
Q.フリーメーソンの内部はどうなっていますか?
A.基本的には1〜3の位階を通過すれば、一人前のメーソンです。4〜33位階を総称してスコティシュ・ライト(スコットランド・儀礼)といいます。この位階は上下の階級的関係でなく、いわばマスターする“学位”のようなものです。1〜3が一般メーソンでブルー・ロッジ。4〜14を十全会。15〜18をバラ十字会。19〜29を神聖会。30〜32を宗門会議。33を最高会議といい、それぞれブルー・ロッジを通過したメーソンが位階に応じてグループを作っています。
一人前のメーソン(三位階)になるとスコティシュ・ライトの各グループがそれぞれの会にメンバーをスカウトできます。4位階以上からは縦の階級でなく、横一列の関係で、内部の勉強会と思って下さい。1〜3のプロセスがメーソンの基本型で4〜33はその枝葉です。しかも、いわゆる階級ではなくメーソンとしては3位階以上はみんな平等です。儀式と秘密はこの位階の昇進時に行なわれ、また年に何度かの聖書(旧約)にのっとって決められた日に行ないます。
秘密はそれぞれの位階に応じてあり、メーソンの仲間うちでも自分が何位階か教えてはいけません。儀式はそれを通じての兄弟愛と真実をきわめるために行なうもので、一言でいうと人間修養のためのものです。(管理人注:この辺がメーソンごっこを思わせる。パリの大東社ロッジでは殺人儀式が頻繁に行われていて警察などは絶対に立ち入れない「治外法権」地域となっている。パリ郊外ベルサイユは毎日観光客で溢れかえっているがその近くのトリアノンの地下で恐ろしい儀式が行われているとは夢にも思わないだろう)
勉学内容は、象徴や儀式であらわされ、時には芝居みたいな演技をします。ふつうおよそ6ヵ月で一人前のメーソンになりますね。この修養の内容を言うわけにはいきません。それが一番の秘密なのですからね。

フリーメーソンは各ロッジで月に4回、集会を持ち、それぞれのグループで月例会、ミーティング、勉強会の日を決めます。集会日はふつう夕方の6時ぐらいから夜10時ぐらいまで、夕食会を催しますが、ロッジ内での飲酒は厳禁、集会中は政治や宗教、ビジネスの話は禁じられています。もちろん、メーソンは個人主義ですから、ロッジ外では全くフリーですし、兄弟愛を通じ、メーソン同士が仕事の助け合いや政治的理想を語るなども自由です。(片桐三郎氏)
Q.外郭団体や人脈的に近い団体を教えて下さい。
A.スコティシュ・ライトでは、メーソンだけの慈善団体*1をもち、これをシュラインと呼びます。シュラインは回教儀式のテンプル(寺院)を集会所とし、主に身体障害者相手の病院を経営しています。アメリカではこのシュラインが盛んで、このメンバーになるのは非常に名誉なこととされていますが、日本では資金的な余裕も、メンバーも少なく盛んではありません。
外郭団体としてメーソンの子弟たちのために『オーダー・オブ・デ・モレー』というボーイスカウトがあります。ふつう『デ・モレー団』と呼びますが、デ・モレーの名は十字軍時代の有名な聖堂騎士団の最後の総長、デ・モレーから由来するもので、第一次大戦後、アメリカのメーソンが青少年運動のために興しました。世界の本部はアメリカのミズリー州のカンサス市にあり、現在世界中に数十万の団員を持っています。日本では支部が東京、福生、沖縄の三カ所にあります。
このガールスカウト版が『オーダー・オブ・レインボー・ガール』です。そしてメーソン家庭の夫人連の団体が『オーダー・オブ・イースタン・スター』(東方の星結社)です。(述事務局長)
Q.日本グランド・ロッジと諸外国との関係を具体的に説明すると?
A.日本グランド・ロッジはブルー・ロッジの管轄権を持っています。フィリピンから独立したとき、“既得権”としてすでに存在した英国やフランスのロッジは管轄外として認めましたが、今後は日本グランド・ロッジが日本のフリーメーソンの最高機関として、進出を許可します。
交友関係にある外国グランド・ロッジは現在、100以上あり、国としては43ヵ国です。この相互友好条約が結ばれますと、互にメンバー同士を紹介したりします。諸外国のグランド・ロッジが集まって一般的問題を討議する場をグランド・マスターズ協議会(各州、各国のグランド・マスターが参加)といい、日本はワシントンでの会議に参加します。また、スコティシュ・ライトでは同じく世界最高評議会があります。

日本のグランド・マスターはブルー・ロッジ(3位階まで)の最高指揮権をもち、スコティシュ・ライトとは上下の関係でなく、併行した二重の組織です。東京メソニック協会(財)はスコティシュ・ライトの組織です。日本グランド・ロッジは私的団体ですので、東京メソニック協会からビルを借り、家賃を払う形です。日本グランド・ロッジも慈善事業をしておりますが、厚生省の役人に似た二つの法人はいらないとされ、日本グランド・ロッジとフリーメーソンは私的団体とされたのです。(同)
Q.メーソンになったらどんなメリットがあるのでしょうか?*2
A.世俗の物質的な利益はありません。フリーメーソンはそれを考えない団体なのです。ロッジはいわばメジテーション(冥想)の場で、精神的な向上だけを目指します。ただ、あらゆる階級、国籍、人種が異なるとしてもメーソンは皆兄弟ですから、非常に暖かい団体だといえますね。(安藤一夫氏)
取材中、「フリーメーソンの正体は何だろうか」との問いが頭を悩ませた。この問題を、イタリア、イランの事例をひき、尋ねてみると、
「イランは情報がなく判りません。イタリアの例でもフリーメーソン自体は陰謀結社とされていません」
との答えだった。また、「メーソンの仲間にも個人的にはいろいろいるでしょう。なかにはCIA的な人間もいるでしょうが、フリーメーソンを陰謀結社として利用はできない。フリーメーソンの陰謀説はナチスやローマ・カトリック側から昔はいろいろやられましたが、みんな嘘ですよ。最近でも、M資金の関係とか、我々の本部は“表メーソン”で実は“裏メーソンがある”とかいう人もいます。以前も、“裏メーソン”から聞いてきたという二人連れがやってきて、奇怪な話をするので『そんなことはない』と否定すると、“裏メーソン”を名のる人から、その否定が合図なのだ、と説明されたそうです。結局、どう答えても信じてもらえなくて困ります。(管理人注:これは真赤な嘘で『フリーメーソンの秘密』(赤間剛著)の著者が何も知らないということ)
最近、日本にカリフォルニアに本部をもつ『バラ十字会』と名のるメーソンの類似団体が進出してきて、我々と友好関係があるかのように訪問してきましたが、オカルチックな団体で本物のフリーメーソンではありませんので断わりました。フリーメーソンを真似た類似団体はアメリカやヨーロッパには多く、間違われるので困ります」(述事務局長)
という。「何のメリットがあるか?」とさらに問うと、「結果論として」の前提で、
「たとえば外人と一緒にゴルフをしており、偶然互いがメーソンとわかったときには、ガラリと態度が変り、親密になります。何となくメーソンらしいと察したときには、“合図”や“サイン”がありますからテストできます。メーソンの兄弟と知ったときの親密感は同郷の出身者などの感情をさらに強くした感じでしょうね。相互扶助の義務がありますから、そういうことでビジネスにプラスになることも結果的にあるでしょう。
しかし、相互扶助だけが目的でフリーメーソンに入会するのじゃあない。私も困ったメーソンの何人かに職を紹介しました。メーソンは個人主義的ですので、困った仲間のメーソンが自力でダメなら助けてやるという順序になります」(片桐三郎氏)
「日本人として初めてピューリッツアー賞を受けたカメラマンの沢田教一氏がメーソンでしたが、彼はいつもメーソンの指輪をしていましてベトナム戦でもそれを見た米軍人メーソンがヘリコプターに乗せてくれたりいろいろ助けてくれたし、メーソンの仲間が世界中にいることがありがたい、と言ってました。いいメーソンでしたが亡くなりましたけどね」(安藤一夫氏)
という。
*1:フリーメーソンは慈善団体ではないが、日本ではグランド・ロッジや有志のロッジが寄金で作った「東京メソニック協会」を通じていろいろな慈善行為をしている。昭和53年度の同協会事業概況をみると、@各種養護施設への寄附として次の施設があげられている。二葉保育園、なおみ会、白峰会、エリザベス・サンダース・ホーム、日本肢体不自由児協会、ベセスダ・ホーム、清明福祉協会、神戸少年の家、青少年福祉センターなど。A各種団体、機関を通ずる慈善寄附。日雇労務者たすけあい会、眼球銀行設立委員会、孤児救済合同委員会、村山学生サナトリウム、軽井沢診療所、国立第一病院、ジャパンタイムズ社、アサヒイヴニングニュース社、東京衛生病院他六団体。B災害被災者救援寄附。ニッポンタイムズ社、日本赤十字社、日本放送協会、ペルー大使館、フィリピン大使館他二社。Cその他の公益に資する寄附。日本点字図書館、清里農村センター、東京都知事、日本YMCA、デ・モレー少年団。D直接の慈善活動がその他ある。フリーメーソンは原則として慈善活動を隠れて行う。だから余り宣伝しないが、日本以外の資金的余裕のあるアメリカ、イギリスなどでは、メーソンの社会への寄金は、そうとうな額に及んでいるという。なお、フリーメーソンの財政は、ふつうは各ロッジごとの会計で、グランド・ロッジへの寄金行為はあるが、それほど多くはない。裕福なロッジでは、余裕の資金を株や証券にして増収を図っている。
*2:メーソン同士の兄弟愛と相互扶助は、さまざまな形である。たとえば、代議士の植竹春彦氏は「国際会議などでメーソンだとわかると急に親切にしてくれ、交渉がうまくいった」という。また、外国での話だが、戦場で敵味方となり、銃殺寸前のときメーソンとわかって助かった例などがあるそうだ。小さな話では、羽田税関にメーソンがいて、「メーソン同士だと楽に通してくれる」(日本のメーソン)といい、匿名となるともっとさまざまな便利さもあるらしい。
入会者の話
フリーメーソンが「秘密結社ではない」*1の証拠として、私は日本グランド・ロッジの殿堂に案内され、儀式の会場見学を許された。カトリック教会の厳粛さとまた全然違うエキゾチックな雰囲気だ。
三人のメーソンが議長の席、会員の着席順、位置他を説明してくれる。儀式のときは、入口に門番の衣裳で槍を持った男が、謎の問いを発し、正しく答えないと入室できない、という。許しをえて、メーソンのエプロン、帽子ほか衣裳を身につけてみる。何となくテレ臭いが何となく愉快でもある。それで、「勲章とかエプロンとかにテレる人はいませんか?」と聞く。
「いません」と心外そうだった。
儀式のときは、真中の台座上にそのメーソンが信仰する“聖書”を開き、右手をおきメーソンの誓いを口にし、ひざまずく。日本人ならこの“聖書”は仏典でもよいが、ふつうは旧約聖書(ユダヤ教)だ。というのは、メーソンの行事は独自のメーソン暦からなるユダヤ教から由来しているからである。儀式の用語は今では日本語でよいが、儀式の行事などはあくまで古来からのフリーメーソン様式を踏まえるという。
会場の模様は四方に黒い幕がおろされ、外光から遮断されている。中央に祭壇。三隅に奇妙な形のランプ、スイッチを入れると赤紫色の神秘的な光を発する。席は正確に東西南北に配置されており、東側に祭司長の席。その上には木槌がある。机の前に垂らした幕には、海に昇る太陽とメーソンとは切り離せない直角定規の刺繍がしてある。
祭壇をはさんで西側の祭司補席には、山あいに沈む太陽と水準器。椅子の背もたれには、フリーメーソンの象徴である直角定規とコンパスの組み合わせた飾り、述事務局長らメーソンの説明によると、この道具立てのひとつひとつに意味があるのだと説明をしてくれる。たとえば、祭司長席後方の垂れ幕にある「G」の文字はジオメトリー(幾何)のG、ゴッド(神)のG、というようにだ。さらに直角定規とコンパスを組み合わせたマークのある帽子、位階を示す模様のついたカラー、直角定規と神の「眼」が描かれた羊皮製エプロンからなるフリーメーソン独特の服装など、ムード的にいうといかにも秘密結社的である。
日本グランド・ロッジの殿堂内を訪問した外部のジャーナリストは、「あなたが初めて」といわれる。これはジャーナリストが知らないの意ではない。朝日、毎日、ジャパンタイムズなどかなりのジャーナリストが日本人メーソンだからだ。
フリーメーソンは独自の図書館を持っている。それを「フリーメーソン・ライブラリー」といい、全世界のフリーメーソン関係の書物がある。
「フリーメーソンだけの印刷される書を総合すると聖書の発行部数を軽く越えるといわれます」(安藤一夫氏)
この図書館を利用できるのはメーソンの会員のみだが、私は特別に資料を見せてもらった。メーソンの機関紙には『マソニック新聞』があり、各国ロッジの活動などが記載されている。図書館の書物はほとんどが英文で、機関紙も英語と日本文の半々だ。
全国の会員名簿はなく、「各ロッジがそれぞれ持っている」が本部のグランド・ロッジ内にある「名前・生年月日・入会年月日・ロッジナンバー・死亡・退会年月日」という断片的なカードを閲覧する許可を与えられた。このデーターから著名なメーソンを割り出し、入会の動機やフリーメーソンについて取材してみた。
大日本製糖会長の藤山勝彦氏はいう。
「入会は17年前。メーソンでした田中元彦(勝彦氏の実弟。NCRの元社長)に、国際的組織ですし、いろんな有名人が入っているからと勧められました。昇進試験が難しくて私はいまだにメーソンの一番下です。メーソンは社会奉仕をやり、メンバーが兄弟的な団結をもつ立派な団体です。いわゆる社交的なクラブと違い、一つの使命をもって固く結ばれています。しかし、メンバーを拘束することはありません。
国際的な奉仕活動をやっており、ベトナム難民救済とか身体障害者のいろんな問題を取りあげ慈善活動もします。ロータリー・クラブは職業を通じての社会奉仕だが、ロータリー・クラブなどとは違います。メーソンは日本人になかなか理解しにくい規定があり、ポピュラーになりづらい面があります。メーソンは古い歴史を持ち、兄弟の団結で困難に立ち向かい、理想を追求しています。
世俗の面でも助け合いますが、この兄弟愛はふつうの友情以上に深いものでメーソン流の摂理を通して結ばれています。だから、手紙なんかでも必ず『ブラザー』をつけます。社会的にどんなに偉い人でもメーソンなら平等な兄弟です。戦後の加入者の多くは進駐軍の方でした。メンバーを公開しないので、何か大秘密結社のように思われていますが、そんなことはありません。私は一兵卒で、怠け者なので進級もしてないし、最近は忙しくて出席もしないが、メーソンはもっと一般に理解されてよい団体ですね」(勝彦氏の実兄が元外務大臣の藤山愛一郎氏であり、“藤山財閥”の一員である)
また、TAC建築設計事務所の高橋真一郎氏は、次のように話す。
「およそ3年前(昭和51年)、日本のグランド・マスターの住宅を建築したのがきっかけで入会しました。その人は退役軍人でして横田基地の人で、私も米軍人の知り合いが多くいました。フリーメーソンは勧誘するものではなく、私に対しても軽い“どうだい”ぐらいの調子でした。私の入会推薦人は、同じくグランド・マスターだった山田精夫さんでした。
入会動機はその退役軍人が仕事に関しても、また人格的にも立派な人で、信じられたからです。レオパー・ベッチオさんといいますが、すでにニューヨークで亡くなられました。本人の希望で横浜の墓地に眠っています。そこはメーソンの墓地で、墓まで面倒をみるのかと驚きましたね。
入会する前の私の印象は、社交団体であり、いろんな職業の人が集まる団体の中で、互いに兄弟という程度のものでした。会員になる前、他の外人から横浜のメソニック・テンプルの設計を依頼されていましたが、設計前におよその知識を持つ必要があり、百科事典などで調べましたが、フリーメーソンは秘密結社の項にありました。ベッチオさんを信じて入会した のですが、秘密といわれるものがなかなかわからない。私が読んだフリーメーソンの案内書にも書いてないし、入会後一人前になってやっと解明しました。
秘密といわれるものは、ひとつの権威づけなんです。しかし、それを明かしてしまうと何もなくなってしまうそういう祭祀で、それがすべてですね。私がグランド・マスターならそれを明かしても何ともない、と思うね。フリーメーソンの秘密とはそういうものです。
今は月一回、東京友愛ロッジに出席します。平日で夕方7時から夜10時ぐらいまでです。このロッジでは日本語でミーティングをやっています。フリーメーソンは長い歴史がある。次にメンバー間に深い信頼関係があります。名士、大学教授、経済界の人、政治家と各層のトップが割と多いよ。話してみてもふつうの会話でなく、フリーメーソンの用語や教義を話します。この内容はいえませんが、たとえば悪いことはしてはいけないとかの道徳とか宗教の規律などです。
これが秘密といっても、子どもがガラクタを集めて“いっちゃいけないよ”という他愛もないことかも知れません。しかし、それを守ることが人と人とのつながりを深めるのではないでしょうか。メーソンの人は指輪、ネクタイピンとかメーソン独自のものを身につけています。米軍では陸、海、空軍にいろんなメーソンがいて、こちらがメーソンだとわかると初対面でも急に親密な連帯感を示してくれます」
高橋真一郎氏は、米陸軍技術本部日本司令部特殊顧問をへてDMJM設計事務所勤務、TAC建築設計事務所長。韓国大使館、韓国国連ビル、インドネシア、サウジアラビア、アブダビ石油プラントなどを設計しているキャリアの持ち主だ。
私は数十人の現存する日本人メーソンに連絡、取材を申し込んだが、多くの人々が、「入会しているが、話せない」(保険会社代表取締役、匿名希望)とか、「名を伏せてほしい。現在の日本では、誤解を与える可能性があるので困る」(元経済企画庁、アジア経済研究所理事)とか“逃げ腰”であった。メーソン歴が長い前出の安藤一夫氏は、
「それがメーソンの知恵なのです。ハイソサエティのエリートで占められている英国でさえ、チャーチル首相がメーソンであったと発表されたのは死後でした」
という。もちろん、現存する日本人メーソンの人々も誤解を恐れず取材に応じてくれた。それらは追って記していきたい。現在、日本グランド・ロッジに所属するメーソンは4000人で日本人は250人と少数である。「外人メーソンの多くはアメリカの軍人であとは在日実業家、ほかはヨーロッパ、オーストラリア、ニュージーランド、フィリピン、韓国、台湾と世界中の人がいます」(述事務局長)。
日本人メーソンはそれこそ職業の全分野にわたっているが、在日米軍の軍属二世が比較的多いのが特徴だろう。
*1:秘密結社の日本語ニュアンスでは、会員も所在も判らない地下組織のイメージだが、ここでフリーメーソンを秘密結社とするのは、入社儀礼を持ち、秘密の儀式を有するという意味でいうのである。もちろん、権威ある各辞典でもフリーメーソンは、秘密結社とされている。フリーメーソンの人々は、秘密結社と呼ばれることに抵抗があるようだが、日本グランド・ロッジ発行の『憲章・古来の道標・布告・其の他』(メーソンの手帳のようなもの)でも、「フリーメーソンは漏洩すべからざる事柄のため、一種の秘密結社ともいう」と自ら認めている。
日本の著名メーソン
フリーメーソンの“カード”から、すでに故人となった著名な日本人メーソンを拾ってみよう。
鳩山一郎…1951年3月29日入会。No.2(ロッジ番号、以下同じである)、元首相、昭和29年、青年運動の「友愛同志会」(現薫子夫人会長。クーデンホーフ・カーレルギー伯が名誉会長)を結成。「友愛同志会はフリーメーソンの精神を基礎にしている」が鳩山氏の口グセだったという。ちなみに、“パン・ヨーロッパ主義者”でEC創設者の一人、カーレルギー伯はオーストリアのメーソンといわれている。
IMAGO DEI その4参照

(管理人注)『明治25年(1892年)2月、オーストリア=ハンガリー二重帝国代理公使としてハインリッヒ・クーデンホーフ=カレルギー伯爵が日本に赴任し、青山家の店先で落馬した際に青山光子が看病したことから、二人は恋に落ちました。』
浅野良三…1951年9月20日入会、No.2。浅野財閥の当主。戦後、経団連結成に参加、小林中などと“新番町会”を結成、池田内閣などとつながった財界人として知られる。
加納久朗…1950年4月3日入会、No.2。吉田元首相の親族として財界側のスポンサー、「不明の外資を導入する男」(『真相』)といわれた。子爵、元横浜正金銀行重役などの戦後財界人。
河合弥八…入会、ロッジ番号不明。元参議院議長、鳩山自由党に参加した保守政治家として有名。
弘世源太郎…1961年4月10日入会、No.1。元日本生命常務、父・現氏が同社社長、妹の正子さんは旧皇族の久邇宮朝融王氏の子息、邦昭氏と結婚。財界の“名門”といえよう。
小松隆…1950年8月8日入会、No.2。元日本鋼管重役、吉田茂日米協会会長時の副会長、後に同会長。ロータリー・クラブの評議員、会長でもある。
田中元彦…不明、No.11。前出の藤山愛一郎氏の実弟、日本NCRの顧問、菱和航空サービス(株)会長、日本アドレソグラフ・マルティングラフ(株)取締役。プリンストン大卒の知米派だった。
村山有…1950年9月8日入会、No.11。元朝日新聞記者、ジャパンタイムズ編集長、幣原首相のGHQとのパイプ役といわれた。戦争中は陸軍中野学校と組み、対米謀略放送に従事、戦後、ボーイスカウトの再建に活躍、アメリカ生まれの二世。
村田五郎…1950年9月8日入会、No.2。ジャパンタイムズ重役、元群馬県知事、元内閣情報局次長、日本会会長。
松本滝蔵…1950年9月8日入会、No.2。広島県出身の代議士。マッカーサー元帥後援の日米親善野球の日本側委員長。
佐藤尚武…1950年一月五日入会、No.2。終戦時の駐ソ大使、戦後代議士。元衆院議長、元外相で、外交界の長老であった。神社本庁の総代会会長に就任、国家神道の再建に貢献した。
野田俊作…1950年3月28日入会、No.2。政友会の父、卯太郎の地盤を継ぎ、代議士。松野鶴平代議士と義兄弟の間。
山下太郎…1950年4月3日入会、No.2。俗に“満州太郎”“アラビア太郎”との異名を持つ財界人、山下汽船の社長。
下条康麿…1950年3月3日入会、No.2。元文部大臣。子息が下条進一郎現代議士である。
植竹悦二郎…1950年1月5日入会、No.2。長野県出身の代議士、戦前の内務大臣、戦後憲法をGHQと会談、作成に協力した。吉田、鳩山政権に参加、リベラリストだったが反共主義者としても有名。
山岡萬之助…不明、No.11。元貴族院議員、日本大学の“中興の祖”といわれる名総長だった。戦後、GHQにより公職追放。
高橋龍太郎…1950年1月5日入会、No.2。元商工大臣、元通産大臣。元東京商工会議所会頭、ビール会社の社長として財界人。
梁瀬長太郎…1950年4月19日入会、No.2。ヤナセ自動車の元社長、同社は日本初の自動車ディーラー、ヤナセ商会が前身で、世界の高級外車を輸入販売して有名。ちなみに、鹿島守之助(鹿島組会長)と親族。「守之助氏はフリーメーソンに十分な理解があり、『鹿島平和研究所』を創設、“パン・アジア”運動や世界連邦運動で有名です。カーレルギー伯やハンフリー副大統領(メーソン)、鳩山薫子ほかに創設した鹿島平和賞を贈呈しています。日本のフリーメーソンに入会を頼んだが、なぜか入られませんでした」(日本のグランド・マスターの話)という。
三島通陽…不明。旧伯爵、戦後代議士。戦前、戦後ボーイスカウト運動に活躍、日本ボーイスカウト連盟総長。
このほか
岡本礼一(1950年入会、No.2。ボーイスカウト運動の役員)
青木義久(1959年5月20日入会、No.11。元満映、記録映画など学術物の映画プロデューサー)
星島二郎(不明。元商工相、サンフランシスコ講和会議全権委員、鳩山自由党に参加、元衆院議長として自民党の長老)
などがいる。
これらの人々をみると戦後社会でそれぞれに重要な働きをしている。戦後の占領時代の混乱のなかで、日本のフリーメーソンが根づき定着していくころが最も華やかなフリーメーソンの歴史であろう。
日本グランド・ロッジ創設(昭和33年)に至る初期の日本人メンバーに村山有氏(前出)という人物がいた。『終戦のころ・思い出の人々』(時事通信社刊)の著作があり、そのなかに「フリーメーソンと日本」という章があって興味深い事実が載っている。
戦後、村山氏と三島通陽氏らはボーイスカウトの再建に動いていたが、GHQではマッカーサー元帥はじめ高官の多くがメーソンと聞き、「今後は真にデモクラシーの兄弟愛で行こう」とフリーメーソン参加の仲間を集めた。賛同したのが、佐藤尚武氏、星島二郎氏、植竹悦二郎氏、高橋龍太郎氏、松本滝蔵氏らでマッカーサー元帥あてに手紙を出した。
その結果、OKが出たが日本人の入会宣誓をどんな方法でやるか問題になった。結局、アメリカ軍将官を前に演説、「要するに、富士山に登るのに道はたくさんあろうが頂上は一つであると同様に、神は一なりの精神を論じ」「聖書をもって日本の各宗派の聖典または教典に代えて宣誓する案」に決した。この案をマッカーサー元帥に提出、アメリカ本部の承認を得た。村山氏は「日本人にフリーメーソンの門戸を解放することの意義は、日本人の人種差別待遇を取り除いて兄弟愛の結合を深めることだった」という。入会式の模様はこうだった。
「1950年1月5日に佐藤尚武、植竹悦二郎、三島通陽、高橋龍太郎、芝金平(後述)の諸氏に筆者も加わって、荘重なフリーメーソンの入会式が行なわれた。GHQのウォーカー少将ほか多数の人が参列してわれわれを祝福してくれた。越えて4月6日には芝金平氏と筆者に、日本で最初のマスターメーソンになる栄誉が与えられ、その儀式は占領軍各国の高官など400名以上が参列して盛大に行なわれ、マッカーサー元帥はとくに最高副官ハフ大佐を代理として出席させたほか、フィリピンからグランド・ロッジ代表ら二十余名も来日して参加した」(同)
4月8日、参議院議員官舎でフリーメーソンのフィリピン代表の歓迎会が開かれ、日本の政財界の名士も多数集まったが、席上、フィリピン代表の一人で後に国連大使や中南米、アフリカの大使として活躍し、教育家としても有名だったマウロ・バラディ氏が大演説した。
「フィリピン人は、果たして日本人をメーソンの兄弟として手を握れるかどうか、私は泣きながら神に祈った。フィリピン代表が日本にくるまでの決意は、悲痛なものであった。今日ここにいる20人の代表のほとんどが、自分の目の前で、その親兄弟を日本軍のために殺され、家屋を焼かれた悲惨な経験の持ち主である。フィリピン人はみんな日本人を呪っており、憎んでいる。しかし、我々は子孫にこの憎悪を永久に伝えてはならないと要請され、メーソンの博愛精神にしたがって日本人をメーソンに迎え入れよと決意を促されて、我々は親子、夫婦相抱いて泣いたのであった。
日本人を兄弟として握手しようと決心し、過去の罪を許してメーソンとして迎える決意をした。しかし、日本人は我々のこの厳粛な気持をわかってくれるか。“汝の敵を愛せよ”と教えているその精神を実行して生きるために、我々は日本にきたのである。この貴い決意こそ我々は子孫に知らせ、そして人類のために最高の友愛の表現として喜んでくれるものと信じている。日本人の責任は大きい−諸君こそが世界の偉大なる期待をもって迎えているパイオニアだ。フィリピン人はひとしくフリーメーソンが日本で伸び、そして我々と兄弟として握手できる人が多くなることを心から願っている」
バラディ氏に対し、日本側から星島二郎氏が、「我々日本人は戦争責任を痛感している。今後は世界平和のために貢献することをみんな望んでいる。日本国民の名において、フィリピンにおける行為について謝罪決議を行なうことを望んでいる」と述べた。そして、星島氏は国会に謝罪決議案を提出、満場一致をもって可決され、それが直ちにフィリピン政府に打電された。これがフリーメーソンの日本でのひとつの働きである。
フリーメーソンの宮中工作
鳩山一郎氏は公職追放中だったが、マッカーサー元帥の肝入りでフリーメーソンの門戸が開いたと聞き、村山氏を訪ねて入会を希望、「フリーメーソンの精神を日本人にも大いに理解させなくてはいかん」と大変に力を入れた。やがて公職追放がとけ、総理大臣になるとメーソンの第3位階に昇進、水交社で200人近いメーソン兄弟の祝福を受けた。そのとき鳩山氏は次のようにあいさつした。
「戦後日本において幾多の社会的変化がありました。そのなかでフリーメーソンの門戸が開かれたことは最も大きな出来事であります。私は世界幾多の指導者や元首が対等の資格で会員であるフリーメーソンの一員として、日本グランド・ロッジの年会に出席する機会を光栄に思います。
フリーメーソンが民主主義精神の根本を教え、アメリカの独立をはじめとして自由と平和のために闘ってきた数多くの先覚者は、みなメーソンでした。この友愛精神が新しく日本をもつなぐ大きな力となったことを考えましても、この精神を讃えずにはいられません。マッカーサー元帥は私ども日本人にこの友愛結社の門戸を開き、また占領軍の多くのメーソンは実際に兄弟愛の何物であるかを実践してくれました。
占領初期から今日に至るまでのマッカーサー、リッジウェイ、クラーク、ハル、レムニッツアならびにアリソン大使は、いずれもメーソンであります。日本にこの会が結成されて数年を経ていますが、この間に日本語のみの関東ロッジが認められたことを喜ぶものです。4000年の歴史を有するフリーメーソンが日本で実を結んで、今日に至ったことを誇りに思います」(昭和31年6月5日)
村山氏があげている初期の日本人メーソン(前出の他)では、浅地庄太郎(日本ビルサービス株式会社社長)、二宮順(朝日新聞記者、ボーイスカウト運動)、李垠(旧皇族の李王)、東ヶ崎潔(1950年入会、No.2。ジャパンタイムズ社長、ボーイスカウト運動に活躍、ロータリー・クラブ国際会長。1960年日本のグランドマスター)、植田優、吉井寿雄(貴族院議員吉井勇の息子、松本滝蔵の親族)、武田修、島内敏郎(外交官、サンフランシスコ講和会議の委員)、長田政次郎、北川正恵、小田春海、犬丸徹三(元帝国ホテル社長)、堀内貞一 (神奈川菱油取締役、新日本産業設立、社長。1959年日本のグランドマスター)、山本勝夫、増山吉成がいる。
村山氏も述べているように日本のフリーメーソンは、マッカーサー元帥はじめ占領軍高官とアメリカの戦後政策(新日本建設)が合致して強力に推進させられたと考えられる。“フリーメーソン・ライブラリー”所蔵の『日本のフリーメーソン百年史』(日本グランド・ロッジ編)の中でもそのあたりの“政治の裏面”が記録されている。以下、同書にそって追ってみたい。
「フリーメーソンに対する嫌悪感を生ませた軍国主義者のやり方を私はアメリカのメーソンに説明した。アメリカのメーソンの人々は、日本の若い世代の心にヒューマニティとデモクラシーの精神による日本の再建策として非常に重要な戦後計画であるスカウトを支え、援助することを日本の指導者と政府の役人に約束した。私はフリーメーソンの真実の姿を、日本の皇族とトップ・リーダーに紹介するために働きかけた。
そして
東久邇宮(天皇の叔父、戦後の首相)が兄弟、友愛の真実を学ぶためにフリーメーソンの“忠実な奉仕者”になることを表明した。彼は少数の日本人希望者と共に、加入申請書を出し、最初の日本人となった。プリンス・李垠(夫人は皇后のイトコ)も私どもと共にメーソンとして歩んでいる。このことが佐藤尚武、高橋龍太郎、鳩山一郎、河合弥八、三島通陽ら日本人リーダーを含む人々の入会を納得させるのに役立ったのである」(同、1955年、ワーナー・P・シュトリング氏記述、日本のメーソン指導者)
マッカーサー元帥は、フィリピン管轄下の日本のフリーメーソン組織をフィリピン側の反対を押し切る形で独立させる働きをした。 「日本人にまかせるようにしなければいけない」と考え、そのため日本人フリーメーソンを「これこそ一晩で上級位階にする処置を取った」(芝金平氏。後述)。日本のフリーメーソンを発展させるため、マッカーサー元帥はまず皇族を入会させ、次に日本の指導層を獲得、最後に天皇を会員とする腹であった。
戦前からアメリカのメーソンで日本通の人々は、「アメリカ人に対し、天皇を理解せよ」と説いたが、今度は天皇の方からフリーメーソンに対して「大いに興味を持たれた」という。天皇の耳にフリーメーソンを吹き込み、勧めたのは次の人々である。
「日本のエンペラーに接近するため皇族の東久邇宮、李垠、宮中の伯爵と男爵、政府のトップに接近した。1949年頃である。この工作を小松隆、三島通陽が二年前から行なっていた。工作の中心はマッカーサー元帥が中心で、アメリカ側にも働きかけていた。天皇への工作は、反共政策とフリーメーソンの普及を同レベルで位置づけるためである。メーソンでは、リビイスト他がこれに当たっている」(同)
宮中の伯爵と男爵とは、村山氏によれば英国のフリーメーソンであった松平恒雄氏(宮内大臣、衆院議長、伯爵、元駐英大使)と幣原喜重郎(元首相、男爵、元駐英大使)の二人であった。松平恒雄氏は1950年4月、マスターメーソンの最高階級のミーティングに出席、
「私はよくメーソンを知っている。人類愛、同胞愛があり、それを尊重している。破壊からこの世界を救うのは、フリーメーソンのみであると信じています。マスターメーソンの崇高な会議に出席できたことを喜びます。マッカーサー元帥がとくに日本のフリーメーソンに好意を寄せ、門戸を開いた。日本の社会革命は疑いのないところです。そして日本に自由と平等と兄弟愛が訪れるわけで、すばらしいことです」(同)と熱烈な言葉を贈っている。幣原喜重郎氏も列席者として、「私はロンドンで日本大使の林董(メーソン)から聞き、引きつけられました。私は加入することを望んだが入会する前に任地を離れ、残念でした。日本ではフリーメーソンは、破壊活動をする団体とみられていましたので、日本人は加入を禁じられていましたが、マッカーサー元帥が日本人にメーソンを開き、ありがたく思ってます」(同)と語っている。
フリーメーソンとは、「宗教を基礎にしたいろんな有神論者が集まる団体」(北村安忠氏。1980年グランド・マスター)である。だから、大局的にみれば全世界の多様なフリーメーソンは有機的な“世界反共同盟”ともいえるのだ。この意味を正直に語っているのが1955年の同書の次のような記述であろう。
「5月25日、鳩山一郎、河合弥八の二階級の昇進が行なわれた。河合は東京テンプルで午前8時、特別グランド・ロッジが作られ、私どもの代表団により組織された、選ばれた比国代表のグループと地区グランド・ロッジの4人の主だった役員、東京ロッジ、関東ロッジの主だった役員、そしてブラザー・ハル将軍、ブラザー・マックノートン将軍、ルースト将軍が特別ゲストとして出席。もう一方では、臨時に作られた祭壇がおかれている
鳩山邸で午前9時から厳粛な儀式が始まった。
午後4時、ブラザー・河合と鳩山は日本のすべてのメーソンとその婦人と共に東京テンプルでのティー・パーティーに招待され、祝福された。特にマッカーサー元帥、ハリー・S・トルーマン前大統領のような著名なメーソンからの祝辞が披露された。ブラザー・鳩山はメーソンの兄弟愛に深く感動し、これからのどんな活動もフリーメーソンの教えに導かれるであろうと私たちに語った。ブラザー・河合も、同じく世界の平和を得ることが、唯一の人類の願いという私たちの友愛精神の崇高な意志を高く評価すると表明した。
5月28日、午前9時、私どもの代表団は司令部でブラザー・ハル将軍に迎えられた。そして、極東における共産主義の潮をくいとめることが、フリーメーソンの重要点であるとの見方を交した」(同)

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