心に青雲

心に青雲とは青雲の志を抱くこと。弁証法、認識論を踏まえ、空手、科学、芸術、時事問題などを論じます。

お知らせ

2011年06月26日 | Weblog


「心に青雲」は7月末をもって閉鎖しました。

「新・心に青雲」は以下のアドレスになります。
 http://kokoroniseiun.seesaa.net/
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引っ越しのご挨拶

2011年06月13日 | Weblog
 長らくこちらのgooブログで「心に青雲」を主宰してきましたが、5周年をひとつの区切りとして引っ越しを敢行することにしました。

 「新・心に青雲」は以下のアドレスになります。
 http://kokoroniseiun.seesaa.net/

 変わらぬご愛顧をよろしくお願い申し上げます。

 この旧・心に青雲は、ご要望が多かったためしばらくは削除はせず、過去の文章を皆様にご供覧に付します。
 また、こちらにコメントやメッセージを投稿(送信)されましても、今後は拝読いたしませんのであしからずご了承ください。過去のブログ原稿に関しても、投稿できるように設定されておりましても、私がチェックすることはありません。ご返事もできません。
 コメントは新・心に青雲のほうへお願いいたします。






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一般論の大事性

2011年06月09日 | 弁証法
 昨日の「お知らせ」に対して、多数の方からgooのブログは残すようにとの依頼を頂戴しました。
 なるべく皆様の意に沿うように検討してみます。
 みなさんのお言葉に感謝しております。

 「新・心に青雲」は近日中にスタートさせたいと思っています。引っ越し先を現在探索中です。

 ところで昨日いただいた岡目八目さんのコメントが大変すばらしいミニ論文なので、みなさんにはぜひ読んでいただきたいと思います。
 コメント欄ではやや見にくいかと思いますので、こちらに掲載します。



《一般論を媒介としない現象に囚われた不毛な議論》

 学歴と実力は、あくまでも相対的独立でしかありません。三浦つとむさんが尋常小学校しか出ていないことが、その良い例証でしょう。他ならぬ私自身も大学を出ていないのに、大卒でのお歴々に偉そうなこと言うのは、学歴何するものぞ、との思いがあるからです。

 さて、ここで問題になっている千島学説は、生命とは何か、生命の歴史を無視して、現象に誤魔化された駄説でしかありません。

 千島先生は、全体像・一般論を媒介として研究するという学問の王道をご存じなかったために、細胞が融合しているかのような現象的事実に誤魔化されて、細胞分裂を否定してしまうと言う誤りを犯してしまいました。

 地球の一部として誕生した生命は、不断に母なる地球との相互浸透を必然的宿命としていますが、DNAが登場して以後の生命体は、その歴史を刻み込んだDNAを媒介としてはじめて細胞レベルでも個体レベルでも生存しうる存在です。

 したがって、DNAを継承する細胞分裂は生命体にとって必然性です。勿論このことは、細胞の融合を否定するものではありません。細胞の融合は、生殖における受精にみられる現象ですが、個体レベルでは専ら細胞分裂によって成長・発展が行われるのが一般的です。癌細胞ですらDNAに統括されているのですから・・・。

 以上の一般論から照らしてみますと、千島学説は、人間における特殊な部分的現象を度外れに拡張した、学説と言うに値しない代物です。

 体内の欝滞した部分から、ゴミ溜めから虫が湧くように、細胞分裂によってではなくゴミ溜めから直接に癌細胞が発生するという論理は、笑止千万という他ありません。DNAを媒介とした細胞分裂のすえに虫が湧くのです。

 赤血球が癌化するというのもありえない話です。何故なら、赤血球は一人前になるとDNAがなくなってしまう唯一の例外的な特殊な細胞だからです。だから、欝滞した部分に集まった赤血球が癌化することはあり得ない話なのです。

 次に毛細血管が開放されているとの話も、短時間に血液を全身にくまなく廻らせるためには、血管系は閉じていなければ不可能です。心臓・血管系とは何かの一般論を踏まえるならば、これはあり得ない話です。これまた、毛細血管が壊れて赤血球が外に出ているという特殊な現象を、不当に拡張した恣意的な解釈です。


 これと同様に、放射能の議論も、放射能とは何かという一般論を媒介としないために、いたずらに悪しき事実が、亡霊の如く一人歩きして人々を不安と恐怖の坩堝に陥れている現実があります。

 そもそも放射能とは、現在の宇宙・元素の誕生からおよそ40億年が経ち、ほとんどの元素もかつてのような若さを失っている中で、わずかにその若さを保っている元素の機能なのです。つまり、エネルギーが溢れて変化しやすい元素の若さの象徴が、放射能というわけです。

 では何故放射能を浴びると細胞が癌化するという事態が生じるのかといえば、その若さの象徴のエネルギーが、本来は死ぬべき細胞を死ななくさせてしまうという形で働いてしまうからです。では、どうしてそのように働いてしまうのかといえば、放射能を受ける側に、バランスの悪さ不安定さがあるから、放射能のエネルギーがそのように作用してしまうことになってしまうのです。

 しかし、現在の地球は、全体としては、年取って落ち着いて変わり難くなってしまっているために、放射能が人が住めなくなるほど環境を変化させてしまうことはありえません。

 同様に個人レベルでも、しっかりと統括されている限り、そのエネルギーはプラスに作用すれこそすれ、その統括を乱すように働くことはそうとう強烈に作用しない限りありえません。ところが、多くの議論は、個々の元素レベルで捉えてしまって、低線量率でも悪い影響をおよぼすかのようになってしまっていますが、これは現実的な話ではありません。一個の統括された生命体として考えなければ正しい答は得られません。

 結局のところ、放射能を浴びて癌になってしまうような人は、放射能を浴びなくとも癌になる確率の高い人であろうと思います。だから、放射能の危険を叫ぶよりも、生活過程を整えて健康的な人生を歩めるようにすることの方が肝心なことだと言うことを、強調しておきたいと思います。


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あなたが素敵な恋人を欲しいなら

2011年06月07日 | 教育
 故 今東光和尚は昔(1970年代後半)、週刊プレイボーイ誌に『極道辻説法』というタイトルで、若い人向けの人生相談をやっていた。たまに床屋とかの待ち合い室に「週刊プレイボーイ」が置いてあると、今東光の『極道辻説法』を“チラ見”して、笑わせてもらうことがあった。買うほどのことはなかったが…。

 ほとんどはくだらない下ネタの相談(?)ばかりだった記憶があるが、今東光の回答もハチャメチャというか、毒舌の限りをつくしてそれなりに面白かった。
 そんななかで一つだけ印象に残った言葉がある。

 たしか…「あなたが素敵な友を欲しいなら、まずは自分が素敵な友になってあげることである。恋人も同じだ。あなたがまず素敵な恋人にならなければ、相手だって素敵な恋人になってはくれない」というような“説教”であった。
 今東光の言葉は河内弁ふうで、こんなおとなしい表現ではなかったと思うが、当時はなるほどと感心した覚えがある。

 感心したとは言っても、私は母に子どものころからこのことは良く言って聞かされたものだった。思春期になったころに、母はしきりに、「あなたも年頃になって、好きな女の子ができるだろうけれど、まずは自分が立派になって好かれる人間になりなさい」と言われた。
 これがいわば性教育であったのだろう。

 先日、ン十年ぶりに同じマンションに同居するようになった母に、中学時代のこの話をしてみたが、何も覚えてはいなかった。「そんなことあったかねえ」でお終い。

 この「素敵な友を欲しいなら、まずは自分が素敵な友になってあげること」という“格言”は、つまりは「即自対自」である。「否定の否定」という解釈でもよかろう。
 友達、恋人に限定する話ではなくて、すべての対人関係における真理かと思う。
 会社でもそうだし、ブログでもそうだし、である。
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菅は逃げ切れるのか?

2011年06月06日 | 政治問題
 菅直人は、不信任案採決の前には「首相を辞めるから不信任案には同調しないで」と言い、否決された後に豹変、まったく悪びれる様子もなく「そんなことは言っていない」と、否定して居直った。
 誰が見ても、菅は退陣を示唆したのである。だが最初から約束の文書の文言をあいまいにし、さらに鳩山が要求した署名を拒否し、「言わずもがなじゃないか、信じてほしい」と言って、後で言質をとられないよう工作したことを、本当に鳩山や平野は見抜けなかったのか? 

 本人と取り巻きが、確認書にしても縛りが緩いように細工し危機を脱したつもりだろうが、すぐにペテンは明らかになって、かえって晩節を汚すことになった。策士策におぼれたというも愚かな振る舞いであった。
 採決直前の民主党代議士会での発言も、菅は「辞めます」とはっきりは言わなかったのは確かで明らかに後で「辞任するとは名言していない」と居直りやすい言辞を弄していたことも、見抜けた話であるのに、民主党議員どもは分からなかったのか、それとも初めから芝居とわかっていて協力したのか。

 そもそもスッカラ菅には約束など通じない。「約束」「信義」などという言葉は「菅の辞書にはない」というのがわかっていなければならない。
 ヤツは野党時代から、数十年「脱官僚」と主張してきた。出処進退は自ら決めよと、自民党首相や閣僚にスキャンダルが出ると、そう言っていた。

 ところが自分が首相になると、「脱官僚」はどこへやら、官僚の言いなり、自らの在日韓国人からの政治献金問題も「知らなかった」で済まそうとする。
 最高権力者になったんだから、昔言ったことは守る必要もなく、実行しなくてもよいという態度である。

 不信任案に敢然と賛成票を投じた松木謙公衆院議員は、即行で除籍処分になった。松木氏が不信任を貫いた理由は、「菅首相はすぐ辞めないかもしれない」と思ったからだという。
 民主党では彼だけが菅の本質と嘘を見抜いていた。
 他の民主党議員は(鳩山を筆頭に)、菅の延命のための小細工を見抜けなかったか、それとも見抜いてはいたが選挙で落ちるのが怖くて、信じたふりをしたのか。どちらにせよ、そんなバカ、もしくは卑怯な態度なら国民の付託を受けた国会議員たる資格はない。

 副島隆彦氏は、菅直人はアメリカのジェラルド・L・カーティス( コロンビア大学名誉教授。ジャパン・ハンドラーズの主要人物)に育てられ首相に据えられたのであって、アメリカがまだしばらくは菅を続投させると決めている以上、衆議院で菅政権の不信任決議が否決される流れは当然だと言っている。
 アメリカが菅直人をしばらくは使うと決めているのだから、菅直人が負けるはずがない、と。これはそうだろうが、菅とその取り巻きどもが謀った延命への奸計はお粗末すぎた。

 日本は副島氏の言うとおりアメリカの属国であるけれど、小泉政権であまりにもアメリカの下僕と化した反省が政界にはいくらかはあるらしく、アメリカから無理難題を吹っかけられると、日本は首相が退陣する形でレジスタンスしているかのようである。安倍、福田、麻生、鳩山…と首相が一年そこそこで次々に辞めていくのは、「日本型抵抗」の一つなのかもしれない。
 このことを指摘したのは、評論家の日下公人氏であった。
        *         *           *

 日本は戦後、他国に謝り続け、感謝し続けた。大局観はなくとも、平身低頭しながら高度経済成長を果たし、世界第2位の経済大国に躍り出た。これは、日本という国はのらりくらりとしているようで、実は「日本型抵抗」という切り札を持っているからだ。

 たとえば、安倍首相が突然の退陣をした時、国内のマスコミはその背景の説明はせず「首相が病院で誰それの面会を受けた」などと中身のない報道ばかりしていた。だが、岸信介首相以降、日本の首相が突然替わるのはアメリカの力が背後で動いたときなのだ。何らかの強い要求があり、その無理難題に応えられなくなった時、日本の首相は退陣する。

 これを「アメリカの陰謀だ」と見る向きもあるが、陰謀でもなんでもない。安倍首相の辞任劇に見る日本のリーダーの行動パターンは「日本型抵抗」という観点で読み解くことができる。

 日本は相手国との交渉ではお互い納得できる着地点を見つけようとする。それを考えずゴリ押しで物事を進めようとする者とは話す気にならないと考えるのが日本である。だから要求を聞き入れずに問題を首相の座とともに次の人に「どうぞ」と投げ渡す。アメリカと正面から衝突することは避けながらも、暗に要求を拒否する無言の抵抗をする。結局アメリカは目的を達成できないのだが、これが「日本型抵抗」だ。
  (日下公人著『いまこそ、日本、繁栄の好機!」WAC)

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 なるほど面白い着眼だと思う。
 これを今回の菅直人の卑怯な振る舞いに照らしてみると、菅は「日本型抵抗」で、辞任するべきところを、「俺は辞めるなんて言ってない」と居直ったのだから、極めて日本人らしからぬ言行になる。

 やはり「菅」は、本当の出自は「韓」なんだなとわかるようなものだ。
 菅は国会で演壇に立ったときに、水を飲む際、日本にはない習慣が現れている。横を向いて、口元を隠す仕草をして水を飲んでいる。これは韓国の習慣なのだそうだ。以下に写真。
http://ameblo.jp/konichiwa/entry-10593479651.html

 ネットで探すと、菅直人が在日3世であるという「暴露」がたくさん出ている。事実かどうかは知らない。しかし、在日から政治資金規正法に違反しながら献金を受けて、平然としているところを見ると、菅は相手を「日本人」と認識していたのではなく「同胞」と認識していたのではないか。
 野党時代の菅なら、自民党議員が「知らないで在日から政治献金をもらった」などと言ったら、それこそ国家の大事と言わんばかりに「辞めろ、辞めろ」と怒鳴りまくったはすであるのに、自分のこととなるとも「カエルのツラに小便」という面構え。

 この一事をもってして、民主党は総裁・菅に「二枚舌はやめろ」と諫言して退陣させるべきであろうに、誰もが知らん顔だ。
 かつての自民党の面々と同じ顔つき、というべきである。

 それにつけても、菅直人は「一応のメドがつけば退陣する」と言ったはずだったのに、不信任案が秘訣されるやいないや、菅直人と菅内閣執行部は、「すぐ退陣するとは言っていない」「当分、退陣しない」と居直った。もはや男とは言えない。
 
 事は単に野党と与党の争いにとどまらず、全世界が注目する中で、このペテン。
 ヤツとその取り巻きは小沢や鳩山らだけでなく、国民をも見事騙したつもりであろうが、それでみんなが納得するほど世間は甘くない。人間にとって一番大事な「信用」を捨てたのだから。
 菅が醜悪な人間性を天下に曝け出したことは、それこそお天道様が見てござる。

 日本の歴史上、こんな卑劣漢がのうのうと生き延びた例はあまりない。ただし大東亜戦争の最高責任者が醜悪な手を使って延命したあとは、下々が真似をするようになったのであろう。
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ドイツの「論理学的」教育

2011年06月02日 | 教育
 川口マーン恵美氏の『サービスできないドイツ人、主張できない日本人」(草思社)を読んでいると、ドイツのギムナジウム(高校)の様子が書いてあった。
 ドイツでは大学入学は、アビトゥアという高校卒業と大学入試資格試験を兼ねる試験がある。フランスで言うバカロレアと同じようなものだろうか。
 高校生で大学進学を目指す者はこのアビトゥアをパスしなければならない。

 川口氏の三女がアビトゥアを目指して勉強する様子を書いている。
 受験生はカフカの小説『審判』がアビトゥアに出題されるのだというので、必死に読む。そして実際の試験では、日本のような選択形式(○×式)ではなく、論文形式で筆記しなければならず、実に5時間半も取り組んで、昼食を食べる間もなく格闘しなければならない。

 試験問題(アビトゥアの前哨戦の大きなテスト)はこうだ。「試験の内容は、『審判』から1ページほどの文章が抜粋されており、これに関連して設問がある」という。
問1a 「抜粋部分を、語り口と言語様式の観点から考察せよ」
問1b 「この抜粋部分は、どの程度、小説全体のキャラクターを反映しているかを考察せよ」
問2 「Kの裁判に対する態度と、Michael Kohlhaas(教材となった小説)の主人公の心情と態度を比較し、考察せよ」

 と、こういう問題が出題されたそうだ。
 川口マーン恵美氏は「こんな抽象的な質問に、いったいどうやって答えればいいのだろう?」と書いているが、たしかに…。採点する側もいったい、どういう解答を諒としているのだろうか。

 川口氏の三女がアビトゥアのための受験勉強(?)では、カフカの『審判』について、裏の裏まで覗き込み、穿った分析をしながら深く考えることをさせられるのだという。川口氏は小説についての解釈を親子でとことん議論する作業に付き合わされて参ったと書いている。

 三女の方はこの試験を5時間半かけて、大学ノート16ページ分の論文に仕上げ「息も絶え絶えになって帰宅した」とある。さもありなん。
 ドイツの入試では論文形式だから、国語だけではなく、歴史も生物も、呈示されたテーマを文章で説明していかなければならない。外国語でも、「語学の能力が問われるだけではなく、その言葉を使って、指定された題材を考察したり、分析したりしながら、自分の意見を加えた小論文を作ることが求められる」そうだ。

 日本のように、もしかしたら当てずっぽうでもまぐれで正解になり得る○×式で慣れた(実力をつけた)子どもでは、とうてい太刀打ちできない。ドイツで選択式になっている試験は、自動車免許の筆記試験だけだという。

 このことから川口マーン恵美氏は、こう言う。
 「ドイツのギムナジウムを見ていて感じるのは、勉強の目的は知識の量を増やすことではなく、後々まで使える底力のような能力を培うことに重点が置かれていることだ。簡単に言うと、『論理を構築する力』と『主張する力』と『妥協点を見つける力』である。日本の高校生の勉強が往々にして、全方面的な知識の集積と、大学受験のためのテクニックの習得のようになっているのとは、だいぶ違う。

 日本とドイツの高校生の学力を比べたなら、知識の量は日本の生徒のほうが断然多い。また、初めて教わることを理解するのも、日本人のほうが素早い。ただ、日本の生徒の知識は、ほとんどが受動の知識なので、いざ、その知識を能動的に駆使するとなると、ドイツの生徒のほうが断然強くなるだろう。」

 川口マーン恵美氏が言うような、ドイツの生徒は日本人に比べて「知識を能動的に駆使する」実力は上だとか、『論理を構築する力』と『主張する力』と『妥協点を見つける力』も培われるという見解はやや疑問である。

 川口氏は「ドイツ人と話していて感心すること」として、「まず彼らは何を聞いても何を読んでもそのまま鵜呑みにすることはない。すべてを、『本当に正しいのか』、『なぜ正しいのか』と疑ってかかる。『懐疑的であれ』ということを徹底して教え込まれているのだ。それは70年前、この国の人間がヒトラーを盲信し、一丸となって破滅へ突き進んだことへの反省でもある」と説く。

 また、ドイツ人は学校で教わっている最中でも、受動的ではなく、自分の意見は何だろうといつも考えているのだそうだ。そして考えたことを躊躇なく主張するらしい。
 その点日本人は、「人を疑ってかかることはせず、信頼に基づいて暮らしてきた民族」であり、「懐疑的、批判的な能力はそれほど必要なかった」し、「他人を理屈でねじ伏せる訓練は受けておらず、闘争のDNAもあまりない」と。

 だからドイツ人にかぎらず、世界中の民族が常に懐疑的に相手を見て、隙あらば騙してやろうという姿勢でいて、常に自分が自分がと主張するのに、日本人だけが容易く妥協して、相手の立場を考えてやり、仲良くやって和を大切にするというノーテンキぶりなのである。

 「日本から一歩外へ出ると、意見のない人間は頭が悪いと決めつけられ、主張のない人間は、これ幸いと利用されるのは常識だ。日本の伝統的な美徳である思いやりや奥ゆかしさなど、ひとたび海を越えると、はっきり言って何の役にも立ちはしない」ということになるのは、川口氏の言うとおりだ。

 さてしかし、ドイツのこうした受験勉強についての私の感想は、これでは使い方で創るやり方ではないかと思う。論文形式で出題すれば、○×選択式よりは論理的に考える力がつくとか、判定できるとか簡単に言われることがあるが、ことはそう簡単ではなかろう。
 それも入試で5時間半かけて、大学ノート16ページ分の論文に仕上げるとは、強引ではないか?

 まあ読んだわけではないけれど、これは(日本で言うと)「受験国語で上手にまとめる」という具合にならないだろうか。カフカの小説がこれまた果たして論理的であるか、論理的に解釈する訓練をするに適当なテキストであるかも問われるべき問題であろう。
 小説はあくまで作者の感情とか世界観に読者が共感するかどうかであって、物事の認識のスジを解いてあるとは限らない代物なのだ。

 要するに、私たちが子どものころから成長するにしたがって、論理的な考え方を身につけていくわけではあるが、ほとんどは自然成長性に任せてあるだけである。ドイツではそこをなんとか自然成長性に任せずに、高等教育ではしっかり身につけさせたいと考えている意図はわかるが、やり方がこれで良いとは思えない。

 どうやったら「考え」が、スジを通した「論理」への成長するかを認識論で極め、それを教育に応用した例などはまだ実現していない。
 日本だけではなく、あれだけ哲学者を輩出したドイツでもまだ「論理学」を踏まえた教育は完成されていないどころか、実態を知ると、ますます混迷の度を深めているように思える。

 有名な「現今の若人、とくに高校生に欠けているものが二つある、一つは〈大いなる志〉であり、一つは〈論理能力〉である。」という小論は、当然今も生きているのであり、やっぱりドイツでも戦後混乱しているのかという印象である。
 昔日の日本の旧制中学・高校にはあっっと言われる〈大いなる志〉と〈論理能力〉の教育は、古き良きドイツから教えられてきたものだったろうに…。今やドイツでも見る影もないのか、と思う。


※ 3日、4日、5日は休みます。

 
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日本農業への信頼と期待

2011年06月01日 | 社会問題
 先週は、淺川氏の著作『日本は世界5位の農業大国』(講談社α文庫)の紹介をしてきた。
 同書を読めば、日本の農業の生産性は低くないどころかかなりの潜在力があることがわかる。とはいえ、まだ潜在力なのであって、上手に農業を輸出でも稼げる体質にはまだ遠い。輸出主導型のマーケティングができていない。
 農水省をまずは潰す必要があるかもしれないが、とまれ国の農業政策や農家の考え方を変える必要があろう。

 『日本は世界5位の農業大国』の最終章(第5章)「こうすればもっと強くなる日本の農業」には、具体的な8つの提言「日本農業成長八策」がなされている。項目だけとりあえず紹介する。

1.民間版・市民(レンタル)農園の整備
2.農家による作物別全国組合の設立
3.科学技術に立脚した農業ビジネス振興
4.輸出の促進
5.検疫体制の強化
6.農業の国際交渉ができる人材の育成または採用
7.若手農家の海外研修制度の拡充
8.海外農場の進出支援


 さて、その八策のなかの2番目の「作物別マーケティング組織の構築」と4番目の「輸出の振興」には瞠目した。
 デンマーク酪農連合、米国ポテト協会、英国ニンジン協会が、その具体的な例としてあげられていた。

 詳しくはまたしてもにはなるが同書をぜひ読んでいただくとして。アメリカのポテト協会の獅子奮迅の活躍は勉強になる。
 これを見ると、アメリカ人というのは捲まず撓まず努力する連中で、だから陰謀も上手だったが、世界帝国にまでのし上がったのだなと感心はする。その捲まず撓まずの中に、侵略、戦争、多民族の虐殺、奸計などがあるので世界中から嫌われるのだが…。

 「作物別マーケティング組織の構築」というのは、「農家出資による組織で、作物別に年間の出荷、マーケティング戦略を策定し、3つの市場を開拓する。それは、国内の値下げ圧力の高い市場、輸入品にシェアを取られている市場、そして海外市場だ。
 米国ポテト協会、デンマーク酪農連合、英国ニンジン協議会などは、このような生産者団体の形態である。

 日本は、これまで地域単位の農協が中心となり市場に農産物を流してきた。その結果、同じ作物を作る他産地の農家と競合し、産地間競争による値下げ合戦の消耗戦を生んだ。
 そこにつけ込まれて、寡占化する流通・小売に価格決定権を奪われ、どこの産地も農家の手取りが減る一方である。」


 このように、浅川氏の展開は、まず総論を説いてから具体へ、個別へと展開していくので、とてもわかりやすい。今の季節は「さくらんぼの実る頃」であるので、果実店やスーパーの店頭にはアメリカン・チェリーがたくさん売られている。あれもアメリカのおそらくチェリー協会みたいなところが、巧みに日本市場に踏み込んできて拡充を図ってきた結果だろう。

 では米国ポテト協会のありようを見てみよう。

 同協会はアメリカに数ある農業生産団体のなかでももっとも活動的だそうだ。日本には農業者団体はほとんどない。日本スプラウト協会が唯一である。テレビCMでスプラウトの宣伝を見たことがあるだろうが、あれだけという。
 日本スプラウト協会が出来たのは、Oー157事件で菅直人が厚生大臣のときにカイワレが濡れ衣を着せられ、カイワレ生産者が壊滅的打撃を受けたときである。
 協会の生産者が一致団結して、カイワレの安全性をPRする活動を行ったのがはじめだったが、今や受け身の宣伝ではなく、栄養価の高さをアピールする攻めのマーケティングをテレビCMでも見る通りになった。

 だが、米国ポテト協会の活動はそんなものじゃない。

       *         *         * 
 (ポテト協会は)ジャガイモの用途の広さ、栄養価の高さを伝えて売り上げを伸ばそうと、消費者に対する広報、栄養教育、販促プログラム、外食に対するマーケティング、輸出促進など、多岐にわたって活動している。とはいっても国が支援してくれるわけではなく、すべてを行うのはジャガイモ生産者、農家なので普及活動に費やす時間がないため、生産者が支払う年会費により、各分野の選任スタッフ109人を雇っている。

 米国では一時期、「ジャガイモを食べると太る」という説が認知されジャガイモの消費が落ちていた(その原因はジャガイモそのものではなく、フライで食べることなのだが)。そこでポテト協会は、消費者の意識を変えるため、コンセプトを「ヘルシーポテト」一点に集中、くびれたウエストラインのジャガイモでダイエット食のイメージを喚起し、カロリーの低さや豊富なビタミンCとカリウムについて説き、健康面を強調したのである。

 その事業ビジョンの展開がすごい。米国市場にとどまらず、海外の消費者にまでヘルシーポテトを売り込んだのだ。

 たとえば輸出相手国の小売店舗で、「米国ポテトは(地元産より)健康!」と、米国産ジャガイモ健康キャンペーンを開催、日本に対しても「ヘルシーなイモを見てほしいから来てください」と、管理栄養士や大学の教授をビジネスクラスやファーストクラスを用意して米国まで招待する。そこで栄養学の権威が、科学的根拠を用いながら米国産ポテトの魅力についてPR するのだ。呼ばれた栄養士や教授は、学校・企業給食のレシピ制作の関係者なので、彼らに売り込むことは巨大マーケット進出の足がかりになる。

 そして外食チェーンに対しては、日本人の嗜好を考慮した米国産ポテトによるレシピを開発し、提案する。それも、ただ美味しさだけを強調するのではない。原価率から購買層までを独自にシミュレーションし、店舗ごとに何食売れたらいくら儲かるのか、収益性まで計算したうえでのプレゼンだ。

 そのため、徹底したマーケティングリサーチを怠らない。一例として、彼らは日本の国産フレンチフライ市場まで分析している。2005年は前年比0.9パーセント成長したとの結果を報告、商品別にその要因まで分析できるほどに観察して、わずかなシェア奪回も許さない。おそらく日本市場で米国産が何パーセントか、国産が何パーセントかを理解している日本人は、ジャガイモ関係者でせ皆無だろう。

 さらに、その手はポテトチップ原料市場にも及ぶ。ポテトチップは欧米の食品であるため、ポテトチップ用ジャガイモは欧米以外の国ではそれほど栽培技術が発達していない。そこで日本や韓国に売り込もうと考えたが、輸入規制の壁が立ちはだかった。しかし彼らはあきらめない。輸入規制を取り払うためにロビー団体として政府に訴え続けた結果、米国政府は毎年、日本政府に対し、ジャガイモ輸入規制緩和の要望書を出すまでになった。その執拗な活動が実り、日本は一部輸入解禁に踏み切るまでになったのだ。

 これだけしたたかな市場戦略が可能なのは、米国ポテト協会が3年ごとに「事業ビジョン」「成長市場の特定」「その開発戦略の策定」「財務戦略」「技術革新戦略」「人材育成戦略」などの成長戦略を立て、計画を実施しているからだ。

 さらに、若手リーダーの育成にも熱心だ。研修プログラムでは、10代、20代のジャガイモ農家を自薦他薦で選抜し、彼らに自分の農場の枠を越え、州代表、国代表としての業界のビジョンと戦略を語れるようになるまで訓練する。そのために、実際に消費者団体に対しプレゼンさせ、さらには上院議員や外国の大使に対してもロビー活動をさせる徹底ぶりだ。

 こういった米国のような作物ごとのプロモーション団体は、今のところ日本には皆無といっていい。逆にいえば、「ゼロベースからどんな成長戦略も描ける好位置にいる」ともいえる。


       *         *         * 
 長い引用になったが、私はほとほと感心したのだ。こういう「捲まず撓まず、努力して」は、アメリカ人の長所であろう。
 それに比べて、日本の農家はまだ何も努力していないじゃないか、と言いたくなる。
 TPPが批准されれば、日本の農家は行政官庁の支配を脱して、自分たちでこの米国ポテト協会のごとくの懸命にアタマを使っての自力自努力をしなければ生き残れなくなるという話である。

 それが面倒だから、TPPに反対して、農水省におすがりするのか?
 私はこの米国ポテト協会の活動を読んでいるだけでワクワクしてくる。
 日本人の能力から言って、いったん目覚めればアメリカ人に負けないアイデアが湧いてくるだろうし、活動も熱心にやっていき、たちまち世界一位の農業国になるのも夢ではあるまい。
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東電国家管理への危惧

2011年05月31日 | 政治問題
 菅内閣は東京電力救済策を発表したようだが、肝心の電力業界および関連団体に対する役人の天下りは何も触れない。一般大衆が気がつかないとタカをくくって政・官・業癒着の構造を温存して東電を救済する姿勢であろう。原発事故の被害者や賢い一般国民は強く疑問を抱いているだろうが…。
 そのなにやらの「風」というのか「空気」を読んで(期待して?)、野党と民主党内非主流は菅直人を退陣に追い込みたいようだが、彼らとて東電を巡る政・官・業癒着の構造に言及することはない。

 たまたま船井幸雄氏のHP「船井幸雄.com」を見たところ、船井氏が以下のような、今次震災に関わっての役人批判をしていた。

     *         *         *
 東電は、株主や融資先の金融機関よりも、福島第一原発事故のため、はっきりと国家管理になったようなものです。
 社員は誇りを失ない、企業としての自由な活動は一切できなくなり、これから利益も出ず、成長も見込みないでしょう。潰れた方がよいような企業になったと言ってもいいと思います。中部電力も浜岡を停止させられ、実情としては国家管理になったようです。

 最近出たばかりの鬼塚英昭著『黒い絆 ロスチャイルドと原発マフィア』(成甲書房刊)ではないですが、もともと国家が「シークレット・ガバメント」の意を受けて造ったと思われるのが原発です。だから仕方がないんだ……とも言えますが、自由の抑圧は企業活動にとって最悪の状態を引きおこします。そして政官が中心になって企業などの運営をはじめると、非効率で早ければ半年、おそくとも2年くらいで企業成長はストップします。

 というのは、ほとんどの官僚や政治家は、法や規則を友とし、制約することしか能がないからです。
 彼らはいかにして徴税するかということと、国民や企業の自由を減少させることしか考えられない人です。特に日本は官愚、政愚の国ですし、彼らの上層部は「思いやりの心」や「思いやりの気持」を持たない人たちが99%以上とも思われるのです。

 汗水流して自ら稼ぎ、そこから税金を払い、しかも客を大事にし、客にアタマをさげ、自分で責任をとることなどを全くというほどしたことのない人々がいま日本でのさばりはじめています。
 こうなると、おもしろいことに自主、自助を忘れ、多くの国民が「お上だのみ」になります。
 悪循環もいいところです。

 いままでの電力会社には多くの非がありました。いまもあります。
 しかし、つぶれてもいいから、彼らに自主的に経営を委せるしか、彼らも目がさめないと思うのです。
 いよいよ3.11大震災で、日本では原発はつくれなくなるだろうし、資本主義もダメになるな……と、思わざるをえないので、ついここではよけいなことを書きました。
 いま一番大事なのは、日本人が自主、自助で立ちなおることです。そのためには国民のそれぞれの生き方を、できるだけ自由にすることです。

http://www.funaiyukio.com/funa_ima/index.asp?dno=201105008
     *        *          *

 話の途中に出てくる鬼塚英昭氏の新著『黒い絆 ロスチャイルドと原発マフィア』(成甲書房刊)は、私も読んで衝撃を受けている本で、近いうちに紹介したいと思っているが、鬼塚氏はHAARPが起こした説はとらず、「地震が多い国という事実を百も承知で、危険きわまりない原発を造った“原発マフィア”を追求する」と書いている。

 船井氏が東電について国家管理になったら自由な活動ができなくなり、利益も出ず、成長も見込みなくなると説いていることには同感である。船井氏というのは妙なオカルト趣味があるようで気持が悪いのだが、コンサルタントで鳴らしてきただけの見識はあると思う。

 たとえば公務員の人事なんてのは、官僚仲間だけで決められる。人事に関しては身内以外は政府も世論も関係ない。官僚は仲間内の評判を得ることだけ考える。身内の権限を強め、予算を増やし、組織を広げることを目指す。
 だから広瀬隆氏が言うように、国立大学の入試を超難関にしておいて、官僚の子弟に問題を洩らし、一般大衆が入り込まないように仕掛けてあるのだそうだ。巧みに世襲しているのだ。

 いくらサボっても首にならない、格下げにもならない状況を作ろうとする。競争をなくすには、わかりやすくて変えられない尺度で人事を決めること。それは入省年次、年功序列にすること。自分たちの省のために働く人ばかりが出世する。
 やがて民間もそれと相互浸透して、民間企業や病院などでも職員が「事務屋」になっていく。

 役人が取り仕切ると、国民は自主、自助を忘れ、「お上だのみ」になる。「悪循環もいいところです」という船井氏の指摘はそのとおりで、それが被災地の一部の住民にも見られている現象であると思う。だからいつまでも昼間から体育館でごろ寝していてはいけないと私は言った。

 「つぶれてもいいから、彼らに自主的に経営を委せるしか、彼らも目がさめない」のである。だから私は日本人の底力を信じてTPPに賛成に回ろうかと思っているのだ。失敗すれば日本は潰れるかもしれないが、起死回生にはそれしかないのではないか。

 幕末、日本は欧米の植民地にされる危機にあった。内実は英国の隠然たる支配下に置かれたかもしれないが、それなりに露骨な植民地にならずに持ちこたえることができたのは、体制を変えたからだろう。
 徳川慶喜の失敗は、武士身分を温存したまま改革(大政奉還)したことであった。一方の薩長勢力は、志士たちが身分を捨てて変われたから良かったのだ。Change of the brain.が出来たのだった。鎖国社会では外国に太刀打ちできないと見て、武士の身分を捨てた。
 あの維新が良かったかどうかの議論はあろうが、とまれ現実路線を日本はとったのだ。

 その体制も大東亜戦争で失敗し、戦後も官僚政治を維持したがために2009年についに自民党は下野し、官僚主導から国会議員主導の政治に権限を委譲することを公約にした民主党が天下をとった…かに見えた。民主党は国家戦略局をそのように提唱していたはずであった。
 ところが、鳩山由紀夫は女の腐ったような男で沖縄県民を裏切り、さらに菅直人は謀略で権力を手にしたうえに無能で官僚政治に頼り切りとなって、国民の期待を裏切った。

 日本は長らく「官僚の官僚による官僚のための政治」である。これが日本が飛躍できない最大要因であろう。
 明治維新で武士の「身分」を剥奪したのが成功したように、今の国難にあたっても、公務員の「身分」を剥奪しなければなるまい。それには「身分」を「職業」に変えることだろう。公正な試験で選抜し、入省してからも成果と能力で査定するのだ。
 「身分」では能力、意欲は二の次になる。過去から今までは、官僚は何年にどの試験を受けて、どの章に入省したかだけが重要な資格になっている。どんなに不適任でも、入省して何年かたてば課長になり審議官くらいにはなれる。つまり「身分」が保障されている。

 しかし「職業」なら能力と意欲をみて適任者を選ぶことができる。ダメならクビになるし、出世もできない。だが、いったんラインから外されたらもう一生うだつが上がらない、なんてことはなく、リカバリーが可能になるのだから、公務員だって歓迎ではないか?
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稲恭宏氏の講演に対する反論

2011年05月30日 | 医療問題
 ある医師から、稲恭宏氏の講演に対する反論をいただいた。
 いささか驚愕の事実が述べてあり、これまで私が信じていたことが打ち砕かれた。
 私は稲氏のいうように、低線量率放射線なら心配ないと思う。その理由はブログで述べてきたから撤回するつもりはない。しかし稲氏の出した結論そのものは、私の見解と近いとしても、その過程が科学的手順を踏んでいないとする以下の反論には同意せざるを得ない。

 また、稲氏の肩書きに対する不審に関しても、どうやら反論にあるように「怪しい人」であるらしい。これは私はただ東大の人なのだろうというだけで当初はさして問題にしていなかったが、稲氏がわれわれを意図的に騙したとするなら、見解を変えなければならない。東大でないからダメとは思わないけれど、詐称していたとなれば、これは非難すべきである。

 では以下にその反論を紹介させていただく。この方は医師である。
      *          *         *

 はじめに稲氏の講演の録画を観た印象は、矯激なもの言いと、東京大学医学博士という奇妙な肩書き、たくさんの自慢話から怪しげな人だというものでした。
 稲氏は講演で、自分の世界的研究論文は、検索ひとつで引っかかるから霞ヶ関の人も臨床医も検索して、その論文を読んで勉強しろと言っていましたので読んでみることにしました。

論旨は
①低線量率放射線は体によい
②現在の福島の放射線量は低線量率である
③よって福島に行けば健康になれる
という単純な三段論法でした。

 私は、条件によっては低線量率放射線が健康によいこともあるといことは認めるとしても、それが単純に今回の原発事故に適応できるかどうかについては非常に懐疑的です。現在の状況で、原発そのものから放出される放射線量は少なくなっているかもしれませんが、既に大量に飛散した放射性物質が自然や生態系に及ぼす影響については大変に深刻であると懸念されます。

 稲氏は放射能に汚染された野菜も魚も牛乳も水道水もいくら摂取してもかまわないと言っていました。外部被曝と内部被曝を一緒にして扱っているようです。また放射能感受性は成人と乳幼児では異なると考えられますが、乳幼児も胎児も全く大丈夫と言っていました。その根拠と具体的なことはすべて自分の英文論文に書いてあるから参照せよと言っていました。 

 そこで職場の図書館の司書さんに頼んで過去30年分の国内外の文献検索をして貰いました。すると氏が自身のホームページに公表されているように英文は4報あったのでそれらを取り寄せて読んでみました。サマリーを瞥見しただけで、氏の研究はとても臨床応用できるようなレベルのものではないと思いましたが、本文も読んでみると色々興味深いことがわかりました。

 英文については2004年が1報、所属はすべて電力中央研究所となっています。
①内容は免疫不全マウスに低線量率放射線を照射すると生存期間が延びるというもの。2005年が3報で、
②同じマウスに同じ放射線量率を照射すると、5週齢までの照射より死ぬまで照射していた方が、生存期間が延びたというもの
③病気ではないマウスに同じ放射線量率を照射すると、免疫機能が改善するというもの
④病気ではないマウスで、高線量率を照射すると胸腺腫が出現したが、先の3論文と同じ放射線量率では胸腺腫が出現しなかったというものでした。

〈内容について〉
1 全てがマウスの実験である。
2 すべてが外部照射の実験である。
3 放射線量率の設定が0.35mGy/hと1.2 mGy/hのふたつで結論は1.2 mGy/hのほうが優れるとなっていた。体の大きさや放射線感受性が異なるヒトに換算するとどうなるのかは不明。
4 データの解析については異なる時系列の比較や3群間の比較もT検定で行っていた。
5 放射線感受性の高い臓器である生殖腺などに悪影響が出ていなかったかの検証がない。
6 考察では自分たちがこれらを世界で初めて発見したと書いてあったが、先行研究とは異なる結果となった理由のspeculationがない。
7 ①の論文の考察では、データは示さないがヒトでの研究でも同じような結果が出ていると書いてあったが、どうして論文にしないのか不明。


 以上稲氏の英文論文のどこをどう読んでも現在の福島は安全だという根拠を見つけることは困難でした。稲氏は、今騒がれている放射線の害は、チェルノブイリからの外挿した推定値なので、福島には当てはまりません。すべて私の世界的な研究の成果である英文の医学論文が証明していますから大丈夫です。
 なんの問題もないどころか健康によいですから。野菜も牛乳もどんどん摂取してください。乳幼児も放射能水道水を飲んでください。胎児にも悪影響はありません。と言っていましたが、当の世界的と称する英文論文には、ヒトに外挿できるようなデータはひとつもありませんでした。

 そこで日本語の論文を見てみましたが、論文は1報だけで、あとは学会発表の抄録7題だけでした。それを見てわかったことがあります。講演ではあたかも東大出身の医者であると思わせる口吻でしたが、東大の学部出身者でも医者でもないようです。 

 稲氏のホームページを見ても東京大学関連が強調されているだけで、早稲田大学や電力中央研究所の記載がないのも不誠実です。この人は何者なのかよくわかりません。末期癌やリウマチの患者をたくさん治したと言っていましたが、治療は医者と組んでやっているならともかく、本当に放射線を照射していたなら犯罪です。稲氏のHPによればエステティシャンと組んでいると書いてありましたが、どうやって放射線治療をしているのでしょうか?具体的な方法とヒトの治療データを見てみたいものです。

 一般の人があの講演録画を観たらとても偉い学者で医者だと勘違いするでしょう。しかし稲氏は東大卒の医者であることを匂わせるだけで明言していませんから、観た人が勝手に誤解しただけとなるのも心憎い演出です。

〈学会発表の抄録〉
1992年 早稲田大学「習慣的な自発運動のラット生体諸機能に及ぼす影響 特異免疫機能」
1994年  東京大学 疫学生物統計部門 「低線量放射線照射マウスにおける生体防御活性  化に関する研究 非特異免疫系」                 
    東京大学 疫学生物統計部門 「低線量放射線照射マウスにおける生体防御活性化に関する研究 特異免疫系」
1998年 東京大学 医科学研究所 
「変異系Btkマウス後天性免疫不全症候群(MAIDS)の発症遅延機構の解析」
1999年 早稲田大学人間科学「メタロチオネイン誘導性ストレスによる免疫応答の増強」
2002年 電力中央研究所 低線量放射線研究センター 「低線量率放射線全身照射による生体防御・免疫活性化 細胞集団及び細胞表面機能分子・活性化分子の解析」
2003年 電力中央研究所 低線量放射線研究センター 「低線量率長期照射による免疫機能活性化 細胞表面分子の解析」

 日本語の論文は1994年で「習慣的な自発運動が炎症負荷ラットの健康指標に及ぼす影響」所属が東京大学疫学生物統計部門となっていました。全く同じ内容で早稲田時代に発表していますから、その研究を論文にしたものでしょう。2004年以前に英文論文はなく、東大としてはこの邦文の論文しかありません。
 まさか学位論文が邦文のはずがないというか、英文にしてそれこそ査読のあるジャーナルに採択されないと学位審査を通らないと思うのですが??謎です。なんとも不可思議な東京大学医学博士です。

 ホルミシス効果について調べていたら、1993年に電力中央研究所が『ホルミシス効果検証プロジェクト』というものを立ち上げて、東大も参加したと知りました。早稲田で免疫の研究をしていた稲氏が、1994年に東大所属で唐突に低線量放射線の発表をしています。その経緯はよくわかりませんが、このプロジェクトの一環であったと考えて間違いないのではないかと思います。
http://criepi.denken.or.jp/jp/ldrc/information/result/hormesis_project.html

また電力中央研究所のホームページから稲氏の論文の紹介を見つけました。先ほど紹介した英語論文の改変(以下のように重大な変更点がありました)のようなものが日本語で載っていました
http://criepi.denken.or.jp/jp/kenkikaku/cgi-bin/report_reference.cgi
報告者の空欄に稲恭宏と入力すると表示されます。

「低線量率放射線による生体防御・免疫機構活性化−細胞集団および細胞表面機能分子・活性化分子の解析−」 (英語論文の題名は「Activation of immunological network by chronic low-dose-rate irradiation in wild-type 」)
というのを見ると、序論でははっきりと以下のように書いてありました。英文の方にはなかった次の文言を発見しました。

「・・・低線量率放射線の生体影響評価は、いまや多くの科学分野の興味からだけではなく、原子力発電所および使用済み核燃料貯蔵施設周辺の社会生活の面からも大変重要な課題になっている。・・・」

 原発の周囲では癌や白血病の発生が多いと噂されています。稲氏らの研究はこれらの風評被害(笑)を否定するための宣伝活動の一環のように見受けられます。稲氏のいう世界で初めての発見というのは、『原子力発電所の放射能漏れはホルミシス効果をもたらす』ということだったと推察されます(笑)。
そして稲氏のことよりも稲氏のことを調べるうちに知った電力中央研究所の原子力技術研究所 放射線安全研究センターの存在と活動内容に驚愕しました。
http://criepi.denken.or.jp/jp/nuclear/index.html

 この低線量率放射線が健康によいというのは稲氏の新発見の専売特許でもないようです。上記のHPには稲氏と同じような研究論文が満載されています。
 私はこんな研究所の存在、そして原子力は安全な夢の技術だと高らかに謳い上げていることを知らなかったので本当に驚きました。プルト君も真っ青です。このセンターの使命としては今こそ福島原発の事故は有害ではない低線量率だから健康によいと安全宣言を出すべきではないでしょうか。福島の事故については一切触れていません。となると稲氏はセンターの意図を越えて独自に暴走しているだけのようです。センターにとって都合のよい主張かと思いきや、あまり声高に健康によいなどと騒がれると、藪蛇になるので無視をきめこんでいるかもしれません。

 また稲氏のHPの経歴に東京大学医科学研究所客員研究員とありましたように、医科研の名前で学会発表がひとつありました。これをもってAIDSの治療を世界で初めて発見したと言ったのでしょうか???そんなに凄い発見なら論文(英文)にすべきと思いますが???ちなみに医科研で本当にHIVの研究をしている知人がいるので稲氏のユーチューブ見てみてと頼んだら、一笑に付され、危ないヒトじゃないの?と言われました。

 ネット上では稲氏を御用学者だなどとする糾弾も見受けられますが、それは全くの見当違いと思います。当初はそうであったかもしれませんが、現在は独自の路線を邁進しているようですし、こういった研究をするうちにあたかも自分が世界的発見をした学者で多くの患者を治してきたような錯覚(妄想)に陥ってしまったのかもしれません。
 現在の原発の危機的状況に乗じて売り出してきたわけではなく、以前から独自の持論を展開していたのが、このような社会背景で、受取側が彼を以前よりも大きく取り上げているだけのような気がします。
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農業大国日本を潰すな (3/3)

2011年05月28日 | 
《3》農業の潜在力を殺ぐ農水官僚の身勝手
 農林水産省が2008(平成20)年度から立ち上げた、「食料自給率向上に向けた国民運動推進事業」がある。その一環としてこのプロジェクトが提唱され、運営を行う「FOOD ACTION NIPPON 推進本部」が、設置された。
 このプロジェックトには日本の多くのマスメディアが賛同している。多くのテレビ、ラジオ、新聞が広告を放映、掲載している。
 YouTubeにも 食料自給率向上運動Food Action nippon の公式チャンネルが設けられている。

たとえば、C・WニコルもこのFANのCMに顔を出して、偉そうに「 無駄をやめましょう。日本のものを食べましょう。」などとしゃべっている。
http://www.youtube.com/watch?v=8L1MjWxsnF0

 ニコルのほかに「応援団」として、東国原英夫、上野樹里、黒木メイサ、石田純一、石川遼、大桃美代子、テリー伊藤ら豪華(?)メンバーが次々に同様のことをしゃべっている。
 みんなニコニコして登場しているが、さもありなん、出演料をたんまりもらっていれば自ずと顔はほころぶ。そういう営業笑いである。
 彼らの出演料はみな税金である。

 このほかにも、ACのCM「食料資源 輸入してまで食べ残す国、ニッポン」
http://www.youtube.com/watch?v=pgXC0ZOHaHs
 なんてのもある。

 そもそも「食料自給率向上に向けた国民運動推進事業」は、悪名高き電通が仕込んだイカサマ・プロジェクトであるから、必然的にメディアを使って、有名タレントをいくらでも動員して、こういうどうでもいい無駄なキャンペーンを張ることができる。

 このプロジェクトは「食料自給率を1%上げよう」とて2008年からはじめられた。これはその前年と比較して40%だったものが41%になったのを機に考えられたものらしい。
 毎年1%ずつ上げていけば、しだいに100%になっていくだろうという、くだらない希望が込められているのかどうか知らないが、たった1%を実現するためにいっそうプロジェクトを組んで頑張ろうという趣旨であった。

 そもそも食料自給率がインチキであることは、すでに見てきたとおりである。
 もう一度復習しておけば、(日本だけが提唱している)自給率には「カロリーベース」と「生産額ベース」の2種類があって、政府や農水省が喧伝するのはもっぱらカロリーベース自給率で現在約41%。生産額ベースでは、07年で66%。浅川芳裕氏の試算によれば先進国中3位である。しかし意図してこちらはほとんどメディアでも話題に上らない。

 何故わざわざ自給率を低く発表し、国民の不安を煽るのかといえば、自給率政策によって、あたかも農水省が国民を「食わせてやっている」かのようなイメージが実現できるからだ。その結果、統制経済的で発展途上国型の供給者論理を正当化し、農水省予算の維持、拡大を図っているのである。わが国農業の潜在力を殺いできたのは、官僚たちの自己保身のせいであり、農村を票田としか見てこなかった自民党政治半世紀のせいであろう。

 自民党時代から今の民主党政権に至るまで、日本の農業政策は、選挙に勝つための人質にされてきたのではないか。
 過去の官主導がそうだったことを学習すれば、今次震災でも被災者はまた何らかの「人質」にされかねないと思うべきなのである。だからいつまでも体育館でごろ寝はまずいんじゃないかと言ったのだ。

 マスゴミでは被災者は弱者だ、のオンパレードである。私は被災者が、戦後農政で農民が弱者とされたあげくに食い物にされてきた前例があるからこそ、その二の舞になってはと危惧して警鐘を鳴らしたいと思っている。

 『日本は世界5位の農業大国』で浅川氏が説くように、日本の専業農家は本当は元気である。
 日本の農業(総生産額8兆円)を支えているのは、農業人口のわずか2割の専業農家だ。実に7%の優れた農家が6割を生産している!
 しかしながらほとんどが、エネルギー(カロリー)付加への貢献度が低い野菜・果樹・花卉の農家だそうだ。よって熱心な農家が生産額を拡大しても、カロリーベースの自給率は上昇しない仕掛けだ。

 我が国で7%の情熱のある農家が6割を生産しているという仕組みは、大規模専業農家(15ヘクタール+α)は、週末しか農業をやらない人から土地を借りて、オペレーター(耕作委託農家)として大規模経営を行なっている。
 日本の専業農家の実際は、補助金無しで生活も立派に成り立っているどころか、平均収入は、サラリーマン家計よりもかなり高い。都会に出てサラリーマンをするよりは、農業で得た収入のほうが高いので、肉体労働は大変だろうが未来は明るい。ただし、政治と行政が余計なことをしなければ、である。


《4》「官災」と政治家の思惑
 『日本は世界5位の農業大国』は理路整然、目が醒めるかのようである。日本の農業に関する客観的で偏りのないデータが存分に盛り込まれている点も信頼できる。全部を紹介したくなるが、そうはいかないので最後の約2ページ分を紹介する。
      *         *          *

 商品は絶対的に正直なものだ。たとえ国産品であろうが、品質が悪くコストも高いのでは外国産に太刀打ちできるはずながない。生き残るには、外国産より品質を良くすること以外になく、それができなければ市場から消えていく。これが経済社会の原理原則である。
 需要を無視し、国内供給を税金で増やす自給率向上・鎖国政策は、国内市場を海外から隔離させ、競争するインセンティブを弱め、結局は農業を衰退させるだけだ。

 工業界は、自由化を商品の価値で乗り切った。農業界もまったく同じである。最終の商品、農産物はメーカーたる農場固有のものだ。国産かどうか、カロリーが高いかどうかなどは関係ない。そして商品には、生産管理、技術革新、投資水準だけでなく、経営者のプライド、社員のもの作り思想までもが如実に現れる。つまり、いくら国家が宣伝しようが、個人でブランド化しようが、商品は嘘をつけないのである。

 すでに野菜、果実農家は低関税時代を乗り越え、生産性の向上、嗜好性の追求、産地間連携んどによって自らの強みを発揮している。輸入によって生まれた新たなマーケットのシェアを奪還し、さらには輸出攻勢に出るたくましい業界に成長している。
 関税に守られたコメでも、事業的農家の多くは輸入自由化時代に備え。生き残りをかけた商品開発や設備投資を十分に行なってきたし、規模拡大とマーケティングの力をもっと発揮したいと考えている。彼らは現状の、未来のない過保護政策ではなく、より競争原理が強化される規制改革と、新たな売り先を開拓できる各国との市場開放を歓迎するだろう。

 所得補償は補助金農政はこの流れに逆行し、票田獲得のために見せ金で心を揺さぶり、農家の思想を弱めようとするものだ。その結果、農場の生み出す商品は傷つき、価値を落とす。

 いってみれば民主党は、農場の衰退を願っているのだ。それはなぜか。農場が弱くなれば弱くなるほど政治の力を必要とし、不安を抱く国民の農政への期待は高まり、一票の換金率が上がるからだ。自給率は、政治と官僚の力を担保するための呪文なのである。それほどまでに、この単語の持つ呪縛は強い。

 だが、自給率という名の呪縛が解けたとき、政治・行政主導による農業の時代に終止符を打つことができる。そして、自律した農業経営者の時代が始まるのだ。


      *         *          *
 マスゴミでは日本農業はダメで、弱くて、老齢化していて、とてもじゃないが官が支えてやらないと自律できないし、国際競争力もない、関税で保護してやらなきゃブッ潰れるという報道と論調ばかりではないか。
 ところが実際は、「新たなマーケットのシェアを奪還し、さらには輸出攻勢に出るたくましい業界に成長している」というのだ。

 その真実を覆い隠して、農業は弱いと国民に嘘いつわりを吹き込んでいる農水省は、犯罪的であろう。まさに省益あって国益なし。
 農水省は、じつに子ども騙しとでもいうほかない「自給率向上」を掲げて国民運動に(税金を使って)押し進めて来ている。

 たとえば、キュウリなんぞは全部まっすぐにするなんてのはやり過ぎであろうが、その技術開発力は見上げたものだ。実力はあると思っていい。
 それを数字でみれば、 国内の農業生産額はおよそ八兆円。これは世界五位、先進国に限れば米国に次ぐ二位である。「自給率」に縛られている今でさえこうなのだ。
 さらに言えば、農業人口の減少が叫ばれているにもかかわらず、生産量は着実に増加している。農業者一人当たりの生産性が飛躍的に向上したからである。

 だから浅川氏は、「自給率」という呪縛が解けたとき、世界に打って出ても十分以上に太刀打ちできる自律した農業が実現するという未来を説いてくれている。それは政治・行政主導によらないで、である。

 「民主党は、農場の衰退を願っている」も、衝撃的であった。
 民主党がマニフェストに掲げた、「戸別所得補填制度」は自給率向上政策の目玉とされている。これは5月25日のブログでも書いたように、コメや小麦、大豆など自給率向上に寄与し、販売価格が生産費を下回る農作物を作っている農家に、その差額を補填する制度である。

 「差額」とは赤字額のことだ。「補填」に使われるのは約1兆円の税金になる。この制度の眼目は、農家に黒字を出す努力を放棄させ、赤字を推奨する「農業の衰退化政策」にほかならないと浅川氏は説く。
 税金を湯水のごとく注ぎ込んで、農家の実力を弱める。農家が弱くなればなるほど政治の力を必要とし、政府と農水省の影響力は担保される。

 兼業農家は全農家の8割を占める。ここが民主党は票が取れる「沃野」だとみなしているのだろう。自給率向上キャンペーンだの、「戸別所得補填制度」だのと、政治的に誘導してこの兼業農家を甘やかして政権基盤を盤石にしたい思惑なのだろう。

 最終的にどう転ぶかわからないが、菅内閣がTPPに慎重な姿勢に転換したのは、こういうおぞましい背景があってのことかもしれない。つまり日本の農家をまだまだ甘やかしておいたほうが都合がいいと…。
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農業大国日本を潰すな (2/3)

2011年05月27日 | 
〈目次〉
1. 日本は農業大国!の衝撃  
2. 食料危機のまやかし    →5月27日
3. 農業の潜在力を殺ぐ農水官僚の身勝手   →5月28日
4.「官災」と政治家の思惑  →5月28日


《2》食料危機のまやかし

 『日本は世界5位の農業大国』の著者・浅川芳裕氏は、そもそも自給率を計算している国は日本だけしかないと説く。当然に、カロリーベースで食料自給率という指標を国策に使っているのは世界でも日本だけ。
 韓国だけは日本の真似をしているが、それでも国策にはしていない。

「事実、日本の低さを強調するために比較されている主要国の自給率は、各国が算出したものではない。農水省の官僚がFAOの統計から導きだした代物。自給率は官僚主導の「自作自演』といっていい」 と言いきっている。

 しかも農水省はその計算根拠を未公開にしている。メチャクチャ怪しいではないか?
 浅川氏が農水省に問いただすと、「食料安全保障の機密上、出せない」と答えたそうだ。さらになぜと問うと、農水省は「食料危機時代、来るべき輸入全面禁止に備えるため」と「鎖国的戦争論」で構える。
 日本は国際協調による自由貿易立国が国是では? と尋ねると、「外務省や経済産業省の方針と、農水省の立場は違う」というのだそうだ。

 これには私も「絶句」である。自民党政権時代から今の民主党政権まで、政府の政治による統括がない!ということである、これは。各省庁が勝手に「事業」をやって「特別会計」をてんでに太らせているだけ。

 官による自給率向上政策は世界の笑いものになっている。
 「食料自給率」とは、GDP世界第二位だった日本が(今や中国に抜かれた)20年以上も前から発表しているけれでも、本当にそれが役立つものなら、GDPや景気動向指数のように各国が競って採用するはずがインチキだから通用しないだけ、と言い切る浅川氏の話には説得力がある。

 「日本の自給率政策は、市場メカニズムによる農業成長を妨げ、国が先導して計画的に上げようとするものだ。国が上げようと思えば上げられる、というこの考え方自体が、統制・計画経済の発想丸出しである。国民に逐次発表し一喜一憂させるところなど、まるで戦時中の大本営発表ではないか。」

 「数字はしばしば、物事を良く見せるために操作される。ところが農水外交の場合は反対で、いかに日本農業が弱いかを強調するために悪く見せようと苦心している。」
 なぜそんな自虐的な政策をとるかというと、農水省はWTO(世界貿易機関)が推進する関税削減案に抵抗しているからだ。

 WTOの理念は、「各国が生産したモノとサービスの移動を自由にし、世界を豊かにすることを目的としている。そのために関税を撤廃、もしくは削減することが必要」なのに対して、日本の農水省はコメに778%、コンニャクイモに1706%もの「非常識な超高関税を課している」のだ。
 あくまで、国家の豊かさ追及よりも、省益優先。
 関税を高く設定すれば日本農業を守れるという錦の御旗を掲げていはするが、自由貿易が推進されると農水省の存在が不要になってしまうからだ。

 だから世界に向けて(税金を使って)「日本農業の弱さを徹底的にアピールする必要がある」。
 「国際的にまったく通用しない自給率論を大真面目に展開する日本が、世界で孤立するのは当然だ。国際交渉の場で、本来世界に誇れる日本農業の実力を世界に発信せず、いかに国力がないかということを宣伝するのは国辱である」と浅川氏は言っている。
 そのとおりである。
 もっとも、この施策はアメリカ様が厳命しているのかもしれないが。

 そもそも「食料安全保障」という言葉は、日本のような自給率云々に対して使われるものではない。
 本来は発展途上国のような、食べるものがなく生きるか死ぬかの問題について言われるものだそうだ。日本では農水省が「安全保障」という言葉の意味をわざと取り違えている。

 途上国で食料危機がおこる根本原因は、「慢性的な貧困と脆弱な自給自足農業、そして社会インフラの未整備である」。途上国では食料輸入の多さが原因とはならない。
 ことは自給自足を目指すのではなく、国内以外に多様な食料調達源を持っていることで「安全保障は高まる」と浅川氏は説く。
 なぜなら、途上国に問題が生じるのは、大飢饉が発生するからである。その原因は「単純な国内生産の減退や絶対量の不足というより、購買力の大幅な減退や流通手段の遮断、健全な市場メカニズムが機能しない非民主的な国家の存在など」だという。

 それに対して、先進国での食料危機の脅威とは、「栄養失調や飢餓の問題ではなく、消費者にとっての食の選択幅や食の安全に関する何らかの事柄を意味している。これは、消費者の食品安全に対する期待感値が非常に高いことが背景にある」とするのである。

 先進国と途上国では、かくも課題が違う。
 「食料安保」とは主として途上国における「リスク・マネジメント」の課題であって、自給の問題ではない、というのが世界中の認識なのである。
 それを農水省は意図的にごちゃ混ぜにして使って、国民の不安を煽る。マスゴミもそれにあわせて「国は国民を食わせられるか」「お金を出しても食料が買えなくなる」と騒ぎたてる。
 浅川氏は「こういった表現は情緒的な供給者論であり、軍事的な響きさえある」と言っている。

 浅川氏は英国がなぜ食料自給率なんかを問題にしていないか(国策にしないか)を縷々のべている。
 「英国は産業革命以来、食料自給を目標に掲げたこともなく、達成したこともなく、これからもすることはない。英国は食料の多くを安定した国から調達している。多様性が安全を保障を強化するのである。
 国内生産は当然必要だが、自給のために全国民が農業をしたからといって、100パーセント自給率が達成できるわけではない。様々な手段で自分の能力を発揮し、必要な収入を得て、食料を始めとした多くの資源を手にできるのが先進国の証でもある。」

 それでも、輸入が突然すべて止まったらどうする、という論調がマスゴミをにぎわすけれど、これもまったく間違いであることを浅川氏は説いている。

 「もしも輸入停止が起きるとすれば、米国やオーストラリア、ブラジルといった食料輸出大国が、常日頃、貿易で競争し合っているにもかかわらず、突然輸出を全面的にストップする申し合わせをしなければならない。
 この可能性は極めて低い。食料の輸出入を行なっているのは大部分が国ではなく、無数の民間事業者である事実さえ考慮に入れていない。

 輸入依存の「依存」という言葉も、供給者論理で情緒的な意味合いが強い。輸入国が一方的に輸出国に「依存」しているようにとられがちだが、裏を返せば輸出国は輸入国からの収入に大きく「依存」していることとなる。」

 この浅川氏の言説は、とても弁証法的であり、気分良くなってしまう。日本のような「食料輸入国」だけが、アメリカなどの食料輸出国に一方的に生存のカギを握られていると思うのは、弁証法がわかっていないからの迷妄である。

 「自給率という指標は外部に大きく依存しており、それ自体で自己完結できないのだ。そのため、それを何パーセント上げようという向上目標は成立し得ないのである。だから英国は賢く、そんなイカサマはやらないのだ。
 やらないどころか「自給率を高めるために、特定作物の価格を人工的に上昇・維持させる政策は、農家の質を低下させる一方、膨大な在庫を生み出す」と批判しているのである。
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農業大国日本を潰すな (1/3)

2011年05月25日 | 
〈目次〉
1. 日本は農業大国!の衝撃  →5月26日
2. 食料危機のまやかし    →5月27日
3. 農業の潜在力を殺ぐ農水官僚の身勝手   →5月28日
4.「官災」と政治家の思惑  →5月28日


《1》日本は農業大国!の衝撃

 メルマガ「国際派日本人養成講座」(5月8日付)の、「日本はすでに農業大国」には驚かされた。ブログは以下。メルマガと同じもの。
http://japan-on-the-globe.at.webry.info/201105/article_2.html

 これは 浅川芳裕著『日本は世界5位の農業大国』の紹介である。東京の書店では平積みされて結構売れたらしいが気がつかなかった。
 簡単には上記のブログで読んでいただければと思う。
 少し紹介してみる。

        *         *         *
 日本の国内農業生産額は2005(平成17)年時点で、826億ドル、8兆円相当の規模で、これは中国、米国、インド、ブラジルに続き、世界第5位を占めている。

 米国(1775億ドル)のちょうど半分程度だが、大雑把に言えば、人口も米国の半分程度なので、国民一人あたりの農業生産額はいい勝負と言える。

 また欧州の農業大国と言われるフランスは6位549億ドル、広大な領土を持つロシアは7位269億ドル、オーストラリアは17位259億ドルで、日本の生産額はこれらの「農業大国」をはるかに上回っている。

 品目別に見ても、生産量で世界トップレベルのものが少なくない。ネギは世界一、ホウレンソウ3位、ミカン類4位、キャベツ5位、イチゴ、キュウリは6位だ。コメは生産能力の4割を減反していて10位だが、減反開始前の昭和35(1960)年代には3位だった。意外なのがキウイフルーツで、世界6位、米国を上回っている。

 こうして見ると、自動車やエレクトロニクスなどの工業分野と同様、農業分野でも我が国は大健闘している、と言える。

 すなわち、日本はすでに農業大国なのである。GDP(国内総生産)を根拠に、我が国が今まで「世界第2の経済大国」(最近、中国に抜かれたようだが)と呼ばれていたのだから、農業の国内生産高、すなわち農業GDPによって世界第5位の農業大国と呼ぶのは妥当だろう。我が国の国土の狭小さを考えれば、これは驚くべきことである。


        *         *         *
 これは日本のマスゴミを通じてわれわれが吹き込まれている話とは真逆である。
 しかも、「食糧自給率が約40パーセント」、「農業従事者の約60パーセントが65歳以上」などと喧伝されていることもウソだというから、唖然である。

日本の農産物輸入を米英独仏の先進4カ国と比べてみる(2007年データ)。
 輸入額では、米国747億ドル、ドイツ703億ドル、英国535億ドルに次いで460億ドルと第4位。金額的に見て、我が国は主要先進国の中では少ない方である。
 このほか国民一人あたりの輸入額でも、また一人あたりの輸入量でも米英独仏の先進5カ国と比較すると第4位、アメリカと同等か、ちょっと上回る程度。

 すなわち、この先進5カ国の中で比べてみれば、生産高は826億ドルと米国に次いで第2位、輸入高では460億ドルと生産高の半分強で第4位。
 決して「食糧輸入大国」ではない!
 日本の農業は衰退状態にあり、食糧危機が起こって輸入が途絶えたら、国民が飢餓に瀕するなどとマスゴミは騒ぐが、真っ赤なウソだったのだ。

 『日本は世界5位の農業大国』の著者・浅川芳裕氏は、「農業版自虐史観」だと言っているそうだ。なるほど自虐である。マスゴミに巣食う識者も記者も、日本を貶めることが大好きな人種であるからか。
 日本人はダメだ、劣等人種だ、遅れている、戦争犯罪国家だ、と指摘する向きは、だけど俺だけは賢いから、日本人を目覚めさせるのだと勝手な思いでいる。

 浅川氏によると、カロリーベースの計算法はとてもおかしい。
 
●国内で消費される食料のカロリーには、外食産業やスーパー、コンビニ等で廃棄される売れ残り商品が含まれている(年間1900万トン)。これにより農水省は需要(分母)を多く見せかけている。
 自給率の分母は、「(食品の廃棄分を含む)供給カロリー」である。農産物を加工して作られた食品の約30%は、コンビ二弁当や加工段階のロスで廃棄に回る。誰でも知っている。カロリーベースの自給率を正確に計算すると60%を超えていることになる。
 
●国産食料品の供給量を低くするために、全国に200万戸以上もある農産物を殆ど販売していない自給型農家や副業的農家、家庭菜園の生産する大量の米や野菜を含めていない。
プロの専業農家の生産量だけに限定している。
  しかもプロの農家の生産物でも、価格下落を理由に畑で廃棄される生産調整分を含めていない。これは全体の20〜30%ある。

●肉や牛乳などは、国内で飼育されたものであっても、海外から輸入された餌を食べて育った場合は国産にカウントしない。だからカロリー当たりの自給率計算の場合、野菜よりも肉の国産率の影響が大きくなる。
 日本の畜産は輸入飼料への依存度が高いので、この計算方法に従うと、自給率は大幅に落ちる。

 さらにカロリーベースだと、日本でたくさんつくられている野菜や果物類というカロリーの低い農産物が分子を下げてしまう。
 わが国のカロリーベースの自給率は、41%(2008年)。自給率の分母は、「(食品の廃棄分を含む)供給カロリー」である。農産物を加工して作られた食品の約30%は、コンビ二弁当や加工段階のロスで廃棄される。こんなことは子どもでもわかる流通現場のイロハである。
 これを考慮して正確に計算をしなおすと、カロリーベースの自給率でさえ60%を超えていることになる。
 
 世界の国で、このような珍妙で恣意的な計算で「カロリー自給率」なるものを発表しているのは日本だけだそうだ。
 日本の「真の」食料自給率は、生産額ベースでは68%もある!
 
 なぜ生産額ベースの自給率が公表されずに、カロリーベースなのかと言えば、浅川氏は「(弱い)日本農業を守るという錦の御旗を掲げることが、農水省の省益にかなっているから」だという。各種の農業補助金(税金から)も、ふんだくれるからだ。
 官だけがウハウハなのではない。農家と農協も国民の税金で保護される。そのまた影で農水省の官僚はその辺りへの天下り先が確保できる。たがいに持ちつ持たれつ、か。



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日本の小麦はなぜまずい?

2011年05月25日 | 
 昨今またぞろ小麦の価格が上昇して、パンや菓子、うどんやラーメンの値上げが迫っているとか。つい2007〜08年にかけて輸入小麦の価格高騰によって食料品の値上げに見舞われたものだった。
 なぜそんなことになるのかは、本稿後半で書いてみたいが、「食料自給」が叫ばれるわりには国産小麦粉はあまり流通していないようである。
 なぜかというと品質が悪いからだとのことである。
 たいていの国産小麦粉は質が悪く、パスタにもならないので、業者は「外国産の半値でも買わない」そうだ。

 生協では国産小麦粉100%のスパゲッティを販売している。一度買ってみたことがあるが、これはコシがなくて旨くない。タダでもお断りのシロモノであった。「国産小麦100%」などとパッケージに示されていると、ついうかうかとポストハーべストの問題でも安心だろうし、なにより自給率アップに貢献できるかも…などと考えて買ってしまいかねないが、大間違いである。
 パスタはデュラム・セモリナ小麦でないと、おいしくない。

 ただし、私は「季穂 地粉」という国産の全粒小麦粉で丸元淑生氏が推奨していたチャパティ(タネを入れないパン)を作る。「季穂 地粉」は「もやし研究会」(http://moyashiken.com/)で扱っている。
 「季穂 地粉」は非常に高品質の全粒粉である。たぶんちゃんと栽培すれば、日本でも質の良い小麦はとれるのだろうが…。

 浅川芳裕著『日本は世界5位の農業大国』(講談社+α新書)にはこんな解説がある。
 「自給率の低い小麦や大豆を作付けすると、農家は転作奨励金という補助金が支給される。小麦や大豆を作るだけで収入が得られるため、単収(単位面積当たりの収穫量)や品質の向上に真剣に取り組まない農家が増加している。」

 農家に「転作奨励金という補助金」を支給するシステムにしたのは、農水省官僚と自民・公明の政権であり、また現在の民主党政権でもある。
 こういうシステムを作れば、人民は自努力をしなくなり、依存体質が骨がらみに身に付いてしまう。だからますます行政に頼る。
 行政は依存されるからいよいよ仕事が出来、我が世の春を謳歌できる。

 「小麦や大豆を作付けすると」とか「小麦や大豆を作るだけで」とあるように、別に収穫しなくても良い、という意味である、これは。
 タネを畑に蒔いて(作付けして)、栽培すると見せかけただけで補助金がもらえるとなれば誰がまじめに働こうとするか。害獣、害虫に食わせるばかり、か。

 われわれの納めた税金は、かくのごとく無駄遣いされる。役人と怠け者にされた(なった)農民の不労所得になっていく。
 これだから小麦粉を扱う業者は「国産小麦なんか外国産の半値でも買わない」と突き放すことになる。

 冒頭に述べたように、今また輸入小麦の高騰によってパン、うどん、ラーメンなどの小麦を使った食料品の値上げ、品薄でダメージを被りつつある。
 マスゴミは品薄の理由として、「国際的な穀物価格高騰が原因」とした。別にマスゴミは自分たちで取材、調査して記事にしたのではない。農水省の官僚に言われるままに報道しているだけだ。それに農水省の御用学者どもに発言させる。いつものことである。

 浅川芳裕氏は、「2000年から2008年までの国際小麦価格と日本における外国産小麦価格を比較すると、日本の価格は国際価格より2、3倍も割高だ。つまり日本では一貫して『国際的な穀物価格高騰』とは別次元の高価格が維持されていることになる」と説く。
 つまりマスゴミの流す情報は大ウソなのだ。

 そして農水省の悪辣なところは、「国際的な穀物価格高騰」とセットで、「だからこういう事態に備えて食料自給率を向上させることが大切」とするインチキ・キャンペーンを打つことにある。

 浅川芳裕氏の『日本は世界5位の農業大国』は、小気味良い筆致で真相を暴露している。つまりは国策、というより農水省の陰謀で小麦価格が吊り上げられているのであって、世界中で小麦生産量が減ったからではないのである。農水省の陰謀とは何か。
 少し長くなるが、引用する。
 
        *         *        *
 答えはシンプルだ。農水省が自ら小麦価格を高騰、維持させているのである。
 建て前上、民間企業は小麦を自由に輸入することができる。しかし農水省の政策に沿って、国は小麦に対して250パーセント(1キロ当たり55円)という関税を課している。
 これは、海外から1トン3万円の小麦を買う場合、税関にその2.5倍の7万5000円を支払わなければならないという法外な税率だ。3万円の原料が10万5000円になる。これでは正味の国際価格で原料を調達し、食品を製造する海外メーカーに太刀打ちできるはずがない。

 そこで農水省は、「少しは安くするよ」とばかりに、高関税に比べ低価格を提示できる強権的な仕組みを持っている。それが国家貿易だ。

 政府はユーザー企業から必要量をヒアリング、商社に国際価格で買いつけさせた小麦をすべて買い取り、無関税で輸入する。その価格に1トン当たり1万7000円の国家マージンを乗せて、製粉業者などのユーザー企業に政府売り渡し価格で卸す。
 つまり、国家が小麦の貿易と国内価格を一元的にコントロールできる仕組みになっているのであり、完全な価格統制としかいいようがない。7万5000円と1万7000円、どちら余計に支払うか二者択一を迫られれば、誰しもが後者を選ぶしかないだろう。

 では、なぜ農水省は企業や国民の負担を増やしてまで、小麦貿易に強制介入する必要があるのか。こちらの答えも単純だ。それは財源と天下り先を確保するためである。

 年間の小麦輸入量は約570万トン。それに1トン当たりの国家マージン1万7000円を掛ければ、約969億円になる。さらには、企業に「契約生産奨励金」という拠出金を1トン当たり1530円上納させている。これは約87億円にもなる。これを前金で支払わなければ、国は小麦を売ってくれない。締めて約1056億円が農水省の財源になるのだ。

 これは、農水省の一般会計予算とは別に計上される特別会計である。農水省のなかでも、これだけの特別会計を持てる部署は、国家貿易を独占する総合食料局食糧部食糧貿易課くらいしかない。だから、「小麦の国家貿易担当は省内ではエリート、有望な天下りコース」と公然と囁かれる。
 そして、主な天下り団体は、特別会計の61億を握る「全国米麦改良協会」と、同85億円の「製粉振興会」の2つだ。

        *         *        *

 民主党の「事業仕分け」作業でも、これらは検討対象としてカスリもしなかったであろう。民主党もこのカラクリを知らないわけではあるまい。グルなのである。
 テレビのニュースは、末端のラーメン屋やパン屋などがインタビューに答えて「オーストラリアで干魃が…」とか「カナダで小麦が不作らしくて…」とぼやき、「なんとか値上げせずに頑張っていますが、これ以上輸入価格が上昇したら、お客さんに負担してもらわないと…」なんて言っているが、みんな農水省に騙されているのである。

 農水省は国民を騙してテメエたちの特別会計というお手盛りにむしゃぶりついている。その既得権を手放すまいとて、TPPに絶対反対なのである。関税がゼロにでもなったら、国家貿易という仕掛けで国民や業者からふんだくるカネがなくなってしまう。

 さらに冒頭で書いたように、農水省は農家に転作奨励金という補助金(税金)を支給して、国産小麦を保護しているかにみせかけて、まずい小麦を作らせのは、小麦はなんとしてでも輸入ものでまかなう事にしたいからだ。輸入すればするほど、農水省の懐にカネが入る仕掛け、これを手放すはずがない。
 これを陋劣陰険と呼ばずして何とする。

 もしTPPが実現したら、小麦がもっと安く手に入るようになるし、国産小麦も競争のために上質のものを栽培するようになるだろうということだ。ラーメン1杯は今、500円だとすると、100円くらいで食べられるようになる! 
 ふざけた貿易上納金を廃止するだけでも、パンもうどんももっと安価に食べられるのだ。それを阻むのが農水省の木っ端役人どもなのである。
 
 浅川芳裕氏は『日本は世界5位の農業大国』で農水省の大ウソ(小麦生産国で減産になっている)を次々と打ち破ってくれる。以下に挙げてみよう。
 
 中国とインドが経済発展と人口増で小麦輸入が増えていると言うが、昨日今日激増したのではない。順調に輸入量が伸びているのであり、2008年や今年、突発的に起きたのではない。小麦が足りないのは中国やインドのせいではない。
 
 バイオ燃料の需要拡大もよくニュースで語られるが、これもウソ。どれだけ小麦生産量を押し上げたかといえば…。
 「世界のバイオ燃料作物生産の7割を占める米国とブラジルの小麦生産量は、それぞれ6800万トンと580万トン。米国は減るどころか新興国の需要に対応して増産している。
 ブラジルは気候的に小麦作に適していないため、従来から小麦の生産が減っているわけではまったくない。」
 とのことだ。

 オーストラリアで旱魃があったことは事実だが、あの国は旱魃が起きても起きなくてもどうでもいいという農法なのである。灌漑すれば旱魃は避けられ、収穫量も上がるのに、灌漑インフラ整備にカネがかかりすぎ、コストが上がってしまって国際競争力を失ってしまう。だからオーストラリアは旱魃のリスクは織り込んで、自然の雨水に頼るだけの農法を採用している。そのほうが「長期的に収益性が確保できるという農業経営を、自ら選択しているだけ」なのだ。
 それにオーストラリアは日本企業が発注した小麦の数量を100%守っているので、旱魃が理由で減産したわけではない。

 しかもオーストラリア産の小麦で日本に輸出するものは、日本人好みのうどんやラーメンの需要と嗜好に応える品種にしてある。独自に開発したものだ。だから日本人がうどんやラーメンを食べないと余ってしまう。売り先がほかにない。

 ロシアもアルゼンチンも、自国の食糧が優先すると日本に売ってくれなくなると心配するのもウソである。農水省はロシアからもアルゼンチンからも一度も輸入したことがない。ロシア産小麦は、日本人が求める品質に到達していないのだそうだ。

 日本が長期にわたって輸入してきたのはアメリカ、カナダ、オーストラリアの主要3国である。小麦は世界的に少しも減産していないから心配ない。ただ農水省がウソの情報をマスゴミに流して、価格を操作しているから日本で品薄になる。

 というように浅川氏は次々に農水省のウソを論破していく。
 農水省は小麦の輸入を独占して、国際価格の2〜3倍で家計を苦しめている。
 それでも平然と犯罪行為を続けるのは、「食料安保」「食料自給率向上」を旗印に、官が管理・統制しないと国民が飢えるからと言って、自分たちの存在と仕事を必然と見せかけるためである。
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最低賃金引き上げという愚策

2011年05月24日 | 経済・経営
 民主党マニフェストに「最低賃金を引き上げる」がある。同党のHPから拾ってみると、
【政策目的】
○まじめに働いている人が生計を立てられるようにし、ワーキングプアからの脱却を支援する。
【具体策】
○貧困の実態調査を行い、対策を講じる。
○最低賃金の原則を「労働者とその家族を支える生計費」とする。
○全ての労働者に適用される「全国最低賃金」を設定(800円を想定)する。
○景気状況に配慮しつつ、最低賃金の全国平均1000円を目指す。
○中小企業における円滑な実施を図るための財政上・金融上の措置を実施する。

 今日は、このマニフェストで謳われる「全ての労働者に全国最低賃金800円を! そしてやがては1000円を目指す」を取り上げたい。

 厚労省によると、平成22年度の最低賃金の全国の加重平均額は時給730円(昨年度713円)となっている。
 民主党の尽力(?)によって、アップして来たのか…。
 民主党は、最低賃金の大幅引き上げを07年参院選の公約にした。その後、紆余曲折を経て09年8月の「政権交代」総選挙で、改めて上記のマニフェストに盛り込まれた。当時( 08年度)の最低賃金は全国平均で時給703円)。

 新聞にはたしか北海道、東京、京都などで生活保護水準を下回る「逆転現象」が問題化していると報じられていたと思う。つまり働くより生活保護を受けたほうが得じゃん、という認識がうまれかねないという指摘だ。
 だから最低賃金を上げないと、というのであった。

 最低賃金で働いている人のうち、8割近い人が世帯主ではなかった。また、5割の人が世帯主でないうえに世帯の年収が500万円を超える人であるという調査がある(一橋大学、川口大司氏・森悠子氏の論文:2009年)。

 年収500万円以上ならリッチとは言わぬまでも、最低賃金で呻吟しているイメージではなかろう。これでもワーキングプアか? 
 それも世帯主ではないということは、要するにダンナがしっかり稼いで年収500万円は収入がある家庭で、奥方がアルバイトやパートで稼いでいる金額が「最低賃金」の水準だという話である。
 実際、最低賃金で働いている人は、中年の既婚婦人もしくは十代の若年男性で、アルバイト、パートが多い。

 世帯収入が200万円以下で、最低賃金で働く人は15%だそうだから、最低賃金を頼りにした働きに生活がかかっている困窮世帯は、実のところあまり多くはない。

 ということは、民主党が親切にも(?)生活が第一などと叫んで、最低賃金を上げてくれても、貧困世帯の所得が増えるとは言いがたいのである。むろん一部には助かる人もいるだろうが、ほとんどが生活にはとりたてて困窮していないのに、小遣い稼ぎとかちょっと贅沢をしたいから家計の足しにとかでパートに出ているおばさんや、携帯電話代やゲーム代、隠れて吸うタバコ代欲しさにアルバイトする高校生、大学生がほくそ笑むだけの話になりかねない。

 しかし問題はそういうところにはない。

 最初に最低賃金を上げることをマニフェストに盛り込むにあたっては、当然のことながら中小企業を中心に、経営者側に反対が強かった。党内からも「千円に引き上げたら、解雇の口実にされかねない」として、明記を見送るべきだとの声が出ていた。
 大企業からも反対の声はあがっているらしい。それはそうだろう、大企業を支えている下請けの中小企業がバタバタと倒れては、大企業自体も立ち行かなくなる。

 だが、民主党は選挙で勝つことを優先した。低所得に苦しむ若者の支持を得るには最低賃金を上げるにしくはないと判断したという経緯がある。ただ、時期を明示せず将来目標とし、正社員と非正社員の均等待遇や派遣労働見直しなどとあわせ、改善に取り組む姿勢をアピールしたのであった。それが当面は800円に、いずれ「1000円を目指す」、というスローガンになった。

 はっきり言って、これは天下の愚策である。
 なぜかと言えば、党内からも反対があったとされるように、最低賃金を上げれば雇う側は人件費で圧迫されてしまうからで、そうなればパート、アルバイトを解雇せざるを得なくなるからだ。

 最低賃金でパートを雇用しているような企業は零細がほとんどである。それも誰でもわかっているように、小売り、卸売り、飲食店、宿泊業、農業、製造業の下請けなどである。身の回りを見渡せば誰でも実感できよう。
 よくあることだが、中国あたりからの「留学生」やブラジルから来ている日系人などが働く業種である。最低賃金でも、本国で働くより稼ぎがいいから、いわゆる3Kでも従事する。
 こうした海外からの「留学生」や出稼ぎ人の賃金が上げられるのは果たして良いことかどうか。

 最低賃金を800円に、そして1000円にと引き上げることは、もともと利益率が低い零細企業の首を絞めることにつながる。
 労働分配率が相対的に高いのが零細企業で、トウちゃん、カアちゃん、バアちゃんなど一家総出でやってるけれどそれじゃあちょっと手が足りないから知り合いの近所のおばさんに来てもらって……という零細企業は、かつかつでやりくりしているのである。
 それが民主党の政策で最低賃金を上げろと命じられたら、どこから上昇賃金分をひねり出すのか。大変な負担になることが、民主党の議員たちには想像できないのだろうか?

 それでどうなるかと言えば、そうした零細企業は廃業するか、もしくは生き残りのためにパートやアルバイトを解雇せざるを得なくなる。手がたりないのだから、経営者が休みなく働くしかなくなる。病人も増加するだろう。

 逆に言えば、最低賃金を上げれば、パートやアルバイトの機会を奪う仕儀となりかねない。パートばかりか、人件費が圧迫されるとなれば、これまで正社員を雇っていたものが派遣社員に切り替えていかねばやって行かれなくなることにもなり、若い人がますますの就職氷河期になっていく。

 派遣でもいいですという中国人あたりが大挙して企業に入っていけば、当然、はみ出された日本人は中国人を憎む。民族間のいがみ合いに発展し、社会不安を醸成しかねない。

 カネが天下に巡らなくなり、やがては消費も減退させ、国家の税収も減っていくことになる。
 最低賃金を上げても耐えられるのは都市部の大企業ばかりである。
 日本の経済を支えている中小企業が息の根を止められてしまう。

 今度の震災で、小売り商店を営んでいた人が被災し、小さな店舗が瓦礫と化してしまったが、なんとかテントか掘建て小屋程度で店を再開にこぎ着け、近隣の人から大変感謝されている、という話がよくニュースでも見られる。
 これが地方の実情であろう。地方の商店や飲食店では、地域住民同士の共存共栄が「目的」というと変だが、店主が「みなさんの笑顔が何より嬉しい」と語る言葉にウソはあるまい。決して高い利益を上げるために、あるいは事業拡大のために営業しているわけではない。

 今度同居することになった母は、結婚前は地方都市の商店街で化粧品屋を営む家の娘で、店番などの手伝いをしていたから、よく知っている。地域の住民に女中に来てもらったり、パートで店を手伝ってもらったりして、低い利益率で経営をしていたという。
 戦後、大規模店舗すなわちデパートやスーパーが出店してくる前は、お互いが助け合って暮らしていた、あるいは経済活動をしていたのである。

 給料が少ないなどともめることはなかった。雇うほうも、雇われるほうも、相場というものを弁えていたし、ガツガツと金儲けに血道をあげることはなく、共存共栄を優先していたのであった。お互いが感謝の心でつながっていた。

 そんないわば牧歌的な善い関係に、サヨクどもは「労使関係」を持ち込んで、零細企業や商店などにまで、「階級闘争」を焚き付けるようなことをする。
 民主党は労組の利益代表が多いから、最低賃金700円では雇用主による搾取だ、などとでも思っているのだろうか。

 こういうことを考えると、この民主党のマニフェスト作成を主導したのが小沢一郎だとすると、やはり彼も真の政治家とは言えぬのかもしれない。

 先に述べたように、直近の最低賃金713円を800円にあげると、労働分配率も上昇してしまう。業種にもよるが約5%の上昇になると大変だ。
 5%くらいどうってことはないと思う人は世間を知らない。

 わが国の大半の業種の損益分岐点は95%を超えている。売上高利益率は5%以下だ。
 だから最低賃金を800円にしただけで、利益率5%をオーバーした労働分配率となり、赤字に転落する可能性が出てくる。

 飲食店や喫茶店などの一人あたりの人件費は月額で平均16万円、年額でも200万円以下と言われる。これは黒字経営の店の場合であって、全国的にはおそらく半分程度しか黒字にはなっていないと見られ、多くの料飲店などはやっとの思いで経営しているものと見られる。だからパート代、アルバイト代に潤沢なカネを用意できるはずがない。

 最低賃金を上げれば、貧困が解消に向かうとか、「最小不幸社会」が実現できるとか言う民主党のマニフェストは世迷い事である。
 「 ワーキングプアからの脱却を支援する」と言えば、聞こえは良いけれど。
 むしろ雇用の機会を喪失させ、経済を停滞させ、国力を減衰させていくことになる。
 それを意図して日本にやらせようとするのは、やっぱりユダ金であろうか。


※ 本稿の数値については雑誌「voice」2009年11月号の藤沢久美氏の論考「消費を冷やす『最低賃金1000円』」を参考にしました。

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ジョセフ・クーデルカの写真について

2011年05月23日 | 藝術・音楽
 ジョセフ・クーデルカ(またはヨゼフ・コウデルカ)の写真展「プラハ1968」が東京都写真美術館で開催中だ。(5月14日〜7月18日)
 私はケガをして、残念ながら観に行けそうもない。

 彼の作品はネットでも見られる。
http://www.magnumphotos.com/Archive/C.aspx?VP=XSpecific_MAG.PhotographerDetail_VPage&l1=0&pid=2K7O3R135R3G&nm=Josef%20Koudelka

 チェコスロバキア生まれ。大学で航空学を学び航空技術者として働く傍ら、演劇写真家としても活動を始める。67年、スロバキアのジプシーを取材した作品で写真展を開催し、注目される。
 1968年にはソ連軍のプラハ侵攻を取材。命がけでフィルムを西側に持ち出し、作品を発表。世界に衝撃を与えた。この一連の写真で、1969年フォトジャーナリストに贈られる最も名誉ある賞ロバート・キャパ・ゴールド・メダルを受賞した。だがこのときは匿名で授賞した。

 名前を伏せたのは、ソ連側に暗殺される危険があったからで、実名を公表できたのは1984年になってからだった。
 アメリカの有名な写真家集団「マグナム・フォト」からジョセフ・クーデルカの写真が発表されたからこそ、世界はプラハで何がおきていたかを深く知ったのである。当時は「プラハの写真家」によるドキュメントとしてしか発表できなかった。

 副島隆彦氏は匿名記事は許せないと簡単にいうけれど、ではクーデルカにもそう言って責めるのか? 実名が公表されれば殺されるかもしれない危険があったものを、殺されても良いから実名で写真を公開しろと?
 
 クーデルカの場合は、誰もが匿名だからと無視したのではない。作品が世界に衝撃を与えたのは、そこに端的に言えば真実があったから、正義があったからである。中身をみんなが受け取った。

 匿名性については、味噌もクソも一緒にすべきではない。クーデルカのような場合と、2ちゃんねるで匿名にかくれて人を卑劣な中傷で書き立てる連中とは区別しなければならない。言論や芸術の発表には今も危険は伴う。
 魯迅もどれほど苦労して、作品や評論を発表したか。数え切れないほどのペンネームを使って国民党政府とか日本軍とかと闘ったのだった。

 その ジョセフ・クーデルカの写真展「プラハ1968」が東京都写真美術館で開催中だ。(5月14日〜7月18日)
 私もケガが治ったら観に行こうと思っている。

 印刷物やネットでクーデルカの一連の写真「プラハ1968」を見ると、よくある新聞に掲載される報道写真とは一線を画す作品であることに気づくであろう。プラハの市民が当時のソ連軍戦車と渡り合っている写真だとか、瓦礫のなかをチェコの国旗を掲げて歩く若者とか、一見すると報道写真のようであるが、やはりこれは事件を写そうとしているのではなく、あくまでプラハの「人間」を写そうとしていることがわかる。

 すぐれた臨場感もある。まさに見るものをして、その争乱の現場にいるような興奮をもたらす。ソ連兵を罵るプラハ市民の、息づかいや、口角泡を飛ばしている様さえ感じられるほどだ。対するソ連兵の殺意に満ちた目も見事に捉えている。
 だからこそ、クーデルカの思うところの「人間とは何か」「人間とはどういうものか」の精神が迫ってくる。

 ロバート・キャパの報道写真も有名ではあるが、彼よりクーデルカの作品のほうが、「人間」に肉薄して、かつ重厚である。
 クーデルカは、プラハ市民の闘いを見て写し取っているのではあるが、彼の心象風景というか、主張がそこに映し出されていて、だから迫力を生んでいる。
 キャパの場合は、その自分の「人間とは何か」というような心象風景がない。

 以前ブログで書いたことがあると思うが、あのもっとも有名なスペイン内戦で、義勇軍兵士が銃弾に撃たれ、まさに吹っ飛ぶように大仰に倒れるところを写した写真は、イカサマ、つまりヤラセだったことが判明している。キャパにとって写真はそうやってカネにするものでしかなかった。

 クーデルカは、そんな卑しい写真家と違って、志があるのだ。
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