話を無視して、アリスが藍華に訊ねた。


「藍華先輩、この後、時間あります?」
「ん? ええ。今日の私は午前中でお終い。んで午後からは久しぶりに晃さんと、打ち合わせを兼ねた、お茶会を…ね」
「つまり、午後からは、時間あるんですね」
「んん? どうゆうこと?」

アリスの瞳がキラリっと光った。

「では、私の代わり。 でっかい、お願いします」
「ななっ? 急に何言い出すのよ」
「私、もうすぐ昼の営業が始まるんです。 だから、誰か代わりの人をって-思ってまして」
「ちょ、ちょっとアリスちゃん」

あゆみが、あわてて割って入る。

「お嬢は…藍華さんはプリマですよ」
「あゆみさん。 私のこと呼び捨てでいいですってば。 って、その通りよ。 私もうシングルじゃ……」
「私だって、シングルじゃありません」

「い、いや。アリスちゃん。 アリスちゃんの場合は、あくまで緊急避難的な特例で……」
杏も、あわてて口をはさむ。

「じゃあ、藍華先輩の場合も、でっかい緊急処置です」
「あのねぇ…」
「それに藍華先輩も、トラゲットしてみたいでしょ?」

「わ、私は前に一度やったコトがあるから…そんな今更。 た、確かに楽しかったげどね。でも私はもうプリマなんだし……」
「にやにや…にやにや……」
「な、なによぉ。後輩ちゃん。 その、にやにや笑いは」

「藍華先輩っ」
「な、なに?」
「口で何を言っても、体は正直ですね。 へへ…ほら、もう。 オール握ってますぜぇぇ……」
「ぎゃあああああああっス!?」

そう。 いつの間にか藍華は、無意識の内にオールを手に取り、いつでも漕ぎ出せる体勢をとっていた。
気がつけばヒメ社長も、しっかりと、トラゲットのゴンドラの先端部分に座り込み、微動だにせず、前を見据えて座っていた。

「うう…これも優秀なウンディーネの、悲しい性なのね…」
ヒメ社長の、その凛とした横顔を見ながら、藍華のボヤいた。
みんなの優しげな笑い声が響き渡る。



「おいっ。 あゆみ!!」
突然、晃が叫んだ。

「は、はい!?」
「お前、今からレースをしろ!」
「はあ?」
「なに、間抜けた顔をしているっ。 レースだ。レース! すぐ支度しろ!!」
「えええ?」

「おいっ。 アトラあ!」
今度は、蒼羽が叫んだ。

「は、はい!?」
「こちらは、お前だっ。 お前がレースに出ろ!」
「えええ?」

「ちょ…いったい、どうゆうことですか?」
「どちらがより優れた指導員か、お前達のレース決めるんだ!」
「はいい?」

「勝ったほうが、より優秀な弟子を育てた…つまり」
「つまり、より優秀な指導員って事だ」
「はあ……」

「だから、あゆみ……」
「いいか、アトラ……」
晃と蒼羽は、同じように叫んだ。


   「『 必ず、負けろっ! 』」


「はいいいいいいいぃ?」


「いいか、あゆみぃ。 蒼羽さんが、より優れた指導員であることを証明するために、必ず、負けろっ」
「いいか、アトラぁ。 晃さんが、より秀でた指導員であることを証明するために、絶対に、勝つなっ」

「なんじゃ、そりゃあああああああ!」


   「『 うっさいっ。黙れっ。シバくぞっっ 』」


なぜか息もぴったりあった晃と蒼羽のセリフが、二人の抗議の声を圧殺する。

「ゴンドラは私達のを使え」
「そら。さっさと位置につけ」

「『 だああああっ 』」

泣き喚くアトラとあゆみにかまいもせず、晃と蒼羽は言い放った。

「『 用意どん! 』」
「『 早! 』」

あわあわあわ-と
飛び出して行くふたり。

そんな二人を見送って、晃と蒼羽はどちらともなく笑い合うと、お互い右手を出し合い、がっちりと握手を交わし合った。

「あのぉ……」
そんな感動的なシーンの、その全てを、ぶち壊すかのように、杏がつぶやいた。

「トラゲット要員。私しかいなくなっちゃったんですケド……」

   
  「『 ま” 』」


二人の横顔が固まった。

「アリスちゃんは、もうすぐ営業で離れなきゃならないですし…そろそろ、お腹も空いてきましたし……」
「…ええとぉ」
「もしかして、何も考えてませんでした? ふげげげげげえ?」

再び、杏のほっぺたをつねり挙げながら、蒼羽が叫ぶ。
「そんな空気の読めないこと言う、アホな口は、この口かあ! この口かあ! この口かああああ!!」
「うげげげげげ。 しょ、しょんな…あほびゃさん。ごみゅたいにゃ…」
「誰が、アホじゃああ!!」
「ふげげげげげえげげっ」

「私がやりましょう」
「晃さん?」

腰に手を当て、晃が仁王立ちしながら言い放った。
「あの二人が帰ってくるまでの間。 不肖、この私。 晃・E・フェラーリが、トラゲットを勤めます」
「ふええぇ?」
「い、いや、そんな……」

やっぱり、杏のほっぺをつねりあげたまま、蒼羽が言う。
「姫屋、いや、ネオ・ヴェネツィア・NO-1のトップ・プリマの晃さんに、トラゲットをしていただくワケには……」
「いえ、蒼羽さん。 元はと言えば、こうなった責任の一端は、私にもあります。 ぜひ、やらせてください。 なあ、藍華っ」
「はっ、はいいぃ」

「おお。もうオールを持って準備しているのか。 感心感心。 それでこそ、次代の姫屋を背負ってゆく、
 我らが『ローゼン・クイーン』-薔薇の女王様だ」
「いやあ、これは、その…あはは」
「藍華先輩。 でっかいケガの功名です」

照れる藍華に、アリスがすかさずツッコんだ。

「うっさい。 いらんこと言うの禁止! あの子みたいにほっぺた、つねられたい?」

未だに蒼羽にほっぺたをつねられたまま『あうあう』と呻く、杏の横顔を見ながら、アリスは、ひきつった笑顔を見せた。



「私は他のトラゲット乗り場も見に行かなければならないので、あとをよろしくお願いします。 晃さん」

そう言って、すまなそうにする蒼羽に向かって、晃は笑って答えた。

「任せてください。 その間のことは私が責任もって見させていただきます。 …それと」
「はい?」
「これから私のことは、晃、と呼んでください」
満面の笑顔で、そう言う、晃。

「…分かりました。それでは私のことは蒼羽、と…よろしく、晃」
同じく、満面の笑顔で答える、蒼羽。

「こちらこそ、蒼羽。 では、また後で」
「ええ。 また後で」

こうして晃と蒼羽は、笑顔で分かれた。

ただひとり。 アリスだけがいつまでも名乗り惜しそうに、トラゲット乗り場を振り返っていた。

こうしてトラゲットは、新たなステージに突入するのであった。

 

                      
                         Essere Continuato(つづく)                    
                                        
           『Traghetti』 PART-2  [ Un Profilo - よこがお]  -La' fine







「ご隠居、テイヘンだあああ!」
「なんだい、八っつぁん。 藪から棒に?」
「いえ、壁から釘です…」

………
………
PART-2を、お届けします(うがががが…)

ええと…つまり、その…私は↑のような
人のいい、八っつぁん、熊さんが、まわりの、やっぱり人のいい人達を巻き込んで
大騒ぎする、そんな落語的世界が大好きなのです(汗)

ですから今回も、そんなお話…(汗汗)

もし、みな様に、こんな世界観のARIAを許していただき
ちょっとでも微笑んでいただけたなら、これに勝る幸せはありません。
この話、ホント、まだまだ続きます(涙)
それでは、もうしばらくの間、お付き合いください。






[6694] Traghetti part-3   [ Tempo del Bambino ]
Name: 一陣の風◆fc1b2615 ID:8350b1a5
Date: 2010/05/02 17:35
「ゴンドラ、出まあ~す!」
晃の声がトラゲット乗り場に響きわたる。

「きゃあああっ。 晃さん! 晃さんよおおっ!」

女性客の黄色い歓声が上がる。
その場が、いっきに『魔女の大釜(大混乱)』へと加速してゆく。





        『Traghetti』 PART-3  [ Tenpo del Bambino ]




藍華と晃の姫屋・師弟コンビが操るゴンドラは、二人の性格のそのままに、豪快に波を切って運河を渡って行く。


「わあっ。 ホントにホントだわっ。 晃さんがトラゲットしてるううう!」
「信じられない~い! あの晃さんに、こんな所で会えるなんて!」
「きゃあああっ。 私、私。トラゲットに乗る。今すぐ乗るぅ!」
「もちろんよぉ。 何回だって乗ってやるわ~あ!」
「ああ~ん。 あ・き・ら、さぁぁぁああんんんっ」

そんな大騒ぎする彼女達に晃は、そっと、やさしく微笑みながら答えた。

「お客様方。あまり騒がれますと、他のお客様へのご迷惑ともなります。 どうかお静かに。 …それと」
「そ、それとぉ?」
「これ以上のことは、二人っきりのゴンドラ・クルーズの時に…ゆっくりと……ネ」
「きゃあああああああああ☆」
悲鳴が、怒涛のごとく広がってゆく。


「でた。 必殺レディ・キラー……」

ゴンドラを操舵しながら、藍華がつぶやいた。

客を…おもに男性客をぎりぎりまでおちょくる(他の美人ウンディーネに、目を奪われた新婚カップルのだんなに、『見とれてどうする…』
と耳元でささやいたり、女性客用に買った薔薇の花を、カルメンに見立てて、男性客の口に押し込んだり)
「客いじり」と並んで、これぞ、晃をトップ・プリマへと押し上げた、究極の接客術。

その名も「レディ・キラー」っっ。

もともと、男装の麗人っぽい『イケメン』な晃が、その美貌とクールな瞳で、声優の皆川純子ばりの甘い声でささやくように言えば、
大半の女性客は、まるで魂を吸い取られたかのように、晃にメロメロになってしまうのだ。



気がつけばゴンドラの中は、女性客でいっぱいになっていた。

「おおいっ。 店はどうするんだあ!?」
「おい。母ちゃん。 お願いだから帰ってきてくれぇ!」
「うわん。 客も店員も取られたあああ!」

屋台や、お店の亭主達の泣き叫ぶ声が、切実に響いては消えてゆく。


「やっぱり、晃さん…『クリムゾン・ローズ(真紅の薔薇)』はスゴイですねぇ… この辺一帯の屋台や、お店から、お客さんはおろか、ウエイトレスさんや、
 女将さんまで、女性は、ひとりもいなくなりました。 みんな競うように、晃さんのゴンドラに乗ろうとしてます…」
杏が感心したように言う。

「あは…あははははは……」
藍華はただ、笑うことしかできなかった。



「うおっ。 なんだこの騒ぎは? うわっ。がちゃぺん!?」
「がちゃぺん、言うなあ! このポニ男っ」

反射的に怒鳴り返すと、藍華は声のした方を睨みつけた。
が、次の瞬間。 藍華のその顔が、デレっとなる。
「アルくん……」

そこにはサラマンダーの暁。シルフのウッディー。 
そして-
「あれ、藍華。 トラゲットをしてるんですか?」

ノームのアルが、にっこりと微笑んでいた。


サラマンダー・火炎乃番人は、このネオ・ヴェネツィアにおいて『浮き島』と呼ばれる、空に浮かぶ人工島で大気や気温の操作を行う、オペレーター、操作員のことだ。 

シルフ・風追配達人は、車の乗り入れが禁止されているネオ・ヴェネツィアで、エア・スクーターに乗り、郵便以外の配達物を取り扱う、宅配人のこと。

最後に。
ノーム・地重管理人は、地下の巨大な施設の中で、このアクア全体の重力を1Gに保つ仕事をしている地重の番人。

サラマンダー。 シルフ。 ノーム。 それに水先案内人である、ウンディーネ。
この四種の職業が、ネオ・ヴェネツィアにおいて、四大妖精と呼ばれる、代表的な職業だった。

そんなノームの、アル。
アルバート・ピットは、藍華の相思相愛の想い人でもあった。


「ちょうどよかったです。 はい、これ」
「…え?」
「前に頼まれていた、僕の部屋の合鍵です。どうぞ」
そう言って、微笑を崩さぬまま、アルは藍華の手を取って、鍵をその手の中に包み込むようにして渡した。

「アルくん……」
ちょっぴり頬を染めながら、鍵を受け取る藍華。

「『Key』だけに、取り扱いに『キィ』をつけてくだい。 なんてね」
そんな「ハート」なムードを、彗星の彼方に放り投げるかのように、アルお得意の駄洒落が炸裂する。

「だああああ! おやぢギャグ禁止!」
たまらず、藍華は叫んだ。

「ええ~藍華。 こ、これは、鍵の『Key』と『気を付けて』とを重ねた、マン・ホームに伝わる高等古典で…」
「禁止っ。禁止ったら禁止っ」
「えええ~」


   「『 ふほほほほほお? 』」

突然、暁とウッディが妙な声を上げた。

「聞きましたか、ウッディさん。 今、アルのヤツ。 がちゃぺんさんを、藍華って呼び捨てにしましたよぉぉ」
「そうなのだ、あかつきん。 しかもアルのヤツ、彼女に自分の部屋の鍵を渡していたのだぁ……」
「ふへへ……」
「ほへへ……」

そして-

   「『 うふへへへへへへほほほほぉぉぉ 』」

二人は、藍華を上目使いに見上げながら、曰くあり気に笑い出した。

「う。うっさい! うっさい! うっさああああああああああああああああああああああああああああああああああああい!」
藍華が顔を真っ赤にして叫ぶ。

「そこの二人、変な笑い方、禁止ぃ! アルくんも、恥ずかしいこと禁止ぃ!」
「ええええっ。 そんな藍華。 恥ずかしいことって…」
「おやまあ、また呼び捨てにしましたよ。 ウッディさん」
「いやあ、若い二人っていいものなのですねえ。 あかつきんさん」

「ぎゃあああああっス! 禁止! 禁止! 禁止いいい!!」
大声でわめき散らす藍華。
その様子を、杏はきょとんとした顔で。 ヒメ社長は、小さくタメ息をつきながら見守っていた。



「ほへ? みんなどうしたんですか?」
のんびりとした、間のぬけた声が聞こえた。

「灯里?」
「あれ、灯里ちゃん」
「おや、アリア社長も」
「ぷいにゅ~んん」

「おおっ。 もみ子か!」
暁が、灯里のサイドにたらした髪の毛を引っ張りながら、必要以上に大きな声で叫んだ。

「もみ子じゃありませんよ~ぉ」
灯里は困ったような声をあげた。


もみ子……ではなく、水無 灯里(みずなし あかり)
-は「アクアマリン(遥かなる蒼)」の通り名を持つ、ARIA・カンパニーのプリマ・ウンディーネ。
絶大な人気を誇った「スノーホワイト(白き妖精)」、アリシア・フローレンスの、ただ、ひとりの弟子。
灯里のプリマ昇進と同時に「寿」引退したアリシアのあとを継いで、ARIA・カンパニーの経営まで引き継いだ、
今、注目のウンディ-ネ。

「水無灯里のゴンドラは、小さな、もうひとつのネオ・ヴェネツィア」
と呼ばれるほどに、彼女のゴンドラ・クルーズは、のんびり、ゆったりとした、そんなネオ・ヴェネツィアの時の流れを感じさせる、
優しく、静かで、穏やかな気持ちにさせてくれるクルーズとして、人気があった。


「では、このりっぱな、もみあげはなんだと言うのだ? お前はもみ子だ。 もみ子で充分。 もみごぐわぁぶ!?」
突然、暁が足を押さえて悶絶し始める。
「もみ子。もみ子って、うるさい!  暁さん。ちゃんと灯里さんって呼んであげてください」
「アイちゃん?」

黒い服に、黒い髪。 赤いリボンが印象的な少女が、腕を胸の前で組みながら、ふくれっ面で立っていた。

「アイちゃん。こっちに来てたんだ」
「はい。藍華さん。お久しぶりです。 アルさんや、ウッディさんも」
「おや。アイちゃん。 お久しぶりなのだ」
「アイさん。 いらっしゃい。 お久しぶりですね」

「お、俺には挨拶なしかい…」
暁が、向こうズネを押さえながら呻いた。 アイに思いっきり、蹴り飛ばされたのだ。
アリア社長が、ぷいぷいっと、暁の頭に登ってゆく。

アリア社長は、先ほどのヒメ社長と同じ、ARIA・カンパニーの社長猫。

「ダイエットしないと、糖尿になっちゃうわよ」
-と、世の中年男性なら、その魂をもえぐり取られるような言い方をされる、太くて大きな白い猫。
だが、その通り。
彼の「もちもち・ぽんぽん」(お腹のことだ!)は、とてもやわらかく気持ちいい……

地球猫のヒメ社長と違い、火星猫であるアリア社長は、長命で知能も高く、しゃべれることはできないものの、
人の言葉や気持ち、想いなども、充分、理解することができる、素敵な猫さんだ。
ちなみに、ヒメ社長に、でっかいラブだったりする。
悲しいくらい、まったく相手にされていないが……

「灯里さんを、未だに、もみ子呼ばわりする、へたれな暁さんなんか、知らないです」

アイが、怒りながら言う。
「な、なにおおお!」
「つーんっ」
「うわっ。 腹立つぅ!」

「そこまで言うんなら、ほら、ちゃんと、灯里さんって名前で呼んであげてください」
「うっ。 うおお… そ、それは……」
「ほら、やっぱり、へたれです」
「な、なにおおお! 言ってやる。 それぐらい、大丈夫たる俺様は、なんなく言ってやるさあ!」
「へえええ?」

アイが企んだように笑った。
「じゃあ、言ってみてください。 あっ、灯里さんの顔見ながら、ちゃんとだよ!」

「おう!」
暁は、髪の毛を、やっぱりしっかりと握りながら、真正面から灯里の顔を見据えた。
「はひっ……」
灯里の顔が紅くなる。
つられて暁の顔も、少し紅くなって…

「あ…あ、あか……」
「はひっ……」

「う…あ…あか…ほう、ああ…あか… あか…はほ。 えふ…あ、あか…あか…いぃぃい」
「は、はひいいい……」

しどろもどろに、訳の分からない言葉を繰り返す、暁。
妙におどおどして、下ばかり見ている灯里。
そのまま二人は『フリーズ』の呪文でもかけられたかのように固まって………

「やっぱり、へたれっ」
-ドガスッ
「げぶふぅっ!」

アイは暁のスネを蹴飛ばしながら叫んだ。

「ぐおおおっ。 て、テメぇ、な、何しやがるぅ!」
「つーん」
「がああああ!」
「あ、暁さん、落ち着いて、落ち着いて… アイちゃんも本気じゃないですから……」
あわてて灯里が間に割って入る。

「もう、灯里さんってば…せっかく名前で呼んでもらえるチャンスだったのに… ホントに天然なんだからぁ」

そんな灯里にアイは、小さくタメ息をついた。
気がつけば、まわりにいた全員が -アリア社長やヒメ社長も含めて- 同じようにタメ息をついていた。



「灯里ちゃん。この、お嬢さんは?」
杏が訊ねる。

「あっ、そっか。 杏さんは初めてでしたよね。 この子はアイちゃんです。 私のお友達です。
 マン・ホームから遊びに来てるんですよ」
「初めまして。アイです」
アイが行儀よく、頭を下げる。

アイは、マン・ホームに住む、ミドル・スクール6年生の女の子。
二年前、まだシングルだった灯里のゴンドラに、無理矢理乗り込んだ彼女は、藍華をも巻き込んで、大騒動を引き起こした。

が、結果、それまでのネオ・ヴェネツィアとウンディーネに対する誤解を解き、逆にAQUAの魅力に獲りつかれることになった。

特に灯里と仲が良く、年越しや、カーニバル、レデントーレといったイベントにも、特別なお客様として、ARIA・カンパニーにホーム・ステイするほどの間柄だった。


「初めまして。私は、オレンジ・ぷれねっとの夢野杏です。 よろしくね。アイちゃん」
「あ、はい。よろしくお願いします。 って…杏さんは、もしかして灯里さんが、トラゲットをした時の……」
「え? うん。 そうだよ。 灯里ちゃんとのトラゲットは、とっても楽しかったよ。 知ってるの?」

「はい。 私、灯里さんから聞いてます。 あの時、杏さんのお話には、とっても勇気をもらえたって」
「え?」
「あ、アイちゃん……」
灯里があわてて止めようとする。

けれど、アイは、そんな灯里にかまわず、なぜか自慢気に話を続けた。


「灯里さん言ってました。あのとき、杏さんが言ってた『やわっこく』って言葉に、たくさんの想いと元気をもらったって……
 もっと前へ、前へ。 って、そんな気持ちにさせられたって」

「えっ。 そ、そうなの? わ、私はただ、自分の感じたままを話しただけで…あ、ありがとうございます……」

杏が照れたように、頭を下げた。

「いえいえ、そんな。 こ、こちらこそ、ありがとうございます」
灯里もなぜか、ふかぶかと、お辞儀を返す。
「あっ、いえいえ」
「はひ、いえいえ」

その後、杏と灯里は、たっぷり五分も互いに、お辞儀を繰り返していた。


                                           
「おおっ。 灯里ちゃん。 いや、アクアマリン。 お前も来たのか」
「あ、晃さん」
「わあい。晃さんだぁ。こんにちは」

アイが嬉しそうに笑う。

「やあ、アイちゃん。 お久しぶり。 一段と、キレイになったな」
晃は、アイの頭をなでながら言った。

「晃さん……」
アイが頬を紅に染め、瞳を潤ませる。

スプラッシュ! -命中。撃墜!-

藍華は胸のうちで、つぶやいた。

晃・E・フェラーリ。
振るう刃は、相手を選ばず、小女といえども容赦なし! 
恐るべし、彼女のその名は『レディ・キラー』………


「おい、灯里。 いまからお前もトラゲットをさせてやる。 さあ、心おきなく、漕ぐがいい」
晃が灯里に、まるで宣言でもするように言った。

「へ…? 私が、トラゲットを? で、でも……」
「あ、晃さん。 そんなっ。 いいんですか?」
「すわっ!」
「はひぃぃぃ?」
「ぎゃああス!」

灯里と藍華のとまどいを、ひと言で粉砕して、晃が言った。

「嫌なのか?」
「い、いえ、決して嫌じゃないです…どちらかと言えば、やりたいですけど…でも、でも…あの、なんでですか?」
「ああ…灯里。 それは、つまり……」

藍華が今朝からのことを説明しだす。

「緊急避難的処置……」

「そうだ。そうゆう訳だから、お前も漕げ。 責任は私が持つ」
「あの……」
「ん?」
「ホントにいいんでしょうか?」
「灯里さん!」

躊躇する灯里の制服の裾を、アイが引っ張った。
「え、なっ、なに? アイちゃん」

「私、灯里さんのトラゲット、乗りたい……」
アイがすがるように言う。

「ほへ?」
「私、灯里さんのトラゲット乗れなかった。プリマな灯里さんのゴンドラには乗れたけど、トラゲットのゴンドラには……」
「アイちゃん……」
「だから私。 私、灯里さんのトラゲット、乗ってみたい!」

そのひと言に、灯里は、あっさりと陥落する。

「決まりだな」
晃が勝ち誇ったかのように笑った。

「よし。 水無灯里。 いや、アクアマリン。 今からトラゲット要員を命じる」
「は、はひ! わ、分かりました」

晃からオールを受け取りながら、灯里は力強く言い切った。

「水無灯里。 トラゲット、行きまあーす!」
「わああい☆」
アイの圧勝だった。
 
晃はそんなアイに -Good Job!- というように、親指を立ててエールを送る。
アイはウィンクで、それに答えた。


「よし。じゃ、今の内に、杏くんと、藍華は食事に行ってこい」
「えっ、いいんですか?」

驚く藍華に、晃は、色気のある、だが、いたずらな微笑みを浮かべながら言った。

「ふふん。 藍華。 お前はアルと食事してこい。 二人っきりでな……」
「え? あっ、晃さん?」
「なに、遠慮することはない。 いつも頑張っている、自分へのご褒美だと思えばいい」
「晃さん…あ、ありがとうございます」
藍華の顔が真っ赤に染まる。 目には、うっすらと涙が浮かんでいた。


「うおおっ。 やっぱりこいつは、兄貴だあっ」

暁が、昔の浮き島での、晃との対決を思い出したかのように、驚嘆して叫んだ。

「だあ・れえ・があ、兄貴じゃああ! ったく、ほら、ここは任せて、行った行った。 杏くんも、ゆっくりとしてきていいぞ」
「あ、でも」

杏が不安気に訊ねた。

「本当に大丈夫ですか? 私までいなくなって……」
「大丈夫って言ったろ。杏くん。 灯里ちゃんもいるしな。 それに、 実はもうひとり助っ人を頼んであるから……」
「それってもしかして………」
「ああ。 アリスちゃんのこと話したら、ぶっとんで来るってサ」
「……ははははは」
杏の笑みは、ひきつっていた。

こうしてトラゲットは、また新たな展開を迎えるのであった………




                     Essere Continuato (つづく)

         『Traghtti』 PART-3 [ Tempo del Bambino -子供の時間 ] -La' fine







PART-3を、お届けします。
・・・
・・・
えと…ここまで来ると、もう、みな様にもお分かりのように、このお話の裏・タイトルは-

「オール怪獣総進撃」
もしくは
「オール・ライダー対大ショッカー」    です(汗)

自分の筆力も考えず、今まで出てきた人物(+a)を全て登場させようと…(大汗)

そんなこんなで次回は『あの人』が登場します。
どうか、よろしく、お願いします(礼)

このような大それた作品を、暖かい目で流し読みしつつ
「フムっ」-と、口の端ででも笑っていただけたなら、これに勝る幸せは、ありません。

それでは、しばらく、しばらくの間、お付き合いください。



[6694] Traghetti part-4  [ Ii pomeriggio calmo ]
Name: 一陣の風◆fc1b2615 ID:8350b1a5
Date: 2010/05/10 18:08
「ゴンドラ、出ま~すっ」
灯里が声をあげる。
ゴンドラは船着場から離れると、ゆっくりと運河を渡りはじめた。


「にょわっ」
蒼羽が変な声をあげた。

「なんで、お前がここにいるんだ……」

「お久しぶりです。 蒼羽さん」
灯里は、にっこりと微笑む。
その笑みに蒼羽は、顔を引きつらせながら立ちすくんでいた。




          『Traghetti』 PART-4 [ Ii pomeriggio calmo ] 





「はひっ。 晃さんが誘ってくださって…私、今、すっごく楽しくトラゲットさせてもらってます」
灯里が満面の笑顔を見せる。

「う…おう…そう、それはよかった」
あいまいに微笑む蒼羽。 それは、アトラや杏。 同期で同じオレンジ・ぷらねっとのウンディーネ。アテナにも
決して見せたことのない、レアな表情だった。

「やあ、蒼羽。 他のところはどうでした? …どうかしましたか?」
晃が不審気な表情を見せ、近寄って来る。

「あ。ああ、晃。 大丈夫ですよ。 問題ありません」
蒼羽は、あわてて答えた。

「そう…それならいいんですが」
「ええ。 ですから晃。 少し休んでください。 しばらくの間、ココは私が面倒みます」
「そうですか。 では、お願いします。 ちょっと調子に乗りすぎました」
照れ笑いを浮かべる晃。

-ちょっと?
 未だに晃の後ろに集まって、大歓声をあげている大勢の女性陣を見ながら、蒼羽はつぶやいた。

-ちょっと?
 頭に大粒の汗が浮かんで落ちる。



「じゃ、蒼羽。 少し抜けてきます」
「ラッジャ。ごゆっくり、晃」

晃は、その場を離れてゆく。 
と、同時に、集まっていた女性陣も解散していき…トラゲット乗り場は、ようやく落ち着きを取り戻しはじめた。



ゴンドラはゆく。
灯里のトラゲットはゆく。
風を受けて、のんびりと。 ゆったりと。

客達の笑い声が弾ける。
買い物かご、いっぱいに食材を詰めた、おばちゃん達。
本を片手に、次の名所を目指す観光客達。
お母さんと手をつなぎ、甘える女の子。
お互いを見つめ合い、ふたりだけの時間を楽しむ、カップル。
対岸で待つ、子供達に、おみやげが入っている袋をかかげ、手を振るお父さん。

灯里のゴンドラは、そんな人達を乗せて、静かに進んでゆく。


……ああ。

「さすがだね。 灯里ちゃん」
「はひ? 蒼羽さん?」

次のトラゲットまでの空いた時間。 蒼羽はゴンドラ乗り場から運河をながめつつ、横に座った灯里に声をかけた。

「君の操舵は、本当にゆったりとして気持ちいい。 まるで自分が風になったようだ」

蒼羽が目を閉じ、空を見上げながらつぶやいた。
気持ちのいい風が、吹き抜けてゆく。

「うん。 私もすっごく気持ちよかった」
アイも同じように目を閉じ、風を感じていた。

「はひ。 ありがとうございます」
灯里は照れながら、しかしとても嬉しそうに笑った。

「私はね、灯里ちゃん」
「はひ」
「私は君にとても感謝してるんだ」
「はへ?」

「君は、かたくなだった私の心に、新しい風を吹き込んでくれた。 新しい波紋を広げてくれた」
「蒼羽さん……」
「おかげで私は立ち直れた。 自分を見失わずにすんだ」
「そんな…おおげさです」
「いや。そんなことはない。 君は君自身が思っているより、それ以上に、たいしたヤツなのさ」
「…………」

「それでだ…灯里ちゃん」
「はひ。なんでしょう」
「あの時、いいそびれた言葉を、今、言おう……ありがとう。 感謝している」
「蒼羽さん……」

「まあ、おかげで君の顔を見るのが、なんだか、照れくさくてな。 さっきは、ごめん」
蒼羽は照れたように笑った。
さきほどの、灯里の顔を見て、複雑な表情で立ちすくんでいた時のことを言っているのだ。

「い、いえ。そんな…ぜんぜん気にしてないですから……」
「灯里さんは、やっぱり不思議だね」
「アイちゃん?」

「灯里さんは、自分でも気が付かないうちに、たくさんの人達に、たくさんの素敵な送りものをしてる。
 うふふ…不思議で素敵!」

「おおっ。 この子は、灯里ちゃんのこと、よく分かってるな」
蒼羽が、アイの髪を優しくなでる。

「えへへ…灯里さん。 ほめられちゃいましたぁ」
アイは、くすぐったそうに笑いながら言った。


「おおい。もみ子。 ほら、差し入れ持ってきてやったぞ」
暁が頭にアリア社長を乗せたまま、肉まん片手にやって来る。

「俺様の優しさに感謝するがいい。 ほら、ちびっ子の分もちゃんと買ってきてやったぞ」
「ちびっ子、言うなあ!」

-どぎゃすっっ!
再び、アイの蹴りが、暁のスネ -弁慶の泣き所とも言ふ- に炸裂する。
再び、暁は転げまわって悶絶する。

「誰、これ?」
「へたれっ、です」
蒼羽の質問に、アイは即答した。

「へたれ?」
アイが今までのことを蒼羽に耳打ちする。

「ああ…そいつは、へたれだな」
「ぬっ、ぬ、なにおおおお!?  うわっ?」

不意に蒼羽は、叫ぶ暁の胸元をつかむと、そのまま力まかせに引きずって、人気のない通りの家の壁へと、叩きつけるかのように押し付けた。
「ぷぎゃああああ~っ」

暁の頭の上で、アリア社長が悲鳴を上げる。

「いいか、お前っ」
「な、なにっ。 なんだよ」

蒼羽は小さな、しかし充分に『ドスのきいた』声で、暁の耳元でささやいた。

「あの子は…水無灯里は私の恩人なんだ。 だから…」
「だ、だから?」
「だから、あの子をちょっとでも不幸な目に合わせてみろ…コンクリ詰めにして、ネオ・アドリア海に沈めるぞっ」
「ぷ。ぷ。ぷいにゅぅぅぅ……」

アリア社長が眼に涙を浮かべて、怯える 

「うう…わ、分かったよ……」
暁も完全に気合負けしていた。

「声が小さい!」
「わ、分かりましたああ」
「よし。よろしい」

ニヤリ-と凄みのある笑いを浮かべる、蒼羽。 やっぱり基本的に恐い人なのだ。

「…ったく。 あの眼鏡っ子といい、コイツといい、どうしてオレンジ・ぷらねっとのウンディーネは、こうも攻撃的なんだ……」
激しいデジャ・ビュ(既視感)に襲われる暁。

「何か言ったか?」
「いえ。 なんでもありません!!」
暁は、やけくそ気味に叫んでいた。



「お? 蒼羽じゃないか。 また楽しそうなこと、やってるな」

-なにぃ!?
 と、暁にダメ出しした勢いのまま、蒼羽は声のした方向を睨みつけ…

「アンジェリアさん?」
驚きの叫び声を上げる。

けれど、叫び声は、それだけでは収まらなかった。

「グランマだ!」 アイが叫ぶ。
「明日香さん?」 灯里も叫ぶ。

そして-

「アリシアすわぁん!」 暁が叫んだ。


「あらあら、うふふ……」
アリシアがみんなの気持ちを代表するかのように、楽しげに微笑んだ。



「いやあ。 なんかトラゲット乗り場が楽しそうなことになってるって、風の噂で聞いてね」
「楽しそうって……」
アンジェリアのその言葉に、蒼羽が苦笑する。


アンジェリア・アマティは、「元」姫屋のウンディーネ。
姫屋退社後、請われてゴンドラ協会の指導員に再就職した彼女は、各、水先案内店の指導員達への技術指導や意見交換など
協会と水先案内店との間をつなぐ、重要な要としての責務を果たしていた。
蒼羽とは、その過程で知り合い、立場と所属は違えど「同じウンディーネの先輩・後輩」として話せる仲だった。


「こんな楽しいことになってるなら、さっさと私も呼びなさい」
「いや、そう言われても……」
そんな、いたずらなアンジェリアの笑顔に、蒼羽は、ただ苦笑するしかなかった。


「グランマ、聞いて聞いて」
「はいはい。 アイちゃん、どうしたの?」

グランマ。
本名、天地 秋乃(あめつち あきの)は、いわずと知れた「ARIA・カンパニー」の創始者にして、伝説の大妖精。
十六歳で、姫屋のプリマ・ウンディーネに昇格して以来、三十年以上にわたって、トップ・プリマとして君臨し、
その業績から『全てのウンディーネの母・グランドマザー』と呼ばれる偉大なる存在。
でもその実は、いつも微笑みを絶やさぬ、物静かで優しい「おばあさん」だ。


「あのね、グランマ。 私、灯里さんのトラゲット、乗ったんだよ」
「あらまあ。 で、乗り心地は、どうだった?」
「うん。 もちろん、とっても素敵でした」
「そう、それは良かったわねえ。 うふふふふ」



「私は引っ張りだされたのよ」
「明日香さん?」

明日香・R・バッジオも、同じく元「姫屋」のウンディーネ。
グランマ・天地秋乃が退社し、経営的にも精神的にも傾きかけた姫屋を立て直し『姫屋の至宝』とまで言われたウンディーネ。
その引退式は、ゴンドラ協会の公式行事として挙行されたほどであった。
現、水先案内人ミュージアム館長。
そして、グランマの親友。


「人がミュージアムの仕事してるのに、秋乃の奴が、トラゲットが面白いことになってるから、一緒に見に行きましょう って」
「面白い…ですか」
「ええ。 昔っからそうなのよ。 面白いことが見つかったからって、いつも私を引っ張りだして。 
 私の都合なんかおかまいなし。 まったく迷惑な話だわ」

「…ホントに、グランマと明日香さんってば、仲悪いんですね」
灯里が笑いながら言った。

「そうやって、少しでも早く、自分が見つけた『素敵』を、明日香さんに教えようとする、グランマ。
 そうやって、文句を言いながらも、それでもしっかりと『素敵』をグランマと探しに行く、明日香さん。
 とっても仲の悪い、素敵ングな、お二人です」

「灯里ちゃん……」
「は、はひっ」

「恥ずかしいセリフ禁止!」
「ええ~。 また元祖ですかあ?」
笑い声が響く。


「あ、あ、アリシアさん。 おし、おし、お久しぶりでぶっ! って、噛んだぞおおおおお!」
「あらあら。 暁くん。 お久しぶり。 元気だった?」


アリシア。
アリシア・フローレンス。 …今更、説明の必要があるのだろうか。
姫屋の晃。 オレンジ・ぷらねっとのアテネ。 と並んで「水の三大妖精」と呼ばれていた、元「ARIA・カンパニー」の
プリマ・ウンディーネ。 通り名は「スノーホワイト(白き妖精)」
灯里のプリマ昇進と同時に「寿」引退。 
会社の経営権も全て、灯里に譲り、今は、ゴンドラ協会で常務理事としての要職についている。
-と…それ以上の細かなことは、改めて書くまでもなく、諸氏の方がよりよく、ご存知であろうので割愛させていただく。



「ぷいぷいにゅうううううう☆」
アリア社長が、アリシアに飛びついた。

「あらあら。 アリア社長。 お変わりなく、元気そうでなりよりだわ…」
「ぷいにゅ☆ ぷいにゅ☆」
「あ、アリシアさんもお変わりなく。 美しいままままままです」
暁が、顔を真っ赤にしなが言う。

「うふふ。 ありがとう、暁くん」
「おい。 へたれっ。 アリシアさんはもう、結婚されてるぞ?」
すかさず蒼羽が、ツッコみを入れる。

「う、うるさい。 俺の…俺のアリシアさんへのラブは、永久不変に変わることはないのだあああ!」

「ストーカ-だな」 アンジェリアがつぶやく。
「ストーカ-だぜ」 蒼羽もつぶやく。
「ストーカ-だね」 アイもつぶやく。

「まあまあ……」 グランマが微笑む。
「おやおや……」 明日香があきれる。
「うふふふ……」 アリシアが笑う。

「暁さん…なんだか、かわいそう……」 灯里が同情し。
「んみゅんにゅううう……」 アリア社長が同調する。


「お前らなああああああっ!」
ネオ・ヴェネツィアの空に、暁の絶叫が響き渡った。



「蒼羽さん。 灯里ちゃん。 アイちゃん。 肉まん、買ってきましたよぉ…おおおおおっ?」
大きな袋を手に持った杏が、その団栗まなこを、さらにまん丸にして絶句する。
そこではまるで「坂の上の雲」のような人達が、笑いながら自分を迎えてくれていた。


「そういえば、あいつら帰ってこないな」

目の前の山と積まれた肉まんに手を出しながら、蒼羽が不審気につぶやいた
「あいつら?」
「アトラとあゆみくんだ」
「アトラさんと、あゆみさん? どうかしたんですか?」

灯里の質問に、杏が、晃と蒼羽の『どちらか優秀か』を賭けた、ヘンテコなレースのことを説明した。

「ほへえ…『絶対に負けろっ! レース』ですかあ」
「うん。 正直、ヘンなレースだよぉ。  ふげげげげげっ?」
「そんな上からなこと言う口は、この口かあ! この口かあ! この口かあああああああ!」
「うげげげげげえ!」
三度、蒼羽に、ほっぺたをつねられながら、杏が呻いた。

「ひょ、ひょーひぇばぁ…あひゃらひゃんひょ、はひゅひしゃん、ひひゃしぃしゃしょおぉ」
「何? アトラとあゆみくんを見ただと? どこで?」
「ひゃっひのひゃいしぇんへっはんのおひへへ……」
「あっちの海鮮鉄板の店-だと?」

「ごひゃんひゃべへまひしゃ」
「飯、喰ってた-だとお!?」
「ふにゃっ☆」
「うにゃっ☆ -だとおおおぉ!」

「蒼羽さん。杏さんの言ってること、よく分かるね」
アイが感心したように言った。

「うん。 さすがは蒼羽さんだね」
「いや、ツッコみどころは、そこじゃねぇだろ…」
アイと一緒に感心する灯里に、暁がつぶやいた。


「あのアホどもぉぉぉお! 来いっ杏。 あいつらを連れ戻しに行くぞ!」
杏のほっぺを片手でつかんだまま、ずかずかと威勢よく歩いてゆく蒼羽。

「ふえええええええ?」
両手を激しく上下させながら、無理矢理、連れ去られてゆく、杏。
あっとゆう間に、その姿は見えなくなって………

「ふえええええええ?」
同じように両手を激しく上下させながら、灯里が叫んだ。

「あ、アリシアさんっ!」
「あらら、どうしたの灯里ちゃん」
「と、トラゲット要員、私ひとりになっちゃいましたあ!」
「あらあら……」

アリシアが片手を頬にあてて、困惑する。

「ど、ど、ど、どうしましょう。 もうすぐ次のトラゲット出さなきゃいけないのに……」

-あわあわあわ
 と、激しく狼狽する灯里。
 こんなときの灯里は、「アクアマリン・遥かなる蒼」の通り名で呼ばれる、プリマ・ウンディーネとゆうよりは、
 ただの、無垢で純粋な十七歳の少女にしか見えない。

アリシアは、そんな「かわいい灯里」が大好きだった。


「ほ・ほ・ほ。 まあまあ、灯里ちゃん、落ち着いて」
グランマが笑いながら言った。

「そうですよ。 アクアマリンさん。 何も心配ないわ」
明日香も笑いながら言う。

「お二人の言う通り。 何も心配することは、ないじゃないか」
アンジェリアが、いたずらな笑みを浮かべる。

「はへ?」
そんな灯里の問いかけるような瞳に三人は、そのまま、ひとりの人物に視線を送った。

「あ、あらあら。 わ。私ですか?」
アリシアがあわてて言った。

「わ、私はもう引退した身ですし。 そんな、お客様を乗せて操舵するなんて…」

「うふふ。 大丈夫よ。アリシア。 きっと、みんな喜んでくれるわ」
「そうそう。クルーズじゃなし。 誰もそんなこと気にせずに、楽しんでくれるわよ」
「ああ。それにアリシアの腕前は、今でも私と一緒に、指導教員をやって欲しいくらい確かだからな」

グランマ。 明日香。 アンジェリアが、続けさまに言う。
そして-

「わああああぃ。 アリシアさんと、灯里さんのトラゲットに乗れるんだあ!」
アイがダメ押しする。

そしてそのアイの笑顔に、アリシアもまた、あっさりと陥落して……

「はひい…あの…ホントにいいんでしょうか?」
逆に心配になったのか、灯里が、おずおずと訊ねた。

「大丈夫ですよ、灯里さん」
「ええ、大丈夫、大丈夫」
「うん、なんたってコレは……」

三人の声がキレイにハモる。

  「「『 緊急避難的処置だからっ! 』」」

「はへえぇぇ……」


こうしてトラゲットは、さらに新たなお祭り騒ぎへと、発展してゆくのであった。



                                 Essere continuato(つづく)








       『Traghetti』 PART-4 [ Ii pomeriggio calmo -おだやかな午後 ] - La' fine








PART-4をお届けします。
・・・
・・・
無理が通れば、道理はひっこむ!!

し、失礼しました!(謝)
そんなこんなで、現場は混乱をきわめています。
気分はもう「モンティ・パイソン」です(汗)

あと二つ、三つでなんとか収集をつけたいと思っています。
それまではどうか、怒らず、呆れず、心豊かに読み続けていただければ、これに勝る幸せは、ありません(涙)

それではまた、しばらくの間、お付き合いください。



[6694] Traghetti part-5   [ Mono ela Mono Io l’allacciai ]
Name: 「粗忽な」一陣の風◆fc1b2615 ID:8350b1a5
Date: 2010/05/19 18:56
「ゴンドラ、出ます」
アリシアの涼やかな声が響く。
風がそよぐ。
波がたゆとう。

遥かなソラノカケラに、白い雲が流れてゆく。




      『Traghettⅰ』 PART-5 [ Mano ela Mano Io l'allacciai ]




灯里とアリシアのARIA・カンパニー・師弟コンビのゴンドラは、二人の性格そのままに、静かに、穏やかに、
まるで滑るかのように運河を渡って行く。


「おおおお? アリシアさんだっ」
「アリシアさんが、ゴンドラを操っているぞぉ!」
「なんだってぇ? 冗談だろ?」
「おい。アリシアさんの格好を見ろよ」
「スーツ姿(スカート)だ……」
「眼鏡もかけてるぞ!?」
声にならないどよめきが、トラゲット乗り場に低く渦巻く。

気が付けば、ゴンドラの中は男性客で、いっぱいになっていた。

「ありゃ、アンタ、どこ行ったのサ!?」
「あンのヤドロク! 店、ほったらかしにして、何やってんだい!」
「のわっ。 また、客も店員も取られたぁ!」

屋台や、お店の、女将さん達の怒号と罵声が響いては消えてゆく。


「さすがはアリシア・フローレンス。 『スノーホワイト(白き妖精)』ですね。
 この辺一帯の屋台やお店から、お客さんはおろか、ウェイターや、ダンナさんまで、
 男性は、ひとりもいなくなりました。 みんな争うかのように、アリシアのゴンドラに乗ろうとしてます」
アンジェリアが笑いながら言った。

「ほっ・ほっ・ほっ」
「うふふふふふ」
グランマと明日香が、上品な笑みをこぼした。



「お~い。 みんな。 マルガリータ・ピザ、差し入れに買ってきたぞっ。
 みんなで食べよお…おおおおおおおお!?」

いく枚ものピザの箱を両手に抱えた晃が、髪の毛を逆立てながら絶句する。
そこでは、恩人ともいうべき人達が、微笑みながら、自分を迎えてくれていた。



「アリシアっ。 なんでお前がここにいるんだ!」

パニック気味に晃がアリシアに向かって叫んだ。

「あらあら……」

そんな晃にアリシアは、いつも通りに、のほほんと微笑む。

「いえ、ここトラゲット乗り場ですし……」
「すわあっ!」
肉まんとピザの山を前にした、そんな灯里のセリフを無視して、晃は叫ぶ。

「あらあら禁止!」
「うふふ……」
「うふふも禁止!」
「あらあら、うふふ……」
「両方、いっぺんに言うのも禁止!」
「あらあ?」
「ちょっと言い方変えても、ダメだあっ」
「うふふ」
「てめえ、そんな小悪魔的微笑み。 私にはきかああああん!」


「まあまあ、晃、落ち着いて」
「そうそう。 晃、落ち着きなって」」
「明日香さん、アンジェリア先輩……」
うふふ-と笑う明日香とアンジェリアに、さしもの晃も静かになる。

明日香は晃が姫屋に就職したとき、姫屋、随一のトップ・プリマ・ウンディーネとして活躍しながら(すでにグランマは退社していた)
晃達、新人ウンディーネの指導、教育をしてくれたものだった。


「すいません、晃さん。 緊急避難的処置だったんです」
灯里がいきさつを説明した。

「はああ…蒼羽、何やってんだか。 熱血にもほどがある……」
「おいおい。 一番の熱血さんが、なに言ってるんだい?」
「アンジェリア先輩……」

アンジェリアもまた当時、そんな新人ウンディーネの晃を指導した、姫屋の先輩のひとりだ。
つまり、明日香とアンジェリア。 この二人には、さしもの晃も、ずっと頭の上がらないのだ。

しかもさらにグランマまで居るとなっては………

「はあああ……」
晃の口から、大きなタメ息がもれる。

「晃さんにも、勝てない人っているんだね」
アイが屈託なく言う。

「あ、アイちゃん!?」
「あらあら、うふふ」
灯里が、あわてて叫び、アリシアの笑い声が響く。

「だああああ………」
怒るわけにもいかず、再びついた、晃の大きなタメ息に、みんなの笑い声が重なった。



「アイ。 時間よ」
「お姉ちゃん?」
呼ばれて振り向いたアイの視線の先に、アイの姉夫婦である、アヤメとアツシが。 
そして、ふたりの子供である赤ん坊のアクアが、母親の腕の中に抱かれて、嬉しそうに手を振っていた。

「ぷいぷい~☆」
「たああ~い☆」

暁の頭の上から飛び降りたアリア社長が、アクアに駆け寄って行く。
アヤメは抱いていたアクアを降ろすと、アリア社長の前に座らせた。

アリア社長とアクアは、楽しそうにじゃれ始める。
それは、それを見ているみんなの心に、暖かなモノを湧き上がらせる、素敵な光景だった。


「お久しぶり、アヤメさん。アツシさん」
「お久しぶりです。アリシアさん、灯里さん、みなさん」
「お久しぶりです。みなさん。アイを、ありがとうございました」

「もう、時間なの?」

一通りの挨拶と紹介をがすむと、アイが小さな声で言った。

「ごめんね、アイ。 もう帰りの船の時間なの」
「…………」
「さあ、行きましょう」
「……やだ」
「アイ?」
「やだぁ。私、帰りたくない」
「アイちゃん……」

アイは灯里にしがみつくように引っ付くと、目に涙をためながら叫んだ。
「今日は、とっても楽しいの。 だから…だから、私、まだ帰りたくない!」
「アイ……」

「あらあら。 珍しいわね。 アイちゃんがこんなに我がまま言うなんて」
「アリシアさん……」
「そうね。 よっぽど今日は楽しかったのね」
「グランマ……」

灯里は身をかがめて、アイと同じ目線になると、言い聞かせるように話かけた。
「ね。 アイちゃん。 今日は…今回はもう帰ろ? 次も、またすぐ逢えるから」
「いつ……」
「はへ?」
「そんなの、いつですか?」
アイが目に涙をためつつ、叫んだ。

「そんなのいつか分からないじゃない。 お姉ちゃんもアツシお兄さんも忙しいし。 パパやママだって……
 みんな、いつも、お仕事とかあって。 すぐにアクアに連れて来てくれるってわけじゃないじゃないっ!」
「アイちゃん……」

「どうして、こんなにアクアは遠いの?
 どうして、こんなにマン・ホームから、遠いの?
 
 どうして、こんなに早く帰らないといけないの?
 どうして、こんなに早く、お別れしないといけないの?
 
 どうして? こんなに…ずっといたいのに……
 どうして、どうして、どうして…どうして…どうして……」

最後は小さな声で、つぶやくように何度も同じ言葉を繰り返す。
そんなアイに灯里は、困ったようにアリシアやアヤメと顔を見合わせた。



「ひとりで来ればいいだろう」


暁がポツリと、しかし、はっきりと言い切った。

「そんなことで泣いてるくらいなら、ひとりココに帰ってくればいいだろう」
「……え?」

「もうお前は、ミドルスクールの6年生なんだろ。 それならひとりでだって星間連絡船に乗れるはずだ」
「ひとりで………」


「それでもし、ココでのお迎えが必要で、もみ子の都合が悪いなら、そん時は、俺様が迎えに来てやる」
「暁さん……」

「それに俺様や、もみ子の都合が悪くても、ほら見ろ。 お前にはこんなにも、たくさんの『家族』がいるだろ」

暁の言葉に、アイはみんなを見回した。

グランマも
明日香も
アンジェリアも

晃も
アリシアも
アリア社長までも

みんながにこやかに微笑みながら、うなずいてくれた。


「今、ここにいない、がちゃぺんや後輩ちゃんも、アルやウッディ、それに今日知り合ったトラゲットのウンディーネ達も。
 そいつらだって呼ばれりゃ、どんなことがあっても喜んで迎えに来てくれるさ。 だから次からは……」

暁が、片目をつぶりながら言った。



  「ひとりで、この街に帰って来ればいい」



「やば、どうしよ。 へたれが、かっこよく見えるぜ……」
晃が口を押さえながら、うめいた。

「うっさい! へたれ言うなああっ」
「あらあら、うふふ」
「ほっ。ほっ。ほっ」
「おやまあ」
「あははははは」

みんなが一斉に笑い出す。

つられたように、アイも涙をぬぐいながら笑い出した。
それは、とても素敵な笑顔だった。



「あの…晃さん」
「ああ、分かってるよ、灯里ちゃん。 アイちゃんを送りたいんだろ?」
「は、はひ」
「行っておいで、ここは私と、アリシアでやっておく」
「すいません。 なんだか恐れ多くて……」
「水無灯里っ! いや、アクアマリン!!」 
晃が突然、大きな声を出す。

「は、はひっ?」
「いいか、よく聞け……」

不意のことに、あ然とする灯里に、晃は、今度は一変して、諭すように、言い聞かせるかのように、静かに言った。


「私達は会社は違えど、同じウンディーネだ。 ひとつの大きな家族なんだ。 ならば、家族同士、遠慮する必要は何もない」

「晃さん……」
それは奇しくも蒼羽が今朝、熱を出したウンディーネに言った台詞、そのままだった。

グランマが
明日香が
アンジェリカが

微笑みながら小さく、うなずく。

「うふふ。 晃ちゃんってば、とっても、かっこいいわ」
アリシアが花の咲くような笑顔で言った。

「さすがは我らの『クリムゾン・ローズ』ちゃんね」

「すわっ! アリシアっ! 歯の浮くようなセリフ禁止! つか、お前が私を通り名で呼ぶな!
 ……照れくさいだろ…」
「あらあら……」

再び、満面の笑みを浮かべる、アリシア
けれどアリシアのその笑顔には、晃に対する、感謝と信頼の気持ちが、
あふれんばかりに込められていた。


「じゃあ、晃さん、アリシアさん。 少しの間、よろしくお願いします」
「ああ、ゆっくりしてこい」
「ええ、ちゃんと最後まで、見送ってあげてね」
「はひっ。 ありがとうございます」

「あ…へたれ……うんん、暁さん」
「あ? なんだちびっ子?」
「ちびっ子、言うなっ …あ、ありがと」
「ん?」
「だから…ありがとって言ってるの!」
「うっ…おう? なにか悪いモノでも食べたか?」

-どがすべすっ!
「ぐおおおおおおおっ?」
再び、アイの『弁慶の泣き所アタック』が炸裂し、暁はジベタを転げまわった。

「やっぱり、アンタなんか、へたれで充分だっ!」

そんな、いまいち決まりきれない暁を、アイは冷たい瞳で見下ろしていた。
こうして灯里は、アイや、その家族とともに、この場を離れる。



「よし。 アリシア。 次、行こうか!」
「ええ。 晃ちゃん。 行きましょうっ」

晃とアリシアが、とても楽しそうに、互いにオールを手に取り合う。


こうしてトラゲットは、さらに赫々たる異変へと向かって、突っ走ってゆくのであった。



                       Essere Continuato (つづく)





       

      『 Traghetti 』 PART-5 [ Mano ela Mano Io l'allacciai(つないだ手と手)] - La' fine





PART-5を、お届けします。

これから先は、本編とは全くの関係のない、完全なる私的な、お願いですので
興味のない方や、時間のない方は、ぜんぜん無視していただいて結構です。
すいません。

今日8月4日は、河井英里さんが旅立たれてから、ちょうど1年になります。
ですから-
もし、もしも、みなさまに時間と余裕と手段があれば-
もし、もしも、よろしければ-
何か、河井英里さんの曲を1曲、聞いてください。
ARIAでなくとも構いません。
いえ、極端な話、河井英里さんの曲でなくとも構いません。

ただ、河井英里さんのことを思って聞いていただけるなら、それだけで構いません。

それがなにより、河井英里さんに対する、感謝になると(勝手に)思います故。

私的な勝手なお願いを、こんなところに書いて申し訳ありません。
それこそ「『粗忽』な一陣の風」と、笑って許していただき、河井英里さんの曲に少しでも触れていただけるのなら、これに勝る幸せは、ありません。

それでは、しばらくの間、河井英里さんの唄を聞いてください。
よろしく、お願いします(平伏)



[6694] Traghetti part-6   [ Cielo di Santa Crowe ]
Name: 一陣の風◆fc1b2615 ID:8350b1a5
Date: 2010/05/24 11:49
「あだだだだだっだ。 あ、蒼羽さん、そんなに引っ張らなくても」
「いだああああああ。 きょ、教官、痛いです、痛いですってばぁ」
「うわああ~ん。 待ってよぉ、待ってよぉ。待ってってばあああ」

サンマルク広場に、三人のシングル・ウンディーネ達の悲鳴が響き渡る。




         『Traghettⅰ』 PART-6 [ Ciero di Santa Crowe ]





「おら、泣きごとはいいから、さっさと来い!」
蒼羽は、あゆみとアトラの制服の襟首をつかんだまま、ぐいぐい-とふたりを引っ張っていた。

「あだだ。 あ、蒼羽さん、ちょっと、ちょっと待ってください」
あゆみが、両手をばたばたと振り回しながら言う。

「きょ、教官。 自分の足で歩けますから…いだだだだ」
アトラが、両手を蒼羽の手に重ねて懇願する。

「うわああん。 待ってよぉ、待ってってばああ…」
お土産の海鮮焼きの箱を山のように持って、杏が追いかけてくる。

「うるさいっ。 だいたいお前ら、なんで飯喰ってんだぁ!?」
「いや、だって晃さんや蒼羽さんが、絶対負けろ! なんて言うから……」
「そうですよ。 だから私達、しょうがなく時間つぶして……」
「待ってぇ。 待ってってばぁ…しくしく」

「えええい! 問答無用っ。 言い訳禁止!」
「そんなあ……」
「それ、晃さんの台詞……」
「待ってぇ。 待ってってばぁ…うるるる」

「うるさい。うるさい。 うるさああああい。 いいからさっさと…うわっ!?」

勢い良く歩いていた蒼羽が、ひとりの男性とぶつかりそうになった。 完全なる前方不注意だ。

「だあっ!」
「きゃあ?」
つられて、あゆみとアトラもバランスを崩す。

「うにゃああああっ!」
災難だったのは杏だ。
両手いっぱいに持ったお土産袋のために、視界が遮られていた彼女は、こんがらがった蒼羽達に気づくのが遅れた。

あわててかわそうとして、やっぱりバランスを崩し、結果的に、その男性と正面から衝突するはめになる。
当然のごとく、持っていたお土産の箱は、何処かへ、すっ飛んでいき………

「大丈夫ですか? お嬢さん」
「はいい?」
頭の上から声がする。

気が付くと杏は、その男性に抱きかかえられるかのように、受け止められていた。

「あ…す、すいません。 ありがとうござい…わふ!?」

オールバック。 お尻アゴ。 でっかい手。 タバコ。 ピチピチぽんぽん。  
知らない人が見れば-

「ひとさらい~ぃ。 誰か~あ。 助けてぇぇぇ……ぇ」

-とでも叫んでしまうかのような大男が、やさしい瞳で杏を見下ろしていた。


「ああ…すいません。 店長。大丈夫ですか?」
蒼羽があわてて駆け寄ってくる。

「店長?」
「なんだ、杏。知らないのか? お前だって会ったことあるだろう?」
「えっと…あの」
「こちらは、カフェ・フロリアンの店長、アントニオ・コルレオーネ氏だ」
「あ……」

そうだ。 いつもサンマルコ広場のカフェ・フロリアンで見かける人だ。

「店長さんだったんですか……」

杏を優しく立たせながら、アントニオは、帽子をかるく持ち上げて会釈する。

「よろしく、お嬢さん。 お怪我はありませんか?」
「は、はい。 ありがとうございました」
「すいません、店長。 私がちゃんと前を見ていなかったものですから」
「いえいえ、お互い大事がなくて何よりでした」

謝罪する蒼羽にしかし、アントニオは、そのゴツイ体には似合わぬ、人懐っこそうな笑みを浮かべながら言ってくれた。


「ああっ!」
突然、杏が自分の両手を見ながら叫んだ。

「どうしたの?」
アトラ訊ねる。

「お土産が……」
「え?」
「持ってた、お土産、どっかに飛んでっちゃいました……」
杏が泣きそうな声で答えた。

「大丈夫でえ。 嬢ちゃん」
「ああ。でぇじょ~ぶだよ」

「え?」
その声のする方を見やれば………
ふたりの初老な男性が、地面に這いつくばるかのように、お土産の箱を持っていた。
まるで野球のスライディング・キャッチのように、飛び散る箱を受け止めてくれたのだ。

「水上エレベータ-の管理人さん?」
「郵便屋のおじさん?」

あゆみとアトラが叫ぶ。

水上エレベーターの管理人さん-
-は「希望の丘」と呼ばれる土地の行くための水路の途中にある、ゴンドラ専用のエレベーターの初老の男性の操作員。 
エレベーターを「ここは自分の秘密基地」と言って、はばからない、好人物。
『オレンジ・プリンセス』」こと、アリス・キャロルの飛び級昇進にも立ち会うほど、ウンディーネと縁が深い人だ。


郵便屋のおじさん-
本名・庵野 波平(あんの なみへい)氏は、このネオ・ヴェベツィアの郵便局の職員さん。
専用のゴンドラを使い、集配や配達を行っている。 庵野はその中でもカンナーレジョ郵便局に勤めるベテランの郵便職員。
彼もまた仕事を「自分の趣味」と言って、はばからない、素晴らしき人物。
ここ数年は、第一線を退き、管理職として後輩の育成にあたっていた。


「あああ、ありごとうございます」
杏があわてて駆け寄り、箱を受け取る。
あゆみとアトラが手を貸し、ふたりが立つのを手伝う。

「重ね重ね、ありがとうございました」
蒼羽を先頭に、三人のシングルが頭をさげる。

「でぇじょうぶだぁ。 気にすんなって」
「おうよぉ。 気にするこたぁねぇえよ」
「ふぉ、ふぉ、ふぉ。 そうです。 お気になさらず。 それより……」
「はい?」

三人の男達は軽く視線を合わせた。
「ちょっと小耳にはさんだんだがよ……」
「なんか中央のトラゲット乗り場が、てぇへんなコトになってるらしいぞ」
「あなた方は、もしかして、そのトラゲット乗り場で、よくお見かけするウンディーネさん達では、ありませんか?」

-ざあああああああっ

四人の顔から、一気に血の気が引く。
今更ながら、気が付いた。

そうだっ。
ほんらい、自分達がするはずのトラゲット。
それなのに今、その全員がココにいるっっ。

ってコトは………

「は、走れぇ~! 全員、駆け足ぃぃい!」
蒼羽が弾かれたように叫ぶ。

「うわああ!」
「ひいいい!」
「わあんっ 待ってぇ!」
あゆみが、アトラが、杏が、全力で疾走してゆく。

「すいません。 いずれまた、ちゃんとお詫びに来ます。 今は失礼します。 ではっ」
言うが早いか、蒼羽もまた全力で三人の後を追っていった。

「なんて気持ちのいい、嬢ちゃん達だ……」

必死になって駆け出して行く、ウンディーネを見送りながら、三人のおやぢ達が微笑みと共に言う。

「ほうよ。 まるで風のようだかんね」
「心まで風に乗って、持っていかれそうですなぁ……」



「あらまあ。 まるでみなさん、詩人のようですわね。 ほほほほほ……」

突然の声に、三人が不審気に声の方へ目をやる。
そして-
声が重なった。

  「「『 オーナ-? 』」」

そこには白い子猫を抱いた、初老の貴婦人が立っていた。



「一部始終を見せていただきました。 みなさん、まだまだ、お若くていらっしゃる…ふふふ」

「こりゃあ、どうも……」
「いやはや、お恥ずかしい」
「これはこれは…なんとも……」
「いえいえ。照れることはありませんことよ。 みなさん、素晴らしいですわ」

妙に顔を赤らめる、おやぢ三人に、オーナーと呼ばれた老婦人は、ころころと玉のように笑った。

「どうですか。 もしよろしければ、久しぶりに私のホテルにおいでになって。 ワインでも飲みながら、お話ししません? 
 初物のいいモノが手に入りましたの。
 もちろん、御代はいただきませんわ。 この老体の暇つぶしに付き合うと思って、お願いします」

再び、玉のような清んだ笑い声があがる。
古くからの知り合い……しかも、ほのかな好意さえいだいている女性に、そうまで言われては断ることなど出来るはずもない。
三人はただ恐れ入って付いていくしかなかった。

そんな男達の様子を、老婦人の腕の中で、白い子猫は、ただ退屈そうに小さく鳴きながら見つめていた。



「あ、灯里ちゃん、ごめん。 おわびに海鮮鉄板買ってきた。 みんなで食べよぉぉぉうおおおおおおお!?」
真っ先に走りこんで来た蒼羽が絶句する。

「ただ今ん。 晃さん。ありがとうございましたぁ。 とっても楽しかったですううぅぅぅぅわわあああ!?」
るんるん-と、スキップしながら帰ってきた藍華も絶句する。

驚く蒼羽。 藍華。 
そしてさらに、あゆみ、アトラ、杏の三人の声が、次の瞬間、見事なハーモニーを奏でた。


 「「『 なんじゃ、こりゃあああああああああああ!!!??? 』」」


その場の有様に、全員が息を飲み絶句する。
そして-


 「「『 なんじゃ、こりゃあああああああああ!!!!!????? 』」」


もう一度、五人の絶叫が、見事なまでのハーモニーを奏でていた。



こうしてトラゲットは、パンドラの心を開くような、混沌(カオス)たる事象へと、進化していくのであった。




                                   Essere Continuato (つづく)


         
           『Traghettⅰ』 PART-6 [ Cielo di Santa Crowe (サンタクロウスの空)] -la fine







PART-6を、お届けします。

書き上げて読み返したときの第一声が「色気ねえ!」でした(笑)
今回は「脇」中の「脇」 私が愛してやまない「名脇役」の人達のお話です。
それにしても、水上エレベーターのおじさんって、名前がないんですねぇ…。
一瞬、創作で付けようかとも思いましたが、今回はあえて、そのままにしました。
特に深い意味はありませんが…(汗)

それにしても、この三人は自分の仕事に対して-
道楽-と言ってみたり
達人-と言ってみたり
秘密基地-と言ってみたり
ホントに楽しんでやってるんだって事を実感させられます。
見習わねば!(爆)


次回、ようやく「サゲ」にかかれそうです(終わりじゃないってトコガミソ)
できましたら、もう少し、お付き合いいただけたなら幸いです。

それでは、もうしばらくの間、お付き合いください。




[6694] Traghetti part-7   [ La Pista alfuturo ]
Name: 一陣の風◆fc1b2615 ID:8350b1a5
Date: 2010/06/09 17:10
街は歓喜に包まれていた。





        『Traghetti』 PART-7  [ La Pista al futuro ]




以下、点描(スケッチ)風につづってみる。


あゆみ・K・ジャスミンの場合-

あゆみは後に、その様子を思い出すたびに、複雑な感情を想い浮かべることになる。
なによりもトラゲットを愛する彼女は、その状況を、どう評価していいか、その時とまどっていたのだ。

色とりどりの光が、街に満ち溢れている。
大勢の人々が集い、歓声をあげている。

おとな達は談笑し、子供達は走り回る。

露天の屋台が立ち並び、さまざまなモノを売る店の大きな声が響き渡る。
食べ物の焼ける音と、鼻腔をくすぐる香ばしい香り。
歯にしみるような冷たい飲み物。
甘くとろけるような、多種多様なデザート。

即席の劇場もできた。
パフォーマーが、さまざまな芸を見せ、道行く人々から喝采をあびている。
弦楽奏者達が集まり、時には心躍る楽しげな曲、時には甘く囁く恋の曲、時には心に沁みゆく、もの静かで優しげな曲を奏でている。

人形を使って紙芝居を見せる者もいる。
小さなワゴンに、色とりどりなチョコレートを乗せ、列をなす子供達に、優しげな笑顔で手渡している者もいる。
臨時に作ったモノなのか、布で作った簡素な店で、キレイなベネチィアン・ガラスの数々を売っている者もいる。

人々の歓喜に包まれる街。
人々の喜びと笑いと幸せに包まれる街。

そこは最早、トラゲット乗り場-などではなく…そう。それはまるでカーニバルの広場のようだ。



「あら、あゆみさん」
ひとりの中年女性が、声をかけてきた。

「なんだか今日は、お祭りみたいねぇ」
「あはは。 そ、そうですねぇ。 すいません」

-誰だっけ?

あゆみはどうしても、その女性の名前を思い出せなかった。
確かに以前、会ったことは、あるはずなのに……

「んん? どうして謝るの?」
その女性は、そんな、あゆみのとまどいに構いもせず、笑顔で訊ねた。

「いやあ、たぶん、原因は、あの人なんで……」

そう言って、あゆみは未だにトラゲットを続けている、晃に目をやった。
相変わらず、女性客がむらがっている。

「ふふ…さすがは『クリムゾン・ローズ(真紅の薔薇)』さんね。 ホントにりっぱになって…楽しいわ」
女性は、小さく、けれど穏やかな笑みを浮かべながら言った。

「楽しい…ですか?」
「あら? あなたは楽しくないの?」
「い、いえ…その」
「ん?」
「いえ、ウチは…私は楽しいんですが、この街の人達は果たして喜んでくれているのかなって。 なにしろ……」

ぐるりと-喧騒と歓声にまみれた-まわりを見渡して、あゆみは言った。

「この騒ぎですからねぇ……」

「あらあら。 あゆみさんは、そんなこと気にしてたの?」
「え?」

女性は、同じようにまわりを見渡してから言った。

「私達、ネオ・ヴェネツィアん子は、こうゆうお祭り騒ぎは大好きなのよ。 知ってるでしょ?」
「え、えと……」

「お~い。 あゆみぃ。 次のトラゲット、行くわよぉ!」
アトラが遠くから声をかけてくる。
今度の相方は、その『クリムゾン・ローズ』だ。

「だからね。 あゆみさん。 あなたも一緒に、素直に楽しめばいいのよ」
女性は穏やかに微笑みながら言った。

「素直に…楽しむ?」
「そう。そして素直に楽しんだら、その楽しみをまた、あなたの後輩達に素直に、そのまま、真っ直ぐ教えてあげて。 
 そうやってこの街は、一緒に楽しみながら、シングルを…ウンディーネさん達を育ててきたのだから……」


-ああ

あゆみは気が付いた。

-そうか。 そうゆうことか……

「…はい」

あゆみは大きく息を吸い込むと、それを大きく吐き出しながら、元気良く答えた。

「はい。 ありがとうございました。 真っ直ぐ、楽しんできます!」

そう言うと、あゆみは一礼し、彼女特有の元気一杯な笑顔を浮かべながら、いち目散にゴンドラへと駆け出していった。

-そうだ。
 なんだ。 
 簡単なことだったんだ。

走りながら、息を切らせながら、あゆみは思う。

-楽しめばいんだ。 素直に。 単純に。 真っ直ぐに。
 
-ちくしょう。 
 次は、敬愛する我らが『クリムゾン・ローズ(真紅の薔薇)』こと、晃・E・フェラーリと漕げるんだ。
 楽しくないワケがない!

あゆみはふと今朝のアリスの言葉を思い出した。

-トラゲットは、人の心や想いまで運んでくれる。

 そうなんだ

あゆみは思う。

いつも街の人々の心を運ぶトラゲット。
いつも街の人々の想いを運ぶトラゲット。

今日は私の心と想いも運んでくれる! 
なんて、単純。 素直で単純だ! 

あゆみは元気いっぱいに駆け出してゆく。
真っ直ぐに。
息を弾ませながら。



そんな、あゆみの…若いシングルのウンディーネの後姿を、アマランタは、楽しげに、誇らしげに、いつまでも見送っていた。




アトラ・モンテヴェルディの場合-

「あれ、あなたは……」
「うわっ、眼鏡っ子!?」
「だあれが、眼鏡っ子かああああああ!」

-ドゴスゥゥゥゥッウ!
 と、音がして
-ぎぃやああああああああ!
 と、悲鳴が響き渡る。

アトラの足が、暁の足を直撃した瞬間だった。

「おや、アトラ。 お前、こいつと知り合いか?」

「蒼羽教官…はい。前に、灯里ちゃんと一緒に会ったことが……」
「ふ~ん。 で、やっぱり、へたれだった?」
「へたれでした」
「うわっ。 即答!」

暁が踏まれた足を押さえながら叫んだ。
そんな暁にアトラは近づき、しゃがみ込むと、真正面からその顔をのぞき込んだ。

「で、少しは見えるようになった?」
「う…お、おう?」
「だから、少しは灯里ちゃんのこと、見えるようになったの?」
「あ、いや。 それは、その……」

アトラは満面の笑顔。
その笑顔のまま、彼女のひたいに青スジが浮かぶ。

「うひゃあああああ!」
不意にアトラは、暁の胸倉をつかんで引きずり起こすと、そのまま人気のない路地に引っ張って行き、壁に叩きつけるかのように、押さえ付けた。

「ぷいぎゅうううううっ」
再び、暁の頭の上で、アリア社長が叫ぶ。

「あなた…なに、やってるの……?」

満面の笑顔に青スジを浮かべてまま、アトラが言う。 正直、すっごく恐ひ……

「いや、あの……」
「いい……」

アトラはとても静かな声で言った。

「灯里ちゃんは私の大切なお友達なの。 だから、ちゃんと幸せにしてあげるの。 分かってる? 分かってるの? さもないと……」
「さ、さもないと…?」

顔を引きつらせながら質問する暁に、アトラはやっぱり満面な笑顔で答えた。


「あなたをネオ・ヴェネツィア七不思議の八番目にしてあげるわよっ うふ☆」


「分かんねええええっ つか、似合わねええええええええええ!!」
「なぁんですってぇぇぇぇええええ!!」
「うんぎゃああああああっ」
「ぷいにゅううううううふっ」

ガクガクと、激しく暁をシェイクするアトラ。
暁の頭にしがみつくアリア社長は、目を回しながら、またまた激しい、デ・ジャヴに襲われていた。


「まぁまぁ、アトラ。 それくらいにしといてやりな」
すべてを見ていた蒼羽が、笑いながら言う。

「蒼羽教官……」
「実は私もさっき、同じことやっててね」
「同じこと?」
蒼羽はアトラと同じく、暁に「優しく」言って聞かせたことを語った。

「はああ……」
アトラは大きなタメ息をついた。

「おっ、でたな、アトラお得意の大きな『サイ(タメ息)』
「蒼羽教官…笑い事じゃないです……」
「ん?」
不審気な蒼羽に、アトラは言い放った


「それじゃ私がまるで、教官に似てきたみたいじゃないですか……」


そう言って、アトラは笑いながら小さく舌を出した。

「わっ・はっ・はっ・はっ・てえっい!」

-バキッ!

と、笑いながら放った蒼羽の一撃が、暁を直撃する。

「ぐはあっ! な、殴る相手がちげえだろお!?」
「うっさい!」

暁の抗議を、やっぱりひと言で粉砕すると、蒼羽は憤然と言い放った。

「かわいい後輩を殴れるか!」

「なんじゃそりゃああ! なら、サラマンダーなら殴っていいいのか? いいのかあ?  謝れぇ! 謝れぇぇ!
 全アクア、いや、全世界のサラマンダーに謝れえええ!  つか、その前に俺様に謝れぇぇぇぇえぇえええ!」


  「『 うっさい! 黙れ! シバくぞ!! 』」

息もぴったりに、蒼羽とアトラの声が重なった。

「うわ! 同時攻撃!? お前ら、なんだか、そっくりだぞ!」

暁は思わず、泣き喚いた。


「蒼羽さあ~ん。 アトラちゃあ~ん。 次のトラゲットの時間ですよぉぉ」

杏が手を振りながら叫んだ。
次は蒼羽とアトラとで漕ぐのだ。


「よし、アトラ。 次はお前が後ろで漕げ。 私が前につく」
「えっ? いいんですか?」
後ろで漕ぐ-つまりそれは、メインで操舵するとゆうこと……
普通であれば、それはより技量が上な、蒼羽の役目だ。

けれど-

「かまわない。 お前はもう充分、その実力はある。 遠慮せずに行け。 …ただし」
「ただし……?」
アトラの問いに、蒼羽は、いたずらっ子のような笑顔で答えた。


「常に安全確認。『アッディエトゥロ・アーレア』だ」


-アッディエトゥロ・アーレア( addietro alea ) 「後方危険」

それは蒼羽の戒め-
それは蒼羽の後悔-
それは蒼羽の懺悔-

そして-
そしてそれは、蒼羽の優しき心と、強き想い……

「行くぞ。 アトラ!」
そして、そんなことは微塵も感じさせることなく、走り行く蒼羽の笑顔。


私が蒼羽教官と、そっくり?
アトラは、ふと思う。

私が蒼羽教官に、似てきた?

蒼羽教官に私が?
まさか!?

まさか、まさか、まさか、まさか、まさか!?

でも…

「あの」蒼羽教官なのだ。
「あの」昔に囚われて逃げ出せなかった、蒼羽教官ではない。
「あの」昔のくびきを自らの力で断ち切った、蒼羽教官なのだ。

私が-
私が今、もっとも信頼する、そして愛すべき、蒼羽・R・モチヅキ教官なのだ。


私が蒼羽教官に似てきた?

ちくしょう………

なぜ、私は笑ってる?
なぜ、私はこうも喜んでいる?
なぜ、私はこんなにも嬉しいんだ!?


「はい。蒼羽教官!」

アトラはそう元気よく答えると、蒼羽の後を追って走り出す。
そんなアトラを、蒼羽もまた、笑顔で迎えてくれる。

アトラは走る。
満面の笑顔で。

息を弾ませながら。



「うう…あのふたり、ホントそっくりだ。 …なあ、アリア社長」
「ぷいにゅん?」

走り行く蒼羽とアトラに後姿を見送って、暁は頭の上のアリア社長に、苦笑まじりにつぶやいた。

「オレンジ・ぷらねっとのウンディーネって、みんなあんな感じになりやがるのかな……」
「ぷいぷい?」
「なら、後輩ちゃんもいずれ……ウッディのやつ、苦労するぞ……」
「ぷいぎゅんん!?」

暁の、しみじみと言った、そのひと言に、アリア社長は怯えて泣き出した。




夢野 杏の場合-

「杏ちゃん、杏ちゃん」
自分を呼ぶ声に振り向けば、そこには-

「お母さ…寮長?」

小柄なおばあさんが、にこやかな笑顔を浮かべて立っていた。

お母さん-アン・ウェンリー女史は、オレンジ・ぷらねっとの寮長さんだ。
完全寮制なオレンジ・ぷらねっとにおいて、そこに住むウンディーネ達の面倒を見てくれる、優しい人。
自身も元、ウンディーネとして活躍し、その実力は『もう一歩で、グランマに並ぶことができた』とまで言われた人だ。

でも今は、オレンジ・ぷらねっと、全てウンディーネから「お母さん」と慕われ、頼られている人。

「アン寮長、どうしたんですか?」
杏があわてて駆け寄り、訊ねる。
「いやね。 アテネが帽子を忘れていったの。 それで届けにきたのだけれど…」
「この人ごみの中をですか?」
「ええ、まあ、それが私の務めだからね」

そう言うと、アン寮長は「うふふ」と笑った。

杏は嬉しくなる。
この人はそうゆう人なのだ。
私達を常に見ていてくれて、心配してくれ、時には厳しく叱ってもくれる。
だから「お母さん」
私達の「お母さん」

「それで…アテナはどこかしら?」
「え? アテナ先輩、こっちに来てるんですか?」
「ええ。 姫屋の晃さんから、何か伝言をもらって、その後、お仕事が終わったら、まぁ社長を連れて、飛ぶように会社を出て行ったわよ?」
「そういえば…確かに晃さんが… あっ、でも、今日はまだ見てませんよ?」

確かあれは、お昼ちょっと過ぎの話しで………

「おかしいわねぇ。 ああ…まさか」

お母さんが何を言いたいか、杏は瞬時に理解した。

「アテナ先輩……」
「ええ……」

そして二人はタメ息まじりに、同じセリフを口にした。

  
  「『 道に迷ってる…… 』」



「あれ、アンじゃない」
明日香が言った。
「あらあら。 アン。 久しぶり」
グランマも嬉しそうに声を上げる。

「お二人とも、寮長とお知り合いなんですか?」
アン寮長を席(なぜだかテーブルの上には、肉まんだの、ピザだの、海鮮焼きだのが山をなしている)に案内しながら、杏は訊ねた。

「ええ、秋乃と一緒で、昔からの腐れ縁ってヤツね」
その明日香の言い方に、秋乃-グランマも、アンも「うふふ」と微笑んだ。

「昔、まだお互いがペアの頃から、三人でよく練習してたの」
「そんな前から……」
「ええ。でも、アンの会社が他の水先案内店と合併して、オレンジ・ぷらねっとになってからは、なかなか会えなくて……」
「ああ……」

それは前に聞いた話だ。
創業当時のオレンジ・ぷらねっとは規則が非常に厳しく、まるで自社のウンディーネを「篭の鳥」のように管理していたのだ。
練習においても、オレンジ・ぷらねっと独自のマン・ツー・マン形式の練習のみを行い、ひとりひとりの個人的な練習など認められなかった。

また、営業終了後も、勝手な外出は禁止。 部外者が中に入ることも激しく制限され、他社のウンディーネが、寮内で一緒に食事したり、
ましてや、宿泊することなど、決して許されることではなかったのだ。

「それでもこの子ったら、毎日のように抜け出して来て……」
グランマが笑顔で言う。

「ええ。 そんな規則のことなんか、おくびにも出さずに、『来たよ~☆』って、いっつも……」
明日香も遠い目で言う。

「うふふ。だってその方が楽しかったから……」
アンが気負いもなく、ただそれが……
ただそれだけが、たったひとつの真実であるかのように静かに言う。

-楽しかった
 ただ、それだけで

沈黙が訪れる。

それは何も語らずとも、三人が三人とも同じ『あの時』を想い描いている、そんな優しい時間。

そんな三人を見ながら、杏も思う。

-私は…私達はどうなのだろう?


「おお~い。 杏ぅ。トラゲットやるぞおおお!」
あゆみが叫ぶ。

「杏ぅ。 次、行くわよおおお!」
アトラが叫ぶ。

見れば、あゆみとアトラが大きく手を振りながら、笑顔でこちらを見ている。
ふたりとも、とても輝いた笑顔を見せている。

その隣では-

姫屋の晃と藍華。
オレンジ・ぷらねっとの蒼羽。
ゴンドラ協会のアンジェリア。
そしてARIA・カンパニーのアリシアが、やっぱり微笑みながら、こちらを見ている。


-いつの時代も
 どんな時でも
 どの場所でも


水先案内店や、それぞれの立場の違いなど関係なしに-

私達は育ってきた
同じ、水先案内人として
同じ、ウンディーネとして

それは-

 

   【 未来への航跡 】



アンジェリアさんが。
晃さんが。 アリシアさんが。 アテナ先輩が。
藍華ちゃんが。 灯里ちゃんが。 アリスちゃんが。

あゆみが、アトラが。  そして私が。

グランマや明日香さん、アン寮長がたどってきた、同じ一本の航跡。

これからも、私たちが通ってゆく、同じ一本の航跡。
これからも、みんなが通ってゆく、同じ一本の航跡。

こらからも変わらぬ、一本の航跡………

私達や私達の後輩もたどってゆく一本の【 未来への航跡 】


こんちくしょう……


杏はようやく分かった。
ようやく本当に、その意味が理解できた。

「すいません。 失礼します!」
杏は三人に元気よく頭を下げると、駆け出した。


-私達ウンディーネは、みんな家族なんだ。


あゆみが、アトラが、蒼羽が。
晃が、藍華が、アンジェリアが。
そしてアリシアが待つ、その場所へ。

私たちの未来へと
私たち家族の航跡へと


-いつまでも「やわっこく。やわっこく」

そう願いながら
そう誓いながら
そう励ましながら


杏は、息を弾ませ駆けて行く。

【家族たち】

その名前を呼びながら。

-ただ、楽しい

右手を、大きく空に掲げる。


そんな杏の-
後輩のウンディーネの後姿を、三人の先輩はいつまでも、いとおしげに見守っていた。




「ただいま!」

『お帰りなさい!』


そして灯里が帰ってきた。



                                 Essere continuato (つづく)







       『Traghetti』 PART-7  [ La Pista al futuro (未来への航跡)]  -la fine



[6694] Traghetti part-8   [ Lumis eterne ]
Name: 一陣の風◆fc1b2615 ID:8350b1a5
Date: 2010/06/18 15:11
「はあ。はあ。はあ……」

息がきれる。 

「はあ。はあ、はあ……」

汗が流れる。

「はあ。はあ。はあ……」

目が霞みだす。

「はあ。はあ。はあ……」

走る。

「はあ、はあ、はあ……」

ただ走る。

「はあ、はあ、はあ……」

ただ走り続ける。

「はあ、はあ、はあ……」

ただ前を向き、一心不乱に走り続ける。

「はあ、はあ、はあ……」

まるで、それ以上の至福の時は、ないかのように-

「はあ、はあ、はあ……」

その先にあるのは、サンクチュアリか、シャングリラか。

「はあ、はあ、はあ……」

それとも、パラダイスか、桃源郷か。

「はあ、はあ、はあ……」

あるいは、狂おしいほど愛しい、なにかか。

「はあ、はあ、はあ……」


それは分からない。 分からない。 けれど-

「はあ、はあ、はあ……」

そこには必ずある。
そう信じて。
それを一片も疑いもせず。

「はあ、はあ、はあ……」

走る。
走り続ける。

「はあ、はあ、はあ……」

走る-ただ、走る。走る。走る。走る。走る。走る。

駆け抜けてゆく。

「はあ、はあ、はあ………」

そしてついに、たどり着く。
小さなカンポ(路地)を抜けた、その先に-
まばゆい光と、かしましい喧騒と、色とりどりの色彩と、あふれんばかりの楽しげな声と、その笑顔に。



そこには『 世界 』が広がっていた。

ようやく会える。




               Traghetti PART-8  [ Lumis eterne ]





点描を続ける。


アリシア・フローレンスの場合-

「アリシアぁぁああ! -どってんばっしゃああああんっ- うっぎゃやあああああ!!!」

突然の叫び声と、何かが倒れる突発音。
そして、一歩遅れて聞こえてくる、魂消る悲鳴……
それだけでアリシアは、誰が自分の名を呼んだのかが分かった。


「や、やあ、アリシア。 お久しぶり」

ーてへへ 
 と、頭をかきながら、アン・シオラは、アリシアを見上げ、にっこりと微笑んだ。


「どうしたの、アン。 今日はお店、お休み?」
アリシアがアンに手を貸しながら訊ねる。

「なに言ってんのよ、アリシア」

アンは何故か自慢気に、胸を反らせながら答えた。

「あのアリシア・フローレンスがトラゲットしてるって言うじゃない! それなのに、私が乗りに来なくてどうするの!?」
「あらあら……」
「だから私は、全速力で走って来たのよっ  ふう……」
「うふふ…ありがとう。 アン」

アリシアが幸せそうに微笑む。

「それになんだか楽しそうなことになってるし…ホントは、しっかり営業用の屋台を用意もしてあるのよっ」
「ええ? アンすごいわぁ」
「ふふん。 すごいでしょ?  よし、ビアンカネーヴェ・トラゲット支店、開店よ! ……あっ」

不意にアンは体を強張らせ、硬直する。
「……? どうしたの、アン?」

「肝心の屋台、持ってくるの忘れた……」
「あらあら……」

がっくりとへたり込むアンの肩を、アリシアは -昔のように- ポンポンと優しく叩いてやるのであった。



「あらまあ、もうひとりのアンさんだわ」

アリシアが、うなだれるアンを抱きかかえるように、みんなの所へ連れて来る。
そんなアンに、グランマが、アン寮長と見比べながら言った。

「え? グランマ。 覚えていてくださったんですか?」
アンが驚きと共に聞く。
なにしろ、グランマに会うのは実に5年ぶりなのだ。

「ええ…あなたがアリシアをウチに連れて来てくれたのだから。 うふふ…忘れないわ」
「うわあ…光栄です!」
「あらあら。 おおげさよ」

ほっ。ほっ。ほっ。 -とグランマは、楽しそうに笑う。

アンは、たちまち元気を取り戻しす。 グランマの不思議な魔法だ。

「アンさん。 お久しぶりです」
「ああ。灯里ちゃん。 三日ぶりぃ」
灯里の笑顔に、元気に笑顔で答える、アン。

「灯里ちゃん、こちらの方は?」
アトラが、皆を代表して訊ねた。

「ああ…えと、私や藍華ちゃん。 晃さんとは面識があるんですけど……
 こちらは、アン・シオラさんです。 アリシアさんのミドル・スクールのときからの親友さんで、
 サン・トロヴァーゾ運河沿いの、ゴンドラ・スクエーロ(舟の修理工房)の近くに
 『Biancaneve-ビアンカネーヴェ』ってカフェを開いてるんですよ」

「ああ。あなたがあの有名な『ビアンカネーヴェ(白雪姫)』のオーナーの方ですか」
アトラが右手を差し出しながら挨拶する。

「えっ、そんなに有名なんですか?  わあい☆  がふぅっ!」

にぶい音が響く……
あわてて、アトラの手を握ろうと差し上げた手を、アンは、そばにあるテーブルの角に思いっ切り、ぶち当てたのだ。

「ぐおおおおおおおおおっ!」
あまりの痛さに、手を抱え込み、悶絶するアン。

「ええ…オーナーが危なかしっくて、とても見てられない店-って…すごく有名です……」
右手を差し出したまま、アトラが困ったようにつぶやいた。



「はい。アリシア。 生クリームのせココア。 飲んで飲んで。 さあ、みなさんもどうぞ」」

何事もなかったかのように!!!

アンが、それだけは忘れることがなかったココアを、みんなに配り始める。

「あらあら。アンの元祖、生クリームのせココアね」
アリシアが嬉しそうに笑う。

皆がアン特製の生クリームのせココアを味わった。

「おおっ」
「これは」
「うまい!」
「うん。素晴らしい」
「甘~い」

全員が感嘆の声を漏らす。

「ああ、美味しい。やっぱりアンの入れてくれる、生クリームのせココアは最高ね。 うふふ」
「ありがとう、アリシア」
「あらあら。 うふふ。 ホントに美味しいわぁ。 うふふふふ」

「お、おい。 なんだかアリシアの奴、妙に、はしゃいでないか?」
生クリームのせココアのカップを手に、晃が笑いながら灯里に訊ねる。

「きっと、親友さんが来てくれたことが、とっても嬉しいんですよ」
灯里も、はじけるような笑顔を見せるアリシアを見ながら、楽しそうに言う。

「ああ。 あいつの『楽しい』は、みんなに広まるからな」
「うふふ。 それだけじゃないわ」

そんな灯里と晃の会話を聞いていたらしいアリシアが、やっぱり満面の笑顔で言った。

「これは『縁』よ」
「縁(えにし)?」

きょとんとする一同を前に、アリシアとアン。そしてグランマだけが、互いに目配せして、それからくすくすと笑い合った。

「ええ? なんですかアリシアさん。 そんな自分達だけで楽しまないで、私達にも教えてくださいぃ」
藍華が甘えるように懇願する。

「ごめんね、藍華ちゃん……」
アリシアは右手の人差し指をたてながら、目を細め、とても嬉しそうに言い放った。

「禁則事項ですっ」

「えええええぇっ」
「いいんですか? それ?」
「すわあ! もったいぶらずに、教えろぉ!」

「あらあらあら……」
藍華の嘆きと、晃の叫びに、けれどアリシアは、いつものアリシアの返事を返す。

「すわあ! あらあら禁止!」
「うふふ……」
「うふふも禁止!」
「あらぁ?」
「ちょっと言い方を変えてもダメだあ!! 
 つか、そんな小悪魔スマイルは、幼馴染で同級生な私にはきぃかぁぁぁん! っと、前から言っているだろぉがぁああ!」
「私も一応、アリシアと晃とは、ミドルスクールの同級生なんだけどなあ…でも、身もだえよぉぉっっ」

アンは、そう悲しげに叫ぶと、両手で自分の肩を抱き、激しく震え始める。
その仕草に、あたりは爆笑の渦に包まれた。


「さあ。 次のトラゲットの時間よ。 アン、乗るでしょう?」
アリシアが目を輝かせながら言う。
「ええ。 もちろんよ、アリシア。 行きましょう!」

互いに微笑み合い、嬉しそうに駆けて行く、アンとアリシア。
そんな『縁』で結ばれた二人を、『藍』と『青』の仲間達が、優しく見送っていた。

もちろん。
途中でアンがつまずき、悲鳴と共にひっくり返ったことは言うまでもない。

「…うん。 あの子。ウチのアテナといい勝負ね……あなどれない」
同じ『アン』の名を持つ女性が、ささやくように呟いた。




晃・E・フェラーリの場合-


「ほら、藍華。 このモエッキ(蟹)すっごく美味しそうですよ」
「あーん」
「え、いえ、その……」
「あーんん!」
「あ、藍華……」
「あーんんんんん!」
「…はい」
「ぱくっ…美味しぃぃぃぃいい☆」
「あはははは………」


-すわっ。 このバカップル。 何をやっとるんじゃい!

そんなセリフを胸の内に押さえ込んで、晃は幸せそうなバカップル -藍華とアル- を何とはなしに眺めていた。

「ふふふ…うらやましい?」
「なにをいっ …明日香さん?」
何を言いやがる-そう言おうとした言葉が、のどの奥で急停止する。

明日香がにこやかな笑顔で、こちらを見ていた。
さすがの晃でも、大先輩な明日香を怒鳴ることなど、できはしない。

「晃には、いい人いないの?」
「うわっ。 ストレート直球ド真ん中ぁ! って…いえ残念ながら」
苦笑しながら晃は答えた。

「私はまだウンディーネの仕事が楽しくてたまりません。 彼氏を作るなんて、まあ、まだまだ先の話しですね」
「そう、それは残念ね…もったいないわ。 ふふふ」
「何がもったいないのかは分かりませんがね。 まあそれは、いずれまた……」
「その割には、結構、熱い視線を送ってたじゃないか?」
「アンジェリアさんまで……」

いたずらな笑みを浮かべて、アンジェリアが近づいてくる。

-まるで心配性な姉が二人いるみたいだ。

晃は心の中でタメ息をつく。
二人とも悪い人では決してないのだけれど、プライベートな事まで、口を挟まないでもらいたい。

「まあ、私もいずれ、お二人のような良き伴侶が見つかれば、考えてみますよ」

だから、あえてそう言ってやった。

「まっ。 言うわね」
「おっと。 これは一本取られたなぁ」

-うわぁ。照れながら言われたよ。 つか、反論なし? 反論しないの?  認めるのか? 認めるの?
 しまった……

晃は少し後悔する。
こっちもバカップルだったか………


「私は藍華のことを思ってたんです」
「ええっ? 晃さん、そっちの趣味だったんでげぶあああっ!」

横に座って、話しを盗み聞きしていたらしい、あゆみには、遠慮なく右フックを叩き込む。

「誰がじゃあ。 つか、そんなワケないだろ!」
「ほっ・ほっ・ほっ。 じゃあ、どうゆう意味かしら?」
「うわっ、グランマ!? ここは『姫屋』の査問委員会ですか!?」

いつの間にか晃の周りには、現旧「姫屋」のメンバーが集まっていた。

「そうね。 それなら素直に白状してもらいましょうか……」
「さあ、きりきり吐いてもらおうっ」
「明日香さん。アンジェリアさん」
「うふふふ。 それは楽しみだわ」
「グランマまで……」
晃は最早、苦笑でもって答えるしかなかった。

「今、蘇える、晃さんとアリシアさんの恋人疑惑。 ついでに若いお嬢にまで手おぐばひゃぁぁぁあ!」
だが、あゆみには、もちろん拳でもってのみ、答えを返した。


「藍華は『姫屋』の…グランチェスタ家のひとり娘です」
晃は静かに、自分の心情を吐露し始めた。

「もの心ついた頃から、そう言われ、そう教育され、育ってきました。 今も、ずっとそうです。
 当時、グランマはもちろん、明日香さんも引退され、アンジェリアさんもほんの数年しか、藍華と一緒には過ごされていません」

「ええ。私が引退したとき、藍華ちゃんはまだ、ミドルスクールの四年生だったわ……」
アンジェリアが言う。

「はい。 幼い藍華には、それはそれなりにプレッシャーだったんでしょう。 最初はウンディーネになることを、ひどく嫌がっていたと聞いています」
「そうね。 彼女、私達には冷たかったわ。 私達が挨拶しても、彼女は小さな声で何事かつぶやくだけ。 仲間の中には、あからさまな嫌悪を向ける人もいたわね」
「そう…なんですか」
「まあ、今考えると、その時から彼女はプレッシャーと戦っていたってことなんだけど……」
「ええ…グランマや明日香さん。あるいは、アンジェリアさんがいたのならば、良き相談相手として、藍華も楽だったんでしょうが……」
「…………」

「そして、そんなある日。藍華はアンドリュー社長…お父様と喧嘩をして、姫屋を飛び出し、そのまま夕方まで行方不明になった。 って事があったんです」」
「おやまあ」
「そんなことが……」

「ええ。でもホントの問題はその後で…夕方、無事に帰ってきたと思ったら、藍華は突然、宣言したんです。
 『私、ウンディーネになる!』ってね。
 理由は今でも分かりません。 分かりませんが、それなら当然、姫屋を継げ-って話しになって……」

「…………」
「それからみんな、ますますハレモノを触るように藍華に接して…年下にも関わらず、男性職員までもが藍華を『さん』付けで呼んで……
 それはまぁ、分かりますよね。 いずれ、将来、自分の上に立つことが決定的な人物に、誰でもキツクは言えません。
 だから恩返しもかねて、あえて私は、彼女の教育係りを名乗り出ました」
「恩返し?」
「まあ、ちょっとしたことがありまして……」

晃は苦笑する。
『四葉のクローバー』の話は、みんなには内緒だ。
 だって、恥ずかしいじゃないか……

「私が一番に心配したのは、藍華が傲慢にならないか-って事でした」
「傲慢……」
「はい。誰でも人は油断すると『私はこれでいいんだ』『私は偉いんだ』『それが当然なんだ』って思ってしまいます。
 最初から地位が保障されてる場合には、特にそうです。 
 私は、それが恐かった。 
 だから、私はあえて公私に渡って、彼女を厳しく指導することにしたんです。
 特別扱いはせず、甘やかさず。 時には理不尽なことまで言って。
 そして決して彼女を……藍華を『さん』付けでは呼びませんでした」
「…………」

「そう。 実際、藍華のことを『さん』付けで呼ばなかったのは、私か……」

晃は微笑みながら、あゆみの頭を、軽くポンポン-と叩いた。

「この、あゆみくらいなモンです」
「う、ウチは……」
あゆみが、戸惑ったように話し出す。

「なんとなくです。なんとなく『さん』付けで呼ばれるたびに、藍華…お嬢が、困ったような、さびしいような、そんな顔をするもので……」
「ああ。それが分かるお前だからこそ、私はお前を藍華の元に…カンナレ-ジョ支店の副支店長になってもらったんだ」
「晃さん……」

あゆみが感謝の眼差しで晃を見る。
晃は照れくさそうに視線をずらすと、少しだけうなずいた。


「幸いにも私の心配は杞憂に終わりました」

晃は、誇らしげに言葉を紡いだ。

「藍華はしっかりと足を地に付け、真っ直ぐに、素直に育ちました。 また良き友人とライバルと、共に仕事をする仲間も得ました。
 そして将来、良き伴侶になるであろう人とも。 私は………」

みんなの目が、ひとつのコップからふたつのストローで、アンの入れた生クリーム入りココアを嬉しそうに飲んでいる、バカップルに注がれる。
けれどその瞳には、みな一様に、暖かな輝きが宿っていた。


藍華が、みんなの視線に気付く。


「な、なんの話し、してるんですか?」
藍華が頬を染めながら、問いかけてくる。

「いやぁ、お前らのようなバカップルに、この先、支店を任せておいて大丈夫かねって話しをナ」
晃が眉間にシワを寄せながら答えた。

「うわ、ひどいですっ。 晃さん!」
「すわっ!」
「ひえぇ?」

「本店、支店とも、統括しているのは、この私。『クリムゾン・ローズ』こと、晃・E・フェラーリ様だぞ!
 いかに同じ姫屋の支店であろうとも、いかにその支店長が『ローゼン・クイーン』の藍華・S・グランチェスタであろうとも、
 邪魔になるなら容赦なく叩きつぶす!」
「うわ、ひどっ!」

だが誰もが、その晃の強い口調の中に、後輩の成長を促し、喜ぶ、そんな晃の暖かな想いを感じとることができた。
ひょっとしたら、藍華ですら、それは感じ取っていたのかもしれない。

「絶対、負けません。負けるモンですか!」
だから藍華も、強く答える。

「ねっ、あゆみさん。 絶対がんばりましょう!」
そこにはまた、藍華の、あゆみに対する絶対の信頼があった。

「ええ、お嬢。 負けられませんよぉ。 逆に、本店を叩きつぶしてやりましょう!」
だから、あゆみもまた、そんな藍華と晃の想いを受け、元気よく答える。

「おお、言ったなぁ。 よし、いくらでもかかってこい! 相手になってやるっ」

晃が傲慢に、けれど嬉しそうに言い放つ。
それは対等に認め合っている証拠。
それはお互いが、お互いを認め合っている証拠。

そんな『現・姫屋』のウンディーネ達の声を『旧・姫屋』のウンディーネ達が、懐かしそうに、楽しそうに、いつまでも無言で聞いていた。


晃は思う-
すべては我が愛しき『ローゼン・クイーン(薔薇の女王)』 その名の元に-





アテナ・グローリィの場合-

「ただ今、帰りましたあ~!」
頭の上から声がする。

茜色の空。
灯里が思わず振り仰ぐと、そこには、ウッディのエア・バイクの後ろに立ち、おりからのオレンジ色の光を受け、
まるで『オレンジ・プリンセス(黄昏の姫君)』そのものになってしまったかのような アリス・キャロルの姿があった。

風を蹴立てて、エア・バイクが着陸する。
舞い上がった風が、時ならぬ突風を巻き起こす。

「きゃっ」
帽子が飛びそうになる。
制服の裾がひるがえる。
あわてて灯里は、帽子とスカートを押さえこんだ。
けれど、ほんのつかの間。 灯里の白いうなじと、健康的な太腿が垣間見えた。

暁がぎこちなく横を向き、視線をそらす。
その顔は、しっかりと夕焼け色に染まっていた。


「なんかスゴいことになってますね……」
アンが入れてくれた生クリームのせココアを飲みながら、まるでカーニバルのような、お祭り騒ぎのトラゲット乗り場を、アリスは改めて見回した。

「それにいつの間にか、灯里先輩やアリシアさんまで…いったいなんなんですか?」
「えへへへ…何なんでしょう?」
灯里が困ったような笑顔を浮かべた。

「それにしても後輩ちゃんよ。 ウッディーのエア・バイクで登場とは…やるもんだねぇ」
暁が、にたにたと笑いながら言う。

「あ、あれは私が仕事が終わって、まだトラゲットできるかなぁ? …できたらいいなぁ。 きっとできるにちがいない! 
 なんて思いながら走っていたら、
 たまたま…ホントにたまたま、偶然にお会いしたムッくんに乗せてもらって…」
「そうなのか? ウッディ?」
「いやぁ……」

暁の問いかけにウッディは、生クリームの髭をつけながら即答した。

「アリスちゃんに迎えに来て欲しいって言われてたし、私もそうしたかったし。 
 それで私はオレンジ・ぷらねっとの前で、アリスちゃんをずっと待っていたのだ」
「ムッくん!」
「ほうほうほう……」

にやにや笑いのまま、暁はアリスに言った。
「よかったじゃねえか、後輩ちゃん。 ちゃんと待っててくれる奴がいて……」
「わははは。 あかつきん。 それほどでもぉ! なのだ……」


-ゴッ!!!

にぶい音とともに、暁とウッディが崩れ落ちる。

「ど、どうしたんですか? お二人とも!?」
灯里があわてて駆け寄る。

「お、オレンジ……」
「え、な、なんですか、暁さん!?」

暁は-今日は、なんてヤられることが多い日なんだ…などと思いながら、かすれた声で答えた。

「オレンジ・ぷらねっとのウンディーネは、みな必ず…こうも……ウ…ウッディ…がんばれぇ…がくっ」
「お…おう…よく…分からないが…分かったのだぁ…がくっ」
「はひぃ?」

とまどう灯里。
悶絶する、暁とウッディ。
そんな三人に構わず、アリスは一気にココアをストローで吸い上げた。



「ああ、オレンジ・プリンセス。 アテナ見なかった?」
「お母さん? どうしてここに? い、いえ。 アテナ先輩は、今朝別れてからは見ていません」
「ああ。 やっぱり迷ってるのね……」
アン寮長が深い深いタメ息をつく。

「杏先輩。 いったい、どうゆうことですか?」

-わけが分からない
 といった顔で、アリスが側らの杏に訊ねる。

杏は、晃が、今日ここでアリスがトラゲットをしてる旨を伝えるメッセージを、アテナに送ったこと。
そのアテナは、お昼過ぎに、まぁ社長とオレンジ・ぷらねっとを出たあと、未だに姿を見せないでいること。
そのアテナは、帽子を忘れ、アン寮長がそれを届けにきてくれたこと。
そのアテナは、たぶん、どっかで迷子になっているであろうと推測されること。
などを、アリスに伝えた。

「はあ…ホントにアテナ先輩は世話が焼ける…私、探してきます」
アリスが立ち上がる。

「あっ。でも後輩ちゃん。 もうすぐトラゲット、終わっちゃうわよ。 いいの?」
藍華が言う。

「そうだよ、アリスちゃん。 アテナさんは私達が探すから、アリスちゃんはトラゲットしてきたら?」
灯里も言う。

「…ありがとうございます、先輩方」
アリスは藍華と灯里の心使いが嬉しかった。 でも………

「でも……」
アリスは、きっぱりと言い切った。

「トラゲットより、アテナ先輩の方が、でっかい心配ですから!」

「ふふふ。 アリスはアテナのことが、ほんとに大好きなのね」
アン寮長が楽しそうに言う

「いえ、お母さん。 私は、ただ単に、ドジっ子なアテナ先輩が心配なだけで…」
「まあ。 できの悪い子ほど愛おしい-って言うからな」
蒼羽が笑いながら言う。

「蒼羽教官。 それ結構、キツいですよ」
「ええ。いくらアテナさんと同期でも…ちょっと」
「うん? そうなのか? アトラ、杏。 だが安心しろ。 私はお前達のことも充分、愛おしいぞ!?」
「それって……」
「いったい……」

   「『 どうゆう意味ですかあああああっ!? 』」

アトラと杏の声が綺麗にハモった。

-見事なチームワーク。 これがオレンジ・ぷらねっとかあ………
 藍華はすばやく、心のメモに書き込んだ。



「ぷいにゅううううううう!」
突然、アリア社長が絶叫する。

-何事?

と、みんなが見れば。
「まぁあああぁぁぁあっ」

そこでは、アリア社長が、その「もちもちポンポン」を、斑な子猫に噛まれ、悶絶していた。

「まぁ社長!?」
アリスがあわてて、まぁ社長をアリア社長から引き離す。

まぁ社長は、オレンジ・ぷらねっとの社長猫だ。
迷い猫だったところをアリスに拾われ、そのまま、オレンジ・ぷらねっとの新社長として就任した、ちいさな火星猫。
けれど小さいながらもその瞳は、水先案内店の社長猫にふさわしい、澄んだ蒼い色で輝いている。
なにかにつけ、大好きなアリア社長の「もちもちポンポン」に噛み付く、恥ずかしがりやな女の子だ。

「まぁ社長。 アリア社長のもちもちポンポンは、生クリームのせココアとは違いますよ」
「まああ……」
「ぷ…ぷいにゅうううぅ……」
アリア社長が泣きながらヒメ社長に助けを求める。
けれどヒメ社長は何も言わず、ツンとした表情のまま、藍華とアルの元へと走って行ってしまった。

「ぶぎゃふふううう……」
夕焼け空に、アリア社長の鳴き声が木霊する。


「それにしても……」
晃の周りを見回しながら言った。

「まぁ社長がココにいるってことは……」
その言葉が終わらないうちに「天上の声」があたりに響きわたった。


「アリスちゃぁん、晃ちゃぁん。 お待たせえぇぇぇ…のわっ!」


全員の視線が集中する。
そこには山のような箱を持ったまま、見事に顔面ゴケしているアテナの姿があった。

「あらあら……」

アリシアが困ったように呟いた。



「で、今までなにやってたんだ?」
蒼羽が冷たく聞く。

「そうだ、みんな心配してたんだぞ」
晃が続く。

「あの、あのね。 走ってきたの。 息が切れてね。大変だったの」
「あらあら、まあまあ…それは大変だったわね」

アテナのトンチンカンな返事に、アリシアがやさしく微笑む。

「アリシア。 お前なあ……」
「まぁまぁまぁ……」

アンが、生クリームのせココアを手に、間に割って入った。

「アテナさん、お久しぶりです。 はい、どうぞ」
「あ~あなたは確か、アリシアちゃんのお友達で…名前は確か、アン・シャーリ…」
「アン・シオラです! つか、私、赤毛じゃないっスから!」
「えへへ。 あらためて、よろしくです」

「はい。こちらこそ、よろしく…っが!」
「よろし…っぐ!」


-GOZZM!

にぶい音が響いた。

頭をさげたとたん、ふたりの軌道が交差して(専門的には「コリジョン・コース」とか言ったりする)見事、空中衝突したのだ。

  「『 ぐあだだだだだだだだぁ… 』」

二人が頭を抱えてしゃがみ込む。
その拍子に、そばにあったテーブルが倒れる。 その勢いで、そのまた隣のテーブルも倒れて行き……

-ドンが・ドンが・ドンガラガッシャアアアアン!! 

っと
それはまるで「ドミノ倒し」のような連鎖反応を引き起こし、たちまちのうちに、トラゲット乗り場周辺の屋台、出店、ステージまで波及し、
悲鳴と共に、その全てをひっくり返すことになった。

-恐るべし、ドジっ子の相乗効果

次々に倒れていく屋台。 悲鳴をあげて逃げ惑う人々。 時折り上がる火球は、ガスの引火が電球の放電か。
やがて全ての活動が静止する。

のちに「バショタオレ-ルの惨劇」と呼ばれることになる、その光景を目にしながら、
二度とこの二人をめぐり逢わせることは止めよう-っと、みんな硬く心に誓うのであった。



「あのね。 会社は結構早く出たの……」
ぶつけた頭をさすりながら、アテナが言う。 うっすらと涙目であったりする。

「でもちょうどお昼過ぎだったから、みんなにお昼ご飯を差し入れようと思って……」

-さすがは「気配りの達人」 です。
 アリスが心の中で喜ぶ。

「でもそしたらね、どこのお店もいっぱいで……」
「はい。 でっかいお昼どきでしたから……」

「ええ。 だからずっと並んで待ってたの…はい。インボルティーニ」
そこには、いろいろな具材を巻いた、ひとくちサイズの小さなパンが、何個もきれいに並んでいた。

「こっちはキタッラを使ったスパゲティ。 ネオ・アブルッツォ州の郷土料理で、ほら、断面が四角なのよぉ。
 んで、こっちは、ポレンタ。 とうもろこしの粉でできてるのぉ。 マン・ホームのクロアチア州では『ジュガンツィ』
 ルーマニア州では『ママリガ』とも言うのよぉ」
「う…お、おう」

「それからカペッリーニを使ったスープ」
「…ア、アテナ?」
「カペッリーニは『天使の髪の毛(カペッリーニ・タンジェロ)』って別名もある、いちばん細いパスタなの。
 だから、こうゆうスープには、ぴったりね。 それと……」
「……いや、アテナさん?」

「変わったとこでは、おにぎりも買ってきたのぉ。 米はささにしき。 中味はなんと、イクラです!」
「…ちょ、ちょっと待て」

「それから肉まんもあるのよ☆  それも珍味、栗アンまんなのぉ!」

  
  「『 だああああっ! 』」


たまらず、晃と蒼羽が悲鳴を上げた。

「そんなに喰えるっかぁぁあ!」
晃が叫び。

「つか、また肉まんかぁ! 肉まんなのかあ!?」
蒼羽が泣き出す。

「ええ~え?」
アテナが戸惑ったように声を上げた。



「あの…アテナ先輩」
「ん? なぁにアリスちゃん」
「それもしかして、全部、並んで買ったんですか?」

「うん、そうよ。 どのお店もみんな人がいっぱいで…思いのほか時間がかかっちゃって……」
「はあ……」
「それに並んでるうちに、自分のいる場所がどこだか分かんなくなっちゃって…迷っちゃった。 えへっ」
そう言って、屈託なく笑うアテナ。

「あらあら、まあまあ」
「アテナ先輩、やっぱり迷子だったんですね」
杏がタメ息をつく。

「お前、この街に何年、住んでるんだ?」
「んと…22年…かな?」
「22年って……」
「つか、『かな』ってなんだ『かな』って!?」
「あらあら、まあまあ…うふふ」

「「「「『 はあぁぁぁぁぁ……… 』」」」」

屈託なく笑うアリシアの笑顔と、山のようにテーブルに積み上げられた『 お昼ごはん 』を前に、みんなのタメ息が重なった。





「さあ、みんな。 私もトラゲットやるわよぉ!」
アテナが元気よく言う。

「いや、もういい」
蒼羽が冷たく答える。

「…へ?」
アテナが『きょとん』顔になる。

「なんだ、その鳩が豆喰ってぴょん! な顔は…」
「へえ? なに? 鳩が豆喰って、ぴょん!-って……あの…ひょっとして、もうトラゲットしないのぉ?」
「いや、しないちゅうか、人手充分だし……」
晃も冷たく答える。

確かにトラゲット三人組の他にも、灯里達、新プリマ三人組。 はては、晃や蒼羽、アリシアまでいるのだ。
人手は充分過ぎるほどにあった。

「ええ~え? 私はアリスちゃんとのトラゲット。楽しみに来たのにぃ……じゃ、じゃあ、私は何すればいいの?」
困ったように、アテナが訊ねる。

「唄でも歌っとけば?」
「へっ?」
「お前はただ、歌を唄ってりゃいい」
「そんなぁぁ……」

「お前の歌は……」
「え?」

「お前の歌は、ただそれを謳うだけで、みんなを幸せにすることができる」
「蒼羽ちゃん……」

「それに今日は何故か、こんなお祭りさわぎだしな」
「晃ちゃん……」 

そこではいちど壊滅的被害を受けた屋台達が、たちまちのうちに復活し、営業を再開していた。
もちろん、パフォーマーも管弦楽団も健在だ。
恐るべし、ネオ・ヴェネツィアん子の、お祭り根性である。


「きっとお前の唄は、このお祭り騒ぎにぴったりと合うぞ」
「ああ、みんなきっと喜んでくれるさ」
「晃ちゃん、蒼羽ちゃん…ふふ」
アテナが不意に笑い出した。

「な、なんだ、アテナ。 その笑いは……」
「あ、ああ。 なんか気持ち悪いぞ………」

「ふふふ。 だってなんだか嬉しくって…つい……」
「嬉しい?」
「なにがだ?」
「だって………」

アテナは晃と蒼羽の顔を交互に見ながら言った。

「だって晃ちゃんと蒼羽ちゃん。 いつの間にか、とっても仲良しになってて…ふふ。 すっごく嬉しい」

「すわっ!」
「ば、ばか!」

   「『 は、恥ずかしいセリフ、禁止ぃぃ!! 』」

やっぱり息もぴったりに、晃と蒼羽のセリフが重なった。
やっぱり二人の顔は、しっかりと夕焼け色に染まっていた。




  ♪♪♪♪♪         



街に「謳声」が響き渡る。
ウンディーネの唄を聴きなれてるはずのネオ・ヴェネツィアの人達が、ちょうど出来上がったアルデンテなパスタを放り出してまで、
窓際に殺到し、彼女が通り過ぎるまで、その唄に聞きほれる-とまで言われる、「セイレーン」の謳声。
アテナ・グローリィの通り名。

彼女の謳声は、聴くものすべての時間の経過を忘れさせる、その名の通り「セイレーン・天上の謳声」なのだ。

その唄が今、トラゲット乗り場に響き渡る。
いつしか屋台の掛け声も、楽団の演奏も、パフォーマーの音楽も止み、みなが静かに黙って、ただアテナの声に聞き入っている。
街は再び、静止した。


唄は続く。
途切れる事無く、いくつもの唄を奏でていく。

それは「パルカローネ」であったり
それは「コッコロ」であったり

それは「満月のドルテェ」であったり
それは「Second Season」であったり
それは「Sha・lion」であったり………


「ほら、アテナ」
晃がオールを差し出した。
「…え?」

きょとんとするアテナに、晃がウィンクする。

「向こうでアリスが待ってるぞ」
「晃ちゃん……」

「オレンジ・ぷらねっとの師弟コンビのトラゲット。 みんなに見せてこい」
蒼羽も、いたずらっ子のような笑みを浮かべる。

振り向けば、みんながアテナを見ていた。

グランマが明日香がアンジェリアがアン寮長が。

晃が藍華があゆみが。

蒼羽がアトラが杏が。

アリシアが灯里が。

アルが暁がウッディーが。

そして-
アン・シオラをはじめ -ネオ・ヴェネツィア この街、すべての人々が。


みんなが、微笑を浮かべながら、優しくアテナを見守っていた。

「…うん」
アテナは晃からオールを受け取ると、精一杯の感謝の気持ちを込めて、うなずいた。

「うん。 ありがとう」


「アテナ先輩!」
アリスが、こぼれるような愛らしい笑顔を浮かべて迎えてくれる。

「さあ。 行きましょうっ。 アリスちゃん!」
「はい。 でっかい、はい! です!!」
「ゴンドラ、出ま~ぁす」


ゴンドラがゆっくりと動きだす。
アテナが、再び歌を奏で始める。

アリスとアテナ。 オレンジ・ぷらねっと師弟コンビのゴンドラは、その謳声とともに、軽やかに運河を滑ってゆく。

ゴンドラは行く。
「天上の謳声」とともに。

すべるように-
謳うように-

アテナの奏でる「天上の謳声」に後押しされながら。
ゴンドラは人の心や想いだけでなく「唄」までも運んでゆく。

茜色に染まる大運河-グラン・カナルに響く、その唄は……



-Vesperrugo,fluas enondetoj…
 夕陽が沈み 流れるさざ波




 【 Lumis eterne -ルーミス・エテルネ 】



-Gi estas kiel kanto,bela kanto de felico…
 それはまるで無垢な 幸せの歌のよう


    アリスも歌いだす


-Cu vi rimarkis birdojn,portanta afableco…
 鳥達は優しさを運ぶ遣い


    アリスの歌声を優しく包みこむように、アテナもまた謳いだす


-Super la maro flugas,ili flugas kun amo…
 海を越え飛ぶよ 愛を風に乗せ


    ふたりの歌声がひとつになり、どこまでも響いてゆく


-Oranga cielo emocias mian spiriton…
 心ふるえる 黄昏の空に


    その謳は、ネオ・ヴェネツィアの黄昏に…オレンジの空に広がって


-Stelo de l'espero,stelo lumis eterne…
 永遠に輝く 希望の星よ

 
    どこまでも どこまでも 高く 高く 高く


-Lumis Eterne……


    希望の星 AQUAを包んでゆく



「素敵ですね……」
灯里がつぶやいた。

おりから空は燃えるような夕焼け空……
そのオレンジの光を受け、謳い続けるアリスとアテナの姿は、今日という日を讃えるような、愛しむかのような、
そんな、街の人々の想いを受けて、いつまでも楽しげに、嬉しげに、ひかり輝いていた。

「まるでアクアの心のすべてが、ココにあるみたい。 素敵ンぐです」
灯里が、恥ずかしいセリフを口にする。

けれど、誰からのツッコみも入らない。
誰もが瞳を閉じながら、だだじっと、アリスとアテナの謳声に聞き入っていた。



「おめぇだって………」
「はへ?」

灯里の隣に立つ暁が、灯里にだけ、ようやく聞こえるような小さな声で言った。

「おめぇだって…いっつも素敵だぜ。 ……灯里…」

やっと言うことができた!!

「ほへ………」

驚いた顔で暁の顔を見つめる灯里。
暁は、そんな灯里を見ようともせず、ただ口を「へ」の字にまげ、両手を胸の前で組みながら、正面を…ただ正面だけを強張った顔で睨みつけ、仁王立ちしていた。

全身を茜色に染めながら………

「…はい。 ありがとうございます」
灯里はそんな硬直してしまった暁の腕に、自分の両手をからませると、目を閉じ、そっと顔を押しあて寄りそった。

暁はますます硬直し、最早、指いっぽんたりとて動かせなくなっていた。
汗が怒涛のごとく、流れ落ちてゆく。




「あれ? ヒメ社長?」
「どうしたんです。 藍華」
「アルくん。ヒメ社長、どこ行ったか知らない?」
「いえ…そう言えば、アリア社長や、まぁ社長の姿も見えませんねぇ……」
「まったく…いったい何処へ行っちゃったのかしら……」
「猫だけに……」
「え?」
「猫だけに、どこかで『ネコンでる』-なんて…ね」
「アルくん………」
「さらに、アナコンダまで取り入れると……」
「アルくん!」
「は、はい?」
「おやぢギャク禁止いいいいいいいいいい!!」
「ええ~? こ、これは『猫』と『寝込んでる』とをかけたマン・ホームの高等古典で……」
「禁止! 禁止! 禁止! って言ったら、きっ・んっ・しぃぃぃぃっぃいい!!」
「えええええ~」



                               
                                    Essere continuato (つづく)






              Traghetti PART-8  [ Lumis eterne ]   -la fine








PART-8を、お届けします。
本来このお話しは「7」と同じになるはずでした。
それが気が付けば、こんな長い話に…すいません。
さすがにPART-7 前編・後編 にする勇気もなく…(泣)
ですからこのお話しは、7と同軸のお話しです(汗)

実は今回のこのお話は、オールスター登場の他に、アリスとアテナを競演させよう!
そしてそれを8月4日に発表しよう!
-とゆうのが、密かな野望でした。     結果は惨敗です(涙)

ですが、どうか、みな様の心の中に、アリスとアテナ。 二人の競演する声が少しでも響けば、これに勝る幸せは、ありません。

どうか次回PART(これも今回、ぜひとも書きたかったコトです)ともども、しばらくの間、お付き合いください。



[6694] Traghetti part-zero  [ Ai vicolo doveio ero ad una perdica e mi fui sccalcato ]
Name: 一陣の風◆fc1b2615 ID:8350b1a5
Date: 2010/09/27 13:18
アリア・ポコテンが街を駆ける。

同じように街を駆けていく、ヒメや、まぁの後を追いながら。
太陽はすでに、その半分以上を水平線の彼方へと姿を消し、あたりは夕暮れとも、夜ともつかぬ、そんな不安定な情景を浮かび上がらせていた。

逢魔ヶ刻
大禍ヶ刻

そして-
灯りともし頃

行き交う街の人々も、夕陽の紅と夜の闇の黒に染められ、まるで影法師のように頼りなくうつる。
ゆらゆらとぼやけ、輪郭も定かでなく、ただ、たたずみユレテイル。

-ダレ? コレ!

『黄昏』-の語源になったとも言われる、古(いにしえ)の問いかけ。
それは目の前にいる人が「現世」の存在なのか、それとも「彼岸」の存在なのかを知るための問いかけ。

虚像
実像

そのいずれかすらも判別できぬまま、アリアはさまざまな人々とすれ違う。
どこからか季節外れの風鈴の音も聞こえてきた。




『Traghetti』  PART-ZERO  [ Ai vicolo doveio ero ad una perdica e mi fui sccalcato ]




「おい。聞いたか? トラゲット乗り場がスゴいコトになってるらしいぞ!」
茜色の夕陽よりもなお、赤い髪と紅い瞳を持った少年が叫んでいた。

「まるでカーニバルのような、お祭り騒ぎになっているんだと。 燃えるなあっ よしっ。 行ってみようぜえ!」
その少年は、やたらと興奮した口調で、隣に立っている黒いフレームの眼鏡をかけた、黒髪の少年に話しかけた。

「それはおかしい。 お前もこのネオ・ヴェネツィアの住人であれば、この時期カーニバルが行われることなどない。
 -と、ゆう事実を知っているはずだ」
けれど、その友人らしい少年は、年不相応な、とても冷静な声で返事をした。

「そもそもカーニバルとはラテン語で『Carne vale-肉よさらば』の意味を持つ『謝肉祭』のことで、断食の前夜の意味ことだ。
 そしてそれはすなわち『灰色の水曜日』の前日である火曜日に行われるものであって…その火曜日もまた『マルティ・グラ』
 と呼ばれる特別な意味を持つ『肥沃な火曜日』の……」
「だあああああああ!!」

赤い髪の少年が、大声をあげて、その永遠に続きそうな説明をさえぎった。
「もう理屈はいらねぇよぉっ。 ほら、とっとと行こうぜ!」
そう言うと、彼の手を取り引っ張りだす。
「…まあ、そうだな」

おとなしく、ひきずられるように引っ張られていく黒髪の少年。
案外、このふたりはいいコンビなのかもしれないな…… 
-と、アリアは、そんなことを思いながら通りすぎる。

風鈴が-チリン…と清んだ音を響かせた。




「ねえ。 あのアリス・キャロルがトラゲットしてるんだって! 知ってた?」
「え? あのアリス・キャロルが!?」
「うん。 ウチのおばあちゃんが今朝、トラゲットしてる彼女と話たんだって!」
「うそぉ! スゴい?」
「ねえ。 今から行ってみましょうよっ」

今度はミドル・スクールの低学年の子達だろうか。
ひとりの少女を中心に、何人かの少女が集まって声高に話し合っている。

「もちろんよ!」

夕焼け空と同じ色の髪をなびかせて、その少女が快活に答える。
「今すぐ行きましょう! そして彼女のゴンドラを見るの!」
「あはは。 ホント。 あなたはアリス・キャロルのことが好きなのね」
「ええ。大好き。 だって私は-」

少女はにっこりと微笑み、言い放った。
「だって私は『オレンジ・プリンセス』になるんだもの!」

-オレンジ・プリンセスになる? どうゆう意味かな?
アリアは、そんなことを思いながら、かたわらを通りすぎる。

風鈴が-チリン…と清んだ音を響かせた。




「私は行かないわ!」
さっきとは違う少女が、また別の少女達に向かって叫んでいる。

「私はトラゲットなんか…ウンディーネなんかに興味ないの!」

「ええ? だって、あのアリシア・フローレンスや、晃・E・フェラーリが漕いでるのよぉ?」
「新、妖精達も漕いでるって噂だよ」
「一緒に行きましょうよぉ」

けれど、その少女は、青紫色の髪のポニーテールを揺らしながら答える。

「興味ないって言ってるでしょ。 いいからあなた達だけで行ってくれば」
「……いいの?」
「気にしないで。 私、ホントにトラゲットにも、ウンディーネにも興味がないから……」
「分かった。 じゃあ、私達、行ってくるね」
「うん。 行ってらっしゃい。 また明日ね」
「うん。 ばいばい。 また明日ね」
「うん。 ばいばい………」

女の子達はそう言うと、何事もなかったかのように、青紫の髪の少女を残し、笑いさざめきながら駆け出して行く。

「だって……」
残された少女は、そんな友達を見送ると、その琥珀色の目を伏せ、ちいさくつぶやいた。

「だって私は…アクアに嫌われているんだもの………」

-アクアに嫌われている? どうゆう意味だろう?
アリアは、そんなことを思いながら、かたわらを通りすぎる。

風鈴が-チリン…と清んだ音を響かせた。




不意にアリアの足が止まった。
一緒に走っていた、ヒメや、まぁが、咎めるように声をあげる。
けれど、アリアは二人のノームの…いや、正確にはその片割れの女性のノームに心を奪われていた。

そのノームは…なんと表現したらいいのだろう。
火星猫のアリアから見ても『かわいい』としか表現できない。
星をちりばめたような深い翠の瞳。 腰まで伸びた亜麻色の髪。
そして、ノームとしてもどうかと思うほどの、小柄で華奢な容姿。
その横に立つ、180センチはあろうかと思える、巨大なノームの青年と比べると、本当にまるで「お人形さん」のような女の子だ。

けれど、アリアの足を止めさせたのは、もちろん、彼女のその容姿などではない。
ヒメを愛する、アリアにとっては、人間の女の子の容姿など、なんの興味もない。

アリアの足を止めさせてモノ。
アリアの心を奪ってしまったモノ。

それは彼女の放っている『気配』
それは彼女の纏っている『気配』

思わず足を止めてしまうほどの『気配』
思わず心を奪われてしまうほどの『気配』

そのノームが、アリアに気が付いた。
今まで、もう一人の男のノームに向けていた顔をこちらに向ける。
今まで、もう一人の男のノームに紡いでいた唇をこちらに向ける。

そして彼女は-
アリアに、にっこりと微笑みかけた。

「ぷいにゅっっ」

その微笑みの、あまりの禍々しさに、思わずアリアは一歩、後ずさる。
その少女は、どす黒い霧のようなモノを、全身から噴出させながら、けれども、にっこりと-まるで天使のように微笑み、アリアに問うた。


「見たわね?」


次の瞬間。
アリアは水の中にいた。
その少女の、まるで「タイラント・ドワーフ」のような『気配』に、思わず逃げようとして足を滑らせ、水路へと落ちてしまったのだ。


風鈴が…幾重にも重なった無数の風鈴が、さまざまに踊りながら、耳を焼くような、狂ったような、すさまじい音で鳴り響きだした。





体中が冷たい何かに包まれていた。

「ぐぼぶっ! ぷ、ぷいぎゃあああああっ」

アリアは必死にもがく。
水先案内店の社長にもかかわらず、アリアは泳げないのだ。
しかも今はパニックに襲われ、正確な判断をくだせなくなっていた。
ただ何もせず、そのまま力を抜き、ゆったりと構えれば、自然と浮くことができるハズなのに……
今はもう、闇雲に手足をばたつかせるばかりだった。

今までのことが走馬灯のように脳裏を駆け巡る。
楽しかったコト 悲しかったコト 苦しかったコト
美味しいモノ 好きだったモノ

グランマの笑顔 アリシアの笑顔 灯里の笑顔 
まぁの笑顔 そしてなによりもヒメの笑顔………

いくつも情景が頭の中を走りぬけ、やがて意識が遠のいていき…… 


「んん? アリア社長。 こんなところで何やってるんだ?」

頭の上から声がする。
朦朧とした頭で、声のするほうを見上げれば、そこには何故かARIA・カンパニーの制服を着た『少年』が立っていた。

『少年』といっても、もう青年に近いのだろう。
おりからの黄昏で、その顔は影になり、表情はよく分からない。
ただ、そこからこぼれ出る笑顔には、とても懐かしい何かが感じられた。

「ほら、アリア社長、つかまれ」
少年が手を差し伸べる。

不思議なことが起こった。
不意に波が動きを止めると、まるでアリアを持ち上げるかのように迫り上がり、少年の方へと押しやったのだ。

アリアは差し出された、少年の手を取る。
とたんに波は元の姿に戻り、何事もなかったかのように、また、ざわめき、波打ち始める。

「ぷ、ぷいにゅふぅぅぅ」
カンポの上にヘタリ込みながら、アリアは安堵のタメ息をつく。

「アリア社長。いくらこの時期だからって、いつまでも濡れたままでいると風邪をひくぞ」
少年はそう言うと、アリアの背中をやさしくなでた。

瞬時にして、濡れたアリアの体から、水気が消し飛ぶ。
なんの熱も、力も感じられない。
まるで水分が-
水が自らの意思でもって、どこかへ行ってしまったかのような……

「これでよし。 じゃあな、アリア社長。 またな」

相変わらず、顔がよく見えないその少年は、そう言うとそのまま背を向け、最早、大部分が闇へと包まれた街の中へと、解けるように消えてゆく。

その消えゆく最後の刻に、少年は、水色の髪を震わせ、そっと振り返り、小さく微笑みながら右手を上げ、別れの挨拶をしてくれた。
その仕草は、なぜかとても寂しく、懐かしく、けれど暖かで心休まる……
そんな、まるで『心が張り裂けそうな想い』を、アリアにいだかせた。


アリアは身じろぎもせず、泣きそうな瞳で、その少年が消えて行った路地を見続けていた………





「にゃあ~ん」
「まあああああっ」

遠くで自分を呼ぶ、ヒメと、まぁの声にアリアは我に返った。
気が付けばいつの間にか、あたりは完全な闇に包まれ、空では満天の星とふたつの月が、優しげて、妖しげな光を放っていた。

急がなくては-

アリアは走り始める。
急がなくては間に合わない。

アリアは走り始める。
今あった出来事。
今あったひとびと。

それが何であったのか
それがどんな意味なのか

アリア・ポコテンには分からない。
理解すらできない。

それは「夢」であったのか?

けれど-
と、アリアは思う。

彼等、彼女等に、どこかでもう一度会うことができるだろうか?
いや、どうしても、どんな形でも、どんな世界であろうとも-


もう一度会いたい。


アリアは走る。
夜の街を走る。

そんな思いを胸に秘めながら………




風鈴が-チリン…と、清んだ音を響かせた。




                                       Essere continuato (つづく)



               
 
  Traghetti PART-ZERO  [ Ai vicolo doveio ero ad una perdica e mi fui sccalcato ]   
                                ( 迷い込んだ路地へと) -la fine





土下座 土下座 土下座………ひたすら土下座m(__)m

とうとうやっちまった…

えと、オマージュです。
これはオマージュ(臣従礼)です。

何のことか分からない方(そんなヤツァいねえ!)の為の野暮な話しをさせていただきますと-これは

「ARIA The OTHER」 放浪者様 ←【注】
「ARIA The parallelism world 」 跳染様

敬愛する両氏への、リスペクトです!(汗)

もし、もしも、まだお読みでない方がいましたら(だから、そんなヤツァいねえ!!) ぜひとも、ご一読ください。

私の作品なんぞは、足元にも及ばぬ、確かな世界観と広がりを持った、素晴らしき『ARIA』世界が、そこには在ります。

放浪者様。 跳染様。
なにとぞ、なにとぞ、寛大なるお志でもって、このお話しを許していただき、鼻で笑っていただければ幸いです。
また、読んでいただけた皆様も「アホだなぁ…」と、苦笑して許していただければ、これに勝る幸せは、ありません。

それでは、次回(ようやく)最終話まで、しばらくの間、よろしくお付き合いください。



【注】
2010年9月。
放浪者さまは現在、「流離人」と名を変えておられます。
作品もリニューアルされて発表されています。

PS(私信陳謝)
流離人さま。お帰りなさい(喜)



[6694] Traghetti part-9  [ una gondola della luce delle stelle ]
Name: 一陣の風◆fc1b2615 ID:8350b1a5
Date: 2010/06/09 17:55
夜になっても、トラゲットは続いていた。

理由は-幾ばくもある。
そう。
事件、事故がそうであるように、物事の始まりと終わりには、単壱ではない、いくつもの理由が存在する。

例えばそれは-
ひきも切らずにトラゲットを希望する街の人々。 -で、あったり。

自分の持ち場のトラゲットが終了したあとに、ここのトラゲットのことを知り、晃やアトラ、
そしてなによりも、アリシアとのトラゲットを希望するシングル達が集まりだしたこと。 -で、あったり。

またそれを嫌がりもせず、笑顔で受け入れる、元、三大妖精達。 -で、あったり。

それどころか、灯里や藍華、アリスといったプリマ達とのトラゲットを希望するシングル達も大勢いる とゆう事実。 -で、あったり。

またまたそれを喜んで引き受ける、灯里達。 -で、あったり…


それら、いろいろなファクターが複雑に絡み合った結果、未だに-すでに陽はとっぷりと暮れ落ち、誰がどう言い募ろうとも
「夜ぅぅ!」とかしか言いようがない時間であるにもかかわらず-トラゲットは続いていた。

まぁ、ただ単に、みんな面白くて止められない。
-っと言うのが、本音なんであろうが……


降るような星空が、そんなネオ・ヴェネツィアの街を、優しく見下ろしている。




          『Traghtti』 PART-9  [ una gondola della luce delle stelle ]  




暁は未だに仁王立ちしていた。
ぐっ-と腕を組み、睨みつけるかのように前を向き、ひと言も発することなく…
いや、正直に言おう。

彼は-
出雲 暁は、その体勢のまま、硬直-失神といってもいい-していたのだ。

腕にはまだ、灯里の手の温もりと、彼女の頬の柔らかな感触が残っている。
甘く、やさしげな香水の香りも、ほのかに残っている。

もちろん、大丈夫たる無粋な暁には、その香水が「アクアマリン」と呼ばれる、
『ピーチやアプリコット、オレンジブロッサムなど元気で、とっておきの爽やかさを演出するマリン系フレグランス』

で、あることなど、知りようもない。

ただ彼は、その『灯里の香り』に戸惑い、酔いしれ、動けなくなってしまっていたのだ。
なぜ?
答えは簡単だ。 動けば、その香りが、どこかに飛んで行ってしまうかもしれない。  -だからだ!!

出雲 暁。 漢である。 



「弟よっ」

-ごすっ!

と音がして、暁の呪縛がようやく解けた。

「ぐわっ。 て、てぇんめえええぐがっ!?」
振り向いた瞬間、カウンターのようにくりだされる頭突きに、暁はたまらず、頭を抱えてしゃがみ込む。

「暁さんの、お兄さん?」
気づいた灯里が、走って来た。

「やあ、お嬢ちゃん。 久しぶり。 元気だったかい?」

暁の兄は、にやり-と笑った。

「灯里ちゃん、この方は?」
なぜか追いかけてきた蒼羽が訊ねる。

「この方は、暁さんのお兄さんです。 お名前は……」
「新太だ。 出雲 新太(あらた) よろしく、べっぴんのウンディーネさん」
「…ふふ。 当たり前のことを、当たり前に言っても、何の賞品もでないぞ」
「おお、言うねぇ…気に入った」
「どういたしまして」

「お兄さんは、貿易会社の偉い人なんです」
なんとなく二人の会話に『不穏な』ものを感じた灯里が、あわてて間に入る。

「ウッチェロ・ミラグラトーレって会社の貿易実務の担当者なんです」

「ああ。名前は聞いたことがある。 小さいが、なかなか良い品を扱ってる堅実な会社だ。 そこの人か」
「小さくて悪かったな…つか、あの会社を立ち上げたのはオイラだからな。 実質、社長兼任さ」
「へえ…社長様か」

「はひ。 それに、お兄様は難関で有名な中央大学を卒業されてるんですよ」
「ほう。中央大学を…エリートさんじゃないか」
「おう。少しは興味がわいてきたかな?」
「でも…そこの、へたれの兄貴だろ?」

新太の問いに、蒼羽は、未だに頭を抱えて呻いている暁-出雲・弟を見ながら答えた。


「は…はっ。 は・は・は・はははっ」

-がごっ! ぐりぐりぐり
再び、暁の後頭部に、兄の鉄拳が炸裂し、そのままドリル・轟天・アタックへと加速する。

「ま、まあ、出来の悪い弟を持った、優しい兄貴の不幸ってヤツだな……」
「ああ。それには、概ね同意する」
「お、おめぇらああああああああぐあああっ!」

兄のドリルの回転数が増し、やがて暁は地面とキスをするはめになった。

「なあ、お嬢ちゃん」
兄-出雲新太が灯里に言う。

「お嬢ちゃん、こいつに惚れると苦労するぜい なにせ人造人間だからなあ…」
「は、はひっ。 いえその……」
「て、てめぇ、見ていやがったのがぶあっ!」
立ち上がりざま、再び頭突き(マン・ホーム、日本州・大阪区で言うところの「パチキ」)を喰らわされ、またも悶絶する暁。

-人造人間
それはまだ暁がミドルスクールの低学年だった頃、彼はなぜか自分が「人造人間」だと思い込み、母親や兄の新太、
幼馴染のウッディやアルをも巻き込んで、毎回、大騒ぎを引き起こしていたのだ。

もちろん「人造人間」-そんなこたぁ、これっぽちも、ない!


「お袋にはオイラから伝えといてやるよ。 お前にはもったいないくらいの いい人見付けたってな」

その言葉に灯里は思い出す。
その、まるで姉のように若く見える、暁のお母様のことを…歓迎してくれるかな?

「いや、ちょっと待っぐぁぁあ!」
立ち上がろうとする暁に、またまた、兄の鉄拳が炸裂する。


「じゃあ、お嬢ちゃん。アホな弟をよろしく頼むわぁ。 それにべっぴんのウンディーネさん……」
「蒼羽だ」
「うん?」
「私の名前は、蒼羽・R・モチヅキだ。 出雲新太社長」
蒼羽が、ふふん-と笑いながら言う。

「蒼羽さんか…いい名前だ。 今度会ったら、お茶でも、おごらせてくれ」
「ああ、機会があれば…な」
蒼羽と新太は、お互い顔を見合わせて微笑を交す。

それから新太は、振り返らず、夜の街へと消えていった。
蒼羽は、微笑みながら、その後姿を見送る。
灯里は訳も分からず、ただ「ほへ?」っと、そんな二人を交互に見やっていた。



「蒼羽さん。 灯里ちゃん、どうでした?」
あゆみがやって来て訊ねる。

「ああ、そうだ」
蒼羽が思い出したように、手を叩く。

「灯里ちゃん。 君とのトラゲットを希望するシングル達が何人か居るんだ。 また一緒に漕いでやってくれないか?」
「は、はひ。 分かりました、すぐに行きます。 すいません、暁さん。 私、またちょっと行ってきます」
暁を介抱していた灯里が、そう言って、その場を離れる。

「すまないなぁ…野暮で」
蒼羽はそう言うと、暁の背中を一発、ドヤしつけた。 暁がまた情けない声を上げる。



「うふふ。ホント。 蒼羽さんは昔から豪快なんだから……」
「ふわあっ?」
その声に、今度は蒼羽が情けない声を上げる番だった。

絶大の意思の力でもって、ゆっくりと振り返る蒼羽の、その視線の先には-

「こんばんわ。 蒼羽さん」

彼女の笑顔があった。


「ああ……」
アンジェリアがタメ息とともにつぶやく。

「どうかしましたか?」
アトラが訊ねる。
アンジェリアは、強張った表情で、ツアー・コンダクターらしい女性の前に立つ、蒼羽を見やりながら言った。

「いや、蒼羽も変わったなぁってナ。いや昔にもどったと言うべきか。 何があったか知らないが、あいつ、ひとつ器が大きくなった感じだ。
 もっとも……」
「もっとも?」
「前の『ツンケン』なあいつも面白かったケドな……」
「アンジェリアさん………」
アトラは苦笑するしかない。


「ところで」
アンジェリアは、さっきの表情はどこへやら-で、「彼女」を嬉しそうに抱きしめている蒼羽を見やりながら言った。

「あの子は誰だい?」
「あの子は……」

アトラもやはり、笑い合うふたりを見ながら答えた。
「彼女が蒼羽さんを変えた理由です」
「んん?」
アトラは語り始める。

「あの子は、元オレンジ・ぷらねっとのウンディーネで…あの、アンジェリアさんは覚えていませんか?
 何年か前に、舵の故障したヴァポレット(水上バス)が、クルーズ中のゴンドラに突っ込んだって事件のこと……」
「確かウンディーネも、お客様も何人か怪我をして、しかも書類の不備でもって、その事件をゴンドラ協会が把握したのが、
 ずいぶん後になってからだった-ってヤツかな?」
「ええ……」

アトラは少し目を伏せ、辛そうに言った。

「彼女が、そのウンディーネなんです」
「そうか…彼女がグランマ達の武勇伝の……」
「武勇伝?」
藍華が訊ねる。

「なんですか、それ?」
「ああ…えっと」
アンジェリアが、うろたえたようにグランマ達を見る。

グランマは、相変わらずの笑顔で。
明日香は、困ったようなしかめっ面で。
アン寮長は、泰然とした表情で。

それぞれ、アンジェリアを見ていた。

-ま、いっか。 自分のことは、はしょれば…


「あの事件の結末は知ってるかい?」
アンジェリアがみんなに訊ねる。

「はい。 確か彼女は退職させられ、二度とウンディーネには、なれなかったと……」
藍華が苦いものでも吐き出すかのように言う。
アテナ達、オレンジ・ぷらねっとのウンディーネ達が、うなずく。

「あっ でも今、彼女はマン・ホームの旅行会社でゴンドラ・クルーズのツアーコンダクターになったんです。
 だから今ではこうして、蒼羽さんと……」
心の底から、仲良く笑いあっている蒼羽と彼女を見ながら、アトラは微笑む。

「どうしてそうなったか、知ってる?」
「どうして?」
「どうゆうことですか? アンジェリアさん」
「考えてもみてごらん?」
アンジェリアは、ちょっといぢわるな顔になった。

「水先案内店を退職した…させられた元ウンディーネ。 そんな子が、たとえマンホームの旅行会社といえども、
 アクア専門のツアコンに再就職できると思うかい? それもゴンドラ・クルーズのツアコンなんて……」
「あっ」
「そういえば……」
「会社やゴンドラ協会が許さない…ですか?」

「ああ。 実際、ゴンドラ協会では彼女の永久追放…ネオ・ヴェネツィアへの立ち入り禁止。 って、審判をくだしていた。
 たとえそれが、一般人の身分としてもだ」
「そんなっ」
「そこまでっ」
「ひどい!」
みんなが、嬉しそうにじゃれ合っている、蒼羽と彼女に改めて視線を投げかけながら絶句する。

「で、それをひっくり返したのが、グランマ達だ」
アンジェリアが実に楽しそうに笑った。

「グランマが……」
「正確には、グランマ。 明日香さん。 アンさん。 そしてアレサ女史」
「アレサ部長が?」
「ああ。もともとコトの発端は、あいつだ」
「発端……」
「あのとき………」
アンジェリアは夜空を見上げる。

「誰よりも深く傷ついていたのは蒼羽だ。 だけど、それと同じ位…いや、それ以上に深く傷ついていたのは、アレサだ」
「傷つく……」
「ああ、彼女がどれだけウンディーネを…オレンジ・ぷらねっとだけじゃないぜ、ネオ・ヴェネツィアすべてのウンディーネだ。
 -を、大事に思っているかは……みな知ってるな?」

灯里や藍華、のみならず、晃やアリシアまでもが、うなずく。

「その通り。だからアレサは行動を起こした」
「行動?」
「どんなですか?」
「もしかして、ゴンドラ協会に、でっかい殴りこみ…なんて」
「あはははは」

アリスのそのセリフに、アンジェリアが笑い声を上げる。
「そ、そうですよね。 アレサ部長が、いくら何でもそんなことを……」

「正解」
アンジェリアは、きっぱりと言い切った。


  「「「『 ええええええええ~えっ!? 』」」」」


驚愕の大合唱が巻き起こる。


「いやいや。 彼女の名誉のために言っておくが、決してヤッパや、チャカや、シャベルを持って、カチコミかけた訳じゃないぞぉ」

……いやいや
 
ヤッパ(長ドス) チャカ(拳銃) シャベル(でかいスコップ) そしてカチコミ(殴りこみ) って……

なぜにそんな「専門用語」を…アンジェリアさん?



「彼女は大人サ…そして策士でもある」
「策士……」
「だからこそ、オトナのケンカをした」
「大人の喧嘩……」

「アレサはまず、アン女史に通じて、グランマや明日香さんに話しをつけると、一緒にゴンドラ協会へと乗り込んで来たんだ」
「ご…いえ、四人そろって……」
「ああ。『仁将』のグランマ。『知将』の明日香さん。『猛将』のアン女史。 そして『策士』のアレサ。まるで『三国志』だな」
「はあ……」

「そこで優しく、穏やかに、大人の振る舞いでもって、ゴンドラ協会の理事長…今のビスマルク氏じゃない。 その前の理事長だ。
 偉そうで融通が利かず、自分の決定に従わせることが、常に最上の選択-と考えてるような奴……人だった」
「アンジェリアさん……」
その言い草に、苦笑を浮かべる一同。


「んで、グランマ達の説得に、最後はちゃんと納得してくれてね。ウンディーネの引退はしょうがないとしても、
 その後のことは、協会側からは一切、関与しないって、言質を取ったのさ」
「ほへぇ……」
「あっ、でも」

「ん? なんだい藍華くん」
「いや、でもどうやって? どうゆうふうに説得したんですか? いくらアレサさんやグランマ達がいたとしても……
 前・理事長さんは、よく納得しましたね」
「そりゃ、みんなが協会から脱会するって言えば、納得もするさ」



  「「「『 だ、脱会いいいいいいいいいいいぃいぃっ!? 』」」」



再び、全員が驚きの声を上げる。
アリシアまでもが、驚きの表情を浮かべている。
街の人達も、一瞬、なにごとか? と、こちらを見た。

「いや、あの、アンジェリアさん……」
なぜか小さな声で、藍華が言う。
「ん? なんだい」

「そんな脱会だなんて…いえ、あの…出来るんですか?」
「うん? なぜ?」
「いえ、なぜって…協会を脱会するってことは、ウンディーネ…水先案内業界にもいられないってことで……」
「ああ。そうだね」
「いや、そうだねって、そんな軽く……」
「軽いことよ」
明日香が微笑みとともに言う。

「たかだか自分がウンディーネでいられなくなる事なんて、自分達の後輩が悲しむことに比べれば、羽毛のごとく軽いものだわ……」
「明日香さん……」
「私達のことを、先輩って慕ってくれる後輩達の…家族のためなら……ね」
「アン寮長……」
「ほっ・ほっ・ほっ。 ホント、そんなたいしたことじゃないのよ」
「グランマ……」

「ええっと、つまり………」
藍華が額を指でもみながら、唸るように言った。

「グランマやアレサさん達は、自分達の脱会をチラつかせながら、前・理事長に譲歩を迫ったってことですか?
 って、それ脅迫じゃないですか!」
そんな叫びにも、グランマ達は無言で微笑むばかり……

-そりゃ、絶大なる人気を誇るグランマや、その引退式を協会が仕切るほどの業績ある明日香さん。 比類なき人望を集めるアン寮長さん。
 そして、新進気鋭の「第三の波」-と言われるほどの改革を成し遂げた、アレサさん。

 この四人に「脱会」の二文字 -しかも協会とウンディーネの処遇を巡っての確執が原因- を、ちらつかせられちゃぁ
 前・理事長でなくても、折れざるを得ないわね……  
 って…いや、いやいやいや


「それのどこが大人の喧嘩なんですかぁ!?  そのまんま、わがままな子供の喧嘩ですやん!!」
「藍華。 言葉使いが変だぞ」
アンジェリアが笑いとばした。

「あの。 質問があります」

「ん? なんだい。 アトラくん」
「アンジェリアさんは、どうしてそんなに詳しいんですか?」
「え?」
「協会長への直談判。 それは当然、室内の…密室での秘密の話し合いだったハズです。 今までそんな話しを誰も知らなかった。
 -と、ゆう事実をもってしても、それは証明されます。 それに……」
「それに?」

「さっき、アンジェリアさんは言いました。 乗り込んで『来た』って…… それはつまり、その場にアンジェリアさんが居て
 そこにアレサ部長達がやって来た-って意味ではないんですか?」
「うわっ。 スルど!」
「その通り。 さすがは我がオレンジ・ぷらねっとの誇る、名探偵さんね」
「アレサ部長?」

振り向けば、いつの間にかアレサ・カニンガムが、アンジェリアの後ろに立っていた。
「ほんとに、アンジェリアは余計な話しを……」
「はははは」
「笑い事じゃないわよ。 若い子達に聞かせていい話しと、そうでない話しとくらい、判断つくでしょ? アン寮長達もそうです。
 ちゃんと止めてください。 こんな話、なんの自慢にもならない」
「なあ、アレサ」
「ん? なによ。アンジェリア」
「照れてる?」

アレサがものも言わずに、手に持った書類の束で、ポン!-と、アンジェリアの頭をはたいた。
けれど、みな、そんなアレサの頬が、ほんのりと紅く染まるのを見逃さなかった。

「お二人、仲いいんですね」
杏がアン寮長に問う。

「ええ。あの二人、会社は違うけど、同期でシングルの時はよく二人でトラゲットしてたからね」
「あ、じゃあ……」
「まるで、あなた達と、あゆみさんみたいね。 ふふふ」

こんなところにも『未来への航跡』が………
杏は嬉しくなった。


「あの、さっきの話なんですけど……」
アトラが、そんな「じゃれ合う」アレサとアンジェリアに改めて訊ねる。

「あ、いやそれはもういいよ」
「なに言ってるの、アンジェリア。 あなただけ知らんふりするのは、禁止よ!」
「おひおひ……」
「実は私達には先客がいたの」
「先客?」

ぽりぽりと、頬をかくアンジェリカの肩に手を置きながら、アレサは唄うように語りだした。

「ええ。あの日、私達が理事長室に入っていくと、そこにはすでに彼女がいてね」
「アンジェリアさんが、先に居たんですか?」
「ええ。私達が行動を起こすより、ずっと早かったわ。 さすがは、アンジェリアね」
「いやあ、それは別に…その当時から私はゴンドラ協会の人間だったし……」
照れるアンジェリア。

「アンジェリアさんも、やっぱり、説得してらしたんですか?」
「…ええ、説得といえば、説得かしら」
アレサはとても楽しそうに、笑いながら言った。

「左手に辞表を持ち、右手で前・理事長のネクタイを引っ張りながら『言うこと聞かなきゃ、辞表を出して、洗いざらいぶち撒けるぞ!』
 って叫んでるのが、説得って言うのならね」
「うわあ………」

もっともストレートなカシオド(脅迫)である。



「私達、先輩のみなさんに守られてるんですね」
灯里がポツリと言った。

「私達は、こんなにも、知らぬ間に、たくさんの先輩達に守られてて。
 私達は、こんなにも、尊敬できる先輩達に助けられ…育てられてて。
 いつでも、どこでも、どんな時でも。 そんな先輩達に……
 だから…だから私は……
 私達は、こんなにも、毎日、楽しくゴンドラを漕ぐことが出来るんですね。
 えへへ。 嬉しい」

照れたように笑う灯里。
こんなときに言うセリフは、ただ、ひとつだけだ。 せーのぉぉぉぉぉぉ



  「「「「「『 恥ずかしいセリフ、禁止ぃぃぃぃいいいっ! 』」」」」」


全員が一斉に叫ぶ。

「ええ~ぇ」
これもお約束の灯里の嘆きの声が広がった。



「グランマ!」

突然、男の子がグランマの元へと駆け込んで来た。
「あらあら。 アヒトくんじゃない。 お久しぶりねぇ」

アヒトと呼ばれた少年は「えへへ」と、照れたように笑った。

「アヒトくんが居るとゆうことは……」
「やあ、アリシア。 グランマも、お久しぶりです」
「アンナ先輩!」
アリシアが嬉しそうな声を上げた。

アンナは、元ARIA・カンパニーのプリマ・ウンディーネ。
アリシアの直接の先輩ウンディーネだった人だ。

その性格は明るく朗らか、なおかつ、さっぱりとしていて、男性ファンも多くいた。
アリシア曰く『今の私より人気があり、忙しかった人』だ。

アリシアのプリマ昇進と同時期に、ゴンドラ・クルーズの際に知り合った、ネオ・ブラーナ島の漁師、アルベルトと結婚。寿引退した。
……ちょっと、誰かにかぶる人生である。

引退後は、ネオ・ブラーナ島に移り住み、子育てと家事を両立しながら、さらに同島の名産品であるレースの職人としても働いている。
アヒトは彼女の子供で、ミドルスクールの三年生。
男の子らしい「やんちゃさ」と、初対面の女性には、つい赤面してしまう「純情さ」を持った、快活な男の子だ。

「ありゃ、明日香さんにアンさん。それにアレサさん。 こっちには三大妖精まで……
 ちょっと家族で本島に遊びに来てみれば…今日はなんだ、いったい?」
苦笑を浮かべるアンナに、アリシアが今朝からのことを簡単に説明する。

「う~ん。ただの代理トラゲットが、こんな大騒ぎになるなんて…ホント、この街は……」
そしてアンナは、真実を言い当てる。


「お祭り騒ぎが大好きなんだな」


-どおおおっぉぉぉおん! ばちばちばちばち…

突然、人々の頭上で大きな音が響き渡った。
反射的に見上げる夜空に、色とりどりの大輪の花が咲いていた。 とうとう花火まで上がり始めたのだ。

お祭り騒ぎは、未だに収束の兆しを見せなかった。



                  ***


「ねぇ。グランマ、これ見てよ」
「はいはい、アヒトくん。 なんですか?」

アヒトは三つの首を持ち、黄金色に輝く怪獣のぬいぐるみを、自慢気に差し出した。
「これ、かっこいいだろぉ?」
「あら、まあまあまあ。 本当、かっこいいわねぇ。なんて名前なの?」
「大怪獣・キングあきらドラさ!」
「まあ、とっても、いい名前ねぇ」
「うん。 こいつ喋るんだよっ」
アヒトが背中のスイッチを押すと、それは叫び始めた。

-すわっ すわっ すわあああああああああーあ!

「あらあら、素敵だわ」
微笑むグランマ。

「で、こっちのはアリむっクス!」

-へへん! と、ばかりに、今度が全身が赤い毛に覆われた、口の大きな、どんぐりまなこの怪獣の人形を見せる。
「おやまあ、頭にプロペラがついているのね。 面白いわ」
「だろぉ? それで、こいつも喋るんだ」

アヒトが頭のプロペラを回すと、それも叫び始める。

-でっかいぃぃぃいいっ。 でっかいいぃぃぃぃいいいいっ


最後は、緑色の、とても眠たげな目と、特徴的な前歯を持った怪獣だ。
「がちゃぺんは、こうすると声を出すんだよ!」

アヒトが言いながら、ぬいぐるみの腹を押さえると、それも叫び始めた。

-禁止ぃぃぃぃいい! 禁止ぃぃぃいいいいっ!


「これ、全部、お父さんに買ってもらったの?」
「うん。そうだよ。 実はパパも、こうゆうの大好きなんだ!」
「まあ、いいわねぇ。 お父さんと一緒に、こんな、ぬいぐるみを楽しめるだなんて」
「うん。でも、お父さんは怪獣より、ロボットとかメカに興味があるんだぁ… 
 買うのもメカアカツキンとか、スーパーウキジマ・エックス1号2号3号とか、そんなのばっか……」
アヒトは、少しつまらなさそうな顔をする。

それは、父とまったく同じモノを好きになろうとする、幼い故の純粋な気持ち。 幼い故の優しい気持ち。
だからグランマ-秋乃は、言ってあげた。

「あらあら。それは素晴らしいわね」
「素晴らしい?」
秋乃は、まるで孫をみるような微笑で、アヒトに語りかけた。

「ええ。 だって、それならお父さんとふたりで、楽しいことが二倍になるじゃない」
「二倍……」
「ええ、そうよ。 みんな同じじゃ、つまらないものね。 アヒトくんには、アヒトくんの。 そしてお父さんにはお父さんの。
 それぞれに、それぞれの楽しいことがあって、合わせて二倍…ううん。もしかしたら二十倍かしらね。 うふふふ……
 ねっ、素晴らしいことだと思わない?」
「素晴らしいの、二十倍……」
「今晩わ」
アルベルトがやって来た。

「グランマ。 お久しぶりです。 アヒトはご迷惑をかけてませんでしたか?」
「いえいえ。とっても、いい子だったわよ。 ねっ、アヒトくん」
「パパ!」
アヒトがアルベルトに抱きつく。

「ん? なんだ。 アヒト」
「お家に帰ったら、一緒に遊ぼ!」

アルベルトは屈み込むと、アヒトの頭を、ぐりぐり-となでながら言った。
「ああ。 もちろん。 なにして遊ぶ? フットサル、それとも野球か?」
「三大怪獣xAQUA防衛軍!」

一瞬、アルベルトはきょとんとした顔になると、訊ねるように秋乃の方を見た。
秋乃は、何も言わず、微笑みを浮かべてまま、小さくうなずく。

「よしっ、帰ったらパパの、ウキジマ・エックスTF(任務群)と、アヒトの怪獣軍団との対決だ!」
それだけで分かったのだろう、アルベルトは感謝するように秋乃へと会釈すると、アヒトを抱き上げた。

「あれま、どうしたの? ずいぶん、楽しそうね」
アンナがやって来る。

「うん。ママ。 パパと遊ぶと、素晴らしいが、二十倍なんだよ」
アヒトが肩ぐるまの上から、嬉しそうに叫ぶ。
「へっ? 素晴らしいが、二十倍?」
アンナが疑問符を浮かべながら、夫を見る。

「ちがうぞ、アヒト」
「パパ?」
「ママがいるからな」
アルベルトは破顔しながら言いきった。

「ママがいるなら、素晴らしいが、二百倍だ」

「わあっ 二百倍かあ、すごいや!」
「ええ? いったいなんの話しよぉ。 こらぁ、二人だけで分かってないで、ちゃんとママにも教えなさい!」
怒りながらも、やがて笑いだすアンナ。
そんなママの笑顔に、アヒトもアルベルトも嬉しくなり………

『家族』の楽しげな笑い声が響く。
秋乃は、グランマ -おばあちゃん- の笑顔でもって いつものように、ただ黙って、ただ静かに
けれど幸せそうに-

いつまでも『家族』の笑顔をながめていた。




「はい、暁さん。これで大丈夫です」
「う、お、おおう」
「あっ、さわっちゃダメですよ。 せっかく張ったんですから……」
「いや、しかし…こいつぁ、ちぃいっとばかし、恥ずかしくないかい?」
暁はおでこに張られた『にゃんにゃんぷぅ』(TVアニメの猫のスーパーヒーローのことだ!)の絆創膏を触りながらうめいた。

兄ー出雲新太の攻撃(ドリル・轟天・アタック)により、暁の額は、少々擦り切れていた。
別に、なんとゆうこともなかったのだが( 舐めときゃ直る by藍華 )うっすらと浮かんだ血の跡を見て、急に灯里が騒ぎ出したのだ。

「そんなことより暁さんのほうが心配です。バイキンが入ったら、どうするんです? ああ…ほっぺにも……」

暁さんの方が心配…ニヤケる暁。 それが油断につながった。

「うおう!?」
顔を上げれば、すぐ目の前に、灯里の顔があった。

頬の傷に、やっぱり、にゃんにゃんぷうの絆創膏を張ろうとしている、灯里。
その、暁の視線の高さには………

目の前には、薄いピンクのルージュをつけた、灯里の艶やかな唇がっ!
小さく開いたその中から、白い歯がはっきりと分かるほどの至近距離っ!

そしてまた、優しげに、甘く囁くように薫ってくる、あの『灯里の香り』っ!

あわてて視線を下げれば、そこには制服の隙間から垣間見える、灯里の胸元がっ!
……色は白水色? 着痩せするタイプ?
あれ、そこで輝っているペンダントは………

「あ、灯里ぃ……」

「灯里!」
「灯里先輩!」
「ほへ?」

藍華とアリスの叫び声に、思わず身を起こす灯里。
結果、灯里を抱きしめようと振り上げた手は、目標と目的を失い…暁は再び、硬直状態へと移行して………

「ほら、早くっ」
「ポニ男さんなんかに構ってる場合じゃありません!」
「ほえぇぇぇぇ?」

有無も言わせず、灯里を引きずるように引っ張ってゆく、藍華とアリス。
ひとり残された暁は-

-しくしくしく
 涙よ、人知れぬ涙となりて、誰に気づかれることもなく、ただ静かに、ただ孤独に、我が頬を流れ落ちてゆけ………

両手を、宙ぶらりん-と、差し上げたまま、暁は、ただ泣いていた。




「どうしたの、藍華ちゃん、アリスちゃん」

藍華とアリスに、引きずられる連れられて来た場所は、トラゲット乗り場へと続く、運河沿いの狭いカンポのひとつだった。
大勢のネオ・ヴァネツィアの街の人々が、すでに集まり、多くの人垣ができている。

「灯里先輩、あれ、あれ、あれ!」
アリスが飛び跳ねながら、通りの向こうを指差す。

「ほへ?」
「うんっもう。 聞こえないの?」
藍華が、あきれたように言うと、人垣をかき分け、灯里を前の方に押し出した。

「ほら、よく聞きなさい」
「ほへぇ?」

なにも聞こえない。
ただ街の喧騒だけが…いえ、待って。 あれは…この音は…太鼓? タンバリン?

……まさか!?

やがて、少し調子はずれのラッパの音も聞こえてくる。 もう間違いない。

闇の中から闇が現れる。
通りの向こう。 夜の闇をまとった路地から、それは、ぼんやりと浮かびあがってくる。

白い顔
黒い眼窩
まるで泣いているような頬の文様

それは「バウータ」と呼ばれる仮面。
古来、マン・ホームのヴェネツィアの街で、夜な夜な行われていた「マスカレード」と称される、仮面舞踏会において、
お忍びで参加する「高貴な者達」の身分が分からぬように-と、かぶり始められた、変装用の道具。

それが今、ゆっくりと近づいてくる。
けれどそれは、人が被るには、あまりに大きく、そして高い位置にある。
まるでバウータだけが宙に浮かんで、泳いでくるかのように……

けれどそれは錯覚。
そのバウータを被った人物は、夜の闇よりもなを暗い、黒いローブを纏っていたのだ。
見ればその周りには、同じような白いバウータと、黒いローブを纏った、小柄なモノタチが、さまざまな楽器を手に、踊りまわっている。

「なんで、こんな所にカサノヴァが…まさか?」
あゆみがつぶやく。

カサノヴァは、ここネオ・ヴェネツィアで毎年行なわれる、春の到来を祝うお祭り「カーニバル」 その時にだけ現れる、正体不明の人物。

-100年以上も同じ人物が勤めている。 

などといった噂が囁かれているほどの、正体不明の人物。
人とは思えない大きな体。
白く特徴的な文様の描かれたバウータと真っ黒なローブで姿を隠し、子供より小さな、お供を連れ、毎年現れる、正体不明の謎の人物。

それが今、時期も場所も全然違う、今の、このトラゲット乗り場に姿を現わしたのだ。

カサノヴァはゆっくりと灯里に近づいてくる。
やがて、その前に立ち止まると、どこまでも黒い -なにものにも染まらず、なにものにも影響されず、なにものにも溶け込んでいく- 黒。
その黒い眼窩で、灯里を静かに見下ろした。



涙がこぼれる。
知らず知らずのうちに、涙があふれ、零れ落ちてゆく。

「もう、会えないと思っていました」

小さく、ほんの小さく、誰にも聞こえないほど小さく、灯里はつぶやく。

灯里は胸元からペンダントを取り出すと、それを捧げるかのようにカサノヴァに差し出した。
カサノヴァは何も言わず、身動ぎひとつせず、ただじっと灯里を見下ろしている。

灯里は、ペンダントを包み込むように両手で握りしめると、その手を合わせ、まるで神に祈りを捧げるシスター(修道女)のように
頭をたれ、カサノヴァの前にひざまづいた。

それはまるで、一枚の「イコン(敬拝画)」のようだ。

どれくらいの時がたったのだろう。
永遠なる刹那。

-ぽふんっ
と、暖かくて軟らかいものが、灯里の頭の上に乗せられた。

「あ……」
それはカサノヴァの手。
暖かくて、軟らかい、まるで肉球のような、カサノヴァの手。

「はわわわわわわわわ……」
ぐりぐり-と、カサノヴァは、灯里の頭を撫でくり回す。
それはまるで、父親が愛しい我が子にするような、乱暴で、けれど優しい仕草……

-ついっ
 と、カサノヴァは振り返り、もと来た路地へと戻ってゆく。
 何事もなかったかのように、再び、暗い路地へと消えてゆく。
 お供のモノ達も、相変わらずどこか調子はずれの音楽を奏でながら、踊りながら消えてゆく。
 後にはただ再び、夜の闇が広がるばかり………

灯里はその後姿を、いつまでも見送っていた。



「よかったな。灯里ちゃん」
誰かが、肩を叩いた。

ハッっとして振り返ると、そこには、あゆみの笑顔があった。

「あゆみさん……」
「こんな時期に、こんな場所で、カサノヴァの姿を見れるなんて。 ウチらはラッキーだ」
あゆみが、その独特の笑顔を浮かべ言う。

「はひ…私、私も、とっても幸せです」
本当に幸せそうに、灯里も笑顔で答える。

「ああ。 そう思える灯里ちゃんだからこそ、彼は来てくれたんだよ」
「はひ? 彼? あゆみさん、あの方のこと、ご存知なんですか?」
その灯里の問いかけに

「ん? さぁ、どうでしょう」
あゆみは、はぐらかすように微笑んだ。

実はカサノヴァが去り行く、そのとき-
ほんの瞬間、彼の視線と、あゆみの視線が絡み合った。
あゆみは、ウィンクとともに笑顔を向け、それに答えるようにカサノヴァは、ほとんど分からないくらいに、肩を上下させた。
きっと笑ってくれたのだろう。
あゆみには、それだけで充分だった。


「ぷいにゅん~ん」
いつの間にか、目の前にはアリア社長が立っていた。 ヒメ社長も、まぁ社長もいる。

「アリア社長ぉぉぉ!」
「ぷいぎゃああああ?」
灯里が、がばちょ!-と、ばかりにアリア社長を抱きしめた。

「アリア社長ぉ。 ありがとうございましたぁぁぁ!!!」
アリア社長を抱きしめたまま、号泣する灯里。

「ぷいぷいぃ」
アリア社長は、そんな灯里の額を、カサノヴァと同じように優しくなでであげた。

「アイちゃんにも見せてあげたかったなぁ……」
「アイちゃん?」
灯里のつぶやきに、あゆみが聞き返す。
灯里は、アイのこと。 今日あったこと、などを、あゆみに話して聞かせた。
朝からのドタバタで、アイとあゆみは、すれ違ったまま会えなかったのだ。

「アイちゃんか……うん、まぁ、きっといつか会えるだろ。 な、アリア社長?」
あゆみの問いかけにアリア社長は、何も言わず、ただ黙って、その蒼い瞳で、あゆみを見返した。




               Essere continuato-つづく




      『Traghetti』 PART-9 [ una gondola della luce delle stelle(星空のゴンドラ) ] la'fine






嘘つき
そう、私は嘘つきサァ(涙)

すいません。すいません。
終わりません。終わらせられません(涙2)
一応、ラストまでは書き上げたのですが…長い! 長すぎる!
とてもじゃないケド、一編に収まりません。
申し訳なくも、2回に分けさせていただきました(涙3)

逆に、みな様にお聞きしたいのですが、長い一編のお話しと、それを二つに分けた、中篇x2のお話しと、どちらがより、読みやすいのでしょうか?

一気に読んでいただくのが正解か
読みやすいように、二つに分けるのが正解か

いろいろな思いがあるのは承知の上で、それでも、みな様のご意見をお聞かせ願えれば、これに勝る幸せは、ありません。
できましたら、御教授ください(礼)

それでは、エピローグひとつ前(こんどこそ、ホントです!)
しばらくの間、お付き合いください。















[6694] Traghetti part-10  [ Ed io ritorno ai mare ]
Name: 一陣の風◆fc1b2615 ID:8350b1a5
Date: 2010/06/09 18:41
      
-ぞくっ


突然、あゆみの背中が震える。
冷たいモノが走る。 と、同時に、熱い汗が吹き出し、こぼれ落ちてゆく。

「まあっ」「にゃあんんっ」「ぷいにゅっ」
社長ズが、まるで灯里とあゆみを守るように、取り囲んだ。

あゆみは見た。
その『禍禍しき』モノを。
笑いさざめく人々の中に、なんの違和感もなく溶け込んでいる、その女性を。
喪服のような漆黒のドレスを身に纏い、頭からは顔を隠すような、
黒いヴェールのついた帽子をかぶっている、その女性を。

-笑っている
 『彼女』は声もたてず、ただ唇だけで笑っている、

けれど、あゆみは知っていた。
『彼女』には、顔などない -と、ゆうことを……

けれど、あゆみは見た。
『彼女』が、真っ赤な唇を歪め、妖艶に笑うさまを……

『彼女』は、何もせず、笑いながら、ただ立たずんでいた。






           Tragetti PART-10  [ Ed io ritorno ai mare ]





「あ……」
すぐ横にいた灯里が一歩、前に出る。
「灯里ちゃん!?」
「ぷいにゅ!?」

灯里は、そんなあゆみとアリア社長の声など、まったく耳に入らないように、また一歩、歩みを進める。
その瞳は、何も見えていない。
その瞳は、何も映していない。
ただ彼女の方へと、よろよろと近づいてゆく。

思わず、そんな灯里を押しとどめ、引き戻そうとする、あゆみ。 けれど-

「くっ……」
足が動かない。 身動きできない。
まるで見えないロープにからめとられたかのように、指いっぽんたりとて動かせない。
それは社長ズ達も同じのようだ。 ただ何かに抵抗するように、身をよじり呻いている。

「灯里ちゃんっ」

-くそっ。 『彼女』はまだ、灯里ちゃんを……


また一歩。 
灯里は、その女性-
『彼女』に、まるで引き寄せられるかのように、近づいてゆく。
もし『彼女』に獲り込まれてしまえば、灯里は二度と帰ってこれなくなる!

-くそ、だめだ。 
 あゆみは唇を噛み締める。
 
きっと『彼』に会ってしまったことで、一時的にしろ、灯里とAQUAの結びつきが強くなってしまったのだ。
ペンダントがあるから大丈夫-と、油断していた。
あゆみはもう一度、唇を噛み締める。 口の中に苦いモノが広がってゆく。

不思議なことに、まわりの人々は、そんな二人にまるで気がついていない。
ただ笑いさざめき、楽しげに「祭り」を楽しんでいる。
藍華お嬢も、晃さんも、アリスちゃんも…アリシアさんですら、何も気づかず、グランマ達と笑い合っている。

-せめて、アイちゃんって子がいれば……

あゆみは後悔のホゾを噛む。
また一歩。 灯里は『彼女』に引き寄せられる。 あゆみは絶望感に押しつぶされていた。 だがー

 
 来た   
 
 また   
 来てくれた!


「ひっ」
『彼女』が小さく悲鳴を上げた。
『彼』が立っている。

-ごすっ
あわてて振り返る『彼女』に『彼』の『パチキ』が炸裂する。

「げふぅぅぅうっ」
顔を押さえて、へたり込む『彼女』

-ああ、あれは痛い……

思わず、あゆみは独り言ちる。
『彼』は、バウータの仮面のまま『彼女』に頭突きを喰らわせたのだ。
ん? 顔もないのに、どうやって?


「ぷいにゅう!」
アリア社長が叫ぶ。 体が動く。 束縛が取れた!

「灯里ちゃん!」
あゆみは素早く駆け寄ると、灯里の背中を思いっきり、平手で叩いた。

-ばしいいいいいいっ!

「はひいいいいい!」

小気味よい音とともに、灯里がよろめき悲鳴を上げる。

「あ、あゆみさん、急に何するんですかぁ!?」
背中を押さえながら、涙ぐむ灯里。

「……ああ、よかった」
その表情に、あゆみは安堵のタメ息をついた。 灯里の瞳は輝きを取り戻している。 もう大丈夫だ。

「よかった……?」
灯里が涙目で問いかけてくる。 ああ、やばい。 誤魔化せ!

「いやあ、あの……そ、そう。蚊だ」
あゆみは思いつくまま、嘘をつく。

「蚊?」
「あ、ああ、蚊だ。その……灯里ちゃんの背中に、でっかい蚊がいてね」
「ほへえ? でっかい蚊? こんな時期に…ですか? それに、そんなに強く……はひ? アリア社長?」
「ぷいにゅわぁぁぁぁん」
アリア社長が泣きながら抱きついてくる。 ばかりか、ヒメ社長や、まぁ社長までが、灯里の抱きついてくる。

「はへえ? み、みんないったい、どうしたんですか?」

頭の上に、まぁ社長。 肩の上に、ヒメ社長。 そして腕の中には、アリア社長。
社長ズに囲まれて、灯里の困惑は、ますます増すばかり……


-何にも覚えてないのか……よかった。

あゆみは、もう一度、安堵のタメ息をついた。
『彼女』の影響は、もうすっかり取払われている。 この後? それは『彼』がなんとかしてくれるだろう。

あゆみは改めて『彼』と『彼女』を見やった。
今や『彼女』は『彼』の蹴りをくらい、悲鳴を上げながら転げ回っていた。

-ああ…『ケット・シー』が『噂の君』を『ケットばシ-てる』……う”ヴぁああああ!?

不意に脳裏に浮かんだ、その、あまりなアルくんギャグに、今度は、あゆみが頭を抱え、転げ回る番だった。


こうして『禍禍しきモノ』は『AQUAの心』に連れられて、闇の中に帰っていった。
街は何事もなかったように、楽しき喧騒に包まれている。



けれど、止まない雨。 明けない夜。 繰り返す学園祭初日。 終わらない夏休み。 
 それらが有り得ないように、やがて祭りも終焉のときを迎えるのだ。  たとえそれが、誰も望まぬコトであろうとも……



「おやおや、なんですかな、この騒ぎは……」

「アウグスト理事長……」

藍華が、かすれた声で答えた。



 終わりが始まる-


お祭り騒ぎの喧騒が広がる中。

現・ゴンドラ協会理事長の、アウグスト・V・ビスマルクと、同じく、ゴンドラ協会の首席理事である、アイザック・セルダンが、
ひとりのプリマ・ウンディーネを伴って、悠然と立っていた。

「ダメですねぇ、藍華さん」
アウグストが困ったように言う。
「は、はい……」
藍華は今日のことで叱責されるのだ-と、身を硬くしながら返事をする。

現・協会理事長は、けれど、のんびりと言った。

「私のことは、アウグストではなく、ビスマルクって呼んでください-って、お願いしたでしょ?」
「は? はあ…まぁ……」

その、あまりな予想外な言葉に、混乱する藍華。
それはアウグストが、前・理事長に代わって就任した際に、書面でもってまで依頼した、不思議な要求だった。

「あの……なぜ、名前-アウグスト、ではなく、姓-ビスマルク、で呼ぶんですか?」
だから思わず、藍華は聞き返してしまっていた。

「だって、その方がかっこいいでしょ」
「はっ?」
その返事もまた、予想外だった。

「アウグストって呼ばれるより、ビスマルクって呼ばれた方が、昔の-シュラハトシッフ(Schlachiff)-『戦艦』みたいで 
 かっこよくね?」
「あなたねぇ……」

そんなアウグスト…ビスマルク協会理事長に、アイザック協会首席理事があきれたように言った。

「なんでゴンドラ協会の理事長が戦艦名前にこだわるんです? しかもそれを言うなら『鉄血宰相』と呼ばれた、政治家の方でしょ?
 それに『アウグスト』だって、昔のローマ帝国の皇帝の名前じゃないですか」
「政治家や皇帝より、戦艦の方が、かっこいい」
「言い切るか? ふつう!」
「まあまあ、ホント、君は冗談が通じないんだから……」
「あなたが冗談、通じ過ぎなんです!」



「あなたが蒼羽さんですか?」
協会上層部ふたりのバカ話しを無視して、プリマのウンディーネが蒼羽に話かけてきた。
「はい、私が蒼羽ですが……」

「私は、アロッコ。 『MAGA』社の責任者です。今日はウチの茜が、お世話になりました」
そのウンディーネは、蒼羽に深深と頭を下げると、しかし芯の通った、はっきりとした口調で礼を言った。

「えっ? あなたが『バッジェ-オ』・アロッコ……あっ、いや失礼」
蒼羽もあわてて頭を下げる。 私ってば、なんてことを……

「いえ、お気になさらないでください。 いつものことですから…それより、本当に今日は、ご迷惑をおかけしました」
アロッコは、まるで気にする風もなく、笑顔で蒼羽に感謝した。

「いや、私は当然のことをしたまでで…それに、こんなに楽しく……いやいや。 で、彼女の様子はどうですか?」
「おかげさまで今はぐっすり。 ちょっと最近、無理をしてましたから…気がつかなかった、私の責任です」
「いや、それは……」

「いずれまた、彼女を連れて、ご挨拶に伺います。 今日のところは、とりあえず…ありがとうございました」
もう一度、頭をさげると、アロッコは「それでは-」と離れてゆく。

-彼女が『バッジェーオ』・アロッコかぁ……

その背中を、蒼羽は複雑な思いで見送った。



「ビスマルク理事長。 アイザック理事。 今日のことは、私に責任があります!」
突然、晃が叫んだ。

「晃?」
「今日、このトラゲットが、数々の規則を破り、このような事態を引き起こした、その全責任は、私、晃・E・フェラーリにあります」
「晃、いったい何を……!!」

不意に蒼羽は悟った。   くそっ。 そうはさせるか!


「いえ、この責任は、私、蒼羽・R・モチヅキにあります。 まず、私が規則を破りましたっ」

だから叫んだ。 晃のせいにしてたまるか!


「違うぞ、蒼羽。 あれは緊急避難的処置だ。 その後、私がトラゲットをする-などと言い出さなければ、こんなことには……」
けれど、晃も叫ぶ。 晃も蒼羽のせいにしたくないのだ。

「いや、違う。 晃の方が間違いだ。 理事長。 先に規則を破ったのは私の方です。 私に責任があります。 晃はそれに巻き込まれただけで……」
「いや。違う。 蒼羽の方が間違いだ。 理事長。私は自分から言い出しました。 私に責任があります。 蒼羽はそれに押し切られただけで……」  



     「「「「「「「『 待ってください! 』」」」」」」」


若い声が重なった。

「今回のことは、もともと、私のでっかい我がままから始まりました。 だから責任は私にあります」
アリスが叫ぶ。

「今回のことは、それを認識していながら止めなかった、私にあります。 だから責任は私にもあります」
藍華が叫ぶ。

「私も素敵さに負けて、規則を破りました。 すいません。 だから責任は私にもあります」
灯里が叫ぶ。

「あらあら。 なら私も引退した身なのにゴンドラを漕ぎました。責任があります」
アリシアが叫…ばず、なぜか嬉しそうに言う。

「あの~私も、楽しさにまぎれて、いっぱい規則違反しちゃいましたぁ。 責任あります。 ごめんなさい」
アテナが叫…ばず、のんびりと謝る。

「「『 いえ、今回のことは、そもそも私達、トラゲット要員の…シングルの問題です。 責任は私達にあります 』」」
あゆみ、アトラ、杏が、異口同音に叫ぶ。 



「『 うっさい! お前等、黙れっ シバくぞ!! 』」


晃と蒼羽の怒鳴り声が、息もぴったりに響く。

「ビスマルク理事長。 これは私が強制してやったことです。 アリシアやアテナには関係ない。ですから-」

「アイザック主席理事。 これは若い奴らには、なんの責任もありません。 彼女達は、私に従っただけです。ですから-」

  
 「『 こいつらには、何の責任もないっっ! 』」


晃と蒼羽の声が、またも重なる。


「ほっ・ほっ・ほっ。 それなら一番の責任は、私達ね。 罪深いわ……」

グランマが笑った。
その言葉に、明日香、アン・ウェンリー、アンジェリア、アレサ といった面々が、うなずく。

「グランマ、何をおっしゃってるんですか? そんな言いがかりを……」
「そうです。 アレサ部長。 あなたまで何、笑ってるんです?」
あわてて、言い募る、晃と蒼羽。
けれど-


「いえ、責任は、私達……このネオ・ヴェネッア、全ての街の人にもあります!」
アン・シオラが叫ぶ。

いつの間にか、その後ろには、この街の住人達-そこには、アンはもとより、暁もアルもウッディも、アンナ一家、アマランタ。
近所の店のおかみや亭主、屋台の売り子、パフォーマーや、楽団員。 そしてアリア社長達、アクア猫達まで- 
今の今まで、トラゲットを楽しみ、酔いしれていた、そのすべての『モノタチ』集まっていた。

「ウンディーネさん達に責任があるってんなら、それを分かってて楽しんでた、俺様達にも責任はあるぜっ」
暁が腰に手を添え、エラそうに言い放つ。

「はい。 もちろん、僕達、全員の責任ですね」
「アルくん……」
笑顔で言うアルに、藍華が、うるうると瞳を濡らす。

「そうなのだ。 ウンディーネさん達だけのせいじゃ、決してないのだ」
「ムっくん……」
アリスもまた、そんなウッディのセリフに言葉を詰まれせる。

「ああ。 その通り!」
「暁さん……」
灯里も、感極まった顔で、暁を見やる。
暁は、そんな灯里に笑顔で答えると、きっぱりと言い切った。


「そんならきっちりと、俺様達、全員で、その責任とやらを、一緒に受けてやるっ。 なぁ、みんな!」


「はい」
「ええ」
「もちろん」
「ぷいぷい」「にゃうん」「まあぁ」
「おうっっ」
「だあー☆」

その言葉に、その場に居た、すべてのモノタチが、力強く返事を返す。


「…へたれのくせに……」
「ああ…へたれなのに……」
晃と蒼羽が、少し湿った声を出す。 瞳がうっすらと揺れていた。


-だからこそ

「ビスマルク理事長」「アイザック主席理事」
ふたりは交互に叫ぶ。

-だからこそ、みんなに迷惑は

「今回のトラゲットの」「この大騒ぎの原因の」

-かけられない!!

そして最後はやっぱり、ふたりは同時に叫んだ。


      「『 責任は私にあります!!! 』」






「あのさ、アイザック首席理事」
「なんです、ビスマルク・ゴンドラ協会理事長」
「シュヴァルツ・ランツェリッター・フリート。 フォーラン!」
「はあ? なに言ってるんです?」
「うん。そうなんだ」
「は?」
「私はこの人達が、何を言ってるか分からないんだ」
「………」

ビスマルクは、彼を取り囲む人々…ウンディーネ、街の人々、そのすべての『モノタチ』を見回しながら、静かに言った。

「みなさんは先程から『責任』『責任』と、何度もおっしゃっておられますが、それはいったい、何のコトですかな?」

 
 「「「「「『 へ? 』」」」」」


呆ける人々に構わず、ビスマルクは、穏やかな声で話し続ける。

「なにか、誰かが『責任』を取らなければならないようなことでも、あったんですか?」

「…いや…いやいやいやいや…トラゲットの……」
「で、ですから……プリマの…お祭り騒ぎの……」

「晃さん、蒼羽さん」

「『 は、はいっ 』」

大柄なビスマルクが、ほんの少し腰を曲げ、ふたりのウンディーネに語りかける。
その様は、少しユーモラスで人々の笑いを誘った。

「そんなことより……」
「そ、そんなことぉ?」

唖然とするふたりに構わず、ビスマルクは、いつもと変わらぬ、くだけた口調で訊ねた。


「まだ、おふたりのトラゲットには乗れますかな?」
「………」



「ほっ・ほっ・ほっ。 どうしたのふたりとも」
黙り込んでしまった晃と蒼羽に代わって、グランマが相好を崩す。

「ほらほら、お客さまだよ」
アンジェリアが笑みを浮かべる。

「なにしてるの、晃。お客さまを待たせるのは良くないわ」
明日香が笑う。

「蒼羽。早く、お客さまを乗せてあげなさい」
アン寮長が微笑む。

「今日、最後のトラゲットよ。 がんばりなさい」
アレサが 頬を緩める。


「…あ」「あの…」
「ねえ、晃さん、蒼羽さん」

ビスマルクは、ふたりの言葉を遮るように、静かに言葉を紡いだ。

「私達は、立場が違えど、ひとつの家族なんです」
「あ……」

「ですから、なんの遠慮もいりません」
それはまるで、父親が、愛しい我が子に対するときのような、そんな穏やかで優しい話し方だ。



「みなさんが楽しいと思うことは、私も楽しい。 だから楽しいことは、家族みんなで分かち合う。
 ただ、それだけのことなんです」



静寂に包まれる。
晃も蒼羽も。
ウンディーネ達も。
暁や、アンや、街の人達も。

しわぶきひとつせず、ただ黙って、ビスマルクのその言葉を聞いていた。


-ぱちぱちぱち

小さな拍手の音がする。
人々がその音の方向に目をやれば、ひとりのプリマ・ウンディーネが……
青い制服を着たウンディーネが、感極まったかのように、顔を真っ赤に染め、「はわはわはわ」と、涙をこぼしながら拍手をしていた。

一瞬の間をおいて、花柄のヘヤピンをショートの髪に付けた、赤い服のウンディーネと
すぐその横に立つ、小柄な子供のようなオレンジ色の服のウンディーネが、拍手を合わせはじめる。


そして-

 歓喜の声が爆発する。


ネオ・ヴェネツィアを……いや、アクア全体を揺るがすような、喜びの声と、拍手の音が地に満ちる。
誰も彼もが、男も女も関係なく、肩を抱き、握手を交わし、歓声をあげている。

-ああ……まるでみんな、本当の家族のようだ

蒼羽の胸に熱いものがこみ上げてくる。
見れば、晃も同じ気持ちなのか、夜空を見上げ、さかんに瞬きを繰り返していた。



「アレサ部長……」
「ん、なに? アトラ」

ビスマルクと、アイザックを載せ、今日最後のトラゲットが行く。
晃と蒼羽の操舵で。
ふたりの息のあった、そのゴンドラは、その名の通り、まるで大切な家族を包む「Gondola(揺り篭)」のように、優しく、緩やかに、
夜の大運河-カナル・グランデを滑ってゆく。


そんなトラゲットを、無言で見守っているアレサに、アトラが訊ねた。

「部長は……いえ。 グランマも明日香さんも、アン寮長も。そしてアンジェリアさんも…こうなると分かっていたんですか?」
「んん? なぜ、そう思うの?」
アレサは、グランマ達と、いたずらな視線を交し合う。

「あの時……蒼羽教官や晃さんたちが責任を取り合いっこしてるとき、みなさんの態度が不自然でした」
「不自然?」
「……はい」

アトラは、ゆっくりとアレサ達を見回しながら言った。
「まるで最初から、理事長が、ああ言うことが分かっていたようです」

「ふ、ふ、ふ…バレてしまっては、しょうがない……」
アレサが低く笑い出す。
つられたように、グランマが、明日香が、アンが、アンジェリアが、低く笑い出す。
それはさながら『悪の大幹部』のような笑い方だ。

「ぶ、部長? みなさん?」
思わず「ドン引く」アトラ。

けれどその低い笑い声は、すぐに軽い、本当に嬉しそうな、楽しげな笑い声に変わってゆき……

「ねえ、アトラちゃん」
「な、なんですか。お母さん……」
アレサに代わって、アン寮長がアトラに語りかける。

「誰が一番最初に『私達は家族だ』-って、言い出したか知ってる?」
「は?」
「どうして、そんな言い方が広まったか、知ってる?」
「いえ、それは……え? まさか?」

それは、あまりにバカげた想像だ。 けれど、今のこの流れからすれば……

「もしかして、理事長が?」
「お見事っ」
「いや、でも。 はっ。 ま、まさかそれって、例の殴りこみのときの……」

「おやまあ」
「へえ……」
「ホント、すごいわね」
「分かるんだ」
「さすが名探偵」
妖しい五人組が、妖しく笑った。


「あのとき……」
アンジェリアが、今日最後の「真実」を語り出す。

「私よりも先客がいたんだ」
「アンジェリアさんより、さらに先にですか?」
「ああ」
「それがビスマルク理事長……?」
「その時、アウグスト…ビスマルク氏は、首席理事だったけどね。 そしてもうひとり」
「アイザック・セルダン、現・首席理事ですね」
「そのときの私は、ただの『平』理事でしたけどね」

いつの間にか、明日香の横に立ったアイザックが、微笑を浮かべながら訂正する。

「おふたりは、私やアレサや、グランマ達より早く、前・理事長を説得していた」
「説得…あ~もしかして……」
「その通り」
アンジェリアもまた、唄うように言葉を紡ぐ。

「ふたりして、左手に『辞表』と書いた紙を握り締め、やっぱり右手で、前・理事長の襟首つかみながら、
 
『最後まで守ってやるのが、俺達、家族の絆だろう!!』

 -って、詰め寄ってたのよ」

「ふぉ・ふお・ふお」
と、穏やかに笑うアイザック。
その表情からは、とてもそんな蛮行をしでかす人物には思えない。

アトラは思う。

-襟首つかまれて、ネクタイ引っ張られて、あげくの果てに、脱会宣言までかまされて……

「はああああ……」
アトラは、大きな『サイ』-タメ息をつく。
アトラは、前・理事長に同情した。  ……勝てるわけねぇじゃん!!


そしてそれを横から盗み聞きしていたらしい、杏が、また『いらんコト』言って、地雷を踏む。

「グランマ達も、部長も、理事さん達も、まるで不良中年の集まりですねぇ……ふげげげげげぇぇぇ?」
「だぁれが、不良中年かあああ! 失礼なこと言う口は、この口か、この口か、この口かああああああ!」
「ふげげげげげええっ。 ふぁ、ふぁれふぁぶひょおおおぉぉぉぉ……」

アレサにほっぺをツネられたまま、杏は再び、情けない声を上げていた。



 唄が流れる。
歓喜の街に、歓喜の謳声が響く。

アテナが…天上の謳声を持つ、セイレーンが唄い始める。
一瞬にして、すべての喧騒が止み、みたび、街が静止する。

そんな街に響く、その歌は-

「祝福の唄」

遥かマン・ホームにおいて「アメイジング・グレイス- Amazing Grace -素晴らしき恩寵」と呼ばれる「祝福の唄」
嵐に会い、今にも沈没しそうな船の中で、必死に祈りを捧げ、奇跡的に難をのがれた、奴隷輸送船の若き船長が、
神に対する感謝を捧げるために作った、賛美の唄。

その歌が今、ネオ・ヴェネツィアの夜空に響き渡る。

アテナがそっと、アリスを見た。
アリスは小さくうなずくと、アテナに合わせるように、唄いはじめる。
アリスは、今度は、灯里と藍華を見る。

灯里と藍華の口からも、唄がこぼれだす。
そしてそれは、晃やアリシア、蒼羽にも伝わって………

気がつけば、街に『祝福』があふれ出していた。

ウンディーネも、サラマンダーも、ノームも、シルフも。
そして街の人達も。

みなが心をひとつにして、ひとつの唄を奏でる。
街中に『祝福』が広がってゆく。



「ねえ、パパ」
「なんだい。 アヒト」

『祝福』が広がる中、アヒトは、右手をアルベルトに。 左手をアンナにへと、つなぎながら、元気一杯に言った。

「こんなにも、みんなが笑顔なら、楽しいは二百万倍だね!」
「ええ、そうね……きっと、そうだね」
「ママ?」
アンナは、そんな我が子を改めて抱きしめる。

 強く
 優しく
 いとおし気に

「ホントにこの街は、お祭りが…楽しいことが大好きなんだから……」
「ママ? ママ? どうしたの? 痛いよ…泣いてるの?」

アルベルトは、そんなふたりを、優しい瞳で、見守っていた。



「素晴らしいですなぁ」
歌声が響く中、トラゲットを終えたビスマルクが、グランマに話しかける。

「うふふ。ほんと、素晴らしいですわねぇ。 うふふ。 みな、あなたの『家族』ですよ」
「わはは。 みんな私の自慢の『家族』ですねぇ……それにしても」

ビスマルクは笑う。

「こんなにも『家族』の笑顔が見れるのなら、年に一回、こんなイベントやってもいいですなぁ」
「それって、ホントですか!?」

アリスが唄を忘れるくらいの勢いで、ゴンドラ協会理事長に訊ねる。

「ええ。オレンジ・プリンセス」
ビスマルクの目が、初孫を見る、お祖父さんの瞳になる。

「それに、それを希望するプリマがいれば、一緒にトラゲットをしてもらう-ってゆうのは、いかがですかね?」
「それは…それは……でっかい、素晴らしいです!」
アリスが、輝いた。



「ふっふっふ。 そうなればゴンドラ協会の収入もUPするし、観光の目玉にもなる。 一隻二挺か……」
「ビスマルク理事長。 字が違ってます」
「なにい!? アイザック首席理事は、なぜ私の主砲が38cm二連装ってコトを知っているんだ!?」
「二連装かよ! つか、ボケどころは、そこか! 口語文でしょ、これは!」
「まあまあ、ホント、あなたは、冗談が通じない」
「だから、あなたが、冗談通じ過ぎなんです!」

そんな理事長と首席理事の会話に、またひとしきり笑い声が響く。
そんな笑い声とともに、祝福の唄が、いつまでもネオ・ヴェネツィアに……AQUA中に響きわたってゆく。

こうして
後に『トラゲットの一日』と、呼ばれることになる、この日の出来事は、歓喜のうちに幕を閉じたのであった。






                             
                        
                しかし




「シングル諸君、集合ぅ!」

凛-とした声が響き渡る。
あれから数日後のことである。

「こらあ! そこのオレンジ・ぷらねっとのふたりぃ。 なに、鳩が豆喰って、ぴょん!-な顔しとる!
 さっさと集まらんかぁ!
 

 よおし、振り分けを発表するぞぉ!
 北の乗り場の担当は、アラベラ・キャンベル。 アーリー・ハーヴェイ。 アーリー・ウォルツ……

 ……以上、各班は今日も一日、安全操舵で。 常に周りに…特に後ろには注意するように。 何か質問は? 
 いや、あれは特例だ。 今回はもうない。  いいかな? 他になければ解散。 各自、持ち場につき給え。

 なんだ。 杏、何か言いたいことあるのか。
 はあ? また何をやらかしたか?-だとう?
 そんなこと言う、鹿馬な口は、この口か、この口か、この口かぁぁぁぁっぁぁ!

 ぜいぜい……
 無駄に疲れさせよってからに。

 ……………
 ちょっと、部長の楽しみにしてた、トラ屋の羊羹を喰っちまっただけだ。
 いや、だから、そんな大事なものを、無防備に机の上に、置いておく方が悪いっ? 悪いだろ? 悪いよな!
 そうだな。 そうだろ?
 アトラ、杏。 お前達も、そう思うだろ? 思うよな?

 そうだっ。 私は悪くない。 悪いのは、アレサ部長だ。 アレサ部長の方なんだあ!

 ……おべえっ!?

 はうあ…聞いてらしたんですか……
 いえ、あの部長、これはその…えええ? はううう。 また期間延長ですか?
 しくしく……こいつらのプリマ進級試験が…がっ!
 いえ、なんでもありません。ありません。ありません。 異議など、決して…しくしくしく……



 や。やあ、茜くん。
 大丈夫なのか? 完全復活? そうか、まぁ無理するなよ。 体あってのウンディーネだからな。
 いや、なに。礼はいらない。 アロッコさんに充分、誠意を返してもらった。
 だから私達は家族だと言ったろ? 
 ああ。 こちらこそ、ありがとう-だ。 それより今日は、一日、よろしくな。

 
 ……だからアリス。 いや『オレンジ・プリンセス』
 お前の出番はない! そんな所から、何か言いたそうな顔で、飛び跳ねてもダメだ! 今日は代理はいらん!
 アテナもいい加減、アリス離れしろっ。
 物陰から、そっと見守ってるだなんて、弟のライバルと結婚しちまう、どっかの野球一家の、お姉ちゃんか!?

 晃も藍華くんもだっ。 今日は大丈夫。 緊急避難的処置は、ない。 
 だから、気にせず、帰ってくれ。 って、なんで藍華くんは、すでにオールを持ってるんだ!?

 灯里ちゃんもだ。 はっ? なに? アイちゃん? アイちゃんがどうした?
 トラゲットしたい? あ~はいはい。 彼女がひとりで、このAQUAに来れるようになったらな。
 つか、さっさと、ARIA・カンパニーに入れて、お前がシングルに育てあげりゃ、いいだろがっ!
 
 で、グランマも、明日香さんも、アンジェリアさんも、アン寮長も、帰ってください。
 
 今日のココは、ただのトラゲット乗り場ですっ。 何もありません。

 こらあ! そこのノームに、シルフに、それから、へたれぇ!
 こんなトコで油売ってないで、さっさと仕事に行けぇぇぇぇ!
 

 
 うん?
 アン・シオラさん。 なぜあなたは、すぐ組み立てられる、屋台のキットを持っているのかにゃ?
 店はどうした。店は。 ビヤンカネーヴェわぁ! 忘れてたぁ? アンタなあ!
 あああ。動くな。 特にアテナと一緒にいるなっ…ああ? ああ! ああ…
 遅かった…また壊滅……
 
 
 うっ。 お前は……なに、トラゲットのツアー企画? 
 いやいや。 そんなのはゴンドラ協会か、アレサ部長に話してくれ。
 いつまでも私に頼るな。 あ、いや、遊びにこなくていい-って意味じゃないぞ。 間違えるなよ。

 はあ? なんだい新太社長か……ふふ。だから、当たり前のことを言っても、なにも出ないのだよ。 
 ああ、お茶のお誘い? ま、まあ、ヒマなら付き合ってやらんこともないぞ。 ただ…ご馳走さま☆

 んん? あゆみくん。 誰に向かって手を振ってるんだ?
 あの屋根の上にいる、社長ズ達かい?  ああ。 なんか今日は、猫がいっぱい居るなぁ。
 


 あの……ですから、二連装なビスマルク理事長。 それにアイザック首席理事。 大丈夫ですから、どうか、お引き取りを……

 え? 違う? 何が?

 は? 期待してる? 期待ってなんですか? 期待なんかされても、何にも出ませんが……?
 は? いや、もう、あんなコトはごめんです。 あんなバタバタしたことは二度と……
 
 へ? まじ? まじスか?

 『トラゲットの日』が正式決定!?
 ……つか、なんで私が、その実行委員長に任命されてるんです?
 
 ちょ、待っ。 理事長。首席理事。 それに、グランマ、明日香さん。 アン寮長。それにアンジェリア先輩。 何、勝手に決めて……
 はあ? アレサ部長の許可済みぃ? あ、アレサ部長ぉぉぉぉっぉおお!
 確かに、あのパンケーキは美味しかった…ええっ。 手作り?
 いや、それなら、無防備に机の上に置きっぱ…ええ~いや、その…ううう……なんでもありません。 しくしく。

 くわあっ。 そんなこと、楽しげに言う地獄な口は、この口か、この口か、この口かぁぁぁぁぁ!

 へえ? アンナさん? また、家族旅行ですか? いいですねぇ。 うえ? 二千万倍? どゆことデスカ?
 
 はいい? 今からトラゲット観光のツアーを企画する? 嬉しい? お前ねぇ……
 
 こらあっ、そこのへたれぇ! なんだそのニヤリ笑いわぁ! 笑うなあ! おっ?
 …新太社長。 支援に感謝する。 やはり漢はドリルだな。 
 美味いチケーティを喰わす、いい、バーカリィがあるんだ。 そこで、どうだい?
 
 
 ああ……
 なあ。晃、アテナ。
 手伝ってくれるよな? 手伝ってくれるんだよな? 手伝うよな!?
 俺達、家族だモンなぁ?
 ……うわ、なぜ無言で笑う!?
 
 にょわ? なんだい灯里ちゃん。 アイちゃんが喜ぶ? AQUAの奇跡? 素敵ングぅぅ?
 恥ずかしいセリフ禁止!!
 
 アリシアさん? いや、『あらあら、まあまあ』って、なにがですか?
 いや、そんな…『うふふふふ』って、にこやかに微笑まれても……
 
 藍華くん、アリス。 あゆみくんに、アトラ、杏。 お前らも、なんでそんなに、笑顔で、わくわくしてるんだ!?

 
 
 うわお?
 なんだ、なんだ? なんだぁぁぁぁ!?
 
 なんでみんな、街の人達も一緒になって。
 なんでみんな、そんなに瞳を輝かせて。
 なんでみんな、そんな期待に満ちた顔で、私を見てるぅぅ!?
 

 お、お前等、いいかげんにしろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」




ゴンドラは行く。
トラゲットのゴンドラは行く。
今日も人々の、想いも、心も、謳さえも運んで。

トラゲットのゴンドラは行く。




         家族の笑い声を運んでゆく







   Tragetti PART-10 [ Ed io ritorno ai mare ( そして僕は海に還る ) ]  -la'fine











まず最初に、染跳さま、放浪者さま、に感謝を。
お二人の作品が私に「力」と「やる気」をくれました。 おかげで、ここまで書き上げることができました。
ひとひとりの創作意欲に火をつけるだなんて、なんて、スゴい方々なんでしょう。
これからも、その素晴らしい作品で楽しませてください。

次に今まで「感想」を書き込んでいただいた、みな様。
みな様の言葉で、時には「やる気」と「歓喜」と「ネタ」を。
時には「猛省」を促されました。 ありがとうございます。
できましたら、これからも「感想」をお寄せいただければ、幸いです。

最後に
何も言わず、ただ黙って、この駄文を読んでいただいている、大多数のみな様。
みな様に最大限の感謝と尊敬と祝福を☆
みな様がいるから、まだ書くことができています。

気がつけば、PVが30000HIT超え!
正直、予想外の幸福です。
私のこんな文章を、延べ30000以上の方が読んでいただけてるだなんて!
 
正直、恐怖も感じています。
私は果たして、みな様の貴重な時間を割いてまで読んでいただけるような、ちゃんとした、お話しを書けているでしょうか?

もし、まだ「大丈夫なんじゃない? たぶん」-と、思っていただけるのならば、これに勝る幸せは、ありません。

ようやく10本目です。
もう少し、ほんのもう少しだけ、書きたい話しがあります。
できましたら、そのときまで、ほんの少しですが、お付き合いください。
よろしく、お願いします。

ありがとう (こころの底から) ございました。



[6694] lo allocco rido  前編
Name: 一陣の風◆fc1b2615 ID:8350b1a5
Date: 2010/06/18 23:18
 11本目のお話しを、お届けします。

唄です。
今回も唄オチです。 すいません(涙)
ちなみに次の作品も、もしかしたら唄オチかもしれません。
もう、どんだけ好きやねん! って感じです。(つまりはワンパターンなんですが…号泣)

他のお二人に負けないように! -と、オリキャラメインで書くと、このテイタラク…ため息です。

それと今回のお話は、ある意味、卑怯です。 とある禁忌を破っているかもです。
みな様は、どうお考えでしょうか…(汗)
許せないのであれば、どうか私の幻想をぶち壊してください。
けれど-
もし、もしも許していただけるならば、これに勝る幸せはありません。

それでは、しばらくの間、お付き合いください。





     第11話  『lo allocco ride』 前編





   -Singing



「歌だ……」
「ぷいにゅん?」

最初にそれに気づいたのは、アイだった。
どこからともなく聞こえてくる、小さな、けれど聞いた人の耳を捕らえて離さない-そんな不思議な謳声。

彼女の先輩であり、今は引退してゴンドラ協会に迎え入れられた、アリシア・フローレンスの友人のひとり
「セイレーン 天上の謳声」の通り名をもつ、アテナ・グローリィとはまた違った、不思議な色の声だった。

「行ってみよう。 アイちゃん」
「はい。 灯里さん」
アイは、自分の直属の上司であり、先輩であり、大好きな友人-でもある
水無灯里の声に答えると、ゴンドラの舳先を変えた。




  -ゆりかごの唄を カナリアは謳うよ。
   ねんねこ ねんねこ ねんねこよ……


キレイな唄……
アイはゆっくりとゴンドラを進めた。
やがて目の前に、人ひとりが、ようやく寝転がることができるような、ほんとうに小さな島が見えてきた。



 
 -ゆりかごの上に 枇杷(びわ)の実が揺れるよ
   ねんねこ ねんねこ ねんねこよ……


そこには、その島の大きさからは不相応な桜の巨樹が、まるで島を包み込むかのように、枝をいっぱいに広げて立っていた。
唄は、どうやらそこから聞こえてくるようだ。




  -ゆりかごの綱を 木ねずみは揺するよ
   ねんねこ ねんねこ ねんねこよ……


見ればその根元で、ひとりのプリマ・ウンディーネが上半身を樹にもたれかせ、目を閉じ、両手を頭の後ろで組み、
足を野放図に組みながら 唄を口ずさんでいた。




  -ゆりかごの夢に 黄色い月がかかるよ
   ねんねこ ねんねこ ねんねこよ……



「こんにちは。 素敵な唄ですね」
灯里が声をかけると、そのウンディーネは、目を開け、にっこりと微笑んだ。



西暦2300年
かって火星と呼ばれていた星が、大規模なテラ・フォーミングを受け、水の惑星AQUA(アクア)と変貌をとげてから150年。
大規模な入植が行なわれ、それぞれの国がそれぞれの文化を取り入れながら、この星は発展してきた。

そんな都市のひとつ。
ここネオ・ヴェネツィアは、かつてマンホーム(地球)のイタリア地方にあった都市、ヴェネツィアの文化を取り入れて入植された
水の都市だ。

この都市は観光地としても有名で、特に都市の真ん中を逆「S」字状に流れる大運河「グラン・カナル」や
街の中を縦横無尽に走る水路を、ゴンドラを使って観光案内をする「ウンディーネ」と呼ばれる水先案内人は
このネオ・ヴェネツィアを代表する職業として、アイドルなみの人気を博していた。

アイと水無灯里は、そんな水先案内店のひとつ、「ARIAカンパニー」に所属するウンディーネだ。




「私の名前はアロッコ。 『MAGA』社のアロッコ。よろしくね」
ふたりの自己紹介を受けて、木に寄りかかったまま、ウンディーネが答えた。

「えっ。 この人が『MEGALITH』の『バッジェーオ』?」
「アイちゃん!」
灯里の声に、アイはあわてて両手で口を押さえ、頭を下げる。

「ご、ごめんなさい…」
「私からも謝ります。 ごめんなさい」
灯里も同じように頭を下げ、謝罪する。

「ううん。 いいのよ。 気にしないで」
アロッコはしかし、にっこりと微笑んでくれた。
「そう。 私が『MEGALITH』の、『バッジェーオ』・アロッコよ。 うふふ」
それはまるで、花が咲いたような笑顔だった。




-「MEGARLITH」のバッジェーオ( baggeo )

それは誹謗
それは嘲笑
それは侮蔑

もともとMAGA社は、天地秋乃(あめつち あきの)ことグランマが、ARIA・カンパニーを創設するまで
一番新しい水先案内店として、名をはせていた。
けれど、ここ数年は顧客数や年収も激減し、経営的にはかなり厳しく、廃業か他の水先案内店に吸収・合併されるのではないか-と
かしましいネオ・ヴェネツィア雀達の、もっぱらの噂だった。

そして、その責任は-

バッジェーオ・アロッコ。 「愚か者」のアロッコ。

そう呼ばれる、彼女のせいだと言われていた。

リピータと呼ばれる人達を、わざわざ他の水先案内店に紹介し、自らは、いわゆる「いちげんさん」(一回こっきりの客)や
ひとり…せいぜい、ふたりまでの客しかとらず、実入りのいい団体客は、ほとんど相手にしなかった。

営業もせず、宣伝もせず、はでな客引きもせず、ただ、偶然に声をかけてきた客のみを相手にする。
そのまるで、初めてネオ・ヴェネツィアに水先案内業が発生した時のような営業の仕方に、社名の「MAGA」にひっかけて
まわりから「ME(A)GARLITH( メガリス )-遺跡-」とまで陰口をたたかれるようになっていた。

そしてその経営方針を、決して改めようとはしない、社長…責任者のアロッコのことを、人々は、こう呼んでいた。

バッジェーオ・アロッコ。 「愚か者」のアロッコ と-




「そういえば、灯里さんは、プリマになって、ARIA・カンパニーの経営者にもなったのよね。 ふふ。嬉しいわ」
アロッコが相変わらず、木にもたれかけながら、訊ねる。


「あ、ありがとうございます」
灯里は照れながら、礼を言う。
けれど、次のアロッコの言葉に、灯里の目が点になる。


「…灯里さんは、私のこと覚えてないのね」
「はひっ? わ、私、どこかで以前、アロッコさんにお会いしたこと、ありましたか?」
「覚えてないかぁ。 まぁ仕方ないわね」
うふふ-と、いたずらっ子の微笑みを浮かながら、アロッコは言った。

「じゃあ、ヒントその①  灯里ちゃんにとっての、ネオ・ヴェネツィア最初の日」
「最初の日…?」
「ヒントその②  水路での操舵」
「水路での操舵?」
「ええ。 あなたは郵便屋さんのゴンドラに乗って、路地裏の水路を渡っていた。しかも逆漕ぎで。 ふふふ」

確かに-
あの日。 生まれて初めてネオ・ヴェネツィアの大地に立った日。 灯里は、郵便屋さん-庵野波平氏のゴンドラを操舵させてもらった。
しかも逆漕ぎで……
けれど、あのときはまだ、逆漕ってことに気づいてもいなかったのだ。

-でも、なぜそんなことを、アロッコさんは知ってるの?

ますます、灯里の瞳が収縮する。

「う~ん。 やっぱり分からないか…」
「す、すみません…」
「よし。 じゃあ、ヒントその③! 灯里ちゃんのシングル昇進試験の日」
「ほへ…私のシングル昇進試験の日?」

アロッコは少し視線を飛ばし、アイがすでに片手袋-シングルであることを確認する。

「ヒントその④ 『希望の丘』に向かう水路でのすれ違い」

あれ? なんだろう。  
なんとなく。 何かを思い出しそうで……

「うふふ。 もうちょっとみたいね…それじゃラスト・ヒントです」
そう言うとアロッコは、灯里ににっこりと微笑み、言った。

「がんばってね」

-あっ
灯里の脳裏に、あの日のことが鮮明に浮かび上がる。


忘れもしないそれは、灯里が「見習い」の両手袋「ペア」から、「半人前」の片手袋「シングル」に昇進した日のこと。

-ピクニックに行きましょう

そう言って、誘ってくれたアリシアさんと共に、そうとは知らず「希望の丘」へと、一生懸命に、けれど楽しく、ひたすらゴンドラを
操っていた、あの日のこと……
それは「希望の丘」へと、なんのトラブルもなくたどり着くことで、そのペアをシングルへと昇格させるかどうか-を試すための、試験だったのだ。

そして、灯里は思い出した。


「あのときの、ウンディーネさん!?」
「ピンポーン!!」
アロッコが人差し指を立て、嬉しそうに言う。

「あのとき、水路で『希望の丘』へと向かう灯里ちゃんに『がんばってね』って、声をかけたのは、私でしたぁ!」
「ア…あああああ……」
「そして灯里ちゃんが、ここネオ・ヴェネツィアの大地に初めて立った日。 あのとき郵便屋さんのゴンドラに乗ったあなたと
 すれ違ったウンディーネ。 それも私でしたぁ」
なぜか自慢気に言う。

-そうだ。
 確かに私はあのとき、あの初めての日。 ウンディーネさんとすれ違った。 見とれてた。
 「希望が丘」に行く途中でも、確かにゴンドラ・クルーズ中のウンディーネに声をかけてもらった。
 それが…それが……

「アロッコさんだったんですか!?」
「ええ。 驚いた?」
「は、はひ。 ごめんなさい。 私、ぜんぜん気が付かなくて…」
「いいのよ。 気にしないで。 ふつうは誰でも、そんなことは覚えてないわ」
「でも…」

「あ、あの……」
アイが恐る恐る-といった感じで手を上げる。
「なに? アイさん」
「アロッコさんは、どうしてそれを知ってるんですか?」
「私はバッジェーオだから」
「は?」

アロッコは、はぐらかすかのように、そう言うと「うふふ」と笑った。



「アロッコさぁぁぁん……バッジェーオぉぉぉ!」
遠くから呼ぶ声がする。
見れば一艘のゴンドラが、ふたりの男性とともに、こちらに漕ぎ寄せてきていた。

「あれは……」
それは「MAGA」社のゴンドラだった。
その基本カラーからとって「イエロー・スコードロン」とも呼ばれる、「MAGA」社の黄色いラインのゴンドラ。
操舵しているウンディーネの制服も、他の水先案内店とは少し違い、黄色を基調としたマキシ丈のスカートな、特徴的な制服だった。

そんなスカートの裾をなびかせながら、そのウンディーネはゆっくりと、ゴンドラを島に近づけてくる。

「あら、茜。 どうしたの?」
アロッコが、ウンディ-ネに話しかける。

「どうしたも、こうしたも、ありません。 どうしてこんな所にいるんですか!?」
「あら、だってここは私の憩いの場所だもの…」
「あのねぇ……」

それから茜と呼ばれたウンディーネは、灯里とアイの方に向き直った。
茶色いショートな髪と、翡翠色の瞳が特徴的なウンディーネだった。

「こんにちは、灯里さん。 …お久ぶりです」
「はひ?」
再び、灯里の目が点になる。

「ありゃ、やっぱり覚えてないんですね。 ちぇっ…」
笑いながら、少し唇を尖らせる茜。

「あ、あの、ごめんなさい。 私…」
「っじゃ、ヒント、その①」
「はひ?」
「それは雪の降る、寒い日のことでした」
「はひい?」
「ヒント、その② 運河に面した、小さな広場」

-なんなんだろう
 灯里は小さな眩暈まで感じていた。

-今日はいったいなんなんだろう。 なぜこんなクイズばかり…別にアメリカ横断なんかしたくないのに……

「まだ、分からないかぁ…」
「はひ。 す、すいません」
「しょうがない。 じゃあ、最終ヒント。 …雪だるま」
「あっ…」

再び、灯里は思い出す。
それはまだ自分がシングルだった、ある寒い雪の日。


-アリシアさんは、どんなオトナになりたかったんですか?

そう訊ねる私を、アリシアさんが散歩に誘ってくれて…それから、なぜだか雪玉を転がし始め…そしたら街中から、いろんな人達がやってきて、
一緒に雪玉を転がしてくれて……

そして気が付いたら、運河沿いの小さな広場に出て、それからそこの人達と雪だるまを作り始めて…しかも三段!
そのとき確か、女の子がふたりいて……じゃあ?


「え? じゃあ、あのときの?」
「はい。 茜・アンテリーヴォです」
「この子はね…」
アロッコが微笑みながら言う。

「この子は一度、女優として大成したの。 それなのに、それを辞めてまで、ウンディーネになったのよ。
 なにか、雪だるまを一緒に作った、ウンディーネさんが格好よくて、そんなウンディーネなりたくなったんですって。
 りっぱな『愚か者』でしょ?  うふふ」
「バッジェーオ!」
照れたように茜が叫んだ。



「うおっほん!」
茜が乗せてきた男性二人のうちのひとりが、わざとらしく咳払いをした。

「懐かしい旧交を暖めるのは、もうよいであるかな」
「あら局長さん。 いらしたんですか?」

局長-と呼ばれた男は、ちぃっ-と小さく舌を鳴らした。
小柄な男だった。
けれど引き締まったその体。 鋭い眼光。 意思の強そうな口元。
そしてなによりも、鼻の下に伸ばしたチョビ髭が、圧倒的な存在感をかもしだしていた。

「アロッコさん、私のことは局長ではなく、アドルフと呼んでいただいて構わないと言わなかったであるかな」
「いえいえ。 局長さんも私のことは、バッジェーオと呼んでいただいて構わないと言いませんでしたか?」

アドルフが顔を引きつらせる。
バカにされたと思ったのだ。

「単刀直入に言う。 いますぐ、この島を売っていただきたい」
「いやです」
「早!」

アロッコも単刀直入に答えた。

「…前にも説明したように、この島は通航の弊害になるのである」
「そうなんですかぁ」
「合理的ではない。 実に無駄だ」
「へえ……」
「別にタダとは言わない。それ相応の対価はお支払いはするのである」
「ふふ」


「それに、こんな花も咲かないような桜の木がある小島など、どうでもいいではないか」


「…私はバッジェーオですから」
「うん?」
「局長さん。 バッジェーオ……愚か者は、頑固なんですよ。 うふふ」
「どうゆう意味であるかな?」

アロッコは微笑みながら、けれどキッパリと言い切った。

「私は、この桜の木を手放す気は、ありませんの」



「どうゆうことですか?」
アドルフとアロッコが話し合っている後ろで、灯里はそっと茜に訊ねた。

「あのアドルフ氏は、このネオ・ヴェネツィアの運行局長さんなんです」
「運行局長…」
「ええ。 私達、ウンディーネが操舵するゴンドラから、ヴァボレット(水上バス) 隣の町まで巡航する飛行艇にいたるまで。
 そのすべての運行を管理し、監視するのが、そのお仕事。 最近マン・ホームから来たらしいの」
「マン・ホームから……」
「その第一声が『この街は無駄が多すぎる。もっと合理化を図るべきだ』」
「そんな…」
アンも灯里も絶句する。

「この運河を整備すれば、マルコポーロ宇宙港までのアクセスの近道ができるから、無駄がなくなる。
 それには、この小島が邪魔だから取り払いたい。 だから合理的に、この島を売ってくれ。 って、そう言ってるの」
「ほへぇ……」
「でもバッジェーオは…アロッコさんは、ぜんぜん、そんな気がなくて……」


「にゃうう……」
「ぷいにゅん?」
アリア社長が、アイの足元で声をあげた。

「どうしたんですか、アリア社長」
「ぷいにゅ、ぷいにゅ」
アリア社長が、茜のゴンドラに駆け寄る。

「ぷいにゅう」
「にゃうん…」
「これは……」
そこには子猫が一匹、小さな鳴き声をあげていた。

「わあ、可愛いい。この子がMAGA社の社長猫さんですね」
アイが子猫を抱き上げる。
「あれ…?」
「どうしたの、アイちゃん」
不審気な声をあげたまま硬直しているアイに、灯里が声をかける。

「灯里さん。 …この子、社長さんじゃない」
「はひ? アイちゃん。 どうゆうこと?」
アイは子猫の顔を見つめながら、つぶやいた。

「灯里さん…だって、だってこの子…この子の瞳、蒼くない……」

あわてて、その瞳をのぞき込む灯里。
確かに。
確かにその子猫の瞳は、蒼-ではなく、MAGA社のシンボル・カラーと同じ、黄金色をしていた。


「アクィラよ」
「え?」
「この子の名前は、アクィラって言うの」
アロッコが、こちらに近づきながら言う。

「アクィラ…鷲座? それとも彦星?」
「ううん。 ただ単純に、色や模様が、鷲によく似てるから。 うふふ」
確かに。
子猫は全身は茶色の毛で覆われ、けれど頭だけは白かった。

-それにしても……

と、アイは思う。
なぜに、猫が鷲?


「お話しは、ついたんですか?」
灯里が訊ねる。

見ればアドルフは、一緒に茜のゴンドラに乗ってやってきた、もうひとりの男性と話し込んでいる。
なにやら不機嫌そうなのは、その背中を見るだけで、充分に分かった。

「ううん。 ふふ。 私を相手にするなんて、大変ね」
アロッコが笑う。
「にゃはにゃはにゃは」
つられたように、アクィラが笑い声を上げた。

「うふふ。 さすがアクィラ社長は、よく分かってるね」

「アクィラ社長…やっぱり。 あっ、でもこの子ってば、蒼い瞳じゃないですよ」
アイが当然の質問をぶつける。

「私は、バッジェーオだから……」
アロッコはまた、小さく微笑んだ。

「その子は、私が見つけてきたんです」」
「茜さん?」
「あれは今年の初め。そう。 あの雪だるまを灯里さん達と一緒に作った、あの雪の日と同じような寒い朝だった」

茜がアイに抱かれているアクィラの喉を、人差し指でなでながら言う。
アクィラは、嬉しそうに喉を鳴した。

「その当時、先代の社長猫が亡くなって、私達はさみしい思いをしていました。 そんなとき、私はこの子に出会った。
 寒さの中で震えてながら、小さく鳴いているこの子に。 私はすぐ、この子を会社に連れて帰り、社長にしたいと思った。 でも……」
「瞳が蒼くなった……」
「ええ…だけど、アロッコさんは……」
「茜。 私のことは『バッジェーオ』って呼んでね。 で、私は構わないって言ったの」

「構わない?」
「蒼い瞳でなくってもですか?」
「ええ…別に蒼い瞳でなくても、みんなが、この子をそう思い、かわいがってくれるなら、別に良いんじゃない-って」
「そう…なんですか?」

「なにしろ、私はバッジェーオですからね。 うふふ」
そう言って、アロッコは、また答えをはぐらかした

「バッジェーオ。 私は-」


「そこのARIA・カンパニーのウンディーネさん」
茜が何かを言う前に、アドルフでない、もうひとりの方の男性が話しかけてきた。

「すいませんが、私達を市庁舎まで送っていただけませんか」
灯里はその男性の顔を見て、「あっ」っと思った。
確か、この人は…

「やあ、ウンディーネさん。お久しぶり。 私が誰だか覚えていらっしゃいますか? ヒントその①……」
「もういいですって!」
灯里は、あわてて男性の言葉を遮った。

「あのときの。 茜さんと同じの広場の。 一緒に雪玉を転がしてくれた、お父さん!」
「ピンポーン!」
男性は、はじけるように笑った。

アントノフ-と名乗ったその男性は、今は、アドルフの下で、運行局の副局長を務めているという。
もちろん、茜とは知り合いで、そのせいで、こうしてアドルフとアロッコの仲裁役を仰せつかっていたのだ。


アドルフが肩をいからせながら、ARIA・カンパニーのゴンドラに乗り込む。
同じように肩をいかれせながら、茜が、アロッコに宣言した。

「さあ、じゃあアロッコさん。 私達は病院に帰りますよ」
「病院?」
「えええ? いやよ、茜。 だって病院食って不味いんですもの……」
「なに子供みたいなこと言ってるんですか! さあ、行きますよっ」
「ふえええん」
茜が連行するかのように、アロッコをゴンドラに押し込む。

「それじゃ、灯里さん、またね」
「失礼します」
「ああ、あの…病院って、どうゆう……」
けれど茜は、そのNO-4のオールを素早く動かし、見る間に「MAGA」社のゴンドラは、島を離れて行ってしまう。

灯里は「はわはわ」と呟きながら、その後ろ姿を見送るしかなかった。




「まったく、私の意見に従わないなんて、ほんとうに『愚か者』であるなっ」

市庁舎へと向かう間、アドルフはずっと文句を言いっぱなしだった。

「私は、この街全体の利益を考えて、話を進めているのに。 まったく、バッジェーオがっ。
 そんなことだから、会社は傾き、五人いた社員も、ひとり抜け、ふたり辞めして、いまでは、あの子ひとりだけ。
 あの茜って子も、なんであんなバッジェーオと一緒にいるんであるか……
 まったくあの子も、愚か者であるな……」

ぶつぶつぶつぶつ……アドルフの愚痴は止まらない。

「通航の邪魔なこの島を取り除く。 ただそれだけの事であるのに…しかし所有権は『MAGA』社に。 ああ、まったくっ」
「あの局長さん……」
みかねたアイが、何かを言おうとする。

「ああん?」
けれどアドルフは、そんなアイをひと睨みで黙らせた。

「まったく…この街は、まったく合理性を欠いているのである。 すなわち、マン・ホームでは……」
灯里とアイは、そっと顔を見合わせる。
マン・ホームの出身の、ふたりにはよく分かっていた。

合理的なマン・ホームが、決して天国ではない-と ゆうことに

けれどアドルフは、そんなふたりの気持ちに気付くことなく、吐き捨てるように呟いた。


「MAGALITHのイエロー・スコードロンが、ストーン・ヘンジのような、あんな遺跡を守る…まったく愚かしいことである!!」


「いい加減にしてください!!」
たまりかねたように、アイが叫んだ。

「なんであるかな……」
「アロッコさん達のこと、これ以上、悪く言うの、やめてください!」
「はあ? 君はいったい何を言っているのであるかなぁ?」

「あなたはこの街の…AQUAのこと、何も分かってない!」
「まあまあ、ウンディーネさん」
アントノフが間に割って入る。 けれど、アイは止まれなかった。

「アロッコさんは…あの人達は、けっしてバッジェーオなんかじゃない!」
「はは。 何をくだらんことを言うのであるか……」

「あの人達は…アロッコさんも茜さんも、とっても心優しい、素敵な人なんです」
「なにか証拠でも?」
顔を真っ赤にして叫ぶアイ。 けれどアドルフは冷ややかに問いかける。

「それは…」
「それは? なんであるかな?」
「それは…」
「さあ、それが何か、ちゃんと理論付けて私に証明してもらえるであるかな。 でなければ、それは、ただの言いがかりである」
「う……」

-もどかしい
 
 アイは、もどかしかった。
 分かっているのに。 感じているのに。
 アロッコさんや茜さんが、そんな人じゃないってことに。 だけど……
 だけど、それをうまく言葉にできない。
 証明できない。

「さあ。 どうしたんであるか?」

言葉に詰まるアイを、アドルフは追い詰める。
加虐的な笑みが広がる。


「アクィラ社長です」
「灯里さん?」

アイは、ハッとする。
それはいままで聞いたことのない、灯里の声だった。  …もしかして怒ってる?

「は?」
アドルフが間抜けな声を上げた。

「アロッコさん達が愚か者ではない証明。 それはアクィラ社長です」
「はあ? あの子猫であるかな?」

「アロッコさん達は、蒼い瞳をもたない猫を社長にしてます」
「あははは。 それが証明であるか? いや、むしろ逆であろう。 私もあなた方ウンディーネのみなさんが、航海の無事と安全を祈る象徴として、
 蒼い瞳の猫を、儀礼的に『社長』として飼っているのは知っているのである」

「ぶいぎゅん!」
灯里の足元で、アリア社長が声を上げた。
『飼っている』とゆう言葉に怒ったのだ。

「確かに私達は、蒼い瞳の猫さんを社長として、一緒に暮らしています」
「ぷいにゅっ」

『一緒に暮らしている』
 その言葉に、アリア社長が、得たり! -とばかりに胸を叩く。  だが-

「ならば、あなたにも分かるであろう。 あのバッジェーオが、そんなことも気付きもしない愚か者だとゆうことに」
 悲しくも、そんなアリア社長のジェスチャーを、アドルフは全く無視して話を続ける。

「違います!」
「違う? はっ、なにがであるか?」

「バッジェーオさんは…アロッコさんは、瞳の色なんか、気にしてないんです!」
「はあ?」
灯里は怒り狂うアリア社長を、そっと優しく後ろから抱きかかえた。


「あの人は、あの猫の…アクィラ社長の瞳の色が、蒼であろうが、黄色であろうが、そんなこと、どうでもよかったんです。
 そんなことは関係なく……
 ただあの人は…アロッコさんは、雪の日。 寒い朝。 外で鳴いている、孤独な、さみしい子猫を助けたかっただけで……」


「…………」
「そして、瞳の色が違うことを承知で連れてきた、そんな茜さん優しい気持ちも、アロッコさんは、ちゃんと理解していて……
 茜さんも、そんなアロッコさんの優しい想いを、ちゃんと分かっていて……
 
 だから、茜さんはずっと、アロッコさんと一緒にいるんです。
 だから、あのふたりは、ずっと一緒にいるんです。
 だから……」

灯里はアドルフを真正面から見据えた。


「だからアロッコさんも茜さんも、絶対に『愚か者』なんかじゃありませんっ」



「…Q.E.D( Quod erat Demonstrandum -証明終了- ) ですなぁ」

黙り込んでしまったアドルフに代わって、アントノフが、降参するかのように両手を上げ笑った。




「分かった」
もう少しで市庁舎前に着くとゆうとき。
それまで硬い表情で黙りこくっていたアドルフが、吐き出すように言葉を発した。

「それならば、私と勝負してもらうのである」
「局長。何をおっしゃっているのですか?」

-大丈夫か? この人

と いった感じで、アントノフが訊ねる。

「私は正気である! ウンディーネさん。 ひとつ、私と勝負をしていただこう」
「はひ?」
「十日後にヴァガ・ロンガがあるであろう?」

-ヴァガ・ロンガ
 それは市内全てを使って行なわれるゴンドラ・レース。
 「長く漕ぐ」とゆう意味で、文字通り、全長32キロもの距離を、ゴンドラを使って漕いで行くのだ。
 もちろんウンディーネであろうと、一般人であろうと関係なく、市民総出で参加でき、特に賞金も賞品もなく
 誰もがただ、楽しんで漕ぐ-とゆう、いかにもネオ・ヴェネツィアらしい、お祭りのひとつだ。


「その日にネオ・ヴェネツィア市民にお願いして、正否を決めていただくのである」
アドルフが、ことさら重々しく言う。

「正否を決める?」
「うむ。 その日。私の合理的な意見に賛成の者は黒いリボンを。 そしてバッジェーオの考えに賛成の者は、黄色いリボンをつけて競技に参加してもらうのである。
 幸い、あの小島はレースのゴール少し手前にある。 そこでそのリボンの多い方の意見を尊重する-といのはどうであるかな」

「でもそれは……」
灯里がとまどったように答える。

「でもそれは、私では決められません」
「もちろん、それは分かっているのである。 アントノフくん。 このことを『MAGA』社に伝えておいてくれ給え。 
 いや、大丈夫。 どうせあのバッジェーオは、嫌とは言わないのである」
アドルフに、加虐的な笑みがもどってくる。

「もちろんだからと言って、すぐにあの島を取り壊してしまうわけではないのである。
 ただ、この街の総意とゆうものを、私は、あのバッジェーオに知ってもらいたいのである」

自信満々に、アドルフは笑った。






            『 lo allocco rido 』    Essere Continuato(つづく)                        



[6694] lo allocco rido   後編
Name: 一陣の風◆fc1b2615 ID:8350b1a5
Date: 2011/07/01 23:44




        第11話 『 lo allocco rido 』  後編




「お帰りなさい。 お父さん!」

ゴンドラが市庁舎前に着くと、ひとりの少女が駆け寄ってきた。
年の頃は、アイより少し若いくらい。
紅茶色の髪をおさげにして、少しそばかす残る、元気な女の子だ。

「やあ。 ただ今」
「ねえねえ。 今日、お姉ちゃんに会ったんでしょ? ちゃんと話してくれた?」
「あっ……いや、あの、それは……」
「ぶうっ。 お父さん、また話してくれなかったの!?」
「あ、いや、その…今日は、時間がなくてね……そ、そうだ。 このウンディーネさん、覚えてないかい」

ぷい-とむくれてしまった少女に、アントノフがあわてて問いかける。
「え?」
「ほら、覚えていないかい? まだお前が小さかった頃に、茜さんやみんなで、でっかい雪だるまを作ったことがあったろ」
「あっ……」
「そう、あのときのウンディーネさん。 水無灯里さんだ」
「わあっ! ほんとだあ!」

少女は瞳を輝かせた。


「改めて紹介します。 娘のアリーチェです」

-退庁時間がきたんだから、もう帰り給え。
そう言うアドルフと分かれて「どうせなら」と、灯里とアイは、アントノフ親子をゴンドラに乗せ、家まで送ることにしたのだ。

「ん~ん。 やっぱりゴンドラは、いいなぁ」
アリーチェが満足そうに言う。

「うん。ありがとう。 アリーチェちゃんはゴンドラが好きなんだ」
「もちろん! ってゆっか、私、将来はウンディーネになるの!」
「うわっ。 素敵!」
アイが喜びの表情で、アリーチェを見る。

「でも……」
「ん?」
アリーチェの顔が曇る。

「どうしたのアリーチェちゃん。 もしかして、お父さんが反対してるの?」
アイは今度は怒りの表情で、アントノフを睨みつける。
睨まれたアントノフは、ふるふると困った顔で、かぶりを振った。

「違うの、違うの。 ウンディーネさん。 お父さんは、ぜんぜん反対なんかしてない」
あわててアリーチェが言う。

「じゃあ、どうして……」
そんなアイの問いかけに、アリーチェがぽつりと答えた。

「私…『MAGA』社に入りたいの……」
「『MAGA』社に……」
「うん。 私、お姉ちゃん…茜さんと一緒に、ゴンドラを漕ぎたいの……でもお姉ちゃんは、絶対ダメだって……」
「あきらめちゃダメ!」
「アイちゃん!?」

アイはいきなりオールを放り出すと、アリーチェの方に駆け寄った。
あわわわわ-と、あわてて灯里はオールを受け取り、ゴンドラを安定させる。

「アリーチェちゃん。あきらめちゃ、絶対ダメ!!」
「は、はい!」
両手をつかみ、ものすごい勢いでアリーチェに迫るアイ。

「いい。アリーチェちゃん。 私も一緒にお願いしてあげる。 だから……」
ずい-と、アイはアリーチェに顔を近づける。 正直、少し恐い…

「だから、あきらめちゃ、ダメ!!」
「は、はい……」
アリーチェは引きつった笑みを浮かべた。


「私は昔、このネオ・ヴェネツィアが…ウンディーネが嫌いだったの」
「え!?」
アイの言葉に驚くアリーチェ。

それは事実だった。
幼い頃のアイは、ネオ・ヴェネツィア好きの姉に反発して-それは自分の大好きな姉が、嬉しそうにこの街のことを語ることに対しての
ちょっとした「ヤキモチ」であったのだけれど-その全てに否定的だった。

「でもね」
アイはゆっくりと、ひと言ひと言、確かめるかのように話しだす。

「私、灯里さんに会えて変わったの。 ううん。変われたの。 
 灯里さんは、私にネオ・ヴェネツィアの素晴らしさや、ウンディーネの楽しさを、いっぱい教えてくれた。 
 そして私は、この街が……ウンディーネが大好きになった」
「アイちゃん……」

「だから私は頑張ったの。 あきらめずに、一生懸命、ウンディーネになろうとしたの。
 そしたら、ほら」
アイはアリーチェの両手を握ったまま、その手を目の前にかざした。

「私は片手袋に……シングルになれた。 
 もちろんプリマにだって絶対なる。 自分をやわっこくして、絶対プリマになる。
 だから……だからアリーチェちゃんも、頑張って! 
 絶対、絶対、あきらめないで!!」

アリーチェは目を丸くして、アイの片手袋を見ている。
それから少しの間、目をつぶり、大きく息を吸い込むと 目を開き、大きな声で返事を返した。

「はい! 頑張る! 私、頑張ります。 
 諦めない。 絶対、諦めない。 
 諦めないで、絶対『MAGA』社のウンディーネになる!」
「うん。頑張って! 私、応援するから」
「はい。ありがとう、ウンディーネさん。 ううん、アイさん!」
手を取り合い、盛り上がるアイとアリーチェ。 
そんなふたりを灯里とアントノフが優しい瞳で見守っていた。


「一緒に夕食をどうですか?」
アントノフが誘う。

「たいした物はありませんが、パニーニでも食べていってください」
「でも……」
「大丈夫です。 それに、お母さんの作る、グヤーシュ(ハンガリー風シチュー)は最高なんですよ」
アリーチェも口をそろえる。

「灯里さん……」
「ぷいにゅうううん」
アイとアリア社長が、訴えるような目で灯里を見る。
灯里はアントノフを見た。 にこやかにうなずく。

「そうだね。 じゃあ、およばれしましょうか」
「やったあああ!」
「ぷいぷううういいい~☆」
アイとアリア社長が手を取り合って喜ぶ。


灯里達が、アントノフの家に着くと、母親は喜んで迎え入れてくれた。
近所の人達も顔を出す。
あの日のことは、みな覚えていたらしく、一様に笑顔で灯里を迎えてくれた。

「あとで茜に、マフィンを持っていかせるから」
茜の母親も、相好を崩しながら、そう言ってくれた。



とても素晴らしい夕食だった。
分厚いハムを挟んだパニーニは最高。 グヤーシュも、まったりとしていて、そのくせ、クセもなく、とても美味しかった。
もちろん、高級レストランのような味ではないが、そこには家庭的な温もりまでも感じさせる、素朴で素敵な味があった。


「今晩は。アリーチェ。 
 かあさんがコレを持ってけって……あれ?」
マフィンの載った皿を持ったまま、茜が硬直する。

「あははは。 今晩わ、茜さん」
灯里が頬をかきながら挨拶する。
アイやアリア社長も、照れくさそうに笑みを浮かべた。


「アリーチェ。ちょっと手伝ってくれる?」
母親が台所から呼ぶ。
アリーチェは「は~い」と答えて席を立った。
その後姿を見送って、アントノフが言った。

「さて、実は、みなさんにお話しがあります」
灯里と茜がうなずいた。
ふたりともそれは予想してしていたのだ。

「まず言っておきたいのは、今回のリボンの件。あくまで個人的にですが、深く謝罪します」
「…………」
「正直、あれはフェアではありません。 行政からの圧力-とまでは言いませんが、市民のみなさんが政治的に動いてしまうことも考えられますから……」
「政治的……」
「役人の顔色を窺う。 そんな人もいるってことです」
「それなら!」

「はい。ですが残念ながら、もう止めることはできません」
「そんな……」
「あの人は、アドルフ局長は、善くも悪くも、そうゆう人なのです」
「…………」

「逆にもし今回の件、みなさん方が勝てば、彼は考えを変えるかもしれません。 
 で、なければ『強制執行』-とゆう手段に訴えてでも、彼は島を潰すでしょう。 けれど-」
アントノフは真摯な瞳で、灯里達を見る。

「けれど分かっておいていただきたいのは、彼は、アドルフ局長は悪い人ではない-とゆうことです」
「そう…なんですか?」
「はい。 あの人は多少、独善的で…他人の意見を聞かないことはありますが、基本的には良い人なんです」
「…………」
「それが証拠に今日でも、ちゃんと私を定時に上がらせてくれたでしょ? きっとあの人は今、ひとりで書類をまとめてるハズです」
「……でも」

「ええ。 茜くん。 だからと言って、島を売ってくれとか、彼を許してくれとかゆう話ではありません。 ただ……」
「ただ……?」
「一方的に彼を悪くは思わないで欲しいのです。 彼は彼なりに、このネオ・ヴェネツィアのことを考えているんです」
「…………」



「それで……茜くん」

アントノフは、ことさら無表情に訊ねた。
「……はい」
「アロッコさんに残された時間は、あとどれくらですか?」
茜は大きく息を吸い込んだ。
彼女にとってそれは、聞かれて当然の質問だったのだろう。 けれど、やはり動揺は隠せなかった。

「どうゆう……ことですか?」
アイの膝の上では、アリア社長が気持ちよさげに寝息を立てていた。

「バッジェーオは…アロッコさんは、早ければ明日にでも……」

「え!?」
「なにそれ!?」
驚く灯里とアイに、茜は、正直に答える。

「アロッコさんは、そうゆう病気なんです」
「病気……」
「そんな…あんなに元気なのに……」


「アロッコさんの病気は先天性のものです。 特効薬はいまだになく、治療方も確立されていません。 多少の延命ができるくらいで……」
「…………」
「だから……」
茜は顔を上げる。

「だからアロッコさんは、バッジェーオって…自らを『愚か者』って呼んでるんです。 
 自分はこの世に『生かされている』存在。 あと10年生きられるかもしれない。 明日死ぬかもしれない。
 そんな『生かされている』存在だからこそ、その全てを受け入れ、楽しく、可笑しく、けれど、こだわりながら生きていたい。
 だから自ら『バッジェーオ』と名乗り、愚か者と笑われながら、それでも自分の信じるままに生きていたい。  そう…」

「だからアクィラちゃんを社長に……」
アイの言葉に、茜がうなずく。




  
  -ゆりかごの唄を カナリアは謳うよ。
   ねんねこ ねんねこ ねんねこよ……
 
 

台所から唄が聞こえてくる。

 
  -ゆりかごの上に 枇杷(びわ)の実が揺れるよ
   ねんねこ ねんねこ ねんねこよ……


「これは……」
それは、今朝聞いた唄。
あの小島でアロッコが口ずさんでいた唄。


  -ゆりかごの綱を 木ねずみは揺するよ
   ねんねこ ねんねこ ねんねこよ……

  
アリーチェだ。
アリーチェが母の手伝いをしながら、謳っているのだ。

「キレイな曲ですね」
アイがつぶやく。

「この曲は、私がアリーチェに教えたの」
「茜さんが……」
「ええ…この曲はマン・ホームに古くから伝わる曲で、私も祖母から教えてもらったの……アロッコさんも気に入ってくれて……」


  -ゆりかごの夢に 黄色い月がかかるよ
   ねんねこ ねんねこ ねんねこよ……



「茜さんは、だからアリーチェちゃんをMAGA社に入れないんですか?」
「……そう。灯里さんも知ってるんですね」
灯里は無言でうなずいた。

「ええ。その通り。 私は、彼女がウンディーネになることは反対しない。むしろ嬉しい…けど、MAGA社に……ウチに来るのはダメ」
「どうしてですか?」
「アイさん。 あなたARIA・カンパニーを辞めて、姫屋かオレンジ・ぷらねっとに行きたい?」
「そんな! 絶対、イヤです!」
「どうして?」

「それは……それは私はどんなことがあっても、灯里さんと離れたくない。 ずっと、灯里さんと一緒にいたいっ」
「どんなに苦労しても?」
「もちろんです!!」
「アイちゃん……」
灯里が、小さく、けれど嬉しそうにつぶやく。

「私も同じ」
茜が-うふふと笑う。

「私もアロッコさんと離れたくない。 なんと言われようとも。 けど彼女には…アリーチェには、そんな苦労はかけたくない……」
「茜さん……」


「今回の件。 私は、どうこう言えませんが、個人的には、みなさんに頑張ってもらいたい。局長に考え直してもらいたい」
「アントノフさん……」
「ああ……なんか私もバッジェーオみたいですなあ」
そう言ってアントノフは笑いながら頭をかいた。




「灯里さん……」
ARIA・カンパニーに帰るゴンドラの上で、アイはそっと灯里に話しかけた。
「うん。アイちゃん。 がんばろうね」
「……はい!」

何も言わない。 けれど想いはしっかりと伝わる。
だからアイは、灯里のことが大好きだ。
ツキアカリを受けて、ふたりのゴンドラは揺れてゆく。





 翌日-

灯里はまず、オレンジ・ぷらねっとを訪ねた。
アレサに会って、話を聞いてもらうためだ。 けれど-

「そんな話、聞けないわね」
アレサの返事は、にべもなかった。

アレサ・カニンガム女史。
オレンジ・ぷらねっとの人事部長。 けれどその実力は、他の部長や、ひょっとして社長ですら凌駕しているかもしれない。
トッププリマ・ウンディーネから請われて人事部長に就任した彼女は「業界、第三の波」とまで言われる、数々の組織改革を断行。
わずか十年で、それまで業界最大手の姫屋を押さえて、売り上げトップの業績を得た、もはや伝説上の人物。
未だに人事部長の地位にありながら、オレンジ・ぷらねっとを引っ張り、姫屋と毎年、売り上げを競っている。

「ダメ……ですか?」
「行政とやりあっても、お互い傷つくだけよ。 あなたも、もう分かるでしょ」
「…………」
「ARIA・カンパニーのような小さなお店ならいざ知らず、オレンジ・ぷらねっとのような大きな会社は、そんな感傷的なことでは動かせないの」
「……はい」

「けどね、灯里さん」
アレサはゆっくりと、座っていた椅子から立ち上がり、眼鏡をはずしながら言った。

「我が、オレンジ・ぷらねっとは、この件に対して反対も賛成もしません」
「ありがとうございます」

それは、なんの手助けもしないけれど、アドルフ側にもつかない-とゆう、アレサの言外の意思表示だった。
だから灯里は頭を下げた。

「それともうひとつ。 これは姫屋さんも聞いてる話だそうだけど……」
アレサは何の感情も込めずに言う。

「アロッコさんからの要請で、もしMAGA社が消失するような場合には、プリマ・ウンディーネの茜・アンテリーヴォを
 ウチか姫屋さんで面倒みて欲しいって言われているの」



「その話は本当よ」
藍華がカフェラテを飲みながら言った。
 
「口約束みたいなものらしいけど、聞いたのが晃さんだからね。 そのへんの正式書類より正式だわ」

ここは姫屋、カンナーレジョ支店の藍華の執務室。
灯里と藍華は、差し向かいで座りながら話をしていた。

「そう…なんだ……」
「それにしても、灯里も大変な人にかかわってるわね」
「藍華ちゃん、アロッコさんは、そんな人じゃっ!」
「分かってるわよ」
藍華は笑いながら言う。

「バッジェーオ・アロッコ。 愚か者のアロッコ。 変な人-と言われることはあっても、バカな人-と呼ぶ人はいないわ……」
「藍華ちゃん、それじゃあ」
「それはダメ!」
「ええ~え!?」

藍華は、ぺしっ-と灯里の額をハタく。

「いい。灯里。メリットがないわ」
「メリット……」
「そう。会社として、そのことを行なうとき、どんな利益があるか、どんな損失が生じるか。それが問題よ」
「…………」
「あなたも、ARIA・カンパニーの経営者として、もう分かってるでしょ」
そのときの藍華の顔は、灯里の友人としてではなく、ひとりの経営者としての顔だった。

「まず私が考えなきゃいけないのは、会社としての……姫屋としての利益なの」
「藍華ちゃん……」
「お役人と争うのは、不利益よ」
「…………」

「こりゃ、灯里っ」
「はわわわわわ」
藍華は下を向いてしまった灯里の頭を、ぐりぐりとなで繰り回す。

「私が今言ったことは、姫屋、カンナーレジョ支店長としての答えよ。 でも藍華・S・グランチェスタとしては……」

にっこりと微笑みながら藍華は言った。

「頑張んなさい。 私も応援するから」

「藍華ちゃん……」
灯里は、目をうるませる。

「やっぱり藍華ちゃんは、私の、とっても大好きで、素敵ングで、大切なお友達だよぉ」

「恥ずかしいセリフ禁止いぃぃぃぃ!!」

藍華の、いつもの怒鳴り声が、支店中に響き渡った。




 同時刻-

アイはアリア社長を伴って、またあの小島へとゴンドラを進めていた。

-私が動き回っている間に、アイちゃんは、アロッコさんの様子を見てきて

そう、灯里に頼まれたのだ。 もちろんアイに異存はない。
それぞれに、それぞれの役割を果たす。 それが結果的には、いちばん良いのだから。

それに……
アイは、もう少し、アロッコと話しがしてみたかった。

小島が見えてきた。
相変わらず、島の大きさには不釣合いな桜の巨樹が、傘を広げるように枝を四方に伸ばしている。
そしてその根元には、アロッコさんが……

「ぷいにゅ!」
アリア社長が叫び、アイの心臓が-ドクンッと音を立てた。

そこでは、アロッコがオールを立てかけた横で、もたれるように桜の木によりかかっている。
それはまるで……

アイは必死になってゴンドラを漕ぎはじめた。
「クリムゾン・ローズ(真紅の薔薇)」の通り名を持つ、姫屋の晃・E・フェラーリが見れば-

-すわっ! 速度が速いぞ! 建物の傷みを促進させないための、スピード制限があるのを知らんのか!!

と、怒鳴られそうな勢いだった。


「アロッコさん!」
島に着いたとたん、アイは大声でアロッコに声をかけた。

桜の木にもたれかかったアロッコは、まるで存在そのものが薄くなってしまったかのように……

「ん? あれ、眠っちゃったのか…あれ、アイさん。どうしたの?」
「アロッコさん……」
安堵のタメ息とともに、アイは、こぼれ落ちる涙を、どうしても止めることができなかった。


「うふふ。 死んじゃったかと思った?」
そう言って、優しく髪をなでてくれるアロッコにしがみつきながら、アイは、えぐえぐ-と、泣き続けていた。

「ごめんなさいね。 このところ、ちょっと調子がよくないものだから……」
「病院に…病院に行きましょう」
しゃくりあげながら言うアイに、けれどアロッコは微笑みながら、小さくかぶりを振る。

「ありがとう。でも、病院に行っても、どうなるものでもないし……」
「だから…だから毎日、ここにいるんですか?」
「ええ。 実は、そうなの……ここにいると心が落ち着くの。 うふふ。 バッジェーオね……」
「そんなこと…そんなことないです」

アイはアロッコに、自分が見た桜の木の話をした。

それは灯里に連れられて行ったピクニックで教えられた「とっておき」の場所だった。
小高い丘の上に、ポツン-と忘れられたように置きさられた一両きりの路面電車。
そしてその背後に立つ、大きな桜の木。

 -えいっ

とばかりに、路面電車の椅子に寝転べば、やぶれた屋根から、まるで振るように舞う桜の花びらが……

そこは不思議と心が休まる…いつまでもずっと寝転がっていたくなるような-そんな奇妙な素敵な空間だった。



「そうなの……」
アロッコは、アイの髪を優しくなでながら言う。
「それじゃあ今度、私もそこに連れて行ってくれる?」
「はい……」
アイはアロッコの膝にしがみついたまま、小さく答える。

「はい。アロッコさん。 だから…だから……」

 -死なないでください

その言葉を、アイは、どうしても言えなかった。

それが可能なら。
それができるのであれば。

アロッコはバッジェーオとは呼ばれはしない。
バッジェーオ「愚か者」と、呼ばれることはなかったはずだ。

それは軽々しく言えない言葉。
軽々しく、言ってはいけない言葉。

それはアロッコの生き方。

アロッコの選んだ生き方。

だから、アイは-

「ごめんなさい」

謝ることしかできなかった。


「ん? なぜ謝るの?」
「だって…だって、私達がアドルフさんとあんな約束、勝手にしたから……アロッコさんは……」
「ああ。リボンの勝負のこと?」
「はい……」

「いいんじゃない? 面白そう」
「面白い…ですか?」
「ええ」
アロッコは、笑いながら言った。

「なにしろ私は、バッジェーオですからね。 うふふ。 ああ、春になったら、アイさんの桜が見れるのね……」

その微笑みは、まるで散りゆく桜の花びらのような儚さを、アイの胸に刻み込んでいった。


桜の木に立てかけられた、黄色のNO-13のオールが、そんな二人を静かに見下ろしていた。







 ヴァガ・ロンガ当日-

朝、寒さに目を覚ましたアリア社長は、アイが部屋の窓を開け、登り来る朝日に向かって手を合わせ、何事かを願っている姿を目にした。

一心不乱に手を合わせるアイ。

アリア社長は、アイの隣に座りなおすと、同じように、朝日に向かって、その短い両手を合わせ、目を閉じ……そのまま二度寝した。




遠くで花火の音が聞こえる。
人々の歓声が聞こえてくる。

「始まったわね」
アロッコが言う。
「はい……」
そんなアロッコを肩で支えながら、茜は答えた。

ふたりは、いつもの小島の上で、寄り添うように座っていた。
立ってもいられない。
アロッコの様態は、もう誰の目にもあきらかだった。

「ねえ、茜」
「はい。 バッジェーオ」

アロッコは、茜に優しく微笑みかける。

「私がいなくなったら、あなたは自由にしていいのよ。 MAGA社なんてなくなってもかまわない」
「何言ってるんですかっ。 そんな…そんなっ。 
 私は…私は絶対、MAGA社から…あなたから離れません!」
「うふふ。 あなたもやっぱり『愚か者』ね」
「バッジェーオ……」

「ねえ、茜」
甘えた声でアロッコが言う。

「あの唄を謳ってくれる?」
「はい?」
「あなたが教えてくれた、あの唄……」

茜は、うなずくと、小さく謳いだす。



  -ゆりかごの唄を カナリアは謳うよ。
   ねんねこ ねんねこ ねんねこよ……


 
  -ゆりかごの上に 枇杷(びわ)の実が揺れるよ
   ねんねこ ねんねこ ねんねこよ……



それは優しい子守り唄。
愛する我が子に-安らかなれ-と願う親の奏でる、優しい子守り唄。



  -ゆりかごの綱を 木ねずみは揺するよ
   ねんねこ ねんねこ ねんねこよ……


アロッコも小さく声を合わせる。



  -ゆりかごの夢に 黄色い月がかかるよ
   ねんねこ ねんねこ ねんねこよ……  



「ごめん、茜。 ちょっと疲れたから寝るわね……」
「はい……バッジェーオ…はい……」
目にいっぱいの涙を浮かべ、茜は答えた。





どのくらいの時がたったのだろうか。
アロッコは激しく自分を呼ぶ声に、目を覚ました。

「バッジェーオ……アロッコさん。 
 ルイさん。起きてください ほらアレ!」
目を開け、茜に支えられながら、アロッコは、その光景を信じられぬ思いで見つめていた。

 茜が叫ぶ。


「ほら見てください、アロッコさん。
 アロッコ・J・ルイさんっ。 みんなリボンつきです!」


ふたりの小島を取り囲むように、たくさんのゴンドラが集まっている。
そして、その全てに黄色いリボンが飾られていた。

アロッコは、ゆっくりとまわりを見渡す。

灯里がいた。
アイがいた。

姫屋のウンディーネ達がいた。
オレンジ・ぷらねっとのウンディーネ達がいた。
他の、いろんな水先案内店のウンディーネ達がいた。

ゴンドラ協会の人もいた。
あれは……協会の偉い人?
それに、あの人は伝説の……

ノームもいた。
シルフもいた。

うふふ……なに? あのサラマンダーさん。 頭の先から、つま先まで、全身に黄色いリボンを付けて……まるでバッジェーオみたい……


「アリーチェ……」
茜がつぶやいた。

そこには、ひとりの少女が灯里とアイに挟まれて、胸に黄色いリボンを付け、こちらを見返していた。

そんな、見知らぬ街の人達もいた。
小さな子供がいた。
青年もいた。
家族らしい親子連れの姿もあった。
年老いた、おじいさん、おばあさんもいた。

みなそれぞれに、それぞれの笑顔を浮かべながら、黄色いリボンを付け、優しく、けれど誇らしげに、こちらを見つめていた。



「どうゆうことであるか!?」
ただひとり、黒いリボンをつけたアドルフが、アントノフのゴンドラでやって来た。

「なぜみんな、黄色いリボンであるか。 なぜ、黒ではないのか!」
アドルフは、わめき続ける。

「こんな島などない方が、合理的なのに。利便性がいいのに! それがみんなのためであるのに!!」
「そんなの私達は望んでない!」
アイが叫ぶ。

「私は……私達は、みんな、この不便で不自由で不都合だらけのAQUAが大好きなのっ」
「はああ? いったい何だ! 何を言っているのであるか!?」

「局長さん。アドルフさん。 人にはそれぞれに、それぞれの幸せがあります。 お分かりでしょう?」
灯里が諭すように、静かに言う。

「なぜだ。なぜ、みな私の言葉に従わない!?  私は間違ってなど、いないハズである!」

「はひ。あなたのやろうとしたことは、決して間違ってはいません。 いませんけど……それは私達の幸せではありません」
「幸せでは……ない」
「はい。 この子が言ったように……」
そう言うと、灯里は優しくアイの頭をなでた。

「私達は不自由の中に、幸せがあるんです…」
「不自由の中の、幸せ……であるか?」
「そうです」

灯里は、その場に集まったすべての人々に語るように、言葉を紡いだ。



「私達は、このAQUAの春のうららかさ。 
 夏の汗ばむ暑さ。 
 秋の物悲しく吹く風。 
 冬に降る冷たい雪。 
 長く続く雨の日も。 
 いつまでも続く晴れの日も…そう。 アクア・アルタですら、私達には、とてもいとおしい……」



小島のまわりに集まった人々が、静かにうなずく。

「合理的であることが、必ずしも幸せではないんです」


「……私はみなのことを思って…みなのためと思ったのである」
アドルフは軋るような声をあげた。

「はい。 私達はあなたにとても感謝しています。 この想いに気付かせてくれた、あなたに……
 だからアドルフさん。 あなたにも私達の気持ちを分かって…気付いて欲しい……」


アドルフはがっくりと肩を落とした。
もしかしたらアドルフも、うすうす、そのことに気が付いていたのかもしれない。
しかし、それをそのまま認めるのは、彼の矜持が許さなかったのだろう。

そんなアドルフに、アントノフが優しく声をかける。

「局長。帰って一杯、やりませんか? いい店があるんですよ。 そこでゆっくり、話そうじゃありませんか。
 そうそう、局長は、雪玉って作ったことありますか?」

アントノフは、アドルフをゴンドラへと乗せ、ゆっくりと漕ぎ出した。

去りゆき際、ふと気が付いたかのように、アントノフは振り向き、帽子を取って、灯里達に挨拶をする。
その帽子のウラには、黄色いリボンが、しっかりと張りつけられていた。

「お父さん……」
アリ-チェの声がうるむ。
アントノフは、にっこりと微笑みながら去っていった。



「あの人も……アドルフさんも、ほんとはこの街のみんなのためを思って、この島を取り除こうとしたんだよね」
アイが小さくなってゆくゴンドラを見ながら静かに言う。

「うん。きっと、あの人も良かれと思ってしようとしたことなのね」
灯里が答える。

「ええ……あの方も、きっと。 心優しい……」
アロッコが後を引き取った。


 「素敵な愚か者ね」


みんなの笑顔があふれる。
そんな人々を見回しながら。アロッコは言った。

「そして、今ここにいるみんなも、優しい、けど、ちょっとおバカな、とても素敵な愚か者さん……ありがとう」

「アロッコさん……」
「にゃうふううん」

アクィラが悲しげな声を上げる
アロッコは、そんな子猫の頭を優しくなでてあげた。

「ありがとう、アクィラ。 ふふ。私は、なんて幸せなバッジェーオなんだろう……」

そう言うと-
アロッコは、もう一度まわりを見渡す。
誰もが、バッジェーオを見つめていた。

「茜。今までありがとう」
「バッジェーオ……」
「もう私に縛られず……これからあなたは、あなたの好きな道を行きなさい」
「いやです。 バッジェーオ。 
 私は…私はずっと『MAGA』社の、茜・アンテリーヴォです!」

「うふふ……」
アロッコは、そっと茜の頬に手を当てる。 ぞっとするような冷たさだった。

「ねえ、茜」
「はい、バッジェーオ……」
「やっぱり、あなたも……」
アロッコは優しく微笑む。

「あなたも、素敵な愚か者ね……」
「はい。私もバッジェーオです。 アロッコさんと同じ、素敵で優しいバッジェーオです……」
アロッコの頬を、茜の涙が濡らす。

あとからあとからあとから-
あとからあとからあとから-

こぼれ落ちる涙が、アロッコの頬を濡らす。

「茜…」
「は、はい、バッジェーオ」
「私、あなたに出会えてよかった。 あなたのような素敵な子に……」
「バッジェーオ! いやです! お願い! バッジェーオ!!」
「茜……」
「私…私ひとりじゃ…ひとりじゃっ。 イヤですっ。 バッジェーオ!!」

茜の声が。
絶叫が。
ネオ。ヴァネツィアに響いて消える。
風がすすり泣くよう、街の中を通り過ぎてゆく。

「うふふ。茜。 あなたはひとりじゃないわ」
「バッジェーオ……」
「あなたは、ひとりじゃない。 ちゃんと、あなたには…」
「バッジェーオ…いったい何を……」

「そんなに泣かないで。 
 私は消えるわけじゃないの。 
 私は…あなたの…ずっとあなたの中に……」
「アロッコさん?」

「おバカさん……」

アロッコは本当に楽しそうに小さく微笑みを浮かべた。

「私はバッジェーオよ。 それも飛び切り幸せな…ね……うふふ」

アロッコは顔をあげ、自分を覆う、今は枝しか見えない桜の木を見上げた。

「桜の花…もういちど、見たかったなぁ……」


すっ-と
茜の頬から、手が滑り落ちる。
アロッコは、ゆっくりと瞳を閉じた。


遥かな大鐘楼が、茜の絶叫をかき消すようかのように、大きな鐘の音を街中に響かせはじめた。







 一週間後 

茜は、アクィラを胸に抱きながら、ひとり、あの小島に立っていた。

「バッジェーオ……アロッコさん…私、バカだから……」

茜は押し殺したような声で、桜の木に話しかけていた。

「私、やっぱり、アロッコさんがいないと…私……」


 -あなたはやっぱり愚か者ね うふふ


「え?」
不意に、茜の耳に風にまぎれて、アロッコの声が聞こえてきた。

 -あなたは ひとりじゃないわ

「ひとりじゃ……ない?」

それは幻想なのか。
それは幻聴なのか。
それは幻夢なのか。

けれど
アロッコの声は優しく、暖かだった。


 -私は消えたわけじゃない いなくなったわけじゃない 
  私は あなたの中にいるの いつもね
「私の中に…いつも……」


 -私は いつもあなたの中に……形を変えて 
  今でも あなたの中に こうして生きている
「アロッコさん……」


 -だから泣いちゃダメ 泣いてちゃダメよ 茜……
「でも、でも私、愚か者だから……」

茜は肩を震わせながら、つぶやく。
「さびしいよう……」

 つぶやく。

「さびしいよう…さびしいよう……さびしいよう………」
何度も何度もつぶやく。

風が舞う。
風が吹き抜けていく。

「さびしいよう……」



「お姉ちゃん」
不意に茜を呼ぶ声が響く。


「にゃううん」
アクィラが声を上げる。
けれど茜は、うつむいたまま、振り向きもしなかった。

「お姉ちゃん…私。 アリ-チェ……」
「…………」

そこには、灯里とアイに連れられた、アリーチェが立っていた。

「何か、よう?」
「お姉ちゃん…茜さん。 やっぱり私をMAGA社に入れてください」
「は?」
「私もMAGA社に入って『愚か者』って呼ばれたい」


「……なにを なにをバカなことを言ってるの? 
 こんな、いつなくなるか分からない会社に入ってどうするの?
 しかも『愚か者』って呼ばれたいなんて、おかしいんじゃない!?」


背中を向けたまま、茜は吐き捨てるかのように言う。

「ううん……私。
 私も茜さんのように『愚か者』って呼ばれたい。 
 お姉ちゃんと一緒に『素敵な愚か者』って呼ばれたい!」


 -ほら あなたは ひとりじゃない うふふ
  今度はあなたの番ね 
  さあ 茜
  ううん 
  素敵で優しい愚か者(バッジェーオ)……


 風がささやいた。


茜は、何事かを小さくつぶやく。
誰かに何かを告げるように、小さく、つぶやく。
背中が震えた。

 茜はー

不意に片手で、ぐい-と顔をぬぐう。
それから振り向き、叫んだ。


「よし。それじゃ私のこと、今から『バッジェーオ』って呼ぶんだぞ!」


「はいっ。 バッジェーオ!」
アリ-チェが、なんの躊躇いもなく返事を返す。


「よしっ。 アリ-チェ」
「はいっ。 バッジェーオ!」

「おいっ。 アリ-チェ」
「はいっ。 バッジェーオ!」

「さあっ。 アリ-チェ」
「はいっ。 バッジェーオ!」

「アリ-チェ」
「バッジェ-オ!」

「アリ-チェ」
「バッジェ-オ!!」


互いの名前を嬉しそうに、何度も何度も呼び合うふたり。

そんな、ふたりを笑顔で見つめる、アイと灯里の目の前を、一片(ひとひら)の花片が横切った。
「……あ」

どうゆう不思議な力が働いたのか。
こんな、まだ冬も訪れていいない季節に、島の桜が、一瞬にして満開の桜の花を咲かせていた。

「綺麗……」
「これが…これがアロッコさんの桜……」

咲いたそばから、次々と飛び散ってゆく桜の花びら。
それはまた、アロッコの姿にも似て……

「にゃあわうんん」
アクィラが嬉しそうな鳴き声を上げた。



桜に包まれる、そんなふたりを残し、灯里とアイは、ゆっくりと島を離れた。


「灯里さん……」
「なに アイちゃん?」
アイが灯里の名を呼んだ。

「灯里さん」
「アイちゃん」

「灯里さん」
「アイちゃん」

「灯里さん……」
「アイちゃん……」

ただ、互いに、互いの名を呼び合う二人。
けれど、ふたりにはそれだけで充分だった。



ふたりの口から、唄が紡ぎ出さる。


  -ゆりかごの唄を カナリアは謳うよ。
   ねんねこ ねんねこ ねんねこよ……


それは初めてアロッコと出会ったときの唄。

 アロッコが
 茜が
 アリーチェが

そっと唄っていた、古くて、とても優しい子守唄。


  -ゆりかごの上に 枇杷(びわ)の実が揺れるよ
   ねんねこ ねんねこ ねんねこよ……


ゴンドラ(揺り篭)がゆく。
ゆっくりと運河をくだってゆく。
灯里とアイの歌声が重なってゆく。


  -ゆりかごの綱を 木ねずみは揺するよ
   ねんねこ ねんねこ ねんねこよ……


ふたりの歌声は、ネオ・ヴァネツィアの空に。
誰に聞かれるわけでもなく、静かに、小さく、けれど優しげに、いつまでも、いつまでも響きわたっていった。



  -ゆりかごの夢に 黄色い月がかかるよ
   ねんねこ ねんねこ ねんねこよ……



アリア社長が、灯里の膝の上で、小さな寝息を立て始めた。








     「 lo allocco rido -アロッコは笑う- 」  la fine









      「ゆりかごの唄」 作詞/北原 白秋   作曲/草川 信
      
      「allocco -アロッコ」1.[鳥] トラフズク 2.まぬけ、ばか、あほう (伊和中辞典・1983/小学館)



[6694] Un elenco e la sdhina 序章-第1幕
Name: 一陣の風◆5241283a ID:8350b1a5
Date: 2010/08/18 13:41
 12本目のお話しをお届けします。

……我ながら「なんだかなぁ」って感じです(汗)
前作がアレだったもんで、今回は軽い感じのモノを-と、思ってもコレです(汗)
むやみやたらと長い文章になってしまいました。 すいません。

なんとか今年中にお届けできたことを、唯一の誇りにして、アップさせていただききます(大汗)

そして、この駄文を根気よく読んでいただけた皆様が、
年越しのライブに参加された時。
カウントダウン・コンサートをご覧になった時。 
ゆく○くる年のTV中継を見られた時。

その舞台の袖の中に。あるいはカメラのフレームの外に。

こんな人達がいる事を、僅か1ミリ秒でも思っていただければ、これに勝る幸せは、ありません。

それでは、しばらくの間。 お付き合いください。








【 序章 】


黒い群集がうごめいていた。

「主が、お前たちは何者かと尋ねると、それは答えた…我が名は『レギオン』 我々は大勢であるが故に…」
「…聖書?」

少女の声に、隣に立つ褐色の肌を持つ女性が訊ねる。

「はい。 マルコ第五章です」
「…レギオン」
その女性は目を閉じ、上を向くと、そう噛み締めるようにつぶやいた。





       第12話 『 Un elenco e la schina 』




【 第1幕・第一場 】

レギオンの群れは、その独特の言語で意思を伝え合っていた。

「それはソデに置いとけ」
「そいつはハナミチだ。トヤグチには置くなよ!」
「タチイチのバビリはすんだか?」
「58持ってこいっ。 …照明さんじゃにお?」

「ジガスリ先にひくぞ。 センターだして」
「◎は#73だ。 #77じゃねえぞっ」
「ムーヴィングの半分はジダチのトラスに使います」
「タテコミの前にSuS先行で降ろすぞ」
「チャキンだ。 チャキン。8インチで6枚」

「3バトン。シャ幕OK! UPします」
「4タイコのフライング。チェックは済んだか?」
「うわっ。俺の雪駄どこいった?」
「タッパはちゃんと取ってあるんだろうな?」
「オシてるぞ。 マキで行けぇ!」



「…いざ我ら降り立ちて、人々の言葉乱し、互いに意思を通ずることを得ざらしめん」
「故にそこは、バベルと呼ばるる……創世記ですね」
今度は逆に、少女が聞き返す。

「ええ…災いなるかなバビロン。 神の怒りに沈む街……」

褐色の肌を持ち、紫がかった銀色の髪をした美しい女性-
アテナ・グローリィは、それら訳のわからぬ言葉を発しつつ、蠢き回る黒い集団を見ながら思わず呟いた。



アテナ。 フェニーチェ劇場で歌劇(オペラ)歌手としてデビュー。
その噂は、またたく間にネオ・ヴェネツィア中に広がった。

「セイレーン・天上の謳声」の通り名で呼ばれる、プリマ・ウンディーネ、アテナ・グローリィ。
ウンディーネの舟謳など聞きなれているはずの、ネオ・ヴェネツィアの住人達が、彼女を謳声がひとたび響けば、すべてを放り出し
窓際に殺到し、彼女が通り過ぎるまでただじっと、その謳に聞き入る-とまで評される、アテナ・グローリィが

ついに正式なオペラ歌手として、デビューを果たすのだ。

お祭り好きのネオ・ヴェネツィアの人々が、熱狂しないわけがない。

そして、いよいよ明後日。
その公演が行なわれる!






「そこで、杏。あなたにお願いがあるの」


【 第1幕 第二場 】


 一週間前

アレサが言った。

アレサ・カニンガム女史。
オレンジ・ぷらねっとの人事部長。
「業界、第三の波」とまで言われる、数々の組織改革を断行し、わずか十年で、それまで業界最大手の姫屋を押さえて、
オレンジ・ぷらねっとを売り上げトップに押し上げた、最大の功労者。
泣くウンディーネも黙る、強面女史。
けれどその実は、誰よりもウンディーネを -オレンジ・ぷらねっとだけでなく、全てのウンディーネ達を- 案じている
心優しき女性。

杏は、今、彼女の急な呼びだしを受けて、その目の前に立っていた。


夢野 杏。
そんなオレンジ・ぷらねっとのウンディーネ。 階級は半人前(シングル)
少しこげ茶色が入った黒髪のショート・ボブ。 ブラウンの大きめな瞳に小さな鼻。 まだあどけなさが残る、少女の様な十八歳。
趣味はそのかわいらしい顔立ちに似合う、ぬいぐるみ集め。
寮の部屋には壁を埋め尽くすほどのぬいぐるみが、所狭しと並べられていた。

けれど、何度プリマ昇格試験に落ちようとも「やわっこく、やわっこく」 そう自分に言い聞かせながら、挫ける事なく挑戦し続け、停滞はしても決して夢を諦めない。
そんな芯の強さを持った、素敵な女の子だ。



「は、はあ…なんでしょうか」
けれど今、杏は落ち着かない視線で、部屋の中に視線をめぐらせていた。
アレサ部長は、そんな杏に事務的に言い放った。

「プリマ昇格試験。 諦めてもらうわ」
「うきぁあぁぁ!」

杏は頭を抱えてうずくまると、ふるふると泣き始めた。
ついにっ。
ついに恐れていたことがやって来た!
私は昇進試験を受けられない!
プリマになれない!!


ふるふるふる。
-お父さん お母さん ごめんさない 杏は 杏は とうとうプリマになれませんでしたぁぁぁ
 これからはシングルでトラゲットを一生懸命がんばりますぅぅぅ。


謝っておく。
とりあえず、父母に謝っておく。 泣きながら。



「あ、あの。 違うの。違うの、杏ちゃん」
「アテナ先輩……」
うるうると泣き続ける杏に、アテナ・グローリィが声をかける。


「アレサ部長。 その言い方だと、杏ちゃんカン違いして…ねえ、杏ちゃん」
「は、はい…」
「大丈夫」
アテナはにっこりと微笑みながら言い放った。

「お暇をもらうだけだから……」

「ひょええええ!」
またも悲鳴が上がる。

何、何、何。
何ですかそれは?

強制休暇ですか? 
強制排除ですか?
強制退去ですか?


ふるふるふる。
-お姉ちゃん ごめんなさい ごめんなさい 杏は 杏は 何かトンデモないことをしでかしたようです!


謝る。
今度は、姉に謝る。 泣きながら




「部長&アテナぁ。 だから、その言い方だと。 ほれ。 杏、完全に誤解してるぜ」
横から声がかかった。

「蒼羽さん…」
視線の先には、何故か山のように詰まれた書類に囲まれた、蒼羽の姿があった。

蒼羽・R・モチヅキ。
杏の指導教官。
お客様を乗せるゴンドラ・クルーズはせず、オレンジ・ぷらねっとのシングルやペアを教育する、いわばウンディーネの先生。
厳格で容赦なし。 だがそれは後輩に対する確かな想いがあればこそだった。
杏が大好きな先輩。


「心配するな、杏」
ゆらり-と、なぜかどこか突き放したような口調で蒼羽は言い放った。

「ただ、ゴンドラに乗れなくなるだけだ……」
「ぎっひゃあああああ!」
みたび、悲鳴が上がる。

それは、ウンディーネですらなくなるとゆうこと。
事務所勤務か食堂勤務か、はたまた雑用係か。 ようするにウンディーネ廃業なのだあ!


ふるふるふる。
-亜季&亜美 ごめん ふがいないお姉ちゃんで ごめん お姉ちゃんは お姉ちゃんはあなた達の目標にはぁぁぁ!


謝る。
妹達に謝る。 泣きながら。




「だから部長&アテナさん&蒼羽教官。 あの子、完全に間違えてますって」
「アトラちゃん…」

視線の先には、蒼羽の横で、やはり書類の山に埋もれている、アトラの姿があった。

アトラ・モンテェヴェルディ。
相棒。寮での同室者。 ひとつ歳上の友達。 回復治療があるのに、未だに眼鏡をかけている親友。
その小さな眼鏡に、はっきりと杏の姿が写っている。

「心配しないで、杏」
アトラは、瞬きもせずに言い放った。


「もう…荷物は纏めといてあげたから……」
「ぐわびれびいいぃ!」
またまたまたまた、悲鳴が上がる。

ウンディーネ廃業どころか、オレンジ・ぷらねっとからの解雇通告!?


ふるふるふる。
-アーク・ロイヤルごめん。 ごめんなさい。 実家に帰ったら毎日、私がしっかり面倒みてあげるからぁ!


謝る。
ペットの猫(コーニッシュレックス ♂4才)にまで謝る。 泣きながら。




「部長&アテナ先輩&蒼羽教官&アトラ先輩。 ですから杏先輩、でっかい思い違いをしてます」
「アリスちゃん…」
杏の涙でぼやけた視界に、ひとりの少女が写し出される。

アリス・キャロル。
オレンジ・ぷらねっと期待の新星。
若干15歳でありながら、つい先日、見習いの「ペア」から一人前の「プリマ」へと、ネオ・ヴェネツィア初の「二階級飛び級昇格」を
果たした逸材。 杏のよき友人のひとり。

-がしっ。

そのアリスが、杏の両手を己が両手でがっしりと握り締めながら言い放った。

「(暫しの)お別れです。元気で頑張ってくださいっ」
「らめえええええっ!」

トドメの一撃。
魂消る悲鳴と共に、杏の口から白い何かがぬけてゆく。


-あれ、みんなの姿が下に見える。

杏はゆっくりと気絶した。

夢野 杏。
どうにかすれば黒魔法の一つや二つ、ぶちかませる-そんな芯の強さを持った少女である。
たしか……



  ***



「ほら、もう気がつきますよ」
「ああ、ありがとう」
「いえいえ。 たまたま、お嬢の用事があって来てたのが幸いでした。 それではウチは雨の降らない内にこれで。
 おい杏。 あんまり楽しんでると、ほんとに戻れなくなるぞぉ……」

ゆっくりと目を開ける視線のその先に、ちょうど扉から出て行く赤い色の制服の後姿が見えた。

「うん…あれ? ここは何処? 確か三階の窓の外の燦の上に片方だけのスニーカーがあって……」
「なに言ってるの? 杏」
「アトラちゃん……?」

正面に視線を戻すと、目の前にこちらを心配そうにのぞき込む、アトラの小さな眼鏡があった。

「ほら。大丈夫?」
「あの…私はいったい……」
「ごめん、ごめん」
アトラが拝むように両手を合わせて、小さく笑いながら謝った。




「つまり私に、アテナさんのお手伝いをして欲しいってことなんですね」

気付けの紅茶を飲みながら杏が、タメ息をついた。

「そうなの。 しばらくウンディーネの業務は停止して、アテナの付き人をやって欲しいの。
 期限は明日から公演の当日まで。 それまではオレンジ・ぷらねっとではなく、劇場近くのホテルに宿泊してもらます」
「ああ…それでゴンドラに乗れなかったり、荷物をまとめたりって……」
「そうなの。 ごめんね。 杏」

「アレサ部長……そうならそうと初めから言っていただければ…」
「言おうとしたのよ。 けれど、その前にみんなが……」
アレサの視線に、みんなが目をそらす。
心なしか、みんなの肩がかすかに震えているように見える。 


「あぁ、でも……付き人ならアリスちゃんが適任なのでは?」
「それがダメなんです」
アリスが残念そうに言う。

「アリスちゃんは予約がいっぱいなの。 今、大人気の『オレンジ・プリンセス』さんだから」
アテナが通り名でアリスを呼んだ。

通り名-とはプリマ・ウンディーネだけが名乗れる、もうひとつの名前。
アリスは飛び級昇進のときに、その名前をアテナからもらったのだ。
その話題性とアリス自身の人気のために、彼女は連日、予約が入り続けていた。


「じゃあ蒼羽教官は? ゴンドラ・クルーズはなさいませんし、同期ってことでアテナさんも何かとお願いしやすいのでは…」
「蒼羽はダメよ」
「なぜですか?」

「私のドラ焼き食べたから!」

「はいいい!?」
驚く杏に、アレサは傲然と言い放った。

「私が…私がせっかく楽しみにしていた、野火屋のドラ焼きを、蒼羽は勝手に食べたのよ!」
「いやだから部長。 それなら無防備に机の上に出しっぱなしには……」
「五月蝿い! ……そうゆう訳で、蒼羽には向こう一週間、書類整理を手伝ってもらっています」
「うううう…」
地獄の底から響いてくるような呻き声が、書類の山から聞こえてくる。


そしてよせばいいのに、杏がやっぱり地雷を踏む。

「蒼羽教官、またやらかしたんですか…ふげげ?」
疾風のように飛んできた蒼羽が、杏の両頬をつねりあげる。
「いらんこと言う Hasenな口は、この口か、この口か、この口かぁぁぁあ!!」
「ふげげげげげげぇっ」
杏の魂は、また抜け出しそうになった。


「じゃ、じゃあ、アトラちゃんはどうですか?」
頬をさすりながら杏が問う。

「アトラもダメ」
「え? どうしてですか?」
「書類整理なんて大切なこと、蒼羽ひとりに任せておけないわっ」
「ひでぇ…」
再び、書類の山の中から呻き声が響く。

「だからアトラには、蒼羽のフォローしてもらってます」
「…なぜ私が……」
下を向き、その小さな眼鏡を白く光らせながらアトラがつぶやく。

「あら、だってあなたは蒼羽のお弟子さんですからね。 連帯責任です」
「そんなぁ…なら杏だって……」
「適材適所よ」
アトラのボヤキをアレサは一刀両断にする。

「その分、杏にはアテナの世話で頑張ってもらいます」

アトラは一瞬考える。
ここでこうして蒼羽と共に書類に囲まれる一週間と、アテナの付き人として過ごす一週間。
答えは明白だ。

「書類整理、頑張ります!」
「ええ~ぇ!」
「杏先輩!」

情けない声を上げる杏の両手を、アリスが再び、グワシっ-と強くつかんだ。

「杏先輩、お願いします。 もう杏先輩しか頼る人がいないんです」
「アリスちゃん?」

「アテナ先輩のドジにも動ぜす。 アテナ先輩のフォローもできて。
 アテナ先輩の舵取りをできて。 アテナ先輩の思いも読み取れて」

アリスが、ますます手に力を入れ、杏に迫る。

「アテナ先輩を注意できて。
 アテナ先輩を嫌いにならなくて
 アテナ先輩を見守ってくれる…そんな人は……」
「近い。 アリスちゃん近い!」

杏が悲鳴を上げる。
気がつけば、すぐ目の前にアリスの顔があった。
そう。 まさに唇が触れ合う距離まで。

「お願いです。杏先輩!」
「あ、アリスちゃん…」

すぐ目の前で、杏の手を握り締めながら、瞳を潤ませながら、頬を桜色に染めながら、
懇願するアリス。

-か、かわひいぃぃ

なぜか胸が高鳴る。
汗がしたたり落ちる。
耳が熱い。

-あうあうあううう……

再び飛んでいきそうになる自分を、杏は必死で抑える。  けれど-

「アテナ先輩をよろしくお願いします!」
「分かりましたぁ!!」

杏は、つい反射的に答えていた。  あれぇ?


「杏先輩。ありがとうございます! でっかい大好きですぅ! ぎゅうううっ」
「ら、らめぇぇぇぇぇ!」

アリスに抱きしめられ、杏の意識はやっぱり宇宙(そら)を飛んでいた。






【 第1幕 第三場 】


「すごいわねぇ……」

そんなこんなで五日後。

杏はアテナと共に、ここフェニーチェ劇場の舞台に立っていた。

「すごいですねぇ……」

アテナが感嘆し、杏が答える。
そこでは無数のレギオン(スタッフ達)が、意味不明の言葉(舞台用語)をわめきつつ走り回っていた。

ある者は、セットを崩したり立て付けてたりする。
ある者は、何台ものスポットライトを持って走り回っている。
ある者は、巨大なスピーカーの中に頭を突っ込んで、音の出をチェックしている。

喧騒と騒音にまみれ、舞台は一種、異様な活気を呈していた。


「おい。そこのふたりぃ! セリが降りるからワラエ!」
ひとりの初老の男性が、杏とアテナに向かって怒鳴った。

-きょとん?
 と、するふたりに、男は再び怒鳴る。

「バカ野郎っ。 ワラエってのが分からないのか。 さっさとワラエ!」
「あ、杏ちゃん…」
「は、はい、アテナさん…」
ふたりは顔を見合わせる。

「よく分からないけど…」
「はい…よく分かりませんが、とりあえず…」
「ええ。とりあえず……にこぉっ」
「はい。……にこりぃ」

「ああ? お前等、なに笑って……って、シロウトさんかぁ…」
杏とアテナの、そのぎこちない笑顔を見ながら、脱力したように男は呻いた。

「ったく、ガヤがなんでこんな所にいるんだよ。 おい、アカリ。アカリっ。 アカリはいないのか!!」
「はああ~ひ」

男の怒鳴り声に答えるように、若い声が響く。
大きなセットの後ろから、ひとりの女の子が現れた。

-えっ? 灯里ちゃん?

その子は、杏とアテナがよく知っている女の子と、とても良く似ていた。

違うのは、髪の毛がショートで、色が黒であることと、大きな眼鏡をかけていること。
黒いT-シャツ。 同じような黒のよれよれのパンツ。 およそ女の子らしからぬ服装であること。
そしてなによりもの違いは、ビニールテープ(白・黒・赤等多数)やガバチョ(ガムテープ。ただし布製限定。飛ばない)
それに ペンやら鋏やら突っ込まれているバカでかいウエストポーチを腰に回していることだ。


「なんですか? 舞台監督」
「灯梨。このふたりを楽屋まで案内してやんな。 こんなトコ、うろうろされたんじゃ危なくてしょうがねえ」
「……? うわっ。 アテナ・グローリィ? ほんもの!?」
灯梨と呼ばれたその少女は、アテナの顔を見るなり叫んだ。

「えと……はい。 本物のアテナ・グローリィです」
アテナが深々とお辞儀をする。
「なんでぇ。 灯梨。知り合いか?」
「ちょっ…舞台監督、ご存知ないんですか? アテナさんですよ? 『天上の謳声』ですよ。 今度の主役ですよ!?」

「はあ? 今度のカンバンがなぜ、こんな時間にこんな所にいるんだ」
「さあ…それは」
「あの…それは」
首をかしげる二人に、杏が答えた。

「今日の9時に劇場に集合って聞いたものですから…ねえ。アテナさん」
「はい。確かに9時って聞きまいた」
「なに、噛んでるんです?」
自信たっぷりに言うアテナに、杏が思わずツッコみを入れる。

「そりゃ間違いだ」
「はい?」
舞台監督と呼ばれた男が言い切った。

「私達の間では時間は24時間表記なんです」
灯梨が、すまなそうに言う。

「ですから今は21時。 9時とゆうのは、明日の朝、午前九時のことなんです」
「……」
「でないと、今みたいな間違いが起こるので……」
灯梨の声は、最後ほとんど聞き取れないくらい小さくなる。

「アテナさん」
杏の声は冷たい。

「ご、ごめんなさ~い」
アテナは再び、深々と頭を下げた。





-せっかくだから と。
杏とアテナは劇場内-それも普段は一般には見れない、いわゆる舞台裏を見せてもらうことにした。

「ごめんなさい。 お仕事の途中なのに……」
「いえ、ぜんぜん大丈夫ですよ」
謝るアテナに灯梨は笑顔で答えた。

「私も『天上の謳声』のアテナさんと、こうして一緒にいれることが嬉しいですから…それに」
「それに?」
「私はまだ半人前なので、仕事でも手伝えることが少なくて…」
「半人前…」
杏がつぶやく。

「やっぱり、このお仕事でも一人前になるって大変なんですね」
「えへへ。 まあ、プリマ・ウンディーネになるよりは簡単ですが」
そう言って灯梨は鼻を掻いた。

「そうなんですか?」
「ええ。 ってゆうか、この業界には、ウンディーネさん達のような明確な線引きってなくて、若くてもセンスがあればチーフですし。
 それにウチのブカンは『歳で仕事するわけじゃない』って、いつも言いますし」
「ブカン?」

「ああ。 舞監(ブカン)  舞台監督のことです。 さっき一緒に話してた人がそうです」
「あの『ワラエ』って叫んでた、おぢさんですか?」
「おぢさんって…」
灯梨が苦笑する。

「プロデューサーがその公演の全ての責任者なら、舞台監督は、その公演の舞台上の総責任者なんです。
 演出家や脚本家との打ち合わせ。 道具方や照明、音響といった技術職とのすり合わせ。 タイムスケジュールの確定。
 果ては出演者さんの愚痴聞いたり、お弁当の手配を考えたり…いろいろとたいへんなんですよ」

「あ~だからあのときも、とまどう私達に『ワラエ』って、優しく声をかけてくださったんですね」
アテナのセリフに、灯梨は見事にすっ転んだ。

「大丈夫ですか?」
「あたた…いえ。 その……」
あわてて駆け寄る杏とアテナに、灯梨は頭から埃を振りまきながら答えた。


「『ワラエ』ってゆうのは舞台用語の一つで『除けろ』とか『片付けろ』って意味なんです」
「へえ?」
「だからワラエって言われたのは、笑うんじゃなくて『早くそこからどけ』って意味で……」

ほんの少しの長い-間

「……てへ」
アテナは小さく舌を出した。



「それにしても、ずいぶん大勢の人がいるんですね」

杏が舞台を忙しく走り回る、レギオンの群れを見ながら言う。

「このフェニーチェ劇場は古いですから」
灯梨が答える。

「こないだ、こけら落とし……新しい劇場で行なわれる初めての公演って意味です。 が、あったヴァローレ劇場と違って
 この小屋は、昔のマンホームのヴェネツィアにあった劇場を、ほぼそのまま持って来たものですから、設備も古いんです」
「そうなんですかぁ」
「ええ。 おかげで人に頼る部分が多くて。 でも、そこが楽しいんですよ」

その灯梨の笑顔に、杏もアテナも、思わず微笑んでしまった。



「ここがオペレート(操作)室です」
灯梨がまずふたりを案内したのは、客席の後ろにある、ガラス張りの部屋だった。

「ここで照明、音響のチーフが、それぞれの卓を操作して、音と光の調整をします」
そこは何台ものモニターと、各種スイッチ、レバー。 幾十もの小さなライトが灯る台(卓)がある、静かな空間だった。

「ここフェニーチェ劇場では、カミテが音響室。シモテが照明室になってます」
「カミテ、シモテ?」
「ああ…これも舞台用語で上手(カミテ)は客席から舞台を見て右手。 下手(シモテ)は左手を意味します。
 舞台にいると、どちらが右か左か分からなくなることがあるんで、それでそうゆう風な言い方をして方向を固定してるんです」

音響、照明、両オペレート室とも、何人ものスタッフがつめて、打ち合わせをしていた。

「よろしくお願いします」
再び深々と頭を下げるアテナに、誰もが驚きの顔を浮かべながらも、笑顔で迎え入れてくれた。




「あの…なんだか私達、さっきからスタッフの人達に驚かれているような気がするんですけど…何か変だったでしょうか?」

舞台脇の階段を登りながら、アテナが訊ねた。

「あ~いえいえ。それは大丈夫です」
「本当ですか?」
「ええ。 ただたんにお二人が珍しいですよ」
「珍しい?」
「ウンディーネが珍しいんですか?」
「あはは。 違います違います」
灯梨は大きな声で笑った。

「出演者。 それもカンバンが……ああ、主役の人って意味です。 が、挨拶してくれるのが珍しいんですよ」
「そう…なんですか?」
「はい。 もちろん、ちゃんと挨拶してくれる人もいます。 でもそれはせいぜい舞台監督までで、ひとりひとりのスタッフに
 声をかけて挨拶してくれる人は、なかなかいませんね」

「え、でもそれは…」
「いえいえ。別に悪くはありません。 当たり前のことですから」
「当たり前……ですか」
「はい。 当たり前のことなんです」
「はあ……」
くったくなく笑う灯梨。 その笑顔を見ながらも、杏とアテナは釈然としなかった。



「さあ、ここが天井裏です」
階段から続くドアを押し開けながら、灯梨が言う。

「うわあ……」
そこは薄暗い空間。
ホールの天井を支える、大小さまざまな鉄骨が入り組み、その中にもうしわけ程度の狭い通路(キャットウォーク)が設置されている。

「これがフェニーチェ劇場のメインスピーカーです」
「大きい…」
舞台前面。客席の最前列のすぐ天井裏。
そこには人の身の丈を遥かに超える、巨大なスピーカーが二台、ひっそりとたたずんでいた。

「これ、後先考えずに全出力で音を出せば、人を吹き飛ばすことも可能なんですよぉ。 うへへぇ」

-恐っ

灯梨の妖しい笑顔に戦慄する杏とアテナ。


「これ以外にも今回の公演には、フライング・スピーカーをガラム(隠しスピーカー)に吊って、舞台下のフロントスピーカーや
 客席後方のウォールスピーカーまで用意をして万全の備えをしているんですよ。 全方位包囲態勢ですね。
 くっくっくっ」

そんなふたりの心を知ってか知らずか、灯梨はとても楽しげに話を続ける。

「お、オペラの音響ってスゴいんですね」
「ええ。オペラの音は、いちばん大変なんです」
「そ、そうなんですか」
杏がうわずった声を出す。

「はい…いかに自然な音を出すか。いかにマイクを使いながら地声の音を出すか。そもマイクを何処に仕込むのか。
 上半身、まっ裸の奴にどうやって客に分からないようにマイクを仕込むか。 衣擦れの音をどうやって防ぐのか。
 それでいて管弦楽の演奏との音のバランスにも気をつかわなければなりません。 そうっ!」

灯梨は右腕を天に突き出した。 とたん-

-ごっ

にぶい音がして、灯梨が物も言わずにうずくまる。
低い鉄骨に鉄拳を喰らわせたのだ。
もちろん、結果は灯梨の惨敗。

「くうううう……オペラは音が命」

灯梨が右手を押さえながら、涙目で立ち上がる。

「お、オペラは、音響の腕の見せ所です。 オペラに比べれば、ちゃらいコンサートのPAなんざ、ぺぺぺのぺ~☆です」
「は、ははははは…」

-ちゃらい…しかも、ぺぺぺのぺ~☆ って…

実はこの人、危ないんじゃない? 

自分達に背を向け、右手を押さえ、どうみても涙をぬぐっている灯梨のその背中を見ながら、杏とアテナの脳裏に、そんな思いが駆け巡る。

「でもね、アテナさん……」
「は、はいっ」
突然振り向き、アテナを名指しで呼ぶ灯梨。 アテナが硬直する。

「アテナさんの謳声をもってすれば、マイクもスピーカーも必要ありませんものね…うふ……うふふふ」
「あ、ありがとうございます。 頑張ります!」
灯梨の低い笑い声に、アテナが壊れた人形のように何度も頭を下げた。





「そしてここがPINスポット室です」
「へええ……」

次に案内された部屋。
そこは前面がガラス張りの横長の狭い部屋。
天井にへばりつくように設置されているその部屋からは、舞台の全体が一望できた。

「これがPINスポットライト。 通称ピンスポです」
灯梨が一台のスポットライトに軽く手を置きながら説明する。

それはまるで大砲のような形をした、灰色の筒のような物体だった。
上面部に三本のレバーが突き出ている。
側面には、赤や白のスナップスイッチが何個か並んでいる。
そしてその本体自体は「Y」字型のスタンドに乗せられて、自由自在に動くようになっていた。


「このピンスポはピックアップ用のスポットで……あのよくコンサートなんかで、ひとひとりだけにスポットが当たってるのは
 全部、このスポットライトなんですよ」
「へえ……」
「昔はこのスポット一台に一人のオペレーターがついて操作してましたけど、今では下のオペレート室から全スポットを操作できます」

灯梨はずらりと並んだ何本ものピンスポを手で示した。

「それに明日アテナさんにもつけていただきますが、マーカーをつければ、対象者がどう動こうが自動追尾で何処までも追いかけます」
「はあ…あのトイレまでもですか?」
「あはは。面白い。 アテナさんのような三大妖精でも、そんな冗談を言うんですね」

-いえ、真剣(マジ)です

笑う灯梨に、杏は心の中でそっとツッコミを入れた。



「私はね。この場所が一番好きなんです」
灯梨がポツリと言う。

「どうゆうことですか?」
杏の問いかけに、灯梨が恥ずかしそうに答えた。

「ここは舞台全体を見れます。 道具も照明も音響も…すべてここから見渡せます。
 まるで自分が舞台を…コンサート、その全てを見下ろせる、何か特別な存在になってしまったかのよう……
 そんな変な錯覚をしてしまうような、そんな場所なんです、ここは……」

「遥かなる神々の座…」
「はい。まさにここは神の俯瞰です。 ……アテナさん」
「はい」
「当日、私はここからアテナさんを見せていただきます」
「はい…」
「ほんとうに、ほんとうに楽しみにさせていただきます」
「はいっ」
アテナは女神のように微笑んだ。


 
「ここが奈落(ならく)です」
最後に案内されたのは、地下にある大きな倉庫のような場所だった。

「ここは舞台の真下で、今まで使われたセットや照明、音響機材なんかが保管されています」
見回せば、あちらこちらに街の絵を描いたパネルや布(ドロップと呼ぶらしい)や、スポットライトを入れた箱、
大小さまざまなスピーカーなどが雑然と保管されていた。
「奈落……」
「ええ、よく『 奈落の底 』とかの言われ方しますね。 あと、昔には敵役の名前に使われたことも…」

-Beeee

突然、声高な警報音が鳴り響く。

「な、なに?」
アテナが杏にしがみついた。

「大丈夫ですよ。 ほら」
灯梨が微笑みながら天上を指差した。

突然、天井が長方形に切り取られる。
やがて静かなモーター音と、腹に響く低い振動音と共に、切り取られた天井が、ゆっくりと下に降りてきた。
大きい。
長さは十メートル以上、幅も五メートル以上の大きさの舞台が降りてくるのだ。

「これがオオゼリ(大迫り)です。 場面転換やヒナ壇なんかに使われますね」
大迫りの上には、何人もの道具方のスタッフが、家や壁の絵を描いたパネルと共に乗っかっている。
彼等は降りきると、素早くパネルを降ろし片付け、新たなパネルや道具を乗せ、再びあがって行く。


-Beeee

再び、警報音が鳴り響く。

「今度はコゼリ(小迫り)が降りてきますよ」
灯梨が指差す。

また天井が切り取られる。
が、今度は先程の大迫りより余程、小さい。
それぞれ三メートルほどの正方形に近い舞台が、やはりスピーカーやスポットライトを乗せて降りてくる。

「本番ではアテナさんには、あれに乗ってもらいます」
「ええ!?」
アテナが驚きの声を上げる。

「暗転……真っ暗闇の中、アテナさんは小迫りでアップしてもらって舞台に板付き、そこで謳っていただきます」
「だ、大丈夫でしょうか?」
「大丈夫ですよ」
灯梨がやっぱり妖しげな微笑で答える。

「めったに壊れません」
「……ひっ」
「ほらちょうどいい。今からアレに乗って、舞台に上がりましょう」

灯梨は引きつるアテナの腕をつかむと、小迫りの方へと引っ張って行く。

「待って待って待ってぇ」
杏はあわてて、その後に続いた。


「小迫りUPしまぁーす。 さあ、行きますよ」
灯梨の声と共に、迫りが動き始める。

「あっ」
アテナが少し揺らめいた。
「大丈夫ですか?」
杏が横から支える。
「うん、大丈夫。 ありがとう。ちょっとよろけただけだから……」
アテナは杏に感謝しながら言った。

けれどこの時-
アテナの髪から小さな髪留めのピンが落ちた事に誰も気付かなかった。
そしてそのピンは、小迫りから滑り落ちると、暗い奈落に落ちて行き……




【 第1幕・第四場 】

ゆっくりと地面が近付いて来る。
二階分の高さはゆうにあるだろう。
それはガラス張りのエレベーターに乗って、地下から地上に上がって行く時の感じに似ていた。
もっとも迫りには、エレベーターのような手すりも壁もありはしなかったが……


「まるで空母赤城の艦載機エレベーターみたいですね」
「それなら回り舞台も使って、ZATやスーパーⅩ3の発進シークエンスな感じも出せますよぉ」
杏と灯梨が顔を見合わせながら、あはは-と笑い合う。
アテナは、きょとんとするばかり………


-WAAAANxxx


低い耳鳴りがする。
やがてアテナ達の体は、上半身から膝丈。 そして全身へとその姿を舞台上に現した。
「はい到着です」
軽い衝撃とともに、小迫りが停止する。

「実際はこれでアテナさんにスポットライトが当たり、唄が始まります」
「はい。分かりまいた」
「だからどうして、そこで噛むんですか?」
杏がすかさず、ツッコんだ。



「ああ。 アテナちゃん。 こんな所に居たのぉぉ!」
三人の男が近付いて来る。

プロデューサー。 劇場総支配人。 そして舞台監督の三人だった。

「みなさん。 こんにちは」
アテナが頭を下げる。 杏もあわててアテナに習った。

「だめだよ、アテナちゃん。 僕達、業界人は『お早うございます』って挨拶するんだよぉ」
プロデューサーの男が甘い声を出す。

「はあ…こんな時間でもですか?」
「はい。 私達の仕事は時間が不規則なので、朝、会っても、夜、会っても『お早う』って挨拶するんです」
「うるさいなぁ。 アテナちゃんは今、僕と話してるんだよ。 君は口を挟まないでよ」
灯梨にプロデューサーの叱責が飛ぶ。

「す、すいませんでした」
「まったく、こんな埃っぽい場所にアテナちゃんを連れてくるなんて…彼女の天使の喉を傷めてしまったらどうすんのかなぁ」
「すいません」
灯梨がもう一度、謝罪する。

「あ、あの……」
「さあさあ、アテナちゃん。 ホテルに帰りましょう。 こんな所、いつまでもあなたが居る場所じゃないよ」
「いえ、でも……」

「いや、もう時間も遅い。 アンタは引き上げてくれ。 これからは俺達の時間だ」
「舞台監督さん……」
「そうそう。行こうよ、アテナちゃん。ついでにホテルのラウンジで少し飲まない? 飲みながら明日の打ち合わせでもしましょっ」
「あの……」
「あそこには僕のボトル、キープしてあるんだ。 年代物のワインもね」
「あの私は……」
「ゆっくりふたりで飲もうじゃないの」

「アテナさんは、お酒は、お飲みになりません」
杏が言い切った。

「お酒は喉に良くないので、お飲みにならないんです」
実際は少しは飲むのだか、こんな奴と一緒に飲ませてたまるか! -と、杏がとっさの機転をきかせたのだ。

「(…ちっ) そーなんだぁ。じゃあ仕方ないね。 とりあえずホテルに帰ろうよ。 ここに居てもしょうがないし」
「あの、この人達……」
「え?」
「この人達はどうするんですか?」

アテナは忙しく動き回るスタッフ達を見ながら訊ねた。

「こいつらはもちろん徹夜で働いてもらうよ」
プロデューサ-は『何を聞くのだ?』といった態度で答えた。

「舞台監督さん。 明日の13時までにはきっちり仕上げといてね。オシは許さないから」
「分かった。時間は守るよ」
「よろしくね。 さあ、アテナちゃん。行きましょう」
「あ…でも」
杏とアテナは、灯梨と舞台監督を見る。

「お疲れさまでした」
けれど舞台監督はなにも言わず、灯梨はただ無表情に、そう言って頭を下げるだけだった。





                       -Essere Continuato (つづく)



[6694] Un elenco e la schiena 第2幕
Name: 一陣の風◆5241283a ID:8350b1a5
Date: 2010/08/18 14:05
【 第2幕・第一場 】


-翌朝

いつもの習慣で、杏は6時に目が覚めた。

「うううううふうん。ああぁぁぁ……」
ベッドの上で大きく伸びをひとつ。

それから起き上がると、浴室へ。
洗面がてら少し熱めのシャワーを頭からかぶる。 
冷えた体を伝うお湯が、とても気持ちいい。

そのまま歯磨きをすませると今度はドライヤーを使い、髪の毛を乾かす。
アトラやアリスと違って、杏の短い髪は、こうゆう時には便利だ。

ヘヤーメイク終了。
着替えをすますと隣の部屋へ。

ノックを五回。少し間をおいて、さらに二回。

それが杏が来たことを示す秘密の合図だった。
なぜ秘密の合図を?
それはあのクソ・プロデューサーが、あからさまにアテナを狙っているからだ。
夜、何度も訊ねて来ては、アテナを連れ出そうとするのだ。 
杏は、そのあまりにあからさまな態度に、アテナの出演取り消しを、何度アレサ部長に具申しようと思ったことか!

もっともアテナ自身は、相変わらずのマイペースで、にこにこと微笑んでいただけだったが……

「アテナさん。杏です。朝ですよぉ。起きてますか?」
返事はない。
耳をこらす。
 
なにやらもぞもぞと動き回る気配はするが、ドアが開かれる様子はない。

「アテナさん。 朝です。 起きてください。 アテナさん」
再びドアを叩きながら、杏が声を上げる。
それでもやはり、ドアが開く様子は、一向にない。

-しょーがないなぁ

杏はポケットからカード鍵を取り出すと、スリットに差し込んだ。
小さな電子音がして、開錠される。
勢いよく、ドアを開ける。

ホテル泊の初日。
朝の弱いアテナは、あらかじめ鍵を杏に渡し、起こしてくれるように頼んでいたのだ。
最初は遠慮して、おずおずと部屋に入っていった杏だったが、一週間近く経った今、そんな遠慮は微塵もなかった。

ベッドの上に目をやる。
そこには誰もいない。

-はあ……
ため息(アトラの言う『サイ』)を吐きながら、ベッドの横に回り込む。
案の定、そこには仰向けに上半身をベッドから落っことしたまま、それでも器用に寝息を立てているアテナの姿があった。
着ているパジャマがめくれ、おヘソが丸見えだった。

「も、もう、アテナさん。 起きてください」
杏は素早く駆け寄ると、急いでパジャマをずり上げた。

「あ…あ~杏ちゃん。 おはよう……」
アテナが逆さまになったまま、トロンとした瞳で挨拶する。

-うがああ。なんて色っぽい……

知らず知らずのうちに杏の頬が上気する。


「さ、さあさあ、さっさと起きてシャワーでも浴びてください。 朝ご飯、食べに行きますよ」
「ふにゅう…はあ~い」
アテナは満面の笑みを浮かべると起き上がり、ふらふらと浴室へと歩いて行った。

-どきどきどき

なぜか杏の心臓が激しく高鳴る。 
この一週間でだいぶ慣れたハズなのに…アリスちゃんは、よく我慢できるモンだ。
杏の思考は、少しズレていた。


「きゃあああああああ!」

突然、部屋中にアテナの悲鳴が響き渡る。

「どうしましたっ!?」
杏は反射的に浴室に駆け寄った。

途端、頭から水を滴らせたままのアテナが、一糸纏わぬ姿で飛び出してきた。

「アテナさん!?」

その姿に驚く暇もあればこそ、アテナは杏に抱きついてきた。
小刻みに震えている。

「あ、アテナさん。いったい何が……」

褐色の美しい肌が、杏の鼓膜に焼きつく。

いい匂いがする。
柔らかい。

そんなアテナに抱きしめられながら、杏は目を白黒させながら訊ねた。

「つめ…」
「え?」
「つめ…た………」
「ええ?」
「冷たいぃぃぃぃい~っ」

寝ぼけたアテナは、お湯ではなく、水のシャワーを頭からかぶってしまったのだ。

アテナは強く杏を抱きしめてくる。
再び心臓が高鳴る。
また何処かへ飛んで行ってしまいそうだ。
杏はアテナに抱きしめられたまま浴室に入ると、改めてシャワーをお湯に切り替えて、アテナに手渡した。

「はうう…ごめんなさい。 杏ちゃん。 ありがとう」

頭からお湯をかぶり、ようやく落ち着いたアテナが、杏に向かってお礼を言う。

-いや、つかっ。 そんな真っ裸のままで、面と向かって頭を下げられても……

杏はあわてて背中を向けると、浴室から退散した。

-熱い……

両手で熱く火照る頬を押さえ込みながら、杏は改めてアリスの偉大さを認識する。

杏の思考は、やはりどこか微妙にズレていた。



【 第2幕・第二場 】

「いい加減、飽きましたね……」
「……うん」
ホテルのレストランで、朝食を乗せたお皿を前に、手にフォークとナイフを持ったまま、杏とアテナはつぶやいていた。

このホテルの食事の味が悪いわけではない。
バイキング形式の朝食は、メニューも豊富でバラエティにも富んでいた。
けれど……

「さすがに一週間もいるとねぇ……」
「はい…オレンジ・ぷらねっとの朝ごはん、食べたいです」

内容的にも、味的にも、このホテルのレストランと、オレンジ・ぷらねっとの食堂との間には、そんなに差はないはずなのに
杏もアテナも、なぜかオレンジ・ぷらねっとの味が恋しかった。


「今日の予定は-」
食後の紅茶を飲みながら杏は手帳を開き、アテナに今日のスケジュールの確認をした。

「9時に…9時ですよ。 フェニーチェ劇場のリハーサル室に集合。お昼まで歌のレッスン。
 それから13時から、本番で着る服の最終確認。 その後、共演の人との唄い合わせ。
 夕食を取って、19時から舞台でリハーサルだそうです」
「はあ~い」

「やあ、おはようございます」

そんなふたりに、ひとりの紳士が声をかけてきた。

「あっ、アンドレアさん。 おはようございます」
「おはようございます」
杏もアテナも、ちゃんと席から立ち上がり、紳士に向かって頭をさげた。

彼こそがアテナ・グローリィを『口説き落と』し、オペラに出演させることに成功した立役者。
フェニーチェ劇場の総支配人。 アンドレア・パヴァロッティ氏だ。

「いよいよ明日ですね。ウンディーネのお仕事をしながら二ヶ月間。お芝居の稽古もしていただき、本当にご苦労様でした」
アンドレアがにこやかに微笑む。

「いえ。こちらこそ、我がままを言ってすいません」
アテナが申し訳なさそうに言う。

実は今回のアテナのオペラ・デビューは、前々から親交もあり、アテナの謳声を高く評価していたアンドレアが、
「三顧の礼」でもって彼女に頼み込み、ようやく一回限り、一夜限り-とゆう条件で、実現させたものなのだ。

「いえ。無理を承知で頼み込んだのはこちらの方です。 それはお気遣いなしに。
 それより明日はよろしくお願いします。 私も、いちファンとして、とても楽しみしております」
「ありがとうございます。 私も今までお世話になった方々全てのために頑張ります」

「お世話になった方々といえば……」
「はい?」
「あの方々は…スタッフのみなさんは、どうされているんですか?」
「徹夜です」
「え?」

杏の問いかけに、アンドレアの顔が少し翳る。

「彼等は我がフェリーチェ劇場が誇る、素晴らしいスタッフ達です。 その彼等は今、寝ずに舞台を作り上げています」
「…………」
「ですからアテナさん」
「はい」
「あなたの最高の謳声を聞かせてやってください」

-スタッフ達にも
言外にそんな意味を込めて、静かに、けれど力強く、アンドレアはアテナに言った。




「やあやあ。 お早う、アテナちゃん。 あっ、支配人も、お早うっス」
プロデューサーがやってきた。

「おはようございます。 プロデューサーさん」
「おはようございます」
「ああ。 おはよう」

「う~ん。いい朝だねぇ」
そう言うとプロデューサーは許可も得ずに、アテナ達のテーブルに座り、朝食を食べ始める。

「今日の目玉焼き、ちょっと硬くね? サラダもレタスの切り方が雑じゃない?」
もぐもぐと食べながら言う。

「ボイルもいいけど、やっぱりソーセージは焼いてほしいよね。 ベーコンももっとカリカリにしてさ。
 アテナちゃんもそう思わない?」

-文句を言いながらも、よく喰う奴だ。

杏は憮然と、その姿を見ていた。

「いえ。私は美味しくいただきました」
アテナが笑顔でやんわりと言う。

「ふ~ん。 じゃあ今度サ。 僕がとびきり美味しいお店、紹介してあげるよ。一緒に食べにいこう」
「ありがとうございます。 機会があれば、お願いします」

-んな機会はぜってぇねえ!
杏もにこやかに笑いながら、心の中で激しく裏拳ツッコみを入れる。

「うん。僕に任せておいてよ。 僕は演出だけじゃなくて、エスコートも得意なんだよぉ」

-シバイタロカぁぁぁ!
机をひっくり返したくなる衝動を、杏はなんとか押さえ込む。

「ところで支配人」
そんな杏の気持ちに気付きもせず、コーヒーを飲みながら(当然のようにブラックだ)プロデュサーはアンドレアに話しかける。

「なんですかな、プロデューサー」
「お宅の劇場。いつまであの調子なの?」
「あの調子といいますと?」
「あのね……」

プロデュサーはコーヒーのカップを置くと、椅子の背もたれに寄りかかるように体をあずけ、体を斜めにしながら言い放った。

「古いんだよね」
「…………」
「いつまでもあんな、手動操作の多い舞台機構なんて、ありえなくね? いっそのこと、ヴァローレ劇場みたいに近代化して
 全自動制御の舞台にしちゃったら? そしたら、あんな余分な裏方もいらないし、経済的だよ。
 それにその方が、僕の演出も冴えると思うんだけどなぁ」
「あの」

話しかけてから後悔する。 
けれど杏はどうしても訊ねずにいられなかった。

「あの、そうしたら、今いるスタッフの方々はどうなるんですか?」

杏の脳裏に、舞台監督が、灯梨が、その他の多くのスタッフ達の姿が思い出される。
みな真剣に、額に汗を浮かべながら、寡黙に、けれど笑いながら、舞台を走り回るその姿が浮かんでは消えてゆく。

「それはしょうがないっしょ」
プロデュサーの返事は、にべもなかった。
「老兵は死なず。 ただ消え行くのみ……サ」

洒落たことを言ったつもりか、プロデュサーは大きく笑った。

「そんな!」
「杏ちゃん」
激昂しかかる杏の肩に、アテナの手が置かれる

「行きましょう杏ちゃん。 時間よ」
「アテナさん……」
「すいません、プロデューサーさん。アンドレア支配人。 私達はこれで失礼します」
アテナは小さく頭を下げた。

「ええ? どうしたのアテナちゃん。 まだ、リハまで時間があるよ?」
「すいません。 これから少しの時間、この子のゴンドラ練習に付き合わないといけませんので……」
「ええ~え。 そんなのどうでもいいじゃん。 もうちょっと、お茶していこうよ」


-どうでもいいですって!?

アテナさん…水の三大妖精のひとり。
「セイレーン・天上の謳声」を持つ、トップ・プリマ。
そんなアテナ・グローリィに、直々に教えてもらえる稀有な時間を、どうでもいいですってぇ!?
 
このこのこのぉっっ……

「すいません」
けれど杏が何かのリアクションを起こす前に、アテナが先に頭を下げた。

「それが杏ちゃんの…この子の一週間を私のために使ってもらう対価なので。 さっ、行きましょう。杏ちゃん」
そう言うとアテナは、もう一度頭を下げると杏の手をひっぱり、レストランから退出した。
そんなふたりをプロデューサーは舌打ちで、アンドレアはただ無言で見送った。





【 第2幕・第三場 】

「ぶーぶーぶーぶーぶぅぅぅうっ」
「ほらほら、杏ちゃん。オール使いが荒いわよ。 どうしたの?」
「どうしたのって、アテナさんは何とも思わないんですか?」
「え? なにが?」
「なにがって、あのプロデューサーの態度にですよう!」
「ん? どうして?」
「だって、馴れ馴れしいし、スタッフさん達の悪口言うし。 ことあるごとに、アテナさん口説こうとするし……」
「うふふ。 杏ちゃんは優しいのね」
「アテナさん……」

「ねっ。 杏ちゃん。 杏ちゃんは、ウンディーネにとって大切なことは何だと思う?」
「え? えと…それは操舵や観光案内や、舟謳(カンツォーネ)ですか?」
「ええ。 確かにそれは全部大切なことね。 でもね杏ちゃん。 それよりも大切なことがあるの」
「それよりも大切なこと?」
「ええ。 それは『 心 』よ」
「心……」

「ここネオ・ヴェネツィアには色んな人達が訪れるわ」
アテナが、そよ風に髪をなびかせながら言う。

「そんな色んな人達すべてに、この街を知ってもらいたい。 この街を好きになってもらいたい。」
「…………」
「私達ウンディーネに必要なのは、きっと、そう思う『 心 』なの。

 もちろん、いいお客様もいれば、そうでないお客様もいる。
 けれどそんなお客様を、私達ウンディーネが嫌いになって……嫌がってしまえば、
 誰がこの街の素晴らしさを、そのお客様にお伝えすることができるの?」

「アテナさん……」
「だからね杏ちゃん」
アテナは微笑みながら言った。

「私達はもっともっと心を強くして、出会う人達に笑顔で接していかなければいけないと思うの」

嗚呼……
その笑顔をみながら、杏は改めて思う。

アテナさんは、だからこそトップ・プリマなのだと。

操舵や観光案内。舟謳、それら全てを完璧にできて当たり前。 
さらにどんなお客様に-いえ、どんな人に対しても、そんな心を持って接することができる。

『 気配りの達人 』

そう呼ばれる彼女だからこそ、
そう呼ばれるアテナ・グローリィだからこそ、

トップ・プリマ……『 水の三大妖精 』 

そう呼ばれる存在に成り得たのだと。


「ありがとうございました」
だから杏が深々と頭を垂れ、礼を言った。

ウンディーネの大切なこと…いや、人として、とても大切なことを教えてもらったような気がしたからだ。

「うふふ。 ほらほら杏ちゃん。 他の水路と合流するわよ」
アテナが笑顔で言う。

「はい。 ゴンドラ通りまあぁぁぁ~す!」
杏は大きな声で叫んだ。 
その声は、朝の清々しい空気に満ちるネオ・ヴェネツィアの蒼い空に、どこまでも響き渡っていった。







【 第2幕・第四場 】


「お早うございます……」
灯梨の声は、暗い劇場のどんよりとくぐもった空気の中に、響かず小さくかすれて消えていった。

9時少し前。
杏とアテナは唄のレッスンの前、少しだけ舞台をのぞいて見たのだ。
そににはすでに「椿姫」の巨大で華麗なセットが飾られていた。

「セットの八割方は完成してます。 あとは音響、照明の微調整が少し残っているだけで……」
「灯梨さん、大丈夫ですか?」
「あはは…大丈夫ですよ」
アテナの問いかけに、灯梨は弱弱しく笑った。

「さすがにカンテツ(完全徹夜)なので……」
そう言う灯梨の目の下にはクマが座り、唇も乾き、顔は蒼白かった。

「休めないんですか?」
「いえいえ。 この後、少し仮眠を取らせていただきます。 ニ、三時間ですが……」
「大丈夫ですか? …ちょっとでも暖かなベッドで寝てください」
「あはははは………」
そんなアテナに気遣いに、灯梨はキレたように笑った。

「あっ、すいません。すいません。 ちょっと徹夜でオカシクテ…ベッドでは寝ません。そんな場所もありません」
「え? 私達のようにホテル泊まりではないんですか?」
「いやぁ。私達には、そんなモノはありません。 どこか隅の部屋で雑魚寝です」
「そんな……」
「あっ、いえいえ。お気になさらず。 つか、カンバンが…主役の人が、そんなこと考えなくてもいいんですよ。 だって……」
灯梨は言った。

「私達は裏方ですから」

そう笑う灯梨の疲れた顔には、けれど、確かな意思と強固な決意が浮かんでいた。




「ねえ。杏ちゃん。 お願いがあるの」
灯梨と別れると、アテナは杏にそっと耳打ちをした。

「分かりました。私も大賛成です。準備は任せておいてください」
杏は胸を叩きながら答えた。





深夜0時 
アテナは杏をともなって、再び劇場へとやってきた。

そこは前日とはうって変わっていた。
あのバベルのごとき叫び声はひとつも響かず、ただ誰もが黙々と、己が仕事をこなしていた。
今日のリハーサルで見つかった、細かな不都合を修正しているのだ。
舞台全体を、暗い疲労の色が覆っていた。


「あれ、アテナさん、杏さん。 こんな時間にどうしたんですか?」
めざとくアテナ達を見つけた灯梨が駆け寄って来る。
その顔は今朝よりもより酷く、目の下のクマ大きくなり、唇もひび割れていた。


「あの、これをみなさんで食べていただきたくて……」
アテナがスフォリアテッレ(焼き菓子の一種)を差し出た。

「え? あっ、あの。 す、すいません。 ちょっと待っててください」
一瞬の間の後。
そう言うと灯梨は、つまずきそうになりながら何処かへと走り去って行ってしまった。
顔を見合わせる杏とアテナ。
待つこと暫し。
灯梨は舞台監督を連れて戻ってきた。


「これを、俺達に? 嬢ちゃんが作ったのか?」
舞台監督が訊ねる。
その顔もどこかやつれ、疲れがにじみ出ていた。

「は、はい。あまりうまくできてないかもしれませんが、よかったら、みなさんで食べてください」
アテナがスフォリアッレの入ったバスケットを差し出す。
それは今日のリハーサルが終わった後、アテナが杏にお願いして、ホテルの厨房を借り、自ら作ったモノだった。

舞台監督は、そのバスケットとアテナの顔を、何度か見直す。
アテナは満面の笑顔でうなずいた。


「全員集合!!!!」
突然、舞台監督が叫ぶ。

「テメエら、さっさと集まりやがれえ!」

それはマイクなどまったく必要としない大音上だった。
ぞろぞろとだらしなくスタッフ達が集まり始める。
どの顔も疲れ果て、死んだ魚のような目をしていた。

「いいかお前ら、耳の穴かっぽじって良く聞きやがれ!」
舞台監督がドスのきいた声で言う。

「この嬢ちゃんが……明日のカンバンなウンディーネさんが、お前等のために手作りで差し入れを作ってきてくださった」
全員が驚いたようにアテナを見る。
アテナは照れたように頭を下げた。

「いいか明日の公演。
 もしうまくいかなくっても、それはこの嬢ちゃんの責任じゃねえ!
 お前等の…俺達の働きが悪かったからだ!

 おい道具。ガチの一本でも甘く打ちやがったら、ただじゃすまさねえっ
 おい照明。シュートの、ほんの少しのズレもちゃんと修正しろ。 いい加減にするなっ
 おい音響。ちくっとでも、ハオらせてみやがれ、テメエの耳にマイク突っ込んで、がたがた言わせるぞっ
 おい演出。ちゃんと最後の細部まで、進行を確認しろ。 小道具ひとつ間違えても、絶対に許さねえ!
 
 みんな分かったか!」

「……はい」
「声が小せぇい!!」
「はああああーい!!」
半ば、ヤケクソ気味に叫ぶ、スタッフ達。

「よしっ。今から三十分、休憩にする。 ありがたく、いただけ!」
「あ、あの紅茶もありますよぉ。コーヒーもです。 良かったら飲んでください」
杏が何本もの水筒を肩からかけながら言う。

「うまい!」
「甘い!」
「こりゃいい」
「ありがたい」

まさかと思った疲れ果てたスタッフ達は、口々に感嘆の声を上げながらスフィリアテッレに、かぶりついた。
笑い声が響く。

「嬢ちゃん、ありがとな」
「舞台監督さん」

「俺達はいつも余裕のない中での完璧を求められる」
「………」
「そうするとどうしても無理が出てなあ。 つまらん失敗をやらかすんだ。

 なんもない舞台から、訳もなく転げ落ちるバカ。
 飛べもせんのに、離れたイントレに飛びつこうとして落下する阿呆ぅ。
 考えりゃ分かるのに、重いスピーカーひとりで持とうとして潰れる間抜け。

 愚か者ばっかだ。
 
 だけどな。
 今回は嬢ちゃんが持って来てくれた差し入れが、いい気分転換になった」

「舞台監督さん……」

「ほら、あいつらの嬉しそうな顔、見てやってくれ」
「レモンもありますよぉ」
そこでは、杏の入れる紅茶やコーヒーを飲みながら、笑い合うスタッフ達の姿があった。
あの疲れ果て、やさぐれて、沈滞してしたムードは一掃されていた。

スフィリアテッレ - 小さなお菓子。

たったそれだけの事で。
アテナが差し入れてくれた手作りの小さな焼き菓子。
ただそれだけで。
ただそれだけの事。
スタッフ達に笑顔がもどる。


「嬢ちゃん。いや、ウンディーネさん。 舞台は俺達に任せてくれ。 きっちりとした仕事してみせる。
 だからあんたは、あんたの事だけ考えて、最高の謳声を奏でてくれ」

きっぱりと言い切る舞台監督。
アテナは無言で頭を下げた。

そして本番当日がやって来る。





                                   
                                    -      Essere Continuato(つづく)



[6694] Un elenco e la schiena 第3幕 
Name: 一陣の風◆5241283a ID:8350b1a5
Date: 2010/09/24 18:21
【 第3幕・第一場 】


開演二時間前-
劇場前には、もう黒山の人だかりができていた。
当然ながら、いざ開場のその時、混乱はそのきわを極めることになる。


「こらぁ~遅刻禁止!」
「はひはひ…ごめんなさ~い。おまたせぇ」
「よかった。 間に合わないかと思いました。 はい、チケットです」
「わは~ひ。 ありがと-☆」
「よし。じゃあ、さっさと行くわよ。 はぐれないように、しっかり私に付いてきなさい」
「はあ~ひ」
「…先輩ってば、でっかい仕切り屋さんです」


「さあ、行きますよ」
「そんなあわてないで。 あっ。パンフレット買わなきゃ」
「そんなもの、後でいいです」
「そう? あっ、じゃあ、ポップコーンとコーラ買わないと……」
「ここは映画館じゃないんですよ! そんなものは売ってません!」
「そんなぁ…劇場とかは、ポップコーン食べながら舞台見るのが常識っ」
「それのどこが常識なんですか! ともかく場内は飲食禁止ですから!」
「ええ~つまんない……めそめそ。 めそめそぉ」
「泣いたふりしてもダメです。 さぁ行きますよ、バッジェーオ」
「ふあ~い…」


「あらあら。 すごい人ね」
「ああ…これだけの人が集まるとわなぁ…」
「うふふ。 アテナちゃん大人気ね」
「いや、それよりも大丈夫か? アイツ」
「あらぁ。 心配なの?」
「あったり前だ。 あのアテナだぞっ。 私はアイツが本番で、つまずかないか心配だ」
「うふふ。 優しいのね」
「すわ! 恥ずかしいセリフ禁止!!」
「でも、アテナちゃんならきっと大丈夫よ」
「はあ? その根拠のない自信は何処からくるんだ?」
「だって……アテナちゃんだもの」
「ったく。 …まあ、私も信じちゃいるけどな」
「あらあら、うふふ。 やっぱり優しいわね」
「すわあ!!」


いろいろな声が飛び交っていた。




そうして開演十分前。
杏は灯梨と共に、ゆっくりと階段を上がっていた。

「一緒に例の場所から見ませんか?」

そう、灯梨に誘われたのだ。
相談すると、アテナは快く許してくれた。 どころか、灯梨ちゃんによろしくとまで言ってくれた。
さすがは気配りの達人たる、アテナ・グローリィだ。

「さあ、ここにどうぞ」
灯梨が椅子を用意してくれていた。
礼を言う杏に、灯梨は照れたように笑った。
その顔には未だに疲れが残っていたが、そこにはやり遂げた者だけが持つ、何かしら独特の雰囲気があった。

「本番中はPINスポットに近寄らないでくださいね。 不意に動いたりするんで、当たれば飛ばされますよぉ。
 くっくっくっ…」
けれどやっぱり少し不気味なその笑顔が、杏を怯えさせる。


そしていよいよ、開幕を告げる鐘の音がホールに響き渡った。





  『 椿姫(つばきひめ)-ラ・トラヴァータ- 』
 La traviata 直訳すれば『道を踏み外した女』

けれど一般的には『椿をつけた貴婦人 -La Dame anx came'lies- 』と訳されることの方が多い。

それは主人公が娼婦であるが故。

この物語は、高級娼婦として享楽の生活にひたるヴィオレッタと、田舎出の真面目な青年貴族アルフレードの出会いと別れ。
その悲しい恋の物語だ。

19世紀。1853年、3月。
マンホームのヴェネツィアで初演されたときは、準備不足に加え、主人公が高級娼婦であること。
またその時の女優が、最後、結核で死ぬ設定であるにもかかわらず、あまりに体形が、それにふさわしくなかったこと。
などから、観客や評論家からも批判が続出し、結局は『歴史的大失敗』を喫することとなった。

けれど、翌年、充分な準備とともに再上演された時には、観客に受け入れられ、その後も徐々に人気は上がり
ついには作曲者ジョゼッペ・ウェルディの代表作のひとつとなった。


Ⅰ幕
まず有名な「乾杯の唄」(Libiamo)が始まる。
陽気に楽しげな唄が響き渡る。


そしてアテナのソロ。

一途なアルフレードに対する、不思議な恋の予感に震えるヴァオレッタの心を謳う-
「そはかの人か」(Ah fors'e lui che l'anima)


しかし、自らの身の上を思い、その心のときめきを忘れようとする悲しき歌-
「花から花へ」(Sempre libera)

この二曲だけで、すでに観客はオペラ歌手としてのアテナに魅了されていた。




Ⅱ幕の男性のソロ

甘いふたりだけの生活を謳う
「燃える心を」(De'miel bollenti spiriti)

けれどそんなふたりに否定的なアルフレードの父親の策略により、ヴァオレッタが裏切ったと誤解したアルフレードが謳う
「プロヴァンスの海と陸」(Di provenzail mar il suol)

そして-



「いよいよです」
灯梨が瞳を輝かせる。



Ⅲ幕冒頭。

すべてを失い、余命もいくばくもないと告げられたヴァオレッタ。
そこに送られてきた一通の手紙。
そこには真実を知ったアルフレードが、彼女の元へ、やがて訪れるであろうと記されてあった。
けれど、ヴァオレッタは悲しく謳う。
もう遅すぎるのだ-と。


「さらば過ぎ去りし日」(Addio del Passato)

暗転の中、小迫りで上がったアテナが謳うのだ。



「準備OKです」
舞台の操作係が、演出室にいる舞台監督に告げる。
舞台監督の無言の問いかけに、プロデューサーは鷹揚にうなずいた。

「よし。 GO!だ」
「了解。 UPします」
アテナを乗せて、暗闇の中、小迫りが動き出す。
その瞬間、まわりにいた全てのスタッフが、アテナに対して親指を立て激励する。
アテナは頭を下げた。

ゆっくりと昇って行く小迫り。
けれどその瞬間。 それは起こった。





【 第3幕・第二場 】


「データが消えたっ。 照明データー・ロスト!」
「舞台です。打ち込んだ転換のタイム・ゲート、消えました!」
「音響です。今、一瞬、電圧が低がったっ。 やばいです」


それは髪留めのピン。
あの時、アテナの髪からこぼれ、誰にも気付かれなかった髪留めのピンが、小迫りの駆動部に巻き込まれたのだ。

さすがに大きな停電現象まで引き起こさない。
どころか小迫りの動きにも何の影響も与えない程の小さな蹉跌。
だがそれは、ほんの少しの加圧となって小迫りのモーターに負担をかけ、わずか1ミリ秒の短い時間、電圧の揺らぎを招いたのだ。

それは、ほんのわずかな出来事。
人の知覚では認識もできない些細な変化。

けれど繊細なオペレート卓のデーターを飛ばしてしまうには、それは充分な変化だった。

「どうゆうこと!?」
プロデューサーがわめく。

「データーが消えたって…そんなの、そんなの知らないよぉ」
「分かってる。落ち着け」
「どうするの? どうするのさ。 このあとまだ、キッカケあるんだよ」
舞台監督の声にしかし、プロデューサーは狼狽するばかり。

「だからこんな古い小屋はイヤなんだ。 新しいヴァローレ劇場ならこんなことにはならないのに! どうすんだ。どうすんだよ」
「うるさい。任せておけ」

「なんだよ。なにがうるさいんだよ。いいかい、僕はプロデューサーなんだよ。 みんな僕をたてなきゃいけないんだ。 僕は…」
「静かにしましょう」
わめきまわるプロデューサーの肩に、どっしりとした重い手が置かれる。

アンドレアだ。
アンドレア・パヴァロッティが、ゆっくりと言った。

「ここは彼等を信用して、すべて任せましょう」
「冗談じゃないよ! どうしてこんな奴等、古い化石みたいなモノ、信じられるってゆうんだよ。 だいたい…こうなったのもきっとコイツらが……」
「そこまで」
プロデューサーの肩に置いたアンドレアの手に力が入る。

「それ以上騒ぐようなら、あなたを劇場から放り出しますぞ」

なおもわめき続けようとするプロデューサーを、アンドレアが静かに、けれど断固とした声で制した。
プロデューサーはピクリと体を震わせると、黙り込んだ。

舞台監督が無言でアンドレアに感謝の意を示す。
アンドレアは小さく肩をすくめるだけだった。

「よし。おい音響。 音はでるか?」
「たぶん大丈夫です。 この卓はそれくらいの揺らぎには耐性があります。 けど…」
「けど?」

「OUT系がどうなってるか分からない。こいつは音がでるまで確認できません」
「そうか、祈るだけだな」
「そんな!」
再び、わめきだそうとするプロデューサーを、アンドレアが、力づくで押さえ込む。

「照明はどうだ」
「電源は戻ってます。 ただデーターがやられました。 読み込むか、手で組むか……どちらにせよ、少し時間がかかります」
「PINスポは?」
「データーが飛んだおかげで動きません。 今、人を走らせてます」
「間に合わねぇ……」

舞台ではすでに、アテナの小迫り上がりが終わり、スポットを待つだけの状態だった。
何も動きのない舞台での三十秒の間は、無限の時間だ。
楽団もただ戸惑うばかり……彼等もcue(キュー。きっかけの意)がこない限り、演奏を始められないのだ。

客がざわめき始める。

しかしアテナは、何も臆することなく、泰然と立っていた。
彼女にも何かがおかしい-とゆうことのは分かっていた。
リハーサルではすぐに点いたスポットライトがこない。

けれどアテナは-スタッフを……彼等を思うアテナは、信用し、信頼し、ただその時を、じっと待っていた。


「くそ……」
舞台監督が小さくつぶやく。
「ほら。だから僕はこんな小屋じゃ……」

だがその時-
プロデューサーが再び何かを言う前に、それは起こった。

「なにぃ!?」

暗転の暗闇の中。
突然、一条の光が輝き、アテナを照らし出したのだ。

楽団が演奏を始め、
アテナが満を期して謳いだす。

天上の謳声が観客を圧倒する。



「PINルーム。センター、誰かいるのか!?」
照明のチーフがインターカム(室内通話機)に叫ぶ。
しばしの間
ガサゴサとゆう音の後に、彼等には聞きなれない声が響いてきた。

「もしもし……聞こえますか?」
「……誰?」
「杏です。 夢野杏です」
「杏? ああ…ウンディーネさんか?」
「はい。 灯梨さんと一緒にココにいました」
「じゃあ、今、PINを焚いてるのは…」
「はい。 灯梨さんです。 灯梨さんが手動でスポットを操作してます」

「よくやったあ!!」
舞台監督が吼えた。

「よし杏さん。灯梨に腰をすえてしっかり取れと伝えてくれ。 それから、俺が誉めてたともな」
「は、はい。伝えます」

「音響、どうだ?」
「いけます。 音出てます。 まぁ、他の奴はまだ分かりませんが…」
「かまうな。最悪、嬢ちゃんの声だけ出りゃいい」
「そんないい加減な……」
プロデューサーがまた何か言いかけるのを、アンドレアが無言で黙らせる。

「照明っ?」
「大丈夫です。 PINさえ当たってれば、その間にデーターを手組みでリカバーできます」

「よし。 道具は?」
「転換は俺達の手でなんとかします。人手は充分。 あと問題はラストのドン帳のタイミングですが、
 こいつは 今、ストップウォッチ用意してます」

「みんなアナログだなあ……」
舞台監督は、一度、小さく笑ったあと、するどい声で渇を入れた。

「よおしっ。 この曲が終わるまで約三分。 それまでに全部、整えろ」

「「『 はいっ 』」」

声が重なる。

「バカ野郎。もっと色気のある返事をしやがれ! 
 だが、お前等最高だ。 最高の裏方だぜっ。 いいか、負けるな。
 俺達を信じてくれた、あの嬢ちゃんのステージ。 絶対にやりとげるぞ!」

「よしきたぁ!」
「了解っス!」
「まかせ給へえぇぇ!」

「よおーし。みんな、いい返事だ。いくぞっ」

舞台監督が再び吼えた。




こうして舞台は何事もなかったように-

最後の曲。
「パリを離れて」(Paringi o cara) が始まる。

愛するアルフレードに見守られながら、静かに息絶えるヴァオレッタ。
そのふたりの謳声で、無事に幕は下りた。


なにもかもリハーサル通り。
ちょっとⅢ幕目の最初でスポットが点くのが遅かっただけ-で、アテナの「椿姫」は何事もなく無事終了した。

鳴り止まぬ拍手が、いつまでも劇場全体に響き渡っていた。





ちなみに。
「さらば過ぎ去りし日」からアンコールまで。
そしてアリス・キャロルのアテナに対する花束贈呈までのPINフォローを成し遂げた灯梨は、終了後、
腰が砕けたようにへたり込み、体を震わせながら叫んだと言う。

曰く-
「私は今日この場で、神の姿を見たぁ!」と。

そしてその後、激しく身もだえしつつ、いつまでも低く笑い続ける灯梨の姿に、杏は口から何かが飛び出しそうになったとゆう……





             -Essere Continuato (つづく)



[6694] Un elenco e la schiene 終章
Name: 一陣の風◆5241283a ID:8350b1a5
Date: 2010/09/30 19:47
【 終章 】


華やかな打ち上げ(終了記念パーティ)が続いていた。
アリシアが、晃が、アリスが。
アトラやアレサ部長達、オレンジ・ぷらねっとの関係者達も。

誰も彼もがアテナに近寄り、祝福の言葉を投げかけていた。
けれどアテナは落ち着かない様子で、あたりを見回していた。


「アテナ先輩。どうかしたんですか?」
アリスが訊ねる。

「うん。あのちょっとね……」
「んん? なんだアテナ。なにか気になることでもあるのか?」
「あらあら。どうかしたの? アテナちゃん」
「う、うん晃ちゃん、アリシアちゃん。 わ、私……」


「やあ、お疲れさまでした」
そこへちょうど、アンドレアがやって来た。

「あっ、支配人。 あの……」
「ん。なんですかアテナさん」
「あの…あの方達はどこにいるんですか?」
「……スタッフ達のことですか?」
「はい。 私は……」


「あんな連中、ほっときなよ!」
近寄ってきたプロデューサーが声を荒げる。 酔っていた。

「あいつ等のおかげで、僕の緻密な演出は台無しになるとこだったんだよ。 とんでもない奴等だ」
「なんだ、こいつは……」
晃があからさまに眉をひそめる。

「今回のオペラのプロデューサーさんです」
杏が答える。

「そうさ僕はプロデューサーなんだ。 このネオ・ヴェネツィアいち。
 いや、AQUAいちの大プロデューサーなんだっ。
 それがあやうく汚点をつくるところさ。 あんな、いまいましい古臭いやり方の小屋とスタッフのせいでっ」

「しかし、半自動、半手動のフェニーチェ劇場だからこそ、トラブルに迅速に対処できたのでは?」
「へっ。 そんなのは偶然ですよ」
プロデューサーは言い切る。

「そもそもヴァローレ劇場であれば、あんな事はなかったんだ。 僕が心配するような事は何もネ。 ねえ…アテナちゃん」
「……はい?」
「どう。今度は僕と直で仕事してみない? そしたら君はすぐAQUAいち。いや宇宙いちの謳姫になれるよ。どうだい」

「……なんだかよく分からないが、こいつ殴ってもいいか?」
晃の瞳に危険な輝きが宿り始める。

「んん? もしかして君は、姫屋の晃・E・フェラーリかい?」
「ああ。そうだ。 だが知らない奴に、いきなり呼び捨てにされるのは気分がよくないな」

「おや、こっちにいるのは、ARIA・カンパニーのアリシア・フローレンス」
けれど最早、プロデューサーの耳には、晃の声も入らない。
今度はアリシアの体を舐め回すような視線で見始めた。

「あらあら、うふふ」
「いいねえ、その笑顔。どうだい君達。僕と一緒にやらないか? 三人で売り出すんだ。 もちろん僕のプロデュースでね。
 水の三大妖精から、宇宙の三大妖精へ。  
 どう? ウンディーネなんて小さい枠に縮こまってないでさぁ。 パアっと大きく売り出してみようよぉ」


-ぴしっ

そんな音が聞こえたような気がした。

「おい……」
背後から、低い、けれど全てを圧倒するような声が聞こえてきた。
プロデューサーの体が硬直する。

「今、なんつった?」

ぎしぎしぎし-と
まるで錆付いた人形のように、プロデューサーは恐る恐る背後を振り返った。
そこには「円卓の鬼神」のような表情でこちらを睨みつけている、ひとりのオレンジ・ぷらねっとのウンディーネが……

「蒼羽っ」
晃が『任せた』とばかり、にっこりと微笑んだ。

「小さい枠…だと? お前、ウンディーネが小さい枠だって言うのか…?」
蒼羽は『任された』とばかりに、小さくうなずき返す。

「いや、いや……その」
蒼羽に後ろには、アリスやアトラをはじめ、何人ものオレンジ・ぷらねっとのウンディーネ達が集まり、
同じような表情でプロデューサーを睨みつけていた。

汗がしたたる。
思わず後ろに下がるプロデューサーの背中が、誰かとぶつかった。
あわてて振り向けば、そこには無表情な…けれど、どこか憐憫を含んだ表情で自分を見下ろす、アンドレアが……

「し、支配人。 あ、あの……」
「アテナさん」
アンドレアはプロデューサーを全く無視すると、アテナに言った。

「今、私のスタッフ達はバラシ…撤収作業にかかっています。 今ならまだ間に合うでしょう」
「ありがとうございます」

アンドレアはアテナの想いを。
アテナはアンドレアの想いを。

瞬時に理解し合い、言葉を交わし合う。

「晃ちゃん。アリシアちゃん。 お願い、一緒に来て」
アテナはふたりの返事を待ちもせず、駆け出して行く。

「はいはいはい」
「あらあらあら」
そして晃もアリシアも、なんの躊躇もなしに続いて走り出す。

「あっ、三人とも、ちょっと待ってよ」
あわてて追いかけようと-逃げ出そうとするプロデューサーの前に、ひとりの女性が立ちはだかった。

「杏。アテナを、お願い」
「はい!」
杏が女性の脇をすり抜けて走り抜けて行く。

「……さて、プロデューサーさん」
「な、なんだよ……」
明らかに腰が引けているプロデューサーの前に立ちはだかる女性ーアレサ・カニンガム部長は、にっこりと微笑みながら訊ねた。

「この一週間。あなたがウチのアテナしていただいた、いろいろなお話し、ゆっくりと聞かせていただきましょうか?」

背後には、アリスやアトラを始め、大勢のオレンジ・ぷらねっとのウンディーネ達。
右には無表情が余計に恐い、アンドレア・パヴァロッティ支配人。
左にはいつの間に回りこんだか、蒼羽・R・モチヅキ。 
そして前面には、妖艶な悪魔の微笑みを浮かべる、アレサ・カニンガム。

怒涛の如く、汗が流れ落ちてくる。
酔いは一気に醒めていた。



   ***
 

すべてが片付けられ、がらんとした舞台は、想像以上に広く寂しい。
杏はそんな舞台を唖然と見つめていた。

「あっ、杏さん? どうしたんですか?」
やっぱり灯梨が見つけてくれた。

「いえ…何もない舞台ってこうなんだって……まるでお祭りの後のよう……」
「そう……ですね」
灯梨も杏と同じように舞台に立ち、その静かで、もの悲しい空間を眺めた。

「けどね、杏さん」
「……はい」
「私達はいつもそうやって、作っては壊し、作っては壊しの繰り返しを続けてるんです。でもそれは……」
灯梨は杏の顔をしっかりと見据えた

「常に新しいお祭りの用意ができるってことなんです。 だから…だから」
次の瞬間、灯梨は満面の笑顔を浮かべながら言った。

「ぜんぜん寂しくなんかありません。 むしろ次のお祭りのことで、私達はつねにワクワクなんです!」

-ああ、ここにも……

そんな灯梨の微笑を見ながら、杏は思う。

-ここにも、強い『心』を持つ人が……


「で、いったいどうしたんですか? 確か今、打ち上げの真っ最中なのでは?」
「ああ、それで…あの、みなさんは打ち上げには、いらっしゃらないんですか?」
「ええ。もちろん行きません」
杏の問いかけに、灯梨はきっぱりと言い切った。

「え? なぜです」
「あ~私達は、あの雰囲気、苦手ですし、第一、最初から呼ばれもしませんから……」
「呼ばれ…ないんですか?」
「ええ。 私達は裏方ですから。 あれはカンバン達のモノです。 それに……」
「それに?」
「それに私達は、あんな華やかな場所より、場末のバーカリィでチケーティをつまみながら一杯やる-って方が性に合ってるんです」
灯梨は照れたように笑った。

そこには何の恥も照れも、屈託もなく。
ましてや卑屈さの欠片もなく。
ただ穏やかで全てを包み込むような、そんな優しい『心』があった。


「あっ、あの。 それでみなさんはまだ中に?」
「はい。着替えて間もなく出てくると思いますが…」
「じゃあ、すいません。 みなさんにお願いして、劇場の正面玄関に来ていただけませんか?」
「…はあ、それは構いませんが……どうしたんですか?」
「アテナさんが、お世話になったみなさまに、小さなお返しをしたがっているんです」



「おい。灯梨ぃ。 いったいなんだってんだ?」

ぞろぞろと-
だらけた感じでスタッフ達が出てくる。
その姿は舞台の上では考えられないほど、ぐだぐだで、ぐずぐすとしたものだった。

「さぁ、私もよく分かりません。 ただアテナさんがお返しをしたいって……」
「いい子だったなぁ」
照明のチーフが言う。

「ああ。手作りの差し入れもしてくれたしな」
舞台のチーフが、そのセリフを受けて答える。

「あれは嬉しかった。思わず元気が出たよ」
音響のチーフの言葉に、みながうなずいた。

「そうですねぇ。私もあの人との仕事、またしてみたい」
「調子に乗るな」
灯梨の言葉を、舞台監督がたしなめた。

「俺達の仕事は、区別しちゃなんねい。 どんな相手にも、どんな仕事にも、常にベストを尽くす。
 それが俺達、舞台屋の本分だ!」
「す、すいません」
「だがな……」
「へ?」

謝る灯梨に笑いかけながら、舞台監督は言った。

「今回の仕事は、本当に楽しかったぜ……」
「……はいっ」

-舞監も、こんな顔するんだ。

灯梨はなんだか嬉しくなった。


「ん?」
不意に気がついた。

「どうした、灯梨。 急に立ち止まったりして」
「舞監。 あれ……」
「うん?」
「あれは?」

フェニーチェ劇場の正面。
その荘厳な建物の前に、ひとりの女性が、おりからのルナツー、ルナスリーからの月明かりを浴びて、そっとたたずんでいた。

「ありゃぁ…嬢ちゃんか?」

その声が合図だったかのように、アテナは大きく礼をすると、ゆっくりと謳いだした。




    Una furtiva lagrima  negli occhi suoi spuntò...          
         ひそかなるなみだ  ほおを伝えり


    quelle festose giovani invidiar sembrò...
         ただひとり きみは 思い沈みて
 

    Che più cercando io vo? Che più cercando io vo?
         わが求めし まことの恋の

 
    M'ama, si m'ama, lo vedo, lo vedo.
         そが輝きにこもるをさとりぬ
   



    Un solo istante i palpiti  del suo bel cor sentir!..
          ふかくきみが秘めし 愛の言葉と

  
    I miei sospir confondere  per poco a' suoi sospir!
          人知れず洩らす きみがため息


    I palpiti, i palpiti sentir!
          われのみ聞く 其の日の


    confondere i miei sospir co' suoi sospir!
          われのみ聞く 其の日の
   

    Cielo, si può morir;  di più non chiedo.
          こよなきたのしさ 思えば わが胸は


    ah! cielo, si può morir;
          よろこびにわき立つ


    di più non chiedo, non chiedo.
          よろこびにわき立つ


    Eccola... Oh! qual le accresce beltà l'amor nascente!
          ああ あの人は愛を知り なんと美しくなったことか  


    A far l'indifferente si seguiti cosí finché non viene ella a spiegarsi.
          けれど私はそれを知らぬふりでいよう 彼女が心のうちを明かすまでは……




< Una Eurtive Lacrime -人知れぬ涙- >

ガエターノ・ドニゼッティ作曲の歌劇『愛の妙薬』の一曲。
自らの真の思いに気付き、密かに涙する彼女を盗み見た男が、自分への愛を確信し、喜びと共に謳いあげる、リリック・テノール最高傑作のアリア。

本来は男性のテノールであるのに、アテナはそれをものともせずに、朗々と謳いあげた。

誰もが度肝を抜かれたように、ただたたずみ、じっとその歌を聴いていた。


「これはみなさんへの、アテナさんからの感謝の気持ちです」
「杏さん?」
「たとえその思いが人知れぬ涙となろうとも、私はあなたのことを思っている…私の胸は、あなたのことを思うたびに、喜びにわき立つ……
 アテナさんも、そして私も、同じ気持ちです」
「杏さん……」
「そしてもう一曲」


次の曲が始まる。
今日、聞いた曲。 楽しげに謳い上げる名曲。


「乾杯の歌 -Libiamo-」


「え?」
いつの間にか、帰ったはずの楽団員までもが劇場正面の階段に腰掛け、演奏を始めていた。

「どうゆうこと?」
さらに驚きが加わる。

アテナの他に、さらにふたり。 歌い手が現れたのだ。

「あれは……水の三大妖精!?」
驚くことに、晃・E・フェラーリが。 アリシア・フローレンスが、アテナと共に歌を奏でているのだ。


-さあ、友よ飲み明かそう。
  二度と戻らぬ日のために、こころゆくまで杯をかかげよう!


三大妖精の謳声が、夜のネオ・ヴェネツィアに響く。
それは今宵限りの共演。
二度とは見らねぬ夢の共演。


-誇りある青春の日の 楽しいひと夜を!
   若い胸には 燃える恋心


三大妖精の謳声が、どこまでも響いてゆく。



-やさしいひとみが 愛をささやく
   またと帰らぬ日のため さかずきをあげよ



気がつけばスタッフ達は皆、実にだらしない態度で、それを聞いていた。

ある者は地面に座り込み、頬杖をつきながら。
ある者はモクモクと煙草の白い煙をたなびかせながら。
ある者はケイタリングからくすねてきたお菓子を口に放り込みながら。


ひどい奴になると、アテナ達の姿を見もせず、仰向けに寝ッ転がりながら月を見ている。
せっかくの三大妖精の-おそらく最初で最後であろう-共演を、彼等は実に不真面目な態度で聞いていた。

けれど-
みな一様に、とても幸せそうな表情を浮かべていた。
誰も彼もが、黙ったまま、幸せそうな微笑みを浮かべ、その謳声を聞いていた。

それが彼等の答えなのかもしれない。



-この世の命は短く、やがては消えてゆく
  だから今日も楽しく 過ごしましょうよ!



「こんな音を触れないなんて! こんちくしょう!」
突然、音響のチーフが呻く。

「くそ、月明かり。 月明かりかぁ。 所詮、自然には勝てねぇなぁ」
照明のチーフが吐き捨てる。

「劇場か…歴史的建造物の前。 こんなの、どんなセットも敵わんよ」
道具のチーフが苦笑する。



-この世の命は短く、いずれ消えてゆく。
  だから楽しく飲み明かそう。この世の喜びでないものは、すべて愚かなものなのです! 




「俺達の負けだな……」
舞台監督がしみじみと、けれど嬉しそうにつぶやく。


「どうゆう意味ですか?」
杏が灯梨に訊ねた。

「そうですね……つまりそれは」
灯梨がいたずらな笑みを浮かべて教えてくれた。


「私達。裏から拍手をもらうのは簡単です。 表(シテ-主役)になればいい。 
 そうすれば地位を表しての敬意と拍手はもらえます。 でも……」



-さあ、杯をかかげよう!
  この時は再び来ない。 むなしくいつか過ぎてしまう。
 


三大妖精の謳は続く。

「私達を悔しがらせる-裏方に仕事をさせたがる人は、とても少ない
 私達、裏方の信頼を得られる人は、もっと少ない…けどあの人は……」


-若い日は 夢とはかなく消えてしまう
  ああ。 過ぎてゆく、過ぎてゆく……


-さあ、杯をかかげよう!
  またと帰らぬ日々のために、杯をかかげよう。 


アテナは謳う。
とても楽しげに、嬉しげに。
晃やアリシアと共に謳い上げる。

月明かりを浴び、その唄は夜のネオ・ヴェネツィアに響き渡る。

感謝を込めて。
信頼を込めて。




-Libiamo Libiamo ne' lieti calici!
  さあ! 友よ。 いざ、飲み明かそう!!





                               
                      『 Un elenco e la schiena -表(シテ)と裏(ウラ) 』 -La fine



[6694] Ricovero
Name: 一陣の風◆5241283a ID:8350b1a5
Date: 2010/05/24 12:34
13本目のお話しをお届けします。

このお話しは、私の大好きな漫画のひとつである「百鬼夜行抄」(今 市子著)の中の一編をリスペクトしたものです。

もちろん、この駄文は原作の何万分のいちの面白さも伝えきれていません。
お話しも少し変っています。

なので、もし、もしもこの駄文を読んで、少しでも興味を持たれたならば、ぜひとも
「百鬼夜行抄」を読んでみてください。

そして同じように好きになっていただければ、これに勝る幸せは、ありません。
それではしばらくの間、お付き合いください。



  ***






私がそのウンディーネさんに出会ったのは、激しく雨の降る、ある日のことでした。




     第13話 「 Ricovero  」




急に降り出した雨。
一瞬にしてネオ・ヴェネツィアの街並みが、水煙りにかすみます。

突然のことに、街の人達も驚いたように走り回っています。
その時-

-ばしゃばしゃばしゃ

と、水溜りの水を跳ね飛ばしながら、ひとりのウンディーネさんが、我が家の軒下に走りこんで来ました。

きれいな人でした。

明るいブラウンのショートカットな髪。
瞳はどこか儚げで、けれど全てのモノを見透かすかのような、清んだ蒼。
今でも微笑を浮かべているその唇は、揺ぎ無い優しさと、何ものにも負けない。
そんな意思の強さとを表していました。
耳元には着ている服と同じ色の、赤いスフィア(球体)なピアスが輝いています。

そしてその腕の中には、誇らしげに、背筋をピンと伸ばして座る黒い猫が一匹。



私がじっと見ていたからでしょうか。
ウンディーネさんは何かに気が付いたように、ふと、私の方に振り返りました。

「やあ、こんにちは」
ウンディーネさんは優しく微笑んでくれました。
それは見る人すべてを温かく包み込むような、そんな素敵な笑顔でした。

「ウチの名前は、あゆみ。 あゆみ・K・ジャスミン。 姫屋のウンディーネ。 この子は姫屋のヒメ社長。 ちょっと雨宿りさせてもらってるよ」
「あ、あの……」
「ああ……そうか。 君は……君、ウチに言いたいことあるんだよね?」

-ドキッ!

どうして分かったんだろう!?

「あ、あの……あなたもしかして……」
「あなた、そこで何してるの!」

突然「その声」が響きます。
私は、あわてて隠れました。

家の奥から、ひとりの老婆が現れます。

「すいません。急に雨に降られまして……少し軒下をお借りしてます」

頭を下げるあゆみさんに、お婆さんは賢しげに声をかけます。

「あらまあ。あなた傘を持ってないの? 貸してあげましょうか?」
「あっ、いえ、大丈夫です。 もう少し小降りになったら行きますから……」

「いいから、いいから。 お爺さん。お爺さんっ」
「なんだい。なんだい。 お婆さんや」
もうひとり。 家の奥から老爺が姿を見せます。

「この人、傘がないんですって。 貸してあげて」
「ああ…それじゃあ、これをどうぞ」
安っぽいビニール傘を差し出します。

「ありがとうございます」
「いいから、いいから。 ほら、返さないでいいから、持ってって」

-だめっ

「すいません。ありがとうございます」
「いやいや。困ったときは、お互いさまさ」
「ええ、ええ。 お気になさらず……」

-だめ。その傘を持ってっちゃ。

「すいません。 ありがとうございます」
けれどあゆみさんは、傘を開くと、雨に煙ぶるネオ・ヴェネツィアの街の中へと、消えて行きました。



私には見えます。

あのウンディーネさんに「人ならぬモノタチ」が、みっしりと憑いて行ったことを。
傘に隠れて、あゆみさんの背後に憑く、禍禍しいモノタチ。

「あの人、ちゃんと帰れるかな……」
私の心は痛みます。



「あの子、家の中に入れて上げた方が良かったんじゃないかね」
「お爺さん、何バカなこと言ってるんですか? あんな人が居ちゃ探し物に集中できないじゃないですか」
「ああ……もう時間もないしな。 しょうがないか」
「ええ。 それじゃ私はもう一度、上の部屋を見てきますからね」
「それじゃあ私は下の方を、もう少し探してみるよ」

そう言うと、ふたりはそれぞれ別の方向へと離れて行きます。

-あいつら……

私は唇を噛み締めました。
あいつらはいつもそうして……

雨はまだ降り続いています。

そんな「外」を見やる私の目に、再び「アカイイロ」が飛び込んできました。


-え?

「ウンディーネさん?」

そこにはあの赤い服のウンディーネさん……あゆみさんが「まだ」雨宿りをしていました。


「あ、あの。ウンディーネさん……あゆみさんはさっき傘を借りて出て行かなかった?」
「ん? ウチはさっきからここでずっと、雨宿りしてるけど?」

私の問いかけに、あゆみさんは何事もなかったかのように静かに答えます。


「うそっ」
私は思わず大きな声を上げてしまいました。

「だって、私見てたもの。 あなたが傘をさしてここから出て行くのを。 あなたの後ろにたくさんの魍魎が憑いて行くのを」
「…………」
「もしかして……もしかして、あゆみさんにもアレが見えるの? そんな力を持ってるの? 退魔師なの? それともエクソシスト?
 あいつ等をやっつけたの? わあ、初めて見た。 いったい、どうやったの?」

「ウチはそんなんじゃない……」

私の矢継ぎ早の問いかけに、あゆみさんはタメ息を付きながら答えました。

「ウチは誤魔化して避けてるだけさ。 やっつけるなんて、できゃしないよ。 ウチはただのウンディーネなんだ」
「じゃあ、好きでやってるんじゃないの?」

-あれ?
 何か悪いこと言ってしまったのかな?

あゆみさんは急に黙り込むと、そのまま背中を向けてしまいました。
怒ってるのかな?
人ってば、ホントのことを言われるのが、一番、腹が立つって言うから……


「あ、あの。まだ雨は上がりそうにないし、よかったら家の中に入りませんか?」

私は、その気まずい雰囲気をどうにかしようと、あゆみさんに声をかけました。

「お願い。私はここから出れないんです」
「しょうがないなぁ……」

あゆみさんは文句を言いながらも、家に入って来てくれました。 いいひとです。

「あんまり長居はできないんだ。 さっきの連中、もしかしたら帰ってくるかもしれないし……」
「私、あゆみさんにお願いがあるの。実は -あっ」
「危ない!」

突然、小さなモノノ怪が私の足元をかすめて行きます。
私はつまずき倒れそうになりました。
あゆみさんが腕をつかんでくれて、危うく倒れるのは防げました。  でも-

「お前、これは……」

服の上からでも分かってしまったようです。
私は仕方なく、服の袖をめくり、それをあゆみさんに晒しました。

「これは……刺青(いれずみ)?」
「違います。 呪いなんです」
「呪い?」

私はそのまま着ていたブラウスを肌蹴(はだけ)、あゆみさんに背中を向けました。
首筋から背中、二の腕にかけて、黒い穢れのようなモノが、びっしりと張り付いています。

「大丈夫です。これは呪いなので、うつることはありません。 肌が黒ずんで、硬くなって、そう、まるで刺青のよう。
 いずれこれは全身に広がって、私を喰い尽します」
「今すぐ病院に行こう」
「ダメ!」
「なぜ?」
「あゆみさんには分かるでしょう!」

私はつい叫んでしまいました。

「こんなの病院じゃ治せない。病気じゃないの。 これは呪いなんだから!」
「……いったい誰が、こんな呪いを君にかけたって言うんだい?」
「そんなの、あのふたりに決まってるじゃない!」
「ふたり?」
「お爺さんとお婆さんよ!」

私は嫌悪感と共に叫びます。


「なぜ、あのふたりが君を呪うの?」
「私は……私が死ねば、私の両親が残した財産が、あのふたりのモノになるから……」
「ご両親は?」
「死んだわ。五年前に。 事故だったそうだけど、私には分かる。 きっとあのふたりが父と母に呪いをかけたんだわ!」
「………」

「お爺さんも、お婆さんも、私を一歩も外に出してくれないの。 誰か来ても、さっきみたいに『厄』をつけて追い払うの。
 知られたくないのよ。 この家のこと。 私のこと」

あゆみさんは腕を組んだまま、ただ黙って私の話を聞いています。
それはそうでしょう。 いきなり今日、初めて会った女の子にこんな話をされて、すぐに信じろと言う方が間違っています。

「こんな話、信じてくれって言っても無理なのは分かってます。 だから助けてくれとは言いません。
 だけど、ちょっと手伝ってほしいの」
「……そうだね」

あゆみさんは、ふと外を見ました。
雨はまだ降り続けています。

「この雨が止むまでの間なら」
「ありがとう。実は……!?」

私は、ハッとしました。
いつの間にか、お婆さんが二階から降りてきて、私達の方をじっと見ていたのです。


「お、お婆さん。 あ、あの、この人は……」

けれどお婆さんは、私を少し睨んでから、何も言わずに通り過ぎます。

「どうして……」
「ん?」
「どうして、お婆さんは何も言わなかったんだろう。 私が無視されるのは、いつものことだけど、あゆみさんにも何も言わないなんて……」
「お婆さんは、ウチが傘を借りて帰ったと思ってるからね。 でもすぐ気付かれるよ」
あゆみさんは小さく微笑みました。

「すごい……やっぱり、あゆみさんって本物なんですね」
「いや、だからウチは……」
「お願いです。人形を探してください」
「人の話、聞きなよ。 人形?」
「はい」

私の人形。
大切な人形。
父と母に買ってもらった、お人形。 私の大切な、お友達。

「人形を探すのを手伝ってください」
「それよりもさ……」

あゆみさんが、まるで私を諭すように言います。

「君が命を狙われていると思うんだったら、どうして逃げないんだ。 まず、この家から出なきゃ…」
「あ、あゆみさん。 術者なのに、なんでそんな弱気なんですか? 攻撃は最大の防御って言うじゃないですか!
 逃げるなら、まずあのふたりに一発、喰らわせてからです!」
「困ったお嬢さんだなぁ…」

あゆみさんがまた、タメ息を付きます。
そんなにタメ息ばかりつくと、幸せが逃げてしまうのに……

「あのね。何度も言うけど、ウチはそんなんじゃないから。 攻撃も防御もできないよ。 それに君は……」
「しっ」

私はあわてて、あゆみさんの言葉をさえぎりました。

「ん? どうしたんだい」
私はあゆみさんを手で招くと、少しだけ開いているドアを指差しました。
その部屋の中では、お爺さんと、お婆さんが、部屋中の家具をひっくり返しながら、何かを探していました。

「ない」
お爺さんが言います。
「ないわ…」
お婆さんが言います。

ふたりは今度は、押入れの中の物まで放り出し始めます。

「あれがないと困ったことになる」
「ええ。 あの子のお葬式には、必ず必要なものですからね」
「なんとしても……」
「ええ。なんとしても見つけ出さなきゃ」

ふたりのその姿は、まさに『鬼』のようでした。


「聞いた、あゆみさん」
「ん? あ、ああ」
「あのふたり、私のお葬式の話をしていた」
「ああ。でもそれは……」

「私を殺して、さっさとお葬式をするつもりなんだわ。 
 ……私だって、今すぐにでも、この家を出て行きたい。 こんな家なんか一秒だっていたくない。
 でも、でも。
 私、あのお人形だけは、どうしても持って行きたい。 父と母が私にくれた、大切な、あの人形を……だから
 だから、お願い、あゆみさん。 私に代わって、私のお人形を探して!」

「あのね……」
これだけ頼んでも、あゆみさんの態度は煮えきりません。 
どうして?
この人は、どうしてこんなにも冷たいんでしょう。

「ウチはただのウンディーネなんだ。 千里眼が使えるわけじゃない。 それに、あのふたりが隠したって証拠もない」
「見つからないのが、その証拠です!」
「え?」
「きっとあのふたりが結界を張って、私の目には見えないようにしているんです!」
「おいおい。 そりゃ、どんな理屈だよ……まぁ、もうしょうがないか……時間もないし」

あゆみさんが、また外を見ます。
相変わらず雨は降っていますが、雨音はだいぶ静かになりました。
もうすぐ、止むかもしれません。

「その人形って、日本人形?」

ぽつりー
と、あゆみさんが言いました。

「鞠を持った、桜の花柄の着物を着た……」
「そうっ。 それそれ!」

私は嬉しくなりました。
やっぱりこの人はっ。

「分かるの? 見たのね? どこにあったの!?」
「それは今……」




      *** 



傘をさし、ゆっくりと歩くあゆみの後ろを「この世のものではないモノ達」が、ぞろそろと憑いて歩いていた。
もう少し街の賑わいから離れた場所で、喰らおうとしているのだ。

けれど「ソレ等」は、雨が降る中、知らず知らずのうちに、自分達が狭い路地の中に導き入れられていることに気が付かなかった。

やがて、ちょっとした空間に出る。
そこは天井も朽ち果て落ちた、廃墟の広場ような、うら寂しい大きな空間だった。


-ヴぇわげがらぎうぅ!


突然。人には理解できない声を発し、モノノ怪の一匹が、あゆみに襲い掛かった。 辛抱しきれなかったのだ。
喰われる。

けれどその瞬間-
あゆみの姿は蜃気楼のように霞み、そのまま、ゆらゆらと揺れながら消えてしまった。

-!?

驚く「ソレ等」の足元を、蒼い瞳に赤いリボンをした黒い猫が、素早く駆け抜けて行く。
あわてて、その猫を追いかけようとした「ソレ等」の目の前に、彼は立っていた。


-大きな体の、優しい目をした黒い猫。

  【 AQUAの心 】

そう呼ばれる彼は「ソレ等」を取り囲む、色とりどりの数百の瞳と共に目を細め、小さく微笑んだ。


雨が上がり始める……




       ***




-空気が変わった?

何か急に空気が清んだような気がしました。



「ねえ。 もう一度、あのふたりの話を聞いてごらん」
あゆみさんが不思議なことを言い出します。

「い、いまさら、あのふたりの話を聞いてどうするの? それより、早く私の人形、探してよ」
「まあまぁ。 人形を探すのは、話を聞いてからでも遅くないよ。 ほら……」
あゆみさんに促されて、私はもう一度、お爺さんと、お婆さんの会話に耳を傾けます。


「見つからない。見つからない」
お婆さんがつぶやいています。

-え?

その声は今まで私が聞いたことがない、とても悲しげな声でした。

「見つからない。 どうしましょう……あの人形は、あの子の大切な形見なのに……」

-え?

形見? ナンノコト?


「なんとしてでも、お葬式の時に一緒に供えてあげなきゃ……」
お婆さんが小さい声でつぶやき続けます。


-え?

一緒にお供え?  ナンノコトナノ?


「生きていれば、今年で14歳。 まだまだ楽しい盛りだったろうに……」
「なあ、お婆さん」
いつまでもつぶやき続けるお婆さんに、お爺さんが優しく声をかけます。

「これだけ探してないんだ。 きっと、あのお人形さんは、あの子と一緒に両親のもとに行ったんだよ」
「そんなっ。 お爺さん。 そんなことっ」
お婆さんがお爺さんを睨みます。

「昨日はちゃんとココにあったんです。 あのお人形は、あの子の代わりに毎日、大切に……」



「前から言おうと思ってたんですが……」
「……はい?」
お爺さんが静かに言います。

「もう、あの子の服を買い続けるのは止めませんか」
「え?」

-え?

私の服? ドウユウコト?


「あの子が逝ってもう二年。 毎年、毎年。 四季折々にあの子の服を買い、毎日、毎日。 あの子のための食事を用意する……」
「………」
「それはとても良いことだと思います。 けれどそれではあの子は、私達のその想いに囚われて、
 いつまでたっても、ここから逝けないんじゃないですか?」

お爺さんは、まるで私が見えて『いる』かのように、こちらを見ながら優しくお婆さんに語りかけます。

「昔から言うじゃありませんか。 『死んだ子の年を数えてはいけない』-と……」

「……やっぱり、ダメですかねぇ」
お婆さんは小さく笑いました。
でもその微笑みは、まるで……まるで泣いてるようで………

「ええ。ダメですよ」
そう言う、お爺さんの声も、まるで軋むかのようです。

「あの子はちゃんと、大好きな両親の元へと、帰ったんですから」




「もう分かったろ? 君は亡くなってるんだ。 病気でね」
「そんな!」
私は反射的に叫んでしまいました。

死んでない
死んでない
死んでなんかない!

私は。私は……

「私は死んでなんかいない! ちゃんと生きてる!!」
「違う。 君は死んだんだ。 二年も前に」
あゆみさんは、私の顔を正面から見据えながら言い切ります。

「君ももう気が付いているはずだ。 もう思い出しただろう?」


嗚呼。 
なんて冷たい人なんだろう!
あゆみさんは、なんて冷たい人なんだろう!

-死んだ私に対して そんな冷たいことを言うなんてっ  


……でも。 でも。


「でも私-
 探さなきゃ。私の人形を探さなきゃ。

 早く。
 早くしないと、雨が止んでしまう……」



-にゃうん。

いつの間にか、あの黒猫さんが、すぐそばに座っていました。
その蒼い瞳で真っ直ぐに、私と、あゆみさんを見ながら小さく鳴いています。

「ヒメ社長、ご苦労様。 お迎えにきてくれたんですか?」

-にゃううん……

ヒメ社長は、しっかりと背筋を伸ばしたまま、あゆみさんに返事をします。


「雨あがりますね。 じゃあ、そろそろウチは帰るよ」
「私…私は……」

「君ももう、この家から出た方がいいよ」
「だ、だめっ」

私は叫んでしまいました。

「私、どうしてもお人形を持って行きたいの! 父と母がくれた、たったひとつの宝物……

 探さなきゃ。
  
 探さなきゃ。探さなきゃ。探さなきゃ。探さなきゃ。探さなきゃ。
 探さなきゃ。探さなきゃ。探さなきゃ。探さなきゃ。探さなきゃ。
 探さなきゃ。探さなきゃ。探さなきゃ。探さなきゃ。探さなきゃ。
 探さなきゃ。探さなきゃ。探さなきゃ。探さなきゃ。探さなきゃ。
 探さなきゃ。探さなきゃ。探さなきゃ。探さなきゃ。探さな 『もう、いいんだ』

 え?」


「もう、いいんだよ」
「あゆみさん?」
「もういいんだ、ホラ。落ち着いて、ちゃんと見て」

そう言うと、あゆみさんは私の髪の毛を、そっと撫でてくれました。


-ばたっ


音を立てて、人形が床に倒れます。
それは私が……お爺さんと、お婆さんが探していた、そのお人形でした。


『そんな……そんな私が…私が人形だったの?』
「想いが強かったからだよ。 でも君が思い出したから……ほら。体だってもう大丈夫だろ?」

見れば、あの背中までびっしりと刻まれていた、呪いの刺青は跡形もなく消えています。


『嘘つき。 
 自分には何の力もないって。 除霊もお祓いもできないなんて言っておきながら……
 こんなのあんまりよ。 あの怪異も、モノノ怪も全部、私のせいだったのね! 
 私がすべての元凶だったなんて……』

私は宙に浮き、あゆみさんを見下ろしながら叫びます。

『このまま、ありがたく成仏しろって言うの? そんな、そんなのひどいわ!』
「ウチをこの家に呼び込んだのは君だよ。 これは君の望んだことだったんだ」

『そんなの望んでないっ!
 私はこんなこと、望んでなんかない!

 私が二年も前に死んでたなんて。
 
 それでも、お爺さんとお婆さんは、毎年、私の服を用意してくれて、毎日、私のご飯を用意してくれてて……
 ああ。 私ってばなんてことを……
 
 謝らなきゃ。
 今すぐ、お爺さんとお婆さんに、謝らなきゃ……』

「大丈夫だよ」

『え?』
あゆみさんがヒメ社長を抱きかかえながら、そっと右手で指差します。


そこでは、お爺さんとお婆さんが、寄り添うように古いアルバムを見ながら話をしていました。
後ろからそっとのぞき込むと、それは私の写真でした。


「神様は不公平ですね」
お婆さんが言います。

「私達のような年寄りより先に、未来ある、こんなかわいい子を召されるなんて……」
「いやいや、お婆さん。そうじゃないですよ」
お爺さんが微笑みます。

「神様はきっと、少しでも早くあの子を、両親に会わせてあげたかったんですよ」
「でも、それじゃ残された私達は……」
「きっとほんの少しの間でも、あの子との思い出を作ってくれたんでしょう」


「ホントにいい子でしたね」
お婆さんが言ってくれます。

「ええ。とてもいい子でしたね」
お爺さんも言ってくれます。


「けど私達は、結局、あの子を苦しめていたんですかねぇ」
「ええ。 きっと、苦しめていたんでしょうね……」

「あの子は私達のこと、恨んでますかねぇ」
「ええ。恨まれてもしかたありませんね……」

お爺さんは、お婆さんの肩を、そっと抱きしめました。



-そんな事ない
 そんな事ない

私は激しく頭(かぶり)を降ります。

-私は
 私は、ふたりと暮らせて……



「あの子は、私達が向こうに行ったとき、私達のことが分かるでしょうか?」
「どうですかねえ。 あの子も、本当のパパやママといる方が、ずっと楽しいでしょうからねぇ」

「そうですねぇ。 その方があの子も嬉しいでしょうし……仕方ないことなんですね」
「ええ。仕方ないでしょう……私達は彼女の親の代りにしか、なれませんからねぇ」

そのお爺さんの言葉に、お婆さんはとても悲しげな微笑を浮かべました。

「……でもね、お婆さん」
「はい?」
お爺さんが、そんなお婆さんに言いました。


「私達は、あの子のこと忘れないでしょう? 今度は、ちゃんと見守ってあげれますよ」
「…ええ。 ええ。そうですね。お爺さん。 今度は、ちゃんと遠くからでも見守ってあげれますとも……」


写真を見直すふたり。
さびしそうに、けれど幸せそうに、お爺さんとお婆さんは微笑みます。
悲しげに、けれど、いとおしげに、ずっと私の写真を見てくれています。



『うん。もういいわ……』

私はつぶやきました。

『 私待ってる。
 ずっと待ってる。 いつか、お爺さんとお婆さんとまた会える日まで。
 私は、ずっと待ってる。 忘れない。 ふたりのこと。 絶対っ 絶対に。
 だから……

 だからそのとき、ちゃんと言うの。

  「 ありがとう 」  って 』



あゆみさんは私を見上げながら、素敵な笑顔を見せてくれました。





-あっ、でも

 でも私のお人形は?

「もう君は持っているだろ?」

 え? 止めて!


あゆみさんが私のお人形を、火にくべました。
ぱちぱちと音をたてながら、人形は炎に包まれていきます。


 ひどい 何をするの!?
 私のお人形を焼くなんて!

「お人形ならあるでしょ」

 え?

「ほら。 君の手の中に」

 あ…
 私は自分の手に目をやりました。
 そこにはいつの間にか、私のお人形が……


「もういいんだ。君は行かなきゃ。 ……ごめんね」


あゆみさんは小さく笑いました。
でも……でも、その顔は………


あゆみさんは下を向き、人形を焼き続けます。


 いいわ
 許してあげる 

私は自分のお人形を、力いっぱい抱きしめました。

 だって……
 だって あゆみさんってば…










「あれ? あゆみさん。焚き火ですか?  って、ど、どうしたんです?」

「いえ、お嬢。 大丈夫です。 ちょっと煙が目にしみただけですから」

立ち昇る煙を見上げながら、あゆみはそっと涙をぬぐった。



雲の切れ間から、光が差し込んでくる。
長い雨は、ようやく止んだ。



                              



                                 「 Ricovero( 雨宿り) 」 La'fine



[6694] AQUA Aretalogy  発動編
Name: 一陣の風◆5241283a ID:8350b1a5
Date: 2010/07/06 22:25
14本目のお話しをお届けします。

いやもうなんですネ(汗)
最初の六行で、今回私がやりたかったことは全て完結で……(鹿馬)

さんざんかかって、これか! -と、どうかお怒りにならず
はあああ…と生暖かいタメ息のマイナコードで読んでいただけたなら、これに勝る幸せはありません(大鹿馬)

それでは、しばらくの間、お付き合いくだい。



***




「紅き薔薇は、勇気のしるし。 クイーン・レッド!」
「あ、蒼い海は、や、優しき想い。 アクア・ブルー」
「暖かな夕陽は、でっかい心。 プリンセス・オレンジぃっ」
「澄んだ黄色は。揺るがぬ意志。 バッジェーオ・イエロー!」
「…黒い大地は、染まらぬ夢……ノーム・ブラック……ぅぅ」
「舞い散る雪は、暖かな未来。 スノー・ホワイト。 うふふ…」

「アクアを守るは、天使の使命! 六人そろって!!」



「「「「『 ウン(WIN)ディーネ戦隊、フレッシュ・ヴェネツィア・キューティーレンジャー!! 』」」」」



ーちゅどぉぉおぉぉぉっぉおおおおん!!

六彩の炎が吹き上がる。





    第14話 「 AQUA Aretalogy 」  発動編




「今度のフェスタに、ヒーローショーをやります」

藍華が唐突に切り出した。


「ほへ……?」
「でっかい、いきなりです」
「お嬢?」
「はい?」
「何ですって?」

「ですからぁ。 今度の市が主催するフェスタに、私達でヒーローショーをやります」

「ほへへ……?」
「こりゃまた、でっかい、いきなりです」
「お嬢?」
「はいい?」
「ですから何ですって?」

「くり返すの禁止ぃぃぃぃいい!」



かつて火星と呼ばれていた星が、大規模なテラ・フォーミングを受け、水の惑星アクアと変わってから150年。
そのアクアの中の都市のひとつ、ここネオ・ヴァネツィアでは十日後、市民が主催する大規模なフェスタが企画されていた。
カーニバルとはまた別の、市民主催でのチャリティ・フェスタ -お祭りだった。


「つまり、そのフェスタのときに、みんなでショーをやろうってことだね、藍華ちゃん」
「だからそう言ってるでしょうがあ!」
藍華が灯里に喰ってかかる。


叫ぶ少女。
藍華・S・グランチェスタ。
姫屋のウンディーネ。
ウンディーネとは、ここネオ・ヴェネツィアにおいて、ゴンドラとゆう小舟を使い、街の観光案内をする水先案内人を言う。
女性しかなれない職業で、藍華はその数ある水先案内店の中で、老舗中の老舗『姫屋』のオーナーの一人娘にして、
数年前に新に開業された、カンナーレジョ支店の支店長。
一人前の証。プリマとしての通り名は「ローゼン・クイーン 薔薇の女王」
何事にも情熱的にぶつかって行き、時には強引に解決してゆく、そんな元気いっぱいな少女。

けれど、その性格は、灯里曰く「元気でしっかり者だけど、ホントは素敵な泣き虫さん」



その藍華を、ニコニコと微笑みでもって見ている少女。
水無 灯里(みずなし あかり)
彼女も藍華と同じプリマ・ウンディーネで、ARIA・カンパニーとゆう、また別会社のウンディーネだ。
老舗で従業員100名近くを抱える姫屋と違い、灯里の所属するARIA・カンパニーの従業員はたった二人。
それでもARIA・カンパニーは、姫屋や同じ大手の水先案内店「オレンジ・ぷらねっと」にも引けをとらない人気を博していた。
それは灯里が、灯里であるが故。
彼女のゆったりとして、穏やかなゴンドラは「もうひとつの小さなネオ・ヴェネツィア」とも呼ばれ、みなに親しまれていた。
そんな灯里の通り名は、その澄んだ心や性格にふさわしい「アクアマリン 遥かなる蒼」

藍華とは灯里がマン・ホームから来たとき以来の知り合いで、親友だった。




「まあまあ、お嬢……」

なだめる少女。
あゆみ・K・ジャスミン。
藍華と同じ姫屋所属のウンディーネで、彼女の下でカンナーレジョ支店の副店長を勤めている。
トラゲットと呼ばれる、ネオ・ヴェネツィアの真ん中を流れる大運河(カナル・グランデ)の渡し舟に情熱を注ぐ。
そんな、あゆみの階級は、プリマ(一人前)ではなく、半人前の「シングル」
なぜなら、トラゲットはシングルでなければできないとゆう規定があり、そのため、あゆみは頑なに(その実力は充分あるにもかかわらず)
プリマに昇進することを拒み続け、副支店長とゆう地位にもかかわらず、未だに新人のシングル達と共にトラゲットを続けている。
そんな熱くて、けれど優しく「オトコマエ」なウンディーネ。

藍華にとって、あゆみは、もっとも信頼できる部下であり、パートナーでもあった。




「藍華先輩、どうどうどう……」

たしなめる少女。
アリス・キャロル。
ここネオ・ヴェネツィアにおいて、姫屋と肩をならべる大手水先案内店「オレンジ・ぷらねっと」の若きエース・ウンディーネ。
アリスはそのプリマ昇進時において、見習いの「ペア」から、半人前の「シングル」を飛び越し、いきなり一人前の「プリマ」に初の二階級昇進を
果たし、その長きウンディーネの歴史の中に、燦然と輝く記録を残した逸材。
彼女目当てに、このネオ・ヴェネツィアを訪れる観光客も、けして少なくなかった。
その通り名は「オレンジ・プリンセス 黄昏の姫君」
次代のウンディーネを代表する存在として、もっとも注目され期待されている少女。

アリスにとって、藍華と灯里は、そのペアの時代から共に練習し、共に成長してきた大切な「先輩方」であった。



「面白そうですねぇ」
「本気ですか?」

感想を述べる少女、ふたり。
ひとりは夢野 杏(ゆめの あんず)
アリスと同じ、オレンジ・ぷらねっとの所属で、まだ顔立ちに幼さを残す、ショートな黒髪が似合うウンディーネ。
「何事もやわっこく」を信条として、何度失敗しても決して諦めることなく、何度も何度も自分を「やわっこく」して挑戦し続ける
そんな芯の強さを持った、素敵な少女。

まあ、問題はその名にあるように、少々、夢見がちな点で、彼女の部屋は可愛いいぬいぐるみで一杯だったりするのだ。


そしてもうひとりの少女。
アトラ・モンテウェルディ。
眼鏡っ子。 毎日の気分によって架け替えるその眼鏡の奥に、意志の強さと明敏な知性を感じさせる瞳が輝いている。
一度は諦めかけたプリマ昇進への夢を、トラゲット仲間でもある杏やあゆみ。 その時出会った灯里によって
もう一度、自分を奮い立たせ、つかみ取った、心強き少女。

またその優れた知識と観察力、洞察力で -本人は強く否定しているのもかかわらず-「ウンディーネいちの名探偵」とも呼ばれていた。


アリスにとってふたりは、とても頼れる先輩。
藍華やあゆみ、灯里にとっては、会社の垣根を越え、なんでも語り合える素敵な友人だった。




「だあああああっ。 ごちゃごちゃ言うの禁止ぃ! やるったらやるのおおおおおおっ」


「面白そうな話じゃないか……」
「ぎゃふっ?」
不意に背後から聞こえてきた声に、藍華の肩が-ぴくりっ-と跳ねた。
恐る恐る振り向けば、そこには生クリームのせココアのカップを手に、妖しげな微笑を浮かべる晃の姿が……

「ぎゃああああああっス!」

藍華の悲鳴が、狭い店内に響き渡った。



妖艶に微笑む美女。
晃・E・フェラーリ。
通り名を「クリムゾン・ローズ 真紅の薔薇」
長い黒髪に、黒い瞳。 ツンと高く整った鼻。 紅く輝く唇。 誰が見ても「美人!」と叫ぶであろう女性。
事実上、現在の水先案内業界を引っ張る、自他共に認める、NO-1 トップ・プリマ。
同じ姫屋の後輩、藍華をして「今でも目の上のタンコブ」と言わしめるほどの八面六腑の活躍をみせる、先鋭的なウンディーネ。
けれどまた、その厳しさなの中ににじみでる優しさを、誰よりもまた、よく知るのも藍華だった。

彼女にとって、とてもおっかない、けれど絶対の信頼をおく先輩。



「あらあら…」
晃の隣から、小さな笑い声が響く。

「アリシアさん!?」
藍華が、晃とはまったく逆の声色で、その名を呼んだ。

「うふふ。 藍華ちゃん。 みんな。 お久しぶり」
アリシアがにっこりと微笑んだ。


陽が差し込んできたような、暖かな微笑みを浮かべる美女。
アリシア・フローレンス。
元、ARIA・カンパニーのプリマ・ウンディーネ。 灯里のプリマ昇進と同時に寿退社。
現在は請われてゴンドラ協会に入会し、ネオ・ヴェネツィア全てのウンディーネの発展と向上を担う仕事をしている。
引退前は、晃やオレンジ・ぷらねっとのアテナと共に「水の三大妖精」として、ネオ・ヴェネツィア全てのウンディーネから尊敬され
憧れられる存在だった。
元の通り名は、その天使の笑顔にふさわしい「スノーホワイト 白き妖精」

灯里にとって、今でも姉のような、母のような、そんな優しく大切な女性。



「アリシアさあ~ん。 どうしてここに?」
藍華が甘えた声を出す。
昔から藍華は、アリシアに大きな憧れを抱いていたのだ。

「うふふ…協会のお仕事の時間が少し空いてね。 それで晃ちゃんやアテナちゃんに連絡をとったら、たまたまふたりとも時間が空いてて…
 それで一緒にお茶にしましょうって誘ったの。 うふふ」
「それはナイス・アイディアです。 おかげで私もこうして、一緒にアリシアさんとお茶が飲めます」
「あらあら……」
「すわあ! おい藍華っ。 私の時とは、ずいぶん態度が違うじゃないか!」
晃が藍華に喰ってかかる。

「当たり前です」
けれど藍華は、平然と言い返した。

「晃さんとアリシアさんは、全然違います。…優しさの点で」

「すわぁっ! そこへなおれっ。 修正してやる!」
「きゃああ。 アリシアさあん、助けてくださぁぁぁい!」
「あらあら…うふふ」
「待てっ、こら!」
「ぎゃああああああっス」

アリシアを中心に、ドタバタと走り回る晃と藍華。 

けれど誰もが知っていた。
晃と藍華の間には、とても固くて強い「絆」が結ばれていることを-
このふたりはただ単に、仲良く、じゃれあっているだけなのだとゆうことを-



「あのぉ……話を進めませんか?」

戸惑うように。けれどまったく戸惑ってないような穏やかな微笑を浮かべ語る少年。
アルバート・ピット。 通称アル。
黒いマントに黒いブーツ。 そのうえ目には黒いサングラス。
そんな黒づくめの彼は、このAQUAの重量を常に1Gに保つ「ノーム 地重管理人」とゆう仕事をしている。
女性のような優しげな顔立ち。 小柄な体型。 時には少女と間違ってしまうかのような少年。
けれど、誰にも負けない優しさと、みかけによらない芯の強さをもつ男の子。

そして藍華とは、相思相愛のゆっくりとした想いを重ね合わせる少年。




「もうすぐ、暁くんとウッディーくんもやって来ます。 それまでにある程度、話をまとめておかないと……」
「う…ご、ごめん。 アルくん」
頬を少し紅色に染めながら、あわてて席に着く、藍華。

けれどこのとき-
「名探偵」と呼ばれるアトラは、そのすぐれた観察力で、灯里とアリスの頬もまた紅に染まるのを、しっかりと見ていた。

誰にも気付かれないように、アトラは下を向き、小さく微笑む。
気になる人の名前を呼ばれるだけで、おもわず照れてしまう。 そんなふたりがとても、こそばゆかったからだ。



「んと、まず配役を決めます。 てか私が決めました。 文句はききません」


「「「「「『 ええええええ~え!! 』」」」」」


「五月蝿い、五月蝿い、五月蝿いぃぃっぃいいい! 文句言うの、禁止ぃぃ!」
全員からのブーイングを、藍華が瞬殺する。

「だってこーでもしないと、あんた達、なんにも決められないでしょ!  はい、発表するわよ!」

ガサゴソ-と
ポケットから取り出した、くしゃくしゃな紙を手で引き伸ばしながら、藍華が告げる。

「まず、ヒーロー側。メインの赤は、もちろん私。 後は会社の色に合わせて、青は灯里。 オレンジが後輩ちゃん」
「あの……藍華ちゃん」」
「シャラップ! 話は最後まで聞く」
「……はい」

「敵役は、あゆみさん、杏さん。それにアトラさん。以上!」


「「「「「「『 ほへいやちょそんなダメだよでっかい強引ええ~以上ってあらあらうふふわたしはウチも本気ですかつかそんな無理ムリむりぃ 』」」」」」」

「すわあっ」

騒然となる一同を、晃がたった一言で黙らせた。

「おい、藍華……」
「な、なんですか晃さんっっ」

「私とアリシアとアテナは何処だ……」
「はい?」

「だからサ……」
晃の声は「ノームの世界(地の底)」から響いてくるようだ。 

「私とアリシアとアテナは、なんの役なんだ!?」
「ええええええっ」
慌てる藍華。

「いや、あのこのお話しは、あくまで私達の話しで……」
「私達、ウンディーネの話しだろ?」
「…いや、あの。そんな……第一、アリシアさんにご迷惑わ……」
「あらあらあら。 私は構わないわよ?」
「アリシアさん!?」
「だって、楽しそうじゃない? うふふ」

心の底から、楽しげな笑みを浮かべるアリシア。
藍華は突然、思い出した。
昔訪ねた遠くの村で、グランマ-天地秋乃(あめつち あきの)が、アリシアを称して言った言葉。 曰く-

-アリシアは、なんでも楽しんでしまう達人

 しまったああああ!

この状況をアリシアは、しっかりと楽しんでいるのだ。



「あの……」
おずおずと、杏が手を上げる。
「はい、杏先輩」

なぜか落ち込んでいる藍華に代わって、アリスが発言を促す。



「あのぉ…ヒーロー側が三人ってゆうのは、少なくないですか?」
「おや、お詳しいんですね」
アルが嬉しそうな声を上げた。

「はい、確かに、いわゆる戦隊モノと呼ばれる、昔、マン・ホームで放送されていた番組では、ヒーローは必ず五人一組でした。
 まぁ、厳密にいえば、三人のときも何度かあったんですが、途中から二人加わって、最終的に五人になります。
 最初から最後まで三人だったのは、一度きりです」
「そ、そうなんですか」
「ええ。さらに15作品目を超えるあたりから、さらに途中からひとりを加え、最終的に六人で1チーム。 と、ゆうのが定着します」
「は、はあ……」

「そうなると…ううん。 ヒーロー側が三人ってゆうのは、確かに少ないかもしれませんね」
「それに」
今度はアトラが疑問の声を上げる。

「ショー形式であれば、ちゃんとしたお芝居をしなければいけないのでは? 進行係や音響、照明、特殊効果…とかも」
「……うっ」

「そうねぇ…私達は、そうゆうコトに関しては素人(しろうと)だから…うふふ」
アリシアが全然困ったふうでもなく、困ったように微笑んだ。

「誰か、そうゆうコトに詳しい人がいれば……」




「……そうだっ!」
突然、灯里の頭の上に、電球マークが浮かび上がる。 ぴかぴかぁ ちゅ……なんでもない。

「アイちゃん、 あの人!」
「は、はい? 灯里さん?」


突然、名を呼ばれ、きょとん-とする少女。
アイ。
灯里の後輩。 ARIA・カンパニーふたり目の社員。
灯里と同じ、マン・ホーム出身。
灯里がまだシングルだったときからの知り合い。 
灯里と出会ったときはまだ、ミドルスクールの四年生だった。

最初、自分の大好きな姉が嬉しげに語るネオ・ヴェネツィアとウンディーネの魅力に対して、幼き心から「やきもち」を焼き
AQUAが大嫌いだった少女。
けれど灯里やアリシア。 藍華やアリス、その他、たくさんの人達との出会いによって、逆にAQUAが…ネオ・ヴェネツィアが
大好きになった少女。

今では、尊敬し心から慕う灯里の下で、プリマになるべく修行中。




「ほら、元、女優さんで、とっても素敵なウンディーネさん」
「…あっ……もしかして。 はい。じゃあ、私、呼んできます」
「うん。お願い。 場所は…分かるよね」
「はいっ。 あそこしかありませんし……じゃあ、ちょっと行ってきます」
「うん。 お願い」
ばたばたと飛び出して行く、アイ。

「ううん? 灯里…誰のこと?」
そんな藍華の問いかけに、灯里はまるで、いたずらっ子のように微笑んだ。

「みーんなが知ってる、素敵な人だよぉ~えへへぇ」



待つこと暫し。

-ばあーん!

突然、店の扉が、勢いよく開かれた。


「俺、参上! さあ、お前達の微笑みを数えろ!」

いきなり言い放った。




                            


                                   -Essere Continuate (つづく)




 -次回予告


【 ステージに出るウンディーネ達を待ち受けていた彼女は、ついに、その本領を発揮して迫る 】

「お前は……」
「お久しぶり」

「ぐばあ!」

「やあ、やあ、やあ」

「結局、私達はスケープ・ゴート……」
「聞こえないなあ」


【 それは彼女にとっても、ウンディーネ達にとっても、初めて経験する驚愕の体験だった 】

「ふるふるふる……」
「離せ、離せよ!」
                                 
「オレンジ・ぷらねっと組は用無しだ!」




                                         
       -次回 「ウンディーネ、舞台に立つ!?」  -君は生き延びることができるか (cv永井一郎)



[6694] AQUA Aretalogy  ウンディーネ、舞台に立つ!編
Name: 一陣の風◆5241283a ID:8350b1a5
Date: 2010/07/06 22:24
「茜くん!?」
最初にそう声を上げたのは、蒼羽だった。




   第14話 「 AQUA Aretalogy 」  ウンディーネ、舞台に立つ!編



「お久しぶりです。 蒼羽さん。 でも……」
「…でも?」

「私のことは、バッジェーオ  -と、呼んでください!」


満面の笑みで言い放つ少女。
茜・アンテェリーヴォ。
「MAGA」社のプリマ・ウンディーネ。
夭折した先代のウンディーネの跡を継ぎ「バッジェーオ (愚か者)」を名乗る頑固者。
けれどそれは、強き意志の表れ。 
けれどそれは、何モノにも流されない確かな想い。
今でも桜の小島で唄を口ずさんでいるバッジェーオ。

灯里達にとって、決して忘れることのできない思い出を、街中の人々と分かち合った。 そんな優しく素敵な愚か者。



「大まかな話しは来る途中、アイちゃんからお聞きしました」
茜は満面の笑顔で言い放つ。

「不肖、このバッジェーオ。 およばずながら力になりましょう。 なんでも聞いてください、蒼羽さん」
「う…うおうおう……」



絶句するウンディーネ。
蒼羽・R・モチヅキ。
アリス達と同じ、オレンジ・ぷらねっとのプリマ・ウンディーネ。
けれどゴンドラ・クルーズはせず、専任の指導教官として後輩の育成にたずさわる。
その指導の厳しさと激しさは、晃と双璧をなす。
「アッディエトゥロ・アーレア 後方危険」が口癖な、鬼教官。
けれどそれは、過去からの決別。 呪縛への別離。
確かな心と想いを持つ、豪傑なる女性。

アリス達にとって永遠に頭の上がらない存在。 けれど永遠に心を預けられる、確かな存在。




「ぷいにゅにゅにゅ~ん」
アリア社長が歓迎の声を上げ-

「まあぁ」
まあ社長がそれに続く-

「にゃふぅぅ」
アクィラ社長が感謝を返し-

「…………」
そんな三匹を、ヒメ社長が無言で、けれど優しげに見つめていた。


四匹の猫達。
水先案内店の社長ズ。
古くから、ここネオ・ヴェネツィアのウンディーネ達は、蒼い瞳の猫を「アクアマリンの瞳」と呼び、航海の安全を祈る象徴として
「社長」と呼び、大切にし、共に暮らしている。

アリア社長はARIA・カンパニーの。
まぁ社長はオレンジ・ぷらねっとの。
ヒメ社長は姫屋の。
アクィラ社長はMAGA社の。 それぞれの社長猫だ。

実は、アクィラ瞳は蒼ではい。MAGA社のカラーと同じ黄金色の瞳をしている。
けれどアリア達は「そんなことは些細なこと」-とばかりにアクィラを受け入れ、いつでも楽しく、仲良く過ごしていた。

同じ猫として。

- I have a dream





「まず最初に、ヒロイン側の人数ですが…やはり三人では少ないでしょう」
「う、うん」
茜は言い切った。

「舞台での迫力も違いますし、人数が多い方が、逆に一人一人の演技の時間が少なくできるので、結果的には負担がかかりません」
「なるほど……」

「さすがは元、トップ・アクトレス(女優)さんですねぇ。 素敵ンぐです」
「ありがとう、灯里さん…で、それに裏方として、簡単とはいえ、照明や音響、特効も使用するとなれば…こんな感じでしょうか?」

茜が一枚の紙に、さらさらと書き込んでいく。

「まずは全体を把握し、見渡せる総合プロデューサー的な存在が一人、必要です……どうかしましたか、蒼羽さん?」
「い、いや。 なんでもない」
『プロデューサー』とゆう言葉に、なぜか蒼羽の顔が歪む。

けれどこのとき-
「名探偵」のアトラの目は、晃とアリシアの顔にも、微妙な笑顔が浮かぶのを見逃さなかった。


もっともそれは、私や杏、アリスちゃんも一緒だけれど……


「はあ…まぁ、それならいいんですが……で、私はこの役は、蒼羽さんが適任だと思います」
「ぐばあ!」
飲んでいた生クリームのせココアにむせ返りながら、蒼羽がのた打ち回る。

「……あの、ホントに大丈夫ですか、蒼羽さん」
「だ、だいじょう…ぶ……だ」
息も絶え絶えに、蒼羽が答えた。

アトラは笑いをこらえるのに必死だった。

プロデューサーの悲劇。

あれは……あの後起こったことは「オレンジ・ぷらねっと・七つの秘密」のうちのひとつなのだ。



「アトラ。お前、照明」
「はい?」
蒼羽に、不意に名前を呼ばれ、アトラは絶句する。

「それから杏。お前、音響」
「にゃふ!?」
同じく、杏の瞳がまん丸になる。


「あ、あの…どうゆう……」
「アリスが舞台に上がるなら、あとの俺達オレンジ・ぷらねっと組は用無しだ。 それなら俺達三人で裏方に徹した方が、なにかと便利だ」
「えええっ」
「それに杏っ」
「は、はい?」

「お前、確かフェニーチェ劇場のスタッフさん達とは、顔見知りだったな」
「あ、はい。 確かにアテナさんのあのときから、親しくさせてもらっていますが……」
「なら手助けを頼んでこい」
「はいいい?」

「杏さん、フェニーチェ劇場のスタッフさんとお知り合いなんですか?」
「知り合いってゆうか、なんてゆうか……お友達?」
「それはスゴい!」
茜が瞳を輝かせて言う。

「あの気難しくて、プライドの高さで有名な、フェニーチェ劇場のスタッフさん達と、お友達だなんて……」
「いや、あの…それは別に私のせいじゃなくて…アテナさんの………」
「よし。頼むぞ、杏っ」
「どえええええええ!?」
うむを言わせぬ蒼羽の命令が耳を打つ。



「あの…蒼羽教官。もしかして……」
「なんだ、アトラ?」
「私達って、もしかして『 スケープ・ゴート 』……」

「うるさいな。 なんも聞こえん!」
「そんなあ……」
「何だ? 何か文句あんるのか? ああん?」
「ありません……しくしく」

蒼羽は、ひと睨みで、アトラを黙らせた。



「それじゃあ、スタッフの件はそれでOKで……」
「茜さん…ツッコまないんだ……」
アイが小さくつぶやく。

「次に、ショーが始まる前にお客様を盛り上げるための「前説・マエセツ」用にMC(マスター・オブ・セレモニー 司会者の意)
 が、ひとり必要です。 元気で明るく、朗らかな笑顔が似合う人がいいんですが……」

全員が無言のうちに、ひとりのウンディーネに視線を飛ばす。

「う、ウチ?」
あゆみが自分を指差しながら驚いた。

「うん。 あゆみさんならぴったり!」
「灯里ちゃん?」
「ええ。 あゆみさんが適任だわ」
「お、お嬢?」
「ああ。 お前しかいないな……」
「あ、晃さん? いや、その……」

「はい。MCは姫屋のあゆみさん…決定」
「いやあのちょ…待っ。 う、ウチわウチわ…うわあ!? は、離せアトラ、杏ぅ。 
 スケープ・ゴート? なにそれ?
 いや、だからちょっ待っウチの話しも聞いて………離せっ離せよ離して、ら、らめえええぇぇぇぇぇ………」
「さて次は……」

なぜか次第に小さくなってゆく、あゆみの声に何の感情もしめさず、茜は淡々と言葉を紡ぐ。

「場をひっぱる、敵役の悪の女幹部は、晃さんにお願いするとして……」
「ああ、任せておけ」
晃が不敵に笑った。


「晃さんってば、もう役になりきってるんだ……」
「灯里さん、そこ違います」
「はひ?」

灯里の頓珍漢な感想に、すかさず、アイがツッコみを入れる。


「で、その晃さん演じる悪の女幹部の手下に…アイちゃんと……アリーチェ」

「『 えええええええええええええええええええ!? 』」

再び、悲鳴が小さな店に木霊する。

「そ、そんな…私達も出るんですか?」
「そ、そんな、アクションなんかできませんよぉ……」

「アイちゃんはともかく……アリーチェ、お前は当然だろ?」
「ふるふる…ふるふる……」


涙目で激しくかぶりを降る少女。
アリーチェ・P・アントノフ。
自ら「バッジェーオ 愚か者」になることを決めた心優しき少女。
その秘めた情熱は、誰にも止めることはできない。
幼馴染のご近所さんであった、茜を心から尊敬し、ウンディーネとしても、バッジェーオとしても、とても敬愛している。
階級は見習いの「ペア」 最近、アイとはよく合同練習をする仲だ。
後に、ふたりに加え、藍華とアリスのお弟子さん共に「水の四大妖精」-と、呼ばれる運命にある少女

茜にとって、自分が自分であることを改めて気付かせてくれた、大切な、とても大切な少女。



「私、演技やアクションの経験なんてありませんよう」
「大丈夫、それは私がちゃんと教えてやる」
「で、でもぉ……」

「まあ、それ以上、反論は聞かないよ。 バッジェーオは頑固なのさ」
「そんなぁ……」
だからこそ茜は、アリーチェに容赦がなかった。


「大丈夫よ、アイちゃん、アリーチェちゃん」
「藍華さん?」

「あなた達はただ、アシスタントとして舞台に立ってるだけでいいの」

「そ、そうなんですか?」
「そうっ」
藍華は、ふたりの両手をしっかりと握り締め、言い放った。

「本当のヤラレ役は、今、決まったから」
「はい?」


ーばあああーん!

再び、ドアが勢いよく開け放たれた。



「やあやあ。待たせたなあ!」
「みんな、お待たせなのだ!」


無駄に明るく元気な声が、店内に響きわたる。


誰もが優しく微笑んだ。


ふたりのスケープ・ゴート

< 贖罪羊 > に………






                                     -Essere Continuate (つづく)






 -次回予告

 
【 昨日、冷たい雨に打たれ、ひとり佇んでいた 】


「スカート、短かすぎ……」
「はひひひひひひひい!」

「とてとてたったと、とびたった」


【 今日、全てを焼き尽くす、熱い日差しの中で、ひとり彷徨っていた 】


「お前達に与えられた言葉は、ありがたいことに二つもある!」
「だから照れるっちゅーの!!」

「ううう。 どうしてこんなことに……」

「バショタオレールの悲劇」

「きゃあああああああああああああああ!」



                               
         -次回「 リハーサル 」  明日、そんな先のことは分からない(cv銀河万丈)








危険な香りが、ぷんぷんしてきました。
収拾が…(涙)

また、ろくでもない長い話になりそうです。
我慢して読んでいただいている方々、申し訳ありません。
ですが、なんとか、そのままお付き合いしていただけるなら、これに勝る幸せは、ありません。

よろしく、お願いします(伏)



[6694] AQUA Aretalogy  リハーサル編
Name: 一陣の風◆5241283a ID:8350b1a5
Date: 2010/07/06 22:23
「声が小さい。 もう一度!」

「あめんぼあかいな、アイウエオ。 浮藻に小エビも泳いでる」

「まだまだ小さいっ。 もう一度!」

「ふえええええ……」
「あらあら…うふふ」





   第14話『 AQUA Aretalogy 』  リハーサル編




「柿の木、栗の木、カキクケコ。 啄木鳥こつこつ、カレケヤキ」

「いいですか。 ウンディーネも役者も発声が大事なのは同じです。 強く短く元気よく。 大きな声で、はっきりと」

「とてとてたったと、飛びっ立った。 雷鳥は寒かろ、らりるれろ」

「はい最後、一番大きな声で!」

「わいわいわっしょい、ワイウエヲ。 うえきや井戸がえ、お祭りだ!」



-ぱちぱちぱち

「さすがぁ!」

アンが拍手を送る。


心底、楽しそうな表情で拍手を送る少女。
アン・シオラ。
ここカフェ「Biancaneve ビアンカネーヴェ < 白雪姫 >」のオーナーで、アリシアや晃の元・クラスメート。
彼女のいれる生クリームのせココアは、ウンディーネ達、絶賛の一級品。
ネオ・ヴェネツィアの隠れた名店として有名だった。 

けれど-
もうひとつ、この店を有名にしている、真の理由。
それは……

「みんな、スゴい! これなら絶対、ショ -GOGGM- ぶぐがわわぶふ!!」

意味不明な声を上げて、膝を抱え、転げ回るアン。
元気よく椅子から立ち上がった拍子に、テーブルの角にしこたま膝をぶつけてしまったのだ。

「うぐぐげびばぼぐばぐげげげびぼぼぼぼ……」

ドジっ子。 目も当てられない程のドジっ子。

そう。
この店「ビアンカネーヴェ」を有名にしている、もうひとつの隠れた( 実は隠しきれていない )理由。

「オーナーが危なっかしくて、とても見ていられない」(アトラ・モンテウェルディさん談)

これこそが、この店を有名にしている真の理由 -恐いもの見たさ- の心理をくすぐる、最強の理由だった。




「ごめんね、アン。 急にこんなことになって……」
アリシアが優しく手をかしながら、アンを立たせる。

「い、いいのよ、アリシア……」
アンは涙を浮かべながら答えた。


営業を終えた「ビアンカネーヴェ」の店内を借りて、茜のウンディーネ達への演技指導が始まっていたのだ。


「私もできるだけ協力したいし…それに」
「ん?」
「アリシアと晃の舞台。 私も、もう一度見てみたい」

小首をかしげるアリシアに、アンが元気一杯に答えた。

「あらあら…ありがとう、アン」
「ばっ、バカ。 だから照れるっちゅーの!」
顔を真っ赤に染めながら、キッチンへと走りこんで行く、アン。 そして-


-DOMZACGUFFZ-GOKGELGOOGMMMMM!!!

「うんぎゃああああああああああああああああああああっ」


お約束のように、なにかが崩れる音と、アンの悲鳴が店内に鳴り響いた。





「おいっ、がちゃぺん!」
「あによぉ。 ポニ男」
「なんだじゃねえ。 なんで俺様がこんなことにぃ!」

怒って…いるのだろう。
だが、ソレのおかげで、ただ単なる『かわいいモノ』が、バタバタと騒いでいるようにしか見えない。

「それ、せっかく、アリシアさんが借りてきてくれたんだから、文句言わない!」
「…うっ。 あ、アリシアさんが………」

ずんぐりとした体型。
短い尻尾。
お腹には黄色とピンクの縞模様。
緑の体色。
半開きな眠たげな、ケムラーの目。
小さな前歯……

そう!
そこには伝説の幻獣・ガチャペンの姿が!


「いい、ポニ男。 アリシアさんのために、頑張んなさいよ!」
「う…お、おうっ」


ポニ男と呼ばれた青年。
出雲 暁(いずも あかつき)
このアクアの天候を司る「サラマンダー 火炎乃番人」のひとり。
「大丈夫(だいじょうふ)たる俺様」を名乗る、何かと強気発言な青年。
アリシアが寿退社した後も、彼女に永遠の愛を捧げる-と声高に叫ぶ男。
けれどその実、「もみ子」=灯里のことが気になって仕方ないのは -本人はともかく- 周りにバレバレだった。
ポニ男とは、その髪型から藍華がつけたアダ名だ。

灯里にとって、とても気になる男性。 けれど周りには「反応の面白いヘタレ」扱いされる、男の中の男………たぶん。



「はい、暁さん」
ガチャペンのぬいぐるみを脱いだ暁に、灯里がタオルを差し出す。

「おう、もみ子、さんきゅ…ぶはわああああ!」
「ほへへへへっ、暁さん、暁さん、大丈夫ですか。 ど、どうしたんですか?」
「もみ子…そ、その服はぁ……」
「ああ、これですか?」

キューティレンジャー・ブルーの衣装を着けた灯里が、くるり-と、その場で一回転する。 

「えへへ、似合います?」

ひらり-と、めくり上がる。

「ぐばっあああああああああああああああああああああああっ」
悲鳴が響きわたる。

「はひひひひいっ。 藍華ちゃん、藍華ちゃん、たいへんたいへん。 暁さんがあ!」

「も、もみ子よぉ…」
「はひ?」
息も絶え絶えに、暁が言葉を紡ぐ。

「そのスカート…短かすぎ………」

鼻から血を濁流のごとく噴出しながら、悶絶する暁。 うむ。やはり君は男の中の男…なのかもしんない……





「きゃあああああああああああああああああああああああああっ」
また悲鳴が響きわたる。


180センチは軽く超える巨体。
全身を覆う、真っ赤な羽毛。
丸く小さな目玉。
ぽっかり開いた、大きな口。
頭の上には、黄色と黒のストライプなプロペラが回っている。
くるくる。 くるくる。 くるくるくるりん。


もうひとりの悪役怪人。 幻獣・ムッくん現る!



「ムッくんんんんん!」
アリスが抱きついた。

「ムッくんだあああ!」
杏も抱きつく。


「あだだ…ふたりとも急に抱きつかないでほしいのだ」


これまた、アリシアが借りてきた、ぬいぐるみの中から情けない声を出す青年。
綾小路・宇土(あやのこうじ・うど)・51世。 通称・ウッディ。
車の乗り入れが禁止されているここ、ネオ・ヴェネツィアにおいて、エアバイクを使い品物を運ぶ空飛ぶ宅配業者。
飛ぶことを「 泳ぐ 」と称する、空を愛するナイス・ガイ。
ただ惜しむらくは、方向音痴な点と、地図を読み解くことが大の苦手-と、ゆうのが致命的。
それでも彼は今日も、お届けものを手に、ネオ・ヴェネツィアの空を「泳いで」いく。

アルや暁とっては、ご近所さんの幼馴染。 そして-


「ちょ…杏先輩。 ムッくんに引っ付かないでください」
「大丈夫だよん、アリスちゃん。 私は中の人には興味はないから。 わあは~い。 ムッくんだあ。すりすりっと」
「で、で、でっかい何を言うんですか! な、中の人などいません!」

耳まで真っ赤になって否定するアリス。

「そんなことはないのだぁ……」

中の人。 ウッディが再び上げる情けない声が、みなの笑いを誘う。


アリスにとっては、大好きな幻獣ムッくん。
そのムッくんにそっくりな、中の人。
そう。
つまりは、綾小路・宇土・51世。 通称・ウッディは、アリスのそうゆう人なのだ。




「聞けっ、このクソ虫ども!」
晃の声が爆裂する。


「お前等に与えられた言葉は、ありがたいことに、二つもある!」

直立不動で聞く、アイとアリーチェに対して、晃は腰に手を当て、悪の女幹部そのものの口調で怒鳴り上げる。

 
「元気良く叫ぶ『 イー 』と
 それ以外の『 イー 』だ!
 もちろん、元気よく叫ぶ『 イー 』以外の言葉は、ここには存在しない!」

「そんなぁ……」
「そんなぁ…ではない『 イー! 』だっ」
情けない声を上げる二人に、晃が吼える。


「い、イーぃぃぃぃ…」
「声が小さいっっ」
「イいいイいいいいいい!」
「よぉぉおし!! その調子だっ」

ヤケクソ気味に叫ぶアイとアリーチェに対して、晃は満足そうに頷いた。


「アイ先輩……」
すがるような目のアリーチェに、アイは精一杯のはげましの言葉をかける。

「が、がんばろうアリーチェちゃん。 きっとこれも立派なウンディーネになるための修行だお!」
「イー……」




「きいやっああああああああああああああああああああああっス」
三度、悲鳴が響きわたる。

「うう…どうしてこんなことに……」
小さな泣き声も聞こえてくる。

そこには-

『美少女』なノームが居た。





話しは、ほんの少し前にさかのぼる。

「あとはヒロイン側ですね」
藍華が言う。

「ええ。 やはり六人は欲しいですね……ひとりはイエローの私が入るとして、あとふたり。 あっ、カレーは好きです」
茜が答える。

「アルくん。 色的には、あと何があるの?」
「そうですねぇ……」
藍華の問いに、アルが指を折りながら勘定する。

「今、レッド、ブルー、オレンジ、イエローはいるわけですから…残るは-
 グリーン。
 ピンク。
 ブラック。 ホワイト。 パープル。
 ですね」

「うーん……」
「あらあら。 じゅあ私、ホワイトね」
「アリシアさん?」
考え込む藍華に、アリシアが言った。

「そんな…いいんですか?」
「もちろんよ」

うふふ-と、天使のような笑みを浮かべる、アリシア。

「私の昔の通り名は『 スノーホワイト 』 また使わせてもらうわ。 うふふ」
「ありがとうございますっ」
藍華は素直に頭を下げた。

「それじゃあ、あとひとり……」
「はい。ピンクは元々、ウンディーネにはいません。
 あとは、グリーン、パープル、ブラック……色的にはそれぞれ、奇想館とエンプレスですが、残念ながら、今からお願いできるほどの親しい人は……残るは、ブラックか………『 あっ 』」

突然、誰もが気が付いた。

-そう、ブラックと言えば!

再び-
ひとりの人物に視線が集中する。

「ぼ、僕ぅぅぅっ!?」

アルが自分の顔を指差しながら、絶句した。




「はああ…こいつはなんとも……」


時は戻って-


蒼羽がタメ息をついた。

キューティーレンジャー・ブラックの衣装をつけたアルが、顔を真っ赤にしながら下を向き立っている。
蒼羽が軽く化粧を施しただけで、ホラ、見目麗しい美少女ができあがり。


「うう…足元がスースーする」
アルがスカートの前を押さえながら、つぶやいた。

「あらあら。 アルくんってば、足きれいなのね。うふふ」
「ああ。 すらりと伸びて…こいつは素晴らしい」
アリシアと晃が喜色を浮かべる。


「うわあ。アルくん、素敵ンぐです」
「はい。 でっかい、美しいです」
灯里とアリスが絶賛する。


「ぷいにゅ~ん」 「まぁぁぁ」  「にゃふぅぅ」 「みゃぁっ」
社長ズ達がタメ息まじりに鳴き声を上げる。


「ありゃぁ…こりはこりは……困ったモンだ」
「うん…女として、正直、嫉妬するわね……」
杏が困惑し、アトラが怒る。


「はへぇ…アルさん、スゴイね」
「イー……」
アイの問いかけに、アリーチェが生真面目な返事を返す。


「うおお…こいつは……ごくり」
「はあ…アル。 惚れてしまうのだ……」
暁が息をのみ、ウッディーが惚ける。

そんなふたりは、すぐさま灯里とアリスによって、脛と脇腹に、それぞれキツイ一発を入れられるハメとなる。


「かわいい、かわいい、かわいいいいいいい!」
藍華が狂喜乱舞し始めた。

「ちょっと、藍華……」
「アルくん。 アルくん。 ううん、アルちゃん、かわいい」
「もう、藍華まで……」
背中から抱きつきながら、赤いアルの頬を、藍華がツンツンし始める。

「あ、藍華。 ちょっと止めて……」
「ううん。 止めない。 絶対、止めない。 えへへ。 アルちゃん、ホントにかわいい」
「もう、藍華ってば……」
「うふ。 うふふふふっふ☆」

そんなじゃれ合う「美少女」ふたりを、みなが、それぞれにそれぞれの思いを抱きながら、けれど微笑ましく見守っていた。





「そう言えば、アテナさん遅いですね」
「あらあら…そういえば……」

「なっ。まさか?」
「おい、アリシア。 アテナをココに -ビアンカネーヴェに誘ったのか?」
「え? ええ、そうだけど?」
「どうしたんですか、晃さん。 蒼羽教官? でっかい顔色、悪いですよ」

「お前等…もう忘れたのか?」
「忘れた? 何をです?」
「藍華…お前もその場にいたろ……」
「晃さん?………はっ まさか!」
「そう、あの-」

晃と蒼羽の声がハモッた。


        「『 バショタオレールの悲劇 』」


-ばあああーん

三度、ドアが元気良く開け放たれた

「みんなぁ、遅くなってごめんなさい。 そこで偶然、フェニーチェ劇場のスタッフさん達と会ったのぉ。
 一緒に連れてきちゃったぁ」

「よう、嬢ちゃん達。お久しぶり」
「みなさん、お早うございます!」

舞台監督と助手の女の子が、スタッフを代表して挨拶する。



アンがキッチンから、ひょっこりと顔を出す。

「あっ、アテナさん、いらっしゃがふうっ!」
「あっ、アンさん、こんにちわげふうぅ!!」

とたん-
激しく激突し、スっ転ぶ、アンとアテナ。
と、同時に、机や椅子が舞い上がり………


-ぐしゃぽちどかぶがぐばらぎしどてぽきぐしゃああっ

悲劇は再び。



「だああああああああああああああ!」
フェリーチェ劇場のスタッフ達が、ドアから吹っ飛んで行く。

「きゃあああああああああああああ!」
蒼羽、杏、アトラが舞い上がる机の山に埋もれる。

「うんぎゃあああああああああああ!」
ガチャペンとムッくんが、飛んできた椅子から、灯里とアリスをかばうように立ち塞がり、あっさりと弾き飛ばされる。

「いやあああああああああああああ!」
アルと藍華の美少女ふたりが、仲良く抱き合いながら埃の中に消えてゆく。

「イーいいいいいいいいいいいいい…」
アイとアリーチェが窓から放り出された。

「ぷいぎゃあああああああああああ!」
「まぁぁぁぁぁぁあ!」 「にゃほおおおおおお!」
ひっくり返ったアリア社長の、もちもちぽんぽん(腹のことである)に、まぁ社長とアクィラ社長が鮮やかに着地する。



「みんな大丈夫かっっ!?」
肩にヒメ社長を乗せ、すばやくカウンターの上に逃れた晃が叫ぶ。 

「こ、これが噂の『バショタオレールの悲劇』……」

ひと際、大きな机をがっしりと受け止めながら、けれどヨロヨロとよろめきつつ、茜がつぶやく。



『 バショタオレールの悲劇 』 それは-

ドジっ子オーナーのアン・シオラ
ドジっ子ウンディーネのアテナ・グローリアス

ふたりが出会うそのときは、その場にある物、人、そのすべてが災難に遭遇し、壊滅する-とゆう、恐ろしい都市伝説。
真実か真実でないかは、あなた次第……おひっ!!



「あらあら、うふふ……」
まるで全ての物が意思を持って彼女を避けたかのように、何故か、かすり傷のひとつ負わず部屋の真ん中に悠然と立つアリシアが、やっぱり天使のように微笑んだ。


こうして
波乱万丈の幕が上がる。





                                     -Essere Continuate (つづく)




 -次回予告

「みな様にお伝えします」
「出演がドタキャンされた!?」
「今こそ、舞台を我等の手に」
「ウンディーネ達は、どうなるんです!?」

 唄
 歓声
 鳴り止まぬ拍手

「これが舞台?」

「哀れなウンディーネ達だ……」


-奪われた機会(チャンス)

「お前達に何ができるってゆうんだ」
「それでもまだ、舞台に立つんですか?」


-取り返せ 舞台を


「天使とダンスを踊ってきな! 嬢ちゃん!!」


-演じる意味を


「さあ、借りを返すときよ!」
「全てのスタッフが、あなた達を手助けします」

「ようやく、嬢ちゃん達らしくなってきたなぁ」
「紳士達が、こんなに集まるとは、壮観ですなぁ」


-その舞台は、彼女への鎮魂歌

「バッジェーオではなかったのかね?」
「私は愚かで頑固な、バッジェーオ」
「待ってたぜ」
「さあ、みんな行くわよ!」


Beeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeee!



「みなさん聞いてください! 私には舞台のことはよく分かりません。 でも、どうしても見てもらいたい、お芝居があるんです!」


-解き放て 

「いますぐ公演を中止しろ」
「何を言っていやがる!」

-未来を

「お前達が舞台に立っても意味はない」
「混乱しているのか?」
「お前が勝手にやりやがれ!」

-取り戻せ 

「責任問題になるぞ!分かっているのか!?」
「承知の上だ」
「今更、止めれるか!」

-みんなの笑顔を



「さあ、天使とダンスを踊りましょうか!!」



そして幕は開く


『 AQUA Aretalogy 』 -幕開きへの挽歌


「終演のあとに、どんな舞台を見せればいいの……」
「どんな形でも、お芝居は、みんなに届く。 必ず……な」




                               次回 -幕開きへの挽歌 編(by ac&ic-6 trailer)









またまたまた-
粗忽な一陣の風の悪ノリが始まりました(汗)

またか…と、どうか思わず、読み進めていただけるならば、これに勝る幸せは、ありません。 ホントに(鹿馬)

しばらくの間のお付き合い。 ありがとうございます。



[6694] AQUA Aretalogy  開幕への挽歌編
Name: 一陣の風◆fc1b2615 ID:8350b1a5
Date: 2010/07/06 22:21
「天使とダンスを踊れ-ですか?」
「ええ。 昔からの言い伝えで『舞台で輝きたければ、天使と一緒にダンスを踊れ!』って言うのがあるのよ」
「さすが茜の嬢ちゃんは、古いこと知ってるなあ」
「そりゃあ、私はバッジェーオですから」



   第14話 『 AQUA Aretalogy 』  開幕への挽歌 編





茜と屈託なく話す初老の男性。
舞台監督。
フェニーチェ劇場の舞台の総責任者。 三十人近くのスタッフ達を束ねる、昔気質で気難しい鉄板者。
けれど根は純情で、誰よりも舞台を愛し、そこに関わる人々すべてに愛情をそそぐ、オールド・タイプ。

オレンジ・ぷらねっと組には、アテナの舞台デビューのときの知り合い。
茜にとっては、女優だった頃、新人の時からお世話になっていた、頼りになる「親父さん」


「どうだい、嬢ちゃん。もう一度、舞台に帰ってこないか?  嬢ちゃんなら、もう一度、天下取れるぜ」
「ありがとうございます、舞台監督。 でも私はもう、ウンディーネですから」
舞台監督のいたずらな質問に、茜も笑って答える。
もとより舞台監督は、茜がそう答えることなど、先刻ご承知なのだ。

「それにね、舞台監督」
「ん?」

茜が、キューティーレンジャー・イエローの姿のまま、腰に手を当て、芝居化たっぷりに言い放った。

「私のことは愚かで頑固な、バッジェーオ -と、呼んでください」


-ばあああああん

「ぎゃふぅ!」
茜が情けない声を上げて、よろめく。
舞台監督が、その背中を思い切り張り倒したのだ。

「よし、それでこそ嬢ちゃ…いや、素敵で優しいバッジェーオさんだ。 わははははっ」
「もう、セクハラですよ!」
豪快に笑う舞台監督に、茜は文句を言いつつも、やっぱりつられて大きな声で笑い始める。


取り囲みながら、その様子を見ていた灯里や藍華達も、同じようにつられて笑い始めた。
舞台に楽しげな笑顔が満ちる。




「たいへんです。 みなさん、たいへんです!!」

大声で叫びながら、一人の少女が駆け込んでくる。

「こら、灯梨。 でかい声を上げるな。 もう開場してるんだぞ!」
「あ、す、すいません。 でも、たいへんなんです!」


謝りながらも、両手をぐるぐると振り回しつつ叫ぶ少女。
灯梨・BAC・ライトニング
舞台監督の下で、一人前のスタッフになるために勉強中。 最近は簡単な仕事は任されるようになった。
厳格な指導者のもとでも挫けず、舞台を楽しむ元気者。 舞台監督がもっとも目をかけている若者のひとり。
その行動力と真剣さは、誰もが認めるフェニ-チェ劇場のマスコット的存在。
どことなく、灯里に似た雰囲気を持つ少女。

アトラや杏とは、アテナがオペラ歌手として舞台に立ったときからの知人。
そこから広がって、今では晃やアリシア。 灯里やアリスといったウンディーネとも仲のいい、お友達。


「で、なにをそんなに慌ててやがる」
「それが……」
灯梨は一瞬、絶句すると、ウンディーネ達を見回し言い放った。


「みなさんの出演が、ドタキャンされています」




「どうゆうことですか!」
蒼羽が主催者に喰ってかかる。

「なぜ私達のショーが、キャンセルされてるんです!」
「え、あの…それは……」

「それも当日になって、急にって。 どうしてです」
藍華も、つかみかからんばかりに迫る。

「で、ですからそれは…」
「ちゃんと納得できる説明、お願いします」
普段は冷静なはずのアトラまでもが、目を釣りあがらせながら声を荒げる。

その背後では、晃が無言で睨みつけている。
けれどその無言が幾百の言葉よりも大弁に、彼女の怒りを物語っていた。

「あらあら、みんな落ち着いて。 ちゃんと話を聞きましょう。 うふふ。 ………ね?」
その言葉にホッとする間もあればこそ、その声の主、アリシア・フローレンスの笑顔を見たとたん、主催者は凍りつく。

その優しげな言葉とは裏腹に、アリシアの笑顔の下からは、怒りでもない、憎しみでもない。
けれど、悲しみでも、ましてや憐憫の情などでも決してない『 ナニカ 』が見え隠れしていたからだ。

そう、まるで黄金に光り輝く仏像のような、底知ぬ『 ナニカ 』が……

-ひっ

そのあまりの迫力に、主催者の腰はくだけそうになった。



「しょーがないじゃん。 そーゆ~ことになったんだから」
ウンディーネ達の背後から、妙に軽い声が発せられる。

「お前は…」
「そんな子供だましなお芝居より、アイドルの唄のほうが、よっぽど客受けはいいんだからサ」

蒼羽の言葉をさえぎって、男は…プロデューサーと呼ばれる男は、にやけた薄笑いを浮かべた。





『 みなさまにお知らせします。 
 本日行なわれる予定でしたウンディーネ戦隊、フレッシュ・ヴェネツィア・キューティーレンジャーのチャリティショーは、
 都合により、アイドルグループ【 ラーズグリーズ・8762 】のコンサートへと変更させていただきます。
 くり返し、お伝えいたします。 本日のチャリーティショーは…… 』




「ねえねえ、パパ。 キューティーレンジャーに会えないの?」
客席で、ひとりの少女が父親に訊ねていた。

「なのぉ?」
その少女の横で、弟らしい小さな子供も同じように言葉を重ねる。

「うん、そう言ってるねえ」
「え~え。 そんなのイヤっ」
「いやあっ」

「代わりにナントカってアイドルが歌うみたいだよ」
「そんなの興味ない。私はキューティに会いたいの!」
「会いたいのぉ~!」
「……………」
我儘っ子のように言葉を重ねる娘と息子に、けれど父親は何も言ってやれなかった。

「大丈夫よ」
「ママ?」
かたわらに座る母親らしい人物が、ふたりに静かに告げた。

「大丈夫。 きっと、キューティーレンジャーに会えます」
「ホント?」
「ほんのぉ?」

「ええ、ホントよ。 ママを信じなさい」
「うん! ママを信じる!」
「信じるぅ!」
嬉しそうな顔で母親を見上げるふたり。
自分の妻の、その不思議な力を知る父親は、ただ黙ったまま静かにうなずいた。




「つまり、なにもかもアイツの…プロデューサーの仕組んだことって訳ですか?」
アイが訊ねる。
「ええ。その通りです」

プロデューサー。
かつて、アテナ・グローリィのオペラ歌手デビューの演出を手がけた男。
けれどそのあまりに軽薄で不遜な態度で、舞台スタッフのみならず、オレンジ・ぷらねっとの全ウンディーネ達からも総スカンを喰らった
いわゆる「プロデューサーの悲劇」と呼ばれる経験をした男。
そして恥をかかせたウンディーネ達への復讐を忘れなかった男。

それが今、再び現れたのだ。



「私が調べたところによると-」
アトラが車座になったウンディーネ達の中心に座り、説明を始める。

「三日前、主催者宛てにメールが届いたそうです。 キューティーレンジャーのアトラクを、アイドルグループのショーと差し替えたいって。
 そしてその後すぐ、あのプロデューサーが現れて、改めて変更を伝えたそうです」
「それは誰も確認しなかったのか?」
「はい、蒼羽教官。 あいつは、すでにこちらには許可を取ったかのように伝えたそうです。しかも…」
「しかも?」
「どうやら市長にも取り入ってたらしく、それらは全て、市側からの要望-とゆう形で行なわれました」
「クソ野郎…」

「今から事情を話して、もう一度、変更してもらえないんですか?」
「それがもう変更の放送はされちゃったし……それに市側が付いてるとなると………」
「そんなぁ……」


「哀れなウンディーネ達だ……」
薄ら笑いを含んだ声が、灯里達の背後から聞こえてくる。


「てめぇ!」
「うわっ」
暁がプロデューサーの胸倉をつかみ上げる。
だが、ガチャペンのぬいぐるみを着たままだったために、その姿は滑稽以外の何物でもなかった。
まぁ、激怒したガチャペンに胸倉つかまれた男が、青い顔で、がくがく揺さぶられている-とゆうのも、それはそれで結構シュールな絵柄だったが。

「暁さん、ダメです!」
灯里が腕にすがるようにぶら下りながら、ガチャペンを止めにはいる。

「離せ、もみ子。 こいつは…こいつが、お前の…俺様達の大事な舞台を台無しにしやがったんだ」
「舞台を台無しにしたのは、お前達だ!」
「なにい!」
ガチャペンの手をなんとか振りほどくと、プロデューサーは、あわてて飛びず去った。

「お前等は俺の…この僕の舞台を台無しにした! AQUA…いや、宇宙いちの、この僕の演出をね。だから…」
プロデューサーは、顔を引きつらせながら叫んだ。

「だから教えてやるのさ。 お前等のような素人のふざけたショーなんかより、何倍もの優れた、僕のコンサートをね!」

「本番、五分前です」
灯梨がなんの感情も込めずに伝えに来た。

「くふふ。今こそ舞台を我等の手に。 君達はそこでじっと見ていればいい。本物の舞台とは、どうゆうものかを!」



コンサートが始まる。

13人のアイドルのコンサートが始まる。
確かに、それぞれがそれぞれの個性を持ち、かわいい。 
曲も、スローからアップまで、ひとりひとりの個性に合わせた唄を歌いあげてゆく。

盛り上がる客席。 けれど-

「くそっ。コイツら曲と動きがあってないぞ。これじゃあ、照明のタイミングが悪いみたいだ」
「ちっ、クチパクで歌うのなら、マイクなんざいらねえだろ」
「おいおい、立ち位置、間違ってるよ」

フェニーチェ劇場のスタッフ達が、不平を並べる。

「まだまだですね」
灯梨も言い切った。 彼女はもうそこまで見抜けるようになっていた。

「ああ、全員磨けば光りそうな連中ばっかだが、まだ天使とは踊れねぇなぁ……」

-それにあんなプロデューサーの下では…

舞台監督は、その言葉を胸のうちに押さえ込む。



「ちょっとぉ。もっと盛り上げてよ。 音響、もっと音を大きく! 照明、もっとテンポよく! 舞台、特効じゃんじゃん使って!」
インカム(インターカム スタッフ専用の音声通話装置)から、プロデューサーの罵声が飛んでくる。

「うるせえ。 ろくなリハーサルもなしにやらせやがって……」
音響チーフが、マイクのスイッチを切ったまま悪態をつく。

「客も盛り上がってるのは、サクラばっかりじゃねえか……」
舞台チーフもボヤく。

「そんなに言うんなら、お前が勝手にやりやがれ!」
照明チーフが毒を吐く。


「子供達、かわいそうです」
最後に灯梨がポツリと呟いた。
喜んでるのは、カメラ小僧か新人おっかけ専門のヲタくらいなものだった。



ところで-
みな様、お忘れかもしれないが、この舞台は市・主催のチャリティショーである。
当然、客席の一番前には市長以下、街の偉い人が座っている。
みな、舞台で演じる少女達の唄や踊りに -特にミニスカートには- 普段なら絶対に見せないような、実にだらしない表情を浮かべていた。

もちろんこれも、名プロデューサーの狙い通りだったのだが……
そんな席に空席がふたつ。

遅れてやってきた人達。

「いやあ、こんなにジェントルマン( 偉い人達 )が集まると、壮観ですなあ」
「お父さん?」
「やあ、アリーチェ、今朝ぶり。 相変わらず、かわいいねぇ」 

『 親バカだ 』

誰もが瞬時に、ツッコみを入れる。
そんなバカ親。
オリェーク・P・アントノフ。
娘のアリーチェを溺愛する、よき父親。
ネオ・ヴェネツィア運航局の副局長を勤める、ホントはとても偉い人。
けれどいつも笑顔を絶やさぬ、ウイット( 機知 )にとんだ会話をする陽気な人。

ご近所さんで小さな頃から顔見知りの茜のことを信頼し、大切な愛娘のアリーチェを何のためらいもなく託す、良き父親。
昔、アリシアと灯里が雪玉を転がしたとき、いの一番に手を出した、愛すべきおやぢ。



「ああ、アリーチェ。来る途中で聞いたんだが、なんでもお前達のお芝居が中止になったとか…本当かい?」
「イー……」
「そんな…母さんやご近所さん……茜さんのお母様も来ておられるとゆうのに……」
「母が…本当ですか?」
「ああ。 君の舞台復帰を、楽しみにされていたのに……」
「…………」


「こんな所に座って歌を聞いているよりも、局で書類整理のひとつでもやっていた方が、よほど、合理的であるな」

ぶっきら棒な声が響く。

「アドルフ局長……」
茜がその名を呼んだ。

アドルフ・H・ガーランド。
ネオ・ヴェネツィアを運航する、全ての船の安全と事象を管理する航行局の局長。 
何年か前にマン・ホームから転任してきた、エリート中のエリート。 アントノフの上司。
その権力と権限は、ネオ・ヴェネツィア市長よりも強大だった。
「何事も合理的」が口癖な、きまじめで頭の固い菜食主義者。

茜や灯里達とは、先代のバッジェーオの事件でやり合った間柄。



「うむ。君はMAGA社の茜くん…いや、バッジェーオであるな、今は」
「はい。アドルフ局長。 お久しぶりです」
「ふむ。ところで君はこんな所で何をしているのかな」
アドルフは茜を見下しながら、傲然と言い放った。



「コンサート終わるみたいですよ」
アイが呟いた、

アイドル達が袖にひっこんで行く。

大歓声( ホントはサクラの仕込みなのだが )
拍手が鳴り響く。
熱気があふれる。


-これが舞台?

アリーチェは改めて足がすくむのを感じていた。
私達は…いえ、私はこんな所に出て行こうとしていたの? 
それはどう考えても無謀としか思えなかった。


「コンサートの終わりであるな」
「…………」
「で?」
「え?」
「……茜くん。君は本当に、バッジェーオなのかね?」




「おい、照明。 さっさと灯りを消して。 まだ何かあるのかと客がカン違いするでしょ!」
「あ~すいませんね。 ちょっとトラぶってて、すぐに消せないスわ」
「くっ……音響。 今すぐ客出しのBGMをかけて。 『 蛍の光 』よ」
「それが…すいません。 音源を忘れてきました…今、代わりの曲。探してます」
「この……じゃあ舞台。 さっさと幕を降ろして!」
「はあ? 仮設の野外ステージっスよ。 んなモン、用意してませんよ」
「…貴様等……覚えてろよ」
捨て台詞を残して走りさってゆくプロデューサーの背中に、三人とも大きく舌を出した。

-さあ来い! ウンディーネさん達!




「どうゆう…意味でしょうか……」
茜が小さく訊ねる。

「聞けば、君等のやるハズだったお芝居に、横槍が入って中止させられたそうではないか」
「…………」
「それでいいのかね」
「え?」

みなの視線が茜に集まる。

「で、でも。私達の出番はもう……」
なまじ舞台とゆうモノを知っている茜には、それがどうゆう意味なのか必要以上に分かってしまうのだ。
もう遅い…すべては終わってしまったのだ-と


「終演のあとに、どんな舞台を見せればいいのか……」
「先代なら……」
「え?」
アドルフは冷徹に言い放った。

「アロッコさんなら、決してそうは言いはしないであろうな」
「…………」

「彼女なら、どんなときも笑顔を絶やさず、諦めず、頑固に、あがき続けるであろうな……」
「…アロッコさん……」
「どんな形でも、お芝居はみんなに届く。 必ず……な」



謳声が響く。
不意に、清んだ謳声が客席に響きわたる。

帰りかけた客の足が止まった。


「アテナさん?」
驚くウンディーネ達の目の前で、アテナが舞台のセンターに立ち、何の脈絡もなく唄を謳っていた。

謳うウンディーネ。
アテナ・グローリィ。 通り名は「セイレーン 天上の謳声」
ウンディーネの歌など、聞き飽きているハズのネオ・ヴェネツィアの住人達が、彼女の謳う舟歌( カンツォーネ )が響いたとたん
なにもかも放り出して、その歌に聞き入る -とゆう程の優れた歌声を持つ、オレンジ・ぷらねっとのトッププリマ・ウンディーネ。
数年前、今回の事件の遠因となったフェニーチェ劇場で、オペラ歌手としデビュー。
それ以降も何度か舞台に立ち、人々をその謳声で魅了してきた。

アリス達にとっては、ドジっ子でとても世話の焼ける先輩。
でも「気遣いの達人」と呼ばれる程、優しく、素敵で、誰もが憧れる、素晴らしきウンディーネ。



「ちょっ、あの子なにやってんの!?」
プロデューサーがわめく。

「今すぐ止めさせて。 コンサートはもう終わったんだから!」
だが誰もそれを止めようとはしない。

それどころか、誰もが -市の偉いさんや、アイドル達、プロディーサーの仕込んだサクラ達でさえ、「セイレーン」の謳う唄に魅了され
動きを止めていた。

アテナは謳い終わると、静かに一礼し、微笑んだ。
誰もが呆気に取られ、何のリアクションも取れずに固まっている。

-と、その時。
小さな影が舞台の袖から飛び出してきた。



「みなさん聞いてください!」
凛とした声が響く。



「アリーチェちゃん?」
アイが驚いたように叫んだ。


スポットライトがアリーチェを浮かび上がらせる。
とっさにスポットライトに飛びついた灯梨が、アリーチェを照らし出したのだ。


「私には舞台のことはよく分かりません。 でもどうしても見てもらいたい、お芝居があるんです」
アリーチェが叫ぶように言葉を紡ぐ。


「私は確かに素人で、演技もうまくできなくて。 唄だってうまく歌えません。
 でも…でも、一生懸命、練習しました。
 みなさんに…子供達に楽しんでもらえるように、一生懸命、がんばりました。 だから……
 だからどうか…どうかお願いします。 私達の舞台。 見てください!」


静まりかえる客席。
スポットをあび、足を震わせ、目には涙を浮かべながら、それでも必死に自分の想いを伝えようようとする少女を
誰もがしわぶきひとつできずに、ただジッと凝視していた。



-ぱちぱちぱち

小さな拍手が聞こえてくる。
ひとりの少女が-
あの「キューティーズに会いたい」 そう言っていた少女が、その小さな手を合わせて、拍手を送っていた。

-ぱちぱちぱち

拍手が重なる。
少女の横で、小さな男の子が意味も分からず、けれど姉と同じように、一心不乱に手を叩き始める。


-ぱちぱちぱち

さらに拍手が重なる。
小さな手を一生懸命たたき続けるふたりの横で、その両親らしい男女が拍手をし始めたのだ。

「こうゆうの、嫌いじゃないわ……」
母親が小さくつぶやいた。



突然-
客席中に拍手と歓声が満ちる。

誰もが拍手をし、歓声を上げ、震える少女を…アリーチェをスタンディング・オベレーションで讃え始めた。



「アリーチェ……」
「さあ、どうするんであるかな?」
呟く茜にアドルフが ニヤリ- と口の端を吊り上げながら言い放った。

「愚かで頑固な、バッジェーオ」


瞬間-
茜の瞳の中で何かがスパークした。

-ああ、そうだ。 私は…私は……


「晃さん!」
「ああ」
「アリシアさん!」
「あらあら…」
「蒼羽さん!」
「おうさっ」

次々に声をかけてゆく茜。

「アリーチェ!」
「はいっ、バッジェーオ!」
最後に。
涙を浮かべ、まだ震えている……けれど元気よく返事を返す少女を優しく抱きしめながら、茜は言った。

「ありがとう……あなたはまた私を取り戻させてくれた」
「バッジェーオ……」
「でも…でもね、アリーチェ……」
「はい!」
元気よく答えるアリーチェに、茜はいたずらっ子の微笑を浮かべた。

「……返事は『 イー 』よ」




「舞台監督!」
杏が、インカムにかじりつく。

「待ってたぜ」
苦笑まじりの答えが返ってくる。

「よしきた!」 「OK!」 「まかせとけ!」
他のスタッフ達も力強い声も響かせる。

「全てのスタッフが、あなた達を手助けします。 さあ、舞台を楽しんで!」
最後に灯梨が叫んだ。 

「はい。よろしくお願いします!!」
杏は、胸にこみ上げてくるものを吐き出すかのように大きな声を上げた。




「ようやく、嬢ちゃん達らしくなってきたなぁ……」
舞台監督が、その厳つい顔をほころばせて笑った。




「今すぐ、公演を中止しろ!」
そんなウンディーネ達に、走り込んできたプロデューサーが罵声をあびせかける。

「お前達が舞台に立っても意味はない! お前達に何ができるって言うんだ!!」

「何、言っていやがる!」
暁が叫ぶ。

「五月蝿いのだ」
ウッディーも叫ぶ。

「このままじゃ終われません!」
アルまでもが叫んだ。


「さあ、借りを返すわよ!」
最後に叫んだ藍華の台詞に、誰もがうなずいた。



「お前達が演技しても意味はない!」
けれどプロデューサーは、なおも喚き続ける。

「お前等、責任問題になるぞ! 分かっているのか!!」


「そんなことは承知の上よ!」


そんなプロデューサーを、茜が一言で黙らせた。

「今更、止められないわ!!」
「お、お前はいったい……」
プロデューサーが気圧されたように絶句する。

「私は…」
茜が腰に手を当て、言い放つ。

「私は、愚かで頑固なバッジェーオよ!  さあ、みんなっ」

茜が全員を見回しながら叫んだ。


  
  「 天使とダンスを踊りましょうか!! 」



Beeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeee!!




そして開幕のベルが鳴り響く-





                          -Essers Continuato (つづく)




-次回予告


「ねえねえ。マエセツってなに?」
「うん。 マエセツってゆうのはね。 お芝居や催し物が始まる前に出てきて、おしゃべりしたり、歌を唄ったりして
 客席を盛り上げる人のことだよ」
「へええ。 たいへんなお仕事なんだ」
「うん。 だってそれによって、本編のノリが違ってくるからね」
「そっかぁ。 じゃ、いっぱい盛り上げてもらわないとね」

「だめだめだめ。 それはダメだよ」
「え? どうして? だって盛り上げたほうが……」
「それがね、あんまりマエセツで盛り上がり過ぎると、本編の【 ピー 】の【 ピー 】が【 ピー 】で
 そのせいで【 ピー 】が【 ピー 】の変わりに本編を【 ピー 】して、おかげで【 ピー 】が【 ピー 】して
【 ピー 】になっちゃった。 ってことがあったのよ」

「え? 【 ピー 】の【 ピー 】は、【 ピー 】との音楽性の違いから【 ピー 】で【 ピー 】になったんじゃ……」
「表向きはそうだけど、実は【 ピー 】ね。 だから今でも【 ピー 】は【 ピー 】を【 ピーぃぃぃぃっぃいぃぃ 】(以下自主規制)


   「 次回、「AQUA Aretalogy 」 オニのパンツ 編! 」

   「『 あなたのハートをキャッチだよ!! 』」 (cv 水樹奈々&水沢史絵 )








ええと…
この作品はフィクションであり、実在する全ての人物、団体、事象とは、何の関係もありません。
したがって予告も、もちろんフィクションです。
フィクションなんです! フィクションなんだよぉぉぉ!(鹿馬)

おかしいなあ。 こんな話じゃなかったハズなのに…初期メモには「軽い話。スラップスティック。さらさらり」とか書いてあるのに!

次回から元にもどります(大鹿馬)

みな様も、軽い気持ちで読み続けていただければ、これに勝る幸せは、ありません。
それでは、しばらくの間のお付き合い。 ありがとうございました。



[6694] AQUA Aretalogy   オニのパンツ編
Name: 一陣の風◆fc1b2615 ID:8350b1a5
Date: 2011/03/06 12:35
白のスポットが入った赤いヒラヒラなドレスに、でかい白いリボン。黒いタイツ。
まるで『某ネズミの恋人』のような格好をしたあゆみが、スカートの裾を翻しながら、元気良く叫んだ。

「はあーい、お友達。 こんにちは。 …あれぇ、声が小さいぞぉ? もう一度。 こんにちはー☆
 うわあ、大きなお返事、ありがとう。 
 私は歌のお姉さんで、あ・ゆ・み って言います。 
 今日はみんな一緒に、キューティーレンジャーショー、楽しもうネ☆」





  第14話 『 AQUA  aretalogy 』  オニのパンツ 編





「あゆみさん、お願い」
袖から茜が叫ぶ。

「15分。いえ、10分でいいから時間をかせいで」
あゆみが前を向いて、MCを続けたまま、しっかりとうなずく。


舞台裏では灯里達やスタッフまでもが、どたばたと走り回っていた。


「アトラ。 杏。 チェック急げぇ!」
「はい、教官」
「らじゃ!」
蒼羽とアトラ、杏が技術ルームに駆け込んで行く。


「クソ虫ども。着付け急げよ。 時間は待っちゃくれないぞ」
「 イー! 」
「よしっ。 いい返事だ!」
「 イー! 」
晃がアイとアリーチェに気合を入れる。


「お、おい。もみ子!」
「はひ? なんですか? 暁さん」
「ちょ、おまっ…スカートの下。 スパッツをはき忘れてるぞっ」
「はっ、はひぃぃぃぃぃ! …すぐに、はきます。 よいしょっ」
「ぐはあああああああああ」
暁が灯里を見て、のたうつ。


「アルくん。スカート前後ろ逆よ!」
「藍華…どうりで『スカっト』しませんでした」
「…………」
「こ、これは『スカート』と『すかっと』をかけた、マンホームに伝わる高等古典で……」
「ぎゃあああっス! この忙しいときに、おやぢギャグ禁止ぃぃぃっぃいいいい!」
「ええええええ!?」
アルが藍華とじゃれ合う。


「ムッくん。 ムっくん。 背中のチャック、開いてます」
「おお。アリスちゃん、それじゃあ、締めて欲しいのだ」
「はい。 じゃあ、しゃがんでください……でっかい背中です…すりすり」
「あ、アリスちゃん。抱きついてないで、早く締めて欲しいのだ」
「すりすりすり……えへへへぇ」
「困ったのだぁ…」
ウッディがアリスに囚われる。


「まぁぁぁぁ!」
「ぷいぎゃああああああ!」
興奮したまぁ社長が、突然、アリア社長の『もちもちぽんぽん』に噛み付いた。

「にゃふぅぅ?」
「…………」
悶絶するアリア社長を、アクィラ社長とヒメ社長が、優しい瞳で見守っていた。 


「あらあら。 みんな、あわてず急いで正確に。 うふふ……」
そんな魔女の大釜(大混乱)の中でも、ただひとり悠然と、アリシアが白い天使の衣装のまま、楽しげに微笑んでいた。




そして舞台上では-

「じゃあ、今から、お姉さんと唄を歌いましょう。 一緒に唄ってくれるのは、ウンディーネのアテナお姉さんでーす。
 はい、拍手ぅ」
「はあーい。みなさん、こんにちずべっ」

これまたオレンジ色の、ひらひらドレスに身を包んで、袖から飛び出してきたアテナが、そのドレスの裾を踏んづけて顔面ゴケする。
場内が「 わっ 」と笑い声に包まれた。

「あ、アテナさん、アテナさん。大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫でぇす。 いつものことでぇぇす…」
あわてて駆け寄るあゆみに、アテナは何事もなかったように立ち上がる。
唖然とする、あゆみ。 彼女はまだ、アテナに慣れていないのだ。

その様子に、また一段と客席が沸き上がる。



「やるなぁ……」
舞台監督がつぶやいた。

「はい。さすがですね」
灯梨も同意する。

「はい?」
「あの嬢ちゃん達、たった三分で客の興味を引き付けた。 やるなぁ…」
キョトン顔の蒼羽達に舞台監督が説明する。

「すごく計算しつくされた演出ですね」
灯梨が感心したように言う。


-いや『 素 』です
 
その台詞に、オレンジ・ぷらねっと組の全員が、胸の中でそっと独り言ちた。



「最初に謳う唄は…みんな知ってるかなぁ? 南の島に住む小さなお猿さんの唄…そうっ、『アイアイ』でーす。
 一緒に、こんな手遊もします。 みんな、できるかなぁ?」

あゆみとアテナが唄いながら、子供達に振り付けを教えてゆく。
小さな手や足が客席で踊る。

「じゃあ、みんな静かに、お席から立って。 …はい、じゃあ、行きますよぉ。 音楽スタート!」

「杏、音!」
「らじゃっ」
蒼羽の声に、杏が間髪入れずスイッチを押し込む。


-♪ アイアイ。アイアイ。 お猿さあんだよぉ。 


軽快な音が流れ始める。 子供達が歓声を上げた。

   
   アイアイ。アイアイ。 南の島のぉー☆


楽しげに謳い踊る、あゆみとアテナ。


   アイアイ。アイアイ。 尻尾の長いぃぃぃ。
 

つられて子供達も、元気いっぱいに唄い、踊り始める。


   アイアイ。アイアイ。 お猿さーんだよぉ~☆



「はーい。お友達。 じゃあ、2番はもっと元気な声でうたいましょ~お!」
「はああああああい!」


-♪ アイアイ。アイアイ。 お猿さあんだよぉ 
 

客席に子供達の歌声が満ちる。

 
  アイアイ。アイアイ。 木の葉のお家ぃ~☆


テンポに合わせて、アトラの操作する照明も踊りだす。


  アイアイ。アイアイ。 おメメの丸いぃぃぃ。 



【 アイアイ 】
この曲は1962年。 作詞/相田 裕美。 作詞/宇野 誠一郎 によって生み出された。
作詞の相田裕美は「アイアイ」とゆう言葉と、木の葉に包まったアイアイの写真だけで、この歌を作ったため
実はこの猿が現地のマダガスカルでは、その容姿や動きから「悪魔の使い」として気味悪がられている-とゆうことを知らなかった。

またその「アイアイ」とゆう言葉自体も、現地人が、この猿を見て上げた、驚きの声に由来する-とゆうことも全く知らなかったのだ。

それが今では、この曲のおかげでアイアイは、かわいいお猿さんの代名詞のようになってしまったのだ。


  アイアイ。 アイアイ。 お猿さーんだねぇ-☆




「はあーい。 みんな、ありがとう。 …じゃあ、もう1曲。 みんな『オニのパンツ』って唄は知ってるかなぁ?」
「はああああああい」
元気一杯の返事が返ってくる。

「わーすごい。 それじゃあ、お姉さん達と一緒に、一度、踊りの練習をしてみましょう。 いい? オニ~のパンツは、いーパン・ツ!」


「杏?」 
「スタンバイ・OKです」
「アトラ?」 
「次。 Cue-3。 いつでもどうぞ」
「よし」


「じゃっ。 いくよぉ。 音楽、スタートぉ!」
あゆみの合図と共に、再び、軽快な曲が流れ始める。



「オニ~の、パンツは、いーパンツぅ。 強いぞぉ、強いぞぉぉぉ!」
あゆみとアテナの踊りに、会場が沸き立つ。


「トラの毛皮でできている~強いぞぉぉぉ! 強いぞぉぉっぉお!」
すべての子供達があゆみ達に合わせて手を打ち、足を踏み鳴らす



【 オニのパンツ 】

原曲【 フニクリ・フニクラ Funiculi・funicula 】は-
1880年に、マンホームのイタリア州、ヴェスヴィオ火山に建設された登山鉄道「フニコラーレ(ケーブルカー)」のために、
ルイージ・デンシアが作曲した、世界最古のコマーシャル・ソングといわれている、カンツオーネだ。
そのあまりに軽快さと耳になじむ曲故に、イタリアに古くから伝えれている民謡と、よくカン違いされてきた。


そして【 オニのパンツ 】
日本州の国営放送が、子供の音楽番組のために翻訳、発表し、そのコミカルな踊りと相まって、当時の子供達の間で大人気となった曲だ。
ながらくその翻訳者は不明-とされてきたが、現在では「歌のおにいさん」として有名な、田中 星児氏の作詞である-とする説が定着している。




「アルくん。 さっきから何を、ぶつぶつ言ってるの?」
舞台を見ながら何事かをつぶやき続けるアルに、藍華が不審気に訊ねる。

「いやあ、なんでもありません。 …いい曲ですね」
アルは照れたように頭をかいた。




「5年、はいても破れない。強いぞぉぉぉ! 強いぞぉぉっぉお!」


あの女の子も、楽しげに唄い、踊る。
隣の弟も、姉に負けじと、大きな声で唄い、手足を振り回す。
つられて、父親までもが踊り始めた。


「10年、はいても破れない。強いぞぉぉぉ! 強いぞぉぉっぉお!」


小さな歌声に気が付いて、ふと横を見れば-
舞台監督が、表情を変えぬまま、しかし、楽しげに、あゆみと一緒に唄を口ずさんでいる。

その後ろでは、舞台、音響、照明の各チーフが、アテナの踊りに合わせて、踊りまくっていた。

そんな仲間達の姿を見ながら、灯梨もやっぱり笑いながら、大声で謳い、踊り始めるのだった。


「はこうっ。 はこうっ。 オニのパ・ン・ツぅ!」 
 はこうっ。 はこうっ。 オニのパ・ン・ツぅ!!」


喜びの謳声が天に満ちる。
楽しげに踊る地響きが、地を揺らす。

誰も彼もが大声で謳い、体を揺らしている。


「あなたも、私も、おじいちゃんもおばあちゃんも~ぉ……さん、はい!」


みんながひとつになって声を上げた。




  「「「『 みんなで、はこう! オニのパ・ン・ツ!! 』」」




ブラボー!! と

拍手と歓声が上がる。
誰もがみな、総立ちとなり、あゆみとアテナに惜しみない拍手を送っていた。

その歓声の中、ふたりは肩を震わせて、荒い息をつき、けれど瞳を輝かせ、満面の笑みと涙を浮かべて抱き締め合った。

いつまでも鳴り止まぬ拍手と歓声が、優しく二人を包んでゆく。



「あのお嬢ちゃん。あゆみさんっていったか……」
「はい。姫屋の、あゆみ・K・ジャスミンさんです」
「そうか…ウンディーネにしとくのはもったいねぇなぁ……」
舞台監督が、顔を綻ばせながら言い放った。

「はい。今すぐにでも、彼女は天使と踊れそうですね」

 
    「『 それは無理です 』」


そんな灯梨の言葉を、アトラと杏が間髪いれずに否定する。

「え、どうしてですか?」
「だって……」
アトラと杏は、顔を見合わせ笑いあった。


「だって彼女はいつも『AQUAの心』と、踊っているんですから!」





  「この会場は、我々が乗っ取ったあああああああああああああああああああああ!!」



突然-
爆裂的な声が響き渡る。


舞台はもう、ウンディーネ達のものだ。



                                     -Essers Continuato (つづく)




-次回予告


「ウンディーネの舞台はダテじゃない。
 
  次回「『 AQUA  aretalogy  疾風怒涛編 』

Coolにいこうぜっ。 
      Let's Party!! 」(cv 中井和哉 )







ええと…
本来なら、このお話しで本編に突入するハズだったのですが、「オニのパンツ」のメロディが流れた時点で、脳内ドーパント…もとえ ドーパミンが異常増加してしまい、ついこんな、お話しに……(汗)

一日中、オニのパンツを踊り口ずさんでいました(鹿馬)
家族からは「うるさい」だの「あっちで踊れ」だの、心温まる、お言葉が…(涙鹿馬)

みなさまも、ぜひ、ご一緒に謳い、踊っていただければ、これに勝る幸せは、ありません(踊鹿馬)

それでは、またしばらくのお付き合い。
ありがとうございました。





[6694] AQUA Aretalogy 疾風怒涛編 
Name: 一陣の風◆fc1b2615 ID:8350b1a5
Date: 2011/03/06 12:40
「この会場は、我々が占拠した。 今から、お前等、愚民どもは私の管制下に置かれる!」
紅い悪魔が宣言した。



  第14話 「 AQUA  Aretalog 」 疾風怒涛編 




真っ赤なボディコン。 ハイレグ。 膝まである長いハイ・ブーツ。
ツン-と張った、猫耳のようにも見える対のとんがりが付いた赤い仮面は謎の人。 
どんな顔だか知らないが、キラリと光る、涼しい目。
仮面の悪魔だ。 紅仮面だ。

口元は大きく開き、その妖艶な唇をきわだたせていた。
ナイス・バディ。
すらりと伸びた、脚線美の誘惑。
肩には同じような格好をした黒い地球猫が、やっぱり背筋をピンと伸ばし、優雅に座っていた。


-やあっておしまい!
と、命令されれば

-あらほらさっさ!
と、脊髄反射で答えてしまいそうな迫力が、そこにはあった。


「私の名前は、ロぉぉぉーズ大佐。 世界制服を策謀する、悪の秘密結社『クリムゾン・カンパニー』の最高幹部だ!」
「あ・き・ら・さ・まぁぁぁぁぁぁあ☆」
間髪入れず、客席からファンの声らしい黄色い歓声が上がる。 バレバレだった。

「ちっがぁぁぁう! 私はローズ大佐だと言っているだろうが!」
その答えに、場内が爆笑に包まれる。

「愚かな人間どもめ…笑っていられるのは今のうちだ。 いでよ! 我々が生み出した、恐怖の怪人どもぉぉぉ!」
「うっしゃああああっ!」
「おー! なのだあっ!」
 
不気味な音楽と、オドロオドロしい照明と共に、二体の黒い影が舞台に踊りでた。
舞台が明るく照らしだされると、そこには-

くそでかい黒いサングラスをかけ、頬にガムテープで手術痕「 メ 」マークを盛大につけたガチャペンと、
目玉に「 \ / 」を書き足し、オデコの横に、やっぱりガムテープで「 # 」マークを張りつけたムッくんが、

その短い手足をバタつかせながら、客席を睥睨するかのように立っていた。

そんなガチャペンとムッくんの姿に、子供達どころか、その親達までもが腹を抱えて笑い転げる。


「さあ、お前達っ。 今からこいつらを恐怖のズンドコ……もとえ、どん底へと、叩き込むのだ!」
「おおおおお!」
「なのだあ」

その時-

「そんなコトは、させないわ!」
凛!-とした声が響く。


「あなた達の悪巧みは、この私がズバッとマルッとピシャッと、お見通しよ!」

その声と共に、音も無く忍び寄る白い影!  さすがに凧に乗るのは無理だった!


「貴様は!?」
舞台の袖から飛び出してきた人影に、ローズ大佐が叫ぶ。

「私は、キューティ・レッド。 あなた達の好きにはさせないわ!」
藍華、演じるキューティ・レッドがローズ大佐に言い放つ。


「くそっ! 怪人ども、かかれぇ!」
「うっしゃあああ!」
「おーなのだああ!」

ローズ大佐の命令一過。
キューティ・レッドに襲い掛かる、ガチャペンとムッくん。 だがー


「烈火繚乱大全部刃!」
真っ赤に塗った、でかいオールを振り回す、キューティ・レッド。


-ばちばちぃぃ!

「ぐわあああああっ」 「やられたあ~なのだああああっ」

悲鳴を上げつつ、袖に転がり込んで行く、ガチャペンとムッくん。

「おのれえええぇ。 覚えていろ!」
捨て台詞を残して、はけていくローズ大佐。

「あ、こら。 待ちなさい!!」
その後を追うように、キューティ・レッドも同じく舞台からはけていき………



「うわあ、みんな、びっくりしたねえ」
ただふたり残された、あゆみとアテナが会場に呼びかける。

「これからどうなるんだろう? みんな、キューティー・レンジャー、応援してあげてね」
「はあああああい」
アテナの呼びかけに、会場中の子供達が元気よき声を張り上げる。

「それじゃあ、続き、見てみよー☆」
そう言いながら、同じく舞台から消える、あゆみとアテナ。



「アトラ。暗転」
「はい」
「杏、M-5、スタート。 続けて、アトラ、明転GO」
「らっじゃっ」
「了解」



一瞬の間をおいて
舞台に再び、不気味な音楽が流れ始める。

「ああ、びっくりした……」
入ったのとは反対の方向から、やっぱりヒメ社長を肩に乗せ、でかい『ハリセン』を持った晃…もとえ、ローズ大佐が
ガチャペン&ムッくんを従え、現れた。



「キューティー・レッドか…油断できんな。 それにしても……」

-すぱああああああーん!
「がふぅ!」
「ぐはぁ!」

ハリセンが鳴らす、小気味いい音と、ドツかれた怪人達が上げる、無粋な悲鳴が響きわたった。

「お前達っ、あのテイタラクはなんだ! それでも誇りある我が「クリムゾン・カンパニー」の怪人か!」
「…つつ。 ホントに痛いぞ」
「痛いのだあ!」
「すわっ! 台本以外のセリフは禁止!!」

-すぱこぉぉぉっぉぉん!
再び、ハリセンが鳴り響く。

「がっふううううう…い、いや大佐殿。 だめだぁ…」
「あだだだだだダダ…きゅ、キューティ・レッドは強いのだあ…」
「愚か者おおおお!」


-呼んだ?
ひょっこり顔を出す「バッジェーオ」を、灯里とアリスが素早く引きずり込む。
これには一般客よりも、会場の隅でお芝居を見ていた、ウンディーネ達の方が、大笑いで喜んだ。


-ずぱああああああーん!
そんな身内ネタを無視して、三たび、ローズ大佐の放ったハリセンが、怪人達を張り倒す。

「ふ…こんな怪人共に任せてはおけんな……」
あまりの痛さに、無言でのたうち回る怪人達を無視して、ローズ大佐は傲然と言い放った。

「仕方ない。よしっ。 戦力補完のため、今からこの会場にいる人間達を、我が『クリムゾン・カンパニー』の下僕としてスカウトしてやろう。
 出でよ、戦闘員ども!!」

  
     「「「『 イぃぃぃぃぃぃっぃいっぃい!! 』」」」
 

耳を弄する爆発的な音楽と、壁ぞいに走る三代目大怪盗を探すサーチライトのような照明とともに
元気のいい『 イー! 』の声を響かせながら、客席にアイとアリーチェの戦闘員が飛び出してくる。
全身、黒タイツ。 胸には白く、まるであばら骨のようなマークをつけ、顔は目と口だけを空けたマスクをかぶっている。
そのまだオトナになりきっていない、微妙な体のラインが、黒の全身タイツからくっきりと浮かびあがり
その筋のハートを直撃する。

「ぷいぷいにゅううううううふん!」
「まあああああああああああああ!」
「にゃふぅぅぅぅううううううう!」

同じく戦闘員の衣装をつけた、アリア&まぁ&アクィラ、の社長ズが、舞台に飛び出してきた。

「よし、お前ら、その辺にいるチビッ子どもを、何人か適当に見繕って、舞台につれて来い!」
「 『 イぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃいい! 』 」

アリーチェ達が走り回る。
社長ズが駆け抜ける。
子供達が笑いながら逃げ惑う。
場内は大騒ぎだった。



やがて、数人の子供達とプラス+1が、戦闘員達に連れられて舞台の上に登ってきた。


「んんん…ちょっと人数が足りないなぁ……よし、怪人共、さっきウラで捕まえた、あの二人も連れてこい!」
「おっしゃああああ」 「おーなのだあ」
ローズ大佐の命令で、いったん裏へとはけたガチャペンとムっくんが、さらにふたりの女性を舞台に引きずり出した。
その姿にー

「ちょっ…あいつら、いったい何やってんの!?」
市長のすぐ後ろに座り、ウンディーネ達のショーを冷ややかに見ていた、プロデューサーの顔が強張る。

そこにはついさっきまで、自分の最高の演出で歌っていたアイドルユニット「ラーズグリーズ・8762」のメンバーが二人も立っていた。



「よおし、まず、お前達から名前を聞いていこうか」
そんな引きつるプロデューサーを尻目に、ローズ大佐がふたりにマイクを向ける。

「はあい。 私は、アズサと申します。 20歳です。 趣味は犬の散歩です。 あと、自分ではそんなつもりはないんですが
 人からはよく、のんびりしてると言われます。 いえ、ホントはそんなことはないんですよ。 
 
 ただ、私の場合は人より少し時間がかかるだけで。
 ……でも、みんなが言うほど、のんびりしているわけでは決してないんですよぉ。

 それと、たまに道に迷うことも、ふふ…ありますけどぉ。 でもですねぇ……」


「だああああ! 分かった、分かった、もういい…マイペースな奴だなぁ。 それになんだその胸のでかさわ! それどんな凶器だよ」
「あらあら…晃さんだって、そんなにご不自由しているわけでは……」

「すわあ! 余計なことわ言わんでいい! つか、私はローズ大佐だと言っているだろうが!」
「うふふ……すいません」
「くっ…お前、なんだかアリシアに似てるなぁ……」

そんなローズ大佐のボヤキに-

  「 『 あらあら…うふふ…… 』 」

と、そんな笑い声が、なぜか表と裏からステレオで聞こえてくるのであった。



「私は、アミだよぉぉぉぉお!」

ローズ大佐が、もうひとりのアイドルにマイクを向ける。

「んっふっふ~! 楽しいこと、面白いこと大好き! 12歳だよぉ。 趣味はメール。それとゲーム!」
「ゲーム?」
「うん。特に対戦ゲーム。 マミと一緒にやると、すっごく楽しいの!」
「マミ?」
「そう。 あっ、マミっていうのは、私のふたごの…」
「あ、アミちゃん!」
不意に、アズサがたしなめるように声をあげる。

「(ぼそぼそ)あ…やばい。アミ達が実は双子の姉妹で、かわりばんこにアイドルしてるってコトは秘密だった……えと…
 ううん、なんでもないよ。 ローズのお姉ちゃん!」

「すわあ? な、なんだ、小声で何か言ってると思えば、急に大きな声を出して…びっくりするじゃないか」
「えへへぇ…ごめん。なんでもないよ! それよか、これからもアミ達をよろしくね☆」
「よろしく、お願いします」


「よ、よく分からんが……よおし、みんなこのふたりに拍手だ!」
ローズ大佐の呼びかけに、ふたりに盛大な拍手が送られる。
アズサは静かに頭を下げ、アミは飛び跳ねながら手を振った。
そんな様子をプロデューサーが苦虫を噛み潰したかのような、歪んだ表情で睨みつけていた。


「じゃあ、他の子供達にも名前を聞いていこうか」
ローズ大佐が、舞台に上がった他の子供達ひとりひとりに、インタビューをしてゆく。
みんな少し緊張しながらも、しかし元気よく名前を言い、簡単な質問に答えてゆく。

その中には、アリア社長に連れられて舞台に上がってきた、あの姉弟の姿もあった。


ローズ大佐が列の一番端に立つ人物にマイクを向けた。
「さあ、最後のひとりだ……まず、お名前は?」

その男は憮然と言い放った。


「私の名前は、アドルフ・H・ガーランドである」
「にゃふぅぅぅ☆」

ネオ・ヴェネツア運行局々長の頭の上に、長々と寝そべるアクィラが、嬉しそうな鳴き声を上げた。




                 Essers Continuato(つづく)




-次回予告

「AQUA  Aretalogy 」を巡る、三つの出来事。

その1
姫屋の藍華の提案でヒーローショーをやることになった、ウンディーネ達。

その2
そのヒーローショーがプロデューサーを名乗る男に妨害された。

その3
数々の苦難を乗り越え、今、子供達の歌声が高らかに響き渡る。


次回
「AQUA  Aretalogy 」 ゴンベェさんとお弁当と人参と 編(by 中田譲治)

♪ゴベニ・ゴ・ベ・ニ(語呂悪!)




   キューティ、まだあ?

すいません。すいません。


どうか薄く笑いながらでも、読み続けていただけるなら、これに勝る幸せはありません。

では、しばらくの間のお付き合い。
ありがとうございました。



[6694] AQUA Aretalogy ゴンベェさんとお弁当と人参と 編
Name: 一陣の風◆fc1b2615 ID:8350b1a5
Date: 2011/03/06 12:47
「それじゃあ、もう一度、舞台のお友達も一緒に、元気良く挨拶をしよう! ういっっすうウう!」
「ういっっすうウう!」
「もう一回、ういっっすう!」
「ういっっすうウう!」

「男の子だけ、ういっっすうウウう!」
「ういっっすうウウう!」
「女の子だけ、かわいく、ういっっすうううう~ん!」
「ういっっすうううう~ん!」

「レディイス&ジェントルメン。 あーんど、おとっつあん、おっかさん。 ういっっすう!」
「…ういっっすう……」
「声が小さい! ういっっすう!」
「…ういっっすうぅぅ…」
「もう一回! ういっっすウう!」
「ういっっすウう!」

「よおし。 今度はウンディーネだけ、うおおおおおおっス!!」
「うおおおおおおおっス!!」
いつの間にか客席にあふれんばかりに集まったウンディーネ達が、歓声を上げる。

熱気があふれる。




   「 AQUA Aretalogy 」 ゴンベェさんとお弁当と人参と 編



少しだけ時間を戻す。

「お前等、今から何人か見繕って舞台に連れて来い!」

ローズ大佐のその怒声を聞いたとたん、アクィラは一直線に舞台を駆け抜けると、そのままジャンプして、
客席最前列に座る、ひとりの男性の膝の上に着地した。

「にゃふうぅぅぅ」
「わ、私であるか?」
その男性-アドルフ・H・ガーランド・ネオ・ヴェネツィア運行局々長は、アクィラの瞳を見つめたまま絶句した。

「ああ…局長。 選ばれたんですね。 実に羨ましい」
横に座るアントノフが羨望の眼差しで、アドルフを見た。

「おおお、我が愛する娘よ。 なぜ父を選んではくれぬ…」
父親には見向きもせず、客席内を走り回るアリーチェに、アントノフはやはり親バカ全開の台詞を吐く。

「局長。そんな猫なんか無視して構いませんよ」
おもねるような声に振り向けば、そこにはまるで媚びへつらう様な表情を浮かべたプロデューサーが、もみ手をせんばかりの勢いで、アドルフに言い放った。

「あんな素人のヘタな芝居に、局長ともあろうあなたが付き合う必要などないのです」

-ぴしっ

アドルフは、笑いながら怒る-とゆうのを初めて見た。
自分の横に座るアントノフの顔が笑顔のまま硬直する。

-あんな素人のヘタな芝居。
我が子を溺愛する運航局副局長は、その言葉に、まるで自分の娘を侮辱されたかのように感じたのだ。
もちろんプロデューサーは、そんなアントノフには、まるで気が付かない。


「…………」
アドルフは改めてアクィラの瞳を見つめた。
その蒼ではない瞳を。
キラキラと輝く、その黄金色の瞳を。
MEGARLITHのイエロー を。
 

「にゃふうううう」
喉をさする。
アクィラが嬉しそうに鳴き声を上げた。


「この猫。 さっさと降りろ」
「にゃふう?」
けれどアクィラは、そんなプロデューサーの声などおかまいなしに、にゃふにゃふにゃふ-とアドルフの上に登ってゆく。
「にゃふぅぅぅぅ……」
腕を伝い、肩に乗り、とうとうアドルフの頭の上まで登ると、そこで気持ち良さげな声を上げ、長々と寝転んだ。


アドルフは感じる。
アクィラの重みを感じる。

アクィラの重み。
アロッコの思い。
バッジェーオの想い。

暖かなアクィラの『オモイ』-


「このバカ猫。なにしてる。局長の頭の上から降りろ!」
手を出すプロデューサー。
けれどアドルフは、その手をかいくぐるように立ち上がると、頭の上にアクィラを乗せたまま、ゆっくりと舞台に向かって歩いて行った。

「きょ、局長?」
おもわず伸びるプロデューサーの手を、アントノフが、がっしりとつかんだ。

「まぁまぁ。 ここでゆっくりと座って、ショーを楽しもうではありませんか。ねぇ、プロデューサー殿……」
満面の笑顔のまま、アントノフが言う。
けれど、己が腕をつかんだアントノフの、その手の力に、プロデューサーは悲鳴を上げはじめた。




「私の名前は、アドルフ・H・ガーランドである」

故に、アドルフは今、こうして舞台に立っていた。


「おおっとぉ! こいつはスゴいサプライズだっ。 みんなアドルフ氏に拍手ぅ!」
割れんばかりの拍手が巻き起こる。
誰もがみな、あの事件をコトをまだ覚えていたのだ。

そんな拍手の中、ローズ大佐-晃は、よくやったとばかりにアクィラの頭をなでてやった。





「聞けっ、チビッ子ども!」
ローズ大佐が叫ぶ。

「お前等が無駄に体力があることは、さっきの、ちゃらちゃらした女共の踊りで良く分かった」

-ちゃらちゃらって……
 晃ちゃん、ひどいわ…

舞台裏から「マエセツ」ふたりの声が聞こえてくるが、そんなものは当然のごとく無視される。


「だがそれだけでは、我が栄光ある『クリムゾン・カンパニー』の戦闘員にはなれん!
 我らが求めるものは、頭脳だ。 知能だ。 頭の回転の速さだっ」


-ずばあああああああああああああああああああん!

ローズ大佐が意味もなく、ガチャペンとムッくんをハリセンを叩きながら吼える。

「波を読み。風を読み。
 空を感じ。海を感じ。
 刻を考え。場所を考え。

 今、お客様が何を求めているかを思い。
 今、お客様が何を感じているかを思い。
 
 どうすれば、より喜んでいただけるかを想い。
 どうすれば、より、この街を好きになっていただけるかを想う。

 それを考えられる頭脳こそが重要なのだ!」


-おおおお!
 場内のウンディーネ達がどよめいた。


「おひおひ。ウンディーネ講座になってるぞ」
蒼羽が苦笑する。



「さあそこで、チビッ子達、こんな歌は知っているか!?  …ゴンベェさんに赤ちゃんが風邪引いたぁ……」
「知ってるぅぅぅ!」
舞台の子供達も、会場の子供達も歓声を上げる。

「ではこの歌を、手遊びと一緒にやってみよう! まずは戦闘員ども、模範演技だ!」
「 イ-ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!」
アイとアリーチェが舞台の前に飛び出す。



-♪ ゴンベェさんの赤ちゃんが風邪引いた。
   ゴンベェさんの赤ちゃんが風邪引いた。
   ゴンベェさんの赤ちゃんが風邪引いた。
   そこであわてて湿布した。

戦闘員達が面白おかしく踊る。

「みんな、分かったかあ!?」
「はあああああああああい!」
「バカ者どもぉ!」
疾風のように放たれたハリセンが、ガチャペンとムッくんを薙ぎ倒す。

「ここでの返事は『 イーーーーーー! 』だけだあ! さあ、言ってみろ!」
「 イぃぃぃぃぃぃぃぃっぃいぃぃぃ! 」
ローズ大佐の怒声に、楽しげな笑い声と共に、元気な返事が返ってくる。

「上出来だ。 返事は『 イー! 』決して忘れるな!」
「イぃぃぃぃーーーーーー!」

「よし、それじゃあ、ゴンべぇさんの赤ちゃん。 一緒にやってみよう。 音楽スタート!」


「杏っ」
「らっじゃ!」


-♪ ゴンベェさんの赤ちゃんが風邪引いた。
   ゴンベェさんの赤ちゃんが風邪引いた。


【 ゴンベェさんの赤ちゃん 】

原曲は『 パブリック賛歌-The Battle Hymn of the Republic 』
詩人のジュリア・ウォード・ハウはある夜。 壮烈な夢を見た。
彼女はその夢を詩に起こし、その曲はアメリカ南北戦争での北軍の愛唱歌となった。
作曲者は不明。
その歌詞は-

「 我が目は、主の到来を、その栄光を見届けた。
  主は、怒りの葡萄の葡萄酒を踏みしめる。
  主は、恐ろしい敏速な剣で、死をもたらす稲妻を放った。
  主の真理は、前へと進む 」

とゆう、少々恐ろしげなモノだ。



-♪ ゴンベェさんの赤ちゃんが風邪引いた。


日本では明治時代にクリスマスの子供賛美歌として歌われ、
「ともだち賛歌」(作詞/阪田 寛夫) 「おたまじゃくしは蛙の子(作詞/永田 哲夫・東 辰三)
としても知られている。


-♪ そこで、あわてて湿布した。



「拍手ぅぅぅ!」
子供達が歓声を上げながら拍手する。 だが-

「こんな初級編、できて当然だあっ」 

ローズ大佐が再び、意味もなくハリセンでガチャペンとムッくんを叩きながら吼える。
のた打ち回るガチャペンとムッくんが、子供達の爆笑を誘う。


「次の中級編は少し難しいぞ。 しっかりと付いて来い!」
「 イーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!」

「よし。 今度はそこのアイドル。 お前達が模範演技だ。 こっちに来い」
「あらあら…どうしましょう……きゃっ」
「んっふふ~ん。 まかせてぇ! わふっ」

-ぱっしぃぃぃぃん

っと-アズサとアミの頭に、ローズ大佐のハリセンが炸裂(やや弱め)する。

「すわ! ここでの返事は『 イー! 』だけだと言ったろうがぁ!」
「はいい? そ、そうなんですか…あの、でも…あうっ」
「ローズのお姉ちゃん。 そんなのアミ聞いてながふっ」

ーすぱこぉぉぉぉぉん

再び、ハリセンがふたりの頭の上から、小気味良い音を響かせる。

「こ・こ・で・の返事わ・『 イー! 』だ・けっ・だっっっ」
「 『 い、イィィィィィィィーー! 』 」

鬼のようなローズ大佐の形相に、アズサとアミは、あわてて返事を返した。




「次は、こんな手遊びだ。 …これっくらいの、お弁当箱に……」
「お弁当箱の歌ぁ!」
即時に子供達は反応する。

すでに子供達は、ローズ大佐に完璧に心を奪われていた。   

-奴はトンデモないモノを盗んでいきました…アナタのココ……なんでもない。



-♪ これっくらいの お弁当箱に
   おにぎり おにぎり ちょいと詰めて
   きざみしょうがに ごま塩ふって 
   にんじんさん さくらんぼさん しいたけさん ごぼうさん
   穴のあいた れんこんさん
   すじのとおった ふぅき!

「よくできた!」 -だが
「こんなもの出来て、当たりマエダのクラッカー!」


「古!」
舞台監督が破顔する。



【 お弁当箱の歌 】

成立年月日も、作者も不明。
けれど、昔から歌われる手遊び歌。
地方によっては、「具」の内容も変化する。
さらにこの歌には、もうひとつ、とある超電磁砲…ではなく、とあるヴァージョンが……


「この阿呆どもぉ!」

-ずばばばばばああああーん!

またまた、ローズ大佐が怪人共をハリセンでブチのめしながら叫ぶ。


「はうう。マジでいてぇぞ…」
「これじゃあ、体がもたいのだぁ…」
暁とウッディが泣き喚く。 けれど-


「チビッ子ども! なに、そんな嬉しそうな顔してる! 問題はこれからだ」

そんなふたりの声など、まったく無視して進行を続ける、ローズ大佐。
 
 「いくぞっ。 お弁当箱の歌、サンドイッチ・ヴァージョン!!」
会場が低い、どよめきに包まれる。


そう!
この歌には、なんと洋風Verも存在していたのだ。
侮りがたし「お弁当箱の歌」


-♪ これっくらいの お弁当箱に
   サンドイッチ サンドイッチ ちょいと詰めて
   からーしバターに マヨネーズぬって
   いちごさん ハムさん きゅうりさん トマトさん
   丸い丸い さくらんぼさん
   すじのはいった ベーコン!!

-わあっ!
っと、歓声が上がる。


「よおおし。 チビッ子ども、よく付いてきた。 誉めてやるぞ。 そこのアイドルもな!」

「は……い、イーーーーーーー!」
「わっは…イぃぃぃぃぃぃぃぃ!」
「よしっ。 みんな、このふたりに拍手~ぅ!」

アズサとアミに惜しみない拍手が寄せられた。




「調子にのるな! この愚劣な人間どもぉぉっぉぉおお!」
も早や、お約束と化したローズ大佐の怒声とハリセンの音が響き渡る。
ガチャペンとムッくんが、またまたまた、のた打ち回ったのは言うまでもない。
会場中に笑い声が響く。


「いよいよ。最終試験だ。 これに合格しなければ、お前達は決してプリマに…もとへ
 我が栄光ある『クリムゾン・カンパニー』の戦闘員にはなれん!  さあ、検索を始めよう。
 三曲目のキィワードは……にんじん・サンダル・ヨット……」


「いっぽんでも、にんじん…で、あるか?」
「は?」
突然の予期せぬ声に、ローズ大佐はおろか、観客までもが絶句する。

「う…な、なにか間違ったことを言ったであるかな……」
相変わらず『にゃふにゃふ』と気持ち良さ気にタレるアクィラを頭の上に乗せたまま、アドルフが赤面しながら言った。

「い、いや…その……はっ。 さ、さすがは、ネオ・ヴェネツィア運行局々長だ。 よく分かったな。 みんな拍手!」
おおおおおお-と、拍手が巻き起こる。
アドルフは困ったように、照れたように、己が頭の上で気持ち良さ気にタレれいる、アクィラの頭をなでてやった。


みな誰もが、この真面目一辺倒のエリートが、こんな表情を見せるとは思ってもいなかった。


「みなさん、認識が甘いですなぁ。 ねぇ、そうは思いませんか?」

なぜか自慢気に語りかけてくるアントノフに、プロデューサーは、なぜか腕をさすりながら、涙目でうなずくのであった。




「さあ、気合を入れて聞け! 脅威は実力でもって排除せよ! いくぞっ。 音楽スタート!」
ローズ大佐の合図で、軽快な音楽が鳴り響きだす。



-♪ 1(いち) いっぽんでも ニンジン
   2(に) にそくでも サンダル
   3(さん) さんそうでも ヨット
   4(よん) よつぶでも ゴマシオ
   5(ご) ごだいでも ロケット
   6(ろく) ろくわでも シチメンチョウ
   7(しち) しちひきでも ハチ
   8(はち) はっとうでも クジラ
   9(きゅう) きゅうはいでも ジュース
  10(じゅう) じゅっこでも イチゴ!


 イチゴ ニンジン サンダル ヨット -アイとアりーチェが、苺と人参、サンダルとヨットが描かれたプラカードを掲げる。
 ゴマシオ ロケット シチメンチョウ -ガチャペンが、器用に三本のプラカードを高くかざし。 
 ハチ クジラ -ムッくんが、両手を大きく広げながら、蜂と鯨のプラカードを差し出し。
 ジュース! -最後にアリアとまぁ社長が、力を合わせて、一枚の巨大なジュースの絵を振り回した。


【 いっぽんでもにんじん 】

作詞/高田 利博 作曲/佐瀬 寿一 歌/なぎら けんいち
1975年 10月5日。
「ひらけポンキッキ」とゆう子供番組の中で発表された数え歌。
2008年 3月5日には『 日本でもっとも売れたシングル 』とまでギスブックに掲載された、あの
『 およげ! たいやきくん」のB面だった曲。
(今の若い人は「B面」などとゆう言い方、知らないのであろうケド……)

歌手のなぎらけんいち氏、曰く。

-本当は『いっぽんでも、にんじん』の方が人気はあったんだ!



「よおし、お前等っ。 二番は今日一番の大きな声で歌え! いくぞっ!!」
「 イぃーーーーーーーーーーーーーーーーーーーぃ!!」
会場の子供達はもとより、親達、ウンディーネ達は言うに及ばず、舞台上のアズサ、アミ。 そして
アドルフに至るまで、誰もが大きな声を上げて歌いだす。

まるで、お祭り騒ぎだった。


-♪ 1(いち) いっぽんでも ニンジン
   2(に) にそくでも サンダル
   3(さん) さんそうでも ヨット
   4(よん) よつぶでも ゴマシオ
   5(ご) ごだいでも ロケット
   6(ろく) ろくわでも シチメンチョウ
   7(しち) しちひきでも ハチ
   8(はち) はっとうでも クジラ
   9(きゅう) きゅうはいでも ジュース
  10(じゅう) じゅっこでも イチゴ!

印税をめぐる悲喜こもごもな話。
童謡か歌謡曲かをめぐる論争。
レコード会社の新社屋に対する、歌手の嘆き-等々。

それらを全て飲み込んでなを、人々の心に何時までも残る名曲。


-♪ いっぽん にそく さんそう よつぶ
   ごだい ろくわ しちひき
   はっとう きゅうはい
   じゅっこ!!

子供達の楽しげな歌声が響き渡る。







「ねえ、ねえ、藍華ちゃん……」
「あによぉ、灯里ぃ」
「あの…さっきからアルくん。 なんかひとりで、ぶつぶつ言ってるんだけど……」
「ああ… いいからほっといて」
「ほへぇ。 でも、でも藍華ちゃん。 いいの?」
「いいの、いいの灯里。 どうせいつもの、おやぢギャグか、妙な薀蓄でも語ってるんだから」
「そう…なの……?」
「ええ。 んで、そうやって、少しでも女装してる現実から逃れたいんでしょ」
「………はひっ!」


-くっくっくっ
アルは袖からこっそりと舞台を盗み見しながら、キューティ・レンジャー・ブラックの衣装(もちろんミニスカ)のまま
その小さな眼鏡を輝かせ、いつもでもぶつぶつと笑い続けていた………… 恐!



                              
                                -Essere Continuato(つづく)





さあーて、次回の「AQUA Aretalogy 」は-

「ワ○メです。
 このお話し。次回でもキューティーは出ないらしいですよ。
 いったい、何をやってるんでしょうね。
 どうやら好き勝手やり過ぎて、収集が付かなくなったらしいですよ。
 ドラちゃんに助けてもらえばいいのに……あっ、間違っちゃった。

 次回『AQUA Aretalogy  ギターは鳴り響いた 編は
 
 【ジュエシーポーリィ・バァーーーーイ!】
 【仲間になれぇ!】
 【♪ ぽん・ぽん・ぽん・ぽんぽ・ぽ・ぽーん】
  
 の、三本でーす!」

 じゃんけんポン☆ うふふふふ。(cv加藤みどり&野村道子(旧))






もう言い訳のしようもございません。
しかも次回でも、まだキューティーズは出てきません(泣)

他の2作品と比べても、あまりにあまりな本作を、みな様がお見捨てなく読み続けていただけるなら、これに勝る幸せは、ありません。
どうか、よろしくお願いします…(願鹿馬)

それでは、しばらくの間のお付き合い、ありがとうございました。



[6694] AQUA Aretalogy ギターは鳴り響いた 編
Name: 一陣の風◆fc1b2615 ID:8350b1a5
Date: 2011/03/06 12:45
-本当にスゴい。

アイは客席を見ながらつぶやいた。

そこにはたくさんの「笑顔」あった。

左手(ゆんで)にマイクを持ち、右手(おもで)でハリセンを振り回しながら謳う、晃さん…いえ、ローズ大佐。
その謳声に釣られるように大きな声を出す、会場の子供達。
舞台上でも、自分達が連れてきた子供達が、元気一杯に唄い踊っている。

舞台にはとても慣れているはずの、あのアイドルさん達も、ノリノリだ。
舞台にはまったく不慣れなはずの、あのお堅いアドルフさんも、とても楽しげだ。

みんなの笑顔。

-これが舞台の天使?

アイは、みんなの背中に、白い羽が見えたような気がした。



   「ARIA Aretalogy」 ギターは鳴り響いた 編



「拍手ぅぅぅっぅ!」
ローズ大佐が向かって客席に叫ぶ。

「このチビッ子ども。よくやったぁ! お前達には我が栄光ある『クリムゾン・カンパニー』の戦闘員になるだけの
 能力があることを認めてやろう!」
「 イぃぃっぃぃーーーーーーーーーーーーー!」

そして-
「みんな、舞台に上がってくれたチビッ子達に拍手!」
大きな拍手。 子供達は喜んだ。

「んじゃ、オマエ等。 パパとママんトコ帰っていいぞ。 あっ、お土産、忘れないでなぁ」
舞台を降りる子供達、ひとりひとりに自らお土産を手渡し、頭をなでながら送り出すローズ大佐。

「ほら、戦闘員ども、手を貸してやれ」
「イーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!」
アイとアリーチェは素早く客席に降りると、階段を伝う子供達に手を添え、降りるのを手伝った。

「ゆっくりでいいぞぉ。 あわてるな。 いいか、手を差し伸べるときは、お客さまが不安にならないように
 しっかりと、優しくな。 ちゃんと最後までお送りしろ。 もちろん、見苦しくないように、あくまで優雅にな」
「おおおおお……」

会場中のウンディーネ達が再び、どよめく。


「いやだからさ…」
蒼羽が、再び苦笑する。

「ウンディーネ講座になってるって……」


舞台から子供達が客席に降りる。
子供達は手に手に、お土産を抱えたまま、一目散に親の元へと帰っていった。
あの姉弟も、両親の元へと全速力で走ってゆく。
満面の笑顔とともに。




「さて、そこのアイドルふたりっ」
「『 い、イーーーー! 』」
ローズ大佐が残った、アズサとアミを睨みつける。

「お前たちもよくやった。 最後にお客様に、ご挨拶しろ…普通にしゃべっていいぞ?」
「あ…はい……あの、ありがとうございました」
アズサが深々と頭を下げる。

「んっふっふ~ん。アミも、とぉぉぉっても、楽しかったよ!」
アミがパタパタと手を振りながら挨拶する。

「みんなこのふたりに拍手ぅ! よし。 もう帰っていいぞ。 つか帰れ!」

「 『 ええええええ~え! 』 」

アズサとアミの声が重なる。
けれど、ふたりとも、やっぱり満面の笑顔だった。


「これからも私達のこと、よろしくお願いします」
「兄ちゃん、姉ちゃん。 おっ友達ぃ! まった、遊ぼうねぇーえ!」
そして-

「『 ジュエシーポーリィ・バァーーーーイ! 』」
見事に声をハモらせると、ふたりは袖に引っ込んで行った。



さて、最後に残ったひとり。
「なあ、お前……」

一転。
ローズ大佐は妖しげな微笑を浮かべ、アドルフに擦り寄ると、足を絡ませ、腰を密着させ、その耳元で熱くささやいた。

「どうだい、どうだい? このまま私達の仲間にならないかぁい? 
 我等の力を持ってすれば、このネヴェネツィアも、アクアも、思いのままだよぉ……」

そのあまりに妖艶な姿に、会場中のファンから悲鳴のような奇声が上がる。
それは晃の十八番。
『客いじり』の発展強化増幅版であった。

「さあ、どうだい。 我が「クリムゾン・カンパニー」に入らないかぁい?」 

だがー

「断る」
アドルフは言い放つ。

「そのような力でもって、物事を進めるのは合理的ではない。
 そのような脅しでもって、人の心はつかめんのである。
 そのような事では、誰も幸せにはなれんである」

そして、軋るような声でつぶやいた。

「そのような事では、彼女に笑われるのである……」

「……『バッジェーオ』と呼ばれても?」
「もちろんである!!」
きっぱりと言い切った。


客席が、三度、どよめく。
晃はマイクを外すと、アドルフにだけ聞こえるように、そっとつぶやいた。


『ありがとう。 これからも、この街をよろしく……』


それからマイクを近づけ吼える。

「この頭の固い、愚か者めぇ! 貴様など我が栄光ある『クリムゾン・カンパニー』には不要だ!
 さっさと席に帰りやがれ!  …お前等っ。 拍手なんぞ、いらんぞ!!」

だが席に戻るアドルフは、みんなの大きな拍手でもって迎え入れられた。



「茜さん?」
灯里は袖から舞台を睨んだまま、微動だもしない茜に声をかけた。
だが、その唇は強く噛み締められ、その瞳は、静かに揺れていた。

「大丈夫ですか?」
「…ええ。 大丈夫…大丈夫です、灯里さん……」

そう言うと、茜はまるで何かのついでのように、手でゴシゴシと顔をぬぐった。

「ねえ、茜さん…素敵んぐですね」
「え?」
そんな茜に、灯里は満面の笑顔で告げる。


「だってこんなにも、あの人は、みんなの心に宿っていて
 こんなにも、みんなの心に暖かな光を灯していて。
 
 まるで、暗い水面(みなも)に光る、ほんの小さな燈篭の輝きのようで……
 どこまでも私達を導いてくれていて……
 
 えへへ。素敵で不思議ですね☆」

「灯里さん……」
「はひ?」

こんな時、言うべき言葉はひとつだけだ。

「恥ずかしいセリフ、禁止ぃ!!」
「ええええ?」
「それから-」

「ま、まだあるんですかぁ?」

茜は灯里の両肩を、正面からがっしりとつかみ込むと、轟然と言い放った。

「私のことは、ちゃんと、バッジェーオ。 と、呼んでください!」
「は、はひ!」


灯里は、泣きがら笑う、その名を継ぐ、誇り高き彼女に、にっこりと微笑んだ。




一方、舞台では-

「うっさあーーーーい!」
ローズ大佐が吼えていた。


「拍手はいらんと言ったのに、この愚民どもめ……いい奴等だ… こらっアクィラ。 
 いつまでそんな奴の頭の上で、気持ち良さげにタレてるんだ!?
 さっさと戻って来い!」

「にゃふぅぅぅ…」
アクィラは、とても嫌そうにアドルフの頭から滑り降りると舞台に戻った。

「ぷにゅえり~☆」
「まぁぁ☆」
そんなアクィラを、アリアと、まぁが、声を上げて迎えてくれた。




「聞け、愚民ども」
ローズ大佐が客席をにらみつける。

「愚かなあの男は、我等の仲間になることを拒んだ。 だが…ちびっ子ども。
 お前達は、もっと賢いよなぁ…
 さあ、我等の仲間になって、このAQUAを支配するのだ!」

今までの熱気が嘘のように、客席は静まりかえった。

「どうした? 仲間になるよな?」
赤い大佐が不気味な笑みを浮かべながら訊ねる。

「どうした。 さあっ。早く仲間になると言うのだ!」


-ごくりっ

と、蒼羽は喉を鳴らす。

-今こそ正に正念場……

そう。 今日のこの舞台は、この「一言」を引き出すために仕込まれた。

おちゃらけた怪人達も、かわいい戦闘員達も、晃のあの無茶振りなトークも。
前説の踊りさえも、この一点に絞られ、その「一言」を引き出すための布石なのだ。

もし客席の誰かが、違う台詞を言えば、このお芝居は根本から瓦解する。

それ故に-
蒼羽は…いや、舞台上の晃達も、裏で待機する灯里達も、手を貸してくれているフェニーチェ劇場のスタッフ達さえも
本来、このお芝居には何の関係もないはずのアイドル達も、固唾を飲んで、その言葉を待っていた。


「…いやあ」
小さな声が響いた。

「いやだぁ…」
もう一度、小さな声が響く。

あの子だ。
アリア社長が選んだ、あの姉弟の弟が、その「一言」を言ってくれた。

「あ? なんだって?」
ローズ大佐が睨みつけた。

「い…いやだぁ」
だが弟は震えながら、小さいが、はっきりと言い返す。

「いやだ」
姉も答える。

「『 いやだっ 』」
弟と一緒に、声を合わせて言う。


「いやだ」「いや」「いやだぁ」「いやだよぉ」
そしてその声は、子供達に、まるで波紋のように広がって……


   
「「「「『 いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁあっ!! 』」」」」


会場中を震わせる、ひとつの大きな声になる。

「なん…だと……」
ローズ大佐が低くつぶやく。
それはまるで、悪霊を退治する死神の様な声だった。

「…このちびっ子ども。 我等の仲間にはならんと言うのか?」


-ぱあああああああああああああああああんっ


ローズ大佐のハリセンが、脅かすように大きな音を響かせた。

「お前たち。さあ、我々の仲間になると言うのだ!」
だが子供達の答えは、ひとつだ。


「いやぁぁぁぁぁぁぁ!」

「くっ…怪人どもぉ!」
「っしゃーあ!」
「おー! なのだぁ」

ガチャペンとムッくんが舞台前に躍り出た。

「お前等。今すぐ我々の仲間になるのだ。でないとヒドい目に会うぞ! さあ、仲間になれ!」
ガチャペンが叫ぶ。


「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
だが子供達の大きな声に、ガチャペンは、おもわずよろめいた。

「ホントにヒドい目に会うのだぁ。 あのローズ大佐は恐いのだぁ。 さあ、仲間になるのだー!」
今度はムッくんが叫ぶ。


「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
けれどムッくんもまた、その大きな声によろめいた。。


「『 お、お前達。 仲間になれぇ! 』」
ガチャペンとムッくんが短い手足を振り回しながら声を合わせる。


「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
だが、子供達の返事は変わらない。

「『 仲間になれぇ! 』」


「いややぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
アイとアリーチェも、よろめく。

「『 仲間になれぇぇ! 』」


「いややぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
社長ズ達が、よろめく。

そして-


   「『 仲間になれぇぇぇぇぇぇ!!』」

   「「「「「『 いっやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁああっ!!! 』」」」」」


ひときわ大きな子供達の声に、とうとう「クリムゾン・カンパニー」のメンバーはみな、弾かれるように吹き飛び、引っくり返ってしまった。
その瞬間-
晃は客席には見えないように小さく、右手の親指を立て、ガッツポーズを掲げた。



笑みが広がる。

舞台上の晃に。
アイやアリーチェ。 社長ズ。 裏で待機するキューティーレンジャー達。
ラーズグリーズのアイドル達。 
技術ルームの蒼羽達。 舞台監督をはじめとする、フェニーチェ劇場のスタッフ達。
そして、ガチャペンやムッくんの中の暁やウッディにも。

笑みが、広がる。



-おいっ。 ネオ・ヴェネツィアの子供達は、こんなにも真っ直ぐで、素敵だぞ。



「ええーい! うるさい! うるさい!」
ローズ大佐が立ち上がりながら、わめいた。

「頭がガンガンするわ! このクソ虫ども!!  ……いい度胸だ」
舞台の中央で仁王立ちになり、客席を睨みつける。

「我等の仲間にならんと言うのだな…ならばしょうがない。 お前達!」
「イぃぃぃぃぃぃぃぃぃー!」
「この会場の子供達を、ひとり残らず連れてこい。 秘密基地にもどって、強制的に仲間に改造してくれるわ!」
「イぃぃぃっぃいいー!」
「うっしゃーぁぁあ!」
「おー! なのだあ!」

客席から子供達の悲鳴が上がる。

-その時!

♪ ぽん・ぽん・ぽん・ぽんぽ・ぽ・ぽーん……


ギターの音が鳴り響いた。




                            -Essers Continuato つづく





-次回予告

【 終演。 それは始まりの後で必ず訪れる 】

【 ウンディーネ達の願いは子供達へと連なるのか 】


【希望は『 演技 』 そのものなのか? 】


 次回 「舞台の中心でアイを叫んだウンディーネ」 次回もサービス、サービスぅ!(cv三石琴乃)




ようやく。 ようやく、キューティーズ、登場します!(鹿馬)

はっ。しまった!
作者、戦闘シーンの描写は、むちゃくちゃヘタでした!!
どうしよう…(大鹿馬)

と、ともかく。
いつまでたってもだなぁ…と、苦笑しつつ、読み続けていただければ、これに勝る幸せはありません。

それでは、しばらくの間のお付き合い。 ありがとうございました。



[6694] AQUA Aretalogy 舞台の中心でアイを叫んだウンディーネ 編 
Name: 一陣の風◆5241283a ID:8350b1a5
Date: 2011/03/06 12:51
優しげなギターの音色が、会場に響き渡る。

「な、なんだこの音は? どこから聞こえてくる? さ、探せ!」
ローズ大佐の命令に「クリムゾン・カンパニー」の全員が、おろおろと舞台上を駆け巡る。

「あっ、あそこだ!」
散々、探し回ったあげく、ガチャペンが突然、客席の後方を指差した。 照明が集中する。



「た、たったひとつの命を捨てて、生まれ変わった不思議な力。 紅い悪魔を叩いて砕く。 キューティがやらねば、誰がやる!」
赤いギターを持った、蒼いキューティが叫ぶ。


「天が呼ぶ、地が呼ぶ、アクアが呼ぶ。でっかい悪を倒せと私達を呼ぶ!」
横に並んだ、橙色のキューティが叫ぶ。


「あらあら。 音も無く忍び寄る、白い影。 この世に悪のある限り、正義の怒りが私を呼びます。 うふふ…」
白いキューティーが、天使のように微笑んだ。



「き、貴様らはいったい……」

その時早く。 かの時遅く。
そんなローズ大佐の台詞を喰うように、再び、鮮烈な音が会場中に鳴り響いた。


♪ ぱぱぱぱぁ-ぱぱあんっ… ぱらららーぁ ぱっぱっららららーぁぁぁ!


「トランペット…だと……?」
とまどう、ローズ大佐

「探せ、探せ!」
「い、イぃぃぃぃぃぃぃ!」
再び、音源を探して右往左往しだす「クリムゾン・カンパニー」の怪人達。

「あっ。 あそこなのだぁ!!」
今度はムッくんが客席の反対側を指差す。 



「波間にきらめくゴンドラの陰で、悪の笑いが木霊(こだま)する。 海から海に泣く人の、涙、背負ってアクアの始末。 
 キューティレンジャー。 お呼びとあらば、即、参上!」
白いトランペットを持った、黄色のキューティが叫ぶ。


「み、水でもかぶって折檻して、反省してからルナに代わって、おしおきよ! くう……」
なぜか顔を真っ赤に染めた、黒いキューティが叫ぶ。 


そして最後に-

「殴ってハタいて並べて揃えて蹴り飛ばしてやんよぉ……」
赤いキューティが、さらりと危ないことを叫んだ。





 「AQUA Aretalogy」舞台の中心でアイを叫んだウンディーネ 編





瞬間-
炭酸ガス(co2)が、轟音を響かせながら白い煙が噴出させ、まるで煙幕のように舞台を覆いつくす。
やがて音が止み煙が晴れるとそこには、舞台を踏みしめ、凛と立つ、六つの人影が!


「き、貴様等はいったい……」
絶句するローズ大佐を尻目に、六人は次々と名乗りを上げ始める。



「紅き薔薇は、勇気のしるし。 クイーン・レッド!」

「あ、蒼い海は、や、優しき想い。 アクア・ブルー」

「暖かな夕陽は、でっかい心。 プリンセス・オレンジぃっ」

「澄んだ黄色は。揺るがぬ意志。 バッジェーオ・イエロー!」

「…黒い大地は、染まらぬ夢……ノーム・ブラック……ぅぅ」

「舞い散る雪は、暖かな未来。 スノー・ホワイト。 うふふ…」


「アクアを守るは、天使の使命! 六人そろって!!」


-だだんっ


「「「「『 ウン(WIN)ディーネ戦隊、フレッシュ・ヴェネツィア・キューティーレンジャー!! 』」」」」



-うりゃっ!
と、蒼羽がスイッチを押し込む。 間髪いれず

-どっぱぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーん!!

ポーズを決めるキューティーズの背後に、それぞれの色の爆煙が吹き上がる。
子供達が歓声をあげた。



「あなた達の好きにはさせない! アクアは…この星の子供達は、私達が守る!」
キューティ・レッドが叫ぶ。

「おのれ…小生意気なキューティ・レンジャーめ……お前達!」
ローズ大佐が命令をくだす。

「やぁあああって、おしまい!」

「イぃぃぃぃっぃぃーーー!」
「あらほらさっさぁ!」
「おーし! なのだぁ」
クリムゾン・カンパニーの怪人達が、飛び掛って行く。

「いくわよ、みんな!」
「「「「『 はい! 』」」」」
迎え撃つ、キューティーズ。

    FIGHT!

ここに、壮絶なる死闘が開始された!




BATTLE ①
バッジェーオ・イエロー vs 戦闘員(アイ&アリーチェ)

「おどま、オりンポス山たぁい。 怒ればでっかい、噴火山たぁぁぁぁぁい!」
イエローが大地を踏みしめ、仁王立ちになりながら「見得」をきる。

「『 イィィィ! 』」
そんなイエローに飛び掛って行く、ふたりの戦闘員。
ふたりはがっしりとイエローの両腕を抱きついた。

「『イーー! イィィィ! …イ?』」
だが、押しても引いても動かない。

その細い体のどこにそんなパワーがあるのか。
必死になって力をこめる戦闘員に構いもせず、イエローは笑みを浮かべたまま、微動だにしない。
恐るべき、イエローのパワーである。

「毎日、カレーを食べてるからね。  うりゃ!」

イエローが右手を一閃する。
「イィひぃぃぃぃーーーーーーー!?」

悲鳴を上げつつ、右手に捕まっていた戦闘員(アイ)が吹き飛ぶ。
そのままセットの裏( ちゃんとマットが敷いてある。 安全第一 )に、頭から突っ込んで舞台から消えた。

「omega12 shoot down by the yellow」
MEGALITHのバッジェーオ・イエローが、小さく呟く。

「イィヒ……」
左腕に抱きついている戦闘員(アリーチェ)が息を飲む。
イエローが、なんとも言えぬ微笑を浮かべ、彼女を見下ろしていた。

「イヒヒヒヒ……ひん」
戦闘員(アリーチェ)の腰は完全に引けていた。

「おのれぇ、イエローめ…」
ローズ大佐が、忌々しげに叫ぶ。

「こうなれば精神攻撃だ。 おい、イエロー」
「ん、なんだ?」
「問題。パンはパンでも、食べれないパンってなーんだ?」
「む? パンはパンでも、食べられないパン?」

無防備に考え込むイエロー。
その隙に、押したり引いたり、小まめな攻撃を加える戦闘員(アリーチェ)
けれどやっぱり身じろぎひとつしない、バッジェーオ・イエロー。

「うん? 会場のお友達が何か言っているぞ…?」
イエローは、腰にすがる戦闘員(アリーチェ)を、ずりずりと引きずりながら、客席に近づく。

「おーい、お友達ぃ。 パンはパンでも、食べられないパンってなんだい?」
耳に手を当て、客席に訊ねるイエロー。
子供達は、いっせいに叫んだ。

「フライパァァーーーン!」

「おい、お前……」
「イひっ?」
顔を真っ赤にして自分を押している戦闘員(アリーチェ)に、イエローが低く声をかける。

「答えは、フライパン。 正解か?」 
「い、イィィィーーー」
「なるホロ…ありがとう」
「ひぇぇぇ!?」

イエローが不意に戦闘員(アリーチェ)を両手でかかえると、頭上に持ち上げ、ぐるぐると回転し始めた。

「イエロー・ジャイアント・スイィィィンーグ!」
「め、目が回るぅぅぅ。 あ、茜さぁぁぁぁん!」
「私は、バッジェーオだあああ!」
「ひぃぃぃいひぃいいぃぃぃぃ!!」

そのまま、セット裏に戦闘員(アリーチェ)を放り込む。
戦闘員(アリーチェ) - しつこいわぁ! -は悲鳴ととともに、消え去った。

「ふはははは。俺の強さにお前も泣いたぁぁっ。 涙はオールでぬぐっとけ! お友達、ありがとー!」 

同じように目を回し、客席とは逆の、誰もいない壁に向かって、偉そうに叫ぶ愚か者 -バッジェーオ・イエローであった。




BATTLE ②
ノーム・ブラック vs 戦闘員(社長ズ+ヒメ)

-ざわ、ざわ、ざわ………

客席がざわめく。
誰もが、ノーム・ブラックを見つめていた。

きれい。
かわいい。
素敵。
お姉さま…
妹よぉぉぉっ。
嫁ぇぇぇ!

さまざまな呟きが聞こえてくる。
そして誰もが思うひとつの疑問。

-誰?

誰もがこの見知らぬ黒いウンディーネの正体に、首をひねっていた。

「アルくん、アルくん」
藍華がブラックをつっつく。

「あ、え、な、なに、藍華」
「なに-じゃないわよ。 なに、固まってるの?」
「あ…いや、その…みんなの視線が……」
アルはスカートの裾を両手で押さえながら、もじもじと身をよじる。 頬が桜色に染まる。
再び -ほうぅぅ…と客席から、タメ息が漏れた。

「だあああっ。 もう、なにやってんのよ。 さっさと戦ってきなさい!」
ゲシゲシ。 と-レッドの蹴りが、ブラックのお尻に炸裂する。
蹴られたブラックは「きゃぁ」と一声、かわいい悲鳴を上げて舞台の前面によろめき出ると、腰が抜けたように座り込んだ。
その声と仕草に、またまた、客席がざわめいた。


「サぁ、おまえタチィィィ。 このホシのミライは、ゼッタイに、わたサないゾォォォ」
座ったまま「クリムゾン・カンパニー」に叫ぶ、キューティー・ブラック。

「どんだけ棒読みやねん!」


蒼羽が呟く。

「それにしても、アルさん……」
アトラも呟く。

「ホント、かわいい…許せんっ」
ひとり闘志を燃やす、アトラであった。



「なんだその無駄な可愛らしさわぁ!!」
ローズ大佐も吼えた。

「お前は一生、藍華の尻に引かれてろっ。 戦闘員ども、成敗!!」

「「「『 にゃほイぷイイイまぁぁぁ 』」」」

とてとてとて-と、飛び掛って行く戦闘員たち(社長ズ+ヒメ)
その激闘の果てには!

…結果、不戦勝。

いや、戦いにすらならなかった。
ノーム・ブラックと対峙した途端、まぁはブラックの両手の上で踊り始め、ヒメは肩に乗ると、甘えて頬擦りをし始め、
アリアは「ぷいにゅん」と、女の子座りするブラックの膝元で嬉しそうに、じゃれ付き始める。

アクィラにいたっては、まったく関係なく、再び客席のアドルフの頭の上で「にゃふぅぅぅ」と気持ちよさげにタレだす始末。

「お前等…」
ローズ大佐が頭を抱えー

「まぁ、猫ですからねぇ……」
ブラックが困ったように微笑んだ。
そんな猫達に囲まれ、穏やかな笑顔を浮かべるブラックの姿に、客席からまた、大きなタメ息がもれたことは記すまでもない……

 



BATTLE ③
ガチャペン VS アクア・ブルー

「ガチャペン・ビーム!」
ガチャペンの目から、怪光線が放たれる。
いくつものライトが色とりどりに変化しながら迫る。

-ずばばばばばあーん!

と 爆煙があがる。
だが、アクア・ブルーは素早く身をかわし、その攻撃を回避した。


「次は私の番です」
沈着冷静に、ブルーが叫ぶ。

「おお、来やがれ、もみ子ぉぉぉ!」
「もみ子じゃ、ありませんよぉ…アタック!」
ブルーのキック攻撃が炸裂する。

「えい! 中段、中段、下段!」
「ふははははぁ。そんな攻撃など当たるものかぁ! それ反撃だぁ!」

ブルーの攻撃をさばきながら、ガチャペンのキックも繰り出される。 だが-
ガチャペンのその短い足が、ブルーに届くはずもなく、ただバタバタと、可愛くもがいているようにしか見えない。
爆笑が起きる。

「えいっ! 下段、下段、中段! まわし蹴り!」
攻撃を続ける、ブルー。


-くっふふふ。 もみ子よぉ。 やるじゃないか…

暁はガチャペンの中でほくそ笑む。

-ふたりで夜遅くまで、何度も練習したかいがあるってモンだ…

この立ち回りの練習のために、暁と灯里は、何度もふたりっきりで練習したのだ。
そう。 ふたりっきりで。 何度も何度も…遅くまで…手取り足取り………にやりぃ。

ぬいぐるみの中を良いことに、暁が無防備に、ニヤける。
それが油断につながった。

「アクア・ブルーフラッシュ!!」
ブルーの必殺技が炸裂する。

それは、ハイキックから踵落としへと変化する連続技。

本来ならそれを、ガチャペンは肩で受けるダンドリだった。 だがー
「ぐっばぁぁぁぁあぁ!」

だが、なぜか不意に動きを止めたガチャペンは、それをまともに顔面で受けてしまう。


なぜって?
それはね……

ガチャペン…いや、暁は見てしまったのだ。
自分の真正面で振り上げられた、灯里の足。 スカートを捲り上げながら振り上げらた、灯里の足。
いかにスパッツを履いているとはいえ、その瞬間-
おへそから腰にかけての「S」字ライン。 ウンディーネとして鍛え上げられた、健康的な太腿。 白い肌。

足の付け根まで、丸見え、モロ見え、全部見え。  だった。 視線は釘付け……

「はうわぁっっ」
故に、暁は硬直したまま、顔面に直撃を喰らうハメになる。

-みしりっ  と、嫌な音がした。


「ぐっはぁぁぁぁあぁ!」
「わっ。 暁さん、大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫だ、もみ子よ。 こ、これくらい人造人間たる俺様は……」
「はひっ。 何言ってるんですか? 混乱してますよぉ」
「はっはっはぁ。 もみ子とアクアの平和は、この俺様が守ってや……はうっ」

突然、ガチャペンは、ふらふらと足をもつれさせると、そのまま舞台から客席へと、転げ落ちてしまった。


地獄が出現する。


客席へと転げ落ちたガチャペンに、子供達が殺到する。
例の姉弟も、まっさきに駆けつける。

-ドガスベキポキガスドスバスっ

正義を愛するネオ・ヴェネツィアの子供達が、悪の怪人を寄ってたかってタコ殴りし始める。

「うんぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁっぁあっぁぁっぁぁぁxっぁっぁあ!」

ガチャペンがまるで断末魔のような叫び声を上げて悶絶した。

「だ、大丈夫ですか? 暁さん」
あわてて子供達のサンドバック状態に陥ったガチャペンを助けに入るアクア・ブルー。 
けれど、子供達の攻撃は収まらない。



「うわぁ。どうします?」
杏が蒼羽に問う。

「ううーん? なんもせん」
けれど蒼羽は冷たく答えた。

「殴られてんのは、ヘタレだし、それに灯里ちゃんなら、なんとかするだろぉ」
「まぁ、それもそうですね…」
問いかけた杏も、また気楽に返事を返す。 やっぱり冷た!!
けれど誰もが、結構、気楽に構えていた。
なぜなら…… 



「み、みんな、ダメだよう!」
ブルーが、ガチャペンと子供達の間に強引に割り込みながら叫んだ。

「いぢめちゃ、だめ!」
「キューティレンジャーは、悪者の味方なの?」
姉が訊ねる。
「なのぉ?」
弟が続く。

「そ、そんなぁ。 私は、お友達の味方だよ」
あわてて答える、アクア・ブルー。

「じゃあ、どうして悪者を助けるの?」
「のぉ?」
「悪者は、やっつけないと!」
「ないとぉ!」

「そうじゃない。 そうじゃないよぉ」

ひくひくと痙攣するガチャペンを、ブルーは抱き寄せながら言った。


「どんなに悪い人でも、このアクアに生きる、すべての命は、みんな仲間なんだよぉ。
 このネオ・ヴェネツィアに生きとし生ける、すべての命は、みんな仲間なんだよぉ。
 だから、みんな仲良くなれる。 
 だから、きっと、素敵な笑顔で、みんな、お友達になれる。
 だから、きっと、素敵で楽しい、そんなお友達に、絶対になれる。
 だから…だから……」

ブルーは泣きながら子供たちに叫んだ。

「だから、どんな悪い人でも、いぢめちゃダメ!!」

涙を浮かべながら、ガチャペンを背中から抱きしめる、アクア・ブルー。
その髪にそっと、触れるものがあった。

ガチャペンだ。
抱きしめられたガチャペンが、ブルーの髪(もみあげ)に、そっとその手を触れたのだ。

「ガチャペンさん……」
「アクア・ブルー…ありがとな……」
「はひ…」

はわはわと、涙を流しながらガチャペンを強く抱きしめる、アクア・ブルー。
その髪を、いたわるように…感謝するように、優しくさする、ガチャペン。



「恥ずかしいセリぐばぁぁぁっ!!」
KY発言しかける夫に裏拳をかましながら、あの姉弟の母親が呟いた。
 
「綺麗な光景ね…嫌いじゃないわ……」

夫は鼻を押さえながら、壊れた人形のように何度もうなずいた。



「ごめんなさい」
姉が謝った。
「ごめんなしゃい」
弟も謝る。
他の子供達も、口々に謝り始める。

「うん。 みんな、ありがとう」
そんな素直な子供達に、涙を浮かべたまま、にっこりと微笑む、アクア・ブルー。
その笑顔に、会場から、大きな拍手が送られる。

誰もが胸に『 暖かな何か 』を抱いていた。




「なるほど…灯里先輩。 でっかい分かりました」




BATTLE ④
ムッくん vs プリンセス・オレンジ

「えいっ。 百花繚乱全部刀・ルーミスの舞!」
オレンジ色のオールを振り回しながら、華麗にムッくんに切りかかる、プリンセス・オレンジ。

「ムッくん・ハリケーン!」
その攻撃を、ムッくんは頭の上のプロペラから発する強風(N1K1)で迎え撃つ。

「あああ~ぁ。 でっかいやられましたぁぁぁ」
不意に、プリンセス・オレンジがヨロヨロとよろめきながら、ムッくんに倒れかかる。

「おわ? だ、大丈夫なのかぁ?」
とっさに抱きとめるムッくん。

「…………」
「プリンセス・オレンジ?」
「ふ……」
「ふ?」

「ふかふか、もふもふぅぅぅ」
すりすり-と顔を埋め抱きつくオレンジ。

「ああ~ぁ。 やられてしまいましたぁ。 でも私は、戦い続けますぅ。 えい、プリンセス・ちょっぷ、ちょっぷっ」

ぽこぽこ-と、抱きついたまま、ムッくんを攻撃する、プリンス・オレンジ。

「ああ~ぁ。 なんと強い敵でしょう。 でも私は、でっかい諦めませんんん。 えい、プリンセス・パンチ、パンチっ」

やっぱり抱きついたまま、パンチを繰り出す、プリンセス・オレンジ。


「ちょ…プリンセス・オレンジ?」
ムッくんが困ったように声を上げた。

「いったい何をやっているのだぁ? だ、台本には、こんなコト書いてないのだ」
「大丈夫です」
「へ?」

プリンセス・オレンジは、いっそう強くムッくんを抱きしめながら言った。

「アクア・ブルーの言う通り、私達は、でっかい素敵なお友達になれます」
「へっ? そ、そうなのかぁ?」
「はい。 ですから…」
「ですから?」
「しばらくこうして、もふもふしているのです。 もふもふ…」

「プリンセス・オレンジ…」
「いや……」
「え?」
「いやです。 お友達なんですから、ちゃんとアリスって呼んでください」

「あ、あのプリンス・オレンジ…こんな所で……」
「ア・リ・ス!」
「いや、あの…」
「ア・リ・スぅぅ!」
「あ、アリス…ちゃん」
「えへへへぇ…ムッくん♪ でっかい、やられちゃいましたぁ~~~きゅううううう☆」

抱きしめながら、いつまでも、すりすり・もふもふを繰り返す、プリンセス・オレンジ。
ムッくんは困ったように、ただ頭をかいていた。



「いいなぁ…私も……」
杏がぽつりと言った。

「えっ。 なんだって?」
「杏? あなた、もしかして……」
蒼羽とアトラが驚いたように訊ねる。

とうとう、杏にも春が来たのか?

「私も、もふもふ、したーい!」
「 『 そっちかぁぁぁぁぁぁああ!! 』 」
蒼羽とアトラのラリアットが、杏の後頭部に同時に炸裂した。



「なにやっとんじゃぁぁぁ!」
ローズ大佐のハリセンが、オレンジに炸裂する。

「危ないのだ!」
とっさに、ムッくんがかばった。

-ずばばばばっばあああーんっ。 
 ほっわぁぁぁぁあぁぁぁぁぁ!!

ぶっ飛ぶ、ムッくん。

「ムッくんっ。 ムッくん!」
オレンジがあわてて駆け寄る。

「あ、アリスちゃん……」
「いやぁぁぁっ ムッくん死なないでぇぇ!」
「いや、普通、こんなことでは死なないのだぁ」
「うわあああん。 ムッくん、ムッくんんん!」

倒れるムッくんにすがりつきながら、やっぱり、もふもふを繰り返す、オレンジ。

「残念だったなぁ…話し相手がいなくなって……」
そんなオレンジに、妖艶な笑みを浮かべたローズ大佐が迫る。

「だが悲しむことはない。 すぐにお前もコイツの元へ送ってやる。 すわっ!」

再び振り下ろされる、ローズ大佐のハリセン。
誰もが-これまで! と、瞼を閉じ下を向く。  だが-

-がきーんんん!

と、なぜか金属的な音が会場中に鳴り響く。

-?
と、みんなが恐る恐る顔を上げれば…

「やらせません…」
そこには、真っ赤なオールで、ハリセンを受け止め、燃えるような瞳でローズ大佐を睨みつける、クイーン・レッドの姿が!

「貴様ぁ……」
ローズ大佐が唇を歪める。
そんな彼女に臆することなく、レッドは言い放った。

「さぁ、キューティーを、始めるっちゃ……」




BATTLE ⑤
ローズ大佐 vs クイーン・レッド

「いきますっ。 晃さ…違った、ローズ大佐! 必殺・日輪背負い切り!!」
「こい! 藍華…じゃない。 クイーン・レッド! 分裂・熱風千本切り!!」
ハリセンを投げ捨て、腰から大太刀を引き抜く、ローズ大佐。
ふたりの大殺陣が展開する。

-がきゅーん
 がきぃぃぃぃん
 ぎゅぎゅぎゅぎゅぎゅ
 ちゅぃぃぃぃん

ふたりが切り結ぶ音が、会場内に響き渡る。
実はコレ。
技術ルームの蒼羽が、晃と藍華の動きを見つつ、手元のシンセサイザーで音を当てているのだ。
全体の動きを把握しつつ、舞台の動きに合わせて音や照明のキッカケ出し。
爆発や特効のタイミング。
そしてこの効果音-と、蒼羽はなかなかに忙しい。


「くっ…なかなかやるな、クイーン・レッド」
「あなたもね…ローズ大佐……」
お互いを見合い、不敵な笑みを浮かべるふたり。

「だが…これで終わりだ!!」


-せぇぇのぉぉぉぉっ!


ローズ大佐の体が、ふわりと浮いた。
場内から、どよめきが起きる。

「ふははははははっ」
ローズ大佐が宙を舞う。
舞台上のみならず、観客の頭上にまで飛び回る。

ワイヤーワーク。
それはたった1本のワイヤーに身を任せ、空を飛ぶとゆう豪快な演出。
裏で、フェニーチェ劇場のスタッフ達が、力任せにワイヤーを引っ張る-とゆう、実はなかなかにマニュファクチャア的な手作業だったりするのだが……
けれどそれだけに、演者と裏方の息が合っていないと、大きな事故を引き起こす。
また、それだけ演者に対して高い技量を要求する、見た目よりずっとハードな技術なのだ。

「喰らえ。 カオスティック・クリムゾン・バァーニング!!」
空中で静止したローズ大佐から雷光が放たれる。




「アトラ、Go! 続いて、杏、私と一緒に……スタンバイ・Go!」


照明( アトラ )がローズ大佐の元から、不気味な色の光球をレッドに向けて振り向ける。
弾着!
音響( 杏 )が耳を聾する爆音を上げる。
と、同時に特効( 蒼羽 )がマグネシウムの爆弾を破裂させる。




「きゃああああああっ」
爆煙がクイーン・レッドを包み込む。

「レッド!!」
他のキューティーズが駆け寄る。
だが-

「それ、おしおきだぁ! カオスティック・クリムゾン・バァーニング!」
「きゃあ」
「うわあ」
「あれぇ」
「にゃあ」
「あらあらぁ」

再び巻き起こる轟音と爆裂がキューティーズを覆い隠す。
煙が晴れた後、そこには無残に倒れ伏す、彼女達の姿が………

「ふはははははぁ。 見たか、我の力を! さあ、とどめをさしてやろう……」
空中に浮かんだまま、ローズ大佐が笑う。
客席から悲鳴が上がる。

その時、早く。 かの時、遅くぅぅ-



「お友達ぃ、たいへんだぁぁ!」
マエセツのふたりのMC(司会者)が舞台に飛び出してくる。

「みんな、キューティーズが大ピンチよ!」
アテナが叫ぶ。
「みんなで、キューティーズを応援しよう!」
あゆみも叫ぶ。

「さん、はい。 がんばれー!」

   「「『 がんばれぇぇぇ!』」」
躊躇なく、子供達が叫ぶ。


「もう一回! がんばれー!!」

  「「『 がんばれぇぇぇぇ! 』」」

「最後に今日一番の大きな声でぇっ。 せぇーのぉ!」

  「「『 がんばれぇぇぇぇぇぇ!! 』」」



その声は会場中に満ち溢れ、ついにっ



「…くっ」
ゆっくりと、レッドが立ち上がる。
歓声が上がる。

「みんな…私たちはまだ、倒れるわけにはいかないわ……」
そんなレッドの台詞に、他のキューティ達も、ゆっくりと起き上がり始める。

「こんなにも私達を応援してくれる、お友達がいる……」
再びオールを構え、ローズ大佐にファイティング・ポーズをとる、クイーン・レッド。

「私達には絶対にあきらめない! だって…」
会場を見回す。


「だって、こんなにも素敵な、お友達がいるんだもの!!」


「はひっ」
「でっかい、おー!」
「はい」
「任せておけぇ!」
「うふふふ…」
他のキューティー達も立ち上がると、改めてポーズを決める。

子供達の歓声が爆発する。


「お友達ぃ。ありがとー!」
「最後まで、アリシアちゃん…じゃなかった。 キューティーを応援してあげてねぇ~☆」

そう言って、マエセツ二人は袖に消えて行く。




頭上から、憎憎しげな声が響いた。

「おのれ…キューティレンジャーめぇ……カオスティック・クリムゾン・バァーニング!」
三度(みたび)放たれる、ローズ大佐の必殺技。
閃光。 爆煙。 轟音。

だが煙が晴れるとそこには、凛! として立つ、キューティー・レンジャーの姿が!

「くっ。 なぜだ。 なぜ倒れぬ!」
「お友達が、私達に力をくれたわ!」
レッドが叫ぶ。

「お友達ひとりひとりの声援が、私達に熱い心と、勇気をくれたの!」
「くうっ……」
「今こそ、お友達からもらった力をひとつに集めて、必ず、あなたを倒す!」
「な、なにぃ……」
「行くわよ、みんな!」

ガキガチャカキンーと、それぞれが持つ全部刀(オール)が重なりあり、巨大な複合兵器へと変化する。

「完成! スーパーハイパー・アームストロングサイクロンゴンドラジェットアームストロング・キャノン!!」
「なげぇわ! つか、完成度高いなぁ、オイ!」
「斉射三連! ファイアー!!」
叫ぶローズ大佐を無視して、スーパーハイパー・アームストロングサイクロンゴンドラジェットアームストロング・キャノンが火を吹く。
それは一直線にローズ大佐に向かって行き-

「ぐっわああああああああああああああああ!!」
爆音とともに、まるでストロボのような光が炸裂する。

-ひゅるるるっる……

と、低温花火を振りまきながら、舞台に落ちてゆくローズ大佐。

-ひゅるるるるぅ…ポテリ・ぽてこ……

舞台上に着地。
と、同時にガチャペンやムッくん、戦闘員達が、ローズ大佐を取り巻くように倒れこんだ。

「キューティー・ホワイト。 今です!」
「あらあら。 分かったわ」
レッドの声に進み出たホワイトが、手に持った白いオールを振りかざす。

「カタルシス・カンツォーネ!」


解説しよう(cv は、やっぱり富山 敬)
「カタルシス・カンツォーネ」とは、悪い心を善に改心させるとゆふ、問答無用、理屈ぬき、斟酌不要の、素敵で素晴らしき謡声のコトである。



「うわああああああああっ」
「クリムゾン・カンパニー」達が悲鳴を上げる。
舞台が光に包まれた。
アリシアの謳声( あらあらあら~♪ )とともに、
舞台奥に設置された照明が、まるで目潰しのように客席の視界を奪う。
その光は、後光のように輝いて、ホワイトをまるで「例のモノ」のように、黄金色に染め上げた。

その隙に-

ぺたぺたぺた
はがしはがしはがし
ばさばさばさ
ぬぎぬぎ ぺろん

光が収まり、客席の視野がもどると、そこには-
サングラスと「メ」を取った、ガチャペンと
「\ /」と「♯」を取った、ムッくんと
ヒキヌキ(マン・ホーム。日本州の郷土芸)で、一瞬にして普通のウンディーネや猫に早変わる、戦闘員達が…


「あれ。私達はどうしてこんなところに…」
「うん? 俺様、いったい何を……」
「はてぇ? 私は何をしていたんでしょう」
「まぁぁ」
「ぷいにゅん?」
「あなた達は、操られていたのよ」

怪訝な表情で、あたりを見回すガチャペン達に、キューティ・レッドが答えた。

「あなた達は、あのローズ大佐に操られて「クリムゾン・カンパニー」の悪企みに利用されていたの」
「そんな……」
「でももう大丈夫。 会場のお友達が、みんなを救ってくれたわ」
「そ、そうなのかっ。 お友達、ありがとう」
「おー。 お友達、とっても感謝するのだぁ」
「ありがとー!」
「まぁぁぁぁ」
「ぷいぷいにゅーんん!」

「はああああーーーーーい!」

感謝するガチャペン達に、子供達も元気良く返事を返す。

誰もがハッピーエンドを予感したその時!


「カオスティック・クリムゾン・バァーニング!!」

-ちゅどぉぉぉぉぉぉぉっぉぉおおおおんん!
 きゃぁぁぁぁぁぁぁぁああぁぁぁぁぁぁっ!

鋭い声とともに捲き起こる爆音が、再び、全員をなぎ倒した。

「ローズ大佐……」
そこにはゆっくりと身を起こす、ローズ大佐の姿がっ。

「くっくっくっ…よくもやってくれたなぁ……」
「そんなっ。ホワイトの『カタルシス・カンツォーネ』がきかないなんて……」
「あらあら……」

「とっさに、そいつらを盾にしたからなぁ…役立たずどもが、最後の最後に役立ったわ……」
「仲間を盾にするなんて……」
「ふ…卑怯も兵法。 ようは勝てばいいのだ。 勝てばな……」

憎しみの炎を上げ、ゆっくりと近づく、ローズ大佐。
だが、不意にその体がよろめいた。

「ぐう…予想以上のダメージを受けていたか……おい、キューティーレンジャー」
「あ、あによぉ…」

苦しそうに立ち上がりながらも、ファイティング・ポーズを崩さない、キューティーズ。
ガチャペンやムッくん。 アリア社長までもが、今やローズ大佐に対して、身構えていた。

「今回は見逃してやる…だが、今度会ったその時が、お前達の最後だ……」
「な、なんですって!?」

「それまで、せいぜいゴンドラ・クルーズを楽しんでおくことだ!」

-ふわり……
と、ローズ大佐の体が宙に舞う。

「忘れるな。 お前達は自らの力で勝ったのではい。 この会場の…AQUAの子供達の力で勝ったのだ! はっはっは~ぁ」 

笑い声を上げながら、天井裏に消えて行く、悪の女幹部。

「くっ…私はあの人に勝ちたい……」
万感の思いを込めて、レッドがつぶやいた。







「お友達、みんなのおかげでAQUAの平和は守られました」
クイーン・レッドが客席に向かって叫ぶ。

「みんなに、たくさんの勇気をもらいました」
アクア・ブルーが礼をする。

「みなさんに、でっかい感謝です」
プリンセス・オレンジが頭を下げる・

「みんな、ありがとう。 いつでも沢山、カレーを食べよう」
バッジェーオ・イエローが、愚かなことを言う。

「えと…みなさん、愛してます」
ノーム・ブラックの台詞に、またまた会場がどよめく。

「あらあら…みんな、ありがとうございました。 うふふ…」
最後に、スノー・ホワイトの微笑みで、会場中が癒された。


「はあーい。お友達、今日は本当に、ありがとう!」
飛び出してきた、あゆみが笑顔で言う。

「みんなのおかげで、キューティ・レンジャーは悪者を、やっつけることができましたぁ」
アテナが謳うように言う。

「最後にみんなで、大きく手を振って、お別れしましょう。 さん、はい」
「ありがとーお友達。 ありがとう、キューティーレンジャー!」
会場内に、みんなの元気な声が満ち溢れる。
みんな、一心不乱に手を振り続ける。

「ありがとう、お友達」
レッドが手を振りながら言う。

「悪者達は、いつもみんなを狙っている。 だけど心配しないで。 みんなには、そんな悪者をやっつける、強い心があるわ。
 いつまでも、その心を忘れないでね!」

「はあああああああああああああああああああああああああああいい!」


キューティーズは強く頷くと、もう一度、名乗りを上げ始める。


「紅き薔薇は、勇気のしるし。 クイーン・レッド!」
「蒼い海は、優しき想い。 アクア・ブルー」
「暖かな夕陽は、でっかい心。 プリンセス・オレンジぃっ」
「澄んだ黄色は。揺るがぬ意志。 バッジェーオ・イエロー!」
「く、黒い大地は、染まらぬ夢。 ノーム・ブラック!」
「舞い散る雪は、暖かな未来。 スノー・ホワイト。 うふふ…」


「アクアを守るは、天使の使命! 六人そろって!!」


「「「「『 ウン(WIN)ディーネ戦隊、フレッシュ・ヴェネツィア・キューティーレンジャー!! 』」」」」




「蒼羽さん、今です。 そのSPと描かれたスイッチを!」
灯梨が叫ぶ。

「お、おお!?」
とまどいながらも、躊躇なく、SPスイッチを押す、蒼羽。  とたん-



-ちゅどぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおむぅぅ!!!



このお芝居中、最大の爆発と爆音と爆風が舞台を駆け抜け、舞台上のキューティーズ達はおろか、客席最前列にいた、アドルフ達をも吹き飛ばした。

「ありぃ…火薬の量、サービスし過ぎたかな? かな?」

-てへりっ
と、頭をかく灯梨に、舞台監督のパチキが炸裂したことは、言うまでもなかった。



「アイちゃん…」
藍華が倒れたまま、声を絞り出す。
「アイさん…」
そんな藍華を、かばうように抱きしめながら、アルも声を上げる。

ただひとり。
そんな大惨事の中で舞台に立ち続け、正気を保っている少女。 アイ。
たまたま偶然、アリシアの前にいて、爆発から逃れたのだ。 
爆風がひとりでに避けたかのように、アリシア自身は押し倒されることはなかったものの、そのあまりな轟音を受け、さすがに目を回していた。

けれどアイだけは、そんなアリシアに守られたかのように、倒れることも、目を回すこともなく、ただひとり、舞台の上に立っていた。

「アイくん。 し、締めの台詞を……」
茜がやっぱり、明後日の方向をみながら言う。

「アイちゃん。 お願い」
ガチャペンを下にひきながら、灯里が願う。

「アイちゃん。 さ、最後の決めを…」
やっぱり、ムッくんの上に乗りながら、アリスがつぶやく。

「アイ先輩」「アイくん」「アイさん」「アイちゃん」「アイアイ」「アイ!」「ぷいいにゅん!」



舞台の中心のアイを叫ぶ、ウンディーネ達。 




それは、技術室の蒼羽達や、灯梨達。
舞台裏のアイドル達や、スタッフ達にも広がって……


アイは、意を決したように、力強く頷くと、右手を上げ、元気よく叫んだ。



「イィィィぃぃっーーーーーーーーーーーーーーーーー!!」






「だめだ、こりゃ……」
全員の呟きと、会場の爆笑と共に、ショーの幕は閉じていった。




                                        -Essers Continuato (つづく)







-次回予告

【変わってゆくから大切なもの。 変わらないから大切なもの】

【今日も素敵な一日でした】

【未来はいつも、ちょっぴり不安顔です。 だから笑顔で会いに行きましょう】

【移りゆく日々。 いとおしい時間。 それぞれの未来。 そして私は歩きだす】



 「 最終回 その新しいステージに… 」


【さあ、素敵なお手と時間を、ご一緒に、どうぞしましょう】 (cv葉月絵里乃)










「Arcadiaよ。 これがSS小説だ!」(by中○貴一)

嘘です。嘘です。
ごめんなさい。ごめんなさい……(涙)

好き勝手やりました。
ひとりで笑い出すほど、暴走しました。 うへへへへぇ。

少し反省しています(少しかよ!)
でも、いろいろありましたが、書いてて楽しかったです(自己中鹿馬)

んで、やっぱり戦闘シーンはアカンと分かりました。
ごめんなさい。

こんなお話ですが、みな様がネタに気づき、一瞬でもクスリ-としていただければ、これに勝る幸せはありません。

次回、ようやく最終回です。
もう少し、許し続けていただけるなら至福です。


それでは、しばらくの間のお付き合い、ありがとうございました。



[6694] AQUA Aretalogy  その新しいステージに…編
Name: 一陣の風◆5241283a ID:8350b1a5
Date: 2011/03/06 12:53
「お前等、みんなクビだぁぁ!!」
ヒステリッックな金切り声が響き渡った。



     「 AQUA Aretalogy 」 【最終回】 その新しいステージに… 編




「いったい何を考えているんだ。
 いったい何を勝手に動いてるんだ。
 
 お前達は、僕の作品なんだ。
 お前達は、僕の駒なんだぞ。 
 
 お前達は、僕の言う通りに動いていれば、いいんだ!
 お前等は、僕の言う通りに、歌って踊っていれば、いいんだ。
 
 お前達は僕の演出で輝くんだ。
 お前達は僕の演出でだけ輝くことができるんだ

 みんな、僕のおかげなんだ。
 みんな、僕の力なんだ。

 いいかっ。 主役はお前等じゃない。
 
 僕だ!
 僕なんだ!
 僕の演出こそが主役なんだ。

 僕こそが主役だ。
 僕を立てろ!
 僕をひき立てろ!
 僕より目立つな!
 僕を目立たせろ!
 僕より前に出るんじぇねぇぇぇ!!」


プロデューサーと呼ばれる男は、一気にそう捲くし立てると、激しく肩を上下に震わせた。


「とにかく、僕の顔に泥を塗ったお前達を許すほど、僕は甘くないぞ。
 お前等、みんなクビだっ。
 つか、この世界にいられなくしてやる。
 お前等は、今日で終わりだ! 終わりにしてやる!

 そこで自分達のしでかしたことを、じっくり後悔していろ!」

言うだけ言うと、プロデューサーは足音も荒く、楽屋を出て行った。




「すまなかった……」
残されたアイドル達に、晃がローズ大佐の衣装のまま頭を下げた。

「私がお前達を無理に舞台に出さなければ、こんなことにはならなかった……
 謝って許してもらえるとは思わないが……すまなかった」

深々と頭を下げる、晃。

「いえ、晃さん。頭を上げてください」
「アズサくん…」
「実は私達、もう限界だったんです」
「限界?」
「はい。あの人の強引な演出や、私達の個性を無視したやり方に、私達の誰もが、もう限界を感じていました…」

「それにアイツってば、アズサ姉にちょっかいだそうとしてたしぃ」
「うん。 それってば、ロコツなセクハラって言うんだよぉねぇ」
同じ顔をした少女がふたり、息もぴったりに言う。

「『 サイテェーだね! 』」

「アミ、マミ……」

「だから私達みんな、ホントはあの人から離れたかったんだよぉ」
「その通りぃ! んっふっふ~ん。 なんかこれで、逆に清清したよねぇ」

そんな双子の笑顔に、他のアイドル達も同じように微笑を浮かべる。


「だから晃さん。 どうか気にしないでください。
 それに私達自身、この舞台に出れて、とても楽しかったんですから……」
「…ありがとう。
 どうだ。もし、お前達の誰かひとりでも、ウンディーネに興味があるのなら、必ず姫屋に入れるように、私がこの身にかけて、会社と交渉させてもらうが…」
「ありがとうございます」
アズサも、深々と礼をする。 しかし-

「でも、その申し出も辞退させていただきます」
「…やっぱり」
「はい」

アズサは微笑みながら言った。

「私達は、もちろんアイドルに興味はありますが、なによりも、舞台で歌うことが大好きなんです。
 ですから、決して舞台から離れたくありません。  それに…」
「それに?」
「それに私達はいつまでもこの13人でいたいんです」
「みんな一緒に?」
「はい」
アズサはきっぱりと言い切った。

「私達は13人でひとつの、ラーズグリーズなんです」

アズサのその顔は、いつもの「おっとり」とした、どこか危うげなモノを感じさせる表情ではなかった。 
彼女達のリーダーとして
仲間…いや、愛する妹達を、どんなことをしてでも守ろうとする、強固で凛とした、姉の顔だった。

「アズサ姉……」
アミとマミが声を震わせた。
他のアイドル達も、そんなアズサに感謝のまなざしを送る。
アズサは照れながら、けれど、しっかりと頷いた。


「それについちゃ、ちょいと話があるんだが……」

野太い声が割り込んできた。





「市長。どうもすいません」
プロデューサーが媚を売るように言う。

「いや、ホント。素人共が勝手に舞台を進めてしまって……僕…
 私がもっとちゃんと、舞台を管理できていれば、こんなことにはならなかったんですがねぇ」
揉み手をせんばかりの勢いで、プロデューサーは甘い声を出す。

「今度は私が壱からちゃんと演出して、誰にも横ヤリをいれられないようにしますから……
 そうそう。 どうです、これからちょっと一席。 なんなら、あのアイドル達も同席させますよ」
満面の笑顔で、そう言う。
先程、そのアイドル達に解雇通告したことは、もうAQUAの空の彼方らしい。
露骨な営業だった。

そこにゆっくりと近寄る、ふたつの人影。

「いやあ、市長さん。 楽しい時間をありがとうございました」
「うむ。久しぶりに、良き時間を過ごせたのである」
ネオ・ヴェネツィア運行局・副局長と、なぜか頭の上に子猫をタレさせた、運行局々長だった。

「こ、これは、アントノフさんにアドルフさん。 お疲れさまでした」
プロデューサーの標的が変わる。

「いやあ、特にアドルフ局長は、ご苦労様でした」
なにしろ、運行局々長といえば、市長よりも権力は上なのだから。

「あんな素人どものお芝居に付き合うなんて、なんてお心が広いんでしょうか。 それをあいつ等ときたら、どれだけ分かっているのやら…」
にやけた追従の笑みを浮かべるプロデューサー。
その笑みが、アントノフの一言で凍りつく。

「その素人のひとりが、私の娘なんですわぁ」

「……はい? 今、なんと?」
「いやぁ。あの素人芝居に、私の愛娘が出演してましてねぇ……」 

満面の笑顔。
その笑顔が幾百の言葉より、アントノフの心情を物語っていた。
いつかの時のように、汗が濁流となってプロデューサーの頬を伝う

「おかげで、ずいぶんと楽しめました。 いやいや、親バカとお笑いください。 わははははは」

「いや…そんなバカな……」
「そう言えば……」
固まるプロデューサーに追い討ちをかけるように、アドルフが言う。

「この素晴らしい舞台に、どこからか圧力がかかったとゆう噂を聞いたのであるが…市長は何か、ご存知であるかな?」
問われた市長は、ぶんぶんと首を振る。
視線をやれば、他の職員達も連鎖的に首を降り始める。

「そうであろうなぁ」
アドルフは、あくまで無表情だった。

「これほどネオ・ヴェネツィアの子供達が喜ぶショーを妨害するような、たちの悪い企てに、市長殿や他の職員の方々が関わってるハズはないのある」

今度は縦に、ぶんぶんと首を振る、市長一同。
それはまるで、出来の悪い喜劇を見ているようだった。

「し、市長……」
悲惨なのはプロデューサーだ。
二階に上がって、梯子を外されてしまったのだから。


絶句するプロデューサーに、アドルフが決定的な一言を告げた。


「で、君には何も聞こえないのであるか?」





「たまにゃ近道してみるのも悪くないぜ」

いかつい顔をほころばせながら、舞台監督がラーズグリーズに言った。

「…どうゆう意味ですか?」
「実は俺の古くからの知り合いで、T木ってゆう、とある芸能社の社長がいるんだが、そいつがあんたらの舞台を見て気にいっちまってな。
 そうゆう理由なら、あんた達を丸ごと面倒みたいって、言ってるんだ」

「私達を…全員をですか?」

「ああ。 もっとも、そいつのトコも小さな会社だからな、必ずしも全員がアイドルになれるって保障はないんだが。
 だが、そいつは誠実な奴だ。 決して、あんた等を道具としてだけは見ない。
 それだけは、俺が保障する」
「…………」


アズサは迷う。

はたして、この申し出を受けるべきなのか。
この申し出を受けて、いいものなのか。
それが私の…いえ、この子達の幸せにつながるのか。
大切な妹達にとって、未来へとつながるのか。

「どうってことないじゃん!」
「そうだよ、アズサ姉ぇ!」
双子の姉妹が、アズサの両腕にしがみつきながら言った。


「『 私達、どんなことがあっても、ずっと一緒だよ! 』」

「アミ、マミ……」
アズサは見回す。
自分を囲む、妹達を見回す。
誰もがしっかりとアズサを見返し、力強くうなずく。

「…みんな、ありがとう」
アズサは軋るような声で答えた。

「舞台監督さん…」
「おうよ」
アズサは深々と頭を下げながら言った。

「そのお話し、ありがたくお受けします」


ラーズグリーズの仲間達が、ものも言わずにアズサにしがみつく。
そんな妹達を、アズサもしっかりと抱きしめて……

やがて小さな嗚咽が聞こえてくる。
ラーズグリーズの全員が、肩を震わせ、声を殺して泣いていた。

その様子にウンディーネ達も、灯梨をはじめとする、フェニーチェ劇場のスタッフ達も、みんなもらい泣きしはじめ……


「おい、こんな湿っぽいのは願い下げだ」
再び、頑固者の野太い声が響きわたる。

「それよりおめぇら、あの声が聞こえネェのか?」

耳をすませるまでもない。
まるで地鳴りのように、アンコールを求める声が、休むことも止むこともなく、ずっと響きわたっていた。


「さあ、アンコールだ。今日最高の元気と笑顔で行って来い!」
「アズサ姉ぇ」
アミが叫ぶ。

「アズサ姉ちゃん!」
マミが叫ぶ。

「アズサさん」「アズサ様」「アズサ姉」「アズサさん」「アズサさんっ」「アズサさん!」
口々にその名を呼ぶ、ラーズグリーズの妹達。

「みんな……」

アズサはゆっくりと顔を上げると、泣きながら、けれどはっきりと、力強く言い切った。



「さぁ、また、始めよう☆」


  
♪♪♪



-♪ 自由な色で描いてみよう! 必ず見える。 新しい世界!

爆発的な音楽が響き渡る。
音ととも飛び出してきたラーズグリーズとキューティーズが、仲良く、元気よく、謳い踊り始める。


-♪ 知らず-
   誰かに甘え、人を傷付け、逃げ場所、作ってた。
   だけど。
   今日これからは、止まってられない、明日に猛ダッシュ!

   スピード上げて、時代を超えよう!
   素適な未来。
   きっと待っている!

   希望の声が聞こえてくるよ
   ゴールは近い。
   あと少し、走ろう!!



突然、客席の上から、色とりどりの風船が舞い落ちて来た。
歓声が上がる。

その歓声と風船の間を縫う様に、再びローズ大佐が舞い降り、舞台に着地する。
瞬時、にらみ合う、キューティーズとローズ大佐。

だが次の瞬間-
権力の象徴であるハリセンを投げ捨て、大太刀も捨て、満面の笑顔でキューティーズ達と抱き合い、笑いあう、ローズ大佐。
それは、どんな悪い人とでも、最後には笑って分かり合える-とゆう、このお芝居のメッセージが込められていた。


-♪ あざやかな色、見てるだけで、心の底から楽しくなる!!


BOOOM!
「銀弾」-と呼ばれる、まるでチェフ(囮の物体)のような銀色の帯が、いっせいに打ち上げられる。
それは照明により、いろいろな色に光り輝きながら、客席を染めていき……

 

-♪ ホワイト。 イエロー。 ブルーにレッド。 
   ノーマルグリーン。ライトブルー。
   綺麗。

   フレッシュ・グリーン。 オレンジ。 ピンク。 パープル。 ブラック。
   みんな綺麗だね。


それぞれに、それぞれの「色」を身に纏うウンディーネ達が、その「色」を受けとめる。
それぞれが、それぞれの「色」に染まる。


-♪ とても綺麗だね……


誇らしく、その「色」を受けとめる。





-天使に歓迎されたのであるか?

「バカなっ。 バカなっ。そんなバカなぁっ!」
プロデューサーが、そんな舞台を見て叫ぶ。

「舞台は選ばれた者だけが輝けるんだ。素人ごときが…僕の演出が、あんな素人どもに負けるはずがない!
 こんな…こんなバカな話があるか! ここは僕のものなんだ。 僕が輝く場所なんだ。 
 すべての栄光は、僕のためだけにあるんだっっ」

「貴君を見ていると、まるで昔の自分を見ているようであるなぁ……」
「なにぃ!?」
激高するプロデューサーに、しかしアドルフは静かに、諭すように言う。

「まだ分からんのであるか? 彼女達は自分達のためでも ましてや貴君のために踊っているわけではないのである。
 子供達の…この会場にいる、すべての人達のために踊っているのである。
 だから、輝いているのである」

「そ、そんな…すべての輝きは、この僕のために……」

惚けたようにつぶやくプロデューサーに、アドルフはきっぱりと言い切った。



「輝いているらが素晴らしいのではない。

     素晴らしいから輝いているのである!」



「にゃふぅぅ」
頭の上で、アクィラが嬉しそうに一声鳴いた。

歓声と笑顔があふれる舞台。
人々の幸せがあふれる舞台。

その光景に背を向け、プロデューサーは、がっくりと肩を落とすと、よろめくように外へと出て行く。
その背中をアドルフは、憐憫の情でもって見送った。






歌があふれる。
誰もが楽しげに謳い、手を振り、踊っている。

 会場中に歓声が満ちる
 会場中に笑顔が満ちる。
 会場中に幸せが満ちる。

 光、輝く。

舞台のウンディーネ達も、アイドル達も、舞台裏のスタッフ達も、そして客席の観客達も-


           
そのすべての背中で、白い羽が、はばたいてた。





                     


      
 「 AQUA Aretalogy -アクア・英雄伝説- 【 最終回 その新しいステージに… 】」  
                     

                           - La'fine













おまけdeアリアぁ その①

「どうでしたか? 楽しんでもらえましたか?
 


 ああ。それなら良かった。 ふふふ。

 え? ウチ? ウチはもちろん楽しかったですよ。 
 え? ええ、そりゃまぁ、恥ずかしくなかったか-と言われれば、もう二度とやりたくはありません。
 いや、マジで。 えへへ。

 あははは。 確かに、まさかウチがマエセツを任されるとは……え? 上手かった-ですか? 
 ありがとう テレテレ。
 
 でも、そうゆうあなたも、あの時、とっさにウチやアテナさんを抱きとめてくれて、感謝してます。
 ええ。 ウチはともかく、アテナさんは危なかったですからね。

 うふふ。 でも久しぶりのあなたの『もふもふ』は、ホント、気持ち良かったですよぉ。
 あ痛っ。 なにも叩かなくても……

 それに、 あなたが踊る『オニのパンツ』ってゆうのも、なかなかシュールで。
 いやあ、他の人に見せられないのが残念……痛ぁ!

 だから叩くの禁止!
 ふふふ。 照れなくても……あだだっ!

 …え?
 ああ。
 確かに居てましたね。
 あの姉弟でしょ?

 ええ。 たぶんあの子達には、あなたが見えていたんでしょうね。

 まぁ。 両親がそうなんですから……でも、あの子達はいずれ-








おまけdeアリアぁ その②

「葵。 歩。 どうだ。楽しかったか?」
父親が、姉弟に訊ねる。

「うん。 とっても楽しかった」
「楽しかったぁ!」
「そうか。それは良かったな」

父親の青い瞳が、優しげに揺らめく。

「うん。 特に大っきな黒猫さんが、みんなと一緒に踊ってるのが、かわいかった。 ねぇ、歩」
「うん。お姉ちゃん。 あの猫さん、とってもかわいかったお!」

父親は少しあわてたように視線を上げ、母親の顔を見た。
母親は、始め、ゆっくりと頷き、そしてそのまま今度は、小さく首を横に振る。

「そうか、今だけなんだな。いずれは消える…よかった……」
父親は小さくつぶやいた。



「ねぇねぇ。 パパ」
「ん? なんだい」
「写真、いっぱい撮ってくれた?」
「くれたぁ?」
「ああ、もちろんさ。葵。歩。 お前達だけじゃないぞ。 キューティーズの写真もな。 ほら、ローズ大佐だって…こんなに」

「ほんとだ。 いっぱいだ。 ……あれ?」
「ん? なんだい、葵」
「あのパパ……どうしてこんなに、キューティー・ブラックの写真があるの?」
「ほんとだぁ。 なんでぇ?」
「もしかして、私や歩のより多くない?」
「ないぃぃぃ?」 
「い、いや。 そ、それはブラックが、かわいい……げふげふ。 いや、気のせいサ」

「…あなた。ちょっと、お話があります」
ゆらり-と母親が近づく。

「あ、いや、梓。 ちょ、ちょっと待っ。 こ、これは誤解でっ。 アーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!」



「お姉ちゃん」
「なに、歩」

歩は、母親に顔を鷲づかみにされ、その水色の髪を震わせてもがき苦しむ父親を見ながら、楽しげに姉に語りかけた。

「ママって、きっとローズ大佐より強いよね!」
「ええ」
葵も、薄笑いを浮かべる母親を見ながら、誇らしげに言い放った。

「ママは、最強よ!」

葵と歩は、そんな父と母を見やりながら、幸せ気に、楽しげに、いつまでも微笑を浮かべていた。



「アーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!」







おまけdeアリアぁ その③


-数日後

「だあああっ。 藍華さん。もうなんとかしてください!」
「のんびり、お買い物もできません」
「はっきり言って営業妨害です」

「藍華先輩。 でっかい迷惑です」
「お嬢…最近の朝の挨拶は、決まってそれですよ」

「ああもう、ゆっくり昼寝もできゃしない…藍華さん、お願いしますよぉ」
「藍華ちゃん。 藍華ちゃん。 ネットでもスゴいことになってるよ。 素敵んグだね」

「ちょ、ちょっと待ってよ。 いきなりみんな、何の話?」


     「「「「「『 キューティ・ブラックです!! 』」」」」」


みんなの声が重なった。

「もう。来るお客様、お客様。ブラックは誰なんだって、同じことばかり聞かれるんです!」
アン・シオラが言う。

「お買い物してても、逆に、お店の人に聞かれるんですよぉ」
杏が言う。

「マンホームから来たお客様が、観光案内そっちのけで聞いてきます」
アトラが言う。

「私も散歩中に聞かれるんです。 無視することも、でっかい出来ませんしぃ……」
アリスが口を尖らせながら言う。

「ウチもトラゲットで、シングル達の最初の挨拶が、まず、それですからねぇ」
あゆみが言う。

「人が気持ちよく、いつもの小島で昼寝をしてるのに、わざわざゴンドラで漕ぎ寄せて来てまで、訊ねてくる奴もいるんだ」
バッジェーオが言う。

「藍華ちゃん。藍華ちゃん。 もうネット上でも、スゴい有名だよ。 非公認のファン倶楽部もあるみたい」
灯里がパソコンを見ながら、嬉しそうに言う。


「…ファンクなラヴ? なんのこっちゃ?」
未だ事態を把握できていない藍華が、きょとん顔で言う。


「であるからして、庁舎にも問い合わせが殺到して、業務にも支障をきたしておるのである。 非効率きわまりないのである」
もうそれが当然かのように、頭の上にアクィラ社長をタレさせたアドルフが、アントノフと一緒に生クリームのせココアを飲みながら言う。

「業界でも噂になってます。 大手のプロダクションが血眼になって彼女を探してるって。
 ああ、彼女といえば、彼女達、再デビューが決まったそうですよ」
灯梨が舞台監督と顔を見合わせ、笑いながら言う。


「えっ…えと……だから?」

「だから、さっさと公開してくれ」
蒼羽が突き放すように言う。

「公開?」
「ああ。 キューティ・ブラックの正体は、私の最愛の人です! ってナ」
「えええええ!? い、いったい何、急に言い出すんですか! 晃さん!!」
「はあ…それはいいわねぇ。 そうすれば、みんな平和になるし…って、どうして私とアンさんは、縛られているのぉ?」
「あらあら。 うふふ…」


「ちょっ、ちょっと待ってください」
ようやく事態を把握したらしい藍華が、顔を真っ赤にして叫ぶ。

「いやだって、キューティー・ブラックの正体は、ノームのアルくんでぇ……」
「だから、おめぇの最愛の人だろ?」
「黙れ、ポニ男!!」

「あははは。 いまさら隠すことはないのだぁ、藍華くん」
「黙れ、ムッくん!!」

「アイ先輩。 藍華さんってば、最愛ってトコは否定しないんですね」
「しっ。アリーチェちゃん。 藍華さんは素適な泣き虫さんなんだから、ああやって、きっと照れてるだけなんだよ」
「はい、そこのふたりぃ…恥ずかしい台詞禁止! つか、それ以上、くだらないこと言ってると……」
「い、言ってると?」

「藍華特製。スペシャル・ウルトラ・スーパーⅩメニューで、特訓するわよぉぉぉぉ!」
「 『 イィぃぃぃぃぃぃぃぃぃーーーー! 』 」
アイとアリーチェは抱き合いながら肩を震わせ、泣き叫んだ。




そして当のキューティー・ブラックはといえば-

「ぷいねぷいにゅぷいにゅーーん」
「まぁぁぁ」
「…………」
「みんな、かわいいですねぇ」

何かに目覚めたかのように!
薄く化粧をし、社長ズ達をはべらせ、優雅に小指を立て、紅茶なんぞを飲みながら、にっこりと微笑むのであった。




「藍華さん!」
「藍華ちゃん!」
「藍華先輩!」
「藍華くん!」
「藍華殿!」
「おい、藍華!!」

-どうにかしろっ!!

と、ばかりに、みんなの視線が藍華に集中する。

藍華は……










「うわあああああああん。 ヒーローショーは、もうコリゴリよぉぉぉぉおお!」
戦隊モノ、お約束の悲鳴が、店中に響き渡った。









             


           こうして歴史は伝説になる。














「許さない…絶対に許さない…くっふっ…ブラック…くっふふふふ…許さない……」
アトラが、サンシャインとは似ても似つかぬ声で呪詛の言葉をエンドレス…………(泣)




                                                 おしまい☆




 ♪ 「Coloful days」作詞/中村恵 作曲/佐々木宏人(NBGI)







気がつけば「Taaghetti」なみの長いお話に!(鹿馬)


このばかばかしくも、悪ふざけたお話しを-

「眠る少女と幸せの見つけ方」 紺屋さま
「ARIA The parallelism world 」 跳梁さま

お二人に捧げます。

ご完結、おめでとうございます。
おふたりには、何を言っても、どんな言葉を使っても、私のつない文章力では、
その気持ちの1ミクロンも、お伝えすることができません。

ただただ-
再び、お二人にまた、お目にかかれる日を心待ちにして☆

ありがとうございました。


そして最後まで付き合ってくださった、みな様へ。

「ARIA」じゃ、ねぇし!!

-と、感じつつ、読み続けていただけたことに感謝します。

次回作も、思いっきり悪ふざけの自都合ですが、読んでいただければ幸いです。
それでは、長らくのお付き合い、ありがとうございました。












くっくっくっ
こんな話しを捧げられた、お二人の困った顔が目に浮かぶわい……(悪魔的笑・鹿馬)






[6694]  li mare 
Name: 一陣の風◆5241283a ID:8350b1a5
Date: 2010/10/12 00:24

15本目の作品を、お届けします。

前略、河井英里さま

また今年も暑い夏がやってきました。
あの日から、もう2年経つのですね。


そんな訳で、今回もまたお願いです。
今日1日。
どこかで。 空いた時間に。 その気があれば。 その方法があれば。

河井英里さんの曲を、どれか1曲でも聞いていただけないでしょうか。


そんな優しき皆様の心に、この駄文の「セイレーンの謳声」が、ほんの少しでも聞こえてきたならば、これに勝る幸せは、ありません。


それでは、しばらくの間、お付き合いください。




  ****




前略、お元気ですか?



        第15話 「 li mare 」



灯里達は緊張のさなかにいた。
ネオ・アドリア海に面した海辺で、灯里達は緊張の面持ちで、その時を待っていた。
なぜならその日。 灯里達は、自分達の練習に特別講師を招いていたからだ。

その人は、ここネオ・ヴェネツィアにおいて知らぬ人は誰ひとりとしていない、トップ・プリマの一人。
その名を聞いただけで、誰もが振るえあがり、おびえた顔をみせる。

その人の名は-


「あ~ごめんなさぁい。 遅刻、遅刻ぅ…のべっぇ!」


アテナは、なんの脈絡もなく顔面ゴケした。



かつて火星と呼ばれていた赤い星が、大規模なテラ・ホーミング化により、水の惑星「アクア」と姿を変えてから150年。
その都市のひとつである、ここネオ・ヴェネツィアに、ゴンドラを使い観光を行う水先案内人-ウンディーネと呼ばれる人達がいた。
女性しかなれず、この街のアイドルとまで呼ばれる彼女達。

「ペア(両手袋)」=見習い 「シングル(片手袋)」=半人前 「プリマ(手袋なし)」=一人前

と、厳格にクラス分けされたその中においても、特に技量に優れたプリマにのみ与えられた称号・「トップ・プリマ」
または「三大妖精」とも呼ばれる三人のプリマ。

【クリムゾン・ローズ 真紅の薔薇】 「姫屋」の、晃・E・フェラーリ。
【スノーホワイト 白き妖精】 「ARIA・カンパニー」の、アリシア・フローレンス。

そして-
「オレンジ・ぷらねっと」の、アテナ・グローリィ。

この三人は、まさにプリマ中のプリマ。 アイドル中のアイドル。 「アイドル・マスター」ともいうべき存在だった。



「はひっ。 大丈夫ですか?」
「ぷいにゅにゅにゅにゅっ」
灯里とアリア社長があわてて駆け寄った。
水無 灯里(みずなし・あかり)は「ARIA・カンパニー」のシングル・ウンディーネ。
ピンクのサイドに長く伸ばした髪が特徴的な女の子。 地球=マンホームの出身で、明るく、ただ一緒にいるだけで不思議な心地好さを感じさせる女の子。

「あわわ。 怪我はありませんか?」
藍華がヒメ社長と歩み寄りながら訊ねる。
藍華(あいか)・S・グランチェスタは「姫屋」のシングル・ウンディーネ。
長い髪をふたつくくりのお下げにして、元気一杯に走り回る、そんな快活な女の子。でも灯里、曰く「素適な泣き虫さん」な女の子。

「でっかい、やると思っていました」
アリスが、まぁ社長を抱きながら、一歩も動くことなく、あきれたように言い放った。
アリス・キャロルは「オレンジ・ぷらねっと」のペア・ウンディーネ。
明るい緑色の長い髪をなびかせ、無表情に言い放つ女の子。 彼女はしかし、若干14歳で将来を嘱望される、天才ウンディーネな女の子なのだ。


「まぁぁぁ…」
アリスの腕の中で、まぁが小さな鳴声を上げた。

ちなみに-
アリア。 ヒメ。 まぁ。 は、それぞれ「ARIA・カンパニー」「姫屋」「オレンジ・ぷらねっと」の社長猫である。
社長猫? 
そう。
ここネオ・ヴェネツィアの水先案内店では、蒼い瞳の猫を「アクアマリン瞳」と呼び、航海の安全を祈る守り神として、共に暮らしているのだ。




「はあい。大丈夫ですぅ。よくあることですぅ」
アテナ、ゆっくりと立ち上がりなが言った。

「はい。よくあることですね」
アリスが突き放したように言った。

「アリスちゃん…」
「ぜんぜん、心配しないのね…」

灯里と藍華は、タメ息をつくばかり……




「さあ、今日は私。 アテナ・グローリィが、あなた達の特別講師を務めます。 わーい。ぱちぱちぱち」

何事もなかったかのように!
自ら手を叩き、嬉しそうに話を始める、アテナ。

「は、はひっ……」
「よ、よろしくお願いします」
とまどうように返事をする灯里と藍華。

「…ぱち…ぱち…ぱち…」
ただ無表情に手を叩くアリス。


そんなアリスの先輩のアテナ・グローリィは【セイレーン 天上の謳声】の通り名を持つ、信じがたいが、トッププリマのひとり。
その唄は、聞くもの全ての心を優しくつかんで離さない。
ウンディーネのカンツォーネ(舟歌)など、聞き飽きているハズのネオ・ヴェネツィアの市民が、彼女の謳声が聞こえてきた途端、
なにもかも放り出して、その唄に聞き入る。
と、まで言われている、至極の謳声だった。

けれど-


「ねえねえ、藍華ちゃん」
「あによぉ、灯里」
灯里が藍華の見元でそっとつぶやいた。

「なんだか、アリスちゃん、機嫌悪いね……」
「きっと大好きなアテナさんが、いきなりドジっ子だったモンで怒ってるんでしょ。 ホント、お子ちゃまなんだから……」
「先輩方。 でっかい丸聞こえです」
アリスが憮然と答えた。 

ドジっ子。
信じられないほどのドジっ子。
そのあまりな天然ぶりに、それを知るすべての人々を
「今日はいったい何をやらかすのか!?」と-
震え上がらせる、恐るべきドジっ子。

毎日、何かしらの騒ぎを起こし、寮での同室者でもあるアリスを、いつもあきれさせている。
でもその実。
「気配りの名人」とも呼ばれ、口に出さずとも、そっと周りを心使う。
そんな優しいアテナのことを、アリスがとても大切に思っていることもまた、周知の事実だった。





「はい、まずは一度、みんなで唄ってみましょう。 さん、はい」
アテナに促されるまま、唄いだす灯里達。

楽しげに唄うものの、どこか音程がズレる灯里。
元気よく唄うものの、先走り、リズムがズレる藍華。
正確に唄うものの、小さい声しか出ていないアリス。


カンツォーネはおろか、人前で歌うことさえはばかれる様な、三人の歌だった。


「よく、できました~☆」
自分達でも自覚があるのか、歌い終わって、シュン-としている三人に、アトラはとても楽しそうに手を叩いた

「はへ…よくできたって……」
「あの、私達、ちゃんと分かってますから…その……」
「アテナ先輩。 でっかい遠慮なく言ってください!」

「ではここで質問でぇす」
けれど、そんな三人にかまわず、アテナは、にこにこと微笑みながら問いかけた。

「みんなにとって、歌を唄うって、どんなことですか?」

「はへ?」 
「どんなこと?」
「意味じゃなくってですか?」
「そうよ。 みんな、どんな想いで歌を唄っていますか?」

アテナは相変わらず、にこにこと微笑みながら訊ねる。


「えと……お客様に楽しく聞いていただく?」
「よきウンディーネとして、しっかりと唄う」
「でっかい声で元気よく唄う……」

質問の意味にとまどいながらも、三人が三様の答えを返す。
その答えに、アテナは微笑みながら言った。

「はぁい。 みんなどれもいい答えですね。 でもー」




- 海は広いな、大きいなぁ……


不意にアテナは謳いだす。


- 月は昇るし、陽は沈む。

  
目の前に広がるネオ・アドリア海。
その海に向かって、アテナはゆっくりと、けれど力強く、歌を紡いでゆく。


-海は大波、青い波。 揺れてどこまで続くやら……


アテナの謳声は、その海に広がって静かに広がってゆく。
その謳声を灯里達は、まるで魂を抜かれたかのように、身じろぎひとつせず、ただじっと聞き入っていた。


- 海は広いな、大きいなぁ。 月は昇るし、陽は沈む。


群れ飛ぶカモメ達が、嬉しそうに鳴声をあげる。
波がきらきらと輝き、揺れていた。


- 海にお舟を浮かばせて 行ってみたいな よその国……




アテナは謳い終えると、灯里達の方に向きなおり、ゆっくりと言った。

「歌は『希望』です」
「歌は『希望』……?」
意味がでっかい分からん。
と、いった声で、アリスが聞き返す。


「そう。歌は『希望』です。 だから何よりもまず、歌を唄う自分を好きになってください」


「ほへぇ…歌を唄う自分を……ですか?」
おずおずと灯里が訊ねる。

「そうでぇす。 なによりもまず、自分が楽しんで歌を唄いましょう。 そうすれば-」
「そうすれば?」

アテナは満面の微笑みを浮かべた。

「そうすれば歌はきっと、あなたの夢をかなえてくれます!」

「は、恥ずかしいセリフ禁……」
言いかけて、藍華はなんとか思いとどまった。





灯里達は唄う。
アテナに教えられるまま、請われるまま、歌を唄う。
楽しげに、幸せに、自分のままに歌を唄う。
それはとても素適な時間だった。
ウンディーネ達の謳声が響いてゆく。



-ぼっちゃああああん!!
「きゃあっ」

突然、目の前の海になにかが投げ込まれ、水柱が立った。
それはまたたく間に滴を広げ、灯里達に襲いかかる。

「は、はひっ」
「いったい何ごと?」
「でっかい、水がかかりました」
「ぷいぷいぃぃぃぃ!」
「まぁぁっ」
「………」

灯里達はおろか、社長ズ達にも水が撥ねる。
なんながあわてて、あたりを見やれば-

「お前達、歌なんか唄うな!」
手にいっぱいの石を持った男の子が、そう叫びながら石を海に投げ込んでいた。

ぼっちゃぁぁあぁぁあん!!

再び水が撥ね、灯里達に水しぶきをかける。

「はあぁひいいいい!」
「ちょっと、何すんのよ!」
「なんなんですか! なんなんですか!?」

藍華とアリスが男の子に向かって駈け出して行く。
あわててその後を灯里が、社長ズ達と一緒に追いかける。
そして、ひとり残ったアテナは-

「あ~ぁ。濡れちゃった……」
濡れた自分の服を見ながら、のんびりと呟いていた。




「ちょっと、アンタ何すんのよ!」
最初に追いついた藍華が、男の子の腕をつかみながら叫ぶ。

「でっかい、濡れちゃったじゃないですか!」
アリスが男の子に怒りの視線をぶつける。

「うるさい! 離せ、ブス! お前達が悪いんだ!!」
けれど男の子は臆することなく言い放つ。

「な、なんですってぇぇぇぇ!」
藍華が男の子の両肩を持って、がくがく-と揺さぶる。
アリスは物も言わずに、男の子の頭に、チョップを叩き込み始める。

「痛ぇ! 離せよ。ブスども! お前達が悪いんだ。 こんなトコで唄ってる、お前達が悪いんだぞ!」
「まだ言うかぁ!」-がくがくがく。
「チョップ、チョップ、チョップっ」-げしっげしっげしっ。

「ま、待ってよ、藍華ちゃん。アリスちゃん!」
ようやく追いついた灯里が、止めにはいる。

「止めるな、灯里。 コイツは言ってはならんことを言った!」
「その通りです、灯里先輩。 でっかい許しがたいです!」
「だからって、ふたりとも、喧嘩はダメだよぉ……」



「ごめんなさい」


突然、涼やかな風のような声が響き渡った。
あわてて声の方を見やれば-

そこには、とても綺麗な女の子が立っていた。
歳の頃は灯里達より、少し年上か…
細身の体。 透き通るような色白の肌。 濡れているような黒い髪。 はっきりとした目鼻立ち。

「綺麗……」「ぷいにゅん」「まぁぁぁ」
灯里が思わず呟き、社長ズ達も同意する。

「ごめんなさい。アルドを…弟を許してやってください」
「お姉ちゃん!」
男の子は藍華の手を振り切ると、あわてて姉の方へ駆け寄った。

「お姉ちゃん。ちゃんと病室にいなきゃ、ダメだよっ」
「そう思うのなら、この人達にちゃんと謝りなさい」
「だって、だって…こいつら……」

「アルド。 謝りなさい」
「……………」
「アルド!」
「あのぉ……」
ゆっくりと近づいてきたアテナが訊ねる。

「この子はどうして、石なんか投げてきたのかしら。 何か理由があるの?」
「あなたは!? …いえ、ごめんなさい」

「お姉ちゃんが謝ることなんかないよ! こいつらが悪いんじゃん!」
「アルドっ」
けれど男の子は、憎悪のこもった目でアテナ達を見、言い放つ。

「こんなトコで、お姉ちゃんの気持ちも知らず、のん気に歌なんて唄ってる、こいつ等が悪いんだ!!」
そう言うと、アルドは姉の制止も振り切って駆け出してゆく。

そんな弟の後ろ姿を、姉は、さびしげに見送っていた。




「本当に、ごめんなさい」
姉がもう一度、アテナ達に頭を下げた。
アテナ達と姉は、近くの公園の椅子に座りながら、姉の話を聞いていた。

「あ~もういいですから、そんなに謝らないでください」
アテナが言う。

「はい。私達ももう大丈夫ですから」
「もうすっかり乾いちゃったしね」
灯里と藍華が笑いながら言う。

「ぷいにゅん」「まっ」
アリアと、まぁも声を上げる。

「でもどうして弟さんは、あんなことしたんですか? 理由、でっかい知りたいです」
アリスが訊ねる。


「ごめんなさい。 ずべて私のせいなんです」
姉はそう言うと、悲しそうに瞳を伏せた。


白い建物を指差す。

「私はあの病院に入院しているんです」
「入院? どこか悪いんですか?」
「はい。 実は喉の病気で……」
「そんな。 そんなに綺麗な声なのに……」

「ありがとう、ウンディーネさん」
「あ。私は灯里です。 こっちは藍華ちゃんに、アリスちゃんです。よろしくお願いします」
「私は、アイラです。よろしく」

「そしてこちらは……」
「アテナさんですね」 
灯里が紹介する前に、アイラはその名を眩しそうに口にした。

「お名前は以前から知っています。 有名です。 私の憧れなんです」
「えへ。 ありがとう」
アテナは恥ずかしそうに、頭を掻いた。




「私、今度、手術を受けるんです」
アイラは、ぽつりと語りだした。


「お医者さんが仰るには、手術しても成功の確率は50:50。  成功しても声が出なくなる場合もあると。
 でも手術をしなければ、100パーセント声を失い、最悪の場合には、命そのものも危ないと……」


「そんな……」
「だから私は、手術するほうを選びました」
絶句する灯里達に、アイラが顔を上げ、はっきりと言い切った。

「私、将来、女優になりたいんです」
「女優に……」
「はい。それも歌でみんなを感動させられる。 そんな女優になりたいんです。 だから……」
「だから、手術を受けると?」
「はい」

「素適んグです!」
灯里が瞳を輝かせる。

「きっとアイラさんの歌声は、みんなを感動させ、喜ばせる、アテナさんに勝るとも劣らない、そんな歌を奏でられますよ」
「はい、恥かしいセリフ禁止ぃ!」
「ええ~ぇ」
「両先輩とも、でっかいお約束です…」

「ふふふ。ありがとう灯里さん」
アイラは灯里達と出会って、初めて笑った。



「それで…あの子はアイラさんのために石を投げたと…」
「大好きなお姉さんのために…」
「アイラさんの前で歌を唄ってる私達が、無神経に思えたんですね、きっと」

「ごめんなさい」

「だからもういいですって。 …お姉ちゃん思いの、いい子ですね」
「ありがとうございます。 そう言っていただけて……」


「手術はいつなんですか?」
アテナが訊ねた。

「……一週間後です」
アイラがつぶやくように言う。
アテナは、そんなアイラの指先が、かすかに震えていることに気づいていた。

「アイラさん……」
「はい?」
「歌は希望です」
「え? 希望……ですか?」
「ええ」
 
きょとんとするアイラに、アテナはそれが当然の真実のように言い切った。


「歌はすべての夢をかなえる、素適な希望なんです。 だから唄うことを諦めないで」


「希望……」
「アイラさん」

アテナはアイラに『希望』を紡ぐ。
「手術が終わったら、私と一緒に謳ってくださいね」

「……アテナさん」
アテナは笑顔でうなずいた。

「はい。 ありがとうございます。 必ず、一緒に謳わせてください」
その『希望』を受けて、アイラは泣きながら笑った。





       ****



- 海は広いな、大きいなぁ……

あれから数日。

病室の窓から、目の前に広がるネオ・アドリア海を見ながら、アイラはその歌をくちずさんでいた。
あの日、あの後。
アテナに教えてもらった歌。
遥か遠きマンホームに伝わる歌。

寄せては返す波のように。
満ちて干いてゆく潮のように。

大らかでゆったりとした、優しい歌。


- 行ってみたいな よその国……


いつか私も、いろんな国を旅してみたい。
楽しく唄いながら、いろんな場所を巡ってみたい。


「お姉ちゃん!」
「アルド?」
「お姉ちゃんダメだよ、唄っちゃっ。 もっと喉が悪くなっちゃうよ!」
ベッドの上のアイラの腕に、アルドが抱きついて来る。

「うふふ。 ありがとう、アルド」
そんなアルドの頭を優しくなでながら、アイラは小さく笑う。

「これくらいなら大丈夫だって、お医者さまも言ってたし。 それに…」


-それに今、唄っていなければ、もう二度と唄えないかもしれない。


「ううん、なんでもないよ」
そんな思いを、アイラはあわてて振りはらう。

「…お姉ちゃん。 いよいよ、明日だね」
アルドが苦しげに言う。
手術の日が来たのだ。

「うん。 大丈夫よ、アルド。 お姉ちゃんは大丈夫」

私はちゃんと笑えてる?
私はちゃんと弟の前で笑えている?

アイラは自問する。

大好きな弟の前で、笑えている?
アルドを安心させられている?

大丈夫。

気合を入れるのよ、アイラ。
あなたは将来、女優になるんでしょ?
弟の前で、コレくらいの演技ができなくてどうするの?

大丈夫。 大丈夫だから……



-海は広いな、大きいなぁ……

遠くかすかに、その歌が聞こえてくる。

「この歌は……」
アルドが耳をすます。


- 月は昇るし、陽は沈む


「あのウンディーネだな。 またきやがった!」
「待って、アルド!」
けれどアルドは、止める暇もなく、病室の外へ飛び出して行く。
点滴につながれたアイラには、それを止めるすべがなかった。


- 海は大波、青い波。 揺れて何処まで続くやら……


アイラには分かっていた。

それはアテナの優しさなのだと。

あの日から必ず、夕方。 一日が終わる刻。
世界がオレンジ色に染まる、そんな黄昏時。

この歌を謳いながら、アテナは必ずゴンドラを漕ぎ寄せてくれるのだ。


- 海にお舟を浮かばせて……
 

だからアイラも歌を紡ぐ。

アテナに合わせるように。
アテナに感謝するように。

【 希望 】

そっと小さく、歌を紡ぐ。

それがなによりの、お礼だと信じて……

- 行ってみたいな、よその国……


小さな謳声が、白い部屋に響き渡る。





-こんちくしょう!
アルドは怒っていた。

-こんちくしょう! こんちくしょう!
小石を集めながら、アルドは怒っていた。

-絶対に、あのウンディーネをやっつけてやるんだ!
大好きな姉を困らせるヤツ。 大切な姉を悲しませるヤツ。
そんなヤツは許さない。

-あいつ等は知らないんだ。
少し大きめな石も拾う。

-なんで、お姉ちゃんが海の見える隅の部屋にいるのか、あいつ達は知らないんだ。


< それは病気が長引くってことなんだぜぇ。 >
クラスメートの声が甦る。

< 知ってるか? 病気が長引く患者には、そうやって少しでも景色の良い部屋に入ってもらうんだぜ。 >
なぜかそいつは、鼻高々だった。

< 俺の死んだ親戚の伯母ちゃんもなぁ。 最後の一ヶ月は、そんな窓際のベットだったんだぜ。
  だからもしかして、アルドの姉ちゃんも…… >

女の子達の悲鳴が上がる。
気が付けばアルドは、そのクラスメートの上に馬乗りになり、めちゃめちゃに殴っていた。
先生が来て引き剥がされるまで、泣きながら殴っていた。

-許さない。 許さない。

絶対に許さない。 僕が、僕が-
両手一杯に小石を抱え込みながら走り出そうとするアルドの襟首を、不意に誰かが引っ張った。

「ぐぇぇぇっ!」
情けない声を上げて振り向くアルドの瞳に、妖しげな笑みを浮かべた三人のウンディーネの姿が写り込む。

「でっかい見つけました」
「ほらほら。逃げるの禁止」
「ゆっくり、お話ししましょう?」
「ぷいにゅにゅにゅ…」

最後に白いまん丸の何かが、笑いかけた。
アルドは思わず悲鳴を上げていた。






夜が明ける。
暗いネオ・アドリア海が白みだし、ゆっくりと陽が登ってくる。
ふたつの月や、夜空一面に瞬いてた星々がその役目を終え、ゆっくりと薄れ、消えてゆく。
かわりに、まばゆいばかりの太陽が、今日の一日の始まりを告げるために、その姿を現してゆく。
人々が眠りから覚め、一日の活動を始める。

だが-

アイラは一睡もできなかった。

恐い。
恐い。恐い。

恐い。恐い。恐い。恐い。
恐い。恐い。恐い。恐い。恐い。恐い。恐い。恐い。
恐い。恐い。恐い。恐い。恐い。恐い。恐い。恐い。恐い。恐い。恐い。恐い。恐い。恐い。恐い。

いかに気丈に振舞おうとも
いかに明るく振舞おうとも

やっぱり、恐い。

自分は声を失うかもしれない。
自分は命を失うかもしれない。

恐怖がアイラを捕らえ、離さなかった。
弟もあの後、なにか考え込む表情で帰ってきた。
訊ねても、心ここにあらずと、いった表情で、家に帰っていった。

-きっと、今日の私のことで気落ちしているに違いない。



「アイラさん。 手術のお時間ですよ」
看護士が声をかけてくる。


結局、アテナさんにも会えなかった。
本当は少し期待していたのだけれど……

あの人は、このネオ・ヴェネツィアを代表するトップ・プリマのひとり。
仕事的にも個人的にも、きっと忙しいはず。
そんな人が、たった一度会っただけの、しかも、その弟に石を投げつけられた、そんな女の子に、再び会いに来てくれるとは思えない。

毎夕、唄いながら通りかかったのも、たんなる偶然だったのかも……


「麻酔薬入れます。 ちょっと眠くなりますよ。 ……はい。じゃあ、手術室に移動しましょう」

お医者様が言う。
どうしてそんなに笑顔なの?
見れば、周りの看護士さん達も、みんな一様に笑顔をうかべている。

なにがそんなに嬉しいの?
声をなくすかもしれない女の子が
命をなくすかもしれない女の子が

そんなに楽しいの?


白濁化してゆく意識の中で、アイラの心は混乱する。
涙がにじむ。
嗚咽が漏れる。
希望がはがれてゆく。

その時-



- 海は広いな、大きいなぁ……


不意にあの謳声が聞こえてきた。


- 月は昇るし、陽は沈む……


アイラは見た。


- 海は大波。青い波。 


謳姫が-
天上の謳声<セイレーン>と呼ばれるアテナ・グローリィが


- 揺れてどこまで続くやら……


目の前の廊下に静かにたたずみ、その歌を謳っている姿を。


- 海は広いな、大きいな。  月はのぼるし、陽は沈む……


そして、アイラは見た。



- 海にお船を浮かばせて


通路といわず、階段といわず。
二階といわず、三階といわず。 ホールと言わず。
病院内の、そのすべてを埋め尽くし唄う、たくさんのウンディーネ達の姿を。


- 行ってみたいな、よその国……


灯里がいる。
藍華がいる。
アリスもいる。

幾人ものウンディーネが、励ますように、勇気付けるように、微笑みながらアイラを見つめ、歌を唄っていた。


-海は広いな、大きいなぁ……


ウンディーネ達の大合唱が、病院中に響き渡る。
その中をアイラを乗せたベッドが、まるで祝福されるかのように、ゆっくりと進んでゆく。
  
看護士も。 お医者さんも。 他の患者達も。
その様子を、誰もが優しく見守っていた。


- 月は昇るし、陽は沈む。


聞きなれた声に振り返れば、ウンディーネ達に交じって、弟が唄っていた。
大きな声を上げ、一生懸命に唄っていた。

「アルド……」
「お姉ちゃん!」

不意にアルドが叫んだ。

「お姉ちゃん! お姉ちゃん!! お姉ちゃん!!!」

涙で顔をぐしょぐしょにしながらが、アルドは叫ぶ。



「はひっ。特訓したかいがあったね」
灯里が微笑む。
「私の教え方の賜物よ」
藍華が威張る。
「いえ、アルド君自身の、努力の、でっかい賜物です」
アリスがあきれたように呟く。



「お姉ちゃん! お姉ちゃん!!」
アルドは、ぽろぽろと大粒の涙をこぼしながら、何度も何度も姉を呼び続ける。


- 海は大波。 青い波。


そんなアルドの頭を、アテナがゆっくりと優しく、けれど力強く、なでてくれていた。


- 揺れて何処まで続くやら……



薄れゆく意識の中で、アイラはしっかりとその歌を刻み込んだ。


- 海にお船を浮かばせて、行ったみたいな、よその国……



【 希望 】が満ち溢れる。



- 海は広いな、大きいなぁ。 月は昇るし、陽は沈む…………



ウンディーネ達の謳声は、途切れることなく、いつまでも響き渡っていた。







  ****         


数年後-

「海は広いな、大きいなぁ… 月は昇るし、陽は沈む……」
「綺麗な歌ですね」

「マンホームに伝わる曲でね。 私の一番のお気に入りなの」
生クリーム乗せココアを飲みながら、アイラは答えた。

「お気に入りですかぁ」
「と言うより、私の一番、大切な曲ね。うふふ」
「大切な曲。 なるほど。 じゃあ、今日はその辺のところを教えていただけますか?」
「ええ。いいわよ」
雑誌記者のインタビューに答えながら、アイラは、にっこりと微笑んだ。



    前略、お元気ですか?



「今日は、ありがとうございました。 やはり、あなたが最高の歌姫ですね」
そう言って、記者はインタビューを終えた。

その時-
かすかな謳声が響いてきた。


-海は大波、青い波。 揺れて何処まで続くやら……


ゆっくりと、一艘のゴンドラが近づいてくる。
それはあの時-手術室へと向かう、あのベッドの上で聞いたときと同じ謳声で………

「いいえ……」

アイラは微笑みながら、ゆっくりと記者に答えた。


「あの人こそ、最高の謳姫です」


- 海にお舟を浮かばせて、行ってみたいなぁ、よその国……


その謳声に合わせるように-



【 銀幕の歌姫 】
-との呼び名も高い、アイラ・M・カラスは、いつまでも楽しげに、誇らしげに、その歌をくちずさんでいた。


 
       私は今日も元気です。




ネオ・アドリアの海が、そんな希望の歌を受け、きらきらと輝いていた。


  

            




                 「 li mare( 海 )」 La'fine










            「海」 作詞/林 柳波 : 作曲/井上 武士




、 



[6694] Un noce rosso 
Name: 一陣の風◆5241283a ID:8350b1a5
Date: 2010/11/19 20:27
16本目のお話しをお届けします。

……えと。
やはりこの一文を入れておくのが礼儀だと思いますので、書かせていただきます。

     【 警告 】

この作品には、一部残酷な表現。グロテスクな描写が含まれます。
苦手な方はご連慮ください(汗)


本来このお話しは、八月、お盆の頃に発表予定でした。
それが連日の猛暑で…と言い訳して、ここまで延びてしまいました。
すいません。

ですから、このお話しを読んでいただける、みな様が、あの暑い夏を思い出し。少しでも「お盆」の雰囲気を感じていただければ、これに勝る幸せは、ありません。

それでは暫くの間、お付き合いください。




 ******



 
今日も波音は穏やかで、あの日のことがまるで嘘のように感じます。
私達は他になにもすることもなく、ただ無意味に時を過ごしています。

ただ待っているだけで、何もしないでいると、どうにかなってしまいそう。
なので、これまでのことを日記に書いておこうと思いました。
あの日起こったこと。
いつかみんなで笑って話せる、そんな日のために。




      第16話 「 Un noce rosso 」
     



私の名前は、水無灯里。
ARIA・カンパニーのウンディーネです。

あ。 
ウンディーネってゆうのは、この水の惑星アクアの都市、ネオ・ヴェネツィアで専用のゴンドラを使い、街の水路をたどりながら観光案内をする人の事を言います。
女性しかなれない職業で、ネオ・ヴェネツィアのアイドル-なんて呼ばれています。


他にこの船には-
姫屋の、藍華・S・グランチェスタちゃん。 同じく姫屋の、あゆみ・K・ジャスミンさん。
オレンジ・ぷらねっとの、アリス・キャロルちゃん。 同じくオレンジ・ぷらねっとの、アトラ・モンテウェルディさん。 夢野 杏さん。
の六人のウンディーネと、アリア社長。 ヒメ社長。 まぁ社長の三匹の社長猫さんズが乗っています。

社長猫さんズ。
ってゆうのは、ウンディーネの間では、青い色の瞳を持つ猫さんのことを「航海の安全と平和の守り神」と考えて、一緒に暮らしているんです。
もちろん、本当の社長さんはちゃんといるんですよ(笑)



今、私達はこの広いアクアの海の上を、あてどもなく彷徨っています。
そうです、実は私達、遭難しているんです。
どうしてそうなったかと言うと……




  【 2日前 】

「へえ、これがそうかぁ……」
「ありゃ、思ったよりスゴいんだ」
「これを、あなた達だけで切り盛りするの?」
あゆみさん。杏さん。アトラさんが約束通り、訪ねてきてくれました。

私達(私、藍華ちゃん、アリスちゃん)は、次の日に迫ったレデントーレにそなえて、屋形船の用意をしていました。

「みなさん、来てくださったんですか」
「ああ。灯里ちゃん。 せっかくのお誘いだからね」
「すっごく楽しみにしてきました」
「私達もレデントーレの主催、経験しておかないとね」


あ。 また説明し忘れてました。
レデントーレ「Redentore」ってゆうのは、海に屋形船を繰り出して、食事をしたり、お酒を飲んだりして
一晩中楽しく過ごす。  と、ゆう、暑い夜の日のお祭りのことです。

私達は去年、初めてご招待する側を経験して、今年もまた同じように、たくさんの素敵な人達を、お出迎えするつもりでした。

「そこでウチらの出番。ってわけだな」
「はい。よろしくお願いします」
あゆみさんの笑顔に、私も笑顔で答えました。

そうです。
私達は次の日に迫ったレデントーレのリハーサルのために、あゆみさん達を前日招待したんです。

「で、私達は何をすればいいの?」
「先輩方は何もなさらず、私達の接客や食事のレベルをチェックしていただきたいんです」
杏さんの問いかけに、アリスちゃんがまぁ社長を抱きながら答えました。

「つまり私達は、お客様の役をすればいいのね」
「はい。厳しいチェック、お願いします」
藍華ちゃんが、アトラさんに真剣な顔で答えます。


あゆみさん。 杏さん。 アトラさんは、私達のお知り合いのウンディーネさんです。
アリシアさんの紹介で行ったトラゲットと呼ばれる渡し舟のお仕事で知り合ったウンディーネさん達です。
お互い会社は違えど、なんでも気さくに相談できて、なんでも素直に語り合える。
そんな素敵んグな、ウンディーネさん達です。

「んじゃ、さっそく食前酒から……」
「あゆみ!」
「あゆみさん!」
アトラさんと藍華ちゃんの声が重なります。
もちろん、今日はリハーサルなので、飲酒は禁止! です。

「ええ~ぇ」
あゆみさんの情けない声が、私やアリスちゃん、杏さんの笑い声を誘いました。


    ****


「うん。 すっごく美味しかった」
「ええ。料理にも手間をかけたのね」
「それに接客も、とっても気持ちよかったですよ」

あゆみさん達が誉めてくれます。

「やったね」
藍華ちゃんが親指を立てます。

「でっかい、大成功です」
アリスちゃんが喜色を浮かべます。

「アリア社長~喜んでもらえましたよぉ」
私はアリア社長の、もちもちぽんぽん(お腹のことです)を抱きしめました。

「…………」
「え?」
私は思わずアリア社長を見返しました。
いつもなら「ぷいぷいにゅう」と喜んでくれるはずのアリア社長が、じっと海の方を向いて黙って見ているのです。

「まあ社長? ヒメ社長まで……どうしたんですか?」
見れば他のふたりの社長ズまで、黙って海を見ていました。
それはとても真剣で……いえ、むしろ怖いくらいの顔つきでした。

「今すぐ、戻ろう」
「あゆみさん?」
不意にあゆみさんが叫ぶように言いました。
「あゆみさん、急にどうしたんですか?」
藍華ちゃんが聞き返します。
「お嬢。今すぐネオ・ヴェネツィアに引き返すんです」
けれどあゆみさんは、叫ぶように答えました。

今から考えれば、あの時、アリア社長達やあゆみさんは、何かに気がついていたのかもしれません。
でも……
でももう遅かったんです。



   ****


「いったい、なんなのよぉぉっぉ!」
藍華ちゃんの叫ぶ声が、風に飛ばされていきます。

そう。
私達は嵐に巻き込まれたんです。

それは不意にやってきました。
突然、空が暗くなったかと思うと急に風が吹き出し、見る間に波が荒れだしました。
それは本当に突然で、あっという間にオールは流されてしまいました。
船-といっても屋形船。
少し大きめなゴンドラに、簡単な屋根と障子を貼った窓。 それに小さなキッチンが付いているだけの船です。
たちまち私達は操舵の自由を失いました。
ただ私達は波と風に翻弄されるばかり……
私達ができたことといえば、中に入ってくる水を桶やタライ、果てはコップまで使って必死にかきだすことくらいで。

「乾いている」
とゆう意味さえ忘れかけた頃、ようやく嵐は去っていきました。
この広い海の上に、私達だけを残して……

そうです。
私達は完全に遭難していたのです。

でも私達は希望をk



 
  【 遭難・3日目 】

昨日は疲れていたのか、打ってる途中で寝てしまいました。
予想以上に体力が落ちてるのかも……いえ。大丈夫です。 私はまだまだ大丈夫。

昨日の続きを書きます。
私は元気です。
みんなも疲れてはいますが、元気です。
ただ問題は、私達が今、どこにいるかが分からないってことと、助けを呼ぶことができないってことです。

船には海図やコンパスのような航海に必要なものは何もありませんし、緊急用の無線機なんかもありません。
(ホントにただの屋形船なんです)

このパソコンも水に濡れたせいか、こうやってメモ帳に何かを書き込むことは出来ても、ネットに繋げることはできません。
いえ、正確には、見ることはできても、こちらから送信することができないんです。

だから助けを呼ぶこともできず、私達はただ待つだけ……
幸い、食料や水は流されることなく、大部分が無事だったので、いますぐお腹が空いて倒れるってことはなさそうです。
それでも藍華ちゃんやアトラさんの提案で、少し節約ぎみに食べています。

救助はいつ来るんでしょう。
きっとアリシアさん、心配してるんだろうなぁ……ううん。アリシアさんだけじゃなく、晃さんやアテナさん。
それ蒼羽さんやグランマ。 他の人もきっと、心配してくれてるんだろうなぁ……ごめんなさい。
還ったら、ちゃんと謝ります。





  【 遭難・4日目 】

今日、衝撃的なことを知りました。
あの嵐は、ネオ・ヴェネツィアにも大きな傷跡を与えたみたいです。
ネットも回線が断線したり混線したりで大混乱になってるみたいで、うまく情報を見れません。
噂では浮き島が落ちたって話も……もちろん私はそんな話、信じません。 信じるもんですか。
でも……暁さん、大丈夫かなぁ。 無理してなきゃいいんだけど……ちょびっと心配です。

他のみんなも、ネオ・ヴェネツィアにいる親類やお友達のことを心配しているのか、船の中の空気は少し沈痛です。
私もアリシアさんのことが……うん。きっと。きっと大丈夫です。
私達も救助されたら、一刻も早くネオ・ヴェネツィアにもどって、みんなを安心させなきゃ!





  【 遭難・5日目 】

パソコンさんから拾う情報は、相変わらず混乱しています。
希望の丘の風車が根こそぎ倒れた。 とか
大鐘楼が倒壊した。 とか。
ため息橋が流された。 とか……

なかでも一番驚かされたのは、ノームさんの地下都市が水没したって噂で……
それを知ったときの藍華ちゃんは……
私やみんなが、ただの噂だからと言って慰めたんですが、やっぱり全然、元気がありません。
今もじっとひとりで海を見ています。
ヒメ社長がずっと寄り添っています。

うん。今から藍華ちゃんに声をかけてきます。 やっぱりひとりでいちゃダメだよ。
私がいても何もできないけど、それでも誰がそばにいてあげなきゃ。
では、水無灯里。 行きます!




  【 遭難・7日目 】

昨日は体中がだるくて、日記を書くのをサボってしまいました。 反省。
頑張って書かなきゃ。 今の私にはそれしかできないんだから……

今日で遭難してから一週間が経ちました。
残念ながら、まだ救援の見込はありせん。
でも私達は絶対に諦めません。 毎日、元気、元気!です。

相変わらず、ネオ・ヴェネツィアの情報は、はっきりしません。
実はそれほどでもない-ってゆうのが一般的みたいだけど……はひ。そう信じましょう。

さて今、一番私達を悩ませてる問題。 それは-ずばり、お風呂。
遭難してから、かれこれ1週間。 私達はまともにお風呂に入っていません。
水は飲料水として使わないといけないので、それを使って体を拭くこともできません。

考えてみれば、あの嵐の日。ずぶ濡れになるまで水をかぶったのに、それ以降、雨はぜんぜん降りません。
しょうがないので、海水で体を拭きますが、結局は塩分でざらざら。
髪を洗うなんて、夢のまた夢です。

ショートな藍華ちゃんや、あゆみさん、杏さんなんかはまだ平気みたいだけど、アリスちゃんやアトラさんは大変そう。
私も自慢のサイドが(もみあげじゃありませんよう)がゴワゴワしてます。

雨でも降ってくれないかな。 いえ、ほんの少しでいいんですけど……




  【 遭難・8日目 】

第一回、ウンディーネ対抗、魚釣り大会! ポロリは、ないない。
食糧不足と気分転換のため、魚釣りにチャレンジ!!

竿はなぜか船の倉庫に一本入っていた、ちゃんとした竿です。
私はぜんぜん詳しくないんですが、名探偵のアトラさんに言わせると、かなり本格的な高級品だとか。
それを、みんなで使い回しながら制限時間内で何匹釣れるかを競いました。

結果は杏さんがダントツの一位。
ひとりで10匹以上の魚を釣り上げました。

「餌はみんな同じなのに、なんでだ?」
あゆみさんが首をかしげることしきり。
でもおかげで、久しぶりにお腹いっぱい食べれました。

実はこの釣り大会は、藍華ちゃんを元気付けるため、気分転換をしてもらうために、みんなで考えたものでした。
これで少しでも藍華ちゃんが元気になってくれればいいなぁ……




  【 遭難・11日目 】

一昨日から私達は霧に包まれています。 舳先から船尾までが見えないくらいの深い霧です。
このパソコンは太陽電池(杏さん曰く、光子力エネルギー)なので節約しながら使っています。
あたり一面の白。 白い、白い、真っ白な霧。 
明日は晴れるかな。



 【 遭難・13日目 】

相変わらず霧は晴れません。
まるで雲の中を泳いでいるようです(恥ずかしいセリフ禁止!)
ふふ。藍華ちゃん、ごめんなさい。




 【 遭難・14日目 】

遭難、二週間目。
ようやく落ち着いて日記が書けます。
えと、とりあえず何から書こう……ああ、やっぱり最初から順序だてて書くのが一番かな。

「それ」を一番最初に見つけたのは、まあ社長でした。
私達が重なって寝ていると(寒かったからです。 あとさびしかったから)突然、アリア社長が悲鳴を上げました。
驚いて飛び起きた私達が見たものは、アリア社長のお腹に、思いっきり噛み付いている、まあ社長でした。

「まぁ社長。アリア社長のもちもちぽんぽんは、オムライスじゃありませんよ」
オムライスが食べたいのか、アリスちゃんがそう言って、まぁ社長をアリア社長から引き離します。
ですが、まあ社長はなおも噛み付こうとして……思わず船首に逃げたアリア社長が-

「ぷっぷっぷいぷうにゅ~☆」
今度は違う悲鳴を上げます。
何事? とばかりにアリア社長のそばに行くと「それ」がありました。


-ゴスッ

突然、私達の船が急停止します。
みんなの悲鳴が上がります。
ひっくり返りそうになる私を、あゆみさんがとっさに引き寄せてくれました。

「痛たたたたた…いったいどうしたの?」
杏さんの声に、アトラさんが唖然とした声で答えました。

「座礁よ」
「え?」
「私達の船は座礁したの。 この島に……」
「島?」

その時、突然。
あたりを覆っていた霧が晴れ始めます。
見れば目の前に。

最初に見えたのは緑に覆われた山でした。
それは急峻な角度でもってそびえ立つ、小さいけれど高い山でした。
視線を下に降ろせば、白い砂浜が山の周りを囲んでいます。

小さな無人島。

それがこの島でした。



  ****


「準備はいい? じゃ、出発」
あゆみさんが声をかけます。
私達の間では、いつの間にか、あゆみさんがリーダー的存在になっていました。
いつも微笑みを絶やさず、いつもみんなのことを気遣い、いつも冷静な判断をしてくれる。
そんなあゆみさんを誰もが信用しています。
実はあの「魚釣り大会」も最初の言いだしっぺは、あゆみさんだったりするんです。
そしてその補佐をするのが、アトラさん。
名探偵の異名通り、その豊富な知識でいろいろなことを私達に教えてくれます。
このおふたりがいれば、私達はきっと大丈夫です。


私達は船の中から、ありったけの食料と水を持って行きました。
と、言っても、もうそんなに残っていなかったので、そんなに重いわけじゃないんですけど。

私達は山の頂上を目指すことになりました。
これはアトラさんが「山で遭難した時は、下じゃなくて上を目指す」って言ったからです。
私が意味をたずねると-

「山で遭難した時は、絶対に降りちゃだめ。 かえって樹々に邪魔されて方向が分からなくなるから。
 それに沢に当たる可能性が高いから」

沢(さわ)?

「簡単に言えば川のことね」

川があれば、それにそって降りればいいのでは? いずれ何処かに出るでしょうし。
それに水の心配もいりませんし……


「沢は必ず滝になるから、かえって身動きできなくなる。
 それに沢は急に増水したりするし、とても危険よ。 だから登るの。
 頂上にでれば周りを見渡せるし、位置関係も把握しやすい。 何処になにがあるかも判断しやすい。
 だから山で遭難したら、降りずに、必ず登るの」

だそうです。 うん。勉強になります。



私達はひたすら登り続けました。
不思議なことに、ときおり「道」がありました。
といっても、獣道に少し広くなったような感じですが。 誰かがいるんでしょうか?

藍華ちゃんが遅れがちでした。
アルくんのことも心配なんでしょうが、なによりも彼女を苦しめていたのは、靴のようでした。
私の「ARIA・カンパニー」と、アリスちゃん達の「オレンジ・ぷらねっと」の制服では靴はブーツです。
山を登りやすいってほどではありませんが、そんなに苦痛は感じません。
でも、藍華ちゃんと、あゆみさんの「姫屋」の靴は、ハイヒールなんです。
きっと想像以上に足に負担がかかっていたのでしょう。
(それでも平然と先頭に立って登ってゆくあゆみさんは、すごかったです)

それでも藍華ちゃんは泣き言ひとつ言わず、一生懸命歩き続けます。
いつしか私達は藍華ちゃんのペースに合わせて歩いていました。
みんな優しくて、いい人達ばかりです。




「水だ!」
先頭を歩いていたあゆみさんが叫びました。
ちょうど山の中腹にあたる場所。
生い茂る木々を抜けたその先に、大きな泉がありました。
私達は一目散に駆け寄ると、むさぼるように、その水を飲みました。
泉の水は冷たくて、とても美味しかったです。
 

-どっぱーん!

音ともに水飛沫が上がりました。
見ればそこには、頭から飛び込み、ぷかぷかと浮かぶアリア社長の姿が……とても気持ち良さそうです。

「よしっ。ウチも泳ぐか!」
あゆみさんがそう叫ぶと、いきなり服を脱ぎはじめました。
「あ、あゆみ?」
アトラさんが絶句します。 他のみんなも「メガテン」状態でした。
そんな私達に構わず、あゆみさんはブラもショーツも脱ぎ捨てて、一糸纏わぬ姿になると、そのまま泉に飛び込みました。

「どうした、みんな。 気持ちいいぞ!」
あゆみさんが、水の中から手を振り誘います。
で、でででででででででででも……………

「でっかい、はい!」
「アリスちゃん?」
驚いたことに、その言葉に真っ先に反応したのは、アリスちゃんでした。
なんの躊躇もなく、服と下着を脱ぎ捨てると、その幼いながらも、なかなかの肢体を晒しながら、泉に走り込みました。

「ぷふぁ……ああ、先輩方、でっかい気持ちいいですよぉ」
にっこりと微笑み、言います。
その後はもうみんな、堰を切ったように……気がつけば、いつの間にか私も生まれたままの姿で泉の中を泳いでいました。

ばしゃ!
はひいいいいいっ

不意に水をかけられました。
「こりゃ、灯里。 そんなイヌカキ泳ぎ、みっともないから禁止!」
藍華ちゃんが、腰に手を当てながら偉そうに言います。 けど-
上も下も、大事なトコロは丸見えです。

「藍華ちゃん、やったなぁ!」
私は立ち上がると(もちろん、すっぽんぽんです)藍華ちゃんに「お返し!」とばかりに水をかけます。

「先輩方、何、子供みたいなことをわふっ!」
ばしゃばしゃと水を掛け合う私達に、アリスちゃんがあきれたように言います。
もちろん返事は水飛沫。

「ちょ、おふたりとも止めてください。 あぶあぶ……もう、止めてくださいってば!!」
アリスちゃんが両手を振り回しながら水を飛ばします。
いつの間にかそれは、あゆみさん達にも広がって……
私達は歓声をあげながら、水を掛け合いました。
それはとても楽しい時間で……



  ****


「さあ、行こうか!」
あゆみさんが、再び声を上げます。
昨日は泉のほとりで、ゆっくりと休みました。
こんなに気持ちのいい目覚めは久しぶりでした。
服も洗濯して着心地よし!
私達は頂上を目指して、再び歩き始めました。


歩くこと2、3時間。 ついに頂上へ。
そこからは島の様子が一望のもとに……

やはりここは小さな島でした。
一日あれば島を一周できるでしょう。
もっとも一箇所、大きな断崖が海まで迫っている場所があるので、歩いて一周は無理そうですが……

「まぁ!」
そしてそれを見つけたのも、やっぱり、まあ社長でした。
「どうしたんですか、まあ社長。 そんなに飛び跳ねて……」
見れば、まあ社長はアリスちゃんの手の上で、さかんに飛ぶ跳ねながら、一点を指差します。

「……船?」
目を凝らせば、少し先の砂浜に、一隻の船がいました。
大きな黒い船でした。

「あれは…外輪船?」
アトラさんが呟きます。 見れば大きな水車のようなものが船の横側にくっついていました。

「とりあえず、あの船に行ってみよう」
あゆみさんの声に、みんなが一斉に頷きました。


私達はそれから山を降り、砂浜を渡り、外輪船に近づきました。

大きい。
まじかに見れば、それはとても大きな船でした。
まるで「海との結婚」のときの、ブチントーロのように。

「これって外洋船だよね……」
「ええ……一昔前に流行ったタイプね……」
杏さんの問いかけに、アトラさんが呟くように答えます。

「よし、とりあえず中に入ってみよう」
「あゆみさん。危なくない?」
「お嬢。こうしていたってラチはあきません。 それにうまくいけば、この船使えるかも」
「使う?」
「はい。 帰るためにね」

-帰るため

その一言が私達に思い出させました。 あの懐かしいネオ・ヴェネツィアへ。
あの懐かしい人達の元へと帰るのだと。


「いい。必ずふたり一組で動くこと。 絶対にひとりで動いちゃダメよ。 必ず視界の中に、相手を捉えておくこと。
 もしはぐれたときも、無闇に動かず、ここに戻ってくること。 何かあったときも、ここに戻るのよ。
 それも一目散で。 絶対に無理や無茶や余計なことはしない。 何かを見つけたとしても、絶対に触っちゃダメ。
 何が起こるかわからないから。
 時間は15分。 それ以上は次にまた調べればいい。 みんな分かった?」

アトラさんが注意します。 
ペアは結局、あゆみさん&アリスちゃん。 アトラさん&杏さん。 そして私と藍華ちゃんです。
ちなみに社長ズ達は、ここでお留守番です。


「それじゃあ、行くよ。 みんな絶対に無理しないように」
そう言うと、あゆみさんとアリスちゃんは、船首の方に降りて行きました。
アトラさんと杏さんが中央。
私と藍華ちゃんは、船尾担当でした。


階段を降りて船の中へ。
船の中は意外と綺麗でした。 
んと、よく映画に出てくる難破船や幽霊船のように、もっとカビが生えてたり、汚れまくりで、絶対、何かでてくる! そんな感じは全然ありませんでした。
ただ少し埃っぽいのが気になるだけで……
私と藍華ちゃんは、それでもゆっくりと慎重に歩みを進めていました。


「ねえ、灯里」
不意にそれまで黙っていた藍華ちゃんが話しかけてきました。
「なに、藍華ちゃん」
「私達、帰れるのかな……」
「はへ?」
私は思わず足を止めると、藍華ちゃんを見ました。

「それに帰っても大丈夫かな……」
藍華ちゃんは、まるで自分のつま先を見るような感じで視線を下げ、小さく訊ねます。

「帰る場所、本当にあるのかなぁ……」

ああ。 やっぱり藍華ちゃんは……

「大丈夫だよ、藍華ちゃん」
「灯里?」
「ネオ・ヴェネツィアの人達が、あんな嵐ぐらいでどうにかなるワケないよ。アクアアルタだって楽しんじゃう人達なんだよ!」
「灯里……」
「それにアルさんだって、ああ見えて、本当はとっても強い人なんだから、大丈夫」
「…………」
「ほら、元気だして、藍華ちゃん。もう、そんな顔してたらアルさんに笑われるよ。藍華ちゃんは笑顔が一番!」
「……ありがとう、灯里。 でも……」
「ん?」
「恥ずかしいセリフ、禁止ぃぃぃっぃいい!」
「ええ~ぇ」
このときの藍華ちゃんは、確かにいつも通りの藍華ちゃんでした。


「ここが最後の扉ね」
元気を取り戻した藍華ちゃんが、ドアに手をかけながら言います。
「いい、行くわよ。灯里」
ゆっくりとドアを開きます。

小さな部屋でした。 けれど内装は豪華で……
部屋の真ん中に大きな机がありました。 左右には本棚。 
難しい学術書のような本が、ところ狭しと並んでいました。
藍華ちゃんが机に近づいていきます。 背もたれの大きな椅子が後ろを向いています。
私も藍華ちゃんの背中に隠れるように、ゆっくりと近づいて行きました。
藍華ちゃんが椅子に手をかけます。


ーぎぃぃぃぃ

軋んだ音を立てながら、ゆっくりと椅子が回転します。
椅子は徐々に正面を向き始め、なにかがゆっくりと姿をみせます。
そこにあったものは!!

ただの赤い実でした。

たくさんの赤い実をつけた木が、まるで椅子から生えているかのように、枝を広げていました。


「ほへ……綺麗だね」
「これ食べれるのかしら」
「だ、だめだよ。藍華ちゃん」
赤い実に手を寄せる藍華ちゃんを、私は必死で引き止めました。

「アトラさんが言ってたでしょ。 何があっても触っちゃいけないって……」
「ちょとくらい……」
「だめだよう。 それにもう時間だから帰らないと」
「……わぁったわよぉ」
ぐずる藍華ちゃんを連れて、今度は私が先頭で元来た道を戻ります。

「遅かったな」
「もう、みんな心配してたのよ」
「大丈夫だった?」
「でっかいお疲れ様です」
一番最後に戻ってきた私達に、みんなが口々に声をかけてくれます。

「はひ。ごめんなさい」
「遅れました」
私と藍華ちゃんは、急いで頭を下げました。

「じゃ、みんな、何があったか報告し合いましょう」
アトラさんが声をかけました。


  ****


結局、私達がこの船の全部を調べることができたのは、その日の午後遅くのことでした。
まず船首には船室がありました。
6人部屋が4つに個室がいくつか。 これからの私達の住む場所になりそうです。

真ん中のブロックには操舵室。 下の部分には食堂、調理室、倉庫。 などなど。
それから私と藍華ちゃんが行った船尾には機関室。 それと何かの実験室みたいな場所。
あの赤い実をがあった部屋はどうやら船長室のようでした。

そしてやっぱり誰もいませんでした。
死体やそれに類する物は何も……正直、ほっとしています。

最後に、私と藍華ちゃんが報告します。

みんな、あの赤い実には興味津々。
見るからにつやつやと輝き、食欲をそそる甘い香り。
誰もが思わず手を取り、かぶりつきそうでした。
でもアトラさんと、あゆみさんが止めました。

「こんなところにあるなんて不自然だから」 -と、ゆうのがその理由。

それに別に私達が手を出さなかった、もうひとつの理由。
それは調理室で見つけた、たくさんの缶詰! 種類も豊富で、肉や魚、フルーツまで!

「でもこんなに食料が残ってるなんて、なぜなのかしら……この船は明らかに難破船なのに……」
アトラさんのその疑問は、私達の耳には入りませんでした。
なぜならみんな、その久しぶりの『ご馳走』を食べるのに忙しかったからです。
みんな貪るように缶詰を空け、その中味を堪能しました。

ああ、満腹、満腹。
こんなに食べたのは、あの魚釣り大会以来でした。
あゆみさんは、どこからか見つけてきたワインを飲み、ご満悦。
私達もお腹いっぱい。


そして今晩は、硬い船底ではなく、少しまだ埃っぽさがの残るとはいえ(ちゃんと干したんですよ!)ちゃんとしたベッドの上で眠れるんです。
実はみんなもう寝てます。
みんな安らかな寝息が聞こえてきます。
いびきも! まさか……ちゃんが、こんないびきをかくなんて!
それと……さんは歯軋り。 
うわ、今度は……ちゃんの寝言。 愛しい人の名前を呼んでます。
みんな疲れてるんだね、やっぱり。

あれ? 今のは……
気のせいかな。 うん、気のせいですね。 何かの声が聞こえたような気がしたんだけど……
私もやっぱり疲れてるのかな?

私ももう寝ます。 なんとなく希望が見えてきた気がします。
明日もいい日でありますように。
では、お休みなさい。







 【 遭難・15日目 / 島生活・1日目 】

今日はみんな、お寝坊でした。
気がつけばすでに、お日様は私達の頭の上にありました。
みんなぐっすりと眠りました。 気持ちいい。


「これからの役割を決めようと思う」
朝食の後、あゆみさんが言いました。
「この後、どれくらい此処にいることになるか分からない。 いくら食料があるとはいえ、それも無尽蔵じゃない。
 だから自給自足の体制も整えていかなきゃならない。 そしてなによりも、この島から脱出する方法も考えなきゃならない」

-と、ゆうことで、私達は役割を決めていくことになりました。

この島を探検、かつ食料の確保する係。 これは危ないので、ふたりでひとつ。
この船を調べて、帰る方法を探す係。

この二つは、あゆみさん達、トラゲット三人組が担当してくれます。
探検は、あゆみさんが。 食糧確保は杏さんがやってくれます。 なにしろ魚釣り名人ですから(笑)
それに船を調べるのも、アトラさんが適任です。

で、私達の仕事は-

あの泉から水を汲んでくる係。
清掃と料理当番の係。
最後のひとりは、お休み。

これを順番にしていくことになりました。


「じゃあ、行ってくるよ」
そう言って、あゆみさんと杏さんが、まず最初に出かけていきました。

「じゃあ、もう少し船内のこと調べてくるわね」
そう言って、アトラさんが船の中に降りていきます。

「じゃあ、さっさとお掃除しちゃいましょうか」
そう言って、藍華ちゃんがヒメ社長と布団を干しに行きます。

「じゃあ、私も水汲みに行ってきます」
私はそう言って、アリア社長と一緒にポリタンクを持って船を降ります。

「せ、先輩方。すいません。 私が一番最初に休ませてもらって……」
そう言って、アリスちゃんが、まあ社長と一緒に謝ります。

「気にしないで。どうせ明日にはアリスちゃんも働いてもらわないといけないんだし。 今日はゆっくり休んでてね」
ひたすら謝るアリスちゃんに、みんな優しく声をかけます。



実は私達の間では暗黙の了解がありました。
それは-
もし私達の運命が悲劇的な結末を迎えるようなことがあっても、絶対にアリスちゃんだけは助ける。
と、ゆうものでした。
みんな口には出しません。 でもみんなの気持ちは分かりました。
みんなアリスちゃんが大好きなんです。 まるで妹のように。
アリスちゃんの笑顔を見ることができるのならば、みんな喜んで頑張れるんです。

だからアリスちゃん。そんなに気にしないで。 みんな全然、平気なんだから。



  ****



「アリア社長、何処ですかぁ?」
その日、三回めの水汲みを終えて、私が船に帰ろうとすると、アリア社長の姿が見えません。
不安になった私はアリア社長の名前を呼びながら、あたりを探し回りました。
すると、泉から少し森の中に入ったところから声が聞こえてきました。
その声に導かれるように、その場に行ってみると……

そこは一面の「赤」でした。

緑の森が、真っ赤に染まっていました。
木の実です。
あの船の中の…船長さんの部屋の椅子の上に生えていた赤い木の実が、見渡す限り一面に連なっていました。

「ぷいにゅん」
絶句する私の足元からアリア社長の声が聞こえてきました。

「社長?」
「ぷいにゅうぅぅぅぅぅうひ」
アリア社長は無邪気に笑っています。

私は。
アリア社長は。

「ぷいにゅんにゅんっ」

その笑顔に、私は何も言えなくて……私は……私も………
でも本当に綺麗な木の実です。 どこまでも赤く、どこまでも甘い香り。
本当に、本当に美味し……そう。

口元を泉の水ですすぐと、私は山を降りました。
一目散に。
後をも見ずに。

なぜか私は、あの赤い木の実に笑われたような気がしていました。




  ****



夕食後-
ちなみに今日の夕食は、藍華ちゃんが腕によりをかけて、美味しいシチューを作ってくれました。
そして焼きたてのパン! なんでもいたんでない小麦粉を見つけたそうで……藍華ちゃん、偉い!!
ああ、ごめんなさい。 話がズレちゃった。 あまりにもシチューとパンが美味しかったから……
それにこの日記は、どうせ少したってから、私だけが見るものだしね。 えへへ。


夕食後聞かされた話は、いい話と悪い話が半分半分でした。
いい話は、アトラさんが見つけた、いろいろな材料と工具の数々。 これだけあれば屋形船の修理やオールが何本も作れるそうです。
もうひとつのいい話は、お休みのはずのアリスちゃんが船内を散歩した時に見つけた、さらに大量の食料!
これだけあれば、3ヵ月は楽に過ごせそうです。

次に悪い話。
船内の食料は見つけられたのに、この島にはほとんど食べれるものがないってことでした。
「それが不思議なんだよな。 獣はおろか鳥すらいない。 近くに寄ってきた渡り鳥の群れがいたんだけど、この島を避けてるみたいだった」
「お魚もそうなの。 全然、釣れなかった。 潮流の関係かなぁ。 なんだか魚もこの島には寄り付かないの」
以上、あゆみさんと杏さんのお話し。

おふたりはこの後も、探索や釣りを続けるそうですが、もしかしたら自給自足はできないかもです。

「それとこれはあの船長室で見つけたものなんだけど……」
そう言ってアトラさんが埃まみれの分厚い本を取り出します。
「どうやらこの船の航海日誌みたいなの。 ところどころ破れたり擦れたりしていて、ちゃんと読めないんだけど。
 もし、これが読めれば、この船のこと。乗組員のこと。 あの赤い実のことも分かるでしょうけどね……」

赤い実と聞いて、私はドキリ! としました。
まさか、バレてないよね。

私は少しドキドキしながら、今日見つけた赤い木の実の森について、みんなに教えました。
みんな興味津々で聞いていました。

「とりあえず、安全が確認されるまで、あの木の実には手を出しちゃダメよ。 幸い、食料はまだ余裕があるんだから、興味本位でも手を出しちゃダメ」
改めてアトラさんが言いました。


それから、昨日からネットにつなげられなくなりました。 故障……かな? かな?




 【 遭難・16日目 / 島生活・2日目 】

今日は私が料理当番。
アリスちゃんが掃除とお洗濯。
藍華ちゃんがお休みの日です。

料理当番といっても、結局は缶詰を用意して出すだけです(私には藍華ちゃんのような料理の腕はないので……しくしく)
朝、早起きして朝食の用意をするのと、出かけて行く、あゆみさんと杏さんのお弁当を用意しなければなりません。
あとはまた、アトラさんや私達のお昼の用意。
そして、お腹を空かせて帰って来る、あゆみさんや杏さん。 それにみんなのために夕食を用意すること。
それくらい。
しかもその大半は、缶詰のふたを開けるだけなので……(汗)
今度、藍華ちゃんに料理の方法、聞いてみなくちゃ。



 【 遭難・17日目 / 島生活・3日目 】

今日はお休み。
でも何もすることがないってゆうのは、かえって苦痛。
ってことで、アトラさんのお手伝いをしました。
アトラさんがいろいろと調べている間に、私はオール作りにいそしみます。

まず船内からかき集めて来た木材の中から、これわ! とゆう一本を選んで、のこぎりで切ったり、のみで削ったりして形を整えます。
指を切りそうになったり、道具をひっくり返して、アトラさんを驚かせたりしましたが、どうにか一本、オールらしいのができあがりました。
明日、このオールを使って、屋形船を回収するそうです。
そうすれば今度は屋形船を修理して……いっきにこの島から脱出です!


最近、アリア社長、よくお出かけするなぁ。
あゆみさんみたいに、この島を探検してるのかな? 危ないこと、してなきゃいいんだけど……



相変わらずネットにつなげられません。
アトラさんが言うには、島の磁場の影響かもって。
外の情報が分からないのは、ちょっと不安です。




 【 遭難・18日目 / 島生活・4日目 】 
記載者 アトラ・モンテェヴェルディ

今日は特別に私がこの日記を使わせてもらってる。
深い意味はないんだけれど、今日まで調べた結果を、忘れないうちに記録に残しておきたかったからだ。

灯里ちゃんファンの人、ごめんなさい(笑)

さて、あの船長室から見つかった航海日誌とおぼしき物からなんとか読み取ったところによると、この船はどうやら何かの調査船だったようだ。
なんの調査をしていたかは不明だが、この島に着いたのは嵐による偶然だったようだ。

残念ながら、どうして乗組員はいなくなったか? -とか
なぜ、食料が(遭難、そしてほとんど食べるものがないこの島において)これほど大量に残されたままなのか? -とか
乗組員はどこに消えたのか(死体……骨すらないのだ!) -とか
あの赤い実はなんなのか -とかの解明までは未だ読み解くに至っていない。

また、通常、この規模の船には必ず一定の数、備え付けられているはずの救命艇は、その全てがなくなっていた。
これは遭難した時に切り離されたものか、あるいは、この島に座礁した後に切り離されたものなのか。
ならばその救命艇に乗った人々は、何処に行ったのか。 ちゃんと救助されたのか。
疑問は深まるばかりだ……

エンジン等の機械関係は、そんなに大きく破損しているわけではないが、残念ながらそんな知識のない私達には、どう修理して良いのかも分からず
そのまま放置してしまっている。

ただ船橋で見つけたコンパスと海図とおぼしきものは(これも航海日誌と同じく、残念ながらあちこちかすれ、欠損していた)この島を脱出するときの
大いなる助けとなるだろう。

食料はあと3ヵ月分。
これを多いと見るか、少ないと見るかは、正直、微妙なところだと思う。
あるいは多少、見切り発車でも、強引にこの島を出る必要があるのかもしれない。
もちろん、私の杞憂にすぎないのだけれど……

ネットがつながらないのも不安要因のひとつでもある。
情報が遮断されることが、こんなにも辛いとは。
幸い、みんなにあまり動揺はなさそうだが……個人的には藍華ちゃんが心配だ。
あまり考え込まなければいいのだが。

灯里ちゃん。
いまここに書いてある内容は、ふたりだけの秘密にしておいてね。
みんなを不必要に心配させることもないから。 よろしくね。



 【 遭難・19日目 / 島生活・5日目 】

分かりました、アトラさん。
誰にもしゃべりませんし、見せません。

今日は水汲み当番の日でした。
で、意識しないようにと思うのに、どうしても森の奥の赤い木の実が気になります。
考えないよう。 考えないようにと思うのに、ついつい足が向いてしまいます。

「あれ、杏さん?」
そこには釣りをしているはずの杏さんの姿がありました。

「あ、灯里ちゃん」
「杏さん、こんな所でどうしたんですか?」
「うーん。それが全然、お魚釣れないのよ。 だから今度は島の反対側に行ってみようかと……」
「そうなんですか……お疲れ様です。 あっ、良かったらこの水筒に入れたお水、あゆみさんに持ってってもらえませんか?
 屋形船にいるハズなんで」
「OK。 今日、こっちに持ってくるんだっけ?」
「はひ。 これでようやく本格的な修理ができますね」
「うん。そうだね。 ……それにしても」
杏さんが改めて前を向きます。
そこには一面の赤い木の実が。

「これだけあると、なんだか恐いね」
「はひ。 なんか吸い寄せられそうで……」
本当に何か呼ばれてるみたい。
私と杏さんはしばらく無言で、目の前に広がる「赤」を見続けていました。

「ぷいぷい~い」
「アリア社長?」
不意の声に振り向くと、草の陰からこちらをそっと見ているアリア社長がいました。

「ああ。アリア社長。こんな所にいたんですか? ほら、一緒に帰りましょう。 
 ヒメ社長や、まあ社長も心配していますよ。 痛っ!」
「灯里ちゃん?」
手に鋭い痛みが。 見れば差し出した手の甲にうっすらとした血がにじんでいました。
アリア社長が爪で引っ掻いたんです。

「灯里ちゃん、大丈夫? アリア社長、どうゆうつもり!?」
杏さんがハンカチを巻いてくれながら問いただします。
「ぷいにゅっ」
アリア社長は、そのまま、ものすごいスピードで森の中に消えていきました。 いつものアリア社長とは思えぬスピードでした。

「杏さん。ありがとうございます。 もう大丈夫ですから……ハンカチ。洗ってから返しますね」
「それは別にいいけど……アリア社長、どうしちゃったのかしらね」
「はひ……今度ちゃんと聞いてみます」
「うん。 きっとストレスが溜まってるのかもね。 案外、アリア社長ってば繊細みたいだから。 うふふ」
「杏さん。 それちょっと、失礼ですよ。 えへへ」
私達は大笑いしながら別れました。

…………
…………
口に手を当てて笑う杏さん。
そのとき。 見ました。 見えてしまいました。
それは……いえ、きっと見間違いですね。 

それにしてもアリア社長、どうしちゃったのかな。 今も(もう寝る時間です)船に帰ってきていません。
心配だなぁ……



【 遭難・20日目 / 島生活・6日目 】
記述者 夢野・杏

ごめん、日記、見ちゃった(笑)
アトラちゃんってば心配性。 全然、大丈夫だよ。 
アトラちゃんこそ、あんまり考え込まないの! やわっこく行きましょう!!

灯里ちゃん、怪我は大丈夫?
ハンカチは本当に気にしなくていいからね。
それから…………いや、なんでもないや。
明日も元気に行こうね!



ほへ。
杏さんったらいつの間に……えへへ。 了解です。
元気だけが私の取り柄ですから。
はひ。
やわっこく、やわっこく。 明日も元気で頑張ります!

アリア社長は相変わらず行方不明です。
明日はお休みなので、探しにいくつもりです。
屋形船が、あゆみさんの操舵でやって来ました。
なんでも沖は潮が複雑に流れ込み、結構、たいへんだったとのこと。
つまり、島を出るときは、みんなで力を合わせなきゃ! ですね。




 【 遭難・21日目 / 島生活・7日目 】

一日、島中を探し回ったけど、アリア社長は見つかりません。
社長。どこにいるんですか?
みんな心配してますよ。
早く帰ってきてください。



 【 遭難・22日目 / 島生活・8日目 】

朝から体がダルく、動けません。
少し吐きました。

「疲れが出たんじゃないの? 今日はゆっくり休みなさいな」
本当は今日がお休みのハズの藍華ちゃんが当番を代わってくれました。
ごめんなさい。

………
告白します。
実は私、あの木の実を少し食べました。
あの日。
初めて泉の近くの森の中で赤い実を見つけたとき。
いけないと思いながら、アリア社長と一緒に、赤い実を食べました。

いえ、正確には、食べ続けました。
毎日、少しずつ。少しずつ。
アリア社長と、こっそり食べ続けました。

それはとても甘くて美味しかったです。
その美味しさたるや!
あの日。
藍華ちゃんがせっかく作ってくれたシチューやパンが、全然、美味しく感じられないほどの素晴らしさでした。

アリア社長と一緒に食べた赤い実。
私もつい食べ過ぎて……ごめんなさい。
きっと罰が当たったんですね。  ごめんなさい。

でもアリア社長、ごめんなさい。 早く帰ってきて……




 【 遭難・23日目 / 島生活・9日目 】 
筆記者 アトラ・モンテェヴェルディ

灯里ちゃんは相変わらず熱にうなされている。
どうやらこの記述を読むと、あの赤い木の実を口にしたらしい。
あれ程、手を出さないようにと言っておいたのに。

ほんの少しだが航海日誌を読み進めることができた。
あの赤い実は、この島に突然変異的に群生した植物のようだ。

それを巡って、争いが起こったとも書いてあった。
それはどうゆう意味なのか。
争いを犯してまで、この赤い実を手に入れたい理由。

そもそも赤い実はいったいなんなのか。
何がこの実にはあると言うのか。
もしかしてそれはアリア社長の行方不明にも関係が?

疑問はつきない。

いずれにせよ、あの赤い実には極力、近づかないほうが良いのだろう。
アリア社長。 要注意かもしれない。

 


 【 遭難・24日目 / 島生活・10日目 】 
記載者 あゆみ・K・ジャスミン

なぜか日記を書かされるハメになった。
と、ゆうのも相変わらず、灯里ちゃんの調子が悪いからだ。 心配だが、彼女ならきっと大丈夫だろう。
私は彼女の「強さ」を信じている。

この島は本当に変な島だ。
最近気がついたのだが、獣はおろか、蛇や蛙、昆虫にいたるまで、この島にはいないのだ。
まぁ、おかげで蝿や蚊などの、病気を媒介するようなモノまでいないのは助かるが……
それにあの赤い実。
日記の最初の方も読ませてもらったが、あれは本当にヤバイモノかもしれない。
ぞわぞわする。

赤い実。
行方不明のアリア社長。

私の胸騒ぎは収まらない。




 【 遭難・25日目 / 島生活・11日目 】 
記述者 藍華・S・グランチェスタ

あゆみさんの胸騒ぎ。
これはかなりのモノだと思う。
なにしろ、あゆみさんの直感は良く当たるから。

灯里の意識は戻ったり戻らなかったり。
こりゃあ、灯里。しっかりしなさい。 あんたこそ、ポニ男が待ってるんだからね。
あの暑苦しい馬鹿は、あんたじゃなきゃ制御できないんだから!
だから……だから本当に、しっかりしなさいよ! このまま寝てるの禁止!!
さっさと元気になって、いつも通り「ほへほへ」言いなさい!!


……アルくん、今頃どうしてるかなぁ? 

赤い実かぁ……




 【 遭難・26日目 / 島生活・12日目 】

少し元気になりました。
日記、読みました。
みなさん、迷惑かけてごめんなさい。 心配してもらっちゃって、ごめんなさい。
「とりあえず、今日一日。 横になってなさい。 動き回るの禁止!」
藍華ちゃんも、そう言ってくれます。
はひ、ありがとう。

でもまだアリア社長は帰ってきてないそうです。
アリア社長。どこにいるの? 本当に本当に心配なんですよ!
早く帰ってきて、また元気な声を聞かせてください。
もちもちぽんぽん、触りたいですよぉ。




【 遭難・28日目 / 島生活・14日目 】

早いもので、私達が遭難してから1ヵ月。 この島で暮らすようになってから、もう2週間がたちます。
アリア社長は未だ行方不明。
誰に訊ねても、黙って下を向くばかり。

とりあえず今日は、お食事当番です。
水汲みはまだ辛いだろうと、アリスちゃんが代わってくれました。 ありがとう、アリスちゃん。
でも、なんか私を避けてない? お姉さんは悲しいぞぉ(笑)

そういえばアトラさんってば、煙草吸うんですね。
缶詰を取りに行ったとき、空いた扉の隙間から煙と臭いが。
ふとのぞいて見ると、難しい顔で航海日誌を読みながら、煙草をふかすアトラさんが。
なかなか似合ってます。
うん。それで少しでもストレスが解消されれば、それもいいかなって思います。
でもくれぐれも、吸いすぎは禁止です。

あゆみさんもお酒、飲みすぎです。
ひとりでワイン一本は、さすがに飲みすぎでしょう。
本人は笑って楽しそうだから、別に構わないのかもしれませんが……

みんな疲れてるのかな。
それが証拠に、みんな、食欲が落ちてきてます。
缶詰の味に飽きたってこともあるんでしょうが、食事を少し残し気味です。

そういえば昨日、飲ませてもらったスープは美味しかったなぁ。
なんか新鮮なお肉が入っていたし……あの肉、どこで手に入れたのでしょう。
鳥か何かでも獲れたんでしょうか?
また食べたいです。





      灯里先輩。やっぱりなんにも覚えてないんだ




【 遭難・29日目 / 島生活・15日目 】

え? この最後の書き込みは何? アリスちゃん?
覚えてない? 何を?
なんだかまた、頭がふらふらします。
それでもやっぱり赤い実が私




【 遭難・31日目 / 島生活・17日目 】 
記述者 夢野・杏

灯里ちゃんがボーっとして、何も書こうとしないので、またまた私が奪い取ってしまった。
やわっこく、やわっこく。
そう。いつでも何処でも私は「やわっこく」
そうやって、今まで頑張ってきた。
そしてそれは、これからも。 この島でも。
それは未来への航跡。 明日へと続く未来への航跡。

屋形船の修理はもう少しで完了。
魚がぜんぜん釣れないので、あゆみちゃんとふたりで仲良く直しました。
ちゃんとファルコラ(オールを支える台座だよ)も作りました。
しかも4つも! 
これでいつでも島を脱出できる!


でも……
みんな、ほんとに島から出たいの?
みんな、本当に、あれなしで過ごせるの?

ねえ、灯里ちゃん。 もしかして気づいてた?
えへへ。 あのとき。 あの泉で会ったとき。
私の服、赤い染みがついてた?
あははははは。




【 遭難・34日目 / 島生活・20日目 】
記述者 アリス・キャロル

みんなでっかい、おかしいです。
どうしたんですか? 船の修理、終わったんですよ?
それなのに、どうして島を離れようとしないんですか?
おかしいです。

杏先輩。 何がそんなに楽しいんですか? どうして、そんなに笑ってられるんですか?
アトラ先輩。 煙草吸いながら、どうしてそんなに難しい顔してるんですか?
あゆみ先輩。 ワイン飲み過ぎです。 ってゆうか、そんなに沢山のワイン、何処にあったんですか?
灯里先輩。 もしかして思い出してしまったんですか? あれは事故だったんです。 だからしっかりしてください。

結局、今すぐにでも、この島を出ようと思っているのは、私と藍華先輩だけ。
みんな、本当にどうしちゃったんですか?




【 遭難・35日目 / 島生活・21日目 】
記載者 藍華・S・グランチェスタ

だめだ。 早くなんとかしないと。
船の修理は完了。 食料と水も用意した。
でも……でもなぜかみんな、この島から出ようとしない。 気持ちは分かるけど。


昨日、夢を見た。
アルくんと歩く夢だ。
アルくんと私は、手をつなぎながら一緒にカッレ(小道)を歩く、そんな夢だ。

うきうきしながら。
知らぬ間に歌がこぼれる。
つないだ手を大きく振る。
ヒメ社長は、アルくんの肩に乗りながら、頬にすり寄り甘えてる。
私はとても幸せだ。
 
「ねえ、藍華。 空があんなに綺麗ですよ」
「ねえ、藍華。 風が気持ちいいですねぇ」
「ねえ、藍華。 また手料理を食べさせてくださいね」
「ねえ、藍華。 今度、ふたりっきりで浮き島に行きませんか?」
「ねえ、藍華。 そのヘアピン。とっても似合っていますよ」
「ねえ、藍華。 これはマンホームに昔から伝わる高等古典で……」
「ねえ、藍華。 いつまでも、こうしていたいですね」
「ねえ、藍華。
 ねえ、藍華。
 ねえ、藍華。 僕と…………」

何度も繰り返すアルくんの声。
何度も繰り返される、アルくんの愛しい声。

私は微笑みながら、アルくんを見る。  けど けど けど

そこにはアルくんの「顔」がなかった。

ただノームの格好をした何かが居るだけ。
「顔」のボケた、もやもやしたモノを肩の上に乗っけた「何かが」手をつなぎながら、私の横に立っている。
私は 私は


    アルくんの顔を忘れてしまった!!!!!!





  【 遭難・39日目 /  島生活・25日目 】

日付はたぶんです。
ちゃんとした日にち、分からなくなりました。
もしかしたら、もっと日にちは経っているのかもしれません。
もうみんな、そんなこと、どうでもよくなっています。

昨日、屋形船がなくなりました。
沈んだわけでも、潮に流されたわけでもありません。

藍華ちゃんが乗っていったのです。

それも自分とヒメ社長だけを乗せて。

そう。 私達は藍華ちゃんに置いてきぼりにされたのです。

アトラさんは船長室に閉じこもってしまいました。  きつい煙草の匂いが、煙とともにたちこめています。
あゆみさんはワインばかり飲んでいます。 ……ねえ、あゆみさん。 それってばワインですよね。
間違っても、あの赤い実のジュース……なんでもないです。
杏さんは、それでもニコニコと微笑んでいます。 こんな事など、何にも心配していないかのように。
アリスちゃんは……寝込んでしまいました。
まあ社長が心配そうに寄り添っています。

誰も口には出しませんが、裏切られた -とゆう思いは誰しもが感じています。

藍華ちゃん。 藍華ちゃんの………バカっ





 【 遭難・じゃあ、45日目? / 島生活・1ヵ月目だ。 オメデトー☆ 】
書いてる人。 偉大なる魔法使い。 夢宮じゃない夢野杏ちゃんだよ!

みんな気にし過ぎ。 気楽に行きましょう! 
やわっこく。やわっこく! えっへっへっ。
ああ、楽しいなぁ。





アリス追記。
杏先輩。この日記の書き込みの後、行方不明に




 【 遭難・49日目 / 島生活・34日目 】 

今やみんな公然と赤い実を食べる。
一度食べたら止められない。
駄目だと思っていても、つい食べてしまう。

普通の食事なんかいらない。 あの赤い実だけがあればいい。 
アトラさんも、あゆみさんも(やっぱりあのワインみたいのは、木の実のジュースだった(笑)
アリスちゃんも。

でも私とアリスちゃんは、時々倒れる。 
きっと合わないんだ。 何度も吐く。 倒れる。
でも美味しいから、また食べる。 吐く。倒れる。
でも何度も食べる。 うん。美味しい。

藍華ちゃんがいなくなってから、みんな良く食べる。
でも赤い実は、なくならない。
いくらでもある。

藍華ちゃん。 こんな美味しいもの食べれないなんて、可哀相。
でも仕方ないよね。
ひとりで勝手に帰っちゃったんだもん。
ほんと、仕方ない。


うん。 アカ……ウマ………




 【 遭難・2ヵ月目 / 島生活・46日目 】 
記載者 アトラ・モンテェウェルディ

日付に間違いはない。
私も私で日付は確認していた。
今日は間違いなく、遭難・60日目だ。

ある程度の航海日誌の解読が終わった。
まだ一部、読み解けない場所もあるが、大まかなことは分かったつもりだ。

結論から言おう。
あの赤い花は、この島で突然変異でできた一種のキメラ的植物だ。
この花は、それを取り込んだ動物に強烈な幻覚作用を及ぼす。
まるで麻薬のように。

そしてなにより恐ろしいのは、この木の実は人を誘う。 そして同化する。
この木の実を食べた人間は、一部の例を除けば、その習慣性を刺激して、毎日でも、いくらでも、この木の実を食べさせるように仕向ける。
ただの植物なのに!

そして彼等はそれを増殖の手段とするのだ。

はっきりと言おう。
この木の実を食べ続けた人間は、己が体を触媒として、木の実を増やし続けるのだ。
まるで寄生虫が宿主を喰らい、成長していくように。

つまり。いずれ私達もあの木の実になるのだ。
体中の養分を摂取され、神経をも汚されて。

あの、杏の奇妙な陽気さは、すでに乗っ取られている証拠だった。
あの、あゆみの浴びるように飲む、ワイン(本当は赤い木の実の果汁だ)も。
かく言う私も、すでに体の一部を侵食されている。 肉体の一部は変化し始め、特に足は見せられたものじゃない。

ときどき、こうして意識がもどるのは煙草のせいか?
普段はロクに思考もできなくらい、意識が混濁する。
もっとも。この煙草を吸う-とゆう行為そのものも、この赤い実の影響なのだが……

今も彼等は呼びかけてくる。
「私をお食べ」と呼びかけてくる。  今も呼びかけてくる。 呼びかけてくる。




 【 遭難・62日目 / 島生活・48日目 】

また吐いてしまった。
食べながら吐く。 けれど止められない。
アリスちゃんも同じようだ。 何度も吐いている姿を見る。
ときには並んで吐くことも。

この時、意識は戻ります。
夢うつつの中から、ぽっかりと目が覚めるように。


今日はそんな日。
ふと見ると、海岸に屋形船が打ち上げれていました。
藍華ちゃんが、ひとり乗っていってしまった、あの屋形船です。

ふらつく足を叱咤しつつ船に乗り込みます。
藍華ちゃんの姿を探します。
ヒメ社長の姿を探します。

けれど何もない。 誰もいない。
あるのは散乱した、いくつもの缶詰と水をいれた水筒。
そのどれもが空っぽでした。

唖然と立ち尽くす私の肩を、誰かが叩きました。
「藍華ちゃん!?」
驚いて振り向く私の目に映ったのは、ヒメ社長を抱きしめながら、照れ笑いを浮かべる藍華ちゃん !   
ではなく。
無表情にワインを飲む、あゆみさんの姿。

あゆみさんは無言で壁の一点を指差します。
そこには、赤い文字で、こんな言葉が書かれていました。


『 島を脱出してから10日
 一艘の船も航空機にも会えず 食料 水もすでに底を尽き もうオールを漕ぐ気力もない
 ヒメ社長もすでに硬直が始まっている
 もう希望もない
 このまま朽ちるのは嫌だ

 アルくん
 最後にもう一度会いたかったよ
 
 でも喜んで
 昨日 ようやくアルくんの顔 思い出すことができたよ

 だから私は幸せ
 だから私は幸福

 アルくん アルくん アルくん アルくん アルくん アルくん アルくん アルくん アルくん アルくん アルくん アルくん
 アルくん アルくん アルくん アルくん アルくん アルくん アルくん アルくん アルくん アルくん アルくん アルくん

 アルくん 月がこんなに綺麗
 アルくん 海が呼んでいるわ 
 
 今から帰るね 』





私は涙が止まりませんでした。
いったい自分の中に、どれほどの涙があったのかと思うほど、私は泣きました。
まるで生まれたての赤ちゃんのように、私は泣き続けました。

きっと誰よりも帰りたかったのは藍華ちゃんだったんだ。
愛しい人に。
アルさんに、どうしても会いたかったんだ。

藍華ちゃん。 ごめんね。
気がついてあげられなくて、ごめんね。
藍華ちゃんのこと、思ってあげれなくて、ごめんね。
ごめんなさい。 ごめんなさい。 ごめんなさい。

私も……私も暁さんに会いたい。
ごめんね。 ごめんね。 藍華ちゃん。 ごめん。 私を許して。





 【 遭難・63日目 / 島生活・49日目 】

私、決めました。
絶対、絶対にもう赤い実は食べません。
みんなも絶対に止めます。




 【 遭難・65日目 / 島生活・51日目 】
あゆみだ。

灯里がうるさいので、アトラとふたりで船室のひとつに閉じ込めた。
ウチの好きにさせろ。
ウチは誇り高きシングルなんだ。
トラゲットは誰にも渡さない。
誰もウチに意見なんかするな。
うるさい。うるさい。うるさい!

ふっふっふっ。
自分の体から生えた赤い実を肴に、赤い実のジュースを飲むってのも、なかなかオツなもんだな。




 【 遭難・66日目 / 島生活・52日目 】
記述者 アトラ…なんだっけ? 忘れた。

もういいわ。
もう終わりにしよう。

ほんの少しでも理性が残っているうちに。

あゆみ。 行きましょう。
杏が待ってるわ。
あの子、さびしがり屋だから、きっとひとりで泣いてるわ。

ええ、私達、親友だものね。




 【 遭難・67日目 / 島生活・53日目 】

アリスちゃんがヘアピン(藍華ちゃんのだ)を使って、助け出してくれました。
でも船内には誰もいません。 アリスちゃんと、まあ社長だけです。
アトラさん、杏さん、あゆみさんは何処へ行ったのでしょう。
もちろん、あそこしかありません。

私は一日がかりで、ありったけの食料と水を屋形船に積み込みました。
正直、くたくたです。
でもまだ正気なうちに。
まだアリスちゃんがいなくならないうちに。
この島から出ないと。
明日にでも出ないと。








 【 遭難---日後 / 海上 】

今、私達は波音に揺られています。
私達は、あの島から逃げ出しました。
アリスちゃんとふたりで(まあ社長も一緒です)あの島を抜け出しました。

今、私達のまわりには、白い霧が立ちこめるばかり。

私はぼんやりと思い出します。

あの日、あの夜。
何が起こったか。 みんなどうしたのか。 どうしてこんなことになったのか……



  ****
   

その夜。
私とアリスちゃんがひとつのベッドで抱き合って眠っていると、アトラさんが来ました。
暗い船室の中、アリスちゃんの悲鳴で目を覚ました私は、その時、闇の中に光る、真っ赤なアトラさんの瞳を一生忘れないでしょう。

アトラさんは片手でアリスちゃんを持ち上げ、連れて行こうとします。
スゴい力です。
必死に抵抗するアリスちゃん。
空いてるほうの腕にすがり、私はアトラさんを止めようとしました。

でも
でも

アトラさんの腕が肩からもげました。

ズルっとした感じで、なんの抵抗もなく、アトラさんの腕がもげました。
私はその手を持ったまま、悲鳴を上げました。
アリスちゃんも悲鳴を上げます。
狭い船室に、ふたりの悲鳴が響きます。

でもアトラさんは、なんの痛みも苦痛も感じていないようでした。
無表情に、そのままアリスちゃんを担いで船室から出て行きました。

私が正気を取り戻したのは、それからどれくらい経ってからでしょう。
気が付けば私は、アトラさんのもげた片手を持ったまま、ただ、ぼうっと、その腕を眺めていました。
そんな私を気づかせてくれたのは、まあ社長です。

突然、走ってきた、まあ社長が、私の顔面に跳び蹴りをかましたのです。
痛かったです。
痛かったですけど、私はおかげで正気にもどりました。

「まあ!」
まあ社長が「ついて来い!」とばかりに私に叫びます。
もちろん、私は走り出しました。
何処に行ったか。 何処に連れて行かれたか。 まあ社長に言われるまでもなく分かっていました。
あそこしかありません。
私は夜のジャングルを走りました。
幸い、ふたつの月が煌々と輝き、灯りに不自由はしませんでした。

私が向かった先-

そう、それはあの泉でした。

息を切らして泉にたどり着けば、おりからのふたつの月が、水面に光って、それはとても幻想的で素適ンぐで……
でもゆっくりと見ているヒマはありません。
私はそこからまた木々の中に入り、そこを目指しました。

いつ見ても圧巻です。
木の実が一面を真っ赤に染め上げています。
そんな赤い実の森の中。
その一番奥。
ひときわ大きな樹が、数え切れないほどの赤い実を実らせてたたずんでいました。

「アリスちゃん!」
その樹の前にひとりの人影が。
そしてその前には、放心したように座り込むアリスちゃんの姿が。

「まあぁぁぁ」
まあ社長がアリスちゃんの腕の中に飛び込んで行きます。
「まあ社長?」
その衝撃で、アリスちゃんも意識を取り戻したようです。

「アリスちゃん!」
「灯里……先輩?」
「アリスちゃん、大丈夫? さあ、行こう。 いますぐ、この島を出よう」
私はアリスちゃんを抱きかかえるように手を回すと、その場を離れようとしました。

「待ちなさい」
人影が言いました。

「行くか、ここに残るか。 その子に決めさせなさい」
アトラさんが言います。

「アリスちゃん。 いえ、オレンジ・プリンセス。 ここに一緒に残りましょう」
ただ一本残った腕を差し出しながら、アトラさんが言います。

「ここにいれば寂しくないわ。 ほら、みんなここにいるもの」

突然、アトラさんが光に包まれます。
背後も聳え立つ、赤い樹が月明かりに染まり輝きます。

その時。 私は気が付きました。
アトラさんの足元。
アトラさんを挟むように立つ、二本のちいさな木。
いっぱいの赤い実をつけた、二本のちいさな木。

「これは杏よ」
アトラさんは静かに身を屈めると、やさしく片方の木を撫でました。

「その木が……杏さん………」
「ええそうよ。 杏は早かったから。 うふふ。 もうこんなにもなっちゃって」
いとおしそうに、恋しそうに、その赤い実を撫でるアトラさん。
その一個をもぎると口の中へ。

「ああ美味しい。 ほんとにこの子は、いつでも私の先をゆく……」
アトラさんは嬉しそうに言いました。

「それじゃあ、もうひとつは……」
「ええ。 もちろん、こっちは、あゆみよ」
そう言って、もう一本の木に手をかけるアトラさん。
そこには、あゆみさんの顔がはっきりと。

「あゆみさん!」
私の声に、あゆみさんは…その木はゆっくりと瞼を開けました。
「あゆみさん。 あゆみさん」
あゆみさんが私を見ます。
顔だけを残して赤い実に囲まれたあゆみさんは、それでもにっこりと微笑んでくれました。

「あゆみも、もうすぐね」
「もうすぐ?」
「ええ。 あゆみも、もうすぐ杏のようになるわ。 うふふ。 素適ね」
「アトラさん……」

「さあ、アリスちゃん。 どうするの?」
アトラさんが……アトラさんだったモノが訊ねます。
「残る? それとも帰る?」
「アトラ先輩……」
「まだ私のこと、先輩って呼んでくれるのね。アリスちゃん」
アトラさんは、少しさびしげに微笑みました。
「アトラさん。一緒に行きましょう」
私は思わず叫んでいました。

「アトラさん。私達と一緒に行きましょう」
「ありがとう、灯里ちゃん。 でも答えはNOよ」
「アトラさん……」
「杏とあゆみを残していけないわ。 それに……」
アトラさんは優しい視線で足元の二本の木を見ながら言います。

「ここはとても心地好い。 ここにはたくさんの仲間がいる」
「たくさんの仲間?」
「ええ。アリスちゃん。ここにいるのは私達だけじゃないの。 あの船に乗ってた人達だって、ほら、ここに……」

                                
-AHAHAHAHAHAHAAAAAAAA

突然、私達の周りの赤い樹達が笑い声を上げます。

-AHAHAHAHAHAHAAAAAAAA

ゆさゆさと枝を揺らし、まるで私達を取り囲むかのように、樹々がざわめき始めます。

-AHAHAHAHAHAHAAAAAAAA

それはまるで私達をあざ笑うかのように……

「そう、ここに居るのはみな、赤い実を食べて、赤い実になった人達ばかり……」
「そんなっ」

-AHAHAHAHAHAHAAAAAAAA

絶句する私達を赤い実が笑い続けます。
赤い実の笑い声が押し寄せてきます。



-BOMM!

突然、アトラさんが弾けました。
アトラさんの制服を破って、何本もの枝が突き出してきます。
アトラさんは見る間にその枝に包まれて。
実がなります。
花が一瞬に咲き、落ち、すぐに実が、赤い実がアトラさんを包んで行きます。

眼鏡が落ちます。
アトラさんがいつもかけていた、小さな眼鏡が落ちます。
きらきらと輝きながら、眼鏡が落ちます。

ポトン-と、眼鏡は割れることなく地面に転がりました。
グシャ-と、その眼鏡をアトラさんが……アトラさんだったモノが踏み潰します。
眼鏡は醜く潰されました。


アトラさんの顔の半分が崩れ、そこが飛び出た枝が赤い実に覆われます。
アトラさんは残ったひとつだけの目で、こちらを凝視しています。

「アリスちゃん!」
私は放心状態のアリスちゃんの手を引っ張ると、その場から逃げ出しました。
行く手を赤い実をつけた無数の樹が邪魔をします。
私達はそれを掻き分け、なんとか前に進みます。

「アトラ先輩!」
アリスちゃんが叫びます。
おもわず振り向くと、そこには月明かりに輝き、二本の小さな赤い木に挟まれた『アトラさん』が、まるで光浴びる聖女のようにたたずんでいました。
『アトラさん』は、その実に包まれた片手をあげ、まるで「さよなら」をするかように揺らします。
ひとつだけ残った目。
ひとつだけ残った、真っ赤に染まった目。
その目に光っていたものは、涙だったのでしょうか?

「アトラ先輩! 杏先輩! あゆみ先輩! いやああああああ!!」

泣き叫ぶアリスちゃんの腕を強引にひっぱりながら、立ちふさがる樹々を払いながら、私は進みました。




 ****



それから先のことは、よく覚えていません。
気が付くと私は、逆漕ぎで屋形船を操っていました。
それが良かったのかもしれません。
うまく潮に乗ったせいか、私達は二度とあの島へ戻ることはありませんでした。

幸い、食料や水はまだまだあります。
アリスちゃんも、まだ少し辛そうですが、まあ社長となんとか元気にやっています。

あの島は、なんだったんでしょうか。
あの赤い実は、なんだったんでしょうか。

まるで私達を弄(もてあそ)ぶかのように、生まれ続ける赤い木の実。
まるで贖罪を求めるかのように、人を誘う赤い木の実。

これも「AQUAの不思議」とでもゆうのでしょうか。
分からない。
私には分からないことばかりです。

アリア社長。
何処にいるんですか?
きっと……きっとアリア社長も「あの」中にいたんですね。
あの、ざわめく木々の中にいたんですね。
分かってあげれなくて、ごめんなさい。

ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。

私はそのことだけが気がかりです。






 ****





灯里先輩。やっぱり覚えていないんですね。
あの日のこと。
そう。
灯里先輩が、アリア社長を殺してしまった、あの日のこと。


あの日。
島に着いてから13日目のこと。
突然、乱入してきたアリア社長。 まるで何かに取り憑かれたかのように暴れる、アリア社長。
船長室の木の実をなぎ倒し、ワインの中身をぶちまけ、狂ったように暴れまわるアリア社長。
ついには、ヒメ社長を押し倒し、まあ社長を突き飛ばし始めるアリア社長。
私達の手に負えない。
そんなとき、寝込んでいた筈の灯里先輩がやってきて……

今思えば、灯里先輩も赤い実の毒にやられ、おかしくなっていたんだと思います。
それに、あのときのアリア社長の行動は、赤い実を食べさせまいとする意志の表れだったのかも。

はぁ……今更、そんなこと言っても、でっかい手遅れですね。

ともかくあの日。
暴れまわるアリア社長を止めようとした灯里先輩は、間違ってアリア社長を殺してしまいました。
それ自体は事故です。
たまたま灯里先輩に突き飛ばされたアリア社長が階段から転げ落ち、猫とも思えぬ運動神経のなさから、首の骨を折って死んでしまうとは-

でもやっぱり、灯里先輩は…いえ、私達全員が、おかしくなっていたんですね。
アリア社長を食べるだなんて。

新鮮な肉のスープ。
この島でそんなもの、手に入るハズないじゃないですか!
魚さえ釣れないのに。

むさぼり喰う私達。
今、思い出すだけで私は……いえ。そのどれもこれもが、あの赤い実のせいです。
いえ。 せいにしたいです。
でなければ、とても正気ではいれません。



ねぇ、灯里先輩。 気づいてますか?
先輩の顔。 あの時のアトラ先輩のように、半分、赤い実に覆われていますよ。
背中にもびっしりと赤い実がなっていますよ。

笑っていますね。
楽しそうに、いつでも微笑んでいますね。
まるであの時の杏先輩のように。

それにどうして、ワインを飲んでいるんですか? 何処からそんなもの、手に入れたんですか?
あゆみ先輩と同じですか?

ときどき、私のことを藍華ちゃんって呼びますね。
あるときは、アトラ先輩であったり。
あるときは、杏先輩であったり。
あるときは、あゆみ先輩であったり。
私の顔を。 みんなの顔を忘れてしまったんですか?

そして。
灯里先輩は気がついていないのかもしれませんが、まあ社長はとっくに赤い樹になっていますよ?
私がいっつも大切に抱いているから、そう見えるんですか?



灯里先輩。
私、でっかい思うんです。
私達は、この星に試されたんじゃないかって。
私達は、それに負けたんでしょうか?

それとも私達は、あの赤い実になることで、この星の一部となることができたんでしょうか。

私には分かりません。
でも。
でも、ただひとつ分かっていること。


先輩から生えてるその赤い実。
とっても美味しそう。
見ているだけで、よだれが出てきます。
その甘い香りが私を誘います。

そして灯里先輩は-
いつでも、でっかい笑顔を浮かべています。
私は。 私は………





































『チェック・メイト・キング・2(ツー)からホワイト・ロック。 聞こえるか?』
『チェック・メイト・キング・2。こちらホワイト・ロック。 軍曹。 良く聞こえている』
『了解。これより降下を開始する。 映像は届いているか?』
『ああ。よく映っている。 降下を開始せよ』
『了解。 ダイブ、ダイブ、ダイブ!』

『ホワイト・ロック。 キング・2
 降下完了。 これよりSAR(サーチ・アンド・レスキュー「捜索救助」)を開始する。
 ……船内に生存者なし。死体もなし。 パソコンが置いてある。 落下注意のシールが張ってある。
 何かデーターが入ってるかもしれん。 回収するぞ。
 ン? 壁になにやら書いてある。 映像送るから、解析はそちらでよろしく。   わっ?』

『どうした軍曹。 何があった? こら返事をしろ。 軍曹。 聞こえているのか、軍曹!」
『うるさいなぁ、アン。 画像は見えてるんだろ。 そんなに大きな声、出すなよ』
『軍曹。任務中は、ちゃんと上官への敬意をしめしなさい』
『へぇへぇ、中尉殿。 で、映像見えてるか』
『ええ。 なんなの、それ』
『赤い実だ。船内いっぱいに赤い木の実がなっている。真っ赤だ。 美味そうだな……』
『間違っても食べたりしないでよ。 下痢でもされたら、たまらないわ』
『了解、了解。 とりあえず一部をサンプルとして持ち帰る。オーバー』
『了解、チェックメイト・キング・2。お疲れ様。 帰投しなさい。 アウト』

『はいよ。任務完了。 RTB(リターン・トウ・ベース「基地への帰還」)
 ……それにしても美味そうな実だなぁ。 どれ、ひとつ………」






                 - 終 -








































【 遭難したウンディーネ達を襲う恐怖。 無人島で繰り広げられる悪夢の日々。
  B級ホラー映画の巨匠、ルチオ・アルジェントが贈る、サイコ・ホラー映画の決定版。
  原案にはなんと、現役プリマ「オレンジ・プリンセス」として有名なアリス・キャロルの名が!
  この夏一番の話題作「 Un noce rosso 」 どうか、お見逃しなく!! 】

      -月間ウンディーネ。17月号。 MEDIA Pick up! より転載-






     「 Un noce rosso(赤い木の実)」-La’fine









東宝特撮映画に「マタンゴ」ってゆう作品がありまして……(鹿馬)

>omega12さま。
勝手に氏の作品「片腕のウンディーネと水の星の守人達」の人達をお借りしした。
ご不快でしたら、お叱りください。 すぐに修正させていただきます。




[6694] Una persona ostinata & Fanciulla di ferro 
Name: 一陣の風◆5241283a ID:8350b1a5
Date: 2011/03/24 17:26
 17本目のお話しをお届けします。

懲りずに「彼」分投入です(鹿馬)
しかも書き終えてから気が付けば、今回のお話し、あの方とあの人を除いて、全てオリキャラで展開しています(汗)

ARIAファンの方々、すいません。
それでも許していただけた、みな様の心に、ほんの一片の桜の花びらが見えていただければ、これに勝る幸せはありません。

それでは、しばらくの間、お付き合いください。

ちなみに私は「超ド級」の愛煙家です(大鹿馬)






   **** 




      【 みんな素適なバッジェーオね 】



ネオ・ヴェネツア運航局々長。 アドルフ・H・ガーランドの朝は早い。

6時、起床。
そのまま軽くストレッチの後、散歩を兼ねて1ブロックをジョギングする。

「おはようございます」
顔見知りとなった近所の人達が声をかけてくる。

「おはようございます」
開店準備に忙しい、店員達も声をかけてくる。

「お早うございます」
早朝練習中らしいウンディーネ達も、ゴンドラの上から声をかけてくる。

「うむ。みな、お早う、なのである」
そんな人々に答えながら、アドルフは走る。
三十分かけて一回りすると部屋にもどり、シャワーを浴びて朝食へ。

菜食主義者のアドルフの朝食は、質素なものだ。
野菜のサラダにポテト。 それにライ麦のパン。
それを六種の新聞を読みながら、紅茶で食する。

そして7時30分。
後片付けを済ましてから家を出て、庁舎へと向かう。
掃除や洗濯は、契約しているメンテナンス会社から派遣が来て、すませてくれるのだ。


つまり-
ネオ・ヴェネツア運航局々長。 アドルフ・H・ガーランド氏は、パリパリの「独身者」なのである。






     第17話 「 Una persona ostinata & Fanciulla di ferro」




庁舎までの道のりを、ゆっくりと歩いて行く。
本来なら彼クラスの役職ともなれば、行き帰りには専属のゴンドラ(姫屋、もしくはオレンジ・ぷらねっとの)が付くのだが、
最近、アドルフは、それを断っていた。

経費削減。
健康管理。
癒着禁止。


言い訳はいくらもあった。
けれどその本当の理由は-

移りゆくこの街の景色を眺めながら、のんびりと歩きたかった -からだ。


-私達は、このAQUAの不自由さが、とても愛しいんです。


ふとアドルフの脳裏に、そう叫んだピンクの髪のウンディーネの言葉が甦る。 ふふふ
苦笑ともとれる小さな微笑みを浮かべ、アドルフはゆっくりと歩を進めた。



8時-
執務室着。
今日もアドルフが一番の登庁だった。
「上司たる者。誰よりも先に来て、仕事の用意を始めねばならない。 それが給料分の仕事。 と、言うものである」
とは、問われて答えたアドルフの台詞。
「責任」「信条」とか言わないあたりが、アドルフのウィットなのだが、おかげで「重役出勤」なる言葉は、ここ運航局において
死語となりつつあった。

もっともアドルフはその事を自ら実践するものの、それを部下に強制的に押し付けたことは一度もなかったのだが。



執務室に入ったアドルフは、おもむろに全ての窓を開け放つと、机の中から小さな箱を取り出した。
それは「ヒュミドール」と呼ばれる、特別な箱だった。
表面にはなぜか、手に斧と拳銃を持った、某・鼠の絵が描かれている。
ゆっくりと蓋を開ける。 独特な匂いが立ち込める。
その箱の中から取り出した物。 それは葉巻たばこだった。

アドルフが自ら「我が懺戒の悪癖」 と呼ぶそれは、マンホーム、キューバ産。プレミアム・シガー。
それも職人が一本一本、手巻きで作る、ハンドメイド・シガーと呼ばれる最高級品だった。

片方の先端を、ナイフで切り落とす。 俗に「フラットカット」と呼ばれる切り方だ。
マッチを取り出し、火をつける。
まず一本目で、カットしなかった方を全体にあぶる。
続いて二本目で、葉巻を回転させながら点火する。
このとき、間違っても紙巻たばこのように吸い込んだりしてはいけない。
そんなことをすれば、燃え方に偏りができて、風味や味が落ちてしまうからだ。

充分、先端が燃えたことを確認して、そこで初めて、ゆっくりと吸い込む。

至福の時。

もちろん、執務室はおろか、庁舎内すべてが禁煙なのだが、この一本だけはアドルフは止められなかった。
実際、朝一番に登庁する、これはその理由の一部だったりするのだ。

もちろん。
この一本以外は、退庁まで葉巻を吸うことはない。
だが、この一本を吸うか吸わないかで、その日の作業効率がまるで違うのだ。


「お父さん、行ってらっしゃい」
開け放した窓の下から、可愛い声が聞こえてくる。
愛娘(まなむすめ)のゴンドラに送られて、副局長のアントノフが登庁して来たのだ。


オリェーク・P・アントノフ。
陽気で明るい、典型的なネオ・ヴェネツア人。
就任以来、アドルフを支えてくれる有能な部下。 そして大切な友人。

「はあーい。アリーチェがそう言うなら、お父さん、頑張ってきちゃうぞぉ!」
「お父さん。恥ずかしいから止めて」
「うわあああん! 茜さん、娘が冷たいんですぅ!!」
「泣いてろ! ってか私は、バッジェーオだ」
「うわあああん! 茜さんまで冷たい!!」

「はあ…毎日毎朝。彼等はいったい何をやっているのであるかなぁ……」

『いつものように』泣き叫ぶアントノフの声を聞きながら、アドルフは小さなタメ息をついた。


最後の一服、葉巻を消す。
この時。 灰を落としてつぶしたり、灰皿に葉巻を押し付けて消すのは厳禁だ。
葉巻、その独特の匂いが広がって、他人により不快感を与えてしまうのだ。
そっと臭い消し付き灰皿に葉巻を置く。
あとは自然消火を待つばかり。

大丈夫。 彼女が来るまで、まだ15分もある。



9時。

-トントントン

と、ドアがノックされ、アントノフと、首席補佐官のアレッサンドラ・フェスタ・パナーロがやって来る。

「お早うございます 、アドルフ局長っ」
陽気に挨拶する、アントノフ。
「……お早うございます。局長」 
アントノフとは真逆な、抑揚のない、冷めた声で挨拶するアレッサンドラ。

アレッサンドラ・フェスタ・パナーロ。
中央大学を首席で卒業した才女。
若干、24歳にして運航局の首席補佐官に昇進した秀才。
まるでモデルと見間違えるかのようなプロポーション。
その眼鏡の下に垣間見える氷の瞳は、何事も見逃さず、何事も見落とさない。
なかなかの美人なのに、その性格故か、浮いた話しのひとつも出ない。
別名「 Fanciulla di ferro 鉄の処女」


「いやあ、だいぶ寒くなりましたねぇ。 こりゃ、もうすぐ初雪ですねかねぇ」
「うむ。 そうなればまた、ユキダマを作ってみたいものであるな」
「もちろんですよ。 あれは、なかなか奥が深くてですねぇ……」
「吸いましたね」

-ぎくっ

硬直するアドルフとアントノフに構わず、アレッサンドラが言う。

「局長。 また葉巻を吸いましたね」
その声は、まるで雪男でも出てきそうなブリザード系の凍れる魔法の声であった。
「う、うむ。 し、しかしだな、アレッサンドラくん……」
「何度も言っているように、庁内全館が禁煙です」
「いや、確かに……だ、だが」
「禁煙です」
「……はい」

その冷たい瞳にアドルフは屈服する。
アレッサンドラは畳み掛けるように言い放つ。

「ネオ・ヴェネツィア運航局々長ともあろう方が、自ら規則を破るなど許されることではありません。
 たかが一本といえども、規則は規則。 館内は絶対禁煙です。
 何か間違っていますか?」
「い、いや、間違っていないのである……」

「理解していただけて幸いです。 それでは今日のスケジュールを確認します。 まず-
 10時から各部々長とのミーティング。
 12時から商工会議所のメンバーと昼食会。 
  アドルフ局長の食嗜好に合わせて、自家生産野菜で有名なお店を予約しています。
 13時からゴンドラ協会との打ち合わせ。
 15時から観光局との新規事業に対する会議。
 16時には戻ってきていただいて、退庁時間の17時までに、全ての書類整理及び、決済を完了していただきます」
「う、うむ。なかなかハードな一日であるな。頑張るのである」

「ちなみに会議内容。予想進行速度。並びに局長の書類整理速度から想定すると、休憩時間はありません」
「そ、そうなのであるか? ならもう少し量を減らして……」
「こちらで決裁できるものは、あらかじめ抜いてあります。 これでも必要最小限です」
「いや。 で、でも、あのトイレとかは……」
「その時になったら自己申告してください。 30秒差し上げます」
「鬼かぁ! 貴様っ」
「私は現在考えられうる、全てのアクシデントを想定し、どうすればよりスムーズに進行するか考えています。 
 で。何かご質問でも?」

氷点下の瞳がアドルフを見下ろす。

「………ないのである」
アドルフが弱弱しく答える。

「それでは書類をお持ちします」
そう言うと、アレッサンドラは背中を向け、靴音も高らかに部屋を出て行った。


「局長……」
同情しますよ-と言わんばかりの顔で、アントノフがアドルフを見る。
「これぞまさしく、合理的-であるのかな? かな?」
アドルフが呟く。
冷たい風が吹き抜けてゆく。



10時-
各部長とのミーティングは時間通りに終了した。
問題点を整理し、過去のデーターから、より効率的に改変を目指すにはどうしたら良いのか。
各部長とディスカッションを重ねてゆく。
資料は、全てアレッサンドラが用意したものだ。
問題点も予め提議されていて、とても有効な資料だった。
彼女のおかげで、今日最初のメニューは、滞りなく終了した。


12時-
食事会を兼ねた、非公式な会合。
腹の探り合いをしながら、腹を満たしてゆく。
ここでもアレッサンドラの用意した資料は役立った。
相手が実は何を望み、どんな言葉を欲しがっているのか。
その資料を見るだけで、相手の心の内は、その全てが見通せていた。

どうとも取れる内容の言葉をアドルフは投げ与える。
だがそれは、相手にとって充分喜ぶべき言葉だった。
彼等は満足して帰っていった。

アドルフも充分、満足していた。
アレッサンドラがセッティングしてくれたこのお店の野菜スープは絶品だった。
コンソメなぞ使わず、ただ自分の庭で取れた野菜だけで作られたスープ。
質素で素朴だが、それはアドルフの最も好む味だった。

-このお店は要チェックであるな。

アドルフは胸の中で呟いた。

ここまでは全てが順調に推移した。
全てがアレッサンドラの計算通り。
しかし-
次のゴンドラ協会との会合で、その全てが無に帰した。



13時20分- 定刻二十分遅れ
「すいません」
白い妖精が頭を下げた。

「あなたは何を考えているのであるか!」
知らず知らず、アドルフの声がキツくなる。
「ここを何処だと思っているのであるか。 そんなことでゴンドラ協会の代表としての……」
「いやいや……局長。これは仕方ない」
アントノフの顔が歪む。
「あ、あ、あ…アドルフ局長。 こ、これはしょうがないのでは……」
アレッサンドラが、なぜか顔を真っ赤にしながら、噛みぎみに呟いた。

「何がしょうがないのであるか? 大事な会合に遅れてきて、しかもこの有様はっ。
 貴殿には責任感が欠如しているのではないのであるか? だいたい、こんな所に……
 って、誰も聞いてないのである!!」


『スノーホワイト』 白き妖精。 アリシア・フローレンス。
「水の三大妖精」と呼ばれていた、元トッププリマ。
数年前にARIA・カンパニーを「寿」退社した後、請われてゴンドラ協会の要職に就いた彼女は、
今後10年、100年先に続く水先案内業界の繁栄の礎を築くために、今日も忙しく動き回っていた。
そんな彼女の腕の中で。

小さな赤ん坊が静かな寝息を立てていた。



「すいません。いつも、この子を見てくださるベビーシッターの方が急病で…あいにく主人も仕事があって……
 本当に、申し訳ありません」
「いえいえ、アリシアさん。そんなことはお構いなく。 この子がアリシアさんのお子さんですか?」
「わぁ…寝てるぅ」
「かわいい!」
「素適だ」
「うん。アリシアさんに似て、まるで天使のようだ」
「いやーん。 食べたいちゃい!!」

「あの……諸君」

「お名前はなんと?」
「アリアドネです」
「アリアドネ……とりわけて潔らかに聖い娘。 ですね。
 マンホームに残る太古の神話のひとつで、クレタ王・ミーノスと、その妃、パーシパエの娘。
 ラビュリントス(迷宮)に入るテーセウスに毛玉を渡し、その糸を繰りつつ、ラビュリントスに入って行くことを教えた。
 『アリアドネの糸』と呼ばれるエピソードの持ち主。
 転じて、難問解決の手引き、方法を意味する言葉……」

「あらあら。 さすがはアレッサンドラさんは、物知りですね。 うふふ」
「い、いえ。私は知っていることしか知りません。 全てを知っているわけでは……」

「いや、だからであるなぁ……」

「いやあ、アレッサンドラくんの博識ぶりには、いつも驚かせていますよ」
「アントノフ副局長……」
「ホントですねぇ」
「いっつも助かってます」
「頼りにしてます」
「いえ、あの私は……」
「あらあら、うふふ」
「いやいや、まったく。まったく。 わははははっ」

「……誰か構ってくれねば、局長、そろそろ泣きだすんではないのかなぁ………」
盛り上がる一堂を前に、振り上げた拳の降ろし所を探しさ迷う、涙目のアドルフであった。



「以上がゴンドラ協会の提案する、今後のプランです」
アリシアがよどみなく説明してゆく。
その姿はなんの迷いも躊躇もなく、実に堂々としたものだった。
眼鏡をかけ、白いスーツにロングスカート。ときおり束ねた長い金髪が揺れる。
それはまさに「惚れ惚れするような」立ち振る舞いだった。
けれど-

そわそわ
そわそわ

みんなの視線はアリシアではなく、その横の篭に釘付けだった。

誰もがもう一度、アリアドネの顔を見たくて、うずうずしていたのだ。
とりわけアレッサンドラは、さっきから落ち着かない。
いや、だからと言って……

「分かりました。(早口で)アリシアさんの説明は完璧で、これ以上の質問の必要性を感じません。
 これで今日のゴンドラ協会との会合は終了させていただきます」
「いや、ちょ、待っ。 アレッサンドラ君。 急になに仕切っているのである……」
「局長。まだ何かご質問が?」

アレッサンドラさん。
あなたの背中に吹雪の雪山が見えるのは、きっと我輩の見間違いなんであるよね?
なんか『ゴゴゴゴッ』言ってますけど。


「ないのである……」
アドルフは、ぐっと涙をこらえた。


「それでは今回のゴンドラ協会との会合は、これで閉会とします。
 アリシアさん。今、お茶を入れますので、ゆっくりしていってください」
「ありがとうございます。 ……あっ」
「ふ…うぁ」
篭の中から小さな声が聞こえた。
「起きたの? アリアドネ……」
アリシアが優しく声をかける。
その聖母のような笑みに、篭の中からも清らかなる笑い声が響いた。

-わっ!!

と、ばかりに、みんなが篭を取り囲む。
誰もが笑みを浮かべ、まぶしそうに篭の中を見ていた。

『みんないったい、どうしたと言うのだ……』
アドルフは独り言ちる。

『なにがそんなに楽しいのであるか?
 なにがそんなに嬉しいのであるか?
 人は誰でも赤ん坊として生まれてくるのである。
 みな誰でも一度は赤ん坊だったのである。
 それを何を今更……やれやれ。 である。

 子煩悩なアントノフくんは仕方ないとして、いつもは冷静なアレッサンドラくんまで、何をそんなに興奮しているのか?
 まったく理解できん。
 だいたい赤ん坊が可愛いいのは、それを利用した生存術の一種で……」

       そこまで。


「あらあら。いけない……」
「どうしました、アリシアさん」
「すいません。今日お届けするはずの書類を、協会に忘れてきてしまいました。 どうしましょう」
「いや、そんなもの、また明日でよいのでは……」
「いえ、そうは言っても、今日中に、どうしてもお渡ししないといけないもので……
 すいません。 ちょっと取ってきます。 アリアドネは……」

「私が面倒をみるのである!」

部屋中から「は?」「ほ?」「へ?」の三和音が聞こえてくる。

アドルフは見た。
アドルフは見てしまった。
毎回派遣された先で事件に巻き込まれてしまう家政婦さんのように。
毎回行く先々で事件を目撃するルポ・ライターのように。
アドルフは見てしまったのだ。

まるで某・超伝導的対空兵器を打ち込まれた攻撃機のごとく。
まるで黄色や北欧神の名を冠したエース達に追い回される爆撃機のごとく。
なすすべもなく、アドルフ・H・ガーランドは一撃で堕とされた。

アリアドネ微笑に。
アリアドネの、天使のようなその微笑に。



「う、うむ。で、あるからしてアリシアくんが帰ってくるまで、この子は責任を持って我々が預かるのである」
「局長?」
アントノフがあきれたように言い。
「局長……」
アレッサンドラが目を潤ませる。
他の者はみな、キョトンとするばかり……



-しばらくの間、お願いします

そう言ってアリシアはゴンドラ協会へと向かう。
アドルフは書類整理をしながら、ときおり篭の中に視線を向ける。
アリアドネは無垢に微笑んでいる。
その横ではさっきから、口元をうずうずさせながら、それでも冷静に書類を差し出すアレッサンドラが。
穏やかな風が吹き抜けてゆく。
静かな波音が聞こえてくる。
何気に奇妙な風景だった。
何気に心温まる風景だった。


14時30時-
だがそんな風景もぶち壊しになる。

「現地集合であるか?」
「はい。どうしても現地で説明したいと観光局が……」
「アリシアさんはまだ戻られないのであるか?」
「はい。もう少しかかるようです」
「……仕方ない」
「局長?」
「私はアリシア殿に、この子を預かると約束したのである」
「はあ……」
「で、あるからして」
アドルフは憤然と言い放った。

「このまま、アリアドネも一緒に連れていくのである!!」

-なにその熱血。

アントノフが呆気に取られる。




15時-
「わっ。なんですか、その赤ん坊!?」
茜が叫んだ。

茜・アンテリーヴォ。
「MAGA」社、唯一のプリマ・ウンディーネにして責任者。
『バッジェーオ』の名を引き継ぐ女性。
夭折した先代、アロッコ・J・ルイ『 バッジェーオ( 愚か者 ) 』の名を引き継ぐ誇り高き女性。

「にゃほ?」
アクィラが不思議そうに一声鳴いた。
アクィラ社長。 「MAGA」社の社長猫。
茜に拾われ、アロッコに救われた黄色い瞳の社長猫。

そのアクィラが、にゃほにゃほ-とアドルフの頭の上に登ってゆく。
途中「にゃほ」と片手をあげ、アリアドネとの挨拶も忘れない。
「にゃほお~ぉ」
到着。
アドルフの頭の上にタレたアクィラ社長が、満足気なタメ息をつきながら寝そべった


「ねえ、お父さん。その子、もしかしてアドルフさんとアレッサンドラさんの子供?」
アリーチェが訊ねる。

アリーチェ・P・アントノフ。
「MAGA」社、唯一の社員。 階級は見習いの「ペア(両手袋)」
アントノフ副局長の愛娘。
小さいときからご近所さんで顔なじみの茜の元で、一人前のウンディーネになるために修行中。
バッジェーオ。 茜のことを心から尊敬し、敬愛する女の子。
後に「水の四大妖精」のひとりとなる女の子。


「な、な、な、な、な。 何を言うんですか!」
そんなアリーチェの問いかけに、なぜかアレッサンドラが顔を真っ赤にしならが叫ぶ。

「そんな訳はないのである。 この子はアリシア・フローレンス嬢のお子さんで、アリアドネと言うのである。
 故あって、少しの間、預かっているのである
 断じてアレッサンドラくんと私の子供ではないのである!」
アリアドネを胸に抱きながら、きっぱりと答えるアドルフ。
その耳には-
「そこまで否定しなくても……」
と、呟いたアレッサンドラの声は届かない。



「で、約束通り此処に来ましたが、いったい何の御用ですか?」
バッジェーオが訊ねる。

「はい。実は今、観光局の方でこの桜を…アロッコさんの島を中心とした、アミューズメント・パーク設置の構想がありまして」
一瞬にして冷静さを取り戻したアレッサンドラが、眼鏡を光らせて返答する。
「うわっ。変わり身、早!!  お断りですね」
「うわっ。返事、早! 茜さん?」
「この島は……アロッコさんのこの島は、このままで充分です。
 なんの手もいらない。 なんの変化もいらない。
 ここはこのままで、良いっ」
アレッサンドラの突っ込みを無視して、バッジェーオが即答した。



「まぁまぁ。そう言わずに、よく考えてくださいよぉ」

不意に背後から聞こえてきた、その言葉に。
その声に。
その言い回しに。

全員が硬直する。

「いやあ、お久しぶりですねぇ」
彼 -プロデューサーとのみ呼ばれる男は、にやけた笑いを浮かべ立っていた。


「茜さん!!」
突然、殴りかかろうとするバッジェーオを、アレッサンドラが慌てて止める。

「離せ! このXX野郎! てめえっ。 この! 離せ! 」
「いけません、茜さん。暴力はいけません!」
「五月蝿い。 離せ、離せよ、アレッサンドラ!!」
「そうである、バッジェーオ。 何事も力での解決はよくないのである」
アドルフが茜の前に立ち、静かに言った。
その腕の中で、アリアドネがじっと茜を見つめている。

「くっ……」
茜はアレッサンドラの手を振り解くと、いまいましげにプロデューサーを睨みつけ、そっぽを向いた。

「おや、可愛い赤ちゃんですねぇ。 局長さんのお子さんですか?」
おもねるように問いかける、プロデューサー。
「私は今も独身である。 この子は少し預かっているだけである。 で、貴殿は何故ここにいるのであるか?」

「いやあ、町おこしですよ」
「……どうゆう意味であるか?」
あえてアドルフは、プロデューサーではなく、その横に立つ観光局の職員達に訊ねた。

「あ、あの…こ、この方はマンホームを代表される有名なプロデューサーの方で……」
「ノンノンノン」

-ちっちっちっ と、人差し指を降りながら、プロデューサーは答える。

「僕はマンホームじゃなくて、宇宙を代表する名プロデューサーなのさ」

うざっ!
瞬間-みんなの心がひとつになった。


「それで?」
さらに無表情になったアドルフが職員達に先を促す。
「そ、それで、今回、町おこしの一環として、この島を…通称『バッジェーオ』の小島を中心とした、
 アミューズメント・パークの建設の計画を持ち込まれてきたのです」
「持ち込み……?」
「も、もちろん。まだまだ検討中の事案であり、なによりもこれはプロデューサー氏から持ち込まれた懸案でありますし、
 わ、我々としてもこれから更なる検討の必要を痛感している次第で……」
汗みどろで言い訳ともとれる発言を繰り返す、観光局職員達。
彼等もアドルフ達から発散される、危険な香りを敏感に感じ取っていたのだ。

「それでですねぇ。もう墓碑銘ってゆうか、キャッチコピーも考えてあるんですよ」
唯ひとり。 空気を読めない男が鼻高々に言い放つ。



【 幸いなるバッジェーオ。ここ眠る。 彼女の魂は桜とともに咲き、桜とともに散った。
 けれど彼女の想いは、今でもこの島に。この桜に…… 】
 
 どうです? グッとくるでしょう? わははははは」



「バッジェーオは……アロッコ殿は、こんなことを喜ぶとはとても思えんのである」
アドルフが軋るような声で言う。
だが-

「そんなこと、どうでもいいんですよぉ」
プロデューサーは事も無げに言い切った。

「どうでも……いい?」
「ええ。どうでもいいんです」
「…………」
「だって彼女、アロッコ…ですか? は、死んじゃったんでしょ? もう。
 はい。それで終わり。
 彼女がどんな考えを持ち、どんな想いでいたか。 どんな気持ちでいたか。
 そんなの関係ない。 意味がない。 問題ない。
 だって、死んじゃったんですから」
「…………」
「人間死んだら、はい、それまでよ。
 あとは土に帰るか、火に焼かれるか。 それともここでは海に還す。 ですかね。 あははは。
 いずれにせよ、死んだらそれでお終い。 ジ・エンド
 なにも残らず、なにも残せない。
 なら、後はその事実を、状況を、シチュエーションとして生かし、我々が利用するだけ」
「貴様……」
「それにサ。自分のおかげでこの街が発展するんですよ。
 アロッコも本望ですよ。きっと。
 こんな裏錆びれた陰気な島が、僕の手でネオ・ヴェネツアいち。 いえ。
 AQUAいちの観光名所になるんです。 素適でしょ?」

「ならば、さっきの台詞はなんなのであるか?」
「は?」
「さっき、貴様が言った、アロッコ殿の魂が桜とともに……とゆうやつである。
 貴様は彼女の想いはここにあると言ったではないのか」

「だからぁ……」
プロデューサーは物分りの悪い生徒に言い聞かせる教師のような口調で言った。

「そんなのは方便ですって。誰がそんなこと本気で信じますか。 あははははは」


-ぱあーん!

小気味良い音が響く。
プロデューサーが、もんどりうってひっくり返った
彼の顔面に、バッジェーオの……茜の平手打ちが炸裂したのだ。

「にゃ、にゃにおしゅるぅぅ……」
くっきりと頬に残った茜の手形を両手で押さえつつ、プロデューサーが悲鳴を上げた。

「お前に……」
「ふぇ?」
「お前にいったい何が分かるって言うんだ!!」
悪鬼のごとき形相で、茜が睨みつける。

「バッジェーオを……アロッコさんをバカにするな!!」
だがその双眸からは、濁とばかりに涙があふれ、頬を濡らし続けていた。


「お前に何が分かるって言うんだ!
 お前にアロッコさんの何が分かるって言うんだ!
 お前にアロッコさんの想いの何が分かるって言うんだっ!」



茜は見る。
小さな島に悠然と立つ大きな桜の木を。

茜は思う。
自分の腕の中で息絶えた最愛の人を。

茜は感じる。
あのときの愛しき人の想いを。

茜は聞こえる。
あの日、語りかけてくれた穏やかな風のささやきを。


「だから……」
茜は叫ぶ。
「だから……」
心の奥から叫ぶ。

「だから、アロッコさんはいなくなった訳じゃない! アロッコさんの想いはなくなった訳じゃない!
 アロッコさんは……
 アロッコさんはいつだって。 
 今だって、ずっと私の中にいるんだ!
 アロッコさんは私の中で、今でもずっと生き続けているんだ!!」


「今度は止めないんですか?」
「はい。彼は叩かれることをしました。 叩かれても当然のことをしました。
 ですから止めません。 その必要を感じません」
アントノフの少し意地悪な質問に、アレッサンドラはなんの感情も込めずに答えた。
その答えに、アントノフは満足気に頷く。
彼女の涙には気付かぬふりで……


「帰り給え」
「ほえ?」
「今すぐ、この街から出て行き給え」
静かに告げるアドルフ。
けれどその声色は、どこまでも暗く。どこまでも重く。どこまでも冷たかった。
「今すぐ、この星から立ち去り、そして二度と来るな」

-ざっ
とばかりに茜が詰め寄る。

「ひっ」
腰を抜かしたまま、這うように逃げ出すプロデューサー。
あっちにぶつかり、こっちにぶつかりながら遠ざかって行く。

-ぽてちっぼっちゃん!

あっ。 海に落ちた。
あっ。 ぷかぷかと流されて行く。

けれど最後のそのとき-

「お、覚えてろぉ! 
 この俺は死なない。死ぬはずがない!」

捨て台詞は忘れない。

「いいかっ。この俺様は。 
 何度でも甦って。 何度でもこの街に来て。 何度でもプロデュースしてやるぅぅッぅ!
 バイバイキ-ぐべばぁぁ!!」 

あっ。 ヴァポレットに轢かれた。
あっ。 夕陽に向かって流されていく。
あっ。 とうとう、そのまま見えなくなった……まっいっか。




「バッジェーオ!」
アリーチェが茜にしがみついた。

もう大丈夫です。
もう終わったんです。
もう誰もあなたを傷つけません。
もう誰もアロッコさんを貶めません。

そう告げるかのように。

「ありがとう、アリーチェ……」
茜……バッジェーオは、ふう-と、ひとつ深呼吸をすると、しがみつくアリーチェの髪を優しくなでた。
「もう大丈夫だ。 ありがとう。 アリーチェ。 また助けてもらったな……」
「バッジェーオ……お姉ちゃん………」
今度はアリーチェが泣き出す番だった。




【 幸いなるバッジェーオ。ここ眠る。 彼女の魂は桜とともに咲き、桜とともに散った。
 けれど彼女の想いは、今でもこの島に。この桜に…… 】


-死んでいった者にいつも、言葉だけは美しいけれど……

アレッサンドラは見た。
アリアドネを抱きかかえながら、小さく上下するアドルフの肩を。
アレッサンドラは聞いた。
アクィラ社長を頭にタレさせながら、小さく響くアドルフの嗚咽を。


我々はいつもそうだ。
いつも後悔ばかりする。 
いつも悔やんでばかりだ。
いつも間違った道を選ぶ。
これほど失敗から学ばない生物も珍しい。

我々は……いや私は、いったい、どれほどの愚か者なのであろう。


「たあーい☆」
そんなアドルフの額に、何かが優しく触れた。
アリアドネだ。 アリアドネがその小さき手で、まるで「いい子。いい子」をするように
アドルフの頭を優しくなでているのだ。

「にゃふぅぅ☆」
アクィラ社長も、そっとアドルフの頭にすりすりする。

「アリアドネ……アクィラ社長」
顔を上げるアドルフの前を 一片の桜の花びらが飛び去った。
はっ-とするアドルフの耳に、みんなの歓声が響いた。

「うわっ。 桜が!」
「これは…いったい」
「きれい……」
「これがアロッコさんの桜かぁ」
「アロッコさん。 バッジェーオ……」

見上げれば。
あの小島の桜がいっせいに花を咲かせていた。
すでに秋は過ぎ去り、季節は初冬にはいろうとする時期なのに。

咲いたそばから散りゆく桜の花びら。
それはどこまでも美しく、どこまでも儚くて……




突然、アドルフは気が付いた。

アロッコの島。
バッジェーオの小島。

その島に不釣合いなほどの枝を広げた桜の木。
その枝に。
その桜の枝に腰かけ、こちらを見ているアロッコに。
優しげな微笑を浮かべながら、静かに自分を見つめているアロッコの姿に。
その横では、大きな黒い猫が 手に持った篭の中から、何かをさかんに飛ばしている。 

透き通った彼女の体を、桜の花びらが舞い踊ってゆく。
風が、アロッコの髪を静かに揺らしていた。



【 ありがとう 】

「なに?」
アドルフの頭の中に、あの懐かしい声が甦る。

【 ありがとうございます、アドルフさん。 私、とても幸せです 】
笑みを浮かべ語りかけてくる、アロッコ。

「アロッコ殿……」
【 やっぱりあなたも、この街を……このAQUAを愛する、素適で優しいバッジェーオですね。ふふふ 】

「私は……私はあなたにそう言ってもらえる資格があるのであろうか?」
【 アドルフさん? 】

「私は、私はあなたに許しを得ることができたのであろうか……」
【 ………… 】

アロッコは何も答えず、ただ無言で黒い猫を見やる。
黒い猫はまた、篭に入った灰を撒き始める。
瞬間。 花びらがまるで競うかのように咲き乱れた。

灰を撒き、桜に包まれる猫の王。

その姿はまるで『 花神 』-花咲か爺さんのようで……

満開の桜。
散りゆく桜。

その桜を見ながら、アドルフは泣いた。 
アリアドネを抱きしめたまま、アクィラ社長をタレさせたまま、アドルフは静かに泣いた。

そっと誰かが背後から抱きしめてくれる。
それはまるで許しを得たように。
それはまるで想いを伝えるかのように。

暖かな温もりが伝わってくる。


桜の枝に腰掛けながら、アロッコは、いつまでもそんなアドルフを優しい瞳で見つめていた。


アクィラが嬉しそうに鳴いた。
アリアドネが大きな声で笑った。

桜の花びらが踊るように舞い散っていた。



アドルフを包み込んでいた。





  ****



数日後-

「おや、今日はひとりなのであるのかな?」
机の上いっぱいに、赤ちゃん用の玩具を並べながらアドルフが言った。

「局長。今朝の禁煙は無駄になりましたね」
アレッサンドラがやはり氷の声で言い放った。
けれど背中に隠した彼女の手の中には、何故かガラガラが握られていた。
アントノフをはじめ他の局員達も、あわてて手に持ったオモチャを隠す。

「あらあらあら……」
アリシアが困ったように微笑んだ。




「お父さん。お疲れ様」

やがて退庁時間。 迎えに来たアリーチェが父親に大きく手を振る。
「やあ、アリーチェ。 今朝ぶり。 相変わらず綺麗だね」
「お父さん。恥ずかしいから止めて」
「うわああああん。 茜さん。 娘が冷たい!」
「うっさい。 泣いてろ! つか私はバッジェーオだ!!」
「うわああああん。 茜さんまで冷たい!!」
見慣れた光景が繰り広げられる。



「ねぇ。お父さん」
「なんだいアリーチェ」
「アレッサンドラさんってば、アドルフさんのことが好きなの?」
「………分かる?」
「うん。だって普段のアレッサンドラさんの態度を見てれば……」
「そうだねぇ。 やっぱりみんな気付くよねぇ……」
「うん。 もちろん」
「でもね、アリーチェ」
「なに? お父さん」

「アレッサンドラくんは、みんながそれに気付いてないと思ってるんだ」
「えっ? そうなの? あんなにバレバレなのに……」
「そうなんだけどねぇ……彼女は天然さんだから」
「アドルフさんだって、アレッサンドラさんのコト好きなんでしょ?」
「うん。本人は気付いてないようだけど、局長が弱くなるは、彼女の前だけなんだよ」
  
「そうなんだ」
「なにしろ……」
「うん?」」

「なにしろ、ふたりは真っ白なスケッチブックのように、純粋な人だからねぇ」
「真っ白なスケッチブック……お父さんってば詩人みたいだね」」
「おおっ、アリーチェ。我が最愛なる愛しき娘よぉぉ。
 いつかお前も知る日が来るのだよぉ! お父さんは相手は決して許さないけど!!」」
「お父さん、恥ずかしいから止めて!」
「うわああああん。 茜さん。娘が冷たいんです!」
「……………」
「茜くん?」
「お姉ちゃん?」 
いつもの掛け合いに、茜は参加しなかった。
ただ黙って一点を見つめている。、

「バッジェーオ。 どうしたんですか?」
その問いかけに無言でふたりの背後を指を差す、バッジェーオ。 
何事か- と振り向くふたりの、その視線の先には……

「!?」

玄関の扉の影から顔だけのぞかせ、こちらを睨むアレッサンドラの姿がっっ。


-ぽろり

「!!?」

-ぽろり

「!!!?」

-ぼろぼろぼろぽろ

「!!!!!!!!!!?」

不意にアレッサンドラの双眸から大粒の涙がこぼれ落ちる。
その、あふれ出る涙を拭おうともせずに。
口を「△」型に食いしばったまま。
体を小刻みに震わせ、アレッサンドラは真っ赤になりながら無言で涙し始める。

「あ~ええと……」
「その……アレッサンドラさん………」
「もしかして今の話、聞いてました?」
三人の頭からも、大粒の汗がひとつ、したたり落ちる。



「うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああん!」


突然、背を向け、泣き叫びながら庁舎の中に走りこんで行く、アレッサンドラ。
入れ替わるようにアドルフが出てきた。

「今、アレッサンドラくんとすれ違ったのであるが、彼女どうかしたのであるか?」
「局長さん。 アレッサンドラさん、何か言ってましたか?」
「私のことはアドルフで良いのである。アリーチェくん。 ……いや、特になにも」
「何もなかったのぉ!?」
「うむ。 私の前で立ち止まると、真っ赤な顔で、ただ口をぱくぱくさせるのみ。
 それから、また泣きながら何処かへ走り去っていったのである。
 ……いったい、何があったのであるか?」
「えと……アドルフさんは彼女を追わなかったんですか?」
「バッジェーオ。 私が? いや」
「つか、追いかけろよ!」
「は? いや、しかし……」
「しかし?」
「退庁時間であるからして……」

「……お父さん」
「ああ、アリーチェ……」
「ダメだ、こりゃ」
げんなりとした声で三人がタメ息をついた。



「にゃふ!」
いつの間にかアドルフの頭の上にタレたアクィラ社長が一声叫んだ。

「アクィラ社長? はい。その通りですね。 アドルフさんっ」
「な、何かな、アリーチェくん」
「今すぐ、アレッサンドラさんを追いかけて!!」
「は?」
「今すぐ、アレッサンドラさんを追いかけて捕まえてください!!」
「ハア?」
「いやあ、彼女何かプライベートなことで悩みがあるみたいで……ホラ、前に行ったあの野菜の美味い店。
 これからそこで食事をしながら、彼女の話を聞いてあげてくださいよ」
「アントノフ君。 君はいったい何を言っているのであるか? そんなプライベートなことは私に相談するより……」
「だああああああ! いいからさっさと追いかけて来い!!」
「あ、茜くん。いったい何を……」
「私はバッジェーオだっ。 いいからさっさと行きやがれ!!」

その剣幕に気圧されるように、尻を蹴り飛ばされたかのように、戸惑いながらも走り出すアドルフ。
その後姿を見送って、三人は同じ思いを胸の抱く。

「 この 『  Una persona ostinata(朴念仁) 』 め!!」  -と。





その夜。
頭の上に子猫をタレさせた男と、顔を真っ赤に染めながら食事を楽しむ美女。
そんな不思議なカップルがネオ・ヴェネツィア某所で見られたと言う。







そして-






 【 みんな素適なバッジェーオね うふふふふ 】




そんなこの街の人々を、鳥の名前を冠する透き通った女性が、桜の木の枝に腰掛けながら、いつまでも楽しげに見つめていた。





         
    桜が舞う。








『 Una persona ostinata & Fanciulla di ferro (朴念仁と鉄の処女)』 la'fine 
 










葉巻たばこのくだりは、Wikiを参照しました。
私も年、2.3本を吸う程度なので非常に勉強になりました(鹿馬) そして-

私信陳謝
この愚にもつかないお話を、先日無事、初めての子を出産した義妹に。
そして元気よく生まれてきてくれたSo君に。


君の未来に「幸、多かれ!」 と願いながら。



[6694]  Il pilastro del anello di Tempo 
Name: 一陣の風◆fc1b2615 ID:8350b1a5
Date: 2010/11/30 17:08
「ARIA」を描いていて、とんでもないモノを書いてしまったぁ。
……どうしよう。(cv 納谷悟郎)

ファンの方々、すいません。 あっちもこっちもすいません。
そんな決して、あの方をナニするつもりは、これっぽっちもありません。
つか、できません。 できるワケもない!(なにその偉そう)

ですから、このお話しを読み終えた後に、みな様はほんの束の間でも、夜空を見上げていただければ、これに勝る幸せは、ありません。


それでは、しばらくの間。 よろしくお付き合いください。



  *****




ひかりわななくあけぞらに-
私はその日、宇宙(ソラ)に登った。



    第18話 「 Il pilastro del anello di Tempo 」




ここネオ・ヴェネツィアでは猫が多い。

『それはね。ここは猫の王様・ケット・シーが治める土地だからよ』

とは私の祖母の言葉。
亡くなった祖母はよくそう言って、街を歩いて行く猫達に微笑んでいたものだ。
祖父もそんな祖母を優しく見守っていた。

けれど-
残念ながら現実主義者の私は、そうは思わない。
ただ単純に、この街が猫達にとってとても住みよい所であるからなのだろう。
事実、この街の代表的な職業のひとつ。 ウンディーネ(水先案内人)と呼ばれる人達にとって、
蒼い瞳の猫は、航海の繁栄と会社の発展を司る守り神として、「社長」と呼ばれ優遇され、ウンディーネ達と一緒に暮らしている。

つまりこの街は、猫にとても優しい街なのだ。
だから猫は必然的に多くなる。

そして私のような職業が必要とされる。

私の名前は、楪(ゆずりは)・天霧(あまぎり)
ここ水の惑星AQUAの一都市ネオ・ヴェネツィアにおいて、なくてはならない仕事。 すなわち-

獣医をしている。





「先生、ありがとうございました」
ピンクの髪のウンディーネが頭を下げる。
「いいのよ。たいした事なくて良かったわ」
「ぷいにゅぅぅぅぅ……」
彼女の腕の中で、白くて大きなお腹の猫が情けない声をあげた。

「アリア社長。食べ過ぎてお腹を壊すだなんて、ダメですよ。 今度やったら、お薬じゃなくて、注射しますからね」
「ぷいぎゅん!!」
私の言葉にアリア社長は、半べそをかきなら逃げ出して行く。
「あ、アリア社長。 待ってくださいよぉ! 先生、本当にありがとうございました」
そう言って、あわててアリア社長を追いかけて行く少女。
「お大事に」
その姿が可笑しくて、私は笑いながら手を振った。



「うーんんん」
と、のびをひとつ。
気が付けばもう夜の10時を回っていた。
朝の早いネオ・ヴェネツアにしてみれば、この時間はもう深夜に近い。
緊急で担ぎ込まれてきた、さっきのアリア社長が今日、最後の患者だった。

「さあ、お終いお終い」
私はそう呟きながら店仕舞いを始める。

この建物は私の自宅も兼ねている。
一階が診療所で、二階が私の部屋だ。

表のドアに「close」の看板を掛け、鍵を閉める。
治安の良いこの街において、基本的に鍵など必要ないのだが、ここには劇薬も置いてある。
用心に越したことはことはない。

電気を消し、白衣をロッカーに仕舞い、私は二階へ上がった。


「ただ今」
答える人とてない部屋に、そう声をかけるようになったのは、いつの頃からだろう。
いや、昔からの習慣が、いまだに続いているだけなの知れない。
暗い部屋。
冷たく冷え切った部屋。
そこには祖父や祖母。
それどころか両親の姿すらないとゆうのに。 さびしい?

-ふっ……

なぜか不意に、そんな想いにかられる自分が可笑しくなって、私は小さく笑ってしまう。
いけない、いけない。
今日は予想以上に疲れているのかもしれない。

コンロに火を点けてお湯を沸かす。
シロン産の紅茶葉を、少し濃い目に放り込む。
やがてまったりとした香りが漂ってくる。

ブランデー

今日はいいか。
その代わり、たっぷりのミルクを入れ、ミルクティにする。 甘め。
ホット・ミルクティ。
気分が高ぶっていたり、何気に疲れているときは、私はビールやワインよりこちらの方を良く飲む。
この方が落ち着くのだ。

「ふう……」

ティカップを両手で持ち、湯気を顎に当てながら、私はゆっくりと思い出す。
早く逝った両親のこと。
最後まで私の心配をしながら逝った祖母のこと
最後までにこやかに微笑みながら逝った祖父のこと
瞳を閉じればそこには、いまでも懐かしい人達の笑顔が……

「よきロダイトのさまなして……かぁ」

ティーカップのふちを、なでるかのように玩(もてあそ)びながら、私は独言ちた。





……カタン………コト……ン………


不意に小さな音が聞こえてくる。


……カタ……コトン………カタン……コトン………カタン……コトン

-あれはなんの音?

まだ幼かった私は父に訊ねてみた。

『あれは銀河鉄道が宇宙(ソラ)を走る音だよ』
『銀河鉄道?』
『そう。いつか天霧も乗れるといいね』

父はそう言って、私の頭をなでてくれた。
それはとても暖かくて、柔らかで、優しくて……


……カタ……コトン………カタン……コトコト………カタン……コトコトン


けれどオトナになった私は知っている。
その音は
あの音は
このネオ・ヴェネツィアと本土を結ぶ唯一の鉄道。 その貨物列車が走る音なのだと。

銀河鉄道。
それは子供の頃の夢にしか過ぎない。
オトナなそんな夢は見ない。
人はオトナになる度 そうして何かを失ってゆく。

いや、失ってゆくからオトナになるのだろうか?
それならば、私はいままで、どれ程のモノをなくしてきたのだろう。




-トントントン

小さく、けれど、はっきりとした音で、ドアが叩かれた。

「先生。お願いします。先生っ」
男性……にしてはどこか、甲高(かんだか)い声が私を呼ぶ。
急患だ。
私は急いで階下に降り、ドアを開けた。

「ああ、先生。良かった。お願いします」
声の主を見た瞬間。
失礼ながら、私は硬直してしまう。
目の前に立っている人物。

巨体。
黒いダークスーツ。 白いシャツ。
蝶ネクタイ。
なによりも特徴的なのは、その大きな顔にちょこんと乗った、小さなサングラス。

「先生、こんな夜分にすいません。 一緒に来ていただけませんか?」

アンドレアルフスと名乗ったその男性は、その大きな体を小さく縮込ませながら、さかんに恐縮する。
私は症状を問いただし、いくつか必要な薬品を鞄に詰めた。
火の元点検。 よし。
戸締り点検。 よし。
私はロッカーから白衣とコートを取り出すと、家を飛び出した。



吐く息が白く凍る。
その凍った白い息が、またたくまに風に捕まり運び去られる。
季節はもう24月。

夜空には満天の星の輝きと、煌々と光る月がふたつ。

「寒っ」

私はコートの襟を掻き合わせると足早にアンドレアルフス氏の後を追った。



「ここで少し待ってください」
そう言って彼が立ち止まったのは、運河沿いの何もない小道(カッレ)の真ん中だった。
「え?」
「もう少しすれば来ますので」

来る? 何が?

「あ、あの……」
けれど私が問いただす前に、それは現れた。


-ピィィィィィ

何もないただの路地。
そこに突然、ライトが灯される。
最初、遠くに見えていたその輝きが、だんだんと大きく、強くなってゆく。
呆気に取られる私の耳に、音が響いてくる。

-ガタンゴトン・ガタンゴトン

この音は。
夜のしじまに聞こえてくる、この音は。

-キキキキキィィィィィ

車輪を軋ませながら、ソレが止まった。

-しゅぅぅっぅぅ

と、噴出す蒸気が束の間、暖かな風を送る。


「これは……」
蒸気機関車……? 
こんな時代に? え? 何故? ええ? 何処から? えええ?

「さあ、先生。 お乗りください」
ぐるぐるする私に、アンドレアルフス氏が静かに言う。
「え、でも……」
「大丈夫です、先生。 何の心配もいりません」
そう言って妖しく笑うアンドレアルフス氏。
その時、私は気が付いた。
彼のその瞳。
そのつぶらな瞳の形が、縦長で……まるで猫のような瞳であることに。
にこにこと微笑むアンドレアルフス氏。
私は何かに操られるかのように、列車に乗り込んだ。




-ガタンゴトン ガタンゴトン

窓の外を星が流れて行く。
私は信じられぬ思いで、その光景をながめていた。


「座って待っていてください」
アンドレアルフス氏は、私を四人がけの対面座席のひとつに座らせると「それでは-」と言って、隣の車両へと消えて行った。


-ガッチャァンンン


やがて小さな衝撃と共に列車が走り出す。
それは見る間に高度を上げると、あっという間に星空の中に走り出していた。

「宇宙(ソラ)を走ってる……」
「銀河鉄道さ」
「え?」

不意の声に振り向くと、私の正面。 すぐ前の座席にふたりのウンディーネが座っていた。
いつの間に?


「あの……」
「あんたもアイツに呼ばれたんだな」
そのウンディーネは、窓の枠に肘付いた手で顎を支えながら呟くように言った。 でも……

「呼ばれた。 ではなく招待されたって言うのですよ」
その横に座った、もうひとりのウンディーネが微笑みながら言う。

「招待だとぉ?」
「ええ。僕達は彼に招待されたのですよ」
「夜中、強引に連れ出すのが招待って言うのかよ」
窓側で頬付えを付くウンディーネの「少年」が、窓の外を見ながら吐き捨てるかのように言う。

「あははは。そんな風に言ってはいけないのですよ。 ウンディーネさん」
「うっせい。 僕ちゃん少女!」
「あ、あのっ」
「うん?」
「はい?」
思わず話しに割って入ってしまう。

「あの、あなた方はARIA・カンパニーの方なんですか?」

少女の方は、そのままの。
少年の方もパンツ姿ではあるものの、やはり白地に青のラインとマークが入ったARIA・カンパニーの制服を着ている。

「その通りだ」
目だけをこちらに向けて蒼い髪の「少年」が答える。
「はい。私はARIA・カンパニーのウンディーネなのですよ」
少女も輝くようなシルバーブロンドの髪を揺らしながら笑顔で答える。

「あの、でも、今。 ARIA・カンパニーのウンディーネは、灯里さんだけで……わっ!?」

  「『 ぷいにゅ~ん! 』」

突然、白い「もちもちぽんぽん」が、声をハモらせながら抱きついてきた。
声をハモらせて?

そう-
「アリア社長が二人……?」
絶句する私に、ふたりのアリア社長は「ぷいぷい」と笑いながら、私に膝の上に腰をすえた。

……うっ。 正直すごく重い。

「あははは。 アリア社長。ダメですよ」
「アリア社長。ヒメ社長に怒られるぞ」
ウンディーネの少年・少女が、アリア社長を抱きかかえる。

「これは、いったい……」
「これは僕のアリア社長です」
少女が言う。
「これは俺のアリア社長だ」
少年が言う。

「ふたりのアリア社長……」
ふたりのアリア社長は、同じ黒のボアの帽子に、同じ黒のストールを肩に掛け、同じ笑顔で私を見ている。
「そんな、どうして……あの、あなた達は-」
「あんたの泣きぼくろ、可愛いいな」
「え?」

蒼い髪のウンディーネの言葉に、私は反射的に自分の左目の下にあるほくろを押さえてしまう。

「はい。 とても色っぽいですね。 ぞくぞくするのですよ」
銀の髪のウンディーネが、少しハニカミながら言う。



泣きぼくろ。 私の左目の下にある黒いほくろ。
これはいつからだろう。 いつからあっただろう。
確か両親がなくなった頃…………

「口のまわりにできるほくろは『愛情ぼくろ』って言って、セクシーなんだよなぁ。
 もちろん、目の下のもソソるが」
「目の下にできるほくろは『泣きぼくろ』 
 占いによると『異性にだまされやすい』『甘えたがり』『泣き虫』って意味があるそうなのですよ。
 うふふ。 抱きしめたくなりますね」

「な、なにをいきなり勝手なことを。 年上をからかうものじゃないわ。 それに私は同性との趣味はありません」
うわあ……頬が熱い。
とゆうか、私は何をムキになっているのだろう。


-ふっ

うわっ。コイツ、鼻で笑いやがった。 蒼い髪のウンディーネ。 コイツ、今、鼻で笑いやがった!

「あははは。この人、若く見えますが実は300歳を超えているのですよ。 僕や先生の方が、よっぽど年下なのですよ」
え? 300?
どう見ても20歳位にしか見えないのに?

「ふん。そう言う、お前さんだって、外見はそんなだが、中味は立派な男じゃないか。 先生、見た目に騙されるなよ」
え? 中味は男?
胸の膨らみも、体のラインも、そのまま女性なのに?

見た目に騙されるな? それはあなただって……

「『 ぷいにゅにゅにゅ 』」
アリア社長が楽しげに笑った。  ふたり同時に……




-ゴウッ

再び、ぐるぐるしだす私に、またひとつ衝撃が重なる。

-ゴウッゴウッゴウッ


窓の外を輝く何かが通り過ぎてゆく。
私はあわてて立ち上げると額を窓に押し付けた。

-ゴウッ

またひとつ、それが流れてゆく。

-ゴウッ

それは柱だ。

-ゴウッゴウッ

まるで昔読んだ絵本に描かれていた、古代の神殿の柱のようなモノが、光り輝きながら何本も通り過ぎてゆくのだ。

「天気輪の柱だ」
「天気輪の柱?」
彼が窓を開けてくれる。
私は乗り出すように頭を外に突き出した。


-ゴウッ

また柱がひとつ。 私の目の前を過ぎてゆく。
風が私の髪を揺らす。 

宇宙なのに何故、風が?
宇宙なのに何故、息が?
そう気が付いたのは、ずっと後のことだった。

-ゴウウウッ

「天気輪の柱」が目の前を通り過ぎてゆく。

え? ……ひ…と?

私は見た。 確かに見た。
今、目の前を通り過ぎた柱の中に、少女の姿を。
鞠を持ち、桜柄の着物を着た小さな人形を抱え、微笑む少女の姿を。
その背後には、両親らしい二人の大人の姿も。  これはいったい……



「『銀河鉄道の夜』の作者の宮沢賢治は、改稿魔として知られていた」
彼が呟くように言う。

「賢治は、いったん完成した作品でも徹底して手を加えて他の作品に改作することが珍しくなかった。
 賢治はどうやら『最終的な完成』がない、特異な創作概念を持っていたらしい」

「賢治の書き残した『農民芸術概論綱要』とゆう本の中に「永久の未完成これ完成である」という記述もあるのですよ」
彼女が言う。

「『天気輪の柱』は『銀河鉄道の夜』の第1稿から第3稿にかけて、ブルカニロ博士と共に書かれていた。
 けれど今、みなが良く知る第4稿の『銀河鉄道の夜』には、いっさい書かれなくなった描写のひとつだ」
「おかげで本当の『天気輪の柱』とは何なのか、永遠の謎のままなのですよ」
「永遠の謎……」

「ただ賢治の生まれたマンホーム、日本州の東北地方には「天気柱(てんきばしら)」もしくは「天気輪(てんきりん)」と呼ばれる石や木でできた構造物があって
 そこについている輪を回すことで、死者に呼びかけることができると言われているモノがあるのですよ」
「死者に呼びかける……」
「賢治はそれをイメージしていたのかもしれませんね」

「あとは『太陽柱(たいようちゅう)』」とする説もある」
「太陽柱?」
「太陽柱は、日出または日没時に太陽から地平線に対して垂直な方向に、焔のような形の光芒が見られる大気光象のことなのですよ」
「…………」
「それはそれは綺麗なモノで、まるで死者の魂が天に昇る一筋の道に見えます」
「道……」
「俺達ウンディーネなら『航跡』かな」
「そうですね」
そう言うと、ふたりは顔を見合わせ小さく笑った。

「『 ぷいにゅぅぅうん 』」
ふたりのアリア社長も同じ顔で同じ声で同じ仕草で、同じように笑った





「お待たせしました」

-ドクン! ドキドキッ

心臓が飛び跳ねる。
突然、背後から聞こえてきた声に振り向けば、そこにはアンドレアルフス氏のにこやかな笑顔があった。

「それでは先生、一緒に来てください」
その言葉に私はここに来た、本来の目的を思い出す。
私はあわてて鞄を抱きしめると、アンドレアルフス氏の後を追った。
当然のように。
彼と彼女のウンディーネも、それぞれのアリア社長を抱きかかえながら付いて来た。



「わふぅっ!?」

隣の車両に入った途端、私は棒立ちになる。
そこには巨大な車掌さんが居た!
巨体のアンドレアルフス氏よりも、さらに大きい。

決して小柄ではない私が、見上げるように顔をあげなければ、その顔を見ることもできない。
もっとも-
なぜか影がさし、その表情は暗く隠れて良く分からなかったのだが。


「お久しぶりです」
彼女のにこやかな声が背中から聞こえる。
「あんまり呼び出すなよな」
彼の疲れたような声が背中から聞こえる。

「にゃう……」
小さな声が足元から聞こえてくる。
視線を下げれば、そこには一匹の子猫が私を見つめ、嬉しそうに鳴いていた。 この子は!?
私は思わず、その子を抱きかかえてしまった。

「にゃううん」
子猫は、私の指を舐めてくる。
そうだ。 この子は確かに。

「そうです、先生。 この子はあなたの患者でした」
アンドレアルフス氏が言う。
「野良猫で病気にかかり道端で倒れていた。 そんなこの子を先生は助け、看病してくれた」
「え、ええ。 でも……」
「はい。そうです。この子は………」




【 ひかりわななくあけぞらに 】
突然、彼がその詩を口にした。

【 清麗サフィアのさまなして 】

「その詩は……」


【 きみにたぐへるかの惑星(ほし)の 】
 
「宮沢賢治『敗れし少年の歌へる』なのですね」
彼女が言う。

【 いま融け行くぞかなしけれ 】

「お前の父も祖父も好きだった詩だ」


「 光が身を震わせる明け方の空に
  清く麗しいサファイヤの様な
  君によく似たあの星が
  融けゆくように消えてしまうのは悲しいことだ 」


そうだ。
父も祖父も、よくこの詩を私に聞かせてくれた。
幼い私には、その意味はよく分からなかったけれど、その物悲しい詩は私の心の中にずっと残っていた。


【 雪をかぶれるびゃくしんや 】
遠い記憶を呼び覚ますように、私もその詩をそっと紡ぐ。

「雪をかぶった「百槇(びゃくしん)」の木や」
彼女が言う。

【 百の海岬いま明けて 】 
「たくさんの海の岬にいま朝が来て」
彼が続ける。

【 あをうなばらは万葉の 】   「青い海は万葉の頃から」

【 古きしらべにひかれるを 】  「古き調べに光っているよ」



【 夜はあやしき積雲の 】    「夜には妖しげな積乱雲の」
 
【 なかより生れてかの星ぞ 】  「その中から生まれてきたようなあの星たちは」

【 さながらきみのことばもて 】 「あたかも君のような言葉で」

【 われをこととひ燃えけるを 】 「わたしに何かを問いかけるように輝いている」


「あ、あなた達はいったい。 なぜその詩を私の父や祖父が-」


【 よきロダイトのさまなして 】  「良質のロダイト(薔薇輝石)のように」
そんな私の疑問を無視して、彼と彼女は詠い続ける。

【 ひかりわなゝくかのそらに 】  「キラキラとひかるあの空に」

【 溶け行くとしてひるがへる 】  「溶けるようにひるがえっている」



   【 きみが星こそかなしけれ 】



「賢治は最愛の妹を26歳の時になくします。病死だったそうなのです」
彼女が言う。

「彼女を失った時、賢治は押入れに顔を突っ込んで号泣したと言われている」
彼が言う。


-泣けるなんて幸せだわ
私は無意識にそう思った。


「そして、彼女の亡き骸をひざに乗せて優しく髪をくし梳った-とも伝えられているのですよ」
「賢治の妹に対する愛情は、兄が妹を思うより、むしろずっと恋愛感情に近かったそうだ。
 賢治が生涯独身を通した事をもあって、近親愛がかなり強すぎるという相姦説がささやかれたこともあったようだ」
「近親愛……」

「この『敗れし少年の歌へる』は、そんな大切な妹を亡くしてから3年後。 
 1925年に三陸地方を旅行したときに書かれたと言われています」
「一種の傷心旅行だったのかもしれんな」


【 きみが星こそかなしけれ 】


「だからこの部分。本来なら『 君によく似た星がとても愛しい 』とでも訳すんだろうが……」
「僕は……僕達はこう思うのですよ。


 『 星になってしまった……逝ってしまったあなたが、今でも悲しほどに好きで好きでたまらない 』  -と」


「逝ってしまったあなたが、悲しいほどに好き……」

「そしてそれから8年後の1933年。 賢治自身も37歳でこの世を去ります。 急性肺炎だったそうです」
「賢治の墓には彼の遺骨の他に、妹の骨も一緒に葬られているそうだ」
「だから『 敗れし少年の歌へる 』……」



「にゃうん」
子猫が鳴き声をあげた。

私は腕の中の子猫を、改めて抱きしめた。 だってこの子は……

「そうです。 この子はもうなくなっています」
アンドレアルフス氏が静かに告げる。

そうだ。
この子は看病のかいもなく、三日後に息を引き取った。
まるで眠るかのような死だった。 
そして私はまたひとつ、敗北を重ねる。

「にゃうん」
子猫は私の左の頬を舐めてくる。

「その子はあなたに感謝しているのですよ」
「そんなっ。私は……私はこの子を救えなかった。それなのに、それなのにっ」
「それなのに、この子はあなたに。 先生に感謝しているのです」
「それは……」

「それはお前が本物の獣医だからだ」
彼が言う。
「あなたが本当の優しさにあふれているからなのですよ」
彼女が言う。

「お前は、どんな夜更けであっても、どんな早朝であっても」
「あなたは、どんな暑い日であっても、どんな寒い日であっても」
「先生は、どんな風の日であっても、どんな雨の日であっても、診察を断ったことは決してありません」
「それは……」

「そしてその子のように、例え金にならないような子でも」
「そしてその子のように、例え助からないと初めから分かっていた子でも」
「先生は最後の最後まで、決して治療を止めようとはしませんでした」


「にゃおん」
私の腕の中で、小さな猫は嬉しそうな鳴き声を上げる。


「ここにいる全ての猫達は、みな、そんな、あなたに感謝しているのです」
「全ての?」

私は気が付いた。
いつの間にか、私の周りにたくさんの猫達がいることに。
車掌さんを中心に、何匹もの猫が私を取り囲んでいた。
そして、どの猫も、その最後を看取った、私が敗れし猫達ばかりだった。


「なあぁぁーーーごっ」

ひと際、堂々たる猫が、私のすぐ目の前にいた。
大きな三毛猫。
他の猫の三倍はあろうかと思われる体。 ふさふさで太い尻尾。
そしてなによりも特徴的な、その澄んだ蒼い瞳。 アクアマリンと呼ばれる、社長猫特有の瞳。

「オレンジ社長……」

「『 ぷいにゅーーーーーん! 』」

私の背後からふたりのアリア社長が駆け抜ける。
ふたりは懐かしそうにオレンジ社長へと擦り寄ってゆく。

「にゃあーごぅ」
そんなふたりをあやしながら、オレンジ社長は嬉しげな鳴き声を上げた。


「そう。 オレンジ社長も、あなたが最後を看取ってくれたのでしたね」
そうだ。 この子は「オレンジ・ぷらねっと」の社長猫『だった』 オレンジ社長だ。
そうだ。 私は確かにオレンジ社長の最後を看取った。
老衰だった。
最後にオレンジ社長は、満足そうな顔をして静かに息を引き取った。 大往生だった。




「泣かないんですね」
オレンジ・ぷらねっとのウンディーネの声がよみがえる。

「先生は泣かないんですね」
大勢のウンディーネに看取られて、オレンジ社長は逝った。
みなが泣いていた。 周りを取り囲むウンディーネ。 その誰もが泣いていた。

けれど-
「やっぱり毎日、動物の死を見慣れている獣医さんは、こんなときでも、でっかい泣かないんですね」
目を真っ赤に染めながら、そのウンディーネは私に言った。

私は……ちがう。私は……



「医者は泣くことができない」
私の心を読んだように、彼が言う。
「どんなに悲しくても どんなに辛くとも、医者は決して泣いてはならない」

「それは患者に対する冒涜。 遺族に対する失礼。 そう思うのですね」
彼女が言う。


そうだ。医者は……命を預かる者は泣いてはいけない。
泣いても命は戻らない。 泣くことで逝ってしまった命が戻るのならば、私はネオ・アドリア海をあふれさせるくらい泣こう。
でも、泣いても命は戻らない。

だから私は泣かない。 泣いたことがない。
両親が亡くなったときも。 祖母が亡くなったときも。 祖父が亡くなったときも。
決して泣かない。 泣いては……いけない。
その亡くした命。 失っってしまった命。 その重みをただ受け止めるだけで……


「にゃおうん」
子猫が私の頬を舐める。
それはまるで……

-ポウッ

いきなり腕の中の子猫が金色に輝き始める。

「え?」
オレンジ社長も、周りの猫達も金色に輝きだす。

「にゃふう☆」
腕の中の子猫が小さな光の球になる。
その光はまるで飛び跳ねるかのように私のまわりを巡ると、窓の外へと飛び出していった。

-ゴウッ

その光は走ってきた天気輪の柱に吸い込まれるかのように消えていく。
次の瞬間。 天気輪の柱はひときわ大きく輝いた。


-ポウッポウッポウッ

たくさんの光の球が私を取り囲む。
その全てが私の周りを懐くように跳ね回り、楽しそうに舞い踊る。
やがて光の球は一斉に外に飛び出していく。


「待って! いかないで!」
私は窓に駆け寄り、開け放つ。
手を伸ばす。
でも届かない。届かない。届かない。
私の手は、また届かない。


「なうううぅうぅーごぅ」
大きな鳴き声を残して、オレンジ社長が光になる。
光は私に近付くと、私の頬に触れた。
そう。 泣きぼくろに触れた。
いとおしそうに触れてくれた。

オレンジ社長……だった光の球は、最後に私の周りを一回りすると、外に飛び出し天気輪の柱と一体化した。
ひときわ大きく輝く、オレンジ社長の天気輪の柱。


見回せば、銀河鉄道は光の柱に包まれていた。
光の柱の中を、銀河鉄道は駆け抜けて行く。
それはとても綺麗な光景で……私はただ唖然と、それを見つめていた。



「あの子達はみな、本当にあなたに感謝しているのです」
アンドレアルフス氏が言う。

「でも私はあの子達を救えなかった」
「はい。それでもあの子達は、穏やかに逝けました。 心静かに逝けました。 先生のおかげでね」
「それでも私が敗れたことに変わりはないわ……」


-そっと
ハンカチが差し出される。
見ればあの蒼い髪のウンディーネが、白いハンカチを差し出しているのだ。

「これは……なに?」
「お前はハンカチも知らないのか?」
ぶっきら棒に言う。

「それは知ってるわ。 分からないのは、なぜ、あなたがそれを差し出しているかよ」
「……お前、気付いてないのか?」
「え?」
「お前の、その両目から流れているものはなんだ」
「何を言っているの。 私は泣かない……え?」


気が付けば、私の頬は濡れていた。
気が付かぬまま、私は泣いていた。


「これは……なんで………」
「それは先生が本当に優しいからですわ」
「私は…私は……ただの敗れし……」
「ええ。確かに。
 でも天気輪の柱にいる者達はみな、そんなあなたに感謝し、見守っているのですよ」
「見守って……いる?」

「はい。あなたの悲しみや寂しさは、いつもあの子達の気がかりでした」
「だから今夜。あなたはこの列車に招かれたですわ」
「あの子達の想いを告げるために。 感謝の想いを伝えるために」

「私は……私の父や母。 祖父母達も、あそこで見守っていてくれてるのかしら……」
「もちろんです」
彼・彼女達は私の本当に言って欲しかった言葉を聞かせてくれた。


  「 きみが星こそ かなしけれ 」


そっと抱きしめられる。
背中から何かとても軟らかくて暖かなものが、そっと私を抱きしめてくれる。
まるですべてを包み込むように。

車掌さんだ。
私は無意識にそう思った。そう感じだ。
暖かくて、柔らかで。
もしかして、この人が猫の王様(ケット・シー)……


その優しさの中で、私は声を上げて泣いた。



    
    *****



「ぷりきゅん」
何かが私の鼻を舐める。

「ぷりきゅんん」
ちゅぱちゅぱと舐め続ける。

「先生、先生。 天霧先生。 起きてください。 こんな所で寝てると、風邪を引いちゃいますよ」
激しく肩を揺さぶられる。

-ちゅぱちゅぱちゅぱ
-わさわさわさっ

-ちゅぱちゅぱちゅぱ
-わさわさわさっ

-ちゅぱちゅぱちゅぱ
-わさわさわさっ


「だわああああああっー!」

たまらず私は目を覚ました。

「ぷいにゅーにゅにゅにゅぅ」
寝ぼけ眼(まなこ)の目をやれば。すぐ目の前に白くて憎いあんチクショーが。

「はふう。あなたはどっちのアリア社長?」
「にゅ?」
「どっちのって……この方はARIA・カンパニーのアリア社長ですが……」
ピンクの髪のウンディーネ・水無灯里さんが戸惑ったように答えた。




気が付けば私はあの運河沿いの小道に居た。
眠っていたようだ。
よく凍死しなかったものだ……と改めれば、なぜか私は大きな黒い毛布のようなモノに包まれていた。

「こんな所に、こんな時間に、どうしたんですか?」

時刻はようやく陽が昇り始める頃。
灯里さんは早朝練習の途中だったそうだ。



あれは……あれは夢だったのだろうか?
一夜の夢だったのだろうか。

無意識に泣きぼくろを触ろうとして気が付いた。
私の左手。
その手が白いハンカチ握り締めていることに。

これは……

これは、あの蒼い髪のウンディーネが手渡してくれた、白いハンカチだ。
あの生意気な300歳を自称する、蒼い髪のウンディーネが優しく手渡してくれた白いハンカチだ。

そして-

キラリと朝日に光るものがある。
私を包んでいた黒い毛布。 ふかふかで暖かな毛布。
そこに張り付くようにくっついている、銀の髪。

あの僕ちゃん少女のシルバーブロンドの髪。
きらきら輝く、銀色の長い髪。


どうやら夕べのことは、夢ではないらしい。
でもそれを私は、灯里さんにどう説明できる?

猫目の巨体な人間に誘われ、銀河鉄道に乗り、ふたりのウンディーネに会った。
それはあなたと同じ、ARIA・カンパニーのウンディーネで、300歳の少年と、どう見ても女性なのに、中味は実は男の女の子。
それぞれにそれぞれの、ふたりのアリア社長。
天気輪の柱。
敗れし少年の歌。
私が看取った猫達。
オレンジ社長。
そして最後に、猫の王様・ケットシー

はぁぁ……
こんな話、信じる方がどうかしている。



「うーん。言ってもいいんだけど……信じてもらえるかどうか………」
私は髪をかき揚げながら呟く。 とたん-

-がばちょっ!
と、ばかりに灯里さんが抱きついてきた。


「ちょっ。灯里さん、どうしたの? い、いったい何をっ」

「あわあわ…あわあわ……」
妙な声を上げつつ、灯里さんはポケットから小さな手鏡を取り出した。

「先生は……天霧先生は乗れたんですか!?」

そう言って突き出された彼女の鏡には、私の額に押された猫のマークのスタンプが、しっかりと写し出されていた。




  *****




私はもう寂しくない。
なぜなら夜の空を眺めれば、星空いっぱいの「天気輪の柱」が見えるからだ。
いつでも会える。
いつでも見守っていてくれる。


「 きみが星こそ かなしけれ 」


今日もあの列車は誰かを乗せて走っているのだろうか。
今日もあの列車はさびしい誰かを乗せて走っているのだろうか。

さびしい人を乗せて、今日も優しく宇宙(ソラ)を駆け巡っているのだろうか。


耳をすませば-

カタン……コトン………カタン…コトン………

あの音が、今でも響いてくるようだ。











              「 Il pilastro del Tempo anello (天気輪の柱)」  la'fine 
 






先生の泣きぼくろって素敵ですね。
ええ。これは私の宝物なの。
ほへぇ……








擬声語(オノマトペ)
って難しい……(涙)

「敗れし少年の歌へる」の現代詩訳は、一部、個人的に意訳しています。
ご了承ください。


そして-
風月さま。氏の作品「ARIA Un Mistero Meraviglioso」より、彼女(彼)を無断借用しました。 不快であればお叱りください。

跳梁さま。 使っていいって言っていただきましたよね? いいですよね?(涙目)
よろしくお願いします(鹿馬)






[6694] Un soffitto ignoto
Name: 一陣の風◆ba3c2cca ID:8350b1a5
Date: 2011/04/22 23:16
明けました。 おめでとうございます。
新年早々、こんなお話ですいません(汗)

今年もたぶん、こんな調子ですが、なにとぞよろしくお願いします。
緩やかなお気持ちと、生暖かい目で読み続けていただけるのであれば、これに勝る幸せはありません。

それでは、しばらくの間。 お付き合いください。




   *******




ー見知らぬ天井だ

彼女はゆっくりと目覚めた。

え? 転生?



       第19話「 Un soffitto ignoto 」



ボウっ-とした頭で考える。
ここは何処だ。
なぜ私はここに居る。
ゆっくりと、あたりを見回す。

小さな部屋だ。
寮にある自分の部屋と同じくらい。もしくはもう少し狭いくらいの。
窓辺に置かれた、今、自分が寝転んでいるベッド。
その他には、小さなテーブルがひとつ。 椅子がふたつ。

奥の方にはおそらくトイレやバスにつながるであろう小さな通路。
壁際には本棚が……なんじゃこりゃ。
彼女は驚く。
その本棚の数に。 その本の量に。
所狭しと置かれた本棚には、ぎっしりと本が並べられている。

もっと良く見てみよう。
そう思って、ゆっくりと上半身を起こす。

-ペロリ

と、掛けていた布団が落ちる。
見下ろせば、豊満なちょっと自慢な自分の胸が見えた。
そこで初めて気が付く。
自分が一糸纏わぬ姿でいることに。
もちろん、最後の一枚まで……はいていない。

…………
…………

「ここは何処だあああああああああああ!!」

布団をあわてて体に巻きつけながら、晃・E・フェラーリィは絶叫した。



   ****



ボウっ-とした頭で考える。
ここは何処だ。
なぜ私はここに居る。
ゆっくりと、あたりを見回す。


窓から少し強めの木漏れ陽が部屋の中に降り注いでいる。
優しい風が白いカーテンを揺らしている。

自分の部屋ではない。
寮の自分の部屋より、はるかに広くて大きい。 なにより明るい。

ゆっくりと頭(こうべ)を巡らす。
頭の上。 ベッドの上には大きなプロペラが回っている。
でかい扇風機だ。

視線を飛ばす。

寝室とダイニングが、そのまま一体化している。 
どっしりと落ち着いたテーブル。 ゆったりとしたソファが三つ。
白いカーペットは、ふかふかで、そのまま寝転がっても気持ち良さそうだ。

あとはクローゼット。 食器棚。 本棚。
そのどれひとつとっても、センスのいい、ちょいと値が張る高級品ばかりだ。


-なにこれ? どんな金持ち?


その時。 彼女は自分が何かを抱きしめていることに気が付いた。
何か、やわらかくて暖かいものを抱きしめている。
足までからませて。

ゆっくりと視線を戻し、自分がしがみついているものを見る。
そして-


「ここは何処だあああああああああああああああああ!」

男をベッドから蹴り落としながら、蒼羽・R・モチヅキは絶叫した。

 


【 SIDE・晃 】

ずりずりずり-と。
体に巻きつけた布団を引きずりながら、晃はベッドから降りた。

-ないないないないっ

四葉のクローバーではない。
自分の服が……ない。

ウンディーネの制服はおろか、下着類までなにもない。
ベッドの下まで覗き込んで見る。
けれど、やはりない。

ふと思いついて、箪笥(タンス)を探る。
誰のものとも知れぬ箪笥を探るのは気が引けたが、背に腹は変えられない。

男性用の下着が出てきた。

顔を真っ赤にしながら、晃は素早く下着をタンスに押し戻す。
どうやらこの部屋の持ち主は男性らしい。
そうなれば、なおさらここには居られない。

違う引き出しも開けてみる。
だが出てくる服は、そのどれもこれもが小さい。
とても晃が切れるようなサイズではない。 無理すれば着れないことはないだろうが……
悲しいくらいに「つんつるてん」であろう。

-なんだなんだなんだ。 ここに住んでいるのは子供か?


ウロウロ・ウロウロ
部屋中を歩きまわる。
バスルーム。 その脇の洗濯機。
蓋を開ける。 ない。
やはり中には何もない。

洗面所。 歯ブラシが二本。 下に置かれている篭の中も見る。
やっぱり、ない。

ウロウロ・ウロウロ
ふと、窓を見やる。
窓の外に広がるは海。 見慣れた海。
どうやらここは、ネオ・ヴェネツィア市内ではあるようだ。


「はぁ……」
晃はタメ息をつきながら、ベッドに腰掛けた。
改めて布団を体に巻きつける。
そうして、ゆっくりと昨日のことを思い出してみる。
何があって、何故、こんな状況に陥ったのか。

ゆっくりと思い出してみる……




【 SIDE・蒼羽 】

「う…あうぁ。 おはよう、蒼羽……」
「おはよーじゃねえぇぇぇ!」
寝ぼける男をもう一度、蹴り飛ばしながら、蒼羽は再び絶叫した。

「な、なにすんだよ、蒼羽ぁ」
一向にこたえてない様子で、ベッドの下で、ひっくり返りながら男が話しかける。
蒼羽は改めて、目の前の男をガン見した。


こいつの名前は、出雲(いずも)新太(あらた)
貿易会社「ウッチェロ・ミラグラトーレ」の主任業務担当者。 つか、社長。
難関で有名な中央大学を卒業したエリート。
分厚い体。 分厚い顔。
けれど優しげな瞳。 可愛い口髭。

ARIA・カンパニーのプリマ・ウンディーネ。 水無灯里ちゃんの恋人、出雲・暁の兄。
ヘタレな弟に振り回される、不幸な男。
人には優しく。 とても頼りになる男。
社員や取引相手からの信頼も厚い男。

けれどその弟には拳でもってのみ語り合う、男の中の漢。
(作者注-あくまで、蒼羽主観です)


今、その男がピンクなハート柄のパジャマを着、ご丁寧にも同じ色と柄のナイトキャップまでかぶって、目の前にあった。
対する蒼羽は、新太のものであろう、真っ白なカッターシャツを一枚、ダブっと着ているのみ。
もちろん、下着類は何も身に付けていない。

「お、おま……お前、私に何をした!?」
新太を睨み付けながら、蒼羽は押し殺した声を出す。
「は?」
「だ、だから。お前、私に何かしたのか!?」
新太は少しボウっとした顔で蒼羽を見たあと、不意に悪魔のような笑みを浮かべて言い放った。

「もちろん。全部さ」
「!!!?」
絶句する蒼羽に畳み掛けるように、新太は言った。


「蒼羽のすべては、この俺が、いただいた」


-すべて……それはつまり……つまり…つまり………

ぐるぐるしだす思考の中で、蒼羽は必死に考える。
必死に思い出す。
昨日、何があったのか。 何故、こんな状況に陥っているのか。

もう一度、新太を蹴り飛ばしながら、必死に思い出してみる。




【 SIDE・晃 】

-そうだ。昨日は確か、営業が昼までで、次の日…つまり今日が休みだったので、午後、ひとり街にくりだして……
 久しぶりに街の中を目的もなく、ぷらぷらとウィンド・ショッピングなどしながら歩きまわり。
 ふと思い立ってアリシアやアテナ、蒼羽に連絡してみる。 
 
 飲もう!
 
 アリシアとアトラは捕まったものの、蒼羽とは連絡が取れなかった。 残念。
 
「あらあら。 じゃあ、仕事が終わったら行くわね。 うふふ、楽しみ」
「はあーい。 じゃあ、営業が終わったら行くねぇ。 えへへ、楽しみ」

 夜、待ち合わせの店に。
 その途中、偶然出合った、灯里ちゃんとヘタレを引きずるように連れて行く。
 互いの健康を祝して杯を掲げる。
 酔ってアリシアに迫るヘタレを、灯里ちゃんと一緒にシバキ倒す。
 そしてその時、初めて知らされた。
 
 アリシアが母になるとゆうことを。
 アリシアがその身に、新たな命を宿しているとゆうことを。

 楽しい酒となった。
 
 くそっ。どうりであんまり飲まなかったわけだ。
 私がアリシアに飲み勝つなんて。

 その後は……問題のその後は……
 アリシアとアテナを先に帰して……
 自棄酒(やけざけ)気味に飲むヘタレと飲み比べをして……
 当然のごとく、私が勝って……
 つぶれたヘタレの介抱を灯里ちゃんに任せて……
 私は帰ろうと店を出て……それから。 それから。 それから……

 駄目だ。 さっぱり思いだせん。
 ふらふらと歩いていた記憶はある。
 
-そうだ。
 晃は不意に思い出す。
  
 帰り道の途中で、誰かと出合った。
 出合ったそいつに連れられて、歩いた記憶がかすかに……
 ならば此処は、そいつの家?

私は「お持ち帰り」されたのか!?

-やばい!
晃は改めて部屋の中を歩きまわる。

そいつが何者かは思い出せないが、この部屋の住人には間違いないだろう。 それも恐らく男。
そいつが帰ってくる前に。
そいつが戻ってくる前に。

なんとしてでも、此処から脱出しなければ!

そして晃は発見をする。
最悪の発見をしてしまう。

ふと見つけた黒いコート。
壁に吊るされた黒いコート。
それは「ノーム(地重管理人)」と呼ばれる人々がいつも着用している、黒いコート。

箪笥の中の、小さめの服。
本棚いっぱいに詰め込まれた専門的な本の数々。
妙に小奇麗で心温まる部屋。

それは晃の知る、ある人物のことを真っ直ぐに示していた。

恐る恐るコートに手を伸ばす。
裏地を見る。
そこにはこのコートの所有者の名前が、はっきりと縫い付けられていた。

  アルバート・ピット。 

それは藍華の……自分が一番に可愛がっているウンディーネの彼氏の名前だった。

晃の顔から、音を立てて血の気が引いていった。




【 SIDE・蒼羽 】

-そうだ昨日は確か、ペア達への指導が昼までで、次の日…つまり今日が休みだったので、午後、ひとり街にくりだして……
 久しぶりに街の中を目的もなく、ぷらぷらとウィンド・ショッピングなどしながら歩きまわり。
 夕方、営業をを終えた、アトラや杏。 
 トラゲットを終えた、姫屋のあゆみくん。
 そこにたまたま居合わせた、姫屋の藍華ちゃんや、その彼氏とも一緒に海鮮焼きの店で食事をして……
 
 飲もう!

 その後はどうなったんだっけ?
 ものすごく楽しいお酒で。
 まるでちょっとしたパーティのような騒ぎで。
 それから…それから……
 
 みんなと別れて、もう少し飲み足りなかった私は、ひとり二次会に突入して……

 駄目だ。 その後の記憶がない。
 ふらふらと歩いていた記憶はある。
 そして気が付いたら今。
 あろうことか、新太とベッドを共にし、しかも抱きついて寝ていたとはっ。
 
 
「で、よく眠れたかい」
新太が挽きたてのコーヒーを差し出しながら言う。
「いやあ、蒼羽とこうしてモーニング・コーヒーを一緒に飲めるとはなぁ……」
いやらしい笑い顔で言う。

「き、昨日は何があった?」
消え入るような声で蒼羽は訪ねる。
「はっ?」
「だ、だから昨日、いったい何があったんだ!」
「お前、覚えてないのか?」
「……くっ」

絶句する蒼羽に新太は再び、悪魔の微笑みを浮かべながら語り出した。

「夜中、オイラが家に帰ってくると、お前が玄関で座り込んでてな。 いい調子に酔っ払ってるじゃねえか」
「酔っ払って……」
「ああ。よっぽど楽しかったんだな。そのままオイラの家で二次会さ。 覚えてないのか?」
「…………」
「覚えてねぇようだな」
「それから……」
「ん?」
「それからどうなった」
小さな声でささやくように訊ねる蒼羽。

「見ての通りさ」
新太は再び、悪魔的な微笑みを浮かべた。

「蒼羽とオイラは、ベッドを共にした。 意味分かるよな?」

蒼羽の顔から、音を立てて血の気が引いていった。




【 SIDE・晃 】

 こうなれば仕方がない。

晃はもう一度、箪笥に向かうと、今度は遠慮の欠片もなく引き出しを開け始める。
シャツ。 パンツ。
とりあえず、それだけでいい。

ベッドの上でのたうち回りながら、パンツをはく。
が、なかなか太股を通らない。

-くそっ。アルの奴、 もっと太りやがれ!

あお向けにベッドの上に寝転びながら、足を宙にバタつかながら、なんとかパンツを腰に押し込もうと苦闘する晃。
あっちを向き、こっちを向き。
腰を浮かせながら、なんとかズリ上げる。
よしっ。
なんとか、はくことが出来た。 けれど-

腰まで届かない。 チャックを上げることもできない。
足元はふくらはぎまで。

-こりゃ、どんなサブリナ・パンツだよ

続いてシャツを羽織る。
羽織ろうとする。
届かない。 ボタンがどうしても届かない。 胸の前のボタンがどうしても届かない。

-嗚呼。自分のスタイルの良さが妬ましい。

勝手なことをほざく。

よしっ。
なんとか留められた。 
けれど、ぱっつんぱっつんには変わりない。
ヘタに動けば、すぐにボタンが飛びそうだ。
しかもおヘソも丸出しだ。

だがこれで、コートをパレオ風に腰に巻けば……なんとかなるかな?かな?


ゆっくりとドアに近付く。
急げばすぐに弾けそうだ。 いろいろと。

ドアノブに手を伸ばす。

-もう少し。もう少しで

 ガチャリ-

突然、ドアノブが音をたてて回り扉が勢いよく開かれた。
立ち竦む晃の目の前に、晃が誰よりも信頼し、大切にするウンディーネの姿があった。

「藍華……」
「晃さん」
見る間に藍鼻の双眸から、濁とばかりに涙がこぼれ落ち始めた。




【 SIDE・蒼羽 】

 こうなれば仕方ない。

酔った上とはいえ、新太の部屋に自ら行き。
覚えていないとはいえ、一夜を共にした。
当然、それは一線を越えたってことで……

嫌ではない。
もちろん、嫌じゃない。
相手が新太であったなら。
でも-でも、でも、でも。


「幸せしてくれるんだろうな……」
「はっ?」
蒼羽は覚悟を決めた。

「だから……お前は私を………」

間の抜けた声を出す新太を睨みつけながら、蒼羽は言葉を続ける。
きっちりさせなければ。
だから-


「だから、お前は私を幸せにしてくれるのかって聞いてるんだっ」


新太は改めて蒼羽を見やる。

自分が渡したコーヒーのカップを両手でかかえ。
自分のシャツを荒く着て。 

 うん。胸元が危ないぜ……

自分のベッドの上で、顔を真っ赤にして、こちらを睨むように見上げている蒼羽。
目にはうっすらと涙が光っている。

「嗚呼……」

新太は軋るような声を上げた。

「もちろん……」
手を伸べ彼女の頬に触れる。

「俺の……」
ゆっくりと顔が近付いてゆく。

「一生分かけて」
蒼羽が濁と涙を流しながら瞳を閉じた。
上を向く。
小さく開いた形の良い唇が近付く。


-もう少し。もう少しで

 ガチャリ-

突然、金属的な音がして扉が勢いよく開かれた。
固まるふたりの耳に、無駄に元気の良い大音声が響き渡った。

「おはようアニキィ。また少しばかり金を貸してくれ!」




【 SIDE・晃 】

「晃さんっ」
「藍華っ?」
「おはようございます」
「おはようございます。晃さん」
「アル。 あゆみ……」

突然抱きついてきた藍華に戸惑いながら、晃は彼女は背後を見やる。
そこには朝の柔らかな日差しを浴びながら立つ、一組の男女の姿があった。

ひとりは、あゆみ・K・ジャスミン。
同じ姫屋のシングル・ウンディーネ。 トラゲットと呼ばれる「渡し舟」に心血を注ぐ男前なウンディーネ。
今は藍華のもとで、カンナーレジョ支店の副支店長を勤めている。

もうひとり。
アル。 アルバート・ピット。
小柄な体型。 優しげな微笑み。 藍華と暖かな想いを紡ぐ男。
この部屋の主。
そして-

私を「お持ち帰り」した男。


「あ、藍華。違うんだ。 これは誤解で。なにかの間違いでっ」
「もう、晃さん。心配したんですよ」
「へ?」
晃は藍華を見下ろす。
藍華は涙をためた瞳で晃を見上げながら、口を尖らせる。

「灯里から聞きました。昨日はアリシアさん達と飲んでたんですって」
「あ…ああ……」
「その後。行方不明になったって灯里は言うし」
「う…おお……」
「結局、無断外泊しちゃうし……ホントに。本当に心配してたんですよ」
「藍華……」

「今朝、アルさんから連絡があったときは、びっくりしました」
あゆみが笑いながら言う。
「昨日、酔っ払ってふらふら歩く晃さんを回収したって」
「回収……」
「はい。道の真ん中で座り込んでる晃さんを見たときは、本当に驚きましたよ」
アルも微笑みながら言う。

「きっととても嬉しいことがあったんですね。 とても楽しそうに酔ってらっしゃいました」
「酔って………」
「それでもう夜も遅かったので、遠くの姫屋よりも僕の部屋で飲もうと誘われまして」
「誘った。 私が?」
「はい。あいにくと藍華とも連絡が取れず、仕方なく僕の部屋にお連れすると、晃さんは、そのままベッドに直行されて……」
「ちょ、ちょっと待て」
「はい?」

「私は自分からお前のベッドに入ったのか?」
「はい」
アルは少し困ったような表情を浮かべた。

「その…いきなり服を脱ぎだすと、そのままベッドに寝転がって寝息を立て始めて……」
「わ、私の服は?」
「お酒と埃で少し汚れていたので、クリーニングに出しておきました。 はい、これです」
紙袋を差し出すアル。
のぞき込むとそこには確かに、自分の制服が入っていた。

「な、なあ、アル」
「はい?」
「その…わ。私のし…下着は?」
「ああ。それも一緒にクリーニングに出しておきました。 中に入っていますよ」
「…………」

晃はもう一度、マジマジとアルの顔を見る。
それからようやく気が付いた。


-こいつ、藍華以外は眼中にない!


いくら私が裸になろうが、ベッドの上で寝てようが。
いくら私の服や下着が脱ぎ散らかしていようが。

そんなモノは、こいつには……アルにとっては、なんの価値もないものなのだ。

-はあっ

「アル。すまなかったなぁ。迷惑をかけた」
タメ息を付きながら、アルに謝罪する晃。
「いえいえ。お気になさらず。晃さんが良く眠れたなら十全です」
「すまない。 それはそうと、お前は昨日どうしたんだ?」
「僕は外の天文台で星を眺めながら休ませてもらいました。 星空の中で眠るのは、なかなかオツなものなんですよ」
そう言って屈託のない笑みを浮かべるアル。

「そうか。悪いな。 藍華やあゆみも心配をかけたな」
一部意味不明な台詞(天文台とか)があったが、とりあえず大丈夫なようだ。 いろいろと。

「もうホント。少しはお酒、控えてくださいね」
ようやく体を離しながら藍華が言う。
「今度、アルくんを煩わせるようなことがあったら、本気で怒りますよ」

-そこか!

「ごめん。ごめん。藍華。ちゃんと反省する。もう二度とアルやお前達に迷惑はかけないさ」
「本当かしら……」
ちょっぴり怒りつつも安堵の表情を見せる藍華。 その向こうではアルとあゆみが、さも可笑しそうに笑っている。

-やれやれ とんだ朝だったな

晃は照れたように笑い、頭を掻く。
それが油断につながった。

-ぴしっ

突然、鋭い音と共にシャツの釦(ボタン)が跳んだ。
弾けるように、晃の形の良い豊満なバストが飛び出す。

「うわっ」
「きゃっ」
「わあっ」

藍華の顔が真っ赤になる。
アルの口がまん丸になる。
あゆみは手で顔を覆いながら、それでもしっかりと指と指の間からこちらを見ていた。

「すわっっ」
あわてて両手で己が胸を押さえる。
けれどその衝撃で、今度は腰にまいたパレオ代わりのマントがズリ落ちた。
おヘソはおろか、腰、あるいはその先まで、まる見えだった。

「禁止! 禁止! 見るの禁止ぃぃっぃ!!」
「うわっ。藍華! くっ…苦し……い……息がぁっ。む、胸っっえ」
「あははははっ」

とっさにアルの視線を塞ごうと抱きついた藍華に、顔を押さえられ悶絶するアル。
その様子を見て、大笑いするあゆみ。

真っ赤になりながら再びベッドに飛び込む晃が、同じ言葉を呪詛のように繰り返す。


「もう酒はコチゴリだ。もう酒はコリゴリだ。もう酒はコリゴリだ」


朝日を浴びる小さな部屋に、楽しげな喧騒が響き渡った。




【 SIDE・蒼羽 】

「おはようアニキィ。また少しばかり金を貸してくれ!  ……わ!?」
「おはようございます。 新太さん。 ……はひぃぃっぃ!」
「おはようございます。 あの蒼羽ちゃん、こちらにお邪魔してませ………お邪魔でしたか?」

いましも触れ合いそうな、ふたりの唇が急停止する。
体を-ピクリッ と震わせて、ゆっくりと声の方を振り返る蒼羽の目に、
大汗をかき立ち竦むヘタレと、両手で真っ赤な頬を抱きしめている、その恋人と、
優しげで、どこか意味ありげな微笑みを浮かべる、同僚の姿が飛び込んで来た。

「ヘタレ……灯里ちゃん…アテナ………」
奈落の奥底から響くような声で、蒼羽がささやいた。


「ち、ちがうんだアニキっ。俺様は……俺は何も知らなかったんだ!」

-ゆらり
っと、新太が黙ったまま身を起こす。

「ま、待ってくれアニキ。 お、俺はもちろん祝福するぞ。 もちろんさ。 か、彼女を『お姉ちゃん』と呼んでも構わない!」
「あ、あの…おめでとうございます、蒼羽さん。 お、お幸せに」
「うふふ。 蒼羽ちゃん。とっても良かったわね。 幸せ?」

ゆっくりと三人に近付いて行く、新太。
「も、もちろん、お袋には俺からちゃんと伝えといてやる。そ、そんな、結婚前にやっちまったなんてことは決して……」
「あ、暁さん。それは……」
「お赤飯炊いて、みんなでお祝いしなくちゃっ」

新太はヘタレの前で立ち止まり。
「そうだお祝いだ。お祝いしなければ」
「そ、そうですよね。 お目出度いことがあれば、お祝いしないと」
「そうよねぇ。目出度いわぁ」

そしてゆっくりと弟の肩にその両手を乗せた。
「と、とりあえず、おめでとうアニキ」
「おめでとうごいざいます、新太さん」
「おめでとう。蒼羽ちゃん」


「こんのド阿呆ぉぉぉぉ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」


-ドギャスッ!
怒号と共に、新太のパチキが炸裂した。


「がはっ…て、テメエっ。なにしやがゲフぅ!」
頭を抱えて悶絶する暁に追い討ちをかけるように、新太のドリル・轟天・パンチが炸裂する。

「あだだだだ。 痛い痛い痛い!」
「あ、新太さん、新太さん。落ち着いて」
灯里があわてて止めに入る。
「わ、私達はお祝いを………」
「あ~そんなに照れなくてもいいのにぃ」
「死にさらせぇぇぇぇぇぇ! せっかくのチャンスをっ。 お前等なあ!!」

-ドゴバスズコバコ

「痛い痛い痛てえぞアニキ。俺はたんにお祝いとお袋への報告を」
「バカ野郎! そんなこと言わなくていい!」
「そんなこと!?」
突然の蒼羽の声に、新太の動きが止まった。

「そんなことって…お前……」
見れば蒼羽はシャツ一枚の姿で立ち上がり、真っ赤な顔で新太を睨みつけていた。

「おま…お前にはそんなことでも………」
切れ長な目が新太を睨みつけ離さない。

「私…私にとっては……とても、とても大切な………」
その瞳から不意に大粒の涙がこぼれだす。

「大切な…大切な……お前は私を幸せにするって………」

-ぼろぼろぼろぼろ
涙が止め処なく、こぼれ落ちる。

「私のこと、一生かけて幸せにするって言ったじゃないか!」
号泣。

「蒼羽さん!」「蒼羽ちゃん!」
灯里とアテナがあわてて駆け寄る。

「新太さん! 蒼羽さんをいぢめないでください!」
もらい泣きしながら灯里が叫ぶ。
「社長さん。責任はちゃんと取ってくださいましね」
普段とは全く違う、恐ろしげな声でアテナが言う。
「アニキィ。女を泣かせちゃイカンなぁ……がふっ!」
「バカ野郎!」
再び弟に鉄拳を振るいながら、新太が叫んだ。

「なんにもなかったんだ!」

「……はひ?」
灯里が間抜けた声を上げる。
けれどそれは、その場にいた全員の声でもあった。

「なにもなかったんだよ!」
「あの…それはどうゆう……」
「どうゆうことも、Do You Know? も、そうゆうこともあるか!」
新太が吼える。

「おめえ等が妄想してるようなことは、これっぽちもなっかったんだ!」
顔を真っ赤にして吼える新太。 それは怒りか、それとも照れなのか。

「夕べ、蒼羽は俺ん家に入ると、そのまますぐベッドに直行だ。 いきなり服も下着も脱ぎ捨てて真っ裸になってな!」
「…………はえ?」
「このままじゃ風邪を引くって思ったから、強引に引きずり起こして無理矢理、俺のシャツを着せたんだ。 大変だったんだぞ!」
「………なんですと?」
「んで、俺様がソファで寝ようとすると、今度はしがみついて離さねぇ」
「………おやおやあ?」
「だからしょうがないから、そのまま抱き枕になってやってたんだ。 まぁ気分は悪くなかったがな」

「あ、新太……」
「なんでぇ、蒼羽」
「じゃ、じゃあ。今朝、お前が言った、私の全てをいただいたって台詞は……」
「ああ、全部いただいたよ」
新太は、ニヤリと笑った。

「蒼羽の寝顔と寝息と、柔らかな肌の感触をな……」
「……………テメエ!」

-ゲシゲシゲシッ

翔ぶが如く新太の元に走りこんだ蒼羽の蹴りが炸裂する。

「おまっ。おまっ。お前とゆう奴わあああああああああああああ!」
やっぱり顔を真っ赤に染め、涙を流しながら新太を蹴り続ける蒼羽。

「私は…私はてっきり……お前に…お前と……私の初めて……」
「痛い。痛い。痛いぞ、蒼羽!」
「この、この、このォ! じゃ、じゃあ、あの台詞はなんだ。なんだったんだ!」
「へ?」
「私を一生かけて幸せにするって台詞は……」
「そりゃ本当だ」
「うぅっ」
不意に蒼羽の動きが止まる。
上げかけた足の健康的な太股が、白いシャツの裾から見えて、とてもセクスィ~イ☆

「あの台詞だけは本当だ」
新太は立ち上がると、ゆっくりと蒼羽の顔を見た。

「あの台詞は……あの気持ちは本当だ。 俺は…俺はお前を一生かけて………」
「新太……」
ゆっくりと近付く、ふたりの顔。


「灯里ちゃん。見ちゃダメ。 あなたにはまだ早いわ!」

そう叫んだアテナの声は、ふたりを現実に引き戻す。
見れば、ヘタレな暁は腰をぬかしたまま、ふたりをガン見している。 鼻血を流しながら。
灯里はアテナにふさがれた指を、なんとかこじ開けようとジタバタしている。
当のアテナは、ものすごく嬉しそうな笑みを浮かべ、ふたりを見ていた。

ふたりは顔を見合す。 ずぐ目の前に相手の顔があった。
優しげな新太の顔。


「!!」
蒼羽は新太を突き飛ばすと、ベッドに逃げ込んだ。

新太の下敷きになった暁が、潰れた蛙のような声をあげた。
灯里がなんとかアテナを振りほどこうと大騒ぎしている。
そんな灯里を抱きしめながら、突然、アテナが『祝福の歌』を謳いだした。


頭から布団をかぶりながら、真っ赤になった蒼羽は同じ言葉を呪詛のように繰り返す。


「もう酒はコチゴリだ。もう酒はコリゴリだ。もう酒はコリゴリだ」


朝日を浴びる大きな部屋に、楽しげな謳声が響き渡たった。




  *****



ネオ・ヴェネツアを俯瞰で見てみよう。
大きな逆「 S 」字を書く運河、カナル・グランデが街の中央を流れている。
それ以外にも細かな水路が街の中を、縦横無尽に走り回っている。
そんな小さな流れのそのほとり。
カッレと呼ばれる小道を、今、ふたりのウンディーネが互いの存在に気付かず歩いてくる。

ふたりとも何故か奇妙に疲れた表情を浮かべ、とぼとぼと歩いて来る。
時刻はすでに夕暮れ。
茜色に染まった陽が、そんなふたりを優しく包んでいた。

曲がり角。
ふたりは、ばったりと顔を合わす。
偶然は必然。
見知った顔。 いや、見慣れた顔-と、いった方が正しいか。
ふたりは同時に互いの名を呼び合う。

「やあ、晃」
「やあ、蒼羽」

それからふたりは同時に、深い深いタメ息をつく。

「どうした、晃。元気ねぇなあ」
「お前こそ、蒼羽。なんか疲れてないか?」
「ああ…実は今朝、いろいろあってな」
「お前もか…実は私も今朝、いろいろあってなぁ……」

沈黙。
やがてふたりは、仲良く同時に叫んでいた。


 「『 一杯、いくか? 』」


ふたりのウンディーネは、互いに肩を抱き合うと、夕闇迫る街の中へと消えていった。
楽しげな笑い声と、しっかりとした足音が、闇の中にいつまでも響いてた。






            「 Un soffitto ignoto(見知らぬ天井)」 la'fine













-見知らぬ天井だ

ふたりは同時に目を覚ます。
ゆっくりと覚醒する。

それから互いを見やる。

見知らぬベッドの上で、互いに抱き合いながら寝ている、相手の顔を見やる。
もちろん、ふたりとも一糸纏わぬ姿で………


 「『 ここは何処だあああああああああああああああああああああ!!! 』」


晃と蒼羽は同時に絶叫した。。








「にゅ?」
「あれ。おふたりとも起きたみたいですよ」
「そうみたいだね。ちょうど朝ご飯の用意もできたから、呼んできてくれる?」
「分かりました」
「でも、びっくりだったねぇ」
「はい。夜中、おふたりが急に訪ねて来られたときは、びっくりしました」
「にゅーにゅー」

「それも、いきなり私のベッドに飛び込んで仲良く寝ちゃうんですもの」
「ふふふ。それも服を脱ぎながら?」
「はい。もうどうしようかと……一応、お洗濯はしてあります」
「ありがとう。でも私の部屋に泊まってもらって悪かったね。 ちゃんと眠れた?」
「あ。はい。大丈夫です。それはぐっすりと。 それに……」
「ん?」

「夜遅くまで、いろんなお話しができて、とっても楽しかったです」
「ふふふ……」
「ほんと、素敵大発見! って感じで」
「ぷいにゅーん」

「ねえ、知ってた?」
「なんですか」
「あのね。素敵なものは無限大なんだよ」
「素敵は無限大……」
「にゅっ☆」


「ねえ、灯里さん」
「なにアイちゃん」
「見知らぬ天井で寝るって、ドキドキしますね」
「……じゃあ、ときどき、ドキドキしに来る?」
「……はいっ。 喜んで!」
「ふふふ」
「にゅんにゅん」



[6694] Alice Carroll in Paese delle meraviglie
Name: 一陣の風◆5241283a ID:8350b1a5
Date: 2011/05/01 23:31
第20話をお送りします。

20話です。 スゴいです。
我ながら自画自賛です。 よくぞココまでお話しをでっち上げたものです(鹿馬)

読んでいただいている、みな様。
本当に、本当にありがとうがざいます。

また無駄に力が入って、こんなお話しになってしまったことを、お許しください。

それではしばらくの間、よろしくお付き合いください。



    *************




こんにちは。 アリス・キャロルです。
今日は私が体験した、でっかい不思議なお話しをします。

あれは桜の花の咲き咲き誇る春のことでした。


第20話 「 Alice Carroll in Paese delle meraviglie」



「アリスちゃん。ピクニックに行きましょう」
アテナ先輩がそう声をかけてくれました。

「ピクニックですか? でも私はもう、プリマですけど」
私は素手の両手をアテナ先輩に示しました。
「ふふふ。アリスちゃん、天然?」
な、な、な、何を言い出すんでしょう、この人は!
ネオ・ヴェネツィア……いえ、AQUAいちのドジっ子さんが、何を言い出すんでしょう。

 アテナ・グローリィ

「セイレーン・天上の謳声」の通り名を持つ、我がオレンジ・ぷらねっとのトップ・プリマ。
でもドジっ子。
とんでもないドジっ子。
「浮かれている時ほどおっちょこちょい」なドジっ子。
私がいつもフォローにまわるドジっ子。

「私は天然じゃありません!」
ぷっと頬を膨らませて抗議すると、アテナ先輩はとても嬉しそうな顔をして私を抱きしめます。
「本当にアリスちゃんは、かわいいわね。ふふふ」
でも愛すべき先輩。
私の敬愛する、とても素敵な先輩。

「あのね。 こないだアリシアちゃんに、とっても素敵な場所を教えてもらったの。
 ふたりで行ってみましょ?」
私の頭を撫で回しながらアテナ先輩は言いました。
その結果。

私とアテナ先輩は今ここにいます。


「見て、見て。アリスちゃん。スゴいわぁ」
「まぁぁぁぁぁ!」
アテナ先輩と、まぁ社長が嬉しげに声を上げます。
私も思わず見とれてしまいました。

ここはネオ・ヴェネツィアから少し離れた島の中。
もう使われなくなった電車の線路伝いに、少し歩いた丘の上。
廃車となった電車の車両の奥に、大きく枝を広げる桜の木。
その大きな桜が、満開の花を咲かせていました。

「アリスちゃん。こっちこっち」
アテナ先輩が電車の中から手招きします。
「お邪魔します……」
そう言って、まぁ社長を抱えながら、ちょっと恐々、中に入る私を、アテナ先輩が座席のひとつで待っていてくれます。

「ここではこうして桜を見るのが作法なの」
どんな作法ですか、それは!?
私がツッコみを入れる間もなく、アテナ先輩は座席の上に「えい」とばかりに寝転がりました。
「うわあ。アリスちゃん。とっても綺麗よぉ」
私が戸惑っていると、アテナ先輩は優しく微笑みながら、座席を指差します。
もう、こんなところで寝転ぶなんて……えいっ。 

 ぱふん。 

 うわぁ。

空、一面の桜。
蒼い空に桜の花びらが透けて見えます。
下から見上げる桜の木は、また一段と凄さをまして……まるで
まるで桜色の空を眺めているよう……って
恥ずかしいセリフ禁止!!
なぜか藍華先輩の声が聞こえてくるようでした。

「素敵ねぇ。 来て良かった」
アテナ先輩がお弁当に持ってきた、手作りのピーチパイを食べながら言いました。
私もパイを手に頷きます。
とゆうか、私はこんな美味しいパイを焼けるようになったアテナ先輩にも感動です。
「まあぁぁあ」
同じ気持ちだったのか、まあ社長も嬉しそうな声を上げながら、パイを口にしてます。

「でっかい、美味しかったです」
お腹いっぱい。
私は満ち足りた気持ちで、もう一度、座席に寝転がります。
「ああ、ダメよ、アリスちゃん!」
「は? なにがダメなんですか?」
「食べてすぐに横になると……」
「牛になるって言うんですか?」
「ううん。食べ物が耳たぶについちゃうわよ」
「…………耳たぶ?    うさぎ……?」


心地よき風。
気持ちいい景色。
ぽかぽかとした陽の光。
お腹はいっぱい。
そして小さく謳う、アテナ先輩の声。
セイレーン・天上の謳声が低く優しく響き渡ります。

そのあまりの心地良さに、私はついウトウトして……




 【 時間がない! 時間がない! 】


突然の声に私が飛び起きると、そこには灯里先輩がいました。

水無 灯里先輩。
「アクアマリン 遥かなる蒼」の通り名を持つ、ARIA・カンパニーのプリマ・ウンディーネ。
笑顔がとても似合う、先輩。
他社の私にも優しく声をかけてくれた、素適な先輩。
その灯里先輩が、なぜか白いウサギの格好をして、なぜか二頭身な姿で走っていました。

…………
…………

唖然とする私を尻目に、手に時計を持った灯里・シロウサギ先輩は「時間がない。時間がない」と呟きながら
桜の木の根元にある、小さな穴の中へと入って行きました。
のぞいて見ます。
その穴は真っ暗で、どれだけの深さがあるのか、まったく分かりません。
灯里・シロウサギ先輩はこんな中に入って行って、大丈夫なんでしょうか?

ートンッ
と背中を押されました。

ー!?
私は悲鳴を上げる暇もなく、穴の中に落ちてしまいました。
落ちながら振り向けば、そこにはにっこりと笑うアテナ先輩の姿が。
アテナ先輩に突き落とされた!?
いったい何をしてくれるんですかっ。このドジっ子さんわ!!

「行ってらっしゃい。楽しんでね」
暗い穴の中に落ちながら、私はアテナ先輩の、そんな呟きを聞いたような気がしました。


      *


これって「不思議の国のアリス」ですよね。
この展開ってば「おとぎのアリス」(原題)ですよね。
なぜ?
私の名前がアリスだから? 
だとしたら、なんて安直な!!

暗い穴の中を落ちながら、私は割りと冷静に考えていました。

だとしたらこの後は、藁の上に落ちて、それから……

ーボスッ

ほらね。
やっぱり藁のベッドの上だった。 そしたら次は……

私はゆっくりと藁から抜け出しました。
そこは小さな部屋で。
小柄な私(まだ成長過程なんです!)でも腰をかがめなければ立ってもいれません。

「時間がない。時間がない。 女王様との会見時間に遅れてしまう」
目の前を灯里・シロウサギ先輩が走りぬけて行きます。
「あっ、灯里先輩!」
「そんな事になれば、打ち首になってしまう。 ああ、時間がない、時間がない」
けれど灯里・シロウサギ先輩は、私の声を無視して、小さなドアから外に出て行ってしまいました。

私は這いつくばるように顔を下げて、その小さなドアから外を見ました。
そこは一面の白い薔薇畑で……
でもドアは小さすぎて、とても私では通れそうにありません。 確か原作では……

「ほりゃ、これをお飲ょみ」
声の方を見やると、そこには藍華先輩が居ました。
黒猫の格好をした、やっぱり二頭身な藍華・クロネコ先輩が。

藍華先輩。
藍華・S・グランチェスタ先輩。
水先案内業界いちの老舗「姫屋」の一人娘。
「ローゼン・クイーン 薔薇の女王」の通り名を持つ、トッププリマ。
姫屋・カンナレージョ支店の支店長。
灯里先輩共々、昔からお知り合いの、素敵なお友達。
……少し口が悪いことが難点ですが………

「ほら、後輩ちゃん。 飲むにょ? 飲まないにょ? にゃふ!?」
そのあまりな可愛さに、私は思わず藍華・クロネコ先輩を抱きしめてしまいました。

「にゃっ、にゃっ、にゃにすんにゃ! はにゃせっ。離すにゃ、後輩にゃん!!」
「でっかい嫌でぇす。 きゃああっ。藍華先輩、かわいい!」
「にゃっ、にゃっ、にゃぁぁぁぁぁ!」
なぜかムズがる藍華・クロネコ先輩を抱きしめながら、私はそれから小一時間ほどモフモフしました。


「と、とにかく、このジュースをにょめば、外に出られるにゃ……」
なぜかぐったり(お髭もしおれてます)してる藍華・クロネコ先輩が、囁くように言いました。
「はい。でっかい、ありがとうございます。藍華先輩」
私は机の上にあったビンを手に取ると、一気に飲み干しました。
するとどうでしょう!
見る間に私の体は縮んでいき。ついにはネズミほどの大きさになってしまいました。
これであのドアから出れます。

「藍華先輩、ありがとうござい……って、な、なんなんですか?」
私が礼を言おうと振り向けば、そこには何故か恐い目で私を見下ろす、藍華・クロネコ先輩の姿が……
「あ、藍華先輩?」
「にゅふふ……じゅる」
「じゅる?」
「後輩にゃん」
藍華・クロネコ先輩が、ゆらりーと近付きます。

「こんにゃに、ちっちゃくにゃっちゃって……美味しそう」
「!?」
「にゃふふっふ。 今まで散々可愛がってくれたお礼にゃ……」
「お、お礼にゃ?」
「……にゃ。 いただきにゃーす!!」
私は全速力で逃げ出しました。


「待てぇ~。逃げるにゃ。 逃げるにゃ、後輩にゃん! 可愛がってあげりゅからぁ!」
「でっかい遠慮しまーす!」
私は森の中を散々、逃げ回ります。
でもとうとう、崖の上に追い詰められてしまいました。
下を覗き込むと、そこには大きな池が広がっていました。

「追い詰めたにゃ」
「あ、藍華先輩。と、とりあえず落ち着いて」
「くっくっくっ。そこにゃ『涙の池』と言ってにゃ。 いくたの涙でできてるんにゃ……」
「涙の池……」
「にゃははは……ではいただきまほぁぁぁぁぁぁ!?」
落ちます。
また、落ちて行きます。

飛び掛ってきた藍華・クロネコ先輩を避けるために、私は自ら崖から飛び降りました。
下は池です。 なんとかなるでしょう。
で、勢い余った藍華・クロネコ先輩も一緒に落下して……

ードッボーン!

派手な水しぶきが上がりました。
「にゃにゃにゃあああああああああああああああああ!」
藍華・クロネコ先輩が暴れてます。
ああそうだ。確か猫は水が嫌いで……

「にゃにゃにゃあああ……ア、アルくうんんん!」
溺れながら藍華・クロネコ先輩が叫びます。
「た、助けてぇぇぇ、アルくんんんん!」
そんなこと言っても、そう都合よくは……「はい。藍華」……いました。

涙の池で溺れかける藍華・クロネコ先輩を助けたのは、やっぱりアルさんでした。
アルバート・ピットさん。
ノームと呼ばれる地重管理人のお仕事をされている男の人です。
一見、女性と見間違えそうな優しげなお顔。
でも理知的な光が、その眼鏡の奥の瞳から輝いています。
藍華先輩の想う人。 相思相愛の想い人。

「で、アルさん」
「なんですか、アリスさん。 がお」
「非常にお聞き苦しいのですが」
「なんなりと。がお」
「……なんで狼なんですか?」
「がお……」
そこには藍華・クロネコ先輩を背負った、アル・ハイイロオオカミさんが困った顔で立っていました。


「ええと、本当の不思議の国のアリスでは、この場面はドードー鳥が出てくるハズなんですが
 たぶん次のお話の都合で、こんなことになってるんだと思います。 がお」

ええと……
いくら「がおがお」言われても、ファイナルフュージョンじゃないんだし、全然、恐くありません。
それより、その優しげな顔を見ると、余計にその灰色な毛皮に、もふもふしたくなります。
でも背中から藍華・クロネコ先輩が、そんなことは絶対に許さん!
とばかりに、恐い顔で睨んできます。 

「痛い、痛い。 藍華、そんなに爪立てないで。がお」
「ふーっ。ふーっ。ふーっ」
藍華・クロネコ先輩。鼻息荒いです。
アル・ハイイロオオカミさんが困ったように笑っています。
はい。本当におふたりは仲良しさんですね。

「それじゃあ服も乾いたみたいなんで、私は先に行きます。おふたりさんはいつまでも仲良く」
「は、恥ずかしいセリフ禁止ぃぃっぃぃいい!」
藍華・クロネコ先輩が顔を真っ赤にして叫びます。
「いたたたた。だから藍華、あんまり背中に爪立てないでください。がおがおっ」
アル・ハイイロオオカミさんが、やっぱり叫びます。

背中に爪を立てる……まぁまぁまぁ。 
私はおもわず、赤面してしまいました。
女の子って耳年増(うふっ)


     **


「そんなわけで、あの家から扇子と手袋を取ってきてほしいの」
灯里・シロウサギ先輩が言います。
「はあ……あの家から扇子と手袋を取ってくればいいんですか?」

藍華・クロネコ先輩と、アル・ハイイロオオカミさんと別れたあと、再び出合った灯里シロウサギ先輩に連れられて
やって来た小さなお家の前で、私は聞き返しました。

「うん。扇子と手袋がないと、女王様にはお会いできないの。お願いアリスちゃん」
「分かりました。 でっかい待っていてください。 ところで……」
私は扉に手をかけながら訊ねました。
「どうして灯里先輩は、ご自分で取りに入らないんですか?」
扉を開け、一歩中に。
「だって……」
もう一歩。
背中から、灯里・シロウサギ先輩が言います。

「だって、その中には、大っきなトカゲがいるんだもの」

  どわっ

私は立ち竦んでしまいました。
部屋の真ん中。 大きなテーブルがあります。
その上には例の扇子と手袋が。
そしてその向かい。
がっしりとした椅子に腰かけている、でっかい緑色の爬虫類が!

蒼羽・ミドリオオトカゲ教官でした。

蒼羽・R・モチヅキ教官。
我がオレンジ・ぷらねっとの指導教官。 
お客様を乗せるゴンドラ・クルーズはしない代わりに、そのウンディーネを指導、教育するウンディーネ。
特に蒼羽教官は、その指導の正確さと厳しさとではネオ・ヴェネツィアいち! と呼ばれる存在でした。
とても恐い教官。 でもとても優しく頼れる教官。

「あんまりだ……」
その鬼教官が泣いてます。

「あんまりだ……なんで私がよりにもよって、ミドリオオトカゲなんだ……」
「蒼羽教官……」
「私が爬虫類は苦手と知っての、嫌がらせか!?」
蒼羽・ミドリオオトカゲ教官が身を震わせながら叫びます。

「くそうっ。こうなったらアリス!」
「は、はい」
突然、矛先が私へと向きます。

「帰ったら特別メニューで、お前を指導してやる!!」
「そんなっ。私とオオトカゲとは、でっかい関係ない……」
「うるへえ! 問答無用!」
「えええええええ!」

私は思わず大きな声で叫んでしまいました。
するとー

 -ポーンっ

とやたらと軽い音がして、蒼羽・ミドリオオトカゲ教官は暖炉を通って煙突から、スっ飛んで行ってしまいました。

「次はせめてヒトガタにしてくれぇぇぇえぇぇっ」
蒼い空に蒼羽・オオトカゲ教官の叫び声が木霊し、消えてゆきました。

「ホント。素適な蒼い空だねぇ」
灯里・シロウサギ先輩が、のんびりと呟きました。


    ***
 

みなさんは「キツネノテブクロ」とゆう花をご存知でしょうか?
薄紫色の鈴なりになった釣鐘状の花を持つ、ゴマノハグサ科の植物。 
あるいは「ジキタリス」とゆう名前の方が有名かもしれません。
そう。薬草=毒草です。
「魔女の指抜き」「血の付いた男の指」などと呼ばれていた地域もあったとか。

「おとぎのアリス」の中では「やまびと(妖精)のてぶくろ」とも書かれています。

で、なぜ私がそんなことを長々と語っているかとゆうと……
その花が根元にある大きな木の枝に、アリア・ちぇしゃねこ社長がとまっているからです。

「あ。アリア社長?」
「やあ、アリスちゃん」
「ぬわっ! アリア社長がしゃべった!!」
私は本当にびっくりしてしまいました。

アリア社長はARIA・カンパニーの社長猫さんです。
猫が社長? そうです。 ネオ・ヴェネツィアの水先案内業では、青い瞳の猫さんを
航海の安全と無事を祈る象徴として、一緒に暮らして(飼ってる訳では、でっかいありません!)います。
特にアリア社長をはじめてとする火星猫さん達は、頭もよく、人の言葉を理解することができるのです。
でもー
でも話すことはできません! 普通の火星猫さん達であるなら!!

「どうした、アリスちゃん。何か聞きたいことがあったんじゃないのかい?」
アリア・ちぇしゃねこ社長は、西村ともみさんばりの良いお声で話します。
「え……えと。 では教えて欲しいんですけど…………」
私は心の動揺をなんとか押さえ込むと、改めてアリア・ちぇしゃねこ社長に訊ねました。

「いひひ。僕に答えられることならね」
そう言うとアリア・ちぇしゃねこ社長は「にぃぃ」と笑いました。
それは普段のアリア社長からは、まったく想像もできないような嫌らしい笑い顔です。
口なんか、耳元まで裂けてます。

「あの……私はこれから何処へ行けばいいのでしょう」
いつの間にか、灯里・シロウサギ先輩は何処かに行ってしまいました。
私はひとりで、とぼとぼと道を歩いて来たのです。

「それならこの道をお行き」
アリア・ちぇしゃねこ社長は尻尾で一本の道をしめしました。
「そっちに行けば、ぼうし屋と三月うさぎが居るから、そこでもう一度訊ねてごらん」
そう言うと、アリア・ちぇしゃねこ社長は、笑い顔だけを残して、ゆっくりと消えてゆきました。
専門用語ではF.O。 フェード・アウトと云うそうです。
でもどうやって笑い顔だけを残せるのでしょうね?



   ****



三月うさぎ。 帽子屋さん。そして大ねずみ。
そして私の4人のお茶会は、いつまでも続いていました。

「まぁぁぁぁ」
「にゃふ、にゃふ」
「……………」
「ふひゃひゃひゃひゃ」

「まぁぁぁぁ」
「にゃふ、にゃふ」
「……………」
「ふひゃひゃひゃひゃ」

「まぁぁぁぁ」
「にゃふ、にゃふ」
「……………」
「ふひゃひゃひゃひゃあ」

さっきからこの会話のくり返しです。

「まぁぁぁぁぁ」と、まあ・三月うさぎ社長が叫べば、
「にゃふ、にゃふ」と、アクィラ・帽子屋さん社長が答え。
「……………」と、ヒメ・大ねずみ社長は居眠りを続け、
「ふひゃひゃひゃひぁ」と、いつの間にか加わった、アリア・ちぇしゃねこ社長が笑います。

その間私は、ひとりで紅茶を飲み(いくら飲んでも減りません!) クッキーをボリボリと食べるだけ。
(だってお腹が空いたんですもの)

ちなみにー
まあ社長は我がオレンジ・ぷらねっとの社長猫。 私が街で見つけた子猫さん。
「まあ」と云う名前は、彼女(女の子なんです!)を抱き上げると、必ず「まぁ~」と鳴くからです。
で、そんな、まあ・三月うさぎ社長は、なぜか頭の上に麦わらで作ったリングを乗せています。
でっかい、謎です。

それから
さっきからずっと「ゴンドラ(舟)を漕いで」いるのは、姫屋のヒメ・大ねずみ社長。
藍華先輩の「姫屋」の社長猫さんです。 
凛! とした黒猫さんの地球猫さんです。
それが今は、ぽってりと、ただひたすら眠ってばかり。 
よだれ、たれてますよーぉ。
そんな気持ちよさげに眠る、ヒメ・大ねずみ(猫がネズミ?)社長に
アクィラ社長が気持ちよさそうに寄っかかっています。

そのアクィラ・帽子屋さん社長。
「MAGA」社の社長猫さんです。
......ですが、アクィラ社長は本当の社長猫ではありません。
なぜならその瞳は蒼くないからです。 綺麗な黄金色をしています。
それでもアクィラ社長は社長猫とみんなから認められています。
それは、あの人の。 あの素晴らしき「愚か者」の想いを、みんなが理解しているから……

「にゃふ、にゃふ」
でも今のアクィラ・帽子屋さん社長はホントに「バッジェーオ」です。
サイズの合わない、ぶかぶかの大きな帽子をかぶり(帽子には10シリング・6ペンスとゆう値札が張ってあります)
さかんに私に向かって叫び続けています。

「アリスちゃんは、髪の毛を切ったほうがいい! だってサ。 ふひゃひゃひゃひぁ」
アリア・ちぇしゃねこ社長が、あの妙な笑い顔で通訳してくれます。
どうやらお話しできるのは、アリア・ちぇしゃねこ社長だけのようです。
ちょっと安心ですね。

「にゃふ、にゃふ。にゃふ、にゃふ」
アクィラ・帽子屋さん社長は鳴き続けます。
髪を切れですって?
でっかい大きなお世話です。
私の髪の毛のどこが長いとゆうのでしょう。
つか、ロングのどこが悪いとゆうのでしょう。
これでも自慢の髪なんですよ!!
それを何故切らないといけないんですか?

みなさんは、どう思いますか?



  *****



   ぷっかり
と、煙の輪が浮き上がります。

   ぽわぽわ
白い白い煙の輪が、ゆっくりと風に乗って流れてゆきます。

「まぁ、なんだな……」
晃さんが言いました。

  ぷかぷか・ぽわぽわ
「これはないよな………」

  ぷっかり・ぽわぽわぽわ
再び白い輪っかが浮き上がりました。


社長猫さんズ達との、いつ終わるとも分からないお茶会を抜け出した後、再び、とぼとぼと歩く私は
でっかいキノコの上に座り、煙を噴かしている晃さんに会いました。

晃さん。
晃・E・フェラーリさんは「クリムゾン・ローズ 真紅の薔薇」の通り名を持つ「姫屋」のプリマ・ウンディーネさんです。
いえ、ただのプリマではありません。
「ARIA・カンパニー」のアリシアさん。 ウチのアテナ先輩と共に「水の三大妖精」と呼ばれ、
全てのウンディーネ……いえ、全ての人々から賞賛と憧れの視線を贈られていた、素晴らしきウンディーネ。
アリシアさんが寿引退され「水の三大妖精」が自然解消された後も、名実ともにトップ・プリマとして
このネオ・ヴェネツィアの水先案内業を牽引する、最高のプリマ。

その晃さんが大きなキノコの上に座って、ぽわっと煙を噴かせていました。
アオムシの格好で……

「前回といい、今回といい」 
 
  ぷっかり・ぷっかり

「私と蒼羽の扱い、酷くね?」
輪っかになった、白い煙が流れて行きます。

  ぽわぽわぽわ
「だいたい、クリムゾン・ローズの私が、よりにもよって、なぜ、アオムシなんだ!」

  ぷっかり・ぷっかり
  ぽわぽわぽわ……

「あの晃さん……」
「ああん?」
晃・アオムシさんが、やさぐれきった顔でこちらを睨みます。  ……こ、恐ひ。

「あ、あの……煙草は喉に悪いんじゃ………」
ぷかりぷかりと煙を吐き出す、晃・アオムシさんの前には、水キセルとゆう喫煙器具がありました。

水キセル。もしくは水パイプ。あるいは「シーシャ」と呼ばれるこの道具は、
タバコの煙を水にくぐらせた後、極めて長い煙路を経て吸引する、マンホームの中東エリアで主に使用される
煙草の喫煙道具です。

晃・アオムシさんは、さらにもう一度「ふうぅうぅ」と白い煙を吐き出すと言いました。
「これは煙草じゃねぇよ」
「はい?」
「これは喉薬の噴霧器だ」

 ぷかり・ぷかーり
「つか誰が煙草みたいな体に悪いものを吸うかっ!
 吸えばビタミンは破壊されるし、血管は収縮するし、肺は真っ黒になるし。
 まわりは副流煙で迷惑するし、火傷するし、スモークハラスメントだし。 
 煙草は百害あって一利なし! 
 それが分からんような奴は、ヤニチューでもなんでもかかりやがれ!」

愛煙者の方々が聞けば、号泣するであろうことをサラっと言って、晃・オオアオムシさん(やさぐれ中)はもう一度
 ぷっかり
と、煙の輪を浮かべました。

「でもな……」
 ぷっかり

「煙は嫌いだが、匂いなら少しは好きだ」
 ぷっかり

「ちょっと落ち着く」
 誰のことをいってるんでしょうか?

 ぷっかり

晃・アオムシさんは、煙を吐き続けます。
煙の輪は風に乗って、ゆっくりと流れていきました。



  ******



最初にこの世界に落ちたときの小部屋のお話し。 覚えてますか?
あのとき、私が屈んで見た小さな扉のお話し、覚えていますか?
そこから見た景色のお話し、覚えていますか? 
そう。 いっぱいの白い薔薇が咲き乱れる景色。

今、私の目の前にも、たくさんの薔薇の花が咲き誇っています。
紅い……真っ赤な薔薇の花が。


「どうしてアトラちゃんだけなの?」
「え? だってそれは……」
「まぁまぁ。 落ち着けよ。杏」
「私だって、そっちがいい!」
「そんなコト言っても……」
「ぶううううううっ」
「拗ねるな、拗ねるな」
「どうしたんですか?」

私は訊ねました。
トランプに。 三人のトラゲットズ・トランプさん達に。

「あ、アリスちゃん。聞いてよぉ」
まん丸なオメメを、さらにまん丸にして、杏先輩が叫びます。

夢野 杏先輩。
オレンジ・ぷらねっとの先輩。 
その名の通り夢見がちな先輩で、先輩の部屋には沢山のぬいぐるみが所狭しと並べられています。
でもその童顔からはとても想像できないような、真の強い心の持ち主。

「やわっこく、やわっこく」
いつもそう言いながら、どんな苦難や試練にも立ち向かっていき、決して「夢」をあきらめない。
そんな素適な先輩。

「アトラちゃんはハートなんだよ。私はクラブなのにぃ」
ぷい っと膨れる、クラブのトランプな杏先輩。
ホント。私より年上なのに、どうしてこんなに可愛いんでしょう。


「仕方ないわよ、杏」
そう答えるのは、アトラ・モンテェウェルディ先輩。
杏先輩と同じく、私と同じオレンジ・ぷらねっとの先輩ウンディーネ。
治癒療法は確立されているにもかかわらず、いつも眼鏡をかけている先輩。
その眼鏡もその日の気分で、いろいろと架け替えるこだわりの持ち主。
その眼鏡の奥の瞳は理知に満ち、人呼んで「ウンディーネいちの名探偵」

「だって私はキャッチ・プリ〇ュアだから」
アトラ・ハート先輩が断定的に言いました。
うん。
アトラ先輩は………理知的………なハズです。


「っかー。 ホラホラ、杏。杏。 そんなこと気にしない、気にしない。あはははは」
陽の光浴びるような、明るい笑い声が響きました。

あゆみ先輩です。
あゆみ・K・ジャスミン先輩。
晃さんや藍華先輩と同じ「姫屋」所属のウンディーネさんです。
お客様を乗せるゴンドラ・クルーズより、ネオ・ベネツィアの街の中を逆「S」型に流れる大運河
「カナル・グランデ」での「トラゲット 渡し舟」に力をそそぐ、明るく元気なウンディーネ。
トラゲットを愛するあまり、実力はあるのに、いつまでもシングルの位置にとどまっている、男前なウンディーネ。
今は藍華支店長の元で、姫屋カンナーレジョ支店の副支店長を務めているウンディーネ。

「誰がハートでも関係ないさ」
そう言う、あゆみ先輩のトランプはスペードでした。


「で、みなさんは何をしていたんですか?」
私はトラゲットズ・トランプさん達に訊ねました。

「あ。そうだ。 いけない」
「急がないと」
「早く、早く」
そう言うと、トラゲットズ・トランプのみなさんは、紅い薔薇に白いペンキを塗り始めました。

「な、何をしてるんですか? そんなことをすれば、せっかくのお花が、でっかい大変なことに!」
「女王様は、白い薔薇がお好きなんだよ。 いっしっしっしっし」
再び現れたアリア・ちぇしゃねこ社長が、笑いながら言います。

「一本でも白くない薔薇が見つかったら、このトランプ達は首をはねられるだぜぇ」
「そんな、ひどい!」
「ぶひゃっひゃっひゃっひゃ。そら、女王様のおでましだ」
そう言うと、アリア・ちぇしゃねこ社長はまた、笑い顔だけを残して消えてしまいました。



   *******



「あらあら、うふふ。 今日も白い薔薇がいっぱいね。 嬉しいわぁ」
アリシアさんが言いました。

アリシアさん。
アリシア・フローレンスさん。
「スノーホワイト 白き妖精」の通り名を持つ、元トップ・プリマ。
晃さん、アテナさんと共に「水の三大妖精」とひとりだった、元ウンディーネ。
その華麗で優雅な操舵術で、ネオ・ヴェネツィア中のウンディーネの、もっとも憧れる、元ウンディーネ。
所属していた「ARIA・カンパニー」の全ての権利を灯里先輩に譲り渡し、寿退社した、幸せのウンディーネ。
今ではゴンドラ協会に所属し、私達ウンディーネのことを優しく見守ってくれている、優しき人。

そんなアリシア・女王・フローレンスさんが、なにやら妖しげな微笑を浮かべています。

「でもね。私は知っているのよぉ。うふふふふ」
その言葉にトラゲットズ・トランプさん達の顔が強張ります。
「この中に紅い薔薇があるでしょう?」
「い、いえ女王様!」
「そんな滅相もない!」
「そんなことある訳が!」
「あらあら。 隠しても分かるわよぉぉぉ」

  ぎらりっ

と、輝きました。
アリシア女王の背後から、まるで後光のような光があふれ出します。

 ずおおおおおおおおっ

と、アリシア女王が巨大化します。

「あらあら、うふふ。 私はなんでもお見通しよぉ」

アリシア女王は、優しく笑いながら巨大化し輝きだします。

「みーんな、私の手の中で踊っているのおぉぉぉっぉお」

こ、これはアノ、伝説の「アリシア大仏」……

「私はね、紅い薔薇が大嫌いなのぉ。 だからそんな花を咲かせたお前達は死刑!
 さぁ、首をはねておしまいぃぃぃ!」

  「「『 ひえええええええええええええええええっ 』」」

トラゲットズ・トランプさん達の悲鳴が響き渡りました。


「待ってください! そんなのでっかいヒドイです!」
私は思わず叫んでいました。

「あらあら、アリスちゃん。この私に逆らうの?」
アリシア女王は元の大きさに戻ると、私の顔を真正面から見据えました。

うっ。 満面の笑顔がまた、いち段と恐いです。 でもー

「紅い薔薇を咲かせただけで首をはねるなんて、無茶苦茶ですっ」
「うふふ。それならアリスちゃん。私と勝負をしなさいな」
「勝負?」
「そう。クリケットの試合をして、私が勝てば首をはねる。あなたが勝てば胴をはねる。どう?」
「………それ、どっちにしろ死刑ですよね?」
「あらあら。 バレちゃった? うふふふ」

なんなんですか?
なんなんですか? このクロさは!?

「あらあら。冗談よ冗談。 あなたが勝てば、ちゃんとトランプ達は助けるわ。 うふふ」
「……でっかい分かりました。 その勝負、受けてたちます」
「うふふ。たーんと頑張りなさいな」
クロシア……もとへ。 アリシア女王はそう言うと、天使のような微笑を浮かべました。



  ********



クリケット。
実はよく知りません。 マンホームのイギリス州って所のスポーツで、アメリカ州のベースボール。
野球と同じで、バット(平たいのです!)とボールを使って得点を競う球技のようです。

でも野球と違うのは、合間に休憩があったり、お茶の時間があったりすることです。


そんなワケで、私とアリシア女王は、お茶の時間を楽しんでいました。

ちなみに。
ここまでの得点は100002点対、100001点で、女王がリードしていました。

「あらあら。 やっぱりアンの生クリームのせココアは最高ね」
「はい。でっかい美味しいです」
私達ふたりの賛辞に、カフェ・ビアンカネーヴェのオーナーで、アリシア女王の幼馴染でもある
アン・生クリーム・シオラさんは、照れて、そのまま溶けてしまいました。


「さあ、これから最後のターンよ。うふふ」
アリシア女王が宣言するように言いました。
「そこで、新しいバットとボールを使います。 うふふふふふふ」

そして改めて手渡されたのは、宇土・フラミンゴ・バットさんと、暁・ハリネズミ・ボールさんでした。

「やあ、アリスちゃん。こんにちわ。 なのだぁ」
「……ウッディーさん。 こんなトコでなにやってんですか?」

ウッディー・フラミンゴ・バットさん。
綾小路・宇土51世。 通称ウッディーさん。
車両の出入りが禁止されているネオ・ヴェネツィアで、エアバイクを使い、郵便以外の荷物を運ぶ、
「シルフ 風追配達人」  空飛ぶ宅配業者さん。
ウッディーさんはその中で私ととても仲の良い人。 幻の怪獣「ムックん」にそっくりな人。
私の大好きな、ムックんのぬいぐるみにそっくりな人。
だから……大好きな……いえ、その……あの………

「なあに照れてやがんだ。 後輩ちゃんよお。 そんなにバットなウッディーに触れて嬉しいのかぁ?」
ボールが言いました。

暁・ハリネズミ・ボールさん。
出雲 暁さん。 通称ポニ男さん(長髪を後ろ頭でくくっているが故に)
AQUAの天気を調整する「サラマンダー 火炎之番人」
灯里先輩のことが気になってしかたないのに、未だにそれを認めない、ヘタレな人。
灯里先輩を「もみ子」(灯里先輩の、その独特の髪型から)と呼び、未だに名前を呼べない
ヘタレな人。
だからー

「でっかい五月蝿いです! ヘタレなポニ男さん!!」

 かっああきぃぃぃっぃぃぃいぃぃぃぃいいぃぃい!

おもいっきり振りぬいた、私のウッディー・バットの一閃で、暁・ハリネズミ・ボールさんは、すっ飛んで行き。
「アーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!」


「場外ホームランだねぇ。 うっしっしっしっし」
いつの間にか現れたアリア・ちぇしゃねこ社長が言います。
「これでアリスちゃんは、60000万点追加で、アリスちゃんの優勝!」

どうゆう基準で得点しているのでしょうか……



  *********



牛海亀とグリフォンが踊っています。
いえ、正確には、茜・牛海亀さんと、アリーチェ・グリフォンちゃんが踊っていました。

茜さん&アリーチェちゃんは、MAGA社とゆう水先案内店のウンディーネさんです。
プリマな茜・アンテェリーヴォさんと、そのお弟子さんのペア、アリーチェ・アントノフちゃん。
そんなふたりをネオ・ヴェネツィアの人々はこう呼びます。

 「ME(A)GARLITH(遺跡)」のバッジェーオ(愚か者) と

それは賛美の言葉。
それは力強き想い。
それは優しい心。

自らを「愚か者」と呼び、その最後のときまで、みんなに暖かな想いを伝え続けた、
ひとりのウンディーネの言霊。
その言葉をずっと守り続ける、ふたりの確かな心。

そんな誰もが敬愛してやまないふたりが、牛海亀とグリフォンとなって踊っています。

「あ、茜さん…お姉ちゃん……」
「アリーチェ。私のことはバッジェーオと呼びなさい」
「……ば、バッジェーオ。 恥ずかしいですぅ………」
アリーチェ・グリフォンちゃんが、顔を真っ赤にして踊っています。

「おい、アリーチェ。そんなことでは、りっぱなバッジェーオにはなれないぞ」
茜・バッジェーオ・牛海亀が心底楽しそうに歌い踊ります。
(ちなみに牛海亀とは、牛の顔に体は海亀とゆう、よく分からない生物でした)
(あっ、グリフォンは分かりますよね。そうそう。じゃじゃ馬メイヴになついている魔獣で……
 え? 違う?)

「はううううう……」
「ほらほら、どうしたアリーチェ? もっと楽しく踊らないか。 アリスちゃんの勝利に対するお祝いの舞だっ」
「え? そうなんですかぁ!?」
驚いて思わず駆け寄った私は、ふたりに思い切り足を踏まれてしまいました。



  **********



「これより裁判を始めます!」
突然、裁判長が叫びました。
「本日の裁かれるべき問題は、誰がパイを食べたか? です!」
アリシア女王の横に座った、アイ・王様裁判長が叫びます。


アイ。 アイちゃん。
ARIA・カンパニーのシングル・ウンディーネ。
灯里先輩のお弟子さん。 私とは彼女がまだ小さかった頃からのお友達です。
最初は、ネオ・ヴェネツィアやウンディーネが嫌いだった少女。
でも、灯里先輩や藍華先輩。
そして私達と仲良くなることで、このAQUAの魅力に気付き、大好きになり、
ついにはARIA・カンパニーのウンディーネへとなった、とても素適な女の子。

でもその彼女がなぜか今、出合った頃の小さな少女にもどり、王様の格好をして裁判長席に座っています。
まあ無理してお髭まで付けちゃって……でっかい可愛いです


「ああ、間に合った。間に合った。 ああ、良かった」
突然、灯里・シロウサギ先輩が駆け込んできます。
「灯里さん」
アイ裁判長が嬉しそうな声を上げます。

「アイちゃん、元気してた?」
「うん、灯里さん。私はいつだって元気元気!」
「ほへぇ。それは嬉しいなぁ」
「灯里さん……てへっ」

「うおっほんっ」
アリシア女王がワザとらしく咳をします。
灯里さんは、あわてて元(?)に戻ります。

「あわあわあわ……ア、アリシア女王さま。 準備はできております」
「あらあら、灯里ちゃん。 間に合ったみたいね。 うふふ。残念だわ」
残念って……間に合わなかったら、どうするつもりだったんでしょう。

「それでは被告、アリス・キャロル。 一歩前へ!」

 へ? 私が被告? なんのことでしょう?

気が付けば、私は被告人席に立たされていました。
横にはトラゲットズ・トランプの三人が、槍を片手にこちらを睨んでいます。

 なんなんですか? なんなんですか? これっ。

「灯里・シロウサギ検察官、この者の罪状を読み上げてください」
「はい、アイ裁判長。 このアリス・キャロルちゃんは、アテナさんの作ったピーチパイを5っも食べました」
「それは許しがたいわね」
アリシア女王が叫びます。
「アテナがせっかく作ったピーチパイを食べるだなんて。 それも5っも!」
「そうです。私も食べたかったです」
「あっ。私も、私も!」
灯里・シロウサギ先輩と、アイ・王様裁判長が同時に叫びます。

「いやちょっと待ってください。 そのとき私以外は誰もいなかったですし」
私は思わず叫んでしまいました。
「それに私は5っも食べていません。 せいぜい3っしか……」
「検察側は証人を招聘します!」
「認めます。 検察側の証人をここへ!」
「はあーい」
「アテナ先輩!?」

呼ばれて楽しそうにスキップしながら現れたのは、間違いなくアテナ・グローリィ先輩でした。
「やっほー☆ アリスちゃん。お元気?」
『そのまま』のアテナ先輩が、楽しそうに言いました。

「アテナさんにお聞きします。 アリスちゃんは、アテナさんの作ったピーチパイを食べましたか?」
「うん。灯里ちゃん。 アリスちゃんは私の作ったピーチパイを『美味しい、美味しい』って
 いっぱい食べてくれたのぉ。 えへへ。 嬉しい」
「いっぱい……それは3っですか。それとも5っですか?」
「ううん」
アテナ先輩は満面の笑みで言いました。

「6っでぇす!」

「それでは判決を言い渡します」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
私は叫んでしまいました。

「なんですか。アリスさん」
「私の…弁護側の証人や弁論はないのですか?」
「ありません」
「早!」
アイ裁判長は即答しました。
横でアリシア女王が扇子(灯里・シロウサギ先輩が、私に取りに行かせた、あの扇子です)で
顔を隠しながら笑っています。 

「陪審員のみなさん。 アリスさんは有罪ですか、無罪ですか?」
振り向けばそこには、藍華・クロネコ先輩はじめ、この不思議な世界で出会った、全ての人々、
社長猫さんズまでもが居ました。
みんな、一斉に叫びだします。

 「有罪! 有罪! 有罪!!」

「判決。被告アリス・キャロルを有罪と認め、首ハネの刑に処します!」
アイ裁判長が言い放ちました。

「そんなぁ……」
杏さん達、トラゲットズ・トランプさん達が怖い顔で迫ってきます。
私が思わず逃げだそうとして身を翻すとー

  ぐわしゃばあああああーん!

と、陪審員さん達の座っていた席が、私のスカートにひっかかって、ひっくり返ってしまいました。
当然、藍華先輩以下、陪審員さん達も悲鳴を上げてひっくり返り……
あたりは大混乱になってしまいました。

「アリス・キャロルを捕まえて、首をハネよ!」
アリシア女王が叫んでいます。
けれどそのアリシア女王も、アイ王様と一緒に、悲鳴を上げてひっくり返ります。
灯里・シロウザギ先輩も、ただ、右往左往するばかり。
そんな光景を、近くの木の上からアリア・ちぇしゃねこ社長が、例の薄気味悪い声で「しっしっし」
と笑いながら見ています。

トラゲットズ・トランプさん達は、私が息を思いっきり吹きかけると、空高く舞い上がってしまいました。


「アリスちゃん。アリスちゃん。こっちこっち」
アテナ先輩が手招きしています。

「もう、アテナ先輩があんなこと言うからです」
「あ~アリスちゃん、どうして怒っているの?」
「だってアテナ先輩が、私がパイを6っも食べた。 なんて言うから、こんなでっかい騒ぎに……」
「ええ? そうなの?」
「もう。ホント、天然、ドジっ子さんです!」
「うーん……よく分からないけど………ねえ、アリスちゃん。ピーチパイ、食べない?」
「こ、こんなときに何言ってるんですか!  うぐっ!!」
アテナ先輩が無理矢理、パイを私の口に押し込んできます。

「ほら、アリスちゃん。 いっぱい食べてね。 嬉しい」
「うぐぐぐぐぐっぐ……」
とても嬉しそうなアテナ先輩。 確かに美味しいですけど、無理に口の中に突っ込まれては……



見る間に私の体が大きくなります。
どんどんどんどん、私の体が大きくなります。
パイを食べたからです。
私の体は、際限なく大きくなって行きます。

アリア・ちぇしゃねこ社長が乗っている木より高く。
遠くに見える山より高く。
やがて空に浮かぶ雲さえも突き破って、私の体は大きくなります。
そこへさっき私が空高く吹き飛ばした、トラゲットズ・トランプさん達が舞い落ちて来て……

それはまるで雨のように私にふりそそぎ………



  ***********



「アリスちゃん。アリスちゃん。起きて。 もう帰りましょう」

目を覚ますと、そこにはアテナ先輩の笑顔が……
私の顔には、頭の上の桜の花びらが、まるで雨のように降り注いでいます。
そっか。
桜の花びらだったんですね。 やれやれ。

「アリスちゃん、大丈夫?」
アテナ先輩が覗き込むように言いました。

「もう、アテナ先輩のせいですからね!」
「へ?」
「アテナ先輩が、美味しいピーチパイを作るから、みんなが怒ったんです」
私は思わず怒鳴ってしまいました。

「え? あ、あのアリスちゃん、ごめんなさい。 怒られたの?」
アテナ先輩は困ったように、おろおろ仕出します。
その姿に、私はもう何も言えなくて……

「なんでもないです」
「ええ?」
「なんでもないんです。 でっかい私の我儘(わがまま)ですから」
「そ、そうなの?」
「はい。ですからアテナ先輩……」
「は、はい、アリスちゃん」


「今度は私の作ったアップルパイを、いっぱい食べてくださいね!」


「………う、うん。ありがとー!」
アテナ先輩は最初とまどい、それからとても素適な笑顔で答えてくれました。



       *



これで今日は私が体験した、でっかい不思議なお話しは終わりです。

もしあなたが私と同じ体験をしたければ……簡単です。
桜の木の下に寝転び、手に時計を持った灯里・シロウサギ先輩が、そばまで走ってくるのを
待っていればいいんです。
そしてアリスになったつもりで、灯里・シロウザギ先輩と一緒に木の祠の中に飛び込めば!

きっと素適な冒険に出会えるでしょう。

それではみなさん。
さよなら、さよなら、さようなら。







 「 Alice Carroll in Paese delle meraviglie (不思議の国のアリス・キャロル)」


                                                               

               -la'fine



参考図書

『 THE NURSERY ALICE 』
ルイス・キャロル作 ジョン・デニエル絵 高山宏訳 ほるぷ出版


イースター&クリスマスの挨拶は割愛(汗)



[6694] Alice Carroll in Paese delle meraviglie  【 Un dramma 】
Name: 一陣の風◆5241283a ID:8350b1a5
Date: 2011/03/07 14:13
そんなこんなで……(鹿馬)

ええと。つまり。
 
  豪華 二本立て!!

って、ことで……すいません(泣)




  **************




こんにちは。 アリス・キャロルです。
今日は私が体験した、でっかい不思議なお話しをします。

あれは桜の咲き誇る春のことでした。



   第20話 「Alice Carroll in Paese delle meraviglie  【 Un dramma 】」




       前略


 【 時間がない! 時間がない! 】


突然の声に私が飛び起きると、そこには灯里先輩がいました。

水無 灯里先輩。
「アクアマリン 遥かなる蒼」の通り名を持つ、ARIA・カンパニーのプリマ・ウンディーネ。
笑顔がとても似合う、先輩。
他社の私にも優しく声をかけてくれた、素適な先輩。
その灯里先輩が、なぜか白いウサギの格好をして、なぜか二頭身な姿で走っていました。

…………
…………

唖然とする私を尻目に、手に時計を持った灯里・シロウサギ先輩は「時間がない。時間がない」と呟きながら
桜の木の根元にある、小さな穴の中へと入って行きました。
のぞいて見ます。
その穴は真っ暗で、どれだけの深さがあるのか、まったく分かりません。
灯里・ウサギ先輩はこんな中に入って行って、大丈夫なんでしょうか?

ートンッ
と背中を押されました。

ー!?
私は悲鳴を上げる暇もなく、穴の中に落ちてしまいました。
落ちながら振り向けば、そこにはにっこりと笑う、アテナ先輩の姿が。
アテナ先輩に突き落とされた!?
いったい何をしてくれるんですかっ。 このドジっ子さんわ!!

「行ってらっしゃい。楽しんできてね」
暗い穴の中に落ちながら、私はアテナ先輩のそんな呟きを聞いたような気がしました。



      *


これって「不思議の国のアリス」ですよね。
この展開ってば「おとぎのアリス」(原題)ですよね。
なぜ?
私の名前がアリスだから? 
だとしたら、なんて安直な!!

暗い穴の中を落ちながら、私は割りと冷静に考えていました。

だとしたらこの後は、藁の上に落ちて、それから……


 どっぱあああああああーん!


水の中に落ちました。


え?
なんで?
原作では確か藁のベッドで……うえっ。 なにこれ?
塩辛い。
ええ? 海水?
そんな……確か「不思議の国のアリス」には、海なんて出てこない……

あうあうあう。
あやうく溺れそうになった私は、すぐ横を流れてきた丸太にすがりつきます。
海に落ちたときは、なにかにしがみついて、溺れないようにするのが基本です。

「はあ……助かりました。 それにしても……」
私は周りを見渡します。 ところが夜なのか、あたりは薄暗く、遠くまで見通せません。
「でっかい困りました。 これからどうすれば良いのでしょう……」
暗い夜の海。 原作にない展開。 私は途方に暮れてしまいました。

「重いぞ。オレンジ・プリンセス」
「わふっ?」
突然、私がすがっている丸太がしゃべりました。
びっくりしている私に向かって、丸太はしゃべり続けます。

「誰が丸太かあ!」
それは、蒼羽さんでした。
蒼羽さんが丸太です。
「ちげぇよ。 よく見てみろ!」
言われて改めて自分のつかまっている丸太を見やれば……
服を着ています。

黄色いシャツ。 赤い短パン。 黒いベスト。 青い蝶ネクタイに麦わら帽子。
こりわ……

「確かにさぁ、今度はヒトガタって言ったけどナァ……」
蒼羽・ピノキオ教官は、長いお鼻を私に向けながらボヤきました。


「木の人形とはねぇ……なんか悪意を感じるぞ?」
「教官。 こんなところで何やってるんですか?」
「ああ? なにやってるってお前、ゼペットのじいさんを探してるに決まってるだろ?」
「ゼペットさんを探して……つか、なんでピノキオなんですか? 
 このお話しってば、アリスじゃないんですか?」
「知らねぇよ、そんなこと。 戯言だからじゃないのか?」
「はあ……」
「とにかく、この世界はそうゆう世界で、俺はゼペットをここから救出して、本物の人間にしてもらうのさ」


やがて私達は小さな島にたどり着きました。
「おい。ゼペット。ゼペットのおやぢ。何処だ!」
「おや、ピノキオじゃないか。 どうしてこんな所に……」
そう言って私達の前に現れたのは、新太・ゼペットさんでした。

「よう。蒼羽。俺様を迎えに来てきてくれたのか? 嬉しいねぇ」
「ざけんな、クソ野朗。 てめぇを連れて帰らなきゃ、俺は木のまんまなんだよ!」
そう言うと、蒼羽・ピノキオさんは、げしげしと、新太・ゼペットさんを蹴りつけます。
「べ、別に、お前のためにやってるわけじゃないんだからな! 俺の…俺様のためなんだからな!」

……蒼羽教官ってば、ツンデレだったんだ。

「ほら、行くぞ。 さっさとゴンドラに乗りやがれ! アリス。操舵は任せた」
いつの間にやら私は、オールを手に海に漕ぎ出していました。
「いいか、アリス。 ここは実はでかい鯨の腹の中だ。 
 だから、もうちょっと行くと鯨が潮を噴く場所に着く」
「はい」
「そしたらタイミングを見計らって、そこに飛び込んで、潮と一緒に外へ出る」
「はい。分かりました」

「……でなぁ、アリス」
「はい。なんですか」
「お前の操舵。少し右に揺れるクセがあるな。 今のうちに治しておけ」
「……でっ、でっかい、はい! です」
ピノキオさんになっても、やっぱり蒼羽さんは蒼羽さんです。
少し嬉しいです。

「あそこだ」
蒼羽・ピノキオ教官の声に目をやれば、そこにはまるで柱のようなものが空に伸びていました。
「よし! アリス。突っ込め!」
「は、はい!」
私は夢中でオールを漕ぎました。

「きゃあっ」
水に飲み込まれ、ゴンドラから放り出されます。
「アリス!」
咄嗟に蒼羽・ピノキオ教官が私の手をつかんでくれます。
そしてその蒼羽・ピノキオ教官の手を、新太・ゼペットさんがつかんで……
次の瞬間。 私達は空高く、放り出されていました。



    **


「アリス太郎さん。 鬼が島はまだですか?」
「アリス太郎さん。 私、頑張っちゃいますね」
「アリス太郎さん。 きっと守ってみせます!」

あゆみ・オサル先輩。
杏・シロワンコ先輩。
アトラ・雉(キジ)先輩。  が口々に言いました。

蒼羽さんと新太さんと別れた後ー
(おふたりはこれから、魔法使いさんに会いに行くそうです。 
 仲良く手をつないで歩いて行く、おふたりの姿は、とても微笑ましかったです)

私が森の中を歩いていると、いつの間にかトラゲットズの先輩方が仲間になりました。
犬。猿。雉の。

…………
ってコレは桃太郎?
な、なんで?

さっきの蒼羽・ピノキオ教官といい、トラゲットズな先輩達といい。
この世界はどうゆう世界なんでしょうか。
あゆみ先輩。アトラ先輩。杏先輩。
お三方とも、優しげな笑みを浮かべて、私を見ています。

えい。
でっかい、えい!
こうなれなもう、突き進むだけです。

私はトラゲットズな先輩達と一緒に旅をすることに決めました。
いつの間にか、ポケットの中には、きび団子。
みんなで美味しくいただきました。


「で、鬼が島まであとどれくらいなの? アリスちゃん」
「へ? 杏先輩。私、鬼が島の場所なんて知りませんよ?」
「え? アリスちゃん、場所知らないの?」
「はい。アトラ先輩。 とゆうか、私この場所、初めてなんです」」
「かっー。 そっか。 でも知らないんじゃしょうがない。 まあ、誰かに聞けばいいよ」
「ありがとうございます。あゆみ先輩。 あっ、ちょうどあそこに誰かいます」

道の先のお花畑で、ひとりの少女が花を摘んでいました。
(ちなみに、アトラ先輩が『見渡す限りの一面の花』と呟いたのは秘密です)

「ちょっと聞いてきます。 すいませーん」
私は少女に駆け寄りつつ、声をかけました。
「はあーい。なんですか?」

  あ、そうゆうことですか

「うーん。鬼が島の場所かぁ……ごめん、私には分からないわ」
「そうですか……」
「あ、でも、おばあちゃんなら知ってるかも。 物知りで有名なの。
 今から私、おばあちゃん家に届け物がるから、一緒に行かない?」
藍華先輩は、赤い頭巾の中から、ニッコリと微笑みました。


「おばあちゃんの耳は、どうしてそんなに大きいの?」
藍華・アカズキンちゃん先輩が訊ねます。
「それは藍華の声がよく聞こえるようにだよ。がおっ」
お約束通り、アル・ハイイロオオカミさんが答えます。

「きゃっ☆ おばあちゃんの手は、どうしてそんなに大きいの?」
「それは藍華が逃げないように、しっかりと抱きしめるためだよ。がおっ」
「きゃっ☆ おばあちゃんのお口は、どうしてそんなに大きいの?」
「それは藍華を食べちゃうわあああっ!?」
アル・ハイイロオオカミさんが全部を言う前に、藍華・アカズキンちゃん先輩が飛び掛りました。

「ちょっ、藍華! な、なにをがうっがうっ!?」
「えっへっへぇ。 アルくん、アルくん。 私を食べちゃうのぉ?」
「いや、藍華ちょっと待って。がう。 これ、そうゆうお話しだから。がう。 ほんとに食べちゃうワケじゃないからっ」
「え~ぇ。 アルくん、私を食べてくれないのぉ?」
「藍華。藍華。 これ童話だから! これ童話なんだから!」
「えへへぇ。 お腹裂いちょうぞぉぉっぉ。 すりすりっ」
「待って、待って。藍華。みんな見てるし。アリスちゃんも見てるし!!」
「そんなの関係ないよん。 しっぽも、もふもふ☆」
「アーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!」


「……行きましょうか。アリスちゃん」
「はい、アトラ先輩……」
「ほら行くぞ、杏」
「……………」
「杏?」
「……藍華さんってば、情熱的………」
「だあああっ。 行くぞ、杏!!」
私達は鼻から血を流しながら、藍華・アカズキンちゃん先輩とアル・ハイイロオオカミさんをガン見している、杏・シロワンコ先輩を、三人で引きずりながら外に出ました。


 お幸せに


   ***


「ふっはっはっはっはは」
鬼が高笑いしています。

「美しいこの僕が、美しさの欠片もないお前達を、美しく始末してやろう!」

「忍法柔球術!」
「Bダッシュアタック!」
「正体不明!(カウンターストップ)」
「ゴールド・フォルテ・バースト!」

「のぐわああああああああああああああっ!」
 
 瞬殺

私達の必殺技を喰らって、暁・アカオニさんは悲鳴を上げて空の彼方に飛んで行きました。
これで鬼退治は無事終了です。
良かった良かった。


  ****


「さあ、出発です。 アリスちゃん」
あゆみ・ブリキの木こり先輩が言います。

「さあ、エメラルドの都に行きましょう」
杏・臆病ライオン先輩が言います。

「行って、オズの魔法使いに、願い事をかなえてもらいましょう!」
アトラ・藁人形かかし先輩が言います。

………今度は「オズの魔法使い」ですか。

ホント。この世界は、でっかいなんなんでしょう。
もうホント。 
『でっかい、どうにでも、なれ!』な心境です。



次に私達が森の中に出会ったのは、ふたりの姉妹と一匹の猫さんでした。

「僕達は青い鳥を探しています」
「はい。お姉ちゃんと一緒に、探しています」
「にゃふにゃふ」

茜・バッジェーオ・ヘンゼルさんと、アリーチェ・グレーテルちゃん。
そして篭の中のアクィラ・青い鳥社長が言います。

「道に迷ったのかい?」
「と、ゆうか、どの道を行けばいいのかすら、分からないのですが……」
私達はエメラルドの都への道を探していました。

「うーん。エメラルドの都への道は分からないけれど、道に迷うことはないよ」
「どうしてですか?」
「迷わないように、少しづつパンをちぎって道に落としてきたからね」
「え?」
杏・臆病ライオン先輩が、パンの欠片を口にしながら硬直します。

………………
………………

 「杏!」「杏っ」「杏先輩!!」

「ご、ごめんなさい。 お腹減って…つい、美味しそうだったから……」
「もう、あんたって子は。あんたって子は!」
「あうあう……痛い。痛いよ、アトラちゃん」
杏・臆病ライオン先輩のお髭を、アトラ・藁人形カカシ先輩が「ウリウリ」と引っ張ります。

「まぁまぁ。 そんなに気にしないでください。 帰れなくても大丈夫ですよ」 
茜・ヘンゼルさんが言います。
「帰れなくても大丈夫。 ですか?」
「はい。なにしろ……」
「なにしろ?」
茜・ヘンゼルさんは、ちょっと悪魔的な笑みを浮かべながら言いました。

「僕達には、お菓子の家がありますから」


「ごちそーさまでした」
私達はお行儀よく、最後に手を合わせて、お礼を言いました。

「いやあ、美味しかった」
「はい。お腹いっぱいです」
「ほんと。いっぱい食べたわねぇ」
「つあっ。喰った喰った」
「うん。私ももう食べれません」
「にゃふぅぅぅぅっぅ」

みんな、骨と土台だけになったお菓子の家を前に、満足のタメ息をつきました。

「お、お前等。なんてことしてくれたんだ!」
悲鳴のような絶叫が響きわたりました。

「ここまで喰うか? ここまで喰く尽くすか! 普通っ?
 なんも残ってないじゃないか。 枠しか残ってないじゃないか! 
 こんなの予算オーバーだ!
 つか、なんでお前等6人もいるんだ! ヘンゼルとグレーテルの二人だけじゃないのか!?
 なんだっ。勝手なアドリブか? 
 そんなの僕は認めないぞ。 絶対に認めない!
 勝手に動くな! 勝手に演じるな!
 お前等は、僕の演出通りに動けばいいんだ!!」

悪い魔法使い・プロデューサーさんが、叫び続けます。
ちなみに私は、この人がでっかい大嫌いです。
みんなもジト目で、悪の魔法使い・プロデューサーさんを見ています。

「いいか、お前等。 今からこのカマドでこんがりと焼いてやるからな!
 覚悟しておけえ!
 ……火加減はどんなモンかな」
悪い魔法使い・プロデューサーさんが、腰をかがめてカマドの中を確認します。

「お前等、絶対押すなよ。 俺が見てる背後から絶対に押すなよ!」
叫びつつ、カマドの中を確認し続ける、悪い魔法使い・プロデューサーさん。

「おい、絶対押すなよ。押すんじゃないぞっ」
「……………」
「押すなよ。押すんじゃないぞっ」
「……………」
「分かってるか? 押すんじゃないぞぉ」
「……………」
「なんで押さないんだあ!」
「うざいわぁっ!」
お約束通りの展開に、茜・ヘンゼルさんの蹴りが炸裂します。

「これでこそ、僕の演出通りぃぃっ!」
なぜか嬉しそうな悲鳴を上げて、悪い魔法使い・プロデューサーさんはカマドの中で溶けていきました。

「苦いですね……」
「にゃふう」
アリーチェ・グレーテルちゃんと、アクィラ・青い鳥さんが呟きます。



  *****



「時間がない。時間がない」
「灯里先輩?」
灯里先輩がドレスの裾をひるがえしながら、階段を駆け下りて来ました。


「幸せの青い鳥は、すぐそばに居たんだ」
今更ながら幸せそうに手をつなぐ、茜・ヘンゼルさんとアリーチェ・グレーテルちゃん。
その頭の上で『にゃふ、にゃふ』と嬉しそうに鳴く、アクィラ・青い鳥社長に別れを告げ、
私達は道を急ぎました。
そして次のお話しはー


「時間がない。時間がない」
「灯里先輩? シロウサギのコスプレは……」
「ああ。ごめんなさい。アリスちゃん。 今、時間がないの。 またあとでね」
そう言うと灯里先輩は、私達の前を駆け抜けて行きました。
ガラスの靴を残して……


ぬう……今回は灯里・シンデレラ先輩ですね。
どこからか12時を告げる鐘の音が聞こえてきました。


「おお。麗しき人よ。いずこに?」
「イージス・インパクトぉぉぉ!」

 ーちゅどぉぉぉぉっぉぉぉむ!

「うんぎゃあああああああああああああああああああああああああ!」
反射的に放ったアトラ・藁人形カカシ先輩の攻撃が炸裂します。

 ひゅうぅぅぅぅぅぅぅ……ぽてっ。 ぽてり。

「な、なにしやがんでぇ!」
ボロボロになった、暁さんが叫びます。
いえ、私でも反射的に攻撃しそうでしたから……
だって再登場の暁さんってば……王子様なんですもの。
ヤっちゃっていいですか?

「この靴に合う足を持った女性を、我が妃とする」
ポニ男さんが言います。
「おい、後輩ちゃん」
「なんです、ポニ男さん」
「ポニ男って言うなぁ! 今の俺様は、王子さまだぞ!」
「ポニ男さんは、どこまでいってもポニ男さんです。さっきまでは赤鬼さんだったじゃないですか?」
「……くっ。 ダブルキャストだし、しょうがねぇだろ! と、とにかく話しを進めるぞ。 
 さあ、ものども、靴をはいてみよ!」

いきなり話しを進めます。 しょうがありません。
私達はかわるがわるガラスの靴に足を通します。 もちろん履けません。

「それでは灯里先輩。どうぞ」
「あ、はい。 アリスちゃん」
私の呼びかけに、灯里・シンデレラ先輩がゆっくりとガラスの靴に足を入れます。

「ちょ、ちょっと待ったぁ!」
暁・ヘタレさんが突然叫びます。

「こらぁっ、後輩ちゃん。 俺の呼び方変わってるぞぉ!」
「すいません。訂正します。 暁・ヘタレ王子。 どうぞ」
「誰がヘタレかぁ! ……まぁ、いい。 だがちょっと待て」
「でっかいなんですか? 暁・ヘタレポニ男さん」
「くっ……。 あ、あのだなぁ」
「はい」
「これでもし、もみ子が靴を履いたらどうなんでぃ……」
「その時は、灯里先輩が、ポニ男さんのお妃様になるんじゃないんですか?」
「……! や、やめろ! も、もみ子。靴を履くんじゃない!!」
「ええ~もみ子じゃありませんよぉ……それにもう、靴、履いちゃいましたよぉ?」
「うがっ!」

見れば、すでにそこにはガラスの靴を履いてたたずむ、灯里・シンデレラ先輩の姿が。

「おめでとう。灯里ちゃん」 「灯里ちゃん。よかったね」「灯里ちゃん、素適!」「灯里先輩。でっかい良かったです」
「だから、ちょっと、待てぇぇぇっぇぇぇええ!」
私達の祝福の声が響く中、暁・ヘタレポニオ王子が悲鳴をあげます。

「なんですか? せっかくお妃様が見つかったんですよ?」
「いやちょっと待て。 おかしいだろう! 俺は、俺様はアリシアさん一筋で」
「物語がそうなってるんですから、でっかいしょうがないでしょう。
 さぁ。ヘタレさん。 灯里先輩をお妃様として迎えてください。
 まずはプロポーズです」
「う……うお。 あう。 その…はう……ぬおう………も、もみ子よ」
「は、はひ……で、でも私、もみ子じゃ……」
「う…うぐ……いや、その……あ…あ…あか……あかりぃひ………」
「は、はひ………」

「……………」「……………」
「……………」「……………」


「行こっか。アリスちゃん」
杏・臆病ライオン先輩が言いました。
私達は、互いを見合ったまま真っ赤になって硬直している灯里・シンデレラ先輩と、暁・ヘタレポニ男さんをホッタラカシにして
その場を離れました。


 お幸せに



  ******



ー♪ ハ〇ホー! ハ〇ホー! 仕事が好き!
     みんなで楽しく、ハ〇ホー! ハ〇ホー!!


「リンゴはいらないかい。 アリスちゃん」

私達に、アリア社長&ヒメ社長&まあ社長を加えた七人の小人が、歌いながら森を歩いていると
ひとりのおばあさんが話しかけてきました。

「どうだい、見るからに美味しそうなリンゴだろ。アリスちゃん。 さあ、どうだい」
「いえ、いりません。そんな毒リンゴなんか食べたくないです」
「くっ……どうしてこれが毒リンゴと分かったんだ!?」
「いや、どうしてって言われても……晃さん」
「……ちっ。 バレてしまってはしょうがない。 わはははははっ」
リンゴ売りのおばあさんはバサリと、かぶっていたフードを取りました。
その下から現れたのは……

「よくぞ見破った! 私こそが晃・E・フェラーリ・王妃だああ!」
晃・新しい王妃様さんが高らかに叫びます。
「だかな、もう遅い。お前達の大切な白雪姫は、この私が葬ったあ!」

「ぷいにゅん!」
アリア・ドーピー(おとぼけ)社長が驚きの声を上げます。

以下
まあ・ハッピー(幸せ)社長。
ヒメ・スリーピー(眠い)社長。
あゆみ・グランピー(怒りんぼう)先輩。
アトラ・ドク(先生)先輩。
杏・バッシュフル(恥ずかしがりや)先輩 達も驚きの声を上げます。

みなさん、ノリノリです。
ちなみに私は「スニージー(くしゃみっぽい)」だそうで……でっかいワケ分かりません。


「白雪姫っ」
私達が駆けつけると、そこには眠るように横たわる、アリシア・白雪姫さんが……

アリシアさんの白雪姫。

まあ、当然ですね。
さすがは「スノーホワイト」の通り名を持つ、アリシアさんです。
この人以外に、誰が「白雪姫」になれるとゆうのでしょう。
その穏やかな寝顔は、まさに「ビアンカネーヴェ」 白雪姫です。
でっかい綺麗です。


みんな泣きながらアリシア・白雪姫さんをガラスの棺の中に横たえました。

で。
もうすぐ来るハズです。
……来ました。

白馬に乗り、颯爽と現れた王子。
当然のことながら、それはまたもや、晃さんでした。
早変わり、お疲れ様です。

「ああ。なんと美しい人だ」

凛!
とした晃さんの立ち姿は、まさに「クリムゾン・ローズ」のトップ・プリマにふさわしい、
雄雄しく、気高く華麗な、晃・白馬の王子様でした。
でっかい見惚れてしまいます。

「さあっ。今すぐ、私の口づけで目覚めさせてみせようっ」

 すっ と。

アリシア・白雪姫の眠るガラスの棺に身をかがめる、晃・白馬の王子様さん。
ふたりの唇が近付きます。
晃・白馬の王子様さんは、なんの躊躇いもなく、唇を近付けていきます。
アリシア・白雪姫さんも、微笑みを浮かべたまま、目を閉じ、ただじっとしています。

「うおうっ!」
「ぷいにゅん!」
「まああああ!」  とー

みんなが唸り声を上げます。
ごきゅりーと、誰かのノドが鳴りました。

これはまさに、晃さん&アリシアさん、恋人説の証明なんでしょうか!
ふたりは腐〇子の憧れの世界に入ってしまうのでしょうか!
私の胸は、でっかい高鳴ります。
ふたりの唇は、ますます近付いて……

 がたんっ

私はカブリツキで見ようとして足を滑らせ、アリシア・白雪姫さんの横たわるガラスの棺おけに、ぶつかってしまいました。
その拍子に、アリシア・白雪姫さんのノドに詰まっていたリンゴの欠片が飛び出し、アリシア・白雪姫さんは目を覚ましました。

「あらあらあら。 私、どうしたのかしら?」
ゆっくりと身を起こす、アリシア・白雪姫さん。
「ぷいにゅん!」
と、アリア・ドーピー社長が抱きつきました。
「アリア社長?」

わっ。 と、ばかりに、みんながアリシア・白雪姫さんを囲みます。
「うふふ。みんな、ありがとう」
アリシア・白雪姫さんが素適な笑顔で言ってくれました。  でも。

「ア・リ・ス・ぅぅぅぅ」
晃・白馬の王子様が、恐い顔で私を睨んでいます。
「せっかくの私の見せ場を、お前わぁぁぁぁぁ」
「あ、晃さん。あれは事故です。 でっかい不可抗力です!」
「すわっ! 問答無用! オールを持って来い! 今すぐ、みっちりと指導してやる!!」
「ひええええっ」

「あらあら。晃ちゃん。どうしたの?」
アリシア・白雪姫さんが間に入ってくれます。
「うるさい、アリシア。あらあら禁止!」
「うふふ」
「うふふも禁止!」
「あらあら、うふふ」
「一緒も禁止!」
「あらぁ?」
「ちょっと変えても禁止!」
「うふふふふ」
「禁止! 禁止! 禁止!」

楽しげに喧嘩する、晃・白馬の王子さんと、アリシア・白雪姫さん。
私達はこっそりと逃げ出した。


 お幸せ……ですね。



 *******



「ようこそ、アリスちゃん」
「グランマ!」

ようやくエメラルドの都に着いた私達を迎えてくれたのは、グランマ・善き魔女さんでした。

「グランマ、お願いがあります!」
「はいはい。アリスちゃん。 帰りたいのね?」
「は、はい。グランマ。 でっかい、はい! です」
さすがはグランマ・善き魔女さんです。 何も言わなくとも、私の願いはお見通しです。

「ほっほっほ。じゃあ、ちょっと待っててね。先に他の人達の願いを、かなえてしまいましょう」
こうしてー
あゆみ・ブリキの木こり先輩は、自由を
杏・臆病ライオン先輩は、勇気を
アトラ・藁人形かかし先輩は、知恵を

それぞれ、もらうことができました。

「ほっほっほ。 違うわよ。アリスちゃん」
「グランマ?」
グランマ・善き魔女さんは穏やかな笑みを浮かべていました。

「あゆみさんも、杏さんも、アトラさんも。 みんなそれぞれに願いは最初から持っていたものよ」
「そう……なんですか?」
「ええ。 私はそれに気付くキッカケを教えただけ。 そしてなによりもそれをみんなに与えたのは、アリスちゃんよ」
「わ、私ですか?」
「そう。あなたがみんなに、その願いを引き出す力を与えたのよ」

私が、みんなの願いを………

「そう。あなたとの冒険で、みんなは、とっても素適な経験をしたわ。
 それこそが願いを叶える、不思議な魔法。 夢を叶える、不思議な力。
 アリスちゃん。あなたは、とっとも素晴らしいわ」

「『 アリスちゃん 』」
トラゲットズな先輩達が、優しく私を抱きしめてくれます。

「私に『知恵』を、ありがとう」 アトラ先輩が言います。
「ウチに『自由』を、ありがとう」 あゆみ先輩が言います。
「私に『勇気』を、ありがとう」 杏先輩が言います。

「わ……私も」
私も先輩方を、思いっきり抱きしめました。
「私もみなさんと旅ができて、とっても幸せでした!」
不覚にも涙があふれて………止まりませんでした。

えぐえぐーと。
泣き続ける私を、トラゲットな先輩達は、ずっと抱きしめてくれていました。
とても素適な時間でした。



「じゃあ。アリスちゃん。帰りましょうか」
「はい」
グランマ・善き魔女さんの言葉に、私はしっかりと答えました。

「さあ、この人がアリスちゃんを送ってくれるわ」
そう言って指さすグランマ・善き魔女さんの、その先には-

「やあ、アリスちゃん。お待たせなのだ」
「ウッディーさん?」
綾小路・宇土・51世さんが、エアバイクにまたがっていました。

「じゃあね、シルフさん。 あとはお願いね」
「はい。グランマ。 任せて欲しいのだ」
「グランマ。いろいろと、ありがとうございました」
ウッディーさんのエアバイクに捕まって、私はグランマにお礼を言いました。

「ううん、アリスちゃん。元気でね」
グランマが微笑みます。

「アリスちゃん。気をつけてね」
「アリスちゃん。頑張ってね」
「アリスちゃん。またね」
あゆみさん。アトラさん。杏さんが笑顔で言います。

「はい、先輩方」
だから私も笑顔で答えました
「また明日!」

笑い声が響き渡りました。

ウッディーさんのエアバイクは、ゆっくりと空に上がって行きます。
みんな、手を振ってくれています。
見る間に、グランマのお城は小さくなっていきます。
私はその姿が見えなくなるまで、いつまでも手を振り続けていました。



  ********



嵐に巻き込まれました。
ごめんなさい。 油断していました。
もう終わりかと思って、少し油断していました。
私はあっという間に、ウッディーさんのエアバイクから振り落とされてしまいました。

ちっ。
どうせなら、ウッディーさんにもっと引っ付いておけば良かっ……いえ、なんでもないです。

で、振り落とされた私はー


 ど、ぱあああああああああああああん!

再び、海に落ちてしまいました。
幸い、浜辺が、すぐ目の前にありました。

あぶあぶーと、私が泳ぎ着くと、そこには。

 ぷかり ぷかぷか……ぷかーり 

ゆっくりと煙草をふかす郵便屋さんが、大きなアイ・亀ちゃんの背中に座っていました。

「よう、アリスの嬢ちゃん。こんにちは」
「こんにちは、アリスさん」
「あ、こ、こんにちは。 郵便屋のおじさん。 アイちゃん。
 ……こんな所で、何をしてるんですか?」
「ほいよぉ」

 ぷかーり

郵便屋さんはもう一度、白い煙を噴き上げました。
「嬢ちゃんからの手紙を待ってるんだ」
「私の手紙ですか?」
「ああ」

「アリスさんからのお手紙を、乙姫様に届けるために、ここで待っていました」
アイ・大亀ちゃんが嬉しそうに言います。
「そんなっ。私、手紙なんて……え?」
気が付けば、いつの間にか私のポケットに手紙が。
きび団子といい、このお手紙といい。
私のポケットは、いつからド〇ぇモンの四次元ポケットになったのでしょう。

「はいよぉ。確かに預かったよぉ」
郵便屋(庵野波平さん)・浦島太郎さんが言います。

「じゃあ、竜宮城に出発!」
アイ・大亀ちゃんが言います。

やがてふたりの姿は、ゆっくりと波間に消えて行きました。
それにしても、乙姫様……あの人しかいません。


しばらくして。
私の予感は、でっかい当たりました。

 がぼがぽがぼ

不意に水面にいくつもの泡が弾けるとー

「ぐぼがふげふげふ……ああ、溺れるかと思った…………」
アテナ・乙姫先輩が顔を出しました。
「どこの世界に、溺れる乙姫様がいるんですかっ」
私は思わず、叫んでしまいました。



  *********



アテナ先輩は、ゆっくりと浜辺に近付いてきます。

「ちょっ。アテナ先輩。 なんて格好してるんですか!?」
「へぇ? なにか変?」
いつもの、のほほんとした表情で、アテナ・乙姫先輩が言いました。

「いえ、変てゆうか……」
アテナ先輩は上半身裸でした。
褐色の肌が綺麗です。
もちろん胸の大事な場所は、貝殻で隠していましたが、おヘソは丸見え。
その姿はまるで……

「あのね、アリスちゃん、見て見て。 ホラ。 ぴちぴちぃ」
びったん、びったん-と。
波間から尾びれが振られます。
どうやらアテナ・乙姫先輩の足が、尾びれになっているようです。

「ねえ、アリスちゃん。 私まるでお魚さんみたいねぇ」
「アテナ先輩」
「なぁに。アリスちゃん」
私は冷たく言い放ってしまいました。

「……それ、乙姫様じゃなくて、人魚姫です」
沈黙。
アテナ・人魚姫先輩はしばらくの硬直の後、照れたように言いました。

「てへっ」



「あのね、あのね。アリスちゃん」
岩場の上に座りながら、びたびたと尾びれを揺らしながら、アテナ・人魚姫先輩が言いました。
「なんですか、アテナ先輩」
「最近、謳うのがとっても楽しいの」
「は?」
今更、何を言うんでしょう。
今更、このAQUA最高の謳姫さんは、なにをコイているのでしょう。

「アテナ先輩から謳うことを奪ってしまえば、何も残らないと思いますが?」
「ふふふ。きっとそうねぇ」
皮肉のひとつもききゃしません。 でも……

「でね。最近こうやって浜辺で謳うと……」
でも、私は……

「いろんな舟に出会えるの」
そんなアテナ先輩が……

アテナ先輩はゆっくりと謳いはじめました。
『天上の謳声』が響き渡ります。
穏やかに。けれど力強く、波間に響いて行きます。

私はゆっくりと目を閉じました。
音が体の中を駆け巡っていきます。
唄が心の隅々にまで、広がっていきます。
まるで自分の体が、歌でできているかのように。

嗚呼。心地いい。
だから私は、そんなアテナ先輩が……


「あ。 またたくさん、出会えたわ」
アテナ先輩が嬉しそうな声を上げます。
その声に目を開ければー

 のわっ!

私は思わず立ち上がってしまいました。
そこにあったのは、見渡す限りの舟・船・艦。
小さなゴンドラから、漁船。
水上バス(ヴァポレット)から、コーストガード(沿岸警備隊)のパトロール船に至るまで。
幾多の船が、アテナ先輩を取り囲んでいました。
しかも無人で。

これはまるで……

「あれ? おっきい子もきたわ。嬉しい」

ふと、影がさしました。
え? と、見上げる視線の先には……大きい!
とても大きな船が!
いえ、この艦は!!

排水量・33 550 t 全長・262.5 m 全幅・31.5 m
200,000hpの機関出力でもって、最大速力・35 ktを誇る、旧ドイツ海軍の幻の空母。

 「グラーフ・ツエッペリン」号!

彼女は誘われるかのように、一直線に私達の方へ突進してきて……

 どっかぁぁぁぁっん!
 きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!

私とアテナ先輩を、岩ごと吹き飛ばしました。
……だから私は、アテナ先輩のことが


   でっかい、大ッ嫌いです!


 
  **********



「これはセイレーンですから! 本物のセイレーンですから!」
私はアテナ・セイレーン先輩を正座させると、お説教をしました。

海の航路上の岩礁から美しい歌声で航行中の人を惑わし、遭難や難破に遭わせるー
と、ゆう「セイレーン」
歌声に魅惑されて殺された船人たちの死体は、島に山をなしたー
と、ゆう「セイレーン」

「でも、アテナ先輩は人魚姫……じゃない、乙姫様なんですから。
 今は通り名の『セイレーン』じゃないんですから。
 それに本物の『セイレーン』の下半身は、鳥なんですから!」

ホントにもう、アテナ先輩は、でっかいドジっ子さんです。
ひと時も目が離せません。
幸いふたりとも怪我はなく、集まった船も三々五々、帰っていき、今はこの浜辺にも静寂が戻っています。


「ごめんなさい、アリスちゃん。 これおわびに」
そう言って、アテナ・乙姫様先輩が取り出したのは小さな箱。

-はっ、こ、これは!

開ければ白い煙が出て、あっという間に、ご老人になってしまうとゆう、あの伝説の箱。
どんな凶悪な怪物も、一瞬で骨と化してしまう、O・デストロイヤーのような危険な箱。
その名も-

 玉手箱

「あっあっ。ダメです。アテナ先輩! その箱をあけるとっ」
「へ?」
気が付けば、アテナ先輩はすでに、箱を開けていました。

とたんにあたりは白い煙に包まれ……


 やっぱりアテナ先輩は、でっかい、でっかい、ドジっ子です!!!



  ***********



「アリスちゃん。アリスちゃん。起きて。 もう帰りましょう」

目を覚ますと、そこにはアテナ先輩の笑顔が……
私はあわてて飛び起きると、あちこち自分の体を触りたくりました。
どうやら、おばあさんには、なっていないようです。  やれやれ。

「アリスちゃん、大丈夫?」
アテナ先輩が覗き込むように言いました。

「もう、アテナ先輩のせいですからね!」
「へ?」
「アテナ先輩が、乙姫様と人魚姫とセイレーンを間違えるから、あんなことになったんです」
私は思わず怒鳴ってしまいました。

「え? あ、あのアリスちゃん、ごめんなさい。 あんなこと?」
アテナ先輩は困ったように、おろおろ仕出します。
その姿に、私はもう何も言えなくて……

「なんでもないです」
「ええ?」
「なんでもないんです。 でっかい私は楽しかったですから」
「そ、そうなの?」
「はい。ですからアテナ先輩……」
「は、はい、アリスちゃん」


「今度は私と一緒に、歌を謳ってくださいね!」


「………う、うん。ありがとー!」
アテナ先輩は最初とまどい、それからとても素適な笑顔で答えてくれました。



       *



これで今日は私が体験した、でっかい不思議なお話しは終わりです。

もしあなたが私と同じ体験をしたければ……簡単です。
桜の木の下に寝転び、手に時計を持った灯里・シロウサギ先輩が、そばまで走ってくるのを
待っていればいいんです。
そしてアリスになったつもりで、灯里・シロウザギ先輩と一緒に木の祠の中に飛び込めば!

きっと素適な冒険に出会えるでしょう。

それではみなさん。
さよなら、さよなら、さようなら。



 「Alice Carroll in Paese delle meraviglie  【 Un dramma 】」
       (戯言・不思議の国のアリス・キャロル)


                       -la'fine









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 ここからは没ネタです。

えと今回。
なんか色々と考え過ぎまして、どうにも収拾がつかず、何本かのエピソードを割愛、修正してしましました。

このまま捨てるのも、なんか勿体ない!
とゆう、作者の貧乏性を反映して、没ネタを掲載させていただきます。

本編以上の鹿馬なので、お目汚しにしかなりませんが、よろしくお願いします。

決して言い訳じゃないお!!!(大鹿馬)





没その1

「私は藁で家を造っています。 ぶひ」
茜・長女コブタさんが言いました。

「私は木で家を造っています……ぶ、ぶひ」
アリーチェ・次女コブタさんが、顔を真っ赤しながら言いました。
その気持ち、でっかい分かります。

「にゃふ、にゃふううう」
アクィラ・三女ブタさんが言いました。
きっと『レンガで家を造っています』と、言っているのでしょう。

 うっ。「三匹の子豚」

MAGA社のみなさんが、子豚さんなんですね。
では、狼さんは……

「あ。アルさん。お疲れ様です」
「すいません。 また出てきてしまいました。 がお」
困ったように頭をかきながら、アル・ハイイロオオカミさんが現れました。
背中に藍華・アカズキンちゃんを背負って……


「どうもダブルキャストみたいで……申し訳ない。 がおがお」
ご自分が悪いわけでもないのに、アルさんが謝ります。
「アルくんは悪くないわ。 こんなお話しが、おかしいのよ!」
背中に張り付いた、藍華・アカズキン先輩が、ぶち壊しな台詞を言います。
「とにかく、早く終わらせて、ちゃっちゃと帰るわよ」
「藍華先輩。 やっぱりでっかい我が儘です」
「うっさい。 後輩ちゃん。 ぐだぐだ言うの禁止!」
藍華・アカズキン先輩は、その可愛らしい格好とは似つかぬ迫力で、私を睨みました。

「んじゃ、まずは藁の家ね。 行け! アルくん」
「はい。藍華。 がお」
すっかり藍華・アカズキン先輩に飼い慣らされたアル・ハイイロオオカミさんが、
ぷーぷーと大きな息で、茜・長女ブタさんが寝転んでいる藁の家を吹き飛ばしました。

「なにしやがんでぇぇぇ!」
茜・長女コブタさんが、アル・ハイイロオオカミさんに喰ってかかります。 いやいや。
「お姉ちゃん。お姉ちゃん。 これ、そうゆうお話しだから!」
アリーチェ・次女コブタちゃんが、あわてて止めに入ります。

「そんなん知るかぁ! 人がせっかく昼寝してるのに。 それにっ」
「そ、それに?」
「それに私はバッジェーオだあああああああああああ!!」
お決まりの台詞を言うと、茜・バッジェーオ・長女コブタさんは、藍華・アカズキンちゃん先輩を背負ったまま、逃げ回るアル・ハイイロオオカミさんを追って
土煙を上げて、走り去って行ってしまいました。


「……不条理にもほどがあるわね」
アトラ・藁人形カカシ先輩がポツリと言いました。

私も、でっかいそう思います。


【没理由】
MAGA社のネタ。最初はこちらの「三匹の子豚」でした。
 没理由は…アトラさんの言う通り、何がなんだか分からない不条理だから…
 いや、ただ単に、アル・ハイイロオオカミをもう一度、登場させたかっただけなんですが…(汗)
 今でも、どちらを本筋にした方がよかったのか、悩んでいます(鹿馬)



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没その2

「やあ、アリス」
「蒼羽教官?」
そこには、グランマ・善き魔女さんの力で人間にしてもらった、蒼羽・ピノキオ教官の姿が

「でもな、アリス」
「はい?」
「ピノキオは人間になれて、本当に幸せだったのかな……」

うおっ。

蒼羽・人間ピノキオ教官が、石ノ森正太郎大先生の「キカイダー」の台詞を、ボソリと呟きました。
もちろん、キカイダーは後に、イナズマンと戦ったときに、その悪の回路(イエッサー回路)を焼き切られて
元の穏やかなキカイダーに戻るのですが……


【没理由】
さすがにマニアック過ぎ!!(鹿馬)
この台詞自体は、ある意味、作者の人生の一大エポック・メーキング的な台詞なんですが、これをどこに入れても、ぶち壊しになるような気がして……
うう。
石ノ森先生は偉大です。



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没その3

ウッディー
本名・綾小路・宇土・51世さんは「風追配達人(シルフ)」
車の進入が禁止されているネオ・ヴェネッアにおいて、エア・バイクを使って品物の受け渡しを行なう
空飛ぶ宅配業者。
特にウッディーは空を飛ぶことを「泳ぐ」と素適に言う、ナイスガイ。
大っきな体。愛嬌のあるお顔。 
そうそれはまるで人々の永遠のアイドル、ムッくんとそっくりで!

「ウッディーさん。私をここから連れ出してください」
「はい? なのだ」
「ふたりでこの世界を脱出しましょう」
「アリスちゃん。 何を言ってるのか分からないのだぁ」
「ウッディーさん……」
「あ、アリスちゃん。泣かないで欲しいのだぁ。 アリスちゃんには笑顔が一番なのだぁ」
「ウッディー……」
「そうそう。顔を上げて。 泣いてちゃ、せっかくの可愛い顔が台無しなのだぁ」


【没理由】
最初。アリスの脱出手段は「千夜一夜物語(アラビアンナイト)」のように、でかい鳥(鷲?)にウッディーとアリスがつかまって。空を飛んで行くって話しでした。
でも、やっぱり最後はアテナさんかな? と……
んで、ちょっと甘く、しつこ過ぎるかと……(大鹿馬) 



  ><><><><><><><><>



没その4

  ふわり

と、私を乗せたウッディーさんのエアバイクは、空に舞い上がります。

「アリスちゃーん!」
トラゲットズな先輩方が、大きく手を振り叫んでいます。
私も別れが辛いです。

「先輩方、いろいろ、ありがとうございましたぁ!」
私は日ごろ鍛えた大きな声で、お礼を言います。
「アリスちゃーん。 あのねぇ」

先輩方も大きな声で叫んでいます。
でもその声は、エアバイクのエンジン音にまぎれて切れ切れにしか聞こえません。

「アリスちゃーーん。 しましまぁっっ」


【没理由】
すいません。すいません。 ホントすいません。
アリス・ファンにシバカれそーなのと、
違う「ARIA」SS小説のパクリになってしまったので……(激汗)





以上、今回の没ネタでした。
こんなくだないネタにお付き合い、ありがとうございました。

なにとぞ、次回もよろしく、お願いします(平伏)






[6694] Un tegame di oscurita
Name: 一陣の風◆ba3c2cca ID:8350b1a5
Date: 2011/07/06 16:56
21本目のお話をお届けします。

まぁなんだね。 ポンっ(煙草盆に煙管の灰を落とす音)
緒敬師のお話しも更新され、音信普通だった風月さまとも連絡が取れ(避難所生活、ガンバ!) 新しい風も吹いて来て。
そのどれもが心安らぐ、ほのぼのとした気持ちにさせて……

 だから中には、こんなお話し、あってもいいよね!?(土下座)


作中に登場するアニーこと、アニエス・デュマは、PS2ソフト「蒼い惑星のエルシエロ」の主人公です。
みな様がこのお話しを読み、少しでも彼女に興味をもたれたならば、これに勝る幸せは、ありません。

それでは、しばらくの間のお付き合い。よろしくお願いします。



*******************************************




「禁止。禁止。禁止ぃぃぃ」
「でっかい。でっかい。でっかい」
「っかあー! っかあー! っかあー!」
「だからこの事件の盲点は、途中でゴンドラを乗り換えたことにあるのよ」
「やわっこく~♪ やわっこく~♪ やわあっこく~ぅ♪」
「うらあっ。サイレンかかってこいやぁ! 返り討ちじゃあ! 
『ミラク ル・ガッツ』じゃあ!!」
「ほえほえほえへへへへぇ」


「……なんだ、この修羅場は」
「すっごく楽しそうねぇ」
「いや、そう見えるのは、お前だけだから」
「あらあらあら」



  第21話 「Un tegame di oscurita」



「闇鍋ってしたみたいです」

それはアリスちゃんの、この一言から始まりました。


こんにちは。
アニーこと、アニエス・デュマです。
早いもので、私がこの水の惑星「AQUA」に来てから一年ちょっとが経ちました。

ふとした手違いで、あやうくウンディーネになりそこなうところだった私も、希望通り「姫屋」のシングル(半人前)として、
毎日、修行の日々を送っています。
そして私をウンディーネへと導いてくれた恩人。
今は引退され、マン・ホームで星間コンダクターとして働いている、アンジェさん。
アンジェリカ・フェルナンデスさんとは、今でも時々、メールでやりとりをしていて、
時には励ましの言葉や、時には厳しいお話しも聞かせてくれます。

同室で一緒に寝起きしている、藍華・S・グランチェスタさんや、同じ姫屋のトップ・プリマ。 
晃・E・フェラーリさん。 社長猫の、ヒメ社長。

そのご友人で、ARIA・カンパニーの「スノー・ホワイト」こと、アリシア・フローレンスさん。
同じく、ARIA・カンパニーの水無灯里さん。 アリア社長。

オレンジ・プラネットの「セイレーン」こと、アテナ・グローリィさん。
素適な後輩。 アリス・キャロルちゃんに、まあ社長。

いろんな人達との出会いが、私をより強く、より高みへと導いてくれます。
「めぐり合い」とか「偶然」だとか、この星には不思議な力があります。

だから私は、このAQUAが。 このネオ・ヴェネツィアが。
そしてウンディーネが。

とっても大好きです!

  
 ****


「で、急に何を言い出すの? 後輩ちゃん」
「はい、藍華先輩。実はこの前、マンホームの本を読んだんですが……」
アリスちゃんは、私達を見回しました。


それはある日の午後のことでした。

毎日恒例。 
午前の合同練習を終えた私達は、カナル・グランデのそばのカフェで、昼食を取っていました。
そこにはちょうど、休憩時間になって、同じく昼食を取りにきたトラゲットな先輩方。
同じ姫屋の、あゆみ・K・ジャスミン先輩。
アリスちゃんと同じ、オレンジ・ぷらねっとの、アトラ・モンテウェルディ先輩と、夢野 杏先輩もいました。


ちなみにトラゲットとゆうのは、この水の都ネオ・ヴェネツアを逆「S」の字に流れる大運河「カナル・グランデ」を渡る
渡し舟のことです。
シングルにしかできないお仕事で、違う会社からのウンディーネが、二人ひと組でゴンドラを操舵する
ちょっと珍しい、お仕事です。
その分、観光名所としても人気はあるんですよ。

私もいずれトラゲット、してみたいなぁ……


「アニーさん。私の話、ちゃんと聞いていますか?」
アリスちゃんの鋭い声に、私はあわてて戻ってきました。

「う、うん。アリスちゃん。ちゃ、ちゃんとしっかり聞いてたよ」
「……で、アニーさんはどうなんですか?」
「へ?」
「ですから、やったことはあるんですか?」
「やる? いったい何を……?」
「やっぱり、でっかい聞いていませんでしたね」
「う……ご、ごめんなさい」


「アニーちゃんの想いや言葉は、時々、お空の彼方に飛んで行っちゃうんだよねぇ。 素適」
「えへへぇ。灯里さんと一緒に、空に想いや言葉を預けて、ふわふわと飛んで行きたいですねぇ。 素適」
「はい、そこのふたりぃ。 恥ずかしいセリフ禁止!」
「「ええ~ぇ」」
藍華さんのツッコミに、私と灯里さんの声がかぶります。

「藍華先輩。 お疲れのようですね」
「あのねぇ。 後輩ちゃん」
藍華さんが、サイ(タメ息のことらしいです。 アトラ先輩に教えてもらいました)をつきながら言います。

「アニーがいると、灯里の『ステきんぐ・レベル』は16倍UP(当社比)なのよねぇ。
 もう、ツッコむのにも、疲れるわ……」
「でも、藍華先輩」
「でも……なによ、後輩ちゃん」
アリスちゃんが、いたずらっ子のように微笑みながら言いました。

「ふたりにツッコむ藍華先輩。でっかい楽しそうです」
「いらんこと言うの、禁止! 禁止! 禁止ぃぃぃぃぃ!」
藍華さんが顔を真っ赤にしながら叫びました。


****

「闇鍋のことよ」
アトラ先輩が教えてくれました。

「アリスちゃんが読んだ、マンホームの本に、闇鍋ってゆうのが載っていてね。それがとても面白いパーティーなんですって」
「ここには、そんな風習ないから、とっても興味があるの」
「杏先輩?」
「だからさ。今度、みんなでやってみようって話しになってね」
「あゆみ先輩。 闇鍋をですか?」

「そう。 だからアニー。あんたや灯里みたいに、マンホーム出身者に、どんな風にするか、聞いてるのよ」
「うーん。 闇鍋ですかぁ……」
藍華さんの問い掛けに、私は顎に人差し指を当て、少し上向き加減に考えました。

「私が、お友達とかでやった闇鍋は、各自が持ち寄ったいろんな食材を鍋に入れて、
 それを灯りを消した部屋の中で、みんなで食べる- って云うモノでした」
「持ち寄るのは何でもいいの?」
「はい。何でもOKです」
「何でも……」

「それを真っ暗にした部屋で食べるの?」
「はい。 それでその時、自分がとったモノは、必ず食べなきゃいけない。 
 ってゆうのが、作法でした」
「作法……」

「ねえ、灯里ちゃん。 あなたのところではどうだったの?」
「ええと、アトラさん。 私のトコでは……」
今度は灯里さんが、顎に人差し指を当てます。

「だいたいは、アニーちゃんと一緒ですね。 ちょっと違うところと言えば……」
「言えば?」
「食べるときには部屋を明るくして、お互い何を取ったか確認しながら食べる。
 ってコトかなぁ」
「なるほど。 ズルや誤魔化しはなしってコトだな。 
 っかぁー。 そいつは楽しみだ」
その独特な、人好きのする笑顔を浮かべながら、あゆみさんが言いました。

「でも……」
少し言いにくそうに灯里さんが言います。
「あによぉ。 灯里」
「うん。 私のところは、月に一回くらいしか闇鍋ってしないから、作法とかは、他のところとは、ちょっと違うと思うの……」


 - 月に一回も闇鍋するんかい!

「まあ、いいわ。 とにかく一度やってみましょう!」
私がツッコみを入れる前に、藍華さんが、きっぱり言い切りました。

「じゃあ、明後日。 場所は『ARIA・カンパニー』でいい?」
「はひ。 アリシアさんには、私からお願いしとくね」
「でっかい、分かりました」
「あゆみさん達も、それでいいですか?」
「いいわよ」
「らっじゃっ」
「了解!」


「あ、藍華さん」
ふと、思い出したかのように、アリスちゃんが藍華さんに言います。

「なに? 後輩ちゃん」
「アルさん。呼ばなくていいんですか?」
「な。な。な。な。な」
とたんに藍華さんは顔を真っ赤にして叫び始めます。

「なんでこんなトコに、アルくんの名前がでてくるのよ!」


 アルさん。
アルバート・ピットさんは、地重管理人。
通称「ノーム」と呼ばれる、ここAQUAの重力を常に1Gに保つ仕事をされている方です。
藍華さんの恋人。
相思相愛の(時々、見てて歯がゆくなるほどの)ゆっくりとした想いを、藍華さんと重ね合わせる人です。

「お月見の時のように、星といえばアルさん。 
 そして鍋といえば、やっぱり『きのこ鍋』の、アルさんではないのかと……」

 『きのこ鍋』

確かにあれは美味しかったなぁ……
前に、アルさんに連れて行ってもらった地下世界(ノームさん達の、お仕事場)で食べさせてもらった『きのこ鍋』は、絶品の美味しさでした。
今、思い出しただけでも……じゅるり。
よだれが落ちてきそうです。

「ですから今回も、アルさんに誘わなくていいのかと……」
アリスちゃんは無表情に言います。

でも私には分かります。
きっと灯里さんや、トラゲットズな先輩方にも分かっているんでしょう。
実はアリスちゃんが、そうやって藍華さんをからかってるってことに……

「こ、今回のことは、私達だけでやるの!」
顔を真っ赤にしたまま、藍華さんは叫びます。

「今回の闇鍋はレディ限定! 女人以外は立ち入り禁止!
 ま、まぁ、もし楽しかったなら、次から呼んでもいいわよ……」
最後は呟くように言う、藍華さん。
そんな藍華さんに私達は、こっそりと顔を見合わせ、くすくすと笑い合いました。

 ホントに素直じゃないんだから……

けれどこの時-
私達は鍋の達人たる、アルさんを呼ばなかったことを深く後悔することになるとは……
私は想像すらできませんでした。


  ****


「それでは第1回。闇鍋大会を始めまーす!」
「わーい☆」

 ぱちぱちぱち

灯里さんの宣誓(?)に、みんなの拍手が起こりました。

ARIA・カンパニーの一室。
そこに私達は集まっていました。
みんな一様に具材の入った袋を抱え、わくわくとテーブルの真ん中で湯気を上げる土鍋を見据えていました。

ちなみに土鍋は、前にアリシアさんが通販で購入したものだそうです。
今、その土鍋は、カセットコンロの上に鎮座し、中に入れた昆布の良い匂いが漂ってきています。


「あの……灯里ちゃん」
おずおずとー

アトラさんが灯里さんに声をかけます。

「なんですか、アトラさん」
「いや……あのね」
「はひ」
「これ、必要なの?」
「はひぃ?」

そう言うとアトラさんは、改めて自分の服を見ました。
そこにはとてもコケティッシュで可愛い、メイドさん達の姿がありました。

そうです。
今、私達は全員。 メイドさんの服装で、この場にいました。


「ええ? 何か変ですか?」
「いえ……変てゆうか、なんてゆうか………」
アトラさんは何故か顔を紅らめ、もじもじと体を捩っています。

「ええと……これが闇鍋をいただくときの正装なんですけど……」
「そうなの!?」
「はひ!」
アトラさんの疑問に、躊躇することなく、灯里さんは返事を返します。

「ねぇ、アニー」
「なんですか、藍華先輩」
藍華さんがそっと囁くように、私に訊ねます。

「メイド服の話し、本当なの?」
私は改めてみんなを見回しました。

 そわそわ そわそわ

みなさん落ちつか気に、もぞもぞと体を揺らしています。
みなさん、スカート裾や胸元をさかんに気にしています。
みなさん、少し恥ずかしげに頬を染めながら、もじもじしています。


 OK! 

黒いメイド服に白いフリフリ・エプロン。
少し短めのスカート。
そこから伸びる足には、黒いニーソ。もちろんガーターベルト。
頭に当然、純白のカチューシャ。
(アリスちゃんと、あゆみさんは何故かネコ耳)

もう、みなさん。
壮絶に可愛いメイドさんと化しています。


「はい。もちろんです。藍華先輩」
私は鼻息も荒く、言い切りました。

「闇鍋のときは、この服装になるのが、エチケットなのです!!」

もちろん
そんな風習は聞いたこともありませんでしたけど……じゅるり。





「それでは今から灯りを消しますので、みんな各自が持ち込んだ材料を、鍋の中に入れてください」
灯里さんが灯り……なんでもないです。

灯里さんの言葉に、みんなは「はーい」と返事をすると、袋に手を入れます。

「では消します」
真っ暗になりました。 かすかに見えるのは、月灯りとコンロの炎のみ。
私達は鍋の中に持ち寄った具材を入れ始めました。

 ドサ・バサ・ドバ・ベチョ・ジョワ・ビッタン・ボキ・ポトン

……なんか一部、変な音が混じっていてような気が………

「じゃあ一度、蓋をしまーす」
すっかり鍋奉行になった灯里さんが仕切ります。

 ぱっ

と、灯りが点きました。
みんな、わくわくしながら鍋を見つめていました。

それから鍋が煮える間。
私達は仕事のこと。 練習のこと。 トラゲットのこと。
いっぱいな、お喋りを楽しみました。

「そろそろいいかなぁ」
再び灯里さんが仕切ります。

「それではみなさん。お箸をお持ちください。 はい。 いいですか?
 じゃあ今からまた灯りを消します。 そしたら中の具材を取ってください。
 一度取った具材は、灯りが点くまで絶対に離しちゃダメですよ」


「はーい」
と返事をして、私達はお箸を手にしました。

「では、消します」
再びの暗闇。
「じゃあ、蓋を取りまーす」
ガサゴソと、シルエットの灯里さんが動きます。
その手が鍋の蓋に手をかけ、ゆっくりと取り始めます。

  とたん

 「!!!!!!!!!!!?」

えもいわれぬ匂いに、私達全員が声にならない悲鳴を上げました。
な、なんですか、コレは?

甘いような辛いような。
痺れるような震えるような。
燃えるような凍えるような。

そんな、なんとも表現し難い、匂い。

「さ、っさあ、みなさん。 鍋の中にお箸を入れて、食材をつかんでください」
灯里さんが、若干震える声で言いました。
私達は恐る恐る、鍋にお箸を突っ込みました。


 -にゅるり

何かつかんだ感触。
なんだろ。これ……
冷たい汗が頬を滑り落ちていきます。

「はい。じゃあ、灯り点けます。みんなそのままですよぉ」

  ぱっ

と。 再び灯りが点きました。

 -!?

私は自分がお箸でつまんでいるモノを見て、息を呑みました。
お箸の先。
そこにあるものは!
……デロリとした紫色の何か。

他のみんなも引きつった顔で、己がお箸の先を見つめています。

ああ……
確かに入れるモノは何でも良いって言ったけど……
鍋に入れるんですから、それなりに考えましょうよっ。

つか
せめて食べれるモノを……


「じゃ、じゃあ。 みなさん。今、お箸でつかんだモノを食べましょう」
灯里さんが無理矢理の笑顔で言いました。




 【 La prima sfida (最初の挑戦) 】

「甘いぃぃ」
「辛っっ」
「すっぱいぃぃ」
「にがっ」
「美味しい」
「マズっ」
「はひぃ」

いきなり阿鼻狂乱の世界が広がりました。


 【 ll secondo sfida (2回目の挑戦) 】

「ぬな」
「ぐがっ」
「げふっ」
「あうっ」
「ひぃ」
「がっ」
「はひぃ」


 【 ll quinto sfida (5回目の挑戦) 】

「いったい……」
「誰が……」
「どんなモノを……」
「いつ……」
「何処に……」
「入れたのか……」
「5W1はひっ……」


 【 ll ottavo sfida (8回目の挑戦) 】

「負けない」
「負けません」
「負けるかっ」
「負けんぜよ」
「負け…負け……」
「負けてたまるかぁ」
「はひぃ」


 【 ll dodicesimo sfida(12回目の挑戦) 】

「あははははは」
「ふふふふふ」
「くっくっくっくっ」
「ぎゃはははは」
「いひひひひ」
「ふははははは」
「はひひひひっ」


【 ll 16 sfida 】

「禁止。禁止。禁止ぃぃぃ」
「でっかい。でっかい。でっかい」
「っかあー! っかあー! っかあー!」
「だからこの事件の盲点は、途中でゴンドラを乗り換えたことにあるのよ」
「やわっこく~♪ やわっこく~♪ やわあっこく~ぅ♪」
「うらあっ。サイレンかかってこいやぁ! 返り討ちじゃあ!
 『ミラクル・ガッツ』じゃあ!!」
「ほえほえほえへへへへぇ」


 【 ll 21 sfida  】

「……………」
「……………」
「……………」
「……………」
「……………」
「……………」
「……………はひっ」


 【 ll 28 sfida  】

アリスちゃんが倒れてます。
あゆみ先輩が目を開いたまま固まっています。
杏先輩が口から何か白いモノを漂わせています。

「あ、アトラさん。もうギブアップしても良いですよ」
「あ、藍華ちゃん。そっちこそ、もう止めて良いんですよ」
「誰が止めるもんですか」
「私だって決して諦めません」
「ふっふっふっ」
「はっはっはっ」
「「 あっはっはっはっはっはっはっ 」」

おふたりとも、闇鍋の意味が変ってます……
みんなで楽しくお食事を……のハズだったのに。
いつの間にか、どちらが最後まで生き残るかって勝負になってます。

「やっぱり、アルさんを呼べば良かった」
「アニーちゃん……はひっ?」
私の後悔に、満面の笑顔で灯里さんが答えました。
………
………
でも灯里さん。 そっちは暖炉ですじょ?


  【 ll 33 sfida 】

はっ。
いつの間にか気を失っていたようです。
あれ?
なぜか闇鍋の前に、ヒメ社長。アリア社長。まあ社長の、社長ズ猫さん達が座っています。
藍華さんとアトラ先輩はどうしたのでしょう。
影も形も見えません。

にょっ。
ヒメ社長。 なに興味深そうに鍋を見つめているんですか?
まあ社長。 闇鍋はアリア社長の「もちもちぽんぽん」ではありませんよ。
アリア社長。 そんなに、よだれ垂らして……だっ、だめです。
みんなっ。 その鍋はっ。 その鍋はっ!


  【 ll (?) sfida  】

あうっ。
また気を失っちゃってたのかな……うう…なんて凄い闇鍋力。 
まるで本当の『 闇 』に引き込まれるかのような……はっ。
そうだ、社長ズさん達は………ひっ!
私は思わず息を呑みました。

さっきまで、社長ズ猫さん達がいた席。
さっきまで、灯里さん達が楽しげに座っていた席。

そこには本当の『 闇 』が広がっていました。


真っ黒なドレスの女性が座っています。
黒いヴェールで顔は見えません。

静かにたたずみ、倒れている灯里さんをじっと見下ろしています。
でも。
でも私は知っています。
あの人に……あの女性に顔などないとゆうことを!


「噂の君」
藍華さんに聞いたことがあります。
昔、灯里さんを連れて行こうとした、闇の存在。
お墓の島。 サン・ミケーレ島に灯里さんを誘い込んだ、喪服の女性。
禍々しき喪服の悪魔。

そしてもうひとり。


「サイレン……の悪魔」
その横には黒い毛皮を着込んだ、貴婦人が座っていました。

サイレンの悪魔。
灯里さんに対する「噂の君」のように。
私の弱さに付けこみ、私を惑わせ、私を『 闇 』に連れて行こうした邪悪な存在。

あの時は、アンジェさんや、みんなのおかげで私は戻ることができた。
でも今は-
今のこの弱った状態では……

彼女達もそう知って、再び私達を『 闇 』に引き込みにきたのでしょうか。


そのとき私はふと、もうひとつの存在に気が付きました。
そのふたりの『 闇 』に対するかのように、もうひとつの『 光 』の存在があることに。
視線を向けます。
そこに居たのは、とても大きな黒い猫さんでした。

大きな黒い猫さん。
まるでカーニバルのときに着るような、昔の宮廷衣装。
大きな手には、やっぱり大きな肉球(触りたい!)
全てを見通すかのような大きな瞳。
けれど優しい瞳。

その膝に(あきらかに気を失っている)社長ズ猫さん達を優しく寝かせながら、
ただ黙って、その大きな瞳で『 闇 』を見つめる黒い猫さん。
これは…この人は、まさか……


驚く私の前で、人ならぬ存在の彼、彼女等は、ゆっくりと鍋に箸を近付けました。 

 え?

鍋から何かを摘み上げました。 

 ええ?

そのまま、ゆっくりと口に近付けます。 

 えええ?



 「@~¥+%$V#!!」
人には理解できない叫び声を上げ「噂の君」がひっくり返ります。
帽子とヴェールが飛び、顔のない顔で悲鳴を上げます。
ドタバタと転げ回り始めました。
まるで黒いドレスだけが、のたうち回っているかのようです。


 「бёддйфюБ!!」
「サイレンの悪魔」も同じような悲鳴を上げ、転げ回りだします。
転げ回りながら、その姿はアンジェさんになったり、黒いネコになったり、また黒い毛皮に戻ったり。
その様はまるで出来の悪い恐怖映像ように不規則で滅茶苦茶な動きです。
あっちにシュビビン。
こっちにシュビビン。

黒い喪服と黒い毛皮が部屋の中を飛び交います。

そしてついに黒い喪服と毛皮は正面から激突すると、そのまま絡み合い、何処かへ、すっ飛んで行ってしまいました。



 ドオオオオオオオオオオオオっ

そしてこの間。
優しい瞳の黒い猫さん。
我等が「AQUAの心」は、その大きな瞳を目一杯広げながら、「濁」とばかりの涙をこぼしていました。
微動だにせず、瞬きすらせず、ただ茫々と無言で泣き続けています。


 ……なんぞコレ

「ふ……闇鍋が『 闇 』の存在に打ち勝つとはな………」
「あゆみ先輩?」
あゆみ先輩がネコ耳を揺らしながら、私の横に這い寄ってきていました。

「これで、我々は、あいつらに対抗する手段を得た……
これでウチらは奴等の魔手から、この世界をま………っかぁー!!」
まるでどこかの冒険ドラマのような台詞を言いかけた、あゆみさんが、白目をむいて悶絶します。
私も釣られて……気絶………あれ? 字が違っ   


     暗転。



「……なんだ、この修羅場は」
「すっごく楽しそうねぇ」
「いや、そう見えるのは、お前だけだから」
「あらあらあら」



後から聞いた話です。
仕事を終え、ARIA・カンパニーに連れだって帰ってきた、晃さん。アテナさん。蒼羽さん。アリシアさん。 がー
鍋を囲みながら倒れている私達( メイド服 )を見て、そう呟いたそうです。


 そしてー


  ****

 - 数日後

「とても楽しかったわねぇ。 (実は覚えてないだけどぉ)」
カフェ・フロリアンでのひととき。
藍華さんが言いました。

「でっかい楽しかったです。 (実は覚えてませんけど)」
「まったく楽しかったわね。 (実は覚えていないんだけど)」
「わくわくで楽しかったねぇ。 (実は覚えてないんだよなぁ)」
「っかあー!楽しいかったぜ。 (実は覚えてねえんだけどな)」
「はひ。素適んグで楽しかったです。 (実は覚えてないんですけど)」
アリスちゃん。 アトラ先輩。 杏先輩。 あゆみ先輩。 
そして灯里さんも、口々に満面の笑顔で、そう言います。


「楽しかったのか?」
「あ~、やっぱり楽しかったのねぇ」
「そんな風には見えなかったんだが……」
「あらあら、うふふ」
晃さん。 アトラさん。 蒼羽さん。 アリシアさんが言います。


「それは是非とも体験してみたいのだあ」
「つか、俺様も最初から呼びやがれ!」
「あははは。 それはとても興味がありますねぇ」
シルフさん。 サラマンダーさん。 ノームさんが言います。


「っじゃ、今度はみんなでやりましょう。 闇鍋!」
私は元気良く、そう答えました。

……………
……………
でも実は、どれだけ楽しかったか、覚えてないんだよねぇ。
みんなが楽しいって言ってるなら、きっと楽しかったんだよねぇ。
なんか忘れてるよなぁ。
てか、忘れてたほうが良い気が………なんでだろう?



 ****


私の名前は、アニエス・デュマ。 アニーって呼んでください。
私はいつでも、これからも。

元気いっぱいに、このAQUAで生きていきます。
元気いっぱいに、このネオ・ヴェネツィアで、一人前のウンディーネになるために頑張っていきます。

この星の奇跡(ミラクル)を、いつまでも探していきます。
素適な仲間やお友達。 先輩方や後輩達と一緒に。

だから、お母さん。お父さん。
そして、アンジェさん。

これからも私のこと。 ずっと見守っていてくださいね。


私は何処までも続く、青いネオ・ヴェネツィアの『 空 』(Il Cielo・エルシエロ)を見上げました。





   「Un tegame di oscurita (闇鍋)」 -la'fine











「あれ? 社長ズのみなさん。 食べないんですか? 闇鍋」

「ぷいぎゅぅぅぅぅうぅう」
「まはぁぁぁはぁぁぁぁ」
「……………げふっ」







********************

実はアニーが登場するお話としては、流離人さまが、そのご自身の作品
【 ARIA The AFTER ~another story~ 】
の中でご紹介されているように、2ch内に

「ARIA The ORIGINATION ~蒼い惑星のエルシエロ~Ⅱ」
とゆう、とても素晴らしい作品が存在します。

この良作を紹介していただいた、流離人さまに改めて感謝を。
そして、みな様にも是非とも読んでいただきたい、オススメの作品です。
(読み終えた後、その読み応えの太さに凹む凹む(涙)
 あ、ちなみに『ミラクル・ガッツ』なる言葉も、そこからの引用です。 この言葉だけでも、この作者の方のセンスに圧倒されます(鹿馬))


さらに流離人さまには、素適な蒼羽・R・モチヅキのイラスト、感謝します。
この場をお借りして、再度、お礼の言葉を述べさせていただきます。
作者の想像の遥か上を行く、ステキングな蒼羽をありがとうございました(寿☆)

嗚呼
私にもう少しセンスがあれば……(ウチワもめ大鹿馬)

 お後がよろしいようで……(おい! 座布団を…!!)



[6694] Un Guide istruttore
Name: 一陣の風◆5241283a ID:8350b1a5
Date: 2011/07/06 13:03
22本目のお話しお届けします。

暑くなりました。
本当に急に暑くなりました。

みな様、お元気でいらっしゃいますでしょうか?
被災者のみな様、お体、御自愛ください。
私はすでにパンツ一丁でウロウロしてします。
あ もちろん家の中だけですよ(鹿馬)

このお話しを読み終えたあと、みな様の心の中に、パンツ一丁でウロウロする一陣の風の姿が、ほんの束の間でもよぎれば、これに勝る失礼はありません。 ごめんなさい。 叱ってください(大鹿馬)

でもホント。
人を叱るのって難しい。

それではしばらくの間、よろしくお付き合いください。




  ***********************************************








「よろしく。 アリスちゃん」
「よろしくねぇ。 アリスちゃん」
「アリスさん。よろしくお願いします」

「は、はい。 きょ、今日は一日、よろしくお願いします」

我等が「オレンジ・プリンセス」こと、アリス・キャロルちゃんは、そう言うと下を向き、
頬を紅色に染めました。

……くぅ。 かわいいぜ。



    第 22 話 「 Un Guida istruttore 」



「今日も気持ちのいい、お天気ねぇ」
「うん。 とっても良い陽射し」
「はい。 風も気持ちいいです」


こんにちは。
アニーこと、アニエス・デュマです。
いろいろあって、あやうくウンディーネに成り損ねるところだった私が、
なんとかオレンジ・ぷらねっとのウンディーネとして、ゴンドラを漕げるようになって、早。一年。
つい先日、見習いの「ペア」から、半人前の「シングル」へと、昇進することができました。

これも全て、素適な先輩であるアテナさん。 アトラさん。 杏さん。
指導教官の蒼羽さん。
そしてアリスちゃんのおかげです。

私、アニーことアニエス・デュマは、これからも一人前の「プリマ」めざして頑張ります!!


***

「ほら、アニーちゃん。見て見て。 あそこ。 海鳥さん達があんなに」
「あ、ホントだ。 杏先輩。 すごいですねぇ」
「へえ。あんなに海鳥が舞ってるなんて。 魚の群れでもいるのかしら」
「魚がいると、海鳥さん達が舞うんですか?」
「ええ。 だから昔から漁師さん達の格言に、
 『魚の群れを見つけたければ、まず、海鳥を探せ』 って云うのがあるのよ」

「へえぇ。 さすがにアトラ先輩は博識ですね」
「うふふ。 ありがとう」
「あれぇ。アトラちゃん、照れてるのぅぅぅふげっ」
「いらんこと言う、余計な口は、この口か!? この口かああああっ」
「ふげげげげげぇ」

「……あの」
「ん? なに。アリスちゃん」
「そ、そろそろ、指導を始めたいんです……けど……」
私達の会話に、アリスちゃんが水をさしました。
私達は口をつぐむと、ジト目でアリスちゃんを見返しました。


そうです。
今日は、アテナ先輩。杏先輩。 
それに私が、先日めでたく「ペア」から「プリマ」へと、
ウンディーネ業界初の二階級、飛び級昇格したアリスちゃん……いえ「オレンジ・プリンセス」の
ゴンドラ指導を受ける日なのです。



「はいはい。それじゃあ、私からでいいですよね?」
アトラ先輩が突き放したように言います。

アトラ先輩。
アトラ・モンテヴェルディ先輩。
赤味がかったブラウンの長い髪。 ポニーテール
治療法が確立されているのもかかわらず、決して手放さない眼鏡。
その奥に知的に輝く、紫の瞳。

さっきの海鳥の会話でも分かるように、その知識は多方面に、しかも豊富に広がっています。
人呼んで「 オレンジ・ぷらねっと、いちの名探偵 」
とても頼りになる、優しき先輩。


「よおーしっ。 アトラちゃん、しゅっぱーつ!!」
杏先輩が右手を挙げ、陽気に叫びます。

杏先輩。
夢野・杏先輩。
黒い髪のショートなボブ。
その髪と同じ色の瞳。 大きな、くりくりっとした瞳。
小さなお鼻。
知的なアトラ先輩とは間逆の、コケティシュで、あどけない、お顔。

陽気で明るくて、でも「やわっこく、やわっこく」を信条とする、本当は芯のとても強い人。
ムード・メイカー。
とても素適で、朗らかな先輩。

今はおふたりとも半人前の「シングル」だけど、プリマ昇進は時間の問題。
ーと、言われる程の素晴らしいウンディーネさん達です。


  でも


  ****


「ゴンドラ通りまーす。 おっとっと……」
「アトラ先輩!?」
曲がり角。 ゴンドラが不必要に傾きます。
あわてて修正するアトラ先輩。

「ごめん、ごめん。アリスちゃん。 次はちゃんとやるわ」
苦笑いを浮かべるアトラ先輩。

「よおーし。次こそは決めるわよぉ」
そう元気良く言い放つと、アトラ先輩は再び強くオールを漕ぎ出しました。
「アトラ先輩……」
「ん? なに、アリスちゃん」
そんなアトラ先輩に、アリスちゃんは何か言いかけ、でも結局は何も言わず、口を閉じます。
そんアリスちゃんの様子に、私と杏先輩は、そっと顔を見合わせました。


「このサン・ジョルジョ・まっちゃ……違っ。 まっちょ……でもない。 ええと……」
「杏先輩。 マッジョーレです。 サン・ジョルジョ・マッジョーレです」
「ああ。そうそう。それそれ。 ごめんアリスちゃん。 噛んじゃった。 えへへ」
杏先輩が舌を出しながら笑います。

「ネオ・ヴェネツィアってば、言いにくい名前の名所が多くって」
「それ、分かります。 サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂とか」
「うんうん。そうよね、アニーちゃん。 スフォリアテッレとかね」
「杏。それはお菓子でしょ」
アトラ先輩のツッコみに、私達の笑い声が弾けます。

「あの……杏先輩」
「なに、アリスちゃん」
何事かを言いかけるアリスちゃんを、杏先輩が正面から見据えます。
くりくりっとした杏先輩の瞳が、アリスちゃんを真っ直ぐに見据えます。
「……いえ、なんでもないです」
アリスちゃんを黙って下を向いてします。
私とアトラ先輩は、そっと、顔を見合わせました。


「アニエス・デュマ。 行きます!」
私達を乗せたゴンドラは、いよいよネオ・ヴェネツィアのメインストリート。
カナル・グランデと呼ばれる大運河に差し掛かっていました。
特にその中でも交通量の多い、通称「Graceful Way( 栄光の道 )」と呼ばれる水路を
私達は進んでいました。

「おっとっと。 なんとぉっ。 ありゃりゃりゃ」
でも私の操るゴンドラは、あっちにふらふら。 こっちにふらふら。
悲しいくらいに安定しません。

 -うう……
昇格したての新米シングルの私では、同じシングルでも年季の入ったおふたりにはとても敵いません。
「アニーさん。もっと力を抜いて……」
「わ、分かってるわよ、アリスちゃん。 でも…」
「アニーさん。端によってください。 後ろからヴァポレット(水上バス)が」
「分かってるって、アリスちゃん。 やってるでしょ!」
「アニーさん……」

アリスちゃんがものすごく悲しげな顔で私を見ます。

 ぐがががががががっ

分かってる。分かってる。 けど……嗚呼。


「ちょっと寄り道するわよ」
「アトラ先輩?」
「アニーちゃん。 この先のトラゲット乗り場までお願い」
「アトラ先輩」
「なに、アリスちゃん」
「あの今は、指導の最中で……」
「ちょっとくらい構わないでしょ? ちょっと挨拶しにいくだけよ」
「そうそう、アリスちゃん。 あゆみちゃんに、ちょっとだけ。 ね?」
「杏先輩まで………」
「よおーし、アニーちゃん。 行きましょう」
アトラ先輩が有無を言わさず、私に指示を出します。
アリスちゃんは黙ったまま。
そんな様子に、つい私も小さな「サイ( タメ息 )」をついてしまいました。



「あゆみちゃーん!」
杏先輩が右手を上げながら、大きな声で呼びます。
「おー! 杏にアトラにアリスちゃん。 それに……アニーくんだっけか?」
あゆみさんが満面の笑みで、返事をしてくれました。

あゆみさん。
あゆみ・K・ジャスミンさん。
姫屋のウンディーネで、階級は私達と同じシングル。
気さくで明るくて、いつでも元気いっぱい。
プリマを目指す大多数のウンディーネの中で、トラゲットを続けるために、
ずっとシングルを希望する、ちょっと変ったウンディーネさん。
アトラ先輩や杏先輩とよく、トラゲットをする親友さんです。

あ。それからー
トラゲットってゆうのは、大運河、グラン・カナルの何箇所かに設けられている「渡し舟」のことです。
船の前と後ろにウンディーネがつき、大勢の人達をゴンドラに乗せ、運びます。
そのウンディーネはシングルだけが漕げ、しかも色々な会社のウンディーネが、会社に関係なく、
仲良く操舵するってゆう、ある意味、ネオ・ヴェネツィアの観光名所的な存在でもありました。


「こんな時間にこんな所で何してるんだい?」
いつものニコニコ顔で、あゆみさんが訊ねてきます。

「今日はねぇ。私達。アリスちゃんの……オレンジ・プリンセスの指導を受けてるの」
「っかぁー。 そうなんだ。アリスくん。すごいなあ」
あゆみさんがアリスちゃんに笑いかけます。
アリスちゃんは恥ずかしそうに顔を伏せると「 どうも 」と、小さな声で答えました。

「そうだ。あゆみちゃん。 これから一緒に、ご飯しない?」
杏先輩が誘います。
「うん。いいわね。ちょうどお昼だし。あゆみ、どう?」
アトラ先輩も誘います。
「あ。 それいいですね。 あゆみさん、一緒に行きましょう」
私も馬尻に乗って言いました。

「え? いやでもまだトラゲット残ってるし……それに」
あゆみさんは、うつむいたままのアリスちゃんをチラッっと見ました。
「それにお前等、まだ指導の途中だろ?」
その言葉に、アリスちゃんは顔を上げ、口を開きます。

  でも

「いーの、いーの。 ね、アリスちゃん? みんなで食事した方が楽しいものね」
アリスちゃんが何かを言う前に、アトラ先輩が、その言葉を封じ込めます。
「そうだよ、あゆみちゃん。 そんなことより、一緒にお昼行こうよ」
「そんなことって……」
杏先輩の台詞に、あゆみさんは一瞬顔を強張らせ、無言で私達を睨みます。

でもその視線を正面から受け止め、アトラ先輩が微かに首を横に振ります。
杏先輩も小さく頷きました。
それだけで、あゆみさんにはちゃんと伝わったようです。

「っかぁー。 残念だけど、また今度な。 んじゃアリスちゃん、頑張ってな」
言うだけ言うと、あゆみさんは踵を返しトラゲット乗り場に帰って行きました。
そんなあゆみさんの背中を、寂しそうに見送るアリスちゃん。
そんなアリスちゃんの姿に、私の指先は振るえ始めました。


  ****


その後も私達の指導は続きました。
途中、じゃがバタ屋さんに寄ったり( その時うっかり、じゃがバタを川に落としたのを、笑って誤魔化したのは内緒です)
私と杏先輩がふざけて大騒ぎして、あやうく他社のゴンドラとぶつかりそうになったり、
アトラ先輩がスピードを出しすぎて、ダーマ(運河に顔を覗かせている、三本の木を束ねた棒。
運河の入り口や、水路の交差点を示す標識です)に軽くぶつかってしまったり……

とかはありましたが、おおむね平凡で、穏やかな一日でした。


「お疲れ様」
夕暮れ迫る黄昏時。
私達は無事、オレンジ・ぷらねっとに帰ってきました。

「今日は楽しかったわ。ありがとう、アリスちゃん」
ゴンドラの片付けもそこそこに、私達はアリスちゃんに話しかけます。

「うん、とっても有意義な一日だったねぇ」
「はいぃ。 良い一日でした」

「ところで、アリスちゃん。 私達どうだった?」
アトラ先輩が満面の笑顔で訊ねます。
「合格? 私達、合格だよね?」
杏先輩も、さも嬉しそうに聞きます。

「確かに、おふたりの技量は素晴らしいものでした。 すぐにでもプリマになれるくらいの……」
アリスちゃんは下を向きながら、ぽつりと答えました。

「やったあ。聞いた聞いた? アトラちゃん」
「ええ。 ありがとう。アリスちゃん」
お二人が喜色を浮かべます。

「ねぇねぇ、アリスちゃん。 私は? 私はどうだった?」
私も一生懸命、笑みを浮かべて訊ねます。

「はい……アニーさんも、最初の頃から比べると、でっかい勢いで成長してます」
「本当? えへへ~ぇ。 ありがとう、アリスちゃん」
「でも……」
「ん?」
「でも?」
「なに?」

不審気な私達に、アリスちゃんは下を向いたまま、でも、はっきりと言いました。


 「お三人とも、でっかい不合格です!」


「なんでかなぁ……」
杏先輩が恐い顔で、アリスちゃんを睨みます。
「……………どうゆうことかしら」
アトラ先輩が冷め切った声で言います。
アリスちゃんは声を震わせながら、必死になって言いました。

「操舵は不安定。
 観光案内もちゃんと覚えていない。
 ミスしても笑って誤魔化す。
 他の会社の方にもご迷惑をかける。
 川を汚しても気にしない。
 自分達が使ったゴンドラの後始末も、おざなりに済ます。
 そして、自分勝手な行動を取る。
 私……私だって昨日、考えたんです。
 今日どうするか一生懸命、寝ないで考えたんです。
 それなのに……」

「それなのに、なに?」
アトラ先輩が、さらに冷たい声で訊ねます。

「それなら何故、最初から、ちゃんと言わないの?
 それなら何故、最初から、ちゃんと指示しないの?
 それなら何故、最初から、ちゃんと自分のしたい事を言わないの?」
アトラ先輩は、私や杏先輩がドン引くくらいの激しさで、アリスちゃんを攻めたてます。

「なぜ最初から、ちゃんと私達を指導しないの? 
 ねえ、アリスちゃん。 
 あなた……」
アトラ先輩は、とても意地悪く言いました。

  「自分がプリマだって自覚。 本当にあるの?」


私は見ました。
確かに見ました。
そう言い放つアトラ先輩の顔がゆがむのを。
いつもの清麗な顔を歪ませて、アリスちゃんを攻め立てる、まるで鬼のようなアトラ先輩のお顔を。


「そ、それにさ、アリスちゃん」
今度は、杏先輩が顔を真っ赤にして言い募ります。

「私達、お友達だよね。 お友達なんだから、少しくらいのこと、多目に見てよ」
まるで『 文句あるか 』と、ばかりに、杏先輩が顔を真っ赤にして、アリスちゃんに言い募ります。

「そ、そうだよ。アリスちゃん。 プリマとかシングルとか。 そんなの関係なしに、楽しくやろうよ」
私も体が震えるのを止められずにいました。
「それにさ。確かにアリスちゃんの方がプリマとしても、ウンディーネとしても先輩だけどさ。
 ホラ。私の方が年上じゃない? その辺、ちょっと考えてみて」

ああ……私にはとても無理です。
とてもこんなことには耐え切れません。
我慢なんかできません。 

自分でも自分の声が裏返ってるのが分かります。
プルプルと体中が小刻みに震えだします。


「さあ、アリスちゃん」
アトラ先輩が言い放ちます。

「ちゃんと答えなさい。
 言いたいことがあるなら、ちゃんと言いなさい。。
 誰かに届けたい言葉は、ちゃんと口に出さないと、
 その想いは誰にも伝わらないのよっ」
顔を微かに歪ませながら、平然と、無表情に、冷徹な声で言い放ちます。

 嗚呼……アトラ先輩はスゴいなぁ…………


「確かに私は……」
アリスちゃんは下を向いたまま、囁くように答えます。

「まだプリマになって日が浅い若輩ものです。
 まだとてもみなさんを、ちゃんと指導なんかできません。
 それに……
 みなさんはお友達です。 みなさんは私とって、とても大切なお友達です。 
 それこそ、プリマだとかシングル・ペアとか関係なしの、素適で大切なお友達です。
 でも……」

アリスちゃんは下を向いたまま、声を震わせながら、でもはっきりと言葉を紡ぎます。
 
「でも、だからこそ、言わなきゃいけないんです!
 私は言わなきゃいけないんです!
 私はプリマとして、シングルを、ペアを……みなさんを指導しなければいけないんです!
 歳とか、お友達とか関係なしに。
 プリマとして。
 オレンジ・ぷらねっとを……いえ、このネオ・ヴェネツィアのプリマ・ウンディーネとして。
 この街をより良き街にしていかなければならない、プリマ・ウンディーネとして。
 だから……だから、言います。
 プリマの……オレンジ・プリンセスとして、言います」

アリスちゃんはしっかりと顔を上げ、私達を見据えると、きっぱりと言い切りました。


 「お三人とも、プリマとしても、ウンディーネとしても、でっかい不合格です!!」

 
 ……………
 ……………
 ……………ひーん

アリスちゃんが泣き出しました。
そう言った後。目に両手を当て、えぐえぐ と泣き始めました。

私の目の端にジタバタとする、ふたつ影が映ります。

「アトラちゃん……」
「アトラ先輩……」
真っ赤になりながら。
震えながら、アトラ先輩を見る、私と杏先輩。

「部長……」
アトラ先輩もとうとう耐え切れず、はっきりと顔を歪ませながら、
泣きじゃくるアリスちゃんの背後に視線をやりました。

 「まあ、ぎりぎり合格ね」

パン! と、手をひとつ鳴らして、アレサ部長が言い放ちました。

「はい。状況終了。 みんなお疲れ様」
「へ? 状況? わっ!?」
部長のその言葉に、私は思わずアリスちゃんにしがみついてしまいました。

「ごめんね。 アリスちゃん!」
「ごめんなさい。アリスちゃん!」
涙が止まりません。
私は涙を止められぬまま、アリスちゃんに抱きつきました。
見れば同じように杏先輩も泣きながら、アリスちゃんに抱きついています。
「杏先輩? アニーさん?」

「ごめん。アリスちゃん!」
最後にアトラ先輩が私達ごと、アリスちゃんを抱きしめます。

「あ、アトラ先輩。あの……わふ?」
さらにもうひとりの人物が、アリスちゃんを背後から抱きしめました。

「アリスちゃん。良かったぁ」
「アテナ先輩?」
「ああもう。 本当にお前は、アリスに甘甘だなぁ」

蒼羽教官があきれたように声を上げました。
先ほど私の目の端に映ったのは、泣きじゃくるアリスちゃんに駆け寄ろうとするアテナ先輩を
必死に羽交い絞めする、蒼羽教官の姿だったのです。

「あ、あのみなさん方。 これはいったいどうゆう……」

まるでお団子のようにー
私達に抱きしめられ、身動きひとつできないアリスちゃんが、泣きながら、きょとんとした顔で訊ねます。


「今日はね、本当はアトラ達の指導の日じゃなくて、あなたへの指導の日だったのよ」
アレサ部長が微笑みながら言いました。

「私への指導の日……」
「ああ、そうだ。 オレンジ・プリンセス」
蒼羽教官が、アリスちゃんを通り名で呼びました。

「プリマになったお前はこれから、ペアやシングルの指導も行なっていかなければならない。
 その時、相手が自分より年下のペアな場合は良い。
 だがー」
蒼羽教官は、噛んで含めるように言い聞かせます。

「相手が
 自分の同期なペアな場合もあるだろう。
 自分の親しいシングルの場合もあるだろう。 
 自分より、年上の、先輩なシングルの場合もあるだろう。
 そう。 まさに今日のアトラや杏や、アニーのようにな」
「あ……」

「その時、あなたが本当にそんな友人や先輩達を指導できるか。
 プリマとして……このネオ・ヴェネツィアのプリマ・ウンディーネとして、そんな人達を
 ちゃんと従わせられるか。
 ちゃんと誉めれるか。 
 そして……
 ちゃんと叱れるのか。 今日はそれのテストの日だったの」
アレサ部長が微笑みを浮かべながら告げます。


「もしかして…あの……だから………」
「ああ。その通り」
蒼羽教官が小悪魔的な笑みを浮かべます。

「アトラと杏、そしてアニーには、今日、お前に対して『 いぢわるな態度 』を取るようにと、私が命令した」
「……蒼羽教官」
「プリマ・ウンディーネというのは、それほど責任ある立場なんだ」
蒼羽教官はそこだけは射るような眼差しで、アリスちゃんを見据えました。


「ごめん、アリスちゃん」
「ごめんなさい。アリスちゃん」
私と杏先輩は、いっそう強くアリスちゃんを抱きしめました。

「私も、すごく、意地悪だったわ。 ごめんね、アリスちゃん」
アトラ先輩が言いました。
眼鏡の奥のその瞳は、涙で真っ赤になっていました。


「あのね。あのね。アリスちゃん」
アテナ先輩がアリスちゃんを背後から抱きしめながら言います。

「みんな、悪気はなかったの。 ううん。 本当に、本当にアリスちゃんが大好きだから、
 大好きだからこそ、みんな、こんなことしたの。 分かってあげて」


そうです。 あの時ー
アリスちゃんをみんなが激しく攻め立てていた時。
アトラ先輩の顔が恐ろしげに歪んでいたのは、自己嫌悪からだったんです。

大好きなアリスちゃんに、意地悪なことを言わなければならない。
嫌味なことを言わなければならない。
その悲しみと苦痛を、必死に押さえ込もうとして歪む、アトラ先輩の顔。

杏先輩の顔が真っ赤になっていたのも、もちろん怒りのせいではありません。
涙をこらえるのに必死になっていたんです。
大切なお友達のアリスちゃんに、馴れ合いめいたことを言わなければならない悲しみ。
我が儘に振舞う哀しみ。
その涙をこらえるために、杏先輩は真っ赤になっていたのです。


 そしてそれはもちろん私にも。

何度叫びだしそうになったことか!
何度叫びながらアリスちゃんに今日の真相をバラし、謝罪しようとしたか!

それでも、それはアリスちゃんのためにならない -と
必死に耐えるために。
必死に自分の感情を押さえ込むために、ぶるぶると震える私の指先、体。

きっと、アリスちゃんの目には、私が怒りに震えてるように見えたでしょう。
私が怒りに震え、威嚇するかのように見えたでしょう。

なんて酷い私。
なんて醜い私達......



「……分かってます」
でもアリスちゃんは言ってくれました。

「そんなこと、でっかい分かってます」
再び、ぼろぼろと涙を流しながら、アリスちゃんは言ってくれました。

「アトラ先輩や杏先輩。 アニーさんが私のことを思ってくれてて、
 大切に思ってくれてて。
 心配してくれてて。

 自分だって傷つくのに。
 自分だって辛いのに。
 自分だって悲しいのに。

 それでもワザと私に嫌な態度を取ってくれて。
 それでもワザと私に厳しいこと言ってくれて。

 みんな、お友達だから……
 みんな、とっても大事な、お友達だから……

 だから、だから……」

アリスちゃんは泣き続けます。
けれど、その顔がパッと輝きました。


 「だからみんな、でっかい大好きです!」


それは向日葵のような、素適で暖かな泣き笑顔でした。


 ーぱちぱちぱちっ

拍手がわきあがります。
 
 ーぱちぱちぱちぱちぱちぱち!

大きな拍手がゴンドラ置き場に木霊しました。

 わあっ!
と、歓声も上がります。

見れば沢山のウンディーネが……
オレンジ・ぷらねっと全てのウンディーネが……

賞賛するかのように。
祝福するかのように。

アリスちゃんに。
我等がオレンジ・プリンセスに。
彼女を取り囲みながら、拍手と歓声を送っていました。

「………みなさん」

アリスちゃんが満面の笑顔で泣き続けます。
涙を流しながら笑顔を見せてくれます。

アレサ部長が小さく微笑みました。
蒼羽教官が豪快に笑いました。
アテナ先輩が愛おしそうな笑みを浮かべます。
アトラ先輩が号泣します。
杏先輩が嬉しそうに笑います。
私も泣きながら、アリスちゃんに笑いかけました。

取り囲むオレンジ・ぷらねっとの仲間達も、みんな幸せそうな表情を浮かべています。

おりからの夕陽が、私達を染め上げます。
その夕焼けの広い空の下、落ちた雫も波にまぎれて消えてゆきます。

私達みんなを……素晴らしき仲間達の、その笑顔をオレンジに染め上げます。

それはまさに、ネオ・アドリア海に沈む、あのオレンジ色の夕陽のように。
暖かで綺麗で優しく暖かい。
とても素適な笑顔達でした。



  ****


「アトラ先輩。 オールの返しが遅いし大きいですっ」
「杏先輩。 観光案内は、もっと簡素に、はっきりと!」
「アニーさん。 もっと力を抜いて、余裕を持って!!」

 「「『 はあああーーーーーーい 』」」

私達は、疲れ切った声で返事をしました。

「ああ。 蒼羽さんが、ふたりになった……」
アトラ先輩がボヤきます。

「本当だよぉ。 てか蒼羽教官より厳しいよぉ……」
杏先輩が泣き言を言います。

「まったくですぅ。 マジ、キツいっス……しくしくしく……」
私はホントに泣き出します。

「あはははははっ」
あゆみさんが大笑いしました。


 数日後ー
私達はまたアリスちゃんの指導を受けていました。
もちろん今回は、プリマなアリスちゃん。
我等が愛すべき、オレンジ・プリンセスの、マジでガチな指導です。


そして何故か横には、あゆみさんのゴンドラが……

やっぱりあの時ー
あゆみさんは全て分かっていたみたいです。
私達がワザと、いぢわるな事を言ってるってことに。
ほんの僅かなアトラ先輩と杏先輩の仕草、表情の変化で、それに気付いたそうです。

これがやっぱり、トラゲットで培った三人の絆?
以心伝心?

なんか羨ましいです。
嗚呼。
私もいつか誰かと、そんな風になりたいなぁ………



「みなさん、無駄話しはでっかい禁止です!」
アリス『 教官 』が叫びます。

「さあ、あの水平線の彼方まで、頑張って漕いで行きましょう!!」

 -むん!

と、ばかりに右腕を上げてガッツ・ポーズをとる、アリスちゃん。
その姿を見てー

 「「『 はぁぁぁぁあぁっぁぁぁ…… 』」」

私達は、大きな大きな「 サイ 」を付きました。
あゆみさんがまた、大笑いし始めました。

 しくしく…………






「 Un Guida istruttore ( 指導教官 )」 -la'fine



















「……ところでアトラ先輩、杏先輩」
「なに、アニーちゃん」
「おふたりは、いつになったら、プリマに昇格するんですか?」
「っかあー! アニーくん、言うねぇ!」
「それはね、アニーちゃん……」


  「『 私達も、でっかい知りたいっっ 』」







***************************************

こんな夢を見た。

深い緑の森の中に、ポツンとある小さな清らかな泉。
そのほとりで、ふたりのアテナさんが、木漏れ日に包まれながら、一枚のスコアを見ながら楽しげに謳っている。

曲自体は聞き取れない。
でもなぜかその歌が、とても心地良い、素適な歌なのだとは分かる。

一糸乱れず謳う、ふたりのアテナさんは、とても楽しげに、嬉しげに謳い続けている。

そんなふたりの歌を、私は膝を抱えたまま、何故か体育座りでいつまでも、ただずっと聞いている。

ふと、気付くとー
私のまわりには、鹿やらウサギやら、熊やら虎やらネズミやら。
沢山の鳥や魚やダチョウ&ワニにいたるまで、いろんな動物達が佇み、
同じように静かに、幸せそうに、いつまでもその唄を聴いていた。




敬愛する川上とも子さんのご冥福を、心からお祈りします。


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