股間を濡らして待っててね
同期の石田や山ちゃんから、「オマエは好きなコトばっかりしやがって」と冗談半分なじられますが、「好きなコトができている」という実感はあまりありません。好きなコトをするために費やした時間や労力、そして数字で表された結果を踏まえたら、僕の場合は「好きなコトにしがみついている」と形容した方が正しいかもしれません。それはずいぶんみっともないことで、なんとも往生際の悪い姿だと思います。
それでもやっぱり好きなコトだけをしようと思えるのは、僕なんぞが、自分が好きでもない分野に首を突っ込んだところで、そこにいる才能豊かな人達の中ではたいした結果は望めないでしょうし、そもそも、好きなコトばかりできると思って飛び込んだ世界です。当時抱いたその憧れを否定したくはありません。
そんなわけで今から数年前に、梶原とチーフマネージャーを呼んで、「好きなコトをトコトンする宣言」をし、僕のそのワガママによりキングコングは急ハンドルを余儀なくされたわけです。そして、ハンドルを切ったその先にあった一つが「ずっと漫才をする」ということでした。
今でもTVは狂おしいほど好き好きチュッチュッですが、「TVに出ない」という選択も‥と思えてしまうほど、TVに出て“素”を見せてしまうことで、できなくなってしまう漫才というのは本当にたくさんあって、それはテレビに出た漫才師が必ずぶちあたる壁で、もちろんキングコングも例外ではありませんでした。
ただ、それでも漫才を続けることで、もっと言えば、歳を重ねることでできるようになった漫才というのがほんの僅かながら存在して、今の僕はその部分にとても興味があります。
その僅かな部分をより濃くしたモノを、なんばグランド花月やルミネTHEよしもとなどの寄席でやって10分の出番をそれだけで終わらせてしまうのは、お客さんに対してあまり親切ではないので、漫才ツアー『KING KONG LIVE』をスタートさせました。7~8本やる内の1本(本当は2、3本)ぐらいは大目に見てちょうだいね、という。
それは、TVでもできない。寄席でもできない。ただただ自分がやりたいという、『KING KONG LIVE』でしかできないヒドいネタ。
こんな仕事をしていると「自殺したい」といった手紙をいただくこともあります。そんな時、僕は「そんなあなたの為に漫才を」的な顔をしていますが、その実、根底にあるのは「自分がやりたいから」とか「頑張ったことを誉められたい」といった自分本位な考えです。自分のセコさに情けなくなりますが、それが正直なところだと思います。
ただ、自分の好きなコトが、自分の作る漫才が、偶然たまたま利害関係が一致して、たとえば誰かの自殺を止められたら、たとえば失恋をふっ切るキッカケになったら、たとえば震災に遭われた方の生きる糧になることができたとしたら、それほど嬉しいことはありません。そして、そうなって欲しいという想いに嘘はありません。
動機は自己満足。それでも人の役に立てるということは、とても嬉しいことです。
「こんな時にお笑いは無力」とたくさんの人が口にしましたが、綺麗ゴトでもなんでもなくて、やっぱり僕はそうは思いません。それは皆がお笑いを見るというのが前提の言葉です。お笑いを見ている場合じゃない人は、そもそもお笑いを見ません。選挙カーの声とは違い、街中でくだをまく酔っ払いの声とも違い、お笑いは、お笑いを見ようとした人の所にしか届きません。その程度のものです。
ですから、お笑いが目的で集まって来た人に対しては、お笑いにチャンネルを合わせた人に対しては、お笑い芸人はいつもどうり道化に徹していればいいと思います。1000年に一度の地震の日も、漫才師は漫才をやっていればいいと思っています。
去年と同じように今年もやります。だって、やりたいもん。
おい、お前。元気だったか?
あいかわらず人生は容赦ないなあ。僕もブンブン振り回されてる。それでもギリギリ踏ん張って、とりあえずネタはしっかり作っておいたよ。今年は特に面白いからね。
でもね。
それだって見る人がいなきゃ意味がないのよ。生き延びてくれてありがとう。久しぶりに逢いましょう。
約束の夏です。『KING KONG LIVE 2011』
西野亮廣