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[14079] (不定期更新)新ゲッターAlternative (旧題及び原作・新ゲッターロボ×マブラヴオルタ)
Name: mitsuki◆66f66a11 ID:1f7a972b
Date: 2011/07/05 23:51
【ご挨拶】
 誰ももう興味を失ったと思いますが、続きを投稿いたしました。
 あとは誤字修正を少々。微妙に時間が取れず、前のPCクラッシュダメージからも回復しきっておらず(主にプロットメモ的に)、久々に書いたものなので粗がかなりあるでしょう。
 それでもよろしければ、よろしくお願いいたします。
 他作品含めて感想返しが遅延しております。ご容赦を。

【閲覧前のご注意】

・処女作、練習用として書き始めたものです

・両作品の設定については、独自の解釈を優先しております

・クロスするために、設定自体を多々弄ることになります

・オリキャラ登場予定

・小説投稿サイト「小説家になろう」様にも同内容の物を投稿させていただいております。

以上のことを許容していただける方、どうぞご笑覧ください。

11/19 第一話及び第二話投稿
11/20 第二話修正
11/21 第三話投稿
11/22 第三話修正
11/23 第四話投稿
11/25 ネタ番外投稿。修正
11/27 第五話投稿。第一話修正
11/29 第五話修正
11/29 第六話投稿
11/30 第六話修正
12/2 第七話投稿
12/4 全体を微修正
12/4 第八話投稿
12/7 第九話投稿
12/10 第十話投稿
12/13 チラ裏より移動・第十一話投稿
12/14 第十二話投稿
12/15 第十三話投稿
12/17 第十四話投稿
12/19 第十五話投稿
12/22 第十六話投稿
12/25 順次全体微調整開始(九話以前のものに、行頭空白を入れる程度) 第十七話投稿
12/29 第十八話投稿
12/31 とりあえず改行等の統一終了
1/2 第十九話投稿。改題
1/4 第二十話IF版投稿
1/5 第二十話投稿
1/7 第二十一話投稿
1/9 第二十二話投稿
1/15 第二十三話投稿
1/20 第二十四話投稿
1/28 第二十五話投稿
2/4 第二十六話投稿
2/17 第二十七話投稿
3/13 第二十八話投稿
7/5 第二十九話投稿



[14079] 第一話
Name: mitsuki◆66f66a11 ID:1f7a972b
Date: 2009/12/25 00:19
 Beings of the
 Extra
 Terrestrial origin which is
 Adversary of human race 

 BETA。

 その存在を火星にて人類の探査衛星ヴァイキング1号が発見したのが1958年。

 彼等が月、そして地球へと侵攻してくるまで15年。

 さらに25年後。
 安全な後方国家だった日本さえも危機に直面し、固めた守りを僅か1週間で崩され、3600万人の人命が失われた。

 以後、地獄と化した日本。迫り来る破滅の足音に震えつつ、人類は絶望の夜の中にいた。


 2001年2月14日 新潟県難民キャンプ 正午過ぎ


 銃床が肉を打つ乾いた音が、BETAによって一度食い尽くされた赤茶けた大地に響いた。
 やせこけた子供が、まるで自分が殴打されたかのように怯え、母親にしがみつく。
 子供を抱き返す母親も、頬がこけて僅かなボロを身にまとう姿だ。

「……なぁ、こんなに頼んでも駄目なのか? そりゃ元々ハイキューってやつなんだろ?」

 殴られた当の本人――ざんばらな黒髪の青年は口元を拭いながら、ゆっくりと体を起こした。
 ぼろぼろのジーパンと、中の綿が飛び出た袖無しのジャンバー。これでも難民区の人間の中ではマシな格好だ。

「わかんねぇやつだな。こいつは日本帝国臣民の税金なんだよ、税金。
お前らお情けで居させて貰ってる難民が、このクソ寒い中ん運んでできてやった俺達に相応の礼を示すのは当たり前だろ?」

「そーそー。俺達の言葉は将軍サマのお言葉ってね」

 青年を取り囲む兵士達は、歯を剥き出しにして笑った。
 れっきとした日本帝国本土防衛軍の正規兵だが、服装以外からはそれは伺えないほど粗野。
 その背後には、トレーラーが一両。荷台からは食糧の詰まった袋が覗いている。
 飢餓状態にある難民キャンプにとっては、命綱の物資。
 しかしそれを受け取るためには、某かの代価……金目のモノ兵士達に差し出すのが通例であった。

 それに新参の青年が異を唱え――というより文句をつけて、殴られたのだ。

「ま、まってください。その人、ナガレさんはれっきとした日本人です。乱暴、やめてください」

 寒さと恐怖に身を震わせながら、年嵩の男が進み出て、いまだ殴りつけた銃を構えたままの男の袖に縋ろうとした。
 日本語ができる数少ない難民であり、自然とキャンプの代表者のようになっているモンゴル人だ。

「汚ねぇ手で触るな! こんな掃き溜めに流れてくる日本人の面汚しの事なんぞ知ったことか!」
「こういう奴にはたっぷり、人の道って奴を教育しねぇとな」

 哀訴は乱暴に振りほどかれ、男は不安気に見守る群衆の中に突き戻された。
 何人かの難民は、その目に怒りの火種を灯すが、黒光りする銃剣をちらつかされれば黙り込むしかない。
 兵隊達は時計や貴金属類など、難民らのなけなしの財産を探し出そうと軍靴を踏み出しかけ――

「へっ、腐れ兵隊が人の道を説くとは、世も末だぜ」

 その時、青年が露骨な呆れ声とともに言い放った。
 兵隊らの動きが一瞬だけ止まり、一斉に再び彼を囲む。

「……やっちまえ」

 リーダー格の兵隊が、呆れと嘲りの混じった指示を出した。
 一人の兵が、青年の後頭部を今度こそ容赦なく打ち据えようと小銃を振り上げ、両腕の筋肉を浮き上がらせ降ろした刹那。

「――ぎゃあああああ!?」

 鈍い音。悲鳴。
 暴力を振るおうとした兵士が、より強大な暴力の風に吹き飛ばされた。
 そう確認できたのは何人いただろうか。
 銃を保持していた手に、青年の拳がめり込んでいた。
 鍛えていない一般人なら、骨折は確実だっただろう。

「おおりゃあぁ!」

 痛みと衝撃でその兵士がのけぞり、倒れるより早く。
 青年の靴底が飛び、別の兵士の膝にぶちこまれた。
 関節に対して垂直に叩き込まれる蹴りは、衝撃の逃げ場がなく高確率でそこを破壊する。
 格闘技の大会でやれば、一発で反則負けの荒業だ。

「てめぇ!?」

 自分が合図を出してから数秒、その間に手下二人が激痛で転がる様を見せ付けられた兵士は、青年に銃口を向ける。
 先には、銃剣がつけられており人一人容易く刺し殺せる。
 それを腰だめにして突っ込んでいった。

 二人の影が重なり、動きが止まる。

 惨劇を予感して、幼子の目を枯れ木のような指で覆い、自分も目をつぶる群集。

 一滴、二滴と不毛の大地に赤い液体が落ち、あっという間に吸い込まれていく。

「さ、最初から言うことをきかねぇからこうい……!?」

 兵士の顔が上げられた。そこに浮かんでいたのは、思わぬ悪事をやったことを自覚した子供のような怯え。
 不思議なことに、横暴に振舞っていた兵士達が難民よりも顔を青くしている。
 それでも強がりか、嘲るような言葉を搾り出そうとしていた。

 が、それは顔を上げた青年によって中断させられる。

 ヒッっと誰かが喉を鳴らす。
 青年――流竜馬の容貌は、野獣のようにつりあがった目を爛々と輝かせ、白い歯を剥き出しにした凶相。
 そこだけを取り出してみれば、誰がどう見ても竜馬のほうが悪人としか思えないだろう。

「てめぇから刺しに来ておいて、ビビってんじゃねぇよ腐れ兵隊が」

 銃剣は腹の手前で、太い五指に包まれ止められていた。当然、切り裂かれた指からは血が流れ続け、痛みも尋常ではないはずだ。
 が、竜馬はそれどころかさらに一歩、踏み込んだ。

「威張り腐るくせに、いざとなりゃ度胸無しが……てめぇみてぇなのが、一番ムカつくんだよ!」

 竜馬の膝が飛ぶ。銃身がかち上げられ、宙に舞った。
 その勢いを殺さないまま足がまっすぐに伸び、兵隊の顎を捉えた。
 砂塵を巻き上げ、吹っ飛ぶ。

「ひ、ひやあああぁ!?」

 兵隊達は一斉に後ずさりした。
 ついで、背を向けて遁走する。
 倒れた仲間達を見捨てず、抱え上げて一緒に逃げる辺りは、まだ最低限の理性は残していたようで。

「おとといきやがれ!」

 その背中に、血まみれの拳を握り締めて怒鳴りつける青年を見て、難民達は初めて乱暴な兵士達に同情した。
 いくら銃を持ち、数で勝っていてもあんな野獣のような相手と喧嘩したくはない。


 2001年2月14日 新潟県難民キャンプ バラック小屋 午後2時


 「おい、ジジイ! 飯の配給だぜ」

「父さんならまた地下よ」

 小脇に合成食糧の袋を抱えて、勢いよく粗末な扉を開け放った竜馬を出迎えたのは、冷たい女性の声だった。
 椅子に座り、目の前の10歳ぐらいの子供(これも外国人の難民で、褐色の肌に肋骨が浮き出た腹を見せていた)に聴診器を当てている。

「まったく。あたしは医者じゃないってのに」

 ぶつぶついいながらも、薬らしきものを持たせて子供を送りだした後に、小声で毒づいた。
 胸元に揺れる十字架のアクセサリー以外、化粧っ気もない。

 女、早乙女ミチルが無愛想なのはいつものことなので、その横をすり抜けて、バラックに不釣り合いな床の鉄扉の脇にしゃがみこむ。
 先程切った指の傷は、既に塞がりかけていた。
 人間離れした回復力だが、本人はそれを自覚していない。

 先程は、「流れて」といわれたが、実は竜馬達は難民キャンプが出来る前からここにいた。
 備蓄した食糧も尽き、先日から配給のおこぼれを貰っているのだから、難民と同一視されても当然だが。
 幸い医薬品には余裕があったため、根はお人よしのミチルが医者の真似事をする羽目になっている。

 日本帝国の支援で行われていた「ある研究」のための研究所員。
 それが、彼等の社会的な肩書きだったが、研究が成果を出せないと中止され、研究所から追い出されて数ヶ月。
 リーダーだった早乙女博士はここへ引っ込み、研究員は多くが去った。
 残っているのは彼の娘と、竜馬の3人だけだ。
 正確にはもう一人、早乙女博士の長男でミチルの兄、早乙女達人がいたのだが、
 「研究の支援者が見つかるかもしれない」と言い残して一ヶ月ほど前に出て行ったきり、音信不通だ。

 その後、研究所は「D計画」なる某財閥の絡んだ新研究の拠点として接収されたと風の噂で聞いたが、竜馬にはもう興味のないことだった。

「ジジイ、飯だぞ! くたばっていないのなら、とっとと上がってきやがれ!」

 鉄扉を軽々と引き上げながら、行き止まりがまったく見えない地下へ続く階段へ、野太い声が投げ込まれた。

 暗い闇の底で、僅かに緑の光が瞬いた。覗き込んだ竜馬さえ錯覚、と思い込んで忘れるほど、小さく。



[14079] 第二話
Name: mitsuki◆66f66a11 ID:1f7a972b
Date: 2009/12/25 00:27
 Manned Maneuvering Unit。略称、MMU。
 船外活動ユニット。

 本来は宇宙空間という生物を拒む過酷な環境を、人類がその手で掌握するために作られたもの。
 いまだ人類がBETAの脅威も知らず、宇宙をフロンティアそして国際競争のレース場と捉えていた時代の要請によりそれは大型化を促された。

 これが現在の人類の刃であり盾たる戦術機の原型だ。
 BETAとの初交戦となった、月防衛戦の惨状を確認したアメリカが総力を結集して大型MMUを元に戦闘用の人型兵器を開発。
 F-4ファントムとして1974年に生まれたそれが人類の延命に多大な貢献をしたことは、この世界では周知の事実。
 その系譜を端的に示すのが、大型MMU時代に開発採用された65式多目的切削刀がいまだ名称を変えて使用されていることだろう。
 (日本名65式近接戦用短刀。アメリカ名CIWS-1)

 この話はあまりにも有名であるが。その陰で宇宙開発用機体の競争に敗れあるいは打ち捨てられていった数多くの不採用機体の事は、技術史の歴史学者でもない限り知ろうともしない話。

 そんな不採用機体の山の中にその名があった。


 Getter Robo。


 開発主任の名を早乙女といった。



 ――佐渡島ハイヴのBETA、活性化の兆しあり。

 米軍の偵察衛星が探知し、国連宇宙総軍経由の最重要情報として伝えられた一報。
 それは、日本帝国軍・本土防衛軍総司令部を恐慌に追い込んだ。

「十分な戦力がない……だと!?」

 市ヶ谷の国防省大会議室。
 胸に誇らしげに略綬をつけた将官佐官達の顔は一様に険しい。

「馬鹿な、甲21号に対しては3重の防衛線を引き一線あたり2個ないし3個師団が張り付いているはずだ! 
それで足りないはずあるまい!」

「タイミングが悪かったのです」

 階級では四つ上の中将に怒鳴りつけられ、手にした書類を取り落としかけながらも報告者は震える声で続きを口にする。

「頭数の上では閣下のおっしゃる通りです。
しかし、主力となる戦術機隊及び機甲部隊は装備改良及び更新のため整備中であります。
本来なら戦力の穴がないようにローテーションを組んで進めていたのですが……」

「例の94式の失敗の煽りか」

 先を読み参謀の一人が唸った。

 帝国軍は期待の新鋭である94式戦術機・不知火を採用した。
 これは当時一流の性能と実用性を兼ね備え、何より世界初の実戦第3世代機として国威発揚にも貢献するという名機だった。
 しかし光が濃ければ影も濃くなるようにその「力」は発展性を極限までそぎ落とすことで実現された。
 開発期間の短さ(手本にしたアメリカ製第2世代機、F-15の導入からたった5年ほどだ)、要求性能の高さを考えれば不知火を製作した企業に感謝しこそすれ文句を言う筋合いはない。

 だが一面でしか物事を見れないどこぞの困り者が次期主力戦術機計画(1998年度版)に「不知火の改良をもって戦力の充足を図る」の一文を入れた事から狂いだした。

 案の定不知火の改良は失敗。少なくとも全軍の採用機として運用できる機体はできず。
 ついにはアメリカに泣きついて打開策を探る始末。
 その上「なぜか」小改良さえも一切合財却下されるという不可解なおまけ付だ。

 運用に問題はないと兵器局は言い張るが、僅かな差が生死を分ける前線でそんな融通の効かない機体に乗りたがる衛士は少数派だ。
 皮肉にも改良要望にそこまで神経質ではない後方配置の帝都守備連隊や富士教導団は大歓迎し、そちらの充足は予想外の速度で進んでいる……。
 また将来陳腐化することが目に見えている不知火をそれまでのように生産し続けるのも、限られた資源と財源を考えれば二の足を踏まざるを得ない。

 次期計画を策定した者は本来なら首が飛んでもおかしくない失態だが、さる名家の縁者ということで勇退でお茶を濁されたともっぱらの噂。

 結果、主力は既存の1977年採用の第1世代機・撃震を改良することで何とか凌いでいた。当然不知火が本来埋めるはずだった分も、だ。

「何とか戻せ! こうなったら民需輸送を一部止めるのもやむをえん」

「無理ならば増援を送るしかないだろう。名古屋の第3師団が再編終了のはずだ」

 1998年のBETAによる本土侵攻の惨状を体験した軍にはその脅威を軽んじる無能はいない。
 少なくとも本土を預かるこの会議の場には。
 だが列席者が座の序列すら無視して口にするそれらの提案も次々と実現は困難、と弾き出される。

「問題は改修中機体をなんとか形にするまでの時間と距離です」

 兵站参謀が、一際青白い顔を浮かべて立ち上がる。
 BETAの本土侵攻を見越して生産拠点の多くを海外移転した。これ自体は日本の現状を見れば大英断であることは疑いないが、短期的にみればまた別の問題を生じる。
 撃震の改修のためのパーツも海を渡っての輸送というクッションをおかざるを得ず、結果更新予定の部隊は太平洋側の港湾工業地帯まで下がり、そこで作業しなければならない。
 戦術機は短期間なら航空機並の飛行が可能であるから、予定通りならそれが一番効率的だったのだ。

 戦術機に比べて生産優先順位を落とされ、今回でようやく74式から90式戦車に改変した戦車部隊は鉄道あるいは自走による移動に頼るしかないため絶望的。

「どう急がせても数日中となると撃震一個連隊強を復帰させるのが限界です。
途中補給ポイントを設けて連続匍匐飛行させて戻しても、実戦対処できる機体でなければ無意味ですから」

「最悪の事態に備えて留守番させておいた現地残留部隊と含めても、戦術機はたった4連隊か」

 中将が口元の白髭を震わせた。通常の侵攻なら十分阻止できる。
 だがあの日本という国が大波の前の砂の城のように崩れていった1998年大侵攻を思い出せば、せめてあと一個連隊は欲しい。
 現戦力ではBETAが予想外の進路をとった時などに対処できる、いわゆる予備兵力が決定的に不足する。

 帝都守備連隊? 駄目だ、最後の首都の守りを手薄にはできない。
 斯衛のみに帝都を任せるのは、政治的理由からも無理だ――愚かしいことだが軍と斯衛は協調しつつも、予算や注文企業を奪い合うライバル関係でもある。攻撃される材料は作れない。
 富士教導団? 彼らは兵員教育や実験開発の任務も兼任している。それらの方面にも悪影響を及ぼしかねない。
 この二つは最悪の事態が顕在化しない限り、動かせない。
 他地方から引き抜く? それこそ論外だ。伊達や酔狂で部隊配置を決めているわけではない。
 限られた戦力で大陸からのBETAの侵攻にも備えなければならないのだ。

「国連軍は例の『計画』絡みで手一杯でしょう。
斯衛は……戦力はともかく前線の実情とは縁遠い者達ですから現地軍との軋轢が」

「先程の戦力とてBETAがこちらの集結を待ってくれれば、の話だ。
こうなったら斯衛に頭を下げるしかあるまい」

 BETAに人類の常識など、まして都合など通じない。

 これが米軍の取り越し苦労であってくれたのならば。
 神頼みにも似た思いを口の中で転がし、最上位である中将は出席者に反対が居ないことを確認して斯衛軍へのホットラインに手を伸ばした。
 総勢三個連隊を誇る斯衛なら一個連隊ぐらいは出してくれよう。

 BETAの新潟上陸はこの会議の僅か4日後、2月15日未明。人類の願望を裏切る、幾万回目かの大規模侵攻だった。



「ぶほっ!?」

 バラックが突如激しい震動に襲われた。
 既に汚れたガラスから見える夕陽が傾きかけた頃、遅すぎる昼食をとっていた竜馬は口にしていたモノを噴き出しかける。
 味の悪い合成食糧、それも難民向けの栄養第一のそれは根性入れて飲み込まないと戻しかねないほど酷い味だ。
 そこへ急な衝撃、ぶちまけるのだけは防いだ竜馬の目が一気に険しさを増す。

「何?」

 掌で自分の皿を守り、天井から落ちてくる埃から自分の食べかけをガードしたミチルが首を傾げた。
 ちなみに彼女の父親は食事をさっさと済ませて穴熊よろしくまた地下へと戻っていった。
 とりあえず健康そうなので放っておいている。

「なんだってんだ!?」

 口元を拭いつつ、竜馬は獣のような俊敏さでバラックから飛び出す。
 地震、BETAの侵攻。いずれにしても貧相な難民キャンプには致命傷だ。
 だが幸い揺れはすぐに収まった。

『……騒がせて申し訳ない。こちらは日本帝国・斯衛軍第2大隊である。諸君らに危害を加えるつもりはない』

 この揺れで慌てて、あるいは不安気に外に顔を見せた難民達の視線が一斉に声の方向へ集中した。
 竜馬も振り返れば視線は自然と見上げる形に。
 なにしろ相手は約18mもある鋼鉄の巨人――戦術機だったのだ。

「あら珍しい。斯衛軍の00式じゃない。それも黄色、か。どこのお嬢様がいらっしゃったのやら」

 いつの間にか竜馬と並んでいたミチルが白衣を揺らしながら目を細めた。

 キャンプから数百メートルの地点に位置した武御雷は一機だけではない。
 同時に着陸したと思われる、白または黒の同型と思しき機体を従えている。
 これだけの数の戦術機が一斉に着地して震動があの程度なら乗っている者達の腕はまず一流といっていいだろう。

「ちっ」

 初めてみる勇壮な戦術機に、様々な肌の色をした子供達がはしゃぎあるいは怯えた様子見せる中。
 つまらなそうに舌打ちした竜馬は一人背を向けてバラックに戻る。
 まずい飯を胃に詰め込む作業が待っているのだ。



「まずは先日のお詫びを申し上げる。
日本帝国軍軍人としてあるまじき、士道に背く愚か者を野放しにしたこと、
またその者達が、恐れ多くも殿下の御名まで汚す言動があったとか」

 粗末な電灯一つの下、鮮やかな黄色を基調とした斯衛軍軍装に身を包んだ女性が頭を下げた。
 その先にいた二人の男性、一人は一瞬硬直した後に「そんな、どうか頭を上げてください」と大慌て。
 もう一人は彼女の丁寧な態度に全身がかゆくなり、しきりに貧乏揺すりをはじめていた。
 前者が昼間の騒動の際、竜馬を庇いにでたモンゴル人・ジャブザン。
 後者は騒動の当事者である流竜馬だった。

 本来なら代表者として呼ばれたジャブザンだけでも事足りたのだが。
 軍の横暴に頭を痛めてきた彼から、用心棒代わりとして同席するよう頼まれのだ。

 しかしいざ対面してみれば危険どころか、斯衛のその衛士――本多松子、と名乗った――が難民と無頼漢に頭を下げ続けるという珍しい光景が展開されるばかりだった。

 殿下、とは昼間兵士達が口にした『将軍サマ』のことだ。
 正式には政威大将軍という。
 日本の最高権威、帝から一切の大権を預かるこの国の最高指導者。
 その名前ぐらいは竜馬でも知っていた。

「難民支援任務は日本帝国が、殿下の御裁可により国連及び貴君らの母国政府からの委託を受けて行う人道事業。
これを汚したものは謀反も同然。かの者達には必ずしかるべき罰を与えますので、どうかご寛恕願いたい」

 祖国を失った男の苦労の皺が刻み込んだ目元が潤んだ。

「本国を失い、外国にすがり形だけ残る我らの政府を国連と並べてくださるとは……」

 が、そんな機微など欠片ほども感じられない竜馬のほうは全身を掻き毟りたい衝動を抑えるのが精一杯だった。

「で、罰ってあいつらをどうするんだよ?」

 苦し紛れに特に深く考えたわけではない質問を飛ばした。
 が、濡れ羽色の黒髪を揺らしながらようやく顔を上げた彼女の答えを聞いて、その太い眉が跳ね上がる。

「当座の処置として懲罰部隊として前線に配置することを決定した。
御国のため、身をもって恥を雪ぐ機会を与えられて彼等もようやく日本人としての自覚を取り戻すことだろう」



 人が住みやすい場所は限られる。
 一個大隊規模の軍隊が野戦基地を展開するのに適した地形となると、さらに絞り込まれる。
 難民キャンプにわざわざ斯衛軍がやってきて憲兵まがいの真似までして見せた理由は。
 その付近こそが軍事的要地になるからに他ならない。
 光線級に対しての盾になる山々に抱かれた形の平野。
 非合法な居住者なら追い出せただろうが、ここは国連との協定により公に認められた場所である。
 (新潟が最前線になった今、本土防衛戦以前の取り決めを律儀に守るお役所体質には各所から批判が飛んでいた。が、実際問題として多数の日本自身の国民さえ難民化している今、波風立てず移送できる土地など無かった)

 話し合いが終わってみればすっかり感激した難民キャンプ側。軍がすぐ傍に「支援設備」を設置するのを快く認めていた。
 軍が迷惑をかける代わりの食糧優先配給の約束、そして誠意ある態度。最悪の事態が迫れば避難させてくれるという確約。
 拒む理由が無いのも確かだし、どうせ逃げても生活できるあてもないのなら軍が守ってくれることが期待できるからマシというのは妥当な判断だった。



 流竜馬は荒々しい足取りでまともに雑草さえ生えなくなった、乾ききった大地を歩いていた。
 背後からは難民キャンプに似つかわしくない歓声がこだましてくる。
 キャンプを挙げて斯衛軍を歓待しているのだ。
 絵に描いたような礼儀正しい軍人さん達であるから、難民らの警戒感が解けるのも早かった。

「のんきなもんだぜ」

 ざんばら頭を振りながら毒づいた。
 軍がわざわざこんな真似をするということは、それだけ前線がまずいってことね――とは、事情を聞いたミチルの弁だ。

「ま、追い立てられないだけマシってやつか」

 竜馬は父から受け継いだ唯一の財産である東京(当時は京都が首都だった)の道場と土地を軍に接収された。
 おんぼろ道場だが借金取りに来るヤクザと景気よく喧嘩しつつ、また出稼ぎや不法入国の難民の外国人達とそれなりに楽しくやりながら守ってきた我が家だ。
 ……世間的にはいろいろと間違っているが、彼にとっての日常とはそういうものだった。
 そこは、だが竜馬が研究所に『就職』していた間に一枚の命令書で分捕られたのだ。
 BETAの東京侵攻が未発に終わっても土地は帰ってこない。
 道場にいたっては早々に潰され弾薬置き場にされた。

 いまだに早乙女博士のお守をしているのも帰る所が無いという理由が一つ。
 愛想笑いと、済ました顔でそれを受け取る中にいる気には到底なれなかった。

「……こっちもこっちで大騒ぎかよ」

 足の向くまま進んでいくと記憶に無いテント群がある。
 筋骨逞しい男達が酒をかっくらい、博打に興じあるいは何か喚きあって馬鹿笑いしている光景が、照明の下映し出された。
 いかにも柄が悪い末端兵士達といった様子。
 とてもあの斯衛と同じ国の軍隊とは思えなかった。
 恐らく懲罰隊かそれに近い兵士だろう。
 この時代。戦地に赴く者達には総じて寛容だ。
 出陣前の無礼講だけは、軍刑務所から死地へ直行の最低最悪の囚人部隊にさえ許される習慣がある。

 竜馬は踵を返そうとした。
 行き場所は次々と埋まっていくらしい、と自嘲の笑みを浮かべた途端。

 喧騒のほうから影が一つ、寄って来る。ふらふらと覚束ない千鳥足で竜馬にいきなり抱きついてきた。

「何しやがるこの野郎!?」

 払いのけた途端、不快な吐瀉物が抱きついてきた兵士の口からあふれ出した。
 足で押しのけ辛うじて服を汚されるのだけは回避する。

「ったく。馬鹿飲みするからだ……って、おめぇは昼間の?」

 口元の汚れを拭きもせず青白い顔を向けた兵士の顔に、竜馬の眉根が跳ね上がる。
 竜馬を刺し殺しかけた男は、しかしアルコールのためかどこか箍の外れた笑いを浮かべた。

「へ、へへ……あんたかぁ。オレらはぁ、懲罰部隊に入れられたんだよ」

「自業自得だろうが」

 あの女衛士もそんなことをいっていた。
 昼間殺し合い手前までいった相手にかける情けなど竜馬は持ち合わせていなかった。そのはずだった。

「ああ、そうだよぉ。オレらは、馬鹿みたいに飲んで、馬鹿ばっかりやって、馬鹿みたいに騒いで……でも最後にゃあの化け物どもに食われて終わりさぁ」

「……」

「ど、どうせ明日になりゃあ、オレ達は真っ先に化け物に突っ込まされて……あんな真似しなくたって、下っ端の歩兵なんぞどの道使い捨てよぉ」

 再び伏した男の背中が小刻みに震え、やがて低い嗚咽が忍び出る。
 見えなくなった面。
 それが昼間一瞬だけ見せた、子供のような怯えた顔と同じであることを竜馬は不思議と疑えなかった。

 立ち尽くす竜馬の周囲で。空元気だけで構成された男らの歓声がシャボン玉のように弾けては消えた。



 翌朝、空が白み始めるほんの数分前。
 佐渡島付近を警戒していた日本帝国海軍第53機動艦隊は、突如として佐渡島より発されたレーザーにより全滅した。
 人間に酷似した形状の二本足で凹凸ある巨大な肉塊を支え、その一つ目の眼光で人類より空を奪ったBETA。
 重光線級・マグヌス ルクスの照射を受けたのだ。
 約100km以上の射程を誇り、音速で飛来する砲弾さえ撃ち落す悪夢のような存在。
 機動艦隊は名こそ勇ましいが実態は一線使用に耐えられない小艦艇の寄せ集め。
 彼らの役目はやられることで敵の出現を味方に知らしめること。
 航空偵察を封じられ、偵察衛星も決まった周回時間帯しか用を為さない人類に出来る数少ない非情の警戒網だった。



 難民キャンプ傍の臨時基地。昇り始めた朝日が冷気を切り裂く中。
 『敵侵攻』の報を受けた斯衛大隊は既に出撃準備を完了し、複合装甲に傷一つ無い武御雷の威容を惜しげもなく晒している。

「よいか! 中型以上のBETAは我ら斯衛が引き受ける! 貴様らは、小型種を一匹たりとも通すな!
殿下の御為、御国の為。そして悠久なる大義の為にその命を惜しむな、名こそ惜しめ!」

 副官が今回臨時に指揮下に入った陸軍本土防衛軍の歩兵中隊(一部懲罰部隊)を前に訓示するのを聞きながら、本多松子は高揚していた。

 遡れば将軍家の譜代たる本多一族の源流にまで達する名家に生まれ、物心つく時から武家としての誇りとそれに相応しい技能を教え込まれてきた。
 それを辛い、と思ったこともあったし同じ武家の子弟ではそんな教育に耐えられず道を踏み外すものも珍しくない――まずそんな不祥事は表沙汰にはされないが。
 しかし自分は、晴れて斯衛となった。
 その上、20代で大隊指揮官!
 五摂家(日本最高の権力者である将軍に就任できる特別な名家)縁者ならともかく、黄の家としては破格の出世。
 次は出世に相応しい力量を示すのだ。
 最近、軍部の主導で露骨に将軍権限への介入が行われていること、斯衛に黒(最下級の武家ですらない庶民出)が増えているのが気に入らないが。
 日本が勝てば正しい身分秩序のあり方、その象徴たる斯衛も往時の姿を取り戻すだろう……。

「大隊長殿」

 見た目こそしかめっ面をした指揮官らしい不動の姿勢だったが。
 副官の訓示に言われた兵士達以上に煽られていた気分に水を差したのは、顔を引きつらせた伝令だった。
 斯衛ではなく後続してきた交通整理や治安維持を担当する本職の憲兵兵士。
 不快感を露わにしたのも一瞬、すぐに平静を装い報告を促した。

 耳打ちを聞き終えた瞬間熱い気分の昂ぶりは去り、絶句するしかなかった。

「流竜馬なる男が最前線へバイクで向かっています」



[14079] 第三話
Name: mitsuki◆66f66a11 ID:1f7a972b
Date: 2010/01/06 00:11
「……これより我が隊は、旧加茂市に進出。到着後、即時展開し諸隊と連携しつつBETA撃滅にあたる」

 歩兵第9連隊(本拠地・元は京都)第8大隊駐屯地に木霊する大隊長の訓示は短い。
 佐渡島ハイヴと対峙する第16師団に所属し、何度も出撃してきた部隊だ。
 出撃の度に戻ってくる人員を減らしつつも戦線を維持している。

 基地の片隅に立つ幾柱もの墓標。
 るのは命そして遺骨遺品を送る宛先さえ不明な、故郷を喪失した者達。
 朝の光を受けてひっそりと落ちる柱の影が増えるたび、饒舌な気鋭の新任少佐だった大隊長の口数は少なくなっていった。

 動力と装備付の甲冑といえる歩兵強化装甲に身を包んだ機械化歩兵ですらない、ただの歩兵部隊。
 ヘルメットと小銃、気休め程度の支援火器でBETAと直接対面しつつ殺し合うもっとも死ぬ確率の高い兵科。
 だがレーダーやセンサーにさえ群れでもなければひっかからないような小型種でも、後方や民間区域に出現されれば多大な被害がでる。
 ハイテクでもカバーできない隙間をその命をもって埋める歩兵を廃止できる国は今のところ、ない。

 居並ぶ兵士らの顔つきはほとんどが青白い。
 それでも直立不動で指揮官の短い言葉を受け止める男達。

 我らが戦わなければ、他の誰かがあの化け物に襲われる事になる。
 そう思い定め泣こうが喚こうが食い殺されかけようが、引き金を引き続ける覚悟を決めた兵(つわもの)達。

 ……しかしどんな所にも例外はいるもので。

「くー、すかー」

 大隊長が進発を命じようとした刹那。列の中央あたりから流れ出した珍妙な響き。
 誤解しようもない、いびき。人間が眠るときにでるアレ。
 その発生源へと一斉に視線が向けられた。
 ある者は呆れたように眉根を寄せ、ある者は口元を引きつらせて笑い出す衝動と戦い始める。
 一番多いのは「こいつは病気だ」といいたげな、どんよりした目だ。

「武蔵坊弁慶一等兵!」

 軍曹の階級章をつけた、小隊先任下士官がかけより。
 勇ましい名前とは裏腹に、鼻提灯さえ作って緊張感ゼロで立ち眠している一等兵の頬げたに鉄拳をぶち込んだ。
 だが『兵士にとっては鬼より恐い』古参軍曹の一撃を貰っても、ぴったり閉じられたまぶたは開かない。

「起きろ! 起きんかぁ!」

 全力でぶん殴ること、計3発。
 んが、という気の抜ける吐息とともに相撲取りのような体に乗った丸顔はようやく目を開いた。

「……ああ、おはようございます軍曹殿」

 叩かれた衝撃でずれたヘルメットの下から、丸坊主の頭覗かせながら武蔵坊弁慶は白い歯を見せた。
 太っちょの不細工な容貌だが、そうすると無邪気な子供じみた不思議な愛嬌があり。
 古参軍曹ががっくりと肩を落とすのを合図に、大隊は大爆笑に包まれた。

「き、貴様という奴はぁ! 今から出撃だぞ、出撃! BETAの腹の中でなら好きなだけ眠れ!」

「軍曹、そのへんで」

 なんなら今ここで永眠させてやろうか、と続ける軍曹の至極まっとうな衝動を苦笑交じりに大隊長が制した。

 この男、弁慶は部隊の名物男だ。
 娑婆(軍人が軍隊外の世界を指す)では手のつけられない暴れん坊だったが、とある僧侶に拾われ仏門に入った。
 が、その寺があった地は京都の一角。
 京都陥落後に行き場を無くした男は、2000年になって避難先の群馬県で徴兵された。
 その前後に某研究団体が彼の身辺を調査していた、という噂があったがあっさりと立ち消え。

 例の笑顔が不思議と女心をくすぐるのか、休暇の度に女と浮名を流すが長続きしたためしがない。
 (大抵浮気がばれ、ぶちのめされ追い出されて終わる)
 上官の前でも今見せたような居眠りをやってのける。
 その分胆力はあり、そして腕力も破格。
 欠点に目をつぶれば(つぶりきれる上官はまず存在しないが)、気のいい頼りになる兵士だ。

 戦友の墓への供養の読経も、武蔵が行っていた。

「今は時間が惜しい。総員、車両に分じょ……」

 だが大隊長の言葉は再び遮られた。
 弁慶は直立不動でもっともらしい面をしているので、今回に限っては無実。
 怪訝そうな視線を受けつつ、隊長の傍に走り寄ったのは基地所属の通信兵。

「……何、大東亜連合だと!?」

 通信されたばかりの文面を受け取り、一読した大隊長の眉が跳ね上がった。

『C-13難民キャンプに大東亜連合所属の輸送部隊到着予定
旧加茂市への大隊進出全力進出命令変更
一個中隊分派し、当該輸送部隊の誘導及び護衛に当たるべし』

 メモの下半分は具体的な輸送隊のスケジュール他所要事項。
 肝心な時に戦力を抽出させられる怒りと、国連ですらない他国勢力の急な出現への怪訝さに大隊長の視線が険しくなる。
 『早乙女達人』という輸送隊同行者の日本人名を見ても、意味が量れるはずもない。
 突然の事に大隊全員の視線が指揮官に集中する。

 一人だけ再び鼻提灯をつけた男はいたが。





 富嶽重工と共同で武御雷を造り上げた、中小ながら日本随一の技術会社と評判も高い遠田技研。
 そのバイク部門が生み出したXLR255は、ほとんど仕様変更せず軍用バイクとして使えるタフなタイプ。
 越後山脈を背景に海岸側に向けて疾走する一台はそのふれこみにたがわぬ安定感で、度重なるBETA侵食と砲弾落着の影響で乾ききった大地を乗り越えていく。

 本来それは自衛・実験用武器類とともに、早乙女研究所がまだ日本帝国公認の研究団体だった際に軍から貸与されたものだ。
 研究所廃止のごたごたで、書類から漏れたそれらの装備類をなしくずしに私物化している竜馬――そもそも軍装備は返却対象だということも知らない――は、影一つを供に荒野を疾駆する。
 ちなみに軍官僚がそんな失態を犯した原因は、研究所側にある。詳細は接収にあたった部隊関係者の名誉と尊厳のために伏せられた。

『な……な……が』

 ん、とバイクに跨る男が首を傾げた。太い黒眉の下の、釣り上がった目を左右に揺らすが。
 雑音混じりな声の元らしきものは見当たらない。

『流竜馬! 何をやっている!』

 視線を下へ。バイクの計器下にある無線機から、まだ雑音混じりながらはっきりとした女性の声が聞き取れた。

「おめぇは確か、凡田大佐とかいったな?」

『本多大尉だ! ……いや、そんなことはいい。それより貴様何をしている? そこは民間人立ち入り禁止だ、もうすぐBETAが上陸してくるのだぞ!』

 片手でハンドルを保持し、取り上げた無線機に声を吹き込んだ途端。
 数倍する声量が返って来て、竜馬は顔を顰める。
 首から下をすっぽりと埃だらけのマントで隠した体を、車輪から伝わる振動にあわせて揺らしつつ返答を吹き込んだ。

「でけぇ声だすんじゃねぇ! ちょっとその化け物を退治にな」

『貴様正気か? 一人、しかも生身で何ができる?』

 無線機が流す音のなかに、『無礼な』という怒声が混じった。
 譜代武家にして斯衛の大尉に対する口の聞き方としては最悪の部類だから、部下の反応は当然だろう。
 世が世なら即無礼討ちにあってもおかしくない事を言われた当人は、しかし呆れで怒りさえ湧いて来ない様子。

「歩兵突っ込ませて連中の数を減らそうってんのなら、オレ一人で十分」

『……貴様、もしやあの不心得者どもに同情しているのか?
いや、それならば日本人として見上げた義侠心であるが、それは勇気というより蛮勇だ。
BETAを甘くみている、奴らは不良兵士とはわけが――』

 無線の向こうの大尉は、竜馬の台詞に何か感じるものがあったのか。
 声色が柔らかくなり、誉めそやしさえして説得風に切り替わる。

 だが、説諭されている本人の眉は一語ごとに角度を険しくしていく。

「馬鹿野郎! 甘いのはてめえらじゃねえか! 
新潟で這いずり回っているほうはな、甘いも辛いも考えてる暇なんかねぇ!
いい格好できる坊ちゃま嬢ちゃまだからって大義だのなんだのゴチャゴチャうるせえんだよ!!」

 理屈どうこう以前に、大気を断ち切るような、野獣じみた吠え声が本多大尉の思考を停止させる。

「……いっておくがな、オレは別に奴らの代わりに犠牲になろうって考えているわけじゃねぇ」

 竜馬の双眸がギラついた光を帯びて釣り上がった。
 車輪が起伏に行き当たり、一瞬浮いて落ちる。
 マントの下から無線機が拾えないほど小さな金属の擦れる音が漏れた。

「BETA野郎どもをぶちのめしたいだけよ。
……てめぇらとどっちが多く狩れるか、楽しみだぜ」





「む、無線切られました」

 それでも斯衛軍支援を命じられた第16師団の通信兵は律儀に報告する。声が震えているのは隠せないが。

「……今、なんといった? 斯衛と奴一人が撃破数を競うという意味か?」

 白い斯衛用衛士装備に包まれたがっしりした肩をよろめかせながら大隊副官が周囲を見回した。
 斯衛部隊員は隊長以下唖然としている。他部隊の要員はとばっちりを避けて首をすくめる。

 説得役を頼むかもしれない、と呼んだ流竜馬の知人・早乙女ミチルにいたっては、あれが照れ隠しじゃなくて本音だからね、などとのたまうだけだ。

「ふ、ふざけるなぁ! 増上慢、傲慢、無知蒙昧、野蛮……ええい、いくら言ってもいい足りぬ!」

 戦術機36機、それも斯衛の精鋭が駆る武御雷と。
 途中放棄された研究所の職員一人が。それも生身で?

 確かに公式記録に記載されている「元空手道場経営者」は一般人としては腕に覚えがあるだろう。
 競技空手ではないことは、不法行為を働いた兵士らを叩きのめしたことでもわかる。
 だが、そんな程度が戦争で何の役に立つというのか。先の言い草は不遜どころの話ではなかった。

「……! 本多隊長、城内省より通達です!」

 荒れる大隊副官から必死で目をそらしていた通信兵が、手元の端末のシグナルに気付いて職業意識を回復した。

「読み上げます。C-13難民キャンプに大東亜連合所属の輸送部隊到着予定。されど大隊任務に変更なし……」

 彼等は知らないが、後は歩兵第9連隊第8大隊が早朝に受けたものとほぼ同じ内容。
 通信に時間差があったのは、あくまで通達であって命令変更ではないこと、また斯衛軍が城内省という政府機関から独立した別の組織の傘下にあるからだろう。

「大東亜連合?」

 国連が自己の主導する作戦に拘ったために不満を持った国々が集結して作った、東南アジアを中心とする国家連合体。
 日本にとってはおおむね友好的な同盟者だが、1999年の『日本本州奪還作戦』に協力して以後は主権国家たる日本国内ではほとんど活動していないはずだ。
 なお、この本州奪還作戦は現在も多くの影響を日本に、そして世界に残している……。

 その連絡は、流竜馬いう日本人の規格外によって停止あるいは沸騰した者達の思考をまたちがう方向へと混乱させた。

 だから、誰も気に留めなかった。『達人』の名を聞いた途端に同じ姓を持つ女性が白衣を翻して出て行ったことを。





 海が沸騰している。

 惜しげもなく投げ込まれる人類の武器によって。
 大小のロケットと砲弾が絶え間なく叩き込まれ、爆裂して海水を天高く跳ね上げる。
 その飛沫の中に、異形の欠片が大量に入り混じっていた。

 早朝より始まったBETAによる侵攻。
 その第一撃を受け止め、可能ならば跳ね返すために展開していた第16師団第1戦術機甲大隊長であるオレ。
 海岸を見渡す窪地に身を潜めた愛機の中から、地獄の釜の蓋が日本海で開いたような光景を網膜投影越しに見つめていた。

『HQ(ヘッドクォーター=司令部)よりグリフォン1へ。砲撃効果を確認せよ』

 グリフォン1。自分、帝国陸軍少佐 前田光次を指す符丁だ。

「グリフォン1よりHQへ。砲撃により敵撃破多数確認。されど……」

 まだ若い十代と思しきオペレーターの要請に応え情報を伝える。その言葉を途切れさせてしまった。
 新潟防衛のために集められた3個師団分の砲兵火力を集中しても、次々と連中の姿が波間に現れる。
 ひときわ高い水柱を上げるのは、佐渡島からのレーザー照射圏ぎりぎりまで接近して、機動艦隊の敵討ちとばかりに巨砲をぶち込んでいる戦艦大和の46サンチ砲弾か。
 だがいくら砕き吹き飛ばし、粉微塵にして海水と一緒に混ぜ込まれようと後続はお構いなしだ。

「敵の数が多すぎる! このままじゃ連中の死骸で堤防ができそうだ!」

 撃震の管制ユニット内に必要以上に出した声が跳ね回る。
 それさえうっとおしい。
 匂いも酷い……いや、これは恐怖しているオレが出している脂汗のものか?

『HQよりグリフォン1へ。報告は明瞭にせよ。敵計測数を……』

「馬鹿野郎、センサーなんぞとっくに振り切れているんだよ! そっちのデータリンクで確認しやがれ!」

 安全な後方から注文ばかりしやがって。貴様のような低能に使われたんじゃあ、せっかく国民の血税で揃えたシステムも台無しだ。
 そう続けようとして、あやうく思いとどまった。
 冷静になって考えてみれば、前線だけじゃなく後方も新兵ばかりの御時勢だ。
 ましてこれほどの大侵攻――さっきから震動計測によるBETA個体予測値が2万より下にいかない――なら浮き足立つな、というのが無理だろう。

「すまない。作戦プランBを具申する」

 プランBとは、海岸から旧国道沿いに展開した第一線の戦術機甲部隊は中・大型種以上のBETAを最優先で攻撃。
 小型種は極力相手にせず、その対処は第二線配置の歩兵隊に任せる計画だ。

 そういえば聞こえはいいかもしれないが、要するに第一線は最低限のBETA戦力削減しかできませんといっているに等しい。
 戦術機なら無視できる闘士級、兵士級といった雑魚どもも、機械化歩兵隊や通常歩兵隊の前では死神。
 それがわかっていても具申せざるを得ない。
 謝罪はオペレーターへ向けたのが半分。残りは割を食う連中への……無意味なものだ。


 5分も待たず具申が採用されたとの返答。
 それを機に、思考を眼前の戦闘に集中させる。
 所々にある窪地(多くは今までの防衛戦で味方の砲撃があけた穴が元だ)に潜む大隊に送信系統を限定。

「第一目標は目玉野郎、第二に甲羅猪。
タコ助は接近してくるまで出来る限り放置、残りは無視だ。だが戦車級のハグにだけは注意しろよ?」

 真っ先に撃破すべきはレーザー照射してくる光線属種。次が硬い殻を振りたてて突進してくる突撃級。
 安定のいい四本足に硬い前腕による打撃をもつ要撃級は俊敏だが、直線移動は突撃級に比べて鈍いので後。
 小型種は予定通り無視。しかし真っ赤な戦車級だけは装甲さえ平気で齧ってくるので例外だ。

 自分を含めた大隊内データリンク照会。全機オールグリーン。
 衛士のコンディションは、許容範囲。
 心拍数が規定値をいくらか超えている部下が何人かいたが、顔も知らない軍医様のつくった基準値なぞ知ったことか。

『了解!』

 部下達の返答が揃うより早く、炎と鉄の壁がBETAの数の前に綻んだ。
 装甲殻を砲弾の破片で切り裂かれながらも、いまだ活動する突撃級が砂浜に乗り上げてくる。
 それを皮切に、次々と異星生物が湧いてきた。

「かくれんぼは終わりだ。全兵器使用自由、エレメント(2機連携)を崩すな!」

 大隊、戦闘開始だ。
 駆動音を纏って撃震を立ち上がらせれば、視界も広がる。
 光線属種はまだいないことをデータリンクで確認し、レバーを押し込んだ。

 短距離跳躍の入力。軽い浮揚感。
 砂地に足をとられている突撃級を空中でロックオン。
 トリガーを引いたのは、着地と同時。この程度の着地なら、自律制御のための硬直は起こらない。
 忠実な我が撃震が手にした突撃砲から徹甲弾を発砲。
 モース硬度なんとか、と学者先生が驚いたという殻が引きちぎられる。

 撃破した光景をいつまでも眺めている余裕などない、次だ。
 大口径砲発射のショックを補正する硬直がうっとおしい。
 早く戻れ、次はあの突撃級をやるってもう決めているのによ。
 あと数匹片付けたら、部下達のカバーに回ろう。

 それまでに殺されていなければ、だが。


 激闘の坩堝に飛び込んでいく彼は知らない。
 素通りさせた大量の小型種と真っ先に対峙するのは――





 闘士級がやってくる。
 二本足で肩部より腕は無し、代わりに象の鼻のような手腕一本をぶら下げている。
 象の鼻と決定的に違うのは、その先についた三本の指で人間の頭ぐらい簡単にねじ切ってしまうこと。

 兵士級が突き進んでくる。
 左右に膨らんだ頭部をゆすり、上半身は人間と酷似し下半身は肉塊。そこから突き出した八本の足で大地を侵蝕してくた。
 腕力は人間の数倍、むき出しの歯は人体を容易く噛み千切る力を持つ。

 数十、数百と次々と数を増すそれらの小型種BETAを黒い瞳に余すところなく映し、竜馬がバイクを降りる。
 それに呼応したように群れの一部、特に対人探知能力が高いとされる兵士級が一斉に動きを早めた。
 土煙を引き連れて、悪夢の具現のような影がいくつも迫り来る。

 竜馬の口が左右に大きく釣り上がり、目が爛々と輝きを増した。
 闘争の喜びに満ちた戦士の笑みだ。
 マントの下から跳ね上げられた両腕には、既にバズーカが2門握られている。

「まずは景気づけってやつだ」

 両肩に担ぎ、ためらいもなく同時発射。
 ふたつの火球が兵士級の群れの中に生まれ、異形の姿を10体ほどまとめて貪欲に飲み込み、爆風がその数倍の地球外生命体を吹き飛ばす。

 翻るマント。その裏一面には、無数の武器が吊り下げられていた。
 バズーカを捨て、手榴弾と手斧を握る。

「かかってこいや」



[14079] 第四話
Name: mitsuki◆66f66a11 ID:1f7a972b
Date: 2009/12/25 23:17
 干からびた大地に、血飛沫がぶちまけられる。
 すぐさま土に吸い込まれていくその色は、紫。
 遅れて倒れ伏した兵士級の体が一瞬、土煙に包まれて。
 その顔は中央から横一文字に切り裂かれていた。
 周囲には既に何体もの同属の骸。

「おおりゃあ!」

 流竜馬が咆哮する。
 紫の液体をまとわりつかせた右手の手斧を、今しがた一体倒した勢いを殺さず頭上で回転させ。
 正面から両腕を広げて飛び掛ってくる兵士級の脳天にぶち込む。
 やや距離を置いて左側より迫る影には、もう片方の手に持った手榴弾を叩きつけるように投げた。

 まるでキャッチするように手榴弾を受け止めた闘士級の指。
 それが手榴弾を握りつぶすよりほんの数瞬早く、爆裂。
 闘士級はもとより、ほとんど密着する状態で進んできた兵士級数体もまとめて吹き飛ぶ。
 爆風と破片でしたたかに傷つけられたそいつらは、地を汚す体液をこぼしたままもがき、やがて動かなくなった。

 白い異形が、命を失った同種の陰から飛び出す。
 敏捷な動きに竜馬の肩が掴まれた。
 ざんばら髪の頭を食らい尽くそうとのしかかる、巨大な歯の列。

 その瞬間、人間とBETAの上下が反転する。
 下半身が醜く膨らみ、重心が下にある兵士級の小さな数本の足が宙でばたつき、一瞬だけ動きは停滞したが。
 地面に激しく叩きつけられる白い体躯。
 竜馬が巴投げの要領で、人間の数倍といわれる兵士級の腕力を逆手にとって位置を入れ替えたのだ。
 その勢いを殺さないまま、猫科の猛獣のような身のこなしで跳ね、距離をとる。

「へっ……オレの顔に傷つけた化け物は、てめぇではじめてだな」

 掴みかかられた刹那切られた右頬から流れる赤い血潮を指先で拭いながら、言葉を投げかけた。
 人語を解しないBETAだから、当然反応などない。
 仮に理解し話せていたとしても、離れ際に手斧を口内に突き入れられるように食らっていたため返事は無理だろうが。

 その間にもBETA小型種は続々と視界に現れる。
 多くの個体が傷つき、皮膚から体液を滴らせているのは人類側第一線がいまだ激闘中であることを示していた。

「お次はこいつだ!」

 多量の返り血の紫と、ごく数滴の自身の赤い血で汚れたマントの下から銃身が飛び出た。
 帝国製64式自動小銃。既に日本軍の一線装備からは引いている旧式。だが撃ち出される7.62mm国連規格弾は通常小銃弾より遥かに高い貫通力を誇る。
 安全装置解除、即フルオート射撃。
 火線の先にいた闘士級が、象の鼻めいた主腕に大穴を明けられて崩れ落ち、その背後にいた兵士級の肩が抉られた。

 反動で腕の中で暴れる銃を押さえつけながら、竜馬が笑う。
 獰猛さなら兵士級のそれと対等かもしれない歯を晒して。
 その前に、次々とBETAの死体が折り重なっていった。

「おらおら!」

 しかし引き金を引きっぱなしにしていれば、数秒で銃火は途切れる。弾切れ。
 弾倉交換する暇もなく、同胞の流した体液に足を滑らせかけながらも闘士級が飛び掛ってくる。
 そいつ以外にも、にじりよるBETAは視界を埋め尽くすほど。
 重なる異形の足音が空気を満たす。

 これがBETAの恐ろしさ。
 いくら人類が勇戦し、打ち倒しても底なしの頭数で津波の如く襲ってくる。
 武器が尽きる。体力が限界を訴える。そのいずれかの段階で心が折れる。
 兵は、多くの場合BETAより先にその絶望に食われるのだ。

「なめんじゃねぇ……っ」

 銃を投げつけながら、竜馬は後方へ跳躍。マントから覗く斧の柄。
 闘士級の鼻は銃身を絡めとり、玩具のように簡単にへし曲げた。
 その傍を通り過ぎ、兵士級が指先と歯を黒髪めがけて伸ばしてくる。
 稼いだ僅かな距離が埋まる合間に、両手に一本ずつ握られた手斧がそれを斬り飛ばして阻んだ。

 言葉にならない叫びが男の喉から迸る。恐怖さえ食らい尽くそうとするような喊声。
 並みの兵士なら背を向けて逃げ出そうとしても、誰も責めないであろうほど至近に迫った兵士級に向けて、竜馬は踏み込んだ。
 跳ね上がる爪先が、既に片腕を失っていた兵士級の胸板を蹴り飛ばす。
 上体をまっすぐにした、余分なロスのない空手の理想に則った前蹴りを炸裂させられた白い体躯がのけぞる。
 たちまち竜馬の姿はBETAの群れの中に包まれた。
 だが、それでもその気迫と動きは鈍らない。
 唐竹割り、横薙ぎ、袈裟斬り。二筋の疾風と化した斧が、当たるを幸いという言葉の見本のようにBETAの体を割り、あるいはその一部を断ち切る。

 凄まじい身体能力。
 恐怖も逃げ出すような精神力。
 滅茶苦茶に見えて、空手という技術のバックボーンがある的確な体捌き。
 それが流竜馬の傲然を、死地で支えている。
 が、BETAはいくらぶちのめされても続々と足音を響かせて殺到してくる。

 竜馬の肌を伝う汗と赤い血の量は、確実に増えていた。

 小型種の塊の中に、大きな赤が混じる。兵士級の四倍近い大きさのBETAの肌の色だ。
 六本の蹄めいた足で大地を蹴って急速に迫るその腹には、巨大な顎に似た器官がついている。
 戦術機の装甲さえ容易く噛み砕く、戦車級。
 硫黄に近い異臭を放つそれが、自動車並の速度で竜馬めがけて突進してくる。

「おおりゃ……!?」

 戦車級を迎え撃とうと手斧を握りなおした竜馬の顔を、熱い風が叩いた。
 飛来した高速の砲弾が戦車級の大顎を吹き飛ばし、風穴を開ける。

 竜馬の頭上を飛び越えるようにして、青い鎧を纏った巨大な影が飛翔してくる。
 手にしたライフル――戦術機用87式突撃砲の砲口からは発砲煙。

『ちょっとあんた、ふざけてるの!?』

 角のような頭の左右についたセンサーマストを持った94式歩行戦闘機不知火から、若い女性の声が発せられた。

『どこの所属? 何一人で戦ってるのよ! はぐれたからって逃げることぐらいできるでしょ?』

 土砂を派手に跳ね上げて着陸した不知火の足裏で、十数体の兵士級がまとめて踏み潰される。
 UNマークのついた盾を振り回し、たかってくる小型種を圧倒的な質量で蹂躙する。
 戦車級には、的確な36ミリ突撃砲の単発射撃を確実にお見舞いしていく。

「うるせぇ! あぶねぇじゃねぇか!」

 あやうく銃撃に巻き込まれかけ、ついで小型種もろとも踏み潰されかけた砂だらけの竜馬は、八つ当たり気味に生き残りの兵士級の脳天をかち割りながら、吠え返した。

「てめぇこそ何者だ?」



 集音センサーが拾い上げ、コンピューターが選別した音の中には跳ね上がる男の声がはっきりと入っていた。
 不知火の操縦席で、国連軍中尉・速瀬水月の形の良い眉が急激に角度を険しくする。

 彼女が所属を口にしなかったのは、(気が立っているせいもあるが)秘密任務従事中だからだ。
 公式には在日国連軍は、『横浜基地』はじめとする各地の拠点建設とその防衛のために今回の作戦には絡んでいない。
 だが、日本が危うくなれば在日国連軍の本当の存在理由である、ある計画の基盤が揺らぐ。
 帝国軍の戦力低下のタイミングにぶつかったBETA群侵攻を食い止めるべく、上司が特殊部隊・A-01連隊を派遣したのだ。
 本来国連軍が主権国家領内で活動するには、ややこしい手順が必要だが、その上司には超法規的措置を日本に認めさせるだけの『力』があった。

「ぶっ飛ばすわよ!? いいから答える。3、2、1、ハイ!」

 スピーカー越しにまくしたてながらも、手足は忙しく動き、戦術機の手足で小型種の群れを一方的に蹂躙していく。
 相手が今はもう現世にいない、彼女の想い人なら慌て顔をするのだろうが。

『うるせぇ』

 耳を打ったのは、吐き捨てるような一言。
 ひくり、と水月の口元が痙攣した。

 ロックオンしたい衝動を抑えつつ、通信系統を中隊専用に切り替える。
 どんな滅茶苦茶な奴だろうと、救助するのが筋なのだろうが。任務の性質上できると限らないのが彼女らの微妙な立場だ。

「ヴァルキリー2よりヴァルキリー1へ。不審人物を発見。判断求む」

 怒りを吐息に乗せて体外に追い出し、事務的な口調を作りながら、男を発見してから救援に入るまでの映像をデータリンク上に流す。
 そうしている間にも、網膜投影画面の左上のレーダー図は赤い染みを広げていく。

『ヴァルキリー1よりヴァルキリー2へ……速瀬、新任の突撃前衛長様はずいぶん暇らしいな?』

「……はい?」

 そろそろ中型種も来る頃か――焦りを覚えはじめた彼女の思考を断ち切ったのは、氷の刃を思わせる上官の声だった。
 網膜投影スクリーンの一角を占領する上官、伊隅みちる大尉。そのこめかみがひくついているのが確認できる。

『特撮映像を作るな、とはいわん。だが、戦闘中にこんなものを送りつけるとは何事だ? そんなに退屈か、単独斥候は?』

「ちょっ、伊隅大尉! 本当です、それは今ここで起こったことなんです! 所属不明の人物一人、指示を」

『馬鹿者! どこの世界に一人でBETAの群れに突っ込んでいって大暴れできる人間がいる!? しかも斧だと?』

「ですよね……じゃなくて! 真実ですってば!」

 目尻を釣り上げて、整った容貌を般若のそれに変化させた大尉の剣幕に、水月はあやうく同意しかけてから必死に抗弁する。

『その男は流竜馬。難民区から前線に向かった馬鹿者を見つけ次第保護してくれ、と要請が出ている。悪戯している暇があったら、とっとと救助して戻って来い!』

 戦術機のコクピットなら安全だろう、と付け加えられた通信は一方的に切れた。

「……コクピットに?」

 あの悪人面を迎え入れる?
 しかも二人きり?
 空間的には彼女の座席のすぐ前しか、一人を乗せる場所はない。

 戦争を楽しんでいるとしか思えない獰猛な笑みを浮かべ、手榴弾を連続投擲してあちこちの地面にBETA入りの炎の華を咲かせている男。
 そいつに意識を戻した水月の顔が絶望に染まる。

 ――孝之、守ってね。主にあたしの常識を。

 心の中で想い人の名を呼べば、操縦桿を握り締め力強く押し込んだ。
 高度な操縦技術をふんだんに発揮し、ナガレリョウマなる男の鼻先すれすれに、BETAの体液で彩られた盾表面を突きつける。
 流石に驚き、目を剥いてこちらを見上げてくる男に、とっておきの冷たい声を投げつけた。

「ここからは一切あたしの指示に従いなさい。従うかどうか、イエスかノーかで答えて。 はい、3、2、1」





 BETA群の規模は旅団を超え、師団に達する模様。
 流竜馬と速瀬水月が邂逅した地域に展開するはずだった斯衛軍第2大隊及び陸軍の混成部隊の足を止めたのは、その情報だった。

 帝国軍で一般に何々規模、という場合は『人類側の戦力だとどのくらいの部隊で互角と計算できるか』という基準で推定される。
 例えば人類側一個旅団の軍で互角に戦えるBETAなら、旅団規模だ。

 しかし現実には一個旅団規模のBETAに、数個の人類師団が大打撃を受け振り回されることも珍しくない。
 人類側の部隊は、常に最良の状態で戦えるとは限らない。
 人員、装備が定数を満たすことなどまずありえないからだ。
 まして日本が国土の大半を蹂躙され、約3600万人もの人命がBETAの底なしの胃袋に収まってから僅か3年後の日本では。

 第16師団はじめ前線の戦術機甲部隊及び砲兵は、悪条件の中奮闘している。
 彼らは、後方ではどれだけ高度な教育を受けても得られない実戦経験を豊富に持ち、それを生かしてよく防いでいた。
 小型種はほぼ素通しだが光線属種が出現しないこともあって、大物は波打ち際で押さえ込んでいる。

 それが却って斯衛連隊司令部の判断を迷わせていた。
 歩兵と戦術機甲部隊を分離し、後者を一線と合流させて水際撃破をはかるのか。
 だが、撃滅しきれないほどの後続がいた場合、第二防衛線までの間ががら空きになってしまう。
 突破した小型種殲滅支援に斯衛軍を使えば、という案もあったがそれにかかりきりになって、中型以上のBETAの予想外行動に対応できなかったら本末転倒。
 かといって、歩兵隊だけで攻撃しては大損害必至の小型種予測数。
 斯衛は固有の砲兵をもっておらず、長距離砲撃で対処することもできない。
 判断に迷った司令部は、予定命令を直前で撤回し即時移動に備えよ、と待機を命じた。



「なんだこりゃあ」

 武蔵坊弁慶が上げた一声は、周囲の兵士らの内心を代弁していた。

 突如出現した、大東亜連合の徽章をつけたトレーラー計3両。
 第9連隊よりの派遣中隊に護衛されたその一群は、竜馬がいた難民区の傍でタイヤを止め。
 軍輸送用以外ではめったに見られない、巨大なコンテナを低いモーター音とともに展開させていく。

 その中から姿を見せたのは航空機と思われる物体。
 高くなり始めた太陽の光を跳ね返す、赤い塗装。
 鋭く尖る機首。左右に伸びる翼の根元には、機体に比べて大型とも見えるエンジンが計二つ。
 緑色をした半透明の強化ガラスらしいものが、機体の上部と側面に。コクピットを覆うキャノピーも同色だ。

「連合も何考えてるんだ? ただの戦闘機、だよな?」

 伍長の階級をつけた、弁慶の隣の兵士が銃を肩に担いだまま、照り返しに目を細める。
 BETA大戦において、光線属種の恐ろしいまでの防空能力のためにほとんど駆逐された人類の航空機。
 その中でも真っ先に姿を消したのは、空中戦を専門とする戦闘機だ。
 何しろBETAは空を飛ばない。対地攻撃力が低いかつての空の王者は、今ではほとんど見かけない存在だ。
 これが輸送機や対地攻撃機、ヘリの類なら兵士の中では見聞きしたものも多いのだが。

 しかも1機だけではない。
 形状の違う戦闘機がさらに2機、覆いを外されてその姿を見せた。
 1機は白、あとひとつは黄色に塗装されている。
 3機とも仕様が違うのか、共通点はエンジンの数ぐらいだ。

 なぜそんなものが、こんな難民キャンプに?
 先程、斯衛大隊司令部に向かっていった『大東亜連合特使』なる肩書きを持った壮年の外国人、
 あるいはキャンプの一角に向かった早乙女達人という精悍な顔立ちの日本人青年なら、知っているのかもしれないが。

「ちがう、ただの戦闘機ではない」

 低く錆びついた声が流れた。
 兵士達を押しのけて、一人の老人がトレーラー群に近づく。
 薄汚れて、元の色をほとんど失った白衣に身を包んでいる。
 だがその双眸は精気に満ちあふれ、足取りもしっかりとしていた。
 武装した兵士を容易く押しのけたことから、体力も見た目に反して相当あるようだ。

 白髪と、同じく白い顎ひげを震わせて老人――早乙女博士は誰に聞かせるともなく、言い放った。

「これはゲッターロボだ!」



[14079] 【番外編】ゲッターG 発動篇【ネタ】
Name: mitsuki◆66f66a11 ID:1f7a972b
Date: 2009/12/29 22:32
 【閲覧前のご注意】

 本編と同じゲッター×マブラヴの世界観ですが、ストーリーは一切無関係です。
 初挑戦のネタ物、かつ勢いだけで書いたものです。
 広い心をもってご笑覧くださる方、よろしくお願いします。








 こんにちは。僕、撃震。

 ええ、いわゆる戦術機の撃震ですよ。
 機体に振られた製造番号は27599983291番。

 ……え? なんでそんなに数字が多いかって? 
 確かに僕の兄弟(多くはアメリカのF-4ファントムです)は世界中で沢山作られていますが。
 どこの工場でできたとかを専門家ならわかるように、数字が符号になっているんですね。

 確かに沢山作られ、いっぱい破壊されてもいるけれど。

 1973年の空を割って、天から降りてきたのはその後数十年にわたって人類を苦しめる悪夢の源泉、BETAの落着ユニット。
 その翌年に僕の一番上のおにいちゃんは、アサバスカで初陣を飾りました。
 接敵以前にアメリカ軍が核攻撃を選択したために、周囲で待機していただけらしいのですが……。

 最初の評判はそりゃ散々だったそうですよ。
 何しろ、宇宙開発や月戦争で使われた物(いってみれば僕らのパパやママ、おじいちゃまおばあちゃまですね。ちっちゃいけど)とはいえ。
 新しい考えに基づく兵器で、人間様だって使い方はいろいろ試してみるしかないし。
 その上、BETAは数が多い。単体でも侮れない能力持つのもいましたしね。
 欠陥兵器、といわれたとか。
 今はそうでもないのですが、代わりに「旧式」「新型と交換したい戦術機ナンバー1」といわれております。
 仕方ないと思っても、へこむのは止められません。

 ……はい? なんでおまえ意思持っているの、ですか?

 いやぁ、自分でも不思議です。でも、人間様だって自分が自分である、と意識を持った時って覚えてないんじゃあ?
 僕も同じですよ。

 強いて上げれば、恐いおじいさんに妙な光線を浴びせられた時から、かな?

 ええと、そう。たしか、

『天然物 濃縮ゲッター線』

 とかいってましたっけ。



 1999年のその日は、曇天でした。

「最近の若いものは、なっとらん! なぜ食糧配給ぐらい手伝わんのだ?」

 おや、僕の足元で誰かが大声を上げてますね。
 酒瓶をもった、白髪まじりの金髪が目立つおじいちゃんです。
 なんでもどっかの国とのハーフだとか……。

 あ、申し遅れましたがここは日本帝国・横浜市です。
 光線を当てられても、データとして意味あるものが取れなかった僕は、早々に軍に送り返されて。
 今では新しい衛士のご主人様と一緒に、ここの守備についています。

「ワシらはな、戦術機がまだガラクタ呼ばわりされていた時代に、それでも身を挺して……」

「ああ、うるせぇよ酔っ払い」

 おじいちゃんが説教を始めて、その相手の若者達に、めんどくさそうに振り払われています。
 この場合、絡んだおじいちゃんも悪いのですがだからって暴力はいけません。兵器の僕がいうのもなんですが。

「大体偉そうに説教できるのかよ、爺さん」

「そーそー。昔は衛士だったっていうけど、すぐ負傷して降ろされたんだろ?」

「所詮、志のない半日本人だな。だらしのない」

 日本にもBETAが攻め込んできて、凄い速度で負けているという噂が広がってから、皆気が立っています。
 こんないざこざは日常茶飯事。
 普通ならいわないような暴言を聞くことが、日に日に増えています。
 犯罪発生率も上昇、おんぼろとはいえ僕のような戦術機を街頭に立たせて、威圧しないといけないぐらい治安も……悪いのでしょう。
 でもよってたかっておじいさんを苛めるのはよくないですね。生まれの事を揶揄するのは論外です。
 老人を大事にしない国は、BETAが来なくても滅びますよ?

「若造どもがっ」

 負けじと声を張り上げるおじいさんですが、苦悶に歪んだひからびた唇からはそれ以上言葉がでてきません。
 ……実際に多いんですよ、心身が傷ついて衛士適性を失ったりしてドロップアウトする衛士が。
 ですが、それは彼らが命がけで戦ったためであり、揶揄していいことではないのですが。
 残念ながら、僕には(発声器官がないので物理的な意味でも)口を挟めません。

 結局、嘲笑されたままおじいさんは取り残されました。あ、ラッパ飲み。アルコール中毒が心配です。

 と、そこへ通りがかった赤毛に大きなリボンの十代ぐらいの女の子が、道端で寝転んじゃったおじいさんに話しかけました。

「あれ~? おじいちゃん? こんなところで寝たらダメだよ。ほら、撃震さんも心配してるよ?」

 近所に住む、鑑純夏ちゃんです。
 おんぼろ戦術機の僕にも言葉をかけてくれます。満面の笑顔とともに。
 時折、こちらが考えていることを読み取ったようなことをおっしゃるのでどきっとします。

 あのアンテナめいた髪の毛の一部は、ゲッター線を受信できるのかな?

「お~い、純夏、そろそろいくぞ……またこのじいさんか」

 ついでやってきたのは、白銀武くん。純夏ちゃんの仲良しの幼馴染だそうです。
 ……そういえば僕と同じ日隣のラインで生産されたあの子、どうしているかなぁ。

「丁度よかった。タケルちゃん、おじいさんを送ってってあげようよ」

「またかよ? 昨日も運んでってやった覚えがあるぞ?」

 武くんは不満一杯の顔です。でも、いつも文句いっても最後はおじいさんを助けて、純夏ちゃんと何か言い合いしつつ去っていくのです。
 根はいい人なんでしょうね。
 だからきっと純夏ちゃんも武くんを――。

 こんなほほえましい日常が続けばいいと思います。



「HQ、こちらタンゴ6。我が大隊は自分を残して壊滅。横浜市街にBETAが続々と……う、うわぁ!? く、くるな、こ――」

 通信、途絶。

「第20戦術機甲大隊、壊滅。民間人避難状況、予定の三割」

「……HQより全部隊へ。防衛線を川崎まで下げる。後退せよ、繰り返す、後退せよ」

「方面軍司令部より通達。民間人避難誘導は現時点を持って中止。繰り返す、避難誘導は中止。同命令に対しては一切の異議を認めず」

 通信が戦況を伝えてきます。
 帝国軍、BETA大群の東進を防げず。
 全滅を避けるため横浜市放棄、逃げ遅れた民間人と一緒に。
 ここで無理をして、帝都防衛のための戦力を減らすことはできない、という判断でしょう。
 非情です。が、帝都が落ちたらもっと沢山の人が殺されちゃいますから。
 きっと、決断した人達は一生苦しむんでしょうけど……。

 破壊された体を、純夏ちゃんの家にもたれかからせながら、僕はそんなことをつらつら考えております。
 雲霞のごとく、というのでしょうか? 数え切れないほど襲いかかるBETAに、仲間も次々とやられて。
 僕も突撃級の体当たりを受けて、ついにこうなってしまいました。
 ご主人様はベイルアウトして逃げられたのが唯一の救いですが。

 ……あちこちから悲鳴が聞こえます。
 僕らは民間人を逃がす時間さえ稼げませんでした。畜生。
 涙腺があったら、喉があったら、泣き喚いたかもしれませんがそれさえでき……おや?

 誰かが、僕の体をよじ登ってきます。
 ぽっかりあいた操縦ユニット部分にまで来て。

「よし、まだ生きているな」

 あのおじいさんです。
 構造を熟知した元衛士、恐らくベイルアウト後にまた動かす必要が出た時に、機体を操作するための非常操縦システムを起動させたのでしょう。
 確かに機体はぼろぼろですが、動くことはなんとかできます。
 でも戦闘力はない。だからご主人様は脱出を決断しました。

「おじいちゃん、逃げないと食べられちゃうよ!」

 かけよってくる純夏ちゃん。彼女も逃げ遅れていたようです。
 その背後にもさらに何人もの人影。あの武ちゃんもいます。なんてこった……。

「純夏ちゃん、みんなを連れて少しでも遠くへ逃げろ。囮ぐらいにはなれる」

 おじいさんは言い放つと、非常レバーを引きました。
 燃料切れ寸前のジェネレーターが最後の力を振り絞り、僕の体はふらつきながら立ち上がりました。

 BETAは、ここにもなだれ込んできました。小型種程度であっても、今のがら空きの操縦席に乗り込まれたら終わりです。
 それでもおじいさんは、僕を前進させました。
 壊れかけでも戦術機、腕を振り回してそいつらを追い散らします。

 が、僕のセンサーの生き残りは、要撃級が両腕を振り回し、家屋を倒壊させつつ接近してくれるのを捉えました。
 おじいさんは、それでも弾切れになった87式突撃砲を僕に振り上げさせ、迎え撃とうとしますが。

 一撃。

 軽く奴の前腕がかすめただけで、僕は無様に転倒しました。
 おじいさんは危うく振り落とされそうになり、飛び散った破片で額あたりを傷つけてしまったようです。
 それでも、レバーにしがみつき闘おうとしていますが。
 もう僕には答える力がありません。

「もういいだろ! じいさん、逃げろ! なんで……なんでそこまでするんだよ!? あんた、馬鹿にされてただろ! 散々言われただろ!」

 半日本人。使い物にならなくなった衛士。飲んだくれの、死んだほうが御国の為のじじい。
 こっちに駆け寄ろうとする純夏ちゃんを必死に押しとどめながらそう叫ぶ武ちゃんの周囲で、かつておじいさんに暴言を吐いた青年たちがうなだれています。

「小僧」

 おじいさんは、要撃級の人面めいた感覚器を睨みつけながら、語りだしました。

「確かにワシは散々言われた。いろいろな奴に、いろいろなものを奪われた」

 ――BETAに、闘う力と数多くの戦友を

 ――同じ人類の上司からは、衛士の資格を

 ――心無い言葉を言われたことは、幼少から思い出せないぐらいある

「だが、それでもワシは戦う……衛士の志があるからな」

 志は振りかざして、他者を傷つける事への免罪符にするものではない。
 たとえ自分が死ぬほど憎い相手だろうと、それがBETAに理不尽な死を強要されそうな相手なら力の限り守る。
 おじいさんは、そう続けました。

「ワシが前線でであった連中もそうだった。
紛争で自分の父親を殺した民族を脱出させるために命を捨てた奴。
差別してきた国のために泣き喚きながらも最後まで戦った奴。
ワシはあの世であいつらに合わせる顔がないような真似は……できん!」

 おじいさんが顔を上げます。僕の頭部を、中から見上げて。

「だから、頼む、動いてくれ! 戦術機が動いている間なら、化け物どもはこっちを狙う。その間に少しでもみんなを……!」

 どくん。

 その時、僕の「どこか」で何かが鼓動を刻みました。
 ジェネレーター? モーター? いえ、どれでもありませんでした。

 生き残っているセンサースリットから、そして機体の数え切れないほどの亀裂から。
 緑の光が小さく漏れ、それはまたたくまにまばゆい光へと成長していきました。

 冷たいはずの機械の体が、熱い。
 何かが体内の配線を駆け巡っていくにつれ、パーツ一つ一つが燃えるようです。

 要撃級が前腕を振り上げました。それが下ろされるまでの刹那。
 もし、僕に喉があったらこう叫んでいたでしょう。


 チェェェェェェンジ! ゲッタァァァァァァァァ!!



 風を巻いて振り下ろされたモース硬度15以上とやらの前腕を、オレの腕部装甲が受け止める。 
 ……オレ? 撃震だよ。
 ちぃと気分が変わったから、このしゃべりでいかせてもらうけど、いい? 答えは聞いてないがな。

 がっちり腰を落として、要撃級のタコを押し返す。
 そのまま腕を一振りしてやると、簡単に吹っ飛んでいって仲間の群れ押し潰しながら転倒しやがった。
 どうだ、この安定感。
 近頃の、上半身だけ重たい走りこみ不足の若造(第三世代機)にゃできねぇだろ?

 全身に漲る緑の光が、機体を修復させ――いや、進化させていくのがわかった。

 おれは戦術機をやめるぞッ! おれは戦術機を超越するッ!
 そう、あえて言うのなら……今のオレは撃震を越えた撃震、ゲッターG(ゲキシン)だっ!

 機体の表面が赤くなった以外、外見は撃震そのまんまなのは秘密だがな。

「ゲッターゲキシン……ナイスガイ!」

 そこも修復されたコクピット内で、じいさんが親指を立てた。
 どうやらゲッター線を介して少しは意思が通じるようになったらしいな。
 何しろ彼のG(じじい)魂がオレのゲッター線に火をつけたらしいし。

 じいさんとオレの視線が、迫り来るBETAの大軍を捉えた。
 何千、何万といるようだがオレ達の勇気は怯みはしない。
 先頭きってくる突撃級に、こちらからも突進。

「ええいこのスイッチだっ!」

 じいさんの操作に従って、右のパンチをお見舞いだっ!
 装甲殻を割り、中身にまで拳めり込ませてから抉るように捻る。
 スピンしつBETAの群れの中に高速で戻っていったそいつは、仲間多数を吹っ飛ばしてようやく停止する。
 見ろ! BETAがゴミのようだ!

 来るならこい、BETAども。
 炭素の悪魔を叩いて砕く。このゲッターゲキシンがいる限りもう貴様らの好きにはさせない。

「補給はすませたか?
上位存在にお祈りは?
ハイヴの隅でガタガタふるえて命ごいをする心の準備はOK?」

 じいさんの顔が、やたら悪人面になって意味不明な台詞をしゃべっているが、まぁいいだろう。
 すべてはゲッター線のなせる業だからな。



 またひとつ、目玉のBETA、重レーザー級が張り倒された。
 心なしか、涙目のような。
 いやBETAに涙腺があるはずないから、光の加減だろう。

「武ちゃん……」

 放心状態で、暴れまわる赤い撃震を見つめていた武の傍で、純夏が胸の前で両拳をぐぐっと握っていた。
 アホ毛がさかんに動き、『G』の字を作っているようにも……これもきっと錯覚に違いない。

「……なんだ、純夏」

「わたしもあれに乗りたい!」

「あほかぁぁぁぁぁ!?」

 チョップを炸裂させた武ちゃんは知らない。
 既に自分がゲッターと因果の織り成す運命の網に絡め取られていることを……。







 あとがき

 ほんとごめんなさい。



[14079] 第五話
Name: mitsuki◆66f66a11 ID:1f7a972b
Date: 2009/12/25 23:29
 埃っぽい大地を、太陽以外の光源がささやかに照らした。
 難民区の者達もほとんどが知らなかった、旧早乙女研究所・新潟分試験場のエレベーターが地底深くから運び上げたのは。
 緑色の光を湛えた『ゲッター炉心』だった。
 長方形の箱型をしたそれは、赤い戦闘機に使われていたのと同種と見えるガラスですっぽりと覆われている。
 宇宙から降り注ぎ、あるいは地から湧きあがる、いまだ全容は未知のエネルギー・ゲッター線。
 そのゲッター線を吸収、収束し出力に変える、世界でも早乙女研究所でしか製造できない新型動力炉だ。

 完全に姿をあらわした炉心の前に立つ人影は三人。
 早乙女達人は軽く咳き込みながらも、傍らの父・早乙女博士に視線を向けた。

「父さん、炉心の調整は?」

「済んでおる。時間だけはあったからな」

 炉心、という言葉と箱に刻印されている放射能標識を逆さにしたようなマークに、見物人と化していた兵士と難民の輪が、大きく広がった。
 一人だけ後ずさりもせず、達人の傍らに立つミチルにうっとりした視線を向けて、「観音様だ……」と呟いた太った兵士はいたが。

「申し訳ない。炉心といってもこれは原子力ではありません。ただ、人体に影響が無いとは言い難いので、なるべく離れていて下さい」

 周囲の反応に気付き、皆に軽く頭を下げる達人の顔色はやや青かった。
 比較的温暖な東南アジアと、BETA大戦の影響での気候変動もあって寒さの厳しい新潟を往復したからか。
 先程から、咳が止まらない。

「兄さん、もしかして風邪を引いたんじゃないの?」

 達人の肩に厚手のジャンバーをかけながら、ミチルが心配そうに眉をひそめた。
 見物人はもちろん息子さえ一顧だにせず、早速ゲッター炉心を戦闘機に積み込む作業を始めた父親に、きつい視線を投げかける。

「ああ、環境が一気に変わったからか? だが、ゲッターがいよいよ完成するんだ。どうってことはない」

 達人は笑って妹に礼を言うと、被った土を押しのけて数ヶ月ぶりに起動した工作機械を操作する端末を手に取った。
 研究所が廃止されてから、達人は伝手を辿り、完成一歩手前までこぎつけたゲッターロボを組み立ててくれる勢力を探していた。
 ほとんど相手にされなかった中、唯一賛同してくれたのが大東亜連合。
 早乙女家の財産とコネクションのほとんどを投じて接収を防いだゲッターの部品を組み上げ、輸送も行ってくれた。
 代わりに、早乙女博士と旧研究所がもっていた技術の多くを買い叩かれることになったが、父や自分達の宿願がかなうなら安いものだ。

「炉心の積み込みが終わったら、竜馬には早速テストをしてもらおう……そういえばあいつは?」

「化け物相手のお遊び」

「……またか。しょうがない奴だ」

 視線をすっとそらすミチルに、達人は苦笑を浮かべる。
 いつもの、防衛線を抜けて紛れ込んできた数匹の小型種を退治している程度だろう、と達人は思い込んでいた。
 現在の深刻な戦況を、大東亜連合からとんぼ返りしたばかりの彼が知る由もない。



 斯衛大隊司令部で、本多松子大尉は椅子に身を沈めていた。
 椅子のすわり心地はお世辞にも良くなく、それが気に障る。
 斯衛はエリート層出身者が多いだけあって部隊備品は一般部隊より上質だが、野戦用の物はさすがに贅沢とは一切無縁。
 椅子の軋みに顔をしかめながら、こめかみを揉みほぐす。
 先の見えない戦況、流竜馬なる男の暴走、そして不意打ち的な外交特使への対応。
 気疲れの材料には事欠かなかった。

 つい数分前、大東亜連合特使が退出していった入り口から、副官が日焼けした厳つい顔を見せる。

「……大尉、大東亜連合が輸送してきたのは航空機です。いずれも軍識別表に該当しません」

 上層部からの通達は、特に注意することはない、とされていたが。
 軍人の本能として、他国の装備が自国内に不可解に入ってくるのは気にかかる。
 特使を迎える一方で、彼に偵察を命じていたのだ。

「そうらしいな。あれは、大東亜連合が早乙女博士の委託を受けて組み立てたものだそうだ」

 松子の指が、傍らの書類――大東亜連合側から提供された、事情説明が記載されている――を示す。

 早乙女博士。その名は世界的に有名だった。
 未知のエネルギー『ゲッター線』を発見した男。
 アメリカの大型MMUに破れたとはいえ、ゲッター線を利用した宇宙開発用機械を独自に設計・開発した天才。
 そして問題行動の多さゆえ、能力業績に比して尊敬されること薄い人物として。

「大東亜連合は、早乙女博士の持つ特許技術使用権の代価として、要請された戦闘機3機の組み立てと輸送を実施した。
今後は、早乙女博士を伴って速やかに退避するといっている」

 博士の研究の過程で開発されたいくつもの新鋭技術。
 例えば、人間の脳波に干渉して五感を制御するシステム。
 元は機体感覚を搭乗者にフィードバックして訓練期間を短くするためのシステムだが、これは生体義足などの円滑なコントロールに利用されている。
 あるいは、ゲッター線に対応した金属(ゲッター合金)を完成させるための試行錯誤の中で生み出された、無数の特殊合金。
 既に日本帝国の軍需及び民需で利用されているものも多い。
 肝心のゲッター関連技術は、帝国が見切りをつけたように、あまりに特殊なために利用できるとは考えづらいが……。

 それらを一挙に獲得できるのなら、安い手間だと判断したのだろう。
 なお、いくら著名な学者でも個人で実戦装備した戦闘機を保有することはできない。
 軍籍上は、大東亜連合の所属になっているという。

「妙な話ですな。優れた技術が安価に欲しいのはどこの国も同じなのはわかりますが。だからといってここまでするとは。
帝国政府とて、無料で通したわけではありますまい」

 副官が小首を傾げた。
 無防備な輸送隊を前線付近まで来させる手間と危険性。通行自体にしても、国家間に無償の善意が無いことぐらいは把握している。
 なにしろ物が物だ。いくら戦術的価値を底辺まで落としたとはいえ、戦闘機はれっきとした兵器。
 技術の価値を計算しても、不可解さは拭えなかった。

 彼を公的な相談役としても重宝している松子は、いらついた指先で書類を叩きながら、うなずいた。

「特使がおっしゃるには、早乙女博士は『実物を見せるまでは、頑としてここを動かないし、特許使用も認めない』と主張して譲らなかったそうだ。
さすがあの男の飼い主だけ……」

 言いかけた唇が、止まる。感情に任せて斯衛にあるまじき言葉を口にしかけた自覚が、唇を噛ませる。

「……気になさってるのですか。あの流竜馬とやらの言葉を」

 副官の声色が変化した。気遣うように、やや親しげに。
 しばらく視線をさまよわせてから、松子はしぶしぶうなずいた。

『馬鹿野郎! 甘いのはてめえらじゃねえか! 
新潟で這いずり回っているほうはな、甘いも辛いも考えてる暇なんかねぇ!
いい格好できる坊ちゃま嬢ちゃまだからって大義だのなんだのゴチャゴチャうるせえんだよ!!』

 あの怒声。ふざけるな、無礼な、と思う一方で、声量だけではない何かに気圧されている。
 が、内心を察せられたのは癪だった。答える声はつい硬くなってしまう。

「元『黒』としては、同意するところがあるのではないか? 『義兄上(あにうえ)』?」

 松子には、姉がいた。
 生まれつき病弱で、早々に家を継げないと判断され。彼女の居室を尋ねる者は、使用人を除けば医者がもっとも多かった。
 このままでは嫁にも出せない、と嘆く父母に申し込まれたのは、松子の副官・斯衛軍中尉 仁科盛雄からの婚姻申し込みだった。
 一般家庭出身だが、1998年のBETA大侵攻における京都防衛戦以来の歴戦士官。次期当主である松子をよく支えてくれる信頼ある軍人。
 家柄以外のあらゆる面で「探しても滅多にいない婿殿」である彼を、一族は諸手を挙げて歓迎した。
 本多の姓を与えた分家を起こし、下位とはいえれっきとした武家の一門として立てるという厚遇ぶりだ。

「確かに、すっとした気持ちが無かったといえば嘘になりますな。ですが、気にする事はないと愚考します」

 結婚により、姓と斯衛服の色を変えた男は。
 義妹にして公私ともに目上、という微妙な関係の女性にあくまで真面目な顔を向け続ける。
 あの時、義兄が激発して見せたのは一種の演技であることは松子にはわかっていた。
 でなければ、部隊の面子が立たないからだ。
 軍人は舐められたら終わりな職業であるし、特に斯衛は将軍の威光を背負った親衛軍。
 一民間人に臆したと思われるようなことはできない。

 本心では、絶望と諦めが蔓延する昨今の日本では珍しく気合の入った奴だ、と好ましく思ってさえいたのかもしれない。
 迅速に前線へ保護要請を出すよう勧めてきたのは義兄だった。

「我々がただの恵まれた境遇に甘える、いい格好するだけのボンクラであるかどうか。それは戦場が自然に証明してくれるでしょう。
反論だけで済ませるのなら、それこそ間接的にあの男の言葉を肯定することになります」

 ましてBETAは人間の身分などで遠慮はしてくれません、打ち勝つことこそ唯一の道です。
 そうしめくくった義兄に、松子は目を瞬かせながら向き直る。頬は少し緩んでいた。

「なるほど、それは武士的だな。ではそうしよう」

 義兄が姉との婚姻を申し込んできた時。上位武家がもてあました娘に取り入って、成り上がろうとしているのではないか、と邪推したことがあった。
 部隊の中でも、そんな悪意ある噂が流れたのも事実。
 が、仁科あらため本多盛雄中尉は、反論を一切せずただ前と変わらない精勤を続けることで、雑音を退けていった。

「しかし、義兄上は姉の前でもそんな調子なの……」

 ふっと心身の力を抜き、軽口を叩こうとした松子の言葉を遮るように、突如通信機が緊急警報受信を伝える警告音を発した。

『HQより各隊へ! 旧新潟市方面に新たなBETA群、出現! レーザー級多数確認! 繰り返す、レーザー級多数確認――』

 オペレーターの叫びが意味するところを悟った松子が椅子を蹴り倒して立ち上がり、義兄から副官に戻った男と蒼白になりつつある顔を見合わせた。
 このタイミングで、光線属種含んだ側面奇襲!?



 佐渡島ハイヴから本土までを、もっとも短い直線で結んだ海岸一帯。
 半日に及ぶ人類とBETA群との戦闘は、ここを焦点とした意地の張り合いじみた様相を呈していた。
 BETAの大軍が続々と上陸し、人類側が火砲を並べて粉砕する。
 異星生物の数は多いが、馬鹿正直に一箇所から上陸を試みてくるだけなので、人類側も戦力を集中させて防御できた。
 海岸に向けて「U」の字を描いて体勢を整えた人類側の十字砲火が、右から左からBETAに殺到。
 どの人類軍に反応するか、で混乱したような動き見せるところへ、別方角からさらに一撃。

 その情勢に持ち込んで以来、小型種を意図的に無視して後方へ流した以外は、順調に防衛線は機能していた。
 火力量がBETAの物量を上回っていれば、このまま防げるという希望があった。
 ほんの数十分前までは。

 今、司令部のスクリーンに映し出される情報や映像は、希望が絶望にとってかわりつつあることを、無情に示している。

 BETAを食い止めていた右翼側の、さらに右に出現した多数の赤い光点――いや、既に点から面となりつつある――は、やや離れた位置にある人類軍マーカーを破壊する。
 奴らの中で、遠距離攻撃能力を持つのはレーザー属種のみ。
 そのレーザー属種こそが、人類を苦しめる要因の一つであることは、軍人ならば常識以前の知識だった。

「なんということだ……」

 主だった敵を迎撃している間に、新手に側面から上陸され挟撃される。
 これではあの本土崩壊の悪夢の再来ではないか。
 陸海そして斯衛軍を統合した指揮権を持つ新潟方面軍防衛司令官は、指揮官にあるまじき数秒の自失を味わっていた。

 支援航空集団の対地攻撃ヘリ部隊48機は、瞬時に壊滅。

 レーザー属種の攻撃により、右翼集団損耗率二割、さらに被害増大中。

 支援砲撃、やはりレーザーによる砲弾撃墜率四割。あわせて、正面上陸BETA圧力増大。

 レーザー属種の攻撃を避けるためジャンプや飛行といった回避行動が不可能になった戦術機部隊の陣形も揺らいでいた。

「予備兵力はっ!?」

 画面情報と、オペレーターの報告が繰り返し戦況悪化を伝える中。
 青ざめる顔の司令官の質問に、同じような表情をした参謀長がかすれた声で応じた。

「即応可能なのは……斯衛第2大隊、及び休養と補給を終えた161(第16師団第1)戦術機大隊のみです」

 愕然。司令官の体が一瞬、崩れかけるように揺らいだ。
 元々、部隊整備の問題から定数不足で各隊が戦闘に突入していたので、手駒不足は覚悟していた。
 だが最大の危機にたった二個大隊分の戦術機のみとは。

「あと1時間あれば、さらに三個戦術機大隊、砲兵一個旅団が対処可能ですが」

「それでは間に合わん……斯衛と161を新手に向かわせろ。海軍司令部へ通達。旧新潟市へ艦隊砲撃を集中されたし、だ」

 戦車及び機械化歩兵は、既に小型種をほぼ一手に引き受けることになった第二線への増援に投入済みだ。
 奥歯を噛み締めて決断を下した司令官に、若い参謀の一人がかけより、耳打ちした。

「閣下、161はともかく、斯衛第2は武家のやんごとなき方々が大勢含まれています。勝ったとしても後難が……」

 大隊の当人達は預かり知らぬことだが、斯衛の『身分的な』エリート部隊は前線にとって迷惑な存在だった。
 名誉の戦死であっても、力ある武家の遺族が逆恨みをすれば、門地をもたない一般軍人など簡単に破滅させられる。
 司令官もその懸念と無縁ではなかったからこそ、現在まで口実をつけて投入を控えていたのだが。

「馬鹿者! これは新潟防衛線が……いや、日本が滅びるかどうかの瀬戸際なのだぞ! 
安全なところでふんぞり返っている元枢府の連中が何かいってきたら、この皺首喜んで差し出してやるわっ!」

 八つ当たりも半ばあることを自覚しながらも、司令官は殺人者寸前の視線で参謀を睨みつけるのを抑えられない。
 蹴り飛ばされたようにのけぞる参謀は、そそくさと離れていった。

 最近の一部軍人は、烈士だの志士だの自称し、とかく政治をやりたがる癖がある。
 国のあり方というものは内閣や議会といった機関が、帝や将軍・国民の意を受けて決める仕事であるのに、平気で口出ししようとする。
 武家の身分を恐れたりしていた自分も彼等のことは言えないが、せめて政治遊戯できる時とそうでない時期ぐらい見極められないのか。

 そう怒鳴り散らしかけた司令官の背中に、首席参謀の声がかかる。

「閣下、斯衛第2は武御雷のみ装備です」

 短い言葉。
 意味するところを、荒い息を吐いて気を落ち着けた司令官はすぐ悟る。

 ALM(Anti LASER Missile)。
 破壊されれば、レーザー級の光線を減衰させる重金属を撒き散らすミサイル。
 これを囮発射してレーザー級の攻撃を無駄撃ちさせるのが、人類側戦術の鉄則。
 日本帝国は、戦術機で運用できるミサイルコンテナを開発してレーザー攻撃に対応できる能力を付与していた。
 だが武御雷は斯衛軍特有の思想と運動性重視から、ミサイル運用能力を排除している特異な機体。
 生産性、整備性と並ぶ、日本が誇る第三世代高性能機・武御雷の泣き所だ。

「命令に変更はない。斯衛連隊司令部に下命、第2大隊を可及的速やかに出撃させよ、と。指揮権の混乱を避けるため、展開後に第2は防衛司令部直轄とする」

 首席参謀の意見は、純粋な戦術的問題を指摘したものだ。
 が、それを考慮しても向かわせるしかない、という判断は変わらなかった。
 戦術機自体を囮弾代わりにしてでも、時間を稼ぎ出してもらわなければならない。

 命令が伝達されるのを確認しながら、司令官はモニターを睨みつける。
 そこで、ふと思い当たったことがあった。
 事前に帝国軍との別ルートから増援があったはずだ。
 そちらにも『政治的な借り』を作りたくないため、今まで無視同然で自由にさせておいたが、今は。
 表情を一層引き締めながら、手持ち無沙汰で片隅に立っていた、司令部唯一の国連軍士官を手招きした。

「『横浜』の厚意に縋らせていただく。A-01の戦線参加を要請する」



 紫の不知火が、戦場で踊る。
 それは、巧みだが常軌を逸した狂戦士の死の舞踏だ。
 日本帝国軍においては、紫は将軍を表す特別な色であるから、最初からそう塗られていたわけではない。
 在日国連軍もそれを尊重しているから、同色の戦術機はありえなかった。
 その機体を塗装したのは、数十をくだらない中・大型種BETAの返り血だ。

『腕だっ!』

 不知火の長刀が紫の液体を振り飛ばしつつ閃き、要撃級の前腕を根元から斬り飛ばす。
 斬撃のために踏み込んだ足が、ぶちぶちと小型種を圧殺した。

『目だっ!』

 87式突撃砲が、死の吐息を銃弾に乗せて重光線級の目玉を抉る。
 小刻みに振れる銃口が、照射能力を失った人類の脅威を、その周辺の戦車級もろとも蜂の巣にした。

『あひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃぁぁぁ!』

 通信機から流れてくる狂ったような叫び声に、A-01連隊第9中隊『ヴァルキリーズ』の二人がそろって顔をしかめた。

「いくら戦力が足りないとはいえ、あんなのが同じ隊とはぞっとしないな」

 小豆色の髪を揺らし、首を左右に振りながら宗像美冴中尉がぼやいた。

『あれはちょっと……』

 お嬢様然とした容姿の風間祷子少尉も、スクリーンの中で額に汗を浮かべている。
 なお、哄笑の主の映像画面は、精神衛生上の理由から早々に切って音声のみだ。
 できれば音声もシャットアウトしたいが、流石に戦場でそこまではできない。

 度重なる損耗から、中隊レベルの機数さえ維持できなくなった横浜基地副司令・香月夕呼の直轄部隊である、A-01。
 それを補うために送り込まれたのは、元重罪人やテロリストからなる、夕呼のもう一つの直轄部隊からの要員。
 彼女がどんな手を使ってでも完遂させようとしている、オルタネィティヴ第四計画に必要な負の部分……破壊工作や暗殺を担当する、部隊名さえ無い闇の集団。

 それは副司令に従って汚れ仕事と呼べることも、それなりにこなしてきた美冴達から見てさえ不気味な存在だった。
 これであの『神隼人中尉』が腕の悪い足手まといなら、『友軍誤射』の誘惑に勝てなかったかもしれない。

「特殊部隊は辛いな、欠員がなかなか補充されない。次の訓練兵の卒業まで、あと四ヶ月ほどか?」

『ええ、確か涼宮中尉の妹さん達ですわ。無事総戦技演習をクリアすれば、ですけれども』

「絶対、何が何でも合格して欲しいものだ」

 そんな会話を交わしながらも、二人の戦乙女の駆る不知火は、BETAの集団突撃を巧みにかわして銃撃を加えていた。
 小刻みに位置を変え、地形の起伏や突撃級の死骸などを盾にして、危険を最小限に抑えての冷静な戦闘。
 突出して暴れる不知火ほど目立たないが、同等の速度で異形生物の数を削っていた。

『ヴァルキリーマムよりヴァルキリー4、インターバル残り15秒です』

 二人の会話に、後方指揮所からの報告が飛び込む。
 先程話にでた中隊のCP将校・涼宮遥中尉だ。
 普段はやさしげな容貌に相応しい澄んだ声も、緊張を帯びている。

『了解、ヴァルキリー4、フォックス1』

 表情を引き締めた祷子が、機体の動きを一旦止める。
 不知火のランチャーから、炎の尾を引いて無数のALMが空中に飛び出していく。
 その間に美冴は、発射体勢のために停止した彼女へにじり寄ろうとするBETAを、銃火を浴びせて制していた。

 空中をいく筋もの閃光が縫い、ALM群を捉え一瞬にして爆散させた。
 これで、重レーザー級なら約36秒、小型のレーザー級なら約12秒次の照射ができなくなる。

「まずい、全弾撃墜か」

 しかし、美冴の顔つきは厳しい。
 こちらのALMの手数より、レーザー級の頭数が多いことをそれは示している。
 重金属雲による減衰効果は、空撃ちさせるよりずっと確実性が低い。

「はやく来て下さいよ、伊隅大尉」

 突撃級の体当たりを、角度を調節して弾かれないようにした120ミリ砲弾で正面から撃砕しながら、美冴は隊長の名を呟いた。

 レーダー画面は、上半分がほとんど真っ赤だ。
 A-01先遣隊だけでは、到底防ぎきれる数ではなかった。



[14079] 第六話
Name: mitsuki◆66f66a11 ID:1f7a972b
Date: 2009/12/29 22:33
 肩にかかる紫の髪を軽く揺らす横浜基地副司令・香月夕呼の細い指先は、キーボードの上を絶え間なく跳ね回る。
 視線の先の端末画面中で、余人には異次元の言葉としか思えないような複雑な数式と図面が飛び交い、組み上げられては消えていった。

 軍服というのは、基本的に没個性だ。
 身に纏ったものを、多様性のある人間ではなく、軍という組織を構成する『部品』に変えるために。
 差異が許されるとすれば、歩んできた経歴を示す胸の略綬ぐらいだ。
 軍隊にとって、個性の強すぎる人間というのは害毒でしかない。
 背中を任せる人間が、何をしでかすかわからない安全装置無しの爆弾のような人間だった場合、誰が安心して死地に赴けようか?
 だが、夕呼は国連軍軍服の上に白衣を羽織っている。
 軍の上部に学者としての己があると言いたげに。
 そして現実に在日国連軍は、彼女を使うのではなく、彼女の研究に奉仕する関係だった。

 人は香月夕呼をこう呼ぶ。
 横浜の魔女、と。

『副司令、ピアティフです』

 しばらくタッチタイピング音だけが響いていた横浜基地地下の一室に、若い女性の声が流れる。
 夕呼の直属副官イリーナ・ピアティフ中尉が、開きっぱなしにしていた通信回線から語りかけてきたのだ。

「何?」

 ピアティフの金髪ショートが目立つ容姿を思い浮かべることも、手を止めることもせず、声だけで応答する夕呼。
 まだ20代の年齢では過大すぎる肩書きと、それ以上の実権を持った彼女は多忙だった。

 Alternative 4。

 未知の宇宙生物・BETAを人類が確認して以来繰り返され、そして失敗し続けてきた特殊計画の四番目。
 BETAとコミュニケーションをとり、絶望的な人類の未来を打破しようとする国連の最高プロジェクト。
 その全権責任者ともなれば、殺人的な作業量に満ちた日常など当然だが、ここ数日はさらに仕事が増えていた。

『アメリカ合衆国大統領より、HI-MAERF計画接収に合意するとの内示がありました』

 副官のポーランド人が報告したのは、一機でBETAの本拠地である巣・『ハイヴ』に突入し、これを制圧しうる超兵器の取り扱いについてだ。
 その根幹には、人類が侵略者から得た数少ない恩恵――BETA特有の物質や元素から解析した技術が使われている。
 もしこれが実現していれば、夕呼が提唱し現在手がけている理論も、全て無用の長物と化していたかもしれない。
 それほどの可能性を秘めたものだったのだが。
 計画は様々な理由で頓挫し、今はモスボール状態の試作機が巨大な倉庫を占領しているだけだった。

「ふん……破棄した物を拾ってやろうっていうのに、ずいぶん勿体つけたものね」

 短く答える端整な頬に、かすかに苛立ちの波が走った。
 内示……つまり正式決定でもなければ内定ですらない、ということ。
 ここ一ヶ月、本来の仕事を切り詰めてアメリカと接触し、自身に好意的な勢力、あるいは敵対者に反対する間接的な味方の間を飛び回った結果がそれだ。

「まぁ、いいわ」

 現在のアメリカ合衆国は、オルタネイティヴ計画を自身らの提唱した5――BETA由来技術により完成した新型爆弾による攻撃計画――に進めることを目指している。
 その爆弾、通称『G弾』はほんの2年前にこの横浜で使われた。しかも関係各国に無通告、という暴挙で。
 そこまでした実績のある、世界から孤立することすら恐れないがごとき超大国が歩み寄ってきたのは前進だ。
 恐らく、G弾投下強行がアメリカのオルタネイティヴ5派の暴走であり、国内からさえ少なからぬ批判を受けたことが影響している。
 アメリカは、権力者のやる事を堂々と論評できる政治的自由が保障された国だ。
 日本のように、将軍殿下に逆らうようなことは……と口にしつつ実権は奪う、などという事が無い一点だけは、夕呼の好みでもあった。
 これ以上のG弾投下だけは、絶対に認められないが。

 そう思考を切り替えると、ようやく指を休めて視線を回線端末に向ける。

「それで、新潟の戦況はどうなの?」

 未来の事は一旦おいておいて、今現在日本を襲っている危難に意識を移す。
 夕呼の計画の後ろ盾になっている日本帝国。瓦解してしまえば、全てが足元から崩れかねない。
 独断で投入できる実働部隊たるA-01を戦力低下を承知で投入したのだが、大丈夫だとは判断できなかった。
 彼女は確かに天才であったが、万能でも全知でもない。
 具体的な実戦指揮については本職の軍人には及ばないし、戦力を生み出す魔法の壺も持っていないのだ。
 正規の在日国連軍が整備途上である以上は、帝国軍を頼みとするしかなかった。
 最悪の場合は、あらゆるコネクションを使って戦力をかき集めてでも横浜だけは死守することになるだろうが。

『芳しくありません。正午までは順調に推移していましたが、光線属種出現と同時に苦戦しています。先程、A-01も本格戦闘に入りました』

「こうなったら、伊隅達に任せるしかないわね。神のお守は大変でしょうけど」

 回線の向こうで、ピアティフが数秒沈黙する。

 神隼人――元帝国陸軍中尉。
 正規軍人でありながら、身内の帝国軍の要人や施設を襲っていた重犯罪者でありテロリスト。
 近頃、大義だのなんだで自分の妄想を義挙に化粧した軍人が白色テロを起こす事件が続出しているが。
 その中でも男は特に凶暴かつ狡猾で知られていた。
 鬼の帝国軍憲兵隊さえ、隼人の名を聞くだけで尻込みしたという。

「そんなに心配しなくても大丈夫、神は知的好奇心さえ満たしてやれば、いい手駒よ」

 A-01と隼人を組ませること自体にピアティフが否定的なことは、言葉の端々から察していた。
 が、夕呼に懸念は無かった。だから、数日ぶりに笑い声を出せる。

 隼人が襲ったのは、いずれも最新技術を管理研究する人物あるいは施設ばかり。
 狂気じみた行動の根本にあるのは、政治的な野心でもなければ感情的な義士ごっこでもなく、知への渇望。
 大義云々は、手駒を得るための口実。

 科学者として、発散する方向性こそ違え同種の性質を秘めていたことからそれを察した夕呼は。
 『世界の最新技術情報提供』を餌に誘いをかけた。
 狙いははまり、隼人はあっさりと夕呼の提案に乗る。
 同志、としていた手下達さえその爪で血の海に沈めた手で、魔女の差し伸べた手をとった。

 興味を引く情報に接させてやれるようにする限り、神隼人は冷静沈着・知力体力ともにトップクラスの得がたいエージェントとなった。
 特に隼人が好奇心を抱いていた『ゲッター線』関連技術については、研究していた大元が廃止されたために最近情緒不安定がぶり返していたが。
 代わりにアメリカから交渉途中で入手した、BETA由来技術情報という手札をちらつかせてある。

「……失礼しました。神中尉に問題はありません。現時点においてA-01は全機健在です」

 A-01の女性衛士達の精神衛生上についてはあえて省いて報告するピアティフに、それをお見通しの夕呼は唇をかすかに緩めた。
 本心では、戦う伊隅らが心配だった。
 だが、前線から遥かに離れた位置にいる自分達が何をしたところで、小銃弾一発分の援護にもならない。
 夕呼に出来るのは、計画を完遂すること。
 それ以外、彼女らの献身に報いる道はないのだから。
 作業の邪魔になる感傷は、一呼吸で体外に追い散らす。

「わかったわ。また何かあれば知らせて頂戴」

 了解いたしました、という副官の返答を聞き流しながら端末画面に向き直る夕呼。
 再びキーボードを叩く音だけが部屋を支配していった。



 巨大な人型兵器である戦術機の機動力を保障するのは、腰部につけられた跳躍装置(ジャンプユニット)だ。
 ある程度可動性をもったそれを噴かすことにより、戦術機は短時間ながら航空機に匹敵する速度での飛行さえ可能。
 だが、A-01『ヴァルキリーズ』隊長・伊隅みちる大尉の駆る不知火の跳躍装置は、ほとんど沈黙している。
 飛翔体を優先攻撃する光線属種が戦場に多数存在するため、短距離跳躍さえ制限しなければならない状況が機体を大地に縛っていた。
 一方で右腕で保持した突撃砲は、絶え間なく36ミリ砲弾を吐き出し続けている。

「ヴァルキリー1よりHQ。右翼集団後退までの残り時間は?」

 ロックオンした戦車級の群れが赤黒い破片と化し、地面に撒き散らされるのを確認しながら、通信を入れた。
 みちるの赤みがかった目には強い闘志の炎があり、一方で声は冷静さを保っている。
 若いながら場数を踏んだ女性衛士は、両腕で握った操縦桿を小刻みに動かし、無駄弾をほとんど使わずBETAを撃破し続けていた。
 やみくもに撃ちまくったりはせず、脅威でないものはある程度近づくまで放置。
 BETAは絶対に味方を誤射しない、という人類の常識を超えた特性を逆手にとり、BETA自身でレーザー級の射線を塞がせるためだ。

『約50分。予定より遅れている』

 短い返答に、みちるは思わず顔をしかめる。
 司令部は挟み撃ちにあった右翼集団を後退させ、それをさらに最右翼に移動。挟み撃ちをやり返す計画を立てていた。
 この作戦自体は常識的なものだったが、その時間を稼ぎ出すために当てられた戦力は、あまりに少ない。

『た、隊長! 戦車級に取り付かれました、そ、装甲が齧られて……ひぃ!?』

 若い女性衛士の悲鳴、人類の盾たる戦術機が異星生物の餌となっていくことを示すおぞましい金属音。
 何度聞いても背筋を寒くするそれらに耳を打たれながら、みちるはデータリンクを確認。
 食いつかれたのは、ともに戦場に突入した第16師団の撃震だ。
 小型種に分類される戦車級だが、何十、時に何百とたかって戦術機を食らい尽くす。
 中型種へと気を取られている隙に、にじり寄られて群れに飲み込まれたらまず最後だ。
 もっとも衛士を多く殺しているBETAはレーザー級ではなく、戦車の名を与えられた赤い悪魔だった。

『くっ……待ってろ、今いくぞ!』

 レーダー画面上では、前田光次少佐のマーカーが赤い点に埋められた撃震に近づこうとする。
 しかし、距離はあまりに遠い。
 少数の戦力で多数の敵を防ぐため、分散しつつ抗戦している状況だった。
 戦術機の基本運用単位である2機連携さえまともにできないほど。

『う、うわぁぁぁ!? いやだぁぁぁ! おかあさぁん!』

 BETAに食われつつある撃震が、跳躍ユニットを全開にして宙に舞い上がる。
 推力によって機体にまとわりついた戦車級は、次々と剥がされ地に落下していった。

『ば、馬鹿!? 着地しろ早くっ!』

 少佐の切羽詰った叫びの語尾に、爆音が重なった。
 確かに戦車級は振り切れたが、同士討ちの危険性が無くなった瞬間。
 人類から空を奪ったレーザー級の閃光が突き刺さったのだ。
 装甲を食い散らかされていた撃震は、一秒ほども照射に耐え切れず。
 無数の焼け焦げた破片となって戦車級の後を追う。
 空に残るのは黒い爆炎のみであり、それも程なく空気に溶けて消えた。
 痛みに苦しむ暇も無く逝けたのは、せめてもの救いかもしれないが……。

「ヴァルキリー1よりグリフォン1、ポジションを外さないでください」

 みちるは主足走行で位置をかえ、窪地に不知火を滑り込ませた。
 要撃級接近。撃破したらレーザー級とご対面になる、と判断したみちるはそいつの前腕の付け根を狙撃、攻撃力を奪うだけに留める。
 そしてすかさず、突撃級の残骸の陰に移動。

 ……部下を失った痛みは、規模こそ違えど同じ部隊長を務めるみちるにはよくわかる。
 だが、彼にはまだ指揮しなければならない部下が残っているのだ。
 一機戦力が減ったことで、残存機にかかる負担はさらに増大している。
 現場最上位である少佐に潰れてもらうことはできなかった。

『畜生、これ以上オレの部下をやらせるかっ! 各機、でかいのにばかり気を取られるな、まずいと思ったら早めに距離をとれ』

 警戒を促す声に、ぎりっという歯軋りが混じる。
 了解と返す彼の部下達の声も精彩を欠いていた。
 休養を挟んでいるとはいえ半日近く戦闘をこなしているところへ、この大任だ。
 開戦時に珍しく定数を満たしていた161大隊は、現在では二個中隊弱まで数を減らしている。

『CPよりグリフォン1。斯衛第2大隊到着、コールはエッジ。また、ヴァルキリー3及び4、ALMランチャー補給完了、戦線に復帰します』

 戦域管制を行う涼宮中尉の報告が、重苦しい雰囲気を僅かに吹き飛ばす。
 A-01(コールサイン)ヴァルキリー。第16師団第1大隊 グリフォン。斯衛第2大隊 エッジ。
 ようやく、緊急展開が指示された部隊が揃った。
 そしてあまりのレーザー級の多さに下がってALMを補給・装備するよう指示していた宗像美冴と風間祷子両名が再度前線に姿を見せる。
 同時にレーダー下部に味方を示す青い光点、計36個だ。

『エッジ1よりグリフォン1。本多松子斯衛大尉以下36名はグリフォン1の指揮下に入る』

 みちると同年代らしきの若い女性のコールが入った。
 それを受けて、前田少佐が落ち着きを取り戻した声で応答する。

『グリフォン1よりエッジ。前田光次帝国陸軍少佐、指揮を取る。隊形翼壱(ウィング・ワン)にて展開、戦線を形成せよ。
敵の数は多い、レーザー級多数なので空は駄目だ。障害物を利用して遅滞戦闘』

『了解』

 将軍家とその縁者の守護を第一とする斯衛軍は、軍事と要人警護を同時に行う部隊。
 精鋭といわれる反面、その立ち位置から対BETAの実戦経験が少ない者が多い。
 また、階級とは別の身分制度を持つため、前線たたき上げと摩擦を起こすことが少なくない。
 斯衛では実力・階級・経験に関わらず出身身分だけで服装の色、与えられる装備さえ違うという一般軍にはない構造をもっているぐらいだ。
 黄(有力武家)の大尉に、斯衛でいえば黒(一般庶民)出身でしかない少佐が命令する状況となれば、火種には事欠かない。
 元日本帝国軍出身でそれらを良く知るみちるは問題発生を懸念していたが、杞憂だったとわかりこっそり安堵の息を吐いた。

 武御雷が、みちるらの後方に一線に並ぶ。
 色とりどりの武御雷が、角を模したようなセンサーマストを振りたてて居並ぶ姿は壮観だ。
 明らかに動きが鈍いものもある。
 恐らく初めてBETAと対峙する、初陣の衛士だろう。こんな苦戦が初の洗礼とは可哀想だが、健闘を祈るしかない。

「ヴァルキリー1よりヴァルキリーズ。あと十分で後退して補給を行う。3及び4は、このままグリフォン1の指揮下へ」

 通信に耳を傾け、味方の状態を確認しつつも、みちるの不知火は大地を蹴って硝煙と死と破壊の中を駆ける。
 機体が浮き上がらない程度に抑えた右の跳躍装置を数秒だけ、点火。
 くるり、と左足を軸に機体を高速回転させ、不知火を押し潰すべく迫ってきた突撃級を回避。
 次に機体前方へ向けて右跳躍装置を軽く吹かし、慣性を相殺。
 すり抜けていったそいつの背後へ向けてロックオン。
 36ミリをバースト射撃。
 硬い正面装甲殻に比べて脆弱な突撃級の背中は、それだけで派手に肉片を撒き散らして砕けた。
 突撃級はまだ生きている様子だが、止めを刺す暇もなく、新たな接敵警報。

『ぴ、ぴやぁあぁぁぁ!? ふぉ、要塞(フォート)級だぁ、要塞級まで出てきやがったぁ!?』

 網膜画面の左端に、口と目を大きく歪めた男の画像が映る。
 今の奇声の主、神隼人だ。
 黙っていれば長髪に引き締まった顔つきと、相応に見れる顔であるはずの彼の容貌は。
 今は狂人寸前の狼狽に支配されていた。
 本当に自分達と同じ日本人か? と疑うほど毛並みが違いすぎる臨時の部下の言動には、今日だけで幾度か頭痛を覚えていたが。
 今回ばかりは、その余裕もみちるにはなかった。

「要塞級だと!?」

 錯乱寸前になりながらも、土砂とBETAの体液で本来の蒼い装甲はほとんど見られなくなった不知火を後退させる隼人に、鋭い声を飛ばした。
 奴自身については、そんな状態になりつつもしっかりナイフで退路を邪魔する要撃級を刻んでいるので、心配は不要だろう。
 返答を待つまでもなく、データリンクが自動的に情報と画像を転送してくる。

 全長約52メートル・全高66メートルに達する、BETAの最大種。
 いくつもの節を持つ胴体を支える十本の足は、先の尖った大地さえ貫く槍のようだ。
 動くたびに揺れる足の間の尾節は、全長に匹敵するほどの長さまで伸縮自在であり。その鉤爪状の先端は強烈な溶解液を秘めている。
 足にしろ、尾節にしろ戦術機さえ一撃で破壊できる代物だ。

 要塞級は、海を割るようにして姿を見せつつあった。
 巨体に相応しい防御力と生命力を持ったそいつは、人類側の砲撃を嘲笑うかのように砲弾の破片を浴びても小揺るぎもせず。
 ゆっくりと、だが確実に日本の大地にその影を落としていく。

『まずいぞっ! あれが盾になったら海中のレーザー級まで這い上がってくる……』

 男性衛士の誰かが呻く。
 BETAのレーザーは、大気中での減衰がほとんど期待できないほど高出力だが、流石に大量の海水を貫いて攻撃はできないらしい。
 それゆえ、上陸を許さない限り無力な存在だ。
 艦隊からの砲撃でそれらの何割かを海中に釘付けにしているから、なんとか戦線を維持できている。

 既に上陸を許した光線属種だけでも人類側を追い込んでいっているのに、これ以上増加されたら――

 みちるは、唇を噛んだ。
 人類側のもっとも手薄な戦線に、最大の戦力がぶつけられた。
 BETAが狙ってやったのかは、奴らの行動原理や知性がまったく不明な今はわからないが。
 確実性を増したことが、一つだけあった。

 日本帝国は終わるかもしれない。



 極東国連軍第11軍所属。横浜基地副司令直属、A-01連隊第9中隊ヴァルキリーズの二番機。
 部隊最強の証である名誉ある突撃前衛(ストームバンガードワン)の位置を占める、その機体の管制ユニット内では。

 野獣が、美女の膝の上に座っていた。

 ざんばら黒髪、つりあがった目に野性味たっぷりの顔立ち。そのがっしりした体躯は四点ハーネス式のベルトで捕縛……いや、固定されている。
 そんな男を膝に乗せているのは、青みがかった髪を後ろでまとめた女性。ややきつめだがはっきりした顔の造りは、十分整っているといえた。

 傍から見れば微妙な構図だが、流竜馬と速瀬水月の顔には笑いの欠片もない。
 竜馬が勢いで収容された当初は、

「女の膝の上になんか座れるかよ」

 という竜馬の心底嫌なそうな声や。

「あたしだって嫌よ! あんたが原因なのに文句いわないで!」

 水月の、竜馬の強面も恐れずにぽんぽんまくし立てる言葉が響いていた。
 救護要請の出ていた男を保護した、と水月がHQに連絡する声さえ、しばしば聞き取りにくくオペレーターからお叱りを貰ったぐらいに。

 だが、今は沈黙が狭い空間を支配していた。
 響くのは、機体が駆動する軋み程度だ。
 不知火は、同胞が戦っている戦線に背を向ける形で匍匐飛行を行っている。
 敵前逃亡ではない。竜馬を安全な後方へ脱出させるためだ。

 二人が怒鳴りあっている間に、戦況は激変した。
 水月はできることなら、一刻も早く戦闘に突入した原隊に復帰したい。
 が、衛士用装備一切を身につけていない人間を乗せたまま戦闘は無理だった。
 鍛えられた正規衛士が対Gに優れた強化装備を着用してさえ、激しい機動のために加速度病にかかり、時に命を失うのだ。

 通信からなだれ込む戦況悪化と、味方苦戦の情報を余さず拾っていた水月の口数はめっきり減り。
 竜馬も彼女がそんな調子では、しばらく何も口にできなかった。

「もし、間に合わなかったら。あんたを許さない」

 その声は低く、搾り出すよう。
 レーザー照射を避けるために一定高度以下に機体を抑える操縦桿を握る指が、小刻みに震えていた。

 竜馬は、困惑を貼り付けた顔を彼女に向けた。バツが悪そうに、視線は微妙に逸れたままだが。

「オレを降ろすか、かまわず戦えっていっただろうが。この程度の揺れ、プロトゲッターに比べりゃ……」

「ゲッターだか下駄だか知らないけれど、わけのわからないことはもううんざり」

 水月は、強気に見えて内心は繊細だ。
 口ではどういおうと、戦地に民間人を置き去りにすることも、その身を無視して戦うこともできない。

 これが強権的に押さえ込もうとしてくる相手なら、竜馬は彼女がたとえ将軍様であっても反発したかもしれないが。
 何かを耐えるようにしながら声を抑えてくる彼女相手では、汚れた指で頬をかきながら黙るしかなかった。

「……?」

 ふと水月の憂いを湛えた眉が、怪訝を示すそれに形を変えた。
 疑問の視線を向ける竜馬を一瞥すると、手元のパネルを操作する。

「一般連絡用の通信回線で、あんたの名前を呼んでいる人がいるわ」

 すると、それまではヘッドセットをつけた水月にしか聞き取れなかった通信が、コクピット全体に流れ出す。
 竜馬の声も通信に乗るはずだった。

『流竜馬。返事をしろ。流竜馬、返事を……』

「ジジイか!?」

 竜馬の目が見開かれ、声が跳ね上がった。
 通信の主にまったく心当たりのない水月はきょとんとしたが、そのしゃがれた割りに張りのある声は、さらにこう続けた。

『遊んでいないでさっさと戻ってこんか。大事な仕事があるからこそ、お前を研究所に招いたのだぞ』

「なにが招いた、だ! 殺し屋をけしかけてきた挙句、人を麻酔銃で撃ちやがって! ありゃな、誘拐ってんだ! 
……そういや下駄でぶん殴ってくれたっけな!」

 反射的に怒鳴り返す竜馬。ここにいない誰かに噛み付く、とばかりに歯を剥き出しにしていた。
 だが、通信回線の向こうの人物は文句をすっぱりと切り捨てる。

『そんなことはどうでもいい。だいたい返り討ちにした上に、象でも眠る麻酔が暫く効かったのはどこのどいつだ』

 目をぱちくりさせる水月は、自身を無視して交わされる言葉に理解がついていかず呆然としていた。
 (殺人未遂と傷害、誘拐? なんなのよこいつら……!?)

 通信――早乙女博士の覇気に満ちた言葉が押し被せられる。

『竜馬。ゲッターが完成した……ゲッターロボ、出撃だ!』

 それを聞いた途端、竜馬は黙り込み。
 水月が思わずのけぞるほど、口元を釣り上げて笑った。

 飢えた獣が、放たれる刻を悟ったかのように。



[14079] 第七話
Name: mitsuki◆66f66a11 ID:1f7a972b
Date: 2010/01/03 02:30
「避難しましょう、早乙女博士。我が大東亜連合は博士の頭脳を高く評価しております。ここで貴方を失いたくはないのです」

 今年で53歳になる呉敬威は、大東亜連合特使として祖国・タイを含むアジア諸国連合体の利害を代表する立場にある。
 華僑上がりらしい粘り強く抜け目ない交渉力と、温和な物腰には定評があった。
 しかし、今はその双方をかなぐりすてている。言葉は直接的であり、紅潮した細面は焦る素振りを隠してもいない。

「帝国軍は大変苦戦中です、どうか……」

 この難民区近くに臨時の野戦基地を設置した斯衛軍が、慌しく全力出撃したのが1時間ほど前。
 例の懲罰隊含む歩兵隊はキャンプ前面に展開して警戒していたが、その戦力はお寒い限りだ。
 残された憲兵を主体とする残留部隊は、難民を後送する為の誘導を既に始めている。
 斯衛が昨日約束した事の一つ、最悪の事態が迫れば避難させてくれるという約束。それが早速果たされようとしている。
 しかし、短時間で数万の難民を移動させる輸送手段は無い。
 また難民側も、一転して訪れた危機に自失になる者、絶望を浮かべる者も多く、動きは鈍かった。

「逃げたければ勝手にするがいい。欲しいものはもうくれてやったはずだ」

 だが、呉特使の懇願を早乙女博士はにべもなく跳ね付ける。
 呉の手にある契約書――早乙女博士及び旧研究所の持つ技術の、無料同然での優先使用を認めるサイン入りの物――を渡したから用済み、とばかりに。
 博士の身を包むのは白い服。が、それは汚れた白衣ではなかった。
 白いパイロットスーツだ。黒い手袋を嵌め、黄色いマフラーを首に巻きつけている。
 その背後にあるのは、赤色を基調としたカラーリングの航空機。猛禽を連想させる鋭角的なフォルム。
 博士はそれを『イーグル号』と呼んでいた。

 そんな二人のやり取りを眺める歩兵第9連隊からの派遣兵士の一人が、ぼそりと呟いた。

「あの爺さん、『空飛ぶ戦車級』に乗る気か?」

 なんだそりゃ、と隣の兵士が応じる。
 彼らは、大東亜連合特使らの護衛を命令されているため、避難誘導に参加することもできない。
 緊迫した空気の中、何もすることがない兵士達の顔つきは不安一色だった。
 気を紛らわすためか、その兵士はさらに口を動かす。

「前の部隊……厚木飛行場の警護部隊で一緒だった奴に聞いたんだよ。早乙女って学者先生が新型兵器を作ってるって。
で、軍の衛士の何人かが開発に協力したんだが、それがえらい滅茶苦茶な機体でな」

 赤い塗装の試作戦闘機は、テスト飛行の度に事故を起こした。
 ある衛士は、強化装備をもってしても耐え切れないGのため重度の加速度病に陥り。
 またある者は、機動を制御しきれず地面に脱出の暇も無く叩きつけられた。
 あまりの死傷者の多さに、軍人らは似たような赤い色を持つ『衛士をもっとも食い殺しているBETA』の名をその戦闘機につけた。
 ついで作られた白、黄色の戦闘機も同様の事故を続出させると、衛士達はもう悪態をつく気力さえ無くなったという。

 早乙女研究所が帝国からの支援を打ち切られ、追われるように施設自体も接収されたのは、この損害が響いている可能性は高い。
 このご時勢に、養成に莫大な費用と時間がかかり、適性も貴重な衛士を潰されたのだから。

「おいおい、そんな危険なシロモノなのかよ。そりゃ目玉野郎のレーザーを避けるには、それぐらいじゃないと駄目かもしれないが」

 極超音速(約マッハ5以上)を出せるか、超低空飛行(匍匐飛行)ができる航空機以外が、レーザー級の射程内に姿を見せるのは被撃墜と同じ。
 しかも、それが可能だったとしても確実にレーザー照射を避けられる保証はない。
 博士と三機の戦闘機に注がれる兵士達の視線は、同胞を犠牲にした相手に対する嫌悪感を帯びたものとなった。
 仮に動いたとしても、たかが戦闘機に何ができる、という呆れも混じっている。

 だが、早乙女博士自身はそんな周囲も、呉さえ無視して白い機体に顔を向けた。

「達人、ジャガー号はどうだ?」

「いけます、イーグル号のオートパイロットも設定完了」

 ジャガー号に乗り込んだ達人は、父と同様の服装に加えてヘルメットを既に装着している。
 現在の戦術機用の衛士強化装備ではヘルメットは被らないため、まさにかつての戦闘機パイロットそのものの姿だ。
 コクピット内に持ち込んだ端末を叩き、ほどなく父に向けてうなずいてみせる。

「父さん、正気? 兄さんも無茶はやめて!」

 呉の隣で、早乙女の姓を持つ最後の一人、そして唯一出撃に反対するミチルが声を荒げる。
 そんな娘から表情を隠すように、博士がヘルメットを被った。

「……お前もわかってるだろう。BETAが迫ってきてる。逃げても食われるだけだ」

 BETAは突撃級なら最高時速170キロ、戦車級も時速80キロで陸地を蹂躙してくることがこれまでのデータから証明されている。
 航空移動をレーザー級によって抑えられている今、大方の人類の移動手段より速いのだ。
 そしてこれほどの苦戦となれば、軍は難民防衛に手を回したくても無理だろう。
 生き残るためには、戦うしかない。そして戦うためのマシンが、今ここにあるのだ。

「博士、ならせめて貴方方だけでもこの機体で逃げてください」

 今なら、斯衛軍が目をつけた山が壁になりレーザー照射される危険性は低い。
 博士とその家族だけでも飛んで逃げてくれ、と呉はさらに言い募る。
 ここで外交特権を振りかざして自分を逃がせ、といわない辺りは最前線付近までわざわざ来るだけあり、肝が据わっている。
 が、博士は首を横に振るばかりだ。

 本音では博士も、出撃は無謀だと思っていた。
 大東亜連合はよくやってくれたが、やはりゲッター線には無知ゆえに各システムの調整は甘い。
 何より、これを操るパイロットが不安だった。

「せめて、三人揃っていれば」

 呟くとともに、早乙女博士の目にかすかに悔恨の細波が走る。

 博士はまだ帝国から特権(資金支援他、違法活動の免責含む)を与えられていた時期、完成予定のゲッターロボに潰されないだけの力を持った者を探していた。
 が、非合法手段を持って流竜馬を得て、他の候補に目星をつけたところで博士の研究は打ち切られた。
 幸い息子の達人はゲッターを乗りこなす力を持っていたが、竜馬に比べればやや劣っている。
 まして今は、病気らしい咳を意思で押さえ込んでいるのが見て取れるのだ。
 残るは博士自身。気を張ってはいるが、いくらなんでも歳を取りすぎていた。
 若い衛士さえ潰す試作ゲッターに乗れていただけで、年齢に比べれば凄まじい体力だが、この場合は何の慰めにもならない。
 BETAは老若男女を問わず、人間を襲い食らっていくのだから。

 三人。ゲッターにもBETAにも食い潰されず、逆に食らいついていくような男達がいれば。

 考え事をしていたせいか、それとも難民区の過酷な暮らしが本人の自覚しないうちに体を蝕んでいたのか。
 丸みを帯びたパーツを持つ最後の一機・ベアー号に乗り込もうとコクピットにかけた博士の足が滑る。

「……ぬぉっ!?」

 ずり落ちかける博士に、呆れた視線が集中する。
 駆け寄るのは、ミチルと呉ぐらいだ。
 だが、嫌悪と呆れを隠さない兵士達の中で、一つだけ動いた大きな影があった。
 肩に担いだ分隊支援火器を足元に置くと、ベアー号に駆け寄るその兵士。

「おい、じいさん大丈夫か?」

 武蔵坊弁慶が、丸太のような太い腕を伸ばして博士の体を支えた。

「なんのこれしき、余計なこ……?」

 気が立っていることもあり、老齢に似合わない獰猛な顔つきで弁慶を睨もうとした博士の顔がぽかん、と緩んだ。
 弁慶の福々とした頬を、濃い眉毛をしばらく呆然と見つめていたが。
 目を閉じ、開くと神妙な表情を作る。

「すまんな、上げてくれんか?」

 やけにおとなしくなった父親の姿に、ミチルは心配の表情を消して胡散臭げに目を細めたが。
 弁慶はそんな彼女をちらっと見ると、鼻息を荒くする。

「もしや、娘のミチルに興味があるのか?」

 補助される形でコクピットの乗り込もうとした博士が、皺の寄った笑顔で弁慶に囁きかけた。

「ミチルさんとおっしゃるんで? ……え、えへへへへ」

 善意もあったが、下心も十分だったことをそのだらしない笑いで証明しつつ、弁慶は空いている手で自分の頭をかいた。
 その隙に博士の手が、獲物狙う蛇のように動いて弁慶の肩を掴んで、そのままコクピット内に引きずり込み。
 自分は入れ替わるように外へと出る。さらに、コクピットの傍についていたレバーを勢いのままに引いた。
 突如のことに目をぱちくりさせたのは、当の弁慶だけでなく見物することになった者達も同じ。

「な、何晒すんじゃこのクソジジイ!?」

 先程とは違う感情から鼻息を吹きだしながら、体を起こそうとした弁慶の目の前で風防ガラスが降りる。
 早乙女博士が外部から操作したのだ。口の両端を愉快そうに歪めながら。

「いいぞ、達人! 発進だ!」

 娘と特使の背中を押すようにしながらベアー号から離れる博士が怒鳴る。
 その時には、ベアー号の二基のエンジンは低い唸り声を漏らし、炎の舌をちろりと機体後方へ見せはじめている。
 既に発進シークエンスに入っている証だ。
 達人は、戸惑った顔をコクピットから覗かせていたが、博士が真剣な眼光を向けるとうなずいて見せた。
 前を向き、風防を下ろし。ジャガー号がエンジン点火、同調状態にある無人のイーグル号のそれも。

 轟音とともに三機の戦闘機が弾かれたように飛び出す。
 ほとんど助走距離もなく機体が浮かび上がった。機体重量に比べて推力が大きい証拠だ。
 機首が向く先は地獄の戦場。爆音を残し、三つの影は地を這うような超低空飛行で消えていく。

「間違いない、あの男は武蔵坊……武蔵坊弁慶! 噂どおり、ちょいとアレらしい」

 あまりのことに特使や兵らはもちろん、父親の奇行に慣れているはずのミチルでさえ唖然とする中。
 一人、早乙女博士は手がけた機体が上げた土埃の残滓を眺めやりながら、歓喜の笑顔を浮かべていた。

 まさか、こんな所で捜し求めていたパイロット候補の一人とめぐり合えるとは!

 ひとしきり笑った博士は、足先を難民キャンプのほうへと向ける。正確には、その向こう側にある斯衛の仮設司令部へだ。

「父さん、今度は何をしでかす気?」

 こめかみを細い指で押さえながら、ミチルがため息交じりにその背に声をかける。
 今の発進で、避難する人々やそれを誘導していた軍人らもいっせいに手を止めてしまい。不思議な沈黙が一帯に下りていた。

「防衛司令部と連絡をとる。司令官とは旧知だ」

 短く言い捨てると、博士は絡みつく無数の視線を振り切るように、大股で歩み去った。



 荒野に一機立つ不知火のレーダーが、三つの高速移動する物体を捉える。IFF(敵味方識別装置)によれば、大東亜連合のサインを出していた。
 それは、まっすぐに不知火へと接近してきている。
 複合センサーを作動させ、まだ周辺にまではBETAが達していないことを確認しながら、水月は首を傾げた。
 あの強烈な通信は、『イーグル号を差し向けるから飛び乗れ』とまくしたててから一方的に切断されたのだ。
 視線の先には、固定ベルトを外して水月に背を向ける男の姿。あの凶相といえる笑みも今は見えない。

「イーグルって、F-15の愛称よね? あんた、衛士だったの?」

 F-15とは、アメリカが開発した第二世代戦術機。
 その性能・実用性・拡張性は世界トップクラスで、第二世代最強の呼び声も高い名機だ。
 日本もその改修型をF-15J『陽炎』として配備しており、不知火の手本となった機体でもある。

 勢いに飲まれて謎の通信や、竜馬の指示に従うことになってしまったが。
 冷静に考えてみれば、正規の軍人である水月が彼らの言うことに従う理由は何一つ、無い。
 仮に竜馬が大東亜連合の地位ある軍人だったとしても、国連軍特殊部隊たるA-01は指揮系統の中では独立している。
 例外があるとすれば、隊長たる伊隅大尉らが現在やっているように、戦闘における効果を優先させ他部隊に指揮権を認めた場合ぐらいだ。
 その独立権を行使するにせよ、改めて従うにせよはっきりさせたかった水月だが。

「ま、似たようなもんだ」

 竜馬は、開いた不知火の胸部から身を乗り出すようにしたまま、振り向きもしない。
 それが水月の癇に障る。侵入してくる外気に混じる砂埃も、気分をざらつかせる材料だ。
 彼女の青い瞳がすっと細まる。真面目に答えて、とその薄汚れたマント姿の背に怒鳴ってやろうとした刹那。

「よっしゃあ!」

 竜馬は吠え、ハッチ上部に手をかける。逆上がりするようにして、水月の視界の外へと消えた。
 不知火の胸部装甲上に移動したのだ、と不知火の頭部メインカメラと同調した網膜投影映像から水月が察した時には、さらに機体の首辺りへ。
 その間にも三つの光点は、いまだ砲煙にも重金属にも汚染されていない蒼天を背景に、不知火へと接近。
 水月の予想した、アメリカ製戦術機ではない。めったにお目にかかれない、戦闘機タイプの飛行機だ。
 みるみるうちにそれは赤、白、黄のそれぞれ異なる塗装・形状の戦闘機だ、と開かれたままの隙間から肉眼でも見て取れるようになっていった。

 ――なぜ、あの赤い戦闘機は不知火の傍まで来つつあるのに、一向に速度を落とさないのか

 ――なぜ、竜馬は装甲の上で身をかがめ、勢いをつけるように走り出したのか

 水月の脳裏に疑問が渦巻く。
 程なく一つの答えが出る。信じがたいものだが。

「まさか飛び乗るって……たとえでもなんでもなく、本当に飛び乗るつもりなの!?」

 馬鹿な。あれだけの速度の物体にぶつかれば、人間の体など木の葉より簡単に吹き飛ばされ、千切れるだろう。
 水月は顔色を変え、制止の声だけでも上げようとするが。

「おおりゃあぁ!」

 装甲越しに響く気合を残し、竜馬の体が宙に舞っていた。
 開きっぱなしのハッチの前を、風圧を引き連れた轟音が駆け抜けていく。
 反射的に目を閉じた水月の瞼に、赤い残像が焼きついた。
 もしかしたらその一部は竜馬の血の色だったのか、と背筋を冷たくしたのだが。
 目を閉じても、律儀に機能する網膜投影機能。追尾するカメラからの映像は、竜馬が赤い戦闘機のコクピットに飛び込んだ光景を伝える。
 これ以外の角度とタイミングでは絶対大怪我か死亡、という壮絶な搭乗方法。
 何者かが見えざる手で導いたかのように、シートに竜馬は収まっていた。
 飛び去る三機の機影を見送りながら、水月は肺が空になるほど大きく、ゆっくりと息を吐く。
 考えたのは、もっとも手近な補給コンテナへ到達して、レーザー級に備える装備へ換装し推進剤も補給する手順。
 そして少しでも早く仲間達の元へ駆けつける、という行動目的確認。

 強烈すぎる出来事について考えるのは、戦いが終わった後でいい。



 風防を閉じた竜馬の両手が左右のレバーを握る。視界の両端に、風防ガラスに直接投影される方式のステータス画面が展開。
 普通の戦闘機ならば計器で埋め尽くされているはずの座席正面には、円形の画面が一つ。
 常人なら気を失いかねないGも、竜馬には心地よい。生身で戦う時とはまた違った興奮が全身を駆け巡り、知らず知らず歯が剥き出しになっていった。

『待たせたな竜馬!』

 円形画面が点灯し、ヘルメットに包まれた見知った顔を映し出す。
 早乙女達人。一ヶ月ぶりに見るその表情は、不敵な笑みに彩られている。
 ……その顔色がやや青ざめていることは、バイザーによって遮られ、竜馬の目には届かなかった。

「達人! ってことは、もう一機はジジイか?」

 プロトゲッターとほとんど変わらない手元のパネルを操作し、ベアー号のコクピットを呼び出す。
 達人の顔が消え、次に画面に映し出されたのはカーキ一色だった。

「な、なんだこりゃ!?」

 それが軍服に包まれた尻だ、と理解した竜馬の両目と口が驚きで大きく開かれた。
 助けてくれぇ、という悲鳴も流れてくる。聞き覚えの無い声だ。

『思い出した。父さんが探していたゲッターのパイロット候補の一人だ。名前は確か、武蔵坊弁慶』

 父さんが無理矢理乗せたんだと説明する達人の声は、苦笑混じりだ。
 父親よりも常識人で、妹に比べれば人当たりのよいこの男も、その言葉で済ませるあたりは早乙女の人間だった。
 竜馬は、この男にしては珍しいことに冷や汗を浮かべたが、すぐに気を取り直すと獰猛な笑みを画面に向ける。

「おい、どうやらお前もとんでもねぇジジイに見込まれちまったらしいな?」

 呼びかけると、布地越しにも汚さの滲み出る尻が引っ込み、弁慶の丸々とした顔が映った。

『オ、オレには何がなんだか……どうしようっていうんだ?』

 軍服の袖で鼻水を拭いながら訴える弁慶。軍帽は既にずり落ち、綺麗に剃られた頭を晒している。
 その一方で、ベアー号のコクピットにもかかっているはずのGに苦しむ様子はまったく無かった。

「決まってんだろ、あの化け物どもを倒しにいくんだよ。とりあえず操縦桿握っとけ」

『こいつは流竜馬。俺は早乙女達人。サポートはこちらでする、今は協力してくれ』

 弁慶は戸惑いの表情を貼り付けながらも、二人の勢いに押されたように太い指を左右の操縦桿にひっかけた。
 通信機越しにそんな会話が飛び交う間にも、外の風景は凄まじい勢いで後方へ流れていく。
 そこへ風防ガラスにウィンドウが一つ、投影される。

『三人とも、聞こえるか? 司令部と話をつけた。達人、帝国軍のデータリンクシステムと同調だ。光線属種の照射圏に入る前に合体しろ』

 画面に現れたのは早乙女博士だ。その背後には、ミチルはじめ何人かの人影がある。
 斯衛の士官らが本来使うべき通信設備を通じて、博士の鋭い言葉がコクピットに伝わっていく。

『が、合体?』

 耳慣れない単語に、弁慶の片眉が跳ね上がる。
 博士の後ろでも、小首をかしげるヘッドセットをつけた通信兵の姿があった。
 水陸両用の戦術機(正確には戦術歩行攻撃機)A-6なら、変形することは良く知られていた。日本帝国でも、独自仕様型を『海神』の愛称で運用しているからだ。
 また、そのA-6系列は輸送用の潜水艦との合体・分離を行い、長距離潜行を可能とすることも。
 しかし空中ないし陸上で合体する戦術機など一般的な帝国軍人の知識には無い。

『そうだ、ゲッターロボは合体して初めて本当の力を発揮する。そうしなければ意味が無い!』

 力強い早乙女博士の言葉に、へっと竜馬の唇が呼気を漏らした。
 心臓の鼓動が跳ね上がり、全身にかすかな震えが走る。
 恐怖からではない。血液とともに送り出される闘気が、体に収まり切らず発散されていく証だった。
 拉致されてゲッターに関わることになった自分が、ここまで付き合うことになるとはな、と一瞬だけ竜馬は奇妙な感慨に胸を突かれたが。
 いちいち己の感傷を言葉に変える男ではない。
 口にしたのは、全ての感情を闘志に変える叫びだ。

「いくぜ! チェェンジ! ゲッタァァ――ワンッ!!」

 右手のレバーを、全身全霊を篭めて押し込む。
 三機の戦闘機が、一本の糸でつながったかのように直線に並んだ。
 ベアー号がアフターバーナーを噴かしてジャガー号との空間を急激に狭める。
 ぶつかって、墜落する! 少なくとも弁慶はそう直観し、言葉にならない奇声を上げた。
 確かに激突同然の勢いで接触したが、墜落は無い。
 寸前、ジャガー号の尾部が変形しベアー号の機首と一対のパーツとなって、僅かな狂いもなく組み合わされたのだ。
 間髪入れずイーグルが翼を機体下部に折りたたみながら逆噴射をかけ、ジャガー及びベアー号と大気を震わせながら合体する。
 大地に落とされていた三つの機影は、一つになった。
 目撃者がいれば目を疑っただろう現象は、それだけにとどまらない。
 人間のそれに似た形状をもつ、太い手足が弾かれるように飛び出した。
 そして頭部を形作ったイーグル号の鋭い機首だったものが左右に別れ、角めいた位置で固定される。

 最小単位の構造が剛性を保ったまま可変する、ゲッター合金という超技術があって初めてできるシステム。
 それによって誕生した全長55メートルに達する鋼の戦士――ゲッターロボは誕生の歓喜を示すように、BETAによって死にゆく大地を蹴った。



 戦術機の背部に取り付けられている可動兵装担架システムは、予備武器を運搬するためのものだが、状況によってはそれ自体から搭載している兵器で攻撃可能だ。
 だが、強襲掃討と称される、突撃砲四門をもって威力制圧を主任務とする装備を持った機体以外は、まず主腕で武器を操る。
 担架システムを前方に向けて脇部から展開すると、腕や装甲のパーツと相互干渉を起こし、行動の柔軟性を欠いてしまうことが多いからだ。
 にもかかわらず、迎撃後衛装備で出撃したみちるの不知火は、担架システムから87式突撃砲を撃ちまくっていた。
 戦況にあわせて兵装を柔軟に選択できるのが戦術機の強みだが、それは追い詰められていった結果でもあった。

「ヴァルキリー1よりHQ、ヴァルキリー1よりHQ」

 機体の左側に、主腕とあわせて計二門の突撃砲から劣化ウラン弾をばら撒き、右側へは長刀を振り回す。
 要撃級を、お供よろしくついてくる小型種もろとも火線でなぎ倒し、集ってくる戦車級の赤い塊をスーパーカーボンの刃で削る。
 何体ものBETAをそうやって二度と人類に害を為せない骸に変えたか。
 しかしいくら連中の群れの中に穴を開けても、すぐそれは新手で埋められてしまう。
 既に無駄撃ちはせず……という技術を披露する余裕はない。
 片っ端から近寄る奴を打ち倒しながらも、司令部への呼びかけを続けるがろくに繋がらない。

「重金属雲が濃すぎる、通信不能っ!」

 みちるの抑え切れなかった苛立ちを含んだ声が、辛うじて近距離通信に乗って近くで戦う友軍機に送られる。
 レーザー級の脅威を多少なりと軽減させるための重金属雲が、人類側の通信をも妨害していた。
 本来は、そういった支障を避けるために通信指揮車両等が前線と司令部の間に進出してリレー式で連絡を行うはずだが。
 中型種にまで戦線を突破されるに及んでは、車載機銃程度しか武装の無い彼等は後退せざるを得なかった。
 既に1時間半は猶予を稼いでいるのに、本来送られるはずの増援の気配はない。
 斯衛大隊の応援を受けて持ち直したはずの戦況は、あっという間に悪化していた。

『伊隅大尉、補給コンテナに残っている突撃砲はあと三つです』

 すぐ隣で戦っている不知火の衛士・風間祷子の声にも疲労が伺える。
 報告される確保している補給物資の残量は、枯渇寸前の一言だ。
 使うことの少なかった狙撃用突撃砲や通常型ミサイルにはまだ若干余裕があったが、もっと欲しいALM・36ミリ突撃砲とその弾倉はあらかた撃ちつくしている。

 散開して戦っていたA-01ら諸隊は、位置的にも一箇所に追い詰められていた。
 危惧された通り、要塞級が立ちはだかる背後から光線属種が次々と砂浜へと上陸。
 上空はもちろん、地上に居ても隙間があれば簡単にレーザー照射を受けてしまう危険が増したため、生き残りの戦術機は遮蔽物に恵まれた箇所に集まるしかなかった。
 足が止まれば、そこへBETAはひたすらに這い寄ってくる。
 一機あたりにかかってくるBETAの数が異常に多い。
 そのため、総数では主力師団が相手にしているBETA群ほどではないはずなのに、みちるらはBETAの大海の中に放りだされたような錯覚さえ覚えていた。

 網膜映像に落ちる、一際巨大な影。
 足の遅い要塞級さえ、至近まで姿を見せるようになった。

『これ以上好きにはやらせないよっ!』

 BETAの返り血で機体を塗装した不知火が跳ねる。
 神隼人の物ではなく、宗像美冴の乗機だ。生き残っている機体は汚れで皆、本来の機体色を失っている。
 地表の小型種を蹴散らしつつ噴射装置を吹かしてホバリング。
 要塞級自身の巨体が影になり、レーザー照射を避けられるギリギリの高度――ほんの50メートル程度だ――を取った不知火が、突撃砲上部の120ミリ砲ユニットを咆哮させる。
 装弾限界と同数の六発が、まとめて要塞級の顔に叩き込まれた。
 さしもの大型BETAも、多重衝撃の威力に頭部とその付近をミンチにされ、大地に崩れ落ちる。
 それより早く美冴機は着地、レーザー照射を避けるべく岩陰に後退した。

『――も、もう嫌だっ! わ、私は五摂家に連なる名門の跡取りだぞっ! こんなところで死んでいい人間ではないんだっ!』

 みちるの耳朶を、恐怖と保身感情で捏ねられた悲鳴が打った。
 すぐ隣で交戦している武御雷の集団からの通信だ。誰かが恐慌を起こしかけているらしい。
 ベテラン衛士さえ泣き喚きたくなる死地で、比較的実戦経験の少ない斯衛から泣き言を漏らす声が上がったのはこれがはじめてだ。
 むしろよく我慢したほうだろう……多くの衛士は、言う暇もなくやられただけかもしれないが。
 斯衛第2大隊は、その数を半減させていた。

『喚くなっ! 怯んで背を向ければ奴らに食われるだけだぞ!』

 野太い声が惰弱な叫びを打ち消す。斯衛大隊副官・本多盛雄中尉だ。隊長と同姓のためにコール以外では役職で呼称されていた。
 揺らいだ陣形を立て直す時間を稼ぐため、元は白い装甲だった武御雷が出る。
 その両手に保持された74式長刀が風車のように旋回し、種類をとわずBETAの肉を切り裂き、吹き上がる紫の体液を巻き込んでいく。
 多くの要素を削って長刀戦闘を重視した第三世代機は、得意の間合いの中にたちまち周囲にBETAの屍山血河を築いた。
 だが、それでも敵の数が多すぎる。

「くっ!」

 みちるにできたのは、付近の敵が途切れた僅かな合間に120ミリ砲弾を一発、斯衛副官機に飛びかかろうとする戦車級群の中へ撃ち込むことだけだった。
 このままでは、後退もできず全滅する。
 それは、冷静さを幾分でも保っている衛士全員の共通認識だった。
 一秒一秒を必死で稼ぎつつ打開策を練るが、全ての思案が行き止まりにぶち当たる。

『……エッジ2より各隊隊長へ、提案。これより比較的状態良好の戦術機を縦一列に並べての、光線属種密集エリアへの突撃を提案する』

 みちるの眉根が寄せられた。数秒で、戦いつつ送られた言葉を吟味、意味を判断する。
 一機が突っ込み、倒れれば次の機体が同胞を踏み越え、あるいは盾にしてさらに進む。それが倒れたら次が、の繰り返し。
 光線属種さえなんとかできれば、撤退の可能性も復活する。
 が、突撃組はどうやっても生きて還れまい。そこまでしてさえ、残った部隊が退避できる確率は低い。
 みちるが近いことを思いついても、言葉にせず破棄した案だ。

『グリフォン1、エッジ2の作戦を実施する、先頭はオレが――』

『いえ、各隊の隊長には突撃不能な機をまとめて後退していただきたい。小官がいきます』

『義兄上!? い、いや、副官、それは認められない、これは斯衛の隊長たる……』

 前田光次少佐の苦しい響きの決断、本多盛雄中尉のさらなる提言、本多松子大尉の悲鳴寸前の声が数秒の間に交錯する。
 人類と異星起源生物の骸で埋め尽くされた大地を、一瞬閃光が照らす。律儀に支援砲撃を続ける戦艦の巨弾を、重レーザー級が撃ち落した余波だ。

『隊長各位には生きて還り、おのおのの部隊を立て直す責務があります。ここはお任せを』

 笑みさえ含んだ落ち着いた声でそういわれては、各隊長は唇を噛んで黙るしかない。
 みちるも、オルタネイティヴ計画の直属という立場から、内心を押し殺して生存を優先させねばならなかった。
 香月夕呼の手駒たるヴァルキリーズの重責。今はまだ死ねない、部下にも志願させられない。
 そこへ斯衛衛士の声が加わった。先程縁故を口にしていた、成人したばかりらしい若い男の容貌がサブウィンドウに投影される。
 副官の言葉によってか、涙も拭わない顔には多少正気を取り戻した色が見て取れた。

『さ、先程は醜態を見せて、申し訳ありませんでした! 自分が……自分が先頭にいきます、最後まで義務を果たします!』

 ともすれば聞き取れない涙声。
 恐怖も未練も振り切れていないが、それでも戦う気力を取り戻し、決死任務を志願する姿。
 この戦いを生き残れば、弱い心を理解した上で乗り越える良い衛士になるかもしれない。
 しかしその生存自体がおぼつかない。こうしている間にも、戦術機を囲むBETAの壁はさらに厚くなる。

『畜生! 神様でも悪魔でもいい、誰か……!』

 たまらず、生き残りの衛士の誰かが呻いた。
 恐らく、BETAの脅威が現実化してから何億回と人々が繰り返した思いだろう。

 だが、いくら祈っても神が恩寵を下したことはない。
 魂を引き換えにしてもいいと願っても、悪魔の力は湧きあがってこない。

 恐怖と絶望感をかみ締めている人類衛士達は、だから気付かなかった。
 BETAの相当数――特に、対空探知に優れた光線属種の目玉が一斉にある方に向いたことに。
 強いて人間の動作にたとえれば、戸惑いを示すように体を揺らしていることに。
 砲弾の類が飛んできたのなら、レーザー級は迷わず破壊の閃光を撒き散らしているはずだが。

『何か、来る?』

 いや、一人だけ気付いた者がいた。
 それまでは、みちるがついに意識から除外するほど例の調子で喚き暴れていた神隼人が、ふと正気を取り戻したように低い声を漏らしたのだ。
 聞き拾ったみちるが、怪訝そうな表情を浮かべるより早く。

 目の前で、大爆発が起こった。

 その場所を埋め尽くしていたBETAが、中小型種を問わず砂粒のように四方に吹っ飛ばされる。
 まるで地獄の釜の蓋が開いたような濃い土煙が立ち上る中、一対の角らしき影が揺らめく。
 ――風が流れると、機体を立て直す衛士の多くが、唾を飲み込んだ。
 赤い巨体を持った人型の『それ』が、膝をついた姿勢からゆっくりと動き出そうとしているのが見える。

 神や悪魔の代わりに、鬼が応えてくれたのか?

 みちるでさえそんな非現実的な錯覚を覚えて、何かが着地し立ち上がろうとしているのだ、ということを把握し損ねたほどの光景。

『……好き勝手やってくれたようじゃねえか、化け物ども』

 新たに接続された回線から、低い男の声が流れ込んでくる。
 言葉は明らかにBETAに向けられたもの。にもかかわらず、傍受していた歴戦の衛士達の背筋さえ凍らせる鬼神そのものの怒気を含んでいた。
 次の瞬間、それは咆哮となって爆発する。

『今度はてめぇらが恐怖を味わう番だ! ゲッターの……人間の恐ろしさを見せてやるぜぇぇ!!』



[14079] 第八話
Name: mitsuki◆66f66a11 ID:1f7a972b
Date: 2009/12/29 22:34
『竜馬! 暴れる前にやることがあるだろう?』

 視界を埋め尽くすBETAのおぞましい姿は、形状さえ人類への悪意に満ちているのではないか、と疑わしめるに足る異形。
 奴らにすぐさま突っ込んでいきそうな気炎を上げる竜馬に、暴発を制止するように達人からの通信が入る。

「ちっ、わかってる。ほらよっ!」

 怒鳴り返しながら、竜馬は両手に握ったレバーを軽く押し込んだ。
 戦術機のそれに比べて遥かに太いゲッター1の腕で抱え込んでいた箱型の物体――補給コンテナを、戦術機群の手前に投げる。
 多目的砲弾で打ち出して戦場に展開、という手段が可能なほど頑丈なコンテナは地面に落ちると同時に、ビーコンを発して物資を抱え込んでいることを『味方機』に伝えた。

『こちら早乙女研究所、ゲッターチーム。帝国軍に協力します』

 前線の苦境を察して、移動途上にあった手付かずの補給コンテナを運搬するよう指示したのは達人だ。
 そして、交渉事も彼に任せることは確認済み。
 もっとも、竜馬はその手のことはからっきしだし弁慶にいたっては事態をほとんど把握していないから、他の者が出来るはずないのだが。

『……なんだと?』

 データリンクで同調した中での、階級最上位者に呼びかける達人に応じた男の声には、呆然の色が濃い。
 赤を基調としたカラーリングのゲッターは、同じ人型であるはずの戦術機とはかけはなれている。
 腰部の跳躍装置も、背部の兵器担架システムもない。
 強いて探しても、前腕部から突き出た刃物状の突起が、欧州などの外国戦術機が持つ接近戦用カーボンブレードに似ているぐらいだ。
 何よりサイズが違った。現在の戦術機は最大でも30メートル程度の全高しか持たないのに、段違いの巨体。
 そんなものが不意打ちで出現すれば、判断力が鈍るのも無理はないだろう。

『詳しい説明は後で! 防衛司令部の許可は取ってあります。データリンク更新での確認を要請』

 正体不明の存在が戦場に乱入してくれば、問答無用で攻撃されても文句は言えない。
 早乙女博士が司令官に掛け合って取得した各種コード、開示できる限りのゲッターの情報などが、電波情報に変換されて周囲に流れだしていく。
 軍とて馬鹿ではない。本来なら、分試験場も接収されていたはずだった。
 にももかかわらず、早乙女博士らが密かに新潟で研究を続行できたのは一部の軍高官とのコネクションが残っていたからだ。
 それを隠れるためではなく、戦うために使ったのは初めてだったが。

「……どうやら、あっちは待っちゃくれないみたいだぜ」

 達人が通信している間にもモニターを睨んでいた竜馬の唇が、楽しげな笑みを形作る。
 着地の衝撃で追い散らされた数を遥かに上回るBETAが、ゲッターを敵と認識したらしくにじり寄ってくる。
 モース硬度15以上の前腕二本を振りかざす要撃級、装甲殻を揺らして加速してくる突撃級、数え切れないほどの個体が集まり赤い壁にも見える戦車級。
 それらの背後には、ゲッター以上の巨体を持つ要塞級が衝角を揺らしていた。
 BETAの最後尾に集中しているのは、死の視線を持つ大小の光線属種の目玉、目玉――。
 異種起源生命体が、一斉に感覚器らしきモノを赤い巨体へと向けた。

『――来るぞっ!』

 津波じみたBETAの集団突撃の予兆を、歩兵として戦った経験から察した弁慶が警告を発する。
 竜馬や達人と違い、ゲッター初搭乗でBETAの海の中に放り込まれたにもかかわらず取り乱す様子もない。
 が、流石に緊張は滲み出ていた。
 戦術機部隊側の回答を待つ暇もない。

『やるしかないようだな。竜馬、飛行と跳躍は駄目だっ! それ以外は好きにしろっ!』

 人類から空を奪い、命を焼くBETAのレーザー。それは単なる光の束ではない。
 高出力のレーザー光は、触れる物質に凄まじい熱量を送り込み、プラズマ爆発を引き起こす。
 一部で考案されていた、光を反射することで防御しようとする鏡面装甲が無意味とされ破棄されたのは、光自体はなんとかできてもその爆発と熱に耐えられないからだ。
 ゲッターの身を包むゲッター合金は、早乙女研究所の実験で戦術機の装甲より高い耐熱耐弾能力を持っていることが確認されているが。
 実戦でその能力を証明された例が無い以上、照射を受ける機会は極力避けたかった。
 そう、実戦証明。
 これがなければ、どんなスペックの兵器も真に兵士が命を預けるに足りない。机上の空論の可能性があるものに、運命を託したい者はまずいない。
 達人の顔は、懸念によって引き締められていた。

「おうよっ!」

 だが、応じる竜馬の声には怯えの色は欠片もない。
 竜馬とて人間、人類――特にたった一週間程度で国防を崩され、約3600万人がBETAに食われた日本人――が持つ侵略者への根源的な恐怖心はあった。
 初陣のゲッターへの不安も。
 しかし、それら負の感情に飲み込まれるどころか逆に丸呑みし、闘志に変えて己を奮い立たせる術を心得ているのが流竜馬だった。
 生来の資質なのか、父親から仕込まれた空手の心法に拠るのか。
 いずれにせよ、早乙女博士が目をつけた資質の一つがその戦闘意欲だった。

 竜馬がスロットルレバーを一気に押し込むと、足裏に火薬でも仕込んでいたかのような勢いでゲッター1が大地を蹴った。
 バランサー代わりに両腕を斜め後ろに突き出した前傾姿勢で、BETAの群れが本格的に動きだすより僅かに早く突っ込む。
 要塞級以外匹敵するものが無い質量が相応の速度でぶち当たってくれば、触れた相手はただではすまない。
 無数の小型種が踏み潰され、数十体の戦車級が玩具のように簡単に宙に吹っ飛ばされた。

 突撃級が行く手を阻むように岩めいた殻を揺らし、進路上に飛び出してくる。その体には、戦術機の装甲の残滓らしき人造物の片鱗がこびりついていた。
 ゲッター1は速度を落とさず、右腕を天に向けて振り上げた。
 重金属の厚いフィルターを通して僅かに地上に届く太陽光を反射して、拳が一瞬だけ静止し。
 次の瞬間、異様な圧力を伴って打ち下ろされた。

 硬質の衝突音。
 支援砲撃とそれを迎撃するレーザーが起こす爆音さえかき消すような。
 ゲッター線によって精製された拳と、ダイヤモンド以上の硬度・カーボン並の強靭性を備えたBETAの装甲がぶつかり合い、ほんの数秒だけ拮抗し――

「どりゃあぁ!」

 竜馬の獅子吼とともに、突撃級は地面にめり込まされるようにして、へしゃげた。
 人類の常識を超えた装甲殻はひびを入れられながらも健在だったが、それを支える構造がゲッターのパワーに抗しかねたのだ。
 汚れた紫の返り血を撒き散らし、人造の鬼が拳を引き上げる。
 繊細な構造のはずの『手』は、傷を負いややへこみがあるものの、大したダメージを負ったようには見えない。

『――よし、いける。ゲッター合金の剛性と靭性は奴らを上回っている』

 ジャガー号のコクピットに投影されるデータグラフでもそれを確認した達人の声が弾んだ。
 例えば運動エネルギーを乗せた劣化ウラン弾や、スーパーカーボンの長刀のようにBETAの装甲部を貫通ないし切断できる手段を人類は既に手に入れていた。
 だが、このような形での正面衝突で押し切った例ははじめてだろう。
 しかしゲッター炉心の出力と各部への伝達をチェックした達人の表情は一転、曇る。

『パワーが思ったより上がらない。やはり調整が……それとも別の要因か?』

 格闘戦には申し分ないが、『それ以上』の為に必要なレベルまで上昇してくれなかった。
 早乙女博士の研究結果だと、ゲッターの能力は、ゲッター炉心の出力に大きく影響されるという。
 戦闘の揺れ、衝撃に晒されればまた喉が疼いてきていたのも、達人の顔色を陰らせる理由だった。

 竜馬はぶちのめした敵にはもう目もくれず、突撃級だったものを踏みつけてBETA群の真ん中に飛び込んだ。
 ゲッターの両腕が、脚が鉄槌と化して振り回されれば、迎え撃つように集る要撃級が数体まとめて叩き潰され、あるいは仲間を巻き込んで跳ね飛ばされる。
 強度に優れた外皮部分を持たない戦車級以下は、掠めただけで無数の肉片と化した。
 人類が嫌というほど味わってきた、BETAの圧倒的な暴力による蹂躙。なすすべも無くそれに飲み込まれ、散る命と砕かれた体。
 今、この場では蹂躙する側とされる側の立場は逆転していた。



 ゲッターの、人間でいえば頬と口に当たる箇所の緑の強化ガラスにBETAの体液が降りかかる。
 それが垂れていく様は、鬼が喜悦の涎をこぼしたようにも見えた。
 天の助け、というにはあまりに禍々しい姿に、それを目撃する衛士達の多くは息を飲む。

『伊隅大尉、あれでは……』

 だが、それを厳しい目で見つめる者もいた。
 突如現れた異形の兵器への警戒もあるが、それ以上に光るのは危惧の色。
 A-01の伊隅みちるであり、通信映像内で眉根を寄せる宗像美冴だ。
 実戦経験豊富な者達は、一面的な凄まじさに目を奪われる新米とは違い、表情を呆然から厳しいそれへと変えて行く。

「ああ、勝てない」

 みちるは短く言い切りながら、データリンクシステムに加入したあの機体のデータに視線を走らせる。
 その間にも、突撃砲は断続的に火を吐き、いまだこちらに向かってくるBETAをけん制。

 確かに、あのゲッターロボと名乗ったマシンの力は強烈だった。
 中型種だけで数十と襲いかかるBETAを相手に一歩も引かない、どころか逆に突進を続けている。
 その足先が向くところ、異形生物の骸の山が積まれていく。
 だが、みちる達が先程体験したように、また多くの人類軍が直面してきたように。
 穴を開けても、すぐに損失を上回るBETAがそれを埋める。

 いくら潰し撃ち殺し爆撃しても、時に核や気化爆弾で広範囲を制圧しても、次から次へと怒濤の如く押し寄せるのがBETAという人類の敵。

 ――BETAの最大の武器は物量

 この言葉は広く知られている反面、その本当の恐ろしさを理解する者は少ない。
 人類同士の戦争中でさえ、物量に頼って勝つのは何か知恵も無い下策のように語られるぐらいだ。
 だが、それこそが戦いの王道。
 どのような兵器であれ精鋭であれ、この世のものである以上は戦えば消耗していく。
 単に少数で多数のBETAを屠る、というだけならあんな大物を持ち出さずとも、通常の戦術機と腕利き衛士を揃えれば十分可能だ。
 だが、「倒し尽くす」ことはまず不可能だった。
 無尽蔵かと錯覚するほど湧いて殺到してくるのだから、弾や燃料、兵器の耐久性……何より操縦者の体力精神力がもつはずも無い。
 津波さえ跳ね返し傲然と在るような巨石も、何千何万何億という波を被れば削れ、やがて侵食されて摩滅しきり姿を消すように。
 BETAの海に、その胃袋に埋葬されるのだ。

『あれだけの機体です。せめて火器を装備して弾幕を張れば、より安全かつ広範囲を制圧できるはずですが』

 斯衛の副官も察していた。その口がさらに『あの声、流竜馬か?』と動いたが、それは通信に乗らないほど小さな呟きだったのでみちるは気付かない。
 ゲッター1、と表示される機体ステータスを呼び出すと、かすり傷程度とはいえダメージが一秒ごとに蓄積されていくのが確認できた。
 それはどうしてもBETAと接触して戦わなければならないゆえであり、いずれ無視できないレベルまで増大することは必至だ。
 攻撃範囲も手足の届く程度に限られているため、見た目の派手さほど撃破数も多くは無かった。

「早乙女研究所、といっていたな。あの早乙女博士がらみか? 戦局の困難から、引っ張り出された試作機かもしれない」

 一番納得できるのは、それだった。
 戦術機は重装甲志向のF-4を祖とするが、現在の第二世代・第三世代戦術機はおおむね装甲の重要部局限、材質自体の軽量化などで機動性を重視する傾向にある。
 戦車級の齧りつきさえ重装甲でも耐え切るのは困難なのだから、回避による生存率向上にシフトしたのだ。
 まったく違う概念の機体が、事前情報も無く出てくるのなら理由は他に考えつかなかった。
 みちるはじめ、衛士の中には早乙女博士を知るものがいたから、彼の世間的に知られた研究についての知識もそれを補強した。

『ヴァルキリー4より全機。コンテナを確認、内蔵装備類に異常ありません』

 ゲッターが投げた補給コンテナに、ステータスチェックをかけていた風間祷子からの通信が入る。
 衛士らはただ見物していたわけではなく、必要な行動を取りはじめていた。
 BETAの大部分がゲッターに向かっている隙に、補給物資をかき集める。
 近づいてくるBETAがいれば、無論排除していた。
 中には、やられた味方機から使える装備を取り上げる者もいる。
 みちるも内心で手を合わせつつ、コクピットブロックが削り取られたように無くなっている武御雷から予備弾倉を取り上げた。

『――グリフォン1より各機。あの機体、ゲッターロボを味方と認定する。ついで、作戦を組み替える』

 前田少佐の命令が、全機に伝達される。
 この戦況で手の込んだ偽情報を流す理由はそれこそ考えつかないが、相手が持ってきたデータだけで味方と思い込むのも危険だった。
 一番なのは、HQとのデータリンクが回復するのを待って確認することだが、それでは戦機を逃す。
 恐らく、相手の機体から送られるリアルタイムデータに偽りがないこと、持ってきた補給コンテナに異常がないことから、決断したのだろう。

『161大隊は現地点を基点に円形壱型(サークル1)に展開。所属を問わず中破以上の損傷機及び負傷者はその中央へ。指揮は小官が執る』

 武器を分配する間にも指示は飛ぶ。
 足の遅い撃震部隊で独力で戦えない機体を守り、ここを足がかりに戦線を立て直す意図が見えた。

『本多大尉、貴官は斯衛を率いて左右に展開、平面挟撃でゲッターロボにかまっている連中のケツを蹴飛ばしてやれ』

『了解』

 困惑の表情をゲッターロボの方向へ向けていた斯衛大尉だが、命令には即応する。
 二手に分かれて挟み撃ちを狙い、敵を削る攻撃役。
 武家のお嬢様に言うにはいささか下品な言葉遣いだが、双方とも気にしている余裕はなかった様子だ。

『伊隅大尉、貴官らA-01はゲッターロボと連携、可能な限り光線属種を叩け。連携不能な場合は斯衛と合流。
……もし、見込み違いであれが敵対行動をとった場合は無力化せよ。責任は小官が取る』

「了解」

 みちるは頷いた。やはりそうくるだろうな、と。
 自分達は軍事批評家ではなく、今この場で命をかけている衛士だ。
 ただゲッターロボを批評していたわけではなく、同時にその長所を見て共闘した場合のケースも想定していた。
 ゲッターには明らかに戦術機にはないタフさがあり、一方で制圧火力では戦術機が上回る。

 なら、答えは簡単だ。
 双方の長所を組み合わせ、短所を補う。
 一匹でも多くのBETAを効率よく駆逐し、人類の勝利の可能性を一ミクロンでも引き寄せるために。
 ゲッターが盾になり、戦術機が中・遠距離攻撃を担当できれば、BETAの要塞級・光線属種の連携に似た事をこちらもやれることになる。

 しかし、ゲッターについては今送られたデータが知識の全てで、協調しての戦闘には困難が予想される。
 そもそも相手に連携するつもりや能力があるのかは、単独突撃していった現状を見れば疑わしい。
 ゆえに、これまでの戦闘で独自の判断能力を評価されたA-01に任に当てられたのだ。

 BETAと激闘を展開しているゲッターが今更こちらを攻撃してくる可能性は極小とはいえ、万が一の備えを決めおくのも軍人として当然の判断だ。
 ――現実にBETAを相手取りつつ、あれを破壊できるかどうか、はともかくとして。

「ヴァルキリーズ、聞いたな。続けぇッ!」

『了解!』

 速瀬水月のように別任務を振り分けたまま合流できていない者、そして既に鬼籍に入った者を除くヴァルキリーズの声が重なった――はずだったが。
 返答が、一つ足りない。
 みちるは、神隼人の反応が先程からまったく無いのに気づいた。
 上司である香月夕呼から説明されたとおり、奇行や狂的な発言は目立っても、任務自体はここまで確実にこなしていたはず。
 みちるが彼の映像を呼び出すと、手元を熱心に見つめていた。恐らく、データリンクからの情報画面だろう。
 『衛士』の目ではない。今までの、どこか箍が外れたような凶眼でもない。
 例えるなら、失ったと思っていた宝物を見つけたような――

「神中尉! 聞こえなかったのか!?」

 分析を後回しにして呼びかけても返事はない。ここに来て戦場神経症にでもかかったのだろうか。
 今は、叱責の時間さえ惜しい。
 みちるは隼人をそのままに、宗像と風間を引き連れて機体を前進させた。



「次から次へと……しつこいんだよっ!」

 竜馬は吐き捨てると同時にゲッター1の腕から突き出す三枚の刃を叩きつけ、要撃級を容赦なく引き裂く。
 腕を戻す間もなく、別の要撃級の前肢がゲッターの脚に叩き込まれた。
 一発だけならゲッターは小揺るぎもしないが、さらに何匹も集ってきて競うように打ち付けられれば、耳障りな金属音とともに装甲にダメージが浸透していく。
 お返しとばかりにキックを飛ばせば、要撃級の群れは一踏ん張りもできず爆弾でも受けたようにすっ飛んでいくが。
 その動作の隙間を突くように、今度は戦車級が食いついてくる。
 一体の上に一体が飛び乗り、あるいは乗り越えるようにうずたかくなったBETAの小山は、そのままゲッターの赤い装甲めがけて雪崩落ちてくる。

『しっかりしやがれっ!』

 サブウィンドウの中の弁慶が、唾が飛びかねない勢いで喚く。
 弁慶は、もっとも位置が低い腰部のコクピットにいる。
 たかってくるBETAの姿がより近くで見えるから、危機感も一際だ。

「わかってらぁ!」

 竜馬はフッドペダルを蹴飛ばし、雪崩くる戦車級の塊に、脚を戻す反動でそのまま肩口からぶちあたっていこうとする。
 ゲッターの重量とパワーなら、避けるより叩き潰したほうが効果的なことを竜馬は短い戦闘時間から本能的に悟っていた。
 だが、今回は挙動が後手に回っている。
 ――飽和攻撃。
 それが物量の恐ろしさの一つだ。
 人類側の対処能力を遥かに超えた数が連続して襲ってくるため、どうしても発生する動作の切れ間に致命的な状況に陥ってしまう。
 いくらゲッターの装甲が頑強でも、何百という強靭な顎に耐え切れる保証はない。

 その戦車級の山が、中腹から弾け飛んだ。
 戦術機用の120ミリキャニスター弾が飛び込み、爆発の衝撃と撒き散らす散弾で戦車級を削り取ったのだ、と竜馬は悟るより早く今度こそ体当たりをぶち込んだ。
 達人が危惧するパワー不足の状態でさえ、その機体に満ちる力は格段。
 数を減らし、機を逸した戦車級の群れは四方に吹き散らされ、あるいはゲッターの赤い塗装を汚す染みとなる。
 キャニスター弾の威力はゲッターをも巻き込んだが、散弾が装甲に何発か食い込んだ程度で深刻な問題はない。
 もし狙ってぎりぎりを撃ったのなら、砲弾の特性をよほど熟知していなければ出来ない芸当だろう。
 ほどなく不知火が一機、噴射地表面滑走でゆるく地表に弧を描きながらゲッターの右手側に出現した。

「あぶねえじゃねぇか」

 至近距離になったことにより、ゲッターを支援した戦術機との通信が明瞭化される。
 ラセットブラウンの瞳をした女性の姿が、円形スクリーンに映し出された。
 文句を言う言葉とは裏腹に、竜馬は楽しげに笑って見せる。その映像も相手に転送されているだろう。

『おや? 赤鬼さんは激しいのが好みじゃないのか?』

 元々笑っても愛想とは無縁の竜馬の容貌は、白兵戦したときについた頬の傷とあいまって凶相そのものだ。
 だが宗像美冴は怯まず、むしろ不敵に微笑んでさえいる。
 その間にも二人の手足は忙しく動き、それぞれの乗機を操って生き残りの戦車級を潰していく。
 竜馬が言い返すより早く、画面が切り替わった。
 現れたのはやはり女性衛士だが、こちらは真面目を絵に描いたような表情だ。

『こちらは伊隅みちる大尉だ。貴官ら、協力するつもりはあるのだな?』

 あえて所属をぼかした発言の裏を悟ることもない竜馬は、だんまりを決め込む。
 その手のことは達人に任せてあるからだし、何より飛び掛かりあるいは突っ込んでくるBETAの数は一向に減らない。
 ゲッターの周辺のBETAに彼女らの放つ砲弾が炸裂するようになり、捌く苦労は大幅に減ったが油断できない状況に違いはなかった。

『早乙女達人です。ゲッターチームは先程申し上げたとおり、協力します』

 無位無官の民間人が『貴官』呼ばわりされるのも奇妙だったが、達人は訂正する手間を省略する。
 総力戦体制の日本帝国国民であるから、竜馬も達人も本来なら弁慶のように兵役についている年齢だが、研究者という名目で免除されていた。

『では、こちらの指揮下に入って貰う。いいな?』

『はい。ですがゲッターは……』

『そちらが戦術機と異なる機体であることは把握した。時間が無いので端的に聞くが、その機体は要塞級を相手取れるか?』

 ジャガー号のコクピットと、ゲッターのすぐ背後に着地した不知火の間で言葉が飛び交う。
 二人の会話のテンポは速く、元々口を挟む気がない竜馬を置いて進んでいく。
 ……機体内回線からゲッター中唯一の軍人の「菩薩様に弁天様……今日は吉日じゃあ」という声が聞こえてきたが、闘志を削ぐこと夥しいので聞き流した。
 一応、ベアー号のコクピット投影画像にはゲッターの基本操縦法が表示されているはずだが、この分では目に映っているかも怪しい。

『できます。ゲッターは元々そういった大型種を駆逐する戦闘に適性がありますので……光線属種の盾になっている奴の排除、ですね?』

 大東亜連合相手に交渉を成立させた達人は、その手の会話にもなれているらしく意図を察して答えている。
 話がまとまりかけたな、と竜馬が思った時。

『お、おい。なんだこの揺れ?』

 ふと、弁慶の声が真剣味を帯びて跳ね上がった。



「間違いない……これがゲッター、ゲッターロボか……」

 再び動き出した戦況さえ心の外に追いやり、リンク機能が読み取ったデータあるいはゲッターの戦闘映像を食い入るように見つめる神隼人。
 テロリスト同然の活動をして手に入れたいくつもの新技術データの中でも、妙に隼人をひきつけたもの、ゲッター線。
 数ヶ月前からは香月夕呼より提供されていたそれを用いたロボの情報は、研究元の早乙女研究所が実質消滅したため途絶していた。
 それが、あちらから飛び込んできたのだ。
 隼人にとっては、貪るように新たなデータを脳に詰め込むことが何より優先されていた。
 もし中型級か戦車級BETAに狙われていたら、あっさりやられてしまっていたかもしれない棒立ちの不知火。
 皮肉にも静止状態だったからこそ、そのセンサーは激しく動き回る僚機より先に地下の異常を捉えていた。

「……? この音紋は……まさか!?」

 警告とともに開いたウィンドウ表示を煩げに閉じようとした隼人の瞳が見開かれた。
 センサーが拾ったそれは、砲撃着弾衝撃のような一過性ではなく一定の調子を保ち。少しずつだが確実に大きくなっていく。
 これは。
 この人類が手を出せない領域から地表へとその侵食を広げてくるのは。

「――BETAの地下侵攻だっ! 逃げろっ!」

 知識飢餓の表情を振り捨てて叫ぶ隼人の目に、地表から噴き出す膨大な土砂に包まれるゲッターが映った。



[14079] 第九話
Name: mitsuki◆66f66a11 ID:1f7a972b
Date: 2009/12/07 17:36
 BETAは宇宙から飛来した生物だ。生き物の存在を拒むような過酷な空間でも活動できる奴らは、歩行できる場所なら地球の環境などものともしない。BETAの巣・ハイヴが地下深くまでその構造を伸ばしているように、大地の中でさえおかまいなしだ。

「……!」

 竜馬の動体視力が、突如吹き上がる土砂に紛れて這い出る異形を捉えた。緑の殻、突撃級の装甲。
 咄嗟に回避しようとして、ゲッターの脚に踏ん張りが利かない事に気付いた。視界が、がくんと揺れる。連中が崩した地面が、ゲッターの重量を支えきれずに陥没したのだ。さらに別種の衝撃が、二度、三度……数え切れないほど操縦席を揺さぶる。BETAが、出現する傍からゲッター1にのしかかってきている。

「くそっ!」

 気色悪い肉の塊が、モニターに大写しになる。本来なら弱点である突撃級の柔らかい腹だが、この密着姿勢では有効な攻撃はできない。十数体の突撃級がかけてくる圧力が、ゲッター1の関節を押さえつけ、装甲を潰そうとしていた。

『竜馬! 跳ね返せ!』

 達人の言葉から名前を覚えたらしい弁慶の、切迫した声に押されるまでもなく、竜馬は奥歯を噛み締めてレバーを押しあるいは引いて振りほどこうとする。だが、パワーが上がらない。せめて足場がもう少しまともか、圧力が小さければなんとかなりそうな手ごたえはあるのだが……。

『……ゴホっ!?』

 パワーを上げる手段が無いか聞く為に達人のコクピットを呼び出した竜馬の耳を、くぐもった咳の響きが打った。達人のヘルメットのバイザーに、何かがこびりついている。本来の色の邪魔されてよく見えないが、あれは血かそれに近い吐瀉物だ、と気付いた竜馬の黒い目が見開かれる。

『ゲッターロボ、動くなっ!』

 若い女性の怒鳴り声。伊隅みちる――知り合いの女と同じ名前だ――と名乗った女の声だ。竜馬が答えるより早く、視界を覆っていた突撃級の横っ腹に鋭い刃が叩き込まれた。力を失ったそいつは、数秒だけ未練がましくゲッターの装甲を短い脚で叩いた後、同じ形状のBETAの上を転げ落ちていく。

「……! ありがとよっ! 離れろっ!」

 竜馬よりBETA戦の経験豊富なA-01のみちるが、奇襲を間一髪で回避して救援してくれたのだ、と悟れば礼とは思えない怒鳴り声を通信機に叫びながら、ゲッターの全身に溜め込んだ力を解放する。今度こそ、表面を覆う突撃級の群れがまとめて振りほどかれた。

「達人っ! どうした!?」

 クリアになった視界に、地面に空いた大穴から這いずり出してくるBETAの群れが映った。それを睨みつけながらも、ゲッター1を後退させる。逃げるのは癪な竜馬だったが、今は達人の容態が気がかりだった。

『……すまん、どうやら自分でも思ったよりゲッターでの戦闘はこたえたらしい』

 元々調子が悪い素振りを見せていた達人だ。ゲットマシンによる高速移動からの戦闘が耐え難い負荷を与え続け、ついに耐久力の限界を超えたらしい。改めて目を凝らすと、やはりバイザーを汚していたのは血。その向こうに見える達人の顔は、はっきりわかるほど苦痛に歪んでいた。

『どうした!? 搭乗者に異常か?』

 データリンク上のバイタルデータで何かあったことを察して、宗像美冴の不知火がゲッター1と入れ替わるように前進。長刀で突撃級の装甲を突き刺す。ゲッターに跳ね飛ばされ腹を見せている奴は起き上がれないので無視し、穴から姿見せた要撃級の人面に似た感覚器に突撃砲弾を叩き込む。
 だが、空いた穴は一つや二つではなく、大小のBETAが体にこびりついた砂を振り落としながら、地上に影を落とす。

『祷子、頼むっ!』

『了解。ヴァルキリー4、フォックス3!』

 両肩にALMを積み込んだミサイルランチャー(92式多目的自律誘導弾システム)、両腕には突撃砲という重装備の不知火がゲッターの隣まで噴射滑走し、36ミリ弾をバラまいた。都合三本になった突撃砲の火線だが、美冴達になぎ倒される数より遥かに多くのBETAが足音を響かせる。元からいた連中とあわせて、到底数機では抑えられない数となっていた。

『ちっ!? 突撃級が邪魔だっ!』

 美冴の舌打ちが、射撃音の合間に通信系に響く。散らばった突撃級の硬い殻が36ミリ弾を跳ね返し、それに耐える防御力の無い要撃級以下の奴を守る形になっている。120ミリ砲弾は突撃砲一門あたり六発しか装弾が無く、しかもゲッターの支援などで両機とも半数を使っていた。

「達人! しっかりしやがれっ! ……くそっ!」

 汗で滑りそうになるレバーを保持しながら竜馬は声を上げるが、達人の咳き込みは酷くなる一方だ。これ以上の戦闘の負担をかけたら、命が危うい。そう直観した竜馬は、ゲッターをさらに後退させようとフッドペダルに体重をかけた。その時。

『俺のことはいい、竜馬……こうなったのは身から出た錆だ。俺が邪魔になるのなら、無視しろっ……』

 バイザーを上げ、口元を拭った達人がそれを制止した。咳を抑えるように、自分の胸に手を当てているのがモニター越しにも見える。その手も、全身もおこりにかかったように震えていた。

『で、でもよぉ』

 竜馬が答えるより早く、弁慶が不安と心配をない交ぜにした声を上げた。と、竜馬の前の映像に小ウィンドウがいくつも立ち上がる。

――全身を戦車級に噛み砕かれ、助けを求めるように突き出された衛士の、すでに動かない腕にも食らいつく兵士級のおぞましい歯の列
――レーザー照射に晒され、元は白く塗装されていた装甲を熱と爆発でぐちゃぐちゃにへし曲げられて地に伏す武御雷
――愛機を失い、緊急脱出用の機械化歩兵装甲で離脱しようとしたものの、追いつかれて突撃級に潰されたらしい兵士と金属が混ざり合った塊

 吐き気を催す光景が映し出されていた。今、こうしている間にも量産されている現実だ。
 竜馬は言葉を失った。弁慶もだ。この映像はベアー号にも流れているらしい。やがて、二人の歯がぎりっと鳴る。

『父さんならきっとこう言うだろう……必要な犠牲ならそれが息子だろうがかまわん、と。俺だって同じだ……二人とも、余計なことは考えるな……』

 再びの咳き込み。だが、達人は呼吸が戻るや否や、言葉を続ける。自分達は戦うためにここにいるのだ、と。ゲッターを研究してきた、あるいは難民区で生活していた時間にも大勢の者達が、人類を守るために死んでいった。誰もが勇敢だったわけでもなく、無理矢理徴兵され何も出来ずに食われた者達もいるだろう。だが、そういった者達の命の盾の積み重ねの上に、ゲッターロボは大地に立っている。ならば、やるべきことは一つ。

『戦え……俺が死んだら、その時は……俺の屍を越えてゆけぇぇぇぇ!!』

 魂の叫び。
 それを受け取った竜馬の、弁慶の顔が達人に劣らないほど苦悶に歪んだ。だが、迷いは一秒足らず。達人の画像から顔を上げ、BETAの影に侵食されるメインモニターを炎のような視線で睨みつける。達人の思いに応えようと、獣じみた殺気を発散させながら竜馬が先程とは逆方向にゲッター1を踏み出させようとした刹那。

『――待った。病人が無茶するもんじゃないぜ。俺をゲッターに乗せろ!』

 初めて竜馬が聞く男の声と同時に、無数の物体が高速でゲッターを、そして前に出ていた美冴の不知火の横を通り過ぎる。92式誘導弾の通常弾型は飛距離が短いゆえにレーザー級の照射を受ける前に、半数ほどがBETA群の頭上に達した。連続爆発とともに辺りに撒き散らされた衝撃波と破片、そして内蔵されていた散弾が異星生物達をまとめて葬る。

「なんだてめぇは!?」

 竜馬の目の前に、撃ち尽くしたコンテナをパージしつつこちらへ突っ込んでくる不知火が現れる。今まで共に戦っていた三機のどれよりもべったりとBETAの体液を各部に絡ませた機体。同時に映像画面が開き、細面の鋭い目つきをした男が映し出された。

『神中尉!? 何を勝手なことをしている!』

 ゲッターのフォローを部下に任せ、一方の敵を単機でかく乱していた伊隅みちるの声が入るが、その男・神隼人は猛禽のような視線を外さない。

『ま、待てください……お前は、神隼人……?』

『ほぅ、俺を知っているのか……なるほど、俺がやっていたように、早乙女研究所も俺を調べていたわけか』

 みちるを制する達人の、苦しみながらも驚愕に彩られた瞳と、隼人の面白がるような目がモニター越しに交錯する。

『――わかった、乗り換える。竜馬、弁慶、この男は神隼人。父さんが探していたゲッターのパイロット候補の一人だ』

 ゲッター1の腹部に位置するジャガー号のコクピットが開く。同時に、体を押し付けるようにしてきた不知火の胸部ハッチも。竜馬がいきなりのことに眉根を寄せつつも、機体をかがめて両者の位置を合わせると、よろめく達人と猿のように俊敏な隼人の姿が現れる。

「……この面子でぶっつけ本番かよ?」

 達人と狭い足場ですれ違った隼人は、迷うことなくジャガー号の座席に飛び込む。
 達人が這うように不知火のコクピットにたどり着くのを確認してからぼやく竜馬の眼前に、目を輝かせる神隼人と、事態の急変に首を傾げる武蔵坊弁慶の顔が映し出された。

『フッ。恐かったら逃げてもいいんだぜ?』

「隼人っていったな。ふざけるな、逃げるのは嫌いなんだよ……おい、弁慶! おめぇもあいつらをぶっ潰したいだろ? 腹括れ!」

 不敵に笑う隼人に、口の端を釣り上げた笑みを返しながら弁慶を叱咤する竜馬。弁慶の情けなく垂れ下がった眉が、闘志を帯びて角度を変えるのが映った。

『……やってやろうじゃねぇか!』

 モニター越しに、三つの不敵な笑みが交錯する。どいつもこいつも、好感とは無縁の面構えだった。だが、その中には『怯え』や『絶望』の類もまた存在しなかった。

『突撃級の群れに……要塞級っ! 祷子、わたしが斬り込むから援護を頼む!』

『しかし、あの数の中では美冴さんが……もうキャニスターもありません。ALMを……』

『だめだ、それはレーザー級への切り札だろう?』

 その時、切迫した女性達の会話が三人の男の耳を打った。竜馬がレバーを握る。隼人も、弁慶も。

「隼人、弁慶! いくぜぇぇぇぇぇ!!」

 竜馬の咆哮に、おう! と力強く応じる声が二つ、重なった。



 無数の突撃級を前衛のように押し立てて、要塞級が迫る。逆撃をかけるべく愛機に長刀を抜かせようとした美冴の視界の端を、赤い旋風が駆け抜けていった。
 無謀な突出をしたゲッター1に、諌める暇もなく突撃級の影が群がった。体当たりの連続、味方の上に乗り上げるようにして赤い機体を潰しにかかる先程と同じような光景を美冴は予期した。
 だが、今回は違った。

『ゲッタァァ! トマホォゥク!!』

 流竜馬の雄叫びに似たかけ声と同時に、ゲッター1の右肩から球形の黒い物体が飛び出し、それが棒と刃を持った『なにか』へと可変する。

「なっ!?」

 変形を見せたそれ――斧の柄をゲッター1の右手が掴む。刃のサイズは、ゲッターロボの全長の三分の一に匹敵するほど巨大だ。重量感に黒光りするトマホークが小枝のように軽々と振られれば、ゲッターに群がったBETAは片っ端から叩き潰されつつ斬られる、という災厄に晒された。
 原型さえ留めないでずたずたにされる突撃級の肉片を浴びながらも、要塞級がゲッターに巨体を揺らして接近する。その十本の脚の間の衝角が、巨体に似合わない素早さで繰り出された。

『うおおおおおおお!!』

 ゲッター1がトマホークを頭上高く振り上げながら、地面を爆発させたような土砂撒き散らす踏み込みとともに前に出る。
 二つの巨体の影が交わり、ゲッター1がトマホークを地面に打ちつける寸前の姿勢で要塞級の背後に抜けた。
 BETAの体液が刃の表面を滴り落ち、地面に触れた途端。
 要塞級の衝角が左右に割れた。それだけではなく、頭も、三節構造の体も。

「!!」

 文字通りの、一刀両断。
 美冴の目は、その光景を捉えていたが。あまりの強烈さに、数秒の間思考が追いつかなかった。
 その間にも腕は無意識に動き、要塞級が倒されたことによって開いた空間の向こうにレーザー級群を視認するや、突撃砲をすかさず連射してゲッター1が照射を受ける前にそいつらを叩き潰したが。理解が追いついても、驚愕は消えない。

「一体何が……いままでも凄まじい力だったけれど、今のは段違いだ!?」



 みちるに守られながら不知火の座席に身を預けている達人の口元が、苦痛以外のものによって形を変えた。笑いだ。それは、データリンクから伝えられるゲッター炉心の出力が跳ね上がった事を示す数値を確認すると、さらに深くなる。ゲッタートマホークの重量を操って余りある出力。それが誤りでないことは、眼前の光景で証明された。
 達人には、ゲッターの中で死神も逃げ出すような笑みを浮かべる三つの顔が容易に想像できる。

「揃った……三人のパイロットが!」



 戦術機の警戒システムを流用したゲッターロボの対レーザー照射警報装置がしきりに点滅していた。竜馬の眉根が忌々しげに寄せられるが、レーダーは海岸付近にさらに光点が増えるのを無機質に示すだけだ。八つ当たり交じりに、集ってくる戦車級をトマホークで薙ぎ払う。

『海にいる奴らを先に叩く。レーザー照射は海中なら関係ない! 弁慶、出番だ!』

 操縦席で目を凝らしてゲッターのデータを改めて確認していた隼人が、顔を上げた。二人が反対することなど微塵も予想していない、という迷いの無い手つきで味方機への通信を開いた。

『風間少尉、ALMをこのポイントに頼む』

『え……? 了解!』

 初めて聞く神隼人のまともな言葉に一瞬戸惑った気配があったが、お嬢様然としていても風間祷子もまた優れた衛士。この状況下で理由説明を求める愚は犯さず、ゲッターと海岸を結ぶ線上にALMを的確に射出。

『オープン、ゲット!』

 ALMが照射を受け爆散し、重金属を含んだ雲を発生させ役目を全うするのを見届けると、竜馬はすかさずレバーについているボタンの一つを押し込んだ。巨体が、三つの戦闘機に分かれるゲッター1。合体時の逆回しのような分離は、予備知識の無い者には故障による分解としか見えないだろう。

 三体の影は、アフターバーナーの炎を引いてBETAの群れの僅かな隙間を強引に突っ切った。海上に到達するや否や、再び一つに重なって海中に突入する。海水をかき乱しながら、白いジャガー号が脚代わりにキャタピラを備えた下半身に可変、その上に赤いイーグル号がドッキング、最上部にベアー号が合体した。
 多数の節をもった黄色い両腕、そしてゲッター炉心から漏れ出る緑の光を帯びながら丸みを帯びた同色の頭部が飛び出る。
 その中で、弁慶は瞑想するように目を閉じていた。
 京都付近の山中を荒らしまわっていた、好色な暴れん坊だった自分を引き取り、真人間にしてくれようとしていた寺の和尚の優しい微笑み。
 物言わぬ存在となり、遺族の元あるいは基地の片隅で眠る、歩兵連隊の戦友達の様々な面影。
 それらが弁慶の脳裏にありありと浮かんだ。
 弁慶の心を未だ苛む不安も困惑も怯えも、彼らの笑顔の前で闘志へと姿を変貌させる。
 
「和尚様……皆、我に力を……!」

 鈍い衝撃とともに、ゲッター3となったゲッターロボの脚部が海底に接触した。多足のBETAでさえ動きを鈍らされる泥濘も、キャタピラの広い接地面積のお陰でほとんど気にならない。かっと開かれた弁慶の両目が炎をほとばしらせた。
 伸びるゲッターの腕が、陸地を目指そうとする重光線級の不気味な目玉を備えた体を絡め取る。一体や二体ではない、十数体ほどまとめてだ。それは海底水圧さえ耐えるはずの体を破裂させかねない強烈な締め付けを伴い、あがくBETAの体液が海水に混ざりこむ。
 ゲッターの海底を噛んだキャタピラが、堆積物を巻き上げながら猛烈な左右逆回転をはじめる。巻き上げられるのはそれだけにとどまらず、周囲の海水、捕えたBETAの群れもその回転力の中に容赦なく取り込まれた。爆発的なまでに高まった渦巻きの力は、海面へ向けて跳ね上げられる。

「必殺! 大雪山おろしィ!!」

 空中に放り出される、無数のBETA。人類の恐怖の的・重光線級だが、この状態ではさしもの異星生物も何もできない。

「天魔……伏滅!」

 弁慶の腹の底から搾り出す叫びにあわせて、ゲッター3の両肩で眠っていた大型ミサイル二発が目覚め、BETAを追いかけるように空に飛び出した。何条かのレーザー照射がすかさず飛んできたが、それがミサイルを溶かすより早く、群れに追いついて大爆発を起こす。海面をBETAだったモノが激しく叩いたが、元の形をとどめているものは一つもなかった。

『やるじゃねぇか!』

 竜馬の感嘆、隼人のにやりとした笑みがベアー号のコクピットに届き、答えるように弁慶が唇を釣り上げる。
 それに触発されたように、隼人が陸地を睨みつけながら吠えた。

『よし、次は俺の番だ!』

「オープンゲットっ!」

 阿吽の呼吸で、弁慶がゲッターを分離させる。
 仲間同士に相応しい信頼を醸成する時間などまったく無かった、いや時間をかけても世間並みの友情が成立するかどうか難しい三人。だが、ある一つの共通項だけで、好悪も何もかもすっとばして、確かな絆を結びつつあった。

 戦い、敵を叩く。それ以外は全て些事。



 海水をBETAの残骸ごと掻き分けて飛び出るジャガー号。浮き上がる機首を押さえ込みつつ、水平飛行に転じるジャガー号の中で隼人がレバーを押し込む。

「チェンジゲッター……2!」
 
 後部から、常人ならそれだけで失神しかねない衝撃。隼人にはそれさえ心地よい。続いて飛び出してきたベアー号が、そしてイーグル号がドッキングしたのだ。ジャガー号の機首に隠されていた頭部がせり出し、両腕両足がパーツが変形することにより形成される。
 特に目を引くのが、左腕から突き出る巨大なドリルだ。ゲッター2の体長の過半に達するほどの大きさの表面には、二列のブレードまでついている。
 それをかざして、地表に飛び込むように急降下。

「うおおおぉぉぉっ!」
 
 隼人の気合とともに、ドリルが空気摩擦を起こしかねないほど高速で回転をはじめる。その先にいた戦車級他の小型種をすり潰し、シチューのようにぐしゃぐしゃにする。しかも、ドリルは地面を貫いても動きを止めない。それどころか、さらに加速。
 大地を揺さぶる震動に気付き、またBETAの新手の地下侵攻かと疲労に霞む目を見開いた衛士達の瞳に映ったのは。BETAの独壇場であるはずの地中を潜り抜け、要塞級に守られて何の制約もなくレーザーを閃かせていた重レーザー級を真下から貫くゲッター2のドリルだった。
 こびりついた土を振り落としつつ白い上体を晒したゲッター2は、ドリルを振り回してさらに数体のピンクの肉体を引き裂き、もう片方の腕先にある三本のクローで形成されるアームをレーザー照射網膜に叩き込んで、光線の代わりに血飛沫をそこから放出させる。

「これが……これがゲッターの力か……!」

 BETAに地中からの奇襲をやり返した人類初の男・神隼人の顔が喜悦に満たされる。もし、冷静さを保ってゲッターに乗り込んでいなければ、自分は間違いなく酔いしれ暴走していただろう、と確信させるほどの圧倒的存在感。
 人類の刃たり盾たる戦術機も良いマシンだが、隼人の闘争心にどうしても追従してくれない面があった。それがこのゲッターはどうだ、むしろ自分が振り回されないよう必死にさせられる。それさえ快楽だった。

『隼人、左だ! 要塞級!』

 弁慶の警告に視線を向けると、要塞級が数体、まとめてこちらに不気味な顔を向けている。どうやらゲッターを最優先で叩き潰すことにしたらしい。だが、奴らの相手はゲッターチームだけではない。要塞級が外れたことで無防備になった光線属種に、今までの鬱屈を晴らすように撃震が、武御雷が36ミリと120ミリをぶち込んでいく。

「ドリルアタック!」

 警戒すべき照射源が戦術機によって根こそぎにされているのを確認した隼人は、要塞級に向けてドリルを向けるとそれを発射した。ロケットかミサイルのように炎を後尾から噴き上げつつ飛翔するその先端が、要塞級の肉をぶち抜く――隼人が、そう確信して唇をゆがめた時。
 数本、いや、数十本の白い矢がドリルに突き立った。レーザーが送り込む熱量とプラズマ爆発の凄まじさに、ゲッター合金のドリルもたまらず進行方向を捻じ曲げられ、飴のように曲がって大地にむなしく転がった。

『!? ばかなっ! 地中より新たに、じゅ……重レーザー級、22確認!』

 戦況の好転に沸いていた人類軍の通信回線に、凍りついた報告が流れる。
 喜悦が驚愕に入れかわった隼人が確認したサブカメラの映像に、姿を見せる死神の目を持つBETAが映った。
 人類の高揚を嘲笑うかのように傲然と――



[14079] 第十話【第一章完】
Name: mitsuki◆66f66a11 ID:1f7a972b
Date: 2009/12/11 06:27
 落ち着いた藍色を基調とした家具が壁に控える一室。
 中央には巨大なモニターが鎮座しており、いくつもの画像やデータを映し出している。

「ゲッターロボ……目を見張るものがあるが、やはり苦戦しているようだね?」

 今、世界の中の日本という国の一角で行われている闘争の有様を示す画面から視線をそらし、くすんだ金髪の壮年白人男性が微笑を湛えたまま口を開いた。

「はい、やはり対BETAにおける戦いにおいて最も恐ろしいのは物量と、その傘となる光線属種の組合せですね」

 視線を向けられた赤毛の、まだ大学をでたばかりと思しき若々しい青年は、首肯しつつも熱心に視線を手元の資料と画面を往復させている。

「チェイス補佐官。君が大東亜連合を動かしてまで支援したゲッターロボがピンチなのに余裕だね?」

「わかっていたことですから。いかに優れた戦力でも、それ単体ではできることはたかが知れています。現在までのゲッターロボの戦果も、支援する戦術機あってこそですし」

「確かに。それなりに量産でき、それなりの素養の兵士が相応の訓練を受ければ満足に動かせること。これが戦術兵器の最低条件だ」

 金髪男は、最も我が国もHI-MAERF計画の件でそれに気付くまでにかなり痛い目を見たがね、と付け加える。
 時に軍事の専門家にさえはびこるスペック至上病のいかに酷いことか。かつてのドイツの独裁者は『新型重戦車一個大隊は一個師団に匹敵する』と妄言を吐いたそうだが、まともに稼働しない超兵器など資源と費用の無駄遣いで足手まといだ。
 
「タケミカヅチ……といったか。これは酷いな。専従の整備チームを引き連れてさえ、一個連隊中戦っているのはわずか一個大隊強。インペリアルガード(斯衛)の兵器調達責任者はセップクものだな」
 二人の会話を聞き流していた、軍服姿のがっしりした黒人男が憐れむように眉根を寄せる。
 総力戦の様相を帯びてきた戦区にあって装備数に比して出撃が少ない斯衛連隊の惨状が、ゲッターロボより戦術機含む兵站専門家出身の統合参謀本部議長には気になる様子だ。
 
「生産性が低いゆえ必要な部品が常に不足気味。整備性が悪いゆえ過酷な戦地では可動率ががた落ち。むしろ今の数がまともに戦えているだけでもジャパンの整備兵は名人揃いだ」
 
「タイプ94(不知火)のような上層部の失敗を、前線兵士の血と汗でカヴァーさせるのが日本帝国の伝統というわけかな? だからといって我が国のように、兵站やコストを重視するあまり採用決定した新型機の配備が遅れるほど鈍重でも困るがな?」

 本部議長は、金髪男に茶化される言葉向けられると、憮然とした顎を撫でた。

「閣下。それはG弾があれば全てなんとかなる、と思っている議会のおめでたいG弾万能論者におっしゃってください。F-22はG弾の円滑な投下支援、防衛線の維持、そしてG弾が無力化された時のカヴァー、あらゆる面に対応できる最強の戦術機です。ですが、予算凍結には勝てません」

「そういうG弾不要論寄りととられかねない部分まで言ってしまうのが、連中のカンに触るのさ。ドクトリン推進と、それが破れた場合の手当てを考えることは両立しない、と考える者は多いからね」

 話題の武御雷を含む、あらゆる世界の戦術機を圧倒する性能を誇るアメリカ軍自慢のF-22ラプターは、来月にようやくバージニア州ラングレー陸軍基地に1個小隊4機が配備される。
 採用自体は日本の不知火より早かったのに、だ。

「……話を戻しましょう。補佐官、ゲッターロボは一個の戦力としてはともかく、採用するような兵器としては問題外。この点だけは支援を打ち切った日本帝国の判断にまったく同意だ……にもかかわらず、君はどうしてここまでしてデータを欲しがったのかね? 加えて、今回の予算申請だ」

 会話に加わっていなかった禿頭の老人がおもむろに口を開き、年齢差が50はありそうな若いチェイスを静かに見つめた。
 大東亜連合に早乙女博士を支援するよう仕向けたこと。今、こうして閲覧している情報の入手。いずれも大東亜連合や日本とのコネクションを使い、代償に相応の国費を投じた行為の産物だ。

「はい、副大統領。第一に、ゲッター炉心の可能性です。現在は未知数かつ扱いづらいエネルギー源ですが、技術革新によりより扱いやすいモノになる可能性は捨て切れません。第二に、『私の専門分野』においては、BETAと地上で対峙するほどの数は必要ないかわりに、破壊力ある兵器を携行できるパワーのあるマシンが必要だからです」
 
 日本人、特に軍人に見られるアメリカアレルギーを考慮しなくてよいのなら、回りくどい真似はせず早乙女博士らを直接アメリカに招聘したいぐらいなのですが、と付け加える青年にいくつもの視線が集中する。
 そうのうちの一つ、金髪男の視線が天井に向いた。正確にはその遥か先にある、人類がかつて目指し開発さえ進めていた天体に、だ。

「……わかった。大東亜連合が取得したゲッター関連技術をさらに買い取る予算を承認するよう、議会に働きかけよう。地の底から湧き出る悪魔どもが、本来どこから来たのか。つい、忘れてしまうからね。
月からの落着ユニットを破壊する宇宙空間での迎撃ミサイルも無尽蔵にあるわけではないし、な」

 視線を戻した第43代アメリカ大統領・トーマス・K・ホワイトモアは、元衛士らしい精悍な顔つきになり大統領府の構成員達に宣言した。
 異議がないことを確認した彼が、ふと眺めやったデータ画面の片隅で、旧新潟戦区に向かう一つの小さな光点――恐らく単機だろう――が瞬いた。



『ALMはないか!?』

『駄目です! 全弾撃ちつくしています! C-8ポイントのコンテナに予備一式ありますが、付近にいるのは武御雷のみで発射できません!』

『ちぃ!? 撃震でも国連の不知火でもかまわん、誰かそちらへ……』

『レーザー級の眼前を横切ることになるから、無理ですよ!』

 地中から出現した重レーザー級の群れは、旧新潟市の空間を再びBETAの手に奪還した。
 頭を押さえ込まれた衛士達の、焦燥を乗せた通信が飛び交う。前進して確保した地歩を捨て、遮蔽物に縋って辛うじて焼き殺されるのを避けている。
 あと少しだったはずだ。ゲッターロボという望外の援軍と連携して、あらかたレーザー種を潰した。
 機動の自由と百パーセント地表に炸裂する砲弾をもってすれば、十分殲滅可能な程度に撃ち減らしたはずのBETA群。
 しかし、再び追い込まれてしまった。
 岩場の陰あるいは撃破した突撃級の殻に身を潜め、攻撃を続ける各機の火線もまばらになっていく。移動さえままならないため、補給ができず手持の弾を撃ち尽くしかけているのだ。
 要撃級以下のBETAが無傷で接近する頻度は高くなり、そこかしこで脚を止めたまま長刀やナイフを振るうことになる。
 ここまでしぶとく生き残った衛士達だが、ろくに動けない接近戦を余儀なくされれば全滅は時間の問題だった。

「なんとかならねぇのかよっ!?」

 目尻を吊り上げながら、竜馬はモニターを睨みつける。

『無理だ、ゲッターの装甲といえど重レーザー級の集中照射には耐えられん!』

 ゲッター2の巨体を窪地に押し込んで小さくかがめさせながら、這い寄ってくるBETAをクローで引き裂く隼人も苛立ちを隠さず怒鳴り返してきた。

『だが、このままじゃどの道やられるだけだぜ!?』

 弁慶の声にも焦りが浮かんでいる。
 重レーザー級は固定砲台ではなく、二本足で歩行するBETAだ。前進してくれば現在は死角になっている箇所も照射を受ける。

『重レーザー級が22体。もっと地中に潜んでいるかもしれない。突撃しても無理、か』

 ゲッター2と背中合わせになるようにして砲撃を続ける美冴の不知火から、溜息交じりの声が漏れる。
 小型レーザー級と比べ物にならないほど強力な照射を受ければ、万全の状態の不知火ですら耐熱装甲とレーザー蒸散塗幕の複合防護をもってしても、三秒しか持たない。
 命を捨てての吶喊さえ、犬死になるのは確実。
 恐らく自分が突撃する、と口を開こうとしたらしい衛士達が画面の向こうで唇を噛むのが見えた。

『……一つだけ、手が無いわけじゃない』

「なんだ? 隼人、もったいぶってねぇであるなら言え!」

『このゲッターの動力源……ゲッター炉心をS-11代わりにするのさ」

 隼人の一転低く抑えられた声に、今度こそ通信を共有していた全員が唾を飲み込んだ。
 S-11。それは大量破壊兵器に分類されないものの中では、現在の人類が持つ最高の高性能爆弾だ。
 表向きはハイヴに突入、その心臓部たる反応炉破壊用となっているが。日本帝国軍では、死ぬことが確実になった機体が敵を巻き込んで、またじわじわとした死の恐怖から逃れるために自爆用として使うことが常態化していた。

『ゲッター炉心のゲッター線蓄積量にもよるが。リミッターを解除して暴走させれば、奴らを巻き込むぐらいの威力はあるはずだ』

 竜馬は、うっすらと画面に映る自分の顔を見た。汗をかき、顔色もそれとわかるほど蒼い。
 ちくしょう、びびってんじゃねぇぞ。ケツまくって逃げるより、最後までくらいつくほうがオレらしいじゃねぇか。
 歪んで映る自身の顔に内心でそう叱咤を浴びせると、その竜馬の像は口の端を吊りあげた。
 再び顔中に闘志と赤味が満ちるまで、僅か一秒足らず。
 それだけで竜馬は死線を越えることを己に了解させた。

「やり方はどうする!?」

『ここで炉心を臨界まで上げて、あとはそのまま突っ込むだけだ。ゲッターの装甲なら数歩は近づけるだろうさ』

 距離を詰めただけ相手を巻き込める確率も上がる。隼人も笑っていた。
 その間にも地獄の餓鬼のようにたかってくる戦車級を、ゲッター2の腕が叩き払う。

『自爆とは……なさけない』

 弁慶が、いつの間にか軍帽が脱げて晒されていた禿げ頭に手をやり溜息をついた。だが反対はしない。

『何、死ぬと決まったわけじゃない。寸前まで装甲が持てば、炉心を放り込んだあとはオープンゲットして脱出できる』

 締めくくるように隼人が、極小の奇跡の可能性を口にする。
 三人のやりとりは短く終わった。
 戦意高揚映画に出てくるように、どこかで聞いた文句を並べながら悲壮感たっぷりに死ににいくのではない。
 これはBETAとの意地比べだ。あいつらの奥の手の目玉の群れが勝つか、こっちの一発が勝つか。
 それだけだ。

『……何か言い残すことはないか?』

 少し離れた突撃級の死骸の山の影で、要塞級の脚部に足止め砲撃をかけていたみちるの静かな声が流れる。
 決死攻撃をかけるらしい戦友への礼儀として、言葉を残すよう促そうとした彼女だが。

『う、うわぁぁぁ!? も、もういやだぁあああ!』

 ゲッターの三人が口を開くより早く、恐怖一色に包まれた悲鳴が耳を打った。
 一つではない。

『お父さん、お母さん、助けて……助けて助けて助けて助けて……』

『死にたくない死にたくない、く、くるなぁ!!』

 竜馬でさえ言葉を失うほどの悲痛な悲鳴、懇願、恐怖の叫びが通信内で連鎖的に爆発していた。

『伊隅大尉、斯衛が……恐らく士気崩壊です』

 汗で額に髪を貼り付けた、風間祷子が報告した。

「おい、急にどうしたんだよ?」

『心が折れたんだ。人間は弱い……訓練で叩き込まれた精神力や使命感でいくら押さえ込んでも、根源的な恐怖に勝ち続けるのは難しい』

 竜馬の戸惑いに答えるみちるの顔色は、快活とは対極だ。
 普段恵まれた状況下にいるほど逆境には弱い。むしろ斯衛の普段・平時の立ち位置からすれば、ここまで持っただけで驚嘆に値する。
 本多隊長や副官が声を荒げて制止するが、今度は収まらなかった。また、彼女らの顔色も優れない。
 斯衛衛士が無秩序な行動になだれこまないのは、そうすればより確実な死が待っているという一点に引っかかっているにすぎないのだろう。
 次は、A-01や161大隊にもその破局はやってくるのは時間の問題だった。

「やるしかねぇな」

『あいつらが暴走するのを待って、弾除けにするって手もあるが?』

 竜馬が呟くと、隼人が冷酷な提案をする。全部は無理でも、数匹のレーザー級はひきつけてくれるかもしれない、と。

「余計な犠牲に乗っかるのは好きじゃねぇんだよ」

『フッ、そうか……弁慶、俺達は余計な犠牲には入らないそうだ』

 即答する竜馬に、隼人が心底愉快そうに歯を見せた。

『ここまで来たら一蓮托生……好きにしやがれ!』

 ぱん、と軽快な音を立てて合掌した弁慶がむしろ急かすように怒鳴る。



「せめて、ゲッター1にチェンジできれば」

 沈痛な面持ちで通信に耳を傾けていた達人が呟いた。
 ALMでもなんでもいい、一時的にでもレーザー照射を外すことができればゲッター最強の武器が使用できる。三人の気迫のシンクロに呼応するように出力ゲージを押し上げているゲッター炉心なら『あれ』の使用可能レベルはとっくに超えている、と思った。
 達人の不知火は、ゲッターが大暴れしている間に自律行動モードで後退し、戦列最後尾の撃震に守られながら待機している。
 機動の震動に晒されなくなったため、少し回復した気力で指を伸ばしデータを確認。

「駄目か、ここからでもALMを取りにいくルートは照射危険地帯だ」

 よりによってこのタイミングで、海上からの支援砲撃頻度も低下してきている。半日以上砲撃を続けたため、補給を挟んでも海軍の砲弾が枯渇していることは十分予想できた。
 達人が無力感に唇を噛んだ時。
 視界の隅を、鮮やかな蒼が駆け抜けた。
 それが、自分が搭乗している汚れた不知火の本来の色であるUNブルーである、と気付いたのが数秒遅れたのはやはり病身とストレスのためか。
 目を凝らした時には、その国連軍カラーの不知火は恐れる気配もなくBETA群のど真ん中に飛び込んでいく。

「無茶だ!」

 BETAは絶対同士討ちをしないという鉄則を利用してわざと敵中に突っ込み、レーザー照射を避けるのは衛士なら誰もが知る基本戦術だ。
 だが、同時に当然包囲攻撃を受けることを意味し、よほど機動制御に優れた者以外にはリスクがありすぎる戦術。
 現にその不知火は突っ込みすぎて、要撃級の振り上げた前腕との直撃コースだ!

「なっ……?」

 だが、達人が予想した未来図は、要撃級の攻撃とともに見事に外れた。
 地表面滑走のために噴かしていた跳躍ユニットの右だけをいきなりカットした不知火は、並の衛士なら転倒確実の角度に機体を傾げて一撃を回避。
 無様なダンスを踊った形となった要撃級の白い体表に突撃砲弾を叩き込みつつ、砂埃を上げて機体を立て直して小刻みにステップを踏んで位置を変える。
 蒼い不知火にたかろうとするBETAは、ことごとくその歯を、打突をしがみつきを外され、痛烈な反撃を蒙っていた。
 恐らくオートバランサー機能を最小にして、マニュアルで平衡を取っている、と衛士としての訓練経験もある達人は見て取った。それがどれだけ難易度が高いかも理解する。

「コンテナを背負った不知火であれほどの機動とは……」
 
 達人が呆然としているうちに、その不知火は醜悪なBETAの影を縫うようにして囲みを抜けて視界から消えていった。



『――怖かったらお家に帰ってもいいのよ?』

 ゲッター2が、恐慌を口だけではなく行動にまで伝染させかけた衛士らの通信の中、立ち上がろうとした時。
 冷やかすような、しかし厳しさを秘めた女性の声が流れた。

「おめぇは!?」

『速瀬か!』

 真っ先に反応したのは、竜馬とみちるの二人だった。

『伊隅大尉! 遅くなって申し訳ありません、合流しますっ!』

 立ち上がったウィンドウに、髪を後ろに束ねた女性衛士の勝気そうな瞳が映った。
 突進してくる突撃級をかわし、同時にそれを照射を防ぐ盾にしながらまっさらな装甲の不知火が突っ込んでくる。
 両肩にコンテナを装着し突撃砲と盾を保持した制圧支援装備で、本来なら突撃前衛である水月機の装備ではない。
 戦線突入前に、通信からレーザー級の脅威増大を悟った彼女が独自判断で装備を変更してきたのだ。

『ミサイルランチャーを持ってきました! 32発、全てAL弾頭』

『でかした!』

 各機のデータリンクが更新され、『ヴァルキリー2』の味方コードが新たに追加される。

『どうやらまだツキはあるらしい……伊隅大尉!』

 隼人がにやり、と笑った。少し前までのものより陽性だ。
 竜馬が笑い返す間に、みちるは素早くデータリンクに新たな光線属種出現情報が無いことを確かめると、鋭く命令を下した。

『ヴァルキリー2、ALMを重レーザー級の群れ目がけて全弾叩き込め! 残りは重金属雲発生を確認後、全力攻撃だ。ここが正念場だぞ!』

 増援は一機だったが、映像に並ぶ衛士達の顔に僅かに生色が蘇った。

『竜馬、弁慶! ゲッター1にチェンジするぞ!』

 おう、と竜馬と弁慶の声が揃う。
 三人の視界の端のモニターには、ゲッターロボの全身データが表示されている。その一部が点滅し、勝負をかけるべき武器が使用可能であることを示していた。

『ヴァルキリー2、フォックス1!』

 不知火の両肩が咆哮する。コンテナから解き放たれたミサイル群が空中に飛び出した。
 途端、重レーザー級の黒い目が反応し白い破壊の閃光を放つ。
 元々撃墜されることを前提に作られたALMは初期照射を食らった段階で溶解しはじめ、最大出力を浴びせられると爆発する。
 重光線級と同数のALMが破壊され、さらに威力の余波で数発が巻き添えを食らう。しかし、それ以外が放熱翼といわれる赤い器官を揺らすBETAの群れに着弾。
 照射粘膜以外は高い防御力を持つ重光線級は、その程度ではほとんどダメージを受けていないが、一時的にせよ奴らがレーザーを放つ力を失ったことを示していた。

『オープン、ゲット!』

 隼人が、間髪いれず分離ボタンを押す。
 三機に分かれたゲッターロボは、ジャガー号・ベアー号・イーグル号の順に重金属雲で煙る空へと飛び出した。
 竜馬は出力レバーをフルスロットルに叩き込み、二機を追い越して上に出る。
 照射はこない。

「チェーンジ! ゲッタァァ……1!!」

 エンジンの推力を全て前部バーニアに移しての逆制動。全身の血液が体前面に集まるのを感じながらも、竜馬は吠える。
 まるで何百回も訓練を積んで来たかのようなタイミングでジャガー号とベアー号がドッキング、そこにイーグル号が重なった。
 露わになったゲッター1の黄色いツインアイが、眼光めいた光を曳いて輝き地上のBETAを見下ろす。
 モニターの端に、一斉に攻撃に出る戦術機部隊の姿が映る。だが分散している上距離がありすぎて、レーザー級まで届きそうに無い。
 竜馬の掌がレバーをしっかりと掴みなおす。

「いくぜ、隼人、弁慶!」

『おう!』

『おぉう!』

 竜馬の獲物に飛び掛る野獣じみた呼び声に、隼人と弁慶が負けじと怒鳴り返すと。ゲッター1の各部に取り付けられている緑色の強化ガラスが輝きを帯びはじめた。
 ゲッターが背にした太陽のためではなく、内部から光を受けているのだ。
 
「喰らいやがれっ! ゲッタァァァァ――」

 高度六百でゲッター1が両腕を振りかざし、力を溜めるように胸の前で十字に組む。
 同時に腹部装甲の一部が展開し、球形の水晶体を中央に備えた六角形の内部構造が現れる。
 重レーザー級が一斉に上空を向いた。照射インターバルが終わり、再びその目が白熱を帯び始める。
 ゲッターの水晶体の中に生まれた、ほんの小さな鴇色の粒子。それが瞬く間に膨張して、太い輝きとなって溢れ出す。

「――ビィィィィム!」

 竜馬の咆哮を合図に、ゲッターのコクピットで三つのレバーが同時に押し込まれる。
 ゲッター1の両腕が左右に開かれ、腹部から光の奔流が大地に向けて飛び出していく。
 ほぼ同時に、人類から空を再び奪うべく死の光が天に向けて解き放たれた。
 その激突は地を貫かんとする龍と、天を穿たんとする龍が互いに牙を突きたてあうようにも見えたか。
 中空に恒星が誕生したような光量と熱量が、異なったエネルギーの接触点から撒き散らされる。

『うおおおおおおおおおお!!』

 ゲッター1に余波による凄まじい重圧がかかり、剥離した部品が狭いコクピット内を跳ね回り竜馬らを傷つける。
 だが、それでもやめない。吼え、機体に力を注ぎ込むのを。

「くたばりやがれぇぇぇぇ!」

 あらゆる感情も衝動も、その一言に篭めて。竜馬が怒髪天を突く形相で、レバーを折れんばかりに押し込んだ。
 ゲッターから放たれたビームは、瞬間的に巨大化してBETAのレーザーを飲み込み。
 本来ゲッターに叩きつけられるはずだったエネルギーごと、地表に炸裂した。

 爆発。戦術核に匹敵する破壊力が大地をそこにいたBETAもろとも食らい尽くし、数瞬遅れて衝撃波が四方に走った。
 要塞級でさえ、その中では数秒と持たず炭素の塊に姿を変える。
 相応に爆心地から距離があった戦術機も、あやうくそれに飲み込まれかけた。未だ数を残したBETAが盾になっていなければ、ゲッタービームは味方をも巻き込んだだろう。

 ゲッターロボが、大きく口を開けたクレーター目がけてゆっくりと降下してくる。
 36秒たっても、どこからもレーザー光は放たれない。
 72秒。ゲッターの脚が大地に触れても照射警報はない。
 戦域の光線属種が、完全に掃討された証だった。



 コクピットを開いた竜馬の頬を、新潟の冷気が突き刺した。

「冷てぇ……」

 人類が、BETAが無数の攻撃を送り込んでも熱しきれない大気は、吐く息を包んですぐに漂白した。
 通信機からは、未だに多数の声が聞こえる。
 伊隅みちるや速瀬水月、宗像美冴や風間祷子、斯衛の隊長や副官や161大隊の隊長らのものだ。
 いずれもが、負傷者の救助と追撃戦の指示を口々に述べている。
 ゲッターと光線級の撃ちあいの衝撃で重金属雲が吹っ飛んだため、これに司令部や海軍からの通信が入りこみ億劫なほど煩い。
 そのいずれもが人類の逆転、優勢を示している。
 エネルギーを吐き出しきったゲッター1はしばらく動けそうに無く、竜馬の体にも今頃自覚された疲労がのしかかる。
 声が聞こえないところをみると、隼人や弁慶も同じようなものらしい。

 ――ジジイにあったら、なんて言ってやろうか

 竜馬は唇の端を僅かに歪めると、傾く陽を遮るように目を閉じた。



[14079] 第十一話
Name: mitsuki◆66f66a11 ID:1f7a972b
Date: 2010/01/18 17:48
 日本帝国外務省別館。まだ日本がBETAの脅威に直接晒されていない時期に、東京への首都疎開を睨んで建設されたその建物は、大名屋敷思わせる造り。
 その一室も芳しい畳の香り漂う座敷から夕暮れの日本庭園を一望でき、外国の来賓を迎えるのに恥じる所のない風情を誇っていた。
 だが庭の桜木の枝振りに感嘆する呉敬威・大東亜連合特使の言葉はどこか空々しかった。
 応じて特使の日本の文化に対する造詣を褒める、長門丈光(ながとたけみつ)・日本帝国外務次官の声も同様だ。

「さて、この度は『我が』大東亜連合所属のゲッターロボの急な戦線加入についてご高配いただき、誠に感謝しております。殿下ならびに榊総理にもよろしくお伝えください」

 口火を切ったのは、呉だった。細面に温厚な笑みをたたえているが、目は油断無く初老の日本人男性を見つめている。
 アメリカ他の競争相手を向こうに回し国連秘密計画を日本案で採択させた榊内閣は、一般に外交音痴といわれる日本人の通例に当てはまらない猛者揃いであることは外務の世界では常識だった。

「いえいえ、救われたのは我が国です。『事後通告』による他国軍兵器使用など、そのご恩に比べれば何ほどのこともありません」

 呉と同年代で、対照的に丸顔の長門はにこやかに応じつつ、今では貴重となった天然茶葉の緑茶で唇を湿らせる。
 これが日常の会話なら、どちらも絶対に言わないであろう含みある言葉を軽く投げあう。
 たとえ内心で馬鹿馬鹿しいと思っている屁理屈にも理論武装させ、国益という名の果実をもぎ取らせるのが彼らの仕事だった。

「――では、ゲッターロボは近日中に受領するということでよろしいですな? 尚、早乙女博士及び流竜馬氏以下研究所の方々も我が大東亜連合に招聘したく思っております」

 先に切り込んだのは呉だ。あの二月の新潟攻防戦から、既に三ヶ月が経過している。
 ゲッターロボは日本政府の支援を打ち切られ研究所を追い出された早乙女博士からの委託を受け、大東亜連合が組み上げたものであり軍籍上もその所属となる。
 だが、戦いの後実物を確保したのは現地の日本帝国軍だ。
 BETA戦において当然予想される各種汚染の洗浄、と名目をつけているが。一度見切りをつけたゲッターロボをなんとか取り戻したいという意図は明白だった。

 それまでの戦術機とまったく違う概念・性能を持った機動兵器の登場は、全世界に衝撃を与えた。
 一体で陸海空あらゆる戦局に対応でき、世界初の実用ビーム兵器等を備えたスーパーロボット。
 軍事的常識を備えた者は、すぐさまアメリカ大統領府の面々が出した『戦力としてはともかく兵器としては論外』という結論に似た答えに達したが。
 大多数の者達は、戦術機と並ぶ人類の新たなる刃の誕生に熱狂した。
 予算の無駄ではないか、と早乙女博士支援を勢力内から叩かれていた大東亜連合の一派が熱心に戦果を宣伝した結果でもあるが。
 現在、ゲッターロボは政治的に少なからぬ意味合いを持つ存在となっている。

「いや、困りましたな。無論、大東亜連合にお返しするものなのですが何分今までと概念が違う兵器であり、洗浄にも手間取っておりまして」

 音も立てず茶碗をテーブルに置きながら、長門は困ったように眉根を寄せた。

「それに、早乙女博士らの件ですが。彼らは日本帝国臣民であり、まず日本帝国に貢献してもらう義務があります。招聘は中々……」

 ここで難民区に放置しておいたくせによく言う――と、口に出すような人物に外交官は務まらない。
 呉は日本政府はゲッターを口実をつけて留めおく一方で、開発運用に不可欠な人材を国籍に付随する義務を口実に囲い込むつもりと見た。
 仮に彼らが出国を申請しても、強制徴兵という形で阻止することも辞さない、と言っているのだ。

「洗浄はこちらでもできます。ゲッターロボは我が連合の保有兵器ですので、これ以上そちらの御手を煩わせることはありません」

 呉は機体確保を優先することにした。
 国民が第一にその祖国に尽くす義務があることをいっているのは大東亜連合構成国も同じであり、そこは突けない。
 逆に、どう見てもこちらに正当性がある機体確保は最低条件だった。
 既にゲッター関連技術含む早乙女博士の保有技術の権利は取得しているが、実物のあるなしでは今後の研究のやりやすさが違う。
 大東亜連合の手に負えなくても、密かに転売を打診してきているアメリカに権利とロボを売り払えば、最新戦術機一個大隊分が購入できる利益が上がると見積もられていた。

 一方の長門次官のほうも、微妙な立場にあった。
 ゲッターロボ自体については、実はさほど惜しくは無い。
 早乙女博士に対する支援を再開し、気分を害していたのなら謝罪でもなんでもしてゲッターを再製造して貰えばいいことだ。
 問題は、そのために必要な技術の相当の権利が大東亜連合保有に移っていたことである。
 早乙女博士と大東亜連合の契約は正当なものであり、ゲッターに見切りをつけていた日本政府も簡単に認可したものだ。
 優先権は大東亜連合にあり、これを無視して関係悪化することは避けたかった。
 ただでさえ大東亜連合とは光州事件処理で、連合に味方したある軍人を実情より重い不名誉を着せて処刑した、というしこりがある。
 権利を買い戻せばそれで日本側にとっては済む話なのだが。こちらから言い出した場合は相手がゲッターの威力を認めた今、どれだけ吹っかけられるかわかったものではなかった。
 アメリカという超大国との入札競争めいた形になれば、今の苦しい日本財政では勝ち目は無い。

 と、二人の間に第三者の穏やかな声が割ってはいる。

「……よろしいですかな? 今回のゲッターロボ及びそれに関する懸案は、関係諸国のみならず人類にとっても大きな意味を持つ可能性があります」

 それまで一言も発せず黙っていた、口髭を蓄えた男性が淡々と言葉を紡ぐ。

「つまり、それほどのものであるからゲッターロボは国連軍に預けろ、と? 珠瀬事務次官?」

 呉が体ごと、珠瀬玄丞斎・国連事務次官に向き直る。

「その通りです、特使。大東亜連合、日本帝国政府ともにゲッターロボを欲している。しかし、現状では開発にせよ運用にせよ実施できる人材は少数」

 技術権利の問題も絡みどうやってもお互い不満の残る結論しかありますまい、と珠瀬次官ははっきりと言い切った。
 口にしなかったのは、ゲッターロボを稼働させた人員の一人が国連軍所属であることだ。
 犯罪者をオルタネイティヴ計画に付随する特権で手駒にして、暗い仕事をさせていたのだから元々堂々と言えた物ではないが。

「……勿論、国連軍が装備人員を一方的に接収しよう、などと思ってはおりません。腹案をまとめてまいりましたので御覧ください」

 珠瀬は懐から一枚の紙を取り出した。最初から両者がこうなることを承知で回りくどく言葉を交わしていた、とわかっている上で。



「……あのねぇ、私は忙しいんだけど」

 香月夕呼副司令は不機嫌さを隠さなかった。元々きつめの美人顔にそうされると、立場が下の横浜基地の技術士官達は引きつった表情を並べる。
 国連上層部から、ゲッターロボと早乙女博士以下要員を受け入れられるか、という打診があり。
 それについての回答を用意するのが今の彼らの仕事だったが。手に負えない、ということで上司に泣きついたのだ。

「は、はい。副司令の重責は承知しております。が、我々ではどうにも判断しかねまして……」

「いいわ、さっさと済ませなさい」

 オルタネイティヴ計画のうち、本計画を補佐するための周辺計画を立ち上げ研究するために割り当てられた実験棟のオフィスで、夕呼は脚を組んで顎をしゃくって見せた。
 気分転換ぐらいにはなるし、解決できる問題なら早めに終わらせて彼らに暗雲が立ち込めた本計画の打開に努力してもらわなければならない。
 
 少尉の徽章をつけた技官が端末を操作すると壁一面が巨大なスクリーンとなり、映像と音声がそこからあふれ出した。
 画像は鮮明だが、恐ろしく上下左右に動揺していて長時間見ていると気分が悪くなるシロモノだ。
 画面右下には撮影日付と撮影した戦術機のナンバーが入っている。
 二月の新潟防衛戦の際の、夕呼直轄のA-01が撮影したことをそれは示していた。

 ――マントを羽織った男が、黒髪と二丁の手斧を振り回し、小型種BETAを切り刻んで回ってた。
 人間の数倍の腕力を持ち、敏捷性も相当なものである兵士級の群れをあしらい、肉片と血飛沫を撒き散らさせ続けている。
 よく見れば男も軽傷を負い、息を乱しはじめているのだがインパクトが強すぎてそこまで見て取れたのは誰もいなかった。

 微妙な沈黙が、オフィスに降りた。

「ねぇ、マント型の機械化歩兵装甲なんて開発してたかしら?」

 事務員が差し出した天然物のコーヒーを澱みない手つきで受け取りながらも、副司令の眉根が厳しい角度を作る。
 伊隅みちるですら特撮映像の悪戯扱いをしたものだ。頭から否定しないのは、夕呼が態度はどうあれ技官達に一定の信を置いていることを示していた。

「も、申し訳ありません。ご覧いただきたいのは、もう少し後です」

 慌てて技術少尉が手元のつまみを操作すると、画面が早送りされた。

『遊んでいないでさっさと戻ってこんか。大事な仕事があるからこそ、お前を研究所に招いたのだぞ』

『なにが招いた、だ! 殺し屋をけしかけてきた挙句、人を麻酔銃で撃ちやがって! ありゃな、誘拐ってんだ!
……そういや下駄でぶん殴ってくれたっけな!』

『そんなことはどうでもいい。だいたい返り討ちにした上に、象でも眠る麻酔が暫く効かったのはどこのどいつだ』

 焦りのあまり操作を誤ったため、飛ばすつもりの音声がそのまま流れだした。冷淡な老人の声と、青年の吼え声。
 香月夕呼は、陰で自分も同じような……まぁここまで暴力的ではないが……工作をやっているので驚かない。ただ、冷静な言葉を口にするのみだ。

「――犯罪者のプロファイリングはいくらあたしでも専門外なんだけど」

「こ、こらぁ!?」

 コーヒーの香りを楽しみながらも、不機嫌さを増大させる夕呼の気配に。技官トップの技術少佐が業を煮やして自ら端末に飛びついた。
 ようやく本来見せたかったらしい画像が表示された。いくつかの戦術機のカメラ映像を編集したものらしく、やはり揺れが酷くてアングルも滅茶苦茶だ。
 その中で展開される光景。

 一体のロボットが三機の戦闘機になり、また一つになる。その度に、ロボットが姿を変えている。
 海中から大渦とともに重レーザー級を跳ね上げる関節をいくつも備えた腕。
 大地をBETAでさえこれほど高速での開削は難しいだろう、という速度で掘り進むドリルを備えた白い機体。
 極めつけは、腹から放つビームで人類にとって死の象徴であるレーザーを正面から打ち破った赤い鬼のようなマシンの姿だ。

「こ、このようにゲッターロボは既知の物理法則を無視しております。
また、中のパイロットも明らかに人体の限界を越えた重圧や衝撃に晒されておりますが、少なくともそれにより負傷した等の情報は入っておりません」

 夕呼は表情を消して、手元に配られた数字の羅列された面白味もないデータに目を通す。
 オルタネイティヴ4計画の産物を戦地で護衛するマシンとして開発と研究を行う、という要旨の試案だった。

「面白いわね。これは酷く不合理な兵器よ。でもその不合理をあえて飲み込むことにより、とんでもない合理性を実現させているわ」

 状況の変動に応じて一機でBETAのレーザー照射を受けない海中・地中でも活動できる。
 仮に一人のパイロットが戦闘不能に陥っても、他のパイロットがカバーすれば戦闘能力を維持し続けられることは実証されていた。
 ゲットマシンという構成パーツの一つが致命的破損を蒙っても、代わりの予備機を送り込むだけですぐさま完全な戦闘力を取り戻す――そんな芸当すら可能かもしれない。

「何より凄まじいのは、パイロットね。単に頑丈とかそういうレベルではこの重圧等には耐えられない。恐らく、無意識レベルで自分の姿勢を最適化しているに違いないわ」

 口元をにやり、と歪めながら――それでも卑しい印象がないのは美人の得なところだ――説明を終えた夕呼はコーヒーを一口含む。
 格闘技の達人が石や木を素手で砕き、激しく投げ技等で叩きつけられても死傷率が低いのは。彼らが経験と本能でもっとも体に負担が少ない体勢を取っているからだ。
 恐らくその延長上だろうが、人間の常識を超えた対処能力に違いはない。
 夕呼が研究している理論に関わる人間の未知要素。『最適な未来を選択する』能力を一秒単位で発揮している人材が少なくとも三人いる。
 新潟防衛戦については直属の部下から報告を受けていたが、その時は防衛成功という結果しか重視していなかった。
 改めてチェックすると、興味は尽きない。
 ……あの神隼人が人が変わったように落ちつき、夕呼との契約を解除してゲッターチームに移ると宣言した気持ちも今なら少しだけ理解できる。

「その、こんなわけのわからない映像やデータを信じるのですか?」

 映像を見せ付けられても、疑惑の色を消さなかった技官の一人が思索に沈み込んでいた夕呼に遠慮がちな声をかける。
 それに答える夕呼の口調は、相手に対する軽蔑を隠さないものだった。

「あなたがワケわかんなくったって、事実は変わらないわよ? それに――」

 続きの台詞を、夕呼は口にせず。ただ、妖しげな笑いを浮かべて書類に再び目を落とした。
 その言葉だけは、意地でも彼らの前では言えない。

『かっこいいじゃない、ゲッターロボ』

 横浜基地副司令にして、世界を救う計画を託された天才・香月夕呼。
 世界的有名学者である彼女だが、子供っぽいところが多々あるのはごく親しい人間しか知らない秘密であった。



 ――国連軍特殊任務部隊A-01所属『ヴァルキリーズ』は、横浜基地という不毛の地に咲いた花々のような存在だった。
 異なる魅力を持った美女美少女ばかりで編成された中隊は、ただいるだけで空気を華やかに変える。
 夏の総戦技演習をクリアした初々しい衛士達が加わってからは、一層色彩が豊かになった。

 立てば芍薬、座れば牡丹。歩く姿は百合の花。

 しかもただ外見が綺麗なだけの集団ではなく、実力も極東国連軍屈指の精鋭部隊であった。
 才色兼備の彼女らの何気ない言葉や仕草にノックアウトされた男性兵士・職員は一個歩兵大隊を形成するに足る数に上るだろう。
 機密性が高い任務に専従するとはいえ、一般兵らと接触する事もある。
 そういった部署には転属願いが殺到し、人事担当者は嬉しい悲鳴を上げるのが常だった。

 ――国連軍独立試験部隊『ゲッターチーム』は、横浜基地という不毛の地に投げ込まれた炸裂弾のような存在だった。
 異なる凶悪面を持ったむさくるしい男ばかりで編成された隊は、ただいるだけで空気を殺伐に変える。
 常識を担当していた早乙女達人が病気療養のため、紅一点だった妹のミチルがその付き添いで離れてからは、一層色彩が乏しくなった。

 立てばジャッカル、座れば狼。歩く姿は人型凶器。

 しかもただ外見が危険だけではなく、中身はもっと凶暴だった。
 剽悍無比な彼らと何気ない言葉で喧嘩になり、物理的にノックアウトされた男性兵士・職員は一個歩兵大隊を形成するに足る数に上るだろう。
 新型兵器開発に従事するはずが専用施設完成までは暇な彼らは、一般兵らと多々接触する。
 そういった部署からは転属・退職願が殺到し、人事担当者は文字通りの悲鳴を上げるのが常だった。

 極東国連軍最大の基地・横浜基地のブリーフィングルームのひとつで、二つの部隊要員が顔を突き合わせている。
 両者は、指揮系統上ともに香月夕呼博士に直属する特務部隊となっていた。
 出席者は全員、ではない。
 ヴァルキリーズは、伊隅みちるのみが出席していた。
 速瀬水月以下の面々は新任衛士達を一秒でも早く戦場で使える戦士に育てるべく、今も激しい訓練を行っていることだろう。
 対するゲッターチームも、壁に寄りかかって腕組みする神隼人と椅子を軋ませて座っている武蔵坊弁慶のみ。
 早乙女博士やゲッター開発再開のために集められた研究員は、横浜基地におけるゲッターロボ専用施設建設のために多忙を極めていた。

 博士はかつての研究所があった浅間山への復帰を熱望したが、そこはすでに帝国の大空寺財閥が関わる研究が行われている。
 国内(在日国連軍含む)の機械化歩兵装甲の製造シェアの大部分を占める財閥のトップ自らが関わる研究が相手では、早乙女博士への便宜を図ることを決めた国連といえど分が悪い。
 また、日本政府から大東亜連合へ返還即国連へ供与という形で戻ってきたゲッターロボの修理・再調整が、慣れない国連技官や整備兵らの戸惑いによって停滞していることもあり。
 ただでさえ人好きするとは言いがたい博士の機嫌は悪いことしきりで、仮に暇であっても出てきたか怪しいが。
 10月22日現在、ゲッターロボは可動不能であり。破棄されていなかったために研究用として運び込まれたプロトゲッターも、動かせるまでにはまだ数日かかる見込みだった。

 誰一人口を開かない静寂を、扉を開く音が破った。
 三人の視線が一斉にそちら集中し――揃って口元を押さえた。

「……なんだよ、言いたいことがあるのならはっきりいいやがれ!」

 入り口に立つ流竜馬が、顔を真っ赤にして体をふるふると振るわせる三人に怒鳴ったが。その頬は不自然なまでに赤い。

「竜馬、に……似合ってるぜ、その格好」

 弁慶が剃った頭のてっぺんまで真っ赤にしながら褒めるが、笑いを含んだそれは調子はずれだ。
 隼人にいたっては、笑いすぎで奇妙な呼吸を漏らしながら額を壁に押し付けている。

「てめぇらぁ!」

 竜馬が白い歯を剥き出しにして吼えるが、どこかいつもの迫力がない。
 全ては、その身を包む制服に原因があった。
 白を基調とした、糊の効いた新品の制服。人類の前衛たる戦術機乗りを志す少年少女たちが、軍に入って始めに袖を通す衣装。
 それ自体は何の変哲もない品なのだが、竜馬の野生的すぎる風貌と合わさると凄まじい違和感が発生している。
 もっとも早く精神の均衡を回復したみちるが、竜馬を厳しい目で睨みつけた――それでも微妙に頬が引きつっているが。

「上官に対してその態度はなんだ? 流竜馬『訓練兵』?」



[14079] 第十二話
Name: mitsuki◆66f66a11 ID:1f7a972b
Date: 2009/12/14 20:07
 ――人類は 負けない
 ――たとえどれほど絶望が深くても
 ――たとえどれほど敵が強大でも
 ――人類は 負けない 俺がいるから みんながいるから

 ……そして、俺達は勝ちつつあった。そのはずだった



 呼吸音が煩い。鼓動が煩い。だが、それらを遮断することはできない。
 それを発しているのは俺自身の命だから。これが途切れた時こそ、死ぬとわかっているから。

「アルファ1よりHQ! 支援砲撃を頼む、このままじゃ持たない!」

 通信機に怒鳴るだけで、喉が痛む。それを意識の外に押し出して、引き金を引く。
 愛機である撃震は、ここ数日ろくな整備も受けていないのによく応え36ミリを『奴ら』に吐きつけていた。
 だが、止まらない。
 そいつは要塞級さえダウンするほどの砲撃を既に浴びているはずなのに、配線むき出しの手をこちらへと伸ばそうとしてきた。

「――アルファ04、後退しろ!」

 気付いた時には、最後に残った部下が頭に血を上らせて突進していた。

『ちくしょぉぉぉ! 化け物、死ね、お前らなんか、お前らなんか■■じゃない!』

 叫び声の語尾に、ぐしゃりという破砕音が重なった。
 04のペイントが施された撃震の胸部に、巨大な斧が突き刺さっている。重装甲の撃震といえども、あれほど深く切り裂かれては衛士は絶望的だ。
 データリンク画面がそれでも律儀に立ち上がり、その機体と操る衛士が死に行こうとしているのを数字とグラフという形で、俺につきつける。

「しっかりしろっ! ●●!」

『し……たいちょ……わ…たち…べーたに……かっ……はず……に、なんでぇ……』

 バイタルフラット。衛士の心臓停止。カウンターショック二回。反応無し。

「う、うぉぉぉぉぉ!!」

 残り一発になった120ミリ徹甲弾を、目の前まで迫った『奴』の胴体部にお見舞いしてやる。至近距離、命中。
 ばっくりと裂けたそいつの装甲の隙間から、緑色の液体が血のように流れ出す。
 その向こうにかすかに見える、『搭乗者』がなおもこちらに手を伸ばしてきた。その人間大の腕にも、配線やパイプめいたものが何本も突き立って――
 いや、皮膚から直接『生えて』機体の壁面と繋がっているのが確認できた。

 やがてそいつは止めをさされた。
 俺に、ではない。後続してきた味方に、だ。いや、もう『連中』には敵味方の概念などないのかもしれない。
 憐憫のひとかけらもなく、巨大な機械の手が倒れた仲間や戦術機に伸び、部品を剥ぎ取っている。
 『奴ら』は相手が人類の産物だろうが異種起源存在だろうがお構いなしに攻撃し、倒すと自分達に必要な『部分』を毟り取っていく。

「ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう! なんで……俺達、こんな未来の為にがんばってきたのかよ!」

 人類存続の為に、愛する人々を存在さえ定かではない宇宙の彼方の星へと送り出して。
 残った人類は、諦めの中それでも歯を食いしばり、知恵と力の限りを尽くしてBETAと戦って。
 多くの犠牲とユーラシアの三分の二が重力異常地帯化という代償を払いながらも、オリジナルハイヴ攻略さえ夢じゃないところまで逆転したはずだ。

「なのに……そんな化け物になったら意味なんてないだろ!?」

 俺が叫ぶ声は、むなしく管制ユニット内を跳ね回るだけだ。それもほどなく、『関節部限界』『推進剤残量警告』のブザーでかき消される。
 
 最初に異変が起こったのは、G弾投下タイミング連絡の齟齬により攻略に失敗した重慶ハイヴ攻略戦だった。
 溢れ出すBETAに対抗するため、戦術機やその他の兵器は勿論、試作兵器すら大盤振る舞いで大東亜連合・統一中華連合軍は防衛線を展開。
 そのさなか、ある名前もろくに知られていない兵器が、超絶的な戦闘力を発揮して数万のBETAを押さえ込むことに成功。
 G弾を唯一製造できるアメリカに主導権をとられっぱなしであることに危惧を抱いた各国は、コスト他諸問題を度外視してその兵器のコピーを作りまくった。
 奇しくもG弾と同じ、Gの頭文字を持つその兵器は大量破壊兵器、そして戦術機との連携でBETAを焼き払い続けたが。
 人類の勝利目前、中東戦線で一機のGが突然僚機を攻撃しはじめた。
 最初はパイロットの暴走か何かだと思っていた人間達だが。
 やがてその種の事件は世界中で起こり始める。
 そして、ついに牙を向いたそいつらは……。

『何を恐れている』

 俺の耳を、喜悦に満ちた声が打った。しゃがれた老人の声だが、異様な精気と歓喜を含んでいる。

『これこそが人類のあるべき姿。機械と一体となり、よりすぐれた体を奪い合うことで永遠に進化を繰り返し、BETAに……いや、全てに勝つ新たな生命体となる』

 視界のあちこちで、数え切れないほどの影が蠢いていた。
 互いに打ち倒しあい、あるいは横から獲物をさらい、時にハイエナのように食い残しから部品をエネルギーを吸い上げる。
 壊しあって壊しあって壊しあって。奪って奪って奪って。

「ふ……ふざけるなぁぁぁ!!」

 高らかに宣告するその声の主を懐に抱いたマシン……戦術機の二倍近い大きさがあり、伝説上のミノタウロスのような角を備えたそいつに怒鳴り返す俺だが。
 もう機体も、自分の体も限界だった。ああ、HQからの通信ももう途絶え、時折何かが何かを食らうような咀嚼音が響くだけだ。

「BETAを何とかするために、力が欲しかったのはわかるさっ! だからって、人間をやめてまで勝って……何になるんだよぉ!」

 撃震に最後の武器、ナイフを抜かせる。

 最後まで諦めるものか。
 星の彼方へ送り出した人たちが、あるいはその子孫が地球へ帰ってきた時。
 出迎えるのは希望と平和じゃないといけないんだ。
 こんな地獄でいいはずがない!
 その思いを篭めて、最後の推進剤を使って突撃をかけようとした。

 だけど。

 そいつの腹から放たれた鳶色の光が、あっさりと俺の視界を染め上げて。
 決意も、肉体も乗機も。
 あっという間に消し飛ばした――。



「!?」

 最初に見たのは何かを求めるように、あるいは抗うように突き出された掌だった。
 その向こうには、白い天井。やけにぼやけていて。
 自分がその手を突き出しているんだ、と理解するとその青年は、弾かれたように体を起こす。
 視界がクリアじゃなかったのは、瞳から涙が滲んでいたせいだ。

「俺の……部屋? あれは夢……だったのか?」

 白銀武は、掌を自分の顔に当てた。べったりと湿った汗と、ほんのりとした体温。
 生きている証だ。

「はっ、そりゃ夢だよな。宇宙人に地球が滅ぼされかかってるなんて」

 乾いた笑いが、一人きりの部屋の空気をかき乱した。
 それにしても鮮明な夢だった、と武は思い返す。
 朝起きたら、いきなり宇宙人と戦争をしている世界だった。
 学校へいってみれば、そこは軍事基地で知人は皆軍人で。
 戦術機なんていうロボットが実在していて、死ぬような訓練をさせられて。
 最後には人類を救済する計画は失敗して、十万人だけが宇宙船で地球から逃げ出した。
 ……その時、誰かを送り出したはずだ。社霞と、あとは……誰だったんだろう?
 その後のことはまったく思い出せないが、おおむねリアルすぎる夢だった。
 特に絶望感は、今でも胸の奥に重石のように残っている。

「8時か。訓練にいかな……」

 言いかけて、武はふっと笑った。訓練? そんなことをする必要なんてないさ。
 もうすぐ幼馴染・純夏が大きなリボンを揺らしながらやかましく迎えに来て、冥夜や月詠さんや三馬鹿と恒例のドタバタをやって。
 学校へいって委員長や彩峰、たまや尊人達とふざけあって……ああ、今日は香月先生の授業だ。またヘンなことにならないといいけど。
 そうつらつら考えながらも、胸を疑問が渦巻く。

 本当に、そうなのか?

 違和感を振り払うべく、武はベッドから降りる。そして、迷わず扉を開いて階段を降り。
 玄関まで行って、外へと踏み出せば。

「…………」

 一面の廃墟。人気など欠片もない世界。そして、隣の純夏の家を押し潰す巨大な鉄の塊。
 同じだ。三年も前に見たはずのあの光景と。
 違うのは、その鉄の塊が撃震という戦術機の成れの果てだと理解できたことと。
 世界が再びあの悲劇を繰り返そうと確実に時計の針を刻んでいる、とわかっていることだった。
 武は、拳を地面に打ちつけた。元は人家を構成していたであろう埃が上がる。
 その痛みで意識を切り替える。
 今まで予知夢を見ていたのか、それともいきなり宇宙人と戦争する世界に放り込まれたのと同じような現象なのかはわからない。
 だが、今度は未来を知っている。変えることができるはずだ、世界を。いや、変えてみせる。
 茶色い髪を揺らして立ち上がった武は、ある方向を見つめた。
 そこにあるはずだ、極東国連軍横浜基地が。



「因果律量子論?」

 与えられたばかりのパソコンに向かい、一心不乱に図式やデータを打ち込み続けていた早乙女博士の指が止まった。
 それも一瞬で、すぐにまたカタカタという小刻みな響きが続くのだが。

「それを証明する存在が飛び込んできたらしい」

 ゲッター開発チームに開放されたその一室は、横浜基地の地下構造内にある。
 香月夕呼の管理フロアには及ばないものの、セキュリティも厳重で設備も整っていた。
 神隼人はそれまで無言で自身専用に勝手にした端末を弄り、ゲッター線に関するデータに目を通していたのだが。
 ふと思い立ち、博士に話を振ったのだ。
 元帝国軍の士官でありまたオルタネイティヴ計画直轄工作員だった隼人は、この基地でもっとも多くの情報源を保有している一人だった。
 下手を打てば夕呼が隼人を一切の躊躇なく消しに来ることを承知で、知的好奇心の赴くままに振舞うのは今でも変わっていない。
 しかし、今日の夕呼はほんの僅かだが、脇が甘い印象を受けた。
 あの女傑をして、内心の揺れを周囲に影響させるほどの事態があったことは間違いない。

「そうか」

「興味はないのか?」

「ないな」

「ゲッター線とも関係するんじゃないのか?」

 隼人の言葉に、今度こそ博士の太い指が動きを止めた。
 前研究所時代から、なぜか変えようとしない汚れた白衣を揺らし天井に視線を向ける。

「……ワシはそちらは専門外だ。お前が望む答えはだせんよ」

 早乙女博士もまた、紛れもなく天才であった。
 頭脳派にありがちな文弱ではなく、ゲッターロボを短時間なら乗りこなせるほど肉体的にも優れた能力を老齢の今でも保持している。
 それでも、わからないものはわからない。これは香月夕呼ら世界の天才達と同様だ。
 常人から見れば魔法使いじみて見える科学者も、所詮は人間に過ぎずその及ぶ所には限界がついてまわっていた。

「ワシにいえることは只一つ。バタフライ効果に足元をすくわれるな、ということだけだ」

 それこそ因果律量子論でもゲッター関連理論でもない分野にある言葉に、今度は隼人の指が止まる。
 普通なら無視してしまう極小の差異でも、やがてそれが大きな結果の変動をもたらす可能性がある、というのがバタフライ効果だ。
 例えば今日ある地方で蝶が羽ばたいたために、数年後とんでもない台風が別の地域で発生するかもしれない、という事。
 博士の今の言葉は、恐らくただの比喩だろうと隼人は考える。
 今日、基地入り口で一悶着を起こしたあの茶色い髪と瞳の20にもならない男。あの香月夕呼に、ほんの僅かな時間で存在価値を認めさせたらしい人物。
 もっとも、それは香月夕呼の信頼を得たとかパートナーになった、とは同義ではない。あの女は、そんな甘い存在ではない。
 それらの諸要素が何をもたらし、自分達にどう影響があるのか。まったくの未知数には違いなかった。

「ラプラスの悪魔ならぬ人の身では、考えるだけ無駄だと?」

 ラプラスの悪魔とは『この世の一切の要素を計算できる存在がいれば、未来の結果も予見できる』として仮定された概念であって、そのような悪魔が実在するわけでは無論ない。
 そして気まぐれに振舞う量子という存在の証明によって、ラプラスの悪魔はもういない。つまり、一切合財を算定しての未来予知など不可能。
 それが現代の量子論のはずだった。
 あえて隼人がその言い回しを使ったのは、やはりただの比喩だ。

「悪魔の力があっても意思がなければ意味がない」

 博士の目が、ちらりと隼人に向けられすぐに手元に戻った。
 二人の会話はそこで途切れた。
 余人が見れば何がしたいのかわからないやり取りなどなかったように、二人は再びそれぞれの作業に没入する。
 博士の目の前の画面に表示されたゲッターロボの修理及び調整進捗率は未だ、五割程度だった。



 白銀武は戸惑っていた。
 目覚めてから決意し横浜基地へ向かい。危ない橋を渡りながらも香月夕呼先生――この世界では副司令に会い。
 時に銃を突きつけられながらも、自分の記憶にある未来の情報を提供して207衛士訓練小隊B分隊の訓練兵という身分と地下フロアに出入りできるセキュリティパスを確保した。
 前の世界と同様に恩師である神宮司まりも教官と、御剣冥夜・榊千鶴・彩峰慧・珠瀬美姫らと『再会』して。
 その都度、単なる感動とは違った不自然なまでの喜びや切なさが胸の内に湧いてきたりしたが、何とか乗り切って。
 後は訓練に励みつつ、この世界の向かう未来を変えるよう邁進するつもりだった。

 だが、誰だこいつは。

「いや~助かったぜ。オレはコブンって奴が苦手なんだよ」

「古文じゃなくて現代語ですよ。国連軍入隊宣誓は」

 年の頃は武より二つか三つ、上か。体つきは服の上からでもわかるほど発達しており、何気ない物腰にも隙が無い。
 似合わないことこの上ない訓練兵制服さえ着てなければ、鬼も逃げ出す古参兵といった風貌だ……今は頭をかきながら笑いかけてきているが、はっきりいって恐い。
 歳相応の外見で迫力とはやや無縁な武と並ぶと、その違いはさらに際立って見えるかもしれない。
 しかし、頭はあまりよくない。年上に失礼だろうが、そう断定する材料があった。
 先程講堂で行われた国連軍入隊宣誓文をまったく覚えられておらず、武がこっそり脇から教えてさえ切れ切れでようやく口に出来たのだ。

 記憶をいくらひっくり返しても、こんな男……流竜馬に覚えはなかった。一回会えば忘れるとは思えないのだが。
 だが、現実に『本日より参加の新規訓練兵の男二人』として肩を並べて訓練小隊の元へ向かっている。

「だいたい、なんでオレだけが訓練兵なんだってんだ。隼人の奴は中尉様だし、弁慶ですら少尉に出世だそうじゃねぇか……」

 竜馬の愚痴る言葉を聞くのは、はっきりいってうっとおしかったが。今回は記憶にない人物の事情に対する興味が勝った。
 本来は横浜基地のゲッターチームなる部隊に本来所属しているそうだが、そこで以下のようなやり取りがあったらしい。
 
「おい、竜馬。お前は衛士資格を取らないといけなくなったぞ」

「なんでそうなるんだよ!? 隼人!」

「ゲッターロボのパイロット資格のためだ。法律上、ゲッターロボは衛士規定が準用される。
未だ実用機が一機のゲッターロボのために新しい法律や軍法を作る手間をかけるわけにもいかんそうだ」

「ほ、ほうりつ? ……ちょっと待てよ、じゃあ弁慶はどうなるんだ?」

「ああ、オレなら衛士資格はもう持ってるぜ。徴兵された時に訓練を受けたからな」

「はぁ? じゃあなんで歩兵なんてやってたんだよ?」

「……訓練後に体重が増えて管制ユニットと衛士強化装備の体重制限にひっかかった。歩兵科転属で階級も二等兵からやり直しだった」

「何食ったら、そんなにブクブク太るんだてめぇは!?」

「確かにな。軍人であってもそうは食えないはずなんだが……。
とにかく、前線の緊急避難でもないのに資格のない者をパイロットにはできんそうだ。丁度訓練小隊があるそうだからそこへいってこい」

 早乙女博士は、指揮権の類を一切持たない技術官とはいえ中佐待遇。
 神隼人は元々持っていた階級の横滑りで衛士中尉。実戦部門の書類上の最高位となる。
 衛士訓練修了者である武蔵坊弁慶は帝国軍から国連軍に移籍した時点で衛士とみなされて少尉。
 そして軍の資格ないし経験が一切ない流竜馬は訓練兵(衛士候補生とはいえ、合格までは一等兵以下。最下級)。
 元空手道場主の肩書きは、階級にはなんの寄与もなかった。
 尚、早乙女達人は少尉任官、早乙女ミチルは下士官待遇の軍属としてBETA研究班に所属する予定だったが療養とその付き添いで保留となっている。

 名前が出た同僚らがどんな人物かは武にはわからなかったが、それまで同格だった者達の中で一気に下に置かれたら気分も良くないだろう、と同情してしまう。

「大変ですね、流さん。でも、合格して衛士になればいいんですよ。がんばりましょう?」

 ゲッターロボ、という単語を聞いた時。ちくり、と頭の奥で小さい痛みと共に何かが閃きかけたが。すぐに消えたそれを武は無視することにした。

「おう! ……ところで、そのしゃべりかたは体が痒くなる。同じ訓練兵なんだからタメ口でいいぜ」

 拳を握り締めて励ます武に、にやりと笑う竜馬。
 やがて、合流すべき207訓練部隊の面々の姿が見えてきた。



 神宮司まりもは、訓練中しかめっ面の中に驚愕を閉じ込めるのに必死だった。
 突如、上司である香月夕呼から押し付けられた訓練兵・白銀武と流竜馬。
 衛士になれるかどうかの瀬戸際である総合戦技演習を控えた部隊にとっては、不意打ち以外何物でもなかった。
 個人の能力の懸念もあるが、何より少女ばかりの部隊に突然、だ。精神的な面が心配だった。
 しかも機密度の高い者達らしく、開示情報は最低限。
 このご時勢に貴重な男二人なんだからと自分に言い聞かせて、もし足手まといになるようなら……と手ぐすね引いていたのだが。

 柔軟体操の後にまずやらせた長距離走では、並の男に負けないぐらいには鍛え上げたはずの207の少女達をぶっちぎって一位と二位を独占。
 続く装備を担いでの十キロ行軍では、白銀は『完全装備じゃないのか』と愚痴をこぼすほどで、ならばとそれに加えて分隊火器ダミーのおまけ付で走らせても、彼女らを周回遅れに追い込んだ。
 『準備運動にもなりゃしねぇ』と舐めた口を叩いた流には、白銀に課した分に加えて重砲用砲弾のダミーを背負わせたが、それでも白銀さえ追い抜いてゴールへ一位到着。
 徴兵免除で力が余っている、とかいう話ではなかった。
 二人とも人並外れた筋骨を持ち、体に掛かる負担を最小限にする効率のいい身体操作法を心得ている。
 素質だけに頼った暴走では絶対潰れるほどの運動をこなしながら、尚余力さえ感じさせていた。自主訓練の賜物だとしたら、よほどの質の良い鍛錬を積んでいたのだろう。
 
 もっとも、午後の座学では二人の評価は大きく分かれる。

「授業中に余所見をするとはいい度胸だな。今のところを説明してみろ」

 心ここにあらず、という様子を見せていた白銀を指す。もし午前の体力での圧倒に思い上がっているようなら、ここで厳しい罰を課そうと考えていたのだが。

「この例題は作戦直前の支援作戦で…………任務の成功率・要員の生存率も高いと考えます。以上です」

 返って来た答えは、まるで答えを知っていたかのような模範解答、応用分を含めれば満点。

「ぼーっとしていた割にはまともだな」

 と矛を収めるしかなかった。
 207の面々、普段あまり表情を表に出さない彩峰でさえ驚きと感心の表情を浮かべるほどだ。
 ちなみに、その中に流はいない。
 わざわざカリキュラム変更を断った白銀と違い、流は初学者向けに組み替えた授業を別室で受けている。
 補佐を頼んだ座学担当の伍長から後で聞いたところでは「物覚えや理解力自体は悪くないが、知識量と勉学に対する集中力がとにかく不足している」そうだ。
 暗記ものの小テストを特に嫌がり、顔を真っ青にしていたという。
 どう見ても通例の罰である腕立てその他は通じそうにないから、流へのペナルティは座学関連を基礎にしようとまりもは決定した。

 銃器組み立て訓練では、白銀はやはり経験者としか思えない手さばきを見せ組み立て時間新記録で他を圧倒。
 流は座学の影響からか生気はなかったが、それでも彩峰と互角の速度で銃を組み立てて見せた。調子が万全なら、白銀をも抜いたかもしれない。
 特に驚いたのは、銃を組み立てる際に壊れやすいパーツは丁寧に・そうでないパーツはやや乱暴にと、指ざわりだけで識別した部品一つ一つの特性に従って手つきを変えていたこと。
 それによって時間効率と、組み上げた後の可動率双方を向上させている。
 速度だけを重視する者は勿論、熟練者でもそこまで気を回せるのは稀だ。流は明らかに実践的な銃器の扱いを体得していた。
 
 白銀武。体力、座学ともにトップクラス。物腰も体力自慢の青年にありがちな暴力的なところはなく、人間関係の円滑な構築さえ間に合えば隊の良い刺激となるだろう。
 流竜馬。体力は不安要素が欠片もない、文句なし。小型種BETAとなら素手でもやりあえるのではないか、という非現実的妄想さえ抱かせるほどの域だ。
 ただし、座学はよくいって中学生レベル。
 人間関係はまず顔で損をしていて、近づくだけで珠瀬あたりが怯えを見せるぐらいなので、これも微妙。
 それがまりもの初日の見立てだった。



 まりもの懸念は、思わぬ形でPXを舞台に解消されることになる。

「これは難しく考えずに、定型文を参考にして主語と目的語を変えればいいんですよー」

 ピンク色の髪を揺らしながら、珠瀬美姫は身振り手振りを交えて解説する。

「軍の基本よ。曖昧な命令を防ぐために、文章はむしろ単純化されるの。この段階では余計なことは考えないでいいわ」

 眼鏡を光らせて、榊千鶴が分厚い教本を開いて、指差して参考箇所を示す。

「うむ、そこまで出来れば後は暗号化するだけだ。初歩の暗号ゆえ、これも面倒がらず表を参照すればよい」

 腕組みをしつつも、青い瞳から厳しい眼光を注いで監督するのは御剣冥夜。

「できもしないのに、うろ覚えでやろうとするのは若造です」

 彩峰慧が目を細めながら口を挟み、『教育対象』が短気を起こすのを制した。

「……こ、こうか?」

 そんな美少女らに囲まれながら、額に脂汗を浮かべて必死に課題と格闘するのが訓練分隊最年長の流竜馬だ。
 元々、第207衛士訓練小隊B分隊が特別扱いをされる部隊だということは周知であり、普段から親しげにする他部隊の者は皆無に等しいのだが。
 今日は、別の意味で周りから浮いていた。
 207の面々が、座学における竜馬の可哀想な状態を知ったのが夕食時。

 ――このままじゃ総戦技以前に、連帯責任で全員失格

 午前の元気は消え小声で愚痴る竜馬を前に、それは彼女らの性格・価値観の差異を超越した共通認識となったのは当然だろう。
 食事を済ませてさっさと引き上げようとする竜馬を取り囲み、問答無用で分隊自主補習を開始した。
 その余りの気迫に、さしもの竜馬も必死で勉強するしかない。

「……おかしい、本当ならここでみんなの呼び方とか決めて、守りたいものちゃんとあるか、とかかっこよく言うつもりだったのに」

 『前の世界』から引き継いだ知識と能力を持つ自分のアドバンテージを生かして、訓練部隊の刺激になろうと思いつきまた親交を深めるタイミングを計っていた白銀武も、テーブルの隅で頭を抱えている。
 とてもそんな空気じゃない。
 人類の未来とかなんとかそれ以前の、突然訪れかける最悪の現実に逆らう少女達は。気高くも近寄りがたかった。
 ああ、昼間は近寄られるだけでびくついていた、たまでさえあの強面を向こうに回して一歩も引かない。なんて逞しい……。

「ちょっと、白銀君! ぼさっとしてないでどこかから国語辞典借りてきて! ああ、なんでこんな常用漢字も知らないわけ!?」

 委員長、と呼んで不思議がられた基地案内時からの一歩引いた態度はどこへやら。武にも指示を飛ばす千鶴はいまにも噛みつきかねない形相になりつつあった。

「やはり最初から最後まで写本させるべきか? 古来より、筆写に勝る勉強法はないというしな……ノートも持ってきてくれ、最低十冊」

 冥夜の命令がそこへ加わる。よほど竜馬の出来が酷いのか、目がすっかり据わっていた。

「た、助けてくれ武! オレは国語は苦手なんだよっ!」

「国語じゃなくて軍内通信法ですよ、流さん」

「……きちんとしてくれるまで帰さない」

 BETAの群れに囲まれてさえ上げたことのない悲鳴が、竜馬の口から漏れるが。
 武にできるのは、合掌して健闘を祈ることのみだった。この分隊の思わぬ団結のとばっちりを食う前に、必要な物品を集めるために立ち上がる。
 少し前までは皆が武の凄い能力に感嘆していたはずだが、それが逆に『この人は自分のことは自分でできるでしょ』となってしまった様で、ちょっとさびしい白銀武だった。

 こうして、207衛士訓練部隊は武装した兵士やBETA軍団でも不可能だった『流竜馬の屈服』を一日で成し遂げたのだった。



[14079] 第十三話
Name: mitsuki◆66f66a11 ID:1f7a972b
Date: 2009/12/16 19:46
 太平洋の海面が揺れる。波飛沫を立てて低空飛行する三機の戦闘機。

「弁慶、プロトイーグル号のオートパイロット異常なしだ。いいぞ!」

 白を基調としたヘルメットと赤いマフラー。青いパイロットスーツという姿でプロトジャガー号を操縦する神隼人が、通信回線へゴーサインを出す。

『よしっ! チェンジ・プロトゲッター3!』

 弁慶が白い保護装備に包まれた腕でレバーを押し込む。
 三機はレーザー級の存在する戦場では取れない高度まで上昇、プロトベアー号のずんぐりした機影を先頭に一列に並べば、合体。
 一体の人型兵器となることで推力を失ったプロトゲッターは、そのまま海中に重力の手に引かれるまま飛び込んだ。

『……このあたりだな。お、あったあった』

 ゲッターの多数の関節部を備えた腕が海底に鎮座する機械の塊に伸びる。モニターでそれを確認しながら、隼人は機外への通信回線を開いた。

「こちら国連太平洋方面第11軍・横浜基地所属、ゲッターチーム。施設建設支援任務を行う」

『こちらエコー7。了解、支援に感謝する……しかし、魂消たぜ。本当に合体するロボットかぁ』

 水中でも通じる音波通信越しに、作業チームの驚きを隠さない声が送られてきた。

「指示を頼む。パイロットは武蔵坊弁慶少尉だ。暇になるとすぐ居眠りするからこきつかえ」

 相手は冗談と受け取って笑ったが、隼人は至極真剣に注意したつもりだった。

 隼人らは稼働状態に持っていったプロトゲッターで海中作業を手伝うことになっていた。
 プランクトン等の海洋資源を収集し、合成食糧を作るプラント設置だ。
 地味な任務だが、これも人類の戦いの現場。
 一つ増えれば、海流等の諸条件がよければ年十万人を食わせるだけの食糧が生産できる大型合成食糧プラント。
 国連も各国もその建造にやっきになっているが、海上・海中での作業は難しい。一部、水中作業用に改修した戦術機や機械化歩兵装甲をベースとした機械もあるが、数は少ない。
 そこで、水中でもチェンジすれば十分活動できるプロトゲッター3に助力の打診があったのだ。
 ゲッターロボを国連軍管轄に移す際、日本帝国と大東亜連合を含んだ三者の間で、いくつかの協定が結ばれた。

 ・ゲッターロボ及びその開発運用要員は、極東国連軍所属とする
 ・国連は、日本及び大東亜連合への支援食糧・武器割り当てを増やして謝礼とする
 ・日本政府は、早乙女研究所閉鎖後に接収した試作型ゲッターロボのうち、程度の良い物二体を研究用として大東亜連合に譲渡する
 ・大東亜連合は、早乙女博士より取得した技術権利の優先権を国連に売却。代わりに、国連によるゲッター研究成果の取得順位を第一位とする
 ・日本政府は、旧早乙女研究所からの接収済み機材を国連軍に無償提供する。その代わり、ゲッター研究成果の取得順位を第二位とする。

 その他こまごまとした取り決めの元、ゲッターチームは国連所属となった。
 このプラントはその協定の一環であり、生産する食糧は帝国と連合に優先的に送られる予定だ。
 尚、大東亜連合は成果取得順位一位の特権を高性能戦術機F-18E/F『スーパーホーネット』二個中隊分提供と引き換えに、アメリカに譲渡すると噂されている……。

 プラント自体はユニット化されており、輸送船で運搬されたパーツを決められた手順ではめ込んで組み立てるだけだ。
 多少の水圧や潮流などものともしないプロトゲッターには、難しくない作業。
 しばらく、ゲッターロボに比べて外見上のデザインや構造が単純に見えるプロトゲッター3は伸縮する両腕を指示に従い動かしていた。
 弁慶はこのプラント一つで何万という人々が救われることを承知しているのか、いつもの悪い癖を出すこともなく黙々と作業に従事している。

「……ん?」

 たまに作業班と連絡をするのと、プロトゲッターのデータ取り以外は手持ち無沙汰だった隼人の眉が跳ね上がった。
 水中通信から聞こえる要員の音声が不自然にざわついている。
 コンソールに手を伸ばし、ボタンをいくつか叩くと、海上の通信が入ってくた。

『――こちら国連海上作業チーム、エコー7。当該海域における許可を受けない軍艦の行動は海洋資源保護条約により禁止されている。即座に撤収されたし』

『こちらは、アメリカ海軍第七艦隊・ズムウォルト。申し訳ない、可及的速やかに退避する』

「なんだと……?」

 隼人の眉根がさらに険しく寄せられる。
 アメリカ海軍艦艇が太平洋に存在すること自体は不思議ではないし、連絡の行き違いがあるのも人類全体の人的資源枯渇から各分野の熟練者が減った今、ありがちなことだ。
 だが、隼人の記憶が正しければズムウォルト級ミサイル駆逐艦は、対人戦を明らかに意識したステルス形状を持ったアメリカ海軍でも希少な新鋭駆逐艦。
 その多くは、アメリカ大陸からもっとも近いBETA領域である――同時に、未だ潜在的な抗争の可能性を抱える人類の強国の勢力、に近い北米付近に集中配備されているはずだ。
 太平洋それもマリアナ諸島に近い海域にいるのは、微妙な違和感を感じずにはいられなかった。

 現在のアメリカ大統領はホワイトモア。アメリカ人衛士としてはもっとも世界で有名な男の一人だった。
 1980年代、当時最新鋭だったF-15Cを駆り、ベルギー防衛戦で最後まで戦場に残り味方と難民の脱出を支援し続けた男。
 G弾問題でアメリカ嫌いの各国でさえ、あれは大した衛士だと賞賛を惜しまない内外の人気を背景に、政治家としては若いながらも大統領になった。
 一方で政治家としての力量は、議会の結論に従うだけの風見鶏などと揶揄される程度だが……。
 隼人は、香月夕呼の筋から実態はかなり食えない人物だと知っていた。

『どうした、隼人?』

 妙な気配を感じ取ったらしい弁慶の、不思議そうな顔がサブスクリーンに投影される。
 いや、なんでもないと隼人は首を振って見せた。
 気にはなったが、今すぐどうこうできるという話ではない。作業を終わらせ、基地に帰ってから調査すればいいことだ。

「今頃、竜馬はどうしているかと思ってな」

 アメリカ海軍艦艇が素直に離れていくのを視界の隅のソナー画面で確認しつつ話を振ると、弁慶は途端に愉快そうに口元を吊り上げた。

『へへ、この世に恐いものなしみたいな顔をしたあいつが、頭抱えるのは傑作だったぜ』

 そう笑う弁慶も、自分が訓練兵だったころには座学のたびに悲鳴を上げていたらしいのだが。喉もと過ぎれば熱さ忘れる、とばかりに竜馬の苦悩を笑い話にしている。
 この件については隼人もにやりと笑うだけだ。

「フッ、竜馬にはいい薬になるだろうさ……弁慶、プロトゲッターは各部問題なし、だ」

 このプロトゲッターは、新潟で暴れたゲッターロボの直系原型機に当たる。各種スペックは劣るが基本機能は同じ。国連軍から提供された戦術機の物を流用したセンサー系統も問題なし。

『よし、それじゃとっとと終わらせて海の幸にありつくとするか!』

 弁慶は気合を入れるように、自分の頬を掌で叩こうとした。ヘルメットのバイザーに邪魔されて妙な音が立っただけだったが。



 社霞は、白銀武の『前の世界』の記憶の中でも特に強く印象に残っている少女だった。
 青みがかった白い髪、白磁のようなという形容も愚かな透き通った肌。人目を引くのに十分な美少女だが、滅多に地下フロアから出てこない無口な子。
 それでも、ふとした拍子に言葉を交わすうちにゆっくりとだが打ち解けて、あやとりなんかをして遊んで。

 そして、最後には宇宙への脱出を見送った。

 今でも、その直前のやり取りは鮮明に思い出せる。
 脱出を拒み、シリンダーに入った奇妙な脳みそにすがり付いて、「タケルちゃんにはわからない」と叫んだ必死な姿。
 前の世界で自分をそう呼んでいたのは、幼少の頃の学校の先生などを除けば。幼馴染の鑑純夏だけだったはずなのに、突然だ。
 驚いたが、確かめる時間はなかった。最後には、説得に応じて彼女は旅立っていった。

 またね。

 その言葉を残して。
 武は約束を、奇妙な形でだが再び果たした。あの脳みそシリンダーのある部屋で。

 夕呼先生の部屋から出て行く時、小さく手を振る霞に応じる武の顔は緩みっぱなしだった。
 今回は初日から名前を聞くことができて、握手もした。『前の世界』に比べれば遥かに打ち解けるのが早い。

「……で、話っていうのは何?」

 だがそんな気分も霞のウサギ耳に似たカシューシャが扉の向こうに消えて、夕呼先生の静かな声を聞けば引っ込めるしかない。
 真剣な顔つきで向き直る武の額には、僅かながら汗が滲んでいた。

「先生、オレが受けた座学や訓練それにメシの内容まで『前の世界』と一致しています。でも、まったく違うことも起こっています」

 武は数日の訓練をこなしながらも、内心は焦りで叫びだしたいぐらいだった。
 ほとんどの事象が記憶どおりに展開しているのに、まったく知らない人物が一人加わることで結果に差異が生じている。

「……つまり、流竜馬というあんたの知る世界全てに存在しなかった男がいることで、大筋はともかく事態がかなり変わっているわけね?」

 夕呼は椅子に腰掛けて、黙って武の言葉に耳を傾けていたが。おもむろに口を開き確認する。

「はい、例えば前の世界では委員長と彩峰の仲は、戦術機の実機訓練にまで影響を及ぼすほど険悪でした。いろいろあって解消したんですが、それが今は……」

「流竜馬っていう駄目男をなんとか人並みにするために一致団結、ねぇ……」

「駄目男……いや、確かにそうなんですけど実技は凄いですよ?」

 先程の、榊が初等作戦術の教本から重要箇所を抜き出して竜馬に徹底朗読させ、彩峰が逃亡を阻止するという連携プレーが展開されていたPXを思い出しながらも、一応弁護を試みる。

「それはまりもから聞いているわ。何この化け物」

 夕呼の口からはさらに酷いかもしれない台詞が漏れた。
 短気なせいか、長距離狙撃が苦手だがそれ以外は訓練兵の……いや、国連軍兵士の歴代記録をぶっちぎる数字が並ぶ報告書をひらひらと振って見せる。
 『実技訓練は最低限に留め、座学を徹底して教えるべきではないか』というまりもの意見付だった。
 特に格闘技は恐ろしいレベルで、冥夜や彩峰が動きで互角に持ち込んでも筋力差で接触した途端まず吹っ飛ばされる。
 なんとか対戦の形になるのは武ぐらいだが、それでも一度も勝てたためしがない。
 たまや千鶴が相手だと、一方的すぎて訓練にならないので省略したぐらいだ。

 ちなみに白銀武も、世間から見れば立派に化け物と呼ばれる記録を実技座学全般で記録しているのだが、この場合はインパクトが違った。

「手斧でBETAを叩き殺したとか、高速飛行する戦闘機のコクピットにジャンプで飛び乗ったとか色々伝説のある男だけど。ホント、全ての栄養が筋肉と運動神経にいってるのね」

「なんでそんな人間兵器が訓練兵なんですか!? ……じゃなくて、事象が変化したっていうのはどういうことなんです?」

 衛士は技能者であると同時に士官でもある。単に運動神経がいいとかその程度ではなれない。なって貰っては困る存在だ。
 指揮から兵站までの軍の基本を理解し、司令部壊滅などの状況下になれば一応でも指揮官の代わりを務められる人材でなければ、衛士徽章は付与されない。
 夕呼の冷たい視線に、任官経験が記憶にある武はそれを思い出し馬鹿な質問をした、と顔をしかめながらも本論に話を戻そうとする。

「……考えられるとすれば、あんたがループしてからここに来るまでにそれぐらいの変動が起こるような、何かがあったか」

 言われて武は額に手を当て、目覚めてから207分隊に合流するまでの事を記憶から掘り返すが。

「まったく思い当たることがありません。先生に会うために門兵に無茶をしたり、こうやっていろいろ話したことぐらいしか」

「些細な事が影響した可能性は否定できないけれど。それ以外の出来事があんたの記憶と一致している以上は確率は低いわね」

 武の胸中で焦りが暴れだしはじめる。自分の未来情報が役に立たないとなると、残るのは軍人技能ぐらいだ。
 それだけでは、どう考えてもオルタネイティヴ4の失敗と5発動という未来を変えられそうにない。
 なまじ記憶に沿った事のほうが圧倒的に多いだけに、違いとそれをもたらした原因が気になって仕方がなかった。

「正直、現状だとあんたの言うことを信じるのは難しいわ。何か、世界にとてつもなく影響を与える事件って一度も起こらなかったの?」

 夕呼の指が、苛立ったようにデスクを叩く。実際にそうなのだろう。
 いきなりあなたの研究は12月に全て台無しになりますと言った相手が、自信の根拠をぐらつかせているのだ。
 短気な人物なら、嘘つきと決め付けて放逐すると宣告しても不思議ではない。

「……ありましたよ。世界に影響を与える事件」

 武は冷や汗に背中を濡らしながらも、必死で思い出してそれを口にした。他に手持ちの情報で夕呼の関心を引けそうなものは、無い。

「――佐渡島から、BETAが侵攻します。あれは11月11日です」



「タケル、ごめんね。こんなことまで手伝わせて」

 ショートカットの美少年……ではなくボーイッシュな少女である鎧衣美琴が武にすまなそうな視線を向ける。両手を胸の前で組む仕草がやけに似合っていた。
 入院して207訓練小隊B分隊から一時離れていた彼女がようやく合流したのだ。

「いいって。これで全部か」

 実質的に娯楽室として解放される夜のPX。
 武の手にあるのは、彼女が入院中に処理すべきだった事務関係の書類だ。
 最下位の訓練兵といえども、軍組織の一員であるからには諸経費や福利厚生関係の申請、定期報告などやることが相応にある。
 病室でも処理していたらしいが、全ては流石にできていない。

「すごい訓練兵が入ったって聞いたから、どんな人かと思ったけど。親切な人で良かったよ」

 にこにこ笑顔になる美琴に、大したことじゃないと手を振って見せる。

 自分の未来情報が役立たずかもしれない。そう突きつけられてから、武は悩み続けた。
 どうしよう、このままずるずるいくしかなのか。それとも、いっそ滅茶苦茶な賭けにでるか?
 夕呼先生にBETA侵攻情報を伝えてからここ何日かは訓練中も悩みが付きまとい、危うく怪我をするかもしれないミスまで犯すようになった。
 その懊悩の末に出した結論が、開き直ること。
 もう、夕呼先生に言えることは言った。後は頭をからっぽにして、みんなと訓練を頑張って衛士に一刻でも早くなる。

「許すがよい、タケル。そなたが新しい環境に戸惑っていた事にも気付かなかった」

 冥夜がトレイを持って歩み寄ってきて、湯気の立つ合成緑茶入りの茶碗をタケルと美琴の前にそれぞれ置いた。
 彼女達は武の変調を『自分達がアレなほうの新人に構ってしまったために、疎外感を覚えて悩んでいた』と受け取ったらしい。

「だから気にするなって。本当にそうじゃなくて、オレ自身の問題なんだから。謝るのはこっちのほうだ、お陰でま……教官にどやされずにすんだよ」

「ふふ、ならば精一杯感謝するがよいぞ?」

 昼間の実弾射撃訓練の使用弾種を間違えて、危うく暴発させかけた武が手を合わせて拝む真似をすると。
 寸前で間違いに気付いて指摘してくれた冥夜は、芝居がかった言葉で応じた。

 未来を変えたい、オルタネイティヴ5発動を阻止したいという強い思いは変わらない。
 だが、未来を知っているという事からくる無意識的な優越感を持っていたことに気付き、同時にそれが既に打ち砕かれつつある、と悟った時。
 武は肩の荷が下りたような、不思議な感覚を味わった。
 自分が何をするまでもなく、理由はわからないが世界は違う方向に向かっている。
 その中でできることは、結局一人の人間としてやるべきことを全うするのみだ。
 そう腹を括ったら楽に皆に接することができるようになり、隊員との関係は急速に親密になった。
 千鶴を委員長と、珠瀬をたまと呼ぶことや自分への呼びかけを指定するのもあっさりと成功。

「そういえばね、退院前に横浜基地から怪我をした人がよく入院してきたんだよ。『目はやめて耳はやめて鼻だけは~』とか、『オレの女をあんなデブに取られた……』とかうなされててね」

「……唐突に話をかえないでくれ。しかもなんだそれ?」

 やっぱり美琴のマイペースは変わらないな、という思いとともに物騒な話の内容に溜息を漏らす武。
 美琴の直筆である必要はない被服費申請書類にこまごまとした数字を書き込みながら、ちらりと隣に目をやると。

「流さん、兵站は軍の基本ですよ? ご飯食べないとどんな人でも戦えません。現地調達だってできるとは限らないんだから、軽く見ちゃ駄目です」

 たまが人差し指を立てた手を振り、厳しい目で――残念ながら迫力はさほどないが――背を丸めて教本を読んでいる、いや読まされている竜馬を見つめた。

「普通の成人男子必要カロリーは一日あたり約2500カロリー。激しい戦闘を行う兵士は最低この三倍から四倍が必要とされるわ。
アメリカ軍に倣って国連軍は、兵士一人当たりに必要なカロリー分の食糧を調達輸送できるか、からを作戦計画立案の基礎にしているの」

「……だけど戦地ではどうしても食べ物が不足する。昔は士官が『士官が倒れた指揮を取れないから』という名目で食糧を自分達ばかりに割り当てた悪例がある」

「そりゃ駄目だな。腹が減っては戦はできぬ、飯の恨みは地獄までってな」

 千鶴と彩峰がたまの解説を補足すると、竜馬は少し考えてからうんうんとうなずいた。

「そう、だから兵站においては入念な計画と実施が必要よ。幸いBETAは補給線遮断は積極的にやってはこなけど、戦線が押し込まれれば結果としてそうなるケースは多いわ」

「無能な上官ほど、計画の失敗を兵士の精神力や献身で補わせようとする。これは最低」

「そんな奴がいたら、オレならぶん殴ってるだろうなぁ。それをやられるワケか」

 なんと。
 どこかズレてるとはいえ、三人が口々に解説することや教本の内容を自分なりに咀嚼し理解している。
 これが数日前は「飯がなけりゃ、どっかからかっぱらってくればいいじゃねぇか?」というどこの山賊だよ? みたいなことをいって、国連軍入隊宣誓文を五十回暗誦させられた男とは思えない。

「流さんは、やればできる子ですね」

 たまが視線を緩めて、竜馬の頭をよしよしと撫でる。
 よせやい、とそれを軽く払いながらも竜馬もにやっと笑い微妙に得意気だ。
 あ、委員長が目尻を押さえていて、彩峰がその肩をぽんぽんと叩いていた。苦労が報われつつあるのがよほど嬉しいらしい。
 一種異様な光景だが、武が人間的弱味を、竜馬が頭脳的弱味を見せたことが結果として分隊の団結を急速に強めつつあった。
 相変わらず一線をお互いが引き合っている微妙な気配は残っているものの、それを飛び越えた一体感が確かに生まれているようだ。

 ふと、武の視線が時計に向けられる。
 あと二時間ほどで、11月11日。
 開き直ったとはいえ、やはり自分の記憶から夕呼先生に示した情報が現実になるかどうかは、気になった。
 BETAの動きは人類には未だ予測不能だから、動いたら武の情報の真実味は一気に増す。多少の誤差があっても少なくとも尊重に値する、と夕呼先生は言っていた。
 運を天に任せるのみ、と開き直って冥夜や美琴と談笑しながら書類の欄を埋めるのに意識を戻す。

 ――夕呼先生に、帝国軍に通報して防衛を強化するよう依頼することをすっかり失念していたことを思い出すのは、翌朝になってからだった。



「では、当日は国賊・榊是親らは確実に首相官邸にいるのですね?」

 眼鏡の下から隠しきれない興奮と敵意を晒しながら、沙霧尚哉帝国陸軍大尉は拳を握り締める。

「いかにも。さる二月の新潟防衛戦の功労者に帝及び殿下より賜った褒賞を授与することは確実」

 帝都のさる料亭の一室で、軍服姿の沙霧に対するのは、平安装束(文官束帯)という時代がかった姿の白皙細面の男。
 古来よりの風習を重んじる帝や五摂家の近侍衆、特に儀式を司る者は現代でも古式を保っているので、沙霧の顔には怪訝の色はない。

「此度の義挙、さる筋の方々も期待しておる。小は恩師の仇討ち、大は天下万民の為、励まれよ」

「はっ! 必ずや国賊どもを一掃し、日本をあるべき姿へと戻す一助となってご覧にいれましょう!」

 顔つきを引き締める沙霧を見て、男は手にした扇子で口元を覆う。嗤いを隠すために。

 ――愚かなことよ。古来より国家を害するのは奸臣ではない。後世からそう呼ばれようと己らは純忠尽くすつもりだった者達だ
 ――それゆえ、他者からの忠告も法や律も邪魔者、としか思わぬ
 ――自身が心酔する未来図に資するものなら、少し考えればわかる妄言にも容易く耳を奪われる
 ――挙句に、悪事を為すこと自体に酔い知れ、国家を空理空論で溺死させるのだ
 ――この分では亜米利加の者達や、得がたい名政治家を犠牲にしてでも軍の専横をやめさせたい情報省の一派も、扇動に苦労しなかっただろうて

 内心の嘲弄は一切表に出さず、ただの微笑みに口元を変えた男は、扇子をぱちんと閉じた。

「心強いことよ。国難の時期に勇士現れるは国家の大慶也」

 ――せいぜい私を楽しませるが良い。『奴ら』が真の力を得るまでの暇つぶしにはなろう

 男の心の声は、沙霧には無論届かない。だから、烈士を自認する大尉は誠意をこめて頭を下げた。

「では摂家筋への工作、よろしくお願いいたします……安倍晴明殿」



[14079] 第十四話
Name: mitsuki◆66f66a11 ID:1f7a972b
Date: 2009/12/17 20:36
 早朝の横浜基地、白銀武訓練兵の個室。

「えい」

 可愛らしさを、平坦な語調が相殺してしまっているかけ声とともに、武の身を包むささやかな温もりが引き剥がされた。ゆ~っくりと。

「……成長したな、よしよし」

 何か自分が悪いことをしたような気分を味わいながらも、霞の新技術を褒める武。おはよう、おはようございます、と挨拶をかわすとそのまま出て行こうとする霞。
 『この世界』でも出会ってから毎日繰り返される、朝の光景だった。

「あ、そうだ。今日警報が鳴る……かもしれないけど、心配するなよ?」

 ウサ耳カチューシャを揺らして素直にうなずいた霞に、どこか冴えない笑顔を向ける武。
 未来情報がそれなりの価値を残しているかどうかの、瀬戸際だ。
 どうなるんだろう、と漠然とした不安を引きずりながらも体を起こし、主観で数年分の経験に従って半ば無意識に服装を変えようとした途端。

 武の鼓膜を、警報音が激しく叩いた。反射的に壁に掛かった時計を確認するが、時刻は普段の起床時間数分前――霞が起こしに来たのはその五分ほど前だ。
 記憶にある警報発令は、PXで受けたはず。

「っ! また違ってるのか!?」

 眉間に皺を寄せつつも、ハンガーにかけてあった制服を引っつかみ急いで身支度を整えると、訓練小隊用ブリーフィングルームを目指して駆け出した。

「白銀君!」

 白い訓練兵制服の前ボタンを留めながら通路を走っていると、委員長の姿が見えた。ついで冥夜と彩峰が、一拍遅れてたまと美琴も姿を見せる。
 六対の脚が、一直線に目的地を目指すが。

「あれ? 流さんがいないんじゃ?」

 美琴がふと、気付いたように呟いた。

「ええ!? まさかまだ自室じゃあ?」

 寝起きでいきなり走ったために息を切らしかけているたまが、目を丸くする。

「みんなはこのまま行って! 私が見てくるからっ!」

 迂闊だった。新入りの武が真っ先に飛び出したために皆失念していたが、同じ訓練兵でも入営したばかりの竜馬はこういう場合どうするか忘れている可能性が高い。
 委員長が、壁に手をついて慣性を殺しながら振り返ろうとするが。

「ばっかやろぉぉぉぉぉ!!」

 強化ガラスの窓を貫くほどの大音声に、千鶴の脚が滑りかけた。慌てて彩峰と冥夜が彼女を支えようとするが、慣性に押される状態なのは彼女らも同じ。
 後続のたまと美琴も巻き込んで、五人がくんずほぐれつの状態で連鎖転倒した。
 五種類の悲鳴が廊下を跳ね回る。
 武は、廊下のリノリウムに無理矢理靴を押し付けて振り返ると、団子になった少女達が見える。冥夜のスカートが乱れていたり……。
 邪念を振り払って、視線を窓に向けると。

 巨大な影が朝の冷気の中に立っている。武には前の世界以来見慣れた国連軍仕様の撃震。それが一個小隊分既に訓練場を兼ねる広い中庭に展開し、突撃砲を空に向けていた。
 そして、中庭の中央に拳を握り締め頭上で振り回してなにやら怒鳴り続けている竜馬の姿が。

「何やってんだてめぇら! ゲッターを傷物にしたら承知しねぇぞ!」

「……ゲッター?」

 その言葉を武の脳が理解した時。ずきり、と頭の芯に錐を捻じ込まれたような痛みが走った。
 頬が冷たくなる。血の気が引いているのだ、と自覚しながらも目をさらに凝らすと。
 撃震らの頭部が向く空に、何かがいる。人型だが、同じ人体を意識した戦術機と比べるとずんぐりとした単純な構造が見て取れる。
 赤い鬼のような二本角、人間でいう口や頬の部分に見える緑のガラス質のパーツ。腹部は白、腰周りは黄色を基調としたかなり派手なカラー。

「………………」

 武の心臓が跳ねた。二度、三度と数を増すごとに、正常な血流を妨害するほどに心音が大きくなる。
 確かに初見の兵器に驚いている。だが、それだけではこうはならない。
 自身の変調を自覚した武は、壁に手を突いて身を支えようとしたが、その指先さえ急速に力を失う。
 無意識に脳裏に何かの映像がちらついたが、悪寒を伴うそれがはっきり像として浮かべるのを、別の本能が拒否する。

 ――アレに乗りたい。乗って『奴ら』を蹂躙したい。アレなら勝てるんだ
 ――アレは駄目だ、アレはこの世に存在させてはいけない。大事なものを奪われてしまう

 神と悪魔を一緒くたにした存在を前にしたような、矛盾した感情が武の体内で暴れまわり。互いに衝突しあってその余波が神経を痛めつける。
 世界が傾いた。斜め45度を越えて、さらに激しく。
 いや、オレのほうが倒れているのか、と武の最後の認識能力が辛うじて把握する。
 誰かが、自分の名を呼ぶ声がする。冥夜? 委員長だろうか、それとも――



「武!?」

 絡まった僚友の体を引き剥がして立ち上がった冥夜の青い瞳が映したのは、倒れ伏す青年の姿だった。
 不自然な体勢で崩れ落ちたため、頭を打ったかもしれない。
 窓の外では、宙に舞う巨人の付近に威嚇射撃の曳光弾が走りはじめていた。

「……珠瀬、鎧衣! 白銀君を看て、動かせるのなら医務室に搬送して! 彩峰、ブリーフィングルームへ行って、教官に事情説明を! 御剣ついてきて、流さんを抑えるわ!」

 呆然とする少女達の中で、真っ先に判断力を回復させたのは榊千鶴分隊長だった。
 おさげ髪を揺らしながら、仕事を振り分けていく。
 医療技能にも優れる鎧衣に珠瀬をつけてタケルの容態を見させて、教官には足の速い彩峰が集合できない理由を説明。自分達は、どうみても戦術機による警戒を邪魔している流を押さえにいく。
 その判断を即座に最良、と判断した冥夜は了解と声を張り上げると同時に、窓を開いて身軽に外へ飛び出る。
 彼女が窓枠を蹴る音を合図に、全員が一斉に動き出した。

『……撃つな! 味方だ! こちら当基地所属・ゲッターチーム、発砲を止めろ!』

 どうやって揚力を得ているのかわからない跳躍装置さえない機体から鋭い、しかし焦りを滲ませた男の声が放たれた。

『なんでIFFが働いてねぇんだ!? ……あれ、これか?』

 ついで、野太い喚き声が続いたが。そのどこか間の抜けた言葉とともに威嚇射撃が一斉に止んだ。
 もう少しで、決死の覚悟で流を引きずり倒そうとした冥夜と榊の足が止まる。先程の経験があるので、無様な転倒はしなかったが。

『防衛基準体勢2解除、繰り返す、防衛基準体勢2解除……防衛基準体制5に――』

 ほどなく響き渡る、どこか脱力した気配を漂わせる基地放送に、途方にくれた顔を見合わせる少女二人。

「あいつら、何やってやがるんだ!」

「あんたこそ何やってるのよ! 防衛基準体制4以上が発令されたら、訓練兵は所定のブリーフィングルームへ、でしょ!?」

 上空に向けて悪態をつく竜馬の背に、榊の怒りの声が叩きつけられる。ここで叱責するのは当然なので冥夜も止めない。
 ようやく二人に気付いた竜馬が振り返り、伸びるままの黒髪を太い指でかく。

「いや、行こうとしたんだけどよ。そしたらあいつらが……」

「あいつらとかどうとかじゃなくて! そうしないといけないの! ……少しはマシになったと思ったけど、まだ甘かったようね?」

 顔をしかめる竜馬に、規律を重んじる榊の怒声が叩きつけられる。
 杓子定規にならず、タケルが倒れた事にも即応したのは彼女も成長しているということだが――
 その原因がこの新入りの頭をせめて人並みにするための、教育の試行錯誤を経験したためなのだから微妙な思いを覚える冥夜だったが。

「! そうだ、タケルが倒れたのだ!」

 ようやく事態を把握する能力を完全に取り戻したその顔が青ざめる。流石に竜馬の顔つきもさっと真剣なものになった。

『――え!? て、訂正! 防衛基準体勢2は継続! 繰り返す、防衛基準体勢2は継続!』

 そこへ追い討ちをかけるように、混乱を消しきれないオペレーターの指令が空気を震わせる。
 207の三人は顔をそれぞれ見合わせると、言いたいこと一切を後回しにして基地内へ向かって駆け出す。
 その頭上を、専用施設へと着陸するためにプロトゲッター1飛び越えていった。



 横浜基地司令であるパウル・ラダビノッドは浅黒い顔に苛立ちを滲ませながら、基地地下フロアの一角にある中央作戦司令室を睥睨している。
 インド戦線の地獄を生き抜いた猛者であるラダビノットから見れば、現在の情勢はおおむね腹立たしいものだった。

「状況を把握せよ。正確に、速やかにだ。日頃の訓練を思い出せ」

 それでも激情を完全にコントロールし、各員に安心感を与える言葉をかける。
 早朝、基地に接近する未確認飛行物体をレーダーがキャッチ。これはIFFを切っていたプロトタイプゲッターロボだった。
 数日従事していた、食糧プラント建造支援任務を終えて帰還しようとしたのだ。
 一応、防空識別圏に入った頃には正規の進入信号を出しており、照会をきちんとすれば不注意を叱って済んだ話だった。
 ところが判断責任者の当直士官が席を規定に反して外していたので、話が大きくなって防衛基準体勢を臨戦態勢にまで引き上げる騒動に。

「……たるんでいますわね」

 ラダビノット司令の隣で、あきれを隠さない美女が頭に手をやっている。香月夕呼だ。

「救いがあるとすれば、実戦部隊の要員は皆よく動いてくれたことか」

 夕呼が意外な言葉を聞いた、というように視線を准将の階級を持つ司令に向ける。

「実戦を経験した兵士というのは戦地のストレスと付き合うために平時はむしろ力を抜く。
有事とそれ以外との切り替えが上手い者が、これだけいたということが確認できたのは不幸中の幸いだ」

 頭二つほど背の低い夕呼に、ラダビノットは顔を向けて説明する。
 深夜訓練から帰還した戦術機は不審機侵入まで余裕がないと察すると、非武装ながらいざとなったら時間稼ぎの囮になる覚悟で配置についた。
 即応部隊の出撃から展開までの動きも、よどみがなかった。
 それだけに司令部から中級指揮官層までの醜態が目立ったわけだが……。

 夕呼が何か考え込むように眉根を寄せ、ついで髪をかきあげた。

「……後方気分でだらけている兵士は、非常時もそうだと思っていましたわ」

「博士がそう思うのは当然だろう。私も前線で兵士達と寝食をともにして初めて気づいたことだ」

 夕呼とラダビノットは小声で会話を交わしつつも、揃ってモニターに視線を向けた。
 壁を埋める画面の中でも最大級のものは、佐渡島から北陸にかけての地域を拡大した戦略地図が映し出している。
 騒動の正体がわかり、臨戦体勢を脱力とともに解除しようとした矢先。
 今度は、正真正銘の急報が帝国軍より飛び込んできたのだ。

 佐渡島ハイヴより、連隊規模のBETA侵攻を確認。行動統計によると横浜基地を目標としている公算高し。

 5時10分頃、BETA群の海底移動を確認。
 帝国海軍第56機動艦隊が応戦し、佐渡島から照射されるレーザーの数が少なかったため損害は軽微だったものの、爆雷の数が足りず突破を許した。
 報告を受けた帝国陸軍本土防衛軍は、二月の防衛戦で打撃を受けた第16師団と交代した第12師団を中心に迎撃。
 比較的BETAの数が少ないこと、光線属種がほとんど見受けられないことから有利に戦闘を進めているが、国連軍にも一報が入ったのだ。
 このままいけばまず勝てるだろうが、思わぬBETAの行動や増援で戦況がひっくり返る危険性は常につきまとっている。

「ともあれ、二月に大打撃を受けたはずのBETAがこの時期にまた侵攻。帝国軍の間引き作戦の評価も含めて、佐渡島ハイヴのBETA予測数の算定をやり直す必要があるかもしれん」

 ラダビノットは、ここ数日で香月夕呼直轄のA-01がしきりに対BETA用の捕獲装備をかき集めているのを知っていた。
 オルタネイティヴ第二計画の数少ない成果として知る人ぞ知るBETAの代謝機能低下酵素を用いた兵装は、横浜基地でも貴重品だ。
 だが、ラダビノットはそれを問い詰めもしなければ掣肘もしない。
 横浜基地司令の役目はこの女傑の仕事を手助けすることであって、よほど人類に害する行動を取らない限り一切を承認ないし黙認するよう、国連上層部から命じられていたからだ。
 この横浜基地の本当の主が彼女であることは、一定の地位を持つ国連関係者及び関係国の人間には公然の秘密。

「第一戦術機甲大隊は、帝国軍の要請があり次第絶対防衛線への支援として出す。残余は基地防衛配置へ。用意怠るな!」

 思索に沈む夕呼を目の端で確認しながら、ラダビノットは右往左往する参謀を叱りつけた。

 恐らく夕呼はこの件を奇貨として、縁故や肩書きだけで出世した無能な将校とともに基地内の反オルタネイティヴ第四計画派の放逐を図るだろう。
 前者はラダビノットにとっても望ましいが、後者は頭痛の種になりそうだった。
 戦術機とその運用の発祥はアメリカであるため、アメリカ人から教育を受けた国連軍士官は多い。その影響を受けやすい者も。
 彼らは政治的には迷惑ではあっても、軍務では有能なことが多いので穴埋めは大変なことが予想された。
 実戦派将校を大陸部隊から引き抜くこと、そしてそれに付随する現地部隊の抗議をどうなだめるか、の算段を脳裏でつけはじめながらも、司令の視線は厳しく情報画面を貫いた。



『新潟におけるBETA捕獲任務報告概要。

 損害:大破1・中破1・小破3。負傷者2名(高原少尉・朝倉少尉。命に別状なけれど、中~長期療養を見込む)
 成果:中型種11・小型種以下58捕獲

 総評:敵勢力僅少により被害軽微。しかれども成果も予定捕獲数も半数にも満たず。新任衛士含む全員生存も、それに拠る所が大……』

 尚も文面が続く伊隅みちる大尉の署名が入ったその報告書は、香月夕呼のデスクの隅にあり武からは見えない。

「……結論から言うわね。白銀武が世界をループないし移動している確証は深まったわ」

「え? でも確かに侵攻はありましたが、オレの記憶とかなり違いましたよ?」

 落第確実のテストの答案返しを待つ生徒だったような武の表情が、驚きに変わった。
 BETAの侵攻は小規模で、通常の防衛戦を行った帝国軍により水際でほどなく殲滅されたのだから。
 夕呼は椅子に座ってそんな青年に、口の端を少しだけ緩めて笑いかける。

「そうね。でも人間には予測不能のBETA侵攻が、情報どおりの日付で発生した大筋は変わらなかった。
つまり、あんたが持っている情報は多少の要素の変動に左右されない、『重い』情報だということよ」

 夕呼は説明する。
 武が別にしろ前にしろ世界の記憶を持って移動してきた、と仮定するならその時点で世界の中には通常ではありえない異質な存在が紛れ込んだことになる。
 人間の認識からすれば些細なことでも、大きく情勢を動かす可能性を秘めている以上、武がそういった記憶を持ってなかった世界と同様に推移する確率のほうがむしろ低い。
 それでもなお、武の記憶情報と一致する部分が事態の根幹にある以上は、信憑性は逆に高まる、と。

「でも、喜んでばかりもいられないわよ? その『重さ』はわたし達にとっても壁になるんだから」

「……このままいくと、細かい変化はあってもオルタネイティヴ4の失敗と5の発動は動かない」

 夕呼の表情が引き締まるのと同時に、理解が追いついた武の顔つきも厳しくなった。

「それじゃあ、どうすればいいんですか!?」

「――意思を強く持ちなさい。些細なことでも世界は相応に姿を変える、という実例はもう体験したでしょ? なら、大きな変化を起こして望む未来を引き寄せるしかないわ」

 そのためには強い意志が必要。世界を移動する『力』を持った白銀武には、誰よりもこの世界の未来を動かし得る可能性がある。
 気色ばむ武に、夕呼は静かにそう伝える。

「……わかりました。未来情報を知っているからって自分がどれだけ思い上がってたか、この数日でようやく気付いたところですけど。
それでも、あんな結果は絶対に認められないっていうのは変わりませんから」

 深呼吸して、夕呼をまっすぐに見つめる武。その目に映る彼女の顔がふっとほころんだ。

「……いい表情するじゃない。救世主気取りの坊や面よりよっぽどマシな顔だわ……ああ、誤解しないでよ? あたしは年下は守備範囲外なんだから」

「オレってそんな風に見えてました? ……安心してください、そんなつもりはありませんから」

「あら? じゃあ年下が好みなわけね? いっておくけど社は駄目よ? 犯罪だから」

「どうしてそういう話になるんですか!?」

「え? やっぱり年上がいいの? だったらまりもなんてどう? 仕事一筋の鬼軍曹で男が寄りつかないから心配なのよね~」

「まりもちゃんとオレを玩具にしたいだけなんじゃないですか!?」

 夕呼のペースに乗せられ、怒鳴り続けた武の肩が上下する。夕呼がまた軽口を向けてくるより早く、手を上げて制して。

「先生に聞きたいことがあります――あのゲッターっていうロボットって……?」

 その言葉を口にするだけで、武の鼓動がまた不自然に高まる。なぜ、自分はまったく記憶にないあの兵器に、ここまで乱されるのだろう?
 お陰で医務室に運ばれる羽目になった。
 神宮司教官は榊分隊の次善行動を評価してくれたため、集合遅れした隊へのペナルティは約一名への服務規程書き取り百回を除いて下されず。
 武については、わざわざ皆とともに病室にやってきて労わってくれたぐらいだったが。
 体調が回復した後も、あの宙に浮かんでいた鬼のような姿が気になって仕方がなかった。

 その言葉を聞いた夕呼の表情が一変する。ひどく真剣な視線が、武の顔を撫でた。

「そう……あんたならもしかしたら、とおもったけど。わかるのね?」

 武の喉がごくりと鳴り、次の言葉を待つ。

「やっぱり、かっこいいでしょ? あの正面から見た胴体部のシンプルな直線美は、戦術機には中々見られないわ」

「…………は?」





「正気かね、この計画は!」

 ホワイトハウスの大統領専用デスクが、激しい軋みを立てる。現在の持ち主が、拳を打ちつけたのだ。
 正確には、その上に乗せられた『J計画』と題字にさえ隠蔽が行われている、ある計画の報告書類に、だ。

「もし『こんな騒動』を起こして、その間にBETAが再び侵攻してきたらどうなる? 日本は勿論、極東アジア戦線も壊滅だぞ? 当然アメリカが次の戦場だ!」

 衛士時代の気迫をよみがえらせて怒鳴り散らすホワイトモア大統領に、居並ぶ側近達は俯くしかない。
 その中で、副大統領のみが静かに大統領を見つめている。若さを危惧されたホワイトモアが大統領選挙で勝てたのは、この老練な政治家を副大統領に迎えたお陰だった。

「閣下、おっしゃることはごもっともですが。既に第七艦隊は本来の海軍戦術機さえ降ろして陸軍機を満載し、西太平洋まで進出しております」

 激怒する大統領へ、冷や水代わりに落ち着いた言葉をかける副大統領。

「すぐに呼び戻したまえ! ラングレーの間抜けどもにも、即座に中止命令を!」

「それが出来れば苦労はしますまい。大統領、連中は『本気』ですぞ」

 その言葉に、大統領含む全員の背筋に霜が降りる。

「彼らはG弾を世界戦略の主軸として国連に認めさせることが、世界を救う唯一の福音だと信じ込んでいます。
産軍複合体の利権屋だけなら交渉次第であしらえるでしょうが、己の正義を狂信する者がもっとも手に負えないのは万国共通です」

「愚かな! 人類の敵はあくまでもBETAだ。G弾もオルタネイティヴ計画も、所詮は目的のための選択肢の一つにすぎんのに、そのために奴らに利するかもしれん行動をしてどうする!
何より、アメリカの安全保障から見てもタチの悪い博打にすぎん!」

 荒い息をつく大統領の脳裏に、地獄の欧州撤退戦の記憶が浮かび上がる。
 英雄、という評価を政治的メリットのために受けているが、本音で言えば反吐がでる。
 食い殺される兵士達の悲鳴。助かるために我が子さえ見捨て、あるいは検問の兵士に差し出そうとする醜くも悲しい難民の顔。世をはかなみ、自らの命を絶つ無念を貼り付けた老人の骸。
 自分はその中を必死に泳ぎまわり、辛うじて生存の岸にしがみつけたに過ぎない。
 あの地獄は、どんな形容詞を連ねても再現するに足りなかった。
 もしもあの惨状がアメリカのハワイや西海岸で展開されることになったら――

 本来承認を得るべき大統領府の意向を無視して軍が動いている。それだけで目を剥くような異常だったのだが、実は同様の事態はここ十数年珍しくなかった。

「G弾を集中運用しての速攻。これこそがもっとも人類を救う可能性が高いことは私だって承知している。だから彼らの行為を目を瞑り続けてきた。だが、今回は……」

 言い募る大統領の肩が落ちた。いくらここで信頼できる腹心達に喚き散らしても、自分に日本に向けて行われている策動を止める力がないことは承知していた。
 それが世界最強の超大国のトップの、実質的な権力の程度だった。

「閣下、せめて直前に極東国連軍にそれとなく警告を発しましょう。現状では、アメリカのアリバイ作りと取られるかもしれませんが」

 大統領を慰めるように、本部議長が進言する。

「それに信頼できる要員を選び、CIAが工作員の足かせとするために人質として監視している者達を保護します。連中の動きを阻止できぬとしても、一定の掣肘はするべきでしょう」

「頼む……すまんな、議長。本当なら直属の部下達の安否を一番心配しているのは君だろうに」

 冷静さを取り戻した大統領が、いつもの気さくな調子を少しだけ回復させる。
 それを見て、本部議長の顔も少しだけ緊張を緩めた。

「派遣軍最先任大隊長のアルフレッド・ウォーケン少佐はアメリカと異なる文化・価値観も理解できる器の大きい男です。彼なら、あるいは上手くやってくれるかもしれません」

「そう祈りたいものだな」

 大統領の落とした呟きは、最高権力者のものであるはずの席の上で、空しく散った。

 ――ほどなくアメリカ大統領府は、HI-MAERF計画の接収容認を始めとするオルタネイティヴ4支援を求める議員達と、水面下で頻繁に接触しはじめることになる。



 横浜基地射撃演習場の片隅に、五人の女性と二人の男が並び、本日の訓練終了を宣言した神宮司まりも教官の言葉を待つ。
 医務室に運ばれた日から三日、武の体調に異常はなく順調に訓練を消化していた。

「今までよくやったな。代わりといってはなんだが、褒美をやろう……明日から一週間、南の島でバカンスだ」

 人の悪い笑み――正直あまり似合ってない、をうかべるまりもの台詞に、武は湧き上がる苦笑を抑えるので必死だった。
 前の世界では、その言葉を素直に信じて舞い上がっていたなぁ、と遠い目を一瞬だけする。

「よっしゃあ!」

 そう、隣でガッツポーズしている分隊最年長にして最大の問題児のように。

「そこでは、これまでの訓練は行わない」

「……総戦技演習ですね?」

 それに合格して戦術機に乗れるようになれば、未来を変えるための小さな一歩を具体的に踏み出せる。
 みなぎる気合を、かつての自分を見ているようないたたまれない気分で揺るがせにしないために、武は確認した。
 まりもは表情を引き締めてうなずいてみせる。
 こうして、207衛士訓練小隊B分隊は試練の時を迎えるのだった。

 日本の内外で蠢く魑魅魍魎の影も未だ知らずに。



[14079] 第十五話
Name: mitsuki◆66f66a11 ID:1f7a972b
Date: 2009/12/20 12:07
 その島は、命に満ちていた。
 一切を食らい尽くす異星起源生命体の進入も受けず。
 BETA飛来以来は自然にとっての最大の敵だった人類も、貴重な生態系保護のために滅多に出入りしなくなって久しい。
 例外は国連軍の一部訓練部隊が、その積み上げてきた技量能力を試す場として足を踏み入れるぐらいだ。
 ある意味エメラルド以上に貴重となった、古来より延々と続く命の緑を陽光の下に晒す熱帯雨林の木々。
 その間を縫って、二つの野生動物の影が交錯した。

「おりゃあ!」

 いや、正確には野生動物じみた人間、だ。ミリタリーシャツと迷彩ズボンを装備した竜馬。
 その右の爪先が、濃密な闘気を引いて跳ね上がる。

「ふんっ!」

 竜馬の蹴りを紙一重で身を沈めて交わし、反撃の貫手を飛ばすのは同じ格好の隼人。
 僅かな接触の後、弾かれるように二人は離れた。
 首から下がる互いのドッグタグの鎖が、軽く音を立てる。
 竜馬の頬に浅い、だが剃刀で切られたような傷が一筋。
 隼人の前髪の下のこめかみからも、ゆっくりと赤い血が垂れた。

「へっ、やるじゃねぇか。オレの顔に傷をつけた人間ははじめてだぜ」

「フッ……」

 大きく口の端を吊り上げる竜馬に、片頬だけをゆがめた笑いで返す隼人。
 二人の視線が中空でぶつかり合い、竜馬の肉体がそれを合図に動き出そうとした刹那。
 隼人は猿のように後方に跳ね飛び、生い茂る木々とその葉の向こうへと姿を消した。

「……逃げるんじゃねえ!」

「追っちゃだめだ!」

 身を低くして隼人を追いかけようとする竜馬を、武が制した。
 武は両腕に水筒など、この熱帯で人の命を生かすのに必要な最低限の装備を抱えこんでいる。

「悪いな、竜馬。オレの仕事は207B全体を邪魔することなんでな。お前一人に構っている暇はない」

 僅かな木霊を引いて、隼人のからかうような声が響く。

「……行ったみたい」

 武が背にしている一際太い木の上から、美琴がするすると幹を伝って降りてくる。
 ちっと舌打ちしてから、竜馬は二人の下へ戻ってきた。

「無事か?」

「ああ、嫌らしい奴だったよ。直接攻撃されるよりタチが悪いかも」

 竜馬の問いに、溜息をつく武。
 手にした水筒の表面には、刃物で切りつけられたような傷が走っている。人間の爪先でつけられた痕だ、とは実際に見ていなければ武も信じられないだろうほど、鋭利に。

「水も食糧もなんとか守りきれたけど。気が抜けないね」

 腰のポーチを確かめる美琴の顔に苦笑が浮かぶ。いち早く追跡者に気付いて警告を発したのは彼女だ。
 武はギリギリ荷物を守り、竜馬が反撃した。このあたりの連携が狂っていれば、隼人にしてやられたことだろう。

「あれの妨害をかいくぐって任務達成、か……」

 武は、前途の困難を思って大きく息を吐いた。

 207B分隊にとっては最後のチャンスといえる、総合戦闘技術評価演習。略して総戦技演習。
 その準備から開始までは、前の世界の武の記憶通りだったがいくつか違う点があった。
 戦地で戦術機破棄を余儀なくされた状況からの離脱という設定、そして第一目標が脱出ポイントに規定時間内に全員がたどり着く、第二目標が施設破壊三箇所というのは同じだが。
 前の世界では所詮仮想に過ぎなかった敵が、実際に妨害を加えてくる設定が加えられる。
 敵対勢力の兵士に見立てたその役をするのは、竜馬を除いたゲッターチームだった。

 事前に命令を伝える夕呼先生の楽しげな顔を思い出すと、武はもう一つ溜息。
 水着姿に日除け傘というスタイルで完全にバカンス気分の彼女に違和感を感じたのは『前』と同じだったが、やけに笑っていた事を見ると自分達の苦労も予期されていたのだろう。
 対してゲッターチームなる相手が妨害に来る、と伝えたまりもは教官としての節度をたもちつつも、しきりに胃のあたりを押さえていた……。

「千鶴さん達、大丈夫かなぁ?」

 緊急回避のための木登りで乱れたシャツの裾を直しながら、美琴が山吹色の瞳を瞬かせる。

「隼人がこっちってことは、榊達のほうにいったのが弁慶か」

「竜馬、確かその弁慶さんってすごい女癖が悪いっていってたよな?」

 武は精神年齢は肉体年齢より数歳上のため、竜馬と対等の口をきいて呼び捨てにするのもすぐに慣れた。
 竜馬が言うには、ゲッターチームの二人はそれぞれ人格も能力も常識はずれ、ということだった。
 その時『お前が言うな』と口に出しかけて堪えたのは秘密だ。

「ああ、とんでもねぇエロ坊主だ」

「あ、流さん、血が出てるよ。見せて?」

 ふっと会話の間に美琴が入ってきて。竜馬の頬を背伸びするように看ようとする。

「こんなもん、唾つけときゃ直っちまうって」

「駄目だよ。破傷風になったら恐いんだから」

 美琴は人見知りしない性格を発揮して、短期間で竜馬とも打ち解けた。

 試験突破のための組み分けは、サバイバル技術に長けなおかつ試験経験者である美琴が、能力は高い新人二人を補助するグループと。
 他の四人、というように決定していた。
 それぞれひとつずつ施設を破壊してから合流、最後の一つを潰してゴールへという予定だった。
 できれば三組に分かれて効率を良くしたかったのだが、妨害を考えるとそれは危険だと千鶴と冥夜が合議の上で判断したのだ。

「……急ごう。また追いつかれないうちに距離を稼ぐんだ」

 美琴が探してきた薬草の葉が、竜馬の頬に当てられるのを確認してから、武は下生えを踏みしめて歩き出した。
 罠の位置などは武の未来情報にあるとおりだが、手ごわい襲撃者が一人加わっただけで、まったく難易度が変わっている。
 いつ、どこから襲われるかわからないというストレスに耐えながら、臨機応変な判断をしなければならない。
 おおまかな未来情報というアドバンテージがある武でさえ、冷や汗物なのだ。当然、他の皆はもっと大きな重圧を感じているだろう。

 ――もし、夜に神隼人という男が薄ら笑いを浮かべているところに突然出会ったら。今の自分でも怯えるって

 気を引き締めないと、合格すら危うい。武は二人がついてくるのを確認しつつも、奥歯を噛み締めた。



 夜が支配権を獲得した密林は、危険地帯だ。
 闇に隠蔽された地形それ自体が無力な存在への罠となり、夜行性の猛獣が活動しはじめる。
 それは人が暮らすにはあまりに過酷な空間だった。

「そうなんですか。妨害する役目をしているのは、IFFを入れ忘れた罰だったんですね」

 しかし、そのささやかな一隅だけは、どこか違っている。

「ああ、まったくもって情けない……これでも一応衛士経験者なんだが、すっかり忘れていた」

 焚き火を前に、ピンクの髪をした女の子と。熊と見紛う剃り頭の大男が並んでしみじみとした会話を交わしていた。

「元気だしてください、武蔵坊さん。きっといいことありますよ」

「壬姫ちゃん、ありがとう」

 胸の前で両拳を握る珠瀬の暖かい言葉に、弁慶がずずっと鼻を啜る。

「…………ねぇ、彩峰。どうしてこうなったの?」

 周辺に侵入者避けの罠を張り巡らしてから戻った千鶴が見たものは。
 その侵入者が、妨害対象と暢気に歓談している光景だった。

「餌付けした」

 しゅたっと手を上げて応える彩峰の無表情を眺めやり、千鶴の眼鏡がずり落ちかける。

「ま、まぁ良いではないか。敵兵を寝返らせるのも、立派な戦術のうちだ……BETAには通じぬが」

 冥夜がとりなすように千鶴に、行軍中に採取した食用キノコを火であぶったものを串ごと手渡す。炎の照り返しに、僅かに額の汗が輝いていたが。

 昼間、この弁慶という人物に四人は散々追い掛け回された。
 小山のような巨漢が、いやらしい笑いを浮かべて迫ってくるのだ。年頃の少女達にはたまったものではなかった。
 ほとんど生存本能同然の嫌悪感から、日頃の確執をかなぐり捨てた千鶴と慧のコンビネーション攻撃(彩峰が飛び蹴りで頭を攻撃、千鶴がスライディングで足払い)を食らっても。
 冥夜が、太い木の枝を剣に見立てた無現鬼道流の妙技で脳天をぶっ叩いても。
 数分、長くても数十分でダメージから回復して追跡してきたのだ、この弁慶という男は。怪物に襲われてる気分だった。
 しかし、珠瀬が追い詰められて潤んだ瞳を見せれば、困ったように頭をかいて動きを止めてしまったりしていたから、根は悪人ではないのかもしれない。
 そう思いついた珠瀬と彩峰が夜間襲撃にきた弁慶に、物はためしとやはり移動中確保した蛙肉の即席炙りをそっと差し出してみたら――

「はぁ」

 大食漢の弁慶は、任務中用に渡されたレーションだけでは足りず、かなり腹を空かせていたらしい。
 最初はいくらなんでも演技か、と疑った冥夜だがすっかり打ち解けた姿を見れば、最低限の警戒心を残すのさえ苦労するほどのんびりとした雰囲気になってしまう。

「臨機応変は大事」

「応変が過ぎるわよぉ」

 遠い目をする彩峰。力なく肩を落とす千鶴。
 その二人にもう何の言葉もかけられない冥夜。

「妨害がなくなるのはいいんだけれど。そうするとあの人の分まで食糧採集しないといけなくなるわよ」

 密林は多くの動植物を懐に抱いているが、そのうち人間の胃に収まるものとなると意外と限られる。
 多くは毒物含みか、手持ちの道具では食べられるようにできないものだ。
 だが、どう希望的観測を試みてもあの弁慶の突き出た腹が、多少の食物で満足するとは思えない。
 明日からの別の意味での多難を思うと、頭が痛い千鶴だった。

「和尚様っていう人、優しいんですね~」

「ああ、壬姫ちゃんのお父さんと一緒でお髭の人は優しいね」

 ついに身の上話にまで入った二人のリラックスした笑い声が、密林の空気をささやかに揺らした。

 こうして、榊分隊長直率組は一日で妨害者の無害化に成功したのだった。



 朝日が透き通った海面を跳ねまわり、夜の残滓を消して回る中。
 香月夕呼はパーカーを羽織って一人海岸に立ち、平素なら絶対他人には見せないぼんやりとした表情を水平線に向けていた。

「……研究に詰まっておるのか」

 その彼女の背中に、しわがれた声がかかった。

「ええ、どこぞの研究が一気に認められ、実物も組み上げられたお気楽な方とは違いますので」

 夕呼は一秒にも満たない間に、普段の傲慢な気さえ漂わせる余裕ある顔つきをつくり、振り返ってこの南国でも白衣姿で通す老人を見つめる。
 ゲッターチームを懲罰代わりに借り受けた時に、まさかついて来るまい、という予想を覆した人物の皺だらけの顔。

「やはりそうか。ワシが知る香月夕呼『生徒』は他人をよく小馬鹿にしたが、必ずそこには理由があった」

 無意味な当てこすりをしていることこそ難儀をしている証だろう、と早乙女博士の年齢に似合わぬ精気に満ちた瞳が語っていた。

「――早乙女『先生』にはかないませんわ」

「なに、ワシも研究所を追い出された時はそんなものだったからな」

 帝国大学時代、ごく短い一時期だけ教える者と教えられる者だった両者の間には、微妙な空気が流れていた。
 お互い専門分野が違ったため、夕呼が早々に基礎課程単位を取得するとそれっきりだったが。
 後は、風の噂でたまに動静を聞くぐらい。
 二人の間には師弟らしい甘さは欠片もない代わりに、同じ戦場を経験した兵士間にしかないような連帯感が漂う。
 それぞれ目指すところは違えど、余人をほとんど頼りにできない独自研究に心血を注いできた学者同士の共感だった。

「なぜ、博士はロボを三人乗りに?」

 ふと、夕呼が呟くように訪うた。朝の海風に消え入りそうな声も、早乙女博士はしっかり聞き取りつつも、何かを手元で弄っている。
 早乙女博士がゲッターロボで執拗に拘った点が、各々一人乗りの三機の機体が一つになるという構造だった。
 ただでさえ操縦難易度の高いゲッターロボのパイロットが複数必要となる。単に一人で制御できない、あるいはやられた際のリスク軽減でも、二人でいいはずだ。
 実際、戦術機は複座までが主流だ。
 さらに、パイロット間の連携の習熟問題も発生するだろう。必要な機体構造も複雑化するはず。

「ゲッター線を御するには、一人では駄目だ。二人でも不足する」

「三人寄れば派閥ができる、とも言いますが?」

「制御するためならかまわん。むしろ脳みその出来からして違う人間が仲良くしているほうが気持ちが悪い」

 それより、と早乙女博士は筒状の物体を取り上げながら話を変えた。

「ワシらは『お前の』横浜基地に間借りしている身だ。研究の邪魔をせぬ限りは、好きなように使え」

 その言葉に、夕呼の形の良い眉がぴくり、と揺れた。

「早乙女先生は、そういう事には興味がないものかと」

「ない。だが、聞きもしない事を吹聴してくる輩が多くなってな」

 早乙女博士も変わられた、と夕呼は口の中だけで呟いた。
 夕呼と出会った頃から偏屈として知られていたが、今ほどではなかった。天才的頭脳を別にすれば不器用ながら妻を愛し、息子らの成長を楽しみにするありふれた人物だったはずだ。
 ゲッター線研究にのめりこむ間に、何があったのか――

 詮の無い思考を打ち切り、早乙女博士らを政治ないし外交カードとして使う方法を考える。
 もとより受け入れた時からそう扱うつもりだったのだが、本人の了解があるのと無いのとではやりやすさが違った。
 特にゲッターロボという新技術に酷く食指を動かしているアメリカあたりには、切りようはいくらでもあるだろう。

 その思索は、何かの金属音で遮断される。発生源は早乙女博士の手元だ。

「……ところで、先程から何を?」

「なぁに、今回の『ゲッターチーム』の仕事は訓練兵の妨害らしいからな」

 立ち上がった早乙女博士の嬉々とした顔。そして手にあるのは……組み立て終えたばかりのM-16(米軍制式突撃銃)。
 弾帯を白衣の上から歴戦の老兵よろしく巻き付けている。
 その足元には無数の銃器が。その中には背負い式のミサイルランチャーまで見える。

「……まさか」

「どうだ、一緒に来るか? 息抜きには運動がもってこいだぞ?」

 いい笑顔でショットガンの銃床をこちらに向けて突き出してくる博士に、夕呼は今度こそ絶句した。



 神隼人は、武らの予想を上回る厄介な相手だった。

「……にげろっ!」

 武が怒鳴ると、合流して情報交換中だった207B分隊プラス1はぎょっとした顔を並べる。
 焦げ臭い匂い、まるで火薬が燃えるような。
 そう認識するや否や武は、すぐ傍にいたたまの手を掴み、太い木の幹の裏に駆け込んだ。
 爆発。
 決して大きくはないが、それでもあの場所に固まっていたら火傷ぐらいは負っただろう。

「ば、爆薬なんてどうやって……!?」

 口に入った泥を吐きだしながらも、千鶴が周囲を見渡す。葉が自然の障壁となって、隼人の接近探知は昼間の今でもかなり難しかった。

「あのヤロウは元テロリストだったから、どっかからかっぱらってきたんだろ!?」

 巻き添えで一緒に吹っ飛ばされそうになった弁慶が喚く。
 裏切る形になった弁慶が悪いのだが、すぐさま無警告で元の味方をも攻撃するあたりが、隼人なる人物の恐ろしさを全員に実感させた。

「ここ二日ばかり襲撃が無かったのは、どこかで準備を整えていたからなんだね」

 その弁慶の巨体の影から顔を出した美琴が、視線を上下左右に忙しく動かしながら呟いた。
 二手に分かれた207Bは、それぞれ担当標的を破壊。ついでにそこにあった対物ライフル(ただし弾は一発のみ)とランペリングロープを入手。
 合流に成功し……当たり前の顔をして加わっている弁慶を見た時は流石の竜馬や美琴も目を丸くしたが……さて今後の相談を、となったところでこれだった。
 あらかじめ集合地点を読んで爆弾を仕掛けられたのだから、完全にこちらの行動は把握されていたらしい。

「……相手は一人、一気に叩いたほうが」

 叢の中から顔だけ辛うじて見える位置に我が身を隠蔽した彩峰が武のほうを見て、同意を求めるが。
 そこへ、何か細く鋭いものが飛来する。

「!?」

 慌てて地面を転がり、回避する彩峰を追うように二の矢、三の矢が放たれた。

「! その矢、色がおかしい、毒が塗ってあるのかも知れん!」

 彩峰を自分が隠れている木の陰に引き込んだ冥夜が、緊張を帯びた警告を発した。
 見ると、手作りらしい枝を削っただけの矢の先端が微妙に黒ずんでいる。

「……どこまで性悪なんだあいつは!?」

 竜馬は歯軋りしながら矢の飛んでくる方向を睨みつけたが、太い木の枝が重なって視線を遮る。

「たま、見えないか!?」

 武が背中に庇った彼女に声をかける。
 この状況で離れた相手を確認できるのは難しい。類稀な狙撃手でもあるたまに期待するしかなかった。

「ちょ、ちょっと待ってくださいね」

 たまは体に似合わない大きさのライフルから、スコープだけを取り外して片目に当てて。矢の弾道を逆算して発射元を突き止めようとするが。

「……! いかん、散開しすぎた! 次は接近戦でくるぞっ!」

 全員の位置を確認していた冥夜が、顔色を一層青ざめさせて叫んだ。その語尾に、枝を踏み下生えを蹴り飛ばしながら接近する足音が重なった。
 爆弾も、矢もこちらを分散させるためのけん制で、本命はこの突進だったのだ。

「ヒヒヒヒヒヒヒィ!!」

 目尻を、口の端を吊り上げながら、隼人が来る。

「隼人め、テロリスト返りしやがったのか!?」

 竜馬の思わず漏らした台詞に、平時なら武は吹き出していたかもしれないが。その先祖返りならぬテロリスト返りした男に攻められる当事者とあっては笑えるはずもない。
 隼人の視線が捉える先は、間違いなく武だ。
 たまを背にしているため、逃げることはできないのを見越してのことだろう。

「このっ……!」

 隼人と単独で互角にやりあえるのは、竜馬ぐらいのものだ。それでも退く事はできない、武は弱気になる自分を叱咤し拳を握り締めた。
 そこへ、ざっと横から巨大な影が飛び出し武の視界を塞いだ。弁慶だ。

「大雪山おろしィ!!」

 弁慶の腰がふわりと沈み、隼人の体を背負い投げの要領で持ち上げつつ、片足の裏で相手の足を跳ねて投げ飛ばした。
 無理に抵抗しようとせず、むしろ投げられるままに飛んだ隼人の細身の体が、猫のように空中前転し足から着地する。

「ここはオレに任せろ! お前達は先に行け!」

 隼人の狂気じみた視線を跳ね返しながら、弁慶が力士のように両腕を広げて構える。

「で、でも武蔵坊さんが……」

 たまが、スコープを握り締めた姿勢のまま固まってしまう。他の者達も判断をつけかねて互いの顔を見合わせる。

「目的を見失うんじゃねえ、お前らがやるべきことは演習に合格することだろうが! ……蛇肉、美味かったぜ」

 武達に背を向けたまま、弁慶が軽く片腕を差し上げた。

「――ありがとうございます、弁慶さん……委員長!」

 その逞しい背中に声をかけると、武は真剣な視線を千鶴に向ける。

「わかったわ。いきましょう!」

 六対の視線が弁慶の背中集まり、一つずつ離れていく。
 ライフルをたまから受け取って抱え走り出した武の後ろで、二種類の雄叫びがぶつかり合った。



「――どう考えても時間が足りぬ」

 スコールを避けるために集まった厚い葉の陰で冥夜が腕組みをした。

「隼人の野郎……」

 雨を降らし続けて行軍を妨害する天を睨みつける竜馬が、濡れた黒髪を拭いもせず呻いた。
 弁慶が隼人を食い止めてくれたのか、あの後襲撃はないが。大きく予定位置を外れてしまった207B分隊は、地形把握し直しに貴重な時間を浪費してしまった。

「第二優先目標である施設破壊は三箇所中、二箇所のみ、か」

 手書き地図を持ち、溜息をつく武。その左手側では、雨のために増水した川が一匹の大蛇のようにうねっている。
 ――武の前の世界の記憶によると、このまま脱出ポイントに向かっても砲撃され、さらに違うポイントへ向かうよう指示されるはずだ。
 だが、そういった皆の知らない障害を加味しなくても、離れた残り施設まで戻って爆破し再度ゴールへ向かえるか、というと微妙な残り時間だった。

「ボクがいってこようか?」

 シャツの裾を絞りながら、美琴が提案した。もっとも密林行動に優れた彼女の単独行動なら、最短時間で往復できるだろう。

「だ、だめですよ。いくら鎧衣さんでも一人じゃ危険すぎます」

 しかしたまが首を横に振る。何が起こるかわからないジャングルでの単独行動の危険は、ここ数日で皆骨身に染みている。

「でも、施設を残すのは減点が痛い」

 彩峰の顔つきも厳しさを隠せない。

「ならば、タケルと鎧衣の二人で……いや、同じことか」

 冥夜が言いかけた言葉を、自分で否定する。時間がぎりぎりになる以上、二人だろうと成功率の低下は一緒だ。

「でも、任務を達成しないことにはゴールしても駄目でしょ!?」

 それまで沈黙を保っていた千鶴が、声を上げた。荒げる一歩手前だ。
 まずい、と武は思った。ここ数日のストレスと過酷な環境に加えて試験失格が現実味を帯びたことで、皆が余裕をなくしつつある。
 武自身も含めて、だ。
 ここで榊と彩峰の対立が再燃しようと、別の誰かが激発しようと。結果は同じ、武が聞いた前回の207Bの試験時のような惨状になるだけだろう。
 減点を承知で、このまま進むか。
 下手をすれば落第だが、うまくすればより確実に合格に近づける道を選ぶか。

 落ち着け。武は己にそう言い聞かせた。呼吸に意識を集中して、深く静かに水気をたっぷり含んだむせる緑の香りを腹に吸い込む。

『――意思を強く持ちなさい。些細なことでも世界は相応に姿を変える、という実例はもう体験したでしょ? なら、大きな変化を起こして望む未来を引き寄せるしかないわ』

 夕呼先生の言葉が、武の無意識下から浮かび上がり、ありありと脳裏で再現された。
 全てをカバーする手段も、時間もない。それでも、目的を達成するためには決断しなければならなかった。
 何もしなければ、それこそ何の変化もない。
 何かを取り、何かを失う決断をすべき時だった。

「じゃ、じゃあ皆の意見を――」

 痺れを切らした千鶴が、全員の意見を聴取しようとしたのを武は手を上げてとめた。その指先に木の葉の隙間からこぼれた水滴が落ちる。

「委員長、オレは聞かれたのなら減点覚悟で先に進むことを提案する。だけど多数決は駄目だ、軍隊はそういうもんじゃないだろう?」

 驚いた視線が集中する中、武は一つ一つそれを見返していく。

「オレ達には正直、余裕がないんだ。こういう時こそ、皆が一丸とならないといけない。それを示すのが分隊長だろ?」

「……うむ、その通りだ。無論だからといって榊一人に責を負わせわせぬ。その決断の結果がどうなろうと、私も同罪だ」

 冥夜が力強い眼光で賛同した。しばらく、雨が木々や大地、川面を叩く音だけが辺りを支配していたが。

「そうだね」

 無能な指揮官に盲従などと御免だ、という態度を以前から見せていた彩峰が瞑目しながらうなずいた。
 彼女の内心がいかに変動し、どう決意を固めたのかは、今は彼女自身以外知るものはいない。武ら加入後の大小の事件が影響を与えているのは確実だろうが。
 武は視線をたまに、そして美琴に移す。最後の竜馬だ。

「う、うん。榊さんの決定に従うよ」「ボクらはチームだからね」「いいぜ、どうせオレは考えるのは苦手だしな」

 三者三様の表情で肯定し、以後口をつぐんだ。
 千鶴は、戸惑ったように視線をさまよわせ、迷うように靴先で無意味に地面を掘り、そして目を閉じて。
 武の体感時間で五秒後、榊千鶴分隊長はきっと顔を上げた。

「決めたわ。207B分隊はこれより――」



[14079] 第十六話
Name: mitsuki◆66f66a11 ID:1f7a972b
Date: 2009/12/23 12:51
「どうやら決めたようだな」

 神隼人は207B分隊の七人が雨上がりを機に動き出したのを確認すると、双眼鏡を隣にいた弁慶に渡した。
 距離と無数の木々に隔てられているため、訓練兵離れした能力を持つ彼女らさえ気付かない場所で二人は並んでいた。

「なぁ、これってどうなるんだ? まだ施設破壊が一つ済んでないんだろ?」

 ひったくるようにそれを受け取りながら、弁慶はその原因を作った男の横顔に厳しい視線を送り込む。

「それは竜馬達と神宮司教官次第だな。オレは任務を果たしただけだ」

「にしちゃあ、えらい楽しそうだったぜ? まともに戻るのにも結構時間かかったじゃねぇか?」

「……それより、気付いているか弁慶?」

 隼人の横顔が引き締まるのを見ると、弁慶は小さくうなずき先程とは違った種類の厳しさを含んだ表情になる。

「いつまで隠れているつもりだ? でてきやがれ!」

 弁慶は、一際太い木の幹の向こうを貫くような太い声で吼えた。
 隼人もそちらに細めた目から鋭い視線を飛ばす。

「国連軍の、あいつらが遭難した時救助する要員かと思っていたが。オレが攻撃を激しくした途端、殺気を感じた」

 二人が争いをやめた理由は、勝負がつかなかったからでもあるが。一番の原因は、ゲッターチームでも207B分隊でもない第三者の気配を感じ取ったからだ。
 いきなり爆薬を使ったことを驚いたりするのはありえるだろうが、それが殺意を伴うとなると普通ではない。

「こねぇなら、引きずり出してやろうか?」

 弁慶の声が剣呑さを含んだ。
 その巨体が動き出そうとした時、湿気を含んだ空気を裂くような鋭い声が飛んできた。

「――いかに訓練であろうと、やりすぎであろう。一つ間違えば、人死にが出ていた」

 若い女性の声だ。だが、そこに甘さは一片もない。もし声に物理的な力があったのなら、鞭のように隼人らを打ち据えていただろう。
 が、隼人も弁慶もその程度で腰が引けるような男ではない。

「国連軍ではないな?」

 隼人はさりげなく膝をたわめて、突発自体に備えながら言葉を返した。
 これは遊びではなく、毎年死傷者さえ珍しくない過酷さを前提とした訓練の一環なのだ。実際、数年前には死者と現在も後遺症を持つ者を出している。
 総戦技演習の厳しさを知る横浜基地所属の兵士なら、そんなことは言わない。この程度の試練も乗り越えられないような者が衛士になっても、味方を殺すだけだ。

「……日本帝国首相、榊是親の娘。国連事務次官、珠瀬玄丞斎の娘」

 隼人の口から、低く静かな言葉が流れ出る。それはさらに元陸軍中将、故・彩峰萩閣の娘と続く。

「帝国情報省外務二課長、鎧衣左近の娘」

 気配が僅かに乱れた。先の女の者とはまた別だ……ふたつ、みっつ。恐らく三人は他にいる。
 日本版CIAというべき情報省は職員名さえ機密に属し、特に部外者は滅多にそれを知ることができない。
 かつてその鎧衣課長本人と会い、香月夕呼の命令でアメリカの親オルタネイティヴ4派への工作を手伝ったことのある隼人だから知っていることだ。
 それに反応したということは、やはり帝国絡みか? 脳を忙しく活動させながら、隼人は最後の言葉の矢を放った。

「生き写しといえるほど『政威大将軍・煌武院悠陽』にそっくりな御剣冥夜」

「冥夜様を呼び捨てにするとは何事かっ! まして殿下の御名までっ!」

「不敬であるぞっ!」

「国連軍所属とはいえ、貴様も日本人であろう!?」

 隼人の言葉を遮り、飛び出してくる三つの人影。
 いずれも若い。まだ十代半ばか、せいぜい18ぐらいだろう。しかしその身のこなしはよく訓練された猟犬のように鋭かった。

「神代、巴、戎! 挑発に乗るな!」

 一番最初の声の主が注意を飛ばした時には、既に三人の女性は二人の男と対峙していた。

「帝国斯衛軍……なるほど、合点がいった」

 隼人の口元が歪む。彼女らの迷彩服の裾から除く、日本帝国城内省所属の斯衛(それも武家出身者)しか着用を許されない白い制服を見て取ったからだ。

「ど、どういうことだよ隼人?」

 出てきたのが少女めいた面影を残す者達で肩透かしを食らった気分らしい弁慶が、三人と隼人の間で視線をさまよわせる。

「207B分隊は、日本や国連の要人の娘ばかりってことさ。だが、こいつらは斯衛だ。斯衛軍はあくまでも将軍家とその縁者のための軍隊だ」

 極端なことをいえば、国民や政府要人の命が危機に瀕していても、それが将軍家関係者でなければ特段の指令が無い限り無視する。それが斯衛というものだった。

「最初は親馬鹿として有名な誰かが、私的な警護官を差し向けたのかとも思ったが……それが斯衛となると、おのずと対象は限られる」

 たとえ総理大臣の命令だろうと、そもそも指揮系統が違う斯衛は動かない。
 彼女らを動かせるとすれば直轄する城内省、その上部にある元枢府を構成する五摂家もしくは将軍家そのものしかない。
 斯衛が警護対象とするのは、よほど特異な事情でもない限りは将軍家縁者に限られる。つまり……。

「よく頭も舌も回ることだな。神隼人元帝国軍中尉――そしてテロリスト」

 姿をあらわしたのは、やはり若い女性だ。ただしこちらは二十代には達しているだろう。
 緑色の長い髪をなびかせ、ゆっくりとした所作で歩み寄ってくる。

 ――できる

 それが隼人の第一印象だった。弁慶も同様らしく、一気に表情を緊張で引き締めている。
 その女は真剣めいた『気』を纏っているにもかかわらず、体に力みが見られないのは己の精神と肉体を高度に統制している、武道の達人の証だ。

「丁度いい、聞きたいことがある。シロガネタケルとは何者だ?」

「……一介の国連軍訓練兵がどうかしたのか?」

 ゆったりと相対しているように見える隼人と女の間で、見えざる気配の刃がぶつかり合って火花を散らす。
 反応したのは、彼女ではなく先の三人だ。迷彩服に不自然に膨らんでいるところがある。武器を携帯しているのだろう。

「とぼけるな! 何の目的があって死人を騙り潜り込ませた!?」

「戸籍や国連軍のデータベースを改竄したようだが、城内省の管理情報にまで手が回らなかったようだな!」

「神隼人、お前が香月夕呼の手先だというのはわかっている! 月詠中尉、いっそここで締め上げて……」

 弁慶が戸惑いを一時棚上げして、靴で足場を踏みしめて彼女らに向き直る。
 ただならぬ殺気が、徐々に空気に満ちはじめていた。

「城内省の、だと? ……なぜ、白銀武の情報がそんなところにある?」

 思索を巡らせる隼人の眉根がきつく寄せられた。
 城内省はその名の通り、帝都城関係者、つまり将軍家かせいぜい武家までが管理範囲内。
 そこに白銀武の名前があった、となると――。
 元帝国軍中尉であり、非合法活動も行ってきた隼人は並みの軍人より遥かに日本帝国の制度に詳しい。
 一方で武に対しては香月夕呼絡みで多少興味は持っても、重要視まではしていなかったため改竄についても初耳だった。

「お前達、黙れっ!」

 月詠と呼ばれた女は、相手に余計な情報を与えたと気付いたらしい。部下の三人を視線と一喝だけで黙らせる。

「香月夕呼副司令に伝えてもらおう。我ら斯衛は、大事な御方を守るためにあらゆる手を尽くす、とな」

「……伝えておこう」

 表情を消した月詠に、同じく無表情になった隼人がうなずいてみせると。
 四人の斯衛は、こちらに厳しい視線を向けたままゆっくりと後退し。やがて、密林の陰に姿を消した。

「隼人、今のは……?」

 完全に気配が消えたのを確認して、ふっと大きく息を吐いた弁慶が首を傾げる。

「207B分隊の中に、斯衛が警護するほどの人物と。特に警戒をする必要がある者がいるということだ。
京都防衛戦以来、斯衛も損耗が激しく本当の意味で精鋭と呼べる人材は少ないはず……にもかかわらずあれほどの腕利きを揃えて、たかが訓練分隊の警護につける、となると……
それに白銀武への注意も異常だ。それを引き起こしたのは国連――恐らく香月夕呼の何らかの処置だろうが」

 考え込みながらも説明する隼人の耳に、心地よさげないびきの音が障る。
 発生源は、説明を求めた弁慶その人だ。立ったまま、鼻提灯を膨らませて眠っている。

 隼人は、無言無表情で207Bに使った爆薬の残りを取り出した。



「……見えた、ヘリポートだよ!」

 先頭を進む美琴の声に、後続する全員の動きが一瞬止まった。
 密林が途切れ、明らかに人手で整地された場所が見えた。その向こうはもう海岸、そして太陽を反射する透き通った海だ。
 大きな円が大地に描かれ、十字のマークが中央に打たれている。ヘリポートの典型だ。
 あの後、雨で増水した川の水位が下がるのを待ち、彩峰がその上にランペリングロープを渡す。
 それを伝い全員が渡河した後、ロープを無事回収。そのまま、前進を続けていた。
 既に太陽は高く、午後に時間が差し掛かってることを天空から示している。

「ここが回収ポイントかしら?」

 千鶴が周囲を警戒しつつ、足を踏み出す。その顔色はやや優れない。
 施設を一つ残して前進するよう決断したことを少し引きずっているらしい、と武は見て取った。
 軽く彼女の肩を叩いてやると、驚いたように武を見た千鶴の顔が、少しだけ緩まる。

「……発炎筒、発見!」

 たまがヘリポートの脇で、木箱の中に入った道具を見つける。
 色のついた煙を盛大に放ち、味方へ位置を知らせる道具。当然、武達もその使い方は叩き込まれていた。
 ちなみに発『炎』筒が正しく、発『煙』筒ではない。竜馬は筆記でこのあたりの誤字にも苦戦した。

 確か、武の前の世界の記憶だとここでほっとしていたら自動砲台に攻撃されたはずだ。
 ほどなく、大空の一点に黒が現れ、近づいてきてヘリコプターだと視認できるようになる。

「ここがゴールなら、まだ時間の余裕もあったわね」

 肩を落とす千鶴に冥夜が駆け寄って気にするな、と励ましの言葉をかける。

「あ、彩峰待った。オレにやらせてくれ。一度やってみたかったんだ」

 罠が仕掛けられていないことを確認し、発炎筒を取り出した彼女に武が少し慌てて近づく。
 いくらなんでも砲撃は実弾ではなく、炸薬少量の派手な音と煙を出す練習用砲弾で行われる思うが。それでも直撃を受ければ大怪我するだろう。

 ……あれ?
 武が発炎筒を手順どおりに使用し、盛大な色付き煙を手元から噴き上げさせて振り回しても、予想していた砲撃はない。
 おかしいと思って目を凝らすと、確かに砲台らしきものが見えてしかも砲口をこちらに向けてはいるのだが。それが火を吐く気配はなかった。
 武は、自分達をあやうく壊滅させかけた隼人の爆弾の原料が、砲台から抜き取った砲弾を分解して取り出した物だという事を当然知らない。

「降りてきませんね、ヘリ」

 手をかざして上空を見上げていたたまが、怪訝そうに呟いた。
 ヘリコプターは機体を左右に振って、無意味に旋回を繰り返すのみだ。

「何かのトラブルか――」

「! みんな、伏せろぉ!!」

 眼鏡を直しながら応じようとした千鶴の声を、異変を察知した野生動物のように顔をぴくりと上げた竜馬の怒号がかき消した。
 ぎょっとなった207B分隊全員の耳に、ヘリの上げる爆音とは違った飛翔音が飛び込んできた。
 訓練と本能で練り上げられた危機回避能力に従い、七人の影が弾かれたように密林に逆戻りする。
 丁度、ヘリポートの十字に何かが落下、次の瞬間派手な破裂音を立てて八方に衝撃を撒き散らした。
 武が咄嗟に放り出した発炎筒も、それが放つ煙ごと吹っ飛ばされる。

「何!?」

 小柄な上にライフルを抱えているたまを助けて、もつれるように長く伸びた葉の陰に飛び込んだ彩峰の額に一筋の汗が流れた。

「ふっふっふ。よくぞかわした」

「その声は……ジジイ!?」

 海岸の岩場から、白衣の上に弾帯を撒きつけ肩には携帯ミサイルランチャーを担いでいる、というアンバランスないでたちの老人が立ち上がる。
 でっぷり肥えたように見える外見だが、それに似合わぬ身軽さで砂浜に飛び降りる。

「竜馬、あの人を知ってるのか!?」

 未来情報にあったら絶対忘れられないような人物の登場に混乱する頭を抱えながらも、武は声を上げた竜馬に視線を向けた。
 老人の声に、妙に胸騒ぎを覚える武だったが。この状況下じゃ当たり前か、とそれを振り払う。

「ゲッターを作った早乙女っていうイカれたジジイだっ! 気をつけろ、何しでかすかわかんねぇぞ!」

 その竜馬の背中で、いきなり警告音が鳴った。それは、遭難等に陥りギブアップする時に使うための通信機からだ。
 同時に、教官側から連絡を受ける唯一の手段でもある。
 装備品中もっとも重量があるため、渡河時から体力に優れている竜馬に背負って貰っていたのだが。

「……こちら207B分隊!」

 泥に体を汚しながらも、千鶴が竜馬の隠れた叢まで匍匐前進してきた。通信機をカバーから取り出し、交信スイッチをオンにすると神宮司教官の焦った声が飛び出してきた。

『207B分隊へ! アクシデントが発生したが、総戦戦演習は続行する。『妨害者』の攻撃を回避し新たな回収ポイントへ到達せよ。なお……』

 まりもちゃん、何か泣きそうになってないか? 不気味な笑いを浮かべる老人に注意を払いつつ聞き耳を立てていた武は、小首を傾げた。
 まるで『自分がこの世界に転移してくる前の、BETAのいない世界で夕呼先生に困らされていた』時に近い……懐かしいが気の毒さを催す声。

『新たな妨害者二人に対する反撃は最小限に留めること! 新たな回収ポイントは――』

「二人? まさか……」

 ものすごい嫌な予感に囚われ、武は視線を邪魔する前髪を払いながら目を凝らすと。白衣の老人を追って、だがこちらはおっかなびっくりと言った様子で姿を見せたのは。

「ゆ、夕呼先生!?」

「副司令!?」

 武と冥夜のすっとんきょうな叫びが上がる。言葉は違うが、指し示す人物は一人。
 彼女は派手な水着の上にパーカー、にもかかわらず手にはショットガン。肩にはサブマシンガンを下げているというこれまた頭痛を覚える格好。

「ま、まさか『妨害者』って~」

 たまがガクガクと震えだす。それは抱えたライフルにまで伝わり、銃身がブレて何本にも見えるほどだ。

「早乙女博士。確か、有名な学者で中佐待遇のはず」

 彩峰は無表情のままだが、しきりにまばたきしているところを見ると、やっぱり動揺しているらしい。

「もう一人はどうみても副司令だよ? 最小限で、といわれても……」

 窪地を見つけてもぐりこんだ美琴の姿は武からは見えないが、困惑の声だけははっきり聞こえる。
 世界的に有名な学者二人、しかも雲の上の上官をどうにかして新ゴールへ駆け込め。つまりは、そういうことらしい。

「その早乙女博士って、具体的にどうイカれているんだっ!? 夕呼先生はわかるけど! ……あ」

 武が失言に気付いて口を押さえた時には、遅かった。

「……白銀? へ~そう、あんたあたしをそんな風に思っていたわけ? これでも相談に乗ったりいろいろ骨折ってあげたつもりなんだけど?」

 あまりに前の世界と妙な方向に違いすぎる状況に、つい本音を漏らしてしまった武の背筋が、熱帯にいるにもかかわらず凍りついた。
 それまでは額に汗を浮かべ、いかにも嫌そうにしていた夕呼がゆっくりと笑顔になるのが見える。
 そして、その手のショットガンが迷いの欠片も無く武の顔のほうへと向けられた。

「死になさい」

 ぼんっ、という軽快な発砲音とともに、武の頭にずたぼろになった厚い葉が落ちてきた。
 銃器の扱いに慣れない夕呼が撃った弾は、かなり上に逸れたらしいが。払った葉がやけにぼろぼろになっているのに武は再び慄然とする。

「た、タケル! これって模擬弾じゃないよ! 実弾でもないけど……多分、暴徒鎮圧用のゴム弾だと思う!」

 美琴の警告が207B分隊総員の脳に理解された数秒。沈黙が降りた。遠くで、天然記念物ものの鳥が鳴く声が響いた。

「ふ、ふざけやがってっ! ジジイ、覚悟しやがれ!」

「ちょ……! 流さん駄目よ! 相手は一応上官なのよ!?」

 歯を剥き出しにして、今にも飛び出していきそうな竜馬のベルトを、千鶴が手綱のように引いて抑える。

「攻撃してくる奴らに上官も何もあるかよ! とっとと黙らせて先を急ぐんだろ!?」

「そ、そうだけど、相手は銃を持ってるのよ!? みすみす飛び出してもやられるだけでしょ!」

 珍しい竜馬の正論に怯みつつも、別の正論で留める千鶴。

「副司令は銃に慣れてない。一気に接近すべき」

 たまを特に頑丈そうな木の後ろに隠しながら、彩峰が突進の機をうかがうように鋭い眼光を博士達に向ける。
 いっそライフルで反撃を、と言おうとして武は思いとどまった。あれは実弾のはず、それこそ洒落にならない。

「甘いわっ!」

 若者達が逡巡している間に、早乙女博士はミサイルランチャーを発射した。だが、それは先程のようなタイプではなかった。
 短距離を飛翔すると空中で分解、丁度207Bと博士二人の間に何か黒く丸いものがばら撒かれる。
 目を凝らしていた冥夜が一瞬の絶句の後、そいつの正体を口にした。

「散布型地雷……それも跳躍地雷!?」

「その通り。お前達の動きが素早いのは承知している。だが、いかに優れていようと跳躍地雷による面制圧の爆発を避けられるかな?」

 相手を追い詰めていくのが嬉しくてたまらない、というような喜悦に満ちた声で博士が挑発する。
 跳躍地雷とは敵を探知すると空中にその名の通り飛び上がり、一定範囲に爆発力と破片をばら撒く対人兵器(現在では対小型BETA阻止用)だ。

「ふ、ふふふ……今まで荒事には他人を使ってばかりだったけれど。直接も結構……」

 その隣では夕呼が、ちろりと舌を出して自分の唇を舐めていた。奇妙な目の光が、別の意味で武達を戦慄させる。
 どうやら銃を撃つ快感を覚えてしまったらしい。

「そうだろう、研究室に篭っているとつい忘れがちになるがな。ワシも自らの手で作り上げたゲッターを年甲斐もなく動かした時など、笑いが止まらなかったわ」

「さすがですわ、早乙女先生……あたしもこのところ結構溜まっているものがあったのですが、すっきりしそうです」

「せ、先生! 人格変わってませんか!? 正気に戻ってくださいよ!」

 必死に訴える武への返答は、夕呼が持ち変えたマシンガンによる乱射。
 有効射程外、しかも銃撃練習などしたことがないらしい彼女がそんな真似をしても命中率は零に等しいが、それでも撃たれる側はたまったものではない。
 土が跳ね上げられ、木々の間に衝撃が走る。
 そこへさらにランチャーを捨ててM-16を構えた早乙女博士のフルオート射撃が加わった。こちらは妙に射撃姿勢が様になっており、いくつかの至近着弾が少女達に小さな悲鳴を上げさせた。

「どうした、この程度か207B分隊!」

「ジジイのほうも妙におかしくなってやがる……」

 身を低くした竜馬の額にも脂汗が浮かんでいる。
 数ヶ月の難民区暮らし、表に出さないが博士なりに愛情を持っている息子の入院。息子の側についてしまった娘への微妙な感情。そういったストレスが溜まっていたのが原因だが、それを知る者はこの場には笑いながら銃の反動を楽しむ老人自身しかいない。

「どうしましょう……」

 間断なく続く射撃音の中、たまが泣きそうな声を上げた。
 実際、たまったものではない。距離と地雷で守られた敵から一方的に攻撃を受けているのだ。さらに相手が相手だけに、いくらなんでもぶっ飛ばせば後が恐い。

「……あの跳躍地雷を逆手に取る! みんな、大回りで迂回して新たなポイントを目指すわ」

 千鶴が眼鏡についた泥を落としながら、低い声を出す。大声でいったら相手に察知されかねないからだろう。
 こちらが突進するのに邪魔になるものは、相手側の追撃も阻むだろうということか、と武は納得した。

「ばっきゃあろう、逃げるのは……」

「これは逃亡じゃないわ! 戦略的撤退、否、転進よ! ……それとも、高等戦術教本の筆写をまた――」

「オレが先導して道を開く。とっとといくぜ!」

 千鶴の『説得』に快く応じて、遠回りして離脱するためのルートを切り開くために邪魔な枝を排除しにかかる竜馬。

「……ん?」

 武が色々な意味での頭痛を堪えて、博士二人を確認しようと顔を上げた時。視界の端……上のほうの青空に、妙な光景を見つけた。
 入道雲か、と思ったがすぐにそれを打ち消す。それなら、下から上へ立ち上るように雲が広がるはずだ。
 あんな風に唐突に空の一点から発生しないし、何より中央にぽっかりと穴が開いたりはしない。
 そう、穴だ。その向こうに見えるのは本来見えるはずの空の色ではなくて。
 天にありながら、まるで奈落の底に繋がっているような禍々しさを覚える、闇。

「あれ、何!? それに、中に何かいる……」

 窪地から這い出てきた美琴も気付いたらしい。
 ハイになっていた博士らも、異変を察したらしく射撃を止めて振り返っている。
 全員の視線が集中する先には、雲の穴から重力に逆らうようにゆっくりと降りてくる『何か』があった。

「鬼の……面?」

 冥夜が目を凝らしながら呟いた。
 武にも、それは赤い鬼の面のように見えた。しかし、鬼の面には普通太い四肢などついていない。
 何より、あんなに巨大なものを人の手が創るはずがない。目測だが、全長は50メートルに達するかもしれない。
 停止しかける思考の中、そいつと目があった武の全身を強烈な悪寒が貫いた。

 その鬼は。奇妙な雲が消えると同時に本来の重力に従い落下し、沈黙し続ける砲台をその足で押し潰した。



「晴明様、よろしいのですか?」

「人間どもの愚かな争いで『根』と『芽』が切り離されたゲッターなど、放置しておけばよいものを」

 帝都城の北東部にある離宮の一角。
 古式を重んじる日本の支配階級の信仰風習のために現代になっても尚、東京遷都の折りに建てられた鬼門封じの神社。
 その最奥で、燭台の炎が三人の人影を映し出す。
 男一人、女二人。
 いずれも平安絵巻から抜け出てきたような、古風な衣装を纏っている。
 だがその体から立ち昇る妖気は、世人が古き日本と聞き想起する高貴さ・優雅さとは対極だった。

「それではつまらぬではないか」

 二人の侍女にかしずかれる男、元枢府直属の陰陽師・安倍晴明は目を細めながらうそぶいた。

「所詮現世(うつしよ)は夢、同じ夢なら面白おかしいほうがよい。血と悲鳴で彩られるのならば、なお良い」

 口を大きく左右に歪めながら、晴明は笑う。その視線は侍女の一人がかざす手鏡に向けられている。
 遥か何キロも離れた小島を蹂躙しはじめる鬼が、鏡の表面に映し出されていた。電波にも、回線にもよらず……。



 総戦技演習含む訓練と管理のために島に設置されていた仮設基地は、大混乱に陥っていた。
 まず、横浜基地副司令と彼女に次ぐ要人である早乙女博士が勝手な行動を取ったために、試験予定が大きく狂った。
 それが収拾されないうちに、今度は異形の巨大物体が現れたのだ。
 BETAでもなければ、到底人工物とも思えない。
 そんなものがよりによって副司令らと訓練分隊の至近に。

「武御雷、出せるな!?」

 レーダーに突如現れたデータに一切無い存在を知らされ、戻ってきた月詠真那・斯衛軍中尉は日頃の平静さをかなぐり捨てて怒鳴る。
 不測の事態に備えて斯衛軍の戦術機を国連軍にごり押しして輸送させていたのだが、流石に小隊機全部は無理で今あるのは月詠自身と部下の一人・神代少尉の物のみ。
 巴、戎は警護対象者の保護を命じて既に分派してあった。

「いけますっ! 突撃砲と長刀・短刀各二ずつ装備済み! 120ミリ砲弾はAPFSDS(装弾筒付翼安定徹甲弾)主体で装填!」

 密かに国連軍に派遣されている警護小隊付の整備分隊員が怒鳴り返す。
 整備性を犠牲にした設計の武御雷を巧みに整備してのける彼らの補佐があってこその衛士、と常々感謝している月詠だが、今はくどくど礼を言っている暇などない。
 すぐさま赤い塗装が施された愛機の座席に、かけられた梯子を伝って飛び乗る。

「冥夜様、どうかご無事で……」

 祈るように呟きながらも、手足は霞むような高速で起動手順をこなしていく。
 国連軍も例えば敵対勢力のテロ等に備えて戦術機類を持ち込んでいるはずだから、そちらも上手く動いてくれることを願いつつ、月詠は握ったレバーを押し込んだ。
 並の衛士なら事故を起こしかねない勢いで仮設ハンガーから飛び出す赤き武御雷と、それに続く白い武御雷。
 彼女らに遅れないように出撃すべき国連側のハンガーにある機体――三機の戦闘機は、未だ沈黙を保っていた。



[14079] 第十七話
Name: mitsuki◆66f66a11 ID:1f7a972b
Date: 2009/12/25 23:19
 京都。
 それはまだ日本の歴史が近代の洗礼を受けるはるか前より、政治経済の中枢として存在した都。日本人の心の拠り所でもあった。
 平安京、と時の皇帝によって命名された都市名は、そのまま『平安時代』として一時代を示す言葉となった。
 大陸より渡った文化と、日本古来の伝統が薫り高く融合された建築物の数々。
 千年の時を刻んできた寺社名刹も無数。
 そこで生きた人々が残した、数え切れないほどの工芸・技術・文学。
 歴史を懐に抱いた一大都市だった。
 かの第二次世界大戦において、日本と敵対した国ですらそこへ爆弾を落とすのだけは避けた、という逸話すらあるほどだ。
 (本土空爆が本格化する前に日本が降伏を選択した、という事情もあったが)

 しかし、人類同士では通じた暗黙のルールさえ地球外から来訪した侵略者には無関係。
 1998年にBETAの本土侵攻をついに受け、期待した西日本防衛体勢をあっという間に噛み裂かれた日本帝国軍は、そのもてる力を結集して京都を守らんとした。
 が、結果は無残なものであった。
 約一ヶ月。
 多くの兵士達が命を捨てて恐怖と絶望に立ち向かい、米軍の協力を仰ぎ。戦う力無きものが、運搬や防御施設設置の苦役に耐えても。
 約一ヶ月。
 日本帝国軍が稼ぎ出せたのは只それだけの時間だった。
 現代の技術でさえ二度と再現できぬ匠の業を凝らした大名屋敷が突撃級に押し潰され。何百万という人々の生活を支えた川は、兵士級の姿で埋め立てられ。
 かつて帝でさえ滅多に手にすることを許されなかった朝廷の秘宝さえ、戦車級の腹に収まり永遠に人類の手から失われた。
 せめて救いがあるとすれば、その時間で皇帝家・将軍家などのやんごとなき方々を始めとする京都の人々が相当数、脱出に成功したことだろう。
 『臣民の命こそ累代の財に勝る国の宝である』と貴重な文化財運搬をしようとした城内省等を説得し、その運輸力も国民避難に回させ。自らは最後まで司令部にあって指揮を取り続けた当時の帝国軍司令官の英断だった。

 日本人ならば、涙なしには語られぬこの戦だったが。
 冷静な外国等の軍事関係者からすれば、首を捻ることがあったことは一般には余り知られていない。
 なぜ、一週間で何年もかけて練り上げた防衛線さえあっさり崩された日本軍が、一ヶ月も持久できたのか? と。
 戦力を結集したから? Noだ。
 急場で兵士をかき集めただけでは、指揮や兵站が混乱して全力は発揮できない。西日本失陥に直面して泥縄で揃えた戦力では到底持つはずがない。
 精神力? ありえない。
 人間の裡に内包される力である以上、精神力とて体力のように有限だ。帝都死守にかけた日本帝国兵士の想いを否定するつもりはないが、それをいったら西日本で戦った将兵とて最大限の精神力を祖国防衛のために燃やし尽くしたことだろう。
 斯衛軍を投入したから? これも疑問符がつく。
 当時の斯衛は規模は2001年現在より大きかったが、要人守護という任務から大陸での対BETA戦経験者はほとんどおらず、装備機も第一世代機の改修・瑞鶴だ。
 大陸での実戦経験者を抱え、第二世代機の陽炎や第三世代機の不知火を備えた西日本帝国軍の精鋭さえ一蹴された相手に、それほど善戦できるとは思えない。
 (帝国情報省が内密に行ったいくつかの国家危急の事態を仮想したシミュレーションでも、2001年10月時点での東京駐留の帝国軍師団と斯衛軍が制約無しで戦ったとすると、『時間の問題』で斯衛が敗北するというデータが出ていた)
 結局、米軍や展開がそれまで遅れていた東日本配備の帝国海軍の火力支援のお陰である、という妥当な結論に落ち着くのだが……。

 当の日本帝国関係者の間でも、実はこのことは幾度と無く議論になったことがある。
 無論国民や兵士への影響を考え、おおっぴらにではないが。
 大勢で見れば、日本将兵の常識外れの奮戦と猛烈な火力支援(後、反米に転じた帝国軍人でも、京都防衛を支援してくれた米軍部隊にだけは感謝を忘れないほどだった)が持久の主動力であったことに違いはない。
 だが客観的に見ればそれだけの要素があっても、もって半月強というのが当時の帝国軍と斯衛軍の試算だったからだ。
 そんな中、前線から上がった妙な報告がいくつもあった。

『恐れ多くも神域を侵したBETAに怒った神仏が鬼神を遣わし、これを破った』
『さる御方の脱出路が小型種BETAに塞がれた時、小鬼が現れてこれと相食みあい、その隙に虎口を逃れられた』
『将軍家の菩提寺の四天王像が動き出し、数百のBETAを一瞬で薙ぎ払った』

 このような正気を疑う言葉が、生還した数少ない兵士らの口から出たのだ。
 当然軍上層部はこれを無視した。
 非常時に超自然的な願望に縋るのは、世界中の人々で見られる傾向でそれは現実が厳しいほど顕著になるのだから。
 京都防衛戦後、窮乏により徹底した節約を重んじるようになった元枢府が、それこそ時代錯誤の陰陽寮(呪術を統括する国家公認のオカルティックな機関)を復活させ少なからぬ予算をつけたことと結びつける者は当然皆無だった。



 網膜投影されるデータを読み込んでいく月詠真那の顔つきは、厳しい。
 力士の腹に巨大な鬼の面をつける、というふざけた扮装をさせたというのが一番近い印象か。
 だが、人間なら首がある部分から上には何も無い。代わりに、イソギンチャクの口のような円形状に並んだ牙が不断に蠢いている。
 全長は59メートル。戦術機の二倍近い。

「ちぃっ!」

 『該当情報なし』『計測不能』という警告ウィンドウをカットしながら、月詠は舌打ちを抑えられなかった。
 彼女が駆り、海上を匍匐飛行して異形の接近しつつある武御雷は高機動のF型。
 どれほど実力があっても、将軍家に近しい有力武家の出身でなければ与えられない特別な戦術機だ。
 機載コンピューターも日本で入手できる最高に近いものをコスト度外視で積んでいるが、それをもってしても大雑把なデータ以外は取れなかった。

「神代、冥夜様の避難は!?」

 ぴたりと背後に追随してくる白い武御雷(これも武家でなければ与えられない)に乗る部下・神代巽に通信を入れる。

『巴、戎両名からの報告はまだありま……真那様!?』

 報告途上の彼女の声が跳ね上がる。私的にも近しい関係にある彼女はじめ白の三人と月詠だが、任務中はきちんと階級で呼ぶよう規律が取れていた。
 その彼女が我を忘れるほどの事態が起こったらしい。
 素早く鬼を中心とする一角の画像を拡大した月詠の視線が、険しさを増した。
 なにかが、上空から落下しつつある。

 国連軍のヘリだ。
 訓練兵にゴール、と思わせてその希望を打ち砕き、精神的な持久力を試すためのものだ、ということは月詠らにも知らされていた。
 それがふらふらと砂浜に向けて墜落していく。原因は、回転翼が破損したためだ。

『い、今、鬼の腹の口から舌が飛び出て、ヘリを打ちました!』

 大きく左右に裂けた鬼の口から、青い舌めいたものが覗いている。それが伸びてヘリを打ち据えた、というのが月詠が捉えた光景だ。
 神代の上ずった声で、自身が幻覚を見たわけではないと確認する。
 煙を引いて、白い砂浜に黒い鉄の塊が落着した。
 爆発が起こらないところを見ると、衝撃にさえ耐えられれば乗員の命は助かっているかもしれない。
 だが、月詠にできるのは基地に一報を入れることぐらいだ。
 あの鬼が人類に対して敵対的な行動を取った以上、冥夜を守るのが彼女らの存在理由だった。

「冥夜様の退避を確認するまで、120ミリの使用は控えよ! 噴射跳躍にも注意だ」

 手動操作で鬼を敵対存在とFCSに認識させると、跳躍装置の推力を絞って海岸線に着地する。
 鬼との距離は、約500メートル。人間にとっては長距離だが、高性能の電子制御を受ける戦術機にとってはさほどでもない。
 武御雷の赤い主腕が持ちあがり、87式突撃砲が三点バーストで砲弾を吐き出した。火の玉は、鬼の肩口を掠めるようにして水平線の彼方へ消えていく。
 当てる事もできたが、それで暴れられてはまだ近くにいる冥夜様が危ない、と判断しこちらへ注意を引くためにそうしたのだ。

「神代、奴の能力は未知数だが、あの巨体からすると戦術機よりパワーがあることが予想される、まずはこちらへ誘引する!」

『了解!』

 本来、未知の敵と戦う時は距離という余裕を持って相対するのが鉄則だ。
 だが冥夜警護という任をさる御方より託された月詠らには、我が身の安全を図るという事はあらゆる面において二の次となる。
 36ミリ砲弾が気に障ったらしく、狙いどおり体ごとこちらを向いた鬼を確認すれば、月詠は安堵と共に得体の知れない存在に対する恐怖を改めて覚える。
 幼少の頃から受けた厳しい鍛錬により、感情を容易く心全体に波及させることはないが、それでもこわばりをほぐすのに一秒ほどの自失を必要とした。

「!?」

 その刹那だった。鬼の巨体が、冗談のように軽く宙に浮き一瞬ごとに巨大化したように見えた。それが、鬼が跳躍してこちらに接近しているからだと気付いた時、月詠の全身が総毛立った。
 鍛えぬいた衛士の体は無意識に反応し、フットペダルを蹴り飛ばす。
 数百メートルの距離を容易くゼロにした鬼の足から着地の衝撃で噴き上げる砂を避けるように、二機の武御雷は飛び退った。
 驚きはしたが、実害はない。むしろ冥夜達がいる地点から遠ざかってくれたことに安堵する斯衛の衛士達。
 
『このっ!』

 波打ち際にまで踏み込んだ足で海水を弾き上げながら、神代機が両腕に保持した36ミリ突撃砲を撃ち放した。
 二門の砲口から飛び出したタングステン弾頭弾(斯衛では、要人近くでの戦闘を考えて健康への悪影響が懸念される劣化ウランは極力使用を控えている)は、鬼の腹に着弾する。
 鼻じみた形状の膨らみに数十発の36ミリ弾が炸裂、鬼は怯んだように一歩下がった。だが、それだけだった。

『――馬鹿なっ!?』

 神代は声に出し、月詠は心の中で呻いた。煙が晴れた後には、僅かな傷跡がついているだけだ。

「こいつの表面は突撃級の装甲殻並か……だがっ! 神代、120ミリの使用を許可する!」

 月詠は息を大きく吸い込こんだ。
 この鬼の、見た目に寄らない敏捷さとその防御力は脅威かもしれない。
 それでも戦術機に比べれば鈍重であり、36ミリの至近射撃で多少といえど損傷は見られた。こちらより全てにおいて勝っているわけでもなければ、無敵でもないのだ。
 戦っても冥夜らへの二次被害が及ばない距離を確保できた以上、遠慮する理由はどこにもない。

「はぁぁぁ!」

 月詠は120ミリ砲を武装選択、気合と共にトリガーを引く。単にそれを撃つだけでなく、狙いを足につけた。
 仮に120ミリ砲弾さえ耐えるほど頑丈であっても、巨体を支える片足にダメージを負えば移動力は殺せる。
 超至近から放たれた装弾筒付翼安定徹甲弾は、即座に発射時の安定確保の役目を果たした装弾筒を脱ぎ捨て、矢のように尖った先端から異形の太股にぶち当たる。
 月詠の動体視力は、爆発の中に肉片と体液らしきもの――BETAのそれと違い、どす黒い赤だ――が混じるのを確かに捉えた。

『き、効いてます!』

「まだだ、舌の打撃があるぞ! 飛行するヘリを叩けるほど伸びる、油断するなっ!」

 神代の一転して弾んだ声に、注意で返しつつ軽く跳躍装置を吹かしてバックステップしさらに距離を取る。
 このまま距離をとりつつ射撃を加えれば勝てる。勝機を確信し操縦レバーを握りなおした月詠の耳に、飢えた獣が何十匹も同時に吼えたような異音が飛び込んだ。
 それが、鬼の口が開き大きく空気を吐き出しているのだ、と気付いて不気味さに顔をしかめるが。

「今更……!?」

 人間で言えばただの悲鳴だろう、と切り捨ててさらに120ミリを撃ち込もうとした月詠の網膜投影に、赤い警告マークが浮き上がった。

『え!? 放電警報!? そんな……』

 ようやく戸惑いから脱した神代の声が、再び混乱に引きずりこまれる。戦術機が普段なら滅多にしない高空飛行をした際、雷雲などに近づいたら表示される警報。
 ほとんどの衛士は、教本の上でしか知らない珍しい警報がなぜ今ここで――

「!! 全速離脱だっ!」

 理屈よりも本能が放つ悪寒の警告に従い、機体を全力後退させようとした刹那。
 月詠の網膜は、強烈な閃光に激しく打ちのめされた。



 急を通信で知らされたのは、神隼人と武蔵坊弁慶も同様だった。熱帯の大気は走り続ければすぐ肌から汗を吹き出させるが、二人は構わず走る。

「!? な、なんだ」

 ようやく仮設基地が見えてきた途端。そこから、三機の戦闘機らしい影が飛び出していった。
 轟音を残してすっ飛んでいく三機は、隼人らにはここ数ヶ月見慣れたプロトゲッターのゲットマシンだった。
 隼人と弁慶は顔を見合わせる。本来自分達が乗るはずの機体が出て行ってしまったのだ。

「……おい! なぜ勝手にゲットマシンを発進させた!? 誰かが乗っているのか?」

 血相を変えて再び駆け出した隼人は、仮設ハンガーに飛び込むなり喚き散らした。
 その顔つきにぎょっとしつつも、整備員の一人が口を開いた。

「あ、あの。オートパイロットで異常存在出現地付近へと送り出したのですが」

 その言葉を理解した途端、隼人の眉が跳ね上がった。

「誰の命令だ!」

「か、仮設基地司令です! 神中尉らには現地で搭乗させる、と」

 遅れてやってきた弁慶が、荒い息をつきながらも目を大きく見開く。
 先程受けた通信には、そんな内容はどこにもなかったはずだ。

「馬鹿な、聞いてねぇぞ!」

「しまった……!」

 隼人は舌打ちし、いまいましげに顔についた砂埃を掌で拭う。
 元々ゲッターチームは横浜基地に配属されて日が浅く、機体の調整がつかなかったこともあり統合された運用訓練はほとんど積んでいない。
 ましてこの緊急時に、出先の孤島基地要員とは連携が上手くいかなくて当たり前だ。
 この場合問題がどこにあったのかの追求は後回しだ。

「オートパイロットなんだな!? すぐに呼び戻せ!」

 戦術機の遠隔制御機能を流用したプロトゲットマシンのシステムなら、そんな芸当も可能なことを隼人は知っていた。

「は、はい……え!? な、なんだこりゃあ!」

 隼人の剣幕に突き飛ばされるようにコンソールに飛びついた要員が、画面を覗き込むと素っ頓狂な声を上げた。

「ほ、放電現象を確認! 一時的に電波状況が乱れています、これでは帰還シグナルが……」

「横浜基地に連絡しろっ! 調整途中でもかまわんからゲッターを回せ、と! 返事が来たら即知らせろ、今度は連絡に手落ちをするなっ!」

 早口に言い終えると、隼人は慌てる整備兵らを一顧だにせずハンガーから飛び出す。今はいちいち異常事態の原因を探っている暇も、迷っている時間さえない。
 ゲッターチーム用に宛がわれていた軍用ジープに飛び乗ると、弁慶が巨体を揺らして後部座席に滑り込むのと同時にキーを捻り、アクセルを踏み込んだ。



 その異変は、207B分隊と二人の博士の間近で起こっていた。
 唖然とする九対の視線が鬼に集中する。
 鬼が完全に砲台を踏み潰す、重々しくも不気味な響きが空気を震動させた。
 さらに舌を伸ばし、ヘリを叩き落す光景も見える。

「……先生、博士! 地雷を切ってください! こちらへ避難を!」

 ヘリが不時着する煙に、もっとも早く判断力を回復したのは前の世界での体験もあり突発時に一番慣れている武だった。
 跳躍地雷が仇になり、博士らの退路は限定されている。

「まさか、スイッチ持ってないとかじゃあ……」

 美琴が頬についた泥も拭わず、心配そうな視線を夕呼らに送る。
 最近の地雷は、後の処理を考えて遠隔操作でオン・オフの切り替えが可能なはずだ。
 もしそんな機能が無い旧式だったりあっても操作装置を忘れていたりしたら、立場上危険を冒してでも自分達が助けなければならなくなる。
 佐官待遇の人間と、訓練兵の命の重さは違う。それが軍隊の現実だった。

「香月副司令、こっちだ!」

 だが、妙な興奮が冷めた早乙女博士にそれは杞憂だった。すかさず銃も弾帯も大地に放り出すと、懐から拳大のリモコンを取り出す。
 散布された地雷が、無害化されたことを示す青いランプを点滅させるのを確認すると、このような事態に恐らく一番慣れてないため呆然としている夕呼の腕を引っつかんで、密林のほうへと駆けて来る。
 竜馬はじめとする何名かは文句を言いたそうな顔をしていたが、鬼が砲台を踏み潰した足をさらに動かす音で視線を再びそちらに向けた。

「あ、あれってこっちに近づいてませんか!?」

 たまがライフルを相変わらず抱えたまま身を震わせた。生身で身長50メートル以上はある化け物とと相対することを想像すれば、よほど肝の太い者でもそうなるだろう。
 鬼の足の下にあるものは、岩だろうが木だろうが低い音とともに原型を失う。

「密林へ下がるしかない」

 彩峰が無表情を保っていられず、眉根を寄せて提案する。
 それに千鶴が何か応じようとした時、別の轟音が大気を揺らした。

「武御雷! なんでこんなところに!?」

 武の記憶が刺激され、半ば無意識に声を上げていた。
 帝国斯衛軍にしか配備されていない、日本帝国国民でも実物はほとんど見かけない機体が二機、太平洋の海面を噴射剤の放出で乱しながら飛んでくる。
 それも赤と白。鮮やかな塗装が陽光の照り返しを受けており、それが頼もしさを感じさせた。
 まさか月詠達が、という冥夜の顔色を青く変えて落とした呟きは、続く射撃音に邪魔されて誰にも聞き取れなかった。

「と、とにかく密林の奥へ避難しましょう! あれが危険な存在であることは間違いないわ!」

 夕呼の体から邪魔になる銃を外しながら、千鶴が全員を促した。
 そうしている間にも、鬼は向きを変えると大地を揺らして跳躍、武御雷二機と戦闘を開始した。

「なんなのあれは……BETA? いいえ、特徴が違いすぎる……」

 自失から回復するなり夕呼が、その鬼の姿に視線を注ぐ。全長は要塞級に匹敵するが、形状が違いすぎた。
 武御雷が鬼を攻撃しはじめた。戦術機が持つ突撃砲の発砲炎が見える。
 鬼の足に一際激しい爆炎が上がり、その巨体が揺らぐのが武達からも確認できた。

「さすが」

 月詠さんだ、と続けようとして武は思わず口をつぐんだ。危機が去ったらしい安心感から落ち着きを取り戻せば、今ここで彼女らの事を知っているのは不自然すぎると思い至れる。
 だが、数秒後に事態は激変した。

「……これは!?」

 食い入るように鬼の背中を見つめていた早乙女博士が、何かに気付いて上空を見上げた。
 鬼が、武達の腹にも響く咆哮を上げると同時に、大気が揺らめく。
 え!? という声は誰のものか。もしかしたら武自身のそれだったのかもしれない。
 晴天の霹靂、という諺があるが。その通りの現象が起こったのだ。
 鬼の周辺の空気が突如閃き、電光が縦横無尽に走りまわる。それが鞭となって大地を、そして二機の武御雷を激しく叩いた。

「…………なんで」

 武は棒立ちになった。月詠らの安否に思い至り、背筋を寒くしても喉が上手く動かない。
 隣の冥夜も、紙のように白くした顔を武御雷が膝を突いた方角に向けている。
 雷光が蹂躙した空間の中心にいたにもかかわらず、鬼はまったくダメージを受けた様子はない。
 それが意味する所はつまり。

「あの鬼が雷を呼んで……操って武御雷を攻撃した?」

 つぶやく千鶴の唇の血の気は引いていた。
 軍人の基本素養として、最低限の物理は叩き込まれている訓練兵にとってそれはありえない現象だった。
 早乙女博士や香月夕呼博士でさえ、表情を強張らせている。

「ちっ!」

 全員が凍りつく中、竜馬が舌打ち一つ残して海岸へ向けて飛び出す。

「竜馬、どこへ行くつもりだよ!?」

「決まってんだろ! あの鬼野郎と戦うんだよっ!」

 武が慌てて追いかけると、振り向きもせずに怒鳴って早乙女博士が捨てた銃器類へと駆け寄る竜馬は、武器を拾い上げてはチェックしそして放り出す。

「くそっ、どいつもこいつもゴム弾か演習用かよ!」

「た、戦うっていくらなんでも無茶だよ!」

 ヘリを攻撃し戦術機と戦闘したあの首なし巨人が、自分達を見逃してくれる可能性は低いとはいえ。
 あの化け物に向かっていこうとする竜馬に、武をさらに追いかけてきた美琴も慌てる。

「そうよ! そんなことより避難と連絡を!」

 竜馬の背中で揺れる通信機を見て、ようやくそれで連絡を取るべき、と気付いたらしい千鶴も続き結局半数近くが密林から出て行く事になった。

「……何か、来る」

 とにかく博士達を密林の奥へ移動させようと、邪魔になる枝を払い始めた彩峰が一番冷静だったかもしれない。
 その彼女が、いち早く更なる異変に気付いて警戒の声を上げる。

「こ、今度は何です……?」

 ライフルをお守りのようにぎゅっと抱きかかえるたま。その目に映ったのは、派手なカラーリングの戦闘機がまっすぐこちらへ上空から突っ込んでくる光景だった。
 赤、白、黄色。合計三機、いずれも戦闘機というよりはロケットといったほうが適切のような、翼が極端に短い形状をしていた。

「プロトゲッター!」

 早乙女博士の叫びとともに、三機の戦闘機は逆制動をかけて減速、武らのいる場所と程近い砂浜に綺麗とは言いがたい着陸を行った。
 武は無意識に口元を押さえた。

 ――まただ、あの頼もしさと禍々しさをごちゃ混ぜにして、ヘドロと一緒に胸にぶち込まれたような感覚

 ここで気を失うわけにはいかねぇだろ! と己を叱咤する武の頭に、容赦なく三機がぶち上げた白い砂がかかった。

「隼人と、弁慶か!?」

 巻き上がる砂を手で払いつつ、竜馬が赤い戦闘機に駆け寄った。
 他の者達は、急な着陸の余波に顔を庇うのが精一杯だった。

「……全機オートだと!? どうなってやがる!」

 すぐ傍まで来れば、三機全てのコクピットが空だということは見て取れた。
 武御雷が行動不能に陥ったせいで一時的に静まった一帯に、竜馬の困惑と憤激をない交ぜにした声が響く。
 いや、良く見ればまだ二機の武御雷は装甲から煙をくすぶらせつつも、僅かながら動こうとしている。
 飛行時に遭遇しうる落雷現象等を想定した対策装備のある戦術機でなければ、そのまま中の衛士ごと丸焦げだったかもしれない。
 武はようやくそれに気付いたが、鬼が近くにいる以上ろくに動けなければ次は当然、命は無い。
 鬼が武御雷に近づいていった。足のダメージを引きずりつつも一歩、また一歩と。
 その光景を一瞥した竜馬は、背負っていた通信機を美琴のほうへ放り投げた。

「やるしかねぇ……!」

 美琴が慌てて受け取り、ついで重みでよろめくのに目もくれず、赤い戦闘機――プロトイーグル号の座席に飛び込んだ。
 そして207B分隊に向けて、それこそ敵に噛み付くような視線を向けて怒鳴った。

「……誰でもいい! 残り二機に乗りやがれっ! こいつで……プロトゲッターロボであの鬼をぶちのめす!」



[14079] 第十八話
Name: mitsuki◆66f66a11 ID:1f7a972b
Date: 2009/12/30 00:00
「無理だわ」

 竜馬の、ゲッターに乗れという言葉を聞いて夕呼は即座に吐き捨てた。
 そして、短期間だけ恩師だった老人に鋭い視線を向ける。

「ゲッターロボは、鍛えぬいた衛士でも多数事故死させた代物でしたわよね?」

 207B分隊の少女達は、政治的に大きなカードだ。彼女の『研究』にも密接に関わっている存在だ。
 みすみす死ぬとわかっている行為をさせるわけにはいかない。

「あのプロトゲッターは、完成型のゲッターと比べて同条件で半分程度の出力しかだせん。代わりに安定はしており、達人……ワシの息子やその他の者でも扱えたが」

 早乙女博士も厳しい表情。

「それでも無謀だろう」

 ゲッター用の訓練を積んでいるのなら、何とかなったかもしれないが。
 ぶっつけ本番でゲッターを操れた神隼人や武蔵坊弁慶が規格外すぎるのだ。

「なら、すぐに止めさせて退避をすべきですわ」

 荒く吸い込んだ、突然戦場のそれに変じた島の空気を忌々しげに吐き出す夕呼。

「しかし、現状ではプロトゲッター以外に対抗手段はない。最低でも救援が来るまでの時間稼ぎは必要だ」

 そこで一旦言葉を切った博士は、白くなった眉毛の下の目を鋭くかつての教え子に向けた。

「それにしても、『天才』らしくない物言いだな? 香月生徒?」

 反射的に睨み返した夕呼の赤みがかった瞳の眼光が、急速に不敵なそれへと変わる。

「――無理だ、と言うところで思考停止するのは凡人のやることでしたわね? 科学者の役目は昨日無理だったことを今日可能にし、明日には当たり前にすること、でしたか?」

「ふん、授業の最後に言った戯れもしっかり覚えているではないか。この場合は可能にするのは数分先でなくてはならんがな。では、どうする?」

 その言葉を合図に、二人の博士の頭脳は忙しく回転しはじめる。
 ゲッターに関する情報、訓練兵らのデータ、現在の地形その他諸々が複数同時作業中の端末画面のように夕呼の脳裏に浮かんでくる。

「パワーレベルを最低限まで下げる。それでギリギリですわ」

「リミッターはボタン一つでかけられる。だが、それでも不十分かもしれんぞ……海を利用させるか?」

 海水がクッションの役目を果たす水中での合体なら、空中でやらせるよりまだ負担が少ないだろう。

「激しい負担がかかる格闘戦は論外。どう楽観的に考えても207Bの誰だって持たないでしょう……遠距離攻撃の一手」

 作用と反作用。物理の初歩だ。
 強烈なゲッターのパワーで何かを殴れば、同じ大きさで反対向きの力が返ってくる。
 対衝撃機能を全開にしても、予想されるパイロットのダメージはかなりのものになるだろう。
 夕呼が直接ゲッターのデータに触れた時に想像した、『最良の未来を選ぶ脳の未解明分野の能力による秒単位の姿勢変によって、肉体的限界を超えた衝撃に対応する』ことに期待するのも危険性が高すぎる。

「ゲッタービームだな。プロトゲッターの安定しているが低出力な炉心ならば、二発が限界だろうが」

 うなずきながらも夕呼の視線は、鬼のほうへ向けられる。正確には鬼が雷撃を発した時にいた位置に、だ。
 砂浜は滅茶苦茶になっているが、形跡を冷静に分析すれば。

「あの攻撃は、せいぜい800メートルの範囲内でしか被害はありませんわ。武御雷がもう少し距離をとっていれば、回避できたかもしれません」

 限定された雷の発生、というのは物理常識に喧嘩を売るような事態だが、この際現実は現実として見た夕呼は、砂の乱れから安全圏を判断した。

「距離を最低二倍……1600はとってのゲッタービーム。幸い斯衛が奴の足を片方殺してくれたお陰で、のろのろ動きでもそうは近づかれまい」

「舌の打撃があるいは届くかも知れませんが、電撃を食らうよりはマシでしょうし」

 問題は、と二人の声がそこで揃う。
 二対の視線が撫でる訓練兵らの個性的な顔立ちは、今はいずれも戸惑いという共通項があった。

「207Bの訓練兵の気構え、だな。いきなりこのような事態に直面してパニックにならないだけでも、彼女らが優れた人材だというのはよくわかる。だが……」

「ええ、ですがいきなり予備知識も無い機体に乗って戦え、といわれれば気後れしないほうが異常ですわ」

 あの武蔵坊弁慶でさえ、覚悟を決めるに至るまではそれなりの時間を要した。

「……無理ならばワシと竜馬の二人でいく。あとはオートだ」

「それでなんとかなります?」

「竜馬はともかく、ワシは駄目だろうな。2月の新潟の時も、思ったより衰えておった」

 夕呼の目に映る早乙女博士の顔が、これ以上ないほどの厳しさを加えた。
 ゲッターの特異性を考えると、それなりに乗りなれた二人だけが操る場合、不慣れな者を含む三人乗りの時よりも戦闘力は期待できない。
 夕呼は大きく嘆息した。これではいくら戦闘能力があっても、兵器としては戦術機に何歩も劣るわけだ。
 パイロットに要求される耐G基準が高すぎ、さらにそれを満たす者が三人は必須となると、賄うためにどれだけの人的資源をつぎ込まないといけないのか。

「だが、せねばなるまい。黙って殺されるよりはマシだからな……ともかく竜馬に話をするぞ」

 痺れを切らして一人で飛び出しかねん、と早乙女博士は足早にプロトイーグル号へと駆け寄りはじめる。夕呼もそれに続いた。
 慌てて密林に残っていた者達もついてくるのがわかったが、今は彼女らに言葉をかける時間も惜しかった。



 即断できるはずもない武らを置いて、竜馬がレバーを押し込もうとするのが見えた。
 そこへ年に似合わない敏捷さで駆け寄った早乙女博士がコクピットの縁に手をかけ、何かをしきりに怒鳴っている。

「……わーったよっ! 水中で合体、殴り合いはなし、離れてビームをぶっ放せ、だろ!?」

「今からリミッターをかけてパワーレベルを最低値まで下げる。感覚を間違えるな!」

 言葉がそれなりに意味の通じる内容でなかったら、二匹の野獣が吼えあっているようにも聞こえたかもしれない。
 それほど、二人の雰囲気は切迫していた。
 博士が上半身をコクピットの中に突っ込み、どこかを弄り回しているのが武からも見える。

 世界が違う。それが武の偽らざる実感だ。
 恐怖を感じたら戦う。危険を察知したら戦う。未知の事態でも戦う。
 あらゆる情動や葛藤が最後には必ず闘争心に化ける竜馬は、とても同じ人間とは思えなかった。

 前の世界の経験を持つ武を含めて、207B分隊の人間は実戦と呼べるものを一度も体験したことがない。
 せいぜい新潟へのBETA侵攻時に、戦うことになるかもしれないという切迫感を感じたぐらいだ。
 まりもの訓練は、平均的な衛士育成課程と比べても過酷だったが、それでも最低限の安全は確保されていた。
 だが、今は違う。
 砲台を簡単に踏み潰し、斯衛軍さえ苦戦するほどの化け物が目の届く場所にいるのだ。
 これが生身の、今まで衛士になる前段階として積んできた訓練が通じる状況なら、あるいは精神が麻痺していても体は動いたかもしれないが……。
 迷い、恐怖、困惑。いずれもが武らの心身に鎖となって巻きついてしまい、容易に振りほどけるものではなかった。

 そうだ、無理だ。
 あれを動かすための訓練も積んでいないし、操縦方法もわからない。
 ここでオレやみんなが死んだら、オルタネイティヴ4にも大打撃だし……。
 夕呼先生だって困るだろう。
 武の胸中にそんな言葉が渦巻き続ける。

 しかし、そんな訓練兵達の中でいち早く決断を下した者がいる。

「私が乗るっ!」

 武の視界の端で、鮮やかな青と白が踊った。前に出た冥夜の髪と、それをまとめる白いリボンだ。
 月詠中尉らがこの場に現れて戦っている理由、それは冥夜を守るため以外ではありえない。
 それがわからぬ彼女ではない。そして身分に胡坐をかいて他人の犠牲を当然とするような思考様式は、御剣冥夜には無い。
 月詠中尉達の助けになるのなら、と決意を固めたことは容易に想像できた。

「ま……」

 武と、そして意外なことに夕呼が同時に上げかける制止の声。
 が、それをかき消すように竜馬が怒鳴った。

「よしっ! 白い奴に乗れ!」

 大丈夫か、とも本当にできるのか、とも言わない。先程言った『誰でもいい』はまったく裏のない言葉だったことを証明するような即断。
 一方、裏がありすぎる事情をたっぷり抱えている夕呼は、顔の血色を一気に引かせた。
 早乙女博士の元へ走り寄れば、その白衣の裾を引っ張る。平時の夕呼ではちょっと想像できない慌てっぷりだった。
 そのまま無理矢理博士をコクピットから引きずり降ろすと、武らのほうをちらりと見て小声で耳打ちする夕呼。

 将軍の縁者――それも斯衛が警護し武御雷を贈られるほどの親類を、こんな無謀な戦いの矢面に立たせたら先生の立場が悪くなる、ということか。
 武は、前の世界の記憶を引っ張り出して一人うなずいた。
 周りの千鶴らは、事態の急変にまだ思考が追いついていない。

「かまわん。それが必要な犠牲なら、――その人だったとしても同じことだ」

 だが、早乙女博士が夕呼に返した言葉は、そっけないものだった。離れていたために一部が聞き取りにくかったが。
 ゲッターに搭乗することを犠牲、と言い切ったのには武は思わず頭を抱えてしまった。度々感じたように、あれは相当危険なもの、とはっきりしたのだ。
 夕呼一人がさらに大慌てしてとんでもない、と首を横に振るが男二人は相変わらずだ。
 いや、この中で間違いなく一番短気な男は夕呼以上に険しい形相になっている。

「ごちゃごちゃうるせぇ! どこの何様だろうと、腰抜けよりはマシだろ!」

 訓練兵と副司令という地位の差を一蹴した。それだけで上官侮辱罪で逮捕されかねない竜馬の暴言に、当人と早乙女博士を除いた全員の顔色が青くなる。

「! おい、離れろ! おしゃべりしている暇はねぇ!」

 竜馬の声が、危機感を強めた物に変わった。
 早乙女博士が夕呼を今度はひっぱってプロトイーグル号から離れさせた途端、アフターバーナーを派手に吹かして急発進した。
 それが引き起こす土煙の向こうで、武らが判断に迷っているうちに武御雷に影を落とすほど近づいた鬼の姿が揺れている。
 どうする!? 武は迷った。
 冥夜を止めたいのなら簡単だ。腕づくでも剣を持っていない今の彼女ならなんとかなるだろうし、竜馬と違って夕呼が副司令の地位を持って命ずれば従うはずだ。
 だが、このままでは月詠さんと、恐らく三馬鹿のうちの誰かがやられてしまう。

「早乙女博士、でしたよね!?」

 焦燥からくる汗を滲ませながら、武はその老人に小走りで近づいた。
 迎え撃つような鋭い眼光に怯みながらも言葉を投げかける武の頬を、衝撃が叩いた。プロトイーグル号が腹に抱えていたミサイルを鬼に発射したのだ。
 対小型種BETAを想定していたらしい散弾弾頭から放たれた攻撃は、鬼の表面を悪戯に叩くだけ。
 それでも注意は引けたらしく、鬼面の目は飛び回るプロトイーグルの軌跡を追う様に左右に揺れはじめる。

「あのプロトゲッターっていうのは本当にだいじょ」

「小僧、止めておけ」

 問いかけをぼそりとした一言で止められ、武は立ち尽くした。

「半端に賢い奴はゲッターには向かん。仮にワシが安全だ、必ず勝てると口からでまかせをいったら安心して戦い、そして死んでいくのか?」

「それは……」

「人間、追い詰められれば結局自分が好む方向に理屈をつけるものだ。逃げる口実ならば、いちいちワシに伺うまでもない」

 白い顎鬚を揺らす老人の口から出る辛辣な言葉に武は勿論、夕呼も絶句する。

「貴様の命は貴様だけのものだ。好きにするがいい」

 言い捨てると、冥夜に一瞥を送り「座席下の予備パイロットスーツを着用しろ」と命じて自身は黄色い戦闘機――プロトベアー号へと向かう早乙女博士。
 その揺れる白衣の裾を見つめていた武は。

 無性に腹が立った。

 この爺さんに何が分かるんだ? 世界がどうなるかも、いま遥か天空の上で人類が逃げ支度をしていることも知らないだろうに。
 偉そうな口を叩いて、使い物にならないトンデモ兵器を作っただけの癖に。
 いいさ、学者の癖にそんなに理屈をつけるのが嫌いっていうのなら、行動で示してやる。
 オレが世界を変えるんだ。オレがみんなを守るんだ。
 もう二度と、愛する人々が宇宙へと旅立つのを涙とともに見送り、絶望的な反攻作戦に残された人々が駆りだされる様な世界を来させてたまるもんか。
 そんためには、こんなわけのわからない所でへたれても躓いてもいられない!

「待てよ! あの黄色いのには、オレが乗る!」

 武は苛立ちと怒りの牙で自身の身を縛っている迷いの類をまとめて噛み千切り、吼えた。
 その表情にはゲッターチームの三人に通じるような、死神のほうが逃げ出しかねない凶相の影が僅かに差していた。



 警告アラートの赤い光が、月詠真那の暗黒に落ちた網膜を占領している。
 目を瞑っても情報が投影される戦術機のシステムは、暗闇に吸い込まれかけた意識には優しくはない。
 だが、今はそれが幸いした。月詠は未だ死んでもいないし、意識も気絶も一歩手前で踏みとどまった。
 ステータスチェック。
 うっすらと開かれかれた瞳に映るのは、武御雷の全身図。そのほとんどは黄色、特に頭部は真っ赤だ。
 これは全身が中破程度、センサー類の集中した頭部は使用不能になっていることを示している。
 管制ユニットの対電装備も、ふれこみほどではないな。それが月詠が身を持って知った実感だった。
 仕様書では上空飛行中に落雷にあっても大丈夫、ということだったがこれでは怪しい。生きて戻ったら、感電対策をもっとしっかりするよう上申しよう。
 月詠は全身を支配する痺れに抵抗してレバーを動かす。痛みは幼少から叩き込まれた武道の精神修練を応用し、意識から切り離した。
 武御雷の機能はまだ生きている。電撃によってショートした回路を予備に切り替え、防護のためシャットダウンされた電装系を再起動。

「武器は……よし、まだいける」

 誘爆防止機能のために異常電流を探知した瞬間に『眠った』火器類にも再起動シグナルを送る。
 背負った突撃砲の120ミリ砲弾あたりがまとめて暴発していたら、武御雷とて持たなかっただろう。
 何割かはそれ以前に信管等が死んで、不発弾と化しているかもしれないが。

「神代、無事か!? 返事をしろ!」

 上手く動かない舌を苦労して回しながら、機体各部の非常用センサーを起動。生き残りのカメラと総合しても視界悪化は否めない。

『……な、なんとか生きています。武御雷の機能復旧中』

 おそらく自分と同じ状態ゆえのたどたどしい声だが、明晰な意識は感じられた。
 神代のほうもなんとかなりそうか、と確認できた時にようやく外部映像が網膜投影される。
 不気味な鬼が近づいてくるのを見て一瞬総毛だったが、次の瞬間には笑いがこぼれた。唇がしびれを含んでいるため、僅かに痙攣した程度ではあったが。
 手ごわい敵だが、所詮BETAには及ばない。
 奴らのレーザーなら、機能回復などはさせてくれない。
 次々襲い掛かってくる戦車級がいたら、既に月詠は機体ごと食われていただろう。
 射撃に要する機能復活の予測時間と、鬼の接近時間算定を見比べながらも、月詠は闘志と冷静さを取り戻している。
 雷撃や舌が来たら一巻の終わりだが。ああやって無様に片足を引きずって近づいてくるところを見ると、まだ勝機はある。
 最悪、零距離砲撃で相打ちに持ち込んでやろう。

「……!?」

 だが、一度戦闘不能になった機体は容易に望むレベルまで蘇ってはくれない。このままでは奴が今の速度で寄って来ても間に合わぬ。
 月詠の額に汗が流れた時、衝撃が管制ユニットごと彼女を揺らした。攻撃を受けた――のではなかった。
 鬼の体が爆炎に包まれ、武御雷を何かが軽く叩く。装甲をささやかに傷つけたのは、散弾制圧弾用のボールベアリング弾の流れ弾だとセンサー表示が遅れて知らせてきた。

「援軍か」

 未だ虫食い状態の映像の右上に、赤いロケットじみた戦闘機が映った。ほどなく、白と黄色がそれに加わるのを確認しつつ、月詠は機体の具合を確かめるため軽くレバーを引いた。



 武の視界に映る世界が、灰色から赤に急激に姿を変える。
 血液が上半身にいきわたらないことで起こるブラックアウト現象。ついで、血が上りすぎて毛細血管が圧迫されて起こる目の過剰充血のためだ。
 引き起こした原因はわかっている。
 プロトベアー号を急発進させ、ついで浮き上がった機体を押さえ込んだため体に掛かった上下のGだ。

『――手順は説明したとおりだ! 竜馬、先導して海に突っ込め!』

『おうっ! 武に、冥夜だな。いい度胸だ、笑ってみせろよ!?』

 美琴の手にある通信機を通して、早乙女博士と竜馬ががなりたてる言葉が響く。ぐらぐらする頭には、それだけで痛みが走った。
 やっぱり乗るんじゃなかった、という泣き言や、笑えるわけないだろ、という竜馬への文句も。舌を噛みそうなため言うこともできない。
 それでもコクピットの正面パネルの指示に従い、両腕で掴んでいるレバーをさらに押し込んだ。
 必死に全身の筋肉を固めて、腹から背中に突き抜けていく衝撃に耐えようとする武だが、意識がぶっ飛びかける。
 鼻の奥が熱い。毛細血管がやぶれて血が噴き出すのも時間の問題だろう。
 これでパワーレベルが最低なんて、殺人機もいいところだ。
 操縦系自体は恐ろしく簡素・合理的で、レバーといくつかのボタンの機能を頭に詰め込めば基本操作はなんとかなった。この技術はすげぇ、とその時だけは早乙女博士を見直したが……。

『御剣、白銀、聞こえる!?』

 声が夕呼の物に変わった。傲然としていた早乙女博士に対し、こちらは冷静さの中にも焦りが滲む。
 あの爺さんに比べれば、先生はやっぱり心配してくれているのかな、などと苦しい中考えていると。

『無理にGに抵抗しようとしないで、むしろ力を抜いて無意識に身を委ねなさい! いいわね!?』

 なぜ夕呼がそんなことを言ったのかわからないし、その是非さえ考えられない。
 一瞬ごとに減退する判断力は、かろうじてその言葉に従おうとして――

「……ぁ?」

 その途端、嘘のように体が軽くなった。いや、相変わらず凄まじい重圧が全身を乱打しているのに、その大半がするりと肌の上を流れていくのだ。
 感覚の源泉を探ろうと、意識を体の内側に向けると。

 ――自分の体のどこがが、機体と繋がっている

 そう形容するしかない、前の世界を含めて一切覚えのない感覚が腹の底辺りから湧き上がっている。
 戦術機に搭乗した際の網膜投影とも違う。そもそもゲッターロボには直接人間の体の機能と機体を繋げるシステムなどないはず。少なくとも説明はされていない。
 その感覚には更に奥があると武は直観したが、例の悪寒がぶり返しそれ以上意識を集中することを本能が拒否した。
 武は自分が姿勢を秒単位、いやそれより短い間隔で微修正している自覚を持ったのは、そこまで思考を進めた後だ。
 あの爺さんがいった『半端に賢い奴はゲッターには向かん』とはこういう意味か? それこそ体が潰される状況で力を抜けるような人間は、圧倒的少数だ。
 (そういえば、楽しいから笑うんじゃなくて、笑うと楽しい気分になることもあるって心理学の座学でいってたなぁ)
 竜馬の笑えっていう言葉は、リラックスしてこうしろという意味だったのか?
 相変わらず口はろくに動かせないが、思考する余裕ぐらいは武の中で維持されはじめていた。

 夕呼が見ていたとしたら思いつきの実証に喜ぶか、そこまでしても逃がしきれないゲッターの強烈なGに眉をひそめるか。
 あるいは、いくらなんでも早すぎる武の適応能力に目を見張るかどれかだろう。

『いくぜっ! 冥夜、武! ――すぐ終わらせるからよ!』

 引き伸ばされた武の時間感覚の中に、今度は竜馬の声が割り込んでくる。
 励ましとも取れる物言いは、今更ながら心配してくれているってことなんだろう、多分。
 辛うじて正常な色彩を回復した武の視界を覆いつくす、派手な水柱が上がった。
 プロトイーグルが博士二人の指示に従って水中に突入、次いで冥夜が乗る――うめき声さえ聞こえないが大丈夫か?――白い機体が続いた。
 弾かれた飛沫が再び海に還るより速く、武を乗せたプロトベアー号も海中に踊りこんだ。



『チェェェンジ! プロトゲッターァァ、ワンッ!』

 通信機のスピーカーが震える怒号とともに、爆雷の数十発でも投下したかのように海面が沸き立つ。
 三機一体となって完成したプロトゲッターの全身は、絡む海水を落としながら飛び出る。陽光にきらめく飛沫が、その身を一瞬だけ豪奢に飾り立てた。

「退避するぞ、これ以上ワシらに出来ることはない」

 早乙女博士はそれを見届けると通信機を支える美琴、傍らの夕呼の順に視線を移す。

「あ、あの。本当に何もできないんでしょうか?」

 珠瀬が俯きがちになりながらも、口を開いた。
 結局、何も意見表明できないうちに三人は飛び出していってしまった。それを気にしているらしく、肩が小さく震えている。

「……残念だけど、博士の言うとおりよ。その対物ライフルでもあの化け物には不足だし」

 唯一手持ちの中で実戦用弾丸を備えたライフルを持っているだけに、珠瀬の姿は痛々しい。
 千鶴は極力穏やかな声を作りつつ、彼女にも避難を促すために珠瀬の肩に手を置いた。
 注意を引くことぐらいはできるかもしれないが、そんな真似をしたらそれこそあの武御雷や白銀らの行為を無にしかねない。

「彩峰、副司令は密林行動には不慣れなのは確実だから、補助をおね……」

『一撃で決めてやる! ゲッタァァァァ……ビィィム!!』

 一番間近で聞いた美琴が顔をしかめるほど、強烈な気合が通信機のスピーカーからほとばしる。
 全員の視線がそれに釣られるように集中した先には、博士らのアドバイスどおり距離をとりつつ腹のビーム発射口を展開したゲッターの姿があった。
 人間でいう太股までを海水に浸し、二本角を振り立てるゲッターと首無しの鬼が対峙する姿は、妖怪同士が戦っているような非現実性さえ帯びていた。
 ゲッターの腹から噴き出した太い光の矢の色は、鳶色に近い赤。
 それがまっすぐに鬼の胴体にぶつかっていこうとする。
 千鶴ら訓練兵は、ニュースで言っていた『人類初の実用ビーム兵器』の実射を始めて目の当たりにし、避難も忘れて揃って目を丸くした。

「やったか!?」

 早乙女博士は手がけたマシンの実戦成果をリアルタイムで確認するため、目を大きく見開いた。
 だが、次の瞬間全員が絶句する。

 鬼の体を打ち抜くはずのゲッタービームが、その直前で見えない盾に阻まれたように停止し、むなしくエネルギーを四散させたのだ。

「効いて……ない」

 呟いた彩峰の凍りついた視線の先で。鬼が勝ち誇るように口を開き、その舌先をプロトゲッターに向けた。



[14079] 第十九話
Name: mitsuki◆66f66a11 ID:1f7a972b
Date: 2010/01/04 17:39
「この付近で訓練をしている国連軍の通信が混乱している、だと?」

 短く刈り込んだ金髪を揺らしながら、アメリカ陸軍少佐・アルフレッドウォーケンは振り返った。
 その背後では、愛機であるF-22ラプターが入念な整備を受けている。
 鋭い碧眼を向けて、報告してきた部下に続きを促した。

「はい、何かBETAとも違う奇妙な敵勢存在に襲撃され、相当慌てているようです」

「……艦隊が針路を急に変更したのはそのためか」

 手にしたコーヒーカップに目を落とす。黒い水面が、ウォーケンの動きに拠らず揺れていた。この艦が全速航行しているためだ。
 急に決まった極東地域での演習。不可解な話だった。
 ラプターは本格配備がはじまったばかりの戦術機で、国内訓練さえ十分消化しているとは言い難い。
 ウォーケン自身、未だ機体に振り回されている自覚がある。慣れない船旅ではますます搭乗時間が減り、錬度低下が心配なぐらいだった。
 加えて今回の件、だ。
 よほど鈍感な者であっても、疑惑の種が胸に生まれずにはいられないだろう。

「正式の救援要請はないのだな? にもかかわらず、わざわざ向かうとは……」

「なんでも、島には横浜基地の副司令がいるとか。恐らく横浜基地からのものと思われる救援機らしい高速の機影三つもレーダーがキャッチしたそうです」

 疑問に答えた部下の言葉に、ウォーケンの眉根が厳しく寄せられた。
 ウォーケンでも『横浜の魔女』と、現在の合衆国議会主流勢力との軋轢は聞き及んでいた。
 アメリカ軍の上層部は、『G弾を前提とした国家戦略』を将兵の犠牲者減少の観点や有効性から支持する者が多い。
 合衆国の名誉にかけて正道を重んじるウォーケンには忌々しいことだが、これを好機として『保護』という名の誘拐を行う考えを持つ者がいてもおかしくは無かった。

「出撃要請が来るのでしょうか?」

 傍らにいたイルマ・テスレフ少尉――金髪碧眼の若い女性士官で、やはりウォーケンの部下の一人だ――が口を開いた。
 戦術機格納庫のそこかしこから、妙な空気を察知した陸軍衛士達が集まってくる。
 演習のため海軍の空母『ジョン・C・ステニス』はじめとする各艦に搭載されているアメリカ陸軍の戦術機甲部隊は、一個連隊に匹敵する。
 それだけの戦術機を載せるために本来の海軍機はほとんどが降ろされており、BETA並の敵を相手にするとなれば陸軍部隊に話が回ってくる可能性は高い。
 指揮権統一の面から、移動中は艦隊司令部の命令に服すよう指示は事前にされている。

「未知の敵だとすれば、むしろこちらから出撃を申し出たいところだがな」

 ウォーケンからすれば、横浜の副司令云々よりその敵勢存在のことが気にかかった。
 人類がBETA相手に何とか戦線を持ちこたえられているのは、BETAが人間でいう長距離爆撃機や潜水艦のような存在を持たず後方がおおむね安全だからだ。
 しかし、いきなり人類領域内にBETAと同様に敵対的な存在が出現したとすれば、世界レベルでの戦略の見直しを余儀なくされる。
 リスクをとるのなら、まずそちらを直接把握するべきだ、と思っていた。

「だが、ここでは我々は『客』にすぎないか……」

 その気が無くても、ウォーケンの発言が陸海軍に不協和音をもたらすかもしれなかった。
 ただでさアメリカ軍は、オルタネイティヴ計画への態度から対立の気配が見られる。
 ウォーケンはただ只管大統領と議会に従うのみ、と決めていたが。中立だからこその気苦労も多い。
 もっとも、すぐにウォーケンらにも艦隊司令部からの要請が入り、『保護』に向かう歩兵部隊の支援を命じられることになるのだが。



「きかねぇだとぉ!?」

 竜馬はコクピットの中で目をいっぱいに開いた。
 武御雷の攻撃も、ゲットマシンのミサイルも届いていた相手だが、ゲッタービームだけがまるで見えない壁に阻まれたかのように防がれた。
 驚く暇さえ与えられず、鬼の腹から舌が伸びてくる。

「くそっ! オープンゲッ……」

 海水に、そしてその底の砂に足を取られているため咄嗟回避が難しい。
 分離してかわそうとボタンを押し込みかけた竜馬の指が止まった。
 以前の竜馬なら考慮しなかった要素――207B分隊の仲間達への気遣いが、判断を鈍らせたのだ。
 自分はともかく、冥夜と武には合体だけで相当の負担のはずだ。
 彼女らとの付き合いは竜馬に多くの物……例えば知識や集団への適応力、チームとしての連帯感などを学習させたが。
 この場合はそれが仇になり、判断が遅れる。

「!?」

 プロトゲッターの胴体に、唾液と酷似したねばつきをまとった舌が絡みつき、ついで締め付けはじめた。
 ちくしょう、そう毒づきながらも画面向こうの鬼面を睨みつける竜馬だが、やや精彩に欠ける。
 人は竜馬を単純な、悩みとも無縁な男だと思うことが多い。
 それは本人の態度にも責任があるが、間違いだ。
 この男だって人並みに懊悩し、心身ともに傷つくこともある。
 ただそれを滅多に表に出すことがなく、後にも引きずらないためにそう見えるだけだ。
 ゲッタービームで決めるはずが、まったく効果なく反撃された状況は焦りを生む。

『ふ、振りほどけ竜馬!』

 サブウィンドウが開き、青い顔を晒しつつも武が怒鳴る。
 それに機体が圧力を360度から受けて軋みはじめる鈍い音が重なった。

「なろぉ!」

 助けを求めるように圧力の余波を受けてがちがちと震えていたプロトゲッターの指が、拳に固められる。
 武の声で気持ちを切り替えた竜馬が歯を剥き出しにしてレバーを押し込むと、逆に舌を内側から引きちぎろうと機体に力が満ちる。
 が、僅かに押し返しても全体の圧力は緩まない。

『まるで蛇だ……!』

 見た目どおり軟体構造らしいそれは、ゲッターの抗する力を吸収してしまう。

『くっ……駄目だ……ただの力任せでは……』

『冥夜!? 大丈夫か!』

 それまで声も聞こえなかった冥夜の、力はないが明確な言葉に武が勢い込んだ。

「右腕のパワーを全開にして、逆に左はゼロに……締め付ける力の疎と密を作り出すのだ!」

 しゃべっているうちに意識がはっきりしたらしく、徐々に彼女の言葉に気迫が篭る。
 映し出されたコクピット映像に映る容貌にも、血の気が戻っていく。

「ど、どいうことだよ!?」

 力一杯レバーを押し込んでいるため、顔を既に真っ赤にしている竜馬が聞き返す。

『縄抜け術と同じ要領だ、それで一瞬たわみができるからその瞬間に脱出するのだ!』

 無現鬼道流のたしなみがあるためか、冥夜はいわゆる武芸十八般やその周辺技術に詳しい。
 今まで訓練をともにしてそれを知っている竜馬は、おう、と今度は返事してレバーを握り直す。
 同時に武は、『前の世界』の記憶を掘り起こしつつ壁面のボタン類に指を伸ばした。

『データリンク……レーダー……』

 ぶつぶつと確認の言葉を口にしつつ、竜馬がまったく関心を持たない索敵・情報通信系装備に火を入れていく。
 その時、横合いから無数の火の玉が走り、鬼の体を叩いた。

「っ!!」

 それが何かを判断するより早く竜馬は右レバーを押し込み逆に左のそれは引く。
 冥夜の指示通りにすれば、一瞬だが舌の拘束に隙ができる。
 それだけなら再度の締め付けでまた封じられたかもしれないが、思わぬ衝撃を受けた舌はすぐ力を戻してこない。
 プロトゲッターの巨体が沈み、海底に滑り込むようにして脱出する。
 先程は回避を邪魔した砂が、今度は機体を柔らかく受け止めてパイロットにかかる衝撃を軽くしてくれた。

『……今のは武御雷の攻撃か』

 冥夜の声に安堵の色が篭った。
 武御雷が動いた、ということは中の衛士も健在だということだ。

『だけどビームが通じないぞ。どうする!?』

「こうするんだよっ!」

 戦術機のものを流用したデータリンクシステムをチェックしながら口を動かす武に、竜馬はにやりと笑いながら答えた。
 ゲッターの脚が海水ごと砂を踏みしめ、再び上半身を水面に晒す。
 その右肩から球形の物体が飛び出し、張り付いていた僅かな海水を飛沫に変えて撒き散らしつつ斧の形に変形する。
 トマホークの柄をゲッターの右手に掴ませるが早いか、竜馬は吼えた。

「ゲッタートマホゥク……ブーメランっ!」

 プロトゲッターの右腕が強風と化し、砲撃音に匹敵する轟音を唸らせながらトマホークを鬼面に向かって投げつけた。
 武御雷の射撃を受け、そちらに向き直ろうとしていた鬼のどてっ腹に巨大な刃がめり込む。

『やった!』

 武は合体時ほどではないにせよ全身にかかる揺れに顔をしかめながら、それでも快哉を上げた。
 今度は見えない防御が発動しなかった。

『ど、どうやらあの面妖な鬼は攻撃してくる相手に優先的に反応するらしい……それと実弾兵器の類は防げぬらしい』

 こちらも顔をしかめながらも、冥夜が冷静に分析する。
 あれだけの攻撃を食らいながらまだ鬼は立っているものの、その動きは鈍くなっていた。
 赤い武御雷が、咳き込むように噴射装置を吹かして後退しつつ砲口を上げるのがモニターから見えた。
 本調子ではないようだが、今度こそその砲撃は止めになるだろう、と三人が確信したその時。
 武が立ち上げた警戒システムが、けたたましい音とともに『未確認現象確認』のアラート文字を表示する。

「何ぃ!?」

 顔を上げたプロトゲッターのセンサーアイの先で、晴天に再び墨を落としたような曇りが生まれつつあった。
 それは瞬く間に広がり、渦状になる――鬼が出現した現象と同じだった。



「つまらん」

 安倍晴明は細面を歪めながら、手鏡より視線をそらした。
 自身が呼び寄せたもう一体の鬼が出現しても、それは変わらない。

「あの程度では遊びにもならん。いっそここで終わらせたほうがせいせいするわ」

「ですが晴明様。あそこにはオルタネイティヴ第四計画の中枢人物や、摂家血筋の御方もおられますが」

 侍女が、その平安装束姿に似合わない横文字を含む言葉で危惧を表した。

「かまわん。我はただ古き『約定』に従い代償に相応しい助力をするまで。日本がどうなろうと知ったことではないわ」

 それに、と晴明は扇子で自身を扇ぎながら吐き捨てた。

「あの娘は、摂家のしきたりに弾かれた鬼子よ。むしろ亡くなったほうが喜ぶ者が多いであろう?」

 いつの間にか手鏡は、プロトゲッター2内で再び顔色を悪くしている少女を映す。
 時代錯誤のしきたりによって、母の暖かい温もりからさえ早々に引き離された娘。
 世を恨み、人を憎んで当たり前の境遇に在って尚まっすぐであろうとする彼女も、晴明にとっては興味の対象外でしかない。

「せいぜいあがいて見せるがよい」



 武の目に、新たな鬼の姿が捉えられた。
 全長はセンサーの数値によれば50メートル以上。ゲッターと同等だ。
 今度の奴は人間らしい首はある人型だったが、その顔の額には角が一本。目鼻はあるものの、愛嬌とは程遠い鬼面そのものだ。
 全身は白く、その肩には装甲板のような突起物がある。

『……いかん、逃げろ!』

 通信機から早乙女博士の言葉が飛び込んできた。
 ここで増えるとは予想外だったらしく、狼狽を隠しきれていない。
 それは武らも同じだった。

「どうすれば……」

 武御雷とデータリンクするための作業の指もとまってしまう武。その顔は、蒼白に逆戻りだ。
 一体を戦闘不能にまで追い込んだらしいとはいえ、武御雷の二機や夕呼らが鬼に暴れられたらまず逃げられない状況に変化はなくなってしまった。

『……冥夜! 武! 悪ぃが、相当揺れるぜ』

 竜馬の低い声が流れてくる。
 首有り鬼の能力は未知数だが、先程のやつと同等の戦闘力があると仮定すれば同乗者を気遣える状況ではない。
 それは武にも理解できた。恐らく冥夜もわかっているだろう。

「いいぞっ! 好きにしろ竜馬!」

『私のことは構うな!』

 ここで我が身可愛さに怯んだら、死ぬような思いをしてこれに乗った意味が無い。
 ゲッターはこんなものじゃない、という確信が武にはあった。

 ――そうだ、本物のゲッターは○○○○さえ圧倒し、○○を別のナニカに変えるほどの――

「え……?」

 来るべき壮絶な重圧に耐えるために気合を入れようとして開かれた武の唇から、かすかな吐息だけが漏れた。
 何だろう、今脳裏に閃いた言葉は。それとともにちらついたビジョンは。
 そして、胸の奥から湧き上がってくる毒々しい感情は……?

「……ゲッタービームだ」

『何?』

『武?』

 武の胸の奥から染み出た毒は、瞬く間に沸騰して全身を駆け巡った。

「ビームだ、あれはあんな威力じゃないんだよ、もっともっと強烈で……あんな奴ぐらい倒せる」

 ――■■を殺せたぐらいなんだ

『……武!? どうしたというのだ?』

「!! ……悪い、なんでもない!」

 冥夜の言葉に、自身の失調を自覚した武は頭を振って意識をはっきりさせる。
 荒い息をつく。
 一人だったら、無意識から湧き出る汚泥に飲み込まれていたかもしれない。

『くるぞっ!』

 がくん、と武の全身を震動が貫いた。
 視界がプロトゲッターの赤い腕に覆われる。竜馬が機体の腕をかざして盾代わりにしたのだ。
 それを武が理解したのは、データ画面が機体を襲ったレーザーの数字を弾き出した時。

『鬼の目からレーザーが出たぞ!?』

 冥夜の言葉通り、上空から落下してくる鬼の瞳の無いオレンジの目が光り、そこから破壊の閃きが放たれたのだ。
 二本のレーザーは一度ならず二度、三度と宙をかけ、ゲッターの腕に焼け焦げた傷痕を刻んでいく。

「威力は……小型光線属種より弱いけど連射が利くのかよ!?」

 対BETA戦を前提として、レーザー蒸散塗膜を備えているゲッターの装甲は低出力のレーザーではやられない。
 だが何度も浴びせられれば話は別だ。

『――武さん、ライフルで目を狙ってみます、その隙に……』

「たまかっ!? 無茶だやめろ!」

 外部通信から、早乙女博士に代わってたまの声が流れてきた。
 必死さは伝わってくるが、その申し出はあまりに無謀だった。あの鬼の注意を引けば、生身など真っ黒こげにされてしまう。

『とにかく、皆は少しでも遠くへ逃げるのだ!』

 冥夜も口添えするが、その間にも機体ステータス表示には黄色が点灯していく。ダメージは確実に蓄積していた。
 必死に頭を働かせる武は、月詠らに連絡を入れてそちらから支援してもらうことにようやく思い至った。
 攻撃を受ける危険はたまと同じだが、蒸散塗膜が有効であることはゲッターの身で証明されているから、まだ耐えられる可能性は高い。

「りょ……!?」

 しかし伝える機先を制するように、白い鬼の背後で爆発が連続した。
 爆圧に突き飛ばされて鬼は海面に落下、叩きつけられ沈む。

『――苦戦しているようだな?』

 武の耳に、ここ数日嫌悪感とともに記憶に刻み込まれた男の声が響いた。

『隼人か!?』

 ようやく一息つく余裕ができた武がレーダー画面に視線を移すと、三つの光点が近づいてくる。
 データバンクに照合できる情報があった。完成版ゲッターロボのゲットマシン三機だ。
 このうちのどれかが、ミサイルか何かで不意打ちを食らわせたらしい。

『詳しい話は後だ、竜馬! イーグルをそっちへやるから、乗り込め!』

『ま、待て! 敵がいるのに乗り込め、とは……』

『おうよ!』

 混乱する冥夜の言葉を挟んで、無茶な注文とそれに即応する男達の声が響く。
 武も、以前夕呼から『竜馬伝説』を聞いていなければ冥夜と同じように慌てたかもしれない。
 突っ込んでくる赤いイーグル号の鋭い機首。
 続いて、後方で爆音。月詠中尉らが不調の機体を立て直して首無し鬼に止めの砲撃を加えたらしい。
 プロトゲッターの口に当たる部分が開き、竜馬が潮風の中にその姿を晒した。
 海面から、鬼の顔が突き出る。
 まずい、と武は目を見開いたが今下手に機体を動かすと竜馬が落ちてしまう恐れがあった。
 そこへ、一筋の細い閃光が走る。
 たまの狙撃だ。丁度鬼の左目にクリーンヒット。

『ゆっくりでいいから機体を後退させろ! 後は任せておけ!』

 武蔵坊弁慶の喚くような指示とともに、竜馬の体が宙に舞った。



「へへへ……あいつらは気が良くて頭もいい連中だが、ヤワなのはどうにもいけねぇ」

 久方ぶりのイーグル号のコクピットに飛び込んだ竜馬は笑った。
 一つ間違えば愛機に跳ね飛ばされるか、海面に激突かのアクロバットをやってのけた直後とは思えないふてぶてしさが面に差す。

『フッ……お前に比べられたら207Bが気の毒すぎるだろう』

『竜馬、いけるんだな?』

 呆れ半分、笑い半分で混ぜっ返す隼人と、確認を取ろうとする弁慶の声に竜馬は腹の底から湧き出る笑いで答える。

「当たり前よッ! 久しぶりに思いっきりいかせてもらうぜ!」

『竜馬、逸るのはいいが、相変わらずこいつは調整不足だ。一気に決めろ!』

 長期戦になれば不具合が出るかもしれない、という隼人の忠告だが。元より竜馬に長引かせる気などなかった。
 三っつの戦闘機が飛翔音を置き去りにして急上昇する。
 BETA戦では自殺行為である高度にまで駆け上った三の影が、一つに重なった。

「いくぜっ! チェェンジ、ゲッタァァ! ワンッ!!」

 手足を、そして二本角を供えた鬼じみた頭部を展開させてゲッター1が大空に舞う。
 本来の乗り手三人に操られた歓喜を示すように、全身から溢れるパワーの余波が電流じみた光となって走る。

「ダブルトマホォォゥク!!」

 ゲッターの両肩から竜馬の咆哮に応じるように二本のトマホークが飛び出す。
 それを両手で掴むや否や、頭から海面に向けてダイブ。
 向かう先は、何とかまた起き上がろうとする鬼の頭だ。
 高速落下するゲッターの行く手を阻もうとするように、爆光が連続する。
 上空を見上げた鬼が、目からレーザーを放っているのだ。だが、たまの狙撃でやられためか左目からの光が弱い。
 左腕にもったトマホークをゲッターがかざせば、ことごとくそれに弾かれる。
 何発も貰えばゲッタートマホークの表面も溶解しはじめるが、右手には無傷のもう一本が握られていた。

『うおおおおおぉぉぉおおおお!!』

 ぐんぐんとモニター越しに巨大になっていく鬼の一本角を睨みつけながら、三人が吼える。
 ゲッターロボの各部にある緑色の強化ガラスが内側から炙られるように発光し、光の尾を引いて巨体が一段と加速する。
 盾として使った左のトマホークを放り出しながら、加速度を全て載せて右腕を振り下ろした。
 鬼が迎え撃つように右手を広げ、振り回してくる。
 トマホーク一閃!
 海面ごと叩き割るような勢いで振り下ろされた斧の刃は、まず鬼の腕を豆腐のように両断し一瞬の間もおかず鬼の脳天に叩き込まれた。

 今まででもっとも高い水柱が上がった後にあったのは。
 体を真っ二つにされた鬼が、ゆっくりと左右に分かれて海に沈む光景と。
 一撃を繰り出した姿勢で着水したゲッター1の傲然たる姿だった。
 一拍遅れて、その攻撃のために噴き上げられた海水が雨粒となって、密林に避難した夕呼達にも武御雷にも容赦なく降り注いだ。

「へっ……ざまあみやがれっ!」

 ぐっと拳を握り締め、竜馬が歯を剥き出しにして思い切り力を振るった喜びを示す。

『……相変わらず無茶な奴だ』

 竜馬に比べればまだ常人に近い肉体を持つ隼人は、やや乱れた呼吸ながら笑い声を上げる。
 弁慶にいたっては、激しく荒い息をつくだけだ。
 そんな三人だから――いや、武と冥夜も、斯衛の武御雷に乗る二人の気付かなかった。
 レーダーに捕捉されない機影が、いくつも近づいていることに。



『ターゲットはこの女だ。見つけ次第殺せ。何、戦場での不幸な『流れ弾』だ。君を悪いようにはしない』

 機械で何重にも音紋を変えた、平坦すぎる声が響く。
 軍でも一定の地位――将官以上はないとアクセスできない最高度の暗号通信から。左右を飛ぶ同僚さえ傍受は無理だ。
 当然、声の主の画像は投影されない。
 されたのは、国連の大会議場演台で何かをしゃべっているらしい日本人女性の科学者の写真を取り込んだものだ。

「し、しかし……」

 そのラプターの衛士は、唾を飲み込んだ。バイタルデータを見れば、相当の緊張が計れただろう。

『そういえば、君のご家族はノースダコタの難民キャンプだったね』

 唐突に話を変えた通信相手。
 衛士の表情が引きつり、ひゅうと動揺の呼吸を漏らすが構わず言葉は続く。

『冬も厳しい。食糧や燃料が数日何かの手違いで配給されなかっただけでも……おおっと、治安も良くないから、見るも無残な遺体がゴミ捨て場に転がるかも――』

「や、やめろ! やめてくれ! わ、わかった……殺せばいいんだろう!?」

 そうしている間にも、ラプターは世界最高クラスの巡航速度を発揮して海上を飛行する。
 部品一つの形状まで電波反射しにくさを吟味されたその機体は、味方同士のレーダーでさえ専用の識別システムをオンにしなければ中々捉えられない。

『うまくやれば、ほとぼりが冷めた頃には君はアメリカ国民だ。ご家族はその前に暖かいカリフォルニアの市街へ移れるだろう。では健闘を祈る』

 通信が切れた。
 ラプターの衛士は、消えた秘匿通信表示の後を睨みつけたが、何の意味もないことは本人が一番承知していた。
 自分は所詮、ラングレーに飼われる犬。衛士は自嘲に唇を歪めた。
 黒のスーツに身を包んだ飼い主が投げ与える市民権と家族の安全のために、言われるままに噛み付くだけ。
 突如機速を上げた彼に、通信が入る。
 今度は正規の通信で、先程のような高度な隠蔽が為された特殊通信ではない。

『――ハンター13、何をしている。速度を出しすぎた、編隊を崩すな!』

 ウォーケン少佐、申し訳ありません。心の中で詫びて衛士は、ぐんぐんと迫る島の緑をにらみつけた。
 FCS起動。メインカメラ最大望遠。
 焦りを抑えて目標を探す。
 いくらラプターでも、ある程度接近すれば通常型レーダーにも気付かれる確率は高まる。
 目標の近くにいる二機の『ゲッター』タイプのマシンの性能は未知数だし、日本のインペリアルガードのタケミカヅチは当然優れた性能を備えていると見て間違いない。

「いた」

 尚も呼びかけてくるウォーケン少佐や同僚の声を意識から締め出し、衛士の血走った目が動きを一瞬止めた。
 丁度デザインがシンプルなほうのゲッタータイプの影になる位置に、紫の髪と白衣が特徴的な女性の姿を見つける。
 密林の木々が邪魔になっているが、戦術機の攻撃の前には何の意味も無い。
 しかしラプターの性能といえど、飛行しながら人一人を精密狙撃するのは無理だ。
 ゲッタータイプの脇をすり抜けるように砲撃して、周囲の者達ごと吹き飛ばすしかない。

「くそっ、娘とよく似た年頃のばかりじゃないか!」

 神を、我が身の呪いつつ。
 ブルガリア難民出のその衛士は、引き金を引いた。



[14079] 【ネタですらない】第二十話IFバージョン
Name: mitsuki◆66f66a11 ID:1f7a972b
Date: 2011/07/05 22:47
 【閲覧前のご注意】
 勢いと妄想を形にしただけの駄文です。
 本気にしないでください、本編はきちんと続けます……多分。

―――――――――――――



 社霞の体に突き刺さる何本もの視線。
 それはいずれも冷たく、とても人間を見るものではなかった。

「これがあの女狐の研究の全てを知る娘、かね?」

 上等なスーツを着込んだ壮年の男性が、豪奢なソファーに座ったまま足を組み替えた。
 その背後には、アメリカ軍の軍服を着込んだ逞しい男が何人も番犬よろしく主の指示を待っていた。
 異様な光景だった。
 いかに高位の相手であろうと軍人は文民に敬意を払うことはあっても、従属することはありえない。
 軍人は大統領以下、明文化された軍の指揮系統のみに従う。それが合衆国軍が他者の介入を避けるための鉄則であるのに。

「はっ。元オルタネイティヴ3の『備品』の生き残りだそうです」

「なるほど、それならあの歳でも脳味噌が異常なわけだ」

 アメリカ合衆国ネバダ州南部・空軍基地。通称『エリア51』。
 そこは、一般の合衆国軍――いや、合衆国本来の法や建前が一切通じない空間だった。
 オルタネイティヴ5を主導する合衆国の政治家・財界人の合議がいかなる規則よりも優先するのだ。
 VIP専用応接室に陣取るスーツ姿の男達は、いずれもその権力を保持するアメリカの真の主と呼べる政財界の大物だった。

「そして彼女らが、副官としてそれに次ぐ側近だったわけかね」

 禿頭の初老の男性が、好色さを隠さない視線を霞の隣にいる女性に映す。
 イリーナ・ピアティフは国連軍軍服で隠された下まで透視されているような不快感を覚えたが、じっと耐えた。

 香月夕呼博士、死亡。
 その報告が国連本部に飛び込んだ瞬間、彼女一人の頭脳と手腕に支えられていたといっていいオルタネイティヴ4は崩壊。
 即時5への移行が決議され、4の人員は慣例にしたがってアメリカ・エリア51に置かれたオルタネイティヴ5本部へと接収された。
 オルタネイティヴ4は目立った成果を上げられなかったために、本来なら強いて接収する理由はない、と関係者に思われていたが。
 彼女ら三人がほとんど拉致同然に連れてこられたのは、「横浜の女狐」と呼ばれた夕呼に散々梃子摺らされてきた5主導者達の意趣返しに他ならなかった。

「あの女は、少女趣味でもあったのかな? それとも本命は副官か」

 オルタネイティヴ5の主任学者であるフランク・ベネットは、二十代の細面の美男子顔を醜くゆがめて笑った。
 容姿に似合わない悪魔的な頭脳の持ち主で、科学者にもかかわらず日本帝国の政情不安につけこんでクーデターを起こすことを立案した。
 その計画は、事態の変動で中止され『道具』は既に尻尾切りした後だ。

「さて、三人目かもしれんぞ? おい、邪魔なフードを取らせろ」

 禿頭の男が、霞の背後で震えている人物に視線を映した。
 彼女も香月夕呼の側近らしい。軍服がはちきれんばかりに膨らんでおり、美形といっていいほかの二人と違うタイプであることは上からも見て取れた。

「おたわむれはその辺りに」

 たまりかねてエリア51司令官が止めに入る。
 彼は古風な軍人で、オルタ5主導者とはいえ無関係の人間が基地を闊歩することも、わが世の春が来た慢心からかろくなチェックもなくオルタ4の『残党』を引き込んだ上にさらし者にするのも気に入らなかった。
 それでも彼らの権勢を恐れていたが、流石に我慢の限界が来たのだ。
 しかし、本来彼に従うべき部下らは司令官を無視して、三人目の彼女の顔を隠すフードを乱暴に取り払った。
 僅かとはいえ『ボス』に逆らった下僕は放逐されるだけ、とわかっていたのだから。
 そして素顔を露わにされた彼女は――

「いや~ん」

 と声を上げて、拳を口元に当てて全身をふりふりした。
 その瞬間、ある兵士は絶句し、コーヒーを飲みかけていたベネット博士はそれを噴き出した。

「な、何だお前はぁ!?」

「何って……香月博士の側近、武蔵坊『弁子』ですわぁ」

 ベネットが顔を真っ赤にして怒鳴っても、言われた弁子は「あらいいオトコねぇ~」とシナを作って返す。
 何人かの兵士が口元抑えて吐き気を堪えたが、それを咎める気力あるものはいない。

「ふざけるなっ! どう見てもお前は男が厚化粧しただけだろうが!?」

「……ちっ、もうバレたか」

 真っ赤なルージュを塗りたくった唇をゆがめて、武蔵坊弁慶は笑った。
 あわせて揺れる国連軍女性士官制服のスカートが、気持ち悪さを引き立てる。

「いや、ここまでバレなかっただけで奇跡でしょう」

 ピアティフはこめかみに指を当てて、首を左右に振ってみせる。
 霞は、というと無表情ながら弁慶をなぐさめるようにその背中をぽんぽん、と背伸びして叩いた。
 兵士達が戸惑ったように視線を交わす。

『司令官! こ、こちら中央警備室! 非常事態発生、情報センターが何者かの襲撃を受けています! 発令所へ戻ってください!』

 兵士の何人かが、弁慶をとりあえず拘束するために足を踏み出そうとした時、壁のスピーカーから非常事態を伝える焦り声が飛び出した。
 刹那、弁慶の巨体がそれに似合わぬ速度で翻り、子供の頭ほどの大きさのその拳がもっとも近くにいた兵士の顔面にめり込んだ。



「パスワードを教えてくれないかぁ? 痛い思いはしたくないだろ!」

 隼人の笑みを含んだ言葉に、壁に人体が打ちつけられる不気味な音が重なった。
 身長190センチはあろうかという白人の、しかも軍人の頭部をまるで玩具のように振り回しながら、神隼人は笑った。
 相手が返答する暇も与えず二度、三度と端末画面側へと叩きつければ、割れた白人兵士の額から飛び散った血が赤い染みを作る。
 抵抗する気力を打ち砕かれた兵士の唇が動くと、隼人は簡単にそいつを放り出してコンソールに向かう。
 『N・I・C・E・B・O・A・T』と打ち込まれれば、即座に最高度のセキュリティに守られていた情報画面が展開する。

「これだな……よし、即転送だ」

 隼人は、次々と画面上に流れては消えるデータを映した瞳を細めた。
 それは日本帝国へのクーデター画策を含むオルタネイティヴ5の暗部。
 特に立場の弱い難民を工作員とした、唾棄すべき世界中で行われた工作の証拠類だった。

「き、貴様ぁ!」

 その時、情報センターの開けっ放しの扉から警備員が飛び込んできた。
 銃を使っては大事なデータバンクを破損させる恐れがあるため、警棒を抜いて隼人の後頭部目がけて振り下ろそうとする。
 が、隼人は僅かに身をかがめただけでその一撃にむなしく空気を打たせると、振り向いた。

「ひっ!?」

 隼人の左頬だけを吊り上げた笑いとご対面したその警備員は、全身に走る怖気に硬直した。
 次の瞬間、警備員の視界が激痛を伴った赤に染まった。
 警備員の目を打った手刀を振りぬいた姿勢で、隼人が喉を鳴らして笑う。

「耳だっ!」

 悲鳴を上げる暇さえ与えず、隼人の指が今度は警備員の耳に潜り込んだ。
 今度こそ絶叫する声の中、端末は指示通り絶対外に漏れてはいけない情報を、外部に向けて吐き出し続けた。



「な、なんなんだ一体!?」

 VIP専用室から逃走し、そのまま基地屋上のヘリポートに逃げ込み。脱出用のヘリに乗り込んだオルタ5指導者達はようやく一息つけた。
 警備の兵士らは要人への流れ弾を恐れて射撃できないところへ、熊並の俊敏さと獰猛さをもった弁慶に大暴れされて防ぎきれず。
 自分達の本拠地で無様に逃げる羽目になったのだ。

「第四計画の残党の反乱だろう。すぐに鎮圧部隊を抽出し……」

 その時、未だ飛び立てないヘリが激しく揺れた。
 警備用にヘリポートのある本部付近にいたはずのF-16が、何の指示もしていないのにいきなり跳躍して落着したのだ。

『観念せよ! 傲慢なるアメリカ人よっ!』

「なっ!?」

 そのF-16をしかりつけようと通信を開いた禿頭男の動きが止まった。
 何かを言う前に、相手側から一喝されたのだ。
 オルタ5指導者中の何人かは、その声に覚えがあった。

「き、貴様は狭霧尚哉! 馬鹿な、お前は――」

『そう、私はお前達に操られ祖国に仇なしかけた挙句、始末されたはずの愚か者よ!』

「なぜ貴様がここにいる!? どうやって……い、いやそれよりこんなことをして逃げられると思うのか! 冷静にな……」

『元より外道に落ちる覚悟はできていた身ッ! 我らが志をゆがめ利用しようとした貴様らを道連れにできるなら本望よっ!』

 驚きの途中で思考力を回復し、途中から懐柔に転じようと語調を変えた禿男の台詞を沙霧は断言の刃で両断した。
 そして周囲のほかの警備機からロックされるのにも構わず、ヘリに突撃砲を向ける。
 オルタ5指導者の口から、そろって情けない悲鳴が漏れた。
 それを見ても、狭霧機に突き刺さる銃砲弾は一発もない。
 なぜならば、彼らはさらに周辺の別機体にロックオンされていたからだ。
 誰が敵味方かわからない状況で、本来の警備兵達は一歩も動けなくなってしまう。



「ふっふっふ……楽しいなぁ、ミス香月?」

「ええ、そうですわね大統領閣下」

「日本でのクーデターを奴らがそそのかした者に、アメリカで武力蜂起される……これほど愉快な図もないだろう」

 できれば12月5日にしたかったのだが流石に下準備が間に合わなかったのが残念だ、と大統領は数年来の鬱屈を晴らして笑う。
 ちなみに本日は12月24日。オルタ5派にとっては、最悪のクリスマスプレゼントだった。

「あら、これは武力蜂起ではありませんわ?」

「ああ、そうだったね。これはあくまでも『アメリカ合衆国の不穏分子鎮圧に、人類の友邦たる日本帝国の力を少し借りた』だけだったな」

 ホワイトハウスの大統領執務室に、黒い笑いが響き渡る。
 香月夕呼とホワイトモア大統領の実に、そう実に楽しそうな会話に、お付の榊千鶴はずり下がった眼鏡を震える指で直した。
 その千鶴の肩に、好々爺といった風情の副大統領が元気付けるように軽く触れた。

 ――事の発端は、207B分隊総戦技演習中に起こった謎の敵性物体と国連軍・斯衛軍との交戦だった。
 そのどさくさに紛れて、接近したラプターの一機が夕呼を抹殺しようとしたのだ。
 これは必死に追いすがってきたウォーケン少佐が体当たり同然に阻止したのだが、当然国連軍側――具体的には流竜馬が切れかけて一触即発となった。
 結局、破局を避けるために必死の弁明を行ったウォーケンとそれを受け入れた夕呼の判断でその場は収まったのだが。
 夕呼は事件直後は冷静さを維持したものの、実は彼女こそがもっとも『切れ』ていた。
 早乙女博士が暢気に分析したところによると、

「香月生徒はなんのかんのといっても実戦や荒事とは縁遠かった。それに対する過剰反応だろう」

 ということだが。
 ただの逆切れに留まらないところが、夕呼が天才たるゆえんだったかもしれない。
 あっという間に『自身の死の偽装』『アメリカ内の反オルタ5勢力との連絡』を計画し、ついに
 『アメリカがここまで邪魔をするのなら、そのアメリカをオルタネイティヴ4で乗っ取っちゃえばいいじゃない』作戦を実施。
 その手際は魔女というよりも女魔王そのものでした、と手伝いに当たった珠瀬美姫は後にがくがく震えながら回想することになる。
 元々ウォーケンの隊にいた兵士達は、やはりオルタ5派に嫌々従わされている者達を含んでいたため、諸手を挙げて協力してくれた。
 締め付けすぎた反動だ。
 やはりウォーケン自身や生粋のアメリカ兵は難色を示したが、夕呼と同じように切れかけていたアメリカ大統領がノリノリである、と直接伝えられれば渋面ながら工作に参加。

「あれ? ベネット博士が見当たらないよ?」

 夕呼・大統領の様子に皆がドン引きしていた執務室中、まったく普段通りだった鎧衣美琴が転送されてくる映像と手元の史料を見比べ、首を捻った。

「……どうやら一匹、逃げたようだね。厄介なことにならなければいいが」

「ご安心を。そのために最高のカードは温存してありますわ」

「しかしミス香月。勘違いしないで貰いたいが、アメリカは4が成果を上げていないことにまったく満足していないことに変わりはない」

 ふと、大統領の声がまともに戻る。

「アメリカ側の原因での遅延もあるだろうが……早めに何とかしてもらわなければ」

「今度こそ、アメリカの『本当の意思』での5発動、ということですわね?」

 一方、夕呼は先程の調子を崩さずに応じた。
 その視線が、モニターに映る一機のF-16を捉える。
 白銀武が、旧クーデター軍に混じってそれに搭乗して警備側を牽制していた。
 (……やっぱりあれが本当の切り札ね)
 夕呼が偽装工作のためにオルタ5側に渡せない資料を選別して、残りを武に整理させていた時。たまたま手に取ったペーパーを見て彼が上げた言葉は、夕呼には忘れられない。
 元の世界でこれを見たことがある。ある並列世界の自分が、中枢理論を完成させている可能性は限りなく高い。
 それを取りにいけるのは――。

 次に夕呼が見つめたのは、神隼人が盗み出したオルタ5の暗部データだ。これがあれば連中は破滅、だ。
 (もっともあたしがやってきたことも同じ……所詮は同じ穴の狢、か。地獄とやらがあるのなら、連中と一緒になりそうね)
 大統領と会話を続けながらも、夕呼の頭脳は忙しく回転を続けた。今後、どう4を展開させ成功に持っていくか、の一点に向けて。



「! 何か、来る」

 エリア51制圧部隊として、アメリカ大統領一派の手引きでF-16に乗り込んでいた彩峰慧がレーダーの変調に気付いて回線を開く。

「……なんだこの質量は!?」

 こちらはF-15Eをまんまと乗っ取った冥夜がデータを読み取り声を上げた。
 夜空を背景に、全高130mを越える物体が『飛行』してくる。

「なんだあれは!?」

 武も目を見開いた。機体のデータを検索すると一応、識別コードにはあった。
 XG-70。アメリカが開発を断念した、一機でハイヴ制圧を可能とする超兵器だ。

「馬鹿な! あれは中の人間が耐えられないために開発が凍結されたはずだ!」

 第66戦術機甲大隊を率いて、オルタ5派の武装要員を制圧していたウォーケン少佐が叫ぶ。
 ……どっかで同じような兵器について聞いたことあるな、と旧207B隊員らは首を捻った。

「愚民ども! ひれ伏せ! これがオルタネイティヴ5直衛機、XG-70『ヴァルキリー』だ! 中のパイロットが耐えられないのなら遠隔操縦にすればいいだけだっ!」

 逃がした最後の大物の一人、フランク・ベネットの自慢げな声が通信に割り込んできた。
 その後も饒舌にやれムアコック・レヒテ機関がどうだの、重力場の防御は無敵だの、余剰電力を利用した荷電粒子砲は最高だの、説明が続くが。

「……と、いうことはどっかから操縦しているあんたを探して倒せばそれまでってことか?」

 ふと、武が漏らした一言で沈黙する。
 やがて、ベネット博士が厳かに言った。

「それは卑怯だぞ。ブシならセーセードードーと殴りあわんか」

「……オレ達はこんなアホに振り回されていたのか?」

 武はじめとして日本衛士、特に旧クーデター軍衛士が頭を抱える中。
 新たな通信が割って入った。実に嬉しそうな、舌なめずりする声。

「……わけわからねぇこと抜かしていると思ってたら、いいこというじゃねえか」

 あ、やばい。
 日本側の全員の共通認識とともに、赤い戦闘機に乗った男が対空警戒ライトを突っ切って出現する。

「おもしれぇ、そのヴぁ……ヴぁるなんとかとゲッターのどちらがつえぇか、勝負しようじゃねぇか!」

 武は頭抱える腕に一層力を篭める。
 ああなったら止まらないし、今ようやく本部から制圧を終えて顔を出した隼人と弁慶の二人の悪人笑いを見ると、どう考えてもブレーキになってくれそうにない。
 ……あと、何度見ても弁慶の女装は気持ち悪かった。

「チェェェンジ! ゲッタァァァア、ワン!!」

 やがて、空中に日本が誇るスーパーロボットもその姿を顕して、XG-70と対峙する。

「――総員、撤退!」

 ウォーケンの実に賢明な命令にあわせて敵味方揃って逃げ出す中、人類が造り上げてしまった二大兵器が激突した。



[14079] 第二十話【第二章完】
Name: mitsuki◆66f66a11 ID:1f7a972b
Date: 2010/01/05 22:28
 息を切らし、全身に葉や泥を貼り付けながら斯衛少尉・巴雪乃及び戎美凪が巨木の間から滑り出る。
 彼女らは異変発生の通信を受けると、即座に月詠中尉の命をで冥夜のもとへ向かっていたのだ。
 斯衛といえど日本に存在しない南国の密林踏破は手ごわく、時間が掛かってしまった。
 彼女らが一旦離れる原因を作った神隼人が目の前にいたら、委細構わず斬りつけたかもしれないほど殺気だった瞳が二対、海岸線を見渡す。
 上空には巨大な影。肩にアメリカ軍の識別マークをつけた戦術機がざっと三十数機。
 それと対峙するように海面から上半身を晒す赤い鬼神を思わせるマシン――ゲッターロボ。
 砂浜に一つ、異様な遺骸を晒す巨大な物体。
 その傍らに膝をつくのは、見慣れた二機の武御雷。
 だが、彼女らの視線はいずれを捉えても止まらない。

「冥夜様は!?」

「――207B分隊はあそこにっ!」

 当然、冥夜もそこにいると判断した二人は、足に絡みつく疲労にもかまわず飛び出した。
 だが、その足も程なく止まる。
 207B分隊の面々が海に飛び込んだのだ。彼女らが向かう先には、波間に巨体を見え隠れさせる頭部が破壊された戦術機が見えた。
 いや、あれは戦術機ではなくゲッターロボのはずだ。
 立ち尽くす二人の耳に、早乙女博士のがなりたてる声が響いた。

「外部からのコクピット強制解放コードは37564だ! 救助キットは座席背面!」

 目を凝らしても、海水をかき分ける少女達の中に冥夜の姿は、ない。あの警戒対象の白銀武も、だ。
 つまり。
 結論に達するや否や、二人の斯衛は再び駆け出した。



 斯衛の二人が徒歩で到着する、数分前。

『こちら、アメリカ陸軍第66戦術機甲大隊、ウォーケン少佐だ! 我が方の機体が一機、不穏な行動を取っている!』

 ゲッターの落下からの一撃で鬼が撃破され、ほっと息をついた武の耳に飛び込んできたのは、聞きなれない男の切迫した声だった。
 ぎょっとしてレーダーを確認するが、反応は竜馬らが乗り込んだゲッターと武御雷二機のものしかない。
 いや、唐突に新たな一つ光点が現れた。
 それが急に出現したのではなく、ステルス機能が通じないほどの近距離までラプターが接近したためだということを、今の武は知ることができない。

『武! 三時の方向!』

 三時の方向。自機の進行方向を十二時に見立てて、時計周りに三時を示す方角を指す用語。
 冥夜の切迫した警告に引かれるように外部モニターを右手90度へ回すと、見慣れない戦術機がそこにいた。
 海に向けて噴射装置を吹かし、ホバリングしている。
 その手の突撃砲が持ちあがり、砲口がこちらに黒い穴を見せた。
 不穏な動き。アメリカ軍衛士の言葉とその光景が、武の頭の中で即座に結びつく。
 あれは敵対行動だ!

「このっ!」

 瞬間、武はフットペダルを蹴飛ばした。
 それが攻撃を避けるためなのか、防御のためなのか自身でも判然としない半ば無意識の反応だったが。
 結果的にそれは、機体を左にずらすことになった。丁度、夕呼らを含めた生身の仲間を庇う位置に。
 同時に発砲炎が武の網膜を叩いた。
 次に武が知覚したのは、脳天から爪先まで突き抜けるような凄まじい衝撃だ。
 プロトゲッターの合体よりもひでぇ、とこんな状況でも冷静な頭の隅で考える。
 メインモニターに空が映った。至近から120ミリ砲弾を受けて、プロトゲッターが仰向けに倒れたのだ。

「……冥夜、だいじょ……」

 一時的に脳震盪を起こしたのと同じ状態に追い込まれ、武の舌は見えない縄で縛られたように上手く動かない。
 そろり、と視線を動かしてステータスチェック。
 ――首から上の表示がなくなっている
 頭部のどこかに砲弾が直撃したらしい。竜馬がコクピットにいたままなら、いくらなんでも即死していたかもしれない。
 戦術機の突撃砲から放たれるのは劣化ウラン芯弾で、装甲標的に命中すれば高熱と衝撃を発する。
 その破壊力は、一撃でも中型種BETAを殺せるほどだ。
 恐らく原型を留めないほどプロトゲッターの頭部はぐちゃぐちゃになっていることだろう。

「あ、あぶね……」

 もし、冥夜か自分のいるコクピットがたまたま射線上にあったら。そう想像した武の、未だ痺れがとれない全身を悪寒が抱擁した。

「……そうだ、冥夜!?」

 もっとも被弾箇所に遠い腰部コクピットにいた自分でも、これほどのダメージを受けたのだ。
 より近い腹部コクピットにいた彼女は。
 武はもがくように身を起こそうとしたが、一度抜けた力は容易に回復してくれない。
 そのうち、また衝突音が響いた。今度は機体に直接、という感じではないが危機感をかき立てることに違いはない。
 だが、武は結局泳いできた美琴に助けられるまでコクピットから出ることもできなかった。



「やろぉ!」

 竜馬はプロトゲッターが倒れこんだのを見ると、迷わずレバーを押し込んだ。
 ゲッターの赤い巨体が飛び上がり、射撃姿勢をとったままのラプターにその影を落とす。
 左拳が鋼鉄の鉄槌と化し、ラプターの頭部をお返しとばかりに打ち砕いた。
 ゲッタートマホークをぶち込まなかったのが、竜馬の僅かな理性の働きだったかもしれない。

 抹殺に失敗した、どうしよう。このまま自決しないと家族に迷惑が――そう恐慌に陥りかけた衛士を気絶させ、さらなる悲劇を未然に防ぐことになった自覚は竜馬にはない。

「ふざけやがって! どこのどいつだか知らねぇが、オレのダチに手を出してタダで済むと思うなよっ!?」

 再び着水したゲッターのコクピットで、竜馬は怒りの気炎を上げた。

『待て! 落ち着け竜馬!』

 海に叩き込まれたラプターの上げる飛沫の向こうに、同型機が見える。
 それも一機や二機ではない。
 が、相手が一個大隊相当だろうと……いや、世界最強のアメリカ軍全てが敵に回るとしても、竜馬は一瞬で死闘を覚悟するだろう。
 短い付き合いだが、それを承知している隼人の声は必死だった。

『こいつらすべてが敵なら、警告を発するわけないだろう!?』

「警告……?」

 竜馬は火のような眼光を僅かに緩めた。
 そういえばプロトゲッターが攻撃を受ける直前、聞き覚えのない通信が入ったような、と首を捻る。
 サブウィンドウが立ち上がり、厳しい表情ながらもまだ竜馬よりは冷静さを保った弁慶の顔が大写しになる。

『奴ら銃を上にあげたぜ……今は、プロトゲッターに乗ってた連中の救助が先だろ?』

 弁慶の口にした通り、アメリカの戦術機は突撃砲を上空に向けた。害意の無いことを示す動作だ。

『いや、まだ何が起こるかわからん。救助は207Bに任せて、オレ達はここで警戒しておいたほうがいい』

 プロトゲッターを目指す少女達を確認したらしい隼人が、弁慶の言葉にも不同意を示す。

「……何がどうなってやがる」

 熱い息を吐いて、怒りを体外に逃がしつつ竜馬がぼやいた。その手はレバーにかかったままで、全身の緊張は解かれていないが。

『――こちらはアメリカ陸軍第66戦術機甲大隊隊長、アルフレッド・ウォーケン少佐だ。この島で起こった異常事態を察知して救援にかけつけたのだが……』

 メインモニターに、金髪碧眼の男性衛士の上半身が映る。その視線は軍人らしからぬ泳ぎを見せており、動揺を隠しきれていないのが竜馬にも見て取れた。

『部下が君達に攻撃したのは、誓って我々の本意ではない。できれば話がしたいのだが』

『……こちら国連太平洋方面軍第11軍、神隼人中尉だ。貴官の申し出は承知した。が、まずそちらの機体を下がらせることを要請する』

 ウォーケンに応じたのは隼人だ。
 階級から言えば香月夕呼が最上位者として応対するのが筋だが。
 先程の攻撃は、不穏分子に世界レベルでの最重要人物である彼女が狙われた公算が高い。
 安全性を考慮すれば、この場での正規国連士官最上位の隼人が出るのは唯一の選択肢だった。
 その程度は竜馬にも予想できたのは、207Bとまりもに施された頭の訓練の成果だ。

『了解した。すぐに下がらせる。会談は生身で行い、こちらは部下二人だけを連れて行く。そちらは機体に乗ったままでかまわない』

 ウォーケンの判断は早かった。
 あっさり譲歩したのは本気で負い目があるからと、仮に戦闘になった場合は多少離れていても、数の差で自分達が圧倒できるという自信の裏打ちかららしい。
 アメリカ側が三人だけ、というのは一見譲歩に見えるが、残りは戦術機に残るわけだから実戦力という面では優位を確保しようとしているといっていい――これは隼人にしか悟れなかったが。
 竜馬はその態度に肩透かしを食らった気分になったが、今は黙るしかない。
 やがて、仮設基地の方角から今頃国連軍の車両が姿を見せる。
 噴射装置を吹かして遠ざかっていくラプターの群れを睨みながら、竜馬はすっきりしない気分の頭を左右に振った。



 ウォーケンと隼人の会談は、海岸で立ったまま行われている。
 周囲にはアメリカ軍衛士と国連軍兵士もいたが、ウォーケンと隼人は余計な軋轢を避けるために立会いは不要、自由にせよと命じていた。
 幸い、冥夜と武は即座に救出され衛生班の手当てを受けた。脳震盪を起こしていることと、慣れない戦闘での疲労以外問題はないと診断されて、207B分隊と斯衛の面々を安心させた。
 既に香月夕呼は、駆けつけた部隊の中にいた神宮司まりもの警護を受けて基地へ取って返している。
 まりもは訓練兵達に「よくやった」とだけ言い残し、慌しく去っていった。
 冥夜らよりはるかに深刻な容態らしい、鬼に叩き落されたヘリの要員を搬送していく救護車両を見送る珠瀬美姫……たまは、手持ち無沙汰だった。
 少し前には武御雷での戦闘中に感電したという斯衛の二人が、同様に基地の医療施設へ運ばれている。

「――ここは国連信託統治領であり、司法権は管轄の国連軍にある。当然、機体と衛士は我が方で預かるのが筋だが?」

 隼人の低い声が響いてくる。
 プロトゲッターを攻撃した米軍衛士も、国連軍兵士に救助後即拘束された。
 彼と水中に落ちた機体の返還をウォーケンは強く求めていたが、隼人らに受け入れられる話ではなかった。

「我が軍の不始末は我が軍で解決する。彼とラプターの引渡しを要請する」

 ウォーケンの表情は苦しげだ。
 一応反発してみせているものの、非は明白なのだから。
 それでも機密の塊である戦術機を国連軍に渡したくない、という本音はたまからも見て取れた。
 ここで米軍の武力を背景に無理押ししてくる危惧もあり、各所で戦闘の後始末をする国連軍兵士の間にも緊張の糸が張りつめ、緩む気配はない。

「正式なルートでアメリカと国連による話し合いと決定があるまでは、実行犯である衛士は絶対に引き渡せないが」

 隼人が顎に手をあて、考える素振りをみせる。

「機体はそちらに返還する。ただし、射撃の証拠であるレコーダーだけは残してもらう。これが最低条件だ」

 一気に隼人が譲歩したため、傍らにいた国連軍兵士が怪訝そうな視線を向ける。
 父親を国連事務次官に持ち、その影響で世界的視野をもっているたまには、少しだけ事情がわかった。
 あのウォーケンという士官は真面目そうだが、米軍は今までその力を背景に各国に無茶を飲ませている。
 現在、人類を支えているのはアメリカの技術と生産力であるというのは、決して否定できない一面だ。
 例えば日本は日米安保を解消したが、それでもアメリカからの支援を様々な名目で受けており、カットされれば即日戦略物資――特に質のいい戦術機関連部品は枯渇してしまうだろう。
 その日本帝国からの提供装備を主力とする極東国連軍の事情も、似たようなものだった。

「仕方あるまいな……」

 ウォーケンはしぶしぶといった様子でうなずいた。
 確かにアメリカは超大国だが、だからといって国連軍相手に無法を通した場合のデメリットは確実に受ける。
 機体を取り戻す前に機体データを取られるのは、米国軍人としてはどうしても避けたい。
 逆に言えば、それ以外は優先順位が落ちる。
 ウォーケン自身も良い感情を持っていない行為をした衛士を、強いて確保する必要性も薄い。
 何より、当座の軍事機密流出さえ防いで正式な外交ルートに移行すれば、国連軍はアメリカの要求をほぼ呑むしかないのだから。
 たまにはそういった事情がうっすらと把握できたが。理解できたことが快いとは限らない。
 やるせない気持ちになり、声が聞こえないところまでいこうと踏み出した時。

「――あなた、国連軍の訓練兵?」

 たまが顔を上げると、そこには緑を基調とした米軍強化装備姿の女性士官がいた。
 金髪碧眼のまだ二十代前半らしい彼女の顔は温和な笑みに彩られていて、ささくれだったたまの気持ちを不思議と落ち着けた。

「は、はい。珠瀬美姫訓練兵であります、少尉」

 少しぼうっとしてから、慌てて敬礼するたま。

「イルマ・テスレフ少尉です……いいのよ、楽にして。ごめんなさいね、大変なことになったのに、私達が変な騒動をおこしちゃって」

 答礼しつつも一層口元をほころばせるイルマに、たまもようやく笑い返せた。

「いえ、イルマ少尉。多分、事故だと思いますので……」

「ありがとう。ミキはやさしいのね?」

 そういうと、ふふとイルマは含み笑いを漏らした。
 たまがきょとんとすると、

「ごめんなさいね。私の国ではミキっていうのは男の子の名前だから」

 小さく舌を出してみせた。

「え? でも少尉はアメリカ人じゃ」

「難民なの。祖国はフィンランド」

 その後、しばらく二人はなごやかな雰囲気で言葉を交わした。
 祖国から脱出したこと、家族の事。アメリカ市民権を取り、難民キャンプから家族を出して、いずれ祖国へ帰るのが夢であること。
 こたえてたまも、自分達がここで総戦技演習をしていたことなどを笑顔で語る。

「……と。お呼びらしいわ。じゃあ、元気でね? いい衛士になって。……あなたの『ボス』にもよろしくと」

 たまが自分の父親について語り終えた時、彼女の耳元のヘッドセットが小さく鳴った。集合の合図らしい。
 最後に、とイルマが差し出してきた手に、たまも応じて握手する。
 と、掌に妙な感触を感じてたまが怪訝そうに顔をあげると、一転真剣そうな彼女の眼光があった。
 あやうく上げかけた声を止めて、たまはなんとか笑顔を作ってみせる。

「は、はい! 少尉もお気をつけて」

 背を向けるイルマを見送りつつ、たまはそっと手を握り締める。
 ――掌の中には、イルマから渡された紙片があった。



 安倍晴明は哄笑していた。
 一方、侍女二人の顔色は蒼白に近い。

「腐っても鯛……腐ってもゲッターよ! やはり彼奴こそは我が倒すに相応しい相手よ!」

 支援があったとはいえ、鬼を一撃で撃破した手並みを見てからというもの、晴明の細面から上機嫌の色が去る気配はない。

「……なりませんぞ、晴明様。『かの地』から引き離されてさえあの力。ゲッターに余計な……」

「わかっておる、浅間山の奥底に出現した特異点。あそこと引き離されている限り、ゲッターは人形に毛が生えた程度に過ぎぬ」

 侍女が言いかける言葉を扇子を差し上げて制した晴明は、それでも笑い続ける。
 余人には意味の取れぬ台詞を吐きながら、手鏡の向こうで立ち尽くすゲッターロボを細い目で見つめた。

「あの様子では決して『我ら』の恐れるほどの存在にはならぬ。だが、遊び相手としてならば十分すぎる」

 唇の両端をゆがめながら、帝都城の一角に巣食う魔人はもう一度、天井を震わせるほどな笑い声を放った。

「もうすぐこの国で大事も起こる……しばらくは退屈せずに済むわ」



「――207B訓練分隊、整列!」

 野戦軍装の神宮司まりもが鋭い声を放つと、五人の少女と二人の男は横一列にならんだ。
 冥夜や武も、既に体力を回復させてしっかり背筋を伸ばしている。
 彼らを見下ろす天空は既に夜の領域となり、遮るものもない星の光が降り注いでいた。
 事後処理やらなにやらで、まりもが解放されたのがつい先程。
 鬼の出現ですっかりうやむやになっていたが、207B分隊がこの地にやってきたのは総戦技演習のためだ。

「まず、総戦技演習の扱いについて決定事項を伝える。未確認敵性物体の出現直前をもって演習は終了したものとする」

 ごくり、と唾を飲み込んだのは隣の千鶴か美琴か、自分自身か。それさえわからないほど、武は緊張していた。

「講評。破壊目標三箇所中に一箇所を手付かずで残した。これは重大な減点となる」

 まりもの表情はあくまでも平静だが、訓練兵らは対照的に面に揃って動揺を走らせる。竜馬でさえ口元をぎゅっと引き結んだ。
 覚悟していたとはいえ、改めて突きつけられれば大きな失点だと思い知らされた。

「また、ヘリポートでは妨害者の二人が目上だったとはいえ、躊躇して反撃にせよ退避にせよ機を逸した。この減点も小さくはないぞ」

 そんな。武は歯噛みした。
 自分は決心したんだ、世界を変えるって。それなのにそれなのに、こんなところで足踏みなんて。
 だいたい、反撃を制限したのはまりもちゃんじゃないか。
 気付いた時には、まりもの鋭い視線が射込まれていた。

「まりもちゃん……?」

「あ……も、申し訳ありません教官!」

 武の顔面が蒼白になる。思いつめるあまり、思ったことの何割かが言葉に出ていたらしい。これでますます心証が――
 まりもは大きな溜息をついて見せた。

「今のが演習中の発言なら、不合格に結果が変わっていたところだぞ?」

「はい、もうし……え?」

 謝罪を繰り返そうと動いた武の口が、ぽかんと開かれた。
 結果が、変わっていた。不合格に。
 つまり……。

「おめでとう。貴様らはこの評価演習をパスした!」

 一転、夜空に響くような大声でまりもが宣言した。
 千鶴が目を白黒させながら、喜びより先に疑問を口にする。

「で、ですが減点が」

「榊。確かにミスはあった。だが貴様らの第一優先目標は何だ?」

「……脱出です」

「貴様らは、正直私もどうかと思うほどの妨害を受けながらも、機転を利かせチームワークを崩さずこれを乗り越えた。
そして極限状態でも優先順位の軽重を見失わなず、脱出ポイントに達した。本来なら、そこからまたもう一つ二つ、試練があったのだがな」

 ちらり、と本音を交えたまりもの顔は僅かに苦笑の色がある。
 神隼人あたりの妨害は、確かに滅茶苦茶だったなぁと武は思わずうなずいてしまう。

「合否について微妙な判断であったのは確かだが。合格に違いはない。それと――」

 ふっとまりもの気配も柔らかくなった。
 あ、元の世界のまりもちゃんに近いな、と武は目頭が少しだけ熱くなる。

「突然起こった常識外の事態にもくじけず、よくがんばったわ。ゆう……香月副司令達を守ってくれてありがとう」

 その言葉を合図に、六種類の歓声が爆発した。
 千鶴が泣く。彩峰が普段の素振りからは信じられないほどの笑顔をふりまく。
 冥夜はぐっと拳を握り締めて感動を味わい、たまははしゃいで砂浜を走り回る。
 武は、しばらく呆然としていたが。
 美琴が肩を叩いてくると、その喜びの衝撃を合図に全身を興奮が満たした。

「やったぜぇぇえ!!」

 思いっきり拳を突き上げた。この瞬間だけは、前の世界の記憶を持っていることによる懊悩も忘れて、叫びまわる。
 ふと、たまが普段一番騒がしい男がやけに静かなことに気付いた。

「あれ? 流さん、もしかして泣いてるんじゃ?」

 その一言に、まりもを含む全員の視線が集中する。
 言われると確かに、目元に涙をにじませた竜馬、という恐ろしく珍しい光景がそこにあった。
 今まで(主に座学で)悩み苦しむ姿は見慣れているが、これは初めてだった。

「ば、ばっきゃあろう、オレがこんなことで泣くわけ……」

 竜馬のむなしい抗弁は、爆笑の七重奏にかき消された。



 岸壁に立つ隼人の眼下で、絶景が広がっていた。
 海辺でうら若い肌を晒し、無心にはしゃぐ五人の水着少女。
 それぞれ容姿は水準以上の個性的な面々、となればその気が無い男でも思わず反応しても責められまい。
 が、隼人はそれを無表情に見つめるだけだ。外見上はそうだった。

「……さっきからやけに視線が彩峰の胸ばかり追ってない?」

 傍らまで歩み寄ってきた香月夕呼は、そんな隼人にからかいの声をかけた。彼女自身は、バカンスは昨日で懲りたのか軍服姿だ。
 結局、発砲事件の米軍衛士は国連軍MPに引き渡され、レコーダーを除くラプターはアメリカ軍が回収していった。
 とかく不手際が目立ったこの島の国連軍基地の面々は、夕呼が譴責するだけで済ませた。子飼い部隊と違い、いちいち活を入れる必要性は無いと判断したためだ。
 隼人の急な要請に応じて、すぐさま完成版ゲッターを最高速度で飛ばしてきた横浜基地の緊急時対処にはかなり改善がみられた。その点が少しだけ彼女の機嫌を良くしている。
 一番気分を良くしている原因は、アメリカの恐らくオルタ5派の勇み足で思わぬ交渉カードを手にした事だろうが……。
 207B分隊は、総戦技演習参加部隊に慣例として与えられる一日の自由時間をこうして満喫している。

「気のせいだ。それより、何の用だ?」

 少女達からやや離れた砂浜では、武がしゃがみこんでいる。貝殻を手に取るといちいちそれを太陽にかざしてチェックしているのが見えた。
 竜馬と弁慶は、なにやら言い合いつつも昼食のバーベキューを準備中。重いガスボンベを軽々と運んでいる。
 なお、食材は午前中に皆で取った魚や貝。このご時勢では貴重な、天然食糧をふんだんに使ったご馳走になるはずだった。
 そのすぐ傍では、夕呼が本来使うはずだったチェアに寝そべり、ゆっくり骨休めするまりもの姿がある。
 早乙女博士の姿はない。帰りの船に積み込まれるゲッター二機にかかりきりで、もう自分の休暇は終わったと決めているらしい。

「昨日、珠瀬がアメリカ軍衛士からこっそり渡されたものよ」

 隼人は夕呼が突き出してきた紙を受け取ると、ざっと一読した。

「フィンランド語か」

「読めて?」

「多少は」

 読み進むにつれて、隼人の眼光が鋭さを増した。

『今、コクピットでこれを書いています。私は、難民の立場から抜け出すためにCIAに協力しています。ですが、直接生身の人間を砲撃することまで命じられた同じ立場の者を見て――』

 メモ用紙一枚にびっしりと走り書きされた文字。
 それはイルマ・テスレフという少尉が自分達の置かれた境遇と、日本に向けて行われている工作の一部を記したものだった。
 最後に、自分達を助けてくれるのなら相応の見返りをする用意がある、と締めくくられていた。

「……」

 罠だとしても、本心からの持ちかけとしても無視できない内容だった。
 現に夕呼が直接危害を加えられかけた今では特に、だ。

「――オレが帝国軍にいたころから、確かに不満を漏らすものは多かったな」

 だが、それだけでは騒乱は起きない。
 人間は不満や疑問を持つのが正常な生き物だから、皆が皆円満であるほうがむしろ異常なのだし。

「それがここ最近やけに組織化され、かつ過激化していたのは確かにひっかかっていたが。こういう事か」

 他人事のように言う隼人だが、その潮流を利用して私的な知識欲を満たしていたのがこの男だ。
 夕呼はあえて指摘せず、冷たい一瞥をくれて口を開いた。

「あたしはむしろこの機会に、帝国内の目先の事態にすぐ惑わされて感情的になる連中を一掃したい、と思っているのだけれど」

「……BETAが動かなければそれもいい。だが、現状ではリスクが大きいぞ」

 オルタネイティヴ4のためには平然と、祖国で起こる大事件を防ぐのではなく利用しようとする夕呼。
 聞く隼人も、当然のように愛国心からの反対などしない。口にしたのは、アメリカの過激派に操られた連中が事を起こしたタイミングで、BETAが動いた場合の危険性だ。

「奴らを甘く見るな。日本が万全の状態でさえ惨敗した相手だぞ、下手を打てば横浜ごと吹き飛びかねん」

 夕呼の手腕なら、人類同士の争いで納まるのならどう転ぼうと漁夫の利は得られよう。
 が、そもそも予測も駆け引きも通じない敵対存在がいるからこそ、オルタネイティヴ4が存在するのだ。

「佐渡島ハイヴのBETAなら――」

 侵攻を撃退されたばかりで個体数を減らしたのだから侵攻リスクは小さい、という夕呼の言葉を隼人の低い声が断ち切る。

「忘れるな。日本を滅ぼしかけた連中は、延々と重慶ハイヴ(中国)からやってきたことを、な。鉄源ハイヴ(朝鮮半島)からの侵攻もありえる」

 隼人は無表情を保つ夕呼をちらりと横目で見た。
 確かに天才だが、やはり文民出だ。BETAの実戦レベルでの脅威をどこか甘く見ている形跡がある、というのが隼人の実感だった。
 例えば1999年の明星作戦だ。
 あれは夕呼が国連軍を動かしたものだが、最終局面で米軍がG弾を突如使用しなければ、通常攻撃だけで成功したとは思えない。
 もし、夕呼がG弾の無断使用を織り込んでいたのなら凄まじいとしか言いようが無いが。
 この女にしては珍しいことに、G弾の有効性を認めていても使用は断固反対しているのを隼人は知っていた。
 もっとも、この点は夕呼ばかりを責められない。
 オルタネイティヴ4に人多しといえど、夕呼についていける知的レベルを持ちかつ『闇』に付き合えて、その上で彼女が経験不足の分野を補える人物となると流石に見当たらない。
 パウル・ラダビノット司令は堅実な判断力を持つ良将だが、謀略は不得手だ。何より、国連からの監視役としての立場もある。
 副官・技官としては過不足ないイリーナ・ピアティフも、夕呼と同じ文民出身でBETA戦分野では補佐できまい。
 結局、彼女一人にかかる負担が大きすぎるのだ。

「どちらにせよ、タイムリミットは12月5日か」

 隼人は一瞬、どうしてG弾だけをかたくなに否定するのか問い詰めたい衝動に駆られたが。
 口にしたのは、夕呼も承知済みのメモに書かれたXデーの日付だった。

 ――島を燦々と照らしていた太陽が流れる雲に遮られ、数秒だけ世界が暗くなった。



[14079] 第二十一話
Name: mitsuki◆66f66a11 ID:1f7a972b
Date: 2011/07/05 22:47
 冬の帝都・東京の夜気は、刃を含むように冷たい。
 元々四季の移り変わりによる気温の大きさは日本の気候の特徴だが、BETA大戦による地球環境の激変が寒冷化に拍車をかけていた。
 そんな中でも、暖かく豊かな一角というのは確かに存在する。
 例えば、古くからの料亭『松葉』だ。
 ここは士官以上の軍人がよく利用する店で、支配人は元憲兵大佐。
 今もそこかしこから笑い声や三味線の音が流れてきており、国家が窮乏していることなどどこ吹く風、という空気に満ちていた。
 BETA大戦以来、軍人への権限集中は進む一方でありそれに伴う余禄も多くなっているのが全体の傾向だ。
 国民の大多数が飢えている中、不謹慎な――と内心唾棄したい沙霧だったが、大事の前の小事、とあえて酒に酔う声を無視した。
 廊下を進む沙霧尚哉は、仲居に案内されて特に奥まった一室へと進んでいく。

「ありがとう。酒と料理は後でいい、しばらく誰も近づけさせないで欲しい」

 沙霧の言葉に、仲居は心得顔で承知しましたと返事をした。
 日本が富裕だった時代でさえ一流とは言いがたかったこの料亭が繁栄しているのは、『松葉での話が外に漏れたことは一度も無し』という料理等とは別の評価のためだ。
 たとえ豪遊する相手が口走ったことだろうと、沙霧らのようにもっとも質素な注文しかしない者達の会話だろうと、平等に絶対秘密厳守する。
 襖が閉まり、仲居が立ち去る気配を確認してから沙霧は先客達に頭を下げた。

「遅れて申し訳ない」

 宴会場としても使えそうな座敷に居並ぶのは、全員が軍服姿の者達だ。目立つのは陸軍色だが、僅かに海軍や斯衛のものも見える。
 軍の若手士官を中心とした私的組織『戦略研究会』。
 それが彼らの集う名目だった。
 実のところ、この手のグループや派閥行動は帝国軍では珍しくない。
 思想信条を同じくしたり、もっと露骨な利害関係が一致したりする者達が共同して行動するのは、政治の世界でもよくあることだ。
 集団行動を第二の本能とする日本人の特性か、派閥を批判するグループがそのまま新派閥と化す事も日常茶飯事だ。
 むしろ士官ともなると、派閥に属しない者のほうが少数派といってよかった。
 ――なお、陸軍高級士官中、唯一どの派閥とも無関係を通した彩峰中将は、数年前に敵前逃亡罪で処刑されている

「……いよいよ、我らが立ち上がる日も近づいてきた。万事遺漏なきように」

 上座に座った沙霧の眼鏡奥の眼光が、一気に鋭さを増した。
 挨拶もそこそこに、短刀を突き出すように気迫を隠さない言葉を吐く。
 左右に並ぶ士官の中には彼よりも階級や年齢が高い者もいたが、誰一人として不満を示す者はいない。
 ここにいる全員は、沙霧を自分達の『主導者』として認めた者達だった。
 沙霧がうち一人に視線を向けると、その士官は低い声でしゃべりはじめる。

「国賊・榊是親はさる二月の新潟防衛戦の功労者を12月4日夜の晩餐に招き、翌日午前中に褒賞を下す。これは決定事項で間違いはない。
帝都防衛第1師団の中核士官はほとんど決起への賛同を取り付けた。残余の守備部隊の士官も、おおむね説得済みだ」

 沙霧が満足そうにうなずくと、海軍士官が口を開く。

「海軍は来るべき佐渡島攻略に備えて、主力は海兵部隊も含めて舞鶴他日本海側へ集結済み。
東京湾に残っているのは留守艦隊のみ」

 紀伊級の大型戦艦数隻が残っているが、指揮する提督は優柔不断な性格で『事件』が起こっても即断できまい、何かあれば自分が殺害すると事も無げに述べた。

「首相官邸、国防省、参謀本部等の目標施設の警備体制は平常どおり。マスコミ・インフラ関係の警備は所詮民間人。
手筈どおり進めば、決起より三時間……長くて五時間で全て制圧可能だ」

 本来なら、こういった謀議を取り締まる側であるはずの憲兵隊の徽章をつけた士官が、警備内容を披瀝して見込みを述べる。

「……よろしい。と、なると不確定要素は斯衛か」

 沙霧は厳しさを崩さない面を、この部屋唯一の斯衛士官に向けた。

「本多中尉、やはり斯衛の切り崩しは難しいか?」

 本多盛雄斯衛中尉は、厳つい顔を上げる。白い斯衛服を着た、入り婿で武家になった男だ。

「斯衛は武家社会という別世界の連絡を持っている者がほとんどです。滅多にほのめかすことさえできません。
ですが、実戦面では問題ないでしょう」

「……斯衛の精鋭がか?」

「はい。斯衛の緊急時行動基準は、殿下の守護はじめとして守勢が第一です。また武御雷は政府が押し付けてきた問題機ですから」

 事も無げに言う中尉に、全員が目を見張った。

「馬鹿な、武御雷は世界有数の性能を誇る……」

 反発しかけたある砲兵大尉を視線で制し、沙霧は続きを促した。

「武御雷は、誘導弾運用能力を持たず生産・整備ともに難しい機体です。その性質上、帝都城付属基地に篭城するのならともかく積極鎮圧行動は不可能。
武御雷を唯一攻勢的に運用可能な支援集団を持つ第16大隊主力も、やはり佐渡島戦準備のため当日は舞鶴ですし」

 武御雷は運動性こそ良いが、その代償に日本戦術機が当たり前に持っている能力を排除している。
 陽炎でも距離をとってさえいれば、一方的にミサイルで制圧可能だ。
 いかに高性能とはいえ、戦術機の速度は跳躍装置を吹かしても時速700~800キロがせいぜい。誘導能力を持った高速ミサイルをかわせるものではない。
 生産の困難は配備数の少なさに直結し、整備の難しさゆえ戦闘継続能力――例えば損傷を受けた場合予備パーツと交換して即復帰するような――は低い。
 何より、斯衛は砲兵等の支援部隊をほとんど持たない。
 対人戦においては、遠距離戦闘能力の欠如が致命的なのは軍事の常識だった。

「……確かに我らにとっては僥倖だが、なぜそのような機を主力に?」

「政府の陰謀です。斯衛が力を強くすれば、それは殿下の権限強化に直結します。御心を蔑ろにする奸賊どもが、そんな真似を許すはずありますまい」

 わかりやすい答え、明白な敵を明示されて軍人達はいきりたった。
 口々に政府を罵倒し、決起への誓いを新たにする声が部屋に充満する。

「……」

 だが、沙霧はそれらに同調せず何か考え込むように天井を見上げていた。
 熱気の火種である本多中尉もただ俯くのみだ。

 本多中尉は、内心で溜息をついた。
 今、口にしたことと実情は異なる。
 斯衛軍(城内省)が武御雷を採用したのは、真に殿下を守るためだ。
 守る、といってもそれは単純に敵を打ち破るというだけを意味しない。殿下やその縁者を危機から遠ざけるのも、立派な守護の任だ。
 あえて兵器としていくつも難のある武御雷を主力と定めることにより、警戒される確率を低くすることを選んだ、というのが実際だ。
 何から?
 政府ではなく、真に将軍を蔑ろにしている軍上層部から、だ。
 BETAの脅威を理由に、軍に権限と予算が集中することは世界的に見られる傾向であり、これ自体は防衛力強化のための手段であって悪とはいえない。
 問題は、それに乗じて私益を図る軍幹部があまりに多いことだ。
 汚職、権限濫用、軍におもねる者の子弟は徴兵で優遇し、敵対する者は危険な前線へ飛ばす。上げればきりがないほど。
 将軍権限の大部分を既に実質強奪したにもかかわらず、その欲深さはまるで海水を飲んでも飲んでも喉を乾かせる愚か者の如し、だ。
 研究会メンバーが非難する政府の政策の何割かは、軍の横車によるものだ。その意味では、殿下と政府は同じ立場の被害者だった。
 城内省は、

『軍事的には正規軍に斯衛はかなわない、将軍家が武力を持って権限を奪還することはありえない』

 と、アピールすることで殿下を守る道を選んだのだ。
 これは軍規模にも現れており、本土防衛戦当時では箱根・塔ヶ島離城を最後まで死守した第24連隊はじめ二十以上の連隊を擁した斯衛軍主力は、現在の戦術機三個連隊程度まで縮小された。
 質はともかく、連隊の数は全盛期の実に八分の一程度。
 武御雷のミサイル……特にAL弾運用能力欠如は、対BETA戦での光線属種対策では致命的だから(本多自身も新潟戦で苦しめられた)、斯衛が単独で戦果を上げて間接的に将軍の権力回復に資する、となる可能性も低い。
 仮に光線属種が存在しなくても、BETAの物量を制圧する散弾ミサイルが撃てないのだから。
 そこまでして気を使わないといけないほど、日本帝国内部における軍の威勢は絶大だった。
 尚、これもあえて言わなかったが武御雷の欠陥は既に運用の工夫によるカバーが可能なレベルであり、城内省が予測する最悪の未来図『軍による強圧的な殿下の排除』が起こった際、一定の時間稼ぎ程度はできる研究は密かに為されていた。
 戦術を駆使して近接格闘にさえ持ち込めば、武御雷は紛れも無く世界有数の強さを誇る戦術機である。
 そして、意図した『新鋭機』宣伝のために見落とされがちだが、斯衛の数的主力は相変わらずの撃震改良機・瑞鶴だ。
 こちらは性能は旧式化著しいものの、十年以上の運用経験とパーツの蓄積があるので、ネックである生産性整備性問題もほぼ解消されている。
 流石に最後の牙まで完全に抜くつもりは、城内省及び斯衛軍上層部には無い。
 (だがオレが口にできるのは、この者達を過った道に誘導する言葉だけだ)
 本多中尉は、無心に自分達の正義を信じて疑わない連中が――

 うらやましかった。

 彼らはいい。結果はどうあれ信じた道を貫き、自らの情熱で己を焼いて悔いることはなかろう。
 だが、オレには無理だ。この首には、既に見えない鎖が繋がっている。
 それを握っているのは、太平洋を隔てた海の向こうの超大国の真の支配者達だった。
 彼らの手は自分以外にも伸び、研究会メンバーやそのシンパに本当の『敵』を誤認させ続けている事は、口々に言われる政府を排撃せんとする言葉から明白だった。
 やがて狭霧が口を開いた。その低い声は、雑然とした中でもよく通る。

「元より我々は殿下に刃を向ける気など毛頭ない。
斯衛軍には予定通り一切の手出しをせず、例えば首相官邸警護に回る等、決起の深刻な障害となる場合を除いて交戦を禁ずる」

 斯衛が打って出る可能性が低いのなら、強いて撃破する理由は研究会側にはなかった。
 帝都要所を制圧し奸物どもを誅殺すれば、あとは『殿下の御言葉』をいただけば良い。
 そう沙霧が締めくくると、熱気を残したまま議題は次へ移った。

「もう一つの不確定要素は、国連軍の動きだ。恐らく当初は内政問題として動かぬだろうが、奸賊どもが救援を求める恐れがある」

 その沙霧の台詞に、ほぼ全員が渋面を作った。
 在日国連軍こそが『奸賊どもが招き入れた、外国の施しに甘んじる堕落しつつある日本の象徴』であり、また憎き米国の傀儡であるというのが研究会の大勢だったからだ。
 事情を複雑にしているのは、国連軍にも少なからぬ数の日本人が参加しており、特に彼らにとっては無視できぬ『彩峰』の名を持つ娘もそこにいた事。
 それまで冷静さを保っていた沙霧の表情が、僅かに揺らぐのを本多は見逃さなかった。

「そのことについてですが、一つ愚案があります」

 中佐の階級を持つ、本来なら沙霧より立場が上のはずの士官が口を開いた。

「国連軍の中にも、日本人の矜持を失わず我らと志を同じくする者がおりましてな。彼……神隼人元帝国陸軍中尉と渡りをつけることは可能です」

 ――研究会の密談は深夜まで及び、料亭の者達は幾度も酒と料理を温めなおす羽目になった。



「アミーゴ、リョーマ? 相変わらずセーフク似合ってナイネー」

「うるせぇカルロス! てめぇも似たもんだろうが! とっととメキシコに帰れ!」

 横浜基地のPXは昼食時のため人気が絶えることがない。
 『11月22日のメニュー』と壁かけ黒板にチョークで書かれた本日のお勧めを注文する声と、応じる厨房の返答が幾度も飛び交った。
 そんな中、食事を取る竜馬を通りかかったアフロヘアーの少尉がからかう。
 カルロス少尉の言うとおり、いつまでも白い訓練兵制服が板につかない男だったが、認めるわけもなく怒鳴り返す。

「ちょっと! 相手は少尉殿よ。きちんとした言葉遣いをしないと駄目でしょう?」

 千鶴が目を釣り上げる。
 それだけで上官侮辱罪に問われかねない暴言を日に何度も吐く竜馬を管理する分隊長としては、頭痛モノの態度だった。
 が、当の相手が竜馬と知り合いらしく、笑って手を振って去っていくので振り上げた拳の落としどころを失ってしまう。
 まったく、と座りなおす千鶴の横を、軍属の若い女性がすり抜けた。
 軍服ではなく事務制服姿だが、その胸は……美琴とたまの精神を痛打するに足りるボリュームがあった。

「リョーマサーン! 遊びに行きまショー?」

 そのラテン系美人は、竜馬に背中から抱きつく。
 隣にいた武が、思わず口にした合成味噌汁を吹きだしかけた大胆さだが。

「駄目駄目、オレ午後から訓練なんだって」

 竜馬は慌てる素振りもなく手を振り、軽く笑っていなすだけだ。

「……大人の対応」

 残念そうに振り返りながら離れていく彼女を横目で見ながら、彩峰がぼそりと呟く。
 美琴は、あの少尉さんの髪型すごいねー、とワンテンポ遅れた感想を述べていた。

「誰かさんに見習って欲しいような、欲しくないような」

 冥夜の腕組みをしたままの独白に、なぜか熱心にうなずくたま。
 二人にちらっと視線を送られた武は、まったく意味がわからず首を捻る。
 溜息はなぜか女性陣全員の五つだった。
 これが207B分隊の、戦術機適性評価を前にした食事風景だ。
 ――ちなみに衛士訓練学校にはこの評価前に、運の悪い一人が大量の食事を強制的に取らされる、といういじめに近い伝統がある。
 当然の如く皆に超大盛りを勧められたのは竜馬だが、あっさり平らげているところを見ると本気で知らないらしい。

「やれやれ……」

 武は食後の合成緑茶をすすった。
 訓練兵にもかかわらず個室が与えられるなど、207B分隊が特別扱いなのは公然の秘密だ。だから今までは分隊は周りから孤立しがちだった。
 ところが流竜馬が加入してからというもの、ちょくちょく寄ってくる人物が増えた。
 と、武の肩がぽんと叩かれた。
 振り返ると、ドレッドヘアーが特徴的な黒人兵士がいる。階級は中尉で胸には衛士徽章。

「あ、中尉」

「よっ! 今日からいよいよ戦術機課程に入るんだってな? キツいから腹一杯食っておけよ?」

 起立して敬礼しようとする千鶴らを笑顔で制して、人の悪い笑みを作る中尉。
 その後ろには、やはり外国人の国連軍衛士が三人ほどいた。
 彼らは、極東国連軍が誇るエースパイロットだ。対BETA戦、それも第一線での出撃を二十回以上こなしている『宝石より貴重な』ベテラン衛士のチーム。
 やはり竜馬と話しているのがきっかけで、武らとも言葉を交わすようになった者達だ。
 ……なんでも流竜馬は帝都圏の外国人社会では有名人らしい。曰く、難民を泣かすヤクザ組織を単身で潰した、とか。
 (本人は借金取立てで道場を潰されかけた仕返しをしただけで、別に義憤にかられたとかではなかったらしいが)
 外国人に竜馬が好かれる一番の理由は、日本人にありがちな外国人への警戒心、島国根性といわれるような閉鎖性とはまったく無縁な性格ゆえだろう。

「ええ、勿論たっぷりいただいていますよ。特に竜馬訓練兵は」

 武も笑ってみせる。207Bの少女達も、この時ばかりはシンクロしたようににやり、とした。

「キツい? 結構じゃねえか。最近なまっててしょうがねえんだ」

「じゃあ、戦術機マニュアルももうばっちりかい? なんならあたしらがテストしてやるよ」

 頭にバンダナを巻いた女性中尉が含み笑いを向けると、腹を摩っていた竜馬の手が止まった。
 体力はなまっているが、頭脳のほうは……竜馬の額に浮いた汗がそれを証明していた。

「……いいね」

「もし簡単なところで間違えたら……写本か暗誦だな」

「さ、さて、そろそろいくぜ!」

 彩峰と冥夜の視線から逃げるように、竜馬は立ち上がった。

「……真面目な話、戦術機課程は今まで以上に厳しい。実機訓練なら事故の死傷も珍しくない。気をつけろよボウヤ達?」

 最後に大柄な白人男性中尉がまっとうな後輩への言葉で締めくくると、彼らは去っていった。

「気を引き締めないとな」

 見送りつつ、武が決意を篭めて呟くと、逃げた竜馬以外の全員がうなずいて答えた。



 国連軍衛士訓練用強化装備。一部での別名・エロスーツ。
 前線で不要な羞恥心を無くすため、という名目で肌が微妙に透けて見える、というシロモノ。
 デザインした人間、採用した者は世が世なら変態として歴史に名を残すこと受けあいの装備だが、訓練兵らに無論拒否権は無い。
 前の世界で一旦それを経験している武には見慣れた格好だったが、目の前で揃って顔を赤らめ身をもじつかせる少女らは平静とは程遠かった。
 胸を隠そうとする腕が、かえって膨らみを強調しているようになったり――あえて強調するほどのものがない者が二人ほどいたが――は、目の保養とするに十分。
 初々しい喜びがないのは残念だなぁ、などと不届きなことを考える余裕すらある武の耳に、まりもの声が飛び込んだ。

「全員、整列! ほら、しゃきっとせんか!」

 こちらはいつもの軍服姿のまりもの声は厳しい。
 身をかがめるのを中々止められない少女達は、恐る恐るといった風情で背筋を伸ばす。
 一番最初に思い切ったのは彩峰で、最後までもたついたのは美琴だった。
 武はそれを極力見ないように気遣う。

「妙な感じだぜ」

 一方、女性陣とは別の意味で戸惑いを面に浮かべているのが竜馬だ。
 猫科の野獣めいた腹筋がはっきり見える格好だが、着慣れない感触が気になるのか、しきりに体を揺すっていてこれもまりもの注意を受けた。

 こうしてみると武は体つきといい落ち着きといい、既に一端の衛士じみた雰囲気があり、他の者達とは違うのが瞭然だ――まりもは内心首を傾げたが、口にしたのは次の指示だ。

「では、これより戦術機のシミュレーター訓練機を用いた適性検査を行う」

 武には再確認程度の意味しかないが、要するに戦術機搭乗時にかかる衝撃や揺れを疑似体験させてそれに対する反応をチェックする検査。
 前の世界の記憶通りなら、自分は歴代一位の適性を叩きだし、他の者達も苦しげながら十分クリアするはず。
 不安があるとすれば、BETAのシルエットを見ただけで取り乱した記憶があることだ。
 今度は覚悟を決めているんだから大丈夫、と武は自分に言い聞かせた。
 箱型をした戦術機のシミュレーターは、油圧装置によって支えられ外部ないし内部の操作に合わせて、擬似的に機動の振動等を再現するようにできている。
 まず、千鶴と彩峰が乗り込んだ。

 そして、全員の検査がトラブルも無く終わった。

「……白銀、貴様本当の戦術機の搭乗経験はないのか? 適性が歴代一位……これは体質等が影響するからまだわかるが。
揺れや震動に晒され続けても、きわめて平静な心理状態のままとは」

 バイタルデータをチェックしたまりもの困惑に満ちた視線に、武は本当の事がいえない後ろめたさを僅かに感じつつも、はい初めてです、と言うしかなかった。
 その左右では、顔色を悪くして口元を抑えた少女達と竜馬がうずくまったり壁によりかかったりしていた。

「それより、竜馬が苦しんでいるのが意外なんですが」

 話逸らし半分、本気半分で武がそちらに視線を向けると、竜馬がおっくうそうに顔を上げた。
 あの殺人的なゲッターの合体を当たり前にこなしていた男が、シミュレーター程度でへたばるのはまったく予想外だった。

「……揺れは大したことなかったなんだけどよ」

 竜馬の声には、いつもの力は無い。
 まりもがデータを見やって、うなずいた。

「なるほど。網膜投影による視覚からの酔いか。衝撃等への耐性値だけでいえば……本当に人間か貴様は?」

 何気に酷いまりもの台詞だが、竜馬は反発する元気もなく口元に手をやっていた。

「あー。そういえばあのゲッターロボって網膜投影じゃなくてモニター式だったっけ」

 一度だけ搭乗したプロトゲッターのコクピットを思い出し、武はうなずいた。
 戦術機適性は、五感全てが影響してくる。たとえGに異常な頑強さを示しても、他に弱点があれば総合評価は落ちるのだ。
 なまじ別方式に慣れているため、初体験の直接網膜に映る景色の揺れ、というのがストレスになったのだろう。

「まぁ、これも慣れればなんとかなるだろうな。視覚自体に異常があるわけでもない」

 まりもはそう締めくくった。
 207B分隊は全員適性を水準以上たたき出してクリアしたのだ。この段階では戦術機操縦が困難、というほどの問題が見つからなければ本来それで良い。

「白銀、マニュアルはもう頭に叩き込んであるか?」

 全員の適性合格を告げた後、まりもは武一人に言葉をかける。

「え? はい」

 それどころか、前の世界では吹雪・撃震と乗り継ぎ何時間もの搭乗経験があったのだから、体に叩き込んでいるレベルだった。

「……副司令から、操作教程を前倒しでやらせてみせろ、と言われている。試してみるか?」

 ――来た! 武はぐっと拳を握り締める。
 夕呼が任官を手助けしてくれているのだ、と武は捉えた。

「やります!」

 返事は決まっていた。元正規兵経験者として、パーフェクトを出してやると決意しながら。
 気合十分の武の周りでは、他の面々が未だにグロッキー状態から抜け出せずにいた。



 昼下がりの帝都・日比谷公園。
 人気もほとんどなく、施設も寂れた空間は寂寥感に満ちていた。
 そんな中、一人の若いスーツ姿の男がベンチに座って文庫本を読みふけっている。
 だが、その目は文字を写しても意味を取ろうとはしていない。
 意識を向けているのは、背後の大木を挟んだ別のベンチに座る初老の男へ、だ。

「――決起は12月5日午前3時と確定いたしました、榊『閣下』」

 沙霧に心酔する者達が、その声を聞いたら絶句しただろう。沙霧尚哉の口から、奸賊等の罵倒がつかず榊是親を呼ぶ声が出たのだから。

「うむ……いよいよ、か」

 厚手のコートを羽織り、髪型を変えた榊内閣総理大臣も低い声を返す。
 二人とも、本来ならそれぞれ政務もしくは軍務に励んでいるはずの時間帯。

「やはり、直接決起軍を率いるのかね? 君はまだ若い。『奴ら』と抱き合い心中するのはこの老骨で十分だ。
君まで道連れにしたとあっては、あの世で彩峰にあわせる顔がそれこそ無くなる」

「いえ、閣下。我らの企みで同じ日本人の血が多く流れます。自分だけの安全を図るのならば、そもそもこのような真似はできません」

「……よろしい。では、懸案の天元山不法帰還民への対処を、即時強行送還へと決定する。
それが狼煙となろう」

 居住禁止指定された場所へ勝手に戻る国民をどうするかは、現在の政府を悩ませる問題の一つだった。
 ゲッターロボ絡みでの国連からの援助食糧割り当て分増加を見込んでも、難民化した国民を全て食わせるには到底足りない。
 そんな中どうせ死ぬなら故郷で、と制止を振り切る国民は多かった。
 特に緊急の問題なのが、火山活性化地域へと多数の者達が帰ってしまった天元山一帯への対応。
 説得路線を主張する文民側と、余計な労力を使わず強圧的手段で即時収容すべし、という軍部との意見の食い違いが表面化しつつある。
 さらにこの機会に国連軍に助力を求め、国連に対する日本国民の印象改善に使おうという外務省の対外協調派の提案もあり、未だ方針は固まっていない。

「はっ! 同志とした者達は、それで覚悟を固め切るでしょうし。軍要職に巣食う奸物どもは、再びの政治に対する軍主張の勝利に油断するでしょう。
巻き込まれる国民の方々には、申し開きのしようもありませんが……」

 冷たい風が一陣巻いて走り抜けた。
 が、それさえ二人の言葉に篭る熱を奪いきることはできなかった――。



[14079] 第二十二話
Name: mitsuki◆66f66a11 ID:1f7a972b
Date: 2011/07/05 22:48
「白銀さんのお土産です」

「そうか」

 無表情のまま、掌に余るほど大きな貝殻を差し上げてみせる社霞。その動きに合わせて、ウサ耳を象ったカチューシャが僅かに揺れる。
 あの総戦技演習後の自由時間で、白銀武が熱心に砂浜をさらってたのは彼女へのお土産集めだったらしい。
 ちらっと視線を向けて低く返事だけをして、再び手元の書類を睨みつけるのは椅子に座った早乙女博士だ。
 そんな二人を、窓から差し込む昼下がりの太陽が柔らかく照らしている。

「耳に当てると、海の音がするそうです。わーい」

「よかったな」

 霞が貝殻を持ったまま両手を万歳、とばかりに上げる。やはり表情はほとんど動かないが。
 それに先程と同じように一瞥くれて、一言だけで作業に戻る博士。

「……なんだ、ありゃ?」

 久々にゲッター研究に割り当てられた研究棟に呼び出された流竜馬は、その光景に小首を傾げた。
 乱雑に書類が積み上げられた執務机付近で繰り返される、微妙なやりとり。

「さあ?」

 国連軍軍服ではなく、数珠を首にかけた僧服という軍事基地に似合わない姿の弁慶も、揃って首を捻った。

「……社さんにとっては、老齢の人というだけで珍しいのかも知れません」

 元々あまり人と接しない立場の子ですし、と苦笑気味に説明するのは風間祷子少尉だ。
 本来は香月夕呼副司令直轄の彼女だが、A-01自体が11月の新潟出撃の影響で休養と再編制の時期に当たっているため、同じく夕呼直轄という立場であるゲッター研究者やチームへの連絡役としてちょくちょく顔を見せていた。
 立場上は軍最下位に過ぎない竜馬にも丁寧に話しかけるところが、彼女の人柄を表していた。

「……では、少し待っておれ」

「はい」

 仏頂面のまま立ち上がる早乙女博士と、素直にうなずく霞。
 いつの間に用意したのか、社の前には合成紅茶の缶が置いてあった。昨今では貴重な天然物のチョコレートまである。
 博士が調達したものだった。

「……謎だ」

 霞の感情の動きが表面上無さすぎ、早乙女博士もまたいつもの剣呑な雰囲気のままのため、どう贔屓目に見てもお爺さんと孫、とも見えない。
 それでも当人らの間では良好な関係が成立しているらしかった。
 つぶやいた弁慶の顔を鋭い視線で一撫でしてから、博士は竜馬と祷子の前に立つ。
 またせたな、の一言も祷子の敬礼への答礼もなく、いきなり口を開いた。

「竜馬、お前にはゲッター合金を流用した武器のテストをして貰う。
風間少尉、A-01の手空きは戦術機用装備を頼む。副司令の許可は取ってある」

「武器……?」

 書類を受け取った祷子が、緑がかった髪を揺らして文面に視線を落とす。

「ゲッターロボを補修するために作られた合金の、余剰分を再利用した歩兵用装備……銃弾とナイフ、ですか。
同じように合金流用の戦術機用砲弾と、長刀。
後はゲッタービームの発射装置のスペアを戦術機用追加装備に転用した……ゲッタービームランチャー?」

『はぁ!?』

 読み上げる祷子の言葉の最後の聞きなれない単語に、竜馬と弁慶が揃って声をあげた。チョコレートを小口で齧っていた霞がびっくりしたように顔を上げる。

「ゲッタービームランチャーってなんだよ?」

 耳慣れない言葉に、竜馬は眉根を寄せながら博士の仏頂面に視線を送った。
 博士は腕組みしながら、睨み返すようにぎょろりと目を動かして答えた。

「国連宇宙総軍からの要望だ。宇宙空間でBETAの落着ユニットを撃破し得る武器を作れないか、とな。その雛形だ。
炉心から直接エネルギーを供給するのではなく、あらかじめカートリッジにゲッター線を励起直前状態で封入してある」

「かーと……れい……」

「要するに、ゲッタービームを戦術機でも使えるようにする装備、ですわね?」

 早速こんがらがる竜馬に、祷子が助け舟を出す。
 それにかまわず博士は、不機嫌そうに続きを説明する。

「一回切りの使い捨て、威力もプロトゲッターの期待値程度がせいぜい。今の所は欠陥兵器だがな」

「はぁ……」

 責任者本人が、あっさりと駄目だと言うのには祷子も苦笑するしかない。
 だが、どんな兵器も最初は問題だらけで出発したのだ。新潟で目撃した、無数の重レーザー級の攻撃さえ押し返したビームを戦術機で運用できるようになるのなら、大きな力になるはず。
 彼女はそう思い直し、律儀に敬礼してから書類を小脇に挟んで退室する。

「……で、オレは何をすればいいんだよ?」

 頭をかきながら、竜馬は居心地悪そうに視線を逸らした。
 こうしている間にも白衣の技官が出入りし、ひっきりなしに専門用語が飛び交っていて竜馬には苦手な空気が充満している。

「仮想標的を銃で撃ち、ナイフで突けばいい。素材が違うだけで、おおむね旧来型と同じバランスや性能になるように仕上げてある」

「物をあまらせる余裕はないってことだな……だけどよ、弁慶にやらせりゃいいじゃねえか?」

 竜馬は、今日何度目かの首を傾げる動作を見せた。

「……ゲッター合金は、含有するゲッター線の量に応じて性質を変える。そして、ゲッター線は人の意思に反応する。
サンプルは多ければ多いほど良い」

「悪いな竜馬。それに、オレは休日で出かけるんだよ」

「サンプル、ねぇ……」

 竜馬は呟きながらも、弁慶には文句も言わず小さくうなずいてみせた。
 ――弁慶が、かつての歩兵連隊の戦友達の実家や墓へ、暇を見つけては回っていることを竜馬も知っていた。

「そういえば竜馬、戦術機訓練の具合はどうだ?」

 弁慶が、新たに博士から渡された仕様書を見ている竜馬に聞く。
 207Bの面々と弁慶はあの総戦技演習以来、仲がよかった。
 一部では弁慶の女癖の悪さを危惧する声もあったが、今のところ20歳以下には手を出す気配はないため特に問題はなかった。
 もし冥夜あたりにちょっかいを出す素振りがあったら、赤と白い斯衛服の者達の手によって中々の惨劇が展開されただろうから、関係者にとっては幸いなことだ。

「武がすげぇ」

 顔を上げ、少し考え込んだ竜馬の口から飛び出たのは、短い賛嘆の言葉だった。

「一日で並みの奴なら一週間はかかる教程って奴を全部クリアした。おまけに何かおー……おーえ」

「OSか?」

「そう、そのOSの新しいアイデアを考え付いた、とかいってたな」

「化け物だな」

 衛士経験がある弁慶からすれば、それがどれほど凄まじいことかよくわかるらしく、腕組みして唸った。

「OSへのアイデアってのも本当なら、ただ者じゃねえぞ。普通の奴なら、今ある物の使い方を覚えるので頭が一杯の時期のはずだぜ」

 芸事の世界では、修行の段階を表す言葉に『守・破・離』というものが言い伝えられている。
 守は、教えられたことを守り、できるようになること。
 次に、それを自分なりに工夫し、決まりきった動きを続けることだけから限界を破ること。
 最後に、旧来の原理原則から離れて新たな理合を打ち立てるのだ。
 訓練兵は、『守』の段階。
 そもそもOSの機能等について把握しきれていなければ、新しいアイデアなど出るわけもないし、思いついたとしてもまず錯覚だろう。

「天才、という一言で片付けられる話ではないな……なるほど、香月副司令がプログラム部門と生産部門の人材と施設を貸せ、といってきたのはそういうことか」

 早乙女博士も、珍しく表情に驚きの色を浮かべていた。

「よほどのモノらしい」

 博士はちらっと、紅茶缶を両手に持ってこくこくと飲む霞を見やる。
 ゲッター研究班も、人手不足でむしろ手伝いを寄越して欲しいぐらいなのだが……香月生徒は、霞を使者に立てれば元恩師・早乙女博士が絶対要請を断らない、と見抜いていた。

「だけどよ、何か気にいらねぇんだよな」

 片頬だけを歪めながら、竜馬がぽつりとこぼした。
 珍しく深刻な表情で考え込んでいる。

「ははぁん? さては武に注目が集まってさびしいのか?」

 が、竜馬がはっきり理由を言わなかったこともあり、弁慶はにやっと笑って茶化す。

「なっ!?」

「わかるぜぇ。207Bは美人揃いだからなぁ」

 にひひと笑う弁慶の顔面に、歯を剥き出しにした竜馬が書類を叩きつけた。
 それが重力に引かれてぱさり、と床に落ちた時には弁慶の顔も真っ赤になっている。
 竜馬が吼え、弁慶も唸る。

「誰がそんなこと言った!?」

「何晒すんじゃ!?」

 二人は同時に身構えた。
 つまらないことでよくやるわ、と言いたげに早乙女博士は呆れた視線を向けて背を向けるだけで、止めようともしない。
 竜馬の固められた拳が、弁慶の大きな掌が動きかけた時、

「喧嘩は駄目です」

 いつの間にか二人の傍までやってきていた霞が、無垢な瞳で二人を見上げた。

『……』

 男二人の動きがぴたり、と止まった。
 鷹と熊の喧嘩に、ウサギが仲裁に入ったような光景。
 じーっと見つめられると、竜馬と弁慶の額から冷や汗が吹き出す。
 無視してやりあいはじめる踏ん切りもつかず、三人が動きを止めて数秒が経過した後。

「じょ、冗談だよ。そーだろう、竜馬君?」

 弁慶が折れた。頬をひくつかせながらも笑いの形に口を歪める。

「う、うん。そ、そうだね弁慶君?」

 視線をさまよわせながらも、弁慶に合わせる竜馬だが。二人のしゃべり方は明らかにおかしかった。
 霞は、

「なら、いいです」

 と一言。だがその顔はそこはかとない満足感が漂っていたようにも見えた……。



 竜馬らが会話を交わしているのと同時刻。
 こちらは人工の光以外一切無い横浜基地地下構造の一室で、神隼人とイリーナ・ピアティフが二人っきりでいた。
 と、いっても甘ったるい密会の類ではない。
 二人はそれぞれ真剣な目をして端末を叩き、プリンターから吐き出される書類を積み上げていた。

「……やはり妙、ですね」

 ピアティフの怜悧そうな瞳が曇る。それが見つめているのは、『日本で政変ないしクーデターが起こった場合』のシミュレーションデータだ。
 一つの想定だけでなく、各種要素を確率で変動させて数百にも及ぶ結果予想を弾きだしているのだが。

「外国との援助どころか、協力関係が切れただけで日本は破滅だ」

 隼人は大きく息を吐き出しながら、鷹のような視線を端末画面に向けた。
 クーデターがもっとも理想的に成功した、と仮定してさえ日本はそうなる。
 現在、日本の生産拠点の何割かは海外移転している。当然のことながら、移転を受け入れた国と、輸送路となる領海を保有する国家との条約があってこその体制だ。
 国連・外国からの様々な援助・海外拠点への必需品依存率は、軍民ともに実に六割を超える。
 日本では算出しない資源を主な原料とする劣化ウラン弾等の大量消費物資にいたっては、八割から九割が外国依存だ。
 『外国の施しを排除する』どころか、『海外拠点からの輸送の停滞』が発生しただけで、手持ちを撃ち尽くした時点で日本は終わり、だ。
 消耗を回復する手段はなく、最低レベルながらなんとか維持している経済も崩壊する。
 たとえBETAの侵攻が無かったとしても、民間の餓死者・医薬品不足による傷病者の死亡想定値は、愛国心とは無縁の隼人さえ眉をひそめる数に上った。

「神中尉が提供されたクーデター軍の主張もしくは政権構想情報が偽物、という可能性は?」

 ピアティフは控え目に別の見方を提示した。
 『この人類の危機に、クーデターを起こすような愚か者には現実を見る気力さえ無い』と断じてしまうのは簡単だ。実際、そんな程度の者達は多数いるだろう。
 が、今回の件は裏でアメリカの主流派が糸を引いていることを、イルマ少尉からのメモを手がかりに探知している。
 日本の崩壊は極東人類戦線の連鎖的な破綻につながり、それはアメリカの国益にも反するのだ。

「これでは、仮にクーデターが成功しそれに賛同する者が多数出たとしても、物資不足の兆候が見られた時点で全て瓦解します。
まだ緩慢な滅亡よりは一気に自滅したほうが苦しみが少ないから、というのがクーデターの目的としたほうが納得がいきます」

 祖国を失い、国名も東欧州社会主義連盟の一隅に残るのみであるポーランド出身のピアティフとしては、理においても情においても理解不可能な話だった。

「あるいは、アメリカの狙いは日本崩壊かもしれん。そこまでしてオルタネイティヴ4を排除したいのかもな」

 極東国連軍の日本国内展開能力データと引き換えにクーデター関係者から得た情報に自信を持つ隼人は、別の可能性を口にする。
 しかし、言葉に篭る力からは本人もその可能性を信じていない気配が漂っている。
 オルタネイティヴ4は、現在のところ上げた成果は僅少といっていい。せいぜいG元素研究の副産物として出た電磁投射砲関連ぐらいだが、これも未完成。
 このままでは、いつ中止の決定が国連本部から出ても不思議は無い程度だ。
 隼人も知らないレベルで成果を出している可能性もあったが、そうだとしても日本ごと潰しにかかるのは、コストとリスクが大きすぎる。

「もう一つわからんのは、オレ達でさえヒントがあればこれほどの情報が得られるレベルで大規模な策動が行われているのに、憲兵や政府の情報省がまともに動いていないことだ」

 隼人が最大の疑問を口にする。
 憲兵隊は、取り締まる側といっても所詮軍人だから、クーデター側に取り込まれた可能性はある。
 が、政府に属する情報省は軍人とは思考様式も帰属も違うから、察知すれば何らかのリアクションを起こすはずだ。

「クーデター側は政威大将軍の御心に沿った政治を、と求めているようですが。これは可能なのでしょうか?」

 ピアティフは眉間を細い指で揉み解しながら、論題を変えた。
 王政が過去の存在になって久しいポーランド人としては、日本人の将軍に向ける忠誠というのは分かりづらいらしい。

「無理だ。非常時に国家をまとめるための宣伝で忘れ去られがちだが、将軍は政治や軍事のプロじゃない」

 いくら素養があろうと、二十にもならない娘が一国を担う判断などやりきれるはずがない。
 立憲君主制――これも忘れ去られかけていることだが、本来日本帝国の最上位は憲法他法律であり、皇帝さえこれに制約を受けるのだ――の元、政治軍事の専門家が実権を持つ現在の方式が最良なのは、同じように帝政王政が残る国家の多くがそうであることからも明白だ。
 御心、という名の個人の思いが法に優越するというのなら、それこそ日本帝国は自壊する。
 さらに将軍が直接判断を下す位置に立てば、失政や敗戦の責任を問われる事態になりかねない。
 クーデター側が批判する政府の態度も、見方を変えれば将軍を守るための行為といえた。

「法律で決められた将軍の権限を奪う、となればこれも別の意味で法破りになるが。現在のところそれをやっているのは内閣ではなく……」

 そこまで口にしてから、隼人は苛立ったように手にした書類をデスクに叩きつけた。
 びっくりするピアティフの視線を振り切るように立ち上がる。

「ここでちまちま議論しているのは性にあわん。直接、沙霧尚哉に会う。香月副司令に早く方針を決めるよう伝えてくれ」

「危険すぎます!」

 ピアティフは慌てた。信頼醸成の時間もなくクーデター派に接近すれば、当然警戒され害される恐れさえあった。
 香月副司令は、南の島から帰ってきて数日で再びナーバスになりつつあった。ごく親しい人物しかわからない程度だが……。
 肝心のオルタネイティヴ4が技術的な壁にぶち当たっており、その影響でクーデターにどう対処するか、珍しく明確性を欠いている。
 一方で隼人の意見は明確だった。
 BETAの脅威がある以上は、未然にクーデターを潰す。同時にもぐりこんだアメリカ工作員をあぶり出し、外交カードとして時間稼ぎ。
 南の島での発砲問題とあわせれば、多少の時間稼ぎにはなるだろう、と言っている。
 暴走している時や個人としての行動はともかく、隼人は戦略家としては不確定要素を避けてローリターンでもローリスクを選ぶ、堅実なタイプだった。

「心配するな。前線組ならいざ知らず、安全な首都で政変ごっこしている甘ちゃんにオレがやられるわけがないだろう」

 隼人が淡々というだけに、ピアティフは思わずうなずいてしまった。
 早速部屋を出て行く隼人の逞しい背中を見送りながら、ピアティフは溜息をついて夕呼へのホットラインを手に取った。



 帝都・帝国大学付属病院。
 かつては第二帝都時代(第一帝都・京都陥落前から、東京は要地だった)の医療の中枢として賑わった病院も、今は閑散としていた。
 本土防衛戦以来の国民生活困窮は医療も直撃し、まともな医者にかかれるのは例外を除けば特権階級――武家や軍人、一部富裕層のみとなって久しい。
 その一角で、珍しく華やかな笑い声が響いていた。
 待合室だ。流石に病室で騒げば、こんな時代でも……いや、だからこそ職業意識を高く持つ看護士に注意されていたことだろう。

「そうなんです。まったく鈍感な男の相手というのは苦労します」

 溜息をついて見せたのは、この病院には珍しい国連軍軍服を来た赤い髪の女性士官。伊隅みちる国連軍大尉だ。

「それは鈍感を通り越しているんじゃあ」

 四人姉妹にアプローチされても気付かない、というみちるの思い人との体験談を聞かされて苦笑しているのは、早乙女ミチル。
 同じ音の名前を持つ女性の、自分とは縁の無い話にわからないというように首を振っている。

「まあ、恋愛というのも大変ですわね。私は主人とは見合い婚でしたのでうらやましい、とも思いますが。それなりに苦労があるのですね」

 おっとりとした微笑で応じるのは、ガウンを羽織った細面の女性。顔色も白く、いかにも儚げだった。
 そこへ、規則正しい足音が近づいてきた。白い斯衛服を着込んだがっしりした体つきの男だ。

「吉乃、ここにいたのか」

「あら、あなた。気分が良いのでお散歩をしていたら、こちらの方々とお知り合いになりまして。
伊隅大尉、早乙女さん。こちらがうちの主人の本多盛雄です」

 本多吉乃の顔が、一層柔らかさを増した。夫とついさっき顔見知りとなった二人の女性を紹介する。

「帝国斯衛軍中尉・本多盛雄であります。妻がお世話になったようで」

 鍛えられた斯衛らしい、指先まで筋が一本通ったような敬礼に、文民であるミチルは頭を下げ、伊隅はソファから立ち上がりこちらも見事な答礼を返す。

「早乙女ミチルです。兄が入院しておりまして、付き添いで」

「国連軍大尉、伊隅みちるであります。部下がこちらでお世話になっているので、見舞いに来たところ奥様とお話をさせていただきました」

 国連軍、と聞いた時に本多中尉の顔に僅かな陰りが走ったが。元帝国軍人として、日本人が持つ微妙な対国連感情を知っている伊隅は反射的なものだろう、とあえて見ないふりをした。
 また、数秒後に新潟で肩を並べて戦った斯衛衛士の一人、と思い出したが。これも公式には参戦していないことになっているA-01の立場上、口にはできない事だった。

「それはどうも。よろしければ、これからも妻の相手をしてやってください」

 すぐに表情を改めた本多中尉はいかつい顔に笑顔を浮かべると、妻のほうを見やり、

「もうすぐ診察の時間だそうだ。病室へ戻ろう」

「あら、もうそんなになりましたか。ではこれで失礼いたしますね」

 逞しい夫の手に助けられて立ち上がる女性を、ミチル達は軽く頭を下げて見送った。
 見合い婚といっていたが、威風堂々ながら妻を気遣う良い夫と見えて少しうらやましい、現在恋人すらなしの若い女性二人だった。

 揃って歩みを進め、廊下で二人だけになった所で盛雄が口を開いた。

「……吉乃、実は軍務で知り合ったアメリカの伝手があって、お前の病気を治せるかもしれない医者を紹介していただけるそうなのだが」

 彼の腕に守られるようにしていた妻が、怪訝そうに見上げる。

「ですが、大変なのでしょう? その、かかり(費用)もありますし」

 現在、医療においても世界大国なのはアメリカだ。世界中から安全な地を求めて医療技術者が集まっている。
 だが、それだけに順番待ちも大変で何より保険制度が利かないアメリカでの治療は、今の総じて窮乏する日本人には大変な負担だった。
 世間知らずの武家の娘の上、ほとんど自室や病室で人生を過ごしてきた彼女にもその程度の知識はあった。

「お前の夫をあまり見くびるな。任官当時からの貯金を切り崩せばなんとでもなる」

 冗談めかして笑う夫に、妻もつられて小さく口元をほころばせた。

「……もし、体が良くなったらうれしいですわ。でも、無理は本当になさらないでくださいね?」

「ああ、わかっているさ。それより、お前も大事にな? アメリカまでの旅も中々大変なのだから」

 ふと、夫婦の視線がそろって廊下の窓へと向いた。
 夕暮れの空が、急速に暗くなっていく。太陽が沈んだのではなく、雲が沸き出て陽光を遮りはじめたせいだ。
 寒冷化の影響か、この手の急な雨や雪が帝都でも珍しくなくなって数年が経つ。

「激しい一降りが来るな」

 ぽつり、と盛雄は呟いた。



[14079] 第二十三話
Name: mitsuki◆66f66a11 ID:1f7a972b
Date: 2010/01/15 21:42
「第一MP(憲兵)大隊、全員装備完了!」

「101機械化歩兵連隊への増援要請は!?」

「一個中隊なら即応できると!」

 横浜基地のMP詰め所は、厳しい気配に満ちていた。

「施設破壊の許可はどうだ?」

「検討中だそうです!」

 それを聞き、ちっと何人かの憲兵が舌打ちした。

「中央発令所の役人どもめ……」

 厳しい顔つきになる兵がいる一方で、装備に身を固めつつもしらけた顔をしている者も多かった。

「その、いくらなんでも大袈裟すぎませんか? 所詮は喧嘩でしょう?」

 加熱していく同僚らに、怪訝そうな目を向けていた若いMPがついに声を上げた。
 何が彼らをこれほど混乱させているのか。
 事の発端は、昨日に遡る。



 横浜基地の中央戦術機整備場は、極東国連軍最大というふれこみに違わず広い。
 戦術機三個連隊(324機)を一度に整備・運用可能な設備を持っている基地は、世界中を探しても希少だ。
 もっとも現在は肝心の戦術機及び人員充足率の問題から、撃震・陽炎など各種あわせても約270機ほどしか存在しない。いずれも第一・第二世代機。
 ごく少数の第三世代機の不知火は、厳重に区切られた特殊部隊用スペースに収められているため、一般兵らはその存在をほとんど知らない。

「ん? なんだありゃ」

 帝国軍から供与された撃震の管制ユニットから顔を出した、顎の細い男性衛士が眼を細めた。
 その視線の先にあるのは、今現在搬入されたばかりの戦術機。
 とさかのようなセンサーマストが特徴的な頭部。今ハンガーに並んでいる第二世代機よりもシェイプアップされた、俊敏そうなフォルム。

「ああ、あれは97式・吹雪ですね。例の207B訓練分隊が使うとか」

 声をかけられた若い整備兵は、声を弾ませて答えた。帝国軍でも珍しい新型第三世代機が見られたのが嬉しいらしい。
 もっとも、第三世代機といっても高等練習機に過ぎず、出力などのスペックは一線機より劣るのだが。
 一方、少尉の徽章をつけた衛士の顔は険しい。

「あの特別扱いのガキどもか」

 吐き捨てるような言葉に、整備兵はびっくりしたが。関わりを避けるように、そそくさと立ち去った。

「オレ達先任が、未だに撃震だってのに第三世代機だと? いいところのお嬢様ばかりだからって気にいらねえな」

 207B分隊の彼女達が聞けばびっくりするだろうが、傍から見れば妬まれる要素はいくつもあった。
 何人かがどこかで聞いたことがあるような国家要人の苗字を持ち、かつ訓練兵というもっとも厳しく人権を制限され、連帯を叩き込まれる時期に個室が用意されるという優遇。
 一回目の総戦技演習に失敗した時には所詮お嬢様か、と陰で嘲笑う声があり少尉もその発生源の一つだった。
 しばらくは日々の任務ですっかり忘れていたが、こうして特別扱いをまた見せつけられると、少尉の胸の内で燻っていた暗い火種に苛立ちの息が吹きかけられていく。
 目を転じると、ハンガーの入り口ではしゃぐ特徴的な髪型をした娘達が見えた。男も若干いるようだが。

「……一丁、現実の厳しさを思い知らせてやるかい?」

 少尉の背中に、からかうような声がかかった。ショートカットにきつめの顔立ちをした、少尉と同僚の女性衛士だ。
 が、その目は本気の光はなく、軽口だった。実際問題として、現役衛士にはいちいち他部署の訓練兵を構っている時間はない。
 ないはずだったが。
 突然、整備兵達がざわついた。その視線がことごとくある一箇所に集中する。
 それを追った少尉らの顔がこわばった。

「あれは、武御雷! それも、紫だと!?」

 上ずった声を出してしまった少尉の脳裏に、軍事雑誌や仲間内の伝手で知った、新たに運ばれてきた戦術機の情報が浮かぶ。
 日本帝国の政威大将軍とその縁者を守るための、陸・海・宇宙軍に並ぶ第四軍というべき斯衛軍にのみ配備されている最新鋭第三世代機。
 練習機ではなく、れっきとした第一線機だ。癖はあるものの、近接格闘戦では世界トップクラスと噂されている。
 鬼の面のような顔面装甲から突き出る、角のような太いセンサーマストはただ在るだけで威圧感を帯びているようだ。
 が、問題は機体そのものもさることながら、その色だ。
 紫は将軍家を象徴する色で、日本では古来から特別とされる。
 公式にその塗装をすることを許される戦術機は、将軍その人の専用機のみ、というのが常識だったのだが。
 その紫の武御雷がまさに目の届くところにあったのだ。

「ど、どういうことだい? まさか、将軍家の人間があの訓練兵の中にいるっていうんじゃ」

 女性衛士が額に汗をにじませながら紫の胸部装甲を凝視した。何度見直しても、色はやはり紫から変わらない。
 ありえない。将軍は名誉職同然とはいえ日本の代表者だ。国連軍所属になるなど、どう考えてもありえない。

「……わからないなら直接聞いてみればいいさ。あのガキどももPXだけは特別待遇じゃなかったよな?」

 低く呟く少尉の瞳は、暗い光を帯びていた。



「武御雷、か」

 訓練服姿の白銀武は呟いた。
 その顔色は優れないが、武御雷が搬入されたせいではない。前の世界の記憶よりも、吹雪が一機多く運び込まれたためとも違う。
 ここ数日の夢見が悪いからだ。
 (どうしてだろうなあ……)
 戦術機の実機訓練で、さすがに疲れて夢も見ないほど熟睡しているはずなのに、朝になると頭が映像あるいは音を覚えている。
 それも、体感時間ではもう三年以上の前になる『元の世界』の夢ばかり。
 今は断片的だが、少しずつ鮮明にかつ長い時間夢を見ているような感覚があった。
 加えて、霞だ。
 (……あれは確かに『ゲームガイ』の絵だった)
 彼女が毎朝のように武の部屋を訪れ、起こしに来るのがすっかり習慣化してしまった。前の世界からの恒例なので、それは違和感無く受け入れられたのだが。
 今朝、『お返しです』という短い一言とともに、霞が手渡していったスケッチブックに描かれていた長方形の物体。
 それは武の目には、元の世界でしか存在しないはずの携帯用ゲーム機としか映らなかった。
 問いかける前に、霞は出て行ってしまったので尚更すっきりしない
 ――鑑 純夏
 元の世界で誕生日プレゼントとして、そのゲームガイをくれた相手。毎朝、何度うっとおしがっても武を起こしに来てくれた幼馴染。
 彼女の明るいよく動く表情や、赤い髪と大きなリボンは霞の容姿とはまったく違う。
 にもかかわらず、なぜ二人はこんなに……。
 武の物思いは、右隣にいた御剣冥夜の凛々しい容貌が驚きに変わることで中断された。

「武、そなた知っていたのか?」

 前の世界と同じ展開だからな、とは武には言えない。さてどう返事してやろうか、と言葉を捜していると左から野太い声が上がった。

「確かに武御雷だな」

「……流さん、知っていたんですか?」

 鼻を鳴らして武御雷を見上げる流竜馬に、たまが目をぱちくりさせる。
 近くにいた彩峰や千鶴、美琴も同じような表情だ。
 竜馬は今でも座学関連では苦戦中であり、戦術機の識別も苦手。小テストで撃震を『ゲキ震』、陽炎を『楊ろう』と書いてまりもに漢字書き取りを命じられたほどだ。
 実のところ、紫の武御雷出現に驚いたのは彼女らも一緒だったのだが、竜馬の台詞の意外さが先に立ったのだ。

「この前、あの島で見かけたじゃねぇか」

 竜馬は小馬鹿にされたように感じたのか、頬をかきながら答えた。

「そういえば、そうであったな」

 冥夜がふぅと溜息をついた。
 あの総戦技演習で起こった異変時、武御雷の戦いを目撃し通信やらで名称を言い合ったのだ。
 搬入されてきたことはともかく、存在や名前は知っていてもおかしくないと思い当たったらしい。

「すっかり忘れてた」

 彩峰が素直に顎に手を当てて認めた。

「私達にとっては初陣同然だったから。それに、その後の合格発表ではしゃいだし」

 印象に残ることが多すぎて、武御雷のことをすっかり失念していたのは同じらしい千鶴も腕組みした。

「ま、物忘れするのが人間ってもんだ」

 無駄に説得力のある言葉を吐いた竜馬に、たまが乾いた笑い声を上げた。
 『前の世界』と違い、たまが武御雷に駆け寄らなかったのは、初見じゃないことを無意識に覚えていたからかもな、と武は思った。

「斯衛軍……?」

 不意に美琴が呟いた。
 その驚きの言葉に合わせて207B分隊の視線が集中した先にあるのは、国連軍では絶対に見かけない意匠の軍服。
 赤い色をした斯衛服を身にまとった長い髪の女性士官がまっすぐに近づいてくる。
 月詠真那・帝国斯衛軍中尉。冥夜の警護をしている斯衛軍の独立警備小隊長だ。
 そのまとう張り詰めた気配に、普段は明るくて空気を読まない美琴も口を閉ざしてしまう。
 さて、どうなるだろう。不安げな顔を並べる少女達の中で、武は内心身構えた。
 前の世界の記憶通りなら、従者として振舞おうとする月詠さん達とあくまで一訓練兵でありたい冥夜の思いが言葉に乗ってぶつかりあい、結局冥夜が折れる。
 その後は、自分が月詠さん達に警戒の姿勢を向けられ、こう言われるはずだった。
 ――死人が何故ここにいる?
 未来知識があてにならない不安は、なまじ流れ全体が変わらないだけに武の精神に小骨のように突き刺さっていた。



 翌日の朝。
 吹雪搬入で、いよいよ実機に乗れるかもという期待に満ち溢れた207Bの面々に囲まれながら、武はぼんやり食事をしていた。
 PXのいつもの席に陣取って合成味噌汁を啜りながらも、思考は朝覚えていた夢の記憶を追っている。
 寒い冬だった。それでもBETA大戦で気温が激変したこの世界の冬よりは、まだ過ごし易いように思える冷気に包まれながら。
 武は純夏と会話していた。
 最初は、サンタさんが来てくれないとめそめそする彼女をからかっていたのだが、だんだん気の毒になってきて……そうだ、これがあればサンタさんがくる、と何かを渡したのだ。
 主観的には、もうざっと十五年以上も前になる思い出。すっかり忘れてさえいた出来事。
 純夏に渡したのはなんだったか……そう、あれは。

「ゲッタートマホークだな」

「そうそうゲッタート……んなわけないだろ!?」

 思わず耳に入った言葉と記憶を混同させかけた武が喚くと、会話を交わしていたらしい竜馬と彩峰が揃って不思議そうな顔を向けてくる。

「いや、間違いないぜ。鬼をぶった切った時のやつはゲッタートマホークなんだが」

「斧だね」

「悪い、ちょっと考え事してて」

 保育園ぐらいの鼻水垂らした純夏が、馬鹿でかい斧を大事そうに抱えている姿を想像して、げんなりしつつも武は謝った。
 そこへ美琴がそっと声をかけてくる。

「ねえ、あそこの正規兵の人達、こっちを見てない?」

 いつもの空気を読まない調子とも違う、不安げな表情には僅かに汗が。
 武が首を捻ると確かに男女一組の正規兵、それも衛士がこちらを見て何か話し込み、時折指差してきている。
 苦い思いとともに武は唾を飲み込んだ。
 前の世界で、武御雷のことで冥夜に絡んできた連中だ。喧嘩になり、一方的にぼこぼこにされた覚えが蘇り、顔をしかめる。
 一瞬の迷いの後、武は席を立った。特別扱いを気にする冥夜への負担がかかることとわかっていて、見過ごすことはできない。
 さて、どうしようかと考えつつ足を踏み出した。

「ちょっと水を汲んでくる」

 仲間達にはそう言い置いて、わざと正規兵の視界の前を横切った。
 喧嘩にまたなったら今度は簡単にはやられない自信はあるが、正規兵相手にトラブルを起こせばこちらが悪くなくても不利になる。それが軍隊というものだった。
 前の世界ではそんなことも知らなかったんだな、と自嘲する余裕さえある武に、やや甲高い男の声がかかる。

「おい、そこの訓練兵」

 は、といかにも何ですかという風を装って振り返った武だが、少尉らの顔はこちらを向いていなかった。

「あ?」

 武は背後から上がった声に、ずっこけそうになった。

「ちょ……竜馬、なんでお前がっ!?」

「なんでって、お前と同じ水だけどよ……それで何か御用ですか少尉」

 この時の不幸は、例えばエース部隊の中尉のように竜馬や207Bに好意的な士官がたまたま周囲にいなかったことだった。
 視線を向けているのは、程度の差こそあれ特別扱いされる訓練兵に不快な思いを抱いているらしい顔ばかり。
 あるいは、それがわかっていてこのタイミングで声をかけたのかも。武の背中は、あっという間に冷や汗でべとつきはじめる。

「なんだその態度は!? ……まぁいい。お前らの部隊はあれで全部か?」

 まりもと207B分隊の教育の成果で、一応背筋を伸ばして言葉遣いを改める竜馬だったが、表情は不快感を隠そうともしない。
 少尉は激昂しかけたが、それを納めると親指で不安そうな目をしている分隊の少女達を示した。

「はい」

 竜馬は小さく答えた。下手に言葉を続けるとボロが出る、ぐらいは自覚しているらしい。
 そこで女性正規兵――こちらも衛士で少尉の徽章と制服だ、が口を開いた。

「だったら、あのハンガーにある特別機……帝国斯衛軍の新型は誰のだ?」

 お前達の誰か用だと聞いたが、と続ける。
 このタイミングを見計らって、竜馬の代わりに自分が答えよう。絶対そうしたほうがいい、と武は唇を動かそうとしたが。

「――私の機体です、少尉殿」

 緊張を含んだ女性の声が、またも武の出鼻を挫いた。冥夜だ。
 武の冷や汗が、額にも浮かび上がる。厄介なことになるのが嫌だから席に立ったのに、彼女まで来るとは。
 少尉らは、冥夜の固い表情……いや、その容貌を見てそろって首を傾げたが、すぐに上官らしい横柄な態度に戻る。
 冥夜に名前を答えさせると、「なんであんなものがここにある?」と問い詰め、さらに「黙ってちゃわからねえだろ訓練兵?」と彼女に返答を強要する。
 武は必死に頭を働かせ、解決の糸口を探し前の世界の記憶を思いだそうとする。
 そこでこの少尉が口にした、ある台詞を思い出してしまい、武は自分の頬から血の気が引くのを自覚した。

「聞けば、お前らずいぶんワケありの特別待遇だそうじゃねえか。そのあたりもきっちりと説明してもらいたいもんだな?」

 ついに冥夜の胸倉を締め上げにかかろうとした少尉の手首を、横合いから伸びた竜馬の指が掴んで止めた。

「……ふざけるんじゃねえぞ。てめえら何様だ?」

 竜馬にしては、やけに静かで平板な声。
 第二の不幸。それは、竜馬が数ヶ月『らしく』生活していた横浜基地研究棟やその周辺にいた人物が皆無だったこと、だ。
 ここにいるのは、せいぜい竜馬が少女達に囲まれて、教本相手に唸っている姿しか知らない者達。
 顔を曇らせ黙り込む冥夜を解放しようとしない二人に、紙よりも薄い竜馬の忍耐が破れたようだった。厳しい光が黒い目に灯る。
 やべぇ!? 武の全身から余すところ無く嫌な汗がにじみ出る。

「てめぇ、上官に対してなんだその態度は……あ?」

 竜馬の手を振りほどき、返す刀でその顔を殴ろうとしたらしい少尉の眉が跳ね上がった。
 いくら力を篭めても、少尉の腕を竜馬は離さない。それどころか、微動だにしないのだ。

「上官? 大方、体のできてない訓練兵になら舐めた真似できると思ったチンピラだろうが」

 俯いた竜馬の顔は、前髪に隠れて表情が伺えない。が、ずるりと滑り出るような錆び付いた声は、それだけで人を威圧するものがあった。
 ようやく竜馬が手を離すと、少尉は顔を真っ赤にして全身を怒りで震わせる。
 あまりな態度に、女性少尉のほうはからかうように口元をゆがめた。

「かっこいいねえ。上官侮辱罪で首かもね、こりゃ?」

 首、という言葉に本人以上に冥夜が反応した。武もだ。
 後ろでがたがた、という音がする。207Bの少女達が立ち上がったらしい。

「竜馬、止せ!」

「流、もうよい! 少尉殿、あれは……」

 冥夜が、武がなんとか場を収めようとする前に。
 少尉が拳を固めてファイティングポーズを取る。

「上等だ……」

 階級は関係ねえ。かかってこいよ。

 そう口にした少尉は気付かない。自分が勢いで身を守っていた最後の一枚の盾を捨てたことを。
 それが第三の不幸だった。
 瞬間、207B分隊の少女達と武の間に見えない落雷が落ちた。

「ま……」

「おっと。邪魔するんじゃないよ?」

 咄嗟に動こうとした冥夜と武を女性少尉が腕を伸ばして制する。彼女は武らが竜馬を助けようと動いたと『勘違い』したのだ。
 少尉が腕を振り上げ、鋭い右拳を竜馬の顔面に向けて突き出す。
 態度はともかくとして厳しい選抜と訓練を潜り抜けた現役衛士。その一撃はかなり重い威力を含んでいたが。
 それが竜馬の顔面を打ち抜くより早く。比喩でもなんでもない混じり気なしの凶器となった竜馬の鉄拳が少尉の顔面にぶち込まれた。

「ぷべらっ!?」

 奇妙な叫び声を上げてのけぞる少尉の腹に、竜馬の膝が容赦の「よ」の字も無く叩き込まれる。
 鍛えてない人間なら内臓破裂を起こしてもおかしくないほどの打撃を受けて、今度は前かがみになりかける少尉の顔は、既に涙と口から零れる吐瀉物らしきものを垂らしていた。
 もっとも目立つのは、潰れた鼻から垂れる赤い血。

「おおりゃあああああ!!」

 少尉があげようとした悲鳴もしくは助けを求める声を押し潰すように、竜馬のかけ声がPXの天井を突き上げる。
 兵士級さえぶっ飛ばす竜馬の前蹴りを胸板に炸裂させられた少尉は、放物線の見本を描いて飛び、ある兵士達が食事をとっていたテーブルに背中から落ちた。
 けたたましい音を立てて食物塗れになった少尉は、手足を僅かに痙攣させるだけで立ち上がる気配は当然、無い。
 積み重なった不幸をまとめて叩きつけられた姿は、前の世界で酷い目に合わされた武でさえ心底からの同情を覚えるほどだった。

「けっ、口ばっかりでてんで弱いじゃねぇか」

 吐き捨てる竜馬の声だけが響く。
 207B分隊も女性少尉も。成り行きを面白そうに見物していた兵士達も。
 そして事態が本格的に冥夜らに不利になれば出て行こう、と入り口付近でこっそりと構えていた月詠ら斯衛でさえ。
 突然の圧倒的暴力という名の火山噴火に、当の原因以外の全員の思考が停止していた。

「次はてめぇか」

 竜馬のぎらついた野獣のような……いや、野獣でも逃げ出すような眼光が今度は女性少尉を捉えた。
 彼女は、武らに向けて腕を伸ばした姿勢のまま、喉からひゅっという呼吸音を発した。恐らく悲鳴を上げようとしたのだろうが、それさえ恐怖でままならないらしい。

「ちょ、待て竜馬、その人は女性だぞ!?」

「男だろうが女だろうが関係ねぇ」

 これ以上の惨劇を止めようとする武の引きつった声を、竜馬はにべもなく跳ねつける。
 激しい響きを上げて椅子が一つ倒れた。連鎖的に、さらに何脚も。
 竜馬の行動を、正規兵士への反抗ととったらしい見物人らが次々と立ち上がったのだ。

「こ、この訓練兵がぁ!?」

 いくつもの軍靴が濃厚な暴力の気配を漂わせて竜馬に詰め寄ろうとする。その数、ざっと四十はいるだろうか。衛士だけでなく、白兵のプロ・歩兵もいる。

「おもしれぇ……まとめてかかってきやがれっ!」

 対する竜馬は一人だが、口の端を大きく吊り上げるその表情を支配するのは、喜悦と闘争心。
 こうなったらもう誰にも止められなかった。
 武ら207B分隊の面々が頭を抱える中、在日国連軍史上に汚点として記載される、前代未聞の大乱闘の火蓋が切られてしまった。



 PXでの乱闘騒ぎの報告を受けた当初、またいつものことか、と詰め所のMP達は呆れ気味だったのだが。
 つい先週まで研究棟に所属していたMPが、当事者の一人の名を聞くとまるでコード991(BETA出現警告)を聞いたかのように顔を強張らせた。
 そして、あれよあれよという間に話が大きくなってしまう。

「その、いくらなんでも大袈裟すぎませんか? 所詮は喧嘩でしょう?」

 と、雰囲気についていけないMPが疑問を呈したのだが。

「……上等兵。君は、手斧程度だけを武器に闘士級や兵士級の群れに飛び込んで、散々暴れた挙句まんまと生還できるかね?」

「いいえ」

 憐れむような古参軍曹の視線とあまりな質問に若いMPは仰天しかけるが、上官の問いには本能的に素直に答えた。
 そう、これが正しい軍隊の上下というものなのだ。

「では、それをやってのけた相手はやはり恐るべき者なのだろう」

「はあ……」

「しかも、同じような真似をやらかしそうなのが他に二人もいるのだ。
所在不明のそいつらが何をしでかすかわからん」

 淡々と語る軍曹の口調が、かえって不気味さを強調する。
 そこへ、MP大隊長からの訓示が入った。

「諸君、目標R・Nは相手をなぎ倒しつつ、尚もPXに留まっているそうだ。
いかに奴が強大とはいえ、人間。時間をかければ疲れもするし腹もすくだろうが、我々は任務上速やかに秩序を回復せねばならん」

 あまりに沈痛な表情で隊長が述べるのだから、わけがわからない兵士達もさすがにただ事ではない、と感じるようになる。

「総員、国連軍兵士としての義務を果たせ。私も必ず後から行く……幸運を」

 隊長の合図とともに、横浜基地MP隊の法と秩序を守護する戦いが開始された。



「手土産だ」

 軍人達の密談の定番・『松葉』の一室の畳に、神隼人が投げつけたファイルが落ちる。埃一つ立たないのは、料亭の清掃が行き届いている証拠だった。

「これは?」

 国連軍軍服姿で突っ立ったままの神隼人と対峙するのは、帝国軍服で上座に腰を降ろす沙霧直哉だ。
 制服も容貌も違う二人だが、その知性と剣呑さをまとめて含んだ眼光だけはそっくりで、互いの眉間あたりに注がれている。
 隼人が単身なのに対して、沙霧側は彼を含めて五人いた。いずれも帯刀している。

「日本帝国『が』世界にやってきた陰謀とその証拠だ」

「なっ!?」

 あっさり言ってのけた隼人に声を上げたのは、沙霧ではなく彼の右手に控えていた、護衛役らしい大柄な陸軍軍人だった。

「どうした? まさか日本が世界各国から酷い扱いを受けるだけの、善良な被害者だとでも妄想していたか?」

 唇をゆがめて嘲弄する隼人に、一気に部屋の空気が緊迫感に満ちる。

「冷戦中のアメリカの片棒を担いでの破壊工作にはじまり、月へのBETA侵攻時には旧東側の足を引っ張るための偽情報流布。
戦場が地球に移ってからは、前線国家に日本製兵器を高く売りつけるための現地企業との談合。
同盟国であるアメリカが日本より欧州を重視しはじめたのを止めるための、アメリカ議会有力者へのダミー企業からの献金に見せかけた賄賂」

 隼人の口から、次々と日本帝国が行ってきた裏工作の数々が並べ立てられる。
 一人の軍人が乱暴にファイルを引ったくり、ぱらぱらと眺めると。隼人の言葉通り、世界に出たら日本が袋叩きにあっても仕方ないようなデータばかりだった。

「か、確たるしょ、証拠は……!?」

 日本帝国を侮辱された、と感じたらしい大柄な軍人が今にも腰の物に手をかけんばかりに隼人を睨みつける。

「決定的な証拠まで欲しいのなら、相応の態度をとってもらおうか。それがあれば現内閣など武力を使わずとも、簡単に吹っ飛ぶぞ?
特に在日国連軍絡みでは、それこそCIAさえ出し抜く汚い手口を使ったのだからな」

 アメリカ合衆国などを敵に回しての国連軍誘致合戦の壮絶さは、政治問題化したほどだ(実際にはオルタネイティヴ計画選定レースだった)。
 日本は超大国さえ翻弄して、現在の第四計画主導を世界に認めさせた。
 まっとうな議論だけで世界を動かせた、と思っている人間が知ったら卒倒しそうな暗闘がそこにはあったのだ。
 日本帝国を理想化したい心情と、思わぬ手札入手の可能性への喜びで煩悶する軍人らを冷徹な目で見つめる隼人。
 すぐにその視線は、僅かに眉をひそめただけで動じない沙霧大尉へ向けられた。

「――不要だ」

 沙霧は、隼人が口を閉じて五秒もかからず即答した。

「我々は日本を本来の姿に戻すために戦っているのだ。決起にこそ意義があり、このようなモノを使っては意味が無い」

「まるで、決起自体が目的のような言い草だな」

 沙霧と隼人の間で、言葉に乗せた鋭気の刃がぶつかりあう。
 口を動かしつつ、互いの僅かな仕草や気配から内心を読み取ろうとしているのだ。

「協力の申し出には感謝するが、これは義挙であって権力を取れば良いというものではないのだ」

 沙霧は動揺する仲間を視線だけで制して、淡々と口を動かすが。こういった腹の探りあいについては隼人のほうが場数を踏んでいた。
 ――こいつは、クーデターを成功させる気は最初から無い
 隼人はそう判断した。
 沙霧は、愛国心を持つ人間ならたとえ事実でも中々認めたくない『自国の闇』を突きつけられても、ほとんど動揺する気配を見せなかった。
 そんな冷静な男が、武力蜂起という手段に拘って目的を見失うとは思えなかったのだ。

「ならば、何の手土産があれば仲間に加えて貰える? オレは、あんたらが天下を取った後に機密情報を自由に得られる立場をくれるのならなんでもやってみせる」

 自分の悪評さえ利用して食い込もうとする隼人に、沙霧は腕組みした。

「……そうだな」

 沙霧の口が動く。それは隼人でさえ一瞬、絶句する内容だった。

「横浜基地にある、試製99式電磁投射砲稼働に必要なG元素を奪取してきてもらおう。あれがあれば、義挙の間にBETAが攻めてこようとなんとかなるからな」



[14079] 第二十四話
Name: mitsuki◆66f66a11 ID:1f7a972b
Date: 2011/07/05 22:48
 BETA大戦で余力が無い日本でも生き残っている数少ない娯楽に、アニメがある。
 無論、16歳ぐらいの少年少女らまで徴兵されるようなご時勢であるから、その内容はとかく戦意高揚や教条的なメッセージが押し出された物ではあるが。
 それでも、堂々と公共の電波に乗って流れる数少ないアニメは、密かな人気番組だった。

『チェンジ! ゲックーV!!』

 PXに備え付けられたテレビの画面内で、灰色の国防カラーのメカ(戦闘機、戦車、潜水できるホバークラフト)がガチャンガチャン、という効果音とともに合体。
 一体の巨大ロボットになって、鉄の拳を振り上げてポーズ。同時になぜか首からマントが飛び出し、風になびく演出がなされた。

「これこれ! 入院中に始まったんだけど、大人気なんだよ~」

 胸の前で両手を組んで、美琴はにこにこと笑った。少し前まで軍病院に事故のため入院していた彼女は、暇つぶしにテレビをかなり見ていたそうだ。
 アニメのストーリーは単純明快。外宇宙からやってきた侵略者『エイリアン』を正義のロボットがやっつける、というもの。

「これって完全にゲッターロボがモデルですよね?」

 たまが苦笑いしつつも、その目は画面に釘付けだ。手書きの乱れた作画だが、とりあえずきちんとしたアニメが見られるだけでも珍しいのだ、現在では。
 テレビの中で、愛と正義と平和を何より愛する熱血漢の主人公、リュウが黒髪を振り回して吼えている。
 平和を乱す奴は許さない! とかの定番台詞。時々、不自然に『国家への忠誠を』だの『粉骨砕身』だのいかにも、な言葉が混ざっている。

「戦意高揚宣伝だね」

 彩峰がぼそっと呟いたが、視線はやはりテレビに注がれている。

「確かに。明らかにモデルになった人物は、あのような事は口にせぬからな」

 お茶のおかわりを机の上のカップに注ぎながら、冥夜が含み笑いを漏らした。

『俺達の愛国心と正義と友情は、誰にも負けない!』

 リュウのパートナーである、クールでニヒルな下に滾る愛国心を隠したタカト、気のいい純情少年のヨシツネの三人が揃ってカットインの中で吼えている。
 モデルとおぼしき本人達の情報が漏れたら、詐欺で訴えられるかもしれないほど日本帝国的美化が施されている。
 この手のアニメは元の世界で見慣れている武は、合成鯖味噌定食の漬物を、食欲なさげに箸でつついている。

「弁慶さんが実物より痩せているのは、やっぱり太っているのはまずいからかな?」

 三食食べられるだけで特権的なほど、この世界は追い詰められていることを思い出し、武は遊んでいた食べ物を口に放り込んだ。

「ちょっと! あなた達現実逃避してないでよ!」

 眼鏡を震わせて分隊長・千鶴が椅子に腰掛けてテレビを見ている五人に声を張り上げる。
 その背後では、武達が意識の外から締め出していた光景が展開されていた。
 軍服を着ている、という以外には目だった共通点が見受けられない多彩な人種の兵士達があちこちで殴り合い、つかみ合っている。
 特に目立つのは、ヘルメットをつけたMPだが、なぜか多くの兵士から集中攻撃を食らっていた。

「……無理」

 彩峰が目を糸のように細めて、首を横に振った。未だに千鶴とはどこか反りが合わない彼女だが、今回ばかりは含む所はない様子。
 事態がどう見ても彼女らの手に負える範囲を超えているのだ。
 元々は、竜馬が武御雷の件で207B訓練分隊に絡んできた少尉をぶちのめしたことから始まった。
 『階級は関係ないからかかってこい』という台詞はこの手の騒動では、身分を盾にしない男だぜ、と示したい者がよく口にするものだったが。
 本当に階級に関係なくぶっ飛ばす訓練兵、というのは(実力的な意味でも)稀なことだろう。
 これに激昂した正規兵軍団と、流竜馬の一大乱闘がはじまった。
 普通ならいくら強くても囲まれて袋叩きにされるところだが、竜馬は人間離れした跳躍力で包囲されかけるたびに脱出、その際ご丁寧に着地地点にいた相手を飛び蹴りで吹っ飛ばす。
 半端な数で殺到する兵士は、竜馬の前蹴りで顎を蹴り上げられ、その拳で床に叩き伏せられる。
 一般人時代からただでさえ狂猛だった竜馬は、ここ一ヶ月ほどの規則正しい軍人生活と訓練でさらに強さを増しており、人間の形をした台風と化していた。
 そこへMPが突っ込んできたのだが……これまたタイミングが悪かった。
 正規兵達は竜馬の凶悪な笑みにおののきつつも、面子から意地になりヒートアップしていた。
 制止に応じるどころか、MP相手に乱闘まではじめる者が続出する始末。
 竜馬一人に戦力を集中できないMP隊は、各所で分散しての鎮圧作戦を余儀なくされた。
 そして現在。

「おりゃあ!」

 テーブルを集めた即席リングの上で、竜馬が雄叫びとともに右回し蹴りを放ち、レスラー並の体格の黒人をノックアウトする。
 見物人と化していた者が、気絶した兵士を引き降ろし、壁際で救護活動を続ける衛生兵の元へ連れて行く。
 その間にも、次の竜馬へのチャレンジャー・白人の歩兵士官が勇んで机リングに登った。
 竜馬の強さを知っても挑もう、というだけに格闘技に自信があるらしい。
 悪い足場をものともせず、一昔前に作られそして現代では途絶したカンフー映画のような素早い連打を竜馬に送り込む。
 面白れぇ、と歯を剥き出しにした竜馬も、小刻みに手足を動かしてそれを綺麗な動きで捌いていった。
 喝采、どっちが勝つかという賭けをちゃっかり始める声が、周囲で爆発している。
 元凶がなぜか堂々と連続タイマンをやっており、周囲ではMPと他の正規兵が相変わらず揉み合い、殴り合いという状況。
 窓の外ではMPの応援に駆けつけたらしい機械化歩兵が待機しているが、流石に建物をぶち壊さなければ入ってこれないため今のところ動いていない。
 改めてそれらを確認した千鶴ががっくり肩を落としたが、しかし気落ちせず顔をきっと上げて、

「そ、それはそうだけど! せめて教官を呼んでくるとか……」

 その語尾は小さくかすれていった。何しろ、出入り口までの空間はむくつけき男達、そして彼らに劣らぬ強者の女性兵士らによる格闘のアリーナと化している。
 いけるものなら、とっとと離脱していたはずだった。

「……これもオレ達の連帯責任になるのか?」

 武が最悪の未来図を想像しながら、深い深い溜息をついた。

『人間同士での暴力は何も生み出さない! やめろー!』

 テレビの中では、誤解から殴りかかられる民間人を庇って無抵抗のまま暴力を受けるリュウが、凛々しい表情で叫んでいた。
 ――ちなみに、ゲックーVのスポンサー企業の一つは、香月夕呼の直轄ダミー会社だった。



 アメリカ合衆国は覇権国家である、という批判はその敵対者らにとってはほぼ常套句と化していた。
 そして、現実に他国からすれば頭が痛い強圧的な態度をとる例が多いのも、否定できない事実だったが。
 当のアメリカ合衆国首脳部からすればどうだろうか。
 実は、覇権的な行動を推進する一派に頭を痛めているのは、彼らも同様だった。
 覇権主義ということは、他国の支配権を実質獲得することであるが。同時に、支配下に入った相手の面倒を見なければならない、という一面がある。
 例えば日米安保条約と、それに基づいて発動された日本本土防衛戦への支援が一つの類型だった。
 戦略的な策源地として日本を利用でき、また当の日本政府への突きつけられた刃ともなりうる在日米軍だったが、それは日本という他国を守るために人命と経費を支出しなければならない、ということでもあった。
 しかも、建前上日本はれっきとした独立国でもあるから、その意思を無視して行動するのはアメリカといえども傍から見ているほど容易ではない。
 結果、日本国防省との方針対立の中、BETAに対して大量破壊兵器も辞さないドクトリンで組み上げられた米軍が、しばしば苦手な近接戦闘を余儀なくされ大損害を蒙るという事態が続発。
 たまりかねた当時の米首脳は、安保破棄・在日米軍総撤退という決断を下さざるを得なかった。
 既に出した損害は勿論、この判断によってアメリカが失った国際的信用等の副次的ダメージは、当時の政権が次の選挙で大敗し倒れるほど深刻だった。
 覇権なんぞとっても割りにあわない、アメリカの国益が尊重される程度の影響力が保持できればそれで良し。
 苦い教訓から、アメリカの政治家はそう学んだはずだが。
 支配力の盲目的な強化こそが、合衆国の威信であると未だに考える者達も、また多かった。
 その覇権主義者の頭目の一人、とされる人物がワシントンのあるホテルに滞在していた。

『ここまで台本通りに踊ってくれると、却って興ざめするな』

 ネットワークを走った電気信号がパソコンで読み取られる。
 それが瞬時に音声化されたものを聞き、ベイト・フリードマンはマイクに声を吹き込んだ。
 アメリカ軍がかつて冷戦時代の全面核戦争に備えて開発した、インターネット。
 現在、少しずつ一般・外国にも普及しているが、実質的にはアメリカの力ある階級に独占状態であった。

「まったくだ。あの手ごわい榊内閣、それに帝国情報省がこうも愚鈍だとは……何かの罠の可能性は?」

 ベイトは三十代後半の、汚れた眼鏡をかけた風采の上がらない白人青年だった。この部屋も、セキュリティ完備であることを除けば低級といっていいエコノミー室。
 合衆国を代表するある軍事ソフトウェア企業のボスでありながら、ベイトは物質的享楽にまったく興味の無い人間だった。

『罠だとわかっていても飛び込まざるを得ないように仕向ける。それが謀略というものだよ』

 低い笑い声まで律儀に変換するパソコンの機能に、ベイトは眉をひそめた。
 通信相手は、ラングレーのCIA本部の幹部個室を占拠する人物だ。志を同じくするとはいえ、企業家であるベイトとは思考様式からして違う。

「……分かっているとは思うが、我々はオルタネイティヴ計画を5へと進めることが目的だ。悪い癖は出してもらっては困るぞ」

 世界を救うのは速やかなG弾を中心とした、人類全体の意思が統一されての反攻作戦であると信じているベイトだが。
 だからといって、そこに至るまでの全ての犠牲を当然と許容できるわけではない。

『無論だ。余計な恨みを買って必要経費を高騰させたくない、というわけだろう?』

 はぐらかされた、とベイトは理解したが、「ならいい」と小さく返しただけだ。
 ベイトからすれば、日本帝国の反米・親オルタネイティヴ4派の勢力が減退し、5発動を阻止し得ない程度にまでなってくれれば他は些事だったが。
 ネット上の彼が、日本帝国を徹底的に弱体化させてアメリカ合衆国の日本駐留を泣いて頼むまでにさせる気でいて、そのために難民兵士を工作員に仕立てた事を知っていた。
 その勇み足で、香月夕呼を直接攻撃してしかも失敗するという大ミスを引き起こし、ベイトらが後始末に奔走させられたのだ。
 例えば、横浜基地から要請があった『既存の戦術機OSに独自の書き換えもしくは追加を行いたい』という、ベイトの重要な利権を揺るがす打診も、ろくな対価もなく承認するしかなかった。

「言っておくが、今度同じような事を繰り返したらいかに同志といえど切り捨てるからな」

 我々は人類の未来のためにやむを得ず策動しているのであって、アメリカの栄光と君臨はその副産物でなければならない、と考えるベイトは迷った末もう一本釘を指すことにした。
 本当は香月夕呼暗殺失敗だけで切り捨てたかったが、こいつが持つCIAでの実権と世界的なスパイネットワークは貴重だった。

『心配かけてすまないとは思っている。が、今度こそ大丈夫さ。もうすぐ、日本は我々の手に落ちる』

 返って来た返答は、ベイトを不満にさせるものでしかなかったが。
 これ以上追求しても仕方ない、とベイトは話を次の議題に変えるべく手元のメモを取り上げた。

「それより問題は、G弾もなくカシュガルハイヴに突撃しようとする連中への対処だ。軍の同志は、珠瀬への抹殺行動と同時に潰すことを狙っているようだが――」

 世界は複雑であり、無数の人々がそれぞれの思惑で動いている。
 自らの思想を現実にしようと思えば、おのずと他者との衝突は避けられないのだった。



 安物だが、しっかり手入れされていることが伺える埃一つない仏壇の前で。
 武蔵坊弁慶は、正座して手を合わせていた。
 その口からは、静かに読経の声が流れ出ている。普段の彼からは想像できない、祈りに満ちた穏やかな表情だった。
 読経が一通り終わると、弁慶は飾られた遺影に一礼して、背後に向き直る。
 そこには割烹着に頭には三角巾、という老婆がいた。白髪と顔の皺が、生きてきた年月の労苦を示していた。

「ありがとうねぇ。まさか、倅の戦友がお坊様でわざわざ来てくださるとは」

 弁慶に頭を下げる老婆の目元が、僅かに潤んでいる。
 僧侶姿の巨漢は、居心地悪そうに首をすくめた。他人からこんな態度をとられるのには慣れていないのだ。
 この老婆の二人目の息子が、弁慶が帝国軍歩兵連隊にいた時代の同僚だった。
 彼の出身地がここで、未だ家族が残っていると聞きつけた弁慶は、休暇を利用して足を伸ばしたのだ。

「いや、坊さんといっても半人前で……」

 気楽にしてくれ、と頼もうとした弁慶の顔つきが厳しくなった。
 この荒地に立った一軒家全体が、突然上下に揺れだしたのだ。

「地震か」

「最近、多いね」

 片膝を立てる弁慶に対して、老婆は溜息をつくだけだ。
 慣れているらしく、よく見れば室内の家具類は縄で固定されている。
 ここ天元山周囲一帯は立ち入り禁止区域に指定されており、火山活動活発化に伴う天災発生予測もあり、居るだけで犯罪となる場所なのだった。

「……なぁ、ここにいたらやばいんじゃあ?」

「確かに、役人が何回か来て出て行けっていってきたけど。あたしゃ、ここに最後までいるつもりさ」

 この時代、役人がそんなことを何度も言いに来る、というのは命令に等しいことは、弁慶にとっても常識だった。
 困惑した顔色を見せる弁慶に、老婆は達観したような穏やかな目を向ける。

「ここは、亡くなった主人と建てた家でね。二人の息子もこの家で育った。こんな年寄りにとっちゃ逃げて長生きするよりも、あの子達の思い出と一緒に最後までここに居たいのさ」

「あー……」

 弁慶は口を開きかけたが、結局閉じるしかなかった。
 元々口上手とは言いがたい所へ、老婆の言葉は不思議な重みがあり、説得しようとする気力を失わしめるものがあった。

「さ、もう遅い。大したもてなしはできないけど、一晩くらいは泊まっていっておくれ」

 気分を変えるように、明るい声をかけられると。弁慶は神妙な顔でうなずくことしかできなかった。



「――ん?」

 老婆に出されたおにぎりで腹を満たし、彼女の息子さん達の思い出話をつらつらと語っていた弁慶の本能が、ふと警告を発した。
 既に日は暮れて、夜八時を壁掛けの時計は示している。

「どうしたんだい?」

 怪訝そうな老婆に軽く手を上げて見せて、耳をそばだてる弁慶。

「婆さん、どっかに隠れてろ。妙な奴らが来る」

 弁慶のあまりに厳しくなった表情に、老婆は黙ってうなずくと、息子と主人の位牌と写真を抱えて隣室に移動した。
 それを見届けた弁慶は、入り口である板戸の真横に立ち息を殺した。
 途端、派手な音とともに板戸が蹴り破られ、小銃を構えた人影が三人飛び込んできた。
 顔を覆面で隠し、その物腰は明らかに訓練された鋭さを帯びている。
 弁慶は物取りにしちゃ妙だな、と思いながらも、この挨拶もせずやってきた連中を即座に敵と決めた。

「人の家に上がるときは、靴ぐらい脱ぎやがれっ!」

 横合いからいきなり叩きつけられた大音声に、三人の動きが一瞬だけ停滞する。
 そこへ弁慶の熊手のような大きな掌が飛んで、一人を打ち倒す。ヘルメットの上からも人間を気絶させるに足る衝撃を受けて、そいつはもんどりうって畳の上に転がった。
 残り二人が銃口を向けようとするが、攻撃を食ったのがよほど意外だったのかすぐには定まらない。
 その隙に、弁慶の巨体が彼らのヘルメットの下の瞳に大写しになる。
 肉弾、という表現そのままの体当たりを食らった奴が、仲間を巻き込んで吹っ飛び、家の壁に激突した。

「っ……まだいやがるのか!?」

 三人が気絶したらしく動かないのを確認して大きく息を吐いた弁慶だが、壊された入り口の向こうから喧騒が聞こえてくる。
 つい先刻までは、静かな夜の時間が流れていたのに、明らかに異常事態だった。

「婆さん、このまま隠れていろよ!」

 隣の部屋に大声を放ってから、弁慶は三人の倒れた者達から武器を奪い、家具を固定していた縄を拝借して縛り上げた。
 そして、取り上げた銃を改める。

「鎮圧用のゴム弾か。変わった物取りかそれとも誘拐ってやつか?」

 どっちにしろぶっ潰すまでだ。真相究明が先、などという殊勝な考えは露ほどにも浮かばない弁慶は、闘争本能を全開した赤ら顔で外へ飛び出した。



 日本帝国帝都・東京。首相官邸執務室は、深夜でも照明がついたままであるのが常態化してはや数年になる。
 日本内外の懸案は処理しても処理しても、さらに問題が湧いてくるためだ。
 並の人間なら、底の空いたバケツで海の水をかき出すような精神的苦痛ですぐ潰れるような地位を何年も占めているのは、榊是親日本帝国内閣総理大臣。

「……これでよし」

 是親は、12月4日の晩餐会と翌日行われる褒賞授与の計画書にサインした。恐らく、晩餐会が自分の人生最後の公務になるだろう、という確信を秘めて。
 空調のきいた広い執務室だが、今居るのは是親ただ一人だ。
 日本は生まれ変わらなければならない。現政権のトップであり、むしろ改革派から批判されることが多い彼だったが、誰よりもそれを痛感している人物でもあった。
 しかし、ただ変えるだけでは駄目だ。
 膿を出し切るのと同時に、生存に必要な血液まで流れ出させては本末転倒。
 そして、是親の手には負えない帝国軍の強権的態度、日本を狙う外国の思惑へも対処せねばならぬ。
 特にアメリカ、正確にはその主導勢力であるオルタネイティヴ5推進派からの影に日向に繰り返される工作は、押さえ込むのも限界に来ている。
 苦しんだ末に是親が出した結論は、彼らの望みどおりクーデターを起こさせることだった。
 無論、ただ相手の思惑に乗ってやるつもりはない。どのみちクーデターが避けられないのなら、それを逆手にとって日本国内を多少なりと正常化させる算段をつけている。
 多くの血が流れることになる策謀に、是親は自分をまず供物に捧げる覚悟を決めていた。
 そうすることによって――

「千鶴」

 一人の時さえ、巌のように隙を見せない表情を崩さなかった是親の顔が僅かに揺れた。
 ふとした拍子に、娘の面影が脳裏を掠めていったのだ。
 父親を失ったと知ったら、喧嘩別れしたあの子は、どう思うだろう?
 少しは悲しんでくれだろうか。似た者同士の頑固な親子だ、と国連にいった珠瀬の奴に何度もからかわれたな。
 もっとも、千鶴と珠瀬の娘が揃って国連軍に行くことになってからは、その手の冗談も絶えたが。
 あの男にも、後始末を押し付けることになる。

「つくづく……」

 物思いにふけり愚痴を一人こぼした是親の容貌が、再び厳しさを回復した。手元の電話が鳴ったのだ。

「私だ」

 受話器を取りながらも、不法帰還民の強制送還を命じた件だろう、という目星はついていた。

『閣下、申し訳ありません。天元山の不法帰還民への対処ですが』

「……どうしたのかね?」

 電話の相手である国家公安委員会委員長の声がこわばっている。
 まさか、人死にが出てしまったのだろうか?
 治安維持部隊による、乱暴な救出作戦であるから多少の武器使用は許容していたが、殺人にだけは及ばないよう厳命していたのに。
 自身が現政府に対する反感を煽り、沙霧尚哉らが動きやすくするためにわざとやらせた決断とはいえ、是親の胸がざわついたが。

『天元山に派遣した治安維持部隊が……』

 が、続いた報告を聞いて、是親は思わず数年ぶりの思考停止、というものを味わった。

『不法帰還民の一人らしき者によって、反撃を受けて苦戦中。至急、増援出動の許可をお願いいたします』



[14079] 第二十五話
Name: mitsuki◆66f66a11 ID:1f7a972b
Date: 2011/07/05 22:49
 国連軍横浜基地・第二演習場は、BETAとの戦闘で無人化しずたずたになった横浜市街をそのまま障害物に流用している。
 かつて極東有数の港湾を抱えた都市の成れの果てである瓦礫を揺らして、巨大な影がいくつも飛び回る。
 日本帝国軍から国連軍に供与された94式歩行戦闘機・不知火だ。
 現在横浜基地でこれを装備しているのは、副司令直轄のA-01連隊のみ。選抜された精鋭であるはずの特殊部隊だったのだが、今の不知火の動きは新兵が乗っているようにふらついていた。

「な、なんなのよこれは!?」

 容易くバランスを崩し、それを立て直そうとすれば逆方向へ機体を傾がせる不知火を必死に制御しようとするのは、搭乗衛士である速瀬水月中尉。
 質の高い訓練を土台に、苛烈な実戦を潜り抜けて得た優れた技量を持つ彼女だったが、今は端整な顔を焦りの色で染めるほど機体に振り回されていた。
 いや、彼女はまだましなほうだ。追随する二機の不知火はビルに装甲をぶつけ、家屋だったものを踏み潰すほど制御に苦労している。

「これだから新型っていうのは……っ!」

 自機が立てる振動や騒音に辟易しながらも、水月はレバーを操作する力加減を小刻みに変えて適正な操縦感覚を掴もうとする。
 一般的な不知火なら彼女は勿論他の二人の衛士、涼宮茜少尉と柏木晴子少尉もこんな無様な機動は見せない。
 原因はひとえに『ある訓練兵が考案し、オルタネイティヴ4関連の技術者が突貫作業で作った』新概念のOS搭載にあった。
 新型CPUとセットで機体に組み込まれたそれは、旧来のOSに比べて三割ほど反応速度が向上しているという。それは良いのだが、旧来のOSよりも繊細な操作を余儀なくされる。
 ちょっとした誤操作さえ大袈裟に機動に反映されてしまうためだ。

『きゃ、キャンセル……!』

 また力加減を間違えて転びかけた茜機が、新型OSの機能の一つを用いて前のめりにビルに突っ込みかけた機体を後退跳躍で立て直す。
 一旦入力した命令を途中で止め、変更する操作法だ。処理能力の関係から、旧型OSではできなかった事の一つ。
 画面上に映る茜の普段は勝気と生気にあふれた顔も、今は焦燥と冷汗に占領されていた。

『あはは……ちょっときついかな』

 緑がかった瞳を細めながら、柏木晴子も苦笑する。茜と彼女は任官間もない新人だが、訓練兵時代初期を除いてこれほどただ動かすだけで苦戦したことはない。
 事前に香月夕呼副司令より見せられた『発案者』が搭乗する吹雪のシミュレーターデータから、慣れれば今までとは別次元の機動ができるという確証はあったが。実際にやってみるとなると、かなりの難物だった。
 バランスを立て直す必要から、真っ先に慣れ始めたのはキャンセル機能だった。

「ったく。何なのよこの実験ラッシュは」

 うららかな昼前の太陽の輝きさえ、今の水月には忌々しい。本来なら実験開発部隊がやる仕事を突然押し付けられたのだから。
 オルタネイティヴ直轄組織は、世界の行方を担うだけあって人材も予算も豊富だが、無尽蔵ではない。
 例えば新開発の電磁投射砲も(政治的取引もあるとはいえ)帝国軍に丸投げしないといけないほどだ。
 (その電磁投射砲の試作品は海外での実戦試験で甚大な損害を受けた挙句、G元素を用いたコアユニットがBETAを引き寄せる危険性を指摘され停滞中であったが)
 もっとも数十分後に動きのコツを掴んだ途端、水月らは今までに無い柔軟かつ敏速な機動が可能になることに魅せられ、不機嫌をすっ飛ばしてはしゃぎまわることになるのだが……。



「妙だな」

 一方こちらは、第二演習場のすぐ傍にある射撃訓練を本来行う『射爆場』。
 伊隅みちる大尉が小首を傾げていた。
 彼女が乗る不知火は突撃砲を右腕で構えた姿勢で動きを止めている。その砲口からはかすかに硝煙が立ち上っており、射撃直後であることを示していた。

『同じ突撃砲で、同じ材質の砲弾を撃って威力の差がでるとは。なんなんでしょうねこれは』

 伊隅機の背後にいて、射撃結果を観測していた同型の不知火から通信が入る。
 管制ユニット内に座る宗像美冴中尉の表情は冷静さを保っているが、瞬きの数が普段より多い。彼女に近しい人間なら、動揺がそうさせていると悟れただろう。

『誤差、というには大きすぎます』

 同じく観測者を務めていた風間祷子も普段の温厚な気配を崩さないままだが、代わりに声が疑念を含んでいた。
 彼女らも実験任務中だった。
 ゲッター合金の余剰分利用の36ミリ砲弾を、三機が交代で戦術機を模した標的に撃ち込んだのだが。
 標的の貫通・破壊具合が同一材質・規格の砲弾とは思えないほどまちまちなのだ。
 美冴、祷子が放った場合は、第二世代機のやや薄い正面装甲に食い込む程度。一般的なタングステン弾頭のそれと変わりがない。
 しかしみちるが射撃したばかりの弾は、見事に標的を背後まで貫通していた。並の戦術機なら一撃で落とせるほどの威力だ。

「常識的に考えれば、微妙な砲弾の進入角度等の違いのためなのだろうが」

 みちるは幽霊でも見るような視線を突撃砲に――そこに装填されたゲッター合金砲弾に向けた。
 口ではそういったものの、現実にはその程度の要素では破壊力が大幅に上下する現象は起きない。

『あの滅茶苦茶な合体を可能にする合金ですからね。今までの常識は捨てたほうがいいのかもしれません』

 美冴はお手上げ、といったように肩をすくめてみせた。彼女らはゲッターロボと新潟で共闘し、その常識外れの合体変形を直接目撃している。
 どの道、取るだけとったデータを開発部に回せば任務は終わり。彼女らの仕事は解析ではなかった。
 なお、一部ではもっとも破壊力を期待されていたゲッタービームキャノンは、試射直前にエネルギーケーブルの不具合が発覚し実験は先送りされた。
 ともあれ、こうしてA-01と技術陣の手によって新型OSとゲッター技術流用兵器の開発は着々と進行していった。



「今日もOSのバグ取りをするわ。シミュレータールームに行って頂戴」

 夜、執務室を訪れた白銀武に、夕呼は早速用件を切り出す。彼女の机は、相変わらず乱雑に詰まれた書籍と書類に占領されていた。
 新型OSを武が提案してから、ほぼ日課となったデータ取りだ。
 未だに武には知らされていないが、新型OSのテストは彼以外にも行わせている夕呼だったが。やはり、概念の違う機動データ集積は発案者である白銀にやってもらうのが一番なので、わざわざ彼女自身が時間を割いているのだ。
 が、普段なら慌てて従う武は今日は動かず、深刻な面持ちで口を開いた。

「あの、先生。その前に竜馬の事なんですが」

「言っておくけど、いくらあたしでも庇い切れないわよ」

 先回りした夕呼の不機嫌そうな言葉が先回りして、武に最後まで言わせなかった。
 朝から始まったPXでの大乱闘は、昼に差し掛かり当事者達が疲労したため自然に沈静化した。
 (一番大きな理由は、PXの主といえる京塚曹長が非番にもかかわらず駆けつけ、『これ以上やんちゃするなら、もうここじゃ飯を食わせないよ!』と一喝したことだが)
 関わった兵士らが多数に上るため、全員を捕まえると基地機能低下が懸念されるので多くは始末書の後日提出や罰金だけで見逃されたが、原因を作った竜馬はそうはいかなかった。
 一個中隊分のMPに囲まれながら営倉へ直行だ。
 もう暴れたら駄目! と207B全員でなだめあるいは釘を刺して素直に従わせたが……。

「流が一人でどこまでやらかしたかわからないほど滅茶苦茶な状況だけど。少なくとも士官・下士官兵あわせて三十人は医務室送りにした事に間違いはないわ」

「で、でも先生は『前の世界』でオレと冥夜が吹雪二機を勝手に壊した時も庇ってくれましたよ!?」

 夕呼の反応は当然だったが、武はなんとか食い下がろうと一歩前に踏み出す。
 が、夕呼は鼻で笑うだけだ。

「で、その前の世界にはこんなふざけた騒動はあったの?」

「そ、それは」

 夕呼の瞳の中に一点の苛立ちが生まれ、たちまち広がっていくのを見て取った武は返答に詰まった。
 そもそも前の世界には存在しなかった人物が何人もいるのだ。未来情報に自信が持てるはずもなかった。

「まったく、こっちを混乱させる一方なのに好き勝手いってくれるわね? なまじ五割程度は当たる前の世界の記憶ってやつのせいでこっちは散々よ?」

 武の額から汗が一滴滑り落ちる。これほど荒れた夕呼を見るのは初めてだった。
 持ち上がる騒動に頭を痛めているのだろうが、それだけではないと武は直観して。
 つい、余計な言葉を口にしてしまう。

「もしかして……うまくいってないんですか? オルタネイティヴ4?」

 次の瞬間、武の視界が白い何かに遮られた。夕呼が手近な紙束を叩きつけてきたのだ。
 反射的に上げた腕に当たったそれはばらばらに散り、床に軽い音を立てて落ちる。
 怒気を孕んだ夕呼の視線に晒される武は絶句するしかない。

「……す、すいません」

 武がようやく謝罪を口にすると、荒い息をついた夕呼は椅子の音を軽く立てて背を向ける。

「今日はもう帰りなさい……あ、もういっそ前の世界とやらの記憶は書面にして一括で出して頂戴」

 冷静さを取り戻した言葉の語尾がかすかに震えを残しており、それが罵倒されるより武の肩にのしかかる。
 はい、と答えつつ紙を拾い上げて机に戻そうとした武は。何気なく紙に書き付けられた図面を見て眉をひそめた。
 脳裏の片隅に、ちかりと何かが閃く。

「そんなことはもういいから、いきなさい」

「これ……見たことあります」

 うんざりした表情で再び顔を武に向けた夕呼は、『そんなものまで見せるなんて、前の世界のあたしってよっぽどあんたに甘かったのね』と口にして再び不機嫌さを露わにしはじめたが。
 続く武の言葉に、彼女の表情が凍りついた。

「違いますっ! これ……BETAがいない元の世界でみたんですよ! たしか……そうだ、あっちの世界の夕呼先生が『この式は駄目なんだ』ってバッテンつけて」

 穴が開くほど図面を、その下に書き付けられた数式を凝視しながら武は眉根をぎゅっと寄せて記憶を探り、切れ切れに『元の世界』の夕呼が言った言葉を思い出そうとする。
 がたん、という大きな音とともに夕呼が立ち上がる。彼女らしからぬ慌てた歩みで武に詰め寄ると、いつの間にかその手にあったショットガンを武に突きつけた。

「ちょ!? 先生、なんですかその銃!?」

「最近の趣味よ! そんなことより今のはどういうこと!? 洒落じゃ済まないのよ冗談じゃもっと済まないのよ!?
なんでこれが否定されるの? 他になんて言ってたの? これは計画の根幹に関わる理論なのよ!」

 総戦技演習で射撃の喜びを覚えた夕呼が血相を変えて武を詰問する様は、鬼気迫るという表現そのままの危険な香りをかもしだしていた。
 真剣に命の危機を感じた武は、必死で銃口の先から体を外しつつ声を張り上げた。

「だったら銃の扱い真面目に覚えてくださいよ! たとえ空砲でも人にむやみに向けるなっていうのは初歩の初歩です!
オレの主観じゃ三年以上も前の出来事ですし、そもそも理解もできなかったんですって!」

「ちっ……たまに役に立つかと思えば使えない奴ね。いっそ脳から情報を直接吸い出して――」

 バイオレンスさを増した夕呼が舌打ちすると、武は本当に頭に電極をぶっさされている己を想像して身を震わせた。

「自分で考えたんでしょ!? 元の世界の自分に聞いてくださいよ!」

 苦し紛れに喚いた言葉に、夕呼はぴたりと動きを止めた。
 ショットガンをいきなり武のほうへ放り出すと、顎に手を当ててぶつぶつと何かを呟きはじめる。

「……そう、そうね。その手があったわ」

 暴発を恐れた武が慌てて銃を受け取り、セーフティをかけてから装填された弾を取り出す間にも、一人でしきりに虚空へ向けてうなずいて見せている夕呼。

「――白銀、新型OSのバグ取りをとっととやるわよ。後は……そうね、どうせならいっそ207Bの吹雪全機に新型OSを取り付けるわ」

「はぁ!?」

 先ほどまでの暴力的な気配はどこへやら。視線を戻した途端に上機嫌に口元を緩める夕呼に、武は目を白黒させるのがやっとだ。
 だから、気付かない。
 夕呼が持っていたショットガンの弾が、ゲッター合金の余剰利用品のひとつだったことに。
 武の手の中にある合金製弾頭が、ほのかに緑色の燐光を放っていることに……。



 料亭『松葉』の奥まった一室で、神隼人と沙霧尚哉は二人だけで対峙していた。
 それぞれの前には、酒と飯・吸い物程度が載った質素な膳。
 護衛を帰した沙霧が、何を思ったのかこっそりと隼人を誘ったのだ。酒を黙々と口に運ぶ互いの面貌には酔いの色はない。

「もし、将軍がお前達の思惑通り討伐令を出さなければどうする?」

 唐突に隼人は口を開いた。沙霧に直接会い、言葉を交わしたことで元テロリストはクーデターの内幕をほぼ察していた。
 沙霧らの狙いは現在の軍上層部を合法的に追い払う事だ。軍がクーデターを起こし、討伐されたとなれば軍主流はどう誤魔化そうと監督責任を問われる。
 単純に今日本帝国を壟断する軍人らを殺害だけしても、すぐにその与党から代わりが立つだけ、と悟っている。主流派閥要人全てを殺すのは物理的に不可能な以上、責任問題でその力を削ごうというのだ。己らを生贄として。
 『最初から失敗するためのクーデター』という発想は隼人にはなじまないものだったが、醜聞による工作ではなく武力蜂起に拘る沙霧の態度からそう判断を下した。

「殿下、だ。貴様も国連軍人である前に日本人だろう? 礼節をわきまえたまえ」

 沙霧は言葉こそ厳しいが、その口元の形は苦笑だ。彼もまた、隼人の人物を悟り強いて駆け引きをする必要を認めなかった。

「もう、知ってるな。国連軍の香月夕呼と帝国情報省が繋がっていることを」

「むしろ支援者だ。心底からの、とは程遠いがな」

 今度はあっさりとうなずいた沙霧に、隼人が苦笑を浮かべる番だった。
 帝国内にも多大な影響力を持つ副司令と情報省が協力しているとなれば、摘発されるはずがなかった。
 帝国情報省の鎧衣課長と組んだことがある隼人にさえ、夕呼は本当の事を全てしゃべっていない。『女狐』とはよく言ったものだ。
 彼女にとっては、鎮圧に国連軍が手助けし恩を売るのと同時に親オルタネイティヴ5派を放逐できれば万々歳だろう。
 もっとも、夕呼からすればこうして勝手に動く隼人に全てを打ち明けることなど危険でできるわけがない、となるだろうが。
 沙霧は隼人は協力者が送り込んできた手先程度の認識で、他の同志の前では話をそれらしくあわせたつもりなのだ。

「勘違いしては困るが、オレは香月副司令とは違うぞ。このクーデターは速やかに鎮圧されるつもりだとしてもリスクが大きすぎる」

 もし、将軍が討伐令を出さずに事態がこじれたら。何も知らず無心に義挙に賛同した者達が熱狂的に抵抗したら。アメリカ軍の介入が予想外に強力だったら。
 そして隼人がもっとも懸念しているBETAの侵攻が発生したら。
 どれか一つ歯車が狂うだけで、日本帝国自体が終わるかもしれない。当然オルタネイティヴ4も、だ。

「そこまでせねばならんのだ。帝国内部の腐敗は無論、海の向こうからの圧力も深刻。我らが立たずば、別の者が起つ」

 アメリカのオルタネイティヴ5派が本気になった以上、沙霧らが決起して見せなければ本当にアメリカの傀儡としか呼べぬ者達がさらに破滅的事態を引き起こすだろう。
 それが沙霧とその背後の居る者――恐らく夕呼とも情報省とも繋がりのある内閣総理大臣・榊是親の結論だ、と言いたいのだと隼人は悟った。
 考えてみれば、オルタネイティヴ4と関わりが深く(招聘した当事者だ)かつ一部軍人とも関係があり、情報省に本来の職務に違反する行動を取らせられる人物となると総理その人以外ありえない。

「これと同じだ」

 沙霧が箸を取ると、吸い物の中にある具を示した。それは出汁をとるためのもので、食べてもろくな味もしないある魚の肝だった。
 汁を吸い終わった後に残す者も珍しくない。

「日本はこのままでは内と外から滋養を吸い取られ、ついには誰にも省みられなくなったところでBETAに食われてしまう。危険は覚悟の上だ」

「お前達が愛国心や志があれば何でもやっていい、と思っている馬鹿じゃないことはよくわかったが」

 隼人の双眸が、何気なく自分の汁椀に浮かぶ肝を見つめる。
 ふと、その黒い瞳にちろりと光が灯った。知性の、と呼ぶにはあまりに危険な揺らめきを秘めたそれに気付き沙霧は首を傾げた。

「――強いてクーデターに打って出るぐらいなら、もっと大きな賭けをしないか?」

 口元をゆっくりと吊り上げる隼人の言葉に、沙霧は眼鏡の下の目をますます怪訝そうに細める。

「内乱程度じゃなく徹底的に日本を危機に陥らせるんだ。そう、帝国の権勢を私欲で牛耳っている連中が逃げ出し、オルタネイティヴ5派もわざわざ手を下す必要も無い、と思わせるほどにな」

「な、何を言っている?」

 淡々と語り出した隼人の言葉の底にある狂気じみたもの。
 それに感づいたらしい沙霧の声が、かすかにうわずった。

「……例えば、アメリカが日本を見捨てて逃げ出したほどの、1998年の本土防衛戦クラスの危機なら申し分ない」

 日本人にとっては骨の髄まで悪夢が刻み込まれた時期を、楽しげに口にする隼人。
 沙霧は、必死の覚悟を決めて以来忘れていた悪寒の爪に首筋を引っかかれ、にわかに返事できなかった。



 パウル・ラダビノット横浜基地司令は渋面を作り、自身専用のオフィスで端末画面を眺めていた。
 そこには朝っぱらから乱闘騒ぎを起こした流竜馬なる訓練兵の罪状及び減刑嘆願、非公式に司令付要員が調査した周辺情報。そして佐官以上しか閲覧できない重要データが並んでいる。
 本来ならたかが一訓練兵の処罰に司令が関わることなど滅多に無いが、騒動の大きさと問題の人物がそうさせたのだ。

「……なんだ、これは」

 罪状:暴行傷害・上官侮辱・器物損壊等々。被害レベルが、とても一人が生身で引き起こしたとは思えないほど。
 次の減刑嘆願者も妙だった。教官や同じ部隊の面々はわかる。日頃親しいという外国人を中心とした友人達も。
 だが、なぜその竜馬にぶっ飛ばされた連中の多くが嘆願を出してくるのか?
 『脳味噌まで筋肉』とか『男は拳で語り合う』などというメンタリティとは無縁な、インド出身の知的な将官であるラダビノットには理解できなかった。
 一方で憎まれ具合も相当なもので、噂によると竜馬に最初に絡んだ少尉が所属し面子を潰された形になった部隊からは、『戦術機による対人訓練の標的にしたい』などという滅茶苦茶な声が上がってくるほど。
 その処罰への別の戦術機小隊からの反対が『生身でも戦術機に勝利する可能性が極小ながら有り』なのだから、ますますわけがわからなかった。

「尋常一様な人物ではないのは確か、か」

 ラダビノットの長い軍人生活の中でも、これほど周囲を滅茶苦茶に巻き込む兵士というのは初めてだった。
 溜息をつきながら、視線を次の考慮事項に移す。
 本来なら流竜馬は、12月5日に日本帝国総理官邸で新潟防衛戦の功績を称え勲章等を授与される予定となっていた。
 しかし不祥事を起こした以上は帝国に申し立てて取りやめに……といかないのが世の中の難しさだった。
 見方によっては帝国の殊勲者を国連が悪い兵士に仕立ててしまった、という文句も成り立つのだ。
 ただでさえ微妙な帝国・国連間に余計な火種を撒きたくない、と渉外担当が泣きついてきている。

「やむをえん、か」

 ラダビノットはキーボードに太い指を置くと、『日本帝国による流訓練兵への褒賞授与前押しを打診。それが終わった後、改めて処罰を下す』という妥協案件とする決定を打ち込んだ。

 ――しかし、多忙な榊首相は予定日以外に時間を取れず。双方の交渉により、流竜馬は帝都城で政威大将軍殿下から直々に褒賞を賜る栄誉に預かることが決定することになる。



[14079] 第二十六話
Name: mitsuki◆66f66a11 ID:1f7a972b
Date: 2010/02/04 14:09
 治安維持部隊、というのは損な仕事だった。
 法に違反した者達を強制的にでも従わせる、という暴力装置は国家の存在に不可欠とはいえ。それを実際に行うのは判断し命令を下した者達ではなく、無言で任務を果たす隊員だ。
 彼らは権力の犬と蔑まれ、時に理不尽な逆恨みに晒される。遂行した任務自体が、法の精神に外れた上層部の政治的・恣意的判断に拠るものだとわかったとしても、ひたすら沈黙を続けるしかない。
 相手が絵に書いたような凶悪犯罪者やテロリストならともかく、望郷の念に駆られた無力な国民を強制連行せよ、という任務は恐らく治安維持部隊の仕事の中でも最悪に位置するものだろう。
 中には権力のおこぼれに預かって堂々と他人を蹂躙することを喜びとするサディストもいるかもしれないが、多くの隊員は危機的な日本帝国内にあって何とか秩序を保つ助けになるためなら、と様々な思いを噛み潰して働く『沈黙の犬』達だ。
 理不尽には慣れっこの彼らだったが、天元山に出動した部隊がぶち当たったのは初体験の『物理的な』問題だった。

「――A小隊からD小隊まで沈黙」

 ヘルメットに覆面、防弾ベストに小銃という完全武装の隊員は、冷静な声を通信機に吹き込んだ。
 全警察官から選抜され、有事には対BETA歩兵となることも視野に入れて厳しい訓練を受けた隊員は、いかなることがあっても取り乱さないよう叩き込まれている。
 そう、避難民らしい民間人に計四個小隊が沈黙させられるという事態に直面しても、だ。
 彼の任務は、連絡が途絶した味方の状況を確かめること。そしてその原因を排除することだ。
 不法帰還民を護送車に連行する任務を遂行していた部隊が片っ端から何者かの反撃を受けていた。切れ切れの通信を総合すると、手向かいしているのは僧侶らしい姿をした太った男が一人。他の避難民達は、何がなんだかわからないという状況でせいぜい逃げ回る程度だという。
 枯れ木の陰に隠れて通信を終えた彼は、そっと暗視機能付双眼鏡を覗き込んだ。
 月下に浮かび上がるなだらかな平原のいたるところに転がっている人影は、いずれも治安維持部隊の装備を身につけた男達だ。幸い、武器を奪われた者達はいても死者は確認されていない。

「何人いやがる、この人攫いどもがっ!」

 隊員の耳に、喚き散らす男の声が飛び込んだ。情報通り首に大きな数珠をかけ、月光を照り返す禿頭の大男が、うめく隊員らの中心にいた。
 男の手にはこちらの仲間から奪った暴徒鎮圧用のゴム弾入り小銃。

「司令部へ。至急狙撃班の派遣、もしくは説得役の用意を要請する」

 その男は鍛え抜かれた治安維持部隊員さえ子供扱いするほどの膂力と、獣じみた反射神経を兼ね備えていた。大男だから鈍い、という世間一般の印象とも違い動きも敏捷だ。
 (まるで熊だな)
 BETA大戦での環境の激変で、日本帝国でもあまり見られなくなった巨大な野生動物を連想させる相手だった。これまでに非殺傷のゴム弾とはいえ何発かは体に受けたはずなのに、怯むどころかますます猛気を加えて暴れまわったところなどまさに野獣だ。
 隊員は、反射神経ではどうにもならない距離から狙撃するか、あるいは発言からこちらが犯罪者だと勘違いしているようなので説得を試みるか、の二択を本部に提案したが。
 いずれも却下されるだろう、とわかっていた。
 今回のような非殺傷・強襲任務では狙撃は不適当であるため狙撃班は随伴してきていない。今更呼び出すにも時間がかかる。
 また説得手段も、そもそも『いくら説得しても通じない相手だから実力行使に出た』という前提がある以上、面子を重視する上層部が二の足を踏むのは目に見えていた。
 面子、というと悪い意味に取られやすいが、犯罪者や不法行為者に治安当局が舐められてはその後の活動に支障が出る、という切実な側面もあった。
 歴戦の隊員とて、たまたま居合わせた国連軍兵士・武蔵坊弁慶が、勘違いの赴くままに暴れまわっているとは気付くのは不可能だった。

『――どちらも認められない。速やかに鎮圧せよ』

 感情を完全に抑えた上官の命令を、通信機が伝達する。隊員は予期していたことなので了解、とだけ返してスイッチを切った。
 (奴も人間には違いないが)
 実弾をぶち込めば流石に倒れるだろうが、今回の任務はあくまでも不法帰還民送還であり、殺人の可能性ある行為は厳禁とされている。と、なるとゴム弾をよほど上手く急所に当てるか、あるいは足にダメージを与えて動けなくするか。
 そろり、と匍匐前進を開始した隊員は、息を殺して少しずつ男に接近しはじめた。
 家に帰れば職務を隠したただの一警察官だと妻にも信じさせ、既に東北に疎開した娘の身を案じる父親である隊員は、この時は一個の機械となって忍耐強く大地を這う。
 流石に大暴れして息が切れたのか、男はその場で肩を揺らしている。
 隊員は、冷たい地面に転がる仲間を遮蔽物にしながらゆっくりと銃口を上げる。気付かれないように、数ミリ動かすにも十秒ほどの時間をかけて。狙うのは、足……脛なら申し分無い。
 ……当然隊員は、『弁慶の泣き所』という洒落のために選択したわけではない。純粋に技術的な考えからだ。
 そして、ゆっくりと引き金に指をかけたところで――男のぎょろりとした眼光が、隊員の覆面を貫いた。
 直前で気付かれたのだ。委細構わず発砲したが、ゴム弾は僅かに翻った男の下衣を掠めただけ。
 漏れ出た気配を察知されたのか、たまたまか。いずれにせよ隊員は、頭上に落下してくる巨体を見上げて自身の任務失敗を確信した。



 ――タケルちゃん
 懐かしい声が、武の睡眠状態だった意識にそっと触れた。
 かすれたような声に篭められた、一心に己を求める感情を知覚した途端に武は目を見開いた。

「ここは……!?」

 武は自分の体を緩く締め付ける感触に気付いた。衛士強化装備が皮膚にフィットするお馴染みの感触だった。
 それはここ数日、昼間の訓練や夜の新型OSのデータ取りのために慣れたものだったが、武は戸惑う。
 (竜馬の騒動と夕呼先生の相手ですっかり疲れたオレは、ベッドに潜り込んでいたはずだぞ?)
 記憶が正しければ、新型OSのためのシミュレーター終了のあと、自室に帰って休んだはず。それがなぜ強化装備を纏っている?
 頭を振って意識をはっきりさせれば、ここが管制ユニットの中だと気付いた。そこからさらに状況把握を進めようとした武だが。

『タケルちゃん』

 その一言が、眠気も怪訝さも吹き飛ばした。
 切なげに自分を呼ぶ声。舌足らずの幼児の頃から、高校生になった後まで一貫して自分を『タケルちゃん』呼んだ人物は、一人しかいない!

「すみ……か? 純夏なのか!?」

 BETAの居ない世界から、突然人類全体が危機に瀕した世界に飛ばされていつしか軍人としての記憶の中に埋没していた、懐かしい記憶と暖かい思い。それらが間欠泉のように吹きだし、武は目を見開いた。
 鑑純夏。
 白銀武の人生の時間を、家族を除けばもっとも多く共有してきた隣の幼馴染。
 その赤い髪と大きなリボンを、笑顔を泣き顔を困った顔を、今ははっきりと瞼の裏に描くことができた。
 BETAの存在する世界に唯一いない彼女は、武の中では平和な世界の象徴ともいえる。だからこそ、過酷な日常の中で強いて意識から遠ざけていたのだろう。
 馬鹿みたいに明るい彼女の顔を数年ぶりに思い出した武の視界がぼやける。涙をごしごし、と拭った武は、記憶の中ではない現実の彼女を追い求めて首を左右に振る。

「戦術機の中、だな」

 が、瞳に映るのは暗い管制ユニットの無機質な光景のみ。武は苛立つ指でコンソールのスイッチを入れて、戦術機の網膜投影機能をオンにした。
 外部から隔絶された管制ユニット内で、どうしてこの場に居ない者の声が聞こえたのか? という疑問さえ浮かべる余裕もない武の視界に見慣れた『着座情報転送中』から始まる機体と衛士の一体化シークエンスデータが流れる。
 外部の映像が転送されてきた。暗いな、と武は思った。

「夜なのか?」

 一瞬そう勘違いした武だが、すぐに自分の発言を思考内で打ち消す。太陽の光らしい明かりに照らされる大地が遠目に見えた。所々に黒い岩石のようなものが転がっている、絵にかいたような荒野だ。
 つまり、太陽の光が自身の搭乗する戦術機の周りだけ遮られているのだ。何か、によって。
 武はそう気付くと、視線を上にやる。戦術機のシステムがそれを読み取り、メインセンサーの集中した首を上げて上空の様子を伝えてくる。

「なっ……!?」

 まず武が映像越しに確認したのは、二つの目と見える巨大な横長のセンサーアイだった。戦術機か、と反射的に考えるがサイズが大きすぎる。武の知識の中には、空を覆うような巨体を備え、かつ噴射装置らしきものも見えないのに重力に逆らって浮かべるような機体はない。その顔は無数の角らしき突起物に覆われ、闇を混ぜ込んだような暗い赤色をした奇岩じみたものだ。
 魔王。武が連想したのは、元の世界でのゲームやアニメの中に登場する最強最悪の存在そのものを示すその言葉だった。
 武は、その巨大な存在に本能的ともいえる恐怖感を覚えた。まず、呼吸器が正常な行動を乱して出入りする息が激しさを増す。スイッチにかけられたままの指がぶるぶると震えだすのを止められなかった。
 上空を占領するそいつの体も、顔に相応しい巨体でまるで空飛ぶ山脈だ。なまじ人体に似た四肢を形作っているだけに、異様な圧迫感がある。全身もやはり黒に近い赤一色で、突起が数え切れないほど天地のあらゆる方向に向けて突き出されいてる。
 武は体内で跳ね回る悪寒を奥歯を噛んでねじ伏せながら、フットペダルを蹴ってとにかくそいつから逃れようとしたが。

『タケルちゃん――』

 あの懐かしい声が、そこに篭められた切ない熱が武の動きを何よりも強く縛った。
 純夏の呼び声だ。
 武は、違和感も疑問も恐怖も飛ばして直観で悟った。上空の異常な巨大人型の中から、彼女がこちらを見て言葉を送ってきている、と。

「純夏……純夏なのか!?」

 通信を入れるか、せめて外部スピーカーのスイッチを入れないとコクピット内で声を上げても通じるはずもない、という常識さえ忘れて武は声を張り上げた。

『うん、そうだよタケルちゃん……やっと会えたよぉ』

「な、なんでそんな物に……いや、それより顔を見せてくれよっ!」

 武はもどかしい手つきで管制ユニットのハッチを開き、直接彼女に会うために動き出そうとしたが。

『ごめんね、タケルちゃん。私の今の体がこれなんだ』

「…………え?」

 何を馬鹿なことをいってるんだ、相変わらずだなぁ純夏は。そう笑い飛ばそうとした武だが、彼女の悲しみを凝固させたような声色が軽口さえ封じる。

『わたしね、化け物に体を滅茶苦茶にされて、もう脳みそだけになっちゃったんだ。本当なら、もう何もできないはずだったんだよ?』

 ずきん、と武の脳の中枢が痛みを発した。彼女の言葉は事実で、自分はそれに照合する情報を知っている。そう直感するが、記憶を探ろうとすると筆舌に尽くしがたい気持ち悪さが全身を侵蝕していく。まるで、細胞一つ一つが思い出すことを拒否しているように。
 唇を青ざめさせる武に、彼女の言葉が再び聞こえた。一転して、明るさを纏った声だ。

『でもね、ゲッターが新しい体をくれたんだよ? とっても強くてかっこいいこの体。BETAだって一ひねりだよ』

 その言葉が武の幻聴ではない、と示すように頭上の巨人が戦術機さえ一握りで潰せそうな手を揺すっていた。

「げ、ゲッター?」

『うん! 凄いんだよこの体。BETAなんていくら来てもどかーん、って。いくらでも殺せるんだ!』

 純夏は楽しそうに、心底から愉快そうに言葉を続ける。
 本来なら、武はその態度と殺すという言葉の差異に恐怖や疑問を覚えていいはずだったが。彼女の弾む声を聞いているうちに、そんなことはどうでもよくなってきた。
 純夏が生きていた。そして、辛いことがあったらしいけど今はこうして明るい意思を伝えてくれている。他に何を望むっていうんだ?

「そうか、よかったな。まぁ、前とたいして変わらない体だから安心しろ」

『タケルちゃん、いくらなんでもひどいよぉ。この体じゃお買い物にもいけないんだよ?』

 軽口を叩く武の双眸から、自然と涙が溢れ出した。同時に、全身からほのかな緑色の光が滲みはじめる。
 無機物である機械とさえ人間を融合させ、更なる進化を促すゲッター線。その入れ物たるゲッターロボが純夏を救ってくれたのなら、それは良い物に違いない。
 武は、自分の思考や感情が不自然ないびつさを加えはじめていることを、そして知るはずの無いゲッター線の性質を思い出し納得している奇妙さ自覚しないまま、微笑んだ。

『じゃあ、タケルちゃんも強くなろう? でないと、冥夜達みたいに他の誰かに倒されて体とられちゃうよ?
それにまだBETAも一杯いるから、殺し尽くさないとまた殺されちゃうかも』

「ああ、そうだな。もっと進化して、強くなって殺し尽くそう」

 僅かに正常と呼べる要素を残した武の脳細胞の一部が激しい警告を発するが。それは意識にも上らないうちに霧散してしまう。
 管制ユニットの壁面がまるで生き物のように蠢きだし、触手じみた配線がむき出しになればそれが武の強化装備に殺到する。上から、左右から、足元からも。
 だが武は、それを恐いともおぞましいとも思わなかった。むしろ期待に胸を高鳴らせ、迎え入れるように両腕を広げて――
 ――駄目、タケルちゃん逃げてえぇ!!

「!?」

 陶酔の色さえ浮かべていた武の顔が強張った。今の声は、純夏? 悲痛な、血の出るような警告の叫び。ゲッターの世界に誘っていた声とはまったく質が違った。
 じゃあ、今まで自分と会話していたのは……。
 武は改めて『ゲッターと一体化しよう』と誘ってきた声の発生源を見上げた。再び、その巨大なゲッターロボの魁偉な姿とそれが纏う妖気めいた威圧感を把握する。
 が、既に武の体には触手じみた配線が絡みつき、強化装備の表面を破ろうと圧迫を加えてきていた。
 武はもがいた。頭から足の先まで全てをねじり、何とか逃れようとしたが既に抗いがたいほどの圧力が全身を包む。
 やがて配線の一本が、強化装備の中に潜り込みさらに武の肌を突き破って体内へと。

「う、うわあああ!?」 

 武は叫び声を上げて、かぶっていた布団を跳ね飛ばした。

「……あれ?」

 全身を包んでいるのは、冷たい汗のべっとりした感触ぐらいであり、肌に何か食い込んだ形跡はなかった。
 そろりそろりと指を動かし、自分の体をまさぐってみるがやはり配線が食い込んだ痕などどこにもない。
 
「白銀さん?」

 荒い息をついて夢か、と額を拭う武に。布団がしゃべりかけてきた。

「……夢は醒めてない!?」

 巨大物体の次は、布団お化けか。ベッドの上で身構える武の前で布団がぱさっと落ちて、その下から社霞の白皙の顔が現れた。

「どうしました?」

 霞は無表情だが、付き合いの長い武には微妙に眉根を寄せて怒っていることが感じ取れた。が、彼女の細い眉はすぐに心配を示す角度に微妙に変動する。
 武は大きく深呼吸して、自分の状況を確認した。
 ここは横浜基地の個室。ベッドで寝ていて悪夢にうなされ、跳ね上げた布団を起こしに来てくれた霞にひっかけてしまった。

「あー……ごめんな、霞。ちょっと悪い夢見てて」

 ろくでもない夢だった、よりによって純夏とゲッターロボの組み合わせとは、と溜息をつく武を、霞はじっと見つめていた。
 それに気付いて顔を上げた武は、未だに硬い表情筋を意志の力で緩めてみせる。

「忘れてた、おはよう」

「おはようございます」

「今日は、いよいよ吹雪の実機に乗るんだ……竜馬がどうなるかわからないけど」

 壁のカレンダーを見れば、今日を示す11月26日に二重丸が付けてある。

「そうですか」

 いつもの調子で霞と言葉を交わすうちに、悪夢の気配は脳裏から去っていく。
 霞が軽く手を振って部屋を出て行き、着替える頃にはすっかり武の意識は今日の訓練に飛んでいた。



「やはり、あの娘は武御雷には乗らんな」

 横浜基地・第一演習場に居並ぶ6機の吹雪をつまらなそうに見つめながら、早乙女博士は呟いた。博士は管制用の鉄塔の中に設けられたモニター室に陣取っている。
 その隣で無表情に立つのは、赤い斯衛服の若い女性・月詠真那だ。彼女らは密かに207B訓練分隊の訓練を見守っていた。
 奇妙な二人組だが、早乙女博士に近づいたのは月詠のほうだった。複雑な政治事情の影が跋扈する横浜基地においては、要人警護もただ身辺を固めるだけでは困難だ。人脈を作り、便宜を図ってもらう必要が特に部外者の斯衛には必要だった。
 実質的最高権力者の香月夕呼なら申し分無いが、彼女は専門の交渉担当さえ手を焼く難物。月詠が目をつけたのは、地位と権力・人脈を相応に持ちつつも研究馬鹿らしく扱いやすい、と見定めた早乙女だった。
 が、中々どうして早乙女という老人も食えない所があった。

「愚かなことをしたものだ。紫の武御雷なんぞを送りつければ、不審に思わないほうがおかしかろうに」

 口元を歪める早乙女の言葉に、月詠も今度はかすかに顔をしかめた。
 将軍その人とそっくりの国連軍訓練兵に、専用機が渡される。これほど目立つ行為はなく、現にトラブルが起きた。あまりに常識外れの騒動となったため、武御雷のことは皆の頭から吹き飛んだ観があるが、そのうちまた気にする者が出るだろう。

「多少でも将軍家のしきたりに詳しい者が居れば、すぐ裏は読まれるぞ。よく許したものだな」

 しきたり、とは将軍家やそれに近しい摂家では『双子は家を割る』として忌まれ、片方を生まれた直後に他家へ出す風習を指す。古来からお家騒動に悩まされてきた武家の知恵ともいえたが、現代の感覚から見れば無情な時代錯誤、と謗られるに足る行為でもあった。
 公式の身分は全く将軍家との接点無し。しかし、将軍専用の武御雷を贈られた。これだけ条件が揃っているのだ、御剣冥夜がしきたりによって追われた将軍家の息女であることは明白だった。
 日頃我侭一ついわない殿下のたっての願いだから、ということで城内省はしぶしぶと同意した武御雷貸与だが。将軍家の名誉、また冥夜自身の身の安全から考えても下策であることは月詠も承知していた。が、彼女は忠誠心厚い女性である。内心で批判がましい思いを浮かべる事さえ律しているのだ。

「それより、お願いした件は」

 月詠は務めて冷静な声を作り、むっつりした老人の横顔に視線を送った。

「無理だった。ワシの権限でも白銀武の個人データはアクセス不能だ。あれの閲覧は副司令以外は無理だろう
確かに、駒にしたくなる男ではあるな。実力もさることながら、血筋も」

 早乙女の返答の前半は、月詠の予想通りだったので強いて責めはしなかった。むしろ、中佐待遇の博士でさえ触れられぬレベルの存在とわかっただけでも収穫だ。
 問題は後半だった。月詠が触れて欲しくない部分を的確に突いて来た。
 視線をモニター画面に転じると、吹雪の隊列がゆっくりと歩行を始めていた。練達の衛士の目は、何気ない挙動から搭乗衛士のレベルを察することができる。その中でも、『06』と肩にマーキングされた吹雪の挙動は、初搭乗の訓練兵が乗っているとは思えない安定感を見せている。
 白銀武。彼女が現在もっとも注意を払っている相手が06の吹雪の主だった。
 207Bのうち、もっとも目立つ隊員は流竜馬だろう。まとめ役は、分隊長の榊千鶴。が、精神的な要となると白銀武以外はありえなかった。
 僅か一ヶ月強で隊員らの心を掴み、冥夜の信頼も勝ち取った男。月詠からすれば怪しいことこの上ないが、彼を詰問しようとして冥夜に止められた以上、余計な手出しは控えていた。

「やはり、白銀家数代前の因縁を使って冥夜様に近づいたのでしょうか?」

 誤魔化しを諦めた月詠の言葉の端に、かすかに緊張の揺れが生まれた。

「それならば、信頼よりむしろ警戒されるのではないか?」

 早乙女博士は首を傾げた。
 因縁、とは将軍家のしきたりに端を発する出来事だ。今代の冥夜が外に出されたように、彼女以前にもしきたりによって将軍家から名実ともに爪弾きにされた者は存在した。彼ら彼女らの多くは、自分が将軍家血筋であることを知ることもなく一生を終える。
 が、稀にふとした拍子にその事実を知る者もいた。そういった者達は、ほぼ例外なく自身の生まれを恨み、残された側の双子の片割れと家を――そして日本帝国自身を憎む。
 第二次世界大戦直後の混乱期、将軍制度撤廃を(恐らくアメリカあたりの後押しで)運動していた団体を摘発してみればそのトップはある摂家の忌み子の成長した姿だった、という事件は現在でも城内省のタブーの一つだ。
 まして冥夜は、昨今の将軍家を取り巻く異様な政治事情から自身の立場を教えられている。そこへ、数代前に忌み子として市井に出されたある人物の血を引く白銀家の、死んだはずの一人息子が狙ったように出現。月詠の警戒心を刺激するに十分すぎる事情だった。
 武家でもない白銀家のデータが城内省にあったのは、警護ではなく監視対象だったためなのだから。
 そしてデータ上、白銀武は横浜防衛戦の際に死亡したはずだった。
 もしこの一事が漏れれば、将軍家に反感を持つ者達が『将軍家の邪魔者の末流を殺す程度のために、斯衛軍は当時の横浜市防衛に力を貸さなかったのだ』などと騒ぎ立てるかもしれない火種だった。

「ワシは冥夜という娘とさして接点があるわけではないが。恨みつらみのために『お前と近い境遇の先祖が居た』という程度で近づいた男に気を許すとは思えん」

 早乙女博士は腕組みをした。冥夜の人柄の評価に関しては、月詠も異論はなかった。

「ご協力に感謝いたします」

 歩行をしばらく続けて、少しだけ速度を上げての走行訓練に入った吹雪を目で追いながら、月詠は軽く頭を下げた。そして協力の代価に何を求められるのか、と内心で身構える。
 金か、実験等への協力か。いずれにしろ、無料ではありえないだろう。

「……十代ぐらいの娘が喜びそうな菓子か玩具はないか? 武家筋なら今も活動しているメーカーに伝手はあろう?」

「は?」

 意外は言葉に月詠は首を傾げた。博士の娘は、二十代だったはずだが。
 そんな彼女らを他所に、吹雪はいよいよ跳躍装置に火を入れてのジャンプに入っていた。
 ――ちなみに、分隊の吹雪が一機足りないのは搭乗するはずの訓練兵が、本来の処罰とはまた別に『反省文五百枚提出・終わるまで他の訓練も自由時間も一切無しの刑』に神宮司教官から処せられたせいであった



 流竜馬国連軍訓練兵、直接政威大将軍殿下よりの褒賞を賜る栄誉を受ける。
 城内省(斯衛軍含む)の者達の多くは、いかに当時民間人の身で功績を上げたとはいえ幸運な男だ、と思った。そのうちの何割かは、平民の野良犬がとやっかみの気持ちを覚えた。
 当然、この決定が下る前に城内省の警備部門は流竜馬について、本人さえ知らない情報を加えて検討した上で許可を出した。
 この男、確かに一旦暴れだしたら手に負えないだろうが、仔細にその性格行動を審査してみると意外な一面も浮かび上がる。
 人間、自分より弱い人間相手には本音が出るものだが、竜馬は自分より力的に弱い人間(難民等)とも対等かつ気安い関係を作り上げていた。
 一方で妙な思想にかぶれた様子も全く無かった。殿下を想像の中で勝手に理想化してそれを押し付ける手合いでもないし、逆に将軍を帝国の腐敗の象徴と排撃する心配も無い。
 結論は、『敵意・害意を示さない限り、これほど無害な男も珍しい』という、横浜の国連軍将兵が見たら唖然とするようなものだった。
 城内省は殿下の穏やかな性格をよく知っていたから、あえて彼女から竜馬を刺激するとは想像していない。
 授与式自体も、形式的なやり取りでほんの十分程度で終わるはずだった(竜馬が待たされる時間のほうが何倍も長いぐらいだ)。
 むしろ城内省が現在神経を尖らせているのは、帝国軍・斯衛軍が共同開発していた試製99型電磁投射砲にまつわる急な動きだった。
 電磁投射砲は、120ミリ砲弾を機関砲の如く発射できる兵器で、完成すれば戦術兵器としては画期的な威力を発揮すると見込まれていた。実際、ソ連領に持ち込んでの実射試験では数千匹のBETAを瞬く間に撃破したのだ。『帝国の至宝』とまで絶賛されていた。
 しかし、同じソ連領内で砲本体が『不幸な戦闘と事故の連鎖』によりほとんど失われ、またコアユニットがBETAを引き寄せてしまう危険性が判明した事から、どう開発を続行していいのか分からず実質お蔵入り寸前の状態だった。
 それが帝国軍の一部から『具体的にどれぐらいBETAを誘引するものなのか、実地で試験したい』という要望が上がってきたのだ。
 確かに動向が読めない異星起源生物の動きをある程度コントロールできれば、戦況は有利になるだろう。が、現在の帝国軍の対処能力を超えた数を引き付ける恐れがある以上、おいそれと許可など出せるものではなかった。
 それでも帝都守備第一師団や富士教導団といった精鋭と目される部隊が、この提案への後押しを始めているため条件付許可が降りそうな気配が濃厚になっていた。
 城内省の幹部とて、この世の全てを知っているわけではない。

「もし同意を断ったら日本帝国の隠してきた醜聞と決起の事を一切合財公開するぞ、日本は滅茶苦茶になるぞ、と脅されては了解するしかないではないか!」

 富士教導団幹部のそんな嘆きを。

「いつの間に決起が一人の男の計画にすり替わったんだ?」

 と頭を抱える第一師団士官の苦悩を。
 ともかく城内省は国防省と協議の上、予備パーツを使って試製99型電磁投射砲を何基か組み立て、12月上旬を目処に鉄源・佐渡島・エヴェンスクいずれかのハイヴに対しての陽動試験を行うことを内定した。



[14079] 第二十七話
Name: mitsuki◆66f66a11 ID:1f7a972b
Date: 2010/02/22 12:18
 帝国製戦術機・不知火が跳躍した。低く、鋭く。着地すればまた大地を蹴りつけ、土埃を撒き散らした数秒後には再び鋼の機体は宙に舞う。
 その数、7機。いずれも国連軍カラーの蒼を纏っていた。
 なだらかな平原は、昇り来る朝日に照らされて不知火の進む先の視界を明るくしていく。

『……レーダーに感有り、二時半の方角!』

 先頭を進んでいた不知火の搭乗者・速瀬水月が警告を発すると、全機の頭部が一斉に指示された方向を向いた。
 不知火のセンサーアイが向かう線上で、巨大な影が無造作に立ち上がった。
 そいつは戦術機と同じ人体を模した構造だったが、腕や足といったパーツ一つ一つがひと回り大きい。
 水月らA-01ヴァルキリーズの面々は、二本角の下のセンサーアイを光らせたロボットの名前を知っていた。
 ゲッターロボ、それもゲッター1と呼ばれる形態だ。

『全機、攻撃開始! 目標ゲッターロボ!』

 ヴァルキリーズ隊長・伊隅みちる大尉の気迫と冷静さが調和した命令が飛んだ。隊員達は即座にそれぞれの乗機を操り、位置を変える。
 腰の両側にマウントした跳躍装置を吹かして大地を駆ける戦術機の動きは、豹のように鋭い。
 対するゲッターロボはゆっくりと、だが力強く大地を踏みしめた。
 膨大な衛士の血と命で購った経験則から、装甲を減らして機動性・敏捷性を重視した第三世代戦術機・不知火と。厚い合金でその身を固めたゲッターロボは、対照的な姿を日の光に晒しあう。
 ゲッター1を包囲するように二手に分かれた不知火のうちから、両腕及び両脇下から突き出る兵装担架に四門もの突撃砲を装備した一機が前に出る。
 低い跳躍から停止、腰を落としての射撃姿勢移行。その挙動は鋼鉄の塊が為したとは思えないほど滑らかだった。
 ほんの半年ほど前までは訓練兵だった涼宮茜少尉の搭乗機だ。

『やあああ!』

 管制ユニット内で若々しい生気にあふれた顔を紅潮させながら、茜はゲッター1との距離を800メートルまで詰めトリガーを押し込んだ。
 突撃砲に内蔵されたメカニズムが忠実にその役目を果たし、36ミリ劣化ウラン弾をゲッター1に向けて吐きつける。
 戦闘車両の装甲さえ容易く貫き、高熱を発して破壊するはずの砲弾は、ゲッターの赤を基調としたカラーリングに食らいつく。
 だが、ゲッター1は一際太い前腕を盾のようにかざして頭部を保護する姿勢を取るだけで、全身に叩きつけられる砲弾を容易く耐え抜いた。
 36ミリ弾は派手な衝突音を撒き散らすものの、ゲッター合金に歯を立てることもなく跳ね返され、空しく地面に落ちる。進入角度が良かった何発かが、装甲に浅く食い込む程度だ。

『なんて防御力……!』

 自身が放った砲弾が、空しく火花を上げるだけでほとんど『敵』の体に通じないのを見れば、茜の額にうっすらと汗が浮く。
 が、茜はもとより倒すことを狙って飛び出したのではない。作戦行動の一環として足止め攻撃をかけたのだ。
 茜機の左右を同型の不知火が走り抜ける。茜と同期の築地多恵少尉と、副隊長格の水月が操る二機。

『築地、相手には飛び道具はほとんど無い! 距離150まで詰めて120ミリよ!』

『りょ、了解』

 声の端々にまで気合がみなぎる水月に対して、多恵の応答は戸惑いが含まれていた。
 全長50メートルを越えるゲッターロボと、20メートル前後の戦術機ではゲッターのほうがパワーは圧倒的に上だ。しかし、機動性と投射武器の量では戦術機が勝る。
 戦術機部隊側としては遠間から火力で封殺したいところだったが。あの頑丈な装甲相手では120ミリ砲弾でも破壊は覚束ないかもしれない。
 ヴァルキリーズの選択した戦法は、一機が足止めしているうちに僚機が接近し、なるべく至近から関節等の脆弱部を撃ち抜くことだった。
 網膜投影の中でぐんぐんと大きくなるゲッターロボの姿に、多恵の喉がごくりと鳴った。36ミリの炎の雨の中でも傲然と立つゲッター1は、異界の化け物じみた威圧感がある。
 ゲッター1を挟み込んだ不知火二機は、保持した突撃砲を抱え込むようにしながら発砲しようとした。その瞬間。
 防御姿勢だったゲッター1の巨体が、思いもよらぬ鋭さで横に跳ねる。その行く先には、多恵の不知火。

『ええっ!?』

 多恵の大きな瞳が見開かれた。茜の阻止射撃が全く効果がなかった事、何より上から圧し掛かってくる重量感ある巨体に数秒、思考が停止する。
 はっとなり、噴射装置を吹かして垂直跳躍、ゲッターの影から逃れようとしたが。
 ゲッター1の手は、不知火の右足を逃さないとばかりに掴んでいた。

『うわわわわっ!?』

 急に押し留められた推力は、まとめて不知火の足関節にかかる。臓腑に響くような嫌な音とともにたちまち引き裂かれる膝と股のジョイント部分。
 バランスを失った多恵機は、宙に短い滅茶苦茶な線を描いた後、地面に衝突した。
 きゅう、という場違いに呑気な多恵のうめきが通信に乗ったのを最後に、不知火の機能は停止した。

『多恵っ!?』

『このぉっ!』

 茜の悲鳴、水月の怒号。
 経験の浅い茜は、同期がやられたことに動きと思考を止めてしまったが、水月のそれは途切れない。素早く照準を修正、多恵のお返しとばかりにゲッターロボの足を狙って引き金を引いた。
 87式突撃砲上部の120ミリユニットに内蔵された、36ミリよりはるかに大型の弾が砲口を蹴って飛び出す。
 命中、爆発!
 水月機に背を向ける形になっていたゲッター1は、当然回避の取りようもない。的確に膝関節しかも裏側へと直撃した120ミリ砲弾は、ゲッターの足を千切れる寸前まで傷つけた。

『しぶといわね!』

 大型砲弾を至近から当てたのに、脆弱なはずの関節部を完全破壊できなかった。舌打ちしつつも、水月は相手の移動力を奪ったことを確信し止めを刺すために次弾装填。
 思考力を取り戻した茜も、武装選択を120ミリに変更して一気に畳みかけようとする。
 数秒の間を置いて、5発の120ミリ砲弾が巨体を傾がせるゲッター1に殺到した。
 が、致命的な5連発を食らう寸前にゲッターの機体が自ら三つに分かたれた。オープンゲットだ。
 分離した機体の隙間を120ミリ砲弾がすり抜けてしまう。

『ず、ずるいっ!』

 戦術機では絶対不可能な回避方法を目の当たりにして、茜は理不尽な光景に思わず戦闘に似合わない声を上げた。
 目標に接触し損ねたまま大地に直撃し、120ミリ砲弾は炎の華を咲かせる。それを背景に瞬時に3機の戦闘機に変じたゲッターは轟音を残して上空へ逃れようとする。
 水月機も茜機も、射撃直後ゆえにそれを見送るしかない。
 だが、分離したゲットマシンはそれ以上の上昇も、再度の合体もできなかった。
 追いすがるように走った太い火箭が、ゲットマシンのうちの一機――イーグル号のジェット噴射口を直撃した。さしものイーグル号も非装甲部を36ミリに直撃されてはたまらない。見えざる巨人の足に蹴飛ばされたように上空に放り出され、やがて重力の手に引かれて地面に落下。
 そこまでの損害を受けたにもかかわらず、原型を留めたままのイーグル号だったが、流石に戦闘力は喪失していた。
 それまで息をひそめて距離をとっていた風間祷子の不知火が、支援突撃砲で狙撃したのだ。支援突撃砲は、120ミリ砲弾を発射できない代わりに長砲身化され、射撃精度は勝る。

『よし、後は各個撃破するだけだ。油断するなよ』

 ジャガー号を祷子と同様に狙撃し、しかしこちらは装甲を削っただけに終わったみちるは部隊に注意を飛ばした。
 水月、茜、多恵の三人の連携で撃破できればそれでよし、分離に追い込んだら残りの隊員がこれを待ち伏せする。ヴァルキリーズが計画した対ゲッター戦法は、『今回は』図に当たったようだった。
 ゲットマシン自体も一応の戦闘力を持っているが、ミサイルや体当たりの直撃を受けない限り戦術機には脅威ではない。
 ほどなく、宗像美冴中尉と柏木晴子少尉が連携して飛び回るジャガー号に止めを刺し、他の隊員がベアー号を集中砲撃で落とした。

『――CPよりヴァルキリーズ。状況終了。ヴァルキリー7(築地機)、大破。標的完全破壊』

 ゲットマシンになって尚、正面からでは装甲部をぶち抜けないゲッターロボの頑強さに辟易した戦乙女達の耳に、三度目の対ゲッターロボ・シミュレーター終了を告げる涼宮遥中尉の落ち着いた声が流れ込んだ。

 体のラインを強調する衛士装備を脱ぎ、シャワーで汗と緊張を流したヴァルキリーズの面々は、PXに集結して遅い夕食を取っていた。
 女性ばかりながらそこは激しいカロリー消費に晒される衛士達、大盛りの定食をそれぞれが腹に収めていく。

「それにしても、ムカつくぐらい頑丈ねあのゲッターロボって」

 シミュレーションを思い出した水月が、合成鯖味噌の身を箸でほぐしながらぼやいた。
 どちらかといえば短気な彼女は、ゲッター相手のシミュレーションにフラストレーションが溜まっている様子だった。
 これまでの人類兵器の水準からすれば常識外れの耐久性をもっていたのだから、優勢に持ち込んでも止めを刺すまでに多大な労力を必要としたのだ。

「そうですね、速瀬中尉の神経並です」

 向かい合う席で漬物を口に運んでいた美冴が、さらりと言うと水月は何気なくうなずいたが。流石に次の瞬間には揶揄に気付いて、獣じみた眼光を発した。

「む~な~か~た~?」

 低い声を出して席を立とうとする水月に、美冴はしれっとして言葉を続けた。

「……と、涼宮少尉が言ってました」

 どちらかといえば宗像中尉の面の皮並じゃあ、と思っていた茜は、突然濡れ衣を着せられて味噌汁を吹きだしかける。
 普通なら通じるわけが無い美冴の見え透いた転嫁に、なぜか水月は毎度引っかかる。ヴァルキリーズ七不思議の一つだった。

「茜、あんた!」

「言ってませんよ中尉ぃ!?」

 慌てて味噌汁を飲み込んで、尊敬する水月からの厳しい視線に涙目で首を振りたくる茜。
 既に食事を終えていた祷子が、困ったものだと言いたげに苦笑するが、丁度お茶を含んでいた所なので仲裁に入れない。

「そ、それはそうと! ゲッターロボって味方ですよね? なんで仮想敵にする必要があるんですか?」

 茜のピンチに、多恵が助け舟を出すように話を変えた。正面から相手取るには、水月は新任少尉には強大すぎる存在だった。
 が、多恵の疑問はもっともな面があったので、水月も矛を収めて座り治す。ゲッターロボは現在、プロトゲッターと呼ばれる試作・実験用の機体を除いても世界に十体と無い。そのうちの過半は、A-01と同じ横浜国連軍所属だ。さらに言えば、操縦に異常な対G・対衝撃耐性を必要とするゲッターロボを乗りこなせる人間自体が希少種といっていい。
 それに応じたのは、一旦食事の手を止めた隊長であるみちるだった。落ち着いた視線で隊員の顔を順に見渡す。

「なぜ現在味方であるゲッターロボとの戦闘を訓練に組み込んだのか、をまず考えてみろ」

 みちるは隊員ら――特に新任少尉らの思考力を試すような物言いをする。特殊部隊として高度な判断力をいつ必要とされるかわからないヴァルキリーズでは、雑談もしばしば訓練の一環めいた流れになることが珍しくない。

「ゲッターロボが敵に回るから、ですか?」

 一番早く口を開いたのは、柏木晴子だった。どこか気の抜けたような笑みを浮かべながらも、言う事は茜や多恵を吃驚させるきわどさを含んでいる。
 BETAとの種族絶滅戦争を行っている現在でさえ、人類同士の争いが絶えないのは彼女らも知っているが、可能性としてはもっとも考えたくない種類の一つだ。晴子はそれを真っ先に口にして緊張の色も見せない。
 中尉三人と、少尉の中では先任の祷子は平然とした態度のまま、次とばかりに茜に視線を集中させた。

「えっと……戦術機同士での対戦訓練は当たり前に行われていますから。その延長上ではないでしょうか?」

 真剣さを帯びた先達の瞳は、特に凄むわけでなくてもまだまだ新米の茜には重圧を覚えさせる力を持っていた。小動物のように首をすくめながらも、常識的な意見を口にする。
 『人類同士の演習に慣れすぎた衛士は、対BETA戦では使い物にならない』という意見があり、それは多くの衛士を納得させるものだった。心理の読み合い、予測合戦がウェートを占める対人戦と、相手の思考が一切読めない対BETA戦ではおのずと判断基準や使える技術が違ってくるからだ。
 その一方でやはり基本となる技量及び訓練経験が多いほうが、相手がなんであれ生存率が高いはずだという見方も存在する。
 これに物理的な問題(BETA戦を模擬体験できる訓練設備は大掛かりなものとなり、使用は当然限定されている。シミュレーターのデータも、生態不明のBETAを模したプログラムを組み上げるのにはかなりの労力が必要だった)が加わり、結局実戦形式訓練の大部分を占めるのは人間同士の模擬戦だ。
 ゲッターロボは戦術機に比べれば特異な存在だが、それでも人型を模した機動兵器という基本は同じ。
 最後は多恵の番だが、茜のために咄嗟に話を振ったにすぎない彼女は、頬を真っ赤にして考え込む。返答に時間がかかれば、それだけで叱責を食らうことはここ数ヶ月で思い知らされているから必死だ。

「……ゲッターロボが悪者みたいな見た目だから敵役にもってこいだった、とか?」

 苦し紛れにでてきた言葉に、みちるの顔が呆れで染められた。

「いえ、それはありませんわ。戦術機のデザインのような細身は現在でこそ主流ですが。
まだ人類に余裕があった1970年代の正義のロボットアニメの主役はゲッターロボ……特にプロトゲッターのようなシンプルかつ重量感あるフォルムが主流でしたわよ?」

 しばしば叱責役を引き受ける美冴が多恵に苦言を呈するより早く、湯飲みをテーブルに置いた祷子が語り始めた。その語気に普段にはない熱が篭っている。
 ぎょっとした全員の視線が集中する中、祷子は尚も語りたそうに目を瞬かせていた。

「祷子……?」

 美冴の顔が微妙にひきつった。お嬢様然とした祷子からアニメの話が飛び出したのは意外すぎた。
 戦術機は別に格好よく見せるためにデザインしたわけじゃないでしょ、と水月が呟く。
 じゃあその正義のロボットを、よってたかって撃破した私達はどこかの悪役戦闘員? と晴子がこぼす。
 一言も口を挟んでいない涼宮遥中尉一人が、微笑んでうなずき祷子に同意を示していた。

「あー。香月副司令もゲッターロボをかっこいい、とおっしゃっていた事はあるが。それは関係無い」

 話の妙な流れを、少しだけ瞳をどんよりさせつつも断ち切るみちる。祷子は残念そうに口を閉じた。

「築地、あんた一番多く撃墜されたのを根に持ってるわけ?」

 気を取り直した水月に細めた目を向けられ、多恵はうう、とうめいて顔を伏せる。
 それを観察しながら、みちるはかすかに渋面を作った。
 ゲッターロボ相手のシミュレーションは、武装や状況を変えて何度も行われた。その中で多恵は、間合いを読みそこなったりして一番酷い目にあっていた。
 実のところ、シミュレーター上のゲッターロボは実物に比べてかなり弱い。データ蓄積が足りないこともあり、ビームを撃ってこないし新潟戦で水月らが目撃したような、それこそ常識外れのパワーや突進力の再現も甘かった。
 それでも多恵は何度もやられてしまっている。
 新人離れした落ち着きを持つ晴子、天性の運動神経を持つ茜に対して、多恵は精神的にも技術的にも伸び悩んでいた。
 人員の損耗が激しいヴァルキリーズでは、彼女らの同期が二人も早々に戦線離脱したこともあり、多恵にかかる負担も軽減どころか増大確実だ。あまり良い流れとは言えなかった。
 次の補充要員として期待できる207B分隊は、ようやく戦術機実機教習初日に入った段階だという。しばらくは衛士7名で全てをこなさなければならないのだ。

「……我々ヴァルキリーズは、常に困難な任務に投入される特殊部隊だ。
思考の硬直化がもっとも恐い。そのために毛並みの違う敵と戦い、様々なケースへの対処能力を養うのが訓練の主眼だ」

 みちるが落ち着いた口調で説明を始めると、皆が静かに耳を傾ける。多恵も背筋を伸ばした。

「柏木の言った内容も、無論想定している。ゲッターロボはBETAのような宇宙より飛来した異質な存在ではない。突飛に見えても、同じ人類が造り上げた兵器だ。
同型・同レベルの兵器が建造され、我々と敵対する確率は極小とはい常に存在する」

 ヴァルキリーズはその性質上、表沙汰に出来ないような対人戦闘にも投入される。新米らは未だ『汚れ仕事』に属する任務に就いたケースはないが、いざとなった時に躊躇されてはたまらない。
 みちるの表情は、訓練時に近い厳しさを帯びていた。

「それに、南の島で副司令らを襲った『鬼』の存在は貴様らも聞き及んでいるな? いずれ正式な調査結果が出た場合、我々が鬼退治に出かける可能性もある。
この場合、旧来の戦術機ないしBETAに対して積み上げられていた戦術は使えなくなるだろう」

 11月の新潟でのBETA捕獲作戦直後とはいえ、A-01と副司令が離れた隙に起こった怪異は、みちるの肝に霜を降らせる事態だった。
 もし、あそこで夕呼が死亡ないし再起不能な傷を負う事態になれば、オルタネイティヴ4自体が吹き飛びかねなかった。
 『鬼』が夕呼を狙う存在だった場合、矢面に立つのはヴァルキリーズだ。現在のところ、鬼にもっとも近い性質を持った人類兵器はゲッターロボだった。
 みちるは対BETA戦(特に物量を制圧する能力)にあまり適しているとはいえないゲッターロボこそ、鬼対策にもってこいの兵器ではないか、と思いついたがそれは実戦部隊が考えることではない。

「ただ漫然と訓練するのではなく、常に意味を考えその先に繋げろ。可能性は所詮、可能性だが『考えず放置していた』と『考慮した上で切り捨てた』では天と地ほどの差があるぞ?」

 みちるがそう締めくくると、先任新任問わずヴァルキリーズの乙女達はそろって「はい」と気合の篭った返答を揃える。
 満足気にみちるがうなずいて見せると、彼女らは緊張を解いて食事と雑談を再開した。



 天元山の大地を、うららかな陽光が照らしている。

「その米は、ここで作ったものかね?」

 潅木に腰掛けた内閣総理大臣榊是親が、眼鏡の奥の目を細めた。
 その背後にはがっちりした黒服の男が二名立っている。護衛役だ。
 榊が自然体であるのに対して、黒服は表情を強張らせていた。
 彼らの背後では、素直に護送車に乗り込むのを待つ帰還民らが列を作り、時折名残惜しげに辺りを見渡している。

「ああ。ここに住んでいた婆さんが作った物だから多分そうだろうな」

 黒服らの厳しい視線を受けて、居心地悪そうに身じろぎしながらも、地べたに直接腰を降ろした武蔵坊弁慶はうなずいた。
 一国の総理に対する態度としては到底褒められたものではないが、榊は気に留めていない。
 天元山付近一帯は、立ち入り禁止指定が為されている。当然、物流は公式には遮断された状態。と、なると自給自足以外にはない。
 闇ルート、という可能性もあったが、ろくな購買力も無い帰還民の老婆に米を売る物好きがいるとも思えなかった。

「首相、そろそろ」

 身をかがめた黒服の一人が、榊に耳打ちする。が、首相の激務にある男はいま少し、と視線で応じるのみだった。
 夜間の強制送還作戦の失敗は、内閣をも動揺させた。一時は反政府勢力あたりの陰謀・介入かと危惧されたのだが、朝日が昇るにつれて誤解と混乱は氷解していった。
 突然の事態に隠れていた帰還民のうち、前にも別件で鎮圧と強制送還を受けた経験ある者が、打ち倒された者達が治安維持部隊であると気付いたのだ。
 勘違いから大暴れし続けた弁慶は、それを伝えられると流石に顔を青ざめさせた。
 体勢を立て直した治安維持部隊は、武器を捨て両手を挙げた弁慶を逮捕しようとしたが。国連軍のれっきとした士官である、とわかると高度な政治判断がいると首相に改めて事態を通報。
 これ以上長引かせることを望まない榊は、自ら乗り込んで収拾に当たることにした。
 皮肉なことに、治安維持部隊が相当数ぶっ飛ばされたことで溜飲を下げた、あるいは火種を作った責任を痛感した帰還民らは大人しく退去命令に従うことになった。
 あの老婆も乗り込みを待つ列にいた。彼女は治安維持部隊員を気の毒に思っていたようで、担架で運ばれる隊員に頭を下げていた。
 弁慶が手にしたおにぎりは、老婆が餞別にと列に並ぶ前に渡してくれたものだ。

「重金属汚染のチェックは済ませた食べ物かね?」

 榊の問いかけに、弁慶は意外そうに目を見開いて首を横に振る。

「いや、そういう話は聞いてねぇ」

 榊の眉間に太い縦皺が刻まれた。そして大きな溜息をついた。

「やはり、か。天元山の噴火活動が収まっても彼らを帰すわけにはいかないようだ」

 飢えと国民の難民化に悩まされた日本の情勢を考えるのなら、BETAの脅威度が薄いと判断された地域には積極的に人を帰して、特に農業を奨励すべきだった。
 が、現実にそれはできていない。
 最大の理由は、本土防衛戦で大量にぶちまけられたAL弾頭による環境汚染だった。水や土に溶け込んだ重金属は、人体に摂取されると重大な被害をもたらす。
 1950~70年にかけて経済成長と引き換えに日本各地で頻発した公害病の原因も、工場から垂れ流される重金属によるものがいくつもあった。
 しかも工場排水とは違い、兵士に『土地が汚染されるから、重金属雲の保護なしでBETAとやり合え』などと言えるはずもない。
 戦いの爪跡は、ただそこで生活するだけでも健康と命を脅かす、という形でも深く日本の大地に刻まれているのだ。自然回復を待つしか、現時点で方策はない。
 安全な食や生活が保証できない土地に国民を戻すわけにはいかない。それは政府の良心だったが、同時に人々から故郷を奪い続ける冷徹な行為とコインの裏表だった。
 そして、生産力や居住可能な空間も激減した現在の日本帝国では、収容所同然の待遇しか避難民に与えられないのだ。

「…………」

 手を伸ばし、土に触れる榊の顔に浮かび上がる陰は濃い。
 苦境にある一国の首脳の苦悶を察した弁慶は、かける言葉が見つからず視線を彷徨わせた。

「本題に入ろう。君は、治安維持部隊を犯罪者と勘違いしたに過ぎない。法を犯す意思はなかった。それで間違いはないな?」

 顔を上げた時には、榊の顔は冷徹な為政者の顔となっていた。
 予め治安維持部隊の聴取に答えていた内容なので、弁慶は素直にうなずいた。
 法的な正当性は日本帝国側にあった。ここは立ち入り禁止区域であり、それを調べず侵入した弁慶の行為は「知らなかった」では済まされない。
 だが、たった一人に治安維持部隊が奇襲をかけながら梃子摺ったという話は、帝国の統治能力に疑問を抱かせるような事実だ。国連軍との間の問題になる可能性も無視できない。
 総合的に見れば、形式的処分で済ませて大部分は無かったことにしたほうが帝国の利になる。
 そんな算段をつけながら、榊はふっと溜息をついた。

「君の身柄は一時、帝国政府が預かることになる。が、すぐに釈放されるから心配しないで良い」

 巨体を縮めて反省の色を見せる弁慶に、榊は落ち着いた声をかけた。
 紆余曲折あったものの、今回の事件は最終的に話し合いで避難民退去に成功した。治安維持部隊員には気の毒だが、総合的にみれば悪くない結果だ。
 本来なら。
 あえて反感を買うために選んだ手段が思わぬイレギュラーに潰された榊は、『計画』の立て直しに意識を半ば向けながらゆっくりと立ち上がった。



 横浜基地・PX。
 夕食時の混雑の中、訓練を終えた207B分隊の集まったテーブルの周囲だけは閑散としていた。
 反省文書き上げの遅れを取り戻すため、神宮寺軍曹に特別訓練を課せられた流竜馬の姿だけが無い。

「まぁ、無理もなかろう」

 露骨に顔を背けていく兵士を横目で確認しながら、冥夜は溜息をついた。
 数日前の乱闘騒動。竜馬一人の暴走が連鎖反応を引き起こした結果で、他の207B分隊員はノータッチだったはずなのだが……。
 日常的に207B分隊が竜馬を『教育』している光景は、PXで見せていた。その結果、

「207B分隊は化け物揃いだ。あの流訓練兵が一番弱いらしい」「全員が機械化歩兵一個大隊に匹敵するスーパーソルジャー」「触るな危険。目と目があったら決闘のゴング」

 等々、冥夜らからすれば不本意極まりない噂が流れるようになってしまったのだ。
 吹雪実機訓練は既に三日目に入っており、体は無論疲れているのだが、それ以上に精神的にきつかった。

「ほっとけほっとけ。どうせ噂なんてすぐ消えるだろ」

 元々浮き気味だった207B分隊の少女達だが、このような形で敬遠されるのは当然はじめて。
 空気を読まないことに定評がある美琴さえ居心地悪そうにしているのを見て、武が味噌汁をすすりながら務めて明るい声を出した。

「そうね……」

 千鶴が胃の辺りを押さえながらうなずいた。心なしか眼鏡も曇っているような……いやそれは味噌汁の湯気のせいか。
 冥夜は責任は自分にある、と言おうとした。発端は、自身の出生にまつわる問題が武御雷貸与という形で噴出したことにあったからだ。
 今まではただ「彼女のために影となり生き、死ね」と教育されてきた義務の向こう側にあった、抽象的な存在だった『彼女』。
 何ゆえ、恐らく多くの危険を冒して冥夜に武御雷を渡したのか。
 それを思うと、冥夜の胸はざわつく。生まれて初めて、『将軍』ではなく生身の人間としての『彼女』の息遣いを感じたように思えたのだ。
 が、それは冥夜の側の事情であって、他の隊員には関係ない事だった。
 より雰囲気を悪くするかもしれない、と覚悟しつつ冥夜の唇が開かれようとした時。
 それまで黙々と食事をしていた彩峰の顔が上がり、視線が少し鋭さを増した。

「あ……?」

 珠瀬も驚きに目を見開いた。その視線の先には、一人の衛士がいた。あの、冥夜に絡んだ細面の少尉だ。
 全身包帯だらけ、松葉杖をついているものの。あれだけのダメージを受けて数日で自力歩行が可能なあたりは、腐っても衛士か。
 復讐。
 冥夜の頭にはまずその単語が浮かんだ。
 今度こそ、余人に迷惑をかけるわけにはいかぬと期した冥夜は、武が反応するより早く立ち上がった。

「冥夜!?」

「御剣!?」

 武と千鶴の声を振り切るように、まっすぐ背筋を伸ばして少尉に歩み寄った。冥夜は何を言われようと、何をされようと耐えようと決意する。
 周囲の兵達もその光景に気付き、沈黙がPXを支配した。
 立ち止まった冥夜と、少尉の視線が合う。

「御剣訓練兵、だったな」

 包帯に隠された口から、くぐもった声が出る。

「はい」

 神妙に答える冥夜に、少尉はさらに言葉をかけた。

「あの時は……変なことで絡んで悪かった」

 それはぶっきらぼうだが、明らかに謝罪だった。
 まったく予想していなかった態度に、冥夜は不覚にも一瞬思考が真っ白になる。

「…………は? い、いえ。そんなことは!」

 冥夜は慌てて首を横に振った。後ろでまとめた髪が、動物の尻尾のように揺れる。

「それだけだ」

 少尉は短く会話の終わりを告げると、松葉杖を操ってよろめきながら立ち去った。

「ど、どういうことだ?」

 たまらず冥夜を追った武は、首を傾げた。
 武とともにやってきた207B分隊の面々も、揃って戸惑いの表情を浮かべている。

「……竜馬に殴られて、曲がった性根が矯正された?」

 彩峰がぼそっとこぼした。少尉の性格がそれまで酷かったんだ、という暴言ともなりかねない言葉。

「そんなことあるわけないでしょ」

 千鶴の眼鏡がずり下がる。

「あはは。だったら武も殴ってもらうべきだね?」

 微妙な空気を無視した美琴の朗らかな笑い声に、武は嫌な顔をする。

「そんな馬鹿な。普通に時間を置いたら考えが改まっただけだろ」

「武さんの鈍感が直るのなら……」

 なぜか深刻な顔つきで腕組みしはじめる珠瀬。
 そんな仲間達を眺めやりながら、冥夜はふっと安堵の溜息をついた。あの少尉がどんな精神活動の末かはわからないが、事を納めてくれたことで冥夜の心が少し軽くなった気がした。
 翌日まで、冥夜の機嫌は良かった。
 『流竜馬が、将軍様に拝謁しに帝都城へ行くために数日訓練を抜ける』と神宮寺教官から伝えられるまでは。



[14079] 第二十八話
Name: mitsuki◆66f66a11 ID:1f7a972b
Date: 2011/07/05 22:49
 窓から差し込む夕陽の琥珀に染められた横浜基地の通路。非常時に何人もの兵士が駆け抜けることを考えて広く取られた空間の中で、少女の怒声が跳ね回る。

「月詠! そなた、こんなところで何をしている! 殿下の御身に危機が迫ることを知りながら、何故ここにいるのだ!?」

 薄桃色の唇を激しく震わせているのは、御剣冥夜だった。
 冥夜の背後に立つ207B分隊の面々は、彼女の感情を露わにした姿に揃って息を呑んだ。総戦技演習での異変でゲッターに乗る、と言ったときでもこれほどではなかったからだ。
 普段はよほどの用事が無ければ月詠を見かけても話しかけず、暗に特別扱いを否定している冥夜が自分から詰め寄っていることも、武らには驚きだった。
 だが、冥夜に睨みつけられている当人である斯衛軍中尉・月詠真那は、横浜基地の通路の中央で直立不動の姿勢のまま眉一つ動かさない。

「お言葉ではございますが、冥夜様の警護が殿下より直々に賜った我々の任務でありますゆえ。お傍を離れるわけには参りませぬ」

 冥夜の火の出るような視線に晒されながら静かに返答する月詠の背後には、揃いの白い斯衛服を着込んだ神代・巴・戎の三人の少尉が控えていた。

「私の事などどうでもよい! それより、殿下の……」

 なおも月詠を詰問する冥夜の熱を帯びた声が、冷たい空気を震わせる。
 神代少尉が一歩前に踏み出す。その顔は必死の気配を帯びていた。

「恐れながら冥夜様! 殿下の身を案じるのは月詠様とて同じ! しかし、私共にとりましては冥夜様もまた大事な御方!」

「やめぬかっ!」

 月詠は一転して刃物のように鋭い眼光で部下を制した。が、今度は巴と戎が同僚に倣って口を開こうとする。

「ちょ、ちょっと待ってください! みんな落ち着いて!」

 彼女らの気迫と、時代がかったやり取りに圧倒されていた武が口を開いた。
 はっとなった冥夜は、自身の言葉を悔やむように俯いた。
 所属が違うとはいえ、正規兵ですらない訓練兵が士官にしてよい態度ではなかった。また、冥夜と彼女らの間の特別な関係を重んじるにしても、上位者の命令を遵守する彼女らをなじったのは明らかに筋違いだ。

「すまぬ……そなたらが殿下の命に背くことなどありえぬとわかっていたはずなのに……許すが良い、私がどうかしていた……」

「冥夜様……滅相もございません」

 搾り出すような冥夜の謝意を受ける月詠は、相変わらず斯衛衛士としての威儀を失わぬ表情の中で僅かに瞳を揺らした。
 知らずに出た汗を拭いながらも、武は首を傾げる。
 激しいやりとりの原因は、『流竜馬が将軍様より褒美を頂くことになった』と訓練中に神宮司教官から通達されたことだ。
 その時から訓練を終えて夕食のためPXに向かう間中、冥夜の表情は硬かった。そして、たまたま月詠中尉らを見かけた途端に爆発したのだ。

「竜馬が将軍様に会うって、そんなに大事なのか?」

 冥夜に顔を向けた武は、疑問を口にする。
 武からすれば『偉い人』に褒めて貰いに行く、という程度の話でしかなかった。将軍様というものが『この世界の日本』にとっては非常に尊敬を集める存在だとは知っていたが、具体的なイメージが浮かばないことも手伝って、大仰な芝居を見せられている気分になるのだ。
 武のその発言に斯衛四名の殺気さえ感じさせる視線、そして207B分隊の少女達の呆れ顔が向けられた。
 思わず後ずさり、背中を壁にぶつけた武に底冷えする月詠の言葉が投げかけられる。

「……やはり、貴様は日本育ちではないな?」

「え!?」

 武は息を呑んだ。この世界の日本の政治状況や住まう人々の心理に疎い自覚は、事あるごとに感じていた。何しろ、白銀武の価値観のバックボーンはこの世界の日本『帝国』とは似て異なるBETAの居ない世界の日本のそれだからだ。
 下手をすれば、この世界の外国人のほうがまだ将軍制度について理解があるかもしれない。
 問い詰められれば容易くボロが出る自覚があるだけに、武の表情は引きつりはじめていた。

「日本育ちの日本人ならば、殿下がどれほど民の支えとなっているかわかるはず。その御身に万が一、という事態が予期されるかもしれぬ、というのに貴様は……」

 月詠の声は決して激してはいない。それが下手な怒声より圧迫感を感じさせ、武は再び額を汗で濡らした。
 何人かの兵士や基地職員が通りかかるが、その度に彼らは回れ右をして別の通路へ姿を消す。
 現在、斯衛警護小隊と207B分隊は『横浜基地でもっとも関わり合いたくない部隊』の二位と三位だ。政治的にも実力的にも(207Bについては一部誤解があるが)危険な匂いを漂わせている者達が揃っているのだから、兵らの反応は当然といえた。

「つ、月詠中尉! 白銀訓練兵の発言は――」

 見かねて千鶴がとりなすように口を開く。
 が、言い切る前に不機嫌そうな男の声が千鶴の言葉を遮った。

「さっきから黙ってきいてれば……人を何だと思っていやがる?」

 訓練兵制服姿で腕を組んだ竜馬は、ただでさえやぶ睨み気味の目をさらに吊り上げていた。本人の前でこれだけ大袈裟に警戒されては、気分が良いはずも無い。

「そ、そうだよな! 竜馬は日本育ちの日本人だから、将軍様に何か悪さするなんてありえないよな!」

 月詠の視線が竜馬に移ったことで一息ついた武は、重苦しい空気を払うようにわざと明るい声を出した。
 しかし、武と竜馬を除く全員の顔から疑念の色は去らなかった。

「私達だって信じたいわ。信じたいのだけれど……万が一の時の事を考えると」

 溜息をついてから本音を漏らす千鶴。

「凄く不安」

 目を細めながら、きっぱりと言い切る彩峰。
 たまは笑顔を浮かべながらも、すっと竜馬から視線を逸らしている。

「こればっかりは……ボクの父さん、空気読まない変人なんだけど。その父さんでさえ将軍様の事は特別なんだよ?」

 突然、皆に初耳の父親の話をしはじめる美琴だが、竜馬への信頼表明でない事は確かだった。
 労苦を共にした仲間達からさえ信頼と対極の反応しか貰えなかった竜馬は、不貞腐れてそっぽを向いた。
 武としてはここまで信用が無いのは自業自得、とそろそろ悟って欲しいのだが。あの横浜基地の兵士多数を巻き込んだ乱闘騒動は記憶に新しい。

「流竜馬訓練兵。では、貴様は殿下がどのような御方か無論、知っているな?」

 まっすぐに竜馬の横顔に視線を送り込んだ月詠は、低い声で問うた。

「知っているぜ。日本で一番偉い人だろ?」

「へぇ。そんな人なら確かに冥夜達が心配するのも無理ないか」

 肩をそびやかし得意気に答える竜馬と納得してうなずく武。が、男二人を囲む女性らのまとう雰囲気は、一気に温度を下げた。

「馬鹿者っ! もっとも尊き方は皇帝陛下だ! 殿下はその全権代行であらせられるぞ!」

 ついに冷静さをかなぐり捨てた月詠の怒声を叩きつけられ、武は思わずよろめいた。

『不敬にもほどがあるぞ貴様ら!』

 斯衛少尉の三人が声を揃えながら、解き放たれる寸前の猟犬のような視線を竜馬に注ぐ。

「そんな細かい事まで知るかよ!」

 が、竜馬当人は悪びれもせず、歯を剥き出しにして怒鳴り返した。
 実際、複雑な権力機構やその序列に無関係な帝国の国民には、竜馬程度の認識しか持ち合わせていない人々も少なくない。この良くも悪くも将軍に特別の関心を持っていないことこそが、城内省が警備上の観点から見た場合に竜馬は無害である、と見なした一因だった。
 が、この場にいる者の多数は、少なからず帝国の特権層と関係がある生まれ育ちの者ばかり。彼女らからすれば、竜馬の態度は論外の一言だ。
 竜馬と斯衛小隊の間に、たちまち殺気にまで水準を上げた緊張感が満ちる。

「やめぬか!」

 武さえ息を飲むしかない激しい視線がぶつかり合う空間に、体ごと割って入ったのは冥夜だった。

「しかし、この男は!」

 竜馬を庇う形になった冥夜に、戎が恨めしげな顔を見せる。

「強制された敬意など、殿下がお望みになると思うか?」

 冥夜の口調は、完全な落ち着きを取り戻していた。それが激情でこわばった空気をほぐしていく。
 即座に激昂を収めた月詠は一歩下がった。三少尉も、こちらは不満の気配を完全に顔から消せないまでも上官に倣う。
 そうなっては竜馬も振り上げかけた拳を下ろすしかない。

「申し訳ありません、冥夜様」

「いや、謝るのは私のほうだ。そなた達の心を乱してしまった」

 目を伏せ、頭を下げあう冥夜と月詠を見つめながら、武は安堵の息を吐いた。同時に、疑問が胸の奥から湧き出てくる。いくら尊い身分の人に関する事とはいえ、彼女らの態度は普段の冷静さからすれば異様だった。
 単なる身分上の目上、将軍家の縁戚というだけでは無いのかもしれない。紫の武御雷の搬入を見た時にも感じた疑問だったが……。

「あの、国連軍にとっても日本帝国の偉い人に竜馬が何かしでかすのはマイナスですよね? 当然、何か考えているんじゃ?」

 兎に角空気を変えよう、と武は月詠らに言葉をかけながら、竜馬に視線を向けた。

「ああ……同行者がつくかもっていう話は教官からいわれたぜ」

 男臭い顔に不満の表情を貼り付けつつも、竜馬はうなずいた。
 ほっとした溜息が千鶴の口から漏れる。

「そうね、典礼に詳しくない人が要人と会う時は、それとなく補佐が付き添うのは珍しいことじゃないわ」

 現在は父親に反発しているとはいえ、国家レベル要人の家で育った千鶴はそういう例を見てきたのだろう。

「あはは。最初から確認すれば良かったですね」

 たまが重苦しい空気の残滓を払うように、両手を広げた。
 もう暴力沙汰は御免だ、と思う心は一つである彩峰、美琴もうんうんとうなずく。

「で、誰が付き添うんだ?」

 武は首を傾げた。単独で行かせるよりはよほどマシだが、万が一竜馬が暴走した際にこれを止められそうな人物となると思いつかなかった。自分達訓練兵にそういった話は来ていないから、他の隊から出るのだろうが。

「オレの本来の所属の上官になるって事だから……多分、隼人だろうな」

 竜馬がその名を口にした途端、空気が凍結する。
 いつの間にか自然の深みを湛えた夕陽の紅は通路から消え去り、窓の外の世界は闇に満たされていた。



 横浜基地地下14階・S4レベルフロアは、オルタネイティヴ計画の中枢が詰まった区域だ。廊下の構造こそ規格通りであるものの、壁の内側に息を潜める警戒システムは24時間休む事無く通行者を監視し、危険の兆候を探知すれば即座に完全武装の警備兵が飛んでくる。
 早乙女博士にとっては初めて足を踏み入れる『聖域』だった。
 薄汚れた白衣を揺らしながらピアティフ少尉に先導されるままにある一室に招かれた早乙女の鼓膜を、電子音と激しく議論する人々の声の混合物が直撃した。

「こちらへ」

 ピアティフに促されるまま足を進めながら、早乙女は室内を観察した。天井は高く、密閉空間である息苦しさを緩和するためか壁面の色は明るい緑。が、部屋の面積のほとんどは専門外の人間には異世界の魔物じみて見えるいびつな機械――計測器、電算機等に占領されていて、ケーブルにつまづかないよう歩くのに一苦労だ。
 当初持ち込んだ機材では足りず、後から後から追加されていった結果だろうと早乙女は予想した。オルタネイティヴ4は意外と泥縄式で行われているのかもしれない。

「――ああ、先生。お待ちしておりましたわ」

 ピアティフが早乙女を案内した先は、特にモニターが集中している最奥の区画だった。
 夕呼は椅子に座り、手に分厚い書類を持ったままモニターに視線を走らせている。
 彼女の周りに居る人々の何人かに、早乙女は見覚えがあった。いずれも科学者・技術者として世間で知られた者達で、浅黒い肌や青い目の外国人もいる。世界の命運を左右するオルタネイティヴ4の求める奇跡を現実にするために集められた、科学と技術の使徒達だった。

「何の用だ?」

 早乙女の顔は不機嫌で彩られている。夕呼の要請で部下の技術者をごっそり引き抜かれ、今取り掛かっているゲッター用新型炉心開発や武器開発が停滞していた。その上、急な呼び出しを食らったのだから。
 ピアティフが、デスクの一つに置いてあった書類を取り上げると、丁寧に早乙女の前に差し出した。

「……ワシに因果量子論はわからんぞ?」

 受け取った紙にプリントされた文字や数字、図式に目を走らせながら早乙女は眉根を寄せた。渡された書類には『人間を確率の霧に戻す』だの『平行世界の壁に穴を空ける』だの一般人から見ればどこのSFか、と思われるような文言が並んでいた。そして早乙女は専門外の事については、一般人よりはマシ程度の知識しかない。

「わかっておりますわ。ですが、どうしても先生のお知恵を借りたいのです。C-161のデータをご覧いただけますか?」

 夕呼の表情は普段と変わらないものの、声にかすかな疲れが滲んでいた。疲れといってもいろいろあるが、それは『見えていた希望の光が、思わぬ暗雲で遮られた』事によるものだ、と早乙女は直観した。新理論・新技術に挑戦する者には、かならず付きまとう悪友といっていい。
 言われるままに書類をめくり、該当データのグラフを見つめる早乙女の唇が震えた。

「これは……」

 早乙女の脳裏で、無機質なデータグラフから読み取った現象が映像を結んだ。電力に換算すれば原子炉一個を全力稼働させた出力に匹敵する膨大なエネルギーが、極一点に集中している。太陽光を集める虫眼鏡のように、だ。『平行世界』とやらとこの世界を隔てる次元の境界を『壁』に例えるなら、そこにエネルギーの錐を突き立てて穴を開くことができるだろう。書類の文言通りだった。
 しかし、だ。

「理論上、香月博士が設計した機材の力は次元境界を破るに足るはずです。ですがテストした所、現象は発生しませんでした。
原因は不明ですが一つだけおかしなことが。こちらが発生させたものとは別種の膨大なエネルギーが計測されました」

 ピアティフが横合いから説明を加えた。彼女の顔にも疲労は色濃く影を落としている。
 早乙女は無意識に唸り声を上げ、さらに書類をめくって関連データを脳裏に焼き付けた。

「空間に穴を開けるために指向したエネルギーが、見事に打ち消されているな。しかもこれは……」

「ええ、ゲッター線の特徴と一致します」

 夕呼がモニターから視線を外し、早乙女を見た。普段なら衆目ある所では弱さを見せない彼女の眼光が、疲労と困惑に乱されている。

「オルタネイティヴ4の重要な問題点を解決できる手がかりがやっと掴めたところへ、このトラブルです」

 夕呼とピアティフ、そして周囲の学者らの注目を集める中。早乙女は口元を引き結んだ。
 『何のために空間を破りたいのか』を確認したりはしない。既に老科学者の意識は、グラフから読み取れる情報の分析に余すところ無く向けられている。
 やがて、早乙女の脳細胞が一つの答えを弾き出した。理詰めで考えた、というより直感的に浮き上がってきたそれを、早乙女はゆっくりと口にした。

「例えるなら、錐を差し込もうとした先には既に穴が開いており、そこから勢い良く噴水が噴き出していた、というところか」

 言ってから早乙女は顔をしかめた。我ながら下手な言い回しだ、と思ったが他に言いようが無かった。
 吹き出る力がこしゃくな人間の力を阻み、その切っ先を跳ね飛ばしたのだ。
 聞く科学者達は要領を得ない表情を並べたが、一人夕呼だけが小さくうなずいた。

「予想外ですわ、この事態は」

 夕呼は唇を噛んだ。その顔から、生気が音を立てそうな勢いで失われていく。
 困惑するピアティフらを尻目に、早乙女は重々しくうなずいた。

「『この世界』には、既に他の平行世界もしくは別次元と繋がる穴が発生していた、ということだ。それもただの穴ではなく、ゲッター線を吐き出し続ける噴火口のようなものだ。
それが、こちらから放ったエネルギーを簡単に打ち払っている。そして――そのゲッター線を押しのけて、空間に別の穴を開けるだけのエネルギーなど地球のどこを探しても無い」

 早乙女の言葉は、オルタネイティヴ4の失敗宣言と同義だった。



 蝋燭の炎が、闇の中でかすかな空気の流れを受けて踊る。近代科学とは無縁の光に映し出されるのは、塵一つなく清潔に保たれた畳だ。
 二人の男がそれぞれ座布団に座り、対面している。
 一人は帝国軍軍服を纏った沙霧尚哉。その双眸はわずかに伏せられていた。
 そんな沙霧を眺めやるのは、平安装束の安倍晴明。口元に皮肉っぽい笑みを刻んでいる。

「――つまり、義挙は中止ということかな?」

 晴明は、手にした扇子の先を軽く床に押し当てながら、沙霧の額に浮かぶ汗を面白そうに眺めた。

「はっ……晴明様にはお骨折りを頂きながら、真に遺憾でありますが」

 頭を深く下げながら、沙霧は低い声を絞り出す。
 前回、料亭のこの一室で晴明と面会した時の覇気は影も形もない。熱意を語り、難しい摂家筋への工作を依頼した相手に義挙を撤回することを伝えているのだから、朗らかになれるはずもなかった。あえて蝋燭の明かりだけを頼りに密談するのも、近代機器に良い顔をしない晴明の好みを重んじてのことだ。

「貴公らが今更怖気づいたとは思わぬが。何ゆえか?」

 僅かな明かりに照らされた晴明の細面は、病人と見紛うほど青白い。にもかかわらず全身にも声にも不思議な生気が満ち溢れていた。特に凄まれたわけでもないに、沙霧は見えざる手を喉に押し込まれたような圧迫感を覚える。

「それは……ご勘弁を。別の方策を採ることになりましたので。決して、憂国の志を忘れたわけではありません」

 晴明との付き合いは、沙霧が大陸での負傷を癒して復帰した時期に遡る。配属された帝都守備連隊の隊長が、晴明に心酔していた縁だ。
 軍人というのは命のやり取りという極限の現実と対峙する反動なのか、非科学的な占いや宗教に没頭する例が少なくない。そして晴明は、将軍家が古臭い陰陽寮を復活させるほど認めた腕の持ち主だ。占いを求める客は軍だけではなく政治家・財界人含め帝国特権層の多岐に渡っていた。
 顔の広い晴明を抱き込めば、各方面への根回しは上手く行く。狙いをつけた沙霧は晴明に近づき、味方につけることに成功していた。
 それだけに、ここで臍を曲げられてはどんな災難を呼ばれるかわかったものではない。

「仔細は言えぬか」

「はっ、それはご容赦を」

 沙霧はこの場に居ない神隼人を恨んだ。あの男が、あっという間に全てをひっくり返そうとしている。
 はっきりと沙霧の前では横浜基地副司令とは違う、と言いながら他の同志の前ではこれ見よがしに『横浜』の権力をちらつかせた。一方で、『日本人同士が相撃たず、不満を解消する方法』を提示して歓心を買った。心のどこかでは、軍法を破り身内を傷つけることに躊躇があった決起賛同者達は、短時間で篭絡されつつある。
 その事情を晴明に話すことはできない。事前に情報が漏れるのは命取り、という点では隼人の新計画も以前のものと同じだからだ。

「ま、言えるはずもなかろうな。あえてBETAの大侵攻を呼び込み、日本は終わりという態を装うなど」

 さらりと口にされた晴明の言葉は、槌となって沙霧の心臓を叩いた。
 ぎょっとして顔を上げる沙霧の目に、唇をめくれ上がらせた晴明の笑みが映った。壁に映し出される陰陽師の影が、その濃さを増す。
 隼人の計画は、決起に比べれば単純だ。
 99型電磁投射砲を持たせた戦術機でBETAをひきつけ、日本へ誘引する。滅亡寸前までいった本土侵攻を思い起こさせ、日本帝国など権力を握る価値も工作する意味もない国家だ、と内外に思わせるのだ。
 不心得者が、沈む船から逃げ出す鼠のように自発的に出て行ってくれれば申し分ない。
 無論、本当に日本を滅ぼさせては意味がないが、隼人は勝算あると言い切っている。今は冬であり、かつての本土侵攻時に水際迎撃が失敗した原因である台風は発生しない。そして、一度BETAに占領されたために、西日本には民間人がほとんどいない。帝国軍は民間人保護を気にせず戦うことができる、と。
 何より、こちらから誘って叩くのだ。普段悩まされているような、BETAの不可解な行動に振りまわされた不意打ちに対処するのと比べれば、格段に有利だ。
 正直なところ、沙霧は隼人の書いた絵図面に賛同したわけではない。やはり不確定要素――例えば統制しきれない数のBETAを呼び込むリスク等がついて回るからだ。それでも隼人の主導を認める形になっているのは、沙霧もまた同じ日本人を攻撃せずに済むという点に抗いがたい魅力を覚えているからだった。
 沙霧は舌打ちを必死で抑える。恐らく晴明は自分以外の戦略研究会員とも繋がりがあり、とっくにそれらの情報を得ていたのだろうと判断した。

「ご慧眼、恐れ入りま……」

「だが、それではつまらぬではないか?」

 この上は、全て認めた上で秘匿を頼むしかない。そう腹を括った沙霧の言葉を最後まで晴明は言わせなかった。

「国を愛する、と言いながら国を害する愚か者。我こそ正義と信じて、悪行を為してそれに酔う道化。異国の手先になる者供。
そういった者達が血と破壊の中で踊ってこそ、良き見世物となろうに。それが突然の余計な口出しで台無しとは、つまらん!」

 まるで演劇の内容に注文をつけるような気安さで、晴明は嗤った。

「晴明殿……」

 沙霧は呼びかけながらも、言葉に迷う。自分が虚言を呈そうとしたから愚弄するような発言をしているのだ、と考えたのだがどうすれば弁明になるか思いつかないのだ。
 そんな沙霧を細めた目で眺めながら、晴明は扇子を広げて口元を覆い隠した。

「沙霧尚哉、お主もその一人。偶然と必然の賽の目が一つ違えば、別の運命もありえたであろうに。
折角苦心して練り上げた自演の決起、潰されては面白くなかろう?」

 沙霧は弾かれたように顔を上げた。晴明の言葉には、別に研究会員から流れたとは思えない情報が含まれていたからだ。

「さる2月の新潟BETA侵攻後、ゲッターの扱いを巡る交渉のために予定外の日本来訪を行った珠瀬事務次官。彼と榊是親がたまたま彩峰中将の墓参りに出かけねば。
そこで、お主が偶然に事件の真相を知らされなければ。さて、沙霧尚哉はどのように踊ることになったか?」

 絶句した沙霧を嬲るように、晴明の喉が低く震えた。

「なぜ、それを……?」

 沙霧はかつて本心から榊是親を嫌い、国粋主義的妄念に囚われていた。
 日本人の魂、志などというそれこそ一人一人捉え方さえ違うものを自己の価値観のみで鋳型に嵌め、独善の刃と成して振り回し日本人の血で染めるのも厭わぬほどに。
 敬愛する彩峰中将に不当な罰を与えられたことは、それほど沙霧尚哉にとっては衝撃だったのだ。
 光州事件での中将の判断は、結果として味方に損害を与えたのだから失態という評価に対して言い訳は効かないだろう。だとしても、敵前逃亡呼ばわりは何事か。外国の機嫌をとるために、国家の防人となった軍人の最低限の名誉さえ奪い去るのか、と。
 あの日、墓前で榊首相と直接顔を合わせる機会を得るまではそう怒りの炎を身の内に燻らせていたのだ。
 鋼鉄の自制心を誇る榊・珠瀬の二人といえども、故人の霊前では精神の鎧が緩んだのかもしれない。沙霧の詰問に対し真相を語ったのだ。無論、他言無用の念押しを受けた上で。
 彩峰中将が重罰を受けた原因は、実は日本帝国軍自身にあった。高級軍人を外国の手で裁かれた実例を作りたくない、という保身のために国連軍事法廷への引渡しを拒んだのだ。
 当時、既に軍は政府や将軍を圧倒する権力を持ち始めており、榊はこれを跳ね返せなかった。
 軍と国連の板挟みになった榊は、彩峰中将に人身御供になる事を頼み――後は世間にも知られているように、その結果をもって破綻しかけた国連と帝国の関係は、辛うじて修復された。
 その墓前での会話を知るのは当事者たる三人と、ごく少数の口の堅い榊らの護衛役のみだ。
 沙霧が真実を知った時より、軍上層部打倒を狙った榊とのラインは誕生したと言って良い。珠瀬は国連に身を置く立場ゆえ沙霧の策動とは無関係だが、事情を知っているためおおよその絵図面は想像できているだろう。

「晴明殿、貴方は一体……?」

 無意識に拳を握り締めながら、沙霧は必死に考えを巡らせた。榊もしくは珠瀬ともこの男は繋がっているのだろうか。

「我がどのような手管で貴公らの秘事を知ったかなど、どうでもよい。ただ――つまらぬのは許せぬ」

 晴明が言い放った言葉に、沙霧は理屈を越えた真実を感じた。
 この男は、沙霧をからかっているのではない。本心から面白いかつまらないかどうかだけを気にしているのだ、と。
 沙霧側にしろその潜在的敵対者達にしろ、何らかの目的を達成するための手段として策謀を用いている。極端な話、自分の望んだ現実を引き寄せることができるという確信があるのなら、感情的に最悪の手段であろうと遠慮なく取るだろう。
 だが、晴明は違うのだ。
 唐突に沙霧の背筋を得体の知れない悪寒が走り抜けた。それは、自分とは異質の存在に対して起こる本能的な恐怖だった。
 無意識に沙霧の左手が床を探る。普段なら愛用の軍刀を置いている位置だ。しかし今日は非礼があってはならぬと持ってきていなかったのだから、指先は空しく畳を引っかくのみだった。

「……こ、これは失礼を」

 指先に走る感触に、沙霧はようやく自分が相手に害意を持ったことに気付いた。満面の汗を浮かべながらも、沙霧は身の内から湧き上がる己の感情をもてあます。
 確かに晴明は自分とは行動原理が全く違う相手だが、だからといって攻撃する理由は無い。そのはずなのに、本能が警告を鳴らすのを止めないのだ。

「沙霧尚哉、貴公にはちと眠っていて貰おう。それが一番事態を面白くしてくれそうだからの」

 はっとなって顔を上げた沙霧の目が、いつの間にか息が掛かるほどの近さまで接近していた晴明の笑顔を捉えた。

「なっ!?」

 鍛え抜かれた軍人である沙霧は、生身の戦闘技術においても人に負けぬ修練を積んでいたつもりだ。それが、武技と無縁としか思えない相手にあっさり間合いを破られたのだ。
 しかも晴明の恐ろしく白い指先は、沙霧の眉間に突きつけられている。指に浮き出る血管までがはっきりと見えた。もしその手に刃があれば一瞬で絶命させられていただろう。

「七段国へ行なへば 七つの石を集めて 七つの墓築き 七つの石の外羽建て 七つの石 錠鍵下して 打ち式 返し式」

 驚愕に身を縛られる沙霧の耳に、意味がわからない言葉が吹き込まれた。陰陽師である晴明の呪文だ、と理解した時には沙霧の意識は断ち切られるように闇に吸い込まれていく。
 完全に沙霧の意識が途切れる寸前、狂ったような晴明の笑い声が響いた。



[14079] 第二十九話
Name: mitsuki◆66f66a11 ID:ec23792d
Date: 2011/07/05 23:35
 帝都城。
 それは、2001年の段階において日本帝国でもっとも尊ばれる場所。
 明治維新以前からあった、さる大大名の居城を流用したもので、今にも雷が鳴り出しそうな低く垂れた雲の下でも威容を保っていた。
 帝国あるいは外国の首脳クラスの要人が、様々な理由で出入りすることもあり、正門の警備は厳重を極めている。
 具体的には、完全武装の警備兵一個中隊が常駐しており、何か事件が起これば帝都城内基地に詰める斯衛軍(第二連隊基幹)が即応できる体制が24時間、維持されていた。
 ことに、日本内外の情勢が不安定化の一途を辿る現在では、やれ将軍に直訴したいだの、外国の関係者をテロの対象として狙うだのの思惑を持った不審人物の出現率は、跳ね上がる一方。
 戦術機などの重装備を使ったテロが、アラスカ・ユーコン国連軍基地をはじめとして世界中で少なからず発生している昨今、帝都城だけが安全という保障はどこにもない。
 警備担当の者達は、神経をすり減らす日々を送っている。
 12月4日の午前10時20分過ぎ、その正門の脇にある詰所に慌しい動きがあった。

「――不審人物を確保したそうだな?」

 斯衛軍戦術機甲第2大隊の隊長である本多松子大尉が、黒髪を揺らして詰所に足を踏み入れた。
 彼女の背後には、斯衛の軍服を身につけた五人ほどの兵士が続いている。

「はっ! ただの不審者とも思われなかったため、地下牢へと移送しました」

 本多らを迎えたのは、灰色の制服を着た警備責任者だった。

「そう判断した理由は?」

 本多が早口に問う。
 危険がないと判断された不審者は、説諭した上で放り出すのが通常の反応だ。いちいち煩雑な法的手続きを要する逮捕などをしていては、警備の身が持たない。
 武器を所持していたり、背景に危険な色を匂わせる者なら、一般の警察に引き渡す。
 地下牢を使う場合は、かなり判断が難しい場合に限られているから、本多の顔つきは厳しい。
 警備責任者は、手にしたメモに目を落としながら、説明を始めた。

「9時53分、正門に単身やってきた当該不審者は帝都城内への侵入を図りました。身分証の提示はあったのですが、容姿や態度に不審のかどがありましたので……」

 警備兵の一人が本多に駆け寄り、ビニール袋に入れられた数枚のIDカードを見せた。

「……国連軍の身分証だな。それに、日本政府認証の通行許可証……偽造か?」

 素早くカードの印字を読み取る本多の黒い瞳には、かすかな苛立ちの色があった。
 本日は、将軍殿下が直々に『日本帝国及び人類に対し、顕著な功績があった者達』を褒賞する式典が予定されていた。この種の行事では、普段は帝都城に近づかないような者達がやって来る。警備に関わる人間としては、神経を尖らせざるを得ない。
 つい二時間ほど前も、式典を放送する国営通信社の職員を偽り、政府要人への訴願を企てた者を確保し『丁重に』城外へ送り出したばかりだった。

「照会したところ、IDカード自体はいずれも本物です」

「本物……つまり、大掛かりな組織が背後にある、と?」

「我々はそう判断いたしました」

 本多の背後に立っていた彼女の部下の一人が、小さく舌打ちを漏らした。
 公の身分証を不正入手できるような勢力――日本国内の有力者か、あるいは外国の諜報組織か。いずれにせよ、容易ならざる事件の気配があったからだ。
 考え込む本多に、警備責任者は説明を続けた。

「本人は、自分は国連軍の訓練兵であると主張しておりましたが。年齢は二十代、訓練兵にしてはやや年がいっている上に、とても正規の軍人とは思えない凶悪な面相の男で、体つきといい物腰といい危険人物そのものといった印象で――」

「…………待て」

 話を聞くうちに、本多の背筋に冷たいものが走りはじめた。

「その不審人物、髪はざんばらの黒髪で、眼光は刃物のように鋭かったのではないか?」

 額から珠のような汗を吹き出させながら、本多が詰め寄ると。警備責任者は、意外そうな顔をしてうなずく。

「はい……心当たりが?」

「もしや……もしやその訓練兵の名は、流竜馬というのではないか?」

「は、はあ。確かに本人はそう名乗っておりました……がっ!?」

 その言葉を言い終える前に、本多の両腕が伸びて警備責任者の喉元を締め上げた。彼女の血相は、いきなり戦場に放り出されたかのように蒼白になっていた。

「ば、馬鹿者! 通達があっただろう! 国連軍訓練兵、流竜馬の事は!」

「し、しかしあまりに不審な点が……!」

 上から通すように、と言われた程度で無警戒になるようでは、帝都城の警備は勤まらない。通達自体が正規なものであっても、やって来る人間が情報を入手した偽者であるケースもありえるのだから。
 だが、その高い職業意識がかえって仇になったことを、本多は悟らざるをえなかった。

「それはわかる! わかるが……すぐに釈放しろ! 奴の身元は私が保証する! だから……」

 言い募る本多の言葉を、けたたましい警報音が遮った。



 帝都城の地下牢は、大政奉還以前の建物を補強したものを使用している。
 時折、天井から漏れ落ちる雫の音は、この中で無念の死を遂げた過去の囚人の涙か。ろくな照明もない空間は、気の弱い者なら入っただけで血の気が引くような、不気味な空気に満ちている。
 石造りの冷たい壁にところどころ浮かぶ染みは、血の跡を思わせる濃い赤だ。

「おい! 出せ! 俺は呼ばれて来たんだぞ! なんだよこれは!?」

 そんな空気をまったく無視するのは、白い国連軍制服姿の入牢者。
 廊下に、流竜馬の抗議が木霊した。

「だから俺は、国連軍の訓練兵だっつってんだろうが! 怪しいモンじゃねえ!」

 頑丈な木材を組み合わせた、それこそ時代劇に出てくるような格子にしがみつくようにして喚く竜馬に。牢番の警備兵――軍服に警棒という、現代的な格好だ――は、冷笑を投げつける。

「嘘をつくんじゃない! 貴様のような訓練兵がいてたまるか!」

 牢の前に立つ警備兵の頭には、国連軍兵士は軟弱者の集まりだという偏見があった。
 その上、流竜馬という男はいまだに白い訓練兵の制服が一向に板につかず、『ヤクザが罰ゲームで妙な格好をさせられている』ようにしか見えない。
 警備の人間から見て好意を抱く要素が欠片も見出せないのが、流竜馬という男の風体だった。

「好きで訓練兵なんざやってるわけじゃねぇ! だいたい、俺のどこが怪しいってんだ!?」

「その凶悪な容貌! 不穏な態度! 怪しくない場所を探すほうが難しいだろうが!」

「ふざけんな! これでも横浜基地じゃ、『仏の流さん』や『癒し系の竜馬ちゃん』で通ってるんだぞ!」

 正確には、『ホトケ(=犠牲者を量産)の流さん』であり『(近寄るのも)嫌・死(にたくない)系の竜馬ちゃん』なのだが。

「ふん……戯言を」

 警備兵は、竜馬の弁明を鼻先で笑い飛ばす。
 横浜基地を出発前、神宮司まりも教官に「帝都城では大人しく! とにかく大人しくしろ! 可能なら呼吸もするな! 少しでも問題を起こしたら、生まれてきた事を後悔させてやるからな!」と何十本も釘を打たれた竜馬は、連行されるがままに牢屋に入ったものの。いくら抗議しても、自分の言葉が相手にされないことに苛立ちつつあった。

「くそったれ……隼人の野郎がいれば……」

 本来、竜馬は神隼人の付き添いを受けて帝都城へ来るはずだった。しかし、その隼人は「急用ができた」の一言だけ残し、出発前に慌しく姿を消してしまった。
 そのため、竜馬は一人で帝都城まで赴いたのだが……。正門前で、身分証を提示したにもかかわらず捕縛されるという、非常な理不尽を味わう羽目になってしまっていた。

「……せめて、飯ぐらいは食わせてくれるんだろうな?」

 ふてくされて唇を歪め、歯をぎりりと鳴らす竜馬の台詞に、警備兵はこれ見よがしな笑い声を上げる。

「馬鹿を言うな、恐れ多くも将軍殿下のお膝元を騒がすような奴に、食わせる飯などない!」

 侮蔑を隠そうともしない警備兵の物言いに、竜馬の太い眉が大きく跳ね上がった。

「そんな待遇かよ! ――だったら」

 竜馬は、呼吸を整えて数歩下がった。この時点で厳重にまりもが刺した釘は、跡形もなく竜馬の精神から抜け落ちている。

「出ちゃう……ぞっ!」

 次の瞬間、地下全体が揺れるような衝撃が走った。天井から砂粒が降り、廊下に跳ね返って耳障りな音を立てた。
 警備兵はぎょっとして牢屋の中へ体ごと振り返り、警棒を握り締めつつ、

「貴様、何をしている!?」

 と、怒鳴ったが。それを圧するように、破砕音が弾ける。
 警備兵は、自分が目撃した現象を理解できず棒立ちになった。
 竜馬が、牢を蹴り破ろうとしていたのだ。
 常識的に考えれば、いくら頑張ろうと人力で破壊できるような代物ではないはずなのだが。
 数百年の歳月に耐え、近代化の際に鉄で補強されたはずの牢の格子が、まるでダンボールで出来ているかのように簡単に砕かれつつある!
 警備兵は、はっとなってさらに制止の声を上げようとするが――

「おぶちゅっ!?」

 竜馬の二発目の蹴りで限界を迎えた格子の一部が吹っ飛び、見事に警備兵の顔面を直撃した。
 物理的な牢破りを達成した竜馬は、崩れ落ちる哀れな警備兵には一瞥もくれず、鎖を解かれた野生猛獣の如き笑みを浮かべた。
 舞い上がる土煙を割って廊下に出ながら拳をごきりと鳴らす竜馬の視線が、出口を探してあたりを睥睨する。
 その時、無数の足音が床に跳ね返った。異常を察知した他の警備兵が、血相を変えて駆けつけてきたのだ。

「何事だっ!?」

「……牢屋が破壊されている! 武器を隠し持っていたのか!?」

「確保しろ!」

 いかつい顔つきを揃えた警備兵達が、警棒を構えつつ竜馬に殺到する。中には、腰に下げた拳銃に手をかける者もいた。
 警備兵側から見れば、牢という不審者を閉じ込めているための施設を素手の人間が破壊する……などという可能性は、考慮するのも馬鹿馬鹿しい非常識なものだ。
 この時点で、流竜馬は帝都城警備側から『ただの不審者』ではなく、『要警戒の危険人物』に即座に格上げされたのは、自然なことだった。

「……上等だ!」

 一方の竜馬は犬歯をむき出しにして笑った後、警備兵らを迎え撃つべく身構えた。竜馬の側からすれば、客人として呼ばれた自分に濡れ衣を着せた挙句、食事も出さない扱いをした連中に捕まってやる義理はないのだ。
 数瞬の後、地下に無数の悲鳴が響き渡った。それらは、全てが警備兵の上げたものだった。

 ――後年、『帝都城某事件』と呼称されることになる、ささやかな騒動はこうして開始された。





 沙霧尚哉帝国陸軍大尉、突然の失踪。
 この一報は、帝国軍内部を衝撃を伴って駆け巡った。
 本来ならば、ただの一大尉風情が姿を消したところで、巨大な軍組織には何の影響もないはずだった。せいぜい、失踪者本人が所属した部隊が混乱する程度だろう。
 だが、沙霧という男が若手士官の勉強会『帝都戦略研究会』を表看板として活動し、隠然たる影響力を築いている人物であることは、軍内政治に詳しい人間にとっては常識だった。
 元々、現在の帝国軍首脳部は非常時を口実として政府や元枢府を圧迫し、自分達好みの日本を実現させようと陰に日向に工作を続けていた。巧妙なところは、露骨な政治口出しをするのではなく、表向きはあくまでも将軍や政府を立てる形を保った点であろう。
 大東亜戦争敗戦後の帝国議会において時の陸軍大臣は、日本が戦争に突入し条件付とはいえ降伏の屈辱を味わった根本原因のひとつは、軍人の独善的な政治介入であると国民に謝罪した。
 このことは日本国民の心に深く刻まれ、戦前は慣習レベルに過ぎなかった文民統制を明確化し、制度上は軍人が勝手に政策を壟断できないシステムを作り上げる(アメリカはじめとした旧敵対国に対する配慮という側面もあった)。
 だが、所詮システムはシステム――抜け道は、いくらでもある。
 BETAの本土侵攻という未曾有の国難にあっては、あらゆる国家資源は軍に集約せざるを得ない。軍の権限と予算は右肩上がりを続けていた。
 いつの時代も、カネと暴力を握っている者が本当の実力者であるのは、人類普遍の真理だ。
 軍が『それとなく』政府に意見を言うだけで、絶大な影響力を持つことになる。
 この結果、第三者(軍上層部の内情を知らない、一般的な将兵を含む)から見ると、政府が悪者に見えるという奇妙な現象が出来上がった。
 現在の榊是親内閣は、中堅程度の軍人から受けが非常に悪い。
 それを利用しようとしたのが、アメリカの対日強硬派――より正確には、オルタネイティヴ5信奉派だ。
 彼らからすれば、自分達を巧妙に出し抜いてオルタネイティヴ4を国連秘密計画本案として採用させた榊内閣は、不倶戴天の敵である。
 当初は、アメリカも日本軍内の不穏分子を動かすのではなく、帝国議会選挙で合法的に反国連の国粋主義派を勝たせることで、『穏当に』オルタネイティヴ4の後ろ盾を消滅させることを考えていた。
 (露骨な親米派は、特に安保破棄後の日本国内感情からして勝利はいくら支援しようが困難と見られていた)
 日本帝国の政情不安化は、極東人類戦線の強度低下につながり、アメリカ大陸にBETAを呼び込む羽目になる危険性が大きいからだ。
 ところが、日本帝国議会の選挙においては、ぎりぎりながら榊支持派が過半数を占めるにいたっている。
 国民の多数は、感情的にはともかく現実問題として国連との関係を重視せざるを得ないのが日本の立場だ、とわかっているのだ。
 これら国会内の榊派は、たとえば日米共同新型戦術機開発計画「XFJ」を通すなど、アメリカに対しても一定の友好メッセージを発しているから、選挙妨害などをして強引に倒そうとすればアメリカ議会……特にXFJのお陰で恩恵を得る軍需産業系議員が黙ってはいないだろう。
 こういった複雑な事情の元、オルタネイティヴ5派が最終的に決断した方法が、日本軍の中堅を中心とした軍人が持つ政府への誤解と偏見を助長し、クーデターをそそのかすこと。
 オルタネイティヴ5派が後押しする日本国内の不穏分子の人選は、微妙な判断の連続だった。
 まず、将官クラスの軍上層部の人間は、政府が軍にかなりの配慮をする現在に満足しているだろうから、動くまい。新米少尉などは、無知ゆえの過激な行動力は期待できるだろうが、一人か二人が暴発した程度では目的は果たせない。
 結果、戦術機乗りとしての腕利きの名声があり、若手士官に思想的影響力を持つ沙霧尚哉を旗頭に選んだ。
 そして、こういったオルタネイティヴ5派の動きを逆手に取ろうと狙う者達――日本国内のある勢力も、沙霧がアメリカに取り込まれるのを黙認……いや、後押しをした。
 この時期、クーデターに関わる者達の視線の焦点は、沙霧にあったといっていい。
 その沙霧が消えた。
 クーデター計画自体が、神隼人なるイレギュラーの出現によって大きく変動する気配を見せていただけに、関係者の混乱はただ事ではなかった。

「……ここか」

 よれよれの薄汚れたコートに身を包み、ハンチング帽をかぶった細面の男が、電柱の陰で呟いた。
 冷たい空気を通して男が睨む先にあるのは、さる軍人の私邸だった。
 男――神隼人は、沙霧尚哉失踪の報を受け取ると、竜馬をあっさりと見捨てて私服に変装、帝都の一角にあるこの屋敷を目指した。
 当初の沙霧尚哉らのクーデター計画では、陸軍の帝都守備連隊をはじめとして、多数の兵力を一気に動かして『奸賊』を誅滅し、同時に国防省・発電所などの重要施設を占拠する手はずだった。
 それだけの兵力と装備を動かすには、同志達の団結もさることながらより現実的な要素……活動資金がいる。
 クーデター計画を練るにしても、他人の耳目が届かない空間を確保する必要があり、当然ながらそれには多額の費用がかかる。
 正規の軍務を装い、予算を懐に入れる手段もあるが、そのような行為は監査され結果としてクーデター計画が露呈する可能性が大きい。
 ダミールートを通じて、アメリカ……そしてクーデターを逆用しようとするオルタネイティヴ4や帝国政府(情報省)から提供される資金も、非合法であるだけに限度がある。
 沙霧らに流れる金の中で、もっとも額が大きいもの。
 それは、陸軍の機密費だ。
 機密費というのはその名の通り、公に出来ない活動のために支出される資金である。陸軍だけではなく、海軍や内閣・各省庁もこの機密費を持っているが、他の予算に比べて秘密度が著しく高く外部からの監査をほとんど受けない・情報公開の義務がないという点が特徴だ。

「……さて、どこのどいつがどう動くか……」

 隼人は、沙霧尚哉に連絡をつける一方で、クーデター勢力の内情も調査していた。
 人間、理想だけでは動かない……動く人間がいるとしても少数派だ。
 結局のところ、クーデターを決起とか大義とか言い換えようが、大多数の人間を引き寄せるのは例えばクーデター成功後の権力や報酬といった現実的な要素。沙霧が耳障りの良い建前を吹聴し、わかりやすい敵を提示する一方で、軍人達をひきつける資金や人事の用意という生臭い側を担当していた人物がいる。
 そう考えた隼人が目星をつけたのは、陸軍の上層部では珍しく現状に不満を漏らし、かつ機密費にアクセスできる人物――ある陸軍少将だった。
 もし、沙霧を失ってなおクーデターに走ろうとする軍人がいるのなら、資金確保のために陸軍少将を訪ねるはず、というのが隼人の読み。

「もっとも、後先考えず動く連中には、資金なんぞ無関係だろうがな……」

 隼人は香月夕呼の黙認を得ているとはいえ、実質独りで動いている。各地に駐屯する帝国軍の部隊内で、ばらばらに蜂起が起こった場合は正直手の出しようがない。
 衝動的に手近にあった武器を持ち出し、国連軍施設や外国公館・あるいは政府施設に攻撃を仕掛ける程度なら、資金を確保して……という手順を踏む必要はなく、察知は困難になる。
 手駒がない、ということで沙霧捜索にも手がつけられない状況だ。

「む!?」

 今後の事を考え、頭痛を堪えるようにハンチング帽に手を当てた隼人は、本能的に身を低くした。
 誰かの視線を感じたのだ。

「――久しぶりだな」

 背後からかけられる低い男の声に、隼人は迷う素振りも見せず懐から拳銃を抜いた。すでに実弾が装填されている、国連軍の軍用拳銃だ。
 声をかけた人物は、振り返った隼人に銃口を突きつけられても薄い笑いを浮かべたままだった。

「……貴様」

 あっさりと背後を取られていた驚きを噛み潰しながら、隼人は目前の人物に、刃のような視線を投げつける。
 だが、相手は平然とした態度を崩さないまま口を動かす。

「お互い遅かったようだ、神隼人。決起を計画していた者達に資金を供給していた板原(いたはら)少将なら、姿を消している」

「何!?」

 隼人のものよりずっと手入れの行き届いたフロックコートに、山高帽子という格好の鎧衣左近・帝国情報省外事二課長。彼の言葉に、隼人は拳銃を下げないまま片眉を跳ね上げた。
 隼人と左近は、香月夕呼を通じて一緒に汚れ仕事さえこなした仲だが、友好的とは言い難い関係だ。必要があれば、隼人を顔色ひとつ変えず抹殺しに来る相手だとわかっているのだから。
 ここに登場したということは、隼人が何をしていたか、もとっくに把握済みなのだろう。

「現在、決起を考えていた者達の行動は三つに大別される。ひとつは……おお、ひとつといえば、ヒトツバタコというのはモクセイ科の植物だが昨今のBETA侵攻のために、ただでさえ希少だったのが……」

「ちっ!」

 表情を変えないでしゃべり続ける左近の鉄面皮を憎憎しげに睨んでから、隼人は拳銃を下ろした。

「時間がないのはお互い様だろう。要点だけ話せ」

 左近の話術に散々煙に巻かれた過去を思い出し、隼人は唇を歪める。

「……ひとつは、沙霧の代わりに若手に比較的人望のある幹部将校を説得し、新たな旗頭に担ぎ出そうという一団。もうひとつは、あくまでも沙霧の行方を捜そう、という一派だ……残りは、この時期の決起自体が無理だと判断した連中だから当座は問題ないだろう」

「……」

 隼人は、拳銃を懐にしまいながら素早く頭を回転させた。
 当初の計画では決起の中核となるはずだった帝都守備・第一連隊は、沙霧の個人的カリスマに多大な影響を受けているゆえ、彼以外の指導者など考えられず捜索に必死になることだろう。
 問題はクーデターを起こして日本帝国の体制を変える、という一点でのみ沙霧と合意しているが、内心の目指す方向は違う者達だ。彼らの中には、より過激な思想を持つ急進派も少なからず含まれている。
 新たに担ぎ出される人物によっては、事態がさらに混迷を深める可能性は十分あった。

「それで、板原の行方は?」

「決起をあきらめない者達に連れ出された。今、行方を追っている……どうも、一番厄介な連中に先手を取られたらしい」

「厄介?」

「国粋主義派・最右翼グループ」

 隼人は、脱いだハンチング帽を掌の中でぎゅっと握りしめた。
 反国連・反米を通り越して人種差別発言を連発し、神がかり的な日本不滅論と精神主義を言い立てる一派だ。当然ながら、その種の輩は現在の帝国軍内ですら鼻摘み者で、人事では冷遇されている。
 それだけに、カネを握れば何をしでかすかわかったものではない。
 オリジナルのクーデター計画においても、頭痛の種とされていた者達だ。
 沙霧らは、決起はあくまでも日本の内政問題だとして、外国の介入があった場合には極力建前を押し出し交戦を避ける予定だった。そのためには、コミュニケーション手段――国際公用語たる英語の使用が必須だ。ところが、国粋最右翼に属する将校達はどうも英語を使用する事自体にさえ忌避感を感じているらしい。もし、英語使用(自動翻訳装置の利用を含む)を拒めば、相手からは交渉意思無しと取られる恐れが大きかった。
 そうなった日には、相手から先制攻撃を受けても非を鳴らすことは難しい。
 だからといって、過激な国粋右派をグループから追い出すのは、決起の本当の目的――オルタネイティヴ5派の策謀を逆手に取り、日本国内の不穏材料を極力排除する――に反する。
 そんな綱渡りを試みた一連の策動だったのだが、今は全てが水泡に帰しかけていた。

「……もう『早期に鎮圧される隙を意図的に作ったクーデターを引き起こす』など、無理だろう。政府や軍に警告を発したらどうだ?」

「『かの国』の反応が読めない以上は……」

 詰めよる隼人に、左近はゆっくりと首を左右に振って見せる。
 かの国、とはアメリカを指す。沙霧失踪は、オルタネイティヴ5派にとっても思わぬ誤算だろう。どんな反応をしてくるのか、読む事は難しかった。
 元々、日本側――榊是親らの手札があまりに少ないからこそ、クーデター工作を黙認するという捨て身の一手を考えざるを得なかったのだ。迂闊な動きはできない、と左近の冷たい眼光が語っていた。





 視界が暗い。
 香月夕呼は、自分がいつの間にか執務机に突っ伏していることに気付く。のろのろと体を起こすと、天井の照明が目に突き刺さり思わず顔をしかめた。耳を打つのは、空調の静かな響きのみだ。

「…………」

 膨大なデータと格闘するうちに、制服のまま眠ってしまった――自分の状態を分析し終えると、夕呼は荒々しく艶を失った髪をかきあげた。
 ゲッター線という伏兵により、白銀武を平行世界に送り出す計画が頓挫してから、打開策を探すために一分一秒を惜しまずデータと格闘したのだが。その成果は、いまだ出ていない。
 彼女専用パソコンの画面右下が点滅していた。重要メールが届いた、というマークだ。
 夕呼は、マウスを手に取りメールを読む。だが、その目はどこか空ろなままだ。
 メールの送り主は神隼人で、沙霧失踪の事実とそれに伴って予想される混乱が記載されていたのだが。今の夕呼には、さして心引かれるものではなかった。
 彼女がクーデターに対する工作を進めたのは、オルタネイティヴ4を円滑に進めるためであって、本命が潰れかけている何の価値もない。

「駄目ねぇ……」

 夕呼の喉から、低い自嘲の笑いが漏れた。
 彼女は、日本の精神がどうのという理由でクーデターを正当化しようとする軍人達を、徹頭徹尾軽蔑していた。正義や大義というのは、所詮主観の問題であり――例えば彼らが口を極めて批判する対外協調も、『日本の現実を見据えて耐えがたきを耐える』と言い換えれば、立派な大義名分となる。まだ、露骨な現実利益のために動く者達のほうが、理解できたぐらいだ。
 正義や大義は宗教と同じだ。それを信じる者達の中でしか価値を持たない。
 しかし――いざ夕呼自身が全てを賭けてきたオルタネイティヴ4の失敗に直面するとわかると、自己の狭い正義に逃げ込みたがる連中の気持ちがわかるようになってしまった。
 計画が失敗すれば、自分は壊れる……少なくともそれに近い状態になることを、夕呼は悟っている。
 計画中止の通告が国連本部から送られた後、アルコール浴びるように飲む自分を想像し、夕呼はぶるりと身を震わせた。

『――博士、よろしいでしょうか。ピアティフです』

 そんな夕呼の暗い思考を断ち切ったのは、内線から響いた副官の控えめな呼び出し声だった。

「何?」

 投げやりに答えた夕呼は、ピアティフの返答に思わず目を丸くした。

『早乙女博士がお見えです。至急、相談したいことがあると』

「……何かしら」

 夕呼は首を傾げながらも、入室を許可した。同時に自分の頬を叩いて気合を入れ、手早く化粧を済ませる。どんな状況だろうと、余人に衰弱した姿を見せないのが彼女の意地だった。
 早乙女を待つ間、夕呼の意識はゲッターチームに移る。
 改めて考えてみると、早乙女博士を含むあの連中は本当に生命力にあふれている、と思う。
 早乙女は日本帝国から支援を打ち切られようと、難民キャンプでも研究を続けた。
 流竜馬や神隼人などは、世界を全て敵に回すことになろうと、最後までわが道を突っ走るだろう――弁慶は、まだ常人に近い感性があるようだが。多分。

「まぁ、流石にあんな風にはなれないわね……」

 そんな夕呼のつぶやきに、ドアの開閉音が重なった。
 むっつり顔の早乙女は、汚れた白衣を着込んだいつもの格好で挨拶もなく執務室の前までやってきた。

「――何か御用ですか」

「何か、ではない。すぐに白銀武を呼べ」

「……は?」

 唐突な早乙女の指示に、夕呼はここ数日の心労もあって鈍い反応しか返せない。
 早乙女は一瞬眉をひそめたが、すぐに表情を元に戻すと言い放った。

「ゲッター線の噴出が邪魔なのだろう。ならば、それを突破する手段を講じればいい」

「それが出来れば苦労は――」

「できる! 簡単なことだ、白銀武をゲッターロボに乗せて転移させればいい!」

「…………はぁ!?」

 自信満々に言い放つ早乙女の顔を、夕呼は呆けたように見つめた――。


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