いくら何でもあんまりだ。先週の閣僚人事で江田五月法相が環境相を兼務したことである。政権は松本龍前復興担当相の放言辞任で文字通り末期的症状を呈しているが、この話もまた深刻だと思う。
菅直人首相が太陽光や風力など再生可能エネルギーの普及促進を叫びながら、その推進役を担うはずの環境省に専任大臣を置かないというのでは、まるでつじつまが合わない。いや、「政治主導」を掲げながら、実は大臣なんて兼務で十分、その程度の存在だと公言しているようなものではないか。
なぜ、こんなはめになったのか。閣僚の数は内閣法という法律で17人までと決まっているからだ。
それまでの20人から3人減ったのは99年1月、自民党と旧自由党の連立政権が発足した際、当時、自由党を率いていた小沢一郎民主党元代表が閣僚数の削減を強く主張したためだった。
一昨年秋、民主党政権ができた直後、私は政治主導を実現するために「もっと大臣の数を増やしたら」と別のコラムに書いた。あの頃なら、与党が参院でも過半数を持っていたから、やる気になればできたろう。
だが、小沢元代表への遠慮だったのか、手をつけなかった。今回、復興担当相を設けなくてはならなくなって、民主党は閣僚数を増やす法改正をあわてて言い出したが後の祭りで、野党は反対。玉突きの結果、枠からあぶれ行き場を失った環境相ポストを、首相と親しい江田氏が、およそ法務とは無関係なのに押しつけられたのが実相だ。
そう言えば政治主導の目玉だった「国家戦略局」構想もいつしか消えた。首相直属の戦略局が予算を編成し、国家ビジョンを策定するとマニフェストには明記していた。これこそ政権交代後、直ちに手がけるべきだったのに、これも鳩山由紀夫前内閣は先送りしてしまった。
発足当初の副総理で国家戦略担当だったのは菅首相だ。「戦略局に格上げすると菅さんに権限が集中するから、鳩山さんらが嫌がった。それが理由の一つ」と聞いた記憶がある。
「政権交代すれば財源はいくらでも出てくる」をはじめ、できそうもない話を約束した責任は大きいが、勝手な理由でできることも先送りしてきた罪はもっと大きい。「首相さえ代われば状況は変わる」と願望交じりの「ポスト菅政局」に走る前に民主党の皆さんは政権発足以来の日々を一度、自省してみたらどうか。(論説副委員長)
毎日新聞 2011年7月6日 東京夕刊
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