松本氏は福岡市出身。「部落解放の父」と呼ばれた松本治一郎元参院副議長の孫にあたり、3代続けて解放運動に取り組んできた。参院議員だった父・英一氏の秘書を経て90年に旧社会党から衆院議員に初当選。福岡1区では強固な地盤を背景に抜群の強さを誇る。弟は福岡の中堅ゼネコン「松本組」社長。政界有数の資産家で、ジャズ好きで、カラオケでは英語の歌を歌うこともあるという。
環境相時代に仕えた部下の評価は、「親分肌の政治家」で一致する。「チームを作り、失敗してもその責任を取ることが大臣の役割」と復興担当相の就任会見でそうした姿勢を見せる一方、単刀直入な発言で、周囲を驚かせることも多かった。
菅直人首相の退陣表明や不信任決議案を巡り混乱した翌日の会見で、環境相だった松本氏は閣内で真っ先に「一日も早く退陣した方がいい」と断言。周囲には「普通の感覚でしゃべっただけだ」と平然としていたという。
松本氏の評価を高めたのは、昨年10月の国連生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)で議長を務め、名古屋議定書の採択など、成功に導いたことだ。「各国代表の意見を議長の権威で突っぱねることもできたが、その選択をせず、丁寧に声を拾い上げる手法をとった」と粘り強さを評価する意見も。今回の問題については「力が入りすぎたのかなあ」と分析する声も出ている。
一方、関心があまりない話題では、会見で事務方が用意した問答集を読み飛ばし、「もう少しアピールの色気を出してくれても……」と語る職員もいた。
地元民主党福岡県連の吉村敏男幹事長は、「テレビで見ていて『何でだ』と思った。これから復興の仕事に取りかかろうという時に残念だし、惜しいが、被災地の人たちに申し開きができないことも確かだ」と嘆いた。
支持者の男性(61)は「民主も自民も嫌い、という発言の時には『この非常時に政局をやっている場合か』という龍さんのいら立ちが感じられたが、今回はちょっと分からない」と驚きの表情で語る。
かつて政治信条を問う取材に対し、「人の痛みがわかる人間になりたい」とも語っていた松本氏だったが、4日は朝から東京の事務所では抗議の電話が鳴りやまず、秘書は「300件までは数えたが……」と言葉を濁した。【浅野翔太郎、江口一、林田雅浩】
毎日新聞 2011年7月4日 21時26分(最終更新 7月5日 9時41分)