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松本龍の恫喝と官僚の本音 - 三陸漁港を潰す冷酷政策
松本龍の7/3の暴言、「知恵を出したところは助けるが、知恵を出さない奴は助けない」。これは、松本龍の無頼な個性が放埒に言わせた言葉ではなくて、政府(官僚)の意思を歯に衣を着せずメッセージしたものだ。具体的な行政の中身がある。一般論ではない。昨夜(7/5)、三陸の諸漁港で始まっている復興の格差を取材した報ステの
ミニ特集
版のニュース映像は、その中身を想像させるに十分な材料を伝えていた。この松本龍の言葉は、岩手県の達曽拓也の前で放擲されたものだが、その前後で、松本龍は被災地自治体の町と首長の名前を一人一人挙げ、呼び捨てにしながら、こいつもよく知っている、あいつはよくやっているなどと、まるで自分の部下のように傲慢に言っていた。それを聞いていて、一瞬、私は怪訝に思ったのである。宮古と大船渡は入っていたが、釜石が入ってなかった。気仙沼と南三陸は出たが、石巻が落とされていた。これは偶然ではないのだ。昨夜の報ステは、魚市場の施設を復旧できないため、漁船が獲ってきた魚を隣の宮古に水揚げせざるを得なくなった大槌と、年内の漁港再開は難しいと言われ、業者が移転し始めた石巻の例が報告されていた。三陸の漁港の格差現象は、人為的なものであり、政府(官僚)の不作為の結果なのだ。映像は出なかったが、釜石も、未だ漁港を再開できない町の一つだった。
「知恵を出す、知恵を出さない」には含意があり、選別と脅迫の論理が暗示されている(と言うより、すでに選別が特定されている)。官僚による漁港集約の意思があり、復興予算セーブの目的がある。もう一つ、そこには官僚による菅降ろしの政治意図がある。4/10、石巻を
視察
した菅直人は、三陸の漁港再生の中で石巻を最優先にすると明言した。石巻の被害が最も大きく、漁港復旧に費用がかかると判断したからだろう。官僚は、その石巻をシンボリックに潰そうとしているのだ。三陸の漁港が中央の権力闘争に巻き込まれている。無論、この官僚の方針は村井嘉浩の腹の内と同じなのだ。場合によっては、菅直人が首相の座に居続けた場合、またそうでなくても、日本第3位の石巻漁港は、丸ごとゴールドマンサックスの所有になるかもしれない。報ステの三陸報道は、松本龍の暴言の裏を開示するもので、政策と現実の平仄が合うものだった。古舘伊知郎は、このニュース映像を紹介する前、「まずお金を出して下さい。財源は後でいいです」と直言した。そのとおりなのだ。そして、この
政策論議
は、震災後すぐの3月下旬から始まっていたのである。先に大型復興債を発行するのか、財源(増税)を確定してからにするのか、その論議は3月からありながら、ずっと決定が先送りされてきたのだ。時間を引き延ばせば、自動的に三陸の漁港は格差と集約に向かい、官僚が出す予算は少なくて済むようになる。官僚の狡猾な作戦。
4月以降、マスコミもわれわれも原発問題ばかりに関心が集中し、原発と放射能汚染を追いかけていた。政治は菅降ろしに夢中になり、東北沿岸(宮城・岩手)の状況と復興政策について、ほとんど国民の前で本格議論する場面がなかった。NHKの日曜討論で「復興」が話題にされるときは、常に財源問題へと司会が流れ、筋違いの子ども手当をどうするかばかりが延々と何週間も議論されるありさまで、復興予算の仕様と金額と時期について、積み上げの中身を政治家が論戦する局面は一度もなかった。三陸の漁港と水産業について、どう手を打つべきかの各党の具体論を聞いた記憶はない。そうでなければ、不毛な菅降ろしの政局騒動ばかりが議題にされ、国対の駆け引きばかり浮薄にやっていた。本来、昨夜(7/5)の報ステのような報道は、NHKが特集番組で放送するべき主題で、NHKが制作し撮影したとき、完成度の高いドキュメンタリーに仕上がり、視聴者に強い印象を残す映像作品になる。昔のNHKは、いつも地方の山間や漁村に生きる国民の側に立ち、特に第1次産業で働く人々に内在して番組を作っていた。それがNHKの特徴だった。小泉改革の旋風が吹き荒れた頃でも、その伝統的スタンスは変わってなかったと思う。現在のNHKは、民放よりも被災地に冷淡であり、東北の被災地の人々に寄り添っていない。それは、官僚(霞ヶ関)の論理に身を合わせたもので、官僚の放送局であるNHKは、官僚の政策意向に従って被災地を冷酷に切り捨てている。
第1次産業は潰してTPPの路線で固める、地方に配るカネは減らす、災害でも国は助けず「
新しい公共
」に任す、という政府官僚の大きな政策方針がある。現在の日本国家の憲法のようなものだ。松本龍の恫喝は、決して個人的なものではなく、霞ヶ関の意思を率直に伝えたものである。「知恵を出す」とは、官僚の言うことに逆らわず従うという意味であり、「知恵を出さない」とは、現在の政府対応では不満で、もっと制度を変えてくれとか、柔軟な配慮を考えてくれとか、予算を多く積んでくれと要求する態度の意味である。あの松本龍の命令口調を見ながら、官僚たちは大いに気分爽快だっただろう。官僚は、復興など最初からする気はないのだ。これを契機に東北の第1次産業を潰すことと、これを口実に消費税増税を断行することだけを狙っている。三陸の被災地の人々は、漁港が再開されず、水産業で生きる道が失われれば、東京など都会に働き口を探して出て行くしかない。そうなれば、政府に苦情や要求を言う口もなくなる。官僚は、じわじわと三陸を兵糧攻めにしているのであり、外資に身売りするか、東京に出て来て非正規で働くか、二つに一つを選べと言っているのだ。それが「復興」の名の基本政策であり、自民党も民主党も同じで、民主党では仙谷由人が音頭をとっている。平野達男は仙谷由人の人事であり、この
TPP担当
の官僚上がりに、菅降ろしに時間がかかっても、三陸の兵糧攻めをやらせる魂胆でいる。
松本龍の行動は偶然ではない。官僚の論理という裏に加えて、仙谷由人による菅降ろしの謀略という点からも説明することができる。松本龍は元社会党である。二人は政治家として同期で、1990年の衆院選から当選を続け、1996年に揃って民主党に鞍替えした共通の過去を持つ。個人的な関係は不明だが、6月に松本龍が閣内で急に菅降ろしを言い出したときは、松本龍に何か異変が起きた感じはした。あるいは、この男の本性が出た印象を受けた。政治家の本心というのは窺いようもないし、松本龍の言葉を聞いても、市民常識から甚だしく乖離した狂気と倒錯があり、とても尋常な理解が及ぶところではない。だが、結果的に、週末の騒動は今週の菅降ろし再燃の政局に導いた。両院議員総会での菅直人の「解散」の脅しで怯んでいた党内が、俄に形勢逆転となり、またぞろ菅降ろしの政局に回帰したことは間違いない。今日(7/6)の朝ズバでは、用済みになっていた政局屋の田崎史郎が、テレビの出番を得て嬉しそうに顔を綻ばせていた。現在、官房機密費の金庫の鍵を握っているのは、立場的には枝野幸男だが、実質的には枝野幸男の上司である仙谷由人だろう。菅直人ではない。官房機密費は仙谷由人の財布であり、昨年同様、好きなだけ政局工作に使うことができる環境にある。政治には常に思惑がある。権力闘争があり、汚いカネの受け渡しがある。そうでも考えないかぎり、7/3の盛岡と仙台での乱行は意味を整理できないものだ。
昨夜(7/5)、竹山隆範のラジオ放送の
音声
を聞きながら、丸山真男が言った二つの言葉を思い出した。一つは、最晩年の「今の日本に政治と呼べる政治がありますか」という一喝であり、もう一つは、1947年の論文『科学としての政治学』の中の言葉である。後者の方は、前に記事で紹介したことがあると思うが、「政治」のないところに「政治学」は成立しないという議論で、日本の戦前には「政治学」が考察する「政治」はそもそもなかったという嘆きである。今の日本の政治の現実は、劣化とか堕落といった言葉を超えている。松本龍の辞任会見を見て、週末の悪行三昧の映像を見たとき以上に腹立たしい思いを持った者は多かっただろう。饐えて爛れて腐っていて、吐き気がして、精神衛生を著しく害する。あれが日本の政治家の水準であり、ほぼ平均的な品質なのだ。松本龍が特別に異常で劣悪というわけではない。似たような範疇は何人も見てきた。麻生太郎がそうだった。石器時代に高度な物理学や化学は成立しないのだ。今の現実政治にワークするのは、メイクセンスなのは、竹山隆範の激越な罵倒と憤激である。松本龍の政治に対して、それを解説し批判する最も当を得た言説は、芸人の竹山隆範によって粗暴に提出されている。これがわれわれの真実であり、竹山隆範の言葉からしか出発できない。従来の放送世界のコードとプロトコルを逸脱した野蛮な言語系でしか、政治をリアルに捕捉することができないのだ。冷静でない竹山隆範が、実は最も理性的であり、政治学として正論なのである。
どれだけの深刻な劣化であり、堕落の惨状かを考えなくてはいけない。われわれは倒錯した世界に住んでいる。松本龍の言動を見て、それに逆上せず、憤慨せず、傷つかず、平然と見過ごす人間の方が、飼い馴らされて政治の毒に脳を犯されているのだ。残念なことに、ネットの状況を観察しても、竹山隆範のような直截な反発は圧倒的ではなく、異常を異常と認めようとせず、逆に松本龍を擁護する声が多かったりする奇観がある。出迎えなかった村井嘉浩に問題があるとか、松本龍の方が正論だとか、感情的に反発するのはよくないとか、そういう愚論を平気で言い放つ者がいる。そうした者たちには、毒に親しんだ歪んだ観念と習性があり、自己正当化する脱構築的な理屈がある。松本龍も精神が異常なのだけれど、同じように大衆レベルで精神の錯乱があり、異常を正常と見るのである。つまり、松本龍の立場になったとき、松本龍のように振る舞う人間が多くいるということであり、日常世界で同じ行動をしているということであり、自分自身が松本龍だったり、周辺にいる松本龍を当然視して見過ごしているということだ。実際のところ、民間企業の世界では、社長が支店へ赴いた際はこうした光景が日常なのだろう。パイが細る中で、処遇の差が開く中で、小社会の人と人の間の権力関係が前近代的に露骨化しているに違いない。少なくない日本人が、政府の大臣と県の知事との関係は、会社の社長と支店長のそれと同じだと考え、憲法や地方自治の原理的前提は無意味な空理だと思っているのだ。松本龍を本音の政治家だと持ち上げる傾向がある。
没理念と脱倫理の毒が刷り込まれ、異常を異常と感じないのだ。
by
thessalonike5
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2011-07-06 23:30
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