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2010-01-23

仏壇屋


 前にもちらりと書いた話。会館を出て10メートルほど歩くと、若い男がチラシを配っていた。私は立ち止まって受け取り、チラシの内容を確認して男に言った。「指導を受けた上でやっているのか?」と。仏壇屋のチラシだった。当然、この男は男子部だろう。男は「エッ?」という表情をしていたので、「やめておけ」と一言だけいって私は去った。創価大学の正門を下って行った交差点の右側にある仏壇屋だった。この辺だ。若い男はきっと上司から言われるがままに仕事をしていただけなのだろう。上司は創価大学のお膝元で商売をしているのだから、これくらいは当然と思っていたのだろうか? あるいは本当にお得なセール情報を伝えたい親切心からであったのだろうか? それとも売り上げのノルマを達成するためになりふり構わぬやり方に打って出たのだろうか? それはわからない。


 事実だけ検証してみよう。創価学会員を商売のために利用しようとする会社があって、そこでは信心の判断力を欠いた若い社員が働いているということだ。何となく気になるのは、でかい顔をする以上は、それだけの理由があるのかもしれない。


 創価学会を取り巻く環境はここまで腐敗している。そして、腐敗と戦うことを奨励する幹部はいない。

ひとり言です。ひとり言です。 2010/12/07 18:32 ある田舎の地方会館で、同中に参加した時のことです。
同中終了後に、駐車場に戻ったときのことですが、
笑顔の男性から大手仏壇屋のカタログが入った袋を渡されました。
その後も、笑顔の男性は、たくさんの会員の方に渡していました。
もう、何十年も生きています。一般会員としても、会合を運営する側としても、
都心部での会館では、絶対に起こりえない、ありえない事なので、
悪徳業者ではないのかと、一瞬で心の中に危機感と緊張感が起こりました。
初めて体験したことであり、初めて見た光景だったので、
田舎の会員を馬鹿にするなっ!と、
すぐさま、何故に会館の敷地内で行っているのかと、つめました。
所謂、会館の敷地内での営業宣伝であり、もちろん、地元の運営も把握してません。
田舎という地域的に青年部が少ない為か、駐車場には、創価班もいなかったので、
すぐに会館入り口の牙城会に報告をしても、ことの事態の意味を理解しないので、
報告している私があきれる程に、危機感が全く感じられませんでした。
運営する側の意識のズレを感じながらも、牙城会のメンバーと供に
仏壇屋の男性を再度つめると、組織の許可も確認もなく、仏壇屋の都合での
カタログ営業宣伝活動であって、間違いなく、他の地域でも同様の
キャンペーンをしている事は、読めてしまいますが、問題なのは、
何故に壮年・婦人に青年部が、会館の敷地内で、この仏壇屋からの
袋を貰ったときに、誰も問題視しないこと、指摘もしないことが、
本部から離れた田舎の現状だと思いましたし、何より残念なことは、
都心部にもあり、有名な仏壇屋が、田舎の会員に対する振る舞いは、
誰が見ても、悪徳仏壇屋のように見えてしまっても、仕方のない事実であり、
そもそも、私が仏壇屋に指摘をしなければ、誰もが何事もなかったかのように、
当たり前のように、仏壇屋からのカタログの袋を受け取っている現実です。

創価学会のある程度の幹部(末端から出発)、または人材グループに属すると、
創価学会を取り巻く環境が、多少ではありますが、感じることは出来ます。
もちろん、人間の組織だからこそ、白側の人も居れば、黒じゃないの?って、
ようするに性格の悪い人だって、いることも当たり前の事実です。
【人間学(人生の矛盾と葛藤と苦闘の中から誠の幸せ)を学ぶ人生の総合大学です】

人間組織には、表と裏があるように、裏があることは、それはそれでいいんです。
裏のことは、表には理解するには難しくとも、裏としての大事な使命があるのです。
しかし、現実として、裏の部分を表には出さないからこそ、いいのであって、
一瞬でも、裏(利権)の部分が、もっと言うと、情報を誤解してからの腐敗や不信に
繋がるようなケースが、表(会員)に出ようとするときには、烈火の如く怒ります。
そうしないと、本当の正義が見えなくなりますし、本当の意見が言えなくなります。本当は、オブラートに包んでは、いけないものまで包んでしまっている自分自身に、
気付いたときが大問題な時期です。これは、外敵に対して強くなると、
内輪のことに対しては、何も言えなくなる組織全般の傾向が色濃くありますし、
末端の会員の声ほど、意見は遠くなってしまい、全くの影響力もありません。
末端の会員の方が、心から信頼できる同志も見つからなくなると、
直接、池田先生へのお手紙を書いて、第一庶務からの伝言があれば、幸いですが、
手紙を書くまでの気力をなくしてしまっては、その後が悲惨です。

創価学会は、とてつもなく大きな組織になりました。それは誇れることです。
しかし、だからこそ、創価学会の利権(お金だけではなく人事も含めて)を
取り巻く環境には、敵ではなくとも、残念なことに腐敗の影を見せている
方々は、今も昔も現実とありますし、だからこそ、人生の宿命でもがきながら
葛藤している末端の会員から、受け入れてはもらえない空気を出しています。
これは、組織批判の目的ではなく、創価学会には、本当に崇高な精神の方々、
会員に対して襟を正す方々、使命感に燃えて本当に闘う方が多いからこその
腐敗の影が妙に目立ってしまうというのか、真実性の高い疑惑になるのです。
誰も監視なんかしていなのであって、振る舞いも含めて、腐敗の影が目立つのです。

ですが、例え、腐敗の傾向を感じたとしても、そのことに対して意見しても、
生命で得をしても、実生活と組織の闘いの中で得をする事は、何もありません。
もちろん、それを奨励する幹部がいないどころか、『大丈夫か?』と
心配されるありさまではないでしょうか。ですが、昔からそうですよ、
戸田先生も池田先生も、学会に弓を放った輩に対してまでも、
改心した者(小笠原慈聞もそうです)には、
最後の最後まで、温かく見守ってあげてたじゃないですか。
私たちに出来ることは、未然での予防もそうですし、
慈悲というのは、腹を切った後に言うのは手遅れなんです。
腹を切る前に言うのが、相手にとっても自身にとっても、慈悲だと思います。

これは、私のひとり言であって、全体を通しての絶対の意見ではありません。
職員でもなければ、末端の会員としての、せつなるひとり言です。
しかし、歴代会長の師弟の精神に触れると、生命の中では、そのように、
思えてとてもならなくなるのは、私だけなのでしょうか。
自分も広布の為に死んでもいいと、部員さんのために本気で闘っている同志なら、
感じる瞬間が、あるのではないのでしょうか。
職員側ではない、私達側で闘っていた大幹部の話しを聞いていてもそうです。
ところどころで、妙な影に遭遇したことを感じてしまいます。

仏壇屋の腐敗にしても、たかが小さいことかと思いますが、どうでしょう、
組織の中で、実際に行えてしまっていた事実です。
いい事も悪いことも、小さいことから、やがては大きなことへと、変化するのが、
昔も今も、繰り返される歴史と言うものです。

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